室町幕府の影の薄さは異常

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
どーなってんの
2日本@名無史さん:2008/02/01(金) 18:37:25
足利義教はすごいぞ!
3日本@名無史さん:2008/02/01(金) 19:00:33
応仁の乱
4日本@名無史さん:2008/02/01(金) 20:12:37
細川政元とかも掘り下げたら面白いのに。
あと流れ公方とか
5日本@名無史さん:2008/02/01(金) 20:16:58
デテコナイヅラ トツギナメテルヅラ
6日本@名無史さん:2008/02/01(金) 20:22:37
将軍は一番個性的だと思うけどね。
でも確かに幕府としては影薄いな。
7日本@名無史さん:2008/02/01(金) 22:47:45
単に人気が無いからだけだろ
やってることは義教とか凄まじいし、文化人も多い。
8日本@名無史さん:2008/02/02(土) 02:13:28
>>4
細川勝元の間違い?
9日本@名無史さん:2008/02/02(土) 13:03:19
>>8
まちがいちゃう。しっかりせい!
10日本@名無史さん:2008/02/07(木) 13:02:19
>>8
クーデター起こした奇行の多い半将軍
・・・と言えば分かるか?
俺は大好きだが
11日本@名無史さん:2008/02/15(金) 23:21:58
文化面はかなり興隆した時代じゃないか?>室町幕府
12日本@名無史さん:2008/02/15(金) 23:41:20
室町時代は日本の華だよ。
最も戦乱で荒廃した時代に、
もっとも高度な文化が生れた。
13日本@名無史さん:2008/02/15(金) 23:44:25
( ゚∀゚)o彡゜ 義栄、義栄!
14日本@名無史さん:2008/02/16(土) 00:17:26
室町  それは僕の心の慰め
15日本@名無史さん:2008/02/16(土) 01:08:12
室町時代はいろんな意味で日本史のターニングポイントだよ。
教科書の扱いがしょぼすぎるだけ
16日本@名無史さん:2008/02/16(土) 01:50:01
狩野派、世阿弥もこの頃だね。
茶道が大成するのも。
17日本@名無史さん:2008/02/16(土) 02:22:58
なんか、皆が本能の赴くままに生きた時代って感じだな
18日本@名無史さん:2008/02/16(土) 02:39:08
上手い事言うね
19日本@名無史さん:2008/02/16(土) 14:59:33
@尊氏
A義詮
B義満
C義持
D義量
E義教
F義勝
G義政
H義尚
I義材
J義澄
K義稙(再
L義晴
M義輝
N義栄
O義昭


20日本@名無史さん:2008/02/16(土) 15:18:56
8代将軍以下がほとんど教科書に出てこない
最後の義昭くらいか
21日本@名無史さん:2008/02/16(土) 15:30:03
義材←何て読むの?
22日本@名無史さん:2008/02/16(土) 15:36:24
よしき
23日本@名無史さん:2008/02/16(土) 15:42:27
義栄の存在感の無さは異常
きっと官位も低いに違いない
24日本@名無史さん:2008/02/16(土) 15:49:42
足利義栄
将軍就任後おそらく8か月程度で病死
(死亡した日付は諸説ある)
将軍時の官位は左馬頭
25日本@名無史さん:2008/02/16(土) 17:37:45
>>20
そんなこと言ったら、鎌倉幕府なんて
4代将軍以降はまったく出てこないぞ
26日本@名無史さん:2008/02/16(土) 17:42:07
>>25
鎌倉幕府将軍は9人
教科書に登場する将軍は
源頼朝、頼家、実朝の源氏三代に加え
4代目の初代摂家将軍九条頼経
それに6代目の初代親王将軍宗尊親王
室町幕府の将軍数、登場人物と比べてごらん?
27日本@名無史さん:2008/02/16(土) 18:32:43
>>24 従五位下だね。松永久秀でさえ従四位なのに…
江戸時代だったら小藩の藩主クラス
28武陽隠士:2008/02/17(日) 00:12:11
得宗専制以後の鎌倉将軍を他時代と比べても仕方ない。
王は得宗。官位云々しても仕方ないよ。
違う価値基準を持ち込まないと得宗の国王としての意味合いは看取できない
日本史板はどうも官位ばかりにこだわって、朝廷とは別の権威体系への目配りがない。
ついでにいえば家系にやたらこだわるのが私には不思議だ。
己の先祖探しの延長で日本史を考えているのだろうか?

29日本@名無史さん:2008/02/17(日) 00:40:29
> 朝廷とは別の権威体系への目配りがない。

んなわけねーだろ
鎌倉時代に北条氏が実権を握っていたなんて、あんたに言われないでも、小学生でもしってる。
相変らず、自分だけが偉いと思ってるやつだな。まああんたに何言っても無駄だろうが。
3025:2008/02/17(日) 00:52:40
>>26
摂家将軍と親王将軍は教科書に出てるのか。知らんかったww 教科書ばかにしすぎたか。
足利義尚とか義輝は出てないの?
31日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:00:08
>>30
おそらく君が在籍していたであろう底辺高校の教科書には載ってないと思う。
32日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:01:27
そういや室町将軍は日本国王までもらっていたのに、それでも影が薄いんだよな。
33武陽隠士:2008/02/17(日) 01:02:13
>>29
私がいってるのは実権云々じゃない。
得宗が同時代の「知識人」には日本国王と呼ばれていたことさ。
実権だけでは国王とは呼ばれない。
君は小学生レベルなようだなW
ま、君にいってもわかんないだろうな(失笑)
3425:2008/02/17(日) 01:04:22
教科書はどこでも大概同じでは?ww
いや俺は筑波大付属駒場っていう底辺校だが

というか、そろそろ>>29に対して
「ネットの切り貼りしかできないアホがゴルア!」来るか?w
35日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:04:37
>>26
九条頼嗣も山川とか詳しい教科書なら載ってるよ。
3625:2008/02/17(日) 01:04:45
おっと既に来ていたかwww
37日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:05:54
>>34
高校のレベルによって採択している教科書は全然違うよ。
俺も県立千葉高校という底辺校出身だけど、他の高校の教科書みたら
教科書薄いのなんの。
38武陽隠士:2008/02/17(日) 01:11:05
学部レベル程度だが、
佐藤先生の主従制的支配権と統治的支配権の分裂という
初期室町幕府の支配権の考え方をこのスレの人たちは
是認するのか?
これに対するスタンスの違いで室町幕府へのアプローチの仕方もまるで変わる。
39日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:12:29
しかし室町の将軍は如何にも武家の棟梁という感じがしていいよね。
15代のうちかなりの割合が自ら軍を率いて戦ったり、或いは個人で武勇に
優れていたり。鎌倉や江戸はそんなことないでしょ。
40武陽隠士:2008/02/17(日) 01:18:13
>>29頭が小学生さんへ(笑)
実権と権威は違うんだよ。
「実権は得宗にあったのは小学生でも知ってる」とかいう人は小学生レベルだなW
後期の得宗には権威と実権との分裂が見られるの。
御内人の専横知らないの?W
ま、このあたりは学説がいろいろブツかるんでややこしいんだけどな
御内人のこともよく知らない君はホント小学生だよ
イジメでごめんね(´∀`)
41日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:19:11
>>39
個人的には、征夷大将軍のくせに国外逃亡しようとしたり、
和歌を詠んで日本有数の大歌人になってしまったりする鎌倉将軍も好きなんだが。
4241:2008/02/17(日) 01:21:12
変な人が来たからこのスレから消えるわ。
絡まれないうちに。
43武陽隠士:2008/02/17(日) 01:24:03
>>39
それは現代的価値観だね。
義輝なんかそうだが、武芸が出来たり、
将軍じきじきに戦場に赴いたり(事例多し)するのはむしろ身分不相応(高いのが低い奴のまねする)
で同時代の奴にはバカにされたりしたのさ
戦場に出すぎるのは自慢にははらないよ。
ただ戦強いと得はあるな
44武陽隠士:2008/02/17(日) 01:26:33
>>42小学生くん
もうちっと謙虚になったほうがいいよW
たまには本くらい読んだら。
君はネットだけに依存しすぎだよ
つらい毎日なんだろうが明日あるさW
45日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:27:51
「変な人」ってのが自分のことだ、っていう意識はあるらしいなW
46武陽隠士:2008/02/17(日) 01:30:20
>>45小学生くん
前後の文脈(コンテキスト)ってのがあるの。
ちょっと小学生には難しいかもねW
47日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:32:45
>>39
足利将軍の中で実際に大勢の兵を率いて戦ったのは何人くらい?
48武陽隠士:2008/02/17(日) 01:40:42
>>38に対するレスないな
みんなやっぱりネットの切り貼りなんだなW
まともな中世史の研究にあたってない
だから小学生くんみたいなまさに小学生レベルのレスしか出来ない。
しかし「小学生でも知ってる」は笑ったな。
まあ小学生くんは御内人って知らないのは恥ずかしくないよWW
小学校じゃ教わんないもんね(大笑)
これから>>29のことは小学生くんって呼ぶよ。君は武家の官位がナンタラとかいうスレの暇人だろW
さて寝るか。
49武陽隠士:2008/02/17(日) 01:50:10
>>38に対するレスないな
みんなやっぱりネットの切り貼りなんだなW
まともな中世史の研究にあたってない
だから小学生くんみたいなまさに小学生レベルのレスしか出来ない。
しかし「小学生でも知ってる」は笑ったな。
まあ小学生くんは御内人って知らないのは恥ずかしくないよWW
小学校じゃ教わんないもんね(大笑)
これから>>29のことは小学生くんって呼ぶよ。君は武家の官位がナンタラとかいうスレの暇人だろW
さて寝るか。
50日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:51:34
>>47
半分くらいじゃないかな?
と適当に言ってみる
51日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:58:23
>>49
そんな程度の低い人しかいない日本史板に毎日貼りついていないで、
さっさとどこか他のところに行ったらどうなの?

ってすまんつい相手してしまた
52日本@名無史さん:2008/02/17(日) 02:07:32
足利将軍家って、全員キャラが濃そうだよね
53日本@名無史さん:2008/02/17(日) 02:14:13
>>51
変な人は相手すな。
NGワードに設定を推奨。
54日本@名無史さん:2008/02/17(日) 02:14:30
剣豪将軍とか籤引き将軍、アル中将軍とたしかに個性的。
55日本@名無史さん:2008/02/17(日) 02:35:11
NGワード設定って最初に考えた人すごいよね。
また何か下らんこと言ってるみたいだけど俺には全く実害ないしw
って感じで快適。


義教は確かに個性的だが、籤引きで選ばれたこと自体は
何つーか彼の運命であって、「個性」ではないだろw
56日本@名無史さん:2008/02/17(日) 04:37:26
>>38に対するレスがないのは単に皆キチガイと関わり合いになりたくないだけだろ
57日本@名無史さん:2008/02/17(日) 07:36:16
>>41 国外逃亡をしようとしたって誰のこと?
>>47 初代、二代目以外は義尚しか知らない
58日本@名無史さん:2008/02/17(日) 08:54:36
義満とか義教とか義昭とか兵率いてなかったっけ?
59日本@名無史さん:2008/02/17(日) 09:07:37
>>57
鎌倉時代の実朝のことを指していると思われる。
60日本@名無史さん:2008/02/17(日) 09:18:16
10代義材も出陣している。捕まったりしているがw
61日本@名無史さん:2008/02/17(日) 12:31:14
義満は出陣しまくりだろ
出陣ついでに富士遊覧までしてる
山名討伐のときは「当家の運と山名家の運とを天の照覧に任すべし」とか義満のくせにかっこいい台詞を吐いてる
62日本@名無史さん:2008/02/17(日) 13:45:02
>>57
国外逃亡未遂は源実朝だろ。
63日本@名無史さん:2008/02/17(日) 13:49:37
実戦を経験している将軍が多いよな

執権14代vs室町14代vs徳川14代の将軍がガチでバトルロイヤルしたら室町が一番強そうだ
64日本@名無史さん:2008/02/17(日) 13:55:02
執権8代vs室町8代vs徳川8代なら室町が最弱だな
65日本@名無史さん:2008/02/17(日) 14:04:08
>>43
だから義教は建て前として富士山まで物見遊山しに見に行くぞ〜って言ってホンネは関東を威圧しに行ったのか。
66日本@名無史さん:2008/02/17(日) 14:21:25
八坂の塔は義教の建立。
以外にも文化人なのは仏門に居たせいか。
67日本@名無史さん:2008/02/17(日) 17:13:27
>>63
よりによって足利義栄か。最弱決定戦みたいだな。
68日本@名無史さん:2008/02/17(日) 19:02:18
>>59>>62 実朝って宋に憧れてたんだっけ
逃亡未遂事件は初耳だ
69日本@名無史さん:2008/02/17(日) 19:06:05
>>68
船作ったじゃん。
70日本@名無史さん:2008/02/17(日) 19:13:12
船の形をしていただけで、浮かばなかったそうなw
71日本@名無史さん:2008/02/17(日) 19:18:07
>>64
馬鹿でかい鉄砲で猪しとめた逸話を持つ吉宗さんに
流鏑馬で誤って的を通り過ぎた状態から見事的を射抜いた逸話を持つ時宗さん。
なんという前門の虎後門の狼
72日本@名無史さん:2008/02/17(日) 23:33:53
>>63
これって14人がってことだよねえ?でも>>64は8代目限定ってことだろうし、
>>67も14代目限定で考えてるし、>>71も8代目限定で考えてるよね。
俺の感覚がおかしいのかな?人によって捉え方って違うもんだね。
73日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:10:54
しかしそれだとなんで15代以降が参加しないんだ?
徳川15代、足利16代15人、鎌倉北条17代いるのに
74日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:24:51
北条17代もいたっけ
75日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:54:47
室町8代の義政公なめるな。
あれだけ大きな戦を行ったやついるか?
しかも自分は無気力。
偉大な東山文化を築いている。
他の二人など(文化人としては)物の数ではないわ。
76日本@名無史さん:2008/02/18(月) 05:11:17
>>73のように全員参加で勝負したら……?

虚弱がたくさんの江戸はまずドロップアウトすんな
しかし、北条はどうか? 意外とこいつ等は武家の頭領って自覚があるから苦戦しそうだな
77日本@名無史さん:2008/02/18(月) 08:08:49
義輝一人で殲滅できるな
78日本@名無史さん:2008/02/18(月) 09:07:20
>>76
戦いの条件が不明瞭なんだが武装はどうなる?
確かに江戸よりも室町、北条の方が全体的に戦ができそうな奴が揃ってる
しかし江戸は鉄砲の知識があるが、北条に持たせても「何だコレ?」でしょ?
79日本@名無史さん:2008/02/18(月) 09:53:50
・・・つうか執権は将軍と同じあつかいなのか?
80日本@名無史さん:2008/02/18(月) 12:20:28
だって鎌倉将軍で武士は2人しかおらんべ
81日本@名無史さん:2008/02/18(月) 12:26:10
>>79
今回のは単なる戦闘能力の比較だから別によくね?
室町の将軍VS室町の管領・・・とかでも良い訳だし
82日本@名無史さん:2008/02/18(月) 13:18:52
>>78
相撲るーるで
83日本@名無史さん:2008/02/18(月) 19:18:56
>75
戦をやっていたのは将軍ではなく、
管領や守護大名たちじゃなかったのか?
日野富子はわが子を将軍にするために
将軍家の軍隊を使ったのではなく
山名に庇護を求めているんだが
84日本@名無史さん:2008/02/19(火) 08:54:20
>>82
相撲かよww
尚更徳川は勝ち目ないな
北条と足利がそこそこいい勝負して北条が勝つ気がする
851111111111111:2008/02/21(木) 04:56:21
 実際早くして死んじゃったのは置いておいて
 殆ど全ての将軍が何らかの戦をしてるな(例外は引篭りの
 義政くらいだが討伐令は出してるからな)
 
 まさに異常幕府

 成立当時から戦国時代w
86日本@名無史さん:2008/02/21(木) 08:12:27
義政って都の外に出たことあるのかな
87日本@名無史さん:2008/02/21(木) 23:49:18
室町幕府の将軍って大名との間に主従関係はあったの?
88日本@名無史さん:2008/02/22(金) 11:57:20
>>87
 少なくとも応仁の乱まではあったと思うが。
89日本@名無史さん:2008/02/24(日) 05:44:15
室町時代最強の武将を語ろうぜ
90日本@名無史さん:2008/02/24(日) 10:59:48
幕府のスレなんだよ
91日本@名無史さん:2008/02/24(日) 12:40:06
堅いこと言うなや
92武陽隠士:2008/03/02(日) 02:01:00
>>51
相手しなくていいよ。
ただ単なるバカのバカなところ叩いたくらいでギャーギャーうるせーぞ
悔しかったらお勉強するこったW
バカな書き込みしてっとまた来て小馬鹿にするぞクズ野郎W
93横槍:2008/03/02(日) 21:51:44
頼朝VS尊氏VS家康でいいじゃん、もう。
94日本@名無史さん:2008/03/02(日) 22:55:44
歴代で一番政治力を発揮した管領は誰だろう。
細川頼之でいいかな
95日本@名無史さん:2008/03/03(月) 12:36:23
>>94
いいんじゃない
俺は政元の方が好きだけど
96日本@名無史さん:2008/03/06(木) 21:01:27
義持の息子は酒の飲みすぎで死んだって本当かね?
97日本@名無史さん:2008/03/09(日) 12:10:03
室町時代の犯罪の逮捕権ってどうなってたの?

農村とかだと落書(らくしょ)で決めて、家財没収の上追放、とか独自でやってたらしいですが、、、。
殺人とか、通り魔とか、そういうのの取り扱いは何処が管轄してたのかな。

ど素人ですみません。
9897:2008/03/09(日) 17:51:34
別スレで自力救済との答えをいただきました。結構シビアだったんですね。
99日本@名無史さん:2008/03/13(木) 17:35:45
>>96
仮に毒殺だったしても誰が得をするのかわからない
100日本@名無史さん:2008/03/15(土) 14:27:55
義尊
義詮
義満
義持
義数
義教
義勝
義政
義尚
義稙
義澄
義晴
義輝
義栄
義昭
101日本@名無史さん:2008/03/16(日) 22:51:51
>>65
実際に関東(鎌倉)が蜂起した際は
足利氏で血筋が近い斯波氏が将軍家の代わりに総指揮を執ってませんでしたっけ?
肝心の斯波氏は惣領が病弱で死んでばかりw守護代が力を付けて応仁の乱で弱体化
102日本@名無史さん:2008/03/16(日) 23:15:50
義教って臣下の守護家の権威を削ぐ為に家督介入や別家に領地を与え、宗家に対抗させてたんだよな
父・義満のモノマネ?
ただ危機感なくて(脅威であった鎌倉を掃討できたら仕方がないけど)、命を取られる羽目に。

その暗殺現場(赤松邸)に同席していた管領細川や山名はさっさと逃げ、奮戦むなしく命を落とした大内、京極・・・
凡庸な管領の細川家は唯一義教に干渉されていなかった家であったし、将軍の不信もあって逃亡も分かるが
同じく逃亡した山名宗全は自国に戻り赤松討伐の軍をあげるなどして赤松領をゲット
政治家として嗅覚が鋭い人物だったのかな?その後の台頭っぷりを見ると。

(ただし山名熙貴(因幡家)も義教に覚えめでたく、持豊としては山名家惣領として地位が安泰でなかったのはあるが
後に熙貴の娘を養女として細川勝元に嫁がせる、熙貴も赤松邸で残って奮戦)
103日本@名無史さん:2008/03/22(土) 06:33:06
くじ将軍こと足利義教は、幕府権力の不安定さを将軍への権力集中及び対応した幕政運営機構の改変で克服しようとしたんだが。
改変のはじめは管領職の変質及び奉行人体制の整備。管領職の地位を低下させて奉行人の地位をあげるという官僚制をひくわけだが。。。
しかし、その官僚機構は守護を統御するほどではなく、幕府将軍権力を矮小化させることになったね。

もっとも、奉公人体制の整備の頃は、守護の領国支配の展開期でもあったが、国人層が中央へ直結する動きをみせている。
それを利用したという部分もあって、家督権への介入を行って今川や斯波、佐々木京極らはグダグダに。
つまり家臣団の分裂を、将軍が利したという部分もあったとされている。
104日本@名無史さん:2008/03/22(土) 08:41:58
飲酒将軍義量は15才にして親父から
「飲みすぎには注意せよ」
と言われたのにガバガバ飲みつづけた強者
105日本@名無史さん:2008/03/22(土) 09:28:29
足利で検索すると一番最初に出るのが義昭
106日本@名無史さん:2008/03/22(土) 09:32:15
足利銀行だぞ!
107日本@名無史さん:2008/03/22(土) 22:48:18
吉本興行に室町の匂いがぷんぷんする
108日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:37:33
修学旅行以来、等持院に行ってみた。
あの肖像の数々ってそれぞれの顔に個性があるけど
生前に造られたもの?
死後に似てるように造られたもの?
それとも死後に適当?

詳しい人がいたら解説をお願いします。
109日本@名無史さん:2008/03/24(月) 05:48:45
室町幕府は糞
110信長:2008/03/24(月) 05:50:14
室町幕府なんてゴミだよ
111日本@名無史さん:2008/03/24(月) 13:37:18
まあ、なんにせよ義満までだよなあ。あとはぐだぐだ

一休さんが嘆くはずだわ
112日本@名無史さん:2008/03/24(月) 13:52:51
義教がちょっと盛り返したけどあとはもうダメダメやな
113日本@名無史さん:2008/03/24(月) 17:12:06
義教が最強の時期を作ったんじゃない?
114日本@名無史さん:2008/03/24(月) 17:23:28
暗殺されるようじゃねえ・・・
115日本@名無史さん:2008/03/24(月) 17:25:33
義教の時が、幕府の力が及ぶ最大版図を築いたんだったと思うがな・・
九州・関東を鎮めたし、叡山も抑えたと思う。

暗殺事件さえなきゃな・・ 
どっちみち、過激すぎて続かんかったかもしれんけど。
116日本@名無史さん:2008/03/24(月) 22:31:54
義持もなかなかだったんじゃない?
義量以外に子供いなかったの?
117武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/30(日) 01:00:02
>>104
義量が酒色が祟って早世したということを証立てる同時代史料(貴族の日記など)は実はない。
ただ義持が義量に禁酒を命じた記録はある。
しかし義持が公的に禁酒令を出すのが好きな自身大酒飲みだという事実があってみれば、
義量が果たして後世言われていたような酒色に耽ったバカ殿かどうかも怪しくなる。
…以上は十年近く前にとある院生が発表した論文に基づく。
この研究を踏まえたら君の書き込みは言葉足らずということになる。
だからググっただけではダメなのさ。
118日本@名無史さん:2008/03/31(月) 20:09:57
義持が禁酒令を出す自称酒好きってそれどんな性癖?
119武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/31(月) 23:14:47
>>118
義持は自分で禁酒令出しながら宴会開いたり意志が弱い(少なくとも酒に関しては)奴みたい。
ちなみに義持の禁酒は禅によるものだ。
120日本@名無史さん:2008/04/01(火) 14:10:58
自分の欠点を他人も持っていると決め付けて
しつこく統制しようとする奴はどこにもいるからな

禁酒令出すのは大概自分自身酒飲み
121日本@名無史さん:2008/04/01(火) 21:15:17
なんという良スレ
122日本@名無史さん:2008/04/02(水) 01:30:47
日明貿易は
何の利益も無かったクソ外交
123日本@名無史さん:2008/04/02(水) 19:54:09
>>122
かなり日本が得したと本で読んだけど
124日本@名無史さん:2008/04/03(木) 19:58:58
日本というか義満
125日本@名無史さん:2008/04/06(日) 15:48:10
得したんならいいんじゃね?
126日本@名無史さん:2008/04/06(日) 16:07:53
>>124
大内氏も明との貿易で儲かってるぞ
127日本@名無史さん:2008/04/08(火) 02:19:58
細川三好もな
128日本@名無史さん:2008/04/08(火) 09:16:33
>>122
大漁だなw
129日本@名無史さん:2008/04/08(火) 09:40:35
室町幕府は確かに影が薄いが、
中世封建制のくせに存在感のある鎌倉幕府の方が異常という見方も出来る。
130日本@名無史さん:2008/04/08(火) 17:40:00
鎌倉も全国を支配してたわけではないがな
131日本@名無史さん:2008/04/08(火) 23:23:37
鎌倉は、まだ混乱した時代じゃなく元寇で完璧に混乱した時代になったと思う
132日本@名無史さん:2008/04/08(火) 23:30:12
元寇後はむしろ北条得宗家による一極支配で安定したんじゃないの?
133日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:01:18
>>132
その後50年ちょっとしか続かなかったけどな。
134日本@名無史さん:2008/04/10(木) 21:40:01
義詮って有能だったが弟の基氏ってどうだったの?
135日本@名無史さん:2008/04/11(金) 01:30:13
鎌倉幕府→ 公武二元支配で守護地頭を置くが 将軍はお飾りで北条氏による得宗専制
室町幕府→ 将軍の権威は相対的で弱いが 守護領国制を敷く
      室町幕府の有名無実化と伴に 守護大名が戦国大名化 
江戸幕府→ 将軍の権威が絶対的な幕藩体制  
      参勤交代により平和裏に天下統一
136日本@名無史さん:2008/04/14(月) 16:22:52
後にあれだけいろんな勢力と連携して暗躍する富子が
なぜ義尋を養子にする時点でそれを妨害しなかったのかが理解できん
富子を悪く言ってる文書はたくさんあるのに
義尋養子段階での富子の動きを書いてるものは一つもないってことは
本当に妨害工作はしてないってことでしょ
137日本@名無史さん:2008/04/15(火) 04:04:40
前半は南北朝
後半は戦国
室町時代ほど派手な時代もめったに無いと思っているのだが?
影が薄いのか!
138日本@名無史さん:2008/04/15(火) 17:59:29
スレタイ良く読め。「時代」でなく「幕府」だ。
139日本@名無史さん:2008/04/16(水) 20:11:06
やっぱり、京都でやったのが失敗だったんじゃないの。
鎌倉幕府も江戸幕府も、「俺らは武士じゃけえ、公家とは違うんじゃけんのう!!!」と
僻地の関東を無理して開発して幕府を開いてるのに比べて、なんかサエない。
140日本@名無史さん:2008/04/17(木) 07:27:09
ていうか 何で広島弁なん?
141日本@名無史さん:2008/04/17(木) 10:09:20
>>139
その代わり、風葉和歌集・増鏡など‘王朝文学の有終の美’を
飾る事が出来た。
142日本@名無史さん :2008/04/17(木) 10:39:03
1300年代は 天に2つの太陽があるが如く 2つの天皇家が現れた。 それも異常といえば異常。
北朝を立て室町幕府を成立させたのが足利尊氏。
三種の神器を持っていた南朝が正統とされているから 
室町幕府成立の正当性には もともと怪しいものがある。
南北朝を合一させそのことを解決しようとしたのが 日本国王と称した足利義満。
それでも応仁の乱以降は 京都にある飾り物のような幕府になってしまった。
室町幕府の存在感はなんか薄いが 足利将軍のキャラは濃いな。
今は京都御所の西北に石碑が残るのみ。

143日本@名無史さん:2008/04/17(木) 11:08:34
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
このレスをみたあなたは・・・3日から7日に
ラッキーなことが起きるでしょう。片思いの人と両思いになったり
成績や順位が上ったりetc...でもこのレスをコピペして別々のスレに
5個貼り付けてください。貼り付けなかったら今あなたが1番起きて
ほしくないことが起きてしまうでしょう。
コピペするかしないかはあなた次第...
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
144日本@名無史さん:2008/04/17(木) 15:25:33
幕府の力が弱かったのは尊氏さんの優柔不断のせいだな
きっと優しい人だったんだろーな
145日本@名無史さん:2008/04/17(木) 16:00:10
曾孫はえげつないけどな
146日本@名無史さん:2008/04/18(金) 22:46:59
>>134 武士としては超優秀だろ。
新田義興を滅ぼしたり
147日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:54:22
>>144
気前がよかったそうだね。
 躁鬱病(今の用語では双極性障碍〔害〕)ではなかったかとも言われている。
148日本@名無史さん:2008/04/21(月) 15:18:33
東山殿(義政)は、現在の日本文化の礎を築いた人だよね。床の間や畳敷きの部屋は彼が
始めたんだもの。
149日本@名無史さん:2008/04/22(火) 09:35:52
それ幕府の存在感とは違う。
150日本@名無史さん:2008/04/22(火) 18:12:55
キャラは無駄に濃いんだけどな

欝病尊氏
わがまま義満
反抗期義持
アル中義量
文人義政
美男子義尚
剣豪義輝
文通大好き義昭

しかも本家以上に分家の鎌倉公方もおもしろい
151日本@名無史さん:2008/04/23(水) 00:31:41
アニメの世界でメジャーなキャラは、頼朝でも義経でも家康でもなく、
義満なんだけどなぁ。
152日本@名無史さん:2008/04/23(水) 01:19:11
執権北条氏を滅ぼした足利の世に北条を名乗る大名家が出てくるって
どんだけ幕府はなめられてるんだ?
153日本@名無史さん:2008/04/23(水) 01:32:56
その北条に関東の公方さんは散々攻められるしな。
154日本@名無史さん:2008/04/23(水) 16:31:34
>>150 義尚がイケメンだったと書いてある書物ありますか?
大河ではトキオの松岡がやっていましたが
155日本@名無史さん:2008/04/23(水) 19:55:23
あの義満でさえ一休さんには弱かった
多分、一休さんは魔性の美少年だったのだろう。
156日本@名無史さん:2008/04/23(水) 20:45:29
>>155
史実で一休は義満に会ったことがあるの?
157日本@名無史さん:2008/04/24(木) 02:42:52
 早雲は今や幕府申次衆の出身であることが定説なようだけど
 何故幕府軽視の北条が生まれたのかな?

 そもそも古河公方が反幕だからかなwww
158日本@名無史さん:2008/04/24(木) 10:53:57
東大寺焼いた将軍ってだれだっけ? 

159日本@名無史さん:2008/04/24(木) 11:41:11
>>158
そんな将軍いないと思うが。
160日本@名無史さん:2008/04/24(木) 13:02:38
比叡山の間違いじゃない
161日本@名無史さん:2008/04/24(木) 13:14:27
平安末期の平重衡の間違い?
比叡山が東大寺を焼いたこともなかったと思うけど。
162日本@名無史さん:2008/04/24(木) 13:16:18
平重衡のあとは戦国大名の松永久秀が
東大寺の戒壇院と大仏殿を焼いてるけどね
足利将軍は関係ない
163日本@名無史さん:2008/04/24(木) 13:37:21
比叡山を義教は焼いてるよ。そこまで追い込んだいうべきか。
164日本@名無史さん:2008/04/24(木) 13:39:33
比叡山だ すまん
165日本@名無史さん:2008/04/24(木) 13:46:12
義教はもともと天台座主として
比叡山のトップにあった人なのにね
166日本@名無史さん:2008/04/24(木) 14:14:41
法華に念仏を入れたのが悪い
167日本@名無史さん:2008/04/24(木) 14:35:00
自分の出身母体とマジ喧嘩する義教ってすごいよな
普通蜜月で利用し合うよね
どうゆう経緯で対立しちゃったの?
168日本@名無史さん:2008/04/24(木) 15:45:18
多くの僧兵をもつ比叡山は、高貴な人の息子が任じられ、
実際には比叡山に住まない天台座主には歯止めがきかず、
義教は将軍になって以降、弟の義承を天台座主に任じていたものの
将軍義教に対してさまざまな要求を突きつけた。
天台座主だったころから比叡山僧兵の横暴の横暴さを知っていた義教はこれと対立、
諸大名に勧められて和議に応じるものの、和議のために下山してきた僧を斬り捨てさせた。
これを知った比叡山の僧侶の幾人かは本堂である根本中堂に立てこもり、
将軍義教に抗議を表すために焼身自殺する。
つまり、義教が自ら比叡山を焼いたというのは事実ではなく、
僧侶が自分で根本中堂に火をかけ、焼身自殺したために焼けたらしい。
義教はこののち、自らの力で根本中堂を再建している。
169日本@名無史さん:2008/04/25(金) 00:58:13
比叡山の幕府への要求がそもそも無茶な内容だったのか
義教が根回しとか妥協を一切しない独裁者だったのか
まあ両方なんだろうけど、どっちの割合のほうが大きいんだろう?
170日本@名無史さん:2008/04/25(金) 01:39:19
>>167
そんなこと言ったら池田大作なんて神だよ。
171日本@名無史さん:2008/04/25(金) 02:14:52
大作早くくたばんねーかな?
172日本@名無史さん:2008/04/25(金) 19:47:29
>>154 義尚は晩年酒と水しか口にしなかったらしいが糖尿病だったのかな?
173日本@名無史さん:2008/04/25(金) 20:24:37
>>172
虫歯とか喉頭ガンとか固形物飲み込み困難系病じゃねかに?
174日本@名無史さん:2008/04/25(金) 20:58:40
>>172-173 24歳の若さで糖尿病、喉頭ガンは無いだろ
義尚は酒好きだから虫歯もないんじゃね?
酒毒による脳出血って説も
175武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/26(土) 00:34:10
>>174
当時の酒は、どぶろくみたいなの。
食べる感じで飲む。
176日本@名無史さん:2008/04/26(土) 00:46:00
>>172
単にアル中(アルコール依存症)になっただけだと思うが。
177武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/26(土) 00:50:43
>>176
アル中のソースは?
178武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/26(土) 01:03:02
>>176
別に答えなくてもいいです。
我ながら見当違いのレスをしてしまいました。
ごめんなさい
179日本@名無史さん:2008/04/29(火) 15:00:52
>>174
平安時代、後一条天皇は糖尿病のため29歳で亡くなっている。
爺さんしかかからない病気というわけでもない。
180日本@名無史さん:2008/04/29(火) 16:41:22
財政的にどうなのって思うけど、とにかく文化面に金が流れまくる凄い構造だった
あとろくに政治やってないんじゃないの?とか思える感じでもあった
特に美術史上重要だと思うけど、天皇と対立したから明治以降扱いがひどくなった
181日本@名無史さん:2008/04/30(水) 22:32:54
明応の政変以降、政権担当者がコロコロ変わる
細川政元→澄之→澄元→高国→晴元→三好長慶→松永久秀
182日本@名無史さん:2008/05/02(金) 20:22:27
後土御門天皇が崩御された時、葬儀費用が無くて一ヵ月半も玉体が放置されていたらしいが幕府は何をやっていたんだ?
183日本@名無史さん:2008/05/03(土) 02:39:55
もう幕府なんてないに等しいだろ
184日本@名無史さん:2008/05/10(土) 00:13:40
室町幕府の連中は
お笑いの世界に多いよね
それに比べ鎌倉幕府はジャニや俳優系に多い
185日本@名無史さん:2008/05/10(土) 00:20:31
室町幕府=吉本
186日本@名無史さん:2008/06/03(火) 16:45:55
そもそも室町幕府という名称自体が当時使われてたのか疑問視する声もある。
187日本@名無史さん:2008/06/03(火) 16:49:05
使うわけないでしょ。
今の人が東京内閣とか言わないように。
188日本@名無史さん:2008/06/03(火) 20:49:38
幕府って言い出したのは江戸期からって聞いたが
189日本@名無史さん:2008/06/03(火) 21:50:18
大和朝廷→京都ねーじゃん→鎌倉幕府→室町幕府→江戸幕府→明治政府→何でねーの
190日本@名無史さん:2008/06/10(火) 16:53:45
花の御所じゃないの?
191日本@名無史さん:2008/06/22(日) 08:23:08
         ハ,,ハ
        ('(゚∀゚∩_ おいらをどこかのスレに送って!
      /ヽ   〈/\ お別れの時にはお土産を持たせてね!
     /| ̄ ̄ ̄|.\/
       |.ヨード卵|/
        ̄ ̄ ̄
現在の所持品:たばこ・ライター・コーヒー・ブラックブラック・枕・ケータイ電話・睡眠薬・聖教新聞・ダッチワイフ
外付けSCSI340MHDD・ネットランナー4月号・TYG02・小嶋進社長・ゲルトモ・ディプスファンタジア・抵抗1kΩ(黄紫橙金)
イーゼルボンバー・山田オルタ・麻枝・DDO・C鯖・ナカノ5+ニゼルsh→シャワフリ・胸パッド・日本酒・眉毛・包皮
オーストリー・北村ひとみ・辻野・幹事・デイジーコラージュ・草なぎ剛・バリカン・YAMAHAシネマステーション
GEOBIT・孫策・NIKON羊羹・風子・あっぴ・SD-W2002・0.6mmのほうのWiiストラップ・炊飯器・ハロプロ・高橋萌木子
モジャ公・耳・すりゅよ・D端子・Aカップ・臭作・征西府・松平容保・クシャトリヤ・ドアラ・ドアラ・ドアラ・段ボールまん
マケイン・ヒラリーいいえ、ケフィアです・カピ様・欝袋・おっぱっぴー ・新成人・ファ板・HARE・コシナツァイス
DT18-70 F3.5-5.6・悟リ・第一段階・ゴジラ・高岡蒼甫・NHK・サンポール・もち巾着・自作自演のオバサン
糞チン鶏・m9(-○A○)y━・~~~ エントラッセン・モツ煮・ふるかわでした・Lonicera・尻相撲・中国人・フラワーロック・GPが盗んだ鯨肉 ・
完熟マンゴー・ランドセル・柳田哲志・小西麻衣子・中国商務部・大トロ中トロ小トロ・ストイコビッチ・Wine・フォクすけ・Greasemonkey
今度のキツネは爆速だゼ(キモ)・うーみのCD ・七色ダム
192日本@名無史さん:2008/06/27(金) 21:15:26
>>182-183 後土御門帝が崩御したのは1500年で幕府滅亡の70年前じゃん
そんな時から金欠だったのかよ
193日本@名無史さん:2008/07/02(水) 02:58:19
皇族も公家も次々と荘園を横領されてるからな
経済的な後ろ盾だった幕府も朝廷どこれじゃないし
194日本@名無史さん:2008/07/03(木) 00:42:49
マジで質問だが室町幕府とタカウジの最大の過ちって何だと思う?
195日本@名無史さん:2008/07/03(木) 18:05:43
>>194
質問が大きすぎて答えようが無いが、特に失敗はなかったと
思うがな。
逆によく続いたもんだ。
嘉吉の変さえなかったら徳川に匹敵するぐらいで、戦国大名の登場もどうなってたか。
教科書には出てこないが、赤松の謀反こそまさに日本史のタラレバ代表クラスとは感じる。
196日本@名無史さん:2008/07/03(木) 19:53:09
各大名に領地与えすぎ
197日本@名無史さん:2008/07/03(木) 21:48:24
赤松の謀反くらいは教科書に書いてあるよ。
198日本@名無史さん:2008/07/03(木) 22:16:53
>>197
さんきゅ。わしらの頃には、カキツノヘン、って載ってなかったな。
199日本@名無史さん:2008/07/03(木) 23:18:24
>>198
たぶん偏差値の低い高校に通っていて程度の低い教科書を使って
いたからだよ。
200日本@名無史さん:2008/07/05(土) 23:05:33
200
201日本@名無史さん:2008/07/05(土) 23:08:08
201
202日本@名無史さん:2008/07/14(月) 04:57:00
地方が強かった。実質の無政府状態だったってことですかね?
203日本@名無史さん:2008/07/19(土) 16:45:31
室町政府は後漢王朝に似ていて、実際は嘉吉の変以降は有力守護大名による連合政権みたいなもんだ。
いつも擁立されては廃されている。
204日本@名無史さん:2008/07/19(土) 17:06:48
嘉吉の変以降でも、少なくとも、義政の「即位」までは、
対立候補もいないし、大名の思惑によって擁立されたわけではない。
有力大名による将軍擁立の第一号は、明応の政変で擁立された義材

義政は、彼を支持する有力大名が特にいるわけでもない状況で将軍になっただろ。
これを擁立と呼ぶのは不適切すぎるんじゃないか。
205日本@名無史さん:2008/07/20(日) 08:22:30
>>204
義政は山名持豊によって擁立されてるよ。
206日本@名無史さん:2008/07/31(木) 23:48:25
誰かが日本史とは室町時代から習えばいいって言ってたな
207日本@名無史さん:2008/08/05(火) 22:49:03
>>204
>明応の政変で擁立された義材
義澄じゃなかった?
義材(稙)は政変で追い落とされた将軍では?
義材はのちに大内義興の支持を得て上洛し将軍職に復帰できたから
彼は義澄、義晴以降の将軍と同格ではないのでは?
208武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/08/05(火) 23:40:27
>>206
その話は、
シナ学者の碩学内藤湖南の『日本文化史』から来ている話だ。
まあ正確には応仁の乱以後ね。
有名な立論だ。
209日本@名無史さん:2008/08/06(水) 00:34:36
初代尊氏からして既にgdgd
210日本@名無史さん:2008/08/06(水) 02:56:14
関東王 越後守護 上杉房定親子
http://c.2ch.net/test/-/history/1217760622/i
211日本@名無史さん:2008/08/06(水) 03:35:29
応仁の乱でそれ以前の平安朝的な日本は完全に終わったらしいね。
建造物とかも多くが失われた。
212日本@名無史さん:2008/08/06(水) 11:31:52
後期は後南朝の蜂起と土一揆、徳政一揆だらけで、応仁の乱の前の享徳の乱で既に
戦国が始まっているとも聞くが・・・。
213日本@名無史さん:2008/08/06(水) 14:55:35
日本はすでに享徳の乱によって無政府状態になってたって事か。
214日本@名無史さん:2008/08/06(水) 19:15:09
無政府というか、群雄割拠な。
215日本@名無史さん:2008/08/08(金) 03:38:45
江戸以前は中央政府の権力が脆弱だから
戦なら全国のあちこちで起こっているからなぁ
216日本@名無史さん:2008/08/08(金) 03:52:26
徳川幕府は西国の統治はザルだったから密貿易とかガンガン出来てたしな。
島津80万石細川60万石黒田60万石鍋島50万石毛利50万石浅野50万石(支藩込み)でハッキリいって独立王国だぜ。
他にも豊臣恩顧系の池田や蜂須賀や山内とか外様大藩ばっかり事実上放置されている。
それら大藩が思いっきり江戸幕府滅亡原因になってるし。
こんなんで江戸幕府が強い支配力なんてよく言えるよ。
217日本@名無史さん:2008/08/08(金) 23:23:58
それでも戦らしい戦が起こらなかっただけマシじゃないか
218日本@名無史さん:2008/08/09(土) 01:28:05
そりゃあ、独立王国に幕府が過度な介入しなかったからね。
触らぬ神に祟りなしだよ。
219日本@名無史さん:2008/08/25(月) 04:27:05
足利義教だが今の政治家になんか意見あるみたいだな?
俺がいろいろ聞いてやんよ。

つかお前ら汚職とか陳情が大好きだなw
でも明日から完全に平等なクジで決定だから。
改革の意思に屁理屈や文句言うやついたら湯起請させるから。
で、相談ってなに?
220日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:40:48
>219
いい歳して恥ずかしくない?
221日本@名無史さん:2008/09/20(土) 16:36:02
影が薄いというか 人気がないんだろうね
222日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:49:33
足利義栄って将軍なのに京都に入れず、官位も従五位下って…
223日本@名無史さん:2008/09/21(日) 01:18:25
悪御所の人気が今後高まりそうな予感。
224日本@名無史さん:2008/09/21(日) 01:25:31
絶対王政の確立など
面白いだろうね
225日本@名無史さん:2008/10/04(土) 19:54:38
>>222 義栄は左馬頭に任官してなかった?
226日本@名無史さん:2008/10/05(日) 15:44:55
>>216
でも最初は幕府も強権発動して有力大名を潰していた
広島の福島、熊本の加藤
227日本@名無史さん:2008/10/10(金) 22:14:58
>>226
家光の頃までは潰しまくってたから外様大名は戦々恐々だったろうね
228日本@名無史さん:2008/11/11(火) 01:55:09
室町アゲ

数少ない室町スレを保守
229日本@名無史さん:2008/12/29(月) 20:28:55
>>226
義満、義教あたりは有力守護の家督介入(および討伐)などで権力分散を図って
将軍権威を高めたよね。
あとは有力守護に担がれて・・・ばかりだよね。(尊氏は除く)
230日本@名無史さん:2008/12/29(月) 22:29:45
義満は天皇位を簒奪しようとしたくらいの権力を握っていた。
影が薄いなどということはない。
231日本@名無史さん:2008/12/29(月) 23:05:28
義持も頑張ったよ!
232日本@名無史さん:2009/01/01(木) 14:54:18
結局、面白さがないというかドラマとして使えないんだよね
233日本@名無史さん:2009/01/01(木) 15:02:06
日本のルネッサンス期なのになぁ。
234日本@名無史さん:2009/01/01(木) 16:31:57
>>233
ルネッサンスといえるのは、
それらが形として大成する安土桃山時代じゃないかな?
235日本@名無史さん:2009/01/02(金) 02:19:55
安土桃山時代って何があった?
能?
236日本@名無史さん:2009/01/02(金) 02:48:16
>>232
 敵になったり味方になったり、離合集散が激しい上に、
それぞれの大名の家臣団の知名度も微妙だから、ドラマに
しづらい感じはあると思う。
237日本@名無史さん:2009/01/02(金) 03:55:44
それでも一休さんなら・・・一休さんならきっと何とかしてくれる!
238日本@名無史さん:2009/01/02(金) 11:53:30
他力本願はいけませんなあ新衛門殿
239日本@名無史さん:2009/01/02(金) 14:29:46
>>235
いや、出来た時期ではなく大成した時期
240日本@名無史さん:2009/01/02(金) 14:52:20
大成したのは何?
茶の湯、歌舞伎、能だっけ?
241日本@名無史さん:2009/01/02(金) 15:55:13
>>241
自分で調べろよw
242日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:43:29
243日本@名無史さん:2009/01/02(金) 21:21:37
床の間
244日本@名無史さん:2009/01/02(金) 21:28:58
銀閣の
245日本@名無史さん:2009/01/02(金) 21:38:51
「一休さん」もアニメになってるぐらいだから ある意味平和だったんだろうな。
将軍さまも 貴族っぽいし。
246武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/02(金) 23:04:23
>>245
アニメの「一休さん」(昔すぎて私には鑑賞不可能。ただテレビでダイジェストは観た)の元ネタである「一休説話」の完成と流行は江戸時代だ。
だから江戸時代の暢気な雰囲気が、一休噺には背景にあるんだよ。わかった?
日本史とマンガ・小説・ドラマ・映画・アニメは別物ですよ。
247武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/02(金) 23:09:32
「一休説話」はひとつ書物なりの固有名詞でなくて、集合的な意味合いで使用してる。
念のため。連投ごめん!
248日本@名無史さん :2009/01/02(金) 23:23:18
室町時代で一番平和だったのは 足利義満の時代だったかもな。
だって 後世にアニメになっているぐらいだからな。
時代のKYみたいなもんだよ。
249武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/02(金) 23:35:33
>>248
一休が後世にアニメとなったのは、江戸時代に一休ブームがあったおかげだ。
そしてアニメの物語がゆったり平和(?)してるのは、元ネタ群自体からして江戸のお気楽が背景にあるためだ。
室町時代の義満在世時が平和だったから云々は関係ない。
室町の安定期より安定していた鎌倉時代の安定期は、アニメにならないだろ。
意味わかるか?わからないなら馬と思って諦めるw
250日本@名無史さん :2009/01/02(金) 23:50:06
とりあえず
室町時代(足利義満)(一休)>>江戸時代>鎌倉時代
鎌倉時代はむしろ不安定。金閣は 何故か後世に残っている。

後世の評価は正直だ。特にアニメ等は。
251日本@名無史さん:2009/01/03(土) 00:29:27
>>241
自分で調べるよ、の間違いでした。
252武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/03(土) 00:30:36
>>250
だめだな、やっぱりw
アニメに洗脳されてるんだから始末におえない。なんもいうことないな、こりゃw
鎌倉の安定期と室町の安定期を比べることも出来ないのかな?
アニメが江戸時代のいわゆる一休説話に基づいていることもわからないらしいやw
バーカ
253日本@名無史さん :2009/01/03(土) 00:33:54
ていうか 江戸時代がなんで お気楽なんだ?
254日本@名無史さん:2009/01/03(土) 05:06:36
200年以上戦争が全く起きなかったなんて世界史上でも例がない稀有な事だ
255日本@名無史さん:2009/01/03(土) 09:01:24
武陽隠士はスレッドクラッシャー
256日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:47:48
ワロスww
257日本@名無史さん:2009/01/03(土) 17:45:03
室町期はまさに変革の時代。
日本の社会が激変した時代でもある。
一例を挙げれば、柳田国男が指摘しているように日本の村は、その4分の3くらいが室町期に出発点を持っている。
それのみならず、最近の発掘調査によれば14、5世紀以降の集落と、それ以前の集落のあり方には、非常に大きな違いがある。
現在普通に見られる集落は多くの家が集まって集落を形成しているが、このような集落は13世紀はじめ以前には確認できないのである。
その頃の村はいわば「散村」とでもいうような実態だった。
258日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:51:13
>>257
散村とは、村ではなかったってことすか?
259日本@名無史さん:2009/01/04(日) 00:15:34
>>234
ルネッサンスは文芸復興なんだから、室町期だよ。
260日本@名無史さん:2009/01/04(日) 00:28:50
>>258
家がまばらにある状態。
261日本@名無史さん:2009/01/04(日) 00:52:44
>>259
文芸復興じゃないよな
262日本@名無史さん:2009/01/04(日) 03:42:14
《200
263日本@名無史さん:2009/01/04(日) 03:42:35
〈〈200
264日本@名無史さん:2009/01/04(日) 07:54:51
アホやなあ。
日本にルネッサンスなんぞあるかいな。
いったい、何を以ってルネッサンスなんぞと言っておるのやら?
265日本@名無史さん:2009/01/04(日) 10:48:08
春画や衆道の流行などルネッサンスだろ
266日本@名無史さん:2009/01/04(日) 10:52:36
義昭から毎日メール来る。
他人の悪口ばっかで正直ウザい。
267日本@名無史さん:2009/01/04(日) 11:00:22
義満は東日本を放棄した為に義教の時代で爆発した。
義持は明の柵封を拒否って貿易不振不景気&冷害で餓死者続出のボロボロ暗黒時代。
義教が室町幕府の中興の祖。暗殺が悔やまれる。
まだ幼い義政時代に鎌倉府を再興して戦国時代への道を切り開いてしまった。
義尚は近江遠征失敗&酒浸りで死亡。
義種は細川に追放され越中公方→大内氏と上洛
義澄は細川傀儡で大内&高国に追放される。最後は丹波の山奥で病没。
268日本@名無史さん:2009/01/04(日) 14:37:28
>>265
春画+衆道=ルネッサンス だと?

なんにも分かっちゃいねぇなあ。
269日本@名無史さん:2009/01/04(日) 15:04:45
美の再構築
270日本@名無史さん:2009/01/04(日) 16:29:24
>>219
いいれす
271日本@名無史さん:2009/01/04(日) 18:40:09
>>269
春画+衆道=美の再構築 だと?

なんにも分かっちゃいねぇなあ。
272日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:19:38
葛飾北斎の春画は神レベル
まさに戦国春画芸術を彼は理解していたのだ。
273日本@名無史さん:2009/01/05(月) 04:52:34
>>264
松岡正剛によると、

ヨーロッパのルネッサンスはギリシア語の研究によって開花した文化。
(ラテン語からギリシア語へ、またはギリシア語の内容をラテン語の中へ)

日本はこれとは逆の形でルネッサンスが見られた。

奈良平安文化を唐語の研究によって開花させ、逆に江戸文化を日本語に目覚めることによって開花させた。
契沖の研究がその嚆矢で、宣長の国学がその頂点。

そういう意味では江戸期が本当のルネッサンスだな。
彼は他にもヨーロッパのルネッサンス期と同時に、日本でも似た現象がいくつか発生していることを
指摘しているから、本当の意図がどこにあるのかちょっとよく分からんが。
274日本@名無史さん:2009/01/05(月) 07:34:09
>>273
ようやくマトモな書き込みがあったな。
初歩の初歩から講義せんといかんか?とガックリしていたところだが、安心したぜ。
275日本@名無史さん:2009/01/05(月) 12:20:31
中上級からでいいから講義してくれよ。
276日本@名無史さん:2009/01/05(月) 13:26:27
>>273
ルネッサンスは江戸時代だったのか
277日本@名無史さん:2009/01/05(月) 14:31:18
          ___  ___                     |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|
           /:::..:::::::Y::::::::::::\                 _L - ───‐ - 」_
        ./::::/ ̄ ̄ ̄ ̄\:::ヽ               /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
       /:::/   _   __  ';:::';     /    ヽ    /:::::::::/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄¨\:::::::ヽ
        |::::| '´__    __` |::::|   {     }   {::::::::::{  ´ ̄``    '´ ̄`  }:::::::::}
 /   ヽ !::::代 ィoュ六ィoュ 7!::::|    |_____|    ヽ:::::ハ  ,.==-   -==、 ハ::::::ノ
 !    | ノ:::::j ` ─ イ ト ─ ´ |:::::しィ ヽ::::::::::ノ     Y } ´     7  ヾ    `{ Y
 |___K__,.イk.    ( ,、,、)   ,k:::::::ノ  f二ユ       ヽイ、  /,,,,,゚;.,.;゚,,,,,ヽ  rk/
 ヽ:::::::ノ   ヽヘ     _,、,、_ ’   ム厂´  _r{二二}        {|i  K´ 二二 `ソ1  jl} <ルネッサ〜ンス♪
.,イ¨三ヨ  __,「ト、  ´ 二 ` , イL_ く 「只二 Yヽ      ヘx、jl `====' lkvリ′
{  三ア ´    |l ヽ `ー--‐'´ / l|   く` rヘ9n、ン’ィ 〉 __,∧kヘYkrx杰xtィrヌ ∧
ヽ _||_     (|l  /\   /ヽ l|)  不 | 弋ラ7−ヾ´.:.:..:.:./:.:.:トミ二ニ=ニニ二ス:.:ヽー-- 、___
/l ´下`    (|ト、ノ   Y    レl|)   ,ゝ ヽ __/丶乂.:.:.:.:.:./.:.:.:.:|. /  | r┐| ヽ |.:..:ヘ:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.: ̄`ー、
. ヽニネ、   〈 ̄ ̄`{ ̄}´ ̄ ̄〉  ‘ィ / ハ丶厂.:.:..:.:.:/:.:.:.:.:.|/   ! し’|   `|.:.:..:.ヘ.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ハ
   │ヽ   (ハ___,イ丁k__ハ)  ハr-‐t_r-、/.:.:.:.:.:.:.:〈:.:.:.:.:.:.:|   |    |   |.:.:.:.:.:.:〉.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:|.:.:|
    |  l   (ニHk /  !  V Hニ) /.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:|.:.:.:.:..:.:.:トヽ:.:.:.:.:|    |   |   |.:.:.:.:.:'イ.:.:.:.:.:.:.:.:.:..:.:|.:.:.|
278日本@名無史さん:2009/01/05(月) 17:43:52
そもそも、日本においてはルネッサンスと言えるだけの事象は無かったのさ。
ちょっと似ている状況に、強引に○○ルネッサンスなんぞと名づけただけのこと。
279日本@名無史さん:2009/01/05(月) 18:44:03
国学の隆盛がイカんかったな
あれが歪んだ尊皇につながり、幕末の政治状況につながり、明治となり、昭和になり、現在につながる
為に室町時代の研究が遅れ、影が薄いのも仕方ないよ

そもそも家康が朱子学を取り入れるから…
280日本@名無史さん:2009/01/05(月) 19:06:37
              / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ...| 朱子学人気ないみたいだから、
             ...| やめていっそキリスト教にしようか・・・
      ,.-―'― 〈  | 朝廷潰して、徳川王朝王権神授説でいけば
     ,メ、ニニニ-ト、 |  絶対王政できるんじゃね?
    /〜〜〜  ノ:::l \________
   ,.ム、  ,.--、  彡:::|   O
    kj、)  ィェ、_,  レ⌒|。o
    l ,./ -、´      { )‐ァ┐
__|ノニ ´,,,ヽ、   、 J / 」-
  /l  -=-  )))  ノ / //
 イ ヽ- _ --―/-'  //
  \ `ー―‐ ´ _,/ /
    `T ー--‐ ´   /  /
281日本@名無史さん:2009/01/05(月) 23:56:28
室町幕府の影が薄いっちゅうのは、たんなる知識不足。
282日本@名無史さん:2009/01/06(火) 03:39:37
俺は室町好きだけどな
283日本@名無史さん:2009/01/06(火) 05:49:23
テレビや小説では室町幕府との関連性を無視したものが多いからな
284日本@名無史さん:2009/01/06(火) 22:23:03
室町時代はネタになるものが少ないのかな。
大河ドラマやれるの尊氏位しかないし、義満じゃ1年引っ張れねえわな。
元寇題材のドラマや映画出来ねえかな。
285日本@名無史さん:2009/01/07(水) 01:52:25
尊氏と義満の知名度はかなりあると思うが
時代背景が暗い印象があるせいか駄目そうだね
この頃の地方の武将はどうだろうか
286日本@名無史さん:2009/01/08(木) 21:41:17
尊氏
U
義詮
U
義満
U----
義持 義教
U   U---------------
義量 義勝 義政 義視 政知
         U U  U
義尚 義稙 義澄
            (義材) U---------
(義尹) 義晴     義維
                 U----    U 
                義輝 義昭 義栄
287日本@名無史さん:2009/01/08(木) 22:40:55
室町期ほど日本の社会が活性化した時代はない。
あの時代の日本人は海外へも積極的に進出したほどだ。
288日本@名無史さん:2009/01/08(木) 23:53:37
幕府が弱かったから(小さい政府)だったから、民間、個人に活力があったんじゃ?
親方日の丸の発想になりにくいやろ?
289日本@名無史さん:2009/01/09(金) 01:44:55
ttp://jp.youtube.com/watch?v=j-E0RqBEEcA&feature=related#
器の小さい義教・・・永享の乱・結城合戦は省略かよ。。。

確かに気性が激しいので無駄な血を多く流せた将軍ではあったが
幕府に近い勢力であった鎌倉府を滅亡させるなど幕府権力として一番強かったのでは?

嘉吉の乱で赤松満祐を蜂起させる要因と言われる、義教近習・赤松貞村への守護職のすげ替えは本当に実行されていたのでしょうかね・・・?
前年に一色義貫が成敗されて、義教近習の弟・持信(すでに死去・子の教職が継ぐ)一族に守護を挿げ替えただけに
満祐弟・義雅も摂津分郡守護職を解任されてるし・・・

どっちにせよ関東鎮定で浮かれた義教が一色、土岐持頼の理由なき粛清を実行してしまった事がよくなかったのかね〜
290日本@名無史さん:2009/01/13(火) 00:33:26
義満は室町幕府中興の祖ではありません。義満によってようやく幕府の基礎が固まったのです。
291日本@名無史さん:2009/01/24(土) 07:44:33
足利義輝は鎌倉や江戸時代も含め歴代将軍の中でも剣の実力No.1なんでしょ?


ウィキペディア見た限り、
人生も波瀾万丈だし何故NHK大河にならんのか疑問
292日本@名無史さん:2009/01/24(土) 08:05:36
中央政府が弱く家来の言いなりだからか。
開設三代と六代目以外は大名の傀儡状態だし。
293日本@名無史さん:2009/01/24(土) 08:10:50
ゲームの信長の野望ってやったことないんだが、
足利義昭とか操作できるの?
戦国の世を足利将軍が再び統一とかできるの?


てか信長の野望作った人って
「足利高校」出身なんだよね

足利将軍の室町幕府を滅ぼした信長のゲーム作る神経がわからん
294日本@名無史さん:2009/01/24(土) 09:32:56
日本文化すなはち京都の文明が全国に広まって行ったのは、足利時代だ
295日本@名無史さん:2009/01/24(土) 09:53:23
鎌倉公方は信長が滅ぼしたわけではない。
足利学校立てたのはこっち。現代の足利さんもこっちの系統。
296日本@名無史さん:2009/01/24(土) 12:43:24
こっち?
297日本@名無史さん:2009/01/24(土) 14:58:00
「足利高校」は関東の学校だろ、
中世の「足利学校」も関東の学校。
(たぶん設立は鎌倉公方で、いったんは衰退したのを、関東管領の上杉氏が再考したんだったっけ?)

現代の足利氏も、鎌倉公方の子孫であって将軍家の子孫じゃないし。

鎌倉公方を滅ぼしたのは... 厳密に言うと誰になるのかなあ。
諸勢力の介入で分裂を重ねたからな。堀越、古河、喜連川etc
鎌倉公方を衰退させた直接の下手人は関東管領上杉氏だが、これはあくまでも幕府の意向によるものだ。

独立した勢力としての鎌倉公方は北条氏の前に消滅したわけだが、
北条氏の麾下の領主/武将として一応は存続したはず。
298日本@名無史さん:2009/01/24(土) 21:23:41
>>293
ゲームの話題は好まれないスレチな感じだけど、できるよ。
シリーズによって多少違うけど、足利家で統一した時は幕府再興となる。
義昭は1570年ぐらいの義輝とかが死後の時代から始めたら、最初から将軍
として登場。もっと前の時代から始めた時は義晴とかが死亡や隠居したら
家督を譲れる。この場合は征夷大将軍になるには、実力で朝廷に認めさせ
ないといけないので前途多難だけど。

信長シリーズでなく太閤立志伝だと、国盗りとか以外の道もあるので
零落して田舎で薬草集めや配達の内職で糊口をしのいで一生を終える義昭とか、
兵は一切持たないけど茶人として各大名の交友を裏で操る義昭とか、
勘合符を使って明やルソンまで貿易にいく義昭とか…変なプレイもできるけど。
299日本@名無史さん:2009/01/25(日) 04:56:35
>>297
>現代の足利氏も、鎌倉公方の子孫であって将軍家の子孫じゃないし。

姓氏家系大辞典では、
足利将軍家15代目の息子は高山、その息子が永山休兵衛で、島津家に仕えた、
となってるけど、永山氏が子孫?
300日本@名無史さん:2009/02/03(火) 19:36:14
現在の足利家の当主は阿波公方系の28代当主義弘さんだお☆
301日本@名無史さん:2009/02/03(火) 20:08:51
仕方ないよ
足利が幕府開けたのは北条の自滅と家柄だけ、周りの御家人に担がれただけ、それにしても高時、おじいさんの時宗に土下座しなさい
302日本@名無史さん:2009/02/03(火) 20:14:05
鎌倉と江戸に関しては「幕府の始まりと終わり」が度々フィクションに描かれているし、
もちろん室町もそうしたフィクションに登場するのだが何故か「主題」として扱われてない気が。
303日本@名無史さん:2009/02/03(火) 22:58:10
室町幕府って違和感。
京都幕府でしょ。
304日本@名無史さん:2009/02/04(水) 00:36:13
>>300
苗字は足利?
305日本@名無史さん:2009/02/04(水) 02:14:58
そうだよ
306日本@名無史さん:2009/02/04(水) 05:07:57
>>300
それって、どこから枝分かれしてるの?
307日本@名無史さん:2009/02/04(水) 08:04:07
>>300
今でも、そっちの筋の人は、「足利義○」って「義」までつくよね。自分の名前とか、
人に言うのはずかしくないのかな??「モロ」やん☆みたいな・・・
308日本@名無史さん:2009/02/04(水) 10:16:28
織田家もそう
織田信成って
とりあえずスケートで天下取ってよかったね
高橋は○○しときますか
309日本@名無史さん:2009/02/04(水) 10:20:43
しかし、オダさんはあんまり珍しい姓じゃないからまだいいんじゃね?
真紀とかいう名前じゃない限り。
310日本@名無史さん:2009/02/04(水) 12:58:52
そろそろ、大河ドラマやってほしいね。義満とか義政とか・・・。
311日本@名無史さん:2009/02/04(水) 15:55:40
原作小説にいいのがあればね。
312日本@名無史さん:2009/02/04(水) 15:59:13
義冬は大河化するよ
313日本@名無史さん:2009/02/04(水) 16:26:20
できるとすれば、義満ぐらいかなあ? 「流浪の将軍」とか、「剣豪将軍」じゃ無理だろうしw
314日本@名無史さん:2009/02/04(水) 17:01:43
義輝やったら面白そうだけど、大河ドラマ向きじゃないな。
315日本@名無史さん:2009/02/04(水) 17:30:15
単発の二時間ドラマとかだったら、あるかな?
316日本@名無史さん:2009/02/04(水) 18:09:12
室町はもっと研究されなあかん時代やね。
室町の権力層には寺社勢力や土倉が密接に関わってた。将軍家には義教や義視のように
出家して寺社に入っとった奴は多い。
それと土倉。最近、室町時代の商業は座より土倉を重視せなあかんという意見があるな。
今まで座が重視されてきたんは、西欧の中世がギルドを中心に展開されたから、日本も
それに合わせてギルドに似た座を中心にしたって話らしい。でも本当は土倉の方が重要
だって。
俺もこれから土倉を研究するわ。
317日本@名無史さん:2009/02/04(水) 18:16:14
大河ドラマって、義満やったことあるんかいな?
義政は日野富子やったからなあ。
あと蓮如なんてどうよ?やっぱり特定宗教はあかんかな。
室町と違うが、藤原道長もやらんなあ。あれほどの権勢を誇ったのにな。
318日本@名無史さん:2009/02/04(水) 18:17:14
そうなんだよ。
京都幕府はもっと面白いはずなんだ。

319日本@名無史さん:2009/02/04(水) 18:18:14
僕は東京ですけどね。
320日本@名無史さん:2009/02/04(水) 18:22:23
真・暴れん坊将軍義輝
水戸黄門+暴れん坊将軍のプロットで、時代考証は多少厳密に
但し史実との整合性を考慮して、悪人はきれいに草木残さず皆殺しで
場合によっては舞台ごと根絶やしで

そんな時代劇…見たくないか
321日本@名無史さん:2009/02/04(水) 20:34:07
>>303
別に違和感ないが。

鎌倉幕府=国名でいくと相模国。鎌倉は相模国内にある一部分の地名。
江戸幕府=国名でいくと武蔵国。江戸は武蔵国内にある一部分の地名。

室町幕府を京都幕府と呼ぶなら、鎌倉幕府は相模幕府、
江戸幕府は武蔵幕府になってしまう。
ちなみに、「京都」という地名ができたのは明治以降で、
国名でいえば山城国。
首都をさす言葉としては「京」あるいは「都」と言っていた。
322日本@名無史さん:2009/02/04(水) 21:43:18
室町幕府=京の室町通りに将軍の屋敷があったので
     この名がある。
     
323日本@名無史さん:2009/02/04(水) 21:45:05
「京都」所司代とか「京都」町奉行というのは、江戸時代の名称ではないのか?
324日本@名無史さん:2009/02/04(水) 21:58:08
今、WikiPedia で調べてびっくり。
325日本@名無史さん:2009/02/04(水) 22:07:36
因みに参勤交代の原型は室町に有り。
義満時代に守護大名を一定期間、京に参勤させたのが始まり(参勤制度)。
義教の暗殺で終わった。
326日本@名無史さん:2009/02/04(水) 23:28:35
>325
いや、違う。
守護の在京は室町幕府の基本路線で、応仁の乱の末期までは続いたよ。
ただ、九州や関東など遠方の守護は、在京しないどころか上洛する機会すらなかったが。
327日本@名無史さん:2009/02/04(水) 23:45:14
>306
これだな。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B3%B6%E5%85%AC%E6%96%B9

12代将軍義晴の弟である義維(リンク先では義冬)の子孫の家柄。
義維の子である義栄が14代将軍になってる。

平島公方としての2代目である義助は義栄の弟にあたる。
「枝分かれ」をどこに見るかで、二通りの言い方が可能だな。

14代将軍の弟の家系、と言っても良いし、
(一度も入京したことがない14代将軍は形式的には将軍だが、将軍の数に入れるのは不適当だと考えて)
12代将軍の弟の子孫だ、と言っても良い。

もっと乱暴に言うなら、義正の弟である、堀越公方 政知の子孫、という言い方もできる。
まあ、11代将軍義澄や12代将軍義晴も政知の子(および孫)だが。
328日本@名無史さん:2009/02/05(木) 08:57:49
ドラマにするなら暴虐将軍義教だろうw
329日本@名無史さん:2009/02/05(木) 09:13:43
>>326
つか関東の諸将は鎌倉府出仕だったし
のちに奥羽の諸将も鎌倉府出仕に併合されて、
大崎氏が反発して鎌倉で関東管領に挨拶すらしなかっただろ。
九州は南朝の西征府を滅ぼした後は、大宰府あたりに出仕してなかったっけ?
さらに遠方守護でも京都扶持衆などは、上洛して将軍から京に屋敷を許されたり、官位や命名を(伊達のように種・晴・輝)もらってるでしょ。
在京守護制度は参勤交代とは違う。
330日本@名無史さん:2009/02/05(木) 13:41:46
はい、室町幕府は
山城幕府です。
331日本@名無史さん:2009/02/05(木) 18:17:56
>>328  大河足利義教
1月 次男なんで寺にだされちゃつた
2月 好敵手は一休さん、夢のトンチ対決
3月 お坊さんなんで女の子とやれないよー
4月 くじで決まった将軍
5月 ワシが将軍足利義教である
6月 傲慢、関東公方足利持氏
七月 見たか関東公方、わしの実力を
八月 赤松満祐って要らないよ、そのうちつぶす
9月 満祐の逆襲
10月以降、打ち切り 
332日本@名無史さん:2009/02/05(木) 18:28:14
打ち切りも何も10月で話終わってるじゃねーかw
333日本@名無史さん:2009/02/05(木) 18:45:26
「満祐の逆襲」って、最終回用のネタじゃねーか、12月に入れないとダメだろ。

すると、「赤松満祐って要らないよ、そのうちつぶす」は11月後半のネタだろう。前後編ぐらい?
334日本@名無史さん:2009/02/05(木) 18:58:26
所々はマイナーな後南朝ネタでつなげばいい。
335日本@名無史さん:2009/02/05(木) 20:14:00
西征府滅亡とか
湯起請裁判とか
武田信重が甲斐は危険だから行きたくないお西国行くお・・・
富士山きれいじゃなぁ〜
上杉憲実がもう関東にいたくないお西国行くお・・・

いろいろあるじゃん。
ネタには困らん。
武田信長とか名前で注目されるキャラもいるしw
336日本@名無史さん:2009/02/05(木) 20:42:27
なあ、どう考えても喜ぶ視聴者はお前らだけなんだがw
337日本@名無史さん:2009/02/05(木) 21:51:05
>>333 義教ごときで一年もつか!!!!!
ライバル一休さんならもたせられるが
338日本@名無史さん:2009/02/05(木) 21:53:20
どんだけ西国は桃源郷なんだよw
室町時代はリアルに大内マンセーだったんだなぁ。
339日本@名無史さん:2009/02/05(木) 21:56:33
武田信長ってネタだと思った(笑)
ただ義教がもう二十年生きてたら、、、考えただけで(笑)
340日本@名無史さん:2009/02/05(木) 22:16:05
室町幕府中興の祖
341日本@名無史さん:2009/02/05(木) 23:09:39
義持と義教をセットですればどうよ?
342日本@名無史さん:2009/02/05(木) 23:23:43
吉宗みたく、まず民放の「きかん坊将軍」とかの番組で茶の間の人気高めないと無理。
343日本@名無史さん:2009/02/05(木) 23:26:22
一騎当千アクション
吉宗無双と黄門無双
どっちが良い?
344日本@名無史さん:2009/02/06(金) 04:23:15
むしろ比叡山での活躍を水増しして、6月まで引っ張れ。
7月になってから将軍就任したらいい。

その間に、義持時代の幕府の話も少し入れる。これでOk?

>336
身も蓋もないな。分かり切った茶々を入れないで欲しかったよorz
345日本@名無史さん:2009/02/06(金) 07:42:59
>>344
すまない、詮のないことを言った><
346日本@名無史さん:2009/02/06(金) 08:36:18
比叡山に入れられる当たりから描くなら
皇位を窺う義満晩年から描けば良い。
義持が父に反発し→柵封体制から離脱→→室町最大の飢饉→明使が恫喝に来る→日本側拒絶→朝鮮が対馬侵略→日本の神々が大挙して西の空へ向かう→朝鮮撃破
飢饉では金持ちが貧しい者に富の再分配してんだよな。この辺りは貧困層が拡大した今の時代に面白い。
水利権争いや、借金金利制度など室町時代を本格的に描く試みは期待したいね。
347日本@名無史さん:2009/02/06(金) 09:58:10
義教を主人公にした原作はないが
日記など当時の良質な資料はたくさんあるしな。
大河化したら面白そう。
つか義教死後の鎌倉府再興から成氏の挙兵など
義満末期から「花の乱」につながる作品にして欲しいな。
花の乱の後は、冒頭で足利義澄追放をした大内の上洛を描いている「毛利元就」が続編扱いで。
その後は東国を描く「風林火山」とつながる。
そう思うと義教ではなく、鎌倉府側を主人公にして父の持氏や兄を殺戮された幼い成氏に同情的に描くのはどうだろうか?
持氏もかなりのDQNだから難しいか…まぁ「太平記」も新しく作って欲しいしなぁ。
348日本@名無史さん:2009/02/06(金) 16:09:13
大河一休さん
1月 母上様お元気ですか
2月 大好き、新衛門さん
3月 今日から僕は一休さん
4月 義満おじいちゃんの死
5月 ライバルは義円
6月 義円改め義教将軍になる
7月 義教を説教するが逆切れされもう少しで殺されるとこだった
8月 だからあれほど、、、よしりん暗殺
9月 新将軍はお坊ちゃま
10月 悪夢応仁の乱
11月 義政を説教、寺再建してやったぞ
12月 サヨナラ、トンチの神様
349日本@名無史さん:2009/02/06(金) 20:02:51
>>344
ヒロイン不在の大河は不可能。
義教が6月まで比叡山にいたならその間妻を娶ることができず、
大河として成立しない。
家族で見るホームドラマが大河だから、
主人公には早い時期に結婚して家庭を築いてもらわないとNHKからおkがでないよ。

って、義教の将軍になってからの女性関係は全く無茶苦茶で相応に面白いのな。
将軍となることの条件でもあった御台所日野宗子との結婚。
ところが義教は、宗子を追い出して寵愛の側室三条尹子を正室にする。
将軍2人を産んだのに全く寵愛されなかった側室日野重子。
なぜか義教の側室になっている尹子の妹(姉妹で義教に侍っている)。
女性関係中心にやっても大奥よりはるかに奇特だ。
350日本@名無史さん:2009/02/06(金) 20:07:17
大河「正長の土一揆」
1月 ヒロイン神戸四箇郷で誕生
2月 幼少時代(泣く子と地頭には勝てぬ)
3月 青年時代(土倉に借金)
4月 飢饉、疫病発生
5月 義教将軍就任
6月 万民恐怖
7月 土民蜂起
8月 土倉、酒屋、寺院襲撃
9月 興福寺の危機
10月 管領畠山出陣
11月 畠山を打ち破り土民ついに勝利、徳政令を勝ち取る
12月 ヒロイン柳生にて勝利の碑文を刻す
351日本@名無史さん:2009/02/06(金) 21:20:08
義持時代から描くなら朝貢破棄に怒る明の永楽帝を部下が必死で諌める話を放映せよ。
日本人はほとんど知らない。
352日本@名無史さん:2009/02/06(金) 22:27:28
残念ながら対馬に大軍で侵略してきたチョンが
瞬殺されるシーンが描けないので大河化はムリでつ。
チョン局が作ったこの戦役を映像化したものを
ようつべで見たらチョンが圧勝してたしw
353日本@名無史さん:2009/02/06(金) 22:51:40
永楽帝の話を載せるなら、チョンに部下(ougen)を派遣して処女の収集に
乗り出した話を載せよう。朝鮮王は直ちに国内の12歳から25歳の未婚女性の
婚姻を中止させて処女収集を手助けしたw
日本に関係ないと言うかもしれないが、チョンの情けなさを日本人に知らせるのは
非常に重要。むしろ国家戦略にしなければならない。
354日本@名無史さん:2009/02/07(土) 05:47:31
>>352 昔、日本の歴史という漫画で朝鮮軍が束になって宗氏の城まで攻め込んだが宗氏に嵐が来るとおどされてすごすご撤退したシーンを思い出した
朝鮮軍の糞情けなさを美化してドラマ化するとは笑えるよ
355日本@名無史さん:2009/02/07(土) 11:01:10
>>339
名前だけで判断するとw
一度守護代に甲斐から追い出されてるしw
356日本@名無史さん:2009/02/07(土) 11:23:50
義教なら、同じ僧籍で弟かつ反乱を起こして殺された義昭の存在を忘れるなよ。
NHKなら、殺されてもマフラー付けて復活しそうだがwww
357日本@名無史さん:2009/02/07(土) 17:36:44
今も保管してある漫画日本の歴史が義満から応仁の乱編なので思い入れはあるけど他の人には印象は薄いだろな、、朝鮮が対馬に侵略しにいくがすごすご退却するシーンは今みると笑える、、、、
358日本@名無史さん:2009/02/07(土) 17:40:12
義昭ってこっちの時代にもいたんだ、、しかもころされたって
よほどくじに納得できなかったのか、、、よしも悪しも面白そうな題材だ
359日本@名無史さん:2009/02/07(土) 18:56:07
義昭はほんっと死なないからな…ゾンビ並みに。
しぶといならまだいいが、誰にも殺す価値さえ認めてもらえなかっただけならちと可哀相…
360日本@名無史さん:2009/02/07(土) 20:55:38
大河ドラマ足利義栄

第一回 阿波の夜明け
第二回 久秀と三好
第三回 淡路入国
第四回 摂津上陸
第五回 左馬頭様
第六回 将軍誕生
第七回 阿波帰還
最終回 巨星落つ
361日本@名無史さん:2009/02/07(土) 21:44:40
>>351
攻めてくれば面白かったのに。かえって、室町幕府の守護に対する統制力上がったかも。
362日本@名無史さん:2009/02/07(土) 21:49:16
部下に与える土地がなくて鎌倉幕府の二の舞になりそう
363日本@名無史さん:2009/02/07(土) 22:22:38
>>362
幕府「恩賞?!おまいらの土地を守れたから良かったんじゃんかよ!」
と言って済む程、現実は甘くない罠w

364日本@名無史さん:2009/02/07(土) 22:28:09
室町時代に興味があります。
とりあえづ室町時代の通史を勉強したいのですが
何か良い書物はございますか?
おしえてください!
365日本@名無史さん:2009/02/07(土) 22:38:09
土地が駄目なら幕府直轄領からの米か現金しか無いな
366日本@名無史さん:2009/02/07(土) 23:09:50
高 師直「勝手にその辺の寺社・本所領を切りとっときゃいいじゃんかよ!」
367日本@名無史さん:2009/02/08(日) 00:32:08
そういえば、尊氏、義満、義政、 義昭しか思い浮かばない。
その人ら以外の活躍で印象深いのはあまりわからないですよね
368日本@名無史さん:2009/02/08(日) 01:33:06
尊氏(青葉城恋歌の人そっくり)、
義あきら(父と息子の影にはさまれた)、
義満(専制将軍、朝廷に暗殺された?)
義持(父に嫉妬しまくり、明との関係破棄)
義量(自暴自棄、早死)
義教(信長の前世?)
義政(ボンボン)
義尚(甲賀忍者に負けた)
義栄(ロボット将軍)
義輝(歴代最強の男、生きていれば信長も従う)
義昭(ウルトラアホ)
こんだけ知ってる
369日本@名無史さん:2009/02/08(日) 02:11:50
>>315
これすげえ見てえ!

WikiPedia 「足利義輝」から抜粋
>義輝が登場する映像作品
> 『織田信長』(1994年、テレビ東京・12時間超ワイドドラマ(後の新春ワイド時代劇)、俳優:北大路欣也)
                                                         ~~~~~~~~~~~~
370日本@名無史さん:2009/02/08(日) 02:33:52
思いきり戦国時代じゃん!北条早雲あたりから戦国でしょ
371日本@名無史さん:2009/02/08(日) 02:38:54
>>368
>義輝(歴代最強の男、生きていれば信長も従う)
この発想ワロタ
剣豪なのは知っているが、政治家として義輝はなにをしたんだ?
372日本@名無史さん:2009/02/08(日) 03:01:41
レタージェネラル足利義昭
373日本@名無史さん:2009/02/08(日) 06:47:07
>>371 幕府の指導力を高める為に日々策略をねる
有力大名に自分の名前を売ったり(毛利輝元、伊達輝宗など)上杉謙信と会談したりと将軍の名前を最大限に活用して戦乱をおさめようとしたがあの常識知らずの松永には通用せず暗殺された
ノブリンは自分よりすごい人間には立ち向かわない習性があるので義輝には従っていたかも、もっとも次の将軍には従わないだろうが、、
あの謙信が土下座する最強の将軍を暗殺する松永にはろくな末路がまちうけてないよ
374日本@名無史さん:2009/02/08(日) 07:25:15
義輝大河見たい!!!
義輝の天下一武道会
375日本@名無史さん:2009/02/08(日) 09:21:37
松永に暗殺されたのは影武者だった…
世直し!暴れん坊将軍義輝
本能寺の変でも暴れん坊将軍が…
376日本@名無史さん:2009/02/08(日) 09:38:32
不如帰 。てゲームあったような。
377日本@名無史さん:2009/02/08(日) 13:51:38
>358
義教の弟の方は、義昭(よしあき)じゃなく義昭(ぎしょう)だから、ちょっと微妙
実名(≒いみな)の義昭じゃなくて、法名(?)の義昭だからなあ。

>367
通が好む巨星の義教と、歴代将軍中で随一の剣豪である義輝の二人は外せないだろう。
伊東一刀斎の直伝の一刀流を使い、免許皆伝になったという、凄腕だ。って聞いたが、ホントかな?
義輝が殺されたころ、一刀斎はまだ10代後半だが。

いや、もう一人いたな。
地方を転々としたあげくの捲土重来で、「重任」した義材/義稙

もっと通好みの「堺公方」もいるが。
378日本@名無史さん:2009/02/08(日) 15:20:21
>>373
信長もある意味常識知らずでしょうが。。。
利用価値はあるから面従腹背でしょうがね。

最強の将軍・・・て何よ。
無双と現実の政治とはちげーよw

>>374も含め、ゲーム板か。ここはw

>>377
俺も義教の次に義材/義稙は興味がありますね。
細川政元のクーデターで追い出されるも、大内義興を伴って再び上洛。

379日本@名無史さん:2009/02/08(日) 15:21:24
イメージ的に
足利義視は佐野史郎
足利義尚は松岡昌宏
足利義昭は玉置浩二
380日本@名無史さん:2009/02/08(日) 15:26:26
強大な権力を持った細川京兆家を、将軍家がたとえ排除しても
畠山などその他の守護家が台頭するだけでなんだろうね・・・

将軍権力を誇った義満でさえ、斯波と細川の権力闘争を抑える事はできなかったしね。。。
尊氏もしかり、部下の権力闘争を静観しつつ、最終的にどう裁断するかが将軍家の腕のみせどころか・・・

その中では強権的な組織統制を図った義教はすごいな
強権過ぎたのが命取りだったはいえ。
381日本@名無史さん:2009/02/08(日) 15:31:21
>>379
それなら
尊氏=真田広之
直義=高島弟
だなw

太平記続編なら
義詮は中村梅雀、義満は市川亀治郎あたりになるかな?w
382日本@名無史さん:2009/02/08(日) 20:37:55
太平記と花の乱と毛利元就が見たくなってきた…
383日本@名無史さん:2009/02/08(日) 21:55:06
>>382 尊氏死後から日野富子誕生までの大河があったら、足利15代を網羅できるんだかなぁ
384日本@名無史さん:2009/02/08(日) 22:09:38
久しぶり変則大河
2011,1〜9 暴れん坊将軍義教
2011,10〜2012,3 剣豪義輝
2012,4〜2012,12 三代将軍義満
385日本@名無史さん:2009/02/08(日) 22:11:59
>>383 楠木正儀・正秀父子を中心とした南朝の興亡を描くヨロシ
386日本@名無史さん:2009/02/08(日) 22:39:26
>>378 その話なら毛利元就でやってたぞ
387日本@名無史さん:2009/02/08(日) 23:24:06
>>1
小学校の授業は夏休み入るまでに江戸時代入らなきゃいけないから
飛ばされやすいしな
388日本@名無史さん:2009/02/08(日) 23:40:57
文化人はどうよ? ザビエルが来たのも 室町時代でしょ。
ポルトガル人の鉄砲伝来など戦国扱いなのか?
389日本@名無史さん:2009/02/09(月) 21:08:16
伏見宮貞成親王の大河やれば義満から義政まで6代カバーできる。
おまけに南朝後南朝VS北朝、後光厳流VS崇光流なども話に加えればグー
390日本@名無史さん:2009/02/09(月) 21:37:35
それなら一休さんでいいじゃん
義満 
自分を寺に追いやった張本人 だけど実の父のように慕う
義教 
同じく寺にだされた境遇なので親友同然の関係
義政
自分の息子同然、おもっいきり説教する
史実無視、いいドラマ作れそう
391日本@名無史さん:2009/02/10(火) 02:00:11
>>389
応仁の乱寸前まで描けるから直接、花の乱につなげられるが
主人公が面白くないな。。。
それなら義教が暗殺されるチョイ前で死ぬ天下の義者と呼ばれた満済を主人公にしたら無難では?
392日本@名無史さん:2009/02/10(火) 03:33:31
貞成親王はむしろナレーションで・・・ >看聞日記
393日本@名無史さん:2009/02/10(火) 12:00:17
「赤松家ドキュメント 野望へのルーツ」

円心「俺は、将軍にだって従わない…」
394日本@名無史さん:2009/02/10(火) 21:31:06
ところで大河ドラマ花の乱どう思う?
大河ドラマ最低のくそドラマというと言い過ぎかもしれないが
いっそ大河ドラマ花の幕府「義餅から義政まで」をやったら?
昔してた「ホームラン龍」みたいに3部作で
395日本@名無史さん:2009/02/10(火) 21:34:24
>>394
「花の乱」は日野富子と森侍者が入れ替わって育っただの
もののけ付きで発狂し続ける富子だの
ありえない設定が多すぎて視聴者がついていけなくなったのだろう。
ドラマだからある程度の創作は必要なのかもしれないが、
もう少し史実に忠実にやるべきだった。
396日本@名無史さん:2009/02/10(火) 23:26:32
花の乱って冒頭に後南朝の残党が村を荒らすシーン?あれ三種の神器奪取だったか?辺りからスタートしたような記憶があるんだが。
ドラマは何年からスタートした設定になってんの?
397日本@名無史さん :2009/02/11(水) 01:04:09
市川団十郎氏の足利義政と 野村マンサイ氏の細川勝元だったね。
398日本@名無史さん:2009/02/11(水) 01:15:19
>>1
sine
399日本@名無史さん:2009/02/11(水) 10:31:58
>>396
荒らしたのではなく逃げ込んできた。で、追っ手の山名持豊が後の富子と出会う。
たまたま村にいた一休が「神器みせてくれー」
400日本@名無史さん:2009/02/11(水) 11:38:23
神器見せてくれー
一休が野次馬過ぎてワロタ
視聴者の意見を代表してるなw
401日本@名無史さん:2009/02/11(水) 15:39:00
大河は、史実とかけ離れている脚本の方が視聴率はいい。
と言うか毎年、出鱈目な話なので、史実性は無関係

あれは、日曜の8時にしては暗すぎ。
そもそも知名度が低い女性が主人公の上に、女の怨讐とドロドロの権謀術数の日々
それをベテラン俳優が熱演してしまい、話が重すぎたw
せっかく出来た息子もゲイで酒乱だし。
そりゃ、将軍も山荘に引きこもりになるわ〜って感じ

今見ると面白いんで、結構お勧め。
あの当時はみたくもなかったね。
402日本@名無史さん:2009/02/11(水) 18:07:57
ところで花の乱って富子が甥の将軍が逆らうと追放して将軍家と遠縁のガキを将軍にして将軍をさらに弱体化させたがそのシーンはあるの?
幕府のためといいながら自分の懐を暖める事しか興味ないみたいだけど、、、、
403日本@名無史さん:2009/02/11(水) 20:57:51
あれは全部、細川政元の陰謀で、富子は積極的には関わっておらず、むしろ義材の逃亡を手助けするという、トンデモ話になっていた。
404日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:03:59
足利将軍と徳川将軍15人ずつでバトルロワイヤル(勝ち抜き戦でもいいけど)
したら足利のほうが強そうだ。
405日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:19:52
当たり前だw
406日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:39:52
>>402
遠縁のガキじゃなくってあっちも甥でんがな

ところで義澄の初名の義遐ってどう読むんすか?
407日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:54:20
>406
まあ厳密に言えば、
「前将軍の従兄弟」だがな。
前将軍=義尚であって、義政は前「室町殿」(前・大御所、って感じだな)だから。

追放された義材、新しく就任した義澄のいずれも、義尚の従兄弟で義政の甥だわな。

計画が建てられた時点では、義材は実父義視も実母(富子の妹だっけ?)も故人だが、
義澄は両親が健在で、父親が堀越公方として関東で頑張ってたから、
後ろ盾となる人間がいるかどうかって点では義澄の方が有利だった。
義材の後ろ盾が、すでに畠山政長しかいなかったからな。

もっとも、計画の実行前に、堀越公方の足利政知は死去してしまっていたんだが。

あと、義澄の母親と、首謀者である細川政元の養子(後継候補)澄元の母親が、姉妹関係にあったってことも、重要なファクターだろ。
澄元の実父は細川氏じゃないけどな。
408日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:56:49
すまん、ミスった。

澄元じゃなく澄之な。

義澄の母親がヌッ殺されたことがトラブルとなって、
「澄之と従兄弟に当たる将軍」の意義が薄れ、細川氏の出ではない澄之に代えて細川氏の生まれである澄元が重視されることになったんだ。
409日本@名無史さん:2009/02/12(木) 18:56:28
>>404
ただし、意外や意外、家康は鉄砲の名手
飛び道具ありならわからんぞw
410日本@名無史さん:2009/02/12(木) 18:59:55
あ、ただしソースは大久保彦左衛門なのでヨタの可能性も高い
411日本@名無史さん:2009/02/12(木) 19:01:40
大将戦は吉宗vs義輝の暴れん坊将軍対決だな
412日本@名無史さん:2009/02/12(木) 21:35:32
徳川将軍は先天性な廃人ばっかじゃね〜か。
足利将軍は健康なやつが多いぜ。酒飲み過ぎで体壊すがw
日野家の女は健康なガキを生むからな。
413日本@名無史さん:2009/02/12(木) 22:21:09
>>412
まるで見てきたような言い方するじゃないか
本当にそうなのかよ?
414日本@名無史さん:2009/02/13(金) 05:35:59
>>412 足利って日野市との政略結婚ばかりで近親相姦じゃない?義政とトミ子、義視とその妻(トミ子の妹)はいとこ同士だし
現に義尚は早死したし
偶然だと思えない
415日本@名無史さん:2009/02/13(金) 05:43:40
北条もバトルに入れてやってよ
高時意外は名将軍ばかり
しかし執権なんか言わすに将軍って名乗ればいいのにね
平家の血筋でしょ
どこの馬の骨の徳川よりも血統はいいでしょ
416日本@名無史さん:2009/02/13(金) 05:44:23
意外→以外
417日本@名無史さん:2009/02/13(金) 18:15:05
剣道団体戦
徳川高校    足利高校
     先鋒
秀忠●     ○義アキラ
(二代目ボンボン対決だが義アキラの方が苦労人、圧勝)
     次ほう
家光●      ○義満
(孫対決もへたれ家光より幕府最強の義満にかなうはずない)
     中堅
家康●       ○尊氏
(自称海道一の弓取りもメタボには勝てず早くも足利高校の勝利決定)
     副将
吉宗○       ●義教
(暴れん坊将軍対決も短気な義教自滅)    大将
慶喜●       ○義輝
(幕末最強のへたれ慶喜ごときが剣豪義輝にかなうはずない、剣豪史上最大の圧勝)
418日本@名無史さん:2009/02/13(金) 21:47:16
足利成氏「ふふふ…ついに裏鎌倉高校の出番がきたようだな父上…」
足利持氏「まずは掘越高校を血祭りにあげるのじゃ」
足利義氏「我らの真の敵は小田原高校…忘れてはいけませんぞ」
足利義明「忘れた事なぞない。じゃが手は打ってある。安房高校も味方する予定じゃ」
足利藤氏「まずは四天王のワシが出ようぞ!我が召喚に応じ出でよ!謙信ちゃん」
419日本@名無史さん:2009/02/13(金) 23:54:48
北条高校はー?
時宗、泰時、時政、時頼、義時あたりか?
420日本@名無史さん:2009/02/14(土) 01:10:13
宮将軍や摂家将軍の立場は?
頭のよさなら源氏将軍の独り勝ちなんだが。
実朝卿がいるからね。
421日本@名無史さん:2009/02/14(土) 01:18:31
鎌倉将軍:頼朝、頼家、実朝、頼経、頼嗣
北条執権:時宗、泰時、時政、時頼、高時
足利将軍:尊氏、義満、義輝、義詮、義教
織豊時代:信長、信忠、秀吉、秀次、秀頼
徳川将軍:家康、吉宗、慶喜、家光、秀忠

5人ずつ選ぶとしたらこんな感じか?どれが一番優秀?
422日本@名無史さん:2009/02/14(土) 01:22:28
政治家としてなら北条と徳川が優秀そうだな
423日本@名無史さん:2009/02/14(土) 01:27:52
北条執権が一番ダントツの存在、ただ30はんぱでお亡くなりになる傾向が続いたのは痛手、歴代執権で一番クソな高時が寄りによって幕府末期に就任したのは致命的、せめて時宗ならあの難局を乗り切れたはず
因みに北条高校には高時ではなく高時の父親定時(だったけ?うろ覚え、とにかくかなりの名執権)を入れるべき、ダントツに強いよ
424日本@名無史さん:2009/02/14(土) 01:32:31
クローズ風対決なら北条が最強
これ間違いなし
足利、徳川、源、ボンボンぞろいじゃないの
425日本@名無史さん:2009/02/14(土) 01:54:22
天皇高校から後醍醐や後白河も参加しまつ。
426日本@名無史さん:2009/02/14(土) 02:07:18
だがちょっと待って欲しい
最終戦において控え室で北畠具教が慶喜を襲撃して
成り代わって出場するという展開もあるのではないのだろうか
427日本@名無史さん:2009/02/14(土) 03:33:26
藤原道長「オレも参戦したいんだけど…」
428日本@名無史さん:2009/02/14(土) 04:36:31
舌戦なら菅原道真も何か言いたい事があるだろう。
追加ファンディスクを買えばお祭り大会で、足利学校卒の太田道灌やら関東管領上杉憲実やら三管四職な方々から西征府や六波羅探題や京都所司代も登場w
429日本@名無史さん:2009/02/14(土) 07:40:59
>>377
一刀流じゃない。
塚原ト伝の新当流で極意を伝えられた三人のうちの一人。
430日本@名無史さん:2009/02/15(日) 16:37:46
アホくさ。
一番の長期政権は徳川なんだが?

それが現実。

個人の力量に頼るんじゃなくて、組織の大切さが分かっていたかどうかがポイント。
431日本@名無史さん:2009/02/15(日) 16:59:39
なんというマジレス
432日本@名無史さん:2009/02/15(日) 17:19:28
江戸幕府の将軍は廃人ばかりなんで老中に分権し、さらに官僚機構が発達。
それは太政官であり、いまのクソ公務員。
433日本@名無史さん:2009/02/15(日) 19:58:20
結局、徳川将軍を腑抜けにしたのは春日の局、恐るべし
434日本@名無史さん:2009/02/15(日) 22:24:51
北条政子 vs 日野富子 vs 春日局
435日本@名無史さん:2009/02/16(月) 01:53:16
徳川幕府の職制、機構は室町のそれが基調になってるんだが。

正しくは義教の代に造られたものがと言うべきかな。
436日本@名無史さん:2009/02/16(月) 07:17:12
>>434 日本三大悪女
437日本@名無史さん:2009/02/16(月) 08:22:50
>>435
戦国板で後北条厨が
徳川幕府は後北条の優秀な統治制度を踏襲しただけと言ってるが違うの?
438日本@名無史さん:2009/02/16(月) 11:13:57
後北条氏なんて関東に割拠しただけの田舎大名じゃないか。
それを踏襲もなにもあったもんじゃない。
全国統治した徳川に比べるべくも無いだろうに。

古事類苑官位部を見ると面白いことが判る。
鎌倉→室町→織田氏→豊臣氏→徳川と順番に職制の悉くが記載されているのだが、
織田氏の表文には「織田信長、足利氏に代わりて政柄を執るや〜」とある。

一般に信長は天下を目前にして倒れたとされるが、当時から明治期にかけては
信長が室町の後をとった天下人とするむきがあったようだ。
439日本@名無史さん:2009/02/16(月) 12:16:23
>>434
キャットファイトと言えば聞こえがいいが、気の強そうなおばさん三人の仁義多分ないバトルじゃねえかw

後北条の統治機構をそのまんまと言うと語弊がありまくりだが、
関東支配における要所を確立したのは徳川以前では後北条だから、全く室町方式と言い切るのも無茶だと思うぞ。
特に、室町幕府は部下や地方組織の力が強力すぎて、後半政情が不安定だったのは事実だし
440日本@名無史さん:2009/02/16(月) 14:34:24
>>435
ナンセンス

形式的な組織の形が問題なんじゃあない。
いかに有効に機能させるかが問題なんだ。
そういう意味で、徳川幕府の機構は他の追随を許さない。
史実が示している通りさ。
441日本@名無史さん:2009/02/16(月) 17:34:42
>>440
それは継続期間という結果から論じてるだけだな。

他の追随を許さないと言う点には同意するが、その上の行にはまったくの不同意だ。
お前、義教の統治の実態を知らんのだろ。
参勤交代が義教に由来すると承知してるか?

嘉吉の変がなければ応仁の乱も戦国最後の戦、大阪の陣もありはしなかった。
極論すれば信長、秀吉、家康の事跡には必ずと言っていいほどに義教の施策の
影響が見て取れる。
442日本@名無史さん:2009/02/16(月) 17:35:35
江戸幕府が最終形態
黒船なきゃ全然続きます。
443日本@名無史さん:2009/02/16(月) 18:10:34
後北条による領域支配の方法そのものが、
室町幕府による京都近郊への支配方式を大きく流用してるという話なので、

室町幕府から云々ってのと後北条から云々ってのは、まったく矛盾する関係にあるとも言えないんだよな。
444日本@名無史さん:2009/02/16(月) 18:41:48
伊勢氏が京で実績をあげた支配機構を関東に扶植したって感じ?
徳川幕府は将軍の弟や紀州や尾張や水戸の野望が水面下ではいろいろあったようですが。
鎌倉府のような暴発が結局なかっただけでは?
445日本@名無史さん:2009/02/16(月) 21:48:11
鎌倉府の暴発>その危機はいくらでもあったが、
(尾張藩水戸藩は必ずしも将軍寄りの立場ではない)
結果的に「暴発はなかった」。
これを江戸幕府の統治能力の賜物と見做すこともできるし、単に幸運だったとも言える。
その辺は論者の立場によっていくらでも主張できるし、不毛な議論にしかならないのでは。
確かに言える事は、ここにいる大半の人間は、ドラマティックすぎる室町時代が好きなんだろうと言う事くらいか。
そんな場所で江戸幕府の優秀性を誇ってもKYの極みなだけ。
446日本@名無史さん:2009/02/16(月) 23:06:47
徳川幕府八代将軍は足利義教に決まりました。
さっそく尾張や水戸を挑発してます。
義教さまはなぜか鴨が大嫌いなようです。
447日本@名無史さん:2009/02/17(火) 00:47:41
>444 一行目
いちおう、そういう感じに言われてる。と思う。
その頃の室町幕府はすでに、全国政権であることをやめ、
京都周辺を支配する「首都周辺を治める巨大大名」を目指す方向に舵を切り替えていたようだ。
で、当時幕府が重視し始めていた、近郊統治の新手法を移植したってことらしい。
が、新手法そのものは、古くからの既得権者が数多く勢力を残す京都では、抵抗が強すぎて機能しにくかったようだ。

という話。


>444-445
暴発については、「暴発しうる巨大な分家」の権限、影響力が桁違いすぎるから、
江戸幕府下での分家の暴走は難しかったんじゃないかと思う。
まったく試みられなかったわけではないだろうが(たとえば、尾張の暗躍が噂されていた、由井正雪の乱とか)
鎌倉公方とは比較にならないほど小国だった尾張や紀伊の国力では、かなり無謀なのは確かだろう。

これは、幕府の舵取りとか統治機構・統治能力の問題ってよりは、
大名配置の妙味、家康〜秀忠時代(特に秀忠時代かな)の移封・転封の成果だろう。
448日本@名無史さん:2009/02/17(火) 07:13:07
しかし徳川御三家にも増して、鎌倉公方の挙兵は思いっきり無謀と言うべきもんだよ。
なんせ京都扶持衆やら駿河今川や関東管領が幕府側なんだから。
室町幕府の将軍や管領の交代で鎌倉側への接し方が180度変更になった為にやむなく挙兵した面もある。
結局、持氏や結城合戦や成氏も失敗してるし。
449日本@名無史さん:2009/02/17(火) 22:57:04
>448
鎌倉公方の管轄範囲の半分は、反上杉的な武士が主流を占めている。
この範囲だけ見ても、紀州藩と尾張藩を合わせたぐらいの領地になる。

それ以外の地域の大名まで挙兵するよう手を打てたら、成算はあるぞ。

江戸期の紀州や尾張なら、もっと下準備を入念に行わないと無理。
450日本@名無史さん:2009/02/18(水) 00:25:04
紀州や尾張の理想的終着点は、「将軍になること」だからな…
結局は政治的闘争で終了し、実際に暴動沙汰にはならなかろうと。
時代劇最大の悪役たる尾張公に至っては、単に遅れてきた傾き大名だからな…。
451日本@名無史さん:2009/02/18(水) 03:34:24
>>449
それは成氏時代の話?
成氏は上杉の守護国だった安房を里見に、上総を武田信長に横領させて実効支配を開始させたからでしょ。
それ以前は小山氏の力に頼ってる部分が大だったし。
さらに前は北畠氏とともに南朝勢力を支えた結城氏(常陸の正統な伊達氏も)だから当時の小山結城一族の力は想像以上にデカい。
特に白河結城氏は奥州の偽伊達氏と共に地域権力化が早かった。
452日本@名無史さん:2009/02/18(水) 09:02:07
あぁ、コイツが戦国板で有名な例の荒らしか
453日本@名無史さん:2009/02/18(水) 09:56:00
↑元は賤民だった潜称伊達氏一族
454日本@名無史さん:2009/02/18(水) 18:56:38
>>448 中国の明で分家の永楽帝が本家に圧力をかけられた末、反乱、
南京(王天府)を落とし首都を北京に移したという史実があるがまさか自分たちも将軍になれると勘違いしてたのでは、、、持氏くんは、、、
455日本@名無史さん:2009/02/18(水) 21:46:45
>>441
> 参勤交代が義教に由来すると承知してるか?

参勤交代“だけ”が幕府の統治の全てだったとでも言いたいのかのお?

そもそも、先人に学ぶのは当たり前のこと。
学んだから無能で、学ばなければ有能だというのがお前の主張だが、俺は逆だと思うぞ。

> 嘉吉の変がなければ応仁の乱も戦国最後の戦、大阪の陣もありはしなかった。

それがどうした?
そんなことを言うのなら、建武の中興が無ければお前が大好きな義教も将軍になっていなかったはずだが?
そんな主張に何の意味がある?
456日本@名無史さん:2009/02/18(水) 22:57:11
家柄も大切なのよ。家格の低い北条は頼朝を前面に押し立てて幕府を開き
源氏が三代で絶えてもお飾り将軍を立てて幕府運営を行った

それに比べてお人よしで常にライバルに翻弄された尊氏だったが家格が
良かったお陰で足利230年の礎を築いた。脆弱な足利将軍家であったが
230年も続いたのはやはり家柄のお陰
457日本@名無史さん:2009/02/19(木) 00:48:46
逆にそういう意味では、平氏→源氏→足利氏(源氏)という流れが
足利幕府までは続いていたわけで、
(自称源氏だが、実際はどこの馬の骨とも知れない)徳川氏が
幕府を開いたことはある画期的だったのでは。
458日本@名無史さん:2009/02/19(木) 01:01:58
自称源氏と名乗っていました
ノブリンも自称平家と名乗っていました
最も織田は織田神社の神主の系譜だから平家でもおかしくはない?
問題は徳川!!!!源氏の流れを引く吉良様に頼み込んで源氏の子孫にしてもらったのに赤穂事件であの仕打ち、、ろくな末路しかまってないぞ
459日本@名無史さん:2009/02/19(木) 06:52:01
>>457
全然画期的じゃない。
新田氏の後裔として足利氏に勝る源氏正統を称したあたり
先例、あるいは名分に寄らざるを得なかったとしか思えん。


>>458
おかしいだろw織田剣神社の系譜は忌部氏に連なる。

信長は平氏、藤原氏を称してたけど木瓜の由来はよく判らんらしいな。
460日本@名無史さん:2009/02/19(木) 12:24:28
>>459
しかし、それが建前に過ぎないことは、諸大名も承知してたわけでしょう?
それでも徳川幕府が成立したというのは、「源氏でなければ」という考えが、
建前はともかく、本音の世界では消滅してた、ということじゃない?
461日本@名無史さん:2009/02/19(木) 18:53:55
>>460
こじつけで申し訳ないが、「家康ほど実力で日本を平定した人間はいないにも関わらず、明らかにウソと判るような捏造権威に、最後は頼った」とも言えるしなあ。

そういや、頼朝、尊氏、家康って、全員担いでもらうタイプというか部下が喜んで担ぐタイプだな。
462日本@名無史さん:2009/02/20(金) 15:03:41
>>454
持氏なんて執事に反乱を起こされたのに
永楽帝と一緒にしたら永楽帝に失礼だわw
463日本@名無史さん:2009/02/20(金) 17:47:11
>>461
> 明らかにウソと判るような捏造権威に、最後は頼った

頼ったと言うより、利用したと言うべきでしょうな。
464日本@名無史さん:2009/02/20(金) 22:15:40
室町幕府じゃなくて京都幕府とか平安幕府とかならイメージ違ったかな?
室町という名前がマイナー感を出している原因だと思う。
465日本@名無史さん:2009/02/21(土) 02:49:23
徳川が新田の末裔を自称することの背景には、
下克上の否定という側面があるわけよ。

徳川家祖、新田義重は源義家の孫で、足利家祖の足利義康にとっては兄。
つまり足利に取って代わっても、より正統な源氏の血筋の復権と主張できるわけ。

466日本@名無史さん:2009/02/21(土) 18:54:14
そもそも室町時代は参勤交代とか言う以前に
守護大名は京都に常在しているからあんまり関係ないだろう
467日本@名無史さん:2009/02/21(土) 19:56:17
いや、実際にそれが理由で改易されてる守護大名があるよ。

建内記によれば永享11年7月に「大内持世の参勤せざるを以って、
安芸の所領を削り之を小早川持平に与える」との記述がある。
468日本@名無史さん:2009/02/22(日) 01:58:46
>>444-445
土地の広さというより、鎌倉という、一定の求心力を持つ前政権政庁所在地に、
「副首都まがい」のものを置いたのが全ての問題の始まりだよ。
本当なら、当然完全な直轄とすべきところ。
それができなかったのが、交通の問題でもあり、権力の問題でもある。
徳川政権が、「大坂徳川家」や「伏見徳川家」を100万石クラスで置いていたら、
正直どうなったか分からない。
江戸の宗家の継承問題が起きた時に、朝廷工作を図って、
勝手に宣下を貰うという可能性すらあった。(これは尾張では出来ない)
大坂より西は基本的に外様主体で、「畿内の謀反」を挟み打ちできない。

松平忠明という微妙な例はあるが、永続させる気はなかっただろうね。
469日本@名無史さん:2009/02/22(日) 11:33:09
>>468
あ、それ面白いな。
仮にそんなものが出来て、野心家が伏見家なりに誕生したら、江戸幕府は無茶苦茶短命に終わったかもしれんな…
470日本@名無史さん:2009/02/22(日) 18:53:25
>468
交通や経済の問題が大きい気がする。
室町時代初頭頃から、東日本と西日本の間で物流が激減し、交易がほとんどなくなってるし。

鎌倉府に相当するレベルの出先機関を江戸幕府で考えれば、
「大坂城代の管轄範囲を摂津河内和泉+紀伊・大和まで拡大」&「不慮の突発自体によって上代の交代が困難な状態が数十年にわたって続き、世襲化されてしまう」レベルかな。
もちろん、大坂城代の独走を抑えるために京都所司代に強い権限を与え、かつ、山城+近江+丹波但馬播磨ぐらいまで担当させる必要がある。

かなり無理な設定だが、こんな前提条件だったら東西分裂が確実に起こってただろうな。


関東が鎌倉府vs幕府(幕府派筆頭の関東管領)に割れたとき、
上杉が守護の地域(西半分)はおおむね幕府派(相模は両派混在だが鎌倉公方側が強いか?)
それ以外の、東半分は鎌倉公方派の方が主流で幕府・関東管領派が少数派だった。
鎌倉府の管轄範囲「関八州+越後・甲斐・伊豆・南陸奥(陸奥国のうち南端、福島県あたり一帯)」の範囲は、
江戸時代の領域に換算したら600〜800万石クラスになるんじゃないのかなあ。
2分割しても、100万+100万程度じゃ、比較にもならない。
471日本@名無史さん:2009/02/24(火) 17:36:59
豊臣政権が続いてたらもっとすごい事になるよ
豊臣、石田、上杉、毛利、宇喜多、前田は小大名に格下げするだろうけど、、、
おそらくムガール帝国見たいに藩国制度みたいな感じになるかも
明治維新はかなり違う形でなると思う
天皇制度はうやむやになるかも
472日本@名無史さん:2009/02/24(火) 17:45:14
豊臣政権が続いてたら豊臣が小大名に格下げになるって、意味が分からん。
473日本@名無史さん:2009/02/24(火) 18:27:06
前田が格下げされてという意味で書いた、、説明足らずでスイマセン
474日本@名無史さん:2009/03/09(月) 12:10:02
このままこのスレも影が薄くなるのを回避age
475日本@名無史さん:2009/03/11(水) 15:41:25
>>459
朝倉氏からの下賜。
476日本@名無史さん:2009/03/11(水) 15:50:09
足利将軍家は政略結婚をあんまりやってないよね

477日本@名無史さん:2009/03/15(日) 08:14:09
足利義詮って調べてみると
なかなか優秀な人じゃないか
478日本@名無史さん:2009/04/04(土) 00:01:14
室町幕府って、後期鎌倉幕府だよね
479日本@名無史さん:2009/04/05(日) 06:43:48
>>478
いいえ
前期豊臣幕府でつ
480日本@名無史さん:2009/04/05(日) 08:42:05
いや戦国時代準備期だろ
481日本@名無史さん:2009/04/05(日) 15:51:09
表面上は、鎌倉幕府との制度的な差を見つけるのが難しいだろうけど、
社会の構造変化の影響で鎌倉幕府とはものすごく違うんだよな、実際は。

だが、守護領国を原則として国単位、ときには郡単位で分けているなどの天は、
戦国大名の領域/領国単位で国境を決めた豊臣期や江戸時事代とは抜本的に違う。
482日本@名無史さん:2009/04/07(火) 00:19:37
御家人制度をどうして受け継がなかったんだろう?
483日本@名無史さん:2009/04/11(土) 18:25:25
>>482
鎌倉時代以前の御家人ってのは、個人個人の主従契約みたいなものじゃからのお。
たとえば、源義朝の家人が、そのまま頼朝の家人になるってわけじゃあねえのさ。
親父が死にゃあ、その家臣団はバラバラ。
息子はあらためて主従契約をせにゃならんのよ。

そんな制度なんか受け継がれないのは当たり前。
484日本@名無史さん:2009/04/15(水) 06:00:47
実質、義満・義持・義教の3代しか安定してないし、この
3代もずっとゴタゴタばっか。義持が死ぬ時に後継者を
決めろと言われても「わしが決めたとしても、お前ら家臣が
無視するだろうから意味ないだろ」と言ったのは悲しすぎ。
将軍の権力基盤が弱すぎた。あと、大名同士の争いを放置
することも多かった。揉め事の調停をしない、出来ない政権が
空洞化するのは当然の流れだろう。

485日本@名無史さん:2009/04/18(土) 18:04:47
将軍専制だと、カリスマ将軍が亡くなった時が不安定。実力者は粛正なり遠ざけられて、将軍の周りにはイエスマンばかりでは厳しいのでは?
義詮のような優秀な家臣に任せられるトップの方がいいのでは。
486日本@名無史さん:2009/04/19(日) 13:37:52
将軍も部下もバカばかりで、グダグダに…
487日本@名無史さん:2009/06/01(月) 22:05:29
義政がまともだったらな…
488日本@名無史さん:2009/06/01(月) 22:08:46
>>487
今さら悔いても
歴史的に見ればこんなもんでしょ
489日本@名無史さん:2009/06/05(金) 23:04:40
この時代の、庶民文化が、影薄いよね。
490日本@名無史さん:2009/06/06(土) 01:47:39
>>489
そんなこたーない。
491日本@名無史さん:2009/06/06(土) 06:28:39
室町期ほど日本の庶民が活性化した時代はない。
492日本@名無史さん:2009/07/02(木) 01:16:34
>>482
取り合えず直属戦力の奉公衆は居ただろう。
でも、徳川幕府の旗本・御家人とは比べるべくもないが。
493日本@名無史さん:2009/07/03(金) 03:27:56
少なくとも、尊氏の時点ではまだまだ御家人制度だろう?
従来の御家人制度に変わる新制度を作らないうちに死んだと思うんだが。
494日本@名無史さん:2009/08/20(木) 16:53:01
足軽っていう種類の連中の出現が大きい。
495日本@名無史さん:2009/10/02(金) 01:21:35
足利将軍の石高ってどれくらいだったの?
496日本@名無史さん:2009/10/02(金) 05:11:37
室町幕府はなかった。
鎌倉覇権の存在は事実だが、
そもそも秀吉の天下統一々々言ってるのは違和感を感じたことはないか?
一般的には直近の戦国時代150年間を統一した、という意味だが、
実はあれは日本史全てに対する表現なのではないか?
日本国は秀吉が歴史上初めて統一した。

室町幕府など無かった。大和朝廷も畿内の棟梁。鎌倉幕府は諸国連合の有力発言者。
豊臣英世こそ真の日本国最初の頭領。なにかが違うが気にしない
497日本@名無史さん:2009/10/02(金) 07:00:16
義満って言う怪物はいたけどな
教科書では凄さは分からんチン
498日本@名無史さん:2009/10/02(金) 08:00:25
金閣寺燃やしたあいつか
499日本@名無史さん:2009/10/02(金) 09:51:58
>>498
それは、昭和になってから三島由紀夫の小説のモデルとなった僧侶のことだろう。
500日本@名無史さん:2009/10/02(金) 10:24:37
>>496
大和朝廷は統一したといえるだろ
501日本@名無史さん:2009/10/02(金) 12:37:36
>>500
いやいや
各地域に任務者を送り込むことなら山口組だってやっている。
それが統治をしたという意味には必ずしも繋がらない。
502日本@名無史さん:2009/10/02(金) 14:49:48
>>495
120万くらいだね
503日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:48:50
>>491
例えばどういう点で?
504日本@名無史さん:2009/10/05(月) 06:15:08
後醍醐の祟りじゃよ
505日本@名無史さん:2009/10/05(月) 20:35:18
室町幕府ってすごいよな。

京都市内で10年も家臣がやりたいほうだい暴れてるのにどうすることもできず
隣の近江国には幕府に反抗して将軍を殺す輩が居て
京と同じ山城国が一揆勢に支配されている

江戸幕府ではまるでありえないw
506日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:15:51
全体てきにグダグダだよな
507日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:21:43
徳川幕府と足利幕府との安定感の違いは、幕府ができてから全国を平定する
までの年数の違いだろう。徳川幕府はできてから十数年で豊臣氏を葬ることが
できたが、足利幕府ができてから半世紀以上経って、やっと南北朝合一を
果たせたわけだからね。
平定後の大きな戦乱も、徳川幕府は幕末を除けば島原の乱ぐらいだったが、
足利幕府のもとでは“○○の乱”が頻発していた。忠臣蔵も、平和な徳川
幕府の下で起こったからこそ、後生に語り継がれるものとなったが、
これが足利幕府の下であれば、よくあるお家騒動のひとつとして片付けられた
かもしれない。
508日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:48:36
>>507
南北朝合一と言っても、
南朝の一味は「後南朝」として
応仁の乱にまで登場するけどな

町人・商人は自治都市を作り、
農民は惣村を作り
みんなパワフルな時代だ
509日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:33:23
義満の大河見たいけど今のNHKは右翼にビビって絶対やらないだろーな
尊氏やった時も右翼の反発凄かったらしいし
510日本@名無史さん:2009/10/06(火) 02:07:55
尊氏、実は尊王派。
511日本@名無史さん:2009/10/06(火) 08:37:17
>>509
700年も前の事に食ってかかるぐらいなら、是非その労力を現実的な問題に向けて欲しい物だぜ
512日本@名無史さん:2009/10/06(火) 09:03:55
室町幕府は全国統一を出来てないとみるのが正しい。
そもそも鎌倉時代では将軍と幕府なんてほとんど敵対関係。
京から将軍が派遣されるごとに幕府転覆を企てて追放の繰り返し。

将軍は征東大使そのままの存在。
尊氏の場合はそれを成し遂げて将軍職を世職にしたのであって、
東国の乱には鎮圧に向かわなければならないのに完全に放置していた。
つまり単なる手抜きの朝廷官だったに過ぎない。

最後将軍足利義昭は追放後も秀吉配下で活動していた。
秀吉関白就任により落髪。ここで征夷将軍の空席が確定。
これにより適任者選考が始まったと考えられる。
関ヶ原で光成が勝利していたら恐らく彼が征夷大将軍だっただろう。

結局は朝夷一致を果たしたのは家康が最初であり、
その方法は徳川が夷の側から朝廷を従えた形に過ぎない。禁中並公家諸法度
513日本@名無史さん:2009/10/06(火) 10:08:12
室町幕府の頃も荘園が沢山あったのが
グタグタした原因だろうね
応仁の乱でなくなって
すっきりした感じ
514日本@名無史さん:2009/10/07(水) 18:08:01
足利尊氏が‘いい人’というのが全ての元凶だ
515日本@名無史さん:2009/10/07(水) 20:52:07
>>513
荘園は別に問題ではないと思う。
鎌倉中期以降、所得を上げるのが土地に限らなくなったという社会経済の変化が発生。
荘園は持っていないけど、通行料を取ったり運送を請け負う、荘園の警備を請け負うっていうサービス業が成長する。
この中核で上がりを巻き上げるのが寺社・悪党と言われる集団で、貨幣経済の浸透と同時に強い社会的影響力を持った。
幕府としては税金を取り立てたいところだけど、そもそも上がりをどうやって調べるのか?どの程度の税率にするのか?さっぱりわからん。

だが、サービス業が儲かるっていうのは分かったから真似して幕府の用心や守護・地頭も色んな名目で運上やら屋銭を取り立てる。


なんなら金の融通をして利子をとる。


上がりの仕組みがややこしくなり過ぎて、支配の仕組みがカオス状態になったのが南北〜戦国時代。
そこに信長が登場。
「お前ら、何であがりから税を納めないんだ!」と比叡山を焼き討ち、「その町が存在してられるのは織田家が畿内を静めてからだよな?治安維持代払え!」と堺から屋銭を取る。
「宗教法人だって税金払えや!」と石山合戦。

これらはカオス期に膨大な額になっていたアンダーグラウンドの金を表に引っ張り出して課税する過程。

でも当然アンダーグラウンド側やグレーな領域の人々からの反駁があった。
それが光秀やら京都の有象無象との結び付きで本能寺の変となって信長を殺した。

織田家のこの路線を若干軟化させた形で継承したのが秀吉で、商人からのあがりは商人に集めさせ定期的に徴税する代わりに特権を与える。


アンダーグラウンドで動いていた金のほとんどを表に引っ張り出す仕組みが出来たところで誕生したのが徳川幕府。
直接支配する土地そのものも大きかったが、そこから上がる金をしっかり徴収できたから室町幕府と比べ圧倒的な支配力を持ち得た。
516日本@名無史さん:2009/10/07(水) 21:44:17
お前のレスがカオスじゃ
517日本@名無史さん:2009/10/08(木) 23:41:22
漢の高祖劉邦は打算ありきで土地や金・官位を部下に分け与えたが、
足利尊氏はマジもんのお人よしで深い考えもなく有力者に土地をバンバン与えてしまった。
518日本@名無史さん:2009/10/14(水) 01:32:41
>507
逆に、ちょっと叛乱の火種がくすぶるとすぐに瓦解したのが江戸幕府、
足下の叛乱も鎮められずに隣国に避難することが何度も繰り返されても幕府として続いたのが室町幕府のしぶとさ。
519日本@名無史さん:2009/10/14(水) 14:32:02
>518
状況が違うんじゃ
520日本@名無史さん:2009/10/24(土) 17:53:57
>>505
>隣の近江国には幕府に反抗して将軍を殺す輩が居て
義尚なら病死。おそらく酒の飲み過ぎのため。
521日本@名無史さん:2009/10/24(土) 19:06:23
幕府に反抗して将軍を殺したのは、「隣の近江」じゃなく、「近隣の播磨(や備前・美作)」なのにな。
522日本@名無史さん:2009/10/25(日) 21:53:58
>>520
> 義尚なら病死。おそらく酒の飲み過ぎのため。

15年前のNHK大河ドラマ『花の乱』では、戦死に変えられていた。
そして、富子(三田佳子さん)が義尚(松岡昌宏さん)の亡骸を
抱きしめて号泣するというシーンがあったことを記憶している。
ちなみに、このときの9代将軍・義材は大沢たかおさんがやっていた。
523日本@名無史さん:2009/10/25(日) 22:55:22
佐藤進一の「室町幕府」に足利氏は精神病者が多いみたいなこと書いてあったな。
524日本@名無史さん:2009/10/25(日) 23:09:26
咲てこそ人も盛は見るべきにあなうらやましあさがほの花

『南方紀伝』『読史余論』に義勝の辞世として載ってるんだが・・・まさかね
525日本@名無史さん:2009/10/26(月) 02:01:06
ドラマや小説を語るなよ
526日本@名無史さん:2009/10/27(火) 10:44:48
一体ここに何人研究者がいるって言うんだよ。
政治史しかしらねーのかよ。
527日本@名無史さん:2009/11/10(火) 09:00:22
誰に言ってるんだ?
528日本@名無史さん:2009/11/23(月) 00:23:04
義尚の19歳で従一位って凄いな
529日本@名無史さん:2009/11/23(月) 01:05:44
足利幕府の直轄地って日本の何割くらいだったの?
530日本@名無史さん:2009/11/23(月) 01:09:57
>>526
研究者なんぞいねーよw
531日本@名無史さん:2009/11/23(月) 14:30:19
>529
最盛期でも1割には満たない
が、荘園単位の上、大半は直臣の知行地だったり大名に委託統治させてたりで、
全体的には、どこに直轄地があるかがよく分かってない
濃尾平野から五畿(ただしヤマトは除く)+丹波までの範囲に特に集中してるらしいってぐらいしか分かってないと思う。たぶん。
532日本@名無史さん:2009/11/23(月) 16:26:32
少ないから日明貿易で儲けようとした
533日本@名無史さん:2009/11/24(火) 01:28:45
>>529
ありがとう
そうすると山名より少なかったんですね
他にも足利家よりも多かった大名はいたのでしょうか?
534日本@名無史さん:2009/11/24(火) 15:24:25
小学館の漫画(全20巻)の室町期のあたりに、チョーさん居たね。義政の隣に。
535日本@名無史さん:2009/11/24(火) 17:27:07
>>533
細川が摂津、丹波、和泉、淡路、讃岐、阿波、土佐、備中
畠山が河内、紀伊、越中、能登
斯波が越前、尾張、遠江
大内が周防、長門、豊前、筑前

こんなところじゃないか?
536日本@名無史さん:2009/11/24(火) 20:04:40
チョーさんとは?
537日本@名無史さん:2009/11/24(火) 20:33:55
「倭の五王」の在位年と『日本書紀』での各天皇の在位年とが全く合わない。
また、ヤマト王権の大王が、「倭の五王」のような讃、珍、済、興、武など1字の中国風の名を名乗ったという記録は存在しない、
中国側が勝手に東夷の王に中国風の名を付けることなども例が無く考えられないので、「倭の五王」はヤマト王権の大王ではない。

畿内地方に多くの巨大古墳が造営されたが、同一の王権が大規模な対外戦争を継続しつつ同時にこのような大規模な土木事業を多数行うことは考えられないので、
畿内地方に多くの巨大古墳を造ったのは、朝鮮半島で活発に軍事活動を行っていた「倭」からはある程度独立した勢力だったと見られる。
また、古墳文化の広がりをもってヤマト王権勢力の拡大と見なす意見があるが、宗教文化の広がりと権力の広がりとは必ずしも一致するものではない。
古墳文化の広がりは宗教儀礼の広がりでもあり、これとヤマト王権が結びつくとの意見もあるが根拠は明確にされておらず古墳文化の広がりを以てヤマト王権勢力の拡大とするには無理がある。
古墳は豪族の墓であり、これが各地で造られことは中央からは独立した地方勢力の存在を示すものであり、ヤマト王権勢力の支配力が拡大したとする説とも矛盾する。
また、この時代は古墳の形態も地域によって特色があり、出雲や吉備等にも独立した勢力が存在したことを示している。

『宋書』478年の倭王武の上表文で、「東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国、渡平海北九十五国」とあるが、倭王武は自らを東夷であると認識しており、
通説のように倭を畿内とすると「東の毛人」=中部・関東、「西の衆夷」=畿内・中国・四国・九州、「渡りて海北」=???、となり、比定地を特定することができない。
しかし倭を九州とすると、「東の毛人」=中国・四国・畿内、「西の衆夷」=九州、「渡りて海北」=朝鮮半島南部となり、比定地の特定が可能である。
538日本@名無史さん:2009/11/24(火) 23:16:26
最初の3行で破綻してるな
539日本@名無史さん:2009/11/25(水) 21:16:22
中国・四国・畿内で55カ国で、九州だけで66カ国もあったとするなら、九州には小国ばかりで、畿内のほうに大規模国家が揃ってたってことになりはしまいか?
540日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:49:18
>537-539の会話に、スレタイ通りの「室町幕府の影の薄さ」を見た。
541日本@名無史さん:2009/11/26(木) 12:15:11
室町時代をどこに持ってくればいいのかわからない人多いよな
542日本@名無史さん:2010/01/10(日) 17:15:26
>>533
>そうすると山名より少なかったんですね

山名氏が1/6殿と言われたからか?
11カ国の守護ってだけで、守護大名は丸ごと1国を直轄地にしてたワケじゃないんだが。
543日本@名無史さん:2010/02/15(月) 00:27:52
そうやろね
544日本@名無史さん:2010/02/15(月) 23:08:17
>>505 >>507 >>513
室町幕府と江戸幕府は、単純に比較できない。
室町時代と江戸時代では在地支配構造が、全然ちがう。
前者は「荘園公領制」の崩壊期で不安定な時代、
後者は、秀吉の天下統一によって、大名の統制が可能な時代になった
「いわゆる幕藩体制」。
545日本@名無史さん:2010/02/20(土) 21:45:32
>>497
室町幕府三代義満の頃の将軍邸宅を「花の御所」と言ったそうな。
権力にまかせて近所の貴族の邸宅辺りから移殖したものが多かったので、
皮肉を込めての命名らしいです(笑)。
546日本@名無史さん:2010/03/13(土) 14:58:00
進衛門さんは
547日本@名無史さん:2010/03/22(月) 14:15:49
おうよ
548日本@名無史さん:2010/03/24(水) 08:53:19
古墳・奈良・平安・鎌倉・室町・戦国・江戸・幕末
で言ったら一番人気無いのが室町時代かもね。


あと、関係無いけど里見八犬伝ってこの時代頃の話だよな?
549日本@名無史さん:2010/05/26(水) 18:14:31
>>545
それは古い知識ですね
貴族の四辻家(室町家とも)の邸宅が別名「花亭」とよばれており
その花亭が足利義詮により買収され、足利家より天皇家に寄贈されたとき「花の御所」と
呼ばれるようになった。その御所がまた足利家のものとなった時には足利家の邸宅も御所と
呼ばれるようになっていたので、そのまま「花の御所」と呼ばれ続けただけの話のはずです。
550日本@名無史さん:2010/05/27(木) 19:01:25
影の薄い足利将軍家の中でも特に影の薄い7代将軍義勝
もしも義勝が長生きしたら室町幕府も多少はマシになったのだろうか?

それにしても どの幕府も7代将軍って影が薄いなw
551日本@名無史さん:2010/05/28(金) 00:47:20
中世好きの俺にっとっては一番好きな時代
特に影は薄くないと思っている
552日本@名無史さん:2010/05/28(金) 15:51:20
>>143
>○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
>このレスをみたあなたは・・・3日から7日に
>ラッキーなことが起きるでしょう。片思いの人と両思いになったり
>成績や順位が上ったりetc...でもこのレスをコピペして別々のスレに
>5個貼り付けてください。貼り付けなかったら今あなたが1番起きて
>ほしくないことが起きてしまうでしょう。
>コピペするかしないかはあなた次第...
>○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
553日本@名無史さん:2010/05/29(土) 09:26:20
後醍醐をあっさり吉野に逃したのが足利幕府のダメさ加減を象徴している。
南朝が存在したため北朝守護のため京に幕府を置かざるを得ず、
よって関東の要に鎌倉公方を置いたが、中央の敵対勢力になってしまう体たらく。
その後も繰り返し乱が頻発し、室町時代は初期から戦国時代といっていい。
その支配領域や統制力は信長の絶頂期に劣る。
よって信長は天下人と容認される根拠となる。
554日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:40:36
>>508
みんなパワフルというより
トップが弱かったというべきだな。
555日本@名無史さん:2010/05/30(日) 03:30:55
>>553
御意。


初代将軍が家康だったら御家騒動や南朝などの失政は侵さなかったと思う。
556日本@名無史さん:2010/05/30(日) 04:02:52
みんなパワフルだったんだな
557日本@名無史さん:2010/06/05(土) 17:35:42
>>555
あの後醍醐天皇を相手にするんだ…
正直、家康でも危ういと思うぞ。

花山院に幽閉した時に弑逆出来ればともかく…
それやってしまうと今度は南北朝問わず全員からフルボッコだしなぁ
558日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:19:04
>>557
家康は宇喜多などを殺さなかったっていう一面あるから、さすがに後醍醐とはいえ天皇は殺さなかっただろうね。
家康だったら後醍醐天皇を脱走させるような無様な事にはならなかったと思う
559日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:33:50
後醍醐天皇は、転んでもただで起きない男だよね。
高貴な者の賢明さみたいなものがまったく備わっていない(良い意味で)
あのしぶとさは、まったく天皇家らしくない。

戦前というか、水戸学はなぜ南朝を正統としたのか正直理解に苦しむ。
560日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:50:22
>559
徳川は新田の支流であり、「もとは南朝の忠臣だった」と自称していたことが大きいんじゃないか。
幕府と朝廷の間で様々な綱引きがあったわけだが、
南朝正統論を出していけば、正統ならざる北朝を相対化できるし、
徳川家にとって旧主である(ということになっている)南朝の正当性を押し出せば、
天皇家に圧力を加えたりしても「不忠」と呼ばれる危険が無くなるだろ?
561日本@名無史さん:2010/06/08(火) 09:00:57
>>559
室町幕府じゃ無くなるけど、北条が後醍醐天皇を
隠岐ではなく伊豆あたりに流しておけば良かったのかもね
562日本@名無史さん:2010/06/10(木) 00:35:13
>>560
それはひねくれた見方をしすぎだと思う。
だいたい水戸学は、水戸家のもので幕府の公式見解ではない。
それに大日本史が記された時代って、徳川綱吉が天皇家の権威を引っ張り出して文治主義を押し進めていた時代じゃん。
563日本@名無史さん:2010/07/31(土) 03:17:45
応仁の乱の後の幕府中枢がどうなったのか、歴史の時間にまったく習わなかったので、
ふと思い立ってwikipedia見てみたんだけど、なんか将軍が京都を出たり入ったり、
無茶苦茶なんだね。
あえて教える必要もないってことだろうし、覚えきれない。
564日本@名無史さん:2010/08/01(日) 11:21:28
>563
いちおう、明応の政変までの間は、
将軍が都を出るのは「敵対者の鎮圧」のための親征であって、
それ以後のような「京都失陥」、都を逐われる、のとは別だから、
段階的な衰退ではあると思う
565日本@名無史さん:2010/08/01(日) 21:25:58
室町幕府は存在しなかった。
566日本@名無史さん:2010/08/03(火) 01:45:03
>565
そりゃまあ、首都を置いたのは室町邸じゃなくて平安京なんだから、
平安幕府とか京都幕府と呼ぶ方が正しいだろうけどさ。

あれだけ戦乱が多発してて平安幕府か、皮肉が効いてて良い名前だな。
567日本@名無史さん:2010/08/03(火) 15:02:10
>>566
室町幕府を平安幕府や京都幕府にしたら
鎌倉幕府は相模幕府、江戸幕府は武蔵幕府になってしまう。

足利将軍家は義満以降、室町に本邸をおいて将軍は代々室町殿と呼ばれた。
その呼び名がもとになっている。
頼朝が鎌倉殿と呼ばれたのと同じだね。
568日本@名無史さん:2010/08/03(火) 17:44:59
>567
「江戸殿」なんて呼ばれてないじゃん。

鎌倉や江戸は拠点たる都市の名前を採ってるのに、
京都や大阪では都市の名前を使わないのが微妙。
近畿は別、と言うなら、奈良は近畿じゃないことになってしまわないかな。
江戸や鎌倉と同様に(また、平安時代と同様に)都市名で呼ぶなら奈良時代じゃなく平城時代とでも呼ぶべきだろうに。
569日本@名無史さん:2010/08/03(火) 18:56:32
最初に聞いた時、『流れ公方』ってとても特別な実績を上げた将軍かと思って期待しました。
イメージでは全国を転戦して幕威の向上に努めたみたいな。
調べてみたら、なんだ単なる配流じゃない・・・。
570日本@名無史さん:2010/08/03(火) 20:56:48
>>568
徳川家康は「江戸殿」と呼ばれているよ。
どこまで素人なんだ。
571日本@名無史さん:2010/08/04(水) 13:04:40
>>565
確かに、武家の政府を指して幕府と言うようになったのは、江戸時代からだけどね。

>>567
それで室町を家名にしていた公家が憚って、
「四辻」に変えるんだよな。
明治になってから室町に戻すが。
572日本@名無史さん:2010/08/04(水) 21:57:34
歴史用語はあくまで歴史用語だから。
後世の歴史家がある歴史的概念を指すために歴史用語をつくる。
573日本@名無史さん:2010/08/07(土) 14:51:06
6代義教。万人恐怖の将軍。この人のやったことはとても合理的。
敵対勢力は潰すという点で。結城合戦の遺児2人も容赦なく斬ったしね。
この人が初代だったら、後醍醐もあるいは・・・。
574日本@名無史さん:2010/08/07(土) 14:58:17
この人が初代だったらほとんどの御家人はついていかんだろうから、
後醍醐もあるいは京都から落ちることもなかったろうな。
575日本@名無史さん:2010/08/07(土) 23:42:36
義教は、やりすぎはよくないという好例ではないかな。
576日本@名無史さん:2010/08/08(日) 02:35:03
政治って結局はバラマキと引き締めなんだね。
財政にしても、人事にしても。
577日本@名無史さん:2010/08/08(日) 05:43:02
義教はよくやったと思う
尊氏は人物的な不思議な魅力があるから面白みがある
578日本@名無史さん:2010/08/08(日) 10:13:12
>>575
織田信長と同じ。でも急がないと寿命も昔は短いからね。
絶対権力が無いとみんなやりたい放題だもんね。
権力は必要だけど、問題は必ずそれが腐敗することで、
人間の性なんでしょうね。

初代尊氏は成り行き上多くを部下に与えるしかなかった。ケチれば人は付いてこない。
問題は足利氏がそれを徐々に回収する施策を採らなかったことですね。
だから義教が一気にそうしようとして無理がたたった。

人生も組織も、常に何年後かを見据えて手を打っておくものなのでしょうね。
義教以降の人間は、もう幕府をどうにかするのをあきらめてしまった。
こうなったら終わりですね。人生も組織も。ああ、今の日本国?
579日本@名無史さん:2010/08/08(日) 11:53:54
>577
尊氏は人気取りのためにあのような人物像を演じたんだと思う。
それでもいざとなれば、最愛の弟を毒殺したり敬愛する上司と敵対したりできる冷徹さを持っている。

ある意味、三國志の劉備の小型版だな。劉備のあれも人気取りの演技みたいなものだし。

>578
中世ってのは権力が分裂する時代のことだからな。
それを無理に絶対権力に再編しようとしても、一代で成功することはない。
ヨーロッパで中世の分裂時代から絶対王政の成立までにどれほどの苦難があったか、
その間に失敗して衰退した国がいくつあるか。

幕府をどうにかすることを諦めたってのは気のせいだと思う。
あの義政やら、それどころか義昭でさえ、いちおうは立て直しを画策してはいた。
失敗しただけで。
歴史ってのは成果で評価されるものであって、「〜しようとした」こと自体は評価されないので、
立て直しを画策していたことが評価されないことは別に問題ではないが、立て直しを諦めたわけではないという点だけは要注意だ。
580日本@名無史さん:2010/08/08(日) 17:44:34
鎌倉時代からまた関西に権力の中枢が遷移したということに室町幕府の意義がある。
それで戦国を経て、関ヶ原の戦いがおわって、関東にまた権力の中枢が移るわけだ。
581日本@名無史さん:2010/08/08(日) 18:05:41
出来得ることなら、幕府は鎌倉におきたかったでしょうね。足利氏は。
その証拠に鎌倉府なるものを置いて、関東にミニ幕府を作っている。
それを許さなかったのは、一にも二にも南朝でしょうね。
鎌倉は北条氏が滅んだとはいえ、武士の本場であることに変わりは無い。
例えば今、国会が消滅したとて、東京が廃墟になるわけでないのと同じ。

出来た時からケチのついていた幕府だったわけです。
582日本@名無史さん:2010/08/08(日) 19:14:38
>>581
>例えば今、国会が消滅したとて、東京が廃墟になるわけでないのと同じ。

意味わからん。
583日本@名無史さん:2010/08/08(日) 19:23:50
つまり、政権を握っている北条氏が滅亡したところで、
住民や建物は残るってこと。北条氏滅亡で鎌倉が焼亡して、
政権の所在地として使用不可となったから京都に回帰したのではない。
そう言いたかったの。
584日本@名無史さん:2010/08/08(日) 19:26:48
>>580
>関西に権力の中枢が遷移したということに室町幕府の意義がある。

関東にずっと権力の中枢があればなんでまずいんだ?
585日本@名無史さん:2010/08/08(日) 19:38:00
>>584
東国に権力の中枢があると、大陸や半島との貿易を進めにくいという要因が
考えられるな。室町幕府は商業貿易に力をいれるようになったから、貿易に有利な
西国に政治の中心を置くというのは、理にかなった選択だったろう。
586日本@名無史さん:2010/08/08(日) 20:03:57
足利尊氏も京都で敗れたあとは、九州へ落ち延びて、西国の武士を糾合して、後醍醐への
反撃をしたりしてるね。

ヘーゲル的に言えば

京都が政治の中心、都というテーゼがあり
鎌倉は京都中心主義に対するアンチテーゼで
武家が鎌倉に都を置くというのがジンテーゼになるわけだw
587日本@名無史さん:2010/08/08(日) 20:04:21
あ、武家が京都に都を置くというのがジンテーゼね。
588日本@名無史さん:2010/08/08(日) 21:05:30
なるほど。京都に幕府を置くことにより、
幕府が古の朝廷に変わる正当な日本政府だと全国に知らしめる事ができたってわけか。
589日本@名無史さん:2010/08/09(月) 00:14:56
いや、それはないw

幕府と朝廷は相互依存の関係だから。
590日本@名無史さん:2010/08/09(月) 06:06:20
相互依存なのは鎌倉幕府だろ。
室町時代も朝廷は必要だったが北朝なんて幕府にオンブにダッコじゃん。
信長も御輿としてかつぎ出したのは第一に室町将軍だし。

室町幕府は統治機構としては弱体化したかわりに、
幕府こそが日本政府だという認識を高めることはできたと思う。

>>580 >>586はそんなふうな意味だと思ったが。書いたの君なの?
591日本@名無史さん:2010/08/09(月) 06:29:05
>>590
>>580>>586を書いたのは同一人だが、>>589は別人だよ。
592日本@名無史さん:2010/08/09(月) 22:27:14
>>588
尊氏が京都に都をおいたのは南朝と対立していたことからの
必然性からだろ。
室町幕府成立当初、南朝は何度も都を脅かし、北朝の天皇は都を捨てて
逃げ回るということを繰り返していた。
(実際に北朝が南朝に降伏し、北朝の上皇が南朝に連行されたことまである)
北朝の天皇から征夷大将軍に任じられていた尊氏とすれば北朝を守るために
常に都に兵を置いて滞在し、南朝に備える必要があった。
尊氏が東国に幕府を置いていればそのすきに南朝が都へ攻め込んでしまう。
正統な日本政府とか、全く関係なし。
593日本@名無史さん:2010/08/09(月) 22:40:51
南朝は迷惑極まりない。
北朝が南朝に降伏したのではなく、尊氏が勝手に南朝にこう言ったの。
『皇位のことは南朝にお任せする』と。
つまり、南朝が前から『俺が正統だ』と言っているのを知っていて
こう言ったのだから、『北朝は偽物です』と認めたということ。

尊氏も北朝を絶対視していたわけでなく、便法として担いでいたことがわかる。
594日本@名無史さん:2010/08/09(月) 22:49:40
>>593
尊氏は南朝から尊氏征討令を受けた弟直義に敗れて捕えられ、
助命を請うために南朝に屈服するふりをしただけだよ。
すぐに体制をもち直し、弟を毒殺すると、
すぐさま北朝の天皇を担いで南朝を追っている。
尊氏を征夷大将軍と認め、幕府を認めていたのは北朝の天皇だけで、
南朝の天皇は天皇親政を目指し幕府を一切認めていないから、
尊氏が本心から南朝を担いだことは一度もないよ。
595日本@名無史さん:2010/08/10(火) 01:29:02
足利義満が自らを「日本国王」とわざわざ称したのも
南朝の長慶天皇や後亀山天皇と同時代であったからかもしれないなw
596日本@名無史さん:2010/08/10(火) 01:59:04
足利尊氏は室町幕府を成立させるために、1336年に北朝第2代光明天皇を立てて
1338年に光明天皇から征夷大将軍に任じられたというわけだ。
足利尊氏は、後醍醐天皇の建武の新政にもともと反発していたわけだし。
そして足利義満は南北朝を合一させて、正当性の問題をとりあえずは解決した。
597日本@名無史さん:2010/08/10(火) 11:28:45
>596
北朝側から見れば、
北朝関係者が誰も認めていない南朝の皇位を並立と認定し、後亀山への上皇宣下を強要したとか、
今後は両統迭立でなどといって北朝側から皇太子を立てさせなかったとか、
「正統性」を両統に分散させたままにしてはいるんだよな。
あくまでも、幕府の管理下に集約しただけ。あんまり解決になっていない。

そのせいで、それ以後にもたびたび後南朝の蜂起が繰り返された。

後南朝が完全に消滅したのは応仁の乱の半ば、文明年間の話。
598日本@名無史さん:2010/08/10(火) 11:51:18
室町幕府のイメージは詐術ですね。都合のいいようにコロコロと立場を変える。
足利氏は同輩中の第一人者の立場だったから、諸大名に対して絶対的な優位性を
持っていなかった。だから朝廷の権威も必要だったし、お家騒動の際には南朝に
降伏までした。
そう考えると政府が弱いのは国にとって悲劇ですね。アフガニスタンみたい。
しょっちゅう首都カブールがゲリラの手に陥ちる。
599日本@名無史さん:2010/08/10(火) 20:04:51
足利宗家の地位に新田義貞がいたらもうちょっと太平の世が早かったかもな
足利一族、異常者と無能ばかり
600日本@名無史さん:2010/08/10(火) 20:37:44
新田には乱世を鎮める能力が無いよ。ただ、負けたことによって
不当に貶められている可能性は否定できない。
しかし、白幡城になぞこだわるあたり、将としての能力は低いと言わざるを得まい。
601日本@名無史さん:2010/08/10(火) 21:24:04
>>600
>>しかし、白幡城になぞこだわるあたり、将としての能力は低いと言わざるを得まい。

そこにこだわる戦略的な理由が何かあったんだろうよ。
むしろ、ここぞで結束できない組織力の低さのほうが問題だろね。
ま、南朝方にも北朝方にも共通することだけど。
602日本@名無史さん:2010/08/10(火) 22:41:54
尊氏を撃破し西国に落ち延びさせた時のことだから、勝利の余勢を駆って
全速力で尊氏を追いかけるべき時なんだよね。
それを播磨国の赤松円心が白幡城に籠城していて、2カ月くらい
お付き合いしてしまった。放っておけばいいのにね。

こうとう内侍の話は創作くさいけど、こちらの話はどうやっても本当のようです。
そう考えると尊氏は武門に大したライバルがいなかった点も幸運でしたね。
603日本@名無史さん:2010/08/10(火) 22:52:08
>599
それはない。
武士達の支持が薄いからこそ後醍醐との主従関係に存在意義を見いだすより他の生き方ができなかっただけの人物。
604日本@名無史さん:2010/08/10(火) 23:04:56
白幡城ほっといて、尊氏を九州においかけたら、挟み撃ちされる恐れが強くなるだろう。
それに尊氏が勝手に播磨国守護職に任じていた赤松を破ることができれば、南朝方の
威信も大きく増大するしね。新田にしても、ここを落とさないと先に進めないね。

赤松と在地勢力の結びつきが弱ければ、簡単に城を落とすことができたかもしれないが
非常に手間取ったというのは、結びつきが非常に強かったわけだろうな。
605日本@名無史さん:2010/08/10(火) 23:09:30
最後まで確固たる基盤を築けなかった将か。
比較するなら尊氏じゃなくて、赤松や山名あたりといったところかね。
606日本@名無史さん:2010/08/10(火) 23:42:58
だから最初から、足利のおぼっちゃまのように黙っていても担ぎ上げられるポジションに
義貞ほどの器量があれば……といっているわけだ
607日本@名無史さん:2010/08/11(水) 00:58:05
新田義貞は、後醍醐天皇に忠義を尽くしたというべきか・・
ただ足利尊氏は、空気を読むに敏感というか
後醍醐天皇の建武の新政が、人心を集めないものだと悟るやいなや
九州にまで大きく引き、敵を引き付け
そして怒涛の如く京都にまで攻め上り、一気に幕府(室町幕府)を仕立て上げた・・・
というべきか?
608日本@名無史さん:2010/08/11(水) 01:12:36
落ちるなら東国と西国が選択肢に上るけど、どうして西国なんですかね?
足利氏は今の群馬県の出身だし、東国には拠点も多かったわけでしょう。

成り行き上西国に落ちて行って、半年で再起したのなら軍事的才能はありますよね。

私は楠木正成の、都を放棄してゲリラ戦という作戦が素晴らしいと思う。
後醍醐が全て正成の言うことを聞いていたら、尊氏もどうなっていたか?

結局、室町幕府の影の薄さは、創成期に後醍醐と楠木という2大スターが
いたことが原因じゃないかな。だから不完全な幕府しか作れなかった。
609日本@名無史さん:2010/08/11(水) 01:46:33
足利将軍足利義量や足利義勝にこそ、むしろ室町幕府らしさのようなものを感じるな。
室町幕府の性格が、如実に表れているような気がして。
影が薄いわけだねw
守護領国制を敷くものの、将軍の権威が弱い・・
将軍の権威回復に躍起になるものの、将軍の権威回復に終始した印象。足利義昭まで。
610日本@名無史さん:2010/08/11(水) 01:54:28
>>608
赤松が尊氏に九州へおちのびろとアドバイスしたそうだが…

建武の新政のわやくちゃぶりには、西国の武士も不満をもっていたろうから
元々の基盤のある東国にくわえて、西国でも支持をえられれば、日本全土を
支配する権力により近づけるわけでね。 そういうことで尊氏の作戦は見事成功
したな。
611日本@名無史さん:2010/08/11(水) 11:56:22
なるほどね。後は光厳上皇に官軍の院宣を出させるという、
地味な作業をきっちりやったことも見逃せない。
多分弟の直義の入れ知恵でしょうけど。
半年後に東上するときには、尊氏は官軍だったわけで。

それでも後醍醐の持つ正統性の前に苦労するわけだから、
やはり並の人間ではないですね。後醍醐は。
612日本@名無史さん:2010/08/11(水) 14:13:44
>611
公家社会の中も含めて多くの反対者を抱えながらあれほどの「新儀」を強行する行動力は、
日本史上、類を見ないレベルではある。

後醍醐新制に批判を持たない人間など居なかったにもかかわらず、
あれほどの支持を集めていたんだもんな。
613日本@名無史さん
それもこれも中世後期のエネルギッシュな社会があってこそ。
鎌倉時代の方が淡白な(−というか土着的で地味な)印象をうけるけどな。

BASARAって佐々木道誉が主役のゲームだろ、常識的に考えて