料理、菓子、酒 江戸時代の美味い物について語れ

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1日本@名無史さん
現代の和食の基礎となった江戸時代の食い物
食ってみたい料理から、コリャなんだつう料理まで
全部あげて満腹しよう
2日本@名無史さん:2008/01/30(水) 20:13:38
2だったら目黒のさんまゲット!!
3日本@名無史さん:2008/01/30(水) 20:34:11
鬼平にてんぷらの屋台が出てたけどうまそうだった
4日本@名無史さん:2008/01/30(水) 23:06:17
豆腐百珍の料理は食べてみたいな。
いまも全部食える店とかあるのかな。
5日本@名無史さん:2008/01/31(木) 01:41:53
天然ものだったり、地産地消だから鮮度のよさから
美味しいものもあったかもだけど、
調味料の水準とか、当時の味嗜好が現代人にあうか考えると
今食べて美味しいものって少ないような気がする。

油、砂糖、味醂、塩、味噌、すべてが貴重品だからね。
一部の特権階級をのぞいては、潤沢に使用できなかったわけだし。
6日本@名無史さん:2008/01/31(木) 07:03:15
冷蔵庫のない時代に鮮度とかw
7日本@名無史さん:2008/02/01(金) 02:12:24
>>6
地産地消って言葉の意味、知らないのか?
8日本@名無史さん:2008/02/01(金) 05:45:27
江戸って、全国から集まった職人や参勤交代に付いてきた単身赴任の武士とか
男性の人口が圧倒的に多かったらしいね。単身者用の部屋だと調理も満足に出来ないから
ちょっとした物を食べさせてくれる屋台が増えたって。
あと理由は忘れたけど、武士は堂々と天ぷらを食べられなかったそうだよ。
天ぷら好きの武士は手拭いで顔を隠して食べに行ってたらしい。
9日本@名無史さん:2008/02/01(金) 05:50:22
握り寿司は屋台で出したのが始まりだそうだけど、
シャリの部分が今の何倍もあったそうだね、
1つで充分お腹がふくれるぐらいだったとか。
10日本@名無史さん:2008/02/01(金) 06:14:07
誰か八百膳のレポよろ
11日本@名無史さん:2008/02/01(金) 07:02:15
>>7
冷蔵庫なかったら地元でも半日で腐ることを知らないのか
12日本@名無史さん:2008/02/01(金) 07:29:52
>>9
ネタも生は無かったそうだね。酢でしめたり、醤油ダレに漬けたり。
13日本@名無史さん:2008/02/01(金) 18:08:33
初鰹はからし味噌で食べたそうだ 今度食ってみれば?
おいらは遠慮しとく
14日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:51:05
森の石松の「寿司くいねぇ」は握り寿司じゃないと言う説を聞くけど
石松って幕末の人間でしょ、握りあったんじゃないかな
15日本@名無史さん:2008/02/02(土) 12:13:16
石松の三十石船の中に
「大坂本町橋名物の押し鮨を脇に置いて・・・・・」
という台詞があるだろ。
16日本@名無史さん:2008/02/02(土) 12:42:23
>>14
幕末には冷蔵庫はない
17日本@名無史さん:2008/02/02(土) 13:13:47
>15 
なるほど、勉強なりやした!恐れ入谷の鬼子母神!
>16 
当時 魚のネタは酢じめや漬けが主流だから
日持ちはしたと思うが
18日本@名無史さん:2008/02/02(土) 20:07:51
>>8 なるほど様々な屋台は現代で言うところの松屋、てん屋、日高屋みたいなものか
19日本@名無史さん:2008/02/03(日) 20:18:02
当時日本酒一合いくら?
ついでにドジョウ鍋もほしいのだが
20日本@名無史さん:2008/02/04(月) 17:36:05
東京の本所、深川あたりならうまい柳川食わせるところあるよ
づも、ちょっと値段は高め。昔のままの店造り
酒は程度によると思う。たぶん一合、何文の世界でしょう
21日本@名無史さん:2008/02/04(月) 17:39:32
軍鶏鍋、湯豆腐。
家の電気消して卓上コンロ+ロウソクの明かりで喰う湯豆腐はなんか美味い。
22日本@名無史さん:2008/02/04(月) 18:42:31
軍鶏鍋とはなかなか通ですね、湯豆腐もいいが
豆腐串に刺して焼いた味噌田楽、それとなす田楽、酒と良く合う
23日本@名無史さん:2008/02/04(月) 18:49:37
みんな自宅で軍鶏鍋やる時キンカン入れる?見た目やばいけど美味いよな!
24日本@名無史さん:2008/02/04(月) 19:50:52
家にある、弘化四年の日記より
南東北の小藩の事例で、しかも小売値ではなくて、
造酒屋からの公定価格ですがご参考まで

   覚
一、諸白壱升代 百五拾三文
    半分代 拾九文
一、次酒壱升代 百七拾三文
    半分代 拾四文
一、生酒壱升代 百弐拾八文
    半分代 二拾二文    
 駄酒一斗五合(金一分につき)
 銭相場一貫六百文(同上)
未ノ四月十五日  御酒屋

ついでに
(藩主の家督相続御祝儀につき給人核だった先祖が登城した時)
九月七日晴
 正八ッ頃登  城仕候処、七ッ半頃御酒頂戴、
   御吸物
   御肴 鰹刺身 猪口
   同  同煮附、茄子 大根
25日本@名無史さん:2008/02/04(月) 19:55:10
南東北で鰹刺身・・・磐城だな
26日本@名無史さん:2008/02/04(月) 21:11:09
>>25
良く分かりましたね…って、
しまった、幕末には冷蔵庫が無いんだった、
上に書いてあったのにw

刺身と言えば、
先祖が嘉永五年にまとめた「定例帳」より
(正月の年始に来た親類などに出す膳の内)

「取肴ニ三種
    数の子
    こんにゃく白あへ
    刺身、魚不足之節ハ、塩引の塩をぬき、すり大根、みしほ」

(どうも、この「みしほ」の意味が良く分かりません
ついでに、他の箇所に「ぜんびん餅」との記載もありますが、
これまた良く分かりません、どなたかご存知ありませんか?)
27日本@名無史さん:2008/02/05(火) 05:11:55
江戸時代に書かれた旅日記に頻繁に出てくる乾飯(読み方は失念)が食べたい。
一度炊いた米を軽く洗って乾燥させた物で、水に戻しても良いし、
お茶漬けのようにしても良いし、そのまま食べてもOKの携帯保存食。
まあ、あまり美味くはなかったそうだけど。
28日本@名無史さん:2008/02/05(火) 06:54:21
読み方はカレーですよ
29日本@名無史さん:2008/02/05(火) 09:27:18
自分で作ればいいじゃないか
30日本@名無史さん:2008/02/05(火) 10:33:17
深川在住だが、どじょうを食わせる店は
都内の色んな場所にあると思う。
浅草にも有名な店があるし、そうそう珍しいもんでもない。

深川・森下には馬肉料理の有名店はあるが
特筆すべく美味しいものでもない。(不味くもないが)
もの珍しさと情緒を味わう観光気分でいくのが正解。

深川名物の深川丼も、所詮はあさり味噌汁のぶっかけ飯。
千何百円も根付けしてる店はぼったくり。
31日本@名無史さん:2008/02/05(火) 11:48:45
ドジョウは柳川よりマルの方が美味いよ
32日本@名無史さん:2008/02/05(火) 14:38:02
>>26
みしほ=みしお=御塩と考えた 
三重県に御塩殿神社がある、神事に使う塩のこと、めでたい

ぜんびん餅 「ぜんびん」は意味不明
しかし餅の名前なら よもぎ餅、桜餅、黄粉餅のように
単純に餅に混ぜたり、餅をまいたりするものだろう
そちらの方言で、「ぜんびん」と呼ばれる植物か食べ物無いのかな?
3326:2008/02/05(火) 20:13:55
>>32
ありがとうございます。
「みしほ」=「御塩」そんな雰囲気かもしれませんね
調味料系ですよね。
「ぜんびん」は、あまり思い当たる節が無いのですよ
引き続き考えて見ます。
用例
「今朝ハぜんびん餅嘉例」
「あぶり餅ぜんびん  香の物附」
ttp://photos.yahoo.co.jp/ph/h_sike/vwp?.dir=/b8b9&.dnm=1be1.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t
34日本@名無史さん:2008/02/06(水) 15:13:10
>>33
いろいろ探ってみました、そしたら
「ぜんびん」=「膳」、「瓶」あるいは「膳」、「壜」 ってのがでて来ました。
他にもあるかもしれませんが、食事関係ではこんなもんでした。
そこで、用例をもう一度見て考えました。
「ぜんびん餅」=ぜん、びん、もちと考えればどうでしょう。
つまり 膳と「瓶」または「壜」と餅が嘉例のメニューだった
あぶり餅と膳と「瓶」または「壜」に香の物附きだった

ほとんどメニューの書付だったら、膳は一汁三菜とかの決まり物なので省略した。

見当外れかも知れませんが、良い頭の体操でした。
35日本@名無史さん:2008/02/06(水) 15:52:25
>>30
お近くに、どこか獣肉鍋(猪鍋)の美味いところは無いでしょうか?
36日本@名無史さん:2008/02/06(水) 16:23:13
ももんじ屋がある
37日本@名無史さん:2008/02/06(水) 16:37:39
36ありがとう
深川にお住まいですよね、どのあたりでしょうか?
38日本@名無史さん:2008/02/06(水) 16:39:47
両国にあるよ
http://r.gnavi.co.jp/g720500/
39日本@名無史さん:2008/02/08(金) 14:24:43
↑遅くなりました
38さん、ありがとう。今度行ってみます。
40日本@名無史さん:2008/02/09(土) 11:35:10
江戸時代に創業した八百膳って超有名な料理屋だけど、
閉店したのは10年前ぐらいでしょう。どなたかあがったことありますか?
料理はどうでした?
41日本@名無史さん:2008/02/09(土) 12:16:25
同じくらいの大きさの鯛の、目の周りの肉だけを使ったつくねが出たよ
量が少ないので、大量に鯛が必要だったそうで、値段は10両しますた
42日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:12:57
10両ですか!さすが八百膳 茶漬けだけで一人2両ってのは読んだこと有るけど。
もはや伝説になってしまいました。
43日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:24:46
なんつーか、商品で言えば開発費込みの値段のような気がする。
茶づけなんて、あらかじめ玉川の水を樽で運んでおけば、100やそこらは
生産できるよなあ
44日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:32:18
そうだよなぁ 暖簾と主の才覚の値段だわな
人足の手間賃なんか安いものだろう〜
それで、平成の世まで守ったのか おいしい商売だな
45日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:36:41
ちょっとフォローしとくと、最高級料理はまさに芸術品で
毎回開発費がかかるようなものだ
それでも...ちょっと...だけどね

46日本@名無史さん:2008/02/09(土) 14:28:37
ところがだな、今や高級接待用の料理、すっぽん鍋
江戸時代は下品な食べ物だったそうだ。
マグロも下魚とされ、寿司ネタにして食べるのは赤身だけ、
トロは肥料にしたそうな。
脂身は苦手だたんだろう。しかし、天麩羅は食ってる。
47日本@名無史さん:2008/02/09(土) 14:53:59
ゴミ箱からトロを拾ってきてネギと一緒に煮たでござる
ほるもん鍋もといねぎま鍋
48日本@名無史さん:2008/02/09(土) 16:51:56
確かにねぎま鍋はトロのほうがうまいな。
49日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:24:28
すっぽんは食うけど、池にいる亀は今も昔も食わなかったのか?
5033:2008/02/09(土) 20:04:45
>>34さま
御礼遅くなりました、
こちらこそ有難うございます。
51日本@名無史さん:2008/02/09(土) 20:07:35
>>46
冷蔵庫が無いから脂は直ぐに酸化して食えたもんじゃなかったんだろ
52日本@名無史さん:2008/02/12(火) 13:58:09
>>33殿>>34です。
ちょっとこじ付けかなとも思いましたが、何かのヒントになれば光栄です。
膳、餅はなんとなく分かるのですが、「壜」「瓶」は何を入れたのか疑問です。
酒なら徳利かちろりだろうし…
後は用例を見てお考えください。何か分かればまたレスください。
53日本@名無史さん:2008/02/13(水) 14:29:35
初鰹って品川で獲れたやつを、
小船で魚河岸まで持ってきて捌いたって読んだけど。
江戸時代には、鰹が江戸湾まで回遊してきたんでしょうか?
どなたか知ってる人いませんか。
54日本@名無史さん:2008/02/13(水) 15:06:03
先の「みしほ」は「味醤」のことでは?もろみかなにか。
55日本@名無史さん:2008/02/13(水) 17:17:04
↑それ藤沢周平の本で見たような気がする。あの人山形だし。
醤油を醸造したとき樽の底に溜まるやつ、
でも「味醤」じゃなくて、「醤油の実」だったと思います。
同じものでしょうか?
5633:2008/02/13(水) 22:44:05
>>52
>>54-55
皆様、ありがとうございます。

「みしほ」、「醤油の実」所謂「もろみ」なのですか!
「ひしほ(お)、醤」に通じる塩辛い物なのかな、
と思ったりしていましたが…成る程です。
ありがとうございます。

「定例帳」を見ていると、やはり現代からみると、
特に田舎のこともあって、素朴な感じがします。
餅は良くついたようで、色々種類が有ったようですが、
肉好きな自分にはどうも物足りなさを感じてしまいます。

そんな中でも
正月廿日の恵比寿講の膳の内
「吸物 鴨、
    せりにても、せん牛房にても吉」
は、食べてみたいですね。
57日本@名無史さん:2008/02/18(月) 01:17:14
>>53
5月頃には相模灘(鎌倉沖)〜房総沖を回遊とのこと。
徒然草にも「鎌倉のうみに、かつをといふ魚は・・・」とある。
(「江戸東京グルメ歳時記」雄山閣社刊より)
58日本@名無史さん:2008/02/21(木) 10:03:32
ttp://www.asahi.com/life/update/0220/SEB200802200013.html
江戸時代の熊本藩の料理再現 辛子レンコンだけじゃない
2008年02月21日08時03分

江戸時代初めに熊本城で出されていた味が復活した。
家臣が残した記録「料理方秘(りょうりかたひ)」をもとに再現した料理の試食会が20日、熊本市のホテルであった。

保存のため塩を多用した時代。記録ではタイの南蛮漬けは酢10対塩3で
今の10倍近い塩辛さのため、塩を半分にした。「現代人の舌に合わせるのに苦労した」と栄養士。

熊本市は復元中の熊本城本丸御殿での料理提供を検討している。
幸山政史市長は「馬刺しや辛子レンコンだけでない、熊本の食文化の深さを示したい」と語った。

ttp://www.asahi.com/life/update/0220/images/SEB200802200007.jpg
古いレシピを基に再現された熊本藩の料理=20日、熊本市のホテルで



59日本@名無史さん:2008/02/21(木) 13:40:35
【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。

日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!!
60日本@名無史さん:2008/02/21(木) 16:23:06
氷式の冷蔵庫っていつ位からなの?

氷室の氷はどんな使われ方していたんだろ?


61日本@名無史さん:2008/02/21(木) 16:43:08
いつからあったかは明確ではないが、
少なくとも孝徳天皇のときまでには氷連が置かれ、
氷室を管理させていたらしい。

「枕草子」の「あてなるもの(上品なもの)」の段では、
削り氷にあまづる(あまちゃづるの汁)を入れて金椀に入れたもの、
という記述があり、高貴な人が夏の風物詩として食していたようだ。
「栄華物語」では、病に伏せった藤原寛子(道長の娘)が、
夏、氷しか口にできなかったという記述もある。
62日本@名無史さん:2008/02/21(木) 19:01:34
鰻の蒲焼なんかは鰻そのものは凄い上質だったんだろうけど
砂糖が少ないから、現代人が食べると案外味が物足りないものだったのかな。
63日本@名無史さん:2008/02/21(木) 21:16:25
初期のころの鰻料理はぶつ切りにしたものに醤油をつけて炙り焼にしたものとか
64日本@名無史さん:2008/02/21(木) 22:34:17
鰻の蒲焼が広まる以前には、鯰の方が一般的だったと聞いたことがある。

ちなみに、館林の名物、鯰の天麩羅はあっさりとしていて、とてもうまかった。
65日本@名無史さん:2008/02/24(日) 04:45:44
>>56
ものすごい遅いうえに結論でてるんだけど、「みしほ」らしき字をみつけた。
記録がないからわからないんだって。
すでに見たところだったらごめんね。
http://www.miso.or.jp/dictionary/history/history_03.html
66日本@名無史さん:2008/02/25(月) 09:18:46
●1764年2月3日 名古屋
街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。
凄い。
自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ…この旅で最高だ。
中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。
人々の美しさも最高だ。
特に女性が美しい。
美しすぎる。
あれが人間だろうか?
「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、名古屋の女性と比べれば、美しさを失うだろう。
(帰路にて)
名古屋の美人が道を歩く我々を見ている。
我々の一員は、名古屋の美人を一人も見逃さないように、頭を左右に必死に動かしている。

●1764年2月16日 江戸
左側には家が連なり、右側には海が広がっている。
山は全く見えず、肥沃な土地が無限に広がっている。
楼閣や屋敷の贅沢さ、、人々の賑わい、男女の華やかさ、城壁の美しさ、橋や船…。
全てが大阪や京都より三倍は優っている。
この素晴らしさを文章で表現する事は、私の才能では不可能だ。
女性の美しさと華やかさは名古屋と同じだ。
6756:2008/02/25(月) 22:26:52
>>65さま
ご教示、ありがとうございます。

「末醤」なんて表記もあるのですね、
色々と勉強になります。
68日本@名無史さん:2008/03/18(火) 21:39:57
>>57
鰹って結構海岸線の近くまで来るもんですね。
黒潮の上だけかと思ってました。

それなら、あの時代の江戸湾なんて水質最高でしょう
餌を追って湾内に回遊してきたかも。
69日本@名無史さん:2008/03/18(火) 21:58:02
>>27
ほしいい
70日本@名無史さん:2008/03/18(火) 22:14:48
読み方はカレーですよ
71日本@名無史さん:2008/03/18(火) 22:32:10
>>27 >>69
「ほしいひ」
72日本@名無史さん:2008/03/18(火) 22:38:56
>>64
鯰の蒲焼もあったと思う、味は蛋白だったような、どっか田舎で食ったと思う。
最近は川魚を扱う魚屋なんてあまり見ないですね。
73日本@名無史さん:2008/03/18(火) 23:13:25
かれいいライス
7426:2008/03/19(水) 19:53:46
>>32-34さま
「ぜんびんもち」正体がわかりました。
あずきあんの中に餅をちぎって入れたものだそうです。
「せんびんもち」とも云うそうです。
(何故「ぜんびん」なのかはわかりませんでしたが)

先日、たまたま立ち寄った隣町の書店で、
ふと手に採った郷土料理の本に載っていました。
なんとも汗顔の至りです。
皆様、お騒がせいたしました。改めて御礼申上げます。
75日本@名無史さん:2008/03/19(水) 20:24:33
>>74-26
解決、おめでとうございます。
「ぜんびん餅」って赤福餅みたいなものですかね。
いやぁ、しかし、とんだ迷解答でした。お恥ずかしい。
でも楽しませていただきました。ありがとうございます。
76日本@名無史さん:2008/03/19(水) 22:21:28
桃山時代から江戸時代初期にかけて、カステラや金平糖、ボウロなど西洋菓子
が入ってきたけど、生クリームやアイスクリーム、チーズケーキなど入ってきて
いたのでしょうか?奈良時代に発酵乳製品の醍醐や蘇が食文化としてあった事だし
、カステラもケーキのスポンジ部分とすれば、当時の日本でも作れないことはな
い気がするが。
77日本@名無史さん:2008/03/19(水) 23:05:48
生クリーム使ったケーキ自体ヨーロッパでも誕生してなかったのでは
アイスクリンもそうだな

乳製品は乳牛を飼うことが前提だから難しいような気がする
ちなみにこんぺーとーは勿論、カステラ、ボーロも、牛乳や乳製品を材料に使いません。
78日本@名無史さん:2008/03/19(水) 23:17:08
マカロンとか作ってそう
79日本@名無史さん:2008/03/20(木) 01:18:27
明治〜大正初期の農村なんかじゃ、普段の食生活は
ほとんど江戸時代と変わっていなかったんだろうね。
80日本@名無史さん:2008/03/20(木) 19:33:34
昭和20年代まで(高度成長前)まではほとんど変わらなかったとも聞く。
81日本@名無史さん:2008/03/21(金) 16:09:29
江戸時代初期は、まず砂糖の入手が困難だったのでは。
ほとんどが輸入品、国内産ができるのは中期以降らしい。
しかも砂糖は薬問屋で売っていた。庶民は食べられなかったとか。
コンペイトウなんかは江戸でも売られてたそうだが、何か別の糖で作ったのか。
82日本@名無史さん:2008/03/21(金) 22:17:30
和製カステラと言うべき「松風」
(小麦粉に飴・鶏卵・味噌などを加え、鉄板鍋に流して焼いたもの)の内で、
代表的な銘菓の一つ、「紫野(味噌)松風」をつくる
大徳寺門前にある老舗の菓子舗「松屋藤兵衛」は
前野但馬守長康の子孫と伝えているそうです。

ttp://shampoo-milk.blog.ocn.ne.jp/kenken/2006/02/post_8c80.html

自分は遠いので一度しかお店には行った事がありませんが、
あの、モチモチした食感と大徳寺納豆の組み合わせは絶妙でした。
店主の御爺さんは如何にも京都の人と言った感じの方でしたが、
今でもお元気でしょうか、また行って見たいです。
83日本@名無史さん:2008/03/21(金) 22:29:17
82さん、どのくらい前に創られたのですか?
84日本@名無史さん:2008/03/21(金) 22:33:31
伊達政宗がお料理を趣味としていたというのが驚き。
まぁ兵糧の研究という側面もあったみたいだけど。

>>82
名前だけ聞くとでかい馬みたいだ'(w
85日本@名無史さん:2008/03/21(金) 23:17:33
>>83
「松風」の由来としては
応永28年(1421年)創業の亀屋陸奥のhpに拠れば、
信長と本願寺の戦いの最中に、
本願寺に籠った亀屋の三代目、大塚治右衛門春近
が工夫して生みだした菓子との事です。
詳しくは下記をご参照ください。

ttp://www.kyomeibutuhyakumikai.jp/kameyamutu.htm

ここから、発展して前記、松屋藤兵衛の松風になったみたいです。

なお、京都を中心とした数々の和菓子を実際に味見をして
解説しているhpがあります。
ttp://www.geocities.jp/kyo_gasi/index.html
86日本@名無史さん:2008/03/22(土) 19:17:00
羊羹も、元々は甘くなかったんだっけ?
87日本@名無史さん:2008/03/22(土) 19:21:14
羊の羮(ひつじのあつもの)つまり羊スープ
88日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:40:21
昨日、西本願寺に行こうと亀屋陸奥の前を通ったけど味噌の香りが・・・
89日本@名無史さん:2008/03/24(月) 17:39:55
>>75
いや、赤福餅と言うよりはぜんざいに近い印象を受けるな。
しかしよく考えてみたら祝い事に赤飯炊いたりもする訳だから、
嘉例にぜんざいと言うのもアリな訳だね。
90日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:19:58
茶道では11月の「釜開き」には「めでたいから小豆を使ったお菓子を食べる」という不文律がある
社中によっていろいろだが、うちところはぜんざいだった 黒文字一本で食べるの無理あったがw
また、「小正月には小豆粥を食べる」風習のある地方もある。

めでたいときには小豆を使った料理(とかお菓子)を食すという考えは確かにあるようだ。
91日本@名無史さん:2008/03/24(月) 22:00:59
誰か「小豆と日本人」で新書書け
92日本@名無史さん:2008/03/25(火) 21:19:49
羊のミンチ→寺で小豆で代用(小豆のミンチ)→なんとなく塩を砂糖にしてみた→羊羹

こんな感じじゃなかったっけ
93日本@名無史さん:2008/03/26(水) 09:47:59
正月の雑煮が、ぜんざいに丸餅の地域があるわけだが。
94日本@名無史さん:2008/03/26(水) 14:34:21
島根とか?

白味噌に餡ころ餅と言うところもあるよな 悶絶
95日本@名無史さん:2008/03/26(水) 21:09:13
ずいぶん変わった舌を持ってるな。
96日本@名無史さん:2008/03/26(水) 21:26:45
>>94
香川だね。
97日本@名無史さん:2008/03/31(月) 16:04:01
香川って、甘い物好きなの?
確か、江戸時代、日本で最初に砂糖キビの栽培に成功したのも四国のどっかだったな。
98日本@名無史さん:2008/03/31(月) 16:14:30
科学調味料のない時代の食い物なんて現代人の口に合わない
99日本@名無史さん:2008/03/31(月) 16:45:17
そんなこと無いよ、出汁のとり方なんて伝統的に変わらないし、
旨味の出し方が天然素材から化学調味料に変わっただけ。
100日本@名無史さん:2008/04/02(水) 01:24:18
口にあう、不味い、美味しいはともかく
野菜などは品種改良が進んで
その素材の持ち味自体が変わっていると思う。
101日本@名無史さん:2008/04/02(水) 14:41:56
食材の「旬」が無くなったね。
一年中、何でもあって便利だが、それがちょっと悲しい。
102日本@名無史さん:2008/04/02(水) 15:28:31
でも「旬」って言われるとなんとなく美味い気がする・・・・
あと、行事や南下ごとに食べるものはなるべくその日に食べるようにしてるよ
103日本@名無史さん:2008/04/02(水) 19:13:00
そうは言っても菜の花なんて今時期くらいしか出回ってないし
ゴーヤととうもろこしは冬はないし柿は春から夏前半はないし
104日本@名無史さん:2008/04/02(水) 21:11:14
ゴーヤ、冬でも売ってますよ。
今年も見かけた。

菜の花は確かに見ませんね。
105日本@名無史さん:2008/04/02(水) 21:55:21
菜の花ゲロマズじゃん
つか、植物はみんな不味いし苦い
人間の食うものじゃない
無理して食うな!!
106日本@名無史さん:2008/04/02(水) 22:18:18
苦いと言えばフキノトウもありますね、今年も畑の土手に生えてきたのを
母が摘んできて、てんぷらとか、刻んで味噌と合わせて「ふきのとう味噌」を作ったり
苦味と香りを堪能しておりました。

まあ、自分は、あまり好きではないのですがw
春が来たのを実感する味ではあります。
107日本@名無史さん:2008/04/03(木) 06:49:17
>>8
超遅レスながら、武士たる者、下々の食すものを食す事はあさましき事なりって決まりがあったそうで…、ちなみに屋台で食べる時はほっかむりを被ってたとか
108日本@名無史さん:2008/04/03(木) 12:40:33
江戸城内ではてんぷら禁止なんだよね
権現様に死因だからというのが表向きだけど
本当は女中が勝手に作ってて火事起こしたかららしい
109日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:16:42
てんぷらは美味しいから・・・・

てんぷらといえばたらのめはうまいよ。

ふきのとうはちょっと苦手。

そういや、サツマイモのてんぷらは江戸の人は食べられないんだね。
110日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:18:03
今年も日本最古のさくらもちとも言われる
長命寺さくらもちは長蛇の列でした。

江戸時代から残る数少ない名店。
本当に美味しい。
111日本@名無史さん:2008/04/04(金) 21:59:21
↑花見行ったのか
112日本@名無史さん:2008/04/05(土) 01:14:45
江戸時代はてんぷらの規制が厳しくて、川沿いの屋台営業でないと認められなった。
火災の原因になるため。
113日本@名無史さん:2008/04/06(日) 05:05:09
野菜、果物が今よりも苦い、えぐい味だったらしいね。
品種改良って偉大だなあと思う今日この頃。
114日本@名無史さん:2008/04/07(月) 16:50:21
大根も牛蒡も甘すぎ!もっと辛みやえぐみがあったほうが自然っぽいのに。
115日本@名無史さん:2008/04/07(月) 21:58:09
みかんがひどい
ただ甘いだけとか甘いけど薄いとかばっかり
酸っぱくて濃いのがうまいのに
116日本@名無史さん:2008/04/07(月) 22:54:34
でも、スイカは美味くなったよ、江戸時代は甘みが薄くて、
砂糖をかけて食べていたらしい。
また、スイカを切るときの音が、首を落とす時の音に似ているとか、
割ると真っ赤な身が出てくるのが気味が悪いとかで、
あまり好んでは食べられなかったそうだ。

序でに、キュウリも元々「黄瓜」で、青いうちは身体に良くない
とされて、黄色く熟してから食べたそうだ。
皮をむいて、種を取り、味噌汁の具にしたとか。
117日本@名無史さん:2008/04/08(火) 15:15:30
スイカやキュウリだけじゃなく、普通の瓜も夏場冷やして食べてたようです。
あんなの大して甘くないのに。
118日本@名無史さん:2008/04/08(火) 17:45:28
>>117
昭和30年代までは冷やした真桑瓜が夏の御馳走
形は今のキンショーメロンに似てるけど全然甘くない
119日本@名無史さん:2008/04/08(火) 19:53:26
うちの地元の殿様は、寛政12年6月25日に
府中の瓜(まくわうり)の種を将軍から賜ったそうだ。
大根の種や日野菜の種も度々貰っている。
120日本@名無史さん:2008/04/08(火) 20:50:50
「日野菜」懐かしい。漬物にするとうまい。
細い大根のような菜っ葉、近畿地方じゃ結構食べるけど
江戸でもあったのか?それとも別物?
121日本@名無史さん:2008/04/08(火) 21:00:27
ウリっていうのはフルーツというより
クーラーと冷蔵庫のない時代の一服の清涼剤みたいな
122日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:36:43
卓袱料理(笑)
カステイラ(笑)
ワイン(笑)
美津夫(笑)
スイーツ(笑)
123日本@名無史さん:2008/04/14(月) 13:43:34
白糖が高級品だったらしいが麦芽糖みたいなのは結構出回っていたのかな?
124日本@名無史さん:2008/04/14(月) 16:45:26
江戸中期頃まで上白糖は輸入品だった。台湾、琉球、中国から。

麦芽糖は昔からあったみたいだから、普及してたんじゃないかな。安いし。
125日本@名無史さん:2008/04/14(月) 17:08:04
子供のおやつはすると麦芽飴とかかな?
126日本@名無史さん:2008/04/14(月) 20:58:14
麦芽糖オンリーの飴を探しているんだが
なかなか通販で見つからない
127日本@名無史さん:2008/04/14(月) 22:00:58
黒砂糖のかたまり飴代わりにもりもりかじるとうまいぉ
白砂糖より数万倍うまうままいぉ
128日本@名無史さん:2008/04/14(月) 22:05:09
いや砂糖じゃなくて飴を探してるんだ
http://www.nachiguro.co.jp/item_kachiwari.html
実はこれを買ってみたけど原材料にグラニュー糖入っていて
まだまだ甘すぎる
129日本@名無史さん:2008/04/15(火) 09:25:10
これは飴じゃなくてグミみたいな感じかな?
http://aiduwakamatu.client.jp/report/report/food/gorobeeame/gorobeeame.htm
130日本@名無史さん:2008/04/15(火) 10:01:52
麦芽糖オンリーの飴なら自作してみてもいいかもね
DASH村とかで作ってませんでしたっけ?
131日本@名無史さん:2008/04/15(火) 10:41:04
パックで売っている水あめをフライパンで水分飛ばして
飴作ってた。水分飛ばすのが足りないと、ふにゃっとした飴になるんだ。
よく使っていた水あめは麦芽糖だったと思う。
132日本@名無史さん:2008/04/15(火) 16:03:58
昔、飴細工ってのがあった、夜店に出ていたような気がする。
おじさんが飴で動物や飛行機作ってくれた。
その細工が面白くて、ずっと食べずにおいといたが、夏になると解けてしまった。
飴細工って、麦芽糖の飴じゃないでしょうか?
今でも作ってる人いるかもね。調べてみれば。
133日本@名無史さん:2008/04/15(火) 21:00:11
ゴロベエ飴うまそうだな
通販はしてなさそうだけど問い合わせてみようかな

昔は砂糖といえば引き出物やら贈答品やらになったし
麦茶にまで入れてご近所で甘さを競い合った(経済的余裕を見せ付けあう)もんですが
そういう砂糖万歳の時代が終わったというのに飴は相変わらず甘すぎて

「砂糖を使っていない飴を探している」って言っても
その言葉の意味が通じないことも多い
134日本@名無史さん:2008/04/15(火) 21:26:48
ちょっとまた検索してみた
ここの飴の歴史のくだりなんかは
いちおうスレ趣旨に合った内容といえよう
(飴話ばかりでスレ違いで怒られそうな気がしたので)
http://www.geocities.jp/kyo_gasi/main/theme/ame.html
135日本@名無史さん:2008/04/15(火) 21:29:51
飴細工の的屋はまだ結構生き残ってる。
136日本@名無史さん:2008/04/15(火) 21:38:49
とりあえず京都の桂飴に興味を持ったので
新名神を見物がてら行ってくるわ
137日本@名無史さん:2008/04/16(水) 00:38:36
幽霊子育て飴は、水あめのものを小夜の中山付近で購入して食べたよ。
あまり甘くなかったような・・・・でもそこそこ美味しかった。
量が多すぎて結局食べ切れなかった。

しかし、江戸時代から続くとかいう扇屋は名物おばあちゃんが東京に引き取られた
という情報以降話を聞かないが、今でもお元気なのか・・・・
138日本@名無史さん:2008/04/16(水) 08:42:16
飴の話がスレ違いとは言えないんじゃね?
結局昔の甘味料である麦芽糖ってこの飴を粉状にしたものだろ?
139日本@名無史さん:2008/04/16(水) 15:24:03
飴なんかで乳飲み子育てられるの?
米のとぎ汁は乳の代わりになるらしいのだが飴では無理だろう
幽霊もやる気は買うがもう少し学があれば・・・
140日本@名無史さん:2008/04/16(水) 17:53:21
「幽霊子育て飴」
製法は蒸した米に麦芽を加え、麦芽糖が生じたら汁をしぼって煮詰めたもの。
もともとこうした飴は、固形ではなくどろっとした水あめであった。
現在の子育て飴は砂糖を加えて固形になっているが、
江戸時代のものは砂糖を加えず、水あめ状であったらしい。

http://www.geocities.jp/kyo_gasi/kosodate/kosodate.html
141日本@名無史さん:2008/04/16(水) 18:54:25
>>139
栄養という面ではどちらも致命的に栄養が足りないよ。
もし乳が出なかったり、母親が亡くなったりしたら、いろんなものを
一生懸命工夫して与えたんだろう。米のとぎ汁だけではほとんど足しにならない。

乳母がお願いできるならいいが、そうでなければよっぽどうまくやらなけりゃ
生存できなかったことは想像に難くない。
そんななか、精一杯工夫して飴を与えていた悲しさを読み取るべき
142日本@名無史さん:2008/04/16(水) 20:00:26
>>140
京都の東山区の六道珍皇寺の通りにもあるね、幽霊子育て飴。
買ったことは無いけど、こんど試してみようかな。

>>141
子育て飴の話自体は、半ば伝説みたいなもんだってば。
143日本@名無史さん:2008/04/18(金) 14:44:51
>>142
確か数日で赤ちゃんは助けられて、奇特な人に育てられたってのが結末だったような。
144日本@名無史さん:2008/04/19(土) 20:09:52
桂飴買ってみた
素朴で懐かしいおいしい味なのはうわさどおりだけど
期待していたよりずっと甘かった(砂糖が強かった)
145日本@名無史さん:2008/04/22(火) 20:22:39
昔は餡子も塩が入っていて、しょっぱい塩大福のようなあじだったようだ。
146日本@名無史さん:2008/04/22(火) 21:01:33
>>27
ほしいい  でしょう
147日本@名無史さん:2008/04/22(火) 21:07:52
>>8>>107 ほっかむりしてる時点で武士ってバレバレじゃない?
それに帯刀してるんじゃ…
148日本@名無史さん:2008/04/22(火) 21:09:45
>>116 そんな話聞くとスイカ食えなくなるよ
149日本@名無史さん:2008/04/23(水) 12:25:17

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
150日本@名無史さん:2008/04/23(水) 15:04:48
>>108
>江戸城内ではてんぷら禁止なんだよね
>権現様に死因だからというのが表向きだけど
>本当は女中が勝手に作ってて火事起こしたかららしい

篤姫関連で↓こういうの見つけたけど、関係あるかな?

「姉小路」

弘化3年(1846年)に姉小路が食していた天ぷらが原因で火事を起こし、
本丸を全焼させてしまう。
この火事で奥女中が数百人死亡するという大惨事となった。
姉小路は広大院付の上臈御年寄・梅渓に罪をなすり付けた。
梅渓のその後は知られていない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%89%E5%B0%8F%E8%B7%AF
151日本@名無史さん:2008/04/23(水) 20:07:39
>>147
武士だとバレテモ気にしないが、どこの屋敷の誰某とバレルと
まずかった。体面上まずかったみたい。
武家は行儀作法にうるさかったので、
立ったまま串に刺した天麩羅を食べるのは行儀が悪かった。
152日本@名無史さん:2008/04/23(水) 20:10:03
串揚げの立ち食いなんて考えただけでうまそう
153日本@名無史さん:2008/04/23(水) 20:35:59
>>151
なら座って食えるようにしようとか誰も思いつかなかったのか
154日本@名無史さん:2008/04/23(水) 20:53:50
>>153
江戸は家事が多くて、天麩羅のような危険な調理方法は
空き地、川や堀の土手のそばなど延焼が起きにくい場所しか営業禁止らしい。
火事になれば、そのまま水にたたっこめる。
155日本@名無史さん:2008/04/24(木) 13:55:06
外人に食わせるもんじゃねーなぁ

【江戸時代】ハリスが江戸城で振る舞われたご馳走 コイの刺身・エビの煮付け・なます
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1208996167/
156日本@名無史さん:2008/04/25(金) 14:16:10
どうせなら、鯨を食わしてやりゃ良かったな。
157日本@名無史さん:2008/04/25(金) 18:49:04
>>155 鯉の刺身ってどんな味かな?
食べてみたい
158日本@名無史さん:2008/04/25(金) 18:56:06
泥を抜けば美味しいらしい
159日本@名無史さん:2008/04/25(金) 18:58:42
洗いならさっぱりしてますけどね
つか、「鯉の刺身」と「鯉の洗い」って同じ物かな。

基本的には鯉はかなり泥を吐かせないと泥臭い(らしい)。
その辺は幕府の接待だからちゃんと処理はしていたと思うけど
それでも欧米人には耐え難い食事だったろう。

どうも室町時代以前は最上の魚は鯉とされていたようだ。
確かに式包丁でも実演に使うのは鯉が多い。
最上の魚が鯛となったのは江戸時代以降。
徳川家康の趣向なんかも影響したっぽい。
160日本@名無史さん:2008/04/25(金) 20:41:33
寄生虫とか大丈夫なのか、あれ
161日本@名無史さん:2008/04/25(金) 20:47:48
>>108
家康の頃は、天麩羅なっかたよ。だから当たりようも無い。
「天麩羅」となずけたのは、たしか山東京伝。
162日本@名無史さん:2008/04/25(金) 20:54:27
>>160 確かに川魚は寄生虫いるらしいよね。しかもけっこう厄介なやつらしいし。
コイはいないのかな?
163日本@名無史さん:2008/04/25(金) 20:59:51
いるよ。
164日本@名無史さん:2008/04/25(金) 21:01:18
天ぷらは油がいりましゃろ
油は貴重品だから食べれまへんの
165日本@名無史さん:2008/04/25(金) 21:02:36
その当時から、生魚の扱いが上手かったって事だよね。
ふぐにしても、縄文時代から食べられてたみたいだし、
その後も、素人は亡くなる人が多かったけどプロの料理人は
調理の仕方を熟知していた訳だしね。
166日本@名無史さん:2008/04/25(金) 21:09:42
あげ色がちがう関西と関東

江戸風はゴマ油、カヤ油などで色濃く揚げますが、
関西風は菜種油など、今でいうサラダ油で白っぽく。
これを塩で召し上がる方が多い。コロモに鶏卵の黄身を入れて金ぷら、
鶏卵の白身をいれて銀ぷら、などがあったとか。
 なお、幕末に福井扇夫(ふくい・せんぷ)さんが「出揚げ」つまり、客の家へ出張して
天婦羅を揚げて食わせるんですが、その手さばき、手順のよさ、「なみいる主客をして
感嘆させた」とあり、神ワザに近い名人芸、『安愚楽鍋(あぐらなべ)』にもこの方の名が残っています。


ttp://homepage3.nifty.com/shokubun/tenpura1.html
167日本@名無史さん:2008/04/25(金) 22:06:42
当時の油は、植物、魚、鯨なんかを搾って取る方法なんだろうけど、貴重品だね

関西は菜の花なんかを搾って取ってたらしいけど、六甲山からの川で水車回して絞ってたはず。
それが19世紀くらいからじゃないかな。でようやく商品化されて流通する。
166氏の天ぷら油の違いってのもそこから来てるかもしれん

ゴマ油ってのは、どこで生産してたんかな?



168日本@名無史さん:2008/04/26(土) 02:39:41
鯉は昔は薬餌として食ったって昔爺様が言ってたな
昔は今と違ってどの食品も寄生虫だらけだから
その辺は別に平気だったんじゃない?
戦前までは虫飼ってない人のほうがほとんどいなかったわけで
あと、虫かってると花粉症にならないらしい
そのうち星新一のサナダムシみたいのもでてくるかもね
169日本@名無史さん:2008/04/26(土) 02:41:24
水戸黄門で「ゴマの油と百姓どもは〜」って台詞があったから江戸前期にはあったようだ
170日本@名無史さん:2008/04/26(土) 02:57:25
>>166

キツネ色の天麩羅っていまや貴重品だよね。
171日本@名無史さん:2008/04/26(土) 11:24:03
キツネなんてすっかり見なくなった御時世なのに
きつね色っていう形容が定着してるよね
172日本@名無史さん:2008/04/26(土) 11:50:54
>キツネ色の天麩羅っていまや貴重品だよね。

店によっては、掻揚げや薄揚げ(豆腐の)などに色の濃い物がありますね。
でも、単に油が古いだけかもしれませんが。
白っぽいのが多いのは、天麩羅の衣の質も変わったのかな。
173日本@名無史さん:2008/04/26(土) 18:59:16
お局様のマン汁はたまんねーよハァハァ
174日本@名無史さん:2008/04/28(月) 16:00:47
稲荷寿司の形が関東と近畿で違いますね。

関東 俵型 稲荷の俵の形に作った。
近畿 三角 狐の耳の形に作った。

他の地方はどんな形なんだ?
175日本@名無史さん:2008/04/29(火) 01:13:28
>>174
それ以外にはあるんかな?
四画の者を斜めに切るか、横に切るかの違いのキガス
176日本@名無史さん:2008/04/30(水) 14:30:29
ああっ!
形は三角と四角だけだろうけど、
たとえば東と西に別れてるとか、形の分布が気になる。
とりあえず>175の地方ではどんな形ですか。
177日本@名無史さん:2008/04/30(水) 18:37:49
おにぎりも
丸(円柱,太鼓),丸(球),三角,俵とあったのではないか
178日本@名無史さん:2008/04/30(水) 19:04:35
スレ違だが、
うちでは「ぺったらおむすび」なるものを祖母が作ってくれた。
炙った大きな四角い海苔の真ん中にご飯を広げ、醤油をかけ、
海苔の四隅を真ん中に折り込むと
座布団のような形のお結びが完成。
単純だが、子供の頃よく祖母に作ってとせがんだものだった。
179日本@名無史さん:2008/04/30(水) 21:22:36
今では>>178がせがまれる役
なぜなら彼の孫もまた、特別な存在だからなのです
180日本@名無史さん:2008/04/30(水) 21:43:44
時々名前を聞くんだけど、元祖の「ねぎまナベ」ってどんな感じなのかな。
だし汁に醤油・砂糖・みりんを混ぜたツユに長ネギとマグロの切り身を入れて、煮立てた
ものっていう話なんだが、一度食ってみたい。
181日本@名無史さん:2008/04/30(水) 22:58:04
マグロといってもネコも食わずにまたぐとかいう通称ネコまたぎ
ギトギトの脂ぎったトロっていう下品なところを使います
パンの耳クラスの安さで貧乏人も買えます
182日本@名無史さん:2008/04/30(水) 23:30:43
それがいまでは(ry
183日本@名無史さん:2008/05/01(木) 21:04:32

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
184日本@名無史さん:2008/05/02(金) 15:10:30
>>180
ついでに、木綿豆腐か焼き豆腐、薬味に春菊か三葉
とどめは匂い消しに生姜を一欠け入れておけば
飯のおかずにも、酒の肴にもなりますよ。

おいらも、今晩ねぎま鍋にします。
185日本@名無史さん:2008/05/02(金) 16:27:54
レイプが大好きで性犯罪が多いのが宮城
田舎過ぎて何もないのが宮崎

産地偽装と建築偽装で日本人をだましているのが宮城
東国原ラベルを乱発して信用度が下がっているのが宮崎
(姉歯も小嶋も宮城の古川出身)

三重の「うまし国」をパクった「うましか国」宮城
そんな能力すらないのが宮崎

岡崎トミ子を選ぶのが宮城で
東国原を選ぶのが宮崎

日本の始まりが宮崎(高天原)
日本の終わりが宮城(おでん食い逃げ)
186日本@名無史さん:2008/05/02(金) 19:12:42
>>184 生姜と聞いて家慶様が興味を示されたようです
187日本@名無史さん:2008/05/02(金) 20:16:58
「上様、今宵は生姜入りのねぎま鍋にいたしましょうか」
「そういたせ」
188日本@名無史さん:2008/05/02(金) 21:57:36
「殿、生姜が無いのですが、構いませんか?」
「ショウガナイか」
189日本@名無史さん:2008/05/04(日) 21:52:40
>184
ほんとにうまそうですね。
冬の晩酌のお供にもいい組み合わせですね。 早速作ってみます。
190日本@名無史さん:2008/05/04(日) 21:56:03
>>180,184
手っ取り早く出来合のつゆを使いたいんだけど
めんつゆ
すき焼きのたれ
どっち使えばいい?
191日本@名無史さん:2008/05/04(日) 23:12:28
すき焼きのたれは砂糖入ってて甘すぎる
めんつゆだしつゆで作って甘みがほしければ砂糖入れるもよし
あと酒を入れたいね
192日本@名無史さん:2008/05/07(水) 14:03:39
しかし、結末は
五月晴れで暑かったから、刺身と冷奴になってしまった。
意志薄弱乙!
193日本@名無史さん:2008/05/07(水) 15:07:42
>>185
高天原から高千穂に天下ったんだから、高天原でないことは確実。
恐らく山を越えた熊本が高天原だろ。
194日本@名無史さん:2008/05/07(水) 15:25:17
↑??スレチガイ。
195日本@名無史さん:2008/05/10(土) 19:09:48
江戸の美味いものといえば目黒の秋刀魚だろう
いや、これ本当に美味かったそうです
芝浜で取れた秋刀魚に塩を振って目黒まで3時間ぐらいかけて持っていく
するとちょうど塩がなじんで取れたての秋刀魚より美味くなるんだそうですよ

しかし赤井御門守は12万3千石(親藩)か・・・それなりに大きな大名なんだなw
196日本@名無史さん:2008/05/11(日) 13:21:59

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
197日本@名無史さん:2008/05/12(月) 00:15:51
198日本@名無史さん:2008/05/12(月) 15:16:36
>>195
秋刀魚は塩したほうが上手いだろう。
しかし、外洋魚の鰹はどうしてたんだろ?
直接、魚河岸まで船で運んだのかな?
千葉沖で獲れても、船で運ぶうちに腐るんじゃないかな。
199日本@名無史さん:2008/05/12(月) 18:38:30
鰹節
200日本@名無史さん:2008/05/14(水) 03:46:48
>>198
鰹は鎌倉沖でも獲れる。→このスレの過去レス >57
それからおもに日本橋の河岸にあがる。
・鎌倉を生きて出でけん初かつを(松尾芭蕉の句)

201日本@名無史さん:2008/05/16(金) 05:48:07
山東京伝にも京山にもウラミはないけど、
「天麩羅」京伝命名説はどうもなあ。
なんで浪速の駆け落ち男が「天竺浪人」なのかね……

もともとの「てんぷら」に当て字した、ってことか??
202日本@名無史さん:2008/05/16(金) 16:14:35
元々、魚のすり身を揚げたものを「てんぷら」と言ってませんでしたか?

浪速の駆け落ち男が、魚や海老に衣をつけて揚げたものを売り出す時、
京伝に看板代わりに「天麩羅」の漢字を書いてもらった。
だったような。
203日本@名無史さん:2008/05/16(金) 21:00:41
「テンポラ」「テンプル」から派生したらしい
「てんぷら」って料理は、上方から広まって江戸中期には
江戸でもはやってた。

それを「浪速の利助」たら言う人がさらに上方風の
「魚のすり身」で売り出すとき、
京伝が「天麩羅」って当て字を考えついたのかな。
204日本@名無史さん:2008/05/17(土) 02:08:31
名前の語源にも諸説あり。

ポルツガル語の「テンペラ」、オランダ語の「テンポラ」
外国人宣教師が金曜日の祭りを「テンポラ」といって、
魚のフライを食べたことに由来するなどなど。
(そういえば、金曜日はフライデーw)

山東京伝の上方からの浪人風に関わる逸話は
結局は真偽は謎ということだけど
世間的な話のネタとしては著名人起源説だし、
「良く言われている説は」・・・的な話としてokでは。
205日本@名無史さん:2008/05/17(土) 05:06:29
んじゃまあ、信じる。


京伝命名な。
206日本@名無史さん:2008/05/17(土) 13:48:55
素朴な疑問ですが、一汁三菜とかを膳台に一人分づつ出して
それぞれが自分の膳だけを食べる習慣って、いつ頃定着したんでしょうか?

中国でも韓国でも、はるか東南アジアでも、皿や器を卓にづらづら並べて
それを皆で取り分けて食べるでしょ。
日本だけ特殊な感じがしませんか?
あっ、鍋だけは別ですね。
207日本@名無史さん:2008/05/17(土) 17:33:51
貴族では記録ではっきりするのは平安時代から
・・・飛鳥奈良時代もそうだったかも知れないけど献立の記録はあっても配膳の仕方の記録がないとおもう
武士も鎌倉時代には各自の膳ではないのかな
これは禅宗渡来と一緒に伝わった精進料理の影響も大きいと思う(各自マイ椀をもちそれぞれの膳で食べる)

一般庶民が銘々膳となると江戸時代以降じゃないかなぁ。
208日本@名無史さん:2008/05/17(土) 22:59:53
平民の箱膳とかの時代は短い気がする
うちのばあちゃんの子供時代ぐらいまでらしい
209日本@名無史さん:2008/05/19(月) 14:37:37
>これは禅宗渡来と一緒に伝わった精進料理の影響も大きいと思う

なるほど、お寺が精進料理を出してたのとつながりが深そうですね。

>うちのばあちゃんの子供時代ぐらいまでらしい

明治以降はちゃぶ台にまとめて料理を乗せるようになったんだ。
210日本@名無史さん:2008/05/19(月) 15:01:44
ちゃぶ台も地方によっては普及しなかったところもありますよ
母の実家がある鹿児島とか、戦後でも各自箱膳
211日本@名無史さん:2008/05/19(月) 17:18:28
>>210
昭和何年ごろまで箱膳でしたか?
212210:2008/05/19(月) 17:37:34
具体的な年数までは聞かなかったが
「小学生のころ」その他諸々の話からすると
昭和20年代後半ぐらいかと思われる
213日本@名無史さん:2008/05/19(月) 18:43:06
209だけど俺のばあちゃんちは昭和2年ぐらいまで箱膳だったらしい
東京だけど割と古い大店だったからその辺に理由があるんだろうか
丁稚奉公人みたいのもまだいたらしいし
214日本@名無史さん:2008/05/19(月) 18:43:31
ごめん俺は208でした
215日本@名無史さん:2008/05/19(月) 19:35:10
箱膳って、まさか御わん洗うよね?
どこかで食べたら拭くだけと読んだりビデオで見たりした気がするんだが
216日本@名無史さん:2008/05/19(月) 20:14:07
水で洗って、藁でこするんじゃないかな。
たわしができたのは明治になってから
217日本@名無史さん:2008/05/19(月) 20:38:50
明治時代に醤油屋の丁稚が発明するまで藁で洗っていた。
ガキのころ読んだ学研の『発明発見の秘密』に書いてあった記憶がある。
218日本@名無史さん:2008/05/19(月) 21:07:29
食器を洗うといえばほれ磨き砂
http://www.ryoufu.com/kanko/doukutsu/index2.html
219日本@名無史さん:2008/05/19(月) 21:47:37
胡麻菓子
220日本@名無史さん:2008/05/19(月) 21:49:13
ごまかしてんじゃねーよwww
221日本@名無史さん:2008/05/19(月) 22:44:24
>箱膳の茶碗は洗う
箱膳ではないのですが
親族より伝え聞いたところによると
昭和40年代の京都市内の旧家では
食後の茶碗に湯を注ぎ、お茶漬けさらさらして
あと拭いて(何で拭いたのかは失念して不明)
そのまま水屋に元通りにしまっていたそうであります。

つまり 洗っていません。

げー!・・・と思いますが、上記の手順は茶会作法としては残ってます。
もちろん今の茶会はお客さんのお碗をひいた後ちゃんと洗ってしまってるはずですが。
漆製品は一度こびり付いた汚れを取るのが大変ですので。

>>220
誰が上手いこと言えと(ry
222日本@名無史さん:2008/05/19(月) 23:00:07
>>221
永平寺など禅寺の朝粥もそんな感じ。
お粥を食べたあと、沢庵をハシではさんで碗をこすり、
お湯を注いで飲み干して、それで終わり。
223日本@名無史さん:2008/05/19(月) 23:03:42
>>221
いや「ごまかす」の語源がそもそもゴマのお菓子で
でんぷんをふくらまして揚げたようなお菓子があって
「うわでかい菓子だな」って思って食べたら中身スカスカのパフパフで
それで「ごま菓子」っていう言葉になったって聞いたことがあったもので
224日本@名無史さん:2008/05/19(月) 23:09:01
ちょっと画像までは見つからなかったけど

http://www.mukai-utc.co.jp/archives/2005/02/post_108.html
http://home.tokyo-gas.co.jp/shoku110/unchiku/445.html

http://members.stvnet.home.ne.jp/kubookada-k/goma.html
ごまどうらん【胡麻胴乱】:
文化・文政(1804年-1830年)年間に江戸にあった菓子。
小麦粉にゴマをまぜて焼きふくらましたもので中は空。胡麻菓子
225日本@名無史さん:2008/05/20(火) 14:43:29
胡麻の花って、始めてみたけど可憐できれいだね。
226日本@名無史さん:2008/05/20(火) 15:59:13
>223
説明さんくす!
227日本@名無史さん:2008/05/20(火) 19:09:56
ゴマは美味しくてどんな料理もゴマあえればとりあえずそこそこうまくなるから「ごまかし」と言われたの
ってのが10年ぐらい前にファーストフード店のお盆の紙敷きの豆知識欄にかかれてたような

そんなにうまいと思えないんだけどな>ゴマ
むしろ嫌いなので俺は日本人の味覚じゃにのかも
228日本@名無史さん:2008/05/20(火) 19:56:07
ごまかすは、江戸時代から見られる語で、漢字で「誤魔化す」と書くのは当て字である。
ごまかすの語源には、二通りの説がある。
ひとつは、祈祷の際に焚く「護摩(ごま)」に、「紛らかす(まぎらかす)」などと同じ、接尾語「かす」が付き、ごまかすになったとする説。
この説は、弘法大師の護摩の灰と偽り、ただの灰を売る詐欺がいたため、その詐欺を「護摩の灰」、その行為を「ごまかす」と言ったことからとされる。
もうひとつは、「胡麻菓子(ごまかし)」を語源とする説。
「胡麻菓子」とは、江戸時代の「胡麻胴乱(ごまどうらん)」という菓子のことで、中が空洞になっているため、見掛け倒しのたとえに用いられたことによる。
229日本@名無史さん:2008/05/20(火) 20:27:20
>この説は、弘法大師の護摩の灰と偽り、ただの灰を売る詐欺がいたため、その詐欺を「護摩の灰」、その行為を「ごまかす」と言ったことからとされる。
この説なら江戸時代よりかなり以前からあった言葉。

>もうひとつは、「胡麻菓子(ごまかし)」を語源とする説。
「胡麻菓子」とは、江戸時代の「胡麻胴乱(ごまどうらん)」という菓子のことで、中が空洞になっているため、見掛け倒しのたとえに用いられたことによる。
この説なら江戸時代から使われだした言葉。

こうゆう風に分けられるのでわ。
230日本@名無史さん:2008/05/21(水) 02:03:43
>>221
禅での食事の作法として
沢庵で粥のあとを拭いて、沢庵を食べて
粥の腕には白湯を注いで飲む→重ねて収納
というのがあるのは知っているし、
禅寺の修行体験でその方法をとる事も了解する。

昭和40年代、決して旧家でもない京都市内のど庶民のうちだけど
普通にファミリーとかママレモンといった合成洗剤を
使っていた家も多かったと思う。
231日本@名無史さん:2008/05/21(水) 03:21:43
まぁ給食だってシチューの最後にパンでふき取って食べろって今でも学校で習うし
232日本@名無史さん:2008/05/21(水) 04:53:57
西洋料理は肉食ったあと皿に残ったグレービーソースを
パンで拭いて食うのが一般的だからな

しかしそのあとでちゃんと皿は水洗いする
233日本@名無史さん:2008/05/21(水) 06:34:52
江戸前の寿司が二貫づつ出てくるのは、
一口で食べられない関西人のために、
包丁で二つに切ってあげたからだって聞いたけど、
ソースが出てこない……

むかしは相等デカかったのか?
234日本@名無史さん:2008/05/21(水) 06:51:16
おにぎりとかハンバーガーぐらいどっしりしたものでしたよ
235日本@名無史さん:2008/05/21(水) 09:06:08
2つでどんぶり飯ぐらいのシャリだったらしいね
236日本@名無史さん:2008/05/21(水) 12:58:37
寿司飯も今よりデカっかったが、ネタも違ってた。刺身は無かった。
漬け、酢じめ、卵焼きのように手のかかったネタだったそうだ。
鉄火巻きも漬けマグロで巻いたそうだ。
237日本@名無史さん:2008/05/21(水) 13:54:18
今でも本格的江戸前ずし!・・・を売りにする店は
ネタの下ごしらえが自慢と言うところが多いね
だから一番の自慢メニューがトロじゃなくて卵だったりコハダだったりする

下ごしらえを丁寧にするのは冷蔵庫がなかったせいもあるんじゃ無かろうか
238日本@名無史さん:2008/05/21(水) 15:09:01
>江戸前の寿司が二貫づつ出てくるのは、
一口で食べられない関西人のために、
包丁で二つに切ってあげたからだって聞いたけど、

江戸末期から明治にかけて、握り寿司が全国に広まったと何かで読んだ。
それで江戸でも小さな握り寿司を二貫づつ出すようにしたらしい。
239日本@名無史さん:2008/05/21(水) 15:55:56
文政ぐらいだっけ?江戸前寿司ができたのって
湯のみがでかいのは屋台でいちいちお代わりする客に対応するのが面倒だからとか
最近の寿司(回転。大阪発。ついでに大正期に女給さんおさわりカフェ作ったのも大阪人)では
ハンバーグみたいののってるけどこれも時代の流れかね・・・
240日本@名無史さん:2008/05/21(水) 19:05:14
ハンバーグが乗って廻ってるようなのが
むしろ本物の寿司に近い
241日本@名無史さん:2008/05/21(水) 20:34:25
>>232
江戸時代の精進料理って脂っこいもの無かったからじゃないかな。
242日本@名無史さん:2008/05/22(木) 01:42:54
肉食わないもんな
243日本@名無史さん:2008/05/22(木) 01:59:15
全く食ってないわけでもないが
鶴とか鹿とか
244日本@名無史さん:2008/05/22(木) 06:42:12
関西人のために二つに切ったってのは
杉浦ヒナ子だったか。
ううむ、なんと言う気配り。
245日本@名無史さん:2008/05/22(木) 08:33:40
ももんじ屋で色んな獣肉食べてたよね。
戦国時代でも滋養強壮の為に肉も食べられてたよね。
246日本@名無史さん:2008/05/22(木) 10:53:50
ヒナ子先生
本当に惜しい人を亡くしてしまったねえ
247日本@名無史さん:2008/05/22(木) 13:21:37
もともとはでかい塊のような1貫でだす。大きいほうが客に好まれた。
それを二つにわけて2個にして客の食べやすいようにした出した。

もともとは1貫=2個
この習慣が忘れられて1貫=1個となった。
248日本@名無史さん:2008/05/22(木) 20:30:54
その貫は重さの単位としての貫とは関係なし?
249日本@名無史さん:2008/05/22(木) 22:21:46
京都だと、食べ物が東人の舌にあわないことを
陰で笑ってたりする。
江戸では上方人の口蓋に合わせて、寿司を切って出す。


これが「粋」と言うものだ。
250日本@名無史さん:2008/05/22(木) 23:02:06
先日京都に行ってきた。昼食に盛り蕎麦を食べたのだが、
東国人の自分には、つゆが濃くて、やたら甘いのに驚いた。
これは、店の特徴なのか、地方色なのだろうか・・・
251日本@名無史さん:2008/05/22(木) 23:07:17
>>250
あんさんが田舎者丸出しやさかい、わざと砂糖を多く入れて試しはったのや。
あんさんみたいなお上りさんは、やせ我慢しはって我慢して食べるさかいな。
252日本@名無史さん:2008/05/22(木) 23:40:11
江戸時代の寿司を再現したのを食べた事あるけど、確かに大きかった。1.5貫くらい、小さめな店なのと比べると2貫はあったかな。
253日本@名無史さん:2008/05/23(金) 00:03:29
>>245
両国にももんじ屋あるけど
熊肉は妙に脂っこくて淡白な味に馴れた江戸時代仁には厳しそう
猪肉も今の豚肉とは比較にならないくらい硬いし臭いもきつい
狸肉は狸汁で食ったが強い味噌の味で癖をごまかす必要があるんだろう
野生の獣肉はなかなか食いにくいよ

>>250
京都名物はニシンそばだぞ
254250:2008/05/23(金) 00:42:59
>>251
なして、おらが田舎もんだどわがったんだべw
>>253
ニシンですかぁ、漏れはどうも小骨が多いのと独特の香りがあって
苦手なのです。

調達可能な食材でいかに美味しくいただくか、その為の工夫の積み重ねが
豊かな文化を生んだ訳ですね
255日本@名無史さん:2008/05/23(金) 00:44:24
>>253
ニシン蕎麦は明治に創始されたらしいよ。
256日本@名無史さん:2008/05/23(金) 00:58:05
鹿肉の味噌漬けとか粕漬けうめぇー!
池波の小説に出て来てもおかしくないぐらいうめぇー!

で、これって江戸時代にもあったの?
257日本@名無史さん:2008/05/23(金) 01:22:10
>>256
縄文時代の遺跡から出てくる獣肉はほとんど猪肉か鹿肉だ
神社の神事でも猪や鹿の人形に矢を射かけるのがよくある
鹿は日本の伝統食
258日本@名無史さん:2008/05/23(金) 03:00:35
でも奈良では鹿殺すと一族全員穴に埋められて死ぬまでうえから岩を落とす処刑されたよね
伊藤俊輔がうまさに感動して許可するまではふぐ食っても改易だったかな?
259日本@名無史さん:2008/05/23(金) 06:53:41
肉ったって 牛は食わなかったけど鳥は食べていたんじゃないの
よく軍鶏鍋とか聞くけどさ どうなんだろう。
260日本@名無史さん:2008/05/23(金) 08:52:34
竜馬の好物じゃなかったか?
261日本@名無史さん:2008/05/23(金) 09:20:31
鴨も食べられていたね
262日本@名無史さん:2008/05/23(金) 10:41:53
兎と鳩は昔食った時おいしかった
カンガルーとクジラはまずかった
あと馬がうまくて好き
別に牛豚なくても俺は生きていけるな
263日本@名無史さん:2008/05/23(金) 12:14:35
>>250
つゆの味は店にもよるものだろうから、
一つの店の味付けではわからんよ。
>>251
また、そういうことを書くのは止めなよ・・・

獣肉については他スレでもここでも色々書かれていたのだが。
ループだな。
264日本@名無史さん:2008/05/23(金) 13:01:18
ま、滅多に食べられる物ではなかった
というのがファイナルアンサーかと>江戸の獣肉
265日本@名無史さん:2008/05/23(金) 18:01:13
ま、薬食いってもんだしな。

ところで港区の郷土資料館には芝(港区ね)の薩摩藩邸から豚の骨が
発掘されたなんて展示があるのだが、その用途は食用だったようす。
今でも薩摩の黒豚なんて銘柄肉でもあるのだけど、
薩摩藩邸で食された豚は藩邸内で飼育されていたのだろうか。

幕末になると、「豚肉好きの慶喜」とか、
京の新選組が屯所に本願寺内で豚を食べ、寺では匂いに閉口したなんて
逸話が良く紹介されるわけだが、それらの豚の飼育はどこで?
266日本@名無史さん:2008/05/23(金) 19:43:01
薬食っていっても、表向きにでしょ。

大石内蔵助は牛肉の味噌漬けが好きで、七輪で焼いて食べていたって
聞いた事がある。今食べても普通においしそうだよね。
267日本@名無史さん:2008/05/23(金) 19:48:37
>薩摩藩邸で食された豚は藩邸内で飼育されていたのだろうか
藩邸では馬は飼っても、豚は飼わないと思います。
今でも街中では養豚施設は無いので、おそらく近郊の農家あたりから買ってきたのでは。
268日本@名無史さん:2008/05/23(金) 20:54:21
>>267
その辺の百姓が飼ってたって事?
藩が飼育を委託しての?
269日本@名無史さん:2008/05/23(金) 21:13:25
名所江戸百景に山くじらの屋台が描かれたものが
あるけど、いくら江戸時代でも田んぼに猪がいるとも思えないし
どこかの山で獲られた猪を江戸に送るには手間が
かかる安定した商売として屋台で山くじらを
扱えるかのだろうかと思う今日この頃でございます。

270気配り:2008/05/23(金) 21:26:55
京都の一部料亭や店、
なじみになって予約の時に
「今夜のお客は、お江戸の方やねん」って言っておくと、
それなりに気配りしてくれる。
でもそこにいきつくまでが、ちと大変。


逆に首都圏の店で、上方モンのために薄味にしてくれる店は
まぁないでしょ?
ただ、「遠くからよく来てくれた」と一品つけてくれたことはあった。
271日本@名無史さん:2008/05/23(金) 21:52:43
>>267
残念 藩邸内飼育でした
>江戸時代後期の農学者・佐藤信淵(のぶひろ)が著した「経済要録」には「薩侯の邸中に飼(かう)処(ところ)
>なる白毛豕(ぶた)は、其味殊更上品にして、食物も亦(また)法に叶へり」
http://373news.com/_bunka/jikokushi/21.php
272日本@名無史さん:2008/05/24(土) 00:55:24
江戸の養豚か
きになるね。
273日本@名無史さん:2008/05/24(土) 02:26:54
火縄銃もった猟師っつーのがいるんだから獣肉の需要もあったんじゃないかな?
あと飢饉のときはせっぱつまってるから農耕馬や牛も食ったんじゃないかね
人肉や土壁とかより先に食ってると思うし
274日本@名無史さん:2008/05/24(土) 04:10:11
飢饉のことは知らないけど、農は食用の家畜は飼わないんでは?
肉系の商品流通ルートてよくわからない
275日本@名無史さん:2008/05/24(土) 05:22:41
「下級武士の食生活」という
江戸へ赴任してきた紀州藩の下級武士の食生活をネタにした本があるのですが
(主人公の坂井伴四郎は日記にその日食べたものを事細かに書き残している)
風邪を理由にたびたび豚肉を食べているようです。

外出先で豚鍋で酒を飲んだり
「ぶた肉百文之買候」と、生肉を買って翌日に鍋にして酒三合飲むとかあります
276日本@名無史さん:2008/05/24(土) 10:37:36
豚じゃなくて猪だろ?
277日本@名無史さん:2008/05/24(土) 12:26:25
>>271
ありがとう、>267です。
佐藤信淵ならば確かでしょう。しかし読んだことありませんでした。
278日本@名無史さん:2008/05/24(土) 13:48:59
もう日本でもイノシシが家畜化されていたってことでしょうかね?
279日本@名無史さん:2008/05/24(土) 14:26:57
昔は関東では肉と言えば豚ですき焼きにも豚を使った
畑作地帯が多いので野菜屑を飼料にできて堆肥も取れる豚は価値がある
江戸時代以前から飼われていたと考えるべき
280日本@名無史さん:2008/05/24(土) 16:41:38
実際、山くじらとかももんじゃと呼ばれてた猪鍋、
今ある東京のももんじ屋に行ったことある人。
鍋汁は味噌なのか醤油なのか、誰か知りませんか?
281日本@名無史さん:2008/05/24(土) 20:07:34
>>275
あの本見てると酒飲み過ぎだろってくらい飲んでるよな
昼間からでも
282日本@名無史さん:2008/05/25(日) 01:13:18
豚を風邪を理由にして食うてことは
普段は食わない、まして家での日常食ではないと理解するんだが
283日本@名無史さん:2008/05/25(日) 01:50:42
伴四郎の場合は、肉を常食したくても出来ないような感じはするがな
普段は十文二十文のオカズばかりだし
日記の内容も、人参を安く買ったから
昼飯に食おうと思って煮付けといたら
同居してるおじ上に食われたとか
おじ上は無駄遣いが多いって愚痴るとか
かなり倹約してる
肉はたまの贅沢に含まれるって感じ
284日本@名無史さん:2008/05/25(日) 01:50:54
>>282
そんなのは当たり前だよ。
日常的に食べてるなら「ぶた買、大おごり」なんて日記には書かないよ。
100文という値段も理由になるんじゃないかな?結構な贅沢だし。
この値段と同クラスだと、サメ(100文)とドジョウ(149文)が登場する
これらは年に1〜2回しか食卓に上がっていない

ただ、風邪を理由にしてたびたび食ってるということは、
伴四郎、豚大好きなんだよな

他にも、殿様が鷹狩に使う鷹の餌になる鳩をちょろまかして来て
長屋の連中と鍋にして酒盛りをしたとか、肉結構食べてるんだよな
285日本@名無史さん:2008/05/25(日) 01:53:40
久しぶりに伊庭八郎のグルメ日記が読みたくなった。
286日本@名無史さん:2008/05/25(日) 06:34:56
清川八郎はウナギ好きだよな
なんか日記にやたら書いてるし
ウナギないってわかってしょうがなくてナマズ食ったら
やっぱり不味くてウナギのうまさを再確認したとか愚痴ってるし
287日本@名無史さん:2008/05/25(日) 10:10:25
ナマズはうまいよ
288日本@名無史さん:2008/05/26(月) 05:08:40
ドジョウは蒲焼にかぎる
289日本@名無史さん:2008/05/26(月) 06:19:57
オールウエイズ2

で豚のスキヤキでてたなあ。
290日本@名無史さん:2008/05/26(月) 15:23:56
昔、すき焼きは鴨肉とねぎを甘辛のたれを漬けて、さっと焼いて食べたそうだ。
徳川将軍たちもこうして鴨を食べてたらしい。
291日本@名無史さん:2008/05/26(月) 20:01:16
鴨すきかー
食ったことないけど美味いらしい
つか、かもってどんな味なん?
給食のかも南蛮はまずかったけど
292日本@名無史さん:2008/05/26(月) 20:51:44
多分合鴨しか食べてない俺だけど
うまいよ
293日本@名無史さん:2008/05/26(月) 20:56:28
近江今津とかで食べられるよん。ただし鴨は北陸産。

294日本@名無史さん:2008/05/27(火) 01:08:19
>>198
遅レスだが、江戸湾周辺の漁村から毎日生魚を専門に運ぶ
押送船という船があった。
「押送船は、生魚を積、暑中にも六、七十里の灘を渡る故、
早き事を専らにして、尤風波の乗切もよし、外船になき檣(帆柱)
三本あり。」
295日本@名無史さん:2008/05/27(火) 02:24:39
千葉沖は江戸湾?
296日本@名無史さん:2008/05/27(火) 07:41:29
太平洋じゃねーの?
297日本@名無史さん:2008/05/28(水) 14:57:46
木更津あたりまでは江戸湾でしょ
その先の安房辺りでも鰹、鮪が取れたのかもね。
298日本@名無史さん:2008/05/28(水) 20:02:51
>>294
押送船って中(船倉)が生簀にでもなってたのか?大きさはどのくらいだすか?
299日本@名無史さん:2008/05/29(木) 06:01:50
江戸前の魚の守り神って、
やっぱ住吉神?

確か……三韓●伐の時の軍神だったと思うが。
300294:2008/05/29(木) 22:48:57
>>298
上口長さが11,7m、幅が2,5m、深さが90cm。
7丁櫓に6反の木綿帆3枚であるが、生簀があったかどうかは不明。

速力は風次第であるので不明だが、享和三年当時、関東の押送船
は64艘あって、武蔵、相模、上総、安房、伊豆の地域に分布して
いたそうだ。
301日本@名無史さん:2008/05/29(木) 23:00:25
>>298
推測するに馬船ぐらいじゃね?
302日本@名無史さん:2008/05/30(金) 19:08:49
>>300 >>301
ありがとう、良いこと教わりました。
303日本@名無史さん:2008/05/30(金) 21:11:35
ふとビールを飲みながら考えたんだが
日本て発泡酒(炭酸発酵酒)ってあんまり発展しなかったよね
日本酒でも炭酸発酵したお酒なんての今はときどき見るけど
それを洗練させて追及していったようなそういうタイプの酒ってないよね?
304日本@名無史さん:2008/05/31(土) 11:34:29
料理、菓子、酒 江戸時代の美味い物について語れ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1201688228/
305日本@名無史さん:2008/06/02(月) 19:33:10
>>303
しかし、濁り酒を清酒にするのに灰を使うという大発明をしてます。
306日本@名無史さん:2008/06/02(月) 20:58:52
灰持酒で肥後の赤酒っていう真っ赤な酒があるんだが
灰を入れたら赤くなる訳じゃないんだな
なんか製法も違うのかな
307日本@名無史さん:2008/06/02(月) 21:27:11
>>305
うちでも、酒を造っていますが、
よく、「怒られた使用人が腹いせに灰を入れたら澄んだ酒になった」
と言われますが、どうも、その理屈がわからないのです。
(ふつう、搾った酒はしばらく静置すると自然に滓が下がって上澄みと分離します。
それでも白濁するような場合には柿渋などで凝集沈殿させます)

清澄作用を期待するよりは、灰のアルカリ分で酒の酸度が低くなって、
飲みやすくなったと言うなら解るのですが。
どなたか、詳しい方は居ませんでしょうか?

酒の大発明と言えば、「火入れ」低音殺菌でしょうか。
308日本@名無史さん:2008/06/02(月) 21:47:10
http://www.rakuten.co.jp/shimazu/535476/538934/
おそらく「肥後の赤酒」と同じ製法だと思うのだが
灰を入れるのは酒の発行を止めるため=保存性を高めるため
としている。
火入れもしないらしい。
309日本@名無史さん:2008/06/02(月) 22:42:42
スパークリングワインて
失敗作だけど飲んでみたらうまかったので作るようになったっていうけど
なんか失敗したけどうまかった伝説って定番なのかね
310日本@名無史さん:2008/06/03(火) 00:11:36
>>309
腐らしたモノ系wとかじゃまいか?
311日本@名無史さん:2008/06/03(火) 02:07:14
西洋では食前酒・食中酒・食後酒の区別を作ったが
日本酒にそういう区分はないよな
312日本@名無史さん:2008/06/03(火) 02:26:23
炭じゃなかっけ?
炭が濁ってる成分を吸収するて考えてたわ
313日本@名無史さん:2008/06/03(火) 14:57:16
誰か鴻之池に凸ってこいよ
314日本@名無史さん:2008/06/06(金) 18:45:02
ここは良スレだね
315日本@名無史さん:2008/06/07(土) 12:04:10
やっぱり最高の傑作は檜の香りの移った下り酒
上方から檜の樽に入れて、船で運んでくる途中、遠州灘の荒波でもまれ
新酒に檜の香りが移るそうだ。
偶然できたのかも知れないが、酒に檜の香りが合うことを知っているのは日本人だけだな。
316日本@名無史さん:2008/06/07(土) 14:48:14
中御門天皇の従四位の象さんは死んだあと
お吸い物にされて結構美味しかったらしいのだが
象さんって美味しいんですかね・・・
317日本@名無史さん:2008/06/07(土) 15:04:48
>>316

サンコンが以前、象うまいよとマジな顔してテレビで話していた…
多分うまい。
318日本@名無史さん:2008/06/07(土) 19:00:38
ゾーっとした!
319日本@名無史さん:2008/06/07(土) 22:39:11
マンモスは人に狩られて絶滅したという話もある品
象の類は旨いんだろう
320日本@名無史さん:2008/06/07(土) 22:44:17
モスマンもいるな、アフリカには。
321日本@名無史さん:2008/06/07(土) 23:08:15
>>315
北欧かどこかのウイスキーか何かはヒノキで樽作ってそこに保存しなかったか
322日本@名無史さん:2008/06/07(土) 23:16:28
ヒノキは日本と台湾にしか自生してないよ
ウィスキーやワインの樽はオークが一般的。
323日本@名無史さん:2008/06/08(日) 01:14:29
そうか
なんか香りの良い木で樽作ってる記憶があったんだが
324日本@名無史さん:2008/06/08(日) 03:34:27
ヒノキはそうなんか
でも何故に日本と台湾だろね
325日本@名無史さん:2008/06/08(日) 22:10:21
鶏肉はどの頃から食べられてたんだっけ?
326日本@名無史さん:2008/06/09(月) 05:33:36
>>323
バーボンのことじゃないかなぁ
内側を焦がしたオークの樽に詰めて、香りと色をつけるんだけど
327日本@名無史さん:2008/06/10(火) 20:09:01
檜のにおいって「ヒノキチオール」だったけ?うる覚え。
328日本@名無史さん:2008/06/11(水) 02:42:11
「ボラギノール」じゃやだな
329日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:01:04
699 :日本@名無史さん :2008/06/11(水) 18:23:51
近江牛の味噌漬けはガチで美味く諸侯献上の中でも圧倒的人気だったらしい


700 :日本@名無史さん :2008/06/11(水) 20:03:26
肉を公な使いものにしても無礼にならなかったんだ


701 :日本@名無史さん :2008/06/11(水) 21:33:16
>>699-700 当時は牛乳を飲むことさえ忌み嫌われていたのに牛肉なんて食おうとする奴いたの?
330日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:43:27
>>329
肉自体は食ってんじゃん。牛だって薬食いって免罪符はあったんじゃね?
331日本@名無史さん:2008/06/12(木) 01:27:53
つか肉喰うの嫌がられてて食わないんだったら
肉好きという話のある人は最初はどういうきっかけで肉が好きになんたんだ?
食い物じゃないと認識してれば味覚えないつーかまずい口にしないから
好きも嫌いもないともうのだが・・・
子どもとかの中では結構みんなこっそり食ってたんじゃないの?
それで好きな奴は成人しても食う
20歳でタバコやめれない奴らとおなじで意志が弱い
332日本@名無史さん:2008/06/12(木) 02:41:11
そんなに簡単に牛の肉は手に入らないでしょ?
333日本@名無史さん:2008/06/12(木) 05:18:03
食用家畜としての牛の飼育はほとんどされてなかったから、高価だったと思うなぁ
334日本@名無史さん:2008/06/12(木) 05:55:34
福翁自伝読むと、
幕末の大坂には牛鍋屋みたいなのあったみたい。

弊死牛は皮とか処理して、多分肉なんかは
保存食化してたろうて。
けっこう食ってたんでねえの?
335日本@名無史さん:2008/06/12(木) 06:18:14
牛鍋屋といえば赤べこ・・・あそこは着物にメイド服エプロンというすごい制服が店長の趣味で・・・
336日本@名無史さん:2008/06/12(木) 08:20:19
カフェの女給スタイルだな。
337日本@名無史さん:2008/06/12(木) 08:50:15
昔は全部天然モノだったんだから、アサリとかアナゴ、魚類はうまかったろうな。
時代がとぶが、原始人さんだって天然モノの魚、肉、ばっかりで案外量とか安定度はともかく
味は良かったに違いない。
338日本@名無史さん:2008/06/12(木) 09:47:32
縄文人は河豚も食べていたから、日本人は魚好きなのかもw
339日本@名無史さん:2008/06/12(木) 15:14:06
天然モノのフグ・・今よりもぜいたくじゃぁないかぁ。
340日本@名無史さん:2008/06/12(木) 15:24:44
江戸期は明治に伊藤がフグにはまるまで一応秀吉以来御禁制よ>ふぐ
とくに武士は「主君のために使うべき命を己の食い意地に負けて使った」と
ふぐくったら改易
341日本@名無史さん:2008/06/12(木) 17:14:08
江戸時代、1800年の前半は、移動は徒歩?
隣の県へ行くような、ちょっとした遠出は、どうやって移動してたんだろう。
342日本@名無史さん:2008/06/12(木) 17:14:50
おっと、肝心なことを書き忘れた。
生鮮品を運ぶ時のことね。
343日本@名無史さん:2008/06/12(木) 18:39:27
水路が整備された都市以外は、担ぐか馬曳くかじゃないかな?つまり徒歩。若狭の鯖とか越中の鰤みたく長距離なら塩したりして。
344日本@名無史さん:2008/06/12(木) 23:14:19
生はあんまり運ばなかったんでしょ。
山中には川魚がいるし、今と違って回りにあるもの食べてたわけだから。
って、つい最近まで岐阜とかでは江戸と同じようなもんだったんだよね。
うちの婆ちゃんなんかは老後になるまでハマグリなんて食べたことなかったって、言ってたし。
ほんで、おもろいのが、飛騨ブリ、って言ってブリの切り身なんかは富山の方から山を越えてくるから、あれは山中で採れるものと思ってた、とかね。
寒い地方だし雪の中に詰めて持ってきたのかな、聞いておけばよかった。
345日本@名無史さん:2008/06/12(木) 23:23:44
「塩」と「たんぱく質」がセットで運ばれたと思えばいいんじゃないかな
山梨なんか煮貝が名物だろ
吉野の柿の葉寿司とか
346日本@名無史さん:2008/06/12(木) 23:28:03
朝鮮総連は日本にも貢献した歴史がある。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1210952193/l50

朝鮮総連は日本にも貢献した歴史がある。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1210952193/l50

朝鮮総連は日本にも貢献した歴史がある。朝鮮総連は日本にも貢献した歴史がある。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1210952193/l50

朝鮮総連は日本にも貢献した歴史がある。


http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1210952193/l50
347日本@名無史さん:2008/06/13(金) 01:48:11
鮫は腐らんから海辺より山奥のがうまい鮫料理があるんや
ほかの魚腐るし運べたから山奥はさめ喰うしかなかったからな
っておいしんぼでいってたな
348日本@名無史さん:2008/06/13(金) 04:51:56
魚は干物にして運ぶわな
蝦夷の鮭は大阪まで船で塩づけだけど大きいからな
生魚はよっぽど近くないと食えんよ
349日本@名無史さん:2008/06/13(金) 09:01:37
>>340
落語にあるから庶民は食ってたんじゃないか?
あれたしか原作十返舎一九だったから確実に江戸期に作られた話だし
350日本@名無史さん:2008/06/13(金) 09:51:05
おいしんぼといえば、昔のサンマは油がのっててうまかった、と言ってたけど、あれ、わしらみたいな年代でもよくわかる。
煙がモウモウしなくなったのは決してコンロとかの発展じゃなくてサンマ自体の問題。
今のサンマは量が少ないと言うか美味しくないもの。もちろんハラワタなんて子供の頃においしく感じて今のほうがまずく感じるなんて変なもんだ。
江戸庶民はいいもん食べたんだろな〜。
351日本@名無史さん:2008/06/13(金) 14:50:34
>>348
鮭は多摩川や利根川あたりでも溯上してたんでしょう。
352日本@名無史さん:2008/06/13(金) 15:18:44
>>346
じゃあ、日本は朝鮮半島にも貢献した歴史があるって言ってもいいよねw
353日本@名無史さん:2008/06/13(金) 23:10:55
初鰹は、江戸っ子の初物好きのために鎌倉飛脚で輸送。

河豚は江戸期に流行
命を惜しまず食うのが粋。たくさん死んだ。
そのおかげでどこが毒かわかったそうだw
354日本@名無史さん:2008/06/14(土) 01:08:04
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
355日本@名無史さん:2008/06/14(土) 02:54:03
>>349
え?ヤジキタのひとだったの?
356日本@名無史さん:2008/06/16(月) 14:52:20
>>354
小麦は黄河流域より北方の人たちが渡来したとき持ち込んだ可能性が。
ただし、栽培してたかは不明。
ジャポニカ種は古代東南アジアでも栽培されたようだ。
それが後々、より栽培条件に適合したインデカ種に代わったそうだ。
それが「浮き米」になった。
川が氾濫して洪水になっても稲穂は水面から出てくる、
農民は船に乗って米を収穫するらしい。
357日本@名無史さん:2008/06/16(月) 15:43:58
東日本にW型、西日本にE型の大麦が伝来している
宮崎県には日向燕麦が来ている
栽培種の大麦や燕麦が伝わっているくらいだから
小麦も栽培種が伝わったと考えるのが自然

東南アジアにインディカ種が広まったのは17世紀以降
煉瓦を焼く前に土に籾殻を混ぜるわけだが
古い時代の煉瓦からはジャポニカ種の籾殻が出てくる
昔は低湿なデルタ地帯で耕作する技術がなかった
358日本@名無史さん:2008/06/16(月) 16:15:31
縄文人は土器や道具でわかるように手の文化と言われるくらい
技術については優れたものを持っています。
また、栽培技術については既に縄文中期から始まっており、
ヒエ、ヒョウタン、豆類、エゴマ、ゴボウ、クリなど三内丸山遺跡では
多数の栽培跡が見られます。
また、西日本ではすでに陸稲による稲の栽培も行われており、
りょうとう、ひょうたんなどの栽培跡は福井県で縄文前期にすでに
痕跡が確認されています。


熊本県本渡市の大矢遺跡から出土した縄文時代中期(約5000〜4000年前)の
土器に稲もみの圧痕(あっこん)を確認したと19日、
福岡市教委の山崎純男・文化財部長が明らかにした。

全国最古のもので、縄文中期に稲作があったことを示す貴重な資料という。
圧痕は、土器の製作中に稲もみなどが混ざって出来た小さなくぼみ。 
作物が栽培された時期を特定する有効な資料で稲もみとしてはこれまで、
岡山県の南溝手遺跡など縄文後期(約4000〜3000年前)の圧痕が最も古かった。  
359日本@名無史さん:2008/06/16(月) 17:55:29
>>340
ふぐについての川柳も多く残るし、食べていたと考えた方が自然なのでは。
杉浦日向子「大江戸美味草紙」に詳しい。

芭蕉の句にもふぐが出てくる。
翌朝目が覚めて、ああ生きていた、とかそんな句だったかな。
360日本@名無史さん:2008/06/17(火) 16:41:48
関西の味覚が今のように出汁を重視するようになったのは江戸中期以降だろうね。
煮干しにするカタクチイワシの類は瀬戸内にもたくさんいたから、
出汁を取るという習慣はあったのかも知れないけど、
関西の味覚に欠かせない昆布も鰹節も瀬戸内ではとれない。

どちらも船が運んだ。
船便でなければ一般家庭の台所まではなかなか普及しない。

鰹節はもと紀州漁師がその漁労から加工までの高水準のノウハウを持っていた。
それが、土佐、薩摩、三浦半島、房総などに散ってノウハウを教え、
各地での生産高が上がった。

昆布は松前から運ぶ。
今はおせちに欠かせないカズノコも、松前から。
ただしこの当時、カズノコはおかずとしては下手の扱いだったらしい。

こう考えて行くと、現在につながる「関西風の味付け」が成立するのはどう考えても江戸中期以降。
案外新しい。
361日本@名無史さん:2008/06/17(火) 17:08:26
河豚の肝は美味いらしいね(^ω^ )
現在でも命懸けの味だそうで…(^ω^;)
362日本@名無史さん:2008/06/17(火) 17:11:54
正月の数の子は巨大な壺に山のようにつけておくもんじゃ!
・・・と今は亡き鹿児島のバーチャンが言ってました。事実おせちの中でも安物のおかずだったようです。
「黄金のダイヤ」とか言われるようになったのは昭和も後半になってからみたい。

昆布は日本海周りの航路が発達したことが大きいでしょうな。
いまでも大きな昆布問屋は東京ではなく大阪にある。
でも昆布の消費量が日本一なのは沖縄だとか。
江戸時代に薩摩経由で中国への輸出品の主力商品だった名残らすぃ。
363日本@名無史さん:2008/06/17(火) 17:13:27
>>361
そんなあなたに石川県名物のフグ肝のぬか漬け

そして、「ふぐを今まで一度も食べたことがない」というかわいそうな会社の先輩に
「ふぐは肝が一番おいしいんですよフォアグラもガチョウの肝でしょ」と教え込んだ想い出
あの先輩今も生きているかしら
364日本@名無史さん:2008/06/17(火) 17:30:57
杉浦日向子の受け売りになるが、当時はふぐのどこに毒があるのか、
よく分かっていなかったらしい。
ふぐを食おうと誘われて断るのは江戸っ子の名折れだが、
妻帯者に限っては棄権が許される、とも。

肉についての書き込みが散見された。
よく分からんが、ぼたん、さくら、という隠語が示すように、
獣肉を食べることはあったのではないか。
現に、江戸期を通して最も下等な照明灯は獣脂で、
これは主に臭いが嫌われたわけだが、ロウソクなどに比べればうんと安かった。

低価で供給されるほど獣脂を取って、
肉だけ捨てたとはあまり思われない。
365日本@名無史さん:2008/06/17(火) 20:38:22
>>362
言われて思い出した。
中国、昆布を輸入してたんだよな。
中国の海にだって、ないことはないのに。

北前船と西回り航路が主に関西の食を形成していたとは言えそうだね。
現代、年末に贈答する新巻鮭だって北でとれるわけで。

366日本@名無史さん:2008/06/17(火) 20:45:10
河豚食ったことないんだが
命かけるほどうまいのかなぁ?
367日本@名無史さん:2008/06/17(火) 20:52:58
大分県だけはフグのキモも食えた気がする
おいしいけど、ハゲの刺身+キモと似たようなものだったなぁ
368日本@名無史さん:2008/06/18(水) 01:43:50
ハゲいうなはげ
369日本@名無史さん:2008/06/18(水) 14:51:25
>>363
東京ですが、フグの内臓で食べれるのはオスの精巣だけでは?
いわゆる「白子」 
それ以外の卵巣、肝臓には高濃度の毒があるので販売禁止。
白子が一番美味いのは産卵前の二月頃
しかし、水洗が悪いとたまに毒が残るらしい。
370日本@名無史さん:2008/06/18(水) 15:23:34
>>369
肝は知らんが卵巣は石川県で糠漬けにして売ってるよ。長期間漬け込んで無毒化してるとか何とか。
371日本@名無史さん:2008/06/18(水) 16:48:24
どっかの料亭(吉兆だったかも)で
河豚の白子が供されて
客の一人が「うまいうまい」と喜んで食って
「そんなにうまいなら私の分もどうぞ」ってな具合で
全員分の白子を食って死んだwというはなし
372日本@名無史さん:2008/06/18(水) 17:17:41
そんなの聞いた事ないけどね
373日本@名無史さん:2008/06/18(水) 17:19:45
白洲正子がテレビでいってた。
幸田文だったかもしれん。
374日本@名無史さん:2008/06/18(水) 17:58:11
大昔だが、歌舞伎役者(名前は忘れた)が
京都の料亭に無理やり、フグの卵巣を出させて、あたって死んだ。
この事件じゃないの?

しかし、卵巣の味は絶品らしい。
375日本@名無史さん:2008/06/18(水) 18:06:08
来週から大分に行くから今から楽しみだ!
376日本@名無史さん:2008/06/18(水) 19:23:27
>>374
この人だね
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9D%B1%E4%B8%8
9%E6%B4%A5%E4%BA%94%E9%83%8E_%288%E4%BB%A3%E7%9B%AE%29

ここには書いてないけど跡を継いだ蓑助とは勘当状態で
金の成る木の坂東流舞踊家元を三津十郎に譲る遺言残してたんだよ
それで没後えらい騒ぎになった
377日本@名無史さん:2008/06/18(水) 19:53:53
376さん ありがと
坂東三津五郎か〜大変なグルメだったらしいね。
襲名騒動ねえ! だからお袋たち騒いでたんだ。
ガキだった俺は、フグに当たって役者が死んだことしか記憶に無かった。
378日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:47:59
河豚って毒は元から持ってるわけじゃないから
養殖で育てたら毒なしで肝も食えるって漫画で読んだんだが
たしかアフターゼロ描いてる人の作品だった
379日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:13:42
>378
確か嬉野温泉じゃなかったかな
http://homepage1.nifty.com/hamatidori/170220fugukimotokku.htm
380日本@名無史さん:2008/06/19(木) 06:43:09
アルカイダ系の毒っていうのは食ったものの毒が蓄積されるらしいからね
ヤドクガエルなんかもそうだけどエサの調整で無毒固体が生育できるらしい
381日本@名無史さん:2008/06/19(木) 07:00:29
とりあえず大分でフグ食べようよ!おいしいから(>_<)
382日本@名無史さん:2008/06/19(木) 07:16:24
このスレは面白いですね。
江戸の食い物に関心があって、江戸の味を探しに、
蕎麦・寿司・どじょう・鰻など、今に残る東京じゅうの名店を訪ねた。
河豚はそこらで食べるけど、江戸文化の認識がなかった。
今後のテーマです。

383日本@名無史さん:2008/06/19(木) 12:34:31
天ぷらは立って食え、という。
それくらい揚げたての熱々を食わなきゃいかん、というわけだが、
それ以上に買い食いの定番商品でもあった。

下味がついていて、ごま油で香ばしく揚げてある。
つゆもつけ塩も必要ない。
竹串で刺して食った。
サクサク感を楽しんだのだろう。

ネタは、もっぱら魚介類。
それも近隣で捕れる雑魚に近いような魚が多く、小僧さんの駄賃でも買えるくらい安かった。
384日本@名無史さん:2008/06/19(木) 12:38:14
当時の雰囲気で食べてみたくなったw
美味しいだろうなぁ。
385日本@名無史さん:2008/06/19(木) 12:46:59
酒は、もとは伊丹。
鴻池発祥の地でもある。
後に海運がひらけて、より海に近い灘へ移る。

酒を海送するについては、樽の発明が大きかった。
これによって大規模な液体輸送が可能になり、
どんどん江戸へ酒を送った。
江戸中後期には樽廻船が開発される。
日本初のコンテナ輸送と言える。

雑貨を積むよりも積み込みがきわめて早く、
従来に比べ高速輸送を可能にした。

もっぱら江戸へ運んだ。
樽の香りと船の揺れで、江戸に着く頃には味が上がると言う。
悔しがった関西人は、静岡辺りまで船を出し、
戻って来させる、という手間暇さえかけた。
386日本@名無史さん:2008/06/19(木) 13:41:57
天麩羅油は胡麻油が一般的だったの?
387日本@名無史さん:2008/06/19(木) 14:05:51
天麩羅っていつ頃からあるの?
388お江戸でござ:2008/06/20(金) 09:12:32
肉料理が無いし油で揚げた物は
人気があった筈。
天麩羅は今でも美味しいと感じるが
あの時代だとかなり美味しく
感じたのでは無いかと思う。
389日本@名無史さん:2008/06/20(金) 09:33:28
普通に肉は食べられてたけどね
居酒屋みたいに飲んだり食べたりする所の軒先に
鳥とか肉、魚を吊るしていたみたいだし。
390日本@名無史さん:2008/06/20(金) 13:19:33
どのくらいの流通であったかは別として、
食肉の風習が皆無だったと言えば嘘になるかも。
ちゃんと調べたわけじゃないが、
もみじ、ぼたん、さくら、
とこれは雅称のような響きだが、それだけに隠語めいた言い回しだ。

鶏は例外として、江戸期には食肉用家畜の風習がなかったのだ、
と表現すると非常にすっきりする。
なぜなら、米食すれば麦食地帯のように家畜を飼わなくとも
人間は最低限、繁殖可能で、
いったんそのような形で人口が飽和してしまえば、
農地面積が増加しない限りは家畜に回すリソースがあまりない。

そこへ行くと爬虫類から少し進化しただけの鶏というのは、
哺乳類ほどは食べないでも生き続ける動物なんだよね。
391日本@名無史さん:2008/06/20(金) 14:53:32
しかし鶏でさえも、江戸府内では飼っているところが少なく
鶏卵は貴重だったそうだ。
卵売りが近在の農家から仕入れた卵は、府内のお得意様に高値で売れた。
吉原の郭内では、出陣前の男衆が、ゆで卵を頬張って精をつけた。
392日本@名無史さん:2008/06/20(金) 16:36:41
昭和30年代まで日本食はたんぱく質不足
そのため、脳出血が死亡することが多かった
393日本@名無史さん:2008/06/20(金) 16:52:54
394日本@名無史さん:2008/06/20(金) 17:50:27
>>393
この絵からすると鴨か雁かな?
395日本@名無史さん:2008/06/20(金) 22:35:54
タンパク質は玄米からとっていたと聞いたことがある。
米タンパクは良質だけど必要量にはかなり足りなかったかも。

そういえば江戸時代の人の平均身長は日本史上最も低かったと聞いたことがあるが
これも理由なのだろうか。
396日本@名無史さん:2008/06/20(金) 23:20:55
4つ足に関しては、一応禁忌なんだよな。
これは江戸時代からなのかね?
397日本@名無史さん:2008/06/20(金) 23:30:04
平安時代の宮廷料理「大饗」のメニューが『兵範記』に残っているが
いわゆる「四つ足」の物はないらしい(魚介類や鳥類のメニューはあり)。
なので、平安時代後期には四つ足獣の肉は避けるべき物と思われていたと推測は出来る。

具体的に忌むべき物と書いた史料は寡聞にして見たことがないが。
398日本@名無史さん:2008/06/21(土) 06:36:23
単純に畜産が未発達なので十分に肉が供給できなかっただけなのかしら
399日本@名無史さん:2008/06/21(土) 07:57:45
大石の好物の牛の味噌漬け美味そうだなぁ。
400日本@名無史さん:2008/06/21(土) 10:43:57
鶴食ってみてぇ
401日本@名無史さん:2008/06/21(土) 11:26:09
別な側面で見てもやっぱり水稲に結びつくのだが、
水稲耕作には大規模な休耕地というのをほとんど必要としない。
これは驚嘆すべきこと。
多少の植物残渣や動物の老廃物、あとは水と太陽で十分に育つ。
陸稲は別です。

逆に言えば、土地を休ませて飼い葉を刈るより、
直接に穀物を作った方が多量の人間を養える。

そこへ行くと家畜の飼育は経済性の面でひどく劣る。
いや、少なくとも穀物の代替財として見た場合、
米ほど生産性が高くない。

欧米で食肉の風習が定着したのは、彼らの主要穀物にとって家畜の肉は
代替財ではなく補完財だったためである。
402日本@名無史さん:2008/06/21(土) 12:45:05
>>400
鶴は大名や将軍が食ってたんでしょ?
だから家斉治世かが舞台のサムスピを見るたびに
徳川慶寅はいろは(鶴の恩返しの鶴がメイド化されたキャラ)の肉の味知ってるんだよなぁ
って思って複雑な気分になる
403日本@名無史さん:2008/06/21(土) 14:00:10
ヨーロッパは土地がやせていて、ジャガイモの栽培が出来るようになるまでは
畜産中心で、主食も家畜だったような。
ゲルマン諸族は、もともとアジアの遊牧民だし。
404日本@名無史さん:2008/06/21(土) 14:59:14
ヨーロッパの土地は痩せている、とはよく聞くが、
実際は作物と耕作方法の相違が大きいと思われる。
そもそも、穀物を育てれば土地は痩せるのだ。

その点、稲は寒気には弱いが、十分な日光と水があれば
さほど土地を疲弊させずに育つ。

アジアの工業が立ち遅れた理由のひとつが余剰労働力の不足で、
囲い込みという農業技術上の課題が大量の農業失業者を生んだイギリスとは対照的。

ちなみに日本は武士という非生産層を生産層に組み入れることで
余剰労働力を得ることができた。
ただし武士が直接工員だの工場主だのになったというわけではない。
余剰労働力云々はあくまでマクロ的視点での話。
405日本@名無史さん:2008/06/21(土) 20:29:24
東京で食ってみたいもの。

純江戸前テンプラ

胡麻油だけで揚げ、立ってくう。
出来ればビールと。


牛鍋
関西から流れてきた「すき焼き」ではないもの。
406日本@名無史さん:2008/06/21(土) 22:22:52
麻布十番の「だるま」の牛鍋は美味かったけどね
同じ町内だけど場所を変えてからはもうひとつ
407日本@名無史さん:2008/06/22(日) 00:32:48
江戸期の食用油って胡麻より、菜種とか綿実かも。当時は精製技術が発達してなくて、天麩羅なんてそんなに旨いもんじゃなかったとか聞いた事がある。
灰直しの発見も、清酒の起源とかぶるから、よくわからない感じだし。
勿論、現代の胡麻油を使った江戸前の天麩羅は旨い。太白とか、サラダ油ブレンドとか使ってるらしいが。
408日本@名無史さん:2008/06/22(日) 02:16:02
菜の花の油だね
409日本@名無史さん:2008/06/22(日) 04:09:20
先日天ぷら塩で食ったら意外とうまかった
天つゆより俺好みかもしれない
やたら高かったけど
410日本@名無史さん:2008/06/22(日) 05:32:42
スキヤキ屋になってるけど、牛鍋もあんのね。

けど高そうだな。
411日本@名無史さん:2008/06/22(日) 05:36:52
>>409
塩も天つゆも素材による、塩が合う素材もあれば天つゆが合う素材もある
412日本@名無史さん:2008/06/22(日) 10:18:57
>403
少なくとも中世以降のフランスの主食はパンですよ。一般人のレベルでは、せいぜいが出汁を
とるためにベーコンをほんの少し使うのが関の山。
だからこそ、不作が革命の引き金にといわれたり、革命のスローガンが「パンをよこせ」だった
りするわけで。
413日本@名無史さん:2008/06/22(日) 13:26:42
鰻の白焼きウマー(゚д゚)
414日本@名無史さん:2008/06/22(日) 13:30:22
玉ごとかで作った偽ウナギ食ってみたい
いまや高級料理らしいがね
415日本@名無史さん:2008/06/22(日) 17:49:16
へっ?どんなの>玉ごとかで作った偽ウナギ

俺の知っている偽ウナギは豆腐と海苔だったが、正直タレの味しかしなかった。
416日本@名無史さん:2008/06/22(日) 17:58:23
白身魚を加工した偽ウナギは今でもあちこちで食べれるね
ウナギ100パーセント使用のうな丼って看板に書いてないしね
417日本@名無史さん:2008/06/22(日) 18:10:28
スーパーで売ってるウナギの多くは中国産
中国のウナギはヨーロッパウナギの稚魚を養殖したものだから
ニホンウナギとは違うよ
418日本@名無史さん:2008/06/22(日) 18:16:31
丼モノが発明されたのはいつ頃からだろう。
砂糖が高級品だったことは確かである。
しかし味醂や酒で代用できないことはない。

江戸期までの塩は、赤茶けてベトベトしていた。
あまりうまそうな印象ではない。

赤穂の塩だけは別で、これは白くてサラサラしていた。
赤穂浪士事件の遠因とも言われる。
419日本@名無史さん:2008/06/22(日) 18:16:46
>>410
いや、だるまの「スキヤキ」は和田金で食わせるような
関西風のスキヤキじゃなくて割下で煮る「牛鍋」なのよ
420日本@名無史さん:2008/06/22(日) 19:10:35
丼のはじまりっていうと
うな丼 天丼 鉄火丼 あたりか?
あるいは親子丼あたりが最初になるのか
421日本@名無史さん:2008/06/22(日) 19:14:38
>>418
かつ丼は戦後らしい
勝負師伝説哲也で変な食い方するって言われてたし
422日本@名無史さん:2008/06/22(日) 19:14:53
wikiだとこう書いてある

最も古い丼物は鰻丼で19世紀初めに登場し、
続いて江戸末期には深川丼がうまれたといわれている。
423世界@名無史さん:2008/06/22(日) 19:19:04
19世紀初め?いくさの前でおまへんか。
424ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2008/06/22(日) 19:43:45
歌舞伎の脚本家か平賀源内か誰かがよく出前のうなぎを食べた
んだけど、着いた頃には冷めてておいしくないからご飯で保温
してあげたのが始まり。
425日本@名無史さん:2008/06/22(日) 21:34:38
>>424

> 歌舞伎の脚本家か平賀源内か誰かが

っていうか平賀源内が歌舞伎の脚本家って言うか。


そうか、それどっかで聞いたが、それが始まりか。
やっぱり江戸期なんだね。
江戸の食文化って充実してるな。
426ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2008/06/22(日) 22:57:25
427日本@名無史さん:2008/06/23(月) 14:51:43
鰻丼は奥が深いですね。諸説あるみたいですが牛久沼のは我田引水ぽいなぁ。
関西では鰻丼のことを「まむし」って言いますが。
これは、鰻とご飯を「まぶして」食べたからです。この辺にもルーツがありそうですね。
それから、関西の鰻丼の鰻には必ず頭がついてました。
今はどうか知りませんが。
428日本@名無史さん:2008/06/23(月) 17:13:26
背開きと腹開きの違いかな。
関西は薄味だとか言うが、
鰻について言えば関西の方がよほどこってりしている。
薄味のうろんをこよなく愛する一方でおたふくソースにマヨネーズ、
という関西人の味覚だね。

江戸時代、江戸ではうどんと言えば具合が悪いときに食べるものの代表格。
いわゆる釜上げだったと思うのだが、
「今日はうどんでも手繰り込んで寝ちまわぁ」
と言えば、それは風邪を引いたということ。

手繰り込む、という表現が秀逸。
429日本@名無史さん:2008/06/23(月) 17:36:26
関西はやはり蕎麦切りよりうどんをよく食ってたな。
後、素麺をあったかい汁で食う、「にゅう麺」て呼んでた。
430日本@名無史さん:2008/06/23(月) 20:01:23
おたふくソースは広島。
431日本@名無史さん:2008/06/23(月) 23:10:28
関西でうどんといえば「うどんや風邪薬」
・・・但し、操業は江戸時代じゃない 残念
http://www.kazeichiyakusuri.co.jp/
432日本@名無史さん:2008/06/24(火) 05:16:07
消えずの行灯とか蕎麦屋の怪談はあるのにうどんやの怪談ってないね
433日本@名無史さん:2008/06/24(火) 13:07:05
妙な話題になるが、江戸時代の照明はほとんどが食える。
獣脂、魚脂、植物油。
だから猫が舐める。

油は菜種。
魚脂は北方の鱒の仲間などからとったようだ。
獣脂は何からとったのだろう。
鯨か、もしくは牛脂だろうか。
434日本@名無史さん:2008/06/24(火) 19:48:50
>>433
斃れ牛馬を処分し、革加工を専門に作る人達が居たから
その人達の可能性が高いでしょう。
435日本@名無史さん:2008/06/24(火) 19:56:33
ゲイ油
436日本@名無史さん:2008/06/24(火) 20:29:46
確かに鯨油はあった。
鯨漁そのものは古く、中世にも記録が残っている。

鯨油を取り、日本の場合は肉も食った。
ヒゲで楽器も作った。

アメリカは、油を取って残りを捨てることが多かった。
ムダ好きのアメリカ人といいたくなるがそうではなくて、
ひとつは鯨油生産が日本よりも資本主義的だったことと、
いまひとつは鯨漁そのものが遠海まで足を伸ばし過ぎていたこと。

ところが不思議なもんで、江戸以前から続く鯨料理というのが
今ぱっと思いつかない。
まあ、鰹や秋刀魚のように節になれば必ず手に入る、
ってな食材でもなかったのかと思う。

となると、話は獣脂に戻る。
獣脂のメインは鯨油だったのか。
437日本@名無史さん:2008/06/25(水) 02:23:42
油舐める妖怪さんもたくさんいるからね
ろくろ首とかは今はオリーブオイルとか購入してガブ飲みしてるのかねこっそりと
あいつら普段は人と変わらないから人の世に溶け込んでOLとかやりやすいだろうし
438日本@名無史さん:2008/06/25(水) 02:31:09
鯨油って農薬みたいなもんじゃないの?
439日本@名無史さん:2008/06/25(水) 14:49:07
>ところが不思議なもんで、江戸以前から続く鯨料理というのが
>今ぱっと思いつかない。

「大魚(鯨)食す」って言うのをどこかで読んだ。
その時、思い出したのが「ハリハリ鍋」割り下で赤身を煮る。
それと「おばけ」、油を絞った後の皮下脂肪、パサパサのやつ、夏、酢味噌で食う。

>となると、話は獣脂に戻る。
>獣脂のメインは鯨油だったのか。

鯨油だけじゃ少量でしょ、なんせ小船にモリの捕鯨だから。
しかも、江戸時代、鯨は魚だと思われてた。

魚脂はたしか、鰯なんかからも搾り取ってた。
非常に臭いらしい。
440日本@名無史さん:2008/06/25(水) 17:27:25
鰯やニシンから油とって残りは肥料にしてたね
鱒あたりとなると蝦夷地しかも国後択捉でも油取ってたけどこれは19世紀くらいからだな
鮭は塩漬けして食べた方が多いかな
441日本@名無史さん:2008/06/25(水) 18:03:06
国後、択捉での魚脂生産は高田屋以降だね。
西洋でナポレオンが暴れていた頃。
絞りカスは西南日本に運ばれて綿花用の肥料になる。

新巻鮭は塩をして筵に巻くわけだが、この塩は上物ならきっと瀬戸内の塩、
おそらく筵は若狭辺りから運び込んだ。
考えてみりゃ蝦夷は米の適地とは言いにくいわけで、
持ち込まなきゃ藁なんかそうやすやす手に入るものじゃない。
塩も現地生産したとは考えにくい。

と考えると、新巻鮭はかなりダイナミックな食べ物だ。
442日本@名無史さん:2008/06/25(水) 19:36:23
数の子が江戸の町で食べられてたのは知ってるけど
イクラは食べたんでしょうか?
443日本@名無史さん:2008/06/25(水) 20:37:14
イクラは平安時代から 献上品
流石に蝦夷地産では無いが。
444日本@名無史さん:2008/06/25(水) 20:43:35
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
445日本@名無史さん:2008/06/25(水) 21:07:42
>443
イクラはロシア語源だよね。
イクラと呼ばれる前はなんと呼ばれてたの?
446日本@名無史さん:2008/06/25(水) 21:11:19
シャケタマ
447日本@名無史さん:2008/06/26(木) 02:08:23
筋子だよ
448日本@名無史さん:2008/06/26(木) 02:13:27
精力のつく料理ってだいたい江戸時代からあるよね
449日本@名無史さん:2008/06/26(木) 02:37:14
精力増進系料理は鯉や鰻やスッポンくらいだろ?あと獣肉?
公坊様はオットセイの陰茎とか食べてたみたいだけど
450日本@名無史さん:2008/06/26(木) 03:47:37
獣肉は薬扱いされてたから、精力つくとは認識されてたんだろね
ところでオットセイてどこで取れたんだ?
451日本@名無史さん:2008/06/26(木) 04:45:08
エゾ地
452日本@名無史さん:2008/06/26(木) 07:00:22
もともとがたんぱく質・脂肪不足の食生活だから
精力増進といったらそうなるんだろう
453日本@名無史さん:2008/06/26(木) 07:02:33
クコの芽を使ったクコ飯というのがあるなぁ<精のつく料理
あと、ドジョウとか鶏卵とか。
出産後に白砂糖とかも聞いたことが
454日本@名無史さん:2008/06/26(木) 07:31:05
ドジョウが一番身近な素材で精がつきそうだな
455日本@名無史さん:2008/06/26(木) 10:12:49
最近うちの周りは(千葉県外房、かなりの田舎)鯲見られなくなったよ。以前は鯢とか蛍も普通にいたのに。
456日本@名無史さん:2008/06/26(木) 12:57:15
ちゃんと分析したわけじゃないが、江戸時代の食事はタンパク質不足
っていうのはちょっと疑問
米はタンパク質をかなり含む食品だし、大豆や干物なども含む

ビタミンBは不足がちだった。
茶を大量に飲めば補えるということで、緑茶は盛んに飲まれた
457日本@名無史さん:2008/06/26(木) 13:38:32
1日に3食食べる習慣は、エジソンが自分の発明したトースターなどの調理器を売るために、
宣伝を繰り返したことから始まったらしい。それまでは1日2食だった。
日本も江戸時代から明治は1日2食と聞いたことがある。
江戸の食い物である蕎麦・寿司・天ぷら・鰻・どじょうについてはこのスレの話で想像がつくけど、
江戸町民の日常のメニューって、どのようなものでしょうか?
458日本@名無史さん:2008/06/26(木) 14:05:37
塩分+飯

固体の塩分は漬け物
液体の塩分は汁
液体の飯は酒

でございます。
アルコールは多糖類だからね。

一日三食の風習は室町期からすでに見られたという。
459日本@名無史さん:2008/06/26(木) 15:09:59
>>438
そうだよ。高校で習ったでしょう。
460日本@名無史さん:2008/06/26(木) 15:45:18
俺はいまでも昼に一食しか食わない
461日本@名無史さん:2008/06/26(木) 21:23:13
>>460
ギャル曽根じゃあるまいし、ほとんどの人は昼に一食だと思うが
462日本@名無史さん:2008/06/26(木) 22:07:32
旅行とか行くと
10時頃軽い昼食を食べたあと2時ごろもう一回昼食のあと
洋菓子おやつと和菓子おやつをはしごしたあとさらに和菓子おやつのあと
5時ごろ晩御飯のあと9時ごろ夕食のあと1時ごろ夜食とかするよな
463日本@名無史さん:2008/06/26(木) 22:10:27
下級武士の食日記から抜粋

魚類トップ3
購入回数
いわし42回(17文) さけ18回(25文) かつお15回(30文)
値段ワースト
はまぐり刺身13文 干物14文 にしん16文

野菜類
購入回数
なす22回(14文) 大根9回(14文) ねぎ5回(11文)
値段ワースト
にんじん8文 きゅうり10文 ねぎ11文

惣菜類
購入回数
焼き豆腐48回(5文) 漬け菜37回(7文) 白豆腐14回(30文)
煮豆に年間489文使用。結構食べてる
値段ワースト
焼き豆腐5文 揚げ豆腐5文 漬け菜7文

おかずはいわしと豆腐最強説

ちなみに飯は昼に炊いて残りを夜と朝に食べる3食。上方の人間じゃから
江戸の人は朝炊いて残りを昼と夜に
大店だと朝昼晩の3回炊くとか2回炊くとかまちまち
464日本@名無史さん:2008/06/26(木) 22:24:40
購入回数といわれてもどういう期間か
465日本@名無史さん:2008/06/26(木) 22:29:18
名前出て来ないが、日記に必ず食ったものと
その値段を書き入れる習性の武士が確かいたね。
数えたのか。すげぇな。

浅草海苔ってのが長く疑問だった。
浅草に海。ないではないか。
目黒で秋刀魚をとるよりも難しいのではなかろうか。

理由は単純で、徳川入府以前は浅草辺りまで海だったと言う。
浅草は関東の名湊だった。
江戸は我々が思う以上に埋め立てられた土地だと言うことを改めて知った。

なお、浅草海苔によく使われた海藻は、今では絶滅危惧種だそうである。
466日本@名無史さん:2008/06/26(木) 22:44:52
永禄から天正年間には浅草は海から遠ざかっており、
徳川家康の入府(1589年)以後の江戸時代初期には
干拓により海苔の採取が不可能になっている。

下総国の葛西で採れた海苔などが加工されて販売されつづけ、
消費地である江戸の市街地造成や隅田川の改修などにより
浅草が市や門前町として発展すると評判が上がり、
江戸の発展とともに「浅草」を冠せられるようになったと考えられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%8E%E3%83%AA
467日本@名無史さん:2008/06/27(金) 00:03:14
>>465 こんなとこだね。
http://www.ni.bekkoame.ne.jp/potos/tokyo-map.htm
江戸名物といえば火事だが、焼けた残土や瓦礫を使って埋め立てた面が大きい。
468日本@名無史さん:2008/06/27(金) 03:06:42
はまぐり安いなw
469日本@名無史さん:2008/06/27(金) 05:18:09
>>463
かなりヘルシーですね。
メタボから成人病は考えられない食生活。
しかし、寿命はどうだったのだろうか?
病気ににならなければ長生きできるはずです。

> 江戸は我々が思う以上に埋め立てられた土地だと言うことを改めて知った。

そうなのです。
初期の銀座は海岸の砂浜に近い状態だったと思う。
新橋や有楽町は海で、外堀とつながっていた。
神田は丘だったらしく、それを崩して大手町から新橋にかけ埋め立てたらしい。
築地も元々は海だった。江戸の大火で浄土真宗西本願寺の寺が焼けたあと、
東本願寺派の寺は徳川方であった理由で再興を許されたが、
西本願寺派は豊臣方という理由で再興を許されず、干潟であった築地をもらった。
そこを関西からきた佃島の漁師が埋め立て、寺を再興したのです。
それで、築地と名前がついた。深川も干潟だった。
470日本@名無史さん:2008/06/27(金) 06:17:08
>>465
こういうの見てると俺の食生活も残しておけば
数百年後には立派な資料かもな
DVDとかそういたものでは残らないので墨で竹にでも書いておくか・・・
471日本@名無史さん:2008/06/27(金) 06:18:49
>>463
かなり俺好みの食材だ
下級武士クラスだったら俺は食品には満足だな
今の飯よりうまそうとさえ思ってしまう
472日本@名無史さん:2008/06/27(金) 07:00:38
>>470

その前に現代という今が、後世から見て、
江戸のように興味や一種の憧憬をもって迎えられる時代であることが肝要
もっとも美化しすぎはいけないが。
473日本@名無史さん:2008/06/27(金) 07:31:06
東京近郊にお住まいの方なら、深川江戸資料館を訪れることをおすすめします。
http://www.kcf.or.jp/fukagawa/index.html
大江戸線あるいは半蔵門線の清澄白河からすぐです。
帰りは森下の伊せ喜でどぜうなどいかかがでしょうか。
http://www.dozeu-iseki.com/index.htm
創業が明治とありますが、別の資料では江戸からつながってるはず。
この地に来たのが明治?
474473:2008/06/27(金) 07:44:12
伊せ喜を調べたら、江戸末期鎌倉町(現在の内神田)とある。森下に移ったのが明治です。
駒形どぜうより静かで落ち着いた雰囲気、通好みの店です。
それと、桜鍋のみの家も近所です。
http://www.morisita.net/minoya/index.html
475日本@名無史さん:2008/06/27(金) 18:10:10
新宿あたりで、どぜう屋か桜鍋屋知りませんか。
476日本@名無史さん:2008/06/27(金) 18:19:38
>>475
新宿はわかりませんが、渋谷に駒形どぜうの支店があります。
けっこう流行っていますよ。
ランチがおすすめで、1500円です。
丸のなべ一枚と、どぜう汁、つきだし、ご飯、お新香、です。
ご飯はおかわり自由だったと思う。
477日本@名無史さん:2008/06/27(金) 18:40:52
深川在住なんで、さくら鍋に泥鰌にあさりのぶっかけ飯、炊き込み
・・・ひと通りは食べてもいるけど、
観光や下町散歩のついでに、名物として、話のネタとして食す、
くらいな心持ちで食べてみるのが良いと思う。

今は清澄庭園の菖蒲田が綺麗だよ。
478日本@名無史さん:2008/06/27(金) 19:14:27
>>476
最近移転して井の頭線脇のビルの四階になったよね。
ランチはいいが夜行くと葱が古くなってるのが減点だけどうまいよ。
あそこの鍋を焼くのは自分が一番上手いと秘かに自負してます(^_^;)
479日本@名無史さん:2008/06/27(金) 23:54:29
森下は、下町グルメの銘店が多いよ
俺は駒形どぜうフリークだけど
食い通の諸先輩方は、どぜうは森下と云う
480日本@名無史さん:2008/06/28(土) 05:35:31
>>479
しかし、蕎麦がないね。
蕎麦の食べ歩きはほとんど終了したが、
1 砂場系は3カ所、「虎ノ門砂場」「室町砂場」「巴町砂場」。
2 更級系は麻布十番の「更級堀井」、御前蕎麦をどうぞ?
3 藪系は浅草の「並木」、最も辛いつゆ。

※「虎ノ門砂場」「室町砂場」は同じルーツで麹町から分岐。
「巴町砂場」は別系統の砂場だが、最も古いと思う。
江戸時代には砂場と名乗る蕎麦屋がたくさんあったらしい。
「神田藪」なんか邪道の極め。たいした歴史もない。藪系そのものが浅い歴史。
「並木」と「神田藪」は親戚だけど、「並木」は江戸時代のそばつゆを再現しただけ。
ともに創業は明治中頃だ。江戸から続いてるのは「更級堀井」「巴町砂場」だけかと思う。
そうそう忘れていた。上野の「蓮玉庵」は江戸からの店だけど、旨いと思わない。
481日本@名無史さん:2008/06/28(土) 06:02:45
よその板で
482日本@名無史さん:2008/06/28(土) 06:14:30
>>481
あなたよりわかっているつもりだけどね。

江戸の食い物で蕎麦は無視できないだろう。
あの狭いエリアに数千軒あったと言われる。
たぶん、コンビニみたいにあったはず。
まあ、ファーストフードなんだな。
今の居酒屋・赤提灯のようで、一杯飲んで蕎麦を食う。
現在、その流れの店はほとんど残っていない。
当時の日本酒はかなりのアルコール度数だったようだ。
17度以上? 薄い焼酎ぐらい?


483480・482:2008/06/28(土) 06:17:12
>>481
それより、あなた、江戸っ子?
484日本@名無史さん:2008/06/28(土) 06:33:59
以前、ゼミの先生と蕎麦屋に行くと
その先生は板わさで一杯、その跡で盛蕎麦というのが定番だったなあ。
ついでに自分は親子丼の後、盛蕎麦大盛り、よく食べられたものだw
485日本@名無史さん:2008/06/28(土) 06:41:39
蕎麦って食う気がしない
あの黒い汁も嫌だ
 
上品な薄味の汁に入った細麺のうどんが最高
486日本@名無史さん:2008/06/28(土) 06:52:48
>>484
そのゼミは何を教えていたの? 江戸文化?
俺も教授したいなw
板わさで一杯、で、蕎麦、最高ですね。
たぶんゼミは神田の「まつや」かと思うけど?

江戸では蕎麦屋で「抜き」といって一杯です。
つまり、蕎麦のない、天ぷら蕎麦。要は、酒の肴なのだ。
487日本@名無史さん:2008/06/28(土) 06:53:07
蕎麦は東国、うどんは西日本のが好きだな
488日本@名無史さん:2008/06/28(土) 06:58:13
>>487
でも、それが間違い。
砂場というのは大阪から発祥している。
489日本@名無史さん:2008/06/28(土) 07:14:22
なんでうどん屋の怪談ないの?
そば屋やそばは怪談か昔話に出てくるというのに
夜営業の屋台とかなかったのか?
490日本@名無史さん:2008/06/28(土) 07:33:17
>>489
江戸町内に5000軒ほどあったと言われる蕎麦。
そりゃ、ネタになるでしょう。
491日本@名無史さん:2008/06/28(土) 07:33:48
>>488
好きか嫌いの話に間違いはないだろ?
だいいち砂場なんて知らないし
492日本@名無史さん:2008/06/28(土) 07:53:21
>>491
このスレにいなくて良いかも。
砂場のルーツを調べてみてよ。
江戸の食い物を語れないな。
493日本@名無史さん:2008/06/28(土) 08:37:03
>>489
そばというのはいわゆるひとつの「江戸らしさ」なんだと思うよ
かまぼこに透明な酒,麺状のそば,黒い醤油かつおのだし,干した海苔の刻み

ロッテリアで都市伝説は作られずマクドナルドで作られるみたいなもんじゃないかな
494日本@名無史さん:2008/06/28(土) 08:48:38
砂場の謂れは砂場にあった麺類を扱っていた店のことををそう呼んだことだが
大阪の砂場と江戸の砂場との関係ははっきりしていない。

蕎麦もうどんも最初の頃は菓子屋が扱っていて、後に専門の店が出来たとか。
老舗のお菓子屋さんにはうどんの汁を入れる徳利が残っているとか聞いたことがある。
495日本@名無史さん:2008/06/28(土) 10:11:29
>>482
君には杉浦日向子氏の「ソバ屋に憩う」前書き及び新訂版後書きを送る。

10年早い世界というものが、あるのですよ。
496日本@名無史さん:2008/06/28(土) 10:29:21
ソバ切りの起源はもちろん精進にあるが、
市民権を得た当初は軽食という扱いだった。
量も少なく、箸をぐるっと掻き回せば一口と言われる。
汁には味醂を入れて、甘くしてあった。

日本酒は醸造酒としては度数が高い。
三段仕込みは世界でも珍しい手法と言われるが、
もっと珍しいのは、醸造過程が一発勝負だということ。
一般的にアルコール醸成は

デンプン→糖類に分解
糖→アルコール醸成

という2過程を取る。
ワインならブドウが最初から多量に含む糖類からアルコールにするわけだが、
デンプンから酒を作る場合、一度糖類にしなければアルコールはできない。
人間の唾液で糖類に分解することもある。

日本酒は、この2過程を一つの容器内で連続的に、あるいは同時進行的にやる。
また、雑菌の繁殖を防ぐ為に、乳酸菌も増やす。
タンクの中で複雑な生態系のせめぎ合いを作り出すという点、
実はすごく高度なことをしている。
497日本@名無史さん:2008/06/28(土) 12:37:32
皆さん!ちょっと「砂場」についてですが。

「砂場」と言う相当でかい蕎麦屋が大阪にあって、名物になっていた。
ただ江戸後期で、蕎麦切、にぎり寿司、天麩羅など江戸名物が
そろそろ上方に入って来た時期でした。

初期には、上方物が重宝された江戸でも、文化の爛熟期を迎えてました。
そうとう江戸人が自信を持ってきていた。
なんせ、江戸土産の一番人気は浮世絵でした。

俺は、蕎麦もうどんも素麺も稲庭うどんも全部好きです。
東海道を通じて結構、人、物、文化の行き来は活発だったようです。
498日本@名無史さん:2008/06/28(土) 13:35:35
酒は燗、肴は気取り、酌はタボ。

気取りとは下手な食べ物をたくさん、ではなく、
いいものを少しという意味。
肴は食べるものではなく、舐めるもの。

そのイメージから転じて、
「指しゃぶったって四勺くらいの酒は飲むんだ」
と言えば上戸の江戸っ子の啖呵となる。

ちなみにタボは女性の髪型の部位のこと。
すなわち美人を指す。
酌はタボに限ります。

暑い夏には「直し」もよく飲まれた。
焼酎をみりんで割った、薄甘く日本酒よりあっさりした飲み物で、
よく冷やして飲むとおいしい。
499日本@名無史さん:2008/06/28(土) 18:09:13
更科/砂場/藪の老舗蕎麦三派の中で私は藪が好き
本家かんだ藪(神田)並木藪(浅草)池之端藪(上野)等
藪御三家より枝流の上野藪(上野)が一番旨いと感じる
でも老舗三派の歴史自体が江戸時代後期〜以降だから
スレ違いだね
500日本@名無史さん:2008/06/28(土) 18:22:20
ttp://www.asahi-net.or.jp/~UK5T-SHR/simazaki.html

煎酒はすぐ作れそうだな。今度作って刺身作ってみようかな。
501日本@名無史さん:2008/06/28(土) 18:41:45
江戸の呑みだおれ。

江戸っ子は「下戸遺伝子」てなヤヤこしいもの持ってないから。
いいなあ。
502日本@名無史さん:2008/06/28(土) 19:16:32
前はビール飲んで、蕎麦食ってたけど
最近は、必ず酒にしてます。
503日本@名無史さん:2008/06/28(土) 19:22:41
>>480
更科堀井は更科御三家でで一番好き、度々行ってます
砂場は、巴町砂場しか行った事無いけどおいしかった
江戸そばの象徴?藪御三家は、あまり旨く無いけど
上野藪はオススメですよ!藪だからツユは辛いけどね

蓮玉庵はこじんまりした店の雰囲気とアテが好き
でも蕎麦は富士そばに負けてますねw
神田のまつやは、行くといつも行列してて諦めて‥orz
504日本@名無史さん:2008/06/28(土) 19:32:20
出た、スタンプラリー式愛好家w
505480:2008/06/28(土) 20:02:58
すみません、蕎麦で盛りあがってますね。
江戸の食い物で蕎麦を無視できません。
もっとみなさんの情報を知りたいな。
506日本@名無史さん:2008/06/28(土) 20:13:10
ひるはコンビニのざる蕎麦だった(ry
あまりにも侘しいので少しでも雰囲気を出そうと
江戸中期の古伊万里の蕎麦猪口で食べてみた。
案外うまかったw
507503だけど:2008/06/28(土) 20:29:14
>>504うまいこと言うね〜♪
老舗信者じゃないけど気がついたら導かれてる
508日本@名無史さん:2008/06/28(土) 20:33:49
>>505
無視はできないが、蕎麦と蕎麦屋は別のものだし、
江戸時代の蕎麦屋と今の蕎麦屋はまた違ったもの。
第一、読んでるとその時代に目が向いてないじゃない。
509日本@名無史さん:2008/06/28(土) 20:45:56
>>507
まあスタンプラリーでもオリエンテーリングでも
趣味としては十分だが、何せここは史板だから。
どうせ書くなら歴史と絡めて書いたら?
510日本@名無史さん:2008/06/28(土) 20:46:16
>>481の言うとおり、どこの蕎麦屋がどうとかは食文化カテゴリーの話題だと思うんだ。
511503:2008/06/28(土) 21:09:09
皆さんの言う通り板違いですね。
現代に残る老舗蕎麦屋は歴史が浅いんだよなぁ
512日本@名無史さん:2008/06/28(土) 21:11:39
>>501
どうしてもこの分野のまとまった著述をする人が少ないから、
同じ名前ばかり度々出てくる始末になってしまうが、
杉浦日向子氏の試算によれば、最盛期、
江戸っ子は下戸や女子供を含めた頭割りで日に2合は消費していたらしい。
江戸っ子の気が短いのはいつもほろ酔いだったからじゃないか、
となかなか面白い推測をしている。

謎なのはこれだけ酒好きな江戸周辺で酒をろくに生産しなかったこと。
火山灰地の為に水がよくなかったという見解が多いが、
静岡方面に少し行けば富士の名水がいくらでも出る。

私見だが、気温と杜氏の影響が大きかったような気がする。
関東の冬は日本酒の仕込みには少し暖か過ぎる。
また当時、杜氏は季節労働者だが、江戸周辺まで足をのばすのは遠すぎ、
船の便で言っても血の巡りの悪い地相だった。
また、ここからは全くの想像になるが、
伊丹、灘、西宮辺りの酒造業者が杜氏の囲い込みをしていたとて不思議はない。
513日本@名無史さん:2008/06/28(土) 21:15:58
>>511
天麩羅屋、寿司屋もそうだよ。
団子なんていうと意外なほど歴史が古かったりする。
根岸名物、羽二重なんかは江戸期からあるんじゃないか。
少なくとも子規が根岸に住んでいた頃にはもう名物として存在していた。
514日本@名無史さん:2008/06/28(土) 21:33:22
江戸を流して歩く商売でユニークなのが、水売り。
文字通り冷や水を売って歩く。
少し甘味を付けた水だったか、氷は入るものなのか、
ずっと昔に何かで知ったきりなのでよく覚えていない。
誰か補足頼む。

江戸は水道水を使う町なので、水売りなんて商売もうなずける。

落語「唐茄子屋政談」では若旦那が唐茄子の流し売りをする。
唐茄子、カボチャのことだが、これを安倍川にして食うという表現がある。

安倍川は、柔らかく煮て黄粉をまぶした食べ方。
安倍川餅の安倍川と同じ用法。

どうも江戸時代の庶民は甘味に飢えていたようで、
みりんだの麦芽だの唐茄子だの、
少しでも甘味のあるものは甘味を引き出して食べたがる。

輸入品の砂糖を買う為の支出というのが、長らく幕府の頭痛の種だった。
時代的に言うと、折しも西洋ではカリブ海で
砂糖を馬鹿みたいに作っていた時期と重なる。

国産砂糖が一定以上の品質になるのが江戸後期。
和三盆なんて有名だね。
食べ物には関係ないが、国産生糸と絹が一定以上の品質になるのも江戸後期。
こちらは明治になってから日本の貿易決済を支え続ける。

もし江戸時代がなかったらと思うとぞっとする。
515日本@名無史さん:2008/06/28(土) 21:59:41
さすがに街中に氷室があって商売として成立してたとは想像できないが
516日本@名無史さん:2008/06/28(土) 22:06:19
>>513
根岸の羽二重団子は文政二年だから
1819年から売ってるんですね
517日本@名無史さん:2008/06/28(土) 22:44:08
『冷水売り』
夏月、清冷の泉を汲み、白糖と寒晒粉(かんざらしこ)の団(団子)とを加へ、
一椀四文に売る。求めに応じて八文・十二文にも売るは、糖を多く加ふなり。
売り詞、“ひやつこい ひやつこい”と云ふ。('守貞漫稿)

これとは別に水の悪い深川などへ桶で生活用水運び売る水売りもあり
518日本@名無史さん:2008/06/28(土) 23:05:48
本所・深川は悪水の溜まるといったような地味だったようだね。
湿地を埋め立てた土地という点では他も同じなのに、
やたらぼうふらが沸いたらしく、蚊が多かった。

隅田川の対岸に生活用水を運ぶ商売は初めて知った。

江戸の売り声はそれを専門にする芸人が今でも現役で存在するくらい面白いのだが、
食べ物そのものからは少しそれる。
519日本@名無史さん:2008/06/28(土) 23:27:35
ほう
「かんざらし」というと九州は島原の夏の風物詩だが
まさにそれみたいのが江戸時代の江戸にはあったのかな
520日本@名無史さん:2008/06/28(土) 23:40:57
島原のかんざらし
http://kanzarashi.mizuyashiki.com/

ほぼ同じものと考えていいのかな
521日本@名無史さん:2008/06/29(日) 01:06:27
>>514
そういえば関東のおせちは伊達巻き(砂糖を味付けに使う、甘い)を入れるが
関西は出汁巻き(甘味はみりん使用、そんなに甘くない)ですな
522日本@名無史さん:2008/06/29(日) 02:04:57
半可通の蕎麦薀蓄が終了したようで、めでたい。
蕎麦なんて蕎麦もつゆも個人の好み、地域性も影響するもんなのに、
あそこのは不味い、ここの味がわからんのはモグリ、
みたいな聞いたような口をきく奴はでぇきれいだよ。

ましてや、今の蕎麦と江戸時代のソレは違うもんなのにさ。
523日本@名無史さん:2008/06/29(日) 02:57:56
>>522
>>499>>503ですが
そんな風に言ったつもりじゃなかったのですが
不快な点があればお詫びします、お許しください

大の蕎麦馬鹿なので蕎麦が好きなもの同士で
各地各人の趣向を非難する気は全くありません
私自身が一番好きな蕎麦も地方の蕎麦です。

最近知った魅力的なこの板にハマっていて
覗いていたら、蕎麦の話題が出て嬉しくなり
ついつい余計な書き込みをしてしまいました
ごめんなさい

引き続き楽しく拝見させて頂きます!
524日本@名無史さん:2008/06/29(日) 03:14:42
たしかにハンカクサイやつはウザいな
525日本@名無史さん:2008/06/29(日) 03:18:11
>>520
うちの田舎は北陸だけど、これ夏に作ってよく食べたよ
冬は善哉に入れたな、白玉。
526日本@名無史さん:2008/06/29(日) 03:35:40
伊庭八郎の征西日記(通称。実はこういう題ではない)を読むと
当時の京都の食べ物や値段が良くわかる。
527日本@名無史さん:2008/06/29(日) 08:30:59
あの、深川飯は江戸名物でしょ?

深川を『江戸』と呼んだら、某江戸っ子に怒られた。
「あれは川向こうだ」って。
深川の人、ゴメン。

じゃあどこが江戸だって聞いたら

日本橋と神田だと言われたけど。
本当?
528日本@名無史さん:2008/06/29(日) 09:49:09
釣りっぽくて答えるのがちょっぴりイヤなんだが
両国橋という名が示すように、隅東と隅西では旧分国が違う。
元々の江戸はもっぱら隅西を指した。
かと言って深川は江戸ではないというのは極端過ぎ。
徐々に開発されて江戸と一つ地域になって行った。
529日本@名無史さん:2008/06/29(日) 10:01:19
んだな
狭い意味では初期の江戸の範囲である江戸城の外堀の内側を江戸と呼んだんだけど
人口の増加とともにいわゆる「御府内」と呼ばれる範囲は拡大
江戸後期では旧東京市15区のエリアが江戸ということになる。
この定義だと深川は江戸だよ。

ただ、こだわりのある人にとっては隅田川の東側は江戸じゃねぇ、ということになる。
530日本@名無史さん:2008/06/29(日) 10:10:30
日本橋・神田は江戸っつーか下町だな
九段下までが下町で坂上からが山の手
531日本@名無史さん:2008/06/29(日) 11:10:29
深川って川があると思ってた。

人名なのね。
532日本@名無史さん:2008/06/29(日) 13:44:56
本所は江戸じゃなかったのか?
江戸の七不思議って本所七不思議ていうのに
置いてけ堀とか消えずの二八蕎麦屋とか足洗い屋敷とかそういうの
あれでも洗足って地名が足洗い屋敷に関係があるというが洗足は目黒出しよくわからぬ
533日本@名無史さん:2008/06/29(日) 13:48:12
というか墨田に狐狸やカワウソ(今は日本中探してもいない世界中でもいないということになる)がいたわけね・・・
534日本@名無史さん:2008/06/29(日) 15:45:51
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
535日本@名無史さん:2008/06/29(日) 17:26:47
>>532
本所も深川も向島も江戸。
536日本@名無史さん:2008/06/30(月) 02:31:29
本所や深川が江戸という範囲でなかったら、
たくさんの時代小説や時代劇の舞台が
「江戸ではない土地」って屁理屈になっちゃうね。

537日本@名無史さん:2008/06/30(月) 09:56:43
明暦の大火以前は神田、日本橋、京橋、芝辺りが町人地の中心地だったので
件の江戸っ子にとってはこの古町以外は江戸じゃないのかと。

時代劇で耳にする江戸所払いの範囲は
東は本所・深川、西は四谷・板橋、南は品川、北は板橋・千住以遠。町奉行所の支配範囲とほぼ一致

寺社奉行所の定めた江戸の範囲は
東は木下川・須田村・亀戸・砂村、西は代々木村・角筈村・上落合村、南は上大崎村・南品川宿
北は千住・尾久村・滝野川・板橋

正式に江戸の範囲が決められたのは1818年で、寺社奉行所の定める範囲を
御府内と呼んだのだとか
538>>1:2008/06/30(月) 17:55:44
皆様、ありがとうございます。
>>1です。 

こんなにも、ご贔屓にしていただいてすごく嬉しいです。
私も色々勉強させてもらって、助かってまつ。
実は、あまり出しゃばらないように、カキコもしてます。
凄く良いスレに育ってくれました。
皆様のお陰でしょう。
これからも個人的な思い入れや、知識を披露して下さい。

500を超えたので、少しゲテ物も良いかなと思います。
テーマは日本人の「犬食い」「猫食い」です。
なかなかレアな食文化ですが、興味しんしんです。

それ以外も知りたい事はバンバン書いてください。
私もわかる範囲でお答えします。
宜しくお願いします。
539日本@名無史さん:2008/06/30(月) 18:38:59
すぐ朝鮮とか中国持ち出す奴が出るから却下。
540日本@名無史さん:2008/06/30(月) 21:33:31
現在でも「東京」とはどこかといわれれば
ディズニーランドから成田空港を経てぐるーっと武蔵野線円周の外側ぐらいまで
東京だもんな
541日本@名無史さん:2008/06/30(月) 22:10:39
弥生人は明らかに犬を食用として飼育してた。

畿内人と瀬戸内人は、韓国の犬食文化を非難する資格なし。
542日本@名無史さん:2008/06/30(月) 22:12:46
スレタイ読んで江戸時代の話しようね
543日本@名無史さん:2008/06/30(月) 22:56:35
江戸前、という言い方は京阪地域への対抗意識が前面に出たものだと思うが、
しかし江戸前の海産物が豊富だったってのは興味深い。

周知の通り江戸は埋め立てで殖えた土地であって、
その始まりは1600年頃にさかのぼる。
言わば魚の住処を目減らししながら発展した姿が江戸なのに、
豊饒の海と言われ続けた。

実状はどうだったのだろう。

生活排水の多くは米のとぎ汁や野菜くずなどで、
環境への負荷は軽く、むしろ海藻魚貝の生育に資したとも言われるが、
何せ100万都市だ。

江戸贔屓の身としてはやすやすと信じたい気持ちもあるのだが、
もう少し精密な情報が欲しい気もする。
544日本@名無史さん:2008/06/30(月) 23:01:01
>>542
薩摩人は犬を食用として飼っていた。
日本人とは全く異なる食文化。
545日本@名無史さん:2008/06/30(月) 23:27:04
まあ、かぶき者の犬食がいわゆる「生類憐みの令」発令の契機になったとする話も有りますから、
(塚本学「生類をめぐる政治」)
少なくともそれまでは犬食自体は希ではあっても
そう奇異な話ではなかったのでしょう。

羊頭狗肉、とか、狡兎死して走狗煮らる、
なんて諺も人口に膾炙していますから
とりたたて、騒ぐほどの物ではないかと
546日本@名無史さん:2008/06/30(月) 23:33:08
少なくとも江戸市中に猫はたくさんいたが
犬はあまりいなかった。
大名の奥方が狆を飼っていたなんて話はよく目にするが。
547日本@名無史さん:2008/07/01(火) 02:48:29
千代田の大奥の高級女中は猫好きが多かった。
548日本@名無史さん:2008/07/01(火) 08:17:38
>>1は朝鮮人だったんだな
戦国板でも各板でも日本人は犬を食っていましたと主張しては荒らしスレを立てる奴がいたが
ちょっと考えるようになたようだ500まで我慢することを覚えた
549日本@名無史さん:2008/07/01(火) 11:18:45
江戸というと先ず蕎麦が出てくるけど
汁粉屋が多かったって本当?
あと、懐中汁粉なるインスタント汁粉があったとか。
550日本@名無史さん:2008/07/01(火) 14:58:02
>>546
しかし、「伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言われてたほどだから
野犬も多かったのでは。

狸汁は良く聞く食い物だし、どちらも犬科の動物ですよね。

薩摩に食用の犬がいたことは聞いたことあります。
他の地方はどうだったんでしょうか?
551日本@名無史さん:2008/07/01(火) 15:29:14
せっかくの良スレが荒れるオカン
552日本@名無史さん:2008/07/01(火) 16:55:02
主食に対する日本人の捉え方が五穀という多義的なものから米の飯に推移したのは、
織豊期、もしくは江戸期と思われる。

温暖湿潤を好む稲に偏向することで、寒冷地域は経済的に陥没して行く。
そして、精白度の高い飯、白米を食すようになった江戸後期からは
都市部を中心に脚気が流行。

この白米への偏向は明治以後も引き継がれ、今なお年配者に根強い。
553日本@名無史さん:2008/07/01(火) 19:02:06
犬食いと主食論争は荒れるから避けてほしかったな・・・
前者は隣国の人が暴れ後者は関西の人が
「東北ではドングリが主食でした。彼らはどんぐりころころの夷です」って
いくら証拠だしてもいいえどんぐりです僕が証明しましたて際限なく主張するから本義から離れてしまうのだ
554日本@名無史さん:2008/07/01(火) 19:05:35
地元の念仏踊りの文句に
「盆てば米の飯、お付けてば茄子汁、十六ささげ(豆)のよごし(胡麻和え)はどうだい」
と言うのがあった。やはり白飯自体ご馳走だったのだろう。
555日本@名無史さん:2008/07/01(火) 20:56:19
そんな主食論争聞いたことない。
556日本@名無史さん:2008/07/02(水) 01:55:24
>>549
懐中汁粉は今でも和菓子店で売っているもんだよ。
557日本@名無史さん:2008/07/02(水) 08:52:11
このスレみてると和菓子が食いたくなってくる
杉奈美中野近辺で美味くてそこそこ高くない店あるだろうか?
558日本@名無史さん:2008/07/02(水) 09:14:51
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69:名無しさん@全板トナメ参戦中 :2008/06/30(月) 17:36:03 ID:2aGz0rPl0
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■日本の首相は結婚生活ではなくオナニーで政権が取れると言っている
■横浜の女装祭りはゲイの宣伝になる
■かつてパールハーバーと南京大虐殺を起こした日本政府が、児童性愛者向けのマンガを作ってオタクを自衛隊にひきつけようとしている
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■イザナギは神道伝説の神話の神であり、日本列島は彼のこぼした精液から生まれた
559日本@名無史さん:2008/07/02(水) 19:49:01
燃料を添加したつもりが水をさす結果になった>>1
560日本@名無史さん:2008/07/02(水) 21:54:27
地元の殿様からの幕府への献上品に「マンボウの腸」があった。
どうやって食べたのだろう?
魚屋では見た事がないのだけれど、
どなたか食べた事のある方はいらっしゃいますか?

江戸城には各地から様々な献上品が届くのでしょうが、
それぞれ本当に公方様の膳に饗されたのでしょうか?
561日本@名無史さん:2008/07/04(金) 03:23:35
マンボウの腸は食べた事はないけど、間近で捌いてるのを見た事はあるよ。
普通の魚の腸とは違う、しっかりとした肉厚で、豚ガツとか牛ミノとかそんな感じだったよ。聞くと実際そんな食感らしい。
562日本@名無史さん:2008/07/04(金) 06:14:02
懐中汁粉は酒席の前などにこっそりと飲んで悪酔防止のために重宝されたらしい。
なんでもインシュリン量のウンたらカンたらとかで科学的に見ても効果があったとか。
563560:2008/07/04(金) 21:05:31
>>561有難うございます。
かなり歯応えのある物なんですね、
当時は吸い物の具や煮付けにでもしていたのでしょうか?
それとも、薄く切って刺身?
564日本@名無史さん:2008/07/05(土) 04:23:32
561です。
マンボウは割と足の速い魚だと聞いてるので、加熱して食べたでしょうね。
ちなみに身は水っぽくて貝柱というかイカというか、それらを合わせたような不思議味&食感でした。
565日本@名無史さん:2008/07/05(土) 16:46:52
>>538
ネズミを捕る貴重な猫は食べないよ。
犬は地方によっては食われていた。
566日本@名無史さん:2008/07/06(日) 18:19:17
>>157
亀な話だが、津軽の斜陽館が営業していた頃に夕食に出ていた。
クリーム色っぽい黄色い身で、醤油に何か思い出せないが辛子を加えて喰ったが
ザラザラした食感で咽の通りは非常に悪く、無理矢理飲み込んだが・・・・

今風にいえば、ゲロマズかった。
567日本@名無史さん:2008/07/06(日) 19:06:43
いわゆる洗いではなくて刺身っていうこと?
洗いを含めた広義の刺身?
568日本@名無史さん:2008/07/06(日) 19:32:02
佐久に行けば鯉の洗いをワサビで食ったほうが美味いよ
569日本@名無史さん:2008/07/06(日) 20:28:17
鯉はうま煮(甘露煮)が好き、身もワタも美味しいけど
コケラ(うろこ)だけは苦手。
570日本@名無史さん:2008/07/06(日) 21:02:49
鯉の刺身はコシがなくてふにゃっとしてて
かみしめるときしきし生臭さがにじむ感じで
どうにもまずいイメージしかない

食べたのが温泉旅館の晩飯だったから、きちんとしたところで
食べればおいしいのかもしれない。でもあの気持ちの悪い
しんなりとした生臭さに再チャレンジする気力はないな・・・・・・
571日本@名無史さん:2008/07/06(日) 21:43:37
>>564
辻ちゃんの料理が紹介されて人気の杉浦太陽のブログによれば
マンボウは刺身にすると白身魚とホタテを合わせたような食感で美味いと
ソテーにしたら食えたものじゃなかったらしい
572日本@名無史さん:2008/07/07(月) 19:42:05
マンボウはサメと同じようなもんだしね。
573日本@名無史さん:2008/07/08(火) 06:31:00
鯉の刺身
若桜だっかな、春食べた鯉は臭みもなく、
実にうまかった。

が、春だけらしい。
574日本@名無史さん:2008/07/08(火) 07:12:40
鮎を開きにして、塩水にちょっとつけ、日陰で半日干す。
これを網焼き、旨いです。
東京の川で釣っても食べちゃうぞ。
河原でバーベキューしながら釣りをして、作れば最高。
575世界@名無史さん:2008/07/08(火) 08:42:08
おいおい大丈夫かあ、漁業権って知ってる?
576日本@名無史さん:2008/07/08(火) 09:30:49
>>574
該当する河川の内水面漁業組合発行の鑑札を取得してから楽しみましょう。
川にいる鮎のかなりの部分が内水面漁業組合が放流した鮎だし。
鮎釣りが趣味の人はみんな取ってるよ。

ちなみに漁の方法毎に鑑札が必要ですよ
うちの父親は投網の鑑札を毎年とってたなぁ
577日本@名無史さん:2008/07/08(火) 09:49:55
>>575
説明が悪かった。
釣り人からもらう。
釣るだけが趣味の人も多い。
578日本@名無史さん:2008/07/10(木) 14:30:54
江戸の人は上方の桜餅(道明寺)の存在を知っていたのだろうか?
579日本@名無史さん:2008/07/10(木) 22:44:25
ももんじやのはなしをNHK教育でやってるのでage
580日本@名無史さん:2008/07/11(金) 01:18:11
NHK教育の内容、面白かったね。

薬食いのこと、薩摩藩邸内では豚飼育や
獣肉をを食する人が増えていたことも充分知ってはいたけど、
紀州藩の江戸藩邸に暮らす勤番の普通の武士が
豚肉を購入して藩邸内のお長屋で自分で調理していたとは。
しかも何度も。
581日本@名無史さん:2008/07/11(金) 01:32:00
いやこのスレでも何度も出てる人なんだが・・・
というかあれでも貴重な資料になるんだから
歴史に貢献できないであろうお前も
自分の食生活と物価を克明に墨で竹(最近のものは劣化が早く
再生媒体がないとだめなので1000年もつ木簡竹簡が一番よろしい)
にでも記入して保存すれば
300年後に歴史に名を残せるかもしれないぞ
582日本@名無史さん:2008/07/11(金) 02:07:24
それこそ、伊庭八郎征西日記。
583日本@名無史さん:2008/07/11(金) 06:24:16
>>581
石版に書けば1万年後にも名を残せる
584日本@名無史さん:2008/07/11(金) 13:02:18
そして1万年後には
「その当時の人類は石版に記号を書いて情報を伝達していた」
ということが常識となるわけですね よくわかり(ry
585日本@名無史さん:2008/07/12(土) 17:58:06
1万年前の人々はハングル文字を使用していたのか・・・・・
586日本@名無史さん:2008/07/14(月) 23:15:59
少なくとも牛馬はきちんとトサツしていなくて 斃死したのを時間おいて ばらした物だから食えたものじゃなかったはず
587日本@名無史さん:2008/07/17(木) 00:02:53
それで味噌漬けにするんだな>牛。
588世界@名無史さん:2008/07/18(金) 22:52:57
まあ、肉にしろ魚にしろ臭いを誤魔化すのは得意だから>味噌
589日本@名無史さん:2008/07/19(土) 12:44:43
>>586
カムイ伝の読み過ぎ
590日本@名無史さん:2008/07/19(土) 15:06:31
斃死牛馬は皮と角、骨をとるぐらいで、肉は食わないでしょう。
591日本@名無史さん:2008/07/19(土) 17:24:08
>>590
薬食用に高値で取引されてるよ
592日本@名無史さん:2008/07/19(土) 19:03:27
そういえば、鳥類という建前でウサギは一羽二羽と数えて、
けっこう食べられていたようでないかい?

ただ、妊婦が食べると”みつくち”の子供が生まれるとの
言い伝えがあったとか。
593日本@名無史さん:2008/07/20(日) 20:04:24
牛鍋については
「福翁自伝」にでてくる。
大阪の話だけど、なんか彫り物したヤツとかが
食ってたらしい。
594日本@名無史さん:2008/07/20(日) 22:45:45
彫物は栄養が不足すると色が冴えなくなるらしいから滋養があるものを好んだのかな
595日本@名無史さん:2008/07/20(日) 22:54:51
犬鍋は?
596日本@名無史さん:2008/07/20(日) 23:54:40
いまでは殆んど御目に掛らなくなったが、
昔はイナゴを獲って茹でてから佃煮にした記憶があるな
足の先の爪と羽をよく取らないと美味しくないんだよな

古代ギリシア、ローマ人もセミを食べていたと言うし
洗礼者ヨハネもイナゴを食べていたと言うのだから
人間なんでも食べようと思えば食べられるものだ…
597日本@名無史さん:2008/07/21(月) 00:02:34
長野のばあちゃんイナゴ食べてるよ
598日本@名無史さん:2008/07/21(月) 00:18:11
イナゴの佃煮は普通に缶詰とかであるよ
自分ちで作ることは少なくなったかなぁ・・・
近代化に従って虫って食べなくなるのか。
599日本@名無史さん:2008/07/21(月) 01:22:34
今は虫食べなくても蛋白源豊富だから
600日本@名無史さん:2008/07/21(月) 11:59:00
今は鯨食べなくても蛋白源豊富だから
601日本@名無史さん:2008/07/21(月) 12:16:32
緑豆構成員様乙
602日本@名無史さん:2008/07/21(月) 20:14:09
肉食=文化的!恵まれた国!

こう考えてる馬鹿はいないよな?
603日本@名無史さん:2008/07/21(月) 21:35:15
可愛いのに、頭がいいのに食べちゃうの?→この野蛮人がwww

こう考えてる厨房もいませんよね?
604式腸陰土 ◇DQN4vForz:2008/07/22(火) 00:12:35
旨そうだから喰う

基本的な人間の欲望だろ
605日本@名無史さん:2008/07/22(火) 01:07:57
馬刺とくに馬レバ刺しが大好きなんだが馬刺っていつごろから食べてたんだ?
606日本@名無史さん:2008/07/22(火) 01:29:28
刺身にこだわらずに生肉なら猿人以前から
607日本@名無史さん:2008/07/22(火) 01:34:28
馬刺しとして食すようになったのはいつからかなーと思ったんだが割りと最近なのかな?
608日本@名無史さん:2008/07/22(火) 18:16:09
タイ料理屋でイナゴのから揚げ食ったことあるが
香ばしい海老のから揚げっぽい味だった。
腹は糞が詰まってるんで、取って食べてた。
609式腸陰土 ◇DQN4vForz:2008/07/22(火) 22:22:06
今でも地方逝けばイナゴの佃煮なんて食えるよ。
家で作るものだから農家と親しくなれば貰える
610日本@名無史さん:2008/07/23(水) 00:51:56
お前が来るとどんなスレでもつまらなくなる
611日本@名無史さん:2008/07/23(水) 14:07:20

>今でも地方逝けばイナゴの佃煮なんて食えるよ。
家で作るものだから農家と親しくなれば貰える

しきちょうインドさん
今や日本の田んぼや畑は農薬だらけ、イナゴが生存できますかね?
612式腸陰土 ◇DQN4vForz:2008/07/23(水) 21:44:57
大丈夫だよ。日本の農薬はそれほど強くないし、多いところでも除草剤2回、防虫剤2回、いもち病対策に1回ぐらいしかまかない。盆過ぎるとクスリ撒きする農家もいないし。
一度田んぼに行ってみると良いよ。イナゴがかなりいるから。
613日本@名無史さん:2008/07/23(水) 23:09:36
タニシの旬はいつですか?
美味しい食べ方を教えてください。
614式腸陰土 ◇DQN4vForz:2008/07/23(水) 23:31:00
タニシは寄生虫がいるから辞めた方がいい。
火を通せば大丈夫だとは言われるけど・・・
イナゴはイネの葉を食べるからまだアレだけど、タニシはコケとか食べてるからね。おじちゃんがオシッコした用水路で大きくなったかと思うととても喉を通らない。
615日本@名無史さん:2008/07/24(木) 01:16:55
用水路の側溝にくっついてる真っ赤なジャンボタニシの卵って野イチゴみたいでプチプチでうまそう
616日本@名無史さん:2008/07/24(木) 04:13:07
ゴミにレスするのは辞めて欲しい
617日本@名無史さん:2008/07/24(木) 06:52:03
618日本@名無史さん:2008/07/24(木) 12:05:58
>>617
これジャンボタニシの卵でできてる軍艦巻?
619日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:06:07
食えるのか?林先生ですら諦めたのに
620日本@名無史さん:2008/07/25(金) 06:53:28
621日本@名無史さん:2008/07/25(金) 19:44:08
ジャンボタニシって聞いたことないけどどんな貝?
622日本@名無史さん:2008/07/25(金) 22:11:24
どんなって・・・ジャンボなタニシだけど・・・・・・
623日本@名無史さん:2008/07/26(土) 03:30:56
>ジャンボタニシ
タニシと名前がついているけど、リンゴガイ科の巻貝でタニシとは違う
80年代に食用として南米から導入したけど、販路が開拓できずに挫折
以後、野生化したものが稲を食べるので問題になっている。

ちなみに寄生虫がいるので生食厳禁
624日本@名無史さん:2008/07/26(土) 07:12:47
3chの江戸食番組に八百○の胡散臭い当代が出てたね
八百○ググっても情報が殆ど無くて実体が不明でした。
黒稲荷はどこで販売してるんだ?
625日本@名無史さん:2008/07/26(土) 14:58:29
八百善は四五年前に閉店しちゃいましたね。
だから料理番組なんかに出てるんだと思います。

黒稲荷は東京駅で売ってましたよ。
626日本@名無史さん:2008/07/26(土) 18:26:47
>>625
ご教授ありがとうございます!
45年も前に無くなっていたのですね
現在、惣菜や仕出しの店舗は特に無いのでしょうか?
627日本@名無史さん:2008/07/27(日) 03:58:15
しごねんまえ
628日本@名無史さん:2008/07/28(月) 05:59:05
八百善のお茶漬けってたいしたものはいってなかったのに
水が凄くいいの使っててその水の輸送費込みだったから異常に高かったらしいね
あと江戸にレシピ本ぶーむつくったりもしたとかなんとか
629日本@名無史さん:2008/07/28(月) 15:10:25
>>626
ごめん「四、五年前」のうち間違いでした。
630日本@名無史さん:2008/07/29(火) 03:39:52
長野の居酒屋では、お通しや通常メニューに
「ザザムシ」「蜂の子」があります。
虫食は将来の食料危機を救う、とも言われています。
なんせすぐ育つので。
粉末にして「加工材料」にしてしまえば
もう原料はわかりません。
ただ、江戸時代に安定供給できたか、は疑問。
やっぱり農家の副食もしくはお楽しみ、だったのでは
ないでしょうか。
631日本@名無史さん:2008/07/29(火) 03:57:04
もうひとつ。
上のほうで犬食に関連して「狸汁」が出ていましたが、
タヌキや狐は不味いので、通常は食べなかったそうですよ。
「じゃ狸汁ってなんだ?」
となると、これ正体は「ムジナ」だったらしい。
「ムジナとタヌキって一緒じゃないの?」
という部分は難しく、まず前提として、
A「狸」とB「狢」というすごく似ているけれど別の生き物がいることを念頭に置いてください。
これ、知らない人多いのですけれど、
写真でよーく見比べると違いがわかります。
そしてこれが地方地域で呼び方が変わるのでず。
AもBも「ムジナ」だったり、
AはヤマイヌBはムジナ、もしくは逆。
AもBもタヌキ、AはタヌキBもタヌキ時々ムジナ、、、
このへん、ごちゃごちゃなのてす。
詳しくは「タヌキムジナ裁判」とかで検索を。
で、両者を区別している、いないを問わずどっちにせよ食べない地方と、
両者を見分けて「Aは食わないが、Bは食う」地方があったみたいです。
で、Aタヌキは御存知イヌ科で、Bムジナはハクビシンの仲間なのです。
ハクビシンは現代中国でも「珍味」として食用にされています。
以上、狢汁の話でした。
どっちにせよ飢饉になれば食べるけどねw
632日本@名無史さん:2008/07/29(火) 04:12:35
ハクビシンって妖怪雷獣の正体ともくされるものでしょ?
龍の正体が揚子江あたりにいた絶滅したマチカネワニだったり
海坊主の正体が伊集院隼人だったりするようなかんじ
633日本@名無史さん:2008/07/29(火) 17:07:03
>>631さん 詳しいレスですね。参考になりました。
ところで、ハクビシンは日本原産なんでしょうか?
なんか明治以降、中国から輸入したものが
野生化したようなことをテレビで言ってたような〜
そこんところ、ご存じないですか?
634日本@名無史さん:2008/07/30(水) 00:26:10
アナグマという説もある。
635日本@名無史さん:2008/07/30(水) 02:46:38
>>633
そうです輸入品です。
現在、江戸目黒区にすら野生化しています。
>>634
そうです主にムジナをアナグマともいいます。
ただし「主に」ってな位で、
そのへんもやっぱり混同されてるんです。
636日本@名無史さん:2008/07/30(水) 14:24:46
そう言うことじゃ、ハクビシンは江戸時代には日本にいなかったでしょう。
そうすると「狸汁」はやっぱり  狸?、アナグマ?、ムジナ?
ひょっとすると、江戸時代には無かった? しかし猪食ってますからね〜
こんがらがってきました。
637日本@名無史さん:2008/07/30(水) 15:09:29
いたことはいたぞ>ハクビシン
「発見」されたのが江戸より後というだけで
それこそ地元では>>631みたいに認知されてた
喰われてたかどうかは知らないが
638日本@名無史さん:2008/07/30(水) 15:11:22
>>632
639日本@名無史さん:2008/07/30(水) 22:14:28
家の畑のもろこしがハクビシンに食われてたorz
640日本@名無史さん:2008/07/31(木) 01:21:44
>>636
だから、
アナグマ、つまりムジナは
「ハクビシンの仲間」であって、ハクビシンではない。
江戸時代にハクビシンがいようがいまいが、
ムジナを食っていたかどうかとは関係ないかと。
で、ムジナ汁は美味いのか?
641日本@名無史さん:2008/07/31(木) 02:03:26
むじな食べたい。
642日本@名無史さん:2008/08/01(金) 14:06:00
ハクビシン<アナグマ<ムジナの関係は判りました。
しかし、狸や狐のように一般に認識されてないのは何故だ?
犬でさえ、○○犬と区別されてる。狸とムジナだけが混同されてるのか?
ムジナ汁も「ももんじゃ」に入るのかねぇ
643日本@名無史さん:2008/08/01(金) 14:36:22
江戸時代にお殿様が絶賛したのが大和スイカ
644日本@名無史さん:2008/08/01(金) 14:56:20
ハクビシンやアナグマてSARSの感染源の疑いがあるんでないかい?
645日本@名無史さん:2008/08/01(金) 15:51:49
雲南省産じゃなくて日本産なら大丈夫じゃないか。
646日本@名無史さん:2008/08/01(金) 18:31:53
両国のももんじ屋で食った獣肉の味
 
狸:強い赤味噌の味で消してるけど臭いんだろうな
熊:油っぽくギトギトしていて不味い
鹿:あっさりして美味い
猪:豚より遥かに野性味が強いが不味くはない
647日本@名無史さん:2008/08/02(土) 01:09:33
スイカは当時は首落としたみたいで気持ち悪い赤い汁でるし
ってんであんまり喰われなかったらしいぞ?キュウリも種でかいし
カボチャも叩くと首落ちた時の音がするとかで

世界一不味い肉はカンガルーだと思う実体験から
みそ汁になったということは交路からきて中御門帝に拝謁した象さんは美味だったんだな
648日本@名無史さん:2008/08/02(土) 01:11:34
長年連れ添ったババァ汁を狸汁として気づかずに食った爺さんがいるぐらいだから
臭み消しは相当すごかったんだろう
人肉は臭い(らしい)し
649日本@名無史さん:2008/08/02(土) 06:29:12
スイカが
「大きく」「甘く」「見栄えよく」「繊維少なく」「ジューシーに」、
そんな風になったのは、ものすごく最近だと思う。
40、50くらいの人ですら、
「子供の頃のスイカは」と言うよなあ。
650日本@名無史さん:2008/08/02(土) 06:38:07
>>642
喰う地方ではAとBの違いは必然性から認識されていて、
喰わない地方では区別する必要がなかった。
それだけのことじゃない?
名称の混乱は方言の違いみたいなもので。
全国の「しあさって」「やのあさって」の解釈の違い、みたいなもの。
例えば名称は混同していても、
「美味いほうのタヌキ」「不味いほうのタヌキ」みたいな地方も
あったかもしれない。

>>646
その狸は「リアルタヌキ」か
「食用肉用語で″狸″と呼ばれることが多いアナグマ」か、
それすらも微妙。
651日本@名無史さん:2008/08/02(土) 08:11:12
熊は脂っこくて筋張っているので食べにくいのは確かだが
調理の仕方しだいでは美味しくいただける

熊肉のチャーシューは絶品だった。
長時間煮込むことで適度に油が抜けて肉も柔らかくなる
652日本@名無史さん:2008/08/02(土) 09:21:33
30年くらい前、知り合いの猟師からもらったという野生のイノシシをすき焼きで食べました。
子供心ながら美味しかった記憶あり。
20年くらい前、同じ猟師からクマの肉も貰ったようなのですが、気持ち悪がって捨ててしまったらしい。
ちょうど不在にしてたのが悔やまれます。話の種になったのに。
653日本@名無史さん:2008/08/02(土) 09:36:23
野生のやつもらうと
「鉄砲玉入ってるかもしれんから食うとき気をつけてね」
って言われる
654日本@名無史さん:2008/08/02(土) 12:10:43
>>650
その辺の言葉のいい加減さ、曖昧さ理解できます。
655日本@名無史さん:2008/08/02(土) 17:39:24
>>649
全部こなすとなると無理。今でも無理。
あと、地方による。昔から美味いとこはずっと美味い。
むしろ原価高で肥料くれないようになって味が落ちた地域もある。
そゆとこは早出しで稼ぐけど。
656日本@名無史さん:2008/08/04(月) 15:09:30
>>649
スイカは買うほうの目利きによると思う。
叩いた音や重さで目利きして買ってた。
昔は、結構高かったから(所謂季節物)
甘さの当たり外れも楽しみの内のようでした。
657日本@名無史さん:2008/08/04(月) 17:11:56
瓜って美味しかったのかなぁ
江戸初期までは日本で果実といえば真桑瓜だったそうだが
658日本@名無史さん:2008/08/04(月) 20:10:56
ボートピープルは船底にスイカをぎっしり積んでたんだと
スイカは天然の真水貯蔵庫
659日本@名無史さん:2008/08/06(水) 17:20:18
>>656
下手な農家だと同じ畑でもバラつく場合もある。
もっとも、均等に仕入れて売るわけじゃないし、買う時の目利きっての大事。
660日本@名無史さん:2008/08/08(金) 14:21:39
日本全国暑いですねぇ。
麦茶って昔からあるようですが、
砂糖入れる所、塩入れる所、何も入れないところなど
地方によって味付けが違うみたいですが。お宅の所ではどうですか?
661日本@名無史さん:2008/08/08(金) 20:28:16
>>660
うちは麦茶には砂糖、トマトにも砂糖、冷やし中華にマヨネーズ
662日本@名無史さん:2008/08/08(金) 21:48:28
麦茶にもトマトにもスイカにも何もかけないIN四国
663日本@名無史さん:2008/08/08(金) 23:18:54
麦茶そのまま、スイカとトマトは塩 九州
664日本@名無史さん:2008/08/08(金) 23:48:26
最近じゃ田舎でも砂糖なんて麦茶いれるうちはないかな
昔は競いあうようにベタベタな麦茶出てきたもんだ
砂糖(特に白砂糖)=高級品の時代の名残かなと思ってる

町の菓子屋で贈答用の白砂糖(タイの形なんかのパッケージで)とか
ハクセッコウなんかがどこ行っても出されたような時代の名残かと

@静岡
665日本@名無史さん:2008/08/09(土) 00:09:42
666666:2008/08/09(土) 00:12:13
667661:2008/08/09(土) 00:30:11
>砂糖(特に白砂糖)=高級品の時代の名残かなと思ってる

須賀川の伯母の家からよく送られてくる。
「くまだぱん」
http://www.mars.dti.ne.jp/~hosino/ka/kumada.html
いちど御賞味あれw
668日本@名無史さん:2008/08/09(土) 07:43:44
砂糖いり麦茶なんて子供いらいだってセリフがある大正時代舞台の漫画思い出した
669日本@名無史さん:2008/08/09(土) 08:36:48
>>664
ところで静岡は夏でもおでん売ってるの?
670日本@名無史さん:2008/08/09(土) 09:20:46
夏もおでんがあるのって香川ぐらいじゃないのかな
671日本@名無史さん:2008/08/09(土) 09:25:39
砂糖入り麦茶、一度飲んでみたいけど自分で砂糖を入れる
勇気が出ない・・・。どのくらい入れるものなんだろう?
熱い麦茶に砂糖はありかなぁとは思うんだけど。
672日本@名無史さん:2008/08/11(月) 19:03:57
この暑い毎日、旨い調理法がないか思案し、
イメージしたのが酢味噌あえです。
魚介類・海草類・ネギなど野菜、なんでも良い。
酢と味噌を合わせる調理って、眼から鱗が落ちる感じでした。
これって、日本料理の古典的調理法でないかとさえ思えてきた。
エアコンの無い時代、夏には最高のスタミナ食かもしれない。
で、食材の細菌繁殖を防げる。
どなたか、うんちくをお願いします。
673日本@名無史さん:2008/08/16(土) 12:02:44
酢味噌!
うんちくは無いけれど、最高のドレッシングだね。世界標準。
辛子を少し混ぜるのが好きです。
なんとなんと、牛のタタキも美味しく食べれる。薬味は入れますが。

江戸時代は鰹の刺身を山葵醤油じゃなくて、
辛子味噌で食べたそうですがその辺と共通するかもね。
674日本@名無史さん:2008/08/16(土) 15:56:07
関係ないかもしれないけど酢味噌に餡
http://www.si.edu/guides/japanese.htm
675日本@名無史さん:2008/08/16(土) 16:23:25
今ちょうど酢味噌で鯉のあらい食べてます(^O^)
676日本@名無史さん:2008/08/16(土) 16:24:37
くそーなんか俺も酢味噌で食いたくなってきた
山フグの刺身でも作るかな
677日本@名無史さん:2008/08/17(日) 02:37:30
日本の小麦がうどんに向かないそうだが…
江戸時代は、日本の小麦で作っていたから、風味も違うんだろうな
678日本@名無史さん:2008/08/17(日) 10:00:11
讃岐うどんに向かないってだけなんじゃないの
679日本@名無史さん:2008/08/18(月) 04:20:36
>>677
小麦の主産地だった関東平野。
いまだに「武蔵野うどん」と呼ばれるものがありまして。
がっしりした食感、麦の色の麺、麦の風味は力強く。
白くてプリプリした現代うどんとは別モノです。
そもそもすいとんが主流だし。
お切り込みやほうとうとか、素麺とか冷やむぎとか麺類も普通にあるし。
つーか讃岐うどん屋が国産小麦を使わない理由は単純。
「高級で、つまり高価だから」
680日本@名無史さん:2008/08/18(月) 11:16:34
東日本のうどんといえば稲庭うどんだけど、自分は水沢うどんも好きだな。

うどんといえば、時代劇や落語で風邪をひいた場面に
「うどんでも食って寝ちまえば治るさ」風の台詞が良くありますね。
681日本@名無史さん:2008/08/18(月) 13:55:58
マクワウリって美味しいの?
川で冷やしてかじるとか聞いたけど
(平安時代では貴族が食ってたそうだが)

あと時代劇といえば長屋の浪人とかひとり者とかが
飯屋みたいなところでそば食ったりどんぶりくったり(何丼?)してるけど
当時の一人身って年中ああいう食生活なんですか?
682日本@名無史さん:2008/08/18(月) 18:57:28
最近買ったのでは金ウリとバナナウリがうまかったです
683日本@名無史さん:2008/08/18(月) 19:03:41
>>680
本場で食った水沢うどんは凄く美味かった。
付け合せの舞茸の天麩羅のが美味かったけど。
684日本@名無史さん:2008/08/18(月) 19:16:42

>あと時代劇といえば長屋の浪人とかひとり者とかが
>飯屋みたいなところでそば食ったりどんぶりくったり(何丼?)してるけど
>当時の一人身って年中ああいう食生活なんですか?

一人もんは外食が多かったそうですよ。(江戸中期以降)
食物屋は屋台から、安い居酒屋、飯屋、蕎麦うどん屋と充実してた。

かまどの付いてない長屋も多かったそうです。
後は、飯だけ炊いて、惣菜を買ってくるという手もある。

685日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:38:11
今と根本変わってないような…>ひとり者の食生活

昔はガスもレンジも水道も冷蔵庫もないし
ひとり分の煮炊は割に合わない感じだ
686日本@名無史さん:2008/08/19(火) 03:07:43
焼き鳥のウィキ見てたら昔は鶴も食ってたそうな
旨かったのかね?
687日本@名無史さん:2008/08/19(火) 04:15:47
>>684
基本は飯と汁だけ作って惣菜を買うのがデフォだったみたいだね。
結婚した夫婦でも。
滝沢馬琴なんて惣菜屋目的で30回も引越ししてたそうな。
688日本@名無史さん:2008/08/19(火) 14:38:50
鶴は将軍家が食べた。だから篤姫も食ったはず。
皇室にも献上された。だから美味いんじゃないかい?
689日本@名無史さん:2008/08/19(火) 14:57:10
美味いとか言うより縁起担ぎの面が大きそう>鶴食
690日本@名無史さん:2008/08/19(火) 15:20:05
無宿とかじゃなくて町人として江戸にすんでりゃ餓死はなかったんでしょ?
ツケとかも効くし(盆暮れの日付が変わるまで逃げ切ったらまた半年効くって聞いたけど
すると一生逃げきるやつもいたの?)
今の「生活保護」があるから日本に食うに困るものや住居に困るものはいないとかいい放ってるわりに
自殺者やホームレスだらけで就職しようとしてもできないのに、そいつらみてなかったことにして
生保の基準も厳しくて役所にコネがなきゃほぼおりないのに
一部の人種や民族は生保で食っちゃ寝酒パチ三昧の日本より江戸のほうがいいよう見えるぜ
長谷川が造った就職あっせん所もあったしな
少なくとも裏長屋じゃない江戸町人に生まれていれば確実に今より幸せ
691日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:07:55
>>680
稲庭うどんはトーホグです。
おまけにあれは本来、製法・形状ともに饂飩ではなく素麺に分類すべきもの。
692日本@名無史さん:2008/08/20(水) 02:03:46
白鳥も食ってたよ。
693日本@名無史さん:2008/08/20(水) 03:00:14
ウサギもね
最後の大名の林さんちは
元日に一番最初に兎の吸いものをもらう家柄
694日本@名無史さん:2008/08/20(水) 03:09:08
うさぎ喰うのは普通だろ。今でも喰うし。
あえて言うこともない。
695日本@名無史さん:2008/08/20(水) 04:51:18
美味いの?
兎食ったことないからわからん
というか兎も鶴も特殊なくいものって感じしないなぁ
696日本@名無史さん:2008/08/20(水) 06:49:06
まあ、うまいつうかナンつうか。
特にウサギ食う必要もなかったら、食わんな。
697日本@名無史さん:2008/08/20(水) 13:52:16
いやいや、フレンチでも食うし。
秋田ウサギとかな。

ウサギは獣蓄ではなく、「鶏肉扱い」で食ってたから、
ウサギの単位は一羽、二羽。
698日本@名無史さん:2008/08/20(水) 16:22:06
699日本@名無史さん:2008/08/20(水) 16:40:29
>>697
ピーターラビットの親父さんは肉パイにされたんだよね
700日本@名無史さん:2008/08/20(水) 18:42:03
ソーセージ作りにはウサギは必要らしいな
ねばりっけが出るとかで
で,日本の消費者は原材料欄にウサギってあるとひくから
結着剤を使うらしいけど
701日本@名無史さん:2008/08/20(水) 23:12:39
>>681
今食えば筋張ってスカスカで美味くないと思う
しかし昭和30年代までなら夏の御馳走
702日本@名無史さん:2008/08/21(木) 00:30:12
農家直販でマクワウリが置いてあった。
買おうとしたら、おいしくないよと農家のおばちゃんに言われたw

かって食ったがそれほど旨いもんでもなかった。
703日本@名無史さん:2008/08/21(木) 00:30:32
マクワウリ懐かしいな。ガキの頃よく食ったから20年ぐらい前の事かな。
あんまり甘くないメロンって記憶が。
704日本@名無史さん:2008/08/21(木) 02:40:50
すいかはいつ、どこから来たんだ?
705日本@名無史さん:2008/08/21(木) 15:16:55
秀吉が名護屋城での仮装大会で真桑瓜売りに化けたこと
名付け親は応神天皇これぐらいしかしらないなぁ>真桑瓜

>>704
アフリカが減産で室町時代初期に日本の到来
流れ出る果汁が血のようだと忌み嫌われる
706日本@名無史さん:2008/08/21(木) 15:26:30
所でおでんの起源はいつだろうか…江戸時代には既にあったのかな?
707日本@名無史さん:2008/08/21(木) 18:52:07
田楽おどりは室町後半には流行してたから
で味噌田楽みたいのが食うようになって
えー
おでんとは何か
708日本@名無史さん:2008/08/21(木) 19:26:21
おでんは関東で生まれたが関東ではすたれきって
大正の大震災で帝都に炊き出しにきた関西人が「関東煮」をふるまったことにより
逆輸入的に復活
だから東京のお伝の味は薄く関西風
もともとのこいくち醤油のきっついおでんはむしろ関西の老舗で食うことが可能
709日本@名無史さん:2008/08/21(木) 19:28:27
江戸時代の醤油ができるようになってからの料理じゃないの?
710日本@名無史さん:2008/08/21(木) 21:40:04
>>706
古来から獣肉や魚肉を練って棒に巻き焼いた食べ物が存在していて、
それが田楽の原型となり、「面倒だから煮込んで作るか!」で、江戸時代に生まれたのがおでん。
711日本@名無史さん:2008/08/22(金) 15:45:34
「おでん」は田楽の女言葉だそうです。お冷、お薄のたぐい。
田楽は食材を串に刺して焼いたもの。正確には田楽焼。
おでんは、串に刺してお湯で煮たもの。
どちらも味噌を付けて食べます。味噌田楽と味噌おでん。
そのうち、おでんは醤油味のだし汁で煮るものも出てきた。
712日本@名無史さん:2008/08/22(金) 18:14:08
このスレの住人達の博識に感動した!
713日本@名無史さん:2008/08/22(金) 18:49:40
じゃあおでんだねからひとつ疑問を

がんの肉をまるめた肉団子に似せて
魚で作ったガンモドキをさらに
豆腐で作ったガンモドキモドキが出来たのっていつだろう
714日本@名無史さん:2008/08/22(金) 20:48:31
江戸で一番最初に蕎麦の屋台が出たのはいつくらいなんだろ?
立ち食い蕎麦食ってたら頭に浮かんだ
715日本@名無史さん:2008/08/22(金) 20:56:04
>>712
たまに妄想知識を披露するDQNもいるけどね。
明治になるまで近海物を取る科学的技術力がなくマグロは食べられなかったとかさ。
716日本@名無史さん:2008/08/23(土) 01:19:02
自分は関東出身なので「がんもどき」だけど、
関西では違う言い方をするからね。
717日本@名無史さん:2008/08/23(土) 01:41:28
「槍で田楽刺しに!」
って表現はいつからよ?
718日本@名無史さん:2008/08/23(土) 01:42:44
>>705
嫌われたのに、なんで栽培されたんだ?
719日本@名無史さん:2008/08/23(土) 02:53:10
>>718
嫌われる一方で「そんなことよりこれうまいんじゃね?」って思われたから
それまでのスイカは表面が黒で今の縞模様じゃない
今の縞模様になったのは昭和初期に大和あたりで品種改良された時
今のスイカのほとんど全種はこの時期前後に開発されたもの

江戸期の切り売りの図でのスイカは皮が黒い。少なくともこのころから夏の風物詩だったはず
「西瓜食う 娘の口の 難しさ」とか川柳もあったしね
一方でやっぱり低級視されていて「西瓜なんて辻番屋あたりで切り売りして
中間とか小者が食うものよ?街中で堂々と売ってるわけじゃないしましてや娘さんが食べるもんじゃねぇ(超訳)」
とか昔々物語(だったとおもう)に書かれています

あとスイカが江戸で普及したころちょうど由比正雪の乱がおきたとかで
「正雪の霊が乗り移ってるから血のように赤いぜよ(超訳)」とか言われたこともあったとか

もう一つおまけに幕末ですが薩英戦争時に黒田了介と大山弥助率いる80人程度の部隊が
久光の命令でスイカ売りに化けて英国艦隊に潜入切り込み攻撃をかましたりしています
(斬りこみ自体は成功しなかったものの乗艦まではばれずに行った)

スイカ来日も室町ごろといわれてるけど実はよくわかっていない
古いのだと弥生時代の遺跡から種が出てきたり
鳥獣戯画にそれっぽいのが描かれていたり
17世紀に隠元さんが持ってきたと
かポルトガル人が鉄砲やカボチャと同時代に持ってきたという説もある
どちらにせよ西方から来たので「西瓜」
720日本@名無史さん:2008/08/23(土) 08:51:31
カンボジアウリ→カボチャ
ジャカルタいも→じゃがいも

ほかにもあるかな
721日本@名無史さん:2008/08/23(土) 09:11:47
江戸時代と同時代の諸外国で、当時の日本と程度に外食文化が発展した国はあったのだろうか。
722武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/08/23(土) 12:58:00
>>721
十八・十九世紀のヨーロッパの都市だったら日本よりあるんじゃない?
向こうにはカフェだってある。

ていうか日本だって都市くらいでしょ
723日本@名無史さん:2008/08/23(土) 15:13:26
がんもどきは、元々、精進料理での肉の代わりしょう。
だから、わざと肉や魚や卵を使ってない。
豆腐と野菜でできてる。
結構古くからあるんじゃないかな。

何で東京では「がんもどき」って言うのかねぇ?

近畿では「ひろうす」って言ってた。中に銀杏が入ってた。
しかし、ひろうすの名前の由来もわかりません。
724日本@名無史さん:2008/08/23(土) 15:28:36
ポルトガル語のフィロウスが訛って飛龍頭(ひりょうず)
元は小麦粉を練って焼いたお菓子
 
江戸時代には精進料理の糟鶏を俗にがんもどきと言った
元はこんにゃくで作った点心
 
飛龍頭もがんもどきも何時・何故
同じ物になり豆腐屋のメニューになったかは謎
725日本@名無史さん:2008/08/23(土) 16:17:37
>>722
江戸時代から発展してきた日本の料理屋文化より、
ヨーロッパのレストラン文化の方が早いとは信じがたいね。
726日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:14:42
平和な時代がそれなりに続いて庶民に金が回るようになれば
外食文化なんてどこの国でも花開くんじゃない?
727日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:38:40
>>726
そんな国などそうはないだろう。
728日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:50:03
中国だと宋の時代くらいからかな
729日本@名無史さん:2008/08/23(土) 19:37:37
どこの国でも程度の差はあれ料理や酒あるいは茶菓を供する店はあっただろうが、
日本が歴史の発展過程で鎌倉以降のフューダリズムの時期を長く経過したことから、
商業活動が活発になり、貨幣制度の発達と共に旅籠、料理屋等が特に発達しました。
730日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:55:05
なんか小難しく書いてるけどそれは日本に限ったことなのか?
731武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/08/24(日) 00:55:37
>>725
論点すり替えだ。
これをやる奴、日本史板には多いな。
>>721への反駁なんだから、
早いかどうかを論じてるわけじゃないだろ。
>>721が「江戸時代と同時代の世界…外食云々」とあったから、
十八十九世紀ヨーロッパの都市を引き合いに出したわけだ。
はっきり言って十八十九世紀のヨーロッパ都市の方が上だよ。
732日本@名無史さん:2008/08/24(日) 02:43:26
皆さん、良スレ潰しのクソコテのことは無視してください。
こいつはただの自分マンセーのレス乞食。
733日本@名無史さん:2008/08/24(日) 03:14:35
>>731
馬鹿だねコイツw
734日本@名無史さん:2008/08/24(日) 09:22:45
幕藩体制で各藩が自藩の産業振興を図ったため各地の物産が開発され、
参勤交代制による道路網の発達と菱垣廻船、樽廻船、北前船等の海運の発達で、
各地の物産が全国に流通し、江戸時代の料理、酒、菓子等の発達を促しました。
735日本@名無史さん:2008/08/25(月) 14:32:25
江戸は料理屋、食物屋、屋台、かつぎ売りなど外食が充実してたわけだが
これは、江戸に単身赴任している男の人口がかなり多かったからだろう。
きっちり家で料理するところは、嫁か女中の居るとこだけ。

一方、京、大阪は外食を「店屋物(てんやもの)」と呼んで、
一段下に見ていたらしい。

同時期にこの感覚のズレは、なぜなんだろう?
736日本@名無史さん:2008/08/26(火) 03:06:33
京、大阪の外食産業はいつからあるのよ?
737日本@名無史さん:2008/08/26(火) 05:02:40
>>722
妄想厨乙

パリ最初のレストランが1756年、ロンドンが1828年。
738世界@名無史さん:2008/08/26(火) 06:56:34
>>735
嫁や女中の有無だろ
739日本@名無史さん:2008/08/26(火) 14:53:02
>>736
元禄ぐらいまでは、京、大阪の方が発展してた。江戸はまだ発展途上。

>>738
各藩の屋敷や藩邸が一番独身男をたくさん抱えてたはずだが
そう言う所は賄い付きでしょう。
わざわざ自腹を切らなくても、食うには困らない。
740日本@名無史さん:2008/08/26(火) 21:02:07
741日本@名無史さん:2008/08/26(火) 22:22:35
江戸時代には東京湾で牡蠣の養殖してたらしいな

やはり食い意地に関してはレベル高いよな日本人は
742日本@名無史さん:2008/08/26(火) 22:46:02
>>735
京や大阪の商家は、雇い人や自分達の通常の食事は
質素倹約がモットーで、自分ちの台所の女子衆が作ってたりして
「外食は金のかかるもの→無駄な掛かり」
そういう見方はあった・・・のかもしれない。
あと、一部を除いて公家は貧乏だったね。

でも食材や調味料、料理は発達していたわけだし
食事にお金をつかうときはちゃんと散財してたと思うし
>一段下にみる っていうのは少し違うんじゃないのかな。

ところで京都は今でも仕出屋さんが多い。
寺が多く法事が多いこともあるけど、
客がくれば家族が食べているような家庭料理などより、
仕出屋や出前を頼む。
うちの親類知人はそういうとこが多いけどね。
743日本@名無史さん:2008/08/27(水) 00:25:25
江戸は独身天国
744日本@名無史さん:2008/08/27(水) 01:58:45
>>739
下っ端まで賄いなんかつかないし、
食べ物代は給料に込みだし。
それに、過去レスにも出てた
どっかの藩士の日記でも、
しょっちゅう食い物買ってきて食ってるし。
745日本@名無史さん:2008/08/27(水) 03:56:07
>どっかの藩士の日記でも、
>しょっちゅう食い物買ってきて食ってるし。

飯も自分で炊いてるものね。
同居の同僚の炊く飯は不具合で(柔らか過ぎ)
自分の炊くのは硬くなりがちとか。
746日本@名無史さん:2008/08/27(水) 14:20:29
>>742さん 735ですが。
>京や大阪の商家は、雇い人や自分達の通常の食事は
>質素倹約がモットーで、自分ちの台所の女子衆が作ってたりして

なるほど、
浪速商人は堅実、浪速庶民は質素、都人はケチって事ですな。

>>744 >>745
藩邸内の長屋に住む下っ端には賄い無しですか。
下っ端は、いつの世でも軽く扱われてますね。
747日本@名無史さん:2008/08/28(木) 00:11:43
その藩士って紀州藩の人ですか?
彼は別段下っ端でもないっすよ?
出世もできんけど仕事も少ない気楽な立場ではあるけど
748日本@名無史さん:2008/08/28(木) 12:39:59
ケチつけるわけでは無いけど
他スレの受け止め方が飛躍してたり早合点しているような人が・・・
749日本@名無史さん:2008/08/29(金) 01:36:30
充分下っ端だろこれ。
750日本@名無史さん:2008/08/29(金) 02:53:20
一応石取だし
751日本@名無史さん:2008/08/29(金) 15:12:05
>一応石取だし

同じ藩士でも、参勤で江戸に来た人と
江戸在住で召抱えられた人では、外食に関する考え方が違んでしょう。
江戸の人はやっぱり派手好きなんだろう。
752日本@名無史さん:2008/08/30(土) 03:31:36
外食したら派手ってそんな、、、
753日本@名無史さん:2008/08/30(土) 06:36:17
今の定食屋さんの形は(飯、汁、おかず、漬物、副菜)
江戸で確立されて明治になって全国的に普及したそうな
754日本@名無史さん:2008/08/30(土) 16:02:25
江戸時代は、「仕出し」所謂、作った料理を出前するのはすぐご近所だけで、
祝い事、宴席などでは、料理屋の料理人が材料を持参して、
会場に出向き料理を作って食べさせたそうですね。
もちろん、食器や膳も人数分運ぶことがあったそうです。
755日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:38:11
>>552
三都に限らないが精米食に移行した理由として、商品管理が
杜撰な為と倉庫が鼠の温床となり重なった上にある俵の玄米
は鼠の小便みたいな匂いだったと。

上米、上中米までかな?、中米、下中米は備蓄も兼ねてるから
酷かったらしい。
で、精米して削らなかったら喰えなかった様だ
無論のこと運・不運もあったと思う。

糠なんて余程吟味しないとな、だから洗濯か
石鹸代わりだったと推測。

調理しているところを目撃したら、とても・・・・


756日本@名無史さん:2008/09/01(月) 09:07:52
>>754
江戸期に、料理人や配ぜん人を家に呼んで客を接待できるのは
富裕層に限られていたと思うな。庶民は無理。

で、そういう出張専門の料理人や配膳さんは、京都にまだ存在する。
配膳さんなんて座布団の配置から気を配ることになる専門職。
茶道に通じている人も多い。
757日本@名無史さん:2008/09/01(月) 17:39:36
755 上米、上中米までかな?、中米、下中米は備蓄も兼ねてるから
酷かったらしい。
で、精米して削らなかったら喰えなかった様だ

なるほど、上米、中米というのは、米の保存状態の優劣なんですか?
今みたいに、産地や銘柄で等級を分けることは無かったんでしょうか?
758日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:13:16
>754>756
面白いな。フランスにもtraiteurと呼ばれる仕出屋的な店がかなり昔からある。
日本では紅茶のブランドとして知られてるFauchonもtraiteurで、
パリの本店に行くと、紅茶もあるけど、パーティ用のオードブルなどの食材が
たくさん並んでる。
もちろんかなり高級。出張までやってるかどうかは知らないけど。
759日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:50:43
俺はパリを知ってる上流階級の人間です。
760日本@名無史さん:2008/09/03(水) 12:12:44
そういや鳥肉使った煮物で筑前煮や治部煮ってあるけど発祥は戦国時代かな?
それとも江戸に入ってからの料理かな?
761日本@名無史さん:2008/09/03(水) 16:47:00
筑前煮は鳥を使いますね。意外と明治以降ではないでしょうか?
おそらく、大量に作れるので軍隊の給食にでも使われて全国に広まったと推測します。
原型の料理はおそらく筑前地方にあったのでしょう。

詳しくは無いですが、今のように大量の鶏を飼うようになったのは戦後でしょう。
それ以前農村では、みんな地面に放し飼いだった。
夜になると鶏は木の枝にとまって寝てたそうですよ。
これは、犬、狐、狸から身を守るためです。
雛だけは母鳥と一緒に土間に入れてた。
762755:2008/09/03(水) 18:24:06
>>757
それについての記録はなさそう、見た目と匂いや食感で決めた
可能性はありそうでっせ。

上米・・・徳川一門とか上級幹部に供給
下中米・・本丸とかに招待して演舞した能楽者に下げ渡し

なお赤茶や黄色っぽい米を旗本や御家人たちはポンポコ米と
幕末頃に呼称とのこと。
人間の喰うもんじゃないって意味(自嘲)かな?
763日本@名無史さん:2008/09/03(水) 18:32:09
ついでに>>714
ものの本には1664年寛文四年頃に蕎麦の屋台か店舗が
登場。
764日本@名無史さん:2008/09/03(水) 20:24:09
1860年に外交使節としてサンフランシスコから大陸横断してワシントンに赴いた
新見・村垣・小栗、都合3ヶ月位は向うの食事だったと思われるが如何がだったか?

1862年にオールコック公使に帯同してロンドンに行った。渕辺徳蔵・森山多吉蝋も。
渕辺は日記に美味を連発して一向に不満な様子はなかった様だ。
当時の味噌・醤油は塩分多可で、何時も塩を喰ってるみたいだったから新鮮だったのか?

味覚に個人差はあるものの、台湾では炒め料理に辟易したが、アメリカではパンが不味かった
けど、イタリア系のピザは日本とは比較にならない程トマトに深みがあり、日本は薄い牛乳だ
がアメリカのはコクがあり、チーズも同様、やや固いがローストビーフはイケた。

口が驕っている我々より単純な塩味一辺倒な江戸人は日本食に未練もなかったのだろうか?

765760ですが:2008/09/03(水) 20:52:12
>>761さんご教授ありがとうございます。けど鶏肉で一つ疑問がありますが鶏肉は江戸時代には
鶏鍋として食べられてたと以前図書館の文献で呼んだ事ありますがこれいかに?
766日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:51:12
>>761
詳しくないのに断言するかのようはこれ如何に。
明治に入って単純に全ての分野での生産性が増したと思う人がいるけど、
農業は著しく生産性が下がったんだけどね。大量の働き手を取られたせいで
767式腸陰土 ◇DQN4vForz:2008/09/03(水) 23:15:13
Wikiによると筑前煮は文禄の役の時にスッポン肉とあり合わせの野菜で作ったのが始まりだそうだ。
鶏肉になったのは近代以降なのかな?


768日本@名無史さん:2008/09/03(水) 23:28:16
>>764
誰だか忘れたがアメリカ行きの船中で日本人ではじめてカレーを食べた人は
まずくて残したそうだ。
769日本@名無史さん:2008/09/04(木) 00:57:44
奴らは泥水を飲みやがる。
770日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:22:35
>>764
最初の使節はバターが旨いと感じた人と駄目だった人とに別れたみたいだね。
前者は食事に苦労しなかったようだが、後者はかなりつらかったらしい。
アメリカの料理って確かにほとんどバター使ってるもんね。
江戸の淡白な食事に慣れた人の一部はバターの油とコクが
受け入れがたかったのかもしれない。

という内容を読んだ記憶があるんだけど…
家にあるののどれかのはずだけどどの本か忘れたw
771日本@名無史さん:2008/09/04(木) 06:27:37
湯漬けってのは本当に冷や飯にお湯ぶっかけただけなの?
味噌とか塩とかいれて味つけたりしたの?
772日本@名無史さん:2008/09/04(木) 18:33:06
>>770
いまじゃ滅多に聞かなくなったが、欧米風と云うのに
少し否定的な言い方で、「バタくさい」てのがあったなぁ
773日本@名無史さん:2008/09/04(木) 20:28:06
>>772
昔は「バタ屋」というのもいたよね。
774日本@名無史さん:2008/09/04(木) 22:46:54
>>771
茶事の時に供される懐石の最後に
飯椀に一口残した飯で湯漬けを頂きますが
この時出される湯斗には、白湯では味が無いので、
釜底の焦げ飯や煎り米に、たっぷりと湯を注ぎ、
薄い塩味を付けたものが入っています。
775日本@名無史さん:2008/09/05(金) 01:25:16
バタやん?
776日本@名無史さん:2008/09/05(金) 01:47:16
バタ犬
777日本@名無史さん:2008/09/05(金) 19:32:43
>>765
>けど鶏肉で一つ疑問がありますが鶏肉は江戸時代には
>鶏鍋として食べられてたと以前図書館の文献で呼んだ事ありますがこれいかに?

761です、質問にお答えします。
江戸時代も初期、中期、後期で違うと思いますが、
当時は、卵は高級品で庶民は病気のときにしか食べれなかったようです。
金持ちは当然、高級料理茶屋で卵焼きを食ったでしょう。

そこから、卵を産む鶏は貴重だったと推測されます。
また、鶏の食べる飼料も十分有ったとはいえません。
卵は江戸近郊の農家に卵売りが買い付けに行った。

鶏鍋屋もあったでしょうが、ももんじゃ屋、がん鍋屋程度の数で、
けして蕎麦屋、煮売屋ほど何処にでもあるということは考えられません。
と推測しました。

778日本@名無史さん:2008/09/05(金) 19:54:16
鶏肉は店だけでなく自宅でも食べてたんです
779日本@名無史さん:2008/09/05(金) 20:24:07
鳩ってどうだろ食ってないのかな
フランスあたりじゃよく食べるらしいけど
わが国ではあまり古今に鳩食った話って聞かないけど
780日本@名無史さん:2008/09/05(金) 20:40:27
昔、NHKスペシャルで、アフリカの野生の西瓜を主食にしてる
人たちの番組みたことあったけど、黄色い果肉で、赤いのは
なかったような気がする。いつごろから西瓜は赤くなったんだろ?
781日本@名無史さん:2008/09/05(金) 20:40:47
というより寧ろ、江戸時代はあまり鶏肉は食べていない鴨……
鶏鍋屋もあったろうし、焼き鳥の原型?もすでにあったらしいけれど、
鳥の肉=飼育された鶏でなく、山野鳥が圧倒的だったはず。軍鶏のような
人工高配の飼育種など例外はあるけれど、いわゆる鶏は食べるために
飼ってはいないからね。

飼育数も去ることながら、「庭つ鳥」をわざわざ潰して食べる習慣は
江戸時代にはなかったって話を聞いたこともある。生きた牛馬が
専ら農耕用で、一般的には斃死牛馬の肉も被差別民(江戸時代の穢多)と
一部の上流層に限られたように、飼育された「庭つ鳥――鶏」を口にする
シチュエイション自体が限定的だったんじゃまいか?
782日本@名無史さん:2008/09/05(金) 20:42:19
>>779
鳩は食べていたよ。
山鳩とかね。
783日本@名無史さん:2008/09/05(金) 21:28:33
鳩とかうさぎとか今食べないのは勝手肉を食う習慣がないからかな
魚は勝手に釣って勝手に食うのにな
784日本@名無史さん:2008/09/05(金) 21:55:07
かすみ網も禁止されたからなぁ
785日本@名無史さん:2008/09/05(金) 22:59:24
ももんじゃ屋ってドラクエのモンスター思い出したじゃないか
786日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:20:54
獣肉は穢れるが魚はいいという、日本仏教の教えは今イチ納得がいかない。
787日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:44:52
日本の仏教そのものは魚も禁忌。
破戒僧は酒、魚だけでなく肉も食うよ。
たまたまそこに四足or羽を持つ生物の肉がないだけの話。
788日本@名無史さん:2008/09/06(土) 02:10:31
卵売りはいなかったのか?
789日本@名無史さん:2008/09/06(土) 02:23:52
卵売りはいたと思うよ。
町屋近郊の小作農(最小限再生産可能な農地を持つ農民)が
野菜の栽培同様副業の一環として採卵、販売していたと思う。
790日本@名無史さん:2008/09/06(土) 03:40:23
卵は戦後しばらくまで高級品
食べ物というよりは栄養補給剤に近かった
三条実美は公爵になった祝いに鶏卵一箱を配っている
791日本@名無史さん:2008/09/06(土) 03:40:23
卵は食べられていたけど、一般庶民にとっては贅沢品、
滋養をとる高価な栄養食品みたいなもんだったのでは。

病気のときに精をつけるために食すとか、
今日は奮発して、お粥に卵落しちゃうぞ!みたいなね。
792日本@名無史さん:2008/09/06(土) 04:42:11
金魚売りみたいに、行商で普通にいたんじゃない?
793日本@名無史さん:2008/09/06(土) 05:10:46
高級品だったのはその通りだけど、
あえて増産するほどの強い熱意があったとも思えんが?
794日本@名無史さん:2008/09/06(土) 05:12:37
(生臭坊主ではなく)陰陽師とか山伏とかの連中が天下泰平の江戸期に増殖して、
さまざまな迷信タブーを増やし広めて、ニッポン列島住人の栄養を悪化させたのでは?
795日本@名無史さん:2008/09/06(土) 05:15:38
島国だから、仏教国だから必ず肉食禁止というわけではないはず。

南伝仏教のタイ、ビルマ、カンボジアの俗人は肉を食べないのだろうか?
796日本@名無史さん:2008/09/06(土) 06:24:15
元々の仏教は別に肉食禁止ではない
殺生戒が曲解というか拡大解釈されて広がっただけだと思う
やはり大元とは違うけど三種の浄肉とかはあったわけだし
797日本@名無史さん:2008/09/06(土) 07:02:33
よく日本昔話とかでやまんばや山犬や山の妖怪に襲われたり
人外の山奥の屋敷にたどり着いたりしてる火縄銃もってる
(そもそも一般人が鉄砲持っていいんですかね?)猟師の人は
イノシシやシカなど撃っているから肉喰ってたんじゃないかという気がするんだけど
あれ食肉用として自分が食ったり商人通して流通させたりするために猟してるんじゃないんでしょうか?
ちがうんですか?
798日本@名無史さん:2008/09/06(土) 08:17:53
江戸時代の初期、寛永30年(1643年)に、料理屋用に
印刷された料理書として出版された「料理物語」には、
海魚71種、磯草25種、川魚19種、鳥18種,7種獣、
きのこ12種、青物76種の料理が説明されており、
一般庶民は魚肉も獣肉も普通に食されていました。
799日本@名無史さん:2008/09/06(土) 08:24:15
江戸時代は重農主義が基本、従って田畑を荒らす害獣を駆除する為ならば
代官所や各領藩の役所から鑑札を発行して貰えばOK。
無論、山間部や里山等に近い地域のみ、被害報告も併せて提出する必要性
があった可能性もある。

例外は綱吉の時代だけ。殺せないから脅かして追い払った。
800日本@名無史さん:2008/09/06(土) 08:44:50
>>777
卵は高級品じゃないよ。肉鍋で50文(1500円程度)
鰻の並もそのぐらい。玉子焼きで20文だから(600円)今より少し高い程度。
高給料亭でしか食べれない高級品だったわけじゃないよ。
江戸中期には薬屋が江戸の店の大半を占めていましたが、その大半は
肉屋であり、薬食いと称して肉食が盛んに行われていたのを嘆いている和歌もあるよ。
801日本@名無史さん:2008/09/06(土) 16:04:34
>>798
>江戸時代の初期、寛永30年(1643年)に、料理屋用に
>印刷された料理書として出版された「料理物語」には、…の料理が説明されており、
>一般庶民は魚肉も獣肉も普通に食されていました。

書きすぎ、一杯16文の掛け蕎麦や、一つ4文の煮売りを購入していた、
「一般庶民」が 「普通に」食べれるもんじゃない。

>>800
>卵は高級品じゃないよ。肉鍋で50文(1500円程度)
>鰻の並もそのぐらい。玉子焼きで20文だから(600円)今より少し高い程度。

全くのデタラメ、まず現代の物価と比べて、江戸時代の1文の貨幣価値は、
比較する物によって変化する。
米価、蕎麦一杯、卵、銭湯、店賃、一日の給金まで現代の金銭感覚とは比較できない。
平均をとっても意味が無いくらい差がある。
そこが,解ってない単なるお子様ランチ理論。

>嘆いている和歌もあるよ。
「和歌」じゃ無い。川柳か狂歌でしょう、恥ずかしくない?







802日本@名無史さん:2008/09/07(日) 02:04:08
>書きすぎ、一杯16文の掛け蕎麦や、一つ4文の煮売りを購入していた、
>「一般庶民」が 「普通に」食べれるもんじゃない。

>米価、蕎麦一杯、卵、銭湯、店賃、一日の給金まで現代の金銭感覚とは比較できない。
>平均をとっても意味が無いくらい差がある。

自分で自分の意見を否定してやがるw
武陽か?このDQNぶりはw
803日本@名無史さん:2008/09/07(日) 02:16:55
>802
801じゃないが、それを見てもどこがどう「自分で自分の意見を否定」している
ことになるのか、さっぱりわからんが。
掛けそばや煮売り云々は当時の値段での話だろう?
で、下は「玉子焼きが今の価格で600円相当」という書き方への批判。

全然別の話だと思うけどね。1文とか1両がいくらという換算は、いろんな基準
で出されているけど、比較対象を何にするかで全く額が違ってくるという指摘は
極めて常識的なものでしょう。
804日本@名無史さん:2008/09/07(日) 15:27:30
現代の価値に換算しても意味ない。当時の一般庶民がどのくらい稼いでたのかが重要でないかと
805日本@名無史さん:2008/09/07(日) 15:49:49
現代の大工と当時の大工を比べてもしょうがないし
じゃあ当時の大工は今のSEクラスかっていうと何クラスなんてわからんし
そもそも貨幣経済と米経済のうにゃらもにゃら
806日本@名無史さん:2008/09/07(日) 17:03:05
>>803
801乙
807日本@名無史さん:2008/09/07(日) 19:54:17
江戸時代の料理屋文化は想像以上に発達していたみたいですね。
町人達の間で盛んだった文芸や演芸などの発達なども考慮すると、
当時のヨーロッパ社会よりも文化的には発展していたということですね。
808日本@名無史さん:2008/09/07(日) 20:08:33
ヨーロッパ全体と比べたら遥かに劣る。単体で比べなきゃ。
809日本@名無史さん:2008/09/07(日) 20:20:17
>>808
はいはいワロスワロス
全体っつうがどの辺りまで含めるかによるよなw
パリにせよロンドンにせよ、街中にかなり糞尿が溢れていたらしいしなw
810日本@名無史さん:2008/09/07(日) 20:34:14
どちらにせよ
何らかの基準がないと比べられないでしょ
どのポイントに置いてからじゃないと
811日本@名無史さん:2008/09/08(月) 01:34:24
だから外食ないしは中食産業の発展具合、だってば。
812日本@名無史さん:2008/09/08(月) 03:19:23
>>800
>玉子は高級品じゃないよ
という書き出しに「へ?」と思い、全文読んでなかったけどさ
金銭価値の面で色々書かれてるので、改めて読んでみたけど、

もしや「薬食い」という言葉から、
「薬屋」=実は肉食を供する店だと勘違いしている?
「薬屋」といえば普通に薬種問屋や薬種屋、薬種店だと思うんだけど。

獣肉を食べさせる店は「ももんじ屋」とか「けだもの屋」とかが通称なだけで
「尾張屋」「甲州屋」など普通に屋号を名乗っていたはずだし、
いくら肉食が「薬食い」と称されても、「薬屋」では扱わないと思うぞ。

>薬屋が江戸の店の大半を占めていましたが
薬種屋を掲げるための株はとても高いもので、
新規参入は非常の難しいことだと何かに書いてあったけどなぁ。
813日本@名無史さん:2008/09/08(月) 03:22:26
パリが今のようなったのはナポレオン3世の時代
ドラクロワの頃はまだ道路の中央に溝があって
糞尿は壺に入れて2階から溝に向かって投げ捨てていた
814日本@名無史さん:2008/09/08(月) 16:13:32
>>812
推測厨のクセに偉そうなのが笑えるw
815日本@名無史さん:2008/09/08(月) 16:28:33
>>803

>801じゃないが、それを見てもどこがどう「自分で自分の意見を否定」している
>ことになるのか、さっぱりわからんが。
>掛けそばや煮売り云々は当時の値段での話だろう?
>で、下は「玉子焼きが今の価格で600円相当」という書き方への批判。
800は
>鰻の並もそのぐらい。玉子焼きで20文だから(600円)今より少し高い程度。
20文と書いている。ダブルスタンダートを支持してりゃ自演言われるのは当たり前。もしくはさっぱり分からない
のは君が・・・・・・なだけ。
816日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:00:41
>815

玉子焼きが20文で肉鍋が50文だから肉鍋よりは安い、という話ならわかる。
でも、800は玉子焼きの20文が600円くらいだから今より少し高いくらい、と
書いているわけだろ?単に20文というだけであれば今より高いかどうかと
いう比較なんてできるわけが無いんだから。
で、800は1文が30円くらいとして換算しているが、基準を何に置くかで全然
額が変わってくるんだからおかしい、と言っているんだけどね。

しかし、「ぼくちゃんに反対する奴は自演に決まっている」とか言い出す馬鹿
が必ず沸いてくるけど、こういう傲慢な自信の源泉はどこなんだろうね。
817日本@名無史さん:2008/09/09(火) 12:33:43
>>814
お前よりは知識あるじゃん、>812は。
818日本@名無史さん:2008/09/10(水) 20:09:18
>>801ですが
>815   
>20文と書いている。ダブルスタンダートを支持してりゃ自演言われるのは当たり前。もしくはさっぱり分からない
>のは君が・・・・・・なだけ。

値段の問題なんだから、基本的なことを知ってくれよ。
江戸時代金貨と銀貨の交換比率は金貨が枚数で数えるのに、
銀貨は重さで貨幣価値が決まった、つまり「匁」。

同様に銭と銀貨の交換比率は、銭が枚数で数えるのに、
銀貨は重さで貨幣価値が決まる。
固定相場制ではなく変動相場制だった。だから両替商が儲かった。

国内の貨幣交換率が変動相場制なのに、さらにヤヤコシイことに、
物の価値は、需要と供給のバランスで決まるわけだ。
供給の多いものは、安くなる。その辺を理解してくれ。

>鰻の並もそのぐらい。(50文)
資料を調べなおしたら、店を構えた鰻屋なら
大、中、小の串を5本載せた蒲焼一皿で250文
辻売りの鰻屋、小串(ただし本当の鰻かどうかわからん、田鰻、八目鰻かも)一串16文。
「旧観帖」より、天保の改革以前。

>>800の値段の根拠はいったい何の資料からだ?
819日本@名無史さん:2008/09/11(木) 01:03:50
貧乏花見(東京では長屋の花見)という落語があって
金持ちがする花見というものをワシらもやろうやということで
御馳走である玉子焼きの代わりにタクワンを卵に見立てて食べるとか
 
やっぱり庶民には高値の花ですよ江戸〜明治頃の卵は
820日本@名無史さん:2008/09/11(木) 02:34:08
貧乏花見はいつ頃の作?
821日本@名無史さん:2008/09/11(木) 14:25:12
822日本@名無史さん:2008/09/11(木) 16:47:03
>>820
大正のはじめぐらいだったと思うけど
823日本@名無史さん:2008/09/12(金) 00:38:21
622 名乗る程の者ではござらん 2008/09/09(火) 13:17:49 ID:I22oSoTJ
昔、ウルルン滞在記でペニスサック着けてたけど陰茎の根元とか袋の一部とかカバーできてなかったよね。
あれってオッケーなの?
626 名乗る程の者ではござらん 2008/09/11(木) 16:43:45 ID:m0XESFBu
>>622
たしかに山本太郎のチンコ映ってた記憶がある
あの放送は亀頭は絶対に放送禁止だが
陰茎の根元(全長の10分の1程度)やキンタマの3分の1までな映ってもOKという前例を作ったね
824日本@名無史さん:2008/09/12(金) 02:54:50
>>822
江戸時代とは状況が違う可能性もあるな。
825日本@名無史さん:2008/09/12(金) 03:27:39
>>824
山本太郎のチンコは江戸時代にはまだなかっただろうな
826日本@名無史さん:2008/09/12(金) 03:37:00
太郎ちゃんのティンコ映ってたなんて ハァハァハァ
827日本@名無史さん:2008/09/12(金) 14:33:22
鳥食いは、結構野鳥が多いのかもね。
絵を見てると、鴨?雁?解らないけど?料理屋の店先に天井から吊るしてある。
もちろん、アンコウも吊るされてたりする。
そういうのが、江戸時代の風俗画に画かれています。

換金物である卵を産む鶏は、オスを除いてあまり食べなかったのでは?
そう言えば中国で雀は稲の害鳥だから、捕って焼き鳥にしてるのをテレビで見た。
828日本@名無史さん:2008/09/12(金) 15:45:46
久保田藩は比内鳥取り引きを統制してたらしいからね
829日本@名無史さん:2008/09/12(金) 18:36:47
>>823
何年前か忘れたが、太川陽介主演のNHK「日の出横町の青春」って帯ドラマで
4人くらいが風呂から上がるシーンで、腰に巻いたタオルの奥の玉が映りました。
830日本@名無史さん:2008/09/12(金) 18:38:49
>>823
何年前か忘れたが、太川陽介主演のNHK「日の出横町の青春」って帯ドラマで
4人くらいが風呂から上がるシーンで、腰に巻いたタオルの奥の玉が映りました。
831日本@名無史さん:2008/09/12(金) 18:40:24
わいせつ認知の歴史

成人女性器

成人陰茎

成人女性乳首

成人陰嚢

小児女性器

小女児乳首

小児男性器
832日本@名無史さん:2008/09/13(土) 13:51:23
>>828
比内地鶏って江戸時代か続いているんですか。
そう言えば、名古屋コーチンは、一時絶滅と言われましたね。
833日本@名無史さん:2008/09/14(日) 15:00:30
京、伏見稲荷大社門前の名物は雀の焼き鳥。
834日本@名無史さん:2008/09/14(日) 23:11:06
穀物の害鳥だから豊穣の神様としては捕って食ってよしみたいな感覚なのかな
835日本@名無史さん:2008/09/15(月) 02:20:27
比内鶏と比内地鶏は別のものです。
836日本@名無史さん:2008/09/15(月) 02:45:30
いまさら誰でも知ってる常識を言われても・・・
837日本@名無史さん:2008/09/15(月) 03:31:06
鳥料理はポピュラーなメニューです
838日本@名無史さん:2008/09/15(月) 10:41:55
佐竹氏が鳥うち猟師を統制てたんだろ
839日本@名無史さん:2008/09/15(月) 11:09:18
>>827
熊倉功男の「日本料理の歴史」では鶏を食する習慣は南蛮人の来航以来盛んになったもので室町時代には鶴とか白鳥とかが高級料理とし出されていたと書かれていた。
840日本@名無史さん:2008/09/15(月) 19:19:53
>>839
正味、白鳥とか鶴は喰って美味いもんなんだろうか?
孔雀は鶏と味は変わらんが羽が美しい為、ローマ帝国時代は宴の席で珍重された
ってのは聞いたこと有るけど
841日本@名無史さん:2008/09/16(火) 08:44:30
美味ければ、飼育繁殖家畜化努力をする。
それが人類。
つまり、大して美味しいないんじゃね?
842日本@名無史さん:2008/09/16(火) 12:08:20
鶴は一夫一婦制だったり、姿も気高く見えたり、
また江戸時代以前から目出度い鳥でもあるので
そういう意味合いから縁起物として食べていたんだろ。
843日本@名無史さん:2008/09/16(火) 22:36:00
飛ぶ鳥の大量飼育は難しかろう。さらに渡り鳥だし
844日本@名無史さん:2008/09/17(水) 03:07:17
品種改良。
つか白鳥なんか太らせたらすぐ土着する。
845日本@名無史さん:2008/09/17(水) 11:23:03
稀少なものだからこそ、珍重され、ありがたみが出て値もはずむ。
手軽く購える安価なものでは価値がない。

現代でもそうだよね。
846日本@名無史さん:2008/09/17(水) 15:28:25
珍価値がなくなってでも、美味ければ繁殖飼育努力するっつーの。
847日本@名無史さん:2008/09/17(水) 16:55:45
単に、「鶴は千年…」にちなんだ縁起かつぎでは?
848日本@名無史さん:2008/09/17(水) 20:23:03
上に挙げられた3種(鶴・白鳥・孔雀)を実際に食した猛者はいないのか?
いれば感想レポキボン
849日本@名無史さん:2008/09/17(水) 23:04:59
時に、蛙は食ってたのかな?
850日本@名無史さん:2008/09/18(木) 00:44:02
美味い不味いたくさんとれるとれないは関係ないだろ
たとえむちゃくちゃ不味くても体に悪くても
権威が価値を認めれば高級品
高級料理ですって言ってコンビニ以下の食材でd刺してもみんなありがたく
押し頂いて喰うだろうし腹の虫押されるためのジャンクですよって
高級食材だしたらみんな気軽に残して捨てるだろう
たぶんそれっぽく切った安いキノコを松茸ですって出したらほとんどの人間は
ありがたいありがたいって食べるよ
味シメジって言うし
逆に権威を知らんペリーとかは高級老舗の料理出されてもかけらも嬉しくなかったんじゃない?
851日本@名無史さん:2008/09/18(木) 00:45:30
明治5年出版の西洋料理指南の本に載ったのが
日本で最初のカレーのレシピと言われているが
そこで使われている肉が蛙
852849:2008/09/18(木) 01:51:46
>>851
江戸時代ではないようだけど、1つ勉強になった。
サンキュー。
853日本@名無史さん:2008/09/18(木) 04:39:20
>>850
そんな雑な感性と舌は、残念ながら持ってない、、、
854日本@名無史さん:2008/09/18(木) 12:15:43
それなら平賀源内が長崎に行った際食べたちゃんぽんは
現在の長崎ちゃんぽんと同じかな?
855日本@名無史さん:2008/09/18(木) 12:25:35
平賀源内の食については知らないけど
今の「長崎ちゃんぽん」は近世の中華料理店の主が
考案したスタイルということになっていたと思う。
856日本@名無史さん:2008/09/18(木) 12:39:18
上で「鶏卵は高級品」みたいな事が書かれてたと思うけど、
そうすると、落語『王子の狐』の

>近くの料理屋・扇屋に上がり込んだ二人、油揚げならぬ天ぷらなどを注文し、
>差しつ差されつやっていると、狐のお玉ちゃんはすっかり酔いつぶれ、すやす
>やと眠ってしまった。そこで男、土産に卵焼きまで包ませ、「勘定は女が払う」
>と言い残すや、図々しい奴で狐を置いてさっさと帰ってしまう
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%AD%90%E3%81%AE%E7%8B%90

に出てくる扇屋(現存)は、高級料亭みたいな感じで、卵焼きも高級品だったこと
になるのかなあ?

http://otonanonurie.image.coocan.jp/2006/03/0492.html
↑の『江戸名所図会』王子稲荷社とか見てると、街道沿いにしても、いかにも郊外
の村という感じで、そんな高級感は微塵も感じないんだけどなあ。

もっとも、落語のストーリー自体は次第に脚色されているだろうから、落語の描写
をもとにとやかくは言えないだろうけど、扇屋が江戸時代から存在していて、そこ
で卵焼きが売られていたのは事実だろうし。
857856:2008/09/18(木) 12:43:33
http://kkubota.cool.ne.jp/oujinokitune.htm

↑こっちのHPにある同じ王子の「海老屋」を描いた北斎の浮世絵だと、
まあ高級料理屋っぽいけど…
いまいちわからん。
858日本@名無史さん:2008/09/18(木) 12:52:47
つか、高級ったっていろいろあるだろ。
オレの感覚だと江戸時代の卵焼きは、今なら和牛のサーロインステーキくらいなんじゃね?

松坂牛とかほど高級でもないが、輸入モノより高いみたいなw
そいでフィレほどの値段もしないから食おうと思えばいつでも食えるが、毎日食ってると庶民にとってはキツいって感じで。

とりあえず和三盆糖ほどの高級感は無かったとおもうぞ>卵焼き
859856:2008/09/18(木) 13:08:04
>>858
高級和菓子なら、どんなに高いやつでも買おうと思えば買えるけど、
高級懐石だと話が違うようなものか。
860856:2008/09/18(木) 13:11:09
高級和菓子=1個    1000円
高級懐石 =1人 50000円から(サービス料別)

みたいな。
861日本@名無史さん:2008/09/18(木) 13:21:07
卵焼きはいまでも高い所でhすごく高い(味の差は俺にはわからんが)

そういや清河八郎だかがウナギが大好きで
毎日食べたいのこっちじゃあんまりなくてしょうがないから同じようんじゃ形してるナマズ食ったけど
やっぱりウナギよりまずいとか書き遺してるらしいけどナマズの味ってどうなんんだ?
862日本@名無史さん:2008/09/18(木) 14:11:31
なまずは結構旨いよ、淡白な白身で。
今では蒲焼やら天麩羅・フライ、ソテーやら調理方法もいろいろ。
刺身や洗いでもいけるね。首都圏近郊だと茨城県南とか
埼玉頭部など、湖沼地帯、河川流域でなまずを食べさせてくれる
店が多い。日本なまずは養殖が難しい(共食いする)からアメリカなまず
(キャットフィッシュ)を供する店が多いかもね。

で、清河の時代だと幕末なんで、うなぎに関しては蒲焼も普及してるし
うな重も出始めた頃だけれど、なまずは旨い調理方法がそれほど
工夫されていなかったからってのもあるかもね(酒を大量に用いる
「すっぽん煮」とか、元祖蒲焼w風な「たまり味噌」焼とか、好みに
左右されがちな調理法に限られていたかも)。
863日本@名無史さん:2008/09/18(木) 14:19:21
現代も 高級料亭とかにあるだろうけど

料理を運ぶ 盆台? の正式名称ってなんだろうか?
864日本@名無史さん:2008/09/18(木) 14:23:46
常識的に考えてカステイラ
865日本@名無史さん:2008/09/18(木) 15:29:17
>>863
めいめい膳では?
って、これも俗称かもしれんが。
866日本@名無史さん:2008/09/18(木) 15:49:59
ありがとうございます
 
調べてみたら めいめい膳 お膳台

そんな呼び方だったんですね

自分で創ってみたいと思ってたんですよ!

 
867日本@名無史さん:2008/09/18(木) 16:05:38
>>866
完成したら写真うp
868日本@名無史さん:2008/09/18(木) 21:14:37
>856
そもそも、安い飯屋であれば「勘定はこっち」と押し付けるという
のも、勘定を押し付けられて肝を潰して正体を現すというねたに
もならないように思いますが。
869日本@名無史さん:2008/09/19(金) 05:20:21
王子の扇屋 釜焼き玉子は3750円。
今の感覚でもちょっと勇気のいるお値段だ。

ttp://www.ntv.co.jp/asaten/burari/20080531.html
870日本@名無史さん:2008/09/19(金) 12:52:25
家で食べれる食い物で店の名前や歴史だけでそんだけとられるぐらいなら、
実家で食べた方がマシ
オカンの卵焼きがイッチャン美味いしw
871日本@名無史さん:2008/09/19(金) 13:07:01
3750円か。
確かに望めば買えるけど躊躇してしまう値段だw

でも、地鶏の卵使って、海老のすり身、しかも車海老とか混ぜて、
良い鰹節とか使った出汁で、炭火の釜で焼いて、それに人件費が
乗っかるんだろうから、まあ高くもなるわな。


ところで、江戸時代は鰹節も貴重品だったが、砂糖はもっと貴重品。
もしかして甘葛の汁煮つめて卵焼きに使ってたのだろうか?
872日本@名無史さん:2008/09/19(金) 16:38:19
麦芽糖(水飴)とかを使ってたんじゃないかな?
砂糖キビも、江戸初期から栽培してたようだ。
ただし、白く精製できるようになったのは、18世紀半ば。
だから黒砂糖や絞り汁は使ってた可能性がある。
873日本@名無史さん:2008/09/19(金) 20:01:14
甘くないかもしれんぞ
伊勢の赤福だって18世紀の途中までは塩餡だったらしいし
874日本@名無史さん:2008/09/19(金) 23:00:28
http://ojiseikatsu.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_0972.html

http://ojiseikatsu.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/dsc01834.JPG
扇屋の卵焼き、食ったこと無いけどおいしそう…。
それと、料亭の扇屋は最近閉店になったって書いてあるね。
今は卵焼き専門なのかな?よくわかんないけど。

同じブログの中にあった江戸の料理屋の番付表。
http://ojiseikatsu.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/dsc00000_8.jpg

左側「西之方」の大関が>>857の海老屋で、小結が扇屋になってて、それぞれ番付と屋号の間にちゃんと店の場所が「王子」って書かれてる。

それと、このたぐいの番付表には横綱が書かれていないことが多いんだけど、一説に、「横綱だけは貴方が決めてネ」ってことらしい。
江戸の粋ってやつなんだろうか。
875日本@名無史さん:2008/09/20(土) 00:17:30
>874
当時の相撲ってのは事実上大関が最高位で、
横綱ってのは名誉職的なポジションだったみたいですよ。
常時横綱がいる興行を打つようになったのは明治中頃、
正式に地位として横綱を最高位にしたのは明治も末のことなんだとか。
それに最初の横綱免許皆伝ってのが、11代将軍家斉の上覧相撲のときなんだそうで、
この料理番付の時代に横綱がいたかどうか・・

ところでこの料理番付の中央は行事として、店の名前が列挙してあって、
一番下に大きく八百善とありますな。
やはり別格?というか発行元なのかな?
876日本@名無史さん:2008/09/20(土) 00:24:31
>>875
へえ、そうなんだ。
じゃあ、上で書いた「一説」は間違いってことで取り消し。
おかげで1つ勉強になったよ。
877日本@名無史さん:2008/09/20(土) 01:18:11
>>875
八百善は例の茶漬けのエピソードの通り別格扱いで、全ての番付表で
勧進元、つまり興行主扱いになっていて、つまりはトップランクとい
うことだそうです。
それと、別に八百善が発行したわけではないということのようです。
878日本@名無史さん:2008/09/20(土) 01:27:14
まあ今風に言えば八百善はプロモーター兼それなりに出資者=スポンサーて
ことで落着w
879日本@名無史さん:2008/09/20(土) 01:49:01
ええと、もしかしたら>>877の書き方が悪かったかもなので、一応
改めて。

八百善は、江戸時代の料理屋ランキングとしての番付表の中で、他
の店と違って常にトップに位置していました。
そのトップというのが”勧進元”という称号になっているのであっ
て、この番付表を発行しているわけではなく、単にランキングを相
撲の番付表に見立てた際の”大関よりも上位のランクの1つ”とい
うことです。
大関の上のランクについては、番付表ごとに微妙に違っていたりし
ます。
つまり1例を挙げれば、1位=勧進元 2位=行司 3位=大関...
のように続いていく形になるわけです。

このタイプの”見立て”は料理屋に限らず、様々なジャンルのラン
キングとして活用されています。
一種のシャレですね。
おそらく瓦版屋か書籍の版元かが発行していたのでは?
880日本@名無史さん:2008/09/20(土) 01:50:49
>>875
当時あらゆることに番付を作って売ったもので
現役の有名人を東西にずらりと並べ
行司や勧進元の欄にはいわゆる大御所の名を書いた
881日本@名無史さん:2008/09/20(土) 01:55:47
ちょっと話はズレるがロードアイランドレッドは
産卵性がよく肉質も上等なので大もてだ
 
赤い卵はほとんどロードアイランドレッドだし
各地の特産鶏も
比内地鶏=比内鶏♂×ロードアイランドレッド♀
その他もほとんどこの方式で作られてる
882日本@名無史さん:2008/09/20(土) 03:03:57
○○膳だかのお茶づけは超たかかったというが
今にしていくらなんだろ?なんとなく十万円ぐらいのイメージ?
883日本@名無史さん:2008/09/20(土) 03:50:51
>>822
たしか、数人分で1両2分
長屋住まいの町人の一日の稼ぎが四百文として20日分で八貫文、大体1両1分強
(雨が降れば仕事にならないし、常に一定収入というわけでもないので20日とした)
その茶漬、1世帯の1か月分の収入くらいになる。
884日本@名無史さん:2008/09/20(土) 04:15:48
とするといまだと30万円ぐらいかな?
885日本@名無史さん:2008/09/20(土) 05:16:59
今のお金にすると大体それくらい。>30万円
だだし、江戸期と現在では物の価値が違うし、
現代の中流家庭は中近世の中流貴族と同レベルの生活水準と言われているので
そのまま鵜呑みにするのは危険。

三人家族で、一ヶ月米三斗消費するとして三貫文
調理用の調味料や燃料代が大体三貫文
長屋の店賃が五百文
残り1500文で惣菜とか細々した物を購入

『江戸っ子は宵越しの銭は持たない』というけど、
実情は『宵越しの銭が持てない』が正解。

さて、このような経済状態で1つ20文の玉子は贅沢か否か?
886日本@名無史さん:2008/09/20(土) 13:54:49
普通の現代人の世帯は月に俺の倍以上の収入があるのか・・・orz
もう30歳なのに俺ってばあこがれの正社員
887日本@名無史さん:2008/09/20(土) 15:06:30
収入なんぞはアンタが努力すりゃどうとでもなる話。
それよりも、わざわざ盛り下げるレスをしないで、楽しむなり愛嬌振りまくなりしたら?
888日本@名無史さん:2008/09/20(土) 15:59:54
30じゃもうどう頑張っても平等現代日本でも下層階級からの脱出は不可能無理だろ
よかった>>886に生まれなくてw
889日本@名無史さん:2008/09/20(土) 19:00:53
>>885
>1つ20文の玉子は贅沢か否か?

まあ贅沢品の部類に入るだろうね。
890日本@名無史さん:2008/09/20(土) 19:18:19
なくても生命維持と子孫作りに支障がないものは基本的に全部贅沢
891日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:05:28
892日本@名無史さん:2008/09/21(日) 00:09:08

大衆食堂の資料みっけてきたぞ。

http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_6_01.htm

893日本@名無史さん:2008/09/21(日) 00:40:17
ほう、レストランてラテン語起源だったんか。
てことは英語の「リストア」とある意味「親戚」じゃんねw
894日本@名無史さん:2008/09/22(月) 00:49:50
「美味い物」って調べてみたんだが、家光の時代くらいまでは、そもそも屋台も料亭も無かったんだな。
接待に使えそうな高級料亭といったら吉原くらい、それに吉原も火事で移転するまでは昼間だけの営業。
だから案外と、健全な会合とかに利用されることも多かったとは……
895日本@名無史さん:2008/09/22(月) 00:58:12
>>894
いや、昼間のおしゃぶり本番はありだろ。
ただ吉原(当時は今の日本橋界隈だったはず)に限定したのは
家康らしいw

っちても江戸初期までの都市建設計画と町割りを考えれば、
適度に発散wの常識的範囲内かな、とw
896日本@名無史さん:2008/09/22(月) 02:04:00
そんなに興奮すんなよ
897日本@名無史さん:2008/09/22(月) 03:32:45
江戸屋敷とかの連中の会合が吉原とか
京だったら祇園とかそういうところでやってるけど
ありゃ遊び半分なのか?いい仕事世襲してるんだなぁ
898日本@名無史さん:2008/09/22(月) 15:19:04
>894
>「美味い物」って調べてみたんだが、家光の時代くらいまでは、そもそも屋台も料亭も無かったんだな。
>接待に使えそうな高級料亭といったら吉原くらい、それに吉原も火事で移転するまでは昼間だけの営業。

江戸初期の頃、直臣である大名、旗本、御家人などなどは、
夜間、屋敷に居なければいけない決まりだったと思います。
「すわ、戦だ出陣」となった時に、外出中で女と飲んだくれてたら、確実に切腹。
だから、赤穂浪士が討ち入り前に蕎麦をすするシーンは嘘!

平和が続いて、町人が豊かになって、ようやく夜見世が流行るようになった。
その後、食べ物を24時間担ぎ売りする人が出てきた。現代と一緒ですね。
899日本@名無史さん:2008/09/23(火) 12:30:48
ところが赤穂浪士の時代辺りから屋台が出始めたんだよ、蕎麦も蕎麦がきから切り蕎麦になる時代。
酒屋も小売り以外に店内で飲ませ、肴も提供しだしたし、けっこう時代考証が微妙だったりする。
900日本@名無史さん:2008/09/23(火) 14:10:13
卵は昭和30年代までぜいたく品ではないのか?

現在のように卵が安くなったのは、昭和30年代以降アメリカ品種による近代養鶏が始まってからと聞いたが。
あのころから卵の物価が変わってない。
で、物価の優等生なんだろ。

昭和一桁生まれの人ですら、昔は高かったとちょっとした思い出話をするくらいなんだから。
贅沢といっても、値の張る嗜好品ぐらいだったようだが。
901日本@名無史さん:2008/09/24(水) 14:00:29
枡に入れた酒を店内の土間とかたるに座って飲むタイプの飲み屋から
今見たな酒場になったのはいつ?
902日本@名無史さん:2008/09/24(水) 14:01:51
バナナと鮭は昭和40年代後半までは超高級品
903日本@名無史さん:2008/09/24(水) 19:13:26
今見慣れた酒場になったのは
村さ来か白木屋か養老の瀧かつぼ八か庄やがオープンしたときだよ
904日本@名無史さん:2008/09/24(水) 19:32:54
一杯飲み屋みたいのはあったの?
905日本@名無史さん:2008/09/24(水) 19:58:02
>一杯飲み屋みたいのはあったの?

煮売り酒屋。おでんのように煮物料理を出して酒も飲ませる。
江戸では、酒を出すとき燗でも、冷でもちろりか徳利で出した。
居酒屋のように、刺身や魚を食わせるところもあった。
906日本@名無史さん:2008/09/24(水) 20:01:21
江戸・鎌倉河岸(今の内神田界隈)に、1596年から店を構えていた酒問屋の豊島屋が、
いわば試飲という恰好で提供したのが、やがて店先で立ち呑み酒屋として商いするように
なったらしい。時期はよく判らないが、おそらく1650年(元号・慶安)前後くらいじゃないか?

で、三田村鳶魚によると元禄年間(1600年代末―1700年代初頭)頃には、今でいう
居酒屋に相当する煮売り屋が酒食を提供するようになったらしい。多分最初は縁台と
立ち呑みのシンプルな屋台店だったんだろうと思う。1770(安永)〜1780(天命)年頃には
店を構えての煮売り屋は結構存在していたんじゃないかな。
907日本@名無史さん:2008/09/24(水) 20:07:43
今大河ドラマ「太平記」DVD視聴中だけど
足利直義が落雁食って茶飲んで毒殺されてるんだけど
落雁てどのくらいの時代にどのくらい一般的なのかな

wikiの落雁の項は
>室町時代に日明貿易で伝わり、茶道の勃興によって広まった。

尊氏時代にあんなきれいな落雁あるのはおかしいかなどうかな
908日本@名無史さん:2008/09/24(水) 21:30:59
直義が亡くなったのは1352年だから、落雁が日明貿易でもたらされたとするなら、まだ
この時代には存在しないよね。

ただ唐果物の中には落雁と似たようなものはあったかもしれないね。
唐果物の多くは米とか麦などの穀類、あるいは大豆、小豆などの豆類を挽いて
粉粒状としたものを原料に、甘味料(この時代だと甘葛とか、酒を醸造する過程で
得られるでんぷんを糖化した物)を加えて練り、揚げたり蒸したり干し固めた物が
主流だったから、見た目は落雁に似たような唐果物はあったと思う。
909日本@名無史さん:2008/09/24(水) 21:59:14
へー唐果物っていうのか
早速ぐぐってみた
http://evagenji.hp.infoseek.co.jp/kudamono1.htm
ここに出てるのは揚げ菓子ばっかだな
でもいい言葉を教えてもらったちょっと調べてってみるわ
910日本@名無史さん:2008/09/25(木) 00:38:07
   ,/‐ \ ::::::::::::ヽ
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     /"""''/ーナ-t----|
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    {入|(・)  (・)    |||||||   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      |⊂⌒◯-------9)  <  クソスレ、ゲットだぜ!
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     /    ( ̄T   |   `ヽ、    }
    く       ̄ `ヽ、/__        /
    / `ヽ、/|       `ヽ、 __ノ
       /  |          T
911日本@名無史さん:2008/09/25(木) 02:10:27
本当に大晦日とお盆の年2回のつけ払いで
米味噌なんかは買えたんでしょうか?
子供のころマンガ日本の歴史みたいので
「ち、除夜の鐘がなっちまった時間切れか・・・」「これで盆まで引きのばせる」みたいなのが
載っていたのですがこんな感じでつけをどんどん引き伸ばし
何十年も実質タダで米味噌得ていたんでしょうか?
912日本@名無史さん:2008/09/25(木) 02:36:21
嘗糞は中国が起源。



嘗糞の記録は中国の南北朝時代や唐代の説話にも見受けられる。
『二十四孝』や『日記説話』によれば、南斉時代に庚黔婁と言う
役人が父親が病気になったので帰郷すると医者に、糞を嘗めて
見ないと状態が解らないと言われ、その味が甘かったので憂いたと
言う「嘗糞憂心」の故事が残っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%97%E7%B3%9E


913日本@名無史さん:2008/09/25(木) 03:16:45
徳利は幕末まで一般的ではなく、普通はちろりをつかってたはず。
914式腸陰土 ◇DQN4vForz:2008/09/25(木) 22:41:50
>>911
除夜の鐘の真偽はしらんが、今と違って借財人を保護する法律なんて無いから、普段の取りたては苛烈。
20〜30年前のサラ金地獄みたいに夜討ち朝駆け当たり前、娘はすぐに吉原に売り飛ばされた。
915日本@名無史さん:2008/09/26(金) 01:01:08
そりゃそえだわな
916日本@名無史さん:2008/09/26(金) 14:20:06
>>914
>夜討ち朝駆け当たり前、娘はすぐに吉原に売り飛ばされた。
こう言うのは、博打の借金や悪徳高利貸しの場合でしょう?

普通の商店では、〆に支払ってくれない客には次から売らないだけでは。
917日本@名無史さん:2008/09/26(金) 14:28:53
>>916
自演でなければ触らない方がいいコテだからノータッチで
918日本@名無史さん:2008/09/26(金) 20:08:02
でも、コテ>シキチョウ インドだよ?
こいつもやばいの?
919日本@名無史さん:2008/09/26(金) 20:44:50
まぁ実際つけを>>911みたいにしてたら
店潰れちゃうと思うけどね
問屋とかじゃなくて個人の荷売りとかならなおさら

小さくてもいいから天秤棒うりじゃまくて店持ってる商人なりたい人は
子供のころからでっちやってないと不可能なんですかね?店持つのは
920日本@名無史さん:2008/09/26(金) 21:11:11
>>911
つうかwコテの書いた極端な取立ては措くとして、暮れの師走が忙しいって感覚は
「坊さんが走るほど」忙しいってより、寧ろ決算期を前にして肌身で憶える忙しさって感覚は
江戸時代からあったよ。ましてシステムとして信用供与が機能してるって前提なわけだし、
踏み倒しが仮に成功しても縁類・近隣にも迷惑が及ぶ&その土地(街)では生きていけない
結果を招く可能性があるから、踏み倒しなんて現実問題としてそうそう起きない。
921日本@名無史さん:2008/09/26(金) 21:49:29
じゃあれ嘘なのか・・・
小学校の図書室にあったのに
922日本@名無史さん:2008/09/27(土) 03:11:43
昭和40年ぐらいまで、盆暮れのツケ売りをしていた。
>920のとおり。うちの爺さんの話を思い出した。

もっと、いろいろ聞いておくべきだったな。
明治生まれでも、江戸時代なんかちょっと前のことだったんだもんな。
923日本@名無史さん:2008/09/27(土) 03:37:33
でも長屋の遊び人見たいな人はつけ払えないじゃない?
浪人も
924世界@名無史さん:2008/09/27(土) 07:49:40
そう言う連中を相手にして大成功したのが三井越後屋
925日本@名無史さん:2008/09/27(土) 12:02:30
>>923
ごろつき、浪人なんかは三食、夜食も外食だろう
金が無ければ、食わない。後は、女のひもになる。

>>924
現金掛値無し!今の三越。
926日本@名無史さん:2008/09/27(土) 12:40:43
別冊歴史読本の「食の歳時記 江戸・明治の味を訪ねて」

見ているだけで美味そうな本だ
927日本@名無史さん:2008/09/27(土) 13:57:08
秋の味覚といえば秋刀魚・栗・松茸だけど江戸の人々も今からの時期
秋の味覚堪能してたんだろうな〜
928式腸陰土 ◇DQN4vForz:2008/09/27(土) 23:40:08
秋刀魚と言えば目黒
松茸と言えば平壌
929日本@名無史さん:2008/09/28(日) 00:09:43
松茸安かったんでしょ?
まぁ個人的意見ならあれ今でもなんで高いのか意味わからんけど
それほど美味くないし
930日本@名無史さん:2008/09/28(日) 02:28:07
昔から匂い松茸味しめじだろ
931日本@名無史さん:2008/09/28(日) 02:45:31
どう考えても椎茸のほうが香ばしく、美味い。
932日本@名無史さん:2008/09/28(日) 02:47:27
なめこ汁となめこおろし以外のキノコは美味しいと思ったことがない
933日本@名無史さん:2008/09/28(日) 03:19:31
別に一個人の嗜好を語るスレではないし
934日本@名無史さん:2008/09/28(日) 03:24:28
まあ、今の松茸は希少価値を反映した価格でしょ。

それと、シメジに関しては今は殆どの人が経済効率優先の物しか口にしたことが無いだろうという悲しい現実。
舞茸もそう。
マッシュルームも同じ。
椎茸もそうかも知れない。

キノコ以外では、味噌も醤油も味醂も酒もそう。
魚も養殖と冷凍だらけ。

江戸時代と現在を比較した時、食材の多様性と保存・流通・養殖・栽培の技術は発達したが、庶民が購入できる範囲の食材の「本物度」みたいな指標を勝手に定めた上で言うなら、代わりに犠牲になった部分も多い気はする。
戦中・戦後の「いかにして少ない材料から、とりあえず腹を満たすだけの物を作り出せるか」という命題に応えて生み出された技術が、今に受け継がれてしまっているのが一因か。
その最も分かりやすい例が日本酒やビール・焼酎といったとこかな。

技術的に「本物」しか存在しなかった江戸時代がうらやましくもあり、やっぱり流通が発達し品種改良や加工技術も進んだ現在の方が良くもあり…。
935日本@名無史さん:2008/09/28(日) 03:29:28
一応付け加えるなら、まともなマッシュルームやシメジを見せると、多くの人が、

「えっ、マッシュルーム(orシメジ)って、こんなに大きいの?味が濃いの?」

と言う。
これが現実。
それしか口にしたことがないにもかかわらず、「美味くないor不味い」という人が多いんじゃないか?
もちろん、俺の言うところの「本物」を食べて尚「合わない」人も居るとは思うが。
キノコの類いが嫌いな人は多いみたいだし。
936日本@名無史さん:2008/09/28(日) 03:57:07
百種類近くあったといわれる大根も、この30年で青首大根のみになったしな…
937日本@名無史さん:2008/09/28(日) 04:55:11
少量で狭い範囲にしか流通しない上に最悪飢饉も発生した代
わりに天然・完熟のものを食べられた江戸時代が良いのか。
それとも、一定の安全性はあるし広範囲に流通するが、養殖、
冷凍、完熟手前での出荷、添加物まみれがほとんどの現在が
良いのか。
938日本@名無史さん:2008/09/28(日) 09:08:00
食えりゃなんでもいいよ
餓死するよりまずいもんでも食えたほうが百倍ましだよ
グルメ漫画の主人公の人みたいな
食い物を平気で無駄にする人は勝手に誇りに殉じて餓死してくださいよ
あんたがまずいとかこんなん食えないとかいって食い残したり捨てたり部分だって
餓えてる人には命をあすにつなぐごちそうですよ
って毎回思ってましたし
>>934さんや>>935さんを別に責めてるわけじゃないですよ?
たしかにマッシュルーム味しないから本当の味なんて俺知らないけど
喰えないよりはいいかなと思うわけでね
食える環境なら江戸のほうが幸せかもね
今後の日本が江戸より食糧事情悪くならないとも限らんし
そうなったら偽物の味すら食えなくなるし
939日本@名無史さん:2008/09/28(日) 09:32:43
>>938
素朴な疑問だけど、貴方のような考えの人が何故こんな”美味い物”について語るスレにいるの?
940日本@名無史さん:2008/09/28(日) 11:04:53
庶民レベルの本物度を云々と論じる意味があるのは、ある程度保存、流通技術が進ん
で「保存第一」を考えなくてもよくなり、かつ養殖等の技術があまり進んでいない、ごく限
られた一時期だけの話だろうね。

江戸時代どころか、明治〜昭和の早い時期だと、天然、完熟ものといっても、今の「冷凍
や養殖」よりましと思える状態で食べられるのは、本当に産地の近くに住んでいるごくごく
一部の人間だけだよ。明治以降であれば「金持ち」はある程度いいものを食えただろうけど。
江戸時代じゃ氷冷蔵すらないんだから、本当に生きたまま生簀ででも運ばない限り「生きの
いい魚」なんて食えない。
干物や発酵食品の類にしても、「味より保存性」の本物はやたらに硬かったり、やたらに
塩辛かったりだよ。
941日本@名無史さん:2008/09/28(日) 12:57:29
昔のお菓子や煎餅も保存重視でやたら硬かったそうだしな。

口に含んでやわらかくすんだとさ。
94226:2008/09/28(日) 12:58:50
以前にも書いたのだけど、
刺身にする魚が不足の節には塩引きの塩を抜いて代用したらしい。
今となってはあまり食指は動かないなぁ

序でに同『定例帳』より

九月十三日、朝仕事切、神事 鎮守宮並当村中氏神祭り
一、糯米一斗三升位 強飯
  但し、家内人数多少客多き年は、多少見合可有之候 

   平  松茸、茄子、しみこん、焼どうふ、里芋
 客人の平 山芋、松茸、氷こん、焼とうふ、茄子
 同吸物 すまし、鰹、松茸
 取肴  硯蓋 梨子、山いも、ししたけ、玉子、焼鮒
 酢会  ずいき
 刺身  かつほ、すり生姜、みやうがなど、鰹無之時は見合
右は客方への献立也、家内は膳の上ニテ酒也、肴ハ鱠、納豆等也

村祭りの精いっぱいのご馳走と言うべきでしょうか。
943式腸陰土 ◇DQN orz=3:2008/09/28(日) 22:38:19
>>941
せんべいが軟らかくなったのはスナック菓子が普及してからだね。
昔はせんべいは硬いというのが常識だったのに。

>>942
まあ、冷凍技術がないからね。今の「本物の刺身」食えるのは限られた地域だけ。当時はそういう「贋物の刺身」が一般的な刺身だったんだろうね。
944日本@名無史さん:2008/09/28(日) 23:33:11
>>939
踏まえた上で美味い物食いたいなと化思うのよ
ムダにするのはだめだけどまずいもの選んで喰えってわけじゃないですし
945日本@名無史さん:2008/09/29(月) 18:18:14
ちょっと気が早い、季節はずれですが、
皆さんのところの「雑煮」はどんなのですか?

俺は近畿地方の出身です。
汁は甘めの白味噌、それに焼いた丸餅を入れ、くわい、里芋、金時人参の
ゆでたのが入り、上には刻んだ三つ葉が振りかけてありました。
肉っけ、魚っけは全く無し。
これって江戸時代(或いはもっと昔から)こうなんでしょうか?
それなら、現代に残る数少ない伝統食。
ちょっと、皆さんのところの「雑煮」について教えてください。
946日本@名無史さん:2008/09/29(月) 18:32:13
>>945
江戸時代と絡めないのならスレ違い
947日本@名無史さん:2008/09/29(月) 18:35:53
>>944
悪いけど、言ってることが支離滅裂。
948日本@名無史さん:2008/09/29(月) 22:28:35
>>936
東京の、亀戸大根鍋のお店は美味しくて良心価格だよ。

>>946
でも、餅の切り方とか、東京の質素な感じの雑煮の具はやはり
武家の都だったから・・・とかいう理屈づけは出来るよね。

>>945
うちは元日は連れ合いの実家のある京都風、白味噌にゆでた丸餅
具は大根、小芋に金時人参。トッピングに花カツオ(節)
京都産の白味噌を大量に使うので、わりとコスト高な一品。

2日は自分の出身である東京のすまし汁に焼いた角餅
具は小松菜、鶏肉、、三つ葉などです。
94926:2008/09/29(月) 22:36:46
>>945殿様の雑煮

磐城平藩安藤家のばあい
『御規式御献立帳』(文化12年12月26日)
「正月元日 御規式御吉例之通(中略)
御臓(雑)煮 鶴亀椀、太御箸
  餅白赤二つ  熨斗 一つ
  里芋 二つ  昆布 一つ
  焼豆腐三つ  菜  少々
  大根 三つ  平ふし五つ
  串海鼠五つ」
 
百姓(一応、在方給人格)の雑煮、

前掲『定例帳』(嘉永5年)より
「元朝
一、雑煮餅 里芋、又いてう大根にてもよし
       青菜 やき豆腐  削り節を掛ける」

やっぱり城中の雑煮は具沢山だなぁw
950日本@名無史さん:2008/09/30(火) 00:01:10
>>947
>>944は真性のバカみたいだからもう無視しよう
だって特別頭がいいわけでない俺ですら理解不能な論理だもの
一般人に理解できないって相当ひどいぜ?
おそらく自分が馬鹿だって事実すら気づいてないのだろうな
早く気づいたほうがいいよ25才過ぎたら取り返し塚ないよ
親が死んだら援助してくれる人もいないんだぜ?
住むところんもなくなって一直線にホームレスそして餓死もしくは凍死
俺らは同情はするけど助けないぜ?他人ってのはそういうものさ
951日本@名無史さん:2008/09/30(火) 00:58:51
>>940
それじゃ「目黒のさんま」はどう?

刺身だと、産地周辺や氷を使える金持ちに限られてくるかもだけど、
焼魚なら結構な範囲に「非冷凍」の魚が流通してたんじゃないの?
何しろ、落語の大筋を事実とするなら目黒の農民が焼いていたわけだ
し、聞いてる側もさんまを焼いたら脂っこいというのが分からなけれ
ば、家臣がさんまを蒸して折角の脂を落としちゃう描写が成立しない
だろうし。

それに、元々はキノコの話だったから、キノコなら保存も利くしさ。
ただ、流通量(生産量)が限られてしまうことには変わりないけど。

モノによっては、庶民レベルでも今より江戸時代の方がマシっていう
ことも有り得るってだけの話ということで。
952日本@名無史さん:2008/09/30(火) 01:58:46
多摩川流域には鮎を将軍家に献上する旧家が決まっていたんだよね。
953日本@名無史さん:2008/09/30(火) 15:05:22
>>948
大根は幾ら食っても当たらないから「大根役者」の言葉が出来たそうです。

結構、雑煮もコラボしてるんですね!そのうちカレー雑煮とか出来たりして。

>>949
殿様の雑煮って、一椀にこれだけ具材が入るんですか。
これじゃ、雑煮と言うよりも鍋ですね。
954日本@名無史さん:2008/09/30(火) 15:08:05
>>953
簡単におろせるから「大根役者」って説もあるよね。
955日本@名無史さん:2008/09/30(火) 16:40:01
↑ そんな説もあるんだ!初耳嬉す。
956日本@名無史さん:2008/09/30(火) 22:14:52
>951
「結構な範囲」の考え方次第だろうけど、基本的には徒歩の歩き売りだろうから、
生で運ぶのは頑張っても10〜20kmくらいが限界じゃないですかね?それも、
漁獲があった日限定で。無論時期にもよるだろうけど。
それに、焼き魚や煮魚は刺身よりは古くても食べれるというのは事実だけど、そ
れは「あたりにくい」という意味合いでの話で、古い魚なら味は当然に落ちますよね。
常温で半日も置いた生魚を焼いたものよりは、養殖でも今の鮮魚の方が旨い
んじゃないでしょうか。
漁村にしても、「今の冷凍や養殖よりいい」と言える様な魚が食べられるのは、
獲れた直後限定の話であって、普段は塩漬や干物、イズシなんかに保存加工
したものを食べていたでしょうし。
きのこにしても、魚ほどではないにせよ、基本的に保存加工していないものは
さほど長持ちしない、どちらかというと足の早い食品ですよね。
無論、例えば干椎茸の類は、今手っ取り早く作ったものとはレベルが違うで
しょうけど。(もっとも、栽培可能になるまでは、椎茸自体が高価だったという
から、一様に語るのは間違いかもしれませんが。)
957日本@名無史さん:2008/10/01(水) 12:56:42
漁獲地域が初鰹とかの例外的なものを除けば基本的に東京湾奥部のごく近隣なんで
味はともかく、釣った時点から食卓に上るまでの経過時間で考えたら江戸の鮮魚事情も悪くないと思う。

っていっても食中毒はけっこう日常茶飯事だったんだろうと思うけどね。
化政期の話になるけど、うちのご先祖(下級旗本)の日記というか忘備録にも2、3食中毒っぽい記事がある。
新暦の6月ぐらいに献上品の下さりものらしき鯛が「椀」で出たらしいんだけど
夜中から発熱と下痢がひどくなって次の日一日寝込んでる(一緒に食った同僚も)。
一緒にご飯と香の物、たけのこと何か菜の入った小鉢っぽいのも食ってるけど、魚だと思う。

ちなみにこのご先祖、ちょくちょく釣りに行ってるがメインは鯉とかナマズ、ウナギ等の川魚で
たまにボラやシロギス等の汽水域の魚が多い。
(どうも当時の感覚ではナマズの方がウナギより上物っぽい)
自宅は本所吾妻橋周辺にだったらしいんで隅田川とかそこに注ぐ堀とかで釣りしてたっぽい。
958日本@名無史さん:2008/10/01(水) 19:08:23
昔は隅田川河口の江戸湾で白魚がとれた。
堀や河川には豊富に鰻や鯰、鯉がいた。
結構、豊かな海じゃん。
959日本@名無史さん:2008/10/01(水) 20:42:59
いまでも獲れるし豊かだよ
960日本@名無史さん:2008/10/01(水) 20:53:52
江戸はねぇ深川界隈に限らず、水の都だったからねぇ。
今は首都高建設で埋められたり暗渠化されたり、川筋に高架が走っていたりで
見る影もないけれど。
961日本@名無史さん:2008/10/01(水) 21:11:05
コイとかウナギってかなり水質汚染と酸欠に強いほうだしな
962日本@名無史さん:2008/10/01(水) 21:38:18
市の水道資料館の「きれいな水指標」の汚いほうにコイとフナはいた
963日本@名無史さん:2008/10/01(水) 21:44:22
割とわかりやすい表あった
http://www.aichi-iic.or.jp/co/a8-horiba/setoriver/sub03-1.htm

W.極めて汚染水域(強腐水性)
ナマズ、コイ、フナ
964日本@名無史さん:2008/10/03(金) 13:15:35
深川、本所、八丁堀あたりは井戸を掘っても
赤っぽい塩分を含んだ水だったらしい。
飲み食いの水は、水売りから買ってた。

掘割や川の水も溝や下水の水が流れ込んで、かなり汚かったようだ。
ただし潮の満ち引きで、結構自然に循環してたらしい。

そう言えば、有名な「おいてけ掘り」で釣れた魚は鮒、鯉、鯰なんだろうか?
965日本@名無史さん:2008/10/03(金) 16:42:31
おいてけ掘みたいに魚とれまくりの堀もあったんだな
というかあれって江戸城の堀?
それとも町中の運河(っていっていのだろうか)の一部?
本所だが狢が出るらしいのだが
まぁ同じ本所七不思議の狸ばやしとか
送り提灯火とかも狐狸らしいからあのへん結構そういうのいたんだな
(足洗い屋敷もだっけ?)
消えずの行灯があるということは
二八蕎麦屋のある時代だよねあれ
時代が特定できそう
966日本@名無史さん:2008/10/03(金) 17:31:51
深川はもともと海だった。干潟のような状態。

967日本@名無史さん:2008/10/03(金) 18:41:41
深川十万坪
968日本@名無史さん:2008/10/04(土) 01:42:57
彦根の焼肉
969日本@名無史さん:2008/10/04(土) 01:44:00
970で次スレ立てよう。
1000までは寿司ネタでも書いて埋め。
970日本@名無史さん:2008/10/04(土) 02:02:14
埋めってなんですか?
971日本@名無史さん:2008/10/04(土) 02:09:05
>>970がイマイチw判ってないようなんで俺が次スレ立てるがよろしいか?
972日本@名無史さん:2008/10/04(土) 02:14:13
次スレ立てて候

料理、菓子、酒 江戸時代の美味い物について語れ2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1223053977/
973日本@名無史さん:2008/10/04(土) 05:57:37
>>972
大儀であった、重陽の節句もちかいゆえ栗饅頭を遣わす
974日本@名無史さん:2008/10/04(土) 07:46:13
あげ
975日本@名無史さん:2008/10/04(土) 11:13:35
煮っ切り
976日本@名無史さん:2008/10/04(土) 12:09:31
では拙者も菊門をさらすでござる
977日本@名無史さん:2008/10/04(土) 13:07:39
雨月物語「菊花の約」

菊花ってのはやはり登場人物のメンズがあれな関係だということの暗喩だろうか・・・
978日本@名無史さん:2008/10/04(土) 13:53:48
菊花って何ニカ うまいニカ?
979日本@名無史さん:2008/10/04(土) 15:27:47
あまりそっちのほう限定のレスが続くと
変なのが寄ってくるだろうから、適当なとこで終了に。
980日本@名無史さん:2008/10/05(日) 17:54:06
>>978
好きな人にはたまらない味でつ。
ほろ苦さと香が独特です。


基本は酢の物かな、お澄ましの彩りにも入れたりしますね。
自分は苦手だけどw
981日本@名無史さん
マジレスがかえってくるとはさすが日本史スレw