立てちゃったのかw
3 :
前スレ994:2008/01/27(日) 03:28:39
>973さんの解読に一部誤読があります。とくに踊り字ですね
(皆さんのために変体仮名を元の漢字に直してみました)
志ゝ心越屋りて人を者於としめなと可多
ハらい多記事おほ可り・おやなと多ちそひも
てあ可めておひさ記こもれる満との中
なる程者、多ゝ可多可と越きゝ徒多へて心を
うこ可須古ともあめり、加多ちおかしくうち
お本と記、王可屋可尓てまきるゝ事なき
程、者可な幾すさひをも人ま年に心をい
(通釈は、以下のようになります。源氏の「帚木」の部分ですね。
しゝ心をやりて人をはおとしめなとかた
はらいたき事おほかり、おやなとたちそひも
てあかめておひさきこもれるまとのうち
なる程は、たゝかたかとをきゝつたへて心を
うこかすこともあめり、かたちおかしくうち
おほとき、わかやかにてまきるゝことなき
程、はかなきすさひをも人まねに心をい
4 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 06:23:27
テンプレ位貼れよw
5 :
前973:2008/01/27(日) 19:30:25
>>3さま
丁寧な御解答有難うございました。
御礼遅くなりまして、失礼いたしました。
最初の踊り字から躓いてしまいましたw
汗顔の至りです。
もっと良く勉強したいと思います。
6 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 10:00:19
age
7 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 13:53:38
寺ではなく各家にある過去帳は菩提寺の過去帳を写したものですか?それとも各家独自に記入していったものですか?
信憑性があるのかな
菩提寺に行って家の過去帳がお寺のと同じか照合してくれといえばおk
お寺とお付き合いがないとダメだろうけどね。
というより、仏事をちゃんとしていればわかるはずだけど。
9 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 00:55:57
誰もテンプレを貼る気配もない
俺もめんどいから貼らないが
もう読める人はスレから去りました
テンプレは過去ログないから誰も書けない
先祖マニアも来ないし駄目だな
浅右衛門様が解読するまで待つ事
ログなら1からあるけど貼るのマンドイ
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/ ttp://www.uploda.org/ CURL貼り付けたかったら貼る
1高祖父
17曽祖父
2高祖母 25祖父
3高祖父
18曾祖母
4高祖母 父
5高祖父
19曽祖父
6高祖母 26祖母
7高祖父
20曾祖母
8高祖母
9高祖父 あなた
21曽祖父
10高祖母 27祖父
11高祖父
22曾祖母
12高祖母 母
13高祖父
23曽祖父
14高祖母 28祖母
15高祖父
24曾祖母
16高祖母
手紙その1
拝啓
突然お便りさせていただく失礼をお許し下さい。
私は苗字を○○といい、趣味で自分の先祖について調べているものです。
<相手とあなたがつながる家系図を書く>
<あなたが知っている情報を書く>
<あなたが先祖に興味を持った理由を書く>
<教えて頂きたいことを列挙しておく>
古くからの言い伝えや伝聞など、お気づきの点がございましたら、同封の葉書でご教示頂ければ幸いです。
<あなた宛の葉書を同封しておく>
と、もうしましてもなにぶんプライバシーに関わることでもありますので、無理は申しません。
突然の手紙で、誠に不躾なお願いを致しますことをお許しください。
末筆ではありますが、皆様のご健勝を衷心よりお祈り申し上げます。
敬具
<あなたの住所氏名電話番号メールなどを書く>
手紙その2
拝啓
突然お便りさせていただく失礼をお許し下さい。
私は苗字を○○といい、趣味で自分の先祖について調べているものです。
実は私の高祖母の実家が△△という姓で祖母に聞いたところ明治か大正の終わりごろに
県外に移住したと聞きました、そこで電話帳で調べたらあなた様の名前が電話帳にあり
恐らく子孫の方と思いなにか少しでもご存じないかと思い手紙を書いた次第です
<相手とあなたがつながる家系図を書く>
少しでもわかっている内容を書く
<あなたが知っている情報を書く>
由来やエピソード
<あなたが先祖に興味を持った理由を書く>
書きまくってください
<教えて頂きたいことを列挙しておく>
ここも書きまくる
大体10個くらいないかな?
古くからの言い伝えや伝聞など、お気づきの点がございましたら、同封の葉書でご教示頂ければ幸いです。
<あなた宛の葉書を同封しておく>
と、もうしましてもなにぶんプライバシーに関わることでもありますので、無理は申しません。
突然の手紙で、誠に不躾なお願いを致しますことをお許しください。
末筆ではありますが、皆様のご健勝を衷心よりお祈り申し上げます。
敬具
先祖を調べる手順(詳細版)
@戸籍・除籍謄本入
自分の戸籍謄本請求→親の戸籍謄本請求→父方、母方、の父(祖父)、母(祖母)の謄本請求→それぞれ・・・
戸籍・除籍謄本を請求する際、請求理由を書きます。請求理由は「先祖供養」が妥当かと思われます。
請求理由を詳しく聞かれた場合「新しく仏壇を作るのでその先祖を調べる」「墓を作るので必要」でいいでしょう。
(理由を聞かれた場合のみで、自分からは言わない方が無難です。「家系図調査」での請求は認められません。)
A死亡記載の戸籍・除籍謄本請求
請求する戸籍・除籍謄本は、その人間の生から死まで記載されているものを請求します。
戦前は、分家しない限りは戸籍が独立しませんでした。
また、戸主が長生きすると隠居して子や孫の戸籍に入っていました。
その場合はその子供や孫が戸主となっている戸籍を請求しましょう。
原則は直系尊属しか請求できませんがその戸籍の中に自分の直系尊属の祖先が記載されており、ほぼ請求できます。
請求する際は「生から死まで出してください」と言って下さい。
B家系図作成
戸籍を読み取って家系図を作成しましょう。
昔の戸籍は何かと複雑で、しかも手書きです。名前や親子関係を間違わないように、しっかりと読みとりましょう。
生没年も一緒に書き込みましょう。
さて、ここまでで、父方、母方の高祖父母が全員(16人)判明したのではないのでしょうか。
その方々は、江戸末期から明治にかけて生きておられたのではないのでしょうか。
坂本竜馬や勝海舟など「幕末の志士」と同時代に生きておられた先祖です。ロマンを感じませんか・・・?
データベースの基礎の基礎がここで出来上がります。「基礎の基礎」とは言え、史料価値は相当のものです。
C旧土地台帳調査
旧土地台帳の調査は少し特殊で、土地の持ち主から先祖を探します。(登記簿・閉鎖登記簿なども同様です)
ここは「案ずるより生むが易し」の典型で実際やってみれば簡単です。
旧土地台帳とは、現在の土地登記簿のようなもので一冊が電話帳と同じくらいの厚みがある本です。
また、閲覧、証明は手数料ゼロ、運転免許証や印鑑も不要です(法務局によって違うかもしれません)
費用が掛からない代わりに、手間と時間が掛かります。戸籍で得られなかった情報が手に入る確率は低いですが、調べる価値はあると思います。
旧土地台帳調査を、後回しにして、親戚まわりをしても構いません。
D親しい親戚宅で過去帳、墓石調査
家系図と戸籍類を持参で、親しい親戚や本家に行って、過去帳、位牌、墓石、仏壇を見せてもらいます。
ここで、頑張って作成した家系図が役立ちます。過去帳、位牌、墓石で分かったデータは全て写して帰りましょう。
戒名、俗名、没年(いつ死んだ)、享年(何歳で死んだ)などです。付録の「生没年月日調査表」を活用して下さい。
ここからは戸籍謄本のように続柄が記載されていないので、推測になってしまいます。(過去帳には「○○兵衛父」など若干記載があります)
E親戚の紹介で寺の過去帳を見せてもらう
親しい(血縁関係が近い)親戚の紹介で寺の過去帳を見せてもらいます。
@)親戚からお寺(先祖の菩提寺)に新たに過去帳作成を依頼して貰い、出来上がったら見せていただきましょう。
しかし親戚に(過去帳作成にかかる)高額な謝礼も負担して頂く訳ですから、後日ご仏前を供える等の配慮をしておきましょう。
A)それが無理なら、親戚に菩提寺を紹介してもらってお寺の過去帳を見せてもらいます。
お寺さんも「檀家のプライバシーに関わる」と言って見せてくれない場合もあります。が、そこは粘り強く、
10年越しを想定して交渉し、お寺との信頼関係から築きましょう。
B)10年も待てない場合には「先祖供養がしたいので、新しく過去帳を作って下さい。」とお願いしましょう。
当然謝礼(3〜5万円位)が必要ですが、一番現実的かつ確実な方法です。
ここからは難易度が高くなります自分の家ではなく親戚の家が絡んでくるので
相手方に拒否されたらまず無理ですね、お寺は更に難易度が高いです。
F付き合いの無い遠縁親戚に手紙を出す(手紙の書き方は別項を読んで下さい)
ここからは遠い親戚です。(曾祖母の実家など親戚付き合いをしたことがない家)
まず、家を特定しなくてはいけません。戸籍に書いてある住所に対応する現在の住所近辺を、
電話帳で同じ苗字の人を調べ(全国の電話帳は図書館にあります)片っ端から手紙を書きます。
古地名→新地名の対応は地名事典か役場に問合せます。手紙を書く手間を省く事もできます。
手紙には、証拠として戸籍謄本のコピー、記載人物と自分の関係がわかる家系図(手書きで構わない)を同封しましょう。
戸籍で分からなくなるのは明治19年の戸籍が出来る以前で、江戸の終わりか明治の初めに亡くなった方です。
ということは跡継ぎがいなくて断絶した家や分家をして他のところへ引っ越した方を除けば、親戚が見つかる可能性は高いです。
手紙を出しても分からない場合がありますが、それはそれで良いと思います。
G遠縁や親しくない親戚宅での調査
これは親しい親戚との調査とあまり変わりません。DEを参考にしてください。
ただ、初めて行くお宅もあるでしょうから、「ご仏前」(5,000〜10,000円)、お供え物(お酒など)は持参しましょう。
H図書館などで研究
特筆すべき事はありません。
分からない場合はインターネットや図書館員、図書館内備え付けの検索システムを利用しましょう。
ここまで調べて、どうにも分からないところで調査は終りです。江戸中期、7〜8代前になったら難しいでしょう。
旧家でしたら更に遡れるかもしれませんが
戸籍(除籍)の郵便請求の仕方
1まず自分の本籍地の役場に自分の戸籍を請求する(個人証明は免許証のコピーがあればいいです、なければ保険証のコピー)
2それがきたら次は父親、祖父、曽祖父、高祖父の順番で請求する
3ただし戸籍が一つとは限らないので全て請求する(出生の記載がある戸籍と死亡記載のある戸籍はだいたい別々になっている)
4しかも昔は戸主の戸籍に全て入っていたので戸主が祖父の兄若しくは曽祖父の兄とかになっている可能性もある(そうしたら戸主が兄の除籍を請求することとなる)
これを手紙で説明するのが面倒なので一筆書いとく
先祖供養のため私の直系尊属の『生から死まで』を全て請求します。(この役場にあるもの全て) また破棄した場合は破棄証明を出してください
(破棄証明は必須です)
母方や祖母方も同じ役場にあるのならば全てもらっておきましょう
注:費用は除籍で1通750円 だから750円の倍数で郵便為替を入れとく
だいたい最大で10通くらいなので(実際にはこんなにはないと思いますが)
7500円分いれとく 余ったら返ってきますのでまた郵便局にいけば現金になります
封筒の中には返信の封筒(切手の貼ってあるもの)を同封しておく事
(当然自分の名前と住所はあらかじめ書いときましょう)
切手は重くなるといけないので相当の重さ(戸籍10冊くらい)でもOKなものを
貼っておく
なにかあった時の場合に携帯番号とメールアドレスは書いとく(役場がすぐに連絡できるように)
返信されたら精査します(誰かの死亡記載の戸籍が欠落してはいないか等)
役場の係も人間ですので失敗はあります・・・だからこちら側でしっかりともう一度
見てみる
あとは返信されたときに担当者の名前が書いてあるので控えておいてください
直接電話するときには直接担当者の話した方が話が早い
最短なら1週間、不手際で再三請求をすることになったら、最長で1ヶ月です
廃棄証明について
戸籍を請求するともうこれ以上の戸籍は出ません(廃棄しました)といわれます、
その時は必ず廃棄証明を発行してください(300円)
理由
役場の担当者で戸籍事務に完璧に精通している人はいません、例えば戸主の生年月日が江戸時代の年号(嘉永とか)
になると固定観念でもうこの戸籍はないと判断するのが普通です、また職員の人もめんどくさがって、
適当にありませんと答えて終わりにする例もあります。
しかし廃棄証明を発行してくださいとなると、そこの役場の責任(職員の責任)において行政文書として
発行しなくてはいけなくなるので必死に探します。
その結果初めは無いといわれていた除籍は実はよくよく探してみればあったという例が多数あります
しかもこれで本当に廃棄証明が発行されればやれるとこまでやったという事になります。
除籍とはその戸籍に記載している人間が全て籍から抜けて始めて除籍謄本になります、逆に一人でも
抜けていなければその戸籍はず〜っとあり続けるのです
例)
戸主が天保元年生まれ=1830でしたこの戸主は実は長生きをして96歳まで生きていましたそうなると
1830+96=1926 で昭和元年までこの戸籍は除籍されずにいたということになります。
25 :
日本@名無史さん:2008/01/31(木) 00:23:57
>>10 1は、復克(復活に同じ)だと思います
2は、???????
3は、岡右衛門で良いと思います。
26 :
やすべぇ:2008/01/31(木) 00:48:36
スレ立て、おつかれさまです。
>>10 すいません、どれも満足に読めません。
2は前後から考えると「為」かなとも思いましたが・・・
ちなみに、1と同じようなケースの除籍で見たことがある中には、
復帰と同じ意味で「復皈」(「皈」は「帰」の異体字?)という言葉を使っている例がありました。
ここには当てはまりませんが。
27 :
25:2008/01/31(木) 04:00:44
2は、處 だと思います。
28 :
やすべぇ:2008/01/31(木) 23:18:54
なるほど、「ところ」ですね。
29 :
10:2008/01/31(木) 23:24:46
>>23-28 助かりました。
皆さん、ご親切にありがとうございました。
30 :
日本@名無史さん:2008/02/01(金) 14:51:00
〜院〜大姉という戒名は高齢の女性に贈られるものですか?
例えば30歳くらいで亡くなった女性には贈られないのですか?
31 :
日本@名無史さん:2008/02/01(金) 15:12:47
>30
年齢は関係ありません
32 :
日本@名無史さん:2008/02/01(金) 15:18:34
成人女性で仏門に帰依、貢献した人なら若くても大姉が与えられる
図書館で郷土史関係の本を漁っていたところ
飢饉時の各村々の死亡者数の調査のサンプルのひとつとして、
ウチの菩提寺の過去帳を調べていたことが判明。
とりあえずこれで「火事で燃えた」の言い訳だけは使わせないぞ。
直接的な資料にはならないけど
ひょんな事で小さなきっかけが出てくるもんなので
あきらめずに、焦らずじっくり進めていこうと思います。
34 :
悪魔君:2008/02/03(日) 15:28:54
教育委員会なり、大学の研究者なりが、過去帳を調べたのは、少なくとも
数年前から、かれこれ二十数年前の筈でしょ。
すると、「そのあと、焼失しました」って言い訳は、あり得るよ。
35 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 17:01:52
過去帳を火事で失ったとか菩提寺の資格ないよ。そんなことならいっそうのこと寺ごと燃えてくれ。
36 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 23:25:15
教えてください。
明治17年(1884)に生まれた祖父ですが、昭和37年(1962)に亡くなりました。
祖父の生まれたときのことが書かれた謄本(曽祖父が戸主時代のもの)を請求したら廃棄済でした。
祖父の兄が戸主の時代の謄本はありましたが、
もうそこには、祖父がどこで生まれたのか、記述はされていませんでした。
80年というのは、戸主が亡くなってから80年なのでしょうか?
曽祖父が亡くなったのは明治38年(1905)で、80年以上は経過しています。
祖父が生まれたときの謄本が入手できずとても残念です。
37 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 00:28:01
江戸時代における人の名前について質問です。
通称を代々引き継ぐだけではなく、
諱名(いみな)まで代々引き継ぐようなことは、あったのでしょうか?
そういう事例をご存知でしたら教えてください。
38 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 02:14:00
39 :
やすべぇ:2008/02/05(火) 00:14:33
>>36 > 80年というのは、戸主が亡くなってから80年なのでしょうか?
端的に言えば、そのとおりです。大変残念ですね。
ただ、出生地の記載がなされるようになったのは、明治30年代初めからだと思いますので、
明治17年生まれの方ですと、廃棄されてしまった除籍の内容を見ることができたとしても
出生地の記載はなかったのではないでしょうか。
それでも、おじいさまがお生まれになったときの本籍地が不明というのはやはり惜しいですよね。
(引越しをしていなければ、大叔父様の本籍と同一である可能性は高そうですが)
40 :
やすべぇ:2008/02/05(火) 01:03:34
41 :
36:2008/02/05(火) 18:59:12
>>39-40 やすべえさん
ありがとうございます。
出生地の記載がはじまったのが明治30年代初めからというのは、
知りませんでした。とても勉強になりました。
祖父は、私が小さい頃に亡くなり、
父も祖父の生まれ故郷を聞いておらず、生まれ故郷はわかりません。
本州で生まれてから北海道に来たのか、
北海道で生まれたのかわかりません。
北海道こそ、80年で廃棄してはいけない地域なのに、
とても残念です。
北海道では、先祖が本州のどこから来たのかわからない、
本当に「どこの馬の骨?」状態の人たちが増え続けています。
お雑煮とかでだいたいわかるんじゃないかな
大雑把だけどすましに角餅なら関東、白味噌丸餅なら関西とか、具によって違ったりもする
甘いとこもあるし、結構地域性が出るよ
43 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 23:28:28
半年前に北海道の田舎町に明治時代の除籍謄本を請求したら
電子化されてないB4謄本でした
44 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 09:25:36
とある武家とご縁が深く供養塔に並んで入ってると
死んだ和尚さんに昔聞かされてたのですが
苗字は違うが家紋同じという事はもう「血縁関係」だったでいいのですか?
嫁入りや外戚なら家紋は違う事多いですよね?
>>44 家紋はあてにならないから、過去帳で確かめるしか本当のところはわからないだろうね
46 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 11:29:36
大正以前、綿屋とか日本に存在したんですか?
>>46 綿屋がないと布団が作れないじゃないか
一応書きますが、
真綿=蚕の糸
木綿=綿花
で、綿花の栽培も江戸期には広まっていて、
綿(真綿)、木綿それぞれ別に問屋仲間がありました。
48 :
悪魔君:2008/02/09(土) 02:53:35
>46
いくらなんでも、質問が無知すぎる。
49 :
浅右衛門:2008/02/10(日) 16:33:12
>>13 スレ13 立っていたんですね。
知りませんでした。
皆様、またよろしくお願いいたします。
50 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 16:39:56
綿屋はB職ですか?
51 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 10:21:30
ここは機能してますかあ?
52 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 10:36:54
失礼します。
ちょっと聞いてもらっていいでしょうか?私は大阪で会社経営してます40代の者です。最近時間等に余裕ができてきたので祖先を辿っております。
死んだ私の祖父が生前先祖が関ヶ原の合戦のとき馬に乗り颯爽と現れ家康を救ったと聞いてました。その後馬を献上したと言うことで家康から『馬上(まがみ)』の姓を頂いたと言うことです。現在の…
53 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 10:47:31
わたしの名は望月と申します。姓が馬上でないのはのちほど話すとして近江の望月城を御存知でしょうか?滋賀県南部の甲賀地方にある小さい城だそうで朝廷へ献上する馬の中継地にもなっていたようです。馬も長野県の望月村より運ばれてたようです。
54 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 11:04:33
馬上の姓を頂いて以降は紀州和歌山城主の側近として大政奉還まで代々勤めたそうですが実は祖父の両親が離婚し次男であった祖父が母方に引き取られたようです。母方の姓は望月。こちらは真田家臣の一人望月六郎の子孫と言われてます。
55 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 11:09:59
以上が小さい頃祖父より聞いた話しなんですけどここまでに何か矛盾はありますか?意見をお聞かせください。春には滅亡した信濃望月家の望月町や小諸を訪ねる予定です。
56 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 12:11:19
>>55 そのあたりの歴史、ほとんど分りませんので意見もありませんが、
感想をひとつ。
滋賀県の湖東地方?犬上郡に西明寺という古刹があります。
立派な国宝三重の塔があるお寺です。
そこの、明治初期のご住職が望月姓です。
私の縁の者です。
十年ほど前にお参りしたのを思い出しました。
57 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:17:30
先祖の菩提寺が建立されたのは明治30年でした。
建立前に亡くなった先祖の戒名は、お寺が建立された後に
つけられたのではないかと推測しています。
他のお寺にお世話になった可能性もあると思い、
近隣のお寺を探したのですがみつかりませんでした。
亡くなったときには戒名がなく、
亡くなってから10年後に戒名をつけるとか、そんな事例はありますでしょうか。
>>57 えた寺にならあったりするかも
戒名が10年もないなんて聞いたことないから
59 :
悪魔君:2008/02/11(月) 16:29:36
>>50 綿屋は、肺を病むというので忌み嫌われた時代・地域もありましたが、大店の
問屋などは、むしろ差別した側の方です。
三十年ほど前の「丸八真綿」事件が有名です。当時、「丸八真綿」が、部落名鑑を
使って、丸八真綿は、「部落民には売りません」という営業姿勢を取っていたことが、
社会問題となった事件でした。
60 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 19:47:39
61 :
悪魔君:2008/02/12(火) 00:12:31
だから、違うってば
63 :
藤:2008/02/12(火) 01:40:51
お久しぶりです。
なかなか進展しないこともあり、書き込みできずにいました。
本日(というか、日付的には昨日ですね)、祖母方の親戚と電話で話しました。
昨年夏に伺った際に手書き家系図を渡し、先祖探しに興味を持っていることを伝えると
乗り気でいろいろ教えていただけた方でした。
その方は21代目にあたられる方で、どうもあちらで管理されている家系図
(同姓の方が訪ねてこられた際の話を祖母の兄がまとめて作ったもの)と
15代目の名前が違う、ということでした。
私は除籍謄本を持っていますので、書いてあるとおりにお伝えしました。
それと山の中の古いお墓(夏に父に入るのを反対されました)の一番古い戒名と没年がわかったそうで、
そちらも教えていただくことができました。
こちらからは曽祖父の写真をデジカメに取り込み、現像してさしあげることで話がまとまりました。
(そちらの家では曽祖父の写真がなく、集合写真を引き伸ばしているとのことでしたので)
妻の戒名が「禅定尼」で後から亡くなった夫の戒名が「信士」というのはありえるのでしょうか?
妻が「禅定尼」なら、夫は「禅定門」だと思うのですが……。
64 :
浅右衛門:2008/02/12(火) 22:33:28
>>63 妻の戒名が「信女」で後から亡くなった夫の戒名が「禅定門」というのは
あります。
私の先祖で神職してました。明和と天明年間です。
65 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 12:50:40
66 :
日本@名無史さん:2008/02/15(金) 13:11:13
>>50,59,60,61等 職人と販売の違いが大きいと聞いたことがあるけど。
卑賤な商売でも販売系は普通の家だと。職人系は可能性ありとか・・・
67 :
日本@名無史さん:2008/02/15(金) 13:25:39
俺、日本の職人のこと尊敬してるのに。特に宮大工など
宮大工と青大工はまったく違うぞ
大工を全部いっしょにしちゃいかん
今日ちょっと出身地の親戚に話を伺ったんだけど
「いや、ウチは元々○○家だったんだよ」とか言われちゃってさ。
どうも養子とかじゃなくって、時期は不明だけど潰れ百姓の跡の土地を買って、
分家してそこの名字を名乗る事になった(させられた?)そうなのよ。
で、分家の際に元々の家の土地も分けてもらったみたい。
確かに、その古い家の周りみんな○○姓で、ウチの家だけ同姓が密集してる位置からポツンと離れてて
妙だなぁとは思ってたんだよね。
潰れた○○家の跡に入ってきたのかな〜。とかは考えてたけど逆だったようだ。
菩提寺には江戸時代の墓が何基かあるんだけど、これが分家後のウチの墓なのか
潰れた家の祭祀を引き継いだのかはハッキリしなくなってきた。
血筋じゃなくて"家"で調べているとはいえ、婿養子とかならともかく
そうでないとなると、ちょっとどうしたもんかなと今もにょってる。
両方調べてみればいいんだろうけど、なんか得体の知れないモヤモヤ感があるよ…。
70 :
日本@名無史さん:2008/02/19(火) 11:47:42
紋は「抱きみょうが」だと思います。
家紋以外にも宗旨の紋としても使われているようです。
私の家のお墓(本家)の中に
○○尼
○○禅定
という出家者らしき人の名前がありました。明暦年間の方です。
私の家は農家で高持ちです。
そのあとは普通に○○○○信士、○○○○信女、と書いてありました。
このご先祖さまは出家されたのでしょうか。教えてください。
73 :
浅右衛門:2008/02/19(火) 20:55:39
>>70 「抱き茗荷(だきみょうが)」でしょう。
「杏葉(ぎょうよう)」紋から派生してできた紋だと思います。
出雲大社や日光東照宮が使っている紋の一つだったと思います。
>>72 出家した訳ではないと思います
○○尼は○○禅定尼
○○禅定は○○禅定門 のことだと思います
因みに信士や信女よりも前に遡ったら私の先祖はその戒名を付けられておりました
江戸中期頃です
76 :
日本@名無史さん:2008/02/19(火) 23:31:44
うち旗本の家系だけど、天保の戒名とか○○院殿○○○○清居士とか長ったらしい
戒名なんだが、殿じゃねーよ!大名じゃねんだからw
でも旗本のことを昔は殿様(大名は諸侯とか・・・)って言ってたって聞くし、
間違いでもねーのかな?
78 :
日本@名無史さん:2008/02/20(水) 02:45:05
>>76 旗本は戦国時代まで大名だった家も沢山ありますから。
>>78 田舎の仏壇周りでも見たことあるような
お線香立てか火桶じゃないかな
>>78 妙な紋だね。本当に宮家からもらったんだろうか
宮家がそんな変な紋入れないと思うんだけど
五七三の桐w
いや七五三の桐www
43 :日本@名無史さん:2008/01/23(水) 23:53:53
750 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/01/22(火) 17:32:55
うちの場合、なにがなんだかさっぱりわからない
本家、分家、全部が刀大小を持っていた(上野戦争時)
本家の一番古い墓(四角いやつに三角屋根がついた形)は、戒名と俗名のセットになっていて、苗字が付いている
ちなみに、年代は享保年間
墓の戒名は大禅定門〜信士まで(古くなればなるほどしょぼくなっていく)
(ただし、昭和以降のぶっ飛んだ戒名は除く)
で、東叡山寛永寺の寺領で、在郷
名主ではない
上野戦争に巻き込まれている
凄い人は、軍資金1000両拾ってきた
戦争後、没落しかかって、分家の土地を全部巻き上げた
これを書いた人間です。
過去帳を見つけたのはいいのですが、江戸時代の身分の特定ができません。
祖母は武家だといい、母は名主だといい、父は郷士だといって、混乱しています。
ただ、これだけは解りました。
元々三河の御家人で、新封の地でそのまま土着したようです。
又、史料を漁っていると御先手組同心に同じ姓の人がいました。
84 :
83:2008/02/20(水) 16:41:55
名主ではないというのは郷土史の村役人名簿に名前がありませんでした。
組頭、百姓代でもなかった様です。
>>84 侍帳を見ればちゃんとした藩なら下級武士まで書いてある
藩によって記録書の呼び名が違うので司書に聞いてみればいい
86 :
日本@名無史さん:2008/02/21(木) 00:05:39
抱茗荷が出雲大社の家紋などといういい加減な話は釣りでしょう。
家紋は特定の紋以外は規制がなかったのですから、先祖調べには役に立ちません。
禅定門、禅定尼、明暦位なら一般的です。後の居士、大姉位に相当します。17世紀末位から、寺院に布施をはずんで、位階の高い戒名を得ようとする富裕な町人、農民が増え、享保位ですか幕府は触を出して禁止しますが、後にはルーズになります。
天領は割ときつかったらしいけど、外様はその辺りはゆるゆるだね
天領もゆるゆるよ
そうか?
地元は御三家の藩だけど、幕末除いたら結構きっちりやってたみたいだが
91 :
日本@名無史さん:2008/02/21(木) 22:22:11
何がゆるゆる?まんこ?
>>68 青大工とはどういう大工さんですか?
うちの高祖父、曽祖父は宮大工だったのですが
(幕末のどさくさor廃仏毀釈の影響でか大変だったようです)
94 :
日本@名無史さん:2008/02/22(金) 02:34:40
95 :
浅右衛門:2008/02/22(金) 07:32:51
>>87 説明不足スマソ。
出雲大社に祀られている神の中の一つである
摩多羅神の神紋でした。
出雲大社は亀甲紋を使ってましたよね?
96 :
悪魔君:2008/02/23(土) 20:39:39
スマン て書いた方が、淺右衛門さんらしくて格好いいよ。
97 :
日本@名無史さん:2008/02/23(土) 22:10:35
【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。
日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!!
98 :
日本@名無史さん:2008/02/24(日) 00:06:37
>>95 出雲大社は摩多羅神など祀っていません。摩多羅神は天台系の神、神仏習合の所産。鰐淵寺と混同されているんでしょう。
99 :
浅右衛門:2008/02/25(月) 20:30:13
>>96 そうですか。ありがとうございます。
>>98 ご教示ありがとうございます。
私の勉強不足でした。
100 :
鈴木佐之助 ◆89DII/TKR2 :2008/02/26(火) 00:59:02
冗談のつもりだったのに、冗談みたいな家紋があるんだなw
102 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 07:42:36
うちの母方系の家紋も茗荷が多いです
自分語りうぜえ
105 :
悪魔君:2008/02/26(火) 13:09:21
いちいち書くお前のがうぜえ
107 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 19:53:42
>>85様
ありがとうございました。
寛永寺の管理は日光奉行の目代がしていた為、武家の場合幕府に仕えていた確立が高いと解りました。
御家人分限帳をつかってみましたが、下っ端役人まで書いておらず、断念しました。
過去帳を見せてもらう場合、お寺にはいくらぐらい包むのがいいんだろう。
1〜3万+菓子折りorお酒を考えてるけど、正直どうなんだか。
宗派と先祖の格、寺町と田舎とじゃ違うだろうけど、江戸時代の先祖の戒名が信士とかなら3万〜5万ぐらいでいいかも
格が高いとされるお寺や宗派、本山、院号持ちとかなら、桁も違ってくるだろうね
けど個人情報云々で、お寺の信用、つまり今も檀家としておつきあいをしてないと
いくら包んでも見せてもらえないと思う
親戚がそのお寺で祭祀を続けてるなら、その親戚にいっしょにいってもらうといい
111 :
日本@名無史さん:2008/03/06(木) 23:21:33
寺ごときにでかい面されたくないと言うのが本音
112 :
迷彩服の女:2008/03/06(木) 23:36:06
なぜ自衛隊に皇族はいないのか?いつか質問あったようなので。
敗戦国であり決して戦争はしないと誓わされ、やっとのことで、
処刑を免れた天皇とおよびそのご親族は間違ってもミリタリー支持では
いけませんでしょう。
GHQの指揮官たちは『我々が処刑すると言ったら天皇だろうが何だろうが
かまうものか!』と言ってサーベル振り回していましたっけ。
113 :
日本@名無史さん:2008/03/07(金) 00:10:42
>>109 ウチは真宗だが、報恩講さんの時に話持ちかけてみるとタダで教えてくれたよ。
あと、古い位牌見てみるのも手。意外に遡れる。
京都とかは厳しいんだよなあ
寺格もあるし身分問題もあるせいかもしれない
檀家としてお付き合いするには金かかるよ
毎年の行事、法事にお布施包まなきゃだめだから
確かうちの場合年間最大で100万位かかったかな?
私の母方は浄土真宗ですが位牌ありました
というか位牌ではなくて木片みたいな木の板に法名や俗名などが書かれた
粗末なものでしたけど・・・
実家の菩提寺でも過去帳はなかなか見せてもらえないのに
別のお寺ではすんなりと見せてもらえたり、お寺さんの考え方いろいろです
118 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 13:41:33
>>94 あげなおしがてら、質問再掲
ここは、ググレ禁止だから、
青大工ってなんだか、お答え願います。
119 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 16:09:32
人権問題板で聞けば?
120 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 20:10:07
>>118 2月21日から3月8日まで答えてくれるの待ってるぐらいならググった方が早いじゃん
携帯厨でもそのぐらい調べられるだろ
122 :
日本@名無史さん:2008/03/12(水) 03:10:42
あんまり、レスが無いのであげときます。
>>94 で、青大工ってなんなの?
ここは、ググレ禁止ですよ。
123 :
日本@名無史さん:2008/03/12(水) 03:14:11
おっと、前の書き込みメモを書いてしまった。
>>116 真宗、位牌あるよ。
学問板なんだから自分で調べられる程度のことは調べようよ
ゆとり板みたいだぞ
125 :
日本@名無史さん:2008/03/13(木) 00:34:41
戦国時代に家臣だった人の子孫が
尋ねてきたことがあたよ
家のご先祖は戦に敗れその地を離れたが
家臣の人は残ったようだ
その地にいくと城だった場所やゆかりの神社に
案内してくれて 食事も出してくれた
寸志をつつんでかえりましたとさ
126 :
日本@名無史さん:2008/03/14(金) 15:16:59
代々続く神官の子孫は間違いない家柄だよな
代々と言ってもいつからの代々なのかによるな
128 :
ピンチョ:2008/03/17(月) 00:31:28
系図でも先祖に関する文書でも言い伝え先祖伝来の甲冑刀剣でもいいが、
アカデミックな日本史研究者(専門は確認ね)に、
お金(なるたけ多額)を包んで、こう言うといいよ。
「忌憚のない本当のことを言ってください。お金を後で返して下さいなんていいませんから」
ってね。
多分偽文書認定間違いなしだ。
江戸時代に系譜がたくさんねつ造されたからね。
129 :
日本@名無史さん:2008/03/17(月) 19:40:48
武士の次男坊以下で小遣い欲しさに偽造商売やってたぐらいだからね。
130 :
日本@名無史さん:2008/03/18(火) 19:49:22
信尼っていう位号はどういう意味があるの?
>>128 本物も沢山あるよ。ま、こんなとこで言ってもしょうがないか。
除籍取得のことでお尋ねします。
曽祖父なんですが、妻(曾祖母)と死別した後、
晩年に再婚しました。
私はこの再婚相手とは血が繋がっていないので
その人の戸籍を遡ることはやはり不可能ですよね?
原則として不可能です。
ただ、再婚相手が先妻(あなたの曾祖母)の子供(あなたの祖父または祖母)と
養子縁組をしていれば、謄本を取ることができます(直系尊属になるので)。
もっとも、そういうことは普通ないと思いますので、まず不可能と思ってよいと思います。
134 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 08:26:42
>>77 そうは限らないよ、地方の中級以下の武士の信士が多い
院殿大居士・居士はある程度以上の武家だけ
135 :
132:2008/03/20(木) 09:01:39
やすべぇさん、ご回答ありがとうございました。
感謝します。
136 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 10:49:31
>>117 俺の家の菩提寺では有料の家系図作成サービスがあるよ
137 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 11:01:17
大正時代の戸籍謄本を実家でハケ〜ンしたので、市役所の市民課に
電子メールで除籍謄本を請求出来るかどうかの質問の出した結果、
返事が来て、問い合わせした「住所と本籍地が違うし
メールでは返事は出来ない」と書いて有りますた。
福岡県筑後市はOKだったのに、佐賀県唐津市ではど〜してNO!
なんでせう?。
139 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 20:20:35
私の曾祖父は戦前に大連で郵便局長だったらしいです
使用人まで雇っていた素封家だったとのことですが、どれくらいの地位なんですかね?
140 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 21:57:35
141 :
武陽隠士:2008/03/20(木) 21:59:42
>>139 漢族満州族ほかの人たちをこき使ったのでしょう。
142 :
136:2008/03/21(金) 12:32:04
お彼岸で菩提寺にいったら、和尚が始めていたサービス
過去帳を元に家系図を作って、巻物にしてくれる
ご報告
本日午後1時45分に三女が誕生致しました。
母子ともに健康です。また子孫が増えました(笑)
家系図も修正しないといけませんね!三人のうち一人でも先祖に関して興味を持ってくれれば
いいのですが、今から子供たちには先祖の話をして興味を持ってもらうようにします。
144 :
日本@名無史さん:2008/03/21(金) 20:29:16
質問
幕府直轄地で庶民なのに禁止されていた時期禅定門号(文政期)や明治の極々初めに院号居士号を使っていた家なのですが、
もしこれがばれていたら、どうなっていたのでしょうか
145 :
日本@名無史さん:2008/03/21(金) 23:04:26
>>134ときどき江戸期の階級を格式で捉える人達がいて庄屋等に多い居士号
下級武士は信士だから庄屋のほうが上(何が?)と捉える人もいる。
ちなみに江戸初期に信士の上級武士は出自を農民という話しもあるが学問的根拠は無いと思う
院居士は上級武士で居士は郷士という説もあるが
院殿大居士は後の時代の追贈が多いらしい。江戸後期からだろうな上級武士は
>>144どうにもならないよ。江戸期の庄屋で院居士は結構あるよ、世の中金次第
ただ江戸初期はやはり前時代の名残を残しているらしく農家で居士号であれば
前時代は武士(地侍)の可能性は非常ーーーーーに高いと思われる。
146 :
日本@名無史さん:2008/03/22(土) 03:20:29
>>132 そんなに簡単に諦めることはないですよ。
それは、あくまでも原則ですよ。
正直言って、現在ではかなり難しい筈なのですが、
あたしの場合、祖父の前妻の出た家、つまりあたしは、後妻の子孫なのですが
この、血の繋がっていない、前妻の実家の除籍謄本を結局取得できました。
テクニックとしては、意外と簡単で、前妻の母親が、理由があって、当家の
お墓に葬られていると言うことを、戸籍課職員に話して、なおかつ、
当家のお墓を改葬するために、生没年を調べる必要があると、話したら
すんなり、出してくれたのです。二年前の話です。
除籍を取り寄せていて思ったんですが、入籍の1ヵ月後ぐらいで第一子が生まれてるケースが多いんです。
中には生まれてから入籍なんてのも。
父方はそうでもなかったんですけど、母方は祖母・曾祖母・高祖母・・・と6代ぐらいずっとそうでした。
代々出来婚!?だったんでしょうか。
嫁の年齢はみんな10代後半です。
148 :
日本@名無史さん:2008/03/22(土) 11:44:42
>>147 子供ができてから妻として認める。
当時のよくあるケースですね。
子孫を残すことはとても重要なことですから。
だから今でもできちゃった婚が社会的にも
認められているんでしょ。
149 :
日本@名無史さん:2008/03/22(土) 13:55:26
でき婚なんて今じゃDQNレベルの人間のすることを昔の慣例と同じにされても困る
150 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/22(土) 21:04:44
>>149 できちゃった婚なんて、階層問わず現代じゃありふれてるよ。
皇族とか異常に高い階層(階級)の連中除いたらね。
問題はできちゃった結婚も出来ない階層の結婚難民の人たちじゃないかと、私は愚考いたしますがねぇ。
151 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 22:15:03
父親方の直系ですが、今から200年以上前に
兄の絶家再興の為、弟の次男が入籍したという記録があります。
この絶家再興というのは、
跡取りがおらず絶家になりそうだから事前に入籍しておくのか
それとも絶家してしまった後で入籍するのか
どちらなんでしょう。
また、絶家再興はよくある話なんでしょうか。
絶家のまま終わることも多いだろうに、
なんでわざわざ再興するのかよくわかりません。
その記録というのは江戸時代の古文書か何かですか?
詳しいことはよく分かりませんが、
絶家したあとで入籍するということだと思います。
そもそも事前に入籍していれば「絶家」にならないわけですし、
絶家していなければ「再興」にもならないと思うからです。
自分でこれまでに調べた中では、絶家した例は見たことがありますが、
絶家再興の例は見たことがありません。
153 :
151:2008/03/23(日) 23:18:22
>>152 絶家後に入籍したと考えればいいんですね。
ちなみにこれは除籍にのっていました。
5代前の祖父(次男)が、兄の絶家再興として、
自分の息子(次男)を入籍させた旨書いてあります。
これによって、甥である4代前の祖父が、
叔父の家(本家)を継いだ形になりました。
私の妻の祖父は絶家再興をしてます。
理由は戸主である祖父の兄が母方の実家の養子になったため
家族全員が苗字が変わり、家が絶えそうだったので弟である祖父が
再興したみたいです。
155 :
日本@名無史さん:2008/03/27(木) 21:26:23
>>145 知り合いの坊さんに聞いたんだけど
戒名って言うのは、寺に対しての寄与の度合いによるといってた
中の中以下くらいいの武家だと、寺に対する寄与が小さいから(ご先祖がすごい寄与をしていた場合は別)
信士で、反対にお金を持ってる豪農は寺への寄与が高いから院居士だったりするってきいたことがある、ほんとかなぁ
実際に、先祖が武家の友達が居るけど(100石とかいってた)ご先祖の戒名は信士だって言ってた
明治以降は地方で結構成功したらしくてそいつの爺さんは、なんちゃら院とついてるらしい
156 :
日本@名無史さん:2008/03/27(木) 21:29:58
戒名ってのは金で買うもんなんだよ
時代によるんじゃね
そそ。江戸初期辺りは厳しい。
人生航路のレーダーは神(霊波之光)です。
>>160 それは人生幸路師匠やろw
責任者でてこーい!
>>155 100石取りでも信士かぁ、家も先祖は侍だったと爺ちゃんに聞かされてたが
戒名は、全員信士・信女だから武家って言うのは名ばかりの下級武士だろうと思ってたが
案外、そこそこの家だったかもしれんな、一度ちゃんと調べて見よ
武家なら藩の記録見ればいい
164 :
162:2008/03/28(金) 16:42:04
>>143 ちょっと遅いけど、
おめでとうございます。
167 :
Pure audio香具師:2008/04/05(土) 10:27:03
漏れの先祖は現福岡県八女市の大地主で庄屋だったことが
文献で判りますた。
"庄屋"って凄いんですか?。
すごいかどうかは本人の認識による。
文献や墓などは残りやすいので、割と調査は楽でしょうなぁ
169 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 23:07:36
まあ、江戸期に貧乏人に居士号は付けんわな・・・
>>169 坊主丸儲けというように結局金だからな、案外町人や農民の金持ち階級の方が、
貧乏侍よりも居士号が付いてる場合が多いというのが何とも
171 :
日本@名無史さん:2008/04/06(日) 12:42:22
戸籍のひいひいおじいさんの欄に「出生場所○○村×番地 届出人同居人△△ 右身分登記ニ依リ記載代理」と書いてあります。
出生場所は本籍のとなりの番地でして、そこは宅地じゃなくて山です。
しかもその同居人△△は、ぜんぜん知らない苗字です。
ひいひいおじいさんの父の氏名欄はちゃんと同じ苗字が書いてあるのに
出生の届けをした人がぜんぜん別の苗字の、それも同居人って???
どうゆうことでしょうか。
172 :
171:2008/04/06(日) 13:33:45
すいません上の書き忘れです。本籍はひいひいおじいさんの所有ですけど、その出生場所は旧土地台帳では同居人さんの所有になってました。
あとひいひいおじいさんは長男です。
わかりにくくてすいません。
初産の時は、女性は実家に戻って出産する事も多かったらしいから
たぶん高祖母の家ほうの父親か兄弟だと思うよ。
>>171 出生場所は本籍のとなりの番地でして、そこは宅地じゃなくて山です。
旧土地台帳の地目が山と記載されていましたか?
確か台帳は2種類あり山林の部と平地の部にわかれていたはずです
山林の部の同番地を探したとかはありませんか?
>どうゆう
先祖探しよりも、まず日本語を正しく使おうね
176 :
171:2008/04/06(日) 21:31:56
>>173 新しく先祖名が判明した可能性があるかもしれないってことですね。もしそうならすごい嬉しいです。
>>174 旧土地台帳の写しはその山林のしかもらって来なかったんですが、あらためて古地図を確認してみたら
その山のふもとに同じ番地で宅地の部分がのってました。
ちゃんと家があったみたいです。すいません。
>>175 はい、ありがとうございます。これから気をつけます。
さて、ばあさまの実家が華族の分家なんだがこれは自慢になるか
ならないか女系は
男系はただの地主だ 郷士らしいけどどうでもいい
ばあさまの家はたしかにいい家とばっかり婚姻してるっぽ
地元藩の家老とかそんなのとか
男系は庄屋とかばかりでつまんね
ちなみにばあさまの家の菩提寺は真言宗だ
藩主が建てたお寺
頭の悪い人を装った書き込みがとても上手ですね。
180 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:37:16
装ってるんじゃなくてマジで頭が悪いと思うんだが
181 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:51:24
お決まりの嫉妬房が沸いておりますね
房てw
>>177 男系じゃなくても、ある程度は良い方の血筋に吸収される
184 :
Pure audio香具師:2008/04/10(木) 10:01:30
漏れの父方の5代先は福岡県久留米藩士だった可能性が高まりますた。
今から図書館に逝って確認して来ます。
185 :
天皇さま:2008/04/10(木) 10:49:21
○兵衛 ○衛門は村の上流階級の名前で○吉、○作は村の下流階級の名前
ってガイシュツ?
186 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 10:57:00
あれだろ、上流階級は今でも〜様とか呼ばれてんだろ
ナントカ衛門とか調べるよりはやいんじゃね
>>185 家の先祖は下級士族だったが○松とか○蔵という名前だったぞ、
あと、士族出身の音楽家、瀬戸口藤吉翁の立場はどうなる
本日の収穫
名前 記述
丸林 喜平次 上妻群緒玉村住、天正年中庄屋役
丸林 喜左衛門 喜平次男、父跡庄屋役
丸林 新右衛門 喜左衛門男、父跡庄屋役
丸林 仁兵衛 新右衛門男、父跡庄屋役
丸林 与市 養子、妻は仁兵衛女、与市早世につき、妻庄屋役兼帯せしことあり。
梅野 宗五郎 長治と称す、与市男、仁兵衛孫、享保十二年十二歳にて庄屋役被仰付、
宝暦6年光友村掛持、同年晋請方被仰付、帯刀御免、庄屋役は同年
十二月男忠作に被仰付、天満天神の神託に依て丸林姓を梅野姓に改む。
梅野 仁兵衛 宗五郎男、初忠作、後仁兵衛と改め、長政と称す、緒玉、光友両村庄屋役。
梅野 和蔵 仁兵衛長男、正種と称す。故有って久留米に移り、久留米藩主に
つかえて士籍に列し、別に一家を建つ、
久留米に於ける梅野家の祖なり。長女ミト、次女ヒロ、長男○一恭寛、
三女シナ。
(因みに梅野和蔵は漏れの6代前)
190 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 19:03:09
うちの親戚で、城下町在住ですが地主でもなく商人でもなく、その藩の武士でもなかった(明治になってから引っ越してきた)
のに大きな黒塗りの塀に囲まれた屋敷に住んで、戦前には「田中(仮名)様」と様つきで呼ばれていた家がありました
明治時代の職業は幹部警察官、それ以降はみんな教師だったそうなので特別お金持ちだったというわけでもないと思われます
戦後、近所の人から「田中様と口が聞けるようになるなんて恐れ多い」といわれたそうです
おそらくGHQの作った憲法による法の元の平等で、階級制度がなくなったからだと思われます。
噂では維新の時に活躍して土地をもらったとか、華族だったので世襲財産の土地に住んでいたとかいろいろあります。
どうやったら詳しく調べられるでしょうか。
>>189 すごいですね
一気に12代前まで判明ですか〜
うらやましいです。
本日は嫁の義父の依頼で横家系図(嫁の方)を作成したものを次回印刷してお渡しする
約束をしました。
普通の家系図では物足りないと思い、先祖の写真を貼り付けて加工しました。
といってもあまり古い先祖の写真はありませんが、義父母、その両親、その母親の計5つ程
貼りつけました。きっと喜んでくれると思います。
>>190 明治に引っ越してきたということはその土地の方ではないので土地から調べるのは
難しいかもしれませんが、一応そこの番地の旧土地台帳を調べて土地の所有者を調べて
その方はどのような人物なのかを調べるのがいいと思います。調べるには図書館か
もしくは地域の郷土史研究家、教育委員会などがいいと思います。
また別の方法としてその場所に引っ越す前はどこで何をしていたのかを調べる方法があると思います。
1 戸籍から一番遡れる先祖まで調べる。
2 おそらくその引っ越す前の土地では士族ではなかったと思いますので
該当する藩の分限帳などを調べる(図書館などで)先祖の名前が出てきたら確定です
明治時代の職業は幹部警察官とのことなので士族階級の可能性が非常に高いと思われます。
直系では有りませんが先祖にネットで検索すると名前が出てくる人が4人居るので、
時間は掛りませんでした。
1)梅野多喜蔵−久留米藩士(久留米藩幕末史料)
2)梅野実(實)−福岡県久留米市の名誉市民(梅野實翁伝記)
3)梅野満雄−画家青木繁/坂本繁二郎の支援者で親友
(青木繁/坂本繁二郎とその友)
( )は図書館で調べた文献です。
そんな詳細に書くと本人特定されるよ
195 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 06:29:28
過疎板で本人特定してどうしようという人物もいないとは思うが
系図屋が見ている場合、その内あなたの親戚が非常に増える可能性が高いな
ネットに公開するってことは世界中の人に発信してることぐらい、子供じゃないんだからわかってるはずだし
利用されても自己責任だね
家の倉の中に、五七の桐の紋が入った長持ちがあるんだが
これって、秀吉ゆかりの品だったりはしないよねw
198 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 16:07:51
しないよw
199 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 17:13:38
>>197 家にもありました
本当にありがとうございました
200 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 17:29:12
漏れが
>>189で書いた6代前の梅野 和蔵は息子の○一恭寛に跡を継がせて
"東の梅野”と呼ばれる本家筋で多喜蔵や実(實)を輩出しています。
又、梅の花の5弁にあやかり2人の姉に養子を迎えいれて分家を創り
全5家としますた。漏れは"蛍川の梅野"と呼ばれる分家の子孫です。
でも、いずれ連続殺人事件が起きそ〜な悪感wwww。
202 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 19:59:17
>>197 五七の桐と五三の桐で違って、五三の桐は庶民用と聞いたことがある
色々判明して嬉しいのかもしれないけど
もう少しクールダウンしたほうがよろしいのでは…
除籍謄本を取り寄せて家系を調べていたら驚愕の事実に遭遇しました。
私から見て祖父の父母(曾祖父母)の父母(高祖父母)の父母(高曾父母)が
同一人物なのです。
つまり、自分の息子/娘をそれぞれ結婚させ、出来た孫同士を結婚させて
曾孫(祖父:故人)が出来ているのです。
昔は近親間の結婚が多かったと聞いていますが、こんなことが
有りうるのでしょうか?
>>204 別に普通ですよ
つまり従兄弟結婚ですよね?
昔はよくある事です。私の家でもありましたし、嫁の家でもありました。
>>204 うちの関係にも有りましたよ。
その子供を養子にもらってみたいなのもあって、家系図書いているとわかりにくくなりましたよ。
なので、私は、32人の先祖が28人しかいないです。
207 :
日本@名無史さん:2008/04/13(日) 07:13:54
>195一時期地元の墓を巡って家系図や謂れ等を書いてた人がいたが
系図屋が全部写し取ってたそうな。それだけ家柄が欲しい人はいるわけ
208 :
日本@名無史さん:2008/04/13(日) 19:08:12
321 :本当にあった怖い名無し:2008/03/03(月) 02:33:52 ID:B9v/nX7KO
母方の先祖が、平 将門公だと子供の頃に母親から聞かされていた。
家系図に名前が書いてあるとか言われても私は、ホントかよ!
って思っていたんだけど、ホステスをしていた時に私目当てで通い続け、
帰りぎわによくチップに一万をくれ、引っ越した時は10万を御祝いにくれたお客様が、
ある時、自分の先祖は将門公の家来だった。戦で負けた時に福島へ逃げたんだぁ…って言った。
お店が暇な時に来てもらったり、色々と良くしてくれたのは先祖の行為の償いを子孫がしているみたいで可笑しかった。
209 :
日本@名無史さん:2008/04/13(日) 21:42:00
吹いた
日本中平家の落ち武者と源氏の子孫だらけだからな
210 :
日本@名無史さん:2008/04/13(日) 21:57:02
高校3年の頃、古典担当でじいさんの先生がいた。
学校の授業なんかちゃんと聞かなかったし古典も嫌いなんだが、
そのじいさん先生の授業だけはなぜかちゃんと聞いてた。妙な親近感あり。
自分でも「なんかよくわからんけど話聞いてるな〜俺」と不思議で。
成績はおぼつかないけど、ちゃんと聞かないといかんな、的な。
ある日、授業中にじいさん先生が突然座って押し黙った。
う〜ん、みたいな感じでうなってたらしくそれで女子が気づいて
「○○先生、体調悪そうだよ!どうしよう」って言い出してざわめいた。
俺、なんでかわからんけど一番後ろの席から教卓に急いで行って、
じいさん先生をおんぶして保健室まで連れて行った。
4階の教室から1階の保健室までの距離を具合悪い人間を背負うのは
かなりつらかったはずなんだけど、必死になってたのだけは覚えてる。
その後はすぐ救急車が来て事なきを得たので、俺はちょっとしたヒーローになった。
結局じいさん先生は心臓の調子が悪かったようで、しばらく休んだ。
後日、卒業前の最後の授業だけ出て来て、俺に、
「こないだはありがとう、なんだか初めて会った気がしないね、君は」と。
俺もなんかそんな気がしていたけど、たしかヘラヘラ笑ってたと思う。
話は少し逸れるけど。
俺の家は代々、とある藩主のNo1側近。家臣を300年やっていた家系。
俺はそこの長男系譜の直系なので、世が世であれば側近をしていたらしい。
まあそんな昔の話は気にする事無く生活していたわけだけど。
それで、後からわかった話なんだが。
そのじいさん先生は藩主の直系で、世が世であれば藩主だったと。
つうことは、世が世であれば俺はじいさん先生の世話をしているはずってことだ。
今の子って古典の授業ってないらしいんだよね
国語に全部含まれてるそうだ
212 :
日本@名無史さん:2008/04/14(月) 06:28:48
>>210 ドンデモでオカルトな話で恐縮だが、血が呼び合うってことはある気がする
妙に気が合う奴が、聞いてみたら同族だったりって結構あるよ
あと、ネットで仲良くなった奴が居て、そいつと飲みに行っているときに
歴史の話からそいつの先祖が俺の先祖が仕えていた藩の藩医だった
なんて事もあった
昔は同族どころか兄弟で殺しあってたわけだがw
214 :
日本@名無史さん:2008/04/14(月) 16:22:38
<丶`∀´><ウリは豊臣の子孫ニダ
>>204です。質問追加
取り寄せた除籍謄本を見ると子供が10人居るのに
次男と3女が記載されてないことに気が付きました。
何故でしょう?
理由は死産?、又は届け出る前に死亡した?
>>215 取り寄せた戸籍より以前の戸籍には記載されていたと思います
戸籍は壬申戸籍、明治19年戸籍 明治31年戸籍 大正4年戸籍 昭和23年戸籍
とありますが その戸籍から戸主変更などで次の戸籍に書き写されたときには
死亡した人物は記載されないため、そのような事がおこります。
もし可能であればさらに遡って戸籍を見て下さい。次男と三女の記載された
戸籍があるかもしれません。
ただ廃棄されていたり、前の戸籍が壬申戸籍の場合は不可能ですけど・・・
うちは10年前亡くなった祖父の弟のはずのおじさんが
除籍のどこにも載ってない。
親・親戚に聞いても祖父の弟なのは確かだと言うし、
80年廃棄で取得できなかった分があるので
その辺りで分家へ養子に出されたのかな…と思ってる。
218 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 11:32:55
調べたら、母親が父親と見合いしたときに(昭和45年)に興信所を使って
家のことを色々調べたらしく、その資料の中に壬申戸籍の写しらしき物を発見
士族って書いてあった。
45年だと、また見れたんですね壬申戸籍って。
219 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 12:41:05
現在役所に保管されている戸籍の最古ってどれくらいなの?
うちは昭和17年、祖父母の代に祖父母の結婚により分家、
そこから我が家の戸籍が始まっている。
本家は、明治初期からの戸籍抄本が見れるの?
220 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 22:17:00
壬申戸籍って公務員とか見れるのか?
もし見れたらまずいだろ
221 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 22:33:51
普通に見ることできるよ。
>>221 まじ?
法務省の公務員になればよかったなぁ...
金積んで裏から見せてもらえw
224 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 13:18:39
>>218 45年くらいなら、まだ研究者とか名乗れば見せてもらえたようですね。
225 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 14:04:49
壬申戸籍は全国統一の記載が定められておらず、
被差別出身を表す新平民、元非人などの記述、妾を表す二等親族などの記述もあった。
明治43年に、被差別部落民かを調べるためにこの戸籍を閲覧しようとした事件が発覚、
以後、閲覧、公開ともに禁じられ、法務省で厳重に保管されることになった。
現在、研究者は勿論、法務省の職員でさえ、鍵をかけて保管されてある戸籍を見ることは出来ない。
226 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 14:22:43
そりゃ建前だろ、保管庫の鍵はどこにあるんだよ?法務省だろ。
見れるじゃん。
227 :
ななし:2008/04/16(水) 15:36:41
墨でいろいろ消した跡が、戸籍謄本にあるんだけど、よく見ると士族とか書いてあるよ。
300年くらい前まで、お寺の過去帳や除籍謄本で調べていたよ。親が。
家系図と家訓は、地元の図書館にある場合があるから、調べて見るといいね。
わたしは、祖先の地に行って、親戚の人に会い、図書館に行って、コピーしてきたよ。
どうせ士族か農民程度だろ
兵農分離前はたいして変わらんのにそんなに気になるかね
皇族とかならちょっとは気になるだろうけどさ
229 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 22:23:36
230 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 23:20:29
壬申戸籍なんて、さっさと焼却するなり裁断するなりして廃棄すればいいのに。
おおっぴらに閲覧も利用もできないような紙の束なんて、ただのゴミと同じ。
あってもないのと同じ状況なら、さっさとこの世から消滅させた方がスッキリしていい。
どうせ閲覧も利用もできないなら、わざわざ保管しておく価値なんかないだろ。
おつとめごくろうさま
>>230 日本語がうまいようだが、どこの国の方?
日本人なら先祖を大切にするから、日本人じゃないよね。
密入国した在日朝鮮人ですか?
先日母の実家へ行ったところ、以前墓を新しくする際に先祖を調べた際の戸籍を
みせてくれました。それをみると、入籍が明治20年の3月で、長女が生まれたのが
その年の7月でした。当時から婚前(籍を入れる前から)にも生活をともにしていたということでしょうか?
ちなみに、この除籍謄本で、文政生まれの先祖までさかのぼれました。
>>233 年月日はまったく当てにならないよ
役所は当時ものすごく適当な仕事してたからね
>>233 今とは違って、当時は届けるのが一般に遅かったということだろうと思います。
曾祖父の日記を見ると、祖父母が祝言を挙げてから届けるまで1年以上経っています。
婚姻の届けが出てからしばらくして父が生まれました。
236 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 03:01:05
>233
お前さん、相当な不勉強だな。
「子供ができたら籍を入れる」ぐらいのことは、常識だろ。
皆さん「先祖」「先祖」って書いていて、何代前が判明したとか、
書いていますけど、前の世代に辿る度に先祖の数はネズミ算式に
増えて行くわけです。このスレの先祖って自分の父親で
自分と同じ名前の先祖に限ると言うことですか?
他はどうか知らんが、私は基本的に「自分ん家」ので考えてる。
239 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 11:10:04
>>237 このスレでは基地害のオサーンが、ねずみ算式に増える全てを先祖と言ってる
なのでアダムとイブも三葉虫も先祖らしく、法要まで行ってるようですよw
240 :
日本@名無史さん:2008/04/20(日) 06:51:44
先祖はみんなアメーバだ!!
このスレ\(^o^)/オワタ
241 :
日本@名無史さん:2008/04/22(火) 02:18:36
日本人の先祖は、高天原から降りてきたの。
242 :
日本@名無史さん:2008/04/22(火) 10:13:12
先祖辿る作業を夢中でする奴は年寄りならいいが、若い奴や中年だったら今の自分に疑問や不満がある奴が多いかもしれない。
243 :
日本@名無史さん:2008/04/22(火) 12:00:24
そりゃそうだろ、でも本当にいい家柄の奴はそれだけでいい学校入れるからね
徳川宗家のコロンビア大学のように。
留学して一流大学入る人おおいよね、旧華族とかって
244 :
日本@名無史さん:2008/04/22(火) 15:01:01
まあ、語っていいのは自分の曾祖父母の生まれ育った家くらいまでだな。
名家は名家同士で縁組するから、話が発展していくのは仕方ない。
数代以内が残念な家系の昔話はほとんど捏造。
現在は没落していても数代前には何らかの足跡があるもの。
落ち延びた先で小作人になったとか、家紋が同じとか妄想は却下!
245 :
日本@名無史さん:2008/04/22(火) 17:36:10
名家とは数が少ないから価値があるもの。
名家同士の婚姻でその価値を守る。
しかし名家が名家たる所以の希少性が、いつしか生物としての矛盾が産む。
それで雑種(人間つくりだした概念上のものだが)になれば、名家が増えてしまうことになる。
名家の価値が薄れるのだ。
だからまた選別して、男系や本家にこだわることになったのだ。
だから直系以外は名家を名乗るべきではない(天皇家は別格だが)。
それでも名家を名乗る傍系は、名家を誇ってるのにも関わらず、その名家の概念を自ら破壊してることに気づけ。
246 :
日本@名無史さん:2008/04/22(火) 20:11:14
落ち伸びた先で小作人になったっていう妄想はよくいるな。
せめて大庄屋とか大地主ならまだ可能性があるものを
まあ、そういうのを必死に探してる人もいるけど、純粋に先祖を探してる人もいるんじゃね
本日叔父の依頼で祖父の実家(祖父は養子でした)へ伺いました。
実は叔父も養子に行って(養子先は母親の里)しまったので細かな家が分からなかったそうです。
私が数年前にその家を特定したのをしっておりましたので、是非とも連れってくれとの事でした
ちょうど一年前に叔父が脳梗塞で倒れて体が不自由になった為、もう今しかないと思ったのではないでしょうか?
その家に伺いますとそこの当主(85歳)の方も昨年心臓を悪くして入院、ペースメーカーをしているとの事でしたので
やはり本日伺ってよかったです。叔父とその当主が話をしている最中に私はお墓参りをしてきましたが、収穫がありました。
いままでお墓参りを何回かしておりますが一つだけ墓の文字が日差しの関係上なかなか読み取れないものが1つありましたが
その文字は今日はちょうどいい日差しで陰になり読めたことです、寛政と寶暦の年号が読み取れました。
前々から気にはなっていましたが、忙しくもあり最近ではなかなかお墓参りも出来なかった為今回行ってよかったです。
これで最古の墓の法名と没年、俗名が判明しましたので(寛政のあとはいきなり高祖父母の墓になって大正になる)
お寺にダメ元で手紙を書いて何か分からないか尋ねてみようと思います。
さらにもう一つ、ついでなので周りの先祖の墓を全部参りましたが、その中で一つお墓が新しくなっていたことです。
ちゃんと整地され石も敷き詰められて綺麗に立派になっておりました、先祖調査を長年していますと長期では墓の改修
みたいなこともあります(今回で2例目)
本日は有意義な一日でした。
>>244 田舎では外孫でも「あの○○さんのお孫さん」と特別扱いになる。
そういう価値観を否定することはできないからな。
都会ではまたルールが変わるし、転勤とかでアウェーになったら通用しない。
TPOがあるから基準を固定することはできんよ。
>>245 少子化で名家が絶滅していく時代。
近い分家が「保険」として歴史を受け継いでいく必要もある。
勿論、婆ちゃんの爺ちゃんの母ちゃんかちが・・みたいな話はスルー。
>>225 明治43年ってwww
昭和43年に閲覧と公開が禁止されたが抜け道も多く以後少しずつ強化されて
現在は、いかなる理由があっても公開はされないと言うのが正しい
田舎などでは、43年の後数年は学術研究名目で閲覧できたという話はたまに聞く
251 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 10:36:03
公開、すなわちおおやけにはでてこないだけで職員が見るのはおkなんだな?
>>250 実は、戸籍は地方法務局と言質の役場にそれぞれ保管されていて
43年に厳重に封印されたのは法務局の方であって
田舎の役場では廃棄が徹底されていなかったらしい
それで46−7年までは、田舎で閲覧できたと言う話があるわけだ
現在は、どんな田舎の役場でもしっかり廃棄されてるから見られないよ。
質問!
うちは士族証明書みたいなのとかがあったり、
近所の古い家の人も家を士族だって言ってるんですが、
前に戦前の除籍謄本を取ったら、族称欄が空白になってました
ぐぐったら平民は空白だったと書いてあったのですが
うちって実は平民だったのでしょうか。
254 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 12:55:50
>>253大正期以降は平民は空白ですよ。分家すりゃ平民だし、自称士族も多いし微妙ですね
×調子
○長子
スマソ
258 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 14:49:18
つか、うちは藩主系だけど除籍の中に〈族普〉なんて欄ないよ。
西日本の旧捏造士族だけにある欄(新戸籍)で制度なんだな。専修明治士族戸籍だと。明治からは元気がいいんだね。あわれ〜。
>>254 戦前の謄本で空白なら平民だが、古い戸籍を戦後になって取った場合
平民以上でも空白にされてると聞いたけど、今でも古い戸籍をあげたら士族とか書いてあるの?
>>259 族称欄は昭和40年代に、ほぼ塗抹完了と言うことになってる。
塗抹と言ってもこれ見よがしの墨塗りじゃないぞ、そんなことをしたら
その墨塗りの下に何が書いてあるのか一発でばれて、塗抹の意味がないから
基本は空白になります。
詳しく言うと、自治体により様々でマイクロフィルム化してその際に
族称欄をのぞいた町や、原本に直接紙を貼ったり修正液で修正している町
もある、紙貼りや修正液の謄本は原本を光に透かすとうっすら解るらしいw
中には、マジで墨をべったり塗った町もあったらしいが
それだと、墨塗りイコール平民ではないとバレバレなので塗抹の意味が無く
問題になったとか言う話も、聞いたことがある
たまに、発行しようとしたら原本にまだ族称が書いてあって慌てて修正液で
消してから発行したと言う笑えない話も存在します。
また自治体によっては、原戸籍はそのまま保存して俗称欄を塗抹した複本を作り
それを発行に使用している自治体もあるらしい、
でも、発行された除籍簿を見ると塗り残しの有る物が結構あったりするのはご愛敬w
再生源戸籍も発行を求めることはできないが、役所の職員は見れるんじゃなかったかな。
262 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 16:41:19
>>258 書き込む前に読み直せ。日本語になってないぞ
>>262 ちなみに、族称だけではなく庶子だとかの記載もすべて塗抹されてます。
266 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 17:18:34
なんか、やっと先祖探しスレらしい話題になってるな
267 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 19:07:57
士族が次男以降が平民になるのは初耳だった
華族の次男以降も平民になるの?
268 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 19:24:18
>>267 華族の他家に養子に入って継げば華族
そうじゃなきゃ平人
そうじゃなきゃ華族増え過ぎて困るだろW
昔はどんな階級も長子相続だからね
農民も次男以下は土地も財産ももらえなかった
270 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 19:58:46
わらしべ長者も最初、藁しか貰えなかったからな。
でもあの「藁」って、男根の陰語だと俺は思っている
>>261 と言うことは、昔の戸籍を取っても族は解らんと言うことか
>>271 そうだよ、だから口伝を元に戸籍を取って人名を確認した後、寺の過去帳とか
そのほかの資料とつきあわせないと解らない場合が多い
戦前にあげた戸籍や明治の士族証明書なんかが残っている家なら話が早いのだが
明治あたま頃の戸主が城下に住んでいない場合、士卒の可能性はグンと低くなる。
本籍○○村、とかなってたらほぼ平民だ。
というか家にキチンとしたブツがなければ、あまり期待しないほうがいい。
口伝とかも、相当具体的でない限り、話半分以下で聞いておくべき。
明治期の「士族」ではなく所謂「武士」という身分ならばそれまでに帰農した者も多いし、
土佐などのように関ヶ原以降にそれまでの身分から落ちた家も枚挙にいとまがない。
城下に在住かどうかだけでの判断は危険だとおも。
結構、城下に住んでいない「士族」というのも存在している
城からずいぶん離れた所に代々の家がある「士族」も存在する
なので、固定観念だけで判断するのは確かに危険
事実、明治あたま頃の戸主が城下に住んでおらず○○村に
本籍と屋敷があるのにもかかわらず士族というのが結構居る
特に関西以西には多い。
追記、郷土の歴史を調べていたときに、城からずいぶん離れた村で有るのに
知り合いの家が士族で驚いたことがある、しかも150石取りだったらしい
その家は、その一家が住んでいる土地の名前を名字にしていた。
>>276 反対に、城から離れた村だから士族が居るんじゃないの??
278 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 14:44:59
壬申戸籍の士族ってあんまりアテにならんな
少なくとも血筋という価値観でみると
関ヶ原で西軍についた武家なんて腐るほどあったのに負けて帰農してりゃ江戸時代は町民か農民だし(まぁ上層にはなるだろうが)
うちがそうです
そういう家はたくさんありますよ
280 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 15:29:54
藩財政逼迫で半知にされ在方に移り住む武家、後を絶たず
281 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 19:50:17
族称欄に塗りつぶした跡がありますが
妻の実家や娘の嫁ぎ先が記載されてる所も
「××番地 山田太郎長男 山田次郎ト婚姻届出」
「××番地 山田三郎の次女入籍ス」
となっていて塗りつぶした跡があります。
これも族称を塗抹したって事ですか。
それから戸主をはじめとして何人かの名前の下に丸く塗りつぶした跡もありますが
たぶん押印した跡を塗抹してるんですよね?
どうして印鑑まで塗抹しなきゃならんのでしょうか。
282 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 19:58:01
Because He was 部落民
>>280 あち、軍制が知行高別になっている藩なんかは
江戸時代も知行制だったから、在方の士族が多いな
侍帳を見ればよろし
285 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 21:04:10
江戸時代の知行制はかなり少ないな
外様大名の大き目の藩ばっかりだったけ
小規模藩はみんな蔵米制
>>283 江戸時代に知行別で軍制組んでた藩なんてあったっけ??
>>286 知行制の残ってる藩は知行別・家別の軍制組んでたんじゃないの
過去帳の前の先祖はどうしたら分かりますか?
289 :
日本@名無史さん:2008/04/25(金) 13:05:21
290 :
日本@名無史さん:2008/04/25(金) 23:28:00
明治時代の先祖であれば戸籍謄本にのっていると書いていましたが、それより前の江戸時代の先祖様を知る方法はないですかね。
もし、知っている方がいましたら是非教えて下さい
テンプレ見ろ
>>290 明治時代の謄本も、取るなら早く取っておけよ
除籍謄本の保存義務期間は80年だ、
そろそろ廃棄簿扱いになって処分され始めるから。
>>292 特に新興住宅地になって一気に人が増えた田舎なんかは危ない。
294 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 12:40:25
>>282 根拠は?
古いものだと印鑑登録を兼ねた、押印のある戸籍というものも存在する。
また本文中に『農』などの族称が記載されており、これを消しているものもあるよ。
295 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 14:30:53
そういう抹消されなきゃならんようなヤバイものは、さっさと廃棄しろよな。
297 :
日本@名無史さん:2008/04/27(日) 01:13:01
密入国者じゃないだろ、部落民だろ
>275そりゃ官軍側は本来は士族にならん程度のものまで士族にしたんでしょ。
幕軍側なら在郷の武士など平民でしょ
教えてください。
うちは田舎で、町内にのみ割と多い名字なのですが、先日、恩師に会ったとき「君の家は○○家の一門でしょ?」と言われました。
○○家とは地元の大問屋で、歴代当主の資料は沢山残っているのですが、分家やそのまた分家のことはほとんど分かりません。
その町特有の名字の場合、元を辿れば全てが同じという確率は高いのでしょうか?
江戸後期か明治初期に、高祖父の父がそこで働いていたことは分かっていますが、身内だからなのか?
その時代、自分の従業員に同じ名字を与えることなどはあったのでしょうか?
>>299 先ず、除籍謄本を入手しなさい。
先ず、自分でできることは行動に移しなさい。
除籍謄本を入手して、最大限まで遡って、話はそれからでしょ。
301 :
日本@名無史さん:2008/04/27(日) 17:37:44
>>299 明治になって苗字をつける際に、
土地のお偉いさんの姓をもらった(勝手に拝借も含む)、
無関係の平民なんて大勢いるぞ。
同じ土地で同姓だから同族とは限らんよ。
下げませんか皆さん
>>299 >>301の言うとおり。
うちの近所の例ならば大庄屋から苗字をもらってる小作人なんて腐るほどいる。
その村はほとんどがその大庄屋と同じ苗字だけど、その庄屋と血縁関係のある分家筋は家号に「様」がついている。
だから血縁の分家か、苗字拝借の小作人かは家号で一発でわかる。
>>299 田舎で分家ならつきあいが残ってるもんだよ
疎遠になっていたとしても、冠婚葬祭時は必ずね
供物等がどこの家から来てるかチェックしてみればいい
>>299 まずは両親や祖父母、親戚の方へ聞いてみて下さい、また300さんの意見と
同様ですが戸籍の入手をお勧めします、遡れば江戸末期まではいけるのではないでしょうか?
そうすると本家に行きついたりもしくは本家の分家位まいくかも知れません
そうするとかなり先祖に近づけたと思いますので、現在のその大問屋の当主の方に
連絡して教えて頂くという方法もあります。
まあチャレンジ精神ですね!!!!
先日叔父と一緒に祖父の実家を訪ねましたが、お寺に聞いてみようと思います。
今まで一番古い墓が日差しで見えなかった為これが見えるまでは!と思っていましたが
とうとう見えてしまったのでお寺に手紙を書いてみます。
日本語でおk
>>299です。
皆さんありがとうございます。
除籍謄本は取ったのですが、それでは分かりませんでした。
本家の初代は江戸初期の人物なので、もっと遡らなければいけないと思いました。
過去帳を作っていないので位牌は全て仏壇にあります。そこから読みとれるでしょうか?
>>308 菩提寺の過去帳を見せてもらった方がいいですよ
310 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 02:39:39
お袋が言ってたけど、
血縁関係ないのに、お袋の実家の下男に、同じ名字名乗らせてやったんだって。
お袋の実家は、三十か村、大総代取締役名主(西日本で言う惣大庄屋)の分家
小作人が庄屋の苗字つける話は知ってるけど
いわゆる隠し苗字は伝わってなかったのかいな
それとも捨てたw
元々無いでしょ。隠し苗字があるのは地侍だった家、つまり自作農以上だと
思われ。
地侍に付いて行った小作人(足軽)は苗字あったのかな?
隠し苗字があったのは本百姓みたいだね
小作はなかったもよう
>>308 戸籍以前は過去帳や位牌になります、位牌には○○父とか○○倅などの記載が
ありますいのでそれを辿れば遡ることも可能です
しかし続柄が不明な部分もありますのであくまでも推測にはなると思います。
まずはどこまで遡れるかをお寺の位牌や過去帳で検討したらどうでしょうか?
そして本家に家系図などがないかを聞いてみることをお勧めします、
地元の大問屋ならひょっとしたら家系図があるかもしれません
そこに二男や三男で分家したとありその人物があなたの先祖の名前と一致したら
可能性が一気に高くなります。
人身戸籍早く無くならねぇかな
皆で人身戸籍を早く破棄するようデモ起こそうぜ?
>>314 ありがとうございます。
位牌を見てみようと思います。
本家は20年程前に最後の当主が出ていってしまったので、家系図がどこにあるのかは分かりませんが、図書館に系図や資料があるので読んだところ
初代に近い分家が寺を作っているのですが、その寺とうちが親戚筋にあたると、うちの菩提寺の住職から聞いています。
でも、分家であれば菩提寺も同じなのでは?と思ったのですが変えることもあるんですかね?
いや、それは状況による。
うちの例では、本家と江戸初期に分家した(格式的に)本家に近い分家は城下町にある、超有名なお寺の檀家になっているが、
分家の分家、または江戸後期以降に分家したような家は地元の普通のお寺の檀家になっている。
そんなのはよくあると思う
>>316 初代に近い分家が寺を作っているのですが、その寺とうちが親戚筋にあたると、うちの菩提寺の住職から聞いています。
でも、分家であれば菩提寺も同じなのでは?と思ったのですが変えることもあるんですかね?
分家で変えることもあったかも知れませんね、ある代でお寺と喧嘩したとかよくあることです。
あと親戚筋といっても色々あると思います、その寺の子孫が316さんの先祖かもしれませんし
またはそのお寺に嫁にいった、養子にいったという場合でも親戚筋といえますから
あと20年前に出て行った本家の方の消息を探って直接お聞きすれば何かヒントが
あるかもしれません。
今やれることは
1 位牌や過去帳をお寺で見せてもらう
2 図書館等での調査(家系図や古文書等)
3 郷土史家かたからの間接的な情報
4 本家の当主を探して聞いてみる
5 同姓の方への調査 なにか○○家について些細なことでも伝承はないか?など
ここら辺からアプローチしていけばヒントが出てくると思います。
>>317>>318 詳しく教えて頂き感謝します。
寺は、初代の次男が作り、本家の菩提寺としたようです。
そうですね、親戚筋というだけでは分かりませんね。まず位牌や寺の過去帳など、皆さんに教えて頂いたことをこれから調べていきたいと思います。
ありがとうございました。
戒名に「翁」の文字が入ってる場合
特に決まりとかはないんでしょうけど、行年は70歳を越えてるとみていいのかな…
生まれた年がわからないので、戒名からある程度の範囲が推察できるといいいんだけど。
323 :
日本@名無史さん:2008/05/02(金) 02:22:54
>>321 七十以上とするには無理がある。
ちょっと昔まで、六十でも翁と名乗ってるよ。
まあ、大体、還暦以上と考えればいいんだろうけど、
文筆家の自称としては、三十代で、翁を名乗った極端な例もある。
昨日日帰りで田舎に行きました
祖母に子供を見せるのが目的ですが
もうひとつ大きな目的がありましたそれは遠縁の家に行って先祖の写真があるかどうか
確認をすることです、その方は祖母の祖父(私からすれば高祖父にあたる)です当然昭和の初めに亡くなっております
ので山奥の寒村で写真などないと思っておりましたが、そこの当主に事情をはなしてみたところ、
昔の写真はあるが片づけておりすぐには分からないとの返答でした、しかし今ある家系図や詳細な説明文はをみせるとかなり
食いつきが良くて、そのコピーを是非くれとのことでしたので印刷して送ることを約束しました。
以前からそこのお宅には再度伺いたい(前回伺ったのは平成5年)と思っていましたが古いおじいさんも平成11年に亡くなっており
当主も変わり腰が重くなっておりました。意を決して話にいけてよかったです。
ただ誰が高祖父なのかが不明なのでどうしたものかと考えております(祖母を連れていこうと思ってはおります)
また父に写真付き家系図を見せると重大な事を言われました、
父 「お前この写真には曾祖父の写真が載ってないじゃないか?」
私 「そんなのはあるわけないじゃん亡くなったのも昭和18年だし、だいたいうちは分家で曾祖父は本家の人でしょ?
本家は火事になったので、仮にあったとしても燃えているのでは?」
父 「いやうちの家でわしは見たことあるぞ!おばあさんに聞いてみろ」
祖母 「わしゃ知らん」
父 「ひょっとしたら九州の伯母さんが持っているかも知れない」
私 「だったら連絡してあるか確認して!」
父 「わかった連絡してみる」
となりました 固定観念に絶対にないと思っていた写真があるとなり大変有意義な時間を送れました。
墓参りですが
本日5代前の先祖の墓に行きましたが日差しの関係で掘ってある字がよく見えていました
本来ならばまとめた資料と検証するのですが、子供もいたので時間がなく次回繰越になりました。
別の墓に行きますと家の縁側で当主の方がおり少し挨拶とお話をさせて頂き、これまた重大な事を聞かされました
それは墓参りに行くのが不便なので家の裏にある旧墓に共同墓地にある新墓を移動させてから一緒にして先祖合塔にする
とのことでした、
ということは今ある墓は廃棄することとなりますのできちんと墓誌に記載されればいいですが、それがなかったら、もう先祖の
名前が分からなくなります。
当主の話では盆までには完成させたいとのことでした。
前回も書き込みましたが長いスパンで考えるとお墓の移動などもあります。
また話は変わりますが、村には有名な桜の木がありまして(県の天然記念物)そこの裏が山城になっております、
2年前から地域復興自治会の行動のおかげて山城が整備されてびっくりしました。
木を切って見晴らしを良くしたり、手すりをつけたり、本丸には椅子ろテーブルを設置しており、桜の季節が夜桜を見れるように
ちょうちんまでありました。
327 :
日本@名無史さん:2008/05/09(金) 21:44:14
良スレage
328 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 17:49:58
お墓の改葬のときに、あたらしい墓誌を作る事ってあるけど
変体仮名の俗名だとか、酷いのは年号なんかも
結構、読み間違えて、文字を彫っているのがあるんだよね。
古い墓石があるうちに、調べとかないとね。
329 :
飛瀬:2008/05/14(水) 21:26:13
みんな熱いですね!
>>326 ボクはそれで泣きましたよ。
今となってはどうしようもなく・・・。
お墓は後回しにしないほうがいいですね。
あと、やっぱ根気が大事なんですか・・・。
私も頑張らないといけないんですけど全然ですね。
調査がある程度まで行くと行きづまります。
菩提寺に過去帳を見せてもらうとき、手ぶらで訪れてもOK?
見せてもらうときは多分住職も同席するはずです。
貴重な時間を割いてもらうのに手ぶらはありえないですよ。
あと、ちゃんとお花やお線香も持っていって、お墓参りも忘れないように!
過去帳だけ見てハイ、サヨウナラなんてのは論外。
手ぶらって・・・
おまえは初めて訪問する家に手ぶらで行くのかと小一時間
>>330 ご先祖様もさぞお嘆きのことでしょう。
なんという非常識な子孫であると....。
ご先祖様の高徳を汚すようなまねは恥ずかしいですぞ。
334 :
Pure audio香具師:2008/05/18(日) 01:43:43
漏れも来週に母の出身地に兄や母と共に逝く予定が立ちますた。
初めて訪問する家の仏壇の中の位牌をデジカメに収めて来たいと
思っているのですが、一応今まで判明している家系図を相手に見せて
目的を説明するつもりではいますが、お供え用の酒、香典袋、数珠位持参する
必要がヤパ〜リ有りますかねぇ?。
ageます。
あとお布施もな
336 :
日本@名無史さん:2008/05/18(日) 03:51:40
親戚だろ?必要ネエよ
337 :
日本@名無史さん:2008/05/18(日) 16:58:32
338 :
日本@名無史さん:2008/05/18(日) 17:15:14
>>261 遅レスだが、明治の戸籍に白塗り、紙貼りまでして「士族」を隠す必要あるのか?
平民より上の族称だったら、残ってても別にヤバくもなんともないだろ?
普通、先祖が士族だったことが理由で差別されるなんて、ありえないだろうに。
新規に作成する現代の戸籍に記入するわけじゃないのに、偽善的すぎるな。
339 :
日本@名無史さん:2008/05/18(日) 19:43:29
士族を鼻にかけて自慢するヤツが出るのを防ぐためだろ。
あいつの先祖は白塗りだから平民
俺の先祖はちゃんと士族って書いてある。
アハハハハハ
っていう低脳なバカが必ず出るからだよ。
先祖調査をするんだったらもう少し発想力を鍛えたほうがいいぞ。
うち
名字と風習(15才で字をつける)と家紋で、没落戦国大名とバレバレなのですが...
「信長の野望」で、開始三年目にはもういない...
342 :
日本@名無史さん:2008/05/19(月) 22:20:57
>>340 自慢する馬鹿が出ても、別に実害はないだろう。
圧倒的大多数が平民なんだから、全体の1割足らずの士族の族称くらい、
大昔の除籍簿に残ってたからといって何の問題があるんだ?
下の身分じゃなくて上の身分なんだから、どうということないのに。
自慢したい馬鹿には勝手に自慢させればいい。世間からは笑われてるだけだし。
343 :
日本@名無史さん:2008/05/19(月) 23:03:14
>>341 それが、つまりは、自慢と捉えられるムキもあろうなぁ。
しかし、堂上華族や松平姓の武家華族など、名字と通字でバレバレだろ。
そういう人は、平凡な名字に改姓しないといかんのかw
今は期か朝鮮人も公家苗字をつける時代だから、苗字だけじゃわからんよ
下の名前もつけ放題だしさ
×期か
○帰化
ATOK糞だな
347 :
日本@名無史さん:2008/05/22(木) 03:19:23
俺のATOKで打ってみたら、
「今は帰化朝鮮人」とちゃんと変換されたよ。
348 :
日本@名無史さん:2008/05/22(木) 03:24:27
× つけ放題
○ つけたい放題
名前は、一つしかつけられないが、
好き勝手な、読み方の変な名前を付けているということだから。
最近、自分の調査の参考にならないかと思い
他の方の先祖調査のサイトを色々探してまわっているのですが
本格的に調査の事を紹介しているサイトは、どうも古文書を元々お持ちだったり、割と簡単に探せるような
先祖が武士とか庄屋だったような方のサイトがほとんどで
普通の百姓・町人だった家のものがなかなか見つかりません。
先祖がいわゆる市井の人々で、調査が割と難しいなか
上手に探している、探された方のサイトがあれば紹介して欲しいのですが…。
URLを直接出すのに気が引けるようでしたら
検索ワードだけでも教えていただければありがたいです。
よろしくお願いします。
>>349 どこまで実行したのかな?
除籍謄本は可能なだけ取り寄せたのかな?
本家の過去帳やお寺の過去帳は調べたのかな?
今後は、どのような調査をしたいのかな?
調査したい項目をあげると、レスもつきやすいと思うけど。
>>350 とりあえず一通り済ませていて、古文書を探している状況です。
ただ、名前なり戒名がわかっていても、続柄だけでは明確に前後関係を推定できない人がほとんどで
詳細な村鏡や人別帳・水帳が出てくれば、かなり参考になるのですが、残存率の関係で当然のごとく出てきません。
とはいえ時々、探しているものでなくても
ひょんな場所から先祖の住んでいた村関係の文書が出てくる事があるので
その「ひょんな場所」を探すのに、おそらく似たような調査をしてるであろう
百姓・町人を先祖にお持ちの方の実例を参考にしようと思いまして。
>>351 ありがとうございます。
そこですとか、ごさんべえ氏、大○氏、浦○氏のあたりはすでにチェックしてあります。
353 :
藤:2008/05/23(金) 14:16:38
>>352 さん
市町村史とかは探されてます?
先祖伝来その土地にいたなら、これで出てくる可能性があります。
あとは旧土地台帳とかかな。
亀レスですが、
>>64 浅右衛門さん
そういうこともあるのですね。
教えていただき、ありがとうございます。
>>352 江戸時代になりましたらなかなか進展しないかもしれませんが
推測するのも有意義な時間だと思います
諦めずにいろいろな推論を立ててみてください。
355 :
日本@名無史さん:2008/05/24(土) 13:09:50
194 :公共放送名無しさん:2008/05/23(金) 13:52:26.64 ID:SdtuKG53
俺の死んだ祖母が種子島だったけど 俺の母生んで種子島に里帰りしたら
方言を忘れて言葉が通じなかったって言っていた 因みに俺の祖母は鹿児島県令
明治政府が出来た最初の県知事で 西郷隆盛に政府の金を横流しして西南戦争をしかけた知事。
203 :公共放送名無しさん:2008/05/23(金) 13:53:30.45 ID:SdtuKG53
>>194 訂正 祖母は県令の孫
>>349 大半の人間はあなたと一緒です。HP作ってる人や、ここの常連さん達は特殊な幸運な例です。
私の本籍地も、まともな市町村史無し、区画整理とマンション乱立、
加えて複数度の災害で、往事の面影無し、旧住人・旧家全滅で手がかり無しでした。
>>349 田舎だったら手がかりはあると思います。
でも356さんみたいに都会の場合は困難を極めるかもしれませんね
妻の先祖は市街地でしたので手がかりなしです。
それでも江戸末期までは遡れましたけど。
市町村史なしってどんなド田舎だよ
普通あるだろ
>>358 「まともな」市町村史です。ちなみに、田舎・都会はあまり関係ないと思います。
むしろ都会のほうが、我々みたいに一軒一軒の記録を捜してる人間にとっては
物足りない場合が多いです。田舎のほうが、まさにピンポイントの、つまり自分の
先祖が載ってる資料が掲載されていたりします。
しかし、やはり結局は自治体のやる気でしょうね。都会でもすごい細かい史料も
載せてくれてるところもあれば、逆に田舎でも1冊で本文・資料編すませちゃってる
ようなところもあったりします。
360 :
日本@名無史さん:2008/05/30(金) 12:11:25
実は、その細かいところが、書けるところは、被差別地域がないところなんです。
本人の祖父の妹は
本人にとって何になります?おば?
また祖父の妹にとって本人は何になります?
4親等ですよね?
というのも
私の父方の祖父の母(曾祖母)と、私の父方の祖母(上記の例で本人)がこの関係にあたるんです
362 :
浅右衛門:2008/05/30(金) 21:35:14
>>361 本人にとって祖父の妹は「おおおば」。「大叔母」とか「叔祖母」とか書きます。
4親等です。
祖父の妹にとって本人は「姪孫(てっそん)」。
「姪孫」とは兄弟姉妹の孫のことです。
本人が女性みたいですから、この場合は「大姪(おおめい)」。
他にも言い方があるかもしれません。
少し前の代で分かる、もっと簡単な事を教えてもらったよ。
刀もった一部の人だけだけどね。
364 :
361:2008/05/30(金) 21:51:12
>>362 どうもありがとうございます。
4親等なら結婚は問題ないですね。
本人にとって叔祖母であり、義母でもある人と生活してたのか・・・
法律的にどちらが優先されるというのはあるのでしょうか。
365 :
浅右衛門:2008/05/30(金) 22:04:26
>>364 父方の祖父の母(曾祖母)と、
父方の祖母(上記の例で本人)とが4親等。
結婚してる方は5親等でしょ。
366 :
日本@名無史さん:2008/05/30(金) 23:25:49
367 :
日本@名無史さん:2008/05/30(金) 23:30:03
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。
これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。
日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに
よって、授業週6日制を復活させるしかない。
週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
368 :
日本@名無史さん:2008/05/30(金) 23:32:17
>>367 大伯父、大叔父、大伯母、大叔母 知らない日本人なんて居るわけネーだろ。
石頭で世間知らずのジジイ共が多いな。
もう少し外に出て若者とふれあってみた方がいい。
大伯父、大叔父、大伯母、大叔母を知らないアホなんてゴロゴロ居る。
1人でなにやってんだか。
371 :
日本@名無史さん:2008/05/31(土) 03:28:57
>>367は、他のスレッドでも多く書き込まれているコピペだよ。
372 :
日本@名無史さん:2008/06/02(月) 20:26:30
蒙古襲来の時に、北方からの侵略を守ったのが、アイヌ民族だったと知って
以前から憧れていた、アイヌ民族が先祖にいたら良いのになって思っています。
北海道や東北地方の人は、その血が濃さそうで羨ましいな。
373 :
日本@名無史さん:2008/06/02(月) 20:29:40
ところで、僕は、今、高校1年生なんですけど、伯・叔の違いが分かったのは
最近だけど、おじいさん・おばあさんの兄弟姉妹のことを、大おじ・大おば
っていうのは、小学生のときから知ってましたよ。
リアはネッとしないでお勉強してなさい
親族図は『箋注倭名類聚抄』に載っている。
『古事類苑』にも引かれてるから、見たい人はご勝手に。
たぶんネットにもあるでしょう。
376 :
日本@名無史さん:2008/06/07(土) 18:37:23
>>375 唐突ですね。一体何を言いたいのでしょうか?
先日法事が有って親戚一同が集まった時に
漏れのライフワークは「先祖探し」で調査していると話したら
親戚から否定的な意見が続出し、判明している箇所を話したら
皆から”あっ、そ〜”といささか冷やかな視線を浴びました。
漏れは今までこのスレで、父方の父側の位牌の墓誌や母方が庄屋だったことを
カキコしましたが、人に恥じるヤバイ祖先は居ませんでした。
祖先を詮索することに何か問題が有るのでしょうか?。
>>377 問題ありません。
親戚の方々が、ご先祖様に興味が無いだけでしょう。
ご先祖様のことを知ることは大切なことです。
ご先祖様を大切にしない人は、
その人自身が子孫からも大切にされないことを理解すべきです。
御親戚の中には、ご先祖様に興味を持つ人もいると思いますので、
そういう方々と親密になるようにしましょう。
>>377 他人の麦を計るのに自分の秤だけを使っちゃ駄目です。
どの家も、常に真っ当に生きてきたわけでなく
先祖の中には問題のあった人や、手を汚してのし上がった人がいる場合もあり
おおっぴらにしたくない事情をもつ家もあることを承知しておくべきです。
(あなたの家がそうなのかは知りませんが)
先祖の調査を始めてから、みんなもっと自分の先祖の事を忘れないでおこうよ──と思う反面
誰も先祖や出自に興味がないのなら、それに縛られずに生きていける、
今の状況はむしろいい社会であるとも思うようになりました。
あなたが先祖を調べたいと思うのはごく自然な気持ちである事はわかりますが
否定的な意見を持つ、親戚の考えは考えとして受け入れておくべきです。
非協力的でも憤って反論や納得させようとせずに
そういうものなのだと割り切って良好な親戚づきあいを続ける事をお勧めします。
>>377 なかなか理解がある親戚の方が少ないのではないでしょうか?
私の親戚でも興味のある方は一人でした、
もしくは興味はあるが自分では調べない、誰かが調べたものを見るのは好き
だという方は多かったです
先日も縁戚の方に家系図を見せたら是非ともその家系図がほしいと言われました
しかし、その家の昔の写真を見せてほしいといったら面倒そうでしたし、
さらにその家の親戚の方にアポをとってもらおうとしましたが、断られました
近い親戚の中にも離婚歴のある方とかはあまり詮索してほしくないというのが心情だと
思いますのでそっとしときましょう。379さんが言われているように
まずは良好な親戚付き合いからかもしれません
あと誰も賛成してくれないということはないと思いますので理解のある方から
少しずつ広げていかれればいいのではないでしょうか?
あとその法事でなにか収穫はあったのでしょうか?
大変初歩的な質問で申し訳ないのですが、
過去帳というものは菩提寺に行けば見せてもらえるのですか?
身分証明書等は必要なのでしょうか。
当然ですが、訪ねる前に電話等で連絡すべきでしょうか。
寺によって対応が違うようですが、
菩提寺は観光地として有名なところです。
よろしくお願いします。
>>381 電話じゃなくて、先にお手紙を書くべき。
手紙の中に、自分が除籍謄本でどこまで調べたか、
そして、自分はどこから先を知りたいのか書くべき。
お手紙を書いて、しばらくしてから電話してアポイントをとるべき。
突然いったって相手にしてもらえません。
383 :
381:2008/06/10(火) 21:43:19
>>382 ありがとうございます。
祖父の葬式を挙げたこともありますので、
祖父の名前を書いた手紙と謄本の写しを送ります。
384 :
日本@名無史さん:2008/06/10(火) 21:51:51
>>381 お寺によりますが、過去帳本体を見せてくれる可能性は低いでしょう。
また、見せてくれる場合にも、お寺の方が、付き添っての限定的なことになるでしょう。
あるいは、お宅の先祖の部分を書き写してくれたものを見せてくれるだけの場合もあるかも知れません。
また、運が良ければ、過去帳本体の、当該頁を複写してくれる可能性もあります。
どんなお寺でも、あまりおおっぴらに、見せないようにと、おカミからお達しが
あるのです。
あなたが、お寺のご住職に、過去帳を見せてくれるよう依頼する場合は、あなたが
檀家、あるいは檀家の親戚であることをはっきり示し、かつ、お布施
なども、それなりに差し上げることになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>>菩提寺は観光地として有名なところです。
お寺の過去帳が、極めて古く歴史研究上有名なものであった場合、
例えば、千葉県の本土寺のような場合は、歴史研究書などに全文が
掲載されている場合もあります。
>>384 ご助言ありがとうございます。
見せてもらえないこともあるのですか。
早急に調べなければならないわけではありませんので、
まずは祖父の氏名、戒名、謄本等を添えた手紙でお願いし、
連絡を待ちます。ご連絡を頂けなければ、諦めます。
> お寺の過去帳が、極めて古く歴史研究上有名なものであった場合、
菩提寺は信州善光寺です。
386 :
日本@名無史さん:2008/06/10(火) 22:03:56
387 :
日本@名無史さん:2008/06/11(水) 14:15:24
すみません。間違いました。2008年06月08日の新聞記事に、“善光寺の担当者は
「調査目的ということで閲覧を許可した。古文書から新たな史実を解明してもらいた
い」と話していた。”とありましたが、この記事は、甲府のほうで、長野ではありま
せんでした。
話は変わりますが、一般にお寺の過去帳というものは、本来は、月日順に、戒名が書
かれているだけで、檀家別になっているわけでなく、何が何やらわからないものであ
ったようです。時代が下って、住職が檀家別に整理して、一目で分かるようになって
いる過去帳もありますが、そんなお寺はむしろ少ない方だと思った方が良いのではな
いでしょうか。
私の母方の調査の場合は、本家の○右衛門と、分家の△兵衛の分を合わせて、墓石から
分かった戒名・没年月日を全て書き出して、お寺に調査を依頼するという形を取り、
後から書き写してくれたものを郵送して戴きました。
父方のお寺の過去帳は、ありがたいことに自由に閲覧させて戴けましたが、全ての
檀家が混然としたもので、何とか先祖の戒名没年を見いだせましたが、書体も判読し
づらく、くずし字を勉強する前であったとしたら、全く歯が立たないものでした。
父方の祖母のお寺の過去帳は、最も整理されていて、親切なことに先祖の家の部分を
全て複写して戴けました。
是非、墓石・位牌の記録を調べた上で、お寺を訪ねることをお奨めします。
388 :
日本@名無史さん:2008/06/12(木) 03:39:48
それを生業としている場合と対応一緒かな?
くずし字が読めないと過去帳も古文書もサパーリだもんな
全国の電話帳が入っているCD-ROMを購入。
私の姓をすべて検索しました。
幸い珍しい姓なので、数千件だけ。
これを全国の地図にプロットし、分布を分析。
さらに、家紋やお寺の宗派を重ね、とうとうたどり着きました。
最近は「写録宝夢巣」という電話帳ソフトができ、このような作業を簡単に行えます。
私の時は大変でした。
>>390 シャーロックホームズですね。
>たどり着きました
何にたどり着いたのですか?
数千件もあれば珍しい姓でもなんでもないよ
> 何にたどり着いたのですか?
ルーツです。
皆様アドバイス感謝致します。亀レスすみません。
>>380 法事での収穫
1)祖母(26)さんが約70年以上所有/保管していた明治31年式戸籍謄本1通GET。
2)明治7年生まれで、養子ながら全然働かず、嫁さん3人換えて
田/畑等の財産を食い潰して死んだww高祖父(7)の写真GET。
3)祖母(26)さんの弟が福岡県八女市の学生時代に作家五木寛之氏のクラスメート
だったことwww。
(26)と書くと26才のばあさんかと思うぞ
Please refer to レスNo.
>>16www。
確かに7才の高祖父に見えるな
398 :
日本@名無史さん:2008/06/15(日) 02:25:44
高祖父じゃ仕方がない面もあるが、祖母じゃ、
父方(あるいは母方)の祖母
と書けばいいのに。
括弧なんかつけるからだよ
>>394 なかなかの収穫でしたね、特に70年間保管をされておられたのは凄いことですね
戸籍調査も一段落、本籍から離れている私にはこれ以上の調査は難しいので
地元にいる叔父に続きを依頼しました
いわゆる「遠い親戚への接し方」の話はこのスレで読んでいましたので、叔父にも注意をお願いしたのですが
「うちの家系は、みんな親戚同士助け合っているし、隠すようなことはないから安心しなさい」とのこと
ところがその後、離婚、死別、兄弟と思われてた二人が実は腹違い、家督相続をめぐるいざこざ・・・など
叔父の知らなかった事情がいろいろと出てきて、ついに曾祖父(17)の実家との関係について
「事情があって、ある時期から親戚付き合いを断ったらしい。理由はお前にも言えん」 と言われてしまいました
叔父には少し嫌な思いをさせてしまったようです。協力してくれる親戚がいても、なかなか難しいものですね。
>>401 多かれ少なかれそういった事情はどこにもあるのではないでしょうか(当方でもあります)。
直接的には先祖探しの収穫は得られなくても、
協力的な親戚との付き合いを細々ながらも絶やさないことで、
いつかは信頼が得られ、活路が開けることもあると思います(ダメなこともあるかもしれませんが)。
学生のころには見せてもらえなかった本家の家系譜を
一昨年に見せてもらえたのは、そういった付き合いが実を結んだからではないかと思っています。
離婚 養子縁組協議離縁 腹違い 今の感覚ではマイナスイメージですが
戦前では一般的に行われていた行動だと思います。
しかし叔父さんの中では恥ずかしいという思いなのでしょうね?
私の家でもたくさんあります。
祖母だって離婚して私の祖父の家に嫁いでいるし。
(理由は姑の問題であり前夫との問題ではない)
ということで私の父は腹違いの姉がいました、
当然昔のことですから戸籍を見たら父親不詳の娘や祖父母の籍に入っているもの
2号で私生児、などなどたくさんあります。
そのような事も即わかったことではありません、親しく付き合いをして、謙虚な姿勢で
伺うスタンスで何年も付き合っていくうちにじわ〜っと知れていくものではないでしょうか?
中には取りつく島もない場合もありますが、その場合は代が変わるのを待つことですね。
代が変わるまで待つって、死ぬの待てってことか
ひでえな
405 :
日本@名無史さん:2008/06/28(土) 00:14:23
あのねぇ、隠居ってこともあるのだよ。
人の死だけしか、連想できないのは、君だけさ。
もっとも、俺の本家の場合は、年寄りは良い人だったんだが、
三十代の倅が、もうどうしようもないイヤな奴だった。
黒田勘兵衛 仏門隠居した後息子にわたす、黒田如水と名を改めて息子に関ヶ原合戦をまかせ、如水は九州制覇に乗り出す、関ヶ原に出ていた島津はそれをきき付け、戦前代未聞の走り抜け敵陣のど真ん中を突っ走る。
家康勝利に終わり黒田如水もとに家康からの書状が届く九州半分を如水部隊が制覇したが薩摩島津を攻めることを辞めるよう家康からの書状内容だった。
悔しい思いで引き返すことになる如水。
実の息子と戦以来久しぶりの対面の時、如水が言った一言、『家康側に付く時、家康対面して起きながら、お主の左手はどうしていたか?』唖然とする。
実の息子に『何故家康を頃すなかったと』如水が言う。まだ、天下を狙っていたのかもしれない 黒田如水 は凄みのある人物であった。
現代の話だろ
隠居してようが口挟んでくるよ
408 :
日本@名無史さん:2008/06/30(月) 02:31:19
年寄りが親切な場合は、口挟んでくれれば、むしろラッキーじゃん
とりつく島もない隠居の話だろ
410 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 07:20:49
馬鹿じゃん
自己紹介乙
412 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 22:38:59
性格悪いな。
憐れむべきか。
自己紹介乙
漏れの「先祖探し」日記
今日、県立図書館「郷土資料コーナー」に逝って先祖の名前や記述を探して来ますた。
No. 資料名称
1) 都道府県別資産家地主総覧(福岡県編1〜3)
豪農五十町歩以上ノ大地主編名簿 記載無し(有る訳ねぇ〜よwww)
耕地3町歩以上所有者名簿 記載無し(有る訳ねぇ〜よwww)
2)筑後国上妻郡広河庄●×寺御寺領御検地帳 古文の教科書の様で全然読めずwww。
3)筑後市年表(庄屋編) 庄屋にも大中小が有った様で漏れの先祖の庄屋の記述全然無し。ショボ〜ンwww。
4)久留米人物史 目新しいハケ〜ン無し。ショボ〜ン
スミマセン質問ですけど
漏れの先祖で名前が読めません。下の漢字は何と読むのでしょうか?
↓
女口 一 (漢字の上段の左に「女」、その右側に「口」、下段に「心」)
心
(しゅういち?、きょういち?。)以上宜しくお願い致します。
恕一(ひろかず)
そ〜ですか。有難う御座居ます。
417 :
415:2008/07/06(日) 20:17:21
なんかムカつくw
418 :
日本@名無史さん:2008/07/06(日) 22:55:17
ひろかず
が最も一般的だけど
くにかず
ただかず
のぶかず
のりかず
みちかず
もろかず
ゆきかず
よしかず
もあり得ます。
寧ろ、単に「じょいち」だったりもします。
ヒロカズでは変換出来なかったけど、ジョイチなら一発変換出来ますた。
こりゃ〜ジョイチの可能性が強いですね。
420 :
飛瀬:2008/07/08(火) 15:09:09
>>419 読みに関しては中々分からないよ。
口伝がないとね・・・。
ボクもご先祖様に難しい読みの人がいて、聞き込みをしまくってやっと分かりましたからね。
やはり文献資料だけでは調査は完全にはいきませんね〜。
421 :
日本@名無史さん:2008/07/08(火) 15:19:17
天皇家・公家・社家・武家 歴史が古いのは
今まで出版された文献資料は国立国会図書館にあります。
422 :
日本@名無史さん:2008/07/08(火) 19:06:36
国会図書館でマイクロフィッシュ覗き込んでる2ちゃんねらーw
423 :
日本@名無史さん:2008/07/09(水) 23:07:05
424 :
日本@名無史さん:2008/07/09(水) 23:29:15
国立国会図書館エロ本も グラビア写真集もあるよ(^^)
425 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 00:56:11
素人って?
426 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 13:46:09
言動があまりにもトーシローなので、初心者という意味で使っただけ
気にするな。
恕で苦戦w
ここの連中は尾張慶恕(よしくみ)も知らないのか…w
さすが素人w
うんうん、一生懸命検索して探してきたんだねー。
429 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 02:40:44
折角、カキコしてくれた方に失礼ですよ。
「くみ」という読みを教えて戴き感謝します。
ただし、あなたも角が立つ書き方は今後はお控え下さいませ。
尾張慶恕は比較的有名な人物だと思うが
431 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 21:40:38
よしかつ としてじゃね
427様は何のプロなのかw
郵送で除籍謄本を入手しますた、役所からはこれ以上古い物は無いと言われますた。
解らない点が有るので質問致します。
記述
除籍謄本の一番右側の上段に住所が2ヶ所、
●■県▽△市〜〜明治19年〜●■県▽△市〜ヨリ除籍)
下段に前戸主 亡養父の名前
(前戸主亡養父 ●×△■郎)
左側の上段に戸主の日付け、住所、戸主の父親の名?
(慶応3年5月15日●■県▽△郡●村〜〜●■▽平次男入籍
明治3年6月7日相続 隠居届け出大正7年11月17日受付)
下段に戸主の名前に生年月日、前戸主との関係
(亡養父●×△■郎養子 ●×△▽郎 安政3年9月15日)
質問1)
戸主の父親は戸主の上段に記載されている●■▽平の次男として生まれ
父親は慶応3年5月15日が生年月日で、相続期日が死亡年月日に近い?。
質問2)
戸主の父親と養父の関係は戸主の父親が弟で養父が弟?。
質問3)
養父の本籍地が最初の住所で明治19年に2番目の住所で死亡(除籍)した?。
質問4)
"隠居"とは戸籍から削除される訳では無い筈ですが
どんな意味なんでしょうか?。
>>433 なんか分かりにくいな。アップできないの?
質問1)
戸主の父親は戸主の上段に記載されている●■▽平の次男として生まれ
父親は慶応3年5月15日が生年月日で、相続期日が死亡年月日に近い?。
戸主の父親(実父)は ●■▽平で二男として生まれています
彼は安政3年9月15日に生まれ、慶応3年5月15日に養子にきて
明治3年に相続したものだと思われます。
質問2)
戸主の父親と養父の関係は戸主の父親が弟で養父が弟?。
これからは分かりかねますが、たぶん他人です。
質問3)
養父の本籍地が最初の住所で明治19年に2番目の住所で死亡(除籍)した? 。
場所は同じ所で地名の言い方が変わっただけでしょう
質問4)
"隠居"とは戸籍から削除される訳では無い筈ですが
どんな意味なんでしょうか?。
隠居とはおおむね60歳を超えたら息子に家督相続させて戸主にすることです。
息子の戸籍に父として載ります。理由は分かりませんがいろんな戸籍をみても
60歳以上になったら隠居してますね
(80歳とかで戸主とかは見たことありません)
アップの画像がないのでこれ以上は私も分かりません。
436 :
浅右衛門:2008/07/20(日) 22:02:19
>>433 除籍謄本の一番右側の上段に住所が2ヶ所、
●■県▽△市〜〜明治19年〜●■県▽△市〜ヨリ除籍)
この最後の「ヨリ除籍」というのは不自然な気がします。
「除籍」で間違いないでしょうか?
>>434様 スミマセン。デジカメ持ってますけど、UPの方法知りません。
何処かの画像up板にupすることは全然問題有りません。
>>435様 先祖マニア様有難う御座います。
>>436様 手書きで書かれているので読みにくいのですけど
御指摘の通り「ヨリ除籍」の"ヨリ"と"籍"は間違い有りませんが
"除"は読み違ってますた。レンズで拡大すると左側に"車"、右上に"市"その下に
"系"と書いてある様に見えますた。
うpしたいファイル(最大2.0MB(jpg gif pngのみ)、PASSは16文字以下)
ファイルは2MB以内でしょうか?
拡張子はjpg gif pngでしょうか?
441 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 12:02:31
442 :
浅右衛門:2008/07/21(月) 19:40:20
>>433 >>437 >>441 私も、これは「轉籍」ではないかと推測しておりました。
そうなると
質問3)
養父の本籍地が最初の住所で明治19年に2番目の住所で死亡(除籍)した?。
は、最初の本籍地は「明治19年(月日が記入してあるはずです)以後」の部分で
二番目(転籍後の)の本籍地が「最初に書いてある住所(明治19年より前の部分)」
ということになるでしょう。
遅く成りますた。
>>440様
ぅPしたい除籍謄本を映した写真の容量は1.5MBですた。
スミマセン、PCのことは全然知識が無く何のことか解りません。
デジカメ写真を画像板にぅPしたことが無いので操作方法が解りません。
>>441様
>>442様
確かに「轉」に似ています。
[iup651121.jp[受P] うpろだ1.5MB08/07/21/22:53:177月21日 001.JPG
なんとか上記にぅPしますた。が!何故か開きません。ショボ〜ン。
度々スミマセン。
受信パスはel34です。これで開きます。
明治29年に福岡県久米市から福岡県八女郡三河村に転居してます
明治3年に相続してますのでそのころに養父の梅野久次郎さんは亡くなっています
梅野半平と梅野久次郎との関係は不明です、同姓ですので何らかの親戚関係であることは
間違いないですが、兄弟かどうかは分かりません。
梅野半平と梅野久次郎両名の更に上の戸籍があればいいのですがちょっと厳しいかもしれません。
447 :
日本@名無史さん:2008/07/22(火) 12:42:15
…おまえらなに個人情報ダダ漏れさせてんだよ。
わざわざup主が伏字使ってた意味を考えろ。
>>448 死んだ人の個人情報は保護の対象外。みんなで先祖探しに協力しようぜ。
450 :
日本@名無史さん:2008/07/22(火) 23:24:30
僕、転籍が読めないんです。
∩___∩ |
| ノ\ ヽ |
/ ●゛ ● | |
| ∪ ( _●_) ミ j
彡、 |∪| | J
/ ∩ノ ⊃ ヽ
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
\ /___ /
皆さんアドバイス有難う御座居ます。解ってきますた。
>>446様
梅野久三郎は妻の梅野シナの養子で(長女)サヤが出来ますた。
梅野半平は妻の梅野チカとの間に(次男)の小太郎が出来ますた。
その小太郎とサヤがケコ〜ンして漏れの18曾祖母が生まれますた。
>>447様
ぅPした除籍謄本は八女市にアプローチしてGETした物で、久留米市の方にも
請求してみます。御指摘の通り上記の梅野家は地名から"蛍川(鉄砲小路)の梅野”と
呼ばれた分家の1つです。
>>449様
まぁ合意の元にぅPしてますし、江戸時代に生まれた人々ですから....
452 :
日本@名無史さん:2008/07/23(水) 21:13:55
私の経験からアドバイスしたく思います。
451さんが、久留米市に除籍謄本を請求する際に、市役所によっては
誰を戸主とする除籍謄本が必要かと訊かれる場合があると言うことです。
久留米市の地番がわかっているわけですから、当然、住所はそこを書くとして、
「久三郎」または「半平」が載っている除籍謄本はないかと戸籍課に尋ねる訳ですが、
私の調査の経験では、まず「ない」と言われたものだからです。
回りくどい言い方ですが、その59番地の、明治時代中頃の戸主の名前を調べてから、
請求しなければ、まだある筈の除籍謄本を出してくれない場合があると云うことです。
「久三郎」の母親や兄弟姉妹の名前が、そちらの除籍謄本から判明する可能性が
ありますので、墓石などを確かめて、系図を推定してから、久留米市役所に請求した
方が良いと思います。
私の場合は、無いと言われ続けた除籍が、戸主名を変えたら、四度目で出てきた
経験があります。戸主が三代目に替わっていましたが、探していた先祖が載っている戸籍でした。
>>452様
今日福岡県久留米市の市民課に久三郎夫妻の名前で除籍謄本の
有無をメールで尋ねたら、即電話が入って久留米市は例の80年経過廃棄を
厳格に実行していて、大正後期の物は残っているケースも一部有るが
私の先祖の様に久留米市から他都市に転籍したケースの物は
一番に廃棄しているとのことですた。
近くの八女市、筑後市は同時期の物が未だ入手可能なのに残念ですた。
454 :
452:2008/07/24(木) 03:27:21
そうでしたか。それは残念でしたね。とはまだ申しません。
だが、ちょっと待って欲しい。のです。
実は、私もそれで諦めかけたのですよ。
駄目で元々と思って聞いて下さい。
貴殿は、郷里から離れていることが窺えますので、直接、市役所に問いただせないも
どかしさも感じます。
これは、想像ですが、螢川の家と、その後養子に入った家とは、何代も、姻戚関係の
続いていた濃密な親類なのではないでしょうか。
452で言いたかったことは、転籍したといっても、元の住戸に現在も、その親戚の子孫
の方がお住まいな様子から想像されることは、その家の戸籍を請求してGETすること
が出来れば、おそらく、その家のお祖母さんなりの情報から、貴殿の先祖の関係が判明
するだろうということなのです。
>>451 結局どちらも先祖になるお方ですので戸籍が無理でも
直にその現在の当主に会いに行かれたらどうでしょうか?
分かることが多いと思いますと
でも分家とありましたのでどっかで本家に繋がると思うとそんなに古いものは
ないかも知れませんね(江戸時代なので十分古いですけど)
>>454 >>455様アドバイス有難う御座います。
幸いなことに現分家当主の方と姻戚関係の方と思われる方が
PC上にHPを開設されているので、いずれ連絡をするつもりでいます。
457 :
武田旧臣:2008/07/25(金) 19:46:59
スレを参考に先祖探しして見ました
明治23年衆議院議員選挙人名録に記載あり
都道府県別資産家地主総覧に記載あり:地租26,300(単位が小さく
漢字で書いてあるが分かりません。分かる方教えてください
県別姓氏歴史人物大辞典記載あり。何故こんなにくわしい・・・
武田諸士起請文記述無し・・・っていうか旧臣少なすぎない?
458 :
日本@名無史さん:2008/07/25(金) 21:51:35
神奈川県の方ですか
地租の単位って、わりあい常識的なことですが、その何がわからないの?
459 :
武田旧臣:2008/07/25(金) 23:25:12
>>458何も分かりません。詳しくレクチャーしてください
460 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 13:38:05
すいません、どなたか教えて下さい。
藩主が他藩に移封する際、家臣も一緒に連れて行くものでしょうか?
461 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 16:02:04
ワタクシの先祖は縄文人
462 :
454:2008/07/28(月) 23:20:00
>>456 同族の方が、先祖調べをして居られるのは心強いですね。
454の文章を一般的に補足しますと、もし螢川にある本家の屋号が「久兵衛」だとすれば、
「久三郎」の親は「久兵衛」であることが推定されますよね。こういう場合、市役所に
除籍謄本を求めるときには「久三郎とその妻」だけではなく、その親としての「久兵衛
とその妻の名(墓石などから調べておく)を合わせて請求しておくと良いということです。
この場合、その家の当主が「久太郎」であるとすれば、久太郎を戸主とする戸籍を請求
することになりますので、戸主名を調べておく必要があるわけです。この戸籍は傍系の
戸籍となりますが、父親欄に「久兵衛」の名があれば市役所も出してくれるものです。
わたしの場合は、久太郎の孫にあたる者が戸主になっていた戸籍に、長命であった妹の
記載があり、その両親の名前が判明した例があります。
463 :
日本@名無史さん:2008/07/28(月) 23:24:04
>>459 今の固定資産税のようなもので、米で取っていた税を、お金でとるようになったの
が地租。だから、その数字の単位が、面積なら、町、反、畝。金額なら、円、銭。
耕地面積×3% ないし2.5%で算出するが、もちろん土地の生産力によって変わる。
その数字は、明治末年頃の資料なのかな? 24のあとが、カンマなのか少数点
なのかよく解らないけど。
1000町歩以上の大地主などは、滅多にいないので面積ではないでしょう。
原典資料の凡例を見てみないと何とも言えない。多分、課税額だと思う。
>>460 勿論、連れて行くよ。但し、石高がどうなるかによって大きく変わる。
越後高田藩の松平光長などは、越後騒動で改易されて領国がなくなってしまったので、
郡奉行だった私の先祖は、藩主について行けずに別家の家臣となった。この松平光長
と跡取りの殿様は、しばらくたって別の藩が改易されて、そこの津山藩として復活した
ときなどは、今度は加増となったので、多くの家臣が必要となったために、江戸の屋
敷では、数多くの足軽が卒族に格上げされ、御徒士格の卒族は、全員が格上げされて、
士族の末端の小従人格に取り立てられたりして、皆、津山藩に引っ越した。その時は、
また、新たな採用も進められ、家臣の縁故から取り立てられた者や、親戚筋の大名家から
移ってきた者もあったということだよ。
464 :
460:2008/07/29(火) 20:33:25
>>463 ありがとうございます。
石高は変わりませんでした。
300年位前の母方の先祖なんですが、その藩のあった地域には無い苗字で、
調べたら、現在かなり遠方の土地に数軒あるだけの苗字なんです。
その土地との関係がずっとわからなかったんですが、
改めて藩の歴史をよく見たら、ちょうど先祖の生きた時代にその土地から藩主が移封していました。
それで、もしかしたら一緒に移動して来たのかなと思いまして。
でもその後、妻は幼児(男子)を1人連れて再婚しています。
それ以降の分限帳にはもうその苗字の家臣は載ってないので
離縁と言うよりは死別でしょうか。
465 :
武田旧臣:2008/07/30(水) 19:39:59
>>463衆議院選挙人名簿の上に直接國税納額とありました。
当時の納税額26円ってどんなもんなんでしょうか?
466 :
武田旧臣:2008/07/30(水) 20:26:39
ちなみに明治23年9月の記録です
467 :
日本@名無史さん:2008/07/30(水) 23:14:23
その資料があるのなら、ご近所の選挙人名簿から統計取ってみれば大体どれくらいの
地主だか解るんじゃないでしょうか。
また旧土地台帳で所有していた土地を調べてみるというのも方法でしょう。
明治22年の最初の衆議院選挙「直接国税15円以上を納める25歳以上の男子」は
全国で約45万人で、当時の総人口4000万人の1.1%
ネットで物価調べてみたら
明治20年代前半、東京の間口9尺の店の家賃が2円。
明治20年代後半、一ヶ月の生活費は高々17〜18円
参考までに国会図書館の近代デジタルで明治28年の
http://kindai.ndl.go.jp/index.html 静岡県第一区衆議院議員選挙人名簿写 / 濁沢太郎編,濁沢太郎, 明28.3
をみると、大体どれくらいの規模か判ると思います。
15円から300円くらいまで様々です。
俺、赤穂浪士の子孫。
でも無職w
子孫こんなで〜すw
浪士=無職だから丁度いいじゃん
470 :
武田旧臣:2008/07/31(木) 22:10:09
>467それが分かりにくくて・・・資料を見ると他に大地主等いてウチは平均より
多少上かな?程度なんですが先祖の記録や写真等調べますと大正後期に
自家用車があったり・・・記録と生活レベルがあっていないような気が・・・
>>433 「明治19年〜〜ヨリ除籍」のところに除籍にした理由が書いてあると思うが。
> 質問1)
> 戸主の父親は戸主の上段に記載されている●■▽平の次男として生まれ
> 父親は慶応3年5月15日が生年月日で、相続期日が死亡年月日に近い?。
慶応3年5月15日は入籍してきた日付。
生年月日は下段の名前の左側に書いてある「安政3年9月15日」
家督相続の日付は死亡と同時のこともあれば、それ以前のこともあるのでなんともいえないが、
この戸籍に死亡事項が載っていないならば、死ぬより前に家督相続したということだから、
次の戸籍、つまり家督相続した人が戸主となっているものを見れば死亡年月日が分かる。
> 質問2)
> 戸主の父親と養父の関係は戸主の父親が弟で養父が弟?。
それはまったく分からない。
> 質問3)
> 養父の本籍地が最初の住所で明治19年に2番目の住所で死亡(除籍)した?。
「前戸主亡養父」なんだから、この戸籍が作られた時点で養父は死亡している。
> 質問4)
> "隠居"とは戸籍から削除される訳では無い筈ですが
> どんな意味なんでしょうか?。
生きている間に、長男とかに家督相続すること。
次の戸籍、長男が戸主となっているものに、「父」として載る。
472 :
武田旧臣:2008/08/05(火) 23:21:06
旧土地台帳、建物台帳を入手いたしました。後でアップしますね
旧土地台帳は、知っているけど、建物台帳とは?
建物も明治時代の記録が残っているのですか?
474 :
日本@名無史さん:2008/08/09(土) 05:18:07
>>473ええ。土地台帳を取りに行った時。土地と建物ほしい方にチェックして
と言われたので両方チェックしたらありました。床面積、賃貸価格、沿革
登記年月、事由等記載されてますが、これだけです。
旧建物台帳もしくは家屋台帳というらしいです。
今日もしくは明日にはアップできると思います。
475 :
日本@名無史さん:2008/08/09(土) 05:23:15
>>473明治時代ではないかもしれません。記録を見ると戦後になってます。
唯、本宅、隠宅あるのですが隠宅の方は戦前に小さくしたらしいですが
大きいままですから・・・記録としては古いと思われます。
旧土地台帳ってやっぱその土地の公設施設じゃないと見れないよね・・・
先祖の土地から離れたとこに住んでるから、なかなかそこまで調査できないや
>>476 地番がわかっていれば、郵送してもらえます。
地番が分からない場合は、閲覧になるので平日現地の法務局へ行かねばなりません。
>>477 現地というと県の法務局かな
地番は江戸時代から同じらしいから郵送でいけるかも
トンクス
479 :
日本@名無史さん:2008/08/10(日) 12:03:10
>>478県じゃだめ。その地域の法務局。
東京なら法務局OO出張所
そうなのか。アリガトン
481 :
武田旧臣:2008/08/10(日) 23:31:29
お待たせしました。
ttp://www.rupan.net/uploader/download/1218378172.zip pass:toti
中身ですが家屋台帳2枚土地台帳2枚です。
家屋台帳ですが本宅・隠宅です。土地台帳は隠宅と本宅の隣接地(?)です。
記録が新しいらしく隠宅の方は土地が昔に比べて狭くなってるようです。
4つ程度の分筆したようですが、台帳に何故か記載は無いですね。分筆後の
ものは別のページにありましたが。
本宅隣接地ですが地目は宅地ですが何故か農地改革で没収されたようです。
所有書の欄に農林省とあります。だいぶ消してあるので分かりにくいかもしれませんが・・・
明治や昭和ばっかだね。この年代なら調べなくても親戚や近所の人が知ってたりする
江戸時代のは記載されないのかな
旧土地台帳の記録が始まったのは、地方によって若干の差異はあるが明治20年代から。
明治20年頃の所有者が江戸時代の生まれなら、江戸時代に生まれた人の名前が載っている。
484 :
日本@名無史さん:2008/08/11(月) 00:38:43
>>482それは無理でしょう。本陣等であれば郷土資料に建坪と部屋数ぐらいは
書いてるだろうけど
珍しくもないし誰も見たがってもないのにそんなものうぷしてなんか意味あんの?
旧土地台帳を見たことはあるが、家屋台帳というのは初めて見た。
法務局行けってw
489 :
467:2008/08/11(月) 02:42:34
>>481 ご苦労様です。ただ、私が、舊土地臺帳を調べればと言ったのは地主の
規模を調べたいと云うことでしたので、屋敷地の事だけではなくて、
その明治廿年代の所有者の名前を台帳を捲っていって、耕地全ての面積
を調べてみれば良いのではという意味でした。
この場合は、法務局に出向いて、何十頁も複写しなければならないかも知れません。
また土地臺帳は、本家の当主名(あるいは刀自も意外と多い)を調べるのに役に立ちますね。
490 :
武田旧臣:2008/08/11(月) 02:54:57
>>489どうもです。旧土地台帳を閲覧しまして先祖の名前のある台帳は全て
コピーしてもらいました。50枚ほどありました。総面積はいずれ計算します
のでしばらく待ってください。
大字のほとんどは一族の所有でした、唯江戸期の分家等多いので意味は無いかも
所有する田畑ですが実感としては少ないなと思いましたが、家屋台帳を見ますと
他家にくらべて異様に広いと言う印象を持ちました。大体床面積30坪程度が多い
ですが、うちは本宅で184坪隠宅で142坪あります。
もう一つが本宅隣接地ですが39反とありますが・・・これは3.9反の間違いか?
用途が宅地なのが気になりますね。畑等ならおかしくは無いと思うのですが。
当主名はうちはみんな同じだから意味ねえやwww
492 :
日本@名無史さん:2008/08/11(月) 22:51:15
藩政時代なら良くあるから、わかるけど、
明治22年頃から昭和35年くらいまで、当主が亡くなる前に襲名してるって
いうのも、凄いね。
493 :
日本@名無史さん:2008/08/11(月) 22:53:22
>492??誤爆?
>>492 もう襲名してないけど、大正だか昭和初期あたりまではまだ襲名してたよ
495 :
日本@名無史さん:2008/08/11(月) 23:23:01
あーそういうことね。
496 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:39:43
都会で土地台帳を閲覧しに行ったらほんとんど見せてくれませんね・・・
地番を多少見せてくれた程度で先祖の名前を探してくれと言ったら断られた。
個人情報保護だしそういう用途で使うものじゃないと言われた
497 :
大黒神:2008/08/13(水) 14:47:12
聖徳太子が2030年に世界が滅びるって予言してて
少し前にナサが2029年衝突の可能性ある隕石があるって言ってたんだけど
どと思う?
498 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:20:02
お盆休みは面白い発見があるかもね
曽祖父が妾を囲っていた証拠を発見しますた
>>496 本当ですか?
自由に閲覧できる権利があるはずです。
おかしいですね、そこの法務局。本局にクレームを入れてはどうでしょうか。
閲覧の目的も、「先祖調査」ではなくて、単に調査でいいはずです。
ただの土地情報だもんな
車の所有者と一緒で誰でも見れるんじゃないの
502 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 02:46:48
>>496 請求の仕方が悪かったんだよ。
「先祖の名前を探してくれ」なんて言ったら断られるに決まってる。
都会の法務局で土地台帳を見るときは、古い町名と番地(現在の住居表示ではない)
を綿密に調べてから、「これ、これ、この所番地の土地所有者を調べたい」
と請求しなけりゃ、出してくれやしないよ。特に大都会の土地台帳は、丁目毎に
別冊になっていて、ファイルの痛みも激しく、まさに韋編三絶の状態だから
酸性紙も入っているしね。私からしても、不慣れな人に乱雑に扱って欲しくないな。
請求って書式通りに書けばいいだけじゃんね
漏れは請求理由も書かず、住所のみを記入して
返信用封筒に切手貼ったものを同封して送ったら
送ってくれましたけど....
505 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 08:53:27
>502家の地番しか分からん。農地改革前の所有田畑の地番なんて分かるはず無かろうにてOrz
506 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 14:19:07
池田一族と小笠原一族、どっちが格上なの?
507 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 02:40:50
>>505 家の地番で良いんだよ。だけど、大都会だとその町名と地番さえ調べるのが
難しいんですよ。家の周辺の土地は、同じ台帳をめくっていって調べるのさ。
続いて、別の丁目のを閲覧請求するのは容易いしね。
だけど、酒田の本間家などは、庄内平野の三分の一ぐらいの土地持ってたし、
宮城の佐藤家なども1400町歩くらいの土地持ってたから調べるのって大変だろうね
アハハハ
508 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 11:42:10
>507その他のページは個人情報保護と言うことで見せてもらえませんでした
別スレに書いたのですが、すれ違いだったようなのでここに書きます。
実家に母方(飛鳥井家)から伝わる掛け軸と和歌があります。
1)掛け軸:溝口虎吉の書(後の本多 忠穆)
2)和歌:有栖川宮熾仁親王妃 董子(溝口虎吉の娘)さまが読んだ歌
3)和歌を包んでいた和紙に”光江祖母溝口ノブノ叔母君ニ當ル御方
これを母に託した祖母はすでに他界し、母の兄弟姉妹も由来を知らないそうです。
これを伝えた可能性が高いのはどの家の可能性があると思われますか?
4)飛鳥井家(加賀市大聖寺 実性院にお墓がある)
5)大給家(祖母が生まれた家。溝口虎吉の子である後の松平乗恵=大給正雄と関係があるかは不明)
6)大塚家(祖母が養女に入った家、戦前は朝鮮に住んでいた。飛鳥井家の母の父の弟が養子に入った)
現在、加賀市役所に飛鳥井家の戸籍謄本を郵送してもらうよう依頼してあります。
あと、このスレに縁者はいませんか?
先日田舎に帰省した時に遠縁の家に行ってお話を伺うことがありました
その中で委任状を書いてもらう事が出来て請求したところなんと6代前のご先祖様の
名前が新しく判明いたしました。
実はその家と私の家とは血縁関係がないと思っていたのですが、先月そこのおじいさんが
亡くなって私の父親が葬式に行った折に遠い親戚関係ということが判明して今回の発見につながりました。
先祖探しをしてもう10年以上たち、あらかた先祖は探し切った感がありましたが、
やはり諦めずに探していると思いがけないところから発見できますね。
これもご先祖様の思し召しだと思います。
やる気の無い公務員は出来ない理由を並べるから、取れるものは今のうちに取っておいた方がよい
>>510 先祖マニアさん
すごいですね! ご先祖のお名前が判明し、おめでとうございます。
まるで見えない力が働いているかのようですね。
>>509 ここは先祖のわからない農民と下級武士子孫ぐらいしかいないスレなので
近代史板の華族スレあたりで聞いた方がいいかと
>>512 諦めずにコツコツ少しずつでも調査していると、なぜか発見できるんですよね!
これからも諦めずに頑張ります!!
515 :
日本@名無史さん:2008/09/05(金) 12:28:35
平成18年の秋に高祖父(=山田太郎とします。)が戸主になっている除籍を取寄せました。
それから半年ほど経った頃、別件でその役所に問い合わせをした際に
上記の除籍が少し前に廃棄処分になったと聞きました。
無くなる寸前に取れて良かったなあと、当時は安堵したものです。
そして先日、同じ役所に別件で除籍請求をした時の事。
「高祖父である山田太郎さんの除籍を見ると、○○だから△△になって・・・」
と電話口で言うのです。
山田太郎が戸主になっている除籍は、
平成19年に廃棄処分になったと聞いた旨を説明すると、
「戸籍の電子化をする際に、データベースに情報を残してから廃棄した」
という返答でした。
じゃあ廃棄処分になった除籍でも役所の人間だったら見る事ができるのかと聞いたところ、
データベースに残さずに廃棄したものについては見られないと言われました。
残す残さないの基準がいまいちわからないのですが
何となく言葉を濁されてうやむやに終わってしまいました。
全てではないと思いますが、
廃棄証明書が出るような除籍でも、
情報だけはデータベースに残してある場合が結構あるのかもしれません。
その情報をこちらが見る権利、さらにそれを要求する方法ってあるんでしょうか?
「廃棄処分」というのは「除籍謄本などの交付を受け付けなくする処理」のことらしく、
現物は必ずしも文字通りの廃棄(焼却など)を受けるわけではないようです。
なので、廃棄処分はされても、
除籍簿そのものは倉庫などに保管されている場合があると聞いたことがあります。
(壬申戸籍が廃棄処分を受けても現物は残っているのと同じような状況でしょうか)
廃棄処分後も保管する場合には、現物としてではなく、
データベースやマイクロフィルムとして残している場合もあるのかもしれません。
廃棄後も保管されている除籍の情報を見ることは基本的にできないと思います。
廃棄すれば役所は謄本を交付する義務がなくなるので、
通常の役所であれば、申請には応じてくれないのではないでしょうか。
写しが取れたという話も聞いたことはありますが、例外的だと思います。
とはいうものの、残っているのなら、見たいところですよね。
除籍簿で嫁や婿は上段に従前戸籍が書いてありますが
地番が修正液で消されている人が何人もいます
そこで質問なんですが
518 :
517:2008/09/26(金) 09:50:46
途中で送ってしまったorz
質問ですが地番がわからなくても除籍の請求ってできますか?
あとなぜ地番が消されているのでしょうか?
初めまして
m(__)m
「のぼうの城」で知名度が上がりました埼玉県行田市の忍城城主「成田氏」の子孫です
現在、家系図を作ろうと色々と調べております
城主だけでなくその正室や側室も調べております
改易になってからの江戸時代の間は、ほとんどわからないという状況です
(本家は完璧にし上がった家系図を持っていますが、うちは分家のため・・・)
どなたか「成田氏」の事で詳しい情報を持っている方教えて下さい
ちなみにうちの成田家は、福島県会津若松市に住んでおります
「成田氏」は「藤原氏」の血筋をひいております
また「上杉氏」や上杉謙信の旧姓「長尾氏」(桓武平氏)や「源氏」、「橘氏」、「蘇我氏」、「安倍晴明」の祖とも血縁関係があります
その辺に詳しい方も情報をお待ちしております
m(__)m
本家に通い詰めて頭下げて系図見せてもらうのがイチバン手っ取り早かろうよ
>>518 消されているのは地番ではなく族称(平民等)です。
古い戸籍にはもとから従前戸籍の地番は書かれていません。
私の場合、地番が不明でも祖先の除籍を交付してもらえました。
522 :
518:2008/09/27(土) 22:39:04
>>521 そうなんですか
情報ありがとうございます
お前ら凄いな。旗本だの華族だのって、、
うちなんか、父方が尾張の帯刀農家で
母方が久保田藩の下級武士。
曽祖父は旅順戦に従軍。
ジーサンが横須賀海兵団出た後、海軍機関兵曹で生き残り。
バーサンは株に年金突っ込んで、サブプラ受けての株安で
ガックリしてるとこ。
>>523 うちは調べてみたらお江戸で指物師やってた職人さんらしいですw
先祖が大名公家という名家はわざわざ先祖調査なんて
しなくても脈々と伝わってますからね。
先祖調査しなければわからないという段階で
過度の期待をしないのが吉ですw
525 :
日本@名無史さん:2008/09/29(月) 16:35:40
スレ違いの話ですまんが、父親と俺は昔から仲が悪くて、つい先日同じ名字を使うなと言われたわけよ。
俺としても奴と親子なんて嫌だし養子になるか名字を変えようと思うんだ。
で、色々と考えたんだが、、、
実家の本家は男子がいなくて俺が後継を主張したら婿を迎えた一件が過去にあり危機感を持たれててダメ、
母方の名字は、母親が子供のうち長男の俺だけを置いて出ていったから嫌、
父の母の実家は跡継ぎがいないが父が頻繁に訪れるからバツ、
ほかにゆかりのある家や名字を知らないから、戦国時代の先祖の正室の実家で血も繋がってる縁故を元に北条を名乗ろうと思うわけだよ。
で、系図を作ろうと思ったんだが、北条は周知の通り桓武平氏で、俺の実家は自称清和源氏。
北条を名乗る以上桓武平氏の系図にしたいんだが、北条女以後は源氏になってしまう。
この場合は北条女の夫を北条女の婿だった事にして平氏にしたり、
北条女を女ながら歴代の途中に並べてその息子を平氏にしたりしてもいいもんなのかな?
日本史板的には僭称扱いだろうが、女系の先祖も調べていて女系への理解が深いみんなに意見を聞きたい。
なんのコピペか知らんが、いい方法がひとつある。
結婚して妻の名字名乗れ。
それが一番いいな
529 :
日本@名無史さん:2008/09/30(火) 00:01:05
歴オタだがなんか辻褄が合わんな
戦国時代の後北条氏なら桓武平氏じゃないし
530 :
日本@名無史さん:2008/09/30(火) 02:37:09
オタ以下だよ
531 :
日本@名無史さん:2008/09/30(火) 02:57:47
伊勢氏は桓武平氏だろう
>>527 別れたばっかだから無理。
>>529 自称桓武平氏ね。
どうせ遥かに離れた女系だから早雲より前は婿入り伝承を元に執権北条に繋げればいいかなと思ってる。
533 :
日本@名無史さん:2008/09/30(火) 21:14:51
>>529 北条早雲が伊勢新九郎長氏と同一人物かどうかって
それはあくまで一つの仮説であって、後北条氏が伊勢氏の流れを汲む
桓武平氏かどうかは、まだはっきりしないんだ。
だから「桓武平氏じゃない」という529の言い方は正しくないし、
一方で「後北条から血を受け継いでるから桓武平氏」という526の考えも
正しくない言い方。ここは戦国北条についての論点としていまだに争ってるところ。
伊勢氏という主張もあれば、京の乞食僧の成り上がりという主張までさまざま。
534 :
日本@名無史さん:2008/09/30(火) 21:17:08
>>532 少なくとも早雲の小田原北条氏と鎌倉の執権北条氏は
同族ではないことはわかってる。
だから小田原北条氏から輿入れして母系の血筋が君の家に
入っていても、そこから執権北条氏には繋がらない。
伊勢、後北條、執権北條の出自はどうでもいいと思ってる。
>>534 論点がよくわからないけど、、、
早雲或いは氏綱の婿入り説が疑問大なのは理解してる。
問題は、後北條からの正室を歴代に加えるか、その子孫(自称清和源氏)を平氏として系図に記してよいか、の二点。
お前ら幸せそうだな
現実を生きようぜ
537 :
日本@名無史さん:2008/10/03(金) 11:33:33
まあ、日本人の9割は先祖代々小作人だろ。
残り1割で3,4分が侍、残り大多数が足軽程度の軽輩で
又、その残りが庄屋や旧家と呼ばれる家。
538 :
飛瀬:2008/10/04(土) 19:41:26
>>537 そりゃそうやろね。
でも何代もさかのぼるといろんな人がいるモンですね。
農民、下級武士、商人・・・etc
中にはある程度の支配者層だっているかもね。
それと、今日学校で拓本とったんですけど、結構鮮明に写りますね。
お墓調査で役に立つかもしれません。
539 :
日本@名無史さん:2008/10/05(日) 06:48:57
540 :
日本@名無史さん:2008/10/07(火) 17:49:58
先祖探しを始めて10年になります。
父が他界したのがきっかけに、父を始め先祖の生き様を後世に残したいと思いました。家族、親族から聞きまとめた。
次に3代目祖父。記憶は母のみ。それと位牌、墓地(個人墓)、菩提寺、戸籍謄本、除籍簿、写真、転籍先調査
次は4代目尊祖父。位牌、墓地(個人墓)、菩提寺、除籍簿、明治30年時の尊祖父の写真と遺言めいた書。転籍先調査
5代目高祖父となると名前と位牌のみ。個人墓は明治末期に集約され仔細不明
あらゆる手段で調査した結果限界を感じたが私が知りたかった先祖の生き様を多少なりとも感じた。
ところが数年前、ある人から「○○さんの家は昔お侍さん」と聞いたような気がすると教えて頂いた。
それから図書館通いを始めたら5代目高祖父の名前が出た。安政5年作成の「○○藩分限帳」に高祖父の名前があった。
石高、年齢、居所、役職、所属、等が記載。これで高祖父の給料、住所、仕事等の内容が分かり高祖父の生き様を感じた。
さらに明治2年作成の「○○藩士族登録帳」には4代目尊祖父の名前があり様々な内容が記載。
鳥肌が立つのと共に、ご先祖は懸命に生きていたんだと感じた。
すでに原稿用紙で100枚近くなったが、まだまだ中途半端である。
これから先祖調査を考えておられる方に申し上げたい。
根気と熱意があれば何か見つかります。除籍簿は情報源です。転籍してあるかも知れません。
転籍先へ出向いて近くの神社、お堂等を覗けば名前があるかも知れません。それは先祖が生きた証しとなります。
541 :
sage:2008/10/07(火) 19:56:23
菩提寺がわかってたのに図書館に行ってはじめて知ったの?
542 :
日本@名無史さん:2008/10/07(火) 21:00:13
>>541 戒名と名前はわかっていたので菩提寺の過去帳で確認だけして頂きました。
543 :
sage :2008/10/07(火) 21:07:01
ふーん
>>540それはよかったです。でもひいじいさんは曾祖父。尊?ばあちゃんたちも忘れないでね。
545 :
日本@名無史さん:2008/10/09(木) 23:15:46
>>544ありがとうございます。尊祖父ではなく曾祖父でしたね。
妻、母、祖母、曾祖母の戸籍謄本、除籍謄本を全部取りました。でも全て明治19年まで。
曾祖母の家系も多少わかりました。
546 :
日本@名無史さん:2008/10/18(土) 03:46:11
547 :
日本@名無史さん:2008/10/18(土) 08:40:36
>>546 下部に彫ってあるように見えますが?
○○二年 □□禅定門
なんだか寂しいところにあるね
一族の募領にちゃんと入れてあげたくなる
549 :
日本@名無史さん:2008/10/18(土) 13:08:33
普通に名前で、分かると思うけど・・・
僕は、琉球王が先祖です
代々「嗣」の名前を使っています。
550 :
日本@名無史さん:2008/10/18(土) 13:17:47
日本語でおk
552 :
日本@名無史さん:2008/10/18(土) 21:52:23
>>549 何が分かるって言うんだよ。
さすが王様の子孫、一般庶民の事情には疎いらしいwww
553 :
日本@名無史さん:2008/10/18(土) 23:19:39
552へ
代々使う名前は無いんですか?
554 :
553です:2008/10/18(土) 23:43:19
姓名と代々の名前で、先祖が分かると思います。
例
琉球王に成れば「尚」
徳川は「家」
天皇は「仁」
555 :
日本@名無史さん:2008/10/19(日) 00:42:13
「尚」って苗字じゃなかった?
仁は途中から使い出した記憶が
557 :
日本@名無史さん:2008/10/19(日) 01:04:36
徳川の「家」は秀忠、綱吉、吉宗、慶喜等は使用しておらず
代々とは違うと思う。
558 :
日本@名無史さん:2008/10/19(日) 09:08:01
>>554 つまり、佐藤さんは全員藤原氏の末裔と主張したいんですね。わかります。
559 :
日本@名無史さん:2008/10/25(土) 03:31:56
はじめまして。
戸籍調査、旧土地台帳調査は終えたので、菩提寺に過去帖について相談したいのですが、
明治19年式戸籍になる前にどうも転籍しているらしく、明治19年式の地番周辺に
菩提寺らしきお寺が見当たりません。
うちの苗字が多い地区が少し離れた場所にあるので、いくつかのお寺に聞いてみました。
過去帖に除籍にある先祖の名があるか調べてくれたところもありますが、
ほとんどのところがあまり相手にしていただけませんでした。
当たり前かもしれませんが・・・。
菩提寺がわかっていれば、段取り踏んで外堀から固めていくのですが、
菩提寺探しからはじめなければならない場合、どうやって探したら良いでしょうか?
遠方なので何度も通えないうえ、訪ねる寺々全てに寸志を持っていけるほど
貯金もありません。
うちは、祖父、父と代々(?)改宗しているため、江戸時代までの菩提寺の情報が
まったく伝わっていないのです。
しかも祖父、父とも他界してしまっており、尋ねることもできないので行き詰ってしまいました。
何かいい知恵をお持ちのかた、教えてください。
560 :
日本@名無史さん:2008/10/25(土) 14:31:59
>>559 苦労が身にしみてわかるよ
うちも転籍、改宗しており、父は祖父のため墓を建てたが先祖の墓の話などした事も
聞く事もなかったし。
生まれて50年、初めて先祖の墓へ行ったが申し訳ない気持ちと哀れさで涙が出たね。
同姓、同家紋の宅を尋ねると、偶然に寺総代の家で一緒に寺まで行ってくれたが、
住職が無愛想で「総代さんの手前だから…」ってシブシブだよ。
こちらが示した戒名と没年月日を過去帳で確認してもらうのが精一杯。
すでに檀家でもないし、先祖の菩提寺と解っただけでもいいかと思ったよ。
知恵など与えることは出来ないが陰乍ら応援しているから
561 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 00:10:49
いわゆる廃棄証明書って明治19年式戸籍とかの廃棄のときだけ出してくれるんでしょうか?
壬申戸籍に対しても発行してもらえた方、いらっしゃいますか?
つい最近廃棄されたという除籍が実はあるんじゃないかと思って
伯父に頼んで手土産もって役場の幹部の所へ行ってもらいましたが
本当に廃棄してるそうですw
むちゃくちゃ古いのが邪魔で廃棄するなら分かるが、ムキになってキッチリ80年廃棄しなくてもなぁ・・・部屋余ってるだろうが
これって法務局に副本が残っていても請求できないのでしょうか
563 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 00:43:00
>>562 少し状況が違いますが、法務局に電話問い合わせしたことがあります。
法務局保管のものは、証明書を交付する趣旨で保管するものではないので
そういうことは致しかねます・・・というようなことでした。
法務局のものは、役場に残ってない場合(戦災で焼失等)で
どうしても再製する必要が生じたときのための資料なんだとか。
80年過ぎてなくて間違いで廃棄されていたなら、再製してくれるかもしれないけど
80年過ぎてるなら普通は再製してくれないでしょうね。残念だけど。
564 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 00:52:22
と、云うことは明治30年式が一番過去のものとなるのかな?
>>561 役場によって廃棄証明出してくれるとこもある
おれは戸籍をコンピュータ管理してない役場で
ほぼ間違いなく壬申戸籍のやつで廃棄証明出してもらえたよ
566 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 03:25:29
>>559 質問したいのですが、卵塔場(墓地)は、実家のお近くにありますよね??
菩提寺を調べるなら、そこから調べれば良いのでは??
初めましておはようございます
謄本を天保5年産まれのひいひいおじいさんまでさかのぼったのですが
そこに書いてある住所が今現在どこになるのかわかりません
先祖が住んでいた土地が遠方になるのですが、先日そこの土地まで行きまして
市役所、法務局、民族資料館で調べましたがここら辺かも・・・・としかわからないのです
それでここのスレをみつけて読んでたんですが、
>>559さんの旧土地台帳というのを見つけて「なんじゃこりゃー!」状態ですよ
こんなのがあるなんて知りませんでしたし、法務局でもそんなの見せてくれませんでした
ググってみたら郵送でも調べれるとの事なので昨日郵送したのですが、
旧土地台帳って
・昔の住所が今どこなのか調べれる
で、合ってますか?
私間違ってます?
568 :
567:2008/10/29(水) 11:44:58
今法務局からрォました
結論はダメでした
というか私が無知でした
調べて欲しかった住所の最後が
[○○○番戸]
となっていたのですが、これって住所じゃないんですね・・・。
行き詰まりです・・・。
旧土地台帳ってのは昔の土地の所有者を書いてるだけでしょ
まちBBSで地元の人に聞くといいよ
今と名前が違ってググったけどらちがあかないんで、そこで聞いたら一発だった
>>561,565
廃棄証明もらってもしょうがないでしょ。
「廃棄済みです」って書かれておしまいだよ。
中身は除籍謄本と同じで、「行政証明」という形で出してくれるなら別だが。
廃棄証明なんて意味無い。悲しいだけ。
573 :
567:2008/10/29(水) 23:54:03
>>569 そうなんですか、ありがとうございます
親戚の話では所有してたそうなんですが住所がわからない事にはどうにも・・・
>>570 法務局の方が言うには「番戸」は住所ではないそうです
一応ググってみたのですが(○○村△△△番戸)ヒットしませんでした
ひいじいさんの戸籍によると、大正5年に除籍と書いてあるのですが
その時点でも○○村△△△番戸になっているので住所をもっていなかったという事なんでしょうか?
574 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 01:13:03
>>573 手元に文化14年(1817年)生まれのご先祖が戸主だった頃の除籍謄本を
持っているんだけど、それには○○村△△△番地と地番になっているね。
575 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 01:28:25
質問があります
除籍謄本(明治19年か30年式)ですが戸主○○○○のところに印鑑が
押してあるんですが昔は押していたんでしょうか?
修正印でもなさそうですが、ご存知の方教えて下さい。
576 :
>>559=>>561:2008/10/30(木) 02:01:50
>>566 曾祖父のお墓は見つけたのですが、お寺の墓地じゃないんです。
今風にいうと霊園墓地とでもいうのでしょうか・・・。
聞いて回ったお寺の方がおっしゃるには、その場所は
どこの寺の管理ってわけじゃなくて、
いろんなお寺の檀家さんたちが自分でお墓をたてているらしいです。
どうも壬申戸籍〜明治19年式戸籍の間に転籍してきているらしく
もともとの菩提寺が遠いから近場に新たに建てたんじゃないかと
推測しています。
>>572 明治19年式が廃棄になってるところで出してもらったことがありますけど、
それには本籍地と戸主名が書かれていました。
本籍地が明治31年式と違うやつだったので(単に屋敷番かもしれませんが)、
わずかですが情報を汲み取れたので壬申戸籍の廃棄証明が取れたら
従前本籍が分からないか?と思ったんです。
あと、これは希望的推測ですが、壬申戸籍時代に戸主が変わっていた場合、
明治19年式 戸主・山田太郎 前戸主・山田父郎と仮定すると
壬申廃棄1 戸主・山田父郎の分は廃棄しましたという証明書
壬申廃棄2 戸主・山田祖父郎の分は廃棄しましたという証明書
というように思いがけず1世代遡れたりしないんでしょうか。
>>575 印鑑簿をかねている場合もあったそうですよ。
自分のやつも19年式に押印されています。
読めるかたに見てもらったらただの名前でしたが。
578 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 03:49:05
あのなあ
旧土地台帳は、字名で整理されてたり、地番で書かれているもんだろ。
住所と一致する所もあるが、その方が、珍しいぐらいだろ。
法務局に行って聞いてみたって、すんなり判る筈がないだろ。
もう少し、郷土史などを調べてから、出直しなさいよ。
旧土地台帳は確かに一筆ごとの郵送も可能ですが、
法務局へ行けば一冊ドンと出してくれるので、一枚ずつ探していけば名前があるかもしれません
そうすれば、先祖の土地の字、地番までは分かります
あとは自治体の合併の歴史を調べて、現在の町名、大字ぐらいまでは分かります
(地番が整理されていなければ、現在も同じはずです)
現在は住居表示(○丁目)に変わっている場合も、番地との対応を調べる方法があります
あと、これは不確かですが、「番戸」というのは明治初年の「番屋敷」と同じ意味ではないかと思います
私の先祖の地域では十九年式はすべて「番屋敷」で書かれています
番屋敷の番号も、いちおう規則性があるのですが、基本的には番地と無関係で、対応を調べる方法もありません
580 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 21:20:21
>>577 >575ですが、ありがとうございます。
10年以上前に取得してたのに、印鑑跡があると知ったのはごく最近とは。
要するに印鑑登録と同じだったのでね。
旧土地台帳は指サックして自分で1枚1枚めくって調べるもんだ
法務局に言って調べてくれなんて言っても無理
582 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 02:26:27
あまりにも、不勉強な人は、自分で先祖調べをしようとするより、
もっと基本的な歴史を勉強したり、参考資料の扱い方などに慣れてからだろうね。
旧土地台帳なども、バラバラにされてしまいそうで、迷惑だよ。
お金を出して、専門業者に頼んだ方が良いんじゃないかな。
業者乙
最近土地台帳閲覧させてくれない件について・・・
585 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 12:53:23
「番戸」とか「番屋敷」は初耳だな。
手元に4家族の明治19年式を持っているが全て「字、番地」となっている。
>>585 住居表示については、全国一斉ではなくて地域差があったから。
「番屋敷」は旧法の専門書にも書かれているので
一定地域でそこそこ広く使われてたっぽい
588 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 01:58:19
テンプレを読みましたがよくわからない点がありましたのでどなたか答えてくれると有難いです。
曾祖父の除籍謄本を請求したいのですがその際に必要なものはなんですか?
本籍地と住所地は曾祖父から私まで同じ市内で祖父と父は健在です。
請求したい謄本に記載の人物との関係を証明出来る物が必要だそうですが、
テンプレに父、祖父の謄本も取ると書いてあるのはその証明のためですか?
589 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 02:16:20
ご明察の通り
ありがとうございます。
とすると祖父、父の戸籍謄本請求の委任状が必要になのですね。
祖父の本籍地がわからないのですが、委任状と父の戸籍謄本で請求可能でしょうか?
住民票は本籍地不明でも発行してもらった事が何度もあるのですが。
>>590 委任状は要らないですよ。
>588 本籍地と住所地は曾祖父から私まで同じ市内で祖父と父は健在です。
あっちこっちの市区町村にお願いせずに住むのでうらやましいですね。
>590 祖父の本籍地がわからないのですが、委任状と父の戸籍謄本で請求可能でしょうか?
同じ市内なのだから、同じ市役所にあるので、大丈夫でしょう。
自分の本籍地を記入して、
「○○家の直系先祖の戸籍謄本と除籍謄本を遡れるだけ全部」
と書いて請求すればいいです。
本籍地が違っても同じ市内の本籍地なら遡ってくれますから。
直系の子孫なんだから、委任状は要りません。
母方も同じ市内なら、同じ市役所にありますね。
592 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 07:35:09
直系尊属の除籍の取得に委任状は必要ありません。祖父母4人、曾祖父母8人…と。
関係が証明できるものは必要でしょうが。略系図を書いて持参するとか。
593 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 13:36:18
謄本請求の場合、請求者本人の確認があるので免許証等を必ず持参のこと。
594 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 13:48:09
詳しくありがとうございます。
男系は高祖父から上は隣の市なのですが、女系の先祖は数年前の合併により全て同じ市内です。
女系の親戚付き合いの方が多く、いずれも郷土史に載っているので調べる必要はありませんが。
それともう一つ聞きたいのですが、戦後は結婚した場合は親の戸籍から除かれるようですが、
戦前に分家せずに結婚して戦後も生きていた場合はやはり戦後に法改正された時点で親の戸籍から除かれたのでしょうか?
>>592 自分で書いたメモでも良いのですか?
その場合は健在中の祖父、父の戸籍謄本請求はしなくてもよくなるのでしょうか?
595 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 13:58:23
女性が結婚し除籍したら遺産や土地など一切貰う事はございません。
トラブルが減り安心
ひとつひとつ遡ってたどっていく形なので
必要、というより自然と取得することになります。
今までの戸籍・除籍を示して、これが自分の名前・親、続柄、と見せて
曾祖父の生から死までのすべての除籍が欲しいと言ったと思う。
596はエンターで考えなしに書き込んじゃった…
僕の場合は、メモ用意しなかったけど
申請書にちょっと略図書いたこともあった。メモがある方が親切ですね。
戦後の法改正で新たに分けて編成されたのはお考えの通りだと思います。
うちは戸主(曾祖母の孫)一家と曾祖母がひとつだったけど
新編成で2つの戸籍になりました。
そっか、同じ市なら全然気にしなくても大丈夫ですよ。
自分の戸籍一通とって、辿りたいと相談したら丁寧に教えてくれるでしょうし
始めから筆頭者の名前を親・祖父・曽祖父にしたら
全部紐付きで出てきますね。
重ね重ねありがとうございます。
つまり略図はあってもなくても曾祖父の除籍謄本請求のためには祖父、父の戸籍謄本が必要なのですね。
住民票の方が料金が安いようですが代替はできないのですか?
それと、同一の人物の謄本でも時代により形式が改正されて複数あることがあるようですが、
この場合はそれぞれ別々のものとして料金を払うのですか?
>始めから筆頭者の名前を親・祖父・曽祖父にしたら
>全部紐付きで出てきますね。
すいません、意味がよくわかりません。
申請書の筆頭者の名前を書く欄に続柄を書くということですか?
自分の戸籍謄本がまず基本だと思います。
そこから全部繋がっていきますし、住民票とは判明する記録量が違います。
>>600 どなたの戸籍証明が必要ですか?というような欄に
筆頭者(戸主)氏名を書く訳ですが、同じ市(本籍)なら
父・祖父・曽祖父3人の名前を一気に書いてもいいかもしれません、とぼかして書きました。
僕が申請した市ではそこによって申請書一通ずつ必要だったり、
申請書1通で全部遡って出してくれたこともあったな…という訳で
自分の戸籍を取った際聞いてみるのが一番早道かと思われますよ。
謄本は役所が出してくれた謄本一通につき料金がかかります。
改めて読むと、遡って全部取りたいのが目的ではないのかな。
曽祖父様の除籍1通のみとりたいのなら「生から死まで」と書かない方がいいです。
その場合、曽祖父様が亡くなった時点の謄本1通を出してくれると思います。
だれか補足・間違いあったらヨロ…とったのだいぶ前なんで
>>601 詳しくありがとうございます。
祖父から自分までは生きていますしわざわざ戸籍謄本を見て調べるようなことも無いので、
曾祖父の謄本を請求する際に続柄の証明を安価な住民票でできないのかなと。
男系先祖を曾祖父から辿れるだけ辿りたいです。
603 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 21:38:08
>>602 >曾祖父の謄本を請求する際に続柄の証明を安価な住民票でできないのかなと。
免許証持っていますか?
免許証に本籍地の記載があるのでそれが証明になります。
曾祖父の名前はご存知ですか?
ご存知でしたら曾祖父(名前)の分と辿れるだけの戸籍謄本と伝えればよいのです。
まず窓口へ行って担当者へ話をして下さい。「案ずるは・・・・」
もし、何のためか?と聞かれたら、先祖供養とでも答えて下さい。
>>603 なるほど。
では月曜日に行ってみます。
失礼しました。
605 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 11:09:12
>>602 お祖父様もお父様も、今はお元気のことと思いますが、
いずれお亡くなりになる日が来ると思います。
その時は、相続の手続きで、お祖父様、お父様の生まれてから死ぬまでの
全ての戸籍謄本を取得しなければならなくなります。
今回、曽祖父様の戸籍謄本を取得されるのなら、お祖父様、お父様の戸籍謄本も
も一緒に取得されておいたほうが、よろしいかと思います。
「出来る時にしておく」→先祖探しのテクニックの一つです。
606 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 21:34:14
生まれてから死ぬまでの全ての戸籍謄本が
相続に必要となることは、家庭裁判所による遺言書の検認が必要な場合などで
必ずしも、一般的なことではないでしょう。
それでも、祖父母、父母、父母の兄弟姉妹が生きている内に、全部取っておいた方が
あとで、悔やまないよ。
607 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 23:56:27
明治19年式の戸籍謄本を廃棄したってことは31年式も間もなく廃棄処分になるよ。
法的な保管は80年らしいから。
昭和が64年、今の平成が20年で、大正14年だから
明治生まれで既に死亡した人の戸籍は殆ど廃棄されていても
不思議では無い?。
609 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 22:07:51
調査したい人は一日でも早く取得すべきだね
610 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 23:01:39
クソ情報だなw
続柄の証明を安価な住民票(笑)
もうこりゃどうしようもないな
先ほど交付を受けました。
曾祖父の本籍と生年月日が不明だが曾祖父から先を辿りたいと伝えたところ、
祖父の本籍地と生年月日も不明なためまず父の戸籍謄本請求を提出するように求められ、
父と祖父の戸籍は役人の方が確認だけで済ませてくれたようで、曾祖父の除籍謄本だけ発行されました。
日記なら日記帳にどうぞ
エピソードを語るスレだしいいんじゃね?
615 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 01:14:29
だから、父のも祖父のも提示を求められるって最初からみんな言ってるのに・・・・
親切な役場でよかったですね。
616 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 11:18:17
>>615 >>603の
>まず窓口へ行って担当者へ話をして下さい。「案ずるは・・・・」
は無視ですかそうですか
617 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 13:22:41
極端な初心者をからかってもしょうがない気もするが、
真面目に調べる気があるんなら、あんまりくだらねえことケチらないで
親父と爺さんの、戸籍謄本ぐらいみんなとっとけよ。
そうだな。
先日、父方の調査がひと段落ついたんで
除籍謄本だけでもとっとくかと思って、母親の親父の改正原戸籍謄本とったら伯父さんが1人増えたよ。
記録では母親とは腹違いで20才以上年上の兄だったから、
もしかすると母親も知らない人かもしれん。葬式とかでも会ってないし。
…とまぁ、意外と直近でも新事実がでてくるからなあ。
>>617 母方マニアじゃなけりゃいらないとは思うがな。
俺も男系先祖だけ辿ったけど15通あったしケチりたい気持ちはよーわかる。
つか母方なんかも全部辿ったら移動費や送料込みで10万越えそうだ。
俺も発覚した真実をチラ裏するか
曾祖父が次男だから今の土地に移住してきたと祖父と祖父姉に聞かされていたが長男だったりw
祖父が今の土地出身と聞いてたのに曾祖父の移住前の土地出身だったりw
祖父姉が祖父より20歳以上年上なのに曾祖父母が結婚した年が祖父の生まれた年だったりw
でも祖父と祖父の兄弟姉妹が全員同父母だったりw
曾祖父の弟が失踪宣告受けて除籍されてたり…
祖父と祖父姉が自身の祖父の名前を知らないから教えてやろうと思っただけなのに…
見てはいけないものを見てしまったんじゃなかろうか…
620 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 03:10:20
「親父と爺さん」
で何故、母方になるのだ?
母系マニアじゃないけど全部取れる分は取ってるけどなあ・・・・。
あまり取らないもんなの?
逆に10万くらいで(戸籍でわかる)全系統の先祖について分かるなら安い気がしたんだが。
家系図というより競馬の血統書に近いものが作れるよ。
622 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 00:49:25
ご先祖の戸籍が遠方な人は大変だね。
私の場合は隣県だが車で1,5時間ほどで行けるし楽な方かも
それに今でも父母と同じ本籍地に登録しているから里帰りしたついでに
市役所に出向いている
父方の親族は結構知っているんだけど、母方は知らないのがあった
その面では母方の戸籍謄本を取って良かったと思っている
623 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 06:10:49
>>620 普通は自身の家系の親と祖父母くらい戸籍見るまでもなく把握してるからだろ。
自身や父、祖父の母系なんて系図的にはどうでもいいしな。
そこまで辿って先祖が武士とかいうのもキモいし。
だけど戸籍見るのが楽しくてついつい…
まぁ跡継ぎがいなくて俺の墓守継承が確定した合計三家だけだが。
俺の計画性の無さが血筋のせいなのは間違いないなw
>>621 母の実家の中興の祖の5×5クロスが作りたくて再従姉妹と付き合ってた時期が俺にもありました。
624 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 03:56:18
1,5wwwww
625 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 04:03:12
やっぱ先祖マニアって確実に頭イカレてるな
まあそれは否めないなw
朝から、日本人のふりをした変なのが来てるね。
日本人じゃないのに、日本人のふりして、なんでここにくるんだ?
密入国者は要らないんだよ。半島に帰れ。
628 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 08:38:55
俺はこのスレ住人だけど、頭いかれてると思うよ
リア充や普通の人はやらないってw
630 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 14:07:56
先祖、語るのに日本人に限定とは狭量な!!
みなさん、先祖探しで辛い、悲しい、嫌な思いをした事はありますか?
>>631 あるあるww
それはそれは醜い扱いだったよ。
こんな奴らと血が繋がってるのかとオモタよorz
何があったか知らないけどガンバレ!
ないほうがおかしいだろw
つきあいのない人から突然先祖の話聞きたがられるって、気持ちいいもんじゃないと思うしね
>>631 お坊さんは聖人だと勝手にイメージして相談持ちかけたら
面倒くさそうにあしらわれたとき悲しかった・・・・。
先祖供養したいからって言ってるのに話くらいきいてホスィ・・・。
635 :
日本@名無史さん:2008/11/09(日) 11:26:09
やはり普段の付き合いかも。
隣県なんだけど両親の墓参を兼ねて1〜2ヶ月に一度は出向き
寺にもお参りをして住職が不在の時は坊守さんと話をしている。
それで地元の情報なんかも聞けたりもするし。
両親の祥月命日とお盆には毎年3時間掛けて自宅までお経挙げに来てくれるし
住職との付き合いも面白いかも。お布施もかかるけどね。
>>631 一度疑われると、何を言っても信じてもらえない。
手紙出して、返事が着たから、電話して、
電車とバスを乗り継いで、3時間かけていったのに、
最初から、明らかに疑いの目で、追い出されるように帰った。
お茶の一杯も出なかったヨ。
じゃあ、最初から断ってくれよ・・・
悔しくて悲しくて、もう泣きたくなった(家に帰ってからチョット泣いたw)。
でも、
>>633の言うことも、もっともだと思う。
中には、親切な人もいるんだけどね。
先祖や供養に興味がない
近い先祖にいろいろあって、遠い親戚と名乗る人などに知られたくない
まあ、このあたりだとまずアウト
>>631 歴史や社会の話題も話す親友に、当方の調査の進展を嬉々として報告してた
その話題自体は、楽しく乗ってきてくれて、いろいろ歴史的背景を教えてもらったりもした
でも「取れる内に取った方がいいよ、80年経つと捨てられちゃうよ」と言っても、親友は調査しようとしなかった
親友が今は日本国籍だけど、帰化した家系だと知ったのは、ずっと後のことでした
みんながみんな、古い戸籍持ってるわけじゃないんだね
調査をすすめること自体が、その人を傷つけることもあると知ったほろ苦い思い出です
639 :
日本@名無史さん:2008/11/10(月) 03:34:32
>>638 本当の話としても、上手すぎる。
一杯の掛け蕎麦 思い出した。
640 :
日本@名無史さん:2008/11/10(月) 09:12:01
確かに気持ちは分かるが、在日が悪さばかりしてるのも事実。総連自体が悪の華でもあるのに。感情論ではもう国の示しがつかないんですよ現実に。
竹島どころか対馬まで朝鮮はまた問題おこし始めたろ。いいか、在に邦人名与えてる国なんて日本くらいだろ。 間違えてる。
いいか。また二千年前 大和朝廷たる朝鮮人が日本を占領したが、現代も同じくらい危機に瀕してるんですよ。
マフィアやパチンコ経営者、総会屋などは今や七割が在日系と書籍に掲載されてる。
感情論だけじゃ国はつぶれんだよ
福沢も特亜とは関わるなといってた真の理由が今更ながらよくわかるよ
641 :
日本@名無史さん:2008/11/10(月) 11:10:24
2ch脳の嫌韓厨か・・・このスレには場違いだな。
642 :
日本@名無史さん:2008/11/10(月) 12:01:57
いや、嫌韓ではなく事実としてです。
在日朝鮮学校の進路調べてみてくださいよ
643 :
日本@名無史さん:2008/11/10(月) 12:03:39
じゃあ 竹島のみならず、韓国は対馬に今なにしてるかしってますか?あなたは友好的でも在日、本国朝鮮は違うんですよ
言っちゃなんだが、俺だって
同姓ならまだともかく、名字の違う知らない奴が「親戚でござい」 と
イキナリ訪ねてきても絶対追い返すよ。
同姓だとしても、はっきり身元がわかるまでは
まともに対応はしないし、できないって普通。
普通は、手紙の中に除籍謄本のコピーや自作の家系図を同封して、手紙の送付先との繋がりを証明するでしょうね。
そういう手間をかけず、手紙だけ送っても信用されませんが。
>>631 オレも辛く悲しい悔しい思いをした事はある。
それにしても、
>>639の書き込み時間は、
早起きなのか、夜更かしなのか、どっちだ?
よく先祖探しサイトにある、「ある町にすんでる同姓者全員に手紙を書く」を実行した
方いらっしゃいますか?
もしいらっしゃったら回答率とかどんな感じの回答だったかとか
感触を知りたいです。
同姓の住所自体は、役場に行って住民票閲覧を申し出れば可能みたいだと
いうことまでは分かったのですが。。。
ちょっぴりやってみたいけど勇気がたりないでつ。
住民票閲覧って個人情報云々で一般人は出来ないと思うよ
それに町で一般的な苗字なら百件単位にならないか
649 :
日本@名無史さん:2008/11/11(火) 14:03:50
同姓の住所自体は地元の電話帳を見れば役場に行くこともないし
それよりも>639の云う通り無理
650 :
日本@名無史さん:2008/11/11(火) 14:06:01
訂正
それよりも>639の云う通り無理→>648
651 :
日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:01:43
先祖なのにその人の情報(戒名等)が過去帳にない場合はありますか? 直系じゃない養子とか
652 :
日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:12:26
>>651 戸籍上、曾祖父に養子がいるんだが亡くなった後に離縁となっている
墓は当家にあるんだけど建立した人は養子の実家
過去帖に載っておらず
>>648 あら、平成18年から法律変わったんですね。
検索して今頃知った・・・。
昔は誰でもお金払えば見れたのにナァ。
10年前に役所で仕事したけど、当時も普通には見れなかったよ
一般人が見るためには許可書が必要で、許可されても閲覧は勤務時間内だけ
昼食時や休憩時間は鍵のある書庫に入れなきゃ駄目だった
もちろんコピーも厳禁
地方で少人数の職員のことだと、なあなあで閲覧できちゃう所もあるかもしれないけどね
×職員のこと
○職員のとこ
寝よう・・・
調査を通じて初めて知り合いになった遠縁の親戚(高祖父が婿に来る前の実家) の好き者じいさん(故人)が
傍系の詳細を含む非常に広大な系図を作ってた
びっくりして、どうやって作ったのか家族の人に聞いたら「じいさんが役場にせっせと通って・・・」と言ってた(笑)
いつ頃の話か分からないけど、ド田舎役場のことなので、傍系の戸籍もなあなあで見れたんでしょうね
曾祖父の代で付き合いの途絶えてたはずのうちも、本家の伯父の名前までばっちり把握されてました^^v
658 :
日本@名無史さん:2008/11/12(水) 23:55:56
お宅の先祖は実は凄いんですよ詐欺
をやれば結構儲かるんじゃね?
区の郷土史で勝手に研究されていた…
700年ほど前の先祖の米の受取状が他県にあった。
よくそんなもの見つけたもんだ。
市町村史も見たほうがいいぞ。
庄屋クラスなら年貢や税のやり取りがあるので、
そういう方面から意外なことがわかる。
700年前の領収書が出てきたようなもんだけどね。
うちの家系なんて郷土史が改正される度に徐々に抹殺されてるよ。
本家が田舎を捨てて街へ出ていって以来、町長が捏造しまくってる。
町長の家も名家なのだが目の上のタンコブが二つ。その一つがうちの家系。
奈良に現存する超旧家の総本家に言い付けてやろうと思ってる。
661 :
日本@名無史さん:2008/11/13(木) 11:26:27
>>660そんなもんだよ。大体金のある本家は教育の為に東京に出しちゃって残ってるのは
分家なんだが、なんちゃって本家名乗ってたり・・・
成金が有名人の子孫を自称始めたり・・・
角川書店から出されている県別の姓氏歴史人物大辞典が中立的に書いてあるみたい。
村役人やった家なら載ってるから調べて見たら?まだ、出ていない県もあるけど
662 :
日本@名無史さん:2008/11/13(木) 11:51:16
>>660 自分が思ってる以上にちんけな家系だからそうなるW自覚しろW
漏れも父方の苗字は差別問題に多い苗字で有ることが判りますた。
何か先祖解明に手がかりは有るのでしょうか?。
664 :
日本@名無史さん:2008/11/13(木) 23:38:34
>>663 逆に、郷土史などではあえて黙殺されてそうな気が・・・・
差別の歴史を専門に扱ってる郷土史家の方と仲良くなれたら
いいのかもしれませんが・・・。
665 :
日本@名無史さん:2008/11/13(木) 23:48:36
調べてB系とわかったら わからない方がいい現実というのがあるとおもいますよ。
>>659 庄屋制度って700年前にはまだないんじゃ・・・
>>660 俺も町史を見たら成金家が不自然に扱いが大きかった
町史というよりその成金家マンセー史みたいな記述が多々あって、変だなと郷土史家に聞いてみたら
昔ショボくて今隆盛を誇ってる家が、1を1000にして町史に書かせてて
昔栄華を誇ってても落ちぶれたところは10000が1程度に書かれてるそうだ
寄付金って強いと思ったよ
なので市町村史はあんまあてにならない
残ってるなら古い市町村史にも目を通した方がいいね
古文書や神社仏閣の文献等を当たった方が、正しく辿れるかと思う
別に祖先が部落民であろうがなかろうが関係ないじゃない。
どうしてそんなことが気になるのかな。
もし周囲の人たちが差別しかねないならそういうアホ共には言わなければいいだけのこと。
信頼している人にだって必要もないのに言うこともないし。
結果が怖くて調べないなんていうのはホントもったいないと思うよ。
>>663や
>>665は口調からして差別したがる人たちじゃないのは十分想像つく。
だからそれとは関係なく書いているんだけど、2chって部落だ在日だって他人をばかにする人が多すぎる。
壬申戸籍つながりで、部落でググったら、2chが出てくるわ出てくるわ。誹謗ばっかり。
びっくりした。
少数の人がそこら中のスレで書いているのかな。
実際には
>>631みたいな感覚をもつマトモな人が大部分なんだろうに。
>>663 苗字といっても九州ではB苗字に多い姓だけど北陸では殿様苗字
四国で殿様苗字だけど中部だとBに多い苗字
とかで苗字で出自は辿れないんで一応
菩提寺と戒名は専用だったり特徴があったらしいから、その辺りから調べてもいいかもね
>>668 生まれ育ったところで温度差があるからね
地方へ行くと家の歴史や先祖で縁談が違う、男尊女卑、村社会ってのを思い知るよ
まあ歴史のある地方にはそういうのは旧態依然として残ってると、鷹揚に思っておきなさいな
つか他人のことだし、差別されてる側でもしてる側でもないなら、どうでもいいことだと思うけどね
Bの先祖は知らない方がいいかもってのは、ヒニンだと近い先祖に犯罪者が出てくる可能性があるからね
人殺しや犯罪者が先祖にいるってのは、正直あんま気持ちいいもんじゃない
まあ大名武家公家等有力家の先祖は、直接・間接的に人殺しなんだけどねw
まだ調べ初めの頃。
出身の村が河川に隣接してたんで、穢多階級出身の可能性もあるなと思って
穢多関係のほうを少し調べてみたんだけど、今まで持ってたイメージとはちょっと違ってて
「それならそれで別にいいや、むしろ調べがいがあるかも」
と思うに至った事が。
まぁ結局、違ったんだけど、調べてみると結構興味深いよ。
>>447様 見ていますか?。
貴方が紹介して頂いたMAP FANでお尋ねしたい件が有ります。
レスして下さい。
674 :
日本@名無史さん:2008/11/15(土) 02:01:17
戒名なんだけど高祖父以前の江戸、明治は居士なのに
曽祖父以降は信士になってる。どうして?
676 :
日本@名無史さん:2008/11/15(土) 02:39:57
戒名の料金の違い
677 :
447:2008/11/15(土) 03:14:26
はい。夜更かしです。何でしょう?
678 :
Pure Audio香具師:2008/11/15(土) 05:55:56
>>674 貧乏になって居士号が買えなくなくなったから下位の信士号にしたってこと
戒名の変遷は家のその時代の経済状況を正直に語ってて面白いよ
680 :
日本@名無史さん:2008/11/15(土) 09:47:43
やっぱりそうか
何時の世も金次第ってヤツか
681 :
日本@名無史さん:2008/11/15(土) 09:48:16
宗派が変わったのでは?
682 :
日本@名無史さん:2008/11/15(土) 12:31:50
>>679寺によるのかな?ウチの寺じゃ先祖がたくさんお布施した家は一応院居士
付けるけど。
683 :
447:2008/11/15(土) 12:42:44
>>663 嫌です。あなたにはコリゴリです。私を呼ばないでください
684 :
447:2008/11/15(土) 12:43:46
685 :
善七:2008/11/15(土) 12:57:04
>>672 確かに河川沿岸にBは多いといわれています。が、特に利根川流域には確かに多い。埼玉と栃木の県境は多いようですが、それと同時に大庄屋や庄屋なる名門家も多数存在してるようですね。
話は変わりますが、Bだからと卑屈になることなんかないのは私も賛成です。しかしあなた方のような歴史を深く知っている人間ならばやはり江戸期の待遇見れば卑屈になる可能性もありますよね
また、仮に部落でなくても、小作人等で地域では差別を受けていたのは事実。さらに非人かえたかという違いも、地域では生い立ち関係なく差別が根強く残ってます。
みなさんは砂の器という映画知ってますか?
686 :
善七:2008/11/15(土) 13:16:32
みなさん 砂の器という映画しってますか?最近中居正広がリメイクで主演しましたが、オリジナルは加藤剛と丹波哲郎が四十年くらい前に松本清張原作で映画課されました。
内容は明治時代で、元部落民であり、またハンセン病【大名大谷も関ヶ原時なっていたといわれる顔が溶ける病気で太古よりいみ嫌われていた】の患者であった親子。
村八分にされ、村から追い出され日本中を転々とする。宿なしと言うことで、立ち寄る村村でも差別をうけ、結果警察官にBであるハンセン病患者というだけで強制収容所へ送られる。
その途中その父は死に、主人公であるその子供は逃げるように東京へ。時代は昭和になりその子は四十代後半。音楽家として成功を収め、名前や出生まで偽造していた。
さらなる成功でテレビや雑誌にのるようになった主人公。その顔を見た昔の村人村民が、名前も出生も変わっている有名になった主人公の元に半信半疑で訪ねてくる。
主人公にとって名前まで変え、消したはずの過去をむしかえそうとする村人に事態は一変する。主人公は過去をむしかえそうとする村人によって自分の出自血統がばれるのを恐れ殺してしまう。
警察官の丹波哲郎はこの事件を追う内に、この主人公に目星を付ける。しかし動機が全くわからない。大成功収め、富豪の主人公が殺す理由が。
そこで丹波哲郎はこの主人公の出生をさぐるうち、地方や地域に根ずよく残る、凄まじいまでのB差別と、ハンセン病患者差別という事実が横たわっていた事を知る・・・
これは松本清張が実話を元に小説化した映画。
これを見たとき吐き気がしました。 やはりそんなに甘くないと思います。同和の問題は。
簡単だなんて思っている人はまずいないでしょう。
何が言いたいのかがよくわからないんですが、
「やはり甘くない」だけで終わってちゃ始まらないでしょ?
それよりも、あなたのハンセン病の説明こそ不適切だと思うんですけど。
それと、部落のことをBと呼ぶこと自体も差別を助長するものなのでは?。
それはそれとして、壬申戸籍を問題なく公開する方法はないものでしょうかね?
戒名は宗派や地域によってランク付けが異なる。
その上、時代によって流行廃りまである。
最後は、地獄の沙汰は金次第。
689 :
善七:2008/11/15(土) 14:31:16
>>686の続き
補足です。確かこの主人公の父は強制収容されても生きていたんですよね。それでその主人公は、子供の時代にあまりの部落差別と父親の病気の差別に耐えかね、父から逃げるように父の元を去る。
しかしその主人公にとっては、村人から部落民というだけで石を投げられたり唾はかれたり、暴力を振るわれても、父が自分の縦となって常に守ってくれた存在。
しかしその父の病気と家柄のせいで自分は永遠に呪縛とトラウマと差別から逃げることはできなかった。
父を愛している。だけど父と呼びたくない、かかわり合いたくない・・
結果、この主人公は名前も出生も偽装しながら音楽家として成功した。
その時訪ねてきた昔の自分を知る村人にあい、また過去の呪縛にとらわれはじめ、結果殺してしまう。
警察官の丹波に事件の真相を暴かれていく内に、父がハンセン病療養所で生きていることを知る。自分を部落民として病人の子として生んだ父が憎い。
だけど愛している。この葛藤の中、主人公は会いに行く。病気の後遺症で顔が崩れた父を前にして、彼は泣きながら自分の犯した過ちと、父の憎しみへの後悔が吹き上げる。
父はただただ、その主人公である自分の子に誤る。自分の出自と病気で自分の子供に敷いた凄まじいまでの差別との葛藤に。
主人公は四十年ぶりにお父さんと呼び、主人公も謝りながら抱き合う。
その夜 主人公であるこの子は、東京に戻り、過去の凄まじいまでの差別を走馬灯のように思い返しながら、差別のつらさではなく、差別から必死に守ろうとした父の在りし日の姿を思い出しながら自殺する・ ・
事実をもとにした映画です 涙が止まらなかった
690 :
日本@名無史さん:2008/11/15(土) 15:17:24
なんだよ、小説に酔って話をしたかっただけかwww
>>688 時代による流行廃りは初耳です
原典を教えていただけますか
692 :
日本@名無史さん:2008/11/15(土) 15:36:01
小説ではなく松本清張が実話を元に作った小説です
大伯父に変わった人がいて、お寺の過去帳から調べた系図が既に
あります。16代前までは遡れます。
初代の人は戦国末期に滋賀(岐阜?)の辺りから佐々木という人について
尾張に来ているらしいです。さすがにそれ以前はわかりません。
この初代の人については名前もわかるのですが、彼について調べる方法は
何かあるのでしょうか?
>>693 滋賀か岐阜の当時の文献を手当たり次第に見てみるとか
696 :
善七:2008/11/15(土) 18:01:49
>>687 部落をBって書くのは差別助長も糞もなく、ただの2ちゃん語だよ
>>667 郷土史の本ってそういうものなのですね。
俺の先祖の土地の郷土史は古代〜室町が詳しく
戦国〜江戸はあまりぱっとしなくて、
明治以降は士族とか地元の大資産家だった人のこと
ばかりが詳しい気がしてました。
699 :
447:2008/11/16(日) 03:27:33
700 :
447:2008/11/16(日) 03:42:36
「子孫とおぼしき家」と言いました、 ×
「子孫とおぼしき家」と言いましたが、 ○
701 :
日本@名無史さん:2008/11/16(日) 04:25:44
>>686>>689 誤字の指摘
>>686 1行目 映画課 → 映画化
下から3行目 根ずよく → 根づよく
>>688 3行目 縦 → 盾
下から4行目 誤る → 謝る
同行 敷いた → 強いた
(他に、誤字じゃないけど、意味がおかしい or 分かりにくい箇所もある)
思ったよりも少なかったね。
誤字の印象があまりに強かったからもっと多いと思った。
せっかくの対策が題なしになるから、五時には気お着けてwww
あんな糞長文レス、1行目で読むのやめてるから
誤字指摘しなくても無問題
703 :
日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:58:01
地番と住居表示を対比させる方法を一つ
1)居住県内の場合
県立図書館などで、ブルーマップと住宅地図を対比させて調べる
2)遠隔地の場合
遠隔地の県立図書館などで、地番が住居表示でどこになるかレファレンスを依頼する。
ブルーマップと住宅地図を比較して調べることができる。
その後、該当の住居表示の場所の住宅地図の複写を依頼して入手する。
以上。
このほか、法務局で旧土地台帳を入手(郵送依頼で簡単に入手)してみると、これまた意外な情報がわかったりします。
>>447様
遅く成りましたが
丁寧な御説明有難う御座居ます。
遠隔地は、この方法で調べてから現地に行って調べることに致します。
705 :
447:2008/11/17(月) 02:41:28
>>704様
どういたしまして。航空写真では、近くに墓地も見えるので、将来の現地調査実り多いものとなることを念じます。
>>683-684 あなたの幼稚な悪戯は、私と704様に不愉快な思いをさせただけでなく、ご自身をも哀れな思いにさせたことだと思います。日本人なら恥を知って下さい。
ホロン部なら仕方がないですが。
>>668>>670 地方ではつい最近まで同格の家柄同士で縁組してました。
だから、地方の上流階級の人間ほど農民の血が流れていません。
先祖代々栄養状態がいい私の一族は、品種改良が進んでいる状態です。
身内はみな高学歴かつ高知能指数です。はっきり言って別次元です。
もちろんご先祖様は貴族や武士や神官などで、やんごとありません。
一流品に囲まれて育つので目も耳も舌も肥えまくってしまいます。
同級生の親は演歌で唸りますが、うちは祖父母がクラシック音楽を奏でます。
結婚するなら上流階級の相手しか考えられません。感覚が違いすぎます。
キチガイ扱いされそうですが、真の上流階級とはこういうものです。
意外と差別意識はありません。見下すという感覚は全くありません。
周囲が低いのではなく我々が高過ぎるのです。普通の人達は普通だと思います。
友人の中には在日も部落出身者もいますが私は普通に付き合っています。
上流階級から見れば一般大衆も被差別階級も同じ庶民に過ぎません。
差別とは一般大衆が相対的に優位に立つ為のシステムなのでしょう。
絶対的上位に生まれた人間には関係のないこと。実にナンセンスです。
707 :
668:2008/11/17(月) 09:05:16
それは実にけっこうなことでございます。
私のような下賎な者は、うらやましさを抑え切れません。
また私の無知な投稿により不愉快な御感情を抱かれたかもしれませんが、
どうぞご容赦くださいますようお願い申し上げます。
>>706様のようなやんごとなき御方は、
庶民とは交わらずにお暮らしになられたほうがよろしいかと存じます。
高貴な御心が穢れてしまわれては日本国民全体にとっての損失となりましょう。
2ちゃんねるのような処にもお出入りなさらない方がよろしいのではございませんか。
感覚が違いすぎるように拝見いたしますので。
並々ならぬ御努力で私共下々の者の程度に合わせようとしてくださるお気持ちを
想像いたしますと、実に感涙に耐えません。
しかしながら、
「はっきり言って」「ご先祖様」「肥えまくってしまいます」「在日」等々
真の上流階級の方にはそぐわぬ下品な言い回しに染まり始めておいでとお見受けいたし
誠に残念なことと、僭越ながらご忠告申し上げる次第でございます。
708 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 09:15:44
部落解放同盟から徹底マークされてる人が紛れ込んでるようですな
709 :
668:2008/11/17(月) 09:24:33
>>697 何言ってるの?
2ちゃん語と誹謗語は別カテゴリーだよ。
だから両立も有り得る。
2ちゃんという傘に守られてると思ってるのかな。
他の人たちも使ってるから自分もいいなんていうのは主体性がなさすぎ。
もっとも、Bという言い方が差別的だと気づかなかったのなら
非難するのもかわいそうかも。
(部落出身の人たちが辛い思いをしているとしたらもっとかわいそうだけど)
発言の趣旨が不明瞭なレスをしてくれた人には返事しないでおく。
同じような返事が来るような気がするんだもの。
家系を辿ることと、差別の問題とは切っても切れない関係にあるようだけど、
一応、ここは差別問題のスレじゃないし、建設的なレスがなければもうお仕舞いにするね。
710 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 09:36:51
>>706 結婚は上流階級以外あり得ないといってるじゃんw
それから江戸時代の武士の八割は戦国期まで農民だよ。そんなこともしらないのか?
>>709 なんでそんな必死なの?
自分が差別する側でもされる側でもないならどうでもいいことじゃん
そういう流れにしたくて、1人で煽り煽られをやってんだから放っておけよ。
>>709 今、辛い思いをしてる人はまずいないかと
なぜなら転居してしまえばわからないし、親が子に伝えなければ忘れ去られ
歴史に葬られているから
現代、部落だ差別だと声の大きい人は人権ゴロという連中
働かず国家にたかり、月に何十万も不労所得を得ている893です
昔部落地帯に指定された場所にいた人は今はほとんど移動し、人権ゴロという連中が移り住んで
国から法外な補助金をもらっています
奈良の外車公務員の例とか、ニュースでやってたでしょう
部落はさておき
調査してみたら先祖が日本国籍(内地人)じゃなかった、とかいう人はいるのかな
>>712 ああ、差別されなきゃ困る人かw
マッチポンプ得意技だもんな
おk。放置放置
716 :
668:2008/11/17(月) 12:23:09
>>712 つうか、ああ書けばレス来ないと思ったんだよw
まだあんまり2ch通じゃないんだ。
>>711 ま、必死というより嫌悪感だな。
自分に関係なければいいと平気で公言する事に対してもね。
どうして必死に見えたんだろう。マジに書いたからかな。
>>708,
>>710 あれって釣りじゃん
717 :
668:2008/11/17(月) 12:25:15
>>713 えーっ、あの人たちって893屋さんだったんだ・・・
被害者意識を隠れ蓑に私腹を肥やす人たちが一部の部落出身者にいるんだと思ってた。
留守が多くてニュースに疎いんだ。
実際の話、犯罪とかでなく主張の行き過ぎる人もいるだろうけど、そうでない人たちの方がずっと多いんじゃない。
「歴史に葬られ」るように祈りながらびくびくするとしたらそれって不幸じゃないの。
昔部落出身の恋人がいたけれど家族の反対で諦めたっていう知人に会ったことがあるよ。だからもう何年か前の話なんだろうけど。今だってあると思う。
たまたま部落出身者のことを書いたけど、外国人だろうが、士農工商だろうが、華士族平民だろうが同じこと。
先祖探しに夢中だなんて人に言うと、なんだか冷たい返事がかえってくることがある。
どうしてか不思議だったけど、他スレ読んでてて解ってきた。家系で優劣を判断しようとする人がいまだに多いからなんだ。
・・・またけっこうマジんなっちゃったよwww
うちは母方がまだそんなに前まで辿ってないから必ずしも部落民や非人の先祖がいないとも限らないよ。外国人もね。
だから?って感じであんまり気にならないな。
718 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 12:40:43
>>717 家柄で人を判断してるのは2ちゃんの歴史ヲタだからじゃない?w確かに地方は家柄をみて結婚話はいまだにあるよ。だが出自血統マニアは歴史ヲタ特有のくせだからw まー俺もその人りかもしれないが。
でも君みたいに仮に部落民だとしてもそれにコンプレックスもたず、生んでくれたことにありがとうなんて明るく返されたら、部落問題なんて軽減しそうだね
やっぱそんな甘くないのか?確かに地方は元大名家はいまだに殿様と呼ばれているし、秋田市長のようにいまだに藩主一族が力を持つ地域は難しいそうだけどね
>>717 自分の勉強不足を「疎い」の一言ですませ、他人を批判するのってどうなんだろうね
まあ君は人権問題板へ行くといいよ
君が大好きな話題でいっぱいだから、一生楽しく遊べると思う
>>716 俺が部落の末裔ならそっとしておいてほしい、このまま風化の一途を辿ればいいと思うが
お前みたいに 差 別 は い け な い こ と !!
感 心 が な い 人 も 考 え て !!
って叫んでる奴のが、よっぽど差別してると感じるし邪魔だわ
感心がないものは風化する。それでいいじゃん
一部の利権で食ってる人は、感心がなくなって差別もなくなると困るようだけどね
留守が多くて忙しそうなわりに連日貼りついてるようだから、よっぽど差別問題が好きなんだろう
つべでもニコでもニュースあるだろうから見ておいでよ
あと、2ちゃんに詳しくないなら半年ROMって消えろ
>>709 2ちゃん通じゃないのにBの意味をよく事細かく知ってるんだな。
なんだかすごい確信もあるみたいだけど、2ちゃんに疎い人がマイナーな語句の意味までご存じとは。
お前のいう意味が合ってるのかどうか知らんが、俺は普通に略語として使ってたし他意はない。
kwsk、kskみたいな感覚だ。
かわいそう、かわいそうって上から目線のが、よっぽど差別してることに気づけるといいなw
お前ら釣られるなってのに
スルーしとけよ
部落民の発祥は
1.犯罪者の子弟
2.落武者の子弟
3.外国人
4.捨て子
5.逃げた農民
こんなとこかな?
724 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 21:08:41
エタの発祥は奴隷、牛馬の死体処理
>>703 ブルーマップって、都会の方にしか無いんですね・・・?
ワクテカして前輪のHP見て、その後しょんぼりしますた・・・。
ブルーマップとは?教えていただけたら幸い
ブルーマップ・・・簡単にいえば住宅地図に地番が落とし込まれてる地図らしい。
検索したらサンプル画像付きで出てくるよ。
アリガトス
田舎の上流階級ってどんなん?
イメージわかない
730 :
447:2008/11/18(火) 03:06:52
>>726 法務局行けば、パソコンでも見られるよ。
731 :
447:2008/11/18(火) 03:07:32
>>726 法務局行けば、パソコンの端末でも見られるよ。
732 :
日本@名無史さん:2008/11/18(火) 04:54:25
>>729 市長とか議員に代々なってる家は古くからの地元の有力家ってパターンが多い
(除く公明党)
田舎と言っても大都市の上流階級との結びつきも結構あるんで侮れない
分限帳はどこに行けばあるのでしょうか?
>>735 図書館で聞けば見せていただけるものなんですか?
藩によっては書籍化されてるから、そういうのは図書館で読める。
ちなみに「分限帳」と一口に言っても、藩ごとに微妙に呼び方が違うので
まずそれを調べないといけない。
次は「どうやって調べるんですか?」
その次は「図書館へはどう行けばいいですか?」
と来るぞ
どうやって調べるんですか?
足を使って調べるのが調査の基本だ。
図書館へはどうやっていくんですか?
西の空に明けの明星が輝く頃、一つの光が宇宙へ飛んで行く
その方向を目指すんだ。
漏れの祖父の先祖は庄屋出身で何故か武士に成れますた。
今日、町の書店で祖父の出身県の「福岡県分限帳集大成」なる約24000円で
880ページの本が福岡県の出版社から出ているのを偶然ハケ〜ンしますた。
書店で880ページの本を隅々まで立ち読みで調べる訳には逝きません。
図書館に有るか?どうか探してみる予定ですが
分限帳と言えば藩の職員名簿でしょ?
藩士で有れば必ず記載されているのでしょうか?。
>743
つか、下級武士と庄屋っつぅのは、同根なんだよ。
豊臣時代に、武士を土地から切り離す政策があって、
土地を離れたのが武士、残留したのが庄屋になった。
(一部地域では、戦国中期から庄屋が存在する)
近年の研究じゃ、庄屋と町民(いずれも、小地域の支配階級に相当する)は、庶民とは異なる身分で、
下級武士のすぐ下に位置していた。
>>743 その本を国会図書館サイトで検索したら「福岡藩分限帳集成」という名前で
国立国会図書館
北海道立図書館
茨城県立図書館
埼玉県立熊谷図書館
東京都立中央図書館
横浜市中央図書館
岡山県立図書館
福岡県立図書館
福岡市総合図書館
長崎県立長崎図書館
熊本県立図書館
大分県立図書館
が所蔵してるらしいですよ。近所の図書館から相互貸借を申し込んでみたら?
あと、福岡県立図書館が「黒田藩分限帳」ってのを
所蔵してるみたいです。
ちなみに嘉永三年編らしいのでかなり幕末のやつですが。
748 :
668:2008/11/19(水) 09:15:19
>>718 どうもありがとう。
あなたのレスがなかったら今の日本に対してもっと悲観的になっていたよ。
出自血統マニアという自覚はないけど、
先祖探しやってるぐらいだから家系には興味あるよ。
(先祖に関係ありそうな人や先祖の悪業?には贔屓目になってるしw)
それに歴史を知るのに不可欠な支配者の系図もね。
だけど、そういったことを直ちに人間の優劣に結びつけて
強者に靡き弱者を蔑視する人たちをみると
一体歴史に何を学んでいるのかな、と思うわけ。
749 :
668:2008/11/19(水) 09:16:52
>>718 >生んでくれたことにありがとう
検索中、先祖らしき人が明治初頭頃に日雇い労働者として載っていたのを
見たことがあるんだ。初めは驚いたんだけど、すぐにね、
「大変な時代だったからなあ。家族を守るためにこんな辛い労働までしたのか」
と思えてきたんだ。勝手に自分の父親とダブらせて
「そういえば病気になったとき、必至な形相で病院に連れて行ってくれたっけ」
なんてことも思い出して。かなり感動した。
もっとも、よくみたら全く関係ない人だったんだけど。文書の読み違いだった・・・恥
>>672の人も書いていたけど、
もし先祖が部落民とか記されていたら、どんな風に生きていたんだろうとか
きっと、いろいろ知りたくなると思う。先祖探しに夢中になっていると
どんな先祖にも意味なく愛着が湧いてしまうんだ。
実際のとこ、会ったこともないほとんど他人なんだけどなw
750 :
668:2008/11/19(水) 09:39:40
>>744 自信がないんで50%位の確率と思ってほしいんだけど。
11月じゃなくて6月だと思う。
明治21年6月25日当村五の五〇番地ノ甲第一へ××分家
にみえる。
××のところは、
上の文字が願、下の文字が跡のように見えるんだけど・・・
「願跡分家」だと変かな?
いつまで数字コテつけとくつもりだろう
あぼーんしてってことなら喜んでするけど
横レス、
オレも末尾は「願跡分家」にしか見えないが、
数字は「五0六」または「五0二0」のような気がする。
五の下は「の」ではないと思うんだ。
ほかは難しい字なんか無いよな。相続とか退隠(?)だって、普通だし。
753 :
日本@名無史さん:2008/11/19(水) 18:24:51
>>745失礼な庄屋と下級武士が同根なわけないべ。中級以上だよ
江戸期の下級は戦国期の足軽と違って雑用よ
754 :
日本@名無史さん:2008/11/19(水) 20:18:43
>>744 はっきり見えないけど「願済」という記載は見たことがある。それかも
755 :
754:2008/11/19(水) 20:29:30
>>746様 感謝致します。
庄屋出身で武士に成った漏れの先祖の記述は下記です。
「故有って妻子を連れて家を出て、生母の家の近くに住み、皮笠を縫い
習って生計を立てた。次に久留米古賀に移り、傘張りなどをやっていたが
後に質業、刃物商に転じ、寺社奉行の手代となり、天保12年御徒士並に成った。」
757 :
日本@名無史さん:2008/11/19(水) 21:08:44
>>744 「当村五十六番地ノ甲第一へ願済分家(印)」です。
それと「明治廿一年六月廿五日」です。11月ではありません。
758 :
日本@名無史さん:2008/11/19(水) 23:29:31
>>756 ん?久留米に住んでから武士になったんですか?
じゃあ福岡藩の分限帖関係なかった・・・・くだらんもの紹介してスマソ。
>>758 「福岡県分限帳集大成」って福岡県に有った藩(全部で幾つ有るか知らない)
全てが記載されているんじゃないのですか?。
760 :
744:2008/11/20(木) 00:49:51
皆様、ありがとうございました。
761 :
日本@名無史さん:2008/11/20(木) 06:15:37
初歩的な質問だけど、除籍謄本でどこの時代まで遡れるの? 文政とか無理?
762 :
日本@名無史さん:2008/11/20(木) 07:27:46
最古で明治19年式まで。長生きしていれば、1800年前後の生まれの人
更にその父母名までわかったりします。
旧土地台帳もあわせて取得することをおすすめします。取得方法などは自分で調べてね。
>761
たとえばうちは、文化14年(1817)生まれの方と、その嫁ぎ元が
書いてあって父の名前まで分かった。
除籍簿を保管してる地方自治体によっては、全員除籍後80年ですぐ
捨てちゃうとことそれ以上残してるとこがあって、どこまでたどれるか
は運によるかも。
764 :
日本@名無史さん:2008/11/20(木) 08:52:38
質問です。
ご先祖様は津軽藩士で、人名辞典等でも確定だけど、かなり下っぱだったらしい。
下っぱが家紋もらえませんよの?うちの家紋が津軽藩の家紋っておかしくないですか?
765 :
日本@名無史さん:2008/11/20(木) 13:05:16
生前の祖母が、「○○っていう人は家の親戚だったのよ」という言葉を思い出して
ネットで検索したら写真があったが、うちの家系じゃない顔立ちだった事から半信半疑だったけど
先日その兄弟の写真をみたら、祖父や大叔母、自分にも似ていたので、笑っちゃった。
高祖父の従兄弟という続柄だけど、遺伝って恐ろしいと思ったw
という事で、遠方を訪れる際は先祖の写真等を持って行くと、新たな発見も期待出来ると
思います。
766 :
日本@名無史さん:2008/11/21(金) 02:38:13
>>764 決して、おかしなことではありません。
そういうことも、十分あり得ます。
767 :
日本@名無史さん:2008/11/21(金) 06:23:16
>>764 そうですか、下っぱが家紋もらえるのか、ずっと疑問だったのです。てっきり昔、津軽藩士だったから家紋を津軽牡丹にしたよーって話だと思ってました。
768 :
744:2008/11/21(金) 18:03:27
たびたび恐れ入ります。
よく見たら分からない所があったのでまた質問させてください。
http://uproda.2ch-library.com/src/lib072581.jpg.shtml 嫁ぎ先の戸籍では、すゑさんは喜平次とみさの長女とあります。
嫁ぎ元の戸籍編成が婚姻より後のようで、すゑさんは載っていませんでしたが、
母のみささんは嘉永に留平さんと結婚しており、その後離婚とかしていません。
これは嫁ぎ先の戸籍編成時に原戸籍からの転記を間違えたと見て良いでしょうか。
留平さんご兄弟との子で認知されたとしたら、「子」扱いになる時代ですよね?
769 :
日本@名無史さん:2008/11/21(金) 19:58:25
嫁ぎ先の「祖母すえ」は、誰の「祖母」なんですか?
なんか第三者にはよくわかりません。略系図でも記して下さい。
770 :
744:2008/11/21(金) 22:46:57
>>769 書いてみました。
嫁ぎ元(松下家)
┌──┐ ┌──┐
|留平├┬┤みさ |
└──┘|└──┘
┌─┴────┐ ┌──┐
|傳三郎(戸主) ├─┤妻 |
└──────┘ └──┘
ここには、傳三郎の妹すゑの記述はありませんでした。
嫁ぎ先
┌──┐ ┌──┐
|清作├┬┤すゑ|父:松下喜平次 母:みさ
└──┘|└──┘
┌─┴┐ ┌──┐
|父 ├┬┤母 |
└──┘|└──┘
┌─┴┐
|戸主|
└──┘
この一つ前の「清作」が戸主の戸籍がありますが、
明治19年式のため父母の欄がありません。
771 :
日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:13:02
それで、留平と喜平次の関係は兄弟なんですか?
あなたの説明では、周辺の事情が全くよくわかりません。第三者にもわかるように
説明をお願いします。
772 :
744:2008/11/21(金) 23:53:01
戸籍だけを頼りにたどっているので、松下家はこの1枚だけが頼りです。
直系でたどれるのは喜平次×みさまでですが、嫁ぎ元の戸籍に喜平次の名前は
ありません。名字は同じですが留平と喜平次の関係は(存在すら)分かりません。
分かっているのは、留平との婚姻後にすゑが生まれており、みさは再婚じゃないようです。
にもかかわらず、すゑには(1)傳三郎の父と違う父の名が書かれており
(2)長女とされています。
この記述が成立する条件として、(案1)「父の名を書き間違えた」と
(案2)「松本喜平次とみさの子で認知した。でもそうすると(2)がおかしくて
"子"(=>間違えました。"女"です)のはず?」を挙げました。
どちらが妥当と思われるか、または別の原因が推測されるのか、
ご相談している次第です。
# 今思いついた(案3)
# 「喜平次とみさ(同名の別人)の子がすゑで、傳三郎の籍に入れてから
# 嫁に出た。戸籍編成より前だから記録がない。」
>>772 C喜平次=留平 明治になって多くの人が改名してますよ。
774 :
日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:15:12
墓石は確認しましたか? 両松下家は元々親族なんですか?
江戸時代に生まれた人は、元服とか隠居とかを契機に普通に改名していたからね。
代々、当主の名前は世襲制だったりしてね。
自分が隠居したら、子供には自分が名乗っていた先途代々伝わる名前を譲ったりした。
いみな、あざなとか、同時に複数の名前を使い分けしていたりもしてたから、戸籍制度が
できたときは大変だった。名前をひとつだけに限定されて、憤慨する人も多かった。
国の徴税の都合で、名前をひとつだけにしろなんていう話は、暴挙以外の何物でもなかった。
一生の間に、何度も名前変わるの普通だったし。明治の中期くらいまで、その風習は残っていたね。
776 :
日本@名無史さん:2008/11/22(土) 03:01:15
777 :
744:2008/11/22(土) 08:23:55
>墓石
遠方のため、確認できていません。
>改名
それは盲点でした。留平が分家した先を読んで頂きましたので、
明治31年式が残っていて詳細が書かれていることを期待して
もう一度郵送で請求してみます。ありがとうございます。
778 :
日本@名無史さん:2008/11/22(土) 12:52:32
該当番地の旧土地台帳も入手してみてください。郵送請求で手数料無料です。
返信封筒を同封して、その地方の法務局へ請求して下さい。
なにかヒントがあるかもしれませんよ。
779 :
日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:39:34
>>767 「てっきり昔、津軽藩士だったから家紋を津軽牡丹にしたよーって話」
の方が、決して、おかしなことではありません。
そういうことも、十分あり得ます。
780 :
日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:41:10
その家紋がいつから使われたのか調べないの?
それがわからないとどうしようもないよ
781 :
日本@名無史さん:2008/11/25(火) 04:06:58
終了してるじゃねえか
落札価格を見せたかったんじゃね?
ちなみに。
壬申戸籍は、部落関係情報が丸ごと載ってるからってんで、
役所に問い合わせても見せてもらえないらしい。
781リンク先の落札者、入札者たちも、たぶんそれ系の目的で探してる人じゃないかなあ。
やっぱ壬申はどうしようもないんだろうか・・・
興信所とか身元調査なんかで普通の戸籍だったら難なく取ってくるらしいけど
壬申は無理か。
>>784 普通の戸籍だって80年基準のところはだめだよ。見識の狭い役所にあたると悲惨だぜ。
難ありありだよ。行政証明というかたちでもいいから出せばいいのに、ひどい話だぜ。
786 :
日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:14:43
787 :
日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:32:19
一部の地域では、地元支所に保管してあった壬申戸籍を
法務局へ移すことに地元住民が、「自分達の先祖が
わからなくなる。」といって猛烈に反対した、
と元別の上司が言っていた。
昔々の話なのでその後どうなったかは知らないと言っていた。
788 :
日本@名無史さん:2008/11/27(木) 02:41:19
昭和43年に、この措置が決まったとき、
「安住さん、ついてるよ」の佐々さんなんかは、
その時ぜーんぶ
写しを取っておいたと、吹聴してたな。
ただ、みんなに言っておくと、明治三年頃に作られた最後の宗門人別帳は
壬申戸籍の元になったもので、ほぼ同じ内容が載っている。
この人別帳は、地区によっては見ることが出来ますよ。
>786
研究目的に限って閲覧できる旨、
誰だったか報告してた希ガス。自著内で。
その本の中に、
>壬申戸籍は、部落関係情報が丸ごと載ってるからってんで、
>役所に問い合わせても見せてもらえないらしい。
の元になった記載があった。
790 :
日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:04:00
もう役所には壬申戸籍は保管してないよ。
「壬申戸籍成立の関する研究 昭34」のような
研究はできないんだろうな。
791 :
日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:11:40
もうね、そんなヤバいものは物理的に地上から完全に抹消してしまえよ。
793 :
日本@名無史さん:2008/11/28(金) 19:38:02
壬申ヲタうざすぎるな。
公にできず、永久に封印されてるような危ない内容の紙クズなんか、
焼却するなり裁断するなりして、完全に地上から消去してしまえよ。
794 :
日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:50:54
壬申ヲタも何も。
先祖探ししてるヤツなら誰だって見たいさ。
ここは先祖探しスレ
>>788 明治三年の人別帳ですか!ぜひ見たいです。
ただ、そいつがどこにあるか探すのが大変だ・・・
東大附属図書館は結構いろんなモン収集してるけど、
敷居高いですよね。
将来、学術目的のみ閲覧可能とかになっても、先祖探しじゃ
見せてくれなさそうだな。
大学の先生にお金払って写しゲットとかになるんかのう。
>>793 だから日本人じゃないんだろうから、ここにくるんじゃないって。
ここは日本だ。おまえが来るところじゃないんだよ。
日本人の先祖の記録を消そうと必死だな。うざいよ。
797 :
788:2008/11/29(土) 03:42:38
東大図書館にあるとは思えませんが、
東大史料編纂所にしても、東大の図書館が、敷居が高かったのは昔の話ですよ。
俺は、23年前に、東工大大学院の奴らとの共同研究で、閲覧利用しようとしたら、
守衛に門前払いされた不愉快な思いがあった。
ところが、今では、きちんと申請しさえすれば、一般の人でも閲覧自由だよ。
東大史料編纂所図書館なんて親切なことこの上ないよ。
798 :
日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:01:37
まぁ見せてもらえないなら物理的に抹消してもらった方が良いわな。
どこかから流出してる可能性を考えたら穢多非人の人達は恐怖だろうに。
しかし身分の欄を隠すなりして交付出来るようにすべきだったよな。
今からそうするとなるとその処理の際に職員が見れちゃうし、手違いで流出しかねないし…
こういう作業は万全の監視下で中国人にやらせればいいのかね?
それか用紙の規格が同一なものをまとめて機械にかけて身分欄周辺を裁断しちゃうとかも。
他の項目が多少破損しても見れないよりかいいんじゃないかい。
うちは藩士だったから戦国時代までは仮冒無く繋がるし関係無いが。
799 :
日本@名無史さん:2008/11/30(日) 02:19:55
>>798 >うちは藩士だったから戦国時代までは仮冒無く繋がるし関係無いが。
結局これが言いたいだけ
800 :
日本@名無史さん:2008/11/30(日) 02:54:24
差別を解消しようと部落問題に関する研究をしている人で、
壬申戸籍の公開に賛成している人もいる。
もちろん適切な公開方法でというのは言うまでもないだろうが。
ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/12/post_2452.html この中の『壬申戸籍の記載事項』という記事に
>『部落学序説』の筆者である私は、「壬申戸籍」が、「焼却処分」にされ完全に廃棄された
>のではなく、「歴史資料」として保存されていることは、良き処置であったと思います。
とある。そして最後はこう結んでいる。
>私たちが意識するとしないとに関わらず、多くのこころある学者・研究者によって
>積み重ねられてきた史料発掘や実証主義的研究が、徐々に、部落差別の歴史認識を
>徐々に変化させつつあると思うのです。
壬申戸籍の公開を阻むのは、元部落民とされる人たち以上に
自分が優位にいると思い込み弱者を貶めようとする人たちだと思う。
上司などに対してはペコペコしているんだろうな。
802 :
日本@名無史さん:2008/11/30(日) 03:39:30
798じゃないけど一言言わせてもらう。
798の最後の一行は引っ掛からないこともないけど、
何でそんな瑣末な点だけ取り立ててわざわざレスするのかな。
要旨と関係ないところでアラを探す。
いちいち発言の思惑を想像する。
上位を誇っている“ように見える”箇所には過敏で、過剰に反応する。
卑屈すぎないか。
傍目の優劣ばかり気にしてるからそうなるんだよ。
そんな箔付けを探すより、もう少し自分の内面を磨く努力をしなよ。
もし798があの一行を書かなければ、それはそれで、
部落解放同盟だと決め付けられて曲解されるのだから仕方がないだろう。
これは想像でなく経験から。(800=668)
「脳ミソ腐ってる」と思いたいのならそう思っていればいいさ。痛くも痒くもない。
803 :
日本@名無史さん:2008/11/30(日) 03:40:46
798じゃないけど一言言わせてもらう。
798の最後の一行は引っ掛からないこともないけど、
何でそんな瑣末な点だけ取り立ててわざわざレスするのかな。
要旨と関係ないところでアラを探す。
いちいち発言の思惑を想像する。
上位を誇っている“ように見える”箇所には過敏で、過剰に反応する。
卑屈すぎないか。
傍目の優劣ばかり気にしてるからそうなるんだよ。
そんな箔付けを探すより、もう少し自分の内面を磨く努力をしなよ。
もし798があの一行を書かなければ、それはそれで、
部落解放同盟だと決め付けられて曲解されるのだから仕方がないだろう。
これは想像でなく経験から。(800=668)
「脳ミソ腐ってる」と思いたいのならそう思っていればいいさ。痛くも痒くもない。
805 :
804:2008/11/30(日) 04:09:58
Wレス御免。「戻る」させてる最中手がすべったらしい。
Wレス御免。「戻る」させてる最中手がすべったらしい。
最後の一行は
>>804の通り、街道呼ばわりされるから。
>>800 >自分が優位にいると思い込み弱者を乏しめ
初めからその気で馬鹿にして差別しているのと、
憐れんだ言動で結局それは上から目線の差別となる例のどちらかわからないが、
非街道の旧部落民に部落の話を持ち出す人なんてそうそういないから旧部落民がどう思ってるかもわからないんだよね。
俺も友人にいるが部落のことなんかわざわざ話さないし。
>部落差別の歴史認識を徐々に変化させつつある
そら歴史好きな俺たちみたいのだったらそんなの承知してるが、
未だに何某の名字は、何某の字がつく名字は穢多だのと言ってる連中が山ほどいるわけでさ。
単に人より優位に立ちたいとか馬鹿にしたいだけの奴等は穢多の事実がどうあろうと知った事じゃないでしょうし、
その下層と見なす人達が誰なのか除籍一つでわかる方が望ましいんじゃない?
だけど研究の成果は真っ向から否定出来ないし、研究目的は身分有り、一般交付は身分無しが理想かね。
808 :
日本@名無史さん:2008/11/30(日) 20:38:56
むしろ研究目的とか学者向けじゃなく普通に自分のご先祖様の分を
取れるようにして欲しい。
809 :
日本@名無史さん:2008/11/30(日) 21:01:03
壬申ヲタうざすぎるな。
公にできず、永久に封印されてるような危ない内容の紙クズなんか、
焼却するなり裁断するなりして、完全に地上から消去してしまえよ。
>>809 またおまえか。密入国者のおまえには関係ない話だ。
日本から失せろ。日本人の先祖の話に口を出すな。
自演乙
813 :
日本@名無史さん:2008/11/30(日) 22:20:37
壬申戸籍が閲覧できぬのは、結局は、
ノイジー・マイノリティのせいだからだろ?
一般的にマスコミは多くの常識あるサイレント・マジョリテイーより
極少数の声の大きい騒々しい「市民団体」を正義とし、その意見を垂れ流し。
日本のあらゆることにあてはまるな。
長文の奴が何を言いたいのかわからんがスレチで非常にうざいことだけはわかるんで
コテつけてくれないか。あぼーんするからさ
>>813 結局、法務省の見解をひっくりかえすには
国民総先祖探し状態になるくらいブームになり
開示を是とする世論がむちゃくちゃ高まって、
票になると読んだ政治家が動くことでもないかぎり難しいのだろう。
郷土史家や先祖マニアがいくら騒いでも、
事を荒立てたくない法務省は動かないでしょう。
ということは、永久に無理ぽい・・・・。
裏で金積めばいけるよ
地獄の沙汰も金次第
議員も役所の人間も同じ
>>816 人脈が必要だよね。お友達に議員でもいればいいんだが。人脈が無いと、お金も積めない。
818 :
日本@名無史さん:2008/12/02(火) 18:09:22
壬申戸籍記載のご先祖を知るのに裏金なんて馬鹿々々しい
金を積んでできるなら、是非そうしたい。
つか、過去帳とほとんど同じなんじゃないか
門徒帳ならでかい図書館とか郷土資料館にありそうだし
実際のところ過去帳を見せてもらうのですら
謝礼という名の金銭授受が発生する現状があるわけで
門徒帳じゃないや。宗門人別帳だw
こっちのが見れる確率高いじゃん
>>821 そりゃそうよ
趣味には金がかかるもんだ
宗門人別帳が残っている地域ならいいけどねえ。
確率が低いと思われ。
じゃあ過去帳見れ
これも見れないなら終わり
826 :
日本@名無史さん:2008/12/02(火) 21:29:57
当家にある過去帖を見たら、一番古いのが弘化2年(1844年)で7代前のご先祖
幕末から明治19年式以前に亡くなった6代目夫妻、7代目夫妻など一族の11人が死亡
特に子供の死亡が多い
たぶん、ここらを壬申戸籍には記載してあるんだろ
寺の過去帖には8代目以前が記載されていると思うけど眠っているご先祖を覚ますようで
あえて調査はしていない
昭和ですら病気やらで乳児の頃にボロボロ死んでたしな
医療が進んでないのと健康の知識があまりなかったせいだろうね
壬申戸籍も明治19年式も無理だった。昭和40年当時なら請求できたんだろうけどね。
明治19年式は80年基準にひっかかってだめだったよ。
寺の過去帳で、明治よりも前までは遡れたけど、お寺の火災のため、遡れたのは1840年頃までで終わった。
家系図が残るような由緒ある家じゃないからこれが限界だった。
明治19年式が入手できなくて、いちばん悔しかったのは、高祖母のひとりの旧姓が、そのためにわからなかった事かなぁ。
本家の過去帳にも記載はあるんだけど旧姓までは書かれていなかったよ。明治19年式なら旧姓や誕生日も掲載されて
いたと思うととても残念だよ。
829 :
日本@名無史さん:2008/12/03(水) 00:29:39
過去帖があるような家でおまいらが羨ましいよ。
昭和(終戦間際)に分家してるから過去帖なんてない・・・・。
本家に付き合いないし、調べるの大変。
830 :
日本@名無史さん:2008/12/03(水) 00:36:22
>>828 壬申戸籍は無理としても明治19年式は惜しかったね
明治19年式には高祖母様の記載が間違いなく有ったのにね
さらに高祖母様の戸籍謄本を取れば高祖母様のご両親、ご兄弟も記載してありましたよ
付き合いないからどこに住んでるのか、
当主の名前がなんていうのか、
そもそも本家筋が途絶えずに続いているのかすら不明。 orz
>>832 頑張って調べることだ。あきらめてはいけない。
自分の家が、何代前に分家したかは、除籍謄本でわかるんだろ?
除籍謄本を見れば、先祖代々の地はわかるだろ。
先祖代々の地の同姓に、手紙をかけばいいだろ。
まあ、転勤などで、本家筋が先祖代々の地を離れてしまった後なら、痛いんだが。
834 :
日本@名無史さん:2008/12/04(木) 01:32:20
探偵ナイトスクープに依頼すればいいのに。
>>619 二男のはずが長男と書かれていた方へ
昔は、分家して連れてきた子の中で数えなおすとか、養子に行ったり分家した子は
のぞいて数えなおすとかして、続き柄変えることがありました。
619さんのおうちにも当てはまることかはわかりませんが。
>>835 そうなのか、またひとつ賢くなった(*´∀`)
曾祖父の父親が次男だったからそれが混同したか、曾祖父の弟が地元に残ってるからそれで幼長が勘違いされたみたい。
兄が早くに死んで曾祖父が跡継ぎになったとも聞いてたが、それは失踪して死亡とされた弟のことかなと。
ちなみに分家はしてない。
837 :
日本@名無史さん:2008/12/07(日) 19:50:39
俺の先祖は小さな城の城主だった。現在も城跡が残っている。
だが、武田信玄と戦って討ち死にした。
838 :
日本@名無史さん:2008/12/07(日) 19:56:39
840 :
日本@名無史さん:2008/12/07(日) 20:39:03
佐久以外にもいろいろあるがな
841 :
日本@名無史さん:2008/12/07(日) 21:52:32
高遠城主ですか?
842 :
日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:03:12
西上野の城主ですか?
843 :
日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:18:43
駿河じゃねーの?
嘘つきじゃね?
845 :
日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:35:53
北武蔵じゃね?
あ庄屋ってどこにいるの?
847 :
日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:50:20
おまえ自身じゃねーの?
佐久の城の数は異常まさに「あ」のいうように一庄屋一城
>848
馬鹿なこと言っちゃいかん。
「一庄屋一城」は全国共通だぞ。
だいたいどこの県でも、数百程度の城があったのが普通。
戦国期の尾張で600程度、愛知県全体では1000近かった。
戦国期の河内国は400程度。摂津(の半分)と和泉も合わせた大阪府全体では、これも1000近かっただろう。
だいたいがこういう感じ。
それに、(江戸時代になってから庄屋になったような新参者は分からんけど)
戦国期から存続する庄屋なら、その居所は「城」の構造をもつのが常識で、
豊臣期の城割り令とか徳川期の一国一城令とかのへ対処のために城壁や濠を半分だけ破却したのが普通。
うちの近所(大阪府下)にも、
あれ、文末が欠け落ちたな。
うちの近所(大阪府下)にも、 城割りの痕跡が残ったままの庄屋屋敷があるよ。
と訂正しておくよ。
ググったら大阪の大庄屋屋敷跡はすごいな
お堀みたいのまである
これが戦国期あたりからの造りなんだな
ってスレチだが感心した
旧土地台帳の閲覧ができるっていう法的根拠の
「昭和36年3月2日付け民事甲第534号民事局長通達」
って、どこで見ることが出来る?この前閲覧請求したときに
「利害関係があるとかじゃなくて『見たい』だけじゃ出せない」
って話になって、逆に見られるって根拠をはっきり知りたいんだ。
>>849時代と地勢が異なるだろ.佐久は山城主体で廃城後山を降りて開拓して庄屋。三河、美濃なんて廃城後はだいたい
士官したんじゃないの?
>>852俺も見に行ったら見せてくれなかった・・・見せてはいけないものがあるんだろ。
郵送で請求すると送ってくるが・・・
庄屋という存在が出現する以前でも、
荘園の「事務所」的なところ、
「税所」「政所」「下司」「留守」などといった、荘官の居所は、基本的に城だぞ。
>>852 「通達」は法律・政令・省令とかと違って内規的な基準だから、
メジャーなもの以外は一般には明らかになっていないかもしれませんね。
県立図書館にまず相談して、分からない場合には法務局にその旨伝えてみては?
窓口で簡単には見せられないといわれたら情報開示請求すればいいわけだし。
>>853 >>俺も見に行ったら見せてくれなかった・・・見せてはいけないものがあるんだろ。
>>郵送で請求すると送ってくるが・・・
原本を見られたら困ることが書いてあるんでしょうか。
ということは、郵送で送られてきたものは修正が入っている可能性がありますね。
登記官の「原本と相違ないことを証明する」というお墨付きがあるのに、
もしも修正が入っているなら大問題な希ガス。
土地台帳になんで見せてはいけないものがあるんだよw
ただの土地の所有者記録だろ?
関東の庄屋ってそれほどお金持ってなかったんじゃない?
>>855 土地台帳の沿革と読み方 って本に引用があった。
基本行政通知・処理基準 14 法務(2) にあるかと思ったらなかった。
ないってのは、無効にする通達が出てるってことじゃないよね?
漏れの爺さんの先祖を探していますが、名前は判明したものの
江戸時代以前に何をしていたか?全く判明しません。
土地台帳から推測すると、爺さんの父方の先祖は多分農家ですが
爺さんの母親は庄屋の娘ですた。
庄屋の娘が農家に嫁ぐとゆ〜ことは、それなりに裕福な豪農?だったと
ゆ〜ことでしょうか?。
時代と地域によるけど多分豪農あたりなんじゃないの
862 :
日本@名無史さん:2008/12/12(金) 03:15:45
>858
西日本で多く言われる庄屋という言葉に対して、関東では、名主と言います。
五郷取締名主 というのが、西日本で言う大庄屋に当たります。
大名、小名 という言葉は、もとは中世のことば、すなわち、大名主(だいみょうしゅ)、小名主(しょうみょうしゅ)
という言葉から出来た言葉です。
九州では、長百姓、おとな百姓ということばもありましたよね。
>>861 豪農というと、明治期の大規模土地所有者のイメージが強すぎますね。
むしろ、上層農民という言葉で良いのではないでしょうか。
どうして1行飛ばすの
読みにくいよ
>>862 この板には、関東の「庄屋」の子孫を自称して
武家を叩く痛いコテハンもいましたが。
あれはただの日本語の不自由なチョンだからスルーしとけ
866 :
日本@名無史さん:2008/12/12(金) 23:45:44
よく、「関西では庄屋、関東では名主」と言われますが、
ソースはどこからでしょうか?
大石久敬の「地方凡例録」あたりでしょうか?
関東でも地方文書で「庄屋」を使っている例も散見されるので、
(記憶ではたしか房州の館山あたりなど)あまり断定的に判断するのはは危険かと。
あと、東北では「肝煎」といわれるそうですが、
自分の住んでる地域(福島南部)では「名主」表記ですね。
867 :
日本@名無史さん:2008/12/13(土) 02:49:21
肝煎りも、名主も、庄屋の事を意味することは、御伊勢参りなどを通じて、当時の全国的常識だったはず。
868 :
日本@名無史さん:2008/12/13(土) 02:50:17
一般論としては西は庄屋東は名主で十分だよ
庄屋とか名主は、普段はどのような仕事をしていたのでしょうか。
地域によって差異があるのでしょうか。
例えば、仕事は農家で庄屋とか、仕事は鍛冶屋で名主のようなことがあったのでしょうか。
現代風にいうと、町内会長みたいなイメージを持つのですが、本業は別途持っていたように
思うのですけどどうなんでしょうか?
ググレ
>>869 兼業はない。村役人は多忙だからね
庄屋は庄屋という職業だけです
872 :
日本@名無史さん:2008/12/14(日) 08:23:14
庄屋は一人大名を生業にしてるんだ。
庄屋について関連して教えてください。
庄屋は代官とは別ですよね。
庄屋は、士農工商でいうとどこに入りますか?
代官は武士ですよね。庄屋は商になるのですか?
名主とかって世襲じゃないと思うんだけど
庄屋業が専業ってどういうことですか?
>874
名主になるためには、かなりの資産が必要だ。
というのも、村の誰かが年貢を出せなかったときに、
名主が立て替えて村全体の年貢を一括納入する必要があるからだ。
それだけの資産を持つ富豪は、村に数軒あるかないか。
事実上、世襲するしかない。
一般の村人が就任しうるものではなく、
数軒の富豪の間で持ち回り、という程度が限界。
>873
江戸時代には、「士農工商」という身分制度はない。
武士と農・工・商、ってだけだ。
で、「農・工・商」のあいだに、上層(武士に準じた地位)とその他という差があって、
ここの格差の方が大きい。
ちなみに、一般の職人とか「江戸っ子」とかは、「町民」身分ではない。
町民って身分は、町を治める上層の身分の事な。「町名主」とか「大店」とか、そういった階層。
こういった、上層の身分は、武士による統治を手助けする役割があったから、
その役割に応じて優遇されてたわけ。
なお。
町奉行とかは、「都知事」レベルの上級役人で、大名に匹敵する権限があった。
代官はそれより下だが、ほぼ市町村長レベルの権限(責任のおよぶ範囲、面積)があった。
庄屋とかは、面積では「町会長」レベルで、かなり狭いが、現代の町会長と違い、明白な権力があった。
(現代の町会長は、法律上の権限はない。町によっては権力者のこともあるが、
それとて、町会長であるがゆえに権力を持っているというわけではなく、権力を持つ者が町会長を務めているというだけだな。)
代官ってえと、下級役人っぽいイメージかもしれんが、
いちおうはキャリア官僚の一種と考えて良い。
公職についてる金持ちってことで、小さなNTT社長みたいなもんだな
特定郵便局長や村長は庄屋がなってたしね
在地代官ってのもあるがな。例外的だが
聞くだけ聞いて礼の一つもない
三国人はこれだから嫌だ
常識の範囲内のことをいちいき聞いてるやつは小学生か
無知なら人様に聞く前にせめてググレよ
ここは日本史のすれです。
密入国者はこないでね。
>>876,880,882
>881
多少は電波が混入してるかもしれんので、
細かい部分では、他の情報源も当たってみるよう忠告しておきたい。
大雑把な範囲では、さほど大きな間違いはないだろうと思うが、
877本人からのお願いだ、よろしく。
ゆとりバカにいちいち教えてるときりないぞ
ここにいるのは、
親切な博学日本人
えらそうにしている日本人のふりをした能無し密入国者
の2タイプだな。
と密入国者が申しております
しつこい
今年ももうすぐ終わるなぁ・・・。
ご先祖様探しの進捗状況の報告と、
良い方向へのお導きのお願いにお墓参りしよう。
ネットで系図だったかな?
今年の検索ワードの上位になったところってのは、どういう仕組みなんだろう
893 :
日本@名無史さん:2008/12/27(土) 03:02:56
意味不明
卒族が5千人もいる藩なんですが、
分限帳、侍帳って郷士(その後卒族)も載ってるんでしょうか?
896 :
日本@名無史さん:2008/12/27(土) 16:30:29
>>895 薩長あたりかw
下級武士は載ってない確率のが高いかもね
とりあえず調べてみては
>ネットで系図
うちの苗字と同じ人が何人か登録されてるみたいだ。
遠い親戚だったりして・・・とかワクワクは膨らむけどこれって見れないんだろうなあ。
薩摩で下級郷士は卒族なの?
薩摩は領民郷士だらけって土地柄だから
だから70万石もあるのに財政困窮?
902 :
日本@名無史さん:2008/12/29(月) 01:23:35
薩摩の郷士って島津の家臣なの?
浪人のほかに家臣ではないが身分は武士っていたんだろうか
例えば百姓で食っていたとか
903 :
902:2008/12/29(月) 07:38:36
スレ違いみたいに思えるので別スレで伺います。
904 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 00:40:29
正月を前にご先祖の墓参りに行ってきたよ
掃除をして、花を手向け、灯明、線香をともし、念仏を唱えた。
念仏を唱えたって事は、念仏宗と総称される浄土系の宗派って事か。
それ以外の宗派の場合は、厳密には「念仏」ではないからな。
禅宗とか法華宗あたりは念仏ってのを強く嫌ってるはずだし。
906 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 07:42:44
大正解!!
>>905 そういえば、武家には浄土宗は居ても浄土真宗は居ない
とか言ってるやつが居たけど本当??
908 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 20:06:26
友人の先祖は分限帳に記載ある150石取りの武家だが浄土真宗が菩提寺って云ってた
それとも改宗したのかな。
俺んちは曹洞宗だったが祖父の代に祖母の本家も併せて相続した時、祖母系の浄土宗に統一したらしい
そんな訳で先祖探しは曹洞宗の寺なんで訪問しても気は使うし改宗してると苦労するよ
909 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 20:24:34
家康の家臣が三河で一向一揆側について反抗したくらいだから、
武家に門徒がいても全然おかしくない。
江戸時代も浄土真宗は禁止されておらず、公認の宗派だったし。
910 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 20:53:30
関ヶ原で西軍についた鍋島は浄土真宗の高僧によって取り潰しを逃れた。
だから浄土真宗を保護した為に家臣も浄土真宗の門徒がいると聞く。
真宗はお膝元の関西や北陸が強く、武家も大勢信仰している
森蘭丸の母親も真宗の門徒だよ
>>909 薩摩では武家百姓問わず禁止されてたって聞いた。
913 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 21:41:48
薩摩は神教が多いみたいですね。
友人に2人鹿児島県人がいるけど2人共神教だって聞いた。
914 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 21:51:20
友人に浄土真宗の住職がいるんだけど、彼が鹿児島の浄土真宗の寺から
説教を頼まれたと云って出かけた。
島津藩は禁令を出しているので門徒は居ないだろうと聞いたら
藩政時代も「隠れ真宗」が多かったんだって
915 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 21:55:33
本来の意味で、隠れキリシタン、隠し念仏、隠れ題目
こういうのは、被差別民といえる。
916 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 22:06:20
>>915 と、なれば自分の家は被差別民ですって云っているようなものかな
917 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 22:42:20
というわけでもないよ
918 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 22:46:57
年始に神社へ出かけるのは多いけど菩提寺に行く人ってどの程度いるんだろうか
お参りもしないで先祖調べなんかしていたら罰が当りそう
919 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 23:24:19
俺の田舎では選ばれた成人男性十名が元日に寒中の川で身を潔斎して烏帽子に白張(篝火を持つ役)や直垂(村内各イッケの代表者の衣装)を着て村の鎮守でお祭りをしたあと寺に詣でて饗応を受けます
920 :
日本@名無史さん:2008/12/30(火) 23:53:10
素晴らしい行事が残ってる地区がうらやましいな。
しかし選ばれた人は寒いだろうね
921 :
日本@名無史さん:2008/12/31(水) 01:24:39
>>918 そうだな。
先祖調べが順調に行くように祈るのは、神社よりもご先祖様に頼んだほうが
いいだろうし。
>916
真宗=被差別
なんてのは、きわめて限られた地域だけに通用する特殊事情なんだけど、
全国的には例外であるような、そういう特殊地域の住民が、現在では割りと多数派になってきた(近大には行って人口が大きく増えた)から、
まるで全国共通の常識であるかのごとく勘違いしてたりする。
915は北関東の住人じゃないか?
924 :
日本@名無史さん:2008/12/31(水) 03:34:25
俺の地元では旧家の当主らが紋付き羽織袴で神社で酒を飲みます
神主さんからお祓いしてもらってから真宗寺に行って有難い説法を受ける習わしがあります
浄土真宗本願寺は皇女や宮家、摂家の姫が代々嫁に行ってるとこだよ
京都ではお東さんとか呼んでて、とても馴染み深い宗派
926 :
日本@名無史さん:2008/12/31(水) 17:39:02
お東さんって真宗大谷じゃなかったけ?
浄土真宗本願寺は西と思ったけど
927 :
日本@名無史さん:2008/12/31(水) 19:24:08
>>926そう
東本願寺(真宗大谷派)がお東さん
西本願寺(真宗本願寺派)がお西さん
西本願寺の正式な寺号が本願寺
お東さんとか(お西さんとか)呼んでて(浄土真宗は)とても馴染み深い宗派
という意味です。略すもんじゃないね
929 :
日本@名無史さん:2009/01/01(木) 12:40:45
真宗大谷派が「浄土」を冠しなかった理由は何かあるのでしょうか?
>>911 近江源氏の佐々木氏は門徒が多いらしい
何でも信長に対抗した頃の名残だとか。
933 :
日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:32:50
禅宗、天台宗、浄土宗などは「戒名」って云うけど浄土真宗は「法名」だね
あけおめ
935 :
915:2009/01/01(木) 16:10:01
>>923 隠し念仏
隠れ念仏
の違いぐらい、調べてからコメントしたまえ!!
936 :
日本@名無史さん:2009/01/01(木) 16:38:44
冬厨大杉
毎年やらねば気がすまない
名前欄にいれてみれ
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939 :
日本@名無史さん:2009/01/01(木) 22:39:40
ご先祖様
おめでとうございます。
940 :
日本@名無史さん:2009/01/01(木) 23:02:15
ここのやつ墓参りもしてないんだろうな
941 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 00:16:19
自分の先祖ならまだしも、他人の先祖探しをネタにする奴は
ろくな死に方しないぞマジで。
942 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 01:06:05
先祖調べをして大変なことに気付いてしまった。
両親で2人、祖父母まで4人、5代だと32人、10代で976人、20代で999,712人
25代で31,981,568人、30代まで遡ると何と10億2千人のご先祖を調べる必要があるぞ
5代で32はいいけど10代で976ってどっから出てきた数字?
945 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 12:20:59
>>942 計算違いしてるじゃない?
10代=1,024人、15代=32,768人、20代=1,048,576人 25代=33,554,432人、
30代まで遡ると107,341,824人だな
946 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 13:12:49
大事なのはどの家を継いでいるか じゃないかい?
正月に始めて先祖様のことをじいちゃんから聞きました。
曾曾おばあさんは華族の家で女中をしていたことが分かりました。詳しく言えませんが、調べれば出てくるくらいの華族のお屋敷で勤めていたそう。残念ながら、幕末まで遡ると分からないわい!とじいちゃん。
しかし元武士だったことは間違いないよう。
教えてくれたじいちゃんに感謝です。
だが、そのテの言い伝えというのは存外眉唾でなぁ…
949 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 13:59:49
948よ、947の夢を潰すなww
明治の華族はほとんど・・・一部を除いて格式高い家柄じゃないんだろ
950 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 16:53:58
>>947 幕末までしか遡れないのになんで元武士で間違いないってわかるのさ
951 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 21:52:15
質問ですが
山陰地方で「椿」って姓の家柄はどんな家柄ですか?
うちの本家に当る家の御当主に先祖の事を聞いてみた。
古い記録とかは焼けてしまって、残っていないとの事だったが、
菩提寺の過去帖には初代(貞享頃の人)の戒名のところに
「取分石」と書き添えてあるという。どういう意味だろう?
953 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 22:44:24
>>952 石は石高のことじゃないのか。初代で取り分だからその土地に初めて住んだ或いは
その土地を所有していたとか。まあわからないけど
954 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:04:18
耕作高じゃないの?
955 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:10:59
なんで過去帖の戒名に「耕作高」なんて書く必要があるんだ?
956 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:20:08
>>951 山陰地方でって範囲広すぎるだろその情報だけで知ってる人がいたらすごいな。
市町村名、最低でも県名は必要。後はどんな家紋かとか昔の人のことだったらその年代も。
957 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:28:36
武士でも戒名に石高なんて入れないよ
958 :
日本@名無史さん:2009/01/03(土) 00:08:07
書き添えてあるだけな訳だから別に戒名自体にはかかってないんじゃないか
959 :
日本@名無史さん:2009/01/03(土) 00:21:08
>>956 確か、島根県だったと思う。
調べてみたけど、松江市の市花が椿だったり
江津市に椿祭とかあったりするんだね〜
島根県ではメジャーなのかな?
家紋は曾祖父が婿養子に出されてから、いい加減で色んな家紋を使ってるからわかんない。
960 :
952:2009/01/03(土) 00:33:46
やっぱり良くわかりませんよね?
因みに戒名は「清水遊永信士」俗名○○織部
(ただ、この時点では苗字は私称でしょう)
もちろん百姓でした。
なお、菩提寺は明治あたりに火災となってしまい過去帖も焼失、
村内各家の過去帖を写して復元をしたようです。
961 :
日本@名無史さん:2009/01/03(土) 01:43:41
>>959 う〜んヒントが少ないが島根県というところから図書館に行って「都道府県別姓氏家紋大事典 (西日本編)」
で島根県の椿姓について調べてみるとか。ただしこの本ではわかる情報量は少ないけど。
後は椿姓全体を「新編姓氏家系辞書」や「姓氏家系歴史伝説大事典」等の本から調べるとか。
国立国会図書館に行けば「椿一族」の本が所蔵されている。
椿姓といっても他の例に漏れず発祥は全国各地に跨るだろうからこれらの本で山陰地方
できれば島根県もしくはそれらの周辺発祥の椿姓を探せばいいと思う。
>>942 昔は結婚相手の範囲が限定されてたから実際はそうならない。
963 :
日本@名無史さん:2009/01/03(土) 08:23:50
マジレスせんでもwww
964 :
日本@名無史さん:2009/01/03(土) 18:09:25
>>960 清水・・・道号
遊永・・・戒名
信士・・・位号
965 :
952:2009/01/03(土) 21:16:26
>>964 戒名といっても、色々意味が有るのですね、
ついでに、この本家の事を「しみず」と呼んでいます。(苗字は別にあります)
そこの小字が「清水」なので、ここから家号となって、さらに道号になったのでしょうね。
逆に道号→家号→小字だったら開発者の名を取って…と、面白いのですがねぇ、
まあ妄想ですね。
966 :
日本@名無史さん:2009/01/04(日) 00:19:23
地名事典で調べたら如何ですか?
各県別になって図書館にあるはずです。
かなり具体的に書いてあるので発見できるかも。
武家の場合は、いみながそのまま戒名になっていたりする。
土方歳三のいみなは義豊だが、戒名は歳進院殿・誠山・義豊・大居士
院号・道号・戒名・位号となっている、
968 :
日本@名無史さん:2009/01/04(日) 14:20:21
>>952 勝手な想像に過ぎんが
「取分石」の事だが、戒名からして水に関係しているかも。
昔も今も稲作には水が絶対条件である訳が、増して昔は水の配分で争いさえ起きていた
取分石と云うのは各田んぼへ水の取分(量)を決める石の管理者をしていたのではあるまいか
庄屋もしくは水に関しての権限者だったと思われる。
あくまでも想像であるが・・・。
たった数世代前の江戸時代の先祖さえ分からないなんて確実にうちは百姓だな・・・
970 :
日本@名無史さん:2009/01/04(日) 15:31:00
>>969 百姓の前は武士だったというのもかなり多いぞ
971 :
日本@名無史さん:2009/01/04(日) 16:33:54
>>969 そうとは限らない。
明治政府は江戸時代の記録を徹底的に抹殺しようと努力したからなw
その後の戦争や火災で失われた記録もあるだろうし。
もっと怖いのは、どさくさに紛れて他家の家系図に関係のない人物や、
元家来がちゃっかりと自分たちを書き加えているケースも多い。
そういうやからは死ぬときに地獄に落ちるだろうけどw
972 :
日本@名無史さん:2009/01/04(日) 16:34:55
元家来 ×
元家来の子孫 ○
973 :
日本@名無史さん:2009/01/05(月) 11:52:58
分限帳って便利だね
過去帖と照合が出来るし、当時の住所までわかる
おまけに知行高、所属(組頭〇〇)、役職、年齢まで記載してあるよ
町にも町人の分限帳みたいのがあるから、先祖が大きな町に住んでた人なら見てみるといい
975 :
日本@名無史さん:2009/01/10(土) 01:20:27
>849
>それに、(江戸時代になってから庄屋になったような新参者は分からんけど)
戦国期から存続する庄屋なら、その居所は「城」の構造をもつのが常識で、
地方によるんじゃないの?
正月帰省したとき、実家にあった資料集(町の古文書の主なものが原文ででている)とか見てきたけど、
うちの(旧)村の名主は江戸時代から旧家として知られていたが、所有地は1町歩くらい。
その屋敷も見てきたけど普通な感じ。まあ戸数100程度の小村だからね、、
976 :
日本@名無史さん:2009/01/10(土) 01:30:42
ところでうちは4代前まで酒屋だったんだが、当時の酒屋ってどんなステータスだったの?
>>975にある資料集に、文政7年、10両を誰かに貸したという証文があった。江戸期ではリッチなほうだったと思ってていいのかな?
最近ご先祖様探しが行き詰ってきた。
業者依頼の誘惑が・・・。
江戸初期くらいまでなら60マソくらいでやってくれるんだねえ。
酒屋はどうか知らんが
農村で酒造業はそれなりの財がないとできない。
979 :
日本@名無史さん:2009/01/10(土) 13:04:56
地方によっては酒屋株ってのもあって高価で売買・質入された
>>962 地域が広範囲で面白いぞ。
父系は基本的に家督の点から移動しないことが多いが、母系は違う。
どこからどのような嫁をもらうかと言う習俗があって面白い。
うちの地域は、遠方から嫁をもらう習俗があった。
嫁を融通しあうネットワークがあったようだ。
母系もきちんと調べると、網元あり、藩士あり、家督略奪の養子縁組ありと面白いもんだよ。
>>849 うちの田舎の親戚庄屋だったんだが
なぜか石垣付きの城みたいな家なのな
そういうことだったんだろうか
>975
正式に「城」とされる構造物ってのは、
一般農家より大きめではあっても構造的な差が小さい、いわゆる「家」に、
かっちりした塀と堀(または濠)が付いている構造のこと。
土間と板の間が普通の家より大幅に広い点を除けば、
和室の数は大差がない方が普通。(和室4部屋に広い土間・広い板の間)
ただし、城割令・一国一城令への対応のために、塀や堀は半周だけ残して撤去されてるのが普通。
>976
10両って、庶民の年収の数年分ぐらいだろう。
江戸の町だったらまあ、大工に100日ぐらい働いてもらった日当の合計が、10両ぐらいの支払いになるだろう、ってレベルか。
>>977 業者なんか全くあてにならんよ。
適当に無縁仏になりそうな墓の情報を引っ張ってきて
捏造するのがオチ。
不景気になってくると何でもありだから注意しろ。
俺が知ってる実際にあった話は元足軽の子孫に金を積まれて、
足軽を家老に仕立てあげたケース。
984 :
日本@名無史さん:2009/01/10(土) 17:27:19
江戸時代の貨幣価値は無変動かよw
なんでそんなに得意気?
986 :
日本@名無史さん:2009/01/10(土) 18:51:29
>>979 資料集には、酒造株の貸し借りの証文も出ていた。
やっぱ、ある程度の資産はあったんだ、、
造り酒屋を始めるのは、設備投資より、株入手のほうがネックだったのかも、、
酒屋をいつ始めたんだろう?確実なのは、墓石のある6代前の、天保11年没の人まで。
その前は墓が無い。寺に過去帖も無かったそうだ。
酒屋の前は富農だったのかな?想像ふくらみんぐ。
#でも財産は田舎の土地建物しか残ってないし、本家の長男の長男な漏れは、定職なし独身。こんなことやってる場合じゃないなあ、、、
うちなんか幕末以来、未だに造酒屋だよorz
もうちょっと町場にあったらアパートでも建てて左団扇で暮らせたのになぁ
988 :
日本@名無史さん:2009/01/10(土) 20:01:10
老舗じゃないか。それを宣伝して売って金稼げばおk。
989 :
日本@名無史さん:2009/01/10(土) 20:37:28
酒屋株を持っていても酒屋を営んでいない場合が多い
990 :
日本@名無史さん:2009/01/10(土) 22:02:45
991 :
987:2009/01/10(土) 22:23:40
>>988それでよく、あなたで何代目?と聞かれるのだが、
父が生まれて間も無く祖父(家としては八代目、酒屋で五代目に当る)は戦没
その後祖父の弟が祖母と再婚して家業を継続、(但し、この時父は養子とされていない)
20年程前から父が社長。
この祖父の弟を代数に数えるべきか
992 :
986:2009/01/10(土) 22:53:55
漏れの感覚では数えない。
もともと、「何代目」というのは、同じ名前を代々ついで行ったため同名(うちがそう)の人を区別するために使うんだと思う。推測だが。
もし江戸期に弟が継いだとしても、兄とは名前が違うので、6代目とは呼ばれなかったと思う。
だから7代目だよ。漏れももし酒屋やってたら7代目だ。なかーま。
造り酒屋と酒屋はまた違うんだろうけど、造り酒屋は江戸時代に富裕な家が多いよ
地元の名士とかは造り酒屋や庄屋の子孫が議員になってるパターンが多い
994 :
日本@名無史さん:2009/01/11(日) 18:36:15
おいNHK見れ。アメリカで先祖探し。
5代前の奴隷までたどれただけ。農園に行く。
そしてDNAで出身地を探ろうという会社登場。
>>980 それは珍しい地域だね。ところで「広範囲」ってどのくらい?
アメリカは新興国だけあって、歴史とかルーツとかにすごくコンプレックス持ってるんだよね
確か先祖データバンクがあって、金払えば誰でもアクセスして見れるんじゃなかったかな
>984
かなりおおざっぱな、ただの目安レベルの982に突っ込むには力不足気味かな。
>986
>その前は墓が無い。寺に過去帖も無かったそうだ。
その頃に外部から来た人なんじゃないか?
たとえば、大名の国替えに付いて移転したとか、江戸初期だったら武士でなく庄屋にも例がある。
天保とか、江戸時代後半のことだから、わからんけども。
>991-992
天皇や将軍、大名とかの「代数」なら、その弟も数える。
店や会社の場合は、しらん。
998 :
日本@名無史さん:2009/01/12(月) 14:43:12
>かなりおおざっぱな、ただの目安レベルの982に突っ込むには力不足気味かな。
そんなに気にしてたんだm9(^Д^)プギャー
999 :
伊藤哲也:2009/01/12(月) 19:05:54
sage
1000 :
日本@名無史さん:2009/01/12(月) 19:07:19
さよなら♪
1001 :
1001:
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