811 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 15:51:19
>>809 葛城と三輪が争ったかどうかは分からんが
大伴氏や鴨氏などは、葛城土着の豪族で
尾張氏や神武皇統は、これらと婚姻を結んでいたのは確実。
で、尾張なんてのは、葛城の地名だしね。
812 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 15:56:36
オシホミミ(ホアカリとニニギの父。神武の四代前)は
葛城出身(高木神を祭っていた)の豪族の女性を妻に迎えていたんでしょう?
よって、原葛城氏系(大伴氏、鴨氏など)は、
徳川幕府に例えるのなら、家康の母方の水野氏みたいなもんだろう?
ちなみに、原葛城氏系としたのは、葛城氏には
後に武内宿禰の子孫によって再興された皇別系葛城氏と区別するため。
813 :
ローガン:2008/02/04(月) 16:01:43
>>754 邪馬台国に直接関連した遺跡という訳ではないですね。
3世紀の奈良県南東部で誕生したと考えられる首長霊祭祀方法が、あまり時をおかず、北部九州で見られる事。
又その祖型が、吉備にある事を考えるとそのころ、西日本の広い範囲で同じ祭祀を共有しはじめたと思われます。
北部九州、山陽、近畿に跨がる「広域倭国」を想像したいところです。
又、後漢末期漢鏡の出土の中心が、九州から近畿に移っている事などを考えると、倭人伝が書かれた当時の倭国の中心地(都)として、
蓋然性が高いのが纏向ではないか?という事です。
814 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 16:06:02
>>808 >>810 ありがとうございました。
ちなみに、卑弥呼は邪馬台国女王に「共立」されたんでしょうか。
それとも倭国連合の女王に「共立」されたんでしょうか。
資料から読めるかどうか分かりませんが、もし後者だとしたら、
卑弥呼はその時すでに邪馬台国女王だったんでしょうか。
815 :
ローガン:2008/02/04(月) 16:35:55
古代さん。
日本書紀の雄略紀で田辺史伯孫が娘の嫁ぎ先へ孫を見に行くって記事がなかったですか?
今、手元にないので確認出来ないのですが。
もしそうなら、男系相続ではないでしょうか?
816 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 16:45:30
>>814 倭人伝の全体の流れからみたら
卑弥呼は倭国全体の女王という感じがするね。
で、彼女が住んでいたのが邪馬台国(大和国?)かと。
倭人伝をよく読んでみたら、卑弥呼が共立される前に
倭国には男の王の時代が80年くらい続いたとある。
で、やがて歴年争って、卑弥呼を共立させた。
あんまり詳しいことは分からん。史料が不足しているから。
ただ、卑弥呼が百襲媛命なら、
欠史八代のあたりで歴年争う(卑弥呼共立の原因)ことが
あったというのが、だいたい推測できる。
817 :
古代:2008/02/04(月) 16:50:12
815
実はそこまで厳格な区別はなかったようです。
通い婚が基本でしたが、父となると一緒の家に住んだり、娘を嫁がせたりと言うこともあった様です。力関係?
>814
>814
倭国連合と書くと誤解を招きそう。
敢えてつけるなら邪馬台国連合。
これは倭国統一がまだなってないから。
これは狗奴國と邪馬台国が争っている事からも明らか。
で、質問の邪馬台国の女王に共立されたのか
連合の女王に共立されたのか?
難しいところだけど
邪馬台国の女王を共立して連合の代表にした
例えば、東京都知事を決めてそれを総理大臣にした感じだと思う。
倭国大乱時、卑弥呼は巫女だったかもしれないが女王ではなかったはず。
これは共立されたとき女子だったから。
819 :
古代:2008/02/04(月) 17:14:26
天火明命の系列
天火明命の曾孫、天忍人命から出たのが尾張氏で、
天忍男命から出たのが住吉神を奉斎する津守氏
尾張氏から別れたのが、籠神社の社家・海部氏と掃部氏
天火明命は倭氏の遠祖、振魂命の子、天前玉命と同一人物とする系図があり、
そうなると、高倉下命と倭氏の宇豆毘古は従兄弟同士ということになる。大倭氏も同系
尾張氏の祭神に賀茂氏の神があることや他に繋がりがあるので親戚関係か傍系とも
振魂命が物部氏の布留御魂神と同一ならば、物部・和珥氏も大和系
生駒山の北部に饒速日山があるので物部氏はこのあたりか。
高木神は天皇家がもともと祀っていた神といわれる高皇産霊神であるが
その名の通り木の神と言われている。
木の神と言えば紀の国の五十猛神である。ここに前皇祖神・日像鏡がある。
820 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 17:30:24
>>819 せめて自分の意見のモトネタとなっている、原文くらいは載せて下さい。
821 :
古代:2008/02/04(月) 17:52:40
何で皆は畿内説結論で話してるんですか。
九州説は絶対にないのですか。
823 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 18:07:30
>>821 そこに掲載されている系図の信憑性はどうでしょうか?
824 :
ローガン:2008/02/04(月) 18:10:19
>>822が頑張って九州である事を証明すればいいんですよ。
>822
畿内説の勉強中ですw
畿内説は論点が九州説とは違い倭人伝ベースではなく
学者先生や天皇家が支持してるや外国の本にも書いてあった等からスタートし
遺跡と記紀ベースで天皇の系譜から邪馬台国を推定している為
普通に倭人伝ベースの話をしてもまったくかみ合いません。
ですから九州説が畿内説を論破するには
畿内説の言い分も知っておく必要があります。
827 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 18:27:40
828 :
古代:2008/02/04(月) 18:28:45
信憑性はどうでしょうか『先代旧事本紀』と『勘注系図』をどう見るかですね
『先代旧事本紀』は偽書と言われていますが、歴史的記述を除けば正しいと見る人もいます。
新撰姓氏録には次の記述もあります
掃守連(かにもりのむらじ)。
振魂命(ふるむすびのみこと)の四世孫、天忍人命(あまのおしひとのみこと)の後なり。
829 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 18:39:23
>>828 曲学の徒さんは、『勘注系図』を信じすぎているような気がする。
この系図は重要参考文献だと思うけど
鵜呑みにするのも危険なような気がする。
>>825 魏志倭人伝を読むと九州方面だと思います。
私は宮崎・大分・鹿児島北部辺りだと思います。
あの辺りの古墳の何れかに相当すると思います。
重要な点は、卑弥呼は数十カ国を統治していました。
古代に数十カ国も統治しようとすれば大変ですよ。
畿内説だと九州方面まで統治していたんですよね。だとすると面積が広すぎませんか。
一カ国当たりが小規模が適切です。だから九州です。
次に記紀には卑弥呼を名指ししてません。畿内だとすれば皇室の先祖です。
何も記されてないのは可笑しいと感じませんか。
百襲姫命は魏志倭人伝の卑弥呼だと書いたはずです。
それが無いのは、卑弥呼は九州の奥深くに居たからです。
831 :
古代:2008/02/04(月) 18:51:03
829
自分はむしろ日本書紀を信じすぎている人が多くて危険な気がする。
>>826 >九州説が畿内説を論破するには
論破したところで意味無いよ。
論破しても過去の歴史は動かない。論破側が歴史の真実とは言えないし
九州説VS畿内説なんて下らないよ。
833 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 19:47:58
>>831 まあ、結局、いろんな文献史料を総合的に
みていくしかない。
日本書紀は一応、一書...という形で
複数の引用元を明かしているから、そういう面では公平だわな。
ただ、全ての文献史料はそうなんだけど、鵜呑みにせず
複数を吟味検討していくしかない。
834 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 19:52:22
>>830 あのな、3世紀の纏向遺跡からは
九州から関東までの土器が発掘されるんだよ。
家の箪笥の引き出しには$紙幣があるけど、すると俺の屋敷はアメリカ領?
神武天皇が出てきたのは九州の存在をアピールするため
838 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 20:31:23
>>836 だからこそ、全ての文献資料を読み比べて
検討するしかないわな...
帝記と旧辞さえ見つかればいいのにな
九州から神武は大国主から大和を奪ったんだろう。
普通に卑弥呼はモモソだろ。
卑弥呼が女王に見えたのはお告げを聞く大王の態度がが
家臣に見えただけ。
政治は大王が行って、その吉凶は日巫女が占ってたんだろ。
>>836 >バカ発見
自分で自分を発見してどうする
842 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 20:41:41
843 :
小倉優子が好き:2008/02/04(月) 20:44:51
>>769 豊鍬入姫がトヨだって事?
だとすれば、「魏志倭人伝のトヨ」は崇神天皇の娘で、伊勢神宮の初代斎宮って事に
なってしまうと思うのですが、相当無理がありませんか?
>>843 ないけど。卑弥呼と祟神は
晩年の巫女と戴冠したての新大王で大王の娘が
巫女になっただけ
845 :
改め〜卑弥呼:2008/02/04(月) 20:53:47
こっちは 九州説VS畿内説でもりあがってるみたいだね!
誰と誰がやりありあってるのか?ですが氏と名無し?
846 :
古代:2008/02/04(月) 20:54:08
土器のどう見るかは難しいところ。
交易品としての価値は乏しく日用品と考えたい。
そうすると。マキムクの85%くらいは畿内式で15%は各地の土器。
だがその中で半数近くが東海地方の土器よって7・8%くらいかな。
これは各地から差し出された人質?奴隷?諸侯が集まったから?
一方福岡の福岡市西新町は北九州土器65%、畿内系25%、出雲系9%
25%もいてはもはや奴隷とか人質とか考えにくい。これは畿内からの支配者層?
崇神の御世に疫病が流行って国内の人が逃げ出したとあるので、難民?
847 :
小倉優子が好き:2008/02/04(月) 20:57:41
>>844 トヨは晋に「トヨ」として使いを送っていますよね?
崇神はおっしゃるように新「大王」。
何故「崇神」としての使いを送らなかったのでしょうか?
848 :
改め〜卑弥呼:2008/02/04(月) 21:09:45
>>847 だからどこに「トヨ」とか書いてるんだ!
君はまずいそこらへんから学んだほうがよくね?
849 :
小倉優子が好き:2008/02/04(月) 21:12:38
魏志倭人伝には、「卑弥呼が没したあと、男王が立つがうまく逝かず、
トヨがたって丸く納まった。」とあります。
豊鍬入姫は崇神天皇の娘ですから、豊鍬入姫=トヨとすれば、
崇神天皇は「トヨの前の男王」と逝ってさしつかえないと思うのですが、
だとすれば、上記の魏志倭人伝の記載に矛盾しませんか?
850 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 21:19:13
>>848 あのさあ、「ほのめかしてる」だけで「書いてない」なんてのはダメだよ。
日本初紀の編者が「中国ではこんな風に逝ってる」と書いたようなもんだ。
では聞くけど、なんなの? 改め〜卑弥呼さん。
851 :
改め〜卑弥呼:2008/02/04(月) 21:25:15
>魏志倭人伝には、「卑弥呼が没したあと、男王が立つがうまく逝かず、
>トヨがたって丸く納まった。」とあります。
>豊鍬入姫は崇神天皇の娘ですから、豊鍬入姫=トヨとすれば、
>崇神天皇は「トヨの前の男王」と逝ってさしつかえないと思うのですが、
>だとすれば、上記の魏志倭人伝の記載に矛盾しませんか?
>あのさあ、「ほのめかしてる」だけで「書いてない」なんてのはダメだよ。
>日本初紀の編者が「中国ではこんな風に逝ってる」と書いたようなもんだ。
>では聞くけど、なんなの? 改め〜卑弥呼さん。
誰か教えてたって〜
852 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 21:26:17
853 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 21:28:46
>>851 あんたが教えなきゃだれが教えるんだ?
さあさあ。www
854 :
改め〜卑弥呼:2008/02/04(月) 21:31:39
それより九州説のみなさん
畿内説の日本@名無史さんが「モモソヒメ=卑弥呼」だっていってますけど、
誰も反論しないん?
言われたままかい(笑)
おまえら、いったい何を議論してるんだ?
856 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 21:33:01
>>854 >それより九州説のみなさん
じゃねーぞ。ちゃんと教えろよ。www
トヨタン・・・・・・・・・・・・・・
858 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 21:35:30
>>854 改め〜卑弥呼さんさあ、自分の考えをかかなきゃ。
それじゃあ単なる卑怯者だよ?
859 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 21:48:25
すみません。みなさん。
「改め〜卑弥呼」は、「誰かおしえたって〜」とか、「誰も反論しないん?」
とか言うばかりで、自分の意見を書かない卑怯者です。
私が替わりに謝ります。ごめんなさい。
改め〜ドツボ に改名しる