悲しい悲しい歴史のお話

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68日本@名無史さん
>>52 >>58 >>61 >>68

日本史だけど「水鏡」によれば、藤原仲麻呂が恵美押勝の乱に失敗した際、
かねてより「容色並ぶものなき美貌」とたたえられていた
仲麻呂の娘(藤原東子)が 千人の兵士に死に至るまで輪姦されたらしい。

詳しい研究本によれば、当時の媚薬や
性器への負担を軽減するような潤滑剤を駆使して、
世間に公開のうえで徹底的に犯し抜いたそうだ。

仲麻呂の娘についての項では、例えば
潤滑剤は百日紅の樹液となにかを 調合したものであったとか、
用いられた媚薬は今でいう覚醒剤の一種で あったとか、
姫の乱れた化粧をきちんと直す係の者、薬を投与する医者 栄養士などが
待機していて、凌辱は20日間に及んだらしいです。
ちなみに、最後は斬首だったそうです。

〜エピローグ「藤原仲麻呂の乱」〜
続日本紀によると764年9月18日に、仲麻呂は石村石盾(いわむらのいわたて)に
よって捕縛され、斬殺されたという。同時に彼の家族や従者34名も
斬られたというから、姫君がレイプされたのは、この日ということになる。
姫君が悲惨な目にあい、一族が皆殺しにされている中で、
六男の刷男(よしお)だけは助命されたという。
刷男は幼少のころより、仏教修行をしていたからというのが、助命の理由であった。
同じく続日本紀によると仲麻呂の首は当日のうちに、京都に届いたとある。
孝謙女帝はかつて愛した男の首を見て、何を思ったのだろう?
そして、同じ女性である姫君の悲劇を知って、涙したであろうか?