1 :
日本@名無史さん:
当時突出した文明大国だった魏から貰った文字らしいですが
邪馬大国
卑弥呼
邪・・・・・邪魔
卑・・・いやしい
もしかして魏は日本を蛮族だと思ってたのかな?
2 :
ご参考まで:2008/01/19(土) 08:49:52
甚だ恐縮ながら、このスレタイトルは、『語るに落ちる』と思います。
理由は、東夷伝や明帝紀や少帝紀において、各国の王の名前が記されている場合は
陳寿は、いずれも定型化した記述を行なっているからであります。
正始年間の三少帝紀をお読みになれば、このような疑問は即、氷解するはずです。
3 :
日本@名無史さん:2008/01/19(土) 08:56:54
単発スレ立てるな、ユトリ
5 :
日本@名無史さん:2008/01/21(月) 10:26:21
<もしかして魏は日本を蛮族だと思ってたのかな?
そうですよ。「魏志倭人伝」は正確には「三国志」のなかの「魏志」の「東夷伝、倭人の条」で長いので省略しているんです。
東夷というのは東の野蛮国という意味です。
この時の中国大陸は自分たちの事を進んだ国「中華」だとしてその周りの国々は野蛮な国「夷国」と呼んでいたのです。
東西南北に分けてそれぞれ「東夷」、「西戒」、「南蛮」、「北狄」と呼んでいて、日本は東夷の中の一つだったわけです。
卑弥呼ももともとの読みの「ひみこ」あるいは「ひめこ」に碑字を当てたといわれていて、大陸は固有名詞と思われる字には徹底して本字を使っていないようです。
なので元々の字をめぐって「姫子」「日女子」「日御子」「日巫女」などの漢字が候補に挙がっています。
6 :
日本@名無史さん:2008/01/23(水) 00:03:04
>>5 なるほど。
日本人は野蛮人だったんですか。
魏は漢や晋より親日派