偽書・偽史・古史古伝

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69日本@名無史さん:2008/12/08(月) 05:05:31
>>65
それって万能の理論だよな
 
少なくとも和田家文書はその他の古史古伝とは無縁だ
その他の古史古伝は例えば九鬼文書は竹内文書にルーツがあるし
竹内文書や宮下文書は上記鈔訳にルーツがある
豊国文字(?)の上記に書かれていることでも漢字仮名の鈔訳に書かれて
いないことは引用されないというきわめてわかりやすい由来を持つ
和田のオリジナリティはスゴイw
70日本@名無史さん:2008/12/10(水) 20:32:29
それは本物と言う事の証ではないですかw
71日本@名無史さん:2009/02/22(日) 22:28:26
72日本@名無史さん:2009/02/22(日) 22:55:15
禿
73日本@名無史さん:2009/02/22(日) 22:56:52
sage
74日本@名無史さん:2009/02/25(水) 14:48:41
会津
75ぴいぽ:2009/03/07(土) 18:00:37
九鬼の巷紹介本は竹内のルーツと有るようだが竹内を実際に読めば冒頭で神道古典
のあれと気がつく。実際、批判派も読んでないことがまるだしになった。
やはり、写本で善本評価のある小島本をとまにゃ話にならない。
@幡書店版は底本が小島本だから手っ取り早く見るに今はあれしかないだろう。
ぴいぽは竹内文献を解明したが、今思えば偶然古田教授に出会ったあとから解明にたどり着く。(サインしていただいた。)

ウガヤ朝でがやがやしていると核を見失うよ。
竹内解明で核解明の補佐役にまわったのが実はホツマである。驚くべき事だが。
ホツマと言っても正伝記の方だが。驚くべき事にこれは戦前、宮地直一博士が公に紹介されている。
日本書紀をホツマにより注釈を試みた珍本だ。(珍本といってもネットではひっとする。)

(たまにしかカキコできないからスルーして下さい。)
76日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:41:40
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000034862

国立国会図書館の回答も偽書。

77日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:00:33
武陽陰士っていうコテが文学板を荒らして困ってます。
どうにかして下さい。ちなみにあだ名は芋姉ちゃんw
78ぴいぽ:2009/06/08(月) 18:00:25
日本書紀の神代巻に見える複数の国常立系譜の一つには明らかに先代旧事本紀の一部の系譜を
短縮した痕跡がある。したがって旧事本紀は当然書紀より遙かに古い。
さすが伊勢神道度会さんはそこをがてん承知し伊勢神道代表的古典にしあがった。笑
だが竹内は更に旧事本紀の上をいく詳細なる系譜がある。本気で見にゃあ。笑
79ぴいぽ:2009/06/15(月) 17:48:38
日本書紀の冒頭を良く読むとズバリ旧事本紀から引用しましたと白状したも
同然の一文がある。笑 これは旧事本紀や古事記、どちらも良く見なければわからない事だ。
気がつけばひっくりかえるだろう。笑
歴代の国学者や神道家はそのポイントの注釈をおざなりにしている。
旧事本紀を良く読まなかったせいだ。
ぴいぽは竹内に視点をおいていたから気がついたのかもしれない。
かの鈴木重胤翁ですら気がつかないのである。
日本書紀注釈では日本一である。かの友清翁が寿書に収載した国学者が
書紀注釈で登場する。しぃー。
80ぴいぽ:2009/06/20(土) 17:53:11
神道では陰陽ムスビの原理にて神々の誕生、造化進歩発展、青人草や万物が育成される。
常識とだと思ったら・・・ひっくりかえってはいけない。記紀は冒頭それをみごと打ち消していた。
良く読めばわかる。旧事本紀冒頭を検討すると見えてくる。あっ、そうだったのかと。笑
具体的には日本書紀では国常立尊ストーリーを乾の道ひとりなる!とズバリ述べ
この意味が古今を通じ素っ頓狂な解釈がなされた。
そしてだめ押しのクニトコタチをひたおことのかぎりをなすぅ!

81日本@名無史さん:2009/06/21(日) 07:45:32
>80
平安時代、800年代初頭に成立した10巻本の旧事本紀のことかい?
まさか、江戸時代成立の30巻本(白川本)とか72巻本(大成経)のことじゃあるまいな?
82ぴいぽ:2009/06/22(月) 17:45:36
>>81もちろん10巻本のことだよ。平安成立はあやまりだよ。平安に見つけられたのでしょう。
日本書紀に旧事本紀からのおそまつな抜粋がある。当然旧事本紀のほうが
元だから詳細で目から鱗さ。おまけに記紀のつぎはぎのレッテルが逆転される。
非常に面白い所だよ。
核をかくよ。
今年中に神代の解明をしなくちゃならないからね。
その核は陰陽ムスビの造化神ベクトルと独り成る造化神ベクトルの
ふたつのベクトルが神統譜に存在するのさ。旧事本紀の神代においては平行に存在した。だって書いてある。笑
今度いつカキコできるかわからないけど・・旧事本紀の値段も上がってきた・・・
それは、余計だよ。

83ぴいぽ:2009/06/27(土) 18:04:08
今月の歴讀・・原田さん!いけません!古史古伝が破綻したといさみあし発言。
これからぴいぽのカキコを見れば竹内信奉者になりますぅ!笑
まず良く本を読みましょう。
日本書紀に明らかなる旧事本紀の神統譜からの抜粋があります。ここを押さえるのが
肝心です。でも原田さんだけが見のがしたのではありません。古今東西の学者さんも
もそうなのですから。
84日本@名無史さん:2009/06/28(日) 03:13:45
旧事本紀には平安遷都直後の記事も記されてるから日本書紀より新しいことは確実、といわれてるんだが。
平安時代に成立したことは間違いない、とな。
85ぴいぽ:2009/06/29(月) 17:59:23
太子の遺志だね。部分的に帝紀を終わらせるだけでなく末代までも
続いて記すべきもの。
それをがてん承知した人が後の記事も当然の事としてかいたのでしょう。
旧事本紀冒頭の神代本紀における神統譜を部分的に割愛し日本書紀に載せている。
書紀を読まれた方はおや?と思う部分がある。整合性にかける神統譜を語っている
ところだよ。だが旧事本紀を見れば誰もががてん承知するでしょう。
86日本@名無史さん:2009/06/30(火) 00:08:09
>85
単に、日本書紀の記事を元に膨らませて旧事本紀を作ったってだけだろ、

どっちが先かを、第三者への引用とか抜きに日本書紀と旧事本紀の二つだけで決定することはできないよ。

んで、諸書への引用からは、旧事本紀の方が新しいと結論された。
87ぴいぽ:2009/07/04(土) 18:00:43
>86
古今研究成果は「つぎはぎ」のレッテルを貼り付けた。
膨らませたとは言っていないが膨らんだ部分こそがオリジナルと解釈できる。
つまり古伝なのだ。
旧事本紀は記紀の勅撰に創作をプラスなどというものではないのだよ。
膨らんだ部分・・君自身指摘できるかな?笑い
鎌倉時代、伊勢神道において神道が理論化される。膨らんだ部分はその核なのさ。
ついでに言っておこう。伊勢神道はすでに吉田兼倶以前に神代の万国思想が
打ち出されていた。気になってチラ見した。(君のおかげだよ。笑)
事実上伊勢神道は竹内文献の弟分になれた。その部分は未だかつて指摘されていないが、
膨らんだ部分だよ。
伊勢神道・・竹内研究から見る部分が相当ある。
るん♪
少し教えておこう。
なんと!伊勢神道には根源神、天之御中主神や国常立尊以前即ち
宇宙誕生以前(竹内研究もソウ)を明らかにする核研究が見られたのだ。
それは中世になると顕著に伺える。恐るべし!
なんじゃぁー・・結局竹内文献は伊勢の核も吉田の核も包括しておるではないか!
竹内巨麿が引用したとはとても思えん。
竹内文献さらに恐るべし!
88ぴいぽ:2009/07/04(土) 18:06:52
ぴいぽは卜部家学が伊勢に流れたのかなと思ったけど
伊勢を良く検討しないといけないなあ・・
近世になると吉田とバイアスがかかってきて凄いんだけど。

89ぴいぽ:2009/07/04(土) 18:12:36
わかるかな?
旧事本紀に見いだせるふたつの神統譜ベクトルを伊勢神道が理論的に核として
使い分けている。
ぴいぽの指摘する神道史の新たな視点だ。

もちろん竹内の方が詳細で奥が深い。ここが竹内の凄いところだが。
90日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:43:20
記紀になくて旧事本紀の独自の部分って、
結局、他の文献資料で裏付けをとることのできない孤立情報にすぎないんだよな。

記紀でさえ、他の文献で裏付けをとれない独自描写の扱いには慎重になるのが常識なんだから、
旧事本紀の独自部分は軽々しく信じないのが当たり前。

軽々しく信じるという行為そのものが、記紀より旧事本紀の記述の方が信憑性が高いという前提に基づいた軽挙妄動。
91ぴいぽ:2009/07/06(月) 17:34:28
大神宮諸雑事記」に見える天平神護二年(766年)十二月十八日の条に伊勢神宮 宮司神館火災
の記事が見え日本書紀二部が焼失・神代本紀の書名も見える。
日本書紀は養老四年(720年)撰述である。
神代本紀の書名は先代旧事本紀中に見える物。他の巻きが散逸した可能性がある。
よって旧事本紀が古いと言うことになる。
92ぴいぽ:2009/07/06(月) 17:46:54
既に竹内方面の板に書いた事だよ。笑
ぴいぽのいう核は歴史的に神道の核となっている。
天台神道や伊勢神道、卜部神道それぞれの神書に見える。歴代の核をとらえた人物の著作は
神道史において重要典籍となっている。だから現在それら神道古典は研究のため活字化され
ている。
驚くことに核の部分は核信仰として近世まで実践されていた事実もある。
奇跡的に古本市の残り物の中に見つけた神方道術関連の書に核部分が霊符の胎をなしていた。
93ぴいぽ:2009/07/06(月) 17:51:22
中世神道の研究書をチラ見する機会があったが、ぴいぽ核は未だ論じらていない。
研究はこれからだそうだよ。笑。

君はもちっと書を見ることだ。笑
94日本@名無史さん:2009/07/06(月) 22:01:14
原田のお仲間が・・・

志水一夫さん逝去[ASIOS公式ブログ]
ttp://asios-blog.seesaa.net/article/122768454.html
95ぴいぽ:2009/07/13(月) 17:27:04
崖の上のポニョを借りてみたら・・なんと!
ストーリー中にとこ核に触れる発言が!
日本書紀における異説の神統譜をズバリさしている!
実にタイムリー
96シドニー浜:2009/07/28(火) 15:34:25
ぴいぽ氏ここにいらっしゃいましたか(笑

竹内文献の古写本は現在焼失されて既に無いとされているが、実際に
その行方は確認されていない。確認されていないというのが正しいとは
言えず、むしろ隠されていると言った方が正しい。

竹内文献はもちろん正面から見たら偽書としてしか与えられられない評価の
固まりのような文面に満ちているが、その元となった原著があると考えて
間違いない(『上記大奥』)。上記大奥の存在は、安江仙弘による竹内文献
について語られた本『宏遠なる我が神代史』に詳しい。

実際焼失した写本は天の巻という一部でしかあり得ず、地の巻や人の巻と
いった部分を精査しなければならず、それらの行方が現在秘匿されている。

上記(ウエツフミ)のもうひとつの流れとして、ウガヤ皇統譜の一部を欠く方
の上記には、大友本と宗像本があるが、消失されていたとされる大友(春藤)
本がこのほど大分県寄贈されてその文献整理が進められているという。こち
らが解明されると竹内文献の方のもう一つの側面が見えてくるかもしれない。
97シドニー浜:2009/07/28(火) 15:47:09
一つ書き漏らしましたが、ウエツフミと竹内文書とは、決して相互補間
される得る様な性質のものではなく、ウエツフミで書かれている歴史は、
竹内文書では全く別な歴史として紹介されている。
どちらかを肯定するとどちらかは否定されるという運命もあるようです。

更に、吉良義風の紹介したウエツフミの内容は、あくまでも抄訳であっ
て、全容(41綴)について述べられた否定文はまだ少ないのが現状である。
98ぴいぽ:2009/08/01(土) 18:05:04
シドニー浜さん
ウエツに竹内の核(旧事本紀、卜部神道、伊勢神道に見えます。)が
ウエツにあるか再確認していませんが
最近両部神道本をチラ見しましたが伊勢神道の影響を受けています。
旧伊勢神道の大将はなんと京都に住んでましたぁー!
卜部家学にリンクした可能性大です。
総合的に竹内が神道の核たる事が顕わに・・!!
99ぴいぽ:2009/08/03(月) 18:00:39
神道古典書を見たらば古史古伝に負けない年代が普通に書かれてある。
神代文字の存在をクローズアップさせざるをえない。

今、神道の総合的なチラ見の最中です。
見れば見るほど竹内の影響がある。何故だろう。

100日本@名無史さん:2009/08/04(火) 02:06:42
そりゃ...

神道五部書を筆頭に、神道の古典こそが偽書のオンパレードだからなあ。
「偽書のデファクトスタンダード」と呼んでもいいんじゃないかと思えるほどだ。

>見れば見るほど竹内の影響がある。何故だろう。

むしろ、竹内文書など諸々の偽書の手本になったと考えた方がいいと思うよ。
101ぴいぽ:2009/08/08(土) 17:50:34
竹内吉田度会の共通核は開闢以来誰も指摘していないよ。
本当の意味で吉田秘庫開帳は戦後。吉田核包括の竹内開帳は昭和の始め。
巨麿さんのネタが御嶽ならわかるけど。
伊勢神道や卜部核、記紀にまさる旧事本紀核を当時気がついて
神統系譜を作り上げたとは到底思えないね。
現在でさえその共通核を指摘できる人はいない。
卜部核が鎌倉にさかのぼり度会さんとの関係を考えさせる一本は平成刊だからね。
102ぴいぽ:2009/08/08(土) 18:01:52
五部書は隼竹内クラスの年代を扱っているが竹内はそれを
取ってない。その後の著述の度会の大将の本にこそ共通核がある。
なんじゃ、よけいに新しいではないかとつっこむなかれ。
その核こそ五部書より古い先代旧事本紀の核なのだ。
全てにおいて巨麿さんが凄い裏付けのみ採れる。だが巨麿さんが作ったというより
初めから竹内に書いてあったと言う方がこの場合自然だ。
103ぴいぽ:2009/08/08(土) 18:06:51
ぴいぽが竹内核を語れるのも平成において閲覧可能の時代性があるからだよ。
巨麿さんの時代では物理的に不可能じゃないかな。
現代の人は時代性を考えないからね。
104日本@名無史さん:2009/08/09(日) 16:24:47
なかなか興味深い説ですが、
ときに、ぴいぽ、って何ですか?
105ぴいぽ:2009/08/09(日) 17:28:54
ぴいぽの意味は誤解を与えかねない。一応方言?で救急車。
竹内に共通する伊勢核キーワード発見。
成立が鎌倉初期!!におよぼうとする伊勢核本に神皇を冠するタイトル神皇実録
北畠さんのよりはるかに古い。
竹内文献内のメイン「神皇御記録」も神皇を冠する。

106ぴいぽ:2009/08/27(木) 17:40:31
神代の解明、時間がありませーん!!

見えたっ!!全日本女子バレー!世界のトップと戦える!
確かにレベルアップしている!
 
とこマトリクス確かに正しい。卜部、度会、荒木田、姻戚関係あり!
107日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:54:02
なんだこりゃ
108太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/15(木) 20:30:18
【ホツマ欠史八代の日数統計表】秀真伝(吾郷清彦著)巻末年表 巻末144頁参照)

1日 3  16日 0
2日 2  17日 0
3日 6  18日 0
4日 1  19日 0
5日 7  20日 0
6日 2  21日 1←綏元年1/21 綏世は通常暦だから月後半日がある
7日 2  22日 0
8日 3  23日 0
9日 1  24日 0
10日 2  25日 1←孝靈72年10/25 徐福紀伊上陸 孝靈世でない紀元前の記事
11日 2  26日 0
12日 6  27日 0
13日 1  28日 0
14日 5  29日 0
15日 3  30日 0


当時に於いて2倍暦の行使があったことが、表の中身が全部1日〜15日に収まっ
ていることにてホツマはこれを示している。但し二箇所例外があるが、21日のは、
綏世が倍暦でなく通常暦であったからこそで、残り徐福の記事を除いて他の全部
が15日以内の月上半分の日数にあって2倍暦を示し、21日は月後半を示して、当時
の綏世が通常暦であったことをホツマ年表は示している。
徐福の場合は倍暦の段差にて彼は孝靈の代の人物ではなく、もっと過去の古い
紀元前の時代の人物だったのに、倍暦を知らないホツマ編者が孝靈の代に
あてたものであり、紀元前に通常暦を使ってた事があったことから月後半の日数
25日になっているものであり、真の欠史八代時の記事ではない。
あとは全部記事が月前半に集中し、当時2倍暦の行使があった事を物語っている。
109太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/19(月) 21:45:43
もう以前から綏の代は神武の初の3倍暦が不便らしく廃止して通常暦法に
戻したことを論述したが、>>108表の但し書きから裏が取れてうれしい。これで
自説が真であることがハッキリした。
110日本@名無史さん:2009/10/19(月) 22:59:26
[偽書とされる書における檀君]  <清の嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え>
                     <20世紀に入ってから作られた男女平等、父権などの用語が使用されている>

『桓檀古記』に含まれる「檀君世紀」上編[2]によれば、檀君朝鮮は始祖王倹より古列加まで47代続いた王朝であったという。
しかし、同書や同じく『桓檀古記』にある「太白逸史」には清の嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え、
「太白逸史」の引用書「朝代記」に至っては男女平等、父権などの近代になって登場した用語が使用されている。
このことから、20世紀に入ってから作られた新しい偽書であることが確実視されている。
111日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:01:30
[偽書とされる書における檀君]  <清の嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え>
                     <20世紀に入ってから作られた男女平等、父権などの用語が使用されている>

『桓檀古記』に含まれる「檀君世紀」上編[2]によれば、檀君朝鮮は始祖王倹より古列加まで47代続いた王朝であったという。
しかし、同書や同じく『桓檀古記』にある「太白逸史」には清の嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え、
「太白逸史」の引用書「朝代記」に至っては男女平等、父権などの近代になって登場した用語が使用されている。
このことから、20世紀に入ってから作られた新しい偽書であることが確実視されている。
112ぴいぽ:2009/12/19(土) 22:27:24
神代の解明・・・時間がありませーん!
何も手付かず。
ここにきて古史古伝・・・吾郷さんの本の値が上がってきた。
やはり山田孝雄先生の指摘した正倉院文書における神代文字を掲載したからでしょう。
山田さんは批判論もかいておられますが国語史の中で倭文字の存在をを認めておられる。

まいった・・平田篤胤翁も尊敬する荷田大人!
なんとぉー!大成経を秘蔵していたぁー! 笑

徐々に神代が開けてきたぁー! 
113日本@名無史さん:2009/12/26(土) 19:03:53
114太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/06(水) 22:51:21
20世紀の各年の各日の数字を調べてみると2月は29日までしかなく、どの20世紀
の記録を調べても、グレゴリオ暦に於ては2/30の日付は空白である。これは各国
の政府がその経営の為、あった日数ながら記載をしないでその日を送った〜ので
はなく、もともと2/30という日が空白で無かったことを物語っている。この2/30
という日が存在したのではなく、20世紀ではこの日は存在しない。だから2月は
29日までしかなかったのだ。断じて2月は30日という日は存在しないのである。
20世紀では2/30はマシの日ではないのだ。

日本書紀の欠史八代の日数統計表をとってみると、その総ての記事の記載は
1日〜14日しかない。このことはホツマの欠史八代の日数統計表(>>108)を
見たときいささか違いがあり、ホツマの場合は1日〜15日までなのである。但し
ホツマの八代間の綏世と孝靈世の記事は16日以降の月後半の日数になって
いるが、前者の代は公的に倍暦の行使は無くだから月後半の日の記事でもおかしく
はなく当然であり、後者は孝靈の代のようだが〜見かけであり、神武以前の記事
だから八代から除けるので、ホツマの八代間の記事は倍暦行使の代に於ては総て
月前半の1日〜15日までに収まっているのだ。→>>108

じゃぁ何故記が上旬でも14日まででホツマは15日迄のもう1日多い張出し日が
あるのかといえば、これは先述の20世紀の2月の閏日29日と同様、ある年か月に
倍暦行使の関係で15日を閏日として、倍暦行使を1日〜14日で行っていたので
あろうと考えている。当時、15日は閏日だとなるのだ。
115太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/06(水) 23:21:24
それがしは以前から綏靖の代が通常暦を行使していて、この代は倍暦の
(公的には)行使は行われていないと主張して来たわけだが、>>108の表
にて(ホツマから)綏靖の代が月後半の記事となってることで、その
ウラが取れたことになる。八代の他の時代は倍暦を行使していたから、同表
の日付は月前半に位置しているのだ。
116日本@名無史さん:2010/02/15(月) 13:10:23
神武から数代遡ればもう天孫降臨というのもあまりに不自然で
神武の実在を仮定しても、前王朝の存在がある方がむしろ妥当。
117日本@名無史さん:2010/03/07(日) 01:10:09
そうかね?
118日本@名無史さん
そうやろ