▲▼皇后・国母・女院を語る▼▲Part2

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260日本@名無史さん:2009/08/04(火) 21:18:45
>>259
確かに、当時の貴族の日記というのは、パソコンのピクチャーに入っている色んな映像に近いものがある。
261日本@名無史さん:2009/08/09(日) 11:12:57
藤原定子様最高!
262日本@名無史さん:2009/08/09(日) 19:24:18
残ってるのは、道長の悪口書かなかったからだろ
263日本@名無史さん:2009/08/09(日) 19:30:41
なまみこ婆はいい加減にしろよ。
漫画板でも飽きられて相手にされなくなったからって戻ってくるなよ。
264日本@名無史さん:2009/08/09(日) 19:52:23
>>262
家記の概念って知ってる?
265日本@名無史さん:2009/08/09(日) 19:53:44
史料の読めない人が1名いるね。
なぜ日本史板に出入りしてるのかな?
荒らしだからかw
266日本@名無史さん:2009/08/11(火) 23:06:46
齋藤雅子著の『たまゆらの宴』 を読めよ!
267日本@名無史さん:2009/08/12(水) 09:59:02
ここで言われている史料は主に一次史料+αのこと
「たまゆらの宴」は研究書だから史料にはならないよ
268日本@名無史さん:2009/08/14(金) 13:47:16
定子様は一条天皇の皇女を産んだんだよ!
269日本@名無史さん:2009/08/16(日) 17:25:17
ここは定子専用スレではないので他スレへどうぞ。
3つもスレを占領するな。
270日本@名無史さん:2009/08/21(金) 06:50:52
明治天皇皇后、一条美子様について語ろうぜ!
271日本@名無史さん:2009/08/27(木) 23:22:25
おう!
272名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:34:50
美子皇后美人や〜
273日本@名無史さん:2009/09/09(水) 01:32:35
>>112
遅レスだけど花園天皇后・正親町実子(宣光門院)も密通していたみたい。
相手は光厳天皇(後伏見天皇の子で花園天皇の甥)。
直仁親王のwikiに書いてあった。
274日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:24:13
>>270-272
このスレは幕末以前の時代専用 >>1
275日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:22:42
神功皇后が架空の人物だとしたら、今の神功皇后陵に祀られてるのは一体誰なの?
たまたまそこに墓立てた豪族?別の皇族?


初心者に教えてくれー
276日本@名無史さん:2009/09/19(土) 03:05:42
>>275
佐紀盾列古墳群中の、200m級以上の前方後円墳7基は、7基とも、
被葬者の個人名が特定できないとしても、その地位階層としては、
天皇・皇后・皇太子など皇族推定が多数派で、豪族墓学説は少ないようだ。

まずは記紀に名の残る人名のうち、誰が実在で誰が非実在かが確定できない難しい問題だし、
それが解決(又は暫定的仮定)しないと、どの古墳が何という個人の墓であるかの推定に進めない。

7基の築造順序としては最新の説では、現日葉酢媛命陵・現神功皇后陵・現成務天皇陵・
・現平城天皇陵・コナベ古墳・ウワナベ古墳・現磐之媛命陵、の順らしい。

以下は神功皇后他が実在だと仮定した場合で、現神功皇后陵は前期古墳で273mという規模で、
たとえ摂政だとしても皇后陵の規模というよりは、天皇陵と見た方が相応しい規模だし、
成務天皇は神功皇后よりも1世代前なので、現神功皇后陵の被葬者は成務天皇なのでは。
そして現成務天皇陵の被葬者が神功皇后なのでは、という説を読んだな。
277日本@名無史さん:2009/10/05(月) 21:15:41
なんで皇后は皇女って言う規定があったんだろう。
兄弟相続を前提とし、概ね常時天皇の従姉妹や姪に皇女がいることを想定していた?
それとも直径相続前提で、異母姉妹や叔母との結婚を予定していた?
その場合聖武天皇みたいに相手がいないなんてことに成りかねないけど。
制度を決めた当時は天皇や皇子と皇女との結婚は普通だったし、そこまで深く考えてなかった?
南北朝時代みたいに二朝並立なら、限りなく他人に近い皇女も存在しうるけどね。

称徳天皇と安積皇子の年齢差がもっと少なかったら、二人の結婚とかあり得たんだろうか?
いきなり話を変えて申し訳ない。
278日本@名無史さん:2009/10/05(月) 21:33:58
皇統の純血性の維持?
279日本@名無史さん:2009/10/05(月) 22:21:22
律令が出来た時点では
推古天皇、皇極天皇、持統天皇など
皇后が女帝になるケースが多かった
・・・ことに関係してるのかもしれん
280日本@名無史さん:2009/10/05(月) 23:14:08
>>277
>皇后は皇女って言う規定

×皇女→○皇族  女王もOK
×規定→○不文律

例外として、仁徳天皇の皇后の磐之媛命がよく挙げられるが、
五世女王で皇族とされる神功皇后と同じく、男系血統的には磐之媛命は皇玄孫の娘。
史実上の磐之媛命は大后ではなく、勢力のある第一妻であったのかもしれない。
そして大后の名目は、もっと早い時期から矢田皇女にあったのかもしれないが。

藤原不比等や橘三千代の画策・邪魔立てがなければ、文武天皇や聖武天皇にも、
当然皇后要員として、皇族の女王あたりが入内していた事だろう。
281日本@名無史さん:2009/10/09(金) 20:18:11
>>277
古代においては皇后は天皇と並んで国を統治すると定義づけられていた
天皇とともに統治するには同族であることが望ましい
さらに夫天皇が没すれば幼い後継者に代わり即位することが多かった
そのために同族(皇女・王女)に限られた
282日本@名無史さん:2009/10/10(土) 16:40:23
>>281
王女じゃなくて女王ね
283日本@名無史さん:2009/10/11(日) 00:35:19
桓武天皇は朝鮮系の血が入ってるんでしょ
284日本@名無史さん:2009/10/11(日) 08:34:45
冬嗣の母ちゃんも半島系、朱雀・村上両天皇の生母は冬嗣の孫基経の娘穏子。
それ以後の二十数代の天皇生母は全員基経子孫(村上源氏・後続も女系子孫)で、
これだけでも数十回半島系の血が入ってる。
つまり摂関家も女系では半島系の子孫。
285:2009/10/11(日) 13:30:00
半島からの書き込み乙
286日本@名無史さん:2009/10/13(火) 20:15:34
蝦夷が山背大兄王に冷たかったのって、道長が疎遠な姉超子の子三条天皇より、親しかっ
た姉詮子の子の一条天皇と関係が良かったようなものなんじゃないのかな?
刀自古郎女より法提郎女と親しかったとか、もしかして法提郎女は蝦夷と同母兄弟だった
のかもしれない。
疎遠な姉妹の子より、親しい姉妹の夫や子の方を選んだってところで。
刀自古郎女は、超子みたいに既に死亡していた可能性もあるな。
そんな一つの妄想。
287日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:07:43
>>286
蝦夷の妹の法提郎女が舒明天皇の第一皇子古人大兄皇子を産んでいたからね。
実質的には古人大兄皇子を取るか山背王を取るかだった。
山背王の母は蝦夷の姉刀自古郎女だったが、
山背王は自分の異母妹の春米女王を正室に娶って嫡子を産ませており
蘇我氏が入り込む余地がなかった。
山背王も蝦夷の妹を娶るなどしていればよかったのかも。
288日本@名無史さん:2009/10/15(木) 00:03:50
桓武天皇は朝鮮半島の血が入ってるからね
289日本@名無史さん:2009/10/16(金) 19:48:14
桓武天皇の母高野新笠は賜姓する前の名は和新笠だけどさ。
本当に朝鮮の血が入っていたのかね?
秦の始皇帝の末裔だといって秦と名のった秦氏ほどにも信憑性がない。
姓が「和」だよ?
ちなみに新笠の母親は土師氏。
こちらは土着の日本人。
290日本@名無史さん:2009/10/16(金) 20:31:47
>>289
高野新笠の父親は和乙継で、和氏のカバネは史(フヒト)と推定されている。
史は渡来系の氏族に与えられるカバネなので、
和史氏の男系遠祖が渡来人なのは、多分間違いないだろう。

氏の名「和」は定住地名由来であって、渡来人説を否定する理由にはならない。
同氏名なのに系統の違う例は多く、系統の区別はカバネによってなされる。

ただその渡来してきたのは継体天皇朝ごろで、渡来人〜乙継間には7代ほどは数えられる。
その渡来人が百済の王子(人質)だったというのも、光仁朝の捏造っぽくて疑問だが。
291日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:31:31
土師氏自体が渡来系だって説もあるけどね。
って言うか、どうせ日本人は全員渡来人の子孫であげつらうのは意味がないかも。
渡来時期が早いか遅いかの違いだけで、縄文人だって渡来人だし。
292日本@名無史さん:2009/10/18(日) 23:11:19
持統天皇=鸕野讚良皇女って、姉妹中で一人だけ名前が異質な感じを受けるけど、
何か理由があるんだろうか?
姉妹:大田皇女・御名部皇女・阿閇皇女(元明天皇)・山辺皇女・明日香皇女・新田部皇女
・阿雅皇女(実在?)・大江皇女・泉皇女・水主皇女
293日本@名無史さん:2009/10/19(月) 00:10:41
>>292
この頃の皇子・皇女・王・女王の名は、乳母の出身氏族名にちなむ事が多い。
あるいは、生育地名(生母の居住地)・出生地などにちなむ事も。

鸕野(うの)も讃良(さらら)も、地名・氏族名。
河内国内に更荒郡(さららのこほり)があり、更荒郡内に鸕○野邑(うののさと)があった。
○はパソコンで出せない漢字。慈の上半分を偏として鳥を旁とした漢字。

これらの土地を本貫とする氏族名に、婆羅々馬飼造・菟野馬飼造・宇努連があった。
持統天皇の乳母を出した氏族なんだろう。

持統天皇の本名は、鸕野讃良皇女というよりは、
鸕野皇女・讃良皇女の両方の呼ばれ方が、あったのじゃないかと思う。

天智天皇紀には鸕野皇女・婆羅羅皇女とあり、天武天皇紀には菟野皇女とあり、
持統天皇紀にだけ鸕野讃良皇女とある。
294293:2009/10/19(月) 02:42:04
ごめん、>>293で漢字の間違いあり。
 ×婆(2ヶ所) → ○娑
295日本@名無史さん:2009/10/19(月) 21:27:53
なるほど、鸕野讃良皇女ではなく、
鸕野皇女・讃良皇女の両方の呼ばれ方があったですか。
ただ続けるとなんだか重々しい感じがしますね。
持統天皇紀だけの表記っていうことは、
そういう効果をねらっていたってことはないかな?
296日本@名無史さん:2009/10/25(日) 01:31:18
【岡田外相 「民主党が"天皇は植木職人になるべき"と言うのならば、そうなる」】


植木職人発言オフレコ(岡田外相・金曜夜プレ懇) デスクオンリー/オフレコテープ起こしママ/公表不可 納品 2009年10月24日 02:11:40

1/5 Q.「まず、今回の外相の発言の真意をお伺いしたい。ご発言は、天皇の国事行為を前提とした、という理解でいいんですよね?つまり、あくまで内閣の助言と承認…(カブリ。聞き取れず)」
岡田氏「(さえぎり。カブリ)内閣とか国事行為とは無関係だ。あくまで陛下の……(聞き取れず) ご自身のお考え…お声を知りたいということだ」

2/5 Q.「では、宮内庁というのは?」
岡田氏「宮内庁というのは方便…というかレトリック(聞き取れず)とでも…。  陛下自身のお考えが聞きたいという趣旨。もちろん、宮内庁が陛下のお考えを聞いて起案し、文章化するとか措辞を整え とかあるだろうが、陛下自身のご意見が問題だ」

3/5 Q.「ズバリ、大臣は、陛下にどのようなお言葉が…(カブリ)」
岡田氏「(カブリ)そりゃ…政権交代ですよもちろん。
"勝てば官軍"といえば言い過ぎでしょうけど(数名笑い声)、民主党がこうして 勝った訳ですから、陛下もそれに恭順…(…間…)というかその支持をご自身のお言葉で表明してほしいですよね? 
このままじゃ"自民党の皇室"のままだ」

4/5 Q.「大臣のそういうお考えは内閣としても憲法上問題である、という見解が…」
岡田氏「内閣といっても法制局でしょ。"官"ですよ。政権がかわれば、憲法解釈もかわります。我々は政治主導です。そういうくだらないことを言うんであれば、法制局長官
をクビにするだけです。それが政治主導です」

5/5 Q.「陛下の政治的中立を守らないと皇室の維持の将来にも問題が…」
岡田氏「政治的中立とか…(…間…)政治的中立って憲法に書いてあるんですか?マニフェストに書いてあります?皇室の将来より民意ですよ。民意は民主党支持なんです。
民意より皇室の維持が重要なんてあり得ない。民主主義です民意が"天皇は植木職人になるべき"というのならばそうなるんでしょ」(了)
297日本@名無史さん:2009/11/02(月) 20:45:00
大化前後よりも前ってこういう複合名(?)ってちょこちょこでてくるよね。

春日山田皇女
磐坂市辺押磐皇子
星川稚宮皇子 などなど

これも母方の氏族や乳母の氏族の複合系になるんだろうか
こういうのってどういう基準で名前をつけたんだろうね
298日本@名無史さん:2009/12/20(日) 13:26:00
ジングウ皇后は卑弥呼なの?
299日本@名無史さん:2009/12/20(日) 15:32:00
>>298
全然違う。神功皇后という個人やモデル人物が、実在したとしても実在しなかったとしても、
倭国の誰かが指揮をして、朝鮮半島に派手に攻め入った事実があったのは、
高句麗の広開土王の時代で倭王讃の少し前の時代で、卑弥呼の生存年代よりも150年ぐらい後。

日本書紀の編纂者は、中国側史書の卑弥呼の記事を知っていて、長寿天皇を増やし暦を操作して、
卑弥呼というのは実は神功皇后の事なんだ、という書きぶりをしているが。
神功皇后が皇太后・摂政として、崩御まで長く称制(即位はせず)していた時代の出来事として、
魏志・晋書にある、倭の女王が中国に遣使した記事を披露している。
300日本@名無史さん:2010/01/08(金) 22:52:08
平安〜鎌倉あたりの后や女院を扱った論文はたくさんあるのに
著書となると『家族史としての女院論』くらいしかないのは何故だろう?
301日本@名無史さん:2010/01/08(金) 23:14:34
>>300
女院をライフワークにしている学者は殆どいないからではないかと。

野村さんの名を久しぶりに見られて感激したよ。
この方の卒論を読んで感動した事も思い出したw
302日本@名無史さん:2010/01/09(土) 13:58:37
今度出るね(出たのか?)

『中世前期女性院宮の研究』 山田彩起子 思文閣


中世くらいまでは論文も多いけど、近世になるとほとんどないでしょ。
近世も面白いと思うけどね
303日本@名無史さん:2010/01/09(土) 15:24:09
>>302
久保貴子さんという人の著書(タイトル忘れた)は
近世の朝廷について研究したもので
当該期の女院を論じた章もあるよ
304日本@名無史さん:2010/01/09(土) 15:33:52
>>300>>301に出てる野村育世さんの名前は前から目にすることあったけど
>>302の名前は初めて見た
305日本@名無史さん:2010/03/06(土) 22:06:28
ほほー
306日本@名無史さん:2010/03/19(金) 00:02:03
近世の女院つったら新上東門院だな
307日本@名無史さん:2010/03/24(水) 23:22:13
だれそれ?
308日本@名無史さん:2010/03/26(金) 07:47:23
猪熊事件の影の主役
309日本@名無史さん
猪熊事件で流された公家たちはほとぼりが冷めたころ赦されたけど、女官のほうはかなりの年月がかかった
のはなぜだろう?