真面目に奈良明日香から都らしい遺物の出土は皆無だしねw
洗脳って凄いよな
土器偏程度で都だってさw
奈良の役人にとって2ちゃんは仕事の一部らしいでw
355 :
日本@名無史さん:2008/02/27(水) 13:19:15
>>352−354
どうでもいいが、文章の特徴が全く同じ
同一人物の運動員w
>>355 何しに来たんだ
歴史の勉強するか仕事しろw
357 :
日本@名無史さん:2008/02/27(水) 13:47:31
そういえば税金で食っている奴しか、記紀を肯定する動機って無いですね。
九州でも役人だけは九州王朝を否定するよなw
記紀の捏造が明るみになり
見直しムードが優勢になれば
国営飛鳥歴史公園事務所なんて
直ぐに廃所だよな
歴史を食い物にしてるよ
奈良のあるお役人は
遺跡は造り出すもの
と豪語してたw
明日香の板蓋宮跡も
出土時を見間違う程の過剰整備だな
九州の役人の揺れ動く心は、史跡説明看板とかに現われているから、彼らの本音と建前の葛藤に、同情するけどね。
ちと逸れます
葛藤ってもつれあう意味と心揺れ動く事らしいですが
葛城と藤原のもつれで容易に理解出来ます
それ古代の真実を物語る言葉ですね
葛藤ね
これは日本で作られた言葉だなw
夫婦喧嘩にぴったりかもな
ならす
均す 慣らす 鳴らす
これらも意味豊富だよね
371 :
日本@名無史さん:2008/02/28(木) 15:03:56
葛藤の考察
1葛城≠藤原
2葛城vs藤原
3葛城×藤原=藤原
4葛城・藤原=長く伸びる
色々考えられるよね
372 :
日本@名無史さん:2008/02/28(木) 15:07:58
葛藤の考察
1葛城≠藤原
2葛城VS藤原
3葛城×藤原=藤原
4葛城・藤原=長く伸びる
色々あるね
太宰管内志何方か破格で譲って欲しい
葛城と賀茂って似てる
結局同じ神が枝分かれしてるだけだしね
九州の葛城は大和の葛城と違って神的に評価高いね
葛城の高鴨神社に早朝行ったけど
人一人もい居らず哀しい雰囲気
大和の葛城は忘れられた場所かもね
奈良の葛城は移設によるお情け神社ばかり
あの有名大社を此処に持ってこないと説得力が無い
名ばかりの葛城だよね
加茂葛城は、日本の一番古い王家であり、
父系は取って変わられながらも、母系で王家の血脈を繋いでいる。
古くから宮廷衣裳として重用された葛布は、それを証明する名前を今でも残しています。
葛城の葬制は取って代わった王家等に
残念ながらが変えられましたよね
賀茂神社の権威が高い理由が解るよ
するとあの有名大社の本宮となるのかなw
歴史深い地域と云えば
歴史上数々の出来事があった地域の事ですが
奈良はそれだとどう云うべきでしょうか?
694年藤原京
784年長岡京
百年無いんだね奈良盆地w
明日香村には都も無かったのに歴史公園作ってる
史実どおりなら宇陀郡程度の扱いだろうね
捏造史書様様だ
奈良砂漠に都を作ったのは砂漠から来た王家
388 :
日本@名無史さん:2008/02/29(金) 18:46:27
389 :
日本@名無史さん:2008/02/29(金) 18:47:46
延喜式神名帳 大和国 高市郡 明日香村抜粋
飛鳥坐神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗
宗我坐宗我都比古神社二座 並大 月次新嘗
飛鳥山口坐神社 大 月次新嘗
甘樫坐神社四座 並大 月次相嘗新嘗
飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社
治田神社 鍬靫
櫛玉命神社四座 並大 月次新嘗
加夜奈留美命神社
呉津孫神社
氣都和既神社
波多神社 鍬靫
於美阿志神社
瀧本神社
許世都比古命神社
どうしてこの地域には知名度のある神社が無いのでしょう?
坐=移設して此処に坐りますた
コイツ等外してよう御座んすね
それぞれ由緒や成り立ちも情けないのが多いよね
飛鳥を掘る 河上邦彦著
この人記紀を信じているのだけれど
飛鳥の発掘しながら
記紀記述の位置が可笑しい可笑しいとぼやいてる
そりゃそうだわw
395 :
日本@名無史さん:2008/03/01(土) 10:17:04
いくら掘ってもね、決定的な証拠は、奈良からは出てきませんから、
貧弱な出土品や遺構についてね、記紀のような史料に絡ませ想像する。
考古学なんていつもその繰り返しで、ある意味悪循環を起しているんです。
すると想像が想像を邪魔して、全く収拾がつかないから、
頻繁に過去の想像の修正をする事になる。
基礎というか、スタートから想像ばかりだから、何時迄もこの茶番は続きます。
当たり前の事なんですけど。
日本で最初にエンペラーを名乗ったと云われる、天武天皇の飛鳥浄御原宮が、見つかっていない事だけでも眉唾なのに、
そのエンぺラーがとっかかり作った、寺も神社も奈良の明日香村には無いみたい。
墓だけ作って死ぬの待ってたのよw
閑話休題
楚王熊章編鐘
これは楽器ですが良質な銅鐸に見えます
銅鐸は中国文化から外せません
銅鐸の音色は戦後のビートルズ
日本が中国に破れてから流行る外国の音色
扶桑の国に金属音は似合わない
天武なんて奈良迄来てないよ
天武の銅鐸の音色だね
中国系のプロパガンダだと解かんないとねw
404 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 02:18:46
>>401 >天武なんて奈良迄来てないよ
奈良にいたのは誰から?
持統から?それとも文武から?
>>403 銅鐸で十分飼い馴らせる人達には銅鐸でいいね
そうそう剣が必要な地域では剣がある訳だ
明日香村の飛鳥坐神社とか加夜奈留美命神社を
関連つけた話をよくみるけどどっちの神社も悲しい経歴があるよ
飛鳥坐神社は江戸時代に神社など無く井戸の周辺の小山に神社を作った
加夜奈留美命神社は江戸時代まで別名八幡神社だった
江戸幕府の頑張りで現在の明日香村があるんだね
加夜奈留美だって九州にいたんだろ
辻褄合わせるのも大変だ
江戸幕府捏造チャンピオンだな
河上邦彦氏曰く奈良飛鳥には「条坊の無い事は確実」と記載している
飛鳥浄御原宮以前には既に条坊のある出先機関があるのだから滅茶苦茶だ
明日香に由緒を持ち込んだのはいいけれど、
それを裏付けるものが、後付けの短い期間の作品ですからね。
河上さんは通説を疑ってるね
正常な感覚だよなw
飛鳥寺も一部の史料では江戸時代に無視されている
戦国時代以前となりますと
寺社はかなり減るんだね
通説の表と裏
本音と建前
余程のバカボンじゃなけりゃ
知ってるよw
真実話を誰ともしたこと無いのなら
ちょっとお頭が弱いと自覚した方がいいよね
小郡市の小郡官衛遺跡
大刀洗町の下高橋官衛遺跡
直ぐ最寄に大きな太宰府があるから
わざわざ此処に地方出先機関は要らないな
九州の都だろうね
下高橋の周辺は色々あるね
有名な瓦が出土してんだね
この辺あるね
ここまじあるね
確かに竈門神社がある
都に付き物だし
奈良の山辺の道歩いたことある?
あれが機能していた道路だったとはとても思えない
それに奈良砂漠じゃ平地がぬかるみにくいから
わざわざ山歩く必要も無いし
426 :
日本@名無史さん:2008/03/04(火) 14:06:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
確かにあの山道を歩く意味がないよな
都周辺の官道なのに幅が狭く起伏が大きい事も嘘臭い
あの盆地なら馬が容易に使えたから遷都したはずなのにw
奈良時代の地方官道で幅8mあるんだよ
あんな山道が官道だと辻褄あわんよ
そうだよね山辺の道なんて
そこらへんの山岳道と同じだよ
確かにあの道は官道じゃないなw
山辺道よりも高い所に歴代天皇陵を作るべきだよね
あの古代天皇陵に
一つとして正解はないね
江戸幕府さんの想定だもん
宮内庁の天皇陵管理費は凄いんだよ
山辺道が古墳で迂回しているから
だいたいどの時代以降の移設作品かも解るよね
古墳が先か道が先か
どっちが先でも可笑しいな
奈良以前の官道の殆どは高速道路や重要国道のルートと重なる事が指摘されている
ただ奈良の山辺道だけ他とは違い際立つ個性の官道であることがハッキリしてる
本家山辺道の方は重要国道ルートだから説得力があるけれどw
むりやり記紀の記述に合わせなくてもいいし
あわせた奴のセンスを疑う
山辺山道
悲しみの椿市
どうすればあそこが町になるのかな
441 :
日本@名無史さん:2008/03/05(水) 22:01:43
穴と石と土器編を
時代も解らず説得洗脳するだけ
考古学者は立派だよ
奈良考古学の年代設定には妄想のスキルしかいらない
大振りの玉石並べる構造物なんて
低コストで簡易的に体裁を整えたとしか見えないのに
都に使われたなんて妄想の極みだよ
その辺の庭先でよく見るような石っころ並べただけの庭見てるみたいだろw
皇室はエンペラーだから
もう少し洗練されてないとねw
簡易舗装って感じだな
446 :
日本@名無史さん:2008/03/06(木) 16:12:49
奈良の古寺?には礎石があって
飛鳥の都は堀ったて柱
寺だけ別格かと思いきや
当時の出先太宰府には礎石があるw
447 :
日本@名無史さん:2008/03/06(木) 16:46:18
大宰府が礎石を使って建てられるのは八世紀からなんだけど?
奈良の歴史は多くの見落としで成り立っているwww
明日香の都が14Cで8世紀なら聞いたことがある
ほったて柱なのにw
寺の礎石かw
九州じゃ山城にまで礎石が残っているのに
確かに
奈良の藤原京平城京そして寺を除けば
まともな礎石が見当たらないなw
粗末な耐乏王朝だよねw
なんの変哲もない田舎の写真にしか
俺には見えないんだけどw
都から遠く遠く離れました
奈良国高市郡庁の遺跡ですw
458 :
日本@名無史さん:2008/03/07(金) 09:12:01
14cがどんな物か調べてみよう。
そして、地図で大宰府と明日香村を比較してみよう。
14Cは科学的年代測定国際基準
編年は妄想的年代測定日本基準
小学生達が14Cについて考古学者に質問メールを丁寧に送ったそうだ
考古学者の返事に対し不明な点について更に再質問を丁寧に送ったそうだ
すると考古学者は何故だか激怒の言葉も表わの拒否メールを返したそうだ
>>454 まさか写真が間違ってんじゃねwwwww
462 :
日本@名無史さん:2008/03/07(金) 12:03:25
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
463 :
日本@名無史さん:2008/03/07(金) 13:12:24
14cの数値そのままでは年代測定に使えないので、ある物で数値を補正してるんだよね。
>>454 天武の都なら礎石の一つ位出てもいいだろw
どの発掘資料をみても、
都らしい遺物なんて書かれていません。
ただ書記の記述から想定されるそうです。
書記が嘘八百ならどうなるのかしら。
編年の標準書は永久に出来ないみたい
これをあやふやとする事が最後の砦なんだって
>463
そのとおり
C12-> C14 への変化は主に太陽からの放射線によってもたらされるのと
大気循環の状態により、生成量が変化すると考えられている。
この変化を修正しなければならず、補正データがあり、それを見込んで
年代を決定する。
ただし、海中にある炭素は放射線の影響を受けにくく、C14の割合が小さい。
海洋由来の炭素が何らかの理由で、測定対象に多く含まれているとすれば
古く結果がでると考えられている。
もっとも、木材組織などに含まれるC14は炭酸同化作用による物と推定され、
海洋炭素の影響は誤差範囲を越えるものではない。
それはよかったなw
都はチープなのに
墓と寺はかなりゴージャス
日本の古代は世界に類例を見ない様相を呈してるw
寺があっても墓があっても
都がなければ地方都市
万国共通特例無し!
穴ぼこの都にエンペラー天武が即位すると思うか?www
せめて飛鳥歴史公園を作り終わってから
暴露してあげないと可愛そうだね
なら明日香の見直しはそんなに難しくない
新たな歴史への修正は
まず記紀の見直しから始める事になるだろう
飛鳥を調べるにつれ捏造は動かせなくなったね
近年考古学者はすっかり意識改革した
相次ぐ見込みとは違う発掘にも
ひたすら初志貫徹を貫くそうだw
ゆっくりのんびり結論の先延ばししか
彼らの生きる統べは無いなwww
明日香村周辺は、藤原京の附属施設として整備されたものを、それ以前だと書記が時代を捻曲げたもの。
480 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 11:19:13
日本考古学の歴史
日本考古学発祥は明治10年モースが大森貝塚を発掘調査してから
当時考古学後進国日本はそれを学び学術として発展させた
しかし時間とともに教わった事は都合良く解釈され編年という日本独自の年代設定迄生まれた
近年世界では科学的年代測定が主流となったがいまだ日本では取り入れられず現在に至る
考古学は戦前並みの水準から全く進んでいない
考古学捏造は近い将来
薬害エイズ並みの官民上げた組織犯罪として裁かれるよ
無駄に使われたお金は百億を上回る
見てみない振りした奴らも同罪だ
世間を欺いた罪は大きいな
明日香村周辺なんて
藤原京の死者の谷
奈良明日香から、仮に三種の神器でも出てきても、
もう誰もここを都だと信じないよ。
今までの考古学ファンへの裏切りは、
とっくにピークを過ぎてる。
よく見てみれば何も無い・・・
当時奈良に居る人達は外国人が多いよねw
明日香では掘立柱と石版築が主流なんだw
先行する九州の都じゃ方々で礎石が発見されてるし
その後の奈良の都でも礎石が発見されている
空白記とでもいうのかね
掘っ立て柱じゃ立派な正殿も沈んじゃうYO
堀立柱で思い出すのは雲太出雲大社
古代でもあとは思い当たらないよな
いかに時代錯誤の都なのかよく解るねw
堀立て柱は今で言うとプレハブ程度 庶民の家位で報道しとかないとなw
493 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 09:18:05
伊勢神宮は未だ掘立柱で作られている珍しい建物
云わば構造が傾き易いプレハブの為に
式年遷宮を常に行わなければならない
言い換えれば礎石の上に立つ他の寺社にはその必要が無いって事
移設した持統達は、木造建築構造に疎かったのか、急場凌ぎだったのか、どちらにしても陳腐な風習が伝わったもんだ。
ある一書によると
「・・・これは飛鳥の宮殿の特徴である石敷をともなって・・・」
確かに珍しい都の特徴だw
年代も解らない石敷の堀立柱
どこにでもある田舎の特徴w
掘立柱なのにすっかり踏ん反り返ってる。のさばらせていいのかね。w
寺はその前からつくったのにね
伊勢神宮も小石だけど石敷じゃんw
そろそろ暴露したほうがいいよ
>>494 逆に言うとあれくらいの遺構ならば日本全国どこ掘っても出るんじゃマイカ
後付で大騒ぎしてるという。実に滑稽だな
奈良砂漠には石がよく似合う
奈良明日香の石造物は
現代日本から理解できない物が多い
甘樫と甘木
移設前後で地名等が僅かに変わるって多いけど
あまり注目されてないね
506 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 13:01:17
467さん、石灰岩のC14の数値への影響は無いでしょうか?
石灰質の多い水で育った植物のC14の誤差は出ないんでしょうか?
507 :
467ではないが:2008/03/10(月) 15:21:01
>>506 植物内のCは炭酸同化作用の大気中CO2ガスに由来するもので、
根から水と共に吸い上げた炭酸塩に由来するものでないよ。
と言うより、毛根から炭酸塩は吸収できない。
508 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 16:05:19
なるほど。
ご教授、感謝。
砥上もにてるよ
似たもの指摘は安本氏が早いけど
東遷があまりにも早すぎる
彼も年令からの思い込みに負けたな
訓読みから音読み
移設後に移設元と移設先の改名
不自然な重箱読み
捏造工作は最近まで続いた
明日香も移設で変化したね
九州の飛鳥は広かったよね
飛鳥の○○宮って云うだけに
飛鳥は広域名だよ
先にくる名前が狭いのは
確かにおかしいよ
日本語の順序は東京の新宿
渋谷の新宿とか並列地名称ありえ無い
古代だけあるから笑うよ
そうね
九州の春日は広く
奈良の春日は狭い
九州の飛鳥は広く
奈良の飛鳥は狭い
すまん、九州の飛鳥ってどのへんを指すの?
>並列地名称ありえ無い
www
奈良の飛鳥はやたら狭いな
調べりゃいいw
何処に住んでんだろw
現地に居たら史料に事欠かない
525 :
日本@名無史さん:2008/03/16(日) 13:51:34
太宰府天満宮に伝わる翰苑には
魏志倭人伝の元となった魏略の逸文が含まれる
この内容だけで魏志倭人伝話は決まりですから
後に書かれた史書の記述をいくら検討してみても
意味の無い話ですよね
526 :
日本@名無史さん:2008/03/16(日) 15:25:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
>>525 新旧食い違うなら、常識的により古い史料に依るべきだよね。
魏略
中国三国時代の特に魏について書かれた歴史書。本文は失われ、現在は逸文のみが残る。
正史三国志にも陳寿がよく魏略から引用している。
三国志(魏志倭人伝)
中国の西晋代の人陳寿(233年 - 297年)により西暦280年〜290年頃に編纂された紀伝体の歴史書。
現存している写本は、5世紀に裴松之により校訂・注釈を施されたもので、紹興本と紹煕本がある。
紹興本は、南宋の紹興年間(1131年〜1162年)に筆写されたもので、
紹煕本は、紹煕年間(1190年〜1194年)に筆写されたものをいう。
邪馬台国妄想史学極まれり
塚田敬章さんの妄想は問題山積みだけどねwww
翰苑の研究すすめるべきたなw
翰苑は結局
九州が都だね
当たり前の話ですが、古い史料から考えないと、何の為に議論するのか、解らなくなりますね。
翰苑こそ魏志倭人伝
536 :
日本@名無史さん:2008/03/16(日) 23:07:46
漢書地理志 朱崖の条
魏志倭人伝は明らかに間違った認識を後から入れたようですな
後の秦王国が九州ですし、考古学的にその時代何も出てこない奈良に、まず勝ち目はないですよ。
三国志は遅れて作られた
それにしか頼らざるおえない学説は辛いでしょうね
×おえない
〇をえない
想像を膨らますのは個人の勝手だが
矛盾だらけの説を強要するのだけは止めて欲しい
珍説でも合理的に矛盾もなければ
自説に沿わない事も耳を傾ける人が必ずいる
学究を深める事を優先してほしい
三国志の魏志倭人伝は後から捏造してるわけかw
伊都国に続く国が邪馬台国なら
早良郡に三種の神器まで出てるから
辻褄ぴったり文句なしだw
543 :
日本@名無史さん:2008/03/17(月) 19:51:11
元祖日向ですねw
元祖橿原もご近所にあるようですし、奈良の出る幕は藤原京迄無いですよね。
反論出来る奴いないよなw
所で前から気になってたんだけど九州からは
三種の神器は出てない、っていう学者先生がいるけど
あれは何なの?出てるよね・・・
その学者は馬鹿なのよw
今時ね通説を覆す説に対して理由も無くゴネるだけで
当局からおいしいご褒美が貰えるんだから
学者達に考える力なんて必要無いのよ
すっかり餌が無くても握り締めた物離さない猿ばかりw
矛盾に気が付かないような
程度の低い学者程
ぎゃ-ぎゃ-うるさいよねw
吉武高木が弥生時代?
まず時代設定の見直しだな
新しいからこそ無視できる
無視をするにも理由が必要
魏略を無視する理由なんて無いですねw
553 :
日本@名無史さん:2008/03/18(火) 10:45:37
痛いとこ突かれて、逃げたり、怒ったり、痴話喧嘩してんじゃねぇんだから、理論武装もできないお馬鹿さんの学位は、取り下げお願いします。
昔松元成長とかいう下唇の分厚いおっちゃんが
にあわん真顔で「魏略で決まり」と言っとったな
妄想が一人歩きしてますよね
卑弥呼が元祖日向にいたのなら
その南の狗奴国は何処だろね
吉武高木遺跡ありますね
末羅国があったとされる、唐津の遺跡をみてみますと、吉武高木と非常によく似ています。
東へ向かい本州迄進むと、この系統の遺跡は全くありません。
しかし南の筑後川流域には、やや似たものがございます。
ですから北九州を外れますと、末羅国とは時代も様相も、全く違っている事に気がつきます。
やはり同時代の道程なら、同系統の遺跡でなければ、議論の余地が無いと存じます。
同感
下唇は伊達じゃないねw
だいたい魏使の道すがら
女王国の支配地域でありながら
奈良と九州で墓が違っていい訳ないw
通説は奈良に都合よく組み立てただけ
ぐたぐたやる必要は確かにないな
想像や妄想無しで理路整然と特定出来るますね
奈良へいって突然前方後円墳になるのはね
女王国の範囲について都合よく無視してるだけ
甕棺の副葬品の方が格上なのも説明がつかない
数えきれない無視でなりたってますね
末羅国から考えると時代が特定できて解りやすいですね
末羅・伊都・早良
時代も様相も良く似通ってますね
これらと奈良は全く別もの
同じ時代の証拠を上げて欲しいですね
569 :
日本@名無史さん:2008/03/19(水) 11:43:20
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
下唇翼賛会に入会希望申請いたしまつ!
邪馬台国で悩めるなんて
思考能力に欠陥があるのかもねw
572 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 09:49:51
合わない条件消去すれば、直ぐに範囲は狭まるから、うだうだやる必要なんてないよね
条件とか定義とかのそれぞれ適用が出来ない奴は
説明しても永遠に解んないだろうから
永遠に笑われ続けるんだろうねw
基礎的な条件でアウトならもう醸す意味無いよな
それに付き合う天然記念物も万に一人だしさ
末羅国の出土品をみてくれよw
おなじ女王国だよね
狭かったのね女王国の範囲
奈良学派の人達には
寡黙な人が多いのにね
奈良の邪馬台国は矛盾だらけ
とても京都大学が作った説だと思えないw
大学の研究かw
畑の土に転用されたんだな
この扱いは王権交替のなれの果て
馬子の墓じゃ無いの当たり前だけど
天武系の大物かな?
馬子は明らかに九州の人。奈良の明日香に居た訳無い。証拠の無い妄想が何処迄も一人歩きするな。
585 :
日本@名無史さん:2008/03/22(土) 20:27:03
家庭系が収支系に聞こえて未然系が連用形に聞こえる人はほっとけよ
勝手に来るから困るよな
あやふやな発言から一人歩きした通説が多いのにですな
古文書は個人で持つには高いよね
無いと研究にならないし
んだね
最近古本屋全盛の為値段も下がりにくいよね
専門書のニーズがけして増えた訳じゃ無いのに
強気の価格設定だよね
591 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:32:13
邪馬台国で悩めるのは発展途上の知識不足の人だけだろw
悩み多き人に終止符なんて打てないだろうねw
史料の取捨選択を合理的に行なえばおのずと結論が見えるもの
基本抜きの仮定ばかりじゃ頂けないな
あれで真面目に悩んでいるなら
もう考えない方がみんなの為だ
マキムクの遺跡から出てきたものよく見直して欲しいですね
甘樫丘?の蘇我の邸宅跡?も
出てきたものをよく見回して欲しい
小さな建物跡の堀建柱で
想像ばかりが豊かで一人歩きが過ぎる
598 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 08:30:54
最近のこの手の新聞記事には理由の欠片も無いよな
599 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 09:21:38
法隆寺や飛鳥寺があるのに
九州王朝説をとる人ってなにもの?
法隆寺が九州からの移設だったらどうする?
>>598 書記の記述にそった場所にある事が
唯一の証拠なんだってさw
馬の骨遺跡にしか見えないのは
俺だけじゃ無いだろうなw
当時最有力の蘇我氏の邸宅にしては、慎ましやかな遺跡だこと。
福岡では山の上にも礎石がある。権威を誇った豪族が住んでいたんだね。
比べてみれば奈良の方が田舎だよねwww
604 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 21:09:52
きっとうっかりだろうけど、
未だ掘立柱の伊勢神宮は、20年で作り変えつづけている。
それに対し礎石の法隆寺は、1000年以上も当時のままつづく。
この比較について、考古学者みなさんはすっかり忘れてるようだから、
早めに再認識を、お願いした方がいいよ、きっと。
605 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 21:15:30
俺、高千穂の神産霊命が過去世。
今世は宮城県北部に住んでる。
>>604 最近巷にうっかり者が妙に増えたなw
出雲大社宇豆柱の不自然な残り方も
見る人が見れば堀立柱が倒壊した証拠らしいぜwww
607 :
日本@名無史さん:2008/03/29(土) 06:51:17
礎石に比べ堀立柱の耐用年数が極端に短いのは建築では常識
言わばプレハブ仮設住宅と丸ノ内ビルの比較
明日香村の古代仮設住宅はなんの為に使われたのか
真面目に都だと思えるのは無知なのか無視なのか
無知の人の発言はいらんよねwww
大玉石敷きの簡易舗装に簡易排水路
さすが天武の王城は手が込んでるw
明日香の掘立柱が腐りつつあるなw
矛盾だらけの理由では
さすがに新聞に書けないだろ
もう堀立柱で都なんて妄想するのは止めないとね
613 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 09:02:16
ごもっともw
飛鳥浄御原宮672−694(計22年)
伊勢神宮の式年遷宮(20年)とよく重なるねw
最後は傾むきかけた御所で政務を取って居たんだろうね
外国の賓客も驚いたろうにwww
たしかに記紀によれば外国との交渉もかなりあるねw
記紀鈍感作者曰くプレハブエンペラー天武!
すべて中国式に変えたのに建物だけは田舎者
ちゃんとした建物に入っていたと思うよwww
616 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 12:02:20
倭と供に破れた百済の王城扶餘山にも、当たり前の事ながら、礎石がきちんと残っています。
天武はその後の時代となりますから、従属国の都と比較して、堀立柱の浄御原宮では、時代錯誤が甚だしいようですね。(笑)
百済を下回る後進地域奈良w
太宰府には礎石があった
書紀は嘘ばっかり書いてるけど
ちゃんとした歴史を伝えたいですね
百済と九州には礎石があるのに、肝心な奈良は堀立て柱。これじゃ騙しきれないだろ。
いまの歴史教育は明らかに東洋流で騙す事を罪としてない
書紀の都が転々としたのは、
奈良盆地に礎石すらない為、
辻褄合わせでこう書くしか無かったんだろうよ。
舎人親王も苦渋の選択ですね。きっと。
舎人ってさすが天武の子供だよね
騙すを厭わない性格が読み取れるからね
奈良の遺物は見直すべきだ
その当時の王家はまるで毒入り餃子で開き直るような横柄な人達だよなw
奈良の王家は未だ嫌われてるね
奈良の王家w
大和を地域名称とした書記と
倭を王権名とした中国史
矛盾だね
ヤマトを移設した際に、地域名称としたのは、九州との差別化を狙った為だろうね。
今まで通り九州もヤマトの国の一部としたら、同じ名前が並立して、何の為に移設したんだか解からなくなるからね。
確かにヤマトがあんなに狭い奈良だけで解釈されてないな
倭と云う女王国は伊都国等とは違う扱いだね
米が作れない奈良盆地には国すら無かった筈
箸墓が卑弥呼の墓だせw
中国史から推定すればヤマトは九州が妥当ですね
遠飛鳥が河内なのは、遺称地名以外に証拠は無いのですが、
国を隔てたあの位置に、同じ名前がある事が、まずかなり可笑しいですね。
635 :
日本@名無史さん:2008/04/01(火) 22:07:51
あすか「の」おかもとみや
格助詞「の」は、連体格を示し、前の語句の内容を後の体言に付け加え、その体言を限定する。
だから「の」の前が後より大きい、これは今も昔も変わらぬ定義です。
そして、国史に置ける広域名として考えるなら、国郡でもない飛鳥の狭さは、不適当だと云えます。
もう少し飛鳥も難波も石上も春日も、広さがあるのなら納得がいくのですが、
明らかに多くの地名で矛盾がみられるのです。
書記の狭い大字程度の地名が大手を振るようでは、格助詞の「格」の字に笑われているような気がします。
河内迄飛鳥にしとけば格助詞には笑われなかっただろうな
それでもバレバレには変わり無いけどwww
狭いよね
奈良飛鳥は倭名抄に書かれていないから
大字としてしか評価されないよな
移設地名を一人立ちさせるのにも時間がかかるよね
明日香がこれだけ狭いんだから
岡本宮はどんなに狭かったのか
飛鳥の部落の領土を全部つかっても、外交を行なう国の、
首都機能を充足できたのか、甚だ疑問。
堀立柱で二階立てにでもしたのかな。
641 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 21:50:14
古代奈良は堀立柱に誰か文句言えよ!
奈良の貧弱な遺蹟を守り続けるらしいね
貧弱だよねw
考えてみれば
近江の字面は川であって
海や湖とは書かれていない
特に天智紀では総て江だよ
なるほど、天智の遷都した都は近江の大津宮で、直訳なら、近い河の大きな港のある都。今の滋賀大津とば、ニュアンスが違う。小さな湖で大きな港も解せないし。
近い河なら当時は飛鳥中心の遷都からして
まず大和川や飛鳥川としないと
何処が近いのか基準が分からないなw
647 :
日本@名無史さん:2008/04/03(木) 15:59:15
元ノマは一緒の難波=大津にしなかったから混乱するのよ
648 :
日本@名無史さん:2008/04/03(木) 17:22:32
>>647 支配地域を広く見せたかったんだろうね
なんでもかんでも見栄っ張りだよな
素直に大阪に大津を置けば漢字の矛盾だけは解消するけど
色々付属地名を周辺に置くのには苦労するよね
例えば逢坂峠とかねw
移設丸見え地名は多いな
逢坂に大阪
653 :
日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:20:33
逢坂に大坂だ。
大坂と小坂がある。
福岡市内は早くから開発が進んだけど
小高い所じゃあまりにも当たり前に遺跡がでるから
慣れっこ過ぎて遺物の多くは無視されたそうです
残念です
福岡城に使われた石垣の多くは、すぐ近所の裏山から運ばれた。名もなき大規模遺構があった証明です。
あの辺に扶餘城並の施設があった噂は絶えない
福岡市内で瓦礫に甕棺のかけらが転がっているのは
よくあること。それを拾って庭の隅に集めてた。それだけだが
数十個はあったよ。時々親父がどこかに捨ててたなあ
本当の難波も大津もそのへんだろ
大阪って呼んだ秀吉も史実は知ってて呼んだみたい
大阪の難波京跡も堀立柱
大丈夫なのかよ
661 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 07:52:10
どっかの集会所の間違いだろうよw
毎度貧弱な都のお墨付きが多い事
木製の電信柱の耐用年数に等しいよなw
664 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 13:57:16
コールタールが無い時代のことだから、
掘っ立ての耐用年数は、木製電柱にはるかに及ばないよ。
発掘柱に木製コールタールが付着していた例があるのかな? 焼きでは無く。
665 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 18:38:16
コールタールw
666 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 19:51:59
安物防水材として使われたコールタールがなんで出てくるんだろw
耐用年数
簡易建物堀立柱 7年
木製枕木 8年
送電木塔及び木柱 15年
橋、塔、やぐら及びドック 15年
木製ガードレール 15年
木造住宅基礎あり 20年
法隆寺の耐用年数も並べたいw
1000年と15年
はるかに及ばないw
法隆寺が堀立柱なら今に無いって事だよなw
土木建築音痴じゃ考古学やってても恥さらしているだけだよなw
この程度の専門外ならすぐ調べつくだろうし
礎石基礎が残っていりゃ、穴掘って埋めて突き固める分、手間かからんぜ。
書記信仰してると、定義とか常識が変わるのかもな。
災害の前に朽ち果てる堀立柱w
災害の周期よりスパンが短い掘立柱なのに災害の話で説明する意味が無いだろw
677 :
日本@名無史さん:2008/04/06(日) 18:03:23
>>672 これwikiに書いた奴は、明らかに御馬鹿さんだね。
806年に作られ日本最古と推定される民家「箱木家住宅」を、掘立柱建物とも説明してる。
リンクで見れば内部の柱迄、石にちゃんと載ってるのに、余程モラルが低いか、頭程度が低いみたいね。
!!!土中に埋めて礎石を用いない!!!これが掘立柱!!!
意図的なバレバレの混同ですね
子供でも解かるだろwww
平城京朱雀門も掘立柱だってさw
それは掘っていない立柱だよなw
堀立柱が石載ってていのかね
奈良明日香のような純粋な掘立柱じゃ無いと掘立柱と呼んではならない
拡大解釈が過ぎるねw
飛鳥浄御原宮とはまったく違う堀立柱とでも説明すればいいのかな?
言い訳にすぎんな
当時からクレオソートがあれば長持ちしただろう。
(線路の枕木の防腐剤、ついでに、人間の腸の殺菌剤)
せいぜい伸びても10年の話にしつこいし
他の薬品で調べてくんないから
スレ違い甚だしいw
686 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 12:43:34
687 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 15:33:44
7世紀に抗菌剤としての「木タール」や「木酢」があったかどうか不明なんだから、
くだらない議論だと思うね。
堀立柱なのに礎石並に丈夫になるようなネタだけ持ってきてくれw
礎石が無い=都じゃない
疲れるよな
当時なら漆でも塗ってけば、わりかし長持ちしただろうな木材も。www
それでも礎石は絶対腐らないからね、流石の漆も勝負にならないけど。w
日本で漆は6000年を越える歴史を持ってるもんね
妥当な条件から始められた説なら、話を聞く気にもなるけど、堀立柱の都ついては、条件無視から始めているよな。
飛鳥の都の想像図は書記をも上回る妄想図に仕上がってる
矛盾の数は限りが無い
無理矢理碁盤の目に描いてあるよねw
記紀にも発掘もされていない豪華な宮殿が傾いて崩壊するんじゃね
697 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 17:55:13
木杭は結局露出部下端が弱点だ
水菌虫腐食し易い上に支点として力が係る
それを解消した礎石は素晴らしい技術革新
王家の施設にこれを使わない訳が無い
土中に残った柱の形は堀立柱の脆さを露呈する
大林の出雲大社宇豆柱
あの検討は正直悲しくなるよ
悲しいみの高所建築
信じる者は救われる
701 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 22:01:46
ブラボー
>木杭は結局露出部下端が弱点だ
>水菌虫腐食し易い上に支点として力が係る
>それを解消した礎石は素晴らしい技術革新
>王家の施設にこれを使わない訳が無い
長くて20年の堀立柱に都の資格なんてねぇ
703 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 23:38:54
九州年号「定居」迄は、九州の王(兄王)も掘立暮らし。
多利思北孤は弟王だから違うぞ。
口遊によれば3m×32丈=96m
大林組によれば古代の出雲大社は48m
現在の出雲大社の本殿の高さ24m
古くは掘立柱であったから幾らデカイ神殿も
20年におまけを付けたくらいで潰れていた
これはどうしても認めなければならない事実
みんな真面目に考えているのかな?
あんなに高くバランスの悪い建物なら耐用年数は10年でも長すぎる
作った当初だけはあれで持つだろうが色んな力が柱に係るとすれば
長時間あのままでは難しいと思いますよ
706 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 09:42:36
あの出土した柱を見れば、根入れ埋設部が僅かで、直ぐ露出した所で折れた事が分かります。
ならば構造的にそれほど高くはなかったと考えるのが妥当で、礎石を用いない不安定さを考慮すれば、尚更条件が悪くなります。
大林も高層は可能だと答えたのでしょうが、これは条件付き可能であり、地盤が極端に良く、風も地震も無視した上の可能だと思いますよ。
いずれにしても可能は可能だと、京大側は受け取り勝手に発展させたようですね。無理矢理なのは一目瞭然ですから。
707 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 09:46:34
出雲の場合は高く作ることに意義があるのではないでしょうか。
不安定かつ短寿命なのは同意しますが、柱の先に小さい社がちょんと
乗っかっている想像図を見ました。ほとんど柱の重量で、建物の重量は
さほどでもなさそうです。また、突然倒れたとか、風のない静かな日に
ゆっくりと倒れていったという記録もあるそうですから、耐用年数
度外視で高くしていたようです。
無知な方からの同意は遠慮いたします。
あの柱では高く出来なかったと書いたつもりなのに???
どんな意義なんだか
トンチンはもう来るなw
柱の自重だけで保たねぇよw
712 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 11:39:12
出土した柱の周りには砂利を敷いて、強度を確保した形跡がある。
構造強度的には48mが可能という計算をやっている。
礎石を用いる建築法は礎石に柱を載せる構造なので、倒れる方向には
耐力がなく、倒れないようにするには、柱同士を組み合わせて
固定しなければならない。それが、掘立建築時代には技術がなくて
出来なかったのだろう。
掘立柱では長持ちしない。という問題はあるが、高い建築物を作ることが
出来ないと判断できる資料はない。
もっとも、48mが、可能であっても、実際に立てられたのはもっと低い可能性も
否定できない。たしか、柱の下の土壌からかかる重量を算出したという話も聞いたが
出典が分からないので、言及しない。
無理すんな 何にも説明になってないぞw
あのね
鋼ガーダーの先端をがっちりと溶接してもね風だけですぐに疲労するw
埋設部周辺を固めれば固める程溶接と条件が同じw
立ち上がりが大きすぎる事すら分からない素人w
引っ込め!
中学理科程度の応用問題だよなw
支点・力点・作用点
てこの原理だねw
717 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 13:05:21
草を生やした3人組
必死だな
何故堀立柱の建築が廃れたのか
構造に欠点があるから廃れた
夢は余所でみればいい
>掘立柱では長持ちしない。という問題はあるが、高い建築物を作ることが
>出来ないと判断できる資料はない。
馬鹿だなw 出雲大社以外でこんな夢みたいな話聞いたことあるのかw
>>712 中学理科にも添ってないし
中学歴史にもそっていない
中学国語から勉強して
文章の辻褄が合うように書いた方がいいし
まず何が言いたいのかから考えた方がいい
雲太、和二、京三
これ高さの順番だと言われているが
当時これより高い五重塔が沢山あるから
本当なのか眉唾だよね
草を消したか。草3人組と
同じ輩に見られるのが困るようだな
>>721 古い神様の順番でしょう
太二三と云ったら慣用されてるのは太郎二郎三郎
漢民族では主に年長や兄弟の順番を表す
大きさだけに拘る理由はない
ましてありえない事を言い張るのはもっと愚かだ
理科音痴が歴史を仕切ってきた訳ね
算数程度の説明じゃないと理解出来ない人みたいだねw
高い順番とした事も
どうやら妄想から始まってるね
雲太、和二、京三
平安時代に子弟の教育に使った文書の一小節だね
728 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 10:35:44
729 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 11:11:06
>>728 くだらん意味不明な文にもならん文を何度もコピペするな。
おまえは挹婁の子孫として実にふさわしい。
韓国朝鮮は、挹婁(ユウロウ)族の末裔国家、
臭く、穢(きたな)く、不潔な嘗糞文化を受け継ぎ、
略奪強盗をする最悪の無法者の集まり。
<参考資料>
魏志挹婁伝
『言語不與夫餘句麗同』
言葉は扶余や高句麗と同じではない。
注:挹婁語(古新羅語)以外の近隣言語は扶余語や高句麗語と同じか似ている。
『其人不ket[旁右潔]作溷在中央人圍其表居』
そこの人々は不潔で、中央に便所を作り、人々がそれを囲んで住んでいる。
『其國便乘船寇盜鄰國患之』
その国は船で略奪をするので、隣国はこれを患いとしている。
後漢書挹婁伝
『其人臭穢不牛廁於中圜之而居』
そこの人々は臭く、穢(きたな)く、不潔で、便所を中央に作り、それを囲んで暮らしている。
『便乘船好寇盜鄰國畏患』
気の向くままに船に乗り、巧みに強盗を働くので、鄰国は畏れ、患う。
『法俗最無綱紀者也』
法俗は最も綱紀(規律)が無い者(最悪の無法者)たちである。
下らんw
731 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 11:32:09
あげ
732 :
神奈川県民:2008/04/29(火) 23:16:26
スレ乱立晒しage
及び
自演スレ晒しage
733 :
神奈川県民:2008/04/30(水) 08:42:09
スレ乱立晒しage
及び
自演スレ晒しage
734 :
神奈川県民:2008/04/30(水) 14:29:21
スレ乱立晒しage
及び
自演スレ晒しage
735 :
神奈川県民:2008/04/30(水) 18:15:51
スレ乱立晒しage
及び
自演スレ晒しage
736 :
日本@名無史さん:2008/04/30(水) 19:05:10
なにこれ
737 :
改め:2008/04/30(水) 19:52:28
重複スレさらしあげ
738 :
日本@名無史さん:2008/04/30(水) 19:53:15
>>738 本人という意味が分からない。トリップのついてないコテは板住民の共有物だが何か?
740 :
朝吉:2008/05/02(金) 00:01:24
あげ
741 :
日本@名無史さん:2008/05/05(月) 11:32:46
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( /=\ )
|;;;;; ー◎-◎- )
(6 (_ _) )
| ∴ ノ 3 ノ こら 僕の荒らしを放置するな! 僕は怒ると怖いんだぞ
/⌒\ ____ ノ、 荒らししかできないけど 荒らされたらなんか反応しろ!
/ , ヽ
| r 、_ ・ 人 ・ ,.y i
| |  ̄  ̄ | |
| \ ノ ノ
\ 6 x 9 /
しμゞ 、_;;;;;;;;;;;;_,ノ彡イ
| ;;;;(:υ:);;; |
( 人 )
742 :
日本@名無史さん:2008/05/05(月) 14:14:09
卑弥呼スレは荒れているので、こっちを盛り上げませんか?
俺たちの違反なんて立ちじょん程度
人を騙してなんかいないから罪なんてたかが知れてる
だけど運営とか他人に成り済ましたら明らかに詐欺
いくら2ちゃんでも御縄だってあるんだよ
解ってるのかな?w
削除人の方よく読んで下さい
削除ガイドライン(抜粋)
重複スレッド
同じ事象・人物に関するスレッドは、個々に多少の違いがあっても原則的に削除対象になります。
削除人は恣意的な削除をしてはいけません。
削除ガイドラインを熟読し、ルールに則った公平な削除作業をしましょう。
「好き・嫌い」「ウザイ」「不愉快」などといった自分だけの主観を元に行動してはいけません。
嗜好や価値観も捨ててください。
ここよりも邪馬台国系や薩長系のように、【同じ事象・多少の違い】のスレが圧倒数重複しています。
それでも猶主観的に、この関連スレに対して重複誘導を続けますか。?
差別的な重複誘導は明らかな荒らしです。
747 :
日本@名無史さん:2008/05/22(木) 21:52:03
常駐して荒らしじゃ世話無いw
古代史をやっていると、自分とは異なる説を唱える人は
無数にいて、自分の築き上げた歴史観に間違いない
確信している人ほど、自分の意見と合わない書き込みが
あるだけで、スレが荒らされていると感じ、被害者意識を
強くもつものです。
特に固定ハンドルうを使っている人の中には被害妄想
ではないかと思われる人も結構います。
それが名無スレの怖いところです。気をつけましょう。
↑何しに来たんだw 読み返せw
このスレも重複で削除依頼が出てるよ
この板の場合削除依頼出してる側が荒らし常習犯です
よく見極めて削除して下さい削除人さん
博多の条里制遺構って、12〜14世紀の間に徐々に整備されていったヤツなんだろ。
「九州王朝」のふるさと較べて半分以下、歴史が浅すぎて論外だな。
753 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 08:47:14
ここは学問・文系の日本史板です
学究の為に使いましょう
茶番の自作自演スレはほっといて下さい
面白い芝居なら、自作自演でも受けます。
問題は、シナリオ、それ以上に、「間」が大切です。
OK