1 :
日本@名無史さん:
第一条 責任をもってレスできる方の参加歓迎!
第二条 お互い思いやりで、対応しましょう。
第三条 無責任なレスは無視しましょう。
第四条 邪馬壹国九州論是非! 九州王朝是非! 参加してください!
第五条 畿内説畿内王朝説等の方の参加は禁止しませんが、九州諸説を阻害しないで下さい。
第六条 考古学の方は一般論を阻害しないよう、気を付け参加下さい。
第七条 証拠主義にてレスしてください。妄想論禁止!注意啓発!
第八条 下げ進行奨励 !
第九条 太国・九州王朝大好き・一応九州王朝説等の荒らしコテは参加禁止!
べら早w
┌─┐
|お. |
|ひ. |
│っ.│
│こ. |
│し .|
│♪│
∋o、 └─┤
∋oノハヽo∈ノノハハヽ ★ノ━ハ
(T▽T ) (=^▽^)/) ( ^▽^) ∋oノハヽo∈
|∪∪ ̄| | ̄ ̄ ̄| | ̄∪∪| ( ^▽^)
| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─□| ヽ┐ キコキコ
(((  ̄◎ ̄  ̄◎ ̄  ̄◎ ̄ ◎−>┘◎
老松神社は大宰府天満宮の系列らしいよ
6 :
日本@名無史さん:2007/12/24(月) 20:23:27
このスレに妄想は書き込まないでねw
7 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 10:53:37
このスレに妄想は書き込まないでねw
小倉百人一首は九州の小倉らしい
小倉百人一首の最初に天智天皇が居るのと
天皇は天智と持統だけなのに違和感を感じるね
失礼他にも天皇いるね光孝天皇とか
>小倉百人一首の最初に天智天皇が居るのと
佐賀県基山町の大字小倉。
書紀によれば、ここには天智が作った基肄城がある。
天智は博多周辺の都に終生いたのだから、
百人一首の短歌と云う形式も、この小倉周辺が始まりで、
天智が創始だった可能性が、高いのでは無いでしょうか。
冒頭を飾るとは、そう云う意味合いではないのかと考えます。
百人一首の並び順番は、厳密ではないにせよ、古い順番に並んでいるようです。
一番である天智の時代に、短歌が始まったとは、面白い考察です。
万葉集も若い巻程古い歌が多く、長歌の割合が多いようですから、強ち間違いとは言い切れません。
基肄城の北門付近には小字北帝がある
一時的にせよ都として機能した場所なのでしょう
14 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 20:03:15
移設前の紀国だよね
基肄城の麓にある筑紫神社に伝わる由緒
昔、筑前と筑後の境の鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)に、
麁猛神(荒ぶる神)がおり、往来の人々の半数を殺してしまう。
筑紫の君と肥の君らが占いによって、甕依姫を巫女として、その神を祀らせた。
それ以後、人々が殺されることはなくなった。
国境の城と神社が出来た理由でしょうけど、意味が解りませんね。
筑紫神社は基山の山頂に元はあったそうだ
当然基肄城の事ですが
>>15 由緒では筑前と筑後の境なのに
今は筑前と肥前の境
元々は国境線が違っていた事を伝えたいのかな?
食い込んだ国境線は不自然だよね
変遷はあるだろうね
荒穂神社も同伝承に同祭神に基山山頂鎮座だよ
太宰府の南にあたるこの基山町内にも小水城があったそうだ
この位置が古くは国境だった可能性も高いよ
水城内外は隔てられた経済圏であり古代中国を見れば境界に相応しい
太宰府の南にも水城あるみたいね
太宰府は城塞だよ
基山の城址には基山千坊と呼ばれるほど
僧坊が沢山あったらしい
これを城山四王院とよんだ
それも江戸期には無くなった
26 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 06:08:22
大野城同様に四天王が祭られてたようですね
四王院は平安にあったがその後無くなった
これも移設だろうね
基肄城には毘沙門ってとこあるんだね
なんだか城なんだか寺なんだか解んなくなってるな
基肄城が都だとしたら驚くね
それありえるよね
高い所が北帝
低い所が南帝
こう云うふうに呼ばれていたそうだ
何かの記述に似てるよね
日本では中世迄高い山城に生活していた
基肄城が都だとしても不思議はない
僧坊が出来たのは奈良遷都の後だろうが
残された福岡の方が尚先進地だった事は解りますね
基山だけではなく、筑紫の山の古刹や古社には、僧坊が沢山あった由緒を方々で聞きます。
この沢山の僧達は、きっと全国各地に押し出され、奈良京都仏教に服従しつつ、のちの鎌倉仏教等の原動力となったのでしょう。
あの爆発的な流行には、庶民洗脳だけで片付けられない、モラルの高さを感じますから。
最近の寺の殆どに山号があるってのも
元元は山の上にあったって事だよね
wiki 山号 〜抜粋〜
〜また、日本の場合、延暦寺や金剛峯寺、高尾山薬王院などは禅宗伝来以前から山号を寺院名に付与しているが、
これについては最澄も空海もそれ以前から霊山と呼ばれる山林で修行を行っており、霊山に寺院を建立し、
霊山の名称を寺院名に付与する事で、自然の霊力を寺院に付与させようとした事によるものと推定される。〜
九州の初期仏教寺院が山の上に置かれた事を解かんないみたいだね
寺の認識が変わるな
既に神仏習合の山みたい
背振山の東門寺
併設背振神社で弁財天を祭り僧坊300
天台宗に改宗した由緒有りそれ以前から存在確実
建武3年迄はあったが現在は全く無い
探すとこんな話がゴロゴロしているな
比叡山や高野山よりも福岡が山寺として早い事が解ると
奈良に山寺が無い事に違和感を感じる
あるねそれ
寺の機能が違う
何の為に寺としたのか
人種の違う香り
新羅は山寺型ですね
白村江の後に日本の支配層は変わった
ただ2通りの寺の仕様が有る事に注目
筑志米多国造って現在の肥前の国
国境が乱れている
三根郡米多郷ありますね
三根郡も天皇からみの地名ですね
筑紫平野は米が多いって事みたい
国造本紀の国造なんて殆ど北九州の地名だろうよ
それらしき地名は多いよね
千栗八幡宮がある重要地点
千栗=筑リじゃないのかな?
千栗八幡宮にも弥勒寺があった
八幡宮の八は
三に続い高貴な数字
八幡の場合へり下ったのかもね
夜須郡 山本郡 山門郡
弥(八)の接頭がなされている
山の場合は弥+真のダブルで接頭されているのだろう
三の後に続く数字なのは納得する
57 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 16:10:21
畿内には移設地名が多いにも限らず
三八接頭された郡は唯一奈良に山辺があるだけ
天皇やそれに順ずる者が居た形跡の無い地名しかない
筑前には三八接頭の他にも、朝倉や鞍手や席田といった、天皇地名が有ることにも特筆すべきだな。
59 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 17:16:29
古代の半島東南部に、志羅紀(シラキ)という倭人国が存在した。天日矛の祖国・シラキの国号の意味が、
ついに明らかになった。
シラキとは、知城(知らす城)の意味である。つまり、「首都」という意味の言葉である。
シラキとは金城(現在の慶州)の古名なのである。金城とその周辺地方をシラキと呼んでいた。
なんと、1世紀頃まで、つまり漢朝の時代まで、シラキは半島南部の全域を支配していたらしい。
紀元前1世紀の半島にあった漢朝の地方領、真番郡・臨屯郡の南方に位置した韓(カラ)という国。
実は、この韓(カラ)こそが、神武天皇の皇兄=稲飯命によって建てられた志羅紀(シラキ)なのである。
日本海側から東シナ海側に至るまで、4世紀以降からミマナ・クタラと呼ばれるようになる地域まで、
シラキ領土だったのだ。
大和朝廷が半島南部を支配するために置いてた官庁・任那日本府は、3世紀頃までは金城(シラキの都)に
置かれていたのである。
興味深いのは、漢朝が半島に四郡を置いて支配していた紀元前1世紀の時代においても、
漢朝は韓(カラ=シラキ)を漢領土に組み込むことなく、その独立を認めていたことである。
この事実は、紀元前1世紀の時代に、すでに倭人と半島漢人の間には友好的関係が確立されていたことを
暗示している。
相当妄想と力の入った文章有難う
証拠が希薄だと誰も参考にしないだろうけどw
>>58 本当だね
とても代々都があった地域名だと云えないね
九州の都にとって身分の低い人達が住んでいた事は確実だろう
代々都があった奈良明日香は高市郡だって
この名前知名度低いよね
後に奈良の吉野は三吉野と呼ばれたけど
これって記紀に対しての慰めかもね
64 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 01:15:59
>>63 奈良地名は記紀擁護派は出来るだけ無視するから笑うよw
歴史や地理の知識の無い人に
大和と筑前の倭名抄郡郷名を見せたら
どっちを都と言うだろう?
67 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 12:54:50
古田は倭名抄を評価してないけどな。
古田史学の自作自演お遊戯スレで頑張れよ朝吉w
倭名抄は日本で一番古い全国地名の史料。
これ以上古い地名は断片しか遡れない。
当然古代地理史料としては第一級の扱い。
何かご不満で評価しないのはそれぞれ個人の自由だけど、
>第七条 証拠主義にてレスしてください。妄想論禁止!注意啓発!
結局証拠主義に古田は向かないって事だよなw
古田のね、九州王朝迄はいいけど、2朝並立って妄想かいちゃったから、
奈良の倭名抄は確かに都合悪いんだろうね。
中途半端な証拠主義者ってかんじだよな。
奈良に都があったなんて言う人も倭名抄見ると青くなる
72 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 20:19:47
倭名抄信用しないで九州王朝やって何残るのよw
せっかく証拠立てた素晴らしい説を提唱しても
彼は戦前生まれで
思い込みがその証拠を否定した
世代のハンデに同情するね
大事な事は正しい事です。有力な証拠を無視する態度は残念だ。
奈良にばかり執着して史実を見失ってますよね
奈良だけじゃなく畿内とは名ばかりの地名が並んでいますよね
河内とは一つの水系の谷のこと盆地とかも含まれる
いわば山とか沼とかと一緒で方々に沢山ある地形称
こんな地名で畿内の河内と言われても何だか締まらない
昔は和泉とかも含んで一つの水系になってないから
明らかに移設されてあやふやな国分けがされた地名ですね
記紀擁護派の通説では大阪河内に以下の都が置かれたらしい
反正天皇 丹比柴籬宮
継体天皇 樟葉宮
敏達天皇 百済大井宮
どれも都らしい遺跡や遺物は全く出土しておらず
都らしい地名も全く無い
当然これら都は九州の河内にあったからだけど
九州では大阪河内のような水系を跨ぐような使われ方はまず無いよね
80 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 21:13:03
河内もそうだけど
和泉なんてただの泉
曲がりなりにも正史
記紀の影響で作られた地名は多い
だけどバレバレも多いw
和泉が畿内になんで含まれているのか?
無理矢理五国にしたかっただけだろうけどw
和泉のような小国が分国したのと
日本で一番大きな仁徳陵の築造は同時期だろうよ
古墳時代に分国が無かったとか
経済力不足は容易に計れるからね
大阪の仁徳陵とはいっても難波とは国が違う、この国境を無視した通説ははっきり御粗末ですよね。
和泉摂津国境は堺市大小路って道路だと云われてるけど
成務五年紀の山河を隔いて国郡を〜に矛盾するね
なんか記紀の辻褄合わせの捏造国境みたいだね
古代だから当然自然境界だよね、他の平地境界も殆どが河だしね。
和泉も瀬戸内気候で奈良砂漠と同じ大河もないしね
古代の片田舎の道が国境ねw
重要な港や都でもあったのなら話は別だけど
そんな記述は何処にも無い
苦し紛れの言い訳が長い事続いた訳だ
89 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 20:59:33
平安時代の街道は、河内経由で生駒山地に沿う様に、和歌山迄行っていた。
大阪島や、大阪四天王寺に、大阪住吉神社に、大小路のある堺市街も、これら古代の街道は全く通っていない。
淀川河口のような、交通の障害は当然避けるべきで、その障害にある上記のルートは、合理性から使われた可能性はかなり薄い。
だから想像に任せた堺市の大小路のような道はかなり疑わしいし、それを理由立てた通説を、まず疑わなければならない。
大小路の標高は総てが七メートル以下ですから、古代のこのあたりじゃ海の中だと考えられます。
和泉3郡で分国 日本一の古墳ができるくらい ちいさくても国力があったと云いたいってか
92 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 07:00:28
茅渟の字面も大阪湾には見えん
93 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 07:37:51
茅の渟(港)だよなw
あの辺には内沼とか無かっただろうね
茅は海に生えないねw
茅渟は移設地名確実ですね
茅渟は博多湾から更に引っ込んだ淡水湖だろうね
畿内と福岡の掘出し物を比べて欲しいね
白鳥伝説はちと御粗末
古代の和泉砂漠に白鳥の飛来出来る湖なんてある訳無いよ
白鳥は海は好まんなw
畿内とはいっても都が出来た事もないし
重要な港が出来た訳でもない
地勢からは南海道に分類すべき程辺鄙な国です
白鳥は雪の降る日本海側がお気に入り
福岡も雪が降るから白鳥が来たよね
和泉とか伊勢とか無理あると思うね
和泉の地形じゃ池は人工的に作らないと
枯れ木に花を咲かす的なバレバレ移設話にはもうウンザリ
学習院大学年代測定室の放射性炭素年代測定によれば、大宰府遺跡の竹内焼土層は1600年ほど前の物である。
早く炭素測定が主流に成ってほしいね
通説の年代はデタラメだよね
藤ノ木古墳には通説と明らかに時代の違う皿が納められていた
だから被葬後再び墓を暴いて皿だけあとから入れた
いくらなんでも無理矢理だ!
古墳時代の定義に間違いがある事は明らか
非科学的な学問に明日はない
あんな大規模な古墳が古くからあったのかなw
奈良以前天皇陵には一つとして確定的な比定地が無い
どの比定地にも否定的な証拠が直ぐに出てくる
まるで畿内に天皇陵などなかったかのようだw
110 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 21:03:50
宮内庁自体も実はいい加減で、解んないから陵墓参考地なんてある。w
記紀等の記述に合わないまま、明治から管理しているなど、言い訳出来ない所も多い。
前方後円墳が一番古い古墳だとさw
荒神谷は熱残留磁器測定で
590年から平安迄の火の痕跡だった
様々な言い訳が考えられたが
神事の火や土器を焼いた火で落ち着いたみたいw
114 :
日本史@名無しさん:2008/01/19(土) 07:18:59
つらいよな、畿内説の連中もw
捏造重ねるからぐだぐだで素人が見たら馬鹿にしか見えないw
>>113 いまだ荒神谷で出雲王朝の可能性が高まったなんて云う人いるんだけどw
銅鐸銅戈を一緒に作っていた事には興味があるが、
時期的にはやっぱりねって感じだな
銅鐸が祭司に使われたならまだ解るけど
銅戈まで祭司はないよなw
銅鐸は鐘
銅戈は武器
本来の目的に使っただろう
祭司道具ならもっと大事に埋っているはず
銅鐸のような音色に免疫が無いと、神秘的に感じるだろうね。
衆を惑わした銅鐸
121 :
日本@名無史さん:2008/01/19(土) 19:44:29
九州と云う九州の中では銅戈
外れた地域で銅鐸
衆を惑わす地域ってかw
能く衆を惑わすのが権力者として長く君臨した
前線基地兼出先機関荒神谷
出雲に都らしい遺跡でもあれば、出雲王朝に賛成するけど。
奈良に都合がいいように時間や定義をづらしているよね
殆どの天皇陵はウソッパチ
だけど調べられないから嘘を証明出来ない
古墳時代に古墳のような大規模計画精密土木構造物を作りながら
都からは集落跡に掘立柱に土器偏位しか出てこない
余りにも鈍感な盲目な知能しか持ち合わせない研究者達
鈍感の中でも
鈍感に気が付いてる人もいるよ
129 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 21:14:35
古代都だと考えられる纏向遺跡の発掘成果
矢板で護岸した幅5メートル、深さ1メートル、総延長200メートル以上にわたる巨大水路の発見。
こんな馬鹿な話書くの止めようぜ!www
何処が巨大なのよw
深さ1mの矢板が出てきた事かよw
そんな矢板は田んぼの畦にしかならんて
太宰府水城の足元にもおよばんwww
この程度の構造物は都の遺物なのかな?
そうして診ればどれ一つ採っても僻地の遺跡と変わり無い
そんな遺跡マキムク
なんで纏向から外国製品が出てこないんだろw
都=国際都市
アフリカの古い都でもそうだよね
幅5メートルの河に巨大を付けるだけでかなり騙せているよねw
木の矢板だから14Cピッタリだけど
137 :
日本@名無史さん:2008/01/21(月) 10:16:56
景行天皇は軍事政権
都には武器も備蓄倉庫も無いけれど
それでも軍事政権
絶対軍事政権
扶桑の武器でもでてこないとなw
数ある不思議な定義から見直して欲しいよ
どれも証拠の無い妄想からしか始まってない
箸墓を最古としなけりゃならない考古学者達の不思議な考えは
金をも上回る見返りの大きさによって引き起こされる
彼らの誰一人として心から箸墓を最古だなんておもっていない
脳天気な人しかこの議論に加わらない事を見れば一目瞭然だ
安本が大本営発表と皮肉っても
彼も思い込みが強すぎてその大本営と殆ど変わらん説で論争してる
その前の思い込みから見直せよ
143 :
日本@名無史さん:2008/01/22(火) 13:36:18
安本先生 立派な古墳は作れるのに立派な都が作れなかったのはどうしてですか?
そのマキムクとか云う集落と箸墓の作られた時期がまず違いますし
どちらも奈良以降に出来た遺跡ですよ
私は安本じゃありませんが
マキムクってみんな集落跡っていってんのに
どうして都になるのよ
146 :
日本@名無史さん:2008/01/22(火) 20:13:59
立派な墓だけ造る奈良
記紀を書いた方々はお墓マニアみたい
藤原京の前の都って奈良の何処にあるんですかね?
都らしき遺物は何処からも出ていない
記紀の記述が正しければ
墓にだけ異常な執着をするオタクな王族だねw
観世音寺に保管されていた水城の木樋を14Cにて測定したところ430±130年と出た
九州は古く
奈良は新しい
奈良の大規模土木遺構は古墳だけだよね
藤原京からは奈良に都があったことは認めるけど
高安なんて山城になっていない
高安城の石垣は眉唾だよね
高安城には名残神社も無いから
機能してなかった可能性が高い
高安城は記紀の妄想で
結局畿内には山城は無かったんだろ
いったいどこが畿内なのかな
出任せご都合真似っこ史書
まるで程度の悪い末っ子のような史書ですよね
160 :
日本@名無史さん:2008/01/24(木) 14:18:14
太宰府には外壁の遺構が見つかってますが
藤原以降の奈良の都は外壁がなく城として造られていない
余程敵の脅威のない所迄避難してきたみたいだね
原初より奈良周辺に住んでいた原住民は、攻撃性の弱い人々だったとしなければ、奈良の無防備は説明出来ない。
162 :
日本@名無史さん:2008/01/24(木) 18:09:43
ヤマト王権は当初より
外壁もない高地でもない場所に
都を置いてきた
やまとって福岡の事ですよねw
164 :
日本@名無史さん:2008/01/24(木) 22:26:37
>>161 九州にだけ防人を置けばいい状況だったらしいよねw
確かに
防人と言えば九州と当たり前に思っていましたが
なぜ都には兵隊も居ないのに九州だけに置いていたのか
かなり矛盾した状況ですね
日本書紀で高安城を作ったって書けば、それだけで外国に対しては防備になったみたいだな。
167 :
日本@名無史さん:2008/01/25(金) 06:27:55
奈良砂漠盆地はり天然の城壁だけど
行く先不明のジプシー天皇が史実だろw
藤原京も未完成で
持統は吉野にご執心
一ヶ所に留まる事を恐れていた節はある
確かに天武朝は一様に宮所が落ち着かない
後天智朝にはそれはないね
磐井物部大王を追い落とした継体蘇我大王も当初は都を転々とした
天武朝の方は何代にもわたる間移動を繰り返した所をみると
ずっと政権基盤が弱く政敵も少なくはなかった事が読み取れますね
これ裏返すと当時の福岡にはまだ軍事施設が未熟だったとも云えるかな
そうだな
平安遷都後は都も天皇もピタリと動かなくなったよね
かなり意味深
天智藤原組の勝ちで安定したんだな
174 :
日本@名無史さん:2008/01/25(金) 18:03:56
持統天皇が頻繁に吉野に行ってるのは何故だろう。
神宮を伊勢に移す途中で、当時は吉野にあったんだろうか?
妄想捏造史書倭姫命世記を超える妄想してるけど
その返事は普通返せないだろw
証拠がもう少しあるなら是非考えたいネタだね
天武朝の後ろ盾の唐が怖かったから
無防備なのに手が出せなかっただけだろ
177 :
日本@名無史さん:2008/01/26(土) 09:22:59
文武朝の時に多気から度会に神宮を移してるんだよね。
>>176 安史の乱で唐の日本への影響力が無くなった
すると天武朝も終りをつげた
これが歴史の真相だね
179 :
日本@名無史さん:2008/01/26(土) 11:19:22
持統天皇は伊勢行幸の時に多気と度会にも行ってるけど参拝の記述は無い。
移設地の下見かも。
>>178 この人達は日本の人じゃ無いんだろ 記録が乱れすぎてますな
日本書紀以外の主な史料の天智・天武の生年(左が天智、右が天武の生年)。BY wiki
一代要記・・・・・・・・・619年・622年
仁寿鏡・・・・・・・・・・・614年・不明
興福寺略年代記・・・631年・640年
神皇正統記・如是院年代記・・・・・共に614年
神皇正統録・本朝皇胤紹運録・・・614年・622年
皇年代略記・・・・・・・614年・623年
それまでの天皇とは
全く別系統に見える二人だよね
系図上だけ繋がってるけど
182 :
九州王:2008/01/27(日) 11:15:41
>>168 藤原京は無い、藤原宮が正確。
京の名称は平城京から。
当然、藤原以前も宮だけ。
初めての京だったので区別する必要が無く、名前は要らなかったようだ。
ヤマト王権は京も持って無いのに日本全国を支配したなんて絶対ありえね〜!
183 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 12:47:38
>>182 「日本書紀」では藤原京のことは
「新益京(読みはあらましみやこ・しんやくきょうなど)」
(持統天皇六年正月十二日条)と呼ばれている。
すなわち、日本で初めての坊城制を持つ都であり、
「京」と呼ばれていたこと事実。
一方、「藤原宮」とは天皇の住まいをさす。
「岡本宮」や「清原宮」と同様の言葉で、
藤原京をさす言葉ではない。
>>181 天智も天武も斎名と舒明の子供じゃないよな
倭国は古の倭奴国なり。<旧唐書、倭国伝>
日本国は倭国の別種なり。<旧唐書、日本伝>
日本国と倭国には時間差がある
この当時は日本国
それ以前に倭国
けっして並列の使われ方はしていない
記紀の内容から推察すると
倭国と日本国の境目は
斉明と天智が妥当だろうね
夫れ以外には考えられませんな
戦争に負けて進駐迄されて
以前の王様の子供がそのまま王様にはなるなんて
奇跡かもなw
唐や新羅は寛容なのかもね
この場合秦王国が倭国となるんだろうね
秦はやっぱ始めだね
古の倭国だな
斎明天皇と孝徳天皇は敏達天皇の曾孫
こんなに離れるより近い皇族がいたはずだよ
このへんも怪しいな
この辺の天皇はおまけで加えられた人が多いよな
196 :
日本@名無史さん:2008/01/31(木) 23:04:32
天智天皇
662年 斉明が死んでも即位せず
663年 白村江で負けても即位せず
668年 天皇に即位する
こんな意味不明な即位ってあるのかな?
その前にも皇太子と云いつつ何度も即位を見送った
正当な相続を詐称しているからに他に無い
白村江の前の天智の経歴は取って付けたんだろ
天智=百済よりも
天智=新羅だろう
200 :
日本@名無史さん:2008/02/01(金) 21:48:41
古代に留学もしないのに外国の制度を取り入れた凄い皇子様が日本には二人も居たらしいぜw
思い込みで考える人達は不思議にも思わないらしいよw
ほんとだなw
優秀な外国出身の参謀が居ると、親や先祖のやってきた事は蔑ろにできるのか。
よくもまあ親から皇太子に指名してもらえたよな、兄弟もいたのに。
ここだけだよ日本の歴史で政権交替無しで制度がガラリと変わったのはw
天武ははっきりと中国人だよな
天武って本人が日本にいたのか疑問
天智もね
207 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 11:32:09
>>196天武の生まれ年って
唐の高宗に似てるねw
天武の居た九州の吉野に足跡がないよね
持統天皇草壁王子あたりもちと怪しいね
下手すると文武天皇あたりまで作り話もあるよ
新羅と日本の関係についても、
調べるほどに通説が間違ってる事が解かります。
日本以上に海外の状況変化は早いですから、
思い込みの強いまま括る人が出てしまうんでしょう。
日本では注目されない
唐新羅の事件は確かに多いよね
唐と新羅も仲良くなったり喧嘩したりねw
古代朝鮮との外交記録でも日本を兄弟と考えている国が目立つ
古代の日本は大陸との関係を無視する事で捏造された歴史ですよ
白村江で新羅に負けた日本なのに、その後も新羅に対しては、目上として外交してる。
これ過去の慣習だとかいい加減な説明がよくされてるけれど、ちゃんと新羅と重ねて調べれば、簡単にわかる事。
結局天皇家の出自が絡むと、説明不足で誤魔化すのが鉄則なんだよね。
それぞれ国別縦割り歴史でも、解らないよう工夫して作ってあるらしいよ。
兄弟国じゃ目上じゃないな
新羅色は特に九州に強く
唐色は畿内に強い
またまたなんとかの分布と同じようですねw
しかし俺たち嘘ばっか教わって大きくなったよな
そして百済に高麗は植民として国を作った
多国籍な国だよね
蝦夷隼人 倭人 新羅人 漢人 唐人 百済人 高麗人
ざっと数えただけでこんなにいる
倭人には何波かあっただろうね
これだけ時間がたてば単一民族と言っていいだろうね
大陸の血が入っていない日本人なんてまずいないね
こんなにふるい天皇家捕まえて
朝鮮人だとかいう奴って変わってるよな
225 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 07:28:36
江戸の風俗を見て思いますが、日本庶民の棺桶は丸く縦長で、甕棺が原料の都合で、木桶になったものだとすぐに解ります。
かたや古墳の被葬者達の横長の棺桶は、最近になり日本庶民にも普及はしましたが、日本のノルマンディを連想させるのに充分です。
木桶のルーツ甕棺が九州にしかない。民族学からも九州が元祖なのは、動かしがたい事のようです。
顔真っ赤にして「甕棺は異民族だ!」なんて気張る学者www
天皇家の方でも日本化著しいよね
あの縦長の木桶のルーツは 甕棺しか考えられないよな 考古学者は盲目だね
甕棺の王様の副葬品は
下手な古墳を上回るからお立ち合い
甕棺の分布地は、中国華南から山東と、古き倭族の分布とよくにています。
倭国から日本国へ切り替わった時期が問題だ
確かに甕棺にルーツがみえる
未だ記紀の捏造に踊り狂う意味ないね
記紀のままじゃ古墳のみを気違いのように造り続けた王権としか理解出来ない
確かに巨大古墳を記紀時代に持ってくると
それぞれ都が余りにも貧相だよなw
そろそろ古墳時代を見直した方がいいよね
237 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 12:44:05
だいたい世界でも有数の広大な墓を、島国日本の価値観で造り得たものなのか?。
その途方も無い莫大な労働力は、いったいどこからきたのか?
考える必要も感じない位、程度が低い捏造だ。
新選姓氏録を見れば
朝鮮諸国同様に漢出身者も多い事に驚く
激動の東アジアの敗者達は
労働力であれ生存を認められた日本に
落ち延びたのでしょうね
仁徳天皇陵なんてありえない
今でも庶民の墓の下には骨壺が埋まる
その上に大きな石を載せる
まるで甕棺と同じですね
九州にしか甕棺はないよね
そういえば、福岡空港の近くの親戚の裏山で、よく甕棺のかけら拾いしたもんだ。
風化して、ぼろぼろだけど、結構転がっていた。
白骨も転がっていたんだよな。子供のときはだれも何も気にしないので、動物が死んだのか
残飯の鳥の骨かなんかと思っていたんだが...
参考までに横長の寝棺が普及したのは火葬場の都合
戦後暫く迄は丸桶で座掘させていれて野原で火葬した
燃やすまでは甕棺と同じ
今も天皇から別れた人達には横穴式の墓に入って欲しいよね
飽き飽きするね ホニャララ思われる
畿内の巨大墓築造は奈良遷都後としないと
かなり食料に苦労するだろうな
古墳の周辺に
それ以外の土木施設もないとね
249 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 08:43:10
記紀を書いた人達は古墳を自慢する所から来た人達で
代々古墳に入る程の中国に匹敵する王朝がありましたよと云いたい訳
それに添うように江戸幕府も宮内庁も追従した
みえっぱりばかりだとつくづく思うw
後から続いた人達の整えた体裁が また笑えますよね
記紀の作者達は倭の五王を知ってたのやら知らぬのやらw
記紀は敗者として書かれていない
明らかに取って変わった連中の思惑に利用された
天皇家の断絶は明らかだ
唐太宗の皇后長孫氏は善后として有名
遺言で自身の墓は既存の山の中腹に穴を掘って入れてくれと頼んだ
新たに山を作ることの無いよう庶民の苦痛を和らげた
考えさせられますね
この墓の作り方宮地岳古墳にくりそつ
無闇に土を盛る善王は居ないよな
磐井の墓も時代がおかしいね
だいたい負けた磐井(=物部最後の王)に墓がある事自体可笑しいのに
それが時代の下った前方後円墳なのはもっと可笑しい
258 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 06:44:28
墓の造り方や葬制は先祖から代々受け継ぐもので
突然異国の流行をみんな揃って盲目に真似するなんて
キチンとした理由がなければまずありえない事である
今のアメリカかぶれの爺様達はそこんとこに欠陥があって
異国の法律に変えても疑問にも思わないお寒い考え方が多い
みんな揃って裕次郎とかひばりとかビートルズにはまったのは
戦時情報並の強い単一情報を広範囲にひろめたから
それが特殊な事に気付かないまま歴史を考えるから
流行で国の風習や法律が簡単に変わると迄思ってしまう
歴史音痴甚だしい
見回してみればむしろ流行が広まらずに戦争長期化している国の方が多いし
アメリカに対する日本人の憧れも幕末からの長い洗脳により培われてのもの
古代歴史の短絡な妄想や常識には盲目なお爺様方の強い洗脳が影響しているw
古墳も流行で始まり 流行でパッタリ終わったみたい
ビートルズ思考で笑えるのが、
倭の五王は中国の権威にすがる為、冊封を受けたんだとか云う奴。
それじゃ説明になってないし、すがる理由じたいを書けって云いたいね。
猫も杓子もビートルズの人の中には、親や先祖よりもビートルズが偉いという、低モラルな輩が結構いるから困る。
そんな奴等に常識通用しないし、そいつらの子供はもっと手強い。
基本常識の、墓がどんなに大切なのかから納得してもらわないと、議論にならないからね。
歴史家にも結構いるんだよ、これが。
そうだよねw
奈良や大阪には雨が降らないから
都として不向きだと云っても
それだけじゃ解からない人いるんだよw
物部王朝と蘇我王朝とは宗教が異なる王朝なのにふつう同じ様式の墓に入ると思う?w
仏教徒が入るべき墓が盛った古墳なのかねw
唐の王族も殆どは古墳らしき所に納まる似非仏教徒だからねw
最近の史観は記紀が信用出来るから記紀を信用したいに変わりつつあるからねw
奈良に都にあったのか?
一番触れて欲しくない話題w
思い込み議論は好きだけと
基本的な議論は穴だらけですぐ逃げる
いったい何処に都らしい遺跡があるのか?聞けば
直ぐ消える人ばかりw
記紀って唐に絡んだ人の立場で書かれているよね
天武の日本に居なかった疑惑高いよ
なんかさ
真っ赤さーは来たけれど
るー図ベルトは来なかったって感じ
必死に畿内の地勢や地名調べたんだろうね
奈良の人口はここにきて大阪のベットタウンとして増えたけど
奈良時代以降減り続け全国有数の小国となった
275 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 09:57:56
奈良から甕棺出てきたら記紀信用するよw
奈良の王統は途絶えて
京都じゃ前方後円墳は流行らなかった
ある意味死者の谷だよなw
聖武が遷都したのは当然だ、彼の先祖は奈良盆地に居ないからね。
あんなにデカイ墓だらけで、盆地ごと他人の墓地だもんな。
聖武以降は墓が徐々に小さくなって、健全なのも好印象。
そうだよねw
王統は途切れているから
天皇家にとっては先祖に当たらないのか
滅びた家の墓地だよなw
日本の易姓革命は、庶民や外国に気付かれない程穏便だけど、
系図に政権交替は沢山あるし、その血縁が父系で繋がっていた可能姓はどれも低でしょう。
しかし母系となると、かなり古い神様迄も繋がっていたような、風習が残っているので、気持ち救われますが。
八色の姓の最上位真人姓は、主に継体天皇以降の子孫に、
賜姓されたらしいが、どうも残る氏族を調べてみると、
殆どが天武天皇直系の氏族にしか残っていない。
しかも厨真人厨女や氷上真人塩焼のように、天武直系氏族に対して、
懲罰賜姓として使われたように、真人姓=天武直系を蔑視する姓となった。
この傾向は、平安以降ではさらに顕著となり、殆どが朝臣姓を望んだ。
真人から朝臣への政権交替のようですな
八色の姓がそのまま現在迄適用されてるなんてとんでも無い
横割りの歴史だから一段と解らない奴が多いよ
もともと天武朝から朝臣の藤原氏は皇后を輩出し天皇家の姫迄降嫁する家柄
天皇家に準じる家柄で鹿島の田舎神官家程度でこれほどの好待遇はありえない
真人とは同格だったと思うけど
この好待遇は旧王朝家蘇我氏じゃないとありえませんね
元々鎌足からして待遇がいいからねw 藤原氏の出自なんて自明だよw
日本では伝統的に、旧政権側から新政権に嫁がせる、一貫的な慣習があります。
これは神武紀、天智から天武、戦国、明治維新に至る迄、至る所で確認出来ます。
言い換えれば、新政権側に嫁がせた勢力=旧勢力、と云えるのです。
確かに云えるよ
289 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 16:02:58
紀氏や物部氏に蘇我氏どれも当てはまりますね
父系交替母系継続
これが日本の混乱の少ない革命に多分に影響している
義満はじめ天皇父系交代疑惑は付きませんが
母系から繋がっている事は明らかですから
少なくても江戸末期までは血統の断絶は無かったのでしょうね
母系の旧勢力を取り込み世間の反感を抑えるには非常に優れた慣例だな
こんな日本式ルールを浮き立たせると
古代の辻褄が狂い捲くるよなw
江戸期島津の篤姫も旧勢力からの輿入れ
日本の後宮や大奥なんて旧勢力や屈伏勢力の代理戦場だしね
ドラマみたいな生温い茶番で済むわけ無い
藤原さんが九州王朝の伝導者って訳ね
そうだな九州時代の事がさも京都にあったように伝わっているよな
万葉集はその典型だね
そういや、大宰府の近くの山で曲水の宴の跡が発見されたんだっけ
久留米の事なら都があったからね
物部さんの遺構だろうね
則天武后について調べると
日本の宮廷でも起こりえる
恐ろしい逸話が盛りだくさん
いかに出身勢力に権力をもたらすか
どこの後宮もこれに尽きますよね
平安時代の藤原氏の一人勝は後宮政治の重要性を際立たせるよな
中臣っていかにも部下っぽい名前だけど、臣の字がつくじたいで大臣クラス。
大臣クラスは限られた氏族しかなっていないし、有力氏族なのは間違いない。
負けて部下になった事で、臣の字つけたんだろうね。
わざわざ名前に「部下でごさいます」なんて
語るに落ちてますなw
古事記には尿の子供が豊受姫なんだと
伊勢外宮の祭神はお食事奉公の上に散々だなw
とんだ神様ですねw
過激な差別化を好んだ時代なのかもしれません
306 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 15:17:50
ある有名な考古学の先生のコメント
「年代を決めるにはキイポイントがありますが、そのキイポイントが崩れてきたらそれを見なおす必要がある。」
ある素人のコメント
「キイポイントっていい加減なのね」
考古学って基礎の無い上屋だよね
傾いてるよねw
新羅や百済の古墳は比較的新しいそうで
日本の古墳は結構古いそうだ
こんなんで誰騙すつもりなのかね
中にはまともな奴もいて少しは役立つネタもあるw
新羅の影響の強いところには前方後円墳が少ないそうだ
これだと奈良遷都の動機もはっきり浮き上がってくるだろ
なるほど役立つ奴もいるw
考古学者はそれぞれ手前味噌
基礎的データしか取るに足らん
やっぱし綱引きしてたのね新羅と
記紀に添った形での考古学には矛盾が多く、その矛盾が捏造の証明になる事ばかりだ。
仁徳陵の周辺は百済系の地名ばかりなんだってw
百済の人が大挙来てから作られた古墳じゃないの
百舌鳥って地名もかんなり怪しいね
百舌鳥 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
百舌と書くのは、他の生物の鳴き声のモノマネを得意としていて、
モノマネできる鳴き声の種類が多い事からくる。
昆虫や爬虫類、カエルなどを獲物にする。
捕らえた獲物を木の枝先などに突き刺しておく珍しい習性を持ち、
これを「モズの早贄(はやにえ)」と呼ぶ。
秋に最も頻繁に行われるが、
何のために行われるかは実際よく分かっていない。
現代中国の詐称三昧を見ていると、記紀の捏造三昧を思い出すのは俺だけかな。
a
百舌鳥と百済の百の字が同じだ
いい意味で使われた気がしない
中国東部朝鮮日本
モズの生息は超古代の倭族の分布に等しい
唐の物真似すること笑ったんだろ
百舌鳥
百済は下だと蔑視したんじゃね
百済人は金鉱を見つけたり
仏像を作ったり埴輪古墳を作った
今に伝わる日本の職人気質は百済人の伝統を伝えた物だろうね
326 :
日本@名無史さん:2008/02/16(土) 14:44:22
奈良飛鳥の天香久山
見れば見るほど古墳だなありゃw
藤原京の中にも百済と百済川がありますよ
畿内は百済が多いよな
そういえば畿内周辺には新羅が少ないね
住み分けが出来てんのかな
満州で拘束された日本兵がシベリア鉄道を作った
これと同じ事だろ畿内の古墳なんて
畿内漢化プロジェクトBY漢人
>>326 天の香具山の中腹の岩に、近年迄締縄を張った所があったそうです。
それ以外にも神社等沢山ありますから、墓として使われたのは間違いありません。
しかし人造の山にしては大きいですから、盛土は難しいでしょうね。
万葉集1-2
高市の崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の代
天皇の香具山に登りまして望国したまへる時にみよみませる御製歌
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ
海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
香具山山頂から海は絶対見えないし鴎も絶対来ないw
万葉集の冒頭にこの歌を持ってきた意味が解かるよ
万葉集の作られた政治状況は、記紀とは全く異なり、真実の暴露に障壁が無い時期にて、編集された事がわかります。
平安以降の史書類では、真実の暴露を躊躇してない物が確かに多い。
政権交替で障壁がとれたので、記紀とは食い違う物がかなりあるのである。
だがなぜか、これらについて日本では、難癖付けて無視する研究態度が幅を効かせている。
世界では当然のごとく、次期政権の冷静な目を評価し、
手前味噌に作られた、記紀ような史書の、評価が低いのだが、
史学の研究態度としては、かなり滑稽なのである。
だから記紀至上主義は歴史では無く、イデオロギーとして扱い、
歴史とは区別するべきだと感じるのだが、皆さんの感想をお聞きしたい。
日本流にも困りますよね
歴史の定義から考え直さないから
未来への教訓として扱えないのにね
あった所が違うんだから完璧妄想史学だよな
量的緩和とかゆとり教育とか歴史音痴のなせる技
339 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 14:44:32
ゆりかもめ
弥生文化は誰もが九州先行認めているのに
なんでその後は畿内先行になるのか?
14Cだと奈良時代以前も九州先行なのにね
歴史家は歴史家の責任を果たして欲しいね
陶磁器は九州先行なのに
瓦は畿内先行らしいねw
古墳時代の設定基準は記紀からの連想なんだって
344 :
日本@名無史さん:2008/02/21(木) 16:15:52
345 :
日本@名無史さん:2008/02/21(木) 16:16:50
346 :
女王國はどこか?:2008/02/21(木) 23:53:41
>>334 記紀至上主義は歴史学でなく思想ですね。
>>343 いい加減な時代設定なのは広く周知すべきだな
348 :
日本@名無史さん:2008/02/27(水) 10:02:02
国営飛鳥歴史公園事務所の贈収賄
歴史をねじ曲げるような人達は
さすがに罪の意識も稀薄!
公金で捏造加担しているだけでも罪深いのに、その公金を着服するなんて、戦前と役人はちっとも変わっていないよ。
これらに乗せられ、分け前無しで踊りまくるトロイ人達には、正直掛ける言葉が無いよ。
ただで騙された奴程取り乱して怒るのはなんでwww
351 :
日本@名無史さん:2008/02/27(水) 11:03:15
騙された方にも罪がある上に
間抜けだから
真面目に奈良明日香から都らしい遺物の出土は皆無だしねw
洗脳って凄いよな
土器偏程度で都だってさw
奈良の役人にとって2ちゃんは仕事の一部らしいでw
355 :
日本@名無史さん:2008/02/27(水) 13:19:15
>>352−354
どうでもいいが、文章の特徴が全く同じ
同一人物の運動員w
>>355 何しに来たんだ
歴史の勉強するか仕事しろw
357 :
日本@名無史さん:2008/02/27(水) 13:47:31
そういえば税金で食っている奴しか、記紀を肯定する動機って無いですね。
九州でも役人だけは九州王朝を否定するよなw
記紀の捏造が明るみになり
見直しムードが優勢になれば
国営飛鳥歴史公園事務所なんて
直ぐに廃所だよな
歴史を食い物にしてるよ
奈良のあるお役人は
遺跡は造り出すもの
と豪語してたw
明日香の板蓋宮跡も
出土時を見間違う程の過剰整備だな
九州の役人の揺れ動く心は、史跡説明看板とかに現われているから、彼らの本音と建前の葛藤に、同情するけどね。
ちと逸れます
葛藤ってもつれあう意味と心揺れ動く事らしいですが
葛城と藤原のもつれで容易に理解出来ます
それ古代の真実を物語る言葉ですね
葛藤ね
これは日本で作られた言葉だなw
夫婦喧嘩にぴったりかもな
ならす
均す 慣らす 鳴らす
これらも意味豊富だよね
371 :
日本@名無史さん:2008/02/28(木) 15:03:56
葛藤の考察
1葛城≠藤原
2葛城vs藤原
3葛城×藤原=藤原
4葛城・藤原=長く伸びる
色々考えられるよね
372 :
日本@名無史さん:2008/02/28(木) 15:07:58
葛藤の考察
1葛城≠藤原
2葛城VS藤原
3葛城×藤原=藤原
4葛城・藤原=長く伸びる
色々あるね
太宰管内志何方か破格で譲って欲しい
葛城と賀茂って似てる
結局同じ神が枝分かれしてるだけだしね
九州の葛城は大和の葛城と違って神的に評価高いね
葛城の高鴨神社に早朝行ったけど
人一人もい居らず哀しい雰囲気
大和の葛城は忘れられた場所かもね
奈良の葛城は移設によるお情け神社ばかり
あの有名大社を此処に持ってこないと説得力が無い
名ばかりの葛城だよね
加茂葛城は、日本の一番古い王家であり、
父系は取って変わられながらも、母系で王家の血脈を繋いでいる。
古くから宮廷衣裳として重用された葛布は、それを証明する名前を今でも残しています。
葛城の葬制は取って代わった王家等に
残念ながらが変えられましたよね
賀茂神社の権威が高い理由が解るよ
するとあの有名大社の本宮となるのかなw
歴史深い地域と云えば
歴史上数々の出来事があった地域の事ですが
奈良はそれだとどう云うべきでしょうか?
694年藤原京
784年長岡京
百年無いんだね奈良盆地w
明日香村には都も無かったのに歴史公園作ってる
史実どおりなら宇陀郡程度の扱いだろうね
捏造史書様様だ
奈良砂漠に都を作ったのは砂漠から来た王家
388 :
日本@名無史さん:2008/02/29(金) 18:46:27
389 :
日本@名無史さん:2008/02/29(金) 18:47:46
延喜式神名帳 大和国 高市郡 明日香村抜粋
飛鳥坐神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗
宗我坐宗我都比古神社二座 並大 月次新嘗
飛鳥山口坐神社 大 月次新嘗
甘樫坐神社四座 並大 月次相嘗新嘗
飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社
治田神社 鍬靫
櫛玉命神社四座 並大 月次新嘗
加夜奈留美命神社
呉津孫神社
氣都和既神社
波多神社 鍬靫
於美阿志神社
瀧本神社
許世都比古命神社
どうしてこの地域には知名度のある神社が無いのでしょう?
坐=移設して此処に坐りますた
コイツ等外してよう御座んすね
それぞれ由緒や成り立ちも情けないのが多いよね
飛鳥を掘る 河上邦彦著
この人記紀を信じているのだけれど
飛鳥の発掘しながら
記紀記述の位置が可笑しい可笑しいとぼやいてる
そりゃそうだわw
395 :
日本@名無史さん:2008/03/01(土) 10:17:04
いくら掘ってもね、決定的な証拠は、奈良からは出てきませんから、
貧弱な出土品や遺構についてね、記紀のような史料に絡ませ想像する。
考古学なんていつもその繰り返しで、ある意味悪循環を起しているんです。
すると想像が想像を邪魔して、全く収拾がつかないから、
頻繁に過去の想像の修正をする事になる。
基礎というか、スタートから想像ばかりだから、何時迄もこの茶番は続きます。
当たり前の事なんですけど。
日本で最初にエンペラーを名乗ったと云われる、天武天皇の飛鳥浄御原宮が、見つかっていない事だけでも眉唾なのに、
そのエンぺラーがとっかかり作った、寺も神社も奈良の明日香村には無いみたい。
墓だけ作って死ぬの待ってたのよw
閑話休題
楚王熊章編鐘
これは楽器ですが良質な銅鐸に見えます
銅鐸は中国文化から外せません
銅鐸の音色は戦後のビートルズ
日本が中国に破れてから流行る外国の音色
扶桑の国に金属音は似合わない
天武なんて奈良迄来てないよ
天武の銅鐸の音色だね
中国系のプロパガンダだと解かんないとねw
404 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 02:18:46
>>401 >天武なんて奈良迄来てないよ
奈良にいたのは誰から?
持統から?それとも文武から?
>>403 銅鐸で十分飼い馴らせる人達には銅鐸でいいね
そうそう剣が必要な地域では剣がある訳だ
明日香村の飛鳥坐神社とか加夜奈留美命神社を
関連つけた話をよくみるけどどっちの神社も悲しい経歴があるよ
飛鳥坐神社は江戸時代に神社など無く井戸の周辺の小山に神社を作った
加夜奈留美命神社は江戸時代まで別名八幡神社だった
江戸幕府の頑張りで現在の明日香村があるんだね
加夜奈留美だって九州にいたんだろ
辻褄合わせるのも大変だ
江戸幕府捏造チャンピオンだな
河上邦彦氏曰く奈良飛鳥には「条坊の無い事は確実」と記載している
飛鳥浄御原宮以前には既に条坊のある出先機関があるのだから滅茶苦茶だ
明日香に由緒を持ち込んだのはいいけれど、
それを裏付けるものが、後付けの短い期間の作品ですからね。
河上さんは通説を疑ってるね
正常な感覚だよなw
飛鳥寺も一部の史料では江戸時代に無視されている
戦国時代以前となりますと
寺社はかなり減るんだね
通説の表と裏
本音と建前
余程のバカボンじゃなけりゃ
知ってるよw
真実話を誰ともしたこと無いのなら
ちょっとお頭が弱いと自覚した方がいいよね
小郡市の小郡官衛遺跡
大刀洗町の下高橋官衛遺跡
直ぐ最寄に大きな太宰府があるから
わざわざ此処に地方出先機関は要らないな
九州の都だろうね
下高橋の周辺は色々あるね
有名な瓦が出土してんだね
この辺あるね
ここまじあるね
確かに竈門神社がある
都に付き物だし
奈良の山辺の道歩いたことある?
あれが機能していた道路だったとはとても思えない
それに奈良砂漠じゃ平地がぬかるみにくいから
わざわざ山歩く必要も無いし
426 :
日本@名無史さん:2008/03/04(火) 14:06:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
確かにあの山道を歩く意味がないよな
都周辺の官道なのに幅が狭く起伏が大きい事も嘘臭い
あの盆地なら馬が容易に使えたから遷都したはずなのにw
奈良時代の地方官道で幅8mあるんだよ
あんな山道が官道だと辻褄あわんよ
そうだよね山辺の道なんて
そこらへんの山岳道と同じだよ
確かにあの道は官道じゃないなw
山辺道よりも高い所に歴代天皇陵を作るべきだよね
あの古代天皇陵に
一つとして正解はないね
江戸幕府さんの想定だもん
宮内庁の天皇陵管理費は凄いんだよ
山辺道が古墳で迂回しているから
だいたいどの時代以降の移設作品かも解るよね
古墳が先か道が先か
どっちが先でも可笑しいな
奈良以前の官道の殆どは高速道路や重要国道のルートと重なる事が指摘されている
ただ奈良の山辺道だけ他とは違い際立つ個性の官道であることがハッキリしてる
本家山辺道の方は重要国道ルートだから説得力があるけれどw
むりやり記紀の記述に合わせなくてもいいし
あわせた奴のセンスを疑う
山辺山道
悲しみの椿市
どうすればあそこが町になるのかな
441 :
日本@名無史さん:2008/03/05(水) 22:01:43
穴と石と土器編を
時代も解らず説得洗脳するだけ
考古学者は立派だよ
奈良考古学の年代設定には妄想のスキルしかいらない
大振りの玉石並べる構造物なんて
低コストで簡易的に体裁を整えたとしか見えないのに
都に使われたなんて妄想の極みだよ
その辺の庭先でよく見るような石っころ並べただけの庭見てるみたいだろw
皇室はエンペラーだから
もう少し洗練されてないとねw
簡易舗装って感じだな
446 :
日本@名無史さん:2008/03/06(木) 16:12:49
奈良の古寺?には礎石があって
飛鳥の都は堀ったて柱
寺だけ別格かと思いきや
当時の出先太宰府には礎石があるw
447 :
日本@名無史さん:2008/03/06(木) 16:46:18
大宰府が礎石を使って建てられるのは八世紀からなんだけど?
奈良の歴史は多くの見落としで成り立っているwww
明日香の都が14Cで8世紀なら聞いたことがある
ほったて柱なのにw
寺の礎石かw
九州じゃ山城にまで礎石が残っているのに
確かに
奈良の藤原京平城京そして寺を除けば
まともな礎石が見当たらないなw
粗末な耐乏王朝だよねw
なんの変哲もない田舎の写真にしか
俺には見えないんだけどw
都から遠く遠く離れました
奈良国高市郡庁の遺跡ですw
458 :
日本@名無史さん:2008/03/07(金) 09:12:01
14cがどんな物か調べてみよう。
そして、地図で大宰府と明日香村を比較してみよう。
14Cは科学的年代測定国際基準
編年は妄想的年代測定日本基準
小学生達が14Cについて考古学者に質問メールを丁寧に送ったそうだ
考古学者の返事に対し不明な点について更に再質問を丁寧に送ったそうだ
すると考古学者は何故だか激怒の言葉も表わの拒否メールを返したそうだ
>>454 まさか写真が間違ってんじゃねwwwww
462 :
日本@名無史さん:2008/03/07(金) 12:03:25
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
463 :
日本@名無史さん:2008/03/07(金) 13:12:24
14cの数値そのままでは年代測定に使えないので、ある物で数値を補正してるんだよね。
>>454 天武の都なら礎石の一つ位出てもいいだろw
どの発掘資料をみても、
都らしい遺物なんて書かれていません。
ただ書記の記述から想定されるそうです。
書記が嘘八百ならどうなるのかしら。
編年の標準書は永久に出来ないみたい
これをあやふやとする事が最後の砦なんだって
>463
そのとおり
C12-> C14 への変化は主に太陽からの放射線によってもたらされるのと
大気循環の状態により、生成量が変化すると考えられている。
この変化を修正しなければならず、補正データがあり、それを見込んで
年代を決定する。
ただし、海中にある炭素は放射線の影響を受けにくく、C14の割合が小さい。
海洋由来の炭素が何らかの理由で、測定対象に多く含まれているとすれば
古く結果がでると考えられている。
もっとも、木材組織などに含まれるC14は炭酸同化作用による物と推定され、
海洋炭素の影響は誤差範囲を越えるものではない。
それはよかったなw
都はチープなのに
墓と寺はかなりゴージャス
日本の古代は世界に類例を見ない様相を呈してるw
寺があっても墓があっても
都がなければ地方都市
万国共通特例無し!
穴ぼこの都にエンペラー天武が即位すると思うか?www
せめて飛鳥歴史公園を作り終わってから
暴露してあげないと可愛そうだね
なら明日香の見直しはそんなに難しくない
新たな歴史への修正は
まず記紀の見直しから始める事になるだろう
飛鳥を調べるにつれ捏造は動かせなくなったね
近年考古学者はすっかり意識改革した
相次ぐ見込みとは違う発掘にも
ひたすら初志貫徹を貫くそうだw
ゆっくりのんびり結論の先延ばししか
彼らの生きる統べは無いなwww
明日香村周辺は、藤原京の附属施設として整備されたものを、それ以前だと書記が時代を捻曲げたもの。
480 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 11:19:13
日本考古学の歴史
日本考古学発祥は明治10年モースが大森貝塚を発掘調査してから
当時考古学後進国日本はそれを学び学術として発展させた
しかし時間とともに教わった事は都合良く解釈され編年という日本独自の年代設定迄生まれた
近年世界では科学的年代測定が主流となったがいまだ日本では取り入れられず現在に至る
考古学は戦前並みの水準から全く進んでいない
考古学捏造は近い将来
薬害エイズ並みの官民上げた組織犯罪として裁かれるよ
無駄に使われたお金は百億を上回る
見てみない振りした奴らも同罪だ
世間を欺いた罪は大きいな
明日香村周辺なんて
藤原京の死者の谷
奈良明日香から、仮に三種の神器でも出てきても、
もう誰もここを都だと信じないよ。
今までの考古学ファンへの裏切りは、
とっくにピークを過ぎてる。
よく見てみれば何も無い・・・
当時奈良に居る人達は外国人が多いよねw
明日香では掘立柱と石版築が主流なんだw
先行する九州の都じゃ方々で礎石が発見されてるし
その後の奈良の都でも礎石が発見されている
空白記とでもいうのかね
掘っ立て柱じゃ立派な正殿も沈んじゃうYO
堀立柱で思い出すのは雲太出雲大社
古代でもあとは思い当たらないよな
いかに時代錯誤の都なのかよく解るねw
堀立て柱は今で言うとプレハブ程度 庶民の家位で報道しとかないとなw
493 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 09:18:05
伊勢神宮は未だ掘立柱で作られている珍しい建物
云わば構造が傾き易いプレハブの為に
式年遷宮を常に行わなければならない
言い換えれば礎石の上に立つ他の寺社にはその必要が無いって事
移設した持統達は、木造建築構造に疎かったのか、急場凌ぎだったのか、どちらにしても陳腐な風習が伝わったもんだ。
ある一書によると
「・・・これは飛鳥の宮殿の特徴である石敷をともなって・・・」
確かに珍しい都の特徴だw
年代も解らない石敷の堀立柱
どこにでもある田舎の特徴w
掘立柱なのにすっかり踏ん反り返ってる。のさばらせていいのかね。w
寺はその前からつくったのにね
伊勢神宮も小石だけど石敷じゃんw
そろそろ暴露したほうがいいよ
>>494 逆に言うとあれくらいの遺構ならば日本全国どこ掘っても出るんじゃマイカ
後付で大騒ぎしてるという。実に滑稽だな
奈良砂漠には石がよく似合う
奈良明日香の石造物は
現代日本から理解できない物が多い
甘樫と甘木
移設前後で地名等が僅かに変わるって多いけど
あまり注目されてないね
506 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 13:01:17
467さん、石灰岩のC14の数値への影響は無いでしょうか?
石灰質の多い水で育った植物のC14の誤差は出ないんでしょうか?
507 :
467ではないが:2008/03/10(月) 15:21:01
>>506 植物内のCは炭酸同化作用の大気中CO2ガスに由来するもので、
根から水と共に吸い上げた炭酸塩に由来するものでないよ。
と言うより、毛根から炭酸塩は吸収できない。
508 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 16:05:19
なるほど。
ご教授、感謝。
砥上もにてるよ
似たもの指摘は安本氏が早いけど
東遷があまりにも早すぎる
彼も年令からの思い込みに負けたな
訓読みから音読み
移設後に移設元と移設先の改名
不自然な重箱読み
捏造工作は最近まで続いた
明日香も移設で変化したね
九州の飛鳥は広かったよね
飛鳥の○○宮って云うだけに
飛鳥は広域名だよ
先にくる名前が狭いのは
確かにおかしいよ
日本語の順序は東京の新宿
渋谷の新宿とか並列地名称ありえ無い
古代だけあるから笑うよ
そうね
九州の春日は広く
奈良の春日は狭い
九州の飛鳥は広く
奈良の飛鳥は狭い
すまん、九州の飛鳥ってどのへんを指すの?
>並列地名称ありえ無い
www
奈良の飛鳥はやたら狭いな
調べりゃいいw
何処に住んでんだろw
現地に居たら史料に事欠かない
525 :
日本@名無史さん:2008/03/16(日) 13:51:34
太宰府天満宮に伝わる翰苑には
魏志倭人伝の元となった魏略の逸文が含まれる
この内容だけで魏志倭人伝話は決まりですから
後に書かれた史書の記述をいくら検討してみても
意味の無い話ですよね
526 :
日本@名無史さん:2008/03/16(日) 15:25:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
>>525 新旧食い違うなら、常識的により古い史料に依るべきだよね。
魏略
中国三国時代の特に魏について書かれた歴史書。本文は失われ、現在は逸文のみが残る。
正史三国志にも陳寿がよく魏略から引用している。
三国志(魏志倭人伝)
中国の西晋代の人陳寿(233年 - 297年)により西暦280年〜290年頃に編纂された紀伝体の歴史書。
現存している写本は、5世紀に裴松之により校訂・注釈を施されたもので、紹興本と紹煕本がある。
紹興本は、南宋の紹興年間(1131年〜1162年)に筆写されたもので、
紹煕本は、紹煕年間(1190年〜1194年)に筆写されたものをいう。
邪馬台国妄想史学極まれり
塚田敬章さんの妄想は問題山積みだけどねwww
翰苑の研究すすめるべきたなw
翰苑は結局
九州が都だね
当たり前の話ですが、古い史料から考えないと、何の為に議論するのか、解らなくなりますね。
翰苑こそ魏志倭人伝
536 :
日本@名無史さん:2008/03/16(日) 23:07:46
漢書地理志 朱崖の条
魏志倭人伝は明らかに間違った認識を後から入れたようですな
後の秦王国が九州ですし、考古学的にその時代何も出てこない奈良に、まず勝ち目はないですよ。
三国志は遅れて作られた
それにしか頼らざるおえない学説は辛いでしょうね
×おえない
〇をえない
想像を膨らますのは個人の勝手だが
矛盾だらけの説を強要するのだけは止めて欲しい
珍説でも合理的に矛盾もなければ
自説に沿わない事も耳を傾ける人が必ずいる
学究を深める事を優先してほしい
三国志の魏志倭人伝は後から捏造してるわけかw
伊都国に続く国が邪馬台国なら
早良郡に三種の神器まで出てるから
辻褄ぴったり文句なしだw
543 :
日本@名無史さん:2008/03/17(月) 19:51:11
元祖日向ですねw
元祖橿原もご近所にあるようですし、奈良の出る幕は藤原京迄無いですよね。
反論出来る奴いないよなw
所で前から気になってたんだけど九州からは
三種の神器は出てない、っていう学者先生がいるけど
あれは何なの?出てるよね・・・
その学者は馬鹿なのよw
今時ね通説を覆す説に対して理由も無くゴネるだけで
当局からおいしいご褒美が貰えるんだから
学者達に考える力なんて必要無いのよ
すっかり餌が無くても握り締めた物離さない猿ばかりw
矛盾に気が付かないような
程度の低い学者程
ぎゃ-ぎゃ-うるさいよねw
吉武高木が弥生時代?
まず時代設定の見直しだな
新しいからこそ無視できる
無視をするにも理由が必要
魏略を無視する理由なんて無いですねw
553 :
日本@名無史さん:2008/03/18(火) 10:45:37
痛いとこ突かれて、逃げたり、怒ったり、痴話喧嘩してんじゃねぇんだから、理論武装もできないお馬鹿さんの学位は、取り下げお願いします。
昔松元成長とかいう下唇の分厚いおっちゃんが
にあわん真顔で「魏略で決まり」と言っとったな
妄想が一人歩きしてますよね
卑弥呼が元祖日向にいたのなら
その南の狗奴国は何処だろね
吉武高木遺跡ありますね
末羅国があったとされる、唐津の遺跡をみてみますと、吉武高木と非常によく似ています。
東へ向かい本州迄進むと、この系統の遺跡は全くありません。
しかし南の筑後川流域には、やや似たものがございます。
ですから北九州を外れますと、末羅国とは時代も様相も、全く違っている事に気がつきます。
やはり同時代の道程なら、同系統の遺跡でなければ、議論の余地が無いと存じます。
同感
下唇は伊達じゃないねw
だいたい魏使の道すがら
女王国の支配地域でありながら
奈良と九州で墓が違っていい訳ないw
通説は奈良に都合よく組み立てただけ
ぐたぐたやる必要は確かにないな
想像や妄想無しで理路整然と特定出来るますね
奈良へいって突然前方後円墳になるのはね
女王国の範囲について都合よく無視してるだけ
甕棺の副葬品の方が格上なのも説明がつかない
数えきれない無視でなりたってますね
末羅国から考えると時代が特定できて解りやすいですね
末羅・伊都・早良
時代も様相も良く似通ってますね
これらと奈良は全く別もの
同じ時代の証拠を上げて欲しいですね
569 :
日本@名無史さん:2008/03/19(水) 11:43:20
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
下唇翼賛会に入会希望申請いたしまつ!
邪馬台国で悩めるなんて
思考能力に欠陥があるのかもねw
572 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 09:49:51
合わない条件消去すれば、直ぐに範囲は狭まるから、うだうだやる必要なんてないよね
条件とか定義とかのそれぞれ適用が出来ない奴は
説明しても永遠に解んないだろうから
永遠に笑われ続けるんだろうねw
基礎的な条件でアウトならもう醸す意味無いよな
それに付き合う天然記念物も万に一人だしさ
末羅国の出土品をみてくれよw
おなじ女王国だよね
狭かったのね女王国の範囲
奈良学派の人達には
寡黙な人が多いのにね
奈良の邪馬台国は矛盾だらけ
とても京都大学が作った説だと思えないw
大学の研究かw
畑の土に転用されたんだな
この扱いは王権交替のなれの果て
馬子の墓じゃ無いの当たり前だけど
天武系の大物かな?
馬子は明らかに九州の人。奈良の明日香に居た訳無い。証拠の無い妄想が何処迄も一人歩きするな。
585 :
日本@名無史さん:2008/03/22(土) 20:27:03
家庭系が収支系に聞こえて未然系が連用形に聞こえる人はほっとけよ
勝手に来るから困るよな
あやふやな発言から一人歩きした通説が多いのにですな
古文書は個人で持つには高いよね
無いと研究にならないし
んだね
最近古本屋全盛の為値段も下がりにくいよね
専門書のニーズがけして増えた訳じゃ無いのに
強気の価格設定だよね
591 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:32:13
邪馬台国で悩めるのは発展途上の知識不足の人だけだろw
悩み多き人に終止符なんて打てないだろうねw
史料の取捨選択を合理的に行なえばおのずと結論が見えるもの
基本抜きの仮定ばかりじゃ頂けないな
あれで真面目に悩んでいるなら
もう考えない方がみんなの為だ
マキムクの遺跡から出てきたものよく見直して欲しいですね
甘樫丘?の蘇我の邸宅跡?も
出てきたものをよく見回して欲しい
小さな建物跡の堀建柱で
想像ばかりが豊かで一人歩きが過ぎる
598 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 08:30:54
最近のこの手の新聞記事には理由の欠片も無いよな
599 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 09:21:38
法隆寺や飛鳥寺があるのに
九州王朝説をとる人ってなにもの?
法隆寺が九州からの移設だったらどうする?
>>598 書記の記述にそった場所にある事が
唯一の証拠なんだってさw
馬の骨遺跡にしか見えないのは
俺だけじゃ無いだろうなw
当時最有力の蘇我氏の邸宅にしては、慎ましやかな遺跡だこと。
福岡では山の上にも礎石がある。権威を誇った豪族が住んでいたんだね。
比べてみれば奈良の方が田舎だよねwww
604 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 21:09:52
きっとうっかりだろうけど、
未だ掘立柱の伊勢神宮は、20年で作り変えつづけている。
それに対し礎石の法隆寺は、1000年以上も当時のままつづく。
この比較について、考古学者みなさんはすっかり忘れてるようだから、
早めに再認識を、お願いした方がいいよ、きっと。
605 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 21:15:30
俺、高千穂の神産霊命が過去世。
今世は宮城県北部に住んでる。
>>604 最近巷にうっかり者が妙に増えたなw
出雲大社宇豆柱の不自然な残り方も
見る人が見れば堀立柱が倒壊した証拠らしいぜwww
607 :
日本@名無史さん:2008/03/29(土) 06:51:17
礎石に比べ堀立柱の耐用年数が極端に短いのは建築では常識
言わばプレハブ仮設住宅と丸ノ内ビルの比較
明日香村の古代仮設住宅はなんの為に使われたのか
真面目に都だと思えるのは無知なのか無視なのか
無知の人の発言はいらんよねwww
大玉石敷きの簡易舗装に簡易排水路
さすが天武の王城は手が込んでるw
明日香の掘立柱が腐りつつあるなw
矛盾だらけの理由では
さすがに新聞に書けないだろ
もう堀立柱で都なんて妄想するのは止めないとね
613 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 09:02:16
ごもっともw
飛鳥浄御原宮672−694(計22年)
伊勢神宮の式年遷宮(20年)とよく重なるねw
最後は傾むきかけた御所で政務を取って居たんだろうね
外国の賓客も驚いたろうにwww
たしかに記紀によれば外国との交渉もかなりあるねw
記紀鈍感作者曰くプレハブエンペラー天武!
すべて中国式に変えたのに建物だけは田舎者
ちゃんとした建物に入っていたと思うよwww
616 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 12:02:20
倭と供に破れた百済の王城扶餘山にも、当たり前の事ながら、礎石がきちんと残っています。
天武はその後の時代となりますから、従属国の都と比較して、堀立柱の浄御原宮では、時代錯誤が甚だしいようですね。(笑)
百済を下回る後進地域奈良w
太宰府には礎石があった
書紀は嘘ばっかり書いてるけど
ちゃんとした歴史を伝えたいですね
百済と九州には礎石があるのに、肝心な奈良は堀立て柱。これじゃ騙しきれないだろ。
いまの歴史教育は明らかに東洋流で騙す事を罪としてない
書紀の都が転々としたのは、
奈良盆地に礎石すらない為、
辻褄合わせでこう書くしか無かったんだろうよ。
舎人親王も苦渋の選択ですね。きっと。
舎人ってさすが天武の子供だよね
騙すを厭わない性格が読み取れるからね
奈良の遺物は見直すべきだ
その当時の王家はまるで毒入り餃子で開き直るような横柄な人達だよなw
奈良の王家は未だ嫌われてるね
奈良の王家w
大和を地域名称とした書記と
倭を王権名とした中国史
矛盾だね
ヤマトを移設した際に、地域名称としたのは、九州との差別化を狙った為だろうね。
今まで通り九州もヤマトの国の一部としたら、同じ名前が並立して、何の為に移設したんだか解からなくなるからね。
確かにヤマトがあんなに狭い奈良だけで解釈されてないな
倭と云う女王国は伊都国等とは違う扱いだね
米が作れない奈良盆地には国すら無かった筈
箸墓が卑弥呼の墓だせw
中国史から推定すればヤマトは九州が妥当ですね
遠飛鳥が河内なのは、遺称地名以外に証拠は無いのですが、
国を隔てたあの位置に、同じ名前がある事が、まずかなり可笑しいですね。
635 :
日本@名無史さん:2008/04/01(火) 22:07:51
あすか「の」おかもとみや
格助詞「の」は、連体格を示し、前の語句の内容を後の体言に付け加え、その体言を限定する。
だから「の」の前が後より大きい、これは今も昔も変わらぬ定義です。
そして、国史に置ける広域名として考えるなら、国郡でもない飛鳥の狭さは、不適当だと云えます。
もう少し飛鳥も難波も石上も春日も、広さがあるのなら納得がいくのですが、
明らかに多くの地名で矛盾がみられるのです。
書記の狭い大字程度の地名が大手を振るようでは、格助詞の「格」の字に笑われているような気がします。
河内迄飛鳥にしとけば格助詞には笑われなかっただろうな
それでもバレバレには変わり無いけどwww
狭いよね
奈良飛鳥は倭名抄に書かれていないから
大字としてしか評価されないよな
移設地名を一人立ちさせるのにも時間がかかるよね
明日香がこれだけ狭いんだから
岡本宮はどんなに狭かったのか
飛鳥の部落の領土を全部つかっても、外交を行なう国の、
首都機能を充足できたのか、甚だ疑問。
堀立柱で二階立てにでもしたのかな。
641 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 21:50:14
古代奈良は堀立柱に誰か文句言えよ!
奈良の貧弱な遺蹟を守り続けるらしいね
貧弱だよねw
考えてみれば
近江の字面は川であって
海や湖とは書かれていない
特に天智紀では総て江だよ
なるほど、天智の遷都した都は近江の大津宮で、直訳なら、近い河の大きな港のある都。今の滋賀大津とば、ニュアンスが違う。小さな湖で大きな港も解せないし。
近い河なら当時は飛鳥中心の遷都からして
まず大和川や飛鳥川としないと
何処が近いのか基準が分からないなw
647 :
日本@名無史さん:2008/04/03(木) 15:59:15
元ノマは一緒の難波=大津にしなかったから混乱するのよ
648 :
日本@名無史さん:2008/04/03(木) 17:22:32
>>647 支配地域を広く見せたかったんだろうね
なんでもかんでも見栄っ張りだよな
素直に大阪に大津を置けば漢字の矛盾だけは解消するけど
色々付属地名を周辺に置くのには苦労するよね
例えば逢坂峠とかねw
移設丸見え地名は多いな
逢坂に大阪
653 :
日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:20:33
逢坂に大坂だ。
大坂と小坂がある。
福岡市内は早くから開発が進んだけど
小高い所じゃあまりにも当たり前に遺跡がでるから
慣れっこ過ぎて遺物の多くは無視されたそうです
残念です
福岡城に使われた石垣の多くは、すぐ近所の裏山から運ばれた。名もなき大規模遺構があった証明です。
あの辺に扶餘城並の施設があった噂は絶えない
福岡市内で瓦礫に甕棺のかけらが転がっているのは
よくあること。それを拾って庭の隅に集めてた。それだけだが
数十個はあったよ。時々親父がどこかに捨ててたなあ
本当の難波も大津もそのへんだろ
大阪って呼んだ秀吉も史実は知ってて呼んだみたい
大阪の難波京跡も堀立柱
大丈夫なのかよ
661 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 07:52:10
どっかの集会所の間違いだろうよw
毎度貧弱な都のお墨付きが多い事
木製の電信柱の耐用年数に等しいよなw
664 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 13:57:16
コールタールが無い時代のことだから、
掘っ立ての耐用年数は、木製電柱にはるかに及ばないよ。
発掘柱に木製コールタールが付着していた例があるのかな? 焼きでは無く。
665 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 18:38:16
コールタールw
666 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 19:51:59
安物防水材として使われたコールタールがなんで出てくるんだろw
耐用年数
簡易建物堀立柱 7年
木製枕木 8年
送電木塔及び木柱 15年
橋、塔、やぐら及びドック 15年
木製ガードレール 15年
木造住宅基礎あり 20年
法隆寺の耐用年数も並べたいw
1000年と15年
はるかに及ばないw
法隆寺が堀立柱なら今に無いって事だよなw
土木建築音痴じゃ考古学やってても恥さらしているだけだよなw
この程度の専門外ならすぐ調べつくだろうし
礎石基礎が残っていりゃ、穴掘って埋めて突き固める分、手間かからんぜ。
書記信仰してると、定義とか常識が変わるのかもな。
災害の前に朽ち果てる堀立柱w
災害の周期よりスパンが短い掘立柱なのに災害の話で説明する意味が無いだろw
677 :
日本@名無史さん:2008/04/06(日) 18:03:23
>>672 これwikiに書いた奴は、明らかに御馬鹿さんだね。
806年に作られ日本最古と推定される民家「箱木家住宅」を、掘立柱建物とも説明してる。
リンクで見れば内部の柱迄、石にちゃんと載ってるのに、余程モラルが低いか、頭程度が低いみたいね。
!!!土中に埋めて礎石を用いない!!!これが掘立柱!!!
意図的なバレバレの混同ですね
子供でも解かるだろwww
平城京朱雀門も掘立柱だってさw
それは掘っていない立柱だよなw
堀立柱が石載ってていのかね
奈良明日香のような純粋な掘立柱じゃ無いと掘立柱と呼んではならない
拡大解釈が過ぎるねw
飛鳥浄御原宮とはまったく違う堀立柱とでも説明すればいいのかな?
言い訳にすぎんな
当時からクレオソートがあれば長持ちしただろう。
(線路の枕木の防腐剤、ついでに、人間の腸の殺菌剤)
せいぜい伸びても10年の話にしつこいし
他の薬品で調べてくんないから
スレ違い甚だしいw
686 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 12:43:34
687 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 15:33:44
7世紀に抗菌剤としての「木タール」や「木酢」があったかどうか不明なんだから、
くだらない議論だと思うね。
堀立柱なのに礎石並に丈夫になるようなネタだけ持ってきてくれw
礎石が無い=都じゃない
疲れるよな
当時なら漆でも塗ってけば、わりかし長持ちしただろうな木材も。www
それでも礎石は絶対腐らないからね、流石の漆も勝負にならないけど。w
日本で漆は6000年を越える歴史を持ってるもんね
妥当な条件から始められた説なら、話を聞く気にもなるけど、堀立柱の都ついては、条件無視から始めているよな。
飛鳥の都の想像図は書記をも上回る妄想図に仕上がってる
矛盾の数は限りが無い
無理矢理碁盤の目に描いてあるよねw
記紀にも発掘もされていない豪華な宮殿が傾いて崩壊するんじゃね
697 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 17:55:13
木杭は結局露出部下端が弱点だ
水菌虫腐食し易い上に支点として力が係る
それを解消した礎石は素晴らしい技術革新
王家の施設にこれを使わない訳が無い
土中に残った柱の形は堀立柱の脆さを露呈する
大林の出雲大社宇豆柱
あの検討は正直悲しくなるよ
悲しいみの高所建築
信じる者は救われる
701 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 22:01:46
ブラボー
>木杭は結局露出部下端が弱点だ
>水菌虫腐食し易い上に支点として力が係る
>それを解消した礎石は素晴らしい技術革新
>王家の施設にこれを使わない訳が無い
長くて20年の堀立柱に都の資格なんてねぇ
703 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 23:38:54
九州年号「定居」迄は、九州の王(兄王)も掘立暮らし。
多利思北孤は弟王だから違うぞ。
口遊によれば3m×32丈=96m
大林組によれば古代の出雲大社は48m
現在の出雲大社の本殿の高さ24m
古くは掘立柱であったから幾らデカイ神殿も
20年におまけを付けたくらいで潰れていた
これはどうしても認めなければならない事実
みんな真面目に考えているのかな?
あんなに高くバランスの悪い建物なら耐用年数は10年でも長すぎる
作った当初だけはあれで持つだろうが色んな力が柱に係るとすれば
長時間あのままでは難しいと思いますよ
706 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 09:42:36
あの出土した柱を見れば、根入れ埋設部が僅かで、直ぐ露出した所で折れた事が分かります。
ならば構造的にそれほど高くはなかったと考えるのが妥当で、礎石を用いない不安定さを考慮すれば、尚更条件が悪くなります。
大林も高層は可能だと答えたのでしょうが、これは条件付き可能であり、地盤が極端に良く、風も地震も無視した上の可能だと思いますよ。
いずれにしても可能は可能だと、京大側は受け取り勝手に発展させたようですね。無理矢理なのは一目瞭然ですから。
707 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 09:46:34
出雲の場合は高く作ることに意義があるのではないでしょうか。
不安定かつ短寿命なのは同意しますが、柱の先に小さい社がちょんと
乗っかっている想像図を見ました。ほとんど柱の重量で、建物の重量は
さほどでもなさそうです。また、突然倒れたとか、風のない静かな日に
ゆっくりと倒れていったという記録もあるそうですから、耐用年数
度外視で高くしていたようです。
無知な方からの同意は遠慮いたします。
あの柱では高く出来なかったと書いたつもりなのに???
どんな意義なんだか
トンチンはもう来るなw
柱の自重だけで保たねぇよw
712 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 11:39:12
出土した柱の周りには砂利を敷いて、強度を確保した形跡がある。
構造強度的には48mが可能という計算をやっている。
礎石を用いる建築法は礎石に柱を載せる構造なので、倒れる方向には
耐力がなく、倒れないようにするには、柱同士を組み合わせて
固定しなければならない。それが、掘立建築時代には技術がなくて
出来なかったのだろう。
掘立柱では長持ちしない。という問題はあるが、高い建築物を作ることが
出来ないと判断できる資料はない。
もっとも、48mが、可能であっても、実際に立てられたのはもっと低い可能性も
否定できない。たしか、柱の下の土壌からかかる重量を算出したという話も聞いたが
出典が分からないので、言及しない。
無理すんな 何にも説明になってないぞw
あのね
鋼ガーダーの先端をがっちりと溶接してもね風だけですぐに疲労するw
埋設部周辺を固めれば固める程溶接と条件が同じw
立ち上がりが大きすぎる事すら分からない素人w
引っ込め!
中学理科程度の応用問題だよなw
支点・力点・作用点
てこの原理だねw
717 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 13:05:21
草を生やした3人組
必死だな
何故堀立柱の建築が廃れたのか
構造に欠点があるから廃れた
夢は余所でみればいい
>掘立柱では長持ちしない。という問題はあるが、高い建築物を作ることが
>出来ないと判断できる資料はない。
馬鹿だなw 出雲大社以外でこんな夢みたいな話聞いたことあるのかw
>>712 中学理科にも添ってないし
中学歴史にもそっていない
中学国語から勉強して
文章の辻褄が合うように書いた方がいいし
まず何が言いたいのかから考えた方がいい
雲太、和二、京三
これ高さの順番だと言われているが
当時これより高い五重塔が沢山あるから
本当なのか眉唾だよね
草を消したか。草3人組と
同じ輩に見られるのが困るようだな
>>721 古い神様の順番でしょう
太二三と云ったら慣用されてるのは太郎二郎三郎
漢民族では主に年長や兄弟の順番を表す
大きさだけに拘る理由はない
ましてありえない事を言い張るのはもっと愚かだ
理科音痴が歴史を仕切ってきた訳ね
算数程度の説明じゃないと理解出来ない人みたいだねw
高い順番とした事も
どうやら妄想から始まってるね
雲太、和二、京三
平安時代に子弟の教育に使った文書の一小節だね
728 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 10:35:44
729 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 11:11:06
>>728 くだらん意味不明な文にもならん文を何度もコピペするな。
おまえは挹婁の子孫として実にふさわしい。
韓国朝鮮は、挹婁(ユウロウ)族の末裔国家、
臭く、穢(きたな)く、不潔な嘗糞文化を受け継ぎ、
略奪強盗をする最悪の無法者の集まり。
<参考資料>
魏志挹婁伝
『言語不與夫餘句麗同』
言葉は扶余や高句麗と同じではない。
注:挹婁語(古新羅語)以外の近隣言語は扶余語や高句麗語と同じか似ている。
『其人不ket[旁右潔]作溷在中央人圍其表居』
そこの人々は不潔で、中央に便所を作り、人々がそれを囲んで住んでいる。
『其國便乘船寇盜鄰國患之』
その国は船で略奪をするので、隣国はこれを患いとしている。
後漢書挹婁伝
『其人臭穢不牛廁於中圜之而居』
そこの人々は臭く、穢(きたな)く、不潔で、便所を中央に作り、それを囲んで暮らしている。
『便乘船好寇盜鄰國畏患』
気の向くままに船に乗り、巧みに強盗を働くので、鄰国は畏れ、患う。
『法俗最無綱紀者也』
法俗は最も綱紀(規律)が無い者(最悪の無法者)たちである。
下らんw
731 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 11:32:09
あげ
732 :
神奈川県民:2008/04/29(火) 23:16:26
スレ乱立晒しage
及び
自演スレ晒しage
733 :
神奈川県民:2008/04/30(水) 08:42:09
スレ乱立晒しage
及び
自演スレ晒しage
734 :
神奈川県民:2008/04/30(水) 14:29:21
スレ乱立晒しage
及び
自演スレ晒しage
735 :
神奈川県民:2008/04/30(水) 18:15:51
スレ乱立晒しage
及び
自演スレ晒しage
736 :
日本@名無史さん:2008/04/30(水) 19:05:10
なにこれ
737 :
改め:2008/04/30(水) 19:52:28
重複スレさらしあげ
738 :
日本@名無史さん:2008/04/30(水) 19:53:15
>>738 本人という意味が分からない。トリップのついてないコテは板住民の共有物だが何か?
740 :
朝吉:2008/05/02(金) 00:01:24
あげ
741 :
日本@名無史さん:2008/05/05(月) 11:32:46
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( /=\ )
|;;;;; ー◎-◎- )
(6 (_ _) )
| ∴ ノ 3 ノ こら 僕の荒らしを放置するな! 僕は怒ると怖いんだぞ
/⌒\ ____ ノ、 荒らししかできないけど 荒らされたらなんか反応しろ!
/ , ヽ
| r 、_ ・ 人 ・ ,.y i
| |  ̄  ̄ | |
| \ ノ ノ
\ 6 x 9 /
しμゞ 、_;;;;;;;;;;;;_,ノ彡イ
| ;;;;(:υ:);;; |
( 人 )
742 :
日本@名無史さん:2008/05/05(月) 14:14:09
卑弥呼スレは荒れているので、こっちを盛り上げませんか?
俺たちの違反なんて立ちじょん程度
人を騙してなんかいないから罪なんてたかが知れてる
だけど運営とか他人に成り済ましたら明らかに詐欺
いくら2ちゃんでも御縄だってあるんだよ
解ってるのかな?w
削除人の方よく読んで下さい
削除ガイドライン(抜粋)
重複スレッド
同じ事象・人物に関するスレッドは、個々に多少の違いがあっても原則的に削除対象になります。
削除人は恣意的な削除をしてはいけません。
削除ガイドラインを熟読し、ルールに則った公平な削除作業をしましょう。
「好き・嫌い」「ウザイ」「不愉快」などといった自分だけの主観を元に行動してはいけません。
嗜好や価値観も捨ててください。
ここよりも邪馬台国系や薩長系のように、【同じ事象・多少の違い】のスレが圧倒数重複しています。
それでも猶主観的に、この関連スレに対して重複誘導を続けますか。?
差別的な重複誘導は明らかな荒らしです。
747 :
日本@名無史さん:2008/05/22(木) 21:52:03
常駐して荒らしじゃ世話無いw
古代史をやっていると、自分とは異なる説を唱える人は
無数にいて、自分の築き上げた歴史観に間違いない
確信している人ほど、自分の意見と合わない書き込みが
あるだけで、スレが荒らされていると感じ、被害者意識を
強くもつものです。
特に固定ハンドルうを使っている人の中には被害妄想
ではないかと思われる人も結構います。
それが名無スレの怖いところです。気をつけましょう。
↑何しに来たんだw 読み返せw
このスレも重複で削除依頼が出てるよ
この板の場合削除依頼出してる側が荒らし常習犯です
よく見極めて削除して下さい削除人さん
博多の条里制遺構って、12〜14世紀の間に徐々に整備されていったヤツなんだろ。
「九州王朝」のふるさと較べて半分以下、歴史が浅すぎて論外だな。
753 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 08:47:14
ここは学問・文系の日本史板です
学究の為に使いましょう
茶番の自作自演スレはほっといて下さい
面白い芝居なら、自作自演でも受けます。
問題は、シナリオ、それ以上に、「間」が大切です。
OK