1 :
先祖マニア:
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 家の格式を必要以上に誇ったり、蔑んだりしない事 武士だから素晴らしい農民だから駄目という
ことはありません、今の自分があるのは先祖という感謝の念で!!
5 あくまでも、先祖調査の経験やノウハウの語るスレです
6 荒らしは無視でスルーしましょう。
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/ ttp://www.uploda.org/ CURL貼り付けたかったら貼る
前スレの自称旗本の子孫はクルセーダー?
3 :
先祖マニア:2007/12/05(水) 14:01:40
1高祖父
17曽祖父
2高祖母 25祖父
3高祖父
18曾祖母
4高祖母 父
5高祖父
19曽祖父
6高祖母 26祖母
7高祖父
20曾祖母
8高祖母
9高祖父 あなた
21曽祖父
10高祖母 27祖父
11高祖父
22曾祖母
12高祖母 母
13高祖父
23曽祖父
14高祖母 28祖母
15高祖父
24曾祖母
16高祖母
4 :
先祖マニア:2007/12/05(水) 14:14:18
手紙その1
拝啓
突然お便りさせていただく失礼をお許し下さい。
私は苗字を○○といい、趣味で自分の先祖について調べているものです。
<相手とあなたがつながる家系図を書く>
<あなたが知っている情報を書く>
<あなたが先祖に興味を持った理由を書く>
<教えて頂きたいことを列挙しておく>
古くからの言い伝えや伝聞など、お気づきの点がございましたら、同封の葉書でご教示頂ければ幸いです。
<あなた宛の葉書を同封しておく>
と、もうしましてもなにぶんプライバシーに関わることでもありますので、無理は申しません。
突然の手紙で、誠に不躾なお願いを致しますことをお許しください。
末筆ではありますが、皆様のご健勝を衷心よりお祈り申し上げます。
敬具
<あなたの住所氏名電話番号メールなどを書く>
5 :
先祖マニア:2007/12/05(水) 14:15:16
手紙その2
拝啓
突然お便りさせていただく失礼をお許し下さい。
私は苗字を○○といい、趣味で自分の先祖について調べているものです。
実は私の高祖母の実家が△△という姓で祖母に聞いたところ明治か大正の終わりごろに
県外に移住したと聞きました、そこで電話帳で調べたらあなた様の名前が電話帳にあり
恐らく子孫の方と思いなにか少しでもご存じないかと思い手紙を書いた次第です
<相手とあなたがつながる家系図を書く>
少しでもわかっている内容を書く
<あなたが知っている情報を書く>
由来やエピソード
<あなたが先祖に興味を持った理由を書く>
書きまくってください
<教えて頂きたいことを列挙しておく>
ここも書きまくる
大体10個くらいないかな?
古くからの言い伝えや伝聞など、お気づきの点がございましたら、同封の葉書でご教示頂ければ幸いです。
<あなた宛の葉書を同封しておく>
と、もうしましてもなにぶんプライバシーに関わることでもありますので、無理は申しません。
突然の手紙で、誠に不躾なお願いを致しますことをお許しください。
末筆ではありますが、皆様のご健勝を衷心よりお祈り申し上げます。
敬具
6 :
先祖マニア:2007/12/05(水) 14:19:24
@戸籍・除籍謄本入
自分の戸籍謄本請求→親の戸籍謄本請求→父方、母方、の父(祖父)、母(祖母)の謄本請求→それぞれ・・・
戸籍・除籍謄本を請求する際、請求理由を書きます。請求理由は「先祖供養」が妥当かと思われます。
請求理由を詳しく聞かれた場合「新しく仏壇を作るのでその先祖を調べる」「墓を作るので必要」でいいでしょう。
(理由を聞かれた場合のみで、自分からは言わない方が無難です。「家系図調査」での請求は認められません。)
A死亡記載の戸籍・除籍謄本請求
請求する戸籍・除籍謄本は、その人間の生から死まで記載されているものを請求します。
戦前は、分家しない限りは戸籍が独立しませんでした。
また、戸主が長生きすると隠居して子や孫の戸籍に入っていました。
その場合はその子供や孫が戸主となっている戸籍を請求しましょう。
原則は直系尊属しか請求できませんがその戸籍の中に自分の直系尊属の祖先が記載されており、ほぼ請求できます。
請求する際は「生から死まで出してください」と言って下さい。
B家系図作成
戸籍を読み取って家系図を作成しましょう。
昔の戸籍は何かと複雑で、しかも手書きです。名前や親子関係を間違わないように、しっかりと読みとりましょう。
生没年も一緒に書き込みましょう。
さて、ここまでで、父方、母方の高祖父母が全員(16人)判明したのではないのでしょうか。
その方々は、江戸末期から明治にかけて生きておられたのではないのでしょうか。
坂本竜馬や勝海舟など「幕末の志士」と同時代に生きておられた先祖です。ロマンを感じませんか・・・?
データベースの基礎の基礎がここで出来上がります。「基礎の基礎」とは言え、史料価値は相当のものです。
スレ早過ぎ
以前より内容薄い
8 :
先祖マニア:2007/12/05(水) 14:25:46
C旧土地台帳調査
旧土地台帳の調査は少し特殊で、土地の持ち主から先祖を探します。 ここは「案ずるより生むが易し」の典型で実際やってみれば簡単です。
旧土地台帳とは、現在の土地登記簿のようなもので一冊が電話帳と同じくらいの厚みがある本です。
また、閲覧、証明は手数料ゼロ、運転免許証や印鑑も不要です(法務局によって違うかもしれません)
費用が掛からない代わりに、手間と時間が掛かります。戸籍で得られなかった情報が手に入る確率は低いですが、調べる価値はあると思います。
旧土地台帳調査を、後回しにして、親戚まわりをしても構いません。
D親しい親戚宅で過去帳、墓石調査
家系図と戸籍類を持参で、親しい親戚や本家に行って、過去帳、位牌、墓石、仏壇を見せてもらいます。
ここで、頑張って作成した家系図が役立ちます。過去帳、位牌、墓石で分かったデータは全て写して帰りましょう。
戒名、俗名、没年(いつ死んだ)、享年(何歳で死んだ)などです。付録の「生没年月日調査表」を活用して下さい。
ここからは戸籍謄本のように続柄が記載されていないので、推測になってしまいます。(過去帳には「○○兵衛父」など若干記載があります)
E親戚の紹介で寺の過去帳を見せてもらう
親しい(血縁関係が近い)親戚の紹介で寺の過去帳を見せてもらいます。
@)親戚からお寺(先祖の菩提寺)に新たに過去帳作成を依頼して貰い、出来上がったら見せていただきましょう。
しかし親戚に(過去帳作成にかかる)高額な謝礼も負担して頂く訳ですから、後日ご仏前を供える等の配慮をしておきましょう。
A)それが無理なら、親戚に菩提寺を紹介してもらってお寺の過去帳を見せてもらいます。
お寺さんも「檀家のプライバシーに関わる」と言って見せてくれない場合もあります。が、そこは粘り強く、10年越しを想定して交渉し、お寺との信頼関係から築きましょう。
B)10年も待てない場合には「先祖供養がしたいので、新しく過去帳を作って下さい。」とお願いしましょう。 当然謝礼(3〜5万円位)が必要ですが、一番現実的かつ確実な方法です
ここからは難易度が高くなります自分の家ではなく親戚の家が絡んでくるので相手方に拒否されたらまず無理ですね、お寺は更に難易度が高いです。
9 :
先祖マニア:2007/12/05(水) 14:43:39
F付き合いの無い遠縁親戚に手紙を出す(手紙の書き方は別項を読んで下さい)
ここからは遠い親戚です。(曾祖母の実家など親戚付き合いをしたことがない家)
まず、家を特定しなくてはいけません。戸籍に書いてある住所に対応する現在の住所近辺を、
電話帳で同じ苗字の人を調べ(全国の電話帳は図書館にあります)片っ端から手紙を書きます。
古地名→新地名の対応は地名事典か役場に問合せます。手紙を書く手間を省く事もできます。
手紙には、証拠として戸籍謄本のコピー、記載人物と自分の関係がわかる家系図(手書きで構わない)を同封しましょう。
戸籍で分からなくなるのは明治19年の戸籍が出来る以前で、江戸の終わりか明治の初めに亡くなった方です。
ということは跡継ぎがいなくて断絶した家や分家をして他のところへ引っ越した方を除けば、親戚が見つかる可能性は高いです。
手紙を出しても分からない場合がありますが、それはそれで良いと思います。
G遠縁や親しくない親戚宅での調査
これは親しい親戚との調査とあまり変わりません。DEを参考にしてください。
ただ、初めて行くお宅もあるでしょうから、「ご仏前」(5,000〜10,000円)、お供え物(お酒など)は持参しましょう。
H図書館などで研究
特筆すべき事はありません。
分からない場合はインターネットや図書館員、図書館内備え付けの検索システムを利用しましょう。
ここまで調べて、どうにも分からないところで調査は終りです。江戸中期、7〜8代前になったら難しいでしょう。
旧家でしたら更に遡れるかもしれませんが
戸籍(除籍)の郵便請求の仕方
1まず自分の本籍地の役場に自分の戸籍を請求する(個人証明は免許証のコピーがあればいいです、なければ保険証のコピー)
2それがきたら次は父親、祖父、曽祖父、高祖父の順番で請求する
3ただし戸籍が一つとは限らないので全て請求する(出生の記載がある戸籍と死亡記載のある戸籍はだいたい別々になっている)
4しかも昔は戸主の戸籍に全て入っていたので戸主が祖父の兄若しくは曽祖父の兄とかになっている可能性もある(そうしたら戸主が兄の除籍を請求することとなる)
これを手紙で説明するのが面倒なので一筆書いとく
先祖供養のため私の直系尊属の『生から死まで』を全て請求します。(この役場にあるもの全て) また破棄した場合は破棄証明を出してください
(破棄証明は必須です)
母方や祖母方も同じ役場にあるのならば全てもらっておきましょう
注:費用は除籍で1通750円 だから750円の倍数で郵便為替を入れとく
だいたい最大で10通くらいなので(実際にはこんなにはないと思いますが)
7500円分いれとく 余ったら返ってきますのでまた郵便局にいけば現金になります
封筒の中には返信の封筒(切手の貼ってあるもの)を同封しておく事
(当然自分の名前と住所はあらかじめ書いときましょう)
切手は重くなるといけないので相当の重さ(戸籍10冊くらい)でもOKなものを貼っておく
なにかあった時の場合に携帯番号とメールアドレスは書いとく(役場がすぐに連絡できるように)
返信されたら精査します(誰かの死亡記載の戸籍が欠落してはいないか等)
役場の係も人間ですので失敗はあります・・・だからこちら側でしっかりともう一度見てみる
あとは返信されたときに担当者の名前が書いてあるので控えておいてください
直接電話するときには直接担当者の話した方が話が早いです
最短なら1週間、不手際で再三請求をすることになったら、最長で1ヶ月です
廃棄証明について
戸籍を請求するともうこれ以上の戸籍は出ません(廃棄しました)といわれます、
その時は必ず廃棄証明を発行してください(300円)
理由
役場の担当者で戸籍事務に完璧に精通している人はいません、例えば戸主の生年月日が江戸時代の年号(嘉永とか)
になると固定観念でもうこの戸籍はないと判断するのが普通です、また職員の人もめんどくさがって、
適当にありませんと答えて終わりにする例もあります。
しかし廃棄証明を発行してくださいとなると、そこの役場の責任(職員の責任)において行政文書として
発行しなくてはいけなくなるので必死に探します。
その結果初めは無いといわれていた除籍は実はよくよく探してみればあったという例が多数あります
しかもこれで本当に廃棄証明が発行されればやれるとこまでやったという事になります。
除籍とはその戸籍に記載している人間が全て籍から抜けて始めて除籍謄本になります、逆に一人でも
抜けていなければその戸籍はず〜っとあり続けるのです
例)
戸主が天保元年生まれ=1830でしたこの戸主は実は長生きをして96歳まで生きていましたそうなると
1830+96=1926 で昭和元年までこの戸籍は除籍されずにいたということになります。
いちおつ
13 :
やすべぇ:2007/12/05(水) 21:28:30
新スレ、おつかれさまです。
なかなか調査を再開できないでいます。
14 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 21:33:20
調査
新スレお疲れっス
16 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 23:07:11
いずれの御家中か?w
明治維新まで殿様の建てた祈願寺の檀家だったらしいんだけどこれっていいの?
戦死した一族の菩提寺になるとか書いてあったけど
間違った。
檀家だったか確証がない
ただ過去帳があったのは事実のようです
過去帳があるってことは檀家ってことかw
よくわからない
19 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 16:38:35
過去帳の字がきたない
いきなり過疎ったな
21 :
飽きるセーダー:2007/12/07(金) 00:33:32
過疎って何が悪い!
ソナ事言うなら
ageてしまうぞ!!
22 :
クルセーダー:2007/12/07(金) 03:58:59
おまえらは水呑み百姓なんだからよ 立場をわきまえやろよこら?
まあ俺の家は旗本で町長をやってるから 君ら百姓とか格が違うよ
23 :
日本@名無史さん:2007/12/07(金) 08:38:03
あれ?
キミハーフじゃなかったっけ?
日本人と日本人のwww
24 :
日本@名無史さん:2007/12/07(金) 16:46:48
戒名の最後に『神祇』があるのはどういう意味ですか?
25 :
日本@名無史さん:2007/12/07(金) 16:51:13
22は偽者だな。
今日、ワルぶってる大学の同級生の挙動が頭にきたので
「お前みたいな百姓上がりがワルぶって、百姓一揆でも起こすつもりか? 年貢はさげねーぞ」
って言ったら喧嘩になってしまった
28 :
日本@名無史さん:2007/12/07(金) 21:50:32
中級武士
でも大阪の陣に足軽大将で出陣してる
30 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 01:28:53
うちの先祖は戦国期地侍なわけだが超有名な足軽大将から感状をもらってる・・・
複雑な気分だ。足軽だったのかOrz良く取れば小作人を足軽に馬乗活躍したとも
考えられなくはないが・・・
地侍は足軽ではないよ
足軽小頭。足軽大将のひとつ下。
小作人は足軽
まぁよくとればおまいの言う感じかな
馬上は怪しいが。
追加
もっとわかりやすく書いて見ると、
足軽小頭はある意味じゃ武将と言えるよ。
総大将(大名)が侍大将数人〜数十人を率いて、
侍大将が更に足軽大将をひきいて、
足軽大将がさらに足軽小頭を率いて、
足軽小頭が足軽を率いる
一応、率いる側だから階級は高くないが「先祖は武将」と言って差し支えないと思うよ
33 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 02:58:24
みんな、なんでそんなに武将好きなんだろうか。
先祖は、どんな職種にいた人物だろうが、みんな
愛すべきご先祖様で、愛(いと)おしい。
と、儂は思うがね。
馬は兵糧などの輸送手段で、実際には戦場で用いてなかったような
>>33 武将こそ近世日本史の花形なんです!!!11
36 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 03:32:20
>>31-32なるへそ。。。実は足軽大将って原美濃守虎胤なんだが、どの程度の
足軽小頭を統率してたの?
原虎胤の具体的な部下とかはしらんけど、
地侍ってのは自分の領土にいる小作人を引き連れて戦場に行く武将(在郷武士)のことだよ。
だからおまいの先祖がひきつれて行った小作足軽部隊が、おまいの先祖ごと原虎胤部隊に組み込まれたんでしょうね。
数は感状もらってるくらいなら結構多かったんじゃないかと思うけど
江戸時代って菩提寺ってそんな簡単に変えられないよね?
39 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 06:46:26
>>27 なんと情けない・・・
俺が相手じゃなくて良かったな
俺は足利将軍家の
分家の分家だから
俺にそんな事言ったら
逆効果になるところだぜ
でました!
41 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 09:23:11
そもそも武士のもっとも原始的な姿は地侍だからね
初めて地元藩の分限帳みてきた。
先祖らしき名前が載ってて感動した。
44 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 16:06:28
俺んちの伝承では、総本家の分家の分家らしい。
(この総本家とは、有史上、俺んちと同じ苗字を初めて称した家。)
地元の藩の文献に、その総本家から分家した人が
地元の藩に仕官して来たとインターネットに書いてあった。
俺んちの伝承と、地元の文献に書いてある事がまったく一致するんだが。
いまだにその文献を読んだ時が無い、仕事が忙しくて、余裕が無い。
総本家の分家が、俺んちの本家になるんだが。
なにいかんせ、数十年前にその本家は、行方不明でさ、菩提寺も引っ越してた。
伝承を立証させるためにも、その文献を読むしかないべ。
ちなみに、俺んちの本家は、地元の旧藩主の
世襲財産のウチにボシン戦争以降、住んでいたらしい。
旧土地台帳でも確認した。
本家の菩提寺は地元の旧城下町にある、曹洞宗のお寺で。
わずかな狭い墓地で、武士のお墓が沢山あった。
藤原朝臣とか源朝臣とかのお墓が沢山あって、大姉とか院号とかあって。
そしてきわめつけが、歴史上の有名人のお墓があった。
(特定されぬよう有名人の名前は控える。)
こーゆー事から、俺んちの伝承に期待してるんだけど。
なかなか仕事が忙しくて、進まないんだよね。
総本家駿河屋
46 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 16:15:36
インターネットでは、その文献には、〇〇侯家臣〇〇系図ってあって。
その文献を読めば、わかると思うんだけど。
ちなみに、俺んちの本家から、俺んちとは別に分家した家があるんだが。
(この家はいまも地元にいる。)
そこに訪問すれば、何かわかるかな?
俺んちの地元は2万人くらいの田舎だから
できれば、あまり目立つような行動したくないんだけどな。
そこまでわかってるならお前の名字の本貫はその総本家だろ
48 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 16:56:51
先祖調査をする理由はひとそれぞれ。
しかし自分の先祖に優劣をしないように。
父系の先祖は武家だから優れ
母系の先祖は庶民だから劣ると
思うようになったら
もうその人には先祖調査をする資格は無いと思う。
49 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 17:06:09
前にいたよな
父系は武家だから調べるの面白いけど
母系は庶民だから調べる価値ないとか言ってた奴
別に父系か母系かどっちか一筋を決めて調べるのはいいが
明らかに自分の先祖を優劣したがる奴はみてて不愉快
先祖を優劣したがる奴は俺は大嫌いだ!
50 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 17:45:26
おっ久々にまともなレスだな
51 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 17:55:04
俺の母系は由緒ある一向宗なんだぜ
忠臣蔵の堀部の養子に行く前の実家は越後新発田藩主の親戚にあたる。
そして同藩200石級の上士だが、菩提寺は浄土真宗だよ
宗派はあまり参考になりません
53 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 22:17:58
高田馬場の仇討ちの中山安兵衛は溝口家の親類筋だったんだー
知らなかった
先祖に優劣つけるなとかいうのは部落民の理屈
>>49 先祖が百姓ばかりなのがそんなに悔しいですふぁ?
56 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 23:17:17
俺が知ってる偽武士の子孫(本当は紺屋の家柄)で、最近菩提寺を変えた奴いるぜ。
そいつが子孫だと偽っている武将の墓がある寺にね。
紺屋ってw
知り合いがそんなこと知ってるってことはバレバレってことかw
それにしても異常な確信犯だな。自分でやっててむなしくないのだろうか
もしかして在日か同和か?
58 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 23:59:59
>>54-55 くだらねぇな
反論がブラクとか百姓とかしか言えないのか?
足利将軍家の分家の分家の俺様に言ってるんだろうな
どうせ大した武家の子孫でもないくせに勝ち気になったふりすんな
お前みたいな先祖に優劣したがる奴はとっとと出ていけ
醜すぎるんだよ哀れって言うのか?
>足利将軍家の分家の分家の俺様に言ってるんだろうな
>どうせ大した武家の子孫でもないくせに勝ち気になったふりすんな
>お前みたいな先祖に優劣したがる奴はとっとと出ていけ
なにこのバカみたいな矛盾wwww
あっ、クルセーダーかwwww
60 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 00:02:45
別に矛盾はしてないだろ
矛盾してることすら気付いてないのかw
62 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 00:12:03
あっちがブラクとか百姓とか
権威かましてるから
こっちも権威かましたんだ
矛盾はしてないだろ
すぐブラクとか百姓とか認定し
ちっぽけな権威を
かましてる奴には
水戸黄門の葵祭の家紋を
見せ付けるように
俺の権威を見せ付けたのさ
だから矛盾はしてない
64 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 00:13:47
新田氏?
新田氏は足利一門じゃないだろ…
勘弁してくれよ…
65 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 00:16:06
寝るからな
とにかく俺は先祖に優劣したがる奴は大嫌いだ
ちっぽけなくだらない区別するでない
新田氏は河内源氏で足利支流に入ってる
源義重が祖
一門なら
仁木氏
今川氏
石塔氏
となりますね。
大体、足利一門の子孫って全部把握されてるよ。
テレビにもでてたことあるしねー
ネットで足利将軍家の分家ニダ!とか吹いてまわる奴が
とにかく俺は先祖に優劣したがる奴は大嫌いだ
とはw
39 :日本@名無史さん:2007/12/08(土) 06:46:26
>>27 なんと情けない・・・
俺が相手じゃなくて良かったな
俺は足利将軍家の
分家の分家だから
俺にそんな事言ったら
逆効果になるところだぜ
せっかくスレがまともになったと思ったら69みたいなくそ馬鹿がでてくる
お前実社会で認めて貰えないからって2ちゃんで嘘はいけないよ
69は単なるコピペなんだが
,..-‐─ r─‐- 、
_/:.:.:.:./l/ヽ:.:.:.:.:.:\__
rぅァ:.:.:./: . ´:.ィ }ヽ:.:.:.:.:.:.:!、'ー、
_f´ノ lミ:/: /: .:/ |:/ 丶ノノ| ゝヽ
_f ノ l:/./j/ \ jノ / ゙;.:.:.l ヾゝ
,f j ヽイ ┬c‐r ┬c ‐r !:ノ ゝj
,f j { | ヽ._丿 丶__丿 l´ } ヾj
<j f´l_ O! __ ,、__ lO {〈
{ノ /ヘ ヽ 丶 ヽ_ノ 丿 〉i
>>58 幾ら化けたって、
/~| (_l__じ } `i 、. __,.. -'´ |゙ヽ 私の目は誤魔化せないよ。
l:.:.| ゝ-‐ヽJ ̄´ヾ {{ ヘ 、 |:.::| お前さん・・・在日だろ。
l:.:.| | |、 _llハ_ 、\ |:.:.| それも飛びっきりのね。
l:.:.| / :| ヽ i:. ‐"  ̄ ` } ノ l:.:.|
|:.:| { /ノ i/ハ ';:ノ
';.ノ ヽ.__ / l i / ! ゙, /:|
ハ 'l i i ハ \ l:.:.:|
l:.:.:.| 〈 i l〈 \ \ l:.:.:.|
∧_∧
<=(足 利) >アイゴー、バレたニカ?
( つ つ
し―-J
73 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 00:59:04
足利将軍家の分家さんの方がまともに見えるんだが
74 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 01:04:20
>>57 変えた先の菩提寺の坊主と嫁がクソなんだよ。偽者だろうが何だろうが金さえ
つつめば何でもありで、逆に本物の子孫(あまり寄付をしなかった)が締め出される始末だ。
地元の老人は知っているだろうが、別に自分らには関係ないと思ってるんじゃないか
75 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 01:06:04
それと紺屋だから当然エタだな。
今はそういう時代だな
坊主も金に困ってるし
紺屋ってエタなの?
78 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 01:16:02
足利将軍家の分家の分家の方の気持ちがわかるな。下級武士がエタ非人をいじめてた様に下級武士の末裔が
百姓とか部落を馬鹿にするんだろうな。クルセーダーをみるとそう感じる。
身分が低い人ほど優劣したがるんだよね。
79 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 01:17:15
紺屋ってなに?
部落民と対立してたのは小作人レベルの下級百姓なんだけど
武士や庄屋レベルの支配層はそもそも賤民を差別する必要がないから
同和地区が作られたひとつの理由って、百姓の武士コンプレックスの解消ってのがあるんだよ
81 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 01:25:36
クルセーダーの口癖。
「百姓身分のくせに身の程をわきまえろw」には笑った。
でもそれをマジにとらえる人は本当に百姓身分の末裔か、自分の先祖の自縛に苦しむ人かだな。
支配層だろうがBが好きな奴なんていないだろ。
ただ別に差別する必要もないし関わる必要もなかったというだけの話
小作人とかは一応、人間の身分としては最低レベルで優越感をもてなかった。
だけど人間はそれじゃ生きていけないってんで賤民階級を差別していただけ
実際小作人が人口のほとんどを占めているんだからある程度精神的な安定をさせてやることも必要だったんだろ
諸職人
(刀鍛冶や、石工、薬売り、紺屋、筆結、木樵、鎧細工、笠張り、仏師など)や
舟渡、陰陽師、宿曜師、山伏、禰宜、巫女、白拍子、舞々、楽人、能役者(端役)、連歌師、俳諧師、通事(飜訳業)、瓦版売り、高利貸(銀行員)などのように地域・時代によっては賎民とされた職業もある。
85 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 01:54:02
喧嘩する時に「百姓の末裔のくせに」とかいう奴って情けなくないか?
(あと自分の先祖を優劣し区別する奴)
そういう事をいう奴って大体は地侍とか由緒不明な奴が多いよな?
クルセーダーもそうだろ?
俺もさっき自分の先祖の権威を使って反論したのは
悪い事だと思うし情けない事だから謝る
でもさ出来れば優劣する感情は捨ててほしいな
こんな事で熱くなりたくないけど
理由は
自分の先祖を優劣し区別たりする奴や
喧嘩する時に自分の先祖を使って威厳する奴と
一緒なんだと思われたくないから
俺の親戚にもいるんだよ時代錯誤の身分主義者が
馬鹿らしいだろ?いつの時代だよ恥ずかしいよ
そういう奴って大体が身分の低い奴の末裔だからね
知り合いの旧華族の人は本当に謙虚だよ
あれが本当の侍の末裔だよ
だから勘違いしないでね
身分差別主義者は身分の低い奴の末裔だからね
86 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 02:01:45
おまい・・江戸期の旗本大名って地侍が出自の奴が腐るほどいるんだぞ・・・w
88 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 02:07:47
>>87 足利将軍家の分家の分家の俺には旗本などすごいとは思わない。
足利家は名家の名家の名家だから旗本などすごいとは思わない。
89 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 02:09:50
というか旗本って何だ?ちょっと勉強してくる
残念ながら俺の知ってる旧華族や士族の家のやつはひどい身分差別主義者だ
俺は先祖の身分差別はバカバカしいと思ってるし、鼻にかけて嫌みなバカもウザイほど見てきた
つか、このスレはどこまでも広がって先祖って解釈で、その中の武家の一つを誇ってみても
虚しいだけだと思うがなあ
91 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 02:13:46
>>90 人それぞれだからな
さっき旧華族の方が謙虚って言ったけど
その息子は会う人ごとに自分の先祖の自慢ではなく説明してる
みんな「へぇーすごいね」の一言しか返ってこないのに
自分の先祖の自慢というか説明する人は若い人だけだよ
92 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 02:16:00
>>90 旧士族の輩は差別主義者が多いよな
俺は違うけど親戚がそうだ
うちのひいひいばーさん、地元藩の家老の娘だったけど、維新後もやっぱりかなり差別主義者だったらしいよ。
俺のばーさんから聞いたけど。
お風呂沸かす薪とか、農家が野菜を売りにきても絶対に門を通さなかったそうな。
町民あがりが!みたいな雰囲気でキセルを吸いながら追い返したそうな。どこのヤクザの姐さんだよ
94 :
足利将軍家の分家の分家:2007/12/09(日) 02:26:48
というか俺の直系の先祖、足利将軍家の配下で殉死みたいな格好で没落した豪族なんだけど。
もし本当なら
>>94 お前、お館様って呼ぶぞ
96 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 02:36:30
>>95 分家の分家だよ
江戸時代は単なる城下町の侍
家禄は?
98 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 02:40:21
それは言わない
言ったら特定されそうだし
クルセーダーに負けるから
家禄は言わない
言いたくない
ケチw
特定なんか不可能だろ。
そんなに多くないのかw
ちなみに俺の家は没落豪族だけど徳川の譜代大名に再仕官してる。
150石。足軽大将。
家紋は没落が理由なのか、(中には山伏になったような一族もいるらしい)変えてる。
といっても、譜代大名家臣になった後に討ち取った敵から奪い取ったものらしいから個人的には愛用してるけど。
100 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 02:53:19
おっ軽く負けた…
家紋ってルーツがわかると身の回りのものに入れて愛用したくなるよね。
102 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 03:17:08
@足利一門
A足利の分家の分家
B家禄は150石より低い
C旧士族
よし系譜学マニアの俺が特定してやるw
こええww
プロが出現しやがったwww
104 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 03:28:45
>>102 そーゆえば前に足利三管領の末裔を称する人がいたな。
クルセーダーとどっちがすごい?とかみんなに聞いてた。
価値観によるわなー
戸籍における旧士族にこだわるなら戦国期の武将は平民になっている人間も多いからダメだし。
戦国「武将」にこだわるなら江戸期は平民でも自信持ってる人はいるだろうし。
まぁ平民なんて言っても元武将や豪族、土豪レベルだとみんな庄屋とか地主だけど
107 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 04:52:47
特定した?
108 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 08:01:10
武将とか分家とか
言葉がかなりド素人くさい
>>91 それが揃いも揃って若くない。鼻にかけて嫌みなババアが多いね
若いのは何にも言わないか、無関心なのが多いよ
うちは元庄屋で江戸時代初期までさかのぼれるんだが
初代藩主が1630年にうちの菩提寺(藩主の菩提寺でもある)焼きやがって
それ以上さかのぼれん、なにかいい方法はないですかね
神社あたり調べてみたら
112 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 17:56:01
俺はタイムマシーンに乗って先祖みてきたよ。
藤原氏だった。そして源頼朝の家臣になったのち、関が原の戦いで石田側について、
江戸時代は外様の筆頭家老だった。明治は官僚なんかやってた。
すげーよタイムマシーン。御前達にも勧める。
>>110 おまえんちただの庄屋じゃないでしょ?
藩主と同じ城下町の寺ってことは武士の分家とかでは?
ただの農民が肥大化した庄屋ではないね
それだと地元の寺にはいるから
>>111 神社でもわかるの?
うちが氏子の神社って日本有数の大社だから残ってそうだなぁ
でも時間かかかりそう
>>113 住職が言うには甲斐武田氏から嫁もらってるそうだから
武士だったと思うんだがよくわからないんだ
それに藩主の菩提寺だが臨済宗でもないし、って関係ない?
ちなみに友達の家の元主家が大河ドラマでさっき死んだw
115 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 21:07:38
これ自演ですな
藩主の菩提寺を藩主が焼いたの?
>>116 そう、坊さんが罪人引き渡さなかったり言うこと聞かなかったから燃やしたと
で、すぐに今の菩提寺を建立、うちもそこに移ると
>>115 2chに毒されすぎ
>>114 だから宗派なんてまったく関係ないよ
旗本は浄土宗がかなりいるし。
大名にも浄土宗やら沢山いるし。
この前も書いたけど上級武士の菩提寺が一向宗もあるし。
要は城下町の寺か否かと言う部分。
江戸期から城下寺町の檀家ならば宗派はほとんど関係無し
>>115 なにが自演にみえたんだかしらんが俺と似た境遇だから聞いただけなんだが。
これも前書いた気がするけど転封して新しい土地にはいった地元藩の上士の3男だったわけ。
んで養子先がなくても上士だったから余裕があったのか城下郊外の農村に帰農させて庄屋したわけだよ。
○○様なんて呼ばれているくらいだからやっぱり領内で上士の分家というブランドは大きいね
だから俺の家も本家と同じく城下寺町の檀家なもんだから車で一時間もかけてお盆や新年の挨拶にいかなきゃだめで大変なわけ。
うちの場合は真言宗だけど
ま、結局維新後に禄を失った本家はうちを頼って引っ越してきたんだけど。
その点では運がよかったと言えるだろうね。
商売興して失敗する士族が続出する中で、たまたま100年くらい前に3男を帰農させておいたおかげで、維新後はまったく困らなかっただろう。
少なくとも経済的には。
121 :
110:2007/12/09(日) 22:17:09
うちの場合は新旧菩提寺自体がうちの元土地内にあるんだが
領主の戦国期の本拠地周辺がうちの元土地で三大庄屋とか呼ばれてたらしい
江戸期の本拠地は車で20分くらいのとこに移動
藩主が国替えで徳川に従って関東に行ってから戻ってきた出戻り領主
そのときに関東に行かずに帰農したのかな?
でも家臣録とか見てもうちの苗字ないんだよなぁ
>>121 甲斐武田氏から嫁を貰ってるなら、土地の豪族衆か土豪かなんか?
それなら名前なくても不思議じゃないが。
藩主の菩提寺が自分の家の近くにあるなら、入っていてもおかしくないわな。
徳川の転封に従ったなら戦国期か
戦国期に主家転封に従わず帰農した武士って結構いるんよ
んでそういうのはだいたい在地有力者で郷士・庄屋になってる
おまいの見た家臣録がいつの時代のものかしらんけど、
おそらく江戸時代の藩政時代の分限帳をみたのでは?
それなら、1590年の徳川関東転封時に帰農した家臣は載ってないでしょうよ。
>>122 そんな気もする
>>123 分限帳>多分それかも、あと戦国期の有名家臣にもとりあえず名前無いな1次資料はみてないが
帰農するにあたって苗字変えたとかあるかな?、まぁ武士だとしても超無名だったんだろうけど、
領主が出戻る間の織田豊臣系大名の家臣だった可能性も低いがあるかなぁ
とりあえず神社でもあたってみるよ、ありがとう
城下町の檀家か
戦国時代は城があったんで一応城下町?だったんだけど、城主が関が原で豊臣についちゃったんで
取り潰されて今は普通の農村の寺と檀家だw
>>124 完全に家臣化していない、従属していただけの豪族衆もあたってみるといいかも
坊主がいうなら武田氏から嫁を貰っていたってのはそこそこ信憑性ある情報だろうから、少なくともただの百姓じゃないわな
>>126 城下町の檀家ってのは江戸時代の話だよ
戦国時代は末期まで城下町っていう機構自体があやふやだったんだから。
江戸時代の城を中心とした防衛都市としての城下町の寺町の檀家であるということに意味がある
どう意味があるんだ
江戸時代の武士かどうかの裏づけってこと?
それなら侍帳見たほうが確実だろ
あやふやな菩提寺が城下町だからなんて、城下町の町人でも士族と同じ菩提寺に入ってるよ
>>128 なにか勘違いしてないか
農村在住の家の菩提寺の話をしているんだよ
元々村落に土着してる百姓の菩提寺がわざわざバカみたいに遠い城下町にあるはずない
農村在住の庄屋なのに城下町の寺町の檀家だというのは武士の分家なり、
帰農した元家臣なりの可能性が高いということ。
逆にいえば農村在住で農村寺の檀家の家はただの百姓ということなんだが
ちなみにうちの本家はおっしゃる通り間違なく侍帳に記載されておりましたw
石高も確認済み
一般的な上級武士の範疇でしたね。
経済力のない下級武士〜中級程度ではなかなか分家は難しいのかな
帰農させるにしても土地や屋敷を確保しなきゃいけないわけだからね。
武家が厄介を庄屋(郷士)として帰農させた例は実際結構あるから興味あるなら調べるといいよ
形は様々だけどね
131 :
日本@名無史さん:2007/12/10(月) 02:29:36
スゲー間違いだらけで見ていて痛いわ
どう間違ってるか説明してくれ
いるんだよ、とりあえずそう指摘したがる奴が。
>>131 つーことはうちの藩の分限帳が間違いだらけということか?
それどころか俺の地元の郷土史自体が間違いだらけということになってしまうな
庄屋の次男三男が藩士として仕えるのはよく聞くけど
逆はあんまり聞かないな
135 :
知恵袋からのコピペ:2007/12/10(月) 03:57:50
似たようなテーマから参考程度に。
著作権とかシラン
以下↓
原則的にはありません。
身分制度は江戸時代の根幹であり簡単に変えられるものではなかったのです。
ただし他の方のいうように例外はあります。
武士の家では家督を継げるのは一人で分家もままならないため次男以下の男子は他家に養子にいくか「厄介」と言われ実家で肩身の狭い思いをする羽目になります。
このため伝や余裕があれば士籍を抜いて土地や家を用意して農民にしたこともあったようです。
一度これをやるともう実家を継いだり武士の家に養子にいくこともできません。
さらに大半の武士は禄高も低く生活は苦しいものでした。
このため奉公を解く願いを出し農民になったこともあったようですがこの場合も身分はもはや戻れない形になります。
郷士などと区別がつき難い面はあります。
俺、ずっと前に一般公開されている郷士屋敷見に行ったことある。
説明に
「元は2000石級の上級藩士の家の厄介で藩主から土地をもらい、帰農した」
みたいなこと書いてあったの覚えてる
かなり広い屋敷になってたな。
まあ公開されてるくらいだから当然か。
137 :
133:2007/12/10(月) 06:32:10
あー面倒なことになってるな。
なんでそんなに否定したがるんだろうね。
・地元藩の分限帳で名前を確認済み、間違いなく上士として載っている点
・本家とうちの菩提寺が城下町の寺町にある点。それ以外の村の住人は全員村にある小さい寺の檀家。
・本家・うち、両方の墓が菩提寺にある点(村の共同墓所や村の寺などではない)
・維新後に本家がうちを頼って引っ越してきている
・維新後に村の最有力者が任命される村長は、なぜか分家であるうちがやっている
(要するに本家は後から入ってきた新参者だったからだろう)
・なぜか分家のうちのほうが土地をたくさんもっていた点
(農地解放までは。)
・うちの屋敷が村の真ん中にある角屋敷であるのに対し、本家は住宅地のはじっこに住んでいる。
(川が近いため悪い立地と言える。ようするに明治に入るともう中心部の土地は残っていなかったからかと)
・うちに屋号がない点 苗字+様
これだけそろってどうやると否定できるのか疑問。
もう分限帳で確認できてる時点で普通は決定なんだろうけど
本家は維新後はボロボロだけどやっぱり上士だっただけあってある種別格扱いされてるけどね。
138 :
日本@名無史さん:2007/12/10(月) 14:36:01
そーいや親戚の真田家臣の家は住まいは松代だが寺は上田だったな。。。
でも、これって不味くないの?他藩の家臣が入ってきたらいやだろ?
今日、実家の書庫を漁ってたら出自だという言い伝えのある豪族の系図と名前の写し本みたいのがでてきた。
城じゃねーの
城を復興した記念館?
塀に漆喰使ってるから普通の庄屋ではないんじゃないの。
豪族が戦国時代に立てた城跡に舞い戻って庄屋になっていたとか。
よくわからんけど。教えてエロい人!
その写真の載ってるサイトなりブログなりの管理人にメールで聞いて見りゃいいじゃん
>>142 以前、兵庫県をドライブしていたら氷ノ山から養父市に抜ける国道か県道脇に
写真のような目を見張るようなお屋敷があったけど、本当に似ている。
あの辺りは立派な旧家も多い。
手前に出店があるので、たぶん城郭記念館とかじゃないかな。
146 :
日本@名無史さん:2007/12/10(月) 22:05:46
それは広兼邸だとおもう。ベンガラで財を成して金田一耕助の映画の舞台になったとこ
>>146 商人あがりか。明治以降なら金持ちは漆喰使っててもおかしくないわな
畿内は有名な豪族や土豪が多いし戦国時代を通してかなり変革のあった地域だからなあ
庄屋さんだね
八つ墓村のロケ地なのか。すごいな
やっぱ豪農豪商はすごいね
こういうのがうじゃうじゃいるんだよな、これがw
豪農とかって合戦で負けて帰農した武士も多いからなぁ。
豪商はよくわからんけど
>>142 庄屋の家なのに壁にある銃を撃つための穴はなんのためにあいてるんだろうw
なんかこのスレ、中途半端な聞きかじりだけで知ったかぶって、他人の
話を片っ端から否定しまくってるやつが一人常駐してるな。
嫉妬か何かでやってるのかね?
>>154 人が自分自身で経験、見聞したことを書いてるものを、本人でも
ない他人が「それは間違いだ」と指摘するんだから、笑えるよな。
前スレでもそんなことやってなかったっけ?痛々しいんだが、どうも
本人は得意満面な感じだ。
やんわり諭してる優しい人もいたが、何を諭されてるのか理解できて
なかったっぽいし。
まあ単なる嫉妬だろうね
で、何か言われると自演認定で逃げる。
今どき珍しい天然記念物レベルの厨だなw
俺はその指摘してた人じゃないよ
ただミエミエの自演は恥ずかしいってことだ
俺は指摘された人だよ、と自分からバラすアホはいないわな
これはこれは有名な同和スレのお目見えw
大体、なんで自慢になるんだろうね?
みんな報告しかしてなかったと思うけど。
要するに何もない奴はみんな自慢に見えてしまうのか
163 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 02:02:18
自演がばれて粘着してるのがいるなw
164 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 03:21:33
前前スレで、俺もそうゆうやつにやられた。
しかし、はっきり言って、只の不勉強じゃないかな?
165 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 09:14:33
真夜中に自演乙
ID表示されなくてよかったね。
自分に都合の悪いことはすべて自演だと思い込めるんだから。
>>160と
>>162は俺だぞ。
167 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 14:50:15
自演じゃないって言ってる人はフシアナすればいいんじゃないの
そんなことでIP晒したらバカとしか
169 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 17:07:56
平日の朝10時に連投してれば、そりゃ自演としか思えんわなw
しかも師走の忙しい時期に、こんな過疎板で他人の擁護してるって
どんだけ暇なニートだよ
自分がすべて正しい、という典型的な中二病だな
171 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 19:42:06
粘着自演してる奴はいい加減やめとけ
先祖の情報をずらずら書いてんだから、先祖に泥塗ってるようなもんだぜ
ワロス
単に荒らしたいだけだろ
174 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 20:56:40
>>125 >普通の農村の寺と檀家だw
その時点でお前の家は百姓確定
さあ、次は否定くんのどんな独自理論が飛び出すでしょうか!wktk
誰とシャドーボクシングしてるんだ
179 :
日本@名無史さん:2007/12/13(木) 20:40:40
ネタない?
ない
181 :
森さん:2007/12/13(木) 20:58:16
クルセーダー〇ね!
きっとヨーロッパあたりにもこういう先祖マニアがいて
「家の先祖は騎士だ!この農民どもめ!」
とか掲示板に書き込んでるんだろうなあと思うと微笑ましい
183 :
森さん:2007/12/13(木) 22:38:43
この農民どもめ!とか言ってる奴に先祖の事を追求すると何故か逃げて消える
この農民どもめ!とか言ってる奴らは所詮エタヒニンの子孫
知り合いにエタヒニンの子孫のはずが自分は武士の子孫!農民じゃない!って言ってる奴がいる
それと似てるそれを俺は面白そうに聞いている
184 :
日本@名無史さん:2007/12/13(木) 22:45:23
>>183 何故か先祖の証拠を出せと言ったら逃げるよな
185 :
日本@名無史さん:2007/12/13(木) 23:56:26
質問なのですが
戸籍謄本、除籍謄本、改製原戸籍の3つを請求したほうがいいのでしょうか?
それとも先祖探しに必要じゃないものもありますか?
初心者なので分かりませんが改製原戸籍を申請すれば戸籍謄本より家系が広く分かるかと考えています。
どなたかアドバイスをください。
よろしくお願いします。
>>182 西洋だと、父方・母方の区別なく、扇形系図を作るのが通例だと、
どっかで聞いたことがあります。確認は取ってませんが。
フランス辺りだと、
「俺の8代前の先祖は皇帝を断頭台に送った民衆の一人だぜ」
とか言っている人もいるんでしょうか。
>>185 久しぶりに戸籍関連の書き込みですね。
その3つで必要じゃないものなんてありません。
取れるものは惜しまずに全て取ってください。
手数料がかかるので、おサイフと相談の上で。
187 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 00:49:55
改製原戸籍はだいたい下記の3つがあります
@明治5年式戸籍(壬申戸籍)
A昭和32年に改製される前の戸籍(大正4年式戸籍、明治31年式戸籍、明治19年式戸籍など)
B電子化される前の戸籍(昭和32年式戸籍)
(改製原戸籍は法改製によって除籍となった除籍謄本みたいなものです)
(普通の除籍謄本は戸籍に入っている人間がすべて除籍したら除籍謄本扱いですが)
※ちなみに除籍制度は明治19年からなので
上記の明治5年式戸籍が改製原戸籍に入るかどうかは微妙っす
※現在使用している自分の戸籍から戸籍を辿るとなると、必ず改製原戸籍を請求する事になります
188 :
百八十七:2007/12/14(金) 00:59:58
【修正】
>※ちなみに除籍制度は明治19年からなので
>上記の明治5年式戸籍が改製原戸籍に入るかどうかは微妙っす
【修正後】
※ちなみに除籍制度は明治19年からです
※また明治5年式戸籍は役場によって明治19年式戸籍に移行の
経緯が違うので改製原戸籍に入るかどうかは微妙っす
189 :
百八十八:2007/12/14(金) 01:04:56
・改製原戸籍謄本=法改製によって戸籍を改める前の戸籍
・除籍謄本=原戸籍とは違い。普通に戸籍に入っている人間が全員除籍されて除籍謄本となる
190 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 01:08:54
>>185です。
うちの出身は複雑みたいで母方の出生地は分かりましたが母の親の本籍が分かりません。母の親の本籍や筆頭者が分からなくても戸籍は請求できるのでしょうか?
本籍地がわからないのは調べないほうがいいかもな
色々な意味で
192 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 05:17:57
母の親の本籍が
わからないとは
どういう意味だろう?
先祖マニアさんに
バトンパスするしかないな
本籍がわからないという事態は異常。
考えられる可能性としては
@母方は同和地区出身で本籍を数代前に廃棄している
A母方は同和地区出身で本籍地を教えるとバレるため意図的に隠している
これくらいしか思いつかん
苗字帯刀を許された庄屋の分家は、同じく帯刀できるの?
苗字は名乗れるだろうけど。
195 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 11:26:00
196 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 13:02:14
>>185です。
うちは被差別部落出身の可能性は高いと思います。なので両親には内緒で戸籍を遡っています。
母の生まれたところの出生地の住所もわかりませんし全く知らない苗字になっていたりします。
母の傷に塩を刷り込んでいるような気持ちで罪や悲しみを感じています。
一回も会ったことがない祖父の戸籍に行き着くまでにも時間がかかっています。
皆様はすぐに親の出生地や以前の本籍地が判明しましたか?
>>185さん
テンプレにも書いてあったような気がしますが....
まず自分の戸籍謄本を取ります。もし転籍、婚姻や改正されていたら、その前の原戸籍をとります。これで自分が生まれたときまで辿れます。そこには出生地と父母の名前が書いてあります。
つぎに自分が生まれたときの戸籍の筆頭者(たぶん父親)について、結婚するまで同じことをします。すると、父母の従前の戸籍の住所と筆頭者が書いてあります。
つぎに父母をさきほどの自分に置き換えてそれぞれ同じことをします。これで廃棄や焼失ががない場合は壬申戸籍の前(江戸時代後期の人物)までわかります。
注意は、戸籍のある役所に申請しないといけないことくらいでしょうか。
普通は出生地や本籍地は調べなくてもわかるものだが…
また知ったかぶりの否定屋が登場かw
こいつのいう「普通」って、全然普通じゃないよなw
部落民には普通じゃないだろうな。
否定っていうか、他人が見たらここ変だなってところを指摘してくれるのは
いいと思うけどな。
自分がそうだと思って自己完結してて、他人の意見はまるっきり必要ないなら
わざわざ書かなくてもいいと思うしね。
202 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 18:05:31
自分が否定されたのがよほど悔しかったのかねぇ
本人が自分自身のことを説明してるのを「それはおかしい」と横から他人が口を挟むのが
馬鹿馬鹿しい、ってことがどうしてもわからんらしい。
意見とかそういう話じゃないだろうに。
しかも内容が偏見と決めつけと思い込みだけで、誰の役にも立ってない。
他人を嘘つきということにしたいのかもしれんが、こんなところでそんなささやかな
嘘を、だれがわざわざつくんだよ。
頭腐ってるとしか思えん。
>>196 自分が非差別部落なのではとありますが何故そう思うのですか?
両親が何か挙動不審な言動とかしたりいったり回りから差別的な事をされましたか?
205 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 18:48:35
>>203 くやしいならもう書くな
お前に2ちゃんは向いてない
モロ同和の人は解放同盟にはいってるからわかるんじゃ?
あくまでも被差別部落の血が混ざってるかもって意味でしょ
>>203 明らかにおかしいところを指摘してなにが悪い?
ネット上なら恥をかかずに済むだろ。
現実でそういう事実を知らずにでかいことを口走って、
それをたまたま詳しい人に聞かれて笑われるよりここの住人におかしいところを指摘されたほうがはるかにダメージは少ない。
指摘されんのが嫌なら自分のことなんざ書き込まないこった。
>>196 >全く知らない苗字になっていたりします。
よくわかんないから不確かだけど、同和の人は苗字は変えたりはしないんじゃないかな
通名を使うのは在日の人かと思うんだけど
209 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 19:13:15
ようするに意味不明な自演をやってる馬鹿がいるってことさ
古文書というか郷土史を調べたら、およそ6村〜10村程度を納めていた大庄屋ってやつだったと判明。
明治維新後も大地主(おそらく納めてた村6〜10程度の土地はもってたのか?)
様なんかで呼ばれていたが農地解放で完全に没落、今じゃ屋敷跡ほとんどを田にしてる。ひどい話だ。
言い伝えとして戦国時代に負けた同じ苗字の武将が帰農したなんてのがあるが、真偽不明。
それとなくその武将のことを調べたら、確かに負けてうちの県に逃げてきてる。
年代と家紋(重臣同士で婚姻した時の家紋っぽい)もピッタリなんだがこれ以上調べられん。
アドバイスキボンヌ
間違い間違い
その武将は負けて(討死して)その一族が逃げてきてる。
こんなこと書くとバレそうだけど、いわゆる下剋上ってやつで、大名に対する反逆みたいな形だった。
んで、結局負けたわけだがその後、負けた側の総大将から反逆軍側についた武将が全部うちの県に入ってる。
後に出て行った奴もいるらしい。
ただ、この資料にでてくる同じ苗字の武将と、うちがつながるのかは不明。
よーやくまともっぽい話だなw
>>211 負けた側の総大将の家や、反逆側についた武将の家々と代々婚姻してるなら
そうじゃないかな
>>214 確認できている範囲では、
やはり県内の同じくらいの規模の大庄屋いくつかと婚姻しているらしい。
ただこの婚姻相手の家が、
逃げてきた武将の末裔かってのはまた不明。
大庄屋って簡単にはなれないだろうから、
そんなこともありそうな気がするけど。
総大将に関しては資料によると江戸になる前に出て行ってるのでうちの県には根は張ってないはず。
216 :
日本@名無史さん:2007/12/15(土) 12:43:12
除籍謄本をすべて請求しました。
5代前のじいちゃんの名前が「住吉」でした。
じいちゃん…ヤクザっぽいよ…
ちなみに住吉は
スミヨシと呼ぶのですかね?
それともスミキチかな?
同じ名前の人いませんか?
名前ならスミキチじゃない?
大庄屋の子孫ともなれば調べなくてもわかるんじゃない?
>>218 庄屋で、あたり一帯の地主だったということは当然知ってたよ。
ただ、どれくらいの村を取りまとめていたのかがわからなかった。
んで郷土史を調べたら、正確には8ヵ村だった。
俺はてっきりうちの村一個だと思ってたんだが、
それ自体が町村制導入時、8つの村がくっついたものだった。
追加
だから、昔の地図でうちの屋敷の位置を見てみると、
ビックリするくらい村のド真ん中になってるよ。
これは推測だけど、ようするにうちを中心にして周辺地域を合併させて「村」としたんだと思ふ
それに、一キロくらいのところに戦国期の大名の一族が代々治めていた城があったから、
その周りの土地はすべてうちが持っていたことになる。
そういや、この前から話題になってる菩提寺も、城下町にあるな。
江戸時代の城下町はかなり遠いんだけどね。
221 :
日本@名無史さん:2007/12/15(土) 18:51:56
支離滅裂w
また否定屋さんかよw
>>221 どこが支離滅裂?
自分ではサッパリわからないが。
226 :
日本@名無史さん:2007/12/15(土) 21:23:45
否定くんもここまでくると賤民疑惑がでてくるな
>>207 > 明らかにおかしいところを指摘してなにが悪い?
だからな。
「実は本能寺の変の首謀者は秀吉だった!」とか言ってる人に「それはおかしい。
なぜなら秀吉は〜だし、史料によれば〜」とか言うのだったら、わかるよ。
しかし「おれ、今朝牛丼食った」と言ってる人に「それはおかしい。普通は朝食に
牛丼など食べるわけがない」とか言ってるのは、単なるバカだと思うよ。
その違い、わからない?あ、そ、わからないのか。
粘着はいい加減にしてくれんか
荒らしたいなら他行け
>>220 菩提寺の墓石や過去帳はかなり古い物まであるんですか?
更に史料を当たると、いろいろ判明しそうですね。
231 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 00:16:45
新参って何にでも厨ってつけたがるな
232 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 00:38:15
>>229 お前も荒らしになってることを自覚しろよ
急に荒れてるなぁ。
>>230 うちの城下町、空襲であらかた焼き尽くされてるんだよね。
大名の墓すら、戦後に新しく建てたピカピカの奴だし。
うちは江戸時代は武士じゃないけど、藩士の家でも過去帳がある家のほうが稀らしいw
だから運悪く(?)城下町の檀家だったせいで、過去帳が焼失してる。
今度本家にもいってみようと思うけど、同じ寺だからおそらくないだろう・・・。
江戸初期の分家だけど、いまだに関わりがあるから先祖調査の面では有利かな?
まぁ、分家はうちしかないわけだけど。
235 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 11:52:19
江戸時代、地元の藩に同じ苗字の藩士が沢山いるから
俺もその子孫と言っている俺と似ているな
俺は平氏の子孫だ!
わっはっはっはっは
家紋は違うがな
でも苗字が一緒だから
子孫なんじゃ
わっはっはっはっは
そう、そんなレベル。
237 :
210:2007/12/16(日) 12:35:04
>>210です。
今日、実家に帰る用事ができたので婚姻についてもっと詳しく調べてきます。
また帰ってきたら報告いたします。
>>234-236 別にいいじゃねーか、言わせておいてやれば。
だれかに迷惑がかかるわけでもないのに。
なんで「そんなの嘘だね、デタラメだね。証明できてないね」って
言いたくなるのか、その心理がよくわからんよ。
185さんへ
母親の両親の本籍地ってみんなわからないのではないでしょうか?
私も調査するまでわかりませんでした
240 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 16:20:18
>>238 別に何でも否定ヤローの片持つわけじゃないが、自分が知ってるだけでもあまりにも偽者が多いからね。
そんなに本物がいるはずないと思う気持ちはわかる。
241 :
110:2007/12/16(日) 17:25:51
えーその後の報告
神社の方はでかい神社なので調べる時間がかかるそうなので、坊さんにもう少し詳しく聞いてきた
なんでも元々は今川義忠(義元祖父)に仕えてたそうで、
後に遠江斯波氏に仕えて応仁の戦乱で領地を失って
一族が他に持っていた今の土地に流れてきたらしい
(今の土地と駿河の一族のどちらが本流かはわからないとのこと)
そして今の土地の領主に仕えて一時は重臣になったそうで
このとき甲斐武田氏と婚姻を結んだらしい
菩提寺の墓地のうちの敷地の端に墓地のほかに武田氏の供養塔がある
その後武田氏に進攻されて領主がたいした抵抗をせず降伏
うちも武田氏に仕えて板垣氏と婚姻を結ぶ
そこからが江戸時代まではよくわからなくて、
記録がある江戸最初期にはすでに庄屋やってたそうだ
あー余計空白期間が気になってしまった。
郷土資料館でも行って古文書解読でもすればわかるかな?
242 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 18:18:59
うちは家紋が十六弁八重表菊紋だから天皇家の子孫です。
243 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 18:21:35
私は織田信長と同じ織田木瓜紋だから織田信長が先祖です。
244 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 18:24:32
俺は藤原って名字だから、藤原道長の子孫なんだぜ?
245 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 18:25:51
私なんて神武って苗字だよ?
だから神武天皇が先祖だしぃ
>>241 よく知ってるお坊さんがいて良かったですね
過去帳は焼けてるのに武田氏と婚姻とかはどの辺りからわかりましたか
>>241 そりゃ、おそらく武田征伐で勝頼自刃した後、帰農したんでしょうよw
これが空白期間の答えです。おそらく。
それしかありえんでしょ
250 :
110:2007/12/16(日) 20:40:43
>>247 供養塔がとりあえず残ってると、坊さんの話
武勇話も聞かないからそれだけが我家の誉れだったんじゃないかな
>>249 そうかもしれないけど、
その後は旧領主の復権、徳川との戦いと和睦、関東に行って戻ってきてとか
イベントいっぱいなのに我家なにしてんのってw
主家滅亡につき帰農ってのは、武将帰農の典型的なパターンだよ。
252 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 21:20:40
生き残った武田家の「武将」やその子供はことごとく他家に召し抱えられてるんだが?
それはネタで言ってるのか、それとも単なるバカなのかどっちだ?
帰農した一例
町田兵庫正之
町田兵庫正之は、天文22年(1553)に武田に降り、永禄4年(1561)、
安曇郡の小岩嶽城[こいわだけじょう](一説には水内郡割ヶ嶽城)の攻略に際して軍功をあげ、
高井郡福島郷(須坂市)に領地を与えられたという。
子の光直とともに、信玄・勝頼の二代にわたって仕え、
武田氏滅亡後は大塚の地に帰農した。
信玄・勝頼の二代にわたって仕え、武田氏滅亡後は大塚の地に帰農した。
信玄・勝頼の二代にわたって仕え、武田氏滅亡後は大塚の地に帰農した。
信玄・勝頼の二代にわたって仕え、武田氏滅亡後は大塚の地に帰農した。
信玄・勝頼の二代にわたって仕え、武田氏滅亡後は大塚の地に帰農した。
あいかわらず、否定君の武将コンプレックスはすさまじいですなw
この他にも甲斐源氏庶流も帰農して有名な庄屋になったりしてる。
255 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 22:00:10
当たり前だろw
自分で文作ったらソースにならんだろうがw
257 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 22:05:30
武田の武将で町田兵庫っているか?
必死だな賤民
>>258 いちいち煽らなくてもいいのに、お前のが荒らしみたいだよ
普通にレスしろよ
260 :
日本@名無史さん:2007/12/17(月) 02:22:06
当時の武士は帰農するのはなんの抵抗もなかっただろうね
武将といっても有力農民のことだし
江戸になって身分が固るとちょっと違うだろうけど
武田の名の家臣でも豊臣家や徳川忠長などに仕えた者もいたのでこれらに追従した武士の中には帰農した者もいたかもしれない
263 :
日本@名無史さん:2007/12/17(月) 12:43:29
先祖調査を初めたんですが
ウチの曾祖父が婿養子だった事を戸籍をとり初めて知りました
ネットで調べてウチの曾祖父の実家が今もウチの地元にある事を知りました
そこで皆さんに聞きたい事があります
その実家を訪れたいのですが何を聞けばいいでしょうか?
1、実家の伝承を聞く
2、家系図と由緒書を見せてもらう
3、墓・位牌・過去帳を見せてもらう
4、所蔵の資料を見せてもらう(戸籍など)
後は他には何かありますでしょうか?
ちなみにウチの家系はだいたい把握しているので
先祖調査は男系の血筋を調べています
>>263 自分が知りたい事を聞けばいい。
ただ、おつきあいのない家の方にいろいろ聞きすぎると失礼になるので
最初からあまり聞き過ぎないほうがいいかも。
これから先もずっとおつきあいしていくつもりで、仲良くなりながら徐々に聞くといい。
先祖話に興味がなかったり嫌いな方も多いし、逆に先祖を語るのが大好きな方もいるので
相手を見ながらね。
確かに先祖話が嫌いな人は多いから気をつけろよ。
あからさまに「なんでそんなこときくの?」って顔されることがある。
身分に関わりなく、上級武士の子孫の人とかでも。
相手を見ながら、これ大事。
266 :
日本@名無史さん:2007/12/17(月) 22:51:25
ようやく、先祖の枠組みが見えてきたよ。
家紋の由来ってどうやって調べてる?
269 :
日本@名無史さん:2007/12/18(火) 14:11:44
ちょっと細かいことなんですが、教えてください。
祖父と最初の妻(祖母)との間に伯父と父が生まれました。
その後、祖母は亡くなり、後妻を迎えました。
伯父と父は結婚して祖父母の戸籍から抜けました。
それから祖父は亡くなりましたが、祖母(後妻)は健在です。
この場合、祖父の戸籍は除籍謄本になるのか、それとも戸籍謄本
を申請しなければならないのか、どちらになるのでしょうか?
以前このスレで報告したことのあるものですが、
うちの先祖も武田方で、生島足島神社の起請文に名前残ってるけど
甲州崩れのあといろいろあって、結局子孫は百姓になりました。
開墾と商業で成功して「由緒、功あり」ってことで18世紀に番格。
出自はともかく、身分上は徳川時代の百年間は百姓だし、
成功してなければ、ずっと百姓だったんじゃないでしょうか。
>>255に出てる『朝陽館漫筆』には町田家の先祖は
「高梨十一家の内にして〜高梨の家老とも留守居役ともいふ」
とあるようです(孫引きでもうしわけないですが)
あと信濃では真田幸隆の五男金井高勝も帰農してますね。
271 :
日本@名無史さん:2007/12/18(火) 19:18:22
庄屋じゃないの?
>>269 ケース倍ケース どの時点で改製があったかにもよるし
官位の名乗りを持ってた武士とかは、帰農したら名乗りを変えたのかね?
〜守とか〜右衛門尉とか。
武将クラスではそういう名乗りをもっていた人間も多いんだろうけど。
さすがに帰農して百姓身分になったら、官位の名乗りは捨てたのかな?
274 :
日本@名無史さん:2007/12/18(火) 23:12:23
オレ前田
加賀百万石の子孫だって親父が言ってる
曾じいちゃんとか髪結いだったって話だけどw
275 :
日本@名無史さん:2007/12/19(水) 01:06:46
てか武将てなに?(笑
>>269 残念ながらよく分かりませんが、
ともかく申請してみることではないでしょうか。
申請する種別(除籍謄本か戸籍謄本か)が違っていても、
職員のほうで正しいほうを出してくれそうですが。
>>269 祖父が筆頭者の現戸籍と、昭和33年以前の改正原戸籍をとれば多分OK。
もし電算化されてるなら、電算化前の改正原戸籍もとっといたほうがいいかも。
279 :
269:2007/12/19(水) 08:07:24
みなさんありがとうございます。
遠隔地のため、郵送での申請を考えていまして、できるだけ必要なものを絞って申請したかったのです。
どっちみち、届いたものを見てから次に申請するものを考えなければいけませんね。
戸籍を調べないとわからない家系なんて笑止
|
J
282 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 11:54:19
名門でも支族は多いはずだからね〜ただ子孫っていうのは結構本当にいるんじゃない?
ただ価値があると思うのは、子孫で姓も継いでる家。本家ってやつ?
支流でも男系の分家なら姓はついでるが
284 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 14:12:30
ウチの伝承では後に断絶する戦国大名の分家のそのまた分家って聞かれていて
ちょっとネットで調査したら伝承通りに戦国大名の家から分家した人がウチの地元の大名の家来になったとあった
たぶんウチの本家がその家来の家だと思うんだ
ただウチの本家はウチと仲が悪くて数十年前に菩提寺も家も引っ越して行方不明なんだだから詳細はわからない
だけど伝承と地元の文献がだいたい似てるよね?
だからウチは戦国大名の子孫でいいよね?自慢できるかな?
今の時代、先祖は誇りにはなっても自慢にはならないだろ
先祖は自慢するために調べるのではなくて、自分に命をつないで
くれたことに感謝するために調べるんだよ。
「ソースは?」って聞かれて「ネット」ってのもなw
祖父が戦後、家系図や鎧も刀も全て売ってしまったらしい
しかも祖父は死んで、祖母もボケてしまった
父はまったく先祖に興味がなく、どこに行ったかさっぱりわからない
せめて、家系図だけでも見てみたいんだが、これって捜索不可能かな?
289 :
284:2007/12/20(木) 15:55:37
ぶっちゃけさ戸籍以上の事わからないよね?
本家が行方不明だからなーんもわかんないやオレ
残ってるのは伝承だけ
家紋は本家と仲が悪かったから祖父のお墓を作る時に祖母が好きなの付けた・・・
祖父の代から分家して20年前に祖父のお墓を作った
親父が言うには本家の家紋は確か桐の家紋で
祖母が付けた家紋は梅の花の家紋(梅鉢じゃない奴)
んで地元の文献にあるたぶんウチの本家らしき戦国大名の分家の家紋は桐の家紋
昭和年間に分家したから残ってるのは伝承だけ
290 :
284、289:2007/12/20(木) 15:58:01
俺の場合も難しいかな?
>>290 都道府県立図書館の郷土史調査係に頼め。
その子孫がどこにいるとか差しさわりない範囲で教えてくれることがある。
だけど本当に正確な回答が来るから、時として悲しい事実を突き付けられることもある。
「ただの勘違いでした」というクライマックスw
近所の人の苗字とかは?
元武将だと、室町期に帰農していると家の回りに同じ苗字の小作人がたくさんいたりする。
これは室町期にその地の地侍や名主の苗字をもらっている小作人が多いことに由来するんだけど。
家柄のいい武士が帰農すれば、室町が終わるまでは地侍や名主をやっているから。
江戸時代に入ると、郷士や庄屋になるパターンが多い。
家紋は正直いってアテになりません。
なんでも好き勝手に変えられるから。
292 :
290:2007/12/20(木) 16:28:29
>>291 ウチの地元にはウチと同じ苗字は2件ある(この内の一件はウチ)
もう一件はウチと同じようにウチの本家から分家した家だと思う
ウチの戸籍を辿ったらウチの本家から分家した事がわかった(この家とも付き合いない)
県立図書館でわかるかな?
本当に子孫なら、県立図書館に聞くとわかることがある。
江戸時代には地元の藩の藩士だった?
294 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 16:31:43
>>293 伝承では「二本松畠山氏の家系」としか伝わってなくて
江戸時代の事はわからない
295 :
294:2007/12/20(木) 16:33:32
あ、俺はバカだ特定されるかな?
>>288 そういう話は眉唾が多いから鵜呑みにせんほうがよい。
もともとないのに「売った」とか「盗られた」とか言うタイプ。
少なくとも終戦後の昭和に、家系図が売れるか疑問。
江戸時代でもあるまいに。
鎧や刀は骨董品として売れただろうけど。
流浪の二本松氏、山形へ
その後、二本松畠山氏は戦国武将の客分としてその命脈を伝えた。
二本松義綱の弟 義孝の代に至り、姓を二本松として以後、二本松姓が正式となる。
義孝ははじめ杉氏、蒲生氏郷、加藤嘉明ら戦国武将の客分となり庇護を受け、やがて徳川氏譜代の水野氏の客分となった。
以後、水野氏の転封に伴い、諸国を転々とし、水野氏が出羽国山形藩に封ぜられたのに伴い、今日まで同地で存続する。
らしい。
現在でも転封先で存続しているということは、
その引っ越した本家とは関係ないということになるけどどうなんだろう。
298 :
295:2007/12/20(木) 16:44:53
ぶっちゃけ自慢なんてさらさらするつもりで調査したわけじゃなくて
単に亡くなった祖父の伝承が本当かどうかが知りたかった
でももう無理だな本家が行方不明じゃもう無理だわ
>>296 レスありがとう
でも祖母が確かな所なので、ある程度信用してたんだ
祖父の家は、祖母のところと比べて全然たいしたとこじゃないけど気になって
どこか、調べる方法がないのかな、と思って書き込んでみた
まあ、やはり眉唾だと思ったほうがいいね
300 :
298:2007/12/20(木) 16:59:13
ウチの本家の菩提寺は曹洞宗だった(過去形)もちろん城下町のトコ
その菩提寺は元は武家の墓しかなくてみんな藤原アソンとか平アソンしかない
狭い菩提寺で古い菩提寺だからもう区画というのが無い
もちろん地元の藩主の墓もあるし二宮損得の娘の墓もある菩提寺
そこまでバラしたら完全に特定されるぞw
302 :
300:2007/12/20(木) 17:09:55
だって全然調査が進まないんだもん
もっと言いたいけどもうやめた方がいいかな
ちょっと半年ロムってみる
303 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 17:10:51
本家と分家の菩提寺が違うというのはちょっと変ジャマイカ?
本家じゃなくてただの地主-小作関係だったとか。
それなら家紋が違うのも説明がつく。
家の歴史というのは美化されるものだからね。
304 :
302:2007/12/20(木) 17:13:01
>>303 本家から分家したのが昭和年間ですウチの祖父からっす
おまいの菩提寺は城下町なのか?
306 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 17:16:47
オラは公営墓地
乙
308 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 17:21:50
え?何で何で?
>>303 数レスしかして無いんだし、ちゃんと読んでやれ
>>6の@・Aやって明治初期までさかのぼってから
宗門改帳みれば江戸時代のこと大体わかるんでない?
元の菩提寺いって聞くのが早いと思うけど
通りがかりだから間違ってたらスマン
311 :
308:2007/12/20(木) 17:47:44
>>310 菩提寺の方とウチと同じように分家した家の方を調べてみる
たぶん長い時間がかかるかもしんない
ありがとう菩提寺の方を忘れてた菩提寺の方があったか
みんなありがとう
ちなみに284、289、290、292、294、295、298、300、302、304、306、308がオレっす
ちなみに俺は県の郷土史研究会にお墨付きをもらって、晴れて某武将の子孫を名乗っている。
313 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 18:05:15
家の菩提寺が浄土真宗だ。武家の菩提寺は曹洞宗が多いと聞くがそれは本当か?
うちもちゃんとした武士であることは間違いないが・・
多いには多いが、江戸時代に真宗の武士も大勢いる。
有名どころでは堀部安兵衛の実家の越後新発田藩上士中山家も門徒。
戦国時代では、一向一揆が一大勢力であったわけで、
本願寺との政治的な関係から門徒になる武将や国人・豪族衆も多かった。
ちなみに武田信玄と本願寺顕如は義兄弟。
江戸幕府老中の本多正信も一向門徒で三河一向一揆に参加。
一向一揆は百姓(非武士階級)が戦ったとか思われているが、それは江戸時代の価値観。
当時の武将とは在地の有力百姓のことで、ようするに門徒の土豪衆が一向一揆の中心。
完全に武装しており(武士だから)、有名どころの雑賀衆は鉄砲軍団だった。
ただの百姓が鍬を持って戦うような百姓一揆で、百戦錬磨の信長軍と一大合戦をできるわけがないという事実。
ようするに一向一揆とは土豪を中心した宗教武士勢力の反大名闘争のことだと思えばいい。
もちろん、ただの小作人も大勢混じっていたが、中心はまぎれもない武士(有力百姓)。
316 :
311:2007/12/20(木) 19:25:46
>>299 色々な可能性があるから簡単には断定しない方がいいよ
伝承が100%正しいとは限らないしね
とりあえず長い時間がかかるかもしんないけど頑張ろうぜ
317 :
316:2007/12/20(木) 19:31:13
>>299 もしかしたら家系図は戦後ではなくもっと昔に売ったかもしれないし
318 :
317:2007/12/20(木) 19:40:16
>>299 あ、それかあれだ
その家系図はもしや名門の家系図だから
終戦後の昭和でも資料として価値があって
売ったかもしれない
さっきから厨がウザいな
320 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 19:46:29
なんだよ厨って
321 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 19:48:29
なにこの速さw
エイッ エイッ オーッ!
324 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 21:51:44
自演やりすぎ
325 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 21:52:43
どこらへんが自演?
326 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 21:57:30
チンポ
327 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 22:00:23
>33 クルセーダー 2007/12/20(木) 17:44:15
>恨族はなぁ、恨んで恨みまくってナンボなんだよwww
328 :
299:2007/12/20(木) 22:01:04
>>317 そういえばそうですね
戦後というのは僕の想像です、多分、お金に困ったのかなと
でも、祖父の出は名門ではないです
祖母の家には馬鹿にされてましたから
だからこそ知りたいなと
もう少し頑張ってみます、ありがとう
たしかに自演だろうね
330 :
飛瀬:2007/12/20(木) 23:04:05
もうそろそろ正月ですね。
きちんと親戚回りをしましょう!
そう言えば最近田舎に帰っていません、お盆から行ってないですね
しかも数年前は田舎で正月を過ごしていたのですが、最近では雪が降ったら孫
(私たち)が帰れないので父親が祖母を田舎から父親の家に連れて帰って正月を
しております。
墓参りしなくてはと思いつつ出来ていません・・・
332 :
飛瀬:2007/12/21(金) 01:53:15
>>331 そうですかぁ。
僕も墓参りは全然出来てないです。
下宿のみなので無理もないかもしれませんが。
とりあえず正月は新しい発見がないか期待もしてます。
チンポ
334 :
日本@名無史さん:2007/12/21(金) 12:54:02
クルセーダーの今年のクリスマス
in日本史板
キリシタン禁止令
336 :
日本@名無史さん:2007/12/21(金) 17:09:38
国は法によって栄え 法は民によって貴とす
国滅び 民滅せば 誰が仏を崇める事ができるのか
誰が仏を信ずる事ができるのか
337 :
日本@名無史さん:2007/12/21(金) 17:11:11
国は法によって栄え 法は民によって貴とす
国滅び 民滅せば
誰が仏を崇める事ができるのか
誰が法を信ずる事ができるのか
338 :
日本@名無史さん:2007/12/22(土) 17:31:33
皆さんは何代前までわかりましたか?
>>338 自分とのつながりがはっきりと分かっているのは6代前までです。
戒名と没年月日が分かっているだけで、
つながりがはっきりしない先祖は元禄時代までです。
>>338 はっきり証明できたのは7代前です
(たまたま戸主の大伯父が失踪していたため除籍されずにいたから)
つながりがわからないが先祖なのは一番古くて1701年没の方です
341 :
飛瀬:2007/12/23(日) 01:44:34
>>338 僕は7代前までですね。
けっこう分かっているほうだと思っています。
親の年上のいとことか又従兄弟とか手紙を出すなりして丹念に話を聞いていったら
うちみたいな庶民の家でも江戸後期とか明治初期の先祖伝承ってちらほら出てくる
ものですね。
まあ、江戸末ぐらいに貧乏公家が芸者に生ませた子供とか、いまは消滅した踊りの
家元の子孫だとかそういう話のレベルですが。
踊りの家元=芸人=河原乞食(賤民)
芸者の出自=同和地区や子供を食べさせられない小作人階級から売られた娘
344 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 10:15:07
176代しかわかんなかった。
176代前の人は、喧嘩が強かったらしい。
ミジンコかなんか?
>>343 芸者はもちろんそういう人たちもいたけど、維新で食えなくなった元武家や
元々貧乏だった公家の娘がたくさんいた
江戸時代は部落民の傾城屋への身売りは禁止されてたと思う
幕末なんだからまだ維新は起こってないわな
部落民が売られたのは遊郭じゃないか?
351 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 13:10:37
俺は先祖が旗本で 選挙がない時代に国に選ばれて町長にもなるほどの家柄だが、
俺は2チャンで常に土人国日本の歴史を馬鹿にしている。
そうすると すぐチョんと のた打ち回られるので 仕方なく暴露している。
家柄自慢もうザイが、無差別ちょんよばわり もうざい
別に俺のような名門の育ちでも 日本を糞と思ってる左翼など腐るほどいるのに。
352 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 17:33:31
あのー菩提寺で調べる時は住職の方に渡す供養額はいくら用意すればいいんでしょうか?
多いほどいいんじゃね
五万くらい
漏れの祖先は位牌の墓誌から調べたら1600年代の中期より判明していますが、
父方の曽祖父/曾祖母が若くして死んだので、それ以前の墓が何処に有るのか
無いのか解りません。それで除籍謄本に記載されている死亡場所の近くの
寺に電話で尋ねてみた所、氏名、死亡日時、戒名等が解れば調査は可能との
話ですた。但し、電話での調査や返事は出来ないとのことで、後日改めて
封書にて調査を依頼する予定にしています。
もし、漏れの祖先が調査を依頼した寺で葬式等の法要をした記録が残っていて
寺から情報が有った場合、寺から調査費用等の請求は有るのでしょうか?。
>>355 身分によるが死亡場所近くの寺ってのはどうかな
>>355 調査費用の請求としてはこないと思いますが、封書にて調査依頼してなおかつ
先方から情報を得たのなら(些細な情報でも)礼儀としてお礼を持っていくのが
いいと思います。
全員とは言いませんが逆にお布施を受け取らないと探す気が起きないお寺もあると
思いますしね、
因みに私もお寺に先祖の戒名が記載されているか確認をしていただく約束をしていますが
いまだになんの連絡もありません、おそらくお布施を支払っていないからだと思います。
なんとか田舎に行ってお布施を渡しておいたほうがいいとは思うのですが、なかなか忙しくて
いけない状態です。
金額はどのくらい支払ったらいいんでしょうかね?
3万くらいだと思うのですが少ないですか?
曾祖父には兄弟がいなかったですか?
その兄弟の子孫がいるのなら何かしらの情報を持っている可能性があります
墓の場所も知っているのではないでしょうか?
>>356 入手出来た最も古い除籍謄本の筆頭者は平民と書かれていました。
>>359 曽祖父に兄弟はいませんでした。もし寺から情報が出てきたら
寺には伺う予定ですし、それなりの謝礼はするつもりです。
戸籍上平民でも帰農した武家だと話が変わってくる
362 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 20:59:40
俺も本家が行方不明だから菩提寺で聞いてみる
俺の場合、戒名も俗名も不明だけど大丈夫かな?
363 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 21:24:29
過去帳が焼けてて今はないとか言ってますが・・・
それじゃ菩提寺の価値ないじゃないか。何を以って菩提寺だというのか
364 :
尹清:2007/12/23(日) 22:06:39
Pure audio香具師さん、菩提寺が見つかると良いですね。頑張って下さい。
例えば、寺から○×院とか高級な戒名を貰っていれば
寺の過去帳に残っている可能性は高いのでしょうか?。
366 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 22:13:49
>>355 『寺』 →『お寺』
『てら』→『おてら』
このくらいの感性は必要だろ、先祖探しをしている人間としては。
>>365 可能性は高いでしょうね、でもお寺の過去帳には別に院号があるから記載
している、ないから記載していないというものではないと思います、檀家の
亡くなった方の記録簿みたいなものですからね。
曾祖父がいつ亡くなったか分かりますか?
先祖の戒名で、先祖の宗派は分かりますか?
369 :
尹清:2007/12/23(日) 22:51:19
>>368 戒名は宗派によって違うのでわかると思います。
みんな墓ってどこにある?
うちの墓って、
屋敷の敷地内と村の墓地と城下町の菩提寺三か所にあるんだけど。
なんなんだろうね。
江戸時代は苗字帯刀の庄屋みたい。
少なくとも菩提寺の墓は「安政」だか「寛政」なんちゃらと書いてあるから幕末に建て直したと思われる。
>>368 分かりやすい例の一つとしては、日蓮宗の戒名には「日」が付く、というのがありますね。
>>370 江戸初期は城下町、程なく大名の改易で宿場町になった町に住んでいた先祖(2家)の例ですと、
どちらの家も墓はその町内の菩提寺にあるのみです。
ちなみに、その先祖はどちらも、街道沿いに店を構えていた一介の商人です。
>>370 それって同一人物のお墓が三つあるってこと?
苗字帯刀前は屋敷の敷地内と村の墓地で、後に城下町の菩提寺とかかな?
お布施はケチらない方がいい。
というか、たくさん情報が欲しいなら大盤振る舞いでいくといい。
最近は個人情報がどうとかでうるさいので、お寺とつきあいのない人に過去帳は見せたがらないから
情報もらってからじゃなく、最初に10万ぐらい包むと聞き出しやすくなる。
先祖の戒名が院号つきなどの場合はもっと包まないといけない。
西日本は身分差別の兼ね合いから、今もお寺と付き合いのある檀家親族といっしょに行かないと
過去帳を見せてくれなかったりもする。
>>372 えっとね。
菩提寺と村の墓地には代表の墓。
家には昔は当主それぞれの墓があったみたいだけど、農地解放の時にひとつにまとめたと思われる。
村の墓は本家がこの地に帰農した時に作って、(織田軍に侵攻されて殺されかかり逃げてきたらしい。古文書確認済み)
あとから分家の一族も周りに墓を作りだしたという感じか。
少なくとも分家もかなり数があるけど、
みんな地主で苗字御免(帯刀は確認できてないがおそらくはしているはず)だったな。
菩提寺の墓はいつからあったかわからんが、同じ一族でも本家と一部の最初期の分家だけが菩提寺に墓がある。
あとはみんな屋敷内に固定。
ま、いくら帰農した武将だろうが所詮は百姓身分なんだがね
と自虐的になってみるテスト
>>365 前のスレで一度戒名をカキコしましたが、再度。
曾祖父 妙法悟道院妙?日長信士 俗名 ●木吾一支 行年三十七歳 大正13年(1924年)05月10日
曾祖母 妙法開悟院妙長日安信女 俗名 ●木ヤス 行年二十八歳 昭和01年(1926年)09月23日
●印はブライバシーの為、伏せています。
アンカーまちがってるんじゃね
>>367の間違いですた。
訂正してお詫び致します。
>>375 これから分かること
1 普通 院のあとは居士か大姉になるのに信士、信女になっている?
2 ●●院が通例のなかで▲▲○○○院となっている
3 ●木吾一支さんは1888年(明治21年)〜1924年(大正13年)(戦前なので数え年?)
4 ●木ヤスさんは1899年(明治32年)〜1926年(大正14年)(昭和元年に9月23日は存在しません)
5 早くして亡くなっているが70歳以上生きておれば昭和30年代くらいまでは生存していた
以上のことから
1まず曾祖父が戸主の戸籍を入手そこに記載されている本籍を調べる
2本籍がわかったらならば旧土地台帳を調べてその本籍の場所から現在の土地所有者を確定する
おそらく田舎であればころころとは変わらないと思います
3現在の所有者の方に●木姓でなにか知っていることはないか聞く(墓の場所も)
4近隣の土地の方に菩提寺がどこか聞いてみる、またここらへんの人はすべて同じ菩提寺なのかも聞く
場所によっては同じ村でも菩提寺が複数あるところもあので注意(近くの寺が菩提寺とは限らない)
5その地域の古老に聞いてみる(●木姓について)古老とは80歳以上です、その方が直に曾祖父のことを知ってる
可能性はありませんが古老の父親と同世代なので何かしらの言い伝えがあるかも知れません
その伝手でなにか判明するかもしれません。(●木家と隣の□□家は親戚だとか)
6大正末期に亡くなっているので家の裏とかの墓ではなくおそらく墓所があり共同墓地に葬られています
因みに
妙法開悟院妙長日安信女の【妙法】から日蓮宗です。
381 :
浅右衛門:2007/12/24(月) 21:45:25
>>378 1について、「○○院△△△△信士」
「○○院△△△△信女」ともに、普通にありますよ。
私の先祖には何人もおります。
2について、「妙法」は法華宗(日蓮宗などの宗派)系の戒名にはよくみられます。
その後に「○○院」がついているということではないかと思います。
3について、年の数え方は「数え年」でしょう。
満年齢は、戦後の話ですね。
今でも「数え年」よく使っています。
4について、大正十五年(1926年)9月23日のことではないでしょうか。
>>381 妙法は日蓮宗特有のもので悟道院や開悟院が院号なのですね
大正14年は間違えました大正15年が正しいです
383 :
尹清:2007/12/24(月) 22:23:50
自分の祖父も妙法〇〇院です。
日蓮系の戒名は特殊で院号の前に「妙法」をつけます。
普通なら「〇〇院△△□□居士」ですが日蓮系は「妙法〇〇院□□信士」ですね。
皆様貴重なアドバイス感謝致します
曾祖父の●木吾一は福岡県筑後市に約10ヶ所の土地を保有しながら
何故か佐賀県唐津の旧国鉄官舎に住み、鹿児島本線の鳥栖駅の助役ですた。
曽祖父は祖父が生まれた6ヶ月後位に病死?し、祖父が遠い親戚を転々として
育てられた為に墓の場所や菩提寺が全く解らないのです。
本籍は解ります。旧土地台帳は入手しました。
「○○院△△△△信女」ともに、普通にありますよ。←そ〜ですか。ただの平民なんですねw。
後は漏れが現地に赴いて3)4)5)6)を足で稼いで調べるしか無いですね。
うちも城下町にお寺あるんだけど、城下町にあるってことは以前住んでいたってことだよね?
有名な庄屋でも調べるとみんな菩提寺は家の近くにあるみたいだし。
なんらかの形で城下町に住んでいたor関わっていたってことになるのかな?
>>355 >漏れの祖先は位牌の墓誌から調べたら1600年代の中期より判明していますが、
父方の曽祖父/曾祖母が若くして死んだので、それ以前の墓が何処に有るのか
無いのか解りません
祖父は幼いときに両親を亡くされたのに位牌を大切にもっておられたのですね!
よかったよかった
この多くの位牌をすべて亡くなった順にエクセル等で清書してから封書で送ったら
先方も本気だと思うのでないでしょうか?(さらに曾祖父が早くに亡くなってどこに墓が
あるのか分からない旨も伝えた方がいいでしょう)
送る寺は日蓮宗で
そうかーがっかーい♪
388 :
浅右衛門:2007/12/24(月) 23:24:25
>>384 「○○院△△△△信女」ともに、普通にありますよ。←そ〜ですか。ただの平民なんですねw。
普通にあると言っただけですけど。
平民かどうかは関係無いですね。
389 :
尹清:2007/12/25(火) 00:32:20
皆さん先祖調査頑張ってますね。
自分は最近はどん詰まりです。
自分も菩提寺で問い合わせたいので、早く再開したいと思います。
うちのゼミで「うちの先祖は武士」とかいって自慢しとるやつがいたぞw
俺の先祖が、後に帰農したが、
一時は異名を持ってたほど有名な武将の子孫であるということは一部の人間しかしらなかった。
そのアホ(こいつは知らない)が俺に「お前の家の戸籍、平民?」
と聞いてきやがったので
「平民だよ」と答えた。
そいつは満面の笑みで「うちは士族」とか言い出す始末w
それを聞いて、ツレが俺の正体をそいつにバラしてしまった。
そしたら急に黙りこくって、以降まったく士族自慢をしなくなった。
めでたしめでたしw
>>384 若死にしてると、結構そこで家伝とか断絶しちゃうんですよねー。
ウチも曾祖父、曾祖母がほぼ同時期に若くに亡くなったせいで
代々の土地を売り払って一家離散状態になったそうです。
土地のほうは、全部じゃないですが
幸い大叔父が商才があったようで、のちに買い戻して
今も親族が所有してますが結構大変だったとか。
ちなみにですが、院信士信女というのは村三役や富農に多い戒名です
院号は寺院や地域に貢献のあった人物などに贈られましたが
農民は居士大師をつけてはいけなかったので信士信女となります
※江戸中期〜末期の話です
明治以降はお金を積めば誰でももらえました
真宗は上級武士でも釈○○だった
395 :
クルセーダー家臣くるくるパー:2007/12/25(火) 02:15:51
最近日本史板を
みるようになって
信長の野望を始めた
もちろん信長ではなく
足利将軍家を選択してる
皆さんならわかるはずだ
足利将軍家が本当の
武家の棟梁だという事を
序列にしたなら
天皇家>宮家>公家>足利将軍家>足利氏一門>以下同列
だという事を
396 :
クルセーダー家臣くるくるパー:2007/12/25(火) 02:20:38
以下同列とは
足利氏一門以外の
武家から民まですべて
397 :
日本@名無史さん:2007/12/25(火) 03:12:50
>>392-393江戸中期から農民の居士号はあるよ。
基本的に武家が帰農した場合は居士号が使われるというらしいけど
後期以降は金次第
知ってるよ。
でも俺のみた資料は、上級武士でも釈○○が並んでた。
貧乏な上士だったのでは
たしか250石って書いてあったなあ
402 :
日本@名無史さん:2007/12/25(火) 17:20:22
クルセーダー家臣くるくるパーとくるくるパー将軍とは何が違うんだ?同一人物?という事でage
250石なら貧乏な方じゃね
藩によるだろうが十万石ない藩の上士だから十分多い。
405 :
日本@名無史さん:2007/12/25(火) 18:51:04
長州藩でも高杉とか桂とか上士と言われる連中は100石クラスだぞ。
406 :
日本@名無史さん:2007/12/25(火) 19:44:48
何石だろうが地方知行制における知行地があればれっきとした知行取り
うちは旧知行地に帰農してるみたいだな
昔の墓石って小さいんだな。
大名の墓も相当小さいのもあるし。
墓石の大きさってどういう基準なんだろうね?
菩提寺を見るポイント
@位置(一般的には城下町がよい。庄屋で城下町の檀家の場合、豊臣天下統一〜関ヶ原にかけ帰農した武将の可能性が高い)
A歴史(現在の住職が何代目か、等。最近できた寺もあるから注意)
(一般的な由緒ある寺は城下町にあり、少なくとも25代以上の歴史をもつ。例外はあるが10代とかの場合名刹としての希望は薄い。)
B菩提寺の敷地面積はどの程度か(城下町の場合)
(城下町にあっても小屋のような寺もある。敷地が大きいほうが当然、寺として格式が高いということになる)
(Yahoo!地図情報で藩主の菩提寺の面積を見てみよう。寺町の中で一番大きいはず。)
あと、お墓の位置だけど村にあるとか家にあるとか寺にあるとか、あまり関係ない。
もちろん、江戸時代は武士ではないということは確定するが。
正確に言えば江戸に入る前に帰農していれば元武将だろうが村の墓地に作る場合もある。
特に流浪した場合は顕著。
また、明治〜大正時代に一人にひとつお墓を建てる個人墓の文化が廃れ、
新たに合祀墓を作った場合は菩提寺に置かずに村落や家に建てる場合も多いかと思われる。
個人墓が廃れた理由は、菩提寺の面積不足が大きいわけだから。
特に城下寺町のお寺の場合、既に江戸300年にわたりギチギチに詰め込んである場合が多いから尚のこと。
ttp://www.stone-ono.co.jp/html/ohaka.html だがこの場合は菩提寺と村落の墓所、二か所に墓がある現象が起きる。
あくまでも
>豊臣天下統一〜関ヶ原にかけ帰農した武将
この条件に当てはまる村落在住の帰農庄屋の話だけどね。
>>408 墓は大きさや形が身分で制限があった
武家と百姓では形や大きさが違うから一目でわかる
ただし江戸中期までの話だけどね
>>411 帰農した武家でもやっぱり百姓扱いだったのかな?
>>409 住職の代数はあんま関係ない。流行り病とかでコロコロ変わるからね
寺の由緒を見たほうがよい
414 :
日本@名無史さん:2007/12/26(水) 00:18:03
みんな先祖調査ってどの系統を調べてる?
血筋とか関係なく家系の系統を調べてる?
それとも男系の血筋の系統を調べてる?
俺は今非常に悩んでいる
家系の系統があまりにもすごすぎる可能性があって
血筋の系統は普通の戦国大名の血筋の可能性がある
家系の系統の方があまりにもすごすぎて
血筋の方か家系の方かどっちを調べれば良いか非常に悩んでいる
教えて下さい、俺はどっちを調べれば良いんですか?
415 :
日本@名無史さん:2007/12/26(水) 00:24:38
>>414 利口な奴は男系の血筋の系統を調べる
喜連川家がどんなに名家でも
それは血筋が名族だから
仮に喜連川家に
足利一族ではない人間が
当主になったらそれは
なんら価値が無い家となる
>>414 好きなほうから調べればいい。
一般的には家系のほうが調べやすいとは思うが。
だが、あまり期待せんほうがいい。
大名家の場合、それこそ墓と菩提寺を見れば一発でわかる。
ttp://www.hakaishi.jp/tomb/category/04.html まず最低でも五輪塔は堅い。
菩提寺自体が超一等地にあり、さらにその中の超一等地の場所に石の柵をつけていたり、場合によっては小屋が立っていることもある。
戦国大名家の末裔から調べないとわからない、可能性がある、なんて言葉がでてくるか疑問ではある。
古文書や公文書の類も都道府県立図書館に腐るほど残っているし、親戚関係も重臣、大名家ばかり。
まぁ、調べてみると歴史にも詳しくなれるからモノは試しでやってみれ。
417 :
日本@名無史さん:2007/12/26(水) 00:32:55
>>416 家系は諦めようかな
自分は本家が行方不明の分家筋だから
家系の御供養は本家がしてくれるし
自分が出る幕じゃないよね
自分みたいな分家筋は血筋だけを大事にした方が利口な気がする
418 :
日本@名無史さん:2007/12/26(水) 00:40:24
何で明治政府は本姓を無くしたんだろう?
本姓を無くして苗字だけなんて
まるで家系だけで我慢しろと言われたみたいだ
419 :
日本@名無史さん:2007/12/26(水) 00:41:39
修正
まるで家系だけを供養してろと言われた感じだ
本家が行方不明って、大名並の子孫が五輪塔ごと行方不明なのか?w
うちは主家転封で帰農した武将だけど、
やはり代々の婚姻は同じ時期に一緒に帰農した武家としてるよ。
これは農地解放まで続いてた。
みんな結局大地主だから、当然と言えば当然なんだけど。
世継ぎがいない時も婿養子と言う形でお互い助け合ったりとか。
421 :
日本@名無史さん:2007/12/26(水) 00:52:32
>>420 本家は行方不明だけど菩提寺で調べて家系はすごすぎたんだ
単なる戦国大名じゃなかった
てかそれはどうでもいんだけど
自分の所は結局養継嗣だから血筋が違うんだけど
420さんの話し聞いてわかった
もしかしたら一族だから養継嗣になったかもしれない
422 :
日本@名無史さん:2007/12/26(水) 00:56:30
本家が行方不明だと非常に不便だよな
なんだかクルセーダーの臭いがするな
規制解除オメ
けどまたすぐ規制来るけどなw
>>421 お前この前からやれ足利だやれ本家が行方不明だと言ってる奴か?
韓国のカルト教団が先祖7代まで探してくれるらしいぞw
ワロス
誰か入信汁
428 :
日本@名無史さん:2007/12/26(水) 15:14:28
個人情報を入手するのが目的です。
よい子も悪い子も真似しない様にしましょう。
429 :
日本@名無史さん:2007/12/26(水) 15:16:05
あ、あと普通の子も。あ、あと大人の人も。もう、とりあえず日本人なら気を付ましょう。
430 :
日本@名無史さん:2007/12/26(水) 15:18:06
クルちゃんじゃないのか?
足利オタだろあいつ
432 :
420:2007/12/26(水) 16:09:20
婚姻についてさらに調べたら、やはり明治時代以降も同じ時期に帰農した城下郊外の豪族と婚姻結んでた。
やはり、同じくらいの家柄同士でくっつくのは間違いない事実か。
家格が合わないと結婚できなかったからね
代々の姻戚家を並べてみると壮観で面白いよ
名前が廣頼なんだけど、戸籍上の本名が虎吉なのは何でだろう?
虎吉廣頼って名前で、役所に届けたのが虎吉の方だったんじゃね
436 :
420:2007/12/26(水) 18:14:15
>>433 うちは江戸時代に入ってからの分家なんだけどね。それでも縁というものがあるんだから面白い。
本家は調べていないが、おそらくもっといいところと婚姻してるんだろうか。
調べたいけどいまさら出かけて行って「婚姻関係教えてくれ」なんて言いづらいしなw
家格が合わないと婚姻出来ないの?
養子になって継づ形も家格が合わないと出来ないのかな?
438 :
420:2007/12/26(水) 18:29:59
>>437 うちは昨日も書いたけど、婿養子という形で他家から迎え入れてるけど。
その感覚で書かせてもらうよ。あくまでも庄屋地主層での話だから参考になるかわからんが。
調べたところ、あきらかにあちらの方が地主としての規模が大きい。
うちでも1000坪ほどの敷地だが、その婿養子は「わたしの実家から比べれば小屋のような屋敷だ」
と言い放っていたらしいからw
うちは所詮分家なのでそれほど規模は大きくない。
養子に来るのは次男三男だろうから、格下地主でも妥協してきたこともあったのかと思う。
それとも、やはり一族が帰農以来の付き合いで、なんとか断絶を避けるために助けてくれたっていうのもあったのかもしれんけどね。
440 :
420:2007/12/26(水) 18:52:24
いや、うちの一族とあちらの一族同士が帰農以来の付き合いっていうこと。
今ではもう葬式くらいの関わりがあるかないか程度だけどね。
441 :
420:2007/12/26(水) 18:55:08
ちなみに、その婿養子を迎えたのは江戸時代末期。
>>438 > 養子に来るのは次男三男だろうから、格下地主でも妥協してきたこともあったのかと思う。
参考になるか分かりませんが、私の先祖の一系統(A家とします)では、
江戸後期のある代に養子と養女が結婚をして家督を相続しており、
それぞれの実家は、同じ村で違う時期に庄屋(肝煎)を勤めた家でした。
A家は庄屋でもなんでもないただの百姓です(土地は持っていたようですが)。
この養子は四男、養女は二女であったということを考えると、
いわゆる「格下」でも養子に行くということはあったようです。
ちなみに、養女の実家とA家の姓は同じですが、
A家は分家かもしれないという可能性も探ってみようと思います。
443 :
420:2007/12/26(水) 23:22:40
>>442 なるほど。やっぱ格下でもあったんだね。
だってあちらさんの屋敷は堀で囲まれてるし、重要文化財になってるもんな。
うちなんかただの分家の零細地主。
これは推測だけど、
本家はかなりの大地主だから、もしかしたらそちらと婚姻していて、
断絶を避けるために養子縁組を世話してくれたのかも。
444 :
日本@名無史さん:2007/12/26(水) 23:57:43
帰農、帰農って、もともと農民が一時的に武士になって農民に戻っただけだろ。
戦に行って戻ってきただけ。
もともとは農民。
そんな意味だよ。
>>444 どうした急に?
ところで話は変わりますが
詳しい皆さんに質問申し上げます
華族の世襲財産とはいったいどうゆう意味なのでしょうか?
世襲財産とはどうゆう土地なのでしょうか?
宜しければお応えお願い申し上げます。
446 :
445:2007/12/27(木) 00:10:59
あと、相馬誠胤の世襲財産の土地を借りて住んだ場合
やはりその華族と何らかの関わりがあったのでしょうか?
すみません、お応えお願い申し上げます。
>>444←ワロス
武士ってなんだかわかってるか?
orz・・・
俺はいつも特定される事をしてしまうんだ
俺はいつも確認しなで書くから特定されやすんだ・・・
やはりはんたしロムって方がいいみたいです俺は・・・
いますごく手が震えながら書いてます
ヤバイっす、少しの間ロムります
皆さん身近なあいだ有り難うございました
>>446 なにを言ってるのか?
ま、大家と借家の住人くらいの関わりはあるよ
451 :
449:2007/12/27(木) 00:25:46
>>450 顔見知りとまでにはやはりならないんでしょうか?
そこまで推測するのはやはり、無礼ですが聞いてみます
自分の推測どころか妄想ですが・・・
452 :
449:2007/12/27(木) 00:30:18
すみません、自分は最近こねスレにきた
本家が行方不明な人間です
伝承では二本松畠山氏の家系だと言われてきました
(最近戸籍を調べて初めて血筋は伝わってない事を知りました)
すみません、時々このスレを荒らしてしまった時もあり
本当にすみませんでした。
「奥州茶話記」に相馬家臣畠山氏がいるね
二本松義国の弟の二本松義秀こと畠山政仲がいるみたい
もしかしてこの家系なのか?
454 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 02:07:36
>>452 藩主の世襲財産の土地に住んでたんだから、藩主と何かしら知り合いだったんじゃね?。
確か君、前に書いてたよね?、城下町の曹洞宗の
菩提寺にお墓あるんだよな?、二宮尊徳のお墓もある菩提寺に。
で、家系を調べてるんだと?。その菩提寺の住職に聞いてみたら?。
それで家系を調べて
全然関係なかったwwwwwwwww
というオチが欲しい
そんな俺ってひねくれてる?
456 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 06:40:41
>>444だから帰農っていうんだよ。 農に帰るから帰農
457 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 08:37:47
>>444 中世の武士と農民の違いを具体的に説明してくれ
458 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 12:41:39
中世は侍と武士と農民に分けて考えましょう
侍:貴族に仕えるもの
武士:大きな農家
農民:小作人や零細な自作農
良く中世は武士と農民の境界があいまいで云々と書かれてるが
制度的に無いからだけで、おそらく戦前に存在した地主、小作人ぐらいの
違いはあったのでは??
459 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 12:44:49
大きな農家が武士?
間違った認識乙
>>459←釣りだよな?
まさか兵農分離以前の武士ってなにか知らないなんてことないよな?
有名な武将はほとんど有力百姓だってことわかって言ってるよな?
相変わらず入れ食いだな
で、華族の世襲財産って何だ?
463 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 14:53:23
>>462 単にエタヒニンのお前の先祖が藩主の土地を借りてただけだよwwwwwwwwww
何が二本松畠山だゴラァwww
単に畠山の家来の家来の家来の奴隷(←お前の先祖)が畠山の子孫を名乗っただけm9(^Д^)プギャーwwwww
お前涙目wwwwwm9(^Д^)プギャーwwwww
【修正】
×
>>462 〇
>>452 単にエタヒニンのお前の先祖が藩主の土地を借りてただけだよwwwwwwwwww
何が二本松畠山だゴラァwww
単に畠山の家来の家来の家来の奴隷(←お前の先祖)が畠山の子孫を名乗っただけm9(^Д^)プギャーwwwww
お前涙目wwwwwm9(^Д^)プギャーwwwww
中世の武士は有力百姓だということも知らん程度の奴が否定くんだと証明されたようなもんだ
木下藤吉郎みたいな感じかな?
>>463 もしかしてアナタ、素でわからないんですか?
どうもこのスレは、なんだか中途半端な知ったかが上から目線で間違った
講釈垂れる展開が多いね。
同じ人なのかしらん。
で、世襲財産って何ですか?
470=444?
469=420?
???
473 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 17:45:31
中世の武士は有力百姓?
アホかwwwwwwwwwww
ここまで一人の自演でした
んで、世襲財産とは・・・
ググレ
どういう物件に対して
華族の世襲財産になるんですか?
先祖マニアさん教えて下さい
お願い申し上げます
ここは妬みで歴史が歪曲されるスレだな
大名一族や家老レベルでも帰農してる人間は腐るほどいる。
確かに確かに。
元農民が戦に行って農民に戻っただけですね。
479 :
477:2007/12/27(木) 21:38:09
>>478 別にいいんじゃね
放置しとけばいいんだし
いちいち突っかかってく方もキモイよ
481 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 21:46:17
おまえらキモいんだよこら?
水呑み百姓共が俺の家は旗元なんだかはらわよ?
頭をさげてろよこの賤民どもがよ?
クルの自演オチ
>>477 なにをもって華族の世襲財産を意味するのか全くわかりません
私なりに考えたところ
世襲財産とは
土地や家屋など
位牌や過去帳など
骨董品や金品
もし武士とかならば刀や鎧など
商人なら歴代の出納簿など
あとはその家々に伝わっているもの
などではないでしょうか?
ということはそれらの財産を代々受け継げば世襲しているのでは?
別に華族でもそれ以外でも関係ないとは思いますが・・・・・
華族とは明治維新後になったものでその前の大名からの子孫(華族になった子孫)が世襲した財産があり
それを【華族の世襲財産】と言ったのではないでしょうか?
485 :
477:2007/12/28(金) 00:11:58
>>483-484 ありがとうございます
すみません、華族の世襲財産とは
明治の華族世襲財産法に指定された「宅地」の事です
自分のおじいちゃんは、明治20年頃から華族の土地に住んでいました
何故住んでいたかはわかりません、本家が行方不明なので・・・
この宅地を華族から借りた場合は
どういう経緯で借りることが出来たのかが知りたかったのです
俺の知ってる公家は借家立てて家賃取って生計立ててたが
そういうのとは違うのか
487 :
477:2007/12/28(金) 00:23:16
>>486 はい、自分もそう考えています
どういう経緯で借りる事ができるのか
はたまた借りた場合はどういう風にお金を払っていたのかを知りたかったのです
ちなみに旧土地台帖をみて華族の世襲財産に住んでいた事を知りました
なのでおじいちゃんがお金を払っていたのか否かはわかりません
488 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 00:26:48
中世の武将が有力百姓?何でそうなるの
どういう経緯って、時代からみれば人の紹介とかだろうし
お金は銀行振り込みはない時代だから、お金を包んで持って行ってたとか
そんなのがどうして気になるのかワカンネ
普通に庶民に貸してたよ
490 :
477:2007/12/28(金) 00:36:15
>>489 そういう場合は第三者に
包んで持っていくんでしょうか?
はたまた第三者に紹介してもらって借りるんでしょうか?
491 :
477:2007/12/28(金) 00:39:30
あと、その第三者とは
どういう人なのですか?
直で持って行っても書生とか女中さんが受け取るだけだが
第三者は仲介屋だろ
不動産屋行ったことないのか
493 :
477:2007/12/28(金) 00:52:37
>>492 はい、そういうのはわからないです
その当時にも不動産屋みたいな仲介屋がいて
そこに不動産をみつけて住んで
それで不動産にお金を払っていたという事ですか?
場所と時代設定が分かんないけど、
不動産仲介業なら江戸時代からあるし、
張り紙で直接募集することもあったと思うよ。
受け取りは家令以下の使用人が受け取っただろうし、
貧乏華族なら家族が受け取ったかもね。
495 :
477:2007/12/28(金) 01:05:01
俺はてっきりその華族と
何かしらの関わりがあって
住んでいたと思ってたけど
やっぱりその可能性は無いか
仮に借りていたとなると
けっこう高値なのかな?
けっこう広いから
クルセーダーの釣りだろ
497 :
477:2007/12/28(金) 01:07:43
>>494 けっこうあったんですね
華族世襲財産ってほぼ税金が安いから
収入はけっこう入ったんですね
498 :
477:2007/12/28(金) 01:09:37
>>496 俺はクルじゃないです
クルは旗本の子孫なんで
私有地があると思います
うちは明治頃から家立てて他人に貸してるけど、貸してる先は縁もゆかりもないとこばっかだよ
親族は自分の土地を持ってるから必要ないしね
500 :
477:2007/12/28(金) 01:19:45
>>499 縁もゆかりもなかったのか・・・
おじいちゃん・・・
何個も広い借家借りてて分家を沢山つくって
それだけお金はあったのに
何で私有地をもたなかったんだろう・・・
借りる金はあっても買えるだけの金はなかった
土地を売ってもらえなかった
とかかな
502 :
477:2007/12/28(金) 01:29:31
>>501 >土地を売ってもらえなかった
それかな?城下町だから
空地がなかったのかも
大正14年の華族世襲財産解除まで
俺のじいちゃんはまってたんだきっと
んで解除されてやっと購入したんだな
きっとそれだ
503 :
477:2007/12/28(金) 01:33:03
>俺のじいちゃんは
俺のじいちゃんは途中で亡くなって
その養継嗣である俺の曾祖父が
解除してからはれて購入
>>502 んで、件の菩提寺のお寺での聞き込みはしたのかね
論拠の乏しい推測ばっかしてるよりも、よっぽどまともで建設的だと思うが
505 :
477:2007/12/28(金) 01:38:13
>>504 まだです・・・
ガキに相手してくれるのか不安で・・・
菩提寺で聞いたら何かしらわかるかも知れませんね
このままでも推測や妄想ばっかりで先に進みませんね
506 :
477:2007/12/28(金) 01:42:28
よし、菩提寺に出陣するかな
俺の場合は本家が行方不明で
本家の先祖の俗名や戒名が不明だけど
苗字が幸いにも珍しい苗字だから調べやすい
頑張るぞオラは、皆さんどうもでした!
507 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 01:42:45
477さんのケースとは違うかもしれんが、
とある帰農武士(城主の分家)が、村のほとんどの土地を所有していて、
うちの先祖の1人はその土地を売ってもらって住み着いたよ。
ついでに苗字も頂いた。
赤の他人だけどね。
その地域じゃよくあることだったそうな。
大人について行ってもらえばおk
その大人が嫌がるなら大人になるまで待つしかないわな
地獄の沙汰も金次第だから、お布施をはずめば子供でも相手してくれるかもね
509 :
477:2007/12/28(金) 01:45:03
>>507 藩主とは苗字は違います
ちなみに苗字は畠山と申します
510 :
477:2007/12/28(金) 01:47:59
>>508 大人ですか・・・
いや、やっぱり自分一人でやってみます
そのほうが行動しやすいので
511 :
477:2007/12/28(金) 01:59:19
俺の妄想では
二本松畠山氏の支流、相馬家臣の畠山の二本松義秀(畠山政仲)の家系だと妄想してます
伝承が一致するので
でも、全然関係ない家系だったwwwwなんてなる事もあるので
ほとんど期待していません
でも畠山の苗字がウチくらいしかないので可能性は高いと思うのですが・・・
いや期待せず調査します
皆さんどうもでした
その土地だと畠山さんは珍しいのか
うちの地方だと、いつもクラスに一人は畠山さんがいたが
まあ何にせよガンガレ
513 :
477:2007/12/28(金) 02:14:53
>>512 はい2件くらいしかありません。
このうち一件はウチと同じように分家した家です
まずはお金から
貯めないと
うちもいたな。
畠山さん。クラスに数人は。
とにかく例の二宮尊徳のお墓があるおまいの菩提寺に聞いてみるんだな。
もし家系が全然関係なくてもガッカリするなよ。
516 :
477:2007/12/28(金) 02:56:11
>>515 はい、そうします
ちなみに二宮尊徳の
娘さんの墓です
皆さん、どうもでした
おやすみなさい
菩提寺より県立図書館の司書に公文書あたってもらったほうが確実
曹洞宗は解同に食い込まれてて
過去帳の閲覧には厳しい寺もあるから気をつけろよ!
数年のスパンで何度も通う覚悟はしといたほうがいい。
>>517 そうだな
それなら金がなくてもできるし
正月休み暇ならそこから当たってみればいい
釣りのテクニック、エピソードを語るスレ
その菩提寺って旧蒼龍寺の事?
私も相馬藩士の子孫だから菩提寺はそこだよ。
旧蒼龍寺って由緒ある特別なお寺だから武家しかないはずだけど。
523 :
477:2007/12/28(金) 20:14:19
>>525は俺の自演です。
醜い自演してすみません。
はぁー、何か情報こないかなぁー。
司書に文献探してもらうってのはやらないわけ?
せっかく助言もらってても意味ないな
アンカーもおかしいし自演はするし、きちがい?
525 :
477:2007/12/28(金) 20:23:36
修正
>>525でなく
>>522です
>>517-520 ありがとうございます
何か最近調べない方が幸せかなって思うようになったりします
伝承が本当かどうか何てどうでもいいや何て思ったり
でも何故か自然とこのスレに来ちゃうのでやっぱり調べます
526 :
477:2007/12/28(金) 20:25:38
特定してほしいとしか思えない。
528 :
477:2007/12/28(金) 21:06:29
>>527 いや、違います
情報を得る事が出来れば
特定されようが
構わないと思っています
529 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 21:35:30
こんなとこで聞いても意味ねーんだよ。
だから県立図書館で全県にあるすべての古文書を調査してくれるから頼めって言ってるだろ。
530 :
477:2007/12/28(金) 21:38:49
>>529 すげー
県立図書館って
そんなすごいトコだったの
ありがとう
県立図書館行くべ
それ聞いてやっと
行くきになった
ありがとうございます
531 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 21:52:19
そして行動しないまま、また自演レスを繰り返すのであった
532 :
477:2007/12/28(金) 21:58:03
>>531 いや、今度は大丈夫(^.^)b
県立図書館で何するのか
わかんなかったけど
県立図書館って
そういうトコなんだね
そうかイガッタイガッタ(ヨカッタヨカッタ)
ありがとうo(^-^)o
文書館ではダメなの?
534 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 22:05:11
でも、それこそ100%間違ない事実を知ることになるよ
それが望まない結果でもね。
535 :
477:2007/12/28(金) 22:08:39
>>534 それ怖いね。でもいいよ
所詮俺なんて最初は
祖父までしか
わからなかったんだから
一緒だよ
477さん
以下の事でよろしいのでしょうか?
1 先祖は二本松畠山氏の支流、相馬家臣の畠山の二本松義秀(畠山政仲)の家系
2 高祖父はその大名である相馬家の世襲財産である土地に賃貸で住んでいた(明治20年頃)
曾祖父は養子で土地購入
3 本名は畠山
4 本家はどこにいるか不明、よって俗名も戒名も不明
5 お墓は二宮尊徳の娘の菩提寺(旧蒼龍寺)
6 本人ガキと言っていることから未成年者
次に探す手順ですが
1 戸籍の調査は完了しているのでしょうか?高祖父が明治20年に賃貸で住んでいたという事実からそこまでは自分の家ですよね?
(本家ではないですよね?)
2 戸籍を遡ったら高祖父のさらに父親か祖父位が判明できないでしょうか? (高祖父が明治20年で賃貸曾祖父が大正14年以降に華族世襲財産解除
において土地を購入した事実に基づいて)
3 具体的にはどこで分家として別れたのか判明してますか?
4 まず戸籍を遡るだけ遡ってそこから本家を探すことからでしょうね、分家がもう一軒あるとありましたがそちらのほうとはどの様な繋がりなのでしょうか?
その別の畠山さんに聞いたら何か分かるのではないでしょうか?
またお寺に行けば本家もまだ檀家かもしfれませんので現在の自宅がどこか判明すると思います。
5 それ以外にも元々本家があった周辺の自宅の聞き込み調査もありますが、子供の場合は誰か大人の方の応援があったほうがスムーズかもしれませんね
538 :
477:2007/12/28(金) 22:29:42
>>536先祖マニアさんへ
>1 先祖は二本松畠山氏の支流、相馬家臣の畠山の二本松義秀(畠山政仲)の家系
はい、ネットで「奥州茶話記」にそうあるらしいので。
自分の家の伝承と一致するので、そう妄想しています。
>2 高祖父はその大名である相馬家の世襲財産である土地に賃貸で住んでいた(明治20年頃)
>曾祖父は養子で土地購入
借りていたかどうかはわかりませんが。
曾祖父の養父から明治20年頃から、今から20年前までその華族世襲財産の宅地に住んでいました。
大正13年に世襲財産法が解除され、大正14年に養継嗣の曾祖父がその宅地を購入しました。
>3 本名は畠山
はい、苗字は畠山と申します。
>4 本家はどこにいるか不明、よって俗名も戒名も不明
はい、本家の菩提寺が旧蒼龍寺にあった事はわかっていました。
(10年前にはありました。自分も親と一緒に墓参りしました。)
でも、今はお墓も本家も行方不明です。
(戸籍までの俗名はわかりました。)
>5 お墓は二宮尊徳の娘の菩提寺(旧蒼龍寺)
はい、そうです。
>6 本人ガキと言っていることから未成年者
いや、正確にはハタチです。
県立図書館よりもまずは菩提寺の過去帳の調査の方が収穫は多いと思います
同時進行でその時代の歴史や文化を勉強するには古文書があればいいですが
古文書の中で自分の先祖の記載を発見できるのが極めて稀なのではないでしょうか?
1伝承は重要です、確かに100%は正しくありませんが逆に100%嘘でもありません
確かに長い間に尾ひれがつくこともありますが、その中には真実もあります
その伝承の中の真実はどれかというのを探すのも先祖探しの醍醐味だと思います
?
4旧蒼龍寺とありますが旧蒼龍寺なので廃寺なのですか?現在もありますか?
旧という字が引っ掛かります
6私も先祖探しに挑戦しはじめたのは18歳の時からです、頑張ってください
一応20歳ならいろんな事が自分の責任において出来るのでいいと思います
飛瀬さんも同世代ですが頑張っていますよ
541 :
477:2007/12/28(金) 22:46:31
>>537先祖マニアさんへ
>1 戸籍の調査は完了しているのでしょうか?高祖父が明治20年に賃貸で住んでいたという事実からそこまでは自分の家ですよね?
> (本家ではないですよね?)
戸籍は全部取りました。はい、自分の家です。
>2 戸籍を遡ったら高祖父のさらに父親か祖父位が判明できないでしょうか? (高祖父が明治20年で賃貸曾祖父が大正14年以降に華族世襲財産解除
> において土地を購入した事実に基づいて)
はい、曾祖父の養父(高祖父)の実父まで判明しております。
>3 具体的にはどこで分家として別れたのか判明してますか?
自分の祖父(曾祖父の次男)からです。
>4 まず戸籍を遡るだけ遡ってそこから本家を探すことからでしょうね、分家がもう一軒あるとありましたがそちらのほうとはどの様な繋がりなのでしょうか?
> その別の畠山さんに聞いたら何か分かるのではないでしょうか?
> またお寺に行けば本家もまだ檀家かもしfれませんので現在の自宅がどこか判明すると思います。
戸籍を調べて、自分の家と同じように分家した家がある事を初めて知りました。
一切親戚付き合いがありません。はい、その分家した家にも出陣するつもりです。
>5 それ以外にも元々本家があった周辺の自宅の聞き込み調査もありますが、子供の場合は誰か大人の方の応援があったほうがスムーズかもしれませんね
はい、でも自分一人でも調べられると思いますので。一人で調べてみる事にします。
542 :
477:2007/12/28(金) 22:52:40
>>539先祖マニアさんへ
県立図書館にも行ってみます。タダなので。
菩提寺と分家した家にも行ってみます。一応貯めてあるので、お金の問題は大丈夫です。(^.^)b
苗字分布はちゃんと電話帳なりで調べたのか?
544 :
477:2007/12/28(金) 23:02:08
>>540先祖マニアさんへ
>4旧蒼龍寺とありますが旧蒼龍寺なので廃寺なのですか?現在もありますか?
> 旧という字が引っ掛かります
お寺自体は移転したようです。(移転先はわかります。)
旧蒼龍寺とは今はお墓しかありませんので「旧」がつくらしいです。
でも大丈夫です。お寺はまだあります(^.^)b
>6私も先祖探しに挑戦しはじめたのは18歳の時からです、頑張ってください
> 一応20歳ならいろんな事が自分の責任において出来るのでいいと思います
> 飛瀬さんも同世代ですが頑張っていますよ
おお、同じ世代だったんですね。
それを聞いたら、菩提寺の問い合わせに躊躇してる自分が恥ずかしく思います。
なんだみんな若いんじゃないかo(^∇^o)(o^∇^)o
20歳で仕事してるわりにはやたら物知らずで世間知らずだな
546 :
477:2007/12/28(金) 23:05:01
547 :
477:2007/12/28(金) 23:06:09
>>541 本家の家の確定ですがそんなに難しくないと思います
祖父が分家したのなら曾祖父の戸籍の中に祖父の兄が長男として記載されています
そしてその子供も記載されていませんか?(戦前の戸籍なら記載されています)
その祖父の兄(477さんの大伯父さん)はおそらく20歳の477さんからすれば現在
まだ生きている可能性もあります
近隣で調査してから本家の家を特定することが肝要かと思います
絶対に発見できます
477さんへ
県立図書館ではレファレンスサービスのカウンターに行きましょう。
そこにいる係に何を調べたいのかをなるべく具体的に伝えると、
どんな資料に当たればいいのか教えてくれると思います。
(ただ、古文書だと、いずれは文書館にも照会した方がよいかなぁと感じます)
ちくま新書「図書館に訊け!」にはレファレンスサービスのことが紹介されています。
(そういう本がありますよ、ということを参考までに申し上げただけですが)
図書館によってはメールでもレファレンスサービスを提供しているところもあります。
(東京都の例:
ttps://www.library.metro.tokyo.jp/16/16b00.html)
>>545 まあ20歳はそんなものですよ、私だって20歳の時は無智でどうしようもなかったです
現在でも同じようなものですけど。
先祖探しは経験がものを言います、度胸とノウハウは実体験でしか身に付かないですから
ちなみに私は今でも臆病ですよ(なかなかお寺に行けない)
551 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 23:10:04
他人の家の古文書調べても意味ないよ
552 :
477:2007/12/28(金) 23:14:09
>>548先祖マニアさんへ
いや、それが自分と親父では40以上齢が離れています。
さらに親父と祖父は40以上齢が離れています。
祖父が生きているとなると今は100歳以上です。
実は本家は数十年前に千葉県の方に引っ越ししたと聞いています。
でも、自分の家と同じように分家した家がちょっとあやしいと思います。
何か知っている可能性があると思います。
行方不明の本家が千葉に引っ越したってレスを随分前に見たことあるがあいつか
554 :
477:2007/12/28(金) 23:20:44
>>549やすべぇさんへ
「レファレンスサービスのカウンター」と「文書館」ですね
「県立図書館はレファレンスサービスのカウンター」
「古文書となると文書館にも照会」ですね(^.^)b
わかりました。どうもです。
何か調べ方がわかってきたような気がします。どうもです。
555 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 23:22:47
県立図書館と文書館で先祖探し?
雲をつかむような話だな
556 :
447:2007/12/28(金) 23:22:57
>>554 ただ、
>>539で先祖マニアさんがおっしゃってるように、
飽くまで背景を知る参考程度という位置づけで臨んでください。
運がいいとピンポイントの史料が見つかって先祖が分かる場合がありますが、
まずは菩提寺の調査が主ですね。
558 :
477:2007/12/28(金) 23:40:35
みんなどうもです
調べて現実知って
「俺涙目wwww」って
なると思いますが
一応調べてみます
やっと、今後の調べ方と
躊躇してるのが無駄
っていうのを知って
よかったです
ありがとうございました
559 :
477:2007/12/28(金) 23:46:26
>>557やすべぇさんへ
そうですね菩提寺が先ですね
菩提寺からはじめます
躊躇しやすい自分ですが
自分もやっぱり菩提寺しか
無いと思います
現実知って
「俺涙目wwwww」って
なると思いますが
それでもいいです
ありがとうございました
さっき自演しましたが
もう自演しません
皆さんすみませんでした
こいつ千葉の本家と思しき家に全部電話するとか言ってたが
千葉中の畠山さんなんて何百軒とかだぞ
やっぱただのバカだな
561 :
477:2007/12/29(土) 01:19:38
>>560 俺そんな事言ったっけ?
でも俺まだ一軒も
電話なんてした時ないよ
9月にレスしてた尹清 ◆GzEuuXdxrYってやつだろ
紛らわしいからコテつけとけ
563 :
尹清:2007/12/29(土) 01:41:37
564 :
尹清:2007/12/29(土) 01:43:27
728 名前:尹清 ◆GzEuuXdxrY [] 投稿日:2007/09/18(火) 22:12:44
べっかんこからだと、本当に、書きずらいですね。
県の文書館には、地元の人別改帳は一つもありませんでした。地元にあるみたいです。
地元の資料は、旧土地台帳くらいでした。なので、市史などを、拝見しました。
先祖らしき名前がありましたけど、はっきりした事がわからないので、完全にスルーしました。
暇だったので、先祖調査ではなく、市史などを勉強しました。
きんめいの大飢饉って悲惨だったんですね。
あまり書きたくないぐらいの、地元の黒歴史を知りました。
あとは、訪問するしかないようです。でも、すごく不安です。
俺みたいなガキんちょでも、相手にしてくれたらいいのですが。
親は、まったく先祖調査に興味が無いので、俺一人でいくしかありません。
訪問すれば、先祖の墓があると思うので。(確実性はありませんが。)
お前、文書館とかで調査済みじゃん
頭おかしいのか?
566 :
尹清:2007/12/29(土) 01:51:14
>>565 福島公文書館と
福島県立図書館は別ですよ
文書館にはもう行ったことを何で言わなかったんだってことだよ
もうお前はあぼーんするからコテはつけといてくれ
568 :
尹清:2007/12/29(土) 02:02:22
>>567 え?意味わかんない
何で?聞かれてないし
言う必要の時無かったし
それに福島には
公文書は公文書館で
県立図書館に行っても
先祖調査に必要って
思ってなかったし
だから図書館には行ってなくて
んでこのスレで
県立図書館の司書に聞けって
言われて
これから行く予定だけど
それが何で?
でも県立図書館も行く
必要あるってこのスレで
わかったから
行くよ後々は
助言してもらって感謝してるよ
さっきからここはお前の落書き場じゃない
チラシの裏に書け。
以上。終わり。
畠山にレス禁止しる
荒れるだけ。
570 :
尹清:2007/12/29(土) 02:16:37
早くも俺涙目wwじゃん
わかった迷惑になるなら
もうレス止める
皆さんさようなら
571 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 02:24:43
尹清と畠山家で過去スレ抽出したらワロタ
572 :
尹清:2007/12/29(土) 02:26:52
俺別に変な事は
書いてないけど?
もういいや
過去スレで他のコテとかにさんざん教えてもらってるのに、また同じこと聞いてるな
574 :
尹清:2007/12/29(土) 02:38:01
だから言ってるじゃん
県立図書館は
公文書館と同じような
ものだと思ってたし
今回で初めて
県立図書館の司書が
探してくれるって
わかったんだよ
てか誰だよ
うちの先祖は戦国時代に某大名家の重臣だったと言い伝えがあったのに菩提寺が真宗だった。
なんかおかしくね?と思ってた。
調べたら、その重臣が挙兵した際に大量の一向一揆軍が援軍に来てた。
そーゆーことかと納得した。
576 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 12:34:24
過去帳に女の名前書いてない。戒名と〜の母、娘、妻と書いてあるだけ。
あと〜氏とも書いてあった。
58 :日本@名無史さん:2007/12/08(土) 23:59:59
>>54-55 くだらねぇな
反論がブラクとか百姓とかしか言えないのか?
足利将軍家の分家の分家の俺様に言ってるんだろうな
どうせ大した武家の子孫でもないくせに勝ち気になったふりすんな
お前みたいな先祖に優劣したがる奴はとっとと出ていけ
醜すぎるんだよ哀れって言うのか?
これに前後してキモいことばっかり言ってるのは尹清くんですね。
住所特定してみようかな。これだけ情報だしてりゃすぐにわかるよ。
578 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 15:32:21
リアルがダメな奴って…先祖探しかw
いいね、救われてwヒマもいっぱいあるもんねwww
579 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 15:38:24
先祖なんて探さなくてもだいだいわかるだろ?
都会で核家族が続くとわからなくなるのか?
>>578 尹清はハタチで働いてるということは高卒確定だろw
高卒とか、大学全入学の時代に社会のクズの消耗品だろ。
Fラン大学卒ですら社会の底辺なのに。
レス読んでればどれぐらいの低脳かわかるだろ…常考
582 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 16:04:08
>>579意外とわからんらしいよ。。。早々に田舎引き払って都会に出てきた人たちとか
知り合いが昔、先祖調査で戸籍を取ったら塗りつぶされた族籍欄にうっすらと士族
とあったそうな。全然親等から聞いたことは無いそうだ。ずいぶん昔の話だけどね
583 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 21:51:02
>>580 いずれにせよ、おまえらはクズってことだなw
尹清が開き直りました
585 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 22:44:21
586 :
飛瀬:2007/12/30(日) 01:22:47
>>尹清氏
私も二十歳です。
本格的に始めたのは18の高校三年の事でした。
高校のうちに大体の除籍を取得し、古い血のつながりを求め手紙を書き、
九州まで旅立ったこともありました。
最近は先祖と同じ名字の方に手紙を送り情報を探しています。
ようはヤル気です。
なお県立図書館ですが、私は先祖と思われる武将の記述があるとされる明治時代の文書から
思い当たる部分を探していただきました。
江戸時代の文書となれば話は少し変わってくるかもしれませんが。
あと、ここで意見を求めることは結構ですし、自分もそうしたことはありますが、
ある程度調査をし自分なりの推論をしてみた上で質問してはどうでしょう?
スキル向上につながります。
そうそう、子供子供といいますが、逆にガキだということを利用してみるといいかもしれません。
長文失礼。
まあ、頑張れや。
お前の先祖が殿様でも農民でもお前自身の価値は変わらんけどな。
588 :
尹清:2007/12/30(日) 03:14:27
皆さんすみませんでした。
同じ事を何回も聞いてすみませんでした。
足利将軍家の分家の分家なんて偽って見張って更に見下してすみませんでした。
飛瀬さんすみません。ありがとうございます。謝罪できる時を作ってくれてありがとうございます。
先祖マニアさん迷惑かけてごめんなさい。やすべぇさんありがとうございました。
>>27>>54>>55さんごめんなさい。あと、クルセーダーさんすみません。
>>577さんすみません。
とにかく皆さんすみませんでした。ヤバイ空気を作ってごめんなさい。
589 :
尹清:2007/12/30(日) 03:27:40
同じ事を何回も聞いてすみませんでした。
匿名だからって足利将軍家の分家なんて偽って見栄張ってキモイ事言って嘘吐いてすみませんでした。
クルセーダーさん旗本なんて全然すごくないなんて言ってごめんなさい。
ちなみに
>>574以来カキコはしてません。でも足利将軍家の分家の分家なんて偽って
見下したからもう取り返しがつきません。
>>27>>54-55さんすみませんでした。
皆さん本当にごめんなさい。
でも感謝は本当にしています。ありがとうございます。
先祖マニアさん、ヤバイ空気を作って本当にごめんなさい。
やすべぇさん助言ありがとうございます。
飛瀬さん、謝罪できる時を与えてくれてありがとうございます。
クルセーダーさん、侮辱してすみませんでした。
とにかく皆さん本当にごめんなさい。
590 :
尹清:2007/12/30(日) 03:38:36
>>587飛瀬さんですか?
はい、ありがとうございます。
先祖調査は続けます。価値なんて俺はいりません。元々祖父までしか知りませんでしたので。
でも祖父の伝承が本当かどうかは知りたいです。だから調査は続けていきたいと思います。
結果がわかるまで2ちゃんは止めます。
皆さんすみませんでした。
591 :
尹清:2007/12/30(日) 03:40:06
皆さんありがとうございました。
592 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 05:14:22
結果がわかってもこなくていいよ
593 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 05:37:50
すさまじい自演
594 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 05:57:34
今後トリップつけてないコテハンは全部偽者と考える事にした。
596 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/12/30(日) 10:05:24
武陽のトリップ
武陽陰士#ANARCHIST2772
俺は本物なw
あぼ〜んが入った
598 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 14:30:18
ここまで 管理人の自作自演でした
中世ヨーロッパの騎士とはやはり下級貴族か豪農階層を指したらしい
600 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 15:06:55
日本とは違うな
まだいるんだね、近世と中世を混同してる釣り師がw
すなわち中世には
武士=武装農民or武装商人
海賊=水軍武士+漁師
武将(侍)=仕官し知行を受けている人間
江戸時代にはいると
武士=城下集住している武装集団
商人=城下や各地の町に住んで商行為を行っている非武装集団
農民=農村で農業を営む専業農家。非武装。
と分けられた。
郷士などは地域によるが以下コピペ
1かつて武家であったものが兵農分離時に在地を離れず、新たな領主から郷士と認められた者。
多くが地侍クラスであるが、中には改易された戦国大名の一族や家臣が仕官せず土着・帰農した者も散見される。
こうした者は在地における実力者であり、新たな領主がその懐柔策として百姓身分ではなく、士分としての郷士に取り立てたことが多い。
2富商、豪農など町人身分であったが、大名家に対しての献金や新田開発の褒美として士分の郷士に取り立てられた者。
3低い身分で、城下で家禄のみによって生計を維持できず、城下郊外又は農村で農業を営むことを許された下級武士。
4特別の所以があるもの(十津川郷士など)。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E5%A3%AB 侍身分が主家の改易や転封で帰農する時は旧知行地が選びやすかったと推測される。
なぜなら、在地の農民層の中で強い影響力を発揮できるから。
だから帰農した武家は、江戸時代は庄屋名主層になり、明治以降は地主になっている。
604 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 16:31:54
ただし、厳密な意味での郷士は、「郷士」「在郷給人」「郷足軽」などの身分名称を持ち、大名権力による家臣団の秩序の中に組入れられている者である。
605 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 16:34:20
農民そのものが勤番にあがれるかよ
606 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 16:38:50
郷士も農民だろ
607 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 16:41:09
開発領主と百姓はちがうんだけどね
郷士は士分なんだから身分上は武士だろう・・・
ただ苗字帯刀と郷士とは違うわな。
帰農し苗字帯刀している武家のことを指す「旧族郷士」は「郷士」というよりも「苗字帯刀した豪農」だろうし。
ちなみに兵農分離時に武士になるか農民になるか悩んだ末、長男に農家の跡を継がせ次男以降を武士にした家も多い。
下級武士の出自なんてそんなもの。
だから系図偽造が流行ったわけですよ。
中世の「農民」と「武士」に身分上の上下がない時代の感覚で農民出自のまま武士になり、
江戸時代が進んで身分制度が確立されるにつれ、武士の下に農民が来るようになると下級武士は出自が悩みになる。
んで系図を偽造してやれ清和源氏だ有名な武家の流れだと始まるわけ。
もちろん中上級武士は出自のはっきりしている家が多いけど。
611 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 17:03:48
電波はいいからテクニック語ってよ!
612 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 17:04:52
自演ばっかりだね
614 :
飛瀬:2007/12/30(日) 17:05:51
>>590 違います。
それにボクもFランではないけど世間的な評価が高い学校行ってるわけではないし(ボクは好きですが)
あんまり高卒高卒って卑屈になっちゃダメですよ。
人それぞれ。
友達に高卒でもそれなりに給料もらって、性格もいいヤツいるよ。
まぁがんばって。
・・・スレ違いだけどなんかコンプレックスに思ってそうなのでカキコしました。
スマソです。
615 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 17:09:26
この馬鹿スレおもしれー
616 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 17:26:27
下級武士より合資の方が家系がはっきりしてるって言うよね
やっぱり下級武士って、家系がはっきりしてない方が多いのかな?
あたりめーだろ。
下級武士になんの由緒があんだよ
率直にいえば由緒がないから下級武士なんだけどねw
619 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 17:46:12
下級武士でもその大名家に仕えたいきさつや戦歴(たとえば大阪夏ノ陣に従軍したとか)が由緒だよ。
下級武士で待遇されるような仕官はちょっと想像しただけでたかがしれてる。
兵農分離の時になんとなく武士になっただとか、足軽として戦に参加してちょっと首を取ったとかその程度。
ようするに身分制度の根幹が家柄と家系なんだからね。
中世の武士と言う言葉と近世の武士という言葉は同音異義語だと思えばよろし
622 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 18:21:28
「兵農分離の時」とか「中世の農民」とか・・・
幻想?
623 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 18:25:40
徒士の末裔涙目wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
624 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 18:29:58
また旗本っすか?
625 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 19:17:59
長谷部家文書によれば戦国こ徒士衆はすでに百姓とは別だね
ちなみに下級武士の身分は身分制度が確立されたはずの江戸時代でさえ「同心株」として売買されちょっと余裕のある農民町民の次男以降の就職先になってる。
いかに下級武士が出自がはっきりしない人間が多かったかわかるね。
それにこういう出自をなんとかするために系図を偽造しまくったせいで、出自がまったくたどれなくなってる。
逆に室町期の侍身分が江戸時代以前に帰農した場合、かえって家柄がわかりやすい場合が多い。
628 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 20:25:13
古代に遡らなくても家柄重視の時代が近代にあったんじゃないのかな?
大東亜戦が激化する以前に近衛兵に志願した家は家柄の遡及調査が
なされたよね?
士分以上でなければ近衛兵にはなれず、近衛騎兵になるには
最低で士族出身だったと記憶している。
地方の名家名族が有終の美を飾った時代になにをしていたかで
家柄が分かることもありますよ。
関東から補充するようになってからの近衛師団は出自に無関係ですから
あしからづ。
うちは明治から戦前までずっと一族全員が若いうちは職業軍人。
90パーセント以上が士官。
長男は父親が死ねば軍隊をやめ、跡を継ぐ。次男以降はずっと軍隊w
まぁ士官だから別にそれもよかったんだろうけど。
ここらじゃ有名な大庄屋だったのに敗戦で軍隊と土地が同時になくなり爆笑状態に。
その後はみんなコネで市役所とかに勤めたけど当然資産家としては没落w
分家の中にはお屋敷を潰して農業をはじめた人もいる。
そのせいかうちのじーさんは怖かったな。
飯の最中に蛾が飛んでたりするとバッと箸で掴んで食ったりしてた。
ちょっと失敗すると軍隊式で喝をいれられたり。
630 :
飛瀬:2007/12/30(日) 20:46:52
>>628 僕の母方の先祖は明治時代に近衛兵でしたが、水のみですよ。
江戸時代は染物の職人。
まぁ、何れも伝承ですが。
染物職人はB職だな
あらら
地域によるから一概にそうとは言えない希ガス。
革とかは完全にそうだけど
633 :
飛瀬:2007/12/30(日) 21:10:34
>>631 以前もしかしたらそうでは?
と思い調べましたが違うようです。
634 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 21:15:19
明治の近衛兵は
献上された近衛兵ではありませんか?
近衛兵の前進ですが。
635 :
飛瀬:2007/12/30(日) 21:24:36
>>634 知識として昭和期の軍のことなら少しは分かりますが、明治期は正直よく知りません。
話では成績優秀だったからなれた?とかききました。
あとは明治天皇に可愛がられたため、祖父は軍に入らなくても良かったとか。
ボクの推測では松山の連隊(先祖は愛媛県民)にいて、そこから選抜されたのでは?と考えています。
明治天皇の話は眉唾でしょうが、叔母が写真を見たことがあるようで近衛兵の話はある程度信用できると考えています。
なんでも騎兵だったらしく、馬に乗ってる写真があったらしい(現在行方不明)
636 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 21:25:11
参考として、近衛兵の選抜方法
心許確実、品行方正にして資産中流以上。
学力は高等小学校卒業以上で、青年学校本科または研究科に4年以上在学し
その課程において修身公民百時間、職業課程を含め二百五十時間
軍事教練課程三百五十時間以上を修得した者、または修得見込みの者で
家族を考慮する必要なく、かつ甲種に合格する見込みの者
が,各市町村兵事課での近衛兵資格要員選定基準の一例。
637 :
飛瀬:2007/12/30(日) 23:51:02
>>636 ありがとうございます。
その条件なら可能性は十分ありそうです。
中流がどの程度なのかが問題ですが。
>>588 別に迷惑とは思っていません
また調査が進んだら報告ください
頑張って調査を進めてくださいね
「想いは通ず」です一生懸命先祖を探す心がきっと通じて思いがけないことから
判明することもあります
というか私もそのような経験がありますし
ここの住人の方もあるのではないでしょうか?
では
宮内庁は家柄調査あるなんて噂あるね
妙な政治団体や思想を持ったのが陛下の身近にいたら危害加えられるだろが
三島由紀夫って非人階級だったってマジなのかね
そういえば会津藩松平容保の側近の450石小森家も真宗門徒
>>579 池袋とか新宿とか渋谷の街角で「あなたは自分の先祖をご存知ですか」と
アンケート調査をしてみるといい。
おそらく9割以上は知らないと思われる。
それがなぜかν速とかだと武士の子孫がうじゃうじゃで
先祖を知らないやつは1%ぐらいしかいないという不思議な現象が
645 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 18:47:30
戒名の最後に『神祇』がついてる意味を教えてください。
寺で聞けよ
ここで何回聞いても知ってるやつはいない
>>644 というか2chでは年収1億以上の自称デイトレーダーとか、自称
勝ち組セレブとやらが90%以上を占めてるわけだから。
2chで自称を信用するほうがどうかしてる。
最近荒れ気味ですね、このスレ。来年は、このスレがスタートした頃のように、真面目に自分自身の先祖を探している方のみ書き込みしてもらいたいものです。来年もよろしくお願いします。
2ちゃんで荒れるなって言う方が無理かと
>それがなぜかν速とかだと武士の子孫がうじゃうじゃで
kwsk
651 :
飛瀬:2007/12/31(月) 23:00:52
みなさん、今年もありがとうございました!
それでは良いお年を!!
明けましておめでとうございます
今年も皆様の先祖が一人でも見つかる事を願います。
先祖マニア
654 :
日本@名無史さん:2008/01/01(火) 01:42:53
夏目漱石の子孫がきましたよ
夏目幸太郎です
655 :
お岩:2008/01/01(火) 11:58:23
↑直系の孫(某漫画家兼エッセイスト)の家への年始はすまされましたか?
656 :
日本@名無史さん:2008/01/01(火) 20:08:23
今朝、菩提寺へ年賀の挨拶かたがた、先祖の墓参りをしました。
「少しでも皆さんの事が判ります様に」と手を合わせきました。
序でに、位牌堂で自分の家の本家に当たるという家の位牌を拝見してきました。
普段は他の家の位牌なんて気にも留めませんでしたが、
清水遊詠信士(貞享)とか、廓林道詠信士(正徳)といった自分の家の過去帳
にも出てくる先祖の戒名があって、改めて同族なんだと認識しました。
ただ、そこから上が判らないのですよ…
一応、幕末に写したと言う系図は在るには在るのですがww、
(上手い具合に?)うちの村や、その他各地に先祖が土着した
処で終わっていてこの間が判りません。(ry
(ちなみに、うちの村以外の同姓の家でも関ヶ原の後、主家の改易に伴い、
うちの村を含め、各村に土着したと伝わっています。)
657 :
日本@名無史さん:2008/01/01(火) 20:47:01
元日にわざわざそんなこと書いていったいどうしたいんだw
>>656 菩提寺に挨拶ご苦労様です
なにか分かればいいですね
659 :
656:2008/01/01(火) 21:18:37
>>657そう言われると一言も在りませんw
元日って、何もすることが無くて、つい、出来心でやってしまいますた。
どうぞお見逃しくださいw
土着した関が原以降しか過去帳がないなら仕方ない
どこの家もそんなものだ
そこまでわかっただけでもいいじゃないか
みんなそうだよ
うちもそんな感じ
そこまで判明しているなら、いいほうだと思います。うちもそんな感じです。四百年も前の先祖のことが、裏付け取れていることは、大変ありがたいことだと思っています。それ以前については、少しずつ、地道に史料収集していくしかないですね。
663 :
656:2008/01/01(火) 23:43:11
皆様に、そう言って頂けるとは有難いかぎりです。
自分も気長に探してみたいと思います。
うちの近くにある有名な大庄屋は帰農した武家だけど、土着した時に菩提寺も宗派も変えてるみたい。
だから土着前の過去帳がない家もおかしくないと思う。
江戸以前に大名に招致されたお寺って、一般的にやはり格式が高いのかね?
なんでも上皇が出家して法皇になった時に開基したお寺だそうだが。
門跡院?
>>665 私の先祖の墓がある寺について言えば、
ある大名が、天正年間に城下町建設のため、
周辺の山麓や野にあった三つの寺を町中に移転させた中の一つですが、
いずれの寺も鎌倉〜室町に創建されたもので、上皇や法皇は関係していません。
この三つ以外の近隣の寺に比べれば、格式が多少高かったくらいでしかなさそうです。
一般的に格式が高いものであるかどうかは大名の力や地域にもよりそうですが、詳しくは不明です。
668 :
665:2008/01/02(水) 14:13:33
>>667 サンクス。
その寺も鎌倉前期らしいけど。
招致した大名は将軍の苗字を名乗ることを許されているから結構力はあったのかもね。
周りの小作人に苗字や家紋までもパクられてる俺がきましたよ
あれはそもそもうちの先祖が帰農する前に討ち取った敵一族から奪い取ったものなのに。
勝手に使いやがって。
670 :
飛瀬:2008/01/02(水) 23:42:45
あけましておめでとうございます。
今年も頑張りましょう。
>>669 その小作人は帰農前のご先祖の家臣とは考えられんかな?
それでその名字を勝手に?自称してるとか・・・。
>>670 おそらく旧知行地(確証無し。戦国期の城下郊外なので)に帰農していると思われるからどうかわからんけど。
近くの村のうちとほぼ同じ時期に帰農した庄屋さんも周りの小作人に苗字家紋パクられてるから地域柄なのかも。
よく考えたら、新年のあいさつを忘れていました。改めて、
あけましておめでとうございます。
>>669 ご先祖が小作人に苗字や家紋を与えたということはないでしょうか。
「パクられた」のは明治維新のときですか?
>ご先祖が小作人に苗字や家紋を与えたということはないでしょうか。
どうだろう。それはわからないな・・・。
ただ村内に分家している一族を除いてもかなりの数いるよ。
この地方では珍しい苗字なので県内で集中しているのはうちの村だけなんだけど。
そのほぼ同時に帰農した庄屋さんの苗字もそうなんだけどね。
まぁ、その庄屋は他国からの土着で、ウチは主家転封で帰農したんだけど。
ま、もともとウチも軍門に下って泣く泣く家臣になったような外様の家臣だったから無理について行こうとも思わなかったのかな。
>「パクられた」のは明治維新のときですか?
いや、たぶん帰農した時かなんかだと思う。
それ以外の苗字もうちの村には結構住んでいるから。
明治維新の時にパクったと考えるとちょいとおかしいかな。
実際のとこどうだかわからんけど。
ありがとうございます。
同じ地域に同じ苗字と家紋の人たちが集中していても、必ずしも同族ではないという例ですね。
今後の調査を進めていく中で念頭に置いておきたいと思います。
676 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 06:45:52
幕藩体制下における農村の知識ナサスギ・・・
677 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 07:08:41
具体的に指摘することさえできない一行カキコ野郎も知識ナサスギだと思うが・・・
そういうカキコもかなりうざいんだが
スルーしろよ
680 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 18:09:16
681 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 18:40:21
同じ奴の自演がまた始まったようだが、先祖を調べられると困るシナチョンだろうな
俺も以降はスルーしよう
682 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 20:20:28
先祖が神官で途中で武士になりました。
683 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 20:30:31
先祖が百姓から武士になりました。
チンポ
685 :
初心者:2008/01/03(木) 21:59:43
真ん中のはカタカナで横書きに「エタ」って見えるな
一部だけ見せられてもなぁ、わかんねぇべ。
「相ニ納学」じゃないかな
690 :
比呂 ◆eOzspnO5p2 :2008/01/04(金) 16:59:44 BE:770146087-2BP(93)
アンカーまちがってね?
別スレ、下部のスレに対するアンカーだな。分かりにくい文章だ。スレ違いだし。太郎が長男だけに許された名前だなんて決まってないよ。よそ様の名前の由来なんて、外部の者に分かるわけないよ。柔軟な思考が求められるな。
太郎なんてどこにでもある名前じゃねーか
一郎っていう名前は長男だけで二郎は次男だけか?違うだろ
694 :
茶屋次郎四郎:2008/01/04(金) 22:08:09
幼稚園でやれ
なんでbeと鳥つけてんだろ
>>685 上から三文字目は、一つの文字じゃなくて、
子丙
ひのえね(右から読む)じゃない?
697 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 23:35:06
>>690 人様の家の事情なんでどうとも言えないが推測してみる。
恐らく君の家は大藩の分家家臣で、熱田太郎は明治出生なので輩行名で戸籍届を出している。
戸籍上で輩行名や初名になることは珍しいことではなく、
それに当時は主に太郎・次郎等は武家で流行っている名前なので、
熱田太郎という名前は近現代的にも相当珍しいものではあるが、画点はいく。
それに太郎・次郎の序列なんかは、例えば宇喜多秀家なんかは次男だが「八郎」であったり全く関係ない。
財閥の社長と知り合いだったんなら、相手が政商だったとして子爵・男爵クラスはあり得るかもな。まああって伯爵だ。
↑吹いたw
690おこちゃまだなぁ
質問です。爺は、庄屋から小さい時に、今の家に養子にきたそうです。DNAは庄屋の血、親父の話は、関ヶ原前後に帰農して苗字を許されて庄屋になったそうです。今現在全く付き合いないけど、武将の血が自分に流れているか調べるのはできますか?唐沢寿明がやってた人です
>>700 血がどうとかはDNAとかを調べるレベルじゃないと無理なんじゃね
日本の家ってのは養子で継ぎまくってるから、始祖とはすでに無関係の血筋になってることが多いし
先祖を調べたいならこのスレのテンプレを実行すればいい
唐沢寿明がやってたって「利家とまつ」と「功名が辻」の前田利家ですか?
残念ながら、前田家は帰農していません。
それどころか前田家は江戸時代には百万石という日本一の大藩の殿様です。
明治維新後には「侯爵」という華族の中でも上から二番目というとんでもない位についています。
残念ながら、あなたのお父さんの話は大妄想与太話といわざるを得ません。
>>700 続き嘘臭いが今の家の先祖は太田資正らしい。母の姉はこれまた江戸時代?に帰農して苗字マ〇ダの裕福な農家に嫁入り、そこの本家は庭を兼六園を滅茶苦茶小さくした作りにしてるらしい。余りにも嘘臭いですが
らしい
らしい
らしい
どっちにしろスレ違い
釣りくさいな。
ウソ臭いと思うなら書くな。どうみてもウソだから。
典型的な勘違いヤローだな
釣りじゃないです。婆さん一族は、有名企業の一族なんで聞いてみました。申し訳ありませんでした。
708 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 00:03:00
釣りじゃないのなら自分で探してみな
709 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 10:46:28
漫才のM1優勝のサンドイッチマンの伊達って伊達の子孫なの?
仙台生まれだし、ガチ?
あんな極道みたいなやつが本当に仙台藩主の子孫ならショックだ。。
710 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 11:24:40
亡くなった祖母に先祖が根来衆だったと生前に
聞いたのですが、調べ方がわかりません。
711 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 11:51:03
根来臭なんて ちょんとからぬ先祖調べてたのしいか?
日本語でおk
>>709 ちがうでしょ
名前拝借した町民
仙台伊達家は悪名高い子孫が別にいるよ
714 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 16:41:59
なんで名前拝領町民ができるわけ?
それから悪名高いてだれ?
拝借というよりも単に仙台で伊達という苗字があこがれの的でパクっただけだろ
悪名高いというか伊達家の現在の子孫はなりふり構わない成金と大差ないような感じの振る舞いが目立つ
716 :
685:2008/01/07(月) 22:09:03
717 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 13:54:42
吉田司家の出自は公家ですか?ぐぐっても詳しくのってない。
718 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 17:41:24
>>713 伊達順之助かと思った
「夕日と拳銃」の
719 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 22:01:05
俺の先祖は東北の小国の王だったそうだ
大和朝廷の東北征伐で敗れ本家は皆殺しにあい分家だけ残ったそうだ
720 :
浅右衛門:2008/01/08(火) 22:20:04
久しぶりに、PCのできる環境に戻って来ました。
今年もよろしくお願いします。
>>685 亀レス申し訳ありませんが、もう一度アップできませんでしょうか?
721 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 23:58:50
>>720 浅右衛門さん
PCがまた使用可能になったのですね。とても心強いです!
>>685 私も再UPを希望します。読めるかどうかは分かりませんが・・・
これ自演?
君等は前世の記憶も覚えてないの?
エビだった時の記憶など覚えていたくも無し
726 :
685:2008/01/09(水) 22:21:56
大丈夫です
浅右衛門さんがなんとかしてくれるでしょう
>>726 ありがとうございます。が、私では歯が立ちません。すいません。
729 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 19:10:45
なかなか、読めないですね、
文意がとれないですが、強いて読むと
「罷成、三度後ニ筆を請、相々酌泉申之与」、「荒所とも」
こんな感じですか?
役立たずで申し訳ありません。
730 :
浅右衛門:2008/01/10(木) 20:41:53
>>726 >>727 >>729 この資料は難しいです。
なぜ難しいのか、その理由は、
A この資料は寛文六年に書かれた原本ではなくて、
最近になって書き写されたものであること
B 原史料から書き写した人が、自分で分らない部分は、文字の形をなぞって、
形だけ書き写している。
以上の理由から、難しいのだと思います。
「罷成 三度 後二筆を請 相々 物成申立(候)事」
「合」
「荒所とも」
二行目の「○山村」の○の部分は村名ではないはずですが、
なんと言う文字かアップできませんか?重要な一文字です。
村の名は「山村」でしょ?
>>726 死生 三度 後に策を請 相々納学申立与
じゃない?
>>730 村の名前だと思うよ
ナントカ村のナントカ兵衛 後(に)ナントカ太夫と云う
じゃない?
732 :
浅右衛門:2008/01/10(木) 22:24:03
>>732 意味は・・・
難しいねぇ
当時の代官に宛てたものみたいだけど、
それにしても、消し杉じゃない?
734 :
浅右衛門:2008/01/10(木) 23:01:26
>>733 「○之助」が所有(作っているのではなく、所有)している
田畠を代官あてに提出したものですね。
○之助 抱分之田畠となってますから。
735 :
729:2008/01/10(木) 23:18:18
>>730-734 なるほど、色々な読み方が出来ますね、勉強になります。
本当に難しいですね。
685さんに、この資料の元になった史料をさがして
いただくしかないですかねぇ
736 :
浅右衛門:2008/01/10(木) 23:31:08
>>735 そうですね。
可能ならそれがベストだと思います。
二行目の最上部「○○処」となっているとおり、
この資料の質は、そのくらいのものであると認識
すべきだと思います。
この部分は「申候処」だと推測はできますが。
737 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 23:55:54
なにこの汚い“写し”は?
いくらなんでも汚すぎるよな
これ写し書いたのはそんな昔じゃないような気がする
古くて汚れて汚いんじゃなくて、字が汚いってことだよ
741 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 08:48:29
メモみたいなものだな
742 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 11:48:16
則○○公育之 浪人与成 この意味分かる人は教えてください。
743 :
726:2008/01/11(金) 20:53:44
どうも、みなさんいろんな意見をありがとうございます。
>>726の資料は、○井家が、
本家、分家@、分家Aに分かれた、いきさつについて書かれたものだそうです。
それを、分家@の人(私の大伯父)が、
昭和30年代に書き写した物です。
>>730 「○山村」は村の名前で、実家の地方に今でもその地名があります。
ややこしくて、すみません。
字が汚いとの指摘がたくさんありますが、
誰に見せても、同じことを言われます(笑)。
↑ そんな情報があるなら、最初に説明しろよ。不親切というか常識はずれだな!人にものを頼む時の、頼み方さえも知らないのかな?
745 :
浅右衛門:2008/01/11(金) 22:14:10
>>742 「すなわち ○○公 はぐくみの
浪人となる」
「育(はぐくみ)」は生活の面倒をみてもらっている、
というほどの意味です。
「浪人」は普通は、禄を失って流浪する元武士。
そうなると、禄はもらってないけど、○○公の家中として
世話になっている浪人ということでしょう。
746 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 22:20:28
747 :
浅右衛門:2008/01/11(金) 22:23:20
>>743 やはりそうですか。
昭和30年代でしたか。
「○山村」ですか。そうなると五行目の中ほど
「六斗七升 并 山村山畠」の并と山の間に脱字
と言うか、写し漏れが一文字あるみたいですね。
748 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 23:25:41
749 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 00:21:22
江戸末期〜明治の医者というのは家柄が良い類に入るんですかね?
藩医とか特別な武士兼医師で分限帳に載っていなければ下級百姓以上、庄屋レベルの上級百姓未満
江戸時代の町医者は苗字帯刀がゆるされたのでその特権欲しさになった町民ばかり。
それも特に審査や試験があるわけではなく自称で十分通用した。
だからそれほどいいとはいえたものではない。今ほど社会的地位は高くはない。
明治になってくると待遇もよくなってきて地主と婚姻したりしているけど、元の血筋は並と思ったほうがよい
751 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 00:38:05
>>749 師について一定の修業はしなければならないので一般の百姓ねような青年期でも労働しなくてよい環境の家
あるいは無理をしてでも子供に学業をさせた家
室町時代の寺と信者の関係を知りたい。
江戸時代なら寺請制度で強制的に強い結び付きになると思うけど室町時代はどうだったのか
江戸時代の菩提寺というのは檀家制度が始まってから適当に選んだのか、
それとも室町以前から檀家制度のようなものが存在していたのか。
いい家柄の家はいいお寺の檀家になっているようだけど、これはどうやって選んだのか。
江戸時代になってから家柄に応じて選んだのか。
特に気になるのは関ヶ原前後で負けて帰農したような武家の場合。
元武家が由緒ある寺に入ったのは理解できそうなものだが、
郷土史で帰農した武家と明記されているような家でも近所の寺に入っていることがあるみたいだ。
それに対し、流浪して土着した武家でも由緒ある寺に入っている家も散見される。
この違いはなんなんだろうか。
素人ばかりのこんなとこで聞いて、まともな答えが返ってくると思うんだろうか
寺で聞けよ
754 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 01:34:34
というより、ここは先祖探しのスレだから、歴史に関する一般的な質問をする場ではない。
先祖が戦に負けて帰農した元武家とかいう事情があるなら話は別だが。
>>754 すまん、まずかったかな。
その理由ではあるんだけど・・
756 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 02:15:15
>>752 その近所の寺の由緒由来はどうなってる?
戦国時代に負けて城を失った領主の寺は、今は普通の村寺みたく見えるところもあるかもね
たぶん調べた限りはそんなことはなさそう、かな。
うちは近所ではなくそこそこの由緒の寺に入ってるクチだけど。
>>749 家の祖母方は某藩の藩医だったけど、藩の家老の家と婚姻している。
家老の娘を嫁にもらったという感じ。
時代的には幕末だからあなたの家と同じくらいの時期です。
藩医ならば武士の中でも中級〜上級レベルなはず。
町医者は普通の町民。
759 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 06:35:49
藩医が中級〜上級なんて始めて聞いたw
ググっても藩医は武士階級に準ずる身分と出るし、確か他のスレでも
殿様の診察をするときだけ士分が与えられる、みたいなレスを見たことがある
小藩なら藩医でも上級になるのかもしれんが
>橋本左内の誕生は天保5年(1834)で、福井藩の下級武士に生まれました。
>本名は綱紀(つなのり)、号は景岳(けいがく)です。武士とはいっても、身分の
>低い外科担当の藩医でした。昔も今も医者は尊い職業ですが、武士中心の時代に
>あっては刀を抜いて戦うことのない裏方なので、低い身分におかれていたのです
医者はB職だよ。不浄の仕事だからね。
ググるか人権問題板で聞いてくるといい。
医者の身分が比較的高くなったのは明治以降の話だ。
藩医も身分的にはそう高くはない。
761 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 08:06:12
藩医ってw
典医とか奥医師とか言ってよ
そうなのか?
図書館にうちの先祖の書いた医学系やら習字のようなものやら書物がたくさん残っているんだが。
家老から嫁もらったのも郷土資料館のお墨付きなんだけどね。
763 :
762:2008/01/12(土) 08:48:43
>>759 それは外科担当だからじゃね?書いてあるじゃん。
>身分の低い外科担当の藩医でした
「外科担当は」身分が低かっただけでしょ。
それ以外はどうなんだろうね?
俺の調べた地域の藩史によるとうち以外にも藩医は中級以上の武士と婚姻してるよ。
隣の藩の話だけど
外科は確かに人を切るわけだからB職扱いされるのもわかる気がするけど。
764 :
762:2008/01/12(土) 08:57:25
ちなみに分限帳には200石と書いてある。
小藩なので100石以上が馬上資格をもつ上級武士。
765 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 09:00:26
藩医はもともと武士ではなく、
地位は御殿に仕える武士たちより格段に低い。
もともと町医者を召抱えたのが藩医で、
町医者=町人、藩医=武士と言うのも違う。
最初は米二十俵などで召抱えられて藩医になる。
ただ、腕が立ち、歴代藩士の覚えがめでたい医者になると
幕末に110石(松前藩医杉村松柏)ほどをもらい
中級武士と同等の給料を受ける者もいたようだ。
家老から嫁をもらう=家老と同等なわけがなかろうに。
766 :
762:2008/01/12(土) 09:07:33
それでも生物学的には子孫なんだよねw
767 :
762:2008/01/12(土) 09:11:08
なにを悔しがっているのかしらないけど、あくまでも祖母側の実家の話。
まぁ祖母側には地元藩の家老の血が流れているっと。
ま、一番大切なのは男系だけどw
768 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 09:19:18
なんだ、俺には女系の女系でわずかに家老の血が入っている、
っていうのを自慢したいだけか。
だったら、藩医の話なんて関係なかったジャン。
お前みたいな馬鹿な子孫が女系の女系のわずかな血で生まれきて、
その家老も災難だな。
769 :
762:2008/01/12(土) 09:21:11
だからね、医師の話がでてたから例として挙げただけでしょw
お前が勝手に自慢ととっているだけ。
大事なのは男系、もちろんわかっていますよ。
770 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 09:24:11
766と769のレスが矛盾している件
まあ、女系まで挙げていたら、
百姓の子でも天皇や将軍になれたからな。
きりがない。
771 :
762:2008/01/12(土) 09:29:35
あまりにも女系女系とうるさいので、男系をおしえてあげるよ。
直系の男系は「〜〜〜衆」とか「〜〜〜将」みたいな異名がついている武将。
県立図書館に確認済み、歴史的事実と照らし合わせても間違いない。
本来はその異名まで教えてやりたいくらいだが有名すぎて身元がバレるので書かん。
幕末から明治以降の婚姻は身分とかもう滅茶苦茶だよ
武家の娘でも芸者になってた頃だから、時代的に身分での婚姻とかはあんま意味ないよ
773 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 09:37:47
>771
衆がついてようが将がついていようが、
藩医程度の家ならたいしたことはない。
もともとは町人程度の家の出だよ。
武士の子が医者にはならない。
774 :
762:2008/01/12(土) 09:41:24
>>773 必死だなw
だから藩医は祖母側。うちと婚姻したのは大正時代。
わかったかな?w
775 :
762:2008/01/12(土) 09:44:35
まだ難しいか。
祖母側(藩医)と祖父側(異名取りの武将)とが婚姻を結んだのが大正時代。
これでわかるか
776 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 09:48:46
>774
もう、君の話はいいよ。
つまり、君の中には家老の血など
ほとんど含まれて居ないことは分かったから。
異名かいたってばれるわけないじゃん。
どうせ傍系の傍系なんだし。
777 :
762:2008/01/12(土) 09:53:37
あーあ、これのことか。
他スレで話題になってた嫉妬でケチつけるバカって。
たしかに家老は女系の女系だが、異名取りの武将は直系であり男系。
これは歴史的事実にさらに県立図書館に確認済みだから間違いない。
異名書いたらほとんどわかるね。
ちょっと調べれば県はおろか市、住所まで特定できる。
778 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 09:58:13
>>777 鳥つけて男系直系の証拠でもうpしてくれ
そういうなりきりちゃんが多くてさ
779 :
762:2008/01/12(土) 10:02:01
なりきりって?w
県立図書館がウソをつくのか。
確かに県立図書館に残っている資料が間違っていりゃそういうことになるだろうね。
証拠なんていわれてもねぇ。歴史的事実。としかいいようがない。
あとは住所、墓、菩提寺の由緒。
室町時代のこのあたりにあったお寺の城主の名前。
一切合財が証拠。
780 :
762:2008/01/12(土) 10:02:38
失礼、お寺ではなく城の城主。
781 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 10:04:22
普通、高名な武将の直系男子の家なら先祖にまつわる家宝の一つや二つは家にあるんだけどね
何にもないのは嘘や仮冒とみなされても仕方ないね
782 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 10:08:56
そういう家ならわざわざ県立図書館なんかで調べなくても
証拠の品が家の中にゴロゴロ転がってるよw
783 :
762:2008/01/12(土) 10:10:10
だからね、どんなに君が悔しくても、県立図書館にはかなわないよ。
このあたりは空襲で焼け野原なので藩主の墓すら戦後建立の新品。
そのような状態でなにか残っているわけがない。
ま、モノが残っていようが残っていまいが歴史的事実は曲がらない。
>>783 県立図書館で何がわかったの?
調べないとわからなかったの?
785 :
762:2008/01/12(土) 10:14:24
わかっていたものを、さらに確実なものにするため県立図書館に裏付けを取ったのだよ。
個人的に100パーセントの保障がないと気が済まない性格なんでね。
そうしたら、間違いない事実でした、と。
ま、これが間違っていたらどこの郷土史もデタラメだなw
786 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 10:14:25
ようするにうpできる証拠の品のひとつすらないってことか┐(´〜`)┌
苗字と家紋が同じだから、図書館にあるのと先祖のは同じって思ってる奴って多いんだよな
787 :
762:2008/01/12(土) 10:15:56
バカだねw
住所、菩提寺の由緒、墓、すべてが証拠。
うちしかありえないのだよ。くやしいか?
焼け野原になって何もかも焼けて証拠も焼けたけど、県立図書館にあるものは
なぜか焼けなかったんだよなw
789 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 10:17:28
>>787 じゃあその根拠の一つの江戸初期ごろの墓をうpしてくれ
790 :
762:2008/01/12(土) 10:18:49
墓は城下町なので現在地からは遠すぎる。
今度のお盆にでも撮ってきてやるよw
うPしろと言うと消滅する法則の出番みたいだな。ひとつの証拠さえも、うPできない輩の言い分なんて信用できないよ。
792 :
762:2008/01/12(土) 10:21:29
別に、ネット上で信用してもらわなくても結構ww
現実では県立図書館のお墨付きの子孫なんでねw
農村に墓のある百姓と違って、城下町の寺なもんでバカみたいに遠いんだよ。
小作人の子孫にはわからないかもしれんけどね。
793 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 10:25:07
藩士録と過去帳や宗門人別帳とか照らし合わせたとか、由緒書きがあるとか
証拠の品が裏書つきで残ってるとか、普通ならそのあたりを根拠にするんだけどねえ
なんか説得力のカケラもない根拠を並べられても誰も信じないと思うよ
子供のままの考え方だな。あわれな奴だ。
>>792 なんで直系子孫が城下町から離れたとこに住んでるわけ?
あんまり墓参りのたやすいところから動かないものだけどね
796 :
762:2008/01/12(土) 10:29:55
それは、君が顔の見えない掲示板で相手にしているから。
屋敷、墓、菩提寺、直に見れば否定できないからねw
菩提寺の由緒くらいならちょっとくらい書いてやるが、
なんせ藩主の墓よりも数百年前の古刹で有名なもんでそれだけでバレそうでいやなんだがね。
ま、戦国期の武将の菩提寺が江戸時代最初期に入ってきた藩主が作った寺よりも400年以上古いのは当然なんだが。
797 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 10:33:12
>>796 屋敷は残ってるのに証拠の品だけ焼けたのかw
また随分器用に空襲したもんだなwww
証拠の一つでも、うPしてからだなぁ。話にならない。言うだけなら誰でも、なんとでも言えるからな。
799 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 10:35:26
そろそろ、法則が出るぜ。
消滅か?
800 :
762:2008/01/12(土) 10:36:08
面倒な奴だなw
住所、ってさっきから書いているだろw
住所=屋敷という意味だ。前レスから見てりゃわかる。
言葉のアヤでの揚げ足取りだけはうまいようだね。
ところで君の先祖はなんなんだろうね?
ここまで必死なところを見ると下級武士あたりで中途半端なプライドを持っているか、Bとかか。
801 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 10:38:20
名古屋人ですね、あなた
802 :
762:2008/01/12(土) 10:38:35
ここは評判通りだよw
嫉妬で文句をつけたがる奴ばかりで話にならないと他スレで評判。
県立図書館に勝てるわけがない。
仮に間違っていたとして、ならば他に子孫がいるということになる。
それもうちの近所に。
そんな家は存在しないわけだ。
となると家しかないんですよw
803 :
762:2008/01/12(土) 10:39:37
>>801 そうだよwといったらどうなるんだろうねw
まったく違うけどなw
804 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 10:40:17
↑ 逃げにかかってる。うP→消滅する法則。
だからなんで男系直系が城下町から離れたところに住んでるの?
うちしかないうちしかないって、君が知らないだけで城下町には本物子孫がいるかもよw
806 :
762:2008/01/12(土) 10:43:11
だから、なんで身元バレることを承知でうpしなきゃいけんのかね。
しかもどこの誰かわからん嫉妬くんに。
別に信用してくれんくても結構だよ。
そうやって、自尊心を保っていればいいと思うが。
「県立図書館の古文書と司書はアテにならない」と証明でもされれば、また話は別なんだがね。
807 :
762:2008/01/12(土) 10:44:04
>>805 維新後の士族がどうなったか、もう少し調べてみるといいと思う。
>>806 あれれ?
空襲で焼けて残ってないんじゃなかったっけ?
いつのまにかバレが怖いことになってるよw
>>806 だからね、県立図書館の資料と君の家を結びつける証拠や資料が弱すぎるわけよ。
810 :
762:2008/01/12(土) 10:53:08
あんな、すべての城下町が県庁所在地か?違うだろ。
県立図書館があるのは県庁所在地。
城下町はまったく別の場所。
昭和に藩の文書がいまだに城に残っているとでも思っているのか?
すべて県立図書館行き。
さっきから言ってたと思うがねぇ。
異名を言えばバレるし、菩提寺も有名だからバレるといやだ、と。
811 :
762:2008/01/12(土) 10:55:18
>>809 しつこいやつだな。
菩提寺の寺名、家紋、○○代目という年代的な一致、あげたらキリがない
812 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 10:55:45
じゃあ過去帳でいいや
江戸初期ごろの過去帳の中身うp。直系男子の家なら普通家にあるよ
まずいとこは紙で隠せばいい
813 :
762:2008/01/12(土) 10:57:48
過去帳って寺のものだろww
家にあるなんて聞いたことないぞw
814 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 10:59:08
↑ あるわけないよ。
嘘で塗り固めた主張だからな。
哀れみさえ感じるよ。
815 :
762:2008/01/12(土) 10:59:52
まだくるかw
それで結構www
このスレは日本史を歪曲するから笑えるww
816 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:01:03
身元バレというが、織田さんや嵯峨さんなんて、それは堂々としてたもんだ
まさにあっぱれという感じだった
証拠のひとつもうpれないようなのが、こんなとこで何をほざいても誰一人信じない
817 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:01:42
818 :
762:2008/01/12(土) 11:03:05
だから、信じなくてもいいよw
勝手にそちらがイチャモンをつけて根掘り歯堀り嫉妬まぎれに騒ぎ立てているだけだからねw
そうしないと下級武士程度のプライドは保てないのか?
哀れな奴だ。
百姓には威張り、上の家柄には卑屈になる。
まさに下級武士の血筋を受け継いでいるな。
>>813 あんたさ・・・もう語るに落ちてるよ・・・
旧家の直系男子の家なら仏事が多いから、過去帳は家にもあるんだよ
そんなことも知らないってことは過去帳すら見たことないような家の奴だろ・・・
相手して損したわ。なんか脱力した
820 :
762:2008/01/12(土) 11:07:16
もういいやwどうしてもウソにしたいようだね。
もう一度郷土史研究会と県立図書館に確認してきてやるよw
ま、どうせ間違いはないんだが。
821 :
762:2008/01/12(土) 11:09:14
つーか分家を出していない武家の家って仏事が多くなるのか。
きいたことねーな。
地元の士族会にも聞いてみるよ。
仏事すらしたことない家なんだね・・・脱力したわ
過去帳の件で勝負ありだな。家に無いなんて信じられない。仏壇も無いのかな。
824 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:12:48
藩医なんて書く辺りでどの程度の奴かわかるだろがw
825 :
762:2008/01/12(土) 11:13:00
いや、人並みにやっているが。
百姓みたいに仏事は多くないよ分家を出していない士族は。
直系直系と書いているけど、分家を出していないんだから当然直系だろう。
>>825 ところで江戸時代は何やってた家?
藩士なら藩士録に名前残ってるけどね。
まあ過去帳も見たことないんだから照らし合わせも何もないわな
827 :
762:2008/01/12(土) 11:17:43
寺の過去帳ならもちろん見たことあるんだがねぇー。
分限帳に載っていたよ。そこに書いてあった奴をメモして、寺で過去帳を見たから。
828 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:18:04
>>825 10000歩譲って過去帳知らなくても位牌はもちろんあるよな
江戸初期の位牌うp
まさか位牌すら家にない直系男子の家があるわけないしね
829 :
762:2008/01/12(土) 11:19:28
残念、うちは真宗w
830 :
762:2008/01/12(土) 11:21:05
ひとつ聞くけど、旧家の本家は家に過去帳があって、分家ならないことが多いのかな?
831 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:21:18
>>829 じゃあ法名軸でいいや
しかし士分で真宗とは珍しいね
>>830 分家でもあるよ
ちゃんと仏事をやってればね
833 :
762:2008/01/12(土) 11:22:54
珍しいかな?まぁ一向衆から援軍をもらってる武将だからね。
法名軸ってどこにしまってあるの?見てくる。
834 :
762:2008/01/12(土) 11:24:56
パっとみ、外見から見えるのは最近しんだジーサマとのこり2代さかのぼった分だけだな。
中にしまってあるのか
>>833 お母さんにでも聞きなよw
普通は仏壇のとこだ
836 :
762:2008/01/12(土) 11:27:15
ちとまってくり
いま家族がでてるもんで。
仏壇がバカでかいから片っ端から分解しないと
837 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:27:36
それで
>>762は江戸期は何をやってた身分の家なんだよw
>>836 仏壇の横にかかってるのが法名軸だよ
別に仏壇を分解しなくてもいい
名前に#つけて好きな文字列入れて、それを書いた紙を法名軸に写しこんでうpしてみそ
839 :
762:2008/01/12(土) 11:31:03
俺か?
一応上級武士みたいだね。
家禄をみればそんな感じだ。
840 :
762:2008/01/12(土) 11:33:10
>>838 みてきたけど、仏壇の中には明治以降っぽい奴が5枚かかっている。
5枚横並びでスペース的にかなりキツいのでたぶんどっかにしまってあるんだと思うが・・
ちょっと探してみる。
たぶん仏壇の中に入っているんだと思う
841 :
762:2008/01/12(土) 11:34:41
明治以降のは参考にはならんかな?
○○院釈なんちゃらなんちゃらって書いてある
>>841 江戸初期じゃないと意味はないよ
江戸後期からお金で買えたからね
843 :
762:2008/01/12(土) 11:37:38
そうなのか。
ちょっとまってくれ。
いま仏壇分解しはじめた。
844 :
762:2008/01/12(土) 11:38:32
阿弥陀如来邪魔だ!
845 :
762:2008/01/12(土) 11:40:10
写真がでてきたけどこりゃ意味ないか
846 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:40:37
なんか愉快な奴だなw
847 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:41:35
てすと
848 :
762:2008/01/12(土) 11:42:46
阿弥陀如来は悪いこととは思いつつもどけた。
置き場所に困っていま座布団に乗っけたけど大丈夫かな
大丈夫大丈夫w
つかもう院号のあたりであやしいぞw
850 :
762:2008/01/12(土) 11:45:20
え?
マジで?
なぜ?
851 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:47:45
実況はいいから早くうpしろよw
852 :
762:2008/01/12(土) 11:48:20
これか?
安政・・・
ボツ
853 :
762:2008/01/12(土) 11:49:01
>>851 お前ww簡単に言うなwww
阿弥陀如来だけでも高さ50センチ以上あるんだぞwww
854 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:49:28
途中で割り込むけど、何で院号があやしいの?
上級武家だからだよw
856 :
762:2008/01/12(土) 11:53:21
>>885 よくわからんけど、真宗は上級武士でも釈○○だけだよ。
基本的に院号は付かないらしい。
857 :
762:2008/01/12(土) 11:54:56
どれだ。
なんか江戸時代のお経の本みたいのでてきた
858 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:56:56
>>856 そんなことないよ。ちゃんと調べてみ
つか、仏壇破壊して50センチの阿弥陀と格闘してるはずなのに、なんで悠長にレスしてんだよw
859 :
762:2008/01/12(土) 11:58:33
>>858 阿弥陀如来様はいま座布団に座ってる。
なんか金箔ハゲててこええ。
いま、蓮如と親鸞の掛け軸を撤去した
このスレもこの半年で
>>762みたいなキチガイ増えすぎ
10スレ目くらいまでは有益なスレだったが
862 :
762:2008/01/12(土) 12:08:13
>>860 はかったけど50センチあるよ。小物の余計分いれれば60くらいあるかな
さすがにこれで御寺の本尊はないだろう。
ねぇなあ。どこだろう。
仏壇の引き出しに鍵かかってるとこあるんだけどここか?
堀部安兵衛の父親。越後新発田藩主溝口家の親戚筋で300石上士。
法名、釈休誓。
865 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 12:17:38
まだか?降参なら降参でいいよ
スレ消費するだけ無駄だ
866 :
762:2008/01/12(土) 12:22:21
鍵があかんからとりあえず降参といわざるをえないw
鍵が見つかったら開けてみる。
まあいいや。記念に50センチの仏像でもうpしていけよ
サイズがわかるように煙草の箱カなんか横に置いてさ
868 :
762:2008/01/12(土) 12:25:39
ええーマジで?
さすがにこええな。
おいおい、それすらできないのかよ・・・
870 :
762:2008/01/12(土) 12:31:04
すまん。偽物ということでいいから、さすがに怖い。
幽霊とかムリな人間なので。
871 :
762:2008/01/12(土) 12:32:00
つーか仏像って普通こんなもんじゃないのか。
寺なんてこの2倍か3倍あるじゃん。
浄土真宗に霊は存在しないんだが
まあ何もかも嘘ってことだってことがよくわかったよ
はい、お開きお開き
873 :
762:2008/01/12(土) 12:34:40
wwwww
ウソではないんだけど、まぁうpしない以上そういわれても仕方ないわなw
874 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 12:35:43
だいたい先祖探しで一番のポイントとなる過去帳も位牌(法名軸)も
スルーしてるってことがありえんわな
875 :
762:2008/01/12(土) 12:37:54
法名軸は見てないが、過去帳とは一致してるんで問題ないんだけどねw
876 :
762:2008/01/12(土) 12:38:43
参考までに聞くけど、あなたの先祖は?
さてなんでしょうねw
Bでもチョンでも百姓でもないことは確かだよ
878 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 12:42:14
>>762 掲示板を無駄に使うなよ。
もったいないな。
見てておもしろかったけどね。
879 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 12:43:22
仏事もしてないようなのに寺が過去帳見せるかよw
ばかじゃねーの
880 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 12:43:39
おれは浄土真宗。城主で落城した後の子孫
881 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 12:47:33
クルセーダーの自演オチ
882 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 12:52:47
∧_∧ ┌────────────
◯( ´∀` )◯ < 僕の先祖は、神山満月ちゃん!
\ / └────────────
_/ __ \_
(_/ \_)
lll
883 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 13:15:03
233 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2007/12/16(日) 06:26:08
>>230 うちの城下町、空襲であらかた焼き尽くされてるんだよね。
大名の墓すら、戦後に新しく建てたピカピカの奴だし。
うちは江戸時代は武士じゃないけど、藩士の家でも過去帳がある家のほうが稀らしいw
だから運悪く(?)城下町の檀家だったせいで、過去帳が焼失してる。
今度本家にもいってみようと思うけど、同じ寺だからおそらくないだろう・・・。
江戸初期の分家だけど、いまだに関わりがあるから先祖調査の面では有利かな?
まぁ、分家はうちしかないわけだけど。
これお前だろ
>>762 分家にこだわるわけだw
なにが直系男子だ。嘘八百じゃねーか
うちは江戸時代は武士じゃないけど、
うちは江戸時代は武士じゃないけど、
うちは江戸時代は武士じゃないけど、
>>762の先祖は上級武士じゃなかったっけ?w
885 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 13:42:50
ここすごいな、すごい勢いでレス伸びてる。
けど、内容は薄いな。
菩提寺が城下町にあるってことに、なぜかこだわってる人がいるようだけど
江戸以前からそこの土地にいる旧家なら、わざわざ菩提寺を江戸期に作ったような
城下町の新しい寺なんかに移すかねえ
どっちかというと、江戸時代にその土地にやってきた新興の家って感じだけどな
887 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 14:04:38
真宗ってほとんど農民だよ。
888 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 14:06:47
一向宗が強い地域だと藩士でも真宗だけどね
一向宗が強い地域でも藩主の菩提寺は
だいたい他宗
藩主や側近は別の地域からきているしね
一向宗の藩士というのは地元土豪出身の
召抱えということだろうか
いや、762の家が上流武士なのに
浄土真宗なのはどうかと思ってw
890 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 14:38:25
下間家も武士としては上級な方だよな
本願寺は別格
公家から嫁を迎えているし
本願寺に仕える官仕だったというのならば
浄土真宗だったとしてもおかしくない
ただ762の先祖は本願寺に仕えていたわけではない
武将だと言っている
これは、父の祖母方の話みたいだが、代々須坂藩領内で郷士をしており、須坂藩藩主の堀が先祖の墓参りする時の
休息所を提供していたらしい。
893 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 14:53:34
郷士は農家
真宗は北陸や近畿、東海地方が歴史的に見ても強いね
意外と旗本に多いらしい
下間頼廉も坊主であり武将だしね
渡辺守綱は真宗門徒で子孫は尾張藩の家老だな
分家は和泉国の大名になってる
893 兼業農家だろ。豊かな暮らしぶりだった。郷士がいいねぇ。
森蘭丸の母の妙向尼は熱心な一向宗信徒だったそうだ
皮肉だなw
899 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 16:54:16
森蘭丸の母と お前の先祖は 関係ない
900 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 21:00:44
図書館にあった先祖の名前は同姓同名なだけでお前の先祖のことじゃない。
お前の自家にある家系図は同姓同名なだけでお前の先祖の家系図じゃない。
901 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 13:34:52
過去帳帳をみると天正から寛文までは戒名が院殿〜(大)居士だけど、元禄以降は釈〜になってる。
墓は釈〜からしかない。菩提寺と宗派が変わったようだけど、こんなことあるんですかね
江戸の時代には家系図が売り買いされていた
はっきりとした事実があるのに、
誰が誰の子孫で先祖が誰だなんて
あまりにも下らなさ過ぎ。
妄想を楽しむのはOKですけど
お前ら、江原に「貴方の前世は武将デス」とか言われたら大喜びなんだろうなpgr
まあ、家系図は信用ならないが、墓石が辿れるのであればよいだろう。
>901
「釈」は戒名ではなく法名。浄土真宗。
天正期の過去帳で院殿は・・・、ちょっと大丈夫かな。
仮に本当だとして、戦国時代に敗れた武将で、武士やってけなくなって
帰農したというパターンか。
905 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 14:43:58
>>904 戦国期に敗れて帰農・・・士分は保障されていたので農民になったわけじゃないが、たぶんその部類だろうな。
それと院殿があるとまずいの?金で〜というクチかな?殿はあったりなかったりするが
906 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 15:25:56
>>902 (偽)系図なんて今でも作られてる。買うもなにも勝手に作ってるんだよ。
みんなバカだから(史料批判なんてできねえだろおまえらw)
紙に書いてあることを鵜呑みするのさ。
それと先祖伝来の刀剣甲冑も伝来嘘が多いなw
しかしみんなつまんないことに時間費やしてるぜw
学問板なのに先祖探しばかり。くだらねえやw
そうかい?
結構面白いぞ。
908 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 17:30:14
確かに学問板より生活板とかのが相応しい気がする
909 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 18:08:26
910 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 19:00:22
あいつがやってんだから俺もやってもいい
まるで子供の理論だなw
911 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 19:08:28
>>910 悪い事してるわけじゃないんだから理論じゃないんだよw
912 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 21:29:26
友達も持ってるんだから俺も買ってくれ
ってやつか
913 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 21:39:37
すみませんが、先祖探しの話をしませんか?
この正月は特に進展はありませんでした。
914 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 22:30:57
ここで伺うのはスレ違いとは存じますが、
蔵から古い裃が出てきました。
かなり汚れたり傷んでいるので、少しでもキレイにしたいのですが、
どの様に保存すれば良いのでしょうか?
裃 保存 でググレ。
917 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 21:59:18
918 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 22:37:17
919 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 23:00:43
私の先祖は、地元の神社で権少宮司という役職でしたが、神社の役職ではどの程度のランクなのでしょうか?
また、江戸時代での身分制度では士農工商でいうと宮司はどういった扱いになったのでしょうか。
申し訳ありませんが、教えてください。
920 :
917 ◆ZzRlSS0ql6 :2008/01/15(火) 23:09:09
921 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 23:53:13
922 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 23:59:06
>>919 士ではないし、農工商でもないしなぁ・・・
エタかな?非人でもないし。多分、エタだよ。
923 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 00:06:22
>>919 神官だから士農工商とは別じゃないかな。どの神社の権少宮司かにもよると思う。
個人的には、神に仕える者として士農工商より位は上だと思う。
924 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 00:11:08
925 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 00:11:53
天皇つぎが神職です。
士族より上
公家は武士より上座に座るのが一般の習わしです。
926 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 00:16:50
自作自演
927 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 00:21:02
>>919うちの地元では名主家が交代でやってたな・・・
928 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 00:21:26
929 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 00:31:18
天皇・朝廷・公家・諸大名・外大名・家老・
930 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 00:32:16
阿蘇神社の阿蘇家や出雲大社の千家家、日前宮の紀家など、成り上がりでないことが確かな
家系はほぼ神官だけだからね。もちろん源平藤橘は世間一般では名門かもしれないけど
931 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 00:32:49
阿蘇大宮司などは成り上がりどころか完全な斜陽族だろ
933 :
917 ◆ZzRlSS0ql6 :2008/01/16(水) 00:45:05
折角うpしたので反応して頂きたいですね。
>>917の内容はどのようなものですかね?
934 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 00:52:50
935 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 00:56:58
936 :
917 ◆ZzRlSS0ql6 :2008/01/16(水) 01:07:59
>>935 917の書文は私の8代前の祖先が起草したらしく、とても偉い人だったようで、
源氏の末裔だと祖父と父が嘯いていたのでこの文章には何が書いてあるのか気になってうpしました。
938 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 01:10:23
939 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 01:41:44
>>936 ここのスレの常連は、小学生以下の馬鹿ばかりだから古文書なんて
読めやしないよ。
聞くだけ無駄。
もっと知的レベルの高い人に解読を頼んだら?
940 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 01:51:15
これ最近の書だね
941 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 01:51:55
古文書じゃないし
942 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 01:54:41
結局誰一人読めないんだなw
943 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 01:56:17
単なるくずしだからおれは読めるよ
944 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 01:58:11
それより井戸端会議しようぜ
945 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 02:05:31
読めないもんだから話題そらしに必死w
946 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 02:11:25
昭和50年代の写しだなw
947 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 02:12:01
早く読めよw
948 :
日本@名無史さん:
非人って書いてあるね・・・