1 :
日本@名無史さん:
おかしなことがいっぱいだよ
2 :
日本@名無史さん:2007/12/04(火) 17:41:01
時代劇に出てくる家はなんでみんな真っ黒なんだよ
なんでもかんでも黒くなるな
ほとんどの家はそんなに古くないから黒くないよ
3 :
日本@名無史さん:2007/12/04(火) 17:43:16
着物の着方がおかしいだろ
江戸時代の絵とか見てみろ
すそは引きずってるし、腹をぱんぱんにして帯を締めるのは
大正時代からだぞ
4 :
日本@名無史さん:2007/12/04(火) 18:15:37
>2
いや、新築の家でも黒く塗ってたんだよ。
武家屋敷とか見にいったことない?
明らかに上から黒い塗料を塗っている。
5 :
日本@名無史さん:2007/12/04(火) 19:43:37
それは今塗ったんでしょ
そのほうが武家屋敷らしいから
6 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 12:58:09
居酒屋とかのテーブルと椅子も、いい加減止めて欲しいな。
時代劇あんまり見ないけど、たまに見ると庶民なのに食べてるものも着てるものも高級品ばかりだ
8 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 14:26:53
昔の居酒屋は
板の間に座卓で
座るのかな
9 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 15:07:21
NHKの時代劇だと、テロップに、時代考証担当者の名前が明示されているが、
民放では、余り見た記憶がない。
民放の時代劇って、そもそも時代考証なんてしてないんじゃないの。
>>9 でもその国営放送の方もおかしい時あるぞ
大河とかな
11 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 21:38:21
というより
大河が時代考証をおかしくした元凶だよ
昔の映画の時代考証はいいよ
戦前の映画なんか明治生まれの人がやってるから
江戸時代に近いから。
時代劇は歴史物って言うより和風ファンタジーって捉えるべきだね。
最初からそう言う目でおおらかに見るか、
逆に突っ込みを楽しむのが吉。
まともに取り合うと馬鹿を見る。
13 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 01:51:23
黒澤もましだな
大河と水戸黄門がひどすぎ
もともと水戸黄門に考証なんて求めてないし。
15 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 04:24:05
大河といえばGackt謙信がブーツ履いててぶっ飛んだ。
あんな履き物じゃ和鐙なんてまともに踏めないし操れないって…。
舘信長も同じだけどさ、まともな考証よりゲームファンに
媚び売る路線はさすがに如何と思うよ。
16 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 07:15:40
水戸黄門に考証は求めてないけど、時代の雰囲気は大切にして欲しい。
武家屋敷に表札があるとか、高位な役人が御供も連れずに一人で歩いてるとか・・・・
筋書きはあのままで良いから、ちょっとしたことを改善して欲しいな。
> 大河といえばGackt謙信がブーツ履いててぶっ飛んだ。
そりゃぶっ飛ぶわw
ただ、ゲームファンに媚びるというのは違くないか?
実際どういう狙いか知らんがNHKがそんな事考えるかね?
18 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 13:38:48
>>16
それはよく思うな
上級武士がお供を連れずに歩いてるとか
昔の偉い人はみなお供を連れてるよ
あと家がきれいにできすぎだ
昔のふつうの家はもっとぼろ屋だよ
柱なんかも今みたいにきれいなま四角ではない
19 :
園芸研究家:2007/12/06(木) 14:53:12
まず、歩き方から違うよね
それと、その時代の日本にはありえない園芸植物が映っていたりする。
鬼平のエンディングで登場する「キショウブ」→明治時代に渡来したもの
更に緻密な時代考証を行なう事で有名な山田洋次監督の映画。(たそがれか、隠し剣)
残念ながら明治以降にアメリカから帰化したはずの「モンシロチョウ」がのどかにとんでました。
まんこ
21 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 15:58:57
時代劇作ってるやつは
昔の映画みて勉強しろ
22 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 18:38:07
>>3 浮世絵は誇張して描いてるから、鵜呑みは禁物だ。
>>19 歩き方は手足を同じ方出して歩くやつな
知識があっても違和感を感じる視聴者の方が多いからやらんだろ
動植物もそれくらいなら俺は許容範囲かな
風習の方が目立つし気になるわ
妻が旦那を送り出す時に石を打つやつとか
あれも明治以降でしょ
「左様」も戦国時代にはまず存在しない言葉だし
24 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 20:42:03
最近の「暴れん坊将軍」は、むしろブッ飛んでいていい。
彗星が八王子に落下したり(笑)
ドン・キホーテを思わせる総合ディスカウントショップが江戸に誕生したり(笑)
25 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 20:55:50
>>19 水戸黄門の立ち回りにススキ野の間に
セイタカアワダチソウが映ったのを見た事ある。
26 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 21:00:21
西村氏の黄門様で
「神のみぞ知るワハハ〜!」と、
キリスト教の一文を言って終わった巻があったな
27 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 21:20:38
既婚女性は、みんな、お歯黒をしていたはず。
お歯黒をした女優を見たことないぞ!
簡単にメイクできるだろうに。
28 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 21:26:38
>>15 戦国期はいざしらず
平安期の公家官人・武士はブーツを穿いておるぞw
29 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 23:05:41
>>24 >>26 この辺は洒落っ気があって、何か好きだ。
なんとなく「江戸」の気配がする。
30 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 23:11:08
「八兵衛ファイトファイト」とか
肛門が「チャンスですな」とか言うぐらいで全然OK
31 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 23:55:39
韓国の歴史ドラマで乳出しチマチョゴリ見たいなw
32 :
日本@名無史さん:2007/12/07(金) 01:29:21
>>2>>5 虫除けに黒く塗ってるんだよ
>>11 昔の時代劇映画は普通に英語使ってたりするけどねw
岡田真澄がまだ20代のころとか
>>24 車が走ってたこともあったよw
>>23 ナンバ歩きしながら台詞や所作をするのは
かなーり難しいことだぞ、実際。
一度やってみそ。
>>24 あの隕石話は暴れん坊将軍の中でも名作だよね。
>>27 そういうことは画面上の美醜にも関係するし、
見る方がなれなくて奇異に感じるだろ。
黒澤の映画で見たことないのか? 画面で動くと強烈だぞ。
また、指摘がお歯黒程度のヤツはしょせん素人w
玄人は帯の前結びや座り方を指摘するんだよ。
34 :
日本@名無史さん:2007/12/07(金) 16:06:38
>>32 黒いのは囲炉裏のすす
古くなると黒くなるけど
古い家のほうが少ないから普通は白い
時代劇で黒いのは、今のこっいてる江戸時代の旧家が黒いのを見て
江戸時代の家は黒いと間違って思って黒くしてる。
旧家は何百年もたってるから黒い。
35 :
日本@名無史さん:2007/12/07(金) 16:07:56
>>23
絵が間違いて書いてるだけでしょ
そんな歩き方するわけない
36 :
34:2007/12/07(金) 16:09:26
ワスのうちは江戸時代に立てられた旧家なので間違いないよ。
37 :
日本@名無史さん:2007/12/07(金) 18:24:09
>>28 それはそうだが、ガクトが履いてたのは、完全に西洋靴だったからな。カカトも高いし。
38 :
日本@名無史さん:2007/12/07(金) 22:29:30
ことばが時代とともに変わってくるのはまあ当然としても
少なくとも、幕末よりも昔に
「はい」という返事を一般の日本人がしてたとは考えられないんだけど
「はい」は、広東語の返事「係(ハイ と読む)」を導入して作った言葉だそうだよ
39 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 00:54:41
江戸時代や中世の口語は正確にはわからないんでしょう。
40 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 09:22:03
将軍は必ず「余」って言うし、奉行所のお白州は外だし、なんとかしろ!!
>>40 > 奉行所のお白州は外だし、なんとかしろ!!
本当だわ
あと役人も実際はあんなにいないでしょ
でもいきなり変えても視聴者からクレーム来るんだろうね
俺は、少なくともTBSは見応えある時代劇は作れないと諦めてる
42 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 10:43:57
>>24 > 最近の「暴れん坊将軍」は、むしろブッ飛んでいていい。
> 彗星が八王子に落下したり(笑)
これは1999年放映だったと思うよ。(一応ノストラダムスとか世紀末ネタなのかな?)
44 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 14:13:35
そういや「夜」ってのは
どれくらいの時間まで油で灯をたいて起きていたもんだろう
45 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 23:37:42
灯油は高かったからなるべく早く寝たんでしょ。
時代劇だとろうそく使ってるけど、庶民や普通の武士はろうそくは使わなかった。
46 :
日本@名無史さん:2007/12/10(月) 23:00:06
甘いお菓子ってのはどういう感じ?
赤福が昔は塩味だったのがだんだん砂糖使うようになったって言ってたけど
しゃばけの長崎屋の隣の菓子屋みたいな感じでぽんぽん甘い菓子作って売ってたの?
47 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 01:08:09
>>39 正確な当時の言葉で台詞言ったら、視聴者が着いていけないよ。
字幕スーパか吹き替えが必要になる。
48 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 05:03:39
>>45 当時灯油はないよ。菜種油とかだよ。
ちなみに戦国時代だけど、小田原北条家で定められていた
城内掟みたいなものが資料として残っているんだけど
それによると夜8時に消灯することとなってるよ。
>>46 当時の甘味料として餅米を煮詰めた米糖や餅米や米から作る飴や蜜。
甘味としては他に干し柿などの乾燥果物や桃や柿、
あけびやあんずなど天然果物が甘味だったらしい。
素朴な甘さだったんじゃないかな。
砂糖や金平糖もあったけどかなり高級品だから庶民の口には
なかなか入らなかったと思う。
少し遡って戦国時代も金平糖などはあった。
信長は金平糖が大好物で虫歯に悩んでいたとかいないとか…。
49 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 06:28:38
江戸時代などを対象にした時代劇を見ると、
町人やら武士など、綺麗な着物を着て小奇麗な格好をしているが、
あれ全部嘘っぱち。
実際の江戸時代は、物凄く汚い着物を着ていて、洗剤も石鹸もなかったので、
どす黒く汚れてて、体臭も凄まじいものがあった。髪などは臭くてたまらなかった。
5メートル先からでも、強烈な臭いをかもし出していた。顔も赤などでどす黒かった。
そして上流階級の大名や姫なども例外ではなく、着物はどす黒く常に汚れていた。
爪にはうんこが入り込み、いつも茶色くなっていた。
部屋の障子などもビリビリニ破れていて、畳は体液などで汚れていて、
今では考えられないほど汚かった。
畳にはうんこや尿などがへばりついていた。
農村地帯では乱交が普通に行われていた。
夫婦のみでSEXするのは稀で、多人数とのSEXをやっていた。
現代でも、援助交際が受け入れられ、日本のAVが過激なのも、全てその名残である。
これは全部本当の話である。
50 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 07:15:46
そう言えば、時代劇 = チャンバラ になったのはいつ頃からだろう?
あれが1番違和感がある。
51 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 07:58:15
>>50 それは考証の問題ではなく、
単にストーリーが闘いを要求しているから。
しかし刀って重いんだからあんな感じでは振り回せんだろ、
ちゃんと古流剣術の人に指導してもらえば?
と思うことは確かにある。
52 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 09:42:13
53 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 16:25:40
大河で宮の字がちょっと違っていた。口と口の間の線がなかったんだが、あの当時は普通だったの?
それとも、中国人が書いたとか?
異体字じゃないのかな(よく知らんが)
今でも書道をする人は使ってそうだ。
別に昔だったからどうという問題じゃない
55 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 19:05:26
江戸時代にはシラミがいただろうな
江戸時代じゃないが平安時代、帝や中宮のすぐ側に仕えていた
清少納言の「枕草子」にはノミやシラミの話が出てくる
この時代、女性は長い髪を櫛でとかすと櫛箱で受けて
そこに集められたシラミを最後にひねりつぶしていたらしい
宮中内でのありふれた出来事として書かれてあるので
当然、天皇や妃、貴族もノミ、シラミもちだったのだろう
祖母の話によると戦前までは一般庶民の間では
普通にノミ、シラミがいたらしい
57 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 20:08:35
>>54 なるほど、異字体か。サンクス。
書道なんか、小学校以来やってないから、全くわからんよw
>>55 今でもいるじゃん。
58 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 20:30:14
赤福
>当初は、砂糖が貴重品であったために塩味の餡であった。
>1727年、江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗が
>砂糖の原料となるサトウキビの栽培を奨励し、
>砂糖の生産高が増えたことから、
>赤福も次第に黒砂糖餡を使うようになった
じゃあこの記述は割と妥当なところですか
59 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 14:12:20
ものすごいリアルな時代劇
まず、お歯黒で着物はぼろでつぎはぎ、顔はあかでどす黒く
みたいなのつくったらだめかな?
60 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 18:47:38
あんましリアルじゃないな。
その昔リアリズムを追求して?吉原の建物を「汚く」した、某有名監督の映画があったらしいけど。
後、布団だな。
布団自体がほとんど普及してないし。
62 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 20:13:58
薦畳(こもたたみ)って 知ってます?
東北の百姓は藁布団
お歯黒で着物はぼろでつぎはぎ、顔はあかでどす黒く
そして 町は何時も綺麗に掃除されていて チリ一つ落ちていない。
異様な世界だな
63 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 20:35:47
友達にドラえもんでもいるのか?
64 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 20:51:31
実家の土蔵には 薦畳が轢いてあります。
鉄漿 おはぐろ に 色気を 感じます でも
義経も 鉄漿をしていた 公家の男衆は 鉄漿
65 :
日本@名無史さん:2007/12/15(土) 02:23:38
そりゃ織田信長だってオハグロしてたんだし
66 :
日本@名無史さん:2007/12/15(土) 12:49:30
羅生門の京マチコみたいなの
67 :
日本@名無史さん:2007/12/15(土) 14:27:47
歯が黒いと顔が白く見えるのかもしれない
68 :
日本@名無史さん:2007/12/15(土) 16:21:42
>>51 古刀は軽いよ
江戸時代にだんだん重くなっていった
69 :
唐松山:2007/12/15(土) 18:33:36
元禄以降の刀は お飾り
重くしてどうする。
70 :
日本@名無史さん:2007/12/15(土) 18:48:33
>>68 それは当時流行した片手打の刀に限定の話だな
71 :
唐松山:2007/12/16(日) 16:58:52
あま酒
甘酒は江戸時代には夏の飲み物でした。
ですので、俳句の季語で「甘酒」は夏の季語になっています
73 :
唐松山:2007/12/17(月) 20:14:05
先日 お袋が 永眠した。
墓石を見ていて 気が付いたが
新しい 墓石の戒名は 古い物より 文字数が多い
戒名のインフレは 何時頃?
75 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 15:11:30
明治はまだ少ないよ
廃仏毀釈で寺の地位が地に落ちて、
収入も減って、
金で戒名を売るようになったんじゃろ
77 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 20:22:05
加藤剛の「大岡越前」第1話で忠相が伊勢山田から供も連れず一人で徒歩で江戸に戻ってるんだが
従五位下能登守にも叙せられている高級旗本としてありえるのか?
そりゃあまあ有り得ないだろうけど、
所詮前の中納言が数人のお供で諸国漫遊するのと同じテレビ局の作品だから。
79 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 21:46:02
>>68 古刀が軽いのは経年の研ぎ減りで薄くなってるからだ
>>77 ありえない
旗本で一人旅なんて諜報活動時のお庭番(両番格・小十人格)くらいじゃない?
それも布衣ならまだしも出世して諸大夫になったらそんなことしないと思うし。
代官とか遠国奉行とかって
どの程度が在地の世襲役人で
どの程度が連れてった家臣なの
連れて行く家臣はごく少数、と言って世襲の現地役人は通常の代官の場合ほとんど居ない。
代官自体が世襲の場合はまた別だけど。
但し手代とかは代官が変わると原則は首だが、そのまま再雇用されることが多い。
また長崎奉行とかは特殊事情で地役人が多い。
83 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 22:19:11
副将軍(俗称)の権威に一言も無く平伏す、元禄期に対し、
「上様とてかまわぬ!」と直臣にすら反抗される、享保期
幕藩体制の動揺が現れているものだと感心したことがあります。
「俺の名前は印籠がわり」って長七郎君が言うから
いや印籠ってすごいアイテムなんだな
それにも増して名パスする長七郎ってすげーんだな
と思った小学生のころ
85 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 22:46:51
明暦の大火後、保科肥前守の反対にもかかわらず江戸城天守閣が復活して幕末までバンバン登場するのは驚きました
姫路城似の美しいお城だよな
>>77 でも、そんなの何を今さらだと思う。
ひとかどの幕臣なら、禄高に応じた中間を
何人か従えて登城するのが決まりだが、
娯楽活劇、お約束時代劇の世界にそれを求めるなんて
もとから無理な話だな。
幕臣ならば、特に許可が無ければ外泊も出来無かったのだから、あれやこれやの
時代劇はほぼ、全滅w
>>8 誰も答えてないから自分でググった。
居酒屋は土間に床几(茶店で軒先にあるようなヤツ)が置いてあるらしい。
で茶店と同じく床几の上に盆を直接のせて飲むみたいだ。ただし横座りでなく向き合って(軒先で将棋指すとき見たく)。
板の間(畳の間)の方は座卓は使わず、やはり直接盆を置いて飲んでる見たい。
膳くらい使ったらいいと思うんだが・・・
折敷
じゃあ、逆に堅苦しいまでにリアルな時代劇はないかなと
木枯らし紋次郎
磔のシーンに出てくる槍もった人とか、火炙りのシーンで薪を積み上げたりしてる
下っ端役人っぽい人たちって非人?
「部落」って言葉ですら放送自粛してるのに、堂々と被差別民は映してるんだねぇ。
>>93 それも飯屋とかはテーブルだったじゃん。まあセットがそーなってるからな・・・
96 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 13:38:16
アメリカ人の作ったラストサムライのほうが、水戸黄門よりまだリアルな件について
>>94 フツーに仕事してるトコ映すのは別にいいじゃん。
>>94 過去の事だからイインダヨ
>>96 まああれだ、肛門はテレビの前の爺婆が見てるから、殺されないようなもんで、
現実に有ったら、隠密同様、あっさりと始末されて海の藻屑w
99 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 19:34:29
>>96 日本でも映画とテレビでは開きがあるじゃないか。
100 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 19:43:18
水戸黄門
こんなことしたら江戸時代とはいえ、日本中の評判になるのに
毎回毎回なんで水戸黄門とわからないんだという件について
そりゃあ、あれだ テレビが無いから だろ
テレビはなくても悪人同士の口コミネットワークが有ると思うが。
隣の藩に黄門出現とか、真の悪徳家老なら把握しているはず。
と言うわけで黄門に退治されるのは、仲間に入れない小物か、
情報収集能力に欠けた馬鹿だけ。
真の巨悪は相も変わらずのうのうと暮らしているのであった。
それはね、黄門が一番のワル大名だから
現に、水戸藩から逃散する百姓は江戸末まで絶えなかった。
唯一の愛国報道機関、真実のみを報道するフジテレビのあんみつ姫が名作の予感
で、このスレ的にはどこが名作なんだ?
某国営放送の「忍たま乱太郎」は考証無視がウリでもあるが、逆に妙なところにこだわってたりする。
忍者がちゃんと腰に刀を差してる←背中に差したら忍び込んだとき引っかかる
生徒の制服の忍装束は麻←当時木綿は輸入品で高級品
ピンクの忍装束やポテトチップ出てくるくせに何でこーゆートコ・・・
それをいったら『クレヨンしんちゃん アッパレ!戦国大合戦』とか・・・
107 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 07:07:27
水戸黄門でいえば、まずは光國の装束がアウト
他領での越権行為多すぎ
角さん助さんの二人が学者のくせに無教養すぎ
あと弥七のシブさがありえない
飛猿のダンディズムも到底ありえない
108 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 07:20:04
たまには黄門が藤井紋大夫を御手討ちにする場面とか出せよな
109 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 08:31:28
対立する組織の情報を弥七にリークしたり、
もっというとでっち上げで善人を陥れたりする悪党も居そう。
それともこんなだったりして、
黄門が眠った後
「助さん、前に悪党を退治してから何日たったかな」
「うむ、四日目のはずだが」
「そうすると、そろそろご隠居の悪い虫が騒ぎ出すころですね」
「まったくだな八兵衛。しかし週に一度は悪人退治をしないとならないとは因果な性分だ」
「まあそのとおりだが愚痴を言っても仕方がないだろう。
そうすると○山藩あたりで騒動を起こす必要があるな」
「そうだな、おい弥七、弥七はおるか」
「ここに控えておりやすぜ」
「別にこういうときまで天井裏に控えている必要はないと思うんだが、
まあそれはそれとして、いつも通り○山藩に手紙を届けてくれ」
「承知しやした」
○山藩にて
「次席家老凹川将監、悪家老役を申しつける」
「はは、この将監命に替えましてもつとめを全う致します」
「うむ、首尾良く行けば加増の上、お前の息子に娘を与えるぞ」
「ははー、ありがたき幸せ」
「と言うわけで、上からのお達しで役を決めねばならんのだが」
「悪徳商人役は丹波屋さんがいいと思うんだが」
「そうだな見るからに悪人面だし」
「皆の衆そりゃ酷いぞ」
「まあまあ丹波屋さん、悪人役は本当に藩の御用商人になれるんだから我慢してくれ」
「それなら仕方がないが・・・」
「苛められる方の善人役は上総屋さんだな。あの善人面と腹黒さで演技もばっちりだ」
「おいおい、酷い言いぐさだな。まあ皆のためだから引き受けるが」
「じゃあじゃあ、悪人に回される町娘、あたしがやりたいです」
「あっずるい、あたしがやりたい」
「あたしも」
「全く最近の娘どもは、恥じらいがなくていかんな」
刑法の時効っていつぐらいから実際はあるものなの?
138 :名無し募集中。。。 :2007/12/31(月) 08:53:44.45 0
時代劇の大岡越前で時効を創設したことになってたな
昔正当防衛で人を殺した男が今は善人となって家族までいる
救う道を思案した越前が15年の時効を発案した
113 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 10:34:18
>>104 >真実のみを報道するフジテレビ
あれ? 納豆は?w
>>109 ちょ、ちょ、ちょ、なんでですの?
114 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 13:30:14
映画「あかねの空」は、中々リアルだと思った。
115 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 15:35:15
今日放送のテレ東「お江戸!人情茶屋」って、面白そう?
116 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 17:56:19
装束や武器くらいはリアル路線でやってほしいな
117 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 18:10:58
真剣で立ち回りと言うのは、ちと怖いなぁ〜
でも、短刀は、ドスじゃ品が無いので
ちゃんとした平造りにして欲しいな〜
118 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 18:39:47
座頭市でやったね。
勝新の息子がリアルに斬殺したし。
119 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 18:44:15
>>19 >残念ながら明治以降にアメリカから帰化したはずの「モンシロチョウ」がのどかにとんでました。
応挙や岸岱が描いていますからね、問題ありません。
確か、帰化が絵画で確認できる最古の例は17世紀のものです。
植物の渡来時期から考えて、古代まで遡ってもよいのでは。
>>39 江戸時代ならまだ分かりますし、中世でも文明以降なら例が豊富です。
抄物やキリシタン文学や狂言台本で大体分かる。
「外面如菩薩、内面如夜叉」という言葉が出てきた「葵徳川三代」は脚本家
が考証好きで有名ですが、「大山鳴動して鼠一匹」はわざとでしょうか。
以前、家光の時代の町に信楽焼の狸が出ていました(成立は幕末)。
神仏判然令以前なのに、神主がいて社僧がいない神社。
文化年間の武蔵の神社で、神主が中心になって(除助手)祭祀を執行してい
た所は、全体の4%程度でしたが。後は社僧か村民による経営。
>除助手
社僧や山伏の手伝いは除くという意味
123 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 19:41:37
>>117 平造でも鎬造でも菖蒲造でもドスはドスだよ
匕首 合口 九寸九分とかいろいろ言い方はあるけど
124 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 19:42:54
125 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 20:00:41
時代劇の武器でやだなって思うのは戦国合戦シーンで太刀しか持ってないとか
捕り物してる町同心が二本差しだったり、江戸城内で老中とか諸役人の脇差が
殿中差じゃなかったり、渡世人や町人が白鞘の短刀で戦ってたり
細かいこと言うと去年の大河では板垣信方の脇差が明治期の海外
輸出用の拵えだった。
今年の大河の予告も見たけど、薩摩の武士がたばさむ大小も薩摩拵
の刀ではないようだし・・・
126 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 20:36:51
>>118>>124 まぁ、ああいうのはしょうがないよ。
志村喬は『七人の侍』のとき、脚に槍が刺さったまま、カットにすることなく撮影を続けたからね。
127 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 23:14:21
脚に槍が刺さったままって・・・
カットしてやれよ!!!
128 :
お岩:2008/01/03(木) 23:28:50
『柳生一族の陰謀』は考証はひどかった。
江戸時代前期なのに、完成された女形が出てくる(出雲のお国も登場するのも何だかちぐはぐ)。
徳川義直が年取り過ぎてる。
江戸城内に妙な道場が出てくる。いったいどこなんだろうか?
おじゃる丸みたいな凄腕の公家剣客(成田ミッキー!)
は良かったけど。
「夢でござる。おのおのがた、これは夢でござる。夢でござる」
129 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 23:38:43
烏丸中将ね
130 :
お岩:2008/01/03(木) 23:49:02
131 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 00:10:08
成田三樹夫はたしかにすごいよ
どうでも良いことかもしれんが、民放の時代劇でアイドルが唄う軽薄な主題歌というヤツはいただけないよ。
NHKの大河ドラマの勇壮な主題曲のほうがずっといいね。
主題歌イラネ
でも真田太平記くらいのOPテーマなら歓迎
134 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 03:08:33
大岡越前に出てくる小石川養生所医師榊原伊織先生のヘアスタイルも気になる
松方の遠山の金さんは裃がおかしいと思う
忠臣蔵関係でいつも疑問に感じるのは仏門に入った後の搖泉院の髪型
135 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 03:22:54
>>129 烏丸少将が正しい。実在した烏丸光廣(1579〜1638)がモデルらしいが、
わけがわからない。烏丸光廣は、京都の烏丸通の由来になった烏丸家の
当主で、一時は宮中の事件に連座して罷免されたが、許されて正二位権大納言
にまでなっている。優れた歌人で、徳川家光の歌道指南役をした人物。
NHKスペシャルでスレ住人が納得する「リアルな人々の日常」を再現して欲しい…
137 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 03:48:40
真剣でやってほしいって気持ち分かるわ
見てると斬り合いのシーンで、刃がプラスチック?製なのか振り回すたびにビュンビュン曲がるんだもんな
>>125 >時代劇の武器でやだなって思うのは戦国合戦シーンで太刀しか持ってないとか
あーそれはあるな。今で言えば、兵隊さんがピストルしか持ってない様なモンだからな。
んで、ヨロイの上から一太刀浴びせただけで倒しちゃったりする。なんの為のヨロイなんだか・・・
140 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 08:56:32
成田三樹夫が由井正雪を演じてた時代劇も時代考証おかしかったナ
なんていうタイトルか忘れたが
141 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 09:34:50
>>139 >んで、ヨロイの上から一太刀浴びせただけで倒しちゃったりする。なんの為のヨロイなんだか
そこをリアルにすると、戦闘シィンだけで時間がかかり、間延びするという罠。
もともと金のかかる合戦シーンなんだからちょっとは時間もかけて丁寧に作ってほしいよね
鎧武者を一刀のもとに斬り伏せるのではなくてせめて突くなり何度も野太刀で頭部を叩いたりしてほしい。
武器は刀の鯉口を切ったり刀がアップになる時くらいは本身を使って欲しい
ま、本身もいいけど
どうせ、史実に忠実な戦闘シーンの再現なんてムリなんだし
それより、日常シーンの着物の仕立てとか、眉をおとして、鉄漿とかね
羅生門の京マチ子みたいなのはもう出ないんだろうな
146 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 18:48:26
147 :
144:2008/01/04(金) 18:52:11
いやいや、もうそこまでやる時代劇は作らないんだろうなと言う意味です
149 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 19:17:23
「美人である」とか「かわいらしい」っていうロマンシズムが大事なのであって
服装や化粧やしもぶくれとかいうリアリティが大事なのではないのだよ
150 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 19:21:57
可愛けりゃリアリティなんてどうでもw
151 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 19:47:51
和服美人がいないというのは正直どうでもいいが、茶髪キモいということであれば心から同意する。
あくまでも時代劇であって歴史再現ドラマじゃないんだから時代考証なんていらない。
153 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 19:59:09
タイタスみたいな感じでいいな
バイクや自動車やゲーセンが出てきたりする
黄門の印籠の代わりが携帯とかそう言う感じ?
155 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 20:37:42
元禄以前のモノは全般着物の柄が派手すぎる。
156 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 21:13:40
水戸光圀ご一行はしょっちゅう宿場町を通過しているが、
宿場のはずれに居住して役を果たしているはずの穢多や長吏が出てきたことは一度もないな。
水戸黄門なんてドラクエと同レベルなんだから時代考証を求めるのは
無理難題と言うもの。
158 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 22:36:59
>>125 弓矢を持ってないということ?
鉄砲以前の合戦では、弓矢による死が多くを占めるけど、
ドラマでは切り合ってる。
長物全般の影の薄さ・・・
集団での戦闘シーンでは矢だとか長槍だとか、事故が怖くて使えんのでしょ
荒木又衛門では長モノが重要なアイテムだからそれなりに考証されて出てくる。
だな
163 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 00:32:42
>>156 徳川光圀は諸国漫遊などしていないのだから、時代考証も糞もあるかよ。
164 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 01:20:32
そういうとフィクションと時代考証はまた別な話だよ
165 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 05:56:27
当時、女性は町中でもトップレスはごく普通なのに時代劇では全く出てこない。
これは由々しき問題だ。
166 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 09:09:49
>>165 そんなことしたら、画面中にモザイクがw
167 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 09:30:41
当時のおっぱいはもっと垂れ貧乳だから
今の女優がやってもリアリティないよ
ちょんまげ、10センチも前にでてるまげは江戸後期のもの。
169 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 14:24:41
πを映す事は出来そうも無いから、背中で何とかするとか、工夫の余地はあるはず。
170 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 14:35:17
体格とか体系をいいだしたら
そもそも身長160センチ以上の人間が普通に歩いていていい時代なのかとか
171 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 16:01:31
舞台や大道芸人に対しての拍手の習慣は、明治期になってから。
それまでは、せいぜい誰かが音頭を取って、一本締めていど
おおむこうから声がかかる ってのは?ガセ?
173 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 16:17:58
どんなに考証をきちっとやった作品を作ろうとしても、お歯黒、剃眉だけは
採用できないだろうね。
174 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 16:46:27
今年の大河篤姫で篤姫の養父近衛忠熙役の
春風亭小朝はお歯黒、剃眉(正確には眉を脱色)で出る
175 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 17:03:20
公家のそういうのならまだしも、女性のやつだよ
176 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 17:33:08
映画「豪姫」の宮沢りえ(豪姫役)
大河「義経」の中越典子(建礼門院役)
映画「茶々」の余貴美子(ねね役)
などは眉脱色で天上眉を描いていた。
お歯黒はしてなかったと思うが
177 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 17:33:25
>>173 リアルにしたら、視聴率が取れないという罠
178 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 17:37:23
「美人である」とか「かわいらしい」っていうロマンシズムが大事なのであって
服装や化粧やしもぶくれとかいうリアリティが大事なのではないのだよ
昔オレがガキの頃の大河ドラマで、足軽が略奪暴行を働くシーンでオッパイポロリがあったぞ。
家族で飯食いながら見ていたから、重い空気が流れた。
大河なら、竹中直人のチンコポロリもあったな。
秀吉がチンコポロリをしたという歴史事実は不明だが。
>>181 秀吉失禁シーンなら最近あったな。しかも2度も。
183 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 17:10:33
184 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 18:07:15
>>180 滝田の家康だな、それ。
NHKで乳出しシーンなんて、俺にとってははじめてだったんでビックリした。
ある意味、紅白のOZMA見たときと同じインパクトがあった。
185 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 18:10:43
「篤姫」のオープニング
ウィーン世紀末クリムト絵画のパクリ
186 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 18:15:42
篤姫のオープニング
ヴィーン世紀末クリムト絵画のパクリ
187 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 18:37:59
>>180の徳川家康
ポロリっていうより敵領内の農家に押し入った足軽達が女たちのナマ乳わし掴みだった気がする
そういえば厠に設置してあるとかいう縄も見たことないな。
火打ち石で行灯に直接火を付けること出来るの?
>>189 それはムリ
火打石に火打金を打ちつけ、出た火花をもぐさ等で受け火種として
付木に着火、おもむろに灯芯に火をつける。
モリソン号が来たときって篤姫まだ満二歳じゃねーの?
192 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 21:09:55
草刈の阿部もハンサムすぎておかしいな
193 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 21:11:27
薩摩拵の差料じゃないし
篤姫、武家女性なのに足袋はいていたのう
斉彬の娘の写真が残っているが着物は振袖でも裸足じゃったぞ
分家の娘が足袋はなかろうて
195 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 21:25:02
桜島の角度がおかしい!!!!
>>188 木のへらもありましたね。地方では近代まで使われていました。
197 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 21:40:57
198 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 21:59:23
「篤姫」時代考証、大石学・原口泉
薩摩人がなぜ日本語話してるんだ?
薩摩人は朝鮮語だろ。
>>199 半島からの書き込みお疲れさまです
ついでに受信料払ってね
201 :
お岩:2008/01/07(月) 01:27:15
ごはん食べながら、いいかげんに鑑賞してたんだけど、
気になったのは心性というか気風というかな。
今風だよね。薩摩の気風、
武士階級特有(例外あり)の男性優位もないし。江戸の町娘みたいで
笑った。
長塚もマイホームパパ。
ただ平幹二郎の調所はいいな。欲をいえば凄みが欲しかったが。
ああそうそう宮崎あおいの子供時代の二人の子役は、
宮崎に酷似してたよね。よく見つけてきたよね。
以上、勝手な感想でした。内容スレ違いだったら勘弁!
>>160 アルミのペラペラじゃ感じが出ないというので刃引きの真剣を使って事故死した人もいるくらいだからね。 (ー人ー)なむー
仮にも一万石の姫が、男装して町に繰り出しちゃうお粗末さ。
NHKがここまで適当になってきたので、
もう民放の娯楽時代劇では何でもアリでOKです。
>>196 用足しに用いた木のヘラ、
佐倉市の国立民博での「長岡京展」で
発掘された本物を見ましたよ!
>>51 重いには重いし、グリップ部分が短くて手と手の間隔が狭くなるので、よほどスナップが効いていないと
いけないから、練習していないと重く感じるけど、個人的に素振り用の木刀を無闇に振り回していた
頃には竹刀よりは重い程度の感じで難なく振れたから、軽い竹刀と同じような調子で振り回すだけなら、
特別に才能がある人でなくても、本式に長年にわたって毎日修練すれば不可能ではないはず。
ただし、あくまで振り回すだけの話。
205 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 08:42:45
真剣でも、刃は要らないんじゃない?
そう言うのは真剣と呼ばないのかもしれないけど
刃引きでも真剣だからオッケーでしょ
207 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 11:12:42
NHKといえば木曜時代劇で鞍馬天狗がスタートするらしいが
時代考証的に難易度が低い幕末物だけど期待できそう?
208 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 12:25:05
鞍馬天狗なんて水戸肛門と同レベルのフィクションなんだから考証もクソも無いだろ
209 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 15:12:12
だから、ストーリーと考証をごちゃ雑ぜにするなと、小一時間。
いやだからね、時代劇に時代考証を求めること自体が間違いなの。
それはそれはスペースオペラに科学的整合性を要求するのと同じ。
時代劇なんてものは一見日本の過去に似ている世界を舞台にしたファンタジー。
歴史再現ドラマとかセミドキュメンタリーじゃないんだから。
現代じゃないっていう雰囲気さえ出てれば時代考証なんて無用、
むしろドラマ構成上邪魔。
すぺーすおぺらおばかにするなーーーーー!
212 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 18:36:21
庶民はともかく、武士がみすぼらしい格好する時代劇って少ないよね。
実際の武士は結構ラフで、
動き易いように膝丈の着物で生活することが流行したり
袴は平袴(正装の袴)以外の物も着用してたらしい。
213 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 19:29:02
スペースオペラがどうしただと
スターウォーズの一作目でレイア姫の役者を決めるとき
遠い昔の宇宙のかなたではこういのが「美人」だっていう
美人観も違うんだって考えてキャスティングしたんだってね
214 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2008/01/07(月) 19:38:59
>>197 転じて、使用する木の葉などをそう呼ぶ例もあります。カケギなどとも。
>>203 逆に、新しいものは見ませんね。とっておく筈もありませんが。
215 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 20:15:17
鞍馬天狗って新撰組がワルモノのやつだろ?
大河の「新撰組!」よりはマシなんじゃね?
大河の新撰組、原田左ノ助が素肌に直接甲冑を着てたな
217 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 21:08:20
218 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 21:20:10
219 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 21:22:31
大仁田→山本太郎?
あの茶色の汚い鎧は大河のお笑い担当専用か?
>>210 その通りだと思うよ
スペースオペラ俺好きだし
逆にここの住人が全員納得するくらいの再現やると90%以上の視聴者がついて行けんだろうからな
世間の日本史に対する無知ぶりはテレ朝のクイズ番組観てるとよく分かるよ
超難問とか言ってて呆れるほどレベル低いからな
ごめんアタック25好きだ…
222 :
お岩:2008/01/07(月) 23:20:37
>>205>>206 刃引きも危ないと
古武道やってる知り合いが申しておりました。
刃がなくとも、
ブンと当たれば大怪我。刃と刃がかち合えば鉄粉が生じて
目に入って誤ってこすれば、失明。
……だそうです。
>>205 刃引きというのがそれのことだけど、鉄の板状の棒だから、勢いで刺さることもあるわけ。 (ー人ー)なむー
224 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 23:50:29
西部劇でカウボーイはみんな拳銃を持ってるけど
実際はどうだったのかな。
>>207 主人公が架空なだけで、考証が異常にリアルだったりすると、シュールで面白そう。
とりあえず木曜は見てみよう
時代考証は意外にもリアルかも
>>221 いや、俺がごめん
アタック25の存在忘れてた
Qさま観てて雪舟もろくに知らないやつがいて、ついな・・・
そもそも黒澤明の「七人の侍」もデタラメだろ。
非武装で自衛能力の無い惣村が中世に存在するわけないし。
Nスペで地方の武士の生活を再現したことがあったな。
下級藩士の詳細な日記があったので、それをもとにドラマ化したやつ。
230 :
日本@名無史さん:2008/01/09(水) 18:04:49
>>228 戦闘要員が集団食中毒で全滅して、野武士にカモにされていたとか
しかし自衛手段がなければ、あのエンディングのあと新しい野武士が現れて死亡だよなあ。
>>228 リアルに行くとどうなっただろう?
数人が倒されたところで、手強いのがついたから手出しするのは得策ではないと分かって、
野武士のほうから持ちかけて手打ちになって、村は七人が居座って支配する。
233 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 14:53:03
「七人の侍」は名作だけどあの百姓は江戸時代の刀狩で武装解除されたあとの
農民の姿だな。
兵農分離してないし、乱世で全員武装してるから、風林の百姓のほうが本来の姿だろうな。
自治独立の商人の町の堺や博多。環濠集落の農村。宗教施設の本願寺の城塞都市。
中世は商人や僧や百姓はアメリカのように自分の身は自分で守っていた。
信長が暗殺された本能寺も軍事施設だったらしいね。
昔の宗教施設は基本的に要塞みたいなもの。
金等を貯め込んでるから必然的にそうなる。
235 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 17:03:29
杉良太郎だっけ?
俺の時代劇では風俗とか小道具は考証通りにやれ!というから
スタッフが風俗とか小道具を考証通りにしたら
デタラメな描写はやめろ!と視聴者から苦情がきたとかいうの
236 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 17:10:02
杉良の「右門」での鉢巻きを締め黒筒袖に一本刀の捕り物時の同心姿はなかなか秀逸
237 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 18:11:45
杉良太郎の場合、右門(捕り物帳・むっつり右門)はいいが右近(喧嘩屋右近・茨の右近)は最悪
238 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 18:29:26
江戸の黒豹ってのもあったな。
ほりのぶゆきのせいで杉良が黒豹の着ぐるみをしている時代劇だとばかり思っていたが、
違うことにたった今ググって気付いたよ。
白獅子仮面
240 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 19:33:41
ほりのぶゆきって十五年以上前だがよく竹脇無我をネタにしてた
>>233 江戸初期とすると、盗賊の類いが跋扈したら、領有してる藩なり何なりの歴戦の武士が、手柄を立てるチャンスとばかりに大喜びで出動してくるはずだし。
まあ、黒沢のは要するに西部劇の焼き直しだから、あんまり考えないほうがいいわけだけど。
242 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 21:23:22
杉良のは、何か忘れたけど、オープニングで跳び蹴りかましてるのがあったなw
243 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 21:49:30
√ ̄ヽ--ヘ
/ ☆ ヽ
0く━=ニニ二>
//(●) (●) \
/ ヘ (__人__) | ■■ 自宅警備員へお知らせ! ■■
/ヽノ彡,,.. .|∪| /
/ 丿,, /\ヽノ/ゝ 丶 2008年1月11日午前6時(日本時間)より
(  ̄jヽ,/_l ヽ 「2ちゃんねる」が12時間にわたって停止
\ ____ ̄{。 _____ } します。自宅警備を強化し待機せよ。
ヽ、,,_, {---} }。 {---} j
http://www.maido3.com/server/
244 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 23:33:56
昔、先輩が「大江戸捜査網」の御前こと
旗本寄合席、内藤勘解由が「寛政重修諸家譜」
に載っていないと、憤慨しておりました。
今やその先輩が、大学の専任講師とは…
>>244 冗談の通じない野暮なヤツだな。
専門家なりに、時代劇は面白がって見てればいいんだよ。
寛政の家譜だってデタラメがまかりとおってるもんなのに
娯楽時代劇にマジになるのも恥ずかしいよ。
247 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 03:06:21
>>246 >寛政の家譜だってデタラメがまかりとおってるもんなのに
kwsk
248 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 03:48:47
昭和でも竹やりで戦おうとしたのに
戦国時代に全員立派な武器をを持って、鉄の鎧を着てたのかな。
鎧なしや竹製の鎧もたくさんいたような気がする。
249 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 03:52:42
革製も竹製もあるしかす御貸具足なら紙製もある
250 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 03:57:46
それと戦国大名に徴発された兵は具足に身を固めた武者らしい身なりでの着到が義務づけられていて
役に立たない者を兵として出した村の小代官は首を切るとまで厳命したりした
>>247 とくに先祖に関する申告は酷いものが有る。
三傑に取り立てられたような出来星大名が多いからな
>>233 >刀狩で武装解除されたあと
それからして問題です。身分標識として二本挿しを武士の者としただけで、
名字(苗字)の名乗り同様、所持自体は存続していましたからね。
実際には、狩猟用や祭礼用も兼ねて刀鑓弓鉄炮は所持されていましたよ。
申告なく鉄炮を所持していた場合には、叱りを受けましたが。
17世紀にはまだ戦国の気風というか、荒々しい空気が残されていましたが、
村同士の境界争いや水争いの際に、鑓や鉄炮を持ち出すなという布告が出さ
れています。そして、これがどこまで守られたかも怪しい。
近代の廃刀令も、持ち歩けなくなっただけで、家には刀があったという事で。
>>248 武家奉公人は多くが素肌(鎧なし)でしたし、刀剣類が間に合わない場合に
は、先の尖った棍棒で間に合わせていたとか。
253 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 00:44:53
農民一揆のイメージが強い青竹を斜めに切った竹槍じゃなくて
実際戦国期に緊急の陣立ての際に使用が認められていた穂先は槍で柄が竹製の「竹槍」は出てこないね
>>252 > 村同士の境界争いや水争いの際に、鑓や鉄炮を持ち出すなという布告
持ち出す奴が珍しくないから、あえて禁止した、ということでしょうね。
いわゆる犬公方の施策も、そういった風潮を断ち切るためのものという話がありますが、
人相手に持ち出すくらいでは、トレーニングに何をやっていたか察しがつくという感じ。
しかも、前近代の法令の場合、「表立ってやらなければよし」という傾向が
ありますからね。禁止されたからといって、現実に一掃されたとは言えない。
>>255 「ばれなければよい」という風潮は今にも続いてますね。
257 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 02:15:37
江戸初期の境界争いや水争いでは刀槍や鉄砲、熊手、礫を用いている例はたしかに多い
決着がつかない場合双方の代表が神前で焼いた鉄鎌を握って火傷が酷い方を負けとする占いで決めたりする
>>224 カウボーイが銃を持つのは仕事の上での事だから、常時ピストルを携行する事はあまりなかったらしい。
仕事で使う銃もライフルがほとんどで、10m以上離れりゃ当たらんピストルを、
わざわざガンベルトと一緒に腰にぶら下げ1日中馬に乗るなんてウザイ事はあまりせんかったらしい。
考えてみれば西部劇の街中に
カウボーイがうようよいるってのも変な話だね。
>>258 まあ、カウボーイは牛飼いであって、ヤクザじゃ無いからな。
黒人のカウボーイも一杯いたんだろ?
昔の西部劇にはあんまり出てこないと思うけど。
>>259 牛を牧場から野宿を重ねて街まで運んで、給料貰えば酒場へ直行。
で2,3日はカウボーイがうようよって事だろうw
263 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 07:04:57
黒澤の「用心棒」や「椿三十郎」をパクってクリント・イーストウッドの「用心棒」ができ
「隠し砦の三悪人」をパクって「スペース・オペラ」ができ
「七人の用心棒」をパクって「荒野の7人」が出来たからね。
また向こうがパクルような魅力ある時代劇が欲しいな。
マンガ原作ばかりパクられてる気がする。
264 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 08:15:09
>>230 中世末期の惣村の侍分自体が野武士だろw
土地や縄張りを持たぬ流れ者の野武士が存在するわけねーだろ たわけ!
野盗・野伏せり の事だろw
265 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 08:32:43
前回の大河でも合戦で前立て付けてない騎馬武者がいたて萎えたよ
266 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 08:52:02
考証ってのも、定説が史実をどれだけ反映しているか分からないシロモノだからな。
素人は無闇に振り回され、それが専門家の飯の種になる。専門家は楽だろう。本当の
反証を持つ人間はすべてあの世だからな。
267 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 13:57:16
>>258 サムライだって、実際はいつも袴をはいて二本差していたわけじゃないしな。
268 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 19:20:31
町人なんて、フンドシ締めてる奴なんかほとんどいなかったのにな
269 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 19:30:21
現在劇ですら誇張が多いのに時代劇に正確さを求めるのは
幾分か無理があるんじゃない?
270 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 20:18:17
会話の言葉自体が無茶だ
NHKの大河は歴史学者が考証スタッフとして参加してるから意外とリアルなんだよな。
「太平記」の楠木正成も後醍醐天皇から呼び出し受けるまで畑耕してたりしてたからな。
会話は考証にこだわりすぎると視聴者には意味不明になるもんな。
現代劇でも方言とかはそう。
雰囲気を出す程度にとどめある程度現代共通語にアレンジするのは仕方がない。
273 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 23:57:59
>>268 愛媛県で、明治政府になって出された法律のひとつに、往来を裸で歩かない事ってあったなw
274 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 00:39:01
>>265 後北条氏の場合は兜の前立てを付けてない者は改役召し放ちだそうな
275 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 01:09:03
戦国物に多いけど、コタビとかハナテとか助詞抜きのセリフとか、
わざとらしくて臭すぎる。
>>272 昭和40年代まで夏はパンツ(褌)一丁、または上半身裸でうろつくのは当たり前の光景だったからね。
コタビは、このたびだろうが
ハナテは、ハテナ?
俺も俺世代はしないけど
おじいちゃん世代はトランクスのみまたは白シャツ姿で村が歩けたと思う
むかし松方が演じてた遠山は酷かったな。
白州でのあの裃の長袴はなんなの?
280 :
お岩:2008/01/15(火) 22:43:18
>>275 ほんとう同感です。前々から気になっていましたが、同じ感想を抱いている方がいらっしゃるとは…
意外に私たち以外にも同意見の人士がいるかも知れませんね
>>280 拙者もかねてよりさよう思うてござる
形容詞のイ音便の変化させざるがごときは
かえって美しき日本語とは離れるようで
>>277 多分、「(矢や鉄砲を)放て」。
しかしこんなん戦争物なら普通だけどな、
海外だって、「ファイヤー(放て)!」とか「ゴー(かかれ)!!!!」とか普通だし。
283 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 19:04:05
「テー!」じゃ海軍だもんな
>>281 あと確か、『左様』も明治に入ってから生まれた言葉じゃないか?
英語のso thatが語源と聞くぞ
>>284 おてんばがオランダ語だとか、その手の話が大概が眉唾物ですよ。
『伊勢物語』や『宇津保物語』にも出て来る言葉です。
江戸期に「左様でござります」と言ったところで、別におかしくはない。
ただ、相手の発言に対する同意のための使用は、比較的時代が下るようです
ので、ひょっとしたら幕末〜明治期に始まったのかもしれません。
私は
>>275にあるような言葉はいいと思いますが、幕末までくるとくだけた
喋り方も多いですし、中途半端なぎこちない採用も目につきます。
結局は、脚本家の素養の問題でしょうね。
挨拶も左様しかれば武士と武士
という雑俳もあります。
木曜時代劇「鞍馬天狗」見たけどかなりシュールだった
288 :
日本@名無史さん:2008/01/19(土) 21:39:33
>258
カウボーイは狼とか強盗とか牛泥棒が敵じゃないか
拳銃よりライフルのほうがいいよね。
289 :
368:2008/01/19(土) 21:52:49
カウボーイにとっての銃は、中東の男におけるナイフ
江戸時代の武士における二本
料理人の包丁、チアガールのボンボン。
あとなんか注文ある?
291 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 02:32:53
鉄砲以前の戦国時代は弓矢と槍が多く使われたのに
時代劇では刀で切りあってるように
西部劇では拳銃が出てくるんだな。
292 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 08:10:56
暴れん坊将軍とかだと悪い旗本の屋敷に物凄い人数の羽織袴の家来がいる
294 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 09:50:32
家臣たちを養うためにやむなく悪事に手を染めたのを一方的に叩く正義の暴れん坊。
世の中を良くしたいなら暴れてないで将軍の仕事をしろよ。
じだいげき
近代以前の人物・事件などを題材とした劇や映画。特に、江戸時代またはそれ以前の武家時代を描いたもの。まげもの。時代物。
.国語大辞典小学館 1988.
大河なんてヨロイの上から太刀を振り下ろすと
ずべらばっ
って音がして切られたほうが倒れるんだぜ
297 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 13:03:13
時代劇で刀の差し方がなってないのは萎える
298 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 13:22:58
時代劇で切腹の時に着てる白い小袖はいいとしても白い裃ってどうなの?
本来は浅黄色だと聞いたことがあるんだけど・・・
299 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 17:22:55
時代劇では、刀の下げ緒は帯に巻いたままだけど、これは正しいのかな。
今は無くなった日本刀の解説サイトで、「下げ緒を帯に巻きつけないのはおかしい。」と言ってたんだが
居合いとか、昔の写真を見ると鞘に巻きっぱなしが殆んどなんだよな。
>>299 下げ緒の扱いは流派による。帯に巻く流派も多い。
ヤクザみたいだと嫌うところもあるようだ
301 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 19:04:54
302 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 19:25:35
ヤクザが公然と帯刀して歩いてるのはどうかと。
>>298 時代にもよるでしょうが、官職持ちが浅黄色で、無位無官が白であったかと。
どこで読んだのか忘れてしまいましたが。
304 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 20:08:51
「必殺!仕置人」シリーズは、時代考証は、どうなんでしょうかね!
時代が、とびまわりますが!
305 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 20:10:01
白菜の漬物はアウト
306 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 20:23:37
切腹の際の装束は、着衣は白無地の小袖・浅葱色の無紋麻地の裃
薄い浅葱色は切腹装束色とも
309 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 20:48:32
平時は下げ緒を鞘に巻きいざという時には下げ緒をほどき帯に巻くのが普通じゃないか?
絵や写真を見れば平服の侍たちはわかるがほとんど鞘に巻いている
日露戦争で行った兵がこりゃうめえって
一般には広まったんだってな白菜
311 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 21:35:07
戦国もので天正期の打ち刀を差している武士とかも出てこないよな。
腰に差しているのは野暮ったい半太刀ばかり。
衣装や道具類にはもっと気を使ってほしい。
>>291 西部では男の生活の中心は酒場
しょっちゅう喧嘩が起こっていたから 拳銃下げてるのは当たり前だったんです
>>312 そういう薀蓄語りの好きな知ったか視聴者は少ない。
物語の進展に関係もなく、
その人物の性格や行動を表現することにも関係ないのなら
省略しても良いことがある。ドラマなんだから。
315 :
日本@名無史さん:2008/01/22(火) 18:34:16
俺は黒系や紺系のスーツの裏地はライトブルー系の浅黄色にしている本物の浅黄裏だが
いちおう武士の覚悟をしめしているつもり
実際田舎者です
時代劇の衣装やカツラって
歌舞伎のような芝居から続いてきたものだから
めちゃくちゃなのはあたりまえなんだけど
それが今まで続いてしまっているのはよくないよね。
そう、お姫様の派手な簪なども
歌舞伎の赤姫の扮装からそのまんま続いてきてしまった。
浪人の、月代を剃らないで総髪のようになっている頭髪もそうだね。
そうだね。
ああいった世界は職人さんだから
その世界だけで情報が継承されていくので
本当はどういった風俗だったのかを
第一次資料にあたって調べるという発想がそもそもない。
だから戦国時代といえば総髪で大きな茶筅髷というようなことになる。
大河の信長は率先して月代を剃ったという設定になっていたけど
14世紀の肖像画を見るとほとんど大月代だよね。
月代は兜を被って戦をすると
頭頂部が蒸れるので剃ったと聞いた
戦国以前からあったんじゃないかな
さっきNHK見てて思ったんだが仇討ちに白装束で挑むのってどうなの?
葬儀参列者の正装だからいいんじゃまいか・・・白装束
刀と刀がぶつかり合うチャンバラシーンでは時代劇番組毎で効果音が全然
違うんだけど、実際、日本刀同士が触れ合う音ってどんな音すんの?
本物の音に近い時代劇でもいいから、誰か教えて下さい。
カッタナイフで五寸釘削るような音かとw
324 :
日本@名無史さん:2008/01/26(土) 18:37:58
325 :
日本@名無史さん:2008/01/26(土) 19:07:41
>>322 実際やったことあるが、刀どうしでは「ガチャ」って感じだな
短刀と刀だと「ガァツッ!」
短刀と短刀だと「ガツッ」
材質(日本刀の材質は均一ではない)と振り下ろす速度と重量、接触面・角度などによって様々な音色を奏でるんだよ
326 :
日本@名無史さん:2008/01/26(土) 19:10:26
結論から言うと刀身と刀身が当たるような斬り合いはしない方がよい
折れたら負けるし
327 :
日本@名無史さん:2008/01/26(土) 19:55:44
>>326 以前、刀の鑑定会(刀身の姿や刃文等から時代や作者を当てる競技)で、
講師の先生から「刀の取り扱いには充分注意してください。
指は切れてもくっつきますが、刃は欠けたら取り返しがつきません!」
と注意されたのを思い出しましたw
328 :
日本@名無史さん:2008/01/26(土) 20:57:28
実際の合戦では人を斬ったら
その相手の刀を奪ってまた戦ったというよね
そら骨やら鎧やらに当たって
刀の刃などぼろぼろになるからね
合戦で刀などヤクタタズw
戦場では刀はあくまでもサイドアームだから。
サイドアームだからこそ平時でも常時携帯を許された?
刀は今の警官の拳銃みたいなもんか
戦の死傷者の死因は弓矢、槍、投石、棍棒の方が多いんでしょ?
332 :
日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:11:41
>>315 渋いな
俺も今度裏地が浅黄色のスーツ作ろうかな
戦場では太刀。
平時に常時携帯するようになって(江戸時代)お達しがあり、
寸を詰めて、打刀を携帯するようになった。
ふつう、刀というとこの打刀を指す。
というわけで、実際に刀で戦闘したのは、新撰組の時代だけw
明治に入ると廃刀令が出て、止めを刺されたと。
334 :
日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:42:41
>>334 寝込みをテロリストに襲撃されたわけで、テロリストサイドは具足に長柄でしょ
虐殺であって、戦闘ではないでしょう。
336 :
日本@名無史さん:2008/01/26(土) 23:42:51
戦国時代から打刀はあるよ。
厳島神社蔵の秀吉の打刀や明智左馬介光春の打刀は有名。
吉良頼義の甲冑姿の肖像画などにも描かれている。
大阪役や島原の乱を描いた絵図にも戦場で打刀を差している武士はかなり描かれているよ。
337 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 00:34:04
槍は突くんじゃない
叩きつけて脳震盪起こす道具だ
って話も聞いたけど実際どうなんだ
338 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 00:50:44
三間だ五間だのいう槍でついても意味無いでしょ
339 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 01:06:17
最初か叩く、そして薙いだり突いたり
>>319 >月代
ありましたが、元々頭頂を剃るものであったようです(金太郎のあれ)。
また、菊池氏は鎌倉時代後期には頭頂から額にかけて剃っていたとか。
>336
南北朝時代には打刀(自体は以前から存在)中心に移行していた筈ですね。
高師直像と言われるようになった伝足利尊氏像が太刀を佩いているのは、重
代の古い装備を手を加えることなく使用していたためという。
なお、廃刀令というのも持ち歩くなというもので、所有自体は続いたと上で
お話しましたが、それでは手持ち無沙汰だというので、明治初期の士族の間
では、仕込み杖がおおいに流行したということです。
左足は帯刀のせいで肥大化していたので、刀なしでもそれと分かった。
341 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 01:15:27
そういえば、鎌倉時代の蒙古襲来絵詞に描かれている河野通有は月代剃ってなかったか?
342 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 01:19:51
>>325 男根と男根だと「アッー! アツー!」って感じだな
>>325 あんまり響かないんだね。工具なんかで鉄の柄の部分同士がぶつかって
いい音醸し出したりするんだけど(風鈴まではいかないけど)、刀同士
はもっと堅い味気ない音なんだね。じゃあ、勝新の座頭市の剣戟音みたいなんだ。
345 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 18:24:46
風鈴のような音がするなら戦場音楽も風流でいいんだけどね。
以前、歴史群像だかで見たんだが、甲冑を着けた状態での接近戦の方法。
鎧の隙間に刀を差し込んでぐりぐりかき回し、
相手を失血させて抵抗力を失わせた後に首を取る。
おそらく辺り一面血まみれで、映像化などしようものならとんでもない事に…
347 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 22:50:49
「三匹が斬る」で三人組が長崎に行ったときに普通の食堂みたいなとこで
ハンバーグ食べてワイン飲んでた。
幕府上層部ならいざしらず(上層部も無理かな)、一介の素浪人がそんな
ことできるわけないよね。おまけに記憶が正しければ社交ダンスもしてた。
348 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 23:09:02
そもそも歩き方が違うだろ。
>>347 逆に、庶民階級なら有った事かも
>>348 それは、タブーかもw
あと、膝行とか
維新後、兵隊に走り方から教えたとか
350 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 01:07:29
>>347 それじゃないけど、津川雅彦がとっくりセーターを着て、椅子に坐ってワインを飲みながらトランプをやってるのなら見たことあるよ。
351 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 01:21:25
三匹はわざとやってるからなぁ・・・
春風亭さんとか・・・露店でジュリアナ扇子売ってたりとか
352 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 01:25:52
>>337>>338>>339 実際の戦場でどうだかは知らんが、どっかの槍術流派の話でへーと思ったのは、
・石突に気を配れ(?):鑓は「突く」とはいっても下手に突けば抱えこまれて
先端切り落とされるから、突いたら瞬時に引き戻すのを繰り返すために石突に気を配り
引き戻す空間を確保するように、みたいなことだった。
・鑓は切るように、刀は突くように:詳しくは忘れたが、なんかへーっと思った。
「隠し砦の三悪人」で三船が幕を切るシーンがあるけどあんなイメージかな。
>打刀
春日大社で”打刀拵としては最古の物”なるもの展示してたがけど本当かな。
宮司の葉室家伝来の品でたしか平安後期か鎌倉ぐらいの物だったと思う。
353 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 02:40:08
>>352 それ菱紋の打刀拵だろ?あれは鎌倉期だろうね
354 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 03:43:20
あれは堅牢かつ優美な姿のかっこいい打刀だよな。
柄も鮫革も柄巻もなく鞘と同じ漆塗で、鐔も金物も花菱紋の鞘も太刀みたいで。
355 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 07:31:30
俺のチンコも堅牢かつ優美な鞘つき。 orz
356 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 10:33:57
359 :
355:2008/01/28(月) 22:58:41
伝家の宝刀なので、決して抜いてはいけません。抜くぞ抜くぞと威圧するだけ30年。
抜いたら最後、竹光であることがバレてしまいますから。
360 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 23:03:48
後家鞘なもんで、鞘がきつくて抜けません
昔見た時代劇。
借金を重ねた浪人のもとに高利貸しが取りたてに来て「払えないなら娘を貰っていく」と言われて怒って刀に手をかける。高利貸しはビビって「もう少し待つ」と棄てぜりふを吐いて退散するということを数度繰り返す。
ある日浪人が外出から戻ると、娘が高利貸しと女衒に連れ去られるところに鉢合わせする。怒った浪人がまた刀に手をかける。ビビる高利貸しと女衒。長屋の住人達も固唾を呑み、野次馬が集まる。
怒りが頂点に達した浪人は思わず刀を抜いてしまう。どよめく群集。
高利貸しと女衒は失笑し、浪人の肩に手をポンと置いて娘を連れて行く。
竹光を握った浪人はその場に崩れるように座り込む。
>>361 その当時は、ナマクラ本身なら二束三文で有ったはずで、
竹光というのは、伝説じゃないかと・・・・
>>361 > 浪人の肩に手をポンと置いて
それだけで無礼討ちものじゃない?
でも、竹光なんかでギコギコやられたらたまらんな。
>>361 >>355-の流れに合わせて読んでワラタ
365 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 05:40:50
>>363 竹光で切腹させられるシィンを見たことがあるよ。
そういや時代劇定番の金融業者ってどの程度史実なんだい
367 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 07:45:45
悪質な金貸しは昔も今もいる
368 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 08:09:15
金利はといちなんてもんじゃない位高かったそうね
369 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 09:05:31
>>363 浪人の無礼討ちなんて成立しないよ。
>>362 竹光は刀身と拵を分けて保管する際のツナギで、刀身だけ売ったら自然にそうなるかな。竹じゃなくて木製だけど
江戸も尾張の頃の南部藩士が借金取りについカッとなって斬りつけたのが竹光で、
その夜その侍が別れの酒を飲んだ貧乏徳利を割った欠片で腹を切った。
って言う話を読んだことがあるけど、これって本当の話?
371 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 11:26:48
そもそも昔は今とちがっていちいち金を預ける習慣なんてなかったんだから、
金貸しってみんな自己資本だろ。
だから焦げ付いたら大変だから、あまり無茶な貸付はできなかったと思う。
三井なんか近代に入ってからも自分の金だけで貸し出しやってたらしい。
372 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 14:25:54
374 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 18:24:58
金貸しはいろんな業種の人がやってたみたい
有名なところでは 札差 両替屋 あんま 坊主 後家のおくま婆さんなど
全うな所は 年利一割から二割 一応金利制限法のようなお触れが出てた
闇は十一が当たり前
>>340 >元々頭頂を剃るものであったようです(金太郎のあれ)。
それは初耳です。典拠はなんでしょうか。
誰か回答頼む
「おとっつぁんおかゆができたわよ」(Q おかゆは食べられていたか)
「いつもすまないねえお前ばかりに苦労かけて」(Q 娘は平均何歳まで未婚か)
中略
「おめぇの借りた金がふくらんでしめて○両」(Q 何両だったら適当か)
「ふとんひっぺがして持ってっちまえ」(Q ふとんはあったのか 売れるものか)
「ほかに金目のものはねぇか」(Q ほかに金目のものはないか)
「娘売っぱらうぞ」(Q 何歳程度の娘がどれくらいの価格だったのか)
378 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 21:02:11
五百石の旗本屋敷に曲者が忍び込みました。当主が「曲者じゃ、であえ、であえ!」と叫んだ時、何人の家臣が出てくるのでしょうか?
役に付いていれば登城の際のお供が格式上7人くらいは必要らしい。
留守番も必要なので男だけで10人くらい、
それプラス女が4、5人はいるべきものらしい。
しかし実際はお供は臨時雇いだったりしてそんなに人数はいないらしい。
無役だともっと少ない場合もあるそうだ。
座頭(盲人)の金貸しは公的保護があり官金と呼ばれ、
非常に酷い取り立てだったそうだ。
だんだん無法図になりあまりに酷くなりすぎて、
当道(盲人組織)の幹部多数が財産没収の上追放になったことがある。
一罰百戒なんだろうけどこういう機動的措置が執れる点に限れば独裁制も悪くないような。
と、同じ境遇でも追放された者もいるし追放されなかった者もいる
商売敵の追い落としではないかって説も有る
大義名分をつけれて狙い撃ちでの強権を発動するのも当時のお上
>>378 全員が聞こえないフリをするかもw。
お役目とは言え、悪党の為に命を賭けたくないしねえ。
383 :
日本@名無史さん:2008/01/30(水) 23:35:46
全員が聞こえない振りをしたら、ちょっと時代劇が成立しませんね。
五百石の旗本屋敷だと、長屋の自分の家で熟睡でもしていない限り聞こえない振りが通用できる広さではありません。
それに当主が殺され御家が改易となれば失業ですからね。取りあえず駆け付けるでしょう。
吉良家でも殆どの家臣が布団被って隠れていたっていうしね
浅黄裏って時代劇にあまり出てこないね
>>376 誤りもある『貞丈雑記』などで考察されていたことですが、『国史大辞典』
も同様の考察があり、そこで言及されている「中剃」が相当します。
>>377 かゆは別におかしくはないと思いますが。
>>386 >誤りもある『貞丈雑記』などで考察されていたことですが、『国史大辞典』
>も同様の考察があり、そこで言及されている「中剃」が相当します。
そうでしたか。ありがとうございます。
実際は冠をかぶる際の前額部を剃る風習からきたものでしょうね。
388 :
日本@名無史さん:2008/02/01(金) 19:42:17
旗本が外出する時、乗り物に乗るのは、何石くらいからですか?
乗り物って駕籠とか輿とかその類ですか?
乗馬の場合は本来は200石くらいから上みたいですが、
太平の時代では400石くらいから上が登城時必要な境界ライン、
もっとも500石でも馬に乗れない旗本も居たそうで、
必要時だけ借りていたものでしょうか?
役職によって、細かな規定があったかと
石高より役職かと
幕末にフランス人士官の指導下、騎馬隊を編成することになった際には、
500石以上の旗本だけが集められたそうですね。
騎乗=身分標識では意味がなかった訳ですが。
勿論、実際には500石もなくても戦場では馬に乗れた訳ですが、フラ
ンス人相手で受講者が限られると考えたのでしょうか。
受講を身分で区切っている時点で(悪いというのではなく)前近代的な
対応でしたが。
>>391 それは、乗馬や馬丁が自弁だったので、経済力を優先し、結果が500石以上だったのでしょうか
古代ローマ時代でも、ローマ人や蛮族の別を問わず騎兵は貴族・酋長の子弟などがなるものだったらしいな。
394 :
日本@名無史さん:2008/02/02(土) 15:33:11
オマエラ、
時代劇で普通、乗り物って言ったら、武家用の駕籠のことだろ!
395 :
日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:41:41
>旗本が外出する時、乗り物に乗るのは、何石くらいからですか
八州回りはかなり下級の御家人だったが、
自分駕籠に乗って取り締まりに出張る輩がいた
八州回りは代官の手附手代だからな。手代なんて百姓出身のお雇なのに。
>>393 モンゴルの機動力がずば抜けていたのも無理はない、というこってすな。
旗本の駕籠利用といっても、登城のときと私用のときと
別に考えたほううが良くないか?
>>392 単に「騎兵」教練を行う人材(フランス人)が足りず、高位の人物が優先さ
れたと考えたのですが(391でもそう書いたつもりでしたが)、馬に乗る
ことが許されても太平の世に馬など飼っていなかった与力などは、幕末に馬
に乗ろうとして落馬したといいますから、普段から馬を飼っていて乗ること
が出来たということも、あったのかもしれませんね。
>>397 全員騎馬など、日本では異常でしたからね。
400 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 11:05:39
八州回りといえば、勝新の息子が真剣で役者を死なせてしまった「座頭市」で
関東取締出役がヤクザの襲名披露か手打ち式に取持ち人として参加していたり・・・
背割り紋付き羽織と袴に陣笠を被って馬に乗っていたがけっこうリアルだったな。
本当に江戸時代のやくざは長脇差をぶち込んで歩けた?
昔、本で読んだが江戸時代は刀の常寸も決められていた
から、町人でも2尺位までは堂々とOKだったのかね。
助格以上武士以下
402 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 15:27:06
長脇差はちょくちょく停止令がでてるからOKってことでもない
寝刃を合わすって、刃に何かすんの?意味わかんねっす。
>>403 日本刀は平常時は見た目が美しく錆びにくいように、鏡のように平滑に研ぎ上げておきますが、
この状態だと、実は切味が悪いのです。
そこで、戦闘の際には、鏡面に鋸のように細かい刃を付けます。
具体的には、桶に砂を入れておいて2,3回突き刺したりします、これを寝刃を合わせるといいます。
>>404 かたじけない。
しかし、刀身は結構傷つきそう。そして再び鏡面仕上か。
406 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 22:14:18
>>404 その手の話は武家屋敷の砂盛とかでよくあるが、
実際に研ぎあがった刀を砂に突き刺すと刃先が磨耗して斬れなくなる。
何かを切って切れ味が悪くなった刀の刃先を砂で疵つけるのであれば効果はある。
それに刃中は刃取りがしてあって鏡面ではない。
407 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 22:20:31
寝刃を合わせるのも砥石を使って研ぐんだよ
>>402 長脇差はちょくちょく停止令がでてるから
→普通だった ということですな。
>>403 知らんけど、やや粗い目の砥石で微細にノコギリ状にすることじゃない?
メスなんかもそういう具合になってるみたいですね。
粗い目といっても1000番くらいかな?
>>407 だよね。
それがなんで「寝刃」なのかな?
刀を使用する人自身が簡易的な研ぎをすることを寝刃を合わせると言うんでないの?
切味が鈍った刃を寝刃と言うんだよ。
それに刃を付けるのが 合わせる だよ。
タッチアップの事だね。
412 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 23:04:07
刃が寝る=刃先が丸まってることだね
>>411 そうなの? 保管時は寝かせているというココロかな?
>>412 落としてしまうという意味での「丸く」はしないと思う。
415 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 23:06:26
試し切りやなんかでしょっちゅう物を切ってると刃が寝るんだよ
416 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 23:07:42
417 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 23:17:00
>>413 保管時は研ぎあげて油を塗って白鞘に納め
刀身を漆で塗り固めて使うときに研ぐ方法もあったが、実際にはけっこうさびる。神社の宝物で見たことある。
熊本城に保管された刀槍なんかはそうしたと同田貫を解説した本に書いてあった。
418 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 23:18:06
脱字した
>>413 保管時は研ぎあげて油を塗って白鞘に納めるのが一般的。
刀身を漆で塗り固めて使うときに研ぐ方法もあったが、実際にはけっこうさびる。神社の宝物で見たことある。
熊本城に保管された刀槍なんかはそうしたと同田貫を解説した本に書いてあった。
419 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 23:31:45
刀といえば今日大河ドラマ見たけど薩摩の武士の刀が薩摩拵じゃなかったな
まあ、示現流以外の藩士もかなりいた訳だから
421 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 00:14:49
>>419 そんなこと言うなら、幕末のころの着物を着た忠臣蔵メンバー……。
>>420 肝属尚五郎が立ち木稽古やってたけど柄も鍔も薩摩拵じゃなかったな
>>416 「引く」といったら、完全に丸めてしまうことでしょ。もっと微妙に。
>>422 実際なら、紛れ込んだ余所者ということで殺されてしまうかな? (ー人ー)なむー
425 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 01:01:55
時代劇で一番おかしく思うのは幕領ですげー悪い代官がやたらと出てくること
>>425 よく知らんけど、実際にはまるで逆が普通だったとか。
427 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 01:15:49
というか、代官なんか時代劇に描かれているような権力ないしな。
428 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 01:30:44
代官の下僚の手附とか手代にはかなり悪いのがいたらしいな
429 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 02:28:37
代官所とか悪家老屋敷とかに紺や緑や茶色の紋付き羽織の家来や部下がやたらいると萎えるな・・・水戸黄門とか。
せめて羽織は黒と灰色くらいにしとけよ。
430 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 02:29:56
予算がないんだよ。
寝刃合わせって、津本陽の小説にいっぱい出てくんだけど、
やり方が記されて無いんだよなぁ。まあ、彼の小説全読し
たわけじゃないけどね。
合戦の時に名乗りを上げながら、腰につるした砥石で刀を研いでいたと
聞いたことがあるんだけどほんと?
>>409なるほど。確かにその方が引き切るときの摩擦抵抗が少なそうだ。
>>411働いてないものを 寝てる っていうもんな。納得。
あっ、でも「合わす」は、何と?
「合わす」は調整するって意味か
まあそんなところだろうな。切れ味同様に武士が細心の注意を払ったはずの目釘を確かめたり注意を払うシーンも少ないよな。
たまに目釘を湿らせたりするシーンはあるが。
焼酎や水ででプーッ!だ。
437 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 19:49:59
ちゃんと目釘を抜いてみて確かめないと・・・割れてたりしたら大変だ
目釘を鉄製にして二つ穴にしとけばいいんじゃね。
そういえば右門捕物帖で右門が目釘を抜き取られていたが
そんなに簡単に抜き取れるのか。うちの模擬刀は中々抜
けないぞ。真剣は違うのかい?
>>438 目釘を頑丈にしすぎると刀身へのダメージが大きくなるらしいよ。
440 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 20:30:13
>>396 八州回りは勘定奉行支配下だったと思うが違ったかな?
時代劇で人を切ったあと、刀を一振りして血糊を飛ばしただけで鞘に収めているが、鞘の中が血でベトベトにならないの?
442 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 21:49:03
水戸黄門で紀州の部屋住みであのお方が出てきた。
部屋住みの分際で勘定奉行に武士らしく腹を切れっていってたが、
これって良いのか?まあ紀州藩で水戸家の隠居が威張るのも何なんだが。
勘定奉行も家臣が三十人ぐらいいるし、皆同じかっこしててなんか笑えた。
>>441 ちゃんと拭いても、抜けにくくなることがあるらしいね。
戦って曲がった本身が元に戻って鞘に納まるって、本当に
そんなことってあんの?
445 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 00:22:43
446 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 00:30:52
447 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 03:11:43
目釘といえば剣術家の本にこんな話が。
戦前に台湾で結構名のある人が演舞したら、刀身がピューと飛んで、
観客の胸にドスッ……当然死亡。目釘の確認を怠ってたとか。
著者の流派では目釘は鉄製のもの二つにしてるそうだ。
448 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 10:44:52
小学生の頃、親戚に貰った赤錆だらけの軍刀を家に持って帰る途中で振って刀身をどこかに飛ばしてしまったのを思い出した。
449 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 12:06:32
450 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 12:38:57
金属製の目釘で抵抗の強い物に斬り込むと柄が破損するおそれがあるんだよな。
かといって竹製の目釘も目釘が破損するおそれがある。
木製の柄部分(柄と刀身との接合部)が日本刀の構造上の最大の弱点とされるのも頷ける話だ。
柄が刀身と一体になっている毛抜型太刀もあるけど手に対しての衝撃がかなりあるし・・・
激しく使うなら竹の目釘のスペアを携帯するしかないんだろうけど刀は合戦向きの武器ではないな。
451 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 12:47:44
竹製か木製か分らないけど、真田広之の映画では目釘を水に漬けてたな。
水を吸わせて膨らませるためだと思う。
竹製でも伸縮するし使ってるうちに緩むから抜けないようにしたんだな、真田は。
目釘を柄の差し裏から打ち込むのも使用中に目釘が抜けるのを掌で防ぐため。
なんか時代劇では一本の刀で人を大勢斬りすぎてるよな。
殿さん白、家老黄土色、普通の武士が黒、刀の柄紐の色って
大体、どの時代劇も十把一絡げ。
454 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 15:25:52
悪家老とかはたしかに茶系だよなw
お城の中ならみんな黒糸かもしれないけど平常の差料はもっとバリエーションに富んでてもよさそうだよね。
ほんにそのとおり。幕末の古写真の武士らは、色んな刀もってるの多い。
全体の長さ然り、柄の長さ然り、柄巻も様々。佐々木小次郎並のやつも
いる。カラーだったらもっと楽しいのに。赤鞘組いねえかなぁ。
現存してる刀で朱鞘だと新撰組の土方や井上の刀は朱鞘で巴紋や丸に井の字紋が入っていてかっこいい。
時代劇だとヤクザの親分が鮫鞘の長脇差を差していたりするがかなり高価だったらしい。
土方副長って先祖は鎌倉時代は武士だったんだろ。(血統上は知らんが)錦絵にも載ってるって
燃えよ剣かなんかの出だしにあったけど、事実なら色んなドラマで単に多摩
の百姓あがりの設定のみにとどまらせないで欲しいな。
歳クン自体にもそういう認識があったればこそ武士をめざしたみたいな・・
458 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 17:27:08
鬼平が盗賊を捕まえるときって火事場装束の前掛けに陣笠だけど実際はどうだったの?
459 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 17:42:07
鬼平は実際には裸エプロンだったらしいぞ
460 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 19:00:03
鬼平は笑ったよ
カプカプ笑ったよ
実際の殿さんは「苦しゅうない」なんて言わなかったらしい。
脇息なんてのも家来等の前でもたれ掛かることなんてなかったって
浅野さんが言ってたってよ。
462 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 19:07:16
浅野さんって浅野長祚しゃん?
内匠頭?
>>462 >>463最後の殿様、多分芸州の浅野さんの最後の当主
その人に明治か大正か昭和初期にインタビューした人がいるんだ。
うちにもその辺のことが載ってる本あるが、探すの大変なんで、も
し見つけたらまたスレッとく。
座布団なんかも「腰が痛むので許せ」ふうに使用自体を家臣に申し訳なさそうに
断わってから云々 なんてのも読んだこと有。
あっ でもこれは籠の中の場合だったけな。
しかし、藩によっても色々だったんだろう。
御三家の三つ葉葵紋もそれぞれデザイン違うんだよな本当は。
っていうか将軍宗家でも将軍毎に違う場合も有る様。
質が悪い時代劇では武士が目下の者に自分を「拙者」と威張って言ってるけど、拙者って字の通り、謙遜した一人称なんだよね。
「わらわ」もそうですね。
将軍の一人称は、少なくとも幕末になってからだと「自分」や「こちら」だったとか。
>>457 その認識は正しいんじゃない。でも、具体的にどうする?
爺さん婆さんに言われ続けたとかいうことにする?
実際に言われたかな?
471 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 09:17:23
>>469 でも、いくら正しくても、幕末を舞台にした小説で「自分」と書かれても、いまいちピンと来ないよなw
472 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 09:26:53
大名や旗本なども同格以下の相手にその一人称を使っていたのだろうか
473 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 15:37:23
>>468 場によるんじゃない?
雇われ用心棒だったら、雇い主の町人に対して「拙者」と謙遜するよ
474 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 16:05:28
時代劇では浪人の風体が薄汚すぎる場合が多い
475 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 16:18:32
??
むしろ庶民が小ぎれい過ぎるんじゃないか
476 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 16:21:50
みんなきれい過ぎるのでは?
そやね、多くの庶民の着物は一張羅で継ぎ接ぎして着てたからね
ふんどし用のさらしも高級品だったみたいだし
478 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 19:15:15
長屋の住民なんて夏は半裸だったのにね
479 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 19:17:07
子供なんて全裸だったのにね
おっぱいなんて
性的アピール器官でもなければ
みられて恥じる器官でもなかったのにね
でも時代劇の煌びやかでかっちょええ着流しも好き
483 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 20:10:14
東京オリンピックまではそれが当たり前。
大の大人がお天道様の下、街中で立小便なんて当たり前だった。
>>483 関係ない話でもうしわけないが,俺が一番びっくりしたのは
大阪ではおばちゃんが道ばたで寝ていることだな。
10年前に見てすげーびっくりした。
486 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 21:10:24
487 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 21:12:45
白昼の立ちションは・・・
でもつい最近までは住宅地とかで普通にオッサンがタチションしてたけどなw
>>486 馬鹿者! 現物が言うのだから間違いない。
田舎のほうはどうか知らんがね。
490 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 22:23:47
>>489 現物?w
まぁ、23区内でも普通に時々見るけどね。いまだに。
>>490 馬鹿者! 軽犯罪法違反だぞ! 「街中で立小便なんて当たり前」なんて嘘をつくな!
ま、酔っぱらいは別だけどね。
>>492 酒呑んでチャリンコ乗るのも犯罪だけど、警察は見て見ぬふりだろ
>>493 糾弾されているのは、ろくに知りもせんくせに「街中で立小便なんて当たり前」なんて嘘をつく悪人だよ? 君は馬鹿かね?
495 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 23:54:57
>>492 嘘じゃねぇよw
酔っぱらいじゃなくても、ジジイとかならやってるよ。
警察もいちいち言わねぇし。まぁ、犯罪には違いないが。
>>495 分かった分かった、君がド田舎者ということは分かったから落ち着きなさい。
497 :
武陽隠士:2008/02/07(木) 00:06:48
立ち小便なんて東京の繁華街でやってる奴
いくらでもいるよ。
こないだ飲み会の帰りにも目撃した。きわめてありふれた風景。
>>497 ほう、君は「大の大人がお天道様の下」飲み会に参加しているのか?
何か書くなら人の話をちゃんと読んでからにしたら?
499 :
武陽隠士:2008/02/07(木) 00:26:19
>>498 あっちゃこっちゃ書きまくってるんでね。読んでる余裕あんまりないの。
それにどうせ八割方はゴミじゃない?ま、残りの二割の方々には悪いんだけどさ。
ちなみに飲み会は義理。葬式結婚式バレンタイン、義理にもいろいろありますね。
>>470ん〜、どうすっか。元武士だった家は、返ってその辺に執着や自尊心
みたいの有ったかもな。だからこそ逆に普通の家系よりも先祖のことが語り
継がれた・・実際はわからんが。
501 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 00:43:59
>>500 多摩の辺は、後北条系とか、武田系統のも多かったとか。
鎌倉時代にはブイブイいわせたものだ、とかいう感じじゃないかな。知らんけど。
>>502 武蔵七党は、前身も含めたらもっと古くて平安時代後期からかな。
504 :
武陽隠士:2008/02/07(木) 01:05:58
505 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 01:08:25
>>504 そうそう、そういう調子でちゃんとやれば人間扱いされるから。
平安時代にはブイブイいわせたもんだべ、くらいかな。
506 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 01:22:19
>>496 まぁ、田舎者だよ。
生まれも育ちも南馬込だからね。
508 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 01:27:33
何故か忍たまスレから来た。
>>509 奥多摩は江戸では無い。
じゃあな
511 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 02:41:14
変な自演
三多摩育ちでいまや港区山手線内側住人が教えてやろう。
滝山のちに八王子城主北条氏照関係の古文書を集めた史料集に
土豪の土方家についての書状がいくつかおさめてある。
不審人物往来社のいい加減な新選組本なんか読んでないで
そういうのを買って読め。
自演じゃないが、奥多摩生まれは江戸っ子ではない。
江戸っ子=下町生まれ
久々に来てみたらスレチの多い事、多い事
>>512ほぉ〜。
>>466三田村鳶魚「江戸百話」殿さんは浅野長勲(ながこと)ちゃん。
三田村君がたびたび訪ねて直に聞いたって稲垣史生本にあった。
稲垣本に曰く、
脇息は公家ちんのもの。分厚い座布団は役者、遊女の。大名は一軍の対象
故に日常生活にこんなものはとんでもはっぷん・・だったんだってさ。
脇息は60歳以上に限られたんだとさ。
どこまで正しいか知らんがね。御家にもよりけりかもねぎ。
517 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 20:28:06
今NHKの鞍馬天狗見てんだけど、幾松って小浜藩の武家の出ってホントなの?
518 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 20:44:47
ウィキィによれば父は若狭国小浜藩士木崎市兵衛、母は小浜藩医師細川太仲の娘・末子。
実家が生活苦になったため、公家の九条家諸太夫の次男難波恒次郎の養女となる。しかし恒次郎が享楽に耽り、遊ぶ金が底をついたため三本木の芸者にさせられ、幾松(二代目)を名乗らされる。
野村天狗俺は楽しめてる。いまどきの時代物にしては、珍しく
刀の見せ方を意識してるみたいだな。樋とか入ってるもんね。
鏡面だし。いいねぇ〜。
521 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:25:20
鏡面っていうか、ジュラルミンやダイカスト製ではなく亜鉛と真鍮の合金製の模造刀つかってるようだね。
どうせなら桂の刀も写真にあるような寸が短い物にしてほしいねえ。
522 :
武陽隠士:2008/02/07(木) 23:26:37
>>513ほか
君たちは地方の人なのかな?
その定義は厳密には間違い。
例えば君たちからすれば憧れ(?)の新宿、品川、千住、小岩、葛飾、板橋、巣鴨etc.みな江戸じゃない。
江戸は実は狭い。
ちなみに朱引きと江戸っ子のいう江戸の範囲は全然違うので間違えないように。
523 :
日本@名無史さん:2008/02/07(木) 23:30:08
だれでもそのくらい知ってるよ
まったくだな。恥ずかしい知識のひけらかしは勘弁してほしい。
常識依然だろw
>>521 全くだ。小五郎の実際は短い。緒方勇の柄頭は長脇差使用か。
土方鞘は
>>456が言ってるみたいに赤っぽい。石原と石黒は
桂&桂だったな。
526 :
武陽隠士:2008/02/08(金) 00:09:27
>>523>>524 常識って、遊郭スレで同じこと書いたら
さんざ反論(無知ゆえのね)されたんだよ。
もしかしたらあのとき私に論破された人たち。
だったら悔しい気持ち分かるよ
>>518 >ウィキィ
www、まあ大河板に常駐してるウッドベキアに比べたら
可愛いもんだな。
>>522 522は中途半端で知ったかレスで、史板では有名なコテさんです。
他のスレでも、今さらな江戸の範囲論をぶちかまして
笑われています。
>>529 別にいいんじゃない。似たようなのは無数にいるわけだし。
531 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 00:23:44
鞍馬天狗はフィクションながら各々の差料はまずまずの出来だね。
521がいうように桂の差料はもっと短く(2尺1寸くらい?)すればいいと思う。
斬りあいシーンは模造刀でいいが抜いて間合いを計ったり静止しているシーンでは真剣使ってほしいな。
>>531 > 静止しているシーンでは真剣
それ、昔からやってることがありますな。
セリフを言うごとにプルプル震えるチャチなのではない、ちゃんとホンモノしてるの。
>>532 真剣を持たせると、役者がびびって迫力が無くなるらしいよ。
534 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 13:34:12
535 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 13:47:35
なんでしったかブヨーがいるんだよ!
折角の良スレが台無しだ
536 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 14:38:57
天狗の覆面だけど、独特だよね。
あの巻き方って一般的なわけ?
志士時代の陸奥宗光が鞍馬天狗覆面で写真撮ってるね。有名だが・・
538 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 16:46:16
イカの耳覆面は布一枚じゃ無理な気がする。
あの巻き方になんか名前があるぬかな?
539 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 16:48:55
鞍馬天狗スタイルって陸奥陽之助の着流しに覆面の写真からヒントを得たんじゃないかな?
着流しの武士の写真って少ないよな。
540 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 16:58:52
「イカー、イカー」っていじめられるやつか
541 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 17:19:29
覆面っていうか頭巾か
>>538 宗十郎頭巾、んで『イカ』の部分は飾り布で別パーツっぽ
543 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 18:19:17
その名は錣(しころ)
イカではいかんの
545 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 18:36:08
>>544 ダメなんだよ。イカの方が、いかしてるんだけどね。
546 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 18:36:29
高杉晋作も着流し姿の写真あるよね。
陸奥の頭巾に着流し、刀は落とし差しの方がかっこいい。
547 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 18:57:00
>>539 ま、着流しなんて今で言ったらTシャツに短パンってところだからね。
今でさえその格好で写真館に行って撮ってもらおうとする人はいないだろう。
>>547 Tシャツに短パンは、人足スタイルの半襦袢に股引じゃないかな。
着流しはちょっとしたお洒落着という感じがする。
しかし結構面白いな、みどもには。
チャンバラも最後の方だけでなく結構有るし。製作側も
重圧感じず楽しく作ってんじゃないの。大河と違って。
脚本の段階で痛快、愉快、爽快に仕上がったんだろうな。
テンポも良いし。と、我想う。
>>534 勝新の息子がイイよ。
何の躊躇もなく真剣振り回すから。
551 :
武陽隠士:2008/02/08(金) 22:50:56
>>534他諸兄へ
模擬刀竹光などでも真剣に見える…これが芸だろう。
本身じゃないと緊迫感乃至真剣に見えないというとなら役者としては三流だ。
俳優の故月形竜之介は真剣に見えるように重い感じで竹光を操って芝居していた。
「刀は重いもの」という意識を常に忘れないのが月形竜之介の立ち回りの心得。
勝新のドラ息子は月形竜之介の爪の垢でも煎じて飲むとよかったのだ(あの「事故(?)」の時はすでに月形は物故者だったが…)。
水戸黄門が和歌山に行くと、後の徳川吉宗の若かりし頃に出会うという話しが
たびたび描かれるけど、この2人は現実に対面したことがあるのかな。
553 :
武陽隠士:2008/02/08(金) 23:33:58
そうなんだ。やっぱり。
吉宗が綱吉に拝謁して「吉」字もらったのが1697年
肛門は1690年に隠居し1701年死去
つまり年代的に全国徘徊途中に会ってても問題無いわけだね
>>533 そりゃ、殺陣なら刃引きだって危ないじゃない。
そうじゃなくて主人公のアップとかの話。
558 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 00:20:03
鞍馬天狗はいい意味で肩に力が入ってなくていいね。
新撰組の隊服はお馴染みのだんだらだけど、刀や袴地とか倉田の帯とかもわりとよい。
>>556 ま、ニュートンが顔を出しても問題はないというのと似た話だな。
560 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 00:32:47
>>557 そうそう。刀のアップや静止してるカットでは本身使えって話だよな
変なことはしないからと女を部屋連れ込む、最初は何もしないがいずれ…
約束や決まり事は現場の雰囲気で流れていくもの
黄門さんは幕末に隆盛した工芸品の職人さんに会う話はよくある印象
563 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 01:02:15
水戸黄門ってどうしても好きになれないんだよな。
あの内政干渉ぷりとか三家の隠居のクセになしてんの?って感じで。
柳沢の方がよっぽどものの用に立つ侍だろっていうのw
俺はテンプレ型の連作は、安心して見れるから好きだけどね、
強くてかっこいい正義の味方が悪をバンバン倒す、爽快感以外残らないから何度でも楽しめる。
>>564 それと全く同じ「原理」で、考証がいい加減だとイライラする人がいると。
関東のうどん屋に行ってこんなのうどんじゃないとのたまう関西人のごとしだな
>>566 なーにいっとりゃーす? うどんよりきしめんだぎゃ。
>>562 富山の薬売りの元祖と出会う話しもあったね。
>>566 オレは関東の人間でどちらも美味しくいただけるが、どちらかというと関西風の方が好きだなあ。
最近は醤油をちょろっとかけるだけなのが、一番上手く感じるけど。
570 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 12:05:22
天狗の京都市中 お馬でパカパカは時代考証的にOKなの?
結構、裏路地や細い道が多くて、夜でも人通多いとおもうけどなぁ
大通りも今より狭かったはずでしょ。
571 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 12:48:52
西洋馬の時点でアウトなんだな
572 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:02:14
大河ドラマの戦国物とか巨匠監督の撮る映画とかで、
着物が地味で小汚いのや、セットが薄暗いのは勘弁してほしい。
勘弁ならねえ!
574 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:23:47
>お馬でパカパカ
そういや、馬も蹄鉄の代わりに草鞋履ていなかったか?
575 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:26:17
仮にだ、黄門が諸国を漫遊してたとする。
ご一行様の荷物を運んでたのはダ〜〜レェなの
とつっ込む おいらはバカだろうか
576 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:34:24
最近のシリーズでは、国許から為替が届いたとかいうセリフがあったので、
必要なものは旅先で買ってるんだろう。
577 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2008/02/09(土) 13:56:23
>>548 袴は正装の一環でしたからね。
江戸後期の江戸の町人の正装は、
・家と土地を共に借りて経営している者で羽織のみ
・土地のみ借りているもので羽織袴
・土地も持っていて裃
が許された筈。同心(維新後は卒族)は袴なしでしたが、騎乗できた与力の
方(維新後は士族)は袴ありでしたし。
普通はわざわざ地位の象徴でもある袴を脱いだ姿にはならないでしょう。
>>574 長距離を移動する場合はそうですね。目的地についたら脱がせた。
痛みも早かったですし、普段からつけてはいなかったようです。
大河ドラマで衣装の考証をしていた小泉清子さんが気になった時期
があった。どこかの和服屋の社長だった気がするが、キョンキョン
に似ているのだろうか?
>どこかの呉服屋の社長
yes 今は会長だったかな
>キョンキョンに似ている
全然w むしろ元禰ママに似てなかったかな
時代考証するのは、観ているファンそれぞれの許容範囲でいいんじゃないの。
捕物関係なんかは「刑事物 江戸時代風味」って思っておけば多少許せる。
俺は剣戟シーンが好きだから、芸術的殺陣が観れれば満足してしまう。
まぁ、勉強中の人達が時代劇みて誤った風俗なんか覚えてしまったりしたら
いけないけどね。
>>577 同心が着流しだったのは、どちらかと言うと、
着流しが、町方として町人風で粋だったからでしょう。
与力は馬に乗れたけど、誰も騎乗で奉行所には来ない。
卒族って1代限りの軽輩武士ってことは、同心は世襲じゃないのかな。
子供たちはどうしたんだろ。
>>582 形式上は一代限りだが親が引退するとその後釜に『新規採用』というかたちで入り
実質世襲状態、
584 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 17:50:15
与力同心は一代限りと決められていたが
慣例として、世襲していた。
しかも、大商人から付け届けがあったり、懐具合も良かった。
585 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 17:50:55
郵便局長みたいなもんか
587 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:00:14
>>584 それで婿殿の藤田まことは小判をへそくりにしていても家族は違和感を持たなかったのか。
588 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:12:46
同心でも、八丁堀の拝領屋敷は200坪ぐらいが普通だった。
主水も婿に入った当時は、きっと喜んでたよ。
589 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:13:13
同心でも、八丁堀の拝領屋敷は200坪ぐらいが普通だった。
主水も婿に入った当時は、きっと喜んでたよ。
590 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:34:43
婿殿はもともとどの程度の家格、経済状態の家の出なのか。
似たような家格の家の次男三男と考えるのが一般的ではないかな
主水の先祖が足軽ってことが
分ってがっかりしていた回があったな。
593 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:54:31
中村主水の役職の変遷
佐渡奉行同心見習い→北町定町廻り同心→南町定町廻り同心→南町牢屋見廻り同心→南町定町廻り同心→
八王子甲府勤番所同心→南町定町廻り同心→南町石川島百軒長屋廻り同心→富岡八幡宮への橋の通行料徴収係→
→南町奉行所定町廻り同心→南町定中役同心→南町奉行所定町廻り同心→死去→南町書庫番
同心は30俵2人扶持でしたか?
嫁姑からの扱いを見ると、同格もしくは格下に思われるが、
二人ともプライドが高そうだから没落した格上から拾ってきたんじゃないかと推測
一番最初の同心はどんな家系の者が成ったのかね?
幕末の見回組みたいなのは直参の2,3男坊辺りの様だけど
同心も幕臣の末の末の末くらいの者達の中から選出されたのかな。
八王子千人とは違うし。
どっかで同心株売ってませんか。将来成りたいんですけど。
598 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 19:14:05
シーランド公国なら、爵位が買えるよ。
Wikiみてたら金さん痔主で馬乗れなかったんだ、、、なんかショック
あれ自称で非公認では・・
大岡越前も凄い痔持ちだったんよ
金さんはあとちょっとで明治行ったな。
マムシ鳥居耀蔵は維新迎えたけど。
603 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 19:44:07
>>602 あとちょっとでって、13年もあるがなw
604 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 19:56:36
大岡でも遠山でもそうだが町方同心が二本差しなのが気になるんだよな
町奉行所の同心は30俵2人扶持が標準、物書並以上33俵、年寄35俵とか、
多少の差はあったそうです。
ちなみに同心の階級は以下の10階級。
年寄・増年寄・年寄並・物書・物書並・添物書格・本勤・本勤並・見習・無足見習
功績とか永年勤続とかで10俵程度の加増も有り、
中には100俵程度まであったとか。
佐渡奉行の同心は30俵2人扶持から15俵2人扶持までですから、
給与レベル上は多少上がったのでしょうか?
与力の方は230俵から120俵までで平均で約200俵だそうです。
与力・同心とも初期の奉行が三河から連れてきたり、
現地採用(江戸)とかいろいろだそうです。
与力には千葉氏の旧臣とかもいるそうです。
牢屋同心は、20俵2人扶持ですが、
最上位の鍵役が40俵4人扶持、数役・打役25俵3人扶持。
町同心より格下なのになぜか譜代席です。
ざっとみたところ御先手・定火消等武官系の同心は、
30俵3人扶持から15俵2人扶持までが標準のようです。
町同心は職務上やや給与的には優遇されていたのかも?
607 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 22:02:36
町方与力では仁杉氏など小田原北条氏の旧臣と思われるものもいるな。
ところで佐渡奉行の同心から町奉行所同心への役替えなんて実際あったのかな?まず無いと思うんだけどね。
608 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 22:07:04
町奉行所の与力同心が甲府勤番、甲府勝手なんてありえないね
609 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 22:25:15
基本的に地付き役人である町方与力同心に移動はないでしょ。
京都町奉行所の渡辺金三郎などの与力同心が召返されたのは幕末の例外的措置だな。まあ途中石部宿で首取られたて江戸まで行けなかったけど。
幕末古写真に取り調べの演出写真は有るんだが、同心がいない。
同心の写真って残ってないの?
611 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 00:25:48
下級武士の生活なんていう本に同心たちの写真があったような記憶が・・・
話に聞くように広い月代で着流しに一刀を差した姿だったよ。
612 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2008/02/10(日) 01:02:07
>>581 町方の格好が意気で知られたのは事実ですが、勤めの格好が「町人風で粋だったから」
なんてもので決まりますか。そもそも袴着用の資格があったものか。
与力は事実幕末までほとんど騎乗していませんでしたが、資格を有するという点で大
きな違いがあったと見ていいでしょう。
>>592 そもそも、幕府には足軽の制がなく、同心が相当したというのが一般的な説明だった
と思いますが、それは元々高位にあったと期待していたということですか。
同心への付け届けは、本人たちは否定していましたが、公然の秘密であったようで。
同心の屋敷が50〜60坪、与力が400〜500坪もあって、医者や儒者に貸し出
しもしていたといいますから、うらやましい限り。
613 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2008/02/10(日) 01:14:51
失礼。元々、同心が羽織袴、与力が継裃であったのが、幕末になって与力も
羽織袴で出るようになったもの、だそうです。
同心の着流しは、定町廻りなどの市中巡回の際に「そうすることもあった」
というもの。ただ、おおっぴらに出すものではなかったようです。
八丁堀の牢と言っても、今で言うと拘置所で未決囚だけだったんだね。
615 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 01:44:47
>医者や儒者
八丁堀の七不思議てやつね
私は町方同心は勤務中袴をつけることをゆるされていなかったと解釈している
616 :
武陽隠士:2008/02/10(日) 01:46:10
>>614 永牢があるから違う。
私の敬愛する高野長英先生は一生牢にいなければならないと絶望したとき、
牢火付け計画を立てられたんだよね。
長英みたいな凄い奴、今だっていない。すげえや。
617 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 02:27:53
高野長英が永牢になったのは伝馬町なわけだが?
618 :
武陽隠士:2008/02/10(日) 02:35:18
>>617 げっ。すまないレス読んでなかった。
てっきり伝馬町の話かと。(><;)
永牢という牢がどこかにあったの?
614と616を読むと何かそういう牢があったみたいだけど
今で言うと 終身刑
江戸の治安というのは実際どうだったのでしょうか、気になるところ。
殺人については、数日の捜査で犯人が不明なら迷宮入りとか
容疑者逃亡ならお尋ね者だが、実質追捕する事は無いとか
殺した死体を川に流せば、回収される事もなく完全犯罪とか
10両盗めば死刑とはいえ窃盗は非常に多かったとか
同心与力の人数を考えれば、犯罪は非常に少なかったとか
ああ、気になる。
与力、同心という語源を考えるとどうかな?
与力は総大将から貸し与えられている武士だし、同心とは陣借りのようなもんだろ?
このへんから、一代限りの町方役人の発祥は想像できんかな・・・
それっぽい史料がいまないしね、ググってもわからんだろうけど。
与力同心は町方だけじゃないしね
町奉行所の寄騎同心の成り立ちは関東総奉行関係か加賀爪民部の史料があったと思う。なんだったっけ?
一般的な御家人と決定的な違いは軍務に服さない組織だってところだよね。
625 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 08:23:19
逆に、大番組とか書院番組とかに付属してる与力・同心の職掌がわからない。
町方の同心はよく見るけど御徒士ってあまり時代劇に出てこないよなぁ。
大番与力・同心は二の丸銅御門の警備、江戸府内巡行警邏。
二条城・大阪城在番の際は城門警備。
書院番与力・同心は中雀御門警備。
が平時の職掌。
戦時は番頭直属の予備隊ないし警護隊ってところでは?
628 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 09:42:17
大番与力・同心の職掌に江戸府内の巡行警邏があるってことは、
実は江戸の治安維持は町奉行だけの仕事じゃなかったんだな。
629 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 09:43:02
御番方は時代劇では出番がないんだよ。
よく銭形平次・江戸っ子の「神田の生まれよ」って、あの近辺は
権現様と一緒に江戸へ来た「同じ三河の・・・」と言う意味と
聞いた事があるけど
徒とかは職掌上は庶民との接触が少ないから話に絡めにくいのかな。
それと将軍の警護とかにあたる職掌から
本来の武士に表芸である武芸で認められる機会が多かったらしくて、
わりと勤務・武芸に励む人が多かったらしい。
そう言う意味で不良武士も少ないから出しにくいとか。
632 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 12:40:51
634 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 15:49:23
>>633 写ってなかった。
十手は同心は帯の後ろ、与力は懐中にに差してたんだろ。
>>634なるほどね。
まあ、同心のはショートサイズだったような記憶あるから
武器ていうよりも警察手帳みたいなものだったんかね。
手持ち資料を確認
雄山閣生活史叢書17「下級武士 足軽の生活」笹間良彦著
に「同心の出勤姿の写真」と「与力同心の捕物出役の写真」って言うのがあった。
出勤時は十手は見あたらず。
捕物の方は、与力は確認できない、やはり懐にでも差しているのか。
同心の方は3人とも手に持っているように見える。
>>636その写真って幕末に撮られた外国人向けの
演出写真かなんかかな?十手は捕縛に出動すると
きは別のロングサイズかなんかになるのかな。
機会あったら写真見よっと。右門捕物帖しっかり観とけば良かった。
御先手弓組とかの加役火付盗賊改方の同心はふだん何してたのかね。
設置期間もとびとびだし。
小普請?町方と違って世襲かな。
火付盗賊改方てのはひどいお役目だったらしいね。
自宅を事務所に提供して、手先の賃金を払って、たいした役料はつかなかったらしいし、
ついには、自宅内に賭場を開いて稼いで摘発されたりしてるし、ひどいもの
>幕末に撮られた外国人向けの演出写真かなんかかな
多分そんなものだと思う。
同じ作者出版社の「江戸幕府役職集成」の挿絵に、
「捕物出役の与力と同心の服装」って言うのがある。
それだと同心の十手の方が与力の方より長く見えるな。
本文の説明だと与力は指揮十手、同心は実用品とある。
建前上本役が御先手で火付盗賊改は兼務(加役)ですから、
火付盗賊改でないときも無役なわけではないです。
それと本来の頭配下の人数(与力5・同心30)だけでは不足なので、
他の組から与力5騎・同心20名を借りてくるそうです。
19世紀中頃には本来の火付盗賊改の他に増役が7名もいたそうで、
定火消10組と合わせると28組の2/3近くになりますね。
想像ですけど手伝いの与力・同心って主に前役の配下じゃないでしょうか。
642 :
武陽隠士:2008/02/10(日) 18:26:21
前にあるスレでトリップなし宣言したのだが
まあそれはさておき私のトリップつき偽物が出てきたので
ご用心。
こいつの低レベル(どうせまともなこと書く能力はないだろW)な発言の責任は
一切関知しないのでそのつもりで。では
お武家さんの家の刀って代々個人毎に新調すんのかな?
もちろん前代等の名剣を譲られることもあろうが・・
もし、個人毎だったら、武士の家には刀ありふれそう。
それとも、故人と一緒に墓行きかな。リサイクルかな。でも身代如何かな。
まあ、たとえ新調だったとして何本も子孫宅に残ってたとしても
戦時下に没収されてるか。
戦国末期から江戸初期までは、三河弁が標準語だった。
でいいのか?
京の麻呂語だろう
646 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 20:05:05
>>643 一部上級武士は埋葬したが、刀は欠陥がなく健全である限りは受け継がれたと思われる。
こしらえは傷むので度々修理し新調もした。
武士の家ならば、元服用、平服用、殿中差し、祝事・仏事用、旅行用などTPO毎に大小は数々揃えてあっただろう。
必殺仕事用の柄のほうに刃が仕込んであるやつの本身の方って
どうなってたんだろう?
648 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:12:25
そんなの実際はなかっただろ。槍ならあったが
649 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:07:00
映画「大奥十八景」で、将軍が側室とセックスするとき、
側室は全裸にされてるのに将軍は白の寝巻きを着たままだった。
実際にも将軍は着衣のまま、行為に及んだのだろうか?
将軍様はともかく側室も寝間着まとったままでしょう
浮世絵春画見ても当時の一般ピープルですらすっぽんぽんはいない
そりゃ、まあ、 画に成らないから かと
ナイスな突っ込みw
>>646そうかぁ〜。
普段の大小だけでなく様々な儀礼用もあったんだ。
一人分でも結構な数だ。そういえば、刀箪笥なんてのも
聞いたことあるが、そこに保管しておいたんだろうな。
結構武士は金持ってなかったらしいからそんなしょっちゅう
刀買えないかもな。
武士が地方に旅する時や狩りなどをする時は堅牢な半太刀を差すよな。
幕末の新見や小栗ら使節の武士たちも半太刀もって撮影してる。
殿中差しは縁頭に柄糸が被るように組まれ丸鍔が一般的。
平常時に差す刀も流行りもあるから剣術に心得のある武士は自分にあった刀を買ったのだろうな。
655 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 03:13:36
内匠頭が吉良に斬りかかった経緯などよりも
公坊様のお膝元で高家屋敷内に武装した浪人が徒党して討ち入って首を挙げ公儀より切腹の沙多を受けた史実が重要だわな。
>>647 有用性がありそうにないから、単なる冗談じゃない。
657 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 08:36:02
博徒って実際は強かった?
博打で儲かるかいなかは、腕のよしあしじゃなくて盆を開いて
いかに鴨客をおびき寄せるかにかかっている。
博徒っていっても要するに胴元のことだったんでしょ?
そう
博徒はいわゆる管理賭博
客の間で賭金が動くつどカスリを取る
660 :
武陽隠士:2008/02/11(月) 11:56:53
>>650 ああいうのはオナニーのネタだからね。
古書店にある春本なんかに時々、妙な汚れとか手垢とかあったりする(笑)
よほどツボにはまって何度も使われたんだろうか
662 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 12:17:51
縁起物というか魔避け
教則本
664 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:42:04
>>661 話題が話題だけに、縁起物が勃起物に見えてしまったじゃねぇかw
665 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 17:54:06
そういえば戦前くらいに中国古典の官能系小説が出版されたやつを古本屋で見たことがある。
検閲によって文章の半分くらいは○○○という感じで伏字になっていたが、元の持ち主が
すべて手書きで文字を入れていた。
男なら共感できてしかるべきだ。この種の執念は凄まじいよな。
古本屋のけっこう仮面もベタの部分擦った後があったなぁ
金瓶梅あたりか?
668 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 20:46:42
作品名は覚えていないが、そんな有名なものじゃなかったように思う。
669 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 22:13:07
新春に、殿様から家臣に春画が下賜されていたというのは、本当でしょうか?
それは無いが、
姫様の嫁入り道具というのは有るなぁ
671 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 22:52:16
嫁入りにはハマグリもあったらしいね
いわゆる貝合わせというもの?
>>647 隠密同心井坂十蔵の刀なんて柄を鞘はめ込んで薙刀みたいになんぞ。
あれも仕組みがよう解らん。
674 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 00:54:44
子連れ狼のツッコミどころ満載だよな
>>674 何か文句がござるか?
∧ __∧
( `・ω・´) チャーン…
.ノ^ y ヽ-,o('A`)
ヽ,,ノ===lヽノ | ̄ ̄/
/ l | !.o‐o'
"""~"''"'"""''~"'""~"""~"'""''
殺しで得た金をコソコソ隠しに行く拝一刀
>>676 なーにいっとりゃーす ちゃーんと銀行に預金しとるがね。
∧ __∧
( `・ω・´) チャーン…
.ノ^ y ヽ-,o('A`)
ヽ,,ノ===lヽノ | ̄ ̄/
/ l | !.o‐o'
"""~"''"'"""''~"'""~"""~"'""''
678 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 13:17:28
だいたい公儀介錯人って何だよ?
江戸時代生まれの人にあったことある人って、結構いるよね
680 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 14:12:42
>>670 いやいや、実際、正月に殿様が家臣に春画を渡していたそうだ。
おいらも何かで読んだ覚えがある。
結構、子孫繁栄の演戯かつぎもあるのかもね。
>>679 江戸時代生まれの人にあったことある人にあったことある。
>>681そういえばうちの母が子供のとき存命していたばあちゃんは
当時90いくつで幕末にうまれている。
683 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 15:43:35
>だいたい公儀介錯人って何だよ?
実際には無いだろう。子ズレの中の作り事。
時代劇で実際には存在してなかった職業てたまにある。
中町奉行所は実在みたいだけど。テレビでは誰が奉行
だったか忘れた。いつやってたかも忘れた。同心にジェリー藤男がいたきガス。
十手の房が水色っぽかったような。あれは本とかな?
時代劇で実際には存在してなかった職業てたまにある。
中町奉行所は実在みたいだけど。テレビでは誰が奉行
だったか忘れた。いつやってたかも忘れた。同心にジェリー藤男がいたきガス。
十手の房が水色っぽかったような。あれは本とかな?
↑すまん重複してしもうた。
687 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 16:42:14
中町奉行所は実際に在ったが、設置されてた期間が短かったような。
すぐに、南北の二奉行所に戻された。
時代劇で実際には存在してなかった職業てたまにある。
中町奉行所は実在みたいだけど。テレビでは誰が奉行
だったか忘れた。いつやってたかも忘れた。同心にジェリー藤男がいたきガス。
十手の房が水色っぽかったような。あれは本とかな?
あんたしつこいよ
武装同心隊
691 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 18:38:12
必殺仕置人
闇鍋奉行
大阪町奉行所には首打足軽とか言うのが実在したそうだ。
この間読んだ「大阪町奉行所異聞」とか言う本にそんなことが書いてあった。
元禄14年(1701)から享保4年(1719)の間存在したらしい。
695 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 19:26:05
吉良邸討ち入りで江戸中騒然としたから、
中町ができたのか?
>>689申し訳ない。>>688はいつのまにか書き込みクリック
してしまった。今見て驚いた。すまん。
697 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 20:27:21
打ち首と介錯は全然違う
698 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 20:54:48
打ち首は首をさらしたが
介錯で落とした首は、糸で縫いつけて家族に引き取らせた
と聞いたことがあるが。
中町奉行所の設置は元禄15年と書いてある本もあるな。
どちらが正しいんだろう?
中町奉行所を調べてもその存在と歴代5奉行の名前くらいがせいぜい。
設置理由わかんねぇ。疲れた。
月番交代で非番月は訴訟他は受け付けないということだと、事務が結構煩雑だったのかな。
>>701 細分された地域ごとの自治が効いていて、受け付ける業務の件数自体が少なかったものの、職員の絶対数が異常に少なかったとか。
森繁久弥が生まれたときにはまだ公爵徳川慶喜が生存していたことは
有名な話?
704 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 12:59:40
うちの祖母が女学校時代に渋沢栄一を見たっていってたよ
いまよ、NHKの「慶次郎縁側日記」の再放送見てるんだけど、
定廻り同心の新造にしちゃあ安達祐実はいい着物を着てやがるな。
清廉潔白なふりして旦那も貰うもんは貰ってたわけかい?
>>703慶喜は大正まで生きてたから明治に生まれてる人なんか
だと確実だね。昭和天皇なんか維新の生き残り達に何人もなまで
会ってんだろうな。
嫁の実家がごっつ金持ちとかじゃねの
708 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 16:48:58
>>705 そのとうり、時代劇で武家の女の着物は豪華すぎる気がするよ。
母子で着物を受け継いだりしてたんでしょう。
洗い張り何度もすると、着物がへたるしね。
だいたい下級の武家は、綿の着物じゃないのか。
709 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 16:58:35
小紋柄の銘仙?ぽい着物だったな。定廻りなら袖の下はもらってたでしょう
710 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 17:11:36
御家人は旦那様と御新造、ごく下級になると旦那と御新造さんだそうだけど、
そのごく下級ってどのへんだろう。
徒とか支配勘定とかは立派な御家人だから旦那様だろうけど、
同心あたりは旦那?、同心は御家人に入らないと言う話もあるみたいだし。
中間とか黒鍬・六尺なんかそもそも御家人だろうか?
なぜか町与力の妻は旗本並みの奥様。
>>710 「とうとうみ」がなぜか変換しないので
「遠い」って打って「い」をbsで消して「江戸」って打って「戸」を消します
同心はともかく与力の方は本人家族みな大名からのもらい物の絹を着ていたらしい。
同心も貰ったんだろうが、さすがに着用は僭越とか言うことになるのかな?
とおとうみ
>>715 正解です
続いて第2問
ほうき(なぜか変換しない)
渋江抽斎の妻の五百が奉公先を探すときに
その家の者が木綿を着ているところが気に入ったという箇所があったけど
普通は絹を着ていたんじゃないかな。
どのクラスの家かは失念したけど。
>>703 そもそも、お父さんが江戸時代生まれであった筈です。安政年間とか。
720 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 22:03:47
>>717
幕府も何度か質素倹約のお触れを出してるし
地方の藩士はほとんど木綿だな
裕福な商人は裏生地に絹を使ったこともある
721 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 23:14:12
>>720 > 幕府も何度か質素倹約のお触れを出してる
当然、「絹が流行って珍しくもなく普通だったから」ということですな。
722 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 23:49:03
絹服は高くて持ちが悪い
不経済
724 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 00:36:13
>>723 まあそれが贅沢品たる所以なんだよな。
絹の光沢と肌触り、豪奢な着物はいつの時代も憧れ
>>724 光沢だの肌触りだのはどうでもよくて、衣類といったら登山用にしか凝らワタシは吉宗さんとと話が合うかな?!
ところで、絹の衣類は着たこともないけど、持たないってのはどの程度なの?
綿とかの何分の一とか?
>725 途中が抜けた。
登山用にしか凝ら ワタシは
ない
>>725 徳川慶喜に使えていた女中の回想だが
「時代劇を見ていても女優さんの歩き方がなってないのが気になります
姫様達は(引きずった)裾を巻くようにして歩かれるのでございます
勿論この歩き方では裾が傷みやすくて 1ヶ月ほどでだめになった のですが
そのようなことは気にしなかったのでございますね」
みたいなことが書いてあった。
ソースは『女聞き書き 徳川慶喜回想』(現在絶版)
728 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 01:13:23
>>727 あっと、絹の衣類で普通の作業をしたりしないから、ストレートな比較はないわけね。
> 姫様達は(引きずった)裾を巻くようにして歩かれるのでございます
「巻く」の意味が分からない。何か知らんけど、オイランの道中みたいに外から回してくるとか言う意味? 裾をスリッパ代わりに足に巻くようにする???
他にメジャーな素材として紙衣とかもあったんだけど
時代劇で使われてた印象がない
730 :
武陽隠士:2008/02/14(木) 01:22:42
>>729 歌舞伎には出てくる
破産した若旦那が着てたりする
ずさんな考証をこうしようと交渉しよう。
>731
ァ ∧_∧ ァ,、
,、'` 。゚( ゚^∀^゚)゚。,、'`
'` ( ⊃ ⊂) '`
∧_∧
( ;;;;;;)
. ∪ ;;;i. ふぅ〜、今日の仕事終わり。
i ;;oi.
(ノ''''''ヽノ, , , , ,
>>731 飯研連行の上
リアル南大門と共に焼肉の刑に処す
734 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 11:21:32
女ってシルクの下着をもてはやしたりするが、ありゃ元々芋虫が口から排泄したタンパク質だぞ。
虫ならきもいなどと大騒ぎするくせに、なぜ布地になったとたんに認識が変わるのか。
735 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 11:46:27
>>734 毛深い人が嫌いと言うくせに、毛蟹は好きっていうのと同じパターンだな
>>727 大奥の女性や花嫁衣装の打掛は後ろを引きずっているからすぐにダメになりそうと
素人目にも思うのに現実ではダメになって普通って認識だったのか。
737 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 13:32:02
>>735 ぜんぜん違う。それに類似したたとえであれば、「毛深い人が嫌いと言うくせに、
毛深い人の男体盛りは好き」っていうのと同じパターン」だ。
裾や襟などの傷んだところだけ
張り替えるんでしょ?
下級武士は背の低いエラの張った役者だけにしてくれ。
つまり <丶`∀´> 限定にしろ、ってこと?
でも<丶`∀´>は背は高めの人が多いような気がするが
やっぱり北方系の血が強いためだろうな。
現代朝鮮人における北方系(五胡とかの子孫)と韓族(三韓系)の割合って、
平均すると7:3か8:2くらいの割ではなかろうか。
742 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 20:25:58
MHKの鞍馬天狗、所司代に出頭した近藤の紋付がリアルな綿服だな。
743 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 20:32:53
新撰組の隊服の色が微妙に違うんだな。
あせた色が古参で鮮やかなのが新入りって設定か?
近藤の紋付きが妙に色褪せてたね
745 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 20:56:01
昔のひとは固いものばっかり食ってたからアゴが発達していた。
だから近藤勇のようにエラが張る。
でも上流階級は気持ちが悪いくらい面長だよね。
外国人は統治者と非統治者がちがう民族だと考えたらしいけど。
階級が固定したまま更に千年くらいたてば実際に別人種になるんじゃないかな。
1万年位すれば亜種になり、いずれは別種になる。
748 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:20:15
まあ階級の固定が長くは続かないのは歴史が証明してるんだけどね。
イギリスの上流階級はみんなでかいそうだよ。
750 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:45:31
>>737 つまんね。お前、KYってよく言われるだろ。
まあ日本の場合は嫡子優先では在っても庶子排除じゃないから、
母方をたどれば祖父母か曾祖父母の一人や二人がど庶民なんてありがちで、
階級が固定しても別人種にはならないかもしれない。
西欧は貴族同士の子でも庶子は相続から排除される建前。
朝鮮では庶子は例え宰相の子でも賤民だった。さすがに王子は別だけど。
もっともそれは建前で官僚の子は軍役に付くことにより良民となれた。
とは言えそれでも差別はあって、官位の上限があったが。
なんか こう 部分的に落語の大切りか何かになっているような気がするのは単なる気のせいだろう。
>750 うるせーい
パンパンパーン
∧__∧ ∩
(,,`・ω・´)彡☆
⊂彡☆))Д´)
☆
754 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 23:01:23
>>751 西洋は…
それでも王様ともなると庶子は公爵に成ったりしてるよね。
チャールズ2世とネル・グウィンの子のSt Albans公爵とか。
御家人で、仮に三十俵二人扶持とするとかつがつの生活になる。
二人扶持は家来の分ということですが、当然雇えない。女中も無理。
炊事と家事はご新造がするとしたら、当然ふだん着は木綿でしょう。
そりゃ、晴れ着ぐらいは絹だったでしょうが、すそは長くない。
それに、いざと言うときは質草。
普段から絹の着物引きずってきてたのは、お嬢様かお姫様ぐらい。
時代劇の武家の妻女はふだん着に良い物着すぎだと思う。
鬼平の奥さんは家内では裾を引きずっているし、
旗本退屈男(大身の旗本)の妹などなら
良い着物を着てても可。
着物に関しては歌舞伎の華美さをひきずっているし、
映像での衣裳の豪華さは今さらどうしようも無いことだと思う。
女の髷っていっぱい種類があるんでしょ。
俺が見ても皆一緒に見える。誰か詳しい人よろしく。
>758さん ありがとう
幕末のヌード写真を見ると、結構おっぱいの形が綺麗な事に気づいた。
普段から晒しかなんかをまいてたんだろうか。
>幕末のヌード写真
ああいう写真のモデルはラシャメンとか芸者崩れとか
その道のプロの女性だろうから・・・
そりゃ 写真写りの良いように モデルを選んでるからでそ
女は湯屋で洗髪して洗い髪
だけど
男は洗髪したら大童で帰宅したのかな
洗い髪 櫛巻きとか言うんだっけ
765 :
日本@名無史さん:2008/02/16(土) 02:22:51
766 :
日本@名無史さん:2008/02/16(土) 09:26:45
当時はパンクみたいな頭とか流行らなかったの?
明治初年の徴兵検査の記念写真みたら、
ひとりだけ若いときの鶴瓶みたいなボンバーヘッドがいたぞ。
明治初年でボンバーヘッドとは気合入ってるな。
たしか亘理伊達家か白石片倉家の開拓移民団の写真だったと思うが初期の氷室京介みたいな頭と顔をした男がいる。
>>763 湯屋の二階って娯楽室になってて、床屋とかもいるかもね。
>>766 かぶき者の中にはパンクに見える奴も居たはずだ
771 :
日本@名無史さん:2008/02/16(土) 22:34:53
まあ幕末頃にはビートのきいた髪型の奴もいたんだろうな
最近のレスを見ていて疑問に思ったんですが、
天然パーマって昔からあったのですか?
もしいたら髷を結うときどうしたのですか?
油でなでつけたんだろうな
当然昔からいただろ
やはり油ですか。非人はともかく平民で極貧の人は泥ででも固めたんですかね。
頭皮から自力で脂がだせるじゃろがい
776 :
日本@名無史さん:2008/02/16(土) 23:05:54
時代劇のカツラのイメージにとらわれ過ぎじゃない?
777 :
日本@名無史さん:2008/02/16(土) 23:09:34
778 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 00:27:24
ビート系の洒落者は天保のころからダイエースプレーで固めてキメてた
779 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 17:08:30
洒落者は月代を深く剃って、髷先を短く結い斜めに曲げてた。
月代はお洒落のポイントで、二日前ぐらいに剃った青々さがかっこ良いとされた。
780 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 17:48:29
当時は頭剃るのも大変だわな
いいかみそりもなかっただろうし
へたすりゃ血だらけ?
うぶ毛もさっくり剃れる切れ味鋭い剃刀が存在しました、
日本剃刀という名称で現在でも手に入ります
日本剃刀もってるよ。
あまりの切れ味の悪さにいやになって
シックプロテクター3Dにしました。
砥ぎ方か使い方が悪かったんじゃね
784 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 19:26:18
与力同心は特権で毎朝屋敷に床屋が来て、剃ったり結ったりしてくれた。
床屋って案外身分低いんだよな
あと医者も
786 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 20:05:39
787 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 20:12:16
このスレの住人が
「必殺仕切人」と「さむらい探偵事件簿」を見たら一体どうなる?
790 :
日本@名無史さん:2008/02/20(水) 16:17:32
時代考証のいい加減差にブツブツ言いながらも
かじり付いて見ているに 一票
791 :
日本@名無史さん:2008/02/20(水) 18:47:11
とりあえず見てしまう。
クソ時代劇見てしまった自分が悔しくて・・・
そういえば便所にケツ拭き用の縄をセッティングしてるとこって見たことないな。
>>789 もしもお江戸にピラミッドがあったら
もしも狼男が現れたら
もしも鳥人間大会で優勝したら
もしも惚れ薬と眠り薬を間違えたら
もしも九官鳥が秘密をしゃべったら
もしも密林の王者が江戸に現れたら
もしも女房が裸婦モデルになったら
もしも超能力でシャモジが曲がったら
もしも父親が"娘よ"と泣いたら
もしも歳末富くじがイカサマだったら
もしも珍発明展が開かれたら
汲み取り桶も潜入脱出用具としてはメジャーなんだが中に入っているべき
肥そのものは見た記憶が無いな
妻夫木は身長で選ばれたのか?
禿しく亀レスなんですが、誰も突っ込まないので…
>>84 あれは「俺の名前は引導代わりだ!迷わず地獄へ落ちるがよい!」
という決め台詞で、印籠とは関係ないですよw
いつもこうもんのそばにあるからいんのうかと思ってました。
馬はサラブレッドじゃない
もっとちっちゃい馬だった
799 :
日本@名無史さん:2008/02/23(土) 10:01:24
長七郎きみとて構わぬ!
馬は撮影に使えるのがいないからなぁ、人間の体格もでかくなってるしええじゃまいか
801 :
日本@名無史さん:2008/02/23(土) 10:12:53
上様とてかまわぬ
御老公とてかまわぬ
802 :
日本@名無史さん:2008/02/24(日) 08:52:04
セリフも結髪も化粧も何もかも全然なっちゃいネエのが、
今日の時代劇なのサッ!!!!
803 :
日本@名無史さん:2008/02/24(日) 08:53:45
セリフも結髪も化粧も何もかも全然なっちゃいネエのが、
今日の時代劇なのサッ!!!!
ンな事言い出したら、
歩き方からして、違うし
膝行できる役者なんていないだろ
805 :
日本@名無史さん:2008/02/24(日) 10:59:23
テレビの無い時代なんだから江戸の言葉がわからない方言丸出しが自然。
昭和初期ですらそうだったろうな。
水戸黄門は全国漫遊しても現地のひとがなにを言っているかわからなかったはず。
そんながとうなこんでもねーずらよ
807 :
日本@名無史さん:2008/02/24(日) 11:52:44
>>805 標準語(共通語)の誕生は戦後になってから。
でもみんな旅行してたんだぜ
そのために、文語があるんじゃろ
相わかった
よく他地方同士では互いに
能だか狂言だか芝居やらの言葉で
しゃべったって言うよね
812 :
日本@名無史さん:2008/02/25(月) 20:38:03
主人公が下町を白昼訪ねてゆくと、かなりの確率で
子供が三人ぐらい「ワー、ワー」って、叫びながら走り回っているのだが、
もう少し気の利いた遊び方は無いのだろうか?
猫いじめ
もぐらたたき
Wii
816 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 20:27:34
>>812 あれ? そういえば、当時の子供は全般にどうしてたんだろ?
たとえば今の小学生くらいの年齢層で、江戸の真っ昼間という設定。
考証の人、どんなもんですか?
割と就学率が高かったんじゃなかったっけ?
そもそも町では何歳ぐらいまでが子どもなんだ
818 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 20:39:53
寺子屋の時間割はどうだったんだ?
(儒学の初歩(論語の暗唱など)くらいは学ばせていたのかな?)
>>817 その辺も考証ポイントで、中学生くらいの年齢になったら、もう丁稚とか仕事見習いをやらされてたんじゃなかったっけ?
>>818 何かでチラッと読んだような気がする。
昼飯は家で食うのが標準じゃなかったかな。
昼飯ってあったんだっけ?
なんか基本的に1日2食だったとか読んだ事ある気が。
>>812 「ワー、ワー」は基本にして王道でしょw
「かごめかごめ」もたまに見かけるね
内緒だけど広い火除地とかでは30人31脚とかやってたんだぜ
823 :
日本@名無史さん:2008/02/27(水) 15:42:23
村を出て江戸に来て、お百姓さんから町人自由に成れたの?
武士以外の身分って自由に変えられたんだろうか。無宿人に
ならないのかな?
>>819 丁稚は十歳前後から住み込みで見習として働いたようだよ
寺子屋は5.6歳から18歳ぐらいまでが在席
何歳になったら通えというものもなく卒業も自由
どの授業に出るかも自由
家事や家業の合間に出ている者も多かったため
読み、書き、そろばん、女子には裁縫も教えていた
>>824 江戸には仕事があったから、
後を継げない農家の次男坊、三男坊を丁稚として引き取って
一人前に育て上げた
戦前まで農家の次男、三男はそうやって
都会へ出て丁稚奉公する人が多かったよ
>>825 そういや、/~十五で姉やは嫁に行き、よりはるかに前の時代だね。
土方歳三も松坂屋に奉公に出てたよな。
女性問題を起こして、日野に戻ることになるんだけど。
829 :
武陽隠士:2008/02/27(水) 23:37:41
>>826 一生、農村で独身を通す二男三男も多かった。
もちろん実家での地位は低い。
江戸に出て奉公する連中も多いが、一生をうだつのあがらない境遇で過ごす者も多かったんだよ
あと江戸時代は文盲も多かった。
前期なんかは武士でも文盲がいたりする
さすが中後期は少ないが
それでも農村なんかには文盲がたくさんいた
識字率は諸外国に比べた高いけどね
ちなみに明治大正昭和にも文盲の人たちはいた
お年寄り(都会にいた。昭和一桁より前の世代にね)に訊いてみな
「文盲の人っていなかった?」って
もちろん彼らが字を知らないのは仕事その他で勉強するヒマと機会がなかったためだ
うわっ・・・
まったり流れてた良スレだったのに、
札付きの変な奴が来ちゃったよ。
831 :
日本@名無史さん:2008/02/28(木) 21:17:06
一生治らない知能障害の札付きの真性のお馬鹿さんなので、見逃してやって下さいな。
832 :
日本@名無史さん:2008/02/28(木) 21:31:39
そんなふうに言うなんてかわいそうじゃん
知的障害といえば
大正生まれのばあさんが
「あの家は狂いを生んだ」って言ってたから
池沼なんて江戸時代なんかそもそも育てなかったのかな
834 :
武陽隠士:2008/02/28(木) 22:36:09
>>830 私のレス内容は学部なんかでの近世史でもチョロッと触れられることがある箇所だけどね
このあたりが周知じゃないとこみても
やっぱり2ちゃんは院生レベルすら書き込みしてないな
私がいろいろ石投げるけど
反応の鈍さや学界での常識がまるで前提されてない
みなさんのバカぶりから推すに、研究者の卵どころか
まともな学部生すらいないみたい(劣等生の史学専攻はいるようだな)
友達もいっていたけど
日本史板に書き込みしてる院生乃至研究者はほとんどいないというのは当たっている。
バカがネットかくだらない本から敷き写ししたのでレス及びスレが成り立っている。
ま、時々来ては無知をバカにするんでよろしくW
>>834 そういうことはここに書かないで、時代劇について語ろうよ。
変なのって言われてもいちいち気にするなよ。
836 :
武陽隠士:2008/02/28(木) 23:14:57
>>835 確かに正論だ。
ここは時代劇について語るスレだった。
そうそう。言い争いなんて無粋はどっかに捨てて時代劇を語らないとな。
まあ肩の力抜いていこうや。
>一生、農村で独身を通す二男三男も多かった。
>もちろん実家での地位は低い。
楢山節考を思い出しちゃったけど、あれって近代の話だったっけ
相変らず知ったかのバカのままだな。
反省が無いと言うか。
このバカコテは人格障害者なので全スレで完全スルーが妥当。
842 :
日本@名無史さん:2008/02/29(金) 09:31:17
>>838 楢山節考は近世だろ。姥捨て山だからな。
次男以下の結婚などの話題はむしろ民俗学方面の領域だな。特定のパートナーはいるが
通い婚の形態で、村社会では婚姻とは扱われないとか、地域差がある。当時は世帯持ちは
すなわち社会的地位を得るのと同義だったから。
843 :
日本@名無史さん:2008/02/29(金) 10:21:53
楢山節考は伝説をもとに創作した壮大な嘘。
まあ、それが文学というものだが・・・
このスレで語る時代劇だって虚構ばかりじゃん。
時代小説か講談が原作なんだから。
845 :
日本@名無史さん:2008/02/29(金) 17:29:30
楢山節考は、三島由紀夫がぶっとんだというぐらい、とにかく凄い小説。
読んでないやつは一度は読むべき。
40歳過ぎて読んだほうがよくわかると思うけど。
江戸時代は養子天国だったみたいだが、それ以前の、鎌倉、室町
なんかでも頻繁だったんだろうか?家名存続第一で江戸の頃と同じ
ようなもんだったのかな?
847 :
日本@名無史さん:2008/02/29(金) 21:14:46
武士に限っていえば鎌倉時代はあまり多くないような印象だな。
女系相続もあるし苗字の創成期だからかな
848 :
日本@名無史さん:2008/02/29(金) 21:24:54
平安鎌倉時代は養子に行っても前の姓を保持していたりするからね
よくわからない
嫡流が絶えると女系で財産が相続されたりするね
まだイエの概念が固まってなくて、現代の都会サラリーマン核家族に近い感覚を持っていたのかな
なるほどね。鎌倉とか室町の方がたまたま血統存続できてたのかな。
鎌倉や室町の名門で非血縁者による養子相続って余り聞いたことない。
まぁ、俺の知識不足かもしれないけど。
850 :
日本@名無史さん:2008/02/29(金) 22:32:50
>深沢七郎
亀だけど、農村の次男三男が女日照りでSEX辛抱たまらんて話は
むしろ「東北の神武たち」の方じゃないの?
852 :
日本@名無史さん:2008/03/01(土) 00:49:58
江戸時代(それも中期以降)と鎌倉・室町期では武士の生育環境は違うしね。
江戸時代の場合、中期以降は特に夭折している率がかなり高いし、婿養子とっても
その婿の次の当主は、その家の血筋をついで無いとかしばしばある。
だいたい深沢七郎は昭和天皇一家を皆殺しにしちゃったキチガイだしな。
書いてることはあまり信じられん。
854 :
日本@名無史さん:2008/03/01(土) 09:22:32
最近の時代劇だとなにが面白い?
水戸黄門に出てくる名物名産ってどのくらいがあの時期に実在?
越後の縮緬問屋と言うのがそもそもアヤシイ
縮緬は西陣でのみ生産されていて、大火で西陣が丸焼けになった1730年以降全国の
絹糸産地に生産が広がったそうなので、死後30年はたっているはず。
縮緬問屋の隠居というだけで行く先々で一目置かれること
が不思議でならん
画面には映らないけど、チラチラと印籠が見えてるんだよ
きっと三菱物産社長くらいの存在なんだよ
860 :
武陽隠士:2008/03/02(日) 02:39:13
>>843 まあいいが
論破されて悔しいのは分かるよW
私もバカ叩きすぎたなW
862 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 04:48:10
>>857 昔は、年寄りは大切に扱われたもんだよ。
863 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 13:23:36
昔は、威厳のある人間は相応に大切に扱われたもんだよ。付け焼刃ではすぐにぼろが出るから。
おまいは昔から生きてるのかと。
通り過がりの老人に家や近所のもめごとを相談するかね?
下手すれば悪代官にしょっ引かれるような内容をね。
865 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 13:33:36
>>856 黄門実況ではジャコ屋のジジイということになってるがなw
866 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 13:47:32
子供の頃は「縮緬問屋」というと、ちりめんじゃこのちりめんだと思ってたっけw
まあ、じゃこ屋だと思っておくかね
867 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 17:00:16
>>864 それは、時代劇の考証じゃなく、ドラマの根本を揺るがす問題じゃないかw
ユング的にいえばあれは老賢者なんだよ
しかし、お気楽なものよ、現役の時は江戸常駐で、大日本史の編纂などと言う無駄づかいをして、
水戸の民百姓の膏血を子々孫々まで絞っておいて、引退したら国外旅行三昧。
他国での評判だけはいいと来た。
870 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 18:19:25
助格って、水戸にいるときは西山荘で黄門様の歴史編纂の助手をやってるけど、
行政の現場から遠ざかってて、藩内では窓際だよなあ。
幕府の職制はたびたび目にする機会はあるけど
各藩ってどういう感じだったんだろう
872 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 19:10:04
大大名なら幕府と大して変わらないような役割が細分化された組織。
小大名なら、役名は細分化されず、表給人とか近習とかいった大まかな分類の
それぞれ数人の役人が複数の業務を行う。
名称は違っても(奉行とか)家老に相当する職はまあほぼどこでもある。
中老(准家老)は居たり居なかったり。
部隊長である番頭(組頭などと称する場合もあるが)はまあ大概いる。
町奉行や勘定奉行的存在も大概はいる。
名称は違っても基本的な職は余り変わらない。
もちろん藩によりまた時代により違っていることはあるし、
同じ職名でも職掌は必ずしも同じではないけど。
>>870 そりゃあ藩政に必要な人材なら隠居のお守りなんかさせないでしょう。
875 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 19:24:45
>>870 特別プロジェクトに選ばれてるんだから、窓際ではないだろ。
876 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 23:28:16
こわいのうwwこわいのうwwwww
877 :
日本@名無史さん:2008/03/03(月) 05:51:35
西の丸老中のような極めて重要な役職ですよ。
目付は下級武士ではないよ。横目は内偵をする下級の武士だけど。
隠密でも、御頭級なら上士ということも珍しくない。
藩によっては目付を横目と称する所もありますよ。
大横目なんてのもあります。
お庭番は当初は御目見得以下だったが後に大概の家は御目見得以上に昇進した。
200俵高の両番格お庭番ないし、100俵高の小十人格お庭番が初任。
親の地位によって違う。
お庭番は出世しやすく、人数の割に諸大夫の輩出率はかなり高いのでは?
「いかものの分際で!」ってな台詞の「いか」は
お目見え「以下」の「いか」だと何かで読んだけど、本当?
詐欺師とか、偽者っていう意味だよ。
助格は、学者として遇されているのだから、特別待遇でしょ?
新井白石は幕府のブレーン待遇で老中並みだよ。
885 :
日本@名無史さん:2008/03/04(火) 14:42:35
儒家の林家が老中並みに遇されていたわけではない
助格どちらも史館総裁クラスのかなりの地位にまで進んだけど、
初任の職はかなり差があったはず。
生まれが違ったのか、スカウト以前の学者としての名声の差なのか?
887 :
日本@名無史さん:2008/03/04(火) 19:23:10
ルックスの差ですよ
史実の歴史学者佐々介三郎や安積覚兵衛はいざしらず、
劇中の助さん格さんはわがまま会長の秘書みたいな位置づけだな。
889 :
日本@名無史さん:2008/03/05(水) 05:13:07
会長はトラブルメーカーだからな
890 :
相川七瀬:2008/03/05(水) 07:03:01
昔の馬は小さかったって、よく何かで読むけど
さすがに今の時代(デカい馬しかいない今)、時代劇では再現出来ないんだろうなぁ
その馬に乗るひともデカくなってるんだから、馬だけ小さくできた
としても別の問題が発生する。
木曽馬とか御崎馬とかの在来種を使えばいいんじゃないの?
大河スレで平安末〜江戸初期の大河のたびに、
「昔の馬はもっと小さかったはずだ。嘘を流すな」風のスレが出るけど、
厨坊ならともかく、少し考えたら仕方なしだってことが何故わからないのか
正直いって不思議に思う。
言いがかりに聞えたらごめん。
でもドラマだって歴史番組だって、衣食住に正確な復元を求めても
とうてい無理だよね。これは自分が子供の頃から思ってることなので。
大河スレって見たことないけど
「昔の人はもっと小さかったはずだ。嘘を流すな」ってのが
ないのなら、ただの思いつきのいいがかりだよね。
義経と沖田総司はもっとブサイクで出っ歯な小男にしないと
史実に忠実とはいえない
>>893 ミサキ馬は天然記念物だから、使用不可。
898 :
日本@名無史さん:2008/03/05(水) 21:26:52
大河ドラマ(たしか「利家とまつ」)で、
今まさに戦場に斃れゆく武将が最期に手に採ろうとしたのは、
純白のマーガレットだった…(ry
ちょっと変わり目の春菊だったんだよ
昭和30年台ぐらいの忠臣蔵映画で、
米沢藩邸に「上杉」って表札が思いっきりかかってたな。
表札かかってないと郵便屋さんが困るからね。
>>900 , ;`;:゛;`(;゚;ж;゚; )ブフォ
自然な形でテロップ挿入しただけだよ
904 :
武陽隠士:2008/03/06(木) 00:45:28
江戸時代の言葉遣いで、みんな案外言わない(知らない)のが、
女性の「わ」言葉が存在しなかった事実。
「〜だったわ」「〜なことよ」
こんな言葉遣いは江戸時代には存在しないが、小説家もテレビも構わず使っている。
ていうか間違いとは思ってもないのだろうな
905 :
日本@名無史さん:2008/03/06(木) 00:57:50
暴れん坊将軍で吉宗が私的な場面では「わし」といってるけど、
私的な場面での将軍の一人称は「こちら」とか「自分」というし、
まあそこら辺はやむをえまい
>>904 そういうのは〜戦前の東京の山の手の女学生言葉なんだよ。
知ってる人は知っている。
>間違いとは思ってもないのだろうな。
じゃあ、永井路子に教示の手紙でも書いてやれよ。
>「〜だったわ」「〜なことよ」
気にしてなかったからかも知れないが
今そんな言葉が使われてたドラマを思いつかない。
上のセリフが関西人のものなら笑う。
多分昔も使ってただろうから>語尾に「わ」
それより自分が気になったというか非常に気持ち悪かったのは
女性が身分ある男性に向かって「あなた」といってた時だな。
908 :
日本@名無史さん:2008/03/06(木) 01:49:44
>>907 現代劇・時代劇問わずでこの言葉遣いしてるので思い浮かぶというと、
「草燃える」くらいしかないなw
>>908 だから、その原作が永井路子だね。
永井の作品は古代史ものでもその口調が多いんだよね。
小説自体は面白く感じても、台詞の語感で受け付けない場合がある。
そもそも、「〜だわ」「〜ね」といっている女の子を最近は見かけない。
最近の女の子でも、言葉遣い汚い子は汚いしね。
911 :
日本@名無史さん:2008/03/06(木) 04:06:07
史実って一体どこまでが本当か分からんな
お前その時代に生きていてそれ見たのかよ?
と突っ込まれたら反論できない
そう考えたら歴史って案外いい加減なものだ
言葉は余り忠実にやりすぎると見ている方がわけわからなくなる。
結局はどこまで採用するかっていう制作サイドのセンスの問題だな。
まあ深く考えずに適当にやってる場合の方が多いんだろけど。
永井路子氏の場合は、古代でも中世も現代人を描いているだけだから、
って言うか第二次大戦後から昭和末期頃の人。
口調がその時代なのは当然。そうじゃないと違和感がある。
>>904のハンドリネームを見た上でレスしてるのか?
モノ好きというかバカというか。
ハンドリネームじゃなく書き込み内容見で決めないか、普通
915 :
日本@名無史さん:2008/03/06(木) 11:50:12
>>892 猫ひろし主演でやってみるか?w
>>910 日活(にっかつではない)全盛期の映画では、普通に使われてるな。
あのころの女性は恥じらいを知ってて良かったらしいな。肉体美は、今の若い女性の方が良いけど。
>>891 映画「ブレイブ・ハート」は、出てくる植物や家畜からなにから全部、アイルランド固有種を集めたんだよな
馬なんかも、配合技術で再現された固有種を使ってる
日本もそれぐらいやらないかな...
>>910 「無い」が「ねえ」とかね。
方言ならかわいいんだが、標準語の発音で言われるときもち悪い。
刀抜く時の音(シャリーン)も日本刀だと音はしないんでしょ?
有名な役者がテレビだかで言ってた。
外国の剣は、さやも金属だから音はするらしいけど
まあ刀に関する音をリアルにしたら、チャンバラはつまらんのかな?
大河なんかヨロイの上から刀を振り下ろすと
ずべらぶしゅうっ
って音がするんだからいいんじゃないかな
真剣のことなら勝新の息子に聞くといいのかも。
>>918 金打と言うのが有るじゃん
拳銃の発射音がバキュ〜〜ンなんだから、
刀がズベラブシュ〜〜でも良いんじゃないか。
「安心しろ、ミネ打ちじゃ」
これさ、やっぱり安心できないんじゃないのか?
そだね、医者の診断結果が出るまでは不安だよね
>>922 刃がなくても鋼鉄の棒で思いっきり殴ったかなりの確立で死にます。
実はあれは、峰の側で打つのではなく”寸止め”にして、ただでさえ斬り合いで
精神的にテンパってるところへ「斬られた駄目だもう死ぬ!」と思わせて精神的
緊張のあまり気絶させる、という精神攻撃? の一種だったらしい。
当然ながら”寸止め”は高度な腕がないとできないわけで、だから「名人」の
専売特許みたいな扱いなのだとか。
尚、日本刀の構造上峰の側に強い衝撃を与えると結構簡単に砕ける。
例え着物しか着てない人体でも、骨に当たるとヤバい(人体も刀自身も)ので
本当にやってはいけません。
分かりました。
今度斬るときは刃の方にします。
>>322にあったけど、刀同士がぶつかり合う音って、ガツッ!って感じ
らしいけど、刃と刃同士だけでなく、側面に当たったときも、そんな音しか
しないの?チャリーンとかキィ〜ンとかの耳慣れた音は嘘なのかね。
普通にそこいらの鉄同士ぶつけただけでも、そこそこいい音醸し出すんだが・・
誰にきいてんの?
真剣同士を力いっぱいぶつけあった経験のある人が
その辺うろうろしてるわけ無いだろ。
戦国時代ならともかく江戸時代だってそんなに多くはないと思うぞ。
大膳とか主膳って何で悪役の名前によく使われるんですか?
>>926 日本刀は極端に硬度の高い鉄(その分脆い)と比較的やわらかい鉄(粘りがある)を
合わせて作る(ある時期から。平安以前とかはまた別)複合構造なので、鳴らしても
ムクの鉄で出来てる物みたいに音が響かない。
刃先だけが触れ合ったら瞬間だけ高い音がする(ただし刃が欠ける)だろうけど、
余韻をもって響くような音はそうそうしない筈。
キィーン、というよりは ガィーン って音がするだろうな。
家の庖丁も複合構造だけどチィ〜〜ンといい音でなるぞ
つ人斬庖丁
みんな想像にすぎない。
実際に聞いた音じゃなきゃなにいっても意味ない。
>>928 特に悪人っていうイメージはないけど
時代劇によく出る官職といえば国守と
寮職司の役所名(図書・雅楽・主税・木工・玄蕃)とか衛門のジョウとかか
>>930俺もそう思ったから、刀もいい音すんのかな、なんて想像してた。
古武術なんかで刃引の真剣同士でやったことある人あたりに聞いてみた
いもんだ。でも
>>929の人がレスってるのが正解かもな。
玄蕃も悪役のイメージがある、やっぱり語感かな?
代表格は
俵星玄蕃だろ
善玉ジャン
越後屋はどう見ても悪人だろ。
>>938 調査によると今世紀の悪商人は26軒あって
「西海屋」がダントツの1位で
2位「湊屋」・3位「潮屋」、で以下「河津屋」「川本屋」「真砂屋」「三崎屋」となるそうな。
で越後屋は入っていないそうな。
そりゃそうだな、越後屋を黄門様が退治したら、もろ自作自演だものなw
>>911 いや、「その時代にはあり得ないこと」は厳としてあるからね。
日本刀は鋼を通常13回折り返して作るから、8192枚のカミソリの刃が集まったようなもの。
だから切れる。ナマクラは1〜2回折り返しの数が少なかったり、鋼の質が悪い。
越後屋をあまり悪役にすると三越からクレームが来るからじゃね?
スポンサーとして無視できない大企業だし。
>>942 別にそんな決まりはないだろw
折り返し鍛錬は材質を均質に調節する為でしょ
関所ってよく出てくんけど、手形無くたって他の道とか通れば
いいんじゃないの。箱根なんかでも、山んなか通っちゃうとか
できそうなもんだが。他国に行くときは必ず手形必要だったの
かなぁ・・
946 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 20:27:03
箱根なんて海路で迂回してしまえば一番楽チン
>>945 それは、可能だが、つかまれば
関所破りは、はりつけ獄門
>>946 海路でも関所はあるんだよ。
実際は箱根近辺の住民はほとんど通用口でフリーパスだったらしい。
箱根を挟んでも婿取り・嫁取りはもちろん普段の交流も有ったらしいから当然だね。
あと慣習的に黙認されることもあったそうだ。どんな例だった忘れたけど。
関所の役人にしても、通行人がちょっとラインオーバーしたからといって、
獄門にしたら寝覚めが悪かろうから、適当にお目こぼしは有ったでしょう。
有名どころとしては、国定忠治が碓氷関所を破った罪で磔、獄門だったかと、
目障りだから、別件で死刑という所でしょうか。
高杉晋作の箱根関所強行突破を花神でやってたけど、史実かいな?
講釈師の作り話説もあるらしい。
まぁ、御公儀の権威失墜のあの時代だったら有り得たかも。
↑いよーぅ、征夷大将軍!も講釈師作説もあり
>>944 > 折り返し鍛錬は材質を均質に調節する為
何をどう間違えると、そういう出鱈目な妄想を懐くようになるのかね?
3号はお呼びで無いの、帰って良いよ。
>>952 日本刀のお手本である、古刀では、折り返し鍛錬は採用されていないのよ
人力鍛錬の目的は脱炭、鉄滓の除去、不要元素の僅かな除去と鋼の均質化にある。
鍛錬は和鋼独特の「精錬法」であって「造刀法」ではない。
圧倒的需要は農・工機具、釘、鎹、刃物等の鋼製品にあった。
製鉄専門の人が言っていたのだが、日本の製鉄技術が低かったから折り返し鍛錬しないといけなかったと・・・
ほんと?
957 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 06:44:21
刀を抜く時「カチャ」と鳴るのは
実は、それって緩んでる音だから刃が柄から抜けてもおかしくない状態で危ない
戦国時代、馬に乗るのは必ず右側から
958 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 08:30:29
古刀も折り返し鍛練やってるよ
大河ドラマで信長と長政が握手してたけど・・・
時代考証のえらい先生ついてるんじゃないの?
960 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 17:15:32
握手は西洋人の習慣ってことじゃねーの
962 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 18:10:03
信長ってば西洋カブレだから、有りそうだよな・・握手
963 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 20:36:45
それでも長政のほうは戸惑うだろうな
初めてだったらびっくりするだろうな
965 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 20:52:00
でも
相手の
手を取る というのは大きな近親感の表現で昔からあったかと
子供とか病人の手を握ってあげるって言うのはまあ自然発生的にあるよね。
感激したときに思わず相手の手をとるってことも有りうるだろう。
ただそれと挨拶としての握手が結びつくかどうかって言うのがよくわからない。
挨拶としての握手は古代ギリシア起源とかイスラム起源とかいろいろ書いてあるけど、
さあどれが本当なんだろう。
967 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 23:33:44
>>962 誕生日パーティーをやったぐらいだからね。
968 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 03:04:49
信長は浅井や家康や呼んでパジャマパーティーもやってたみたいだよ
969 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 06:02:03
西田家康とか、よく武将の手をとって誉めたりする印象がある。
970 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 06:06:03
相手の手を取るといえば関が原後の家康と黒田長政か。実際にありえたシーンだろうけど
971 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 07:30:42
家康は藤堂高虎の手を握りながら往生したよ
家光は伊達政宗だっけ?
家光が伊達政宗なわけないだろw
974 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 13:14:39
>>972 伊達政宗 寛永13年5月24日
徳川家光 慶安 4年4月20日
15年も違うがな
家光の臨終シーンのある時代劇なんてあるのか?
保科正之でも主人公にしないと成立しなさそう。
977 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 16:13:38
978 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 17:46:10
昨晩の大河もちょっとアレだったな。
葵の望郷の念の強さを表すために女中の服を来ての脱走未遂事件をでっち上げたんだろうが、現実問題として、お姫様が一人で女中の服を入手するのは不可能だろ。
979 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 18:57:09
>>977 伊達政宗は片眼が見えず、おまけにちんばであったことが骨からわかっている。
家光にそんな部分があったかどうか、だな。
>>978 島津家から出向いた女中のじゃないか? と想像してみた。
そういえば和宮は片方の手首がなかったんだろ。
「篤姫」でちゃんと映すんかいな。
あと20で1000だぞ。
正宗も座頭市も於福も勘助も
疱瘡やったということだけど
ドラマの誰にもあばたはないぞ。
>979
上杉謙信もちんばだったっけね。
昔は多かったんだろうね。
983 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 21:00:32
984 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 21:26:24
979じゃないけど
「骨からわかっている」は「ちんば」にかかってるんじゃないの?
普通にそう読んだが、984は何をカリカリしてるんだ?
ははあ
俺は
>>984を読んで
足については何も言及してないでしょ
っていう趣旨に読んだ
なんでも読みようだな
これ良スレだから次スレ要るな
987 :
日本@名無史さん:
落馬による骨折の痕だろ