1 :
日本@名無史さん:
歴代の将軍、天皇、公家または戦国武将の乳母とはなんだったのか
また乳母は幼児教育だけではなく性の指南までしたそうな
乳母が果たした役割を歴史的、日常的にわたって広範囲に語ってみよう
2 :
日本@名無史さん:2007/11/30(金) 20:54:34
紫式部の娘賢子も天皇の乳母だった。
歌人としてのほうが有名だけど。
3 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 08:45:02
>2
親王には4人の乳母がつくので、賢子はそのうちの一人ね。
後冷泉天皇の乳母。
4 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 10:59:53
徳川将軍家の乳母は時代とともに権威がなくなっちゃったな。
5 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 11:08:57
母乳を与える乳母のほうはお目見え以下の身分から選ばれたからね。
6 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 11:10:34
徳川将軍家の乳母は、後にも先にも春日局だけが特別だっただけじゃ?
初代家康にも、2代秀忠にも乳母はいたが
春日局ほどの権力は握っていないし。
後の時代でも、将軍が成人後もじきじきに大奥に住む自分の乳母を尋ねて
ねぎらったり、部屋を与えたりすることはあったようだが。
7 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 11:14:34
良スレの予感
8 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 11:15:21
乳母一族が総力をあげて若殿を育てて
成人後は側近ブレーンの道みたいなのが
江戸時代はないから
信長の乳母
10 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 14:26:43
吉宗がいるだろ
11 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 17:10:43
平安時代は天皇の乳母を天皇の血族が勤めて
囲い込みなんてこともあったみたいだね
一条天皇乳母 藤原繁子(一条天皇の外祖父藤原兼家の妹)
鳥羽天皇乳母 藤原光子(鳥羽天皇の伯父藤原公実の妻)
安徳天皇乳母 藤原輔子(安徳天皇の叔父平重衡の妻)
12 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 19:15:56
>>11 光子は待賢門院璋子の生母でもある。
光子が璋子を産んだとき既に40歳を過ぎていたらしい
13 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 20:24:37
>>12 待賢門院は父公実が49歳のときの晩年の子だから。
待賢門院が7歳のときに実父公実はなくなっている。
待賢門院を養女にした白河法皇は、父公実の従兄弟。
14 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 21:24:28
>5
初歩的な質問でゴメン。
「母乳を与える乳母」と、与えない乳母がいるの?
15 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 21:35:50
うむ
養育係の乳母もいる
16 :
日本@名無史さん:2007/12/07(金) 15:39:11
幕府の支配体制としては徳川幕府が一番しっかりしてるけど
将軍個人の権力は足利将軍が一番強かった
ある程度の自分の決断で好きなことができ
国王のようなものだった
17 :
日本@名無史さん:2007/12/07(金) 17:01:21
高倉天皇乳母 帥局
平徳子入内を前に天皇に性の指南をしたところ妊娠。
高倉天皇の第一子功子内親王を産む。
後深草天皇乳母 大納言典侍
西園寺公子の入内を前に、性を指南。
後深草がのちに大納言典侍の娘二条を我がものとしたとき、
「自分の初枕の相手はお前の母親で、忘れられなかった」と告白している。
将軍足利義政乳母 今参局
日野富子結婚の1年以上前から将軍と性関係があり、単なる乳母にとどまらない側室に。
将軍生母日野重子と対立、のちに呪詛の疑いをかけられ配流に処せられ殺害される。
乳母の性指南は実地にまで及んでいたようだ。
18 :
日本@名無史さん:2007/12/19(水) 22:39:27
春日の局以降乳母の地位は低下して軽視されているけど実はとても重要です。
生みの親より育ての親じゃないですが乳母は成人したあとも感謝され大切にされます。
源氏物語でも乳母の見舞いにわざわざ出向いたりしていますね。
もう一つ重要なのが乳兄弟です。要するに乳母のほんとの子供です。
多くはその乳兄弟は腹心の部下になります。
春日の局も息子を将軍の小姓に出してますね。
小姓というのは跡継ぎが少年の頃から仕える人たちで将来は側近になります。
乳母そのものは表に出てはこないですが裏には乳母の存在があったりします。
今参局
実は乳母は何人もいて乳を与える人の他にも教育係とか身の回りを世話する人のことで、何人かいました。
乳母は性の手ほどきをすることも珍しいことではなかった。
政治的発言力も強く人事に関与したりもしていた。
春日の局
この人は後ろで稲葉なんとかさんが糸引いていて実際優秀な人材だったのか疑問です。
大奥を作った人ですが、女性を子供を産むだけの存在におとしめたばかりか、大奥は政治的発言してはならぬと決めます(まあ実際には影響力を持ちますが)
いずれにしてもこれ以降は生母が重要な存在になっていき、乳母は文字どうりの意味しかなくその役目を終えるのです。
19 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 09:49:12
春日局
この人がやったことは、自身が将軍跡目に口出しする正室お江与と争った経緯から、
これまで大名の正室が直接束ねてきた側室や女中たちを、
女性官僚が束ねることとし、正室の権限を削減したことでしょうね。
大奥では女性を子供を生むだけの存在に貶められてた?というのは違いますね。
大奥には千人もの女性が仕えていましたが、将軍の手がつくのはせいぜい数十人。
残りの何百人もの女性たちは、勤務中、結婚することも子供を生むこともなく、
純粋に奥勤めをする官僚だったのですから。
稲葉は関係ないでしょう、春日局の離婚した元夫というだけで
大奥に入ったこともなければ、さえない人生でした。
20 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 21:55:50
稲葉は関係なくはないですよ。通説では春日の局が街の立て看板で乳母を募集してたとかってなってますが、そんなことあるはずありません。
夫が送り込んだのです。でもまあ体裁が悪いので形式上離婚したわけです。
それを証拠に元夫は従五位佐渡の上にまで上がってます。
正室お江与が跡継ぎ問題に口出ししてって言うのも作り話です。
お江与が次男には自分の乳を与えかわいくなったからということになってますが、次男秀忠にも当然乳母はいました。
跡継ぎの問題は家臣間の対立と家光自身にあるようです。
長くなるので書きませんが、本当に家康が家光に跡目のお墨付きを与えていたんだったらわざわざ秀忠を殺す必要はなかったし、余は生まれながらの将軍であるなんて宣言する必要もなかった。
大奥は正室の権限を削減するために作られたのではないと思います。
確実に世継ぎが生まれるようにシステムを作ったのです。
もう一つの理由は多分不義の子が生まれないようにです。男子は将軍一人しか出入りで出来なければ確実に将軍の世継ぎです(家光は実は秀忠の子ではなく家康の子ではないかとかうわさがあった)
21 :
日本@名無史さん:2007/12/21(金) 16:34:43
>20
忠長を秀忠と間違えてる?
秀忠は、家光の父ちゃんで、弟の名前は忠長でしょw
お江与が忠長に直接乳を与えていたって誰の説?
徳川家は家光まで継承順位が決まっていませんでしたからね。
秀忠自身、家康の三男坊でしたから。
稲葉は春日局と離婚後、後妻を迎えていますよね?
将軍家光の乳母となって以来、春日局は生涯を大奥で送り、
夫のもとには全く帰っていません。
どうやって、会ってもいない夫と打ち合わせをするのでしょう?
大奥が確実に世継ぎを作るためのシステムならば、
なぜ徳川家は徳川分家から何度も将軍を迎えねばならなかったのでしょう?
大奥には千人もの女性たちがいたというのに。
22 :
日本@名無史さん:2007/12/21(金) 17:11:34
別に後妻を迎えたから、会っていないから連絡を取れないとは思いませんし、実際会っていないかも知れませんが乳母にする時に裏約束はあったと思いますよ。
別にいちいち夫の意見を聞いていたとは言ってないです。
もともと大奥が世継ぎを作るためのシステムだったとしても将軍がその気にならなくてはね。
でも正室の権限削減というのもあるかもしれないですね。公家から正室をもらうようになるので
23 :
日本@名無史さん:2007/12/21(金) 18:34:35
>>21 大河ドラマ春日局ではお江与が忠長に直接乳を与えてるシーンがあったな。
>>23 貴婦人は自分で子供に乳をやらない。
授乳中は性欲が減退し、
夫とのセックスを受け入れられなくなるからだそうだ。
ドラマは史実に基づかないしw
25 :
日本@名無史さん:2007/12/21(金) 20:46:16
忠長の乳母って土井の関係者だったよね。
今参って一般的には新参の意味でしょう、
江戸時代だけど、新参中の新参を今参り、
三ヶ月たつと新典侍とかって読んだけど。
この人は古参になっても今参り?
27 :
日本@名無史さん:2007/12/21(金) 23:42:44
忠長の乳母は秀忠の重臣土井利勝の妹で夫は織田に滅ぼされた朝倉氏の末裔です。
春日の局は明智の部下斉藤利三の娘ですね。
家康は織田や秀吉に滅ぼされた名族を召抱えることに意欲的だったようです。
2大将軍秀忠が死んで半年もたたないうちに土井利勝が忠長をかついで謀反を企ているといううわさがたちました。
これに土井はあれは芝居だったとかわし、結果なぜか加藤清正の子供が改易になります。
春日の局が忠長の乳母・兄の土井を消し去ろうとしたが、忠長だけしか消せなかったんでしょうか?
どうなんでしょうか?春日の局の息子のうち一人は家光に一人は忠長に仕えているので忠長を標的にするのは疑問なんですが。
土井側の息子も家光に仕えていたからでしょうか?
28 :
日本@名無史さん:2007/12/25(火) 15:39:11
父秀忠が3男であるにもかかわらず将軍となった以上、
家光にとって同母弟忠長はその存在そのものが自らを脅かすものでした。
しかも、家光は男色だったこともあって忠長の存命中子供が一人もおらず、
当然、家臣団は家光の次代は弟忠長だろうと考える者も多かったはず。
家光や春日局にとって、最大のライバル忠長を消し、
家光の在世中、将軍位を危うくする者がいなければよかったのでは?
土井家出身の乳母のことは気に止めていなかったのでしょう。
加藤清正の子供が改易になったのは、忠長絡みというよりも、
適当に理由をつけて豊臣恩顧の大名を改易したかっただけでしょう。
29 :
日本@名無史さん:2007/12/25(火) 17:56:08
>>24 しかし初乳を飲ませないと免疫つかないよな
貴人に蒲柳の質が多いのはそのせいか
乳母の白粉に水銀が混ざってたとか前はよく言ってたけど。
最近は否定された?
>>29 天皇家の歴史が始まって以来、
ヤマト時代から乳母制度はあったのだから、関係ないよ。
江戸時代の乳児死亡率だけが異常。
32 :
日本@名無史さん:2007/12/25(火) 18:56:10
33 :
日本@名無史さん:2007/12/25(火) 18:56:30
乳ってなんでウと発音するんだろう??
もともと日本では年配の女性のことを姥(うば)と発音しており、
母親の代わりに乳児の世話をする女性も「うば」と呼んでいた。
それに、「乳母」の漢字を後から当てはめただけでは?
うば桜、山姥の姥ね。
実朝の乳母は政子の妹、こういう例って他にもある?
これって北条氏の家格が低いままだったって言う証拠?
38 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 17:06:46
春日局は宮中に参内したときに後陽成天皇から賜った名。
宮中女官が好んで使った名前であるらしく、
平安時代末期ごろから春日局という女官が史料に登場する。
39 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 17:07:22
後陽成天皇→後水尾天皇
40 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 17:30:41
大奥においては、乳母は格式だけは女中筆頭のようですよ。
41 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 19:22:43
江戸時代の将軍乳母はそれほど身分の高い家の出ではない。
従三位に叙せられて天皇に拝謁し、春日局の称号を受けた
将軍家光乳母ふくは別格として、それ以外の乳母は
叙位されることもなく、大奥に自分の部屋をもらい、
将軍がねぎらいに訪れる程度で、筆頭と呼ぶには程遠かった。
大奥の女中筆頭は上臈御年寄。
上臈御年寄は御台所についてきた公家の姫君から選ばれる名誉職。
42 :
日本@名無史さん:2007/12/27(木) 21:06:16
あなた何もご存じないのね。
乳母は将軍子女が幼いとき「だけ」は
筆頭と見なされるんですよ。
分限帳でも「お乳」は筆頭に記されています。
もちろん子女の成長に伴って御役御免になる場合がほとんど。
御家人の妻が黒子仮面かぶって乳母したこともあったとか 物の本で読んだことがあるのですが
そういう乳母も筆頭になれるの?
44 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 01:05:39
格式というのは待遇や給与面のことではありません。
実際のところ、乳母には食事さえろくに出されなかったとも伝えられています。
分限帳のはじめに乳母が記されているのは、将軍に乳を与えることの重要性を
意味するだけで、乳母本人が重んじられていたわけではありません。
つまり、紙の上では名目上筆頭と見なさなければならなかっただけでしょうね。
奥女中筆頭が将軍付きの上臈御年寄だというのも事実ですし。
ちなみに、乳の出が悪かったら解雇されます。
>あなた何もご存じないのね。
って、アンタどこのおばさん?
いつの分限帳にのってるの?
乳なんて見たことないけど
47 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 08:42:37
>子女の成長に伴って御役御免になる
ええッ?
将軍の子女が成長すると、御役御免?
なんの史料に書いてあるの?
将軍乳母は将軍が成長した後も大奥に住まい、部屋を貰っていましたよ。
乳母が女中筆頭であるはずもありません。
>43
乳母が黒子をかぶって乳を与える風習は、
乳母と若君との密着を防ぐためにのちに設けられたもので、
乳母の出自とは関係がありません。
一説には乳母の権力をそぐためのものだったとも。
48 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 01:37:13
>>46 敏次郎(のちの徳川家慶)付き分限帳ですよ。
>>47 あのう、将軍乳母はそうでしょうけど、世嗣以外の将軍子女のことを言ってるんですよ。
>乳母が女中筆頭であるはずもありません。
ってのは私の書いたものをもう一度読み直してください。
将軍子女それぞれのお付き女中の中で筆頭ってことです。
分限帳の初めに名が記されている女中が筆頭なんですよ?
それから、乳母に黒子や仮面をつけさせたっていうのは
様々な説があり、乳母の出自のことも再三言われてきてます。
如何にももの知りそうで、偉そうな口調に人なのだけど
実は非常に言葉が足りないのではなかろうか・・
50 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 10:28:53
|┃三 ガラッ! ┌───┐ミ
|┃ | あげ |
|┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃ ( ___)│ サッ
|┃= (_》 ^ω^)E)
|┃ ≡⊂ ノ
51 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:15:11
>>36 そうではない。
乳母になるのは、その近親者が若君の側近に取り立てられること
でもあるから、みんななりたがっていた。
実際には、乳母個人できめられず、乳母の夫、父母、兄弟、子供などを
考慮して決めていた。
一種の褒美として、または後見人として有力者の妻が乳母になることも多かった。
義経兄弟に乳母がいなくて、義平、朝長、頼朝に有力者の妻が
乳母としてついていることは、一族内での地位の違いが理由なわけだ。
52 :
日本@名無史さん:2008/02/16(土) 19:03:14
>>51 義経兄弟に乳母がいなかったってまじ?
少なくとも義経の同母兄たちが誕生したのは
父義朝がそれなりに勢力をもっていた時期だし、
義経自身、父の死後義父である一条長成の庇護も受けていた。
乳母がいないって、なんで?
>>52 平清盛の下に母親の常盤は、子連れで出頭したけど、通常なら
乳母が付き添っていたりする。
現実には、母親の身分が低いので、きちんと乳母をつける扱い
をするほどでは、なかったということ。
54 :
日本@名無史さん:2008/02/16(土) 22:18:18
今参昨子は14歳で東宮彰尊(16)と結婚した。東宮妃になり昨子は一躍時の人になった。
ところが結婚してまもなく父親の惟孝侯爵(40)と母親の幸子(旧姓島津・31)が謎の死を遂げた。昨子と彰尊は相談の上昨子の9人の弟妹を家に引き取ることにした。
しばらくして彰尊の母親で中宮史子(旧姓村松・41)も謎の死を遂げた。史子は5女蒔子の出産後体調がすぐれず実家が所有する別荘で静養していたが弟の英和侯爵が訪ねたところ変死体で発見された。
ところが史子は自殺したという噂が流れ彰尊は困惑した。だが王宮に行き弟妹から史子の様子を聞くとなんと彰尊の父親で時の帝の神武文尊(42)には風俗嬢の愛人がいることが判明した。
彰尊は既婚者なのでまだ独身の弟の具尊(14)に愛人の身辺調査を頼んだ。しかし数日たっても具尊は戻ってこない。だが次の日具尊は姉素子(19)の家のゴミ捨て場で全裸で発見された。
具尊「まずいよ・・・これからとんでもないことが起きる・・・」
そういうと具尊は意識不明になった。幸い命に別状は無いが精神的に大ダメージを受けていることが判明した。
しばらくして具尊は意識を取り戻したが突然発狂した。精神安定剤を投与されて落ち着いた具尊の口から出たのは恐ろしい事だった。
具尊「俺はあいつの事を聞くために別な女を指名したんだ。そしてあいつの事を聞いたんだけど突然数人の男を引きつれたあいつが突入してきて
いきなり持っていたノコギリで俺が話を聞いていた女の首を切断して俺を知らない家に拉致したんだ。気が付くと俺はあいつにフェラされていたんだけどめっちゃ気持よくて思わずあいつの口の中に出してしまった。」
全員「・・・」
具尊「それであいつは自ら俺のチンポをマンコに入れたんだけどみみず千匹や数の子天井どころの騒ぎではないほど本当気持よかった!あのマンコじゃ父さんが夢中になるのも仕方が無いね。」
素子「夕夏のエロテクなんて聞きたくもない」
具尊「まあそれは冗談として」
彰尊「今までの話は嘘?」
具尊「いや、みみず千匹や数の子天井より素晴らしいのは本当。兄上や善博さん(素子の夫)も冗談は抜きで一度はやったほうがいいかも。あまりにも素晴らしくて今までの女なんて糞に見える。」
55 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 18:24:19
>>53 主人である義朝が源氏に敗れて死んだら、
その妾に仕えていた者たちも逃げ出しただろうね。
そもそも、常盤が3人の子を連れて清盛のもとへ出頭したというのは
「平家物語」にしかない記述では?
そのときに清盛が常盤を見染めたというのも平家物語にしかない。
常盤が義朝の妾で一条長成の妻になったことは間違いないが、
常盤が清盛の寵愛を受けて女子を産んだことは平家物語にしかなく、
眉唾ものらしい。
(廓御方が常盤の子であるという一次資料もない)。
>>55 逆に乳母がいた、または残っていたという資料はあるのか。
そもそも乳母と乳母夫、乳兄弟は養君の父親が没落したぐらいで逃げられないし
寝返りも不可だろ。
流された源頼朝の生活の面倒を見ていたのは、頼朝の乳母たちだし、他のものが
みんな源義仲を見捨てて逃げていっても、乳兄弟たちだけは、残っていたよ他にも
寝返った乳兄弟を厳罰にした例もある。
他にも乳母の家族と養君の関係の深さ・付きあいの深さを伝えるエピソードは多いよ。
57 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 10:11:21
>>56 頼朝も義仲も俗世にあったから、たとえ没落しても
身の回りの世話をする女性の同行が認められていて、
たとえばそれが乳母であったりした。
だけど、義経ら3兄弟は、父が敗れるとすべて
寺に入れられている。
当たり前だが、寺は女性が入り込んで共に生活することが
許されず、それがたとえ乳母であっても拒絶された。
ここで若君と乳母の縁は切れる。
そもそも、義朝の妻たちの中で
なぜ常盤だけに乳母が認められなかったのかが不思議。
58 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 10:14:31
59 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 10:17:55
60 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 18:43:16
素子「ちょっと彰尊はともかく善博さんには素子タソという美人妻がいるのよ!」
彰尊「姉上、俺にだって昨子という妻がいるぞ!しかも自分の事を素子タソという美人妻って言うのは・・・」
素子「あ、そうだった(汗)。(彰尊の家の方向を向いて)昨子ちゃん、本当にごめんなさい。なんてお詫びしたらよいのやら。」
具尊「じゃあ死んでお詫びするしかないのでは?」
素子「(包丁を取り出して)じゃあこれで切腹しま、って本気で死ぬところだったわよ!しかも誰も止めないなんて!」
具尊「本当に昨子(具尊と昨子は同級生)に申し訳ないと思わないのか?それじゃ典型的な弟嫁を徹底的にいじめる義姉にしか見えないぞw」
善博「まあそうだね。」
素子「ひどい善博さんまで!で、それより結局どうなの?」
具尊「(話のトーンを変えて)で、夕夏は昨子の両親を殺して母上を死に追いやったらしい。もっとも夕夏の言い分だと母上は勝手に死んだらしいけど」
素子「何で・・・?」
具尊「夕夏いわく
夕夏(回想)「テレビにぃーこどもたちとえがおでうつっていてぇーすぅっごくむかついたからぁおもわずころしちゃったのん♪」
らしい。」
彰尊「それはともかくこの馬鹿っぽい喋りは一体何なの・・・」
具尊「本当なんだって。いや、本物はそれどころじゃない。まるで知的障害の子供、いや、それよりもっとひどい。」
善博「しかし見たことが無いから分からないけど一体何歳なの?」
具尊「全身整形と若作りして本人は27歳と言っているけど明らかに50歳は越えているだろ(実際はまだ37歳)」
素子「それであの口調・・・」
具尊「で、あいつ父上の子供を産んだというんだよね。それで俺たちを殺してその子を帝にしたいらしい。」
全員「えぇぇぇぇぇぇ!」
彰尊「それを早く言ってよ!」
素子「でもよく生きて戻ってこれたね。」
具尊「俺たちを殺すのは最低でも15年後・・・それまで心の準備をしろ、ということらしい。」
善博「しかし15年後に一体何があるのだろう・・・」
具尊「そこまでは言っていなかった・・・」
>57
同意。母親が遊女の義仲にしろ義平にしろ乳母はちゃんといた。
乳母の有無と兄弟の地位は関係ない。(乳母の出自レベルは違ってくるだろうが)
義経にいなかった訳じゃなく、平治の乱のどさくさもあっただろうし、
寺にやられて世俗と隔離されて支援が出来なかったってだけだろ。
それに、乳母はだいたい義朝配下だった武家出身のはず。(義平乳母は秩父氏)
平家の世になって公家に嫁いだ常盤としては縁を切りたい人たちだろうし、
それで疎遠になった事も考えられる。まして一歳までの乳母なら縁も薄い。
長成のとこでは武家と無関係の乳母が付けられたと思われる。
62 :
日本@名無史さん:2008/05/04(日) 21:44:32
伊勢大輔
63 :
日本@名無史さん:2008/05/18(日) 10:49:30
秀忠の乳母の大姥局は秀忠が生まれた時既に50代後半だけど乳を与えることはできたのかねぇ
マジレスすると
「乳母」≠乳やる人
ですから
神話の話になるけど
『古事記』『日本書紀』に出てくるウガヤフキアエズノミコトの乳母(且つ実の叔母且つ嫁w)
は未婚だから当然乳は出ない。つまり養育係。
大姥局の場合も、「乳母」の意味合いは天然ほ乳瓶係と言うより養育係というのが充当する。
65 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 15:43:55
〉20
秀忠は、家康の三男やからね。 稲葉は成り上がったよね。 ちなみに、知ってると思うが、春日局の夫の稲葉正成は稲葉一鉄の息子ね
66 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 19:43:11
春日局が夫の側室に嫉妬して
妊娠した側室の腹に火熨斗を乗せて
殺害したっていうのは本当なんでしょ?
綺麗事はおいといて、
さすがに自分の愛人を殺した妻と
そのまま何事もなかったように・・って無理じゃない?
67 :
日本@名無史さん:2009/02/08(日) 15:38:32
>64
乳母が複数いる場合もあるからおかしいと思ってたらそういうことか
68 :
日本@名無史さん:2009/02/15(日) 17:09:12
何かの本で
「春日局」は室町幕府のころからある名のある局名だが
室町幕府の何代目かの「春日局」が将軍か天皇から叱責されて不名誉な名になり
それ以降任命されていなかったのに福がそんないわくつきの「春日局」名をもらってしまったのは
幕府の手落ちであり、福に無理やりあわされた朝廷側の意趣返しだ
とありました。本の題名などは忘れてしまったのですが、これは本当の話なのでしょうか?
室町幕府の歴代の「春日局」の身元は分かるものなのでしょうか?
69 :
日本@名無史さん:2009/02/15(日) 20:38:05
>>68 「春日局」という局名自体は室町幕府将軍家よりもさらに古い。
早くには鳥羽天皇の官女に春日局という女性が見える。
それとは別に、室町幕府では将軍家に仕える女中に好んで春日局という号をつけたらしい。
その中には将軍の手がついたものもあり、将軍足利義満の子足利義嗣の生母の名も春日局となっている。
江戸時代成立の江村宗具による「老人雑話」に、
「慈照院殿の時、春日の局と云女あり。彼が所為にて、応仁の乱起り天下騒動す。
近来の春日局の号は、是を考ずして然るか」
とあり、慈照院殿(将軍足利義政)の時、春日局という女性のせいで応仁の乱がおこったと書いている。
もっとも、老人雑話は史料としてはいまいちらしく、
春日局という女性が原因で応仁の乱が勃発したというのも他の史料では見当たらないらしい。
70 :
日本@名無史さん:2009/02/17(火) 17:26:47
足利義嗣の生母春日局は義嗣が義満に寵愛されていたこともあって
絶大な権力を持っていたらしい
71 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 20:15:20
そうか
72 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:34:30
昔は、乳母が性の手ほどき、いわゆる筆おろしといいの
をしたらしいけどこれっていつごろまであったのでしょうか?
実際、乳母と床の間を同じくするわけでしょ。
手ほどきされたほうは、そのまま乳母を正室にむかえたということを
なにかの文献で知った事があるんですけど。
男にとっては忘れられない相手でしょうな。。。
73 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:27:51
>>72 公にするもんじゃないからいつまでとは残ってないけど
明治天皇のときにはまだあったともいうしね
>乳母を正室に
それはないよ。
乳母は一般的に養育する子よりもずっとずっと身分が低いからね。
相応の正室が決まったところで、正室との結婚の前に手ほどきをする。
手ほどきのタイミングの関係か(?)懐妊してしまった乳母もいるけどね。
高倉天皇の乳母とか。
足利義政の乳母とか。
74 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 08:20:53
なるほど、やはり筆下ろしさせることも乳母の役わりでも
あったんですね。
総じて男のほうは相手の乳母を大事にするでしょうね。
いつまでも良い関係が続くこともあるでしょう。
懐妊してしまった場合、うまれた子供はどうなるんでしょうか。
大原麗子さん
元気だろうかな?
76 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 20:13:42
>>74 乳母と言っても、筆おろしの役をする乳母は年齢の近いおねえさん的な
存在だった。
天皇の筆おろしの役を命じられたからと言ってその妻になれるわけではないので、
既婚者やその後他の男と結婚した例も少なくなかった。
「とはずがたり」で後深草上皇は乳母子の二条を手ごめにした後、
私の初枕の相手はお前の母上(大納言典侍)で、忘れられなかった。
だが、私も若くてどうしたらいいか分からなくてお前の父親らにとられてしまった。
だから、乳母子のお前だけは私のものにしたかったのだ、といったことを言っている。
>懐妊してしまった場合、うまれた子供はどうなるんでしょうか。
高倉天皇の乳母帥局は、高倉天皇の妃に定まっていた平徳子の入内前に手ほどきをして懐妊。
こうして生まれた高倉天皇の第一子功子内親王は天皇の子として認知され、
伊勢斎宮などを勤めて通常の内親王と変わらない扱いを受けている。
ただし、母親の帥局のほうは、高倉天皇の妃として暮らしたわけではなく、
女官待遇で、その後は別の男と交際。
高倉天皇以外の男性の子供を流産して流産が原因で死亡している。
足利義政の乳母今参局は義政の側室にまでなっていたが、特殊な例だと思う。
77 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 21:49:48
age
一生奉公的に守る側にたつシステムの「乳母」と、
単に乳を与えるだけの「乳母」は、区別して語ったほうが良くない?
79 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 00:00:11
平安時代は帝の初のお相手は、加冠の儀の時に「添い伏し」に
あがる貴族の娘で、更衣クラスじゃなかったっけ?そして
結婚年齢になって、大貴族の娘が女御として入内する。
乳母は藤原氏の女性でだれが立后するかにも関係するような地位。
>>78 その区別や↑のような区別が曖昧なことが多いので複雑
なんだと思う。
80 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 00:07:06
乳母が、初めての性の手ほどきをしたことは
間違いないんでしょ。
82 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 20:03:51
>>79 「添い伏し」はその後天皇の后にもなる身分の高い貴族の娘がなったよ。
例えば、一条天皇の添い伏しはのちに中宮、皇后となる関白藤原道隆の娘藤原定子だったし、
三条天皇の添い伏しは関白藤原兼家の娘藤原綏子だった。
当たり前だが、定子も綏子もこれが初めての結婚で、添い伏しの姫は処女であるのが大原則。
処女の添い伏しの姫を相手に性行為が及べるように天皇を手ほどきするのが乳母の役目。
添い伏しはその場限りの性指南役ではないし、全く違うよ。
83 :
79:2009/06/12(金) 21:42:07
>>82 生半可な知識で書いてしまって申し訳ないです。
訂正ありがとうございます。
84 :
日本@名無史さん:2009/08/23(日) 00:14:17
保守
85 :
日本@名無史さん:2009/09/02(水) 22:03:52
○○之局ってだいたい天皇の女官の名前だし。
天皇家と将軍家は違う家だよ。
将軍家の推挙(または了承)によって天皇から将軍家の関係者にも叙勲的な意味合いで与えられただけだし。
>天皇家と将軍家は違う家だよ
・・・、どう反応したら良いのだろうか
87 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 19:20:58
足利義嗣の生母の春日局って義嗣が殺された後どうなったの?
知りたい
89 :
日本@名無史さん:2010/02/14(日) 11:43:20
age
保守
91 :
日本@名無史さん:2010/04/24(土) 06:27:55
今参局って日野の跡継ぎ子に呪いをかけたとかで殺されたんでしょ?
単体魔女狩りだよ
可哀想だよ
俺も呪いとかしてくる奴がいてうんざりしてるからそいつ死刑に
して欲しい それでこそ法の下の平等だよな? 本来の法律の在るべき姿だよな?
小ざかしいクズな奴始末するために是非その制度導入するべきだよな?
俺に同意しろ?
古代中国や現代のインドや中東では黒魔術に対する
罰が導入されているだろ?インドのビハール
の女が丸刈りにされてツラボコボコされててよ
リンチにされて殺されてるんだよ
日本にも導入するべき法律だよな?
92 :
日本@名無史さん:2010/08/23(月) 00:58:27
足利義嗣生母の春日局は義満の死後行方不明になったんだっけ?
93 :
日本@名無史さん:
足利義嗣生母の春日局は義満没後まで生きていたかどうかも
わからないんじゃなかった?