937 :
日本@名無史さん:2008/05/28(水) 11:36:17
938 :
日本@名無史さん:2008/05/28(水) 14:51:36
↑今、仕事空きだから釣られてやるけど。
西欧芥溜め都市の好きな、文字の読めないユトリ厨が
中国出しても意味無いじゃん。あっ、お前が厨国人か
近世のロンドン、パリの資料読んだら!!
939 :
鬼武陽 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/29(木) 00:48:33
>>937 それのどこが江戸なんだかw
眼科行ってこい。
941 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/29(木) 01:30:30
排外主義も拝外主義も止めて欲しいな
942 :
日本@名無史さん:2008/05/30(金) 15:22:52
山田ですが
鬼武陽師匠から座布団三枚取るのはできません。
絶対、罵詈雑言くらいますよ!
913での「貝原益ケンは儒者だ」というのは
じゃっかん意味不明だったね。
それへの反論に対しては大方同意。
でもさ、江戸時代の学問で世界に誇れるのはごく僅かなのは事実だよ。
さんざん、本草だ和算だなんていってるがそれの一著作でも外国語に翻訳されたのかね?
日本の本草が書かれたのは元々李時珍の『本草綱目』に触発されたわけだけど、
『本草綱目』はラテン語を含めて世界のありとあらゆる言語に翻訳されたわけだよ。
何故かというとそれが価値があるから。
俺は『大和本草』が他言語に翻訳されたことなんて聞いたことないし、
見たことない。
俺、漢方医学をかじってて中国の文献も読んでるけどさすがに
日本の本草学を引用してるのは見たことない。
日本の漢方医書の引用はたまにあるけど。
日本の漢方医書の中国への流出、出版、は大方明治以降。
つまりはさ、江戸時代の価値ある学問は明治以降の鎖国が解かれてから他言語に翻訳されて然るべきだよ。
せいぜい、バショー等の文学の分野、儒学、
古文修辞の分野が中国語や欧州のシナ学の為に翻訳されたぐらいだろ。
944 :
943:2008/05/31(土) 15:45:50
吉益東洞の『薬徴』は中国医書でもたまに引用されてる。
でも、『薬徴』はおそらく本草とは言わないと思うけどね。。。
945 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/31(土) 21:51:39
>>943 だから間宮林蔵がいるだろ。
世界の地理学界で評価されてる。
ちなみにバカが探検してもだめだ。
測量の知識がなくちゃね。
伊能忠敬
関孝和
工藤が書いたのは、加模西葛杜加記であって赤蝦夷風説考ではない。
伊能にしても間宮にしても、活動の成果は評価されたけど、
測量学や天文学、地理学としての学問体系としては異質で、マッタク評価されていないのでは
950 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/31(土) 23:11:25
>>949 どうでもいいがググったウンチクを書き込みしてない?
もしそうなら止めてくれない?
ウザいから。
伊能と間宮を並列するのはおかしい。
伊能ではなく間宮が地理学界で評価された事実があると私は言ってるんだろーが!
君の御託はどうでもいい。
そういう世界の学界における実績が間宮にはあるという端的な事実だ。
君はどうかしてるので勘違いされたら困るが、私は伊能より間宮が偉いとか言いたいのではない。
ところで探検時の間宮は天体観測による緯度経度測定法を知らなかった。
間宮の方法は歩いた里数で算出するやり方。
これだと誤差ありなのだけど。
天体観測による測量術は
後年伊能に教わってる。
しかし間宮の間宮海峡発見の世界的意義は別だ。
間宮の発見は当時の世界の地理学者を驚かした発見なのだよ。
他の日本の学者で世界の学者をアッと言わした奴なんて
いない。
寛政7年7月13日(1795年8月27日)の夕方午後7時頃、幕府天文方
高橋作左衛門至時と大阪の天文方御用間五郎兵衛重富の両人が江戸橋を
渡ろうとしていた。季節は残暑、日没から一時間後ほど、天気は快晴で、
両人は何気なく東天に浮かぶ月(月齢11.9日)を仰ぎ見た。
すると、月体の東縁のすぐ外に、まさに潜入しようとする明るい星のある
ことに気がついた。それが木星であることはすぐにわかった。外出からの
帰途であり観測の用意など持ち合わせていなかったが、懐中を探ると小銭
と懐紙があった。両人はとっさに紙を縒ってコヨリをつくり、その先端に
穴あき青銅銭をぶら下げ、簡易振り子を作った。
木星は間もなく月体に潜入。それを肉眼で認めると同時に、間は振り子を
振り始め、高橋はその振れ数を声をあげて数え始めた。そのまま二人は浅
草鳥越の幕府司天台に帰着し、備え付けの垂揺球儀の時計面で時間を確認
した。
木星は約一時間後に月の西縁から脱出。二人は司天台の望遠鏡で、木星再
現の時刻を精密に測定、また比較星の南中をも観測し、木星食の潜入時刻
を午後7時26分42秒と決定した。再現の瞬間は8時48分48秒、月縁からの
離脱は8時49分36秒。これが我が国における星食の近代的観測の第一号で
ある。
952 :
日本@名無史さん:2008/06/01(日) 16:19:37
江戸の武士って楽だよな
石取の家督ついじまったら辺に重職につかなければ出勤は月に数日
家も付いてくるし終身雇用
あとは湯豆腐くってりゃよかったんだろ?
羨ましい
ああ、武士はダメ問題外
大店の跡取りで、親が死ぬまで遊び暮らして、跡を継いだら、気立ての良い正直者の弟に代を譲って
若隠居、あとは花鳥風月を追いかけて遊び人、これだね。
954 :
日本@名無史さん:2008/06/01(日) 17:02:24
江戸時代の人口を聞かれたとき、とっさにうるおぼえで2千万人って答えたんだが、
あとで確認したら慶長期で1200万、18世紀以降が3千万とあった。
ということは、一応17世紀後半くらいがその中間の2千万人になるんだろうけど、
一般的な江戸時代の人口としては間違いになるのかな?
955 :
日本@名無史さん:2008/06/01(日) 18:41:49
956 :
日本@名無史さん:2008/06/01(日) 19:37:03
人口が1200万の時期と3000万の時期はあっても、
2000万の時期はなかったんだろう。
957 :
日本@名無史さん:2008/06/01(日) 20:15:50
天子様と公方様
>>950 東洋の蛮人が海峡を偶然にも発見した
結局、間宮の評価なんてこの程度のものだってことですね
武陽隠士語る間宮に対するある意味での中傷は、間宮にとっては少し気の毒です
959 :
日本@名無史さん:2008/06/01(日) 21:16:47
だから、江戸時代の人口が2千万ってのは間違いなの?
受験勉強中の俺が答えてやるよ。
確か江戸時代初期が1500万人、そんで新田開発で一挙に3千万人程度まで。
それから、頭打ちで明治維新。
大体、江戸時代に限らず他の時代もごく初期が発展期で後ずっとジリ貧状態だろう。
吉宗の頃から一挙に一揆数も増えたのを勘案すると
(だから幕府は改革路線に舵取りしなきゃいけなかったんだろうが)
その頃位で人口頭うちじゃね?
詳しくは家帰って参考書見てみるよ。
つまりはさ、人口増加は一定の数ずつ300年間増加したんじゃなくて
江戸初期で一挙増加→後はずっと定常状態だろう。
だから江戸時代の人口2000万っつーのは間違いじゃないのかな。
後、先の書き込みで江戸初期1500万って書いたけどその辺はよくわからん。
まあ、1200万から1500万ぐらいだろ。
それにしても、江戸時代に限らず平安時代にしろ鎌倉時代にしろ室町時代にしろよくあんなに
後半部政権が持つなと思う。
せいぜい安定してたのは初期だけなのに。。。
>>958 調査目的で行って「偶然にも」はないだろ
馬鹿すぎw
963 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/02(月) 00:35:02
>>958 中傷じゃなく評価してるんだが。
度胸のある測量技術者が命がけの旅をしたんだもん。
常人には無理だよ。
どうでもいいけど基本書くらいチェックしてよ。
これだからバカは嫌なんだよね
そうではなくて、海峡発見は立派な功績。
ただ、発見に至る、測量、測地学的技術は、今日の技術体系に何ら寄与していない。
ということ。
江戸時代、綿々と発達した技術は特異なもので、閉鎖環境の中で欧米と同等の成果を
一部上げたが、その成果は「奇跡」として評価されたが、
その江戸の技術体系は無視されたのが実情でしょう。
965 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/02(月) 01:13:37
>>964 だから言ってんだろうが!
しつけえぞ
私は間宮が江戸時代で一番好きな人間なんだ
間宮のことなら詳しい
うるせえぞ
日本史板の学者なんたらスレのぞけ
私がウィキの誤りまで
指摘してる
くだらねえレスしてくんな
ネット切り貼りバカのヒマジンニートクズバカ野郎!
おおウィキ見てきたぜw
しかし、これだけ言い訳の多い記述も珍しくないか>>>林蔵
伊能忠敬記念館のまえ、さっき、仕事で通り過ぎてきたけど
佐原の町並みは観光なら観光で、もっと統一してくれたほうがいいよな。
古い店舗と新しい店舗がバラバラ。
968 :
日本@名無史さん:2008/06/02(月) 22:39:33
969 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/04(水) 00:47:15
>>966 何?
意味不明だよ
とりあえず本読めよバカ
基本書も読まないで
がたがた抜かすなくず
あとウィキはゴミだ
所詮、てめえみてえなクズがテキトーに書いたもの
誤りだらけでバカらしいや
970 :
日本@名無史さん:2008/06/04(水) 15:20:38
今夜は大いに噛み付いてるな〜ブヨ
ナンカ心理的にストレス溜めてんのか?
971 :
日本@名無史さん:2008/06/04(水) 18:09:25
972 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/06(金) 00:52:54
>>970 まあね。
ていうか仕事の疲れをここで発散してる
私の場合、日本史の知見がしっかりしてるから荒らし呼ばわりされるイワレはないしね
脳の中のゴミ知識をここに捨ててる訳だ。
973 :
日本@名無史さん:2008/06/06(金) 09:46:06
なんかニュース速報で18世紀だか19世紀、日本が世界の7大帝国だったとかいう
歴史評価があったが、まあそういう尺度換算は、あんま無意味だよな
でも現代のカシオ、ソニー、松下とか出版アニメ文化とか(黄表紙、浮世絵版画)
明治以降の殖産興業につながる、こう細部末端の民度の深さはあると思うんだ。
和算が婀娜花というなら、そういう無数の婀娜花文化をつくれる、無駄や町人文化が
ちょうさん打ちこわし飢饉一揆の陰惨な陰で、やはりあった江戸時代というのは
「比較的豊か」だったと思うんだよね
974 :
日本@名無史さん:2008/06/09(月) 00:12:08
975 :
日本@名無史さん:2008/06/16(月) 01:28:29
江戸時代の犯罪者は不正に得たお金を決まって博打や女郎屋につぎ込むのは何故なんです?
?
977 :
日本@名無史さん:2008/06/16(月) 02:07:44
いまでもそうだろ
金奪ってはぱチンコや競馬にうつこうてるやろヴォケ
酒も女も買うやろクズ
978 :
追放:2008/06/16(月) 04:30:20
979 :
日本@名無史さん:2008/06/16(月) 17:54:16
江戸時代の鎖国のせいで
科学レベルは欧米に圧倒的に遅れた
キロ、ヤード、ポンド、メートル、センチ、化学式、オーム、ボルト、アンペア
数百種類に及ぶ単位は全て欧米が決めてしまった
これは文化侵略のなにものでもない。
980 :
日本@名無史さん:2008/06/16(月) 17:57:49
981 :
日本@名無史さん:2008/06/16(月) 18:01:10
>>979 元々、鎖国はキリスト教締め出しから始まりました。
当時のキリスト教は、為政者の幕府側から見ればカルト宗教でした。
少なくとも、当時の幕府は眼前の問題に対処しなければなりませんでした。
欧州の侵略競争に巻き込まれない為の良策だという海外の学者もいます。
分岐の可能としては多々あるでしょうが、そんな事を検討しても意味ないでしょう。
幕末から明治にかけて、日本人は充分な科学的精神を発揮したと思いますよ。
江戸時代によって日本人の知的探究心が消え失せたとは到底思えない。
少なくとも、欧州の技術を理解できる能力はあった。
これは、圧倒的な科学力を持つようになった欧州の世界と早くから接触していた他の世界と比べて日本人が、異様に吸収率
が良かった事を見ても明らかです。
古代エジプト以下の自然哲学しか持ち合わせてない日本が
どうやって欧米に追いつくんだか。
むしろ江戸時代のおかげで国民に広く教養主義が浸透したのに
実際あっという間に追いついたじゃん
何気に蒸気機関とかササっと作っちゃったり
世界最初の自転車発明してたり全身麻酔手術やってたりなかなかおもしろい
985 :
日本@名無史さん:2008/06/17(火) 06:10:22
飛行機もスポンサーとかいればライト兄妹より早かったしね
986 :
日本@名無史さん:
いつからオーヴィルは女の子に・・・
生真面目なお兄ちゃんとひょうきんな妹・・そしてその下にもう一人妹が・・・