基本的に城下に武家はいないよ
明治維新で城下に住む事は禁じられ外へ移り住んだからね
もちろん後に城下へ移り住んだ家はあるけど
373 :
日本@名無史さん:2010/02/15(月) 21:46:59
>>372 そうなんですか?江戸だけではなくて?
うちは一応武家ですが、大正時代に別の所へ移った時の話を聞いた感じでは、
その時まで武家屋敷街のまま残っていたのかなという印象を持っていたので。
(話に出てくるご近所さんも武家でした。)
大きな家でなければ平気だったのかな。
374 :
日本@名無史さん:2010/02/16(火) 07:58:01
>>368 本物の旧家なら色んな繋がりがあるからな。
祖父母から更に曽祖父母へと辿って行くと、地域の名族全てに繋がる。
源平から藤原氏、歴史ある寺社関係まで関係あり。
>>372 初めて聞いたんだが。
せいぜい一部の地域、一部の階層だろう。
戊辰戦争の朝敵藩くらいだろ。
たしかに南部藩、仙台藩、会津藩そして幕府(静岡藩)は移封されたが、
全国的にいって武士という理由だけで城下町を追放になったなんてことはない。
そんな簡単に私有財産は取り上げられない。
没落した士族が屋敷を売り払うことはあったろうが。
376 :
日本@名無史さん:2010/02/16(火) 17:06:25
>>368 ある大学生(20歳)に先祖調査アンケートしたら75%の人が曽祖父の名前を知らなかったそうだ。
>>372 どこの話だ?適当なこと書いてんじゃねえよ
祖父の名前さえ知らないと思うけど
じいちゃん、ばあちゃんで用は済んじゃうからね
祖父母がすでに他界していたら尚更名前なんてしらないだろうし
元気でも遠距離で疎遠なら知らないことも多い。歴史に興味が
なければ曽祖父なんて全く興味がないのが普通だよ。
友人は田舎の旧家出身だけど、地元の博物館に行くと、
「○○家所蔵」「○○家寄贈」という説明文があったな。
鎌倉時代くらいまでは遡ることができるらしいが旧家では歴史は浅いほうと言う話だった。
自分の家系でわかるのは江戸時代の後半くらい。
婆さんの曾爺さんがちょっと金を持ってる農民で、
地元の寺に金を寄進した人たちの中にいたらしく、
寺の石碑(?)に名前が彫ってあった。
なるほど
>>380 百姓だと姓を書く事は不可能で本当に名しか書いてないはずだけど何で自分の家だと分かったの?
>>379 普通の家なら親戚付き合いで嫌でも一定の範囲は知らざるを得ない
祖父母の名前すら知らずにいられるなんてその時点で普通の家ではない
我が家には12代に亘る直系家系図があるよ。
初代から7代目までは6代目が作成(複製)したものに8代目以降は父が追加したもの。
本物は出身地の図書館に保存してある。
興味深いのは初代から妻の父親の名前が全て記載があること(例・妻○○又左衛門○○女)
残念だけど初代から先は「此前不知」と記載してあるけど、初代は記載文の内容からして
桃山期で今から400年以上前の先祖にあたる。
どうでもいいけど
東野幸治はいつまで
「自分のひいひいじいちゃんは間宮林蔵」と言い続けるのだろう
江戸時代の人口比率で言うと武士は1割以下。
なのに現代では「先祖は武士」
なんていう人が多い。
いかに捏造が多いかだ。
捏造した本人は後ろめたさを感じて生きるが、
その子や孫の世代になると堂々と子孫と名乗りだす。
で、いつのまにかやたら「先祖は武士」が増えた。
387 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 22:14:52
武士かどうかは藩分限帳、県士族帳を見ればわかるけどね。
389 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 22:56:01
「先祖は武士」が多いわけ。
一、武家は側室を複数持って子を為せる。
一、落城等の後に帰農した者の子孫が歴代農民だった以前の武士だった時代を強調する。
一、武家出身の婿養子が1人入っただけでも名誉だと思い、子孫は武士の子孫と言い続ける。
一、商人等が献金郷士などになった場合も、近い先祖である武士(郷士)であった先祖を強調する。
一、藩主直属ではない雑兵のような軽輩の者で、農家商家の二男三男からなったとしてもあくまで武士と伝わる。
以上のような理由から、捏造ではなく事実を述べたとしても武士の子孫自称者は多くなる。
>>386 むかしは侍の惣領か、養子に行った先が侍の場合だけ
侍身分でだった
いまはそういう制度が忘れられているから、単に分家した
次男・三男の子孫でも(世が世ならば)残らず侍だと思っている
だから捏造ではなく、無知なだけだ。
また武士の家を相続していない次三男の子孫でも
「先祖は武士」だったは間違いではない
391 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 04:36:20
>>389 側室や養子により身分の高い武家の血が入った家系と、
直系だが身分の低い武士スレスレみたいな家系…。
正直、前者の方にロマンを感じる。
帰農の場合も、貴族→武士化→帰農ってケースもあるわけで、
必ずしも江戸末期まで武士身分だった方が、価値が高いわけじゃない。
てか、江戸時代は終わっているわけなのだから、
今から見たら江戸時代も鎌倉時代も平等に過去だと言える。
つまり、鎌倉時代の武士の子孫だって「武士の子孫」には違いない。
ただ、古い記録については信憑性に多々問題があるというだけ。
>>390 自分は分家の長男で、従兄弟が直系の18代目なのだけれど、
もしも今が戦国の世なら戦で一番活躍しそうなのは、うちの弟。
従兄弟も俺も戦死して、弟が跡を継いでいきそうな予感…。
身分の線引きは難しいね。結局農民から武士までいる。それは当然。武士は元農民だから。
私の先祖は角倉了以に繋がる。武士であり商人であり医者であり学者でありと何でもあり。
屁理屈だな。
日本人なら皆、天皇の子孫みたいな考え方だ。
「先祖は天皇」って言ってたら失笑ものだが。
「先祖は武士」と言えるのは、それなりの家系に限られると思うけどね。
せめて幕末時どこかの藩の藩士名簿にひいじいさんの名前があるとか
でないと恥ずかしいじゃん。
それでも陪臣だし、禄によっては小身で藩士の下限ですいませんて感じなのに。
394 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 11:32:48
>>393 >「先祖は武士」と言えるのは、それなりの家系
俘囚蝦夷や半島帰化人のことでつか?w
395 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 11:42:26
みんな最初は、半島から流れてきたんだろうが
396 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 12:20:24
>>393 >「先祖は武士」と言えるのは、それなりの家系
せめて江戸初期から武家で分限帳にもあり、さらに明治の士族帳にもある家は
「先祖は武士」と言えるんだろな
397 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 16:45:27
珍しい名前は結構検索してみたりするんだけど、源平藤原とか○藩士は
滅多にいないな。数千件あるような名前でも○郷発祥かとか出自不詳が多い。
数パーセントといわれるとそんな気がする。
やたら先祖を武士にしたがる連中は百姓というより水呑みか穢多の類いだろう
本百姓なら自分達より酷い生活をしている武士などたいした興味もない
>>397 私見だけど、○郷発祥とかの土着氏族のほうが好きだな。
源平藤橘などはトヨタ傘下とか三菱傘下というのと同じこと
(親分子分の関係を結んで仮冒してるだけ)
独立独歩の中小企業の親父のほうが好きだ
400 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 00:43:43
>>391 なるほど〜
確かに江戸時代の身分も過去のものなんだよなぁ
まぁ確実なのは江戸時代なんだけどな
関ヶ原以前に負けて帰農した高貴な家もあるのも確か
郷土史に確かな記録がある場合は認めるよ
402 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 03:04:57
うちはいま現在で神主の親戚とかいるけど
一般の人で先祖が戦国武将だとかその家臣とかいう人は半分ウソだと思って聞き流してる
そういう人はいま現在どうなってるのって
>>402 3行めイミフ??
だいたい、ロマンと思って聞けばいいだけじゃんw
新興宗教は過去を否定するからな
405 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 17:26:34
そもそもなんで400年くらい前の混乱期の武士なんかにルーツ求めたりするのかなと思うんだよね
つながったらもっと時代を遡れるでしょって思うのね
小説とかドラマでわかりやすいからそういうのかな
あるいは士農工商の士でありたいっていうのを引き摺ってるのかなって
混乱期だからルーツを求め易いんだよ
江戸時代の将士なんて大半が怪しげな出自だから繋げやすい
逆に名家は戦国時代に消滅したものが多いから
その没落家系の末裔を名乗っても確定も否定もできる要素がない
いずれにせよ詐称しやすい
407 :
日本@名無史さん:2010/03/01(月) 01:33:18
はっきり言って武士なんて単なるソルジャーですよ。
寺社関係の方が1000倍高貴ですからね。
408 :
日本@名無史さん:2010/03/01(月) 04:11:13
高貴な家は武家にも寺社にもあると思うけど、
一口に寺社といっても、結構時代が下ってからのも多いんじゃないっけ?
>>407 具体的な例を出してくれよ
自己満足してないで
>>399 なんで本物を無視するの?ww
それに仮冒だとしたら、元はあなたの言う土着民で、
ある時代以降記録に残る身分になった家だろうに。
なんか、東大出に理不尽な陰口を言っていた中小のおじさんを思い出したw
史料編纂所調査 キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
幕末の先祖の日記の写真撮りでしたけど。
412 :
日本@名無史さん:2010/03/03(水) 17:42:58
>>411 おぉ。素人でも読む気になる感じの書き方だった?
>>412 意外と癖の無い書体だったので、
「古文書解読のテキストに使ってもいい?」とは聞かれました。
内容は、藩からの御触れとか、農作業の進捗とか様々です。
変ったところでは、極たまにお城に呼ばれた時の酒肴の献立なんかも
書いてありました。
414 :
日本@名無史さん:2010/03/21(日) 18:30:57
ほほー
いいね。こちらは古文書相談会に持っていったら面倒くさそうに「大切に
してください。」で終わったよ。
416 :
パンツ ◆amC16oijRg :2010/03/22(月) 09:01:21
とりあえず、父方は400年ちょっと前まで、
母方は350年位前まではわかってる。
父方は兵農分離の際土着した草分け百姓の総名主、ただしうちは江戸末期からの分家、
親父の実家の隣が本家。
母方の方は、わざわざ調べた親戚がいて、お楽の方ってのを出した家系だと判明。
普段は百姓でいざという時にクワを刀に替えて
川中島の合戦に行くのはやはり百姓ですか?
禄貰ってるなら武士
ないなら百姓
419 :
日本@名無史さん:2010/04/25(日) 21:19:45
だからなんやねん
420 :
日本@名無史さん:2010/07/16(金) 23:59:12
うちは戦国時代は毛利の家臣だった。
関ヶ原で毛利が豊臣方について周防・長門2ヶ国の37万石に大減封された
ため、うちの先祖は武士をやめて浄土真宗の寺をはじめた。
父は次男だったんで長男の伯父が寺を継いだ。
浄土真宗は世襲なんでうちは400年前までは遡ることができる。
武士の割合って数%だったって言うけど
家督を継いでない兄弟の家とか、嫁や婿に来た人の実家まで先祖とか言い出すと殆どが武士の子孫だな
むしろ完璧に百姓の血しか継いでない家があったら大名家なんかより希少価値あるな