謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!9

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301太国 ◆yVAs7uaYlY
>>298
ただいまググって見てみましたが、これをお書きになった方がいろいろ考えて
想像もしてみただろうし、それにて出来上がった神像絵でしょうね?
ただ天照大御神の真姿と似てないと想います。
302神奈川県民改め三重県民:2007/10/28(日) 15:55:19
>>275 太国さん
それ昨日見ましたが・・・解りににくいです。

>>279-285
私も愛知県民さんには文章よく読んで貰いたい思います。

>>281>>288
男子ですよね。・・・側近の信用できる弟と解釈したらだめなんですかね。

303太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 16:01:49
>>302
あれは、高天原で暦法が行われていたんではあるまいかとの簡易な論説です。
月読命も月齢の読むことがやれている御名ですし、神代すでに暦法の運用が
あったのではないだろうかとの考えを深くします。

邪馬台国の掲示板はありますが。
304日本@名無史さん:2007/10/28(日) 16:44:07
 持統天皇の時代に、志羅紀人グループが、日本の関東地方に移住したという
記録がある。
 彼らは、自分たちの祖国・志羅紀が、朝鮮人(ワイ族=新羅人)に侵略された時、難民となって
任那や百済に避難したようだが、任那と百済が滅ぼされてからは、日本に移住したという。


687(持統元年)年 3月15日、コマ人56人を常陸国へ。
          3月22日、シラキ人、14人を下毛野国へ。
          4月10日、シラキの僧尼と百姓22人を武蔵国へ。
688(持統2年)年 百済の敬須徳那利を甲斐国へ。
689(持統称制3)年、4月8日、シラキ人を下毛野国へ移住させる。
689(持統3)年4月13日 草壁皇子、死亡。(28歳)
689(持統称制3)年、5月10日、百済の男女21人が帰化。
            8月11日、帰化したシラキ人を下毛野国へ。

690(持統4)年 1月1日、皇后、皇位に付く。
690(持統4)年 8月11日、帰化したシラキ人らを、下毛野国へ移住させる。       
696(持統10)年、孫の軽王に譲位して、史上最初の太上天皇になる。
697(持統11)年、8月1日、皇太子(軽皇子)に皇位を譲る。
701(大宝 1)年、『大宝律令』を完成させる



305日本@名無史さん:2007/10/28(日) 16:49:54
>>298
魏書 扶余伝
>尉仇台死、簡位居立。無適子、有庶子麻余。 位居死、諸加共立麻余。

扶余伝にも簡位居には適子がなく、諸加は庶子の麻余を「共立」したとあります
高句麗伝とあわせると、「共立」は(みなで話し合って)「共に立てた」という程度の
意味でしょう
306日本@名無史さん:2007/10/28(日) 17:06:22
>>291
天照大神は女性。理由は、

素戔鳴尊が天照大神を「姉」と呼んでいること。

素戔鳴尊が高天原にやってきたとき、髪型を男性のものに変え、戦いの準備を
したと書かれていること。

機屋で神衣を織っているところ。機を織るのは女性の仕事だった。

まあ、天照大神が女性というのは明らかでしかも常識。
これを男だというようなとんでもない説がまかり通るところがいかにも
何でもありの邪馬台国論争らしい。

なんだったら、天照大神が男である理由を述べてみる?
307日本@名無史さん:2007/10/28(日) 18:30:48
>>290
君は国東の姫島(古事記にでてくる女島そのまま)にある
比売語曽神社のことは知ってんの?

大阪難波の姫島神社は江戸時代以前は確認されていないとか。
308日本@名無史さん:2007/10/28(日) 18:35:02
乱暴されて怒って閉じこもる。
これってスサノヲはホモ(ry
309九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/28(日) 18:49:13
>>297
>>295の画像は天照でググッたのに縮れ麺のラーメンに見えます。
310日本@名無史さん:2007/10/28(日) 19:04:51
天照が男なら子供は生まれない。
誰と結婚したの? ホモではお家断絶。
311日本@名無史さん:2007/10/28(日) 19:09:35
>>241
>卑弥呼がだいたい孝靈開化から崇神の時代の人物であることが把握される。
こういわれちゃうとどうしても卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命っておもってしまうな
彼女が大物主神の妻ってのも まだヤマト王権とそれに従わない豪族達との妥協による擁立っての におわせるし
ヤマト王権側としては男弟の孝靈〜崇神が王だったって認識だったから倭迹迹日百襲媛命が記紀では君主としてあつかわれなかったんじゃないかな?
312太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 19:15:17
>>311
モモソヒメだとの考えは否定までには至らないが、彼女が九州へ行ったとかの話
があれば可能性が出てくるが? なんともだが、いまのところはそうでは
ないだろうくらいの非確定の状況だ。

孝靈天皇も吉備あたりへ行幸してるというから、そのまま伸張して皇族関係が
九州まで足を伸ばしてそこに留まれば卑弥呼の可能性はありうるがね?
313日本@名無史さん:2007/10/28(日) 20:43:25
モモソが中国の皇帝から一国の女王として印をもらった?
中国と交流があり大量の貢ぎをして中国の記録にも残っている?

だとしたらとっくに伝承されているはず。ナイナイww
314太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 20:52:34
そうだろうね。
315日本@名無史さん:2007/10/28(日) 21:03:50
邪馬台国の卑弥呼・台与と魏との交流。
これは中国の文書にしか記されていないこと。

つまり日本史、日本側の伝承において、天皇・朝廷と中国皇帝・魏との
交流の記録や伝承がない。
神代に天皇が何をしたか。祟神が何をしたか。垂仁天皇が何をしたか。
熊襲退治、朝鮮出兵。
あれこれ古代の神代記や国内・外に関する伝承が残っているのに
中国皇帝との交流の話が全く無い。朝鮮はよくて中国は駄目?

聖徳太子の時代には得意気に中国に認められた話と遣いを送る話が
伝えられてるのにね。

つまり卑弥呼や台与は、天皇家の支配地域や系譜と関係ない人達なんだよ。
おかしいね。天皇の祖が天から降りてきて日本って島々を順番に造っのにw
316太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 21:37:35
国生みは天降のもっと前だよ。
317日本@名無史さん:2007/10/28(日) 23:16:56
>>315
『日本書紀』に書いてあるよ。卑弥呼を神功皇后と解釈した上で。
朝鮮記事もそう。全て『日本書紀』編纂者の解釈を施した上で、
『日本書紀』紀年製作者による紀年上に載せられている。
318河童:2007/10/29(月) 08:02:08
『12686について』
(可七万餘戸)

これを貴方がどう捉えているかによってだが?
手短に言えば、これは『南至邪馬壹國女王所都』と書かれた規模の説明
都だけに限られた人口推定値じゃないよ

『戸』は戸里制のなかの単位でもあるし、(可七万餘戸)となれば 直接人口というわけにはいかない。


当然その辺承知で絡んできたんだろうね?
319太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/29(月) 15:07:50
>>315
>天皇家の支配地域や系譜と関係ない人達なんだよ

そのとおり。だから女王国は畿内にはないのが正解なのだ。卑弥呼の国は
九州にあったということだ。それに北九州にあったんなら、百済等半島の使者
が女王国を通過して畿内に朝貢していくから、女王国の情報は朝廷に筒抜けに
なって記紀に卑弥呼らの詳細が書かれるはずであるから、九州でも、まず
北九州ということは考えにくい。それでも絶対ではなく、半島と畿内の交通路
から外れている地域ならば北九州の可能性はまぁまぁ残るが? でもおそらくは
奥九州の盆地なぞが最も可能性が強いだろう。
320日本@名無史さん:2007/10/29(月) 17:56:40
朝鮮―出雲・畿内ルートと
中国―邪馬台国ルートがあって
お互いの情報は遮断されていたという構図は有り?

今思いついただけだけど
321茨城県民(プ):2007/10/29(月) 18:40:23
>>320

あり
322九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/29(月) 19:55:12
畿内マキムク王権と九州邪馬台国は完全に遮断されていたといえる。

323唐松山:2007/10/29(月) 19:55:26
巫女が 結婚しないのは,古くからの仕来たりです。
開化時代 崇神の母を 娶る時の話の一部
ホ32209 いわくイセには メとつぎて うみのオヤなし
むかしヲバ メイいまはツヅ うむコあり 

子供はいても 父親はいません。
324唐松山:2007/10/29(月) 20:33:17
畿内マキムク王権は 垂仁,景行 なら遮断されていません。
考霊から 崇神だと 船を作るのが崇神18年 これ以降なら 可能
陸道の確保は 景行28年倭武により 確保される 軍の移動を想定。
  
325太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/29(月) 21:21:22
>>322
ほぼ遮断でいいと想います。
326太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/29(月) 21:24:44
>>322
というのは、景行九州行幸があるからですが、ただ女王国のアト釜地域には
行幸されてないと考えます。そこはおそらく奥九州と睨んでますが・・・。
327日本@名無史さん:2007/10/29(月) 21:38:03
>>320
アリアリ。とっても有り。
わざと遮断とまではいかなかったと思うけど。
地形を考えて自然にそうなったんでは?
328サガミハラハラ:2007/10/29(月) 22:01:49
北部九州とマキムクが遮断されていたのは、間の瀬戸内海が海賊によって通行できなかったからです。
大和の勢力は垂仁天皇の時代になるまで瀬戸内海や中国地方を制覇できなかったし、邪馬台国も沸きに大乱以降は九州および海峡部
にしか勢力を及ぼすことができなかったからです。
329唐松山:2007/10/29(月) 22:29:20
崇神の末頃 出雲の宝を手に入れるために 北九州へ
垂仁末  タジマモリ 常世の国へ 行く

多少は 繋がっている。
商人 ルートか?
330日本@名無史さん:2007/10/29(月) 22:34:45
倭王武が高句麗が通さない時があるから中国参りができないと
怒ってたんだから、朝鮮経由なしの中国ルートなんかないんじゃないか
331日本@名無史さん:2007/10/30(火) 01:51:12
>>328
北部九州とマキムクが遮断されていたのは、間の瀬戸内海が海賊によって通行できなかったからです。
瀬戸内海の海賊って???
あの時代、海賊的な勢力がすでに存在していたのでしょうか
332九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/30(火) 05:36:46
海賊かどうかの議論は別として環濠集落の厳重警戒振りを見ても解るように
近辺の集落へ行こうとしても別のクニのテリトリーを通過する事になり争いを招く。
弥生時代とはその様な時代だったと思います。大和朝廷によってほぼ統一される前までは・・。
クニ同士大規模な交流や通商、経済活動がお互いになされていたと考えるにしては集落の規模が小さすぎます。
あたかも北米インディアンの部族間の争いのように小テリトリーの中で小競り合いを繰り返していたのでしょう。
どちらかといえば集落の中に人々は閉じこもって生活していたいたというのが実情に近いと思います。
当時の倭人は裸足でしょうし畿内説者の言うように邪馬台国連合が北部九州から畿内まで広範囲に広がり、
遠方まで野越え山越え素足で歩き回って交流していたとはどうしても想像できません。
それらが出来るようになるのは倭人が履物をはくようになってからでしょう。
インカの飛脚なら別ですが、広大な帝国と整備されたインカ道など倭と条件が違いすぎる。
333唐松山:2007/10/30(火) 14:56:24
ホ37202 あくるハル ヤヨヒにかえる           明くる春 弥生に帰る
タシマモリ トキシクカグツ フソヨカゴ         タジマモリ 時至9ヶ月24日後
カクのキヨサホ カグヨサホ もちきたるマに       果実の木4棹 果草(種、籾)4棹 持ち来る間に
キミまかる                       天君 まかる

タジマモリの行った 常世国 は 何処ですか?

以前は 楽浪郡 かと思って居ましたが 持ち帰った中に 橘の苗木が有るとすると 楽浪郡では 寒すぎる(橘は育たない)
会稽郡か洛陽か?

推理してください。

334日本@名無史さん:2007/10/30(火) 20:05:26
>>331
海賊じゃなくて、その間の国々が強すぎて勢力が分かれていたのでは?
いわゆる制海権がなかった。
自由に瀬戸内海を航行できなかった。
だから文化も割かれてる。そんな感じだったと思われる。


335神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 21:42:03
サガミハラハエラさん〜あなたの本読みました。

批判開始しても平気でスかね?
336神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 21:55:39
>>318
河童さん・・・

>『12686について』て誰に対して言ってるんでスか?

私でスか?
337河童:2007/10/31(水) 22:05:55
>>336
貴方かどうかは判断できませんが、心当たりあるならコメント宜しくです。
338神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 22:08:48
>>306
>なんだったら、天照大神が男である理由を述べてみる?

皇祖神の天照大神が女性だと「男系の天皇家」としてつじつまが合わないからですよ。
それに天照大神が女性なんかどこにも書いてないです。勝手にみなさんが女性と決め付けてるだけ。
私はスサノオノミコトが姉と言ったのは天照大神のオオヒルメノムチミコトに対してだとしています。

以上!

339神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 22:17:19
>>337
>318 :河童:2007/10/29(月) 08:02:08
>『12686について』
>(可七万餘戸)
>これを貴方がどう捉えているかによってだが?

魏志倭人伝に書いてるとおりそのまま捉えてください。

>手短に言えば、これは『南至邪馬壹國女王所都』と書かれた規模の説明
>都だけに限られた人口推定値じゃないよ

人口値じゃなかったら何スか?書いてないことを付け加えるのはよくない。

>『戸』は戸里制のなかの単位でもあるし、(可七万餘戸)となれば 直接人口というわけにはいかない。

そりゃ〜直接な人口ではないよね・・・戸数 だわ

>当然その辺承知で絡んできたんだろうね?

師匠のクツワ虫さんから脅して来いとでも言われた?笑
340神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 22:33:43
河童(プ)さん〜

だから『「行橋地形問題」と「伊勢の天照大神が男神問題」』言ったでしょ〜。
クツワムシのあの説は〜この2つの問題突きつけられたら成り立たないのよ♪

それにしても君の師匠クツワムシ〜て論破されかかってんのに〜左の耳で聞いて右の耳で流しやがる〜。笑
馬鹿っていいよねーーっ笑
341太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/31(水) 22:35:39
>>338
天照大御神は超美女です。男性ではないです。
342神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 22:38:52
クツワムシ〜見てんダろ?

あなたから嫌い言われて〜おれから行ける訳ないでしょ。
こっちきて正々堂々反論してミヤガレ!
343神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 22:42:15
オヤオヤ これはこれは〜太国さん。

お見苦しいところスンミマセンです。
ちょっと別のサイトでいろいろありまして〜笑

んで太国さんが言う〜長美女とはどれを見てそのようなことを・・・?!
344河童:2007/10/31(水) 22:43:39
とても話のできるレベルにないため失礼するよ
もう一度幼稚園からしつけのやり直ししてから訪問してね


では失礼する
345太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/31(水) 22:44:54
秘密ですね。真姿は知ってます。

彼女は長身ではないですよ。小柄です。ミニスカお好みの方です。
スワンレイクの主役のような感じかな。
346神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 22:59:26
>>311-313
卑弥呼はモモソヒメ〜は俺もありえないと思ってる。

しかし、天皇家の中では有力候補・・・てところでしょう。
347神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 23:02:07
>>344
だから〜それ河童さんのことでしょ♪

いつも〜自分で自分を批判するんですね。笑
348神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 23:04:19
太国さん〜それ今度詳しく聞きます。

ZZZZZZZ.........
349日本@名無史さん:2007/11/01(木) 07:35:27
>>344
お前はウンコでも壁になすりつけてろ!
350唐松山:2007/11/01(木) 17:07:57
天照大神は 男です。
又見天照大神、方織神衣居斎服殿。則剥天斑駒。穿殿甍而
投納。是時天照大神驚動。

方織神衣居斎服殿が 天照大神の 持ち物である事は,認めますが
「天照大神が 方織神衣居斎服殿で 機織りをしていた。」とは 読めません。
女性というのなら 読み方を 教えてください。

351唐松山:2007/11/01(木) 17:43:56

天照大御神、坐忌服屋而、令織神御衣之時、 天服織女見驚而、於梭衝陰上而死
つまり 天照大御神は ?の命令で織神御衣時 天井から落ちてきた 斑駒に 驚いた。
と 読むなら 天照大御神に命令を出したのは 誰ですか?

352太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/01(木) 18:27:40
唐松山さん それはホツマの間違いですよ。ここは記紀のほうが正解。
天照大御神は女性です。
353九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/11/01(木) 18:44:12
しかし中野市柳沢遺跡出土の銅戈と銅鐸はどう捉えればいいのだろうか。
あんな山の中に銅剣、銅鐸が及んでいたのだろうか?それとも・・・。
ま、九州邪馬台国には関係ないけど。
354九州王:2007/11/01(木) 19:00:51
郡から伊都國までを計算すると下記のように11900里になる。
七千里+千里+(四百里×2)+千里+(三百里×2)+千里+五百里=11900里
※方可とあるので、対馬南島と壱岐をそれぞれ半周したと考え、(四百里×2)(三百里×2)
「自郡至女王國萬二千餘里」とあり、帯方郡から女王國まで12000里。
伊都国から奴国まで百里、つまり帯方郡から奴国までが帯方郡から女王國までの12000里と同じ距離となり、奴国は女王国の一部であったと考えられる。
距離を時間で再説明
南へ水行20日で投馬国に至る(7000里)。南に水行10日陸行1月(3400里+600里、陸行1月は1日の誤り)で女王の都のある邪馬台国に至る。

(邪馬壹国)70000余戸=對馬國1000余戸+一大國3000余戸+末盧國4000余戸+伊都國1000余戸+奴國20000余戸+不彌國1000余戸+20國×2000戸

海〜〜┃∵楽浪郡∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┣━━━━━━━∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
355九州王:2007/11/01(木) 19:01:26
海〜┌←←←▲帯方郡庁∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┗┓∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜└┐┃∵帯方郡∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┣━━━━━━┳━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵(馬韓)∵∵┃(辰韓)∵┃〜〜〜韓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵10万余戸∵┃(弁辰)∵┃〜方可四千里〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┌┘┃∵∵∵∵∵∵┃4-5万戸 ┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┏┛∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┣━━━━━━━┻━━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┃(投馬國)5万余戸 ∵┏━━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┃∵∵∵狗邪韓國◎━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┗━━━━━┛┌┤〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
356九州王:2007/11/01(木) 19:02:05
海〜└→→→→→→→┘↓〜┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜七千餘里〜〜〜〜〜↓〜┃┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜水行20日〜〜對馬國├○┓┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜↓┗┛対馬下島〜方可四百餘里〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜水〜〜└→┐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜行〜〜〜〜↓〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜10〜〜〜〜↓┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜日〜一大國├○┛壱岐〜方可三百里〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜└→┐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━┓
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜千餘里↓〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┛∵∵∵┃
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━○〜〜┏━━┓〜〜┃∵不彌國∵∵┃
海〜〜〜〜〜〜〜┏━━┓〜┃末↓━陸行1日(月) ━┛∵∵∵∵∵∵┗
海〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵┗━┛盧└→→○→→→◎→斯→己→伊→都∵
海〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵國∵五∵伊∵百∵奴∵馬∵百∵邪∵支∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵百∵都∵里∵國∵國∵支∵國∵國∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵∵里∵國∵∵∵↑∵∵∵國∵∵∵↓∵
357九州王:2007/11/01(木) 19:02:36
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵┏┓∵∵∵∵烏奴國∵∵∵∵∵∵彌奴國
海〜〜〜〜〜〜〜┏┓┃∵∵┏┛┗┓∵∵∵↑∵∵∵∵∵∵∵∵∵↓∵
海〜〜〜〜〜〜┏┛┃┃∵∵┃〜〜┃∵支惟國∵∵∵∵∵∵∵好古都國
海〜〜〜〜〜〜┃∵┃┗┓∵┗┓〜┃∵∵↑∵∵(邪馬壹国)∵∵∵↓∵
海〜〜〜〜〜〜┗┓┃〜┃∵∵┃〜┃巴利國∵∵∵7万余戸∵∵不呼國
海〜〜〜〜〜〜〜┃┗┓┃┏━┛〜┃∵↑∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵↓∵
海〜〜〜〜〜〜┏┛∵┗┛┗━┓〜┃躬臣國∵∵∵∵∵∵∵∵∵姐奴國
海〜〜〜〜〜〜┗━━━━┓∵┃〜┃↑∵∵∵∵∵∵∵華∵∵∵∵∵↓
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵┃〜┃邪←鬼←爲←鬼←奴←呼←蘇←對
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┃〜┃馬∵奴∵吾∵國∵蘇∵邑∵奴∵蘇
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗━━━┛〜┃國∵國∵國∵∵∵奴∵國∵國∵國
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵∵∵∵國∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┣━━━━━━━━━━━━━━
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━┛∵∵∵(狗奴國)∵∵∵∵∵∵
358唐松山:2007/11/01(木) 19:06:16
書紀と古事記しか 使っていません。

ほつま ならもっと簡単。

長野は 手力男が収めていた。伊那(阿智)は 手力男の親 思兼
諏訪の 押さえ として 南北に置く。

史実という事ですか。
359唐松山:2007/11/01(木) 19:56:49
建御名方命が 諏訪に 入った を考える

時代は 神武死亡時 
神沼河耳(大国主の血統)と手研耳(天照大神の血統)が争う
この時 手研耳に 建御名方や伊勢が味方するも 敗れ
建御名方は諏訪へ流罪
伊勢は 阿智(伊那)思兼のもとで蟄居
建御名方の諏訪へのルートは日本海側を進み 現,直江津より長野、小県(生島神社)を通り八ヶ岳を越えて 諏訪に入る。
長野戸隠に手力男 四科県(更級,埴科、妻科、?忘れた)は 考霊辺りから出てきます。

360日本@名無史さん:2007/11/01(木) 20:22:08
>>359
へえ おもしろいね。
361日本@名無史さん:2007/11/01(木) 20:24:40
>伊那(阿智)は 手力男の親
          
             ↑
          この男こそ後のMr.マリックである
362唐松山:2007/11/01(木) 20:27:36
九州王さん すばらしい表 お疲れ様です。
ところで 国名は どこの発音ですか?

漢又は魏→楽浪方言→百済→任那→熊襲→倭

楽浪の使者が海洋民族 熊襲から聞いた地名なら殆んど海辺の国でしょうし
倭国 邪馬台国なら もう少し わかる名が有っても?
邪馬台国が中央にあるのは 山大国ですか?
363九州王:2007/11/01(木) 22:05:50
>>362
国名は当時の日本語の発音。
先人が多くの候補の地名を出しているが証拠に乏しく、決定が難しい。
邪馬壹国とは馬韓や辰韓などと同じ領域国家。
投馬國も同じく領域国家。
狗邪韓國、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴國、不彌國、斯馬國〜烏奴國、は領域国家を形成する都市国家群。


364茨城県人(プ):2007/11/01(木) 22:31:59
唐松山さん

ちょっと御教授を

アカハナマイキヒニミウク
フヌムエケヘネメオコホノ
モトロソヨヲテレセエツル
スユンチリシヰタラサヤワ


これは(ホツマツタエ)の一部だと思うのですが  違いますか?

当方、ホツマに関して全くの無知識ゆえお願いいたします。


365日本@名無史さん:2007/11/01(木) 23:32:50
そうだよ。ホツマの一部だよ。
50音図を横に読んだのに少し手を加えてある。
366日本@名無史さん:2007/11/01(木) 23:58:29
>>350
ttp://www.ikedakai.com/nihonsyoki.html
このサイトでは、下のように読んでいます。
復天照大神の、方(みざかり)に神衣(かむみそ)を織りつつ、
斎服殿(いみはたどの)に居しますを見て、則ち天斑駒を剥ぎて、殿の甍を穿ちて投げ納る。
是の時に、天照大神、驚動きたまひて、梭(かび)を以て身を傷ましむ。
普通に漢文調で読むなら、
又た天照大神の方(まさ)に神衣を織らんとして斎服殿に居るを見て、則ち天斑駒を剥ぎて、
殿の甍を穿ちて投げ納る。是の時、天照大神驚き動けり。
天照大神は、神衣を織る為に斎服殿に居たのははっきりしています。

>>351
天照大御神、坐忌服屋而、令織神御衣之時、 天服織女見驚而、於梭衝陰上而死
天照大神、忌服屋に坐して、神御衣を織らしめるの時、…天の服織女見驚きて、梭に陰上を衝きて死にき
令織神御衣之時の令は、この文の主語である天照大神が命令の主体です。
天照大神が、天の服織女を引き連れて忌服屋にいて、彼女達に神御衣を織らせていたところ。
中国でも、皇后・王后が諸侯の夫人を従えて、祭祀用の布を織るという儀礼がありますな。
367茨城県民(プ):2007/11/02(金) 00:20:29
>>365

お〜っ

ありがとう


ホツマの知識は全然×でして
368日本@名無史さん:2007/11/02(金) 08:37:37
>>362
邪馬台国の「邪馬」は日本語の「山」「やま」だよね。
大きな山が多いから「山大国」なんて呼んでたんだよ。俺は、大分の九重高原から日向まで
続く大山脈地帯だと思ってるんだ。海の幸も山の幸も豊富だよ。

21世紀の今でも山脈を抜けるのにさ、最新鋭の特急電車と長いトンネルを数え切れないほどずーっと
使って2時間以上かかるんだぜ<<日豊本線の大分ー日向間 

その後、その地名が消えたのは他の地名が定着したからじゃないかと。例えば天孫降臨
などの話が広まってから「日向」と呼ばれるようになったとか....
369日本@名無史さん:2007/11/02(金) 17:34:25
宮崎が、古代に栄えた土地であることは間違いない。
しかし、熊襲や隼人とは一線を画す。
どちらかといえば、北部九州や畿内との関連が強い。

九州で最も大きな古墳は宮崎にある。311の古墳がある西都原古墳群、
207の古墳がある新田原古墳群などたくさんの古墳群がある。

また、宮崎(日向)は、記紀でも重要な位置を占める。

けれども、>>368にもあるように、大分からの陸路は大変。
熊本との間にも九州山地がドンと横たわっている。
まさに九州でも陸の孤島といえる。

そんな宮崎に陸路でやってくる経路は二つ。くしくも、その二つに天孫降臨で
有名な高千穂がある。

なんとなく、西北部九州からある勢力が日向にやってきたのではないか、
それが天孫降臨の伝説として残っているのではないかと思う。
370唐松山:2007/11/02(金) 18:30:18
天照大御神の続き

命令を出したのは,天照大御神で 了解
それでは 古事記の 三皇子 について教えてください。
スサノウが会いたがった 姉と共に
371唐松山:2007/11/02(金) 18:44:02
私の使っている ほつま
http://www.k3.dion.ne.jp/~yamas/kodaiy2k/hotumika/hotumika.htm
ほつま の干支を数字に直す式
=CHOOSE(MOD((A3+69),10)+2," ","き","き","つ","つ","お","お","さ","さ","ね","ね")&
CHOOSE(MOD((A3+71),12)+2," ","あえ","あと","みえ","みと","やえ","やと","しえ","しと","なえ","なと","うえ,"うと")
372日本@名無史さん:2007/11/02(金) 19:05:14
邪馬台国を特定するにはまずは何故か突然不透明になる、平安京以前の歴史をキチンと解き明かす事がだいじ

で、さんざんあっちのスレで紀記から読み取ろうとしてみたけど、その前に正史とされてる日本書記に文句がある
373太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/02(金) 19:10:29
どんな文句だ?
374日本@名無史さん:2007/11/02(金) 19:27:26
文句って年代ですか?
日本書紀の年代については最近いい本がでています。
是非読んでみてください。
375日本@名無史さん:2007/11/02(金) 19:30:06
まず日本書記を正書として日本の歴史を日本書記と定めたのは明治以降

何故、江戸幕府が歴史書としてそれまで伝えて来た旧事紀からの内容を一切否定して、今までまるで解釈も利用もされて来なかった日本書記を、原文から解釈し直す必要があるのか?

つか解釈しなおした事に文句がある訳じゃなく、日本書記のみで解釈し直すならそれはそれで、キチンと最後まで解釈しれや

江戸時代以前は各藩事に武士の子供達にそれぞれの藩の氏族に伝わる藩や日本の歴史を教えてた

それが俗に古史古伝と言われる書物
これらを全て集めて焼いてるし

消失を逃れたものが明治以降に出て来た古史古伝。
376太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/02(金) 19:35:32
明治の世の誰かが旧事紀からの内容を一切否定したのか?
そうならば、それは誰なんだい?
377日本@名無史さん:2007/11/02(金) 20:11:09
日本書記の原本ががネットで見れたから見たら、明治18年に写したものなのにまだ漢文のまま

「1500年前の日本書記の原本があるんで、各藩で教えてた歴史は無しにして、コレを歴史書とします」

ってアホか
そもそも1500年も前の漢文を読めるのかアホ

こういう作業は歴史の無い国。例えばインカ時代のインカの歴史書が発見されたって言う国の作業だ

日本はちゃんと歴史もあり、江戸時代も各藩ごとにキチンと勉学に励んでた国なんだから、歴史書はその時代の言葉で読めるようにちゃんと書き換えて伝えて来てるっての

それを破棄して平安京以前の歴史をいったんリセットして、全て1500年も前の漢文の日本書記を歴史書に、、、
なんてやるから平安京以前がよく解らなくなるんだよ
378唐松山:2007/11/02(金) 20:26:06
「日本書記に文句がある 」 方は 年代を づらして 見ましょう。
例えば 卑弥呼=景行

これだと 特に 仁徳辺りで 判らなくなる
応神から 死亡年齢が 20歳ほど 高くなる 是をクリアーしないと いけない。
379日本@名無史さん:2007/11/02(金) 20:41:13
「因幡に行くと白いウサギが皮を剥がれて、、」

アホか。これのどこが歴史だ
歴史以前に日本に関わる神話にもなってねーだろ

だいたい1500年前の人が日本の歴史に「よし、あの皮を剥がれた白いウサギの事を、、」って書いてる訳ないだろ


1500年前にかかれた漢文だから、あれば今の時代の人じゃ読めないんだよ

白いウサギがいただのなんだのなんて事を書いてる訳じゃない事ぐらいわかれ

ひらがなやカタカナ使うようになれば、普通はちゃんとそれに合わせて書き換えて行くんだよ

日本書記は今までそう言う写本がなされて無い書物なんじゃ無いの?

今の日本書記の内容は、1500年前の漢文を明治以降の人が無理やり解釈して写本しただけのもの
とりあえず江戸時代に書かれた歴史書があればそれが今の時代の人には一番読み取りやすいから、そういう書物を元にちゃんと日本の歴史を把握したい


だいたい日本書記以降の天皇系譜を、なんで薩長政府が南朝系に書き換える権利があるんだよ
そのクセ、平安京以前は天皇系譜の書を紛失してる日本書記を元にって、、、どー考えてもおかしい

ようは薩長政府は筑紫の日向三代を言いたいんだろ?
380日本@名無史さん:2007/11/02(金) 20:53:27
>>377
>そもそも1500年も前の漢文を読めるのかアホ

読める。もっと綺麗に読める。保存状態が良い物がたくさんある。
大英博物館やロイヤル・アカデミーの中国展でたくさん見た。
凄いぞ。楷書でスッゲー達筆で綺麗に書かれてるんだ。

あと、チェルシーの図書館でコンピューターで見るの仏典の写本みたいのが
あってあれは元が3世紀ぐらいで状態は悪かったが、文字自体は読める。
大体さ、魏志倭人伝読めよ。
ちょっと漢字の使い方見たら素人でも普通に原文で理解できるじゃん。
古典の専門家になりゃ余裕だろ。
381日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:05:28
ちなみに紀元前9世紀の、もう巻物になっている本が
あって大変良い保存状態でみつかった記事なんかもある。
これは今たまたま見つけた。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/3696333.stm
382日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:09:20
画像あった。紀元前9世紀の本。余裕で読めるが。

http://www2.kenyon.edu/Depts/Religion/Fac/Adler/Asia490/syl490.htm
383日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:13:46
>>376
明治以前は各藩事に武家の子らは寺小屋とかで勉強してたんだよ
そこでちゃんと日本の歴史を教えてたよ
日本の歴史と藩の歴史。藩主ってのは農民とかじゃなく、日本の歴史を辿れる血統の氏族が藩主をしてた訳だから
信長なら物部氏血統、光秀なら大判氏血統とかさ

江戸時代以前まで旧事紀を使ってたのも、旧事紀は各藩主が誰の系譜なのかが解るからだよ
系譜を書いてるのが旧事紀らしいから

いまその書物まだあるのかな?
なくなってるなら薩長政府がどっかやっちゃってるよ

その時代時代に合わせて誰でも読める文字に写本して来た書物を偽物ってアホかよ

んで山幸彦の神武天皇を2600年前に即位した天皇とかって、時代がめちゃくちゃになるじゃんよ

神武は王申の乱で即位だよ
それ以前は景行が即位したり、勢力間で王権争いがあったりしてるハズだから時代がバラバラ

倭の五王なんて時代もあったんでしょ?
平安京以降に南朝時代もあるんだし血統を一つに絞って伝えなきゃいけない理由はないよ
どれをたどっても天照大神に行くように即位して来てるはずなんだから問題ないじゃん

薩長がこじつけた系譜だと決氏八代になるよ。 だから今なんて天皇の血統の正当性まで疑われてるし
384日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:13:54
>>379
批判の意味が良くわからない。

>そもそも1500年も前の漢文を読めるのかアホ

と言っているけれど、2000年前の史記をはじめ、紀元前の諸子の文献など、
現代でも普通に白文で読まれているけれど。
どういう意味で読めないと批判しているんだろう?

>歴史書はその時代の言葉で読めるようにちゃんと書き換えて伝えて来てるっての

江戸幕府の正学は朱子学と定められていて、仏教経典も漢文で、江戸時代も学問といえば漢学だった。
だからこそ、それに反発した国学者も出てくるわけで。
漢文を自由に読み書きするというのが、江戸時代の教養人。ちょっとでも学問に関わりのある人は、皆漢文が読めた。
実際、江戸時代にも、漢籍は出版されている。
だから、漢文で書かれた物を、江戸時代の言葉に翻訳するという発想は無かったんじゃないかと思う。
学問をするということが、漢文を読めるようになるということと同義だったんだから、翻訳なんて需要がないだろう。
385日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:27:08
>>382
ちゃんと読めるなら構わないよ

読めて無いから葦つ中国の場所や天の高原が何処なのかが解らないんだよ

山幸彦は教えられた通り釣り針を「うる地、そめち、かえす針」と言いながら渡した

これで読めたとかアホか
読みとれてないからこんな意味が解らないままなんだよ

読めるなら、これがいつの何の出来事なのかを説明してくれないと

これじゃ神話にもなってないレベルだよ。
本当にそう言うままの事を書いてるなら日本書記を書いた奴がアホ
「それを唱えながら後ろ向きで針を返したんかあ〜。なるほどー、日本には過去にこんな事もあったんだあ〜。」
教える方も教わる方もアホ
歴史どころか神話にもなってない

読めて無いからだよ。
386日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:27:53
ここで薩長政府が日本の歴史を塗り替えたとかいってる
「馬鹿が必死wに脳味噌回転させて恍惚としてる」って感じの奴。
美濃専門スレつくりゃいいのに。

邪馬台国と全然関係ないうえ、誤字脱字・勘違い・勉強不足・妄想爆走が
多すぎて、おもしろくもないし、ただウザイだけ。
美濃のスッゲーイメージダウンですな。美濃の膿。

もっとマシな奴だったら、これも面白いことになってただろうに非常に残念。




387日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:30:02
>>385
なんで知りませんでした、すいませんでした。っていえないの?w

>葦つ中国の場所や天の高原


↑何?これ? 確かに全く読めてないね。失礼ですが、日本の方ですか?朝鮮からの留学生ですか?
388日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:32:44
日本書紀を読んで造語つくって勝手に怒っている馬鹿。
明治時代に日本書紀が出版されたら薩長政府の陰謀ですか。そうですか。
例え江戸時代の国学者が校訂したもののそのままでも陰謀だそうです。
凄いね。
389日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:38:20
豊葦原の中津国=豊前の中津市・中津平野辺り
高天原=日の宮・幣立神宮が伝説発祥なのはわかってるから書記はそれを
    取り入れて書いただけ。


 
390日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:41:15
〇中津 とか中津〇 なんて地名は腐るほどたくさんあるね。
なんで中津の前や後に漢字付け加えるの?w
それは、もう「中津」があるから使えないもんね。
前や後に漢字付け加えて地名にしてるところは、使えないから付け足したんだよね。
どこの地名が一番古いか一目瞭然。
391日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:45:57
>>384
天照大神は目を生まれた時に生まれた神です

いやいやいやいや。
これじゃ同時に生まれた神と比べてなんも特別じゃないじゃん
これじゃスサノオやヤマトタケルの方がまだ権威があるじゃん

戦後の日本は自分や天皇の血統の歴史の長さや権威を忘れちゃってるよ
これだけの歴史がある国がどれだけ凄いのかわかってないと思う


つか実際にいま、自分がすんでる日本の歴史なんて教えてないよ
自分の国が、いつどうやって出来た国なのかを生まれ生きてる日本人が知らないっておかしいよ


つか明治時代以前はなんて教えてたんだろう?
明治時代以前は「解らない。教えてない」なんて教えてないと思うよ

明治時代以降は「2600年前に九州から東征して出来た国」

戦後は「日本には卑弥呼の邪馬台国があった」


江戸以前は各藩により多少違うだろうけど、日本がいつ出来たとかはちゃんと同じ事教えてたと思う
392日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:48:10
馬鹿が必死
393日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:52:24
>>389
質問が悪かった
・アメリカは200年前に独立戦争によりイギリスから独立した国
・中国は60年前に毛沢東が大陸を侵略支配して建国した国(自称4000年の歴史)

日本はいつどうやって出来た国ですか?

俺はアメリカやイギリスやフランスや古代ローマ帝国やそう言う事は教わった
ただ自分の国の日本の事は何も教わらなかった
俺の親も周りの人も誰も知らなかったよ
394日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:53:47
美濃の学校教育は相当レベル低いんだね。
395日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:59:57
日本書紀という本自体を完全に勘違いしてるね。
あれは天皇家の伝承と系譜の口伝を書物に編纂したもの。
そんだけ。
それで十分なんだが。どこかもちゃんと書いてるし分かってるし。

理解できなくて良い奴には一生理解できないようになってる。
素晴らしい書物だ。
396日本@名無史さん:2007/11/02(金) 22:04:14
「日本はいつどうやって建国された国なのか?」

日本書記を否定する必要はないと思うけど、日本書記だけではやっぱ解らないと思うよ


日本書記以外は認めない
誰かに偽書と呼ばれた書物は参考にしてはならない
明治〜戦前になされてた歴史解釈を否定してはならない
天皇の神格化に繋がる解釈は戦前回帰に繋がるのでしてはならない


こういう前提を無くさないと誰もわかんないままだよ
397日本@名無史さん:2007/11/02(金) 22:13:06


 誰 も そんなことは 前提に してないが。

 こいつ、こんな詭弁で妙なネットの話を説得できると思ってやがる。低脳が哀れじゃ・・
398日本@名無史さん:2007/11/02(金) 22:15:49
山賊と日本海側から侵入してきた朝鮮人ばかりの美濃の風土記
399日本@名無史さん:2007/11/02(金) 22:18:01
美濃って元々は三野。 三野のほうがしっくりくると思う。
400日本@名無史さん:2007/11/02(金) 22:28:11
>>391
中国で、二千年以上昔の秦帝国建国の様子が伝えられているのは、
その当時、既に漢字が存在して、形を変えながらも、その文字が現代に通用するから。
中国でも、秦の二つ前の殷王朝の存在は、殷墟発掘までは存在すら疑われていた。
日本に、漢字以前の神代文字が存在したかどうかは、オレには断言できないが、
すくなくとも、一般に広く流通した文字は漢字とその変形の仮名しかない。
だから、漢字以前の史実は正確には伝わっていないのは当然と言える。
建国の様子がはっきりわかる国は、現行通用の文字が出来てから建国されてる。
逆に言えば、現行通用の文字が出来た後に、前の国が滅びているから、
現在の国の建国の様子がわかると言うこと。
それに対して、日本は、現行通用の文字ができる以前に建国され、
それ以降滅びていないのだから、建国の経緯がはっきりしないのは当然で、
恥じることも悔やむこともない。
むしろ、漢字を使い出して一回も滅びていないと誇って良い位だと思う。

安易に他説を批判する前に、「明治時代以前はなんて教えてたんだろう?」という疑問を持ったら、
それを自分で調べてみるという姿勢が大切だと思う。
そして、調べてわかったら、是非ここで報告してくれ。
そうすると、ここを見ている我々も勉強になって、単なる批判より、圧倒的に有意義な書き込みになるよ。