記紀は口伝による伝承と帝記を編纂したもの。
だから、とりあえず代々伝わる神武の東遷話、降臨場所はそれらしく
九州一高い山の久住岳に設定、プラス阿蘇の高天原伝説なんかをくっつけたんだと思われ。
弊立神宮は、伊勢神宮と同じように中央構造線上にある。
いちお、古代の人達にとっては神秘の場所とかヒーリング・スポットだとか
何らかの意味があったと思われ。
昔むかしの御伽噺と思えばいいんだよ。
880 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 08:45:33
記紀は何度もよんだよ
百済の歴史を調べたらさ、百済が倭と同盟結ぶ際に太子を人質として倭に送ってた
これスサノオの事かな?
あと大和は百済も納めてた(最後の方?)とか言う話もあった
あと関係ないかもだけど、漢字を始めてちゃんと作った千文字書ってのを作ったのも百済かも知れないみたい
881 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 08:58:27
卑弥呼ってさ「皇女(ヒメコ)」の事じゃない?
皇女って書いてヒメコって読むらしいよ
882 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 09:06:30
記録に残ってる中国から邪馬台国までの道のりを
沖縄によった場合だと、
九州の何県になるのか教えてください。
お願いエライ〜
883 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 09:10:46
あと福岡で見つかった金印
あれ自体は偽物とは思わないけど時代が西暦53年頃ってのは違うと思う
漢字を作った千文字書が出来たのが500年頃らしいから、それ以降だよ
その時代は漢人は百済に多くいたみたい
つか「漢人」って言い方自体、戦後の呼び方じゃないっけ?
日本はシナ人って呼んでたけど、清や明や唐は漢人って呼んでたの?
良くわからん
884 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 09:33:48
>>882 「倭人伝を読む」スレでなんか詳しくやってたよ
船で何日、徒歩で何日とか言う記述だったと思う
倭人伝とか中国の史記を書いた(もしくは以前のものを纏め直した)のは、唐になってからな気がするよ
漢字は梁が西暦500年頃に「千字文」を纏めて始めてちゃんと使われた文字らしいよ(梁の前に百済が作った話もある)
漢も随も晋も唐も現代漢字での文字は使ってないと思うよ
日本は唐じゃなく百済から大乗仏教と千字文と共に漢字が伝来してる
百済消滅後は百済国から移民が1000万人ぐらい来てるみたいだよ
遣唐師って逆に日本が漢字を唐に伝えてたのかも知れないよ
空海もそういや漢字の勉強は日本でしてたし
とりあえず、原文で読め。中学生レベルでも素人でも
調べながら十分読めるよね。
日本語訳とオリジナル原文では訳し方によって微妙にとらえかた変わるしな。
あと、段落分けとかしてないから
あ、ここで漢字の使い方が急に変わった、別の資料付け足したとこかな?とか
ニュアンスを捕らえながら自分なりの解釈とか
ここは詳細なレポートって感じ、ここはいい加減だなあ、又聞きだな、なんてわかるし。
886 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 10:09:31
>>885 えっとさっき貰ったリンク見てみます
あと旧事紀とかにある氏族の系図の本とかってあるのかな?
一番最古のヤマト系数千氏族、百済系100氏族、漢系100氏族、新羅系5氏族 (数字違うかも)
とにかく全て網羅してる書物もあったらしいね
だいぶ紛失して目次しか残ってないらしいよ
それが残ってたら凄かったのになあ
>>886 >一番最古のヤマト系数千氏族、百済系100氏族、漢系100氏族、新羅系5氏族 (数字違うかも)
部落民から天皇まで全部網羅するっしょ、これじゃwwwwwwwwwwwww
大体さ、苗字なんて江戸から昭和戦後にかけて誰でも好きなの名乗ってつくれたんだから
当てになんねww
ちなみにウチは江戸時代からの名前なんだが、当時のトンデモ本に脳が侵されていたらしく
現代では誰もみたことがない神代文字みたいなのを組みこんだ漢字でwww
現代のお役所がわざわざウチのために作成してくれている漢字。(普段は常用漢字をつかっている)
恥ずかしくて2ch以外じゃ人にはいえんwwwwww
892 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 10:35:48
リンク見たけど、さっぱりだったw やっぱ勉強しないとだめだなぁ
日本書紀に「明治16年」って書いてあった
日本書紀って明治時代にまとめなおしたの?
>>891 話のついでなんだが、ウチが使っている神代文字っつーのは
本籍がある地で発見され、しかも発見時期は殿様が天下りだった時期。
その頃の政府は(江戸より前、薩長じゃねーぞw)、俺の本籍地に神代記に関する
神社を建てまくり政府の金を費しまくり。
つまりな、君たちは神代文字などというのをよく聞くと思うが
殿様なんかが学者を大勢雇ったりして創作した可能性が多いにあるってこと。
神社なんかにつかわれていることもあるじゃん。
殿様だったら好き放題できるし、改築時に付け加えることもできる。
地元一の旧家なんかに持たせることもできる。
うちも古い家だから先祖が誰かに使うよう脅されたか持たされたのかもしれん。
偽文字とされているから恥ずかしくて2chぐらいでしか胃炎wwwww
他にも似た奴がいることを願うよ。俺んちだけだったら滅茶苦茶恥ずかしいからな。
894 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 10:42:55
>>891 苗字や家紋はそら宛てになんないよ
江戸時代なら、藩主とか武家の家系なら多分記紀辺りまで系図が繋がると思うよ(信憑性はおいといて)
信長も光秀も秀吉も島津も、ああいう人達は、記紀の国造125氏族とかの系譜の人みたい
その一番古い系図の奴はさ、渡来人(帰化人)が誰かとかまでちゃんと解るんじゃないかと思ったんだよ
895 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 10:50:25
系図といえば家康は吉良上野之介義央の先祖から
系図を譲り受けたとか買ったとかいわれてる。
伝統的に将軍は源平藤橘の系統でなければなれなかったからだ。
まあ戦国大名の家系なんてものはいいかげんなものだと
思ったほうがよい。
>その一番古い系図の奴はさ、渡来人(帰化人)が誰かとかまでちゃんと解る
ちゃんと解るとか言ってる時点であほ
解りたいなら記紀よんで100%信じてりゃいい。
だって一番古い系図の信憑性と一番古い記紀の信憑性はどうやって天秤にかけんの?
897 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 10:51:12
>>893 神代文字は創作で構わないんだよ
漢字伝来以前の日本文字って「これに決めた」って文字語源が統一されてた時代じゃないんだから
形式はシュメールやハングルと同じでしょ? 母音+子音の組み合わせ文字
52音作るよりそっちのが簡単だよ、ローマ字みたいなもんだから
AKSTN HMYRW
I
U
E
O
これと大体同じだもん
ただ神代文字の文書は、当時と今の言葉使いや呼び方が違うから、発音だけで意味を読み解くのは大変とは思うよ
ニニギウガヤトスサノオウガヒナタヘ
とか書いてあっても意味わかんないでしょ?
898 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 10:57:05
>>893 その本ちゃんと取って残しておいた方がいいよ
貴重っすw 書き換えてあっても別に構わないんだよ。記紀だって帝記とかを都合よく書き換える為に書いた書物なんだから
出来れば途中の先代の人が、いっかい神代文字から漢字へ書き換えておいてくれたら、今の俺らが内容がわかりやすいのにね
発音表記の神代文字のままだと、発音してそれを解釈だから、読み解くのが難しい気がするよ
>>892 違うよ。日本書紀は過去に何度も写されたり(写本)、印刷出版されたり(刊本)してるからね
これは 国立国会図書館 電子図書館 のページ
http://kindai.ndl.go.jp/BISmplSearch.php ここから
→ 近代デジタルライブラリー → 分類で検索 → 2.歴史.地誌 [12206件]
→ 21.日本史 [5276件] → 210.3.古代 [152件]
というふうにクリックで辿っていくといいよ
ボックスの中に「古事記」とか「日本書紀」とか入れて、絞込検索もやってみて
また「貴重書画像データベース」の方へ行けば、古〜い写本なんかもいくつか読めるよ
>>892 すっげー早とちり。そんなだから変なトンデモばかり思いつくんだよ。
明治は出版年。
伴信友校訂ってあるだろ。福井県出身の著名な国学者。
江戸時代の学者だよ。
お前には小学館の平成校訂版じゃ益々信じられないんだろう
ネットで初版を見つけられるといいなw
901 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 11:03:27
>>895 家康は死んでて、身代わりが征夷大将軍になった為とかね。しってるよ^^
ただそれいったら、明治天皇は薩長が京の天皇を殺した後に、日向の自分らの士族の中から
都合のいいガキを連れてきて「これが天皇だから言うこと聞け」ってやったって話もあるよ
んで系譜を南朝系に書き換えて歴代天皇を8人外したり、それまでの系譜まで書き換えたりはしてる
日本書紀とセットだった天皇の系譜書が無い無いいってるのもその為じゃないかなって思うぐらいだよ
まあ、そういうのは置いといてもルーツをしりたいとおもったんよ
例えばスサノオは渡来人じゃないかっておもうからさぁ
902 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 11:10:17
>>900 ありがとう。 だからかぁ
例えば古事記では三野ってのが日本書紀では美濃って近代表記に変わってたよ
古事記の記述を解りやすく書き換えて日本書記としたのは言われてるほど昔の事じゃないかもね
まぁ、途中で何度か近代表記に書き換えてくれてないと学のない俺なんかは読み取れないからありがたいのはありがたいけどさ^^
903 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 11:11:56
>>901 >日本書紀とセットだった天皇の系譜書
系譜は帝記からきたものでどちらにせよ専門家による暗誦(口伝)。
>>892 デジタルライブラリーは写真版だから、語句の検索ができないよね
で、検索したかったら「久遠の絆」(久遠の絆ファンサイト IN 台湾)ていう サイトへ行けばいいよ
「久遠の絆」
http://applepig.idv.tw/kuon/ これは台湾のサーバーだね
あっちに熱烈な日本史ファンがいるみたいで、日本の古典籍を次々とテキスト化してくれてる
日本人としてはちょっと恥ずかしい、けど、ありがたい
とりあえずは「古典總目」および「古事記」から入ってみよう
906 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 11:27:12
>>900 >有名な国学者
こういうのあんま関係ないよ
こういう学者の権威みたいな所で判断するってのは違うとおもうよ
つか外国人に言わせたら「それが日本人の悪い癖」らしいよ
権威や著名人を引き合いに出して「○○が言ってたから」って言い方をするのが日本人らしいよ
外国では大学でどんなに偉い学者に対しても平気で「僕はそれは間違いと思う」って言うらしいよ
なんか外国へ留学してたとか言う人に俺も言われたw
君んちの古志古伝は偽書じゃないよ
そもそも書物に対して「偽書」って言い方がおかしいし
酷い人は権力者や権威や著名な人じゃないから偽書とかさ
んな事いったら、古事記書いた阿部だかって誰だよって話になるよ。
907 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 11:47:43
909 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 12:35:39
>>887-890 おお、ありがとう!
やっぱ沢山あるんだぁ
遠つ飛鳥、近つ飛鳥
1つはやっぱここだと思うよ
秀吉が昔飛鳥の一宮があった西側に西宮とかを再建したりもしてるらしいから、その時代の武将達はここが飛鳥だって知ってたんじゃないかな?
秀吉が鷹狩りしてた古墳ってこのあたりだと思うよ
910 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 12:59:41
911 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 13:17:29
飛鳥朝廷は畿内とか、神武は九州をスタートして最後に畿内を納めたとか
いったんそういう前提を無しにして、ちゃんと学のある人が読み取ってけば、場所の特定や神話の元にある史実とかが、
こんなモヤモヤしなくてもズバッと解釈出来る気がするんだけどなあ
俺じゃ勉強しなきゃ辛い
原文とかさっぱりだったよ(涙
912 :
唐松山:2007/11/01(木) 17:17:17
天つ高原→飛騨(高山辺り)
冬は雪で 閉鎖か
913 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 17:47:32
えっと
>>910にある天照大神が生まれた時の神話
記紀だと「右目を洗った時に天照大神が生まれた」って記述
記紀に対してってか日本の神話に対しての違和感は、記紀の記述が全く神話っぽくなく、意味がよくわからないって所だよ
記紀の記述だと天照大神が特別な神って事すら読み取れないもん
もとは
>>910にあるような伝承だったのも別に記述してないのが記紀な気がする
あと
>>910を信用するならばだけど、天照大神は男じゃなく女神だね
こういう伝承は探せばニニギの事や神武の事もわかりやすく伝えられてる気がするよ
やっぱこういう神話の方が日本の歴史も楽しいしさ^^
記紀の書き方じゃまるで威厳や神格制がないよ
時代時代の言葉に合わせて書き換えて来なかったのかな?
914 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 17:54:12
>>912 飛騨は位山三山があって乗鞍岳のぼるとまるで儀式してた場所の様な高原とかがある
すげー田舎だけど、それらの麓で古代の都(小さいから集落かな)の遺跡が発掘されてる最中だよ
ただ飛騨は伝承探すと、記紀では一行しか記述のない国之常立の伝承神話の方が沢山出てくる
しかもオカルトチックなものばかり
とりあえず飛騨の神話は記紀とは関係ないまた別の時代のものだと思うからいったんスルーっす
915 :
九州王:2007/11/01(木) 18:06:18
郡から伊都國までを計算すると下記のように11900里になる。
七千里+千里+(四百里×2)+千里+(三百里×2)+千里+五百里=11900里
※方可とあるので、対馬南島と壱岐をそれぞれ半周したと考え、(四百里×2)(三百里×2)
「自郡至女王國萬二千餘里」とあり、帯方郡から女王國まで12000里。
伊都国から奴国まで百里、つまり帯方郡から奴国までが帯方郡から女王國までの12000里と同じ距離となり、奴国は女王国の一部であったと考えられる。
距離を時間で再説明
南へ水行20日で投馬国に至る(7000里)。南に水行10日陸行1月(3400里+600里、陸行1月は1日の誤り)で女王の都のある邪馬台国に至る。
(邪馬壹国)70000余戸=對馬國1000余戸+一大國3000余戸+末盧國4000余戸+伊都國1000余戸+奴國20000余戸+不彌國1000余戸+20國×2000戸
海〜〜┃∵楽浪郡∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┣━━━━━━━∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
916 :
九州王:2007/11/01(木) 18:07:58
海〜┌←←←▲帯方郡庁∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┗┓∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜└┐┃∵帯方郡∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┣━━━━━━┳━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵(馬韓)∵∵┃(辰韓)∵┃〜〜〜韓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵10万余戸∵┃(弁辰)∵┃〜方可四千里〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┌┘┃∵∵∵∵∵∵┃4-5万戸 ┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┏┛∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┣━━━━━━━┻━━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┃(投馬國)5万余戸 ∵┏━━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┃∵∵∵狗邪韓國◎━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┗━━━━━┛┌┤〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
917 :
九州王:2007/11/01(木) 18:08:40
海〜└→→→→→→→┘↓〜┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜七千餘里〜〜〜〜〜↓〜┃┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜水行20日〜〜對馬國├○┓┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜↓┗┛対馬下島〜方可四百餘里〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜水〜〜〜└→┐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜行〜〜〜〜〜↓〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜10〜〜〜〜〜↓┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜日〜〜一大國├○┛壱岐〜方可三百里〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜└→┐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━┓
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜千餘里↓〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┛∵∵∵┃
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━○〜〜┏━━┓〜〜┃∵不彌國∵∵┃
海〜〜〜〜〜〜〜┏━━┓〜┃末↓━陸行1日(月) ━┛∵∵∵∵∵∵┗
海〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵┗━┛盧└→→○→→→◎→斯→己→伊→都∵
海〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵國∵五∵伊∵百∵奴∵馬∵百∵邪∵支∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵百∵都∵里∵國∵國∵支∵國∵國∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵∵里∵國∵∵∵↑∵∵∵國∵∵∵↓∵
918 :
九州王:2007/11/01(木) 18:09:12
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵┏┓∵∵∵∵烏奴國∵∵∵∵∵∵彌奴國
海〜〜〜〜〜〜〜┏┓┃∵∵┏┛┗┓∵∵∵↑∵∵∵∵∵∵∵∵∵↓∵
海〜〜〜〜〜〜┏┛┃┃∵∵┃〜〜┃∵支惟國∵∵∵∵∵∵∵好古都國
海〜〜〜〜〜〜┃∵┃┗┓∵┗┓〜┃∵∵↑∵∵(邪馬壹国)∵∵∵↓∵
海〜〜〜〜〜〜┗┓┃〜┃∵∵┃〜┃巴利國∵∵∵7万余戸∵∵不呼國
海〜〜〜〜〜〜〜┃┗┓┃┏━┛〜┃∵↑∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵↓∵
海〜〜〜〜〜〜┏┛∵┗┛┗━┓〜┃躬臣國∵∵∵∵∵∵∵∵∵姐奴國
海〜〜〜〜〜〜┗━━━━┓∵┃〜┃↑∵∵∵∵∵∵∵華∵∵∵∵∵↓
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵┃〜┃邪←鬼←爲←鬼←奴←呼←蘇←對
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┃〜┃馬∵奴∵吾∵國∵蘇∵邑∵奴∵蘇
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗━━━┛〜┃國∵國∵國∵∵∵奴∵國∵國∵國
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵∵∵∵國∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┣━━━━━━━━━━━━━━
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━┛∵∵∵(狗奴國)∵∵∵∵∵∵
919 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 18:20:46
>>915 漢字が作られたのは西暦500年頃
倭人伝とかの史記はそれ以降にまとめられたもの
しかも漢字は、百済→日本→唐 って伝来してる
倭人伝を書いたのは多分、日本の遣唐師達だよ
だから邪馬台国のルートは日本から出た場合の唐の都の位置じゃないのかな?
唐の都がどこにあったか知らないけど、日本発にしたら唐の都に付かない?
920 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/01(木) 18:25:09
紀元前1世紀の有文字鏡が吉野ヶ里から出てるから、漢字が作られたのが
西暦500年ころっていうのはおかしい。
921 :
唐松山:2007/11/01(木) 18:26:30
天照大神=女性 の 出所は,尾張あたりか
それなら 世襲足姫(ヨソタラシビメノ)尊を立てて皇后とす。
こちらを 研究 して下さい。
ホ29023 アビラヒメ めとりうむミコ タギシミミ キミトシヨソヰ 推定西暦30年頃
ホ31024 フソヨトシ キミヨツギなし 神武24年 西暦40年
クメがコの イスキヨリヒメ ヲシモメに 西暦40年
サミヱナツ ヤヒコのほりて おがむとき ツボネにあるを 神武32年 西暦45
タギシミコ ふかくこがれて チチにこふ
フソコトシ キシヱハツミカ キサキたつ ヨソタリヒメの 考昭29年 西暦97年
トシソヰぞ ムカシヤヒコに ユリヒメを たまえはうめる
アメゐだき このアメヲシオ マゴムスメ ユリヒメ=イスキヨリヒメ
ヨソコトシ キミヱハツヒに キサキうむ イムナヲシヒト 西暦99年
ヤマトタリ ヒコクニノミコ
西暦は 無視してください。
922 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 18:32:36
>>920 もう少し前かも
「千文字」って書物により漢字圏に仏教と共に伝えられたのが今の漢字だよ
一応、梁の国が西暦500年ぐらい前にまとめた事となってる
ただ漢国の漢王氏族達のいた百済が、梁以前に日本へ「仏教と漢字は素晴らしいので日本でも広めて下さい」って文書と共に送って来てるよ
百済はカンボジアから受け取ったって話もあるけどそれだと時代が500年以降になるから百済が先な気がする
923 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 18:40:58
あと中国大陸の大半を統治した国家は
・ローマ帝国
・ペルシア帝国
・ギリシャ帝国
・トルコ帝国
・モンゴル帝国
・中華人民共和国
これだけしかないよ
「唐の時代」って言う場合は、大陸には唐以外の王朝が10以上ある時代だよ。今の中国はそれら125の民族を統一した国家
言いたい事は中国は歴史が繋がらない国
随、唐、梁、明、元、、
って同じ民族が統治して来てる訳じゃないよ
924 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 18:49:57
百済調べたら統治してたのは、漢→義→百済って流れて来た漢氏族とヤマト氏族らしいよ
百済系統と漢系統とヤマト系統とが百済を収めてたみたい
この時代の漢人ってのは今の中国の漢人って意味じゃなく、漢王朝の氏族って意味みたいだし
唐や随は漢氏族と全く関係ない系統の王朝
李とかそんな名前だったし
925 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 18:50:49
・・・・・・・・
>>九州王
力作ですねw
926 :
日本@名無史さん:2007/11/01(木) 18:56:51
漢字は秦の始皇帝がまとめたって説もあるんだっけ?
ただ秦は1代で終わった王朝で近年ようやく墓と見られる遺跡が発掘されたばかり
日本への外部からの渡来人をまとめた本が目録だけ残ってて、それには
百済系 100氏族ぐらい
漢系 100ぐらい
新羅系 5
秦 10
うる覚えだけどこんな感じだった。 百済と漢が多いのは百済が滅んだあと日本で受け入れたかららしいよ
唐とか随とかそういう氏族は渡来して来てないよ
927 :
唐松山:
921の 解説
神武 九州時代 アビラ姫を娶る事により 天照の系統を継ぐ
神武 東征後 大国主の娘を娶り 大国主の系統(綏靖天皇)へ世継ぎ
手研耳がゆり姫に男子を孕ませる(天押男)この孫娘が世襲足姫
考昭が世襲足姫を娶り 産む皇子 考安
考安天皇に成って 天照大神の血統が天皇家に戻る。
このとき 天照=男から女になったのでは?