1 :
阿蘇山は移動した代理:
中国文献を主にして邪馬台国をさぐるスレです。
導尿カテーテル2げと
ん?でじゃびゅ?
4 :
日本@名無史さん:2007/10/03(水) 21:58:56
なんか、同じようなすれが乱立しているんじゃねえー。
5 :
サガミハラハラ:2007/10/09(火) 21:31:13
陳寿が編纂した時の倭人伝の資料について。
安本美典氏は、魏略と魏使の報告書をもとにして記述したというが、これは疑問である。
確かに魏使の報告書もみたであろうが、ほかの文書類もかなりみているようである。
そこで、ほかの史書(後漢書等)も検討しながら、倭人伝の成り立ちを諸資料の分析から整理していく必要があると思う。
6 :
サガミハラハラ:2007/10/09(火) 21:31:53
陳寿が編纂した時の倭人伝の資料について。
安本美典氏は、魏略と魏使の報告書をもとにして記述したというが、これは疑問である。
確かに魏使の報告書もみたであろうが、ほかの文書類もかなりみているようである。
そこで、ほかの史書(後漢書等)も検討しながら、倭人伝の成り立ちを諸資料の分析から整理していく必要があると思う。
7 :
日本@名無史さん:2007/10/11(木) 12:24:57
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも稲と
同時に検出されており、小麦が中国よりも数千年も前から、ハトムギが
江戸期伝来の通説よりも5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
8 :
阿蘇山は移動した:2007/10/14(日) 11:48:01
ごめん。マシントラブルで数日あけたら、落ちてしまった。
岩波文庫より、
「その余の旁国」のそのは、対馬から投馬国までの、邪馬台国の北の
7か国を指す。で、「余」は、この7か国の間、旁国は、北の7か国
のワキ。だから、旁国は、邪馬台国の北では?
9 :
サガミハラハラ:2007/10/19(金) 19:27:00
魏使はどのような交通手段を使用して倭国にきたのか。
この時代は晋王朝が公孫氏を討伐するために、水軍を半島に上陸させており、海洋を渡る船が相当数たやすく用意できたものと推測される。
張政等はそれらの船を使用し、仁川から乗船、半島の西海岸を南下、半島西南端をまわり、半島南岸(倭の北岸)により、そこから海峡を渡り
唐津に上陸したものであろう。対馬壱岐に寄港したかは不明である。
船はそのまま待たせておき、帰りに使ったものであろう。
以上が最も合理的に考えられる張政等の交通手段の考証である。
以上いかがでしょうか。
晋王朝が魏使?
サガミは天然ヴァカだから
12 :
サガミハラハラ:2007/10/20(土) 08:21:48
訂正 レス9の晋王朝は魏王朝の間違いでした。
13 :
日本@名無史さん:2007/10/20(土) 09:35:48
サガミさんこれはおかしいでしょう。あなたは半島陸行説でしょう。
これでは唐津まで全行程が水行となっている。
いうことが矛盾していませんか。
そだ! 「謎の女王」スレでの彼の発言。
>20 名前:サガミハラハラ[] 投稿日:2007/10/08(月) 20:46:47
>半島内陸行説では、次のようになります。
>ソウルから仁川まで陸路、仁川から郡山まで水行、郡山に上陸し南下、求礼から東に進み
>固城に到着。固城が出航地です。
>ここまでの行路の合計は503.6kmとなり、1里67.5mであるから503.6km割る67.5mで約7460里
>となり、倭人伝の7千余里に合うものである。
>このことによってもわたしは半島内陸行説をとっているものです。
これが同じサガミか?
15 :
神奈川県民改め三重県民:2007/10/20(土) 14:32:02
みなさまこんばんわ
今夜、22時ごろ集まれる方いますか?卑弥呼について議論したいです
16 :
サガミハラハラ:2007/10/20(土) 18:41:04
すでにあちこちで論じているが、倭人伝の行路記事は周尺で表記された書物、つまり、漢代に収集された半島由来の書物からの転載であり、
魏使の報告によるものではないのです。
これは倭人伝の多面性によるものであり、陳寿はさまざまな書物から倭国関係の分を抜き取り再構成したのです。
従来は全て魏使の報告によるものとかたくなに信じていたことから、倭人伝のちぐはぐなところをうまく説明できなかったのです。今後は倭人伝の多面性に目をつけて、
分別して検討する研究がはじまるでしょう。
というわけで、私は
>>9では魏使の行程をかんがえたのであって、倭人伝の行程をのべたわけではないのです。
魏使は仁川から唐津まで全行程船であったと思います。
17 :
茨城県民(プ):2007/10/20(土) 21:20:07
>>16サガミさん
>倭人伝の行路記事は周尺で表記された書物
☆周尺で記載されたとする論拠または証拠の提出を求めます。
>漢代に収集された半島由来の書物からの転載であり
☆その半島由来の書物の紹介或いは、その転載していると記す書物の提示を求めます。
>魏使の報告によるものではないのです。
☆魏使の報告ではないとする理由は?
>陳寿はさまざまな書物から倭国関係の分を抜き取り再構成したのです
☆その書物とは何と何?「さまざま」という表現上沢山あると思いますので、その書物の紹介をしていただきたい。
>魏使の行程をかんがえたのであって、倭人伝の行程をのべたわけではないのです。
☆この説は大変珍しい説なので、ぜひとも
皆さんに詳しく説明してほしいと考えます。
18 :
サガミハラハラ:2007/10/20(土) 22:41:18
集まれというから来てみたけれど、だれも来ていないな。
けど早速はじめましょう。
わたしは卑弥呼は美人であったとおもいます。
21 :
サガミハラハラ:2007/10/21(日) 09:02:43
>>17つまり、魏使は距離の計測などしていなかったのです。ただ日数やおおまかな
行程(隋使ハイセイセイの記録程度)の記録はあったかとおもいます。
半島の行程であるが、この点陳寿は苦慮したらしく、結局は「海岸に従いて水行し韓国をへて」
という水行、陸行どちらともとれるような表現をしたようである。
22 :
茨城県民(プ):2007/10/21(日) 13:17:36
>>21サガミさん
つまり
>>16のレスは何の確証も得ぬまま、サガミさんの頭の中で画いた空想をそのまま記載したと言う事ですね?
そんなわかりきったことをいまさらしたり顔で言われても・・・・
24 :
サガミハラハラ:2007/10/22(月) 17:01:39
>>22ということは、ほかの全ての水行説は確証がないまま主張しているということになりませんか。
25 :
茨城県民(プ):2007/10/22(月) 19:44:14
>>24サガミさん
>ほかの全ての水行説は確証がないまま主張しているということになりませんか
☆「水行」と書かれているでしょ。(なによりの確証ですよ)
>結局は「海岸に従いて水行し韓国をへて」
という水行、陸行どちらともとれるような表現をしたようである。
☆どちらともとれるなんて曖昧な表現なんてありません。
水行は「水行」、陸行は「陸行」なんですよ
「歴韓国」を「歴訪韓国」なんて勝手に解釈しても意味無いことですし
「歴韓国」は和語翻訳すると、何処までいっても(韓国をへる)にしかなりません。
漢字100%で書かれた書物ですので、もう少し漢字一文字一文字大事にしてください。
26 :
サガミハラハラ:2007/10/22(月) 23:28:59
つまり、循海岸水行しで一回きり、ついで韓国を歴て(韓国を南乍ら東乍らしながら歴て)と
なります。いままでは一続きとみていたが、水行で切るのが正解でしょう。それなのに一続きで読む方法が主流だったのは、
あいまいな表現だったからといえます。
27 :
茨城県民(プ):2007/10/22(月) 23:44:28
>>26 >つまり、循海岸水行しで一回きり、ついで韓国を歴て(韓国を南乍ら東乍らしながら歴て)と
なります。いままでは一続きとみていたが、水行で切るのが正解でしょう。それなのに一続きで読む方法が主流だったのは、
あいまいな表現だったからといえます。
それを曖昧と感じるのはサガミさん個人の判断でしょう?
起点も着点も文章にて示せない進路変更なんて、永久に認められないことですよ
>(韓国を南乍ら東乍らしながら歴て)
ここの何処に陸行と書かれているんですか?
どんなに苦心しても、結局は数字の辻褄合わせの為に考え出された後付け手法ですよ
28 :
サガミハラハラ:2007/10/22(月) 23:54:12
何故他の人も解釈できなかったんでしょう。おそらく定説というものの刷りこみでしょう・
起点は郡とあり、着点はクヤ韓国です。
前行程水行ならば、韓国をへては必要ないでしょう。
数字の辻褄合わせではなく、行程が先にきまり、数字(距離)はあとから算定されたのです。
29 :
日本@名無史さん:2007/10/26(金) 20:33:55
>>28 『循海岸水行歴韓國乍南乍東』
循海岸で水行するから歴韓國になり結果的に乍南乍東にならざるを得ない。
韓國の本土と島の間の海を海岸に沿って、ぐにゃぐにゃ船で行けば、
これを『歴韓國』と言わないで何と言う。
30 :
日本@名無史さん:2007/10/26(金) 20:58:00
31 :
サガミハラハラ:2007/10/26(金) 23:21:28
郡の港を出て、ただちに韓国ではありません。
しばらくは郡の知性化の領域の海岸を南下します。
それが、(帯方郡の)海岸にしたがいて水行し、です。
そして、次に韓国をへて。どんな具合に歴るのかというと、南乍ら東乍らです。
32 :
茨城県民(プ):2007/10/26(金) 23:50:16
33 :
日本@名無史さん:2007/10/27(土) 00:00:09
>>31 帶方郡を出発してから、ずっと水行だよ。
『東南陸行五百里到伊都國』で「陸行」の初出。
郡から末盧國までは「水行」の継続と考えるのが素直なのではないかいな。
末盧國からが「陸行」と素直に考えよう。
自分の都合や適当さで水行と陸行の切り替えは拙くない?
古田氏も最初は(今はどうか知らない)サガミハラハラさんと同意見だったな。
34 :
サガミハラハラ:2007/10/27(土) 00:05:21
順番通りに読んでいくとそうなるでしょう。
いままでのは郡からを、郡の境界からと見ていたからよみまちがったのです。
シミュレーションしてみるとよくわかります。
35 :
茨城県民(プ):2007/10/27(土) 09:12:34
>>34 シュミレーションなんていらない。
書いてあることだけ把握すればいいことだよ
仮に『從郡至倭』(郡より倭に至には)と翻訳した場合、当然その視点は郡以外(洛陽)になり
郡の基点は自動的に郡の中枢部である郡庁になります。
(郡庁より女王の都に至には)と、翻訳されても異論はないと考えますが、いかがですか?
そして次の文章が 『循海岸水行…』と、水行(七千餘里)で始まり起点が港と判断できますので、
以上の事柄から
郡庁は、郡利用の港と判断しても宜しいのでしょうか?(サガミさんの
>>34は、そういうレスですよ)
サガミさんが
『郡より倭に至には』ではないと、主張するなら別ですが。
>シュミレーションなんていらない。
いまどき、まだシュミレーションが見れるとは思わなかった。
37 :
サガミハラハラ:2007/10/27(土) 10:33:04
わたしが新宿に行くとき、バスで橋本駅に行き、京王線で新宿につきます。
普通そういいますよね。
それとも、家からバス停まで歩き、もつけなければだめですか。
>シュミレーションなんていらない。
シミュレーションは大事ですよ。
近頃はコンピューターの発達で、科学歴史番組はシミュレーション満載ですよ。
38 :
茨城県民(プ):2007/10/27(土) 10:43:30
>>37 具体的な数値を掲載した場合と、そうでない場合の区別をしっかり頼みます。
四世紀、五世紀にPCがあれば問題無しです。
39 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/27(土) 10:48:34
引越しの為約一ヶ月PCが使えなかったけれど
このスレは真剣なやりとりの中にもにも親しみを感じる流れだと思います。
40 :
サガミハラハラ:2007/10/27(土) 15:59:48
では具体的に申しあげます。
ソウル(郡庁)を出発し理陸行で仁川に到着。33.5km。
仁川で乗船。郡の治下の海岸に沿って南下(勿論水行)。郡山上陸ここまで210.4km。
郡山から東陸行34.5kmで参礼に到着。参礼から南下求礼到着113.5km。
求礼から東行33.7kmで河東に到着。
河東から東行49.3kmで泗川に到着。
泗川から東行28.7kmで固城に到着。ここから乗船。
半島内合計は503.6kmで一里は67.5m(倭人伝の行路記事の里は周尺である)であるから、
503.6km割る67.5mは7460里となり、倭人伝の記述の郡より狗邪韓国まで七千余里にあう。
41 :
茨城県民(プ):2007/10/27(土) 17:02:55
>>40 サガミさん
そんな細かに記載すると、結局最後は自分で自分の首を絞める事になりますよ。
第一郡庁をソウルに比定し、そこから万二千余里を導いてしまっては、もう決して基点の移動は出来ませんよ。
郡庁の比定なんて未だに確定的なものでもないのに
仮に郡庁がピョンヤン辺りに比定されたら
サガミさんの小城も消えてなくなります。
帯方郡の郡庁はソウルではなく、あくまでも郡庁なのです。
それが文献から知り得た情報です。
42 :
サガミハラハラ:2007/10/27(土) 18:54:08
続き
固城から出向、湾内を沿岸航行しなんか、鴻島に到着68km。
鴻島から南下対馬コモダはま到着54.4km。
コモダ浜から豆酸崎まで17.5km。
豆酸崎から壱岐勝本まで55.4km。
壱岐勝本から赤瀬鼻まで9.5km。
赤瀬は名から西唐津八幡町まで49.1km。八幡町上陸。
八幡町から東南へ陸行、多久市庄延寿寺に到着、33.3km
多久市庄から東行小城市小城町不二町に到着6.8km。
ふじまちから南に1kmで邪馬台国卑弥呼都城小城市甘木に到着。
郡庁から小城市甘木まで合計798.6kmであるが、海峡部は67.5kmに修正すると
総km数は842.2kmとなる。これを67.5mでわると、12477里となり、倭人伝の記述の郡より
女王国に至る万二千余里」に合う。
これで、私の邪馬台国小城説の行程となる。
43 :
サガミハラハラ:2007/10/27(土) 19:37:45
今度は、水行十日陸行一月の総日数の件である。
小城から出発し伊都国(多久市)で1泊、厳木で1泊、八幡町に到着し1泊。
勝本で1泊、コモダ浜で1泊、鴻島の島影で1泊、固城に到着して1泊。
陸路を郡山まで1日10.2kmの速度で進み(小城八幡町間から推測)26日かかる。
郡山から仁川まで水行で4日かかる。(海峡部から推測)
仁川から郡庁まで3日かかる。
そうすると水行は8日かかり、陸行は32日かかるとシミュレーションされる。
これが水行十日陸行一月を総日数とみてよいであろう。
44 :
サガミハラハラ:2007/10/27(土) 19:45:38
どう自分の首をしめることになるのか教えていただきたい。
文献から知りえた知識は確認しなければなりません。
45 :
茨城県民(プ):2007/10/27(土) 22:22:46
いいですかサガミさん
基点となる帯方郡の郡庁は未だに特定されていないのですよ
しかも、文献上には郡庁の文字すらも浮かんできません
しかし、慣例(常識見地)から、郡の中心的ターミナルは郡庁となります。
そのような背景をせおった郡庁を(ソウル)と仮定してしまい
そこから詳細な数値まで割り出してしまうことは、郡庁がソウルでなかったときには
全ての書き込みが無になるのです。
解りますか?
しかも、
>>35にも書きましたが
『従郡至倭循海岸水行・・』の郡の基点は郡庁が港以外、郡庁と特定出来ない記載なんですよ
ソウルは港町ですか?
46 :
日本@名無史さん:2007/10/27(土) 22:31:03
アホ!
東夷伝倭人条はでたらめだ。
間違った資料を信じていたら、事実にたどりつかないだろ。
こんなクソ資料信じてるんじゃねーよ。
47 :
神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 22:34:57
>>46 間違った資料ではないかもだが、魏に朝見した倭国の詳細が魏志倭人伝には
書かれてますよね。
48 :
サガミハラハラ:2007/10/27(土) 23:17:53
倭人伝は定点がいくつかあります。
その一つは末ロ国です。また、狗邪韓国があります。ほかにも対馬等あります。
これらを勘案してたどっていけば、倭人伝の帯方郡はソウルとなるわけです。
49 :
日本@名無史さん:2007/10/29(月) 21:04:22
3世紀頃、ソウルには人は余り居ないよ。
50 :
サガミハラハラ:2007/10/30(火) 06:52:15
ソウルといっても、当時の中心地は漢江の南岸にあったのではないでしょうか。
51 :
茨城県民(プ):2007/10/30(火) 10:30:52
>>50 >あったのではないでしょうか
そんなレベルで基点を設け、しかも小数点一位の値を換算する。
小学生ですら注意され、やり直しさせられる、見事な考察ですよ
サガミさんは一度、小城を捨てる可きですね(原点回帰)
52 :
日本@名無史さん:2007/10/30(火) 11:11:31
>>50沙里院から帯方太守の墓誌が出土しているよ。サガミ先生。
53 :
サガミハラハラ:2007/10/30(火) 12:01:57
原点回帰って原点とはどこでしょうか。
54 :
サガミハラハラ:2007/10/30(火) 12:17:15
確か、漢江の南岸に土城の跡が何ヶ所かあったような記憶があるが、
ソウル近辺の地理に精しいかた、お願いします。
55 :
茨城県民(プ):2007/10/30(火) 12:50:23
56 :
サガミハラハラ:2007/10/30(火) 17:29:16
白紙、ではどこから描きはじめましょうか。
やっぱり
『あいうえお』から
私も習い初めてもうかれこれ二年になりますが、未だ完璧に習得できません。
たかが『あいうえお』
されど『あいうえお』
私の今の知識は、全てここから始まりました。
『あいうえお』があるから『かさたなはまやらわん』が生まれ法則化出来るのです。
だから『あいうえお』は母音と呼ばれています。
子を産むから母なのです。
58 :
茨城県民(プ):2007/10/30(火) 18:28:55
サガミさん
なんて言ったところで無理でしょいから
先ずは
陳壽の『韓伝・倭人伝』と、范曄の『韓伝・倭伝』を比べるところから
59 :
茨城県民(プ):2007/10/30(火) 18:40:48
で、
どうして陳壽は『倭伝』じゃなく『倭人伝』を書いたのか、合理的に考えて見てください。
皆さんも挑戦してみては?
60 :
サガミハラハラ:2007/10/31(水) 08:40:55
>>58,59
上記の問題は先に邪馬台国の位置が確定してから解読したほうがよいでしょう。
後藤幸彦氏が最近出版した「神功皇后は実在した」の付録の「メジャーで辿る邪馬台国」
では、位置が確定したうえで、ほかの諸問題へと進んでいます。
今邪馬台国問題は新しい方向へと進みはじめていると読後に実感しました。
御一読をお勧めいたします。
61 :
大阪府民(ろ):2007/10/31(水) 23:55:37
そうですか。サガミ先生は本当は後藤先生ですか。
先生にご教示をお願い致します。
魏志倭人伝に書かれた里数が「周里」とか…。実は先生が仰る所の1里≒70mが魏代に常用されていた記述を、
漢籍の中からどうしても見つける事ができません!
郡の下級官僚の関わった記述ですから、あまり特殊な尺度では無いというのは、
誰でも判る事なので、すぐ見つかると思ったのですが…。
何を読んでも見つからないです。きっと私の勉強不足なのでしょうか。どの時代の何という書に書かれているかご教示をお願い致します。
以前、茨城県にお住まいのかたからのご質問は黙殺なさいましたね。
ご高説を賜りたく伏してお願い致します。
あ!いつもお使いになる循環論法は無しでお願い致します。
サガミ先生のファンより
62 :
サガミハラハラ:2007/11/01(木) 09:09:28
倭人伝の里数単位について。
まず、海峡部の島嶼間等の距離から差と単位の概数をだし、それをもとに修正しながら、邪馬台国の位置をわりだし、郡からそこまでの距離を倭人伝の万二千余里から1里が
68m弱であることがわかりました。(拙書「倭国歴訪」(絶版))
しかし、この段階ではこの里が何に由来するのかわかりませんでした。
ところが福永晋三氏が、「五十歩百歩」の古事から周代の1里は五十歩で67.5mであるとの説をたてたことから、
倭人伝の1里68m弱は周代の単位であることがわかりました。
倭人伝の行路記事は周代の里数単位でかかれていることがわかりました。
ということは、陳寿は魏使の報告書ではなく、晋の図書館にあった周代の資料をもとにした書物をみて記事をかいたということになります。
よって、魏の代には1里は67.5mではないことになります。
それらの資料は既に喪失(梁の時代まではあった?)しており、いくら捜してもないのですが、
魏志倭人伝の行路記事から周尺で67.5mであることがわかります。
茨城の方はわたしの本を所有しているかと思います。
63 :
九州王:2007/11/01(木) 15:42:40
郡から伊都國までを計算すると下記のように11900里になる。
七千里+千里+(四百里×2)+千里+(三百里×2)+千里+五百里=11900里
※方可とあるので、対馬南島と壱岐をそれぞれ半周したと考え、(四百里×2)(三百里×2)
「自郡至女王國萬二千餘里」とあり、帯方郡から女王國まで12000里。
伊都国から奴国まで百里、つまり帯方郡から奴国までが帯方郡から女王國までの12000里と同じ距離となり、奴国は女王国の一部であったと考えられる。
距離を時間で再説明
南へ水行20日で投馬国に至る(7000里)。南に水行10日陸行1月(3400里+600里、陸行1月は1日の誤り)で女王の都のある邪馬台国に至る。
(邪馬壹国)70000余戸=對馬國1000余戸+一大國3000余戸+末盧國4000余戸+伊都國1000余戸+奴國20000余戸+不彌國1000余戸+20國×2000戸
64 :
九州王:2007/11/01(木) 15:44:05
海〜〜┃∵楽浪郡∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┣━━━━━━━∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┌←←←▲帯方郡庁∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┗┓∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜└┐┃∵帯方郡∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┣━━━━━━┳━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵(馬韓)∵∵┃(辰韓)∵┃〜〜〜韓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵10万余戸∵┃(弁辰)∵┃〜方可四千里〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┌┘┃∵∵∵∵∵∵┃4-5万戸 ┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┏┛∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┣━━━━━━━┻━━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
65 :
九州王:2007/11/01(木) 15:44:49
海〜↓┃(投馬國)5万余戸 ∵┏━━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┃∵∵∵狗邪韓國◎━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┗━━━━━┛┌┤〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜└→→→→→→→┘↓〜┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜七千餘里〜〜〜〜〜↓〜┃┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜水行20日〜〜對馬國├◎┓┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜↓┗┛対馬下島〜方可四百餘里〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜水〜〜〜└→┐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜行〜〜〜〜〜↓〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜10〜〜〜〜〜↓┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜日〜〜一大國├◎┛壱岐〜方可三百里〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜└→┐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━┓
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜千餘里↓〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┛∵∵∵┃
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━◎〜〜┏━━┓〜〜┃∵不彌國∵∵┃
海〜〜〜〜〜〜〜┏━━┓〜┃末↓━陸行1日(月) ━┛∵∵∵∵∵∵┗
海〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵┗━┛盧└→→◎→→→◎→斯→己→伊→都∵
海〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵國∵五∵伊∵百∵奴∵馬∵百∵邪∵支∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵百∵都∵里∵國∵國∵支∵國∵國∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵∵里∵國∵∵∵↑∵∵∵國∵∵∵↓∵
66 :
九州王:2007/11/01(木) 15:45:53
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵┏┓∵∵∵∵烏奴國∵∵∵∵∵∵彌奴國
海〜〜〜〜〜〜〜┏┓┃∵∵┏┛┗┓∵∵∵↑∵∵∵∵∵∵∵∵∵↓∵
海〜〜〜〜〜〜┏┛┃┃∵∵┃〜〜┃∵支惟國∵∵∵∵∵∵∵好古都國
海〜〜〜〜〜〜┃∵┃┗┓∵┗┓〜┃∵∵↑∵∵(邪馬壹国)∵∵∵↓∵
海〜〜〜〜〜〜┗┓┃〜┃∵∵┃〜┃巴利國∵∵∵7万余戸∵∵不呼國
海〜〜〜〜〜〜〜┃┗┓┃┏━┛〜┃∵↑∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵↓∵
海〜〜〜〜〜〜┏┛∵┗┛┗━┓〜┃躬臣國∵∵∵∵∵∵∵∵∵姐奴國
海〜〜〜〜〜〜┗━━━━┓∵┃〜┃↑∵∵∵∵∵∵∵華∵∵∵∵∵↓
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵┃〜┃邪←鬼←爲←鬼←奴←呼←蘇←對
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┃〜┃馬∵奴∵吾∵國∵蘇∵邑∵奴∵蘇
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗━━━┛〜┃國∵國∵國∵∵∵奴∵國∵國∵國
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵∵∵∵國∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┣━━━━━━━━━━━━━━
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━┛∵∵∵(狗奴國)∵∵∵∵∵∵
67 :
大倭弟王:2007/11/02(金) 01:55:10
海〜〜┃∵楽浪郡∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┣━━━━━━━∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┌┃◎帯方郡∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┗┓∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜└┐┃∵帯方郡∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┣━━━━━━┳━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵(馬韓)∵∵┃(辰韓)∵┃〜〜〜韓〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵10万余戸∵┃(弁辰)∵┃〜方可四千里〜〜〜〜海
海〜┌┘┃∵∵∵∵∵∵┃4-5万戸 ┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┏┛∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┣━━━━━━━┻━━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┃∵∵韓地倭人國∵∵┏━━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┃∵∵∵狗邪韓國◎━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┗━━━━━┛┌┤〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜└→→→→→→→┘↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜七千餘里〜〜〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜對馬國┃◎┃対馬〜方可四百餘里〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜┗━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
68 :
大倭弟王:2007/11/02(金) 01:56:10
海〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜一大國┃◎┃壱岐〜方可三百里〜〜〜┏━━━┓
海〜〜〜〜〜〜〜〜┗━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━┛∵∵∵┃
海〜〜〜〜〜〜〜千餘里↓〜┏━━┓〜〜┏━┛∵∵∵∵∵┃
海〜〜〜〜〜〜〜┏━┓↓┏┛∵∵┗━━┛∵∵∵∵∵∵∵┃
海〜〜〜〜┏━━┛∵┗━┛∵∵∵∵◇博多∵∵∵∵∵∵∵┗
海〜〜〜〜┃∵∵末盧國◎→→┐∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵五百里↓∵百里∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵伊都國◎┬→→●不彌國∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵百里│┏┓├┐∵∵∵∵∵∵∵∵ ●印:女王國
海〜〜〜〜〜〜〜┗━┓∵∵奴國●┃┃●●邪馬壹国 7万余戸
海〜〜〜〜〜〜〜┏┓┃∵∵┏━━┛┃投∵∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜┏┛┃┃∵∵┃〜〜〜┃馬 五万余戸∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜┃∵┃┗┓∵┗┓〜〜┃國∵┏━━━━━━━
海〜〜〜〜〜〜┗┓┃〜┃∵∵┃〜〜┃┏━┛∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜┃┗┓┃┏━┛〜〜┣┛∵◎狗奴國∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜┏┛∵┗┛┗━┓〜〜┗┓∵10〜15万戸?∵∵
海〜〜〜〜〜〜┗━━━━┓∵┗┓〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┃〜〜┃∵∵◇熊本∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┏┛〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗━━━┛〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜┃∵┗━━━┓┏━━┛∵∵∵∵∵∵∵∵∵
69 :
九州王:2007/11/02(金) 14:03:43
倭の投馬國、邪馬壹國、狗奴國は韓の馬韓、辰韓、弁辰と同じレベルの領域を持った国。
狗邪韓國、對馬國、一大國、伊都國、奴国は都市を中心に附属の農地を持った都市国家。
倭でも韓でも都市国家群が集まって投馬國、邪馬壹國、狗奴國、馬韓、辰韓、弁辰などの領域家国を形成していた。
>>67,
>>68は都市国家と領域家国がゴチャ混ぜになっている。
70 :
大倭弟王:2007/11/03(土) 12:19:45
>>69 >>67,
>>68は都市国家と領域家国がゴチャ混ぜになっている。
都市国家と領域家国はゴチャ混ぜになっていない。倭の国家群は韓のそれらより人口が多く巨大なだけ。
海〜〜┃∵楽浪郡∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┣━━━━━━━∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┌┃◎帯方郡∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┗┓∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜└┐┃∵帯方郡∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┣━━━━━┳━━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵┃(辰韓12国)┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃(馬韓55国)┃(弁辰12国)┃〜〜〜 韓〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵10万余戸┃∵4-5万戸 ┃〜方可四千里〜〜〜〜海
海〜┌┘┃∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┏┛∵∵∵∵∵┃◎瀆盧國∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┣━━━━━━┻━━━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 ┯
海〜↓┃∵∵∵狗邪韓國◎∵┏━━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜↓┃倭人國地域┏━━━┛〜〜〜〜〜〜倭韓地〜〜〜〜海 │
海〜↓┗━━━━━┛┌┤〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜└→→→→→→→┘↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜七千餘里〜〜〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 使譯所通三十國
海〜〜〜〜〜對馬國┃◎┃対馬〜方可四百餘里〜〜〜〜〜〜海 │
海〜〜〜〜〜〜〜〜┗━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
71 :
大倭弟王:2007/11/03(土) 12:20:55
海〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜〜〜〜〜〜〜〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜〜〜〜〜一大國┃◎┃壱岐〜方可三百里〜〜〜┏━━━┓ │
海〜〜〜〜〜〜〜〜┗━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━┛∵∵∵┃ │
海〜〜〜〜〜〜〜千餘里↓〜┏━━┓〜〜┏━┛∵∵∵∵∵┃ │
海〜〜〜〜〜〜〜┏━┓↓┏┛∵∵┗━━┛∵∵∵∵∵∵∵┃ │
海〜〜〜〜┏━┳┛∵┗━┛∵∵∵∵◇博多∵∵∵∵∵∵∵┗ 使譯所通三十國
海〜〜〜〜┃∵┃末盧國◎→→┐∵∵∵∵∵∵∵倭∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜┗┓┗┓∵∵五百里↓∵百里∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜┗┓┗┓∵伊都國◎┬→→●不彌國∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜┗┓┗━━┓百里│┏┓├┐∵∵∵∵∵∵∵∵ │ ●印:女王國構成国
海〜〜〜〜〜〜〜┗━┓∵┃奴國●┃┃●●邪馬壹国 7万餘戸 │
海〜〜〜〜〜〜〜┏┓┃∵┃┏━━┛┃投∵∵ (女王之所都)∵ │
海〜〜〜〜〜〜┏┛┃┃∵┃┃〜〜〜┃馬 五万餘戸 ∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜 ┃倭┃┗┓┗┻┓〜〜┃國∵┏━━━━━━━ ┿
海〜〜〜〜〜〜┗┓┃〜┃∵∵┃〜〜┃┏━┛∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜┃┗┓┃┏━┛〜〜┣┛∵◎狗奴國∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜┏┛∵┗┛┗━┓〜〜┗┓∵10〜15万戸?∵∵ 狗奴國連合地域
海〜〜〜〜〜〜┗━━━━┓∵┗┓〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┃〜〜┃∵∵◇熊本∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┏┛〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗━━━┛〜〜〜┃∵∵∵∵倭∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜┃∵┗━━━┓┏━━┛∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
水行十日陸行一月(倭人からの伝聞)
邪馬壹国→陸行(倭地)→末盧國→水行→狗邪韓國→陸行(韓地)→帯方郡
水行二十日(倭人からの伝聞)
投馬國→水行(有明海→島原湾→天草灘→東シナ海肥前海岸→対馬海峡→半島南岸→東シナ海半島西岸)→帯方郡
倭五王の時代は、投馬國が狗奴國側につくことによって始まった。
72 :
大倭弟王:2007/11/03(土) 12:33:10
貼り付け直し
>>69 >>67,
>>68は都市国家と領域家国がゴチャ混ぜになっている。
都市国家と領域家国はゴチャ混ぜになっていない。倭の国家群は韓のそれらより人口が多く巨大なだけ。
海〜〜┃∵楽浪郡∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┣━━━━━━━∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┌┃◎帯方郡∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┗┓∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜└┐┃∵帯方郡∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┣━━━━━┳━━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵┃(辰韓12国)┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃(馬韓55国)┃(弁辰12国)┃〜〜〜〜〜韓〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵10万余戸┃∵4-5万戸 ┃〜方可四千里〜〜〜〜海
海〜┌┘┃∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┏┛∵∵∵∵∵┃◎瀆盧國∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┣━━━━━━┻━━━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 ┯
海〜↓┃∵∵∵狗邪韓國◎∵┏━━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜↓┃倭人國地域┏━━━┛〜〜〜〜〜〜倭韓地〜〜〜〜海 │
海〜↓┗━━━━━┛┌┤〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜└→→→→→→→┘↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜七千餘里〜〜〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 使譯所通三十國
海〜〜〜〜〜對馬國┃◎┃対馬〜方可四百餘里〜〜〜〜〜〜海 │
海〜〜〜〜〜〜〜〜┗━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
73 :
大倭弟王:2007/11/03(土) 12:33:51
海〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜〜〜〜〜〜〜〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜〜〜〜〜一大國┃◎┃壱岐〜方可三百里〜〜〜┏━━━┓ │
海〜〜〜〜〜〜〜〜┗━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━┛∵∵∵┃ │
海〜〜〜〜〜〜〜千餘里↓〜┏━━┓〜〜┏━┛∵∵∵∵∵┃ │
海〜〜〜〜〜〜〜┏━┓↓┏┛∵∵┗━━┛∵∵∵∵∵∵∵┃ │
海〜〜〜〜┏━┳┛∵┗━┛∵∵∵∵◇博多∵∵∵∵∵∵∵┗ 使譯所通三十國
海〜〜〜〜┃∵┃末盧國◎→→┐∵∵∵∵∵∵∵倭∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜┗┓┗┓∵∵五百里↓∵百里∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜┗┓┗┓∵伊都國◎┬→→●不彌國∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜┗┓┗━━┓百里│┏┓├┐∵∵∵∵∵∵∵∵ │ ●印:女王國構成国
海〜〜〜〜〜〜〜┗━┓∵┃奴國●┃┃●●邪馬壹国 7万餘戸 │
海〜〜〜〜〜〜〜┏┓┃∵┃┏━━┛┃投∵∵ (女王之所都)∵ │
海〜〜〜〜〜〜┏┛┃┃∵┃┃〜〜〜┃馬 五万餘戸 ∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜┃倭┃┗┓┗┻┓〜〜┃國∵┏━━━━━━━ ┿
海〜〜〜〜〜〜┗┓┃〜┃∵∵┃〜〜┃┏━┛∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜┃┗┓┃┏━┛〜〜┣┛∵◎狗奴國∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜┏┛∵┗┛┗━┓〜〜┗┓∵10〜15万戸?∵∵ 狗奴國連合地域
海〜〜〜〜〜〜┗━━━━┓∵┗┓〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┃〜〜┃∵∵◇熊本∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┏┛〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗━━━┛〜〜〜┃∵∵∵∵倭∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜┃∵┗━━━┓┏━━┛∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
水行十日陸行一月(倭人からの伝聞)
邪馬壹国→陸行(倭地)→末盧國→水行→狗邪韓國→陸行(韓地)→帯方郡
水行二十日(倭人からの伝聞)
投馬國→水行(有明海→島原湾→天草灘→東シナ海肥前海岸→対馬海峡→半島南岸→東シナ海半島西岸)→帯方郡
倭五王の時代は、投馬國が狗奴國側につくことによって始まった。
74 :
九州王:2007/11/03(土) 20:27:53
領域国家
海┏┛∵∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
┏┛∵∵∵∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
┗━┓∵∵∵帯方郡∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┗━┓∵▲帯方郡庁∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜┣━━━━┳━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜┃∵∵∵∵┃∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┏━┛∵∵∵∵┃∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┃∵∵∵馬韓∵┃辰韓∵┃〜〜〜韓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┗┓∵10万余戸┃弁辰∵┃〜方可四千里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵∵∵∵┃4-5万戸┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┣━━━━━┻━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┏┛投馬國5万余戸┏━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┓
海〜┃∵∵∵┏━━━━┛〜┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┗━
海〜┗━━━┛〜〜〜〜〜〜┃┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┓┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵
75 :
九州王:2007/11/03(土) 20:28:29
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏倭種∵∵∵┏┓∵┏━
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┓〜〜〜〜〜┃∵∵侏儒國┃┗━┛海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜┗━━━━━┛〜〜┏┓
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┓〜〜〜〜〜〜〜┏┛┗
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┛∵∵┗━┓〜〜〜〜┏┛裸國
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵邪馬壹國∵┃〜〜〜┏┛K齒國
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵┏┓∵7万余戸┗┓〜〜┗┓∵∵┏
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓┃┗┓∵∵∵∵∵┃〜〜〜┗┓┏┛
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛┏┻━━━━┳┛〜〜〜〜┗┛海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵┏┛〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛狗奴國∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓┏┓∵┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛┃┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
76 :
九州王:2007/11/03(土) 20:34:08
訂正
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┓┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━┛∵∵∵┏┓∵┏━
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┓〜〜〜〜〜┃∵∵倭種∵┃┗━┛海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜┗━━━━━┛〜〜┏┓
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┓〜〜〜〜〜〜〜┏┛┗
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┛∵∵┗━┓〜〜〜〜┏┛∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵邪馬壹國∵┃〜〜〜┏┛侏儒國
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵┏┓∵7万余戸┗┓〜〜┗┓∵∵┏
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓┃┗┓∵∵∵∵∵┃〜〜〜┗┓┏┛
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛┏┻━━━━┳┛〜〜〜〜┗┛海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵┏┛〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛狗奴國∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓┏┓∵┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛┃┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
77 :
大倭(たい)弟王:2007/11/17(土) 16:24:59
三国志魏書東夷伝を読む
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵弱水∵∵∵∵∵∵∵∵∵┏┛〜〜〜海
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┏┛〜〜〜〜海
∵鮮卑∵∵∵∵∵∵∵∵夫餘∵∵∵挹婁∵∵┏┛〜〜〜〜〜海
∵∵∵∵∵∵(方可二千里 戸八萬)∵北沃沮┏┛〜〜〜〜〜〜海
∵∵遼東∵∵∵∵高句麗∵∵∵∵東沃沮┏(戸五千 東北狹西南長可千里)
∵∵∵∵∵(方可二千里 戸三萬) (沃沮)┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜海
━━━┳──────┐∵∵∵∵∵┏┛〜南沃沮位置不明〜海
海〜〜┃∵楽浪郡∵∵│∵濊(貊) ┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┠──────┴┐2万戸 ┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┗┓∵∵∵∵∵∵│∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┌┃◎帯方郡∵∵│∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┠─────┬┴───┨〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵│∵∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵│(辰韓12国)┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃(馬韓55国)│(弁辰12国)┃〜〜〜〜韓〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵10万余戸│∵4-5万戸 ┃〜〜〜方可四千里〜〜海
海〜┌┘┃∵∵∵∵∵│∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┏┛∵∵∵∵∵│◎瀆盧國∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┠──────┴─────┨〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 ┯
海〜↓┃∵∵∵狗邪韓國◎∵┏━━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 ↑
海〜↓┃倭人國地域┏━━━┛〜〜〜〜〜〜倭韓地〜〜〜〜海 │
海〜↓┗━━━━━┛┌┤〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜└→→→→→→→┘↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜七千餘里〜〜〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 使譯所通三十國
海〜〜〜〜〜對馬國┃◎┃対馬〜方可四百餘里〜〜〜〜〜〜海 │
海〜〜〜〜〜〜〜〜┗━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
78 :
大倭(たい)弟王:2007/11/17(土) 16:26:11
海〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜〜〜〜〜〜〜〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海 │
海〜〜〜〜〜一大國┃◎┃壱岐〜方可三百里〜〜〜┏━━━┓ │
海〜〜〜〜〜〜〜〜┗━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━┛∵∵∵┃ │
海〜〜〜〜〜〜〜千餘里↓〜┏━━┓〜〜┏━┛∵∵∵∵∵┃ │
海〜〜〜〜〜〜〜┏━┓↓┏┛∵∵┗━━┛∵∵∵∵∵∵∵┃ │
海〜〜〜〜┏━┯┛∵┗━┛∵∵∵∵◇博多∵∵∵∵∵∵∵┗ 使譯所通三十國
海〜〜〜〜┃∵│末盧國◎→→┐∵∵∵∵∵∵∵倭∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜┗┓└┐∵∵五百里↓∵百里∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜┗┓└┐∵伊都國◎┬→→●不彌國∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜┗┓└──┐百里│┏┓├┐∵∵∵∵∵∵∵∵ │ ●印:女王國構成国
海〜〜〜〜〜〜〜┗━┓∵│奴國●┃┃●●邪馬壹国 7万餘戸 │
海〜〜〜〜〜〜〜┏┓┃∵│┏━━┛┃投∵∵ (女王之所都)∵ │
海〜〜〜〜〜〜┏┛┃┃∵│┃〜〜〜┃馬 五万餘戸 ∵∵∵∵ ↓
海〜〜〜〜〜〜┃倭┃┗┓└┻┓〜〜┃國∵┌─────── ┿
海〜〜〜〜〜〜┗┓┃〜┃∵∵┃〜〜┃┌─┘∵∵∵∵∵∵∵ ↑
海〜〜〜〜〜〜〜┃┗┓┃┏━┛〜〜┠┘∵◎狗奴國∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜┏┛∵┗┛┗━┓〜〜┗┓∵10〜15万戸?∵∵ 狗奴國連合地域
海〜〜〜〜〜〜┗━━━━┓∵┗┓〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┃〜〜┃∵∵◇熊本∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┏┛〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗━━━┛〜〜〜┃∵∵∵∵倭∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
海〜〜〜〜〜〜〜┃∵┗━━━┓┏━━┛∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │
79 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 17:51:47
対馬國=対馬
一大國=壱岐
末盧國=松浦(唐津)
伊都國=伊都(糸島)
斯馬国=糸島の志摩半島
好古都国=博多
対蘇国=鳥栖
蘇奴国=佐賀
呼邑国=小城
華奴蘇奴国=神崎(吉野ヶ里遺跡)
80 :
サガミハラハラ:2007/12/23(日) 18:03:13
新解釈を披露いたします。
魏志倭人伝の行路風俗記事をみると、土地の風俗がくわしくかかれているのは、対馬、壱岐、末ろである。
くや韓国は倭である(その北岸)というのに、くわしく述べられていない。これは魏使がくや韓国に寄らなかったからである。
(仁川から半島西部を回り、対馬に直接きた。)
伊都国以降については、倭の風俗としてあつかわれている。つまり、伊都国以降は邪馬台国本国として扱われているということである。
以上、2点です。
>>80サガミさん
>くや韓国は倭
今、自分で“くや韓国”って書いているのに、いきなり『倭』
で、くや韓国って何処なの?
韓伝に
「與し韓の南も海」って書いてあるでしょ
残念ですが以下も全てペケです。
82 :
サガミハラハラあのです。:2007/12/23(日) 23:55:55
それでは、狗邪韓国が倭であるかどうかから論じましょう。
狗邪韓国は倭人が支配居住する国であると思います。
ですから、倭人伝に詳細が記述されていないの9が不思議であるといっているわけです。
そしてそこから導きだされる結論は魏使は狗邪韓国に寄っていないということなのです。
83 :
日本@名無史さん:2007/12/24(月) 00:00:27
本当に魏志倭人伝を読んでる?
狗奴国は奴国の南にあるんであって
邪馬台国の南にあるなんて書いてないよ
84 :
日本@名無史さん:2007/12/24(月) 00:43:05
>>81 >韓伝に
>「與し韓の南も海」って書いてあるでしょ
何処に?
「韓在帶方之南東西以海爲限南與倭接方可四千里有三種・・馬韓・・辰韓・・弁韓・・・」
韓は、帶方郡の南、東西は海、南は倭と接し、四千里四方であると読めるが。
85 :
日本@名無史さん:2007/12/24(月) 01:15:59
>>82 >狗邪韓国は倭人が支配居住する国であると思います。
韓伝:弁辰狗邪國・・弁辰の狗邪國
倭人伝:狗邪韓國・・狗邪韓國 or 狗邪の韓國 or 韓の狗邪國?
弁辰狗邪國=狗邪韓國 or 弁辰狗邪國≠狗邪韓國?
>>82 サガミさん
>それでは、狗邪韓国が倭であるかどうかから論じましょう。
狗邪韓国は倭人が支配居住する国であると思います。
ごめんなさい
主観に付き合うほど暇じゃありません。
著書も既に数冊出してるなら、いい加減まともに議論しましょう。
>>84さん
>何処に?
「韓在帶方之南東西以海爲限南與倭接方可四千里有三種・・馬韓・・辰韓・・弁韓・・・」
韓は、帶方郡の南、東西は海、南は倭と接し、四千里四方であると読めるが。
完全に文字を無視して和訳していませんか?
ここの和訳は
⇒韓は帯方郡の南に在り、(韓域の)東西は海を限りとし、(與し韓の)南も海、隣りは倭・・・
このように和訳するのです。
つまり、
>>84さんは
「以海」と「與」と「接」を読めていなかったために起こる誤訳なのです。
多くの翻訳本がこの調子で誤訳だらけだから仕方のないことなんですが
88 :
日本@名無史さん:2007/12/24(月) 05:09:46
>>82 > ですから、倭人伝に詳細が記述されていないの9が不思議であるといっているわけです。
狗邪韓国は地理的に韓に属するため「倭人条」に詳述は不適切と判断されたのだろう
船旅をする以上水や食料の補給をする必要があるわけで女王国の友好国である狗邪韓国が補給地に選ばれた
魏〜女王国間は海路において敵対・妨害する勢力は記述されず対馬海峡の制海権は当時女王国にあったと見ていい
当然倭国北岸の狗邪韓国にも倭人は進出しているから補給などの協力を仰ぐことができた
89 :
サガミハラハラ:2007/12/24(月) 08:49:38
しかし、朝鮮半島に倭人が勢力をもっているということは、魏にとって外交上軍事上極めて重要なことであると思います。
にもかかわ
90 :
サガミハラハラ:2007/12/24(月) 08:52:09
にもかかわらず、官名もかかれていないということに着目すべきでないだろうか。
91 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/12/24(月) 09:15:15
>>90 >官名も書かれていない
狗邪韓国だから
>>89 >外交軍事的
どう便利なの?
で、「便利だ!」と皇帝或は郡太守が言ったの?
92 :
大掃除:2007/12/24(月) 09:51:05
>>88 >船旅をする以上水や食料の補給をする必要があるわけで
水や食料の補給を記載した文書なんて残ってた?
>女王国の友好国である狗邪韓国が補給地に選ばれた
友好国であると判断した理由は?
>魏〜女王国間は海路において敵対・妨害する勢力は記述されず
敵対・妨害する勢力を記述しなければならない理由は?
>当然倭国北岸の狗邪韓国
倭国の北岸?倭国が何処に登場するのです?
>当然倭国北岸の狗邪韓国にも倭人は進出しているから
洛陽や郡にも倭人は出向いていますよ
>補給などの協力を仰ぐことができた
領収証とか受け取り証でも出土しましたか?
93 :
日本@名無史さん:2007/12/24(月) 09:52:20
こっちもage
>>92 横レスでつ
@>水や食料の補給を記載した文書なんて残ってた?
A>友好国であると判断した理由は?
B>敵対・妨害する勢力を記述しなければならない理由は?
C>倭国の北岸?倭国が何処に登場するのです?
D>洛陽や郡にも倭人は出向いていますよ
E>領収証とか受け取り証でも出土しましたか?
>>88さんはACだけに答たらいいよ
@BDEはスルーで構わないよ、いや、スルー汁!
95 :
大掃除:2007/12/24(月) 10:31:48
>>94 >
>>88さんはACだけに答たらいいよ
@BDEはスルーで構わないよ、いや、スルー汁!
主張には全て論証を付けるのが筋ではないのか?
>>87 (與し韓の)を、全部平仮名で書いてごらん。與にどういう訓を当てているの?
>>96 >(與し韓の)
別にかわったひら仮名じゃないよ(^O^)/
「くみしかんの」
組し韓じゃないところがミソ
98 :
日本@名無史さん:2007/12/24(月) 20:45:27
>>92 まず
>>94氏でいうBへ回答だが
「敵対する狗奴国は敵対すると記して海路で敵対する勢力は記さないとは考えにくい」
そして対馬海峡に敵対する勢力はいない(=女王国に制海権がある)と推測できるなら
A「対馬海峡沿岸に友好国が存在する」D「対馬海峡沿岸に倭人が進出している」
という推測も「常識として」成り立つ
また対馬海峡縦断はそれまでのような沿岸航海でない以上
@E「領収書などの証拠を持ち出さずとも補給が行われただろう」という推測が「常識として」成り立つ
もし反論したいなら
@千里先まで補給地がない(そして補給先の天気が荒れるとそこでも補給できない)のに補給しない理由は?
A制海権を持ってる国が補給するのに安価で容易に安定的に補給できる友好国を作らない・補給先に選ばない理由は?
B敵対する狗奴国は敵対すると記して海路で敵対する勢力は記さないという理由は?
以上に答えてくれ
それと
> 倭国の北岸?倭国が何処に登場するのです?
到其北岸狗邪韓国
其は倭国だろう?君は何と想定しているの?
99 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/12/24(月) 21:37:04
>>98 >>94さんの代理 ヤリ
>到其北岸狗邪韓国
其は倭国だろう?君は何と想定しているの?
『循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千余里』
ここに書かれている『其』は(帯方東南大海之中)の大海
前文の「循海岸水行歴韓國乍南乍東」の結果「七千里」の「到(着点)」に掛かります。
貴方の言われるように倭國なら、倭國とは地(倭國とする視点を海上に置く場合は別、つまり倭國の海域圏)
ここで言う「其」は北岸とする視点、「地」の北岸は北に海を有するところとなり、狗邪韓國が倭國の北側に海を有する北部地域となりますが
それでよろしいのでしょうか?
「・・・・到其北岸狗邪韓國七千余里」⇒(・・・・七千里の着点その北に狗邪韓國の岸)
『其』=北に狗邪韓國の岸が存在する『大海』となります。
そして漢字「到と至」の活用の違いからも「其」が大海(海上中の船)であることが裏付けけられます
「至も到」も共通する意味は(範囲)
『至』=(限定された範囲)
『到』=(限定された範囲の境に同域内の進行方向が接触する)
100 :
日本@名無史さん:2007/12/24(月) 23:07:07
>>99 もうちょっと長く引用するよ
從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
倭に至るには海岸を循って其の北岸狗邪韓国に到る
至ると至るの違いは君の説明の通り倭の領域という面か倭における一点かということ
其とは倭のことであるが倭人ではなく倭の領域つまり倭人条の用語に沿えば倭国
其が大海を指すなんて原文に照らせばおかしいだろ?
101 :
100:2007/12/24(月) 23:26:55
>>99をちゃんと読んだら至ると到るの使用法の解釈が俺とプラム氏とで違ってたわw
あと大海がプラム氏の中では船という意味になっててワロタ
102 :
日本@名無史さん:2007/12/24(月) 23:33:53
>>100 説明下手なプラムさんに代わって説明しますよ。
「其」は直前に出てきた言葉を指す。
又「其」は、「北岸」を形容しているから、場所を示す言葉であることがわかる。
だから「其」は「海岸水行」の海を指す。
河川・湖沼の北岸南岸東岸西岸と同じ表現方法。
103 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/12/24(月) 23:39:46
>>101 >船という意味になっててワロタ
分かりやすいだろう
海上に立つ方法としての選択 気に入らなければドラえもんにタケコプター借りてきて
海上に立つ方法もあるんだけど
ともかく
「其」は着点を指す 着点は次の工程の発点でもあるわけで
>「至」=至る
この漢語と和語のギャップがくせものなんだ
貴方は「至倭」=(倭に至る) 私は「至倭」=(倭の範囲)
>>102 お〜っ
ありがとうございます。 なにせ文章表現能力低くて
>>103 横からだけど、
> 私は「至倭」=(倭の範囲)
って、至高とか至誠とかの至と思ってんの?
>>103の訂正
工程・・・・・・(誤)
行程・・・・・・(正)
ここに訂正します。 スマソ
で〜も なんで「其北岸」で意見が分かれるのか私には理解できない。
>>105 >横からだけど、
> 私は「至倭」=(倭の範囲)
って、至高とか至誠とかの至と思ってんの?
漢字「至」の字意は(範囲) だから和語の訓も(いた)音(シ)なの
「至」= ○至 であろうが 至○ であろうが(範囲)の字意は変わらない
この「至(範囲)」文字を、さまざまな文章に組み込むことによって
はじめて「至」のさまざまな字義が誕生するわけ
和語で⇒ 来る、行き着く、〜になる、極み、この上なく、となると・・・etc・・・
他に違った考えがあれば紹介して下さい。
108 :
日本@名無史さん:2007/12/25(火) 00:42:56
>>102の解釈(航行中の海の北岸)という意味ならそう読めなくもないが
それなら他の上陸地点でも「至西岸對馬國」「至南岸末盧國」になるんじゃないか
從郡至倭(循海岸水行歴韓國)乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
()内は道順であり省略できるだろう?省略したなら
從郡至倭乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
これはもう其=倭以外考えられない
到其北岸狗邪韓國
至對馬國
至一大國
至末盧國
到伊都國
至奴國
至不彌國
至投馬國
至邪馬壹國
至と到はどちらも「いたる」であり着くと到着する程度の差しかない(その差があるから使い分けてるんだが)
到其北岸狗邪韓國は倭の領域に到着したの到であり
到伊都國は帯方郡使が滞在する場所に到着したの到
プラム氏にとっては至對馬國の対馬もこの上ない極みの地であって伊都國はそうでないらしいが・・・
今度会ったら大海に突き落としてやろうか?
109 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/12/25(火) 01:00:20
>>108 じゃあ
『至官』と『到官』の違いは?
※どちらも意味は「赴任」
頑張ってね(^O^)/
110 :
102:2007/12/25(火) 02:43:53
>>108 「其」は直接的には「海」ですが、倭とみなしても良いでしょう。
なぜなら、それは「倭人在帶方東南大海之中依山島爲國邑」とあるように、
「海岸水行」の「海」も倭人地域(海域)に含まれるからです。
「到」と「至」の使い分けについては同意します。
「到・・狗邪韓國」と言うことで、倭人地域に到着したのです。
なぜなら倭人伝は、他の東夷伝とは異なり、倭伝ではなく倭人について書かれているからです。
魏使は韓地(弁辰)の倭人居住地域に到着したのです。
韓伝弁辰条には「國出鐵韓濊倭皆從取之」と「其(弁辰)瀆廬國與倭接界」とあり、
瀆廬國で韓人界と倭人界が接しており、
韓地(弁辰)の一部には倭人が住んでいることがわかります。
111 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/12/25(火) 08:49:46
>>110 韓伝に書かれた弁辰狗邪が、倭人伝にまた登場するから狗邪“韓国”なんだよ
決して倭人域という理由じゃない。
A組の先生がB組の〇〇君を『B組の〇〇君』と
言うのと同じ。
後、
貴方の
『其トクロ國與倭接界』の解釈は目茶苦茶
『接』の意は
→AとBとの相互関係
(與しトクロと倭の相互関係)
※よく誤認識されているんだけど、『接』に“くっつく”と言う意味はない
地域対地域の『接』(関係)は
・直接(意図的に境を引くことにより発生)
・間接(間に地形的自然環境が関与/川、海、山、谷)
『界』と記載されているから トクロと倭の関係は…間接
112 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/12/25(火) 09:58:57
『其トクロ國與倭接界』
この文章を正確に理解するには
先ず
(其、與、接、界)
この文字を十分理解する事です。 ここをいい加減に、そしてあやふやにしたのが、巷に溢れる翻訳本やネットです。
な〜にが
『トクロ国は倭と界を接す』だ〜っ
こんなインチキ翻訳で銭とるな〜っ(-.-;)
113 :
110:2007/12/25(火) 13:26:30
>>111 「界」の意味を調べ直したら?
弁韓人辰韓人の世界と倭人の世界が接している、
即ち、両者の世界はオーバーラップして重なっている。
両者の世界は文化が異なり異質な為、弁韓人と辰韓人の様に混じり合ってはいない。
弁韓人辰韓人と倭人はモザイク社会を作っていた。
>>113 >界の意味を調べ直したら
『境も界』も、どちらも和語訓(さかい)
この二つの“さかい”の活用の違いが分かれば
「界」の適切な意味もわかります。
115 :
日本@名無史さん:2007/12/25(火) 21:25:35
狗奴韓国は韓に属する国だろうから倭人条では詳述を避けているというのは
>>88に書いたとおり
倭人伝で「至狗邪韓国」ではなく「到狗邪韓国」とされたのは倭に至るには狗邪韓国という韓の国(領域)に至ることに意味があるのではなく
狗邪韓国の中にある倭国北岸にあたる場所(点)に到ることが意味があるから
私の解釈をまとめると、狗邪韓国(領域)は韓国であり、その狗邪韓国に倭国北岸(点)がある
倭国に至る=その点に到ることであり、その地(点)=倭国北岸となる
倭人伝を至ると到るに注意して素直に読めばこうなるし
私の解釈もその延長線上にしかない
116 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/12/25(火) 22:15:35
>>115 じゃあ
貴方のその解釈で「至官」と「到官」の違いを説明して。
ついでに
「至伊都國」と「到伊都國」の違いも
出来たら
「至」の訓は(いた)+ラ行と、ラ行全てに送り仮名活用するが
「到」の送り仮名は(いた)‐ルと、ル(終止)だけなのか?
同じ仲間で「致」(いた)は、送り仮名サ行で活用し、ラ行では活用しない。
117 :
115ではないが:2007/12/28(金) 10:41:43
>>116 日本語に翻訳したものを、日本語の論理で論理展開するのは間違いだよ。
「至」「到」を文献での使用例から判断しなければ。
「至」は途中経過ででもよいし、方位を指すだけでもよいし、実際に行かなくてもよい。
「到」は終着に使用し、実際に行かない場合には使用しない。
「到其北岸狗邪韓國」は倭人のいる地域に到着したの意。
終着地が倭人の居るところ。それまでの経由地には倭人がいない。
東夷伝において、冒頭の語句に着目すれば、
(倭人・韓・濊・挹婁・東沃沮・高句麗・夫餘・鮮卑)
倭以外は各地域について述べているが、倭だけが倭人について述べている。
「到伊都國」は女王國(勢力地)に到着したの意。
それまでの経由国は女王國に含まれない倭人の住む国。
しかし、伊都國については女王國に含まれないので、
女王以前の残存旧勢力王であるとわざわざ説明している。
118 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/12/28(金) 11:52:34
>>117 その場限りでしか通用しない文字なんて存在しないよ。
それに和訳からの解釈は、分かりやすく説明するために用いたのであって、絶対ではない
本来は漢字なんだから字意で説明しなきゃいけないんだけど
それは
その知識のある人ならいいけど、それ以外だとチンプンカンで説明にならない。漢字の根本は記号化された組み合わせ、象形では表現に限界があるので
記号化された訳
「至と到」どちらも共通する字意は(範囲)
それに貴方の(着いた、着かない)の解釈は恣意的過ぎて解釈には使えないよ
因みに
(―)の記号は…基準
>>117さん
ちょっと質問しますが
倭人伝に限らず、その他の古漢籍を読んだ人達は、その都度用例を引っ張り出しながら、適合する文を見つけだし「至、到」の解釈をしたのかな?
それに、目の前にある「至、到」の解釈が出来ないのに
他の漢籍の用例は的確に解釈出来るのかな?
大変矛盾した話しだよね。
狗邪韓国に倭人が居たなんて、何処で調べたのかな?
120 :
115ではないが:2007/12/28(金) 13:21:25
>>119 >狗邪韓国に倭人が居たなんて、何処で調べたのかな?
魏書韓伝弁辰条
「國出鐵韓濊倭皆從取之諸市買皆用鐵如中國用錢」
但し、狗邪韓国=弁辰狗邪國
>それに貴方の(着いた、着かない)の解釈は恣意的過ぎて解釈には使えないよ
(着いた、着かない)は確かに拡大解釈である。
121 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/12/28(金) 13:41:22
>>120 韓伝のそれは
単に、鉄に関して倭が関与していたと言う記事でしょ、それが居住の根拠となるなら
洛陽にも古くから倭人の生口がお邪魔していますよ
それに、倭人は大海之中ですよ
>>120 何故陳壽は“倭伝”ではなく“倭人伝”と、倭人にターゲットを求めたかを考えて見てください。
大きな理由の一つに、先行史がなかったから
があげられる筈です。
123 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 19:31:45
>>119 それは、ちがうよ。
昔の人は、子供の頃から、漢籍を読む訓練を叩き込まれていた。
中には、十三經注疏の全文を記憶していたという、驚異的な人までいた。
だから、自分の中にデータベースは出来上がってるし、
その教育の課程で、用例検証は、すでにある程度すませている。
それに対して、現代の我々で、小学校低学年から、
漢文素読の訓練を受けたなんていう奇特な人がどれだけいる?
そもそも、プラムさんは、漢籍を何冊読んだ?
昔の人が、子供の頃に終わらせていたことを、
我々は読解と同時に行わなければならない。
目の前の「至、到」が解釈できなくても、数をたくさん集めて眺めることで、
傾向が見えてくる。それが、統計を取るという意味でしょう。
用例検証は、漢文を使用した万人の共通認識を焙り出す作業。
言語活動は、万人の共通認識でなければ、成立しないから。
それに、目の前の例では、複数の解釈が可能で、意味が確定できないものが、
別の例では、文脈から、一通りの解釈しかできなくて、確定できるということもある。
用例検証には、そういう利点もある。
プラムさんは、目の前にある、「至、到」を解釈しているつもりかもしれないけれど、
実は、目の前の文章から遊離して、観念的に文字の意味をいじって、
そこから、目の前の文章の意味を捻じ曲げて解釈しているにすぎません。
>>123 たぶん全く対極にいる人にはそう映るのかも知れませんね(私が貴方をそう見るように)
だから私は「こうしなさい」とは言いません。
ただ
私に声を掛けてくれた方に説明するだけです。
それを受け入れるかいなかは貴方次第、いつの日か思い出してくれれば嬉しいです。
ところで
その貴方の「至官と到官」の違いを説明出来ますか?どちらも意味は(赴任)です。
>>124 訂正
その貴方の「至官と到官」……(誤)
その貴方の「至と到」の解釈で「至官と到官」……(正)
126 :
123:2007/12/28(金) 22:05:49
>>125 123は117ではないです。横からです。
「到官」「至官」がお気に入りのようですが、その前に。
1、昔の人も、意識的・無意識的にかかわらず、
用例を引っ張りながら漢籍を読んだことは、納得しましたか。
2、そもそも、あなたの信奉する言語虫理論というものも、
口伝承や古地名などの用例から、言葉の法則を割り出したものでしょう。
そして、それを記紀などに当てはめて検証したのでしょう。
同じ手法のはずなのに、なぜ、そんなに漢籍の用例検証は認めないの。
ひとつひとつ確認しながら、議論しましょう。
127 :
115ではないが:2007/12/28(金) 22:14:35
>>122 >大きな理由の一つに、先行史がなかったから
そんなことはない。
魏志倭人伝に「舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國」と書けるのは、
先行史資料を見ているからだ。
東夷伝の中で、倭人だけが倭地以外にも拡散して居るので、
倭伝と出来なくて倭人伝となったと考えられないのかね。
>>126 実は私も以前、そこに疑問を抱いた経験があります。
>>127 >魏志倭人伝に「舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國」と書けるのは、
先行史資料を見ているからだ。
チョット書き方に不備がありましたかな
先行史(前代史書・後漢書)の事です。
過去の資料がかなり現存していたことは、想像できます。
それに、洛陽には生の広辞苑にもなる「生口」も居ることだし
宮廷前NOVAも可能でしょう。
130 :
115ではないが:2007/12/28(金) 22:38:13
>>121 >韓伝のそれは単に、鉄に関して倭が関与していたと言う記事でしょ
濊人は弁辰に北接するので鉄をとる為に弁辰に簡単に入り込めるでしょう。
しかし多数の倭人が鉄をとる為だけに九州から渡って来られませんよね。
もし渡って来ても鉄の採掘権は取れないでしょうね。
元々弁辰に住んでいた多数の倭人の一部が鉄を採掘したのです。
参考知識::韓国で採掘できる原料鉄は水和した水酸化鉄系(酸化鉄ではない)ですから、
製鉄の前工程に人手が多く必要で小人数での採掘は無理です。
現代では生産効率が悪くて原材料に出来ない。
第二次大戦中日本では朝鮮人労働者を使い原料鉄としたようです。
>>130 >濊人は弁辰に北接するので鉄をとる為に弁辰に簡単に入り込めるでしょう。
しかし多数の倭人が鉄をとる為だけに九州から渡って来られませんよね。
私には分かりません。
>もし渡って来ても鉄の採掘権は取れないでしょうね。
採掘権の設定や取得方法をどうこう言える知識を持ち合わせていないので、
当時どのような環境であったか、私には判断できません。
>元々弁辰に住んでいた多数の倭人の一部が鉄を採掘したのです。
そんなに多数、倭人が住んでいたとは知りませんでした
何処で調べれば詳細が掴めますか?
私もまだまだまだ勉強不足のようです。
132 :
123:2007/12/28(金) 23:00:13
プラムさん
126の1と2に対するお答えは、まだですか。
「至官」と「到官」の話に進むのに待ってるんですが。
133 :
115ではないが:2007/12/28(金) 23:17:34
>>130 >そんなに多数、倭人が住んでいたとは知りませんでした
>何処で調べれば詳細が掴めますか?
倭人が水酸化鉄水和物から金属鉄を得るには多人数が必要となる。
その為には弁辰に多数の倭人が居住して倭人社会を形成していなければならない。
鉄採掘だけの為に九州からの倭人渡韓では採掘不可能。
鉄はお金ですから韓濊倭が仲良く共同採掘なんて不可能。
>>126 >1、昔の人も、意識的・無意識的にかかわらず、
用例を引っ張りながら漢籍を読んだことは、納得しましたか。
一番最初の漢籍はどうしますか?
2、そもそも、あなたの信奉する言語虫理論というものも、
口伝承や古地名などの用例から、言葉の法則を割り出したものでしょう。
そして、それを記紀などに当てはめて検証したのでしょう。
同じ手法のはずなのに、なぜ、そんなに漢籍の用例検証は認めないの。
別に認めないわけじゃないよ
目の前の文字が分からないのに、用例の文字は理解できるのかという単純な疑問から
>>133 >倭人が水酸化鉄水和物から金属鉄を得るには多人数が必要となる。
その為には弁辰に多数の倭人が居住して倭人社会を形成していなければならない。
別に倭人が多数居なくても鉄は採れるでしょう
>鉄採掘だけの為に九州からの倭人渡韓では採掘不可能。
どうしてそのような判断になるか意味不明です。
>鉄はお金ですから韓濊倭が仲良く共同採掘なんて不可能。
「韓濊倭皆従」 何処に従ったのでしょうか?
136 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 00:38:16
>>134 >一番最初の漢籍はどうしますか?
その質問は、詭弁ですよ。w
なぜなら、三国志が編纂された時点で、既に多数の漢籍が存在したからです。
陳寿は、先行漢籍を読みながら育ち、その言語用法の影響の下に三国志を編纂した。
陳寿に続く読者も、同じ教養に立脚し、同じ言語用法を共有することで、三国志を読解できた。
これを認めますかどうですか、という質問です。
それを、意識的にやれば、皆が一般にやる用例を引くという行為になるのです。
一つずついきましょう。どうですか、これを認めますか。
付録
最初の漢籍は用例を参照できないじゃないかというのは、
倭人伝読解とは、全く関係ない的外れな質問です。
でも、せっかくですのでお答えします。
初め、書物は存在しませんでした。すべて、師匠から弟子へと口伝でした。
木簡などの書写道具が普及してから、弟子が聞いたことを、木簡に書き付けるようになりました。
だから、最初の漢籍は、意味が不明瞭なところは、直接師匠に尋ねれば良かったのです。
師匠がデータベースであり、参照すべき用例は、その都度、師匠の記憶から引き出されたのです。
そういう事ですから、最初の漢籍も、用例を踏まえて、書かれ読まれた訳です。
>>136 >陳寿に続く読者も、同じ教養に立脚し、同じ言語用法を共有することで、三国志を読解できた。
これを認めますかどうですか、という質問です。
私も同意見です。
>それを、意識的にやれば、皆が一般にやる用例を引くという行為になるのです。
一つずついきましょう。どうですか、これを認めますか。
それはどうでしょう? 私は、用例を引く前に文字の字意を把握していたと考えますから、 字意は字義ではありません。 簡単に言えば、文字のルールです。
意味は文章(文脈)によってさまざまに変化しますが、決して変化することのないその根本が字意であり 、その字意の範囲で意味は変化すると考えているからです。
私が以前から述べている「一字一意」です。
例えば
「至」 の字意は (限定された範囲)
「可」 の字意は (範囲を把握する)
古代の列島に住む私たちの先人は、「至」の字意が(範囲)であることを認識していたから
和語「(いた)ラ行」をあてたと、考えています。
つまり
「至」の和語での意は(いた)ラ行 と、言うことです。 古代漢人達は タダ用例を引いたのではなく、漢字の意を把握した前提で用例を引いているという考えです。
漢字本来の姿を知らずに用例を引く行為とは全く違う行為だということです。
138 :
123:2007/12/29(土) 03:37:12
>>137 最初に、言っておくべきでしたが、私は、プラムさんを引っ掛けようとか困らせようという気持ちは全くありません。
どん来いの方で「至官」「到官」が中途半端だったので、改めて、用例を用いて説明しようと考えております。
しかし、プラムさんが、用例に意味が無いと考えていれば、私がいくら説明しても無意味です。
そこで、まず用例調べが有効か無効かについて、共通認識を形成してから、
「至官」「到官」の問題に進もうというわけです。
そのために、水掛け論になっては仕方ないので、一つずつ、問題をほぐして確認を積み重ねましょう。
スレ主さんも、少しの間、場所をお貸しください。
さて、
>字意は字義ではありません。 簡単に言えば、文字のルールです。
これは、私も同意します。
漢字には、字義以前の、核となる一つのイメージがあると考えています。
プラムさんの言葉を借りれば、字意ですね。
さまざまな場面で、そのイメージがバリエーションを持つことで、
一つの漢字に複数の字義が生まれるのだと考えています。
しかし、
>用例を引く前に文字の字意を把握していたと考えます
これは、どうでしょう。賛成できません。
1、字意を把握するのに用例は必要ないでしょうか。
もし、漢文の語法全てを支配するほどに、字意の影響が強いのなら、
必ず、他の漢文もそのルールに従っているはずです。
用例を集めて検証すれば、字意がよりはっきりと明確に把握できるはずです。
このような有用性を無視して、用例調べを後回しにしてよいのでしょうか。
つづく
139 :
123:2007/12/29(土) 03:39:25
2、あなたは、白川静のように、象形文字の成り立ちを研究しているのではないでしょう。
倭人伝という漢文を読解しようとしているのでしょう。
字意を把握することが、倭人伝読解に直接役立つというには、
字意が語法のルールを支配するという前提が必要です。
なぜなら、語法のルールが字意に縛られなければ、字意をいくら考えても、
別のルールで書かれている文章の意味は読み取れないからです。
ならば、字意が語法のルールを支配しているということは、どうやって証明されるのでしょう。
結局、用例の中に、字意が語法のルールを支配している実例を見つけるしかないでしょう。
さて、字意を把握した結果、用例を集めて検証してみた。
すると字意に反する用例がたくさん出てきたらどうしますか。
可能性は二つあります。
イ、その字意が間違っている。
ロ、字意に縛られない語法ルールが存在する。
このどちらか、または、両方が原因になります。
この場合、字意把握の努力は、漢文読解の役に立ちません。
そのような危険を冒して、用例調べを後回しにして良いのでしょうか。
結論です。
1、字意を把握するために用例調べは必要。
2、字意の把握が、漢文読解に有効であるために用例調べは必要。
もう遅いので、今日はこれでおしまいです。
>>138さん
>プラムさんが、用例に意味が無いと考えていれば、私がいくら説明しても無意味です
用例に意味が無いと言っているのではなく
目の前にあるものが分からないのに、用例を引くことの無意味さを述べているのです。
私も辞書を使用しますから、用例そのものを引用しているのと一緒です。
辞書は用例の集大成みたいなもんですから(笑)
でも、その集大成の辞書を活用したくても、結局文字が分からなければ、辞書すらも活用できないということです。
>>139さん
>あなたは、白川静のように、象形文字の成り立ちを研究しているのではないでしょう
やってることはそれに近づきあるかも(自分では意識していませんが)
でも、いま目にする漢字は象形から離れ別の次元での漢字と考えています。だから、象形の名残はあってもその内容は別物
>字意が語法のルールを支配するという前提が必要です。
なぜなら、語法のルールが字意に縛られなければ、字意をいくら考えても、
別のルールで書かれている文章の意味は読み取れないからです。
ならば、字意が語法のルールを支配しているということは、どうやって証明されるのでしょう。
それが私が一番興味のある「言意」です。
「言意」には語法も文字も存在しない、まったくサラ状態にポツンで、そこから文字は始まります。
順番的には文字は言語の文章の後になりますが、
でも、これを話始めたらまったく倭人伝とはかけ離れてしまいますからやめましょう。
>>138-139さんに共通した一つの質問をしたいのですが
「至」と言う文字に、和語表記(いた)ラ行を日本では充てていますが
どうして
(あた-る)(うた-る)(えた-る)(おた-る)じゃなくて(イタ-ル)なのか
考えたことはありますか?
そういう考え方が私の原点にあるため、皆さんと意見が必ず食い違う原因でしょう。
143 :
115ではないが:2007/12/29(土) 17:09:55
>>135 >「韓濊倭皆従」 何処に従ったのでしょうか?
「國出鐵韓濊倭皆從取之諸市買皆用鐵如中國用錢又以供給二郡」
この時点では、韓人濊人倭人は魏に従ったのです。
魏は韓地を従属させることにより、韓地が魏従属となる以前から銭として使っていた鉄を巻上げ、
帯方郡と楽浪郡へ送らせたたのです。
「諸市買皆用鐵如中國用錢」は、魏が半島南部へ勢力を及ばせる前から、
韓濊倭が鉄採掘をしていた事を示しています。
144 :
115ではないが:2007/12/29(土) 18:31:31
>>135 状況説明追加
韓濊倭が魏に従うような安定した情勢ではなかったことがあります。
魏の指導で韓濊倭による鉄採掘体制ができる状況ではなかったのです。
「部從事呉林以樂浪本統韓國分割辰韓八國以與樂浪吏譯轉有異同臣智激韓忿
攻帶方郡崎離營時太守弓遵樂浪太守劉茂興兵伐之遵戰死二郡遂滅韓」韓伝
(弓)遵が戦死したのは、正始7〜8年頃になります。
145 :
123:2007/12/29(土) 22:50:38
>>140 >目の前にあるものが分からないのに、用例を引くことの無意味さを述べているのです。
目の前の文字がわかる。それは、何故でしょう。
それは、別のところで、その文字を見て、その意味・用法ルールを人に教わったからです。
子供が言葉を覚えるプロセスですね。
つまり、言語用法のルールは、用例を示され、教えられることによって習得されるのです。
一つの文章や、一文字を穴の開くほど睨んでいたら、
知らなかった言語をいきなり操れるようになる事はありません。
ここまでは、同意でいいでしょうか。
146 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 00:08:46
>>145 >つまり、言語用法のルールは、用例を示され、教えられることによって習得されるのです。
現在まで言語や文字が伝承されていることが何よりの証拠ですから
>>143-144さん 乙です
大変勉強になります。
しかし
その内容と倭人の地域社会とは関係ないと考えますが
149 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 01:11:05
>>147 145に関しては、合意が確認されたと考えて、先に進みます。
もし合意していなければ、いつでも仰ってください。そこまで、立ち戻ります。
さて、現代人が、いま生活に使っている言語なら、
「この言葉は、こういう場合にこういう風に使うんだ」
と親が子に教えることができます。
しかし漢文は、現に生活に使用している人が居ないので、
子が親に言葉を教わるようなわけにはいきません。
では、どうするか。
ビルの屋上から、駅前を見下ろすとしましょう。
一人一人の人間の動きは、予測する事はできません。
でも、千人、万人単位だと、人の流れがわかります。
用例調べも、同じことです。
一文では、見えにくい用法ルールが、
たくさん集まることで、はっきり見えてくるのです。
この部分は、どうでしょう。多分、異論が出てくるのでしょうね。
150 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/12/30(日) 02:37:54
>>197さん
一人一人目的を持つ個人でありますから
当然その流れを知る事は不可能です。
これは万人が集まろうとも同じ事です。
先ずここでは
万人がいる場所の設定がされていません。見渡す限り何の変化もない場所にその設定を求めるのか、それとも一本道の一方通行に設定するのとは 答の方向性が全く違いますから
>>150 >一人一人目的を持つ個人でありますから
>当然その流れを知る事は不可能です。
>これは万人が集まろうとも同じ事です。
それでは、私とプラムさんは、日本語を使用してコミュニケーションすることが不可能だといっていることと同じです。
万人が、好き勝手な音を喚き、形を書き、お互いが何を意味しているか理解しあえない状態です。
ところが、私とプラムさんは、日本語を使って、お互いに考えたことを理解しあうことが出来ます。
それは、日本語というルールに従うからです。日本語というルールに従いさえすれば、
あったこともない、顔も名前もしらない人とコミュニケーションできるのです。
そのルールは、大勢の人の共通認識によって形成されているのです。
大勢の、言葉の使い方を見ていけば、言葉のルールがわかるのです。
電車に乗り降りするためには駅に行かなければいけないというルールに従うから、
駅へ向い、駅から出て行くという人の流れが出来ます。
通勤・帰宅時にそれがはっきりするように、人数が多い方が良く解ります。
そして、人の流れをたどると、自然に駅に着き、ああ駅はここだったのかと知ることができたりもします。
一人一人は、途中の店に寄ったり、立ち止まったりします。
それは、言葉の個人差みたいなものです。
言葉遣いには、個人差・地域差・時代差がありますが、日本語のルールは、ずっと受け継がれております。
万人がいる場所は、設定されているのです。それは、人々が使う同じ言語という場所です。
そこは、何の変化も無い場所ではありません。語法というルールがあります。
それに従うからこそ、私たちはお互いにコミュニケーションできるのです。
これは、理解できましたか。
しかし、今日は遅くなりすぎました。今日のところは終わりにしましょう。
>>151さん
>万人がいる場所は、設定されているのです。それは、人々が使う同じ言語という場所です。
そこは、何の変化も無い場所ではありません。語法というルールがあります。
それに従うからこそ、私たちはお互いにコミュニケーションできるのです。
で、貴方の申される語法・ルールとは?
>電車に乗り降りするためには駅に行かなければいけないというルールに従うから、
駅へ向い、駅から出て行くという人の流れが出来ます。
通勤・帰宅時にそれがはっきりするように、人数が多い方が良く解ります。
そして、人の流れをたどると、自然に駅に着き、ああ駅はここだったのかと知ることができたりもします。
一人一人は、途中の店に寄ったり、立ち止まったりします。
それは、言葉の個人差みたいなものです。
言葉遣いには、個人差・地域差・時代差がありますが、日本語のルールは、ずっと受け継がれております
電車を乗り降りし駅に行くというルールの前に、電車に乗る人・駅に向かう人は
それぞれ電車や駅の認識が必要となります。電車・駅の認識があり始めてそれらを活用するルールに従えるわけではないのでしょうか?
私達の伝承される知識は、
乗り物の存在を教わり、その乗り物はある場所にて利用する事を知ったり、教わったります。
そして同時にその施設が、「駅」と言う名称である事も知ります。
でも そこまでです。
何故そこは「駅」と言う文字を充てたり、「えき」と言う音で表現されるのか?
>>152 今日は、遅くなってしまった。
>で、貴方の申される語法・ルールとは?
プラムさんは、漢文に語法のルールは無いと仰いますか?
>それぞれ電車や駅の認識が必要となります。
>電車・駅の認識があり始めてそれらを活用するルールに従えるわけではないのでしょうか?
そうですね。漢文読んでも、一文字もわからない。ちんぷんかんぷん、という人は、
いわば、電車・駅の認識が無いひとですね。そんな人の事は、問題にしていません。
すくなくとも、邪馬台国の問題を論じようとする人で、漢文がちんぷんかんぷんということはないでしょう。
プラムさんへの質問
1、プラムさんは、漢文に語法のルールが有るということを認めていますか。
語法ルールが存在するなら
2、字意を把握することが、倭人伝読解に直接役立つというには、
字意が語法のルールを支配するという前提が必要だと認めますか。
3、字意は字そのものの研究からしか理解できないと考えているのか。
文章から字意を知る事はできない、
つまり、用例に字意は反映しないと考えているのか。
いまのところ、この三つについて意見を伺いたいと思います。
>>155さん
>1、プラムさんは、漢文に語法のルールが有るということを認めていますか。
会話音を忠実に反映する文には、ルールがなければ万人が共用することが不可能ですから
>語法ルールが存在するなら
2、字意を把握することが、倭人伝読解に直接役立つというには、
字意が語法のルールを支配するという前提が必要だと認めますか。
不規則な文字の羅列でないかぎり、必ずなんらかのルールは存在するのではないでしょうか
>3、字意は字そのものの研究からしか理解できないと考えているのか。
文章から字意を知る事はできない、
つまり、用例に字意は反映しないと考えているのか。
そんなことはありません
現代の私たちが頼るものは古代から数多く残る用例が手がかりになることが多数ありますから
辞書を活用すること=既に用例を使用し、参考にしていますから。
こんなものでよろしいでしょうか?
今年もあとわずかになりました。
もしこの問答が続くのであるなら、来年も引き続き宜しくお願いいたします。
少し早いかもしれませんが、
よいお年を
157 :
123:2007/12/31(月) 16:30:09
>>156 >不規則な文字の羅列でないかぎり、必ずなんらかのルールは存在するのではないでしょうか
これは、1の質問に対する答えです。2の質問の主旨は、
語法のルールは、必ず字意に支配されるのか。
それとも、文字が作られた時点での字意から逸脱した語法のルールが、後世発生しうると考えるか。
ということです。
3については、ちょっと意外なお答えでした。
「目の前の文字が分からないのに、用例の文字は理解できるのか」
と仰るから、用例は否定して、字意は文字からと考えているのかと思ってました。
しかし、ならば、なぜ、目の前の文字が解らなければ、他の用例は理解できないと決め付けるのでしょう。
なぜ倭人伝読解に、多くの用例を引いて参考にした結論を受け入れないのでしょうか。
とまあ、年内は、こんなところです。
せっかく大晦日ですし、三が日くらいは小難しいことは抜きにしてお休みしましょう。
お答えは、また正月あけということで。
しかし、「到官」「至官」の解明を目指して始めた議論ですが、結構面倒ですね。
コテハンで常駐している人って、いろんな人から声が掛かるから、
こんな面倒な思いをずっとしているのかと、あらためて思いました。
なんか、大変ですね。レスしないと、逃げたとか言われるし。
やはり、無コテで気が向いたときにレスというのは、気楽でいいです。
>>157さん 新年おめでとうございます。
>語法のルールは、必ず字意に支配されるのか。 それとも、文字が作られた時点での字意から逸脱した語法のルールが、後世発生しうると考えるか。 ということです。
⇒言語による語りそのものを文章にて表現する場合は、その語法のルールにしたがい その文章に最良なる文字をあて、文章構成すると考えます。
漢字は表意文字、
表意である以上その語法は、我々が日常使用し表意性という性質とは異なる和語とは、一線を引かねば成らないとも考えます。
>なぜ倭人伝読解に、多くの用例を引いて参考にした結論を受け入れないのでしょうか。
⇒それは 文字の本質である字意を把握せず、用例を引用したところでそれは結局のところ「意味」を探り当てる行為
意味はその文脈によって味のつけられたもの 、本来あるべき漢字の本質から若干拡大された解釈です。
本質は、どのような文章に組み込まれても決してその根本の意を損なわず、根底に流れるものです。
その根底があるから、文字を文章に的確に使用できるのです。 文章に同じ顔は二つとありません。似たような文章でもその目的とする内容は異なるモノで、正確に導き出せるものではありません。
意味はどこまで行っても意味でしかありませんし、その文章にのみに効果するもの
他の文章にその意味を使用しても、それはどこまでも似たようなそっくりさん。表意文字であるからこその特殊性と考えます。
>コテハンで常駐している人って、いろんな人から声が掛かるから、 こんな面倒な思いをずっとしているのかと、あらためて思いました。
なんか、大変ですね。レスしないと、逃げたとか言われるし。 やはり、無コテで気が向いたときにレスというのは、気楽でいいです。
⇒私はデビューした時からずっとコテ付けています。 もし名無しだったら今頃ここにはいないと思うし、今こうしてこんな議論もなかったことでしょう。
晒すことにより集中攻撃は必至、それがほどよく自己啓発にもなりました。
ちょっと前までは『チラシの裏認定プラム』でしたから(今でもそうかも)
159 :
123:2008/01/06(日) 17:04:38
プラムさん。あけましておめでとうございます。今年も、小話にお付き合いください。
さて、問題は、今のところ二つ。
1、字意が存在するならば、それは、語法のルールを支配するかどうか。
2、その字の字意をどうやって知るか。
1、について
>言語による語りそのものを文章にて表現する場合は、その語法のルールにしたがい
>その文章に最良なる文字をあて、文章構成すると考えます。
これでは、国会答弁のようで、はっきりわかりません。
漢文に、字意から離れた語法のルールがあると考えるか。それとも、全てのルールは、字意に支配されると考えているのか。
プラムさんのお考えがわかるように、もう一度お願いします。
それから、漢文の話をしているので、和語は関係ありません。漢文が書かれる時の語法のルールです。
ついでですが、文章は、語りそのものではありません。
日本でも言文一致運動があり、中国でも白話運動があったように、文語文と口語は同じではありません。
つづく
つづき
2、について
>文字の本質である字意を把握せず、用例を引用したところでそれは結局のところ「意味」を探り当てる行為
あなたの意見は矛盾しているように思われます。
どのような文章に組み込まれても、決して損なわれない根本である字意と、
文脈によって味付けされる意味の二つがある。それが、あなたの主張だと理解しました。
ならば、どんな用例を持ってきても、根本は損なわれていないはず。
全ての用例に、字意は等しく含まれているはず。一方、意味が文脈によって味付けされるなら、意味は文毎に違うはず。
当然、たくさんの文を比較すれば、文毎に違う意味に出会う。
文毎に違う意味を排除して、残った共通する部分を抽出すれば、
まさにあなたの求める根底に流れるものを得られるのではないですか。
文章は、それぞれが一回きりの特殊なものだというのが、あなたの主張です。
ならば、倭人伝という特例一つだけで、普遍的な根本をどうやって見つけ出そうというのでしょうか。
どうやって、文脈に味付けされた意味と根本の意を区別できるのでしょうか。
用例を見ても「意味」しか解らないという理由をお願いします。(質問2-1)
それから、用例を見て解らないなら、倭人伝を見ても解らないはずですが。
用例は解らないのに、倭人伝という特例一つだけでで根本に到達できるとする
その方法論をお教えください。(質問2-1)
※今後、議論しやすいように、159の質問は、質問1とさせて頂きます。
では、よろしくお願いします。
×用例は解らないのに、倭人伝という特例一つだけでで根本に到達できるとする
その方法論をお教えください。(質問2-1)
これは、(質問2-2)でした。失礼しました。
>>159さん
おめでとうございます
こちらこそ退屈な話に耳を傾けてもらい、感謝しています。
さっそくですが
>>159の1、字意が存在するならば、それは、語法のルールを支配するかどうか。
2、その字の字意をどうやって知るか。
の、質問ですが
1、は取り敢えず保留と言う形にしてもらえませんでしょうか?この説明は一番最終段階の話となりますから
2、これを知り納得するには、先ず文字以前の言意について理解してもらわなければなりません。
音一つ一つには、単純な意が存在するということ(一音一意)
意思伝達手段の初期方法である言語、その音の根源である母音には母音の、そこから生まれた子音には子音の意が存在し、その子音と母音が組み合わさり多様な音が存在するということです。
その音の仕組み(意)を形として表現したものが『漢字』なのです。漢字が表意文字と言われる所謂
つまり漢字は記号の組み合わせ、言意のような単純な意が一つ一つの記号とし、その組み合わせが今見ることの出来る漢字なのです。
(山 と言う文字は、小学校のとき習った象形の意味ではないということです)
時間の経過と共に物事が多様化し、象形では補いきれなくなった時から文字は変化し、今のような記号化文字の形に
字意把握の原点は、言意の把握からです。
世界中の言語の中で単純かつ原始的な言語である和語は、言意を知りうる最も簡単な実例方法です。
>>159さん
>>160についてお答えします。
>どんな用例を持ってきても、根本は損なわれていないはず。
全ての用例に、字意は等しく含まれているはず。一方、意味が文脈によって味付けされるなら、意味は文毎に違うはず。
当然、たくさんの文を比較すれば、文毎に違う意味に出会う。
文毎に違う意味を排除して、残った共通する部分を抽出すれば、
まさにあなたの求める根底に流れるものを得られるのではないですか。
はいその通りです。字意の存在認識があればという条件付ですが
でもそんなめんどくさい事をしなくても、漢字には先人たちが付けてくれた(訓)があります。
『訓』全てが、漢字の『字意』全てを補足しているとは言いませんが、概ね把握できます。
例えば「至」の訓は(いた)-ラ行
「至」の字意(限定された範囲)は、和語訓「いた」(限定された範囲)で十分表現されているということです。
「可」の字意(範囲の把握)は、和語訓「ばか-り」で十分表現されているということです。
>>159 さん
私もまだ習い始めて3年弱だから、余り大きな事は言えませんが
古代史を知る早道は「先ず言意の把握からです」
文字はその後でも十分
根本的な事を学ばないで、いきなり古漢文は正直無理です。だから当の中国人ですら
日本人が日本書紀や万葉集をまともに読めないように、古漢文を読めないのです
「・・・南與倭接」の一般的読み下しは確か?(韓の南は倭と接す)でしたか?
私から言わせれば「馬鹿な事言ってんじゃないよ」です。
「・・・南與倭接」=與し韓の南も海、隣りは倭(隣接) これが正しい意訳です。
165 :
123:2008/01/09(水) 08:14:36
なかなかレスできずにすみません。
議論の方は、だんだん、核心に迫ってきたような気がします。
>1、は取り敢えず保留と言う形にしてもらえませんでしょうか?
では、いずれお願いするとして、先に、私の考えを書いておきます。
例えば「目」という漢字は、名詞・動詞・形容詞などに使用されます。
その字が、文の中でどういう働きを担うか、動詞なのか名詞なのか、主語なのか目的語なのかは、
意味の核(あなたの言う字意なのだろう)を知るだけでは、わかりません。
なぜなら、漢文における漢字の働きは、文中の位置関係によって決まるからです。
文中のどの位置に置くか、どの文字と組み合わせるかで働きが決まり、特定の意味が生じます。
それが語法のルールであり、これは、字意を考えているだけでは解りっこありません。
つまり、字意をいくら考えても、語法のルールを知らなければ、文章は正確には読めないのです。
上の方で、プラムさんは、
>○至 であろうが 至○ であろうが(範囲)の字意は変わらない
と言っていましたね。字意が、単漢字が内包する意味の核であるなら、それはそうです。
働きは変わっても、根本は変わりません。
しかし、文章を読解するという場面では、○至と至○では、至と○の関係は全く違うのです。
初心者がよく犯す間違いで、このことが解らない限り、漢文は読めるようになりません。
つづく
>世界中の言語の中で単純かつ原始的な言語である和語は、言意を知りうる最も簡単な実例方法です。
>でもそんなめんどくさい事をしなくても、漢字には先人たちが付けてくれた(訓)があります。
整理すれば、和語を調べることで知った言意なるものを、和訓を介して漢字にあてはめ、漢字の字意を探る。
その字意を漢文に当てはめて、文章を解釈しようとするということでしょう。
和訓で漢字の字意が解ると信じる当否は、あえて議論しません。
その上で、欠点を指摘します。
この方法では、漢字に働きが生じ、意味が確定する前の、字意の部分にしか考察が届きません。
プラムさんが意訳という言葉を連発する原因です。
働きと意味が確定する以前の字意しか扱えないから、逐語訳ができるはずがありません。
「目」一字が、ぽつんと書かれているとき、そこには、意味の核(字意)があるだけで、意味はわかりません。
日本語で「め」を意味する名詞なのか、「もくす」と訓じる動詞なのか。
そういう働きは、他の文字と組み合わさったときに、初めて生じます。
字意のみに拘るプラムさんの方法論は、ぽつんと書かれた単漢字の集まりとして、漢文を解釈するのと同じです。
本来、文中の位置関係によって決定されている動詞や名詞などという働きが曖昧なまま、
その都度、解釈したい様に適当に振り分けるのですから、意訳にしかならないのは当然です。
>「・・・南與倭接」=與し韓の南も海、隣りは倭(隣接) これが正しい意訳です。
正しい意訳というのも、変な日本語ですが、なぜそうなるのか、解説をお願いしましょう。
久しぶりに、あちらの掲示板を覗いたとき、翰苑の話が出てました。
あれの割注に、「魏略曰、従帯方至倭・・・」とありますが、それでも認めないのでしょうね。
ついでに「郡至倭」の「至」の働きは何ですか。字意ではなく意味は何ですか。
167 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2008/01/09(水) 12:47:52
>>166 返レスはお好きな時にでも
『郡至倭』
これだけで一つの文章です。
(私なりの考えですが、必要最小限文字数で構成された)
そして“至”の意味は(広さ、大きさ、概要)そんな所ですね
“至”単独で意味はありません(名詞を除き、単独では意味を成さない漢字は多い)
“至”一文字だけでは「限定された範囲」と言う字意が存在するだけです。
『郡至倭』→郡を基とし、倭の「至」は
あと、
翰苑ですが
影印の拡大版手元にあります。
機会があったらレスしたいと思いますが
倭人伝の
『…從郡至倭…』
翰苑の
『從郡至倭…』
は、同じではありません。文字の列びが同じだけです。
>>166さん
そこに“目”がポツンと一字あったら
それは文ではなく文字です。意味は名詞である「顔に付いてる(め)」、後は字本来の意 だけ
決して「もく」す
と、言う意味にはなりません。
「もく‐す」の意味になるには、必ず「〜を“もくす”」というように
必ず前文(〜を)が付属します。
169 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 22:39:31
>>168 それが、まさに語法のルールなんです。
>必ず前文(〜を)が付属します。
漢文でも、「もく‐す」の意味になるためには、ペアになる漢字あるいは句が必要なのです。
しかも、プラムさんは「前文」と言ってますね。なぜ、前文なのでしょう。
それは、日本語のルールでは、(〜を)は動詞の前に置くことになっているからです。
漢文では、(〜を)にあたる漢字・句は、動詞の後に置くというのがルールです。
この位置関係が違うと、「目」は「もく-す」になれないのです。
さて、「目」一字の意味を、名詞である「顔に付いてる(め)」と判断するのは、
実は、読む者の意識なんです。
「もく-す」になるためのペアになる漢字・句がない。
単独である場合、名詞とするのが一番安定する。
そういう意識が、「目」の働きを名詞であると限定したとき、
「目」という漢字に「顔に付いている(め)」という意味が生じます。
無意識の内に語法のルールに従って、漢字の働きを定め、意味を認識しているのです。
その証拠に、文脈によっては、一字で動詞となっても不思議ではありません。
(多くの場合、ペアになる漢字・句が省略されて一字となります)
漢文には、英語のように、名詞化・動詞化・形容詞化のような語形の変化がありません。
日本語のような助詞もありません。すべて位置関係による語法のルールに従って、
読む者の意識が漢字の働きを決定し意味を認識するのです。
だから、どれほど単漢字の字意を考えつくしても、語法のルールを無視する限り、
漢文を正しく読解する事はできないのです。
170 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2008/01/11(金) 00:24:34
>>169さん
一つだけ除けば、貴方の申す事に同意です。
目が(顔に付いてる目)なら意味ですが
目が(め)であるときは意味ではありません。これは言意であり、漢字“目”の根本である字意を(め)という言意で表現しています。
他に“め”と表現されてるモノに「芽、女……」があります。
私は決して語法を無視しているわけではありません。それだけは
誤解なさらないで下さい。お願い申し上げますm(__)m
171 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 01:20:46
>私は決して語法を無視しているわけではありません。
私も、字意と語法は、車の両輪だと思います。
ところで、私は、言語虫さんの理論は、非常にユニークで興味深いと思っています。
以前に、言霊解釈にそっくりだと書いたことを覚えておられるでしょうか。
これは、ある種批判ではあるけれど、期待も込めていたのです。
これまで、神道という宗教やオカルトの分野でしか語られなかった言霊解釈を、
もし言語学という学問のベースに載せて分析できれば、これは画期的なことです。
言語学の歴史が一変します。
言語虫理論には、そういう可能性があるのではないかと期待を持っています。
しかし、今のところ、それはまだ可能性でしかありません。その理由は以下のとおりです。
言語虫説を倭人伝に応用したものをみると、
漢文の基礎を知らないために、初心者的な誤りを犯しています。
にもかかわらず、それを従来学説の誤りだとしてしまっています。
一人で研究している在野の人に、ままあることなのですが、
初歩の一部がスポンと抜けていると、誤りを犯しますし、
第三者の批判にさらされることが少ないと、独善的にもなります。
私は、言語学の素人なので言語学説そのものは評価は出来ませんが、
倭人伝読解の姿勢から類推すると、失礼ながら、
言語学でも同じような間違いを犯している可能性は否定できません。
同一人物のやっていることですから。
期待する部分があるだけに、惜しいなあと思います。
プラムさんが、これから言語虫説を学ぶとき、
言語虫説を越えてプラム学説を打ち立てるくらいの気概で、
良いところを吸収しつつも、本当に正しいのかという視点を
一部持ちながらやられてはいかがでしょうか。
そして、いつか言霊解釈を言語学の領域で科学的に解明してくれたらなと思います。
そうしたら、私はその本を絶対買いますよ。
いつもながら、長文失礼しました。
>>171さん
陰ながらの応援ありがとうございます。
>言語学の歴史が一変
今手掛けている万葉集解析が一段落つき、出版に至ればかなり環境も変わるでしょう。
仙覚さんの読み下しも、徐々に改変されることかと
各方面の教授人達の意見にも、耳を傾けての研究ですので、一在野レベルではなさそうです。
先日、本人に直接お会いし、その研究の一端を直接確認する事が出来ました。
もう
その場だけ限定の言霊ではなく、新しい一つの学問と改め実感した次第です。
誰にも公平に全てに使用でき、大系出来るものです。(当然の条件ですが)
>>171さんも
内部から切り崩してみてはいかがです。
相手の懐に入り、切り崩すのも一考かと……。
173 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 13:22:08
>>172 ドライアイで、どうにも目が痛くてレスが間延びになりますが、ご容赦ください。
言語虫さんは、もう無理だと思っています。
三年弱のプラムさんですら、こんなに信じ込んでいるんだから。
プラムさんは、以前二年くらいと仰っていたので何とかなるかなと思ったのと、
議論するのも面白かったのでレスしております。
でも、言語虫さんのところにわざわざ押しかけて、
間違っているよって教えてあげる気はしません。
人間、五十歳をすぎると自分の殼がかなり出来ます。
出版までしているなら、かなりガチガチでしょう。
そのテマヒマを考えると、とてもやる気がおきません。
第一、せっかく人生を楽しんでいるのに、横槍入れるのは無粋だなあと思います。
その躊躇いは、プラムさんと議論しているときにも常に感じているんですよ。
でも、つい議論を楽しんでしまいます。
>>173さん
ドライアイには気をつけ、用心してください。
私自信、虫理論の半分をマスターするには、後十年程は間違いなく掛かるでしょう。半分マスター出来た時点で、自分の方向性を考えるつもりです。
175 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/01/29(火) 00:06:56
魏志倭人伝に出てくる「女王國」はどの範囲(or地域)の国を指すのでしょうか?
みなさんはどの様に捉えているのでしょうか?
私の見方をとりあえず述べてみましょう。
@『自郡至女王國萬二千餘里』であることから、
帯方郡→女王國が12000余里であることがわかる。
A『自女王國以北其戸數道里可得略載』であることから、
道程を里で示しているのは『東南至奴國百里』と『東行至不彌國百里』
の奴國及び不彌國迄ある。
B帯方郡から奴國及び不彌國までの道程里数の合算合計は12000余里である。
古田説(島半周説・放射説)を支持
C帯方郡からの道程線上から外れている奴國は其餘旁國であるのに何故か記載されている。(放射説に基づく)
D『南至邪馬壹國女王之所都』であることから、
邪馬壹國は女王國ではなく女王都である。
以上により、
女王國は、奴國・不彌國・投馬國・邪馬壹國で構成しているとみなせる。
176 :
サガミハラハラ:2008/03/20(木) 21:29:45
倭人伝の行路上の国々での格差について、各国は平等の立場ではなく歴然とした格差があったのではと考え季刊邪馬台国に投稿してみた。
その1は戸と家の表現である。陳寿が著したほかの東夷伝中の国々をしらべてみると、正式で大きな国には戸を使い小さな国は家を使って表記してある。
夫余は八万戸 高句麗は戸数三万
馬韓諸国のうち大国は万余家、小国は数千家で、総は十余万戸である。
その2は官名で卑奴母離が副官である国は、地位の低い国である。
以上を考慮してみると家で表記され副が卑奴母離である一大国と不弥国は諸国のなかでも特に
地位がひくかったととれる。
また伊都国は王有りとあることからも、倭国では江戸時代の大名が親藩譜代外様とわけられていたように格差があったとみることができる。
魏志倭人伝はデタラメです。まず史料の信憑性を検証する事から始めるべきです。
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178 :
サガミハラハラ:2008/03/23(日) 08:58:44
>>176の件については、結論→邪馬台国は捏造のスレにかきこんであります。
ちと古いですが。
179 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 13:05:47
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
180 :
田の神:2008/04/05(土) 10:22:55
女王国から女王の都である邪馬台国を除くのはまちがいでしょう。
女王国に至るまでは万二千里。伊都国からせいぜい千五百里。しかし、伊都国から邪馬台国までは放射説でも水行十日、陸行一月。
その邪馬台国や旁国21国を書いて「此女王の境界尽きる所」。ここで女王国が終わる。
要するに、女王国というのは邪馬台国やその周辺の旁国が集まった連合国だと考えるべきでしょう。
女王国の始まりまでは万二千里だけど、女王国は広く、終わりはずっと遠いということでしょうね。
181 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 15:55:07
緊急あげ
182 :
日本@名無史さん:2008/05/20(火) 22:14:48
ここもか
183 :
日本@名無史さん:2008/05/24(土) 23:01:25
荒らし きたぞあげ
184 :
サガミハラハラ:2008/06/26(木) 13:47:12
水行十日陸行一月は総日数である。
不弥国まではこまかに距離や経由地方向が書かれているのに、その先は日数の身で、経由地投がかかれていないことがあげられる。
ところで、帯方郡より邪馬台国までの行程のなかで、やはり省略されている箇所がある。
それは、郡よりクヤ韓国まで7千余里の記述である。(経由地は韓国であるが水行中がすべて韓国沿岸と
される)この7千余里については韓国内陸行説がある。
この7千余里について詳細をしるさないのはこれが倭国内でないことによる。
となると水行十日陸行一月についても詳細(上陸地や経由地国風物風俗観光)を記さないのはこの区間が倭国内ではないからということになる。
しかし、そんなことはありえないのであるから、この日数は総日数であるとしかみられないのである。
185 :
日本@名無史さん:2008/07/06(日) 22:03:08
韓国は水行と明記されています。水行十日陸行一月は倭国内の行程だと思いますが。
186 :
日本@名無史さん:2008/07/06(日) 22:16:08
邪馬台国の記述が総日程なら、じゃあ投馬国も郡からの記述なんですか?
だとしたら投馬国は水行二十日ですから韓国内陸行ではありませんよね?
しかし文脈上、投馬国と邪馬台国の記述だけ他と異なるので両者を別けるのは無理がありますよね?
その点をどうお考えですか?
隋国の役人が、「即ち・・」と随書のなかで、ヤマトに関しての
混乱を断定形で正して見解している。
遣隋使の使者や返礼者としてヤマトを訪れた裴(世)清ら一行の報告
をもって、その混乱も解消した。
「即ち魏志に云うところの邪馬臺なり」
(原文=邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也)
この裴(世)清の来日の件は日本書紀では、推古天皇16年の条で大唐
とされている。
日本書記の編者らは隋から唐への革命による政権移行が正しく認識で
きていなかったことは事実である。
これをもって、九州説諸氏はこの条項に反論しているが、ヤマト側に
よる中国(隋や唐)の認識よりも、要は隋国の使者が正しくヤマト側の
ことを伝えていればそれでよいのである。
188 :
サガミハラハラ :2008/08/02(土) 13:31:46
>>185循海岸水行歴韓国乍南乍東到其北岸狗邪韓国とあり、これは、
帯方郡の海岸にしたがって水行し、韓国領内を南にいき東に行きしながら、倭の北岸の狗邪韓国に到達する
ということです。
陳寿は多くの資料をくみあわせて倭人伝をかいています。
不味国以降の記事は、それまでの行路記事とは異なる資料をもってきて記述しているようです。
その原因は邪馬台国の遷都によるものであるとみます。不味国までの記事は、吉野ヶ里に都があった時代の記録であったが、
小城に遷都してからの測量記録はなかったのです。それで陳寿は総日数をつけたようなのです。
投馬国(宮崎県西都市)については、測量されておらず、日数の記録しかなかったのです。
邪馬台国は佐賀県小城甘木です。
卑弥呼の墓は小城公園内の桜ケ岡です。
189 :
日本@名無史さん: