687 :
日本@名無史さん:2010/01/25(月) 12:51:29
江戸時代の武家官位の価格って、
どのくらいの相場なんかな?
4億円や5億円なら当時の庶民には無理(>_<) 今なら出世も
689 :
日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:05:08
5位に授爵するだけでも結構な金額取られたんじゃね?
690 :
日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:16:39
御家人株で1000両が相場だから大名格である従五位下貰うのって一万両以上はしたんじゃないか?
高いな
今の官職は安いの 大臣議員上級公無員に成るには資金量大事なり?
693 :
日本@名無史さん:2010/03/24(水) 00:12:34
ほー
694 :
日本@名無史さん:2010/03/25(木) 21:57:46
将軍以外の武家が官位を貰うときもわざわざ朝廷から使者が来たの?
695 :
日本@名無史さん:2010/03/26(金) 02:54:45
官位を賜りたいのですがどうすればよいのでしょうか
696 :
日本@名無史さん:2010/03/26(金) 03:03:49
>>694 各大名とも官位を賜るときには勅使が来ましたよ
697 :
日本@名無史さん:2010/03/26(金) 17:12:33
>>696 それは初耳です。実例・資料名等をお願いします
釣りだよ。
699 :
日本@名無史さん:2010/03/27(土) 11:13:41
ちなみに江戸時代における一般大名家の叙位任官については
老中から江戸城内において言い渡され、老中奉書が下される。
大名は家臣を京都に派遣して、家臣は裃着用で武家伝奏の屋敷に赴いて
口宣を伝奏から直接受け取る。玄関先で「はい、コレ」って感じの簡単なものではなくて
儀礼化されたものらしい。そして将軍家・幕府高官・京都の幕府役人・禁裏・伝奏
にまで礼物を贈る。
口宣案って公文書じゃないんでしょ? 後で正式な勅旨がでるの?
位記や宣旨も口宣とセットで渡されたそうだ。
703 :
700:2010/03/27(土) 21:22:04
>>700に追加して・・・
四品成り(四位)については家臣が上洛して伝奏から口宣・位記・宣旨を受けたようだが
一般大名の諸大夫成り(五位)は年初に高家が上洛して一括して受け取り
江戸城において下されたようである。
やっぱり 今みたいに天子さまが平民にじかに(間接)会って 手渡すのは身分感覚麻痺 (´〜`;)
あちこちに礼物を贈って、官位を受けるのも大変だな。
醤油の詰め合わせです、ってわけにはいかないだろうし。
706 :
日本@名無史さん:2010/04/17(土) 22:56:30
鎌倉時代〜江戸時代には武士に勲位はありましたか?。
707 :
日本@名無史さん:2010/04/17(土) 23:47:52
ありますよ
708 :
日本@名無史さん:2010/04/17(土) 23:54:59
なるほど。そうでしたか。
あと世界大戦で徴兵された兵士は勲位を賜っていますが(私の曾祖父など)。やはり昭和の武士とみても良いでしょうか?
祖父は陸軍の下士官でした。
祖父や曾祖父は昭和の兵士ですが、武士と見ても良いしょうか?。
平民ですが武士には憧れます。マジレスですので、答えれる範囲で答えてくだされば有り難いです。
普段は百姓で戦の時だけ出かけるから足軽ですな
710 :
日本@名無史さん:2010/04/18(日) 00:13:07
下士官は職業軍人
711 :
日本@名無史さん:2010/04/18(日) 00:22:20
なるほど足軽ですか、一応は卒族(兵卒)の下級武士という事ですな。
伍長などの下士官も下級武士でしょう。
士官・・・旗本
下士官・・御家人
兵・・・・中間・足軽など
713 :
日本@名無史さん:2010/04/18(日) 13:06:31
旧軍では士官・下士官は正規の官吏(武官)=軍の正規職員なので、位階がもらえる。
一般の兵は官ではなく、義務として徴兵された任期制の臨時雇いなので、位階はもらえない。
ただし、勲章は兵でももらえる。
江戸時代におきかえたら、士官=士分の侍、下士官=徒士、兵=一代限りの足軽ってとこか。
軍属の下っ端のほうが中間などの武家奉公人か。
714 :
日本@名無史さん:2010/04/18(日) 14:03:45
>>706 勲○等のような勲位は、中世・近世には実際に授与されてなかったはず。
荻生徂徠が「政談」の中で公家とは別系統の武家の位の創設を説いた際、
その当時使われていなかった古代の勲位の利用を提案していた。
(荻生徂徠は、武家政権の朝廷からの自立のために、朝廷の位階に代わる
武家独自の位の必要性を説いた)
715 :
日本@名無史さん:2010/04/18(日) 17:18:23
足利義満は贈太上天皇、つまり上皇になっている
716 :
日本@名無史さん:2010/05/02(日) 01:10:29
>>713 士分と言うと徒士も含まれちゃう
士官=侍(騎乗)=幕府旗本・諸藩上士など御目見以上
准士官=幕府与力など(騎乗身分ではないが職務上馬に乗れる)
下士官=徒士(歩行)=幕府御家人・諸藩下士など御目見以下
兵=卒=幕府同心・諸藩足軽など
軍属=中間
というところか
足軽同心は職務から言って伍長勤務上等兵(=兵長)というところ
布衣旗本は六位相当なので官位相当から言えば中少佐程度
諸大夫が大佐程度というところか
717 :
日本@名無史さん:2010/05/02(日) 12:37:44
律令が正常に機能してた頃や、明治憲法の時代は、
位階というのは正規の公務員の職級みたいなもんだから、
誰でも役職にともなった級がある。
ただ、明治憲法の頃は律令由来の位階のほか、
明治以降の官等(こっちが実質的な職級)があったり、
勲等まであったりするから、ややこしい。
明治〜戦前の位階勲等は、一定期間在勤していたら上がっていく、
いわば官吏としての勤続表彰に近い。
>>713 >>716 軍属は「軍人でないが軍の仕事をする者」ってだけで
佐官や尉官あつかいの軍属も少ないながらいたようだけど
あと、知ってるとは思うが
大将は親任官
少将と中将が勅任官
少尉から大佐までが奏任官 少尉で正八位らしい
准尉と下士官は判任官
719 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 00:28:52
>>716だが
兵卒レベルの軍属と書きたかったんだ
軍人の足軽(兵は軍人じゃないが)との対比で軍属の中間みたいな
>>716 その伝で行くと、頭が布衣の先手組は大隊、
頭が諸大夫役の五番組は連隊と言うことに
なるのか。なんか良い感じだな。
721 :
日本@名無史さん:2010/05/07(金) 15:54:41
連隊長級(諸大夫役)=大番頭、両番頭
大隊長級(布衣役)=新番頭、小十人頭、両番組頭、旗・鑓奉行、鉄砲百人組頭、持(弓・筒)頭、先手(弓・筒)頭、使番、定火消役、徒頭、船手頭、鉄砲方
中隊長級=大番組頭、新番組頭、小十人組頭
中隊附・小隊長級=大番衆、両番衆、新番衆、小十人衆、徒組頭
こうか
722 :
日本@名無史さん:2010/05/07(金) 18:23:25
そもそも江戸幕府の組織は、戦国大名としての三河松平家の軍団が発展したものだから、
旗本・御家人の職制は軍事組織としてみるべきなんだよな。
江戸時代、有力譜代大名は○○守が少ないのはなぜ?
四天王家を始め、大老を出した酒井のもう一系統も違う。
土井も違う。
単なる偶然。
人気は国守だった。
725 :
日本@名無史さん:2010/07/18(日) 10:18:05
家康・秀頼が、次いで秀頼・秀忠が右大臣と内大臣を占めていた時期は、
公家の就けるポストが二つ減ったということなの?
公卿補任ぐらい確認しろよ
秀吉が死んだときの最高官位の持ち主は家康の内大臣
左右大臣すらいないというのはかなりの非常事態
728 :
日本@名無史さん:2010/07/18(日) 13:38:09
>>727 こういった状況を敏感に反応したのが家康。
逸早く公家と通じて関白を九条にさせたりと
豊家より一歩先んじていた。
729 :
日本@名無史さん:2010/07/18(日) 19:23:08
武家の官位は別と言うが大臣職は別じゃないのね
江戸時代になってからはそうだけどね
秀吉全盛期は清華家ですら影が薄い
秀吉は公家も結構優遇してたけどね
家康は禁中並公家諸法度で封じ込めたからな。
734 :
日本@名無史さん:2010/07/31(土) 12:38:40
735 :
日本@名無史さん:2010/07/31(土) 19:56:09
鎮守府将軍になって胆沢の小沢一郎を討伐したい
>>1 豊臣秀吉って、いわゆる「戦国武将」ではあるけど、「豊臣」は家格としては「武家」というより
摂家の養子という形式で関白職に就いたものだから「公家」と呼ぶべきでは?