直臣の世界  交代寄合巻三

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1
 交代寄合は大名と旗本の中間に位置しますから、論題を広げ、直臣一般の比較検討を試み、以て近世武家の本質に迫りましょう。
 従前の不毛を克服する為、正字正仮名推奨。罵倒禁止。
 右曲事たる可き旨、急度申渡候。
 では、どうぞ。
2日本@名無史さん:2007/09/27(木) 11:55:48
蔵米取りの武家は近世的(官僚的)だが 知行地を自ら支配する
交代寄合は中世的だな。
3日本@名無史さん:2007/09/27(木) 15:39:13
蔵米取りは、大名の家臣等では一般的だが、直参であれば数百石程度の旗本であっても
知行地をあてがわれて自ら代官などを送り込むなどして年貢等を徴収していた。
交代寄合だけが特殊というわけではないようだ。
4日本@名無史さん:2007/09/27(木) 16:24:21
交代寄合は知行地に陣屋を構えて、参勤交代をしていた。
最上家 山名家 生駒家等が有名であり、中世以来の名家で家格は諸侯並み。

それと直参旗本で自ら代官を送り込んでいた者は少数。
江戸期を通じて幕府の郡代が代行するケースが多くなった。
5日本@名無史さん:2007/09/27(木) 17:35:39
>それと直参旗本で自ら代官を送り込んでいた者は少数。
>江戸期を通じて幕府の郡代が代行するケースが多くなった。

できればソースを示してくれ。

江戸時代後期から幕末にかけての畿内近国についてざっと情報を集めた限りでは、大身旗本は確実に
陣屋(代官所)を構え、小旗本では庄屋等に代官業務を委託するケースがあった。関東諸藩の飛地領も
状況は同じ。

備中国では、小旗本は大抵近隣の大名か大身旗本の分家で、本家筋の陣屋に領地の経営を委託する
形をとっていた。


6大學ヘ授:2007/09/28(金) 11:05:39
 元々は小領主と雖も直接統治を行つてゐました。これは在地領主だから當然に
出來たことでした。これが中世であり、封建制度として見れば前期封建制です。
西洋の封建制はこれ一色で、次の絶對主義へ移行しますが、我國は後期封建制と
云ふ段階を經ます。マルクスの言ふ純粹封建制ですか。

 要するに、近世に入ると戰國の必要から小領主は領知を離れて主君の本城の下に
集住する。城下集住になると、御城下の屋敷と領知の陣屋−初めは城−と二つの據點
を構へる必要を生じます。大身ならそれもできませうが、小身者にとつては小規模な
領知に一々要塞を構へ軍勢を留め統治機構を置く事がコスト的に合はないと云ふこと
で、これは直臣でも同じす。參勤交代は城下集住の半途形態であり、參勤交代せぬ
江戸定府は完成形態です。

 かうなると小身者は在地統治機構を置く費用や手間を厭ひ近隣の主家−郡代、
代官−や本家に現地の統治を委囑してしまふのです。受任する方もスケール・メ
リットが出ますから歡迎で、大名家ではこのスケール・メリット狙ひで早くに家
臣團への給附を地方知行から藏米へ切替へて行きます。目的は財政負擔の囘避で
す。徳川宗家は大身代で財政的に餘裕が有るから最後まで地方知行制を維持しま
したが、慶應で潰れず存續したなら何れかの時點で地方知行を抛棄せざるを得な
かつたでせう。文久の改革や、十五代公の政策案を見ると、既にその傾向が見ら
れます。

 現地に統治機構すなはち軍政府を置くか否かは當主の勝手ですが、大公儀は委囑
を勸めてゐました。直轄と委囑の境目は明確なものはありませんが、所謂御大身は
直轄で、三千石以上は概ね陣屋を置きました。その陣屋の物理的構造は、幕末に
至るも城郭そのものであることが珍しくありません。なほ中間形態として、現地の
名主に任せると云ふ形も多かつたやうです。
7日本@名無史さん:2007/09/28(金) 21:30:34
年貢徴収の委託については、幕府領での徴収率が諸大名と比べて低いために、預り地という形で
領地近隣の大名に委託していたという話もあるな。

しかし、城主と陣屋格は格式として決まっていたわけだが、施設としての城と陣屋の線引きは
どうなってたんだろうね。旗本地黄の陣屋は、三層の櫓まで備えた本格的な城郭だったようだし、
逆に三田藩は陣屋格から城主格になったが、財政難で陣屋改築が行われなかったために、
城主ではなく城主格と呼ばれ、三田城ではなく三田陣屋と呼ばれている。
8日本@名無史さん:2007/09/28(金) 21:45:32
「陣屋格」なんて無い
9日本@名無史さん:2007/09/28(金) 21:58:38
陣屋大名と旗本をまとめてなんと呼べばいいのかね。
10日本@名無史さん:2007/09/29(土) 07:26:52
無城
11日本@名無史さん:2007/09/29(土) 07:50:57
なるほど。さんきゅ。
12日本@名無史さん:2007/09/29(土) 23:14:09
>>6
内容自体には頷けるんだけどさ。

>小身者にとつては小規模な領知に一々要塞を構へ軍勢を留め統治機構を置く事がコスト的に合はない

>かうなると小身者は在地統治機構を置く費用や手間を厭ひ近隣の主家−郡代、
代官−や本家に現地の統治を委囑してしまふのです。受任する方もスケール・メ
リットが出ますから歡迎で、大名家ではこのスケール・メリット狙ひで早くに家
臣團への給附を地方知行から藏米へ切替へて行きます。

どう見ても「経済観念ゼロ」の人間の発想じゃないよね、これ。
武士だって案外経済合理的な発想をしていたということじゃないの?
13日本@名無史さん:2007/09/29(土) 23:20:34
>>12
ものすごく善意な表現を使うと「君子豹変す」ってことじゃね?
ものすごく悪意な表現を使うと「自分の発言に無責任」ってことじゃね?
14日本@名無史さん:2007/09/29(土) 23:47:47
>>5
二宮尊徳が建て直した桜町領がまさにそれだな
小田原藩の役人が陣屋で執務していた
15日本@名無史さん:2007/09/30(日) 08:14:36
>>12
本郷は別に年貢徴収を武士に禁じられた利殖とは見ていないから、そこは別におかしくないとは思う。

ただ、年貢徴収はいわば農民側との面子と生死を賭けた駆け引きなわけで、高度なノウハウが必要になってくる。
スケール効果よりもそのノウハウの方が徴収量に大きく影響する。
幕府は、1つの代官所を、精々十数人程度の人数で、村方の司法行政を全て引き受ける形で切り盛りして、
数千石から数万石を支配していた。それでは近隣大名に比べて支配力が弱くなり、年貢の徴収率が低くなるのは
当然で、だからこそ預り地による年貢徴収委託が徐々に増えていった。



感情先行よりも、学問の話をしようぜ。もちろん本郷に対する言葉でもある。
16日本@名無史さん:2007/09/30(日) 16:44:45
教授は感情先行させたことなんてない。
17日本@名無史さん:2007/09/30(日) 17:12:20
>>16
妄想と屁理屈しか先行させたことはありませんよね。
18日本@名無史さん:2007/09/30(日) 17:19:12
そうやって感情を先行させるのが文盲。
分り易い現行犯。
19日本@名無史さん:2007/09/30(日) 17:30:07
せっかく出だしがいい感じなんだから、学問を楽しもうぜ。
20日本@名無史さん:2007/09/30(日) 17:56:20
>>15
>本郷は別に年貢徴収を武士に禁じられた利殖とは見ていない

なるほどね。しかし「利殖を否定する」のと「経済や経営について無知」というのは、全然違う話だぞ。
そうなると、実は「武士は(少なくとも有能な武士は)経済に対する合理的な発想を持っていたし、それに基づく行動を取った」
という理解で良いのかな。
21日本@名無史さん:2007/09/30(日) 18:54:29
>>20
私は本郷の経済史音痴ぶりを突いていた側だから、本来は返答するのにふさわしくないかもしれないけど。

幕府の経済政策に関しては、大身旗本が就く勘定奉行が実務を担当、大きな案件は老中が扱っていた
ことを考えれば、武士が経済音痴という話自体が噴飯ものだ。無論、世襲に胡坐をかいていた大多数の
武士が経済政策を含めた実務に全く対応できなかったという話ならその通りだが。

しかし、そこをつつき始めると途端に本郷が幼児退行し、愉快犯が引っ掻き回すのは目に見えてるから、
あまり突っ込むなってこと。利殖と経済政策に関するセンスは別物、それでいいじゃん。
22日本@名無史さん:2007/09/30(日) 23:06:19
経済史自体比重の軽い分野。
武家は経済で動かない。
よって幾ら経済を観察しても武家の歴史は判らない。
23日本@名無史さん:2007/09/30(日) 23:20:19
あたまかたいね
24日本@名無史さん:2007/10/01(月) 00:58:20
>>22
>武家は経済で動かない。

経済で動いてるじゃん。本郷さんが紹介してくれた話(>>6)を読んでごらん。
「コスト的に合はない」直接統治を止めて「近隣の主家−郡代、代官−や本家に現地の統治を委囑」という大改革を断行した小領主も、
「スケール・メリット」の発生を正確に見抜いて「歡迎」して受任したほうも、立派に経済が分かっているし、経済合理性に従っている。
更に言えば「委囑を勸めてゐ」た「大公儀」も、なかなかの経済通と言えるね。

貴方が言う「武家は経済で動かない」というのは「武士は金目当てに汚いことをしない」という意味でしょ。それはおおむね同意だけど、
それと「経済で動かない」というのは別だよ。経済を完全無視して領民を苦しめ、農業を衰退させ、自らも軍事的に弱体化するようでは、
それは武士の風上にも置けない馬鹿者、領地を治める資格の無い暴君・暗君でしかない。
25日本@名無史さん:2007/10/01(月) 06:49:21
むやみやたらと領民を搾取して領内で一揆を発生させまくっていた藩はあるけどね。僻地ではそれでも
支配を続けられた。三都の近隣諸国なら大変なことになっただろうが。

つーか、>>22はまさか本郷自身のレスじゃないだろうな。政治の観点からすれば人間は政治的動物、
経済の観点からすれば人間は経済的動物、法制の観点からすれば人間は法制的動物だ。
>>22のレスは、単に自分が経済音痴であることを表明しているに過ぎないからな。
26大學ヘ授:2007/10/01(月) 09:54:16
>>12
 それは財政であって、所謂経済とは区別されます。
 今日に至るも経済学と財政学は別個の学問であり、財務省と経済産業省は別個の官庁です。
 経済中心に封建時代をみることにも一定の意義はありますが、封建社会、殊に江戸時代を経済で理解することは出来ません。
 それは今日の感覚で歴史を歪めるもので、経済嫌悪が幕初からの、言わば時代の精神です。

>>15
 御料に於て御年貢が安いのは、大公儀が大身代で財政逼迫の度が緩やかだからです。
 御料に対する大公儀の権力関係は私領に対する大名以下のそれと同一にて、全く領主のそれですから「支配力が弱い」云々は無理です。
 徳川氏は覇者であり、最強の大名なのですから。
27日本@名無史さん:2007/10/01(月) 11:34:32
>>26
>  それは財政であって、所謂経済とは区別されます。
>  今日に至るも経済学と財政学は別個の学問であり、財務省と経済産業省は別個の官庁です。

江戸時代以前の人がその両者を厳密に区別していたかは怪しいものだ。
現代なら国家の財政と天皇家の家計は厳密に分かれているが、江戸時代には領主の家計と行政機構の財政は厳密に
分離してはいない。
今日の感覚で歴史を歪めてはいけないんじゃないでしょうか?
28日本@名無史さん:2007/10/01(月) 12:49:32
>>26
大學教授ともあろう方が経済を理解されていない。
経済は「経国済民」で理念的な政治の意味であって、商業活動のみではないよ 君。
29:2007/10/01(月) 14:44:12
経世済民だな.経国済民ともいふけれど.
「凡(およそ)天下国家ヲ治ルヲ経済ト云.世ヲ経シテ民ヲ済(すく)フト云義也」(太宰春台)
30:2007/10/01(月) 14:56:39
で,このやうな経世済民の思想.生産経済や消費経済を実証的客観的に考察して,そこから政治の
あり方を論じる思想は,春台や徂徠が代表的ではあるが,それ以前になかったものではなく,
「治国平天下」や「安民」の思想といふかたちで,江戸初期の大名や武士にもあったと思ふんだよね.
31大學ヘ授:2007/10/01(月) 19:23:00
 あんまり無いですな。
 既出なので簡単に述べますが、財政の必要は大方の認めるところであったものの評価は高からず、勘定奉行ですらやっと三千石高に過ぎません。
 1ダースもいる大御番御頭が五千石高、菊之間席だったのに比べ明らかに劣後します。
 大御番御頭に限らずあっちにもこっちにも劣り、西御丸御書院御番御頭にすら負けてゐる有様です。 
 役方は掃除当番みたいな苦役であり、中でも銭勘定は恥かしいことで、見下されたものです。
 大名も旗本も、算盤で直参になったのではありません。
 戦場の武功で身を立てたのです。
 武士が軍人であることをお忘れなく。
 江戸の気風を残していた近年まで、商人の地位は著しく低く、岩波茂男は承認に身を落していることを終生恥ぢ、大企業の社長でも官庁では門脇の商人部屋に放り込まれ門番に怒鳴られながらお役人様のお出ましを待ったものです。
32日本@名無史さん:2007/10/01(月) 19:41:43
ちなみに本郷が属すると本人が主張する法制関係では、訴訟関係を公事方勘定奉行が扱った。
33日本@名無史さん:2007/10/01(月) 19:57:20
平時に必要なのは軍事力ではなく政治手腕だからな。赤備えの井伊家が譜代大名でダントツの石高を持ちながら
幕末にはあの体たらくだったことは象徴的だな。

老中は譜代大名でも、比較的石高の低い大名から選ばれていた。石高の高い大名は軍事専門での国政関与を
強いられていたと言ってもいい。そういう点では、大老の存在は例外中の例外だった。

石高の大小で幕府での権力の大きさを図ろうとするのは、老中の権力を否定するのも同じだぞ。江戸幕府は、
政治権力と軍事力を分離するというのが基本方針だったわけだ。それを忘れちゃいかんよ。
34日本@名無史さん:2007/10/01(月) 20:07:36
勘定奉行が財政と訴訟を扱っていたということは、財政担当をこき下ろすことは
訴訟担当を同じくこき下ろすのと同義だろうな。

どうするよ本郷。
35日本@名無史さん:2007/10/02(火) 04:53:29
>>31
せんせー、書院番士なのに、松平外記の弁当にウンコ入れてた奴らは
滝川ルネサンスの馬鹿ガキと同類だと思うんですけど、それでも役方
より偉いんですか?
36大學ヘ授:2007/10/02(火) 08:31:31
 訴訟、就中民事裁判は右大將家以來、將軍家親裁の建前です。
 江戸時代は評定所を以て最高裁判所となし、大きい事件は老中以下の五手掛にて、
庶民の處刑すら一々征夷大將軍の直裁です。勘定奉行の公事方と云ふのは御領内に
限つた下級裁判を中間管理職として管掌したに過ぎず、司法部の長官だつた譯では
ありません。
37大學ヘ授:2007/10/02(火) 09:07:54
 勘定奉行の裁判と云ふのは基本的に出先郡代−代官の初審裁判所、簡易裁判
所の上の二審裁判所に過ぎず、終審裁判所でも司法省でもありません。その專
決權−手限も極く限られた狹いものです。管轄地域内の訟務を中間的に取扱ふ、
或は取次ぐのは寺社奉行でも町奉行でも同じことであり、勘定奉行に限つたこ
とではありません。勘定奉行が司法部に格別の位置を占めてゐた譯ではありま
せん。

 武家内部の訴訟は別として、庶民の刑事裁判は不淨であり、民事裁判に至つ
ては迷惑−御上の御厄介−と觀念され、歡迎されてゐませんでした。出入筋の
最重要部分を放り出して受理を拒む相對濟令等は、かうした發想の脈絡に位置
するものです。福澤諭吉はこれを非難し、徴税した分だけの公共サーヴィスを
提供せよと言つてゐます。

38日本@名無史さん:2007/10/02(火) 09:22:21
財政政策も大きなものは老中-将軍の案件だっちゅーに。

本郷はバカを誤魔化せるくらいの博覧強記ではあるが、先に立てた結論を都合のいい情報で固めるため、
視野狭窄の主張ばかりするわけだ。
39日本@名無史さん:2007/10/02(火) 09:27:07
恐らく本郷の頭では、簡易裁判所の判事、検事、弁護士は、商人程度の低い身分ということらしい。

警察が行政の一部門になるのは明治以後にフランスの制度を取り入れてからで、それまでは被差別部落民をも
使って刑罰を仕切らせていた。
本郷の論理展開を使うなら、きっと法の番人は商人よりずっと低い身分だったのだろう。
40日本@名無史さん:2007/10/02(火) 09:32:40
なんだ、簡易裁判所って裁判官一人で取り仕切るのか。
まあ、本郷によれば低い身分の業務らしいから、どうでもいいようなものらしいが。
41日本@名無史さん:2007/10/02(火) 13:23:24
目付→憲兵
42:2007/10/02(火) 18:26:09
38〜40は初めに掲げた罵倒禁止にあたりかねませんから注意してください。
荒すも荒さないもあなた次第です。
43日本@名無史さん:2007/10/02(火) 19:49:41

大藩の家老(附け家老含む)で独自に参勤交代していた家を教えてくれ。
44日本@名無史さん:2007/10/02(火) 20:15:03
重要な案件は老中決裁、それ以外は三奉行クラスがなど決裁という形は、訴訟だろうが経済政策だろうが変わらない。
寺社奉行が三奉行の中で石高の高いものがつくのは、寺院勢力が庶民以上武家と同等以下だという幕府の意志表示
でもあるのだろう。

武士が清貧を理想とし始めたのは、平和になって格式ばかりが重んじられるようになったため。直江兼続が小判を
不浄だからと扇で受けたというエピソードは、明らかに戦国時代から江戸初期の価値観とは合わず、後世の創作と
考えられている。

江戸時代は、力が全てという中世的価値観が崩壊し、武士が形骸化した格式にしがみついてしかその地位を維持でき
なくなり、それも庶民の経済力の相対的増大にしたがって瓦解しつつあった時代といってもいい。上方ではその傾向は
覆いがたいレベルになっており、だからこそ天保年間に幕府の役人が大砲まで持ち出して反乱を起こした。幕末に
まともに軍事力を持ちえたのが、石高にかかわらず、市場経済の波に飲み込まれていなかった藩であったのは象徴的。
幕府の政治は、権威、平時の少ない兵力及び庶民の側の有力者の権力側への取り込みによって、庶民のエネルギーを
抑えつけようという試みの連続でしかなかった。
支配者側と被支配者側の利害衝突は必然、それを解決する手段が政治(対話)か軍事しかないのもまた必然。今も昔も
変わらない。
45日本@名無史さん:2007/10/02(火) 20:19:34
>>43
大名の参勤交代には、家老の一人は必ず付いていたらしいが、独自の参勤交代って区別できるんだろうか。
幕府じきじきに指名するとか? それなら吉川家のように独自の藩扱いになったりして??
46日本@名無史さん:2007/10/02(火) 23:34:44
44は具体性が無く、抽象論にしても露骨な赤色史観。
47日本@名無史さん:2007/10/03(水) 00:09:40
黄金を不浄とみなせ、と教えたのは禅宗。べつに江戸時代にできた価値観ではない。
48日本@名無史さん:2007/10/03(水) 01:42:43
>>42
それは、全てあなたの思い込みです。
49日本@名無史さん:2007/10/03(水) 07:29:30
>>47
ならば、禅宗の価値観を武士の行動基準に取り入れたのは江戸時代ということだろう。

大体、兵を確保するのに金・銭が必要だった時期に、金は不浄などという価値観が成り立つわけがない。
そんな無意味な価値観よりも、いくさで負けないための兵の確保、そのための金・銭の確保が重要。
直江家の主君の上杉も金山を掘って金貨を作ってばら撒いていたわけだぞ。更には関東で奴隷を
確保して金に換えたり。
50日本@名無史さん:2007/10/03(水) 07:41:44
>>46
>44は具体性が無く、抽象論にしても露骨な赤色史観。

やれやれ。見当外れのレッテル張りでかわせたら議論も楽でいいねえ(苦笑)。
51大學ヘ授:2007/10/03(水) 07:48:16
 武士が發生した當時、通貨そのものが事實上存在しなかつた。
 金貨も無かつた。
 商業も未發達で、商人の地位も低かつた。
 さう云ふ時代が永く續き、漢學も佛學もこれを理論的に補強した。
 その後、禪宗も入つて來た。
 だから戰國以前から金錢を不淨と見る價値觀は夙に成立してゐた。
 既出であるが鎌倉時代の契約文書を見ると、約束を破るものは商人である、と明記され、學者はこれを名譽の擔保と呼んでゐる。
 江戸時代に於ても、士農工商と庶民の最下位に置かれ蔑まれた。
 この影響は戰後まで濃厚に殘り、現在でも拂拭されてゐない。
 財界の敍勳は等級が低く、官尊民卑として、物造り重視(工の優越)として、私立大學を大學から區別する法制として表れてゐる。
 そもそも一流大學卒業者は商人になりたがらない。
 東大京大出て企業へ行くのは敗者と見られ、司法試驗に受からない、高級官僚になれない、大學に殘れないから企業へ就職したと思はれる。
52日本@名無史さん:2007/10/03(水) 09:24:15
江戸時代の直前が、なりふり構わず生存競争を行っていた戦国時代だということを忘れちゃいかんよ。
また、室町-戦国時代は田畑の取れ高を石高でなく貫高で表現していた。荘園制の名残りかね。

価値観自体が成立したのが鎌倉時代であっても、戦国時代以降でそれを受け入れる余地ができたのは
元和偃武以降。直江兼続のエピソードを持ち出したのは、以前、本郷が金を卑しいものとする具体例として
あげていたから持ち出したものだ。
武士の理想像は平安時代に成立していたし、後世にそれがもてはやされたのも、後世にはそのような
行動が当たり前ではなくなっていたためだ。死に様然り、富への執着然り。



結局のところ、議論が成り立たないのは、本郷が、職業に関する差別意識を強引に論理武装しているという
点が問題のようだな。スタートがこれなら、学究的議論自体が成立しがたい。単なる感情的な衝突を取り
繕っているだけだ。
ならば、法の番人とやらが歴史的にいかに下賎であったかの事実を並べ立てることがもっとも有効な対抗
手段ということになってしまうな。

おい本郷、こんな子供じみたレベルの程度の低い主張はやめる気はないかね。
53日本@名無史さん:2007/10/03(水) 09:28:35
室町時代の将軍家や守護大名って、みんな富が大好きだったようなイメージがあるが、例外っているのか?
54日本@名無史さん:2007/10/03(水) 09:40:17
本郷って、財政と経済は別だと主張しているが、その割にはどちらもこき下ろしているよな。

財務省と法務省、キャリア組がより入りにくいのはどっちでしょう(苦笑)。

本郷の主張ってこのレベル。いい加減止めないかね、マジで。
55大學ヘ授:2007/10/03(水) 09:55:22
 それは全然違ひますね。
 そもそも司法試驗は國家公務員T種試驗より段違ひに難しいのですが、それはさて置き、法務省へは所謂キャリア組は一人も行きません。
 人事的に全く異り、國家T種でなく、司法試驗に合格した檢事が交代で勤務する。
 交代寄合みたいに任地と本省を往復する。
 彼等は檢事になつたのであつて法務省に採用されたのではない。
 檢察全體の、行政部門が法務省。
 その出世雙六の頂點は檢事總長か最高裁判事であつて、法務省の次官ではない。
「論者の主張つてこのレベル」で無智に立脚した妄説。
「苦笑」どころか爆笑の對象です。
56日本@名無史さん:2007/10/03(水) 09:55:26
足利将軍家正室 日野富子をどう説明する?
57日本@名無史さん:2007/10/03(水) 10:07:14
結局、本郷は「こんな子供じみたレベルの程度の低い」やりとりを止める気はないらしい。
58日本@名無史さん:2007/10/03(水) 10:21:57
おい本郷、>>52-53へのレスを早いとこ頼む。
59日本@名無史さん:2007/10/03(水) 11:31:56
>財務省と法務省、キャリア組がより入りにくいのはどっちでしょう(苦笑)。

法務省はキャリア募集をしない。
採用制度が存在しない。
60日本@名無史さん:2007/10/03(水) 13:03:11
キモイ2ちゃんねらーが馬鹿いってるよ
61日本@名無史さん:2007/10/03(水) 14:11:25
中途半端なやつら。
62日本@名無史さん:2007/10/03(水) 19:00:08
案外、>>54は本郷の主張の論理性のなさとレッテル張りを揶揄しているのかもしれんぞw
63日本@名無史さん:2007/10/03(水) 19:45:00
毎度のことだが、教授が戻って来るとあっという間に鎮圧されちゃうんだよな、〇〇は。
64日本@名無史さん:2007/10/03(水) 20:07:45
>>55>>59
>法務省へは所謂キャリア組は一人も行きません。
>法務省はキャリア募集をしない。

おいおい、法務省にもキャリア(国家一種試験合格の事務官)はいるよ。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/gyoseika/homu.htm

こっちだけじゃソースとして不十分かな。だから当の法務省のページを。
http://www.moj.go.jp/KANBOU/jinji03.html
http://www.moj.go.jp/KANBOU/jinji03-03.html
技官も一緒に掲載されてるけど「事務官じゃない!」なんて言わないでよ。
65日本@名無史さん:2007/10/03(水) 20:32:29
本郷は「苦笑」どころか「爆笑」どころか嘲笑の対象なのだろうか。

直臣に関する議論ができるようになるのはもう少し先だろうか。
66日本@名無史さん:2007/10/03(水) 20:36:39
おい本郷、自分の専門領域で自爆していないで、>>52-53へのレスを早いとこ頼む。
67大學ヘ授:2007/10/03(水) 23:12:33
 愚かなことを・・・・
 キャリアとは本省採用の高級官僚のことで、單に國家T種合格者のことではありません。
 法務省のT種と云ふのは少年院教官や刑務官の類で、絶對に出世しない、完全にどさ囘りのペーペーです。
 これらは法務省の採用案内を熟讀すれば分ります。
 法務省と云ふのは檢察廳のもう一つの顏で、これは海軍省と聯合艦隊のやうな關係です。
 最高檢は海軍軍令部です。
 海軍軍人でない者が海軍省高官になり得ないやうに、檢事でない者が、法務省高官に上ることはありません。
 次官も刑事局長も民事局長もみんな檢事です。
 例外が絶無でないにしても、それは判事や教授、他省高官の出向の類であつて、T種採用者と云ふことは無いのです。
 例へば入管局長は外務省からの出向です。
 これは醫療の世界、病院に似てゐるかも知れません。
 醫師でなければ、出世しません。
 法務省はキャリアを採用しません。
 これは年平均たつた數人と云ふ採用數からも容易に知れます。
 將來法務省幹部たるべき者は、最高檢が檢事として採つてゐるのです。
 だから法務省の課長も局長も官房長も次官も檢察から異動して來て、また檢察へ歸つて行くのです。
 この人事サイクルから、法務省採用者は完全に閉め出され、全國の登記所や監獄、入管をぐるぐる囘つてゐるのです。
 一流大學でたら誰も法務省へ行かないではありませんか。
 門外漢の分際で全く知らない分野に口を出すのが間違ひで、その無責任なる態度、精神が既に病んでゐます。
68日本@名無史さん:2007/10/04(木) 06:43:51
>>67
>法務省はキャリアを採用しません。
>これは年平均たつた數人と云ふ採用數からも容易に知れます。

思い込みで事実の方を捻じ曲げるなよ。


>門外漢の分際で全く知らない分野に口を出すのが間違ひで、その無責任なる態度、精神が既に病んでゐます。

ろくに経済史を知らないのに、自己顕示欲に基づく職業差別で思い込みを開陳しまくる本郷の無責任なる態度、
精神が既に病んでゐます。
69日本@名無史さん:2007/10/04(木) 06:48:32
本郷も例のごとく壊れたことだし、直臣の話に戻さないか。この流れはどう考えても不毛だし、
話題が変われば本郷も頭が切り替わるだろう。この男の自己顕示欲はどうにもならんようだが。
70日本@名無史さん:2007/10/04(木) 07:18:16
↓直近の話題はこれかな。

>>43
>大藩の家老(附け家老含む)で独自に参勤交代していた家を教えてくれ。
71日本@名無史さん:2007/10/04(木) 08:23:11
教授が戻って来ると忽ち踏み潰される文〇w
72日本@名無史さん:2007/10/04(木) 08:45:05
↑本郷の自爆を誤魔化そうとレッテル張りを試みるバカw
73日本@名無史さん:2007/10/04(木) 09:39:23
ではどう自爆したのか説明を。
毎度木っ端微塵の文〇ちゃんw
74日本@名無史さん:2007/10/04(木) 10:05:47
>>70
御三家の付家老なんかは、度々直参並みの扱いを求めて談合しちゃ参勤交代しようとしてたという話は聞いたことがあるが。
あとやりそうなのは加賀の本多家とか長州の吉川家とかだが実際にはどうだろうか。

>>72
そうじゃないよ。どうせ書くなら「自作自演、乙」でしょ?w
75日本@名無史さん:2007/10/04(木) 12:31:50
鳥取の荒尾家あたりも四手総社ん?
76日本@名無史さん:2007/10/04(木) 17:16:57
自作自演の根拠も無いくせにw
そおれに、匿名掲示板に於る自作自演は問題無い、許容された行為だと貧民史が宣言し、皆が受容れた。
77日本@名無史さん:2007/10/04(木) 19:57:22
御三家の付家老は悲惨だよな。もともとは直参同様、大名並みの詰間が指定されていたのに。
御三家付家老については、最近専門書が出ていたと思うけど、読んだ人いる? 何か面白いこと書いてた?

御三家だけでなく、大大名の御目付役として派遣された家老もいたと思うが、やはり扱いは同じだったんだろうか。
78日本@名無史さん:2007/10/04(木) 19:59:05
>>76
本郷、見ていて痛々しいからそれくらいにしておけ。自己顕示欲を程々にして学問語ってる分には
誰も排除したりはせんから。
79日本@名無史さん:2007/10/04(木) 20:27:46
67に一言も反論できないくせにエバルなよw
80日本@名無史さん:2007/10/04(木) 21:29:16
参勤交代といえば、尼崎藩と岸和田藩は大坂の町の防衛を担当している関係上、一方の藩主が必ず
国許にいるというシステムがあったらしいね。一方が国許に戻ったらその翌日に他方が江戸に旅立つと
いう徹底ぶりだったらしい。また、国許にいた方の藩主が病死した場合は他方が急遽国許に戻ったとも。

京の防衛では、淀藩を除く近隣の丹波亀山藩、近江膳所藩、大和郡山藩、摂津高槻藩が2組に
なって同様のシステムのもとで動いていたらしい。
81日本@名無史さん:2007/10/04(木) 22:50:46
>海軍省と連合艦隊の関係

違います
82日本@名無史さん:2007/10/05(金) 00:07:29
>>67>>79
読んでないのがバレバレ。

>キャリアとは本省採用の高級官僚のことで、單に國家T種合格者のことではありません。
>法務省のT種と云ふのは少年院教官や刑務官の類で、絶對に出世しない、完全にどさ囘りのペーペーです。
リンク貼られてる中にも、本省採用で官房勤務経験者の事務官が何人かいるんですけど。
「先輩からのメッセージ」全部読んでみな。

>例へば入管局長は外務省からの出向です。
現職の稲見敏夫入国管理局長は法務省プロパーの事務官ですが。

>だから法務省の課長も局長も官房長も次官も檢察から異動して來て、また檢察へ歸つて行くのです。
審議官や課長には、プロバー事務官大勢いますがね。

教授なんだから、学生に嘘の進路指導しちゃいけないね。
83日本@名無史さん:2007/10/05(金) 00:11:21
スレチガイも甚だしい もうその辺にしろよ 大人気ない
84日本@名無史さん:2007/10/05(金) 00:45:43
プッ!
スゲー馬鹿が2ちゃんねるで「教授」だってよ
85日本@名無史さん:2007/10/05(金) 00:48:45
本郷は自分を絶対正しいという位置に置こうとするから
無理に無理を重ねて嘲笑されるんだよ
もっと読む者が気持ちよく読める文章を書く努力しなきゃ
86日本@名無史さん:2007/10/05(金) 01:17:49
>>51
>江戸時代に於ても、士農工商と庶民の最下位に置かれ蔑まれた。

これ本当?
最近では「農工商の間に身分の差は無かった」という話のほうをよく聞くけど。
87日本@名無史さん:2007/10/05(金) 02:48:52
単なる官制や法規を越えた存在であったかつての軍部軍人などを現在の省庁における位階勲等から類推しても完全ではない。
88日本@名無史さん:2007/10/05(金) 06:55:32
本郷も、やんわりと窘められる形でなら、それとなく自省っぽいコメントをつけるんだけどね。
追い詰められると引くに引けなくなって乱心するわけだ。自尊心が強烈過ぎて自制できなくなるんだろう。

本郷は精神的に未熟なんだから、子供を扱うように生暖かく見守ってあげようよ。
89大學ヘ授:2007/10/05(金) 08:42:53
 >>80
 責任者、指揮官は常にそういう配置ですから、特別「徹底ぶり」ということは
ありません。これは今日の人事でも同様ですが、軍事では特にそうですね。

 >>82
 一般の省でも庶務のような頭を使わない、重要でない係長にはV種の者でも三
十代でなれます。でもそれから先は出世せず、定年前に課長補佐にでもなれば部
内の新聞に載るほどの騒ぎです。官庁はこの採用資格が厳重で、民間とは異る人
事 system で、キャリアとの区別は厳重です。
 法務省でキャリアに相当するのは検事です。次官以下、要所は検事で固めてい
ます。民法改正か何かで民事局長は検事でなく判事にしようという話なら無くも
ないですが、そもそもキャリアは採ってないんですよ。一人もです。官房勤務は
官房のぺーぺーをやるので、官房長やその下の重要配置になる訳ではありません。
 キャリアとはT種のことではありません。本省本府採用の高級幹部のことです
から、法務省にこれは存在しません。
 したがって東大出てT種に受かった人は−みんな受るんですが−法務省へは行
きません。面接ではっきり言われます。「出世しないが、それでも良いか」と。
もっともこれは他大学や他学部から間違えて面接に行く人の場合で、東大京大中央
慶應といった手馴れた大学生はそういう間違いを犯しません。外務、宮内等も、
所謂T種の採用は無く、珍説は官庁に疎遠な史学科の妄想です。 

>>87
 軍人は全く官僚で、法規官制に則った存在です。
 ハンコ無しには命令一本出せず、その命令も軍令としての法源です。
90日本@名無史さん:2007/10/05(金) 11:08:39
>>89
軽く叩いておくよ。肥大した自尊心は自分で処置してくれ。

軍事は集団全体の存在の可否を位置づけるものだから、何よりも現実性が重視される。
「国許にいた方の藩主が病死した場合は他方が急遽国許に戻った」という事実は、緊張感のない
形骸化した官僚意識がつくり上げた官僚システムだ。病死寸前の藩主が、有事にまともに軍事
司令官としての措置が取れるはずがないわけだからな。

91日本@名無史さん:2007/10/05(金) 11:13:43
本郷叩きは彼の次のレスまで止めてください。いいですかね。
92日本@名無史さん:2007/10/05(金) 11:37:05
交代寄合から付家老に話題がシフトしているようだけど、イレギュラーな立場という点では似たようなものかもね。
93日本@名無史さん:2007/10/05(金) 15:17:06
90が仮に正しいとしても、89と何も対立しないんじゃないか?
94日本@名無史さん:2007/10/05(金) 17:08:38
>>93
官僚は現実的な臨機応変の対応が必要な場合でも規則のほうを優先させるという皮肉だよ。
95日本@名無史さん:2007/10/06(土) 12:00:49
だとしても教授叩きには全然ならないね。
教授も普通の事だと言ってるし、同意見かも。
96日本@名無史さん:2007/10/06(土) 12:32:47
>>89
しつこいな。
だから今の入国管理局長は法務省プロパーの事務官なんだよ。
どこの省が2種採用のノンキャリを本省局長にするんだ。
97日本@名無史さん:2007/10/06(土) 16:50:40
本題に戻るけど。
交代寄合って「参勤交代もう止めます」って自由に決められたの?
このページに「交代中絶、その後旗本として存続」という話が出てくるけど。
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/sonota2.htm
98日本@名無史さん:2007/10/06(土) 18:02:10
>>96 では一通りの論証を。
99日本@名無史さん:2007/10/06(土) 19:09:46
>>97
>交代寄合って「参勤交代もう止めます」って自由に決められたの?

権利というよりは義務として行っていたものだから、願い出て許されるという手続きを経なければ無理だろう。



>>96
本郷は論理性よりも、自分が勝った気になれるまで醜く足掻き続ける癖がある。君が正しいのは本郷以外は
分かってるから、できればもう止めておいて欲しい。相手は精神的には子供だからね。こういう奴、クラスに
一人はいただろう。
100日本@名無史さん:2007/10/06(土) 19:13:42
別に教授好きでも何でも無いが法務省の場合は次官は検事総長への踏み台に過ぎないよ。
他の省庁と比べて一種合格者が冷遇されているのは事実だが誰でも本省の課長位まではなれるらしい。
したがってキャリアが存在しないというのは言い過ぎだな。
かといって次官にはまずなれない等、他の省庁のキャリアと比べたら明らかに出世は劣るが。
101日本@名無史さん:2007/10/06(土) 20:01:57
クラス委員のような奴が出てきますた。「本郷君をみんなでいじめるのは悪いと思います!」

そういうグダグダなやりとりは横に置いて、直臣の世界について語ろうぜ。
102日本@名無史さん:2007/10/07(日) 00:40:11
でもこの話は文盲が始めて教授に衝かれたんだからな。
止めるなら文盲が詫びを入れることだ。
103日本@名無史さん:2007/10/07(日) 04:33:53
じゃあめんどくせーから俺が代わりにわびとくわ

本郷さん、サーセンwwwwww



じゃあ直臣について肩ロース
104日本@名無史さん:2007/10/07(日) 09:25:02
>>103
代理謝罪乙
本郷は甘やかすと付け上がるタイプだから、是非については議論の余地があるかもしれないが、
彼の今後の態度で判断するとしようw
105日本@名無史さん:2007/10/07(日) 11:23:42
>>99
なるほど。つまり「勝手には止められないけど、申請すれば許可される余地はあった」
ということだね。大名のほうは「幕閣になった」とか「藩主病気」とかの理由が無ければ、
参勤交代は止められなかったから、そこが違うということか。
106日本@名無史さん:2007/10/07(日) 14:41:52
>>105
藩主本人は江戸に留まったきりの方が過ごしやすいだろうが、そうなると金を工面する家臣たちは困ってしまうだろうな。
できれば物価の安い国許に留まったきりの方が心配がなくてよい。
107大學ヘ授:2007/10/07(日) 17:19:32
 法務省を支配してゐるのは檢事である。
 一部最高裁より出向の判事を含め、舊司法官の世界である。
 T種採用者の中には司法試驗合格者が居り、これも准幹部待遇であるが、全く法曹資格を持たないものはT種であつても論外。
 法務省の最大の任務は主要法典の立法作業であり、司法試驗合格者で無ければ手も足も出ない仕事である。
 つまり法務省内には第一集團として判檢事、第二集團として司法試驗に合格してゐるT種、第三集團として司法試驗に合格してゐないT種の三つの group がある。
 第三集團はキャリアとは認められない。
 出世しないからである。
 司法試驗と、國家T種の間には難易度に於て大きな段差があり、後者は一流の法學部を出た者には容易な試驗にて、何ら格別の評價に値しないのであるが、この機微が畑違ひの史學科出には分らないのであらう。
108日本@名無史さん:2007/10/07(日) 17:53:59
>>107
キチガイですか?
109:2007/10/07(日) 18:17:34
剥き出しの悪罵は止めましょう。
荒らさないように頼みます。
110日本@名無史さん:2007/10/07(日) 19:19:28
いやマジでキチガイかと思ったんだけど
111日本@名無史さん:2007/10/07(日) 19:45:02
本郷が子供っぽくむきになってる話の元は>>54のレスだが、これは「結論を導くための根拠にならない事実を
持ち出して、自説に都合よく利用する」本郷の醜態をを揶揄したものだ。

いくら検事総長が法務省キャリア組より上だと主張したところで、法務省はキャリアをとらないとか散々無様な
主張をした後では、上の揶揄を補強する結果にしかならんよ。
112日本@名無史さん:2007/10/07(日) 23:38:50
>>107
おい お前。
日本史板で何威張ってんだ
みんな辟易してんだ
さっさと去れ。

113日本@名無史さん:2007/10/07(日) 23:48:05
交代寄合って、中途半端だよね。
大名に化けたり、旗本に戻ったりもできるし。
114日本@名無史さん:2007/10/07(日) 23:49:20
>>107
>法務省の最大任務は主要法典の立法作業であり

お前ばかだろ
立法は国会の専権事項だ。
法務省は法案提出の「お手伝いさん」だ。
勉強して出直せwww
115日本@名無史さん:2007/10/07(日) 23:52:13
>旗本に戻ったりもできるし

交代寄合が参勤交代を止めた例ってあっただろうか。大名になった例は松前藩などの例があるが。
116日本@名無史さん:2007/10/08(月) 00:07:39
「本郷は>>111のレスの意味を理解できず、重箱の隅をつつくように揚げ足を取ろうとするなどの
醜態をいつまでも続ける」に3000点。
117日本@名無史さん:2007/10/08(月) 00:22:48
>>115
>>97の紹介したページによると、石河家・一色家などが交代寄合から(参勤交代しない)旗本になってるようだ。
118日本@名無史さん:2007/10/08(月) 01:04:35
交代寄合は、大名と旗本の境界として、為政者にとっては便利なポジションだったのかもしれないね。
119日本@名無史さん:2007/10/08(月) 05:54:15
自分で持出した話題なのに何一つ反論できないで罵倒のみ繰返す文盲。
120日本@名無史さん:2007/10/08(月) 08:19:59
>>116の予想が当たったようだ。
121日本@名無史さん:2007/10/08(月) 11:53:12
国会で審議する法案の殆どは政府提出であり、国会自身に草案策定能力は乏しい。
政府提出法案は各省が分掌し、内閣法制局で整合性を取るが、重要法典は悉く法務省主管。
内閣法制局より法務省の方が玄人である。
よって114は「ばか」「勉強して出直せ」
122日本@名無史さん:2007/10/08(月) 11:59:22
>>121
「立法」と 107 が言ってるだろ
タコ!文盲www
123日本@名無史さん:2007/10/08(月) 12:31:03
>>121
自称2ちゃん教授
124日本@名無史さん:2007/10/08(月) 12:46:07
>>121
「重要法典は悉く法務省主管」てアホじゃないの
政府提出法案はそれぞれの主管省庁が原案を作って
内閣官房の内政審議室の審査を経て内閣法制局に回され
閣議決定してから国会に提出されるんだがな
125日本@名無史さん:2007/10/08(月) 18:27:18
完全に子供のケンカレベルになってしまいますた。
126日本@名無史さん:2007/10/08(月) 18:43:03
悪いがここは日本史板だから、それ以上続けたければ法学板にでも行ってくれないか。

揶揄をそれと気づかずにむきになって反論する本郷と、同レベルの反論を続けるアンチ。迷惑千万だ。
127日本@名無史さん:2007/10/08(月) 21:02:42
121も「各省が分掌し、内閣法制局で整合性を取る」と言ってるから認識に欠落は無いだろう。
そのうち重要法典は悉く法務省の主管になっているというんだから、辻褄はきちんと合ってる。
どっちかというと124がアホじゃないの
128日本@名無史さん:2007/10/08(月) 21:07:16
>>127
お前も履違えてるな。
国会通過前は「重要法典」→「重要法案」だろ。
129日本@名無史さん:2007/10/08(月) 21:28:57
それが史学科頭。
既存の刑法、民法、商法といった重要な大法典が現行法のまま法務省主管。
これらの法典の歴史は法務省より古く、元から存在する。
130日本@名無史さん:2007/10/08(月) 21:42:55
>>129
元は中国の昔の国号だから国が違う。
それと法務省は行政組織で立法組織ではない。
司法行政権は最高裁判所にある。
131日本@名無史さん:2007/10/09(火) 03:24:36
これは酷い・・・・
司法行政の話なんか関係無いぞ。
132大學ヘ授:2007/10/09(火) 11:40:12
 刑法なら刑法、民法なら民法は法務省の管掌。
 これは現行法として管掌するのであり、改正の必要の有無も法務大臣の管轄。
 この分掌は、法的に見る限り、主要法典殆ど法務省。
 他省は文部科学省なら教育法規とか、旧建設省なら建築法規とか、財務、経済産業省なら経済統制法規とかいった、自省の行政管轄に密接した下位の単行法中心。
133日本@名無史さん:2007/10/09(火) 12:52:47
御成敗式目は執権北条泰時及び連署・評定衆の一部の協議の上制定された。
134日本@名無史さん:2007/10/09(火) 13:08:03
>>132
法律を行政省庁が分掌するのは当たり前だろ。
法務省にただ飯喰わすわけないだろ。
主権者たる国民の公僕として励めwww
135日本@名無史さん:2007/10/09(火) 13:13:37
という訳でまた文盲の負け。
御成敗式目の話はグー。
制定でないとは言わないが、既存の不文法を成文化しただけ。
つまりクリエイティヴな仕事ではない。
136日本@名無史さん:2007/10/09(火) 13:24:01
大學教授=文盲でOK
137日本@名無史さん:2007/10/09(火) 15:26:32
そうか二人は同一人物で、完全な自作自演ダッたのか。
138大學ヘ授:2007/10/09(火) 18:49:40
 交代寄合は旗本の一種です。
 旗本に就て如何なる定義を採るにせよ、參勤交代は是に該當します。
 他方、大名たるの定義に、參勤交代は入らないのです。
 たまさかに參勤交代しても、大名でないのは勿論、旗本以外の何物かでもありません。
 過去ログを見ると、中世以來の名族云々、との指摘がありますが、これは交代寄合に特有の性格ではなく、大名にも寄合席以下の武家にも有ることです。
139日本@名無史さん:2007/10/09(火) 19:42:26
「生かさぬように 殺さぬように」だな。
大名と旗本を一万石で線引きして
小禄でも格式を与えて体面を保たせた。
しかし財政逼迫で交代寄合から願い出て普通の旗本になる家もあったという。
140大學ヘ授:2007/10/09(火) 20:17:05
 違ひますな。
 眞僞は別として、それは百姓のことでせう。
 大公儀は旗本を重視し、厚遇しましたから上は當たりません。
 三代家光公は旗本の困窮を聞き、落涙したと申します。
 微祿なりとも旗本一家取潰すのは一大事で、松平一心齋乘邑が老中の時は徹夜で復命を待つたさうです。
 旗本の衰微は徳川本軍の弱體化であり、幕閣の望むところでは到底ありません。
141日本@名無史さん:2007/10/09(火) 22:25:34
何の話題でも忽ち教授に鎮圧されてしまう文盲
142日本@名無史さん:2007/10/09(火) 22:57:48
何故ご本尊と儲のレスはワンセットで書き込まれているのだろう。
143日本@名無史さん:2007/10/09(火) 23:47:30
なんか自称教受の自演見ててスゲー恥ずかしくなってきた
144日本@名無史さん:2007/10/10(水) 05:32:57
↑教授
145日本@名無史さん:2007/10/10(水) 05:38:19
そう言えば、時代劇に、大名とか旗本はよく出るけど、交代寄合が出たことないなw
146日本@名無史さん:2007/10/10(水) 05:51:46
交代寄合は旗本以外の何物でもない。
147日本@名無史さん:2007/10/10(水) 06:16:27
え〜と、交替寄合っていうのは
身分(扱い)は大名、経済(石高)的には旗本
ということでいいのかな?
148日本@名無史さん:2007/10/10(水) 08:05:03
身分というか、格式は大名並み。
旗本でも町奉行などになると諸太夫として大名に準ずる格式になった。諸太夫の詰間は大名とは別だが。
149大學ヘ授:2007/10/10(水) 08:29:03
 それは交代寄合かどうかに直接關係ありません。
 直臣の序列は直接的には官位官職に據ります。
 したがつて大名より官位が高ければ大名より上位に立ちます。
 これを大名に准ずるとは申せません。
 四位少將四千石吉良上野介が五位で五萬四千石の城主淺野内匠頭に威張れるのはこの爲です。
 諸太夫と言へば、淺野侯に限らず大名の大半が諸太夫です。
 大名と旗本の間に本質的な差は無く、萬石以上か否かの違ひに過ぎません。
 九千九百石の旗本阿部氏と、一萬石の大名との間に大した違ひは無いのです。
150日本@名無史さん:2007/10/10(水) 08:41:59
詰間の要素は無視かよ。将軍家との親疎は無視できない要素だ。
151日本@名無史さん:2007/10/10(水) 09:21:54
なんだ、例のごとく本郷が見当外れのレスをつけただけか。
152日本@名無史さん:2007/10/10(水) 10:48:59
>>149
大學教授の商売柄アホな学生は必要。
学生の確保が教授の大命題で世情の縮図。
よって
大學教授=サクラ=文盲
153日本@名無史さん:2007/10/10(水) 17:55:42
それで学生が本郷程度の知識しかないのか
154日本@名無史さん:2007/10/10(水) 19:27:44
反論できない文盲、罵倒作戦ですw
155日本@名無史さん:2007/10/10(水) 19:40:34
で、詰間の要素は無視するのか。
156日本@名無史さん:2007/10/10(水) 19:58:56
>>154
お前 教授だろ。
155の要求に答えろよw
157日本@名無史さん:2007/10/10(水) 20:05:09
>>76のレス以後、本郷の自作自演はこの場所の人間の共通認識になっているぞ。
本郷ってこのレベルの精神年齢だから、あんまり大人気ない扱いをしてやるなよ。どう見ても子供だろ。

それはともかく、本郷は>>155の返事をちゃんとしろよ。
158日本@名無史さん:2007/10/10(水) 20:40:17
基本的に華族令で万石以上の大名家は華族で
万石未満の旗本は士族だろ。
例外の家は有るが、将軍家譜代・縁戚の旗本家は悉く士族だろ。
明治政府(朝廷)の認識はそんなもんだ。
江戸時代の官位なんて朝廷の不本意で与えられたもんだよ。
159日本@名無史さん:2007/10/10(水) 21:16:35
江戸時代の格式について語っている最中に明治政府の認識を語って何の意味があるんだ?
160日本@名無史さん:2007/10/10(水) 21:33:09
>>159
唐突に明治政府の認識を持ち出して申し訳ない。
武家諸法度
禁中並公家諸法度
武家伝奏
の統制を問題提議したいが為です。
161日本@名無史さん:2007/10/10(水) 22:24:18
中途半端な旧字は滑稽以外の何物でもない
162日本@名無史さん:2007/10/11(木) 02:28:22
>>154
その後 ウンともスーとも言えねーのか?
163大學ヘ授:2007/10/11(木) 04:01:09
>>162
ウン、スー
164日本@名無史さん:2007/10/11(木) 07:15:27
本郷はいつからこんなに可憐になったんだw
165日本@名無史さん:2007/10/11(木) 09:15:30
詰間を以て官位を変更は出来まい。
私的なものに過ぎないし、第一大概官位と連動してる。
166日本@名無史さん:2007/10/11(木) 09:28:09
>>165
・・・で >>155に答えろよ。
167日本@名無史さん:2007/10/11(木) 12:28:54
横柄な口を利いてはいけない。
言い直し。
168日本@名無史さん:2007/10/11(木) 14:25:05
>>167
横柄な口を利いてはいけませんね。
言い直しをお願いいたします。
169日本@名無史さん:2007/10/11(木) 22:53:56
本郷は見ていて楽しいなww
170日本@名無史さん:2007/10/12(金) 19:24:26
結局反論できない文盲
171日本@名無史さん:2007/10/12(金) 20:38:33
>>155に答えろよ本郷www
172日本@名無史さん:2007/10/12(金) 23:20:12
>>170
お前は自称大學教授だろ?
173日本@名無史さん:2007/10/12(金) 23:26:03
>>160 まではまともなやりとりだったが、その後文盲が罵り喚き出して一気に駄スレと化したな。
174日本@名無史さん:2007/10/12(金) 23:33:24
>>165
私的な理由で武家伝奏を使って猟官してるだろwww
将軍家との親疎は重要な要素じゃないのか?
175日本@名無史さん:2007/10/12(金) 23:37:48
>>165
>>167
>>170
>>173
さっさと>>155に答えろよ。
176日本@名無史さん:2007/10/13(土) 07:15:46
そーゆー横柄な態度は駄目だめよ。
言い直し。
177日本@名無史さん:2007/10/13(土) 08:40:39
ということで大學教授の負け。
退場w
178日本@名無史さん:2007/10/13(土) 09:52:50
文盲の一行罵倒スレが原因。
179日本@名無史さん:2007/10/13(土) 10:46:59
>>178
なあ本郷、無理やり相手に責任を押し付けるなよ。子供みたいだぞ。
180大學ヘ授:2007/10/13(土) 15:52:11
>>179
ぼく小学校5年生だから・・・。
181日本@名無史さん:2007/10/13(土) 17:49:05
義務教育を受けていない、の間違いではw
182日本@名無史さん:2007/10/13(土) 18:37:41
>>180
子供はあんまり調子に乗っていると恐いおじさんに叱られるから、大人になるまでおとなしくロムっているんだよ。
183日本@名無史さん:2007/10/13(土) 23:55:02
三十表二人扶持の武士が四人居たとしよう
A定町廻り同心
B交代寄合榊原家家臣
C筑前秋月藩黒田家家臣
D加賀藩前田家付家老本多家家臣

この四人が同席したとしよう。席次は さあどうなる?
184日本@名無史さん:2007/10/13(土) 23:57:01
反論の出来ない文盲
185日本@名無史さん:2007/10/14(日) 00:08:09
>>184
お前なあ。>>155に答えられないなら
もう出てくるな。負け犬www
186日本@名無史さん:2007/10/14(日) 06:46:36
負け犬を晒し上げにするスレはここですか?
187日本@名無史さん:2007/10/14(日) 07:31:11
罵声より実のあることを書いたら?
188日本@名無史さん:2007/10/14(日) 10:46:54
直参なのでAの勝ち。
189日本@名無史さん:2007/10/14(日) 13:14:06
Aって一応幕臣とはいえ士分なのか?
御家人クラスの中でも一代契約社員だろ?
微禄でも旗本なら一発で陪臣よりも上だろうが。
190日本@名無史さん:2007/10/14(日) 15:08:04
>>183
現代風にいえば

Aノンキャリアの国家公務員
B公団職員
C大企業子会社で上場企業社員
D国内トップクラス企業子会社で非上場企業社員

ってとこだろうがそんな単純なものでもなさそうな・・・・・
191大學ヘ授:2007/10/14(日) 17:42:16
Aの同心は足軽級の上に不浄役人にて、到底士分ではありえませんが、それでも直参。
BCDは全て陪臣ですから格下です。
192日本@名無史さん:2007/10/14(日) 19:48:21
A>C>B>Dかな?

A:直参(将軍の家来)
C:大名の家来(将軍の家来の家来)
B:旗本の家来(将軍の家来の家来)
D:大名の家来の家来(将軍の家来の家来の家来)
193日本@名無史さん:2007/10/14(日) 19:52:52
参考までに、明治になってからの族籍では
A:士族?
B:平民
C:士族
D:平民
となりますな。
194日本@名無史さん:2007/10/14(日) 20:09:53
>>190
国家公務員?地方公務員だろ
195日本@名無史さん:2007/10/14(日) 20:23:06
町奉行は勘定奉行、寺社奉行とならぶ三奉行で、評定所構成員なので、
単純にいまの都知事や警視総監にあてはめられない。
中央の役職と見たほうがいい。

町方同心は樋口一葉の親父の例でわかるように、維新後は士族。
196日本@名無史さん:2007/10/14(日) 20:26:00
交代寄合の家臣の場合、主君が維新後に朝臣になっていれば士族。

大藩家老の家臣(陪臣)は、維新後とりあえず卒族になっているので、
ケースバイケースで士族もありうる。
197日本@名無史さん:2007/10/14(日) 20:43:10
ここ暫くのレスを鵜呑みにすると
ああ見えて遠山の金さんってお偉方に相当するんだね
198日本@名無史さん:2007/10/14(日) 23:45:43
このスレ見なくても、江戸の町奉行は十分にお偉方だと認識してたが・・・
199日本@名無史さん:2007/10/14(日) 23:53:40
>>197
遠山氏は美濃明智氏の支族で源氏ということなっている。
偉いかどうかは分からぬが左衛門尉を名乗っている。
200大學ヘ授:2007/10/15(月) 08:04:57
 現在、警察は自治體警察ですが、中級以上の警官は、地方自治體に勤務しつつ身分は國家公務員です。
 定町廻同心が中級かは疑問もありますが、戰前のやうな國家警察と考へれば、國家公務員と呼んでも間違ひではなささうです。

 左衞門尉は衞門府の三等官にて、律令體制本來の官等は低かつたのですが、武官ですから武家にとつては人氣がありました。
 これは征夷大將軍以下、皆同じですが。
201日本@名無史さん:2007/10/15(月) 08:46:21
警視正は上級といっていいのではないですか。
戦前なら立派な高等官ですよ。
202日本@名無史さん:2007/10/15(月) 09:28:47
唐突に警視正とは是いかに?
203日本@名無史さん:2007/10/15(月) 09:44:33
町方同心が国家公務員?
地方公務員として採用された警察官の中で何割りが警視正まで昇れると思ってんだ?
町方同心は移動もない地役人なんだから地方公務員だろ
204日本@名無史さん:2007/10/15(月) 10:37:28
>203
1%いるかいないかじゃない?
比較的大きな警察署の署長クラスだべ?
尚警視正になると痴呆採用の警官も国家公務員に移籍という形を取る。
痴呆から見たら雲の上の存在だけどキャリアから見たら30そこそこで
なれるから単なる通過点なんだろうな。
現在の俸給で行くと警視正は大佐クラス。戦前は少佐か中佐だったっけ?
205日本@名無史さん:2007/10/15(月) 10:46:26
同心は巡査? 巡査部長?
与力が警部? 警視?
奉行が町人限定の警視総監兼東京知事兼東京地裁裁判長?
岡っ引きは同心与力の私的なアルバイトとして同心からは一応正社員として考えてオケ?
206日本@名無史さん:2007/10/15(月) 10:53:53
定廻同心って着流しに一本差しだっけ?
有事に際しても出陣の栄誉すらないんだろ?
207日本@名無史さん:2007/10/15(月) 12:37:42
そもそも幕臣を公務員等の現在の組織に置き換える必要はないし無理があるのでは?
208大學ヘ授:2007/10/15(月) 13:02:00
 先づ外國や過去の事象を説明するのに現行國内制度に置換へて説くのは、説明の便法として廣く行なはれてゐます。
 次に戰前の巡査は今日の國家公務員ですから、江戸時代の同心を國家公務員と云ふのは大して不都合でありません。
 國家公務員も大半はお先眞つ暗のペーペーなのです。
 警察廳にしてから巡査部長がゐます。
 國家公務員たる警官は警部補〜警視正より上ですが、一定しません。
 定町廻同心は國家警察首都本部の下僚ですから、下つ端國家公務員と呼んでも良いでせう。
209日本@名無史さん:2007/10/15(月) 14:41:02
>>202
201ですが、教授氏が「中級以上は国家公務員」と仰ったからです。
現行制度では警視までは地方公務員、警視正から↑は国家公務員だからです。
勿論、戦前と現代では警察もかなり変わっていますが。
戦前では警視以上は高等官、警部以下は判任官です。>>203氏が仰るように警視正はもう幹部の中の幹部でしょう。
また>>207氏にも密かに同意します。
210日本@名無史さん:2007/10/15(月) 14:44:11
>>208
なんで戦前の巡査が出てくるの?
現在の公務員の話なんだけど。
211大學ヘ授:2007/10/15(月) 15:31:20
 無論、比較の爲です。
 學問は時間的空間的、すなはち縱横の比較ですから比較を廢する譯には行きますまい。
 現在、お巡りさんの大半が地方公務員ですが、概ね中位から追々國家公務員になります。
 定町廻同心は昔のお巡りさんですから、時間的にも性格的にも中間たる戰前の警察官を挾み、比較に適します。
 
 小職は基礎法學ながら實定法出身ですので刑事法や行政法も判らないではありません。
 何處から上が國家公務員かは何處から上が殿上人かと云ふ命題と同じで、一律でありません。
 そもそも公務員と云ふ言葉も觀念も戰後、占領軍によつて持込まれたものですが、終戰までの 官吏+公吏+α と思へば大差ありません。
 さうして定町廻同心は中央政府直屬の首都警察ですから國家警察であり、此處に屬する者は國家公務員でせう。
 下級者ではありますが、現代に於ても國家、地方を問はず公務員の大部分は悲慘な下層階級者です。
212日本@名無史さん:2007/10/15(月) 16:06:08
官吏と吏員では?
213日本@名無史さん:2007/10/15(月) 16:12:43
>現在、お巡りさんの大半が地方公務員ですが、概ね中位から追々國家公務員になります。

それちがうよ


214大學ヘ授:2007/10/15(月) 16:18:16
>>212 官公吏教員という言ひ方をしましたが、吏員でも結構です。

>>213 學術論争は結論より理論が大切です。理由をどうぞ。
215日本@名無史さん:2007/10/15(月) 16:29:59
>>214
地方公務員たる警察官の「中位」という表現がおかしいかと思って
216大學ヘ授:2007/10/15(月) 16:57:00
 それなら、おかしい理由を述べる可きです。
 さて中位と云ふのは相對的表現で劃然と區分けできる言ひ方ではありませんが、下は巡査部長から國家公務員がゐます。
 これは下位ですが、警部補、上は警視正と各階梯がありますが、尤も高い警視正ですら九段階中の上から四番目、高々署長クラスですから、餘り偉くはありません。
 よつて中位と呼んだのです。
217日本@名無史さん:2007/10/15(月) 17:16:19
>>216
国家公務員たる警察官に巡査部長がいてもいいんですが、
私は「地方公務員たる警察官の中位」についておかしいと思ったのですが?
218大學ヘ授:2007/10/15(月) 18:14:55
 了解。
 警察官の中位でも自治体警察の中位でも良いですよ。
 警官は本質的に現業の下級公務員であり、初級、V類、出先採用なのです。
219日本@名無史さん:2007/10/15(月) 18:24:16
徳川幕府の直轄領を、プロイセン王国のような徳川領邦国家、徳川王国と考えれば、
その主都である江戸の町奉行を国家警察長官、その下僚を官吏と考えるのは当然だろう。
220日本@名無史さん:2007/10/15(月) 19:07:02
寄合の話から同心を経て脱線してはいるけど珍しく荒れていないなw
221日本@名無史さん:2007/10/15(月) 19:46:07
>>219
江戸町奉行にそんな権限はない
222大學ヘ授:2007/10/15(月) 20:04:42
 町奉行は首都警察長官で、これは國家警察だとまでは言へますが、地域管轄が首都に限定されてゐますから、國家警察長官とまで言切るのは苦しいかも。
 細いことを言ふやうですが、町奉行であつて、江戸町奉行ではありません。
223日本@名無史さん:2007/10/16(火) 01:21:06
地方の県警だと、警視正といえば部長クラスだけどね。
224日本@名無史さん:2007/10/16(火) 03:01:53
警視正なら国家公務員
225日本@名無史さん:2007/10/16(火) 03:08:27
浦賀奉行所の下僚には、与力から大目付になった人や、
同心から2000石の軍艦頭になった人がいるんだから、
現代の公務員と比較は出来ないでしょう。
226日本@名無史さん:2007/10/16(火) 03:44:48
少なくとも神奈川県警や海保の現業から中央官庁の指定職には就けないからね
227日本@名無史さん:2007/10/16(火) 03:55:15
警視以下が地方公務員なんだから勤務地に関係無く国家公務員である警視正が地方公務員の中位であるはずがないだろ
228日本@名無史さん:2007/10/16(火) 04:07:37
>>226
現場たたき上げで、ごく稀に滋賀や富・千葉等の県警本部長になる人もいる。
が、警察庁の課長になる人は皆無。
>>223
たたき上げで都道府県警本部の部長級ならどうせ交通部や生活安全部だろ?
229大學ヘ授:2007/10/16(火) 08:07:50
>>225−6
 大日本帝國では巡査から内務大臣とか、一兵卒から陸軍大將とか、左翼の言ふ「縱の流動性」が有りました。

>>227
 警視正と云はず中位と言つたのは、巡査部長から始まり警部補、警部と必ずしも警視正を待たないからです。
 地方公務員の中位とは言つてをりませんが、誰かが警視正を地方公務員の中位と言つたとしても反對しません。まともな大學を出て官廳に入れば、誰でも縣警本部長や副知事ぐらゐにはなるのです。警視正にしても大した地位ではありません。

>>228
 さうです。警視廳ですらぺーぺーから就任できるのは四つある部長職のうち防犯だけです。何處でもさうですが、學力の無い人が就けるのは頭を使はぬ配置に限られます。庶務とか。かうして見ると江戸時代が現代よりチャンスに乏しかつたとは言ひ難いかも。
230日本@名無史さん:2007/10/16(火) 09:58:37
旧帝大やナンバーハイスクールはエリート。
中学卒業時点で国家による選別が行われた。
231日本@名無史さん:2007/10/16(火) 10:17:12
我が国のパラダイムシフトを戦国期から江戸幕府成立期や明治維新に求める人が居ますが
私は保元の乱から承久の乱までに最重要なパラダイムシフトが行われたと考えています。
232日本@名無史さん:2007/10/16(火) 12:43:37
まともな大學を出て官廳に入れば、誰でも縣警本部長や副知事ぐらゐにはなるのです


233日本@名無史さん:2007/10/16(火) 12:53:40
警視庁の部長級でノンキャリアが就くことができるのは交通部 地域部 生活安全部の
三つだが、三つ同時にノンキャリアが就くことはない。
234大學ヘ授:2007/10/16(火) 13:11:49
>>230
 いいえ、中學へ行ける人は既に少數派でした。
 なほこれは國家の直接關與する問題でもありません。
 中學は國立でなく、入試は國家試驗でありません。
235半陽陰茎:2007/10/16(火) 13:17:49
>>234
県知事は政府の任命で赴任したのでは?
236日本@名無史さん:2007/10/16(火) 13:19:29
東大で国1受かって官庁に採用されても試験区分が理工Tとかの技官じゃたいして偉くなれない
237日本@名無史さん:2007/10/16(火) 14:01:15
>>229
警察庁の場合、キャリア様で誰でもなれるのは管区の部長までかな?
238大學ヘ授:2007/10/16(火) 17:33:42
 警官というのは高卒の未成年を主に採用する現業下級公務員の大集団で、少年警察官が不祥事を起し続けて来たのはこの故であり、だからこそ中級(短大)採用が準幹部たり得るのです。

>>230
 × ナンバーハイスクール
 〇 ナンバースクール

>>236  
 技官や医官を重視する官庁もあります。建設や厚生がそうでした。
239日本@名無史さん:2007/10/16(火) 17:41:35
>>238
旧建設省が技官を重視?技官天国といわれた旧科技庁のまちがいでは?
旧建設省の場合、他に比べればトップになれる可能性があっただけましかもしれないが。
事務官の次官が就任期間2年に対して技官の次官は就任期間1年で差別ルールは有名だったんだが・・・
 
 
240日本@名無史さん:2007/10/16(火) 17:47:01
旧建設省の場合は河川局と道路局だけが技官優位だった
241日本@名無史さん:2007/10/16(火) 18:07:24
板違いもいいかげんしろやカスども
やるならsageてやれ
目障りだ
242日本@名無史さん:2007/10/16(火) 18:54:21
どちらかというと、内務省スレの方が向いている話題だよな。


交代寄合はどうなったんだ?
243日本@名無史さん:2007/10/16(火) 19:41:10
交代寄合=小名
244日本@名無史さん:2007/10/16(火) 20:16:22
本郷ごと内務省スレに移ってくれ。
245大學ヘ授:2007/10/16(火) 20:29:40
 左樣、まともな大學を出て官廳に入れば、誰でも縣警本部長や副知事ぐらゐにはなるのです。
 母校の所屬團體の名簿を見ると、例外無く其ぐらゐの累進はしてゐます。
 なほ小職は東大ではありません。
246日本@名無史さん:2007/10/16(火) 21:29:09
まともな大学でて国1の法律区分で採用されてなくても???
247日本@名無史さん:2007/10/16(火) 21:32:21
まともな大学出てU種やV種で官庁に入る奴も稀にはいるわな
248日本@名無史さん:2007/10/16(火) 21:33:54
国1採用 早稲田大学>>>>国2採用 東京大学
249日本@名無史さん:2007/10/16(火) 22:50:15
交替寄合の最上義雅が、永井直増の次男を養子にとっているようなんだけど、
何か血縁関係でもあったんだろうか?
そこらへんの事情を知ってる方、おながいしますm(_ _)m
250日本@名無史さん:2007/10/16(火) 23:27:44
養子縁組に関する情報って当時の武鑑か何かに載ってるのだろうか。
251日本@名無史さん:2007/10/17(水) 03:42:06
寛政重修諸家譜が基本だろう。
252日本@名無史さん:2007/10/17(水) 06:33:57
寛政より以後はまとまった資料がない?
253日本@名無史さん:2007/10/17(水) 07:14:20
また寛政重修諸家譜か。
他の本を読んだことはないのか?
254日本@名無史さん:2007/10/17(水) 07:43:19
>>253
ほかにいい本があるなら是非>>252の疑問に答えてくれ。
255日本@名無史さん:2007/10/17(水) 08:04:22
個別史料が幾らもあるだろう。
大旗本池田氏文書とか。
届書が真実とは限らないぞ。
ことに相続関係は。
勝海舟以来、おまいの信仰的非科学的寛政重修諸家譜崇拝には辟易しとる。
256254:2007/10/17(水) 09:24:26
悪いが俺がここで寛政重修諸家譜について語ったことはないぞ。俺は251でもないし。

それから、まとまった資料を訊ねているのに個別史料を提示せんでくれ。
257日本@名無史さん:2007/10/17(水) 09:48:01
>>256
まとまった資料なら、>>253の脳内に幾らもあるだろう。
おまいの信仰的非科学的寛政重修諸家譜崇拝には辟易だ。
258254:2007/10/17(水) 10:13:39
>>257
楽しいかね?
259日本@名無史さん:2007/10/17(水) 11:08:40
>>257 は文盲荒しだろう
260日本@名無史さん:2007/10/17(水) 11:54:02
大學教授とそのアホ学生に乗っ取られたな。
261日本@名無史さん:2007/10/17(水) 19:41:34
反論できないので罵倒
262257:2007/10/17(水) 20:57:59
>>258
皮肉られてる本人じゃなくておまいが腹立ててどうする。
263日本@名無史さん:2007/10/18(木) 06:02:59
>>225
守衛が法務大臣や艦長になっちゃったってことか。すごい話だな。

そういえば、川路聖謨・井上清直兄弟も元は与力だか徒士だったな。

町与力が賎職で、出世できないという話もなんか怪しいな。

下手に、出世するより賄賂もらってたほうが楽だったんだろうな。
264日本@名無史さん:2007/10/18(木) 06:13:49
>>262
何を言ってるのかと思えば、単なる悪文家だったか。
265日本@名無史さん:2007/10/18(木) 20:52:17
>>262  誰の目に醜悪だからさ。
266日本@名無史さん:2007/10/18(木) 20:57:22
>>263
専門職みたいな物で一般的な昇進コースが出来ていないってことだと思う。
一度どうにかして昇進ルートに載ってしまえばその先は何とかなるんだろう。
幕初・幕末の混乱期はまた別だろうし。
267日本@名無史さん:2007/10/18(木) 21:17:01
大政奉還以降なんて、大名が就いていた職も、大名が家臣でなくなったために旗本などが就かざるを得なくなったわけだしね。
268日本@名無史さん:2007/10/18(木) 22:08:37
幕末は例外でしょ? 志士が大臣級になった明治期の薩長時代も。
時代が安定したら常道エリートが幅をきかせるさ。
政治家位か?私大卒が幅をきかせられる世界は。
269日本@名無史さん:2007/10/18(木) 22:32:25
経済界も私大卒って多いんじゃないか。
医学界も、慶應は旧帝大並みの扱い。
270日本@名無史さん:2007/10/18(木) 22:49:09
諸組与力同心から立身した話は聞くけど、町方と牢屋敷の与力同心だけは聞かないな
271日本@名無史さん:2007/10/18(木) 22:53:31
中村主水みたいな人たちだからなあ。
272日本@名無史さん:2007/10/18(木) 23:04:32
そんなら武士を捨て商人になったほうが儲かる。
文盲の無理解は凄いな。
273日本@名無史さん:2007/10/18(木) 23:12:05
地役人だからかな?

手付だったら地役人じゃないけど(血縁関係見ると土着っぽいいかな)川路聖謨・井上清直兄弟も西国日田代官所の手付か手代の内藤家から養子に出たから出世できたわけだし。

274日本@名無史さん:2007/10/18(木) 23:15:34
町奉行の与力・同心はあえて言えば嘱託みたいなものなんだろう。
正規職員じゃないから出世できないって感じで。
275日本@名無史さん:2007/10/19(金) 01:05:40
実際、町方の与力の親族とか江戸近郊の百姓に多いわけで・・・
276日本@名無史さん:2007/10/19(金) 05:49:03
>>273
だから、出す方も貰う方も養子の口に困ることはなかったわけだな。
出す方→実家の身分が低くてもこれは、という出来の良い子を家柄の良い家に出せば実家ではできない出世をさせられる。
      大して出来の良くない子でも同格くらいで子のない家に押し込めれば人減らしになる。
貰う方→どんなに格が高くて知行が多くても跡継ぎがいなくなれば潰れてしまう。どうせなら身分が格下の家からでもいいので
     優秀な子を貰えば次の代にはさらに箔を付けられる。たいして優秀でなくても家ごと潰れるよりはマシ。

「江戸時代は身分社会」とは言いながらも養子や株購入などで身分の上昇を図ることができた動的な身分社会。
中国や朝鮮の静的な身分社会とはそこが違う。
ただし、中国なんかは制度疲労した王朝が易姓革命することでガラガラポンが行われたりするが、結局は革命なんで大抵血
を流さざるを得ないのが難点だ。
277日本@名無史さん:2007/10/19(金) 07:01:07
ガラガラポンって政治ネタとかで保守オヤジがよく使う言葉で、なんか好きじゃない。
278大學ヘ授:2007/10/19(金) 08:07:17
 言葉遣ひ一つで論者のお里が知れますからな。
「マイフェアレディ」を見て肝に銘じませう。

 さて株として買へるのは正規の武士でない輕輩−出自的に百姓筋目で當然の階層−に限られたのであり、大名や交代寄合の株が買へた譯ではありません。
 この種論者は、武士の概念が分つてゐないやうです。
 株で買へるのは、狹義の武士に當らぬ輕輩−株以前から元々下郎の上り得た身分−に限られてゐたのです。
 足輕、同心をご覽あれ。
 初めから百姓に刀を差させた者に過ぎないのです。
「封建制度は親の仇でござる」
 株買つた口の福澤のこの評の方が「靜的な身分社會」の實態を良く捉へてゐます。
279日本@名無史さん:2007/10/19(金) 08:39:35
婉曲的に、前スレ以前に問題になった「旗本株売買」はありえなかったとほのめかしたいんだろうか。

そういう曖昧な主張をするから議論が混乱するんだがな。
280日本@名無史さん:2007/10/19(金) 09:51:44
>>276
川路家は代々の小普請で養父は好きな茶を絶ち
養母は毎晩水垢離を取って聖謨が役に就けるよう願ったんだよな
聖謨は毎日槍を二百本突き学問に励んで小普請奉行に運動を続け
それでも4年くらいで勘定書の出役に就けたのは運がいい方
281日本@名無史さん:2007/10/19(金) 11:15:46
>>273
日田代官所×
西国郡代日田永山布政所○
282日本@名無史さん:2007/10/20(土) 06:27:30
>>279  どう曖昧なのかを書かないと曖昧。そういう曖昧な主張をするから議論が混乱する。
283日本@名無史さん:2007/10/20(土) 10:04:20
>>282
「ほのめかす」という行動こそが曖昧なのだと明確に書いているわけだが、その程度のことも
読み取れない程度の読解力で反論するから議論が混乱するんだがな。
284日本@名無史さん:2007/10/20(土) 10:07:24
郡代って一体何のためにあったんだろう。代官所を統括する役目としても、幕府領全体に配置されているわけでもない。
代官所自体が1つの郡程度の石高の領地を担当しているのに、郡代っていう呼称も矮小な気がするし。
285日本@名無史さん:2007/10/20(土) 11:06:15
藩によっては郡代が代官を統括しているところもあるが、
幕府の郡代は代官統括してないな。
単に管轄区域が広めで格が上の代官って感じ。
郡代は布衣、代官は一部布衣もいるって感じ。
286日本@名無史さん:2007/10/20(土) 11:55:43
幕府の郡代は赴任中 自分の領地(知行地)どうしていたんだろう?
陣屋に自分の代官を送り込んでいたのか?
このスレで誰かが 旗本は自らの知行地は自らが支配・管理していたと言ってたけど
さあ、どうなんだ??
287日本@名無史さん:2007/10/20(土) 13:42:07
郡代程度では領地ない場合も多いと思うけど。
あっても相給で小領地が散在とかで支配体制は整ってないんじゃないだろうか。
ある程度の規模の旗本でも庄屋の家柄を現地代官にして丸投げなんてのもある。
で侍専業になったその代官が親類を代わりに庄屋にするんだけど、
あくまでも名代で本来は庄屋はうちだって強調した念書とか残ってる。
どうも侍身分とか代官の地位とかあまり信用してないみたい。
実際幕末・維新の時の地方大寺院で家老は没落、大庄屋は健在とかあったし、
杞憂じゃないよな。
288日本@名無史さん:2007/10/20(土) 15:43:20
大身旗本は大抵自分で自前の代官を領地に送り込んでいたからね。本郷は3000石以上ならとかいってるが、
少なくとも畿内近国であればもっと小身でも送り込んでいる印象だ。たとえ大身旗本が代官を送り込んでいても、
一部の業務は本家の大名・旗本に委任というケースもあったようだがね。

江戸時代は、経済的に流動的だった時期。武士は血縁等による相互の寄りかかりが強固だったから別として、
大商人だろうが村方三役だろうが、努力なしにその地位を維持できなかったことには変わりない。
289日本@名無史さん:2007/10/20(土) 20:11:46
交代寄合以外の旗本で定府しない者がいたのか?
290日本@名無史さん:2007/10/20(土) 20:18:33
追加
京都・大阪・長崎などの遠国・町奉行や郡代・代官・甲府勤番などの
役付以外で。
291大學ヘ授:2007/10/20(土) 20:28:31
 村役人、殊に名主以上は世襲も多いですから、其の説は必ずしも當りません。また
此らは原則無給にて、是非やり度い職務でもありません。本質に於て無償の奉仕活動
です。

 武士團の結束は本質的に軍事的結合ですから、此を經濟から解説するのは失當です。

 徳川氏は地方知行の古法を最後まで維持し、旗本どころか御家人の果まで領知を賜
る事がありました。況や旗本ともなれば地方知行は寧ろ當然でしたが、此も時代が下
ると段々扶持藏米に變つて行きます。勝海舟は千俵取の軍艦奉行竝でした。徳川時代
は三百年と俗稱される長い期間です。時期によつて變遷が有る事を見落してはなりま
せん。時間の觀念を去つて歴史學は成立ちません。
 
 旗本は大名の小規模なものであつて近世封建領主に間違ひありませんから、本來な
ら地行所に陣屋−城郭を構へ、在地で統治す可きです。此れは小大名と、交代寄合の
如き大旗本との連續性を見れば容易に理解出來ます。が、身代が小さくなるに連れて
段々出來かねますから、小身に成るにしたがつて城郭無しから始り、陣屋無し、大名
主へ委任、名主へ委任、領外の大公儀や親類へ委任と成つて行くのです。

 名主らが地頭の委任を受けて統治の任に當るとしても、代官だの取立てだのを經ず、
從前大百姓の儘と云ふことも少くありません。
292日本@名無史さん:2007/10/20(土) 23:29:02
> 村役人、殊に名主以上は世襲も多いですから、其の説は必ずしも當りません。また
>此らは原則無給にて、是非やり度い職務でもありません。本質に於て無償の奉仕活動
>です。

 階級制度の厳しい江戸時代に、名誉職がどれほど価値があるかは、むしろ本郷的価値観を持つ人間のほうが
直感的に分かると思ったがね。また、庄屋などは各戸の年貢負担等を決める権利さえあったから、経済的にも
メリットは大きかった。
 庄屋等は、江戸期の経済的変動などのあおりで、世襲の家から新興有力農民の家に移る傾向が大きかった。


>武士團の結束は本質的に軍事的結合ですから、此を經濟から解説するのは失當です。

 軍事行動のない時期が長く続けば、武士の軍事集団としての側面は相対的に小さな一面でしかなくなる。
相変わらず経済史音痴のようだな。


>徳川氏は地方知行の古法を最後まで維持し、旗本どころか御家人の果まで領知を賜
>る事がありました。況や旗本ともなれば地方知行は寧ろ當然でしたが、此も時代が下
>ると段々扶持藏米に變つて行きます。勝海舟は千俵取の軍艦奉行竝でした。徳川時代
>は三百年と俗稱される長い期間です。時期によつて變遷が有る事を見落してはなりま
>せん。時間の觀念を去つて歴史學は成立ちません。

 以前も指摘したことがあるけど、大名家では家臣の俸禄を早くから蔵米に切り替える傾向があったね。
ただ、畿内近国での旗本領の代官支配に関しては、江戸後期から幕末にかけてを念頭に言及している。
むしろ、丹波に知行を持つ旗本が、当初は京の町に代官所を置いていたのを領内に移したという例もある。
所領近辺の事情によって、めいめいの領主が経済的安定のための措置の最適化を図ろうとしたことが
見て取れる。
 なお、大名でも旗本でも、時代が下るにしたがって、村方役人を領内の支配力強化のために村方から支配側に
引き寄せようとする動きはごく一般的だった。
 一例としては、江戸初期に帰農した武士を飛地代官として取り立て、江戸中期には代官は本領の役人になり
代官業務は大庄屋に移管。天明期以降には有力農民の一部は名字帯刀を許されて本藩財政改革に携わるとかね。
293日本@名無史さん:2007/10/20(土) 23:29:49
> 名主らが地頭の委任を受けて統治の任に當るとしても、代官だの取立てだのを經ず、
>從前大百姓の儘と云ふことも少くありません。
 所領が小さければ現場の責任者に与えるべき権限も小さいから、陣屋・代官所を構えず大庄屋・庄屋程度に
委任したケースも少なくないな。
294大學ヘ授:2007/10/21(日) 00:11:08
 名譽職といふ言葉の意味を誤つてゐます。地方支配に名譽があるか否かは兔も角、
大量の實務を伴ふのですから名譽職とはよも申さじ。名譽職と名譽ある職とは全く
異り、兩者を分つのは實務の有無です。

 近畿の知行所と云ふのも、非典型的事例です。庄屋は同方面に特有の方言であり、
典型的には名主。代官所も代官役所の間違ひです。混用の事例絶無でないにしても、
基本的に誤りです。

 旗本の多くが近々數百石程度の御高であり、然も飛地や相給で一所に數十石、更
には數石以下だつたりしますから、陣屋も代官も置けたものではなく、大百姓に委
任して濟ませるのは極く普通のことでした。名主にしても一村に一人と限らで、領
主毎に任じて數人併存した事もあります。

 年貢賦課に關する名主の役得は犯罪であり、此れを監視するために百姓代ら村役
人がゐるのですから、犯罪遂行を前提にした役得論は認められません。

 合戰が絶えて何百年經たうとも、戰士たる本質に變りはありません。變らぬもの
をこそ本質と呼ぶのですから、此れも基本概念を誤つてゐます。武士は武道を去つ
ては成立ちませんが、錢勘定など判らない方が眞人間にて、判らいでも大威張に威
張つたものです。勘定方は卑職で、財政改革は賤業で、藩政改革の功勞者が矢鱈非
命に倒れて終りを全うしなひのも此の故です。大商人でもたかが足輕の前に土下坐
するのが封建の世です。

 さうして、此のことが武家困窮二百年の根本原因でもあります。金は汚い經濟は
卑しいと確信してゐて、金の貯まる筈無し。詰り經濟音痴でなければ武士でなく、
經濟史音痴でなければ武家史は判りません。武家が經濟に軸足を移すぐらゐなら、
武家政權が潰れやしません。最後まで金錢を忌み、算盤を卑しみ、此れに携はる者
を賤視して賤民の直ぐ上に置いて−汚い人や金に−課税すらしなかつたればこそ、
武家の世が終つたのです。
295アホ學生:2007/10/21(日) 01:05:59
大學教授に質問です。
商人には課税しなかったのですか?
296大學ヘ授:2007/10/21(日) 05:30:55
 單純に言へばさうです。
 但しあらゆる負荷を免れた譯ではありません。
 今日、旅行者として通過、滯在する場合でも、また所謂非課税の低額所得者でもなほ多少の徴税はされるやうに、往時の商人も冥加金等は負擔しました。
 でも此等は税、特に所得税として認識されず、負擔も輕度でした。
 戰國以來、城下の免税は普通のことです。
 百姓が町場へ逃込むのも此が原因です。
 手工業の發達とともに封建制が傾くのも、此が原因です。
 商業に課税してゐれば、商業發達で領主が貧乏に成る筈がありません。
297日本@名無史さん:2007/10/21(日) 07:29:34
> 名譽職といふ言葉の意味を誤つてゐます。地方支配に名譽があるか否かは兔も角、
>大量の實務を伴ふのですから名譽職とはよも申さじ。名譽職と名譽ある職とは全く
>異り、兩者を分つのは實務の有無です。

名誉職云々は了解。確かにそうだ。
で、こっちが反論した、村方三役が名誉ある職でかつ経済的実利を伴うために、その職に喜んで就いて
いたという反論は、異論がないというわけかね。


>近畿の知行所と云ふのも、非典型的事例です。庄屋は同方面に特有の方言であり、
畿内近国は関東と並んで旗本領の一大分布地だ。その地域を無視して一般事例として語ろうとするのは
論外だぞ。
また、庄屋と名主は史学用語としていずれも使用されている。どちらが正しくどちらが間違いなどという
話にはならないし、むしろ庄屋という用語のほうがやや一般的だろう。


> 旗本の多くが近々數百石程度の御高であり、然も飛地や相給で一所に數十石、更
>には數石以下だつたりしますから、陣屋も代官も置けたものではなく、

これはほぼ同意。代官を任命したり送り込んだりするのは、所領村々の分布が、複数の村を一箇所で
統括して支配するのが便利な場合だからな。
298日本@名無史さん:2007/10/21(日) 07:30:21
> 年貢賦課に關する名主の役得は犯罪であり、此れを監視するために百姓代ら村役
>人がゐるのですから、犯罪遂行を前提にした役得論は認められません。

社会経験のない小児的なコメントとしてスルーするよ。それ以下も、コメントをつけようかと思ったけど
本郷の視野狭窄的な信念は相変わらずだし、議論といえるやりとりはできそうにないからな。

ただ、武家史を捉えるのに経済史の視点を積極的に排除すべきだと放言する君のスタンスこそが、
視野狭窄的と誰もが感じていることだと指摘させてもらうにとどめる。

「そのこたえはまちがっているよ。だってぼく、そんなこと先生にならってないもの」
299アホ學生:2007/10/21(日) 08:23:52
大學教授に質問です。
特産品の専売制なんてみみっちいことは
武士のプライドが許さないんじゃないですか?
300日本@名無史さん:2007/10/21(日) 10:34:05
それはただの罵倒。
反対するならきちんと理由を書かなきゃ。
301日本@名無史さん:2007/10/21(日) 10:51:57
大學教授はアホ學生の質問に答えてやってください。
302大學ヘ授:2007/10/21(日) 16:25:03
 誰も答へる義務は無いのですから横柄な書方をしてはいけません。
 專賣制は漢籍の眞似と考へられますが、普通の武士は關心を持たない事です。
 みみつちいと云へば算盤勘定はみなみみつちいのであり、專賣に限りません。
 寧ろ財政つぽくて如何にも 御仕置−徴税−統治 と見え、幾らかマシでせう。
 勘定方の配置は武士のプライドが許さないと云ふことはあります。
 其れでも我慢するのは、本務は戰鬪配置であり、平時の御役は二次的臨時的なものにに過ぎないと云ふ認識があるからです。
303日本@名無史さん:2007/10/21(日) 18:08:11
どうでもいいがキャラを統一してくれw
304日本@名無史さん:2007/10/21(日) 21:16:33
江戸時代の武士が経済音痴だったのは、軍事的に形骸化した無能集団だったから。戦国時代には
現実的な必要から、軍事力イコール財力という認識は常識以前だったから、どこの戦国大名でも
せっせと蓄財にいそしんだ。戦国武将が軍事集団を自認している江戸期の武士を見たら、さぞや
呆れ返ったことだろう。

ちなみに、幕末の倒幕の中心になった薩長が蓄財にいそしんで力を蓄えていたことは有名。
薩摩なんて、琉球を利用して大いに密貿易をしていたくらいだからな。彼らにとっては、経済
音痴のせいでまともな軍備が整えられない他藩が馬鹿に見えたことだろう。
305日本@名無史さん:2007/10/21(日) 22:31:01
そういえば信濃国で幕末に破産した藩があったような…
306日本@名無史さん:2007/10/22(月) 07:24:48
財政改革の失敗 -> 領民からの搾取の強化 -> 民衆の反乱(一揆・打ちこわし) -> 
軍事力を用いた鎮圧 -> 幕府からの監視強化 -> 有力者への付け届け -> 
度重なることで、領内外の豪商が離れる -> 有力者「仕方ないのう」 -> 改易
307日本@名無史さん:2007/10/22(月) 07:37:24
有力者の本音:
金の切れ目が縁の切れ目。

豪商の本音:
代わりがいないわけじゃない。次の奴をコントロールできるか分からないのは不安要素だが、
あの馬鹿集団と共倒れよりはマシじゃね?



このパターンでの改易が江戸中期以降に減少したのは、馬鹿集団が無い知恵絞って考えた成果です。
308大學ヘ授:2007/10/22(月) 17:44:00
 薩長に於ても理財家は酷い目に遭つてゐます。
 調所笑左衞門廣郷は殺されました。
 商人への蔑視も中々のものです。
 戰國大名の家に在つても、經濟官僚は酷い目にあつてゐます。
 名を殘したのは大久保長安ぐらゐのものですが、結末は一族皆殺し。
309日本@名無史さん:2007/10/22(月) 19:02:46
楽市楽座など、画期的な経済政策を打ち出した織田信長が反乱により殺されたのも、
明智光秀が経済ごときに本腰を入れる主君を軽蔑したためとでもいうつもりだろうかww
310日本@名無史さん:2007/10/22(月) 19:06:23
で、調所広郷が殺されてから、薩摩藩は経済活動を恥じて琉球貿易を取りやめたのかねww
311日本@名無史さん:2007/10/22(月) 19:53:05
和算と洋算の大家だった小野友五郎が勘定奉行並になってるよ。
312日本@名無史さん:2007/10/22(月) 20:08:51
よほど勘定が得意だったに違いない。
313日本@名無史さん:2007/10/23(火) 08:27:07
よほど勘定が得意でも稀に勘定奉行並にしか成れない。
合戦がよほど得意なら続々大大名に成れる。
314アホせ學生:2007/10/23(火) 08:36:57
先生は妄想がエスカレートして
教授会の査問委員会にかけられました。
315日本@名無史さん:2007/10/23(火) 12:00:45
経済音痴の無能な軍事集団である江戸期の武士にノスタルジーを覚え、平成日本の自分の境遇に重ね合わせて
見当違いの虚栄心に浸り、せっせと職業差別的発言を連発する老人がいるスレはここですか?
316日本@名無史さん:2007/10/23(火) 12:31:24
>>313
> 合戦がよほど得意なら続々大大名に成れる。

可児才蔵とか大久保彦左とか塙団右衛門がいつ大大名になったので?
317日本@名無史さん:2007/10/23(火) 12:52:20
 可児才蔵は父権蔵以前から一城の主。
 大久保彦左は本家が小田原城主で十五万石。
 塙団右衛門も一手の将で小大名ほどの格である。
 何れも合戦がよほど得意かは疑はしく適切な例でないが、元々可児大久保塙が大大名になったかどうかなど誰も論じていない。
 槍一筋に大大名に成った例は無数にあるのだから、成り損なった例を探して見せても意味は無い。
318日本@名無史さん:2007/10/23(火) 13:31:04
大蔵官僚上がりで首相になった人間は山ほどいるからね。江戸期を論じるだけならともかく、
江戸期の財政家の扱いを例にあげて無理やり現代を語ろうとする人間がいるとすれば、
妄想家扱いも仕方ないだろうな。

議論がかみ合わないのは、経済が武士にとって重要かどうかについて、建前と本音を
区別できない社会的に未熟な人間が無理やり議論を展開するのが原因だ。
319日本@名無史さん:2007/10/23(火) 16:16:38
 才蔵も彦左も一騎駆けの槍仕であって、合戦を率いる将の分際ではない。
 若し戦の差引が出来ればあの乱世、たちまち万石を取れる。
 北條、浅井、斎藤、松永、瀧川、荒木、明智、豊臣、前田、福島、両加藤、藤堂・・・・
 みな武道兵略によって立身し、戦場で力量を発揮した強者である。
 銭感情で天下を取った例無く、卑職たる経済官僚では稀有の才腕と幸運に恵まれても精々泰平の世の旗本になるぐらいが関の山である。

 以上は近世前後を論じているのであるから、当代は関係無い。
 が敢て論ずるなら「大蔵官上がりで首相になった人間は山ほどいる」というのも当たらない。
 軍人宰相や藩閥、或は大衆政治家の方が遥かに多い。 
320日本@名無史さん:2007/10/23(火) 16:38:17
>以上は近世前後を論じているのであるから、当代は関係無い。

そうかね。じゃあ、こんな(↓)妄言を吐いてるジジイが出てきたら、一緒に叩こうぜ本郷ww

51 名前: 大學ヘ授 投稿日: 2007/10/03(水) 07:48:16
 武士が發生した當時、通貨そのものが事實上存在しなかつた。
 金貨も無かつた。
 商業も未發達で、商人の地位も低かつた。
 さう云ふ時代が永く續き、漢學も佛學もこれを理論的に補強した。
 その後、禪宗も入つて來た。
 だから戰國以前から金錢を不淨と見る價値觀は夙に成立してゐた。
 既出であるが鎌倉時代の契約文書を見ると、約束を破るものは商人である、と明記され、學者はこれを名譽の擔保と呼んでゐる。
 江戸時代に於ても、士農工商と庶民の最下位に置かれ蔑まれた。
 この影響は戰後まで濃厚に殘り、現在でも拂拭されてゐない。
 財界の敍勳は等級が低く、官尊民卑として、物造り重視(工の優越)として、私立大學を大學から區別する法制として表れてゐる。
 そもそも一流大學卒業者は商人になりたがらない。
 東大京大出て企業へ行くのは敗者と見られ、司法試驗に受からない、高級官僚になれない、大學に殘れないから企業へ就職したと思はれる。
321日本@名無史さん:2007/10/23(火) 17:14:37
こぴぺは容量スペースを食う迷惑行為。
あんかーを用いれば済むことだから荒し的行動は善からず。
展示の内容は正鵠を射ているが、何れにせよ三週間も前の応酬であり、現在の論題ではない。
322アホせ學生:2007/10/23(火) 17:38:57
先生が皆様にご迷惑をお掛けして誠に申し訳ありません。
今学期ゼミが定員割れしても気に掛けられて無いようでしたが
ここでクダを巻いていたのですね。
早々に連れ帰ります。
323日本@名無史さん:2007/10/23(火) 20:57:19
>>312
小野友五郎が得意なのは数学。
小藩の笠間藩の下士から勘定奉行並って異常な出世じゃないか?
324日本@名無史さん:2007/10/23(火) 22:18:19
法学部に対し、経済や商学部の香具師らは劣等感が強いな。
就職でも差が着くし。
325日本@名無史さん:2007/10/24(水) 06:03:17
>>324
法学の徒なら、借金踏み倒した挙句に「民法はけしからん」なんて嘯く奴の偽善を見抜けそうなものだが。
大學ヘ授は見事に騙されて「高邁だ」なんて褒め称えてたよな。
326日本@名無史さん:2007/10/24(水) 06:47:38
弁護士であれば何人か知ってるが、ピンきりだぞ。アホなのになると、個人情報保護法を知らない奴までいた。

司法試験ってのはそういうものだ。
327日本@名無史さん:2007/10/24(水) 09:11:40
>>321
リンク先を読まずに大得意で見当外れの反論を行い、ロムってる人たちを惑わせるジジイがいて、
無駄に容量を食うカキコを続ける以上は仕方ないじゃんw
328:2007/10/24(水) 09:16:18
段々前スレの雰囲気に近づいて来ました。
スレ題に帰りましょう。
329日本@名無史さん:2007/10/24(水) 09:46:30
>>328
話題を振ってくれたまえ。
330:2007/10/24(水) 12:01:49
個人攻撃は止しましょうよ。
話題ですが、直臣の出世コースなんてどうでしょうか。
小普請の旗本なら目付が登竜門とか、菊之間詰の小大名なら大番頭として寄合席旗本の同輩として出発するとか。
331日本@名無史さん:2007/10/24(水) 19:52:43
面白そうですね。

中小譜代大名の老中までのコースは、大坂城代→京都所司代→老中が比較的オーソドックスだったようだけど、
大坂城代は大坂の町の最攘夷であったにもかかわらず、役人を統括していたわけではなく、あくまで軍事拠点と
しての大坂城の城代として、周辺諸藩の軍事的統括を行っていたようだ。
大塩平八郎の乱の際には、大坂城代が諸藩に号令を掛けたが、いくつかの藩は事前の取り決めがあったようで
独自に大坂の町に兵を入れた。

老中になるためには、どういった職務による経験が必要とされたんだろうか。老中は政務担当者だが、軍事担当と
しての能力は必要だったんだろうか。
島原の乱では老中が前線に立って戦死してバカにされたけど、幕末では違うよな。
332大學ヘ授:2007/10/24(水) 20:49:26
 家格や血筋が物をいうのでいきなり大老、老中も有り得ますが、下から段々上がるなら、

  大御番御頭→若年寄→大坂城代→京都所司代→老中(→大老)
  御側衆            西丸老中
  御奏者番
  寺社奉行
  西丸若年寄

 以上は大雑把なところです。
 旗本は御留守居止り、無城は若年寄止りですが、城主の場合はさらに累進できます。
333日本@名無史さん:2007/10/24(水) 23:56:16
>>332
>家格や血筋が物をいうのでいきなり大老、老中も有り得ます

そうなんだ。いきなり老中首座になった松平定信が例外扱いされてるから、
普通は家柄が良い人でも、徐々に出世していくものなんだと思ってたよ。
334大學ヘ授:2007/10/25(木) 07:15:42
役職と云ふのは、家來が主君から承る負擔です。
よつて本當に家柄の良い人にとつては卑職なのです。
本質に於て、武家は就職によつて評價されるものではありません。
武功のみ。
御三家御三卿以下が御役に就かないのはこの爲です。
例外的にもせよ、漸く就いた時は既に瓦解寸前でした。
335日本@名無史さん:2007/10/25(木) 07:51:25
>>326
> 弁護士であれば何人か知ってるが、ピンきりだぞ。

悪質なのになると、他人の学校を騙し取った上にそれを隠したまま市長になるような手合いまでいるからなw
336日本@名無史さん:2007/10/25(木) 08:02:45
軍役が主流だった時代のシステムを平時に適応するようにシフトできなかったために
江戸幕府は潰れたわけだな。危機に直面してからでは遅すぎたわけだ。
337日本@名無史さん:2007/10/25(木) 08:05:41
>>335
モラルの問題じゃなくて、基本的能力としてどうしようもない馬鹿がまぎれていると言ってるだけのこと。
アメリカは常識もモラルも通用しないらしく、弁護士はハイエナ呼ばわりされるようにやりたい放題なのだそうだ。
338日本@名無史さん:2007/10/25(木) 08:06:48
ニートは誇り高いという論法かwww
ま、高等遊民という言葉もあったしなwww
339日本@名無史さん:2007/10/25(木) 08:09:46
泰平の世の武功とは?
340日本@名無史さん:2007/10/25(木) 08:19:19
三十三間堂通し射ち。
元禄赤穂事件。
大塩平八郎の乱。
大奥での主導権争い。
江戸の町の華の片方。
コオロギ相撲。
341日本@名無史さん:2007/10/25(木) 08:25:32
>>336
戊辰戦争は旗本八万騎にとって島原の乱(実際は西国大名主力)以来
220年間待ちに待った「晴れ舞台」ではないのか?
参陣忌避・戦線離脱者続出www
彰義隊は上野でたった1日で壊滅www
342日本@名無史さん:2007/10/25(木) 08:49:48
旗本は本音ベースでは、「今更旗本がいくさなんて出来るわけないじゃん。バカジャネーノ幕僚」。

本音と建前を徹底的に解離させた結果が幕末の幕府の醜態ですな。
343日本@名無史さん:2007/10/25(木) 16:23:10
幕僚という言葉の意味が判ってない様だな
344大學ヘ授:2007/10/25(木) 18:28:02
>>333
 白河侯が例外でないこともありませんが、樂翁侯は征夷大將軍の孫と云ふ血筋でありながら竝の家格の大名と云ふ例外的地位にありました。
 でも同樣の對場の人を生ずれば、矢張り同樣の禮遇を受けたでせう。
 この意味では例外でなく、身分相応の處遇であつたと云へます。

 大身の武家は主家の御役に就かなくとも、領主として統治の、軍人として軍政軍令の最高責任者たる重職を擔つてゐました。
 これは武家の本務であり、武士の本分であつて、臨時の御役に優るとも劣らぬ大切の勤めです。
345日本@名無史さん:2007/10/25(木) 19:18:41
>>344
武士の本分とは御恩と奉公であって、それ以外の何ものでもない。
基本的に軍役の義務を負っていたので御役は役得ではない。
むしろ負担であって役高・足高はバランスを取る為の処置。
最幕末期の旗本に対する 軍役免除に対して俸禄一部返納の下知は理論的に正しい。
346日本@名無史さん:2007/10/25(木) 20:54:07
>>344
馬鹿ですか?
347日本@名無史さん:2007/10/25(木) 21:00:01
自称教授、コテハンどうしたの?
348日本@名無史さん:2007/10/25(木) 21:12:42
しかし、刀狩りによって武器を持たない一揆さえ武力で予防できない集団に軍役云々されてもと言いたくなるな。
349日本@名無史さん:2007/10/25(木) 21:37:10
軍事能力を失った旗本は存在価値無しwww
350日本@名無史さん:2007/10/25(木) 21:47:06
軍事能力を失った旗本なんて、翼を失った白鳥のようなものさ。
351大學ヘ授:2007/10/25(木) 23:51:06
>>341
 島原陣に旗本は殆ど出征してゐません。
 また戊辰役は十五代公自身が恭順し、無抵抗を嚴命してゐたのですから、主命に從つた旗本は責められません。
 責めるなら征長役の怠業を舉げる可きでせうが、遡つて旗本を責めることに意味があるかと問へば、餘り無ささうです。
 徳川氏の滅亡は必ずしも旗本のせゐでなく、また勝者の士卒も旗本と共通の哲學を抱懐し、商業を賤視してゐたのですから。

>>345
 御恩と奉公は中世の用語で近世には適しませんが、間違ひと云ふほどでもありますまい。
 江戸後期、旗本は御役に就て増收を圖らねば生計が立ち難くなつてゐましたから、金錢面でも就職の利はありました。
352日本@名無史さん:2007/10/26(金) 06:26:42
まるで幕末の旗本にまともな戦力があったかのような言い草だな。慶喜が大坂城で恭順を決めたのは
旗本の不甲斐なさが白日の下に晒されたためじゃなかったのか。
353日本@名無史さん:2007/10/26(金) 07:28:58
>>351
タコかお前は?
(実際は西国大名主力)と書いてるだろがw
文章をちゃんと読め!読解能力無しに大學教授かー?
「御恩と奉公」は700年間変わらず武士の根本原理じゃないのかwww
354日本@名無史さん:2007/10/26(金) 08:34:21
>>353
同情するよ。本郷のこの行動パターンはどうしようもないらしい。今後も同じトラブルを量産することだろう。
355日本@名無史さん:2007/10/26(金) 10:02:00
>>351
お前は言葉がたりないねえ。
>>商業を蔑視していた
じゃなくて 民間の商業という業態を蔑視していた だろw
読解力どころか表現力も無いなwww
356大學ヘ授:2007/10/26(金) 12:23:46
>>352
 これも駄目。幕府は軍事的には優位にあり、特に海軍は東洋一であつたけれども、錦旗の權威に屈したのですから。

>>353
 それも違ひますな。主力にも助力にもゐなかつたのですから。いないとなれば、
> 島原の亂(實際は西國大名主力)以來220年間待ちに待つた「晴れ舞臺」
と云ふのは成立たない。元和へんぶ以來、が正しい。

 御恩と奉公の關係は前期封建制の觀念で、後期封建制とは距離があります。
 言葉も餘り使はなくなりますし、實際幕末戊辰で徳川に殉じた者は御恩を餘り、或は全く蒙らぬ者が中心です。
357日本@名無史さん:2007/10/26(金) 13:51:29
>>356
>>主力にも助力にもいなかった
島原の乱に旗本が一人も従軍しなかったのだな?
お前の言葉が偽りだったら大學教授の看板降ろせやwww
358日本@名無史さん:2007/10/26(金) 14:45:16
>>356
> 元和へんぶ以來、

旧字体使ってるくせに元和偃武が読めないんですか?
そんなに文字を知らなくて大學教授の看板を掲げてるんですか?
359日本@名無史さん:2007/10/26(金) 15:23:52
>>356
「御恩と奉公」の根本原理抜きで後期封建制とやらの
武家の主従関係を説明してみろwww
360日本@名無史さん:2007/10/26(金) 19:57:10
自称教授さん、
他人様を散々罵倒した謝罪はまだですか?
ぐだくだとオレ論を書き散らすより先に、
社会の一員として、謝罪ぐらいちゃんとしてくださいね。
361日本@名無史さん:2007/10/26(金) 20:41:45
> これも駄目。幕府は軍事的には優位にあり、特に海軍は東洋一であつたけれども、錦旗の權威に屈したのですから。

何言ってんだこいつ。幕府は2世紀以上も朝廷を押さえ込んでたことすら知らんのか。もし政治的軍事的実力が伴わ
なければ、錦の御旗なんざ歯牙にもかけなかったろうよ。
362日本@名無史さん:2007/10/26(金) 20:42:04
>>351
>徳川氏の滅亡は必ずしも旗本のせゐでなく、また勝者の士卒も旗本と共通の哲學を抱懐し、商業を賤視してゐたのですから。
長州藩がどういう経済政策取ってたか知って言ってる?
譜代大名でも、大野藩みたいに商売上手で、誰も失脚しなかった藩もあるよね。

>>356
>特に海軍は東洋一であつたけれども
その東洋一の海軍をほぼ温存していた蝦夷共和国も新政府に惨敗したよね。

それらの点はどのようにお考えですか?
363日本@名無史さん:2007/10/26(金) 21:21:45
>>356
おい自称大學教授w
島原の乱に布衣目付けの旗本馬場利重は板倉重昌に属して原城攻めに参陣している。
三河出身の旗本鈴木重成は松平信綱に従って出陣している。
府内目付けの旗本牧野伝蔵は佐賀鍋島軍の軍艦として
同じく旗本林丹波守は筑前黒田軍の軍艦としてそれぞれ府内藩兵を率いて出陣している。

お前の間違いを認めろよwww
364日本@名無史さん:2007/10/26(金) 21:26:08
↑ 訂正
軍艦<<軍監○
365日本@名無史さん:2007/10/26(金) 22:34:48
自称大學教授よ

>>363 364 は具体例を示している。
妄想はいいから 具体的に見解を示せ。
366日本@名無史さん:2007/10/26(金) 23:05:30
またお前ら本郷を取り囲んで弱い者虐めしてるのかww
367日本@名無史さん:2007/10/27(土) 10:37:52
age
368日本@名無史さん:2007/10/27(土) 12:07:30
>>356
359への説明を踏み倒すつもりなのかww
369日本@名無史さん:2007/10/27(土) 20:20:58
age
370日本@名無史さん:2007/10/27(土) 21:28:11
島原の乱 従軍旗本の追加

天野長重 
石谷貞清 
371日本@名無史さん:2007/10/27(土) 21:59:48
本郷はディスプレイの前で半泣き状態じゃないのかww
372日本@名無史さん:2007/10/28(日) 09:07:48
>>356
説明まだー?
373大學ヘ授:2007/10/28(日) 18:27:48
 それあ全然駄目です。
 主攻でも助攻でも戰鬪任務ですらないのですから。
 直接には軍政や軍事への無智に基くものでせうが、根本は愚圖愚圖言つて騒がうと云ふ荒し根性が宜しからず。
 正しい心で學問に臨まねばなりません。

 長州藩がどう云ふ經濟政策取つても、商人は下郎で、財務官僚も羽振りが良くありません。
 大野は非常に興味深いですが、商賣に從事するときは恥入つて前掛けを着け商人風俗に改めました。何れにせよ稀有の例外です。

 東洋一の海軍をほぼ温存してゐた蝦夷共和國は新政府に對して強硬でした。
 敗北は開陽、千代田方等の坐礁、喪失後です。
 逆に官軍は甲鐵を加へ、戰力バランス逆轉していました。
 だから津輕海峽を押し渡れたのです。
374日本@名無史さん:2007/10/28(日) 19:29:17
>>373
島原の乱の旗本の出陣に関して
お前の妄想はいいから
具体的に反論説明してみろよww

ちなみに 旗本鈴木重成は松平信綱に従って戦地入りし、原城攻撃に参加
一番乗りを顕彰されている。

どうするよ?お前www
375日本@名無史さん:2007/10/28(日) 19:33:12
それより本郷は、>>359への反論をきちんとしない限り、荒らし扱いもやむをえんだろうな。
376日本@名無史さん:2007/10/28(日) 21:03:09
自称大學教授よ
359だけど いつになったら説明するんだ。
377日本@名無史さん:2007/10/28(日) 21:06:59
本郷はディスプレイの前で半泣き状態じゃないのかww
378日本@名無史さん:2007/10/28(日) 21:21:40
本郷教授くん、
キミの数々の暴言について、
まっとうな社会人としての謝罪はまだですか?
379日本@名無史さん:2007/10/28(日) 23:43:28
359 に対しての説明まだー?
380日本@名無史さん:2007/10/29(月) 00:31:26
横柄な態度を止めないと答えてくれないよw
381日本@名無史さん:2007/10/29(月) 00:55:19
自称大學教授こそ不遜な態度じゃないのかー??

それより 返答を願っているんじゃなく
答えられなきゃ彼自身この板に居られなくなるんじゃないのww
382日本@名無史さん:2007/10/29(月) 05:51:24
過去ログを読みなさいよw
383日本@名無史さん:2007/10/29(月) 05:59:42
おかしいな。そろそろ信者が援護に出てくる時分なんだがw
384日本@名無史さん:2007/10/29(月) 07:34:25
>>157の指摘により、本郷の自演は鎮静化の方向に向かっております。
385日本@名無史さん:2007/10/29(月) 07:36:14
毎度毎度、本郷は荒らして周囲は説伏を試み、本郷はオレ説をせっせと展開して逆切れまでするんだよな。
386:2007/10/29(月) 09:14:58
スレ題に戻りましょう。
387日本@名無史さん:2007/10/29(月) 09:38:15
スレ主殿
359ですが 自称大學教授の放屁の如き自説開陳及び無責任は看過出来ぬものがあります。
島原の乱の旗本はスレ題に内包されるものと存じます。
388日本@名無史さん:2007/10/29(月) 09:40:32
どうせ本郷が荒らすから、多分戻らないよ。
389日本@名無史さん:2007/10/29(月) 20:44:11
以下は交替寄合の家督継承を探る系図スレになりました。
390日本@名無史さん:2007/10/29(月) 21:12:33

本郷乙
391日本@名無史さん:2007/10/30(火) 06:55:59
それよりも、交代寄合の本拠地における残存遺構について語らないか。
392:2007/10/30(火) 08:51:39
名案です。
個人攻撃や罵倒は止めましょう。
393日本@名無史さん:2007/10/30(火) 09:23:12
美濃国岩手陣屋

竹中半兵衛の子孫が交代寄合となり、幕末まで続いた。
半兵衛の子の重門の代に、領地の関が原で数十万人が激突したため、当時の慣例にしたがって数千石の領主
ながら東軍の先鋒となる。
家康からは、その際の見舞い料として千石が与えられ、それを使って築かれた千石堀はすぐ傍の長屋門と共に
現存する。陣屋跡は現在小学校敷地。

 幕末、後裔の重固が陸軍奉行となり、天狗党征伐や長州征伐で活躍したが、その報復として、赤報隊の実質的
ゴロツキ集団により襲撃を受ける。妻女への暴行を含む狼藉の限りを尽くされ、家臣団は降伏。
 江戸詰めの重固は家臣の不甲斐なさに激昂し、純忠隊を江戸で結成し、彰義隊と共に函館戦争まで転戦した。
後に赦され、士族困窮への対策として北海道殖産政策を建言、また東京府に出仕。その後、実弟の会社で殖産
興業に励んだ。
394日本@名無史さん:2007/10/30(火) 11:53:41
竹中家恐るべし。
395日本@名無史さん:2007/10/30(火) 11:58:33
家の発祥から幕末まで同じ領地を守り抜いた交代寄合家は
何家あるのだろう?
396日本@名無史さん:2007/10/30(火) 18:04:58
四衆の家はそういうパターンが多そうだね。
家の発祥をどこからと見るかで意見が分かれそうだけど。
397日本@名無史さん:2007/10/30(火) 18:48:39
美濃国多良陣屋

多良が存在する石津郡内の在地領主高木氏が、土岐氏、斎藤氏、織田氏を経て徳川氏の旗本となり、関が原の
合戦後に多良の地を与えられた。本家(西家)、分家2家(東家、北家)はいずれも交代寄合で、木曽三川の治水を
つかさどる水行奉行(常任)に任じられた。
多良陣屋は、西家の石垣が良好に残り、見るものを驚かせる。また、長屋門が敷地内に移築されている。旧街道
沿いに分家2家の石垣も一部残存する。西家の陣屋跡に資料館が建つ。

なお、木曽三川の治水は平田靭負を総奉行とする薩摩義士による宝暦治水が有名であるが、この際にも笠松郡代と
並んで工事を監督した。
398日本@名無史さん:2007/10/30(火) 22:24:08
交替寄合高木氏は丹南藩高木氏とは同族?
399日本@名無史さん:2007/10/31(水) 06:06:51
どちらも源頼親流らしいから、織豊期以前につながるようにも見えるが。
400日本@名無史さん:2007/10/31(水) 21:20:06
age
401:2007/11/01(木) 08:19:22
ただ age では容量の浪費です。
自粛願います。
402日本@名無史さん:2007/11/01(木) 19:29:10
大和国田原本陣屋

加藤清正や福島正則などと並ぶ「賤ヶ岳七本槍」の一人である平野長泰の後裔が、大和国に五千石の領地を与え
られ、徳川幕府においても安堵されて交代寄合として存続した。田原本の町は奈良盆地の中央付近に位置する。
平野氏が招いた教行寺の寺内町として発展したが、のちに町の支配権について対立し、同寺は去り、本誓寺や
浄照寺が建立された。平野氏の支配による田原本町の発展は続き、「大和の大坂」と称されるほどの殷賑を極めた。
平野家は、明治維新時に一万一千石に高直しされ、田原本藩として立藩した。
田原本の町は古い町並みが残存し、風情を醸している。陣屋跡には町役場及び民家が建ち並んでおり、遺構は
残っていない。
403日本@名無史さん:2007/11/01(木) 20:03:21
>>402
平野はひっそりと永らえたね。
加藤(清)も福島も片桐の本家もあぼーん、
加藤(嘉)の方は一旦返上ってことを考えると、
七本槍の中では脇坂に次ぐ安泰っぷりだよな。

>>401=>>1
そんなこと書く方が無駄。
スレ主なら自分が積極的に盛り上げろよ。
404日本@名無史さん:2007/11/01(木) 20:17:03
脇坂はちゃっかり願い譜代で老中にもなってるから、処世術は相当なもののようだね。
405日本@名無史さん:2007/11/01(木) 23:04:58
残存遺構が無いなら>>391以来の話の流れに乗って無い
406日本@名無史さん:2007/11/02(金) 06:14:05
>>405
残存遺構について、「ない」と語っているじゃないか。何を言ってるのかね君は。
407日本@名無史さん:2007/11/02(金) 06:54:13
播磨国福本陣屋

播磨国山崎藩主であった池田輝澄が御家騒動により改易され、徳川家康の外孫であったために鳥取藩預りの上、
因幡国鹿野に一万石を堪忍料として与えられた。のち、播磨国福本に移封されて福本藩を立藩した。しかし、
三千石及び一千石を分家に分与したため交代寄合となった。明治維新後、本藩にあたる鳥取藩より蔵米三千
五百石を与えられ、再度立藩したが、財政困窮のために鳥取藩に併合された。藩主家はのちに男爵となった。
福本は姫路城の傍を流れる市川の上流域にあたり、更に遡ると但馬国の生野銀山が近い。
福本陣屋跡には、明治維新後に大歳神社が移された。静寂に包まれた神社境内には、陣屋当時の周遊式庭園が
現存する。また、本殿の背後に石垣及び土塁が存在する。武家屋敷はほとんど残存していない。
408日本@名無史さん:2007/11/02(金) 07:52:23
無いなら取上げるに及ばない。
精々「ない」の一言でよし。
409日本@名無史さん:2007/11/02(金) 08:14:24
また本郷が視野狭窄の反論をむきになって始めたようだね。子供じみているからすぐ分かる。
410日本@名無史さん:2007/11/02(金) 08:15:34
また文盲が罵倒荒しを始めたな。
どう判るのか論証しろよ。
411日本@名無史さん:2007/11/02(金) 09:04:55
幼児退行した老人を相手にする気はない。いつものように勝手に勝利宣言でも出したらよかろう。迷惑だが、
相手にすると余計に荒れるからな。
412日本@名無史さん:2007/11/02(金) 09:46:50
備中国撫川陣屋

戸川氏は宇喜多氏の重臣であったが、戸川達安は宇喜多家の御家騒動により、調停役の徳川家康の家臣となった。
関ヶ原の戦いで功を挙げて備中国庭瀬に三万石を与えられ、外様ながら重用された。しかし、4代で無嗣改易となり、
弟が名跡をついで旧領の一部を継いで交代寄合となった。なお、庭瀬藩主の時期に早島、妹尾に旗本の分家を創設
して明治維新まで存続した。庭瀬藩は久世氏、藤井松平氏を経て板倉氏が入封し、維新まで続いた。
撫川陣屋は戦国期に三村氏によって築かれた撫川城本丸を幕府から拝領する形で存続した。現存門のほか、石垣や
水堀などが良好に現存する。なお、庭瀬藩の陣屋もまた撫川城の別の曲輪を利用して築造されているため、両陣屋の
距離は近い。

413日本@名無史さん:2007/11/02(金) 10:24:00
教授が勝利宣言したことは無い。
文盲はいつも勝手に勝利宣言出してるがw
414日本@名無史さん:2007/11/02(金) 11:15:14
晒し上げ。
415日本@名無史さん:2007/11/02(金) 12:55:17
撫川団扇、有名。
416日本@名無史さん:2007/11/02(金) 13:00:12
但馬国村岡陣屋

かつての室町の世にその名を轟かせた「六分ノ一殿」、山名氏が、関ヶ原の戦功により与えられた但馬国七味郡全域
六千七百石を支配する中心地として築かれた陣屋。織豊期に因幡国を支配していた豊国は織田信長による侵攻に
よっていち早く降伏したために家臣に追放され、のちに豊臣秀吉の御伽衆となった。関ヶ原の戦いでは東軍に参加し、
その所領を与えられた。明治維新後、一万千石に高直しされて村岡藩として立藩した。のち男爵。
村岡陣屋跡は市町村合併前の村岡町によって御殿山公園として整備されたが、現在は十分な手入れがなされていない。
また、御殿のうち1963年に増設された奥方部屋は陣屋跡に復元されている。山名氏代々の墓所は陣屋跡近くに存ずる
ほか、菩提寺である法雲寺に領主山名氏に関する史料館も存在する。
417日本@名無史さん:2007/11/02(金) 13:11:52
>>415
地元の人か?
領主や代官に関する伝承とか、当時の撫川に関する情報とか、遺跡に関する印象とかあったら書いて欲しいが。
418日本@名無史さん:2007/11/02(金) 20:44:53
>>373
>長州藩がどう云ふ經濟政策取つても、商人は下郎で、財務官僚も羽振りが良くありません。

指揮とった村田清風は家老なんですけど。病気で一度は引退したけど、現職家老に復帰して亡くなったよね。
後継者の周布政之助も、経済政策のせいで切腹したわけじゃないし。
むしろ反対派の椋梨藤太のほうは犯罪者として処刑されてるよね。
419日本@名無史さん:2007/11/03(土) 05:53:54
近江国朽木陣屋

朽木氏は琵琶湖西岸の高島を本拠とした佐々木氏の一族が、西側山間部の朽木谷に住して成立した。
足利将軍家との関係が深く、京に戦乱が及んだ際には将軍は朽木氏を頼って避難した。また織田信長は
金ヶ崎の撤退戦で朽木氏の協力を得て朽木谷経由で京に逃れた。
関ヶ原の戦いでは、朽木元綱は当初西軍であったが、東軍に寝返った。事前に徳川家康に通告していなかった
ために所領を削られ、大坂の陣の活躍によって九千五百九十石になり、交代寄合となった。のち、旗本の
分家2家を創設して所領を分与したため、四千七百七十石となった。分家の稙綱は徳川家光に取り立てられて
鹿沼藩、土浦藩を経て福知山藩三万石の城主となった。
陣屋跡は、通りに面した石垣・水堀の一部が残存し、井戸及びその付近に石垣が存在する。史跡公園として
整備され、郷土資料館が建つ。付近に、足利義晴も逗留した館の跡に朽木氏の菩提寺興聖寺が移され、
館当時の庭園も国指定名勝として存在する。


420大學ヘ授:2007/11/03(土) 09:23:48
>>418
 家老は財務官僚でなく、役方ですらありません。
 その履歴も財務官僚ではありません。
 家老時代、藩政改革に尽力したのは顕著な事実ですが、教育や国防も含めた藩政改革であって、財政に偏した見方は歪んでいます。
 宇垣一成陸軍大将が陸軍財政に辣腕を振ったからといって財務官僚な訳でなく軍人たる本質に一点疑いの余地も無く、財務に明るくても出世の可能性が乏しいように、武士が算用に明るくても高が知れております。
 村田の学問も経学や兵学でした。
 周布にしても尊攘運動に殉じたのであって、銭金で死んだのではありません。
421日本@名無史さん:2007/11/03(土) 09:52:36
本郷、マッチポンプ乙。
422日本@名無史さん:2007/11/03(土) 10:23:44
>>418
>周布にしても尊攘運動に殉じたのであって、銭金で死んだのではありません。

うん、そうなんだよ。
村田清風も周布政之助も銭金がらみの改革したのに、それで失脚したわけじゃないんだ。
不思議だね。
423日本@名無史さん:2007/11/03(土) 11:06:31
本郷が馴化できるか否か、ここが正念場かねw
424日本@名無史さん:2007/11/03(土) 12:24:43
おい 自称大學教授w
>>359
>>374 に返答説明してから出て来いww
425大學ヘ授:2007/11/03(土) 14:34:52
別に不思議ではありません。
金銭は重要でない、財政も二の次ということです。
426日本@名無史さん:2007/11/03(土) 14:42:44
おい本郷、金銭が重要でないならちょっとお前の財産と今後の収入全部寄越してみろ。
その金遣って探偵でも雇って、お前の成れの果てを娯楽として鑑賞させてもらうからよw
427日本@名無史さん:2007/11/03(土) 16:10:19
>>418
話をぶった切ってすまんが、椋梨藤太景治って、小早川隆景の家督相続のときに登場した椋梨景勝の家系か?
428日本@名無史さん:2007/11/03(土) 18:38:42
近江国大森陣屋

出羽の雄、最上氏は義光の没後、御家騒動によって改易された。源氏の名流斯波氏の流れを汲むことから
幕府に断絶を惜しまれ、義光の孫・義俊が近江国に1万石で取り立てられた。しかし義俊は早逝し、子・義智は
幼少のため知行を半減され、交代寄合として成立した。
大森陣屋跡地には現在、小学校、道路及び民家が建ち並んでいる。道路整備の際に発掘調査が実施され、
現地にはその旨を記した石碑が建つ。
大森の南方の小高い山地に鎮座する大森神社では、近隣の尻無に鎮座する八坂神社とともに、最上踊りが
奉納される。元来は大森陣屋の前で踊られていたものである。また、山地の南麓に建つ石塔寺に陣屋の門が
移築されている。
429日本@名無史さん:2007/11/03(土) 18:52:42
備中国浅尾陣屋

関ヶ原の戦いで西軍に付き、改易された蒔田氏がのちに許されて立藩した。分家創設のため分知して八千三百十石の
所領を有する交代寄合となった。幕末の文久三年に江戸市中警備の功が認められ、高直しにより定府大名となった。
蛤御門の変では広孝が京都見廻役として長州藩撃退に貢献したが、この際の恨みからか、慶應二年に倉敷代官所と
ともに第二奇兵隊残党の襲撃を受け、陣屋は灰燼に帰した。
陣屋跡は稲荷神社となっている。崩れかけた土塀がかなりの長さに渡って現存し、その構造を参考にした復元土塀も
存在する。
430日本@名無史さん:2007/11/03(土) 19:07:29
おい 自称大學教授
お前の妄想が>>374によって誤りを指摘されてるのに悔しくないのか?

今後、お前の言うことは全く信用無しでいいのだなww
431日本@名無史さん:2007/11/03(土) 19:45:58
本郷の主張はエゴの充足のためだから、自分の都合次第でころころ変わるからね。誰も信用してないよ。
432日本@名無史さん:2007/11/03(土) 20:49:38
>>420
おい 本郷w
軍隊というのは自己完結型の組織であることは自明の理だ。
偉そうに言うなw
しかも、帝国憲法で統帥権は天皇にあり 法的に政府からも不可犯だ。
従って、軍人という名の料理人から軍人という名の会計士 軍人という名の屯田兵
まで居る。
武家家中を軍人の集団として捉えるとき 恒常化した軍政組織と定義せねばならぬ。
433日本@名無史さん:2007/11/03(土) 21:45:17
>>425
>別に不思議ではありません。

不思議でしょ。村田清風は財政家だったけど、終わりを全うできた。
そういう「財政家」を許さない昔気質の武士だった椋梨藤太のほうは死刑になった。

貴方の今まで出してきた例と完全に逆の結果になってるんですけど。
434日本@名無史さん:2007/11/03(土) 22:03:38
本郷の主張はエゴの充足のためだから、自分の都合次第でころころ変わるからね。
435日本@名無史さん:2007/11/04(日) 02:13:48
まだ謝罪しないの?本郷くん。
読めないってことはリアル文盲なのね。
436日本@名無史さん:2007/11/04(日) 08:00:42
遠い昔の過去ログから、教授は横柄な奴には返事しないよ。
真人間の作法で礼儀正しく聞くべきだ。
437日本@名無史さん:2007/11/04(日) 08:18:04

本郷 自演乙
438日本@名無史さん:2007/11/04(日) 09:44:48
キーワード=横柄
上から目線の本郷の幼稚な精神構造を晒している。
439日本@名無史さん:2007/11/04(日) 10:52:45
では証明を。
440日本@名無史さん:2007/11/04(日) 10:59:43
自称大學教授が釣れましたwww
441日本@名無史さん:2007/11/04(日) 19:07:04
文盲は低級
442日本@名無史さん:2007/11/04(日) 19:20:39
妄想は論外
443日本@名無史さん:2007/11/04(日) 19:47:00
まだ本郷が足掻いているのか。
444日本@名無史さん:2007/11/04(日) 21:13:17
おまいら暇で読書量だけ多い意思疎通能力の乏しいニート釣って楽しいのか?
445日本@名無史さん:2007/11/04(日) 21:43:38
外道が掛かるのを狙っているかのように言うなw
446日本@名無史さん:2007/11/04(日) 22:11:50
また釣れたよw
今日二匹目ww
447日本@名無史さん:2007/11/04(日) 22:17:30
やっぱり低級
448日本@名無史さん:2007/11/04(日) 22:25:55

高級と思い込んでる妄想ww
449日本@名無史さん:2007/11/05(月) 01:14:12
交代寄合の当主はなんて呼ばれるの。
ふつうに殿、それとも、名門だから御所さまとか親方様なの。
450日本@名無史さん:2007/11/05(月) 07:57:07
旗本以上なら殿様と呼ばれるし、旧守護大名なら、室町時代の屋形号を引き継いでいるケースもあるかもしれない。
451日本@名無史さん:2007/11/05(月) 10:01:51
御前様
452日本@名無史さん:2007/11/05(月) 10:15:41
あるいはオーマイダーリンとか。
453日本@名無史さん:2007/11/05(月) 15:59:08
社畜の接待サラリーマンは午前様。
454日本@名無史さん:2007/11/05(月) 20:06:14
>>453
だれがうまいこと(ry
455大學ヘ授:2007/11/06(火) 17:46:20
>>433 正義党が俗論党を斃した、てふだけのことです。
456日本@名無史さん:2007/11/06(火) 18:40:57

だから???
457日本@名無史さん:2007/11/06(火) 18:49:15
武家家中の改革は臣下主導では難しい。
享保の改革は吉宗のトップダウンだから臣下は従うしかなかった。
武家社会はほんとにゴミみたいな世界だったのだなw
458日本@名無史さん:2007/11/06(火) 20:51:12
>>455
普通のお家騒動では、「正義党」というのは財政家を倒すほうでしょ。
長州は全く逆。昔かたぎの武士のほうが犯罪者とされて処刑された。
459日本@名無史さん:2007/11/07(水) 02:50:03
>>455
謝罪はどうしたの?文盲くん。
460日本@名無史さん:2007/11/07(水) 19:33:01
直臣なんてゴミだよ時代を変えたのは陪臣ww
461日本@名無史さん:2007/11/07(水) 20:16:44
つーか庶民だろ。頭数からして段違いだw
462日本@名無史さん:2007/11/08(木) 10:29:26
文盲荒しのいう謝罪とは何ぞや?
463日本@名無史さん:2007/11/08(木) 11:28:13

バレバレ 自称大學教授乙
464日本@名無史さん:2007/11/08(木) 19:55:39
>>462
愛のこもった文章を書かなかったせいで、良識及び秩序の楽園というべきこのスレに舞い降りた堕天使のような
存在となった罪に関して。
465日本@名無史さん:2007/11/08(木) 20:41:46
本郷さん、貴方はどうしてこのスレの住民を悲しませるようなことばかりするの?
466日本@名無史さん:2007/11/09(金) 00:55:20
>>462
己の論旨が誤りだらけの妄想であったことw
467日本@名無史さん:2007/11/09(金) 15:29:50
そんなら文盲が謝罪せねば
468日本@名無史さん:2007/11/09(金) 19:04:25
>>467
お前は >>359 及び >>374 によって論破されたままだよなww
469日本@名無史さん:2007/11/09(金) 19:08:38
おい チンカス自称大學教授出て来いw
470日本@名無史さん:2007/11/09(金) 19:26:09
本郷ニ告グ、今カラデモ遅クナイカラ生息地ヘ帰レ。
抵抗スル者ハ全部厨房デアルカラ嘲笑スル。
オ前達ノ父母兄弟ハ厨房トナルノデ皆泣イテオルゾ
471:2007/11/10(土) 07:56:36
完全に前スレ化しています。
自制をお願いします。
472日本@名無史さん:2007/11/10(土) 21:20:47
下級寄合の参勤ってどうしていたん?
100石とかそのクラス。
473日本@名無史さん:2007/11/10(土) 22:51:33
>>472
突っ込みどころが多すぎてコメント不能。旗本についての基本を自分で調べてくれ。
474大學ヘ授:2007/11/12(月) 10:42:09

   江戸者の 生れ損ひ 金を貯め

 町人ですら如斯
475日本@名無史さん:2007/11/12(月) 20:56:57
  もののふの 生れ損ひ いにしへの

 因果の末か 如斯
476日本@名無史さん:2007/11/13(火) 07:55:43
文盲なので読めなかったんだね・・・・
二行目は散文だよ。
477日本@名無史さん:2007/11/13(火) 10:18:55
字足らずでいいんじゃねーの。

なお、宵越しの銭を持たないという価値観は、自分の腕を誇る職人の矜持のあらわれ。武士や商人には無関係。
主君持ちは涙ぐましいほどの努力で倹約を重ねていた。でなければ、賄賂漬けの日々。

お前は一から学んだほうがよさそうだぞ。
478日本@名無史さん:2007/11/14(水) 16:10:40
>>477
あとは、火事が多かったんで蔵を建てられるような大商人でなければ宵越しの銭を持っていても仕方がないと言う開き直りと
言うか諦観と言うかそういう気持ちもあったりなかったり。
要するに今言うところの「使い切れないくらい貯めたって、あの世へ持って行けるわけではないから生きてるうちに不便を感じな
ければそのくらいの財産でいい」って表現だな。
別に誰かさんが言うように銭金を卑しんでいるわけではない。もっと実用主義な発想に近いものだろう。
479日本@名無史さん:2007/11/15(木) 17:41:28
お金は大事だよ。
480日本@名無史さん:2007/11/16(金) 09:02:13
そりゃ関係ない。
お金は大事だと思ってるかどうかという社会心理的事実の問題。
481日本@名無史さん:2007/11/16(金) 17:16:13
>>479
もちろん大事だよ。でも、足りないのは困るが使い切れないほどあってもしょうがないというのが江戸時代の大商人以外の人。
それは武士にしても同じ事。
「誰かさんの頭の中に住む武士」だけがお金を卑しいものと思っていた。でも、それは実在しない存在なので無問題w
482日本@名無史さん:2007/11/16(金) 23:24:21
根拠は?
483日本@名無史さん:2007/11/16(金) 23:32:12
清文堂「交代寄合高木家の研究」伊藤孝幸著ってどんな感じですか?
家臣団の構成とか家格とか載ってますか?
484日本@名無史さん:2007/11/17(土) 07:27:45
図書館か本屋でめくってみたら?
485日本@名無史さん:2007/11/17(土) 21:47:37
現在、我々は何の疑問も無く紙幣を使っている。
江戸時代の藩札なんて現代の格付だとBB−以下。
義理と立場で引き受けた商人は死ぬほど悔しかっただろうな。
486日本@名無史さん:2007/11/17(土) 22:14:15
金融経済がお解かりで無い誰かさんは武力と威圧で支配した思ってるだろうが
担保能力もない藩札や債権証文は世間を混乱に陥れた。
紙幣は金・銀の準備高に裏打ちされた兌換紙幣が基本条件であり
債権証文に至っては信用担保能力の無いものはジャンク債である。
誰かさんは武家封建制を賛美しているみたいだが
江戸幕藩体制の崩壊が武家側に於いても二極分化によってもたらされた
事を理解されていない。
このスレで誰かが長州藩の例を挙げているのを妄想家が個人攻撃していたが
それは極まりない史実誤認である。
487日本@名無史さん:2007/11/18(日) 04:15:30
藩札は、もともと町人が通貨不足解消を目的として発行したものが原型だからね。武士でさえ最低限の経済感覚を
持っていた上方では、色々問題を孕みつつもそれなりに流通していたケースがある。
幕府は金銀銭の三貨制を金・銭の二貨にしようと目論み、一分銀のような金単位定量銀貨幣を大量に製造したが、
銀遣い経済の上方では既に手形経済が主流となっていたために、徹底的な銀通貨不足を、既に十分運用実績が
あった預り手形、振手形などで補っていた。
信用付与さえ十分なら、藩札でも、寺社、豪農、商人が発行した札でもそれなりに流通した。一方で、兌換が十分でも、
他藩の札崩れの余波で取り付け騒ぎに巻き込まれることも珍しくなかったが。

極端な場合では、藩札の運営が領内外の在郷商人・豪農の管理、領内豪農の賄い方登用などを経て、一揆によって
農民側の要求を呑まされる形で、藩主家は年貢の換金・運用・藩札の管理などが領内有力農民側に委譲され、藩
経済を一定の額で賄う事を強いられるに至ったケースもある。

交代寄合でも、畿内近国や備中のように銀遣いの非領国地域では、大抵藩札に相当する札を発行しているな。大身
旗本の一部もだが。
488日本@名無史さん:2007/11/18(日) 05:29:33
>>487
詳しい解説ありがとう。
金・銀・銭の三貨幣が其々の相場で流通通用していた訳だから
幕府の金単位定量銀貨幣には無理があったのだな。
明治維新における大名貸の貸し倒れで有名な
西国郡代支配地の日田豪商(掛屋・両替商)の栄枯盛衰も興味深い。
489日本@名無史さん:2007/11/18(日) 11:21:24
>>482 で釣れていたのかw
気がつかなかったww
490大學ヘ授:2007/11/18(日) 12:03:50
小領主が發行するものは紙幣というより有価証券、それも手形です。
支払保証を得て初めて小切手。
強制通用力を持って初めて通貨。
きちんとした定義を踏へて論じませう。
491日本@名無史さん:2007/11/18(日) 12:42:02

>>488 だが 妄想家の意見に初めて同意できる。
492日本@名無史さん:2007/11/18(日) 12:46:51
公儀御用は国債だが 交代寄合レベルでは私募債だな。
493日本@名無史さん:2007/11/18(日) 13:03:32
>>487
上方商人達は金単位定量貨幣の一分銀が銀の現物価値を満たしていないので
ヘッジする意味で銀手形の取引をしていたのだろう。
銀現物の取引だと金単位定量銀貨を強制する御公儀に憚られる。
494日本@名無史さん:2007/11/18(日) 13:21:04
>>487
>>通貨が不足していた
御公儀の通貨経済政策が基本的にデフレ政策であったから。
江戸時代は米本位経済であり慢性的に供給過剰気味であった。
無理にマネーサプライを増やせば悪性インフレを起こしやすかったから。
495日本@名無史さん:2007/11/19(月) 21:46:16
大名や交代寄合は独立国家の要素を十分に有していたことを考えれば、藩札などの地方通貨は国家連合の一小国の
通貨として見てもよさそうだ。なお、単なる手形と、手形形式の藩札は別物だからね。
藩札の場合、一番多いのが預り手形の形式で、大坂近くの藩では多少振手形形式のものがある。無論、「領内限り通用」、
「領内取引における使用義務付け」の条件付与は、発行する限りは大抵くっついてくる。もちろん、札の信用レベルによって、
いずれも取引上で守られないことは少なくなかった。信用が相対的に高ければ領外の広い範囲で流通し、低ければ
自領の民すらそっぽ向いて他藩の札を使っていたケースもある。
森氏の赤穂藩はかなり厳密に運営されていたようだが、山に囲まれた地形、塩の専売化成功による引替準備金の
確保といった特殊な条件が備わっていたからだろう。

幕府貨幣の発行数から金単位銀単位のそれぞれの発行額を当時のレートで比較したら、天保期発行の銀単位
貨幣は金単位貨幣の1/10程度しかなかった。
銀単位の手形で取引をしても、金銀銭に引き換えるときは、銀単位通貨がほとんど存在しないために、その時々の
相場に従って金単位通貨や銭で支払う場合も少なくなかったようだ。

>>494
>無理にマネーサプライを増やせば悪性インフレを起こしやすかったから。
幕府は平然と金銀通貨の改鋳を行って悪性インフレを起こしてたんだよな。改鋳でインフレを起こしておいてそれを
使用する側の責任にして、更には神頼みで祈祷まで行ってまともに流通するよう祈願していた皇朝十二銭の頃から、
少しは進歩していたんだろうか。
496大學ヘ授:2007/11/20(火) 07:49:42
その詳細な考察を軍事に向ければ、封建制が追々理解できます。
錢金幾ら見ても、所詮見當違ひい。
劍壇史から商業が分らないやうに、商業から封建は分りません。
封建は商業無しでも成立します。
497日本@名無史さん:2007/11/20(火) 09:55:24
あとは本郷が、江戸期が封建社会の崩壊段階であったことを認めればすべてOK。
498日本@名無史さん:2007/11/20(火) 10:25:06
封建制の最後の砦である軍事でさえ、長州藩で奇兵隊が成立し、幕府の軍事行動を跳ね返し、それが維新に
直接つながったわけだからな。

各藩の財政改革はあらゆる資金源から追加借金不能の最後通牒を突きつけられたことによって発生した。
江戸後期は封建制の終末期であるとともに、経済が主流に躍り出る近代のプレ段階でもあるからな。
499日本@名無史さん:2007/11/20(火) 19:36:12
>>496
お前さん 最精鋭幕府伝習隊の隊士の身分構成を知ってるよなw
500日本@名無史さん:2007/11/20(火) 21:34:57
兵賦取り立て
501日本@名無史さん:2007/11/21(水) 06:48:02
ちょうど スレが折り返し地点を過ぎた現段階で
賢明な当スレ参加者はもうお解かりだと思うのだが、
「直臣の世界」を語るとき軍事・軍役のみでは無く統治者・経営者の側面も
避けては通れない。
理念はどうであれ現実にはその実態は商業と不可分なものであったのだから。
502日本@名無史さん:2007/11/21(水) 07:00:00
>>496
おい 出てきやがったなw自称大學教授ww
「封建制」を唱えるなら >>359 に対する説明はどうなってるんだ??
お前は論破されたままだぞw
503日本@名無史さん:2007/11/21(水) 11:59:28
今日も朝から吼える文盲
504日本@名無史さん:2007/11/21(水) 12:03:16

釣れまちたww
505日本@名無史さん:2007/11/21(水) 15:13:50
>>503
ここできっちり反論しなければ、今後は誰にも相手にされなくなることを覚悟したほうがいいぞ本郷。
506日本@名無史さん:2007/11/21(水) 23:56:07
教授は昔から無礼者には返事しないよ
507日本@名無史さん:2007/11/22(木) 05:38:08
↑この流れでは、負け犬の遠吠えとみなされるだろうが、本郷はそれでもいいのか?
508日本@名無史さん:2007/11/22(木) 06:37:45
>>506
てめぇは何様だw
無礼討にしてくれるww
509日本@名無史さん:2007/11/22(木) 06:42:49
自称大學教授には論証能力が無いんだよ。
所詮、自称だから♪
510:2007/11/22(木) 07:02:05
前スレ化しつつあります。
罵倒は止めましょう。
511日本@名無史さん:2007/11/22(木) 14:17:22

水を差すんじゃない。
512日本@名無史さん:2007/11/22(木) 20:59:05
罵倒はやめたほうがいいな。みんな大人しく本郷の反論を待とうぜ。
513日本@名無史さん:2007/11/24(土) 05:16:25
9000石の旗本と5000石の寄合どっちが偉いの?
514日本@名無史さん:2007/11/24(土) 05:39:48
旗本で9000石なら寄合。5000石の交代寄合と言いたいのなら、家格は官位や詰間から判断して
交代寄合の方が上だろう。
515日本@名無史さん:2007/11/24(土) 10:13:30
>>513
稚拙な話題で逸らすんじゃないw
516日本@名無史さん:2007/11/24(土) 12:20:06
寄合というのは3000石以上の無役の旗本のこと。それ以下は小普請。
したがって旗本寄合席と交代寄合とは別物。

9500石の大旗本横田家の当主でも、無役で諸大夫になってなければ、
交代寄合の最上とかより当然格下。
517日本@名無史さん:2007/11/24(土) 14:56:56
>>516
>>514 によってこの話題にはけりがついている。
話題を逸らすんじゃない。
518日本@名無史さん:2007/11/24(土) 14:59:47
さあ 自称大學教授よ
論証してもらおうか。
519日本@名無史さん:2007/11/29(木) 09:38:13
旗本で、寄合とか両番とか右筆とか小十人とかの「番役筋」というのは、どういう基準で振り分けられるのだろう。
520日本@名無史さん:2007/11/29(木) 18:39:24
松前藩蛎崎(松前)家なんて商人の集団だろw
521日本@名無史さん:2007/11/29(木) 19:09:41
>>519
質問に何の意味がある??
522日本@名無史さん:2007/11/29(木) 21:23:45
>>521
スレタイにある「直臣の世界」の一端を明らかにする。
523日本@名無史さん:2007/11/29(木) 21:36:54
>>519
番頭・組頭の評定衆への推挙と若年寄の好き嫌いじゃね。
524日本@名無史さん:2007/11/29(木) 21:49:21

ところで 論証はどうなっているのかね。
525日本@名無史さん:2007/11/30(金) 00:34:06
>>523
役の割り振りじゃなくて、家格としての番役「筋」がどういう経緯で決まっていたかが知りたいんだけど。
スレの趣旨にあってると思うんだが。

>>524
本郷はきっと熟考の上ですばらしい回答をしてくれるんじゃないだろうか。楽しみだな。
526日本@名無史さん:2007/11/30(金) 00:39:17
また誰か脱線のチャンス与えてやれば良いだろ。
武士は経済軽視という主張に対して財務省と法務省どっちが入りにくいとかさ。
そしたら法務省にキャリアはいないという事実をもって脱線性交w
面白いから好きだけどさ。
527日本@名無史さん:2007/11/30(金) 07:41:06
↑食えない魚くらいしか釣れんような、本郷の主張を無理やり支持した釣りはやめておけ。

それよりも、番役筋の話題はまだしも本郷の得意分野じゃないのか。肥大した彼の自我は
どうにもならんだろうが、役に立つ情報を語る分には、一応この場では許容範囲じゃないか?
528日本@名無史さん:2007/11/30(金) 21:04:58
おーい本郷、どうやら話を脱線させて切り抜けるチャンスが巡ってきたような雰囲気だぞw
529日本@名無史さん:2007/12/01(土) 00:03:21
餌を撒くぞ〜

制度としての旗本の源流は室町幕府将軍足利義教の奉公衆制度にある。
530日本@名無史さん:2007/12/01(土) 22:36:51
平安時代から騎乗の家来はいたわけで、それと奉公衆制度は本質的に何が違うのか?
531日本@名無史さん:2007/12/02(日) 07:33:23
>>530
奉公衆制度を調べれば分かることだ。
532日本@名無史さん:2007/12/02(日) 08:22:06
喜連川は交代寄合なのか?
大名?
533日本@名無史さん:2007/12/02(日) 09:13:10
>>532
大名です。四千五百石のちに五千石に加増されましたが。
財政は奥州街道の宿場町として参勤交代大名目当ての本陣経営が支えていました。
534日本@名無史さん:2007/12/02(日) 19:52:44
喜連川はその家格ゆえに参勤交代の大名たちが必ず挨拶のために訪れた?

武士で十万石格ながら徳川の家臣でないというのが良くわからん。徳川宗家とは朝廷の官位によって
上下関係があるのか? あるいは征夷大将軍という武士の格で上下関係が生じるのか。

朝鮮通信使は30万石格だっけ。要は将軍家が接待する際の労力のかける度合いを石高で表してるだけか?
535日本@名無史さん:2007/12/05(水) 00:21:36
>>534
変な喩えだが、喜連川家と徳川将軍家は、創業者一族と社長みたいなもの。
今では大した力は無いが、それでも社長はそこそこ礼を尽くす、みたいな。
536日本@名無史さん:2007/12/05(水) 01:25:18
家格と言えば吉井松平もだよな
1万石なのに御三家と同じ大廊下上の間詰め
537日本@名無史さん:2007/12/08(土) 13:53:30
>>397
多良には有名な奈良の大神(おおみわ)神社の分祠がありますね。
三輪社家の人間が正親町天皇から多良郷の一部を賜り移り住んだとのこと。
高木家も大和国がルーツ。同郷故か大神神社を保護した模様。
治水を担った高木家に対して、大神神社は水にまつわる神様でもある。
大神の地に陣取ったのは色々と意味がありそうです。
538日本@名無史さん:2007/12/08(土) 18:50:45
曝しage
539日本@名無史さん:2007/12/08(土) 20:20:43
>>537
水の神様といえば住吉神社や金比羅さんで、海沿いに限らず船運が盛んだった川沿いでもよく祀られているが、
なぜ治水で大神?
540日本@名無史さん:2007/12/09(日) 17:27:34
スサノオ系は水じゃね?
541日本@名無史さん:2007/12/09(日) 20:47:36
スサノオは、牛頭天王(須賀神社)やら荒神さんやらであれば防疫とかでは?

ググったところ、古事記ではスサノオは海の神になることを断ったと書いてるらしいんだけど。
542日本@名無史さん:2007/12/09(日) 21:04:32
スサノオ信仰=出雲族って安易?
543日本@名無史さん:2007/12/09(日) 21:13:25
神話のことはさっぱり分からない。大国主命がスサノオで出雲だっけ?
544日本@名無史さん:2007/12/10(月) 07:31:09
大神っていうと酒の神様と思う俺は酒屋の息子。
同系の鴨が水系だから関係はあると思う。
545日本@名無史さん:2007/12/13(木) 21:04:14

脱線しすぎだろww
546日本@名無史さん:2007/12/13(木) 21:09:49
幕末の交代寄合家で洋式に軍制改革した家は
どのくらいあるのか?
547日本@名無史さん:2007/12/15(土) 06:05:58
 石高が低いということは、幕府からは軍事的に期待されず、当事者にとっても経済的に苦しいということだから、
果たしてその部分をなんとかしようと考える人たちがいたのかどうか。自前か、幕府や主家に頼るかは問わない
として。
 いたとすればそれで凄いことだから、漏れも是非知りたいが。この枠であれば、陸軍奉行の竹中重固による純忠隊が
該当するかもしれない。この隊は第二次長州征伐で逆に陥落させられた旧浜田藩士で結成されていたそうだ。
548日本@名無史さん:2007/12/15(土) 14:33:28
交代寄合ではないが 小栗歩兵は洋式調練を受けていた。
549日本@名無史さん:2007/12/15(土) 15:36:43
失礼。調べなおしたら、純忠隊は旧式装備だったらしい。七連発銃は装備していたとか書いてあるが。

http://www.bakusin.com/syotair3.html
550日本@名無史さん:2007/12/18(火) 17:49:51
大名なら大名行列
交代寄合の行列は何と呼ばれたのか?
551大學ヘ授:2007/12/19(水) 21:26:44
喜連川氏の処遇ですが、それは支那の古制に倣ったものです
亡朝の子孫を優遇する
552日本@名無史さん:2007/12/19(水) 22:54:36
喜連川は関東公方の末裔なので徳川氏の旧主筋と言えるのか?
553日本@名無史さん:2007/12/20(木) 00:52:58
本来、大切にしなきゃならんのは足利義昭の子孫だろw
554日本@名無史さん:2007/12/20(木) 00:56:29
あげ
555日本@名無史さん:2007/12/20(木) 06:55:26
阿波公方もそこに入れてやってくれ。
556日本@名無史さん:2007/12/21(金) 19:43:49
>>551
>喜連川氏の処遇ですが、それは支那の古制に倣ったものです

中国のほうは中世以来、禅譲したあと族滅されるほうが普通になったけどな。
557大學ヘ授:2007/12/21(金) 20:19:26
さればこそ古制
558日本@名無史さん:2007/12/21(金) 20:59:04
>>557
なるほどね。
そうなると、もはや大株主ですらない創業者一族をそれなりに遇する日本の会社にも「支那の古制」は受け継がれてるわけだ。
「会社は営利集団だから」なんて言ってた人もいたけど、考えてみればどっちも人間の集団だからね。それも同じ日本人の。
「全く別だ」と決めてかかる誰かさんの話にも、疑問が残りますな。
559日本@名無史さん:2007/12/21(金) 21:22:09
教授も分かってねーなw
謀反の旗印や神輿の防止だろ。
建武期の中先代の乱を知らねーのか??
560日本@名無史さん:2007/12/22(土) 02:26:01
喜連川の処遇は
徳川氏が関東を根拠地にしたことがその理由だろ
561日本@名無史さん:2007/12/23(日) 03:37:05
まー、そんなとこだな
562日本@名無史さん:2007/12/23(日) 08:03:57
制度は人間が必要に迫られて作り上げるものだからな。
古制だから、で思考停止していては何も明らかにならないぞ。
けちな合理主義者の徳川家康が、前例があるという理由だけで
名家を保存しまくるわけがない。
563大學ヘ授:2007/12/23(日) 11:03:27
徳川氏は清和源氏を称し、室町幕府の継承を唱へてゐたのですから、源氏、殊に足利氏の優遇は當然です
564日本@名無史さん:2007/12/23(日) 11:25:49
つまり、古制に倣ったものではないということだね。それなら皆も納得するだろう。
565日本@名無史さん:2007/12/23(日) 12:05:53
>>563
それを言うなら 新田氏じゃないのか?
出自を自称する新田氏の本流により近い岩松や由良の冷遇はどう説明する??
566日本@名無史さん:2007/12/23(日) 16:58:26
>>565
岩松は一応理由があったような。
家康が呼び出した時の態度が良くなかったとか。
567日本@名無史さん:2007/12/24(月) 08:40:28
戦国末期の有様を考えたら江戸時代における岩松・由良・横瀬の待遇は決して
悪いものとは言えないかも。
568大學ヘ授:2007/12/24(月) 13:34:30
 徳川氏は征夷大將軍と抱合せで源氏の長者を宣下されて居ます。
 よつて諸國(清和)源氏の保護はその公務な譯です。
 新田氏に限りません。
 清和源氏諸流の積極的保護は家康自身明言して居ます。
 中でも難しいのが足利−喜連川氏の處遇で、ここに漢學理論の助けを要した次第です。
 支那の古制なら直ちに正義の響きがあります。
 まして徳川氏は大義名分論の朱子學を採用しましたから。
569日本@名無史さん:2007/12/24(月) 21:13:32

だからー 足利義昭の子孫を保護しなかったのかね??
570日本@名無史さん:2007/12/24(月) 21:22:19
>>569
お前さん 源氏の長者の意味分かってんの?
嵯峨源氏も宇多源氏も含めての源氏の長者だろw
北畠氏も由緒正しい立派な源氏じゃないのか?
571日本@名無史さん:2007/12/24(月) 21:34:27
>>569 すまぬ。
>>568 お前さんに対してだよ。 by570
572日本@名無史さん:2007/12/24(月) 21:59:14
>>568
佐竹氏(清和源氏義光流)は常陸から追い出されましたが…
573日本@名無史さん:2007/12/25(火) 07:43:49
領地半減とはいえ、国持ち扱い。改易されなかっただけマシだろ佐竹 
574日本@名無史さん:2007/12/25(火) 07:50:15
そこらへんは甘いよな
575日本@名無史さん:2007/12/25(火) 22:28:17

足利庶流の最上は改易に等しい扱い受けているけどな。
清和源氏が特別に優遇された訳では無いんじゃない?
576日本@名無史さん:2007/12/26(水) 04:33:27
佐竹はろくな活躍もしないのに、しぶとい
相馬も同じ
島津は僻地でラッキーというとこか。
577日本@名無史さん:2007/12/26(水) 07:38:32
>>568
漢学理論なるものに立脚した場合に整合性がとれない事例に関してどう説明するのか。
なぜ足利義昭の子孫やら阿波公方やらを徳川幕府は保護しなかったのか。
578日本@名無史さん:2007/12/26(水) 12:06:27
喜連川は地関東随一の名族だからだろ
579日本@名無史さん:2007/12/26(水) 15:57:50
>>577 義昭の長男は坊主になって、次男は島津家の家来、三男もどっかの大名家の家来になっていたからじゃない?
喜連川氏は大名と言えど5000石だけどね
580日本@名無史さん:2007/12/26(水) 16:39:13
どっかの家臣になっていたところで
拾い上げて大名にしても良かったわけだけどね
徳川家康も、さすがに直前の将軍家である足利家を庇護することは
将来徳川家が逆に乗っ取られることも考えてよしとしなかったのでは?
出家した長男義尋には古市氏という愛妾がいたが、
古市氏はのちに後陽成天皇の愛妾となって寵愛を一身に受けたため、
古市氏が生んだ義尋の2人の息子義尊(実相院門主)と常尊(円満院門主)
は後陽成天皇の皇子格の待遇を受け、天皇家から庇護を受けたらしいけどね。
581日本@名無史さん:2007/12/26(水) 19:26:45
担がれる危険があるなら、陪臣よりも手元に置いた方が管理しやすいはず。
放置したのは、その危険性を想定しなかったからだろう。
582大學ヘ授:2007/12/29(土) 00:15:56
 徳川氏は清和源氏を公称し、これによって征夷大将軍に任官し幕府を開いたのですから、源氏の棟梁として家政を治めるのは仕事のうちです。
 訳の分らないことをいってはいけません。
583日本@名無史さん:2007/12/29(土) 04:18:19
大目付、見廻組支配などを勤めた松平因幡守康正も交代寄合みたいだねぇ
584日本@名無史さん:2007/12/29(土) 06:05:22
蜂須賀にいびり倒されて領地を離れざるを得ず、足利の菩提寺である等持院の援助を受けて
食いつないでいた阿波公方。明治になって爵位を求めたところ、領地を離れていたために士族に
さえなれませんでしたとさ。

古制? 源氏棟梁の公務? 何を言ってるんだ。
585日本@名無史さん:2007/12/30(日) 12:58:30
江戸時代の話だぞ。
明治後の話は論拠にならん。
586日本@名無史さん:2007/12/30(日) 17:40:38
蜂須賀にいびり倒されて領地を離れざるを得ず、足利の菩提寺である等持院の援助を受けて
食いつないでいた阿波公方。

古制? 源氏棟梁の公務? 何を言ってるんだ。
587日本@名無史さん:2007/12/30(日) 17:50:57
徳川家が源氏の氏ノ長者だからって古河公坊を保護したわけじゃないよな
588大學ヘ授:2007/12/31(月) 16:09:31
 それは寧ろ足利将軍家の仕事でせうが、室町幕府だって古河公方保護の義務を負ふ訳ぢゃなし、逆に叩き潰したこともあります。
 徳川氏は徳川氏の立場で決めるだけのことです。
 でも清和源氏を名乗り源氏の長者と抱合せでなくば征夷大将軍宣下も開幕も無く、だから家康公は諸国源氏を保護する以降を明言しました。
 具体的実施は徳川宗家の自由裁量ですから、何処の家がどうだと幾ら言っても詮無いこと。
 それは徳川の勝手次第です。
589日本@名無史さん:2007/12/31(月) 17:08:45
「徳川の勝手次第」の部分についてどのような基準だったのかを議論してるわけだが、
流れが分からないなら書き込まんでくれ。
590大學ヘ授:2007/12/31(月) 17:13:43
それも違うでせう。
徳川氏に有ったのは、基準というより都合です。
実務は評論に非ず。
基準が無くたって構はないのです。
591日本@名無史さん:2007/12/31(月) 17:51:37
>徳川氏に有ったのは、基準というより都合です。
都合も一種の基準だ。古制だ源氏棟梁の公務だのを持ち出すだけで「規則だから、規則の範疇の外だから」で
何でも片付けるのは単なる法律屋の思考停止だぞ。
単なる言葉遊びで自分自身の思考停止を無意識下に追いやるな。歴史は法制だけで成り立ってはおらん。
592日本@名無史さん:2008/01/01(火) 00:21:50
>>588
>具体的実施は徳川宗家の自由裁量ですから、何処の家がどうだと幾ら言っても詮無いこと

それにしてもさ。
よりにもよって、足利義昭家・平島公方家という、清和源氏中でも別格に高貴な家を全く保護しなかったわけだよね。
幾ら古河公方家を重視したところで、これじゃ「清和源氏の保護なんかしていない」と言われても仕方ない状況だよ。
逆に「徳川家康は本当に源氏の保護をしていたのか(少なくとも『そういう建前だったのか』)」と疑ったほうが合理的では。
593日本@名無史さん:2008/01/01(火) 07:34:33
本郷に問いかけても、同じ答えしか返ってこないと思うなあ。彼はどうも自分の思考パターンから
外れることが出来ないみたいだし。
594日本@名無史さん:2008/01/01(火) 12:44:14
脱線成功オメw
まあ徳川が源氏長者云々言い始めたのはどこのどいつだ?
足利一門や室町名家等を高家、旗本に取り立てたなど些細な例はともかくとして
「公務」で源氏長者として源氏一門全体のの祭祀、家政を行った実例でも
示して貰おうかw
595日本@名無史さん:2008/01/01(火) 13:21:10
>徳川が源氏長者云々言い始めたのはどこのどいつだ?
本郷。
596大學ヘ授:2008/01/01(火) 19:11:07
愚かなことを・・・
徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者です。
597日本@名無史さん:2008/01/01(火) 19:42:13
相変わらずかみ合わないやりとり。徳川が源氏長者かどうかが問題なのではないと書いたら、
本郷は大混乱しそうだな。毎度のことだが。
598日本@名無史さん:2008/01/01(火) 21:44:41
足利将軍数人と徳川将軍全員が源氏長者なのは少しでも歴史かじった奴ならが知っているだろ?
聞きたいのは
>「公務」で源氏長者として源氏一門全体のの祭祀、家政を行った実例だろ?
知識の前に読解力や意思伝達能力ある?
599日本@名無史さん:2008/01/01(火) 21:49:21
>徳川氏は征夷大將軍と抱合せで源氏の長者を宣下されて居ます。
> よつて諸國(清和)源氏の保護はその公務な譯です。
まあ清和を代表とする武家源氏はもちろんの事、久我家を代表とする村上源氏にも長者として何か公務みたいな
ものがあったんだろなw
600日本@名無史さん:2008/01/01(火) 22:27:07
徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者です

宗家継ぐだけならちがうよね
601日本@名無史さん:2008/01/01(火) 22:32:09
確かに宗家継ぐだけならね

足利将軍数人と徳川将軍全員が源氏長者

こんな短文の中でも598との差が歴然>>600

足利将軍数人と徳川将軍全員が源氏長者
602日本@名無史さん:2008/01/01(火) 22:37:59
慶喜が宗家襲った時は?
603日本@名無史さん:2008/01/01(火) 22:52:39
あまりの重責に卒倒しそうになったとか。
604日本@名無史さん:2008/01/01(火) 22:57:09
宗家継いだ時の慶喜は源氏長者だったのか?
605日本@名無史さん:2008/01/01(火) 23:23:04
詳しいことは分からないが宗家相続時よりも将軍就任遅かったのなら将軍宣下と同時じゃ無いのか?
>>慶喜
606日本@名無史さん:2008/01/01(火) 23:39:31
ってことは>>596の宗家の当主は淳和奬學兩院別當源氏長者だというのも真っ赤な嘘ってこと?
607日本@名無史さん:2008/01/01(火) 23:50:48
正月そうそう意地悪いな〜
608日本@名無史さん:2008/01/02(水) 00:34:13
まあ愚かな事を・・・
した張本人の自業自得だわな
609日本@名無史さん:2008/01/02(水) 01:01:25
愚か者>>596
610日本@名無史さん:2008/01/03(木) 00:38:49
島原に続いて遁走か・・・・
恥という文字だけは読めるみたいですね(嘲笑
悔し涙に手を震わせながら次の脱線を夢見てこのスレに粘着しているんだろうねw
611大學ヘ授:2008/01/03(木) 08:58:30
 慶喜公は徳川宗家を継いでも征夷大将軍には成りたくないと言って暫く抵抗しました。
 征夷大将軍では「公務として」夷の征伐すなはち攘夷をせねばならなくなるのを恐れたのです。
612日本@名無史さん:2008/01/03(木) 09:17:20
浜の真砂は尽きるとも 世に本郷の種は尽きまじ
613日本@名無史さん:2008/01/03(木) 09:19:08
>愚か者さん
>>604とか>>602も一応質問形式取っているだけで
そんな事誰でも知っているってw


614日本@名無史さん:2008/01/03(木) 09:19:50
>>611
そんなやり方で話をそらそうとしても、みっともないだけだと思うなあ。
615日本@名無史さん:2008/01/03(木) 20:42:12
>>611ってことは>>596の宗家の当主は淳和奬學兩院別當源氏長者だというのも真っ赤な嘘ってこと?
616日本@名無史さん:2008/01/04(金) 00:10:48
>>615
本郷じゃないけど。

>宗家の当主は淳和奬學兩院別當源氏長者だというのも真っ赤な嘘ってこと?
それは本当だし、慶喜が「徳川の家督は継ぐけど、将軍には就任しない」とゴネたのも本当。
但し「源氏長者だからといって、本当に源氏を保護したのか」というのとは全然無関係。
617日本@名無史さん:2008/01/04(金) 00:29:48
>>611
>>596の宗家の当主は淳和奬學兩院別當源氏長者だというのも真っ赤な嘘ってこと?


618日本@名無史さん:2008/01/05(土) 02:13:16
嘘です
619日本@名無史さん:2008/01/05(土) 04:52:34
撒き餌
>>617 宗家の当主は淳和奬學兩院別當源氏長者だというのも真っ赤な嘘ってこと?
慶喜だけに限らず真っ赤なウソ。文語体にこだわるわりには徳川も旧字に出来ない
愚か者の戯言だと思うよ。
620日本@名無史さん:2008/01/05(土) 11:21:19
でわ早速根拠を
621日本@名無史さん:2008/01/05(土) 20:22:22
真っ赤な嘘というけれど
嘘にも色があるのなら
私は薔薇色の嘘をつきたい
622日本@名無史さん:2008/01/05(土) 21:04:57
>私は薔薇色の嘘をつきたい
ゲイであることを隠しているのか。
623日本@名無史さん:2008/01/05(土) 21:34:59
嘘というか馬鹿なんだろ
624日本@名無史さん:2008/01/06(日) 11:22:25
歴史を騙り教授を騙る割には馬鹿だよなw
またしばらくほっかむりして関係ない話題で復活して撃沈するんでしょう。
625日本@名無史さん:2008/01/09(水) 23:16:25
ではその論証を
626日本@名無史さん:2008/01/09(水) 23:25:13
これって大學ヘ授をかたる偽者だろ?ヘ授こんな馬鹿なこと書くわけないよ
596 :大學ヘ授:2008/01/01(火) 19:11:07
愚かなことを・・・
徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者です。

627日本@名無史さん:2008/01/09(水) 23:58:14
自称大學教授よ

このスレはお前の妄想劇場なのか?



628日本@名無史さん:2008/01/10(木) 00:03:05
>>625
>>359 に対する論証はどうなってるんだ??
629日本@名無史さん:2008/01/10(木) 07:52:38
教授は都合の悪いことは返事しないよ。
630日本@名無史さん:2008/01/10(木) 08:50:39
それは文盲の歪んだ認識。
教授は横柄な香具師には返事しないよ。
礼儀正しく教えを請え。


631日本@名無史さん:2008/01/10(木) 09:54:44
>>630
教授乙です。
後学のため、>>359に対する論証につきましてぜひご拝聴させていただきたく、ぜひともお願い上げ奉ります。
632日本@名無史さん:2008/01/10(木) 09:59:46
本郷が視野狭窄の思考から離れられればこのスレもまともになりそうなんだが。

佐々淳行が書いてたな。学生運動が過激化していた時期、教授会の対応は学部によって
非常に違いがあったと。非常に現実的で明快な議論によって結論を導き出すのは工学部と
法学部、いつまでたっても結論が出ないのは文学部だったとさ。
で、法学部なのにグダグダな対応する法学部長がいたので不思議に思ったが、その学部長の
専門は法制史だったというオチまでついてたよ。

で、本郷の専門は法学のうちの何だ。
633日本@名無史さん:2008/01/10(木) 21:26:58
久々に文盲君出てきたの?
遂にコテ断念で荒らしに徹するのかい?

>>教授は横柄な香具師には返事しないよ。
消える直前まで的はずれだけど散々レスしていたけど君は字が読めない低学歴者?
それとも現実を直視出来ない弱虫君かな?
634日本@名無史さん:2008/01/11(金) 09:15:47
教授派の反文盲闘争激化!
文盲は膝を屈して教授に教えを請うか?
635日本@名無史さん:2008/01/11(金) 09:42:03
596 大學 授 2008/01/01(火) 19:11:07
愚かなことを・・・
徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者です。
636日本@名無史さん:2008/01/11(金) 15:30:11
紀州の安藤さんと水戸の中山さんは同じ血族。府中松平さんも同じ血族
637日本@名無史さん:2008/01/11(金) 18:06:14
635は596が違うとゆうんならきちんと証明しなよ。
こぴぺ荒しじゃただの変質者だぞ。
638日本@名無史さん:2008/01/11(金) 19:16:40
定府の交代寄合が7家有るって何かで読んだですが、どこですか?
こういう家は交代寄合が家格になってからの家だと思うんですが、
そうでもないんでしょうか?
639日本@名無史さん:2008/01/11(金) 20:38:53
自称教授君が必死だな
640日本@名無史さん:2008/01/11(金) 22:43:17
よっぽど悔しかったんだろうねね(爆
しかしスレが乱立している日本史板でなぜ交代寄合スレにここまで粘着するのか
理解に苦しむyo
641日本@名無史さん:2008/01/12(土) 14:19:27
スレが乱立している日本史板でなぜか交代寄合スレに粘着する文盲↑
642日本@名無史さん:2008/01/12(土) 14:33:19
>>634
教授派なんて無いだろ
お前さんの一人芝居だろw たわけ!
643日本@名無史さん:2008/01/12(土) 18:17:47
ではその論証を
644日本@名無史さん:2008/01/12(土) 18:54:46
楽しいスレだなw
645日本@名無史さん:2008/01/12(土) 19:35:11
>>643
スレ違いな論証を求めるテメーは脳無しか??

>>359 にさっさと答えろよw
646日本@名無史さん:2008/01/12(土) 20:06:50
>>596
大學ヘ授:2008/01/01(火) 19:11:07
愚かなことを・・・
徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者です。

宗家のみ継承した時点での慶喜は?
647日本@名無史さん:2008/01/12(土) 20:24:57
重箱の隅をつつくのは楽しいか?
楽しいのは本郷いじめか?
648日本@名無史さん:2008/01/12(土) 20:33:30
>>647
妄想と嘘を撒き散らす者を成敗したいだけさw
649日本@名無史さん:2008/01/12(土) 20:36:38
2ちゃんで大學ヘ授ってwwwwwwww
650日本@名無史さん:2008/01/12(土) 20:59:06
>>647

遂に逆ギレに及んで妄想劇場に浸っている文盲君(爆
結局一人の妄想と妄言、独りよがりで学問板は汚されていくんだね。
この板見て良くわかる。
まあ一番文盲的なのは他人を文盲呼ばわりし始めた文盲君だけどね(藁
651日本@名無史さん:2008/01/12(土) 22:51:47
640 :日本@名無史さん:2008/01/11(金) 22:43:17
よっぽど悔しかったんだろうねね(爆
しかしスレが乱立している日本史板でなぜ交代寄合スレにここまで粘着するのか
理解に苦しむyo



641 :日本@名無史さん:2008/01/12(土) 14:19:27
スレが乱立している日本史板でなぜか交代寄合スレに粘着する文盲↑


誰の事を言っているのか全く明示していないのに条件反射でヒステリーレスしているね。
どういう理由なのかは文面を見る限り不明ですがこのスレを見る限り普通の読解力のある
一般人なら当然分かるでしょう。
惨めな日常を歪んだ優越感でネットで晴らすことも出来ないで罵倒レスに勤しむ賤しい人間の
典型的なサンプルと言えるのではないでしょうか?
652日本@名無史さん:2008/01/12(土) 23:02:46
>>651
君が2ちゃんねるで大學ヘ授とか名乗ってる恥ずかしい人?
653日本@名無史さん:2008/01/12(土) 23:07:03
なんだかみんなが疑心暗鬼で敵と戦っていてスレタイの内容にそった話が出ないスレだな。
654日本@名無史さん:2008/01/13(日) 06:00:11
>>653
文盲君および大學教授を識別できるよ。
歪曲した性根が滲み出した文章だからなwww
655日本@名無史さん:2008/01/13(日) 06:17:40
江戸期の封建制の本質にメスを入れようとしている >>359 の問いに
自称大學教授が答えられない限り学問的にこのスレは前に進めない。
若しくは自称大學教授は論破されたことを認めるかだ。

答えは二つしかないぞ 自称大學教授よ。




656日本@名無史さん:2008/01/13(日) 19:18:21
徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者です。

これは正しいべ。
違うというなら根拠を。
657日本@名無史さん:2008/01/13(日) 19:51:22
>>656
○か×かのつまらん話題を振るより
いい加減 >>359 に答えたらどうなんだ??
658日本@名無史さん:2008/01/13(日) 20:46:13
支離滅裂になってきたな。
元々意思伝達能力低いとは思っていたが。
コテハン捨ててからは更に酷くなってきている。。。。
659日本@名無史さん:2008/01/13(日) 20:49:38
すみませんそれで定府の交代寄合って本当に居るんでしょうか?
660日本@名無史さん:2008/01/13(日) 20:53:43
自称教授君、>>359の他にも逃げたまま無回答の宿題沢山あるよ。
堂々と答えた後に礼儀をもって教えを請わないといけないんじゃないの?
悔しくて自我を失い荒らす気持は分からなくもないがここが君の正念場だ
さあ頑張って(爆
661日本@名無史さん:2008/01/13(日) 21:29:33
慶喜が将軍職に就かぬまま徳川宗家のみ継承したこともしらなかったのか?
662日本@名無史さん:2008/01/13(日) 21:45:37
>>659
定府なら交代寄合の意味ねーじゃん。
663日本@名無史さん:2008/01/13(日) 22:42:30
>>658
誰のことを言ってるのかね?
664日本@名無史さん:2008/01/14(月) 08:48:37
まあ、格だからね。
定府の交代寄合(格)がいたのかどうかはしらんけど、いても驚かない。
665日本@名無史さん:2008/01/14(月) 10:48:09
不思議なことを言う人がいるな。
参勤交代は栄誉なことで 辞退・返上することは家名を落とすことになる。
元交代寄合の寄合席旗本が家格を維持出来たかは疑問だ。
666日本@名無史さん:2008/01/14(月) 11:34:20
脱線するが
定府の大名に水戸徳川家と田安徳川家・清水徳川家・一橋徳川家の
御三卿がいる。
水戸徳川家は領地と自前の家臣団を持っているが 御三卿は倉米取で
領地を持たず付家老は幕臣で江戸城の一角に住まわされている。
部屋住み大名なのに将軍家のスペアとして官位だけは高い。
十万石格なのに大納言では水戸家よりも格上で尾張家も面白くなかったのではと思う。
実際戊辰戦争では 水戸家出身の一橋慶喜に対して尾張徳川家は臣従していない。
誰かが言っていたように徳川宗家の承継だけなので 独立した諸侯にとって
将軍職を返上し源氏の長者でもない慶喜に臣従する法的根拠は無かったと思う。
従って、戊辰戦争は最新兵器・軍事力云々では無く最初から負けが決していた。
慶喜の愚行である。
667日本@名無史さん:2008/01/14(月) 11:47:03
@もともと参勤交替をしていたが家格としての交代寄合が定まった後、
 何らかの理由で実体としては定府になった。
A本来通常の旗本有った、あるいは名跡復活で旗本になった家が、
 家格としては交替寄合またはそれに準ずる家になったが、
 実体としては定府であった。
交替寄合格で定府って言うのがあり得るとしたら上のケースくらいかな。
交代寄合が制度化される以前は参勤交代止めたら当然交替寄合でなくなるんだけど、
はっきりとした家格になった以後はこういうこともあり得たのかな?
668日本@名無史さん:2008/01/14(月) 11:49:16
結局のところ、慶喜は過去の価値観にも未来の価値観にも一方に頼る根拠を明確に持てなかったために
曖昧なスタンスを取らざるを得なかったのだろう。
全体の半分近くのものを切り捨てるにはそれなりの怨念が必要だぞ。
669日本@名無史さん:2008/01/14(月) 11:50:06
9000石とか7000石とか大身旗本の場合の統治組織ってどうしてたんだろう。
2,3000石級なら代官任せかもしれないけど、家老以下国元の組織有り?
9000石も1万石も統治の手間自体はほとんど変わらないよね。
それとも領地が分散してるから代官任せでもOK?
670日本@名無史さん:2008/01/14(月) 12:46:17
結局、徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者、だったんだろ?
671日本@名無史さん:2008/01/14(月) 15:38:10
吉良とか4500石ぐらいなのに結構領地の世話焼いてただろ。
9千石の旗本と1万石の大名とで領地経営がそうかわるともおもえん。
陣屋みたいなのを置いて、江戸から来た用人と現地雇いの手代みたいなのがいたんではないの?

672日本@名無史さん:2008/01/16(水) 00:58:38
脱線志望の粘着君乙。
文体が一緒だよ(笑
誰も相手にしていないみたいだから僕が相手してあげるか?
673日本@名無史さん:2008/01/16(水) 01:19:46
>>672
>>666 だが 私を誰と想定してるのかね?
674日本@名無史さん:2008/01/16(水) 02:04:50
徳川宗家の当主=将軍ではないわけで・・・
675日本@名無史さん:2008/01/16(水) 09:15:42
こぴぺだから文体が一所なのは当たり前。
結局、徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者、だったんだろ?


676日本@名無史さん:2008/01/16(水) 23:08:09
>徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者です。 >>656
から
>徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者、だったんだろ?

では大きく意味が違うけど何か?
皆が知っていることを何故こんなにも繰り返し聞くのか理由が分からないな。
677日本@名無史さん:2008/01/18(金) 12:57:57
岩松が最初に家康に認めらたのが20石。
これって家族と数名の使用人で農業に従事してたってこと?
678日本@名無史さん:2008/01/18(金) 18:01:40
やっぱり徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者だったらすいw
また文盲の負けw
679日本@名無史さん:2008/01/18(金) 18:14:37
19世紀中頃に岩松家の家老として名前が挙がっている人と同姓の人が
19世紀初めに手作りを米を献上している。
18世紀中頃の家臣は、庄屋・組頭他、足軽は名請百姓。
主たる収入は献金と借金だとか。
やっぱ20石の頃は実質農家かなあ?
680日本@名無史さん:2008/01/18(金) 19:00:55
慶喜が将軍にはならず徳川宗家のみを継いだことは誰でも知ってることだよ
家茂なきあと一時期将軍ではない徳川宗家の当主がいたなんて幕末では欠かせない基本だよな
681日本@名無史さん:2008/01/18(金) 19:07:29
へー、なるほどね
これ(>>678)が教授ってやつなんだw
682日本@名無史さん:2008/01/18(金) 19:24:01
米良は林業で食ってたの?
木こりの親玉みたいなもの?
683日本@名無史さん:2008/01/19(土) 00:59:18
>>678
真の意味では君が文盲じゃないのか?
まあ掲示板に書き込み出来る最低限の能力はあるみたいだが。
自作自演やっているとしたら哀れすぎてかける言葉も無いよ。
辛いことも多いだろうけど頑張って前向きに生きてください。
684日本@名無史さん:2008/01/19(土) 18:43:18
無理だな。
慶喜は征夷大将軍に成るのは嫌だとごねたが結局受けさせられたんだぜ。
まるで成らなかったような嘘を書くな。
そうして「淳和奬學兩院別當源氏長者」も抱き合わせだった。
徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者だった。
685日本@名無史さん:2008/01/19(土) 19:19:00
役職としては御目見得以上だけど、家として御目見得の資格がない場合は御家人と考えて良いよね。
それでその役職を事実上世襲している場合って制度的には御家人のような気がするけどどうなの?
686日本@名無史さん:2008/01/20(日) 01:12:01
>>68
慶喜が徳川宗家を継承した時点では淳和奬學兩院別當源氏長者ではなかった
そうでしょ?大學ヘ授さんw

687日本@名無史さん:2008/01/20(日) 01:12:37
>>684
慶喜が徳川宗家を継承した時点では淳和奬學兩院別當源氏長者ではなかった
そうでしょ?大學ヘ授さんw
688日本@名無史さん:2008/01/20(日) 01:19:36
田安亀之助、後に宗家を継いだ徳川家達も淳和奬學兩院別當源氏長者?
689日本@名無史さん:2008/01/20(日) 01:30:36
>>595以来ヘ授出てこないね
690日本@名無史さん:2008/01/20(日) 07:10:17
教授は持病の神経痛がひどいから返事しないよ。
691日本@名無史さん:2008/01/20(日) 08:07:23
>>688
慶喜の後に源氏長者継いだのは村上源氏の久我建通です。
ちなみに彼が最後の源氏長者。16代様以降は徳川宗家から源氏長者全く出ていません。
692日本@名無史さん:2008/01/20(日) 10:06:34
源氏長者そのものが廃止されたから仕方ない。
693日本@名無史さん:2008/01/20(日) 10:29:08
何か源氏長者ネタにこだわって脱線復活を伺っているみたいだねw
694日本@名無史さん:2008/01/20(日) 10:33:43
交代寄合の話題はどうなった?
清和源氏の名門なら、山名や最上もいるけど。
695日本@名無史さん:2008/01/20(日) 11:19:53
源氏の長者で都合が悪いから話を逸らそうとする文盲w
696日本@名無史さん:2008/01/20(日) 12:48:52
大学教授って名乗ってる馬鹿がいるからだろ?
697日本@名無史さん:2008/01/20(日) 12:52:40
山名と最上は旧族としての既得権だろうな。
山名は因幡守護家、最上は守護以上の権威だし。
698日本@名無史さん:2008/01/20(日) 12:53:12
徳川家達は徳川宗家の当主じゃないの?
699日本@名無史さん:2008/01/20(日) 17:09:47
征夷大将軍廃止後だから抱合せの源氏の長者を論じても仕方無い。
現在、徳川宗家の当主は征夷大将軍でも源氏の長者でもないが、それを今更あげつらうようなもの。
荒し発言でしかない。
江戸時代「徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者だった」のは間違いない。
700日本@名無史さん:2008/01/20(日) 17:42:52
>>699
教授は江戸時代だなんて書いてないよ
701日本@名無史さん:2008/01/20(日) 18:22:02
>>596

>愚かなことを・・・
>徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者です。


702日本@名無史さん:2008/01/20(日) 19:47:07
長者ネタはどうでもいいよ。
スレタイと関係ないだろ。
703日本@名無史さん:2008/01/20(日) 20:55:12
教授が愚かなことを書いたのが発端
2ちゃんねるで大学教授なんて称してることがそもそも愚かしいが
704日本@名無史さん:2008/01/20(日) 21:00:56
大学教授のなかに馬鹿がひとり増えるだけでたいしたことではない。

と文学部唯野教授がいっていました。
705日本@名無史さん:2008/01/20(日) 21:24:07
構造改革は大学運営にも及んでいるはずだが。
706日本@名無史さん:2008/01/20(日) 21:36:56
徳川家達が徳川宗家を継承した慶応4年閏4月29日の時点で征夷大将軍は廃止されてたの?
707日本@名無史さん:2008/01/20(日) 22:04:41
200石程度の交代寄合なんて存在しないと思っていたがいるんだね。
格式をどうやって繕っていたのだろう。
馬鹿で知性の無い教授の格式の繕い方はよーくわかったがw
708日本@名無史さん:2008/01/21(月) 00:01:11
段々馬鹿も凄くなって来たな。
大政奉還した徳川氏に征夷大将軍宣下のあろう筈も無い。
709日本@名無史さん:2008/01/21(月) 02:18:15
>>708
じゃあ>>596で教授が言っていたこれもありえない話なんでは?

596 大學 授 2008/01/01(火) 19:11:07
愚かなことを・・・
徳川宗家の當主は代々淳和奬學兩院別當源氏長者です。
710日本@名無史さん:2008/01/21(月) 08:50:12
正しいと思うよ。
711日本@名無史さん:2008/01/21(月) 08:59:33
>>709
教授は慶喜までの当主と限定して書いてないからおかしな話だよ。それは。
>>710
なんで正しい?
712日本@名無史さん:2008/01/21(月) 16:49:26
と言うか、16代家達以降は間違いなく「淳和奬學兩院別當源氏長者」ではないと思うんだが。
「徳川宗家の当主」と書いてしまうと、明治以降の当主も入ってしまうから明らかに間違いだろ。
「徳川将軍家の当主」であれば幕末のドサクサ紛れに将軍になった慶喜がどうだったかを確認したうえで正否を語り得るので
はないか?
713日本@名無史さん:2008/01/22(火) 01:44:20
グダグタ言う前に、ホンタク教授はまず


謝りなさいね。まっとうな社会人として。
714日本@名無史さん:2008/01/23(水) 22:06:20
バレバレの別人格を使ってもしかもあれだけ粘着した長者ネタにも反論できず負け犬の遠吠えでお仕舞いか・・・
実生活を反映していそうで可哀相・・・
715日本@名無史さん:2008/01/25(金) 07:47:15
家達が当主で同時期に公家の源氏長者もいた訳だが。
716日本@名無史さん:2008/01/25(金) 08:23:04
>>706
王政復古の大号令が公布されたのが慶應3年12月9日。
これにより、幕府(征夷大将軍)、摂関が否定され、
天皇主権による新政府が樹立されている。
717日本@名無史さん:2008/01/25(金) 08:29:56
岩松の分家は町与力、子が徒、曾孫が徒→支配勘定→勘定と昇進し旗本。
やはり岩松の待遇は良くない?
718日本@名無史さん:2008/01/25(金) 08:42:42
>>716
家達が徳川宗家を継いだ時に別の源氏ノ長者がいたんですよね?
719日本@名無史さん:2008/01/25(金) 09:56:36
本題から外れた重箱の隅状態がいつまで続くんだ。
本当にここは学問板かorz
720日本@名無史さん:2008/01/26(土) 11:01:39
王政復古の大号令以降、旗本も御家人も諸侯の家臣と同じ陪臣になったわけだ。
721日本@名無史さん:2008/01/26(土) 11:15:35
>>720
具体的に言えば 西国郡代窪田鎮勝と一万二千五百石の豊後森藩の
二十石足らずの家臣はこの時同格。
722日本@名無史さん:2008/01/26(土) 11:27:00
西国郡代日田永山役所の接収に一番乗りした森藩の家臣達は
窪田郡代を厳しく追求した。
723日本@名無史さん:2008/01/26(土) 12:24:07
徳川慶喜は征夷大将軍にも源氏の長者にも就任した。
嘘はいかんよ。
724日本@名無史さん:2008/01/26(土) 13:04:36
旗本でも朝臣になった人達も存在する。
中大夫以下の身分を与えられたけど、なぜか上大夫はいない。
禄制改革の際の他の幕臣よりは有利になった。
それでも諸侯格を認められた交代寄合諸家よりは不利だが。
武士身分に残った中で家禄の面では一番悲惨なのが静岡藩家臣かな。
725日本@名無史さん:2008/01/26(土) 14:06:47
>>723
誰もそんな嘘をついちゃいないよ
726日本@名無史さん:2008/01/26(土) 14:09:09
諸侯格を認められた交代寄合家の家臣は士族で
旧寄合席の大身旗本の家臣は平民。
727日本@名無史さん:2008/01/26(土) 15:28:44
旧旗本のその後
@高直しで諸侯と認められた旧交替寄合
A早期に帰順して朝臣となり本領安堵
B徳川家の処分決定後、希望により朝臣
C同様に静岡藩士
D同様に帰農帰商
E同様に帰農帰商したが後に静岡藩士 

最終的な家禄
旧5000石 A250石 B75石 C18石 E原則5.4石 
旧3000石 A120石 B50石程度? C18石 E原則5.4石 
旧1000石 A75石 B35石 C14.4石 E原則5.4石
旧500石 A50石? B28石 C12.6石? E原則5.4石
旧200石 A28石 B16石 C10.8石? E原則5.4石
旧100石 A16石 B10石? C10.8石? E原則5.4石
旧40石 A9石 B9石 C9石? E原則5.4石
728日本@名無史さん:2008/01/26(土) 18:28:24
静岡藩士は食べていけたのですか?
729日本@名無史さん:2008/01/26(土) 18:55:28
静岡県(貫属)士族の苦闘は有名だけど、なんとか食べたらしい
730日本@名無史さん:2008/01/26(土) 19:14:27
>>727の訂正
旧5000石 A150石
250石は旧9000石(現石高3150石)でした。
ちなみに@に該当する平野家(元表高5000石)は家禄307石
また静岡藩士は移住当初は表の半分以下と更に悲惨。
731日本@名無史さん:2008/01/26(土) 20:35:43
静岡藩って70万石の石高があったんだから、駿河・遠江の住民からの年貢で
まともな家禄くらい支給できなかったのか?
732日本@名無史さん:2008/01/26(土) 20:46:23
静岡藩士の人数がべらぼうじゃね?
733日本@名無史さん:2008/01/26(土) 21:23:02
旗本の家だけで数万だっけ。
734日本@名無史さん:2008/01/26(土) 21:39:10
静岡藩士5000人程度に5人扶持以下を与える方針
実際には4000人強が移住、3000石(1050石)以上で5人扶持=9石
最低の20俵未満で1.5人扶扶持=2.7石
翌年には支配地の掌握、犯財政の確定が完了し、>>727の表の石高に改めた。
廃藩置県時点の藩士は、帰農帰商の失敗等のために14000人近くにまで増加した。
735日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:00:20
売国企業マルハン
2chでパチンコの大手、株式会社マルハン(代表取締役会長 韓 昌 祐、代表取締役社長 鈴木 嘉和、代表取締役副社長 韓 裕)
のスレで ホルコンや遠隔や桜などについて書き込むと工作員(渋谷マルハン社員、マルハンに依頼されたネット工作会社)(仮)
がやってきてスレを荒らしてスレを機能停止させます。(大量のコピペを連投するのでコピペ馬鹿と呼ばれている)
↓↓荒らしのやり方↓↓
2007/11/03(土)ID:b+XZQwwt0
マルハン難波店http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1146755003/417
マルハン総合スレッドhttp://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187021165/413-416
MPT渋谷パート9http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1197771701/9
2007/11/14(水)ID:IQ2W+BsJ0 2007/11/15(木)ID:Fi5mVWm/0
マルハン総合スレッド 9http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187021165/486-488
マルハン難波店http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1146755003/434-437
ガイア(笑)http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1178977365/490-492
ガイア正社員友の会http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1188211786/134-138
2007/11/25(日)ID:XeE9yAd+0
マルハン総合スレッド9http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187021165/538
【香川】パーラーグランドのスレ2【徳島】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1188315438/147

工作員に荒らされ機能停止したスレ
■■■■マルハン総合スレッド 9■■■■http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187021165/
【山崎】MPT渋谷パート9【シャネル】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1197771701
【基地外が大暴れ4】エスパス日拓総合スレ【18発目】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1188885488
MPT渋谷はマルハン・パチンコ・タワー渋谷の略です。
パチンコ産業は荒らすことでレスとレスの間を空けて読む気をなくさせたり
マネーロンダリング、さくら、ホルコン、遠隔、などの風評被害を最小限に抑えようとしてる。


736日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:10:17
慶喜のあほうーw
737日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:16:23
由緒ある旗本家の伝来の家宝は現金化。
738日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:22:33
旧幕臣の負の連鎖は敗戦後の高度成長期まで続くんだろうなw
739日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:22:55
18石ってことは30俵2人扶持の同心と同程度になるのか。
3000石の町奉行が同心並み、はーこりゃこりゃ。
まあ古河藩なんか3000石が表向き60石、80石が19石、
しかし実は石高無視で家族の人数割りだもんな。
740日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:49:24

麹町や一番町に今でも五百坪の屋敷を持ってたら
数十億円の資産家だもんなー
741日本@名無史さん:2008/01/27(日) 11:42:28
旗本の子孫は東京より静岡の方が多いのかな?
742日本@名無史さん:2008/01/27(日) 12:52:49
あまり残ってないよ
743日本@名無史さん:2008/01/27(日) 13:16:28
まあ静岡には元々の生活の根拠が有ったわけじゃないですし。
旧今川家臣とかは先祖の地かもしれないですけど、
それも領地でもなければうほとんど縁が切れてたでしょう。
静岡藩消滅後は積極的には残る理由がないでしょう。
行き場と言うか移住費用がなくて残った人も居たでしょうが。
しかし最緊急にまともになれましたねこのスレ。
744日本@名無史さん:2008/01/27(日) 14:35:06
しかし交代寄合の話は一切出てこないな
745日本@名無史さん:2008/01/27(日) 14:53:44
岩松の家臣とかは平民になったってことで良いの?
米良はそもそも家臣居たの?
746日本@名無史さん:2008/01/27(日) 15:15:23
旧大名の重臣(一門・家老)で五〇〇円以上の年収が有る家は華族になりえた。
とすると旧旗本も静岡藩重臣として財産があれば華族になれてもよかったはず。
仙台藩すら華族を出してるんだから。
旧旗本はみんな貧乏(相対的に)だったのか?
747日本@名無史さん:2008/01/27(日) 16:49:48
長州征伐で自分はとっとと引退してガキに死地に赴かせるような奴らだぞ。
寄生の宿主が死んだ後に、まともな稼ぎができるような甲斐性なんてあるわけがない。
748日本@名無史さん:2008/01/27(日) 17:11:06
静岡藩消滅後も同地でのうのうと趣味三昧の慶喜を
落ちぶれた元静岡藩士(旧幕臣)はどんな目で見ていたのか?
(勝海舟は除く)
749日本@名無史さん:2008/01/27(日) 17:38:35
「貴人、情を知らず」
750日本@名無史さん:2008/01/27(日) 18:20:10
ろくに仕事をしないのはトップも下も同様だから、近親憎悪くらいは沸いたかもね。
751日本@名無史さん:2008/01/27(日) 18:30:32
斗南藩士がバカタモリを恨むほどでもなかったんじゃないかと。
752日本@名無史さん:2008/01/27(日) 19:00:44
>徳川家の親族の集まりで家達公が遅れてくると、上座に慶喜が座っていた。
>家達公が「なんだ。自分の座る場所がないぞ。」というと、慶喜さんが遠慮して座を譲ろうとした。
>家達公が「いやいや。遠慮せずに・・。」と2人上座に座ったという話があります。

なんか凄い話だなw
753日本@名無史さん:2008/01/27(日) 19:21:46
>貴人、情を知らず
水戸家の血には特にそれを感じるな。
幕末に量産された水戸系の殿様方の薄情なこと薄情なこと。
家臣は戦死、責任とらされて自害、生き残っても貧乏暮らし。
本人は悠々自適。
754日本@名無史さん:2008/01/27(日) 19:32:09
徳川光圀が「大日本史」なんか編纂させるような家風だからじゃね?
755日本@名無史さん:2008/01/28(月) 00:23:45
源氏の名門 佐竹氏の怨念だよ。
756日本@名無史さん:2008/01/28(月) 13:35:43
キョンシーの劣勢は続くね
757日本@名無史さん:2008/01/28(月) 16:50:02
源氏流の大藩・細川・島津?・南部・佐竹は日本の南北に押し込められたんだな。
758日本@名無史さん:2008/01/28(月) 17:30:36
違うな。
外様、殊に大大名は遠方に配したということだ。
源平藤橘に関係ない。
759日本@名無史さん:2008/01/30(水) 21:37:42
曝しage
760日本@名無史さん:2008/01/31(木) 00:18:23
>>743
牧之原の開墾にはかなりの数の幕臣が入ったみたいだよ
水田を作れる土地じゃないからほとんどが茶畑だな

もともとここは隔離スレだからまともな問答は期待外なんだけどねw
761日本@名無史さん:2008/02/02(土) 00:23:06
旗本に御家人を加えても精々一万数千。
それが代々淳和奨学両院別当源氏長者たる徳川将軍に仕えていた。
762日本@名無史さん:2008/02/03(日) 01:04:20
新規取立
新恩給与
本領安堵
移封
減封
改易
権力者のオモチャだなww)ぷっ
763日本@名無史さん:2008/02/03(日) 01:09:36
江戸時代 将軍家に臣従せず幕府の統制外にいた武士を教えてくれ。
(浪人以外)
764日本@名無史さん:2008/02/03(日) 06:04:11
公家侍とか大寺院の家臣とか?
765日本@名無史さん:2008/02/03(日) 08:50:26
安政の大獄で公家侍も幕府に処罰されてるから、統制外とはいえない。
766日本@名無史さん:2008/02/03(日) 09:17:52
藤堂家や池田家の客分だった荒木又右衛門みたいに
大藩が保護した武芸者の身分は浪人なのか?
767日本@名無史さん:2008/02/03(日) 09:38:48
>>765
それを言ったら天皇さえ統制内だろ。なのに>>763では
浪人が統制外であることを思わせる線引きをしている。
基準を明確に示せよ
768日本@名無史さん:2008/02/03(日) 09:40:08
浪人って幕府の法制上武士なの?
あと幕府がここの武士の認定にまで関わっているわけじゃないよね。
直臣である大名・旗本が武士身分の家臣だと保証すれば武士?
陪々臣やそのまた家来はどうなるんだ。
万石以上の家老の家老だと武士的生活をおくる家臣もいたりするよね。
769日本@名無史さん:2008/02/03(日) 09:49:24
浪人は裁判では町奉行の管轄になる。
武士身分ではないが、士装や名字帯刀は黙認されてるってことかな。
道場主や塾主なんかには、先祖代々、浪人なんて家もあったかも。
770日本@名無史さん:2008/02/03(日) 09:49:35
あと武家奉公人中武士とそうでないものの区分ってなに?
771日本@名無史さん:2008/02/03(日) 09:52:24
武家の家臣の召抱えには、いちいち幕府の許可を得る必要はないから、
大名や旗本や上級武士が侍として召抱えてくれたら、庶民でも士分になれる。

旗本の家来なんかには農民や浪人あがりのあやしげな侍が多い。
772日本@名無史さん:2008/02/03(日) 10:00:03
真面目に武士論を論ずるならば
承平天慶以来の「兵の家」がポイントになる。
徳川将軍や倍陪臣を論ずることは何の意味も無い。
武士は武家諸法度によって制度化されたわけではなく
法よりも先に「武士」が存在したわけだ。
773日本@名無史さん:2008/02/03(日) 10:16:41
「武士の統制」を論じるなら法制上の武士の定義が重要になるけどね。
どっちを語るかを明確にする必要がある。
774日本@名無史さん:2008/02/03(日) 10:24:40
武士ってどこまでが武士?
直臣で御目見得以上は間違いないとして、
御目見得以下はいろいろ怪しくなってくる。
町与力などの抱席は武士なのか?
譜代席でも黒鍬とかあのあたりは武士?
牢屋下男は武士じゃないとは思うが?
六尺なんか武士だろうか?仕事内容はどう考えても武士じゃないと思うが。
でも御譜代準席だし、牢屋同心より席次は高い。
代官所手代は公務期間のみのパートタイム的武士?

陪臣でも馬廻級以上は武士なんだろうけど、
それ以下はよくわからなくなってくる。
中小姓級は通常は武士らしいけど例外もあるみたいだし、
徒クラスになると武士なのか武士でないのか?
足軽級になると同じ藩内の同時期でも人によって違ってたりするみたいだし。

実体は武士でも法制上武士扱いされなかったり、
法制上は武士でも実体は武士と言い難かったり、
法制上も中間身分としか言えなかったり、
実体と法律の乖離っていつでもあるけど、
前近代は特にややこしいな。

まあそんな議論には意味がないと言われるそのとおりなんだろうけど、
やはりその辺の問題が生じることもあっただろうし、
後世の人間としては単純に好奇心をそそられるところ。
775日本@名無史さん:2008/02/03(日) 10:35:06
武士は騎乗の身分だと思う。
776日本@名無史さん:2008/02/03(日) 10:45:47
家の制度だろうな。
系図を操作して「兵の家」に繋げようとして侍はみんな必死ww
777日本@名無史さん:2008/02/03(日) 21:06:41
>>769
> 道場主や塾主なんかには、先祖代々、浪人なんて家もあったかも。

最近は、保護制度が始まって以来由緒正しい生活保護世帯なんて家があるらしい。
あと200年くらいすると由緒正しいネオニートな家も出てくるかもしれん。
778日本@名無史さん:2008/02/05(火) 21:53:14
>>774
こういうのこそ本郷が得意中の得意だと思うんだが、肝心のときに来ないな。
779日本@名無史さん:2008/02/05(火) 21:58:47
自演で登場の機会うかがってるのかなー?
780日本@名無史さん:2008/02/06(水) 01:38:45
傘張り浪人でも、士装して浪人を称している限り、何代経っても浪人のままなんだろうな。
明治維新の時点で100年以上浪人の家なんてのもあったかも。
781日本@名無史さん:2008/02/06(水) 10:33:39
>>778
本郷が自分で餌撒いてるところだから邪魔しちゃいけませんw
782日本@名無史さん:2008/02/07(木) 17:22:42
徳川将軍は淳和奨学両院別当源氏長者
783日本@名無史さん:2008/02/07(木) 17:36:05
クソスレsage
784774:2008/02/07(木) 18:14:06
>>781
僕は教授じゃないよ。
あの人はこんなとりとめのない文は書かないでしょう。
785日本@名無史さん:2008/02/09(土) 01:08:49
直臣はすべてが武士じゃない。
武士とは職制ではなく「家の制度」だと思う。
江戸以前だが木下藤吉郎は木下家に入り込むことで織田家臣団の武士として認知された。
いくら戦国の世とはいえ小物がそのまま足軽組頭に成ることはありえない。
786日本@名無史さん:2008/02/09(土) 07:15:46
木下家ってのが元々あったのか
787日本@名無史さん:2008/02/09(土) 09:54:35
士分の医師とか儒者って士ではあるんだろうけど、武士?
軍医とか士官学校教官みたいなものとでも考えるべきなのかな?
788日本@名無史さん:2008/02/09(土) 15:31:26
>>786
そうだよ。
789日本@名無史さん:2008/02/09(土) 15:52:02
>>787
大名とかのお抱えで俸禄貰ってるって意味じゃないのかに
790日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:21:40
偶然読んだ鹿児島の本に
市内原良町に霊験あらたかな米良菊池氏の稲荷社があったと書いてあった
島津藩の中心部になぜ交代寄合に関係する神が祭られていたのか・・・
791日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:32:10
米良氏は元々は日向の伊東氏とのつながりが深かったが、米良の領地を伊東が侵略したことを契機に
米良が島津に頼り、島津の日向侵攻のきっかけになったという経緯がある。稲荷社のことは知らない。
792日本@名無史さん:2008/02/09(土) 19:14:36
なぜか九州には奉公衆の家が何家かある。
守護大名に対抗する為に国人が段銭免除と守護不入権がある奉公衆の拝命を
室町幕府に願い出たのだろう。
奉公衆は不定期ではあるが後の世の交代寄合のように幕府に出仕していたという。
793日本@名無史さん:2008/02/09(土) 20:32:31
御家人から旗本に昇格してでも家禄は前のままだった家、
40石くらいとかって先祖を恨んだりしなかったのかな?
そう言う小禄の家って普通は小十人筋だろうけど、
足高の関係で役にあぶれることが多かったらしくて、
家禄だけど非常に苦しい。
しかも小禄でも旗本だから御家人と違って格式上の支出が多いわけだし、
もしかして幕臣で一番苦しいクラスかも?
794日本@名無史さん:2008/02/10(日) 03:32:59
本知40石の旗本ってかわいそうだな。具体的に何処の何家?どの程度の暮らしぶりだったかを詳しく検証したい。
795日本@名無史さん:2008/02/10(日) 11:55:10
室町幕府と江戸幕府の比較

遠国の奉公衆≒交代寄合
   相伴衆≒譜代大名
796日本@名無史さん:2008/02/10(日) 13:25:18
具体的な家名は覚えてないけど、
この間見た御家人から旗本に昇格した家の一覧を掲げた本を見ると、
結構100俵未満の家がある。
確か布衣役まで昇進すると100俵まで加増されるんだけど、
平の御目見得止まりだと加増がない場合もあるそうだ。
他にもいくつか加増の原則があったらしいけど、
幕末になると財政難でそれもなし崩しになったらしい。
とは言えよほどの功績や寵臣はまた別だもんな。
797日本@名無史さん:2008/02/10(日) 13:51:15
御中間とか本によっては士分ではあったが侍ではないとか書いてあるな。
侍は士分の中の上位身分なのかな?
御小人は士分以下の軽輩に分類されることもあるようだ。
黒鍬は身分が低く務めはじめは名字を公称できず、5,6年目でようやく名乗れるとか、
六尺・中間・小人の多くは元々百姓の夫役だったとか、
こんなのをみるとこの辺は武士じゃないなって思う。
諸藩の場合はこのあたりの役目は武士じゃないもんな。
798日本@名無史さん:2008/02/12(火) 06:02:55
交代寄合って諸侯扱いなら男爵位くれてやれば良かったのにね。
純粋に石高だけで爵位決めたらしいけど準諸侯なら男爵っていう規定も有りだったと
思う。万石陪臣が男爵貰えた様に。
799日本@名無史さん:2008/02/12(火) 08:23:17
万石家臣も無条件ではないよ。
もらえなかった家もある、貧乏だから。
800日本@名無史さん:2008/02/12(火) 16:17:56
後年、勲功華族を(しかも大した功績でもない)量産しているんだし、
高家と交代寄合くらいには爵位をあげても良かったと思うがね。
平沼騏一郎とかですら爵位を持ってるわけだし
801日本@名無史さん:2008/02/13(水) 20:24:05
徳川将軍は代々淳和奨学両院別当源氏長者


802日本@名無史さん:2008/02/13(水) 21:03:18
土地と領民と領主について考えてみたい。
大名の○○家の領地とか××寺の領地とか聞くことがある。
国持ち大名の領民であれば領国意識で例えば「紀州の者だ」と名乗るが
大和の興福寺の領民や美濃の竹中家の領民は「大和の国の××の出です」
とか「美濃の△△の百姓の倅ですだ」と名乗ったのだろーか?
803日本@名無史さん:2008/02/13(水) 21:12:54
江戸時代の古文書とかみると、宛名には誰々様御知行所 どこどこ郡 どこどこ村 誰誰様」
という書き方だけどな(送り証文の場合)。
804日本@名無史さん:2008/02/13(水) 21:22:30
ちゃんと領地に陣屋を置いて領地経営をしていた交代寄合家は領民にとって
間違いなく「殿様」だが
庄屋請けさせていた旗本家はまだしも 近隣の大名家に年貢徴収の代行をしてもらっていた
旗本家は領民に「おらの殿様」と認識されていたのだろうか。
805日本@名無史さん:2008/02/13(水) 23:31:39
>>804
されてなかったと思うよ。むしろ代行してる大名家の領民だと思ってたんじゃないかな。
日頃顔を合わせているほうに所属意識を持つのは、古今東西を問わず真理。
806日本@名無史さん:2008/02/13(水) 23:34:29
>>798
同感。そもそも、万石陪臣以外の大名は全部子爵以上だったんだからね
(維新で取り潰された林忠崇家を除く)。
実際「交代寄合や高家を男爵に」みたいな意見は無かったのかね?
807日本@名無史さん:2008/02/14(木) 11:57:16
知行取の旗本でも他家に領地経営委託をしていれば
その実態は根無し草だな。
幕末の小栗上野介は大田村に在所(陣屋?)を持ち奉公人を雇い入れていたそうだが
領地との結びつきは強い方だったのだろう。
一方、新興旗本の勝海舟は知行地関係の話をほとんど聞いた事がない。
そういう責任の薄い幕臣が獅子身中の虫と成り徳川幕府は崩壊したのだろう。
地方知行制を版籍奉還まで維持し続けていた薩摩藩とは対照的である。

武士が軍事力の主体である以上彼等の士気によるところが大きい。
「御恩と奉公」「一所懸命」が彼等の根本原理であり、精神の拠り所であつたからだ。
軍事力における武士の消滅は 秩禄処分・廃刀令によりアイデンティティを喪失させられた
西南戦争まで待たなければならない。
808日本@名無史さん:2008/02/14(木) 13:36:49
>>807
大田村→権田村
809日本@名無史さん:2008/02/14(木) 13:51:22
>知行取の旗本でも他家に領地経営委託をしていれば
>その実態は根無し草だな。
主家から蔵米を受けていた大多数の陪臣は根無し草かw
810日本@名無史さん:2008/02/14(木) 13:58:56
勝って地位は上がったから当然足高で収入は増えてるんだろうけど、
家禄の加増はあったの?
まあ布衣以上にあがったんだから百俵までは加増されていると思うけど。
811日本@名無史さん:2008/02/14(木) 15:10:33
>>809
根無し草の最たるものは御三卿だなw
812日本@名無史さん:2008/02/14(木) 15:14:42
徳川幕府は後期封建制とやらの歪故、崩壊すべく崩壊した。
813日本@名無史さん:2008/02/14(木) 15:37:27
>>811
このスレでも散々やりとりがあったが、御三卿は蔵米支給じゃないぞ。実体を伴う領地経営体制を有していた。
814日本@名無史さん:2008/02/14(木) 15:47:09
いち早く17世紀に封建制から重商主義中央集権制に抜け出した西欧諸国は  
絶体王制のもと世界の列強となり市民革命を経て近代を迎えたが
封建制から抜け出しきれなかったロマノフ王朝や清王朝は19世紀とともに
消滅した。
我国は近世を後期封建制とともに歩み明治維新という一見革命と見える政権交代
を経て近代を迎えたのち体制的には立憲君主制の体裁を整えたが百年前の
西欧を後追いしたに過ぎない。
後期封建制とやらの呪縛から解き放たれるのは1945年である。
815日本@名無史さん:2008/02/14(木) 16:20:23
御三卿の家老は幕臣で老中支配のはずだが
御三卿は独自に領地経営していたのか??
816日本@名無史さん:2008/02/14(木) 16:24:59
役員が本社からの派遣でも経営自体が完全にコントロールされているとは限らないってこと?
817日本@名無史さん:2008/02/14(木) 16:26:49
幕臣が御三卿の家臣として出向する形で、幕府領とは切り離された所領を自前の役所・代官所で
経営していた。
818日本@名無史さん:2008/02/14(木) 16:47:27
和泉の一橋領とかかなり独自性を示しているね
819日本@名無史さん:2008/02/14(木) 17:57:26
幕府瓦解後、旧幕臣身分だった御三卿の上級家臣はどうしたの?
820日本@名無史さん:2008/02/14(木) 18:01:55
幕臣としてほかの旗本と同じ扱い。
821日本@名無史さん:2008/02/14(木) 18:11:37
と言うことは維新後中核幹部を失って御三卿家の組織は完全に瓦解したわけだな。
どうりで廃藩置県より前にあっさりと解体されるわけだ。
822日本@名無史さん:2008/02/14(木) 18:16:56
大名なら明治以後も旧家臣団とのつながりでそれなりの地位を維持できたが、御三卿や公家は
それがないから苦労したらしい。
823日本@名無史さん:2008/02/14(木) 18:25:31
田安家当主は幼少の宗家当主の実父だから、事実上の徳川宗家当主。
一橋家当主は元尾張藩主だから尾張家からスカウトできたかも?
と同じ苦労でも多少は楽なのかな?
そんな意味で清水家だけが潰れたのだろうか?
824日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:28:04
初代無責任サラリーマン=勝海舟

825日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:57:06
御家人ってどのラインまで?
与力とか御徒・譜代席の同心・御目見得以下の小普請くらいまでは良いと思うんだけど、
お抱席の同心とか、譜代席でも小普請じゃなくて御目付支配無役になるクラスって御家人?
牢屋下男とかは勤番ではあっても御家人じゃないよね。幕臣とも言えないだろう。
代官所手代はパートみたいなものだから御家人じゃないし。
八王子千人同心も御家人ではないらしい。
うーん、どの辺まで御家人?
826日本@名無史さん:2008/02/14(木) 22:03:52
幕府滅亡後、田安・一橋両家は立藩を許され、独立した大名になった。
その際、出向幕臣だけではなく、一般の幕臣からも静岡藩以外の再就職先として
相当数の家臣が召抱えられた。

しかし、版籍奉還後、田安・一橋両藩は知藩事に任命されず、そのまま廃藩となり、
家臣の多くは主家を去ることとなった。
827日本@名無史さん:2008/02/14(木) 22:13:24
田安・一橋両藩が廃止された頃、朝臣(中・下大夫)となり本領安堵されていた旗本も
禄制改革により所領を収公され、家禄を大幅に減額された。

所領が各地に分散して、旗本領と同様の形態であった田安・一橋藩は解体が容易であり、
朝臣となった旗本の領地とともに廃藩置県のテストケースにされたといえよう。
828日本@名無史さん:2008/02/14(木) 22:21:09
落合弘樹著「秩禄処分」中公新書ですね。
829日本@名無史さん:2008/02/15(金) 22:13:41
竹中重固は函館戦争で実戦に参加したのか?
830日本@名無史さん:2008/02/19(火) 20:42:23
維新後、すぐに上京した幕臣たちは、5月15日になって本領を安堵された。
太政官は帰順した幕臣の実高を安堵し、新政府での序列や軍役負担の基礎とした。
この時点において、京都で本領安堵された旧幕臣は、高家8人、交代寄合16人、
寄合55人、三千石未満旗本58人だった。

同年5月28日、いまでの交代寄合、高家などの徳川政権における称号が廃止され、
交代寄合以上は中大夫、千石以上は下大夫、百石以上は上士と改められた。
831日本@名無史さん:2008/02/19(火) 20:50:18
翌明治2年12月2日、太政官布告は
「中下大夫士以下の称号を廃し、すべて、士族、卒族と称す。禄制も相定め候」
と布達した。
例えば、五千石の知行所を領していた下大夫も、百五十石の廩米受給者となり、
その身分も京都府貫属士族に処せられた。
さらにこの布告で、朝臣になった旗本家臣(陪臣)たちの処遇について
「その家来ども、3代以上相恩の者は、相応の扶助くださるべく候」とし、
いままで、中下大夫に扶助されてきた陪臣たちを新政府が引き継いだ。

旧陪臣については、翌3年5月23日の布告で、旧主に奉公していた期間、旧禄高、
戊辰戦争の出兵の有無により、年限つきの扶助金を支給する代わり士籍を剥奪し、
平民籍に移籍させられることになった。
832日本@名無史さん:2008/02/19(火) 21:30:59
中士はともかく上大夫と下士がないのはバランス悪いな。
833日本@名無史さん:2008/02/19(火) 21:45:26
上大夫がないのは、既に諸大夫(五位)の大名・地下官人がいるからでは?
834日本@名無史さん:2008/02/19(火) 22:17:06
大した意味はない
835日本@名無史さん:2008/02/20(水) 16:59:22
百石未満の下級旗本や御家人が朝廷に帰順した場合は?
836日本@名無史さん:2008/02/22(金) 22:54:36
中下大夫は華族(貴族)ではないのでナイト爵みたいなものか?
しかし士族としては最高位なので 例えば同じ二千石の陪臣よりはましかも。
837日本@名無史さん:2008/02/22(金) 23:12:08
高家、交代寄合、9000石の一般旗本、1万石以上の家老や藩主一門等と、
たまたま3代くらい続いただけの農民上がりの足軽とが同じ士族ってのは凄いな。
838日本@名無史さん:2008/02/23(土) 01:46:46
時代の流れだからしょうがないよ
839日本@名無史さん:2008/02/23(土) 03:20:41
>>825
そもそも諸組与力にも譜代席から抱席まであるからなあ。
840日本@名無史さん:2008/02/23(土) 04:39:38
>>837
その農民上がりが室町時代まで国造系の由緒正しい国人の子孫
というのもあるんだがなww
841日本@名無史さん:2008/02/23(土) 04:47:02
千五百年以上君臨した朝廷にしてみれば武家なんて
昨日湧いて来て今日消えたぐらいのことだろ。
842日本@名無史さん:2008/02/23(土) 08:44:40
>>840
理屈だけ言えば、そういうレアケースもありうるだろうが、
現実はそこいらの普通の百姓が大半だろwww
843日本@名無史さん:2008/02/23(土) 09:20:56
一つ疑問なんだけど幕末期の浪人って維新後は平民?
844日本@名無史さん:2008/02/23(土) 09:40:47
>>843
平島公方家の場合、蜂須賀に微禄で飼い殺し状態だったのに憤慨した当主が
江戸後期に出奔し、洛中でゆかりの寺社の世話になりつつ暮らしていた(つまり浪人)。
で、維新後の扱いは、蜂須賀を出奔していたので、平民で由緒ある血筋とは裏腹に爵位も
与えられず、平民扱いだったみたい。
845日本@名無史さん:2008/02/23(土) 09:42:27
浪人は建前で大多数は生業を持ってたんじゃないかな。
時代劇の用心棒はそのまま侠客に移行か?
846日本@名無史さん:2008/02/23(土) 11:38:15
十津川郷士は全員士族になってるな。
大阪の陣の功績で江戸時代は天領の住人で年貢減免されていたんだが
幕末、朝廷警護の御親兵として倒幕側についている。
847日本@名無史さん:2008/02/23(土) 11:40:11
維新で幕府が滅亡した際、朝臣にも静岡藩士にもならず、帰農商した旧幕臣が
まさに浪人になったわけだが、当然、士族にはなれず平民に・・・
848日本@名無史さん:2008/02/23(土) 11:54:45
明治維新は実は武士(便宜的に)と郷士の階級闘争だったって説を
聞いた事がある。
佐幕派の浪士組や新撰組、倒幕派の天誅組や奇兵隊等の諸隊の構成者
の多数は郷士階級であったのは事実である。
849日本@名無史さん:2008/02/23(土) 12:41:12
>>848
維新の原動力における郷士=中農層ととらえた下級武士論は否定されて久しい
850日本@名無史さん:2008/02/23(土) 13:19:55
陪臣の方はどうなんだろう?
若党や渡り用人なんかはもともとちゃんとした武士じゃないかもしれないけど、
2,3万石級の家老だとそのまた家老も500石くらいは有っても不思議じゃない。
その家老くらいだと一応ちゃんとした武士のなりをした家臣くらいはいるよね。
そう言う人は武士身分にはなるんだろうか?
まあ藩の武士社会では藩主から見て直臣である足軽と陪陪臣として厳然たる区別はあるよね。
外の人からは足軽よりは偉そうに見えるんだろうし、
封建的身分制度ってのは複雑怪奇。
あと岩松や米良の家臣って、主君が華族になったくらいだから士族?
851日本@名無史さん:2008/02/23(土) 18:43:09
>>850
自分が知ってる喜連川藩士は、士族。
ただ、喜連川は特例で大名だから参考にならないかな。
852日本@名無史さん:2008/02/23(土) 18:49:30
>>850
岡山藩の家老伊木家の家老は本藩士列に編入で士族
853日本@名無史さん:2008/02/23(土) 18:54:06
主家を持たぬ十津川郷士が士族で直参旗本の家来は平民というのは
江戸時代の基準ではなく 「王制復古の大号令」の時点での基準だと思う。
主家が急いで上洛して恭順を願い出ても時すでに遅しだったのだろう。
というのはその時点で徳川宗家は一大名であり その家臣である直参旗本は
陪臣となったからである。
一方、十津川郷士は壬申の乱以来の勤皇の士であり その時点では御親兵として
天皇からみれば直属の士であるので理屈は通る。
854日本@名無史さん:2008/02/23(土) 19:26:08
>>830
>この時点において、京都で本領安堵された旧幕臣は、高家8人、交代寄合16人、
>寄合55人、三千石未満旗本58人だった。

高級旗本ほど、主家を見限るのが早いな。
855日本@名無史さん:2008/02/23(土) 21:03:50
多田郷士は十津川郷士とよく似た歴史的背景を持っていて、御所を警備し戊辰戦争にも従軍したのに、
士族にはなれなかった。
856日本@名無史さん:2008/02/23(土) 21:04:43
>>830
主家を早々と見限った高級旗本に三河以来の重恩の家が
何家あったかは興味のあるところだ。
857日本@名無史さん:2008/02/23(土) 21:29:26
>>849
武家と中農たる郷士の階級闘争じゃなくて
幕藩体制内において郷士として位置付けられた武士と幕藩体制の支配者階級の
武士との階級闘争だろ。
858日本@名無史さん:2008/02/24(日) 01:14:56
幕藩体制における支配者層の武家と倒幕派中下級士族層の階級闘争で、革命と改革の両方の性質を
併せ持っている・・・、という感じではないか?
859日本@名無史さん:2008/02/24(日) 09:59:57
>>858
要素としては同意できるね。
幕藩体制の支配者層と討幕派中下級士族層の階級闘争は一つのファクター。
討幕派の藩主で強硬に徳川宗家を潰そうとした者はいないのも事実。

大事なのは朝廷(討幕派公家)の視点と手法。
それと主家を持たぬ郷士や脱藩浪人の存在。

上のレスで誰かが多田郷士の顛末について触れていたが 赤報隊事件にも
通じるところだ。
主家を持たぬ郷士や脱藩浪人は利用しやすいし都合が良い。
坂本竜馬暗殺も薩摩藩下手人説を採るならば岩倉卿のさしがねの可能性もある。
利用価値が無くなれば居なくなって貰いたいのはお公家さんの常套手段だ。

明治維新は階級闘争と権力闘争が並存して階級闘争を利用した権力闘争の勝者が
新時代の支配者となり、佐賀の乱・西南戦争で完結する。
860日本@名無史さん:2008/02/24(日) 10:23:31
>854
高家だの交代寄合だのは出自は旧守護とか独立土豪とかが多い。
分類上は旗本・幕臣にされてるけど実体は1万石未満の「外様」だったわけで。
861日本@名無史さん:2008/02/24(日) 12:28:13
>>859
薩摩拵えは刀身の反りが浅く 示現流は振り下ろすのではなく強力な打ち込みが
特徴だという。 咄嗟に鞘で受け止めたが額を割られた。
862日本@名無史さん:2008/02/24(日) 12:45:07
十津川郷士とか尊王の名の下に好きに駆り出され何人死んだことか・・・
士族にぐらいしないと浮かばれんだろう。
逆に陪臣なのにその地方のみで殿様づらして高禄を食んでいた者のそのまた家臣などに明治政府が報いる義務もないだろ。

863日本@名無史さん:2008/02/24(日) 14:19:40
功績の話だと列藩同盟の諸藩なんか藩主以下全員平民にすべきだったくらいだな。
そのあたりが不徹底なところか?
864日本@名無史さん:2008/02/24(日) 14:20:55
付家老の確か安藤氏だったと思うけど、そこの城代は一族で900石とかだった。
しかも主家はほとんどやってこないから現地の最高責任者。
これも主家が諸侯になり損なっていたら陪臣として平民?
それも凄い話だな。
865日本@名無史さん:2008/02/24(日) 15:45:05
>>863
八幡和郎なんかは「むしろ佐幕派の諸藩に甘かった。会津ですら長州のおかげで藩として存続できた」
(新政府は二本松を勧めたのに勝手に斗南に行っちゃった)と主張してるね。
866日本@名無史さん:2008/02/24(日) 16:01:48
大逆罪は死罪、縁者は奴婢に落とされたのはいつまでだったのか?
867日本@名無史さん:2008/02/24(日) 16:18:46
元五百石取の陪陪臣の平民と 持高(俸禄ではない)十石の郷士の士族
なんてダイナミックでいいよね。
たかだか徳川二百六十年で支配者ヅラして駄禄を食んでた連中に天誅を
の気持ちも分かる。
868日本@名無史さん:2008/02/24(日) 18:25:30
鎌倉末期の身内人の長崎氏なんて直参の御家人をアゴで使ってたからな。
スレ違いスマソ。
869日本@名無史さん:2008/02/24(日) 18:31:12
地歩統治を任された重臣に与力として付けられた場合は、
職務上はその重臣の重臣、つまり藩主から見て陪臣の
指示を受ける場合もあったようだ。
結局そのまま陪臣になっちゃったり、事実上陪臣化したり、
反発して脱藩したのまでいろいろ。
870日本@名無史さん:2008/02/24(日) 18:33:49
大幅に減封された仙台藩でも、一門や重臣の家臣は平民になってる。
士籍にとどまりたかった者は北海道開拓に従事したが、結局平民にされて、
明治十年代になってやっと士族に編入してもらえた。

旗本でも、江戸を脱走して抵抗してた連中の大半は士族になれなかった。
榎本武揚ですら、降伏後しばらくの間は平民籍だった。
871日本@名無史さん:2008/02/24(日) 19:23:51
吉川・付家老・旧交替寄合のように諸侯として認められて華族になった場合は、
家臣は士族、単に華族になった旧家老の場合の家臣は平民ってことなの?
詐欺がばれた高家大沢の家来は平民だよね。
872日本@名無史さん:2008/02/24(日) 19:43:17
三河守護だった三河一色家は本家で安祥松平家の主筋にあたる。
分家の丹後一色家の末裔金地院崇伝の従兄弟だった一色範勝は旗本として召抱えらている。
一方古河公方の奉公衆御連判衆筆頭の喜連川一色家は三河一色家本家の流れで
交代寄合喜連川足利家の筆頭家老で、代々一色刑部を名乗っている。
ちなみに一色刑部の弟で根岸丹右衛門を名乗り商人として本陣を営んだ者もいる。

徳川将軍家の旧主筋が陪臣でその親戚は町人
一方古い分家筋が金地院崇伝の推挙で直参旗本に収まった。
873日本@名無史さん:2008/02/24(日) 20:49:07
徳川宗家の当主を貴族院議長に遇した明治政府は寛大といえる。
874日本@名無史さん:2008/02/24(日) 22:00:59
江戸時代 喜連川主従はまさに特別天然記念物だね。
875日本@名無史さん:2008/02/24(日) 22:17:00
事情があって陪臣になってるけど実は名家ってのも確かにある。
権力者には時々名家コレクターが出るから。
逆に大名と言っても大概は出自もいい加減な成り上がり。
勲功華族を馬鹿に出来るような存在じゃない。
とここまで書いて思ったんだけど華族って実はほとんど成り上がりじゃない。
成り上がりじゃないのは、宮家の分家、広幡、村上源氏、宇多源氏の一部、出雲国造両家くらい?
この辺はむしろ成り下がり?
あとは時代の新しい古いはあってもみんな成り上がりのような。
仮に出自は高くても一度成り下がってから復活したようなのも多いし。
スレ違いだな。
876日本@名無史さん:2008/02/25(月) 03:47:52
>>875
まあ、信長、秀吉、家康に取り立てられて大名になって、でかい面している出来星大名が多いのは同意。
877日本@名無史さん:2008/02/25(月) 05:00:18
最大の成り上がりは富小路か
878日本@名無史さん:2008/02/25(月) 05:44:55
>875
華族の多くを占めるのは16〜17世紀に活躍したか、
19世紀末に活躍したかの比較的最近の時代に功績上げた者の子孫だな。

しかしまぁ、古〜い時代からの名家しか「貴族」になれないような制度なら
下の者のモチベーションもあがんなかったろうし、出自だけを誇って努力しないようなのは
クズだし。成り上がれるシステムがあって、その中で少数とは言え古〜い時代から続く名家も
まま残ってるしまぁいいんじゃね?

外国の貴族も似たようなもので、例えばイギリス貴族の大部分は植民地獲得時代に
活躍した者の子孫が大半で、それに加えてノルマンコンクェストから続く家系の古い少数の貴族がいると。
879日本@名無史さん:2008/02/25(月) 08:54:19
交代寄合から普通の寄合に変わった家は参勤の費用に耐えかねたのか
田舎暮らしが嫌だったからか?
880日本@名無史さん:2008/02/25(月) 10:08:41
田舎暮らしが苦痛に感じるかは各代の当主の主観によって決まる。世代を超える周囲との関係が
その主観に大きな影響を及ぼしたことは言うまでもない。
881日本@名無史さん:2008/02/25(月) 11:45:03
足利国朝が喜連川入りした時に従った家臣団は
一色刑部を始め
高城左衛門 高修理頭 里見主馬 
山名豊前守 山名采女 梶原平右衛門 武田一郎衛門
土屋織部 石塔 国井 相馬 江戸 海老名 などなど四十名

まるで名家のデパート状態。
しかし、五千石足らずでこの主従達はどうやって食べてたのか?
882日本@名無史さん:2008/02/25(月) 13:04:10
それで、主要な家臣の石高は?
883日本@名無史さん:2008/02/25(月) 13:18:45
>>882
図書館へ池。
884日本@名無史さん:2008/02/25(月) 14:04:34
喜連川足利家筆頭家老一色刑部の石高は分からないが
喜連川お家騒動で伊豆大島に遠島され、息子の一色左京は岸和田藩お預けに
なった後 徳川家光十三回忌で赦され岡崎藩水野家に百人扶持で客分となっている。
885日本@名無史さん:2008/02/25(月) 14:13:07
5000石の軍役は100人ほど、
まあ軍役どおりではやっていけないけど、
通常の5000石の旗本の登城時の供揃いが30人くらいだそうだから
食うだけなら何とかなるでしょう。
それより岩松の方が凄い、たった120石で信じられないほどの家臣団。
1753年、領内の名主、組頭2名と無姓2名で計5名、これは副業だろうからまあわかる。
1799年、参勤交代の供、中小姓以下十数名。
1824年、家士8名、足軽15名。
1853年、家老1名(1823年同姓の家臣が手作りの米献上)、
      給人2名(1名は旧名主と同姓)を含み中小姓以上14名、
      足軽2名、御雇医師1名、計17名
1866年、家臣22名(内訳不明)

家老も半農?名称は給人でも実体はほぼ無給か?
886日本@名無史さん:2008/02/25(月) 14:15:03
>>885は,落合延孝「猫絵の殿様」吉川弘文館より。
887日本@名無史さん:2008/02/25(月) 15:02:29
岩松家、江戸屋敷はあったのかな。
888日本@名無史さん:2008/02/25(月) 15:12:49
>>887
図書館へ池。
889日本@名無史さん:2008/02/25(月) 15:22:22
岩松の領民にとっては相当な負担だな
120石岩松家の参勤の供揃なんてボランティアみたいなもんだろう
890日本@名無史さん:2008/02/25(月) 15:41:52
手弁当で奉公かよ。まさに賦役だな。
891日本@名無史さん:2008/02/25(月) 17:09:33
士族になれなかったら岩松の家臣はいったい??
892日本@名無史さん:2008/02/25(月) 17:34:37
新田岩松が幕府に許された白無垢長袴着用ってすごいの?
893日本@名無史さん:2008/02/25(月) 18:01:23
出費軽減策じゃね
白無垢だと錦より安いだろうし。
894日本@名無史さん:2008/02/25(月) 18:04:33
岩松は献金も多かったらしい、家来筋とか由緒とか言って。
収入のほとんどは借金だったそうだけど、
多分借金という名目の献金なんだろう。
現代の政治家の返さない借金みたいなもので。
895日本@名無史さん:2008/02/25(月) 18:05:44
>>888 イジワルなのね。うふっ。

896日本@名無史さん:2008/02/25(月) 18:19:21
自家の系図の信用を担保して貰う為の献金かな。
897日本@名無史さん:2008/02/25(月) 18:45:30
岩松の家来なんて半農どころかどっぷり農民だろ
898日本@名無史さん:2008/02/25(月) 18:52:02
しかし、れっきとした岩松家の家中であり、対外的には他藩の藩士と対等だろ。
899日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:03:53
米良の方はどうだったんだろう?
無高で参勤交代は地元の殿様に便乗、財産は相当な山林ってことらしいけど、
家臣は本業木こりの副業?
まあ本人も木こりの親玉みたいなもんか?
900日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:04:15
万石以上の大名家中と120石岩松家の家来とでは対等ではない
901日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:14:05
同じ陪臣だろ。

それでは、岩松家と他の大名家は? 旗本家とは対等だろ。

902日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:49:29
参勤交代は農閑期の正月にして欲しいと家中の者供が申しております。
苗代作りや田起こしもあるので近距離で良かった。 by岩松家当主

903日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:51:51
>>900 は自称大學教授の臭い
904日本@名無史さん:2008/02/25(月) 20:12:12
百姓が城主格以上の家臣と対等なわけ無いじゃん
905日本@名無史さん:2008/02/25(月) 20:57:38
問題は岩松の家臣が、正式の武士なのか農民なのかということだな。
正式の武士でも土着して農業を許されてるケースはあるし。
906日本@名無史さん:2008/02/25(月) 21:06:31
薩摩なんかは普通なら刀狩りされて一般農民や庄屋になるべきクラスまで郷士だもんな。
907日本@名無史さん:2008/02/25(月) 23:35:28
主君の岩松殿が家臣は武士だと言えばそれでOKじゃね。
908日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:08:14
それでも歴々の士分だとするには主家が120石は軽すぎる
909日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:09:52
土地と人民を考える時 律令制以来全ての人民は良民から奴婢に至るまで
耕作地とセットが基本であった。
それ以外が山の民や海人や芸能漂泊の異形の民であり、律令外の民であった。
職能武士論を支持するならば 武士とは農村の寄生者であり収奪者である。
本来、農民側から見れば「兵の家」の軍事貴族を中心とする武士集団は異形の人々であった。
彼らは国衙を掌握することで軍事動員権により土地と人民を支配した。 
やがて武士団の膨張が始まる。
中世に見られる地侍とは兵員の需要増大を背景とする農村における武士の浸透と同化の結果であったが
刀狩によって兵農分離され身分的には消滅することとなる。
ここで重要なのは彼等の階層と家系は存続したことである。家の制度が果たした役割は大きい。
機会(仕官等の)があれば彼等は武士に復帰することが可能だった。
また、養子縁組も身分間の流動性をもたらした。
上級武士と下級武士の垣根よりも下級武士と農民の垣根は遥かに低かったのである。
910日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:11:16
>>905
岩松の家来は百姓が主たる生業で岩松の家来としての奉公は臨時の業だろうね。
911日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:19:05
そりゃ軽んじられもしかたないな
912日本@名無史さん:2008/02/26(火) 02:30:29
だいたい岩松は徳川家の臣としての役目もないし何か軍事的に期待されてたのか?
一族で御代官やって支配勘定るのもいるしたいしたことないだろ?
913日本@名無史さん:2008/02/26(火) 02:57:24
石出帯刀以下じゃね?
914日本@名無史さん:2008/02/26(火) 07:53:51
>>881
そりゃそうだろう。
喜連川家がスカウトしたわけじゃなくて、もともと古河公方家・小弓公方家の家臣団なんだから名家揃いに決まってるよ。

>>884>>885
喜連川足利家の家臣団の石高は、ここでわかる。
http://www11.ocn.ne.jp/~square.h/kituregawa-karoku.htm
筆頭家老でも200石。中老の黒駒家は家老も出すことがあるけど、石高は25石。
でも、外様大名の家老で唯一、徳川将軍とサシで話ができる。
915日本@名無史さん:2008/02/26(火) 08:47:27
高25石といえば実収10石ぐらい。
高7石だと2.8石。これで暮らせるのでしょうか?
916日本@名無史さん:2008/02/26(火) 10:21:53
>外様大名の家老で唯一、徳川将軍とサシで話ができる
御目見えのこと? それ以上の格?
洲本城主の稲田とか加賀前田の本多氏とかでもお目見えは無理?
917日本@名無史さん:2008/02/26(火) 19:03:22
喜連川お家騒動で処罰された一色刑部の息子の一色左京が岸和田藩お預けの後
大猷院十三回忌で赦免され岡崎藩水野家の客分となったのは名家コレクターが
理由じゃないと思う。
喜連川一色家は旧三河守護一色家本家の流れを汲むので、三河の国人領主であった
水野家としては旧恩に報いたのであろう。
ご先祖様に感謝。
918日本@名無史さん:2008/02/26(火) 20:19:18
100人扶持といえば、高450石ぐらいになるな。

喜連川の中老以下は散々な石高だな。体面が保てたのかなあ?
919日本@名無史さん:2008/02/26(火) 22:26:08
>>916
幕府から「独立した領主」と認められていれば可能でしょう(御三家附家老とか)。
これが全くの陪臣だと、将軍に謁見するのは、やはり厳しかったみたい。
920日本@名無史さん:2008/02/26(火) 23:25:13
>>909 の補足です
地侍とは如何なるものか?
農民が自衛の為に自ら武器を手に取り登場したものではない。
中世において農村は荘園が侵食解体され惣村へと変貌していくのは皆さんご存知
の事と思うが、その過程において富農は生活・財産の防衛の為に旧郡司系の地頭や
関東下り衆の新補地頭等武士層と婚姻を結ぶようにになる。
当時の婚姻形態は入り婿が通例であったので地頭家の庶家が多数誕生することとなる。
これが地侍のルーツとなる。
惣村は百姓の地下分と地侍の侍分で構成され地侍はそのリーダーであった。
形骸化した荘園をめぐって守護と地頭等国人層の利害の対立が激しくなると
国人領主と地縁血縁で結ばれた地侍達は国人領主と国一揆を起こすようになり戦国大名化した国人領主の
家臣団を構成するようになる。
守護から発展した戦国大名もまた地侍を包括する国人領主の連合体であったが
そして分国支配の強化をめざした戦国大名による常備軍創設・城下集住による
家臣団の統制の結果、地侍は兵農分離を迫られることになる。
戦国の覇者・最終的な勝利者は兵農分離が成功した家中であり、敗者の多くは
兵農分離をなし得なかった家中である。
地侍は中世とともに消滅してしまうのである。
地侍は身分としては武士の男系子孫であるので武士といえるが生活実態は農民であった。

中央集権化が近世の扉をこじ開けたのなら我が国においては封建領主の領国内中央集権化という
二重構造によって近世を迎えたことになる。
余談だが前の大戦の枢軸国日本・ドイツ・イタリアは近代以前のの社会構造がよく似ている。
地侍はユンカーに近いのかもしれない。
921日本@名無史さん:2008/02/27(水) 00:14:13
>徳川将軍とサシで話ができる

拝謁権があったとしてもサシで話ができるなど、譜代大名か旗本の高官側近だけだろ。
ほとんどが一斉お目見えで顔もあげちゃならん程度だろ。
922日本@名無史さん:2008/02/27(水) 14:03:16
米良の家臣団について知りたいんだ
923日本@名無史さん:2008/02/27(水) 15:24:22
>>922
自分で調べて発表しなさい。
924日本@名無史さん:2008/02/27(水) 15:37:56
岩松の家臣を理解する上で >>920 が参考になると思います。
経済的立場により地侍の性格を色濃く残した武士ということです。
収入は俸禄ではなく作り取です。
彼等は由緒ある武士の男系子孫なので身分的には武士といえますが
生活実態は農民です。

岩松家家中は中世を冷凍保存したサンプルじゃないかと思います。
925日本@名無史さん:2008/02/27(水) 19:38:20
岩松家臣団なんて岩松家が浪人から40石の石取りになってからの形成だし戦国期の岩松事態が泣かず飛ばず
926日本@名無史さん:2008/02/27(水) 20:31:19
作り取りって、1町とか2町の作り取り?
927日本@名無史さん:2008/02/27(水) 20:48:22
岩松家の家老と大名家の家老、家格的には同じですね。縁組も可能ですね。
928日本@名無史さん:2008/02/27(水) 22:15:17
岩松の家老と大名の家老の縁組はない
929日本@名無史さん:2008/02/27(水) 22:25:36
岩松の当主自体が陪臣や中下級旗本と婚姻してるからね
930日本@名無史さん:2008/02/27(水) 22:48:17
>>925
40石じゃないよ。20石だよ
931日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:00:30
交代寄合格の岩松家の家老って誰だったの?
932日本@名無史さん:2008/02/28(木) 20:40:12
1735年当時は、名主の大沢と組頭の高山2軒の3軒が有姓の家臣。
おそらく大沢が筆頭家臣だが、家老なんて呼んでなかったんだろうな?
1853年当時の家老が小幡姓、祐筆福田、給人大沢・畑織、このへんがまあ重臣?
大沢は子孫と思われるが、1853年にはこれ以下の家臣にも高山姓はなし。
改姓したのか、農業専務で家臣の列からははずれたのか、没落したのかは不明。
上記「猫絵の殿様」より
933日本@名無史さん:2008/02/29(金) 22:45:15
>>921
喜連川藩主は参勤交代しなかったから、将軍から何か用がある際には正月の年賀の際に話するか、
家老を呼んで話をするしかないのではないかな。
934日本@名無史さん:2008/03/08(土) 15:23:23
江戸時代、藩なる語は公式には存在しない。
935日本@名無史さん:2008/03/08(土) 15:27:53
>>934
知ってる。公式に「藩」と言い出したのは明治になってからなんだよね。
でも、我々が話をするとき「何々家御家中」では面倒だし、第一どこなのか地理的にわかんないでしょ?
936日本@名無史さん:2008/03/08(土) 16:38:24
地域としての藩は、薩摩領とか松平薩摩守領分。
組織としての藩(藩士)は、松平薩摩守家中(家来)とか言ってたみたいだ。

旗本領の場合は、小栗上野介知行所。
937日本@名無史さん:2008/03/08(土) 16:39:39
新井白石の藩翰譜は何なのか
938日本@名無史さん:2008/03/08(土) 17:06:43
藩という用語は漢語表現を好んだ漢学者が使い始め、幕末には一般武士に普及したが、
江戸幕府の公式用語ではない。
939日本@名無史さん:2008/03/08(土) 19:53:24
藩士なんて言わなくて家中でいいよ
940日本@名無史さん:2008/03/11(火) 17:49:39
怪しい造語は止め、正しい言葉で語ろう
941日本@名無史さん:2008/03/11(火) 23:09:48
徳川将軍は代々淳和奨学両院別当源氏長者
942日本@名無史さん:2008/03/12(水) 00:40:26
幕府の公式用語など、どうでもいい。
藩は、実に各大名領の実体にふさわしい意味合いと響きを持つため、一般に急速に普及したことに注目すべき。
新撰組の組は昔からある戦闘単位だが、その長を局長、部下らを隊士と呼んだことも新しい意味合いと響きを持つ。
長州の奇兵隊なども同じ。
943日本@名無史さん:2008/03/12(水) 01:41:38
同じじゃないよ
944日本@名無史さん:2008/03/12(水) 04:28:00
>>1
>>交代寄合は大名と旗本の中間に位置しますから

交代寄合も高家も身分はあくまで旗本
旗本の中で特に家格の高い者を寄合と呼んで知行地を与え更にそこに
住む権利を与え、大名と同様に参勤交代させたので明治以降便宜的に
交代寄合と呼んだ

同じく旗本の中から特に家格の高い名門家を指定して主に朝廷との接
待役に就かせる役割を与えられた家を高家と呼んだ
945:2008/03/13(木) 14:15:25
 交代寄合や高家が旗本の一種たることはこの板で共通の認識です。
 大名と旗本の差は本質的でなく、万石以上であるか否か、だけですから、その区別に過敏になる必要は無いでしょう。
 地方知行の有無も交代寄合を特徴付けるものではありません。
 御家人ですら地方知行を行う事が稀でありません。
946日本@名無史さん:2008/03/13(木) 19:15:30
>大名と旗本の差は本質的でなく、万石以上であるか否か、だけですから
余計に荒れるような仕切りなんざするなよ
947日本@名無史さん:2008/03/13(木) 19:16:31
>御家人ですら地方知行を行う事が稀でありません
これって江戸時代の話か? だったら実例を挙げてくれ
948日本@名無史さん:2008/03/13(木) 19:33:36

みんな >>1 が自称大學教授だと勘付いたようだね。


949日本@名無史さん:2008/03/13(木) 21:29:44
まあ幕初の時点では一万石の仕切は重要ではなかった。
確か自力で軍団を編成できる五万石だったか10万石が一つの分岐点だった。
その頃は大身旗本ととの区分は曖昧と言うのは事実。
人為的区分だから成り立ちや内部構造には当然大差はない。
もちろん武家諸法度などが出され制度がかたまってきて以降は、
厳密に区分されるべきもの。
950日本@名無史さん:2008/03/13(木) 21:54:42
1万石丁度や1万石ちょっとの大名が多数存在する一方、
9千石台の旗本がほとんど居ないと言うのはかなり不自然。
あの1万石というのは幕府公認の石高なわけで、
何らかの政策的判断で旗本に留めるべきと判断された家以外は、
8千石程度?有れば1万石と認めたんだろうか?
新政府が政策的判断で交替寄合の一部を諸侯と認めたように。
951日本@名無史さん:2008/03/14(金) 18:13:37
大名小名と言った場合の「小名」の定義がよくわからない。
大名の半数以上を占める1〜2万石くらいの小大名のことなのか?
それとも数千石台の高禄の旗本のことなのか?
952日本@名無史さん:2008/03/14(金) 18:27:34
小名などという言葉が大名、旗本といった言葉のような正式な用語として存在してるのか?
953日本@名無史さん:2008/03/14(金) 18:54:46
武家諸法度寛永令(抜粋)

一、大名・小名在江戸交替相定ムル所ナリ。毎歳夏四月中、参勤致スベシ。
一、諸国主ナラビニ領主等私ノ諍論致スベカラズ。平日須ク謹慎ヲ加フルベキナリ。
一、国主・城主・一万石以上ナラビニ近習・物頭ハ、私ニ婚姻ヲ結ブベカラザル事。
一、乗輿ハ、一門ノ歴々・国主・城主・一万石以上ナラビニ国大名ノ息、城主オヨビ侍従以上ノ嫡子(以下略)

「小名」という公式用語はあるが、大名に関する用語が不統一でバラバラだ。
954日本@名無史さん:2008/03/14(金) 19:07:28
[武家諸法度]の第4条
一、 国々大名小名竝諸給人各相抱士卒有為叛逆殺害人告者速可追出事。
955:2008/03/14(金) 19:20:53
史料は原文でお願いします。
956日本@名無史さん:2008/03/14(金) 23:50:21
徳川将軍は代々淳和奨学両院別当源氏長者
957日本@名無史さん:2008/03/15(土) 00:21:34
>>956
将軍じゃなくて徳川宗家の当主じゃなかったっけ?
958日本@名無史さん:2008/03/15(土) 07:35:16
慶喜が宗家のみ相続した時点では、ただの大納言だったんだろ。
959日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:06:55
江戸幕府の場合身分の根幹に関わるような法令用語でも定義が厳密でない場合があるな。
そう言うところが庄屋仕立てなんだろうか?
960日本@名無史さん:2008/03/15(土) 16:11:32
定義を厳密にというスタンスはむしろ近世以降の欧州にルーツが求められるんじゃないか
961:2008/03/15(土) 17:44:11
ドイツ観念論哲学です
962日本@名無史さん:2008/03/15(土) 18:14:37
デカルトまで遡るべきだろ
963日本@名無史さん:2008/03/15(土) 19:06:35
鎌倉幕府だったか
「なになにの法令で言うところのなになにはなんとかの意味である」
みたいな通達を出してなかったけ。
江戸幕府はそう言うことはしなかったの?
964日本@名無史さん:2008/03/15(土) 19:51:11
抜け目のない金地院崇伝のことだから わざと厳密な定義付けをせず
改易や取り潰しの口実をを作る為にワナを仕掛けていたんじゃないのかな?
法令は権力者をも縛る場合があるので、権力側が都合良く解釈して専制出来る様に
していたと思う。
965日本@名無史さん:2008/03/15(土) 22:47:14
慶喜がに成らなかったのならまだしも直ぐ就任したんだから幾ら慶喜慶喜と連呼しても仕方が無い。
徳川の当主は代々征夷大将軍淳和奨学両院別当源氏長者
966日本@名無史さん:2008/03/15(土) 23:07:16
何の根拠も無い妄想では学問板にふさわしくありません。
憶測で物をいうのは止めましょう。
967日本@名無史さん:2008/03/15(土) 23:08:45
よって964はただのトンでも説。
968日本@名無史さん:2008/03/15(土) 23:16:20
そうだね妄想は良くないね。
>>359 >>374 に対する返事は忘れたわけじゃないだろ 自称大學教授君。
969日本@名無史さん:2008/03/15(土) 23:33:53
簡単に釣れるな。>>966 >>967 楽しいよ♪
ダボハゼ並みだなw
970日本@名無史さん:2008/03/15(土) 23:39:33
こんなところで釣りしてる人がいたんだぁ
971:2008/03/16(日) 09:57:05
学問板で暴れるのはやめましょう。
972日本@名無史さん:2008/03/16(日) 10:33:21
どっちにせよ、そろそろ新スレ移行の時期
973日本@名無史さん:2008/03/16(日) 11:35:59
釣りでも養殖でも、学問板で根拠無き妄想はいかんと思うぞ。
974日本@名無史さん:2008/03/16(日) 12:30:54
>>359 >>374 への返事まだー?
975日本@名無史さん:2008/03/16(日) 12:57:04
>>373 自称大學教授よ

>主攻でも助攻でも戦闘任務ですらないのですから

お前のこの文章では 原城攻撃に参加し一番乗りを顕彰された旗本鈴木重成は
軍令違反に当たるのではないか?
事実、鈴木重成は懲罰どころか顕彰されている。
故にお前は妄想で嘘の文章を書いたことになるんだがな。
976日本@名無史さん:2008/03/16(日) 13:05:47
そんな議論してか?
話を作るなよ。
977日本@名無史さん:2008/03/16(日) 13:23:52
>>976
>>373 >>374 のやり取りを嫁。
978日本@名無史さん:2008/03/16(日) 21:29:04
読んだが全くご無理に存じます。
979日本@名無史さん:2008/03/16(日) 22:26:12
論証はお手上げか。
980日本@名無史さん:2008/03/16(日) 23:25:05
出た、文盲の悪口雑言
981日本@名無史さん:2008/03/16(日) 23:37:55
されば >>359 >>374 に対する論証を。
982日本@名無史さん:2008/03/16(日) 23:46:31
どんな?
983日本@名無史さん:2008/03/17(月) 00:33:34
>>982
考える能力も無いのか。
984日本@名無史さん:2008/03/17(月) 00:40:20
>>982
反論出来ないなら お前が今まで迷惑と被害を掛けてきたこのスレの皆様方に
詫びろ。



985日本@名無史さん:2008/03/17(月) 11:23:39
何を?
口汚く罵り喚くばかりでは分らないぞ。
986日本@名無史さん:2008/03/17(月) 15:19:43

また雑魚が釣れまちた♪
987日本@名無史さん:2008/03/18(火) 03:51:14
で、「小名」の定義は、1〜2万石くらいの小大名のことでいいのか?
988日本@名無史さん:2008/03/18(火) 09:11:05
とある本には元和2年の武家諸法度で言う小名とは、
万石以下の直臣と万石以上の陪臣って書いてあったけど、
根拠は書いてないし本当かどうかよくわからない。
989日本@名無史さん:2008/03/18(火) 17:23:22
知行所をもつ旗本のことでいいんでないの?
990日本@名無史さん:2008/03/18(火) 19:31:07
勝手に定義を決めちまうなよ
991日本@名無史さん:2008/03/18(火) 19:38:47
交替寄合衆なんてまさに小名
992日本@名無史さん:2008/03/18(火) 20:33:00
言葉の原義から言えば、
一万石以上の大名に対する言葉としては交替寄合あたりが妥当だろうけど、
この時点では一般の旗本と厳密に区分される存在じゃないし、
地方知行の旗本くらいの意味で使ってるのかな。
993日本@名無史さん:2008/03/18(火) 22:45:52
 
994日本@名無史さん:2008/03/18(火) 22:46:41
 
995日本@名無史さん:2008/03/18(火) 22:47:47
 
996日本@名無史さん:2008/03/19(水) 00:44:41
また妄想を。
元々旗本は地方知行。
997日本@名無史さん

孟宗竹の筍でも喰ったのか?