豊臣秀吉は何故征夷大将軍になれなかったのか?

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1日本@名無史さん
何故、豊臣秀吉は征夷大将軍になれなかったのか教えてほしい。
身分が低いとか、源氏じゃなかったっていうのは納得出来ないんだけど!
2日本@名無史さん:2007/09/20(木) 20:52:16
秀吉は、征夷大将軍以上の高い地位に着いたので、必要なかっただけです。


3日本@名無史さん:2007/09/20(木) 20:54:02
反対勢力の核になりうる家康をたたきつぶし損なったのが敗因じゃないの?
4日本@名無史さん:2007/09/21(金) 00:16:55
糞スレ終了
5日本@名無史さん:2007/09/21(金) 02:04:45
何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160617713/

戦国時代
http://hobby9.2ch.net/sengoku/
6日本@名無史さん:2007/09/22(土) 18:08:55
>>1
愛・蔵太の少し調べて書く日記
2007-08-31 夏の終わりの気分です
■[日本人奴隷]既知外テキストの元をたどったらさらに既知外テキストに行き当たる
 これは以下の日記の続きです。

→「日本人奴隷」について読んでおかなければならないテキストのメモ(日本語のみ)

 ということで、ネットで流れている「戦国時代の50万人日本人奴隷説」の大もととなっていると思われる『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭・成甲書店・2006年)のテキストの当該箇所を読んでみたのですが。
 いやはや。
 これはどうにもこうにも。
 実はその元となるテキストが、ちゃんと書名つきで書かれているではありませんか。
 ネットであれこれ探してたりしないで、さっさと原典に当たればよかったんだよな。下巻p96-97

 徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵の従軍記者の見聞録がのっている


(二版では憲兵命令で削られた)。
7日本@名無史さん:2007/09/22(土) 18:12:01
>>1
愛・蔵太の少し調べて書く日記
2007-08-31 夏の終わりの気分です
■[日本人奴隷]既知外テキストの元をたどったらさらに既知外テキストに行き当たる
 これは以下の日記の続きです。

→「日本人奴隷」について読んでおかなければならないテキストのメモ(日本語のみ)

 ということで、ネットで流れている「戦国時代の50万人日本人奴隷説」の大もととなっていると思われる『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭・成甲書店・2006年)のテキストの当該箇所を読んでみたのですが。
 いやはや。
 これはどうにもこうにも。
 実はその元となるテキストが、ちゃんと書名つきで書かれているではありませんか。
 ネットであれこれ探してたりしないで、さっさと原典に当たればよかったんだよな。下巻p96-97

 徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵の従軍記者の見聞録がのっている


(二版では憲兵命令で削られた)。
8日本@名無史さん:2007/10/08(月) 16:31:14
そう言えば信長には征夷大将軍の位のオファーが朝廷からあったらしいが
9日本@名無史さん:2007/10/16(火) 10:36:29
自分の官職はいいから
それを信忠にゆずってくれと言ったんだろ?
10日本@名無史さん:2007/10/16(火) 11:34:11
豊臣家で世襲を続けるのなら五摂家の人達をどうするつもりだったのだろう?
征西大将軍では駄目だったの
11日本@名無史さん:2007/10/16(火) 13:56:31
五摂家の人たちは豊臣家の部下です
左大臣や右大臣をやっていればよかったのでしょう
親からの遺産も家柄もない秀吉は、
自分が武士の出身だという認識もなかったんじゃないでしょうか?
どうせ自分の代で成り上がってきたのだから、貴族であっても一向に差し支えない。
源氏三代将軍の呆気なさや、将軍足利義昭の扱いの低さを見ると、
都で摂関をやってたほうが、身分安泰だ!と思ったのかもしれません。
12日本@名無史さん:2007/10/16(火) 19:29:57
最初は将軍に成ろうとして足利義昭の養子に成ろうとしたんじゃなかったか?
で義昭に拒否られて、
もっと偉くなってやるって公家の養子になって関白になって
その後、朝廷から「豊臣」を贈姓されたように聞いたんだが…
13日本@名無史さん:2007/10/16(火) 19:36:42
養子にならなくても征夷大将軍なんてなれるんじゃなかった?
徳川家康なんて、清和源氏に連なる不思議な系図を創作しただけで
前足利家の養子になんてなってなかったはず
14日本@名無史さん:2007/10/16(火) 19:47:28
坂上か伴か文室に連なる系図でも準備しとけば良かったったんじゃないの?
15日本@名無史さん:2007/10/16(火) 21:06:34
征夷大将軍には源氏ゆかりの者しか成れない。
農民出身の秀吉は、源氏とは縁もゆかりもないんで将軍の養子になろうとしたが、
断られたんで仕方なく関白になった。

家康は、その辺上手くやったようだが。
16日本@名無史さん:2007/10/16(火) 21:45:17
>>13
家康が打診受けたときは豊臣姓
17日本@名無史さん:2007/10/16(火) 23:00:33
>>13
養子ではないけど、朝廷からは足利将軍家の後継者として
征夷大将軍に任命されたらしいよ。
18日本@名無史さん:2007/10/16(火) 23:32:03
>>15
関白は「仕方なく」なる職だそうだ
19日本@名無史さん:2007/10/17(水) 09:34:12
>15
平氏を自称した織田家は征夷大将軍の推薦を受けたようだけど、
そのあたりはどうなの?
源氏でなくてもなれたんじゃないの?
そもそも、初代征夷大将軍大伴弟麻呂、次代坂上田村麻呂、3代目の文屋綿麻呂、
いずれも源氏ではない。
坂上田村麻呂に至っては、百済の末裔だの自称していたようだし。
20日本@名無史さん:2007/10/17(水) 10:27:54
源氏なら松浦や京極でも良いのか?
21日本@名無史さん:2007/10/17(水) 12:35:08
>>19
足利義満が源氏長者になって以来、慣例化したのでは?
徳川将軍は源氏長者(秀忠は除く)以外に淳和奨学院別当にも
任命されるが、これも義満以来の慣例じゃなかったけ?
平安初期の征夷大将軍の例を出すのなら、鎌倉時代以降の
征夷大将軍と役割も違ってきているし。
朝廷が信長を推薦したのは、信長を朝廷に取り込もうとする政治的
意図があったのだろう。
そもそも征夷大将軍が令外官なんだから時の慣例によってどうにでもなる。
摂政も慣例によって摂関家に限定されるようになったわけだし。
22日本@名無史さん:2007/10/17(水) 12:44:58
>>21
結局、織田氏は先例となって平氏の征夷大将軍が誕生しても
一向に構わなかったわけだ
秀吉でいえば、養女はつの婿であり、側室竜子の兄でもあった
京極高次なんかをたぶらかして源氏を名乗ることも十分可能だったろうな
久我家などは怒らなかったんだろうか
源氏の氏長者を何処のでとも分からん徳川氏に奪われて
23日本@名無史さん:2007/10/17(水) 13:01:10
もし足利義満が太上天皇号が贈られていたら、慣例として
以後の将軍は辞任もしくは死後、上皇になっていたかも
しれないな。
24日本@名無史さん:2007/10/17(水) 13:51:13
足利将軍で義澄以降は源氏長者になってないんじゃないか?
25日本@名無史さん:2007/10/17(水) 14:10:01
>>24
源氏長者にならなくても将軍になれる慣例ができたと言えるけど
家康が基に戻したと言う感じだろう。
征夷大将軍に加えて右近衛大将は源将軍、源氏長者は足利将軍と
両幕府の後継者として誇示したかったかもしれない。
徳川家康は徳川幕府の正当性を誇示したかったから、過去の慣例を
色々つなぎ合わせたのだろう。
26日本@名無史さん:2007/10/18(木) 15:35:34
秀吉が征夷大将軍になれなかったのは、
余りにも早く天下人になってしまったから、
源氏の子孫という系図の改ざんできなかった。
だから足利家へ養子になろうとして失敗することになった。
一方の家康は、三河守の官位を得るために徳川に改名して、
系図もそれまでものから源氏の末裔と改ざんしていたから。
それに秀吉が天下を取った時、足利義昭はまだ征夷大将軍の座にあったから、
その辺も影響しているのかも。
27日本@名無史さん:2007/10/18(木) 15:44:19
おとぎ衆の山名(由緒正しき新田の支流)とか上手いこと話を持っていって
傍系の系図とか準備すれば良かったんじゃないの?
28日本@名無史さん:2007/10/18(木) 18:29:32
江戸時代の大名でまっとうな清和源氏って小笠原と喜連川(5千石だけど)くらい?
細川も南部もどうも怪しげだし。
吉良・今川・山名・武田等は旗本だし。
29日本@名無史さん:2007/10/18(木) 21:35:56
細川が怪しいか??
佐竹はどう?
30日本@名無史さん:2007/10/20(土) 01:33:48
南部はそう怪しくないぞ
31日本@名無史さん:2007/10/20(土) 03:05:00
スマートな解釈としてこの考えはどう?
秀吉が卑賤の身分だって事は世の中の大名含むみんな知っていたから
系図の改ざんを試みても信憑性ゼロって悟ってたんじゃない?
とはいえ実質日本No1大名だし、将軍の名前にはこだわってなかったのかも。
誰もが知る信長の家来出身者が将軍を名乗るとか、
さすがにそこは世間の評判を気にしたかと。
政治力の高い秀吉らしい計算と思う。
比べると家康は元々大名家の地盤があったからねー

みんなどう思う?
32日本@名無史さん:2007/10/20(土) 08:11:46
>26
三河守任官+徳川改名の時にやったのは、それまで自称していた「源氏」から「藤原氏」への変更。
33日本@名無史さん:2007/10/20(土) 10:07:56
将軍より関白の方が格は上でなりにくいと思うが・・・
足利義昭がまだ生きていたというのもあるのではないか
34日本@名無史さん:2007/10/20(土) 10:31:36
義昭に養子を断られた話は同時代史料にはでてこない。
徳川の天下の時代のものにしか出てこない
秀吉が天皇から将軍職を打診されたが、みずから断った話は
同時代の多聞院日記にある話
35日本@名無史さん:2007/10/20(土) 10:48:40
征夷大将軍足利義昭よりも上の役職に着くには
天皇のナンバー2である関白
征夷大将軍自体は官職的にはかなり低い
そのため中央の官職と兼任する将軍も多かったが

36日本@名無史さん:2007/10/20(土) 10:54:10
まあ将軍は従五位下でもなれる(実例有り)けど、
摂関は理論上考えられる最低位階は正三位だもんな。
摂関は原則として現職大臣ないし前大臣であり、
律令制下において従三位以下の大臣は存在しない。
37日本@名無史さん:2007/10/20(土) 11:43:36
>>22
京極は宇多源氏でしょ
38日本@名無史さん:2007/10/20(土) 22:20:34
>33
> 将軍より関白の方が格は上でなりにくいと思うが・・・
 前例としてなりにくいというのはあるだろうが、「格が上」はないでしょう。
室町時代の関白なんて、明らかに将軍より下ですから。
39日本@名無史さん:2007/10/20(土) 22:39:36
将軍より関白のほうがなりにくいってことはない、
室町時代でいえば将軍は15人だが関白はその倍いるし、
将軍は足利家からしか出ていないが、関白は一条、二条、
九条、鷹司、近衛と五家から出ている
40日本@名無史さん:2007/10/20(土) 23:21:40
どっちがなりやすい・なりにくいなんて問題じゃないと思う。
当時の秀吉の実力から見たら両方容易になれたんじゃない?
問題はなんで将軍よりも関白を選んだって事が論点だろう。
階位なんて実力者にとっちゃいくらでも飛び級出来る。

身分の慣例に対する知識をひけらかしても仕方ないと思うぞ。
41日本@名無史さん:2007/10/21(日) 02:00:08
>>40
当時って?具体的に何年?まさか天正13年の時点で関白か将軍どちらでも 
好きな方を選べたとでもいうつもりか、実力があれば容易になれるとか  
言ってるがじゃあなんで近衛家の猶子にならなくてはならないんだ、  
というか近衛家の猶子になるというのがものすごいアイディアであって
君が思うほど容易になったわけではないんだが
42日本@名無史さん:2007/10/21(日) 06:51:32
>39
武家出身の関白は秀吉まで誰もいなかったのだから(太政大臣はいたが)、
なりやすかったとは思えない。
いわゆる、武家の棟梁が征夷大将軍であるのに対して、
関白は公家社会の親玉にすらなろう、というものだから。
秀吉は摂関家同士での関白を譲る譲らないの内紛をうまく逆手にとって関白になったが、
鎌倉時代や室町時代、武家は関白になれたかというと、なれなかったと思う。
43日本@名無史さん:2007/10/22(月) 01:45:33
はたして秀吉を武家出身と呼んでよいのやら、

清盛は武家とはいえ平家の嫡流で血統がいいうえに
白河法皇のご落胤との噂もある、引き合いに出すのもどうかと
まがりなりにも大名の子息である信長や家康よりもあきらかに
出自が悪いわけで、
44日本@名無史さん:2007/10/22(月) 20:47:19
あいかわらず「なりやすい&なりにくい」という不毛な論争になってんな。
実力さえあればどんな身分にでもなれるのが戦国の世。
朝廷(将軍もだけど)の力が弱いからあれだけ武士の台頭を許したんだろ。
強けりゃ関白職なんか渡すわけないんじゃない?
過去の朝廷内官職の判例を述べる人も多いが、
時代背景がそれぞれ違うじゃん。
なりやすいなりにくい論で言えば秀吉の出自から考えたら、
大名になる事がそもそも社会的に見たらナンセンスなわけで
関白どころじゃないわな。
「秀吉が当時日本一の権力者だった」という歴史的事実を元に
このお題を考えないといけない。
「将軍」「関白」の選択肢からなぜあえて「関白」を選んだかが本題と思う
45日本@名無史さん:2007/10/22(月) 21:16:10
いまだにそんな戦国神話を信じてる奴がいるとは…
46日本@名無史さん:2007/10/22(月) 22:11:39
秀吉が天下人になったって話が嘘八百だって事?
どの部分を批判されてんのかわからないんだが・・
自分の軍隊も持っていないこの時代の朝廷ってそんなすごかったっけ?
47日本@名無史さん:2007/10/30(火) 14:29:21
実力さえあればどの身分にもなれるというのは違う。
大名になるのと朝廷に組み込まれる官位を授与されるのでは意味が違う。
だから清和源氏・桓武平氏の子孫と系図を改竄した。
実力でなれるのであれば、改竄など必要がない。
実力があるからこそ、公家に対して系図改竄の依頼が成功しやすいということはあるだろうが。

鍵を握るのは足利義昭が征夷大将軍の座にあったことだと思う。
将軍に退位させることができたのか分からないが、死ぬまで将軍であったのだから
義昭は将軍に固執していた。だから関白になろうとしたのか、初めから関白狙いであったのか。
いずれにしろ関白になるために近衛前久の猶子になり、その後すぐに豊臣姓を賜る。
これによって、近衛家に組み込まれるのではなく、豊臣という摂家が誕生する。
ただ、将軍と違って、関白は持ち回りになるようなので、
世襲という観点から疑問が残る。そこまで認識していたのか。
豊臣という姓を天皇から賜るということから、将軍職よりも豊臣が上位になると考えたのか。

ただ後陽成天皇の聚楽第行幸があるが、
関白になった方が行幸を行いやすいというのもあったのか。
天皇が関白邸に訪れる。将軍邸よりは行いやすいと思う。
48日本@名無史さん:2007/10/30(火) 17:07:50
>>47
将軍様がぴんぴんしてるときに織田信長に将軍でもなんでも好きなの上げるよ!って言ってるじゃん
49日本@名無史さん:2007/10/30(火) 17:24:59
秀吉は(当時の武家間でも)出自が卑しいと思われていたから
名目上人臣最高の地位である関白に就任することに
積極的意味を見い出していたのではないか
50日本@名無史さん:2007/10/30(火) 22:17:14
統一したばかりの政権は中心人物の独裁が著しく、
その人物の死後は第二勢力にとって変わられるという法則がある
51日本@名無史さん:2007/10/30(火) 22:26:09
>>47
当時、藤氏氏長者の地位にあった九条家が、
秀吉に近衛を名乗らせるなとチャチをいれたから、
秀吉は新姓豊臣を名乗ったらしいよ
当初は近衛を名乗るつもりだったらしい
52日本@名無史さん:2007/10/31(水) 22:56:06
1ですが、私が学校で習った日本史では秀吉は出自が卑しいので
(身分が低すぎて、それが広く知れ渡っていたので源氏の子孫だと詐称できなかった)、
征夷大将軍になれなかったので関白になったと教えられたのですが、
ずっと変だなと思っていたので、教えて頂けたらと思いました。
53日本@名無史さん:2007/11/02(金) 11:27:03
>>51
47だけど。
そういう話あったね。
九条家というよりも藤原氏全体が反対したんだろうね。
ただ近衛前久は容認したと。
この公家さん怪しい人みたいだね。
織田信孝(信長三男)が本能寺の変後に
近衛前久の追討令を出してるし。
ただ近衛を秀吉に名乗らしたくないのであれば、
豊臣姓を天皇から賜ることはより容認できるものではないようにも思える。
天子様から姓を賜るなど恐れ多いことみたいに。
さらに豊臣姓になると、藤原一族じゃなくなるから、藤原一族の干渉を受けなくて済む。
一番藤原一族にとっては嫌な展開だと思う。

>>48
信長に対してはそうなんだけど、
信長が右近衛大将に任官したのも足利義昭の征夷大将軍に対する対抗でしょ。
ある意味征夷大将軍の解任を迫る意味合いもあったと思う。
その後何の動きがないから、何故義昭を征夷大将軍の地位に留めたのか。
もちろん征夷大将軍に任じようと言ってるわけだから、将軍になりたいと言えば、
信長又は信忠将軍就任=義昭将軍職解任となるんだけどね。
54日本@名無史さん:2007/11/02(金) 11:37:57
>>53
>織田信孝(信長三男)が本能寺の変後に近衛前久の追討令を出してる

本能寺後、明智光秀は近衛前久邸から出兵したらしいという噂が流れたためらしい。
噂の出所は不明だが、このために前久は出家して、徳川家康のもとへ亡命している。
前久は摂関家の出ながら、上杉謙信を支援したり、三好三人衆と組んだり、
いろいろ武家から恨まれることがあったせいかも。
秀吉が前久の養子となった頃、前久は秀吉に許されて入京、銀閣寺に隠居しており、
武家との共存を選んだ前久なれば、秀吉の出自にもこだわりがなかったのだろうけれど。
前久の娘前子は、関白となった秀吉の養女として後陽成天皇の女御となり、
なんやかんやで近衛家は江戸時代には摂家筆頭と呼ばれるまでになったのだから、
前久の選択は間違ってはいなかったのだろうけれども。
55日本@名無史さん:2007/11/02(金) 15:24:27
>>1

【理由】足利義昭が征夷大将軍在職中だったから。
1585年頃に落飾するまで足利義昭は征夷大将軍の地位にあった。
56日本@名無史さん:2007/11/02(金) 15:39:27
>>55
でも、解官しようと思えば出来たんじゃないの?
57日本@名無史さん:2007/11/02(金) 15:40:36
>>55
このスレでも何度も言われているけれども、
信長に征夷大将軍の打診があったのはどうなの?
征夷大将軍は一度宣下があると毎年宣下があるものではないので自動更新になるけど、
生前征夷大将軍を辞めた&辞めさせられた人はいるからね。
天皇や公家だって、信長や秀吉といった新しい支配者をどんどん京都に入れて、
自分の身の回りの安全を保証してもらっているのだから、
京都を追放された義昭になんの義理もなし。
58日本@名無史さん:2007/11/02(金) 15:54:47
初代鎌倉公方の足利基氏は向背定まらない北関東甲越の情勢に
釘付けとなり武蔵北部まで度々出陣した。
出陣中の幕営(居館)の所在地から入間川殿と呼ばれた。
室町幕府開設者の実子でありながらほとんど鎌倉に帰陣することは出来なかった。

都府に居ない/居ることのできない将軍・鎌倉公方は
近江公方や山口公方、堺公方、堀越公方、古河公方などなど
室町時代を通じて歴代数えると数知れずいた。

その度に位階や職を解いていたら任命権者の政治生命にも関わる。
多くの場合当該者をその位階、官、職に付けた者は
逆に彼からスポンサーとして食べさせてもらっている場合が多々ある。
京都を追放された義昭に義理が無いどころか義理が大有りだった。
畿内の支配者が信長だろうが秀吉だろうが当事者たちには関係ない。
59日本@名無史さん:2007/11/02(金) 16:04:19
>>58
「京都に居ない」から解任じゃないでしょ?
「新しい天下人が京都に入ったから解任」。
足利基氏の頃には兄貴の足利義詮が将軍として
京都の治安を守っていたのだから、全く意味なし。
60日本@名無史さん:2007/11/02(金) 16:05:22
さながら信長や秀吉はリート、LBOファンドやヘッジファンドのように新興の存在。
買収後の人事やポートフォリオ管理といった組織運営のやり方全ての面において
エグいしエゲツない。当時の京の人々には必ずしも好かれなかった。
旧来型の幕府組織のほうが京の町衆にとってスポンサー歴として長いし歓迎された。

そんなこともあり畿内の地を踏めずとも
1588年まで足利義昭は征夷大将軍の地位にあり続けた。
信長も秀吉も政治的には末路は哀れとしか言いようがない。
61日本@名無史さん:2007/11/02(金) 16:26:53
朝廷は徳川家康に対しては豊臣秀頼在世中から
ほいほいと征夷大将軍与えていますよね?
おかしいでしょw
足利氏の末裔浜だ生きていたのだから、
そっちを征夷大将軍にして新興の徳川家など捨て置けばよかったのに。
都の公家がみな足利将軍大好きだったのならね。
都では儲君が信長から邸をもらったり、
天皇が秀吉の聚楽第に行幸したり、
天皇も公家も新興の天下人たちと仲良くやってたんだが。
62日本@名無史さん:2007/11/02(金) 18:16:11
>>60
名前だけの将軍な。
三好三人衆に擁立されていた足利義栄が、信長の力で簡単に解任されたように、
義昭も秀吉の力で簡単に解任できる。
源氏でない将軍も過去にたくさんいるので、源氏かどうかなんて、「そんなの関係ねえ」。
秀吉自身が将軍でなく、関白を選択したというだけ。
なにしろ天皇のおとし種だから何にでもなれるもんね。
63日本@名無史さん:2007/11/02(金) 18:21:55
豊臣秀頼なる人物は存在しない。豊臣姓は、羽柴秀吉が一代に限って
下賜された本姓(正確には豊臣朝臣)であり、秀頼はあくまでも羽柴秀頼
であって、1600年〜1619年まであった摂津国大坂藩(政庁は大坂城)の
大名でしかなかった。

羽柴秀吉は、豊臣姓を下賜されて関白となり、政権を得た。政庁は京都の
聚楽第に置いた。秀吉は秀頼を後継者とすべく、彼を伏見城に置いたが、
政庁を聚楽第から伏見城に移すと秀頼を羽柴家の居城である大坂城に移した。

豊臣秀吉は政庁である伏見城で亡くなり、その後は五大老筆頭である
徳川家康が伏見城に入り、中心となって政務を執り行った。そして、
1603年に二条城において征夷大将軍宣下を受け、幕府を開いた。
64日本@名無史さん:2007/11/02(金) 19:07:58
「豊臣」は本姓であって名字は羽柴。
源の家康は「源」は本姓であって、名字は徳川。
もちろん一代だけということはなく、豊臣秀長、秀次、秀頼の他、
毛利、宇喜多、前田、上杉、豊臣(結城)秀康、豊臣(豊臣)秀忠、
豊臣(島津)忠恒、豊臣(真田)信繁をはじめ豊臣姓を許された大名は多く、
秀吉は彼ら豊臣姓の氏の長者。
気に入った武将に豊臣姓を許すことも多く、直江兼続、松尾山での主君の裏切りに抗した松野主馬
も豊臣姓を賜っていた。
徳川が幕府を開き、大阪の陣で豊家を滅亡させると徳川家は
最盛期30家ほどあった豊臣姓の使用をやめさせ旧姓に復帰させたが
3家(北の政所の兄の家系など)だけは幕末まで豊臣姓を許されていた。

65日本@名無史さん:2007/11/02(金) 19:53:03
一つ、面白い説がある。
征夷大将軍は従四位程度でなれる東国(頼朝が権限を事実上全国化)武士のリーダーで、あくまで朝廷の権力が届きにくい範囲(ここでは蝦夷)に限る。
対して、関白は日本の最高権力者たる天皇の代理で、位階も正・従一位でないと就任できない。その命令権は「東国」の「武士」統括でしかない将軍より上。
66日本@名無史さん:2007/11/02(金) 19:54:15
つまり本姓「豊臣」の人は今でもいるわけで、足守藩の当主は明治になって
子爵になっている。
67日本@名無史さん:2007/11/02(金) 19:56:40
室町幕府の衰退で朝廷に権力が戻りつつあった状況では関白である方が有利であったというもの。

徳川氏も、その様な名分でスムースに将軍位に付き、豊臣氏に代わり、全国の大名を従わせたという。
68日本@名無史さん:2007/11/02(金) 20:16:00
まあとにかく征夷大将軍より右大臣や左大臣のほうがはるかに高位だってことだな。
足利尊氏はよくもまあ大納言の位階まで武士の身で登り詰めた。
天皇に下賜された「尊」の一字も日本史上唯一の例だろう
藤原とか豊臣といった新姓の創出よりも凄いことだ
69日本@名無史さん:2007/11/02(金) 20:36:36
征夷大将軍は従五位下でもなれる、実例有り。
摂関はせいぜい正三位が下限で、
官職自体の格としては勝負にならないっていうのは事実。
70日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:04:52
秀頼が関白になれば秀忠より上
71日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:06:47
そこで疑問になるのが何故に徳川は関白じゃなく将軍を選んだのか
関東に基盤を置いてるからその統治の関係で将軍を選択したのか?
72日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:23:23
徳川の直臣や大名には井伊とか伊達とか南北朝時代の南朝方が多いから
足利幕府に対抗する意味で新田にこだわったんでしょ
新田幕府という意味合いではないかな?
得川という新田一族の苗字にわざわざ改名した訳だから
73日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:47:13
別にそんな大した理由はないんじゃないかな、有る意味偶然である意味必然。
秀吉は若い頃将軍を意識するような環境になかった。
信長に仕えて出世してからも、将軍なんて主君の信長が便宜上担ぎ上げた看板、
って言う程度の認識ではなかろうか。
秀吉にとっての最も身近なお手本である信長も、
内心はともかく表向きは将軍職に自ら食指を動かした確証はない。
そんなことで将軍職に特に執着はなかったのでは?
で信長の生前の路線を受け継いで行き着くところまで行ってしまったのが関白。
家康の方は育ちから行って秀吉よりは歴史・故実に明るかったろうから、
将軍の重要性に対する認識が違ったんだろう。
先祖も三河の山猿風情にしては中央と連絡があったようだし。

そもそも秀吉・家康は彼ら自身である所にこそ本質があり、関白・将軍は単なる肩書き。
官職を退いても元気なうちは実権者なわけだし、肩書きは何でも良かったのでは?
74日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:53:31
書き忘れ、
つまり秀吉が関白、家康が将軍を指向したことには、
それぞれの置かれた環境から多少の必然性はあるが、
実際に就く官職は反対であっても大きな問題はないのではないか?
7565:2007/11/02(金) 21:59:03
>>71
まず、関ヶ原以降も、徳川は豊臣配下の五大老筆頭でしかないというのがポイント。
勿論、秀頼がまだ関白でなく、家康以上の力と権力を持っている人間はいないわけだから、
実質的には家康がトップだが、秀頼成人後はやはり、ただの五大老筆頭に戻ってしまい、
「秀頼成人まで伏見城で政務を見る」という大義名分も無くなる。

しかし、ここで家康が将軍位に付く事で、将軍=武士のリーダーとして全国の大名を統率できる立場になれば、
これ以後も家康は権力を握れるわけ。しかも、将軍位は関白の権限を侵すことにはならないし、
豊臣も大名の統括は家康に任せてる感があり、家康の将軍位就任に関して特に文句は言わなかった。

>>63のいう、豊臣大名化は眉唾。
7665:2007/11/02(金) 21:59:34
図にするとこんな感じ。
1600~1603

   豊臣家
  / | \
直臣  |  家康(政治顧問)
   ┌┴┐/\
  豊  外  徳川大名
  臣  様
  大  大
  名  名

1603〜1614
【名目上】            【実質】    ┏微妙な空気
   豊臣家           豊臣家(孫婿)―家康(将軍・大舅)
  /  |             / │    // \
直臣  家康(将軍)   .    直  │  / /  . \
    / │ \        臣  │ /  /  .   \
   豊  外  徳          豊    外     徳
   臣  様  川          臣    様     川
   大  大  大          大    大     大
   名  名  名          名    名     名
77日本@名無史さん:2007/11/02(金) 23:47:21
家康は将軍になってからも豊臣の家臣だな。
徳川実記によると、秀頼との会見では家康が秀頼に対して、
対等の礼をしようとしたところ秀頼が拒否。(但し、家康に対して舅としての礼はした)
また、その後諸大名に差し出させた徳川幕府に従うことなどを内容とする
三カ条の誓詞があるが、秀頼は誓詞を出してなく別格大本尊。
78日本@名無史さん:2007/11/03(土) 00:05:57
>>73
歴史に明るい暗いというのは後世の結果論で、
そもそも秀吉は、征夷大将軍に関心があまり無かった
(まったく無かったわけじゃ無いだろうが)というのが本心だろう。
ヒエラルキー上の理由は、まさに>>65>>76の通りだろう。関白のほうが上だから。
現実的な理由としては、1580年代の畿内に本拠を置く全国の統一支配者として、
征夷大将軍には、ネーミングとイメージに全く魅力がなかった。
畿内人にとって将軍とは、あの悲惨なgdgd極まる足利将軍ラスト2代のイメージ。
こんなものを貰って後継を名乗っても、役に立たない。
だが、家康は、関東地方の辺境諸侯の立場から、
関ヶ原から大阪の陣で、畿内の権力構造をひっくり返して政権を握ったという立場。
彼にとっては、関東地方が根拠である以上、「源頼朝ブランドとしての征夷大将軍」が使える。
秀吉が捨てたゴミの中に、家康にとっての宝があったということ。

ちなみに、1615年になっても、まだ征夷大将軍は唯一絶対の位ではなかったようで、
伊達政宗の陰謀としては、「喧嘩両成敗」で家康秀忠を切腹させて徳川政権を消した後、
徳川忠輝を征夷大将軍につけるが、
自分は「関白になって」、忠輝を含めて全国を統べるという計画だったらしい。
これはあくまで憶測なので分からない話だけどな。
79日本@名無史さん:2007/11/03(土) 00:27:14
畿内人のイメージで言えば相変わらず
将軍>関白
なんだがそこは無視でいいのかね?
80日本@名無史さん:2007/11/03(土) 00:47:48
当時の将軍のイメージは松永に殺されたり、信長(右大臣)に追放されるような存在。
81日本@名無史さん:2007/11/03(土) 00:50:27
それを言えば関白のイメージは
関東管領に従って越後に流れていって
現地人に黙殺されるような存在だが
82日本@名無史さん:2007/11/03(土) 01:09:10
>>81
流れていったわけではないね。近衛前久と謙信は友達関係で
互いに血書の起請文を交わし、盟約を結んだ仲。
自分の権威で景虎の関東平定を助けるために自分の意志で謙信に従い従軍した。
あちこちに流浪し、受け入れを断られながらも安芸にだどりついた義昭とは違う。
83日本@名無史さん:2007/11/03(土) 01:11:22
そんなこと当然知ってて言ってるわけだが
84日本@名無史さん:2007/11/03(土) 01:13:08
武士にとっては将軍のほうが上だろ、
将軍さえトップに据えさえすれば朝廷に気を使わずに
政治を行う大義名分ができるのだから
官位うんぬん持ち出すのはナンセンス
85日本@名無史さん:2007/11/03(土) 01:13:46
>>79
だからそれこそ、東京(関東)主体の近代の歴史発想とも言える罠
畿内は、相当あとの時代になっても、
なんだかんだ言って律令以来の王朝秩序のヒエラルキーで保っていた地域。
征夷大将軍というのは大した官位ではなく、どこまでいっても
「東国の僻地の野蛮人が謀反を起こした時、鎮圧しに行く武官」という
設立当初の古いイメージが基本にある。
室町将軍の統治なんて言っても、新参者に過ぎない。
他方、関白や太政大臣は、あくまでも朝廷中央の人臣最高の地位扱い。
だから、どんなに複雑な時代固有の事情があっても
まずはここがデフォになる。秀吉は、畿内中央の天下人として忠実になぞっただけ。
>>81
黙殺したのは「現地人」だろ?つまりここが東国と畿内西国との違いで、
家康はこの伝統的な意識差を巧みに利用して「東照大権現」にまでなったとも言える。
86日本@名無史さん:2007/11/03(土) 01:16:17
>>84
かなり同意

>>85
畿内の訴訟の裁判権の推移とかちゃんと調べましょうね
87日本@名無史さん:2007/11/03(土) 01:18:42
結局、家康は京都の賀茂社の葵紋を用いたのだが。
88日本@名無史さん:2007/11/03(土) 01:53:35
>>86
だから結局義満の功績だろ?21世紀の今から計算するんじゃないよ。
1580年代から遡るわけだ。大して経っていないんだな。
たった200年程度に過ぎない。しかも後半100年はgdgd。
つまり、「新参の」室町将軍の権威が失墜して使い物にならなくなったら
古い権威が、その奥で潜在的にしぶとく生き残っていたということ。
江戸末期とは違って、形而上の大義名分論ではなく、現実の問題と考えたほうがいい。
確かに、朝廷権力もまた、その実効性は遠の昔に失われていたが、
それでも名前は8世紀以来の伝統秩序として生き残っていた。
室町幕府中央の政治機構は、16世紀中に見事に名実共に全部雲散霧消したが。
なんちゃら管領だの公方だの何だの、室町幕府系の地位のカリスマ性の残骸は、
むしろ東国でかなり後までよく残った。
89日本@名無史さん:2007/11/03(土) 01:55:12
>>85
「東証神君」になったのは神号「豊国大明神」に対抗するためだろう。
「関白」にしろ「将軍」にしろ政権を連続させるには支障がなく、どちらでもいい。
秀吉が嫡男鶴松の死後、甥の秀次を養子にして「関白」にし聚楽第で政務をとらせ、
自身は大御所となって二元政治となったわけだが、秀次に接近し忠勤を励む大名が続出し、
伊達政宗、細川忠興、最上義光、浅野幸長などは、秀次事件であやうく改易されるところだった。
つまり「関白」の継承が権力の継承を意味するようになったわけで、
秀吉の死の際に、幼児ではない成年に達した関白(豊臣秀次)が政務を執っていれば豊臣家は300年続いたかもしれん。
ちなみに五大老・五奉行が出来たのは秀次事件の後であって、後継者の秀頼が幼弱なため。
秀吉が老人の疑心暗鬼で秀次を殺すことなく、そのまま秀次体制に移行していれば豊臣300年だった。
90日本@名無史さん:2007/11/03(土) 10:32:46
ウホッ
俺のレスで盛り上がってる
俺の股間も盛り上がってきちゃうぞー

>>75
豊臣姓捨てて将軍になるのが脱豊臣なら、藤原姓に復帰して関白でも脱豊臣だろ?
とすれば関白の持ち回りの不確実性を回避して世襲の確実さを狙ったと思うんだが
91日本@名無史さん:2007/11/03(土) 12:24:00
>70
 いい加減既出だが、室町時代には将軍の権威の前には関白の権威など無いに等しい。
 おまけに、秀吉自身が秀次を切腹させることで、せっかく別格とした関白の権威を貶め
ているし。
92日本@名無史さん:2007/11/03(土) 12:32:26
将軍権力が強固だった別時期を持ち出すのが適当なのかという疑問が
93日本@名無史さん:2007/11/03(土) 12:33:11
>88
例えば関白近衛前久なんかは、「武命に違う」ということで追放され免職されている。
戻ったのは、信長のとりなしで勅勘をとかれた後。

将軍の権威がいかに下落していたとしても、関白の権威はさらに低いよ。通用したのは、
それこそ地方だけの話です。
94日本@名無史さん:2007/11/03(土) 12:35:14
>92
将軍権力が強固だったかどうかと言う話じゃないんだけど。すでにこの時期には、
「将軍の権威>関白の権威」になっているんで、将軍権力が衰えれば、一緒に
関白の力も下落していっただけのことです。
95日本@名無史さん:2007/11/03(土) 12:36:51
畿内の裁判権を将軍権力が失ってから
秀吉の関白就任まで何年くらい?
長くて15年くらいか?
96日本@名無史さん:2007/11/03(土) 12:43:09
一緒にとはこれいかに
9765:2007/11/03(土) 14:09:51
>>91,93
その室町幕府が滅亡した後の話だからな。将軍位は空席。つまり権威もない。
あるいは、これは俺の憶測の域を出ないが
鎌倉幕府→建武の中興
室町幕府→豊臣関白政権
という源平交替思想ならぬ公武交替思想の流れを意識したのかもしれん。
まぁ、そうだとすると、非常にイメージが悪いし、どうかと思うが・・・。
しかし、鎌倉幕府、室町幕府共にグダグダになって終わったし、
応仁・文明の乱で荒廃した京の民衆が公方家(将軍家)を嫌う風潮もあったし、
山城の国一揆でも、将軍の膝元で将軍・守護の支配を受け入れない体制ができていたことからも、
将軍位が室町期から既に効力を失っていたという事が伺える。
また、信長包囲網期に天皇の停戦の詔が何度か出され、それに大名達が従ったし、
上杉謙信も、関白、天皇、将軍とそれぞれ会っているし、朝廷権力も大いに生きている。

もっとも、信長が上洛した際、義昭と近衛前久の対立で近衛側が罷免されたように、
室町期はまだまだ、将軍位の方が上であっただろう。でも、その後、信長は逆に近衛と
誼を通じて、朝廷での取り計らいなどを頼んでいる。

恐らく、信長は将軍を追放して、自分が将軍になったという謗りを避ける為に、
関白・太政大臣として権力掌握を狙っていた物と考えられ、秀吉はその路線を大成したといえる。
9865:2007/11/03(土) 14:14:53
>>90
俺の、どのレスに対して、何が言いたいのか解らん。

>>94
関白の権力と将軍の権力は比例関係にない。
天皇権力が衰えれば、関白・将軍の権力が下落するというのならわかるが、
関白は「天皇の代理、代弁者」
将軍は「東国の武士の統率者」
とそれぞれ職務が全く違うし、何よりも、
将軍は徳川時代に至るまで、一人ひとり天皇(あるいは代理の関白)の拝命を受けているあたり、

実力はともかく、認識上、天皇権力>関白権力>将軍権力 で実力があろうが、上の者をないがしろに出来なかったのが実情。
99日本@名無史さん:2007/11/03(土) 14:41:31
当時の認識では、将軍の権力>関白の権力だよ。
実力とは別というが、将軍の意に反する関白がすぐ追放された
りするような状況で、関白独自の権力など、そもそも存在し得
ない。
100日本@名無史さん:2007/11/03(土) 14:55:07
大内の事例
10165:2007/11/03(土) 14:57:39
>>99
当時が何を指しているのか知らんが、
秀吉が関白に就任した当時、将軍は実際的に空位で、比較する権力がないわけだが。

なお関白追放のくだりだが、俺が挙げた近衛事件なら、追放はされてない。
また、このエピソードからは、
信長が将軍支持→関白罷免
信長が関白支持→将軍追放
という、将軍権威も関白権威も大大名次第ということが解る。
つまり、信長や秀吉にとっては、大名を統べる肩書き・名分があったら良かった訳で、
どちらでもいい程度の物であったが、
将軍を滅ぼしてすぐの新将軍就任の謗りや、畿内のみしか制覇していないという現状では、
関白・太政大臣系の肩書きの方が簡易だったという事。
102日本@名無史さん:2007/11/03(土) 15:09:28
上下とか強弱とかいう同列上に語られるもんではないわな。
103日本@名無史さん:2007/11/03(土) 15:15:08
まあ、関白が会長とすれば将軍は社長。会長が代表権を持っていれば会長が上だし、
社長が代表権を持っていれば社長が上。
実力があればどっちでもいいのだが、関白のほうが武家の他にも公家にも統制が利きそうだ。
104日本@名無史さん:2007/11/03(土) 15:22:07
秀吉は卑しい身分の出の劣等感から、高貴な身分の者がなれる
最高職の関白を選んだのでは。
自分が天皇の子だと捏造したとも言うし。
秀吉がそこそこの武家の血筋の出なら普通に征夷大将軍を選んだ
と思う。
105日本@名無史さん:2007/11/03(土) 15:41:15
だから選ぶも何もないんだって、
106日本@名無史さん:2007/11/03(土) 16:39:36
>101
93であげたとおり、前久は「将軍の命にそむいた」という理由で
出奔し免職されているし、在国の理由もそうなっている。
公卿補任に「被違武命」を理由として記されること自体が、関
白よりも将軍の権威が高かったことの傍証でしょう。
107日本@名無史さん:2007/11/03(土) 16:48:06
>>160
関白にしろ将軍にしろ時代によって権威が変わるというだけ。
もちろん関白>将軍の場合もあれば将軍>関白の場合もある。
秀吉が関白になる前はどっちもどっちという感じだろう。
10865:2007/11/03(土) 16:49:20
>>106
>>101五行目以降をどうぞ。
109日本@名無史さん:2007/11/03(土) 16:51:31
秀吉は「関白」も「将軍」も選べたが、家康は関が原後も
豊臣家の家臣でしかなく、秀頼が「関白」を継ぐことが当時の大名に当然と
考えられていた以上。選択肢は「将軍」しかなかった。
110日本@名無史さん:2007/11/03(土) 17:07:09
皆は、秀吉の事を、由緒不明な農民出身と思っているが。俺は違う。
豊臣秀吉(木下藤吉郎)は、藤姓(藤原氏)だったと思う。
しかし、天下を取った時に、由緒が藤原氏なので。
公家や朝廷に配慮して、豊臣氏という新しい氏を作ったと。

だが本来は、藤原氏の末裔。木下藤吉郎は農民出身でも、豪農の農民なので、普通にあり得る。
111日本@名無史さん:2007/11/03(土) 17:24:03
釣り?木下という苗字さえおねの実家からの借り物というのが
いまや通説となっているのに
112日本@名無史さん:2007/11/03(土) 18:08:17
>108
もちろん、それを読んだ上で書いたんですが。将軍の命に反し
たという理由で、勘当をとかれるまでの間京にいられなくなっ
た事を、「追放ではない」とする意味もわかりませんが、それ
以前の話として、関白の権威が復したとする根拠が不明です。
関白が将軍の権威に服した例は前久以前にもいくらでもありま
すが、その逆の例をあげてから、「関白の権威上昇」を論じて
いただけないでしょうか。
113日本@名無史さん:2007/11/03(土) 18:27:12
秀吉が武家関白を選択した理由のひとつは諸大名武家衆の序列形成に
朝廷の官位、家格を利用しようというつもりもあったんでは?
幕府として自分で作るよりも周囲を納得させやすかったんでしょう。
現に五大老は清華成大名とほぼイコールの図式だしさ。
11465:2007/11/03(土) 18:41:37
>>112
勘当をとかれるまでの間、京に居られない?
俺の知る限り、そう書いている本も史料もないのだが、ソースを教えてくれたらありがたい。

で、ひとつ、>>112に聞きたいのだが、
将軍権威>関白権威という事を主張するのは一向に構わんが、
秀吉が秀吉が将軍に任官するか、関白に任官するかという時、
将軍位は事実上空位だったわけだが、誰(将軍)と関白を比べるの?
毛利の鼻摘み者的な客分の人間と、信長や秀吉の援助で朝廷での地位を再確立した前久を比べれば良いわけ?

でな、最後に、俺は『関白の権威上昇』なんて、論じてないわけだが、人違いではないか?
115日本@名無史さん:2007/11/03(土) 18:48:25
>>98
「羽柴」の下賜によって徳川を家臣化させたということから、その羽柴・豊臣姓を捨て去れば脱豊臣家臣だろってこと
というかそれ以外に徳川が秀頼のしたという根拠が無い
脱豊臣すれば秀頼に遠慮することも無く関白にもなれるが、その選択をしなかった
だからほかに将軍である必然性があるんだろうと
それが世襲の確実性と
116日本@名無史さん:2007/11/03(土) 19:55:58
後世(しかも平和な時代)からの視点だと
どうしても権威を重視しがちだけど
実際には実力があるかどうかが問題なわけで。
当時の人間がここで議論されてるようなレベルで
考えていたとは思えない。
117日本@名無史さん:2007/11/03(土) 20:41:25
> 114
> 俺の知る限り、そう書いている本も史料もないのだが、ソースを教えてくれたらありがたい。
 帰洛の前に、信長の執奏で勅勘がとかれたという話は、例えば「流浪の戦国貴族 近衛前久」に
ありますね。
 後、「将軍と関白」の比較で言えば、「誰と誰」という話では当然ないですよ。大体、元関白にすぎ
ない近衛前久なんて引き合いに出しても意味が無いですし。あくまでも、「将軍の権威」と、「事実
上将軍の家礼であった関白の権威」の比較ですね。「関白の権威上昇を論じていない」といわれる
が、室町〜戦国期にはほとんど無いに等しい「関白の権威」が復活したというのが、あなたの主張
ではないんですか?それとも、まさか「ずっと権威があった」という主張ですか?

 後、>98で
>将軍は徳川時代に至るまで、一人ひとり天皇(あるいは代理の関白)の拝命を受けているあたり
と書いているけど、徳川時代に関白から任命された例なんてありますか?そもそも、関白は天皇
の「代理」ではないんで、()内の記述そのものが無意味ですけどね。
118日本@名無史さん:2007/11/03(土) 20:55:37
どうして秀吉は将軍を選択しなかったんだろうか

119日本@名無史さん:2007/11/03(土) 21:42:10
>>117
島津家文書 永禄13年八月10日にもありますね。
近衛前久は島津貴久とも親交が深くよく書状を出しているが、以下はその内容
「侫人之所行により京都を退座させられ無念之至であること、
信長は分別したが義昭の遺恨により近衛前久の帰洛は叶わない状況となってしまい、
近衛前久は一旦面目を失った今に至っては江州南北・越州・四国衆を悉く一味とし、
近衛前久自身も出張して本意を遂げる覚悟である。」

>>118
幕府という統治形態に魅力を感じてなかったのだろう。
ちなみに幕府自体は征夷大将軍でなくとも開けるけどね。
12065:2007/11/03(土) 23:05:57
>>117
便宜上の表現にまでケチ付け始めたら、まともな議論は出来ないよ。

関白は律令制が滅ぶ明治期まで『名目』上の権威は将軍より上。
もちろん、『実力』でいえば室町期は、将軍が上であった時期である。

で、俺の考え方は、
『実力』でのし上がった信長・秀吉は、全国の大名を統べる為の『名目』、名分を欲しがった。
つまり、実力はもうあるので、あとは名を手に入れて『名実共に』の状態になりたかった。
んで、権力を握るには将軍系と、関白・太政大臣系の二系統がある。

その内、前者は
1.将軍滅ぼして即、将軍になるという反目の種を生まない為、
 (秀吉の場合は一応、義昭将軍任官中でもあるし、一度断られている経緯もあるから)
2.将軍位に名目上必要な関東の地を平定していない
などなどの理由で見送り、関白・太政大臣系の道に付いた。

で、家康はその『名目』を利用して関白より将軍の方が下なんだから、と
反発を受けることなく、武士のリーダーである将軍職に付いたというもの。
121日本@名無史さん:2007/11/03(土) 23:30:05
>>120
秀吉が将軍断られたというのは眉唾だったと記憶してるが
秀吉が将軍になれたなれなかったを論ずる過程で見た記憶がある

織田信長は関東を上野の西部しか治めてないが将軍でもなんでもどうぞと打診されてるから関東平定の必要は無い
将軍以上に権威のある関白にすらなってるんだから将軍を求める必要なかろう

で、その家康は豊臣姓を捨てて源氏に戻して将軍ついてるわけで、名目から言っても脱豊臣以外の何者でもないんじゃね?
豊臣方はこれに反発しなかったんじゃなくて、できなかったというのが実際のところだと思うがね
122日本@名無史さん:2007/11/03(土) 23:35:10
>120
 「関白」と「将軍」に名目上の権威の差はありませんよ。
 「摂政」は事情が別ですが、そもそも「関白」の権威自体、「実力」によって
形成されていったものですから、より実力のある存在によって権威を失う
事があっても、なんら不思議ではありません。
 それを、
> 関白は律令制が滅ぶ明治期まで『名目』上の権威は将軍より上。
と自明のものとして扱うのが、そもそも誤りですよ。
123日本@名無史さん:2007/11/03(土) 23:56:24
そもそも将軍はなろうとしてなるもんじゃあない 
担ぎ揚げられるもの、秀吉に担ぎ揚げられるだけの理由がない
124日本@名無史さん:2007/11/03(土) 23:56:57
>>122
名目上は「関白」が上でしょう。
「関白」の役職は簡単に言えば天皇の代理で正一位。
「皇太子」は関白より下で下座に座る必要があります。
現職のまま正一位になった「将軍」はいません。
12565:2007/11/04(日) 00:02:07
>>121
脱豊臣ではないだろう。
二条城会見の両者の関係を見ても解るし。

>>122
名目上の権威の差がない?何を言っているんだ?
関白は天皇の代理人で、天皇の下で日本の全土、全人民を統括、
将軍は蝦夷討伐に従う東国武士のリーダー。
名目上は明らかに関白の方が上なんだが・・・。位階で見てもそうであるし。

何を以って、関白の名目上の権威が将軍と差がないと仰せで?
126日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:08:36
生前に正一位になった関白もおらん
127日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:13:01
>125
 関白はそもそも「天皇の代理人」じゃないですよ。天皇の代理である摂政と
違って、関白は天皇の補佐、顧問に過ぎません。兼家が自作自演で一座
の宣旨を出すまでは、席次すら最上位ではなかったくらいですし。

 関白の権威は、摂家(とその先祖)代々の「実力」に後からついてきたもの
であって、そもそも明確な職掌もないような虚名に本質的に付随しているも
のではありませんよ。そのことは、摂関の座にほとんどついたことのない
道長の例を考えても明らかです。

>124
> 「関白」の役職は簡単に言えば天皇の代理で正一位。
関白が「正一位」って、どういう冗談ですか?
128日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:14:11
将軍は軍事権を一切天皇から任されている、つまり軍事に於いては天皇の 
代理人と言える、当時、日本を実効支配していたのは武士、ということは 
いわずもがなだわな。
129日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:20:49
「関白」任官時には一座宣下というものを受けますが、これは公家の中で最高位を意味します。
「将軍」は宣下と同時に公家の官職にも任ぜられますが右大臣・大納言・参議などで多く
当然「関白」より下です
130日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:25:07
そもそもの>65
> 関白は日本の最高権力者たる天皇の代理で、位階も正・従一位でないと就任できない。
からして誤りですね。関白の「代理」というのも誤りだし、位階が一位で無いとなれないと
いうのも間違いです。
 歴代の摂関の位階等を調べてもらえばわかると思うけど、摂関になってから従一位に
なっている例は多いです。近衛前久も確か正二位で関白だったはずです。
131日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:30:55
生前に正一位となったのは、藤原宮子(聖武天皇生母)・藤原仲麻呂・
藤原永手・橘諸兄・三条実美の5人だけ。

なお、人間ではないが伏見稲荷大社は正一位。
132日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:40:47
ここでも水戸学じみた「名目」の信奉者が暴れてるのね
133日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:41:07
徳川歴代将軍が生前に有した最高官位

従一位 家康・秀忠・家光・家斉・家慶・家茂・慶喜

正二位 家綱・綱吉・家宣・家継・吉宗・家重・家治・家定  
134日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:44:58
江戸時代の話だが、秀忠、家光の上洛時には、上皇の格式で天皇と対座だったという話ですね。
で、関白以下の公家は下座についていたと。
135日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:58:54
>>132
名目上でも「関白」と「将軍」は同等などという珍説をいう人がいたので熱くなってるのでしょう。

秀吉は信長と同じで「将軍 & 幕府」に魅力を感じてなく、
実際に天正12年に正親町天皇から将軍任官を勧められたが断っていますね。
「将軍」よりも「関白」になるほうがはるかに難事ですし、
将軍になるのは簡単で、義昭は朝廷に働きかけて罷免させればよいし、
源氏じゃないとというなら秀吉に臣従する大名には「源氏」がごろごろで、
養子縁組・家系捏造なんでもござれです。(実際は源氏というのは条件ではありません)
既に実力のある秀吉は武家・公家の両者の頂点に立てる「武家関白」のほうが魅力的だったのでしょう。

13665:2007/11/04(日) 00:59:00
>>125
関白が天皇の代理でない?
天皇が居ないときに、太政官らを取り仕切り、任免するのが関白であっても?

関白がさほど大事な官職でなかったなら、阿衡事件は何故起ったのか知りたい。
関白がさほど大事で無かったなら、何故、上杉謙信は天皇、将軍と並んで関白に会ったのか教えて欲しい。
関白の権威の内実が実力であったというなら、何故、わざわざ秀吉が関白位に付いたのか説明を聞きたい。

>>130
確かに、今思えば、官位相当に相当しない例も多くあったな。
認めるよ。すまなかった。
137日本@名無史さん:2007/11/04(日) 01:03:45
>>125
だから「名目上は」
それ以外に、あの時点で豊臣姓を捨てて源氏に復して将軍になったことに対する理由があるか?
13865:2007/11/04(日) 01:03:56
>>133,134
江戸以降は実力差も定着してきたのか、
将軍>貴族の構図がはっきりしてきたところが或るな。
139日本@名無史さん:2007/11/04(日) 01:06:49
>>137
日本語でおk。
140日本@名無史さん:2007/11/04(日) 01:09:54
>>135
そうですね。武家関白というのは秀吉の求める立場に一番近いと思います。
141日本@名無史さん:2007/11/04(日) 01:19:33
>136
あのー、
> 天皇が居ないときに、太政官らを取り仕切り、任免するのが関白であっても?
摂政と間違えていませんか?
 後、「阿衡事件」が「関白の大事さ」とどう関連があるのか説明して欲しいね。
そもそもそれ以前に「関白」が存在したのかどうかもね。それと、「関白の権威
が将軍より下である」ということがなぜ「関白が大事でない」ということになるの
かも。
 大体、田舎では将軍の空名が通用したのと似て、(将軍ほどではないにせよ)
関白の虚名も通用したというのは、前久の下向でも明らかですが、だからと
いって「将軍を越えていた」という話とは別ですね。
 秀吉に関してはわからないけれども、そもそも二条、近衛の関白争いにつけ
こんでの話なんで、最初から計画していたかどうかは疑わしいでしょう。

 最後に、将軍も関白も「官」じゃないし、官位相当はありませんよ。関白は内
大臣以上が基本だから、強いて言うなら大臣の「二位」でしょうけど。
142日本@名無史さん:2007/11/04(日) 01:29:01
>>110
昭和区・・・東部は一大学生街&高級住宅街、それ以外は普通の市街地。比較的お手頃
東 区・・・白壁地区は武家屋敷街。地価が高めで旧住民が多く中心部にも近くて便利
瑞穂区・・・概要は昭和区とほぼ同じ。ただし西部と南部の一部地域が少々ガラが悪い
天白区・・・地価は安めで密度も低く一番手が出しやすい。一部地区は公共交通に難点あり
中 区・・・商業地・オフィス街などが多く狭く地価が高い。栄以南は現在マンション増加中
西 区・・・密度は高めだが地価は比較的低く名駅にも近く便利。郊外を暴走族が爆音暴走する!
緑 区・・・新興住宅街が多い。大型店も多く便利だが公教育が荒れ気味。学生ヤンキーが多い
守山区・・・近年開発が進む郊外の住宅地。公共交通に乏しく荒れたヤンキーが多いので少々注意!
中川区・・・西部はヤンキーが多く東部は浮浪者や893が多数。近年自動車犯罪が急増中にて警戒が!
熱田区・・・中区と中村区を併せたような下町。工業地帯が多く粗暴犯や窃盗など犯罪発生率も高い!
北 区・・・市営団地が非常に多く、いささかいわくつきの住民も多い。南区を少し柔らかくした感じ
南 区・・・典型的な下町&工業地区。青少年が荒れ気味。、裏社会関係者も多く住む地域!
港 区・・・暴走族のメッカ。工場地帯であまり住宅環境も良くない。職業柄荒っぽい気性の人も多数!
中村区・・・名古屋一タブーなエリア。裏稼業・ヤクザ・在日・人権関係者などが多く地元民さえ敬遠気味!

芸名・豊臣秀吉こと部落名(本名)・木下藤吉郎の出身区はココ
↓↓↓       
>中村区・・・名古屋のタブーなエリア。裏稼業・ヤクザ・在日・人権関係者などが多く地元民さえ敬遠気味!






143日本@名無史さん:2007/11/04(日) 01:37:45
>>135
>天正12年・・
秀吉びいきの学者からも否定されてるんだが・・・
144日本@名無史さん:2007/11/04(日) 02:10:28
>>143
「多聞院日記」に天正12年に朝廷から参議・近衛大将・征夷大将軍を勧められたが断ったとあるね。
「多聞院日記」は必ずしも正確な事実を伝えているわけではないが、
もし高位の公家関係者からの確実な情報ではなかったとしても、
そういう風聞、あるいは伝聞をなんの疑問を感じることなく記しているということは
血筋とか現将軍の義昭の存在などは当時の人にとっては、何の障害とも思っていなかったことを意味する。。
145日本@名無史さん:2007/11/04(日) 08:24:13
>>139
徳川はなぜ豊臣姓を捨てて源姓として将軍となったのか
こんなのも分からないのか?
146日本@名無史さん:2007/11/04(日) 11:38:25
征夷大将軍と関白の両方やればよかったのにね。
147日本@名無史さん:2007/11/04(日) 13:05:45
豊臣秀吉は何故征夷大将軍になれなかったのか?

理由は簡単
百姓だからw

といっても表面上の出自の話じゃない。
発想が田舎者の百姓そのものだから。
信長は新たな権威を目指していた節があり、それ故朝廷から恐れられていたわけだが
秀吉は既存の官位に執着した。
征夷大将軍と関白を「どっちが上か?」比べただけで判断してる。
信長は新しい物好きで慣習を嫌うから、朝廷を滅ぼさない前提ならば、明確な天皇に次
ぐ地位を新設して織田家が世襲するような要求をしたであろうが、田舎者秀吉は、そこま
でやれなかったw

征夷大将軍が源氏だけのものであるとするならば、新たな官職を織田家専用に新設した
って構わないわけで、合理主義者の信長なら慣例的に源氏専用になってしまった征夷大
将軍より、新しいより強固な権限のある官職の新設に固執しただろう。
立身出世が生き甲斐の田舎者秀吉は、既存の官職の最高位を目指した程度。

信長が天皇に次ぐ地位を獲得していれば、信長によって征夷大将軍に任じられた可能性は
あるよなw
この場合、既存の公家は信長によって根絶やしにされてる。
148日本@名無史さん:2007/11/04(日) 13:28:15
幕閣がそろわないから。
秀頼が2代将軍になっていたら徳川家継よりひどかろう。
149日本@名無史さん:2007/11/04(日) 14:34:21
>>141
摂政ももちろんそうだが、関白も議事任免を取り仕切っているだろう?
違うの?なら、関白がどういう位であると認識しているのか教えて欲しいんだけど。

阿衡事件で、基経が関白位にこだわったのは何故か?という事を言いたいんだな

最後に、普通に将軍も関白も官だろ。令外官ではあるだろうが。


>>145
>>137の前後の文章はノイズ?これのお陰で意味不明だったんだが。
つーか、足利将軍が『源である』という事を強調していた故事を持ち出して、
姓を源にした上で、将軍になったという解釈も出来るわけだが。
150日本@名無史さん:2007/11/04(日) 16:42:16
征夷大将軍というのは、慣習的な資格として東国を抑えなければなれないものらしい。
尊氏も鎌倉押さえて征夷大将軍になった。秀吉は家康に阻まれ東国を性は出来なかった為、
そういう資格の要らない、そして政府を主宰し織田家からも他の大名からも法的に抜け出す事の出来る
関白になった、と言う話もある。
151日本@名無史さん:2007/11/04(日) 17:43:27
信長は同盟者である家康には関東管領に任命せず、上野西部も与えてた滝川一益に関東管領を任命してたね。
家康を関東管領に任命したら、東国を切り取られる恐れがあると判断したから?
152日本@名無史さん:2007/11/04(日) 18:57:44
>>151
信長の頃には家康は関東を押さえていない
三河一国の支配者だった
家康が関東へ行ったのは
秀吉の領地交換によるもの
三河や駿河を手放して関東へ押し込められた
家康ははじめから関東を押さえていたわけではない
秀吉の政策によるもの
秀吉が征夷大将軍になりたく関東を抑えたかったのならば
わざわざ家康に関東をくれてやらないだろう
153日本@名無史さん:2007/11/04(日) 20:26:55
家康が江戸にいた期間は短い。秀吉の死後に政庁である伏見城へ入り、幕府を
開いた後も伏見城で多くを過ごした。秀忠に将軍職を譲ってからは駿府に帰った。
家康は江戸が好きではなかったようだ。
154日本@名無史さん:2007/11/04(日) 20:51:23
秀吉は家康に関東を与えるのを恐れてなかったって事?
駿河・遠江・三河・信濃・甲斐を取り上げて、旧北條領(伊豆・相模・武蔵・上野など)を与えてるが逆に脅威と思わなかったほど家康を舐めてたんじゃね?
155日本@名無史さん:2007/11/04(日) 20:52:10
>>149
だからさ、豊臣姓の授与自体が豊臣家臣の証のひとつ
それを捨てて源姓にしてるってのは明らかな豊臣大名からの離脱
将軍になるだけなら別に豊臣のままでも構わない、むしろその方が豊臣に対する配慮じゃないか?
にもかかわらず源姓に戻して将軍になってる
というか最初は将軍は豊臣への配慮だったのに何で変わってるんだ?
156日本@名無史さん:2007/11/04(日) 20:53:19
>>154
最初は旧北条領を「加増」って約束で北条征伐に徳川を動員した
157日本@名無史さん:2007/11/04(日) 20:58:16
>>149
関白は百官の上に位置して官ではないだろ。

阿衡事件て何だ? 関白位なんてあったか? 
基経がこだわったのは勅文の語句であって「位」ではない。
「阿衡」の語句をきらった基経に天皇が折れて勅文を元に戻しただけの話
158日本@名無史さん:2007/11/04(日) 21:12:13
姓は天皇が与えるものじゃないのかい?
秀長や秀次が豊臣を名乗るのはわかるが、血縁関係や養子縁組もしてない
武将にもくれてやってもいいのかい?
家康は、源→藤原→源 でなかったか?
疑問形ばっかりや。
159日本@名無史さん:2007/11/04(日) 21:28:31
>149
 本来、摂関は原則として陣の定には参加しないはず。
 あなたのイメージしている摂関は、江戸時代に徳川家が朝廷・公家統制のために
摂関の位置づけを変えた後のものだと思います。
160日本@名無史さん:2007/11/04(日) 21:38:54
>>1
猿だったから
161日本@名無史さん:2007/11/04(日) 22:18:47
>>156
「加増」を約束ってマジなの?
それだと約束違反じゃね?
家康は旧領没収されて腹が立たなかったのかな・・・
天正18年辺りの秀吉って主筋の織田信雄を改易して下野に追放したりとやってる事がムチャクチャ
162日本@名無史さん:2007/11/04(日) 22:43:16
>>157
百官云々の前に令外『官』とされる通り、官だろう普通に。

『阿衡』という文句が実質的に関白を指すとわかりながらも、
勅を訂正させるくらい、神経質になる話なんだから、
既に実力はあるはずの基経が、いかに『関白』という名目を欲しがったかが現れている

>>159
確かに、そのあたりは曖昧な知識しかないので、勘弁願いたい。
163日本@名無史さん:2007/11/04(日) 23:03:45
>162
「官」と「職」の定義はいろいろ説があるようで、摂関などは「官」でなく「職」とする説もありますね。
いずれにせよ、摂関の官位相当というのはありません。

後、「阿衡」の詮議の話ですが、そもそも基経以前に「関白」はいないんで、「実質的に関白を指す」
とか「関白という名目を欲しがった」というのは、見当はずれですね。
164日本@名無史さん:2007/11/04(日) 23:54:39
>>161
それが戦国時代です
徳川視点で状況を見てみるといい
北条征伐の関白の兵が全国から終結してる状況で、さらにすでに北条と会戦してる状況で豊臣にはむかえるか?
腹が立っても従う以外に、滅亡を除けば道は無い
165日本@名無史さん:2007/11/05(月) 09:29:13
>>164
それが原因で後に羽柴家を根絶やしにするんだな
166日本@名無史さん:2007/11/05(月) 10:07:35
>>165
豊臣の体制が脆弱だったからじゃね
磐石なものであれば、北条征伐のときに従ったように無理してまで天下を狙わないと思うが
167日本@名無史さん:2007/11/05(月) 12:20:59
秀吉はひょっとしたら羽柴政権が長く保てそうにないとわかってたんじゃね?
伏見城にて死ぬ間際に家康や利家や三成らに秀頼を託してたが、要するに幼少の秀頼は天下人は務まらないだろうから、お前らのうち誰かが天下人になって、世を治めてくれ。そして秀頼の血を絶やさないでほしいと言う事じゃないかな?
本気で羽柴政権が長く続くとは思ってないし誰かに取って代わられるという予想はついてたはず
秀吉自身が織田家から政権を簒奪した上に、徳川とか毛利とか島津とか伊達とか有力大名は粛清せずに残したままで、仮に三成、大野、片桐、増田、長束らが羽柴政権をもりたて関が原の戦が無かったとしても、有力大名らが常に脅かし政権崩壊に繋がる危険な状態だったと思う
168日本@名無史さん:2007/11/05(月) 14:15:56
確か、秀吉が関白宣下を受けたときはまだ北条や島津が反抗していて
天下統一していなかったよね?
それらと討伐するに大儀名文が必要だから関白を選んだのではないか?
関白の命令=勅命に等しいから関白に逆らう者は「朝敵」と言う図式を
秀吉は目論んでいたのでは?戦前まで日本では「朝敵=逆賊」が一番
不名誉だからな。
秀吉に限らず、時の抗争では御旗を利用したことは多いし、信長で
さえ勅命にすがったことがあるからな。
それに比べ、当時の将軍職は将軍が殺されたり、追放されたり誰も
命令を聞かなかったりと著しく権威が低下していたから秀吉の天下統一に
は必要なかったかと。
169日本@名無史さん:2007/11/05(月) 14:50:54
1584年(天正十二年)の段階だと、毛利輝元や上杉景勝は羽柴秀吉に通じてるが、大友宗麟や伊達政宗や長曾我部元親はまだ秀吉には誼を通じてない。
俺が徳川家康なら、大友宗麟に毛利輝元の本国安芸を襲撃してもらって、伊達政宗に春日山を攻めさせ、長曾我部に大坂を襲わせる。
170日本@名無史さん:2007/11/05(月) 17:07:31
>>168
力を持つものが利用すれば自然と権威は復活する
関白が、天皇が、朝廷がそうだろ?
官位をゆすりに来る田舎侍に不満ながらも叙任してた朝廷が、織田、豊臣の意思で権威を急激に回復させたと
そういう意味で権力を持ったものが将軍になって、武力を統べる将軍に言うことを聞かないから討伐しちゃうぞ!でも良いわけで
室町後期の将軍権威は、畿内に影響を及ぼすだけの存在になってた
と、すれば畿内に基盤を持つ秀吉が関白を希求するのも、その影響じゃないかと
昔から都として朝廷-天皇による権威の浸透が長く行われた畿内を統治するには、その朝廷・天皇権威を使うほうが御しやすいと
逆に源氏とか将軍とかは関東を統べるのに適しているから、家康が関東に左遷されたときに源を名乗ったとか
まあ将軍権威も源泉的には朝廷権威なんだが、関東公方とか、鎌倉幕府みたいなのを想起してくれ
171日本@名無史さん:2007/11/05(月) 17:38:30
>>170
秀吉が巷に言われるほど力があったとは思えない。(関白就任時は)
伊達、北条、長宗我部、島津のようにそこそこ力があった大名が
いまだ服従していなかったし、家康に関しても表面上に従っただけで
秀吉にはまだまだ、危ない状況だったと思える。
そこで天皇の権威を利用したと見るのが普通ではない?
将軍も天皇の軍隊の長とも言えるが、その上にいるのが関白。
もし、天皇が幼少だったら秀吉は摂政就任を視野に入れていた
可能性が高い。日本歴史上、国が荒れれば天皇の権威を利用するのは
常。天皇は腐っても鯛。
172日本@名無史さん:2007/11/05(月) 17:57:49
家康は天下取ったときは、豊臣以外の大名を服従させ本当の
天下人になっていたから朝廷の権威はそれほど必要ではなく、
自身が源頼朝の後継者と自負していたから征夷大将軍を選んだかと。
それに比べ、秀吉はまだ天下人ではなく、家康に頭を下げるなど
まだ天下がどう転ぶかわからない状態。
そこで自分が正当な天下人と知らしめるために天皇の補佐人
関白を選んだかと。
173日本@名無史さん:2007/11/05(月) 18:03:49
関白秀吉が関東や九州に遠征していた時、朝廷の事務は
どうなっていたのだろうか?
174日本@名無史さん:2007/11/05(月) 20:48:10
>>171
力も無いものになんで朝廷は関白を許したというんだ?
長宗我部は関白就任してすぐに降伏してるから、そのまるっきり秀吉の影響力が及ばないって書き方はどうなんだ?
さらにいうなら家康が表面的に従ったというのも後年豊臣を滅ぼしたことからの連想じゃないのか?
そもそも、当時の大名・国人の関係なんて利益しだいでいかようにも変わる表面的なものが大前提じゃないのか?
関白が上か将軍が上かは関係ないと思うがね?
関係あるならなら徳川も関白を狙っても良いようなもんだが、実際には将軍を選択してるわけで、より上位で絶対的な支配の確立を狙うなら関白以外にありえないはずじゃないか?
実際には関東一円を支配した圧倒的な権力に裏打ちされた将軍という権威で体制を築いたわけで、実際に必要なのは権力
で、天皇が幼少だったら摂政を選択した可能性が高いって何に基づいての発言なのさ?

>>172
>>171と違う人間だったなら謝るわ
豊臣以外の服従こそ「表面的な」ものじゃないのか?
両者の違いを教えてくれ
徳川が頼朝の後継者と自負していたというのは何に基づいて?
そしてよりともの後継者と自負することと将軍就任の因果関係がいまいちわからん
すくなくとも朝廷に血統の怪しい者を関白に据えさせるのは相当な権力がないとできないと思うんだが?
いや、それ以上に関白になること自体が強い権力の証じゃないのか?
徳川に対しては小牧後に「上洛して服従するか、滅ぼされるか」という最後通牒を行って多様な記憶があるがあいまいだ
どっちにしても関白就任前後なら秀吉のほうが圧倒的な国力だ
そして、支配の正統性を示すためなら将軍でも問題は無く、正当性を示すためだけという点から見たら関白を選択する必然性が無い
175日本@名無史さん:2007/11/05(月) 21:12:34
>>174
誰も真実がわからないのに何1人熱くなっているの?
ここでは、みんながそれぞれの仮説を並べて議論しているだけ
なのに。
あなただけが正しいと思うのなら、歴史を議論する資格はないよ。
176日本@名無史さん:2007/11/05(月) 21:14:09
まだ秀吉が将軍になれた、とか思ってる人がいるのか? 
出自が低かったからなれなかった、で決まり、
177日本@名無史さん:2007/11/05(月) 21:16:36
>>174
>>171はまるっきり秀吉には力がなかったと言うことではなく、
家康が将軍になった時のような力はなかったと言っているんだろ。
どうやったら、まったく力がなかったと読めるんだ?
178日本@名無史さん:2007/11/05(月) 21:20:16
>>174
>>天皇が幼少だったら摂政を選択した可能性が高いって
何に基づいての発言なのさ?

天皇が幼少だったら必然的に摂政になるじゃないか?
171も「天皇が幼少だったら・・」と言っているだろうが?
179日本@名無史さん:2007/11/05(月) 21:28:16
>>家康が表面的に従ったというのも後年豊臣を
滅ぼしたことからの連想じゃないのか?

秀吉が家康に実母や実妹を人質に差し出してでも家康との
対面を求めたのは家康に土下座して自分に従ってくれと
頼んだのに等しいのに、こう言うことを言う根拠が知りたい。
日本史の通説が覆るよな。

180日本@名無史さん:2007/11/05(月) 21:28:38
秀吉は摂政にはなれない、関白になるのとは意味合いが違う、 
181日本@名無史さん:2007/11/05(月) 21:31:33
>>180
じゃあ、天皇が幼少だったら何になっていたの?
182日本@名無史さん:2007/11/05(月) 21:34:14
そのうち>>174は、秀吉が大政所を家康にやったのも徳川幕府の
捏造とか単なる旅行とか言い出すんじゃないか?
183日本@名無史さん:2007/11/05(月) 21:55:30
>>176
と言うより秀吉の出目が低かったから、慣例を無視して
(とりあえず近衛の猶子と形にしたが)関白になるという
とんでもないことができたのかもな。
武家やある程度の一族の出なら、摂家の人間以外に関白になると
言う発想はでなかったと思う。
184日本@名無史さん:2007/11/05(月) 22:11:47
>>175
仮説なら仮説で根拠あるだろ?
無いなら仮設とは言わない、妄想だ

>>177
関白になれるほどの権力だぞ?
十分すぎるほどの力じゃないか

>>178
必然か?
そりゃ秀吉が関白を選択したことからの推測じゃないのか?
関白である必然性の説明にはなってないだろ

>>179
対面じゃなくて、上洛して服従することを求めたんじゃないのか?
ここまでして服従しないならという圧力も当然存在する
てか携帯からなのか知らんが、まとめて、全部の疑問に答えてくれんか?
185日本@名無史さん:2007/11/05(月) 22:20:55
どっちが妄想だが。
186日本@名無史さん:2007/11/05(月) 22:27:07
>>184
権力が完全じゃないからこそ、臣下がなれる極官を望んだと言う
ことはないのか?
権力が完全なら将軍でも十分であるはず。
187179:2007/11/05(月) 22:33:03
>>184
だから、「表面的」の服従を求めたんだろ?
「表面的」な服従じゃなかったら、なんで大政所を人質に
出したんだ?
実母だぞ?力で服従を求める相手に対し人質を出すのは
おかしいだろ?
188179:2007/11/05(月) 22:35:36
北条には人質を出したか?伊達には人質を出したか?
家康と他の大名との服従のさせ方の違いを説明してもらおうか?
189日本@名無史さん:2007/11/05(月) 22:38:10
184は自分に反論しているのは1人だけと本気で思って
いるのだろうか?
190179:2007/11/05(月) 22:40:42
>>家康が表面的に従ったというのも後年豊臣を滅ぼしたことからの
連想じゃないのか?
>>豊臣以外の服従こそ「表面的な」ものじゃないのか?

とにかくこう思っているのはそのスレでは1人だけだろ。
191日本@名無史さん:2007/11/05(月) 22:51:21
普通は力の弱い方が強い方に人質を差し出すものだろ
大政所や朝日姫を差し出した秀吉は、家康を自分より強い者だと認めた何よりの証拠だと思うが
秀吉と家康は形こそは主従関係を結んだけど、実際は協力者ってところじゃないの?
192日本@名無史さん:2007/11/05(月) 22:52:26
家康の上洛と天正14年の北条徳川征伐のための2方面の出兵計画とは関連は
あるんだろうか。
193日本@名無史さん:2007/11/05(月) 22:54:27
>>191
それを全然理解していなんだろう。>>174>>184は。
194日本@名無史さん:2007/11/05(月) 22:57:22
>>186
いや、そもそもその関白になること自体が絶大な権力の証だろ?
すくなくとも当時の秀吉にとっては

>>187
一回家に帰ってpcから次のレスはしてくれるか
俺はそろそろ寝るし
そんでこっちの質問にも答えてくれないか?
次のレスはそれを期待してる
で、それなら関が原後の豊臣系大名も同じじゃないか?
そしてそれを統べるには関白が必要じゃないのか?
豊臣方に関白になれば再び徳川が下位になるという手段を残すのは得策じゃないが
それから大政所送迎に関しては「こちらはこれだけ譲歩してるのに相手は一向に応じようとしない!」と、まあ外交の基本じゃないか?
これで十分な大義名分として再度徳川と戦うお膳立てができる
だからこそ徳川は従ったんじゃないのか?

>>188
北条、伊達はすでに惣無事令違反で征伐できるからな、国力も状況も豊臣に圧倒的に有利
比較としてどうかね
駒木長久手でも池田隊が破られたしな

>>189
一人携帯からか、>>でレスする人物、あとに三人違う人間、あとただあおりたいだけのヤツが一人二人ってところだろうな
で?

>>190
ということはなにか、関が原後の豊臣系大名は徳川に心酔して従ったというのか?
答える前にこっちの注文かなえてくれ
195日本@名無史さん:2007/11/05(月) 22:59:10
秀吉は信長の家臣だが、家康は信長の盟友だった。また、出自の格差も
秀吉の劣等感を強くした。
家康が身分のさして高くない女ばかりを側室にしたのに対して、秀吉は
身分の高い女ばかり漁っていた。
196日本@名無史さん:2007/11/05(月) 22:59:30
>>191
他の従属大名よりは一段違う地位にはあると思うが、実際に惣無事令発布?の段階で上様とてしるし、小牧前後ならともかく、吸収征伐に乗り出すころにはもうはむかえるような関係じゃないだろう
197日本@名無史さん:2007/11/05(月) 23:00:43
将軍と関白には明確な上下関係はないし、武家関白時代以外は将軍の方が基本的に
優位。将軍なり摂関であることで、通常の官、位の秩序とは異なる権威となる。
摂関の「一座」が典型だが、室町将軍も、関白も含め自分より官位が高いはずの公家
を伺候させるだけの権威を持っていた。

秀吉、家康がなぜ関白、将軍をそれぞれ選んだのかはわかりようがないが、家康の
場合、秀吉が自分の手で関白の権威を破壊したということの影響はないだろうか。
過去に追放・免職された関白の例はあっても、現任の関白が切腹させられた上に妻
子まで皆殺しいうのは前代未聞だし、それ以前に一座を太閤が占めたままだったと
いう説すらあるらしい。
後者の真偽はよくわからないが、いずれにせよ「武家関白の権威」は完全に地に落ち
てしまったわけであり、わざわざ家康が引き継ぎたくなるようなものでなくなったという
ように思えるが、どうだろう。
198日本@名無史さん:2007/11/05(月) 23:02:28
人質を出すのが外交の基本か?
普通は相手に忠誠を明かす印だぞ。
199日本@名無史さん:2007/11/05(月) 23:07:08
有力なのは 秀吉が源氏の出じゃなかったから。
あの時代、んなものいくらでも改ざんできたと思うけど。間に合わなかったんじゃない?
あと、秀吉は武士の頭領よりも、公家とかに魅力を感じる人だったってのもあると思う。
だから、関白になって朝廷の中で一番位の高い物になりたかった。
農民だったからね。 
 それと、天下統一と言っても、完全にはしてないじゃない。

 ところで、織田氏って平家??
200日本@名無史さん:2007/11/05(月) 23:10:32
>>197
それに関白職を摂家に返すことにより朝廷に貸しを作った
意味もあると言う説もある。
201日本@名無史さん:2007/11/05(月) 23:12:11
>>199
さすがに家康とか前田とかみんな秀吉の出を知っているから
系図の改竄はできないだろう。
202日本@名無史さん:2007/11/05(月) 23:14:12
出自による不可説って学者先生達の中ではどう捉えれられてんだろうか。
通史本を含めていくつか読んでみたけどスルーか明快な否定ばかりで
この説を肯定的に書かれたものはまったく見なかったんだけど。
203日本@名無史さん:2007/11/05(月) 23:27:16
平家は滅亡しました。

いやまあ、平清盛の子孫を名乗っているので平家といえなくもないが…
204日本@名無史さん:2007/11/06(火) 08:51:57
>>197
それだとすでに零落していた関白を持ち出したことの説明ができなくないか?
そもそも一度失墜した権威がだめなら将軍も、朝廷も権威の復活は不可能じゃないか

>>198
人質を出して「ここまで譲歩したんだからお前もしろよ、でなけりゃ交渉決裂だ」と、大義名分と正当性を訴えることができる
人質だすのが目的じゃなくて、崎に譲歩を示して、相手からも譲歩を引き出すことが目的
外交というか交渉といったほうが正確だったかもな

>>202
お前の言ってる説って源氏じゃないと将軍になれないのは間違いって説か?
205日本@名無史さん:2007/11/06(火) 09:24:02
>>201
公家の日記に太閤から聞いた話として
大政所が昔宮中で水汲みの下働きをしたところ天皇の手がつき、
あわてて尾張中村へ帰って秀吉を生んだという話を聞いたとあるぞ
その手の話などいくらでも作れる
だいたい徳川だって急に清和源氏の子孫になったのだから
206日本@名無史さん:2007/11/06(火) 11:20:22
1.秀吉は征夷大将軍になろうとしていたのか
 そうであれば、何故なれなかったのか。
 (1)出自が知られて過ぎていて、系図の改竄が不可能だった。
 (2)足利義昭が剃髪するまで将軍であったこと。
2.征夷大将軍になろうとはしていなかった。
 (1)関白を将軍を凌ぐ地位と考えたのか
 (2)信長が親王を猶子にしたり、安土城への行幸を計画するなどの
  朝廷への政策に影響されたのか。
207日本@名無史さん:2007/11/06(火) 11:53:26
1征夷大将軍になる気はなかった
→同時代史料に秀吉が断ったとある

2征夷大将軍になろうとはしてなかった
おそらくそうだろう。
関白と将軍どちらが上というよりも、将軍足利義昭黙殺効果を狙ったのかも。
摂関は平安時代以来、天皇の補佐役として長らく日本に置かれてきた伝統職だが、
将軍などおらんでも日本は回わっとるわい、みたいな。
信長の朝廷親密政策が秀吉に影響を与えた(秀吉も公家と交わるきっかけになった)
のは事実だと思うが、天皇の行幸そのものは足利義満や足利義政など
征夷大将軍でも行った例があるので行幸目的ではなかったように思う。
208日本@名無史さん:2007/11/06(火) 12:03:49
>>205
あくまでも太閤の寝言の範囲でしょ。
徳川の場合は家康の数代前から小さいながらも大名をやっていたのは
事実だし、その先祖のでは誰もはっきりとわからなかったから
「うちの家系を調べたら実は源氏」が家康が言って改竄でも系図を
出せば、ああそうですかと言うしかない。

しかし、秀吉には藤吉郎時代を知る者が多く改竄に説得力を
持たすのは皆無。だから関白就任の時も系図改竄ではなく
近衛家の猶子と言う形をとったのだろう。
209日本@名無史さん:2007/11/06(火) 12:12:08
>>207
秀吉が将軍を断ったと言う史料とは何?
初耳だが?
210日本@名無史さん:2007/11/06(火) 12:16:16
落胤を言い出したらきりがないからな
そういえば江戸時代の伏見宮家でも
百姓の娘が産み落とした男子が
伏見宮家先代の落とし胤であるとして
急遽迎えられて当主になった例があった
藤吉郎が信長の下働きをしていたところで
実は高貴な人の落胤だったと言い切られればそれまで
逆に変な家系図も残っていないためしがらみがない
211日本@名無史さん:2007/11/06(火) 12:25:04
>>209
つ多聞院日記
212日本@名無史さん:2007/11/06(火) 12:31:33
一方で秀吉が足利義昭に養子を断られたと言う説も根強いから
将軍を断ったと言う話と言うことも数ある説の1つに
過ぎない。
213日本@名無史さん:2007/11/06(火) 12:42:37
>>212
>足利義昭に養子を断られたと言う説

何の史料に出てくるの?
同時代の一次史料?
214日本@名無史さん:2007/11/06(火) 12:45:50
>>213
NHKの「その時時代は」ではそう解説していた。
215日本@名無史さん:2007/11/06(火) 12:46:24
訂正 その時歴史は
216日本@名無史さん:2007/11/06(火) 12:51:19
174=194=204=207乙
217日本@名無史さん:2007/11/06(火) 12:52:31
孫引き(原典に当たらないこと)は日本史研究には禁物w
テレビ番組は視聴率をとるために突拍子もないタイトル掲げたり
解説者の私見をさも定説のようにして放送する
218日本@名無史さん:2007/11/06(火) 12:55:37
>>211
なぜか評価が低くて不満だが、英俊が思い付きででたらめ書くとも思えない
火のないところに煙は立たないし、誰かが英俊の記事の元ネタを伝えた事実は疑いないと思う
朝廷周辺に史料が残ってないのは、かなりのトップシークレットだったため
事情を知る側近筋が遠くはなれた興福寺でここなら安心と思わず口を滑らしたのでは?
219日本@名無史さん:2007/11/06(火) 14:43:09
多聞院日記の天正12年の件はほとんどの人が否定的、
だいたい本能寺以後〜秀吉が関白になるころの史料は天下人
なのに意外と少ない、これは秀吉が自分の都合の悪い書物に
関して激しいまでの焚書を行ったため、そして自分に都合よく
書かせた、
逆説的に考えればこのような史料があるということが彼が将軍
になれなかった証拠ともいえる


220日本@名無史さん:2007/11/06(火) 14:58:58
>>219
秀吉が将軍になれなかったという一次史料まだぁ〜
221日本@名無史さん:2007/11/06(火) 15:03:49
秀吉が関白になったのは、
小牧長久手の戦いでの事実上の敗北が影響している。
軍事的に家康を屈服することに失敗したので、
関白になり政治的に屈服させる必然性が生じた。
と本で読んだことがあるが、
家康が大坂を訪れたのと関白就任の時期が微妙で判断し図らい。
母と妹を人質に差し出しているのもあるし。
また島津氏が九州を制覇しそうな情勢であったために、
家康とは早期に和解する必要があったとも。
さらに秀吉の関白としての特徴は、公家の総領だけでなく、
武家の総領としての機能も有していたとあった。
確かに従来の関白とは異なっていると思う。
いずれにしろ秀吉が信長亡き後異例の昇進を遂げたのは事実であり
朝廷政策に力を入れていたのは間違いない。
222日本@名無史さん:2007/11/06(火) 15:10:11
織田信雄が改易されたのは、尾張・伊勢から三河・駿河の旧家康領地へ
移封を命じれたのだが、信雄が拒否して秀吉の逆鱗に触れたからだよ。
家康が旧北条領に移封されたのは、一から領国経営をし直さなければならないし、
旧北条家の遺臣が残っているから、統治は困難を極める可能性が高いから、
秀吉が敢えて移封させたとも言われてる。家康ぐらいしか統治できる
大名がいなかったというのもあるだろうけど。
223日本@名無史さん:2007/11/06(火) 18:36:12
誰がそんなこと言ってるのか気になって仕方ないが
>一から領国経営をし直さなければならないし、
>旧北条家の遺臣が残っているから、統治は困難を極める可能性が高いから
には反論の余地は無いが、その目的を書いてないよな?
何のためにこんな状況の土地に左遷したんだ?
224日本@名無史さん:2007/11/06(火) 18:38:23
>>216みたいな妄想って怖いな。
225218:2007/11/06(火) 18:38:44
>>219
天正12年記を傍証するものが絶無なのはどうしようもないが
江戸時代の史料にしかでてこない「義昭猶子破談」説のほうが
世間で幅を利かせているのは納得いかんなぁ
「将軍任官拒否」の記事が秀吉の情報操作の結果なら、なぜ興福寺にしか残らなかったのかな?
226日本@名無史さん:2007/11/06(火) 18:43:41
多聞院日記の記述には伝聞によるものもあり一部には信頼性が欠けるものがあると
いわれているのも事実。
だが義昭へ養子申し入れが拒絶されたという林羅山の「後鑑」「豊臣秀吉系譜」の記述も
また信憑性がないものといわれてるのもまた事実。
学者の中には徳川家の威光を高めるために書かれた捏造ものと言い切る人もいる。
227日本@名無史さん:2007/11/06(火) 21:28:32
>>224
君の粘着度の方が普通に怖いよ。
228日本@名無史さん:2007/11/06(火) 21:37:13
>>227
初めてレスしたのに粘着も何も無いだろw
229日本@名無史さん:2007/11/09(金) 10:09:38
>秀吉、家康がなぜ関白、将軍をそれぞれ選んだのかはわかりようがないが、

秀吉は最初、義昭の養子になって将軍職を継ごうとしたんだろ。
秀吉も武臣なんだからそれがふつうであり当然のこと。
しかし断られたから武家のまま関白となることに作戦変更した。
家康はある時期より源氏を自称していたから、ふつうに将軍をめざした。
仮に光秀が天下をとっていたとしてもふつうに将軍職を得ただろう。
230日本@名無史さん:2007/11/09(金) 10:31:21
>>229
なんですぐ3つ上のレスが読めないのかと
231日本@名無史さん:2007/11/09(金) 10:40:13
>>229
>秀吉は最初、義昭の養子になって将軍職を継ごうとした

それを証明する史料は何もないという話をしているのに。
文盲w
232日本@名無史さん:2007/11/09(金) 10:43:05
>1
そもそも問題設定が間違い。なれなかったんではなく、ならなかった。
彼が豊臣関白・徳川将軍体制、つまり大統領と首相に類した国体を
構想していたことは、織豊時代研究では常識。
233日本@名無史さん:2007/11/09(金) 15:29:15
足利義昭の存在が関係あると思う。
養子の話があったのかは別にして、
秀吉が関白になった後に義昭は剃髪している。
なぜ剃髪したのかが鍵を握っているように思える。
秀吉が関白になり武家の総領としても振る舞い始めたため、
ついに諦めがついて剃髪した。
秀吉が義昭に引導を渡すことにならないだろうか。
京を終われた時点で義昭の征夷大将軍はあってないようなものだが、
それでも在位していたわけだから。
とも考えられると思うが。
234日本@名無史さん:2007/11/09(金) 15:39:16
秀吉の実力があれば朝廷を動かして義昭を解任することは簡単。
義昭の前の将軍は田舎から出て来たばかりのあまり実力がない信長でさえも、
朝廷を動かして解任している。
235日本@名無史さん:2007/11/09(金) 16:40:50
実権の伴わない征夷大将軍もいるからね。
鎌倉幕府の摂家将軍、親王将軍なんてまさにそれ。
執権北条氏が滅びたら、親王将軍も出家して鎌倉幕府は終了した。
236日本@名無史さん:2007/11/09(金) 17:39:40
>>231
>それを証明する史料は何もないという話をしているのに。
>文盲w

すぐ上にあるのに。
恐ろしいほどの超文盲w


まず信憑性がないという根拠を示さなければなww
信憑性がないとされる。
信頼性にかくという話。
疑われている。

おまえら、マジどうにもならんぞw
武家が政権を獲る場合、将軍になどならんという話のほうがよほどおかしい。



237日本@名無史さん:2007/11/09(金) 17:44:27
>236
お前の頭がマジおかしい。
2ちゃんねるに来なくていいから、医者に診てもらえ。
238日本@名無史さん:2007/11/09(金) 18:38:03
足利将軍に、養子にしてくれるように頼んだが断られた
というのは、徳川将軍の御用学者である新井白石が
勝手に捏造したもの『豊臣秀吉譜』。
将軍をことさら絶対視することにより、太閤秀吉の地位を矮小化し
実際に将軍となった徳川氏の正当性を主張した。
秀吉が義昭に養子を申し込んだ証拠は皆無。
239日本@名無史さん:2007/11/09(金) 18:50:07
あの人たしか源氏でも平家でもねぇから
関白がお近い
240日本@名無史さん:2007/11/09(金) 18:53:29
徳川家も源氏でも平氏でもなかったがな
信長も藤原だの平だの名乗ったが
実際は越前織田庄剣神社の神官の家の出
241日本@名無史さん:2007/11/09(金) 18:58:49
中央の官職を受けるときには源平藤橘を名乗ったんだよ
どれを名乗るかは好みと時流かな
そういえば前田家は江戸時代菅原氏を名乗っていた
そのために芳春院が創建し、前田家の菩提寺のひとつとなっていた
京都大徳寺芳春院内に江戸時代に立てられた呑湖閣には
菅原道真公が祀られていた
242日本@名無史さん:2007/11/09(金) 19:24:48
>>1
征夷大将軍、、つか各藩主もそうだけど、天照大神や出雲などの古代氏族と縁の無い人は即位出来ないよ
天皇は天照大神からの血統継承者しか即位出来ないのと一緒

カースト制度って言われればそれまでだけど、
そのおかげで、きちんと元始の由来をこうして何千年も遡れる国は日本だけだよ


名だたる豪族氏族達がそれこそ息子を人質やら政略結婚したりしてたのもその為だよ

だから自分の血統は家紋でちゃんと表してた訳だしさ
243日本@名無史さん:2007/11/09(金) 19:29:14
>>240
信長は物部氏族の近江氏だかなんかの系譜じゃなかったかな?
だから安土に城を構えて、朝廷まで移設しようとしたんだと思うよ

光秀は遠山の土岐氏族だから、、

とにかく古代日本から、こういう各藩主の系譜の事まで、ちゃんとわかる書物が江戸時代まではあったんだよ
244日本@名無史さん:2007/11/09(金) 19:32:10
>>243
そんなに長く続いてないよ
古代日本からの系譜があったら
にわか大名なんているはずもなし。
徳川が源氏を名乗ることも、
前田家が菅原氏を名乗ることも不可能。
織田氏と近江氏も関係ないよ。
245日本@名無史さん:2007/11/09(金) 19:34:20
徳川が源氏を名乗ることも、 前田家が菅原氏を名乗ることも不可能。
徳川が源氏を名乗ることも、 前田家が菅原氏を名乗ることも不可能。
徳川が源氏を名乗ることも、 前田家が菅原氏を名乗ることも不可能。
徳川が源氏を名乗ることも、 前田家が菅原氏を名乗ることも不可能。
徳川が源氏を名乗ることも、 前田家が菅原氏を名乗ることも不可能。
246日本@名無史さん:2007/11/09(金) 20:08:55
織田氏は忌部氏。越前織田神社の神官。常識
247日本@名無史さん:2007/11/09(金) 20:54:09
征夷大将軍=東国を軍事的に制覇しないとダメ

小牧・長久手で家康に負けた段階で、短期的には東国は征服できる見込みがなくなったので
方針を変えて関白になった。
248日本@名無史さん:2007/11/09(金) 21:45:16
>>247
勘違いしてるようだが、東国の征服は征夷大将軍の必要条件じゃないよ。
それに小牧長久手は最終的には秀吉の勝利であって、織田信雄は伊賀と伊勢半国を
秀吉に割譲、家康も屈服し秀康を人質に出している。
また、上杉景勝が上洛して秀吉に臣従したと同じ年にやはり上洛して完全に臣従している。
秀吉は西の制圧を優先して北条討伐、奥羽制圧などは後回しにしたが東国の制圧など家康を含めて簡単。
だいたい、関白になるほうが「将軍」になるより難しく、武家関白は日本史上秀吉と秀次の二人だけ。
249日本@名無史さん:2007/11/09(金) 22:05:35
将軍より関白になるほうが難しい、なんていうのはなんの根拠もない戯言、 
だいたい関白になった方法そのものがインチキで認められないものなのに 
どっちが難しいもなにもない、同じ手段を使っても将軍になれるわけではないし
二度目はない
250日本@名無史さん:2007/11/09(金) 23:56:46
>>249
征夷大将軍は簡単だろう。近衛前久の子になって関白宣下を受け公家になっているが、
九条(藤原)頼経を初めとして公家の征夷大将軍も多かったし、実質武家の棟梁であるわけで何の障害もない。
251日本@名無史さん:2007/11/10(土) 00:21:12
いまだに摂家将軍を持ち出す奴がいたのか、幕府は四代将軍には皇族を迎える
つもりだったが断られたためやむなく源氏と縁のある頼経を据えることになった
摂家将軍はあくまでも皇族を迎え入れられなかったための代替策 

秀吉はその藤原も名乗れなくなるのだが
252日本@名無史さん:2007/11/10(土) 01:18:35
幕府を開くのが目的なら近衛大将でもOKだよ。
253日本@名無史さん:2007/11/10(土) 02:14:43
>>251
「名乗れなくなるわけだが」について詳しく
254日本@名無史さん:2007/11/10(土) 02:18:23
>>251
その話は史実ではなく創作では?
255日本@名無史さん:2007/11/10(土) 08:58:07
>>243
>とにかく古代日本から、こういう各藩主の系譜の事まで、ちゃんとわかる書物が江戸時代まではあったんだよ

江戸時代以前?以後?
以後なら偽書の可能性大。
256日本@名無史さん:2007/11/10(土) 10:41:22
>>251
天皇から豊臣姓を賜れば藤原を名乗り続けられないという論法か?
稚戯だな。 
257日本@名無史さん:2007/11/10(土) 17:40:19
>>197
家康が征夷大将軍になったのは、単に頼朝フェチだったと思われ。

権威が完全に地に落ちたのは「流れ公方」の足利将軍も同じ。
関東に政権を立てるんなら「征夷大将軍」しか前例無いじゃん。
258日本@名無史さん:2007/11/11(日) 03:54:04
まあ、明をも征服し、天皇に中国皇帝になってもらうという
野望がある秀吉にとっては、「征夷大将軍」なんてミミッちいだろう。
蛮族征服将軍なんて地位にはなりたくないわな。
信長も「将軍」を断ってるが秀吉と同じ意識かもしれない。
259日本@名無史さん:2007/11/12(月) 02:32:46
確かに中国あたりでは武人が権力を持ってるなんて例外だし、
世界に目を向けていた秀吉にとっては「将軍」なんて肩書きは自分を制約するものでしかない。
260日本@名無史さん:2007/11/12(月) 07:52:56
まあ、秀吉は明の臣下という自覚はあったけどな。
261日本@名無史さん:2007/11/12(月) 07:55:38
つれますか?
262日本@名無史さん:2007/11/12(月) 08:49:09
2分じゃ釣れないだろw
263日本@名無史さん:2007/11/12(月) 10:54:48
>>251
藤原氏の将軍がいたことだって充分「先例」だからね。
藤原氏でも将軍になれた。
頼経は源氏の血をわずかながらに引いているとはいえ、
母方のひいばあさんが頼朝の妹であるという「わずかな」血。
男系では明らかに藤原氏。
母親は西園寺家の出身だった。


264日本@名無史さん:2007/11/12(月) 11:13:16
なれなかったわけじゃなくて、ならなかったと言うのは共通認識みたいですね。
あと、秀吉と家康では出自から来る意識の違いは大きかったのじゃないかと思います。
秀吉に、武士としての自覚がどれだけあったのか?というのは考慮する点ではないかと。
まぁ、学問板にふさわしくない、根拠のない話ではありますが。
265日本@名無史さん:2007/11/12(月) 12:53:21
摂関将軍や源氏将軍は存在したのに、平氏将軍だけは生まれなかったって事なんだね
266日本@名無史さん:2007/11/12(月) 14:13:16
変なのがまぎれてきたな。
姓は藤原と源と平だけなのかと。
豊臣も姓だし。
267日本@名無史さん:2007/11/12(月) 16:30:37
>>264
スレタイ読め
268日本@名無史さん:2007/11/12(月) 16:50:59
スレから外れるが、姓なのに何で豊臣の秀吉って言わないんだろうな。
室町あたりからそんなモンだっけか。
269日本@名無史さん:2007/11/12(月) 18:11:05
豊臣はあくまで姓であって、苗字は羽柴だったわけで
270日本@名無史さん:2007/11/12(月) 18:20:21
>>265
「摂関将軍」て何だよw

それをいうなら藤氏将軍と源氏将軍だろ。あと王氏将軍も入れておこうか
271日本@名無史さん:2007/11/12(月) 19:57:23
「藤氏将軍」て・・・摂家将軍って術語があんだろ
272日本@名無史さん:2007/11/12(月) 20:47:40
別に平氏が将軍になっても良かったんじゃないの?
清和源氏しか将軍になれないだの、源平交代論なんて
単に徳川時代の政治宣伝だろ
273日本@名無史さん:2007/11/12(月) 21:26:21
1です、いろいろご意見ありがとうございます。
私の疑問をもう少し整理すると、豊臣秀吉は身分が卑しかったため、
征夷大将軍になれなかったため関白になった。
武家の棟梁たる征夷大将軍になれなかったため、幕府を開くことが
できずに、豊臣政権は秀吉が亡くなるとすぐに崩壊した。
つまり幕府を開くことが出来ていれば豊臣幕府が永く続いた可能性が
ある…と歴史の授業で習ったおぼえがあるのです。
それで最初のスレに戻って関白になれる人間が、
何故征夷大将軍なれなかったのかが疑問になったのです。
274日本@名無史さん:2007/11/12(月) 22:39:57
そりゃまたバカ教師に当たったもんだな。その教師は幕府とは発足最初から
教科書にでてくる組織図ができてると思い込んでんだろうな。
豊臣政権だって変則的だが「政所−奉行」制の組織萌芽が見られる。
関白だろうが将軍だろうが政権運営が同じなら結果は同じ
275日本@名無史さん:2007/11/12(月) 23:27:11
>>273
関白になった方法がインチキであるわけだからどちらが上だとかは関係ない、
例えて言うなら100万円の物のほうが300万円の物より盗みやすいというわけ
ではないだろ?
276日本@名無史さん:2007/11/12(月) 23:51:46
>>275
秀吉はどちらにもなれるオールマイティの権力があったわけだが、
過去の武家の誰もがなしえなかった「武家関白」に魅力を感じたんだろう。
277日本@名無史さん:2007/11/13(火) 00:33:32
秀吉は、なんで政庁を聚楽第、そして伏見城に置いて大坂に置かなかった
のだろうか?
278日本@名無史さん:2007/11/13(火) 01:25:28
>269
秀吉、秀次が「苗字」として羽柴を意識していたという証拠はなにもない。通称の類もだが、
誰かの家人として主人に届けたとか、書状の宛名として使われたりということがあればわ
かるが、秀吉のような立場の人が苗字を改めたかどうかというのはわからない。
少なくとも秀次が「豊臣秀次」を称したのは、本人の朱印の印文から明らかだが、例えば
大坂の秀頼を指して「羽柴」と本人なり周囲が呼んだ証拠が無ければ、「苗字は羽柴」と
いうことはできない。
当然のことだが、苗字と言うものの性格からして、「本人の称号として意識されていない、
使われていない苗字」というものは有り得ないんだから。
279日本@名無史さん:2007/11/13(火) 01:27:17
>251
> 秀吉はその藤原も名乗れなくなるのだが
「豊臣」賜姓後も藤氏長者は持ったままだったけどね。
280日本@名無史さん:2007/11/13(火) 01:50:06
酷いスレw
281日本@名無史さん:2007/11/13(火) 09:20:22
>>277
秀吉は、天皇の補佐役たる関白である以上、頻繁に参内し、
また都に住む公家たちと折衝を行わねばならず、
大阪ではあまりに不便だから。
ちなみに、関白時代の本拠地は聚楽第。
伏見城は甥の秀次に関白を譲った後、聚楽第を秀次に与えて、
太閤として住んでいたところ。
関白を後見して天皇を裏で操り実権を握るには、
都から離れたところに住んでは意味がない。
ちなみに、秀吉は生前、大阪城に住んだ時期は長くはない。
要塞を施した大阪城が豊臣政権の中心地になるのはむしろ、
秀吉が没し、遺言により遺児秀頼が入城してから。
秀吉本人は伏見城で亡くなっている。
282日本@名無史さん:2007/11/13(火) 09:49:16
征夷大将軍になってしまうと念願の朝鮮出兵は職掌の範囲外になってしまう
ため、あえて関白を選んだ。
283日本@名無史さん:2007/11/13(火) 11:39:49
>281
頻繁に参内というのは江戸時代の関白。
もともとは関白は朝議にもでない。
284日本@名無史さん:2007/11/13(火) 18:33:25
285日本@名無史さん:2007/11/13(火) 22:53:50
>283の補足だが、近衛前久など、現任の関白の身で京を離れ何年も関東に滞在している。
それでも回るのが、この時代の朝廷。
286日本@名無史さん:2007/11/14(水) 01:46:53
王氏って「源氏と国王」の筆者が勝手に言っているだけじゃないの?
287日本@名無史さん:2007/11/14(水) 08:35:10
中国人の将軍のことだよ。
288日本@名無史さん:2007/11/14(水) 09:30:54
姓は天皇が臣下に与えるものだからね。
昭和天皇はヒロヒトがフルネーム。
289日本@名無史さん:2007/11/14(水) 11:16:55
>>285
都で生まれた近衛前久が地方へ行ったのは、
都の安寧のために上杉謙信に上洛を求めるためだった。
ところが謙信に関東を平定してから云々言われてためらわれ、
やむなく関東へ行き、謙信のために尽くした。
越後から関東へ行き再び都へ戻ってくるまで1年ちょっと。
長年いたわけではない。
平穏な時代の関白は都にいて朝議に専念する。
近衛前久が関東に行っていた頃、都では天皇の住む御所の築地が壊れ、
御所内で台所女たちが炊事をしている姿が外から見えたと言うのだから、
天皇の身の安全も何もない、まさに非常事態だった。
290日本@名無史さん:2007/11/14(水) 12:21:57
「朝議」って言われるとどうしても陣定を連想するんだけど
291日本@名無史さん:2007/11/14(水) 12:54:08
>>258のように中国を視野にいれて考えていたのかも
しれないね。
292日本@名無史さん:2007/11/14(水) 13:42:20
むかし平清盛とか言う人が臣下が決して就くことの出来ない
太政大臣とかいう職に就いたという、圧倒的な権力と武力が
あれば前例や些細な抵抗など意味が無いということの
証明ではないか?
293日本@名無史さん:2007/11/15(木) 02:15:56
征夷大将軍について誤謬があると思う。
確かに源氏にっていう慣習はあるが、戦時における臨時職なのねこれ
従四位くらいでも、なれちゃうし、5位のものでも実力があればなれるのね
で、戦が終われば元の官職に戻るのであった。
だから、征夷大将軍にたいしての旨みは秀吉にはなかったわけ。
征夷大将軍=源氏の棟梁=軍事集団の頭
この図式は、あんまり偉くない。秀吉にとっては。
秀吉が目指したものは、国権を握ること。
即ち、朝廷の権威を握ることにあったので、位階の低い将軍職は
必要性がなかった。
これだけのこと。
家康は、あくまでも軍事政権による幕府を開いたにすぎないので
源氏の頂点=武士の頂点であることが必然であった。

294日本@名無史さん:2007/11/15(木) 07:39:58
従五位で将軍か。
295日本@名無史さん:2007/11/15(木) 08:19:11
また源氏信者か
296日本@名無史さん:2007/11/15(木) 17:03:10
>>273
「身分卑しい秀吉」が征夷大将軍にはなれないから関白になったという時点で
なんらかの疑問を持ちませんかね?
297日本@名無史さん:2007/11/16(金) 03:15:59
秀吉は卑しい家の出のままで関白になったのではなく近衛家の猶子になり 
五摂家の一員として関白になったんだよ、この事を踏まえずに、将軍になれた
とか言ってる人はなんなんだろうね?
298日本@名無史さん:2007/11/16(金) 07:57:15
同じ方法で将軍になればいいだけじゃん
299日本@名無史さん:2007/11/16(金) 18:23:03
五摂家の一員は身分が低いので将軍になれませんでした
300日本@名無史さん:2007/11/16(金) 19:46:13
本能寺直前の信長の権力>>関白就任時の秀吉の権力

信長は関白・太政大臣・将軍のどれにでもなれたが
秀吉は無理をして関白になるしかなかった
301日本@名無史さん:2007/11/16(金) 20:21:32
>>298
いや征夷大将軍ごとき、どこぞの養子になんかナランでもなれたと思う。
武士で一番偉い秀吉が、武士のトップの将軍になるのに表立って反対できるヤツなんかいない。

やはり秀吉は、なれる一番上のポストを望んで関白になっただけだろう。
流石に養子じゃ皇族にはなれんから天皇にはならんかったが、もし仮になれるんなら天皇になってたと思われ。

つーか、天皇を超えるために「皇帝」になろうとしたんかな?こっちは農民出身でもなれる。漢とか明とか・・・
302日本@名無史さん:2007/11/17(土) 13:10:43
家康は豊臣家がある以上は武家関白にはなれず「征夷大将軍」にしかなれなかった。
秀吉は国内に敵する者はなくオールマイティの権力なので何にでもなろうとすればなれた。
ところが家康は、関が原後も豊臣家の家老にすぎず、年始の挨拶も大坂城の秀頼が先で、
伏見の家康が後であった。将軍就任後も多くの大名は大坂に参勤しており、
将軍就任は一代かぎりの名誉職的なものと多くの大名(特に豊臣恩顧)は考えていた。
なのでいずれは秀頼が関白に就任して家康の上に立つはずだったわけだ。
303日本@名無史さん:2007/11/17(土) 17:10:32
豊臣姓捨ててからの将軍宣下だからな
豊臣家の家臣の地位は脱してる
304日本@名無史さん:2007/11/17(土) 21:32:50
>何にでもなろうとすればなれた。
なら天皇になるだろう。常考。
305日本@名無史さん:2007/11/18(日) 00:33:51
>>304
普通の日本人なら暗黙に「天皇以外の」という言葉が隠されているのに気づくだろう。
天皇には中国皇帝も兼任してもらうというのが秀吉の予定。
306日本@名無史さん:2007/11/18(日) 03:17:09
天皇になれん理由があるなら
将軍になれん理由や
関白になれん理由というものが
ありそうなことに気付くもんじゃないかな
307日本@名無史さん:2007/11/18(日) 03:43:08
ハイハイ
308日本@名無史さん:2007/11/18(日) 04:08:58
ハイハイしてる赤ん坊には
難しかったかな
309日本@名無史さん:2007/11/18(日) 13:22:18
バーブゥ!
310日本@名無史さん:2007/11/21(水) 13:08:02
ジャッキー・チェンがブルース・リーを超えられなかったように、秀吉は信長を超えられなかったんだよ
311日本@名無史さん:2007/12/04(火) 19:20:17
信長は別に源氏じゃなくても将軍職を打診されたんだから、
秀吉だって別に源氏じゃなくても将軍になろうと思えばなれたんじゃないか?
やっぱり、天下人として公武双方の頂点に立ちたいから、あえて関白の座に就いたんだと思われ。
関白って当時の日本では人間の中で一番偉い人だったんでしょ?
312日本@名無史さん:2007/12/04(火) 23:57:48
なら天皇になるだろう。あるいは中華皇帝に即位して天皇を冊封するとか。
313日本@名無史さん:2007/12/05(水) 03:39:13
天皇になると神々を統轄しないといけなくなるから面倒でしょ。
と言いながらも、ある神に対して命令を出したことがあるらしいが。
314日本@名無史さん:2007/12/05(水) 21:35:41
まぁ、秀吉は外交文書では日本国王を名乗っていたんだから、それだけで当時の秀吉の位置づけがよくわかる。
徳川家康や毛利輝元も天皇から高位高官をもらっていたけど、彼らの主君は天皇ではなくてあくまで秀吉だからね。
結局、秀吉は自分が公家や大名よりも上にいるということをはっきりさせるために、官位というわかりやすい基準を利用しただけ。
公家しか掌握することができない天皇になるメリットなんて全くない。天皇は大名に動員をかけることができないんだから。
315日本@名無史さん:2007/12/08(土) 12:22:03
歴史上、武家で関白になったのって秀吉だけ?
316日本@名無史さん:2007/12/08(土) 15:12:20
秀次
317日本@名無史さん:2007/12/13(木) 18:26:47
関白になったのは公家社会も押さえる必要があったから。
天皇の地位を狙わなかったのは公家社会の反発をおそれたから。
自分の主君が朝廷を甘く見ていたために暗殺されたことを忘れてはいなかったであろう。
318日本@名無史さん:2007/12/14(金) 03:35:39
なれなかったんじゃなくて、ならなかったんだろ。関白になって朝廷を自由に牛耳れるんだから、あえて将軍になって幕府を開く必要がなかった。
逆に、なぜ源頼朝が、足利尊氏が、徳川家康が、わざわざ幕府という、朝廷とは別の政府を開かなければならなかったのかを考えればわかることだよ。
319日本@名無史さん:2007/12/15(土) 22:12:08
>>318
源頼朝が、足利尊氏が、徳川家康が、わざわざ幕府という、朝廷とは別の政府を開かなければならなかったのはなぜ?
320日本@名無史さん:2007/12/16(日) 23:30:16
源頼朝の時代は院政だから、要職に就いても朝廷を牛耳ることはできない。
足利尊氏の時代は南北朝分裂状態だから、そんな朝廷を牛耳っても仕方がない。
徳川家康の時代は豊臣政権だから、豊臣家を差し置いて朝廷を牛耳ることはできない。
321日本@名無史さん:2007/12/23(日) 19:46:56
源頼朝の時代、及び足利尊氏の時代は、ちょうど武士たちが朝廷の政治に嫌気をさしていた時代だから、
新たに朝廷とは別の、武士社会のための政府を開く必要があった。
322日本@名無史さん:2007/12/23(日) 20:02:23
他方、徳川家康の場合はそうではなくて、天下が朝廷から徳川家へ移ったことを示すため、あえて独自の政府を開いた。
要するに、源頼朝と足利尊氏は武家の棟梁として武士たちの利益を守るために幕府を開いたのに対し、
徳川家康は天下人として新たな体制をつくるために幕府を開いた。
323日本@名無史さん:2008/01/21(月) 15:28:52
>>317
>自分の主君が朝廷を甘く見ていたために暗殺されたことを忘れてはいなかったであろう。
そんな事を言っているのは立花先生と歴史小説家と一部戦国オタだけ。
324日本@名無史さん:2008/01/25(金) 22:00:01
絶対になれるだろ。関白に就任し朝鮮に派兵する力の持ち主が、将軍になれないわけがない。
325日本@名無史さん:2008/01/26(土) 10:02:02
結論
秀吉=農民の出

326日本@名無史さん:2008/01/26(土) 10:16:09
山川の日本史教科書では「尾張の地侍」とあるが、いいのか?
327日本@名無史さん:2008/01/26(土) 10:21:36
出自が問題だったなら、関白なんて論外だろ。
将軍になれなかったのではなく、ならなかっただけ。
秀吉の政権構想が、単なる武家政権ではなく、公家も包括した政権だったから。
328日本@名無史さん:2008/01/26(土) 11:11:37
政権構想っつか
単に「ん?関白の方が偉いの?じゃあ関白で。」
て感じなんじゃないかな?きっと。
329日本@名無史さん:2008/01/26(土) 11:36:48
>>320
確か、秀吉は足利義昭に養子縁組を断られたんではなかったっけ?
それで義昭は権大納言だからその上を狙った
330日本@名無史さん:2008/01/26(土) 17:23:32
>>329
既出だが、秀吉が足利義昭に養子縁組を頼んだという
一次史料はどこにもないよ。
331日本@名無史さん:2008/01/26(土) 17:50:57
精子代償軍

やむなく結婚をせざるを得なくなった男たちの集団
332日本@名無史さん:2008/01/26(土) 19:46:18
>>330
そうか、勉強したサンキュ
333日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:26:49
>>327 
出自は問題だよ、秀吉は近衛家の子息として関白になったんだから 
そのことがいまだに理解できない奴が多いな。
334日本@名無史さん:2008/01/26(土) 23:54:59
>>333
出自が問題なら近衛家がどこの馬の骨ともわからん成り上がりものを養子にはしない。
出自が問題で将軍になれないなら、平島公方とか、古河公方とか飼って養子になればいいだけの話。
335日本@名無史さん:2008/01/27(日) 00:48:50
ホントわかってないな、関白になったときは農民?の息子ではなくて近衛家
の息子だったんだよ。
336日本@名無史さん:2008/01/27(日) 01:01:52
だから、農民?の息子が関白の息子?になれるのなら、
どっかの足利分家の息子?にだってなれただろって話でしょ
337日本@名無史さん:2008/01/27(日) 01:17:35
秀吉が関白になった時に使った手法が当時一般的だったわけではない、
つまり養子に入りその養子先の姓になるということは本来認められていない、
はっきり言って掟破りであって二度目はない、例えるなら江川事件みたい  
なもの。
338日本@名無史さん:2008/01/27(日) 01:18:04
実際足利とか斯波とか何とかで零落してた家は山のようにいたわけで
そいつらに金やって養子にさせてもらうことは
極めて容易だったはずだ。もし必要ならね。
実際、喜連川の姫君を犯して、その家系を取り立ててやってなかったっけ。
339日本@名無史さん:2008/01/27(日) 01:22:22
>>337
確かに一度藤原氏になってからまた源氏にはなれなかったかもしれんが。
しかし源氏になりたいのなら藤原氏になる前に源氏になるでしょう?
時期的にそれは難しかった、ってこと?
あまり難しそうには思えないけど
340日本@名無史さん:2008/01/27(日) 01:27:56
>>339 
姓というものは実父のものを引き継ぐのであって養子や婿養子に入って苗字 
が変わっても姓は変わらない
341日本@名無史さん:2008/01/27(日) 01:32:34
>>340
だからさあ実際近衛の時は姓が変ったんでしょ?
そうしたらどこかの足利なり斯波なり細川に養子に入って無理やり姓かえることだってできたのでは?
って言ってるんだが。
何だか埒あかないな・・・
もう寝る。おやすみ
342日本@名無史さん:2008/01/27(日) 02:41:55
他の家に養子に入ってその家をのっとるまで
さすがの秀吉もそんな厚かましいことは
できなかったんだろ
343日本@名無史さん:2008/01/27(日) 07:58:30
>>337
じぁ足利義昭も掟破りになるのか?
344日本@名無史さん:2008/01/27(日) 08:05:55
>>337
上杉謙信も関東管領上杉家の養子だな
345売国マルハン:2008/01/27(日) 08:42:15
2chでパチンコの大手、株式会社マルハン(代表取締役会長 韓 昌 祐、代表取締役社長 鈴木 嘉和、代表取締役副社長 韓 裕)
のスレで ホルコンや遠隔や桜などについて書き込むと工作員(渋谷マルハン社員、マルハンに依頼されたネット工作会社)(仮)
がやってきてスレを荒らしてスレを機能停止させます。(大量のコピペを連投するのでコピペ馬鹿と呼ばれている)
↓↓工作員の荒らしのやり方↓↓
2007/11/03(土)ID:b+XZQwwt0
マルハン難波店http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1146755003/417
マルハン総合スレッドhttp://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187021165/413-416
MPT渋谷パート9http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1197771701/9
2007/11/14(水)ID:IQ2W+BsJ0 2007/11/15(木)ID:Fi5mVWm/0
マルハン総合スレッド 9http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187021165/486-488
マルハン難波店http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1146755003/434-437
ガイア(笑)http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1178977365/490-492
ガイア正社員友の会http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1188211786/134-138

工作員に荒らされ機能停止したスレ
■■■■マルハン総合スレッド 9■■■■http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187021165/
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346日本@名無史さん:2008/01/27(日) 16:05:06
>>344  それ関係ないよ、ズレてるぞ。
347日本@名無史さん:2008/01/28(月) 00:54:37
>346
養子になって、平姓長尾から藤姓上杉になっているわけだから、大いに関係ありだと
思うけど。
348日本@名無史さん:2008/01/28(月) 10:02:26
養子にならずに姓を変えられるんだから別に養子どうこうが問題じゃないんじゃ
349日本@名無史さん:2008/01/28(月) 20:54:42
関白になれるのに、なぜわざわざ将軍にならなければいけないのかって話ですよ。
将軍になるメリット、それは朝廷とは別の政府を開けること。
当時の秀吉にはその必要がなかっただけです、はい。
350日本@名無史さん:2008/01/29(火) 06:38:48
豊臣政権は有力大名の連合で朝廷と別の政府だと思うんだが、 
それと秀吉は公家政治への回帰を目指していたのか?それって明らかに 
時代を逆行してるよな、
351日本@名無史さん:2008/01/29(火) 15:51:00
豊臣政権を構成していたのはそれほど高位でもない大名たちで
別に公家政治への回顧をめざしていたわけでもないだろう
ただ秀吉の脳裏に高貴なものへの憧れは常にあった
それが臣下第一の地位である関白であり
自分がその地位に上り公家と交流することによって
栄華を確かめたかったとかそういうものだろう
豊臣政権を運営していたのは武家であって公家ではない
秀吉が関白であることと公家政権とは関連性もない
352日本@名無史さん:2008/01/29(火) 16:56:04
関白っていうのは今でいう総理大臣であって、将軍というのが軍部の最高位だろ?


日本の国権を握っているのは総理大臣だから、関白のほうが偉いわな。
ただ秀吉は出自が農民だったので武家出身者に馬鹿にされていただけの話だろ?
天皇(みかど)や朝廷はあくまでも中立の立場だから、上洛した武将に位をくれる事しかできんわな。

353日本@名無史さん:2008/01/29(火) 17:10:58
秀吉が目指した公家政権というのは天皇(みかど)の名の元に天下を統一する事であり、地方で無意味な戦争を繰り返す武将や侍などを征伐するところにあった。
小田原征伐、奥州征伐、四国征伐、九州征伐、中国征伐なども天皇に代わり地方を平定するという秀吉の意志が感じ取れる。

354日本@名無史さん:2008/01/29(火) 17:21:53
小田原征伐、奥州征伐、四国征伐、九州征伐、中国征伐などに
秀吉は天皇の勅をもらっていたっけ?
秀吉が目指していたのは天皇主権の国家ではないよ。
主権は武家。
征討を命じるのも秀吉の命令だった。
355日本@名無史さん:2008/01/29(火) 17:21:57
秀吉が戦乱の時代に農民出身者で関白になり政治を動かしたのは天命、立命によるものかもしれないが、晩年の秀吉は気違いになっていたのかもしれない。
天皇を北京に移住させ、自らを東亜帝王と名乗ろうとしていたのだから。
朝鮮出兵の時も石田三成が強く反対をしていたのは事実であったし、豊臣政権が崩壊するのを肌で感じ取っていたに違いない。
また将軍家康も豊臣政権を倒し、新体制を築くために大坂に出陣しているのも歴史的事実。


356日本@名無史さん:2008/01/29(火) 17:41:57
>>350
豊臣秀吉・・・関白、太政大臣
豊臣秀次・・・関白
徳川家康・・・内大臣
羽柴秀長・・・大納言
前田利家・・・大納言
毛利輝元・・・中納言

みんな朝廷の要職だよ。
平家政権も同じく武家政権だったけど、あれも朝廷。
どちらの政権も武家が朝廷を乗っ取った。
戦前に陸軍が内閣を乗っ取ったのと同じようなものだと思う。
357日本@名無史さん:2008/01/29(火) 17:54:16
天皇が出すのは勅許、将軍が出すのは綸旨、御教書だっけ
武家同士は勝手に戦してたわけでなく
足利将軍の綸旨が飛び交ってた
しかし、天皇が○○を討伐せよ との勅許を出せば権威が違うわな
幕末のに錦の御旗だね
358日本@名無史さん:2008/01/29(火) 18:07:28
しかし、朝廷は室町幕府からことごとく権限を取り上げられてしまったわけだが、
その権限は室町幕府滅亡と同時に朝廷に戻ってきたと考えてよいのだろうか。
359日本@名無史さん:2008/01/29(火) 18:24:10
おいおい>>357
360日本@名無史さん:2008/01/29(火) 20:43:40
九州、関東奥州惣無事令は「『天下静謐』を勅命によって命じられた」と書いてあるな。
361日本@名無史さん:2008/01/29(火) 21:54:55
>>352
今の総理の例えなら左大臣が該当で内閣が太政官。
関白は正規な太政官の役職ではない。
362日本@名無史さん:2008/01/29(火) 22:27:26
将軍=総理大臣、関白は衆議院議長ってとこじゃないか。
363日本@名無史さん:2008/01/29(火) 22:31:15
じゃあ摂政は今の何なんだろうねえ

アホな比較で盛り上がるのもいいけどさ
364日本@名無史さん:2008/01/29(火) 22:59:13
>>363
摂政は今も無かったっけ?

>>362
政外だから
関白=内大臣
太政大臣=元老
かな?
どちらにしても、関白は内覧権はあるが本来は太政官に対する権限はない政外。太政大臣も常設ではない。
365364:2008/01/29(火) 23:09:12
スマン、元老も内大臣も今は無いわな。
366日本@名無史さん:2008/01/30(水) 00:18:52
>>362
幕府で総理大臣にあたる人は将軍じゃないよ。
総理大臣にあたる人は、鎌倉幕府なら執権、室町幕府なら管領、江戸幕府なら筆頭老中だよ。
367日本@名無史さん:2008/01/30(水) 00:33:51
関白は今で言えば、衆議院第1党の党首といったところか。
368日本@名無史さん:2008/01/30(水) 00:54:29
天皇=国民
摂関家=政党
太政官=内閣
朝廷=国会・内閣・裁判所公家=政治家・官僚・裁判官
369日本@名無史さん:2008/01/30(水) 10:21:42
征夷大将軍は朝廷の議定には参加せず、普段、
公家たちとは別行動してるんだからさ。
内閣総理大臣ではないよね。
将軍は防衛庁長官。
防衛庁が独立した軍事政権打ち立てて、
別に司法権、立法権、行政権を持っちゃったかんじ。
関白(摂政)が内閣総理大臣。
参議以上の公家が国会議員。
370日本@名無史さん:2008/01/30(水) 11:07:34
一番出世ができるのが関白だからだろ
371日本@名無史さん:2008/01/30(水) 17:09:11
秀吉は京阪で政治をやりたかったんだろう
だから、摂関家と養子縁組をした
失敗は関白になった時点で、誰かを征夷大将軍したほうがよかったじゃないか
たとえば、細川とか喜連川とかを
372日本@名無史さん:2008/01/30(水) 17:19:55
>>371
室町幕府はどこにあった?
373日本@名無史さん:2008/01/30(水) 18:38:36
普通の人と比べて、指が秀吉は6本もあった奇形人間だったからじゃね
374日本@名無史さん:2008/01/30(水) 18:51:51
オンリーワンの将軍より格は上だが、ワンノブ摂家なんだよな。
甲冑よりキンキラキンの装束を着たかっただけとかな。
375日本@名無史さん:2008/01/30(水) 18:53:45
家康と違って秀吉は自分の死後のことには関心が無かったんでしょ
376日本@名無史さん:2008/01/30(水) 19:01:54
関心はあっただろ。
でも、どうせ家康につぶされると諦めてただろうが。
377日本@名無史さん:2008/01/30(水) 19:30:04
>>369
将軍はもっと偉いと思うよ。
なんといっても全国の大名に号令をかけることができるんだから。
はっきり言ってしまえば国王。
かつて大河ドラマ「葵徳川三代」で、将軍秀忠に対し関白が下座に座ってたのを見た記憶がある。
紫衣事件では天皇の勅許も徳川幕府によって簡単に翻されてしまった。
将軍と天皇・関白のどちらが偉いかは明らか。
378日本@名無史さん:2008/01/30(水) 19:46:12
以前にNHKの「その時歴史が動いた」でどっかの先生が、
将軍+源氏長者で関白より格上になると考えられていた、とか言ってた。
379日本@名無史さん:2008/01/30(水) 19:50:19
軍部に逆らうやつは天皇といえども殺す、という勢いの戦前体制のような
実力はあったけども、偉いのとはまたちがう。
380日本@名無史さん:2008/01/30(水) 20:06:53
将軍はただ実力があるだけではないんだよ。
各国の支配者である大名と主従関係を結んでいるんだから。
全国の大名は将軍のためなら命を懸けて戦うが、天皇や関白の言うことなんて聞きやしない。
381日本@名無史さん:2008/01/30(水) 20:18:08
幕末期に将軍家茂が下座に扱われたのはどういうことなんだw
382日本@名無史さん:2008/01/30(水) 20:50:26
>>381
所詮、両職共に太政官の制外だから時の勢力関係で上下が変わる。
383日本@名無史さん:2008/01/30(水) 21:57:40
結局、大名たちにとっては、関白だからとか将軍だからとか関係ないんだよね。
大名が従うのはあくまで自分たちの主君である武家の棟梁。
その棟梁がたまたま関白であったり将軍であったりしただけ。
棟梁は朝廷で事が間に合うと思えば関白や太政大臣に就くだろうし、朝廷じゃ駄目だと思えば将軍に就いて幕府を開く。
どちらにしても大名たちが棟梁である自分に従うことには変わりはないから問題ない。
384日本@名無史さん:2008/01/30(水) 22:17:16
秀吉はおそらく天皇の権威を借りたかったんだろうね。だから天皇に近い関白を選んだ。
だって聚楽第にわざわざ天皇を呼んで、その前で大名たちに自分に対する忠誠を誓わせたんだから。
他方、家康は天皇の権威なんて必要なかった。むしろ独自の体制を築く妨げになる。だから天皇から遠く、かつ幕府を開ける将軍を選んだ。
385日本@名無史さん:2008/01/30(水) 22:50:31
出自コンプレックスのための見栄だな。
386日本@名無史さん:2008/01/30(水) 23:13:12
本当に天皇の権威が全く必要ないのなら
そもそも将軍なんかにはならないのでは?
387日本@名無史さん:2008/01/30(水) 23:36:18
関白の権威が将軍よりないからこその天皇の行幸と言えなくもない。
388日本@名無史さん:2008/01/30(水) 23:42:30
>>386
そんな感じだね。
この場合は天皇の権威ではなく朝廷の権威だな。
そして源氏三家の幕府が朝廷を祭り上げて別政権を造る破道なら、朝廷の権威の中に政権を造る平氏と豊臣氏はある意味傀儡だが王道だね。
389日本@名無史さん:2008/01/31(木) 01:47:56
>377
「幕末の宮廷」によると、秀忠、家光の上洛時、将軍は上皇の格式で天皇に会った
とのこと。当然ながら、関白よりは上座になる。
390日本@名無史さん:2008/01/31(木) 02:02:56
>>386
単に幕府を開く名目が欲しかっただけだと思うよ。
幕府なら鎌倉幕府や室町幕府といったかつての武家政府を正統に引き継いでいることを示せるから。
徳川家が利用したいと思えるほどの権威はもはや天皇にはなかったと思うよ。
だって、江戸時代は将軍の権威を高めるために、逆に任命権者である天皇の低い権威を高めようとしていたくらいなんでしょ?

>>387
秀吉が関白だからこそ天皇は来てくれたんじゃない?
一応関白は天皇の後見役であって、両者は緊密な関係ということになっているわけだから。
391日本@名無史さん:2008/01/31(木) 03:59:12
下手に天皇の権威を高めてしまったばかりに、幕末期に家茂は下座に扱われることに (ry
392日本@名無史さん:2008/01/31(木) 08:00:37
> かつての武家政府を正統に引き継いでいることを示せるから

だから、その「武家政府」ってのは天皇の臣下である「将軍」のことなわけで
要は律令体制っていう権威を利用してるわけだろって言ってるのだが。
393日本@名無史さん:2008/01/31(木) 14:18:59
天皇の臣下だからじゃなくて、源氏の正統な後継者だから権威があったんじゃないか?
394日本@名無史さん:2008/01/31(木) 14:40:04
源氏が権威があるのは、天皇家の末裔だからだろう。
395日本@名無史さん:2008/01/31(木) 14:43:32
大日本帝国と一緒のことだ。天皇の軍隊が、天皇の権威を利用して軍事政権を作ったということだ。
将兵が頭を下げるのは将軍様になるのは仕方ない。
396日本@名無史さん:2008/01/31(木) 16:14:15
>>394
違うよ。源氏政権はいつも朝廷からの収奪に対して武家社会の利益を守ってきてくれたからだよ。
なぜ源頼朝が鎌倉幕府を開いたのか、なぜ足利尊氏が室町幕府を開いたのかを考えればわかることだよ。
397日本@名無史さん:2008/01/31(木) 16:39:29
>>395
将兵は陸軍大将のためではなく天皇のために戦う。
大名は天皇のためではなく徳川将軍のために戦う。
398日本@名無史さん:2008/01/31(木) 18:25:49
>>377
海外には軍事政権が全軍の指揮を取って、
国王すら脅かしている国もあるんだから、
日本の征夷大将軍もそんなもんだと思うよ。
もともと征夷大将軍は天皇の命令により蝦夷を討ち、
その際の軍事統率権を一任される地位だった。
それが時代とともに変化して、
国王すら脅かす軍事政権の棟梁を指すようになっただけ。
399日本@名無史さん:2008/01/31(木) 19:51:48
>>398
全然違うものだと思うよ。
海外の軍事政権の場合、その軍隊は国家や国王の軍隊なわけでしょ。
それに対して、日本の武家社会の場合は、武士団は国家の軍隊でも天皇の軍隊でもなく、あくまで各大名の軍隊なんだから。
で、その大名たちは天皇ではなく徳川様と主従関係を結んでいる。
だから、大名は家臣たちを連れてはるばる江戸まで来て徳川家のために働き、徳川様に何かあった時には全軍を引きつれて馳せ参じなければならない。
400日本@名無史さん:2008/01/31(木) 23:39:15
>>396 >>393
だからねえ、もし本当に源氏の裔であること「だけ」が重要で
朝廷及びそれに付随する権威は全く必要ないならば、
「私は頼朝公の末裔である。私が日本を支配する」などと言って
天皇を潰してしまえば良いだけの話だろ?
そうしないでわざわざ朝廷に(たとえ形ばかりでも)礼を尽くして
官だの位だのを貰うってのは、どう考えても「朝廷の権威を利用してる」としか
言いようがないと思うが??
401日本@名無史さん:2008/01/31(木) 23:42:43
信長が生きていて天皇制を廃していれば、20世紀の天皇独裁によるアジア侵略戦争もなく
日本は今でも国際社会の一員として認められていたのかと思うと、残念で仕方ない。
その点、天皇制を擁護した秀吉の罪は重い。
402日本@名無史さん:2008/01/31(木) 23:58:11
>>401
悪いこと言わんから早いとこ故郷に帰れ
403日本@名無史さん:2008/02/01(金) 00:19:42
>390
> 秀吉が関白だからこそ天皇は来てくれたんじゃない?
江戸時代にも、二条城への行幸があったはず。
404日本@名無史さん:2008/02/01(金) 03:09:02
>>400
源頼朝公は幕府を開くことで武家社会の利益を守った。

>>403
その頃にはすでに徳川将軍が絶対的な存在になっていたんだから、たとえ天皇でも逆らえるわけがない。
405日本@名無史さん:2008/02/01(金) 03:32:12
>>400
徳川家が源氏政権の正統な後継者であることを世に示すためには、先例にならい幕府を開かなければならない。
幕府を開くためには、天皇から将軍に任命されなければならない。
将軍の権威を高めるには、その任命権者である天皇の権威も高めなければならない。
天皇が官位を与えていれば、いかにも天皇に権威があるように見える。
406日本@名無史さん:2008/02/01(金) 04:22:08
鎌倉室町江戸を通じての将軍じゃ
足利義満が一番好きだな
407日本@名無史さん:2008/02/01(金) 12:33:25
天皇は武力を放棄させられていたから生き残れたんだよ
はっきり言って源氏かどうかも疑わしいどこの馬の骨ともしれん娘が
将軍息女というだけで後水尾天皇の中宮にまでのぼり
もうちょっとで徳川将軍家が天皇の外戚になるところだった
身分も何もあったもんじゃない
408日本@名無史さん:2008/02/01(金) 14:04:04
摂関時代や院政時代は貴族のパシリだったのに、武士も出世したもんだ。
409日本@名無史さん:2008/02/01(金) 16:50:47

平清盛公の日本文化の伝統を造りだした、
十二単をはじめ、高貴で多彩な文化性だろ。調べれば錐がない・・
つまり盆地貴族達のまやかし文化を圧倒したってことじゃね
410日本@名無史さん:2008/02/01(金) 17:18:22
>409
平清盛の日本文化の伝統を造りだした?

意味不明・・・
411日本@名無史さん:2008/02/01(金) 19:22:47
>>407
そんなこと言ったら越前の地方豪族にすぎなかった男が大和に連れてこられて大王になった件についてはどう考えるの?
412日本@名無史さん:2008/02/01(金) 21:50:10
継体天皇のことね
413日本@名無史さん:2008/02/01(金) 22:58:54
>>411
そんなこと逝ったら、片田舎の足軽の倅が京に連れてこられて、天皇になった件についてはどう考える?
414日本@名無史さん:2008/02/02(土) 00:18:33
長州部落人大室ポン助のことね
415日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:38:23
誰それ
416日本@名無史さん:2008/02/03(日) 10:43:11
>>411
継体天皇の頃には、まだ現在見るような天皇家は作られていないよね?
東北や南九州は従わず、東国もすき放題。
蘇我氏や大伴氏、物部氏らの大豪族ともそれほど身分差がなくて、
誰に大王の座を取って代わられてもおかしくなかった。
417日本@名無史さん:2008/02/03(日) 14:36:18
>>416
継体天皇は生まれた時は、一応
近江の傍系皇族だよ。
越前ではない。
418日本@名無史さん:2008/02/03(日) 19:42:04
>>416
>近江の傍系皇族

継体天皇の父方である息長氏が
それまでの皇族の血を引いていたかどうかは
かなり眉唾もの
419日本@名無史さん:2008/02/03(日) 22:08:37
>>416
>現在見るような天皇家

現在はそれこそまるっきりお飾りですが?
420日本@名無史さん:2008/02/04(月) 14:14:22
>>419
お飾りじゃなかった時代の方が短い
421日本@名無史さん:2008/02/04(月) 19:04:52
平安時代までは天皇はすべての統治権を無制限に掌握していたんでしょ。
律令体制がまともに機能していたかどうかは別にして。
422日本@名無史さん:2008/02/05(火) 12:39:48
むしろお飾りじゃないのは天武、持統くらいな気もするが
423日本@名無史さん:2008/02/05(火) 15:56:40
法的には鎌倉に幕府ができるまで天皇は全国の統治権を掌握していたはずだよ。
そこから幕府に次々と権限を奪われていき、徳川の時代にすべての権限を奪われた。
424日本@名無史さん:2008/02/05(火) 16:00:48
法的な話とお飾りの話はもちろん別
425日本@名無史さん:2008/02/05(火) 20:11:50
権限を持っている以上はお飾りではないよ。
426日本@名無史さん:2008/02/05(火) 23:05:09
頭悪いの?
お飾りとは自分が有しているはずの権限を自分の意志だけで決めることができない事を言うんだよ。
政治の世界では当たり前の話だろ。
427日本@名無史さん:2008/02/05(火) 23:12:05
法的には明治まで大宝律令が有効だったんじゃない?
その法が守られていたかどうかは別として。
428日本@名無史さん:2008/02/05(火) 23:13:38
偉いっていってもぱっと思いつく限り二通りの解釈ができると思うんだが
ひとつは、より上位の権力者としての偉い
ひとつは、もうちょっとアバウトな、形式的な、身分的な偉い
例えば、現在の天皇は権力は無く前者の意味では偉くないけど、偉い人後者の意味では日本で一番偉いってくくりで文句ないんじゃね
その天皇より後者の意味では偉くはないけど、でも日本で一番権力持ってる総理は、前者の意味では間違いなく日本で一番偉い

偉いでも色んな介錯あると思うんだ
でだ、この理解に立ったときに、お飾りであるか、権限をもっているかは関係ないんじゃね

つまりだ、偉いの定義からはじめるべきじゃね、クソビッチども
429日本@名無史さん:2008/02/05(火) 23:52:43
クソびっちクソ、誰も偉いかどうかなんて話はしていない。権限があるかどうかという話だ
430日本@名無史さん:2008/02/05(火) 23:57:50
うん、よく理解できたね
つまり、すれ違いってことだボケ
431日本@名無史さん:2008/02/06(水) 00:49:52
>>426
お祖父さん(関白)やお父さん(院)の言いなりになっていたとしても、それは単に事実上の問題にすぎないのであって、権限は天皇が握っていたことに変わりはない。
そういうものをお飾りとは言わないよ。
432日本@名無史さん:2008/02/06(水) 00:56:11
要するに、いてもいなくてもいい存在がお飾り。
関白や院は天皇がいなければ何もできないのだから、彼らにとって天皇は単なるお飾りではない。
433日本@名無史さん:2008/02/06(水) 10:47:41
戦国時代があと100年つづいてたら、
マジで皇室は消えてたかもしれないよ。
生活費にも困り、官位や称号を切り売りして
金を貰うしかない状態だったんだから。
食うに困るほど金がなくなれば権威も糞もなくなるのは昔も今も同じ。
その意味で、信長や秀吉が皇室を救ったとさえ言える。
434日本@名無史さん:2008/02/06(水) 19:05:01
秀吉が天皇を聚楽第に招いた時に、大名たちはみな秀吉に付き従ったため、秀吉の行列はこの上もなく華やかなものとなったが、天皇の行列はわずかな側近が付き従うばかりの寂しい行列だった。
しかも、本来なら関白である秀吉が天皇を出迎えなければならない立場なのに、大行列だったために到着が遅れてしまい、先に到着した天皇が秀吉を出迎えるというおかしなことになってしまった。
435日本@名無史さん:2008/02/06(水) 22:40:55
>>431
あんたの独自理論に従えば、「足利義昭はお飾りではなかった。」「室町幕府は最後まで強い指導力を日本中に発揮していた。」ということになるが?
それどころか後南朝も「お飾り」なんかではないという結論にたどり着く。
436日本@名無史さん:2008/02/07(木) 00:08:42
>>431-432によれば
世の中にお飾り社長というのは存在しないんだよ
437日本@名無史さん:2008/02/07(木) 00:18:10
まあ足利の力の強かった時期は
「お飾り」としての権威も低下してたからなあ…
むしろ戦国時代に入れば地方大名に官位売ったりする権利を取り戻して
ちょっと楽になった感じがする
438日本@名無史さん:2008/02/07(木) 01:00:10
皇室断絶のシナリオ

収入がなくなり食うにも困る状態に(←ここまで史実)
→皇居も修理できず荒れ放題
→京都を離れ有力な大名(例えば毛利家)を頼ることに
→各皇族・貴族もみなちりぢりに
→天皇に男子ができず
→遠方にいる宮家からではなく、毛利家から養子を
→男系で皇室は断絶
→毛利家の衰退とともに名実ともに断絶

こんなところか?
いやつくづく戦国時代早く終って良かったよ。
439日本@名無史さん:2008/02/07(木) 01:28:18
>>435
なぜ??
戦国大名にとって室町幕府はあってもなくてもいい存在、つまりお飾りだよ。
ただし、室町幕府の内部に限って言えば、足利義昭は決してお飾りではなかったと思うよ。

>>436
社長が代表取締役なら、その社長はお飾りではない。
代表取締役が社長以外の人なら、その社長はお飾りにすぎない。
440日本@名無史さん:2008/02/07(木) 01:56:50
戦国大名によっては有ったほうがいいのもいるし

代表取締役ではない社長でも政財界にコネがあるとか実務以外に
影響力がある単なる飾りなだけではない場合もある
441日本@名無史さん:2008/02/07(木) 02:01:38
まだわからんのか。お飾りというのは、本来ならその組織でリーダーシップを発揮するはずの立場なり地位にあるのに、別に実権を握っている人物がいて、形だけの形式上の権限しか有していない人のことを言うんだよ。
鎌倉の宮将軍なんかが典型だね。
あと、家康存命中の秀忠とか院政期の天皇とか。
創価学会の会長もそうだろ。名誉職に退いたはずの池田大作がいまだに実権を握っているからお飾りだ。
442日本@名無史さん:2008/02/07(木) 03:38:29
院政期の天皇は決してお飾りなんかじゃないよ。
上皇の権力は天皇の絶大な権限に裏づけられていたんだから。
天皇に絶大な権限がなければ上皇の院政は成り立たなかった。
天皇は絶大な権限を持っていた。
ただ単に上皇が父親とかだから、事実上言いなりになってただけ。
443日本@名無史さん:2008/02/07(木) 07:41:22
本当に馬鹿だな。
院政期の実質の日本の国王は治天と呼ばれた上皇。
天皇は単なる見習いでしかない。治天の意志で後継者はおろか何時廃位されるかわからな。
政務は全て治天と摂関の刷り合わせにより行われている。
こういうのをお飾りと言うんだよ。
くだらない漫画ばかり読んでいないでたまには字だけの本読め。
444日本@名無史さん:2008/02/07(木) 09:18:03
秀吉のひのじもでないな
445日本@名無史さん:2008/02/07(木) 13:11:56
>>443
そういうことを言い出したら、徳川幕府の将軍や戦前の天皇までお飾りということになってしまう。
そういうものと今の天皇(これが本当のお飾り)を同じ次元で語るべきではない。
446日本@名無史さん:2008/02/07(木) 18:25:26
秀吉はなぜ将軍職ではなく関白職を選んだのか?それは、秀吉がそれらの官職を天下統一のための手段としか考えていなかったからだ。
つまり、関白でなければ公家や寺社を屈伏させることは難しいが、他方で、将軍にならなくても、武力によって、全国の武家を屈伏させることはできる。
以上により、秀吉は天下統一のためには、関白になることが必要であり、またそれで十分だった。だから、秀吉は関白職を選んだ。
447日本@名無史さん:2008/02/07(木) 18:32:49
『将軍』『関白』、漢字が簡単な方選んだんじゃね?
448日本@名無史さん:2008/02/07(木) 18:38:54
禁中並公家諸法度、寺院諸法度はどのように解釈すればいい?
449日本@名無史さん:2008/02/07(木) 19:17:18
>>448
それはもう天下が統一された後の話だから。
450日本@名無史さん:2008/02/07(木) 19:41:04
2点。妄想です。
451日本@名無史さん:2008/02/07(木) 19:42:07
>>445
それは違うな。お飾りと言う言葉は侮蔑の意味合いが強い。
現在の天皇は、憲法や法律で決められたことをキッチリやっているのでお飾りではない。
本来自分の権限であることを、下の地位にある者から制限を受けて行使できないことをお飾りと言うんだよ。
例えば、行政に疎く、任期が限られた大臣は、あの手この手で官僚にいいように丸め込まれて、自分の権限で政策を決定できないことが多い。こういうのをお飾りと言うんだよ。
今の天皇は政策を打ち出してはいけない。大臣は自ら政策を立案し、官僚を使ってそれを実現しなければならない。
452日本@名無史さん:2008/02/07(木) 20:21:45
>>445
治天の君は、自身も元天皇であり天皇の祖父や父であることが重要。
天皇家の家長であり、自由に行動するため、あえて祭祀などの拘束が多い天皇職を退いただけ。

天皇家の家長で、自身も天皇経験者であり、天皇の直系尊属である以上、
これが本当の日本の君主であるといって何の問題もない。

摂関とか将軍とは全く性格が異なる。院政は天皇政治の一形態にすぎない。
453日本@名無史さん:2008/02/07(木) 20:24:37
>>451
どう言いつくろっても、現在の天皇は実権のない単なる傀儡だがな。
454日本@名無史さん:2008/02/07(木) 20:27:44
>>451
大臣が権限を行使するのに官僚の許可なんていらない。
それに対して、天皇は内閣の助言と承認がなければ国事行為すらできないことになっている。
455日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:13:14
「お飾り」論争は思いっきりスレ違い、ほかでやれ。
456日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:19:39
秀吉に
右近衛大将、征夷大将軍、源氏の長者、何とかの別当は
無理だよなぁ
457日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:53:38
清盛より頼朝より信長より秀吉より家康より
足利義満が武家最高最強だと思うんだが
458日本@名無史さん:2008/02/07(木) 22:42:25
武家最高最強は間違いなく徳川将軍。
全国の大名が彼らのために奉公したんだから。
459日本@名無史さん:2008/02/08(金) 03:54:39
>>455
もともと「お飾り」論争なんて成り立ってない。
傀儡とか言ってるレベルの低い話w
460日本@名無史さん:2008/02/08(金) 05:19:52
まあ、天皇が傀儡なのは事実だがなw
461日本@名無史さん:2008/02/08(金) 07:18:14
摂関政治は天皇と摂関家が持ちつ持たれつの関係で、従来言われていたほど
天皇が傀儡だったわけではない。

院政は上にもあるように、天皇がよりフリーハンドを握って専制するための手段で、
天皇(というか天皇家の家長)親政のバリエーションにすぎない。

鎌倉期も権力の及ぶ範囲がしだいに縮小していったが、院政期の延長で実権はある。

執政者の傀儡といえるのは、北朝天皇から現在の象徴天皇まで。
462日本@名無史さん:2008/02/08(金) 07:36:48
鎌倉室町江戸時代も律令制の変容に過ぎず、天皇は権限を維持したまま君臨し続けて下り、お飾りなどではない。
天皇をお飾りにしたがるのはコミンテルンの指示で筆を走らせる曲学阿世のマルクス主義者の学者だ。
463日本@名無史さん:2008/02/08(金) 09:04:18
江戸時代には律令体制はもはや幕藩体制に取って代わられたと考えるべきであろう。
464日本@名無史さん:2008/02/08(金) 18:36:55
否。律令制は生きていた。いわゆる幕藩体制は律令体制を補完する制度に過ぎない。
江戸時代も天皇の権限は生き続け、江戸幕府も律令制の呪縛から逃れることが出来なかった。
結局律令制に引導を渡したのは明治維新であり、天皇制は律令制を超越した永久不滅の制度であることが知らしめられた。
465日本@名無史さん:2008/02/08(金) 19:09:07
そこまで強弁すると、天皇中心主義に凝り固まった天ヲタのタワゴトでしかないな。
466日本@名無史さん:2008/02/08(金) 19:14:23
幕藩体制を律令体制が補完していたんだよ。
江戸時代の天皇ってどんな権限持ってた?
数少ない権限も幕府の同意がなければ何も行使できないんじゃなかったっけ?
467日本@名無史さん:2008/02/08(金) 19:17:20
馬鹿で物知らずが多いなこのスレは、

と書くと自分が利口になったような気がするから不思議だ
468日本@名無史さん:2008/02/08(金) 20:53:42
まあ光格天皇あたりからはぼちぼち…
469日本@名無史さん:2008/02/09(土) 02:11:44
江戸幕府は天皇の光を受けて闇夜を照らす月に過ぎない。
その証拠に幕府の身分秩序は律令官制により成り立っていた。
江戸幕府の全国統治は天皇の権限があって初めて行えたことは常識。
470日本@名無史さん:2008/02/09(土) 03:16:29
はいはい
471日本@名無史さん:2008/02/09(土) 08:51:19
天ヲタのタワゴト
472日本@名無史さん:2008/02/09(土) 14:44:59
対外的には日本国王を名乗りながら、対内的には天皇の臣下に甘んじている辺りに、当時の秀吉の微妙な立場がうかがえる。
473日本@名無史さん:2008/02/09(土) 15:00:38
まあ、明の皇帝の臣下という自覚もあったけどな。
474日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:08:02
結局、徳川家や天皇家に配慮せざるをえない中途半端な天下人だったということ。
475日本@名無史さん:2008/02/09(土) 20:51:44
秀吉が合法的に朝廷内で昇進し政権を奪取したあたりは、
ナチスや日本陸軍の政権奪取のやり方に通じるところがある。
476日本@名無史さん:2008/02/10(日) 17:35:51
明への宣戦布告は誰が最終決定したの?天皇?それとも秀吉?
477日本@名無史さん:2008/02/12(火) 03:32:46
関白になった方が自分の理想の政治が実現できると思ったのだろう。
478日本@名無史さん:2008/02/13(水) 01:11:36
関白と将軍のどちらか好きなほうを選べたとか言っている時点で幻想だから。
479日本@名無史さん:2008/02/13(水) 04:09:08
鳴かぬなら、鳴かせてみせよう、ほととぎす。
当時の秀吉なら、やろうと思えば何でもできただろう。
神にさえ命令を下したほどなんだから。
それまで神に命令できたのは天皇だけだったんだよ。
480日本@名無史さん:2008/02/13(水) 06:35:37
秀吉が将軍職を望めば武士たちは当然反発するだろう、特に上杉や毛利などは
義昭を推戴していただけに引き下がるわけにはいかない。
481日本@名無史さん:2008/02/14(木) 15:50:18
でも上杉も毛利も結局は秀吉の家臣になった。
482日本@名無史さん:2008/02/14(木) 23:19:31
だからあ、将軍の座を狙ったらそういうわけにはいかんだろ、
と言っているのだが。
483日本@名無史さん:2008/02/15(金) 03:52:18
関白の家臣にはなれても将軍の家臣にはなれないってこと?
訳が分からん。
484日本@名無史さん:2008/02/15(金) 04:07:23
関白は天皇の次に偉かったんだよね?
ところで関白秀次より秀吉の方が偉かったんでしょ?
ということは天皇と秀吉はどっちが偉かったんだ?
485日本@名無史さん:2008/02/15(金) 23:57:23
太閤さんに決まってるやろ
なんせ、大阪城にエレベータを作りはったさかい
486日本@名無史さん:2008/02/16(土) 01:04:54
434:日本@名無史さん :2008/02/06(水) 19:05:01 [sage]
秀吉が天皇を聚楽第に招いた時に、大名たちはみな秀吉に付き従ったため、秀吉の行列はこの上もなく華やかなものとなったが、天皇の行列はわずかな側近が付き従うばかりの寂しい行列だった。
しかも、本来なら関白である秀吉が天皇を出迎えなければならない立場なのに、大行列だったために到着が遅れてしまい、先に到着した天皇が秀吉を出迎えるというおかしなことになってしまった。
487日本@名無史さん:2008/02/16(土) 05:12:05
わざとじゃね?
天皇との実力の差を世に見せつけるためにさ。
488日本@名無史さん:2008/02/16(土) 11:03:14
前日に訪問して打ち合わせ済み
489日本@名無史さん:2008/02/16(土) 13:03:36
社会の実質的な支配者である大名たちを朝廷の官職に位置づけることにより、社会秩序の形式と実質を合致させようとした。
そのような指揮をとるためには、自分は将軍ではなく関白になる必要があった。
490日本@名無史さん:2008/02/16(土) 15:34:57
>486
それはガセネタ。
秀吉は自ら内裏まで後陽成天皇を迎えに行き、
また後陽成天皇が聚楽第から帰る際も自ら送って行った。
後陽成天皇聚楽第行幸を描いた洛中図屏風にも、
輿に乗る後陽政天皇の行列の最後尾から、
牛車でお伴をする秀吉の様子が描かれている。
491日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:53:34
いろんな説があるから、どちらが真実なのかは正直わからん。
ただ、関白の地位に権威を持たせようと思ったら、あまり天皇をないがしろにするわけにもゆくまい。
492日本@名無史さん:2008/02/17(日) 02:08:58
> 自分は将軍ではなく関白になる必要があった。
 別に必要は無いでしょう。そもそも、関白になったのも、二条と近衛の
争いに乗じてのものだし。
493日本@名無史さん:2008/02/17(日) 06:29:45
だね、関白って言ったてやってることは武家政治、
494日本@名無史さん:2008/02/17(日) 08:02:57
>>492
争いに乗じて就任したことは秀吉の関白就任の必要性を否定する根拠にはならない。

>>493
関白に就任した秀吉は武家社会だけでなく日本全体を統治したわけだが。
495日本@名無史さん:2008/02/17(日) 14:37:26
院政時代以降、関白が日本全体を支配していたなんて話は聞いたことないが。
496日本@名無史さん:2008/02/17(日) 16:59:29
>>486
後陽成天皇の行幸は天正16年4月。
一方、秀吉は天正15年2月の聚楽第落成以来、
聚楽第に住んでいたのだけど、
秀吉は大名行列を組んで聚楽第へ向かったって、
秀吉はどこで寝泊まりしていて自宅である聚楽第へ
大名率いて帰って行ったの?
矛盾してない?
497日本@名無史さん:2008/02/17(日) 17:08:21
>>496
しおりに武家は伏見集合って書いてあったんだよ
498日本@名無史さん:2008/02/17(日) 19:19:02
>>495
だから秀吉が形式と実質を合致させようとしたと言ってるわけだが。
499日本@名無史さん:2008/02/17(日) 21:15:23
>494
 だから、秀吉が関白になったのは両家の争いに乗じてのことで、最初から
関白を狙っていたわけじゃない。
 関白にならずに君臨していた可能性も十分高かった状況で、後付の「必要
性」を論ずるのは、ナンセンス。
500日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:02:20
いや、チャンスがあればと当然狙っていただろう。
内大臣のままでは限界がある。
501日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:10:29
天下を統治するのに関白職が必要ないなら、なぜ関白職を公家に返さずに甥の秀次に譲ったのかが説明できない。
502日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:46:31
将軍ならなおのこといいだろ。
503日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:50:39
後継者として認知させるため、
504日本@名無史さん:2008/02/18(月) 03:38:09
>>502
将軍に朝廷を牛耳る権限はない。

>>503
それだけなら別に関白職にこだわる必要がない。
505日本@名無史さん:2008/02/18(月) 04:05:39
関白を頂点とした体制を作ったから後継者に関白を譲る
わかりやすいじゃん

秀吉が関白を選択した問題と後継者に関白を名乗らせるのは別のことじゃん

秀吉がうんこ大将軍と名乗ってれば後継者もうんこ大将軍となるだろじゃんじゃん
506日本@名無史さん:2008/02/18(月) 06:05:16
だいたい当時の公家は大名の世話になってたり、秀吉が関白になるのを阻止で
きないくらい無力じゃん、
507日本@名無史さん:2008/02/18(月) 19:07:43
>>505
頂点は関白ではない。頂点はあくまでも主君である秀吉。
大名は関白ではなく秀吉と主従関係を結んでいる。
もちろん関白秀次も秀吉の家臣にすぎない。

>>506
公家は無力だったかもしれないが、寺社は強力だった。
508日本@名無史さん:2008/02/18(月) 20:02:27
寺社は信長の武力によって屈したわけで関白とか関係なくないか?
509日本@名無史さん:2008/02/18(月) 20:21:33
秀吉はなるべく戦争を避けながら相手を屈伏させようとする傾向がある。寺社も関白には逆らえなかったであろう。
もう1つの理由として、大名たちを朝廷の要職に自在に配置するためには、自分が将軍ではなく関白である必要があったであろう。
510日本@名無史さん:2008/02/18(月) 20:26:55
>>508
屈してないよ。焼き討ちにあっても「火もまた涼し」とか言ってたほどなんだから。
511日本@名無史さん:2008/02/18(月) 20:47:24
>>509 
白河法皇の言葉だが「天下の三不如意、賀茂川の水、双六の賽、山法師」 
結局は信長の比叡山焼き討ちや本願寺攻めが効いてるってことだよ、 

大名を要職につけたいならなおさら将軍だと思うが、
512日本@名無史さん:2008/02/18(月) 23:41:41
>>511
だから将軍にそんな権限ないでしょ。
朝廷を仕切ってるのは関白だよ。
513日本@名無史さん:2008/02/18(月) 23:43:12
>509
 後付もいいところだな。大体、
> 寺社も関白には逆らえなかったであろう。
ってなんだ?寺社は昔から逆らいまくっているのに、その程度のことすら知らないのか?
514日本@名無史さん:2008/02/18(月) 23:45:48
>512
代々の室町将軍は、関白を家来として使い走りにしていたんだけどね。
公家たちも、将軍に勘当されればすぐ解官、逼塞、出奔ということになっていたし、
将軍の勘当が即勅勘ということだから。
515日本@名無史さん:2008/02/19(火) 16:40:28
そして代々の徳川将軍も朝廷を仕切りまくりましたとさ

その程度の基礎知識すらないアホの水戸学講義なんて
相手にするだけ無駄ですよ
516日本@名無史さん:2008/02/19(火) 17:05:38
そもそも関白と将軍のどちらでも選べるような状況だったのか? 
517日本@名無史さん:2008/02/19(火) 17:53:42
>>513
それは実力のない公家が関白だった時代の話。秀吉が関白に就いた場合の話をしているわけ。
秀吉にとっては武力によるよりも関白として権限を行使した方がうまくいったであろう、と言ってるわけ。

>>515
大名を朝廷の要職に自在に配置したいなら、その権限をもつ関白に就こうとするのが自然じゃないか?
なぜわざわざ将軍になって事実上の実力だけに頼って朝廷を操作するなどという面倒臭いことをしなければいけないのか?
足利将軍や徳川将軍は将軍という立場上、そういう手段をとらざるを得なかっただけ。
518日本@名無史さん:2008/02/19(火) 18:09:01
そもそも幕府を開く必要がなければ将軍に就く必要もない。
秀吉が天下を統一するにあたっては幕府を開く必要がなかったということ。
いや、逆に幕府を開いてしまったら日本に政府が2つできてしまうことになり、天下を統一したことにならない。
519日本@名無史さん:2008/02/19(火) 18:28:13
反論するのも憚られるほどの大天才登場の巻
520日本@名無史さん:2008/02/19(火) 22:46:59
>>518
武力統一でな。
つーか日本は信長や秀吉が武力侵攻する
とっくの昔に統一されてたつーの。日本各地で小競り合いしてただけ
521日本@名無史さん:2008/02/19(火) 23:30:44
>>520
統一なんてされてないだろ。
各大名が自分たちで勝手に法を決めて自分の領地を支配していたんだから。
しかも勝手に大名を名乗り、勝手に領地を決めていた。
522日本@名無史さん:2008/02/19(火) 23:56:59
>517
関白を誤解しているようだが、本来の関白にはあなたが創造しているような「権限」なんて
のはないよ。
523日本@名無史さん:2008/02/20(水) 00:42:33
関白はオールマイティだよ。
524日本@名無史さん:2008/02/20(水) 15:58:44
関白自体、関白より年上の上皇が権力をもった時点で
かなりの力を削がれていた
秀吉は日本を治める権限の根拠を「関白」という地位に求めただけで、
関白が政治力を発揮するには別に権力が必要。
「関白」だから日本を治められるわけではない。
室町幕府のあとのほうの将軍たちの悲惨さを思えば、
「征夷大将軍」だから日本を治められるわけでないこともまた、一目瞭然。
525日本@名無史さん:2008/02/20(水) 18:37:24
関白を天皇の代理人と言うが将軍だって天皇の代理人だよ、軍事の一切を任さ
れているわけだし、
526日本@名無史さん:2008/02/20(水) 19:30:03
>>522
関白は「天下の万機を関り白す」職ですよ。
当然、公家や寺社に対する支配権を持っています。
527日本@名無史さん:2008/02/21(木) 10:25:53
>>525
将軍がそういう認識をされたのは江戸幕府の大政委任論以後
528日本@名無史さん:2008/02/21(木) 16:42:57
いや頼朝のころからあったよ、
529日本@名無史さん:2008/02/21(木) 19:58:39
将軍は今で言えば戒厳令下の司令長官
530日本@名無史さん:2008/02/21(木) 20:31:32
将軍は今でいえば民間のリーダーだよ。
民間のリーダーが国から独自の政府を開く権限を与えられるというイメージ。
531日本@名無史さん:2008/02/21(木) 22:43:59
東国国家の首長にして
西国その他を従属国化してる感じもする
532日本@名無史さん:2008/02/21(木) 23:03:27
今で言えば広域暴力団の組長
533日本@名無史さん:2008/02/21(木) 23:38:14
>>531
江戸時代は東国じゃなくて全国だけどね。
534日本@名無史さん:2008/02/21(木) 23:52:07
>526
関白はあなたが考えているような支配権など持っていませんよ。お勉強してきてください。
535日本@名無史さん:2008/02/22(金) 01:15:53
★日韓併合の夜の宴にて★

小早川
加藤、小西が
世に在らば
今宵の月を
如何に見るらむ

(朝鮮征伐に参加した小早川、加藤、小西の諸将が健在だったなら
朝鮮が日本のモノと成った今夜の月をどういう思いで見るのだろうか?)


太閤を
地下より起こし
見せばやな
高麗(こま)山高く
昇る日の丸

(秀吉太閤殿下を甦らせらせる事が出来るなら見せたいものだ
朝鮮の山々に高々と翻る日の丸の旗を)
536日本@名無史さん:2008/02/22(金) 09:45:56
>>534
天下の万機といったらすべてを含むんですよ。
律令体制において天皇はオールマイティでした。
関白はその後見役だったわけです。
意味、わかりますね?
537日本@名無史さん:2008/02/22(金) 10:18:25
>>536
支配権をもっているかどうかと、最高権力者というか意志決定者の相談役である、というのはイコールではないんじゃないか
538日本@名無史さん:2008/02/22(金) 19:22:01
>>537
「天下の万機を関り白す」というのは、日本全国あらゆることについて支配を委任されたという意味だよ。
天皇の権限を代理行使しているわけだから、制限なんてあるわけないんだよ。
539日本@名無史さん:2008/02/22(金) 19:44:24
政治的決定の決裁権や太政官以下の役人の支配権はない、
540日本@名無史さん:2008/02/22(金) 21:24:06
>>538
代理行使という表現が適当ならば、それは天皇に属する権利を関白が行ってるだけでしょ
未成年者の遺産相続で、後見人がその資産運用を任されたといっても、その遺産は後見人のものじゃない
541日本@名無史さん:2008/02/22(金) 21:24:35
>>539
天皇は持ってるよ。
天皇の権限を関白が代理行使するんだよ。
542日本@名無史さん:2008/02/22(金) 23:07:25
>538
摂政には天皇の代理の権限があるが、関白には無い。
そんなのは常識だと思っていたが。
543日本@名無史さん:2008/02/22(金) 23:22:05
>>542
天皇が成人前の場合が摂政、成人後の場合が関白。
544日本@名無史さん:2008/02/22(金) 23:38:03
で?
545日本@名無史さん:2008/02/22(金) 23:38:19
>543
摂政は天皇が権限を行使できないから、代理で行使するもの。
関白は天皇が権限を行使するのを補佐するだけ。だから、天皇
と対立した関白は全く無力になるし、摂政と関白では摂政の方が
格としては上。まあ、同時におかれることが有り得ない以上、意味
はないけど。

単に天皇が大人かどうかだけの違いじゃないよ。

どう読んでも、秀吉や家康が変質させた後の、江戸時代辺りの
関白をイメージしているようにしか思えないんだけどね。
546日本@名無史さん:2008/02/22(金) 23:50:10
それは買い被りでしょ
そんな高等なイメージなんて持ってないよ
ただの無知無知プリン
547日本@名無史さん:2008/02/23(土) 01:29:41
>>545-546
なぜわざわざ天皇と関白を対立させる必要があるわけ?
そんな特殊なケースを挙げても仕方ない。
通常は天皇から委任されるから、関白は何でもできるんだよ。
548日本@名無史さん:2008/02/23(土) 01:40:05
>>547
あまり相手にしない方がいいよ。
ただの批判厨だから。
549日本@名無史さん:2008/02/23(土) 01:42:46
ひどい自演を見た
550日本@名無史さん:2008/02/23(土) 03:47:15
>>549
お前に都合の悪い書き込みはみんな自演なのかい?おめでたいな。
551日本@名無史さん:2008/02/23(土) 04:06:18
珍説書いといて批判されたら批判厨呼ばわりのほうが
よほどおめでたいと思うけどな。
552日本@名無史さん:2008/02/23(土) 06:36:59
キター 珍説!やっぱりそうか、こいつアホで有名な秀吉厨、
553日本@名無史さん:2008/02/23(土) 10:21:12
>>551
だから俺じゃないと言ってるだろうが。
そもそも珍説でも何でもないし。
お前が浅学なだけじゃね?
554日本@名無史さん:2008/02/23(土) 10:42:16
ひどい自演よのう
555日本@名無史さん:2008/02/23(土) 10:49:01
しつこいな、お前w
556日本@名無史さん:2008/02/23(土) 10:59:43
それが唯一のとりえのようなもん
557日本@名無史さん:2008/02/23(土) 11:26:34
政治史も何も知らないくせに
「天下の万機を関り白す」とか字義だけ振り回してる奴が
浅学なのは確かだろ
558日本@名無史さん:2008/02/23(土) 12:05:00
天皇の行為を関白が代行する
この解釈に立っても、あくまで天皇があっての関白
>>545でも述べられているように、天皇と対立して、天皇の権力と乖離すれば、関白は何の力ももてない
それは>>547も否定していない

つまり、関白だから支配権、所有権をもっているのではなく、天皇を擁した関白だから、支配権、所有権に影響を及ぼせる
しかし、この支配権、所有権は関白に属するものではなく、天皇に属するもの
なので、上段で述べた、天皇との対立を想定すると、関白は権力を失う

こんな理解で間違ってる?
559日本@名無史さん:2008/02/23(土) 12:18:30
>>557
補佐するだけなら大臣たちがいるだろ。
なぜわざわざ成人した天皇に後見人なんてつけてると思う?
私(天皇)は政治のことはよくわからないから専門家のあなた(関白)にお任せします、ということだよ。
560日本@名無史さん:2008/02/23(土) 12:38:21
>>558
そういうこと。
秀吉は天皇になれないから関白になったまで。
561日本@名無史さん:2008/02/23(土) 12:44:57
ぼくのかんがえたかんぱく
562日本@名無史さん:2008/02/23(土) 13:49:32
>>559
>>558の解釈じゃ違うの?
563日本@名無史さん:2008/02/23(土) 15:08:53
>>561
きみのかんがえたかんぱくとはなんでしゅか?
564日本@名無史さん:2008/02/23(土) 15:11:13
>>563
「天下の万機を関り白す」というのは、日本全国あらゆることについて支配を委任されたという意味だよ。
天皇の権限を代理行使しているわけだから、制限なんてあるわけないんだよ。
565日本@名無史さん:2008/02/23(土) 15:15:23
字義にこだわってる人の見解だけどさ、徐々に変わってきてない?
最初は所有権、次は支配権、そして今はなんでもできる
関白とはこういうものだ!というのを論理立ててまとめたら?
566日本@名無史さん:2008/02/23(土) 15:38:00
>>564
きみのかんぱくをきいてるんでしゅよ?
567日本@名無史さん:2008/02/23(土) 15:44:33
>>565
字義の問題ではない。
所有権なんてどこで言ってる?
568日本@名無史さん:2008/02/23(土) 15:49:04
>>567
こっちも字義を問題にしてないと思うけど?
所有権は言ってなかったね、こりゃ失敬
で、論理立ててまとめてるの?
569日本@名無史さん:2008/02/23(土) 15:56:51
>>566
補佐するだけなら大臣たちがいるだろ。
なぜわざわざ成人した天皇に後見人なんてつけてると思う?
私(天皇)は政治のことはよくわからないから専門家のあなた(関白)にお任せします、ということだよ。
570日本@名無史さん:2008/02/23(土) 16:11:01
>>569
けっきょくきみもおなじいけんということでしゅね
571日本@名無史さん:2008/02/23(土) 16:13:29
中学校からやりなおしてくだちゃいね
572日本@名無史さん:2008/02/23(土) 16:18:06
>>569が正しい。
573日本@名無史さん:2008/02/23(土) 16:19:13
>>567
字義にこだわった見解と言ってるから、字義の問題じゃないよと言ったまで。
「天下の万機を関り白す」というのは単なる字義の問題ではない。
574日本@名無史さん:2008/02/23(土) 16:28:44
おそらく厨学校で「関白は天皇の補佐役」だと教わった知識を後生大事にしてるんだろうね。
でも実際、歴史上政治に首つっこんできた天皇がどれだけいるわけ?
575日本@名無史さん:2008/02/23(土) 16:49:36
例えば宇多とかw
576日本@名無史さん:2008/02/23(土) 16:59:32
むこい自演たこと
577日本@名無史さん:2008/02/23(土) 17:14:40
>>569 etc…は珍説絶叫君とか呼ばれてて戦国板では有名人、 
自分が知らないことや気に食わないことは珍説呼ばわりする変り者
578日本@名無史さん:2008/02/23(土) 17:17:42
お前に都合の悪い書き込みはみんな一人のレスなのかい?おめでたいな。
579日本@名無史さん:2008/02/23(土) 17:18:09
>>573
両者がこだわってない、それでいいでしょ
で、まとめはまだ?
580日本@名無史さん:2008/02/23(土) 17:24:05
ここまで自演乙w
581日本@名無史さん:2008/02/23(土) 17:27:13
>>576-578
自演乙。必死ですな。
582日本@名無史さん:2008/02/23(土) 20:30:41
関白って神様よりも偉かったらしいね。
583日本@名無史さん:2008/02/23(土) 21:17:56
>>582
そうかぁ、だからオールマイティーなんだね。
584日本@名無史さん:2008/02/23(土) 21:29:22
殿上人のうち神様よりも偉いのはどこまで?
585日本@名無史さん:2008/02/24(日) 00:57:09
>569
関白は、天皇の相談役であって「後見人」じゃないよ。
当然、「お任せします」でもないし、「関白」に支配権があるなんてのは、寝言にすら
なっていない。

「関白」の頼通より、関白になったことのない道長の方がはるかに権力があったと
いうことを考えたほうが良いよ。
586日本@名無史さん:2008/02/24(日) 01:24:50
>573
「もうす」の意味は、文字通り「もうす」であって、支配権でもなんでもない。
単に事前に書類を見て意見を述べるだけであり、決裁権の委任を受けてい
るわけでもないし、天皇が決裁権を丸投げしたという事実もない。

藤原道長が関白にならなかった理由を推測する人の中には、権限が曖昧
で、棚上げされる可能性がある「関白」よりも、大臣として明確な職権を根
拠にしようとしたんじゃないか、という人もいますね。
後の時代を例に取るまでも無く、揚名の関白と称した実頼や頼忠の例を
みれば、そういう頓珍漢な異見なぞ出る筈がないんだけど。
587日本@名無史さん:2008/02/24(日) 01:31:18
>>573
自分の考えもまとめられない程度の論理思考力なの?
588日本@名無史さん:2008/02/24(日) 01:33:17
>>585
関白が相談役にすぎなかったということは、天皇自身が権限を振るっていたということだよね?
じゃあ自分自身が前面に出て権限を振るっていた天皇って歴史上どれだけいたわけ?
ちなみに道長に絶大な権力があったのは外戚関係の形成に次々と成功したから。
589日本@名無史さん:2008/02/24(日) 01:49:43
>>588
つ 後醍醐天皇

あ、関白を置かなかったんだっけ?
590日本@名無史さん:2008/02/24(日) 02:28:18
>>588

あのさ、100レス近く上のあたりで
秀吉が関白になったのは支配権が云々言ってた奴は、
現実の政治史上で関白に支配力があるという意味ではなく
(もちろん秀吉まで500年以上の間関白にそんな力はなかった)
制度の建前として支配権があるというつもりだったんだろ?

ならばここで論ずべきは
法制度の形式として関白が相談役に過ぎないのか否かであって、
現実の勢力で藤原氏が天皇家を凌いでいた200年の話をしても
仕方ないんじゃないの?
別の言い方をすれば、自分自身が前面に出て権限を振るって
*いない*関白のほうが歴史上は圧倒的多数なわけでさ。

どちらかに絞ろうよ、法制度の理念の話か、現実の政治史の話か。
591590:2008/02/24(日) 02:30:07
混乱させたら悪いのでことわっておくけど
俺は>>585とも>>586とも>>587とも>>589とも別人ね。
592日本@名無史さん:2008/02/24(日) 03:06:08
>>590
朝廷内では関白が前面に出てるでしょ。
ただ朝廷自体が外部に対して機能しなくなっただけで。
593日本@名無史さん:2008/02/24(日) 03:33:32
支配権が帰属する人とその支配権を具体的に行使する人が違うというのはよくあること。
たとえば、主権は国民に帰属するけれども、その主権を具体的に行使しているのは国会議員だったりね。
594日本@名無史さん:2008/02/24(日) 03:39:27
>>592
いや、朝廷内の話でいいんだけどさ、
「前面」=「群臣の最前列」
では天皇が前面に出てこないのはただのトートロジーなんで、
(朝廷内)最大の権勢が最も長期に渡って存したのは
天皇や治天コミでどの地位だったか、って話にしてください。
595日本@名無史さん:2008/02/24(日) 05:05:49
>>594
権勢のあった期間の長さだけを見ていてもわからない。
難局を乗り切らなければならないときは、当然、政治のプロである関白が朝廷を仕切っていたと考えられる。
596日本@名無史さん:2008/02/24(日) 14:53:18
関白宣言(昭和54年)
さだまさし 作詞/作曲 さだまさし:歌 JASRAC作品コード020-1701-6

お前を嫁にもらう前に  
言っておきたい事がある
かなりきびしい話もするが  
俺の本音を聴いておけ
俺より先に寝てはいけない  
俺より後に起きてもいけない
めしは上手く作れ  
いつもきれいでいろ
出来る範囲で  
構わないから
忘れてくれるな  
仕事も出来ない男に
家庭を守れるはずなどないってことを
お前にはお前にしかできない事もあるから
それ以外は口出しせず
黙って俺についてこい
597関白宣言:2008/02/24(日) 14:54:16
お前の親と俺の親と
どちらも同じだ大切にしろ
姑小姑かしこくこなせ
たやすいはずだ愛すればいい
人の陰口言うな聞くな
それからつまらぬシットはするな
俺は浮気はしない多分しないと思う
しないんじゃないかな 
ま ちょっと覚悟はしておけ
幸福は二人で育てるもので
どちらかが苦労してつくろうものではないはず
お前は俺の処へ家を捨てて来るのだから
帰る場所は無いと思え
これから俺がお前の家
598関白宣言(end):2008/02/24(日) 14:55:09
子供が育って年をとったら
俺より先に死んではいけない
例えばわずか一日でもいい
俺より早く逝ってはいけない
何もいらない俺の手を握り
涙のしずくふたつ以上こぼせ
お前のお陰でいい人生だったと
俺が言うから必ず言うから
忘れてくれるな
俺の愛する女は
愛する女は生涯お前ひとり
忘れてくれるな
俺の愛する女は
愛する女は生涯
お前ただ一人
599日本@名無史さん:2008/02/24(日) 23:23:38
> 政治のプロである関白が朝廷を仕切っていたと考えられる。

な、やっぱり「ぼくのかんがえたかんぱく」だったろ
600日本@名無史さん:2008/02/25(月) 00:27:00
>>599
はぁ?律令誰が作ったと思ってんの?
601日本@名無史さん:2008/02/25(月) 00:31:00
>>599
意味不明。
602日本@名無史さん:2008/02/25(月) 00:46:13
>600
「律令」と「関白」は無関係という突っ込みが欲しいのかな?
603日本@名無史さん:2008/02/25(月) 00:48:34
>592
> 朝廷内では関白が前面に出てるでしょ。
出てませんよ。そもそも、関白は朝議の構成者じゃないし。
604日本@名無史さん:2008/02/25(月) 01:09:57
>>602
律令を作ったのはどこの家だい?

>>603
朝廷といえば普通は天皇の政府のことを指すわな。
605日本@名無史さん:2008/02/25(月) 01:13:56
>>603
前面に出るというのはリーダーシップをとっていることを言っているんじゃないのか?
606日本@名無史さん:2008/02/25(月) 01:39:30
じゃあやっぱり大抵の関白は前面に出てないじゃん
607日本@名無史さん:2008/02/25(月) 04:11:55
そもそもどういう経緯で関白が設置されたのか、もう一度思い出そう。
608日本@名無史さん:2008/02/25(月) 06:31:58
基経の推薦で即位した光孝は彼に感謝すること一通りでなく
奏上はすべてまず基経に見せて相談してから自分に上げる
ようにさせていたので、
次に擁立された宇多も父光孝の遺訓に従い基経を旧来通り
相談役にするよう詔した

>>607は宇多の詔の原文くらい知ってて訊いてるんだろうね
609日本@名無史さん:2008/02/25(月) 13:25:07
必死すぎてワロタw
610日本@名無史さん:2008/02/25(月) 13:49:05
ここまで明らかに否定されてるのに
例も挙げられず誤魔化し通そうと必死過ぎるよな。
611日本@名無史さん:2008/02/25(月) 14:43:30
関白はオールマイティな自作自演なんだよ
612日本@名無史さん:2008/02/25(月) 14:52:32
>>607
どういう経緯で関白が設置されたの?
613日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:15:55
ここまですべて自演乙。
614日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:22:47
>>608
ただの相談役が次々と政策を打ち出せますかね?
会社で相談役といったらただの名誉職ですよ。
615日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:35:07
相談役なわけねーだろ。後見役だよ。
616日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:44:00
>>614 
だからたいがいは大臣を兼務しているのだが、 
何故秀吉が関白になれたのかわかってる?
617日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:45:43
阿衡の紛議の結果、関白は名誉職ではないことが確認された。
618日本@名無史さん:2008/02/25(月) 20:09:10
天皇に奏上される文書に目を通すのは関白ではなくて内覧。
関白は天皇の決裁に参画する。よって、官吏の任免権にも深く関与していた。
そのため中下級貴族はこぞって寄進などして取り入った。
619日本@名無史さん:2008/02/25(月) 20:18:46
>>618
>関白は天皇の決裁に参画する。

まぁ天皇がよほど熱心な人でない限り、事実上の代行だわね。
620日本@名無史さん:2008/02/25(月) 22:32:49
関白の権限をフルに活用すればどれだけのことができるのかということを何よりも秀吉が証明している。
621日本@名無史さん:2008/02/25(月) 22:50:26
太政大臣はスルーですか?
622日本@名無史さん:2008/02/25(月) 23:21:31
>614
> 会社で相談役といったらただの名誉職ですよ。
冗談のつもりにしても下手すぎる。

>618
>620
摂関政治の絶頂ともいわれる藤原道長が関白になっていないということや、
「揚名の関白」の例を考えれば、自分がいかにばかげたことを言っているか
わかりそうなものだけどね。
秀吉自身、関白を辞した後も権力を振るっている(当然、「関白の権限」とや
らとは無縁)し、「関白を追放、切腹」させてすらいるんだが。
後、
>617
「名誉職でないことが確認」なんてされてないよ。関白がはっきりした職掌を
もたないことも、それだけに棚上げされる可能性があることも、散々既出。
623日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:02:15
> 阿衡の紛議の結果、関白は名誉職ではないことが確認された。

勝手に歴史を歪曲しちゃダメ
「阿衡の紛議の結果、関白は位ではなく職であることが確認された。」
ならまだマシだが

というかやっぱり宇多の詔はもちろん
関白職設置の経緯について何も知らんのだね
624日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:43:40
といってる本人が一番その経緯について知らない件
625日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:47:28
「そんな天皇がどれだけいるんだよ」とか
「経緯を思い出そう」とか言っときながら
自分からは経緯も関白の例も一切書かないのなw
626日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:50:25
>>622-623
>摂関政治の絶頂ともいわれる藤原道長が関白になっていない

たまたま運良く外戚関係の形成に成功し、幼少の天皇を担ぐことができたからにすぎない。

>秀吉自身、関白を辞した後も権力を振るっている

関白の地位によらなくても権力を振るえるほど天下人としての立場が確立した後のことだから。
関白に権力がないことの理由にはならない。

>「関白を追放、切腹」させてすらいるんだが。

秀吉が関白より偉かったからにほかならない。
関白より偉い人はいないとは一言も言っていない。

>「名誉職でないことが確認」なんてされてないよ。

基経を怒らせてしまった朝廷は大慌てで名誉職呼ばわりした担当者を処分した。
当然、朝廷が関白を名誉職ではないと認めたことが前提となる。
627日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:57:39
ああいえばじょーゆー

権力者の圧力で関白の地位が揺らぐと前段で指摘しながら、次の段では朝廷の意志によるとする
なんだかね、それなら全て君の言うとおりになるよ、いやホント
628日本@名無史さん:2008/02/26(火) 02:02:16
>>627
何を言っているのか意味不明。
629日本@名無史さん:2008/02/26(火) 02:27:47
>>626
阿衡の紛議は名誉職かどうかでなくて位か職かだと言ってるだろ
文盲かお前は

というかまさか「担当者」の名前も覚えてないのか
630日本@名無史さん:2008/02/26(火) 02:35:06
>>629
阿衡ってどういう意味?
631日本@名無史さん:2008/02/26(火) 02:57:30
意味訊いて何か意味あんの?

阿衡者三公之官坐而論道
阿衡者或稱丞相又名攝政
632日本@名無史さん:2008/02/26(火) 08:42:00
>>628
だろうね
文盲だから理解できないんだよ
633日本@名無史さん:2008/02/26(火) 14:24:33
( ´、_ゝ`)プッ
634日本@名無史さん:2008/02/26(火) 22:31:10
いずれにせよ、関白に「公家を指揮する権限」が生じたのは江戸時代に
幕府がそういう制度を作った後のこと。
秀吉以前の関白にはそんな権限はない。権限があるように見えたのは、
>626自身が書いているとおり、外戚関係等の他の要因によるものでしか
ないし、そういう「権力の源泉」をもたない関白の無力さも、散々既出。
635日本@名無史さん:2008/02/26(火) 22:35:14
> 名誉職呼ばわりした担当者を処分した。
名誉職呼ばわりうんぬんじゃないし、関白に明確な職権を定めて「名誉職でない」という
ようにしたわけでもないんだから、あなたの意見は全く無意味ですね。

そもそも、基経は「なんでも良いからいちゃもんをつけて、自分の意見を通す」という
ことが目的なんで、最初が「関白」だったとしても同じようにいちゃもんをつけ
てきた可能性が高いんじゃないかと思えますけどね。まあ、これは余談ですが。
636日本@名無史さん:2008/02/26(火) 23:31:31
おおよそ>>634-635の言う通りですな
関白は史上3人目で既に無力化していて(>>622)、その後は
外戚その他で力を備えた関白に限って力を振るえている
そして最終的に御堂流が外戚でなくなったらあっという間に
天皇家の家長に権限を奪回されてしまった

ていうか摂関政治は外戚政治、程度なら中学校で習わんか?
無力な関白の例まで踏み込んで習わないから誤解してるの
かもしれんけど

あと一点だけ
>>635
実は最初から既に「関白」です
これは>>626も誤解している疑いがある(とはいえ
626の理解する限りでの経緯を全く具体的に書いてくれない
ので判断つかない)けど
実際の経緯では「阿衡」という言葉の入った詔(A)が出る以前に
「関白」の語の入った詔(B)が出てます
(B)が出て基経が(当時の儀礼通りに)辞退してから(A)が出て、
基経がごねたので(A)を取り消す詔((A)は広相のミス
だったので(B)の通りにやってくれ)が出た、という経緯
つまり、「阿衡」でダメだったから「阿衡」でなく「関白」にしたという
わけではない

だから関白の制度上の職掌を論ずるのに阿衡の紛議を
論じてもあまり意味ないんだよね
まずは最初の詔(B)のほうを論じましょう

と言ってても>>624のように煽ってくるアホがいる件
637日本@名無史さん:2008/02/26(火) 23:52:56
結局さぁ、関白であることは名誉なことである、ってことは誰も文句ないんだよね?
関白職に権力・権限があるかは問題じゃなくて、その名誉は将軍より上なのかが問題なんじゃないの?
638日本@名無史さん:2008/02/27(水) 00:24:01
うわあ、ものすごい話のすり替えだ〜 
639日本@名無史さん:2008/02/27(水) 00:36:17
権限説終了のお知らせなのか?
640日本@名無史さん:2008/02/27(水) 01:22:04
>>636
とかなんとか、必死のパッチで調べてきたんだろw
641日本@名無史さん:2008/02/27(水) 19:13:33
>>637
秀吉にとって関白就任はそんなに名誉なことなのか?
単に名誉が欲しかっただけなら死ぬ間際でもよかったんじゃないのか?
明征服の折りには明の関白に秀次を、日本の関白に秀保を就任させようとしていたらしいが、
それは豊臣家が日明双方の実質的支配権を掌握するためではなかったのか?
642637:2008/02/27(水) 21:13:30
名誉という言葉を使ったのがちょっと失敗だったかな?

「実」で当世第一位なのだから、次に欲しいのは「名」ではないかと。(先のレスでは名誉と書いたけど)

関白と将軍では、名目上どちら格上かということかという議論だったはずが、いつの間にか権限がどうのって話題にズレて来た気がしたのでね。

以下は個人的意見でしかないが、関白に比べて将軍というと、どうしても本質的にその範囲が軍事的な部分にフォーカスされた職に思えるんだよね。
643日本@名無史さん:2008/02/27(水) 22:13:30
>>642
秀吉が関白に就任したことには十分に「実」があったと思われる。
武家に対しては臣下の礼を取らせることにより支配することができるが、公家に対してはそうはいかないため、彼らを支配するには官吏任免権に関与することが必要だが、関白は官吏任免権にも深く関与できるのだから、その必要性を満たすことになる。
さらに、官吏任免権に関与できれば、大名たちを朝廷の役職に配置することができるので、日本の政府を1つに統一することができると同時に、実態を反映した政府にすることができる。
644日本@名無史さん:2008/02/27(水) 22:49:23
明を征服したら後陽成天皇を中国の皇帝に、秀次を中国の関白にしようとしていたことから考えると、秀吉自身は別に「名」にはこだわっていなかったんじゃないか?
645637:2008/02/27(水) 23:28:16
>>644
「天皇と秀次を明の〜」から、なぜ関白の名を欲してなかったと推論できるのか解らないんだけど、もう少し詳しく教えてもらえる?
646日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:37:12
>>645
秀吉が「名」を欲しがる人だったら、真っ先に自分が中国の皇帝になろうとするはず。
また、関白を「名」の対象と見ていたのなら、わざわざ明にまで関白を置こうとするはずがない。
647日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:42:59
>643
室町将軍は公家の任免に口を出しまくっているんだが。
後、関白には「官吏任免権」とやらはないと、何度言われれば理解できるんだ?
関白が関与しているのは、「関白になった人間個人の実力」によるもので、
まともな職掌のない「関白の権限」とやらに依拠してのものじゃない。
648日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:51:23
>>647
権限が定められていない=権限がない、ではない。
天皇についても別に定められているわけではない。
649日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:54:39
>>647
幕府ができたら日本に政府が2つできてしまう。
それでは天下を統一したことにはならない。
650日本@名無史さん:2008/02/28(木) 00:02:33
>648
だから、個人として力のあるものが関白になったにしか力のない「関白」
の権限ってのがいったい何なのか教えてくれ。
力のあるものが関白になれば力があり、力のないものがついたときには
名ばかりになるというのに、「関白の権限が欲しかったから」なんて、いっ
たいどんな寝言だよ。
651日本@名無史さん:2008/02/28(木) 00:55:22
> 天皇についても別に定められているわけではない。

律令って何だろうねえ
652日本@名無史さん:2008/02/28(木) 01:28:00
定められていないということは要するに制約されていないということだろ。
定められていたらそれ以外のことはできないということなんだから。
653日本@名無史さん:2008/02/28(木) 01:33:41
>>650
関白は天皇の決裁に参画することができる。
654637:2008/02/28(木) 01:54:40
>>646
んと、それはあくまで関白・太閤という身分になった後の彼の考えじゃないのでしょうか?

秀吉が、未だ関白と将軍という二つの「名」のどちたも手にしていない時点において、彼がより箔が付くと思ったのはって話です。
本質的には軍事司令官としての将軍よりも、天皇の相談役?代理人?なんでもいいけど、とにかく天皇に最も近しい立場の関白を選んだのかなと。

あ、あくまで上段は私の個人的な推論ですけどね。
そういう風には考えられないのかなと思いましたもので。
655日本@名無史さん:2008/02/28(木) 02:02:28
で、秀吉は実際に天皇の決裁に参画したの?
656日本@名無史さん:2008/02/28(木) 02:31:02
>>654
官職への就任で箔が付くとは思えないが。
事実、秀吉が朝廷最高位の関白に就任した後も歯向かってきた大名は何人もいた。
むしろ全国を平定して天下人になったことが秀吉に箔を付けたのではなかろうか?
657637:2008/02/28(木) 03:40:00
>>656
基本的にはおっしゃるとおりだと思います。
ただ、スレの流れを読んでいて、一番感じたことは当時の「関白」も「将軍」も、その権威とかって話になるとどっちもどっちなんじゃなかろうかと思えるのです。

「全国を平定して天下人になったこと」これがつまり秀吉の「実」でしょう。
しかし、イイトコの子じゃない秀吉にとって、家柄も的にも「名」が立たない。
そこで彼は、ある意味では短絡的ながら「天皇に最も近しい立場である関白」を自ら選んだのではないかと。

この考えに固執しているわけではありませんが、
なんとなく「権威がどう」とか「前例がないから」とか「断られたから」とかそういうのって、なんとなく決定よそとしてしっくりこないナァと思うんですよ。
658日本@名無史さん:2008/02/28(木) 03:52:56
一言。

徳川家康とは正反対。豊臣秀吉・・

権威的なものには非常に弱い、出自が悪い叩き上げの成金ヤクザ。



659日本@名無史さん:2008/02/28(木) 06:55:01
さきの征夷大将軍を生きながらに追放した人間が自ら征夷大将軍になれば悪者のイメージは免れん。
江戸時代の思想学者・富永仲基は仏教研究のフレームワークとして「加上」という概念を用いたが、
信長・秀吉は征夷大将軍の上に天皇・関白を加上したんだと思う。
ところが、ちょっと不都合が起きた。
関白はその役務上天皇の近くに住し国務の諮問に与らなきゃならない。
その為に関白在任中は伏見に住まったのだが、天皇側近としてはともかく、
天下の権力執行者としては不便極まりない。
結果的には関白職は養子に譲り、秀吉は京から大阪へと引き上げ、太閤と呼ばれるに至る。
660日本@名無史さん:2008/02/28(木) 07:08:28
そもそも関白か将軍の好きなほうを選べる立場にあった
わけじゃないだろ、
将軍をただの軍事司令官とか言ってる奴はセンスなさすぎ。
661日本@名無史さん:2008/02/28(木) 08:14:55
選べたよ
藤原姓を名乗って関白
源姓を名乗って征夷大将軍
むしろ武家の場合は
先例のない関白より征夷大将軍のほうがなりやすかったはず
どちらでもどうぞ
662日本@名無史さん:2008/02/28(木) 09:41:29
>源姓を名乗って征夷大将軍
正統である足利義昭の猶子となることを断られている。
どの源氏に取り入るのだ?
663日本@名無史さん:2008/02/28(木) 09:48:59
源氏じゃなきゃ将軍になれないというのは事実誤認的誤り。
さりとて秀吉がなろうと思えば自由に将軍になれたかと言えばそこは疑問符。
664日本@名無史さん:2008/02/28(木) 10:33:56
>653
だから、それは江戸時代の話で、元々はそういう権限はなかった。
665日本@名無史さん:2008/02/28(木) 11:48:53
>>660
「本質的には軍事司令官」と書いてあるのを
「将軍をただの軍事司令官」と脳内変換した
ということか
666日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:02:31
そんな揚げ足とってどうするの、って気もするが
本質がどうとか言葉遊びをしても仕方ないし
667日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:04:55
>662
秀吉が義昭に養子を断られたというのは嘘。
当時の一次資料には全くない。
秀吉は征夷大将軍など狙っていなかったし。

どうしても征夷大将軍になりたければ、方法はいくらでもある。
源氏などたとえ足利でなくとも大勢いるしな。
秀吉に側室を差し出していた京極なども源氏の一族だし。

668日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:21:52
>>663が正しいだろうね
669日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:26:26
平氏を名乗っていた織田信長が征夷大将軍に
推挙されていたというのもある
秀吉も当初信長に倣って平氏を名乗っていたから
そっちの筋での征夷大将軍もありえたわけだ
670日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:42:39
>>668
663だが。
付け足すと、秀吉が関白に就任した1585年ないし1586年段階では、
未だ足利義昭は形式上征夷大将軍に留任していた。
辞任も更迭もされていないからである。
671日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:52:18
いわゆる鞆幕府ってやつね
五山の住持の任命権があったとか
どんなもんだろ
672日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:55:25
実質はない、形式論理だといわれればその通りだが、
朝廷の人事というのは形式論理で決まる。
仮に幕府を持たない征夷大将軍であっても征夷大将軍は征夷大将軍である。
673日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:57:48
そこまで形式形式言わんでも
鞆幕府説って実質もあったって説でしょ
674日本@名無史さん:2008/02/28(木) 13:28:46
信長や秀吉がやめさせろと言えば
いつでも辞めさせられただろうね
信長や秀吉が征夷大将軍に興味なかったから
朝廷も放置
675日本@名無史さん:2008/02/28(木) 13:45:25
なぜ武家の棟梁は将軍につきたがるのか?
別に朝廷の軍事司令官として働きたいからではない。それでは大昔の坂上某と変わらない。
彼らが将軍につきたがるのは、幕府という独自の政府を開くことができるからだ。
ところが、秀吉は日本の意思決定機関を1つにまとめようとしていたのだから、幕府を開いたらかえって背理である。
このように、秀吉は幕府を開く予定がなかったのであるから、当然、将軍につく必要もなかった。
676日本@名無史さん:2008/02/28(木) 14:02:32
源氏でなければ将軍になれなかったわけではなかろう。
平氏や源氏を名乗る人間なら、軍事貴族の血縁者であろうとの推定が働くから、将軍になれる可能性はある。
もっとも、源氏を名乗る人間が将軍になった方が、鎌倉・室町幕府を正統に継承したという印象を与えることはできる。
677日本@名無史さん:2008/02/28(木) 14:20:16
「征夷大将軍」が同じ名称でも鎌倉と室町と江戸では内実がかなり違うように、「関白」だって当然時期によって内実はかなり
違うんじゃないか?
将軍でも自律性があったり単なるロボット将軍みたいなのもいるんだから関白でも内覧を兼ねてるかどうかとか、院政期かどう
かとか、武家政権ができて以降とか、その時々で実力がぜんぜん違う。
鎌倉幕府にしかなかった「執権」だって得宗体制以降は得宗でない執権は最高実力者ではない。
もっとも鎌倉の場合はその上に伝統的権威だけはある天皇だの上皇だの関白だの将軍だのと形骸化した連中が乗っかってる
わけだが。

まあ、あれだ。田中軍団全盛期の角栄みたいなもんだ。その間の総理大臣は日本の政務の総覧者だけど最高実力者では
ない、って言うような。
だから、天皇家を除いては最高の権威を持った最高実力者じゃない将軍や関白が生産されても不思議じゃない。
678日本@名無史さん:2008/02/28(木) 14:22:29
秀吉は武家社会の主従関係を巧みに利用しながら、地方豪族を朝廷支配に組み込んだ。
もっとも、見方によっては、朝廷が武家の植民地と化したともいえる。
679日本@名無史さん:2008/02/28(木) 20:21:38
>>678
まあ両者とも言えるね。
秀吉の「事業」で煽りを食った公家の任官・序列は大混乱を呈している。
家康が武家官位をすべて権官にしたのは一種の善政だったろう。

別に征夷大将軍でなくたって朝廷公認の家政機関は持てるし、
初期の鎌倉幕府がそうだったようにそれを以て支配機構とすることもまた可能なんだけどね。
豊臣配下の五大老とか五奉行とかいうけれど、
ご存知の通り秀吉は将軍家ではないので幕府は持っていない。
けれども朝廷にはそんな職名は存在しない。

これはいったい何だ?
680日本@名無史さん:2008/02/29(金) 09:36:15
豊臣家の個人的な職制でほ。
681日本@名無史さん:2008/02/29(金) 10:30:01
>>680
そう、その通り。
つまり幕府という名称にこだわらなくとも、
高位の貴族は似た機能を持った家政機関を持つことができる。
政所という。

征夷大将軍は臨時の職だから位階相当がない。
かなり低い位階でも就任はできる。
数は少ないものの実例も存在する。
そして、征夷大将軍には職掌がら位階によらず家政機関の設置が認められる。

確か義昭が征夷大将軍を返上するのはようやく1588年のことだったと思うが、
1585〜1586時点には関白・太政大臣と位人臣をきわめていた秀吉が1588年以降に
改めて征夷大将軍に任官する意義ってのがよく分からない。
682日本@名無史さん:2008/02/29(金) 13:46:52
幕府って家政機関なのか?
683日本@名無史さん:2008/02/29(金) 14:42:06
老中とか若年寄
684日本@名無史さん:2008/02/29(金) 15:24:57
>>682
派生的にはそのとおり。頼朝が官位によって公文所を政所に改めたのはその例。
ちなみに侍所も、もともと貴族の家政機関。
685日本@名無史さん:2008/02/29(金) 19:24:36
>>682
徳川幕府の意思決定に原則として外様大名が参入できなかったのはそれが理由なんじゃないか?
まぁそれを言いだすと朝廷も天皇家の家政機関ということになるのかもしれないが。
686日本@名無史さん:2008/02/29(金) 20:15:11
>>682
>>684の言う通り。
以下は蛇足を付け加える。
鎌倉幕府の地頭設置は全国に及んだ、
なんぞと言ったって、それはトムとジェリーのチーズのように穴ぼこだらけ。
何故かと言えば幕府は本態的に家政機関だからで、
土地をここからここまでと面で管轄するわけではなく、
誰の土地があって、それから誰の土地がある、という風に人で管理した。
だから、理屈からすれば個々の「誰の土地」が膨らもうと縮もうと本来幕府の知ったこっちゃないわけだが、
自分のとこの配下同士で揉めるようなら、
まあ仲裁くらいはしないとまとまる話もまとまらんでしょ、
ってなスタンス。
だから侍帳に名を連ねる何野太郎某が寺社公家の荘園をかすめ取ろうと、
はたまた二重に税を取り立てようと、幕府としては別に知ったこっちゃない。

ちなみにこの穴ぼこチーズの構造は織豊時代まで続く。
687日本@名無史さん:2008/02/29(金) 20:30:27
>>685
子分格ってことだよ。
徳川の譜代大名って言うのは
要するに代々つながる、徳川家の家来格の家系だろ?
688日本@名無史さん:2008/02/29(金) 20:37:24
>>687
だから譜代大名は徳川幕府の意思決定に参入できる。
689日本@名無史さん:2008/02/29(金) 20:49:58
徳川幕府=三河国人衆政権

690日本@名無史さん:2008/02/29(金) 20:55:31
>>686
徳川幕府の時代も基本的には変わらないんじゃない?
あくまで主従関係を通して藩主を従えていただけで、藩のことについては原則として口出ししなかったわけだから。
691日本@名無史さん:2008/02/29(金) 20:56:53
>>689
あ、それ、ちゃんと詳述してくれるなら興味あるね。
家康と国人の関わりってどんなもんだったの?
信長・秀吉は国人とは比較的対立的だったよね。
692日本@名無史さん:2008/02/29(金) 21:07:47
>>691
元々、三河人はローカル気質な土地柄だけに
尾張なんかと違って、人の絆は固いものがあるんじゃないかな。
だから戦国の荒廃した世も、徳川衆は最後まで一致団結できたんだろうね。
693日本@名無史さん:2008/02/29(金) 21:19:54
>>692
せっかく答えてくれてすまないが意味不。

>>690
それとこれとは話が違う。
武田信玄が甲斐と信濃を支配したと言ったって、その中身はあちこち虫食い状態。
原美濃守が信玄から知行を貰ってどこそこを治めたと言ってもこれまた虫食い状態。
ひどいところは二重統治になる。
従って惣なんてもんが発達する。

まあ、公家や坊主にしてみりゃ虫はむしろ武家の方だったかも知れないけれど、
織豊時代を経てこういう多重構造が解体されて行く。
694日本@名無史さん:2008/02/29(金) 21:21:45
>>692
それはうまくいっていたからじゃないの?
やばそうだと思えばみんな離れていくでしょ。
695日本@名無史さん:2008/02/29(金) 22:03:44
>>692
家康の親父もその親父も家臣に暗殺されてるし、家康は一向一揆で離反され
696日本@名無史さん:2008/03/01(土) 00:17:08
ただまあ西三河は松平氏の宗枝関係である程度なんとかまとまる状態だったんじゃね?
同じ三河でも奥平、戸田、牧野とかは別として…
697日本@名無史さん:2008/03/01(土) 13:55:59
秀吉とどう関係あるわけ?
698日本@名無史さん:2008/03/05(水) 01:20:41
最近では小和田氏はじめ色々な人が信長は将軍職を望んでいた、と言っている
家康は将軍になっていることから考えても秀吉に将軍になりたいという意志が
なかったとは言い難い、
699日本@名無史さん:2008/03/05(水) 04:14:16
家康は幕藩体制をつくるためにあえて将軍職を選んだと考えられる。
それに対して、中央集権体制をめざした秀吉にとっては関白の方が都合がよかった。
700日本@名無史さん:2008/03/05(水) 13:45:06
当時の関白なんて飾りじゃん。
父である近衛さんは諸国漫遊していて朝議にも出てない。
701日本@名無史さん:2008/03/05(水) 16:53:00
秀吉には信長や家康と違い系図を偽造したりする時間がなかった、
だから関白相論に乗じて一代かぎりの条件で関白になった。
702日本@名無史さん:2008/03/05(水) 20:11:03
>>700
それは力のない奴だったからだろ。実力者の秀吉は関白の権限をフルに活用できた。
同じ総理大臣でも、力のない安倍は何もできなかったが、実力者の小泉は総理大臣の権限をフルに活用できた。
それと同じこと。
703日本@名無史さん:2008/03/05(水) 22:25:30
>702
秀吉が活用したのは「関白の権限」じゃない。何度も何度も既出だけどね。
704日本@名無史さん:2008/03/05(水) 22:32:08
秀吉が活用したのは紛れもなく関白の権限だよ。
何度も何度も既出だけどね。
705日本@名無史さん:2008/03/05(水) 23:46:38
>704
関白の権限ではっきり決まっているのは、奏上されるものを事前に見て意見を述
べる事だけで、何かを決定したり決裁したりする権限は無い。
だから、天皇(なり、後見の外祖父等)に「意見は聞いといたよ。でも祖父さんが
こう言ってるから」とやられたら、それだけで棚上げ状態になる。

で、秀吉が活用した「関白の権限」とはなんですか?
706日本@名無史さん:2008/03/06(木) 01:04:14
>>705
で、後陽成天皇はお祖父さんと関白(つまり秀吉)のどっちの言うことを聞いたのさ?
707日本@名無史さん:2008/03/06(木) 01:14:49
喧嘩の強い方
708日本@名無史さん:2008/03/06(木) 01:38:42
喧嘩の強い奴なら他にもいたじゃないか。
たとえば徳川家康とかさ?
たしか秀吉と敵対してたよね?
しかも戦争で勝ってるよね?
でも天皇は秀吉の言うことを聞いていたんだよね?
それは秀吉が関白だったからじゃない?
709日本@名無史さん:2008/03/06(木) 01:56:04
その言い分は無理がありすぎるからやり直してこい
710日本@名無史さん:2008/03/06(木) 02:04:25
秀吉が関白になったのは家康が秀吉に「戦争で勝っ」た後
だという基礎的知識さえないらしいね

その間天皇が「秀吉の言うことを聞いていた」ことの説明が
つかないことがわかってない

だいたい「言うことを聞いてい」たから関白にしたんであって
関白だったから「言うことを聞いていた」わけないだろうが
711日本@名無史さん:2008/03/06(木) 08:46:53
>>710
秀吉は公家のいざこざに乗じて偶然関白になったとか言ってなかったか?
712日本@名無史さん:2008/03/06(木) 22:00:05
あれほど秀頼の行く末を案じていた秀吉なのに何故自身が将軍になるか、秀頼
を将軍にするかしなかったんだ? やはり豊臣家は将軍家としてふさわしく 
ないということではないのか?
713日本@名無史さん:2008/03/06(木) 22:41:22
秀頼さまは成人した折りには関白に就任されるご予定でありました。
ですから、将軍になど全く興味をお持ちではなかったのであります。
714日本@名無史さん:2008/03/06(木) 22:51:34
関白なんて持ち回りじゃん、それよりも将軍になって豊臣家が代々日本を 
統治することを宣言したほうがいいのではないか?
715日本@名無史さん:2008/03/07(金) 04:24:02
秀頼の行く末を自分が左右できてしまった立場に立って
はじめて、皇室権威ではない武士権威に立ち戻ることを家康は認識した。
平清盛に対する源頼朝のような動き方などさまざまな検索を施したうえで
実力職「将軍」か、名誉/象徴職「摂政・関白」か、次の時代のおのれの立場を
家康は武都・江戸に居座るにあたり、定めたのだろう。
京の権威で満ち足りた気がしていた秀吉は、これ以上、タイトルにこだわって
無用な戦を招いてボロが出ることを忌避し、他の武力削ぎの半島出兵したんでしょ。
716日本@名無史さん:2008/03/07(金) 04:28:57
連投スマソ
もう1つ、仮説を思った。

秀吉の最大の弱点は、譜代を持っていないこと。
子飼いの福島や加藤キヨあたりではとうてい
新たな武士の棟梁には見映えなかった。

公家的な公職性に拠るほうが、権威付けが容易だった。
717日本@名無史さん:2008/03/07(金) 09:47:12
>>715
はっきり言ってしまうと将軍も名誉・象徴職だよ。
徳川家は開幕後、将軍職を権威づけるために苦労を強いられるわけで。
718日本@名無史さん:2008/03/07(金) 13:32:05
>>717
いかなるトップも権威付けへの事務的・扇動的な労苦はあるだろう。
ただ、摂関は天皇からの付託という形式において、「微トップ」なのに対し
将軍は、それが平時ではなく戦時であるという仮説を延長していく前提で
最高司令官=実質トップの位置にある事が、ガチンコ的でしんどいんだとオモ
719日本@名無史さん:2008/03/07(金) 17:17:27
将軍の権威付けは済んでるし必要ないだろ、必要なのは徳川家の権威付け
720日本@名無史さん:2008/03/07(金) 19:36:23
徳川家の権威は十分だろ。何といってもあの関ケ原の戦いを制して天下を平定したんだから。
しかも、他の追随を許さない圧倒的な軍事力と経済力を誇り、日本史上最高の栄華を極めた。
各地では大名が小国家の国王のように君臨し、庶民の中には大名がこの世で一番偉いと思っていた人さえいたのだから、
その大名が主君と仰ぐ徳川さまなど雲の上の存在だったに違いない。
721日本@名無史さん:2008/03/07(金) 20:00:12
将軍は天皇から任命されるわけだから、将軍職に権威を持たせるためには、まず天皇に権威がなければならない。
ところが江戸時代の天皇ははっきり言ってウンコだった。ほとんどの人はその存在すら知らなかったらしい。
明治維新を起こした革命家たちが、天皇の存在を知ってもらうために全国に行幸させたり、天皇を権威づけるためにいろんな演出をしたりしたのは有名な話。
722日本@名無史さん:2008/03/11(火) 20:01:02
天皇(or関白)と将軍では支配権の及ぶ範囲が違うんだよな。
天皇(or関白)の支配権が直接全国民まで及ぶのに対して、将軍の支配権はあくまで自分の直接の家臣にしか及ばない。
秀吉は全土地、全国民を掌握しようとしていたのだから、関白を選んだのは当然だ。
723日本@名無史さん:2008/03/11(火) 20:30:15
もともと希望したのは左大臣のはずだったが…
724日本@名無史さん:2008/03/11(火) 20:38:41
>>723
それはあくまで通過点でしょ。
725日本@名無史さん:2008/03/11(火) 20:43:04
懲りねえな、>>721 >>723 は関白相論を一度調べてこい、話はそれからだ
726日本@名無史さん:2008/03/11(火) 20:46:29
間違えた723じゃなく>>724
727日本@名無史さん:2008/03/11(火) 20:48:15
天皇にはなれないんだから、関白になるよりほかない。
728日本@名無史さん:2008/03/11(火) 20:53:00
左大臣ではまだ自分より上の人間がいることになっちゃうからね。
729日本@名無史さん:2008/03/11(火) 23:36:55
>722
いい加減しつこいね。天皇には支配権があるかもしれないが、関白には支配権どころか
なんの権限もないよ。単に天皇の相談役というだけで、「代理」「代行」という権限は一切
ない。
関白は天皇の代行者でもなんでもないと、何回教えられれば理解できるんだか。
730日本@名無史さん:2008/03/12(水) 00:09:00
左大臣になることで主家である織田家を凌駕し正当性を示すには十分、
左大臣になるだけでも史上稀に見る破格の待遇なんだがな。
731日本@名無史さん:2008/03/12(水) 01:05:05
さらに訂正>>721 じゃなくて>>722だった
732日本@名無史さん:2008/03/12(水) 01:09:52
>>729
山川の教科書でも読んどけ
733日本@名無史さん:2008/03/12(水) 01:12:07
>>730
信長を越えただけじゃ意味ないだろ。
日本の頂点に立ったことを示さないと。
734日本@名無史さん:2008/03/12(水) 01:23:36
>>733 なんで意味がないって言えるんだ? 一番重要なことだろ、 
あと年表とか一回見てみろ、秀吉の昇進が異常にはやいのがわかるから
735日本@名無史さん:2008/03/12(水) 01:44:48
>732
 山川の教科書には、「関白は天皇の代行者」なんていう嘘が書いてあるとでも
言いたいのか?馬鹿馬鹿しい。
736日本@名無史さん:2008/03/12(水) 01:58:50
足利義昭を奉じて信長が電撃的な上洛を果たした事実を知っているオッサンたちにしてみれば、
「家康が将軍様なんて、なんか違和感ありまくりー、笑えるんですけどー」
と、話していたそうな。
737日本@名無史さん:2008/03/12(水) 04:52:04
>>734
秀吉が目指していたのは信長ではなく天下人。
信長は天下を取り損ねた人間。そんな人間を目指しても仕方ない。
秀吉は右大臣を薦められても、縁起が悪いとの理由で頑なに断り、内大臣に留まっていたほど。
要するに、信長のことなどその程度にしか見ていなかったということ。
その一方で、公家たちに隙があればすかさず関白、太政大臣という最高位を奪取している。
秀吉が何を目指していたかは明らかだ。

>>735
関白には何の支配権も権限もなかったなどと初歩的な嘘を書き続けている件についてはどうなのよ?
平安時代の話知らない?関白に絶大な力があったからこそ、みんなこぞって寄進したわけ。
738日本@名無史さん:2008/03/12(水) 05:04:36
>>736
同じ官職でも、力のない者が就いた場合と実力者が就いた場合とでは、その官職の権威に大きな違いが出てくることがある。
たとえば、足利の無力さは将軍職の権威をおとしめ、逆に、徳川の実力は将軍職の権威を高めた。
739日本@名無史さん:2008/03/12(水) 05:23:13
>>737 平安時代って…
おいおい笑わす気か。
740日本@名無史さん:2008/03/12(水) 09:06:41
>>739
平安時代だろうが戦国時代だろうが関白は関白
741日本@名無史さん:2008/03/12(水) 09:34:23
鎌倉時代の公家将軍でも江戸時代の徳川吉宗でも
征夷大将軍は征夷大将軍。

浅はかな詭弁だね。
742日本@名無史さん:2008/03/12(水) 10:08:33
幕府は征夷大将軍じゃなくても建てられる
具体的には常設武官の最高位である右近衛大将とかな
だから鎌倉幕府開府は頼朝がこの地位についた時である、という説が近年有力になっていたり
信長政権が公認されたのも信長が任官した時だ、と言われるわけだ
征夷大将軍の格はともかく、唯一の地位というのは結果からの過大評価だよ
743日本@名無史さん:2008/03/12(水) 10:28:03
秀吉は武家に積極的に官位を斡旋して、朝廷ヒエラルキーという形でも彼らを組み込もうとしていたからな
いわゆる武家官位制で、公家も武家も配下に置くことを志向していた
家康が今更征夷大将軍を持ち出したのは、征夷大将軍が慣例的に朝廷外の存在だったからじゃないの?
秀吉が作った権威網から離脱して独自政権はじめるにはもってこい
近衛大将だと幕府開設はできても、所詮は常設官で京都に建前上常駐しないといけなくなるしね
744日本@名無史さん:2008/03/12(水) 10:35:12
征夷大将軍とは独断専行権を持った唯一の将軍。
他の将軍(西征将軍等)は派兵時期、兵糧、兵数、、、あらゆる事を
朝廷に決められてしまう。
やりたい放題出来るのは征夷大将軍くらいだろ?
許可を得ず勝手に派兵して一国攻め落とした後
「謀反の動きがあったため急遽攻撃しこれを未然に抑えますた」
と事後報告提出(朝廷の否やは無し)するのは。
745日本@名無史さん:2008/03/12(水) 10:45:26
>737
関白に明確な権限がないことも既出だし、あなたが「関白の権限」と思い込んでいるものが
実際は外戚としての私的権力だということも既出。
746日本@名無史さん:2008/03/12(水) 10:47:28
関白も令外官だっけか、本来は
高い地位しかしフリーハンドは取れる、というのをのぞんだ、という意味では
秀吉も家康も同じかね結局
747日本@名無史さん:2008/03/12(水) 10:57:20
>>737
機構は変遷するものですよ
荘園とかの変遷も色々あるように
室町初期の将軍権力と、後期のそれを同列に語ることが可笑しいってのは理解できるよね
748日本@名無史さん:2008/03/12(水) 11:10:28
しかし変遷云々いうのなら、家康が征夷大将軍になった時代は足利義昭のていたらくでもっとも株が暴落していた時期だぜ?
749日本@名無史さん:2008/03/12(水) 12:15:38
鎌倉時代には執権の家政機関である連署が
力を持ったりしたしな
750日本@名無史さん:2008/03/12(水) 12:18:10
>>741 >>747
同じ将軍である以上、本来の権限は同じ。
ただその権限を行使できるかできないかの違いだけ。
力のない奴は権限を持っていても行使できない。
逆に、力のある奴は持っている権限を存分に行使できる。
同じ総理大臣でも小泉と安倍であれほどの違いが出たことからもわかること。
751日本@名無史さん:2008/03/12(水) 12:22:16
>>748 その論理がおかしいということがまだわからんのか? 
じゃあ大臣や関白はどうなんだ? 足利尊氏が将軍になったのはどう解釈 
するんだ、
752日本@名無史さん:2008/03/12(水) 12:28:05
>>751だから暴落していても利用価値を見出したんだろ
それに征夷大将軍職は、建武新政でも重視されていた経緯があるからな
将軍が民衆に嘲笑されながら逃亡、という義昭の行為とかは室町特有のもの
それ以前に室町将軍はよく流れ公方化してたし
753日本@名無史さん:2008/03/12(水) 12:28:50
みんながほしがらず、家康とかの特定人物だけが欲しがったというのがミソだな
信長は就任前に死んだだけ、という説もあるけどもこれは確認できんし
754日本@名無史さん:2008/03/12(水) 12:39:44
開幕の直前には必ず朝廷権力の盛り上がりがあるんだよな。
鎌倉直前の平氏政権、室町直前の建武新政、江戸直前の豊臣政権。
755日本@名無史さん:2008/03/12(水) 12:46:40
>>742 それこそ結果からみた右近衛大将への過大評価、信長がその地位に 
就いたのも将軍を見据えてのものだといわれているし、だいたいせっつかれて
すぐにやめてるだろ。
756日本@名無史さん:2008/03/12(水) 12:47:36
すぐ止めたのは、頼朝に習ったからだと思われ
前右府家、という格だけでかなり権威もってたからな
757日本@名無史さん:2008/03/12(水) 12:47:58
右府じゃない、右近衛家だ
758日本@名無史さん:2008/03/12(水) 12:51:50
信長は近衛大将の職は、公家に譲ると約束しながら渡さなかったりとかなり執着している様子だったからな
このあたりイメージの官職軽視とは違うのが史実
759日本@名無史さん:2008/03/12(水) 12:57:05
源平交替論は信長が足利家に取って代わると宣言したものだろ、つまり信長は
将軍を目指していたってならないか?
760日本@名無史さん:2008/03/12(水) 13:01:41
交代論は公家の願望から出たもの
公家と一体化しようとする平家、ないがしろな源氏というイメージの産物
どのみち近衛大将任命の時点で慣習により公的権力者と認められたわけだし
761日本@名無史さん:2008/03/12(水) 13:05:24
信長がついた職はゲンが悪い、とした秀吉だから
近衛大将もそういう扱いだったのかもな
少将にはなってたけど
762日本@名無史さん:2008/03/12(水) 13:49:09
朝鮮出兵の際の九州布陣の中に足利義昭の名前があるのはワロタ
763日本@名無史さん:2008/03/12(水) 14:32:52
>>748
だから権力をつかって権威を回復させようとしたと
将軍なら関白より気軽にあげられるでしょ、朝廷から見た場合
あくまで徳川将軍家は関白豊臣家の下ですから、関白家の豊臣が危惧する必要は無いですよと、朝廷も近畿に基盤を置く豊臣にいいわけできるし

>>750
同じ総理大臣でも明治憲法化のそれと、現行日本憲法下のそれとは違うでしょ
764日本@名無史さん:2008/03/12(水) 14:52:52
豊臣家は摂家としての家格が成立していたのか?
たまたま2人の関白が出ただけだろ。
しかも前例のない武力での関白獲得。
765日本@名無史さん:2008/03/12(水) 15:11:53
豊臣秀吉が関白になって以来、秀吉の存命中、
五摂家から関白が出ることはなかった。
秀吉の死の2年後、五摂家が摂関に復活。
五摂家が成人後の秀頼に摂関を譲る気があったかは微妙。
幼いうちに父を亡くした秀頼は摂関の地位すら武力で奪わねばならず、
秀吉没後豊臣家による摂関世襲は終結したとみるべきだろう。
もっとも、公家になり手も希望者もいない征夷大将軍など、
東夷の徳川家康にやっておけばよろしい。
朝廷も摂関の地位ほどには興味がなかっただろう。
766日本@名無史さん:2008/03/12(水) 15:53:36
>>763
明治憲法と現行憲法は全く違う制度だから。
そもそも主権者が違うから。
767日本@名無史さん:2008/03/12(水) 18:33:06
>>765
そうでもないよ。秀頼が右大臣まで昇進したのは、
朝廷側の思惑もあったろうが、家康の後押しもあってのこと。
婚姻政策も含めてある時期までは「関白家−将軍家」両頭体制を
(もちろん豊臣家はおざなりにして)家康が指向していたという人もいる。
768日本@名無史さん:2008/03/12(水) 19:17:57
>>767
おそらく家康は秀頼を関白にはしなかっただろう。
姻戚である秀頼に恩を売っていたという感じか。
千姫の夫であることで、秀頼は家康を祖父として崇めてもおかしくないところ。
家康がある時期まで徳川家の姻戚として
ほかの娘婿同様かわいがろうとしていたことは否定しない。
(秀頼に盟主意識があることが分かると手の平を返したが)
769日本@名無史さん:2008/03/12(水) 19:24:34
まぁ秀頼の出方次第ではそのうち関白職が回ってくる可能性はあったでしょ
770日本@名無史さん:2008/03/12(水) 20:34:16
成人した秀頼が関白に就任したら、徳川家が将軍に任命してもらえなくなる可能性がある。
そんな馬鹿なことを家康がさせるはずがない。
771日本@名無史さん:2008/03/12(水) 20:43:09
>>766
同じように、天皇全盛時の関白と、豊臣時代のそれとも違うからね
772日本@名無史さん:2008/03/12(水) 20:52:31
>>771
同じだよ。制度が同じなんだから。
ましてや豊臣政権の時代は幕府も存在してないわけだし。
773日本@名無史さん:2008/03/12(水) 21:03:00
>>772
じゃさ、豊臣関白時代の三河守ってさ、三河を統治してたの?
制度的な源流たどると、三河収めてないと可笑しいよね
774日本@名無史さん:2008/03/12(水) 21:04:16
>>772
五代後天皇時代に変更されてんじゃん。
775日本@名無史さん:2008/03/12(水) 23:57:07
>>773
制度上どうなのかと事実上どうなのかは別の問題。

>>774
根本的なところは変わってないだろ。
776日本@名無史さん:2008/03/13(木) 00:19:46
そもそも天皇、関白については何の規定もなかったんじゃなかったのか?
777日本@名無史さん:2008/03/13(木) 00:38:19
>737
とりあえず、藤原道長が「関白」になったことがないという事実を素直に
見つめた上で、考え直せ。
778日本@名無史さん:2008/03/13(木) 01:10:41
>>777
それで?
779日本@名無史さん:2008/03/13(木) 04:00:47
>>777
そりゃ成人した天皇より幼少の天皇の方が扱いやすいからだろ。
780日本@名無史さん:2008/03/13(木) 11:21:56
>778
摂政をごく短期間やっただけで関白になったことがない藤原道長が、誰かさんが「関白の権限、
権力」と思い込んでいるものを長年行使し続けていたことを考えれば、「関白の権限」の実態
が想像できそうなものだけど。
781日本@名無史さん:2008/03/13(木) 11:47:07
>>780
それは、天皇との外戚関係があれば、事実上、摂関と同じことができたことを意味するにすぎない。
782日本@名無史さん:2008/03/13(木) 12:45:13
>>781
道長以外でもおなじことがいえるのか?
無理ありすぎ
783日本@名無史さん:2008/03/13(木) 13:10:21
>>782
いえるだろ。どこに無理があるのか?
784日本@名無史さん:2008/03/13(木) 14:03:27
外戚なら閑院家が権力に上り詰めなかったのは何で
785日本@名無史さん:2008/03/13(木) 23:53:45
>781
これもさんざん既出だが、ごく初期でも外戚関係になかった関白は
お前さんの妄想する「関白の権限」は行使できていない。
お前が考えている「関白の権限」は江戸時代のもので、それ以前は
外戚関係によるものだよ。

大体、事実上もへったくれもないんで、「外戚関係にあれば『事実上
摂関と同じこと』ができ、外戚関係になければ摂関であっても行使で
きない『摂関の権限』」というのがいったいなんなのか、考えてみろ。
786日本@名無史さん:2008/03/14(金) 02:56:02
>>785
高校日本史レベルの知識もないとは悲しいですな。
787日本@名無史さん:2008/03/14(金) 08:41:32
所詮は尾張の百姓上がりがやらかしそうなこと
788日本@名無史さん:2008/03/14(金) 09:21:12
>>786
そこの煽りバカ、
どこの出版社の教科書か教えてくれ。
789日本@名無史さん:2008/03/14(金) 09:27:48
>>775
具体的にどう違うのかね
豊臣は関白の権限に基づいて覇者となり、三河守は原初の権限に基づいて支配を…できたのか?
790日本@名無史さん:2008/03/14(金) 09:32:04
>>786
おおざっぱにまとめるとさ

豊臣は関白の権限に基づいて覇者となった
その後、朝廷の権威を復活させて、自分に統合した

こんなところ?
ちがうなら自分の言葉で1から組み立てて主張して欲しいな
791日本@名無史さん:2008/03/14(金) 09:34:21
明らかに逆だろ
覇者になったから、関白につけた
豊臣姓という、古来からの四姓に並ぶ家柄を創出せしめるほどなのは、明らかに実力が先だよ
792日本@名無史さん:2008/03/14(金) 09:59:21
>>784
師実以降は摂関の世襲がはじまったから。
閑院は摂関にこそ登れなかったが、平安末期に天皇の外戚となったことで
太政大臣にまで上れる家(のちの清華)となりずいぶん権力をもったはずだが?
鎌倉時代、歴代天皇の中宮を出して栄えた閑院流の西園寺家が、
摂関家すら憚るほどの権力をもったのは事実だよね?
793日本@名無史さん:2008/03/14(金) 10:00:16
実力次第で、官位なんて箔つけでしょ
本来の官位どおりの職務取らないと行けないのなら、違反者は両手に余っちゃう
794日本@名無史さん:2008/03/14(金) 10:01:11
>>791
なぜレスアンカーつけて聞いてるかその少ない脳みそをフル回転させて考えろ
795日本@名無史さん:2008/03/14(金) 10:08:14
>豊臣は関白の権限に基づいて覇者となった

秀吉が生きていたころ(戦国時代)
関白の力がどの程度だったのか、
よく考えてみることだな。
796日本@名無史さん:2008/03/14(金) 10:13:20
権力の正当化が官位であって、その逆ではないだろ。
797日本@名無史さん:2008/03/14(金) 10:17:25
秀吉は既存の権威を利用して覇者となった
798日本@名無史さん:2008/03/14(金) 10:24:20
>>795
だから具体的に論述しろっつうのに
799日本@名無史さん:2008/03/14(金) 10:35:11
織田信長が覇者だったころ関白は何をしていたのか?
(大して権力持ってないよね)
足利将軍家が健在だったころ関白は何をしていたのか?
(大して権力持ってないよね)
世の中が下剋上の頃、関白は何をしていたのか?
(生きていくために戦国大名に娘を嫁に出していたよね)

秀吉の権力が秀吉を天下人にしたのであって、
秀吉は関白になったから権力を握れたのではない。
800日本@名無史さん:2008/03/14(金) 11:46:00
そういう公権力が失墜したからこその戦国時代なんだけどね
>>795は独自解釈を持ってるらしい
しかし、その意見を論述できない
801日本@名無史さん:2008/03/14(金) 12:04:03
低能な800=790は
関白が何たるか、教科書レベルの知識もない
802日本@名無史さん:2008/03/14(金) 12:06:48
具体論が全くいえない側の負けは明白なのに
粘着できる羞恥心の無さに脱帽w
803日本@名無史さん:2008/03/14(金) 12:11:35
関白本来の権限でいえば、政治決定権も下の官位の者への指揮権も無いしな
だから摂関政治の開祖とされるにもかかわらず藤原道長は関白職につかなかった、といわれるぐらい
804日本@名無史さん:2008/03/14(金) 12:12:50
>802
お前の具体論て、790?
このスレで誰一人として賛成しているものがいないことに気付け。
805日本@名無史さん:2008/03/14(金) 12:13:48
802が出て行けばこのスレは平和になると思うよ。
802は小学館の日本の歴史でも読んでいればよろし。
806日本@名無史さん:2008/03/14(金) 12:13:51
過敏反応してくるところをみると、一応自覚はあるようですな
807日本@名無史さん:2008/03/14(金) 12:15:42
やっぱり関白は箔付けに過ぎないわけか。
808日本@名無史さん:2008/03/14(金) 12:29:07
日本史板にふさわしくない人が
一名いるようでw
809日本@名無史さん:2008/03/14(金) 12:33:03
権限があっても、それを行使するバックボーンがなきゃ意味がないってだけだろ?
武力を背景に秀吉は関白の権限を行使した。

坂上田村麻呂は、そこまでの武力が無かったから将軍になっても朝廷から独立しなかったろ?
810日本@名無史さん:2008/03/14(金) 12:52:39
レス嫁って
関白の本来の権限以上のことを常態化させたのが秀吉
だから関白は箔付けでしかない
811日本@名無史さん:2008/03/14(金) 13:34:53
相手より上の官位もっているぞ、という位攻めを秀吉はやりたかったから
武家の棟梁職とはいえ形式上もっと上がいる征夷大将軍は魅力なかったのかね?
812日本@名無史さん:2008/03/14(金) 14:35:39
パパである近衛前久と豊臣秀吉は違うだろ。

813日本@名無史さん:2008/03/14(金) 16:05:51
>>801
では、関白について詳述してる教科書レベルの本を具体的に書名と出版社と出版年とを添えて書いてくれ
適当に罵倒して逃げるもよし、ほっかむりして知らぬ存ぜぬを通すもよし
それでお前が納得できるならどちらの逃げの手を使ってもいいぞ
大して期待してないから
814日本@名無史さん:2008/03/14(金) 19:44:01
>>791
秀吉が関白に就任したのは天下統一前。

>>803
政治決定権、官吏任免権を握っているのは天皇。
関白はその天皇の意思決定に参画できる。
だから、関白は政治決定権、官吏任免権に深く関与できる。
天皇が政治に無関心なら、関白が事実上代行しているのと同じこと。
815日本@名無史さん:2008/03/14(金) 20:27:24
>>799
それは関白に権限がなかったからではなく、朝廷そのものが形骸化していたから。
816日本@名無史さん:2008/03/14(金) 20:50:01
実力さえあれば天下に号令をかけられると勘違いしている人がいるようだが、それは間違い。
実力のある人間がしかるべき地位に就いてはじめて天下に号令をかけることができる。
しかるべき地位とはつまり天皇という御輿をかついで朝廷の実権を握れる立場だ。
だからこそ天下を狙う戦国大名はみな、天皇のいる京の都を目指した。
817日本@名無史さん:2008/03/14(金) 20:55:34
口先だけの天下の号令って・・最終的には多勢の武力制圧だけどな
818日本@名無史さん:2008/03/14(金) 21:28:15
要するに形骸化していた朝廷の機能を回復させて全国を統治するにはどうしたらいいかということだ。
それには日本一の実力者が朝廷の実権を握れる官職に就くしかないだろ。
819日本@名無史さん:2008/03/14(金) 21:34:08
>>814
地方の大名が屈伏していようがいまいが京都を押えていたし、
関白になった時点で軍事力で日本一であった。
820日本@名無史さん:2008/03/14(金) 21:42:36
>>819
それで?
821日本@名無史さん:2008/03/14(金) 23:22:58
>814
関白ができるのは、上奏文等を事前に見て意見を述べることだけ。
意思決定〜以下の部分は、「関白」じゃなくて「外戚」として私的に関与
しているだけだよ。
さんざん既出だけどね。
だからこそ、道長のように関白でない外戚が権勢を誇ったり、頼忠のよ
うに外戚でない関白が「名ばかりだ」と自嘲する事になる。

繰り返しだが、天皇の意思決定に参画するのは、あくまでも「外戚」と
してであって、「関白」にそういう権限、権力があるわけじゃないよ。
822日本@名無史さん:2008/03/15(土) 00:45:49
征夷大将軍みたいなチッポケな身分ではとても「朝鮮出兵」なんて
出来なかった。

そこはそれ太閤(元関白)の秀吉サマだから。
海外にむけて侵略戦争おっ始める、、、
事が事だけに当然、帝(朝廷)に対しても了解得ただろ。

こんな事イチ征夷大将軍の権限で開戦なんて無理!
823日本@名無史さん:2008/03/15(土) 01:11:08
>>822 「源氏と国王」読んだな、将軍は外交権を持たないとか言ってるわな、
はたしてそうか?
824日本@名無史さん:2008/03/15(土) 01:23:14
>>821
独自説乙。
825日本@名無史さん:2008/03/15(土) 02:04:43
>824
摂関政治が外戚政治だというのは通説だけど、お前さんの脳内世界では違うらしい
ね。
じゃ、関白になったことのない「御堂関白」の権勢と、「揚名関白」について説得力の
ある説を教えてくれ。
「外戚であれば行使でき、外戚でなければ行使できない『関白の権限』」とやらにつ
いての説明もね。
826日本@名無史さん:2008/03/15(土) 09:58:57
道長は内覧になったから関白の名称にこだわる必要がなかったと言われているが。
827日本@名無史さん:2008/03/15(土) 10:22:55
関白は天皇の政治的意思決定に参画するわけだから、天皇が政治に無関心だったり、関白が天皇より強い立場の人間であれば、関白の意見が通りやすくなる。
逆に、天皇が政治に強い関心を持っているうえに関白がそれほど強い立場の人間ではない場合、あるいは天皇に対して関白よりもさらに強い影響力を持つ人間がいる場合には、関白の意見が通りにくくなる。
828日本@名無史さん:2008/03/15(土) 10:35:31
後陽成天皇は秀吉のおかげで主権を回復できたわけだから、秀吉には頭が上がらなかっただろうね。
829日本@名無史さん:2008/03/15(土) 11:11:45
藤原実頼は冷泉天皇の関白だったが、冷泉天皇と外戚関係がなかった。
逆に冷泉天皇の実の伯父である藤原伊尹、兼通、兼家兄弟が、
常に冷泉天皇の御前にあって甥の天皇に好き勝手を吹き込み、
政治を好きなように動かすとして日記に不満をぶちまけている。

実頼の子頼忠は、円融天皇、花山天皇の関白だったが、
天皇と外戚関係になかった。
かろうじて円融天皇の中宮の父、花山天皇の女御の父として
政権を担おうとしたが、あまりにもろく、
藤原兼家が花山天皇をだまして帝位から引きずり下ろし、
外孫一条天皇を即位させると、
一条天皇の外祖父でもなんでもない頼忠は
関白の座を兼家に引き渡さざるを得なかった。
830日本@名無史さん:2008/03/15(土) 11:16:17
で、なんで兼家さんは関白の座を譲り受けたわけ?
831日本@名無史さん:2008/03/15(土) 11:20:40
天皇と外戚関係にない関白の地位の弱さを語っただけだが?

832日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:09:23
だからなんでそんな無力な地位を兼家さんはわざわざ引き受けたのさ?
833日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:11:16
>>826
内覧は関白の最も強い権限の一つだったけど、
道長は内覧になれたから安泰だったわけでもないんだよね。

中宮定子が失脚すると、一条天皇には次々と3人の妃が入内した、
このうち右大臣藤原顕光の娘元子が妊娠して御所を退出するという事件が起こった。
もし元子が皇子を産めば、顕光は外祖父の地位を不動のものにして
内覧道長を超える権力を持つというわけでやきもきするわけだよね。
また、道長が娘の彰子を入内させた直後、中宮定子が一条天皇の第一皇子を産むという
事態が起きる。
道長はこれまた定子の兄伊周が内覧道長を超える力を持つ可能性が出てきたということで
不祥事を引き起こした一条天皇に彰子立后などの見返りを求めるわけだよね。

道長が望月の歌を詠んだのは摂政を辞した後。
そんなことより外戚の地位のほうが重要だったわけだ。
834日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:20:05
>>832
兼家は一条天皇の外祖父として政治を思うままに操った。
別に摂政・関白でなくとも好き勝手にできただろうけどね。
道隆のときには妹の詮子に東三条院などという上皇待遇を与え
摂関政治の全盛期とは男系の院政に先行した女系の女院制の時代でもあったわけだ。

逆に師実以降、摂関は天皇との女系の外戚関係に関わらず世襲になった。
すると途端に今度は天皇の男系、父や祖父であるところの「院」が
政治の中心になって摂関の威力はそがれるわけだ。
天皇との外戚関係がなくなった摂関はもはやだれが勤めても同じものとなり、
鎌倉時代には五摂家の持ち回りなど誰も摂関の地位に執着しなくなる。
天皇の外戚である西園寺家などのほうが摂関よりも力があったしね。
835日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:26:53
だからといって摂政や関白に何の権限もなかった理由にはならんっしょ。
そんなことを言ったら、徳川幕府の側用人などが権勢を振るっていた時代、老中には何の権限もなかったということになってしまうよ。
制度上の問題と事実上の問題は分けて考えていかないと駄目。
836日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:29:47
>827
いいかげんしつこいね。関白には「意思決定に」参画する権限はないよ。
関白の権限で公的なものは「内覧」だけ。天皇の意思決定に参画しているのは、
あくまでも「外祖父/外伯叔父」というような立場での話だよ。

秀吉に関して言えば、そもそも前代未聞の「五家以外の血筋の関白」になれた
こと自体が、秀吉が天皇や公家社会に自分の意思をおしつけることができたか
ら。(当の「関白」も含めてね。)
で、関白を辞した後の秀吉は今度は「関白の切腹」なんていうこれまた前代未
聞の処分をしている。

そういうことを考えてみれば、秀吉が欲したのが実体のない「関白の権限」とや
らでないことくらい、すぐわかるだろうに。
837日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:32:59
>835
「摂関」はあなたのたとえで言えばむしろ側用人や側衆に近い存在で、明確な
権限が定められている老中とは性格が違う。
実際、摂関政治や院政の時代でも、「老中」に対応するであろう「議政官」は機
能していたわけだからね。
838日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:36:36
>>836
関白と内覧は違うもの。混同しないように。
839日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:37:22
>>835
老中=関白と考えるのが間違い。
老中は徳川幕府が備えた藩における家老のような位置づけの職種で、
勿論、幕府の正式な役職である。
しかし、関白は律令の規定にはない。
権力をつけた藤原氏からの要求で認められた令外の官。
しかも、天皇が目を通す文章に目を通す権利という曖昧なものであったために
天皇と外戚関係になければたびたび無力化した。
老中と同義なわけがない。
840日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:38:45
>>837
外戚関係なんてなおさら制度上のものではないだろ。
841日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:43:44
>>839
つ 838
842日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:44:46
>838
関白の権限の中で公的なものが「内覧」だと書いているんだけど。

>840
そうだよ。だからこそ、公的なものでない外戚関係に頼っている「摂関」と
公的な権限のある「老中」の対比が誤りだと指摘しているんだけど?
それよりは、むしろ権力の源泉が同じく私的関係にある「側用人」の方が
まだ近い。
843日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:45:11
>>840
摂関の地位よりも
外戚関係がものをいったという話をしてるんだが?
馬鹿?
844日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:49:46
>>842
摂関の権限は公的なものです、はい。
845日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:52:25
>>843
制度上の問題と事実上の問題は分けて考えろと言ってるわけだが。
これだけ言ってもわからないとは相当頭が悪いんだろうね。
846日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:55:37
>>845
835を書いたのはおまえさんだろ。
老中を例に出して関白を説明したやつ。
それが間違ってるんだよ。
律令から摂政や関白の権限について書いたものを
引っ張ってきたらいい。
君がそこまで言うのならば。
847日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:02:50
>>846
律令に書いてあることしか公的に認められないのだとしたら、天皇はどうなっちゃうんだよ。
848日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:04:50
>844
「内覧」はね。それ以外には関白に公的な権限はありません。
関白の権限が公的なものであるなら、側用人の権限も公的な
ものですね。
849日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:10:59
>>848
側用人の権限が公的なものかどうかなんて問題にしていないと思うが?
ほかに力のある存在がいる場合に老中の権限が否定されてしまうのかという話だと思うが?
850日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:11:29
安倍政権を思い出せ。安倍総理大臣は全く無力だっただろ。
実力のない人が総理大臣に就くとそういうことになるんだよ。
じゃあ総理大臣には何の権限もないのか?とんでもない。
内閣総理大臣は本来は絶大な権限を持っているはずなんだ。
無力であることと権限がないこととは違うわけだ。
851日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:12:13
>>847
天皇は律令を「交付」してその主体者であることが明確になっている。
内大臣などの令外の官も左右大臣の下、大納言の上に位置づけられるなど、
明確な位置づけがなされている。
さて、摂政・関白は?
明確に位置づけが書かれたものがある?
852日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:13:10
>>850
馬鹿ですね・・・
「日本国憲法」を百回読みなおして
幼稚園からやり直しましょう。
853日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:15:50
>>852
日本国憲法読んだことある?ないでしょ。
854日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:16:52
>849
だから、摂関政治全盛期にも議政官の権限が否定されていなかったのと同じように、
側用人時代にも老中の権限は別に否定されていない。
で、関白の権限にはそういった「本来的な権限」に裏打ちされたものはほとんどない
という話なんだけど。老中の権限は否定されなくても側衆の権限はなくなることがある。

関白の権限というのは、「私的関係に依存する、みかけの権限」が実態だから、ほか
に力のあるものがいれば、本来の「単に書類の下見をするだけ」という権限しか残ら
ないというだけのことだよ。
855日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:17:47
>>851
同じく天皇が公布した大日本帝国憲法には天皇の規定が置いてありますが何か?
856日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:18:30
>>853
はい、日本国憲法を読んだことのない、
義務教育を受けてこなかったみなさん。
日本国憲法には内閣総理大臣の職務について
書かれた条項があります。
これまで知らなかったと思いますので、
小学校からやり直しましょう。
857日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:20:19
>>854
ほかに力のある存在がいたら関白の権限が否定されてしまうのかという話だろ。
論点をすり替えるなよ。
858日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:20:59
>>855
「律令」にも天皇の規定が描いてあるよ
859日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:21:34
>>854
だからそれは内覧という地位の人だと言ってるだろうが。
お前はアホか。
860日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:22:49
>>854
つ 838
861日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:28:23
>857、859、860
だから、内覧以外の「関白の権限」はなんだよ。通説ではそんなものは存在しないんだが、
お前の脳内にはなにか存在しているんだろ?
それを教えてくれよ。
862日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:32:51
>857
公的なものである老中や議政官の権限は、側用人政治や摂関政治の時期も
否定されたことはない。
私的でみかけのものに過ぎない「関白の権限」や「側用人の権限」は、本人に
力がなければ存在しない。

それだけのことだよ。
863日本@名無史さん:2008/03/15(土) 18:16:43
例え話は意図的にかどうかわからんが、議論が拡散するからやめたほうがいいという事は理解できた
関白にはこういう権限があります、公的なものはこれ、私的なものはこれ
そしてこういう史料からこのことがいえます
とすればいいだけじゃない
なぜしない、できないのか
864日本@名無史さん:2008/03/15(土) 18:26:10
なんかスレ違いな展開じゃないか? 
秀吉当時の関白について議論すべきではないか
865武陽隠士:2008/03/15(土) 18:54:04
>>秀吉当時の関白について議論すべきではないか

なかなかこいつ、鋭いこというじゃないか...。
いいか?
平安の関白の権限など建前的に語っても確かに意味がない。
これから秀吉時代の関白の話に限定しろ!
バカどもが...


866日本@名無史さん:2008/03/15(土) 19:18:03
関白について律令に規定がなかったから公的ではないとか言ってるアホがいるが、短絡的としか言いようがない。
大日本帝国憲法には内閣について規定がなかったこと、現行憲法には政党について規定がないことを考えれば、そのような思い込みがいかに短絡的かがすぐわかる。
むしろ規定という枠を離れたところに政治の中枢を担う公的機関が存在してきたとさえいえる。
867日本@名無史さん:2008/03/15(土) 21:07:19
>>865
バカは引っ込んでろ
868日本@名無史さん:2008/03/15(土) 23:49:53
>秀吉当時の関白について議論すべきではないか

それって
秀吉のやった事⇒関白職で出来る事
にならないか?
秀吉の関白在任期間は短かったし
それでは本来の関白の職権とは乖離した議論になってしまうだろ?
869日本@名無史さん:2008/03/16(日) 01:11:18
>>868 
>本来の関白の職権とは乖離した議論 
そもそもそれがスレ違い
870日本@名無史さん:2008/03/16(日) 01:22:26
徳川家康は何故関白になれなかったのか?
871日本@名無史さん:2008/03/16(日) 02:00:53
>870
関白にせよ将軍にせよ、切腹させられるなんてのは前代未聞だからね。
そこまでけちがついたものにわざわざなろうとは思わんでしょう。
872日本@名無史さん:2008/03/16(日) 02:01:36
>>869
違うな、話をブッタ切るなよ。
「秀吉は征夷大将軍に成れなかったのか?」に対して
「征夷大将軍より上の関白になったんだからなる必要もあるまい」云々
「否、関白とは摂政とは違い有名無実の役職だ」等々の議論の途上にある。
ここ(関白>征夷大将軍?)を通過しないと次に進めない状態になってるのよ。

>>870
アンタのは流石にスレ違いだろw
873日本@名無史さん:2008/03/16(日) 02:46:25
>>872  それなら問題ない、 当時は、将軍>>関白だから 
関白論を展開する必要ない。
874日本@名無史さん:2008/03/16(日) 02:54:24
>>873
戦国時代は将軍なんてまるっきり無力だよな?
家臣に殺されたり、悲惨な状態だっただろ。
875日本@名無史さん:2008/03/16(日) 02:58:54
関白なんて相手にされてないだけ。
876日本@名無史さん:2008/03/16(日) 02:59:44
徳川家康は何故関白になれなかったのか?
@関白職を豊臣家から奪い取ると豊臣恩顧の大名が離れていくと判断した。
A関白が政務をとる京は本拠地の江戸からは遠く離れていたので不都合だと判断した。
B朝廷の政治機構は武家社会の仕組みに適合していないと判断した。

豊臣秀吉が関白になったのは、以上のような不都合性を感じていなかったからであろう。
877日本@名無史さん:2008/03/16(日) 03:18:47
>874
関白は、その「無力な将軍」に伺候したり追放されたりしていたんだけど。
878日本@名無史さん:2008/03/16(日) 03:26:43
ていうか秀吉が幕府を開くメリットなんてあったのか?
879日本@名無史さん:2008/03/16(日) 03:37:11
豊臣政権は秀吉が将軍にないため幕府と呼ばれないだけな気がする 
880日本@名無史さん:2008/03/16(日) 04:07:13
幕府じゃなくて朝廷だよ。
朝廷だからこそ天下統一=中央集権化が可能なんだよ。
幕府ができたら多極構造になってしまうよ。
881日本@名無史さん:2008/03/16(日) 04:32:29
やってることはあくまでも武家政治、
882日本@名無史さん:2008/03/16(日) 05:34:39
秀吉が健在なうちに、
無害な誰かさんを将軍に任命しちゃえばよかったのに。
883日本@名無史さん:2008/03/16(日) 06:10:52
清正だな、第一候補は。
・・・源氏じゃないけど
884日本@名無史さん:2008/03/16(日) 06:27:37
将軍の大安売りだなww 
んなことあるわけねえ。
885日本@名無史さん:2008/03/16(日) 08:06:21
実力が違うから、どのみち家康が望めば取られる地位だしねぇ
886日本@名無史さん:2008/03/16(日) 13:15:26
朝廷で武家政治ができるなら、わざわざ幕府を開く必要がない。
887日本@名無史さん:2008/03/16(日) 13:41:27
征夷大将軍はもともとは東夷を征服するために置かれる職だから、そんなものを置いたら、その矛先はどこだよ!ということになる。
当然、東に拠点を置く誰かさんが怒りだすだろう。
888日本@名無史さん:2008/03/16(日) 14:13:49
>>886 豊臣政府は朝廷政治じゃなく秀吉の私的機関だから
889日本@名無史さん:2008/03/16(日) 14:15:34
>>884
ベジータ様みたいなせりふですね
890日本@名無史さん:2008/03/16(日) 15:27:12
秀吉が本拠地を大阪に置いたのが味噌だな。
京都より立地条件が良いし朝廷への睨みが効く。

足利は幕府を京都に置いてたけど(南北朝時代あったからな)。
891日本@名無史さん:2008/03/16(日) 15:56:21
>>888
朝廷の要職はバッチリ押さえてるよ。
今だって実際の決定は自民党内で行われていたとしても、
大臣ポストをしっかり押さえていれば自民党内閣ということになるよ。
892日本@名無史さん:2008/03/16(日) 20:20:10
今の自民党政治と当時の豊臣政権の運営とは全く関係ないな
893日本@名無史さん:2008/03/16(日) 21:45:01
いずれにしても朝廷の役職を名乗っている以上、朝廷政治であることに変わりはない。
894日本@名無史さん:2008/03/16(日) 22:34:12
朝廷政治って何よ
895日本@名無史さん:2008/03/16(日) 23:28:28
>>894
天皇に主権を認める政治のことだろ。
896日本@名無史さん:2008/03/17(月) 00:14:22
>>893
そうなのか?
897日本@名無史さん:2008/03/17(月) 00:48:54
朝廷政治
って御簾の中にオワシます帝の前で参議以上の者たちが
議案⇒審議⇒決定
する御前会議の事じゃないのか?
898日本@名無史さん:2008/03/17(月) 00:55:22
関白、大臣、その他の役人が朝廷政治に参加していなかったら、朝廷はもぬけの殻になってしまうだろ。
899日本@名無史さん:2008/03/17(月) 01:08:53
で、結局朝廷政治って何よ>>893
900日本@名無史さん:2008/03/17(月) 01:10:22
朝廷に基盤を置いた政治のことだろ。
901日本@名無史さん:2008/03/17(月) 01:17:52
今だって議会政治といいながら、国会議員は実際は議会の外で政治を動かしている。
しかし、動かしている彼らが国会議員である以上、それはやはり議会政治と呼んでいるわけだ。
902日本@名無史さん:2008/03/17(月) 01:21:58
下準備が国会外でも最終的には国会で決議せなならんから議会政治でいいだろう
903日本@名無史さん:2008/03/17(月) 01:27:47
法律以外は議会の決議なんていらないだろ。
904日本@名無史さん:2008/03/17(月) 01:30:31
あー、あと予算も議会の決議がいるか
905日本@名無史さん:2008/03/17(月) 03:36:58
>>898 秀吉の死後ほぼそうなったがな。
906日本@名無史さん:2008/03/18(火) 01:29:36
>>887
足利将軍になってから、征夷の意味は薄れてきたるんじゃないのか。
武家の棟梁としての名目地位ぐらいで。



907日本@名無史さん:2008/03/18(火) 01:42:09
そもそも足利って武家の棟梁なのか?
戦国大名との間に主従関係なんてないだろ。
たとえば北条早雲なんて足利一門を撃破して戦国大名になったわけだし。
908日本@名無史さん:2008/03/18(火) 04:55:00
秀吉は将軍・関白どちらでもなれたはず。
ただ家康を変に刺激したくなかっただけ、と思うが?
909日本@名無史さん:2008/03/18(火) 05:19:32
何言ってんだ?
武家の棟梁=(清和)源氏の総帥

ってコトじゃないか!
源氏は各地にイッパイいた新田とか木曽とか便宜上名乗ってるだけだ。
足利尊氏も源氏の名門の出自だから皆が北条を見限り尊氏担いんだじゃないか。

征夷大将軍はあくまで武家の棟梁に下されるのであり
正式な名である源尊氏として拝命した。
系譜誤魔化して征夷大将軍になった家康も松平や徳川ではなく
武家の棟梁、源家康
として就任してんだよ。
910日本@名無史さん:2008/03/18(火) 09:37:21
へぇ、大塔宮は源氏で武家の棟梁だったのか。
911日本@名無史さん:2008/03/18(火) 09:40:36
へぇ、九条頼経は源氏で武家の棟梁だったのか。
912日本@名無史さん:2008/03/18(火) 13:09:19
そもそも徳川家の源氏長者の地位自体が、朝廷に下賜させたものなのになw
本来は三河の土豪。源氏の流れを本当に汲んでるかすら怪しい
実際には吉良家の系図を買ったりして補完しないといけないほど
913日本@名無史さん:2008/03/18(火) 13:33:16
別に源氏長者じゃなくても将軍にはなれるよ。
ただし高貴な身分の血を引いていなければならない。
だから北条氏は将軍にはなれなかった。
914日本@名無史さん:2008/03/18(火) 13:52:27
北条氏は将軍になれなかったのではなくならなかったのだろう
お飾りの摂家将軍、親王将軍をおいて実権を握る
全盛期の摂関家がお飾りの天皇を擁していたように
そのほうが御家人の賛同を得やすいと考えたため
そもそも北条氏は鎌倉幕府成立当初より平氏を自称しており
(北条政子は官位を受ける際平政子と名乗っている)
平氏自体、尊貴な血筋に違いはない
915日本@名無史さん:2008/03/18(火) 13:52:54
系図捏造、は戦国時代に横行した手だからね
いわゆる成り上がりが増加したため
916日本@名無史さん:2008/03/18(火) 13:52:56
北条氏は平姓ということになっていますが
高貴ではないんですか?
917日本@名無史さん:2008/03/18(火) 13:57:34
傍流の傍流だからだろ
918日本@名無史さん:2008/03/18(火) 14:04:36
徳川家康が自称した新田源氏庶流得川氏も
庶流の庶流だ
もはやなんでも良い状態
919日本@名無史さん:2008/03/18(火) 14:15:22
とはいっても他にめぼしい源氏もいないから、源氏長者になった徳川が嫡流と言
えなくもない
920日本@名無史さん:2008/03/18(火) 14:41:24
源氏長者の初代は嵯峨源氏の源信
その後関白藤原頼通の養子だった村上源氏源師房へと移り
久我、中院、堀河、土御門家らの村上源氏から出ていた
しかし太政大臣にまで上った将軍足利義満がはじめて
公家から源氏長者の座を奪って武家から源氏長者となり
以後足利将軍からこの座につくものが出る
足利家の力が衰え始めると源氏長者の座は再び公家に戻る
が、徳川家康が再び公家から源氏長者を奪った
921日本@名無史さん:2008/03/18(火) 15:19:29
>>919
いい加減に知ったかはやめろ。
見苦しい
922日本@名無史さん:2008/03/18(火) 16:18:32
足利義満が源氏長者の座を奪取したのは関白に対抗するためだったらしいよ。
将軍は関白より格下だけど、源氏長者を兼任することで関白より格上になると考えられたんだって。
923日本@名無史さん:2008/03/18(火) 16:53:50
将軍は関白より下どころか単独の職としては相当下だろう

そういえば、久我家や土御門家からは
太政大臣で源氏長者を兼ねた人が何人も出たけど、
関白よりも上だったの?
924日本@名無史さん:2008/03/18(火) 17:18:36
太政大臣じゃダメなんじゃね?
組み合わせがあるんだよ、きっと。
925日本@名無史さん:2008/03/18(火) 17:32:52
徳川将軍の肩書きも非常に長いよね。いくつ兼任してる?
926日本@名無史さん:2008/03/19(水) 11:02:33
関白藤氏長者は
将軍源氏長者より上だよ
927日本@名無史さん:2008/03/19(水) 11:51:27
足利義満は既に天下人として絶大な権勢を誇ってたのに今さら関白なんかに対抗する必要があったの?
928日本@名無史さん:2008/03/19(水) 12:46:57
スレタイを読めないバカ登場
929日本@名無史さん:2008/03/19(水) 19:27:05
義満は畏れ多くも「法皇」の位をおネダリしてた。

権力志向と言うより権威欲だな。
930日本@名無史さん:2008/03/19(水) 21:48:55
だってあそこまで権力持ったら、次に狙ってくるもんなんて限られてくるじゃん。
ある意味分かりやすい人物。
931日本@名無史さん:2008/03/19(水) 21:52:16
>>927
義満が法皇の地位を得るのに関白が反対したんじゃないのか?
932日本@名無史さん:2008/03/20(木) 15:00:40
いや、関白はじめ公家は大賛成。
管領をはじめに武士が反対。
933日本@名無史さん:2008/03/20(木) 17:07:39
以前にNHKの「その時歴史は動いた」でそのテーマについてやってた。
時の関白と熾烈なバトルがあったらしい。
934日本@名無史さん:2008/03/20(木) 19:19:27
そのバトル圧倒的に義満の勝ちだったのかな?
そもそも時の関白はだれ?
935日本@名無史さん:2008/03/20(木) 19:45:19
義満が法皇になることについて、関白がなかなか同意してくれないから、
だったら関白の同意がなくても済むように、関白より格上に立ってしまえ、という理由で源氏長者を兼ねた。
たしかそういう内容だったと思う。関白の名前は忘れた。
936日本@名無史さん:2008/03/20(木) 19:51:54
>>927
足利義満はまだ天下人じゃないよ。
全国には義満に従わない豪族がたくさんいたはずだよ。
937日本@名無史さん:2008/03/20(木) 19:56:02
足利家は軍事的基盤も経済的基盤も脆弱であったため、有力豪族の協力がなければ何もできなかった。
938日本@名無史さん:2008/03/20(木) 19:57:06
ゲーム脳きたか
939日本@名無史さん:2008/03/20(木) 23:17:00
田安家の末裔の徳川さんが書いた本読んだら
征夷大将軍の権威が高くなるのは家康からで
秀吉は武家の棟梁よりも人臣のトップを選択したと
当たり前のように書いてあってワロタ。
940日本@名無史さん:2008/03/20(木) 23:35:19
まぁ本当のことだから。
941日本@名無史さん:2008/03/20(木) 23:57:31
>939
その「人臣のトップ」が儀式の場で足利将軍の裾をとったり年始に伺候したり、
はては機嫌を損ねて追放されたりしていたというのは無視なんですね。
942日本@名無史さん:2008/03/21(金) 00:39:25
でもその足利将軍の権威が全国には及んでいなかったことは事実じゃね?
結局、京都とか一門が支配してる地域とかに限定されていたと思う。
943日本@名無史さん:2008/03/21(金) 00:50:01
なぜ足利は将軍職を選ぶことになったのかを考えるべきだと思うんですよね。
同じ武士の平清盛は太政大臣として政務を行ったのに、なぜ足利尊氏は太政大臣にならなかったのか?
将軍なんて鎌倉時代はお飾りにすぎなかったのに、なぜわざわざその将軍を選んだのか?
944日本@名無史さん:2008/03/21(金) 05:18:53
いくら実権は執権が握っていて気にいらない将軍は自在にクビにしてた
と言っても仮にも現職の征夷大将軍(主君)には平伏していた。
違いは「力」がある(お飾りでない)って事。
945日本@名無史さん:2008/03/21(金) 08:57:17
>>943
頼朝は将軍。源氏の将軍。
清盛は平氏。武士が公家化しただけ。
946日本@名無史さん:2008/03/21(金) 09:53:43
太政大臣としての清盛にも絶大な力があったと思うが?
公家化すれば天皇との外戚関係も作りやすかったと思うが?
947日本@名無史さん:2008/03/21(金) 09:54:04
財政と直轄武力の少なさが足利幕府の弱点、とはよく指摘されることだけどね
948日本@名無史さん:2008/03/21(金) 11:02:03
どの辺までがが天下なのは時代や状況によって変わるだろ
949日本@名無史さん:2008/03/21(金) 12:42:49
>>946
娘を天皇の妃にしようとした源頼朝や足利尊氏は公家化したのか?
娘を天皇の中宮にした徳川氏は公家化したのか?
950日本@名無史さん:2008/03/21(金) 19:13:14
足利尊氏は何故太政大臣にならなかったのか?
951日本@名無史さん:2008/03/21(金) 19:49:58
鎌倉幕府の滅亡により幕府の権威は失墜したはずなのにな。
952日本@名無史さん:2008/03/21(金) 20:03:10
鎌倉幕府や北条氏がだろ、
953日本@名無史さん:2008/03/21(金) 20:13:29
幕府を打倒し朝廷政治を復活させた足利尊氏が、何故また幕府を開いたのか?
954日本@名無史さん:2008/03/21(金) 20:16:01
建武はもっとひどいじゃん。
955日本@名無史さん:2008/03/21(金) 20:25:10
何故太政大臣になって内側から改革しようと思わなかったのか?
956日本@名無史さん:2008/03/21(金) 20:33:38
武士たちが朝廷に嫌気をさしていたからだろ
957日本@名無史さん:2008/03/21(金) 21:15:10
足利義満は話題性高いね。専用スレないのが残念。
958日本@名無史さん:2008/03/21(金) 21:22:49
義満じゃなくて尊氏だろ
959日本@名無史さん:2008/03/21(金) 21:29:02
>>950
天皇の下で政治をするつもりはないという意思表示。
960日本@名無史さん:2008/03/21(金) 21:59:15
そもそも義満は本気で法皇の位を狙ってたのかな?
天皇経験者でないと法皇になれないのを承知の上で。
961日本@名無史さん:2008/03/21(金) 22:59:15
日本国王を名乗ってたんでしょ?
962日本@名無史さん:2008/03/21(金) 23:02:32
有力守護大名の協力がなければ何もできなかったんでしょ?
963日本@名無史さん:2008/03/21(金) 23:09:29
だから有力守護は義満が天皇を凌ごうとするのに非協力的だったじゃん
むしろ公家の方が義満に擦り寄って協力してた
964日本@名無史さん:2008/03/22(土) 00:09:33
965日本@名無史さん:2008/03/22(土) 00:26:17
>>941
それは徳川さんにいってくれw

徳川家の子孫が先祖が将軍になったことをどういっているか
なかなか面白いんで、以下、同じ本から
・家康は当時従一位で右大臣。征夷大将軍は四位相当。自分から頼んで格を下げてもらった。
・秀吉は将軍よりも関白の方が値打ちがあると考えたから、関白になった。
・信長は光秀に殺されなかったら、将軍になれた。
・鎌倉〜南北朝期は皇族将軍や藤原将軍もいる。源氏じゃないと将軍になれないというのは後世のものの見方。
・源頼朝は征夷大将軍にこだわっていない。二年で辞表を提出した。
966日本@名無史さん:2008/03/22(土) 01:41:21
>944
足利将軍の場合、平伏どころか、関白に儀式の場で公然と裾を取らせているんだけど。
967日本@名無史さん:2008/03/22(土) 01:43:05
>965
うーん。そもそも征夷大将軍が四位相当なんて書いている時点で、
「だめだ、こりゃ」だね。
源氏将軍説とか頼朝の話はともかくとしてね。
968日本@名無史さん:2008/03/22(土) 08:35:45
そー言やー岩倉具視も源氏だったな。
下級貴族の彼は大臣の家格でなかったため大納言(右大臣代理)止まりだった。
でも上下関係の厳しい公家の中でも発言力はトップクラス。
969日本@名無史さん:2008/03/22(土) 11:37:39
まぁ室町幕府が全く機能しないままあえなく滅亡した直後だし、秀吉は幕府を開くことに価値を見出だせなかったんじゃないか?
関白になって朝廷を牛耳ってしまえば何も問題ないわけだから。
970日本@名無史さん:2008/03/22(土) 12:41:26
しかしその後の歴史を見ると、秀吉も将軍になっていれば
と思ってしまう。しかしそれは結果論だな
971日本@名無史さん:2008/03/22(土) 15:17:03
>>969
それだと徳川も太政大臣を志向してもよさそうだが
972日本@名無史さん:2008/03/22(土) 17:25:05
>>971
太政大臣は名誉職の意味合いが強く
豊臣復権の機会を奪う公的地位としては不適
973日本@名無史さん:2008/03/22(土) 18:25:20
でも太政大臣になっとけば天皇(皇族)以外には頭下げなくてもよい
からなっとけばイイじゃん。
家茂なんか哀れなもんだぞ。
京に呼びつけられ帝に怒られ平誤り。

この頃にはなれないけどw
974日本@名無史さん:2008/03/22(土) 21:18:45
京から江戸に来た天皇の使者が天皇のお言葉を下座から伝えさせられていた時期もあったんだけどな。
975日本@名無史さん:2008/03/22(土) 21:27:44
>>972
それは関白じゃねえの
関白は基本的に臨時職っつうか、例外だろ
976日本@名無史さん:2008/03/22(土) 21:30:23
>>971
太政大臣は関白の下だよ。で、関白は成人後の秀頼の指定席だった。
要するに、朝廷内にいる限り、豊臣秀頼の上に立つことができない。
だったら、豊臣さんよ、勝手にやっていてくれ、俺も幕府を開いて勝手にやらせてもらうから、という感じだったんじゃないか?
で、大名たちに、朝廷の秀頼につくのか、幕府の俺につくのか、という選択を迫った。
結局、大名たちがついた方が勝ち、みたいなところがあったと思う。
977973:2008/03/22(土) 21:54:50
>>974

あれ面白いよね。
前テレビでヤッてたけど時代、時期によって(朝廷と幕府の力関係で)
天皇の使者が上座に座ったり並列であったり将軍が上座だったり、、、
江戸幕府二百六十数年の間でも色々あったみたいだね。
978日本@名無史さん:2008/03/23(日) 02:36:18
禁中並公家諸法度の制定→院政に対する拘束を欠く→天皇家の外戚となることを
目論んだ徳川→徳川の血を受けた明正天皇を傀儡にした後水尾上皇→徳川の外戚への
野望が挫折→朝廷との融和に転じた幕府→5代将軍を朝廷より迎える案が幕府内に起こる
→結果的に綱吉が5代将軍になったが、尊皇心の厚い将軍だった→8代吉宗の時代、
朝幕関係は最も良好となる→光格天皇による朝廷優位の現出と幕府の衰退→
松平定信の大政委任論→外国列強に対峙するための公武合体政策→朝廷優位と幕府衰退がより顕著に
→尊皇攘夷の嵐→井伊直弼、違勅を犯して不平等条約締結→桜田門外の変
→京都を中心とした倒幕の嵐→大政奉還
979日本@名無史さん:2008/03/23(日) 03:30:40
>>978
なぜそこまで朝廷に気を遣ったのかといえば、天皇は将軍職の正統性の源泉だったから。
もちろん朝廷に勝手なことはさせないが、粗末に扱うこともできなかったというわけだ。
そのため、幕府が衰退した時に再び朝廷が表舞台に現れることができた。
980日本@名無史さん:2008/03/23(日) 04:11:35
そんでいずれ来るべき道州制になってバラバラになると。
981日本@名無史さん
現在は天皇とは全く関係ないわけだが。