228 :
日本@名無史さん:
229 :
日本@名無史さん:2007/09/27(木) 00:18:01
>>228 桓武天皇の生母問題3
[5 母親・高野新笠の血統潤色]
母親に関するコンプレックスを消すために、桓武天皇は周囲の学者を動員して、
母・新笠の生家の神話を創り出しました。
新笠自身も和気清麻呂に依頼して、和史の社会的地位の向上を図る「和氏譜」を編纂した
そうですが、とくに言われているのは、新笠が薨じたとき、桓武天皇が「天高知日之子姫尊」
(天を支配する日の精を受けた尊い女性という意味)という別格の謚号をおくり、そして、
新笠の出自を最大限に飾る薨伝をつくり出したことです。
任にあたったのは、津連真道という学者だそうです。
(中略)
(新笠の系図を潤色した功績によって、真道は菅野朝臣という氏姓を貰いました。そのとき
真道は、自分自身の先祖も百済の第16代の貴須王の末裔であると、王仁の伝説を
換骨奪胎したような話を創作し、百済王(くだらのこにきし/百済の王の末裔を自称する
帰化人系で身分が高いとは限らない)の一族の三人を証人に仕立てて、皇室に認めさせて
います。その時の長い上奏分が『続日本紀』にあります。桓武天皇の時代には、このような
事がしばしばあったようです)
こういう事があったので、当時の人たちが、我も我もと、先祖は朝鮮から来た――と主張し
はじめ、罰せられたという話もあります。
(中略)
少しくどくなりましたが、新笠の生家伝説に大きな疑問があることは、このように正史からも
読みとることができるのです。
http://www.kenkenfukuyo.org/reki/ormoru/seibo/seibo03.html
230 :
日本@名無史さん:2007/09/27(木) 00:19:25
>>229 349 :名無しさんの主張 :03/06/17 22:33
桓武天皇の生母が本当に百済王家の子孫であるかについては歴史家の間でも議論がある。
しかし、百済王家自体はもともと半島外からやってきて百済地域に住み付いた流れ者で、
そのために、百済の前身の馬韓時代には自ら進んで王にはなれず、土着の民から推薦
されるという形でしか王位に就けなかった。
百済、新羅、高句麗はもともと別民族で言語も異なり、半島には更に他の民族も暮らして
いた。「朝鮮人」とはそれらの混血で、百済滅亡時点では「朝鮮人」なる民族が存在して
いたとすら言えない。したがって百済王家=朝鮮人という見方は正確ではない。今でも
韓国では旧百済地域と旧新羅地域の住民は、気性や顔立ちが異なり、深刻な地域対立が
残存している。
百済王家=辰王家≠百済人、百済人≠朝鮮人
BC100頃に真番に隣接して「辰国」があった。
三国志東夷伝には「辰王不得自立為王」、辰王は自ら王となることができない、という
奇妙な一節があります。
王族ではあるが外来者のために、その地では先住者の賛同がなければ王にはなれな
かった・・という意味と解釈しておきます。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/kk09.html