律令体制崩壊後のその残滓:地方制度

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1国衙や郡衙に興味あり:2007/07/23(月) 20:54:54
国衙などがどうなったんでしょうか。
また在庁官人はどんな風に勢力拡大?

百官名についても守備範囲にしてOKで、、、、

 どうぞよろ。
2日本@名無史さん:2007/07/23(月) 20:59:08
国衙領が、国司の私領のようになる。
3日本@名無史さん:2007/07/23(月) 21:22:07
☆在庁官人の私領でしょうか
 だいだい在庁官人ポスト押さえている地元ボスとかの
 国司って毎回変わるのか普通と思いますので、やっぱ変わらないのは在庁官人かなと

☆知行国制の行く末を考えてみるとよいかもと一人思いました
4日本@名無史さん:2007/07/23(月) 21:30:26
在庁官人は、代々同じ役職を得る。そのうち私称する?
  三浦介、千葉介、上総介、井伊介とかの八介が典型?
  小弐氏もあり。

5日本@名無史さん:2007/07/26(木) 22:44:20
律令体制崩壊により、各官職(中央の一部は除く)は、意味がなくなる。
百官名の成立へ。

なお、伊勢国では国衙が残ったんでしょうか、
6日本@名無史さん:2007/07/26(木) 23:00:45
中央が地方に権限をアウトソーシング
7日本@名無史さん:2007/07/26(木) 23:05:35
>>6
予備校講師の才能が有りそう・・・
8日本@名無史さん:2007/07/27(金) 07:14:26
在庁官人には国史が連れて来た実務官僚系と、郡司クラスの豪族が国衙に直接勤めるようになったのがある
9日本@名無史さん:2007/07/27(金) 09:42:33
朝廷内での権力争いにのみ長けた貴族の無能ぶり
これほどまでに内政への関心が低かった時代が
日本史上にあっただろうか
10日本@名無史さん:2007/07/28(土) 20:42:28
縄文時代
11日本@名無史さん:2007/08/11(土) 19:53:26
農民で「なんとか兵衛とか、なんとか衛門」とかいるのは、
律令体制崩壊の名残かな。

もともと、朝廷にお金を包んで、それで名乗ったのかな。
12日本@名無史さん:2007/08/12(日) 00:15:01
国衙の持ってた徴税権と警察権は最終的には守護が引き継ぐんだけど
その時期は南北朝当たり?
13日本@名無史さん:2007/10/15(月) 08:28:08
 
14日本@名無史さん
>12
過去に向かって電波レスすると

鎌倉期にも臨時で行われる例は少なくなかったが、
建武新政府が国司・守護併設したり同一人を任命する例があったりしたことが大きいのかな。
それか、「このときに始めて、守護が朝廷公認の国制として認定された」事がきっかけなんかね、
おおむね南北朝時代から定着した。

したがって、後亀山が北朝に帰服したとき、大覚寺統側の財源となるべき
国衙領は残存していなかったわけだ。