権力者にとって聖地が地上に存在したら色々と面倒じゃないかw
892 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 02:50:59
伊邪那岐大神・伊邪那美大神を祭る多賀大社は滋賀県にあるの知ってますか?
高天原では、天照大神が、天の岩屋に入りましたね?
そのとき、八意思兼命・天手力雄命・天宇受売命が活躍しましたが、祭られてる神社は、
秩父神社(埼玉県)、戸隠神社(長野県)、鈿女神社(長野県)
すべて、近畿以東なんですよ。ご存知でしたか?
893 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:00:49
なぜ、高天原の神が近畿以東で祭られているのか?
もともと、彼らが地方神だったからですよ。
壬申の乱のあと、天武天皇が信濃に遷都しようとしたのを、ご存知ですか?
戸隠神社のある戸隠連峰の麓が、天の岩屋神話の舞台です。
つまり高天原は近畿以東の神話なんですよ。
それを天武天皇が気に入って日本神話に組み入れたってわけです。
記紀の登場人物が全部実在したと考えてるのかここはw
高天原は実在の場所ではない。日本書紀ではただ単に「天上」とされている。
当時の古代の精神世界・宗教観を理解しないといけない。
当時の人たちは、この世は
天上=高天原
地上・現世=葦原中国
地下=黄泉国
の縦軸に三つの世界があると信じていた。
そして、地上・現世の支配者であった出雲王権への革命を正当化するためには
皇室の先祖は、天上から宿命を背負って、出雲を倒したことにしないといけない。
じゃないと、今度は、皇室は自分たちの臣下から革命の対象にされる。
ちなみに、皇室の始祖であるアメノオシホミミは
出雲の大国主から国譲りを迫れなかった神様だが、
この「ミミ」という名称は、出雲神話の神様に多く登場する尊称で、
後の魏志倭人伝に登場する投馬国(出雲?)の官、副官の名称として
「ミミ」「ミミナリ」というのが出てくる。
としたら、皇室の先祖は出雲王朝に対して臣下の礼を取っていた可能性が高い。
>>874 弥生時代に対する定説は
ほぼ覆りつつあるよ。
897 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:18:42
898 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:27:39
日本神話のタネを明かせば、
壬申の乱で天武天皇に協力した氏族が持っていた神話の寄せ集めなんですよ。
だから、近畿以東で祭られていた地方神が、高天原の神になったわけです。
なぜ、九州の日向に天孫降臨したという神話ができたのか?
それも、南九州の地方神・ワタツミを祖神とした阿曇連に配慮したことなんです。
ワタツミの娘とニニギの子のヒコホホデミが婚姻していますね。
899 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:34:52
>>897 残念ながら、多賀大社のほうが由緒がはっきりしてますよ。
“古事記”で、「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」とあります。
社伝によると、神代の昔、伊邪那岐大神は本社東方の杉坂山に降臨され、
麓の栗栖の里でお休みの後、多賀にお鎮まりになったと伝わっています。
900 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:35:55
>>898 神武天皇以前の神話の部分は
多少はそういう寄せ集めの部分もあるが
必ずしも、寄せ集めだけではない。
天武天皇にとって、一番まずかったのは
大和王朝の創始者が、自分たちの男系先祖ではなかったこと。
大和王朝の創始者は、アマテル(ホアカリ)といって
日本書紀には、正式名称では、天照国照彦火明命である。
神武皇統の先祖は、このアマテル(ホアカリ)の弟・ホノニニギのほうだった。
だからこそ、天武天皇は生涯、熱田神宮の尾張氏(ホアカリ系の嫡流)から
草薙の剣の本物を奪おうとしたり、(皇室にある剣はレプリカ)
大和王朝の始祖・アマテル(ホアカリ)の存在を弱めて
アマテル(ホアカリ)とホノニニギの父方の祖母にあたるオオヒルメを
アマテラスとして祭ることにしたわわけで。
アマテルからだと、皇室はその男系子孫ではないから、
先祖をさかのぼらせて、尾張氏・皇室の共通の先祖を祖神としたわけだ。
902 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:46:22
>>901 なんにせよ、「高天原の概念」は、近畿の人々が持っていたということで、FAでしょう。
天孫降臨が事実でも、近畿から日向に王族が派遣されたということですな。
西都原古墳がその証というわけで。
つまり、天孫降臨の実年代は4世紀以後ということです。
903 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:49:49
「天照」と名のつく神社も近畿に集中してることからも、
「天照」(アマテルでも、アマテラスでも、大きな違いは無い)という太陽神信仰が、
近畿中心にあったということなんです。
904 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:02:57
したがって、天照大神を卑弥呼とするということは、
邪馬台国は近畿だというのと同じことなんです。
九州説を唱えるなら、天照大神を卑弥呼と同一視してはいけない。
景行天皇が九州を平定してるわけだから、
そのときに、九州の邪馬台国が滅ぼされたと考えた方が、ずっと筋が通るわけです。
景行紀には、ご丁寧に「八女津媛」という名前まで出てくるじゃないですか。
>>903 天照御魂神社。
これは、アマテルと読んで、そこの祭神は、火明命の場合が多い。
もともとは、女神アマテラスではなく、
男神アマテルだったといわれるのは、この火明命のこと。
神代系図をちゃんと調べること。
天皇家の先祖は、この火明命の弟のホノニニギのほう。
>>904 :日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:02:57
>したがって、天照大神を卑弥呼とするということは、
>邪馬台国は近畿だというのと同じことなんです。
同じではない。天照大神は卑弥呼とは無関係。
そもそも、天照大神は、元々は男の太陽神だった。
卑弥呼は、高い確率で孝霊天皇の皇女・ヤマトトトヒモモソヒメ。
907 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:30:28
>>905 否定はしてないよ。
アマテルという太陽神を、アマテラスという女性にしたのは、推古天皇か持統天皇からだろう。
「隋書」にある「阿毎多利思比孤」も、太陽神アマテルから付けた名だろう。
この倭王は、「日、出ずる国の天子」とか言って皇帝を怒らせた人だ。
天火明命は近畿で祭られているが、近畿系豪族の日下部氏との関係もあるだろうな。
908 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:50:29
>>906 卑弥呼がヤマトトトヒモモソヒメ、というのは同意するが、
ヤマトトトヒモモソヒメは、太陽神の巫女ではなく、三輪山の大物主の巫女だよね?
「卑弥呼は、太陽神の巫女ではない」ということも受け入れられるかい?
魏志にある「鬼道」は、祖霊信仰を意味するから、大物主信仰の方が、意味が近いんですよ。
「卑弥呼は、太陽神の巫女」というのは、長い間に信じられていた誤解だと思うわけ。
「鬼道」は太陽崇拝を意味しないもの。
909 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:57:13
つまり、崇神天皇時代には、アマテルという太陽信仰もあっただろうけど、
ヤマトトトヒモモソヒメは、大物主の祖霊信仰(鬼道)の巫女だったということですよ。
崇神天皇は、「太陽神の鏡」を畏れて別の場所で祭らせたりしてるからね。
その後、天皇家は、太陽神を祭っていないんですよ。
太陽神を祭り始めたのは、天武天皇からなんです。
天皇家が、代々太陽神を祭っていたというのは、誤解だと気づいて良い頃ですよ。
910 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 05:15:34
天火明命は、海部氏・物部氏、東海の尾張氏が祭っていた。
壬申の乱で、天武天皇が勝利できたのは、尾張氏らの天火明命系氏族のおかげだった。
本来は、天火明命を、最高神に据えるべきなんだろうけど、
そうすると、海部氏が天武天皇より格上になってしまう。
そこで、アマテラスを創作し、上位に設定して、天皇家の皇祖神とした。
海部氏の祖の天火明命は、それより格下にした。
というのが、真実だと思うね。
911 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 05:40:53
ちなみに、天武天皇の即位前の名は大海人皇子(おおあまのみこ)といい、
幼少期に養育を受けた凡海氏(海部一族の伴造)にちなむもので、
当時では養育者より幼名をとるのは慣例だった。
天武天皇は、海部氏一族に擁立されたともいえますね。
海部氏一族の祖神が、天火明命、またの名を天照という男性の太陽神。
その上に天武天皇が天照大神(アマテラス)を置いて皇祖神にしたわけです。
こうして日本神話の構造が解けてしまえば、
神武東征だの天孫降臨だのと日本神話を解釈して、
邪馬台国は九州だという説自体が成り立たなくなってくるわけです。
それでも、邪馬台国が九州にあった可能性は、まだありますよ。
>>904のように。
912 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 12:42:48
>>900-901 そう、記紀や神話からすれば九州説は非常に考えにくくなる。
むしろ記紀によって抹消された神々という視点が必要となる。
九州説でありながら記紀神話のストーリーを流用すること自体が、考え方としておかしいわけよ。
では考古学見地からはどうかというと、これはもう可能性はほぼないといってよい。
考古学者、文献学者そしてアマチュア古代史ファンがこぞって九州説を唱えなくなったのは
完全に無理とはいわないが、成立が論理的に極めて困難となったため。
九州説を「心情的に」支持する人は、この矛盾を知りながら目をつぶっているか詭弁や逆ギレに走るかしか居ないので
自分がそうではないというのなら、論理的に整合した新しい九州説を提示すべきだね。
913 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 12:51:59
ただし畿内説もあまり記紀と神話を拠り所にしてはいない。
言われているように、編纂時の捨拾選択や改竄の可能性は十分に考えられるからだ。
同様に神社の位置関係や縁起書、伝承も鵜呑みにはできない。
なので文献方面からの古代史構築は、物的証拠の提示待ちという段階に入って久しい。
これはもう少なくとも30年以上前からそう。
そのくらい文献史学は仔細に検証しつくしている。
あとは考古学の成果待ち。
ヤマトトトヒモモソヒメ=問い百訴姫 神託を受ける巫女だよ
大物主という森羅万象を司る神に聞く
ちなみに天下り神話は、大和朝廷の東国進出を描いた寓話
915 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/09/11(火) 15:03:01
>>912 畿内にはあるわけがない。あるんだったら卑弥呼と天皇の交易等が記紀に
載る。その近所の付き合いの一言記載でもう論争は起きない。女王国が畿内に
あったことになる。遠い半島からの朝貢記事もちょいちょいある。ところが
記紀にはそういう記事はまるでない。せいぜい倭人伝の借用の神功39年等の
記事しかない。卑弥呼の記載ある遠い外国の倭人伝は畿内より九州のほうが
近い。
これは女王国が畿内から遠隔の九州にあったことを物語っている。
ちなみに、纏向遺跡のど真中に天照御魂神社がある。
天火明命(彦火明命)が祭ってある神社だ。
彼は別名・天照国照彦火明命という名を持っている。
つまり、男の太陽神・アマテルである。
初期大和王権(紀元1世紀〜2世紀)においては
尾張氏・海部氏の系譜が大和の最高権威であった。
神武皇統は、この天火明命の弟の火瓊瓊杵尊の子孫であり
天火明命が出雲の国譲りを実行した時は
出雲王朝から日向に派遣されていた状態だった。
しかし、その後、日向の火瓊瓊杵尊の子孫の中でも傍系のものが
他へ転属になっていて、神武東征戦争の直前は中国地方へ転属になっていた。
その時に、大和王権では、ナガスネヒコの謀反があったのである。
それを討つべき、援軍に駆けつけたのが、その転属になっていた火瓊瓊杵尊の後胤の
火火出見(神武天皇)だった。
ちなみに、この神武軍は河内上陸戦争では、ナガスネヒコに敗れて
命からがら、和歌山方面から大和へ侵入している。
が、大和へ付いたときは、ナガスネヒコの軍隊は大和王朝の本体に鎮圧されたところだった。
しかし、この戦争で、神武軍は、神武の兄を戦争で失うなど手痛い大ダメージを受けたが
その奮戦が評価されて、大和の磐余に所領をもらい、磐余彦を名乗るようになる。
その後、大和宗家(天火明命系・尾張氏)を最高権威として
神武皇統は、大和宗家の有力傍系として政事を行うようになった。
このように
最高権威・祭祀を行う:火明命系
最高権力:政治を行う:火瓊瓊杵尊系・神武流
で、大和王権が運営されていくことになるのだが
やがて、火瓊瓊杵尊系・神武流が、権力だけではなくて
権威にも手を掛けるようになる。
その結果、大和王権内部では内紛が勃発し、
神武皇統によるヤマトトトヒモモソヒメ(卑弥呼)の擁立なのである。
最終的には、神武皇統は、三巻入彦の代に権威も権力も両方を握る。
崇神天皇である。
最高権威・祭祀を行う:カムヤイミミ
最高権力:政治を行う:カムヌナカワミミ
919 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 16:18:39
古事記や日本書紀のあらすじはだいたい同じ。
それによると、天照大神は、伊邪那岐命から高天原を治めるように命じられる。
高天原の様子はみんな知っていると思う。
天照大神が岩戸から出てくると、高皇産霊尊(高木の神)が登場し、大きな
変化が起きる。出雲の支配、天孫である邇邇芸命の日向降臨。
邇邇芸命の子孫である神日本磐余彦(神武天皇)はやがて東征し、大和で
長髄彦を滅ぼし、初代の天皇になる。
このようにみてくると、高天原の位置はおのずからわかってくる。
出雲の平定や天孫の日向降臨があれだけ詳細に書かれているのに、どうして
古代に最も栄えた北部九州が登場しないのか。
それは、中北部の九州が高天原だったと考えると何の疑問もない。
つまり、記紀は、古代権力が西から東に移ったことを示唆している。
>>919 そうとは言い切れない。
むしろ、大和で誕生した思想だと考えたほうが良い。
↓
>>895 :日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:14:21
高天原は実在の場所ではない。日本書紀ではただ単に「天上」とされている。
921 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 17:17:18
>>919 高天原は中国思想の影響による天上の概念だろう。
仮に、地上世界だとしても、高天原から日向に天孫降臨するときに、
サルタヒコが道案内をするが、サルタヒコは伊勢の国津神。
北九州から日向に降臨するのに、伊勢の神が出てくる必然性はどこにも無い。
つまり、天孫降臨自体が創作ということ。
北九州から朝鮮半島を結ぶ海上交易の神は宗像三女神だが、
宗像氏は、出雲神の嫡裔、大国主命の神裔として伝えられる出雲系。
北九州は、高天原から国譲りさせられた立場なんだよ。
922 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 18:33:00
ヤマトトトヒモモソヒメが祀った、三輪山の大物主は、大国主系の神様ですね。
大神神社の神主も祖を大国主としています。
大国主系の繋がりは、朝鮮半島〜北九州〜出雲〜畿内を結んでいます。
このネットワークは崇神天皇より前から出来上がっていたのは明らか。
大国主系は、天皇家とは別系譜です。
一方、天照という太陽神は、近畿中心で祀られていた地方神でしょう。
これは、天皇家の系譜です。
崇神天皇の頃は、大国主を祀っていたが、
壬申の乱の後は、太陽神を祀るようになった、というわけです。
ようするに、3世紀に九州〜畿内のネットワークを持ってたのは大国主で、
当時の天皇家は、大王ではなく、畿内中心の地方領主にすぎなかったわけです。
ここまでは、文献史学からもすでに判明してることです。
大国主は、出雲→古挑戦→チベット→タタール系 という悠久の歴史を経た古い古い神だろう
出雲系スサノオに関わる神話はアルタイ・オークニェフ文化のながれに関わりあると思う
924 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 18:59:10
3世紀の時代の邪馬台国が、大国主のネットワークに依存していたことは明らかです。
つまり、邪馬台国の範囲は、九州から畿内まで含まれていたはずです。
邪馬台国を構成する地方のクニが、
それぞれ大国主を祀る巫女を立てていたことは考えられるでしょう。
九州では、「卑弥呼」と呼ばれ、畿内では、「モモソヒメ」と呼ばれた。
「卑弥呼」は、九州の巫女だったか、畿内の「モモソヒメ」と同一人物か?
という研究が、今後の課題と言えるでしょう。
925 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 19:02:42
ということで、邪馬台国の所在地問題が、過去に終了してることを理解できましたかな?
>924
ネットワークとは具体的には何の共有もしくは伝達路を言ってるの?
927 :
サガミハラハラ:2007/09/11(火) 19:17:46
>>925そうです。邪馬台国の所在地問題は佐賀県小城市甘木で終了しております。
928 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/09/11(火) 20:24:09
記紀は文字の無い時代の古代からの伝説伝承を基にして作り上げたもの。
どこまで信憑性があるか疑わしいまさに神話。ギリシャ神話などと似たり寄ったりの代物。
記紀に邪馬台国の記憶の片鱗も出てこないのは、邪馬台国が畿内とかけ離れて九州に存在していたから。
つまりこの二者は接点が何ら無かったからこそお互いに繁栄出来、そして畿内勢力が残った。
邪馬台国は滅ぼされたのではなく自然消滅だろう。ちなみに邪馬台国は甘木付近にあったと考えている。
>928
シュリーマンになって甘木の城壁を発掘してくれ
930 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/09/11(火) 20:44:23
シュリーマンのように金持ちのパトロンがいてくれればね。
東国原を動かせ
吉野ヶ里の様な遺跡が出ますよ、観光のメッカ宮崎がふかーつしますよ〜 って
>>928 いつのまに東遷説を捨てたの?
庄内式土器が北九州発祥だと涙目になってまでも強弁してたのにw
933 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 20:52:18
シュリーマンはトロイの遺跡なんか見つけてないんだけどね
闇雲にダイナマイトで爆破して、その上にあった重要遺跡を破壊して
トロイとは関係ない遺跡は見つけたが
934 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 21:00:10
「宋史日本伝」では神話時代を筑紫時代としている
記紀その他、知られている歴史書以外の資料も存在したはずである。
935 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 21:07:22
記紀は、大和にいる大和朝廷が作ったもの。
もし、高天原神話が事実を反映していないとすれば、思想的な創作であるとすれば、
天孫は大和に降臨するのが一番都合が良い。そこから全国に覇権を広げていくと
いうのが物語の筋としてもぴったり来る。
なのに、天孫は日向に天下る。そして、大和政権の発祥のために神武東征を
必要とする。これはいったいどういうわけか?
天皇家の先祖が西からやってきたことを示すことが、記紀の重要なモチーフに
なっているのは明らか。
936 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 21:26:30
「天皇家の先祖が西からやってきた」という仮説と、
邪馬台国の所在地は関係ありません。
937 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 21:42:41
>>936 皇室の祖先は西にいた。神日本磐余彦(神武天皇)以前の時代ということになる。
つまり、天照大神も西にいた。
天照大神=卑弥呼とすると、卑弥呼も西にいたということになる。
これについては、
>>886を参照のこと。
日本書紀よると、大和にいた饒速日命は天神の子で、天磐舟に乗って高天原から
天下って来たとあるから、大和が高天原でないのは明らかだが。
938 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/09/11(火) 22:02:20
>>935 まあ、百歩譲っても「天孫は日向に天下る。大和政権の発祥のために神武東征を
必要とする」だけは削除できなかったのでしょう。
事情を知る長老とかに「しらじらしい!嘘をつけ!嘘を!」と、
大和起源を一蹴されたのかもしれん。
>>932 涙目はそっちだろう!
939 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 22:29:07
>>937 天照大神は、伊勢の地方神で、天武天皇が祀った神。
「天照大神=卑弥呼」という前提自体が根拠がありません。
高天原を九州とするなら、伊勢のサルタヒコが天孫降臨で道案内するのはおかしい。
反論できるものならしてみなさい。
九州説を唱えたいなら、もっと別な角度から文献を調べることだね。
「天照大神=卑弥呼」と主張する人は
日本書紀の神宮皇后のところに魏志が引用されてることについて
どう落とし前つけるのさw