1 :
日本@名無史さん:
というわけだ。
1文を97.5円で算出
3 :
日本@名無史さん:2007/07/16(月) 18:34:40
4 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 18:44:57
昭和天皇は庶民の1000倍の所得をもらっていたそうだ。(お札をつかったことは
ないが)。明仁は庶民の400倍の所得らしい。
5 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 19:38:21
しかし、家臣・従者(宮内庁)の給与や邸宅・陵墓の管理費、
警備の人員や費用その他もろもろは別枠で国が負担。
実際には、万石以上の待遇だな。
6 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 19:42:41
江戸時代の天皇も、内裏の建て替え、修繕費は別途幕府もち、
天皇に仕える公家の給料も別に幕府から降りていた。
公家は、あちこちの大名に娘を嫁入りさせて、
婚家の大名からお手伝いと称して給料とは別にお金を貰っていた。
7 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 19:49:15
世襲の堂上華族(公家)がなくなっただけで、
江戸時代と一緒か。
>>6 > 天皇に仕える公家の給料も別に幕府から降りていた。
天皇・公家全部で5万石だから、公家なんてひどい貧窮だった。
貧乏御家人同様に、内職に精を出した。
> 公家は、あちこちの大名に娘を嫁入りさせて、
> 婚家の大名からお手伝いと称して給料とは別にお金を貰っていた。
貧乏公家の娘を貰っても、実家への仕送りなんてたかが知れてるから、
大名家にとっては、嫁に公家の娘を貰うのが最も安上がりだった。
将軍家なんかから娘を貰ったら、家が破産しかけた。
9 :
1:2007/07/18(水) 08:28:11
10 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 21:39:01
内廷費・・・天皇夫妻の生活費だが、宮中三殿の掌典・内掌典の給与もここ。
宮廷費・・・宮中晩餐会や鴨場での接待など皇室関係の行事・接待の費用。
皇族費・・・東宮家や秋篠宮家などの皇族の歳費。
宮内庁費・・・宮内庁の職員や侍従や女官の給与はここ。
皇宮警察費・・・皇居や御用邸の警備や天皇・皇族の護衛にかかる費用は警察予算から。
その他、即位の礼や大喪の礼などの「国家的行事」にかかる費用は別途支出。
皇居、御用邸、東宮御所、宮家殿邸、御料牧場などは国有財産だが、国がタダで提供。
11 :
1:2007/07/18(水) 21:47:27
ポイントは今上陛下と美智子皇后の2人住まいなのに
部屋数100室。土地3000坪(100億円)うわもの1500坪(1階が900坪
2階が600坪で50憶円)合計150億円の御所が税金の無駄ではないのか?
家の値段は年収の5倍だから今上陛下の年収はざっくり30憶円。
1文を97.5円に換算したら庶民の400倍の手取り。
明仁7692石説の根拠はここにある。
12 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 22:38:02
>>11 それは全くの誤り。
天皇家のプライベートなお金(内廷費)は、1996年度から年間3億2400万円の定額制
になっていて、8100万円ずつ4回に分けて振り込まれる。管理は宮内庁長官ら8人
から成る内定会計審議会が行い、この中の内廷会計主管が責任者となっている。
内廷費からの支出は約35%が天皇家の雇用人への人件費で、食費や身の周りの品への
支出が約30%、災害見舞金、社会事業奨励金、交際費が約7%などとなっている。
また、天皇家は普通国民からのプレゼントを受け取ることはなく、天皇が行幸した
先の県庁に対しても、予め宮内庁から自治体からの贈り物は20万円以内でという
通達がなされている。
13 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 23:06:23
ただ、七千石の旗本なら軍役の負担があるから石高相応の家臣を自腹で抱えているが、
天皇家の場合、内廷費で雇っているのは祭祀にあたる掌典・内掌典くらいだろう。
執事や秘書や家政婦にあたる侍従と女官、男性の召使いである内舎人(うどねり)、
女中にあたる女嬬(にょじゅ)、雑仕(ざっし)、さらに調理や警備の職員を含めて
総勢約百人の給与が、すべて宮内庁から出ている。
だから、実際には七千石以上の生活になるのではないのか。
14 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 23:18:47
>>13 内廷費で雇用しているのは、掌典7人、内掌典4人、仕女10人、
生物学御研究所と御養蚕所の職員4人の、計25人。これら内廷職員
25人の平均年収は約450万円。
15 :
日本@名無史さん:2007/07/19(木) 19:12:39
天皇家のプライベートな部分の世話をしている侍従や女官、内舎人、女嬬、
掛かりつけの医師にあたる侍医、これが全部、宮内庁費=国費で雇用されている。
しかも、天皇家の資産の管理人である皇室経済主管(昔の内蔵頭)というのがいて、
資産を管理・運用してくれる。
明仁氏が内廷費で雇用してるのは、上記の純然たる私的使用人のみ。
16 :
1:2007/07/21(土) 14:31:53
17 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 15:55:00
この日本で陛下の物で無い物はない。
18 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 16:40:30
19 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 17:16:26
敗戦後、天皇は皇室財産の国有財産移管や財産税によりスッカランになったけれども、
残された、いくばくかの「お手元金」を堅実に運用した結果、昭和天皇崩御の時点で、
数十億円の私産が形成されていた。
私産の中には外国元首からの寄贈された高価な美術品などもあり、不動産こそないが、
国がタダで皇室専用の土地(御所・御用邸・御料牧場)を提供していることを考えれば、
ヒロくんは庶民とは桁違いの資産家として生涯を終えたことになる。
明仁氏は外国からもらった美術品などを国に寄贈したが、これは皇居内の三の丸尚蔵館で
所蔵・展示され、実質的には皇室関連の美術品である。
大名の子孫や実業家が財団を作って、自前の美術館でお宝を所蔵・展示してるのと同じで、
ちょっと姑息ではないだろうか。
20 :
日本@名無史さん:2007/07/22(日) 11:33:55
7600石でももらいすぎ。
北京植物園の庭師になった溥儀のように、一市民として働いていただきたい。
21 :
日本@名無史さん:2007/07/25(水) 07:49:38
アキヒトには、管理部庭園課の嘱託として吹上御苑の庭木の手入れからはじめてもらおう。
22 :
日本@名無史さん:2007/07/28(土) 08:42:49
東宮家、秋篠宮家の人間を働かせるのに、いきなり一般世間はきびしいだろうから、
管理部工務課・庭園課・車馬課・大膳課あたりで、まずならした方がいいな。
23 :
日本@名無史さん:2007/07/28(土) 11:07:33
明仁は6385石の間違い
24 :
日本@名無史さん:2007/07/28(土) 18:12:15
6000石級の旗本の暮らしぶりって、どんな感じだったんだろう?
25 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 02:03:24
あかいろだ
26 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 02:48:13
天王家なんて日本にはいらない生き物だな
税金の無駄使いだし
真性の犯罪者一族
日本から出ていって欲しいよ
27 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 06:54:11
日王って韓民族の子孫なんでしょ?
日本は韓民族に支配されてるってことだね。
28 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 07:02:18
アキヒトが韓民族だなんて
韓民族を侮辱してるよな
東アジアを征服してローマとの交流をしていたと言われる偉大な民族と
自閉的ひきこもり民族の酋長アキヒトを一緒にしないでほしい
29 :
日本@名無史さん:2007/08/05(日) 19:47:23
東宮夫妻は国民に迷惑をかけないように。
ただ税金を無駄遣いするだけの存在にならないように。
と釘を差しておく。
30 :
日本@名無史さん:2007/08/05(日) 19:57:32
ま、価値は50両ってとこだな
>>29 そうそう。
あと、自分の父親が韓民族ほかアジアの人々に対して
いかに大きな罪を犯したか、よく自覚して
毎日、罪人の心で過してほしい。
>>21の言うように、罰として庭師の仕事から始めさせるのも良い。
32 :
日本@名無史さん:2007/09/22(土) 21:33:52
明仁が9578石の根拠
●湯屋の木拾い
物価の指数の一つが湯銭つまり銭湯の入場料だが、江戸の湯銭は150年
以上も大人6文、子供4文のままだったの。江戸時代の大部分を通じて物価
が変わらなかった証拠である。住民に対する衛生行政の一部として町奉行
所が行政指導し、値上げさせられなかったからだが、もちろん全体として
物価が安定していたからこんなことができたのである。しかしいくら安定
していたといっても、これでは湯屋の経営は次第に苦しくなるばかりである。
そこで仕方がないので、湯屋の従業員はひまさえあれば燃料費を節約するために、
町内や川筋などでゴミをせっせと拾い集めたのだから、ゴミがなくて当然である。
6文=390円 1文=65円。4000文=1両=0.83石=26万円
家の値段150憶円。(土地3000坪(1坪330万円)(うわもの50憶円1500坪)
)年収30憶円(家の値段は年収の5倍))
=9578石
自演お疲れ様でした。
34 :
日本@名無史さん:2007/09/25(火) 17:04:27
江戸時代の天皇は、今のように公務だの晩餐会など
連れ回されることもなく、
御所の中で気の合う公家たちと年中行事やってればよかったんだから、
いいんじゃないの。
面白おかしく報道する週刊誌もないし、今より気楽だったと思うし。
京都に瓦版はなかったの?
36 :
日本@名無史さん:
かい