平将門

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1日本@名無史さん
『尊卑分脈』によれば桓武天皇の5代後。
すなわち天皇の傍系である葛原親王の子・高見王が平将門の曽祖父。

天慶三(940)年二月藤原秀郷と平貞盛に討たれた。

そもそも将門の野望は何だったのか。果たされるものだったのか。
伝説もさまざま。生年が不明だが死んだのが37歳という説がある。
歴史に「もし」は無いが生きていたら日本は変わっていたに違いない。
滝夜叉姫のことも気になる。
2長谷部タイ子:2007/07/16(月) 00:20:26
導尿カテーテル2げと
3日本@名無史さん:2007/07/16(月) 00:23:30
>>1
38歳じゃなかった?
4日本@名無史さん:2007/07/16(月) 01:16:57
藤原秀郷はもっと一般的な知名度があってもいい
5日本@名無史さん:2007/07/16(月) 01:29:57
一般的な知名度云々は、武士の世じゃなくなったからだろう。
6日本@名無史さん:2007/07/16(月) 02:34:48
俵藤太なら有名だけど
7日本@名無史さん:2007/07/16(月) 03:47:43
一般人に「藤原秀郷」「俵藤太」なんて言っても通じないだろ
理系のやつなら東大生でも知らないかもな
8日本@名無史さん:2007/07/16(月) 13:43:38
武家政権の走りだな。将門の失敗を踏まえて頼朝の時に坂東武者が成功したといえる。
もし頼朝のハイルされた場所が坂東以外であれば他の一族と同じようになっていたと思われ。
9日本@名無史さん:2007/07/16(月) 18:56:23
時々でいいから平忠常のことも思い出してあげて下さい
10日本@名無史さん:2007/07/16(月) 19:55:49
>>9
戦国板な。知ってる。そろそろ落ちるだろうけど
11日本@名無史さん:2007/07/17(火) 20:14:59
平忠常のスレあったのか
で今検索したらなかったよ
12日本@名無史さん:2007/07/17(火) 20:23:32
藤原秀郷は江戸時代の武士の間では人気はあったみたい
新撰組なんて幹部クラスはみんな名前に藤原付けてる
芹沢鴨くらいじゃない?平付けてるの
13日本@名無史さん:2007/07/17(火) 21:10:08
藤原忠平
摂政→関白
14日本@名無史さん:2007/07/17(火) 21:19:32
今まで将門スレってなかったの?
関東じゃ人気あんだけどねえ〜
大河ドラマの影響で武田、上杉はいっぱい立ってんだが…
15日本@名無史さん:2007/07/17(火) 21:46:19
逆賊
16日本@名無史さん:2007/07/17(火) 22:04:14
比叡山で純友と会ってる。示し合わせたのは史実?
17日本@名無史さん:2007/07/17(火) 22:07:35
田沼時代の江戸の絵草紙で、
山城守意知を将門、彼を惨殺した佐野某を藤原秀郷に
みたてたヤツってあったよな。

当時は関東でも逆賊扱いだったのか?
将門が関東の守護者なら、成田山は関東人の天敵ってことになるし。
18日本@名無史さん:2007/07/17(火) 22:27:51
>>15

京都(朝廷)側から見れば
19日本@名無史さん:2007/07/17(火) 22:31:59
>>16

将門と殉鏡という書物に書かれている
20日本@名無史さん:2007/07/17(火) 22:33:45
ミスった↑
21日本@名無史さん:2007/07/17(火) 22:40:14
将門の気風は忠常、頼朝、関東公方などに受け継がれている
22日本@名無史さん:2007/07/17(火) 22:41:23
将門と純友の共謀説は大鏡っていう書物に書かれているけどフィクションなんだって
若き将門は滝口武士として京都に行ってるけど当時は官位への出世が一番でもちろん謀反の意思などなかった
23日本@名無史さん:2007/07/18(水) 00:56:02
>>15朝敵の汚名は江戸期に除かれている
24日本@名無史さん:2007/07/18(水) 01:35:32
相馬氏が平将門の子孫と勘違いされているが。
相馬氏は千葉氏の子孫。
現当主は佐竹氏の子孫。

麻生太郎の妹の旦那。
25日本@名無史さん:2007/07/18(水) 05:34:37
>>22
比叡山で一緒だったのは事実だろうけど
26日本@名無史さん:2007/07/18(水) 09:58:02
【前回選挙前】
    , - ,----、
   (U(    )  サラリーマン大増税は行いません!
   | |∨T∨   郵政民営化だけで全て解決です!
   (__)_)    どうか自民党に投票お願いします。
          ↓
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   ↓自民党
   ∧_∧   サラリーマン大増税するのなんて解ってただろw
  ( ´∀`)   勝っちまえばこっちのもんwww口約なんて破る為にあるんだよ!w
  (   /,⌒l     ギリギリまで税金絞り取ってやるからしっかり払えよ底辺どもwwwww      
  | /`(_)∧_0.        
  (__)(´∀`; )⊃⌒⊃  ←国民
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


【2007夏選挙前】
    , - ,----、
   (U(    )  消えた年金対策はしっかりやります!
   | |∨T∨    責任取らせます。給料下げます。
   (__)_)  
          ↓
  【選挙勝利後】
   ↓自民党
   ∧_∧   WE法案を早速導入するのは解ってただろw
  ( ´∀`)   反対しても強行採決するから無駄無駄www
  (   /,⌒l     ついでに消費税も10%に上げるからしっかり払えよ奴隷どもwwwww      
  | /`(_)∧_0.     は?消えた年金・・・?なにそれ。領収書持ってこいボケwww   
  (__)(´∀`; )⊃⌒⊃  ←国民
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
27日本@名無史さん:2007/07/18(水) 10:08:23
>>17
それは冗談でなくマジ。じつは成田山は千葉の地元民の間で嫌われてた。
ご存じのように千葉県は千葉氏のような桓武平氏の末裔が多いので、将門の直系子孫でなくても将門びいきなところがある。
いまでも旧家は成田山に行かない。
28日本@名無史さん:2007/07/18(水) 18:06:01
>>27
勿論キュウリも輪切りにはしないんだろ!?
でも大河ドラマに合わせて桔梗塚を勝手に建てた事には流石に笑ったよ。
29日本@名無史さん:2007/07/18(水) 18:35:09
成田山は平将門を呪うために建てられたのか!
千葉県に住んでるが、今まで知らなかった。
将門は関東の英雄
成田山は糞
30日本@名無史さん:2007/07/18(水) 18:39:41
>>28
それって佐倉にある桔梗塚?
まじで〜
ドラマのために…
知らなかった。ショック
31日本@名無史さん:2007/07/18(水) 18:43:49
神田大明神万歳!
32日本@名無史さん:2007/07/18(水) 20:21:10
キュウリを輪切りにすると九曜紋に似てるからだよ
千葉や茨城にはキュウリを食べる時はわざとぐちゃぐちゃにして食べる地域がある
33日本@名無史さん:2007/07/18(水) 20:40:55
>>30
知らなかったのか…
見た事無いの?滅茶苦茶新しいぞ。

取手にある桔梗塚はかなり古いぞ!
それから旧藤代の岡に大日山古墳ってあるから一度見に行けば?
地元には将門伝説多数あるぞ。
34日本@名無史さん:2007/07/18(水) 20:43:06
>>32
知ってるよ。だから今もそうなのか聞いただけ。
35日本@名無史さん:2007/07/18(水) 21:15:41
>>30
今度行ってみるよ藤代の古墳
キュウリを輪切りしないって言うのは今もあるのか解らん
知ってる人いないかな
36日本@名無史さん:2007/07/18(水) 21:35:04
>>31
将門流の神田家の家紋は「丸に木瓜」
木瓜(もっこう)はきゅうりの輪切りをデザインしたものという説がある。
37日本@名無史さん:2007/07/18(水) 22:27:05
将門って史実と伝説で語れるからいいんだよなぁ一粒で二度おいしい
他にあんまりいないんじゃない?
こーいう人物
38日本@名無史さん:2007/07/18(水) 22:45:10
>>29
呪うと言うよりは倒した記念だな。
39日本@名無史さん:2007/07/18(水) 23:53:48
昔の日本人は、呪いとか祟りとか
本気で信じていたからね
仏の力で平将門を倒そうと本気で思って、わざわざ成田まで仏像を運んできた

病気も加持祈祷で治そうとしていたし、後年の元寇でも神風が吹いたのは
仏に祈ったからだということで寺が恩賞を要求してる
40日本@名無史さん:2007/07/19(木) 00:02:43
>>39
それは開山理由ですよね?
現在の場所に建立されたのは将門没後ですよ。
41日本@名無史さん:2007/07/19(木) 00:18:50
将門の祟りを鎮める秘密兵器として 成田山が建てられた
42日本@名無史さん:2007/07/19(木) 00:33:40
生首が空飛んだってマジですか
43日本@名無史さん:2007/07/19(木) 01:04:25
飛ぶってほどじゃないな跳ぶって感じだった
44日本@名無史さん:2007/07/19(木) 01:25:55
将門の首が空を飛んだと信じられて 日本人は将門の祟りを恐れた
実際に飛んだのかどうかは知らん
45日本@名無史さん:2007/07/19(木) 01:26:22
>>41
それは茨城の旧岩井にある神社だろ。
46日本@名無史さん:2007/07/19(木) 01:37:16
東京大手町にある将門の首塚(旧神田明神)
今でも祟りがあると恐れられている
触らぬ神に祟りなし
47日本@名無史さん:2007/07/19(木) 02:12:19
良く『九曜紋』って言うが基本は『繋馬の紋』だよな。
48日本@名無史さん:2007/07/19(木) 03:23:46
首が一人で飛ぶわけがない
首を奪い返すのはよくあるが
49日本@名無史さん:2007/07/19(木) 03:27:44
>>45
岩井には国王神社もあっぺよ。
50日本@名無史さん:2007/07/19(木) 05:19:57
できた
51日本@名無史さん:2007/07/19(木) 06:22:55
千葉市にある、将門の七天王塚も祟りが恐れられている
そのため、千葉大学医学部は病院を新築する際に
七天王塚を避けて、旧病院と500m以上離れた場所に
新病院棟を建てることになった
52日本@名無史さん:2007/07/19(木) 08:35:11
継体天皇よりも平将門のほうが皇位継承者として相応しい
53日本@名無史さん:2007/07/19(木) 12:14:35
藤原秀郷は最初、将門に付こうと訪ねていったらしい。
54日本@名無史さん:2007/07/19(木) 13:22:27
初耳だな
なぜ加担しなかった?
55日本@名無史さん:2007/07/19(木) 13:47:21
>>51
私は行ったことないけど千葉大医学部のそれはものすごく有名。
地元のオカルトマニアたちの間では知らない者はいない。
なんでも不可知論者だか、無神論者だかの大学教員が、「祟りなんかあるものか」といって木を伐採。
その直後に本人も本人の奥さんも突然発狂して死亡したといわれている。
罰あたりなことはやめましょう。
でも千葉市と将門公の関係がそんなに濃厚だとはおもえないんだけど。国府(市川市)までは来たらしいが。
56日本@名無史さん:2007/07/19(木) 18:06:42
千葉大医学部の木は千葉氏が妙見信仰に則って植えたんだよ。
空から見ると北斗七星の形になってるらしい。
将門も千葉氏も妙見菩薩を信仰してた。
殺人事件の起きた家はまだ残ってるよ。
医学部正門前。
白い外壁だからすぐわかる
もちろん空き家だけどね
57日本@名無史さん:2007/07/19(木) 20:02:28
>>56
元々は将門・千葉氏共々妙見信仰をしていた訳では無いよな?

渡来して放牧をしていた民との関係はどうなのかな?
58日本@名無史さん:2007/07/19(木) 20:29:33
>>54確か将門とその兄弟達が食事をポロポロこぼしてはそれを拾って食べているのを秀郷が見て「将帥の器に在らず」と見限った。


59日本@名無史さん:2007/07/19(木) 20:39:32
しょせん農民兵の集団だから、農繁期で手薄なところを狙われては
ひとたまりもない。

筑波山あたりに要塞を築くとかの知恵はなかったのだろうか
60日本@名無史さん:2007/07/19(木) 20:50:22
洋裁とか南北朝時代だからw
61日本@名無史さん:2007/07/19(木) 21:00:11
将門の妙見信仰は千葉氏の創作だろうね
千葉氏こそ将門の直系であり、千葉氏の信仰している妙見菩薩を先祖将門も信仰していたという伝説をつくるため
実際は良文流なんだけど
62日本@名無史さん:2007/07/19(木) 21:03:04
「俺は親皇様だ、世界で一番偉いんだ!」
63日本@名無史さん:2007/07/19(木) 21:08:13
>>58
その話しは江戸時代、滝沢馬琴が書いた昔語質屋庫に書かれている物で実際秀郷が将門を訪たかどうかは疑問
64日本@名無史さん:2007/07/19(木) 21:12:57
平安中期に山城の考えは無かったんだろうね
65日本@名無史さん:2007/07/19(木) 21:23:02
無いよ
66日本@名無史さん:2007/07/19(木) 21:42:37
>>54
>>58
秀郷が訪ねた時に将門は風呂に入っている最中だった。部下から秀郷来訪の報せを
聞いて嬉しさのあまり慌てて風呂から上がったという。
秀郷が味方に付いてくれれば百人力となるのは火を見るより明らか。
早く会いたい一心で頭に飾り(冠?)も付けず正装もせず寝間着姿で出迎えた。

秀郷としては己に自負の念があるので、てっきり将門に嘗められたと
勘違いしたらしい。この俺を嘗めやがって、こいつには付いていく気がしない
と思ってしまった。
秀郷が貞盛に付いた時点でおおよその勝敗が決定してしまった。

気持ちの行き違い、将門の人の好さが仇(あだ)となった。
67市川っ子:2007/07/19(木) 21:53:35
平将門討伐祈念のために鎌倉(京都だったか?)で彫られた像は九十九里の浜辺
まで船で運搬し、以降陸路で現在の成田山新勝寺のある場所まで運ばれたとさ
れています。討伐が成功して、像を別な場所に安置しようとしたものの、
どう頑張っても像が動かず、仕方なしに、将門の霊を鎮める意味を込めて新勝
寺が開山したと言われています。

将門伝説は坂東、特に千葉に多いけど、出城があったとされる現市川市大野町
にある市川第五中学校の校舎裏の焼却炉脇には、当時を偲ばせる石祠が今もあ
ります。すんごい小さいから期待しないほうが良いです。蚊も多いし。
中学校のグラウンドは校舎の下にあるんだけど、その至近に天満天神宮という
将門が勧請したとされる神社があります。ここの梅林は規模が小さいながらも
春になると、とても美しい花が咲き誇ります。市川市で一番美しい場所である
と思います。また、御門(みかど)、迎米(むかいごめ。城の米蔵に由来)、殿
台など、中世城郭地帯を彷彿とさせる地名が数多く残っています。
68日本@名無史さん:2007/07/19(木) 22:00:50
そういや中学生のときにクラスの女が「ひらしょうもん」って読んでたな
69日本@名無史さん:2007/07/19(木) 23:13:11
>>68

俺の中学時代の同級生は豊臣ヒデキチって読んだ人いる
70日本@名無史さん:2007/07/19(木) 23:27:10
935年 2月以前 平将門と平良兼との諸紛争。
   2月   平将門・平真樹連合と平国香・源護連合との合戦。将門勝利、平国香戦死。
10月 平将門が平良正を攻撃。(常陸国川曲村の戦い)将門勝利。

936年 7月   平将門と平良兼の戦い。将門勝利、平良兼は下野国府へ逃走。
   8月   平良兼、平将門を攻撃。将門敗北。
   9月   平将門、平良兼討征のため常陸へ出陣。
   12月   平良兼が平将門を攻撃(石井営所の戦い)。将門勝利。

938年 2月   平将門が上京する平貞盛を追撃して合戦(信濃国分寺の戦い)。平貞盛逃走。
   2月以降 武蔵武芝と源経基の所領紛争を調停。

939年11月 平将門常陸国府を攻撃。(朝廷への攻撃)
   12月   平将門、上野国府と下野国府を攻撃。

940年 1月   平将門が平貞盛・藤原為憲討征のため常陸へ出兵。
   2月   平将門・藤原玄茂連合が平貞盛・藤原秀郷連合の討征のため下野国へ出兵。
        藤原玄茂と藤原秀郷が戦い藤原秀郷が勝利。
       その月のうちに平貞盛・藤原秀郷連合の攻撃を受け、戦死。
71日本@名無史さん:2007/07/20(金) 08:04:16
太政大臣藤原忠平とのパイプってどの程度だったんだろう?
72日本@名無史さん:2007/07/20(金) 11:14:19
風と雲と虹と
73日本@名無史さん:2007/07/20(金) 18:10:28
平安中期の太刀とか甲冑ってどんな感じ?
漫画で見たら中国風だったけど
74日本@名無史さん:2007/07/20(金) 20:14:48
板東には製鉄炉がいくつかあって、それは渡来系と関係あり
将門は鉄の体を持っていて弓矢を通さないと敵は恐れたと言われたのは製鉄により、屈強な甲冑が造れたからだろう
当時の刀は平安末期とほぼ同じ。直刀から騎馬戦で斬りやすいように曲刀に変化した。
75日本@名無史さん:2007/07/20(金) 20:22:36
>>66
サンクス
その話しが逆賊にされてしまった将門に不利な話に変えられてしまったんだね
76日本@名無史さん:2007/07/20(金) 20:23:23
尾崎とか金屋に遺構が残る天然風利用した製鉄法は将門に限ったことじゃない。
77日本@名無史さん:2007/07/21(土) 04:49:30
以前は後の軍事貴族の祖になった、将門や秀郷、貞盛、経基といった人物にばかり目がいったけど、最近は武蔵武芝のような恐らく旧国造階級の末裔の方に俄然興味がある。この時代に始まって恐らく戦国時代に至る迄の豪族の内、かなりの部分がこの階級の末裔だろうと思うから。
7877:2007/07/21(土) 05:00:38
あ、失礼しました。将門は軍事貴族の祖ではなかった様ですね(まあ相馬氏とかの事はあるにせよ真実では無いっぽいし)。
79日本@名無史さん:2007/07/21(土) 07:01:46
>>46
GHQがブルドーザーで撤去しようとしたら5台のうち2台がひっくり返った
という話。
それで断念したんだろ。
その後にも三井だか三菱の時も関係者が事故かなんかで死んでるはず。
80日本@名無史さん:2007/07/21(土) 13:24:44
>>74 >>76
渡来系と関係あるかどうかはわからないが、古代から製鉄がさかんだったことは確かだろう。
藤原鎌足は実家の中臣氏が鹿島の製鉄を握っていて実力があったからあそこまで地位があがったとかなんとか。
朝廷も昔から鹿島の製鉄に注目していて推古天皇が行幸したらしいし。
81日本@名無史さん:2007/07/21(土) 13:41:39
>>80
坂東と鹿島は茨城県の西と東で、かなり離れてるぞ。
82日本@名無史さん:2007/07/21(土) 17:30:39
本八幡の知らずの森も将門絡みだよね確か
中に入ったらヤバイんでしょ?
83市川っ子:2007/07/22(日) 01:23:17
>>82
不知八幡森(通称八幡の藪知らず)。

入っていけない理由については、

・最初に八幡宮を勧請した旧地である。
・日本武尊が陣所とされた跡である。
・貴人の古墳の跡である。
・平将門平定のおり、平貞盛が八門遁甲の陣を敷き、死門の一角を残したので、この地に入ると必ず祟りがある。
・平将門の家臣6人が、この地で泥人形になった。

という感じで、諸説あるね。

ちなみに、万治年間(1658〜61)、水戸黄門(徳川光圀)が藪に入り神の怒りに触れたという話もある。

色々諸説ありすぎて、本当かどうか。。
そもそも1,000年も昔のことだから、本当かどうかなんて誰にも分かりっこ無いんだけどね。
84日本@名無史さん:2007/07/22(日) 01:42:07
泥人形って何だよ
HEIL 2 U!ってか
85日本@名無史さん:2007/07/22(日) 12:04:46
菅野に住んでた時よくチャリでニッケコルトンプラザへ行く途中通ったなあ。
86武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/22(日) 12:10:17
>>73
謎です。
いろいろ言われてますが、本当のところは皆分からないのです。

87武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/22(日) 12:18:35
>>77
豪族ってどの程度?あと時代は?
確かにそういう推論は成り立つけど、系図上では違うね。
関東の豪族のほとんどは系図上は軍事貴族の子孫か国守の子孫だ。
あるいは京から下って来た貴種の子孫。
ただ君の主張は私も限定つきでいくらか正しいとは思ってはいる。
88武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/22(日) 12:22:29
>>78
相馬氏は軍事貴族じゃありません。
あとこれは余談だが、将門の子孫を自称した豪族が現れるのは室町時代以降のこと。
89日本@名無史さん:2007/07/22(日) 12:28:18
たしかに下り官人か在庁官人を祖とあおぐことが多い。
武蔵氏の系統なら源家譜代の朗党足立氏だろ
90武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/22(日) 12:28:21
>>73
國學院大學で教鞭をとられている近藤好和氏を訪ねられると良いでしょう。
氏は気鋭の武家故実研究家です。
留保つきの妥当な推論をレクチャーされることでしょう。

91日本@名無史さん:2007/07/23(月) 21:33:07
頭に矢が刺さって首を切ったら飛んでいったのは数メートルかもしれないが
顔に名前が書いてあるわけではない。
だが将門だと確認し得る方法があった。
それは何んぞや?
www
92日本@名無史さん:2007/07/24(火) 19:50:12
>>91 俗な推論。真言宗僧侶に嘲笑されるぞ。霊現象を信じられないとは。
93日本@名無史さん:2007/07/24(火) 19:54:06
>>91

> wwwが嫌な予感するから華麗にスルー
94日本@名無史さん:2007/07/24(火) 20:18:03
あれ?また不要因子が書き込んでるのか。
無知をさらすだけだというのに・・懲りないなあ・・
95日本@名無史さん:2007/07/24(火) 23:25:42
>>94
ブヨー自作自演は見苦しいから止めれ
キモイ
96日本@名無史さん:2007/07/25(水) 00:21:07
単に首が将門と特定できたのは何でかと訊いてるだけだが。
ふつう矢は狙って射るものだ。だからこそ分かりやすい。
もう分かっただろう?
97日本@名無史さん:2007/07/25(水) 09:34:27
>>42
>>91
亀レスだが、首が飛んだというのは将門死後直後のこと?
それとも京でさらし首になった将門の首が関東へ飛んでいったという伝説のこと?
98偽朝:2007/07/25(水) 09:44:23
知ってるかもしれないけど

将門と神田明神
http://www.ne.jp/asahi/pcgnet/home/jinja.htm

坂東市
http://www.city.bando.lg.jp/title/kannkou.html


99日本@名無史さん:2007/07/25(水) 12:10:29
京都から将門のクビが東のほうへ飛んでいったというのは聞いたことがある
100日本@名無史さん:2007/07/25(水) 12:28:45
>>97
後者
101日本@名無史さん:2007/07/25(水) 13:31:07
>>91 =>>96 ?

勘違いイタイ
リアル厨房?
102日本@名無史さん:2007/07/25(水) 15:02:37
反逆は関東の伝統
103日本@名無史さん:2007/07/25(水) 19:35:01
朝廷と四年に渡って対立した平忠常もいるし。
104日本@名無史さん:2007/07/25(水) 20:37:07
>>102
京都貴族の悪政が反骨精神を育んだ。
105日本@名無史さん:2007/07/25(水) 20:40:00
その反骨精神がのちのちの鎌倉幕府に結実するんだね
106日本@名無史さん:2007/07/25(水) 21:35:21
>>101
え?勘違いって?
将門の首が京都から関東(茨城)へ飛んでいった、が途中の大手町で
落ちたという話は聞いたことがある。
それはあくまで伝説であって本気で思ってる人はいないよね。
だけど首をはねた時に数メートルは飛んだだろうという話。
で、将門の首だと特定できたのは何故かと問うた。
答えは矢に藤原秀郷の名前が刻まれていたから。
至極当然というかそりゃそうだという話なんだけど。
頓知でも何でもないよ。
107日本@名無史さん:2007/07/26(木) 06:12:26
将門が藤原秀郷の矢に射抜かれて首が飛んだ?
アニメの見過ぎで 頭が飛んでるんですか?
108日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:22:57
ttp://www.imgup.org/iup426702.jpg

こういうこと?
109日本@名無史さん:2007/07/26(木) 19:51:58
>>107
アニメがあるの?何で知ってるの?
110日本@名無史さん:2007/07/26(木) 22:50:14
>>104
反日精神ではないのか?
関東人、関東武士は、新羅や高句麗から来た朝鮮半島人の末裔だからな。
民族、血統が日本とは違う。
111日本@名無史さん:2007/07/26(木) 23:05:21
>>110
京都先住者の秦氏が新羅だろうに。
112日本@名無史さん:2007/07/26(木) 23:08:19
血統でいうなら僻地日本人の方が古いわな
113日本@名無史さん:2007/07/26(木) 23:22:52
僻地関東に入植、増殖した半島人
114日本@名無史さん:2007/07/26(木) 23:29:53
>>113
それ以前に半島から大量に畿内へ入ってるんだが
115日本@名無史さん:2007/07/26(木) 23:52:08
                    |\
                      |  \._ __/
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116日本@名無史さん:2007/07/26(木) 23:54:02
近畿人が発狂AAかw
117日本@名無史さん:2007/07/27(金) 08:27:35
畿内人発狂
118日本@名無史さん:2007/07/27(金) 09:43:15
だから近畿はダメなんだよ
119日本@名無史さん:2007/07/27(金) 10:25:24
平安時代に反日精神て…米ミシガン大人類学者達の一説
ローリング・ブレイズ教授らは鎌倉市極楽寺付近より鎌倉武士団の遺骨を発見
それらの骨、歯から得られたデータによると縄文人と渡来系弥生人の中間に位置していた
坂東武者ってエミシとのハーフが多かったんじゃ?
騎馬戦が発達していたのと関係あるんじゃないのかなぁ?
120日本@名無史さん:2007/07/27(金) 21:50:01
蝦夷はアイヌじゃないよ、日本人だよ。DNA鑑定で分かった。
121日本@名無史さん:2007/07/27(金) 22:34:54
≫115って部屋に閉じこもっちゃったの?
心配ないから出ておいで
122日本@名無史さん:2007/07/27(金) 22:41:50
そーいえばアイヌの人って
どことなく中東系の顔立ちしてると感じたんだけど
やっぱり中央アジア〜シベリア経由で来たのかね
123日本@名無史さん:2007/07/27(金) 22:44:27
何の意味も無いAAにいつまでも狂ったように反応
これが学問・文系クオリティ
124日本@名無史さん:2007/07/28(土) 01:03:17
秀郷が将門に付いていれば当然将門は死ななかった。
東の新皇として何らかのものを築けたはず。
徳川家康より650年も先に関東に文明をもたらしていたら
江戸の、いや日本の歴史はどうなっていたのか。
125日本@名無史さん:2007/07/28(土) 02:29:54
関東に文明?
将門関東政権が千年続いたって、文明とは無縁だと思うぞ
戦争ばかりで 生活に余裕が出る訳がない
126日本@名無史さん:2007/07/28(土) 07:41:55
>>123
まあまあ
127日本@名無史さん:2007/07/28(土) 07:48:06
エミシって縄文人の末裔なの?
アイヌとはまた別というのは判った
大陸の騎馬民族となんらかの交流があったんだろうか?
128日本@名無史さん:2007/07/28(土) 10:47:44
>>106
頭に秀郷の矢が刺さっていると、それが将門の首だとはすぐにはならないだろう。常考。
これは何処情報なんだ?ちょっと聞きたい…
129日本@名無史さん:2007/07/28(土) 12:31:56
将門はどこ生まれだっけ
130日本@名無史さん:2007/07/28(土) 12:45:16
>>119
縄文人の歯は、鎌倉人のように反っ歯ではなかった。
131日本@名無史さん:2007/07/28(土) 21:03:02
>>124-125
優秀な民族集団だからこそ、高度な文明を興す。
優れた文明は、劣等民族に侵食されて衰退する。
132日本@名無史さん:2007/07/28(土) 21:49:31
というか優秀な個人とそれを継承・発展させられる人材を確保できるかだと思うが
民族云々以上に
133日本@名無史さん:2007/07/29(日) 06:06:23
>>128
ある日本史講師から聞いた。
秀郷が将門だけを狙いうちしていれば確度はきわめて高いと思う。
134日本@名無史さん:2007/07/30(月) 07:00:18
優秀なブレーンが将門の側近にいれば坂東独立ももっとスムーズに運んでいたはず
興世王では将門を軍事的に利用するだけで付け焼き刃的政策を繋いで行ってるだけだから
135日本@名無史さん:2007/07/30(月) 11:55:50
要するに体育会系の集まりだったんだな
136日本@名無史さん:2007/07/30(月) 22:06:35
将門記には将門は天性の武術の才能があったと書かれているから体育会系なのかね?
弓矢と馬術の腕は確かだったんじゃ?
でも組織には体育会系、文系、理系が万遍なくいた方が良さそうだね
137日本@名無史さん:2007/07/30(月) 22:08:33
>>129
茨城県相馬群と千葉県市川市の説あり
現在の地名だけど…
138日本@名無史さん:2007/07/30(月) 22:10:57
>>129
Nippon no Bando(Kanto tiho)
139日本@名無史さん:2007/07/30(月) 23:41:50
将門個人の力量は抜きにしても中央への謀反には相当数の支持者がいたのはたしかだ。
140日本@名無史さん:2007/07/30(月) 23:51:54
まぁ貴族社会の動揺には繋がるからね
141日本@名無史さん:2007/07/31(火) 01:02:04
仮に、関東が独立して、東西に分断されていたら、
東国は、どの程度まで自力で文明を築けたか興味深いな。
142日本@名無史さん:2007/07/31(火) 01:10:51
むしろ分断されていたほうが、双方にとって健全だったのではないか?
143日本@名無史さん:2007/07/31(火) 01:32:25
将門が進みすぎていたのか。秀郷が時代を読めなかったのか。
144日本@名無史さん:2007/07/31(火) 02:14:35
将門と秀郷はまったくの同類である。
145日本@名無史さん:2007/07/31(火) 02:23:03
将門は謀反することで中央権門の支配から脱し、その将門を討った秀郷は武門として異例の待遇を勝ち取り中央軍事貴族に連なり関東の一介の群党として甘んじる身から脱した。
146日本@名無史さん:2007/07/31(火) 02:30:20
将門も秀郷も個人の思惑はどうであれ、それぞれの行動はそれを押し上げた周囲の意思や民意の反映のあらわれ。歴史の一幕にすぎない。
147日本@名無史さん:2007/07/31(火) 07:00:36
というか歴史の一幕を担った
148日本@名無史さん:2007/07/31(火) 17:33:19
この戦い、のちの清和源氏の始祖となる源経基は情けないの一語につきるよな。本当に「息子」満仲と親子か?
149日本@名無史さん:2007/07/31(火) 20:31:32
源頼朝が富士川で平家を破った時勢いに乗って西国まで一気に攻めのぼろうとした
その時に関東での地盤を固めるべきと助言したのが千葉常胤と上総広常
二人とも一種の将門イズムみたいな思想を持っていて、関東独立国の理想を頼朝に託した
それが鎌倉幕府へと発展するのだが…
のちに頼朝と上総広常は考えの相違から対立してしまう…
150日本@名無史さん:2007/08/01(水) 05:02:30
上総広常は関東独立派だもんな
合法的に権力奪取を目指した頼朝に粛清されてもおかしくない
皇道派と統制派みたいなもんか
151日本@名無史さん:2007/08/01(水) 15:36:35
皇道派=若気の至り
統制派=大人の気配り
152日本@名無史さん:2007/08/01(水) 22:33:44
鎌倉時代に皇道派に統制派って…
まぁともかく同じ将門イズムを持つ千葉氏と上総氏は対称的な結果になる訳だけど。
頼朝が板東武者の想いに呼応していたら歴史は変わってたろうなあ
153日本@名無史さん:2007/08/02(木) 22:54:46
将門が馬で駆け回ってた頃の関東って、富士山も活火山だったろうし
原生林も凄くてマイナスイオン出まくりだったんだろうな〜
あこがれてしまう
154日本@名無史さん:2007/08/03(金) 02:06:12
>>137回答ありがとう
155日本@名無史さん:2007/08/03(金) 02:22:26
地図を拡げてみると
将門の怨念を封じるためと思われる施行がある。
鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮と日光東照宮を直線で結ぶと、
途中に栃木県佐野市に唐沢山神社があるんだが、ここは何を隠そう
俵藤太秀郷が祭神である。
156日本@名無史さん:2007/08/03(金) 03:33:30
だからなんだ
157日本@名無史さん:2007/08/03(金) 08:24:09
東照宮はむしろ将門(神田)明神も用いた旧江戸幕府の呪術結界の一部なイメージが
158日本@名無史さん:2007/08/03(金) 19:06:43
秀郷ファンているんだね〜
かなり地味だよね秀郷って
俺はやっぱり将門が好きカッコイイし
源義家も敬意をはらってたみたいよ将門の首塚
やっぱりツワモノの魁という感じあったんじゃないかな
159日本@名無史さん:2007/08/03(金) 21:51:46
>>156
すまん、先走ったことを書いた。少し補足してみる。というか詳しい人に検証してほしい。

日光も鎌倉も将門にとって縁起のいいところではないとどこかで読んだ記憶が
ある。皇居も同じこと。その皇居と唐沢山を直線で結ぶと延長線上に
栃木県の男体山がある。日光の少し西側だ。
この直線上の南を辿ってみると埼玉県の鷺宮神社がある。
鷺宮神社は祭神が天穂日命、大巳貴命で関東最古の大社だ。日本武尊命が造営。

これらのことが偶然とは思えない。
160日本@名無史さん:2007/08/03(金) 22:09:14
鎌倉がってのは聞いた事ないなー
むしろ関東に根付いた源氏は関東の将門信仰を利用した感あり
義家や頼朝とか
義家ってヤンキー先生じゃないよ
161日本@名無史さん:2007/08/04(土) 01:17:44
突然だが、将門の首は大手町の首塚には無い。
皇居のどこかに安置してあるという話だ。
162日本@名無史さん:2007/08/04(土) 08:02:43
現在の地図上で直線で結んでなんか意味があるの
163日本@名無史さん:2007/08/04(土) 08:14:32
左獄だっけ、さらされた将門の首は腐敗し、
京の河原で焼かれたのでは?

クビが関東まで飛んでったとか、地元に授けられたって
とても信じられん。
大逆賊の首級だぞ。
164日本@名無史さん:2007/08/04(土) 09:09:59
まぁあくまで伝説ですよ
首塚とされる場所は実のところ一つじゃないし
165日本@名無史さん:2007/08/04(土) 11:38:40
>>159将門埼玉の鷲宮神社が関係あるのか
166日本@名無史さん:2007/08/04(土) 13:31:09
>>164
mjd?
167日本@名無史さん:2007/08/04(土) 13:48:02
部下や一族が奪取して東国に持ち帰ったんじゃない。

首塚が複数あるのは攪乱、ほんとは漏れの家の下にあるかもね。
168日本@名無史さん:2007/08/04(土) 15:59:01
将門の組織は京都の模倣に過ぎなかったわけか。
しかし朝廷も唐の模倣から始めたわけだしな。
169日本@名無史さん:2007/08/04(土) 18:34:27
漏れの家の下にはないお
170日本@名無史さん:2007/08/04(土) 20:31:17
家康は、鎌倉・室町幕府の両制度を相当研究していたそうだ。
頼朝は、将門の貴重な失敗例を真剣に研究していたろう。
ただ税を吸い上げるだけの朝廷に、日本中の土俗の反感が噴出して将門や清盛のような現象を生んだ。
日本的現実の中でどうすれば恒久的政権が樹立できるか。
171日本@名無史さん:2007/08/04(土) 21:20:28
>ただ税を吸い上げるだけの朝廷に、日本中の土俗の反感が噴出して将門や清盛のような現象を生んだ。

これ合ってます?
172日本@名無史さん:2007/08/04(土) 21:25:59
清盛は吸う方
173日本@名無史さん:2007/08/04(土) 21:31:54
藤原が平氏に代わっただけな感じかなぁ
平氏隆盛も武士階級の興りを意味してはいるんだけど
174日本@名無史さん:2007/08/04(土) 21:55:07
清盛は一般的には平家とよばれてるけど
元は国香〜貞盛流。
何代か前に伊勢に移ったりして板東のもののふ魂の気概が薄れてたんだろう
源平合戦は将門を倒した貞盛流の平家を倒すために千葉氏、上総氏など将門崇拝武士が源氏を打ち立てて戦ったリベンジ戦
175日本@名無史さん:2007/08/04(土) 21:57:03
東京都千代田区大手町一丁目一番地一号
176日本@名無史さん:2007/08/04(土) 22:26:51
皇族って、法律上はまだ江戸行幸中で日本の首都は京都なんです
177日本@名無史さん:2007/08/04(土) 22:47:13
>>174
平家とは公家化した伊勢平氏一門を指す。
国香や将門などを普通は平家とは呼ばない。
178日本@名無史さん:2007/08/04(土) 23:10:56
頼朝側についた大掾氏も熊谷氏も国香流だよー
179日本@名無史さん:2007/08/05(日) 00:57:31
将門直系の家系は滅亡?
180日本@名無史さん:2007/08/05(日) 01:47:57
将門の直系の子孫とされる相馬氏は家督争いで血筋自体は途絶えたらしい。
でも千葉氏との血縁関係はあったらしい(つまり千葉氏の後裔に将門の血が流れている可能性も)。
あと九州に移り住んで相馬を名乗った者達がいるとする説も(太平記の南北朝時代人、相馬小太郎とか)。
181日本@名無史さん:2007/08/05(日) 02:10:58
>>179
滝夜叉姫は?

あと将門流神田家(神田明神繋がり)の始祖は『吾妻鏡』に出てくる
神田三郎。
182日本@名無史さん:2007/08/05(日) 02:24:38
滝夜叉は創作キャラですがな…娘の如蔵尼がモデルという説はあるが
183日本@名無史さん:2007/08/05(日) 02:26:49
平将門って、怨念がこもってそうでいいよね
織田信長なんかは死に方からすると怨念がこもりそうなんだけど、性格がカラッとしてて怨念という感じじゃないし・・・
184日本@名無史さん:2007/08/05(日) 02:51:24
>>181
神田氏は住んでた土地の名を採って姓としていたという説もあるのよね(神田の人ではあるが非子孫とする見方)
185日本@名無史さん:2007/08/05(日) 13:12:55
有力ではない
186日本@名無史さん:2007/08/05(日) 14:07:49
個人的に神田よりは相馬なイメージだけどなぁ
187日本@名無史さん:2007/08/05(日) 19:47:41
>>178

大掾氏も熊谷氏も確かにそうだった
清盛に吸い上げられたから源氏についたのかね?
188日本@名無史さん:2007/08/07(火) 02:11:12
将門流と言われているのは相馬、千葉、神田だけか?
189日本@名無史さん:2007/08/07(火) 06:08:58
千葉がそうなら、膨大な数の千葉氏庶流も全て将門流ということになるよ。スゲエな…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………有り得んが。
190日本@名無史さん:2007/08/07(火) 08:48:29
このスレに将門公ゆかりの方はいらっしゃるでしょうか?
191日本@名無史さん:2007/08/07(火) 18:02:15
良文が将門の養子となったという説があるが、そうすると良文流が将門流を継いだといえる。
192日本@名無史さん:2007/08/07(火) 18:15:49
将門の実子が良文の養子になったという説もあるよん
193日本@名無史さん:2007/08/07(火) 22:22:54
どっちが有力?
194日本@名無史さん:2007/08/08(水) 06:06:43
>165

もってけ、さらし首
195日本@名無史さん:2007/08/08(水) 10:10:36
興世王の話題が出ないな
196日本@名無史さん:2007/08/08(水) 10:37:36
今年はいよいよ成田山新勝寺の神輿が将門の首塚周辺に来るらしい
来月の25日からの千代田区天下祭りで決定したとか
そのため神田明神は一切関わらない様子
千代田区担当者はきっと歴史に興味ないんだろうね
だから怖くないらしい
あそこは神田明神テリトリーだと思うが・・・
197日本@名無史さん:2007/08/08(水) 11:16:54
鎮まってたらスルーしてくれるかも知れない
どうなるかな
198日本@名無史さん:2007/08/08(水) 12:16:28
総鎮守がゆるすまじ
199日本@名無史さん:2007/08/08(水) 14:48:26
武蔵国国司 百済王貞連
200日本@名無史さん:2007/08/08(水) 17:30:13
武蔵権守が興世王で介が六孫王経基だよ。
武蔵武芝は足立少領

201日本@名無史さん:2007/08/08(水) 18:58:03
興世王や武蔵武芝などの子孫はいないのか?
202日本@名無史さん:2007/08/08(水) 19:21:35
>>196
大手町に成田山が…
なんかいやな予感がする
なんにも起きなければいいけど…
203日本@名無史さん:2007/08/08(水) 22:22:01
>>199
将門の祖先が桓武天皇で、その母親が高野新笠だっけ。百済系とはいえ
何代も前と聞いたが。
204日本@名無史さん:2007/08/08(水) 23:20:48
>>203
将門が最初に介入した事件の当事者が武蔵の親任国司の百済王であり権守興世王だろ。
将門紀も読んでないのか?
205日本@名無史さん:2007/08/08(水) 23:28:11
武蔵武芝がサフク山を囲んで源経基が逃げた事件か。
206日本@名無史さん:2007/08/08(水) 23:42:12
将門記だろうよ!
207日本@名無史さん:2007/08/09(木) 06:18:31
208日本@名無史さん:2007/08/09(木) 09:26:55
足立郡司の武蔵氏はもともと丈部氏だろ。武芝は恵美押勝の乱で外従五位下武蔵宿祢を賜った丈部直不破麻呂の末裔。武芝の末裔は女系(菅原氏)なら氷川神社の角井氏がそうかも。
鎌倉御家人の足立氏は系図上では藤原北家流、あるいは歓修寺流だよ。
209日本@名無史さん:2007/08/09(木) 14:55:16
角井氏は物部姓
武蔵武芝の娘婿からなる菅原姓の社家は内倉(西角井)氏だ。
210日本@名無史さん:2007/08/10(金) 07:24:31
>成田山新勝寺の神輿が将門の首塚周辺に来るらしい


それって、なんかスゲー話しだな。
「朝敵の首などを祭る化外の逆徒を調伏せん」みたいな。
211日本@名無史さん:2007/08/10(金) 19:32:04
興世王は将門の右腕にしてはアゲアゲ過ぎた
将門を利用してなんらかの自らの野望を実現しようとしたのは伺える
興世王が頼朝みたいな策士だったらなあ
212日本@名無史さん:2007/08/11(土) 10:09:38
なんせ、前例のないことだったんでな!  by興世王
213日本@名無史さん:2007/08/11(土) 23:48:48
>>212
ほんとそうだよな
214日本@名無史さん:2007/08/12(日) 00:55:48
てか
そもそもなりゆきですから〜〜〜ッ! by将門
215日本@名無史さん:2007/08/12(日) 00:57:17
正面
216武陽陰士:2007/08/12(日) 01:22:53
>>210
明治だかに神田明神の祭神から将門がはずされた。
今は復活だが、今回の件はそれに比べたらマシだよ。
217日本@名無史さん:2007/08/12(日) 08:11:36
>>216天皇御親拝に将門が祭られていてはそれはまずかろう。
218日本@名無史さん:2007/08/12(日) 08:37:55
江戸時代に一旦公式に「朝敵にあらず」とされてるんだけどね
219日本@名無史さん:2007/08/12(日) 14:20:39
>>184
知っている神田さんは子どもの時から「かっけ」だったそうだ。
将門は戦の途中にかっけで退散した時もあるぐらい持病がかっけだったよね。
遺伝子って1000年経っても変わらない。
220日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:05:59
>>219
その神田さんは将門と何かつながりある人なの?自分でも自覚があるとか?
221日本@名無史さん:2007/08/12(日) 17:06:24
あるわけがない
222日本@名無史さん:2007/08/12(日) 18:48:43
ただやっぱ明治以降はいろいろと言われてたなあ。
戦後でしょ、おおっぴらに評価できるようになったのは。
223日本@名無史さん:2007/08/12(日) 21:59:55
足利尊氏も戦前は朝敵視されてたね
楠木正成は逆に七生報国の武士として皇居前に像まで建ってる
最近の研究では少し今までの事実と違うみたい
南北朝詳しい人いない?
224日本@名無史さん:2007/08/12(日) 22:25:50
>>220
気になって調べたら江戸の旗本人名事典で神田というのが3種類あって
平氏となっている。将門の将の字や正がつく名前ばかり。
225日本@名無史さん:2007/08/12(日) 22:56:37
旗本なら大名のそれとは別の相馬氏もあるわけだが
226日本@名無史さん:2007/08/12(日) 23:22:47
そういや前から思って居たんだが
貞盛も謎の人物だよな
大抵物語とかでは朝廷にご機嫌を窺い将門の家を父国香と一緒に嘲笑し
利権を騙し取ろうとする狡猾な人物として描かれているけど
伝説では八門遁甲の陣を知っていたり(そのため八幡藪という呪いの地ができた)
また将門にとって一番の怨敵なのに祟られた様子もない(没年不肖だから
もしかしたら祟りがあったのかもしれないが)
227日本@名無史さん:2007/08/12(日) 23:44:01
http://www.geocities.jp/rekisi_neko/masakado2-kanda3.jpg
京都は下京の四条新町西入ル下ルの膏薬図子にある民家の軒先にある
神田神宮。「史蹟 神田神宮 天慶年間 平将門ノ首ヲ晒シタ所也」と
記されたプレートがある。小さな祠なのに神宮の名がつけられていて、
民家の住民や町内の人々によって慎ましく大切にされていることが
わかる。将門を斬首した人の子孫が今も定期的に訪れたり、関東からの
参拝者も来るという。
228日本@名無史さん:2007/08/13(月) 00:34:26
そういえば京都も神田という人いるよね
229日本@名無史さん:2007/08/13(月) 04:46:18
倖田來未か
230日本@名無史さん:2007/08/13(月) 08:09:47
将門公由来のご子孫と名乗る方とお会いした事があるが、眉唾臭かったな。
一応相馬を名乗ってる訳だが、蝦夷に渡ったなんて事ないよな?

三浦氏は蝦夷に渡り子孫は居る様だし、何故か蝦夷に相馬神社(将門公がまつられている)があるが。
江戸時代に伊達辺りにくっついて北上したんだろうか?
231日本@名無史さん:2007/08/13(月) 21:41:55
幕末までのこった大名華族の相馬さんは北海道にわたって牧場を経営しているはず。
年に一回?里帰りして旧家臣と祭りに参加するとか。
でも相馬って千葉一族だったような・・
232日本@名無史さん:2007/08/13(月) 22:23:07
将門の子孫を探しても意味がないよ。関東の有力武士が将門の子孫を称したということを重要視するのは理解できる。
233日本@名無史さん:2007/08/13(月) 22:27:32
自称の可能性は否定できないわなぁ
234日本@名無史さん:2007/08/13(月) 22:44:18
でも将門の子孫が現存していたらおもしろいけどな。将国以降はどうなっているんだろうか。
235日本@名無史さん:2007/08/13(月) 23:23:37
将国以降どうなっていようともはや関わりのない話
236日本@名無史さん:2007/08/13(月) 23:34:43
お前にはな
237日本@名無史さん:2007/08/14(火) 00:47:07
>>231
貴重な情報ありがとう。

>でも相馬って千葉一族だったような・・

この辺は色々ある様ですね。
238日本@名無史さん:2007/08/14(火) 01:31:46
32代当主恵胤氏のご子息、33代当主和胤氏は北海道に渡り
十勝に柏台牧場ってのを拓いておるな。
ただ今の相馬氏は佐竹氏の流れが主なので、言うなれば嫡流は途絶えてしまっておる。

相馬氏は千葉氏族というのは間違いない。  

因みに和胤氏には確かお二人の男子が居られる。
行胤君と陽胤君、この家系はとりあえず安泰じゃろうな。

更なる余談だが現外務大臣麻生太郎氏と相馬和胤氏は親類関係にある。

うむ。
239日本@名無史さん:2007/08/14(火) 08:01:55
九州の相馬氏はどうなったんだろう
240日本@名無史さん:2007/08/14(火) 17:31:03
九州相馬氏の現在は把握しきれんかった、すまなんだな。

だが九州相馬氏は元は備前千葉氏千葉宗胤から岐れたものと見れる事から
鍋島家辺りに九州相馬を名乗る方は居るやもしれんな。
というより九州相馬自体が備前千葉氏に呑まれたのかもしれん。
241日本@名無史さん:2007/08/14(火) 20:58:10
反朝廷と言う事で関東では英雄だけど、

京都では今でもアテルイやコレハリのアザマロなんかと
同列に扱われてるな。
242日本@名無史さん:2007/08/14(火) 21:26:05
>>241
んなバカな
243日本@名無史さん:2007/08/14(火) 21:40:01
足利尊氏は?
しつこいけど…
244日本@名無史さん:2007/08/15(水) 01:05:38
スレ違い!
245日本@名無史さん:2007/08/15(水) 01:39:19
>>241
京都人は地方人を見下すからなあ。信長も笑われてたし。
246日本@名無史さん:2007/08/15(水) 01:57:10
平将門については広辞苑に載ってる程度の知識しかないんだけど、
この人常陸の国府を焼いて新皇なんて名乗り、文武百官を置いて関東を独立国にしようとしたんでしょ
朝廷に対してこの上ないくらいはっきりとした反逆行為だと思うけど、
江戸幕府はどういう理屈で朝敵の指定を解除してもらったの?
247日本@名無史さん:2007/08/15(水) 06:36:02
徳川家康は勝手に源氏を名乗って征夷大将軍に任ぜられたから
ただ歴史上常に武と公はお互い利用したり対立したり牽制しあったりの繰り返しだよね
それは武士がいなくなってからも続いた…
248日本@名無史さん:2007/08/15(水) 07:44:05
関東では成田山と神田明神、どっちが人気あるんだろう。

本当に将門が「独立国」作ろうとしていたのか
実は「朝廷のために」関東を平定しようとしていたのか、
よくわかんない。
249日本@名無史さん:2007/08/15(水) 07:54:42
>>246 どうして国府を焼いたのかとか、その当時の朝廷政治の実態とかはわかってるよな?
250日本@名無史さん:2007/08/15(水) 08:58:48
>>246
ゴメン!俺文章の意味履き違えてたかも
確か徳川幕府二代将軍秀忠の時に将門朝敵にあらずと認めた朝廷関係者がいた。
名前ど忘れした
かなり上のスレに書き込みなかった?
251日本@名無史さん:2007/08/15(水) 09:08:26
旧 相馬郡(茨城県 取手・守谷2市、北相馬郡利根町、常総・龍ヶ崎・つくばみらい3市の各々一部
千葉県 我孫子市と柏市の一部)
の住民は、成田山新勝寺には絶対に参詣しないそうだ。
もっとも、戦後に転入した新住民は気にしてないみたいだが…
252日本@名無史さん:2007/08/15(水) 15:05:43
千葉県の佐倉方面の数ヶ所の町もそう。
あの辺は千葉氏の影響強いから
逆に佐倉藩(堀田氏)は人気ない
江戸時代は圧政に苦しんでた
そんな中で義民佐倉惣五郎が出てきた
彼の中にも将門スピリッツが流れてたという説あり
堀田氏の子孫まだ佐倉辺りに住んでるらしいからあんまり悪い事言えないけど…
あと東葛地区も成田山忌避があるみたい
253日本@名無史さん:2007/08/15(水) 19:51:41
佐倉の依田学海は人気あるだろ
254日本@名無史さん:2007/08/15(水) 20:04:17
親将門=反成田は理解できる。
でも必ずしも反ヤマトではない気がする。

本当なら朝廷も皇室も忌避すべきなのだろうが。

江戸時代でも、田沼山城守を「悪人」将門に見立てた絵草紙とかあるし、
複雑だ。
255日本@名無史さん:2007/08/15(水) 21:03:36
>>252
佐倉藩に編入された地域は可哀想だったね。千葉県の天領の地域は自由と豊かさを謳歌していたのに・・。
256大原幽学:2007/08/15(水) 21:41:34
>佐倉藩に編入

馬鹿じゃねーの

257真夜中に:2007/08/16(木) 02:01:27
徳川家光の時、鳥丸大納言光広卿が将門は武勇に優れた人物なので
国家の鎮守になるだろうと後水尾天皇の許しをうけ
逆賊の汚名を除く准勅祭が執り行われた
そーです
258日本@名無史さん:2007/08/16(木) 04:04:09
将門は逆賊になるつもりはさらさら無かっただろうに。

流れと全然ちがうが、
群馬の福田家(福田赳夫元首相の本家)は藤原秀郷流らしい。
259日本@名無史さん:2007/08/16(木) 04:20:01
秀郷や貞盛を祭っている有名神社はどこだろう。
将門に対する神田明神のような。成田山は寺だしちょっと微妙。
260日本@名無史さん:2007/08/16(木) 07:49:34
なんか地震多いなー
やけに暑い日続くし…
まさか(・_・;)
261日本@名無史さん:2007/08/16(木) 08:27:17
某人の解説:気にしなければOKだと思いますよ。こういった連中っていうのは、
        自分のマイナス面をなすりつけるには都合のいい存在なんでしょうね。
262日本@名無史さん:2007/08/16(木) 21:03:31
多分、頼朝の先駆と言うかミニ版として、
関東を一括支配、自分の「仲介」で朝廷の支配下に戻そうとしたんだと思う。

って、まるっきり忠臣やん。
誰かが陰謀で悪人にしやがったな。
263日本@名無史さん:2007/08/16(木) 23:57:27
教科書的だけど、やはり攝関制への反抗ではないか?
264日本@名無史さん:2007/08/17(金) 04:03:11
朱雀天皇
摂関=藤原忠平
265日本@名無史さん:2007/08/17(金) 08:41:42
将門板腰越状もあるでよ
266日本@名無史さん:2007/08/17(金) 10:56:04
俺も成田山なんかには絶対行かない。我孫子に首曲がり地蔵
という、成田山新勝寺方面にわざと顔を背けている粋な地蔵
さんがいる。昔、地元の人達は成田山関連のほこら等にしょ
んべんかけたり、石を的代りに投げ付けてたらしいよ。
とても粋ですね。
267日本@名無史さん:2007/08/17(金) 18:04:10
無視するだけでいいのに
268夫馬 康雄 ◆Kjh9qBnAYw :2007/08/17(金) 20:53:05
平将門公が「滝口小二郎」「相馬小二郎」と呼ばれていたのは事実ですか?
特に京での日々をどのように送っておられたのか、詳しく知りたいのです。
残念ながら私、平将門公を童門冬二さんの作品(全一冊シリーズ)でしか存じません。
また愛知県在住ですので岐阜県不破郡の南宮神社や大垣市の御首神社に赴いたことはありますが、
東京の首塚や、神田明神、平田神社、築土神社へ出かけたことは御座いません。レスを宜しくお願いします。
269日本@名無史さん:2007/08/17(金) 21:08:21
胴紋なんか読んでるのか…
270日本@名無史さん:2007/08/17(金) 21:13:45
東京より茨城に行け
271夫馬 康雄 ◆Kjh9qBnAYw :2007/08/17(金) 21:14:12
そう言えば、南宮神社に出かけた際、彼の地で
荒俣宏さんがお出でになったことがあると聞いたことがあります。
272日本@名無史さん:2007/08/17(金) 22:45:29
市川市役所前の竹やぶって将門と関係あったと思う。
273日本@名無史さん:2007/08/17(金) 22:48:00
九段下の築土神社は意外に小さかったな
でも日本武道館の守護神なんだよ
274日本@名無史さん:2007/08/17(金) 22:53:13
関係あるよ〜
かなり上のスレに書き込みあった
275日本@名無史さん:2007/08/17(金) 23:00:25
↑八幡の薮知らずね
276日本@名無史さん:2007/08/17(金) 23:05:37
神田明神には胴体があるとどこかで見た希ガス
277日本@名無史さん:2007/08/17(金) 23:44:34
胴体があるのは茨城県岩井の神田山(かどやま)神社じゃなかったかな
伝説なんだけどね
現坂東市ね
278日本@名無史さん:2007/08/18(土) 05:10:51
「かどやま」じゃなくて「かでやま」じゃなかったかな。
279日本@名無史さん:2007/08/18(土) 05:41:45
神田山は「かどやま」で正解。
280夫馬 康雄 ◆Kjh9qBnAYw :2007/08/18(土) 10:19:35
皆さま、レスをありがとうございます。
281日本@名無史さん:2007/08/18(土) 14:52:01
去年、岩井の国王神社に御参り行って来たんだけど、お賽銭箱の横に記帳用紙
が置いてあり、覗いてみたら沖縄や宮城あたりから参拝に来てるファンがいた
よ。たまたまだろうけどね 俺も当然記帳用紙に「将門公再誕願う!」と書き
記してきたっす。

今年の将門祭りもたのしみっす。
282日本@名無史さん:2007/08/18(土) 23:59:34
上の人、〜っすって書き方俺もたまにするからびっくり!
某板の某スレでよくそんな書き方してる
将門とは真逆なスレなんだけどね
全然関係ない話でスマン…
ちょっと驚いたもんで〜
283日本@名無史さん:2007/08/19(日) 03:04:12
将門なんかがもう一度生まれてきたらマジ困る
284日本@名無史さん:2007/08/19(日) 08:10:04
いやあ、変革が望まれる時代に風雲児は必要になるものよ
生まれ変わりとかは信じ難い話だが
285日本@名無史さん:2007/08/19(日) 22:11:37
英雄たちが立つ時、時代が動く
286日本@名無史さん:2007/08/20(月) 06:15:35
乱世英雄?
287日本@名無史さん:2007/08/20(月) 07:52:44
平安初期、平小次郎将門さんは、腐敗した役人をやっつける庶民の味方だった。
武士の鏡のように意識されたのは江戸時代の本からと言われている。
その他に江戸時代に読まれた歴史本でよく出てきた人物は源頼朝や弓矢の名人だった源為朝が挙げられる。

288日本@名無史さん:2007/08/20(月) 08:19:27


で、お前ら、だからなに?www

いまさら、平氏が、だからなに?wwww

289日本@名無史さん:2007/08/20(月) 08:28:06
源頼朝を将門二世と命名しようか
290日本@名無史さん:2007/08/20(月) 08:45:31
頼朝は北条時政とか周りに上手く担がれたような気もするんだよな
291日本@名無史さん:2007/08/20(月) 10:50:14
むしろ神輿の癖に賢かったのが頼朝
頼朝死後、頼家や実朝が速攻で傀儡化したのを見ても
源氏は明らかに神輿
292日本@名無史さん:2007/08/20(月) 22:21:09
>>288
アイドル板のアンチ倖田來未スレでも逝っとけ
首の骨へし折るぞ
293日本@名無史さん:2007/08/20(月) 23:09:22
>>288
こいつとんでもないトコから来てんな
でWWWかよ
変換してる暇あったらお前の体積の少ねえ脳の心配でもしろWWW
294日本@名無史さん:2007/08/20(月) 23:55:48
野蛮な言葉ゴメン
どうぞ続けて下さい
頼朝からでしたか?
295日本@名無史さん:2007/08/21(火) 14:41:13
将門公の関東独立国家の夢を頼朝公が実現せしめてくれたねー。
しかも将門公の仇敵であった藤原秀郷の流をくむ奥州藤原をも討
ってくれたね。真に御見事でした!

不謹慎ですが、将門公から頼朝公までの話は、戦国乱世とと云われた時代の
話より数段イカシテルよねー。
296日本@名無史さん:2007/08/21(火) 14:45:53
>>71亀だけど、将門は忠平によって滝口に推挙されているから、それなりのパイプはあったんでしょうね。
将門の父良持が鎮守府将軍在任中に関白忠平に貢納していたと言われるのもうなずけますし。

でもその後将門は出世するわけでもなく(彼らくらいだと出世の上限は6位かな?)
父親の死去で下総に帰ってしまうけど、このとき国守だのの官を得ているわけでもない。
父親の死がその後の将門の運命を決めてしまった感がします。
将門が京にいた期間はそんなに長くないみたいだし、京での地盤はほととんどないかと。
大臣のおぼえめでたくというわけでもないだろうし、パイプと呼べるほどのものはなかったんじゃないかな。
あったら“平将門の乱”はまた違ったものになっただろうかと。


297日本@名無史さん:2007/08/21(火) 19:36:56
確かに将門ぐらいに当時気持ちのいい心根を持った人間を見つけるのは難しい。
その心たるやまさに「侠」とでも言おうか。

最期も十倍の敵に果敢に突撃して散りたる将門こそ真の武士よ。



と褒めちぎってみるテスト
298日本@名無史さん:2007/08/21(火) 20:49:34
江戸っ子は成田山と熱田神宮には絶対参らないんだって。

でも伊勢は参る。
そこんとこがちょっと無理があるなあ。
俵藤太は悪人で、日本武尊はそうでもないらしいし。

江戸は奥深い。
299日本@名無史さん:2007/08/21(火) 20:59:23
>>298無理があるとは?
300日本@名無史さん:2007/08/21(火) 21:15:23
熱田神宮を忌避するのは、草薙の剣があるかららしい。
でもこれって、もともと伊勢神宮の神宝でしょ?

なのに伊勢はOKで熱田はNGってのは、とばっちりではないか。
また成田山を作った京都朝廷を恨んでいるわけでもないし。
将門の子孫討伐(結局は噂)に出動した満仲を祖と仰ぐ、
徳川氏を尊んでる。
301日本@名無史さん:2007/08/21(火) 21:50:42
熱田神宮忌避というのは初耳。
忌避する理由がわからん。
302日本@名無史さん:2007/08/22(水) 21:17:55
>>295
将門、良文VS貞盛、秀郷の因縁は鎌倉時代まで続いているんだって
303日本@名無史さん:2007/08/23(木) 02:24:01
>>295 頼朝は経基の子孫だけどそれはオケーなの?
304日本@名無史さん:2007/08/23(木) 03:45:40
>>303 ヒント
つ八幡太郎
305日本@名無史さん:2007/08/23(木) 07:34:15
頼朝は将門の宿敵、平貞盛の子孫一味を滅ぼした
306日本@名無史さん:2007/08/23(木) 15:45:59
確かに歴史を立体的に見ると、やっぱり複雑ですなー。史実故、この
人が立派でこの人は立派じゃない、なんて本当は分からなんだろうけ
どね。ただ、将門公だけは本物の烈士であったっすー。それは誰もが
認めるところですね。
以前、築土神社に参ったら宮司さんの名前が、田子さんという名前だ
ったけどやっぱり平家の家柄なのかな。

307日本@名無史さん:2007/08/23(木) 19:22:19
将門の評価は、その当時の関東及び全国の世情全般を見渡さなくてはできない。
308日本@名無史さん:2007/08/23(木) 20:31:26
今からでも遅くない。
将門の遺志を継いで、そろそろ関東は独立しよう。
309日本@名無史さん:2007/08/23(木) 20:40:09
グローバリズムの時代としては非現実的だろう…
日本全体が将来労働力人口激減でヤバいとか言われてるのに
310日本@名無史さん:2007/08/23(木) 21:47:58
訴状が届いていないのでコメントできない
311日本@名無史さん:2007/08/23(木) 21:54:27
多分皇孫で、関東縄文系原住民に
本気で同情した数少ない人。
英雄とはこの人を言う。

清和(多田)源氏の頼朝は、多分内心関東原住民を見下していた。
だから関東に幕府ひらいて、征夷大将軍なんて名乗りやがった。
312日本@名無史さん:2007/08/23(木) 23:06:05
>>311
馬鹿だね!リア厨?
313日本@名無史さん:2007/08/23(木) 23:14:34
>関東の縄文系
>征夷大将軍と名乗った

中学生以外か・・・
314日本@名無史さん:2007/08/23(木) 23:16:39
>>308
待て待て。すでに関東は、将門の意志かどうかはともかく、日本の中心になっておる。
進駐軍でも移動させることの出来なかった、公の首塚の位置が、それを物語っておる。
315YAP?:2007/08/23(木) 23:32:26
頼朝は、平貞盛の子孫。
義家の母は、平直方の娘で、鎌倉は、本来、その所領であり河内源氏嫡流
家に伝えられた。
316日本@名無史さん:2007/08/23(木) 23:39:19
因果よのう
317日本@名無史さん:2007/08/24(金) 12:57:38
平直方は貞盛の子孫?
系図ウップきぼん
318日本@名無史さん:2007/08/24(金) 18:16:36
関東は高句麗系
319日本@名無史さん:2007/08/24(金) 19:13:32
近畿は百済系
320YAP?:2007/08/24(金) 21:57:39
平 貞盛ーー維時ーー直方ーー女(源頼義妻、義家・義綱・義光母)

で、北条氏と熊谷氏が、直方の男系子孫と称しているわけだが。
321日本@名無史さん:2007/08/24(金) 22:42:42
関東の高句麗系原住民に本気かどうか分からないけど同情した数少ない人。
322日本@名無史さん:2007/08/25(土) 00:08:04
>>321
あほ?
323日本@名無史さん:2007/08/25(土) 08:24:48
直方は貞盛流
平忠常の乱の時追討使に任じられた
ここにも直方=貞盛流VS忠常=良文、将門流の図式が見える
324日本@名無史さん:2007/08/25(土) 11:08:53
北條氏、熊谷氏などの貞盛流が、同じ貞盛流の平家討伐に加担しているというのは何なの?
325日本@名無史さん:2007/08/25(土) 11:20:05
あくまで自称であり、本当の子孫じゃないから。
326日本@名無史さん:2007/08/25(土) 11:34:47
自称だとすると、本人か一族が自ら選んだわけで、同族と目するものを滅ぼす胸中も気になる所だが…
貞盛流でなければ実際何氏よ?
327日本@名無史さん:2007/08/25(土) 12:06:16
名もない伊豆の土豪でしょ。
328日本@名無史さん:2007/08/25(土) 22:26:44
その自称平氏の土豪が後に天下を治めるんだから秀吉もびっくりですな
329日本@名無史さん:2007/08/25(土) 22:31:28
源平交替
330日本@名無史さん:2007/08/25(土) 23:08:04
勝てば官軍
331YAP?:2007/08/26(日) 01:03:48
北条氏はともかく、熊谷氏はひょっとしたら、本物の直方の子孫かもしれない。
直方の子孫が、人を殺害したか何かで、失脚し、関東に流されたらしい。
その子孫と称するのが、熊谷氏で、一方、その失脚後に、直方の系統の本家を
箱根にいた坊主(熱海禅師聖範)とやらが告いだというのが、北条氏の主張だ。
流されたならともかくも、箱根に最初からいたのでは、まあ、地元組だろうな。
332YAP?:2007/08/26(日) 01:15:13
 貞盛流と、良文流の対立を言うなら、まず最初は、常陸大掾氏の祖
平維基(幹)が問題だな。
維基の父は、貞盛の弟の繁盛だが、貞盛の子の通字である「維」が、
名前に入っているし、貞盛が、一族の子弟を多く養子にしたことは
知られている(代表的には、余五将軍維茂だ)ので、維基もその口だろう。
333日本@名無史さん:2007/08/26(日) 01:35:41
ところでさ、将門の子の将国って信田に改名したんでしょ?直ぐにまた変わったようだけど。 だとしたら今いる信田って人は僅かな末裔なのかな。相馬や千葉はたくさんいるからね。
334日本@名無史さん:2007/08/26(日) 01:51:06
平高望に兄弟はいなかったのか?
高望はどうして高棟を頼らなかったのだろうか?
335YAP?:2007/08/26(日) 08:46:36
本来なら、高望の父高見王が兄弟の高棟王らと共に「平氏賜姓」により、「平 高見」に
なるはずが、早死にして、その子の高望王が臣籍降下したわけだから、ほとんど、高望には
兄弟はいなかったのではないか?

でも、たしか、平 維扶とかいう弟がいたという話も聞いたような・・・。
誰か知っている人がいたら、教えて欲しい。
336日本@名無史さん:2007/08/26(日) 09:32:07
高見王については、実在を疑問視する声もあるようだね。
系図を除いて、足跡が分かる史料がない。
平高望については、祖父とされる葛原親王の子とする説もあるようだ。
葛原親王の子ならば、兄の平高棟、平善棟らと共に臣籍降下で分かりやすいのだがね。
ちなみに高棟、善棟らは、825年に平姓を賜って臣籍降下。
一方、平高望は839年生まれ説が有力で、その父親とされる高見王は少なくともこの前年までは生きていたことになり、
兄たちが臣籍降下する前に早死にしたために、平姓を受けなかったというのは事実ではない。
なぜ兄たちが臣籍降下する中、高見王だけが皇族にとどまったのか、謎が残るが、
平高望が葛原親王の子、平高棟らの弟であったとすれば、分かりやすい。
337日本@名無史さん:2007/08/26(日) 10:16:57
秩父に平高望の弟の平恒望を祭る神社があるね。
338日本@名無史さん:2007/08/27(月) 06:38:08
高棟が大納言まで昇っているのだから、中級貴族としての人生を模索するのが自然の流れではないか。
339日本@名無史さん:2007/08/27(月) 10:12:42
正面
340日本@名無史さん:2007/08/27(月) 21:49:18
貞盛は祟られたって話ある?
将門としては貞盛が一番許せない相手なんだろうけど
341日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:08:16
ないだろ
342日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:36:59
祟りは周りで「作られる」ものだからね…
343日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:38:18
貞盛って孫を食べちゃおうとした人非人だし。
そこまで行けば逆に祟られないのかも。
344日本@名無史さん:2007/08/28(火) 01:09:49
kwsk
345日本@名無史さん:2007/08/28(火) 19:00:22
以前、「歴史読本」みたいな雑誌で将門に与した中に坂上姓の者がいて(田村麿の子孫という事らしい)将門連合が朝廷軍に討伐された後、流れ流れて山陰地方に落ち着きその子孫が当家である、みたいな寄稿を読んだ事があるんだけどそれについて詳しい事分かる人います?
346日本@名無史さん:2007/08/29(水) 00:10:18
>>343
調べて見たら今昔物語に”児干を取る”っていう話があるね
読んだ感想だが貞盛本当に極悪人だな。
矢傷で悪性の腫瘍を患ったのは将門公の祟りっぽいが
それを治すためには胎児の肝が必要だと知り
自分の親族の女性の胎児を強制的に下ろそうとしたり、
朝廷にこの事が知られるとまずいので診療した医師を
殺そうとしたり・・・まあ医師の機転で結局下女の胎児の肝で代用したり
殺害されそうになった時も機転をきかせて難をのがれたみたいだが・・・・
これを見た将門公は貞盛は自分が何もしなくても地獄行き決定だと見て
祟るのをやめたのだろうか
347日本@名無史さん:2007/08/29(水) 00:15:21
久しぶりにきたら、踏み込んだ内容になってるナ〜
もっと勉強してくる
348日本@名無史さん:2007/08/29(水) 00:59:30
怪談・奇談の類ですやん…
史実そのものと捉えるのは危険かと
349日本@名無史さん:2007/08/29(水) 06:18:09
頼朝、鎌倉幕府の政権の時代、将門はどういうあつかいだったの?
名誉回復あつかい?それとも、逆賊あつかいは変わらず?
350日本@名無史さん:2007/08/29(水) 10:04:48
千葉常胤 妙見菩薩あたりか
351日本@名無史さん:2007/08/29(水) 18:54:07
今昔物語で平貞盛が極悪人のように書かれているのは
成立年代が平安時代末期だからかな?
平家が我が物顔で奢りたかぶるのを疎ましく思っていた
貴族たちが憂さ晴らしに平家の先祖である貞盛を貶めようとしたとか

なんとなく読んでいると物語の貞盛と清盛が重なる部分が見えるから
352日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:43:34
あり得るね
353日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:53:32
源義家は関東に将門信仰が根強いのを感じて各地の将門関係の神社を保護したようだ
自分の甲冑や刀を奉納した
東京都中央区兜町の地名はここから来てる
証券市場で有名なとこね
354日本@名無史さん:2007/08/29(水) 22:09:16
連続カキコになっちゃうんだけど
頼朝も将門には畏敬の念を持ってたんじゃないかな
源平合戦に源氏側として参加した武者は圧倒的に将門の後裔を自称?している人らが多い
千葉、上総、相馬、江戸、葛西、豊島…ナド
355日本@名無史さん:2007/08/30(木) 02:13:17
関東に、滅んだ将門の子孫を自称している者が多く、勝ったはずの貞盛の子孫を自称している者が少ないのをみると、
今昔物語の内容は確かに納得するものがあるね。

貞盛の箇所だけ清盛批判と観るのは無理があるでしょ。他にもあるなら別だけど。
356日本@名無史さん:2007/08/30(木) 08:45:17
江戸や葛西、豊島も将門の末裔の自称?
357日本@名無史さん:2007/08/30(木) 13:22:27
良文流自体が将門流と…
358日本@名無史さん:2007/08/30(木) 22:06:23
将門の子将国が良文の養子になったとか説が混沌としてるみたい
将国自体実在なのかな?のちの相馬氏に繋がるらしいけど…
359日本@名無史さん:2007/08/31(金) 01:21:46
正面
360日本@名無史さん:2007/08/31(金) 01:33:18
坂東千年王国よ永遠なれ
361日本@名無史さん:2007/08/31(金) 02:00:08
将国といえば安倍晴明と同一人物だという説がある。
将門の持っていた職能集団の技術及び伝説と晴明の呪術に関連があればおもしろい。式神=俘囚とか。
362日本@名無史さん:2007/08/31(金) 07:33:54
式=実は「夙」なら知ってる。
363日本@名無史さん:2007/09/01(土) 20:48:56
何?
364日本@名無史さん:2007/09/04(火) 07:54:13
f^_^;
365日本@名無史さん:2007/09/05(水) 13:51:32
安倍晴明は藤原道長に仕えたりもしていたけれども、
道長って、警護のために源氏を重用していた人なんだよね。
安倍氏はこの時代、代々陰陽道をもって朝廷に仕えた家で、
平氏と結びつけるのは厳しいと思う
366日本@名無史さん:2007/09/05(水) 16:43:00
正面
367日本@名無史さん:2007/09/05(水) 23:34:12
正面
368日本@名無史さん:2007/09/07(金) 13:50:03
まあ、義経ジンギスカン説みたいなものだから
あとは時空警察でもみればいんじゃね?
369日本@名無史さん:2007/09/08(土) 03:07:09
坂東に八平氏あり
370日本@名無史さん:2007/09/08(土) 16:29:00
馬のことを 駒(コマ)と呼ぶのは高句麗と関係有るのですか?
当時の坂東での製鉄業についても教えて下さい。
371日本@名無史さん:2007/09/09(日) 21:55:31
将門の配下の職能集団には渤海からの移民も含まれていたと思う。
372日本@名無史さん:2007/09/10(月) 05:03:31
>>370

倭名類聚抄によると、駒は、古くは古万(コマ)と書く。
馬の子供、小さな馬の意味。
373日本@名無史さん:2007/09/10(月) 08:18:53
日本土着の馬は小型種だったとはいうけど
374日本@名無史さん:2007/09/10(月) 12:53:56
「繋ぎ馬」を紋章?に使うことなんかユーラシア風に感じます。 
375日本@名無史さん:2007/09/10(月) 19:38:30
将門軍は長洲牧と大井牧を持ち騎馬戦を磨いていた
毎年七月に行われる福島県相馬市の馬追い祭はその名残と謂われる
376日本@名無史さん:2007/09/10(月) 20:24:59
将門の新皇坂東独立構想を北東アジアの世界史的視点で見ると
蝦夷の日本海交易ルートに十分国家経営基盤を期待できたと思う。
377日本@名無史さん:2007/09/10(月) 21:00:30
父良将が早死にしなければ平穏な人生だったかもしれぬ。
378日本@名無史さん:2007/09/10(月) 22:24:34
>>376

将門に貿易なんて重商主義な考えは皆無だよ。
日本の武士社会である封建の源流、
すなわち土地にしがみ付き、豪族が土地争いにあけくれる封建的な農地寄生型だよ。
将門がその原型。

重商主義を推した
平忠盛・清盛の親子による瀬戸内海ルートの整備と日宋貿易は、武士社会としては異端派。
経済系武士が多少はいたが、基本的には一所懸命に知行地を守るスタイルが定着した。
379日本@名無史さん:2007/09/10(月) 22:30:30
将門が 牧や製鉄などの産業基盤を持っていたのも事実。
380日本@名無史さん:2007/09/10(月) 22:47:04
まぁ地場産業系だよね
381日本@名無史さん:2007/09/10(月) 22:51:50
それは否定しないよ。
当然、産業は誰でも持つから。
馬飼いや鍛冶屋や弓師なんかを、
自分の領地、館や城下町に置いておくのは古代も中世もかわらない。
そうしないと武具の備えができないから。

貿易って言うのはそういうのとは全く違う。
極端にいえば、転売目的の生産。
商品を余剰に作って、自分で使わない。
どこか、相手の所に持っていって、生産コスト以上の利益で売り収支をあげる。そういう経済活動のこと。
将門にそれはない。少なくとも、国家規模でも少数の職能集団の経済活動からみても。

「東北アジアの世界史的視点で見ると」ってなにそれ?)
自分で言っていることわかっている?
382日本@名無史さん:2007/09/10(月) 22:58:18
武士の経済活動は第一に土地。
その走りが将門。

貿易も含めた高度な領土経営・商品管理なんて
平安時代の武士なら忠盛・清盛ぐらい。
将門がそんな経済活動をするなんて初耳だよ。
383日本@名無史さん:2007/09/10(月) 23:07:34
当時の坂東は蝦夷の俘囚・百済帰化系・渤海(高句麗)移民など
人種の坩堝。
渤海は特に高句麗武士階級が打建てた国で少なからずわが国の武士の
原型に影響を与えたと思う。
それは軍装などで騎馬戦向きの大鎧は 明らかに唐・新羅の徒歩戦用の
甲冑とは違う。
384日本@名無史さん:2007/09/10(月) 23:15:38
大鎧?

騎馬戦向きの鎧とは
匈奴や蒙古などの北方騎馬民族のように
獣皮でできた重量の軽い鎧で、馬に負担をかけないものだったと思うが?

日本の騎馬戦術はあくまで移動手段で馬を使い、
戦闘は馬を下りての白兵戦であったと思うが?
385日本@名無史さん:2007/09/10(月) 23:19:07
>>384
それは南北朝時代以降。
386日本@名無史さん:2007/09/10(月) 23:24:14
>>384
匈奴や蒙古はツングース系とは違います。
重装騎兵+従者。
387日本@名無史さん:2007/09/10(月) 23:32:46
なるほど。
同じ満州からモンゴル高原までの騎馬民族でも様々なスタイルと系統があるということか。
中国でいうところの「胡服騎射」の戦術はどっちの民族なんだろうね。
時代的に匈奴かな?
388日本@名無史さん:2007/09/10(月) 23:33:56
>>384
大鎧は騎射用な。
勉強しなおせよw
389日本@名無史さん:2007/09/10(月) 23:51:04
>>388

いや、だから騎射で名を馳せた民族の軍装が獣皮による軽装鎧だったから、
どこかの影響をうけているのなら、なんで日本が大鎧なんか使っているの?っていう意味なんだが。

もちろん国や民族によって様々なやり方を採用しているのだから
やり方がたまたま合致したり、たまたま異なっていたりするのは当たり前なのだろうが。
390日本@名無史さん:2007/09/10(月) 23:54:27
日本は湿度が高いので 風土的に獣皮の鎧は
不適当と思われる。
391日本@名無史さん:2007/09/10(月) 23:55:07
鈴木真哉厨か
392日本@名無史さん:2007/09/11(火) 12:45:01
最近思うのですが 将門は本当に無位無官だったのでしょうか?
滝口の武者だった記述があるのですが。
393日本@名無史さん:2007/09/11(火) 14:48:57
正面
394日本@名無史さん:2007/09/11(火) 15:30:47
後呂の
395日本@名無史さん:2007/09/12(水) 20:24:15
藤原広嗣 早良親王 菅原道真 平将門
この四人が夢枕に出てきたら相当怖いな。
396日本@名無史さん:2007/09/12(水) 20:38:20
>>395
そこで安倍晴明の出番ですよ。
397日本@名無史さん:2007/09/12(水) 21:14:34
平安時代の武官の職務は悪霊・化け物退治でつ。
398日本@名無史さん:2007/09/12(水) 21:26:28
「風と雲と虹」では衣装の時代考証には感心した。
貴族・武士だけではなく、京の姫様(吉永小百合)の大陸的衣装
坂東の困窮農民の竪穴式住居、飛鳥時代から進歩していないような服装
NHKスタッフの力の入れようは 今見ても画面から伝わってくる。
399日本@名無史さん:2007/09/13(木) 04:49:57
郎党や伴類の身分は私奴婢だったって本当?
400日本@名無史さん:2007/09/13(木) 07:42:03
401日本@名無史さん:2007/09/13(木) 20:48:17
律令制度の公民・官人・僧侶・神人以外は官戸・陵戸・公奴婢・私奴婢では?
402日本@名無史さん:2007/09/13(木) 20:54:18
洋の東西を問わず 古代には戦士奴隷・剣奴がいた。
オスマン朝では近世まで奴隷将軍が存在した。
403日本@名無史さん:2007/09/13(木) 21:54:23
>>398
このドラマって視聴率的には駄目だったんかね?
その後この時代が一度も取り上げられていない。
404日本@名無史さん:2007/09/14(金) 02:31:04
天下のNHK大河ですぜ?
平均視聴率は24.0%だそうな
405日本@名無史さん:2007/09/14(金) 03:19:49
>>403
圧力がかかったんじゃね。
テーマが反権力だったのと 時代的に古すぎて学者先生方の評価を
気にしすぎて手を出しづらいんじゃね。
406日本@名無史さん:2007/09/14(金) 03:57:21
>>395
崇徳院も入れて差上げよう。
407日本@名無史さん:2007/09/14(金) 08:08:13
>>403 ダイジェスト版ならレンタルビデオ屋で借りられるよ。クグツの一味を忍者的に登場させたりして当時としては発送が斬新だったんだとか。草刈正雄がかっけぇー!
408日本@名無史さん:2007/09/14(金) 17:12:40
>>401
それに加えて十世紀初頭は 富豪浪人・流民(元公民)・盗賊・異形の人々
(律令制に従わぬ民)等 税を納めぬ者達が増加していた。
将門配下の私兵集団の構成者(郎党・伴類)は彼の私奴婢以外ではそういう
人々であったと思う。
それは将門に限ったことではないが。
409日本@名無史さん:2007/09/14(金) 18:38:50
平氏の血だろうね。伊勢でも暴れてしょうがないんで
都に呼んで監視しようってことだったらしい。
410日本@名無史さん:2007/09/16(日) 00:32:57
加藤剛主演の大河ドラマ面白いみたいね
まだ見てないんだけど
だけど将門研究家には評判悪いみたい
まあ良くある史実と違うって感じかな?
三谷脚本の新撰組!もいろいろ言われたからね
411日本@名無史さん:2007/09/16(日) 00:53:05
三谷の駄作と比べたら可哀相、脚本でも役者の演技でも
三谷は一生現代コメディものに特化した方がいい
412日本@名無史さん:2007/09/16(日) 00:58:33
あの近藤はナシだよな
沖田のオリジナルエピソードも蛇足にしか感じられなかった
413日本@名無史さん:2007/09/16(日) 10:39:00
将門の弟達(将平・将国)や息子はその後どうなったのですか?
414日本@名無史さん:2007/09/16(日) 10:59:42
イ就馬の党
415日本@名無史さん:2007/09/16(日) 18:22:33
藤原玄明役は草刈正雄だっけ
416日本@名無史さん:2007/09/16(日) 19:16:36
玄明は史実でもイケメンだったのか!?
417日本@名無史さん:2007/09/16(日) 22:02:38
群党国に満つ
418日本@名無史さん:2007/09/17(月) 11:57:12
富豪浪人て血筋はいいんだよね。
419日本@名無史さん:2007/09/17(月) 21:29:20
近くのTSUTAYAに風と雲と虹と置いてなかった…(ノ_・。)
買うしかないか
藤原純友役って緒方拳なんでしょ?
今度は将門紀ベースの脚本で将門大河やってくれないかなーNHK
420日本@名無史さん:2007/09/18(火) 02:30:14
誰に将門を演らせるんだ?
421日本@名無史さん:2007/09/18(火) 05:27:27
>>420
伊藤英明
422日本@名無史さん:2007/09/18(火) 13:56:42
渤海から移民って来てたの?
それ以前の高句麗の難民が武蔵の高麗郡に住んだのは知ってるけど。
423日本@名無史さん:2007/09/18(火) 18:00:08
天平宝字六年(762)建立の多賀城碑に碑文があります。
日本海ルートで出羽国に上陸し陸奥国にやって来たと思われます。
将門の時代は百年以上後ですが、来寇は続いていたのではないかと思います。
鎮守府将軍だった将門の父・良将は彼らを配下の職能集団に組み込んだものと
思われます。想像の域を出ませんが、今後の研究に期待します。
424日本@名無史さん:2007/09/19(水) 00:38:20
将門公の首とったのは藤原秀郷といわれるが・・・

ならばなぜ、秀郷の末裔である佐藤氏はこんなにも勢力を伸ばし得たのか?
祟られて滅んでもよさそうなもんじゃないか?
425日本@名無史さん:2007/09/19(水) 00:45:46
祟りは偲ぶ人々の想いが作るものだから
後の一族の行いが極悪でもない限りはやっていけるでしょ
426日本@名無史さん:2007/09/19(水) 03:22:38
>>378
将門は封建の源流じゃないよ。
封建はご恩と奉公が基本 将門が誰にご恩を受け誰に奉公していたんだ?
将門は辺境の産軍複合体。
427日本@名無史さん:2007/09/19(水) 03:38:01
よく将門が「親分肌」と言われますが、単に腕力が強いだけでは
人は付いてきません。
頼ってくる人々を囲い込む経済力(産業力)が有ったのではないか
と思います。
428日本@名無史さん:2007/09/19(水) 16:41:55
やっぱり製鉄産業が基盤だったんじゃない?
429日本@名無史さん:2007/09/19(水) 18:31:40
鉄より馬でしょ
430日本@名無史さん:2007/09/19(水) 18:54:45
将門の首塚に顔射
431日本@名無史さん:2007/09/19(水) 19:07:03
↑みんなゴメンねー
変なの連れて来ちゃったよ
このスレを見てる人はこんなスレも見ていますってやめて欲しいよ〜
432日本@名無史さん:2007/09/19(水) 21:30:31
>>376
関東の将門で「北東アジアの世界史的視点」って、
どういう脳内地図を描いているんだ??www

テレビの天気図の地図でも見れば一目瞭然なのだが、
前近代の日本列島に入ってくる外国からのルートのうち、

1 中国から東シナ海または朝鮮経由で入ってくる「西からのルート」から見ても、
2 沿海州から日本海または樺太経由で入ってくる「北からのルート」から見ても、

関東はどちらにとっても日本列島の「最果て」の「最も遠い僻地」になる。
いわば「南東のどん詰まり」だからね。
アメリカからペリーがやってくるまで、関東にいきなり上陸した外国勢力は全く無い。
前近代においては、日本全国で最も外国事情に疎く、外国から最も縁遠いのが関東。

蝦夷の交易ルートを握っているのは、北からのルートが達する東北。
奥州藤原氏というのなら、分からないでもない。まあ妄想半分だとは思うがw
433日本@名無史さん:2007/09/20(木) 00:49:28
将門の父親が鎮守府将軍だったことは興味深い。
434日本@名無史さん:2007/09/20(木) 11:10:37
親族間の財産争いは古今東西珍しい話では無いが
当時の入り婿の習慣で母親が違えば赤の他人か寧ろライバル豪族だったんだろうな。
435日本@名無史さん:2007/09/20(木) 13:00:53
>「アメリカからペリーがやってくるまで、関東にいきなり上陸した外国勢力は全く無い」←確かペリーは江戸(浦賀)に来る前、蝦夷松前に寄ってなかったか?
436日本@名無史さん:2007/09/20(木) 13:34:24
>>432
北東アジアと言ってるから 沿海州・蝦夷経由の日本海ルートだろ。
437日本@名無史さん:2007/09/20(木) 14:24:15
>>432
東京は田舎者なんだよな

歴史は関西人が作ってきたのに
敬う態度を取らないから腹が立つ
438日本@名無史さん:2007/09/20(木) 18:04:36
まぁ明治維新をリードした薩摩長州も散々田舎者呼ばわりされてた事だし
439日本@名無史さん:2007/09/20(木) 18:16:14
此のころ富士山の噴火があったんだよね。
440日本@名無史さん:2007/09/20(木) 18:56:30
>>435
ペリーは、シンガポール、上海を経由、
琉球、小笠原諸島を通って浦賀に入港している。
琉球には勝手に上陸して王城へ行っているようだが、
蝦夷には寄ってない。
441日本@名無史さん:2007/09/20(木) 19:28:22
確かに文化的には関西が歴史を造ってきたが
政治、軍事面からみれば関東が主導してきたのでは?
442日本@名無史さん:2007/09/20(木) 21:39:08
>>441
江戸後期になると文化でも江戸に負ける
経済の中心地だったことは間違いないけど
443日本@名無史さん:2007/09/20(木) 22:03:34
藤原氏、伊勢平氏、北条氏、足利氏・・・
時代の権力者は関東出自が多い。
444日本@名無史さん:2007/09/20(木) 22:09:07
>>433
>>436
それがどうみてもギャグなんだよ。
北海道−関東の距離と、九州−関東の距離は大雑把に言えば同じくらい。
だから、
1、関東の将門は、関東という地の利を得て沿海州から北日本の交易ルートを握って繁栄した。
というのは、
2、関東の将門は、関東と言う地の利を得て中国から西日本の交易ルートを握って繁栄した
というのと、地理的に全く変わらない。
もし大真面目に2を主張するヤシがいれば、間違いなく誰もがコーヒーを吹くだろう。
「どう見ても地の利を得ているのは九州や畿内です。本当にありがとうございました」
としか言いようが無いじゃないか。
>>376は、それくらいヘンな話をしているんだよ。
ついでに言えば、
関東は北日本から遠いだけでなく、日本で最も『日本海側から遠い』地方。南東のどん詰まり。
だが、新大陸発見前の「外国」は、全部日本海側の先にある。
大体、上越国境の三国トンネルも、万世大路(山形新幹線ルートの山越え道)もないのに、
どうやって北方ルートをよりによって「関東勢力」が把握するんだ???
445日本@名無史さん:2007/09/20(木) 22:18:50
本当は北方ルートであっても、関東よりは畿内のほうがはるかに地の利が良く、
実際に、平安時代にはかなりよく把握していた。有名な渤海使だね。
これは、日本列島のもっとも幅が広い地域の、さらに南東のどん詰まりの関東と対照的に、
畿内は、ちょうど日本列島のくびれの位置(敦賀−名古屋線)に近く、
さらに平安京は畿内でもかなり日本海側寄りにあるため、
日本海沿岸を介して北方ルートと比較的容易にアクセスすることができたから。


余談になるが、関東の「地の利」とはこれの裏返しで、
「アジア方面のどの外国からみても、日本で最も遠い所」という点にある。
おかげで、特亜情勢がきな臭く、ろくな文物がやってこない現在では、
特に国防上、首都として最適な地域ということになる。皮肉だなw
446日本@名無史さん:2007/09/20(木) 23:19:32
外つ国から遠いからって、だからそれが何?
って話ではあるな。
447日本@名無史さん:2007/09/21(金) 03:44:22
>>443
出自は都
448日本@名無史さん:2007/09/21(金) 09:09:49
>>444
経済というのは物理的な距離の問題ではない。
需要と供給がポイントなのは常識なのでは。
坂東の荒地を開墾する鉄製農具の需要、所領争いで必要な最新武具の需要
牧経営で必要な競争力の高い馬品種の需要。
経済原理はたとえ古代であっても地理的距離も克服する。
449日本@名無史さん:2007/09/22(土) 11:48:07
正面
450日本@名無史さん:2007/09/22(土) 12:28:04
wikiの将門の項みてたら
将門が貞盛の妻らを捕えた際
彼女たちは兵士たちに凌辱され
哀れに思た将門は服を着させて放ったとか書いてあって不覚にも萌え萌え
451日本@名無史さん:2007/09/22(土) 13:43:56
>>448
>経済原理はたとえ古代であっても地理的距離も克服する。

北朝鮮の将軍様の縮地法でも使うのか?w

だがな、財布にカネが無かったら、チロルチョコ一つ買えねえんだぜ?坊や。
関東が欲しいものばっかり列挙しているが、
一体引き換えに関東は何を産出して何を沿海州に売るんだい?


ネタ交じりに書いてみたが、当時の関東に国際的に通用する産品が何も無いのは事実。
東北なら金(ゴールド)があるので、交易は成立し得たと思うけどね。
452日本@名無史さん:2007/09/22(土) 13:57:28
444
>日本で最も『日本海側から遠い』地方。南東のどん詰まり。

だから北九州や近畿より、朝鮮系の顔が少ないのか。
453武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/22(土) 16:02:48
>>354
平安後期鎌倉時代に将門の後裔を称した豪族はいない。
将門の子孫を称する豪族が出てくるのは室町以後。
ちなみにこれはググっても出ない。
ま、このスレ、唖然とする学問的なレベルの低さだ。
暇人がネットだけで検索してるとこうなる見本だな(大笑い)
454日本@名無史さん:2007/09/22(土) 16:30:56
>>451
>当時の関東に国際的に通用する産品が何も無いのは事実。

武蔵国秩父郡から純度の高い自然銅(和銅:ニキアカガネ)が産出され、
708年に「和銅」に改元されたことは知っているよね。
455日本@名無史さん:2007/09/22(土) 17:44:28
>>454
秩父の自然銅産出なんて、将門の時代よりとっくの昔にオhルw
再開発は戦国の武田氏からだ。
17世紀には関東の銅産出はかなり増え、
かつ銅は室町時代以来、日本の最重要輸出品であるにも関わらず、
それでも徳川家康が南蛮貿易・東シナ海ルートを浦賀まで延伸させることには、
完全に失敗している。
鎖国というのは家光の方針で、家康は貿易に相当熱心だった。
それくらい関東は「僻地中の僻地」なんだよ。
繰り返すが、九州関東の距離と、北海道関東の距離は大体同じ。
17世紀に、地球を股にかけた南蛮船でさえ嫌がった「大僻地」に、
10世紀の北回り交易ルートが伸びると思うかね??
456日本@名無史さん:2007/09/22(土) 18:00:52
>>455
どこの文献に10世紀初頭に秩父郡の銅が枯渇したと出ているのかね?
457日本@名無史さん:2007/09/23(日) 00:01:09
東北の馬鹿は金を無駄使い
458日本@名無史さん:2007/09/23(日) 05:23:29
>>457
奥州の黄金貿易は有名だよね。
とくに奥州の支配者・藤原清衡が一切経七千余巻を黄金10万5000両で購入した事で
度肝を抜かれた宋人が宋書に奥州の黄金事情を記載するぐらいだったからね。
(元代に来たマルコ=ポーロが東方見聞録での日本の記載に影響を与えた)

一方、関東は何の交易物産もなく、交易路もなく、交易相手もいなく、交易者(主体)も
ろくに記録されていない貧相な状態なのに、なんの妄想をもって
東アジアのネットワークだの交易文化圏だのと言えるんだろう?
459日本@名無史さん:2007/09/23(日) 11:33:51
↑この人首都圏以外の
田舎に住んでる気がするし
童貞くさい
460日本@名無史さん:2007/09/23(日) 13:51:04
正面
461日本@名無史さん:2007/09/23(日) 15:05:31
「首都圏」と書くところがこれ又田舎臭いけどなw。普通、東京とかせいぜい神奈川(特に横浜)と書くだろ?チバラギさん!>>459
462日本@名無史さん:2007/09/23(日) 15:44:31
関東以北の諸国が都に税を納めるためにどのルートを通っていたのか詳細希望。
463日本@名無史さん:2007/09/23(日) 17:09:15
将門とその周辺はどんな言葉話してたんだろ。

当時の関東原住民の言葉がわかんないなあ。
464458:2007/09/23(日) 18:02:44
>>459

ど、童貞ちゃうわ!
あと生まれてこのかた28年、東京都東村山市民だよ。

君は妄想が激しすぎる。
何一つ当たっていないじゃないか。
465日本@名無史さん:2007/09/23(日) 18:43:49
東村山市民は風俗と妄想が好き
466日本@名無史さん:2007/09/23(日) 18:56:28
将門のスレなのに
脈絡も無くわざわざ性交渉の話や風俗の話題を振るお前のほうが、よほどの風俗好きに見えるぞ。

それともスレ汚しが目的か?
467日本@名無史さん:2007/09/23(日) 20:44:51
武陽陰士くるな!
468日本@名無史さん:2007/09/23(日) 20:48:44
まさか俺について来ちゃった人らかな?
もうこのスレを見てる人は〜って廃止してくれ!
469日本@名無史さん:2007/09/23(日) 22:12:44
将門が首を突っ込んだ武蔵国足立郡司武芝事件について

この事件は武蔵国新任国司の権介興世王・源経基対武蔵武芝という図式だが
武芝はいったい何を拒んだのか?

正官の着任前の立ち入り検査は先例が無いとしての悶着であったが
興世王達が略奪紛いの実力行使に及んだ動機は武芝の産業基盤に有ったと思う。
氷川神社東遺跡にヒントがある。
平安海進により当時、海岸線が埼玉県南部まで入り込んでいて大宮台地に連なり
関東各地との水運による土器・須恵器・布等の集積地であると同時に、そこは製鉄産業の
中心地でもあった。
氷川神社東遺跡の産業をになっていたのが「丈部」と呼ばれる人々であった。
「丈部」は阿倍比羅夫で有名な阿倍氏(東北地方に侵蝕していった)の曲部であり、
製鉄の技術を持つ職能集団であった。
武芝は氷川神社の祭祀権を持つことで「丈部」を配下に組み込んでいたのである。

武芝事件は現代風に言えば 公権力を傘に着て優良企業をターゲットにした会社乗っ取り
未遂事件であり、将門は主要取引先としてホワイトナイトを気取っていたのではないか
と思う。
470日本@名無史さん:2007/09/24(月) 08:58:25

権介興世王×<権守興世王○
申し訳ない。
471日本@名無史さん:2007/09/24(月) 11:36:40
将門の乱って、東国の蜂起ととらえっれているけど、
主要人物を見てみると、詐称も入っているのかもしれないが、皇胤か藤原氏ばかりで、
おそらく関東に来てせいぜい数代しか絶っていおないような人たちばかりなんだよね。
上兵クラスの多治恒明や文屋好立も数代前に京都から来たんだろう。
結局武蔵竹芝以外の地元勢力って、全く無に等しい。
本当のところ、このころの関東の土着民は、ほとんど京都の貴種に使われるだけの、受動的な存在としか見えない。
472武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/24(月) 16:30:07
>>471
まあぶっちゃけそうですね。おおむね賛成です。
473日本@名無史さん:2007/09/24(月) 18:13:17
>>471
・・・・たしかにそうですね。
興世王など下向組ですし、常陸の住人藤原玄明も、姓から見ても
都がルーツでしょうし。
474日本@名無史さん:2007/09/24(月) 19:01:48
関東の身分構造は次々に支配者がやって来たので
古い支配者層はその都度身分が低下した。(爆)
475日本@名無史さん:2007/09/24(月) 19:30:56
東芝は武芝の流れを汲む。(ウソ)
476武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/24(月) 20:56:16
>>475
あながち縁もゆかりもないとは言えないんじゃないかな?
東芝は東京芝浦電気。つまり芝浦という地名が入っている。
付近には竹芝(芝浦は芝の浦ということだろう)という地名もある。
更級日記にも確か竹芝は出てくる。
古い地名だ。
ただ惜しむらくは将門のタケシバとのつながりが実証できない。
477日本@名無史さん:2007/09/26(水) 02:43:45
「将門」って語感や字面が強そうで
闘神って感じがするな
478日本@名無史さん:2007/09/26(水) 03:13:01
高望王の息子達の通字の「将」は将門を忌避して曾孫の代以後使われなくなった。
対照的に貞盛流は誉れとして「盛」を通字とした。
479日本@名無史さん:2007/09/26(水) 03:24:05
>>478
良将の息子達の間違いでは?
将門の兄弟達は将門の一党として滅びただけ。
480日本@名無史さん:2007/09/27(木) 15:59:44
>>453
鎌倉時代に将門後胤を名乗る豪族は存在しているんですけど…
481日本@名無史さん:2007/09/27(木) 21:37:43
「繋ぎ馬」の紋章は将門が生前から使っていたのか?
482たま吉:2007/09/28(金) 18:06:33
知らね。
483日本@名無史さん:2007/09/28(金) 21:02:26
>>471
まったくもって、その通り。
源平の合戦でも後の奥州での戦いにおいても
所領を得たのは源氏と藤原氏であり、二つの戦争を勝ち抜いた佐藤氏が
日本で一番多い苗字なのは当然なのです。
484日本@名無史さん:2007/09/28(金) 22:49:58
藤原氏→滅亡
佐藤氏=土着民が大多数
485日本@名無史さん:2007/09/29(土) 11:18:14
土着民じゃ武士になれないでしょ!
486日本@名無史さん:2007/09/29(土) 12:21:13
信夫庄司なんていうくらいだから土着と同等レベルじゃね?
487日本@名無史さん:2007/09/29(土) 13:59:44
>>483
最近は前九年の役の安倍氏も、陸奥守安倍忠好の末裔であって、土着の勢力ではないという説が出てるね。
板東八平氏を、ことごとく国造の末裔にしたがるヤツがいるけど、将門記を見てもわかるとおり、
古代豪族から直接武士になった例は極めてまれで、疑わしい。
板東八平氏の多くは、やはり桓武天皇の後胤だろう。
488日本@名無史さん:2007/09/29(土) 19:01:04
中世初期まで我が国はほとんどカースト制です。
貴族・官人と平民の間には途轍もない壁がありました。
軍団兵士や衛士がどんなに頑張っても大毅・小毅で大初位にも成れませんでした。
489日本@名無史さん:2007/09/29(土) 19:09:57
>>487
安倍忠好(通説では忠良)−頼良(頼時)−貞任

ってやつか。忠好は陸奥権守という話なら聞いたことあるが
490日本@名無史さん:2007/09/29(土) 19:41:15
485は佐藤氏全てが武士だったとでも思ってんのかね

どうして佐藤姓がこれだけ多いのかということを少しは調べろや
491日本@名無史さん:2007/09/29(土) 20:19:06
>>485
武士=「兵の家」で 土豪は婿に迎えて武士団を構成した。
直接土着系から武士階級に食い込んだ者もその後
鎌倉下り衆に圧迫され、逼迫していった。
492日本@名無史さん:2007/09/29(土) 23:05:49
古代豪族は多くの場合郡司になったって言うけど、
郡司百姓等という言葉からもわかるとおり、どちらかというとこのクラスは支配階級ではなく
平民の扱いなんじゃないかな。
中世の武士見ても、応仁の乱以前に郡司クラスから大名になったのは朝倉、大内くらいなものだろう。
詐称もあるのかもしれんが。
493日本@名無史さん:2007/09/29(土) 23:29:41
古代氏族から有力武士に成ったのは
宗像氏 阿蘇氏 諏訪氏 宇佐宮司大神氏など神職が多い。

「触らぬ神に祟りなし」だったのだろう。
494武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/30(日) 01:09:54
>>354ほか
おそらく「千葉氏(及びその傍流の相馬氏)が鎌倉期に将門の子孫を称したじゃないか?」
と反論したいんだろうけど、
千葉氏が頼朝とかの前で将門の子孫を称したことなんかないし、世間に公言もしていない。積極的な形で主張などしてない。
事実、史実的には将門とは何の関係もない。
第一草創期の鎌倉幕府で将門の子孫だとかを主張など出きる訳もない。将門は逆族なんだよ。
関東の自立を頑張ってるときに、そんな不安定要因のある一族であることを積極的に主張などするはずもないし、
まだそのころは千葉氏は自分らを将門に連なる名家だなんておそらくあんまし考えてもない。
ただ鎌倉期(中期以降じゃないかなーって私は思うんだけど。もしかすると平安からあったかもね)
に将門とのつながりを示す伝承は千葉氏にあったことは事実だ。
千葉氏に近い立場で編集された『源平闘諍録』(成立は鎌倉末期〜×××あるいは13世紀半ばから×××という説もある)に
その伝承については書かれているよ。
でも、それは後代(室町期)に千葉氏相馬氏三田氏などが、
将門の子孫を周囲に喧伝して威を張った(大して張ってないかな。三田氏は別だが)のとは全然違う。
そういう伝承が千葉氏の間に存在してたろうという話だよ。
まあ、その伝承は公的な形ではともかく噂的な形では知られていただろうね。
関東東北の将門信仰の場所には千葉氏(相馬氏)が関係してるところが多いから。
ちなみにこの将門信仰と千葉氏のつながりについての説はある学者推論だ。
495日本@名無史さん:2007/09/30(日) 03:01:33

逆賊上等www
496武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/30(日) 09:10:36
>>495
逆賊は当時の朝廷から見た場合。私が将門を逆賊と蔑んでいる訳ではない。
ちなみに頼朝も逆賊だった。後でその烙印を外してもらったんだ。
どうでもいいが学問(諸科学)というのはだいたい価値相対主義でやるものだろう。
497武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/30(日) 09:48:36
逆賊って朝敵ってことね。
498日本@名無史さん:2007/09/30(日) 09:50:06
逆賊に負けても滅びない朝廷
499日本@名無史さん:2007/09/30(日) 21:46:32
>>496
学問の目的は真理の追究であり、価値相対主義は学問を深める手段に過ぎんのだよ 君。
500日本@名無史さん:2007/10/01(月) 00:58:54
逆賊
501日本@名無史さん:2007/10/01(月) 01:04:49
國學院
502日本@名無史さん:2007/10/01(月) 15:23:42
土着って…。土着「民」と地生えの豪族の区別がついていない奴がいるな。この二つは全然違うぞ。
503日本@名無史さん:2007/10/02(火) 04:44:48
>>494
関係ないとか言いながら沢山関連要素出てきてますがな。鎌倉で名乗らず室町で名乗る必然性もないし断じるには弱いね。

なんか、いろいろあるけれど、
でもそんなの関係ねぇ!
でもそんなの関係ねぇ!
てか。
504日本@名無史さん:2007/10/07(日) 23:40:54
平景虎(今日のNHK大河に出てた)参上
505日本@名無史さん:2007/10/07(日) 23:43:53
ブヨーと国学院
506日本@名無史さん:2007/10/07(日) 23:51:08
三田氏の末裔っている?
507日本@名無史さん:2007/10/07(日) 23:54:06
国学院の偏差値どのくらいか?
508日本@名無史さん:2007/10/07(日) 23:59:43
私が受験生だったときは(ベビーブームで最強倍率の92年)、
国学院大の史学科の倍率は40倍超えてた記憶あり。
509日本@名無史さん:2007/10/08(月) 00:01:55
ブヨーはどこの女子大?
510日本@名無史さん:2007/10/08(月) 00:05:32
>>508
入試の倍率ではなく 脳の発育具合。
511武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/08(月) 00:29:51
>>509
私、自分の性別書いたことないのだが、
何故に女と断定する?
512武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/08(月) 00:39:12
>>503
関東中世史に携わる研究者じゃそうなっている。ちゃんと先行研究チェックしたまえ。
理由は、権威付けのためだ。千葉氏なんかがいいたてるようになったのは、
鎌倉のころに比べ没落して周囲に対して威を張らなくちゃいけなくなったからさ。常識だろうが。
また鎌倉の頃に比べると将門伝説は浸透して、朝敵の汚名もあまり関東じゃ意味をなさくなったからとかあるんだよ。
513武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/08(月) 01:00:47
>>506
さあね三田氏は知らないね。ただ子孫はいるだろう必ず。
私が知ってる中世の豪族にはマイナーな奴でもけっこー子孫と称する連中がいたね。
多分、カタリも多いだろう(江戸時代にねつ造したりしてるので現今の御子孫の方々は本気で信じている)。
将門の子孫みたいに。
己の祖先を名門ないしそこそこの家名を持っていた豪族とかナンタラとか思いたいのは、人情だろう(
私にはどうでもいいが。血に関心がないんでね。顔と頭には関心があるが)。
現に2ちゃんねる日本史板もそんなスレばっかだ(笑)
よほど現今の自己に自信がないのか(笑)。
一般的に素人が日本史に関心を持つきっかけの一つに、
先祖探しがあるとは、よくいわれるが、君もその事例に入るのかな?
まあ先祖探しでもしてくれ。偽文書を鵜呑みしたりする愚を犯すのも一興だろう。
514日本@名無史さん:2007/10/08(月) 17:04:35
>>509
腐女子大学WW
515日本@名無史さん:2007/10/08(月) 18:21:06
将門の年って何歳くらいだったの?
516日本@名無史さん:2007/10/08(月) 19:05:32
武陽陰士と過去の人からパクるなよ
517武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/08(月) 19:34:07
>>516
通説を書いてるだけだバカ。
だいたい2ちゃんはパクリだけだ。
どっかに書いてることを書いてるだけだ。
それに私は一応断ってる。
おまえバカ
518武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/08(月) 19:38:16
はっきしいって素人が将門研究に付け加えることなんてない
せいぜいトンデモ説くらい
ゴミだよ2ちゃんは。
おまえバカじゃねえか
それにさ先行研究をきっちり押さえなくちゃ(ちゃねらーはいい加減に引用する)論文もかけん
そんなことも知らないのか?
おまえ論文とか読んだことねーだろw
519日本@名無史さん:2007/10/08(月) 19:47:00
違うよ。その武陽陰士ってハンドルネームのことだよ
520日本@名無史さん:2007/10/08(月) 19:49:19
武陽さんはプロ固定
521日本@名無史さん:2007/10/08(月) 19:54:06
部落に興味持ってる歴史に疎い馬鹿だろ
522日本@名無史さん:2007/10/08(月) 19:54:57
>>518
どの研究者のどの論文を支持していますか?
523日本@名無史さん:2007/10/08(月) 22:11:59
でも麻生太郎もねらーらしいよ
524日本@名無史さん:2007/10/09(火) 09:09:57
とりあえず武陽陰士は
誣用淫史に改名な今日から。
525日本@名無史さん:2007/10/10(水) 00:00:32
千年経っても愛してる〜♪如蔵尼
526日本@名無史さん:2007/10/10(水) 00:30:47
ブヨーの愛方レズビアン
527日本@名無史さん:2007/10/10(水) 23:25:01
東京都千代田区にある『神田』という地名は将門の首が胴体を求めて飛んできたためについたらしいが
528日本@名無史さん:2007/10/10(水) 23:43:52
湯島天神の神領「神田」が由来だと思うのだが・・・
529日本@名無史さん:2007/10/11(木) 00:17:00
平将門の乱は自演
530日本@名無史さん:2007/10/11(木) 00:32:26
自演って…
どーゆー?
神田は体(からだ)が訛ってついた説が有力
531日本@名無史さん:2007/10/11(木) 01:29:01
>>530
千代田区に神田美土代町がある。

美土代(みとしろ)は御戸代、すなわち伊勢神宮の御田(=神田)のこと。
532日本@名無史さん:2007/10/11(木) 01:41:07
東京の地名なんかより
そろそろ尾崎の話しようよ
533日本@名無史さん:2007/10/12(金) 16:57:46
ジャンボ尾崎?
534日本@名無史さん:2007/10/12(金) 17:29:32
尾崎紀世彦?
535日本@名無史さん:2007/10/12(金) 19:27:46
尾崎行雄?
536日本@名無史さん:2007/10/12(金) 19:47:57
神田は江戸じゃなかったて説がある。
537武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/12(金) 23:03:38
>>526
うるせーぞオタクオヤジ。
538日本@名無史さん:2007/10/12(金) 23:07:06
将門って死亡時で何歳くらいでしょう?
539日本@名無史さん:2007/10/12(金) 23:23:12
38歳説が有力
540日本@名無史さん:2007/10/12(金) 23:45:23
>>537
だからお前はどの論文を支持してるんだ?
541日本@名無史さん:2007/10/13(土) 21:41:44
なんかぶようさんって、論文とか読み込んでるし、
それなりに知ってる雰囲気なのに、全く知性の輝きを感じないんだが
542日本@名無史さん:2007/10/13(土) 21:49:35
>>541
でも本人が読んでるって自称しているだけで、そこからの引用とか全く無いんだけどな。
どうせこいつらは読んでないんだろ、ってことを分っていてのハッタリじゃないか?
543日本@名無史さん:2007/10/13(土) 22:21:25
小谷野を読んだ感想でシャープとか言ってる時点で
ああもう駄目だこりゃって感じ
544日本@名無史さん:2007/10/15(月) 17:44:46
↑アカデミックな訓練受けたことない奴のいうセリフwww
545日本@名無史さん:2007/10/15(月) 18:10:44
>>544
だから誰のどの論文なんだ?
546日本@名無史さん:2007/10/15(月) 19:10:59
>>544
ブヨブヨ乙
547武陽陰士 ◆SBwJZS5Q5U :2007/10/15(月) 19:53:07
>>546>>545>>543
うるせーぞコテ忘れただけだ。
むかむかするから
今日は来てやったぞ。仕事中も気になって詰まらんトチリをやったもんでな。
つぶすぜ。
論文文献は自分で探せ。
前にいろいろ提示したが、なしのつぶて。嫌になったんだよ。
それに貴重な史料なんかこんなとこに書けるか馬鹿。
けっこう紛失その他のトラブルが多いんんだよ。
文庫とかだったらいいぜ。減らないし。
例えば寺子屋の基礎史料は文部省の日本教育史資料(名前これでいいかな?)
。寺子屋の議論になったときに、これを参照しなくちゃだめといったんだが、
なんの応答もなし。本屋で売ってるつまらない江戸本の受け売りないし
ネット切り貼り。おまら馬鹿だよ。正真しょうめいのばか。
なんとかしろ。
将門の論文その他の文献なんかたかが知れている。
将門の研究の最先端をいっている研究者もそんなに数は多くない。
わからないのお前が馬鹿だからだ。
いちいち2ちゃんの馬鹿にきっちりした
真面目な篤実な研究者の名前なんかだしたくねーんだよ。
バカ。

548武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/15(月) 19:59:37
>>543
おまえ小谷野を週刊誌レベルで捉えているな。バカだな。
救いようがない。
佐伯何某の遊女論、網野の遊女論を批判の射程に入れた
小谷野の本は鋭いぞ。だいたいお前、遊女論の先行研究しんねーだろうーが
このカラッポチャネラーがW
だからバカなんだよ。
研究史ちゃんとちぇっくしろ!教えてくれとかアホいうな」!
学部生レベルだ、そんなのは。
お前は一生2ちゃんnやって生きてろクズ。
549武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/15(月) 20:02:49
>>541
知的に見えるはどうでもいいんだよ。
バカじゃしようがねええだろうが?
悪いがお前の意見はどうでもいい。つぶすだけだ。
将門のこと知りたかったら、生の講義を受けろ。
論文なんかになっていない新知見がいっぱいだ。バカ。
ま、さいきんはどこも警備員が多いから、不審者あつかいされるかもな
550日本@名無史さん:2007/10/15(月) 20:06:52
こいつはほんとにどうしようもない‥‥
いい加減、バカ相手が嫌なら来なきゃいいじゃん。
551日本@名無史さん:2007/10/15(月) 20:59:01
>>549
もし良かったら誰の講義か教えてくれないか?
あと、論文なども誰のどんなのを読んだか
紹介してくれないか?
552日本@名無史さん:2007/10/15(月) 21:47:30
>>549
ここまでバカを連発する奴も珍しいな。
バカ相手ならもっと余裕がある筈だろうに。
553日本@名無史さん:2007/10/16(火) 12:21:03
2ちゃんをばかにして〜このチンカス
554日本@名無史さん:2007/10/16(火) 12:37:45
549 名前:武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/15(月) 20:02:49
>>541
知的に見えるはどうでもいいんだよ。
バカじゃしようがねええだろうが?
悪いがお前の意見はどうでもいい。つぶすだけだ。
将門のこと知りたかったら、生の講義を受けろ。
論文なんかになっていない新知見がいっぱいだ。バカ。
ま、さいきんはどこも警備員が多いから、不審者あつかいされるかもな


555半陽陰茎:2007/10/16(火) 13:13:43
ぬるぽ。
556日本@名無史さん:2007/10/17(水) 15:23:24
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/rights/1183278866/l50
日本史板に平将門スレ立ててくれたのここのひと?
ありがとうね (^O^)/
千葉氏や里見氏みたいに過疎らせないようガンガルよ
茨城スレの奴らも誘ってみようかな
なんか今我孫子の利根川対岸の街で盛り上がってるみたいだけど…
557日本@名無史さん:2007/10/17(水) 17:21:57
風と雲と虹と
BSで再放送してくんないかな
558日本@名無史さん:2007/10/17(水) 21:14:49
>>557
BSと言わず 地上波で再放送する価値は十分にある。
559藤原広嗣 :2007/10/18(木) 14:19:06
平将門のように反乱を起こすなどと冗談にも言ったらいけない。
560日本@名無史さん:2007/10/18(木) 14:34:20
民衆の生き血をすする奴輩め!
561日本@名無史さん:2007/10/18(木) 19:16:12
>>556
あー懐かしい〜
俺がここの人に頼んだんだよ
多分ここの板の人だとおもうよ
でもこの人はこの板にはもういないよ
俺もこの頃撤退したんだ
562日本@名無史さん:2007/10/19(金) 00:36:12
新皇か王くらい名乗れ頼朝よ。
563日本@名無史さん:2007/10/19(金) 01:45:29
原住民の独立でなくアメリカ独立戦争みたいな征服者の仲間割れか。
将門の関東独立というのは。
564日本@名無史さん:2007/10/19(金) 02:30:30
それだけ地方、主に関東に中央に対する抜き差しならない不満が溜まってたのさ
565日本@名無史さん:2007/10/19(金) 06:47:58
確かに平安時代までの坂東の扱いは過酷だったろうな。
しかし将門は本当に関東独立をめざしたのか? 

朝廷側が逆賊の汚名をおしつけたって気がする。

時の太政大臣、確か官公を陥れた時平の弟だっけ?
な〜んかいやなものを感じるなあ。
いや、相国は将門擁護派だったろうけど。
566日本@名無史さん:2007/10/19(金) 11:20:10
菅公を陥れたのではない。
天皇と上皇親子の確執に巻き込まれただけ。
567日本@名無史さん:2007/10/19(金) 14:50:37
ビーバップハイヒールって番組で御霊伝説として将門とりあげられたね
大河ドラマの畑仕事と米神を撃たれたシーンが使われてたよ
北斗七星信仰者だったってのは初耳だったけど
568武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/23(火) 00:12:23
>>567
千葉氏の妙見信仰と融合して、将門と北斗七星のつながりが
生まれた。
569日本@名無史さん:2007/10/23(火) 01:30:00
電波不用印紙キモイ
570日本@名無史さん:2007/10/23(火) 01:36:18
>>557
地元の図書館行けば総集編のビデオぐらいはあるかもよ。
571日本@名無史さん:2007/10/23(火) 23:33:30
NHKも総集編しか出してないみたいね
572武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/24(水) 00:30:11
>>569
しつこいぞ、ストーカー!
キモいのはこっちだ。頼んでもないので追いかけてくるな。
だから女の子に気持ち悪がれてきたんだよ、おまえw
573日本@名無史さん:2007/10/24(水) 09:35:51
父方では天皇の血を引いてるので王になる資格を得、
母方では土着の犬養氏の血を引いてるので東国人としての意識を得て
独立戦争を挑んだ
574日本@名無史さん:2007/10/24(水) 10:16:04
武陽さんてK大学の学生さんなの?
575日本@名無史さん:2007/10/24(水) 10:24:04
>574
武陽は社会人のおっさん
随分前のスレで教師を自称していた
576日本@名無史さん:2007/10/24(水) 17:33:32
平小次郎将門



加藤 剛
577日本@名無史さん:2007/10/25(木) 00:25:11
結局論文を読んだと自称するばかりで、そこからの引用は何一つない。
578日本@名無史さん:2007/10/25(木) 01:53:30
そもそも誰の何の論文を読んで、そこからどのような意見を持つに
至るかを聞かせて(レスして)くれない。

しかし、学校の先生だったとは驚きだな。
てっきり学生かと思った。
579日本@名無史さん:2007/10/25(木) 06:42:23
でも確かに教員に多いタイプではあるな。
ガキ相手に本気でキレたり、自我が異様に肥大していたり、
社会性協調性が無かったり、年のわりに幼稚だったり、
サヨクだったり‥‥以下略
580日本@名無史さん:2007/10/25(木) 17:46:59
女ぶよーが顔真っ赤にしてやって来るぞ
581日本@名無史さん:2007/10/28(日) 02:47:18
サヨクなの?
K学院大って国粋っぼい感じがしてたんだけど…最近、野球に力入れてるね。
582日本@名無史さん:2007/10/28(日) 04:32:33
>>579
名無しになれない時点で自己顕示欲の塊だろ。
583日本@名無史さん:2007/10/28(日) 04:50:52
子供で自分は社会経験がないのに、社会経験者をわかったような口ぶりで批判する若造が多いのが2ちゃんの悪いところだ。

 それに、人のことなんてどうでもいいじゃないか、現実社会で自分に自信がない証拠だと思う。
584日本@名無史さん:2007/10/28(日) 09:00:15
>>581
お前足りないなw
我が国は律令以来、天皇中心の社会主義国家だよ。
逆に将門等の私営田経営者はブルジョワジーだろww
585武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/28(日) 11:20:20
人のことなんかどうでもいいじゃないかーw
でもK学院大学なんて私は知らないよ。神戸女学院?國學院?関東学院?
まあいいや。
586武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/28(日) 11:29:01
>>583
私にヒマジン認定された井沢スレの井沢厨だなw
平日日曜日問わず朝四時からよく書き込みするな。
君が仕事してるとはとても思えないなw
まあ人のことなどどうでもいいじゃないかwってか
時々来て君みたいなバカ叩いて現実社会の鬱憤を晴らすとしよう(笑)
しかしバカ叩くと面白いや。
叩かれたくなかったら、もうちっともう勉強しろや。
でねえとマジぶっ潰すぜ。
587日本@名無史さん:2007/10/28(日) 14:15:24
>>586
だから、お前誰のなんていう論文読んでるんだ?
588日本@名無史さん:2007/10/28(日) 16:11:31
>>584
えー!今も続いてるって事?
今のアメリカ型資本主義の日本は仮面て事?
今の日本も天皇を中心とした社会主義国家?あるいはアナキズム国家って事?
589日本@名無史さん:2007/10/28(日) 20:57:21
>>588
現在の日本のどこがアメリカ型資本主義国家だよww
大統領制なんて無理。
将門こそが日本に馴染まない資本主義者の先駆けじゃないのか?
590日本@名無史さん:2007/10/28(日) 23:08:55
なんのこっちゃ‥‥
591日本@名無史さん:2007/10/29(月) 00:10:22
南無三 不用印紙退散
喝 !!
592日本@名無史さん:2007/10/29(月) 00:36:57
武陽陰士だってw
馬鹿じゃないのこいつ
593武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/29(月) 00:41:03
↑悪いけど気が向いたら書き込みするよ。
いい加減なこと書き込みすると私が来てバカにすると思ってください。
伊達にコテ使ってません。
ただ今後はキリスト教関連の板で神学論争でもしようかなあ
と考えています。
どうでもいいですが、学問も何もかもバカバカしく思っているこの頃です。
594日本@名無史さん:2007/10/29(月) 19:49:10
武陽さんてK学院大じゃなかったのか
ごめんなさい。上の方のレスに書いてあったから…
595日本@名無史さん:2007/10/30(火) 00:40:36
不用印紙は只の貧乏ニート婆ですよ
超古い携帯電話で書き込みしてるらしいし
596武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/30(火) 01:11:37
>>595
ふふふ。
じゃ、哲学板のオフ会に出席した哲学思想に通暁した若い男は誰なのかな?
けっこーイケメンだよ奴。
私が彼より年上ってこと?彼が若いツバメ?
バカじゃない?
古い携帯なのは私が物持ちがいいだけだよ。物大事にする人なの。食べ物も残さないしね。
確か哲学板に私の相方について触れたスレあるはず。
相方、生身で議論するの好きだからね。ちなみに私は彼よりか年下だよ。
ていうかウザいよオヤジ。
哲学板のオフ会に出た武陽は現代思想について語っているんで、完全に私とは専門を異にする。
彼は法哲学も詳しい。
ついでにいえば、来年のお盆に今一度哲学板オフ会があったら
彼は出席するかも。
私の相方にドつかれたかたっら出席したらw
相方喧嘩好きだよ。まあ殴りやしないと思うから安心しなよ。
私は半ばストレス解消で書き込みしてるの。お分かり?
しかし2ちゃんは楽しいな。つかれが吹き飛ぶ。
ああ寝よっかな。
597武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/30(火) 01:22:47
相方いってたね。「生身で会うと、けっこーみんなイイ奴だった」って。
ふーん、て感じ。
よくやるよ、って思った。
私は絶対生身の2ちゃんねらーに会いたくないし、ネットだけのつきあいの奴と会いたいとは思わない。
君子危うきに近寄らずだよね。
相方はイザとなれば修羅場くぐり抜けられるけど
私は弱いもん。日本史なんてなんの役にも立たないよ(当たり前だけど)。とにかく怖い。
君たちは夜道怖いとか思ったことないでしょ?
私はすごく怖い。もちろんお化けじゃなく人間それも得体の知れない男ね。
君たちみたいなw
まあ私のことは放っておいてね。
ニート婆でもいいから。
身元追求するのはよしてマジで。
じゃもう寝ます。
598日本@名無史さん:2007/10/30(火) 08:10:27
なんだ相方って? 
お前は夫婦漫才師か? と小一時間(ry

>>597
>私は絶対生身の2ちゃんねらーに会いたくないし
自分の顔を鏡で良くみれ、アホ
599日本@名無史さん:2007/10/30(火) 14:37:54
コテハンつけて、必死に書き込みして、
オフ会まで出てる香具師は2ちゃんねらーと呼ばないのか
自覚がないなら、馬鹿を通り越して、基地外の域だ
おおキモイ
600日本@名無史さん:2007/10/30(火) 17:11:30
ま、学問系と言ったところで発言に責任のない2ちゃんだからね
601日本@名無史さん:2007/10/30(火) 18:44:44

600ゲットおめ
602日本@名無史さん:2007/10/30(火) 23:37:16
将門と関係なくて悪いんだけど…
武陽さんて二人いるの?哲学専攻してるんだね
将門にも興味あるのかな?
俺よりかなり年上なのかな
603武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/30(火) 23:42:41
>>598
おお釣れたなw
相方ってのはセックスの相手。つまりLOVER(これとはちょっと意味合い違うけど)ってこと。
君が近世文学と近世風俗に関して、全然読んでない無教養(バカ)だってことが、これで分かったなw
漫才の相方なんて新語、汚らわしくて頭にもなかったな。
本当はこのレスも文語で書きたいくらいなのね。ところで君の「夫婦漫才がナンタラ」という突っ込みは今風の
漫才かお笑いの言葉遣いかな?
ふふバッカみたい。
追伸:夜道が怖いのは明るいとこで、目をつけられて待ち伏せされるってことです。
君のようなキモい男は用意周到なので怖いのです。
あああと私、鏡大好きです。写真も好きです。君は鏡も写真も嫌いでしょw
気の毒にw
604武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/30(火) 23:55:20
しかし2ちゃんは楽しいなw
これで一日の疲れが吹き飛びます。
ええと私に将門の件でガタガタいってた奴にいいたい。
てめえバカ。千葉氏関連の研究なんてすぐ分かるだろうが?
専門外でも簡単だ。
てめえレポートとか書いたことねえバカか?
有名な源平闘諍録に関してまず調べろ(成立時期とかだ)。
てめえみてえのは一度小学校の前からやりなおせ。
てめえみてえネットバカに教えることなんかねえよ。
千葉氏に関して優秀かつ篤実な研究者が二人いるが
名前は一切出さない出したくない。てめえみてえなバカに名前だすんなんざ汚らわしくて
耐えられねえ。
いいかげんググったりくだらねえ本やのくだらねえ本から拾った知識開陳すんな。
これから随時てめえの間違いだけを指摘して笑いものにするぜw
将門の子孫の名乗りの時期を室町以降とした話は千葉氏について学んだ後だ。三田氏のことも同様。
バカだったら初歩から始めろ。てめえがえらそうな御託ならべんのは小学校卒業してからだ。
605日本@名無史さん:2007/10/31(水) 00:01:58
( ^ ิ ౪ ิ)
606日本@名無史さん:2007/10/31(水) 00:02:53
一人二役やるんなら
ちゃんと文体とかレイアウトとか替えなくちゃ。
607武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/31(水) 00:06:40
三河漫歳なんかの場合、二人の打ち合わせ一方が一方のことを
相方って言葉で呼ばないと思うけど
どうなんだろう。
相方ってある意味新しいんじゃないかな?
今の用法ができたのは戦前か?秋田ミノルはその形成に関わりがあるのか?
608日本@名無史さん:2007/10/31(水) 00:10:57
そんなこと日国で自分で調べろ、低脳。
漫歳? 万歳か漫才だ、ヴァカ
609日本@名無史さん:2007/10/31(水) 00:31:39
>>607
お前いちいち口調変わり過ぎw
もはやこのスレのテーマが将門ではなくぶようになっている件
610日本@名無史さん:2007/10/31(水) 08:32:36
舞踊陰唇は基地外ニートだから放置しれ
611日本@名無史さん:2007/10/31(水) 09:22:28
>>603
鏡の中に写っている香具師
それが、真のキモイ2ちゃんねらーの姿
OK?
612日本@名無史さん:2007/10/31(水) 21:09:44
鏡に写るレズ二人
613日本@名無史さん:2007/10/31(水) 21:14:44
平家一族が団結していたら、現代に関東国が続いていたかもしれない
従兄を敵にまわしたまま、新皇名乗ること自体が無謀だった
陸奥辺りの地方豪族と同盟するとかいう知恵は なかったんだろうか?
614鈴木佐之助 ◆89DII/TKR2 :2007/10/31(水) 21:18:42
というよりも将門にそんな気がさらさらないような気がするな。
秀郷もただ勢力つけつつある将門がうざくて貞盛と結んで将門を討っただけだからな。
615日本@名無史さん:2007/10/31(水) 22:56:21
秀郷ってなんか事件起こして一度東北に流されてなかった?
かなり野心満々な人だった感じがする
将門と貞盛を両天秤にかけてたような…
616日本@名無史さん:2007/10/31(水) 23:02:53
将門は一時期京都で摂関家の下僕をやってたんだろ
藤原の犬が天皇と同格の新皇とは大笑いだ
617武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/31(水) 23:20:14
>>613
将門が純友と呼応して乱を起こしたとかいう「伝説」みたいで、
「ロマン」のある疑問で面白いですね。
618日本@名無史さん:2007/11/01(木) 00:18:41
まあ、藤原純友はともかく、将門は私闘から発展していくなかで、
状況に押されて行った感もあるしな。
619日本@名無史さん:2007/11/01(木) 17:12:04
首塚がいつまで保存されるのか心配です。
まあ、壊そうとしたら祟られるのでいいか。
620武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/05(月) 22:01:04
>>619
都旧跡だから大丈夫。
ただ古墳とか国史跡指定レベルの遺跡すらバシバシ破壊されてきた日本
という国には今更ながらあきれかえるな。
文化財指定されていないうちはやばいね
621日本@名無史さん:2007/11/06(火) 00:52:09
逆賊
622日本@名無史さん:2007/11/06(火) 00:54:34
>>621
お前何が言いたいんだ??
623日本@名無史さん:2007/11/06(火) 14:43:50
不用淫子キモイ
出てくんな
624日本@名無史さん:2007/11/06(火) 15:21:17
2ちゃんが何だと言いながら
書き込まずにはいられない
それが糞コテ舞踊

全スレ警報発令中。
625日本@名無史さん:2007/11/06(火) 19:37:19

個人攻撃はいいから将門を論じよう。
626日本@名無史さん:2007/11/06(火) 20:38:51
「風と雲と虹と」、いつのまにかDVD化されて、しかも完全版で出てたんだな。買おうかどうしようかな(´・ω・`)
627武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/06(火) 22:45:10
>>624
そうでもないよ。
一休スレ、井沢スレ、江戸をさがす何たらスレなんかは書き込みが、おそらく私のせいで止まっている。
他にも多分あるだろう。
所期の目的は達成したさw
628日本@名無史さん:2007/11/06(火) 22:50:22
歴史学において 思い込み・妄想・捏造は在ってはならない。
おそらく >>627の信念であろう。
629日本@名無史さん:2007/11/06(火) 22:56:58
>>628の続きだが
歴史学の本流は大系学であり、比較類推論である。
トリビア的なものは枝葉末端であり、伝記譚はさほど重要ではない。
630日本@名無史さん:2007/11/07(水) 14:59:10
平将門は素晴らしい。
631日本@名無史さん:2007/11/07(水) 15:10:54
大して力もないのに「新皇」と名乗ったり
端からみるとあまり素晴らしく見えない
632日本@名無史さん:2007/11/07(水) 15:21:20
力がないこと無いだろ。
関東諸国に国司おいたんだから。
独立国家構想が成功していれば
今頃この国ももう少しまともだったろうに
633日本@名無史さん:2007/11/07(水) 15:31:08
結局この時代の国司は中央の下僕だったということ。
将門に力があるなら、あんなにあっさりと
官軍に負けなかっただろう。
634日本@名無史さん:2007/11/07(水) 15:42:06
官軍ったって、秀郷と貞盛、要するに将門と同類の連中。
中央派遣軍とは言い難い。
635日本@名無史さん:2007/11/07(水) 15:51:04
同類に負けたのならば、
尚更、将門は力がなかったということだな。
636日本@名無史さん:2007/11/07(水) 16:23:11
兵といっても農民に毛が生えたようなもの
農繁期には使い物にならない 
将門は その隙をつかれて討たれた
637日本@名無史さん:2007/11/07(水) 16:27:02
農繁期でも軍を集めることの出来た秀郷と貞盛の
勝利だな
そもそも兵農分離なんて秀吉時代までなかった
それでも優秀な武将は戦に勝てたからな
638日本@名無史さん:2007/11/07(水) 16:48:28
>>636>>637
農繁期っていつからいつまでなの?その間は合戦は出来ないものなの?
639日本@名無史さん:2007/11/07(水) 17:02:19
将門が打たれたのは天慶3年2月14日。
合戦が始まったのは2月1日頃。
旧暦のために1ヶ月半ほど新暦とはずれる、
新暦だと3月中旬〜下旬の出来事か。
5月の田植えにあわせて、農家では苗床を作る時期。
しかし、将門の場合不意をつかれたわけでもないし
(当初、自分から戦を仕掛けていた)
農耕期(田植え、稲刈り)の時期とも合致していない。
640日本@名無史さん:2007/11/07(水) 19:50:17
土豪が将門の首に懸けられた恩賞に群がった感じかな。
641日本@名無史さん:2007/11/08(木) 01:20:09
討つほうも討たれた方も同類だな

これより地方に追いやられていた者が中央にて台頭する機会が増した
642日本@名無史さん:2007/11/08(木) 07:43:06
中央政権が徴兵制度廃止して、戦争放棄?したから
治安が維持できなくなって、泥棒が横行した
中央政権の命令に従わない泥棒を、命令に従う泥棒を使って鎮圧

そうやっていくうちに、泥棒に国を乗っ取られた
それが日本の歴史
643日本@名無史さん:2007/11/08(木) 09:58:42
藤原純友は瀬戸内海の海賊と結び、その棟梁となった。
644日本@名無史さん:2007/11/08(木) 10:35:37
将門以降、東国は中央の威勢はますます届かなくなり
ついに頼朝に至る。
645日本@名無史さん:2007/11/08(木) 13:32:19
現代に例えると、私腹を肥やすことだけ考えた厄人が、
金ばかりかかって役に立たないと言いがかりをつけて、警察や自衛隊を廃止
窃盗、暴行やりたい放題の無法状態になってしまい、
あわてた政府が、ヤクザの組長を警視総監に任命して取り締まりさせてるようなもの

治安維持や自衛には最低限でも武力が必要だが
いつの時代も、それがわからない阿呆がいる
646日本@名無史さん:2007/11/08(木) 13:49:52
平将門と菅原道真は素晴らしい
647日本@名無史さん:2007/11/08(木) 14:05:39
>645
都の治安を守る検非違使などはいたのだから、それはちょっと違うでしょう・・・
近衛大将なども、本来、武官の名称。
ただ、長年戦がなかったせいで、弱くなってしまったというのはあるけれども。
平氏も源氏も、この時代は国司に任じられて、中央勢力の一端だった。
現代の日本は一般人が鉄砲や刀などの武具を持つことを禁じられていることで
犯罪がおさえられているというのはあるでしょうね。
平安時代には庶民が縄張りを主張するのにも武器を手にする時代だったから、
現代と比べても仕方ない。
648武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/10(土) 01:12:44
>>645
律令制は対外的な東アジア世界の(唐とかね)緊張感から作られた気味があるのは
最近の研究じゃ踏まえられていること。
対外的に敵がいなくなれば兵制も変質するさ。
たとえば蝦夷。彼らとの戦争でかなり国は疲弊した。
知らないのか?
「役人がなんたら」とかもいいが、あまり現代と比較して同じイメージで捉えるのもやめたほうがいい。
649武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/10(土) 01:28:46
将門を単なる土豪だか泥棒(確かに玄明は泥棒したが)だかみたいにみなすのは間違っている。
まず将門は忠平の家司だ。
将門が単純な私営田の領主なわけじゃない。
また将門の陣営には次将(ナンバー2)ともいうべき興世王は武蔵権守、藤原玄茂(常陸のジョウ)という
レッキとした国司がいる。
なぜ国司が将門に与したかは明日にでも書こう。
とにかく土豪の争いのレベルじゃないのだ
まあググってばっかいるとパーになるぜw
それからしょうもねえこといってっとぶっ潰すぜそろそろこのスレの潰し時が来たなw
650日本@名無史さん:2007/11/10(土) 06:47:37
中央の統制に従わない関東独自の軍政機構を繕うとはしたろうけど、
決して坂東独立ではない。


これって





関東軍?
651日本@名無史さん:2007/11/10(土) 08:06:31
またキモイ不要淫屍が しゃしゃり出て電波飛ばしてる
そんなに電波飛ばしたいなら、ここへ逝け
 ↓
ttp://anime2.2ch.net/test/read.cgi/otaku/1170161480/
652武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/10(土) 11:26:49
>>650
将門政権のは律令制の模倣だよ。独自じゃない。
頼朝政権とは違う。
653武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/10(土) 11:39:04
>>651
私に論破されて悔しいのは分かる。
しかしレスに関係ないこと書き込みのはアンフェアだ。


なあんてねwバーカw
654武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/10(土) 11:49:47
純友も国司。
土豪云々泥棒云々はアホらしい。
ま、純友は海賊だから泥棒だが。
655武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/10(土) 11:51:26
どうでもいいが
このスレの人たち学界の古代史の最新知見ほんと知らないんだなw
656日本@名無史さん:2007/11/10(土) 17:26:23
>>649
そんなこと今更得意げに書き込む事でもないだろうに。
ラスト二行さえなけりゃお前も名コテなんだが
657日本@名無史さん:2007/11/11(日) 21:27:52
なんだ まだ陰子生きてたのか
池袋のビルからジャンプしたのは陰子じゃなかったんか
658武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/11(日) 21:35:34
>>657
なんか勘違いしてるようだ。
私はキリスト教徒だ。自殺より緩慢な自然死を選ぶ。
しかし人様の通るとこで自殺するなんてハタ迷惑な人だね。
まああのあたりけっこー私通るのね。
目的はもちろんジュンクとリブロね。
私も被害者になってたかも。
659日本@名無史さん:2007/11/11(日) 21:40:28
>>656
だな
660武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/11(日) 23:02:20
国司が将門に与したのには国司制度の変質という理由がある。
いわゆる受領国司の登場だ。
国家が受領国司に権益を集中さしたため
下位の国司に利権が少なくなったのである。
将門の乱、純友の乱にはそういったことどもの影響が多大なことをみなさんは前提として頂きたい。
(続くw)
ちなみに今、外。雨やんだな。寒い。早く帰ろう。
661日本@名無史さん:2007/11/12(月) 00:13:06
さあ早く割り箸の袋詰め作業に戻るんだ
662日本@名無史さん:2007/11/12(月) 14:53:40
>>281
平将門信仰する人のスレ(神社・仏閣板)
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1192534184/
歴史の話題ではなく、あくまで信仰のスレですが・・

昨日の、国王神社祈願祭 雰囲気ありましたね。
行きましたか?恐ろしく亀レスですが^^;
663武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/12(月) 23:14:40
>>661
なんじゃこりゃ?
>>662
いいレスですo(^-^)o
664日本@名無史さん:2007/11/12(月) 23:18:14
神社・仏閣板も荒らされるのか
665武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/12(月) 23:27:59
>>664
「あらし」ではありません。「伝道」です。
偶像を崇拝する異教徒に、尊いイエス・キリストの教えを……福音を伝えるだけです。



なあんちってw
666武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/13(火) 23:46:23
>>656
当たり前ってお前、なぜ
国司が将門陣営に参加したとか考えたことなんかねえだろーがw
667日本@名無史さん:2007/11/18(日) 14:42:54
ほんと部溶淫子とかいうのは、
キモイ2ちゃんねらーだな
668武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/18(日) 20:29:37
>>668
おお2ちゃんねらーを侮蔑語として使用したか!
これを待っていたんだ。
669日本@名無史さん:2007/11/18(日) 23:09:12
ハハハ、馬鹿が出てきた
670武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/18(日) 23:34:55
↑ここもゴースト化確定だね。
それが私の目的なんだよ。お分かりかな?
私一人の罵倒批判でゴースト化しちゃうんだから
ヤワなバカはおまえ等だよw
しかし学問的に拙劣な連中だ。
ところでそろそろ古代関連のスレかたっぱしから潰すかな。
トンデモ多いから楽そうだ。
671日本@名無史さん:2007/11/19(月) 03:13:37
受領層に権益を持って行かれる事に対する不満ということだが、
藤原純友の乱のほうがより顕著じゃないか?
いわゆる海賊と、純友ら下級の官人層とは利害がわりかし一致するし。

>>670
つうか、お前「国司の与した理由」以外は今更得意げになって
書き込むようなことでもないがなあ。
みんなお前の馬鹿さ加減に呆れていなくなっちまっただけだよ。
672日本@名無史さん:2007/11/19(月) 08:30:04
国司は酷使されてたwからな
673武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/22(木) 23:48:20
>>671
受領についての最先端研究、もうちっとおさえたほうがいいよ。
ネットか読み物じゃすまないの。
おわかりかなw
674日本@名無史さん:2007/11/23(金) 00:56:42
>>673
じゃあお前の言う最先端とやらをお聞かせ願いたいものだなw
それから、誰の何という論文を読んだのかもだ。
そういうのもあげずに煽りばかりするようでは、所詮糞コテだわなw
675日本@名無史さん:2007/11/23(金) 11:36:08
不用の阿呆は放置しておいたほうが いいでしょう
馬鹿が伝染しますよ
676日本@名無史さん:2007/11/23(金) 14:10:48
古典的な自演を見た!
677日本@名無史さん:2007/11/23(金) 14:28:44
逆臣
678日本@名無史さん:2007/11/24(土) 03:15:19
>>676
自演じゃないよ。>>675は俺だ。
ブヨーの
いうところの自演地獄におまえらハマってるぞ
679日本@名無史さん:2007/11/26(月) 14:26:07
天皇≫≫新皇(?)
680武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/26(月) 22:49:37
>>674
自分で調べろ、といいたいが、バカにバカと言われたのもシャクなんで。
君はバカだから、分からないが、古代史(将門)の社会経済史の論文はけっこー多い。
私が感心した奴を挙げよう。
泉谷康夫「受領国司と任用国司」
原田重「国司連坐制の変質についての一考察」
寺内浩「受領の私富と国家財政」
桃裕幸「貞信公記人物考」(※藤原忠平の家司について書かれた論文だ)まあ、こんな感じ。少しは読んで見ろバカ。
国司について、このスレの奴ら無知すぎる。バーカw
681日本@名無史さん:2007/11/26(月) 22:50:58
             ???  ?  ???
             ???         ???
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682武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/26(月) 22:53:49
おまえら救いようがないバカだよw
ここ何十年、平安時代の社会経済史研究はスゴい進展をみせんだよ。
このスレのバカたちは社会経済史的なアプローチで、将門の乱を考察できない。ていうかそんなの考えもしなかったんだろうなw
本当2ちゃんで学ぶことなんて皆無だな。
くだらないレスばっか。
バカばっかw
683日本@名無史さん:2007/11/26(月) 22:55:31
             ???  ?  ???
             ???         ???
             ?              ?
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684武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/26(月) 23:04:09
戦争の日本史で出た『平将門の乱』を誰も読んでないのか?
おまえらバカだろw
著者の川尻氏は将門研究の先端におられる方だぞ
千葉氏と将門との関わりについても
ちゃんと書いている。
あああと若手の関東の戦国史なんかの研究で知られる黒田基樹氏なんかは、口頭でも著書でも将門の子孫を自称する豪族は南北朝期(室町)から
といっている。
ついでにいえば私もそれが持論。状況証拠からいってもね
源平闘諍記の成立なんか勘案してみるいいね。
685山口一:2007/11/26(月) 23:06:01
             ???  ?  ???
             ???         ???
             ?              ?
             ?             ?
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      ???????? ?         ? ????????
   ????      ???         ???      ???
  ??                                ??
686武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/26(月) 23:14:17
私が論拠とする論文著作をあげないのは三つ理由がある。
まずひとつは、ググるしか能のないバカ野郎たちに、提示したってまず読まないし、
バカたちにまともな研究者の名前を出すのは、学問に対する冒涜だと思っているからさ。
汚らわしいんだよおまえらが。
だいたいおまえらバカだよ。戦争の日本史なんて一般向けの最新将門研究本だぞ。チェックくらいしろバカ。
ちなみに私はマジで精読したよ。
二つ目。天皇の戦争責任なんかを実証的に研究しているアカデミックな研究者の実名を
こんなクズしかいないとこで出せるわけないからだ(天皇の戦争責任は例。ほかにもヤバい事柄の研究なんか含めてね)
三つ。身元がバレることを恐れて。
私自身の専門の研究が、バレるのを恐れてだ。おまえらみたいなネットだけで完結したクズのヒマジンは分からないだろうが
見る人が見れば、私の専門が分かるし、私の出身校も、分かってしまう恐れなきにしもあらずなんだよ。
687山口一:2007/11/26(月) 23:15:09
             ???  ?  ???
             ???         ???
             ?              ?
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   ????      ???         ???      ???
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688武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/26(月) 23:17:01
もうひとついいか?
先行研究も自分で見つけられないクズは
学問云々すんな。
私の恩師はこういってたな
「てめえで調べれば分かることをいちいち俺に質問するな、バカ野郎!」
おまえらバカだよホントw
689山口一:2007/11/26(月) 23:18:09
             ???  ?  ???
             ???         ???
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  ??                                ??
690日本@名無史さん:2007/11/26(月) 23:21:49
武陽さんは毎日先生にいじめらてるんだね。大変だね
691武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/26(月) 23:22:58
>>671>>672
バカか?
将門についた国司は任用だから、
むしろヒマになったんだよ。
国司でも受領に権限と権益が集中したから、忙しく酷使されたのはむしろ受領国司なんだよ。
いいかげんネットだけで、勉強するのはやめたまえw
ていうかこのスレって、学問的にはメチャクチャ低い次元の書き込みばっかw
潰すよ。ていうか潰れろよクズども。
おまえらのクソみたいな書き込みをまともな研究者の前でいったら
いっぺんで失笑、いや無視だなw
692山口一:2007/11/26(月) 23:26:05
             ???  ?  ???
             ???         ???
             ?              ?
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  ??                                ??
武陽のスレはほとんどおれのち○ぽではさんでやった。
俺の目標は達成された。乙
693武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/26(月) 23:37:33
以上こういうレスは私のやり方だよ。
ずっと江戸時代の天皇と庶民とかいうスレで書き込みしてたけど
バカが増えてきたから、ある日突然、「武陽陰(隠)士という名前にまるで気がつかない君たちは近世史の素人だ」とかwやったけどね。
あとあとまで武陽の名前の言われはとっておいたの。
君たちはバカだから武陽隠士が近世史の専門家の間じゃポピュラーだって知らないでしょw
2ちゃんねるって武陽みんな知らないんだなw
バカしかいない。私マジで君たちのことナメテるんだなw
それから今まで(最初のほうからね)の私の書き込みはさっきあげた研究者の引用をワザと今まで出元を隠して書き込みしたものだよ。
隠したって専門の奴なら分かるように書き込みしてたんだがねw
つまり2ちゃんねるにまともな研究者はいないってことだな。
ほかのスレで分かる人(アカデミックな研究者)には分かるような凝った引用とかしてたけど
誰もひっかからない。
つまりこれはクズしか日本史板には存在しないってことw
日本史板で私に勝てる奴はいないと踏んだねw
さあてこれから気が向いたらバカを徹底的に潰すとするかw
わははははははははははは
694日本@名無史さん:2007/11/26(月) 23:41:23
そうとう ゆがんでるな
結婚するなとは いわんが 子供には気をつけろ。
おまえににたら大変だ
695日本@名無史さん:2007/11/26(月) 23:42:23
粘着乙
696日本@名無史さん:2007/11/26(月) 23:44:19
うむ やっぱ ばれてた?
697日本@名無史さん:2007/11/26(月) 23:50:27
きもっ!
698武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/26(月) 23:50:36
日本史板のクズ野郎は知らないだろうが
川尻秋生氏は武士の発生論についての新説を唱えられた方だ。
古代史はもとより中世史の学界にまで、その名前は轟いている。
ていうか武士についてのスレで、川尻氏はおろか下向井氏、高橋昌明氏について誰も
ひとことも触れない。知らないんだろうがw
いずれも学界じゃ超有名な方たちだ。
おまえらはウィだか読んだ知った気になっているクズだよw
ああそれとおまえら友達とかいねえのか?田舎で引きこもってんのかw
孤独な田舎もんのプーじゃ、ググるしかできねえってかw
本読む脳味噌はないのかなwww
699日本@名無史さん:2007/11/26(月) 23:53:16
そのすべてがあたっている たいした洞察力だ
700武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/26(月) 23:57:09
今までワザとネタ隠してたw
今日が潮時なんでまとめて書き込みしたわけさw
それと、なんかおまえらは私について思い違いしてるぞ。
私は卑怯者しかいない2ちゃんねるなんか潰したいんだよ。マジでだ。
てめえらのように安全地帯からヌクヌクと偉そうなタワゴト中傷抜かすクズどもを一掃したいんだよ。
ゴースト化もよし、てめえらバカにして、てめえらが傷つくもよしw
万事めでたしだよw
701日本@名無史さん:2007/11/27(火) 00:01:21
ソース出さないのが2ちゃんねる
702日本@名無史さん:2007/11/27(火) 00:06:11
かまって☆〜の
703日本@名無史さん:2007/11/27(火) 00:07:44
潰しても潰しても沸くのが2ちゃんクオリティー
704日本@名無史さん:2007/11/27(火) 00:12:48
てか武陽くん出身校わかっちゃうよ そこまで書いたら
705日本@名無史さん:2007/11/27(火) 01:32:08
>>691
大体何を読めば良いかは分かった。
とりあえず礼を言っておこう。
706武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/27(火) 02:05:16
>>705
受領に関して戦前から私腹を肥やすみたいみたいな否定的なイメージがあるが
最近(といってもウン十年)の研究じゃ違ってきているんだよ。
だいたい、受領が悪徳役人だとかいった見方は、国学系の小中村清矩の研究からきている。
受領を積極的に利益主体性のある存在とする見方は、戦後の研究(林家辰三郎の説)なんかにもあるが
ここ何十年かは受領に対する見方が違ってきている。
律令制が崩壊したあとにくる、随時に不定額の済物を納める受領請負制を基礎とする財政構造だ。つまり受領に国政に関する責務が生じたのさ。
受領が私腹を肥やす悪得役人みたいな見方は古い学説だ。
どうでもいいがググってきたタワゴトはよせ。
はっきりいって怒る気力すらない。ただアホらしいだけだ。
平安時代の最新国家財政史についての基本は押さえてくれ、クズ野郎。
バカなんだからもう少し自信失えバカ野郎!
さあて寝るか。また夜更かしだ。
707武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/27(火) 02:19:07
ああ寝られない!
ついでにいえば、受領の否定的イメージは武士政権のとき、おおむね形つくられた。
708日本@名無史さん:2007/11/27(火) 18:37:24
     ____
   /__.))ノヽ   
   .|ミ.l _  ._ i.)  
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   國學院はワシが育てた
  .しi   r、_) |  
    |  `ニニ' /       
   ノ `ー―i´
     武陽

     ____
   /__.))ノヽ   
   .|ミ.l _  ._ i.)  
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   クルセイダーもワシが育てた
  .しi   r、_) |  
    |  `ニニ' /       
   ノ `ー―i´
     武陽

     ____
   /__.))ノヽ
   .|ミ.l ,  .、 i.)
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   
  .しi   r、_) |   杉良太郎は育てとらん
    | ⊂ニ⊃/
    ノ `ー.n:n    nn
      nf|||    | | |^!n
      f|.| | ∩  ∩|..| |.|
      |: ::  ! }  {! ::: :|
      ヽ  ,イ  ヽ  :イ
709日本@名無史さん:2007/11/27(火) 20:27:55
七天王塚に祟られて嫁が来ない医学博士の俺が来ました
自分の知識をひけらかして、他人を侮辱するのは最低ですよ
710日本@名無史さん:2007/11/27(火) 20:29:25
だが それが楽しい。
711武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/27(火) 23:11:05
任用がヒマになった云々について補足したい。
将門の頃の任用国司はまだ受領国司の下僚化が進んでいない。
受領の権益、責務が大きくなったとはいえ、任用国司の権威はまだ衰えていないといないと私は思う。
だからこそ純友(任用国司だ)、将門の配下の任用国司たち(興世王他)みたいに能動性主体性をもって反乱する余地(余力ないしヒマ)もあったわけさ。
時代が下るに従って、任用は受領の単なる下僚に成り下がって、文字通りコクシ(酷使)されるわけだ。
以上は私の論。
このあたりは、先学に論じてはいるだろうが、きっちり実証を積んだら、
それなりの論文が書ける余地もあるんじゃないかな?
712日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:26:16
興世王は任用国司だったの?
受領国司かとおもってたよ
713日本@名無史さん:2007/11/28(水) 12:03:18
富豪無頼の輩だな。
前豊後介中井王を調べれば 受領国司の功罪が分かるぞ。
ブヨウ君の論旨が理解できるだろう。
714日本@名無史さん:2007/11/28(水) 17:12:46
>>711
興世王は任用国司だったの?
武蔵権守だと思ったのだが
715日本@名無史さん:2007/11/28(水) 17:23:53
>>713
ブヨウ君乙
716日本@名無史さん:2007/11/28(水) 18:49:37
>>715
無礼者w
俺は三島について書き込んだ仏文学士だ。
717日本@名無史さん:2007/11/28(水) 19:00:18
武陽陰士は興世王が任用だと言ってるが、
本当に興世王は任用国司だったのか?
718日本@名無史さん:2007/11/28(水) 22:55:56
とりあえず「戦争の日本史」を今から読んでみようと思う
719日本@名無史さん:2007/11/28(水) 23:11:36
自作自演マンセー
720日本@名無史さん:2007/11/28(水) 23:51:10
名無しの不用キモイ
721スーパーキモイマン:2007/11/28(水) 23:58:35
おまえのほうがキモイ
722武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/29(木) 00:30:33
皆さんには、どうでもいいことだけど
自演するとしたらサゲは使用しないよ。
サゲるの嫌いだし、携帯だから半角にしてどこうするのが面倒くさいんだ(あらかじめコピーしとけば済む話だけど(^_^;))。
吉川弘文館から出ている「戦争の日本史」シリーズはいい企画だし、とりわけて川尻秋生氏の『平将門の乱』は最先端の知見が網羅されていて読み応え抜群。
コンパクトにまとまっていて、一般書ながら将門についての第一級の研究書だ。
ただこの本は簡略されていて、川尻氏の将門研究のすべてが載っているわけではないね。
川尻氏の教え子に嫉妬するね。根掘り葉掘り訊きたいこと山ほどいっぱいあるんだよなあ。
723日本@名無史さん:2007/11/29(木) 00:36:33
林屋こぶ平
724日本@名無史さん:2007/11/29(木) 12:31:21
ブヨウ氏ね
725日本@名無史さん:2007/12/01(土) 09:11:45
>>711
興世王が任用国司?
726武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/12/01(土) 12:11:00
>>725
興世王の上に、まだ国司いるんだよ。常識だ。興世王はそいつと喧嘩したりしてる。
しかし、ググるしか能のねえクズだな。恥ずかしくねえのかよw
ウィには載ってなかったのかなw
727日本@名無史さん:2007/12/01(土) 12:26:50
   , ノ)
  ノ)ノ,(ノi
  (    (ノし
┐) ∧,∧  ノ
..|( ( ....:::::::) (
 ̄⊂/ ̄ ̄7 )
 (/ 武陽 /ノ
   ̄TT ̄
728日本@名無史さん:2007/12/01(土) 12:38:51
>>728
怒ってる怒ってる怒ってるww
うひゃうひゃひゃ
バカ叩くとホント楽しいなwさてご飯なににしようかな
729 ◆dwhKjoKh5Y :2007/12/01(土) 13:18:03
>>722
結局、おまいさんが将門関係であげた唯一のソースは一般書かい。
とほほ・・・

それと「国家財政」「社会経済」の一般論を不用意に個別事例に当てはめるは堪忍してくれ。
それじゃマルクス主義歴史学の二の舞だよ。
730 ◆dwhKjoKh5Y :2007/12/01(土) 13:21:18
>>728
おまいさんが孤独で寂しいのは分ったが、
(1)コテハン忘れてるぜ、(2)アンカミスで自分にレスしてるよ、(3)そんなに寂しいなら風俗嬢でもやってみたら。
731武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/12/01(土) 19:49:23
>>729
私の挙げた論文にあるし、川尻氏のは一般向けでもある最新研究の本だよ。
バカは嫌だね

それはともかくトリップ解読されたな。
このハンドルネームともお別れだ
732日本@名無史さん:2007/12/01(土) 20:01:51
DQN電波基地外退散
733日本@名無史さん:2007/12/01(土) 20:21:13
>>731
確かに今読んでるけど良著だな。
つうかおまえ難民板でトリップ使われてるぜ
尿道に綿棒入れてオナニーしたことになってるぞw
734 ◆dwhKjoKh5Y :2007/12/01(土) 20:30:15
自作自演でトリップ漏れして、自作自演でここに報告かい。
ageたりsageたりも忙しいね。

トリップ漏れということにして、さっさと逃走してくださいな。
735 ◆dwhKjoKh5Y :2007/12/01(土) 20:31:49
だいたい、一般向け書籍が最新研究になっちゃうなんて、他の学術分野では考えられない現象だ。
それだけ日本史学のレベルの低さを表してるのよ。
そんな低脳な学問を専攻しておいて偉そうな口を叩くんじゃねぇよ。
736日本@名無史さん:2007/12/01(土) 20:42:52
>>733
その難民板の書き込みが武陽陰士本人によるものでないということが、何故分かるのか。
そんなことが分かる人間は、武陽陰士本人か、あるいは難民板に書き込みした者しかいないんだよね。
他人のふりするのは痛すぎる。つーか頭悪すぎる。
737日本@名無史さん:2007/12/01(土) 20:47:06
>>736
武陽乙
738武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/12/01(土) 20:56:05
違いますーっ
739日本@名無史さん:2007/12/01(土) 21:05:35
え やっぱり、武陽さんって女だったの?
740日本@名無史さん:2007/12/01(土) 21:09:01
ブヨーは人間ではありません
ゴキブリです
741日本@名無史さん:2007/12/01(土) 21:09:18
藤原純友って将門と同年輩なの?
742武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/12/01(土) 22:54:41
武陽陰士#ANARCHIST2772
↑私のトリップ。
昨日トリップ解読されてしまった。最悪板とかいうのを参照のこと。武陽陰士のスレが立っている。
トリップに頼った本人確認は駄目だな
違うコテを使用して明日からまたくるよw
743武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/12/02(日) 00:03:48
↑こいつと↓こいつとは矛盾しているので、少なくとも一方は偽者。

8 :武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/12/01(土) 19:52:59 ID:6lRU5THz
トリップ解読されたな。
このハンドルネームともお別れだ
とりあえず私は消える。君たちは君たちで勝手にやってよ
しかしトリップ解読されるとはな(^_^;)
さすがに参った。
これから武陽陰士が書き込みしてても偽物なんで気をつけろ
744日本@名無史さん:2007/12/02(日) 00:12:10
>>741
同年輩どころが、若い頃、京都の学校で同級生だったんよ。
それどころが、二人ともバイで、二人の間にはガチの肉体関係もあった。
将門がタチで、純友がネコ、な。
そんなこともあって、将来、日本を乗っ取ったあかつきには、
将門が天皇として立って、それを純友が関白として補佐する、って約束を交わしたのさ。
745武陽陰士:2007/12/02(日) 00:12:17
トリップはやめだ。
書き込みの内容で判断してもらおう。
トリップ解読された以上、偽物も本物も意味ない。
そもそも2ちゃんは巨大すぎたな。
まったく潰すどこじゃないね
まさかトリップ解読が昨日なされるとは晴天の霹靂だった。
ところでつまらない慨嘆を書くけどいいかな
上横手先生が日本史を習う意味なんて、あんましないんだって言ってる。
大して意味なんかないってね。
日本史なんか無力だからね。
746日本@名無史さん:2007/12/02(日) 11:14:43
ブヨさんて男?女?
747日本@名無史さん:2007/12/03(月) 22:22:47
おばさんだと思う
748日本@名無史さん:2007/12/03(月) 22:26:07
かなり がりがりな20代後半の中途半端に高学歴なメス1と
それをかばうオス1のコンビとみた。
749日本@名無史さん:2007/12/03(月) 23:48:05
高学歴にしては頭も悪いし歴史の素養もないようだが?
750日本@名無史さん:2007/12/04(火) 00:17:37
>>726
興世王についてだけど、その「戦争の日本史」によると
地方官の権守は俸禄取得のために置かれるケースが多く、一般的には下向は
しないとある。そして、興世王の場合は詳しい事は不明だけど、
任国から私的に物資を調達しようとしたのではないかと推測しているな。

まだ全部読んでないので何とも言えないが、これ読んだ限りでは
任用国司ではないと思うんだけど・・・・ちゃんと読んだの?

751日本@名無史さん:2007/12/04(火) 00:21:46
武陽↑?
752日本@名無史さん:2007/12/04(火) 00:41:21
>>751
失敬なw
舞踊さんの「興世王が任用国司である」という主張があったけど
彼が紹介してきた本には、権守は基本赴任しないとあったので、
そこが疑問だっただけだ。
753日本@名無史さん:2007/12/04(火) 08:16:29
舞踊が小谷野夫妻だったりしたら笑えるなあ
754武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/12/06(木) 02:56:28
わたしのあそこをなめてよ。
755日本@名無史さん:2007/12/06(木) 20:01:52
↑偽者の振りをした本人とみた。
756日本@名無史さん:2007/12/06(木) 21:55:35
疑われるのも無理ない
過去の所業がアレだしw
757日本@名無史さん:2007/12/06(木) 22:38:51
そろそろ、本題に戻ろうよw

結局興世王は任用なのか違うのか?
758日本@名無史さん:2007/12/06(木) 23:06:58
ヤフオクでタイムマシン買って興世王に小一時間問い詰めればええがな
759日本@名無史さん:2007/12/07(金) 01:35:41
>>758
そんなこと言ったら歴史という学問じたい価値無くなるぜw
いい加減スレの流れをマトモな方向に戻したい。
760日本@名無史さん:2007/12/10(月) 23:55:46
将門の新皇自称と菅原道真の関係について、藤原玄茂と
菅原兼茂が関わっているのではないか?という説(「戦争の日本史4」)
についてはどうだろう?結構興味深いとは思うんだけど
761日本@名無史さん:2007/12/11(火) 01:10:31
ageて保守
762日本@名無史さん:2007/12/15(土) 18:40:48
興世王は受領ということでFA
763日本@名無史さん:2007/12/15(土) 20:08:33
茨城県坂東市の人間と関わると、なぜか皆将門が先祖というのはなぜ?
764日本@名無史さん:2007/12/15(土) 20:35:12
>>763
夢を見させてあげなさいよ・・・・
765日本@名無史さん:2007/12/15(土) 20:39:24
豊田って名前にそーゆー人多いよ
766日本@名無史さん:2007/12/15(土) 21:19:42
藤原純友と乱を起こす約束をしてたって説は単なる作り話?
信憑性は低いの?
767日本@名無史さん:2007/12/15(土) 22:20:18
貞盛ってドラマとか小説とかだと将門と同年輩みたいに扱われているけど、
実際の所はどんなものなのかな?
768日本@名無史さん:2007/12/16(日) 08:59:53
同級生  3年生の時はクラスも一緒だった
769日本@名無史さん:2007/12/16(日) 15:08:35

面白いと思ってくれる奴がいるとでも?
770日本@名無史さん:2007/12/16(日) 16:44:24
>>767
両方とも生年は確定してないが、
貞盛と将門は従兄弟(父親同士が兄弟)という血縁関係から、
世代的には同じだという判断になったのでは?
貞盛の父国香は将門の父良将の兄だが、
それぞれ父が何歳のときの子供か分からないため、
どっちが年上だったかは不明。
771日本@名無史さん:2007/12/24(月) 21:35:30
平将門を再度、NHKの大河ドラマに希望したいな。
坂口憲二あたりが主人公で。
772日本@名無史さん:2007/12/24(月) 22:03:53
いやいや滝田栄殿こそ適任でござる
773日本@名無史さん:2007/12/24(月) 22:27:18
>>772
あとウン十年若ければ適役なのだが…
774日本@名無史さん:2007/12/27(木) 01:11:40
滝田がデビューしたころは加藤剛を思わせるものがあった。
775日本@名無史さん:2007/12/27(木) 02:37:50
将門って天外魔境のラスボスだろ?
なめくじ玉もってなくてぶち殺された記憶がある
776日本@名無史さん:2007/12/27(木) 15:13:17
小説だとジパング先住民の英雄で坂東の守護神。
777日本@名無史さん:2007/12/28(金) 00:23:19
>>774
加藤なんかよりか滝田の方がいいよ。
武人て感じもあるしさ。
778日本@名無史さん:2007/12/28(金) 00:35:00
拙者>>772でござるが、滝田栄殿を撤回して、将門の本を出した赤城宗徳殿の子息の赤城徳彦を推挙いたす。
779日本@名無史さん:2007/12/31(月) 06:51:17
将門の先祖は男系は皇族だが 母親は誰?
どなたか御存知ありませんか?
780日本@名無史さん:2007/12/31(月) 12:50:16
将門の兄たち(国香など)などが源護の娘をめとったのにたいし、将門の母親は犬養氏だといわれているね。
781日本@名無史さん:2007/12/31(月) 12:51:15
ゴメン訂正
将門の兄たち→将門の伯父たち
782日本@名無史さん:2007/12/31(月) 16:45:24
将門が最初に関東で兵を動かしたのは、源護との争いといわれている。
源護は、平高望の三人の息子たちに次々と娘を嫁がせて姻戚関係を結んだが、
なぜか高望王の息子の中で将門の父良将だけとは姻戚関係を結ばなかった。
反乱の主因はこのことと関係があると言われているね。
783日本@名無史さん:2008/01/01(火) 04:28:11
『将門紀』では承平元年(931年)に叔父・良兼との間に「女論」(女性をめぐる紛争)から不和が生じたとあり
『今昔物語』では父・良将が死去した際、継承する田畑をめぐって紛争になったとある。
784無職の夏:2008/01/02(水) 01:00:35
はじめて書き込みします。
将門の嫡流は千葉氏でもなく又相馬氏でもなく子息の将国・孫の文国が常陸国
の信太に逃込み代々名乗った信田小太郎の一族が正統嫡流でしょう。
今、気になっているのが山梨の獅子苦城の記録が残っていて、鎌倉時代に
信田小左ヱ門実将と小太郎実高の父子が討死との記載が残っている。前に少し
出てきているが将門流信田氏は代々信田(信太とも)小太郎を名乗っている
し、また甲斐国の信田氏は桓武平氏との記述も読んだことがある。
又、戦国時代信濃の豪族村上義清の家臣に信田隆生(タカナリ)と言う武将が
いる。この辺が推測も交えているがおもしろいし、嫡流に近いと思っている。
ただ信田実将・実高の一族、時代も下って信田隆生の一族も現在行方不明。
相馬氏は鬼神の強さを誇った将門にあやかりたかったのと叔父の良文より
将門の直接の子孫を名乗った方が都合が良かったのでしょう。
785日本@名無史さん:2008/01/02(水) 01:10:56
記録が残ってるならソース希望




ってカキコしてもレスないんだよなぁ
786日本@名無史さん:2008/01/02(水) 02:10:00
将門は所領を持っていて、その上がりで生計を立てていた。
で、その所領を入手した経緯はどういう感じなのだろう?

国司が、将門を、国家の軍事の担い手として、認識していて、その役割に対して所領を給付
していたということか?
それとも、従来言われているような開発領主か?
787日本@名無史さん:2008/01/02(水) 02:19:14
相伝
788日本@名無史さん:2008/01/02(水) 08:19:26
将門の敵の成田山が繁盛してるようだが、
地元民は成田山を嫌っています
789日本@名無史さん:2008/01/02(水) 16:40:46
>>788
そう?
割と近場だけど開山の経緯や由来知ってる人を見たことない。
790日本@名無史さん:2008/01/03(木) 05:56:56
成田近郊に住んでいるが、成田山に初詣に行ったことは一度もない
近所でも成田山に初詣に行ったという話を聞いたことがない
成田を避け、わざわざ香取神宮、鹿島神宮、川崎大師まで行く
疫病神成田山退散!
791日本@名無史さん:2008/01/06(日) 01:01:32
逆臣を討ったんだから縁起は良いのじゃない。
792日本@名無史さん:2008/01/06(日) 04:35:50
>>788-791 豊田・岡田・猿島3郡の旧家は成田山新勝寺には参詣しない、と何かの本で読んだ。あと神田明神の氏子も。


話は変わるが、坂東市とか常総市とか、つくばみらい市とかオカシナ自治体名が増えたよな〜。
793日本@名無史さん:2008/01/06(日) 05:30:28
旧豊島郡は成田山新勝寺に参詣してる。
794日本@名無史さん:2008/01/06(日) 08:23:42
神田明神は平将門の神社
成田山新勝寺は宿敵です
795日本@名無史さん:2008/01/07(月) 07:55:21
死んで神になっても、未だに生前の行いに縛られるのはおかしくねえか?
796日本@名無史さん:2008/01/07(月) 08:45:02
大和中央政権に搾取されまくっていた関東に
光明を与えた平将門は英雄
797日本@名無史さん:2008/01/07(月) 09:02:22
確か昔「風と雲と虹と」が放映されたときもキャストは成田山へは行かなかったらしい
798日本@名無史さん:2008/01/07(月) 12:55:15
東京のど真ん中に将門の首塚があるのは何故?
799日本@名無史さん:2008/01/07(月) 13:16:51
ググれ
800日本@名無史さん:2008/01/07(月) 14:01:29
神田明神が その首塚のところにあったんだよ
神社は移転させられたが、首塚は移転できなかった
祟りのためらしいぞ
801お岩:2008/01/07(月) 23:29:16
>>795
おっしゃる通りですねぇ…
802お岩:2008/01/07(月) 23:59:18
ああ忘れてました
あたしお岩も、大の将門さまびいきなんですよ。
え?そんなことは関係ねぇ、って?
ほほほ…さようでござんすか。
もちろん成田屋は好きですが、
その成田屋が願掛けするっていう成田山なんざはついぞあたしゃ行ったことはございませんよ。
成田山の出開帳だって金輪際いくもんかって心決めしてるんですからね。
それにしても死して祟るたあ、さぞかしご無念だったんでしょうねぇ…
浜の真砂は尽きるとも世に怨みの種は尽きまじ
803日本@名無史さん:2008/01/08(火) 00:36:44
拙者の住まいはかつて相馬御厨と呼ばれたところでござる。
新田岩松殿との婚姻に化粧料ということで相馬の姫様の領地だったところでござる。
拙者、どこに初詣すればいいのかわからずに、この地に20年ほど住してござる。

先住民たちは成田に行くのが当然、でも自らすすんでキュウリは食わない・・・・
学芸員とって更なる将門研究のために、土地の古老に接する場として老人ホームに奉職したのは、とんでもない失敗ですた
804日本@名無史さん:2008/01/08(火) 05:59:23
将門の首は京都から関東に飛んで戻ってきたらしいぞ
それだけ怨念が凄いということだ
805日本@名無史さん:2008/01/08(火) 08:22:23
神といっても祟り神だから
806日本@名無史さん:2008/01/08(火) 17:33:11
よく見届けよ。神殺しが(ry
807日本@名無史さん:2008/01/08(火) 21:15:31
ただ大手町の首塚には首は無い。
首は皇居の中に祀ってあるとどこかの本で見たことがある。
808日本@名無史さん:2008/01/08(火) 22:32:55
>>803
ああああ
老人ホームには痴呆老人しかおらんだろ
痴呆老人から昔話を聞こうという発想自体DQNの証拠
逝きなさい
809日本@名無史さん:2008/01/09(水) 08:19:47
地元に昔から住んでいる人たちは成田山には行きません
成田山に詣でて喜んでるのは、見知らぬ土地から東京・千葉周辺に
移住したきた馬の骨
810日本@名無史さん:2008/01/09(水) 09:11:08
行くよ
811日本@名無史さん:2008/01/09(水) 12:48:11
>>809
〉見知らぬ土地から東京・千葉周辺に
移住したきた馬の骨

地元の人間だって十分「馬の骨」の土民だろww
812日本@名無史さん:2008/01/09(水) 13:14:30
純友の方は当然将門を意識していた、と言うか便乗していた思うが、
将門の方は純友の存在を知っていたのだろうか?
813日本@名無史さん:2008/01/09(水) 16:14:23
平将門は一族内紛をやっているうちにいつの間にか朝敵にされ、
じゃあ独立国作っちゃえ、みたいな感じか。
はじめから朝廷に逆らう気などさらさらなかった感じ。

藤原純友は海賊の親玉だからな。
将門が反乱を起こさなくても朝廷に逆らっていただろう。
814日本@名無史さん:2008/01/09(水) 20:43:16
>>784
滝夜叉姫に関してどう思われますか?
815日本@名無史さん:2008/01/10(木) 16:49:01
816日本@名無史さん:2008/01/10(木) 23:05:20
>>815
うちから歩いて行けるので今度参拝してみよう。

817日本@名無史さん:2008/01/11(金) 00:34:46
怪しいリンク先は ブラクラとかスパイ、ウイルスサイトかもしれん
おそらく >>815 = >>816 の自演

818日本@名無史さん:2008/01/11(金) 14:12:13
んにゃ、築土神社のサイトだな。

戦災で燃えてなくなったらしいが、ここに将門公の首桶があったそうだ。

http://www.tsukudo.jp/houmotu-kubi.html
819日本@名無史さん:2008/01/11(金) 15:16:51
太田道潅は将門の首塚がある神田明神のご利益にあやかって江戸城をあの場所に作ったのかな?

坂東で新皇を名乗った武将の首塚が、同じく関東の覇者である徳川家康の造った江戸・東京の真ん中にあるのが非常に興味深い
820日本@名無史さん:2008/01/11(金) 18:32:08
太田道潅は戦時上の必要に駆られてだろw
821平将門:2008/01/12(土) 17:16:23
私の首塚の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
822日本@名無史さん:2008/01/12(土) 18:33:18
将門の母はどのような出自だったんですか?

将門が上洛した時に高棟の子孫に頼らなかったんですか?
823日本@名無史さん:2008/01/12(土) 19:12:25
同世代だと二股従兄弟?もう完全に他人では?
824日本@名無史さん:2008/01/12(土) 19:31:49
825日本@名無史さん:2008/01/13(日) 15:03:41
将門は長男で兄はいないはずだが
国香は伯父だが
826日本@名無史さん:2008/01/13(日) 23:41:06
827日本@名無史さん:2008/01/16(水) 20:16:21
高棟の子孫とは交流はなかったのか?
828日本@名無史さん:2008/01/20(日) 07:52:41
香取や鹿島神宮だって、
朝廷の関東支配の精神的拠点だろうな。


江戸っ子は絶対に
成田山と熱田神宮にはまいらない、と聞いたことがある。
829日本@名無史さん:2008/01/20(日) 23:05:16
成田山に参詣して喜んでるのは地方から移住してきた
住民の子孫ということでOK
830お岩:2008/01/20(日) 23:29:47
>>828
成田山出開帳江戸でしてますよ。
831日本@名無史さん:2008/01/20(日) 23:33:49
>>828
なぜ熱田神宮?
832日本@名無史さん:2008/01/20(日) 23:39:57
>>829
相馬御厨の千葉県側の場合です。
新田岩松氏が支配してた地域の人は行きます。
でもちょっとでも新田岩松氏が支配してた地域から外れると行かないようです。
キュウリがどうとかうるさくなるようです。
こんなくだらないこと調べるために、老人ホームでボランティアやってたんだけど。

茨城県側はわかりません。
833日本@名無史さん:2008/01/21(月) 07:32:05
なんかお伊勢参りのときでも、熱田神宮は避けてとおったって。
「クサナギの剣」が、
自分たちにむけられた「やいば」とか思ってたらしい。
834日本@名無史さん:2008/01/21(月) 12:30:20
でも日本武尊の東征って武蔵あたりは朝廷支配下だよな。
おそらく武尊の支配下で東征に従軍しただろうに。
群馬にゃ武尊神社や武尊山まであるというのに変な奴らだな江戸人。
835日本@名無史さん:2008/01/22(火) 06:18:44
東征は神話だとしても、
書記や古事記の頃の官人にとつて、
日本の領土の境界は焼津までだったらしい。

「新唐書」「旧唐書」にもそんなことがかかれている。
将門が活躍した頃、坂東は朝廷にとって
「収奪の対象たる植民地」だったはず。そのあたり、将門蜂起の
原因じゃないかな。
836日本@名無史さん:2008/01/23(水) 18:30:15
>>833
何かソースはある?
837日本@名無史さん:2008/01/23(水) 18:57:37
将門の弟で生き延びたのはいたの?
838日本@名無史さん:2008/01/23(水) 19:45:54
>>834
武力制圧は虚構
古代史の常識
839日本@名無史さん:2008/01/23(水) 21:39:46
実際は両方の勢力がいて互いに戦ったり、牽制しあったりしていた、と考えた方が自然だろ。
840日本@名無史さん:2008/02/02(土) 23:24:42
帝都物語のDVDがどこにも売っとりません。
困ってます。どこかに売ってないもんでしょうか?
841日本@名無史さん:2008/02/03(日) 01:39:05
ヤフオクとかで探せばいいじゃん
842840:2008/02/03(日) 22:38:57
アマゾンヤフーラクテンライブドア、あったのはアニメ版ばっかで。
けど今日雪の中新宿行ったら中古屋であっさり見つかりました。
ヤッパ新宿スゲー。じっくり観直して改めて将門公所縁の地を
巡ってみます。
843日本@名無史さん:2008/02/04(月) 08:41:10
仇敵成田山新勝寺の豆まきは 
将門に関係ありますか?
844日本@名無史さん:2008/02/04(月) 16:28:42
平将門かっこいいよ平将門
845武陽隠士:2008/02/06(水) 01:19:30
興世王は受領ではないよ
ちゃんと関連研究読んでよ。しかし2ちゃんねるの人たちって本読まないな。
846日本@名無史さん:2008/02/06(水) 04:01:46
そんなこと本読まなくても分かるし
847日本@名無史さん:2008/02/06(水) 07:00:28
成田山新勝寺の豆まき……

「鬼はそと〜」の鬼って、
ひょっとして集まってきている関東民のことか?

なんかあの寺の成立目的って、朝廷から見たら「鬼封じ」みたいだし。
848日本@名無史さん:2008/02/06(水) 08:39:58
地元民迫害の象徴 成田山新勝寺
関東のヒーロー平将門の神社 神田大明神
849日本@名無史さん:2008/02/09(土) 07:12:30
自称江戸っ子で、
車に成田山のお守り吊るしてたヤツいたなあ。

そりゃないだろ。
850武陽隠士:2008/02/09(土) 23:18:13
>>849
成田山、江戸っ子も信仰してる。
どうだっていいが市川団十郎が何故、成田屋というか調べてみなよ。
851日本@名無史さん:2008/02/10(日) 01:02:07
成田山詣でして喜んでる自称江戸っ子は
よそから来た馬の骨
852武陽隠士:2008/02/10(日) 01:09:04
江戸っ子ってみんな馬の骨なの。分かる?
新興都市。農村で食い詰めた人口が流入。そうやって江戸は発展した。
そもそも江戸っ子の定義知らないの?
それから当時の記録も読みなよ。
ちなみに君は田舎者の馬のクズ骨だな。
私は神田の明神様好きでよく行くけど
成田屋も知らないみたいだからね。
歌舞伎観たことねえんだろバカ田舎者が。
非学問的なウワゴト書き込みするな。
てめえのは宗教だ。学問じゃねえ。
853日本@名無史さん:2008/02/10(日) 01:57:22
>>845
権守というのは大体の場合俸禄をあてがうためにあるようなポストだからね。
854武陽隠士:2008/02/10(日) 02:15:19
>>853
気悪くしたら悪いんだけど、受領の定義勘違いしている。
君は守が受領で、それ以外は任用だと思っているだろ?
違うんだよ。守でも任用国司いるし、権守でも受領国司はいる。
じゃあ「受領」とは何ぞや?といえば
それは手短かに言えば「現地に赴任した者の中での最高責任者」だね。
だから遙授じゃ受領になれない。
855武陽隠士:2008/02/10(日) 02:24:33
連投すまない。
みんななんで本読めば載ってるようなこと、まるで知らないんだ?
やっぱりネットで「情報(笑)」を得てるせいなのか?
悪いがこのスレ私の書き込み以外ゴミだ。
これからバシバシ潰す。悔しかったら本読んでくれ。
人文科学が死んでしまったなんて思いたくない。
856日本@名無史さん:2008/02/10(日) 03:01:44
>>855
きみの書いてることもネット知識の範疇を脱してないように見受けますけどどうなの?
日本史をかじったのわりと最近でしょ?
857日本@名無史さん:2008/02/10(日) 03:05:12
ネット知識以下
858日本@名無史さん:2008/02/10(日) 03:42:09
>>854
いまさら当たり前なことを得意気に語りなさんなよ。
「遙任」は高校の日本史ですら出てきたはずだぞ。
ただ、権守については「戦争の日本史 平将門の乱」中の
”地方官については俸禄授与のために与えられるケースが多く、一般的には
赴任はしなかった”という記述にしたがってレスしただけだ。それ以上の意図は無い。
下向しない時点で受領国司ではないわけだし。下向したにしても百済貞連が武蔵守と
なって現地にいるので定員外の権守は受領ではない。
ただ、百済貞連が武蔵守になったのが5月15日なので、興世王と源経基が新たに権守・介と
なって下向して勝手に検注した段階では正任の国司が未定だった段階なんだろうね。

もちろんそれ以外のケースがあることも承知している。例えば、坂東に情勢に対して
権介がおかれ、現地の事情に通じていると思われる連中が任官されている。
百済貞連が在任中の上総介→武蔵守になっていると思われるので、興世王

正任の守で任用国司(=現地に赴任した国司で正任の守よりも上がいる状況)については
初耳だな。具体的なご説明をお願いしたい。
859武陽隠士:2008/02/10(日) 10:57:20
>>858
だから君はやっぱり勘違いしてる。
「正任の守云々」っていってる時点でね。守にも遙授がいるの。おわかりかな?
君もみなさんも高校の教科書レベルがいいとこなわけ?
君は遙授は権守で守は正任一本やりと思いこんでる時点でペケだよ。
それから受領任用の問題は、あの「戦争の日本史」、日本史の辞典のたぐいも記述が弱い。
それともうひとつ介にも遙授はいる。
どうでもいいが私にもえらそうな口きくと潰すぞ。
私は命かけてるんだ
860武陽隠士:2008/02/10(日) 11:07:56
連投ごめん。
高校の教科書も一般書も分量と記述の簡略化のため
実は誤解を生じかねない書き方をしている。
はっきりいって君の勘違いも仕方ないのかもしれない。
ただやはり君も含めて深さがこのスレは足らない。
もうひとつ。あの「戦争の日本史」には
受領任用研究についての名著が参考文献には上げられていないな。
君がえらそうにいうのなら独力で探すこった。
学界じゃ評価高い本だ。
しかし何様だ偉そうに。もう面倒くさいから書き込み止そうと思ってたが
時々来ては間違いつぶすよ。よろしく
861日本@名無史さん:2008/02/10(日) 12:17:41
>>859
だからさあ、お前文章を読解する能力に乏しいんじゃないのか?
>>858の文章は興世王についての話なだけで、「下向しない時点で受領国司でない」
というのは権守そのものにかかっているわけじゃないの。
守にせよ権守にせよ、下向するケースもあればしないケースもある。
862武陽隠士:2008/02/10(日) 14:08:16
>>861
おまえの文章どう読めばそうなんるんだ。
私の書き込み後追いした言い訳じゃねえか。

863日本@名無史さん:2008/02/10(日) 14:18:04
>私の書き込み後追いした言い訳じゃねえか。
今更自己紹介しなくて良いですよ。
864武陽隠士:2008/02/10(日) 14:20:53
>>861
それを最初に書いたの私だ。
それとお前さ、じゃなかったらネットの切り貼りなんじゃねえか?
そのへん事情はある研究者の論なんだよ。おまえバカだろ?
その研究者のある意味自説といっていいのさ。
おまえ、どうぜその研究者の名前あげられねえだろW
おまえが謝ったら教えてやるよ
学界じゃそれなり著名な論文なんだがなW
もしおまえがその研究者の論文ここに掲示できないときは
おまえが私の後追いで知ったかしたか、ググったかだな。
ちなみに私が「ソース(下品な言葉だ)」をあんまり出さないのは
こういう「論争」んときの保険みたいなものさ。
だいたいまともに研究史も踏まえてない奴なんてクズだからなWしかしバカだなW
865武陽隠士:2008/02/10(日) 14:26:38
>>863
ここで最初に任用の問題を上げたのも私。
戦争の日本史という本を上げたのも私だ。
全部私の後追いじゃねえかW
バーカ。悔しかったら私が知らないことでも書・き・や・が・れWWW
866武陽隠士:2008/02/10(日) 14:36:36
しかし最近書き込みすると、「そんなの知ってる」とかいう
レスが増えたな。
辞典にも載ってないこと書いてるんだが。
だいたい任用受領のディープなことがらについては
戦争の日本史も国史大辞典も記述が緩い。
ここに偉そうに書き込みしてる奴は何から(私の後追いじゃないと言い張るならね)
知見を得ているんだ。
だいたい教科書の遙任の話なんて、算数レベル。バカじゃねえか。
てめえさ、くだらねえ茶々いれるの負けてる証拠だぞ。
おまえに論争の秘訣教えやろうか?それは絶対に勝てる事柄だけやるのさ。
おまえじゃ私には勝てない。私はこれでも学問に命かけてるんでな。
ただ最近鬱でな。
おまえみたいなボウフラのネット切り貼りバカと戦ってブッつぶしてストレス発散してるのさW
谷沢永一って書誌学者が鬱んときは論争するといいって、言ってたんでね。
867日本@名無史さん:2008/02/10(日) 14:43:42
今日は不用印紙の日
2月10日 ニートww
868武陽隠士:2008/02/10(日) 14:58:13
>>867
「負けて悔しい」かW
それとおまえさあ今日は日曜だぞ?おまえみたいに毎日が日曜日じゃねえんだよW
しかし今までもそうだが論争に負けると、
つまらない茶々入れてくるな。
ま、おまえのことだから任用受領について必死にググってるんだろうなW
何日かたったらまた知ったかして知った風な口きくんだろうなW
ただ私はまだトラップ仕掛けてるよ。わざとおまえに対し大事な論点隠してる。これも論争の保険だ。最後んとこで、おまえにこの隠し玉ぶつけプライド潰すんだ(大笑い)
うーん楽・し・み。ワクワクするねえ。バカ叩くと楽しいや。
どうでもいいが私もある論文を試しにググってみたらまったくヒットしなかったことがあった。
どうやらデータ自体がネット上になかったらしい。

869日本@名無史さん:2008/02/10(日) 14:58:36
>>862
それはアナタに日本語をまともに解する能力が無いからです。
自分の読解力のなさを棚上げして開き直ってはいけません。

>>864
だったら具体的に挙げてみろって。
「学会」というのはお前の頭の中のことじゃないんだよ。
その「研究者の自説」とやらをご披露願いたいものですな。
命かけてるんなら、それくらいなさってよ

とにかく守でも任用国司であるという状況の説明を改めてお願いしたい
870武陽隠士:2008/02/10(日) 15:16:14
>>869
やっぱボロが出た。
守に任用はいないと思ってるだろ?
確かに一般書だとそのへんあやふやだ。
ちなみに学会じゃなく学界ね。
しつこいが守に任用はいないなんてこと言ってる時点で
おまえはバカだよ。
勉強不足。ただ任用研究はそんなにやってる多くないからな。おまえの無知も仕方ないな。
しかしおまえは任用受領の定義があやふやだ。
ネット切り貼りと戦争の日本史しか読んじゃないなW
それと研究者の論文だが、タイミング見計らって提示する。
下手にレスすると、「そんなの知ってた」っ陳腐な負け惜しみいわれそうだしな。
論争するときは二つくらいトラップ仕掛けておかないと
2ちゃんみたいなとこじゃな。
871武陽隠士:2008/02/10(日) 15:33:55
>>869
クズのおまえに任用の守が記載されてる史料を提示しよう。
『公卿補任』だ。
あと『古事類苑』には受領と任用の定義めいた記述がある。
しかしバカとじゃ論争にもならん。
初めから無知な奴でゴーマン。ロクスッポ史料も研究にも当たらない、おまえのその無根拠な自信はどっから来るんだ?
本当うらやましい。私なんて鬱になるほど脳が疲れてる。
おまえみたいにネット切り貼りですんじゃう暇人の歴史オタクがうらやましいよ。ああなんかつまんねえな。

872日本@名無史さん:2008/02/10(日) 16:29:34
>>871
鬱になる前に、その馬鹿で間抜けでネットでぐぐってばかりの我々に、
「守でも任用」の状態について教えていただきたい。

守は一応国司の四等官の最高位なわけで、守(権守でなく)で任用国司ということは
該当する国(ないし地方)に、守よりも上位の現地赴任している地方官がいると
いうことになるのですか?
873日本@名無史さん:2008/02/10(日) 16:43:06
基地外撫幼の書き込みが炸裂してるな
キモイ
874武陽隠士:2008/02/10(日) 17:07:00
>>872
もう鬱なんだよ(微苦笑)
鬱だから日曜日の真っ昼間から気散じに書き込みしているわけ。
さて受領だが、受領の定義をもう一度記す。
受領は赴任したの者の最高位の者がなる。定員一名。
役目は国の全資財の分布を受けてこれを受領する。これの管理責任者が受領さ。これが大事。
守乃至権守が現地に赴任しない遙授であれば、当然受領じゃない任用国司だ。君は受領国司を官位の等級みたく思っている。
注記(興世王の場合若干留保が必要だがここでは置いておく)
875武陽隠士:2008/02/10(日) 17:28:37
今、難民板に私の偽物がウヨウヨ
ご丁寧にトリップまで
ま、偽物のやることは知ったことじゃないんでそのつもりで
876日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:01:43
興世王の場合若干留保が必要だがここでは置いておく

頭わりーな!」
877武陽隠士:2008/02/10(日) 21:21:35
>>876
手前味噌になるが、むしろ頭がいいと思うが…。
いってる意味分かる?ていうかなんで妙な留保つけたか分かる?
分からなければいいや。
はっきりいって受領と任用の問題は奥が深い。
たとえば前にいくつかの日本史関連の辞典(事典)に当たったが、
任用の記述に穴があったね。
878日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:27:56
歴史辞典なんて手に取ってる時点で・・・
879日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:30:44
武陽隠士みたいなのにかまう奴がいるから基地外が暴れるんだよ!
880日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:09:01
2ちゃんで、学界とか喚いてる基地外が常駐してる
スレは、ここですか
881武陽隠士:2008/02/10(日) 22:24:42
>>878
よくレス読め。
任用がどれだけ浸透してるかチェックさ。よく知ってる事柄のチェック。
わかる?辞典のアラ探しだよ。
君も偉そうに言うのなら辞典のアラで探したまえ、ふふW
しかし君はやっぱりバカだな。国史大辞典すら繰ったことないんだろう。
君はバカだから辞典を使うと素人とでも思うんだろうなW
それなりに使うもんだよ。
日本国語大辞典もだな。他にもたくさんね。
中世の辞典も使う。
しかし学界云々に特別な意味を感じる君は救いようがないな。
よほど負けたことが悔しいらしい。
君はカスだ。内容などなにもない。悪いが君みたいバカは潰す。
もうひとつどうでもいいことだが鬱だから私は書き込みしてるだけだ。
追伸:『古事類苑』も事典のたぐい。もう少し勉強したまえW
ばあか
882日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:28:06
遙授も任用国司の一種ということか?

ただ、一般的に任用国司といえば受領(任地での筆頭)の下の国司をさす。

わざわざ遙任を「任用国司」という必然性は薄くないか?

883日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:30:21
歴史百科や辞典なんて読まないしあんなものに間違いがあってもいちいち気にならないな。
884武陽隠士:2008/02/10(日) 22:32:54
連投ごめん。
学界という言葉に権威を持たしたい訳じゃないんだよ。
人生を研究に掛けている人間たちの
世界のことをいっているんだ。
「学界で認められてる云々」と私がいうのは、あくまでそういう研究に命かけた人間たちの目にかなった研究成果という意味でさ。
追伸:国史大辞典の記述には舌足らず誤りもそこそこあるし
執筆した研究者の持論のバイアスがかかってる。くれぐれも鵜呑みしないように。
885武陽隠士:2008/02/10(日) 22:39:23
>>883
おまえ歴史百科ってなんだよW
おまえさ素人だよ。
国史大辞典すら読んだことないなんて。
いや素人以下。おまえもしかすると、研究者は国史大辞典いじんないとでも思ってるの?
おまえみたくネット切り貼りしてると、バカなこといいだすんだな
おまえが史学には素人でもいいが、だいたい院生の友達とか
いないのか?
おまえ田舎のひきこもりだろ?
大学図書館とかいけよ。国史大辞典常備されてるよ。
しかし書き込みでお里がしれたなW
絶対いわないせりふだ。
886日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:43:28
国史大事典なんて読まないよ
887日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:43:47
なんだか広辞苑程度のものを想像してるのかなあ
888武陽隠士:2008/02/10(日) 22:44:17
連投ごめん
国史大辞典はプロも使ってるんだよ。
山野もそこから引用してたりするのさ。
わかったか田舎のひきこもり。あと友達作れ。
史学に関わらずまともな学問の方法論を ダチに教えてもらえ
しかしバカだな。田舎のひきこもりじゃなかったら、都会のひきこもりか。
少なくとも史学科のある大学は行ったことないな。
ていうかまともに学問したことないだろ。
889武陽隠士:2008/02/10(日) 22:47:16
>>886
大辞典ね。辞。
まあいいがこのスレはまるで
だめだな。
このスレはゴミしかないよ。
バカばっか。
>>887
?違う人?
890日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:47:41
あのおれ普通のサラリーマンだしプロじゃないし
891日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:49:22
でも学生の時には使ったよ。読んだって感じではないけど
892日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:51:09
>>889
あ、ごめん、>>887(俺)は違う人の横レス。
まぎらわしいから立ち去ります
893日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:52:47
つまり国史大辞典があればいいわけね。
894日本@名無史さん:2008/02/10(日) 23:01:11
>>890>>891
嘘つけ。みたこともないくせに。
ばればれだぞ。
しかし会社員にしてはゴーマンだぞ。
おまえ田舎のひきこもりだろW
あとさ国史大辞典の分量知らないだろ?
知ったかするな。バカまるだし。
ネット切り貼りしてニワカ歴史オタクは私の一番嫌いな人種だ。
おまえクズだよ。
ネットだけで完結してる。笑っちゃうな。
キモいおたくっぽい奴なんだろうなW
とにかくネットの切り貼りくらいで得た知識をご大層に
言うなよ。
ぶっ潰すぜ。
895日本@名無史さん:2008/02/10(日) 23:02:41
>しかし会社員にしてはゴーマンだぞ。
これは意味不明ですな
896日本@名無史さん:2008/02/10(日) 23:04:11
興世王は任用国司だったのか?

711 :武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/27(火) 23:11:05
任用がヒマになった云々について補足したい。
将門の頃の任用国司はまだ受領国司の下僚化が進んでいない。
受領の権益、責務が大きくなったとはいえ、任用国司の権威はまだ衰えていないといないと私は思う。
だからこそ純友(任用国司だ)、将門の配下の任用国司たち(興世王他)みたいに能動性主体性をもって反乱する余地(余力ないしヒマ)もあったわけさ。
時代が下るに従って、任用は受領の単なる下僚に成り下がって、文字通りコクシ(酷使)されるわけだ。
以上は私の論。
このあたりは、先学に論じてはいるだろうが、きっちり実証を積んだら、
それなりの論文が書ける余地もあるんじゃないかな?

725 :日本@名無史さん:2007/12/01(土) 09:11:45
>>711
興世王が任用国司?

726 :武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/12/01(土) 12:11:00
>>725
興世王の上に、まだ国司いるんだよ。常識だ。興世王はそいつと喧嘩したりしてる。
しかし、ググるしか能のねえクズだな。恥ずかしくねえのかよw
ウィには載ってなかったのかなw




897日本@名無史さん:2008/02/10(日) 23:06:35
分量くらいしってるよ。見たら知ってるよ。
潰すってなにを潰すんだろうか?2ちゃんで潰されて困るものないしね。
898武陽隠士:2008/02/10(日) 23:07:35
>>893
国史大辞典はとっかかり。任用の問題に関しては役立たずだよ。
全然万能じゃない。
あとしつこいが、執筆の研究者のバイアスがかかっている。鵜呑みにはできない。
載ってない項目もあるしさ。
たださ、おまえ「国史大辞典があればいい」とか書いてるが
いくらするか分かってるのか?
それと巨大だぞ(笑)
場所もとる。
しかしこれが電子化された絶対私は購入だな。
899日本@名無史さん:2008/02/10(日) 23:09:01
>>898
興世王は任用国司だったのか? まだ回答いただいてないんでおねがいしますよ。
900日本@名無史さん:2008/02/10(日) 23:12:19
>国史大辞典
レポートの時使うやつなw
901武陽隠士:2008/02/10(日) 23:14:07
>>897
ははは後追いだ。おまえ私のレスの内容で勉強してるな
まあいいさ
しかしおまえ謙虚じゃないな
変な無根拠な自信がある。
会社員ってよりか田舎のひきこもりっぽいよ
ただおまえのしつこさには少し感心した。
それと潰すのはおまえの自尊心。それが私の知識の譲り渡しの代価でもある。
ところで、おまえのレスの文体明らかに変わってきてる。
こういうのが潰すってこと。別段痛くも痒くもねえだろ?
902日本@名無史さん:2008/02/10(日) 23:15:38
>>901
君の書き込み見てたら素人ながらに自信を持ってしまったのかもね。
903武陽隠士:2008/02/10(日) 23:15:40
>>900
おまえ分かってないな。レポートだけに使われてるわけじゃねえよ
904日本@名無史さん:2008/02/10(日) 23:17:37
>>903
2ちゃんで勉強してるの君でしょ?おれはそう思ったんだよね。
905日本@名無史さん:2008/02/10(日) 23:25:45
>>903
一時間くらいなら君の暇つぶしに付き合ってもいいよ。
新知識であれば教えてもらいたいもんだよ。対価は自尊心でよければいくらでも
906武陽隠士:2008/02/10(日) 23:26:16
>>899
おまえ私のレス読んでないな。
任用だ。
現地赴任で一番上位の奴が受領。それ以外は任用。
戦争の日本史は権守は任用じゃないみたいな(ニュアンスね。権守興世王は受領でも任用でもないみたいな)書き方だった。
しかし学界で任用についての碩学は受領以外の国司はすべて任用という定義だ。
ただ戦争の日本史が解せないのは、その研究者の論文が提示されていないこと。
その研究者の任用受領研究に依拠した若い研究者の著作は
参考文献に掲げているのにだ。
これは川尻氏に質すしかないな。
どうでもいいが、くだらない茶々入れるな。
あと謙虚になれ。無根拠な自信は間違いの元だ。
907武陽隠士:2008/02/10(日) 23:31:44
私は今鬱なんだ。
喧嘩してなおしてる。
バカと喧嘩すると疲れるが、ある意味心地良い。
谷沢永一氏の言われたことは本当だな。
鬱に喧嘩はよく効くW
どうでもいいが私のレスは水準が高い。悔しかったら勉強しろ!
うかうかしてっとまた来てアラ探すぞ。
しかしこの将門は最初から低いレベルだった。
泉下の将門もさぞ嘆いてるだろう(ちがうか)
908日本@名無史さん:2008/02/10(日) 23:38:24
>>907
興世王が受領ではないとする根拠は今のところそれだけですか?
で興世王が任用だったとすれば受領はだれだったのでしょうか?
2ちゃんねるじゃ喧嘩なんて出来ませんよ。

909武陽隠士:2008/02/10(日) 23:55:09
>>908
おまえどうかしてる。
今まで論争してた奴じゃないな。
前レス丹念に読め。私のじゃなく私と論争してる奴のだ。
しかしおまえ全然本読まないだろ
そもそも任用だなんて言葉は
私かおまえ(ら)におしえたんだがな
守でも受領じゃなかったりケースはある。
しかしまあおまえの言う通り喧嘩は2ちゃんではあんまりできんな。
おまえみたいな本も読まないネット切り貼りやろう潰すのが関の山W
しかしおまえのバカぶりは笑わせる。

答えは百済王貞連。おまえみたいなバカな2ちゃねらーって
渡来系を「チョンがなんたら」とかいってレイシズム的罵倒を
飛ばすんだろW
ばっかみたい。
だめな奴の見本だな

910武陽隠士:2008/02/10(日) 23:59:19
>>908
そもそも受領国司と任用国司の意味分かってんの?
私の書き込み後追いしてバカみたい。
受領の意味も分からないんなら黙れよ
うざいよ
おまえのすんでる田舎の図書館にもあるかもしれない『古事類苑』チェックしろよ。
ばあか
911日本@名無史さん:2008/02/11(月) 00:05:10
>>909
百済王貞連が補任されたのはいつですか?
912日本@名無史さん:2008/02/11(月) 00:11:51
>>910
百済王貞連が補任されたのはいつですか?そして百済王貞連が赴任したのはいつですか?

200
913日本@名無史さん:2008/02/11(月) 00:22:59
>>910
簡単な質問ですよね?命がけでお願いしますよ。
俺は君も命に興味も無いし価値を見出せないんでどうでもいいんだけどね。
914日本@名無史さん:2008/02/11(月) 00:34:31
鬱でもいいけどさー、碩学とか関の山の使い方がまるで無茶苦茶なんでねえの?
915日本@名無史さん:2008/02/11(月) 01:29:18
百済王貞連が武蔵守に任じられたのは天慶2年5月15日(貞信公記など)〜17日ころ。
つまり興世王と武蔵竹芝が揉めたのより後
916日本@名無史さん:2008/02/11(月) 02:50:58
そうであれば権守興与王が武蔵に下向した時には百済王貞連は受領国司にはなりえないわけね。
自称サラリーマンがブヨウにとってスゲー嫌な都合の悪い質問をしてるってわけか?
917武陽隠士:2008/02/11(月) 03:04:21
おまえらバカだよ
私が参考文献だして、タームも出して
おまえらがそれをググるW
笑わせる。みんな私の後追い。
興世王が受領じゃない根拠もヘッタクレもない。
研究者が百人いたら皆、同じ答えさ
受領の定義が分かってないよ、おまえら。
しかしバカばっか。さすが2ちゃん。
さて寝るか。明日は早いぞ
918日本@名無史さん:2008/02/11(月) 03:16:48
受領国司は読んで字のごとく任国にて解由状を受領した国司でないの?
919日本@名無史さん:2008/02/11(月) 03:26:58
>>917
あんたの書き込みは妄想が先行してるし紹介するのは一般書籍なんだよ。
鬱というかモノホンの気違いだと思う。
920日本@名無史さん:2008/02/11(月) 04:28:59
受領以外の国司(遙任をしている守も含んで)は全て任用国司である。
この前提に立った場合、受領が広い権限を行使するようになる段階の叙述での
「受領以外の国司」には遙任国司も入るのかね?
921武陽隠士:2008/02/11(月) 11:29:20
ここに書き込みしている人たちははっきりいって趣味の歴史好きとしても
レベルが低すぎる。
基本前提がまるでない
ネット上のデータで知った気になってるからだろうが
それにしても知らなすぎる。
なぜみなさんは本を読まないのか?
最近でた戦争の日本史もそうだし
岩波からでている福田先生の著作も誰もあげない。
戦争の日本史は私が提示したらやっと読む奴がでてきた。
受領もそうだ。受領について常識も君たちはネットで手に入れてるから間違いが多い
私はバカと論争する気はない。
もう鬱じゃないしねW
結論からいうと君たちの無根拠な自信、ゴーマンさは才能とかが全然ないことを示している。
おそらくまともに学問などしたこともないんだろう。
君たちはだめだ。このスレ自体クズだ。
それから最後に将門記はみな読んでるのか?
922日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:25:43
古事類苑(官位部32・国司上)には、「受領ノ下ニ在リテ
事ヲ取ル者ヲ任用ト云フ」とあった。
923武陽隠士:2008/02/12(火) 00:20:36
>>922ナイスグゥ(*^-^)b
(続きね)後世ニ国司ヲ汎称シテ受領ト為スハ、言ノ転ジタルナリ。
924日本@名無史さん:2008/02/12(火) 00:44:57
>>922
調査乙。
この定義で行くと、守が遙任していて介が現地にいる最高官だと、介が受領で
守はどうなるんだろう。俺も地元の図書館へ行く機会があったので
いくつかの辞書を見たが、そこらへんはやっぱり弱かった。「受領以外を任用という」と
してあったものや、受領より下の佐官(多くは掾・史など)を任用国司としているものなど、
割と曖昧だった。国史大辞典なども曖昧だった。
925武陽隠士 :2008/02/12(火) 00:50:38
ここに書き込みしている人たちははっきりいって趣味の歴史好きとしても
レベルが低すぎる。
基本前提がまるでない
ネット上のデータで知った気になってるからだろうが
それにしても知らなすぎる。
なぜみなさんは本を読まないのか?
最近でた戦争の日本史もそうだし
岩波からでている福田先生の著作も誰もあげない。
戦争の日本史は私が提示したらやっと読む奴がでてきた。
受領もそうだ。受領について常識も君たちはネットで手に入れてるから間違いが多い
私はバカと論争する気はない。
もう鬱じゃないしねW
結論からいうと君たちの無根拠な自信、ゴーマンさは才能とかが全然ないことを示している。
おそらくまともに学問などしたこともないんだろう。
君たちはだめだ。このスレ自体クズだ。
それから最後に将門記はみな読んでるのか?
926日本@名無史さん:2008/02/12(火) 00:57:43
直前からのコピペかよ。
927日本@名無史さん:2008/02/12(火) 01:03:47
歴史好き、歴史オタ、史学科学生にありがちなこと
http://etc7.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1181932782/
928日本@名無史さん:2008/02/13(水) 01:02:37
はい次行ってみよー
929日本@名無史さん:2008/02/13(水) 21:56:47
百済王

くだらのこきにし



くだらのコニシキ
と読んでしまっていた……
930日本@名無史さん:2008/02/14(木) 00:36:24
>古事類苑(官位部32・国司上)には、「受領ノ下ニ在リテ
>事ヲ取ル者ヲ任用ト云フ」とあった。

すると、受領が介で、それより上位の国司(守)が遙任だった場合、その守はどうなるんだろう
931日本@名無史さん:2008/02/14(木) 07:36:11
今日が命日?
932日本@名無史さん:2008/02/16(土) 15:41:22

子孫です
マジで
933日本@名無史さん:2008/02/16(土) 17:12:15
将門もいまの茨城県人のイントネーションに近かったのだろうか?
934日本@名無史さん:2008/02/16(土) 17:39:14
高棟の家との交流はなかったのか?
935日本@名無史さん:2008/02/19(火) 16:21:48
鈴屋の系図と賀茂神社
936日本@名無史さん:2008/02/19(火) 16:58:55
将門とけぬちゃんがいればだいじょうぶだからふじわらちゃんはしんりゃくしないでね。将門とけぬちゃんはうまくやっているよ。
937日本@名無史さん:2008/02/19(火) 17:07:40
ねんぐをとりたててにょしょうにみついじゃうのは    くるしそうだよ。将門はかなしいよ。
938日本@名無史さん:2008/02/19(火) 17:11:59
賀茂神社はさんばんめで将門はもんだいないから将門にまかせるといいよ。
939日本@名無史さん:2008/02/19(火) 18:39:43
平将門さまお働き守護感謝いたします。
ご縁のある方が日々平安に過ごされますように
940日本@名無史さん:2008/02/19(火) 23:42:59
>>934
高棟王の子孫は大納言や中納言などがいて、弁官を輩出しているな(平時忠もこの家系)。
一方高見王、平高望は『尊卑分脈』でやっと簡単な経歴が分かる程度で、高見王は早世した
可能性が高いらしい(ヘタしたら実在すら怪しい)、高望も上総へ下っているので、それほど
親密な関係は無かったンだと思う。
941武陽隠士:2008/02/20(水) 23:04:09
>>933
謎だよ。
みんないわないけど
古代のこと(中世も)は些細なことほど謎。
942武陽隠士:2008/02/20(水) 23:30:11
連投御免!
>>930
前レス見たら見かけたのでレスする。
私がレスするのはムカつく書き方のレスじゃないから。
守も任用。任用は受領に対しての呼び名だけだよ。
なんかキャリアみたいな意味を語感として受け取ってない?
古事類苑のそのくだり全部読んでよ。
任用の意味はちゃんと通じて合ってる。
君の守が下か云々の答えもそこにある。
ただ君の後学のため付け加えると古事類苑と広辞苑(笑)は聖典視できない。
まあ辞書事典類は皆そうなんだが


943日本@名無史さん:2008/02/25(月) 23:40:23
坂東市民があげっかんなよ
944日本@名無史さん:2008/03/01(土) 14:52:58
平将門は桓武天皇の子・葛原親王の子孫に当たるらしく、
良将(良持)の子にあたるんだってな
945鬼渡 ◆AOZMD8mebg :2008/03/01(土) 22:17:11
平将門の子孫についてだけれども、
福島県天栄村の御鍋神社に永井平九郎、桔梗、平将門の三人が祭られている。
桔梗と平九郎ら将門の一族がここまで逃げて暫くここで暮らしていたと言う事だ。
このメインに祭られている永井平九郎が将門と桔梗の子と言われる(将門を諌めた家来との説もあり)。
のちにこの地を後にしたらしいが、福島県は永井の地名、永井の名前を名乗る者が多い。
この永井氏が平将門の生き延びた唯一の子孫と思われる。
946武陽隠士:2008/03/04(火) 00:07:39
>>945
そういうのは中世になって出来た伝説。
地元の研究者(いんちき郷土研究家じゃなくアカデミックな教育受けた郷土資料館の学芸員とかね)。
子供ならともかく中世近世に作られた伝説鵜呑みにするのはどうかと思うね。
947日本@名無史さん:2008/03/06(木) 00:23:46
相馬氏や千葉氏の将門との所縁に関する話も伝説的なものが多いしね。
千葉氏の場合、宝治合戦やら南北朝期の一族の分裂やら、いろいろ切実な
事情もあった。
948日本@名無史さん:2008/03/06(木) 00:26:24
「やら」って・・・w
949日本@名無史さん:2008/03/06(木) 00:30:54
>>948
「やら」って変かね?
ほかにも将門伝説というと、将門本人に関係した話とか、桔梗の話とか
良門など将門の子女の話結構あるな。
950武陽隠士:2008/03/06(木) 00:39:43
>>949別におかしくないよ。
はっきり言って>>948が「W」を使う理由が分からない。
951日本@名無史さん:2008/03/06(木) 01:18:55
将門をまつった猿島の神社に「国王神社」というものがある。
彼は地元では国王なんだよ。

バカどもが…
952日本@名無史さん:2008/03/06(木) 01:47:16
なんか初級者向けの本読んで書きまくってる人がない?
953日本@名無史さん:2008/03/06(木) 19:31:52
>>952
本すら読まぬ君よりは(ry
954日本@名無史さん:2008/03/09(日) 04:41:05
最高の英雄かもしれんな
こんなTOPがいたら日本も良くなるだろうに
955日本@名無史さん:2008/03/11(火) 20:50:43
小次郎様万歳
956日本@名無史さん:2008/03/11(火) 20:55:09
衆議院議員平将門あげ
957日本@名無史さん:2008/03/12(水) 06:01:23
平将門は素晴らしい
958日本@名無史さん:2008/03/13(木) 08:55:32
>>950
おまえうざい
959日本@名無史さん:2008/03/19(水) 02:21:35
将門の本拠地ってどこですか?
今でも、現地に行けば遺構とかあります?
960日本@名無史さん:2008/03/20(木) 23:18:04
そんなものありません。
お墓参りでもしてください。
961日本@名無史さん:2008/03/21(金) 03:43:16
>>959
将門の本拠は下総の猿島・豊田郡(今の茨城県坂東市)らへんだったんだけど、当時は
霞ヶ浦や印旛沼を合わせて、さらに巨大な湖があって、関東平野はかなり水系が入り組んでた
らしいので、遺構とかはなかなか残っていないかも。

同じような例で、遺構が残ってたのが駿河の志太郡衙なんだけど、こっちも今では市街地から
外れた山よりの不便な立地なんだけど、当時は「志太の浦」なんて言葉が出てくるような地形で、
現在とはかなり異なって河川の入り組んだ地形で、当時としては交通の要衝だったみたい。
962日本@名無史さん:2008/03/22(土) 01:18:50
で、、結局、帝都物語とのかねあいはどうよ
963政宗:2008/03/24(月) 21:56:17
>>180から、将門の末裔は九州か?

>>784を見ると将来信田隆生の嫡流は村上水軍消滅後は九州に流れたのか?

この辺のはなしはつながるのかな?もしそうなら面白いな。

従兄弟が福岡県なので昔行ったけど、その地域は信田さんだらけなんだよね。勿論従兄弟も信田。九州相馬氏は信田隆生の嫡流かな。だとすれば、その後将門流信田氏あやかり、に変遷してきたかも。

相馬も信田も小次郎を名乗ってるし。
964日本@名無史さん:2008/03/24(月) 22:01:50
でも、ここら辺はみんな良文の子孫だろう。
時代が下るにつれて、将門との所縁が強調されるようになっているけど。
965政宗:2008/03/25(火) 00:13:49
↑、そうかもね。良文系か。今度あったら聞いてみるかな。その辺りの事。ついでに墓チェックかな。何気に墓誌に、将、良、文 を名乗ってた方がいたら期待しちゃうな。
俺とは血縁じゃないけど。
966日本@名無史さん:2008/03/27(木) 17:21:15
うまにのったかんとうむさまさかどがまいります
967日本@名無史さん:2008/03/28(金) 16:57:42
風と雲と虹と が来月からスカパー!の時代劇チャンネルで一挙公開するね。
968日本@名無史さん:2008/03/28(金) 17:09:02
風と雲と虹と のDVD版が近くのTSUTAYAに入った。
借りなければ・・・・。
969日本@名無史さん:2008/04/01(火) 16:56:27
永井平九郎については、何だっけ、あの有名な作家の同姓同名の平将門研究している作家が語っている。
970日本@名無史さん:2008/04/04(金) 03:05:54
平将門
971日本@名無史さん:2008/04/04(金) 09:35:40
奥多摩に将門馬場という山があるね。
972日本@名無史さん:2008/04/05(土) 12:26:11
将門記
973日本@名無史さん:2008/04/05(土) 15:22:41
将門岩
974日本@名無史さん:2008/04/05(土) 20:26:37
日本経済を支える兜町の守護神様じゃ。
将門様をお祭すれば毛唐の起こしたサブプライム危機を乗り切れる!
975日本@名無史さん:2008/04/06(日) 12:51:22
兜町は支えてないだろ
976日本@名無史さん:2008/04/06(日) 14:02:16
>>975
罰当たりめ!
977日本@名無史さん:2008/04/06(日) 14:15:34
>>975
お前の子孫三代に渡って不幸が降り注ぐことになろうw
978日本@名無史さん:2008/04/06(日) 23:55:10
昔悪いことして留置場にいた時、朝メシと晩飯が(株)兜食品だった覚えがある。昼飯はメーカー不明のうどんや蕎麦ばっかだったな。
979日本@名無史さん:2008/04/07(月) 00:56:11
地元の神様、の割には成田山から監視されてます。
980日本@名無史さん:2008/04/07(月) 01:19:29
王国として独立できてたら
関東はどうなってたんだろ?
981日本@名無史さん:2008/04/07(月) 02:30:57
>>980
鎌倉幕府みたいになる。
982日本@名無史さん:2008/04/07(月) 21:32:35
鎌倉みたいに全国に探題とか置かないだろ。
むし奥州藤原的な関東独立国じゃないか。
983日本@名無史さん:2008/04/07(月) 22:12:23
将門は、関東の原住民系農民に対する朝廷の圧政、
が言いすぎなら、無知で愚昧な暴政に我慢できなかったんだと思う。
独立なんて考えず、関八州の「総督」として、
朝廷との仲立ちになりたかったんだと夢想する。
984日本@名無史さん:2008/04/07(月) 23:29:44
それにしては、本人が新皇を名乗っている。
それでは朝廷権力の全排除、ということになる。

朝廷が全力を傾けて倒しに掛かったのは当然だし、将門はこの事態への覚悟が足りない。
悠長にあたりをうろうろしているうちに討伐軍が揃ってしまった。
985日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:03:33
>>983
近いかもしれないね。
祖父の高望が坂東にしゅう馬の党(変換できない)群盗の鎮圧で下ってきた
押領使であったことが大義として彼の行動の根底にあったのだろう。
近隣他国まで紛争の仲裁に出かけたりしているのは国衙の兵の領域を超えて
まるで坂東総押領使のようだ。
推測だが高望流平氏はそのような任を帯びていたのではないだろうか。
承平・天慶の乱の結果、都合が悪いので記録から削除されたのであろう。


986日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:13:41
そんな称号を抹殺するくらいなら、「新皇」を名乗ったことを抹殺するさ。
987日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:31:56
問題は何故平高望が坂東にやって来たかだ。
単に受領ならば豊後介中井王のように九州でも四国でもいいわけだ。

理由として
※しゅう馬の党や群盗そして俘囚の反乱に手を焼いていた朝廷が
 押領使も兼帯させ軍事・警察・収奪の権限を与えて派遣した。
※良馬の産地を押さえ、貴重な鋼や銅を手に入れ富を蓄え
 いつの日か京の都に返り咲き出世の足掛かりにしたかった。
988日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:59:42
貴種を歓待
これ坂東の風習
989日本@名無史さん:2008/04/08(火) 01:06:47
武蔵などはしゅう(人偏に就)馬の党が跋扈していたし、俘囚の跋扈もあり
この当時かなり治安が悪化していたしな。
くわえて東国というのは、朝廷の軍事力の基盤という面があるから、高望王が上総介に
任じられたのは東国の治安維持という面がやはり強いんじゃないか。

高望王という人物についても、詳細はわからない人物ではあるけど、こういう役目を
期待されるだけのポジションにはあったのではないかと。
990日本@名無史さん:2008/04/08(火) 17:17:05
ご親政の復活を願って京で活動していたが
実現せずに平将門公が下野してから運命が暗転していったという仮説は如何かな?
991日本@名無史さん:2008/04/08(火) 19:37:27
つ坂東人
992日本@名無史さん:2008/04/08(火) 21:47:25
平高望の行動範囲を推定してみると 将門の父や叔父達の勢力分布から
常陸・上総・下総・武蔵の広範囲に渡っている。
上総介押領使として赴任した時に京から息子達も同伴したのか分からないが
(村岡五郎は後から下って来た)息子達を有力在地豪族に婿入りさせたのは
貴種をありがたがる坂東の事情とは言え戦略的と言える。
「扶桑略記」にある寛平・延喜東国の乱が十年余りの歳月を要して鎮圧されたのは
将門が生まれた頃である。
高望と息子達は乱を鎮圧平定する為に坂東の広範囲の有力豪族達と婚姻を結び
兵力として動員したのであろう。
この前段階を踏まえて将門の行動を見ると国司の管理統制から半ば独立した
軍事・警察・徴発の権限を行使出来る勃興期の軍事貴族の姿が見えてくる。
承平・天慶の乱は初期軍事貴族の内紛と捉えることが出来る。
承平・天慶の乱を読み解く鍵はここにあると思う。

993日本@名無史さん:2008/04/08(火) 22:25:04
 
994日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:06:32
そろそろ次スレでもたてるかい?
995日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:09:50
坂東市の俺がカキコ
996日本@名無史さん:2008/04/09(水) 09:47:19
坂東英二
997尾州男児 ◆7VELMWok.E :2008/04/09(水) 10:04:15
南宮神社と御首神社に訪れたことのある、私が書き込みます
998日本@名無史さん:2008/04/09(水) 10:04:46
 
999日本@名無史さん:2008/04/09(水) 10:05:51
 
1000日本@名無史さん:2008/04/09(水) 10:06:22
 
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