邪馬台国

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501日本@名無史さん
>>498
まさに檄文
502日本@名無史さん:2007/10/21(日) 11:18:15
>492
拝賀??? 平伏? 要は最高の敬礼容儀をもって拝聴するということ
ひざまずいて上半身は直立不動、頭を垂れる
詔勅は皇帝の発する言葉そのもの
503日本@名無史さん:2007/10/21(日) 20:19:13

稲作が中国から日本へ直接伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら最初に九州・西日本に伝わった稲作が既に弥生前期末には
伝わっていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から日本へ直接伝来した事の証拠にはならないのである。

それにRM1-b遺伝子の稲はかつては朝鮮半島にも存在したが、
単に定着しなかっただけという事も十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
504日本@名無史さん:2007/10/21(日) 20:53:23
>>501
「檄」は「檄」であって「激」とは意味が違う。
何で「木偏」なのか考えてみよう。
505日本@名無史さん:2007/10/22(月) 00:08:23
>>504
戦争に駆り立てて、鼓舞するようなものを檄だと思ってた!

調べてみたら木管に文書を書いてばら撒くことからきてるみだいだけど
現代じゃ使えない

檄文のというと文書じゃないとダメな気がするけど、
演説だと檄と言えないかというと、三島由紀夫の「あれ」なんかは
「檄」で通ってるし

>>498は檄文でないとしても、内容としては「檄」じゃないかな
506日本@名無史さん:2007/11/07(水) 23:43:04
age
507廿里艾人:2007/11/21(水) 18:54:51
鋭いですね。
http://www.adthree.com/publ/maki-rintarou/index.htm
本になるようです(^_^)。
5081 ◆.L.MXSPOgc :2007/12/03(月) 00:41:28
この方かな?
http://www.adthree.com/i/yamatai/01.htm
一大国の方位のとこでwebでは終わってますが、佐賀県の三日月町(現小城市)ということは
同じく松浦川をさかのぼるルートを考えているのでしょうかね?
私の言う末盧国〜奴国の3点セットをどう見ているのか気にかかりますが・・

しかし久しぶりに来てみたのですが、書き込みがぱったりと止まってますね (^^;
509サガミハラハラ:2007/12/03(月) 09:32:37
>>508この方も私と同じ小城説のようですね。
510日本@名無史さん:2007/12/06(木) 13:47:42

伊都國は佐賀県の春日(現佐賀市大和町春日)ですよ。
511日本@名無史さん:2007/12/30(日) 00:21:06
人口論は出尽くした感もあるかも知れませんが、失礼させて下さい



「三国志」に蜀の滅亡時の人口が94万人と書いてあるそうで(後主伝より、ちなみに呉は230万人・食糧280万石だとか)
一戸5人とすれば約18万8千戸


三国志記載の邪馬台国・投馬・奴の戸数を単純に合計すれば14万戸
さらに他の20近くの小国やらを加え、邪馬台国に対抗しうる力があった狗奴も考えて…
中国本土三国の一角、蜀帝国に匹敵する人口がいたことになりますよね

もちろんかなり誇張はあると思いますが、洛陽からひとかどの強国と見なされてたのは間違いないでしょう

やはり九州には収まらないと思います


東海地方がかなりの人口密集だったとの学説もあるとかで、やはり狗奴は東海から毛野にかけて比定するのがいいのかなと

めちゃスケールが広いですが、三韓をしのぎ蜀に匹敵する人口を有してたならばそれ位いってもよろしいかと
512日本@名無史さん:2008/01/17(木) 13:13:22
珍しく九州以外の説が書き込まれましたね。
近畿説の書き込みが少ないのはなぜでしょうか。
ちなみに私は福岡県か佐賀県の可能性が他の地より高そうと思っていますが。
513日本@名無史さん:2008/01/17(木) 13:32:33
邪馬台国の中心が変遷してるから、1箇所じゃないだろうけど、
 福岡県→佐賀県→熊本県→福岡県って感じかな?
(一世紀)            (7世紀)
514日本@名無史さん:2008/01/17(木) 20:59:45
あの、何で伊都国って糸島半島あたり何ですか?
地名だけだったらうちの近所にも到津ってあるんで、伊都の港だったらこっちの方がよさげです。
515日本@名無史さん:2008/01/17(木) 21:04:43
高木彬光が小説の中で伊都国はそのあたりだとかいていました。
516日本@名無史さん:2008/01/17(木) 21:06:52
>>515
ということは、こっちでもOK?
517仲OゆOえ:2008/01/18(金) 20:46:47
どこでもOKなの!
518日本@名無史さん:2008/01/18(金) 23:05:31
>>517
ぬくみずでもか?
519神奈川県厚木市温水:2008/01/18(金) 23:52:37
もったいなきお言葉。
520日本@名無史さん:2008/01/19(土) 02:35:47
高木彬光とか好きそうな人のスレでいいのかな、ここは
521日本@名無史さん:2008/01/19(土) 03:04:05
最初に言い出したのは新井白石。
522日本@名無史さん:2008/01/19(土) 09:52:37
(小説の中でかいていました、という表現を使うのなら)

鯨統一郎が小説の中で邪馬台国は東北にあるとかいていました。
523日本@名無史さん:2008/01/19(土) 10:50:01
それが正解
524日本@名無史さん:2008/01/20(日) 00:30:46
内田康夫は『箸墓幻想』を読んだ限りでは
正統派畿内説ぽいですな
525日本@名無史さん:2008/01/20(日) 19:55:58
>>522
うちの近所にあるって、じいいちゃんがいってたぞ。
526日本@名無史さん:2008/01/20(日) 21:12:11
関連して、
あの「金印」って、本物なの?

そんなに大事なものが?
527太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/01/20(日) 21:48:55
本物だよ。ニセだったら造った奴と関わった奴らは死罪に近い。そん
な冒険をたかが銀子が欲しいくらいで小判等を鋳潰して巧妙に造っ
たとは考えにくい。金印があるということは当時九州に国王が
いた証拠と云えるし、当時すでに日本に漢字があったことを物語って
いる。さらに押印は特殊な印刷だから、そこから類推するに使わない
でオシマイにするほどの国王へのオモチャではないこと自明だろう
から、別に筆が出てこなくても漢字の使用があったことは堅い。
だからこそ重要なわけである。

サガミハラハラ氏が奈良東大寺古墳の中平刀は国産だと主張して
いて、だれか研究したことで信憑性が高いという話である。そうなら
ば、この鉄刀の銘文は日本で国産のだから、すでに日本で漢字
が使用されていたことになる。時期は中平年間は日本で孝靈天皇の
時代で倭の大乱の直後であろう。倍暦でそれがわかる。さらに
親魏倭王の金印で同時代(240年頃のよう)ころ、九州で漢字の使用
があったと観てよい、だが一般民衆は殆ど読み書きはできなかっ
たようだ。ごく一部の特権階級のみが読めた使ったということだな。
528日本@名無史さん:2008/01/20(日) 22:30:30
>>526
「漢委奴国王」の事かな?

まあ流石に最初は偽印と言われていたらしい。
と言うのもそれまで蛇がとぐろを巻いた紐は例が無かったから。
しかし後に中国で蛇紐金印や亀紐金印が出土し本物と言う事に落ち着いた。

特に後者は光武帝の子、劉ケイを広陵王に封じた58年に製作されたもので
奴国王の朝貢の翌年製作されたと考えられ外形や文字のフォントが一致するので
同一工房で製作された可能性が高いとか…
529日本@名無史さん:2008/01/21(月) 09:09:09
邪馬台国の条件
1.東に海があること
2.さらにその先には陸地があること
3.その距離は千余里(狗邪韓国-對馬國間と同程度の距離)
4.七万余戸を支える敷地及び水田=水源があること
5.魏志倭人伝の出発地点より一万二千余里でかつ会稽の東冶の東であること
530太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/01/21(月) 20:22:08
>>527
これだけ根拠を出して説明しても、ま〜だ漢字は仏教伝来の時だとか思いこんで
それ以前には無いと、考えを改めないやつがまだまだいるんだろうなぁ?w
つまりだ、金印の押印行為での特殊な印刷と言えることをだ、使用と認めがら
ないのだろう? 笑いたくなってくる。それだけ現代教育を受け、日本の古代を
舐めきっていた心理の弊害が現れていると言えるんだろう?
今度は別の文献を持ってきて、佛伝に文字があったことを確固とせねば
なるまい。

「梁書」巻第五十四列伝第四十八
「扶桑国。齋の永元元年、其の国の沙門慧深有り、来りて・・・説いて云う。
 『扶桑(日本)は大漢国の東二万余里在り、地は中国の東に在り・・・・・
 ・・・文字有り、扶桑の皮を以て紙と為す。・・・国王の名を名づけて乙祁
 (オケ=顯宗天皇)と為し・・・・・』
531太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/01/21(月) 22:31:48
>>530 訂正
× 佛伝に文字があったことを
○ 佛伝よりも前に文字があったことを
532日本@名無史さん:2008/01/22(火) 10:19:19
最近、"かんのわのなのこくおう"と読むより"かんのいとのこくおう"
と読むほうが自然な気がしてならない。
533日本@名無史さん:2008/01/22(火) 12:53:42
>>532
自分も国名が委(倭)国の中の奴国と2段で考えるのは不自然だと思う。
仮にそうだとすると、そんな国に対してなぜ金印なのか、という疑問も出てくる。
委を倭国の倭の省略形と考えるのも変な気がする。
やはり委奴という国があったような気がする。
「いと」なのか「いど」なのかわからんが。
534日本@名無史さん:2008/01/22(火) 20:11:22
漢を宗主国と仰いだ「ゐど」国という理解以外にありえないと思う。
535日本@名無史さん:2008/01/22(火) 22:53:09
では、肝心の邪馬台国なのだが、邪馬壹国ではないの
邪馬臺国か邪馬壹国のどちらと思いますか
536日本@名無史さん:2008/01/22(火) 23:24:52
委奴国と書いてあれば委奴国。
邪馬壹国って書いてあれば邪馬壹国。
イ妥国と書いてあればイ妥国。
扶桑国と書いてあれば扶桑国。
537日本@名無史さん:2008/01/23(水) 09:10:26
もしこれを漢の委の奴の国王ではなく
漢の委奴の国王と読むのであれば
委奴はゐど、つまりは魏志倭人伝の伊都国の事ではなかろうか?
倭人伝に伊都国には王がいるとの表記はあるものの国王の名すらない。
代々女王国に属していたとあるから卑弥呼の時代にも王はいたはずである。
しかしその名がないのは不自然で違和感が残る。
さらに伊都国は郡使の往来の際の逗留地であり諸国を検察するという
重要な場所であるにも関わらずその隣にある奴国の5%に満たない戸数しか
有していないのはなぜなのか?
さらに倭人で邪馬台国ですら邪や馬の字を当てているのに伊都国には都という字を
使用しているのも謎である。

ここからは想像の範疇でしかないが
倭国の基礎を築いたのは伊都国で一時は漢に国史を送るまでになったが
何らかの理由で分裂し倭人伝の其國本亦以男子為王のくだりに繋がって行くのでは
なかろうか。
538日本@名無史さん:2008/01/23(水) 12:38:22
委奴と伊都国が関係あるかどうかだが、
一般的に言って、地名や国名が似ているということで関係があると考えると、
誤ることがあるので注意が必要と思う。
539日本@名無史さん:2008/01/23(水) 14:23:30
もしも委奴=伊都なら、倭人の中心国家として漢籍に書かれ、
そういう扱いで詳述されると思うが、それはない。
540日本@名無史さん:2008/01/23(水) 16:33:44
>>539
伊都國は過去の倭人の中心国家として漢籍に書かれているよ。
「伊都國・・・世有王皆統屬女王國」魏志倭人伝

委奴(倭奴)國→→伊都國

倭國(王帥升)[倭面土(米多・目達)國]

邪馬壹國(倭女王國)
541540:2008/01/23(水) 23:50:58

アク禁になっている。

何故?
542三重県民:2008/01/23(水) 23:55:49
終止符12スレ立てれないのか。
2ちゃんの管理ぁどうなってるんやろね。。。
543三重県民:2008/01/24(木) 00:01:06
>>536
>委奴国と書いてあれば委奴国。
>邪馬壹国って書いてあれば邪馬壹国。
>イ妥国と書いてあればイ妥国。
>扶桑国と書いてあれば扶桑国。

同感。
544神奈川県民改め三重県民:2008/01/24(木) 00:18:16
終止符スレにて「前レスへの返答&新しく書き込む」予定だった方へ

No12立ち上げれなく申し訳ないです。
明日か明後日立ち上げますのでお許しください。
545日本@名無史さん:2008/01/24(木) 01:50:34
ワイ国だろ
546後藤幸彦:2008/01/24(木) 10:37:04
昨日本屋によったら、私の本を参考文献のなかにいれている本を発見した。このかたも邪馬台国小城市説なのである。
私に先をこされたようなことをかいておられました。書名は「邪馬台国とは何だろうか}です。
>>507であげられている方です。
547鵜野森の住民:2008/01/24(木) 14:59:01
>546
下九沢の後藤幸彦さん、「ハガミハラハラ」のコテハンをやめたんですか?
548サガミハラハラ:2008/01/24(木) 18:28:17
>>546は特別です。
549鵜野森の住民:2008/01/24(木) 20:34:09
550日本@名無史さん:2008/01/24(木) 23:12:54
小城市には三日月(みかづき)村があるからな。みかづきは昔は甕調となっていたし。
関係ありそうな雰囲気はする。
551日本@名無史さん:2008/01/25(金) 10:14:51
>>537
伊都国を中心とした由緒ある部族連合が
新参の、南から攻めあがってきた邪馬台連合との戦争に敗れ併合されたのでしょう
伊都国の戸数が少ないのは軍が駐留し良い土地を召し上げたからではないでしょうか
おそらく伊都国の領域であった福岡市の西区にはイザナギが降臨したという筑紫の日向の「小戸」という地名、神社がありますし
神功皇后が上陸して潮に濡れたあこめを干したと伝えられる「アコメの浜」に由来する「姪浜」という地名もあります
このあたりは大陸、半島から渡来、侵攻してきた一団の上陸しやすい場所だったのだと思われます
伊都国を建国した一団はここから先住民のいた東ではなく西に定住した渡来人ではなかったでしょうか


552日本@名無史さん:2008/01/25(金) 10:48:02
>551
>伊都国を中心とした由緒ある部族連合が
>新参の、南から攻めあがってきた邪馬台連合との戦争に敗れ併合されたのでしょう

面白いですね。
松浦半島あたりは背振山系を越えなければならないので
南方面からだと半島や大陸に渡る要所の地になる場所ですので
是非にも押さえておきたい場所だったのでしょうかね。

ちなみに魏志倭人伝では伊都国の戸数は千余戸ですが
その前に書かれた魏略では戸万余と一桁違うんですよね・・・
魏略が275年以前、魏志倭人伝が280年〜290年くらいらしいですから
早ければ5年くらいで様子が一変したのかもしれませんね。
553九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/01/25(金) 20:33:07
>551
>伊都国を中心とした由緒ある部族連合が
>新参の、南から攻めあがってきた邪馬台連合との戦争に敗れ併合されたのでしょう

基本的には同意しますが、正確に書けば、
伊都國は邪馬台連合との戦争に敗れ併合されたのではなく、
邪馬台連合(女王國)との権力争いに敗れ盟主の座を奪われたのです。
理由
「有一女子名曰卑彌呼・・・於是共立爲王」後漢東夷伝
「伊都國・・・世有王皆統屬女王國」魏書東夷伝

>>552
伊都國は、戸万餘の地域権力の座から、千餘戸の女王國従属の座に変わったのでしょう。
554日本@名無史さん:2008/01/26(土) 06:35:56
トンデモ説のあつまりだな。

奴国=な国で、上古音。
伊都国=いと国で、中古音。
少なくとも、伊都国が、中国人に知られるのは
奴国よりも後だった可能性が高い。

場合によっては、伊都国は比較的に新しく設置された国だろう。
この国には、邪馬台国から一大率が置かれていたらしいから、
邪馬台国(大和国)が九州を統治するために新しく設置された国かもしれんだろう?
555日本@名無史さん:2008/01/27(日) 16:22:30
>>552
ちなみに魏志倭人伝では伊都国の戸数は千余戸ですが
その前に書かれた魏略では戸万余と一桁違うんですよね・・・
魏略が275年以前、魏志倭人伝が280年〜290年くらいらしいですから
早ければ5年くらいで様子が一変したのかもしれませんね。

どちらにも見てきたようなウソを書く書記がいたんでしょうね。
556日本@名無史さん:2008/01/28(月) 09:17:36
>554
魏志倭人伝で中古音の伊都の字が当てられてるからといって
そう判断するのはどうなんでしょうか?
まして代々王のいた国ですよね?
557日本@名無史さん:2008/01/28(月) 10:52:26
>>551
興味深いですね。その「伊都国の領域」に住む者として伊都国が新興の邪馬台国に負けて併合されたというのは
感情的に首肯できない部分もありますが、世界の歴史を見ても文化的に進んだ地域を蛮族が武力で蹂躙していった例は
ローマ帝国やモンゴルにも見ることができますから十分有りうることなのかもしれません
伊都国は九州北部の中心国家だったのかもしれませんね

それにしても伊都国もそうですが倭人の条には
弥奴国、邪馬国、支惟国、烏奴国など九州の旧郡名と一致する名前がちらほら出てきますね
三根郡、八女郡、基頴郡、大野郡にあった国家なのでしょうか
伊都国が今の前原から福岡市西部、奴国が福岡市中部、南部にひろがっていたという考えに沿うと
倭人の条に出てくる30余りの国家群は昔の一郡程度の領域を持っていたということでしょうか
大宰府から出てきた文書に「マツロ国の西南百里に島があり、それは伊邪国の分国だ」とありますが
この島は鷹島でしょうか、とすれば伊邪国は伊万里湾沿岸にあった国家なのかもしれないと感じます
蘇奴国、対蘇国などは阿蘇郡あたりと関係があるのかもしれませんし、呼邑国は宮崎の児湯郡なのかもしれません
こうした旧郡名とは一致しない国家の名も多く、地名だけで判断するのは乱暴でしょうが
少なくともある程度は参考になるのではないかと感じます
記紀などには五百木入彦、興台産巣など
倭人の条の已百支国や好古都国に関係があるのではないかと思わせられる名も見えます
好古都国などは他国と違って良い字が使われているのが目を引きます
北の伊都国に対して、あるいは南の(熊本あたりでしょうか)中心国家だったのかもしれません
魏や呉など大陸からの渡来人の入植地だったために良い字を使ったのかもしれないとも感じます

最近古代史に興味を持ったばかりの若輩者ですが思いつくままに乱暴な意見を書いてしまいました、申しわけありません
558日本@名無史さん:2008/01/28(月) 15:40:19
>>557
いや、一番まともだよ
559日本@名無史さん:2008/02/01(金) 13:41:56
>557
地名の一致で考えていくときは注意が必要です。
例えば「ト」という発音する言葉は現在では1種類ですが、古くは2種類あります。
そこを意識していなければいけません。
また、九州各地の地名と同じ地名が遠くはなれた場所に、ほぼ同じ方向(同じ位置関係)に存在しています。
このことも地名を当てはめるときに注意しなければなりません。

560日本@名無史さん:2008/02/01(金) 23:59:31
すべての国民のDNAを集めて、それを家系図と照合して調べれば、
ほとんどすべての日本人の祖先は、古くから日本に住んでいた
古日本人の子孫だということがわかると思います。
日本が大陸から切り離された後に移り済んだ、天皇家の子孫も
物部氏・曽我氏・秦氏の子孫も血統を残せるほどの大集団ではな
かったというのが正解だと思います。
561日本@名無史さん:2008/02/02(土) 09:17:41
>>560
だから、トンデモ説を撒き散らすな。

蘇我氏は皇別、物部氏は天神。

秦氏は渡来系。
562日本@名無史さん:2008/02/02(土) 09:20:56
>>556 :日本@名無史さん:2008/01/28(月) 09:17:36
>>554
>魏志倭人伝で中古音の伊都の字が当てられてるからといって
>そう判断するのはどうなんでしょうか?
>まして代々王のいた国ですよね?

その代々の王という記述も曖昧だよ。
代々っといっても、3代、4代くらいでも代々だから。
563日本@名無史さん:2008/02/02(土) 09:47:35
俺はこれを支持したいな。
http://homepage3.nifty.com/washizaki/index.html
だって、地元だもん。
専門的に考古学やってる人以外の根拠なんて、全部あてにならないけど
地元に邪馬台国があってほしいって気持ちはけっこうみんなあるよね。
俺の血筋と家系は平安時代までしかさかのぼれないんだけど
もっと昔まで探れるようになるとうれしいなー。
564日本@名無史さん:2008/02/02(土) 09:52:26
考古学だけじゃなくて、歴史学の人も
今や
邪馬台国=大和国
卑弥呼=百襲媛命か、その近辺の人
という説が有力になってきているから、
九州説にとっては、つらい日々が続く。
565サガミハラハラ:2008/02/02(土) 10:09:30
>>564しかし、学問や科学は退化することもあるのですね。
わたしは進歩しつづけるものだとおもっていましたが。
566日本@名無史さん:2008/02/02(土) 10:35:00
>>564
それって、世間が驚くような証拠がでたんじゃなくて
説の流行程度のものでしょ?
宇佐神宮・宇佐八幡なんて
リンク先の文章よんでたら
たしかに「卑弥呼・や邪馬台国」につながりそうなイメージをもてるけど
畿内説って、いまひとつなんだよね。
もちろん、地元びいきもあるよ。
あと、耶馬溪だって、なんとなく邪馬台国のなまえからの変化のようなイメージもてるしね。

畿内にはそんなイメージもてる要素ある?
難しいことわかんないから、イメージでよろしく。
567日本@名無史さん:2008/02/02(土) 10:45:06
つーか、文化庁と桜井市がかなり金を出すらしいじゃん。
纏向遺跡ってまだ2%ぐらいしか発掘されてないけど
これから5年、10年と、いっきにけりをつけるんだろう?
2%でもそうとう、凄い発掘があるわけだし。
568日本@名無史さん:2008/02/02(土) 10:46:49
>>566
だからさ、それは、おまえの主観だろう?
おれからしたら、宇佐のどこが卑弥呼に繋がるのか
さっぱり分からない、

畿内の方が、ダイレクトに卑弥呼と関係が在りだろう?
569日本@名無史さん:2008/02/02(土) 10:50:16
>>567
それはそれで、大発見があって、邪馬台国って証拠が出ると
歴史ファンとして素直にうれしいな。
俺の地元じゃないのは悲しいけど
永遠に「わかんない邪馬台国」より、ハッキリした歴史をたどれたほうがいい。

地元邪馬台国説で楽しめなくなるのは悲しいけど
早く邪馬台国の遺跡を見る時がこないかな。
それが地元だったら、速攻で俺は公務員やめて、ゲストハウスを経営するぞ。

ザコ寝部屋・・・1200円
個室・ペア・・・1800円

よろしく。
んでもって「やっぱ邪馬台国じゃありませんでした」ってなったら
人生真っ暗だなw
570日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:12:17
阿蘇山と金印が畿内で見つかれば
極東で戦争を数百年間行える膨大な鉄器が畿内で見つかれば
法隆寺が畿内から移築されたと証明できれば
九州〜東北に分布する装飾古墳が畿内を中心にしていれば

畿内が邪馬台国だった可能性がゼロじゃなくなるな。
今はゼロだけどw
571日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:19:01
>>570
あのな...
邪馬台国(大和国)は、伊都国(北九州)にも
一大率を設置していたわけだから
当然、倭人伝には、九州の風景だって登場する。
阿蘇山がどこかで九州説を語るのは、凄く恥ずかしいこと。

また、鉄器の多さを絶対視するのは、いかに阿呆か。
半島だって、鉄器の多いカヤよりも、鉄器の産地ではない
新羅や百済のほうが半島を統一しようとしていたわけだから。
572日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:22:39
畿内の国に、阿蘇山で国家の祷祭を行った記録が全くない。
やっていたなら古事記・日本書紀にバンバン書けよ。
これは機内の国とは全く関係のない決定的な証拠だな。
573日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:34:06
>>571さんは、証拠もなしに邪馬台国を大和と一緒に考えているのかな?
俺は、地元が邪馬台国だったらいいな〜ってるけど
決め付けようとは思わないな。
考古学って、決め付けはじめたら、お楽しみもおしまいの思考停止だもんね。
ファンであっても学者であってもね。

その時代の鉄器が九州に多い・・・・進んだ文明が九州にあった?
が、歴史的に見てもその後は、畿内が隆盛してくる。
そこで「神武東征」★
どっちも邪馬台国(大和)だった!
とか面白そうな説だよね。

魏志倭人伝の距離表示も、九州じゃ近くて畿内じゃ遠いってはなしもあるよね。
それも、自分が旅行好きだから思うんだけど
旅の報告する時って、正確に伝えるか、少し大げさに伝えるかじゃない?
短く伝える人は少数派だと思う。
魏志倭人伝から、大和朝廷までの空白の時間に、東遷説みたいなことが
おこってても不思議じゃないなー。


>>571さん、熱心に批判するけど
自分のお勧めの説とかあるの?
574日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:40:05
古事記なんか何百年も前の、しかも文字のない時代の伝承を書いているわけだし、
柳田國男が民話聞きとって書いた本といっしょだよ。
歴史的価値はほとんどない。まあ、民俗学の資料だな。
575日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:40:26
>>572 :日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:22:39
>畿内の国に、阿蘇山で国家の祷祭を行った記録が全くない。
>やっていたなら古事記・日本書紀にバンバン書けよ。
>これは機内の国とは全く関係のない決定的な証拠だな。

だからさ、それがお前のサジかげん。

神武天皇に関しては、彼の曽祖父のホノニニギさんが
高天原から高千穂(九州南部)へ降臨したとあるし
日向三代というぐらいだから
当然、ホノニニギさんは、九州南部へ移住しただけで
彼の出身地は、九州南部ではなかったわけだ。
延喜式では、高天原は、奈良県御所市高天のこととなっている。
つまり、紀元1世紀くらいに
大和王朝(ホアカリが国王)の命で、その兄弟のホノニニギが日向に派遣。
その後、その曾孫の代に、大和王朝宗家(ホアカリ系、尾張氏の祖)から
呼び戻されたのが、神武天皇なんでしょう?それが、紀元2世紀初頭。
で、その数代のちが、モモソヒメ(卑弥呼)となる。
576日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:46:17
とにかく、おまえら近代の価値観でものを考えすぎ。

進んだ文明とかいっても、農耕社会なんて
工業化社会ほど、文明の強弱は無関係だろう?
だいたい、半島では、鉄の産地だった加羅は、
隣国の草刈場でしかなかったわけだし、
中国大陸を制覇したのも、後進地域とされた秦によって統一された。
また、中世、日本で最初に鉄砲や大砲が普及したのは九州だが
だからといって、九州の大名が東征して、天下を統一したわけではない。
577日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:50:03
インチキ資料をもとにありもしない妄想はやめなさい!!
578日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:53:38
九州説が追い込まれているのは分かっているが
なぜ、考古学や歴史学で、今や100%近く畿内説になったのか
ということを客観的に分析しないとこまるね。
九州説は素人に小説をうるのは良いけど。
579日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:57:41
なんか、盛り上がってますな。
ただ、考古学や歴史学の分野で
学者さんの間では、ほぼ畿内で決まりというのは
残念ながら事実ですね。
なんか、世間では、九州説VS畿内説が競っているように思われているけど
もう、学界のほうでは、殆ど畿内説で決定!という感じ。
580日本@名無史さん:2008/02/02(土) 12:09:55
地元宇佐神宮が邪馬台国由縁の地であることを祈りつつも
どの説も否定せずに、説の一つとして、ググって調べて
楽しんでる俺が一番偉いな。

どうせ、全員シロウト。
なんか資料みて、偉くなったような気がしてる人が一番醜い。
俺みたいに、ソクラテス先生の思想を理解して
知らないことを自覚して、知ることを楽しむ人が一番偉いぞ!(あ、偉くなってるw)

まぁまぁ両方とも、証拠が出るまでは熱くならずに
色んな説をたのしみなさいよ。
581日本@名無史さん:2008/02/02(土) 13:15:59
邪馬台国は博多に上陸したところという説は少数派ですか
582日本@名無史さん:2008/02/02(土) 15:57:14
>575は激しく×

>神武天皇に関しては、彼の曽祖父のホノニニギさんが
>高天原から高千穂(九州南部)へ降臨したとあるし
>日向三代というぐらいだから
>当然、ホノニニギさんは、九州南部へ移住しただけで
>彼の出身地は、九州南部ではなかったわけだ。

「筑紫の日向の高千穂」に降臨したんだから、福岡県ですね。
>575は0点。高天原は壱岐と思われる。
583日本@名無史さん:2008/02/02(土) 16:03:44
いままでその話題に触れていない者ですが・・・・
思われる・・・・・
だったら、相手0点って決めつけられないでしょ。
バカ?
584日本@名無史さん:2008/02/02(土) 17:57:47
>>582
0点はおまえ。馬鹿か?
585日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:02:06
自分の信じる論を絶対正しいって思ってる人
人の信じるものを完全否定する人

どっちも、愚か者ね。
考古学で結論・証拠がはっきりしてから言おうね。

よって俺は、どこでもいいから早く発見してくれ!
出来れば宇佐神宮がいいな。
聖域だから、発掘調査できない?
そんなんかんけーねー
掘り返しちゃ!
586日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:07:05
>>582
あのなw
九州は筑紫島といって、九州全体が筑紫といったんだよ。
福岡のあたりが筑紫になったのは後世だ。
よって、日向・高千穂は九州南部で
あそこに日向三代の伝承があるのは間違いない。
587日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:20:23
どんな意見を言ってもかまわないと思うが
「0点」だの「間違いない」だの言うようではよくない
588日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:33:35
たとえば自分は本当にやっていなくても、それを証明するものも証人も
いなくて孤立無援。弁護士まで、情状酌量による減刑を狙うように勧め
てくるありさま。そういう状態に追い詰められたれば、誰だって思いあ
まって、「邪馬台国は畿内にあった。」と言ってしまいそうになる。
しかし、真実は一つ。邪馬台国は現在の甘木市付近にありました。
589日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:39:12
問題は何が出たら『ここが邪馬台国!』という証拠になるかだな。
590日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:40:34
卑弥呼の墓 (たぶん大きいはず)
591日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:41:55
ひみこ☆   って書いた棺おけと、ひみこラブって書いた死体。
ウエルカム邪馬台国   って書いた看板。
592日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:47:36
ある非常に大きな勢力を持った親戚一族が
所有している土地や墓を調査できたらわかる可能性はある
593日本@名無史さん:2008/02/02(土) 20:27:33
>586

この百年間に何万回も語られた妄想がでたな。

>九州は筑紫島といって、九州全体が筑紫といったんだよ。

→まったく根拠のない妄想。未だかつて証明も立証もされなかった思いつきw
594日本@名無史さん:2008/02/02(土) 20:59:18
>>593
気持ちはわからんでもないが、やめとけよ。
みじめになるだけだ。
595日本@名無史さん:2008/02/02(土) 21:23:40
はあ?
みじめなのは、古今東西、筑紫≠九州なのに、一部の畿内説学者が妄想した
筑紫島(=筑紫)という造語で、無理やり古代史を捻じ曲げた>586だろう。

証明がいらないなら、、九州島=日本列島全部ということでOK?
596日本@名無史さん:2008/02/02(土) 22:40:19
古事記の国生みのところに、筑紫島と出てくる。この島もまた身一つにして
面四つあり。筑紫の国、豊の国、肥の国、熊曽の国と。
九州全体も、筑紫、筑前、筑後も筑紫と言っていたんだろう。
597日本@名無史さん:2008/02/02(土) 23:15:58
筑紫の日向の高千穂が、いちいち「九州島」の説明をするわけないだろ。
598日本@名無史さん:2008/02/02(土) 23:24:25
>>597
九州の宮崎の高千穂でいいんでないかい。
599日本@名無史さん:2008/02/02(土) 23:28:53
九州全体が筑紫島といわれていたのは有名な話だぞ。
ついでにいえば、日向は、宮崎だけではなくて
九州南部全体が日向だった。
600日本@名無史さん:2008/02/02(土) 23:34:44
いくらなんでも、筑紫の日向の高千穂は日向国じゃないだろ。