大河ドラマ「風林火山」を日本史版的に見る

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313日本@名無史さん
>>287
ってことは、それでも遅いと思うが仕官から10年ちょっと後か、50歳過ぎる前に考えてやれってw
・相模守>上総介は武家官途の格式(朝廷内でも大国、上国なんて有名無実で伊予守、播磨守あたりが最上だけどね)
この格式を書き記した大館常興は1540年代の生存が認められる、一応は同時代の人物
・今川が上総介なのは足利上総介家の子孫だから
・僭称だったら中央の記録に「左京大夫」で出ないよ、叙任の記録が残ってるかどうかじゃね
・正室の格は都鄙で比べても意味ない、したら若狭武田主従が最強だもの
レス乞食っぽく過激に書いたが、ようは今川はあそこまで偉そうにするほどの格じゃない
(15世紀の『旦那名字注文』でも別格なのは吉良、石堂で今川はどうってことない)

>>288
・閨閥を書いたのは氏真の無能を表現するために殊更に北条、今川の敵対関係を強調してたからだよ
・終始考証がまともだった大河なんてない、そのくせドラマとしてもつまんないから見るに価しない
後段の小学生みたいな捨て台詞は見なかったことにしてあげる

信虎を追放した晴信が家臣に「虎綱」を名乗らせるとか
最低限のふいんき、ディテールてのは気ぃつけてほしいね
三者三様に狩衣だなんだと衣装替える意味もわからん、長尾づれの狩衣はもっとわからん