♪邪馬台国 ドンと来い♪ 21

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1日本@名無史さん

ニャンと来い!
──v───
  ∧,,,,,,∧
 ミ,,´∀`彡 
  ミ   ミつ
 ミ,,,○,,,,,,,,,ミ

九州も畿内も四国も朝鮮も沖縄もエジプトもコテハンもドンと来い!
  出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。

♪邪馬台国 ドンと来い♪ 20
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1178986100/
2日本@名無史さん:2007/06/01(金) 19:51:40

















1000ならマリノス優勝
3日本@名無史さん:2007/06/01(金) 20:14:17
しばらく、この辺りを論じてみてくれ。

>國大人皆四五婦、下戸或二三婦。婦人不淫、不[女戸]忌。
>不盜竊、少諍訟。其犯法、輕者沒其妻子、重者滅其門戸、及宗族。尊卑各有差序、足相臣服。

>その習俗として、国で身分の高い者は、皆、四五人の婦人を持っていて、身分の低い者でも
>あるものは二三人の婦人を持っている。婦人は淫らでなく、嫉妬をしない。盗みはなく、訴訟
>も少ない。法を犯した場合、軽い罪の場合は妻子を没収し、重い者は、その一家と一族が
>処刑される。身分の高い者も低い者もそれぞれ序列が有り、たがいに臣服するに足りている。
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/wajin.html#top

大人の奥さん4〜5人、下戸でも奥さん2〜3人持つものがいる・・・・・。
ん? これはヘン!
だって、女性の人口が男性の数倍ほどないと、そんな構成にはならんだろ。
4九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/06/01(金) 20:15:53
あら?うちのチャチャが看板娘になったようよ。
5日本@名無史さん:2007/06/01(金) 20:22:18
>>3

男児は間引きしたのでは?
6日本@名無史さん:2007/06/01(金) 20:28:00
>>3
>婦人は淫らでなく、

えっちがキライだった? それはちとつまらんのう
婦人は淫らであっていい
7日本@名無史さん:2007/06/01(金) 20:38:32
>>3
>法を犯した場合、軽い罪の場合は妻子を没収

没収された妻子はどこへ行くのだろう。
国所有の奴隷となるのか?
そうすると法を犯した男本人はお咎めなしか。
不公平と思われ。
8日本@名無史さん:2007/06/01(金) 21:09:38
>>1  乙

|i__∩:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
| ,,.ノ ヽ、,,ヾ ̄ ゙゙̄`∩::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
| ●  ● |ノ  ヽ, ヽ:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
| (_●_) ミ●    ● i'゙ ゙゙゙̄`''、,i::::::∩::::::::::::::::::::::::::::::::
|  |∪|  ノ (_●_)  ミノ  ヽ ヾつ  ヽ:::::::::::::::::::::::::::::::::::::
|  ヽノ   ) ヽノ  ノ●   ● i|  ● |゛゛`⌒):::::::::::::::::::::::::::::
ミヽ_  {ヽ,__   )´(_●_) `,ミ_●_) ミ ● |---っ__○::::::::::::::::::::
| ヾ    / ヽ    /  ヽノ  ,ノ |∪|  ノ ) ミ工)・|ェ)・)・|゚∀・)ノ::::::
9九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/06/01(金) 21:11:31
>>3
倭国大乱の戦争で男子の人口が極端に少なくなった為に婦人が余り、
救済の為一夫多妻にしたんでは?
10日本@名無史さん:2007/06/01(金) 22:19:10
あっ! ドンコイだっ!!

記念真紀子。
11九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/06/01(金) 22:40:19
このようにドン来いは人々に愛されてるのね。
でも>>9に僕が書いた内容はどこか他の国でもあったと聞いたような気が。

12日本@名無史さん:2007/06/01(金) 23:32:02
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13日本@名無史さん:2007/06/02(土) 04:53:03
>>3>>5>>9
倭人伝記事の対象であったと見られる3世紀半ばからすると、倭国大乱はもうすでに
二〜三世代も前の話で、ですがが言う通り当時の戦いで一時的に男性寡少に陥っ
たとしても、西暦250年頃にはふたたび男女同数にまで回復していたと思う。

江戸時代は口減らしのため間引き=嬰児殺害が行われたが、それは圧倒的に女児。
労働力になる男児は生かし、将来妊娠する可能性がある女児が犠牲となった。

古代でも同様の考えはあったと思う。
弥生期の、乳幼児用と思われる小さな甕棺・壺棺はアヤシイ感じがする。

しかし、そうすると人口比は男性が大になって、一夫多妻制がいっそう難しくなる。

おそらく下戸の男性の多くは、生涯の独身を余儀なくされたのではないだろうか。
下戸男性の約1割が2、3人の妻を持ち、4割は一夫一妻。そして残り5割の男は一生
妻を持てなかった──、だいたいこういう計算で辻褄が合うと思うが。
14九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/06/02(土) 08:31:04
>>13 「ですがが言う通り」とは何!「ですがが言う通り」とは!
「倭国大乱はもうすでに 二〜三世代も前の話で、」ってせいぜい80年前後。
そんなに簡単に人口回復するわけないでしょ。
「弥生期の、乳幼児用と思われる小さな甕棺・壺棺はアヤシイ感じ」
カルタゴのバアル神への生贄じゃないんだから。
当時は乳幼児死亡率が極端に高かったの!
つくりばなしはやめてね。
15日本@名無史さん:2007/06/02(土) 18:16:46
>>14
ですが、怒るな。チャチャが笑うぞ。
俺は男女人口比の変化を言っているのであって、全人口の回復を
問題にしているのではない。

80年の時の経過があれば、男女の人口比の一時的なアンバランスは、
必ず回復する。
戦争等で一時的に男性寡少社会になっても、女性が産む赤ちゃんは
常に男女比五分五分の確率である。

終戦の時点で仮に1対9というアンバランスな男女人口比であっても、
80年後にはこの人たちはほとんど死んでしまい、その後に生まれた
人々が新たな人口構成を形成するのである。
16九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/06/02(土) 19:01:13
>>15
うちのチャチャは笑ったりしない。
いつもびっくりだぬきのような顔をしている。
そして愛称はオチャポだ。これは「お手ポンごっこ」というのが得意だからだ。
「お手ポンごっこの上手なチャチャ」が短くなって「オチャポ」になったのだ。
17九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/06/02(土) 19:01:55
>>15
うちのチャチャは笑ったりしない。
いつもびっくりだぬきのような顔をしている。
そして愛称はオチャポだ。これは「お手ポンごっこ」というのが得意だからだ。
「お手ポンごっこの上手なチャチャ」が短くなって「オチャポ」になったのだ。
18九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/06/02(土) 19:03:27
2度書き込みは手違いです。
19日本@名無史さん:2007/06/02(土) 19:34:19

手違い、ニャハハ!
──v─────
  ∧,,,,,,∧
 ミ,,´∀`彡 
  ミ   ミつ
 ミ,,,○,,,,,,,,,ミ
20日本@名無史さん:2007/06/02(土) 19:51:19
>>13へ自己レス。
>おそらく下戸の男性の多くは、生涯の独身を余儀なくされたのではないだろうか。

そうすると気になってくるのは、性欲の問題である。
古代の成人男性が、セックスに対し、とくに淡白であったとか、禁欲を苦もなく
我慢できた、などとは思われない。性欲は人の本能であるゆえ。

しからば、妻帯できなかった男たちは、どのようにして性を満たしていたのであろう。

(1)、既婚の女性、すなわち人妻とこっそり。
(2)、未婚の女性たち、すなわちもっぱら少女たちが相手。
(3).娼婦がいた。
(4)、男性同士で性欲の処理をした。

誤解しないでほしい。俺はまじめに日本史に取り組んでいるつもりである。
上記の中でとくに(3)はかなり考慮すべきだと思うが、どうだろう。
21九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/06/02(土) 20:23:52
>>20
以前は日本でも田舎は楽しみが少ないので、公然と夜這いのような事が行われていた。
それが青年団主催のように集まって行われていたという。
まあそれに似たようなことが行われていたことだろう。
しかし「風俗は淫らならず」とあるから夜陰にまぎれてこそこそと行われていただろうが。
22日本@名無史さん:2007/06/02(土) 21:40:31
邪馬台国は女が多かったのさ。
何せ、一人の男が何人も女を抱えているから。
で、あぶれた男どもは国外追放さ。
そんな、もてない男たちが作った国が狗奴国だ。
だから、仲が悪かったんだな、きっと。
23日本@名無史さん:2007/06/02(土) 21:48:13
ねえねえ、ですがさんって、どういう関係のお仕事?
24九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/06/02(土) 21:50:31
>>23
なんで?
25日本@名無史さん:2007/06/03(日) 02:25:37
恐らく下戸の男性は酒に弱かったのだろう
26日本@名無史さん:2007/06/03(日) 07:32:31
ですがのアクセスタイムって、二十四時間くまなく分布してるよね。
27九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/06/03(日) 07:41:59
昨日のように土曜日がたまにお休みになったりする。
後は病気だったり都合で早引きしたりしたとき書き込むくらいで
平日は5時以降じゃないと殆どできるわけが無い。
何でそんなことを疑問に思うか解らんが。
28日本@名無史さん:2007/06/03(日) 08:48:27
ニヤニヤ
29日本@名無史さん:2007/06/03(日) 10:15:05
確かに8時〜17時は書込みが少ない。
まさか、一晩中PCに張り付いていて、昼間は寝てるとか・・・・

89 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/03/15(木) 11:02:25
247 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/03/16(金) 05:02:02
334 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/03/17(土) 20:30:24
365 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/03/18(日) 02:23:21
503 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/03/19(月) 17:13:29
534 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/03/20(火) 15:24:56
565 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/03/21(水) 03:03:39

46 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/04/04(水) 05:39:54
55 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/04/05(木) 02:45:48
90 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/04/06(金) 22:51:51
95 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/04/07(土) 07:07:09
119 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/04/08(日) 05:39:43
299 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/04/09(月) 15:20:49
338 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/04/10(火) 04:56:37
30九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/03(日) 11:02:13
>>29下らん書き込みすな!
夜にトイレ起きして何時間もそのまま眠れなくなって
逆に昼間仕事で眠くて苦しんでるのを逆手にとってからに!
うちはバカ猫ピヨちゃんという知恵遅れかと思われるのがいて夜中だろうが泣き出したら
こっちが目が覚めるまで泣き止まないから、夜熟睡出来ずに万年寝不足でしかも寝ようとしても
寝れないからPCを開くだけのことであって。
31日本@名無史さん:2007/06/03(日) 11:06:10
実は九州ですがも猫なんですよ皆さんッ!
32日本@名無史さん:2007/06/03(日) 11:21:46
トリがいつものと違う・・・
33日本@名無史さん:2007/06/03(日) 11:28:25
何時に書き込もうがそんなことどーでもいいから、
3世紀倭国の社会制度について論じてください。
34日本@名無史さん:2007/06/03(日) 11:28:29
女王国は出雲、クナ国は巻向。
35日本@名無史さん:2007/06/03(日) 11:30:47
>>34

またややこしいヤシが出てきたぞ
36日本@名無史さん:2007/06/03(日) 11:32:41
>>34
論拠どぞ。
37日本@名無史さん:2007/06/03(日) 11:41:17
ニャーニャー
38九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/03(日) 11:46:39
>>34の根拠は昨晩見た夢だそうです。
39日本@名無史さん:2007/06/03(日) 11:54:05
偽九州ですがタン乙津
40日本@名無史さん:2007/06/03(日) 17:53:21
弥弥か弥弥なりは女だろ?女性の官もなきにしもあらず。女性につける名前だよ。亜弥とか。
41日本@名無史さん:2007/06/03(日) 17:57:48
卑弥呼はシングルマザーじゃん!未婚で娘。がいた。旦那となる王はココチヒクにころされたのかな?何故未婚で娘がいたか記載されてない!
42日本@名無史さん:2007/06/03(日) 18:13:01
ただ一人、寝所に入れる男が居ると書いてあるだろう。
政務を委ねていた弟でも入れないところだよ。
どういう男なのか考えてみたまえ。
43九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/03(日) 21:37:15
中国に倣って宦官じゃないの?
秦の始皇帝も道教の教えに従って皇帝になった後、人々の前に姿を見せなくなったといわれている。
卑弥呼も道教の影響を受けていたと思われるが、倭人伝にいう鬼道と呼ばれるものが黄巾と考えられている。
そもそも古代の埋葬で朱を塗るのは中国の思想の影響であり、朱は道教で高貴なものを表す、
とされている。
44日本@名無史さん:2007/06/03(日) 21:57:51
俺も道教を理由に部屋に引き籠もろうかな?道教を極めるので部屋の前にご飯だけおいといて なぁんてね。
45九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/03(日) 22:07:06
いいかもよ。
どうして引き篭もってるの?と親や教師に咎められたら
「道教の教えに従っているのでござる」
なんていう学生がいたら頼もしいかも。
46九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/03(日) 23:47:27
ついでに言うと、道教の影響は鳥居にも見る事が出来る。
古来から屋根や門に鳥が止まるのは大変縁起がいいとされた。
これは太古の昔、航海の民としての記憶が残ってるもので
僅かな食糧を積み、大海原をめざしての航海中に舟に鳥が止まると
島などの陸地が近い事を喜んだ事からそれが道教に取り入れられたという。
47太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/03(日) 23:55:06
西遊記は道教宣伝の書であるそうな。w

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・・
48九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/04(月) 00:23:19
そうなんですか。知りませんでした。
49日本@名無史さん:2007/06/04(月) 01:52:30
東勝神州だもんな
50太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/04(月) 08:03:11
窪さんの「道教史」は全部読んだが、ほぼ内容を忘れちゃったが、なかなか
良かったと思う。太一と全真の話はちょいと思い出すが〜?

「魏」の字のヘンは『委』、ツクリは『鬼』で、委奴と鬼道を想い起こす。
鉄剣の銘文の崇神示唆の「斯鬼宮」の『鬼』字と関連があるのか? 倍暦計上で

 崇神即位元年=景初元年=237年

となるよ。さらに

崇神崩御=259年

の結果を得た。古事記の崩年干支の258年と1年違いだ。この ズレは
なんらかの事由があるのだろう?
51日本@名無史さん :2007/06/04(月) 10:16:22
黄巾党の残党が日本列島に移住して、一大勢力となり、
道教思想により、倭国の30国を和平協定し、その祭祀
の筆頭に卑弥呼がいた・・・

想像する太古のロマン
52日本@名無史さん:2007/06/04(月) 12:12:45
製鉄=鬼
53日本@名無史さん:2007/06/04(月) 12:22:11
おまえらさ、倭国大乱とかいっても
どの程度の乱だったのか明確にはわからんのよ。

よって、倭国大乱だったから、どうたらという歴史解釈は
止めたほうが良いと思うぞ。
弥生時代の始まりは2300年前からという説も
倭国大乱という曖昧な記述を元に土器編年でやった結果だから。
現在では、年輪年代測定方法などで、年代が覆りつつあるわけだし。
54太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/04(月) 12:27:01
>>52
鬼に金棒か〜?w なんで?
55日本@名無史さん:2007/06/04(月) 14:13:25
>>20
当時の妻妾は経済的に自立していないことが容易に推定できるので
夫が死亡した場合には当然どこかの経済力のある男性のところへ
おそらく遊郭の御身受けのような形で引き取られていったのだろう

おそらく男性初婚・女性再婚のようなケースは多々あるかと
56日本@名無史さん:2007/06/04(月) 14:56:55
>>53
倭国の大乱というのは、ほとんどの中国の史書に登場している。

桓、靈間、倭國大亂、更相攻伐、歴年無主 (後漢書)
漢末、倭人亂、攻伐不定    (晋書)
漢霊帝光和中、倭國亂、相攻伐歴年(梁書)
靈帝光和中、其國亂、遞相攻伐、歴年無王(北史)
桓、霊之間、其國大亂、遞相攻伐、歴年無主(隋書)
などなど。

そして、だいたい全書に、及ち卑弥呼という一女子を共立するとある。

乱れるというのは、戦争状態を表していると考えられるし、ほかに乱れると
言うような記述はないので、これが突出して大きな戦いだったと考えられる。

では、倭国の大乱とはどうして起きたか。これについて、倭人伝や晋書には
その国はもともと男子を持って王となすとある。つまり、跡継ぎをめぐる
争いと考えられるわけである。
卑弥呼が死んだあとも跡継ぎをめぐる争いで、千人が死んだとある。また、
中世の戦国時代も足利将軍の弱体化によって起きる。
そう考えることによって、『卑弥呼の共立』の意味もわかりやすい。

また、倭国の大乱の時期は、「桓、靈間」「漢末」「漢霊帝光和中」などと
書かれており、霊帝の時代は西暦168年から184年までなので、この間辺り
ではないかと考えられる。光和は、178〜183年になる。
57日本@名無史さん:2007/06/04(月) 15:07:20
>>56
ただ、その殆どの中国史書といっても
それぞれが独自のソースで得た情報ではなくて
ある史書の情報から憶測で書いたものもあるから
明確には分からんのよ。
58太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/04(月) 15:20:40
倍暦計上によると、靈帝の時代は日本の孝靈天皇の御世に相当している。
そのころ大乱があったことになる。

開化〜崇神世あたりが実の倭人伝の卑弥呼の時代。
59日本@名無史さん :2007/06/04(月) 17:03:10
欠史八代の孝靈天皇などは、存在すら疑問視されて
いるのに、あたかも存在するような記述はやめてくれ
60日本@名無史さん:2007/06/04(月) 17:51:33
>>58
大乃国さん的には神武天皇の生没年はどのくらいなのよ?
61太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/04(月) 18:06:41
>>59
津田病はやめてくれ。安麻呂も舎人もいると記述にかかわってるんだ。

>>60
神武天皇誕生 B.C.51年    同崩御 A.D.26年
62日本@名無史さん:2007/06/04(月) 21:04:33
>>53  年輪年代それ自体の問題点
1、年輪年代の基礎数値が公表されていない(第三者による検証不可能)。
  これまで発表したもので、第三者による検証を受けたものはない。

2、基礎数値の適用方法も不明
  地域(どれくらいの範囲で類似性が認められるか)
  場所(山の北面と南面で同じ年輪幅なのか)
  平均値からの偏差の許容値(どこまでの偏差で断定するのか)

3、基礎数値をつくるもとになった木材の1本1本について
  A、その伐採(発見)された場所(近畿、四国、東海など)
  B、それが山の南面か、北面かなど
  C、水源からの距離
  D、群生していたのか、孤立していたのか
  E、その他の事情
  などのデーターを公表する必要がある。
  
現状では、データーの公表もされておらず、結論のみが言われている状態なので、
これを正面から根拠にする学者はいない。
このような結論のみの発表を許容するマスコミなどにも問題がある。
63九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/04(月) 21:19:42
>>56
倭国大乱は吉野ヶ里遺跡を見れば解るようにかなり激しい攻撃の応酬だったと思うが
原因については跡目争いではないと思う。邪馬台国連合30カ国も元々連合していたのではなく、
戦国時代のような混沌とした水や土地の奪い合いなどの勢力争いが元で勃発し
戦いに疲れた各国は談合し卑弥呼を女王に据えて団結する事にした。
「元々男子を王としていた」という文言は、ちなみに、という事であって他意はないと思う。
「倭国大乱し女王が立つと国が治まった」というのが王族の跡目争いに起因するものならば
「xxx王が滅ぼされ、女王卑弥呼が勝利した。」ときされるべきではないか。
勢力争いに負けた方も歴史に名を残すことになると思う。
ただ、倭国大乱の範囲については北部九州限定だったかもしれない。
64日本@名無史さん:2007/06/04(月) 22:21:54
大乃国に聞いてんのに・・・太国が答える件
65太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/04(月) 22:29:22
何を聴くんだ? 余は大之国のコテハンではないぞ。
66九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/04(月) 22:43:36
>>62のE
TVでドキュメンタリーやってたけど木を切り出して20〜30年は海水に浸けるんだと。
その後に材木として始めて加工して柱などに使われる。
切り出してすぐに使われたどうかさえ不明だ。
67九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/04(月) 22:53:13
>>59
孝靈天皇の存在が疑問視されるとしたらその皇女のモモの存在はどうなるんでしょうか?
モモの存在が疑問視されるとしたら箸墓の被葬者は一体誰になるんでしょうか?

68日本@名無史さん:2007/06/04(月) 22:53:18
式年遷宮の用材は前回の遷宮の直後に伐り出される
69九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/04(月) 22:54:58
弥生時代の話ですけど?
70太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/04(月) 23:07:36
稲荷山鉄剣の銘文に孝元天皇の皇子のオオビコの名があるんだから、
雄略からさかのぼる代数の合理性などから孝元の王子の大彦で
あるとの可能性が強い。「斯鬼宮」も四道将軍大彦と有関係と
云えるシキの瑞垣宮ということになり、その論拠が補強されたこと
になる。

孝元の父は孝靈天皇であるから、遠回しに実在の可能性が強まっ
たこととなり、ならば堂々と論じてよろしい範疇のものであるから、
これを書きこむななどというのはビシッと却下すべきである。
71日本@名無史さん:2007/06/04(月) 23:36:05
欠史八代は存在が疑問視されているというよりは
考古学的に検証が不可能だってだけだから、
いませんでしたという意味ではない。
72sage:2007/06/05(火) 00:22:22
73日本@名無史さん:2007/06/05(火) 00:29:57
>>41
そのあたり天照と被るな。多かったんじゃねーの?そーゆーの。
74日本@名無史さん:2007/06/05(火) 06:40:50
>>71
崇神はハツクニシラススメラミコトと呼ばれ、その治績が大いに語られているが、
その前の八代には治世にかかる記録が何もない。

別に崇神に親や爺っ様がいなかった、なんて考えるやつはいない。
稲荷山鉄剣銘みたいに直系八代の系譜が語継がれている例もある。
八代が崇神の先祖の名を記録したものである可能性は強い。

つまり、八代は、その存在が疑われているわけではない。
崇神の直系尊属ではあるが、崇神のように「王」として君臨した存在ではないと
いわれているだけ。
75日本@名無史さん:2007/06/05(火) 15:42:49
神社伝承では、九州に神社には
神武天皇の伝承は残っているが、その次の天皇となると
七代目の孝霊天皇まで伝承が残っていない。
いずれにせよ、孝霊天皇はモモソヒメの父親であり
古事記には、欠史八代では唯一、行跡が記されている天皇だ。
おそらく、2代〜6代の天皇の時は、少なくとも
九州の統治権は失っていたはず。
76太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/05(火) 15:48:41
黒田宮←→白日別
77日本@名無史さん:2007/06/05(火) 20:52:18
>>20
後漢代から日本にも伝わっている方格規矩鏡のデザインは、
セックスに関する古代の神秘的思想を秘めているように思われる。


・方格規矩四神倭鏡(愛知県犬山市東之宮古墳6号鏡)
http://ukigami.com/kohun/archives/images/kagami-h06.jpg
※TLV文のTが規(コンパス)、L・Vは矩(さしがね)

・コンパスを持つ女〓(じょか)と、さしがねを持つ伏羲(ふっぎ)の交尾図
http://www.takenaka.co.jp/daiku/shaku/sha04.JPG
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/illustrate1.gif
※〓女ヘンに咼
78日本@名無史さん:2007/06/05(火) 23:11:57
(;´Д`)ハァハァ
79日本@名無史さん:2007/06/06(水) 03:50:07
>>20へ自己レス。
俺は、卑弥呼に仕えた千人の婢は、卑弥呼を頭と仰ぐ巫女の集団だったろうと思う。
そして彼女達は娼婦的行為をもいとなむ存在──「巫娼」ではなかったか。

−−−−(以下引用)−−−−諏訪春雄(学習院大名誉教授) 「王権の文化史 遊女」−−−−
(前略)
「性は聖であった」という巫女説の論拠はみとめられなければなりません。
ただ、私はその聖なる性の本質を、巫女説論者のように神の嫁論だけでは説明できるとはかんがえません。
性が神聖であるのは、性が本来神とかかわる行為とみられたからです。そして、性と神との関連はつぎの四つのばあいがありました。

   1 神の嫁    2 供犠    3 神の教示    4 生殖信仰
(中略)
性の聖性は神の嫁論だけで説明しきれるものではありません。すくなくとも以上の四つを考慮しなければ全容は解明できません。
世におこなわれている遊女の起源論が、巫女=神の嫁論一色に統一されていることは大きな偏りです。
性にまつわる人類の信仰のすべてが集約されて、遊女の聖性の観念を生み、その誕生を準備したとみなければなりません。
http://www.haruo-suwa.jp/tuusinn220_229/tuusinn224.html
80日本@名無史さん:2007/06/06(水) 19:57:03
>>78
なんでハァハァ してるの?w

ところで太国 ◆yVAs7uaYlYちゃんさあ、これなんて読むの?
1:たこく
2:ふとくに
3:おおのくに
81九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/06(水) 20:35:16
キリスト教が広まる前のヨーロッパでは皆で集まって宴もたけなわになった頃
次第に乱交パーティーになっていったたんだそうな。
まあ、このような古ゲルマンの風習はキリスト教と相容れるわけもなく
やがて邪教扱いを受けるに至る。その中心的存在で運勢を占ったり薬草を大釜で煮て薬を作り、
皆の心の拠所になってきたおばさんはキリスト教社会から「魔女」と決め付けられ
火あぶりになったりした。おばさんはなぜか黒猫を飼ってることが多く
黒猫は魔女の使いとされ忌み嫌われた。かわいそうに・・。
うちのチャチャも黒猫だけど、黒猫ってとっても臆病で温和な性格なんだよね。
偏見ほどおそろしいものはない。
82日本@名無史さん:2007/06/06(水) 21:08:04
83日本@名無史さん:2007/06/06(水) 21:20:23
>>81
ノルウェーやスウェーデンでは、現代でもその手のパーティーは存在するよ。
バイキングが伝えた風習らしく、参加者の中から一人だけ選ばれる主宰者は、
兜と剣を持って臨むらしい。

五木寛之のスカンジナビア三国を題材にした私小説風短編に類似の催しの場面が登場する。
84日本@名無史さん:2007/06/06(水) 21:25:32
85日本@名無史さん:2007/06/06(水) 21:27:59
(;´Д`)ハァハァ
86九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/06(水) 21:45:25
>>83
では北欧のフリーセックスは古ゲルマンの遠い文化の継承だったわけね。納得。
そういえばボルグンドの教会のデザインも古ゲルマンのジークフリートの文化そのものだったりする。
87九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/06(水) 22:34:22
そういえばマキムクスレもじりひんね。
畿内説はたまに入ってきてもおかしなのばっかり入ってくるし。
おねがいはあとちゃんとか。
88日本@名無史さん:2007/06/06(水) 22:51:38
>>86

日本だって古代には「歌垣」や「かがい」と言う風習があった。
近世でも「夜祭」とか称して類似の集いは開かれていたところも多いよ。
中国江南や東南アジアにも色濃く残っている風習だ。
モンスーン気候の米作民には基本的な習俗だったと思われる。
邪馬台国でも当然行われていただろうが、何故か倭人伝では「淫ならず」とされてるね。
89日本@名無史さん:2007/06/06(水) 23:03:18
90九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/06(水) 23:06:05
>>88
そうそう。ある時うちの親父が田舎の合コン?の風習を知ってびっくりしていた事を思い出す。
倭でもかなり性に対してはおおらかだった事だろう。しかし言われるとおり「風俗は淫らならず」だし。
こりゃひょっとして「風俗は淫ら」の意味が違ってるのではなかろうか?
あくまでも人前で女が乳をブラブラさせていないとか、男も裸でペニスキャップのみのいでたちではない
といったことを「淫らならず」と表現しただけかも・・。まさか「Hはお好きですか?」と住民にアンケートとるわけにもいかないしねえ。
91日本@名無史さん:2007/06/06(水) 23:58:44
魏がなにもんかだよなw

中国が半島と一緒に倭人呼ばわりで煽ってくれりゃぁ、安心でき
るんだがなw
92日本@名無史さん:2007/06/07(木) 00:03:51
>>90
「其風俗不淫」の判断根拠は後段の文章から推定できる。

 >婦人不淫、不「女戸」忌。

 一夫多妻制下にあって婦人は淫らではなく、嫉妬もしないと言う点だね。
 多妻制自体が儒教的にはどうかと思うが、「嫉妬」しない「女性」の存在が評価されたんじゃないかな。
93九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/07(木) 00:10:38
>>92
なるほど。
94日本@名無史さん:2007/06/07(木) 00:17:45
すごい勉強になった
95日本@名無史さん:2007/06/07(木) 00:27:09
>>89

ゆーつべリンク、乙。ww

こどもの声で、「ママ、あれ何してんの?」はワラタ。ww

ママのお答えの声は入ってなかったみたいだね。
96九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/07(木) 00:44:27
でもね、>>79
「俺は、卑弥呼に仕えた千人の婢は、卑弥呼を頭と仰ぐ巫女の集団だったろうと思う。
そして彼女達は娼婦的行為をもいとなむ存在──「巫娼」ではなかったか。」

これは違う気がする。卑弥呼をはじめとして使えていた女官達は禁欲生活を強いられていたと思うけどな。
97日本@名無史さん:2007/06/07(木) 00:48:36
>>95
>ママのお答えの声は入ってなかったみたいだね。

(*´д`*)ハァハァ    (←ママ)
98九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/07(木) 00:52:20
>>96続き
実際航海のとき持衰は禁欲を強いられた。
旅の途中で禍が起こると実を慎まなかったせいだとして殺されたりした。
国民の生死に関わる吉凶を占う卑弥呼も極端な禁欲を強いられた事だろう。
それこそ卑弥呼が宗教でクニグニを治める「力の源」だったのである。
99九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/07(木) 00:59:18
あらー地震があったんだ。全く気づかなんだ。
100日本@名無史さん:2007/06/07(木) 01:08:19
100
101日本@名無史さん:2007/06/07(木) 01:47:18
邪馬台→山口県山口市から長門市。投馬→防府市玉祖郷。クナ(河野国)→愛媛県。
102日本@名無史さん:2007/06/07(木) 02:46:33
>>98
卑弥呼と持衰の共通性を認める考えは、私も賛成です。

神に仕え夫や家族を持たず生きる神官(巫女)というのは、自己の犠牲の上
に権威を獲得したと言えるのですが、一方、持衰も徹底した自己犠牲の上に
その信仰が成り立っています。

航海の危険から生じた信仰である持衰が、信仰の対象である卑弥呼の存在に
つながると考えると、信仰に南方的要素も含まれているとも言えます。
103九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/07(木) 03:42:20
>>102
うーん。考え方がさすがです。
104日本@名無史さん:2007/06/07(木) 19:44:37
>>79へ自己レス。
記紀とくに古事記には、ずいぶんとセクシュアルな記事が載っている。
天の岩戸(岩屋戸)神話ではアメノウズメがストリップじみたことをしたという。
http://www3.ocn.ne.jp/~kmitoh/gensou/xiwato.html
http://www.k5.dion.ne.jp/~ikkaku/LOVELOG_IMG/83A838183m83E83Y8381.jpg

これは単に想像の産物であろうか。
それとも実際にそのようなことが日本の古代社会で現実にあったのであろうか。
あったとしても、それは一回限りのハプニングだったか。

俺はこう思うのである。
女性が裸に近い身なりで舞い踊る、、あるいは舞い踊りつつ服を脱ぎ
男の目の前で裸形をさらすアメノウズメのような行為は、
奈良朝以前の古代日本において、しばしば行われていたのではないか、と。
そして、それを担ったのは、もちろん巫女であったろう、と。
105日本@名無史さん:2007/06/07(木) 19:51:11
(;´Д`)ハァハァ
106日本@名無史さん:2007/06/07(木) 21:06:01

天宇受売命
この字も意味深な感じがするが、天産女命と(勝手に)変えると
いかにもありそうな音になる。アメノウズメって何の神様だったのでしょう?
107九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/08(金) 14:29:44
考古学の年代測定は確定しておらず、いつまで経っても答えの出ない迷路のようなもの。
しかし九州説者の中にもこちらを無知呼ばわりして我田引水の議論に引き込もうとする輩がいる。
知ったかぶりして論議の手を広げすぎ、答えの出ない薮の中に入り込んでいる。
その結果、焦点がぼやけてしまい、肝心なポイントを見逃して議論を霧散させてしまっている。
畿内説者よりもっと悪質。同じ九州のどこに住んでいるかは知らないが
こんなお馬鹿がいるかぎり九州の発展は望めないだろう。
まず基本的な議論から始めるべきであって「程度が低い」などとうそぶくべきではない。
今ここのスレには出てないようだが。105ちゃんは少し変質者ですか?

それから何故このような時間に?と思う人へ。
早引けしたようよ。蕁麻疹もしくは、はしかに罹ったようよ。
108九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/08(金) 16:26:12
まずは倭人伝記載の方向に関する記述が間違っていない事をはっきりさせる事だ。
方角を測定する場所などによって多少のズレはあったかもしれないとしても90度の大きなズレではなく
投馬国の方角は大分県方面になる。大分には耶馬溪=ヤマ国、把利国=杷木町などの邪馬台国連合の
比定国らしきものが多く、中でも注目しているのは躬臣(くし)国。
これは玖珠町{くす}と思われ同音の九重{くしゅう}までも含んだ広範囲な大国ではなかったかということである。
これらのクニグニの南には狗奴国が隣接していて侵入などによる小競り合いが頻発していたものと思われるが
そうだとすると狗奴国と境を接していた奴国はかなり南部にまで入り組んでいたとも考えられる。
109日本@名無史さん:2007/06/08(金) 16:35:39
>>107
>それから何故このような時間に?と思う人へ。

年金受給者のデイトレーダーもいるよ。
110九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/08(金) 16:46:10
>>109
それも立派な参加理由じゃないの?
僕は日頃あくせく働かないと生活できないから、そういう人は羨ましいかも。
家に財産があって遊んでいられる人は羨ましいけど、まあ昔からそういう人のことを
石潰しと呼んであんまり褒めたりすることは無いみたい。
111九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/08(金) 16:56:43
>>108
>投馬国の方角は大分県方面になる。
断定できないよ。
僕の推論では有明海西岸・筑後川左岸地域となる。

>狗奴国と境を接していた奴国
これも断定できないよ。
遠絶で不可得詳なクニグニとは、邪馬台国へのルートから外れたクニグニであると僕は思う。
112九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/08(金) 17:06:36

>>111の間違い修正

誤:有明海西岸
正:有明海東岸
113日本@名無史さん:2007/06/08(金) 17:08:48
責任をとって死ぬことを「自殺」と書いて「じさい」と読むが、
ひょっとするとルーツは「持衰」か。
114九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/08(金) 17:18:18
>>113
その様な想像は楽しいね。
裏付が取れるまでは。
115九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/08(金) 17:27:25
>>111
これはちょっと言葉足らずだったかも。畿内説の一部の人間が言うように
九州に上陸した後、伊都国から奴国までの方角のズレを90度とし、
投馬国を畿内方面に修正することはありえない、という事。
投馬国は有明海を南下し九州西岸とするが、もっと南部だろう。
水行二十日の捉え方が違ったのかな確か。
僕は女王国のみが帯方郡からわざわざ距離日数を特筆するものと考えているので
それ以外は帯方郡は絡んでいないと思う。
つまり水行二十日はフミ国から南へ二十日の距離、という事。
116九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/08(金) 17:40:25
>>113
持衰はある意味生贄に近いんじゃないの?
自殺は人生に絶望して生きる勇気をなくし自らの命を絶つのと、
責任を取って切腹するのとではだいぶ意味が違う。
こないだの大臣がそうだよね。同じ九州人としてガッカリ。
117日本@名無史さん:2007/06/08(金) 19:12:22
魏志倭人条もそうですが、後漢書の記述にも着目すべきではないでしょうか?

自女王国 東度海千余里 至拘奴国 雖皆倭種 而不属女王
自女王国 南四千余里 至朱儒国(以下略)

女王国の東に拘奴国があり、女王国の南に朱儒国があると明記されてます。
里数の定義をよく知らないのですが、一里を400mとすれば400km。
九州〜近畿の距離とケタ外れな違いでもありません。
700kmぐらいでしょうか?誤差の範疇かと。
118九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/08(金) 20:09:25
>>117
「東度海千余里 至拘奴国 」などは倭人伝と明らかに相反する部分であり、
倭人伝の「伊都国、奴国〜此れ女王国の境界尽きる所。其の南に狗奴国有り」
の記述の距離と方角のほうが具体性があり信憑性がある。奴国などの邪馬台国連合国のすぐ南に
拘奴国は隣接していたと考えるほうが自然で、中国が仲介できるような所、
言い換えれば中国の息がかかっている場所、ということになり、
畿内より九州の可能性がかなり高い、という結論となる。
119九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/08(金) 20:28:26
>>111「>狗奴国と境を接していた奴国 これも断定できないよ」

倭人伝に「奴国〜此れ女王国の境界尽きる所。其の南に狗奴国有り」
とあり、「邪馬台国へのルートから外れたクニグニ」くらいを「遠絶で不可得詳なクニグニ」
などと記するわけが無い。そこにこそ連合30カ国が存在しているのだから。
伊都国にいる一大率が十分回遊できる範囲であり、不詳などという事は無いはずである。
120日本@名無史さん:2007/06/08(金) 20:37:30
>118
邪馬台国を畿内、拘奴国を東国とすれば、
「東度海千余里 至拘奴国」
 →紀伊半島から東に渡海すると記しているとすれば頷ける。
「伊都国、奴国〜此れ女王国の境界尽きる所。其の南に狗奴国有り」
 →女王国の版図が本州中部までとすれば頷ける。
 →奴国が信州・群馬あたりだとすれば、関東平野南部は南に当たる。
121九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/08(金) 20:51:29
>>118続き「自女王国 東度海千余里 至拘奴国」

第一、邪馬台国と海を隔てて狗奴国があったとしたら倭人伝の「相攻撃」の記述から
舟で往来する事となり海戦という形になる事もあろう筈である。
しかし伝では、邪馬台国に近づくにつれ海でなく陸地に分け入るような印象を受ける。
実際、女王国に津、港があったという記述が無いことは重要であり、
海から程遠かったのではないかと思われる。
122九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/08(金) 21:07:51
>>120
その様な広大な範囲に邪馬台国が広がっていたとしたら
大和朝廷が統一する前に日本は殆ど統一されていた事になる。
それらの各比定地に邪馬台国の伝承が残っていない事も不思議であるが、
それでは伝の「遠く離れている為、詳しく述べる事が出来ない」地域、
というのが殆ど無くなってしまうのではないか。
奴国が女王国の境、の奴国は九州北部の倭の奴国のことであり、
伊都国の南に女王国がある、という事は伝の「女王国の北には一大率を置いて」
「伊都国には一大率がいる」の記述からあきらかであろう。
123九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/08(金) 21:18:33
しかし、一応九州説さんは最近見ないけど、
彼の主張は九州王朝大好きさんとどう違っていたのだろう?
124日本@名無史さん:2007/06/08(金) 22:51:57
>>122
>各比定地に邪馬台国の伝承が残っていない

古墳だって200年もすればだれの墓かわからなくなっちゃうんだから
伝承が消えても致し方ないかと
125日本@名無史さん:2007/06/08(金) 23:13:49
>122
邪馬台国の版図って言い方が面の支配領域を示唆してしまったけども、
実態は点と線で出来上がった飛び地国家かも
精々通商連合ていどのクニ間の関わりだったが、それが結構重要で
盟主卑弥呼が魏に朝貢して鉄の輸入ルートを確保し、そのネットワークに各クニがぶら下がっていた格好
鉄を支給する代わりに、玉とか真珠などを配下のクニから納めさせ、貢物に充てていたのかも
特産物って意味では、版図が連続しているよりも遠方の産地に分散割拠しているほうが利便があるわけだし
126九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/08(金) 23:15:51
>>124
でも何一つ残ってないと言うのはおかしいんじゃないの?
九州には高天原伝説があって天皇家の御先祖の発祥の地という事になってるし。
歴史は勝者が作るものだから、それが無いということはひょっとして・・・。
これからは王朝説さんたちの領分だけど。
127九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/08(金) 23:41:45
>>125実態は点と線で出来上がった飛び地国家かも

逆に僕はそれでどのような連合国家が出来るのかどうも頭に思い浮かばないんだけれども。
日本が統一された後なら戦国時代のようにクニを越えて移動するのも自由だったかもしれないが
弥生時代は小さなクニが単位だし敵対するクニの合間を縫うように移動しなければならない事になるだろうし。
別のクニに入り込んだとたんに弓矢の雨が降るくらいの警戒状態だったと思う。
邪馬台国連合は30カ国程度。少なくとも後70カ国は敵対しているだろうし。
128日本@名無史さん:2007/06/09(土) 00:15:57
全てが敵対と見るのは安直な気がします
戦争すれば双方共に戦死者が出るわけだし、
友好←→微妙な相互無視の関係←→敵対 と段階的に付き合いレベルがあったと思うんです
人間関係もそうでしょう?
戦国時代だって商人は街道を行き来していましたよね
大名間だって婚姻もすれば盟約もする、そして時として戦もするって関係でしょ
クニ間はそういう自然発生的な通交をしてた訳ですよ、ベースとして、
そして大国である邪馬台国の加盟国は比較的勝手往来にふるまえたメリットを持っていたんじゃないかと
とくに輸入に関しては魏に朝貢していれば、大陸でも半島でも島でもいい、
フリーパスで港に入って行けるって事が保障されるから卓越できる訳でしょ、他の集団に比べて一等国として
129九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/09(土) 11:16:51
>>128
本州に邪馬台国連合があったというのは全く根拠が無い。まず方向が違うという事。
当時のクニはやっとムラが幾つか集まって今でいう郡くらいの大きさになり、
倭に100ヶ国余りあり、そのうち30ヶ国が連合したものが邪馬台国連合。
それに属しない残りの70カ国の方がはるかに広大で、邪馬台国連合以外のクニグニは
「遠く離れている為詳しく述べる事が出来ない」の記述にもあっている。
邪馬台国連合誕生の原因も伝に「相攻撃」とあるように互いに攻めたり攻められたりの関係だった。
これはお互いに地続きで無いと出来ない事。
邪馬台国連合は、30カ国連合しているといっても、たった一国のクナ国に攻められて苦しみ、
魏に泣き付き仲介を頼んでいる、いわば情け無いクニ。といえよう。
逆に邪馬台国連合の方が九州から本州に亘る広大な連合国家ならクナ国の方が小さく
軍事的にも邪馬台国有利であり、わざわざ魏に泣きつく必要も無いだろう。

対馬国、壱岐国、マツラ国、伊都国、奴国、ここまでで既に5カ国も通過している。それに

邪馬(やま)国=山(やま)国町・耶馬溪町(やばけい)大分

躬臣(くし)国=玖珠町(くす)・日田、九重{くしゅう} 大分

巴利(はり)国=杷木町(はき)・甘木 福岡

支惟(きい)国=基山町{きやま}の基肄(きい)城下

烏奴(うな)国=鳥栖市(とす)この比定地で既に10ヶ国。

倭人伝の記述でも魏使は一貫して東南方向に進んでいるのであり、
伊都国の南に女王国があるという事からも九州内から出るものではない。

130日本@名無史さん:2007/06/09(土) 16:17:15

卑弥呼の城郭
卑彌呼居處宮室樓觀城柵嚴設、常有人持兵守衞婢千人自侍

http://maps.google.com/maps?q=33.215,130.61&spn=0.00011373,0.0014484&t=k&hl=en
131九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/09(土) 17:09:52
>>130
ここに卑弥呼の宮殿があるというのですか?
132九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/09(土) 18:13:20
>>130
まあ確かに女王国は甘木にあったというのが一番確実でしょうね。
従来の謂いの如く投馬国まで水行二十日もかかって更に先に邪馬台国があるのなら
「最初からそこへ舟でいけや!」ってなことになりますもんね。W.
ただ、甘木のどの辺りだったかが重要でしょうね。
133130:2007/06/09(土) 21:24:35
>>132
八女
134日本@名無史さん:2007/06/09(土) 22:32:29
>>132
安本先生は尊敬してるけど、
甘木説は同意できない。ずばり宇佐です
135九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/09(土) 23:00:18
弥生時代の九州は福岡県南部から熊本県にかけてが人口密集地域だったことが分かっている。
熊本県北部の菊池はクコチヒク=ククチヒコ=菊池彦が長官のクナ国がある。
甘木、朝倉辺りにあった女王国との間に軋轢が生まれ、時として両国は衝突した。
136日本@名無史さん:2007/06/09(土) 23:17:28
>逆に邪馬台国連合の方が九州から本州に亘る広大な連合国家ならクナ国の方が小さく
>軍事的にも邪馬台国有利であり、わざわざ魏に泣きつく必要も無いだろう
べつに広大ではないです、飛び地国家と言ったはず。
邪馬台国最遠のクニである奴国がおそらく狗奴国に一番近く、その辺境領がたびたび襲われたのだろう。
そんな飛び地的だからこそ、30国を擁する(見かけ)大国でも防衛が困難だったのでは?
魏の下した黄幢や檄文が狗奴国に効果を持つとすれば、経済封鎖して孤立させるぞと言う圧力。
おそらく魏に敵国扱いされれば、アジア交易圏から締め出される事になったんでしょう。
例えば塩一つとっても、内陸であれば交易で手に入れる必要がある、それほど人間の営みは交易的なんですねぇ。
鉄ならば尚さら・・・・。
137九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/10(日) 00:24:20
>>136
何か重要な事を忘れちゃいませんか?帯方郡から女王国までの距離が一万二千里だという事を。
そして「狗邪韓国まで七千里余り」と具体的に消費した距離まで記している。
更にマツラ国までで計一万里を使い残りはたったの2千里。
これでは邪馬台国連合が畿内までの広範囲に点在する事は無理だと言う事がお分かりでしょう。
138日本@名無史さん:2007/06/10(日) 00:51:13
マツラ国から2千里のところから邪馬台国がはじまるという事では?
伊都国に役人を置き、通商外交の窓口の様であるし。
別に卑弥呼の都が九州でも良いんですよ、邪馬台国の全体が本州に及んでいたと言いたいだけ。
139ここは古田説:2007/06/10(日) 02:56:59
>>137
>帯方郡から女王国までの距離が一万二千里だという事を。
>そして「狗邪韓国まで七千里余り」と具体的に消費した距離まで記している。
>更にマツラ国までで計一万里を使い
>残りはたったの2千里。

更に末盧国まで計一万一千四百里を使い
(渡海三千里、対馬国八百里、一大国六百里)
残りはたったの六百里(40〜50km)。

140朱儒国は子供がたくさんいたの意味。平均身長120はない:2007/06/10(日) 03:52:19
邪馬台国連合はクナ国と日和見やどっちつかずの国もあったと思う。
141朱儒国ガキ多し論。当時の平均身長は150前後。:2007/06/10(日) 04:05:09
後漢書で邪馬台国の東にクナ国があったと書かれてるのは 邪馬台国が福岡・佐賀から島原半島(俺は宮崎コーヘイ説は支持しない)までの範囲だから、島原半島の東がクナ国(熊本)と言いたかったのでは?
142日本@名無史さん:2007/06/10(日) 06:44:20
<銅剣鋳型>鬼虎川遺跡で出土 近畿で2例目 
6月10日1時33分配信 毎日新聞

弥生時代の拠点集落跡「鬼虎川遺跡」(東大阪市)で、弥生時代中期後半(紀元前1世紀ごろ)の銅剣の鋳型が出土した。
9日発表した市教委によると、鋳型の出土はこれまで九州北部がほとんどで、近畿では2例目。
「銅剣が畿内中心部でも生産されていたことが裏付けられた。当時の祭祀を考える上で貴重な発見」としている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070610-00000005-mai-soci
143日本@名無史さん:2007/06/10(日) 09:27:01
>>142
畿内の弥生遺跡だと唐古・鍵や池上曽根が著名だけど、
鬼虎川も、ものすごく重要な遺跡。やはり色々出るね。

ていうか、銅鐸だけじゃなく、これまで銅釧や鉄器など
非常に「九州的」な遺物が、すでに鬼虎川の弥生中期の
層から出ていたわけで、この銅剣鋳型も同列と思う。
和辻哲郎の青銅器二大文化圏対立の図式はもうダメ。

河内湖の周囲に点在する弥生遺跡は、東西の交流を
思わせる遺跡が多いんだよね。
鬼虎川、雁屋、長原、加美、亀井、久宝寺、中田、
八尾南、東奈良、・・・・・
http://inoues.net/museum/daikawachi2.jpg
144九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/10(日) 09:52:14
>>138
倭国大乱が続き各国は「もうそろそろ戦争はやめようや」っていう感じで
協定を結び卑弥呼を共立したわけだから、飛び地では意味が無い。
お互いに団子状にくっついてクニが存在していたからこそ協定にも効力があり
一つの国として卑弥呼を女王に成し得たのである。
投馬国の場合だけは飛び地の例外として水行二十日、
有明海を下ったところにあったかもしれない。
145九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/10(日) 11:38:34
>>143青銅器二大文化圏対立の図式はもうダメ。

たった一例か二例で二代文化圏を否定するなど土台無理。
元々畿内にも渡来人は来ていて大陸からダイレクトに文物は伝わってきた筈だ。
例外として畿内でも銅剣が作られていて何の不思議があるだろうか。
色んな物の中から畿内は銅鐸を祭祀に使ってきた特色ある地域だった事に疑う余地は無い。
方や九州はどうか、畿内のような大きな銅鐸など博物館でもレプリカも見かけない。
子供の頃から銅鐸は別の地方の不思議な物あつかい。
銅剣と違って銅鐸は作成技術が難しく進んだ技術の蓄積が無ければ出来ないものだ。
今までの出土例からしてもその様な進んだ技術が九州にあったとは思えない。
鉄器の伝来は九州が早く北部九州に広範囲に広がって、より技術の蓄積が進んだと思うが。
146日本@名無史さん:2007/06/10(日) 12:41:02
>>145
「考古学のおやつサイト」でホットな考古学情報を伝えてくださってる白井先生の
記念すべき第1回コラムでも嫁。

「文化圏ではすまされない」
万維網考古夜話 第1話 24/Nov/1998
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/clm/yw0001.html

まあ、古い考えを捨てきれないでいる不勉強な記者連中が悪いんだがね。
147日本@名無史さん:2007/06/10(日) 12:50:24
>>129
一世紀の倭王は100人以上の生口を貢物として大陸へ送り届ける力がありましたが、
それから200年以上後の倭王は未だ「やっと郡ぐらいの国々」の代表なんですか?
今で言うと各国の「官」で県警内の方面本部長兼地裁支部長くらいの実力、
卑弥呼レベルだと警察庁の管区本部長兼高裁支部長あたりですかね?
チンケな親魏倭王ですねw
148九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/10(日) 13:02:25
>>146
字数が多いんでさらっと目を通した程度だけど、結局この文面は何が言いたいのかよく解らない。
吉野ヶ里出土の銅鐸は畿内で銅鐸が衰退した後の地層から出てきたもので
時期が違っているもの。それも小銅鐸で朝鮮式銅鐸の影響も受けているとも思われる。
それと銅鐸が畿内ででもてはやされていた頃とを混同して文化圏など存在しないという
材料として持ってこられてもね、正直何と返答していいか解らない。
「違いますよ」としか言えない。
149九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/10(日) 13:27:25
>>147
そうですよ。ただし「一世紀の倭王は100人以上の生口を貢物として〜」
は奴国の事と思うけど確かに奴国は大国。国土も博多湾から大宰府〜筑後方面まで
影響力を及ぼしていたかもしれません。
しかし大半は、マツラ国、伊都国のような小国が一国の単位だったのです。
150日本@名無史さん:2007/06/10(日) 14:09:52
>144
九州で真珠が取れたのでしょうかね? 朝貢に大量に使っていますが。
それはさて置き、クニ同士が争う理由は何だと思われますか?
川の水利権?山や森の入会権? 当時はそんなに農耕地が隣接するほど開墾が進んでないですよ。
吉野ヶ里のような環濠集落が中心にあって、周辺に耕地、その外に木の実や薪をとる森があり、さらに離れて魚を獲る川や獣を狩る山があって、その辺りまでが集落の版図なんです。
そんな集落が何個か集まってクニを作っていた。
九州・四国・本州の畿内までで120000?くらいですから、100余国に分かれていたとすると、1国あたり1200?、35q四方くらいですか。
京都-大阪間くらい、隣のクニまで日常交換経済で辛うじて行き来できる範囲ですね。
しかし征服を考えるとき、「相攻撃」して耕作地の取り合いをしても、領地としては繋がらないので支配が安定しない気がします。
やはり争いの目的は通商に関わること、弥生時代では鉄などの資源の入手が一番重要で、そのルートの奪い合いだったのではないでしようか?
港や河川の支配とか、産地とのコネクションを含めてクニ同士が争っていた。
鉄を多く入手できれば、開墾も進むし武器も作れる、全ては鉄に掛かっている時代なんですよ。
そこで邪馬台国の発生、魏に朝貢して倭の王と認められ、アジア貿易圏での信用を裏付けされた一等国がここに出来たんですよ。
敵対あるいは従属しないクニグニも、独自に鉄などの資源ルートは持っていたと思います、直接か列島内の別のクニを通して。
その当時のクニグニの争いって、単なる領地争いや貢納の強要、生口の入手などよりも、やや高次元なものを賭けての戦いだったという事が言えましょう。
邪馬台国を構成するのに、飛び地でも構わないんです。
船は国土の延長、我が国は小さき島国と臆する事なかれです。
151150:2007/06/10(日) 14:14:16
補足です。
PCによって、12000のあとに「?」と表示される方は、「平方km」と読み替えてください。
152九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/10(日) 14:37:47
>>147
@57年 建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬(後漢書東夷傳)
A107年 安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見(後漢書東夷傳)
B147〜189年 桓靈間倭國大亂更相攻伐歴年無主有一女子名曰卑彌呼(後漢書東夷傳)
C109〜189年 其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子爲王(魏書東夷傳)
D238年 景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻・・・・假金印紫綬(魏書東夷傳)

@は金印の「委奴国」。倭奴国は倭人100国の中で博多湾岸にある大国。
印綬はAの「倭国」牽制の為と思われる。

Aは、@の「倭奴国」とは別国の「倭国」。漢は印綬していない。
倭国王帥升は倭奴国を滅ぼしたので印綬を望んだが叶わずと思える。
生口160人は倭奴国の捕虜と思われる。

BCは倭人の国100国がバラバラになり敵対し、
卑弥呼を共立することにより30国がまとまったこと(魏書東夷傳より)を示している。
狗奴国はその時30国に対して敵対(魏書東夷傳より)したままであった。

D倭30国連合は狗奴国を牽制する為に金印紫綬を受けた。
153日本@名無史さん:2007/06/10(日) 14:50:17
>>148

> 吉野ヶ里出土の銅鐸は畿内で銅鐸が衰退した後の地層から出てきたもので

 はあ〜〜〜〜〜〜?
154九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/10(日) 15:12:40
>>152 >>147
倭の大乱の原因は>>152とは違うと思います。
食料不足が原因です。
1〜2世紀は弥生温暖期で、西日本の夏は酷暑旱魃になりました。
特に大きく影響を受けたのは安定主力食料の水稲です。
小河川流域国は大きく旱魃の被害を受け大きく力を落とし、
大きい河川流域国は被害が少なく相対的に大きな力を持ったので、
1〜2世紀には力のバランスが崩れた。
それが倭の大国を、倭奴国→倭国→混乱→邪馬台国へと変遷させた。
この気候による変化は3世紀の気温低下(2世紀より気温低下)においても続き、
狗奴国の台頭が3世紀に始まった。
155九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/10(日) 15:16:59
>>150それはさて置き、クニ同士が争う理由は何だと思われますか?

そんなのは男が本来持っている闘争心に決まっているでしょう。
相手の上に立ちたいとかいう征服欲をかき立てられるからに。
じゃなんでアレキサンダー大王がマケドニアを出て東方への征服に向かったのか、
何故格闘家が相手を倒し頂点に上り詰めようとするのか「なぜですか?」と聞くような
ものじゃない。当然土地や水の利権争いもあったに違いなかろうし、
より大国の王として君臨しようと考えても何ら不思議ではない。
朝鮮半島でも集落同士が侵入し合ったというが、その後始末として、
「生口などを差し出した」と文献にある。
156日本@名無史さん:2007/06/10(日) 15:23:52
>>143
兵庫県に田能遺跡というのもあったなあ。
>>152
帥升の場合は何かをもらったとは書かれていないが、中国は、朝貢してきた
国に対してはそれ以上のものを返すのが大国の威信だ、みたいな考えが
あるので、相当なものをもらったような気がする。
たとえば、日田市から出土した金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は帥升がもらったという
のもありうるかも。

日田も大規模な環濠居館跡などが見つかっているので、もう少し注目しても
良いような気がする。

玄界灘沿岸、有明海沿岸、内陸部、宮崎、熊襲などをバランスよく考えなくて
はならないと思う。
もっと広く考えれば、山陰地方や山陽地方、四国なども。
157九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/10(日) 15:35:33
>>150それはさて置き、クニ同士が争う理由は何だと思われますか?

勿論>>154で言われている内容も以前から僕が言ってるところであり
稲作の拡大により人口が増えたため、逆に作物の不作によるリスクが大きくなり
やむなく耕地争いに走ったことだろう。
「当時はそんなに農耕地が隣接するほど開墾が進んでないですよ。」とあるが
人口も少なく肥えて無い土地など最初から取り合うわけがない。
メソポタミアならチグリス、ユーフラテスによる肥沃な土地が奪い合いの元だったし
九州なら古代から人口が密集していた筑後平野〜熊本平野がそれに当たろう。

何が原因で邪馬台国連合が本州まで飛び地で点在しなければならないのか
それらをどうやって統治出来たのか、全くの説明無しでは想像の域を出ない。
158日本@名無史さん:2007/06/10(日) 17:46:55
>何が原因で邪馬台国連合が本州まで飛び地で点在しなければならないのか
いぜん九州北部が大陸や半島との交易の玄関口だったからです、最初からその地にあるクニよりも、本州など交易ルートから外れたクニグニのほうが必然から連合する気運を生んだのでしょう。
そうしたクニグニの欲求が邪馬台国を生み出したと考えます。
過去に印綬まで貰った倭奴国は一国で成り立つから大国に育たなかったのと対照的ですね。
弥生時代を通して九州優勢で進んで来たのは、鉄などの交易の拠点を握っていたからです、だから古墳の副葬品も豪華で、糸魚川産のヒスイとかふんだんに所持できたんでしょう、それらは鉄の代価として本州のクニグニから集めたものです。
ところが弥生末期になると、本州のクニグニも力をつけ知恵もつけ、連合して資源の玄関口を乗っ取ろうという所まで圧力が高まったんでしょう。
159九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/10(日) 18:14:53
>>157
クニ同士が争う理由については意見がぴったり合うようです。
160九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/10(日) 18:22:19
>>158
1〜2世紀の旱魃の時期には、何をさておいても前1世紀までに
爆発的に増大した人口を養う為の食料確保が最重要課題です。
その他の事柄は末枝末葉です。
161九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/10(日) 18:22:22
しかし驚くー。楽浪郡出土の彩篋を北朝鮮が売りに出してるんだと!
楽浪国は朝鮮族の建てた国であるが彩篋は中国の物であるから不要なんだと!
しかし邪馬台国時代に大陸には凄いものがあったものだ。
162日本@名無史さん:2007/06/10(日) 18:23:52
>>159
それはよござんした。
163九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/10(日) 18:31:52
>>158
以下他スレから。参照してください。


>>http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200706060182.html

>今まで研究者が「新潟産のヒスイでできている」と報告してきた九州の
>縄文時代後期の首飾りを分析したところ、ほとんどが地元産の石だった――。

>最大の原因は、多くの考古学者が科学分析をしないまま、報告書に推測で
>「ヒスイ」「蛇紋岩」等の記載を行ってきたことだ。
>鉱物学が専門ではない発掘担当者が石材を見分けるのは、かなり難しい。
>ある関係者は「でも、報告書は出さないといけないし、『緑の石』とは書
>けない。そんなこともあって、考古学では経験に基づく記載が慣用的に行
>われてきたのではないか」と話している。

>考古学者は信用できないね。
164九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/10(日) 18:58:36
>>163 そんなもんでしょ。
165日本@名無史さん:2007/06/10(日) 19:51:28
闘争心が戦争をはじめた理由の一つってゆうのはどうかなぁー?
私怨が引き金になった戦争もあったと思うが・・・
政治的な利害の対立がメインじゃないと勝利しても戦死者は浮かばれないし、命懸けで戦う価値もないだろうと思うがな・・・
その後の統治にも影響あるだろうしさ
166九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/10(日) 21:29:21
>>165
卑弥呼やトヨが女王だった事も意味あることだと思う。
男王が立つと争いになり、女王が立つとクニが治まる。
何故男だと駄目なのか。男同士だと「あいつの下でペコペコしたくない」
という嫉妬心が生まれ、女王だと「ま、おばさんならいっか」みたいな感じで。
結構幼稚に思われがちな事情だが今の時代にも通じる共通の人情ではなかろうか。
むろん世の中にはおばさんがでしゃばるのを嫌う向きもあるが。
167日本@名無史さん:2007/06/10(日) 22:01:06
>>160
それなら尚のこと灌漑や開墾のための鉄器が必要だったでしょうね。
相手の耕作地を奪うにしても武器がいる。
九州の旱魃が酷かったとすれば経済活動も劣り、西のクニグニへの鉄の供給も細ったと思われます、
それに耐え切れず直接交易拠点を奪取しようと30余国が結束したのが邪馬台国であるとも考えられます。

>卑弥呼やトヨが女王だった事も意味ある
中国の役人は女王と解釈したがシャーマンですよ、政治の取り決め事項を一度神に図って吉と出れば皆が守らなければならないと言う、邪馬台国連合の政策決定のスタイルでしょう。
共立の王ならば専制ではなくて、加盟国の族長会議で決めていたとかでしょうね。


168167:2007/06/10(日) 22:02:45
西のクニグニへの・・・ →東の です誤記です
169九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/10(日) 23:03:37
>>167中国の役人は女王と解釈したがシャーマンですよ

卑弥呼はただのシャーマンでは無く女王であり政治家です。
彼女は「鬼道を以ってよく衆を惑わす」といって、「鬼道とは黄巾なり」と文献にある。
当時中国で広く民衆に浸透していた初期道教を用いて政策を決定していた。
一方、倭人伝に「何かを命令したり、おこなったりする時はまず骨を焼いて、卦をたてる。
   そして、吉凶を占って、その結果を告げる。この占いの方法は中国の亀卜に似ています。
   焼いてできる裂け目を見て占いをたてるからである」とあるように
鬼道とは別記して「中国の亀卜」に似ている占いを倭国の風俗として記している。
これは卑弥呼で無くとも巫女なら誰でも出来た事であり政治に関しての決め事とは限らない。
したがって卑弥呼が女王になったのはシャーマンであったという理由だけからではなく
初期道教という当時最先端の大陸の高度な知識を身につけたカリスマ性があったからと考えられる。


170太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/10(日) 23:07:26
「魏」=「委」+「鬼」
171167:2007/06/10(日) 23:24:48
>卑弥呼が女王になったのはシャーマンであったという理由
そんな事言っていないです
なぜ魏が道教の王を公認するのでしょう、ありえない
172九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/10(日) 23:47:21
>>171
どうしてですか?
「なぜ魏が道教の王を公認するのでしょう、ありえない 」

この質問の意味がよく解らないけど。
173九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/11(月) 00:00:05
>>171
中国における黄巾の乱の残党ならいざしらず、遠い倭国で大陸文化の一分として
道教という教養を身に付け、それを政治の手段として利用している卑弥呼に
魏がどのような注文を付けると言うんですか?そこまでの国政干渉はしないでしょう。
174167:2007/06/11(月) 00:03:59
>男が本来持っている闘争心・・・・・相手の上に立ちたいとかいう征服欲
こんな動機で相攻撃しあっている野蛮な国を、しかも政治を占いで決めるという軟弱な国を、よく冊封したものだなと・・・。
飛鳥時代の遣隋使でさえ、政治制度(律令)の整っていない幼稚な国の外交は受けないと追い返されたくらいですし。
175167:2007/06/11(月) 00:08:44
「鬼道を以ってよく衆を惑わす」とは、魏が肯定的な見方をしているとは思えない一文ですね
176九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/11(月) 05:01:10
>>174 「>男が本来持っている闘争心・・・・・相手の上に立ちたいとかいう征服欲
こんな動機で相攻撃しあっている野蛮な国」

それは当時の中国だっておんなじこと。それどころか規模が違う。
世界に名を知られた群雄割拠の三国志時代以上に当時上記の文に当てはまる地域は無い。

「政治を占いで決めるという軟弱な国をよく冊封したもの」

これは引用文だが

「遼東には、魏の出先機関である「楽浪郡」が置かれており、
魏はこの楽浪郡を通じて東方諸国を統治・管理していた重要な基点だったのですが、
「公孫淵」の反乱で、一時は「楽浪郡」の機能は完全に「公孫淵」に奪われたのです。
この重要基点である遼東の「公孫淵」(燕国)を倒し、再び、「韓半島」や「倭国」などの
東方諸国を魏の手の内に取り戻したのが「司馬懿」なのです。
そういう意味で、「司馬懿」の功績を語るに際しては、
「韓国」や「倭国」は大変重要な位置を占める地域であったということも記憶しておいて下さい」

このように呉と対立していた魏は公孫が燕を建てた事で
韓半島や倭国との繋がりがなくなったのを危惧し公孫を司馬懿に討たせている。
それはど倭が大変重要な位置を占める地域であったのはなぜか。
クナ国が呉と繋がっていたという説もあるから、
倭国が呉の勢力下に入るのを恐れたからではなかろうか。





177九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/11(月) 05:11:37
>>175「魏が肯定的な見方をしているとは思えない一文」

何のことだろ?
恐らく「よく衆を惑わす」の意味を取り間違っているのではないか。
これは「民衆を能く導いた」つまり「クニをよく治めた」の意。
「肯定的な見方をしているとは思えない」者に親魏倭王の称号など与えるわけが無い。
178九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/11(月) 05:32:48
>>176政治を占いで決めるという軟弱な国

骨を焼いて占うのは中国の影響。魏と親交の出来るずっと以前から
倭は大陸と繋がりを持っていた証拠。これは軟弱などではなく宗教心。
最強軍団といわれたスパルタもいちいち巫女が占いを立てそれに従って
戦っていたもの。有名なテルモピレーの戦いも例外では無かった。
けして軟弱だから宗教心に頼ったのではない。
自然の恵みや力に畏怖の心を生じ崇拝するのは人間として当たり前の事。
そこに人知を超えた力が働くと信じられているからである。
179日本@名無史さん:2007/06/11(月) 07:51:15
惑わす を よく導く とお得意の読み替えを行なうわけですか・・・・ハァ
180九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/11(月) 08:15:01
>>179
それは小学校でも習いましたけど。
181日本@名無史さん:2007/06/11(月) 19:09:09
>クナ国が呉と繋がっていたという説
具体的に
182九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/11(月) 21:28:15
>>181
具体的に書いたものが今はどこにいったか解らなくなってるので、他のHPからの引用だが、
一応このような説が存在している事実をお知らせしておきましょう。
183九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/11(月) 21:34:38
>>181
内容を書くのを忘れてた。引用をどうぞ。

狗奴国と邪馬台国が、「不仲の別の理由として「国家間対立」がある。
邪馬台国は大帯郡を通じ「魏」と交渉を持っていたが、対立する「呉」は狗奴国と通じており、
直接狗奴国を援助していたという説だ。諸国が乱れ、未だ統一に至っていなかった混乱期に、
倭国で「魏」と「呉」の代理戦争が行われていたというものである」
184日本@名無史さん:2007/06/11(月) 23:01:58
>>183
妄想もここまでくると、ある意味芸術だな
185サガミハラハラ:2007/06/11(月) 23:15:09
鴫沢算の邪馬台国所在地アンケート復活しました。
皆様こぞって御投票ください。連続投稿は不可のようです。
186九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/12(火) 00:00:59
>>183
僕も『「魏」「呉」と「邪馬台国」「狗奴国」の並行対立妄想』を持ち続けている。
肯定or否定の裏付材料がないので消えることのない妄想だ。
187日本@名無史さん:2007/06/12(火) 02:31:18
私も「魏呉代理戦争妄想」好きですよ。
でも、その頃の畿内勢力はそれらとどういうおつきあいだったのか、
おつきあいはなかったのか、というあたりがわかりません。
188日本@名無史さん:2007/06/12(火) 02:53:12
その当時の航海能力で直接渡海して呉に行けたのだろうか?
189日本@名無史さん:2007/06/12(火) 03:46:16
弥生時代の九州に分布するゴホウラの貝輪は、南の島で取れる。
沖縄では、ゴホウラ貝輪の未完成製品や完成したものが出土している。
つまり、弥生時代には、すでに沖縄と交流があったと考えられる。
沖縄まで出かけているのであれば、呉と交流していても不思議ではない。

実際に、呉との交流をうかがわせる鏡などが出ているわけだし。
魏と邪馬台国、狗奴国と呉という単純な構図ではないと思うが。
190日本@名無史さん:2007/06/12(火) 04:16:50
狗奴国というのは、、あの記述から見たら
そんなに昔から邪馬台国と覇を唱えた国には思えない。
せいぜい、倭国連合の一カ国と同規模の国で
邪馬台国の至近距離にあったみたいだから
むしろ、倭国連合内部の主導権争いで、
卑弥呼と卑弥弓呼の個人的な関係で戦争したような感じだから
せいぜい、247年の数年くらい前から関係が悪化したように思える。

だから、狗奴国の男王・卑弥弓呼=武埴安彦命じゃないのか?と思うわけ。
191サガミハラハラ:2007/06/12(火) 06:01:29
個人的関係
「素より和せず」の一言がそれを物語っておりますね。
192九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/12(火) 14:24:47
卑弥呼と狗奴国の狗古智卑狗との
単なる個人的関係に留まるだけの政治情勢ではないでしょう。

張政等の軍事顧問団が長期にわたって邪馬台国に駐在したのは、
倭における魏の対呉政策として狗奴国に対応した読める。

魏が公孫氏を滅ぼした後も張政を倭に駐在させたのは、
対呉政策の一環としての狗奴国対策と考えられる。

晋の脅威が始まった頃、張政は帰国している。
193日本@名無史さん:2007/06/12(火) 17:09:32
>>188
>その当時の航海能力で直接渡海して呉に行けたのだろうか?

行けなかったとする確証はないよね
当時船があったのは事実
それだけで十分じゃないのか?
194日本@名無史さん:2007/06/12(火) 17:28:35
>>192
>魏が公孫氏を滅ぼした後も張政を倭に駐在させたのは、
対呉政策の一環としての狗奴国対策と考えられる。

どこからそんな考えが浮かぶのですか?
195九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/12(火) 19:05:55
>>194

@魏が張政等の軍事顧問団を長期にわたって女王国に駐在させたのは、
魏にとってどのようなメリットがあったからでしょうか?
A西晋の勃興のころ張政が帰国したと見られるのは何故でしょうか?
B卑弥呼を「親魏倭王」とし又詔書・印綬を与え、
難升米や牛利にまで官位や銀印青綬を与え、
又難升米に黄幢を与えたのは何故でしょうか?
C張政は壱与に告諭し、壱与は張政の帰国を遅らせたのに、
魏は壱与の使い掖邪狗をもてなしたのは何故でしょうか?

以上の出来事を政治的にうまく説明できる仮説として、
僕は「魏呉代理戦争妄想」を捨てられないのです。
196九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/12(火) 19:09:08
>>194
深読みしすぎでしょうかね?
だから妄想の域から出ないのです。
197日本@名無史さん:2007/06/12(火) 20:38:15
魏呉代理戦争って、なんで日本列島で?
朝鮮戦争なら極東における自由主義圏の橋頭堡って意味はあったでしょうが。
中華帝国とって日本列島に何のメリットがあったんでしょ?
198九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/12(火) 21:23:07
>>197中華帝国とって日本列島に何のメリットがあったんでしょ?

そりゃやっぱり覇権争いでしょう。結局三国時代の正当な王朝は魏ということになったが
その覇権をめぐって三国は争ったのであり、正当な王朝と認められるという事は
周辺諸国は冊封の宗主国として属すこととなるのであり、あらゆる地域の珍しい文物が集中する事ともなり
使者も各国から集まってくる。やはり三国時代の国々も前代の漢王朝を標榜していたのであり
韓半島と倭国は三国にとってけして無視できない地域だったのである。
魏と親交を結んだ倭に対し呉が指を咥えて傍観していたとは考えられず
倭国には呉人も入り込んで色々と画策していたのではないか。

199日本@名無史さん:2007/06/12(火) 22:22:58
>>198

>韓半島と倭国は三国にとってけして無視できない地域だったのである。

何故そんなことわかるの?

>魏と親交を結んだ倭に対し呉が指を咥えて傍観していたとは考えられず

何故傍観しちゃいけないの?

>倭国には呉人も入り込んで色々と画策していたのではないか。

な〜んだ想像ね
200日本@名無史さん:2007/06/12(火) 22:32:40
魏が邪馬台国に恩を売り支配下におき、地元では呉などの国
に、うちらには東方に邪馬台国という強い大きな味方がい
るんだぞと人口水増し宣伝したのでしょう。
倭人伝、ちんじゅがまとめる前のその元原稿の一番いいた
かったことは、うちらの強い味方はまさにかいけいの東にあ
るのだ、ということだったのでは。呉を挟み撃ち。
201日本@名無史さん:2007/06/12(火) 22:47:06
>>198
> 倭国には呉人も入り込んで色々と画策していたのではないか。
その辺が不審な点の一つ。呉のあたりは一衣帯水でむしろ近所だから、関連はむしろ深いはず。
202日本@名無史さん:2007/06/12(火) 22:52:38
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
203日本@名無史さん:2007/06/12(火) 22:58:04
>>200
>倭人伝、ちんじゅがまとめる前のその元原稿

で?その元原稿ってなに?
見た事も聞いた事もないので教えてください
204九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/12(火) 22:58:16
>>199
なんかこう、どうでもこうでも呉の影響を否定したがってる気がするけど
なんか御都合の悪いことでも?
なんといっても倭人伝に「このクニは会稽の南に位置する」とあるから
道理で考えても呉が邪馬台国を意識しないわけにはいかないと思うわけだけれども。
邪馬台国が九州にあったからこそ魏や呉の位置が重要な意味合いを持つが
別の場所にあったとしたら魏まして呉は重要ではありませんものね。
205日本@名無史さん:2007/06/12(火) 23:33:35
>>204


な〜んだか 自分の意見だけで解釈しているから質問したんですよ
それに、道理と言ってもなんの根拠も伴わない道理じゃないですか?
呉が倭を意識してるなんて、何処から探れば出てくるんですか?

少しは文献資料を提示してもらえると
こんな馬鹿にも伝わると考えますよ
206九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/12(火) 23:49:43
>>197
中国では正等政権は唯一です。(天子は1人)
蜀を倒した魏にとって呉を倒すことが至上命題です。
その呉の孤立化を妨げる勢力(狗奴国)が倭にあれば、
魏は、狗奴国に対立する女王国と利害が大きく一致したのだと思います。
それが魏志における倭人の特別な取り上げ方であり、
倭人伝において狗奴国だけが何回も取り上げられた理由と思われます。

魏志倭人伝は張政の本国への倭事情についての報告書をまとめたものと考えています。
207九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/12(火) 23:52:32
誤:正等政権
正:正当政権
208日本@名無史さん:2007/06/12(火) 23:54:21
>>205
文献というか・・
世界制覇を争ってたんだから、親魏倭王を意識しないわけ
ないんでは?
209日本@名無史さん:2007/06/13(水) 00:04:57
>>208
>世界制覇を争ってたんだから、親魏倭王を意識しないわけ
ないんでは?

と、想像されても?馬鹿な私にはあなたの頭の中は覗けません
もう少し私に判るように説明してもらえないでしょうか?

何故「親魏倭王」だと意識しなければならないのか?
以前「親魏倭王」に、手荒なことでもされたのですか?
そして、呉は何時
魏王朝が卑弥呼に「親魏倭王」を与えたことを知ったのです?
210日本@名無史さん:2007/06/13(水) 00:11:34
>>206

>その呉の孤立化を妨げる勢力(狗奴国)が倭にあれば、
魏は、狗奴国に対立する女王国と利害が大きく一致したのだと思います。

また訳のわからない内容が飛び出しましたね
どこをどう読めば「呉の孤立化を妨げる勢力(狗奴国)」なんて考えが導きだされるのでしょうか?疑問です
211日本@名無史さん:2007/06/13(水) 00:18:37
>>203
陳寿がどういう人だったか知っているのかね?
212九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/13(水) 00:27:57
>>205
えーっと、これも引用だけれども。

「曹操が没すると子の魏王曹丕(220-226、文帝)は献帝(190-220)を廃して自ら天子と称し、
黄初元(220)年洛陽に都する。公孫康の子の公孫淵は呉の孫権に近づいて、燕王の称号を受け、魏と対立する。
やがて、魏呉の対立のあおりを受けて、公孫氏は滅びる。魏の明帝(226-239) は、景初年間(237-239)、
玄菟、楽浪、帯方の三郡を回収した。 239年、邪馬台国の卑弥呼は帯方郡を通して魏に使者を送る。

と、このように、公孫淵が帯方郡を奪って燕を建てたのは、呉の孫権に燕王の称号を受けたからなわけ。
だから倭と韓は魏の勢力下に入るか、はたまた呉を後ろ盾にした公孫に朝貢するか、
大陸との関係はこの二つのうちどちらか、つまり魏と呉の勢力争いは韓半島や倭を巻き込んで
すでに始まっていたわけよ。
213日本@名無史さん:2007/06/13(水) 00:31:55
クナコクが百余国のうちの一国でしかないものであれば、敵になろうと味方になろうと遥かに大国である魏や呉になんの存在価値があるんだろうか?
214日本@名無史さん:2007/06/13(水) 00:41:13
>>212
>玄菟、楽浪、帯方の三郡を回収した。 239年、邪馬台国の卑弥呼は帯方郡を通して魏に使者を送る。

と、このように、公孫淵が帯方郡を奪って燕を建てたのは、呉の孫権に燕王の称号を受けたからなわけ。
だから倭と韓は魏の勢力下に入るか、はたまた呉を後ろ盾にした公孫に朝貢するか、
大陸との関係はこの二つのうちどちらか、つまり魏と呉の勢力争いは韓半島や倭を巻き込んで
すでに始まっていたわけよ。

倭の女王が魏に使者を送ったのは景初二年ですよ
それに、景初二年には公孫政権は消滅し、呉に対するパイプは分断され魏王朝になびく以外選択余地はないと捉えた方が自然なかいしゃくかと馬鹿な私は考えます。
215日本@名無史さん:2007/06/13(水) 00:43:32
>>211

>陳寿がどういう人だったか知っているのかね?

ごめんなさい
面識がないので判断できません
216九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/13(水) 00:51:13
>>213
「その南に狗奴国あり」という記述からして狗奴国は邪馬台国連合の
何カ国とも境界を接していたような大国だったと思われる。
実際に30カ国連合を悩ませるほどの軍事力があったことには疑いないことだ。
たとえ大陸から見れば小国であったとしても、倭韓が呉の勢力下に落ちる事は
呉にとって脅威だっただろう。多くの属国が朝貢してこそ正当な国家であり
それを失うは天子の権威の失墜を意味するものであり、受け入れられるものではなかった筈だ。
217日本@名無史さん:2007/06/13(水) 00:52:39
今日はありがとうございました。

大変勉強になりましたのでまた時間が出来たら遊びにきます。
その時はどうか宜しくm(._.)m

>九州ですがさん

だいぶ知識を付けられたようで、大変嬉しく思います。
218日本@名無史さん:2007/06/13(水) 00:54:21
蜀は出てこないの?(´・ω・`)孔明はそれどころじゃないってか
219日本@名無史さん:2007/06/13(水) 01:05:54
>>215
いつの時代の人かも知らないということだね?
220日本@名無史さん:2007/06/13(水) 01:07:26
>>204
わしらの子分は「禽稽、東冶の東に在る」
と宣言してしまえば、実際のところは畿内にあろうが九州にあろうが
どっちでもよかった、ということは考えられますか。
あるいは張政は九州のことを書いたけど陳寿は畿内と思ってたとか。
魏は同時にあった畿内勢力のことも知りつつあえて九州の邪馬台国を選んだのかとか。
私もいろいろ妄想してます。


221九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/13(水) 01:13:28
>>214
結局おたくがこちらに証明を迫ってるのは、僕が>>183に書いた
「倭国で魏と呉の代理戦争が行われていたかどうかの裏づけはなんだ?」
という事なんじゃないんですか?
だからその答えとして、公孫前後から大陸では魏と呉のせめぎ合いが続いていて
その延長線上に韓も邪馬台国も狗奴国も存在し両国の戦略に巻き込まれていた事を
証明しようとしてるのであって、細かい年号や、その後の邪馬台国の判断がどうだったかなどの
話をしてるんじゃないんですよ。あくまで魏と呉が対立していた事が、
邪馬台国と狗奴国の対立まで影響を及ぼしていたかどうかの説明なんですから。
222九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/13(水) 01:19:16
>>217
おたくは紳士なんですね。もしかして老教授さんとかですか?

こちらこそ知識足らずの未熟者ですがまた機会がありましたらお手合せを願います。
おやすみなさい。
223日本@名無史さん:2007/06/13(水) 01:34:27
魏呉どちらに付くかは韓情勢しだいですね、鉄は韓半島南部、あるいは高句麗の地から入ってたんですから。
魏が楽浪郡を回復した以上、選択肢は無かったはずです。
驚くなかれ、東海からでる鉄器も平壌あたりの産地と成分的に類推されてますよ。
そのいっぽう呉は何のメリットがあったか検討付きません。
最近、九州で呉鏡(伝世したのち埋納)の出土があったくらい? 文化交流くらいですかね・・・・。
224秋山 彩香(あやか):2007/06/13(水) 01:46:30
『魏志倭人伝(通称)』に記載は、明帝&司馬懿(→晋)が支持した、
共立された女王・卑弥呼(君臨)の「邪馬壹(連合国)・物部系(夏)」。

『万葉集』に記載は、斉王 芳(魏の少帝)の支持した、
臺与(君臨)の「邪馬臺(連合国)・蘇我系(秋)」。

  西暦247年に、狗奴国【熊本県の八代市以北】の「卑弥弓呼」
=【(帯方郡太守)弓遵】に依り、卑弥呼は殺された。
翌西暦248年に、斉王 芳(魏の少帝)の支持した、
臺与が「邪馬臺(連合国)・蘇我系(秋)」を成立させた。

この二つの事件は、「天の岩戸伝説」……、
西暦247年3月の「日の入り時の日食」=【卑弥呼の死】
西暦248年9月の「日の出時の日食」=【臺与(→台与→豊)の出現
で以って、語られている。
225日本@名無史さん:2007/06/13(水) 20:36:34
ですがは自覚はあるんだなぁー
知識足らずの未熟者かぁー!
理解した
226九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/13(水) 20:58:18
>>223「魏が楽浪郡を回復した以上、選択肢は無かったはず」

邪馬台国側には選択肢が絞られたとしても、呉から見れば倭や韓への足掛かりを失ったわけだから
前に言ったように正式な王朝としての地位を失った事になってしまう。あっさり諦めたとは思えない。
それに呉が倭国の海産物などの珍しい珍味などを欲しがったとも考えられる。
呉鏡はそれらとの交換で入ったものではなかろうか。




227日本@名無史さん:2007/06/13(水) 21:00:33
>>224
こんなところまでご苦労様
228日本@名無史さん:2007/06/13(水) 21:48:50
>>226
>呉鏡はそれらとの交換で入ったものではなかろうか。

その呉鏡とは何を指すのでしょうか?
画文帯であるとすれば、年代が合わない、分布が畿内中心などの
問題があります。
229日本@名無史さん:2007/06/13(水) 22:49:01
呉にそこまでの力があったはずもないんじゃないの?
所詮は中央から流れてきて土着した豪族の寄せ集め。
長江流域以外は孤島的な拠点しかなく、原住民と慢性的に争い、
近場の台湾にすら勢力を扶植できなかったのに。

そも魏に対抗するために積極的に同盟を求めた公孫氏と違い、
わざわざ魏と争う必要のない倭国に乱を起こさせるような
ポテンシャルはないだろ。
230九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/13(水) 23:10:47
>>229 引用
「幽州は呉にとって飛び地となるが、これは海上からの侵攻を想定したものではないかといわれている。
次に触れる公孫氏などとの交渉も、海上より船を利用したものであった」

とあるように呉の外交が海上交通により行なわれていた事を考えれば
足を伸ばして会稽から東に海を渡りクナ国に来たとしても何ら不思議ではない。
むしろ公孫が滅亡して魏によって倭韓への行く手を遮られたからこそ
海上交通を利用しクナ国までやってきたと考えられる。
231日本@名無史さん:2007/06/13(水) 23:39:52
>>228

> その呉鏡とは何を指すのでしょうか?
> 画文帯であるとすれば、年代が合わない、分布が畿内中心などの
> 問題があります。

宝塚と山梨で出土したとされる赤烏年間銘鏡のことじゃねーの?
ま、二つとも埋納時期は4世紀らしいけどね。
232日本@名無史さん:2007/06/14(木) 02:15:10
>>216 :九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/13(水) 00:51:13
>>213
>「その南に狗奴国あり」という記述からして狗奴国は邪馬台国連合の
>何カ国とも境界を接していたような大国だったと思われる。

そうとは思えない。
狗奴国は、邪馬台国連合数十カ国の中の一カ国と同規模だろう?
また、邪馬台国の女王と狗奴国の男王の険悪化は
せいぜい数年前から起こったとか思えない。
しかも、国同士というよりも女王と男王の個人的な関係からだ。
邪馬台国の至近距離の南にあるんだろう?狗奴国は...
卑弥呼が女王について以降などから考察して
そんな至近距離にある国と何十年も対立しているのは考えにくい。
要するに、狗奴国は、邪馬台国連合の一カ国だったけど、
その数年前に謀反を起こすようになったと思う。
233日本@名無史さん:2007/06/14(木) 11:11:54
>216
「・・・次に奴國有り。此れ女王の境界の尽くる所なり。その南に狗奴國有り。男子を王となす。・・・」
という事だから、奴国の南に狗奴国があるとしか言っていない。
何カ国とも境界を接していた・・・・という解釈はどこから来るのか?
234日本@名無史さん:2007/06/14(木) 21:39:55
ですが、もバカだが、それに付き合ってる奴もあまり知識無いよねw
235日本@名無史さん:2007/06/14(木) 23:39:14
邪馬台国の卑弥呼と狗奴国の卑弥弓呼との戦いって

日本書紀に出てくる、武埴安彦命の乱でしょう?

236九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/14(木) 23:50:35
>>232>>233
「其南有狗奴國」とは奴国の南ではなく女王国の南の事。
ちなみに自分は邪馬台国とは30カ国連合の総称という説をとっているので
大分の 邪馬国= 耶馬溪   躬臣国= 玖珠町、九重
巴利国=把木町  支惟国= 基肄城下   烏奴国= 鳥栖市など
邪馬台国は、長崎県、佐賀県、福岡県、大分県にまたがっていたのであり、
その南にクナ国は位置し、複数のクニと境界を接してたと思われる。
「狗奴国は、邪馬台国連合数十カ国の中の一カ国と同規模だろう? 」
と取るに足りない小国のように言うが  
引用
「狗奴国は邪馬台国と争っていた国であり、中部から南部九州にかけた強国であったと思われる」
のであって、またそれが通説にもなっている。
強国とはいわゆる人口が多く、人口を支える米の生産が多く大陸との繋がりが深く
鉄器などの武器も豊富なところ、などの用件を満たすところであろうが
まさに菊池を中心とした九州中南部はそれに符合した地域といえる。









237九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/14(木) 23:56:42
>>235日本書紀に出てくる、武埴安彦命の乱でしょう?

それではクナ国の場所を「とんでも、まさか?」の場所に比定してるのではないか?
238九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/15(金) 00:31:19
>>235
武埴安彦命は畿内の戦い。
崇神国と銅鐸国の戦いとみるが。
239九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/15(金) 00:43:49
>>236
女王国は邪馬壹国と岸狗邪韓国を含む30ヶ国の総称。

狗奴国は呉と通じていたと妄想するので、
「今使譯所通三十国」に含まれない。
240九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/15(金) 00:47:58
>>232>>233
もし万一、クナ国を紀伊半島の熊野に比定しているのなら
「人口が多く人口を支える米の生産が多く大陸との繋がりが深く
鉄器などの武器も豊富なところ、などの用件を満たさない。
{引用文}
「畿内説では邪馬台国を大和としているため、
その南の紀伊半島にある熊野を語感の類似により狗奴国としている説が多い。
しかしそうすると前述したように東日本から九州までの西日本一帯を治める形で君臨した超大国の大和邪馬台国が、
山国で過疎地にある熊野の一国に苦しめられていたことになり到底考えられないことである。
畿内説の立場ではこの狗奴国の比定地に苦しんでいるようで、四国や東海、北陸など候補地は各地に及んでいる」うんぬん。
241日本@名無史さん:2007/06/15(金) 00:59:42
>240
十津川って免租だったくらい米の取れぬ土地ですもんね。

トヨの即位については記述はあるのだろうか?
242九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/15(金) 01:01:01
>>239女王国は邪馬壹国と岸狗邪韓国を含む30ヶ国の総称。

えっ?僕そんなこと言いましたっけ?言葉足らずだったらごめんなさいです。
勿論邪馬台国30カ国連合に狗邪韓国は含まれないと思います。
「今使譯所通三十国」には九州王朝さんの言う様に呉と繋がっていたクナ国は
入らないと思うけれども、桓檀古記にはこうありますよね。
引用文
「時に狗奴人は、女王と相争っている。航路を探すのが非常に厳しかった。
狗奴人で狗邪韓国に行こうとする者は津島、加羅山、志加島を経て始めて末盧戸資の外れに到達する。
其の東側が即ち、狗邪韓国である」と。
こう出ているようですが、その信憑性如何、というところでしょうか。
243日本@名無史さん:2007/06/15(金) 01:56:18
自分は九州説なんだけど、それは今もちっとも変わってない。だけど
以前さぁ、畿内説者が「九州説者が自作自演をしている」などと言っていて
またまた詭弁を使いやがってw 論破されてばっかりじゃんよ、畿内説ww
などと言い返してたけどね。

ちょっと前に九州説者の、おそらく ですが君かな、自作自演しているのを
目撃してしまいいやになってしまった。稚拙で変な畿内説とそれを論破する九州説って
いう・・・ やめてほしいね、こーゆーの。 
244日本@名無史さん:2007/06/15(金) 02:06:43
南部九州には四季がない。年中暖かいからな。倭人伝の記述は、ほとんどが北部より南部九州
に当てはまる。鹿児島・宮崎・熊本南部、この辺り。

つまり倭人伝の記述は九州の中・南部に行ったもののレポートだ。
邪馬台国とその周辺国は九州の中・南部と、その周辺の島々のことに
違いない。九州の西部と南部・北部には無数の島々が連なる。

245日本@名無史さん:2007/06/15(金) 05:58:28
鹿児島や宮崎も冬に海水浴する人はいない(耐寒なんとか水泳は別)。普通にこたつやストーブも用意してるし。逆に奈良の夏はある意味、鹿児島より暑い(俺は九州説だが) 故に温暖な地域=南九州に邪馬台国があると断定できない
246日本@名無史さん:2007/06/15(金) 06:02:17
邪馬台国は温暖な地域→南九州も普通に冬がある。奈良も夏は普通に暑い増してや盆地。つまり温暖な地域だけの記述を強調して邪馬台国の所在地を求めるは無理がある。
247日本@名無史さん:2007/06/15(金) 08:10:55
狗奴国が球磨なんて通説にはなっていない。

一つの説になっているだけだ。

もし、通説になっていたら、とっくに邪馬台国論争なんておきていない。
248日本@名無史さん:2007/06/15(金) 08:12:26
よく、九州説の人間が
南九州には四季がないとか馬鹿を言っているが

南九州にだって四季はあるわな。
だいたい、近畿も南九州もそんなに緯度は変わらない。
249日本@名無史さん:2007/06/15(金) 10:20:44
使節は夏に邪馬台国や和の地に来たんだろ?夏なら南九州も福岡も奈良も温暖で裸足で歩ける。冬ならどこも裸足はちと辛い。
250日本@名無史さん:2007/06/15(金) 14:53:39
たった一度の探訪記だけを魏吏が記録するわけない。
数度にわたる往復と、その間に誰か滞在した要員の
滞在記録などを総合して記録した筈だ。
そのほうが蓋然性が高い。
251九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/15(金) 20:51:15
>>247「狗奴国が球磨なんて通説にはなっていない」

お願いだからよく読んで欲しい。ここでいう「通説になっている」は そちらの
「狗奴国は、邪馬台国連合数十カ国の中の一カ国と同規模だろう? 」
の答えとなる 「取るに足りない小国のように言うが強国であったと思われる」の部分。
クナ国の所在が球磨かどうかなどここでは二の次。
252九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/15(金) 20:56:43
>>247
だからそちらの返答としては
「狗奴国は、邪馬台国連合数十カ国の中の一カ国と同規模だろう? 」

について、根拠は何なのか、どうしてその様な結論に至ったのかを説明する責任があると思う。
253九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/16(土) 01:55:01

狗奴国は、
卑弥呼のいる7万戸(推定50万人)の邪馬台国に脅威を与え対抗しているのだから、
7万戸以上の大国(現在の熊本県全域より広いか?)である。
254九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/16(土) 03:20:20
>>253
1戸っていうのがまずどのようだったんでしょうね。
「家には部屋があり父母、兄弟、別々に寝ます」というくらいだから
竪穴式住居というより掘立柱の家を連想しますよね。
竪穴式住居って幾つもの部屋に分かれてましたっけ?
今まで一般民の住居で幾つもの部屋に分かれていたと考えられる住居って
見つかっているのかな?あまり聞かない気がするけど。
しかし熊本県の今の人口が186万。弥生時代に50万というのは凄いな。
255サガミハラハラ:2007/06/16(土) 06:23:46
鴫沢さんとこの邪馬台国所在地アンケート、小城説がしばらく1位だったのが、
2位となってしまった。短い天下だった。
256日本@名無史さん:2007/06/16(土) 08:48:19
>>248
南九州には四季がない。
近畿と南九州が大して緯度が変わらないなどとはあまりにも
知らずにものをいい過ぎ。第一今と違いカレンダーを見ながら生活しているわけではないんだよw


真冬に椰子の木とサボテン園のある地域と畿内を一緒にするとはたわけが

収穫する作物や天候が違いすぎ
257日本@名無史さん:2007/06/16(土) 08:50:50
西日本で一年中温暖で四季がないなどと言えるのは南九州と琉球しか
ない。
258日本@名無史さん:2007/06/16(土) 08:55:14
和歌山には珊瑚の群生地があるのだが?
259日本@名無史さん:2007/06/16(土) 08:58:46
奈良の冬を知らなさ過ぎる。極寒の地
260日本@名無史さん:2007/06/16(土) 09:02:05
大阪・奈良・和歌山・京都・滋賀
この辺りは四季がないなどと言えるわけがないどころか
冬が厳しすぎるな。
 
261日本@名無史さん:2007/06/16(土) 09:06:00
海南島に似ている、という表現はやはり宮崎の南部、
鹿児島とか奄美大島とかこの辺りになるな。

つまり倭人伝のレポートは南九州の大部分のことなんだよ。
つまり北部だけではないわけ。女王国とその周辺は九州の中・南部に
またがっていたと思われ。
262日本@名無史さん:2007/06/16(土) 09:26:01
福岡、佐賀も背振山地以北は日本海型気候なので、厳冬だね。
山地の南側でも筑後川流域あたりじゃ、まだまだ南国とはいえない。
冬のすごしやすさは、宮崎県南部、鹿児島県東部が一番。
263sage:2007/06/16(土) 12:27:52
班田収受法の口分田が男子一人あたり2段(1155平米×2)だから、
50万人の2/3が耕作人口として、
約770平方キロの水田があった事になる。
熊本県の面積の何%になるんだ?
当時の技術でそこまで開墾できるのか
264九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/16(土) 13:25:10
1〜3世紀の気候
1世紀2世紀は弥生温暖期、現在より2℃位気温が高い。
3世紀には若干気温が下がっているが現在よりも気温が高い。
であるから背振山脈の南側は、冬には玄界灘側に比べて雲もかかりにくくて日差しが多く、
温暖で現在の高知県よりも温暖な冬であったと推定される。
なお、熊本県平野部の冬の気候は、現代同様有明海沿岸より温暖であった。
265九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/16(土) 14:00:30
>>263
班田収受法の口分田が成人男子一人あたり2反(990平米×2)だから、
50万人の1/3が成人男子耕作人口として、
約330平方キロの耕地があったことになる。
これは熊本県の面積の約5%になる。
(現在の耕地面積は約900平方キロ)

以上の計算方法が適切かどうかはわからないが。
266日本@名無史さん:2007/06/16(土) 16:16:28
台湾人を叩く奴は全部チョン
悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語



金美鈴は絶世の美女


267日本@名無史さん:2007/06/16(土) 16:27:02
もう、九州説論者は阿呆ばっか...

いくら論破しても、同じことの繰り返し。
まじで疲れてきた。

まあ、この狭いスレで、いつでも吼えていれば良い。
実際の学会の最先端では、そんな連中を放置しておいて
さっさと次へ進んでいる。
268九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/16(土) 16:33:47

>>267
何も論破できていないよ。
269日本@名無史さん:2007/06/16(土) 16:55:30
たいてい畿内説のほうが議論を放棄してるわな
270日本@名無史さん:2007/06/16(土) 17:53:26
宗教を議論してもしょうがないからな
271日本@名無史さん:2007/06/16(土) 20:02:29
畿内説なんてあるのか?
考古学的には日本列島(除北東北北海道)はほぼ共通の文化的背景を持つ集団だろうから
太古の日本が九州とその他に分離してたとする「九州邪馬台国と近畿国家」説と
それなりに統一されていたとする「統一古代日本説」だろ


272日本@名無史さん:2007/06/16(土) 21:32:49
>>268

完全に論破されているよ。
玄界灘地域をしのぐ、3世紀に栄えたと見られる遺跡が九州に無い時点で完全に行き詰った。
だから倭人伝の自己流解釈や、考古学データの完全否定に逃げ込んでお茶を濁すしか手立てが無くなっている。
その結果、一人一説とも言える「俺流邪馬台国」になり果てて、九州説同士でさえ大まかな見解すら一致していないだろう。
これは九州説などと呼べるレベルではなく、単なる個人的希望の有象無象でしかない。

まずは自称九州説同士で話をすり合わせてから、他説を非難してみてはどうか。
結局はそれすら出来ないから、連合説(新畿内説)に憎悪をぶつけるしか欲求不満のはけ口が無いのは分かるが。
273太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/16(土) 21:54:30
遺跡がなくたって九州説は充分成立する。表見的外見的で物事を
決めちゃ駄目よ。
今出てこないだけで、後日発見される遺跡等もあ〜る。
274日本@名無史さん:2007/06/16(土) 22:10:16
>>273

九州は未開のジャングルでも砂漠のど真ん中でもない。
後日というならここ10年で良いから、新たに発見された遺跡をひとつでも挙げてみなさい。

まだ見つからないというのは、それこそ九州人に対して失礼極まりない話で
少なくとも九州のどの地域でも道路は整っているし、公共施設もある。
町にはちゃんとビルもあるし、農道や上下水も一応整っている。
どの場所からどんな出土品があったのか、それも詳細に判明している。
もうそれでも無かったのだからどうしようもない。

それとも九州人は遺跡が出ようものなら、自治体ぐるみで隠蔽して開発優先しているとでも言うおつもりか?
275太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/16(土) 22:11:30
完全なんてウソっぱっちだ。記紀に女王国の記述が雀の涙で畿内に
あるわけがない。畿内にあるなら遠い遠い大陸の倭人伝にその詳細
が記述されていて、朝廷の隣、女王国の記載がないなんてまるで
おかしい。九州ならば大陸により近くなるため女王国の情報が大陸
に行くのは合理的である。九州も広い。まだまだ出てこないものも
多々あろうし、新築建造物で無に帰すとか底に埋もれたままのも
あるに違いない。
276太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/16(土) 22:21:41
>>274
挙げなくたっていいわけだよ。失礼も、そんなことは関係ない。
ならば宮内庁縄張りの陵をあばくのはなお失礼になる。
いいかい、卑弥呼の話は遠い遠い大陸に出発点あるんだよ。女王国は
日本だから、近いはずの畿内と云うならばなぜ日本の記紀に書かれ
てないのを考えれば、大陸に近いほうに女王国があったからその
情報が大陸に流れたわけだよ。
挙げなくたっていいわけで、十年の時間制限なぞ学論になるまい。
277日本@名無史さん:2007/06/16(土) 22:28:23
>>274

>記紀に女王国の記述が雀の涙で畿内にあるわけがない
>女王国の記載がないなんてまるでおかしい

もう早速自己流解釈に逃げ込んでしまいましたね。
そこは居心地良いですか?

>九州も広い。まだまだ出てこないものも多々あろうし
>新築建造物で無に帰すとか底に埋もれたままのもあるに違いない。

いきなり具体性が無くなるし、無に帰すとかのありえない方向にまた逃げてしまうのですね。
史料と言うガイドブックに重大な瑕疵があったからこそ見つからなかったとは一切考えないのですね。
自分こそが、この数百年にわたる誰一人解けなかった謎を解いた名探偵であると自称する様は滑稽ですよ。
いい加減に現実と向き合わないと、人生を棒に振ってしまいますよ。
妄想が嵩じてただの自然丘陵を卑弥呼の墓だとか喚く、壊れた人っているじゃないですか。
そうなってしまったらもう後戻りできませんよ。
とりあえず具体的な場所を探しましょうよ、現実の世界で。
278日本@名無史さん:2007/06/16(土) 22:38:36
>>276

つまり太国さんってあれですか
「九州説だけど、どこにあるのかサパーリわからない、てへっ」程度のお話を
飽きもせずに毎日書いているわけですか、そうですか。

>ならば宮内庁縄張りの陵をあばくのはなお失礼になる。

それこそ意味が分からない。
墓であろうがなんであろうが、あれは天皇の所有物ではないですよ。
偏った思想を持ち込んじゃだめです。余計に信用度が落ちます。
ちなみに宮内庁管轄綾は、今年から外部のものも含めてすでに実地探査に入っています。
トレンチ(試掘溝)実現まであと一息ですので、楽しみですね。
279太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/16(土) 22:49:52
>>277
巻向にでもあると思ってるのか? そんな所に女王国はないんだよ。
よく考えてごらん。女王国は大陸にあったんではないんだよ。
わが国にあったわけだろうが。本来なら記紀に大幅に卑弥呼の記事が
日本だから載るよ。大相撲の三役位の大きさで記紀に書かれるはず
だよ。だがなぜかそれがない。お互いに近いんだから朝廷の天皇と
女王国卑弥呼の双方の交易の記事が倭人伝以上にページをうんと使っ
て記紀に書かれるし、卑弥呼の親と壱与のことも詳細に載るだろう
し、巻向なら巻向に所在したとも漏れなく記紀に載るってね。

邪馬台国論争など最初から起きなこととなろうがね。w
それが遠いんだよ、遠い遠い大陸の倭人伝に卑弥呼な活動記録が
多々書かれてる。それが記紀に猫の額のほどの女王国の書きこみだ。
なぜ日本のものが日本の書に殆ど無く外様の大陸に身内の情報が
べらぼうに記述されているのか? あた棒よ、大陸に近いほうの九州
のほうが大陸に日本の情報が行きやすいからだ。つまり女王国は
断じて紀無いには有りえない。
280日本@名無史さん:2007/06/16(土) 22:55:11
太国さんは「九州のどこにあったかなんてわかんないし、どうでもいいんだけど
とりあえず畿内ではない、根拠は記紀が正しいからだ、てへっ」
そーゆー程度のひとなんですよ
281日本@名無史さん:2007/06/16(土) 22:56:22
漢文読めない時点で倭人伝語る資格なし。
282日本@名無史さん:2007/06/16(土) 23:00:09
太国そうとう痛いところを突かれたらしく、見事にファビョりはじめたなw

そのうち「余は冷静である」とか「古神道の秘儀で解き明かした」とか書き始めるのに5千ペリカ
283太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/16(土) 23:00:46
>>278
そんなに自信あるならお前紀無いのどこに女王国があったかピタリ
と云ってみろ。お前もできないんじゃしようがあるまい。
聞いてやるよ。お前が特定すれば記紀にない矛盾をとことん
つつくぜ。まぁ畿内にはないんだからもうあきらめが肝心だな。w

畿内って云うお前の考えは畿内でありたいというお前の欲求からの
要望、希望であって、卑弥呼と天皇との会見とか交易とかの記述が
ない記紀は、畿内にはないと遠回しに云ってるようなものだぜ。

夜もふけて来た。よく書きこんでおけ。明日以降再論してやろう。

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・
284日本@名無史さん:2007/06/16(土) 23:10:46
記紀も倭人伝も正しい記述がなされていないというのが畿内説の基本だから
記紀に無いというのは何一つ反論にならないと思うのだが。
285日本@名無史さん:2007/06/16(土) 23:12:48
>>282

「話題をそらして、とりあえず寝た振りをして逃げる」が正解だったね

5千ペリカ 損したなw
286九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/17(日) 00:01:33
>>272
九州は戦乱の2〜3世紀、遺蹟が残っているはずがない。
遺蹟になるようなものを作れるほど平和ではない。

「其俗國大人皆四五婦下戸或二三婦(倭人伝)」(成人男女比が1:2〜3)
からも成人男子が戦乱で減少していたと推定される。
287日本@名無史さん:2007/06/17(日) 00:35:32
>>265
>50万人の1/3が成人男子耕作人口
1/3とは少ないな、あとは何してたんだ?
288九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/17(日) 01:42:11
>>287
>あとは何してたんだ?

残り2/3は成人女子と子供。
成人男子は戦乱で減少し、成人女子に比べてかなり少ない。(>>286参照)
289日本@名無史さん:2007/06/17(日) 02:08:02
とうじは女子供も働いてやっと食べれる生産力でしょうに・・・
290太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/17(日) 07:49:40
>>281
余は学校にいるときは漢文は成績が良かったし、お前の言うことは個人攻撃で
九州か畿内かの論説ではない。個人攻撃をしてくるくらいだから、お前の支持
する畿内説はもうあとが無いことを臭わせている。それで個人攻撃に鞍替えして
くるわけさ。今までの奴らは論に負けそうになるとその手を使って来たからな。

坂田三吉氏は漢文なぞ読めず、将棋の駒のうち一字しか読めなかったが、名人位
を送られている。漢文は読めたほうがいいに違いないが、六枚落ちでも史容疑
は強力に指せるんだぜ。
>>282 >>285
お前はいつぞやの古神道のスレを徘徊していた、ガラにも似合わずアルカードの
手先としてピーピーガーガーの得意技でスレ人に迷惑ばかりかけていた奴
だろう? どうだ眠いか?ww そうだろう?ww 夜更かしは体によくない
から、仕事だとか以外強がりは止めて寝たほうが身のためだぞ。ww
291日本@名無史さん:2007/06/17(日) 08:33:21
>>286

> 九州は戦乱の2〜3世紀、遺蹟が残っているはずがない。
> 遺蹟になるようなものを作れるほど平和ではない。

日本の遺跡ってピラミッドのような石造のものはほとんど無いでしょう。
洪水で廃棄されようが、焼けちまった痕だろうが、
ともかく、人間の生活痕跡が残っているところが「遺跡」なんですよ。
吉野ヶ里にしても、川添、那珂、纏向にしても・・・
そして平城京にしても同じことでしょう。

つまり、「遺跡」になるようなものを作れない=「王権」所在地でない・・・ですよ。



292日本@名無史さん:2007/06/17(日) 08:46:50
>>290

>余は学校にいるときは漢文は成績が良かった

じゃ、試しに訓読してみてくれw

『先告所卜其辭如令龜法視火〔土斥〕占兆』
293日本@名無史さん:2007/06/17(日) 10:20:45
>>290

これはどうだ?

>人倚杖而難升巖嶮磴紆長峯數千馬頓轡而不進

出典は「専門分野」からだよw
294太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/17(日) 10:25:36
何を言ってんだ。学校を出てから数十年経ってるんだ。お前も余の年齢に
なりゃあかなり熟達度はおちる。成績は良かったよ。いまは劣化はいささか
あるな。『卜兆』の法はお前は知るまいが、こちらは知悉してるぞ。

まぁそれはいいとして、亀、鹿卜から観たとき九州王朝の盛衰のあらましは
把握している。もちろん卑弥呼の女王国は同朝の始点だ。もうひとつの始点
が別系で五王朝にもある。始点の『始』の字のヘンとツクリをよく見ろ。
前者の系は文武世頃に滅亡する。もう宿命的なものなのだ。畿内に女王国は
ないね。
295太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/17(日) 11:10:47
昔、大学受験で某科目は満点に近い状態で合格した。今これをやれとして、
やったならば、まぁかなりの低い点しか取れない状況にあるな。
老齢者の中には尋常小学校もにしか行ってない不幸、不利な人もいる。それで
今のかなりの人間が大学へ行ってる状況で、どうせあいつは親の財力か等のスネ
かじりであろうから、漢文が弱い、どうこうのの質問で自己の学を鼻にかけるな。

どうせお前も車の免許を保有してるだろうが、当時試験場でやった学と技能には
今では低下で受からんだろうしな。

ならば『卜事』(ウラゴト)でお前の試験官になってやるよ。(問)どうやって
正卜をやるんかい? →漢字の書き取りだけじゃぁ落第点だぜ。wwww

九州王朝の二つの視点は『始』の漢字からもうかがえる。
あきらめはスッキリと! どうせ女王国は畿内にありっこないからね。
296日本@名無史さん:2007/06/17(日) 11:11:16
つまり・・・読めないと。
なかなか正直でよろしい。
都市よりは素直が一番♪
297太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/17(日) 11:14:31
つまり・・・出亀ないと。
マアマア無能さを認容だろう。ww
出亀ないと古神道の最高権威者にはなれない。←デバガメのことではあらず。w
298日本@名無史さん:2007/06/17(日) 11:22:21
魏志も日本書紀も読めずに御託を垂れ流す老人が徘徊するスレはここですか?
299日本@名無史さん:2007/06/17(日) 11:38:39
>>297
古神道の最高権威者w
リアル基地外ですか?
300九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/17(日) 13:09:58
>>295
凄い。太国さんって秀才なんですね。
うちの親戚も学校でトップの成績が殆どでドイツやフランス留学とかだらけ。
うちの父が一番成績が悪くそれでも通信簿は優と秀のオンパレード。5段階で言うと5とか6{秀}だそうです。
僕は問題外だけど、国語だけなら新聞に掲載される大学の入試問題で80点くらい取れましたけど・・・みじめ。
301九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/17(日) 13:41:51
でもね、これだけは解ります。邪馬台国が畿内にあり
北部九州までの広範囲を勢力範囲としていたのに
わざわざクナ国との諍いの仲介に魏を持ち出す事は無いって事くらいはね。
かえって外国に国政干渉させる事になり、危うさを伴う。
畿内に女王国があるならなおの事、外国の侵略を考えて他国に仲裁などお願いしたりするわけが無い。
クナ国の征伐を大義名分として外国に攻め入られる隙を与えしまう。
古今東西の為政者でこんな馬鹿な発想をする王や将軍の話など聞いた事無い。
邪馬台国が大陸との表玄関、九州にあったればこそ表向きに友好的交流が出来たのである。
魏の使者が倭国の奥地{畿内}に入り込んでマキムクの卑弥呼と熊野のクナ国の仲裁をするなど
外国にどうぞ軍事介入してくださいと言わんばかりの行動を取っていたとしたら日本人の祖先は馬鹿である。
302九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/17(日) 13:45:52
>>301の改め
日本人の祖先、は日本人の先祖ね。
303日本@名無史さん:2007/06/17(日) 13:46:31
>301
大河ドラマとかすきでしょ? ジェームス三木さん並の強引さだなぁ
304九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/17(日) 13:54:24
>>303 欠かさず見ています。ああ、今夜が待ち遠しい。
305九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/17(日) 14:36:10
>>289
平均2反で3人の食い扶持。
200kg/2反の玄米収量があったのでは?
海岸地域では漁労で糧を得ていまたし、
水利の悪い地域では雑穀もあったでしょう。
306日本@名無史さん:2007/06/17(日) 14:52:31
>>288
常備軍って信長からですよ
あのと2/3は何をしていたと?
307日本@名無史さん:2007/06/17(日) 15:18:38
>>301
当時はそれでよかったんだよ。
むしろ積極的におたくの家臣に加えてくださいてな感じで、大陸の有力国に再三官位をねだっている。
倭の五王のくだりなど、ある意味涙ぐましいほど必死。

書記がそこに触れたがらなかったのは、隋との国交あたりから対等
少なくとも独立国家としてつきあいたいとの政策転換と価値観の変化があったからだろうし
だから以前の隷属的外交についてはなかったことにして、一切触れていない。
魏志にしても神功紀の注釈で、別時代のことではないかとの解釈を示しているだろう。
それも肖古王のくだりで完全にボロがでてしまってるんだけどね。

記紀信者が必死で繰り返す武烈の悪行にしても、ネタ元は中国の古典だし
悪王で血筋が途絶えて新系統、しかし完全に過去と無関係ではない新王が立つってのも、ステレオタイプの定番のお話。
逆に悪行を強調すればするほど、その意図が透けて見えると、とっくに看破されているんだが。
308九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/17(日) 15:51:14
>>291
2世紀3世紀の九州は戦乱の状況でしたから、
291さんの言う王権と称するものは九州にはありません。
卑弥呼・壹與も291さんからすると女王ではないのです。
趙政の帰国前に「政等以檄告喩壹與」(魏志倭人伝)とあるように、
戦乱状態は少しは落ち着いたとは言え、3世紀も戦争が頻発していたのです。

この戦乱状態は4世紀中頃まで続いたと思います。
この混沌状況を統一は、
肥出身の前君(景行天皇で書かれている)の九州統一遠征(景行記)に見られます。
その後、倭の5王が現れたのです。

九州に遺蹟と呼ばれるものが出てくるのは、
前君と呼ばれる人物の九州統一後のこととなります。
遺蹟が残るのは4世紀半ば以降と推定。
遺蹟が残る時代は1世紀から4世紀まで飛ぶのです。

吉野ヶ里や安徳台の様な遺蹟は、
筑後川流域や有明海沿岸部から今後も発見されるでしょう。
309日本@名無史さん:2007/06/17(日) 16:20:41
老いも若きも活発に忌憚なく議論するスレにしようよ。
お互い罵倒してたら議論は進みません。
パソの電源つけてるだけ地球環境を無駄に破壊してる。
有意義な交流をしましょうよ。

そんな34歳九州説。
310太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/17(日) 16:31:41
負け始めると個人攻撃で鬱憤をはらそうとしてくるわけだな。
いつぞやなんか、被疑者という『悪行』者の汚名を余に糊塗した奴が近隣の
スレにいた。奴は論に負けてギリギリしていたわけさ。
奴と>>307とは対象的にその意図が見え見え。ww
311日本@名無史さん:2007/06/17(日) 18:08:40
>>308

>遺蹟が残る時代は1世紀から4世紀まで飛ぶのです

爆笑!
そんなら平原、井原、那珂比恵その他はいつなんだ。
平塚川添や吉野ヶ里さえも2〜3世紀には存在すらしなかったのかねえ。
戦乱の痕跡すらないほどの破壊って、核兵器でも使ったか?

>吉野ヶ里や安徳台の様な遺蹟は、
>筑後川流域や有明海沿岸部から今後も発見されるでしょう。

とっくの昔に出ているよ、全面保存してないだけで。
ちょっとは調べてから書こうや。

>>309

そう望むのは同じだが、平気でうそや妄想をあたかも事実のように書き込む確信犯のうそつきや
エセ古神道なんかが跳梁跋扈する現状では、まずそれらの排除が先なんじゃないかな。
彼らは議論するつもりなんてはなから無いんだもん。
実はきちんとした整合性のある九州説となら、古代史好きの盟友として交流を持ちたいと願う、そんな35歳畿内説。
312太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/17(日) 20:49:33
畿内説は妄想。記紀に殆ど無縁の女王国は畿内から離れて、倭人伝
の書かれた大陸により近い、九州にある。

真の古神道の『卜事』(ウラゴト)を把握する者は、古代史の
史容疑を六枚落ちで指せる。漢文の読みが有効なら尚可だが、
坂田三吉は駒の漢字一個しか読めなかったが史容疑は無類に強く、
名人位を送られている。
313日本@名無史さん:2007/06/17(日) 21:04:36
自分は畿内説の人間だが和歌山の暖かさと九州の暖かさは次元が全く違う。
夏にやってきて四季が無いだとか、冬でも生野菜を食べるなどと描写するわけがない。
おそらく温暖な気候の描写は九州のことだろう。本島は含まれてないだけだ。
314日本@名無史さん:2007/06/17(日) 21:05:06
>>312
記紀に殆ど無縁の太国のくせにw
315日本@名無史さん:2007/06/17(日) 21:05:46
>>313
>冬でも生野菜を食べる

なに喰ってたんだろ?
316日本@名無史さん:2007/06/17(日) 21:05:48
しかしね〜。畿内説って、何が畿内にあったっていうの?
巻向遺跡が畿内にあったのが畿内説? まあ、それならわからないでもないが。w
でも、まさか巻向遺跡が魏志倭人伝の邪馬台国だなんて言わないよな?www
317太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/17(日) 21:16:13
畿の編者連もイカサマ書きをすれば切腹か〜。
だろうな、現代でも国家の文書をイカサマ書けば文書偽造罪とかで
発覚すればタダでは済まんからな。
武烈の悪業をことさら強調した、左様に創作したとか分かれば
「御用だ」だな。磔あたりの刑かな?
318九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/17(日) 21:22:32
>>311
>遺蹟が残る時代は1世紀から4世紀まで飛ぶのです

上記表現は表現が拙かった。
訂正文:
2世紀3世紀を起源とする遺蹟はあまりないと推定できます。
319日本@名無史さん:2007/06/17(日) 22:02:24
>>316
まさにそれが畿内説であって、他には無いだろう。
逆に九州のどの遺跡が邪馬台国なんだいと問いたいくらい。
倭人伝みたいな確実性に欠ける史書にべったり寄りかかってはいないのさ。
重要史料ではあり、もちろん参考にはするけどね。
記述内容と事実が違えば、事実を優先する、それだけのことだ。
320日本@名無史さん:2007/06/17(日) 22:16:22
正直漢文とか考古学に詳しくはないのだが、これだけはいえる。
もし魏志倭人伝や日本書紀などから邪馬台国の場所が分かるのなら
とっくの昔に判明しているはずなんだが、そうじゃないということは
やはり少なすぎる文献だけをどうこねくりまわしても、それだけでは無理なんだろう。
321日本@名無史さん:2007/06/17(日) 22:25:25
和歌山でも二期作が出来る地域がある。
322太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/17(日) 22:31:04
卑弥呼の女王国がたとえば記紀に
「巻向に邪馬□国在り、名を卑弥呼という。御真木の天皇の××年
 秋□月、朝廷に朝貢あるも数十年にして交易稀なり。」
などと、これだけでも書かれてれば、もう論争など無い。
これならば女王国が畿内にあったことになる。

が、しかし神功39年とかで、あと具体的記述が無いということは
もう、卑弥呼の国が九州にあったことを物語っている。
で、ある一点から観れば、論争になってるということは、九州に
あったとの意味となるのだ。
323日本@名無史さん:2007/06/17(日) 22:59:04
ぷっ。
324日本@名無史さん:2007/06/17(日) 23:20:36
>>322
ムー大陸もどこにあったかわからないから
九州にあったとの意味となるのですか?
325日本@名無史さん:2007/06/17(日) 23:48:41
>>320
だいたい九州に決まっているのだが、それをどうしても許せない畿内説が
引っかき回しているから、決まっていないように見える。

畿内説というのは、地動説が許せない16世紀の教会のようなもの。
326太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/17(日) 23:50:58
>>324
ムー大陸は信じにくいです。もしや小規模での有小文明のある島の
沈没はあったかな? とは考えていますが定かでがありません。

某古神道関係者の話ですが、「ムー大陸の奥の院が日本ではなか
ったか?」と主張している方がいますが、参考にとどまり何とも?
です。

それはさておき、
貴殿の考えだと、女王国は四国、エジプトとか沖縄だとかの可能性
の肯定を大幅に認容してるわけで、それを言い出すなら、どこでも
可能性は残るでしょうが、妥当な考えではまず畿内でなければ九州
として可だと考えます。

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・・
327日本@名無史さん:2007/06/17(日) 23:58:09
>>325
それはまったく逆じゃね?
別に学界の権威とやらに寄りかかるつもりはさらさらないが
多勢は畿内マキムクで決まりって雰囲気じゃん。
その学会(考古学?)のデーターが信用できないとかいうのならまだ話は分かるが
現実の世界でほぼ決まりになっているのは畿内のほうだよ。
事実は事実として認めた上での的確な反論じゃないと話にもならない。
そういう見え透いた嘘をつくから九州説がまるごと馬鹿にされるんだよ、以後慎んでくれ。
328日本@名無史さん:2007/06/18(月) 00:21:11
では九州説の否定要素ってなんでしょ?

それをまず議論しませんか?
329日本@名無史さん:2007/06/18(月) 02:03:36
九州説の最大の難点は「遺跡がない」これに尽きる
330日本@名無史さん:2007/06/18(月) 03:08:53
一番重要な古代から続く神宮や
宮内庁が封鎖している場所を一切触ることもできない
くせに考古学の畿内説とは笑わせる。畿内でたくさん掘れるのはどーでもいいところ
ばかりだからだよw 

大体一番大きなところが邪馬台国とでもいいたげな馬鹿どもが。平野部ばかりの本州に
邪馬台国より大きな国や連合があるのは当然だろうが。
331日本@名無史さん:2007/06/18(月) 03:13:49
宮内庁の言いがかりで押さえ込んで場所はどこ?
九州にあんのかよ、手のつけられない領域が。
332日本@名無史さん:2007/06/18(月) 03:23:53
九州には手のつけられない領域なんてない。
そのうえで、何にも出てこない。
333日本@名無史さん:2007/06/18(月) 03:46:28
畿内説必死wwww
334日本@名無史さん:2007/06/18(月) 03:47:13
吉野ヶ里遺跡が発表された頃、熊本県でうてな遺跡の存在が明らかになった。
道路工事か何かに伴う発掘で、かなり大きな環濠が見つかり、しかも4重だった
と思う。新聞社が、石野氏にどう思いますかと尋ねたところ、全面的に発掘
調査がされないと仕方がない、とつれない返事だった。

畿内説の考えでは、遺跡は吉野ヶ里のように全面的な発掘がされてないと、
認めないというわけで、現代ではそれは難しい。

ちなみに、九州の大きな遺跡として有名なのは、甘木市の平塚川添遺跡。
http://www.amagiasakura.net/hiratuka/hiratuka-info.htm
熊本県の方保田東原遺跡などがある。
http://www.city.yamaga.kumamoto.jp/kankoh/03-rekishi/03-11katoudahigasibaru.html

なお、纒向の場合は、倭人伝の記述とは合わないんじゃないかな。
居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衞
というやつ。
335日本@名無史さん:2007/06/18(月) 03:51:02
>>331 手がつけられない領域ばかりですが?腐るほどですが。
   ここを読むと九州の遺跡や古代史など何もしらずに書いているとすぐわかる。

  巻 向 だけがとりえだから命がけだよな。畿内説って。 

「学会が!!」
日本史板なのにw「考古学では!!!」、などと話を必死でごまかそうとするのは
大抵ここで論破されたあと。その例がちょっと上にある。いきなり学会の話を持ち出したやつ
がいるときはちょっと上を読んでみようねw
 
336日本@名無史さん:2007/06/18(月) 06:30:11
>>334
うてなは確かに相当重要な遺跡だと予想されている。
ただその環濠内がほとんど未調査なのでなんともいえないわけよ。
ちなみにマキムクは全体の2%弱しか調査発掘されていないが、大溝などの重要遺構が出土したこともあり
その概要が把握されている。
別に全面発掘の必要はないよ、吉野ヶ里だって全面からは程遠い。
平塚川添はどう見ても4世紀以降だろう。方保田東原はかなり多岐に渡っているので、これからが楽しみではあるが
いずれにしても井原や板付と同等かそれ以上の3世紀絡みの出土物がでるとは考えにくいが。
>>335
こういうふうに、知れば知るほど九州の可能性は低くなっていくわけだ。
九州にもなかなか手出しできない、いわゆる宮内庁管轄が数多くあるのは事実だけどね。
それと考古学は歴史学とは切っても切れないものだから
日本史板だからといって文献「だけ」を穴の開くほど見つめても、何の意味もない。
古代史に本当に興味があって、真面目に追求したいのなら両方やりなさい。

しかしながら>>334の最後の指摘はもっともで、今後マキムクから楼閣や城柵が出るとは実は現時点では相当に考えにくい。
畿内説に対する本当の突っ込みどころはそこなんだよね。
一応推論としては、もしマキムクが邪馬台国の中心となる経済区であり、墳墓建設地であったにせよ
それを司る神官は別の場所、たとえば現在の天理市あたりに居たのではないかというのがある。
これも天理の弥生遺跡でぼちぼち3世紀関係の出土物が出てはいるが
再調査がままならないという大人の事情(だいたい分かるよね)があるので
こういう話もあるって程度に留めておいてほしい。
337日本@名無史さん:2007/06/18(月) 21:38:08
天理教のでかい建物の下に埋もれてますよ。
338日本@名無史さん:2007/06/18(月) 22:47:29
>>336  >平塚川添はどう見ても4世紀以降だろう。
末期が4Cならそのとおりだが。開始が4Cは無理。

現時点では環濠集落の数、規模で九州優位は明らか。
九州では戦闘の痕跡の残る人骨や実戦向きの深い環濠があり、
環濠集落における鉄器や鏡の出土状況も畿内を大幅に圧倒している。
弥生時代における九州の優位はいまや動かせない。
対して、畿内は吉備、出雲、東海と比較しても優位性が明確ではない。

そこで、畿内説は古墳時代を200年頃まで遡らせ、九州以外との連合を
強調して巻き返しを図っているのが現在の状況。
潔く50年前に敗北を認めていれば、こんな屈辱的な敗戦処理を長々と
続けなくても良かったのにww
339プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/06/18(月) 23:08:39
>>295

>『始』の漢字からもうかがえる

あは〜ん 久しぶりにやりますか?





やっぱ帰ろう〜
340九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/18(月) 23:20:31
>>339
あらープラムさんお久しぶり!
民法の勉強とか書いてあったけど何か資格を取られるんですか?
僕も最近忙しくてなかなか時間取れませんが、たまには来てくださいね。
341九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/18(月) 23:25:10
しかし遺跡が残ってるだの残っていないだの・・・。
マキムクには弥生時代後期のまともな住居跡遺構は無かったんじゃなかったっけ?
342九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/18(月) 23:43:06
九州において、
環濠集落があったと思われる条件(川に挟まれた平野に面した台地)の場所には、
現代でも都市が発達しており、遺蹟が残りにくいのが残念だ。
現在発見されているものは比較的小さな遺蹟であるように思う。

久留米、佐賀、小郡、等その他多数。
343日本@名無史さん:2007/06/19(火) 00:02:34
>>342
何を言ってるんだ。>>338の言うように九州内で出土した環濠集落遺跡は数多い。
しかもそのほとんどが「都市部」。

>久留米、佐賀、小郡、等その他多数

そのいずれにしても市内のど真ん中から弥生遺跡が出土済。
大好きは遺跡どころか九州の地理についても何も知らないのか?
得に福岡県などは現在の市街地のど真ん中でも、くさるほど遺跡がある。
いい加減な九州説はやめてくれよな、他が迷惑する。
344九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/19(火) 00:19:17
前スレで
「弥生時代の住居跡も必ず遺構として残る。火山の噴火や地震、土地の隆起や陥没、
遺構上に後世の都市が出来たとしても必ず残る」と主張する人間がいた。
こちらが考古学に携わっていないからわからないのだ、とも言っていた。
現実には倭人伝にあるような人口規模を裏付ける遺構は出ていないから、
倭人伝の記述が誇大表記で正確なのもではないという事ともなる。
しかし例えそうであったにせよ、実際に遺構から予想されるものが弥生後期の人口だと考えると
あまりに少なすぎる。その人物からはその事について何一つ説明が無かった。
僕はあれは何の根拠も無く、ただの思い込みで主張していたのだと思う。
345日本@名無史さん:2007/06/19(火) 00:20:04
九州王朝大好きはどうしようもない人だからしょうがないが
>>338にもかなり問題はある。
実際、細々と敗戦処理を続けているのは九州説だし
それはもう九州説論者が学問の世界に居ないに等しいことからもはっきりと伺える。
弥生・古墳の遡上は邪馬台国なんかとはまったく無関係のところから出発しており
そのついでに邪馬台国も引っかかったという程度に認識されているのだが、それがどうしても気に入らないのだろう。
だからエキセントリックな文章になりがちで、反対に馬鹿にされる。
畿内説というか現在の連合説の骨子は、3世紀の真の状況がいかなるものかにあるので
その首都と見られる邪馬台国がどこにあったはさほど問題ではない。
無論その連合内には北部九州も含まれている。君の言うような包囲網や敵対なども考えられていない。
その連合内の首都、邪馬台国が九州にあった可能性は低いことは低いが、その可能性は考慮すべきだろう。
そういう立場に基づいての、考古資料ともマッチした現代的な九州説はここにはいないのかね。
346九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/19(火) 00:41:21
>>345「エキセントリックな文章になりがちで、反対に馬鹿にされる。
考古資料ともマッチした現代的な九州説はここにはいないのかね」

「弥生・古墳の遡上は邪馬台国なんかとはまったく無関係のところから出発しており 」ってねえ。
畿内説の中でも遡上派は異端扱いされてるじゃないの。
大体考古学が「弥生・古墳の遡上」といっても裏を返せば画文帯鏡などの鏡の年代からはじき出してるおそまつさ。
そんな裏づけ持ってこられても九州説としても首を傾げるだけ。
画文帯などは呉が滅亡して晋代になってから倭国に持ち込まれたものが殆ど。280年以降のもの。
九州の遺跡からも同向式などは5〜6世紀の遺跡から出土する。
伝世鏡などの風習はどこの地方にも無く、作ってすぐ埋めたものである。

347馬岱:2007/06/19(火) 00:42:23
ここにおるぞ!
348九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/19(火) 00:49:24
>>346作ってすぐ埋めたものである。

ここはちょっと語弊があるかも。
倭に渡ってきた呉の鏡職人が作ったとして、の話。
大陸で作られたのもが入ってきたとしても持ち主の死とともに埋められたであろう。
349日本@名無史さん:2007/06/19(火) 01:10:31
>>348
その辺がちょっと疑問なんですが、いわゆる三種の神器の鏡のように延々と伝えられた(ということになっている)ものと、伝えられずに埋められたものの差は何なのだろう?
350日本@名無史さん:2007/06/19(火) 01:12:55
鏡は日本製。

呉の鏡職人が漢字を間違うわけないだろ。
351日本@名無史さん:2007/06/19(火) 01:14:38
鏡が三種の神器として天皇家に伝世されるようになったのは、記紀よりずっと後のことだよ。
352日本@名無史さん:2007/06/19(火) 01:21:00
>>351
あれ? そうなの? たとえば邪馬台国時代から延々と伝えられた鏡というものは存在しなくて、
ことごとく埋められた、ということ?
353日本@名無史さん:2007/06/19(火) 01:39:11
>>352
>邪馬台国時代から延々と伝えられた鏡

籠神社にはあるが、個人所有ではないから伝世された。

個人所有の鏡は、所有者が死んだときに一緒に埋めるだろ普通。
354日本@名無史さん:2007/06/19(火) 01:43:40
三種の神器は、もともと個人所有ではなく、信仰の対象で、天皇は司祭。
そういうわけで、鏡が祀られてるのは神社。
今でも、三種の神器は、天皇も見ることが許されて無い。

伝世されるものは、未来永劫伝世される。
個人所有の宝は所有者と一緒に埋められる。
中途半端に伝世されるなんて事例は聞いたことが無い。
355日本@名無史さん:2007/06/19(火) 02:07:42
>>353
なるほど。そうすると、鏡はあくまで単なる個人の所有物という位置のもので、権威の象徴とかの意味で
子孫に伝えるという性格はありえない、ということね?

>>354
そうすると、単に、所有していた個人が神社に奉られたかどうかの違い、ということかな?
356日本@名無史さん:2007/06/19(火) 02:37:03
畿内説の年代遡上の根拠が今ひとつ分からない。

1、鏡の年代とすると三角縁国産説が有力になる以前でさえ、
三角縁の出土は4C以降で伝世が主体と言われていたのに、
なぜ今では大幅に遡上したのか分からない。

2、土器編年の遡上というのも最近急に言われている。平原墳墓を
200年頃で庄内直前期として畿内でも同じ頃に庄内式が始まると
いう考えもあるが、その根拠は鏡の年代観なので、1と同じ。
平原の大量の国産鏡を他の土地での国産鏡と比較すると、平原は
300年以降とする考えの方が自然。

3、年輪年代は学会では正面から支持する学者は少数。
しかも、伐採の時期と建築に使用した時期に100年前後の間隔が
ありうるとすると、根拠にならない。

畿内説からのこの点の説明を聞いてみたい。
357日本@名無史さん:2007/06/19(火) 02:45:21
>>346

>畿内説の中でも遡上派は異端扱いされてるじゃないの。

無知なのか嘘つきなのかは知らないが、どこからそんな話が出るのかね。
異端というなら君が本流だと思う畿内説論者を挙げてみそ。
大まかな定義だが、庄内式の開始を2世紀前後に見て、箸墓の築造実年代を3世紀に見るのが遡上派だとすれば
これはもうほとんどの考古学者がそう考えている。
逆にそれ以外の意見はほとんど聞かないのだが、誰がそんなことを唱えているのか本当なら教えてくれないかね。

ここにも何度も書かれているが、その考古学の主流の考え方に反論があるというのは、これはなんだかんだといっても立派な意見だ。
しかし主流でないとか異端だとか、どうしてそんな嘘をついて話をそらそうとするのだ?

弥生の年代遡上を認めない学者などまずいないし、ましてや純然たる九州説の考古学者も厳密にはもういない。
残念ながらこれは動かせない事実だ。
しかしそれが何だってんだ?多勢や通説に反しても別にかまわないので、堂々と整合性のある九州説を唱えればいいじゃないか。
遺跡も文献も何一つまともに学ばずに、いい加減なことばかり書き散らすばかりでは、誰も九州説などに耳を傾けなくなるだけだ。
ひところと違って、九州説関係の本が出版されなくなったのも、内容があまりにいい加減なものが多かったから
自らの手で首を絞めてしまっただけの話だ。
旧態依然の昔の九州説にしがみつくのではなく、考古事実をきちんと加味分析し
それに対してのもっともな反論を擁した新しい九州説が出てくることを切に望む。
358日本@名無史さん:2007/06/19(火) 03:19:30
>>357
庄内式の開始を2世紀前後とあるが、これはたぶん西暦200年ころということ
だろう。以前は、300年以降とするのが通説だった。
ほとんどの考古学者がそのように考えているというが、どういう理由で100年も
遡ったのか、それを説明して欲しい。
ほとんどの考古学者がなぜそのように考えるようになったのだろう?
359日本@名無史さん:2007/06/19(火) 03:30:18
>>358

九州説派の学者がいなくなったってことだよ。
360日本@名無史さん:2007/06/19(火) 03:35:25
>>356

まず土器編年に関して何冊か専門書を読んだあと、疑問点があれば書き込まれたし。
おそらくは編年の基本が理解できていないために分からなくなっているだけだろうから。

A1、三角縁国産説はいまだ主流にはなりえていない。
  よく600枚近い△が「すべて」舶載なはずがないとして否定材料とする詭弁があるが
  そんなのは当たり前で、誰一人そんな馬鹿なことは考えていない。
  踏み返しやし神獣鏡以外のものまで、むりやり味噌も糞も一緒に括る論調は
  事実を知っていながらわざとやっているようにしか見えない。騙されないように。

A2、過去の土器編年の最大の問題はC14とまったく合わなかったこと。
  これはC14が行き渡る前の説だから仕方がないのだが、編年のメルクマールに鏡が来ることはない。
  その補強材料として語られることはあるが、あくまで2次的なもの。

A3、これは完全な事実誤認、少数どころか同意多数。
 これについては長くなるが、要するに年輪年代というのは農学や植物学に属する研究なので
 既存の文献屋や土木屋、化学屋などの考古学者が検証不可だったころに
 全面的に採用して良いものなのかとは、慎重な意見としてだされたことはある。
 今では農学屋が光谷のあとを継いで、日本各地で追試検証している。
 このことからも考古学というより史学は、理系文系のジャンルを問わず様々な複合学問であることが分かる。
 発掘には土木屋が不可欠だし、出土品保存にはバケ学屋、稲などには農学屋など、多岐に渡ったデータを読み取る能力が必要となる。
 ちなみに弥生遡上について論じておきながら、誰一人プラントオパールについて言及しないのはどういうことか?
 
361日本@名無史さん:2007/06/19(火) 03:44:34
>>358
ごめんね、指摘の通りミスタイプですわw
正しくは3世紀前後、西暦200年前後。ごめんなさいね。

これは遡ったというより、前の編年に無理があったと言ったほうが良い。
とにかく庄内から(古留をはさむとして)土師器開始と、前方後円墳拡散の年代が
どうにも寸詰まりだったため、本当にそのような短期間で全国に浸透したのかとの疑念がもたれていた。
また前述のように付着物のAMS年代があわないものが多数出てきたことから
小林や佐原などが唱えた編年の期間が訂正されることになった。
これが2chのこの板でいう、遡上までのいきさつ。
しかしろくな資料もない時代に、様式順を間違わなかった両氏は偉大だと思うから、念のため。
362九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/19(火) 05:04:23
>>345
>九州説論者が学問の世界に居ないに等しい

飯を食う為の学会を学問の世界と言うなら、君の主張は正しい。
363九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/19(火) 05:33:02
>>343
>福岡県などは現在の市街地のど真ん中でも、くさるほど遺跡がある。

その腐るほどの遺蹟の99%以上が知られていないのが現状だよ。
遺蹟の上に住む人にとって遺蹟ほどやっかいなものはない。
遺蹟は闇に葬り去るもの。
文化庁糞食らえ。

と、今後の永久に公になることのない古代寺院(建造物)の基礎上に住んでいた者が申しております。
今ではその事実を知る人は僕以外にいないかもしれない。
奈良にて
364日本@名無史さん:2007/06/19(火) 05:45:10
>>360
土器の編年について知らないのはおたくのほうだろう。
基本的に、土器の編年は相対編年。つまり、古い順に並べるというもの。
土器には、年代の基準になるものがないので、もともと年代とはなじまない。
それなのに、土器に絶対年代を付し、邪馬台国問題に持ち込もうとするのが
常識はずれなのだよ。

また、三角縁神獣鏡は、出土したのが600枚。すでに盗掘されたものや未だに
土の中に眠っているものを含めると、少なく見積もっても5000枚。
森浩一氏などは、5万枚は作られただろうといっていた。
365太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/19(火) 05:57:54
>>292
どうだ?お前も車の免許の試験を再び受けて合格の自信があるんか?
だいぶ腕が落ちていないか?ww 年よりのこちらに言ってくるくらうだから、
自分は老齢だからと言い出すなよ。
何なら問題を出してやってもいいぞ 〜と言いたいところだが、どこからか
出来るやつに聴きこんでくるだろうからやらないがね。ww
366SOY:2007/06/19(火) 07:51:59
>>360

気になる発言があったのでちょっとだけ発言します。

>A3、これは完全な事実誤認、少数どころか同意多数。

>今では農学屋が光谷のあとを継いで、日本各地で追試検証している。

どこの研究機関が追試検証を行い、その結果はどこに公開されているのでしょうか? ☆

実際には検証されていないにも関わらず、
2チャンネルではあたかもそれが検証されているかのように言う人がいる。
その可能性を疑っていますが、
奈文研のデータがすでに公開され、検証できる状態にあるなら
それはそれで興味深い話です。

>誰一人プラントオパールについて言及しないのはどういうことか?

プラントオパールは稲があったか分かる程度のものと記憶しています。
プラントオパールで絶対年代が確定するのでしょうか?
 
367日本@名無史さん:2007/06/19(火) 13:34:23
>>360 ちょっと気になるので、まず△から
△が日本で約500枚(以上)出土、中国(外国)では0枚です。
既に全部日本製説の絶対優位が確定しています。

日本製が問題視されている鏡を見てみると
A、巨大内向花文鏡(平原、下池山、柳本大塚)
B、方格規矩四神鏡(平原など)
C、画文帯(ホケノ山など)
D、三角縁

これを、時代的に並べると
A→→→→→→・・・
 B → C  → D

となり、この流れからは、平原とホケノ山は日本製鏡の大量出土とみれば
その類似性から近い時代と見ることができます。
三角縁の外区はB、内区はCの影響があることや、Aの時代のみを長く見る
ことは不合理であることからも、B〜Dの期間はそれほど長くないと考えられます。

柳田は、画文帯を180〜240頃、三角縁を240頃からとみる年代観で、平原を
200年頃と見ていますが、とすれば、三角縁を350頃からとする遡上前の年代観
からは、平原は300年頃となります。
368日本@名無史さん:2007/06/19(火) 15:41:52
>>366

>プラントオパールで絶対年代が確定するのでしょうか?

その名の通り結晶体だからC14で判明する。
369日本@名無史さん:2007/06/19(火) 15:48:26
流れぶった切って質問なんですが
もし考古学による遺跡の年代測定が正しいとするならば
九州に邪馬台国に該当するような遺跡はないというのは、事実なんですか?
いまだに地中に埋もれているというのはさすがにもうないだろうから
そこの一点だけが知りたいのです。
考古学が間違っているかどうかは別にして、もし正しければのはなしです。
370日本@名無史さん:2007/06/19(火) 15:55:52
つまり

考古学の成果が正しいと思う人は畿内説
考古学は間違っていると思う人が九州説

こういう区分でいいのかどうか知りたいのです。
371日本@名無史さん:2007/06/19(火) 15:56:57
>>369
>いまだに地中に埋もれているというのはさすがにもうないだろうから
とする根拠はなんですか?はじめに結論アリキで質問しないように。

それはさておき回答:「わかりません。」
372太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/19(火) 16:26:19
>>369
君はクラーク・ケントの真似が出来るわけか?
すごいX線だな。w
373日本@名無史さん:2007/06/19(火) 17:10:58
369ですが
もう九州で新遺跡は出ないだろうとする人と
まだまだ埋もれているとする人の意見を読み比べた結果、そう思いました。
既存の遺跡から新発見はあるにせよ
いまだに手付かずの遺跡が眠っているほど、九州はど田舎じゃないんです。
自分は中津在住なんですが、まだあるという人が九州人だとは思えないんですね。
全然九州のことをしらないのかとさえ思う。
なのでそれを前提として質問しました。
374太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/19(火) 17:13:59
君は建物の底まで確認してないだろう。自分の恣意的思いこみさ。
まさか九州全域を蟻の巣の各一匹まで見てもいまい。
375日本@名無史さん:2007/06/19(火) 17:17:49
建物の下にはどういう遺跡があるか大体調べた上で建っているはずですが。
ほとんどの神社でも式年のたびに調査されていると聞きました。
で、自分の質問は、もしかすると九州説にとってものすごく都合の悪いことなんですか?
それならそうとはっきり言ってください。
376日本@名無史さん:2007/06/19(火) 17:27:43
都合のよしあしは真理の探求に関係ないよ。
俺は九州説だが、九州説に決定的不利な発見がなされてもかまわない。

「邪馬台国の真実」これを知りたいから。
377太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/19(火) 17:28:54
>>375
それはウソだろう。今九州にどでくらい建物があるかは知らないが、
べらぼうな数のはずだ。そんなの逐一99パーセントとか実施済み
だとか信じられるか。
見ろ、社会保険庁関係の大ズボラな有り様を〜〜。
それは調べたところも割かしある所はあるに違いないが〜。
全部に近いなどとを、よくお前は信じてるな。w
お前にも都合の悪いことがあるみたいだと言われても仕方あるまい。
378日本@名無史さん:2007/06/19(火) 17:34:32
>>373
たとえば、宮崎平野には1000位は古墳があり、かなり大きなものもある。
このことから人もたくさん住んでいたことが推定されるけれども、遺跡の話は
あまり聞かない。遺跡がないはずはないと思うので、やはり埋もれていると思う。

宇土半島の付け根部分、現在の熊本県の真ん中付近、ここも古墳の密集地で、
たとえば、塚原古墳群だけでも推定古墳数は500くらいといわれる。
ここも人がたくさん住んでいたと考えられるが、やはり遺跡は発掘されていない。

九州の北部で言えば、八女古墳群のある八女市付近も、大きな勢力があったと
考えられるが、ここからも遺跡の話は聞かない。

このように考えると、九州に限らず、遺跡の発掘はいろんな問題があって難しい
のではないかと思う。埋もれているものが多いような気がする。
379九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/19(火) 17:40:14
>>373
都会化した所ほど遺蹟が眠っている可能性が高いです。
現在人が住んでいるところは昔から住みやすいところだからでしょう。
阪神淡路震災でも昔から集落のあった場所は被害が殆どありませんでした。
奈良も同じです。
奈良では無許可で1m以上(昔は3尺以上)の掘削が禁止されていることもありますが、
もし掘って遺蹟がでてくるとまづいので掘りません。
全国的に見ても新遺蹟がでてくるのは公共開発工事のところが殆どです。
民間では殆ど新遺蹟を隠して壊していると思いますよ。
(発掘調査しないので発見破壊の意識は無い)
380日本@名無史さん:2007/06/19(火) 17:45:08
>>378
つづき。
たとえば、宮崎の場合は、発掘調査を面倒だと思う傾向があるらしい。
遺跡が出てきたら困るような雰囲気があるらしい。

ここには次のように書かれている。

『ところが、期待は見事に裏切られ、工事は突然何事も無かったように再開
された。日高氏の再三に渡る訴えにも誰一人調査に来る事無く、墳丘墓は
見るも無残に破壊されてしまったのだ。』

http://www.gondo.com/g-files/miya/miya1.htm
381九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/19(火) 17:50:36
>>373
僕は奈良が本拠地で現在阪神間に住んでいます。
地震の件は数十年前の宮城県の地震の時も、昔からの集落地では被害がなく新開地で被害多くでました。
前回の宮城地震では調べていませんのでわかりません。
382日本@名無史さん:2007/06/19(火) 18:10:26
>>380
つづき。
熊本県はけっこうちゃんと調査をしているらしいが、遺跡が出ても吉野ヶ里
みたいに大きく報道されるのは非常にまれだと思う。

たとえば、こんなのを見つけた。

http://www.pref.kumamoto.jp/education/hinokuni/tuushinkumamoto/no.3/no.3_3.html
383九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/19(火) 18:39:43
>>357 
畿内説の遡上否定派が前スレでかなり幅をきかせていたのでこっちも驚き聞き返したら
「畿内説年代遡上肯定派は極少数しかいない」と言っていた。
そのやりとりのスレを探したんだが見つからなくて。
こちらが「箸墓の年代が280年以降」と言うと、それより更に新しい年代を提示したような記憶がある。
たしか「謎の女王〜終止符スレ」の何代か前のスレだったと思うが・・・。
384九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/19(火) 19:07:45
>>382
吉野ヶ里は予想に反した大規模環濠集落だから大きく取り上げられただけ。
鞠智城は続日本紀で予想されてていたものが確認されただけなので取り扱いは小さい。
385日本@名無史さん:2007/06/19(火) 19:10:58
遺跡が出たら邪馬台国と言っておけ
386九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/19(火) 19:12:09
>>382
二子塚遺跡は製鉄遺蹟だったので、
取り上げ方は大きかったように記憶している。
387SOY:2007/06/19(火) 20:07:32
>>368
> >プラントオパールで絶対年代が確定するのでしょうか?
>
> その名の通り結晶体だからC14で判明する。

考古学重視といいつつ九州には遺跡がないと言っている人もそうだけど、
こういうところがもの凄くデタラメな気がする。
 
388日本@名無史さん:2007/06/19(火) 20:28:06
九州王朝大好きは、都心部のほうが遺跡が発見されやすいのを知らないのか
389九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/19(火) 20:53:39
>>388
>九州王朝大好きは、都心部のほうが遺跡が発見されやすいのを知らないのか

都心部のほうが遺跡が多いから、
又、公共土木工事も多いから、
遺蹟の発見も多くなる。
390日本@名無史さん:2007/06/19(火) 21:06:57
>>378>>380>>382
おおむね同意だが少し気になったので。

塚原古墳群、八女古墳群それから西都原古墳群にしても周辺から大型の集落遺跡は出ない。
小規模集落がちょこちょこ取り巻くようにはあるがね。
なのでこれは事実には違いないが
そもそも古墳群そのものが4世紀以降に成立したものだから、周辺から大型遺跡が出ることのほうが稀である。
むしろ古墳密集地と住居密集地が離れた場所にあるのが普通。
吉野ヶ里や巻向のように都市と墳墓が一体化したパターンは弥生中・後期から終末期の特色であり
それ以降の時代には当てはまらないのではないか。
近畿にしても百舌鳥、古市、柳本、三島その他どこでも、近隣地に中・大型集落遺跡はない。
関東に行けば、新規開発されたと見られる集落に限り、両者がセットになったものがあるが
それはこの際例外としてもいいだろう。った
4世紀以降の墳墓密集地というのは、ある意味居住や農業に適さない場所だった場合が多く
低湿地や丘陵斜面部を干拓や造成して、土地を作り出す技術が浸透したために利用可能になったと見られている。
巻向も新規造成地だし、百舌鳥などはその最たる事例でもある。
特に九州での古墳群は、こんな辺鄙なところによくもまあと感心するような土地を切り開いて墳墓地帯としている。
なのでその下に中・大型集落がある可能性は限りなく低い。
391日本@名無史さん:2007/06/19(火) 21:11:51
>>389
そういうあたりまえのことが判っていながら
どうして98%は未発見なんて嘘つくの?
九州人は遺跡が出ても隠蔽するとかのくだりなどは
馬鹿にしているととられてもしょうがない。
奈良のせこい人間と同じにしないでほしい。
392太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/19(火) 21:26:01
生活のため利害がかかってればありうるでしょう。
393九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/19(火) 21:41:37
>>389
日本にはもう未発見の遺跡が無いとでも?発見済みの遺跡で人口予想をしてごらんよ。
国内最大の吉野ヶ里遺跡でさえアノ程度なのに!
聞きたいけど邪馬台国時代の総人口を一体どれくらいだと踏んでるわけ?
日本列島にパラパラッとしか人がいなかったのならよけいに
邪馬台国連合が九州から畿内まで広がっていた可能性は薄くなる。
おたくが何説かは知らないけど。

394日本@名無史さん:2007/06/19(火) 22:03:01
>>393

九州王朝大好きというコテからして九州王朝説だろう。
そんなのもわからんかw
395九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/19(火) 22:22:19
>>394
>>393は九州王朝大好きさん宛てにしたレスじゃ無いんですけど。
あっ!間違えました。>>388宛てでした。ゴメンなんしょ。
396九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/19(火) 23:47:51
>>391
遺蹟の発見は必ず生活の利害に絡むから、殆どの人は隠蔽するのだよ。
そのことを如実に示しているのは、全国の偶然による遺蹟発見の殆どが公共土木工事絡みによるものであることだ。

3世紀の女王国の人口をどの場所にどのように振り分けますか?
邪馬台国(7万戸)30〜60万人
投馬国(5万戸)20〜40万人
奴国(2万戸)8〜16万人
上記3ヶ国で、60万人〜115万人
他に狗奴国(邪馬台国と同程度として)30万人〜60万人

現在発見されている3世紀九州の遺蹟は上記人口の1%以下しか収容できないね。
397日本@名無史さん:2007/06/19(火) 23:49:26
>396
へ〜、公共工事もちっとは学門の役に立っているんだ
398日本@名無史さん:2007/06/20(水) 00:43:34
>>396
この人の出す数字はどうしてこんなにもむちゃくちゃなんだろうw

まず7万戸とか信じているのがどうしようもない
3世紀九州の遺構がその1%以下の収容というのもまったく根拠なし
そういえばマキムクの面積を20haとか書いて
涙ながらに逃げていったのもこの人だったっけ

この手のデータ捏造型はオカルト論者に多いが
同時に彼らは陰謀論者でもある
NASA」が隠蔽しているとかと同じく、自治体や個人も隠蔽しているというんだねw
399日本@名無史さん:2007/06/20(水) 00:53:54
九州説の人は、
「九州にはまだ発見されてない巨大遺跡があるはずだ。だから、九州には王朝があったんだ」
でFA?
400九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/20(水) 00:55:46

>>398

君は口からでまかせであることがよくわかった。

マキムク20haって何のこと?
401日本@名無史さん:2007/06/20(水) 01:04:54
>>397
最近の公共工事は、遺跡の調査をしなくてはならないようになっているらしい。
以前、うちの近所の道路工事の予定地から中世の遺跡が出てきた。
そのために、工事の完成は1年かそれ以上遅れたと思う。

工事をする者やその施設を利用しようとする者にとっては、遺跡はかなり
厄介なものに思えるだろうなあ。
402日本@名無史さん:2007/06/20(水) 01:20:48
>>400
これのことじゃね?俺も爆笑したから良く覚えている。
「謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!7」

141 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2007/05/28(月) 18:15:57
吉野ヶ里遺跡からは、多くの色付き管玉が発掘され、墳丘墓(参道まで造成されている)も発見されている。
また、環濠の外堀(深さは4メートルもあり、人が落ちたら脱出できない)
以外にも内堀も発掘されており、マクムク遺跡とは比較にならないほど大規模な環濠集落です。
畿内の人は、どうしても卑弥呼以前としたいらしいが、3世紀前半と3世紀中頃と区別する感覚は、畿内説論者独特の感性なのか?

144 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2007/05/28(月) 18:20:38
>>141
あの〜巻向の規模は、推定で
飛鳥京なみと言われているのですが...
吉野ヶ里どころの広さではないですわな。
ただ、あのあたりは私有地などで、なかなか大規模な発掘が出来なくて
現時点は、巻向の推定規模の2パーセントしか発掘できていないということです。

147 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2007/05/28(月) 18:25:38
>>144
それでも、せいぜい20ヘクタール程度です。

吉野ヶ里は40ヘクタールは優にあります。

150 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2007/05/28(月) 18:43:20
>>147
>それでも、せいぜい20ヘクタール程度です。
東西約2km・南北約1.5kmの纏向が???
俺はどう計算しても300haになるが、君の知っている算数では違うのか?

たしかに141と147の文体は大好き氏っぽいね。
403日本@名無史さん:2007/06/20(水) 01:27:26
埋蔵文化なんたらつー地区指定があるな
404九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/20(水) 01:44:49
>>398
人口問題について蛇足だが付け加えておこう。

魏志倭人伝および韓伝精読すれば以下のことがわかります。
@ 張政(等)は女王国に派遣された軍事顧問団である。
A 張政(等)は壱與の時代迄長期駐在し、軍事アドバイスを残して帰国している。
B 倭人伝は、張政(等)の軍事顧問団の報告書を基として書かれているから、内容が正確である。
C 人口については、倭国伝だけでなく韓伝においても小国では「家」を大国では「戸」を使い分けている。
D 韓伝では1戸=数家であることがわかる。
E CDより「戸」「家」は中国式の概念であって、倭人の概念ではない。
F BEから戸数と家数は女王国側からの自己申告数値ではない、張政(等)の調査に基づく正確なものである。
G 以上より1戸は何人であるかを推定すれば戸を人口に換算できる。
H 1戸=4〜8人で人口を推定したが、1戸=3家・1家=3人(子供を含む)とすれば1戸=9人となる。
I 補足:軍事報告書であるから、倭人伝の「方向」「距離」も正確である。
405日本@名無史さん:2007/06/20(水) 01:50:16
マキムクは盆地湖のあったところを除くと狭いよ。
古墳が箸墓〜崇神〜と北に向かって作られているが、これは
その西側が盆地湖で東側が森林という事情による。
406日本@名無史さん:2007/06/20(水) 02:02:14
4世紀まで盆地湖があったという証拠は?
407九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/20(水) 02:15:47
>>406
崇神記(6年?)に盆地湖の水流出口あたりが(川合:広瀬神社の東側)地上になり木が生えたとの記事がある。
このころ盆地湖の水位が下がったと推定できる。
408日本@名無史さん:2007/06/20(水) 02:28:24
石塚は湖にうかべる島古墳か?
堀まで確認されてるのに
409日本@名無史さん:2007/06/20(水) 02:35:21
唐古鍵は湖の底の竜宮城でした。まちがいない。
410九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/20(水) 02:36:11
崇神6年ごろ盆地湖水位が下がり、湖水が縮小又は沼沢化し、
湖畔に広大な水田を得た崇神は、湖水東岸の広大な新田を見下ろす位置に古墳を作ったと思う。
この湖水周辺の広大な新田が、崇神の勢力拡張の経済的背景になったと推測します。

このあたりは明治時代まで水害が頻発するところでした。
と僕の祖母から聞きました。祖母は子供のころよく洪水にあったそうです。
411日本@名無史さん:2007/06/20(水) 03:05:42
崇神6年じゃないだろ。どこ読んでる?
412日本@名無史さん:2007/06/20(水) 04:31:12
>>367
>となり、この流れからは、平原とホケノ山は日本製鏡の大量出土とみれば
>その類似性から近い時代と見ることができます。

へ?
ホケノ山から鏡が大量出土??

デタラメを言うなッ!
413九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/20(水) 07:44:06
どうでもいいけどォ。
弥生時代の遺跡の予想人口キャパは何人?
414日本@名無史さん:2007/06/20(水) 08:15:23
>>413
わかるわけないじゃん。
数字を挙げている人はいい加減な推測かトンデモさん。
延喜式あたりから推測するしかないというのが実情。
だもんで多くても数千万位だと見られている。
第一5万戸や7万戸なんて数字が正確とか考えるやつは
どれだけの人員で何日間かけて調べtたのかなど考えたことないのだろう。
415日本@名無史さん:2007/06/20(水) 08:37:48
>>414

弥生全時代においての総遺跡数は区分されているものだけで約2万強。
そのうち終末期にかかるものは8千ほど。
さらにそのうち7千5百以上は3〜5人の小規模単発集落。
同一範囲内と考えられるものの点と点を結んで、未発掘分も含めてムラとして考えたにせよ
最大で九州から関東までで1千万ほどの人口がいたならば上出来。
数千万でも多すぎる、九州だけだと百万いくかどうか。

しかももこの数字はむちゃくちゃに条件を甘く見積もって、できるだけ大目に見たもの。
少し辛くすればその半分以下に落ちる。

416九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/20(水) 13:07:11
>>411
>崇神6年じゃないだろ。
記憶違い。
崇神9年

>>408
>石塚は湖にうかべる島古墳か?
そんなことない。石塚は湖面に比べると高台。

>>409
>唐古鍵は湖の底の竜宮城でした。まちがいない。
唐古鍵の標高は推定湖面と同じ位もしくは低いことになる。
今後の課題である。

417日本@名無史さん:2007/06/20(水) 15:57:34
>>413
吉野ヶ里遺跡の人口は当初500人となっていた。
考古学者にしてみれば、古代としては非常に多い数字で、これは集落ではなく、
都市だという声も聞かれた。
最近は、1000人くらいと書かれているものが多い。
現代の一般人には、500人?たったそれだけ、と思う人が多いのだろう。

現代、特にここ50年くらいは日本の歴史の上でも特異な時代なのだが、
その特異な感覚で古代を見るから実際とは違った古代像になるのだろう。
418九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/20(水) 16:35:23
>>414>>415>>417の発言は
>>344の「「弥生時代の住居跡も必ず遺構として残る。火山の噴火や地震、土地の隆起や陥没、
遺構上に後世の都市が出来たとしても必ず残る」と主張する人間がいた」
と深く関わっているわけよ。
>>414>>415でいけば上記の主張は甚だ発見される遺跡の数が不足だし、
もし>>417が正しいとすれば日本列島に、そんな僅かな人口で倭国大乱が起こり
畿内から九州まで広範囲を邪馬台国連合が支配していた、というのが考え難い。
何せ一大率が巡回していたであろうし。それに列島にちょぼちょぼしか人間がいなくては
古墳時代の巨大古墳を築造するのも無理なんじゃ?
色んな可能性を考えると、昔の数は今の数の十分の一だった、とも考えられる。
だいぶ以前朝日グラフで読んだが弥生後期人口弥生人600万、縄文人200万の計800万とあった。
それにつけても発見される遺跡は少ない。
上主張は恐らくこの人「347 :馬岱 :2007/06/19(火) 00:42:23 ここにおるぞ! 」
の意見には相反するけれども、失われてしまった遺跡が数多いと考えざるを得ない。

419日本@名無史さん :2007/06/20(水) 16:54:07
福岡南部に山門郡という地区があり、過去に九州道を建設する
際、その路線上に弥生時代の遺跡が発掘されたが、九州道建設
のために、埋設されている。

おそらく、都市部の団地や工業団地の建設を優先し、無視された
古代遺跡が多数存在している筈です。

吉野ヶ里も工業団地増設の過程で発見されており、その遺跡を
守った関係者には敬意を表します。

それにしても山門郡の弥生遺跡はもったいない。
八女の神籠石の遺跡のすぐそばに、採石場跡や射撃場を許している
みやま市の市長の見識も疑います。
そのくせ、卑弥呼の里が謳い文句だから、始末が悪い。
420日本@名無史さん:2007/06/20(水) 17:01:59
それは畿内論者の陰謀だな
421日本@名無史さん:2007/06/20(水) 17:33:05
>>419
遺跡はよほど特別な場合以外は埋設されるんだよ。
山門郡のケースにしても遺跡の存在が判明しているということは
調査発掘が行われたということ。
なのでそこから何が出ていてどんな遺構があったかは大体判っている。
しかもどんな都市部の団地や工業団地でも、早くて5年以内
どんなに遅くとも数十年もすれば道路舗装や上下水の補完工事が行われる。
その際にまた見つかったりするわけだ。
この間の板付の道路遺構も補完工事での発見だっただろ?
遺跡を隠蔽しても結局は簡単にばれてしまうんだよ。

確かに吉野ヶ里のような全面保存は、古代史ファンの自分としても嬉しいが
旧石器から延々と続く各時代の遺跡をことごとく保存したとすれば
俺や君はいったいどこに住んだらいいのだ?
痛し痒しなんだよ、遺跡保存の問題は。
422九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/20(水) 17:37:37
>>419
しかしヤマト郡の弥生遺跡とは!
邪馬台国の謎を解く大変価値のあるものだったかも。
しかしこの遺跡に卑弥呼の親魏倭王の印章でも眠ってる日にゃあ目も当てられんね。
423日本@名無史さん:2007/06/20(水) 17:43:32
遺跡全面の発掘調査でなく、道路用地に沿った部分的な調査だったら見過ごされる物もあるよね。
424九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/20(水) 17:48:26
卑弥呼の印章を道路工事のおっちゃんが持ってちゃうなんて事は無いのかな?
ちょっと失礼だったかも。
425日本@名無史さん:2007/06/20(水) 17:54:33
>>418
吉野ヶ里の環濠内における推定人口は、最盛期と見られる2世紀初頭前後で約500人。
周辺の農場地域に点在するムラを含めても、最大で5000人くらいと見られている。
これが弥生後期における中規模のクニの実態で
北部九州でも大規模集落に属すると見られる板付、井原などでも1万人以下と考えらている。
これば遺跡規模から推定される最大の人口予想。
これくらいの規模のクニが通商目的で繋がったのが、西日本通商連合とよばれるもので、実態は結構しょぼい。

だから君の言うように倭国乱の記述そのものが疑わしいのだし、ましてや君が考えるような支配とは程遠い。
200m級の前方後円墳建設にしても、多人数で一気に築造したとは考えにくい。
なのでひとつに20年近くかけた長期プロジェクトと考えられている。
明石の五色塚程度のものでも、何度も盛り土を繰り返し、各層の土台が安定するまで一定期間放置していたことが解体調査で判明している。
魏志倭人伝のように5万や7万、いやその半分だったとしても、なによりまず食料が持たない。
どういう方向から検討しても、弥生人口800万でも、これは最大に多く見積もった数字だといわざるを得ない。
426日本@名無史さん:2007/06/20(水) 18:06:34
>>424
いやあり得る。
てかヤフオクなんかでも土器や青銅器が出品されており
写真で見る限りではどうやら本物っぽい。
心無い関係者も居るとしか考えられないケースもあり、盗掘のプロの存在も十分に考えられる。
昔から古物商はこういう表に出しづらいモノを、好事家に高く売りつけることがあり
そこには本物の数百倍とも言われる贋作も混じっている。
絵画の世界なんかだと、様々な贋作事件が明るみに出ている。
昭和初期の西都原における地元民の集団盗掘事件にしても、古物商がらみの話し出し
ぶっちゃけ各地の古墳群の周辺に住む人たちが、それを生業としていた時期もある。
また鎌倉時代になると、プロの盗掘屋がほとんどの古墳を荒らしまわっている。
鏡や剣などで「伝○○出土」とあるのは、だいたいが古物商がらみか過去の盗掘による個人所有。
427九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/20(水) 19:47:56
>>425 だから君の言うように倭国乱の記述そのものが疑わしいのだし、ましてや君が考えるような支配とは程遠い。

僕は倭国大乱や、広域支配が疑わしいというより寧ろ>>417の人の人口仮定の方が疑わしい思うんだけれども。
428日本@名無史さん:2007/06/20(水) 20:27:56
3世紀の朝鮮半島の人口を考えれば

如何に500人だの1000人だのの人口規模が如何に同時代比で少ないか
429日本@名無史さん:2007/06/20(水) 20:35:08
>>428
それがまがりなりにも広大な平野部を持つ半島と
山間部が多い日本列島との地勢の差。
これは自然要因なので仕方がない。
その自然を克服して開拓する技術が何より尊ばれたのも
日本人の民族的特長を形作った要因のひとつだろうし
事実山を切り開き、湿地を埋め立てることで次々と土地を作り出していくのが古墳時代。
430SOY:2007/06/20(水) 20:50:26
>>425
>200m級の前方後円墳建設にしても、多人数で一気に築造したとは考えにくい。
>なのでひとつに20年近くかけた長期プロジェクトと考えられている。

幾らなんでも20年は過大な数字のように思います。200mで20年なら、
縦、横、高さが各々2倍の400mクラスの前方後円墳は
単純に計算すると20×2×2×2=160年かかってしまうことになります。
 
431日本@名無史さん:2007/06/20(水) 20:55:14
吉野ヶ里に固執するから人口規模の想定が明後日の方向へ行くんだろう
432日本@名無史さん:2007/06/20(水) 21:55:12
>>430
それは単純に計算しすぎッスw
面積や体積が増えても工程そのものはほぼ同じなのだから
土砂運搬に時間がかかったとしても仁徳・応神クラスでも長くて1,5倍の30年でしょう。

それとは話は別だけど、仁徳以降にそれを上回る巨大古墳が作られなかったのは
技術的な限界だとする説がある。
かなり早い時期に後円部が崩落していることからも、それは窺える。
433九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/20(水) 22:35:51
高さはクフ王のピラミッドが上回るが面積では世界一の仁徳稜などは
天皇の在位とともに造り出さないととても間に合わない。
まさか誰が入ってもいいように先に造って用意していたなどという事は
あるまいに。
434日本@名無史さん:2007/06/20(水) 22:53:56
書紀の記述通りなら先に作っていたのだが
435太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/20(水) 23:00:55
>>433 >>434
「陵」という漢字のツクリの上部と中部は、「土」と「ル」の合体で
あり、ノの欠けていて無い『先』の字だな。
436九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/20(水) 23:04:41
ああ!でもそれもありかも。エジプトの場合王の存命中から墓は造り出されているから
当然人手がはるかに少ない倭では次に誰が入ってもいいように次々と
大王墓プロジェクトが同時進行で進んだんじゃないかな。
そうしないと急逝される大王もいたりして間に合わず大変な事になる。
一王平均在位10年として一人の王墓に30年も掛かったんじゃ
とてもじゃないがお墓ラッシュでとても政治などやっとれる暇が無い。
巨大古墳は大和朝廷がヤマトの威信を賭けてこしらえるものだから
巨大墓即政治だったのでしょう。
437九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/20(水) 23:10:48
>>435 ああ!ほんとに、気付かなかった。
文字変換が間違ってました。陵{みささぎ}の間違いです。
沖縄では玉陵と書いて「たまおどぅん」と言うそうですが。
438太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/20(水) 23:14:24
仁徳崩御、履中崩御、反正崩御の3回がそれぞれ数年で繰り返され
ているから、この時が大変だったろうに。
439九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/20(水) 23:18:17
>>438
どうしても間に合わない場合は、どこかに仮埋葬したんじゃないですかね?
大王の死後出来上がった墳墓に埋葬し直す、と言うやり方で。
440日本@名無史さん:2007/06/20(水) 23:23:17
>>427
現代の人口は約1億2千5百万人。国勢調査が始った大正9年は、5千6百万人。
わずか90年で倍増している。
江戸時代の末期はだいたい3千万人と推定されている。

関が原の戦いの頃は、1200万人と推定され、400年で10倍になっていることになる。
その900年前の8世紀の奈良時代の推定人口は、450万人。

そういうわけで、西暦200年頃の日本の推定人口は、60万人程度と推定されて
いる。
いろいろ意見もあるだろうが、この程度ではないかと思う。

http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/EV_P_NJ1.html
441太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/20(水) 23:31:20
>>439
可能性はありましょう。何とも?です。

反正天皇崩御の殯が允恭五年に執行された記述が紀にあること
から、他の天皇崩御の殯と比べてこの時のみ、著しくその執行が
遅かったことを掲げて、倉西裕子氏はえらく不審がって実年代
の編年の論に組み入れているのですが、何のことはない、3度も
続けての天皇崩御で各自が精神的にまたか〜と追いこまれて
いたので、休息年を入れて執行を遅らせたようです。
442九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/20(水) 23:35:56
>>440
確かに自然増として計算するとこのようだったかも知れないけれども
一つ思うのは弥生人が幾期に別けて渡来し続けていることを度外視出来ないこと。
稲作も縄文時代の陸稲から水稲へと変化する事で弥生期に人口が爆発的に増え、
それが倭国大乱を引き起こす元となった、と何かで読んだが倭国全体で60万ぽっちなら
争いも無く平和共存できそうな気がするけど。
443日本@名無史さん:2007/06/20(水) 23:37:36
今夜はえらくまともだねえ、ですが氏。
いつもそうなら無用な煽りを呼び込むことはないんだけどなあ。

それはともかく被葬者未定というか、誕生または成人と同時に建設に入ったとの考えは至極もっともだと思う。
特に4世紀以降の王権誕生が確実視される畿内では、各古墳群が同時期に競うように作られている。
祭祀具や副葬品の年代、墳墓形状からもこれは明らかなのだが
王権といえども一枚岩ではなかった証とも見られている。
自民党の派閥に、血の繋がりを加えたみたいなものだと考えてくれれば良い。
ただし各天皇の実在と順番、陵墓地は太国 さんは嫌がるだろうが、まだ確定とはいえない。
百舌鳥古墳群のその三陵にしても、建設順は
履中→反正→仁徳か、反正→履中→仁徳だと見られており、実際の竣工も書記の記述とは会わない。
そこでですが氏の仮埋葬って発想が重要になるわけだ。
今夜は冴えてるよ、キミ。
444日本@名無史さん:2007/06/20(水) 23:55:39
>>442

>稲作も縄文時代の陸稲から水稲へと変化する事で弥生期に人口が爆発的に増え

冴えているついでに、ここだけは訂正しておこう。
爆発的に増えてはいないんだよ。
それはかなり前の弥生論で、実際の稲は冷害や台風に弱い弱種だったことが判明している。
米作によって生活が安定したという事実はないんだ。
しかしこれも縄文末期からなのだが、徐々に稲作が普及して、生産性が低いくせに広大な作付面積を占めていたのもまた事実。
これが何を意味するかというと、支配者層と労働者層という階級差が発生したためだと考えられている。
米は支配者層ご用達の高級食材で、一般労働者はドングリなんかを食べていたとみられている。
まるで江戸時代の搾取体制みたいだが、その支配者層たちがクニのオウとなり
吉野ヶ里のような環濠内に居住していたというのが、どうも弥生時代の実情だと判って来た。

近隣のクニやムラ同士で揉め事があった背景には、土地や水争い、飢饉など
また交易においての遺恨などが考えられる。
特に日本列島は広大な平野が極端に少ないから、巨大化もままならなかったし
海や山に阻まれることや人員の問題もあって、広域支配が物理的に難しかった。
弥生期のつたない武器と防衛施設では、ゲリラ攻めは出来ても防衛が不可能だったのだろう。
小さな諍いは数多くあれど、大陸や半島のようにクニ同士でぶつかり合う戦争がなかったのは、そういう地理的要因が大きいと見られている。
445九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/21(木) 00:01:20
>>440
>>420
人口が右肩上がりに増大し続けていることを前提に決め込んでいますね。
中国でもヨーロッパでも人口は時代と共に増減しています。
僅か50年ほどで人口が三分の一以下になったと推測されるケースもあるようです。

倭国大乱が起きた原因のひとつとして、次の様にも考えられます。
西日本では、前1世紀までの弥生寒冷期に人口が爆発的に増え、
1世紀2世紀の弥生温暖期には酷暑少雨旱魃の夏となり、
旱魃による食料不足が倭国大乱を引き起こした。
(今年の夏は弥生温暖期並の旱魃になりそう。九州四国が特に)

1〜3世紀の人口は九州だけで少なくとも150万人はいたと思う
446九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/21(木) 00:03:41
>>445を修正
誤:>>420
正:>>442
447日本@名無史さん:2007/06/21(木) 00:05:15
>444
横入りだけど、なるほど。
もちろん地域性はあるに決まっているけど、船を使った海賊的な比較的広範囲の戦闘はありえたのではないのかな?
448日本@名無史さん:2007/06/21(木) 00:08:05
>>445
気候に応じた相当に地域別が激しいランダムな増減があったと考えるほうが事実に近いでしょうね。
449日本@名無史さん:2007/06/21(木) 00:28:43
1世紀の日本列島の人口は1000万です
450日本@名無史さん:2007/06/21(木) 00:38:53
古墳の築造に要する年月は前スレでも出てたが。
大林組の試算によると仁徳稜はピーク時1日2000人で約15年を要する。
http://www.bell.jp/pancho/travel/furuiti-mozu%20kofungun/daisen-kofun.htm
http://www1.tmtv.ne.jp/~hsh/NW11-daisenkohun.htm

箸墓などは、石を大坂山から手渡しで運んだという言い伝えからは、万単位の
労働者が使役されていたとも考えられる。実際に大坂山の石が使われている。
1万人平均だと1年位で箸墓は作れる。逆に言うと、それくらいのペースで作らないと
全国的な大量生産に追いつかない。
451日本@名無史さん:2007/06/21(木) 00:43:44
仕事のあるところに街ができる
452日本@名無史さん:2007/06/21(木) 01:52:44
当時の生産能力と人口規模で
年間1万人も使役したら確実に食料危機になると思います。
1000人前後で10年ぐらいかけたほうが国家として有益ではないですか?
453日本@名無史さん:2007/06/21(木) 02:02:05
>>452  全然そんなことはない。
崇神天皇の時代には各地に派兵したとされるが、人員を大量に徴発
して派遣する必要がある。実際に、その頃から関東、東北に古墳
や鏡が普及しだしている。
景行天皇の時代も各地への派兵を続けている。

平時は古墳築造の使役をさせて、有事に派兵に切り替えるというように
常時数万単位の人員を使役していたと考えた方がいい。金銭のない時代
に支配権を確立するためには、租税としての使役は継続させる必要がある。

仮に、1000人で10年としても、数万単位の古墳の存在からは、
日本各地で恒常的に数万人が使役されていたという同じ結果になる。
効率から言えば、1か所ごとの短期集中の方が良さそうである。
454日本@名無史さん:2007/06/21(木) 02:07:15
>>452
稲作をして、その残りの時間で
使役されたとしてもただグータラ寝ていただけとしても
食料の消費量は大して変わらないと思うんだけど。
肉体労働が多いと多少食べる量が増えても10倍とかならないでしょ?
455日本@名無史さん:2007/06/21(木) 02:09:37
つまり出兵は農閑期?
戦国後期まで基本的にそうだったが
456日本@名無史さん:2007/06/21(木) 06:10:58
>>453
全部の古墳が仁徳天皇陵みたいに大きくはないから。

ちなみに、宮崎の女狭穂塚古墳についても所要日数が計算されている。
女狭穂塚古墳は、全長176mの前方後円墳。
一日1000人を動員した場合、農閑期を中心とした年間200日で計算すると
2年半程度を要したとされる。つまり、延べ500日かかるということかな。
457日本@名無史さん:2007/06/21(木) 08:27:51
>>454
徴発した人夫や兵士には食料を官給しなければならない。
徴発されてない農民は自前で食料を消費する。

大量の人員を動員する事は、国家の備蓄を消耗する事でもあり
翌年の生産量を減少させる事となる。

詳しい数字は知らないが、常備兵力は人口の5%ぐらいが限界らしい。
ヤマト政権に10万の常時動員力があったとすれば
人口は最低でも200万人以上必要となる。
458日本@名無史さん:2007/06/22(金) 03:25:16
九州には人が居なかったらしいぞ
459日本@名無史さん:2007/06/22(金) 03:32:08
関西にはたくさん朝鮮人を奴隷として連れて行ったんじゃないかな。
460日本@名無史さん:2007/06/22(金) 04:37:58
関東の開墾に朝鮮人奴隷の労力が必要だった。
461日本@名無史さん:2007/06/22(金) 05:41:30
ああ、だから大阪や東京は朝鮮人都市なんだ。
奴隷の子孫たちか。
462日本@名無史さん:2007/06/22(金) 08:26:09
そういう書き込みをする事で自分自身を貶めてる事に気づきなさい。
463日本@名無史さん:2007/06/22(金) 12:17:17
>>440 :日本@名無史さん:2007/06/20(水) 23:23:17
>>427
>現代の人口は約1億2千5百万人。国勢調査が始った大正9年は、5千6百万人。
>わずか90年で倍増している。
>江戸時代の末期はだいたい3千万人と推定されている。

>関が原の戦いの頃は、1200万人と推定され、400年で10倍になっていることになる。
>その900年前の8世紀の奈良時代の推定人口は、450万人。

>そういうわけで、西暦200年頃の日本の推定人口は、60万人程度と推定されて
>いる。
>いろいろ意見もあるだろうが、この程度ではないかと思う。

http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/EV_P_NJ1.html


その人口推移はあてにはならない。
その人口は、これまでの土器偏年で推定した
弥生時代2300年前から説を元にしている。

そもそも、魏志倭人伝や魏略逸文から、3世紀中頃の倭国の戸数から推定される人口は
軽く60万人くらいオーバーしてしまう。
だから、今まで日本の古代史が謎だった。
464日本@名無史さん:2007/06/22(金) 13:08:29
軽く60万人くらいオーバーしたら、古代史が謎なのか?
もう少し意見をくれ
465日本@名無史さん:2007/06/22(金) 20:42:54
朝鮮人ばかりで大都市だからって威張る畿内説 
466日本@名無史さん:2007/06/23(土) 15:48:45
何こいつ
467九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/24(日) 00:09:02
引用だけど。
■弥生人の人口増加■
渡来人の数は本当に大量だったのか。その問題を解くカギは、弥生人の人口増加の実態にある。
大量渡来説が考えるように、年間の人口増加率は0.1%程度だったのか、それともそれを上回ったのか。
 考古学では、弥生時代の始まりからしばらくたった前期後半〜末の時期に、各地で遺跡の「爆発的増加」
があったことを明らかにしている。
したがって、その増加が、年間増加率で表すとどのくらいになるのかがわかれば、比較をすることができる。
 遺跡が増加した地域の例として、丘陵のほとんど全てを調査した小郡市の一角を対象にして段階ごとに表したのが図であるが、
弥生時代の始まりの時期に7ヶ所であった遺跡が、前期後半には15ヶ所、前期末〜中期初頭には34ヶ所に増えている。
この遺跡数をもとに計算すると、前期後半までが0.762%、それから前期末までが0.818%となり、
弥生開始期から前期末までが0.790%となって、いずれも高い増加率を示す。
また、遺跡の面積・規模は、前期後半から大きくなっており、
実際には1.00%をもこえる高い人口増加率であった。
したがって、わが国における人口増加を渡来人によると考えるのではなく、
稲作農耕の定着とともにおこった人口の急激な増加によると考える方が自然であろう。
(田中良之)http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/165.html
と、考古学でもこう捉えてるようよ。あくまで渡来人の大量流入を因としてるようだけど。
468日本@名無史さん:2007/06/24(日) 00:35:50
>>467

おまい九州大学ミニミュージアムのサイト内、ちゃんと読んだか?
というより、引用とおまいの理解がズレとるぞ。

>したがって、わが国における人口増加を渡来人によると考えるのではなく、
>稲作農耕の定着とともにおこった人口の急激な増加によると考える方が自然であろう。

田中良之氏は渡来人の大量流入などなかったとしている。サイト内の他の論者もほぼ同じ。
なのになんでこう結ぶ?

>あくまで渡来人の大量流入を因としてるようだけど。

因としていないって話なんだがね、田中氏のは。
469九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/24(日) 05:20:10
>>467 これは「稲作農耕の定着とともにおこった人口の急激な増加」を因としてるようだけど。

の書き間違い。>>444の人の「爆発的に増えてはいないんだよ」に対応している。
まあ>>444のその他の部分では別に異論は無いけど、考古学ではこのように言っているが
おたくの意見は縄文時代と弥生時代では人口は殆ど変化しなかった事になるのかな。
と問いただしている部分。
470九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/24(日) 07:11:56
>>469
同意・同意・同意

>>444の間違いを指摘する。
>>444は西日本と東日本の区別がつかぬようだ。

>実際の稲は冷害や台風に弱い弱種だったことが判明している。
西日本では冷害に弱い品種でも、気温が高いから冷害被害はでない。

>縄文末期からなのだが、徐々に稲作が普及して、
>生産性が低いくせに広大な作付面積を占めていたのもまた事実。
水稲と陸稲の区別も出来ていない。水稲は生産性の良い代表的穀物。

>一般労働者はドングリなんかを食べていたとみられている。
温暖な西日本ではドングリ(椎類)の生産性は低い。
だから西日本では縄文時代には人口が希薄であった。


弥生時代の人口問題

弥生時代の寒冷期(前5世紀〜前1世紀)(前期〜中期前半)には、
西日本の人口は急激に増大した。
九州の3世紀人口は150万人を超えていた。
主な生息地は推定人口順に、
筑後川流域〜有明海沿岸平野 >> 菊池川流域〜熊本平野〜八代
>> 遠賀川流域 > 福岡平野 > 中津平野 > (大淀川流域 > 球磨川流域)。
471九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/24(日) 07:35:57
>>467 の引用でも弥生時代はかなりの人口増だった事が考古学的にも裏付けられているし
やはり倭国大乱の原因は九州王朝さんの言うとおり寒冷期の稲の不作による
土地争いとするのが妥当のような気がする。
472九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/24(日) 08:24:49

>>471
「寒冷期」を修正しますよ。
九州(西日本)では冷害はありません。
西日本の不作の原因は旱魃と台風。
西日本では寒冷化すると温暖で雨の多い夏となります。
梅雨に集中豪雨が増え崖崩れや洪水が起きやすくなりますが。


「倭国大乱の原因は弥生温暖期の稲の夏季旱魃不作による土地争いである。」
473日本@名無史さん:2007/06/24(日) 11:15:44
>>472
結局前スレがなんかで主張してた「弥生時代に平均気温が5度低下」は
証拠が出せなくて撤回するのね
474九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/24(日) 13:31:26
>>473 「弥生時代に平均気温が5度低下」
はちょっと大げさかもしれないけど、年によって多少の冷害というのは当然あったろうし旱魃もあっただろう。
そこは>>444さんが「実際の稲は冷害や台風に弱い弱種だったことが判明している」と言ってるように
当時の稲は原種に近く、すぐ病気になったりして枯れ、その為飢饉に見舞われたりする事もしょっちゅうだった事は
疑う余地も無いことだ。それが倭国大乱と言う混乱状態をもたらす原因の一になっていた事だろう。
475日本@名無史さん:2007/06/24(日) 14:40:58
お〜い!太国!!
476日本@名無史さん:2007/06/24(日) 19:59:25
>>475
大乃国さんは継体天皇スレで自慢の倍暦を披露するも
「都合のいいときだけ倍暦と通常暦を使い分けるな」と攻められてますw
477九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/24(日) 23:10:45
>>473
>前スレがなんかで主張してた「弥生時代に平均気温が5度低下」は証拠が出せなくて撤回するのね

撤回はしないが、
論文が見つからん。

僕の発言内容を勝手に変えるな。より詳しく説明する。

前13世紀からの縄文晩期低温期から、少し気温の上がる弥生前期、
前3世紀弥生小氷期に気温が現在より2℃低い時期が数十年ある。
その小氷期の中でも極短期間更に2〜3℃低い時期があった。
その更に2〜3℃低かったこと示す論文を探しているが、まだ見つからない。
478日本@名無史さん:2007/06/24(日) 23:59:03
前スレより

357 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/05/14(月) 12:31:22
>>355
>2世紀から3世紀初頭までは寒冷期だったという人もいるけど

前3世紀から前2世紀は平均気温が現在より5℃位低い弥生小氷期とよばれる時期。
1世紀から2世紀は温暖期。

こりゃやばいと思ってこっそり訂正し、しかも相手の捏造だと罪を擦り付けようと考えたのだろうが
ネットに書いたものは消せないのよ。無限に増殖して個々に保存されるのよ。
自説より「嘘ついてごめんなさい」が先だろう?
479日本@名無史さん:2007/06/25(月) 06:01:59

魏志倭人伝頃の倭国が寒冷期だったことは、植物の植生から推察されると
原田実も著書で語ってたはずだが?
480日本@名無史さん:2007/06/25(月) 11:04:44
>>479
寒冷期かどうかの問題じゃなくて
「平均気温が現在より5℃位低い」ってところが問題なのでは??

5度も下がったら立派な氷河期だよ
481日本@名無史さん:2007/06/25(月) 12:11:04
>>478
>自説より「嘘ついてごめんなさい」が先だろう?
ここはまがりなりにも学術板なので
結局主張に根拠がなかったってのは「嘘をついた」のではなく、
「事実誤認」ということでおながいしたい、と弁護してみる。

要するにErratumを出してしっかりCorrectionしてくれってことですね。
482九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/25(月) 12:17:53
地球環境は気温が2度程度変動しても大きな被害をもたらす影響が出るから
その上さらに冷夏などがあると追い討ちをかけるように冷害などが起こり
作物が全滅してしまう事などもあっただろう。その為飢餓などで多くの人が死んだかもしれない。
「衣食足りて礼節を知る」というから食の不足は何よりクニ間の争いの元となったに違いない。
483九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/25(月) 12:43:51
>>478嘘ついてごめんなさい」が先だろう?

僕なんか時々考えが変わるからそれを嘘だといわれたらたまらない。
考古学者だって新事実判明しましたといえば聞こえはいいが、
結局のところ考えが「今まで間違ってました。訂正します」という事でしょう?
こうして議論するうち歴史の真実に肉薄するかも知れないといった軽い気持ちで
今まで色んな意見を言ってきたけどそのせいで一部の人に散々苛められてきたけど
ここは裁判所じゃないんだから、もしそれらの非難する側の人間の方が間違っていた、
という事が学問的にも証明された場合、今まで散々悪態ついてきた人間の責任はどう取るのかしらん?
484日本@名無史さん:2007/06/25(月) 15:06:36
>>483

>結局のところ考えが「今まで間違ってました。訂正します」という事でしょう?

いままで、その件で、だから信用できないと、さんざん考古学をバカにしてきたじゃないか?
自分の発言を撤回する気があるならそう表明しろよ。

>今まで散々悪態ついてきた人間の責任はどう取るのかしらん?

自分のことだろ。
485日本@名無史さん:2007/06/25(月) 15:55:20
勘違いはだれにだってある。
「最大5℃」を「平均5℃」だと覚え間違っていたとか
つい筆がすべって大げさな数値を書いてしまったとか
それは決して褒められたことではないが、大抵は「訂正します」の一言で片付く問題だ。

しかし、その訂正をこっそり行って前回発言をなかったことにするというのは、論者の品位が問われる。
今回の件はさらに悪質で、相手が捏造したことにしている。
君らが友人関係にしても仕事にしても、これをやられた日には、どう思う?

訂正はいくらでもやればいい、むしろ必要。
嘘や悪態は、いかなる場合でも厳禁。
大好き氏でもですが氏でも「この前といってること違うじゃん」と突っ込まれたときに「変更した」と答えれば
それを責める者はいない。いたとしたらそいつのほうがおかしいし、少なくとも俺は弁護する。
妙な悪態をつくから変更を言い出せなくなるのだし、まわりも信用しなくなる。
実社会と同じなんだよ、匿名掲示板といえども。
486九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/25(月) 16:17:19
>>478
>「前3世紀から前2世紀は平均気温が現在より5℃位低い弥生小氷期とよばれる時期。」

そんな事を書いていたのか。
考えていることと違うことを書いたようだね。
弥生期は低温であることを強調しようとするあまり違うことを書いたようだ。
下記に訂正を再度掲載する。

「前13世紀からの縄文晩期低温期から、少し気温の上がる弥生前期、
前3世紀弥生小氷期に気温が現在より2℃低い時期が数十年ある。
その小氷期の中でも極短期間更に2〜3℃低い時期があった。
その更に2〜3℃低かったこと示す論文を探しているが、まだ見つからない。」


蛇足:
弥生小氷期は現在より海面が2m程低かったと報告のある時期。
海面が下がったから寒冷期と言うよりも氷期としてもよいのでは。
487九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/25(月) 18:35:02
>>485
この邪馬台国版っていうのもだいぶ長く続いてるでしょ。
あんまり長くなると前のこと忘れちゃうわけよ。
滝沢馬琴の八犬伝もあんまり長いんでいったん死んだ筈の人物が
再び登場して活躍するなんて場面もあるけど「まわりも信用しなくなる。
実社会と同じなんだよ、匿名掲示板といえども」
かなあ? ビールのつまみ程度じゃないの。
今まで酔っ払っている時書いたのはとんちんかんな内容だったり。レスの飲酒運転と言えるかもね。
酔いが醒めて読み返して自分で「何これ」と思うけど。
こんなのに実社会同様真剣になってるなんて そこまでは考えたこと無いね。
でもそれ以外は結構真面目に受け答えしてるでしょ。
引用だってよくしてるし。自分としちゃ上出来かな。
僕にとって「間違えました」と「ごめんなさい」は実生活でも無いのよね。
職場でもいつもそう言われるもん。

488日本@名無史さん:2007/06/25(月) 18:50:34
>>487
>僕にとって「間違えました」と「ごめんなさい」は実生活でも無いのよね。
>職場でもいつもそう言われるもん。

…いやなひと
489日本@名無史さん:2007/06/25(月) 19:24:03
つまりキミは、「この程度の低いレベルでも自分としては上出来」のダメ人間で
実生活でも「間違えました」「ごめんなさい」を言えないクズですと、自覚しているんだね。

出来れば、その戯言を垂れ流すために、人生の大半の時間を2chで費やしているという惨めな自分も自覚して欲しい。
490日本@名無史さん:2007/06/25(月) 19:35:43
>>487

 >ビールのつまみ程度じゃないの
 >こんなのに実社会同様真剣になってるなんて そこまでは考えたこと無いね。
 >僕にとって「間違えました」と「ごめんなさい」は実生活でも無いのよね。

ここを貴方の「巣」として認めてあげますから、けっして他のところには出張ってこないでね。
2chとはいえ、ほかの人たちはもう少し真摯な態度で議論に臨んでるんですから。
491九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/25(月) 19:47:06
笑止千万思わず噴出しちゃったら、鼻水が出ちゃった。
492日本@名無史さん:2007/06/25(月) 20:04:53
>>491

鼻水じゃなくて悔し涙だろ
目が真っ赤だぞ
493日本@名無史さん:2007/06/25(月) 20:13:38
いや、本心だろう。
一般人には理解しようのない精神構造の持主なんだよ。
何も今日のカミングアウトで初めてそう思ったわけでもないよ。
494日本@名無史さん:2007/06/25(月) 20:15:07
太国が久々に痛さ全快で注目を浴びたら
今度はそれに負けまいとばかりに、ですがも痛さをパワーアップしてくる。

同一人物説もあるし、書き込み時間が似通っているのは事実だが
俺には、どんな形でもいいから自分にかまって欲しいという悲痛な叫びに見えて仕方がない。
馬鹿にされてもいい、なじられてもいいからそばに居させて欲しいと、そう言ってるようにしか見えない。
495九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/25(月) 20:16:08
ヒッヒッヒッ。
歴史キモオタがよく言うわ!
496太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/25(月) 21:03:08
PU! ww
497日本@名無史さん:2007/06/26(火) 00:25:20
498日本@名無史さん:2007/06/26(火) 01:51:11
>>1
>*良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。

粘着は無視すべし。
499日本@名無史さん:2007/06/26(火) 11:07:15
王朝大好きはちゃんと訂正したからやっぱ偉いわぁ

それに引き換えですがと大乃国は…
500日本@名無史さん:2007/06/26(火) 11:56:17
500ゲット
501九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 16:39:31
2ちゃんねるに書き込みのもっとも多い年代12〜19って・・・。

まさかここに紛れ込んじゃいめーな・・・。
そんな馬鹿餓鬼と対等に会話するほど落ちぶれちゃおらん。
うー。けがらわしい!シッシッ!
502日本@名無史さん:2007/06/26(火) 16:47:18
九州ですが ◆UEukKMcVo2 さんは、
おいくつですか?
503九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 16:52:50
12〜19才なんて、ふざけろこの!
そんなのに今まで言いたい放題言わせておいたかと思うと、
う〜おまえのせいでじんましんが前身にっ。ああ〜〜〜〜。かゆい。
504九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 18:27:29
というわけで弥生時代後期に冷害を含む様々な事情で作物が不足しクニの人口を支えきれなくなり、
他のクニへの米の買出しもうまくいかずに耕地を奪い合う事に。
倭国大乱というのはその様な小競り合いが広範囲に広がってあたかも戦国時代の下克上の様相を呈していたもの。
505日本@名無史さん:2007/06/26(火) 18:51:17
ですがが勝手に書き込み年齢層の件で燃え上がってる…
「書き込み年齢層」なんて根拠の良くわからないものを
よく盲目的に全部を信じるなぁw

魏志倭人伝も盲目的に全部を信じちゃってるんだろーなぁww

506日本@名無史さん:2007/06/26(火) 19:15:35
ですがにとっての書き込みは「ビールのつまみ代り」なんだから、
別に本気じゃあるまい。

とにかく、隔離スレから出て来ないかぎり、
ここで何をほざいていても他人の迷惑にはならない。
ただ、寂しくなって、他スレに出没する恐れがある。
だから、こちらが暇なときは、覗きにきてテキトーに弄ってやる必要がある。
507九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 19:25:15
こちらが真面目な会話をしてるときはどこかに潜んでいて
「痛い会話?」で攻撃時だと見るや色々書き込んでくるおまえたちは人間のゴミだ。
うじ虫だ。あ、言い過ぎた。ごめんなさい。悪かった。許してね。
ほんとにこんな僕を許してくれるかい? 許してくれて有難う!ゴミ君、うじ虫君。
こんなやつらと一緒にしてしまってごめんね。
508日本@名無史さん:2007/06/26(火) 19:27:47
>>506

うーん、いままでのレスの中で最高に同意するものだ。
509九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 19:33:35
お願いだから人食いザメに乗って竜宮城に連れて行ってもらえば?
510日本@名無史さん:2007/06/26(火) 20:07:03
>>509

浦島伝説だな。
その浦島伝説の元は、籠神社のある丹後だって知ってるか?
籠神社の伝承では、ヒコホホデミ(または天火明)が竜宮にいったことになってる。
ここで、竜宮というのは、朝鮮半島で間違いない。

つまり、天孫族の故郷は朝鮮半島では無いことになる。
同時に、丹後から朝鮮半島へ行き来する海路もあったということだ。
何か、言うことはあるかね?
511日本@名無史さん:2007/06/26(火) 20:27:33
もう構わない方がいいよ
誰かに相手にしてもらいたくて必死なんだから
放置しておくと、そのうち面白いものが見られるに違いないしw
512九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 20:29:59
>>510何か、言うことはあるかね?

論外もいいところだろう。竜宮城とは沖縄の事だ。
常夏で夢のように時間が過ぎる事からやっと故郷に帰り着いたときには何十年も過ぎており、一人取り残された、
という話なのだ。トヨの母親の出身が竜宮だから宮崎など南九州の出身だった可能性もある。
多少SFじみるが最近話題の与論島かなんかの海底遺跡を行ったのかもしれないという説もある。
とにかく竜宮伝説は南方の伝説なのだ。
513九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 20:32:53
>>511
アマゾンのピラニアがおまえを餌にしたがってる。
ここは一つ一肌脱いでやれ!餌になってやれ。
514日本@名無史さん:2007/06/26(火) 20:47:34
>>510

沖縄だけでももう大笑いなのだが

>最近話題の与論島かなんかの海底遺跡

腹が捩れるwwwwwww
あんなもん信じているやつがまだいたとはwwwwwwww
オカルト板住人でさえも、とっくの昔に放り出したシロモノだぞ。
515日本@名無史さん:2007/06/26(火) 20:56:15
与論島じゃなく与那国島
うろ覚えミットモナイ

最近じゃなく10年ほど前に話題になって、すぐに論破された
516九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 21:01:21
>>514いえいえ。褒めるには及びませんよ。
おたくのこの説、
「その浦島伝説の元は、籠神社のある丹後だって知ってるか?
籠神社の伝承では、ヒコホホデミ(または天火明)が竜宮にいったことになってる。
ここで、竜宮というのは、朝鮮半島で間違いない」

それ以上ですよ。重度の精神病患者でも信じないような気違いの上をいきますよ。
そこまでいったらもう哀れ。今ビール飲んでるからこれ以上今夜はばか者の相手は
出来ない事を御了承くださいませ。あんたの狂った親とでも童話の続きを続けたら?
そんな伝説日本中にくさるほどあるわ!そんな伝説を信じるなんてあんたどこまで馬鹿なのよ。
伝説の地元の年寄りに聞いてみい!わらわれるだけじゃ!

517日本@名無史さん:2007/06/26(火) 21:32:07
朝鮮にいったかどうかは別にして、>>510の丹後説は、至極真っ当だし
通説になっているといってよい。
根拠は民話などではなく、丹後国風土記逸文。

詳しくはwikiの「浦島太郎」参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E5%B3%B6%E5%A4%AA%E9%83%8E

俺は沖縄説のほうこそはじめて聞いたが、いったい誰が書いたトンデモ本を読んだのだろうか。
海底遺跡と絡めていることから、南山宏かあすかあきおだろうけど。
518日本@名無史さん:2007/06/26(火) 21:32:28
>アマテラスは男だったんだよ

こういうことを言う人がたまにいるが、アマテラスは女神である。
これは、議論の余地は無い。
アマテラスの子であるアメノオシホミミが男神なのだ。
つまり、オシホミミはアマテラスの息子なのだが、同時に男・アマテラスという
性格を持つ神なのだ。アマテラスの分身=分神である。
ただ、このオシホミミは、神道の世界ではあまりにも軽く扱われているね。
本当は、ひじょうに重要な神なんだが・・。
519太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/26(火) 21:46:31
アマテラスは女性ですな。
倉西さんは卑弥呼を男だと主張しており、その正体は成務天皇だと
かように申している。
この男というのは両方とも間違いと観ていい。

倉西さんは宝塚男装ガールの憧れを今も捨てられないのか?
520九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/26(火) 21:48:31
>>504
>というわけで弥生時代後期に冷害を含む様々な事情で作物が不足しクニの人口を支えきれなくなり、
>他のクニへの米の買出しもうまくいかずに耕地を奪い合う事に。
>倭国大乱というのはその様な小競り合いが広範囲に広がってあたかも戦国時代の下克上の様相を呈していたもの。

僕の理解は上記とは違う。

縄文晩期から弥生中期(前13世紀〜前1世紀)までは寒冷気候の為、
西日本では夏が多雨気候となり、水稲が定着し広がり、食料の安定化をもたらした。
弥生前期中期の人口爆発となった。
西日本では弥生寒冷気候でも、東日本のような「やませ」による冷害がおきず、
夏は暑く多雨なので水稲の耕作にとって最適な気候である。
(水稲の不作の原因は、西日本では旱魃、東日本では冷害)

弥生後期(1世紀〜3世紀)になると現在より少し温暖化した。
西日本は少雨猛暑になり(縄文前期〜後期のような)、
水稲はこの旱魃により不作となった。
この作物の不足と不安定化により、
弥生前期中期の爆発的に増大したクニの人口を支えきれなくなり、
他のクニへの米の買出しもうまくいかずに耕地を奪い合う事になった。
倭国大乱というのはその様な小競り合いが広範囲(西日本全体)に広がって、
あたかも戦国時代の下克上の様相を呈していたもの。

2世紀末になると卑弥呼の登場もあるが、
魏志倭人伝や三国史記新羅本紀に見られるように、
3世紀になっても、戦乱が治まったとは言いがたい。
521九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/26(火) 21:49:22
続き

4世紀5世紀の古墳寒冷期に入ると、
西日本は多雨の夏となり、水稲も増産できる様になった。
この時水稲による経済力をバックに大きな勢力を持った地域は、
畿内>筑後肥前>尾張・備前であったと思われる。

付録
水稲の北進は、弥生中期から後期にかけての温暖化時期に、
西日本地域から東日本地域全体に一気に広まったと思う。
(西日本に停滞していた水稲が、100年位で一気に北進したとの説あり)
(東日本:中部以北、弥生高地性集落の無い地域、やませの来る地域、豪雪地帯)
522日本@名無史さん:2007/06/26(火) 21:51:02
酔っ払って自演が面倒になったから、ここに書いたのだろうけど
思い切りスレ違いだし、たぶんそのスレ読んでない人には、なんのことだかさっぱりわからないだろう。
523日本@名無史さん:2007/06/26(火) 21:59:40
>>520

>>というわけで弥生時代後期に冷害を含む様々な事情で作物が不足しクニの人口を支えきれなくなり、
>>他のクニへの米の買出しもうまくいかずに耕地を奪い合う事に。
>>倭国大乱というのはその様な小競り合いが広範囲に広がってあたかも戦国時代の下克上の様相を呈していたもの。

これはですが氏のレスからの引用文だが
君は16〜20行目で、[「何故か」こう書いている。

>弥生前期中期の爆発的に増大したクニの人口を支えきれなくなり、
>他のクニへの米の買出しもうまくいかずに耕地を奪い合う事になった。
>倭国大乱というのはその様な小競り合いが広範囲(西日本全体)に広がって、
>あたかも戦国時代の下克上の様相を呈していたもの。

人の文章パクッって、あたかも自分の考えに見せかけるのは感心しないな。
どこかの社説みたいだ。
まあ「同一人物」だったなら、別に構わないのだけどねw
524九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 22:00:21
>>517 引用
この昔話は、東北から九州まで、ほぼ全国的に分布しています。
竜宮は、昔から海の中、水の中にあると考えられ、そこは竜神の住む所、さらには、沖縄で言う「ニライカナイ」や、死後祖霊神となり住む「常世の国(とこよのくに)」、海上、海中の他界とも想定されてきた。
竜神は、水をつかさどる神(水神)として信仰され、竜神の住む竜宮では、物も時間も永遠につきることがなく、まさに不老不死の国であった。

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%CE%B5%B5%DC%A4%CF%B2%AD%C6%EC&fr=bb_top_v2&tid=bb_top_v2&search.x=1&x=22&y=15
525日本@名無史さん:2007/06/26(火) 22:12:26
>>524

本格的に壊れ始めたみたい・・・酒だけのせいじゃないじゃないような希ガス
引用URLだとyahooの検索ページに飛ぶのだが・・・
ざっと読んでみても「沖縄病」「新興宗教」とかのサイトばっかじゃん。

そしてこれは笑った!いやあ久々に声を出して笑わせていただきました!

なんと検索キーワードが『竜宮は沖縄』!!!

そんなj結論ありきの検索して、しかも自らバラしてますw
526九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 22:14:35
>>520
確かに九州には冷害というものは少ない気がする。でもいわれるように
「弥生後期(1世紀〜3世紀)になると現在より少し温暖化した。西日本は少雨猛暑」
というのはどの程度のものだったのだろう。
当時は農薬なども当然使わなかったから、雲霞やイナゴ、そして稲の病害虫の蔓延による
稲の全滅などといった事もあったのではないだろうか。
527九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 22:21:41
>>524
馬鹿がどこを読んでんだ。
「この昔話は、東北から九州までほぼ全国的に分布」って書いてあるだろうが!
おまえがじーやんばーやんからきいた昔話をそのまま信じてるに過ぎないつーの!
528九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 22:24:20
>>527
>>524>>525の訂正。
529日本@名無史さん:2007/06/26(火) 22:32:21
>>527

いやおまえがもう何を書いてもだめ
自らネタばらししちゃったんだから

『竜宮は沖縄』wwwwwwww

そんな検索ありかよw

ちゅっとだけまじめに答えておくと、たしかに全国的にこの伝説は分布している。
そのなかでもっとも古い記録が丹後。
ひどいのになると、明治以降の村おこしで言い出したところもある。
ネタは違うが、東北のピラミッドや義経の蝦夷脱出なんてのもその類だ。
530九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 22:33:22
>>525
あのねドテ頭。
{引用}
「この龍宮そのものはインド起源であり、それが中国化して日本に入ってきた。
インドでは、蛇を助けて龍宮に招かれたり、人類幸福のため龍宮へ如意珠探しにいく話など、
龍宮を舞台とする説話がたくさんある。
また、インドから密教が海路で伝播するときも、龍宮伝説をともなっている」

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%AB%9C%E5%AE%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC&ei=UTF-8&fr=bb_top_v2&x=wrt

とあるように元々インドから来た伝説なの。それが和風にアレンジされただけなの。おわかり?

531日本@名無史さん:2007/06/26(火) 22:43:48
ちなみに『邪馬台国は九州』でヤフー検索すると
当たり前だが、九州説のサイトが優先的にヒットする。
約151,000件ヒットのうち、トップはやはり「邪馬台国の会ホームページ」
いやあ人気あるねぇw

不思議なのは3位に「邪馬台国 - Wikipedia」が見つかるのだが
どうやらここは「意図的に」飛ばして読んでいるようだ。

しかし良い事知ったなw
詭弁をかますには『○○は××』という結論ありきの検索すれば簡単なんだw
532太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/26(火) 22:47:04
籠神社名の「籠」のタケカンムリを除くと『龍』の字になる。

妙法蓮華経 堤婆達多品 にも竜女の話があるな。
533日本@名無史さん:2007/06/26(火) 22:57:56
>>530

おまいは天然芸人かよw
いかん、手が震えるほどに笑ってるわ俺。

さっきから言ってるじゃん。
おまいの引用URLは、その内容を書いてあるサイトのものじゃないのよ。

おまいが「どんなキーワードで検索したか」を自白している、ヤフーの検索結果ページなのよ。

で、探してみた・・・おまいの引用サイト・・・案の定笑った・・・もうだめだw

http://www.waw.ne.jp/waw/index_w.html
サイト名は「ワンダーワールド」その名のとおりオカルト、特に妖怪大好きな人のサイト。
「妖怪愛護協会」とかやっておられたようだね。
その中の「古典妖怪の研究 九の巻<龍>」から「資料館 龍館」に入り「 龍」のページが、君の引用したもの。
管理人は純粋に妖怪好きの人みたいだし、誠実な内容に好感が持てる。

そんな人のサイト内容の一部を切り取って、恣意的に使用するなんて、モラルの欠片もないなおまいは。
カミングアウトしたからって、やっぱやっちゃだめなことはだめなんだってw
534九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 23:00:21
>>532
そうですね。うちの祖母が亡くなった時、妙法蓮華経堤婆達多品が読まれていたみたいです。
女人成仏だからでしょうかね? 竜女というのは豊玉姫の母親で実家は竜宮ですよね。
僕はトヨがこの豊玉姫のような気がしてならないんですがね。
そういえばうちのばあちゃんの名前もトヨだっけ。
535九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 23:13:48
>>533
うるさいねこの低能児は。昔から竜宮は沖縄というのがそんなサイトを開くまでも無く
広く言われてんの!おまえとおまえの馬鹿親が知らないだけだろうが!
536日本@名無史さん:2007/06/26(火) 23:28:03
お前らまだこんな馬鹿レス書いてるのか?
いい加減卒業しろよ
今じゃ恵也もプラムどっかいっちまったし・・・・・・・・・
537日本@名無史さん:2007/06/26(火) 23:36:53
>>535

>昔から竜宮は沖縄というのがそんなサイトを開くまでも無く 広く言われてんの!

言われてない、言われてないw
ニライカナイや海底遺跡大好きの人たちにしか、言われてないw

しかし自分で引用しておいて「そんなサイト」扱いはひどいよな。
538日本@名無史さん:2007/06/26(火) 23:39:13
>>536

>恵也、プラム

いるじゃない、別ハンドルで・・・ほら、君のすぐ上に・・・
何より>>536の中の人にw
539九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 23:41:32
>>536
おまえが出て行け!おまえのような者に用は無い。
今は「竜女というのは豊玉姫の母親で実家は竜宮」と、いよいよ話の核心に入っていく大事なところだ。
その為に今まで竜宮の話をしたのであって、ましてこんな馬鹿{>>533}などに用は無い。


540日本@名無史さん:2007/06/26(火) 23:47:29
ということで、今夜のですが劇場はこれにて終幕。

今夜は俺が弄って遊んであげたので、明日は別の人頼みますね。
あ、別に邪馬台国の話じゃなくても
ここは座敷牢スレだから、ねこじゃらしは何でもおk。

心地よい疲れだな、ビール飲もうw
541九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/26(火) 23:48:10
他人を攻撃するときだけ喜んで出てくるなばか!
おまえのようなクズがいる限り、この世は良くならない。
だから飛び込めといってるだろう。ピラニアのいる川に!
542日本@名無史さん:2007/06/26(火) 23:55:40
>>541
遊んでもらって嬉しかったって素直に言えよ、このツンデレめw
543九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/27(水) 00:14:57
>>540>>542
そのビールがおまえの体内で猛毒に変わる。おまえはやがて癌になり
おまえの妻子は車にひき殺され、相手は無罪。
その様な地獄の扉が段々人生の上で開いてくることを忘れるな。
おまえなんかが生きてること自体日本の邪魔なのだから。
544九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/27(水) 00:18:54
>>542遊んでもらって嬉しかったって素直に言えよ

けがらわしい猿め!おまえの母親マントヒヒと父親ゴリラの血が混じって
いよいよ狂ったか!
545九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/27(水) 00:23:37
>>540>>542 帰れド田舎に!
出生地はオランウータン村ですかァ?人口50人の田舎に帰れ!
おまえの故郷に比べれば吉野ヶ里遺跡は大都会じゃ。
546九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/27(水) 00:37:48
>>533サイト名は「ワンダーワールド」その名のとおりオカルト、特に妖怪大好きな人のサイト。
「妖怪愛護協会」だろ?
おまえにぴったりじゃない。
547九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/27(水) 01:29:46
今夜は完全に>533に話を狂わされてるな。なんか恥ずかしい!こんなの相手にして。
人生経験の浅い中学生か高校生じゃないのかな。だったら話しかけてくるなって言うに!
竜女と豊玉姫については引っ掻き回されただけで終わってしまってからに!
何も得るもんがなかった。ばかばかしい!誰も相手しないっしょ、こんなNG坊やなど。

548日本@名無史さん:2007/06/27(水) 03:09:11
ツンデレかわいいよ、ですが
549日本@名無史さん:2007/06/27(水) 03:27:30
まるで鮮人のような狂い方だなw
550日本@名無史さん:2007/06/27(水) 03:33:42
何がすごいって、お相手の最後のレスが>>542として
それから>>543-547とひとりで1時間半以上も火病っているのはほんとうにすごい
近いうちに脳溢血でころっと逝きそうだな
551日本@名無史さん:2007/06/27(水) 03:59:08
>>550
君はバカか?
552九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/27(水) 06:41:26
夕べは早くに酔っ払ってしまって普通なら無視しているような連中に
感情的に関わってしまって寝不足で仕事にいくはめになってしまった。
フフッ。しかし竜宮が朝鮮とはおわらいぐさというか世間の常識を弁えないというか。
元々はインド起源の物語で仏教の伝来などとともに伝わった話。
浦島が連れて行かれたのは海中ではないどこかの島で3年程暮らした。
すぐに帰らなかったことから、時を忘れるほど、と解釈されて
四季のはっきりしない常夏だった為、とも考えられており
また「りゅうきゅう」が「りゅうぐう」と言い換えられたとの説もあって
TVで浦島伝説が取り上げられるときは必ず竜宮は沖縄という説が持ち出されることが多い。
これはインド起源ではあるが、日本にも古代から船での航海中に難破し
何年も帰らないという事が良くあったと考えられる。
その際南方の沖縄などに流着し、四季のよく解らない気候から何年たったかがわからず
随分たってやっと帰郷したときには知っているものは皆いなくなってしまって自身も随分年老いてしまった。
などという事が良くあり、インドの浦島伝説と結びついたと考えられる。
故に和製浦島太郎の伝説の元となった竜宮とは沖縄だったという事がいえるのである。
553九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/27(水) 07:16:02
>>552
なお、話はリンクするが、豊玉姫は山幸彦と結婚する。山幸彦の神話は浦島伝説とそっくりであり
その豊玉姫の母親が竜女である。そして実家が竜宮である。
つまりインド起源の浦島伝説は仏教の中に取り込まれており日本神話とも繋がりがある。
前述したように和製浦島伝説で言う竜宮を沖縄とした場合、山幸彦の物語を宮崎起源とすれば
モデルになった人物が沖縄に漂着した後、故郷の宮崎に帰った話と捉える事が出来、より自然である。
554九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/27(水) 07:20:29
>>553続き
そして夕べ邪魔が入って語れなかった核心部分だが、この豊玉姫こそ
邪馬台国女王卑弥呼の跡を継いだトヨではないのか、というところに入りたいのだが
仕事に行く時間が来たのでまずは猫に餌やりをしなければ・・。
555日本@名無史さん:2007/06/27(水) 07:27:15
山幸彦は何に乗って竜宮に行ったでしょうか?
556日本@名無史さん:2007/06/27(水) 08:38:21
>>554
巫女であるトヨが山幸彦という夫を持ったというのは本当ですか?
猫に餌やりする九州ですがさん、一人暮らしなのですね・・・・
いい奥さん、見つかるといいですね・・・・
557日本@名無史さん:2007/06/27(水) 10:45:02

ト、トヨタン・・・・・・・・・
558日本@名無史さん:2007/06/27(水) 10:49:39
>>518
>アマテラスの子であるアメノオシホミミ

「アメノ○○○○○ミミ」って名前は出雲系だろ
559日本@名無史さん:2007/06/27(水) 12:11:12

ミ、ミミタン・・・・・・・・・
560日本@名無史さん:2007/06/27(水) 12:34:32
>>554

>この豊玉姫こそ
>邪馬台国女王卑弥呼の跡を継いだトヨではないのか、というところに入りたいのだが

「琉球」は元々の自称ではなく、中国側からの名称で隋の時代に成立したとされる。
(ウィキペディア「琉球民族」より)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E6%B0%91%E6%97%8F

個人サイトですが、こうも紹介されています。

実は「琉球」の表記は『隋書』(7世紀)に「流求」とあるのが初めての紹介とされています。
その後、「流鬼」(『新唐書』)「瑠求」(『元書』)などと様々に表記されていました
そしてやっと「琉球」に落ち着いたのは明時代以降の事です
明以前の「琉球」が現在の沖縄を指していたかはよくわかっていません
http://okirekisi.livedoor.biz/archives/50197167.html

どう考えても無理です。
本当にありがとうございました。
561日本@名無史さん:2007/06/27(水) 12:52:57
これも個人サイトですが、よくまとまっています。

(浦島太郎のあれこれ)
http://enkan.fc2web.com/minwa/urasima/column.html

島子が”浦島太郎”になり、”竜宮”に行って”乙姫”から”玉手箱”をもらうようになったのは、江戸の御伽草子版の「浦島太郎」以降からである。

文献に一番最初に現れる浦島太郎――浦島子は「日本書紀」のものだが、その原典は、伊預部馬養という文官の創作小説であったとされる。
これは現存しないが、「丹後国風土記」等で逸文を読める。

昔から、「浦島太郎」は中国の神仙思想に深く影響を受けた話だと言われてきた。
実際、中国に「浦島太郎」そっくりの話もある。 >>「洞庭湖の竜女」

562九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/27(水) 13:14:00
>>523
>人の文章パクッって、あたかも自分の考えに見せかけるのは感心しないな。
>どこかの社説みたいだ。

>>520-521は、九州ですが ◆UEukKMcVo2氏へのレスだから、
認識の同じ部分と異なる部分を際立たせるため手法として、敢てコピペ引用したまでよ。
氏へのレスでは、今まで2回した手法。
よく読めば解るだろ。
563九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/27(水) 13:20:01

今日はデイトレード空回りで(儲けは僅か)、こんな時間に書き込みしてしまった。
564日本@名無史さん:2007/06/27(水) 14:15:52
>>554

大事にしたかった核心部分が推測とは「おそれ入谷の鬼子母神」だなや
565日本@名無史さん:2007/06/27(水) 14:43:48
>>562
文章がへたで、その手法を使いこなせていないから誤解されるのだと思う。
身の丈にあった表現を心がけるbwし。
566太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/27(水) 15:37:01
bwって何だい?
567日本@名無史さん:2007/06/27(水) 17:29:53
九州王朝氏へのレスに太国が返事をする不思議。
568太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/27(水) 17:42:30
あぁ べし か〜。 はいはい。
569日本@名無史さん:2007/06/27(水) 17:46:13
最近、九州王朝と太国は仲がいいのかね?
570日本@名無史さん:2007/06/27(水) 18:01:49
九州王朝の都は、博多→久留米(4or5世紀〜)→太宰府(618頃〜)だそうです。
でも、久留米や太宰府には、5〜7世紀で都と呼べるようなめぼしい遺跡はありません。
同時代の明日香に匹敵するものはおろか、各地で続々と発掘されている豪族居館や道路跡、少し後の時代の国府、郡衙、寺院などを大きく凌駕するようなものすらありません。お笑い状態です。
特に7世紀の太宰府は致命的で、とても都の跡などと呼べるものはありません。(条坊跡は早くて7世紀末なので、お呼びでない。)
邪馬台国畿内説が箸墓の年代を古くしよとするのと同じように、九州王朝説が太宰府周辺の遺跡をムリヤリ古くしようとするのが、なんとも滑稽。

こうときは「いずれ発見されますよ」と逃げを打つのが普通だが、一部の九州王朝論者は待ちきれない。
なにしろ、九州王朝ファンタジ−を夢想してオナニーしたいのに、肝心のオカズがピンボケでは、気持ちよくオナニーできない。
そこで待ちきれない連中は、都府楼跡の下に紫宸殿や大(内)裏などの宮があるのに発掘させないと陰謀論を言い出した。

九州王朝ファンタジ−のオナニーのオカズとなった都府楼跡、・・・かわいそす。
571日本@名無史さん:2007/06/27(水) 18:04:11
4世紀以前については、日本列島の統一が進行中の時期であり、日本のどこに有力な勢力があろうと、既存の定説・通説と根本的に相容れないということはありません。
そういう意味で九州王朝説が成り立つ余地・可能性はゼロではありませんが、積極的に九州王朝の存在を証明するような根拠は何もありません。
考古資料については、土器の分布や、3世紀に宮崎から千葉にかけて(古墳と変わらない規模の)弥生末期の墳丘墓又は巻向型古墳が出現することなど、九州王朝説は知らんぷり。

5世紀については、宋書等の五王が九州だと強弁するだけですが、もちろんその根拠は何もありません。
大王が畿内にいては(対高句麗戦につながる文章であることが明白な)「渡平海北」が解釈不能など、馬鹿丸出しの言いがかりを言う程度。
この時代は巨大古墳の時代なのですが、畿内の百舌や古市について、政治と宗教は別ものと強弁する以外は何も合理的な説明ができません。(政教分離かよ、プッ)
なお、九州最大の女狭穂(西都原)についてすら合理的な説明不能。(なにしろ、久留米に都があったのですから。)
572日本@名無史さん:2007/06/27(水) 18:06:19
6世紀については、九州王朝説は無力です、磐井以外では。
とはいうものの、磐井が継体など畿内の大王を従属させていたという根拠は何もありません。
というより、外交記事や屯倉の記事などにより、文献上は九州王朝が存在する余地はありません。

7世紀前半は、近年、飛鳥の発掘などにより、日本書紀を裏付ける資料がどんどん増えており、
「蘇我は実はいい奴だった」とか「厩戸は1皇子にすぎなかった(そういう意味で聖徳太子はいなかった)」みたいな解釈論において
通説と異なる解釈が提示されることはあっても、事実関係を根底から覆すようなトンデモが存在する余地はまったくありません。
隋書についても、隋の使者が阿蘇山に上って火のついた石を観察し、それを使ったお祭りの見学を行ったと、つまり仕事をほったらかして観光していたと解釈し、
しかも、肝心の「経十余国」すなわち秦王国(周防か?)から十数カ国を経由した先に都があるという、最も重要な記事を無視しないと成り立たない、ヘンテコ、ペテンな説です。
573日本@名無史さん:2007/06/27(水) 18:08:48
7世紀後半は、近年、木簡の発掘などにより、九州王朝などの存在する余地はまったくない。
(「7世紀後半、九州王朝の支配地域は九州・四国の一部程度かもしれない」とみっともない言い訳をするようになってきた。敗北宣言も近い。
ペテン教祖とその弟子に騙された人たち、・・・かわいそす。)

例えば、7世紀後半の記述だけでも日本書紀には数万文字の記述があるのだが、九州王朝にコジツケ可能な記述は、筑紫君薩夜麻などなど、ほんの数十文字か数百文字といった程度。
教祖に騙された変なおじさんたちが、日本書紀の記述の1%(0.1%以下かも)にも満たない箇所だけツマイ食いして、九州王朝ファンタジ−を夢想し、オナニーしているだけ。
なお、日本書紀の残りの記述である99%(99.9%以上かも)は、創作又は九州王朝の事跡を畿内の勢力の事跡に書き換えたもの、すなわち捏造であるというのが、九州王朝説の大前提です。
574九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/27(水) 18:09:56
>>560 「りゅうきゅう」が「りゅうぐう」と言い換えられたというのは参考の一としているだけであって、
それが無いから沖縄が竜宮で無いという事にはならないでしょ。むしろ>>552はしたから6段目の
「これはインド起源ではあるが〜」以下を根拠にしている。
575日本@名無史さん:2007/06/27(水) 20:15:19
>>570-573
大変威勢のいいオナニーですねw
576日本@名無史さん:2007/06/27(水) 20:21:44
>>555
スプー
577日本@名無史さん:2007/06/28(木) 10:20:47
>>575
本当に、九州王朝説って、オナニーですよね。
賛同者1名 GET!
578九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/29(金) 18:47:15
>>554続き
豊玉姫をトヨとすればその子がウガヤフキアエズで、その子が神武。
つまり神武はトヨの孫に当たる。
なお『日本書紀』の神武即位前紀には、天孫降臨から神武東征の開始まで、
百七九万二四七〇年余りもの歳月が流れたという記述があるが、
前述したように日本神話といえどもインドや中国の神話の影響を受けているとすれば
神仏の寿命を極端に長く設定するのはごく自然の事であり
ウガヤフキアエズ王朝があったとするのは疑問である。
579太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/29(金) 19:15:45
ウガヤフキアヘズ朝については何とも? です。
あった証拠も古史古伝くらいしかなさそうで、今のところ
未知数です。
卑弥呼に関しては、倍暦計上で崇神世あたりの女性と観て
おります。つまり神武世より後代の女性との考えです。
580征東大将軍:2007/06/29(金) 19:23:29
天孫降臨から神武東征までは30年程度に過ぎない
581日本@名無史さん:2007/06/29(金) 19:36:22
>>578

天照(太陽神)も海外の神話の影響だとは考えないわけか?
582日本@名無史さん:2007/06/29(金) 19:52:05
>>581
アマテラスなんて日本書紀じゃ主役ではなく完全に異端扱いじゃんかよ。
少なくとも日本書紀編纂のころには主役たり得なかったんだろ。
583九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/29(金) 19:57:38
>>579 太国さん
邪馬台国女王卑弥呼と畿内とでは全くコンタクトがなかったという考えは
大和朝廷の文書にそれが記載されていない事からもそう思いますが、
「欠史八代を史実であったとして、日本書紀の記述によると神武天皇が畿内で即位後は
畿内周辺の狭い領域のことしか出てこなく崇神天皇の代になって初めて、
日本の広範囲の出来事の記述が出てくることから、
神武天皇から開化天皇までは畿内の地方政権の域を出ず、
崇神天皇の代になって初めて日本全国規模の政権になったのではないか」
という事に関してはどうお考えですか?
584太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/29(金) 20:08:19
>>583 九州ですがさん

朝廷の勢力はほぼそのとおりだと思います。

神武世を過ぎた欠史八代の間は九州には大名クラスの王が乱立して
いたことは間違いないと思ってますが、九州王朝はなかったとそう
考えております。孝靈、開化の時代に九州は戦国時代的になり、
家康が天下を取った如く、その取ったやり方は違うかも知れま
せんが、卑弥呼が実権を握って九州王朝の始まりとなったと、
そうそれがしは考えています。
585九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/29(金) 20:10:31
>>581
インドの影響を考えてみるに日天というのは確かにある。
それによる豊かな作物の実りなどの恩恵を八幡大菩薩というのかな。
マハーバイローチャナは大日とは訳すけど太陽神じゃないし。
だから日天と考えるとしても、それが逆にアマテラス神話と日天が
神話的に関わりあっているかというと全然関係ないように思えるけどね。
586九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/29(金) 20:14:30
>>584太国さん
あーなるほど。
587九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/29(金) 20:33:29
>>584太国さん、ちょっとすみません。
ではトヨの時代というのは九州王朝の真っ只中の時代という事になるんですね?
その辺りどのように主張されているのかよく知らなかったもので教えてください。
畿内は孝靈、開化の時代、トヨの九州王朝はどのような結末を迎えたとお考えですか?
588太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/29(金) 20:50:06
>>587 九州ですがさん
卑弥呼の次代の壱与はおそらく崇神から垂仁世相当の
人物でしょう。この女性の後続は定かではありませんが、
王朝は女王とかが多出していたもようで、もう少し
後代では神功世に比売大神という女性が女王になっていたと
考えます。彼女はおそらく日女島の生まれではないで
しょうか? まぁそんなところです。
589九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/29(金) 21:09:36
>>588 太国さん
なるほど。
590日本@名無史さん:2007/06/29(金) 21:49:13
あれ? 久しぶりに来てみたら、ですが&太国の二人でやってるの?
>>588は全然違うと思うけど、2倍念力だとそうなるの?
591日本@名無史さん:2007/06/29(金) 22:15:34
同志社大学でこんな授業があった。 
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
 学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。
592九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/29(金) 22:49:54
>>591
哲学的で示唆に富んだ逸話を有難う。
でも、僕が思うに「君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり」
「それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。」
というけど、それ自体を失って、不幸になる人は枚挙に暇が無いよ。
まず大きな岩を入れるよりも世の中の雑事、いわゆる砂粒を入れてそれをコンクリートのように固めていく事が大切じゃないかな。
幼稚園や小学生から友達との駆け引きなど既にそれは始まっている。
それを岩のように固めて土台作りをして自分が金剛不壊の割れない壷になる事が先決じゃないかな。
そうしないといつかは夢の喪失とともに崩れる砂上の楼閣の人生となるでしょう。
この話は理想論としては正しいと思うけど、人間はその自らの小さな壷を割ってより大きな壷、いわゆる
キャパの大きな壷をわが身の上に造る事が出来る。壷の大きさを最初から決め込むようでは
大きな人格とはなり得ないんじゃないかと思うけど。
593太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/29(金) 23:00:37
>>590
倍暦算定で卑弥呼は崇神の時代ころの人物と考えます。

崇神即位元年=237年=景初元年

を算出しています。

ハツクニシラスの神武は御名を磐余彦(→五○齢彦)と
称しますが、神武は50余歳で即位したようです。
これを受けてか、ハツクニシラスの崇神も御名を五十瓊殖尊
と50をつけて称しています。
594九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 00:10:40
余所で銅鐸の話があってるようだけど、僕はあっちこっちスレに手を広げる余力は無いし
まあここで独り言言うと確かに朝鮮から渡って来た時には北部九州を経由したかもしれないけど
定着して巨大化したのは畿内中心の地域だってことはいえる。
しかしどう考えても記紀に銅鐸の記述がなく、最初に巨大銅鐸が発見されたとき{奈良時代だっけ}
皆なんだこれは?といぶかしがったというから銅鐸文化は途中でプッツリ切れていて
人々の記憶に残らなかった事実だけはまぎれなさそう。
一方エホバの本名が記憶に残らなかったのはイスラエルに神聖視するものはタブー視し
言葉にも文字にも残さない風習があった為と思われるが、倭の場合は文字にすることを嫌う半面、
言霊に乗せて記憶させる事はあったはずである。がしかし銅鐸の記憶は完全に消え去っている。
やはり別文化の介入によるとしか考えられないのだが、果たしてそれは神武東征によるものだと
考えられないだろうか。
595九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 00:16:44
>>593 太国さんどうでしょうか?もう寝られたやも知れませんが・・。
銅鐸を>>594のように考えるとき、畿内の銅鐸の分布と、
倍歴で計算した神武の東征とがどのように関連しあう事になるんでしょうか?
596太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/30(土) 06:47:06
>>595 九州ですがさん
銅鐸等考古学関係は貴殿のがお詳しいでしょうから、こちらが教えられること
ばかりだとは思います。

神道関係から考えれば邪推かも知れませんが、鏡が天津神系、銅鐸が国津神系
の民族の出土品かとも思ったりしていますが・・・何ともです。w

神武東征ころ畿内では銅鐸を扱う集団がいて、そのころか畿内にも別方面からか
鏡も流入して次第に鏡の製造がゆっくりと増えて行ったか? 欠史八代の末期頃
から崇神世に突入して順次銅鐸の製造は集団の衰亡によってか減産となって、
鏡にとって変わられたんではあるまいかと想像をたくましうしています。

籠神社の鏡からして、神武東征ころには畿内に鏡はあったようで、特筆すべき
は吉野ヶ里から前1世紀の漢字入りの鏡の出土がありましたし、並行的にか?
そこから銅鐸も出ていますなぁ。九州も双方揃っていたんでしょうか?
597九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 07:07:29
>>596 太国さん。返レス有難う御座います。
朝からは今日は時間が無いので帰ってから御返答します。
あまり詳しくは無いですが。
598太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/30(土) 07:10:47
>>596 続き
畿内から出土する鏡は、崇神2年=238年=景初2年 の崇神天皇の同床共殿に
よる、配下、一般住民への右へならえ的での鏡となった物がこれではないのかと
考えているところです。だから畿内での景初年号の鏡はこの同床共殿関係の物で
あり、卑弥呼の鏡ではなさそうです。これで畿内論者が女王国畿内だと強信
しちゃうんでしょうね? 崇神主体からの鏡でしょう。

倍暦計算では、同床共殿の年は

 紀の崇神六年=通常暦計算での崇神2年 となります。
599時間潰しの店の片隅:2007/06/30(土) 09:11:46
>>591そうですね、この逸話。
見方を変えると色々な答えがでてくるでしょう。そしてそのほとんどが正解となるでしょう。
古代史研究もそうですね。見方を変えて考えることが重要であると思います。
今までの研究姿勢はあまりにも固定的すぎ、一つ答えをだすと、それ以外はうけつけないという
かたくなな態度をとっているようです。
600日本@名無史さん:2007/06/30(土) 13:05:20
壮絶なオナニーですねw
601通りがかり:2007/06/30(土) 14:19:10
質問させてください
魏の使節はトヨに接見しているのだろうか?
ヒミコの死と径百歩の塚、そのあと男王立つも国収まらず宗女トヨが即位と、
記述があるがこれは魏の時代の記述か?
602九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 19:07:12
>>596太国さん。これは僕のレスでは無いけど、よいレスなので保管してました。
僕の考えに近いんですが、本人がどなたか解らないので了承無く転載します。

「そもそも2世紀半ばには銅鐸・銅矛といった2大文化圏はすでに存在しないのだが
銅鐸が150年までに終焉したという学説は今は存在しないのでは。
弥生後期終わりや古墳時代に埋納された銅鐸が発見されているから。
(たとえば)
吉野ヶ里・・・弥生後期終わりに環濠が埋められた跡地に埋納された。
徳島市矢野遺跡・・・弥生後期終わり頃
奈良県大福遺跡・・・古墳時代初期、庄内式の時代。

逆に、朝鮮式銅鐸や小銅鐸以外で弥生中期に確実に遡るものがない。
出土時期に確実性があるものは弥生後期以降のみ。
銅鐸の開始年代は100〜150年頃。(朝鮮式銅鐸、小銅鐸を除く)
終了(埋納)年代は300〜350年頃とみた方が良い。

大型内向花紋鏡の時代と大型銅鐸の時代が重なる可能性が高い! 」
603九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 19:13:32
>>602
「そもそも2世紀半ばには銅鐸・銅矛といった2大文化圏はすでに存在しないのだが 」
は別人で、次行からが本人です。この文の反論になっています。誤解無きよう。
604九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 19:26:55
>>601
魏の滅亡は265年。後王朝によって前王朝の歴史は書かれるから晋代の記述。
「宗女トヨが即位」の時代がいつか聞きたいのなら魏だと思う。
理由は自明。
605通りがかり:2007/06/30(土) 19:40:56
>604
つまり、後に書かれた物だからヒミコとトヨが別系統であるにもかかわらず、
ヒミコ邪馬台国の後継であるかの様になっている可能性はあるのですね?
606日本@名無史さん:2007/06/30(土) 19:42:06
>>603
「>」で引用するルールくらい覚えたらどう?

自動車免許とか持ってる?
持ってたら、公道走るなよ。迷惑だからな。
607日本@名無史さん:2007/06/30(土) 19:56:49
>>602

> これは僕のレスでは無いけど、よいレスなので保管してました。
> 僕の考えに近いんですが、本人がどなたか解らないので了承無く転載します。

 「ですが」流の凄い読解力でつねw

> 「そもそも2世紀半ばには銅鐸・銅矛といった2大文化圏はすでに存在しないのだが

 こんなことは当然。
 しかし、以下の文章を読んで引用レスの論者が、
 「4世紀まで2大文化圏が存在した」つー意見だと読み取ったようだね。

> 銅鐸が150年までに終焉したという学説は今は存在しないのでは。
> 弥生後期終わりや古墳時代に埋納された銅鐸が発見されているから。

 そう、銅鐸は巨大化しその生産地は東遷しつつもかなり後世まで存続する。

> (たとえば)
> 吉野ヶ里・・・弥生後期終わりに環濠が埋められた跡地に埋納された。
> 徳島市矢野遺跡・・・弥生後期終わり頃
> 奈良県大福遺跡・・・古墳時代初期、庄内式の時代。

 そう、中心では無いが九州にも瀬戸内にも畿内にも存在する。
 つまり、「2大文化圏の対立」つー概念自体が否定されている。

 ですがっていつから「畿内説」に転向したんだったけw 
608日本@名無史さん:2007/06/30(土) 20:25:00
「2大文化圏の対立」なんて、出雲の荒神谷遺跡発見で終わった話だろ。

ですがは、昭和時代から時間が止まってしまってるんだな。
609九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 20:42:43
>>607 「そもそも2世紀半ばには銅鐸・銅矛といった2大文化圏はすでに存在しないのだが

という一行目は間違い。お聞きしますけどね、九州から畿内と同じような巨大銅鐸が
山の斜面などから出ますか?聞いたことが無い。明かに畿内の銅鐸文化と九州では別物。
たかだか2〜3小銅鐸の鋳型などが見つかったからといって、また出雲式銅鐸と同型といっても
、どこから持ち込まれたか解らない上、使い方も鳴らして集合の合図としたなどと思われ、
祭祀に使い埋めるという畿内のやり方とは違っている。
故に二代文化圏ときちんと立て分ける事がそちらの言い分によって否定されたとしても
明らかに文化の違いがあることはいうまでもないことだ。
610日本@名無史さん:2007/06/30(土) 20:43:55
そもそも初期の天皇って100歳以上も生きていたってのが可笑しいと思いませんか
611九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 20:49:35
>>608
出雲は畿内と九州の中間にある為にちゃんぽんになってるだけで、
遮二無二、二大文化圏という言葉に過剰反応して否定してくるだけ。
今は中間の事など問題にはしていない。
612太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/30(土) 20:58:43
>>602 >>603 >>609 >>611 九州ですがさん

ご教示感謝。 それがし、そちらの知識はイマイチのためなるべく
やさしく願います。

>>610
当時はほぼ倍暦使用の時代なので、天皇は通常の寿命のようです。
613日本@名無史さん:2007/06/30(土) 21:03:15
>>609

で、文化の違いがあったと仮定して、
銅鐸が消滅したのは、神武東征があったからというストーリーにしたいわけだろ?

時代が全然違うんだよ。神武東征は紀元前の話。
614日本@名無史さん:2007/06/30(土) 21:04:00
>>607
畿内説にも、「2大文化圏の対立」なんて遺物はすでにないと思う。

これは一部の九州説に見られる考え方なのだが
庄内式開始や巻向型の創設を2世紀前半以前と見ると、九州説そのものが成立しなくなると思い込んでいるようで
庄内式の発祥地を北部九州だとしたり
巻向型の開始時期を100年ほど後に見たりなど
数々の考古事実を意図的に無視した強弁に陥らざるを得なくなっている。

そんな無茶を唱えずとも、倭国通称連合内のツクシ連合の話が倭人伝に言う邪馬台国と30カ国だと解釈するほうが
よほど実情に沿った九州説になりうると思うのだが、そういった「格下げ」をどうやら心情的に認めたくないようだ。

現代の畿内説は、邪馬台国や卑弥呼には大した権力などなかったというのが基本のひとつだから
強大な軍事国家や宗教的統一国家の存在を夢想する者にとっては、馬鹿にされたような気がするのか
鉄製武器やら民の畏怖やらを持ち出して、必死に権威付けしようとしている様子がなんとも可笑しい。
615九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 21:14:40
>>612太国さん。解りました。
「天皇は通常の寿命」そうなんですか、では銅鐸などとの矛盾は無いんですね。
しかし銅鐸埋納終了年代は300〜350年頃だとすると、それまでの天皇は銅鐸を用いて
祭祀などを執り行っていた事になり、記紀に全く銅鐸の「ど」の字さえ出てこないことが
いよいよ不思議に思えます。つまり何らかの理由で記紀が書かれるまでの間に
銅鐸は畿内の人々の心から完全に忘れ去られていた。という事になります。
その原因の一つが神武東征というのですが・・。
616太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/30(土) 21:21:23
倍暦計算によれば、神武天皇は

紀元前7年 九州から東へ征く
同   6年 吉備国 高島宮
同   3年 大阪 波速国等
紀元  元年 即位
617九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 21:25:44
>>616そういうことですよねー。
だから銅鐸の消滅は自然消滅と考えざるを得ないんですが・・。
618太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/30(土) 21:42:55
>>615 九州ですがさん

天皇は銅鐸を祭器に使用していなかったと思うんですが?
そっちの知識は一定以下なので、大きくしゃべれませんが、朝廷
とかではなく、当時の先住民族が使用した物ではないでしょうか?
それが

 紀の崇神六年=238年=景初2年=通常暦計算での崇神2年

の天皇の同床共殿で鏡が重要視され、景初の鏡が畿内に広まり、
先住民族の銅鐸が廃れていったのかと愚考しています。

>>606の倍暦算定での紀元元年即位説は参考ですから、猜疑心を起こされてもやむを得んと思います。
619日本@名無史さん:2007/06/30(土) 21:51:05
>>614
今度は2世紀前半かよ。
350年の御方とか、2世紀前半の御方とか、へんなやつばっかりだな。
620日本@名無史さん:2007/06/30(土) 22:03:32
>>619
訂正、3世紀前半だったorz
いくらなんでも西暦100年代に巻向型はない罠

正確に言うと庄内式開始が実年代200年前後
巻向型が萩原二号墓の後で早くて実年代200年以降、遅く見て230年あたり。
621SOY:2007/06/30(土) 22:16:04
>>620
>訂正、3世紀前半だったorz
>いくらなんでも西暦100年代に巻向型はない罠

本気で言っているのかと思い、唖然としていました…

『【ヤマト】纏向は王権の礎の地か【マキムク】その2』でも以下の発言があり、

>>386
>やっぱり、庄内開始の時期は2世紀半ば頃が妥当な気がする。

この類の年代観では、楯築はいったいどのくらいの年代に設定され、
弥生後期、弥生終末の年代幅比はどれくらいになるかと思っていました。
 
622九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 22:30:25
>>618 太国さん。大和朝廷の祭祀ではなかった。というのは説得力のある御意見だと思います。
そうすれば記紀に出てこないのも頷けますし。
しかし、畿内では畿内における大和朝廷以外の部族との対立をどう捉えているのでしょうね?
僕はそこのところよく解りませんが・・・。
623日本@名無史さん:2007/06/30(土) 22:35:50
>>602
たぶん私が書いたレスですが、1点そのスレ内で訂正しています。

吉野ヶ里・・・弥生後期終わりに環濠が埋められた跡地に埋納された。
は誤りで、弥生時代後期の溝と思われる落ち込みが埋没した後、に
埋められた、が正しいです。
http://www.saga-ed.jp/workshop/edq01453/doutaku.htm

朝鮮式銅鐸、小銅鐸を除く銅鐸で確実に弥生中期に遡るものがなく、
埋納された銅鐸の一部が古墳時代初期に至っているという大意は
変わりません。
624日本@名無史さん:2007/06/30(土) 22:48:03
>>622
>畿内では畿内における大和朝廷以外の部族との対立をどう捉えているのでしょうね?

ちゃんと対立して成敗してるだろ。
日本書記くらいきちんと読めば?
625九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 22:58:42
>>623 解りました。
黙って引用しましたが、考古学に詳しい方の正しい意見だと思いましたんで
ファイリングしてました。
626太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/30(土) 23:02:27
>>622 九州ですがさん
面白いですねえ? 鏡には漢字があるものがあるが、銅鐸には文字
がないんでしょう?

記紀に銅鐸の件が無記述となれば、朝廷が銅鐸に関してどう考えて
いかか皆目見当がつきませんし、崇神紀はいいとして銅鐸のまだ
あったであろう崇神世の先代の欠史八代には殆ど他の記録ともども
記事が無いわけですから、こうだとはちょっと云えません。

まぁ白人が新大陸を凌駕してアメリカインディアンが時代の経過で
先祖の風習をやめ、スーツを着るようなものではありませんかな?
627日本@名無史さん:2007/06/30(土) 23:13:04
>>625  
自分のレスが引用されるのは嬉しいのですが、実はあれから、考えが
変わっていて、
朝鮮式銅鐸、小銅鐸を除く銅鐸の開始は150〜200年頃ではないかと
考えています。
逆に終焉時期は古墳時代直前の庄内式ではないかとも考えています。
大型銅鐸と平原の超大型鏡の時代が重なるという考えは、今も同じです。
628九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 23:14:10
>>626太国さん。銅鐸というのは、当時としては最先端とも言うべ気高度な技術を要するものでしょう?
しかし文字が無い。新旧入り混じったような不思議な物ですね。
629九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 23:20:29
>>627朝鮮式銅鐸、小銅鐸を除く銅鐸の開始は150〜200年頃

今までより50年ほど新しく考えるようになった理由とは一体なんでしょうか?
630太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/06/30(土) 23:36:31
>>628 九州ですがさん
10年位前、横浜のあたりの博物館(資料館?)で大きい銅鐸を
見学しましたが、綺麗でした。
神霊でも応召させるために鐘として鳴らしていたんではあり
ますまいか? 朝飯の合図のためではないと思うんですが?

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・
631日本@名無史さん:2007/06/30(土) 23:42:19
銅鐸に文字が無いとウルサイやつがいるが、
だったら、九州名物の銅矛に文字があるのかと。



632九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/06/30(土) 23:48:07
銀の文字のはいった刀で全国的に有名になった「銘文入り大刀」ならあるよ。
633日本@名無史さん:2007/06/30(土) 23:55:11
>>629
銅鐸の分布や出土地域からは、銅鐸が神武東征の少し前の時期から東征後の
一時期に相当すると見れるからです。

確か、鳥越氏が(終末期)銅鐸の出土地は、物部氏が国造になっていることが
多いことを指摘しているが、これは偶然とは見れない。
型式が発展しつつ三遠式になり分布地域が東に広がっていることを、ニギハヤヒの
東征に符合させる。
東征前の在地勢力の拠点である出雲での大量発見は、これを隠蔽と考えると
東征の少しまえの時期に初期〜中期銅鐸を使用していたことを裏付ける。
634日本@名無史さん:2007/07/01(日) 00:15:54
神武だの物部だの、自分が聞きかじった小さな知識だけで、全てを結びつけるなと。
635日本@名無史さん:2007/07/01(日) 00:48:46
>628
最先端というより青銅文化の爛熟の結晶とも言うべき物では
636日本@名無史さん:2007/07/01(日) 02:41:49
>>633
「銅鐸の分布・消滅」という考古事実と
「神武・ニギハヤヒ」という神話を同列に扱っている時点で、それは仮説どころか空想ですらもない。

銅鐸に関しての考古事実が正しいとの前提にあるならば

1、同時代に難波沖での海戦が可能かどうかの検証。
2、神武以降では畿内の文化、技術に九州の影響が顕著に見られるはずなのだが、それが一切ないこと。
3、神武をはじめ、その後の八代のものと考えられる墳墓が一切ないこと。
4、ニギハヤヒが神武より先に畿内にて展開していたのなら、やはり九州の強い影響が現れるはずなのに、それも一切ないこと。
5、それどころか途上と思われる筑紫、吉備にもそれらの痕跡が一切ないこと。

これらの考古事実を無視して、銅鐸に関してだけ採用するというのは、小説として考えても出来がよくない。
637日本@名無史さん:2007/07/01(日) 03:05:43
>>636  >一切ない

???何かの宗教でしょうか???
638日本@名無史さん:2007/07/01(日) 05:32:56
>>637

実際無いんだからしょうがねえ罠
あるって言うほうが宗教くさい
639時間潰しの店の片隅:2007/07/01(日) 11:12:59
>>633>>636の意見の食い違いは>>633が東征の場合をいい、>>636は東遷の場合をいっていることにある。
東遷の場合は変化が著しいが、東征の場合は征服(これは後世学者が勝手につけたのであるが)の規模
によって変化に違いがある。
神武の場合は、小規模少人数であり、盆地の片隅をようやく確保できただけのようであるから。
640時間潰しの店の片隅:2007/07/01(日) 11:32:44
神庭荒神谷、加茂岩倉の銅器埋設は120年代だと考えられます。
吉野ヶ里の銅鐸は230年代にあそこに捨てられたものだと思います。元々は出雲にあり(兄弟銅鐸が発見されている)
吉野ヶ里にもってこられた(40年代か)ものでしょう。
641減塩味噌研究家:2007/07/01(日) 11:34:51
>>639

>神武の場合は、小規模少人数であり、盆地の片隅をようやく確保できただけ

つまり、出身地の影響など微塵も残せない勢力。
数代後には完全に土着化した。
少数の移民集団が先住者と小競り合いの末に新開地を取得した、
ただ、そういう祖先伝承があった。
その程度のことなんですね。

そんなもん検証しようがないし、事実だとしても大和朝廷の成立要因には、
さして重要な事項と思えない。
642減塩味噌研究家:2007/07/01(日) 11:39:09
>>640

>吉野ヶ里の銅鐸は230年代にあそこに捨てられたものだと思います。

「捨てられた」は言い過ぎかと思いますがw
643時間潰しの店の片隅:2007/07/01(日) 11:47:22
吉野ヶ里の展示室でみたのですが、そうとうボコボコで大切にあつかわれていたものではありません。
発見地の写真でみるとぬかるみを歩いた時にできたあとの穴に転げ落ちたように見えます。
644減塩味噌研究家:2007/07/01(日) 12:22:58
>>643

下の画像は発掘時の状態です。
ttp://www2.edu.ipa.go.jp/gz/k-yda1/k-ycl1/k-ysl3/k-ylc4.jpg

すっぽり収まる程度の穴が掘られ、そこに垂直に(逆立ちだけど)埋納されているようです。
ポィと投げたとか、泥流に流された、というような状態ではありません。
確かな意志をもってそこに埋めたことは間違いありません。
ま、「丁寧に捨てた」と言う表現なら否定はしませんが。
645日本@名無史さん:2007/07/01(日) 12:37:40
崇神帝以前の天皇は地方豪族時代の族長の系譜だろうね
天皇(大王)の位に就いていたわけではないが、おくり名として先祖の系譜を記した
646九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/01(日) 13:39:11
吉野ヶ里の銅鐸は敵が来襲したときなどに半鐘の役割を持っていたんじゃないかな。
「これより楼閣で集会があります!」ガランガラン!という風に。
647日本@名無史さん:2007/07/01(日) 14:51:57
大型銅鐸は持ち運びには適さない。農耕定住型社会でしかありえない。
豊作を祈る祭器として利用されたとすると考えやすい。
占領拡大型の好戦的な国々でも農耕はあったからある程度は作られただろうが、国々の統合が進むにつれて剣や矛に鋳直されていったことだろう。
平和的なグループは銅鐸信仰を頑なに守ったからこそ併呑され、また信仰対象を奪われないために銅鐸を埋めた。
その後、掘り返されることもなく信仰も廃れて忘れ去られていった…
648九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/01(日) 15:30:31
吉野ヶ里出土の小型銅鐸は吊るして鳴らす実用品だったと思われる。
畿内の大型銅鐸は吊り下げたとはとても思えないが、豊作祈願などの農耕の祭祀用であることに間違いは無い。
倭ではそれが段々と形を変えて神社や仏閣の鐘になり、また半鐘になって後世に伝えられた。
鐘は神社仏閣に於いて鳴らすのが神や仏とのコンタクトを意味する事からもただ単にインドから伝わった仏具や、
中国から伝わった楽器と捉える以外の倭国独自の風習の遠い記憶のなごりではないのか。
649日本@名無史さん:2007/07/01(日) 16:11:53
>>648

銅鐸は、形を変えて神社や仏閣の鐘になったというのだな?

ならば、銅鐸が消えたのは、「他勢力の侵略」などというたわごとは撤回するんだな?

650九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/01(日) 16:32:58
>>649
なんでこれ「銅鐸は、形を変えて神社や仏閣の鐘になったというのだな? 」と、
これ「ならば、銅鐸が消えたのは、「他勢力の侵略」などというたわごとは撤回するんだな? 」が
両天秤になるわけ?「はいっ!こっちが落ちたー。」みたいになるかなー。
651日本@名無史さん:2007/07/01(日) 17:24:36
神武伝承については>>639の立場がもっとも正しいだろう。

これって「オレ昔はベンツに乗ってたんだぜ」「昔は会社を経営してたんだぜ」などの
酔っ払いのたわごとみたいなもので、その話に何一つ証拠も客観性も無く
ただ本人がそういっているだけという程度の話なので
普通は事実だと信じないだろーってことだな。

小規模の移民なんてのは、逆にない方が不自然な話なのだが
それがいつ頃、どの規模で、どこから来たのかが、本人の供述以外にまるで証拠が無く
むしろ神武譚のように明らかにうそが混じっている場合は、考慮の必要が無い。
あったなかったというレベルに達していない。
652日本@名無史さん:2007/07/01(日) 19:42:14
銅鐸や銅矛で、邪馬台国の位置論の議論になるのかね。あほらし。
ベンツがどうのこうの。
他のスレに、行けや。
記紀や神武天皇、言って、どうするねん。
653日本@名無史さん:2007/07/01(日) 20:59:22
>>645
そうでしょうね。
だからその業績を記紀に記したならば、大物主の配下の豪族のそれに
なってしまうので、欠史としたのでしょう。
654太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/01(日) 21:41:25
>>653
雄略や武烈の大悪の記事はなぜ八代のように欠史としなかったの?
655九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/01(日) 22:21:04
>>649 「他勢力の侵略」などというたわごとは撤回

とは一概に言えないんじゃないの?畿内の別勢力によって放棄させられたという考え方もあるし。
656日本@名無史さん:2007/07/01(日) 22:38:45
>>655

おまえは、自分で「銅鐸は、形を変えて神社や仏閣の鐘になった」と考えただろ。

では、銅矛は、現代までどう形を変えて残ってるというのだ?
消えてしまったのは、銅矛文化のほうではないかな?
657日本@名無史さん:2007/07/01(日) 22:48:25
>>654
悪逆非道があったなら欠史にすればいい。だが濡れ衣(ry
658日本@名無史さん:2007/07/01(日) 22:58:51
まあ、濡れ衣でしょうなあ。
659日本@名無史さん:2007/07/01(日) 23:03:29
出雲自体がもともとは九州から移住してきたとは考えられないかな?
朝鮮式銅鐸や小銅鐸は九州で多く見つかっているし、初期の銅鐸の
鋳型は九州で多く見つかっている。

銅鐸の発展は出雲(王国)の支配地域が主であるのは、事実だが、
出雲がどこから来たのかというと、九州から来たと考えると、記紀での
出雲の扱いも説明しやすい。
660九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/01(日) 23:56:51
>>656「銅矛は、現代までどう形を変えて残ってるというのだ? 」

? あのー。ウィキペディアの引用だけど、すぐ調べられるよ。

矛(ほこ)は、槍や薙刀の前身となった長柄武器で、
両刃の剣に長い柄をつけたような形状をしている。
和名は手鉾(てほこ)。沖縄のローチンが有名。
「突く」と「斬る」の両方ができるのが特徴。
矛と槍は、穂先(剣の部分)の付け根部分の構造で区別される。
矛は穂先の根本がソケット状(袋部)になっており、そこに柄を差し込むものをいい、
槍は逆に穂先の根元を柄に差し込むものをいう。
661日本@名無史さん:2007/07/02(月) 00:16:14
>>660

その「長柄武器」とやらは、全国的に祭祀用具として残っているのかね?

消滅したのは銅鐸ではなく、矛を崇める文化だということに気がつかないのかね?




662九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/02(月) 00:41:15
>>661
矛も剣に類するものだから剣に集約されて記紀などに三種の神器として残ったと考えても
何ら不思議ではない。本来は武器なんだから、矛は本来の姿に戻っただけ。
銅鐸も元々鳴らすものだから鳴らすものとしての本来の役目を果たすものになった。
それらが祭祀器としての役目を終えたかなんてはっきり解るわけがない。
徐々に祭礼は変わっていくもの。
663日本@名無史さん:2007/07/02(月) 00:47:50
巨大銅鐸は、阿蘇山麓に眠っている。
これはとある文献に書いてあったから間違いない。
664日本@名無史さん:2007/07/02(月) 00:49:07
騎馬文化のなかった当時の倭では、矛や槍より刀剣の方が戦に有利だったのではないかな。
矛や槍は馬上や広い場所で最も威力を発揮するから。
七支刀のように祭具になっているものもあるが、やはり矛槍刀剣は戦いの道具であるから。
665日本@名無史さん:2007/07/02(月) 01:10:46
>>662

で、剣を祭ってる祭祀場が、全国にどれくらいあるわけ?

矛だろうが剣だろうが、廃れたことには変わりない。
鐘や鈴は、祭祀場に今でも欠かせないアイテムとして残ってる。
666日本@名無史さん:2007/07/02(月) 01:13:20
>>659
宗像三神が出雲に嫁入りとか交流があった痕跡は記録にはあるけど・・・
九州には四隅突出型墳丘墓とかあるんだっけ??
667日本@名無史さん:2007/07/02(月) 01:18:04
七支刀も境内の禁足地に埋まっていたな
銅鐸の埋める風習を受け継いでいないかな?
668日本@名無史さん:2007/07/02(月) 01:24:19
>>666
>九州には四隅突出型墳丘墓とかあるんだっけ??

無い。

出雲と九州が仲がいいっぽいのはあるだろうが。


669日本@名無史さん:2007/07/02(月) 02:03:47
>>664 名前:日本@名無史さん :2007/07/02(月) 00:49:07
>騎馬文化のなかった当時の倭では、矛や槍より刀剣の方が戦に有利だったのではないかな。
>矛や槍は馬上や広い場所で最も威力を発揮するから。
>七支刀のように祭具になっているものもあるが、やはり矛槍刀剣は戦いの道具であるから。

前近代に日本が騎馬が主戦になったのは一度もない。
日本は国土の8割以上が山岳部である島国だから
騎馬戦には適さない。
日本で騎馬が使われたのは輸送面が主だ。
670日本@名無史さん:2007/07/02(月) 02:33:40
>>669
一の谷とかで義経は
671日本@名無史さん:2007/07/02(月) 02:35:56
出雲と伊勢は仲が悪いな。

国譲りさせられた神代からのいがみあいなんだろうけど。
672日本@名無史さん:2007/07/02(月) 03:24:05
源平の合戦時代は
まず矢交ぜで始まり、お互いに戦意を確認したら部将格の名乗りあい、
法螺貝と共に徒歩の突撃で白兵戦、相手の陣が崩れたらやっと騎馬が進撃、
相手の総大将が背走したら勝敗が決まる、あとは追っ手をかけるのに騎馬を使うくらい

673日本@名無史さん:2007/07/02(月) 08:01:55
674九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/02(月) 12:41:43

>>665
それって銅鐸が寺や神社の鐘になったという僕の説が正しければ、の話でしょ?
銅鐸の祭祀なんて今どこの地方にも無いから。
剣などは御神体になって古くから神社などに伝わってるのがあるんじゃない?
例えば畿内でも
「大兵主神」、社伝では、御神体は剣(ホコ)で、相撲の祖神らしい。
http://www.genbu.net/data/yamato/hyousu_title.htm
ってのがあるし、剣と書いて(ホコ)と読ませてる。
それに対し銅鐸は
「滋賀県の野洲町で出土した高さ134.5センチの現存最大の銅鐸は、
大国主命 をシンボライズしたご神体そのものだと明言」
されてはいるものの、今なお御神体としてる神社は無いみたい。
つまり現代に剣(ホコ)を御神体とする神社はあるが
銅鐸を御神体と崇める神社は無い。という事。
675九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/02(月) 12:50:02
>>674続き
元々音楽とか楽器は祭祀儀礼から起こってきたもの。
つまり宗教から出たものだから神社仏閣で使われるのは本来の形といえよう。
しかし銅鐸を御神体のように崇める古代の祭祀とは意味合いが違う。
676日本@名無史さん:2007/07/02(月) 15:17:26
>>674-675
>それって銅鐸が寺や神社の鐘になったという僕の説が正しければ、の話でしょ?

だったら、「銅鐸が、鐘になったというのは妄想だった」と認めろよ。

いいかげんな事ばっかり言ってるから自分の首をしめるんだよ。
677日本@名無史さん:2007/07/02(月) 15:44:47
銅鐸(鉄鐸)は今でも神社に残ってますが何か?



さなぎ鈴(守矢家ではこの鉄鐸を鉄鈴・陰陽石とともにミシャグチ神の三種の神器としているそうです。)
ttp://www.amateras.com/trip/japan/museo/chubu/chino.htm

●鉄鐸-てったく-の御守-おまもり-
ttp://www.nikko-jp.org/perfect/chuzenji/tetsutaku.html


678太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/02(月) 16:55:18
さなぎ齢っていうのは何という神社名なんだろう?
東照宮は2、3世紀あたりの関係の神社でなく、家康とかだよな?
679日本@名無史さん:2007/07/02(月) 18:21:07
>>678
諏訪大社。
ただマジレスしておくと、諏訪の祭祀は神道の中でもかなり特殊で
ほとんどの祭祀起源が不明。
これを弥生なんかの古代祭祀と結びつける通俗本も多数あるが
思い切りさかのぼっても、安土桃山以降と見られている。

普通はこれを、文献資料(記紀、旧事記など)を参考にあちこちから引っ張ってきたと考えるのだが
そう考えたくない人が、オカルト味付けをしてドツボに嵌っていく。

東照宮は仰るとおり、古代祭祀とは無関係。
680日本@名無史さん:2007/07/02(月) 18:36:12
>>679

>思い切りさかのぼっても、安土桃山以降と見られている。

それは、伊勢神宮も出雲大社も宇佐神社もどれも同じですな。
681日本@名無史さん:2007/07/02(月) 19:19:14
>>680
そういうことですよんw
個々の祭祀起源が平安以前に遡れる(もちろん文献的に)ものの方が少なく
弥生や古墳時代に確実に結びつくものなど何一つない。
考古出土に柱跡遺構などがあるが、これが後の鳥居に発展したのかもまったくの未知数。

神社仏閣の鐘や鈴も、銅鐸なんぞを無理に持ち出さずとも
どの宗教でも普遍的に使用される、打楽器系のごくありふれた祭祀具の一形態。

矛は実は現代の神事でも使用されることが多い(社殿の前に2本立てるアレ)のだが
これも大抵は明治以降の神道復古にて、文献を頼りにして新設されたもの。
これも古い例でも、北野天満宮の現社殿(徳川秀忠)あたりが確認できる最古のもの。

要するに神道も仏教も、古代祭祀との共通点なんてほとんどないってこと。
わずかに神道との関連性を思わせるのが、倭人伝にある「貴人に対して手を打ち、アイと声を発する」というやつ。
682九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/02(月) 20:12:35
>>676だったら、「銅鐸が、鐘になったというのは妄想だった」と認めろよ。

別に妄想じゃありません。その考えが間違っているとは思っていません。
おたくが何を証明したいのか不明。「消えてしまったのは、銅矛文化のほうではないかな? 」
というから>>674で消えてない事を証明している。
おたくが>>665で問題にしている「鐘や鈴は、祭祀場に今でも欠かせないアイテムとして残ってる」
は正確ではなく、銅鐸が変じたとしても祭祀の御神体ではなく、鐘本来の使用目的に戻っただけで、
銅鐸とは全く別のものといえる。そんな形で残っていても駄目なのである。
683日本@名無史さん:2007/07/02(月) 20:26:44
>>682が何をいおうと、>>681で決着してるだろ?
684日本@名無史さん:2007/07/02(月) 20:32:53
>>681
アマテラスが伊勢神宮、応神天皇が八幡神社と神社の由来が
皇室から来ているものも多い。神社は古代では天皇家の祭祀に
直結していたのではないかな。
685九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/02(月) 20:55:38
>>683 話をそらさない様に。 
>>676曰く「銅鐸文化が消えたのではなく銅矛文化が消えたのだ」から段々
現代までずっと続いているかどうかの話にすり変わった。
「銅鐸は消え、銅矛は剣となって三種の神器となり、伝わった」というのが正解。
686日本@名無史さん:2007/07/02(月) 20:59:19
>>685が何をいおうと、>>681で決着してる。
687九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/02(月) 21:13:02
>>686
何も決着してないだろ。銅鐸は御神体として崇められていないんだから。
後世の創作として変り種としてなら祀ったにせよ。
しかしホコは剣として三種の神器となって天皇家に代々伝えられている。
最高に高貴な天皇しか持てないという神器である以上、
剣は高貴で、銅鐸はそれ以下のものであるという事に変わりはない。
688日本@名無史さん:2007/07/02(月) 21:30:55
>>687


三種の神器は、天皇家に伝わってると思ってるのか?
689日本@名無史さん:2007/07/02(月) 21:49:25
>>687

三種の神器の剣は、九州とは縁もゆかりもないけど、いいのか?
690日本@名無史さん:2007/07/02(月) 22:35:53
>>681 
 延喜式に書いてなかったかな?
691九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/02(月) 22:56:16
>>688
伝わっていたんじゃないの?平安時代までは揃って。
692日本@名無史さん:2007/07/02(月) 23:14:53
延喜式
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E5%96%9C%E5%BC%8F

905年に編纂をはじめ、927年に一応完成した。
全50巻のうち、巻1〜10が神祇官関係の式。
神祇官関係の式のうち、巻8には祝詞が掲載されている。
巻9・10は神名帳(神社の一覧表)となっていて、祈年祭奉幣を受けるべき
2861社の神社が記載されている。
延喜式神名帳に記載のある神社を一般に式内社と言って社格の一つとされ、
当時朝廷から重要視された神社であることを示している。
693日本@名無史さん:2007/07/02(月) 23:50:53
延喜式に、三種の神器の規定って載ってた?
694日本@名無史さん:2007/07/03(火) 07:09:11
ないんじゃないの?
695九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 07:25:57
話のすり替えはやめようね。
696日本@名無史さん:2007/07/03(火) 11:20:21
すりかえているのではなく
論破されまくったくせに、あんた一人がしつこくこだわっているだけ。
697日本@名無史さん:2007/07/03(火) 11:23:42
九州王朝、大和朝廷並立を前提として

九州王朝、漢字、中国文化圏(原住民は独自の言葉だろうけど)
漢字入り銅剣、鏡など、王の名前は漢字一字(対外用)

大和朝廷(初期) 大和言葉、独自文化圏
銅鐸(漢字なし)<-出雲文化圏かも、王の名は大和言葉

のちに、入り混じって、万葉仮名などが生まれる。と妄想
698九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 12:43:36
>>696
あんたすごくこどもなのね。中学生?「論破されまくったくせに」って何を?
論点もはっきりしてないのに論破もクソもないでしょう。
僕の今までのレスを100回続けて読めば、「読書百遍、意、自ずから通ず」
で、解るかもよ。
699九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 12:54:26
>>697
どこのスレで誰がどういう主張してるか知らないけど倭人は言霊を大事にして文字を嫌ったみたい。
聖なるものを漢字にすると、不敬に当たると思ったんでしょう。
その後、仏教が入ってきてから本格的な文字の導入がなされたから
それまでは大陸の人間や、渡来人に教えてもらいながらぼちぼち一部の人がやってたんじゃないの?
へんてこりんな音写等は幼稚な文字文化の表れ。
700日本@名無史さん:2007/07/03(火) 14:41:01
>>699
>倭人は言霊を大事にし

そんな事実はない
後世の人がそう解釈したにすぎず、文字の広まりのなかったリアルな時代に言霊を大事にしようなどと言う確認はとれていない。


耳の不自由な人には言葉では通じない、目の不自由な人には文字では通じない。
701太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/03(火) 14:52:43
そうすると古代人全員は全部的に耳が不自由だったのか?
702日本@名無史さん:2007/07/03(火) 15:09:16
>>701
言葉や文字は単なる伝達道具です。相手に自分の意思を伝える為に長い年月を費やし、試行錯誤の末大系化されたもの
言霊と言われているものは、その大系化されたものを言葉遊び的に比較的新しい時代に作られたものです。特に言葉はいたってシンプル
指を指し示す行為に音を加えたものが
言葉の原型です。
703太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/03(火) 15:19:52
祝詞は全部神武以前じゃぁないわけか? それとも王仁千字文からか?

音を加えたと主張しているが、それでも耳無しでは聞こえまい?w
704日本@名無史さん:2007/07/03(火) 15:30:15
しかしまあ、オカルト雑誌レベルの話ばっかだな。

・琉球は竜宮だった!
・鐘や鈴の原型は銅鐸だった!
・矛は剣に姿を買え、三種の神器になった!
・倭人は言霊を操っていた!

こんな程度じゃビールのつまみにすりゃならん。
犬も喰わないような料理じゃなく、せめて酒の肴になるもの作ってよw
705日本@名無史さん:2007/07/03(火) 15:32:45
また餌以下のおかず投下か・・・

・祝詞は神武天皇以前から存在した!

おまいら、ムーやたま出版に毒され杉。
706日本@名無史さん:2007/07/03(火) 15:52:43
>>703
耳が聞こえなくても目で言葉を読む事ができます。
人が長い年月をかけ一歩一歩進化したものが言葉
707太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/03(火) 18:23:45
>>706
すると君は神武以前に文字があったでいいのか?
まあ場所にもよるだろう。現に吉野ヶ里から紀元前1世紀の漢字入り鏡が出土
しているから、神代文字までは至らぬが古代人も多少は漢字が読めて、祝詞も
耳は駄目だから目で読んだとこう主張するわけだな。
708九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 19:29:59
対して中国は書の文化。それは元々古代中国では、骨を焼いて吉凶を占い政治のあれこれを決めていたが
骨を焼いて出来る割れ目から文字が出来た。それが甲骨文字と呼ばれるものである。
従って文字は神聖なものであり霊が宿るとされた。
古代イスラエルでは神聖なもの特に神の名を口に出すのを厭い、永い間文字にも言葉にも表さなかったため
ユダヤの神の本当の名は忘れられてしまった。故にエホバとしか伝わっていない。
倭では言葉に霊が宿ると考えられたため漢字などが倭に伝わるのが遅れた。
仏教典伝来によって倭人に始めて文字文化の重要さが認識され始める。
仏教は倭人にとって高等教育の場だったのである。
709太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/03(火) 19:44:40
>>706
この人は古代人が耳のご不自由の方ばかりだと遠回しに云っているようだ。
はたしてそんなに銅鐸の音色も聴けない耳のご不自由な方ばかりだったのか?
再度問いたい。
710九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 20:09:10
「男は、大人も子供も、みんな顔にいれずみをして体に文字を書いている。」

と倭人伝にありますが、漢字なんでしょうかね?
711日本@名無史さん:2007/07/03(火) 20:16:05
>>708
陶酔に水を差すようで悪いけど、甲骨文字の説明が完全に間違ってます。

殷の卜占では、これらの骨・甲羅などの裏側に小さな穴を穿ち、熱した金属棒(青銅製であったといわれている)を穴に差し込む。
しばらくすると表側に卜形のひび割れが生じる。事前に占うことを刻んでおき、割れ目の形で占い、判断を甲骨に刻み付けた。
また、のちに占いに対してどのようなことが起こったかが刻まれた。その際に使われた文字が甲骨文である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E9%AA%A8%E6%96%87%E5%AD%97

決して>骨を焼いて出来る割れ目から文字が出来た。のではありません。
712日本@名無史さん:2007/07/03(火) 20:21:47
>>710

倭人伝には
「男子は大小と無く、皆黥面文身す。」とはありますが

>体に文字を書いている。

こーゆーことはどこに書いてあるのでしょうか?
713日本@名無史さん:2007/07/03(火) 20:24:51
>>710

「文身」=「体に文字を書いている」ってこと?
714九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 20:38:15
僕が時に参照にしているものの中に「黥面文身」が「刺青と文字」になってるものがあり、
それがどういうものかを知ってる人に聞いてる訳。
埴輪から推察すると八の字のような顔の刺青があり、それを文字と解釈したのかな?
715日本@名無史さん:2007/07/03(火) 20:40:22
>>708
喪毎何もしらないな。
>骨を焼いて出来る割れ目から文字が出来た。それが甲骨文字と呼ばれるものである。

亀の甲や獣骨を焼いて占い(英語でoracle)をしたんだよ。
その占いの内容を書いた文が甲骨文と呼ばれている。
甲骨文字が発見されたのは清の末期だ、
716日本@名無史さん:2007/07/03(火) 20:44:59
>>714

その
>時に参照にしているもの
とやらが間違ってるだけなんじゃね?
埴輪から推察するのもいただけない。
時代がまるで違う。
717九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 20:47:36
>>711
それはNHKに文句言ってよ!
時々教育番組で(谷啓が出るやつだったかな?}の受け売りだから。
僕もおたくが言ってる内容は聞いたことあるけど、この場合それがポイントではなく
古代中国では占いは宗教でありそこから生まれた文字が霊力を持つと考えられた事は
間違っていないんだから。おたくの提示した内容などは略式でいいの!
718九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 20:59:08
>>711 おたくが言ってるのは「殷の卜占」でしょ。
TVであったのは亀甲獣骨文字(きっこうじゅうこつもじ)

中国・殷(商)の時代に行われた漢字書体の一つで、知られる限り最古の漢字。
甲骨文字、甲骨文とも。亀の甲羅(腹甲)や牛や鹿の骨(肩胛骨)に刻まれた。
その字は絵文字様であるが、抽象性もすでに高く、文字と呼んでよい。
一番古い漢字の用例であるため、甲骨文に現れた形から、
なぜこのような字形になったかという字形解釈の典拠にされている。
719日本@名無史さん:2007/07/03(火) 21:00:10
>>717
「美の壷」か?
そんなトンデモいつやってたんだろう。
大体これは美術番組だから、甲骨文字の薀蓄なんてやらないはずなのだが。

とりあえず、ですがはまたNHKに騙されたことにしたいってのはわかった。
引用はきちんと調べてからにしような。

でもって
>倭では言葉に霊が宿ると考えられたため漢字などが倭に伝わるのが遅れた。

これは初耳なのだが、これもNHKに騙されたの?
根拠をひとつでもいいからキボン。
720九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 21:02:31
>>716
だったら何で文字と解釈したのか説明しなさいよ。
721日本@名無史さん:2007/07/03(火) 21:04:07
>>718

それもwikiからの引用でしょ?ならばもう判ってると思いますが

>骨を焼いて出来る割れ目から文字が出来た。

これは撤回ですね。
722九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 21:09:17
>>719
失礼だけどNHKのスタッフっておたくなんかよりずっと頭いいんじゃないの?
いい加減な事は言わないと思うけど?おたくの教わってる学者の方が変人なんじゃないの?
723日本@名無史さん:2007/07/03(火) 21:09:21
>>720

「黥面文身」を「刺青と文字」と解釈した理由か?
知らないよ、その参照したサイトがか本だかの誤訳じゃね?

今のところ、「文身」=「体に文字を書いている」と解釈したのは
ここでは君だけなのだから、君が説明せんといかん罠。
724706:2007/07/03(火) 21:13:15
>>707
文字が有ったとか無かったとかではなく
言葉を視覚で読むのです。
725日本@名無史さん:2007/07/03(火) 21:14:10
>>722

さあ壊れ始めましたw
もしNHKがまともなことを放送したと仮定しても
それを観たおバカな視聴者が、ぜんぜん違う意味にとったとも考えられるな。

まあNHKも捏造番組で散々叩かれたこともあるし(「シルクロード」な)
職員の不祥事が相次いでいることからも、信用の置けるメディアとは言い難い。

君、メディア・リテラシーって言葉しってる?
726九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 21:17:36
いちいち知ったかぶりして出てくるから話の本筋がいつも乱れて
何の話だったか解らなくなる。その様な人を「愚かな人」という。
これから考えておたくは知識が錯綜し混乱した人物だとしか見えない。
根本は「漢字は霊力があると考えられていた」というのが話の筋なんだから
それ以外は枝葉に過ぎない。まあ、相手にする僕も僕だけれども・・。
727太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/03(火) 21:18:58
日本人にも外人にも文字の刺青をした方がだいぶいるようだね。
『卜事』(ウラゴト)は古神道の機密だねぇ。www
728日本@名無史さん:2007/07/03(火) 21:21:23
>>726
だ〜か〜ら〜

>根本は「漢字は霊力があると考えられていた」というのが話の筋なんだから

それは倭(日本)においてはいつ頃からの話なの?

>倭では言葉に霊が宿ると考えられたため漢字などが倭に伝わるのが遅れた。

これの根拠は?
話の筋なんだからきちんと答えてね。
729日本@名無史さん:2007/07/03(火) 21:24:39
間違いを認めずに、さらに言い訳で塗り固めるから話が錯綜するんだよ>ですが

今夜もですが劇場の始まりだね

オラなんだかワクワクしてきたぞ!
730太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/03(火) 21:31:45
>>724
言葉(口からの発声)を視覚で読めるなら、超能力者だな。ww
君は気は確かか?
あまりいい加減なことを云うなよ。
731九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 21:31:47
ほんとに不愉快なヤツらだこと。
馬鹿らしくて相手する気も起こらん。
僕はもう相手しないから後はNHKに電話でもしなさい。
倭人伝原文ははHP調べなさい。
あんた達が言ってる事くらいすでに知ってんの!ざんねんでした!
それ以外のまともな人は質問お受けします。
732九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 21:35:40
>>728>根本は「漢字は霊力があると考えられていた」というのが話の筋なんだから
それは倭(日本)においてはいつ頃からの話なの?

それを信じない、否定するという事なんだな。返事しなさい!
733太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/03(火) 21:39:40
>>724
君は江戸川乱歩の「赤い妖虫」に傾倒してるんでないの?www
殿村京子か〜?www 探偵小説の読みすぎだな。www
734日本@名無史さん:2007/07/03(火) 21:54:10
>>732

飛鳥以前から倭国(日本)にあったとするなら、否定する。
中国では秦王朝のころには確立されていた考え方みたいだけどね。

さあ>>728の質問に答えてちょ。
NHKや倭人伝のせいにして逃げないでね
735太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/03(火) 22:05:55
5/12だったか? 1ch、NHKの探検ロマン世界遺産で
殷墟で中国社会科学院の唐際根教授が甲骨文字として骨板の面の
文字を見せてくれたが、7文字ばかりあり、そのうちの一個は
英字の『y』に似ていた。これを回転させて見ると「卜」字に
また似ている。殷墟には占い用の甲羅、骨がうんとあるとのこと
だった。
736九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 22:33:22
>>734
今から家は晩酌なんだから邪魔するなつーの!
おまえの相手はうちの猫のそのまた猫の糞のそ次だつーの!
737九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 22:37:30
>>735
ああそうなんですか。たいていは見るんですけど、見損ないました。
位置はまだハードディスクにしてないから、再放送を待つしかないんですかね?
そういえばNHKの番組は自由に見る事が出来るのかな?
738太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/03(火) 23:06:28
>>737 九州ですがさん
う〜ん、再放送の件はわかりませんなぁ?
卜骨を灼くシーンがあったかと画面を想いだそうと頭に浮かべて
いるんですが、何とも? だいぶ時間が経過しましたから帰国
が薄れています。そのシーンはあったとは想うんですが、定か
ではありません。若い日本の女性hが教授に質問したりする成り
ゆきだったと想ったです。他に
丸っこい「鼡」の字が骨面にあったのをノートしています。
739九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 23:09:49
740太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/03(火) 23:13:39
>>738 訂正

× 帰国      ○ 記憶
741九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 23:22:31
>>738太国さん
殷の卜占で金属の棒を差し込むのは特集でも見ましたけど
NHKであったのは「骨の裂け目の形から文字が出来た」と言ってました。
僕は篆書は象形文字みたいなのから生まれたとばっかり思ってましたから
疑問はありましたけど、まあそんな文字もあるんかなー、と。
二度見たんです。再放送があって。またあると思うけども。
今度詳しく調べておきます。>739は押し間違いです。
742太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/03(火) 23:25:18
>>738
pcが重厚の為一寸あせっています。すみません。

再訂正  × 女性h   ○ 女性
743九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 23:42:24
>>742
想像すれば解りますからいちいち訂正されなくてもいいですよ。
僕も誤字は多いですがあまり訂正しません。
744太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/03(火) 23:43:03
>>741 九州ですがさん
それがしの見たその番組は、貴殿も見た番組ではありませんか?

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・
745日本@名無史さん:2007/07/03(火) 23:43:57
ですが逃亡ですかw

猫の糞みたいな思い付きをだらだら書くから

そんな目にあうんだよw
746九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/03(火) 23:45:50
>>742
それより太国さんのところは豪雨は大丈夫ですか?
こちらは今は落ち着いていますが、また明日大雨だそうです。
梅雨の時期は体を壊しやすいのでお互い体を自愛しましょう!
747日本@名無史さん:2007/07/04(水) 00:56:37
卑弥呼トヨと続く二人の女王が、後の平将門のような位置にあった
と考えると確かにスッキリしますね。
748日本@名無史さん:2007/07/04(水) 03:24:41
ですが、思い付きを根拠も無く書き込む
        ↓
あまりに的外れなので、否定レスが相次ぐ
        ↓
ですが「間違えました」「訂正します」がどうしても言えない駄目な性格なので
言い訳に次ぐ言い訳で、さらに事態を悪化させる
        ↓
ほとんどの住民が「このひとは真性だ」と気づく
一部、面白いおもちゃを見つけたとばかりにたたみかける
        ↓
ですが、火病を起こす
もしくは捨て台詞を残して逃げる
        ↓
あまりに面白いので、弄って遊ぶいじめっ子が増える
        ↓
実はですがも弄られたい、虐められたいというマゾ体質なので
さらに虐められるネタを自分から振る
        ↓
     (最初に戻る)
749九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 05:09:51
>>748ほとんどの住民が「このひとは真性だ」と気づく

ほとんどの住民があんたの事を
かわいそうな人だと思ってんじゃないの?
750九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 05:48:14
>>749続き
大体こんなところに名無しで出てきて色々言われてもねえ、話半分も聞いて貰えないのが普通なんじゃないの。
読み返してみたけど>>711で主張してるだけで、後はこちらを否定する内容になってるだけじゃない?
>711のその内容も陳腐だし。「弄って遊ぶいじめっ子が増える 」とか、その幼児性を治す何らかの努力をするほうが
こんなところで口喧嘩みたいな事やってるよりよほど有意義だと思うけどね、あんたの場合。
>748読んでも感じるのは、ほとんど小学生の「学校裏サイト」と同レベルということだけなのよ。
そのまま大人になったらちょっとまずいんじゃないの?もし大人なら手遅れだけど・・。
>784の、これで二十歳でも過ぎてた日にゃ哀れよね。

751日本@名無史さん:2007/07/04(水) 06:51:11
朝まで呑んでたのか、二日酔いなのか。
752九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 07:01:18
>>728「>根本は「漢字は霊力があると考えられていた」というのが話の筋なんだから」
に対してこの質問は見当はずれ。
「それは倭(日本)においてはいつ頃からの話なの?」

倭ではなく古代の中国での事。

「>倭では言葉に霊が宿ると考えられたため漢字などが倭に伝わるのが遅れた。」というのは
倭では言霊を重視し文字文化が独自に発展しなかった。
邪馬台国時代は一部の知識人が漢字の文書のやり取りをしていたに過ぎない。
それを以って漢字が倭に伝わったとは言えない。漢字は仏教とともに倭に伝わったといってよく
そこに至るまで倭人は独自の文字文化を生み出したわけでもなく漢字を積極的に取り入れたわけでもない。
それは中国では文字が占いという宗教から生まれたものであったことに対し、倭では
文字を使わないシャーマニズムによって言霊が重視され、口伝されてきたものだったからといえる。
故に倭人は文字を言葉より軽視していたと思われる。
そのため倭に文字が広がるのは仏教伝来を待つしかなかった。
実際は平安時代にかなが生み出されはしたが鎌倉時代の文盲率はかなり高く
一般庶民はほとんど文盲であったろうと思われる。
ゆえに「>倭では言葉に霊が宿ると考えられたため漢字などが倭に伝わるのが遅れた。」
というのは多少言いまわしっぽいが正解の範疇といえる。
753九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 07:07:50
>>752
は7行目が消えてるが、こうだ。
「邪馬台国時代は一部の知識人が漢文での書のやりとりをしていたが」
それを以って漢字が倭に伝わったとは言えない。と続く。
754太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/04(水) 07:40:31
>>752 >>753 九州ですがさん 
おはようございます。えらくまた深夜活動なさってますね? 仕事中ですか?
休養もうんととって過労にならないようして下さい。

貴説のとおり少ない一部の人間だけ漢字を読めたくらいで、あとの大多数は読め
なかったと想いますね。

吉野ヶ里で出土した鏡には漢字があるわけですが、大多数は分からんかったで
しょうね。 ↓ その紀元前1世紀ころの鏡の銘文

 「久不相見 長母相忘」
755九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 12:35:37
>>754
太国さん。そうなんですよ。夕べもちょっと寝不足気味で今日はちょっとつらいです。
前漢時代の内行花文鏡ですか。まるで古代中国の詩の一節のような内容です。
756日本@名無史さん:2007/07/04(水) 14:14:04
>>750

でも、自分の書き込みはタイピングの練習だとか
ビールのつまみ程度とか書いてしまった以上
まともに付き合ってくれる人どころか
読んでくれる」人もいなくなるんじゃない、普通は

しかもそれが40歳過ぎた独居中年で
定職も持たない負け組と来た日には

九州ですがさんは、自分で自分の首を絞めているように見えます
757日本@名無史さん:2007/07/04(水) 16:04:38
ささいなことでも、自己を否定されるのが辛いんだよ。
かわいそうな人なんだよ。

文字がいつ伝来したかなんてささいなこと。
「伝来した」という定義だって定められない。

言霊を重視していたから、文字を使わなかったなんて、
証明のしようが無い、どのように証明されうるのか?
どう考えていようとも、古代史全体から見ればささいなこと。

2ちゃんなんてささいな場所で朝までムキになるのも、自分の世界が狭いから。
自分の主張を訴えたいなら、名無しの相手をする前に、ホムペでも作ればいい。
758日本@名無史さん:2007/07/04(水) 16:30:06
誰もが自由に意見を述べて、それを忌憚なく批評できるのが2ch。
罵声も飛び交うが、真剣な本音で会話できる素晴らしさがある。

皆さんそれだけは覚えておいて下さい。
仲良く喧嘩しましょう。
759日本@名無史さん:2007/07/04(水) 16:48:29
そだね
批判に対して感情的な悪口を並べ立ててごまかすなんてのは
2chでさえも忌み嫌われる行為だ。
ですがさんは、どうも対話が不得手のようだし
主張を論理的に説明するのも苦手のように見える。
そういう人がBBSやチャットを手を出すと、しんどいのじゃないかな。
今のままじゃ、今後なにを書いても誰も受け入れてくれないだろうし
まともなレスは帰ってこないと思う。
自分自身で煽りを呼び込んでいることに気づいて、反省が態度に出ればまわりも変わっていくと思うよ。
760日本@名無史さん:2007/07/04(水) 17:13:33
そういう優しい言葉や穏やかな諌言をかけても
彼から返ってくる言葉は「笑止千万」「歴史キモヲタども」「荒らしども」なんだもんな
それでまた住民をあきれさせて無視される
基地外ウォッチャーを呼び込む、その負の連鎖のくりかえし

本人はいたって真面目に書き込んでいるのだろうけど
あからさまな矛盾を指摘されると「ビールのつまみ程度」だとかいってごまかすわけだ
でも釣りができるほどアタマ良くないから、またそれを笑われる

どこの板にも何人かはこういうのがいるのよ
そんな奴ほど居座って意地でも出ていこうとしない、寂しいんだよきっと
>>506のいうような態度で接するのが正解だわ
761日本@名無史さん:2007/07/04(水) 17:25:16
なにを一人でブツブツと・・・
762日本@名無史さん:2007/07/04(水) 17:47:08
>>761
ですが、名無し変身乙
これらが一人の自演レスに見えるってのがもうすでに異常だよ
君と違って、平日の昼間はみんな忙しいのよ

ちなみに俺はこのままでいいと思うぞ
むしろこの状態で維持してもらいたい
ですががここに隔離されているぶん、ほかのスレが平和に機能しているからな
できれば太国やサガミとかの連中もここに釘付けになってくれればありがたい
763日本@名無史さん:2007/07/04(水) 18:20:54
九州説を信じたいって人は、自分の本心に正直な人だと思うから、
根は善人なんだよな。

ただ、自分の本心に従うのとは別に、
「九州説を信じてしまうロジック」が存在し、無意識に操られてる可能性にも気がついてほしい。

人間の心理というのは面白いもので、
絶対に真実だと心が感じていても、多くは間違ってたりするもの。
だから、詐欺師という商売が成り立つ。
764日本@名無史さん:2007/07/04(水) 19:25:52
九州ですが ◆UEukKMcVo2はしばらくの間、2chから離れたほうがいいんジャマイカ。
いやね、あのネオ麦茶がこんな感じだったのよ。
自分ではまともなことを書いているつもりでも、まわりから見たら論外で
また奴も間違いを認められないタイプだったので、さらにおかしな言い訳を繰り返す。
それをからかわれたり煽られたりしているうちに
いつしか罵倒レスオンリーになって、最後はバスジャックだ。

状況がそっくりなのよ、あの時と。
まあネオの時はもっと大量の魚血があったわけだが、今回はその縮小版ってとこだ。

一応忠告したから、事件を起こしても2chのせいにするなよ。
765九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 19:34:32
スレの終わりごろになって荒らしが入り込んできたようだ。
早く出て行って欲しいんだけどな・・。よほどどのスレでも相手にされなかったと見える。
ああめんどくさー。相手すのもヤダワ!
766日本@名無史さん:2007/07/04(水) 20:35:04
>>765
きっちり相手にしてるじゃん
構ってオーラ振りまきながらw
767九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 21:07:58
>>764
こちらの事は心配しなくていい。あんたの方がすべてに行き詰るから。
家庭も仕事も人間関係もすべてで失敗します。保障しますよ。
人間性がレスによく出ています。しばらく後に終わりが来ます。
あんたみたいな人格の持ち主がすんなり生きていけるほど世の中甘くありません。
そうねえ・・2〜3年以内かな・・。
それまでは、それと知らず手が震えるほど笑っていればいいでしょう。
愚かな人の習いは「明日はわが身」の未来が見えないこと。
これは破れ口や捨て台詞ではありません。嘘だと思うなら今日から3年後を
数えていて御覧なさい。嘘ではなかった事に気が付くはず。
自分の経験から言ってもその人格は必ず滅んでいく人格ですよ。
今はまだ子供だと思うけれども、かわいそうなので一言、言わせて貰いました。
まあマジレスはこれくらいにして、と。元のレスにお戻り。
そこがあんたの隔離スレだったんだから。こちらに出てこないで結構。迷惑なだけ。
そちらの説らしいものも聞いてはいない。まず信じられない。名無しで信じろという方が無理だ。
どうしても信じろというのなら名前を明かす事だ。拠所の学者の名前を明かす事だ。
拠所となった本の名前を出す事だ。それですべてそちらの説のカラクリが解る。

こちらも一応忠告したから、事件を起こしても2chのせいにするなよ。
768日本@名無史さん:2007/07/04(水) 21:12:24
>>767
構って欲しくてしかたありません、まで読んだ。
769日本@名無史さん:2007/07/04(水) 21:15:27
>>767俺は「自分のことを書きます」まで読んだが
770太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/04(水) 21:18:56
無コテハンで教授らしき者がからかいに書きこむことがたまにあるね。
771九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 21:21:35
>>767続き
今のところ、こちらが見たNHKの放送の内容をレスしたのを嘘つき呼ばわりし、
必死になってネガティブキャンペーンを繰り返しているだけで
そちらの主張は何ら内容が無いものに他ならない。
まあそれだけに悪質極まりないのだが。どうせこちらの説が正しい事を証明しても
何ら反省もせず、ほっカムリと思われるが少しでもまともな心が残っているなら
>>756以降のような馬鹿レスを繰り返すのではなく、真実は何だったのかを追究する姿勢の
片鱗でも見せたらどうだ。おまえのような悲しい人間は2チャンといえどもそうは居ない。
772九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 21:35:23
>>770太国さん
このレベルで教授だったら唖然としますね。
>>711のレスは見当はずれで、こちらは漢字が生まれた瞬間の話をしているのに
殷の卜占を持ち出している。既に漢字が出来た後の話だというのに。
殷の卜占の話は僕もそして太国さんもTVで見られたように随分とポピュラーな話。
わざわざ「何にも知らないんだな」などと前置きし、たいそうに語るような内容ではない。
それだけでもおかしいのに>>748の、何これ!この低脳児はどこから来たのか?最悪!
頭痛薬を用意していないと取り合う事が出来ぬほど!きのうからそのため頭痛がする。
773日本@名無史さん:2007/07/04(水) 21:37:04
>>770

教授クラスかどうかは知らんが、院生か考古マニア程度ならごろごろいるみたいだな

>>771

興奮しているところを悪いが
君のレスが正しかったこともないし
ネガティブキャンペーンwwwされるほどの人物でもないだろ
ただ面白いから弄られているだけだろうし
真実を追究する姿勢のある者が、ビールのつまみとかタイピングの練習とかwww
自分自身に言い聞かせているとしか思えないよ、ママンw
774日本@名無史さん:2007/07/04(水) 21:41:05
>>774
こんな風になったら人間おしまいだな、という貴重な反面教師なんだよ。
俺はいつもそう見ている。
775プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/07/04(水) 21:42:43
>>771

マイペースでOK            じゃぁ
776九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 22:01:26
>>775あらープラムさん!おひさし!
どこにいっていたんですか?時々入ってきてください。
いやなにね、こんな連中、はなっから全く相手にも何もしてませんって!
御心配なく。何てレスを返してきたかももう忘れてますし。
大体太国さん、プラムさん,大好きさん、SOYさんなどのほかは
ここだけの話ですが人間だとは思っていないんです。
勿論真面目なレスをする人は大事にしていますが、奴等は善人のふりして
話にそ知らぬ顔で加わり次第に荒らしの本性をむき出しにしてくるから厄介ですけどね。
どこの誰ともわからない人間に遠慮したりまして怖がったりする人間なんていやしませんよ。
僕にとってコテハンの人が大事。それだけなんですよ。
奴等は僕の事を細かく分析していて驚くけど。こっちは何の興味もないから
今までやりとりした内容なんて全く覚えてませんし。
でもコテハンや面白い人にレスは保存して楽しんでいます。
だから時々顔出してくださいね!
777プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/07/04(水) 22:13:55
>>777
いや〜最近金稼ぎに夢中で・・・・なかなか古代史にまわす時間がないんですよ
もう少しで過去の馬鹿人生にケリがつきますからそしたらまた復活します。

それまでは頑張って下さい。
778プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/07/04(水) 22:16:13
あっ ごめん
アンカーまちがえた >>776でした      スマソ
779日本@名無史さん:2007/07/04(水) 22:18:20
さあ、酷い自演のはじまりです。
780九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 22:19:24
>>773>>774
お聞きのように僕にとっておたくたちはこの世に居ないのと同じ。全く赤の他人。
全く縁の欠片も感じません。おたくたちを永久に視野に入れることは無いでしょう。
781プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/07/04(水) 22:25:43
>>779
こんなところで馬鹿こいてね〜で 金稼げ
782九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 22:27:24
>>777
でもあんまり無理しちゃ駄目ですよ。出来ない事は出来ないんだから。
プラムさんは真面目で学者肌だから思い詰めないで、どんと構えていた方がいいですよ。
このレス>773>774のこんなやつらも居るじゃないですか!
こんなごろつきの事を思えば世の中すべて善人に見える。
783九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 22:30:26
ごろつき、あらーなんてこのレスに巣食ううじ虫どもの異名にして送り名
すばらしい命名だろう!
784太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/04(水) 22:48:33
>>772 九州ですがさん
プラムさんもかようなことをやられた過去がありますし、それがし
も同様ですな。そのうちだんだんやられ慣れして来ますよ。
抵抗力が強くなりますから・・・。
有コテハンはどうりても注目の的になりまるから、たびたび矢が
飛んできます。腐らずに論を重ねて下さい。

プラムさん
事態は好転しておりますか? 心配しています。
禍が無くなればまた以前のように書きこんで下さい。
785プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/07/04(水) 22:59:59
>>784 太国さん  お久しぶりです

>プラムさん
事態は好転しておりますか? 心配しています。
禍が無くなればまた以前のように書きこんで下さい

それなりに順調です。
最近は古代史よりも民法に詳しくなりました(笑)
時間に余裕が出来ましたらまた書き込ませて戴きます。
786日本@名無史さん:2007/07/04(水) 23:02:16
>>781

お?株でもやってんの?
月100マンくらいはいけてるんだろうな?
787日本@名無史さん:2007/07/04(水) 23:26:16
>>786

株は昔やった
>月100万
見損なわないでくれ
この板をおいとまして早ニヶ月400の個人貯金が出来た。(マジ)
788プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/07/04(水) 23:30:21
ごめん
>>787は プラムです。

久しぶりの書き込みはミスだらけ
789九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 23:35:57
僕も宅建の勉強したとき少しは民法を勉強しましたが国家資格でも取られるんですか?
今は博士号があっても就職難なくらいで資格持ちで支払われる給料が高ければ高いで雇われ難いんです。
余計な事かもしれませんが地道な方がいいと思いますよ。余計なお世話でごめんなさいね。
790九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 23:37:42
>>789はプラムさん宛てでした。書き忘れ。
791九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/04(水) 23:45:29
>>784太国さん
でもあんなのさえはいってこなければもっと楽しいんですけどね。
時間の無駄相手をさせられているようで邪魔なんです。
コテハンのみんなは人格もしっかりしているし語り合っていて有意義なんですけども・・・。
792日本@名無史さん:2007/07/04(水) 23:53:32
プラムさんお久しぶりです。ご健在何よりです。

ところで、一応九州王朝説さんは久しく見かけませんね。
「彼」に煽られて嫌気がさして居なくなったような感じでしたね。
793日本@名無史さん:2007/07/05(木) 00:24:22
梅雨時にビョーキが昂進するタイプというのがあるのかね?
794日本@名無史さん:2007/07/05(木) 01:45:10
>>792
>嫌気がさして

でも誤りを認め訂正した姿勢は見習ってしかるべきだと思うんだ。
誰しもそうありたいよね。
795日本@名無史さん:2007/07/05(木) 05:31:02
ていうかプラム=ですがだろw
796九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/05(木) 06:57:45
引っ掻き回してる連中が考古学にどれほど詳しいかは知らないが
「九州も畿内も四国も朝鮮も沖縄もエジプトもコテハンもドンと来い!
出来るだけソースを出して後はお好きに!」がキャッチフレーズで
なんでもありのドンと来いに入り込んでど素人の僕なんかをやりこめては
得意げになってる馬鹿連中が「ただ面白いから弄られているだけ」
などという最低の人格でこれからの人生で何をやっても考古学会の邪魔、
日本の邪魔でしかない。教え子も愚かで馬鹿ならおまえの恩師も愚昧だったという
何よりの証拠がおまえの言動そのものに凝縮されている。
おまえの恩師がこんなばかげたやりとりを見て悲しまないとしたら
教授、生徒、おまえの両親、そろってただの生ゴミ、粗大ゴミでしかない。
日本の学者のレベルは相当低いとよく聞くが>>764などにいたっては小学生の馬鹿ガキなみの知能でしかない。
797日本@名無史さん:2007/07/05(木) 07:24:05
日本語を勉強してから書き込んで下さい。
798日本@名無史さん:2007/07/05(木) 15:32:16
図星だったんだろう。
799日本@名無史さん:2007/07/05(木) 17:10:40
なんだこのスレ?
負け犬同士でキズの舐め合いか。
800プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/07/05(木) 18:11:28
>>799

つべこべ言ってね〜で、金稼げよ
801日本@名無史さん:2007/07/05(木) 18:34:38
金の前には、邪馬台国がどこでも関係ありませんとさ。
802九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/05(木) 19:42:01
>>800
でも凄いですねプラムさん。短期間で400万とは!
でも誰でも出来る事じゃないんでしょうね。
僕なんて無駄遣いばっかりでちっとも貯まりゃしない。
803日本@名無史さん:2007/07/05(木) 20:34:18
自演と見抜かれているのに

ま だ や る か い ?
804九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/05(木) 20:46:43
>>803
出て行けというのに!何が自演だおまえと一緒にするな!
805日本@名無史さん:2007/07/05(木) 20:59:42
図星だったらしい。
806プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/07/05(木) 22:12:37
>>804
以前(9.11テロ)株で失敗し、多額の借金の一部が今戻ってきたというわけ
普段座れない原告席にも座ったし
業者相手に(ゴラァ〜)の毎日ですよ
807日本@名無史さん:2007/07/05(木) 23:04:30
400マンも借金してたのか。
そりゃ古代史に現実逃避したくなるだろな。
808日本@名無史さん:2007/07/05(木) 23:06:32
九州人と日本の朝鮮部落の統計をちゃんと取れよ。部落分布で最も数値が
高いのが九州だぜ。後歴史を蔑ろにしてもらっては困る。特に日本史だ。
九州人はその昔筑紫野宮津古磐井と呼ばれていた地方部落の一種だ。磐井
というのは大和朝廷側が付けた呼称で、当時は大陸的な発音をしていた。
また、九州各地から発生する犬の解体された骨化石からは、朝鮮人と同じ
犬食の癖があったことが確認できる。大和朝廷や大和民族にそうした風習は
無い。まあ歴史が進んで大飢饉とかになれば別だが、人食いや犬食いは半島
の文化風習であると断定できる。九州人と朝鮮人の類似点の一つだな。
また、彼らが渡来した理由を考えれば答えは一つ。半島での勢力争いに敗れたことだ。
即ち南朝鮮からの戦いに敗れて九州に移住し王朝を勝手に立てたことである。
そして大和の如く埴輪文化を持たず、いきなり1段階進んだ須恵器と鉄器文化を
持っていたことが、何より九州人は朝鮮人であることの証拠となっている。
本州最強の大和朝廷でさえ持っていなかった武器を持っているのだからな。
九州部落では互いに内乱が耐えなかったので、当時大和の軍門に下った部落も
あったかもしれない。(※部落=先住民族という観点で使用)しかしながら、
実力者磐井(後の島津)は頑固にも大和朝廷に歯向かった結果王朝は壊滅させられた。
809日本@名無史さん:2007/07/05(木) 23:08:12
いやそれもこれもどうせ作り話だろう
9・11を引き合いに出してきた時点で、もうあからさまにうそ
810プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/07/05(木) 23:12:21
>>807
戻ってきた額が400万
払った額(借金)はその数倍
何とか家や土地は売らずに済んだが
811日本@名無史さん:2007/07/05(木) 23:12:34
つまり、現在に至る九州人のハングルアクセントは当時の朝鮮半島影響下に
ある鮮卑語族の言語を色濃く受け継いでいるというシュミレーションが立つ
わけだ。俺としては納得いかないのが、大和朝廷が所謂フロンティア=九州人を
どうして皆殺しにしなかったことなのだが、事実上皇帝という権威布告手法は
その磐井の乱平定時に大和朝廷が採用されたとされている。九州人は歴史を捏造
したがるから邪馬台国九州説を唱えたがるが、歴史的な流れでは、南朝鮮から
いじめられ、やっと手に入れた新王朝は大和朝廷にぶち壊され、二重苦を味わった
コンプレックス民族であるという図式が浮かび上がってくるだろう。何、難しい
ことではない、九州人というのは朝鮮人と組んで何度か大和朝廷に主権侵害を
企てることを行ってきた部落であるからな。だからこそ九州人自身が俺の言っていることを
信じたくない、嘘だ、逃避したくなる理由も推測できる。ただ、俺が言いたいのは、
あまり九州人の物言いを信用するなってこと。老若男女問わずね。やつ等は
俺俺詐欺集団と同じで犬食民族のエッタなんだから、奴等の話を真に受けると
知らないうちに洗脳されちまうぞ。九州人とコミュニケーション取るのは
それくらいのリスク踏んだほうがいい。しっかしまあ、さてもヤクザ臭い割りに
喧嘩弱いし頭も悪いよな、九州人♪
812プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/07/05(木) 23:29:36
>>809
なんとでも言え
君に『ウソ』と言われてもこれ以上何も話すことはないよ

ま、シッカリ金稼げ〜
俺はまた残りの金稼ぐから(^-^)/ね
813日本@名無史さん:2007/07/05(木) 23:32:58
>>802
プラムさんはいくら貯めたの?
814日本@名無史さん:2007/07/05(木) 23:35:37
>>812
ところで、通商連合説についてはどう思いますか
815九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/06(金) 02:41:35
>>812
奴等のレスなんか読むからいけないんですよ。
答えるからまた増長する.>>811をちょっと目を通したけど
よく下らん内容を長々と書き込んでる事だけは感心するが、読む価値無し。
でも頑張っただけお金がないって来る仕事はいいですね。
なんかいつも同じくらいで増減がないというのも困るな。
816九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/06(金) 03:13:47
>>811
内容から「田舎者的ひねくれ」が伝わってくるけど、どこに住んでるの?田んぼの真ん中?山の中腹?
太国さん、九州王朝大好きさん、プラムさん達などレスが大人で、洗練されていて、あんたなんかとは根本的に違う。
大人はまともに取り合ったりしないのよ。大人と子供は喧嘩にはなんないの!
何を勘違いしてるか知らないがあんたが子供なだけで、コテハンにまともに相手されていないだけなわけよ。
それすら気が付かないなんて、どんな人間かさっぱり想像出来ない。適当にあしらわれてるだけよ。
僕はここにあんたなんかに入ってきてもらうと迷惑なのでわざわざ読んでこのように言い返してるけど。
>>811を読んで多くの人が感じるのは「異常性格者だ」ということだけかしらね。
817九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/06(金) 03:16:08
>>815訂正
お金がないって来る仕事
でなく
お金がはいって来る仕事
でした。
818日本@名無史さん:2007/07/06(金) 03:23:56
>>816
ランダム投下されたコピペに何ムキになってんだ、コイツは
819日本@名無史さん:2007/07/06(金) 05:31:51
酔っ払ってるんだよ。
いつものタイピングテスト。
820九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/06(金) 06:47:49
>>818>>819
田舎もんは出て行け!
821日本@名無史さん:2007/07/06(金) 19:34:51
プラムさんは田舎者だろ
822日本@名無史さん:2007/07/06(金) 20:00:43
ここはですがというイタ面白い人をウオッチして楽しむスレであり
ですがも重度のかまって君なので、双方のニーズが一致しているという
近年になくバランスの取れたスレですねw

ですがが絶対にsageで書かないのが、かまって症候群の動かぬ証拠だし
プラムという昔のハンドルで自演するあたりなど、興味深い観察対象だといえる。
あとはこのモルモットに様々な刺激を与えて、どのような反応をするかが興味の対象なのだが
最近はファビョるばかりで、どうも芸がない。
ここはひとつ、ですがマンセーでいったん持ち上げて、有頂天になったところで叩き落すといった工夫が必要だろう。
823日本@名無史さん:2007/07/06(金) 20:05:12
というわけで、ですが先生!

竜宮は琉球で間違いありません
矛が剣に変化して三種の神器になったに違いありません
弥生時代は言霊で民衆を支配していたに決まってます

御説ごもっとも、素晴らしすぎます
雑音に惑わされないで、続きを再開してくださいませ
824日本@名無史さん:2007/07/06(金) 20:23:11
ここはネタスレなのか?
825日本@名無史さん:2007/07/06(金) 21:59:54
ですが
プラム
恵也
面白い人が多いねw



太国もねw
826九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/06(金) 22:24:53
>>823 当たり前の説の数々だろう。
すべてポピュラーな一般に流布している説を持ち込んでるだけで
こちらがが勝手に作った内容のものなど何一つない。
それを謗るという事はこちらを謗っているように見えて
元々説を立てた人を侮辱する行為だという事がわからんのか!
おまえがこれらを否定した事でおまえが仲間とともにいかに無知かを
さらけ出す事になっただけだ。
どうせ竜宮は朝鮮だとか言い出すんだろうが日本全国で統計を取れば
竜宮沖縄説が圧倒的に多いはずだ。朝鮮竜宮説を聞くほうが思わず噴出す人も多いだろう。
大体、証明不可能な浦島伝説のルーツ論でこちらを否定し笑いものにしようなど発想が馬鹿馬鹿しい。
何とか道理を説いて助けてあげたいが無知そうだし、助けてあげようが無い。
まあどうでもいいが、そちらの浦島伝説のルーツ話を聞いてあげるから話してごらん?
「矛が剣に変化して三種の神器になった」これも何故否定するのか説明してごらん?
引用もとのHP教えてあげるから。
「弥生時代は言霊で民衆を支配していた」これは当たり前だからまさか否定しないだろうね。
こちらの説を出すとどうして「ただ面白いから弄られているだけ」になるのか、
そちらの言ってる意味が全く理解できないで困惑しているというのが事実かな?
それから前後するが倭人伝の「刺青と文字を書いている」という訳のHPも聞きたきゃ教えてやる。

827九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/06(金) 22:25:47
>>821
プラムさんは田舎者などではない。会話していて判る。
また、けして人口50人の山村などを田舎と名指しし馬鹿にしているのではない。
>>822のようなひねくれた心の人間を指して「いなかもん」と言っているのだ。
都会人はそんな卑屈な考え方はしない。歴史キモオタであれば例外もあろうが。

828九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/06(金) 22:36:55
とにかく九州は大雨で災害が多く発生している。おまえらなど今夜は相手していられない。
もしおまえたちが自分の説に理があると思い主張するのなら
大雨で土砂災害に見舞われた人がこの中にいないかを考えてお見舞いの一言でも言うのが常識だろう。
それも無く相変わらずの馬鹿レス三昧。
これで誰がそんな人間の説を真に受けるか、と言うのがこちらの言わんとするところだ。人の世というものだ。
それくらいの道理も弁えてい無いところを見ると日常生活も社会人としては失格だろうと想像出来る。
829日本@名無史さん:2007/07/06(金) 22:44:41
『ですが』は、2CH暦及び年令(いずれも推察)を考慮すると釣られる事を楽しんでいるとしかおもえんが・・・
板の趣旨からかけ離れたスレが多く且つそういったスレの遠因になっている。(これもその一つだが・・・)
華麗にスルーするスキルを研く事と酔っての書き込み自粛を切に願う。
830日本@名無史さん:2007/07/06(金) 23:03:53
>「矛が剣に変化して三種の神器になった」これも何故否定するのか説明してごらん?
>引用もとのHP教えてあげるから。


何処から引用したんだよww
831日本@名無史さん:2007/07/06(金) 23:07:51
>>828
おや、プラムも九州だったような
田舎じゃないってプラムさんはどこ住んでるのだろう
832日本@名無史さん:2007/07/06(金) 23:14:08
で、プラムさんはですがさんをどう見ているの?実はですがは田舎者だと思うがどうよ?
833太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/06(金) 23:35:05
九州は今回の大雨の土砂災害とかが他の地方より可也多いためか、
九州内部の古墳までもが過去にこれでしてやられて、全滅状態を
余儀なくされたもんなのですかねぇ?
834日本@名無史さん:2007/07/06(金) 23:54:30
しかし>>808みたいなうましかはなんとかならないかねぇ…

犬食って日本でも生類憐みの令がでるまでは普通に行われていたことだし。
近現代の日本と朝鮮の関係でしか古代を見ることができないというのは
うましかだね。
835九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 05:30:25
>>833
僕もそう思うんですが、ちょっと前にどんな災害が起こっても遺跡は残ると主張する馬鹿がいました。
ただむきになって言い張っているだけのようでしたけど。
以前、僕の知り合いに例えば100キロの猛スピードで車を飛ばしていて前の車との車間距離が
30センチしかないとしても前の車に急ブレーキが掛けられた場合
寸止めでとめる事が出来ると主張する馬鹿がいましたが、ここのスレには似たようなことを言う馬鹿が
時々います。
836九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 05:44:35
>>834
チラッと目を通して読む価値なしと判断したら読まない。
だから長いだけのあほ説は今までも読んでいない。
田舎もんの説は得意げにたらたらと説を述べるがどれも陳腐でありきたりの
誰でも考えつくような事ばかり。もし否定しようもんなら
こちらへの誹謗に転じ、「おもちゃにされ、あそばれてるだけ」
という暴言を繰り返すのが特徴。
837日本@名無史さん:2007/07/07(土) 07:23:24
↑藻前のことな訳だが
838ですが史研究家:2007/07/07(土) 09:19:04
>>835
> ちょっと前にどんな災害が起こっても遺跡は残ると主張する馬鹿がいました。

その「馬鹿」って、私のことを指しているんだと思うけどさ。
まあ、「遺跡」=「生活痕跡」って定義で説明した文章の一部だけが脳に
焼き付いちゃったのねw

他人の説明をそんなひねくれた内容でしか認識できないのかね。
全く理解力の無いひとだね。

まあ、誰が「馬鹿」かは置いとくとして、チミの考えてる「遺跡」ってどんなもの?
古代人が後世に残すために大事に埋めておいたタイムカプセルとかだと思ってるのか?

遺跡として発掘されるものつーのは、初めから埋設されている墓とかを除けば、
基本的には、遺棄された地上の生活痕跡なわけでしょ。
それが地中に埋もれている状態で発見される。

では、何で「地中」に埋もれるのか?
村や道路が「遺棄」され、人が寄り付かなくなった後、
チリや落葉が何百年間も積り続けて埋った、とか考えてるのかい?

普通はさ、洪水とか地崩れで流されたり埋ったりした状態で出てくることが多いのよ。
流されてしまった遺物も下流の氾濫原に「保存」されていることが多い。
そして、被災地は復興が困難なので放棄されるわけ。

こう言う埋り方をした方が、泥がパッケージングしてくれるので保存状態が良好。
「遺跡」としての質も高い。
つまり、九州は災害が多いから「遺跡」がないという理屈は成り立たない。

遺跡ができる「仕組み」だけはわかったかな?

839日本@名無史さん:2007/07/07(土) 09:22:20
>>836

> チラッと目を通して読む価値なしと判断したら読まない。
> だから長いだけのあほ説は今までも読んでいない。

長文は読んでも理解できないからだろうからね。

840九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 09:58:23
>>838
ほーんとにばかがまだいて。弥生時代の予想人口がどれだけ多いと思ってんの!
それに見合う人口を満たす遺跡が見つからない限り失われた遺跡があると考えるのが普通だろう。
まして畿内説者は「畿内から北部九州にかけて邪馬台国連合が点在していた」などというから
僅かな人口でそんな広範囲に点在していた事が考えられないという矛盾点が出てくる。
遺跡がすべて残っているかどうかという問題は、これらの事と連動しているのだ。
それをはっきりさせない限り、ただ単に馬鹿の一つ覚えで「遺跡はすべて残る」
という事は言えないのだ。さあこの謎を解いてもらおうか。
矛盾だらけのレス、語るに落ちたレス>838の研究家より
841日本@名無史さん:2007/07/07(土) 10:08:24
>>840
ホントに長文読解力の無い人ですね。
災害が多いと言うことは、遺跡が出来る頻度も高くなるので、
遺跡がないことの理由になりませんと言ってるんですよ。
こんどこそわかりましたか?
それとも都合の悪いことは全て「理解」できませんか?
842841:2007/07/07(土) 10:14:46
ちなみ九州に遺跡はたくさんあります。
ただ、ですが説に「都合のよい」遺跡がないだけ。

現状で九州説に立って考えると、もっとも可能性の高いものは平原。
2ch九州論者では何故か支持者が少ないが・・・
843九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 10:30:29
>>841
話の全体が解らないというか。ほんとに目先の一部だけしか判断出来ない頭脳の持ち主?
この会話は元々畿内論者が「畿内から北部九州にかけて邪馬台国連合が点在していた」などというから
僅かな人口でそんな広範囲に点在していた事が考えられないという矛盾点」をついていた。
それから倭人伝記載の人口の問題と比較しても遺跡人口が少なすぎる、という事と
仮に現在考えられている遺跡人口60万が全人口だったとして
「畿内から北部九州にかけて邪馬台国連合が点在していた」という事がまず考えられない。
これらの証明が出来ずに「遺跡はすべて残る」 とはいえないだろう、と言ってんの。
もし「遺跡はすべて残る」というのが正しいとすれば倭人伝記載の人口もでたらめ、
「畿内から北部九州にかけて邪馬台国連合が点在していた」というのも考えられない事になる。
つまり邪馬台国は九州内だけに存在していた事の弱証明になるだけだ。
844九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 10:36:22
>>843改め 
邪馬台国は九州内だけに存在していた事の弱証明

                   逆証明
845太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/07(土) 11:06:53
>>841
頻度が高くなると、昔は見つけた連中あたりが拾って持っていかない?
そうなると散逸的になりなくなっちゃうと思うが?
それは金印だとかは一見して高価物はばれるし、横領すると打ち首的だろうから
通常通りお上に上呈だろうが? 正直に出せばご褒美がもらえるだろうしね?
一般の地味な物とかはは処分とかされ、離散でないないかね?
今だったら地味な物でも正規の手続きをするのが大半で、逆に高価物は人にも
よるが、一握りの者は横領とかをやらかすかな? 今は犯罪でも死刑には
ならんだろうからね。昔は死罪が充分考えられるから、高価な物は正直に出し
たろう?
846841:2007/07/07(土) 11:36:25
>>843

チミの場合、長文だとホントに無意味になるねw
何を言いたいの?

「遺跡はすべて残る」 じゃなくて「遺跡として全て残る」って言いたいのかな?

だとしたら、誰もそのようなことは言っていない。
「遺跡は災害によって作られることが多い」
「災害にあって大半が流失しても痕跡は残る」
こういう主旨のことを脳内変換してるんだろうね、言い返すために。

こちらは、チミが根拠となる遺跡数の仮定に九州は災害が多いから消失した遺跡も多いはず、
と言う屁理屈をだしたから「今、残っている遺跡には災害などで埋ったものが多い、
災害が多いからといって、遺跡の残存数が減るわけではないよ」と言ってるだけだよ。

チミは九州に適当な遺跡が無い=災害で消失したから、と言う屁理屈は撤回するのかね。
847841:2007/07/07(土) 11:38:29
>>845
頻度って遺跡化する頻度のことですよ。
発見される「頻度」のことだと思ってるでしょうw
848九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 12:34:24
人の言う事の真意を即座に汲み取ってない愚鈍なレスだ。
「チミは九州に適当な遺跡が無い=災害で消失したから、と言う屁理屈」
など言った覚えはない。おまえは前レスでの
「> ちょっと前にどんな災害が起こっても遺跡は残ると主張する馬鹿がいました」
とは別人??同一人物ならよほどの馬鹿!馬鹿は話の本筋ではなく枝葉の方がメインになる。
揚げ足ばかり取ってそうなるのか、ほんとに話の本筋を見失うのかは知らないが。
おまえは前レスで「災害にあっても遺跡はすべて残る」と言い
さらに「遺跡の上に街が造られても古い遺跡は保存されて地中にあると言って
喪失した遺跡は無いもののように言った。
だから残っている僅かな遺跡人口が当時の人口のすべてであって約60万とした場合
どうして矛盾が起こるんだ?と聞いているのが>>843だ。
その疑念を晴らすのがそちらの役目だ。
849日本@名無史さん:2007/07/07(土) 12:44:24
>残っている僅かな遺跡人口が当時の人口のすべてであって約60万とした場合

仮定が無茶苦茶でんなw
850九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 12:51:44
>>849
何が仮定が無茶苦茶だ!>>841が前レスで言ってたことはそういうことだろうが!!
851841:2007/07/07(土) 13:12:26
>>848
>「チミは九州に適当な遺跡が無い=災害で消失したから、と言う屁理屈」
>など言った覚えはない。

じゃ、適当な遺跡名を提示できない理由を言いたまへ。
都市直下埋没と災害流失、この二つを提示してたと思うけどな。

それとね
>ちょっと前にどんな災害が起こっても遺跡は残ると主張する馬鹿が
チミ以外にこんなことを書き散らしてるレスが有ったら提示したまへ。

出来なければ、潔く撤回してもらおう。
そして災害の多さ云々の屁理屈が通用しないことも認めたと明言しなさいね。
852九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 13:25:34
>>851
話をそらすなって!「適当な遺跡名を提示」なんのこっちゃ!
跡形も無く消滅した弥生遺跡が一つも無いと言い張るのなら
どうして>>843のような矛盾が起こるのだ!それを答えるのが先決だろうが!
おまえのやってる事は嘘で塗り固めて誤魔化そうとしているだけだ。
853841:2007/07/07(土) 13:50:31
>>852
話をそらしてる(理解できない振り?)のはチミでしょう。

>跡形も無く消滅した弥生遺跡が一つも無いと言い張るのなら

だから、そんなことを言ってるのは誰なんだって訊いてるわけだがw
854九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 14:04:39
>>853
火山の噴火でも残る。海岸の浸食でも残る。後の時代の街の開発でも残る。
河川の氾濫で河岸が削りとたれても残る。と断言したのを忘れたか!
言う事が狂人並みだと思ったら平気で「そんなことを言った覚えは無い」と来る。
前スレではそこを争点にしていたのにそんないい加減なレスをしていたのか!
855日本@名無史さん :2007/07/07(土) 14:09:15
>本州最強の大和朝廷でさえ持っていなかった武器を持っているのだからな。
>九州部落では互いに内乱が耐えなかったので、当時大和の軍門に下った部落も
>あったかもしれない。(※部落=先住民族という観点で使用)

こういう馬鹿な畿内論者がいまだ存在していることが奇跡に近い。

畿内は九州勢力に凌駕され、征服されて、結果として銅鐸も廃棄させられて
しまった弱小農民集団が畿内住民です。
畿内で自然発生的に大和朝廷なる勢力が興ったと信じたい気持ちは分かるが
九州勢力や出雲勢力に圧倒され征服されたと考えるのが妥当です。
銅鐸はその1つに過ぎませんが、征服された集団はその集団の妻子を略奪され
祭祀の神も廃棄させられるのが、世の常です。
856太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/07(土) 14:11:53
災害で遺跡化する頻度か? なるほど、それは確かに上がるだろう。w
だが、さらに災害が続けば、それは遺跡化したものもさらに壊れて最終的には
有も無に帰するんじゃないの? 途中経過の状態では遺跡化が高くなるけどね?
857841:2007/07/07(土) 14:23:57
>>854
> >>853
> 火山の噴火でも残る。海岸の浸食でも残る。後の時代の街の開発でも残る。
> 河川の氾濫で河岸が削りとたれても残る。と断言したのを忘れたか!
> 言う事が狂人並みだと思ったら平気で「そんなことを言った覚えは無い」と来る。
> 前スレではそこを争点にしていたのにそんないい加減なレスをしていたのか!

だから、チミの脳内からじゃなくて過去ログのどのレスのことを指しているのか提示しなさい。
言った、言わないの話だよ。
チミが「覚えてる」じゃ、論拠にならんのよねw
858九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 14:43:01
>>856
確かに災害が遺跡を生きたまま封印する事によって後世に驚くほどの良い保存状態で
見つかることもありましょうが、仰る通り「遺跡化したものもさらに壊れて最終的には
有も無に帰する」と思います。>>841は日干し煉瓦の外国の遺跡を混同している気がする。
あのような堅固な遺跡でさえ風化していく。弥生時代の遺跡など土砂が溜まって都合よく
保存されたもの以外は風化したのも多かったと思います。
859九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 14:48:01
>>857
さっきから探しているが見つからないでいる。
自分で言った事も忘れて健忘症か、もしくは別人か。
別人なら人の話にでしゃばって来るな!
九州王朝大好きさんも話に加わっていたが。
860841:2007/07/07(土) 15:06:19
>>859

>さっきから探しているが見つからないでいる。

いくらPCの中を捜してもあるわきゃねーだろが。
ここ20番くらいのレスだけでも読み返してみろ。
自分に都合よくどんどん脳内変換されていく過程がよくわかるからw
861九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 15:12:24
>>860
これはドンと来い19のやりとりからもってきたが、ここに「「遺跡は必ず残る」と言うのがいた」
といってるように更にその前のレスだったらしい。

842 :九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/05/11(金) 20:54:19
>>827の、この人のように都会になったから遺跡は残っていない、と僕が以前言ったとき、
「遺跡は必ず残る」と言うのがいた。
しかし現代ならいざ知らず縄文遺跡を壊して弥生遺跡が出来、それを壊して
奈良平安から鎌倉へと家々を立て替えながら村落が発展したとしたらどうだろう。
跡形も無く前の時代の遺跡は崩れると思うのだが。
862841:2007/07/07(土) 15:23:25
>>861
それもチミの脳内返還の過程を示したものだねw
863九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 15:24:02
>>860「ここ20番くらいのレスだけでも読み返してみろ。
自分に都合よくどんどん脳内変換されていく過程がよくわかるからw」

これをこっちの変遷と取るとは、哀れな・・。おまえがどんどん誤魔化して
こっちの質問に答えず、反対に変な質問をしてくるだけだろうが。
きちんと話をする誠意さえ無いのなら、相手してる暇は無い、というと逃げたと言い出すだろう。
とにかく答えろ!>>848に!しかし今度は言ってないなどと言い出す始末。
これをもって「暇だからからかって遊んでやってる」というならおまえはこの世で一番哀れな生き物だ。
864841:2007/07/07(土) 15:39:14
>>863

>>とにかく答えろ!>>848

このスレでだって同じようことに同意してるじゃないかw

>833 名前:太国 ◆yVAs7uaYlY [] 投稿日:2007/07/06(金) 23:35:05
>九州は今回の『大雨の土砂災害とかが他の地方より可也多いためか、
>九州内部の古墳までもが過去にこれでしてやられて、全滅状態を
>余儀なくされたもんなのですか』ねぇ?

>835 名前:九州ですが ◆UEukKMcVo2 [] 投稿日:2007/07/07(土) 05:30:25
>>833
>『僕もそう思うんですが』・・・
865九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 15:59:21
>>864「遺跡」=「生活痕跡」って定義で説明した文章の一部だけが脳に
焼き付いちゃったのねw

>>838から既に話のすり替えを始めている。
元は、倭人伝の邪馬台国人口と実際の遺跡人口が合わない事の話の続きで
遺跡がすべて残されているか、それとも多くが消滅したかの論議だったのであり、
「遺跡」を「生活痕跡」と取り違えて論議した事など無い。
それだったら話に入り込む方が間違っている。

>>864何だこれは?意味がわからん。
866841:2007/07/07(土) 16:12:50
答えに窮して、またまた話を戻します・・・一からやり直すってことでしょうか?

もう哀れむぞ。
867九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 16:19:55
>>866ぐずぐずといつまでも!

>835 名前:九州ですが ◆UEukKMcVo2 [] 投稿日:2007/07/07(土) 05:30:25
>>833
>『僕もそう思うんですが』・・・

これがどうして
「このスレでだって同じようことに同意してるじゃないか 」
こうなるのだ。
868日本@名無史さん:2007/07/07(土) 17:24:55
>>867

>これがどうして
>「このスレでだって同じようことに同意してるじゃないか 」
>こうなるのだ。

>833 (太国)
>九州は今回の大雨の土砂災害とかが他の地方より可也多いためか、
>九州内部の古墳までもが過去にこれでしてやられて、全滅状態を
>余儀なくされたもんなのですかねぇ?

>835(ですが)
>僕もそう思うんですが、ちょっと前にどんな災害が起こっても遺跡は残ると主張する馬鹿がいました。

どう読んでも「九州の遺跡は災害やられた」と言う発言に思いっきり同意してるじゃないか。
そして、その後に続くのが奇妙な脳内捏造発言だな・・・・
こんなついさっきの発言まで知らぬ存ぜぬ意味分からないで誤魔化すつもりとは・・・
869九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/07(土) 18:54:30
>>868
一体僕がどこに「九州の遺跡は災害やられた」かどうかを云々するやりとりを問題にしてるんだ。
弥生遺跡が災害にあった後、跡形も無くなったものがあるかどうか
それだけがポイントなんだから!こっちは最初からそれしか議論していない。
870日本@名無史さん:2007/07/07(土) 19:19:45
だからそれはどこ?
あと、ですがさんはどこが邪馬台国だと思うの?
プラムさんはどこが邪馬台国だと思うの?
871日本@名無史さん:2007/07/07(土) 19:39:39
回答1、九州の何処か
回答2、九州なら何処でも良い
872日本@名無史さん:2007/07/07(土) 19:55:51
それでは答えにならないし、議論にならない訳だよな
873日本@名無史さん:2007/07/07(土) 21:00:42
回答3、畿内でなければ何処でも良い
874日本@名無史さん:2007/07/07(土) 21:01:02
>>869
> >>868
> 一体僕がどこに「九州の遺跡は災害やられた」かどうかを云々するやりとりを問題にしてるんだ。
> 弥生遺跡が災害にあった後、跡形も無くなったものがあるかどうか
> それだけがポイントなんだから!こっちは最初からそれしか議論していない。

日本語で頼む。
875九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/08(日) 05:28:06
>>874 「>838 泥がパッケージングしてくれるので保存状態が良好。
「遺跡」としての質も高い。 つまり、九州は災害が多いから「遺跡」がないという理屈は成り立たない。
遺跡ができる「仕組み」だけはわかったかな?

おまえに終始一貫してるのはこの陳腐な主張だけ。
つまり誰でも承知のこの言い分を聞いて欲しいが為
こちらの「弥生遺跡が災害にあった後、跡形も無くなったものがあるかどうか 」
という大元の議論に目を向けることが出来ず、話がかみ合っていない。故意かは知らんが。
この主張が脳裏からはなれず繰り返しているだけ。

>838「九州の遺跡は災害やられた」と言う発言に思いっきり同意してるじゃないか」

などと変な事を言うと思いきや 。
だからその先が重要なのだ。遺跡が災害や、その後の奈良平安の開発で跡形も無くなったものが
どれくらいあるのか、という事だ。
元は弥生遺跡{大規模なものばかりではなかっただろう}が奈良平安の時代などに
掘り繰り返されて田畑にされ跡形も無くなったものもあったに違いない。
それによって証明されるのは当時の人口が現在発見済みの遺跡人口のキャパ{60万前後}を
はるかに越えるものだった。という事だ。
前スレでも元々その議論だったのだ。おまえの陳腐な知識をひけらかす場面ではあるまい。
詰まりこの議論はおのれの根本的な勘違いからうだうだと続いたものなのだ。
くどいようだが災害で保存されるもの、されないもの。
そうでないもので風化するものしないもの、時と場合で様々あることを忘れてはならない。
型どおり授業で習う事だけが正しいと思い込むのは鴨などの刷り込みと同じで愚かな事だ。
876日本@名無史さん:2007/07/08(日) 05:30:36
>>875



一晩中、泣きながら言い訳考えてたのか。みじめだな。
877九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/08(日) 05:30:46
>>874>>841と同一人物という事で話しているが。
878九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/08(日) 05:35:12
>>876
あほかおまえは!
同タイムに起きていて答える方がずっと惨めじゃ!
夕べは早寝で今朝は便所起きじゃ!
879九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/08(日) 05:45:16
>>876
下らん煽りにも丁寧に答えてやる。これがこちらの対応だ。
おまえ達のような人間性喪失のやからとは人間性が違うのだ。
880日本@名無史さん:2007/07/08(日) 06:10:54
日曜の朝から情緒不安定とは。

つまらん人生だろう。

881日本@名無史さん:2007/07/08(日) 09:27:24
>>880
不安定だろうがなんだろうが、2chと言うオモチャを通してかろうじて「人間社会」と交じあえる。
誰にも相手にされずに社会から黙殺された状態よりは少しだけ「ましな」人生なんじゃない?
882日本@名無史さん:2007/07/08(日) 10:19:12
883日本@名無史さん:2007/07/08(日) 12:17:46
親魏倭王の金印は、実は皇室が保管している
884日本@名無史さん:2007/07/08(日) 12:42:01
>>883
> 親魏倭王の金印は、実は皇室が保管している

だから未だに属国待遇なのか・・・・
885日本@名無史さん
>>875

>>現在発見済みの遺跡人口のキャパ{60万前後}を

文字通りに読むと「発掘した遺跡に居住可能な人口を数えたら60万人でした」って思ってるみたいw
この人、小山説の60万人って今でも業界で支持されてると思ってるのかなあ?