もし 池田屋の事件がなかったら?

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10日本@名無史さん:2007/05/16(水) 22:45:18
1年早くなったのではないか?
11日本@名無史さん:2007/05/18(金) 11:36:56
帝をさらっても、帝が維新に協力しなくて殺されるかもしれないな。
そんでもって大乱の時代到来。
12日本@名無史さん:2007/05/19(土) 17:37:44
もしも池田屋に向かったのが剣の達人ばかりの近藤組ではなく
数だけの土方組だったら日本の歴史は変わっていたかもしれない。
13日本@名無史さん:2007/05/19(土) 17:49:36
斉藤や吉村が土方の方にいるから変わらんだろ。
土方の方が周到に準備してから踏み込むだろうから、
そっちの方が被害が大きい気がする。
五稜郭でも以外に統率力があるとこを見せている。
14日本@名無史さん:2007/05/19(土) 17:56:58
池田屋を襲おうが襲うまいが歴史は変わんないって。
土佐の北添や長州の吉田など中堅幹部しかいなかったんだしw。
超大物とされた宮部は肥後で長州でも薩摩でもない。
歴史を変えたければ、桂か西郷もしくは坂本を殺さなけりゃ駄目でしょ。
15日本@名無史さん:2007/05/19(土) 18:25:37
宮部って早世しなければ維新のリーダーとなった人物だよ
16日本@名無史さん:2007/05/19(土) 18:46:29
>>15
嘘こけw
17日本@名無史さん:2007/05/19(土) 21:50:03
天皇をかっぱらったら
他の尊皇派の藩から袋叩きに合うよ
18日本@名無史さん:2007/05/19(土) 23:46:13
>>16
横レスだが、吉田松陰の親友というブランドがあるから、
間違いなくリーダー格にはなっていたと思う。
バックはないけど、真木和泉みたいに。
19日本@名無史さん:2007/05/20(日) 01:25:46
>>18
松蔭の親友ったって無理じゃないの〜
最初の頃の明治政府って藩閥政治だぜ
肥後熊本藩では中に入れないよ

確かに真木和泉は長州系志士のリーダー的な役割を担ったけど、
真木が京都出兵を言い出したのが、文久3年の8.18政変直後あたりから。
桂ら長州藩トップが反対して押さえ込んだが、元治元年の池田屋事件で暴発されて禁門の変。
この経過から真木と長州藩トップとでは意見割れしているぜ。
つか、真木と宮部が生き残ってたら薩長同盟ができなかったかもだがw。
こいつらは「薩賊会奸」と叫びまくりだからw。
そういう意味では歴史が変わるかもしれないw。
20日本@名無史さん:2007/05/20(日) 02:45:01
真木和泉は失礼だろ。
一応正式に任官されたのだから
「真木和泉守」と書くべきだろう。
21日本@名無史さん:2007/05/20(日) 04:07:48
>>19
明治政府は藩閥というが、実体はさらに「長州松陰閥」と「薩摩西郷閥」。
長州でも松陰閥以外の人間は出世できなかったし、
薩摩でも西郷閥以外は大山や海江田のように冷遇された。
その意味では宮部は松陰閥のボスとして相応の地位はもらえたと思うよ。
ただし、木戸と仲良くしないと無理だけど。
それに幕末ほとんど活躍できなかった江藤や大隈だって参議になってるしね。
22日本@名無史さん:2007/05/20(日) 08:03:48
>>21
>実体はさらに「長州松陰閥」と「薩摩西郷閥」
 
 それはハッキリ違うと言っておくぞw。
松蔭系の桂がドンだったから、その桂の意思に同調する者が登用された。
桂は開国派に転じているから、条件として開国を支持している事が条件だろう。
俺は宮部が開国派になるとは思えないがな。どっちかというと神風連の乱に加わって反乱するような気がするが。
それに松蔭系以外が冷遇されたように見えるのは、山県有朋に罪がある。
桂より奴が権力を持った時に、松下村塾系を冷遇し始めた。明治政府初期の段階では松蔭系以外もかなり登用されているし。
薩摩西郷閥じゃないから大山や海江田が冷遇されたとは思えないぞ。
逆に明治6年政変で、西郷党は明治政府内から野に下ったしな。
2322:2007/05/20(日) 12:42:55
スマソ。間違えた

× 松下村塾系を冷遇し始めた。
○ 松下村塾系以外を冷遇し始めた。
24日本@名無史さん:2007/05/20(日) 13:47:10
>>22
少なくとも初期は松陰閥と西郷閥が幅を利かせているよ。
守旧派だった前原一誠だって木戸とならんで参議になってるし、
一方で長州でそれなりの地位にあった人たちでもさほどの
官職についていない。広沢くらい?(大村は桂のひき)。
ま、前原のように下野して神風連の乱のドンになった可能性は否定しない。

あと、西郷閥の人たちは大山巌や西郷従道、桐野、篠原など
優遇されたことに比べて海江田は京都に左遷とか、大山も冷遇。
奈良原なども同様。

初期はなんの実績もない大隈なども参議に抜擢されているし、
薩長じゃないとダメってことも無かったと思う。
従って松陰閥の宮部もリーダー格になっていたのでは?
25日本@名無史さん:2007/05/20(日) 13:50:28
山口は行った方がいい?
26日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:27:09
>>24
宮部は松蔭と友達ってだけで、長州閥の中には入れんと俺は思うがなぁ。
奴が熊本の出であり、幕末期の政治活動基盤が長州藩になく在京浪士が中心だったし。
真木みたいに常に長州藩べったりなら閥に入ったかもしれないが。
池田屋の暴発計画など、長州藩とは別路線で来ているからな。

とはいえ、「死んだ人間」が死ななかったら・・・という妄想レベルの議論はそろそろ限界だろう。お互いにw。
どの道、明治政府を主導するのは桂や西郷、大久保らさ。宮部が彼らを超えて政府を切り盛りできる立場にはならないよ。
27日本@名無史さん:2007/05/20(日) 15:11:49
>守旧派だった前原一誠
前原が参議になったのはその守旧派だったことを大久保らに政治的に利用されてだぞ。
当時、保守的だった大久保は岩倉と組み、政府内の木戸派(開明派)の追い出しを謀ろうとした。
要は大久保によって祭り上げられただけ。それまでの前原は新潟県知事をしていたくらい。後の兵部大輔も大久保に利用されてだ。
宮部は木戸と合わないだろうから、長州閥には居られないんじゃないかと。
攘夷論を捨てられるとも思えんし、文明開化についていけたかが疑問だ。
そもそも過激派な宮部と慎重派な木戸じゃ意見が合わないだろう。前原のようになるのがオチっぽい。

そもそも池田屋が無かったとして、禁門の変が阻止出来るとも思えない。
禁門の変があったら、そこで宮部は死んでるんじゃないか。吉田も危うい。
禁門の変が無かったとしたら、歴史は大きく変わっていると思うが、
周布が謹慎中で高杉は牢獄、桂は京都だし、国許の進発論を抑えられる人物がいない。
宮部が生きていたら更に浪士達が進発論を主張するだろうし、結局禁門の変が起きて史実のようになるんじゃないかな。
28日本@名無史さん:2007/05/20(日) 17:45:00
>>26>>27
長州閥とはちょっと違うかな。
肥後閥というべきか。
佐賀でさえ明治新政府に人材を出せたのだから、宮部も入れただろう、ってこと。

まあ、所詮妄想話だねw
また大久保のようなリーダーは無理で、前原や西郷のように下野したとも思う。
彼は近代国家を建設するような能力はあったとは思わない。

>宮部が生きていたら更に浪士達が進発論を主張するだろうし、結局禁門の変が起きて史実のようになるんじゃないかな。

真木と同じ運命かな。
確かに「禁門の変」そのものは偶然ではなく、必然であって、いずれは起こったとは思う。
29日本@名無史さん:2007/05/20(日) 18:03:49

京都、強風の日の放火・・の倒幕派の計画って 文章で残っていたっけ??

  新撰組基地からアンチになろうかな〜 と思って・・・
30日本@名無史さん:2007/05/20(日) 18:25:34
>>28
肥後は河上もいるし、宮部が生きてて、攘夷や国学などの思想に囚われなければ、肥前までとは行かないまでも良い線行ったかもね。
だが、河上がそうだったように、その思想を危険視されて処刑されてた可能性もある。
やっぱり長州(というか木戸)とどれだけ上手くやっていくかがキーポイントかな。
31日本@名無史さん:2007/05/20(日) 19:15:15
>やっぱり長州(というか木戸)とどれだけ上手くやっていくかがキーポイント

 まぁそんな所が結論でいいんじゃね。俺は木戸とは合わないと思うが。
これ以上の議論は妄想の上に妄想を重ねるだけで不毛だ。
言いたいことは言ったから俺は一抜けするよ。
32日本@名無史さん:2007/05/20(日) 19:44:32
>>29

>京都、強風の日の放火・・の倒幕派の計画
出所は永倉新八の「新撰組顛末記」と「京都守護職始末」。
新撰組が古高を捕らえ、拷問にかけて自白させ、それを会津に報告したという経過じゃないなか。
そう言う意味では、出所のこの二冊が同じような事を書いてあるのは当然といえる。
「防長回天史」では、会津側の史料「京都守護職始末」と「新撰組顛末記」の抜粋を掲載してあるだけ。
あと、福井藩の史料でタイトルは忘れたが「在京の尊皇派の間に不穏な動きがあった為」と書かれてあり、
御所に放火してうんぬんと細かくは書かれていなかった。
マジで実行するかどうか、計画の内容や長州が関係しているのかはともかくとして、
尊攘派浪士の間で何か企みがあった事は確かっぽいな。
33日本@名無史さん:2007/05/27(日) 02:54:35
>>28
肥後は林先生や大田黒先生加屋先生もいるぞ。
34日本@名無史さん:2007/05/28(月) 16:52:31
松岡先生、今までご苦労様でした。
35日本@名無史さん:2007/06/09(土) 02:13:14
池田屋事件が無ければ、海軍塾の二人が遭難していない。
ということは、幕府による海軍塾閉鎖・勝海舟蟄居はなかった。
海軍塾が存続していれば、勝が龍馬を西郷に預けることはなかったので、
その後の薩長同盟などの偉業は成し得なかった。
薩長同盟が無いということは、倒幕はほぼ不可能。
もし倒幕連合軍が出来たとしても、勝・榎本・龍馬が
海軍軍艦で東海道を海上から砲撃していただろう。
龍馬が勝と別れなければ、勝の緩やかな変革、
徳川幕府独裁から徳川を中心にした合議制国家へという考えに、
同調していただろう。

池田屋事件で維新が遅れたとか言われるが、
あれがなければ維新が無かったかも知れない。
36日本@名無史さん:2007/06/12(火) 13:47:06
逆に早まったんでね?
長州の怒りに燃え上がったわけだし
37日本@名無史さん:2007/06/12(火) 20:20:50
久坂、俊麿、入江、杉山、寺島あたりが生きて維新を迎えたらどうなっていたか?
38日本@名無史さん:2007/06/12(火) 20:32:15
>>35
>海軍塾閉鎖・勝海舟蟄居はなかった

 そいつぁどうかなぁ?小栗らは神戸海軍塾だけでなく、その前は長崎海軍伝習所も閉鎖に追い込んだ連中だよ。
勝はそれが不満で、家茂に直訴して神戸塾を開いた。この時から小栗らは神戸塾をどうやって閉鎖させるか考えている。
小栗らの真の目的は「幕臣以外の者に軍艦操縦技術を渡さない事」だから、神戸塾の閉鎖は既定方針で、たまたま池田屋を大義名分にされただけだよ。
39日本@名無史さん:2007/06/13(水) 17:40:03
勝は数学が苦手・船に弱いと海軍軍人として致命的な欠陥がある上に、
咸臨丸での航海では人望まで無くしたから、長崎海軍伝習所が閉鎖されたのは当然。
それを家茂に捻じ込んで強引に神戸塾を開いた。

政治家としての勝や、神戸塾が輩出した人材の活躍は評価するけど、
海軍軍人というより、船乗りとしての勝は評価できない。
40日本@名無史さん:2007/06/15(金) 18:54:50
池田屋事件が無ければ、龍馬&土佐は幕府側に残った。

1870年、ついに薩長連合軍が東進

西軍 西郷、桂、大久保、久坂、俊麿、入江、寺島、宮部、江藤、大隈
東軍 慶喜、勝、小栗、龍馬、永井、榎本、大鳥、後藤、板垣、近藤、土方、諭吉、渋沢
41日本@名無史さん:2007/07/15(日) 21:41:18
その時真木先生は?
42日本@名無史さん:2007/07/15(日) 21:50:49
和泉先生はオナニーの最中だったよ
43日本@名無史さん:2007/07/15(日) 22:18:48
イタイ妄想w
44名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:02:45
肥後の天下
45名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:13:51
維新後に残った有能なヤツって、大久保と大隈くらい?
46名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:32:08
林先生や大田黒先生加屋先生河上先生
47名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:41:11
木戸孝允や伊藤博文、桂太郎も有能だろ
48名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 02:48:55
近江屋事件か越後屋事件が起こります
49日本@名無史さん:2007/10/14(日) 21:33:53
近藤も斬首にされる事なかったろうに
50日本@名無史さん:2007/12/20(木) 16:35:20
天皇制は非民主的な勢力やテロリストが天皇を担ぐ事によって正当化されるシステム。
例)テロリストが天皇を担いで政権を得た事例→明治維新
例)独裁的軍事政権が天皇を担いで政権を得た事例→徳川幕府
例)北朝鮮が日本を侵略した場合→天皇を担いで侵略を正当化(満州国皇帝溥儀の事例)

民主的に政権を得ることができない勢力が天皇を担ぎます。
51日本@名無史さん:2008/01/20(日) 09:45:06
どっちにしても維新は起きたよ
52日本@名無史さん:2008/01/20(日) 10:52:24
日本の歴史は、多少なりとも天皇制を担ぐ事によってなりたっているよ。だから?
53日本@名無史さん:2008/01/20(日) 11:09:05
大勢に変化なかったと思う。過激団の宴会に踏み込んで手向かうものを切り捨てただけのこと。
わからないんだが
新撰組って火付け盗賊改めより格上なん?
54日本@名無史さん:2008/01/20(日) 14:34:23
池田屋事件が無かったら、反対に長州が弱体化せずに、意地を張って、薩摩との連合が成立しなかった可能性もありうるな!
55日本@名無史さん:2008/01/20(日) 21:43:06
桂さんが現場に居ればなぁ
沖田吐血前なら、
桂VS沖田の真剣勝負(*´Д`)ハァハァ
56日本@名無史さん:2008/01/21(月) 16:43:42
剣に自信があるなら少人数が切り込んできても返り討ちにするだけだったろう。
先手を奪われ数人が切られても数で圧倒しているんだから負けるほうが変。
新撰組は集団戦法で一対複数で取り締まる。
数で上回る側が負けるのは戦う事よりも逃げる事を優先したからだろう。
数名のリーダーを除いて後の連中は食わしてくれるなら倒幕でも佐幕でも何でもいいって感じじゃないだろうか?
財政難で藩がリストラしていた時代には思想よりも食い扶持を求めた人々の方が多数派だろう。
職が無いから都会に行く。そこでも職に着けず「天誅!」と叫んで強盗を行なう。
後世から見たら思想の為と想像しても当時を生きていた人は食う事に必死だったかもしれない。
57日本@名無史さん:2008/02/19(火) 20:26:24
吉田稔麿ってどのレベルに凄かったんですか
たいした事なかったんですか?
58日本@名無史さん:2008/02/19(火) 20:35:54
>>57
池田屋に無職の人を集める事ができるレベル
59日本@名無史さん
吉田稔麿は、師の松蔭が最大級の賛辞を送ってるから、
維新後まで生きてたら相当な人物になっていたと思う。