【山芋】孝謙称徳天皇スレ【道鏡】

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1日本@名無史さん
伝説を検証しましょう。ハァハァ
2日本@名無史さん:2007/05/12(土) 20:18:38
ポンコツ文字
3日本@名無史さん:2007/05/13(日) 00:29:06
>山芋
深いなw
4日本@名無史さん:2007/05/15(火) 12:20:37
道鏡に 根まで入れろと 詔
5日本@名無史さん:2007/05/15(火) 13:09:12
【孝謙・称徳女帝に萌える者共のスレ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1135951869/
6日本@名無史さん:2007/05/15(火) 13:30:03
道鏡とはプラトニックだろ。
7日本@名無史さん:2007/05/15(火) 14:44:12
ハァハァ
8日本@名無史さん:2007/05/15(火) 17:29:53
40過ぎのおばちゃんと60過ぎの坊主の情事なんて想像するだにキモい
9日本@名無史さん:2007/05/15(火) 20:16:15
なんでまたあんなことに…
10日本@名無史さん:2007/05/15(火) 21:00:55
井沢元彦と梅原猛の対談で、井沢は鑑真が戒律を伝えて間もない時期だから、女帝と道鏡には性的関係ではなかったと主張してたが、一本梅原は、道鏡は雑密を修行してたから、性的関係は有り得ると主張してた。

みなさん、どげん思いますか?
11日本@名無史さん:2007/05/15(火) 21:44:34
同時代史料に近い『日本霊異記』では、ずばり性関係があった、と書いている。
この書は真面目な仏教説話集だから仏教的解釈によるこじつけはあっても、
全くの嘘は書かないだろう。
少なくとも民間レベルではこの説が早い段階から一般化していたことが分かる。
12日本@名無史さん:2007/05/16(水) 08:54:55
日本霊異記は、説話集だよ・・・
民間レベルでは、何もかもを手に入れる天下の女帝が、
愛男をもって当然だろう、ということで下世話な噂はとんだだろうが、
若くもない道鏡が、40過ぎまで処女を貫いた称徳天皇の体を奪ったところで、
かえって天皇に怒られたり、嫌われたりしたんじゃあるまいか。
称徳天皇の祖母藤原宮子は聖武天皇を産んで以降ノイローゼで伏せっていたし、
称徳天皇は性的なものを忌み嫌ったとも伝えられているのだが。

13日本@名無史さん:2007/05/16(水) 21:21:47
道鏡ティンティン勃つの?
14日本@名無史さん:2007/05/17(木) 00:39:38
道鏡とやってたんなら、こけし入れたまま死ぬことないもんな。
15日本@名無史さん:2007/05/17(木) 21:49:37
>>13

つ バイアグラ
16日本@名無史さん:2007/05/17(木) 21:56:12
懐かしのエソプレソスレ復活でっかw
17日本@名無史さん:2007/05/19(土) 16:59:34
悲しき女帝 許されざる恋
〜道鏡事件の真相〜
平成19年5月23日 (水) 22:00〜22:43 総合

古代最後の女帝・孝謙天皇。彼女は皇位継承の責任を負いながら、一生結婚することが許されない悲しき女帝だった。
華麗な仏教美術が花咲いた奈良・天平時代。その頂点にあるのが東大寺大仏だ。
しかし大仏を発願した聖武天皇は男子に恵まれず、遺言を一人娘の孝謙に託した。
「天下はお前に授けた。王を奴婢にするのも、奴婢を王にするのもなんじの自由だ。」
孝謙に託された聖武の遺言は、仏教政治の発展と皇位の継承という二つの宿題だった。
女帝を認めない貴族社会の風潮と、国を二分した藤原仲麻呂との対決を乗り越えたとき、
孝謙は僧・道鏡への譲位という結論にたどり着く。
それは、父の宿題を合理的に解決する彼女なりの究極の選択だった。
しかし、その選択をめぐって再び貴族たちが内乱を起こそうとの動きを示したとき、彼女が下した決断とは…?
孝謙は後世、堕落した女帝として悪評がたつが、最近の研究からは、
政権をほしいままにする藤原氏に対抗して国政を守り、仏教興隆に努めたことが再評価されている。
奈良時代の衣装や、平城宮大極殿での即位式の様子、東大寺大仏殿をセットやデジタル技術を用いて再現。
華麗なる天平の朝廷絵巻…。時代の舵を大きく切った、女帝の数奇な運命を描く
18日本@名無史さん:2007/05/23(水) 22:43:33
放送記念age
19日本@名無史さん:2007/05/23(水) 22:50:30
これは女系天皇反対派にとってはもってこいの材料だな。
20日本@名無史さん:2007/05/23(水) 23:00:38
>>19
犬HKは、愛子天皇実現への布石のつもりだったんだろうね。
だけどこれみた人は、女じゃだめだ、って感想しかもたないよね。
21日本@名無史さん:2007/05/23(水) 23:12:17
で、あれはどこまでが史実(記録に残ってる話)で、
どこからが里中先生の創作なん?
22日本@名無史さん:2007/05/24(木) 00:17:46
孝謙たん役の女優があまり美人じゃなかったのが残念
23日本@名無史さん:2007/05/24(木) 16:44:21
女は巨根に狂うのじゃ〜
24日本@名無史さん:2007/05/24(木) 16:50:02
>>4
傑作だなそれw
25日本@名無史さん:2007/05/24(木) 17:19:55
>>24
いにしえの人の才能は結構すごい
26日本@名無史さん:2007/05/25(金) 11:37:15
どんな内容だったの?>NHK
27日本@名無史さん:2007/05/31(木) 16:58:18
結局、みんな今日もないのねw
28日本@名無史さん:2007/06/07(木) 08:15:19
宮内庁的には、弓削宮は無かったことにしたいのか?
29日本@名無史さん:2007/06/11(月) 22:53:36
AV嬢にしたい歴史上の人物
称徳天皇と高橋お伝と八百屋お七と日野富子
30日本@名無史さん:2007/06/14(木) 16:43:21
孝謙天皇って、そんなに悲劇か?>NHK
淳仁天皇追っ払ったときの宣命なんか読むと、自信と威厳にあふれている。
帝王教育受けてきました、って感じ。
くだらん男と結婚させられるより、天皇になれたほうがずっとよかっただろ。
道鏡に好意は持っていたんだろうが、肉体関係があったとは思ってない。
31日本@名無史さん:2007/06/14(木) 17:30:05
単なる好意程度じゃ皇位を譲ろうとまでは考えないよ。
肉体関係の有無は確かめようもないが、それがあっても不思議ではないほどの
愛情があったはず。
道鏡に野心があって称徳天皇を幻術で惑わしたとしてもだ。
この事件のポイントは神意を聞きに行ったのが宇佐八幡だったことだ。
伊勢ではなく。
古代皇室においてなぜ宇佐がそれほど重要だったのかという点。
ここに皇室の出自を伺わせる。
32日本@名無史さん:2007/06/14(木) 17:35:23
あれは、道鏡に媚を売りたい宇佐八幡宮の宮司が、
自分でこんな神託出ました〜、って朝廷に訴えでたんだろ。
朝廷が神託を確かめにいくのは、和気清麻呂と広虫を遣わすのは、
宮司が訴え出たあとだよ。
宇佐はあまり重視されてないよ。
そりゃあ、皇族が斎宮を勤めていた伊勢のほうが上。
33日本@名無史さん:2007/06/14(木) 17:59:36
道鏡が左遷された下野国薬師寺跡に行ったことがある。
回廊の角の部分ちょっとだけが復元されてたよ。
周囲はひなびた田園地帯だった。
ちょっと離れたところに孝謙神社なるものがあり、
称徳天皇が道鏡を追ってこの地に来て仲むつまじく暮らして
亡くなったのを祀ったのだという。
正史とは整合性がないがそれも面白い話だ。
34日本@名無史さん:2007/06/14(木) 18:05:57
NHKも何か歯切れが悪かったなあ。
道鏡事件で和気清麻呂追放に触れなかったり、その一方で女帝と道鏡に
何かあったかのような描写を見せているし。
まあ一昔前だったら扱えないネタだから大したもんだけどね。

ただ道鏡事件も含めて称徳天皇の自発的な政治姿勢を評価したのは良かった。
仲麻呂との関係も以前の俗説じゃなくて近年の研究踏まえていたし。
もっともゲストの里中さん、あの人は確か称徳・仲麻呂恋人説じゃなかったっけ?
道鏡には極めて好意的な人だけど。
35日本@名無史さん:2007/06/14(木) 18:06:47
道鏡が流されたのは称徳天皇没後だったけどね。
称徳天皇は、自分の地位を失ってまで、道鏡を追ったりしないだろう。
それよりも、生涯、天皇であり続けたかった人だよ。
現に、道鏡に譲位することもあきらめた。
36日本@名無史さん:2007/06/19(火) 20:34:02
>>伊勢ではなく。
>>古代皇室においてなぜ宇佐がそれほど重要だったのかという点。
>>ここに皇室の出自を伺わせる。

井沢元彦に騙されたばか者でしょうw

37日本@名無史さん:2007/06/20(水) 12:50:06
>>31
和気清麻呂は何もないのにわざわざ天皇位を譲ることの可否の神意を聞くために宇佐に派遣されたわけじゃない。
769年5月宇佐八幡神は託宣し〈道鏡を天位につかしめば天下太平ならん〉とあり、これを大宰主神中臣習宜阿曾麻呂が奏したのが前提。
当時宇佐を管轄する大宰府長官は道鏡の弟弓削浄人(ゆげのきよと)だったから勿論でっち上げ奏上なわけだ。
清麻呂はこの宇佐の託宣の真偽を確認するために派遣されたのだから、近かろうと直系だろうとこの件で伊勢神宮が出てくる理由はまったくない。
この神託をめぐる 天皇・道鏡派 VS 藤原一門 抗争の結果、藤原が勝利して、即位を否定する神託が改めて出され、道鏡の野望は費えた。
宇佐の神託は東大寺造営や大仏建立などで、さんざん朝廷が利用してきた実績があるからこのときも使ったというだけ。
道鏡方に与した宇佐の神官一派は、この後粛清された。
38日本@名無史さん:2007/06/20(水) 13:12:54
道鏡は雑密(加持祈祷)だけでなく純密でもかなりの境地に至った、
弘法大師空海の先輩格のような高僧。
空海も嵯峨天皇に取り入っていたが、別に皇位などは望まず、自分の名声を広めることと、
自分の教団を繁栄させることを目的に活動し、弘法大師と崇められて今日に至る。
皇位の簒奪を企てたとて汚名を着せられた道鏡はやり方がまずかった、という事になる。
39日本@名無史さん:2007/06/20(水) 15:15:30
【わざわざ宇佐に確認しなくても、近い伊勢神宮に改めて是非の伺いを立てれば良いはずだ、と食い下がる度し難いぼけ頭君のため】

あらゆる神社が、お伺いを立てれば神託をくれるものだと思っている大馬鹿者は誰ですか?
伊勢神宮は依頼を受けて託宣を出す神ではありません。
アマテラス様が必要だと思えば皇女の斎王に神憑りして託宣を下しますが、それはあくまで神様の任意です。

宇佐神宮のようにシャーマン女禰宜がいて、頼まれればほいほい神託サービスをする神社がどこにでもあると?
そんなシャーマン神社で、都合のよい神託を出してくれるから、宇佐は皇室に崇拝され大事にされたんですよ。
40日本@名無史さん:2007/06/20(水) 15:20:12
>39
宇佐八幡宮が、「頼まれればほいほい神託サービスをする神社」であり、
「皇室に崇拝され大事にされた」史料を出してくれ。
道鏡事件以外でな。
41日本@名無史さん:2007/06/20(水) 15:57:02
つまり伊勢の神様は気まぐれってこっちゃな
気の向いた時にしか託宣を下さない
いかにも天照なんてワガママなオバチャンだけあるわ
国家大事の時にだんまりを決め込んでるようじゃ、御利益も期待できそうにないわな
42日本@名無史さん:2007/06/20(水) 16:01:44
>41
なんだ、史料はなくて、お前の頭の中の妄想か
って、日本史板に書き込むなよ
4341:2007/06/20(水) 16:08:50
>>42
レス相手を間違えてないか?
自分は>>39とは別人だよ
44日本@名無史さん:2007/06/20(水) 16:44:55
宇佐は、大仏建立の時に託宣の押し売りに来たんだよ。
45日本@名無史さん:2007/06/21(木) 09:36:01
>>40
おいおい有名な『黄金神託』事件を知らないのかよw
747年聖武天皇が国家的大事業である奈良東大寺の大仏建立を計画したとき、当時国内では金の産出量が少なく、仏像を飾る金が不足していた。
この時を待っていたかのように宇佐神宮は『必ず黄金を国内で産出する』という神託を発し、なんと、その言葉どおり陸奥の国から大量の黄金が発掘された。
また大工事の進捗に難渋するやと、すかさず『天の神、地の神を引き連れて、必ずや成功させる』と神託を出した。
749年の大仏開眼式には、八幡神は神輿に乗り奈良に入って式に臨み、以後15年間も都に滞在した。
それが現在も祭りで行われる「神輿」巡行の起源で、道鏡事件の僅か20年前の国家的大事件だぞ。
この事件を通じ、宇佐神宮の神託には権威が認められ、崇敬を集めるようになっていた。
宇佐の神は、都中の民が知る託宣神としてスターダムにのしあがており、人々の記憶にも新しい。
だからこそ称徳天皇は父親の聖武天皇の成功例に倣って宇佐の神託を利用しようとした
なんで近くて権威のある伊勢でなく、遠くて縁の薄い宇佐なの?なんてのは奈良朝の歴史を知らない馬鹿者の発想だぞ。
46日本@名無史さん:2007/06/21(木) 09:48:15
>>40
宇佐八幡宮が「頼まれればほいほい神託サービスをする神社」であり、
「皇室に崇拝され大事にされた」という道鏡事件以外の史実がわかったかねw

47日本@名無史さん:2007/06/21(木) 09:59:13
清麿呂と考謙天皇は性的関係なかったの?
48日本@名無史さん:2007/06/21(木) 11:56:34
まぁ宇佐は神仏習合のメッカのような所で、
神仏分離を断行した近代皇室にとってはあまり触れてもらいたくない過去。
49日本@名無史さん:2007/06/21(木) 18:16:55
珍説「逆説の日本史」
道鏡事件は、井沢先生がその著書において、歴史の一級資料に書かれてある事象をを故意に歪め、
自説を読者に信じ込ませようとするその姿勢と論法が表出した格好の事例です。
逆説の第一巻290頁からその記述は始まる。道鏡事件の説明は14行目
「それは、称徳女帝が道鏡に位を譲ろうとした時、その行為が正しいかどうか神託(神のお告げ)を求めようということになったという話である」
井沢先生はのっけから続日本紀の宇佐神宮の神託が奏上されたという前提はさっぱりと抜き落とし、
譲位の行為が正しいかどうかの神託を求める話にすり替えてしまっている。その上、291頁9行目から
「皇室の重大事を決めるために祖先神の意見を聞くというなら、アマテラスを祀った日本最高の神格を持つ神社である伊勢神宮に行くべきである」(中略)
「『万世一系』という天皇家の『家憲』の変更をするのであるから、どうしてもそれは祖先神に聞かなければいけないはずである」(中略)
祖先神に聞く必要性、当然性をさらに強調する
「祖先が決めた、天皇家という家系にとって最も重要なルール『万世一系』それを改めるというのだから、ここはどうしても祖先の霊に、その是非を問わねばならない」
「そして、ここが重要だが、これは天皇家自体の問題であるから、他の神様ではいけないのである。
天皇家の家憲をかえていいかどうかは天皇家の祖先神しか決められないはずなのだ」
「天皇家はアマテラスという最高神の子孫である、ということになっている(中略)だからそのアマテラスの子孫たる
天皇家の家憲を変更できるのは、天皇家の祖先つまりアマテラスしかいないはずだ。他の神がやることは越権行為でもあり
、最高神アマテラスに対する冒涜にもなる」
祖先神ならどれでもいいのではなく必ずアマテラスに是非を問わねばならないのだと、執拗に読者を洗脳し続ける。
こうして神社に行くならアマテラスを祀る伊勢神宮以外にはありえないということを読者を信じ込ませる。
その上で、近くのアマテラスを祀った伊勢神宮に行かずに、応神天皇を祀った遠い九州の宇佐に行くのは何故か?と再び問う。
結論は伊勢神宮には天皇家の祖先神はおらず、真の祖先新が祀られているのは宇佐神宮とする。293頁以降に珍論多数。
これが井沢先生お得意の歴史推理トリック謎解きレトリックです。
50日本@名無史さん:2007/06/21(木) 21:37:12
逆説1を取りだして開いた
あるね
「それは、称徳女帝が道鏡に位を譲ろうとした時、その行為が正しいかどうか神託(神のお告げ)を求めようということになったという話である」
これは間違いなく故意だな
51日本@名無史さん:2007/06/21(木) 22:19:31
>>49
こう言う類の本て読まないんだけど、クラクラするぐらい凄いな。
売れてんの?
売れていたらヤダなあ。
52日本@名無史さん:2007/06/22(金) 00:36:28
自分は井沢「史観」は好きではないが
尼である女帝と寵臣道鏡に肉体関係はなし説は珍しくかなり説得力があったと思うぞ。
まあ道鏡事件についてははじめに答えありきで検証するから都合のいい部分だけ
抜き出した感がある。対象読者であろう戦後世代は道鏡事件について古老ほど
詳しくないからミスリードに掛かるかもしれんな。
しかしあの「女帝と道鏡」編はまだ色々と根拠を示して誠実だっただけ
他の部分よりもよい方の出来だったと思う。
宇佐八幡の件は仰せの通り、てか天勅の成立期から考えんとなあ。

ここからは道鏡事件とは関係ないが称徳朝は確かに不自然な時代だった。
それまで称徳崩御までの奈良王権は上皇・天皇が権威権力を二分するのが自然だったろう。
元明上皇・元正女帝、元正上皇・聖武天皇、聖武上皇・孝謙天皇、孝謙上皇・淳仁天皇と。
あるいはこれに匹敵する者として元正死後の光明皇后(大后)を加えても良い。
称徳女帝・道鏡法王というのはそういう政治体制の変形かもしれないなあ。
この二重権力構造の完全な崩壊が薬子の変かな。
53日本@名無史さん:2007/06/22(金) 11:09:58
>>51
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%86%E8%AA%AC%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~egoist/mizawa.html
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060802bk05.htm?from=os2

いまだに売れているし、読んで、井沢トンデモ説を信じ込む能無しが多いから困りもの。

元が推理小説作家である井沢先生は「逆説」においても推理小説手法を駆使する。
名探偵は現場状況や関係情報のなかから、謎を解決するヒントを見出し、その断片をつなぎ合わせて見事な謎解きをする。
そのヒントは天才探偵だけが解答にたどり着くため、作者の手で、読者に気づかれないように最初から巧妙に配置されている。
それゆえに名探偵には、読者をうならせる鮮やかな謎解きが約束されている。それが推理小説。
しかし、歴史上の事件の謎には、そう簡単に解けるヒントは存在しない。あれば先人がすでに解答にたどり着いている。
井沢先生は、名探偵振りを披露するために、事件事象の説明の段階で自分で作った解決のヒントをちりばめるのだ。
そしてこれまで誰も気づかなかった、鮮やかな切り口で歴史の謎を解明し読者を魅了する。
その典型的事例が道鏡事件。
54日本@名無史さん:2007/06/22(金) 11:20:45
推理小説家としてはトリックが秀逸で読者が騙されて本が売れればしめたもの。歴史の真相真実なぞ、知ったことか。

@事件の発端である「道鏡を天皇にすれば天下太平」という宇佐神宮の神託が奏上された史実を隠し、
A「それは、称徳女帝が道鏡に位を譲ろうとした時、その行為が正しいかどうか神託(神のお告げ)を求めようということになったという話である」
と、その後の自説の展開に都合のよい前提にすり替えてしまう。
@であれば、神託の真偽を確かめる為に、宇佐に使者を使わすのは自然な流れとなる、しかし
Aのように、女帝が自発的に天皇譲位を言い出し、その是非のため、神のお告げを求めて使者を派遣、に変えてしまえば、
なんでわざわざ九州の宇佐なんだ?皇祖を祀る伊勢神宮はどうした?という疑問が生まれても不思議ではなくなってしまう。
井沢先生の結論を導きやすいように事実をゆがめ、皇祖神でもない宇佐に伺いを立てるのはおかしい、伊勢を無視するのは何故だ、と読者を洗脳商法。
「なんでこれまで、専門の歴史家は気づかなかったんだ、井沢は凄い、偉い」と信者は盲目礼賛。
とんでもない電波作家なんですけどね。
55日本@名無史さん:2007/06/22(金) 14:09:50
>>54
しかも第2巻では@を何の臆面もなく書いている。井沢が1巻で意図的に隠したことが明か
だいたい伊勢が皇祖神としての位置を獲得するのは宇佐との関わりよりずっとのちの時代とされる(直木説だが…)
56日本@名無史さん:2007/06/23(土) 09:16:02
井澤催眠商法恐るべし だな
57日本@名無史さん:2007/06/23(土) 11:23:06
道鏡事件を理由に宇佐神宮こそ真の皇祖を祀る神では?
なんていってる歴史の半可通は、みな井沢説に騙されたおばかさんたちなんだ。
結構多いけど、なんかなさけねぇ奴等だな。
58日本@名無史さん:2007/06/23(土) 11:33:42
宇佐の神(要するに宮司)は心が邪、だけど、伊勢の神は清、とするのも、
単純な伊勢絶対正義論だと思うよ。
宇佐が皇室に何の縁も影響力も無ければ、託宣があろうが無かろうが、
皇室にとっては、どうでもよいことだから。
59日本@名無史さん:2007/06/23(土) 14:10:51
皇室に都合の良い神託を出すことで取り入ったのが縁
長期間利用し利用されるされることで影響力をもった
そういうことでしょ
60日本@名無史さん:2007/06/23(土) 17:20:53
聖武天皇の悲願であった東大寺大仏建立のときに、霊験あらたかな神託を出して功績があったので
一品格を与えて皇祖神社に準ずる扱いとした。
都合のいい神として聖武天皇が上から見て与えたんだろ。
61日本@名無史さん:2007/06/23(土) 20:22:27
>>54>>55
大変興味深いご意見です。
最近、いわゆる「天壌無窮の神勅」が書紀の本文ではなく「一書に曰く」というかたちで異説として記述されていることを本で知り、書紀の該当箇所を確認してみたり辞典も引いてみました。

『神道史大辞典』の「天壌無窮」の項には、

同神勅は書紀では正文ではなく、異伝として一書に入れられていたが、『古語拾遺』に大きく取り上げられ、伊勢神道や『神皇正統記』などもこれを踏襲、次第に重視された。

とあり、井沢さんが前提としている「万世一系」イデオロギーが奈良時代に一般化していたのか疑問に感じました。

これに関連して、孝謙天皇の詔の中に父・聖武から聞いた言葉として、

王を奴と成すも、奴を王と云とも、汝の為むまにまに。

という言葉を思い出しました。

「奴」が皇親を念頭においた意味しかないのかもしれませんが、この後の神託事件の背景等を考える際に気になる言葉です。
62日本@名無史さん:2007/07/12(木) 19:27:35
天智天皇と天武天皇は兄弟ではなく親族関係でもなく血統的には赤の他人。
古代天皇には特定の血筋を尊ぶ思想は無かった。
それが奈良時代末期頃から社会体制が硬直化してきて、
固定した「家柄」尊重の風が生まれてきた。
道鏡事件は「家柄派」が道鏡及び称徳天皇の失脚を企てたもので、
それが成功して天武系は称徳天皇で途絶え、以降は天智系の血筋=家柄のみしか
天皇位に付くことはできなくなった。
そして藤原氏は貴族中の貴族として、実に太平洋戦争後の華族制度廃止まで
貴族であり続けた。
63日本@名無史さん:2007/07/13(金) 05:24:39
>>62
つっこみどころが多すぎるが
天皇制の問題はとりあえずソースプリーズで済ませておくとして
古代国家における大夫層や太政官の氏族連合政権的構成について
どのようにお考えで?
血筋や世襲というのは別に奈良後期以前から重視された、極めて古代的な
ものだと思うけどねえ。
結果論から歴史を考察するのは事象を単純化しすぎていないか?
64日本@名無史さん:2007/07/15(日) 21:39:24
で、もし道鏡が天皇になったとしたら次は誰が帝位に登れば良かったの?
65日本@名無史さん:2007/07/17(火) 22:05:13
熊本に弓削法皇社という神社がある。近くにある弓削神社の分社。
祭神は孝謙天皇。
同時にここは性神崇拝でもあり境内にも石像の男根がある。
だから縁起はむしろ男根→道鏡→孝謙天皇だと思われる。
66日本@名無史さん:2007/10/14(日) 20:40:06
ほう
67日本@名無史さん:2007/11/14(水) 19:47:39
おもろいおもろい
68日本@名無史さん:2007/11/16(金) 13:26:34
女帝の自慰ってどんな感じだろう
69日本@名無しさん:2007/11/17(土) 04:40:22
飛鳥〜奈良時代にかけて6人もいた女帝がこの人以降江戸時代まで800年
以上立たなかったっていうのはこの人が相当めちゃくちゃなことをした
せいだろうと嫌でも想像してしまう。直近の女帝後桜町天皇(20代で即位)
には在位中宮家の男子の目通りは一切許されなかったというし。やっぱり
この人が男にのめりこんだのは事実なんだと思う。

『弓削道鏡』では初めての男は藤原仲麻呂で、上皇になり年もとった
彼女を仲麻呂は軽んじるようになった→そこに入ってきた道鏡に彼女は
夢中に(交渉もちろんあり)→あせった仲麻呂は淳仁をたきつけるが自滅っ
ていう筋だった。なんかやけに説得力があった。
70お岩:2008/01/05(土) 19:30:21
里中満智子のマンガに出てくる道鏡は、
いい男(中身も)だった。
案外、実相に近いかも?
71日本@名無史さん:2008/01/07(月) 12:54:45
男根道鏡、淫乱称徳はいかにもとってつけたようなうわさ話にすぎない
としても、今となっては実際のところはわからんちゅうことですな。

おそらく確かなのは、称徳が道鏡を僧として引き立てたということ。
雑密だから即SEXってのは短絡しすぎだと思うが、医者がわりだから
体に手を当てるくらいは普通するだろうし、それを見た側近が
それを外部に尾ひれをつけてしゃべるくらいはあったかも。

八尾の近くに住んでるんで道鏡には少しは復権してもらいたいもんです。
72日本@名無史さん:2008/04/29(火) 15:07:01
2人が肉体関係があったとは思わないが、称徳天皇が道鏡を出世させる際に発した詔を読むと、
愛情を持っていたことは否定出来ないと思う。
道鏡は朕を仏の教えに導いた師であるのだから、天皇たる朕の師に相応しい位を授けたい、
朕がこのような地位に就けると言えば、きっとあの人格の優れた道鏡は遠慮するだろうから、
こっそりと位を授けるのである、とか。
40過ぎた女帝が出した文章とも思えない、甘やかな文章。
73日本@名無史さん:2008/04/29(火) 15:27:12
>72
ほう
74日本@名無史さん:2008/04/30(水) 01:35:15
もし、仲麻呂にしろ道鏡にしろ肉体関係があって妊娠してしまったら
称徳天皇はどうしたかな?
称徳天皇は天皇としての自覚はあっただろうから妊娠の危険に
さらす肉体関係は持たなかったと思う。
75日本@名無史さん:2008/04/30(水) 01:47:05
>>70
あの漫画は面白いね。
一貫して孝謙女帝の視点から奈良朝後期を描いているから。
父聖武の心の弱さ、母光明の娘からみた理想と現実。
元正女帝の冷酷さ、仲麻呂への愛憎、吉備真備への恩寵、野心なき純粋な道鏡。

俗説と違って橘諸兄も仲麻呂も道鏡もじつは弱いのよ。
光明―孝謙母子の専制てのが奈良朝後期の政治の特異性なんだろうね。
聖武朝のように上皇や太政官に縛られない天皇(皇后)専制が見られる。
これは系統は異なるが桓武朝に引きつがれたことだな。
共通項は専制君主たる天皇・皇后の上に権力(上皇)がなかったことだ。
上皇・天皇の共治は文武朝から薬子の変まで続くんだから政治史としては
異例の期間(特に光明皇后を孝謙朝の上皇とみなすなら女帝の治世はある意味異端)。

フィクションが好きなら永井路子女史の小説『美貌の女帝』『王朝序曲』もおすすめ。
前者は元正女帝の生涯、後者は平安初期の政治史(主役は藤原冬嗣)。
特に後者、続日本紀や日本後紀をこう解釈するか!とちょい驚いた。
76日本@名無史さん:2008/04/30(水) 19:43:51
>>75
>共通項は専制君主たる天皇・皇后の上に権力(上皇)がなかったことだ。

孝謙天皇朝にも父聖武太上天皇が存命のうちは上皇が娘である天皇に対して
影響力を行使していた形跡があるよ。
事実、孝謙天皇とその母光明皇太后が道祖王を廃太子にしたのは聖武が没した
直後だったし。
聖武朝においては、その即位のときから、すでに父文武天皇や祖母元明天皇が没していた。
叔母である元正太上天皇のみは生存していたものの、
聖武の直系尊属ではなかったために影響力は最小限に抑えられた。
のちの院政を見ても、院の権限が及ぶのは天皇が直系卑属(子や孫、曽孫)である場合に限られ、
天皇の叔父など直系でない場合には院政を執ることができなかったことを考えれば、妥当。
77日本@名無史さん:2008/05/03(土) 17:10:57
孝謙女帝・・・

「朕はもう 崩御崩御と みことのり」

見たいな話はゲスの勘ぐりだとしても、
自身の意に沿わない者に変な名を与えて貶めるのは、正史にも載ってるからな。

橘奈良麻呂の乱に連座した道祖王などには「マドイ」(惑い)、「クナタブレ」(頑固なキチガイ)
「ノロシ」(のろま)などの名を与え、
自身を呪った不破内親王には「厨真人厨女」(台所の飯炊き女)。
極めつけは道鏡への譲位を阻止しようとした和気清麻呂に、「分部穢麻呂」・・・

ほとんど子供のイジメじゃん。
78日本@名無史さん:2008/05/03(土) 17:51:59
というかVIPPERのノリと変わらんw
79日本@名無史さん:2008/06/15(日) 10:07:24
40過ぎのおばちゃんと60近い坊主のセックスなんておよそ萌えないよなあ・・・
フィクションにするなら年齢も大胆に改竄して、
20前後の美少女、帝妃阿倍天皇(日本霊異記の表現)と30前後の美僧道鏡の情交、
こうでもしなきゃ面白くない。
80日本@名無史さん:2008/07/14(月) 21:43:23
だから20代の若き美少女孝謙天皇と藤原仲麻呂のラブロマンスがあるじゃない
多分性関係にはなかったのだろうけど
もっとも仲麻呂は年上の権力者、光明皇太后の性欲を満たすために毎晩相手をさせられ
逃れられずという・・・・
81日本@名無史さん:2008/07/14(月) 22:06:25
二十代は少女なんかい
82日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:23:41
天武系の称徳が天智系に皇位を渡したく
なかったのかなぁとも思うんですが
83日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:06:26
その割には称徳天皇は2人の異母姉妹と仲が悪かったよね
自分が生涯独身を貫かねばならない立場に置かれていたために
聖武天皇の血筋を継ぐ者としては
2人の異母姉妹(井上内親王、不破内親王)を置いてほかになかったけどね
84日本@名無史さん:2008/09/12(金) 20:38:59
>>83
でもこの異母姉妹に皇位を譲っても
「天武系」はそこで途絶えるのでは?
85日本@名無史さん:2008/09/12(金) 21:07:11
>>84
女帝が次々出ていたこの時代、後の時代のような絶対男系でもなかったような。
元明天皇は男系の孫文武天皇よりも
女系の孫である長屋王の息子たちに期待してたようなこともあったみたいだし。
光仁天皇が即位できたのも、聖武天皇の内親王を妻にしていたことが理由だったよね?
もっとも井上内親王はその後抹殺されたけど
86日本@名無史さん:2008/09/13(土) 06:26:17
>>85
その場合男系というより、文武(草壁)直系じゃね?

律令の規定から、非男系の皇族は不可能だから

女帝の配偶者に関する規定も律令にはないし

傍系男子と直系女子の婚姻なら前例はあるし
87日本@名無史さん:2008/09/13(土) 07:46:34
>>86
長屋王も光仁天皇も男系で文武・草壁の血を引いてないでしょ
光仁は男系では天智系だしね
いずれも配偶者である女子がときの天皇に血縁が近かっただけで
88日本@名無史さん:2008/09/13(土) 20:53:27
>>86は、>>85
>女帝が次々出ていたこの時代、後の時代のような絶対男系でもなかったような。

に対するレスね
要するに非男系の天皇や皇族は歴史上存在しなかったってこと

>元明天皇は男系の孫文武天皇よりも
>女系の孫である長屋王の息子たちに期待してたようなこともあったみたいだし。

この場合、元明を基準にすると、文武も吉備内親王も女性の子供だから女系男子と女系女子になる
草壁から見れば二人共男性の子供だから男系男子と男系女子になる
男系=息子の血筋、女系=娘の血筋ってわけではないよ

この時代に女帝が多くなった原因は、草壁と文武が夭折した為で、飛鳥時代の兄弟継承を含む傍系継承の慣習を廃して、直系継承を定着させる為の女帝による中継ぎだったわけで、取り立てて女性の地位が高かったり、影響力が強かったり、女性の血筋が尊ばれたわけではない
89日本@名無史さん:2008/09/13(土) 21:31:18
>>88
>取り立てて女性の地位が高かったり、影響力が強かったり、
>女性の血筋が尊ばれたわけではない

これは違うだろうね
なぜならばこの時代同じ天皇の子供ならば
庶子の男子よりも嫡子の女子が尊ばれた
孝謙天皇は庶子の異母弟を退けて女性皇太子に立っている
平安時代以降にはありえなかった
平安時代に入ると后腹の女子より女官腹の男子が優先して即位する
后が皇族に限られ后が天皇とともに統治する形をとっていたのも
古代日本の名残
平安時代以降には后が直接政務に関わることはなかった
90日本@名無史さん:2008/09/13(土) 22:34:54
>これは違うだろうね
なぜならばこの時代同じ天皇の子供ならば
>庶子の男子よりも嫡子の女子が尊ばれた
>孝謙天皇は庶子の異母弟を退けて女性皇太子に立っている

まず、孝謙の同母弟(某王あるいは基王)が先に皇太子となっていることから、嫡系なら男性優先だということ

孝謙が異母弟の安積親王を差し置いて即位出来たのは藤原氏の意向でしょ

もし、光明皇后の他に不比等なり四子の娘が聖武に嫁いで皇子を産んでたら、皇后の娘の孝謙といえど出番は無かったと思うけどね
91日本@名無史さん:2008/09/13(土) 23:17:03
崩御しちゃう!崩御しちゃう!
92日本@名無史さん:2008/09/15(月) 00:45:58
>>90
分からないやつだな。
89は庶子男と嫡流女を比べて言っている。
嫡流女より嫡流男が優先されていたからこの時代の女性の地位は低かった?
わざと文意を変えてるんだろうが。

君の頭にも理解できるように説明しよう。

>孝謙が異母弟の安積親王を差し置いて即位出来たのは藤原氏の意向でしょ

都合の悪い例には蓋をする、か。
君は孝謙天皇の例が皇位継承に藤原氏が口出しできた時代の
特例中の特例でこれを絶対に例として認めるなと言っているが、
この時代は嫡女>>>庶子男だったんだよ。

元正天皇=元明天皇の嫡女。皇位継承権をもつあまたの叔父を退けて即位。

現に聖武天皇には光明皇后の姪が2人嫁いでいたわけだが
皇子がいれば孝謙は即位できなかったというのはどうだろう。
孝謙が皇太子に立ったのは光明皇后の2人の姪が嫁いだか嫁いでいないかの時期で
仮にこの2人に皇子が生まれようが生まれまいが孝謙は皇太子に立っていたから。
即位すらできる皇后腹の嫡女と、夫人腹の男子(光明皇后の姪は皇后ではなく夫人だったからね)。
夫人腹の男子より皇后腹の女子が優先されることは充分ありえた時代だよ。
後の時代にはないが。
93日本@名無史さん:2008/09/15(月) 21:07:59
>>92
女帝が結婚出来ないってこと分かってる?
嫡系女子を庶系や傍系の男子より優先して即位させても、女帝の血筋はそこでおわり
結局、庶系なり傍系に皇統が移ることになる

これが分かってて、敢えて女帝を即位させるとなれば、政治的な思惑があるに決まってる

元正の即位は聖武が成長するまでの中継ぎでしょ
母の元明が聖武の成人まで天皇の職務にたえられなかったのと、聖武の母が藤原宮子だったから女帝として即位出来ないという理由で、母親代わりに叔母が即位したようなもんでしょ
聖武は元明の時代に立太子されているから、元正が傍系男子を差し置いて即位したのはあたり前で、この時点で傍系男子が即位すれば聖武の地位が危うくなるだけだから
94日本@名無史さん:2008/09/16(火) 21:56:31
>>93
どうしようもないやつだなw

ここで議論しているのは即位するのに同腹の女のほうが同腹の男より優先されていたという話じゃないんだよ。

奈良時代においては庶子男より嫡子の女子が即位したということ。

この結論に不満なら庶子男が皇后腹の女子を退けて即位した例をあげればいいんだよ。

奈良時代限定で。

まだ言ってることが分からない?
9582:2008/09/18(木) 04:34:53
…で、妹の内親王に皇位を譲った場合「天武系」は維持出来たのでしょうか?
96日本@名無史さん:2008/10/02(木) 19:19:28
>>10
普通に考えて無いだろ。
藤原氏が道鏡中傷でそういうニュアンスで書いただけだろう。
当時の僧侶が女犯犯すなんてとんでもない大罪で、ひどい罰があったわけです
さらに孝謙天皇はあの大仏の聖武天皇の娘で、元から異常なまでの真摯な仏教信者。
東大寺に対し西大寺を作ったりと、聖武天皇路線引き継いでるのに
姦淫するかぁ?
真剣な仏教徒であればあるほど、姦淫説は嘘臭いよ。
しかも孝謙天皇は鑑真と交流ありまくりで、律が広まって大事にされてる時期だし。

梅原説は説得力に欠けると思う。
97日本@名無史さん:2008/10/02(木) 20:21:55
日本霊異記にははっきりと道鏡と孝謙女帝が性交渉を持ったと書いてある。
情報源は何かしらないが巷間の噂であろうか。
それを書いたからといって景戒(作者)が不敬でとっちめられたということもない。
おおらかな時代だった。
98日本@名無史さん:2009/01/20(火) 21:43:26
道鏡をとりたてた頃、称徳天皇は40代。
男性と肉体関係を持てば妊娠する可能性は当然にあったし、
そうなれば密通疑いなしと帝位を捨てざるを得ず、そんな関係には及ばなかっただろう。
生涯処女だとされる称徳天皇は、その没後、
道鏡と通じていただの、さつまいもを秘所に突っこんだままとれなくなって死んだだの
とんでもない書かれ方をした天皇でもあるのだが、男性の僧侶ですら独身を貫くというのに、
男性より性欲の劣る女性が生涯処女を貫くのがつらいことだったとも思えない。
ましてや、祖母の藤原宮子(文武天皇妃、聖武天皇母)が産後の肥立ちが悪く
以後長い憂愁に耽って産んだ子にも会わず病床生活を送るのを見て
出産やセックスを好まなかったとも言われているしね。
日本霊異記は同時代の一次史料ではないから。
処女天皇=面白おかしく書かれたんだろうね。
99日本@名無史さん:2009/02/13(金) 21:52:11
恋愛関係でも片思いでもなかった気がするな
一度そんなレッテル貼られたら
ネトネトになった油がついたのと一緒でなかなか落ちない

命の恩人が無欲で博識なら
藤原一族に対抗させるために
必要以上に取り立てる可能性はあったはず
現に
菅原道真もそうだし

平安時代になってから
藤原一族・天智派に都合のいいように
改ざん既成事実化が蓄積していったんだろうな
100日本@名無史さん:2009/03/03(火) 01:23:17
孝謙女帝を山芋責めしたい
101日本@名無史さん:2009/03/07(土) 13:19:47
佐伯の空海とも和気の最澄とも言わないのに、なぜ道鏡だけは「弓削の道鏡」と呼ぶのか、理由が分からない私です。
102日本@名無史さん:2009/03/09(月) 19:26:39
出家に対して俗姓を言って卑しめてるわけでしょ
最近の例だと麻原彰晃を松本智津夫と呼ぶようなものだ、事件前は麻原と言ってたのに
103日本@名無史さん:2009/03/11(水) 21:54:38
道鏡だけだと、鏡と勘違いされるからじゃ(ry
104日本@名無史さん:2009/03/24(火) 02:49:33
道鏡は称徳女帝のなかで射精したのか!!!
105日本@名無史さん:2009/03/24(火) 03:23:52
単にどのドウキョウさんかわからないからだろうね
106日本@名無史さん:2009/04/18(土) 20:59:54
電波だが道鏡が施基皇子の実子だって説があるな
奈良時代の文献を参考にして書かれた平安時代のどっかの書物に書いてあったはず
所詮は俗説だが、道鏡が法王になれたのはなんかあるはず
107日本@名無史さん:2009/04/23(木) 21:39:01
道鏡が配流になった際に、実弟の弓削浄人も配流になっている。
道鏡が施基皇子の子ならば実在する弓削氏を名乗ったというのも考え難いが。
施基皇子の子で道鏡に連座した者はいない。
弓削は物部守屋の末裔とも言われている。
天皇家が神として臣下の崇拝の対象となったのは天武天皇のときから。
称徳天皇のころにはまだ天皇が神になってから日が浅く、
他の氏族でも天皇家にとって代わることが不可能だとは考えられてなかったと
するほうが分かりやすいが。
108日本@名無史さん:2009/05/17(日) 03:45:05
道鏡巨根説とか

小野小町無穴説とか  なんなんだろな。
109日本@名無史さん:2009/06/19(金) 20:43:32
エロスレあげ
110日本@名無史さん:2009/06/20(土) 07:50:50
>>106:電波だが道鏡が施基皇子の実子だって説があるな
奈良時代の文献を参考にして書かれた平安時代のどっかの書物に書いてあったはず ..

□天皇家系図
 天智天皇−施基皇子−白壁王【光仁天皇】−桓武天皇・・現天皇家
□俗説
 天智天皇−施基皇子−道鏡
□嫌な予感
 天智天皇−施基皇子−道鏡【光仁天皇】−桓武天皇・・現天皇家

111日本@名無史さん:2009/06/21(日) 12:20:18
随分と可能性がゼロに近い「予感」だなw
112日本@名無史さん:2009/07/05(日) 02:38:34
白壁王が道鏡を兄弟であると受け入れることで、道鏡は皇族扱いとなり法王に昇進、また王自身も天武系皇族をさしおいて道鏡の次席に昇れたのではないかと。
称徳女帝としては道鏡が皇族となることで権威を与えることができ、抵抗勢力をおさえることができる。
白壁王としては道鏡を一族と認めることで道鏡の後を王の一族で継承できると踏んだのでは。

ただ現実には称徳の病そしてその死を機にあっさり道鏡を見捨て、自ら即位を決めたのではないかと。
案外、稀代のワルだつたのではないかと。
113日本@名無史さん:2009/07/05(日) 02:56:57
高市皇子家(長屋王の変)、新田部親王家(橘奈良麻呂の乱、恵美押勝の乱)、舎人親王家(淳仁天皇配流)で有力皇族が相次いで没落し、施基皇子家が皇族として無傷だったのが勝因。
子のなかった時期の秀吉も信長の実子を養子に迎えて信長の警戒心を避けたことがあるが、白壁王も女帝のオキニを一族と認めることで家を守ろうとしたと考えられる。
白壁王がバックに控えていること、弓削一族のみならず吉備真備、和気清麻呂ら地方豪族の登用で道鏡・女帝政権が成り立っていたのであろう。
114日本@名無史さん:2009/07/05(日) 10:32:51
>>112
白壁王は道鏡が歴史の表舞台に登場する760年代以前から順調に官位を進めているよ。
その要因は道鏡なんかにあるのではなく、従来言われているとおり妻が聖武皇女であることに関係しているのだろう。
歴史を追っていってもらえば分かるが、道鏡政権下の白壁王は別に天武系皇族を差し置いたわけじゃなくて、
764年の恵美押勝の乱・道鏡政権樹立当時すでに、男子皇族の中では最高位に昇っていた。
その上で737年生まれの桓武天皇が、道鏡【光仁天皇】の子だったというのは、
意味が分からないし、まさしくトンデモ・電波以外の何物でもない。
115日本@名無史さん:2009/08/02(日) 22:30:00
116日本@名無史さん:2009/08/15(土) 23:44:00
こんなマニアックなスレ絶対伸びひんやろW
117日本@名無史さん:2009/09/03(木) 04:07:21
日本霊異記は「長屋親王」であったことをを記述した一級資料。
天平神護元年に道鏡法師が女帝と枕を同じくしたとの記述は、おそらく大嘗祭でなにかがあったことを示唆している、
118日本@名無史さん:2009/09/03(木) 04:15:14
大嘗祭で道鏡と女帝が性的行為をなすったのであろう。
そもそも、天皇が神と寝る儀式であったらしいし。
三宝の奴聖武天皇の娘であり、仏門に入った女帝が、神と法師を入れ替えるのに抵抗などなかったであろう。
法師道鏡を支援した宇佐八幡の例もあるように、神仏混交の時代だったのだろう。
おそらく道鏡が神様のコスプレをして女帝の寝所に入ってこられたのではないか。
119日本@名無史さん:2009/09/03(木) 04:21:36
天平神護元年の大嘗祭は道鏡と女帝の結婚式&初夜であると考えれば合点がゆく。

記録では参列者も異例の多数であったというし、プレイも儀式として公開されていたのではないかと。

120日本@名無史さん:2009/09/03(木) 04:25:29
女帝も、病気の自分を回復させてくれた道鏡の秘術を公開することによって、道鏡が皇位にのぼるにふさわしい人物であるということを知らしめなさろうとしたのであろう。
121日本@名無史さん:2009/09/03(木) 04:28:57
道鏡にとっても男一代の晴れ舞台。数百人のギャラリーの目の前で見事おつとめをまっとうされて、それは嬉しい一夜であったであろう。
122日本@名無史さん:2009/09/04(金) 00:54:28
お馬鹿なスレになってるな・・・
123日本@名無史さん:2009/09/04(金) 01:55:28
道鏡の秘儀で病み衰えた女帝が一気に若返った女体を披露する。
まるで友近。
124日本@名無史さん:2009/09/04(金) 02:05:38
道鏡との山芋プレイの末に藤原百川のために医療を遠ざけられて崩御した称徳女帝は、
押尾とのドラッグセックスの果てに見捨てられて死んだ女とまさに一緒。
125日本@名無史さん:2009/09/05(土) 16:30:16
道鏡を題材にしたエロゲ「道鏡 下半身で歴史を作った男」の存在を
どれだけの人が知っているだろうか
ぜひリメイクしてほしい
126日本@名無史さん:2009/09/09(水) 03:02:05
ではオッシーオの彼女に
ぜひ諡号を。
127日本@名無史さん:2009/09/09(水) 03:08:34
性徳
薬害
128日本@名無史さん:2009/09/09(水) 03:14:42
【2010年春】大仏開眼【NHK古代史ドラマSP】
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1226240695/
129日本@名無史さん:2009/09/09(水) 14:52:26
道鏡が左遷された下野の薬師寺周辺には、道鏡を追って称徳天皇がやってきて
二人仲良く暮らしました、という伝説が残っている。
130日本@名無史さん:2009/09/15(火) 03:41:03
阿倍内親王・・・藤川ゆり
孝謙天皇・・・田中美絵子
称徳天皇・・・姫井由美子
光明皇后・・・小池百合子
弓削道鏡・・・池田大作
不破内親王・・・片山さつき
聖武天皇・・・麻生太郎
基王・・・悠仁親王
長屋王・・・加藤紘一
藤原武智麻呂・・・森喜朗
藤原房前・・・伊吹文明
藤原宇合・・・古賀誠
藤原麻呂・・・二階俊博
藤原仲麻呂・・・石原伸晃
道祖王・・・山崎拓
白壁王・・・中川昭一
大伴家持・・・田中康夫
橘諸兄・・・村山富市
橘奈良麻呂・・・永田寿康
吉備真備・・・小沢一郎
131日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:45:24

504 名前:可愛い奥様 投稿日:2009/09/23(水) 08:01:41 ID:QG012+TX0

02年実家広島当時福岡暮らしの「ディルレヴァンガー」こと松原潤 (27)無職(当時)2chで実況しながら猫惨殺画像うpのアホ行為→タイーホ!
<参考URL>
http://tmp.2ch.net/cat/kako/1020/10206/1020694216.html
http://www.tanteifile.com/diary/special/kiji.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/福岡猫虐待事件


事件報道
http://gekiteki.ld.infoseek.co.jp/image-xxx21/0815/ab06.jpg


<今回の事件>
13日午前10時50分ごろ、広島市南区仁保南1丁目(-17?)の松原正顕さん(62)方で
爆発音がし、玄関に血だらけの男性が倒れていると、近所の人から119番があった。
広島南署の調べによると、けがをしたのは松原さんの長男で会社員の潤さん(34)。
潤さんは全身に切り傷を負う重傷という。
広島南署は、潤さんが2階の部屋で、金属を抽出しようとして薬品を熱するか、
火を使うかし、何らかの爆発につながったとみている。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200909130322.html
・氏名が一致
・年齢が一致
・広島が一致
・父親の名前が一致
・工学部物質科学工学科機能物質化学クラス ←関連性→ 金属を抽出しようとする(爆弾説あり)
→バカは直らない


683 名前: ノイズs(東日本) 投稿日:2009/09/23(水) 00:14:55.85 ID:CzaKxMfK
次の競馬は1−17−12で大丈夫かな?
132日本@名無史さん:2009/09/25(金) 02:05:02
阿倍内親王には石原さとみが決定!
133日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:02:04
イメージと大違い
134sage:2009/09/29(火) 01:46:26
若き日の道鏡に奔放に身をまかせる石原さとみ。
しかし少女の正体を知り決して結ばれることのないことを知りさとみに別れを告げ世を捨てる道鏡。
再び出会ったとき、もうさとみは道鏡を死ぬまで手放すことはなかった。
135日本@名無史さん:2009/09/30(水) 21:05:31
天皇
136日本@名無史さん:2009/10/23(金) 04:08:30
JNN50周年記念
歴史大河スペクタクル
唐招提寺1200年の謎 天平を駆けぬけた男と女たち(仮)
11月3日(祝・火) よる7時55分〜10時48分
▼出演者
如宝:中村獅童
藤原刷雄:山本耕史
和気清麻呂:永井大
孝謙天皇:南野陽子
   ○
文屋真人智努:滝田栄
   ○
藤原仲麻呂:永島敏行
光明皇太后:島田陽子
鑑真:中村嘉葎雄
137日本@名無史さん:2009/11/03(火) 22:21:00
>>136

今、見ているけど、なかなか面白い。

鴟尾の可愛らしいキャラクター二人が会話をしながら、
時代背景を説明しているけど、

テレビ東京のトンデモ歴史番組の可愛い埴輪のキャラクターの
パクリだな。
もしかしたら、同じスタッフが作っているのかもしれない。


138日本@名無史さん:2009/11/03(火) 22:24:42

孝謙女帝は気が強いだけで、色気がない。
高嶋礼子がやっていればなあ。
139日本@名無史さん:2009/11/03(火) 22:37:17
道鏡、まさかの魔裟斗(笑)
140日本@名無史さん:2009/11/03(火) 23:23:51
台詞無くても素人丸出しだなまさと。

でも女帝って明かに保良宮で藤氏に毒盛られたよな。
141日本@名無史さん:2009/11/04(水) 10:03:14
毒殺説の信憑性は高いようだぞ。
142日本@名無史さん:2009/11/06(金) 09:10:20
逆説の日本史読んで、井沢元彦にすっかり騙された俺は頓馬だった、と思うと同時に腹が立った。
目を開かせてくれて有難う。
143日本@名無史さん:2009/11/06(金) 21:57:08
>>142
このスレに騙されてる可能性も考慮したほうがいいよ。
144日本@名無史さん:2009/12/09(水) 11:20:06
>>143

井澤さん乙
145日本@名無史さん:2009/12/15(火) 22:49:10
称徳天皇の意向として、道鏡以外で誰を後継者にするつもりだったんだろう。
146日本@名無史さん:2009/12/19(土) 23:54:26
東大寺御物の中に「赤漆文欟木御厨子」がある。天武から伝わり聖武から孝謙に伝わった。
これは天武系正嫡の証だったといわれている。
これを孝謙は大仏に寄贈した。自家が終焉したことを知った証だったと言われている。
孝謙にとって、皇位は自家のものであり、自家が絶えた後、天智系に継がせるのも、道鏡に継がせるのも、同じだったんじゃないだろうか。
王権は純系化し、そして絶える。
147日本@名無史さん:2010/01/15(金) 18:05:59
せんとくん
148日本@名無史さん:2010/01/28(木) 11:11:20
道鏡は 座ると膝が 三つでき
149日本@名無史さん:2010/01/28(木) 20:22:19
>>146
称徳の後は異母姉井上内親王の夫である光仁天皇が
聖武天皇の直系として天皇になった。
称徳天皇で天武系はもういやだ、と判断した藤原氏が
天智系に変えた、なんて説もあるが、
光仁が即位できたのはなんといっても聖武の娘婿だったためで
称徳亡き後の聖武の正当な後継者を称しての即位だったんだよな。

聖武系が本当に壊滅するのは井上内親王と皇太子他戸親王が
謎の死(多分殺害)を遂げてから。
もっとも、称徳天皇本人はたとえ父聖武の血を確実に引いていようが
井上内親王、不破内親王という2人の異母姉妹に
帝位を譲る気はさらさらなかったけどね。
150日本@名無史さん:2010/02/04(木) 01:33:31
井沢先生が言う宇佐神宮の中央に祀られてる比売大神ってのはまた別の理由なんですかね
151日本@名無史さん:2010/02/04(木) 02:09:13
ちなみに俺は道鏡の墓に行ったことあるぜ
152日本@名無史さん:2010/02/06(土) 14:07:06
>>151
どこにあるの?栃木?
153日本@名無史さん:2010/02/06(土) 21:10:56
>>152
栃木県の下野市(旧南河内町)にあるらしいぞ
154日本@名無史さん:2010/02/07(日) 21:17:48
お参りするとちんこがデカくなるんだぜ
155日本@名無史さん:2010/03/11(木) 23:12:11
マジかよ
156日本@名無史さん:2010/03/12(金) 23:57:27
放映記念アゲだ!

NHK古代史ドラマスペシャル『大仏開眼』
http://www.nhk.or.jp/osaka/daibutsukaigen/
キャスト
・孝謙天皇=石原さとみ
・吉備真備=吉岡秀隆
・藤原仲麻呂=高橋克典
157日本@名無史さん:2010/03/31(水) 21:12:02
158日本@名無史さん:2010/03/31(水) 21:42:49
宇佐神宮とかの社殿って、万一の場合、
天皇が落ちのびたときに仮住居にする予定だったんだろ?
159日本@名無史さん:2010/04/01(木) 01:41:32
だろうな。
厳島の社殿とかも。
160日本@名無しさん:2010/04/03(土) 03:08:49
称徳女帝は道鏡に禅譲したかったと思うよ。
光仁天皇は即位に当たって、井上内親王とその子の皇太子を利用したが、二人とも失脚させて殺してしまった。
自前の「王朝」を作りたかったわけ。
そのときにも、「直系」は絶えてるし、関係ないね。
161日本@名無史さん:2010/04/03(土) 05:06:36
持統以降の藤原チョン政権に対して物部政権で対抗したかったんだろ
道鏡巨根説等はチョンが流した呪われるべきデマ
162日本@名無史さん:2010/04/03(土) 18:46:38
道祖王は、ホモを理由に廃太子されたそうな。
163日本@名無史さん:2010/04/03(土) 19:40:08
石原さとみの○んこが見れると聞いて犬HKをつけました
吉備真備ってもっと有力氏族だろ?
164日本@名無史さん:2010/04/03(土) 22:12:29
>>163
所詮一介の地方豪族ですよ
165日本@名無しさん:2010/04/04(日) 00:39:32
陛下の御意思を尊重する以上、道鏡が天皇になってもいいし。
庶民ごときが反対できる問題じゃないよ。
166日本@名無史さん:2010/04/04(日) 05:20:43
>>165
糞コメント
>>161
正解コメント
167日本@名無史さん:2010/04/04(日) 05:21:59
光明子は監禁されてたんだろ?
168日本@名無史さん:2010/04/04(日) 08:10:47
当時は総領娘制度があって、
総領娘と結婚した人が天皇になれた。
持統天皇が総領娘でなかったことから、崩れていくんだが。
(総領娘は大津の母)
169日本@名無しさん:2010/04/06(火) 00:35:27
阿部内親王が天皇になったんですから、愛子内親王も天皇になります。
高森先生と小林よしのり先生が愛子天皇を強く推しています。
愛子天皇で決まりですね。
170日本@名無史さん:2010/04/07(水) 02:20:52 BE:1386489683-2BP(0)

>>142
>目を開かせてくれて有難う。

目に鱗が貼りついたままじゃん。「井沢本の鵜呑み→2chの鵜呑み」に変わっただけで。
皇位禅譲計画の発端が宇佐に降りたご神託だというのなら、
孝謙天皇が清麻呂に腹を立てる理由がなくなるじゃん。
孝謙天皇が道教を天皇にすえるのを強く望んでいたからこそ
意に反する神託を持ち帰ってきた清麻呂にブチ切れた訳で。
自分の頭で考えれば発案は神様じゃなく孝謙天皇ってことになるわな。
171日本@名無史さん :2010/04/10(土) 18:25:44
道鏡は「死罪」になってないからな。
172日本@名無史さん:2010/04/10(土) 20:33:17
孝謙はんは藤原の血を天皇家から絶やしたかったんだな。
だから父聖武天皇の名には武が冠されているんだな
173美人は氷高皇女:2010/04/10(土) 21:30:11
>169 女帝は相手探しが大変だよ!小沢の子か?
何の為にスペア(宮家)あるんだ!
徳川だって水戸家をスペアにしたんだよ(徳川対天皇になって負けた場合,中立水戸家は天皇に付き子孫繁栄:真田方式)
しかし
仲麻呂が死んでも藤原永手,桃川が出てきて,皇位継承を天智系(白壁)の本線に戻す戦略に,正二位(2548石:1億9110万円)75才迄昇り詰めた真備も嫌気を指すだな
174美人は氷高皇女:2010/04/10(土) 21:43:37
光仁天皇は辞職願を許さず,中衛大将のみ解く(右大臣のまま)
しかし77才で「長生の幣,この恥にあう」と職をとかれる
学だけで出世した2人,菅原道真は左遷で死ぬが真備は全うした
だから,岡山まきび公園の真備の墓が出世,学問スポットだよ
風水の皇居はパワ-スポットエンペラ-(平安京:御所は道真の祟りがあったからチト)皇居一般参賀は中から富士見櫓(仮天守)をみるのだ!
175美人は氷高皇女:2010/04/10(土) 22:11:31
個人的にキングオブパワスポはあるんだけど
真備より凄いのは
20台で2000倍の科挙に合格(唐人でも平均50台)の阿部仲麻呂だけど(結局日本帰国出来ず)
所で,井沢八郎本て何ですか?
工藤の乳ですか?
176日本@名無史さん:2010/04/10(土) 22:29:50
留学生のなかで
吉備真備だけが出世できた

仏教者のなかで
道鏡のみだ大出世できた
177日本@名無史さん:2010/04/10(土) 23:25:16
空海や最澄みたいのは大出世とは言わないんだな?
178日本@名無史さん:2010/04/10(土) 23:48:21
孝謙天皇って吉備真備に恋愛感情を抱いていたんですか?
179日本@名無史さん:2010/04/10(土) 23:59:56
あのドラマは道鏡が出てこない上、真備がなんか道鏡っぽい扱いだったな。
180日本@名無史さん:2010/04/11(日) 02:32:25
>>178
恋愛感情よりも信頼してたのは確かでそー
181日本@名無史さん:2010/04/11(日) 03:45:59
>>178

NHKドラマでは年齢が近かったが、史実では、真備が教育係になったのは
還暦近くになってから。

あの頃は、バイアグラなかったし、恋愛対象には絶対にならない。


182日本@名無史さん:2010/04/11(日) 19:11:28
作りが雑だったイメージしか無い
特に最期はやっつけ仕事っぽくなかった?
183日本@名無史さん:2010/04/11(日) 19:49:15
大仏開眼ってタイトルなら、恵美押勝の乱は蛇足だろ。
道鏡が出てこないから、真備が道鏡的ポジションまで引き受けてるし。
184日本@名無史さん:2010/04/11(日) 21:26:49
官職を支那風に改めたのは理解出来るが恵美押勝の名の由来って何なのよ?
それに恵美押勝の乱を取り上げるなら娘の1000人交合もやってほしかった
185日本@名無史さん:2010/04/11(日) 22:10:15
最後の15分は、本来もう1回分放送できる内容だと思う。
まあ「大仏開眼」ではなくなってしまうが。
186日本@名無史さん:2010/04/11(日) 22:39:52
道鏡が出てこないだけで、ずいぶんキレイゴトになってしまうんだな。
あのあと、真備が執政として善政を行ってメデタシメデタシみたいなラストだし。
187日本@名無史さん:2010/04/13(火) 02:35:49
>>181
奈良時代のバイアグラwww
188美人は氷高皇女:2010/04/13(火) 08:48:47
道鏡の為,東大寺に匹敵する西大寺をくれてやったんだから相当の熱だろう
MHK,雑と言えば大仏自体が雑だろ

皇帝制(道鏡に譲位)に抵抗がある真備に永手がつけこみ,天皇制護持条件に朝廷の軍権奪い道鏡と称徳の連絡絶たせる
そこで道鏡の野望はオワリだよ
189日本@名無史さん:2010/04/13(火) 12:50:35
大仏開眼、途中で見るのやめたよ。
190日本@名無史さん:2010/04/13(火) 14:35:59
あの大仏はNHK大阪がネタとして作った。
いかにもハリボテ感あふれる、大阪らしいできばえ。
191日本@名無史さん:2010/04/13(火) 20:59:20
道鏡出さないのなら、仲麻呂敗死まで描く必要はなかった。
真備と仲麻呂をライバルみたいに対比して描く上で道鏡がジャマだったのはわかるし、
尺の問題もあるんだろうが、押勝の乱は本当に蛇足だった。

無理に真備を主役にせずとも、行基か聖武天皇が主役でよかったんじゃないか?
192日本@名無史さん:2010/04/13(火) 21:42:48
今までの古代史ドラマ2作に比べれば、
まだまだマシな出来だよ。

多くを望んで見たのが間違いのもとw
193日本@名無史さん:2010/04/14(水) 04:17:50
マキビが阿部内親王と恋仲になってたら
マキビも玄ぼうと同じ末路だったかもしらない
194日本@名無史さん:2010/04/14(水) 06:26:25
小ネタだが、孝謙の代を最後に4文字での元号が使われなかったが、政治的に何か意味があるのかな。
道鏡がらみか、それとも天武系が絶えたから?
195日本@名無史さん:2010/04/14(水) 23:03:03
橘奈良麻呂の変をすっぽかしたのがイタかったな。
ホモの道祖王ら一味が棒打ち拷問で撃ち殺される場面見たかった。
女帝がヒステリー起こす場面も。
196日本@名無史さん:2010/04/15(木) 22:36:31
たった2話、3時間のドラマであれもこれも描けないから、
枝葉の人物や事件はカットせざるをえなかったというのはわかるが、
最後の方がキレイゴトになりすぎて違和感を感じざるをえない。
197美人は氷高皇女:2010/04/18(日) 14:27:59
仲麻呂,道鏡とも
潔癖さ30ハイミス処女天皇に結婚サギをしたんだと思うよ
仲麻呂は親戚筋の大炊王をまんまと皇太子にさせたとたん女帝に寄り付かなくなったし,その後ショックで病についた女帝を看病したのが道鏡だからね
道鏡が天皇になれば自分は結婚出来ると妄想したんだろう53没までそう思ってたらしいから
198日本@名無史さん:2010/04/18(日) 19:51:15
松田修の本に称徳天皇のオナニーの話があったけど
詳しいことわかる人いる?
199日本@名無史さん:2010/04/18(日) 20:43:04
古事談の話だろ。>山芋オナニー
このスレタイの由来でもある。
200日本@名無史さん:2010/04/18(日) 23:18:53
山芋って手につくとえらく痒くならない? あんなもので陰部こすったらえらいことにならないか?
201美人は氷高皇女:2010/04/19(月) 05:09:01
あの大仏を実家藤原の都に建立させた光明皇后は,世界1の浪費家だろう
自前米蔵で米相場操作や,京に関所作り入場料,サラ金などで儲けた金で応任の乱を片付けた日野富子もスゲ-けど
202美人は氷高皇女:2010/04/23(金) 21:45:17
聖武の他腹の子の為,毒殺された安積親王の姉・井上内親王は天智天皇の孫・白壁王の嫁になるが,世は天武の世,ただ生きてるだけの皇孫(毎日酒くんだくってたらしい)
妹の不破内親王の方が天武皇子・新田部親王の子,塩焼王に嫁ぎ,まだマシだが,恵美押勝の乱に担がれ挙兵に失敗死
孝謙女帝の皇位継承問題が揺れてる時,不破内親王は子・氷上志計志麻呂を皇位につけようと孝謙の髪の毛を手に入れドクロに詰め込み呪咀
しかし女帝に知れ,親子で土佐に流される
203美人は氷高皇女:2010/04/23(金) 22:36:42
一転,世を投げてた井上内親王には幸運が舞い込む
孝謙が崩御し白壁王が皇太子に選ばれ即位もし62才遅咲きの奈良朝最後の帝[光仁天皇]になり,オマケに子・他戸親王が皇太子に
我世の春・棚からボタモチだ!しかしここで終らないのが成り上がりママ
子を早く天皇にしたいが為,旦那・光仁を呪い殺そうとする
皇后は廃され,他戸も皇太子を奪われる
しかも光仁の姉・難波内親王を呪咀した疑いで井上,他戸は幽閉,2年後同時に没する
光仁の他の后の1人高野新笠が皇后になり子・山部親王[桓武天皇]が皇太子に
この件は,百川の藤原一団の臭いがする
高野新笠は帰化人で井上の下の下でしかたなく井上を皇后にして,振るい落としにかける藤原軍団は山部(桓武)に娘を送り込んでいたんだから
当時は呪咀だけで廃太子か,呪咀の時代なんだな
それを反対利用した藤原は知能犯か
しかしその後,山部が重病になると,井上内親王の祟り!と桓武は井上廃后の称号復活させる
なんだかな〜天下の聖武の子なのに波乱万丈だな
204美人は氷高皇女:2010/04/25(日) 18:14:14
基皇子が早死しなければ,普通の女の幸せだったな
なんとなく即位し,崩御した聖武上皇は遺言で孝謙の後継者を道租王に決め,尻をひいてた光明皇后を土壇場で裏切りますが,道租王を引きずり下ろし,仲麻呂宅居候の身,大炊王を仲麻呂手口で孝謙の口から後継者にさせ,様が済んだら藤原は孝謙から去って行く
この時,孝謙は気が付くのか「仲麻呂の愛は権力で,自分が握っていた権力がいかに偉大か!」政治家孝謙にスイッチが入る
仲麻呂は後盾,光明皇后が亡くなり衰退し,称徳天皇ク-デタ-再選
そして宇佐八幡クライマックス
しかし2人は親密で仲良く,女帝53の3度目の行幸で道鏡の生地,弓削宮(ユゲノミヤ:)で大歌会を道鏡と並んで,旦那も子も無い称徳女帝は最期を飾る行事を楽み,間もなく世を去り,道鏡も左遷後世を去る
奈良純愛ロマンスは花開いたのでしょうか?オワリ

今の政権にも理想主義者過ぎて,天皇を足に使い,中国カブレがいる
しかし,一族の利害対立で幕は降りる
新井白石や道真の様に
205名無しさん@そうだ選挙に行こう
>>164
一介の地方豪族ではないだろ。中央豪族と同じ「臣」姓を持っていたのだから。