1 :
日本@名無史さん:
旗本以上、大名未満な交代寄合について語ろう。
2 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 08:48:50
2ゲットォー
3 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 19:45:18
タイムリーだからカキコ。
今日、交代寄合平野家の陣屋があった田原本に行ってきた。
陣屋跡の小さな神社に当主が寄進した石灯篭があったり、
菩提寺に廟があったり。雰囲気のあるいい町だった。
4 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 20:45:51
三十余家あったという交代寄合。
大名格があるとはいえ、江戸城中の詰所では肩身が狭かったのではないだろうか?
実際、大名格といえども万石領地がなければ、役職も差別やイジメを本物の大名から受けていたケースもあったそうだ。
プライドは満たされるが、実利は逆にマイナスではなかったのではないか。
参勤交代なんかは数千石ではコスト負担は重かっただろう。
5 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 21:31:26
正確には交代寄合じゃないけど、下野喜連川藩も大名だけど石高4500石しかなかったから交代寄合みたいなもんかな。ここも4500石しかないのに10万石格として扱われたから、格式を維持するための出費がかさんで、慢性的な財政難だったらしい。
6 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 21:39:41
交代寄合=山名、最上…ほかにあったっけ?
7 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 21:43:11
交代寄合各家の系図が載ってる本なんかないかね?
寛政譜くらいか?
8 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 21:49:26
>>6 金森、生駒、米良etcあと明治維新の時の高直しで大名になったとこもある。
9 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 22:53:30
◇交代寄合表御礼衆20家
松平家の一門・譜代
○三河新城7000石 菅沼家
○下総飯笹6000石 松平(久松)家
○三河西郡4500石 松平(竹谷)家
○駿河久能1800石 榊原家
○遠江気賀3459石 近藤家
旧織田・豊臣系
○出羽矢島8000石 生駒家
○備中撫川5000石 戸川家
○美濃岩手5000石 竹中家
○大和田原本5000石 平野家
中世以来の豪族
○常陸志筑8000石 本堂家
○近江朽木4770石 朽木家
旧守護大名系
○但馬村岡6700石 山名家
○近江大森5000石 最上家
大名の分家・一族
○越前白崎3000石 金森家
○陸奥横田5000石 溝口家
○豊後立石5000石 木下家
○備中成羽5000石 山崎家
○肥前富江3000石 五島家
○日向飫肥2000石 伊東家
○播磨福本6000石 松平(池田)家
10 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 23:13:34
松前藩主(松前氏)も綱吉の代になってから交代寄合を得、吉宗の代に一万石格、正式大名になったのは1854年。
11 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 23:14:26
>>9 これだけだっけ?もうちょいあったような気が。
12 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 23:27:01
高家は?
13 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 23:58:35
実際、
・上級大禄旗本
・交代寄合
・高家
この辺ごちゃごちゃしてて、ものすごくわからない。
14 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 00:31:18
交代寄合よりも旗本のまんまのほうが得。参勤交代すると出費が多いに!
15 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 05:20:31
>>13 そのなかで元服すると自動的に官位を貰えるのは高家だけ?
16 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 07:00:47
良いサイトがある。
homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/sub1-1.htm
17 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 08:00:48
>>11 あと、交代寄合御勝手州(四州)で12家と四州に準じる家が2家ほどあっ
た。だから、20家 12家 2家 の34家ほど
とりわけ、駿河久能1800石の榊原家は、榊原康政を祖とする普代大名
の榊原家の本家筋にあたる家であって、清政を祖とする名門の家とし
て、世襲で久能山東照宮の門番を務め、代々家督で従5位下を任官して
いた特殊な家
18 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 08:40:24
>>16のサイトには、時代によってはもう少し多かったことが書かれているぞ。
19 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 10:56:42
交代寄合と普通の寄合との分ける基準は何だったのだろう?
20 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 12:37:44
しかし、交替寄合なんていかにも暇そうな名前だね
21 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 15:10:40
>>20 調べてみてないけど、旗本の重職(奉行職、目付など)に就任すると、在地
にはいてられないはず。交代寄合の家が役職に就けなかったとは聞いたこと
がないので。
1万石の譜代大名の小型版(1/2,1/3,1/4)でしょうね。
22 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 15:22:25
延亨年間、山名豊就は自社奉行になっている
23 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 19:57:45
・高家で交代寄合
・高家だけど在府
・単なる大身旗本
・↑より領地少ないけど交代寄合
・大名の分家で旗本と言えばそうなんだけど
そうじゃないような感じで在府もしくは参勤交代あり
・なんかわからないけど1万石ないんだよ、うち。
世が世なら大名であってもいいんだけどさぁ
(木曽の代官家とか、近藤秀用のとことかも?、久能山の榊原とか)
とかいろいろいて、なんだかひとくくりにできないんだよ・・・
>>15 「高家」にもいろいろあるみたいで・・・
24 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 21:44:46
>>22 なるほど、家禄6700石に足高として3300石を載せて、寺社奉行に就任
しているんでしょうね。
大岡越前にしても、最後は、格別に家禄の増加が認められ、計1万石の
れっきとした大名になったが、寺社奉行や奏者番の時代は、足高で大名格
となっていただけだもの。
25 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 21:49:05
交代寄合。綱吉治世で19家、幕末で35家。
元々、参勤交代は「大名だけがする」とは武家諸法度に明文化されてないことから、名家や大名家門や旧大名家連枝が武門を鼓舞する為に始めたらしい。
よって、当初は何も取り決めはなかった。
冒頭記載の綱吉の代にて、幕府として初めて手をつけて体制下した。
ちなみに交代寄合の「交代」とは「参勤交代」を示していることをあえてカキコする無礼をお許し願いたい。
26 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 22:05:08
在地領主だということには大名と変わりない
27 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 22:10:24
大名で参勤交代しないところもあったが、あれはどうなっているのか。
28 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 22:21:15
>>27 スレ違いだか役職者と定府大名がそれ
一番有名なのが水戸徳川家
29 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 22:27:28
実質はその通り。しかし、形式主義、前例主義が色濃く支配する当時は、やはり大名格は大名とは違う存在でしょう。
例えば、あの大岡越前守さん、南町奉行から異例の大出世を遂げた彼でさえ、足高制で1万石の実質大名格を幕府から担保されても、寺社奉行在職時当初は御用部屋へ入れて貰えなかったそうだ。
寺社奉行は奏者番兼任が通例。奏者番は、知っての通り大名しかできない役職。つまなり越前守さんは大名から拒否されたんだよ。
越前守さんが、交代寄合であった時期があったか否かは定かではないけど、それだけ身分とその形式には厳しかった時代と言える。
ちなみに、大岡越前守は、晩年1万石へ加増され名実共に大名になったけど。
大名の定義は、1万石以上所領を持つ将軍と直接主従関係を有する武士。これ以上もこれ以下もない。
だから、あくまで大名と大名格は違うのだよ。
30 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 22:28:12
>>24 なんかのドラマであったね。
大岡越前が大名格の寺社奉行になったけど、詰め間で軽く扱われるとこ。
対馬藩は参勤交代三年に一度だっけ?
32 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 22:51:59
>>29 間違ってたらゴメン。
たぶん当初は、越前守さんは、寺社奉行単独で任官され、奏者番の兼帯は
うけていなかった。
あくまで、詰間は奏者番の御部屋なので、通例では寺社奉行の者は奏者番を
兼ねてたから、そのお部屋に入っていた。
越前守のような寺社奉行単独を予定していなかったので。
だから、大名格を否定していたのではなくて、当初は奏者番を兼ねていなか
ったからが正解だと記憶している。
33 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 23:33:45
いや間違ってないよ。まさしくその通り。
「否定」という表現が悪かったみたいですみません。
私が申し上げたかったことは、大岡さんが大名であったら、何ら問題はなく奏者番も兼任したでしょうねってことと、大名格では奏者番にはなれない現実があるという点でした。
つまり、大名≠大名格なんです。
まわり口説くてすみません。
34 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 02:37:24
山名は、徳川家と同族。大岡とは格が違う。とかも、あったと思うぞ。
35 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 05:29:45
>>17 分家が大名に出世して本家が旗本止まりっていうと、朽木氏なんかも有名かな。
>>34 旗本・交代寄合で屋形号を公称できたのは山名と最上だけっていうね。
36 :
交代寄合最上出羽守:2007/04/30(月) 06:56:13
人物叢書「大岡忠相」によると、寺社奉行井上河内守正之死去により空席ができたが忠相は後任を推薦せず、忠相、牧野越中守貞通、松平紀伊守信岑ら三名で手分けして処理し、
その後松平信岑が死去したに伴い忠相と牧野守貞通が相談して老中酒井讃岐守忠音に山名因幡守豊就と本多伯耆守正珍を推薦し、就任のはこびとなったとある。
山名も本多も奏者番からの兼任起用だが、山名はこのとき54。交代寄合からの起用も珍しいが、寺社奉行にかかる高齢就任、晩任も珍しい。異例ずくめです
37 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 06:56:39
交代寄合ではないけど、吉良上野介は、従四位上左近衛少将であって、これ
って外様大名では伊達や島津なみだから、赤穂藩の浅野なんてのは、従五位
下だから、家格でいえば、月とスッポンぐらいの差があったんだよね。
あと、大名格の喜連川は、さらに別格であったらしいけど。
38 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 07:12:32
交代寄合のメリットが今ひとつよくわからぬ。単なる旧名族大名の自己満足なんだろうか?
大名待遇をうける以上、参勤交代の費用は嵩むし、格式や官位に見合った交際費もバカにならんと思うし。処罰されたが7000石旗本の加賀爪家は余剰金がかなりあったらしい。交代寄合同規模の山名、最上では、そうもいくまい
39 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 07:36:15
太平の世が続くと、お殿様は、如何に自己の家格をあげることができないか
懸命になってくる。居城の修復や石高の増加などは容易くないが、参勤交代
時の鋏箱や槍の種類や形まで、凝りだし幕府に裁可を得ようとした。
今の時代でいう、「見栄」の張り合いだったでしょうね。
40 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 08:06:10
長沢松平のDQN振りについて詳しく。
41 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 10:19:45
42 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 15:14:45
それなら戸川や花房も交代寄合でもおかしくなかったと思うのだが・・
田舎暮らしよりも江戸住まいの方が良かったのだろうか?
交代寄合より普通の旗本の方が役につきやすかったのでつか?
43 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 16:41:08
>>42 譜代大名でも御役の家があって、何代も重職(大坂城代、若年寄、守護職、
老中など)者を出すお家があれば、全く、役に着かなかった譜代の家もある。
同じように、旗本でも、何代も重職(目付、使番、番頭など)を出す御役家
があったらしい。交代寄合の家は、家格が上でも、幕府の役職には着き難い
お家であったかもしれない。
44 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 17:05:05
交代寄合の多くは、家のルーツ的に大名なら外様に分類されるような家が大半だからね。
45 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 23:10:10
外様大名の分家の旗本が加増されて大名になった場合は譜代扱いになったようだが、
交代寄合でも同様だったのだろうか。
46 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 00:13:38
マジで分類難しいよな
47 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 04:02:45
>>45 朽木とかは大名になった後も外様扱いじゃなかった?
48 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 05:05:13
朽木は綱吉の時代に側用人だか側衆に起用され、外様のち譜代格と聞いた記憶が有り!
49 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 05:40:38
いったん旗本になって大名に復帰した場合 譜代と聞いたが、
有名どころの柳川の立花なんかは外様だよな。
50 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 06:09:30
立花って旗本だった時期がないのでは。浪人からいきなり棚倉一万石。
51 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 17:24:39
交代寄合ってのは本来は大名であってもおかしくないが事情により万石以下に留め置かれる家を大名並に扱うという徳川幕府固有の制度である。
52 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 17:26:11
旗本は将軍の側、すなわち常に江戸にいる。
知行地があっても幕府の代官らが代行して徴税や行政を行う。
これに対し、交代寄合となって参勤交代し、一定期間国元にいるということは、
自ら領地を治める諸侯に列するに等しい。普通の旗本とは格が違う。
ようわからんけどこんな感じか?
53 :
日高義樹の交代寄合リポート:2007/05/01(火) 18:32:39
インタビューをまとめます。
江戸時代における1万石未満の武士は旗本といわれる。旗本は将軍の側、すなわち常に江戸にいる。知行地があっても幕府の代官や該当旗本の家人らが代行して徴税や行政を行う。
これに対し、1万石未満の武士で交代寄合といわれる者がいる。
かれらは参勤交代し、一定期間は国元に在国する。ゆえに、自ら領地を治める諸侯に列するに等しい。
もともと江戸時代においても諸侯として遇されても遜色ないものではあるが、諸事情により万石以下に留め置かれる家を大名並に扱うという徳川幕府固有の制度である。 したがって連中は普通の旗本とは格が違う。
御家人とか陪臣は?
55 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 19:48:07
>>55 領地はもらってない(陪臣)けど、格式だけは旗本(直臣)待遇
57 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 20:30:31
米良氏は肥後国の山奥、現在は何故か宮崎県になっている米良村の領主。菊池氏が戦に破れて
山にこもった末裔といわれている。
山だから米はとれないが、さまざまな産物を合わせれば十万石ほどの収入があったとも。
鷹を献上する土地に指定されたために、特別扱いになったらしい。確か明治に入ってからは
元の菊池を名乗ったらしい。
58 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 20:49:20
その子孫が天皇機関説排撃でおなじみの貴族院議員菊池武夫男爵。
59 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 21:14:37
>>5 亀レスですが。
喜連川はまた特殊なんだよね。「参勤交代する旗本=交代寄合」という括りで言うと、
喜連川は参勤交代しない(定府の逆で、喜連川に常駐)し、そもそも徳川家と主従関係が無い。
参勤交代無しで5千石持ってるんだから、結構裕福だったような気もするけど・・・
60 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 22:05:50
喜連川は無席だがそもそも登城しないのか?
61 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 22:17:32
>>59 殿様が在府であっても、江戸には藩邸が上屋敷、下屋敷、中屋敷程度は
あっただろう。このクラスになると。
だから、将軍家などに対する冠婚葬祭には、少なからず、家格(10万石格)
に相応して、江戸の留守居役などを通じて出費されていただろう。
だから、結構まずしかったと聞くが。
ある大名家の行列が領内の街道筋に入ると聞くと、喜連川公が偶然を装い
街道沿いの堤防から釣り糸をたらして、通行する大名達に挨拶を乞う。
10万石格の殿様なので、無視もできず、僅かなお礼金を差し出していたと
聞く。真偽のほどは?だが、それほど、家格(10万石格)の保持は大変だった
ということだろう。
この時代のお殿様(下級旗本〜御三家)は全て見栄の張り合いだったから。
62 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 22:52:53
交代寄合じゃないけど、俺の地元の対馬藩も家格10万石で国主格だけど実高は2万石しかなく、朝鮮貿易がふるわなくなった、江戸後期にはかなり財政難だったらしい。
63 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 23:02:32
>>57 >確か明治に入ってからは元の菊池を名乗ったらしい。
そう。天皇機関説事件で美濃部博士を貴族院から追い出し、
岡田内閣に国体明徴声明を出させた菊池武夫男爵は、この米良家の子孫。
>>61 >在府
在国の間違いじゃない?
64 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 23:16:58
>>63 ご指摘ありがとう。
在府→×(江戸)
在国→○(領地)
65 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 23:27:08
66 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 23:33:14
67 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 05:45:20
>>61 こちらには、上屋敷として表現している。混乱している。
http://www1.parkcity.ne.jp/sito/195.html 喜連川(きつれがわ)家 喜連川藩 五七の桐
5000石(10万石格)
下野塩谷郡喜連川(栃木県さくら市喜連川)
外様 陣屋
移封加減増履歴 ・文禄3年→下野喜連川3500石・
慶長6年→4500石・
寛政元年→5000石
江戸城詰席・無席(大名格) 子爵 上屋敷・下谷池之端
参勤・「国住まい勝手」の特権を与えられていたが、毎年12月に
正賀のために参府していた
人口・全領地総計1198人、290軒
天保14年(1843)現在
68 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 06:30:16
喜連川はまだマシ。阿波公方家なんて、家禄百石で名乗りも平島氏に変えさせられてる。
69 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 06:52:05
追加。
明治維新後、爵位を求めたところ、蜂須賀家にいびり出されて領地を離れて京に移っていたため、
平民扱いになっていたとさ。
蜂須賀家は稲田騒動にしろこの件にしろ、どっか壊れているように思えるな。
70 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 07:18:13
「一万石以上を大名とする」って決まったのも
幕府できてだいぶ経ってからだよな。
当初は大名と上級旗本の境界って曖昧で、
参勤交代する義務のある「将軍直参の武士」の
石高下限も曖昧だったのかな?
71 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 08:11:12
寄合=三千石以上旗本
交代寄合=参勤交代する三千石以上旗本
72 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 09:59:06
>「一万石以上を大名とする」って決まったのも
>幕府できてだいぶ経ってからだよな。
詳細キボンヌ
>>69 >蜂須賀家は稲田騒動にしろこの件にしろ、どっか壊れているように思えるな。
やはり出自が(以下自粛
74 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 12:33:18
>>71 例外があって3000石未満の寄合もいるんだよね。
75 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 12:43:06
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現代語とは違った切り口で物事を見られるでしょう。
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提案が承認されなければなくなってしまいます。古文が書けなくとも、
賛成意見を書いていただければ助かります。賛成は多ければ多いほどいいのです。
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76 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 13:42:53
>72
70じゃないけど「寛永令」で一万石以上の領主に
色々と特権・義務を付与しているから徳川家光の頃かな。
幕府草創期は一万石で線引きする意識は無かったように思うな。
77 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 18:44:21
>>66-67 結局、喜連川家の場合、
上屋敷が他の大名のように拝領屋敷(屋敷地を将軍から拝領)じゃなくて、
抱屋敷(屋敷地を自分で購入)だったということじゃない?
78 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 23:41:15
≪悲哀物語の紹介≫
元徳川家旗本 → 徳川宗家の陪々臣
まだ家康が三河で勢力拡大に努めていた1570年ころ、家康の重臣であった大
須賀康高(徳川二十将の一人)に附属された徳川家直臣が36家ほどあった。当
時は、徳川家の各重臣の軍備増強が課題であって、そのため、徳川家の重臣
(本多、榊原など)に対し直臣を配属することで、強力な徳川家臣団を構成し
ようとするものであった。そして、安藤直次(家康側近家臣)が紀伊徳川家の
附家老となったときのこと、大須賀康高に附属されていた36家の直臣与力は
安藤家に附属がえとなってしまった。開幕以降、月日が経ち、世代も代わり、
太平の世になっていくと、幕府も豹変し、安藤家(御三家附家老)すら陪臣と
して扱うようになり、ましてや、安藤家に附属された元直臣の36家の附属
与力の家は、徳川宗家から見れば陪々臣とされてしまった。これら附属与力
の家は、落ち度があって、徳川家の重臣に附属されたのではなく、逆に武勇
の者(兵)が送られていた。本来では幕府の大御番士に配属されてもおかしく
ない者(兵)であるのに。
79 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 04:36:26
ではその安藤飛騨につけられた陪陪臣たちは直参復帰のためになんらかの運動を起こす必要に駆られたわけだな?
80 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 04:52:03
田辺与力のことだな
戦の時代が終わると事務量に比して家臣の数が多過ぎるから
リストラしていかざるを得ないわけで
クビにならずに飼い殺しとはいえ家禄を貰えたのは御の字
家康にしてみれば「長年の戦働きご苦労であった。これからは
気候の温暖な田辺で釣りでもして暮らせ」という配慮
81 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 04:57:41
それと誤解のないように言っておくが
田辺与力は陪々臣ではなく陪臣
田辺城代安藤家の管轄下に置かれた紀州徳川家の直臣だ
幕末になり紀州藩が合理化のため安藤家の家臣にしようとして
大モメに揉めた騒動が起こった
最終的に田辺与力は伊勢松坂城に移っている
82 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 05:37:32
>>81 そのとおり。だが、念願の紀州藩士への復帰は、安政二年(1855)。
田辺与力の子孫20家が運動を起こして、安藤家を離れ、浪人になってしまった。
幕府もこれを知り、紀州藩と調整し、最終的には、家禄半減で、紀州藩家臣と
しての「松坂城城番」に全員赴任して決着した。だから、陪臣になれたのは
はわずか10年程度で、250年間は陪々臣であった。
83 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 06:10:35
大久保彦左衛門の場合
彼は生粋の直参旗本として伝えられていますが、当初は、微妙な立場の時期が
ありました。というのも、>78で説明のとおり、幕初当時は、徳川の譜代家臣
団の編成が課題であって、彦左衛門は兄忠世の大久保家臣団の一員として配属
されていました。直臣ながら家禄は兄忠世の子忠隣の所領内で2000石を支給さ
れるという曖昧な身分でした。しかし、甥忠隣が大久保長安事件に連座し、改
易となったことが幸いし、家禄は半減の1000石(後に戻る)となったが、直参旗
本として新たに召し出されたというものです。もし、甥忠隣の改易(後に家名
再興)がなければ、小田原侯の一家臣となっていたかもしれません。3-4代も相
続していけば、ご先祖の謂れなど、捨て置けとされていたかもしれません。
このようなケースは他にも多々あるでしょう。
84 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 07:22:07
>>73 まぁ子孫(じゃないけど)も明治時代に煙草泥棒やらかしてるし。。。。
>>83 一族系は別かも、というか、家老家が藩祖の弟の子孫とかめちゃく多いと思うよ。
85 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 07:35:46
交代寄合の江戸城内での詰席はどうなっていたんだろうか。一律ではないと思うけど。
86 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 08:26:27
◆表御礼衆
帝鑑間詰め…菅沼家、竹谷松平家、榊原家
柳間詰め…本堂家、生駒家、山名家、松平家、平野家、木下家、
山崎家、最上家、戸川家、竹中家、溝口家、朽木家、近藤家
金森家、五島家、伊東家、
◆四衆
柳間詰め…那須家、福原家、芦野家、大田原家、高木(西)家、高木(東)家
高木(北)家、知久家、小笠原家、座光寺家、松平家、松平家庶長子家
中島家、米良家
87 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 10:25:36
譜代出自の3家が「帝鑑間詰め」というのはわかるが、
松平家のいくつかが外様小大名の多い「柳間詰め」というのがわからん。
88 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 11:49:52
1000石以下の参勤交代はどんな感じだったのだろう?
米良は相良について交代していたみたいだが
大名と交代寄合を繰り返した那須家はカワイソス、由緒ある家だし、那須衆の筆頭
なのだから大名として維新を迎えさせてあげれば良かったのに
由利12頭も残して欲しかった、特に羽川小太郎など主な収入源が強盗なんて
イイ
89 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 20:18:21
>>88 那須は取り潰しにならなかっただけ「幸せ」と言うべき。
由緒あるからこそ、潰されずに済んだわけで。
90 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 21:05:30
平野って賤ヶ岳七本槍の1人だよな
7家の中では出世できなかった筆頭か
91 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 23:35:43
>>90 あまり知られていませんが、
平野ごんべーは実は、堂上公家の船橋氏の孫ぐらいに当たるのです。
貴種です貴種。
そもそも平野家自体が、「鎌倉北条氏」の子孫。
つか御家取り潰しになっってない以上、頑張ったと褒めるべき。
残りの6本だって大名になってはいても、結局は取り潰し、のち旗本程度で召抱え、ですよ。
(嘘か真かわかりませんが、)
ごんべーは大坂の陣の際は、大坂に入城しようとして
福島正則と一緒に江戸留守居にされている気骨の持ち主です。
それより
>>86の柳間の木下家って、
例の「秀頼の子供が豊後の木下家に匿われて分家して」って奴ですよね。
話が本当なら、”格式なりの待遇”は受けていたわけですな。
92 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 06:23:17
≪岩松家≫
家康の関東入府時に、武蔵桐生にいた新田氏純の子守純は、家康に接見する
も、その対応の無愛想さに20石の采地しか与えられなかった。
新田一族の世良田・得川氏の子孫を自称していた徳川氏にとって、義貞の孫
が養子に入った、新田氏の直系であると主張する岩松氏は目障りなだけであ
った。
幕府は守純の孫岩松秀純の代に、岩松氏を新田宗家に立て交代寄合の格式を
与えたが、新田姓の名乗りを許さず、禄高もわずか100石加増しただけの120石
として、四州に準じる交代寄合の家として存続を認めた。
岩松家には家老が置かれたと他サイトにでていたが、数石程度だろうし、
どのような行列を組んで参勤交代したのだろうか。
93 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 06:42:04
他サイトより
参考だが慶安2年の軍役規定によると
200石 → 5人(侍1人 甲冑持1人 鑓持1人 馬口取1人 小荷駄1人)
500石 → 11人(侍2人 甲冑持1人 立弓持1人 鑓持1人 草履取1人
挟箱持1人 馬口取1人 小荷駄2人)
1000石 → 21人(侍2人 甲冑持1人 立弓持1人 鑓持1人 草履取1人
挟箱持1人 馬口取1人 小荷駄2人 )
1万石 → 235人
10万石 → 2155人
となっている。
これらから類推すると、石高が上がれば、軍役規定数の3-4割程度だろうか。
石高が低ければこの程度かと。どこかに、参勤交代の人数の定めがあるはず
だが、わからないので、まずは参考まで
94 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 07:05:08
>>92 岩松家は猫絵で結構な収入があったのですよ
名門の末裔ということで霊験あらたかな生き神様扱いされてました
養蚕のさかんな上州ではネズミ除けに岩松の殿様が描く
猫の絵「新田猫」が引っ張りだこ
他にも殿様に子供を踏んでもらうと疱瘡が治るとか
殿様が履いた草鞋を頭に載せると猿憑きが治るとか
岩松家はおまじないで生計を立てていたのです
家老はセールスマンみたいなもの
95 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 07:49:00
120石の交代寄合がしゃなりしゃなりと参勤する姿は想像しがたい
96 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 08:41:34
幕府の役人が任地に移動するときなども、供は精々10人くらい?
97 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 08:49:23
おそらく、普通なら殿様と3-4人程度だろうが、寄合の身分もあるので
見栄を張って、20人程度は連れていったのだろうか。
98 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 09:25:28
でも岩松家は傘袋の使用が認められたり下手な大名より扱いは高かったのでしょ
態度が気に入らなかったのは
家康「系図貸してね」 岩松「やだよ」
家康「喪前なぞ20石で十分だ、ゴルァ」 こんな所と思われ・・・
逆に由良家が優遇されたのは葵紋を使っていたからでは
99 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 11:50:09
松平の本家って、
・別の近所の大名と一緒に旅行
・他所の大名家に間借り宿泊
・毎年の新年挨拶程度で、役には就かない
だったっていうじゃないですか。
岩松もそんな感じじゃない?
100石get
101 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 00:51:51
>>91 舟橋家(清原氏)が堂上の格式を手に入れるのは室町期。
それ以前は地下の家で、押小路家(中原氏)と同格の局務家だった。
102 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 01:04:20
交代寄合って、室町幕府でいうなら在国奉公衆みたいな感じかな?
103 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 02:25:10
江戸に入る前だけ、臨時日雇い(どこかの家から借りるか)によって体裁だけ整えればいい。
道中は主従5人ぐらいで徒歩。でも本陣に泊まるんかねぇ。
104 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 06:49:03
≪直参のような陪臣のような者≫
姫路藩榊原家の家臣には、徳川家からの附属の臣として、「原田」「中根」
「村上」の3家があった。この3家には、幕末まで幕府より1000石、榊原家より
2000石の計3000石余が支給されていた。
しかも、正月の3日には、交代で将軍家に御目見(但し将軍が畳廊下を通過する
際に紹介程度)を許されたという特殊な家であったそうな。
105 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 12:40:28
106 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 13:29:04
>>104 木曽の代官諸家もそんな感じじゃなかったっけ?
107 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 17:06:42
近代になって、旧旗本を華族にしなかったのが悔やまれるな。
はっきりいって旗本は将軍の直臣であるという点では大名と一緒なんだから
華族にすべきだっただろう。
高家・・・伯爵
交代寄合または石高1千石以上・・・子爵
その他の旗本・・・男爵
くらいはやってもよかったのでは?
もっともこの場合、公家のほうも地下官人を華族にしないと釣り合いが
とれないが、公家はこのくらいがちょうど良かった。
堂上家すべて・・・伯爵
官務・局務など特別に由緒ある地下・・・子爵
その他の代々有位の地下・・・男爵
108 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 17:09:43
>>107 所詮「徳川家の家臣」だからなぁ。官軍にしてみりゃ。
109 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 17:09:57
>>70 むしろ豊臣政権から初期江戸幕府の時期だと、
大名は10万石以上で、それ以下は小名みたいな感じだよね。
1万石で線引きするようになるのは、確かに寛永期くらいからだろう。
110 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 02:13:15
単なる名誉だけの士族と年金の出る華族ではえらい違い。
師弟を学習院に通わせられるし。
石高をごまかして華族となったが、のちにバレて士族に格下げされた交代寄合もいたらしい。
111 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 02:25:50
維新期のどさくさとはいえ、小ずるい奴もいたもんだなw
112 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 03:38:00
黒柳徹子って田辺与力の末裔なの?
113 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 03:41:24
いや、黒柳明元公明党参議院議員が田辺与力の子孫
石高ごまかしたのは交代寄合じゃなくて高家です。
高家の中では高禄で4000石くらいあったから交代寄合並ですけどね。
115 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 10:34:36
幕末の高家の今川範叙は若年寄となっている。1000石程度の家禄だったろうから、
足高9000石ということか? それとも、幕末だから何でもありだったのだろうか。
何だか、後者が正解ぽいけど。
近藤勇でさえ若年寄格になってるからな。
幕末ゆえの何でもあり状態では?
117 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 11:55:14
交代寄合や高家と普通の旗本との区別はどのような基準でしたのだろうか?
元交代寄合で普通の旗本に直ったりしている家系もあるみたいだし、自分で
願いを出したのか
高家でも微妙な家系はあるし
118 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 12:00:08
>>110>>114 高家の大沢。
湖も領地に加えて計算した。
湖から魚が獲れるとかいう、苦しい言い訳をして。
119 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 13:26:31
本堂や生駒は実収1万石以上あったかもしれないが、山名はなかった希ガス
新田系だから足利系の最上より優遇されたのかな??
山名6700→11000石
池田6000→10570石
山崎5000→12746石
本堂8000→10110石
平野5000→10001石
生駒8000→15200石
平野なんかは相当怪しげ。
121 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 16:06:18
まあ交代寄合と万石以上の陪臣は華族=男爵にしてやってもよかったよな
高家も格式という点で華族に加えてやってもよかったと思う
奈良華族なんかに比べりゃずっと裕福だろうし
122 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 16:09:01
そんなに欲しいのであれば、くれてやればよいのです
123 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 17:38:03
交代寄合の家格についても可也不可解なところがあるが、大名についてもまさにそう。
越前松平家と会津松平家の家格比較はどうなんでしょか。以下は私の私的な解釈ですが。
◇石高による家格比較
越前松平家>会津松平家
越前松平家が32万石、会津松平家が23万石であるため、越前家に軍配です。越前家祖の秀康や忠直の頃は68万石と高禄
でもありました。
◇将軍家との血縁にかかる家格比較
越前松平家>会津松平家
両家とも徳川家の家門大名ですが、越前松平家の祖は、家康次男の松平秀康であり、会津松平家の祖は、
秀忠庶子の松平正之です。将軍家との血縁では越前家に軍配でしょうか。
◇伺候席による家格比較
越前松平家=会津松平家
越前松平家は「大廊下の下の間」であり、会津松平家は「黒書院の溜の間」です。将軍家との親疎の差で考えれば
「大廊下」が最高格式とも考えられますが、一方、「黒書院溜間」は@将軍や老中の諮問を受け直接幕政に参与する。
A将軍家の名代として、天皇や上皇に拝謁する。B将軍家の名代として、紅葉山霊廟や日光東照宮へ参拝する。など
特別な存在であって、一概に、大廊下>溜間ではないと思います。但し、御三家が控える、「大廊下の上の間」は
別格中の別格でしょうが・・
◇極位極官による家格比較
越前松平家<会津松平家
越前松平家は「従四位下近衛少将」であり、会津越前家は「正四位下近衛中将」であるため、
会津家に軍配です。なお、幕末の京都守護職を務めた会津藩主松平容保は、朝廷との関係から
特に中将より数ランク上の「参議」の職を得ていますが、幕末の特例です。
☆結論
極位極官による家格の結論を尊重し、越前松平家<会津松平家と解釈したい
124 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 17:50:00
125 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 18:58:29
肥前小城藩(鍋島家)73000石が柳間で陣屋大名
美濃苗木藩(遠山家)10000石が柳間で城主大名
席次も当然に、遠山家>鍋島家となる。
家格の七不思議
126 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 19:33:42
陣屋大名と城主大名では格式において違いはどうなるんですか?
127 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 19:38:52
大名の格式は純粋に官位順の筈だよ。
外様の場合5位なら柳間4位に上がって大広間。
125みたいに同じ5位なら城主の方が上なんか?
正確には武士は官位より官職重視ですから、従四位上侍従より従四位下少将の方が上。
129 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 20:21:26
紀州徳川家の支藩であった、伊予西条藩は徳川の連枝であって、大広間
詰めの30000石であったが、定府大名であったため、陣屋大名であった。
定府の場合は、在所に行かないので城を持つ必要がないので、陣屋とされ
たのだろうか。誰かホローしてください。
131 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 20:48:10
確かに水戸徳川家は定府だが御三家そのものが、定義上でも国主大名とは言
わない。まさに別格かと。
132 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 21:30:47
≪極位極官(但し個人でなく家として)≫
・家格ベスト10
尾張徳川家 従二位大納言
紀伊徳川家 同上
水戸徳川家 従三位中納言
加賀前田家 従三位宰相
彦根井伊家 正四位上中将
会津松平家 正四位下中将
薩摩島津家 従四位上中将
陸奥伊達家 同上
高松松平家 従四位上少将
肥後細川家 従四位下少将
帝鑑間の中の席次では四位、五位の順。
四位の中では官職順で少将、侍従、四品の順、五位は城持と無城で区分。
区分内では禄高順、家督相続順。
これだけ見ると
四位>五位城持五万石>五位城持一万石>五位無城五万石>五位無城一万石って序列か?
134 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 22:00:24
三万石なら城主と陣屋のボーダーじゃない?
西条の場合は少将だから並みの国持ち大名より上でしょ。
135 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 22:10:54
136 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 10:04:44
137 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 10:34:57
知久の殿様の川流れとか
知久家当主が参勤の途中で川渡りの最中に溺れて本人は何とか助かって、刀が数年後
見つかった
138 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 14:50:59
>>128 >>正確には武士は官位より官職重視ですから
「位階」よりだろ
公家は参議までは官職順。
それより下は、位階順。
139 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 14:57:40
>>121 南部の遠野支藩(遠野領)とか悲惨だぞ。
・もともと盛岡は分家筋、遠野(八戸政栄の家)が本家
・なのに小田原の秀吉のところへ参じた時、南部信直が
信直「俺がいってきますから、息子を預けてください」
政栄「頼んだぞ」
秀吉「お前が南部とやらか」
信直「はい。わたしが当主で、これが分家の息子です」
とやったもんだから、本家分家が逆転。信直ヒドス。
・江戸に入ってもその事情はよく知られていたので、
幕府は独立藩ではない遠野家を、「藩主待遇」で優遇。そのうち独立させようとしていた。
・むかついた盛岡藩、遠野藩主暗殺。ヒドス。
・その後も遠野は独立を画策するも、盛岡の妨害に遭い「独立」はおろか「支藩」扱いにも
なれないまま江戸期を過ごす。(なので遠野領という微妙な言い方をする)
・戊辰の時、盛岡藩は藩内意見は朝廷方だったのに、仙台に脅されて仙台軍として行動する。
・遠野支藩は「おれは勤皇だから」と筋を通して参加せず、盛岡藩士は遠野当主を暗殺しようとする(未遂)。
遠野は逆に敗走してきた盛岡軍を逮捕監禁。
・そのうち遠野領に朝廷軍駐屯。
・明治になった。
だが遠野の当主は「陪臣扱い」で士族。遠野の武士たちは「平民」とされた・・・
140 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 15:29:01
>>139 それは凄い話だな。遠野関係者の怨念は深いだろうね。
事実は小説より奇なりだ。
南部酷いな。九戸だけじゃなかったのか。
その極悪南部の魔の手を逃れて独立を勝ち取った津軽は偉大な英雄なのか?
南部なんて武田の系統ってことになってるけど、どうせ蝦夷がなりすました偽源氏だろ?
系図なんていくらでもでっち上げられるし、本家もくそもないって。
>>140-143 八戸南部(根城南部。のちの遠野支藩)・
・・・本家本元。本当に甲斐国由来の源氏である可能性が高い。
源氏であるなら、独立大名や高家になってもおかしくない。
盛岡南部・・・多分、根城南部の分家であろう、とされるよくわからない出自の上に、
南部晴政の跡継ぎを(家臣筋の)南部信直が暗殺して当主になった。
九戸・・・元々盛岡南部と同格。独立失敗。
津軽・・・元々盛岡南部と同格。独立成功。
145 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 22:58:25
淡路の洲本支藩の稲田家も酷い扱いを受けている。
稲田家はもともとは蜂須賀と同格であったのが、秀吉の配下になるに当たって蜂須賀の家老扱いを受けるようになった。
戊辰戦争では、阿波の本藩は日和見、稲田家はいち早く薩長側につき、各地を転戦して名を上げた。その後、分藩工作を
始めたために本藩の家臣たちが暴走。大砲まで持ち出して洲本城下を襲撃し、無抵抗の稲田家家臣たちを虐殺。
蜂須賀側は首謀者10人切腹、20数人が八丈島へ島流し。無抵抗だった稲田家側は、望み通り家臣たちが士族扱いを
受けられることになったが、主従ともども北海道の静内と色丹島という新天地へと旅立ちましたとさ。
>>145 おいおい。何言ってんの?
たかが家老の分際で一国の統治をしてたんだぞ?
蜂須賀がいかに稲田を重用してたかが分かる例だろ。
戊辰戦争では家来に過ぎない稲田が独立の気配を出したのが問題だろ。
147 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 23:06:42
>稲田家はもともとは蜂須賀と同格であったのが、秀吉の配下になるに当たって蜂須賀の家老扱いを受けるようになった。
扱いを受けるようになった=蜂須賀家の家老格となった=家来
そんなんいってたら徳川より格上だった家はどうなるんだよw
>>145 江戸幕府の初代将軍は今川氏真公であるべき
まで読んだ。
150 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 02:51:08
岩国の吉川はどうよ?
151 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 03:54:40
岩国領については俺がwikipediaの吉川広家に書いといた。詳しくみよ
152 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 05:47:28
>>148,
>>149 稲田家は家臣でなく客分。更に、洲本城代の役も大坂冬の陣の戦功を家康に認められ、その命で
なったもので、蜂須賀家からの恩封ではない。どちらかといえば、御三家などの付家老に近い立場。
検索をかけたら、「徳川秀忠の時代の徳川家の文書に『稲田藩』としるしたのがある」と書いている
物があるそうだが、「藩」という用語がそのころ使われていたわけがないと思うんで、詳細不明と
すべきだろうな。
153 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 06:02:15
追加。
稲田家がなし崩しで、しまいには普通の家老扱いされたのも付け家老と同じ。
154 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 06:13:49
155 :
大學ヘ授:2007/05/08(火) 08:43:54
>>152 怪しいですね。
「藩」なる呼称が中央政府の公文書に登場するのは維新後のことです。
稲田が
・「将軍お目見え」だったかどうか
・江戸城に席次があったか
でかなり印象変わってくるでしょ。
このスレ的には。
ちょっと県史でもみてみるわ。
図書館で。
158 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 18:23:09
>>155 まずその文書がどういう性格のものかがわからんとなんともいえませんな。
あとは公的な文書に「藩」が登場しないのはいいとして、その他の文献史料上で
一般的に大名家のことを「藩」と呼ぶ言い方が通用し始める初出がいつ頃なのか
調べる必要もありそうです。
159 :
関宿侍従:2007/05/08(火) 18:54:43
江戸時代においては松平家家中とか大和守家、因州侯とかいう言い方で、藩という言い方はしなかった
江戸時代の公式文書の用語としては領・領分。
「藩」は現代人が横文字を使いたがるのと似たような感覚で儒者が使い始めたらしい。
新井白石の「藩翰譜」、荻生ソライ(感じが出ない)が江戸屋敷を藩邸と表現、
このあたりが早い例らしい。
となると秀忠の次期の用語としてはかなり怪しいとしか思えない。
藤井譲治著:中央公論社「日本の近世3支配の仕組み」より
ただし現代人が横文字云々は個人の感想。
162 :
大學ヘ授:2007/05/08(火) 21:17:56
私領を動詞的には領知、名詞的には領地といひ、後者を大名の場合は領分、旗本のそれは知行所、御家人なら給地と呼び分ける。
例外が無いでもないが稀。
藩の呼稱は漢語の藩屏に由來し、一般には用ゐられるやうになつて行くが、中央政府が初めて用ゐたのは確か明治二年。
つまり徳川幕府の公式・法律用語ではなかつた。
163 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 23:05:23
「藩」という用語が江戸初期にはありえそうもないということは、
>>152もはじめから言及しているから、問題に
すべきなのは、稲田家が秀忠から大名格扱いを受けていた何らかの根拠があるかどうかの方じゃないか?
164 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 04:13:35
「藩」の使用例が、早いもので新井白石くらいの時期となると、
>>152は普通に偽文書と考えてよいということかな?
165 :
152:2007/05/09(水) 05:32:42
前半三行と後半三行は別の話だぞ。
166 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 07:33:41
寄合って、3000石以上の非役職者と布衣以上を経験した隠居者だったよね。
あと、定義的に何かあったっけ・・
167 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 08:02:44
>>145 色丹島なんて八丈流しより酷いじゃないか
168 :
大學ヘ授:2007/05/09(水) 12:16:22
寄合席と交代寄合を区別する必要が有ります
前者は小普請組の大身バージョンで、要するに無役の大旗本。
老幼疾病罪を受けた者。
後者は、そのうち参勤交代する者。
>>167 稲田家臣の開拓団だよ。
がんばったんだよ。
170 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 14:09:42
>>167 淡路一国没収の代替地が北海道の静内郡・新冠郡と色丹島だったらしいね。
まあ所領としては廃藩置県までだけど、その後も開拓団として北海道に留まった。
>>168うるせー。寄合と交代寄合は別物だということは既に指摘済みだ。えらそうにしゃしゃばり出てくんじゃねぇー
172 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 18:56:25
>>167 引揚者の話では色丹島は気候が海洋性のためか根室より温暖らしい
173 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 20:06:14
ほー
勉強になるなー
174 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 20:08:18
この大學ヘ授という人、本来議論のポイントにならない見当はずれの部分を掘り下げて知識を誇ろうとするな。
175 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 20:45:28
>>174 禿同
ってか日本史板と戦国板はどこもそういう奴が多いな。
176 :
大學ヘ授:2007/05/09(水) 21:11:00
何事も基礎が肝心です。
罵り喚く前に謙虚に學びませう。
178 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 21:38:28
>>176 そう、基礎が大事です。
で、現在進行中の議論は過去のレスから発展してきたものであって、
それを読まずに話題をループさせる書き込みをするということは、
このスレにおいての基礎が出来てないと言えます。
議論に加わる前に、自己の過失を認めて謙虚に学びましょう。
また鬱陶しいやつがきたな
180 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 22:05:04
交代寄合の四衆って、それぞれどういう経緯で成立したんだろうか。
181 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 22:40:32
既出ってどこ?
182 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 23:06:23
とりあえず今日は寝よう
183 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 23:37:20
色丹島の件は、稲田に北方警備もやらせる意図があったんじゃないの?
184 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 01:03:36
淡路洲本6万石→蝦夷積丹2万石格
稲田美濃守正通
稲田の知行と淡路の石高をごっちゃにしないように。
稲田の石高は1万5千石でしたっけ?
あと洲本城代(だったっけ?)は確か別にいたんですよね。
舊字舊假名遣ひを使ふ奴に碌なのはゐない。
188 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 19:44:19
稲田の当主に正通なんていたか?
189 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 21:55:59
陪臣→知藩事格
淡路洲本1万5000石→蝦夷増毛2万石格
稲田あげ
190 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 23:12:05
舊字舊假名遣はねば古文書も讀めない
191 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 03:24:51
明治になっても立藩してないし
特旨で華族にも列せられてない
参勤交代もしてないしね
やっぱ稲田家は陪臣だわ
192 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 05:41:58
稲田家の家臣が士族になったのであれば、単純に陪臣扱いはできないな。
このスレには教授の親衛隊が来てないせいか袋叩きだなw
教授の親衛隊、じつは自作自演なんじゃねえか?
>>191 ・稲田は将軍拝謁できたのか?
・その拝謁は
「あくまで大藩の家老として」なのか、「独立した家として」なのか。
196 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 15:59:41
公方への拝謁はあくまで蜂須賀藩大老としてであり、独立した諸侯格の礼遇は受け無い
>>196 官職はもらえてないっぽいよな。
しかし、稲田の洲本城代は「幕府の直接指示」によるものらしいが。
あと稲田の子供も、成人までは江戸在府だったとか。
>>195に追加
・稲田は、江戸に独立した屋敷はあったのか?
198 :
大學ヘ授:2007/05/11(金) 23:13:12
>>1 >旗本以上、大名未満な交代寄合
交代寄合は旗本の一種であり、旗本以外の何物でもありません
199 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 23:26:40
>>198 旗本の定義が1通りしかないとでも思っているのか。
200 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 23:38:41
鳥取藩も米子に城代置いてたよね?
>>200 城代や陣屋、「要害」とかはどこの藩にも結構あるもんで。
問題は、稲田の場合は「稲田が洲本城代な」と幕府が指名したらしい、ということ。
202 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 00:01:53
203 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 06:47:50
>>198 旗本の定義はどのようにお考えですか?
まっ、どうでもいいことだが
204 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 07:50:17
≪旗本の定義≫
家禄が万石未満で、代々、その家が将軍家に対して御目見を許される家格を持つ家
・30俵未満の旗本も20家程度あった
(逆に知行地200石取の御家人もいた)
・当代一代限りの旗本役は子孫が御家人に戻ることもあった
205 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 12:12:57
余収のある役職にはどのようなものがあるのか。
御徒歩目付なんかは、御家人の役職だが、余りにも余収が多い役職のため、
旗本役の昇格にためらうものもいたとか。
また、広敷用人も大奥や出い入り業者からの袖の下が多かったと聞く。
あと、同朋衆・奥坊主など、表御殿、中奥での部屋案内が欠かせなかった
ので、各藩からの余収があったらしい。
206 :
大學ヘ授:2007/05/12(土) 20:12:21
上つ方では長崎奉行、中位で町與力、輕輩で御坊主等が有名です。
しかし武士は本質的に財貨を卑しみますから、205前段の話は疑はしいですな。
確かな根據がありますか?
さて旗本の定義。如何にも多義的で、そもそも旗本は一般名詞ですが、本スレッドの議論の前提としては、204説で概ね宜しいでせう。
小職なら、萬石未滿の直臣にして御目見の資格有る者、と述べますが大して違ひません。
>>206 過去レス1から30程度まで読んで来い
音読で100回読んで来い。
>>206 武士が貨幣を卑しんでいた根拠は?
借金返済の代わりに、貸し主の息子を養子にする程だぞ?
国産米が不作でタイ米しか入らなくなり、卑しい食べ物だと言って餓死するのと同じだね。
物品を消費しながら暮らしてる以上、金優先の奴は絶対にいるし、
しかもそれが都会の江戸なら現実主義的に助長されて当然。
>>205の話は証拠が出て無いから疑わしいのは当然としても、
>>206も同様に疑わしい。
儒教の影響が強い韓国を見れば、いかに理想と現実がかいりするものかがよくわかる。
>206 出ていけ。お前の見解など誰も求めていない。
210 :
大學ヘ授:2007/05/12(土) 22:13:20
でも199、203、208は求めてますよ。
嘘も罵倒もいけません。
學問スレッドに相應しからず。
>>210 過去レス1から30程度まで読んで来い
音読で100回読んで来い。
>>210 帰れ、出ていけ。お前の説などありがたくもないし参考にもならない。邪魔なだけだ
213 :
大學ヘ授:2007/05/12(土) 23:17:12
>>211 マルチポストは禁則。罵詈雑言は荒し。
>>212 参考にしたい人もいるのですから我儘はいけません。嫌なら己が読まねば良いだけのこと。
>>208 結局、205前段の根拠は無いんでしょう?
史学の手法は帰納法です。数学じゃあるまいし、演繹法は所詮仮説でしかありません。
>>213 ジャマだから出ていけ。誰もお前に意見をのべてくれなどと言っていない
215 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 23:55:16
>武士は本質的に財貨を卑しみますから
独り言ですが、戦国期または幕初は各家も血統を重んじ、惣領が若死にし
嫡孫はいるものの若年の場合は次男・三男が継承し、嫡孫がその後に養子
に入る「順養子」が行なわれていた。正に、血統を重んじた継承であった。
しかし、時代も太平の世になり、次第に生活が安定し、贅沢な世の中になる
と身体の弱体化が発生する。健康な嫡子も少なくなり、子に男子が居なく女
のみの場合などは、「婿養子」をとり、かろうじて血統をまもった。
江戸も中期以降になると、武士階級での貧困が発生し、格式を保持するため
に借金を重ねていくことなる。この場合、もはや、各家(御家人旗本から大名)
には、家臣とその家族がおり、藩主等の血統以上に、家の存続が重要となって
くる。絶家となれば大変です。
その結果、どのようなことが起こったかというと、旗本中堅クラスの家では
血統の男子がいる場合でも、持参金が見込まれる大名や大身旗本の厄介を
「持参金養子」として迎えいれている。
家の存亡と金銭の天秤は比較が異なるかもしれませんが、大藩から御家人ま
で、相当に江戸中期以降は金銭に苦しんでいます。最低限の格式は必要で
すが財貨を卑しみますからだと〜
空気を読んで書き込め。ボケ
216 :
大學ヘ授:2007/05/13(日) 00:06:08
財貨を卑しむ気風は極めて顕著です。
福沢諭吉は金持ちに成りたいと言って兄に惨殺されかけました。
先年までビジネスマンを町人、背広を町人服と蔑んだものです。
大企業の社長でも「商人部屋」に控えさせられ、うっかり外へ出ると門番に怒鳴られました。
今日でも安月給の官員はリッチな財界人を見下し、経済学部、商学部は人事の傍流です。
金は不潔なのです。
財貨に関しては本音と建前、上級武士と下級武士じゃそれぞれ事情が違うだろうに……
オマエの方が不潔だよw
>>216 スレ違いは出て行けばいいんジャマイカ?
220 :
大學ヘ授:2007/05/13(日) 00:21:14
東大も法学部と医学部が主流です。
経済学部は文学部史学科より不評で、官界に入れません。
幕末人は明治大正一杯から昭和戦前まで生きましたが、彼らの金銭蔑視は極めて顕著です。
今日でも金持は蔑まれこそすれ、尊敬されません。
そもそも武家の貧困は財政赤字であって、大した貧乏ではありません。
俗に殿様貧乏というくらいで、貧困というなら、前代の方が貧困でした。
生きるか死ぬかの戦時体制ですから、質素倹約質実剛健は当然です。
つまり後代の赤字は贅沢や交際から生じたもので、これ自体、武家が財政を軽視することから生じたものです。
赤字を推しての放漫財政は、財政家なら決してせぬ事です。
財政が傾いてもいい、金は汚い、算盤勘定は卑しいと思ったればこそ、貧乏が何百年も続くのです。
養子に就ては厳格な統制有り、近い血統から探さねばなりませんので、貴説は発覚すれば死を以て報われる犯罪
的例外や武士とも呼び難い軽輩は格別、一般化できません。
>>220 スレ違いで見当違いなのでジャマだから出ていけ
>>216 武士ってどういう職業かわかってる?
ただのままごとじゃないんだよ?わかる?
今でいうところの、政治家+学者+民間企業社員よ。
諸藩が農工の増産に努め、街を開発したのは何故?
金をより多く手に入れて、生活を豊かにするためだろ。
金を卑しいとするのは、拝金主義から起こる賄賂等を否定するためであって、金自体は尊い物に違いない。
金を卑しいとするのは、米を卑しいとするのと同じことだ。
食べ物を粗末にしたら目が潰れると教わらなかったか?
一円を笑うものは一円に泣くと教わらなかったか?
大切な食糧を売ってようやく手に入る金を卑しいとは何事だ。
全般は良く知らないけどこないだ「武士の家計簿」という本を読んだ。
金を工面するために色々苦労してたみたいね。
224 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 00:43:33
ここ、のんびりとしたいいスレだったんだけど、なんで突然荒れ出したの?
225 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 00:47:46
226 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 01:23:33
>>224 教授に論破されまくってきた荒しが怨念抱いて飛掛るから
論破もなにも、「教授」って全然関係ないことばかりほざいているだけじゃん。
228 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 09:44:34
幕府組織のなかで「伏見奉行」「大番頭」は、大名が就任することがあった。
幕末のドサクサ期を除いて、大名が就任していた旗本の役職に他にどのような
ものがあったのでしょうか。
229 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 09:58:29
>>227 そうです。論破されまくったのは何年も前のことです。爾来怨念を抱いて来たので今いきなり噛みつき暴言吐きまくって224氏を驚かすのです。
231 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 18:28:34
スレ違いな暴言で荒すなよ↑
232 :
大學ヘ授:2007/05/13(日) 23:23:04
>>222 武士は職業ではありません。
身分です。
よって典型的近世武士は無職で宜しい。
貴説は武士の本質といふ根本から既に見誤ってゐます。
また封建経済は現物経済、米遣ひ経済で、貨幣経済に立脚しません。
だから士農工商と申し、金を扱ふ商人を賤視したのです。
>>232 何度もいわせるな。帰れ、出ていけ。お前の来る場所ではない。
234 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 06:40:59
>封建経済は現物経済、米遣ひ経済で、貨幣経済に立脚しません。
18世紀に入るともはや、貨幣経済が全国に浸透し、幕府は藩札の実態調査を
始めるなど、現物経済ではなくなってくる。
また、各藩でも特産品を開発し貨幣獲得に努めるようになり、両替商などが
貸し金業を努めるなど、まさに江戸の中期以降は、貨幣経済に突入していま
す。
235 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 07:37:45
>>234 江戸期は想像以上にいろんな意味で発達していた時代
当然、貨幣経済が末端まで浸透していただろう。
某大學教授はスルーしろ
236 :
大學ヘ授:2007/05/14(月) 07:53:04
さういった貨幣経済の進展は町方のみの動きであり、それに乗遅れたのが農村やこれに基礎を置く武家が疲弊した原因です。
武家の歳入は米であり、歳出も多く米です。
武家統治機構に於る勘定方の地位は低く、大公儀の勘定奉行ですら三千石高に過ぎません。
237 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 08:15:29
>教授
僕は法学の名門、明治大学の法学部をギリギリの成績で卒業したニートですが、
東大経済学部出身の拝金主義者たちよりも上ですか?
238 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 08:33:15
じゃあ俺も。
>教授
俺は、私大最高峰(だった)中央大学法学部法律学科(通信教育課程)卒業だが、
横国経営夜間卒の上司より高学歴でいいね?
239 :
大學ヘ授:2007/05/14(月) 10:31:42
それらはスレ違いの荒し行為の疑いある困っ太カキコですが、一度だけ答えましょう。
明治の法科は偏差値60で明治法律学校の昔より歴史的にそれなりの評価を受けていますが、経済より下ということはありません。
比較するなら同じ明治の中ですべきであり、詭弁はよろしくありません。
なほ東大でも明治でも経済学部の歴史は相対的に浅く、法科より後回しでした。
明治なんて校名も「法律学校」でした。経済学校ではありません。
これは中央も法政も日大も専修も同じです。
早稲田も校名こそ東京専門学校でしたが五大法律学校に数えられ、実質は同じです。
今日でも圧倒的に東大法科の支配ではありませんか。
「法律書生は天下取」「法科万能」
官界では自己紹介で入省年度しか言わぬのが原則です。
東大法学部法律学科に決まってるからです。
そこで若し経済出の人がいると、無念の思いを込めて経済学部と名乗るのです。
あるいとやんごとなき御方は東大経済学部を出て外務公務員上級試験に合格任官しましたが、経済しか出てないのでハーヴァードで法律を学び直させられました。
以上とは別に官尊民卑、官学崇拝から、官学は私学に優越し、初任給からして何割も違いました。
官立専門学校出の給料は私立大学出より高かったのです。
横浜高商>法学院
これはまあ別の話ですが、238は無知に過ぎます。
なほ官学制度上、経商医に専門学校はありますが、法科にはありません。
必ず大学、つまり格上だったのです。
戦後も短大で法律学科を置いたのは明治だけです。
何時までもスレ違いな話をせず、交代寄合に帰りましょう。
荒しは非行、度を越せば業務妨害罪です。
240 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 11:04:02
241 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 11:18:26
>>239 お前はからかわれてるのになんでレスするの?
どっちが上かなんて
>>237-238自身わかってるだろ。
しかも一行で済むレスを関係無いことまで書いて無駄に長くして、荒らしてるのはお前だよ。
お前が来るまではいい流れだったんだから、わざわざ妨害すんな。
空気読め。帰れ。
242 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 11:31:00
>>239 >> 何時までもスレ違いな話をせず、交代寄合に帰りましょう。
>> 荒しは非行、度を越せば業務妨害罪です。
自己紹介乙
244 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 11:36:55
怒号して暴れる荒しの群w
245 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 11:37:42
246 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 12:54:42
「教授」は来るな。邪魔。デマ知識誇りのクソ野郎!死ねや!目障りだから二度とくんな!
だからスルーして交代寄合なり関連の話をしましょうよ。
もちっと建設的に行きませんか。ああ良いネタが有ればな。
全員が「教授」をスルーするという確約が有ればな
249 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 14:19:02
教授の講義は非常に役に立つ。
レベルが高く、いつも物事の核心をつく。
ただし講義に熱心のあまり時に容赦のない論評をするために、
低学歴・下層階級出身者たち(文盲派)に目の敵にされている。
以 下 、 教 授 を 完 全 ス ル ー し ろ
教授の自作自演以外は、レスをするな
252 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 19:08:55
公正に見て、スレ違い千万にも罵り騒いでるのは反教授派。
相手は冷静に歴史を語ってるだけなのに、たち悪いぞ。
堂々と議論するのが教授
必死に罵倒するのが文盲派
254 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 20:24:46
はいはい自演乙
255 :
大學ヘ授:2007/05/14(月) 23:21:44
今に始まらぬ事ながら何の根拠も無い決付け、如何にも荒しらしい妄想powerですね。
江戸時代、産業や経済、色々発達したのは事実です。
それなのに何故、武家が特に財政面で衰退したのでせう。
本来なら、商品流通なり貨幣経済なり、何なりとも発達すればそれに連れて体制、治者も繁栄する筈です。
それが逆に衰微するとはどういうことですか?
幕藩体制というものが本質的に商工業にも貨幣経済にも無関係だった、或は逆に相容れぬ仲だった、ということです。
幕藩体制、封建経済は単に農村に乗っかっていて、基本的に農村からのみ徴税しました。
だから百姓ばかりが担税し、生活は楽でないのです。
町方からは碌に徴税もしない。
町人の生活は楽で、やたら百姓が町方へ逃込むのはこのためです。
幾ら荒しでも人返しの法は知っているでしょう。
かくて農業が興隆し農村が潤えば、それに乗っかった武家も栄えますが、商工業が発達し町方が潤っても領主の得る所は少い。
そうして江戸時代後半は、商工業ばかり伸長して農業生産は頭打ちでした。
かくて農業、領主の封建コンビは二百年になんなんする構造不況に苦しむのです。
普通、二百年も貧乏すればいい加減頭を切替えそうなものですが、小職の知る限り、大胆に切替えたのは越前大野藩唯一軒だけ、後は軒並痩我慢、「貧者士之常」「武士は食はねど高楊枝」「常在戦場」「学士清貧に甘んず」です。
でも、これはこれでいいのです。
古今東西の青史に徴すれば、質実剛健が贅沢華美を打倒した例は枚挙に暇ありません。
明治維新が、武家の中でもより貧しい階層によって担われたことに思いを致され度し。
荒しの皆さんは教わらなかったのですか?
「金に手を触る勿れ。其は乞食也」
直江山城守、上田宗固の昔から近年まで、一貫した本邦の価値観です。
「命も金も要らぬ者でなければ事は為せない」 西郷南洲
遠く異朝にすら曰く「子孫の為に美田を買わず」
256 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 23:35:52
>>255 無駄に長い。
武士の税収は米で、米は農業の発展とともに収穫量が増え、安くなった。
一方、町では新たな文化や娯楽が生まれ、出費が多くなった。
武士の中でも、儒教を信奉する者は質素倹約に努めたが、普通の者は町方の華やかな生活を送ることを望んだ。
要は人によるし、一概に武士だからどうとか言えない。
はいこれでおk
人に読まれることも意識して書きましょう。
>>255 >それなのに何故、武家が特に財政面で衰退したのでせう。
>幾ら荒しでも人返しの法は知っているでしょう。
どうして下は『せう』じゃなくて『しょう』なの?
258 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 00:07:04
それは文盲に合せたからでせう
以 下 、 教 授 を 完 全 ス ル ー し ろ
教授の自作自演以外は、レスをするな
>>256 下級武士は武士の体面を保つために出費がかさみ、町人からもしくは一族間での金の貸し借りが当たり前だったみたい。
一族間での貸し借りも利息があり、年収の2倍の負債は普通だったようだ。
建前としては金勘定の軽視はあったようだが、やはり実入りの良い役職とかは羨ましがられたようだ。
しかし教授が来てから交代寄合の話が全然出なくなったな……
261 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 04:48:20
教授とやらは経済史は素人レベルだな。
262 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 05:13:45
交代寄合の財政史について語ればいい。
近江の最上氏、備中の戸川氏、信濃の小笠原氏などのように、藩札に相当するものを出しているところも
あったようだし。
263 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 07:07:05
江戸時代は相当な付け届け社会。どこまでが賄賂でどこまでが付け届け
なのか判別できないくらい。
各藩の参勤時の将軍家への献上または将軍家からの返礼も、『米』ではなく
黄金(大判)や銀、馬、太刀など。
末端の表御殿での子役人への付け届けなども、金500疋などを握らせるなど
貨幣経済は武士階級の奥深くに浸透しています。
黄金や銀、太刀は貨幣ではないとの言い訳が予想されるが、これらを購入
するのは、もはや『米』ではないだろう。
強情で素直に過ちを認めないのが大學教授??
264 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 07:42:24
>武家統治機構に於る勘定方の地位は低く、大公儀の勘定奉行ですら
三千石高に過ぎません。
この内容は、幕府においては、番方>役方を説明したものであって、武家
が貨幣経済を否定していた・卑しんでいたとの説明ではない。
>>263-264 建前と実態の区別がつかないかわいさふ(wなお方なんでせうw
米本位制(建前)−貨幣経済(実態)
武士政権なので番方の身分が高い(建前)−武士政権だけど役方の方が実収が良い(実態)
ある意味江戸幕府は建前と本音をうまく使い分けたことで長期政権を維持し、使い分けられなくなったことで倒れたと言うこと
もできる。
旗本の家格って高家とか交代寄合を除くと、五千石以上、三千石以上、両番筋、
大番筋(二千石台以下)、小十人筋、小普請って感じかな。
268 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 11:55:24
× かわいさふ
〇 かあいさう
以 下 、 教 授 を 完 全 ス ル ー し ろ
教授の自作自演以外は、レスをするな
270 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 12:51:47
領地を持つ旗本と持たない旗本って、実は領地を持たない旗本の方が利回りいいんじゃないかな?
例えば、領地あり2000石と領地なし900石。
そして、領地あり税収40%と仮定すると。実収入は
領地あり→800石
領地なし→900石
になる。
また当然ながら領地ありは、陪臣使用人などの人件費や間接費が、領地なしより大きいはずだよね。
詳しく知ってる人、教えてちょ。
手取りで2000石じゃないの?
領地なし(蔵米取)は九百俵って表現して、領地持ち(地頭)九百石と九百俵の実収は
ほぼ同じってことになっている。
確か九百石で税収が四割(360石)、玄米から白米のすりへりで35%になって
三百十五石、これが九百俵に相当するってことだったかと。
273 :
大學ヘ授:2007/05/15(火) 13:30:25
武家の御高は格式ですから、一石でも多い方が格上です。
この高は草高、總生産量を米に換算して表したものですから、二千石の武士とは、米に直して二千石の産出高の領地の領主、の意味です。
中世の貫高制は領主の税収を銭価で表しますから二千貫の領主は銭二千貫文丸々歳入となりますが、石高制ではGDP?二千石に税率たとえば四割を掛けて八百石が歳入と相成ります。
274 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 13:34:53
おまいらわかってるな?
現米八十石って言い方の時だけは実収が八十石(与力とか)
年貢を八割とっても不法ではないけど、まあ普通は再生産出来ないからしない。
って言うか一揆とか起きたら責任とらされるし。
277 :
大學ヘ授:2007/05/15(火) 13:52:33
272は概ね正しけれど、計算式に多少誤りあり。
単純に 一石=二俵半
一俵=十分の四石 で宜しい。
つまり四公六民なら、一石の実収が一俵なのです。
272例示の数値変数を、三ツ五分物成と呼びます。
差額の五分は搗減りよりも札差らの手数料です。
蔵米取は知行取より、俵取は石取より格下です。
278 :
大學ヘ授:2007/05/15(火) 14:04:53
>>270 領地を持つのを地方知行と言ますが、これが武家本来の姿・封建領主であり
一番格上。
次で形だけの知行取、更に蔵米扶持米切米とわけわかに成って行きます。
275は正しい。
玄米支給は軽輩です。
279 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 14:11:33
>>277 米の取れない松前藩や外交上10万石格にしてもらっていた対馬藩って、
同程度の石高の大名と比べて軽く見られたりとかしてませんでしたか?
松前藩士の知行って領地じゃなくて商業利権を与えられてたそうですが、
こんなのは武士とよべますか?
280 :
大學ヘ授:2007/05/15(火) 14:35:56
前段。既出ですが、「並」は本物よりはっきり下で、格も心持下です。
後段。商場知行制と呼びます。
武士の定義如何によりますが、大名に仕える軍人ですから武士でせう。
上は御三卿から下は牢人まで、領主でなくとも武士たり得ますが、商場知行主は領主と呼ぶ余地すら有ります。
松前藩の上級武士の格付けって前から多少疑問だった。
石高表示みたいな明確な格付けはやはりないのかな?
まあ例えば着座とか寄合とかなんたら格とかって言う何らかの家格は有るんだろうけど、
商業利権の場合領地みたいには明確な差が見えないよね。
以 下 、 教 授 を 完 全 ス ル ー し ろ
教授の自作自演以外は、レスをするな
283 :
大學ヘ授:2007/05/15(火) 16:32:57
281の指摘通りでせうが、商場自体に計量的格付けはあったでせう。
出ないと商場を割振ることが出来ません。
>>282 良くも悪くも、性格的に完全スルーできない人は専ブラ使ってNGNameにしちゃえばいい。
285 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 17:02:29
一人で喚き続ける孤独な荒し↑
>>283 どうせ使ふんだつたら、ちやんと徹底して舊字體使ひなさいな。
287 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 17:20:12
>>256 これは酷い。落第!
一行目。農業増産に合せて人口も増えた。 米一石で人一人食えるから、本邦の總高千五百万石時代は人口も千五百萬、二千万石時代は人口も二千万。よって需給バランスは大略ずっと一倍で推移。なほ米価は長期的には上昇基調なので幾重にも間違ひ。
四行目、前段。武家は下郎を除き官学必須。なほ儒教でなく儒学。宗教でなく単に学問。質素倹約は武家の根本観念であり、儒学の影響ではない。その証拠に儒学採用以前の方がより質実剛健。
先人の贅沢を嫌うことは中々徹底していて、痴漢や泥棒のように卑しまれた。代表例が成金軽侮。
後段。奢侈禁止は法制化され、犯罪であった。犯罪であると言うことは、その背後に当該行為を否定する社会規範が存在する。
頼山陽「兵児の譜」でも諳んじて改心しなさい。
>>287 > 奢侈禁止は法制化され、犯罪であった。
財政難になったからだろ?
もうスレ違いの話はいいから。
289 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 21:13:16
米価について、江戸初期1石=約10両、江戸中期1石=約5両、江戸後期1石=約3両〜5両と習いましたが、間違いでしょうか?ネット検索でも概ね似たような記述ですが。
米相場は複雑だったようですから、振幅差は物凄かったようですから、上中下期の平均値は実勢を捉えるに役に立たないかもしれませんね。
290 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 21:58:36
旗本でも3000石未満で無役の者または、3000石以上でもお咎めを受けた者は
罰として「小普請」入りし、家禄ある浪人のような存在でした。
しかし、単なる家禄ある浪人であったわけではなく、規定の税金として
「小普請金(幕府の補修費の分担金的な)」を幕府に収める義務があった。
武家社会は貨幣経済を卑しむと指摘されている方もおられますが、幕府が
小普請金として、立派に貨幣として徴収(500俵〜1000俵は100俵に付き2両)
している事実があります。
恐らく、例外的な取り組みと説明するのでしょうが・・
反応して申し訳ありませんが、何か腹立つねん。
291 :
大學ヘ授:2007/05/15(火) 22:38:29
全面的に違いますな。
牢人とは主を持たぬ武士の謂です。よって主君を奉ずる者は牢人ではありません。
郷士を見れば判る如く、家禄の有無も関係ありませんが、征夷大将軍たる主を奉じ
家禄までも頂く者が牢人とは、かなり歪んだ認識です。小普請の上の寄合席でも大
名でも、無役の者は幾らでもいますが、誰も彼らを牢人だなどと思いません。武士
は軍務に就く軍人で、自余の御役は暇仕事ですから、無役の方が原則的典型的形態
です。そもそも武士は職業ではありません。身分です。身分は無役か御役かに影響
されません。近代英国のジェントルマンも無職で遊んで威張ってる男のこと。働い
たらジェントルマンではありません。近世武士の本務は軍役であり、役職になんぞ
就かなくとも宜しい。御三家以下諸大名、旗本多く無役ですが、誰も加賀中納言や
尾張大納言を牢人とは思いません。
小普請は元々人足を出して普請を手伝うものでした。それが人足そのものでなく
その賃銭を出すという形に変っただけです。大名も御手伝普請をしますが、だれも
これを税と思っていないように、小普請も税とは観念されて居りません。税なら税
の定義と観念あり、目茶区茶を言ってはなりません。
武家も貨幣経済の外に超然としていた訳ではありませんが、客観的に米遣経済で、
歳入の大半は米麦現物で入り、歳出もまた多く米遣ひでした。地租改正で納税が金
納になった、とは子供の頃から聞いているでせう。主観的にも貨幣経済大嫌ひです。
金銭に手を触れぬよう心がけ、勘定方は少し恥かしい配置でした。今日でも男が給
料袋ごと丸々妻女に渡すのは、この名残なる可し。
292 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 23:02:17
>>232 また封建経済は現物経済、米遣ひ経済で、貨幣経済に立脚しません。
と言い切るあなたのその姿勢に対して書き込みしているのです。
徐々に、「客観的に米遣経済で、歳入の大半は米麦現物で入り、歳出もまた
多く米遣ひでした。」と表現を変えても過ちを改めないその態度が許されない。
>>291 全面的に違いますな。牢人とは主を持たぬ武士の謂です。
ここに入っている者は全て、旗本・御家人(小普請)≠浪人くらいはは百も
承知だろう。何を寝ぼけたこと書き込んでるねん。
293 :
大學ヘ授:2007/05/16(水) 00:10:26
封建経済は現物経済、米遣ひ経済で、貨幣経済に立脚しません。
これは間違ひありませんし、徐々に表現を変えもしません。
「客観的に米遣経済で、歳入の大半は米麦現物で入り、歳出もまた多く米遣ひでした」てふ表現は何ら前記と抵触しません。
寝ぼけたこと書き込んでるねんは290「家禄ある浪人」
295 :
大學ヘ授:2007/05/16(水) 00:13:51
大体武士や封建体制、武家政権、そして幕藩体制は貨幣経済以前に成立したのですから、発足当初から貨幣経済に立脚していないぐらい判りさうなものです。
296 :
大學ヘ授:2007/05/16(水) 00:35:16
>>267 旗本の家格って寄合席と小普請に大別されます。
寄合席は概ね三千石以上。小普請は未満で、概ね固定的です。
寄合席では高家とか交代寄合を除くと、五千石以上かどうかが多少、意味を持ちます。
五千石高を超える御役が無いから、お役に就く場合は必ず引下げ勤めになるのです。
小普請も相当数の家来を譜代で召抱えている高禄者と、家族や一季半季の出替奉公人しか持たぬ小身者と同視できません。
二百石の士が町奉行になっても内与力を補任出来ないし、大御番御頭に就ても本陣の備えを立てられません。自前の軍勢が百人や二百人は欲しいところです。
同じ小普請でも禄高に何十倍の開きがあり、身分格式の喧しい時代なれば細分化されていますが、はっきりした境界線はありません。
番方は名誉の配置ですが、大御番でも平士は二、三百石です。
文語体はどうしたの?
必 死 だ な
鼻から湯気でてるぞ。
298 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 05:45:45
もしかして大學ヘ授は藩の専売制すら知らないんじゃないか。
こう書くと、事典に書いてるような定義を得意げに書いて反論したつもりになるのがこいつのパターン。
299 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 06:05:50
幕府の交替寄合から話が飛んでいる
300 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 06:31:52
>>293 寝ぼけたこと書き込んでるねんは290「家禄ある浪人」
私が小普請の者を『家禄ある浪人のような存在』と表現したのは、
小川恭一氏の著書の文中より、その言葉を採用したまでです。
小普請は3000石未満の旗本・御家人または以上のしくじり等のあった者
で無役の者をいいますよね。
小普請の者を「浪人のような」と表現したのは、無役ということを比喩し
たものであり、小川氏もそのように理解し表現していることだと思われます。
直参の小普請にも、家禄があると記載している以上、それは将軍家からの
支給であって、主家のない浪人はまさに家禄が誰からも貰えないのですよ。
ここに入ってくる方は、皆理解していただいていると思ったのですが・・
あなただけ、『家禄ある浪人のような存在』を小普請=浪人と読解してし
まったのですね。残念の極みです。(まっ、どうでもいいか)
301 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 06:39:55
朝から元気なスレだなあ。
俺も教授に同意。「家禄ある浪人」なんて噴飯ものの表現だな。
全く分かっていない。ナンセンス。
303 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 07:25:17
大學教授が解説するなら、もう少し丁寧に説明してほしいものです。
◇旗本の家格って寄合席と小普請に大別されます。
修正案:無役の旗本は寄合と小普請に大別されます。
◇五千石高を超える御役が無いから、お役に就く場合は必ず引下げ勤めに
なるのです。
修正案:五千石高を超える御役が無いから、お役に就く場合は引下げ勤め
になっていたが、享保期以降は、家禄との差額は足高により是正されました。
◇二百石の士が町奉行になっても内与力を補任出来ないし、
修正案:二百石の士が町奉行になっても内与力を補任出来ない状況にあり
ましたが、幕末の有名な幕臣であった川路聖謨の実弟の井上清直は、御家人
より昇格し、家禄200俵で町奉行にまで栄進した異例の人物です。
まさに、家禄200俵と職禄3000石との差は足高されていたのでしょう。
◇大御番御頭に就ても本陣の備えを立てられません。自前の軍勢が百人や
二百人は欲しいところです。
修正案:大番は3年に一回、大坂勤番または二条勤番に1年間勤める必要
があり、大番頭が番士を率いて東海道をゆく道中を「大番組往来」と俗
称され、勤番中は、別途で家禄同額を加算支給されていたので、負担は少
なかったとも言われています。
◇番方は名誉の配置ですが、大御番でも平士は二、三百石です。
修正案:番方は名誉の配置ですが、番士は200-300石が主ですが、
1000石台の大番士の家もありました。
304 :
大學ヘ授:2007/05/16(水) 07:38:20
論題に照し、全て無内容です。
武家の戦闘集団たる本質に鑑み、出替奉公人では御役が中々勤まらないのです。
譜代でなければ、殊に一季や半季の奉公人では主人の為に死にませんから。
足高で補っても、譜代の家来は一人も増えません。
これが問題の中心です。
負担がどうのと言う銭勘定の問題ではありませんから、貴説は完全に事態を見誤っています。
自余は単なる言掛りの荒し的行為。
例えば最終段。引下勤めがあるのは律令の昔から当り前でしかも直前で既述。
305 :
大學ヘ授:2007/05/16(水) 08:08:22
>>300 これも満身創痍と言いたいぐらい間違ひだらけです。
子供じゃないんだから「だって本にさう書いてあったんだもん」なんて言訳は通りませんぞ。
引用者の責任と言ふ奴です。
誰かがオウム麻原説を引用したとしたら、さぞかし罵倒されることでせう。
貴兄が出典を正確に理解引用しているのであれば、原著者も非難を免れません。
小普請とは現行法制、例えば民法の「造作」、造船の「艤装」です。
土木建築の中心にてはあらねど必要的付随的小工事の事。
小普請役とはそれに對せる無役小身のささやかな御手伝、義援金的貧者の一灯。
この貧者は小普請支配を触頭として小普請組の名で無役プールに登録されている。
小普請組は「3000石未満の旗本・御家人または以上のしくじり等のあった者で無役の者」でもないのです。
老年小普請、幼年小普請等が多数居ますから。
寄合、小普請入りは不名誉なものではありません。
寧ろ本来のあり方で、相続当初は大概これ。人によっては生涯これです。
武士は家来を養ひ合戦に備へ、すなはち軍役を果すのが任務で、あとはおまけに過ぎません。
無役でも本務を完遂していれば胸を張ったもの。
それを何ぞ浪人とは。
妄想家乙。
よって定義というか、根本観念からして貴兄の認識はずれてゐます。
306 :
大學ヘ授:2007/05/16(水) 08:28:55
歴史は流れですから、通史的理解が不可欠です。
試みに、人が空中に浮かんでる写真を見たとする。
これを飛上がってるととるか、落っこちてると見るかでは百八十度違ふのですが、この判断は前後の動きを見なければできません。
写真でなく動画でなければならぬのです。
ここにワカランチンが揃っているのは、前代、後代を知らぬからだと推測されます。
室町中期から貨幣経済が武家に浸透する流れが起り、貫高制、段銭等々になって表れましたが、これは戦国期以降粉砕され、再び農本主義に転じました。
貨幣無視の石高、楽市楽座が代表。
これを更に推進め完成させたのが徳川氏で、農本主義的、反商工業貨幣経済的傾向が顕著です。
これは江戸後期以降、段々時代に合はなくなりますが、徳川期一杯維持され、変革には明治を俟たねばなりません。
こうした大きな流れを知らないから珍説を妄想するのでせう。
天孫降臨から占領解除まで、通史で學びませ。
307 :
本郷 義昭:2007/05/16(水) 08:57:19
落第坊主を刺激するのでハンドルを改名し、文盲の恨みを買うので正字正仮名を控えます。
悪貨は良貨を駆逐する
>>288 奢侈禁止は幕初、戦国以前に遡ります。
例えば藤堂氏。
貞永式目や分国法を読んで武士の心得を学びましょう。
308 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 09:33:58
交代寄合で気になるのが米良氏で日向児湯郡米良領主、無石
菊池氏の流れをくむ名族といわれますが
林業などで生計を立てていたのでしょうか。
309 :
本郷 義昭:2007/05/16(水) 10:29:07
貧民史大先生は通史は兎も角、江戸時代史は一通り判っていました。
懐しいですね。
>>228 幕府組織のなかで「伏見奉行」「大番頭」は、大名が就任することがあった。
何故でしょう。
譜代重恩の家臣団が大勢居なければ勤まらないと見られる配置だからです。
武士は個人ではありません。
部隊長であり、武士団長です。
本人が凡庸でも家臣団の質と量に勝れば大きな仕事が出来るのです。
東照神君自身、そうして天下を取った人ではありませんか。
反対説は封建武士を個人のサラリーマンと混同していて困ったものです。
ここに大御番御頭、例えば水野山城守がいる。
山城守は他の御役は何も嬉しくなかったが、大御番御頭を拝命した時だけは感涙に咽び、御前にはいきして立てなかった。
大樹これを見て曰く、あれ見よ、鬼の眼にも涙じゃ。
或時乱心者殿中で抜刀刃傷に及び、人々逃る。
山城守一人端座平然茶を喫してして曰く、大番頭は逃げぬもの也。以上『甲子野話』
さてこの鬼山城の収入は将軍家から貨幣で貰うのではない。
何千石の知行所という領地で貰う。
その歳入は名も物成。
農業生産物の現物で入る。
家来への養いはどうするか。
これも目ぼしい者は土地か米で渡す。
これらは歳入の全てまたは殆ど、歳出の最多を占める。
基本的に米遣経済なのである。
310 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 10:42:14
旗本知行地ってさ300万石あるけど天領と一緒に幕府滅亡の時に新政府に没収されたの?
でも交代寄合も旗本だけど万石換算されて華族になったりして訳わからん。
311 :
本郷 義昭:2007/05/16(水) 10:45:05
>>126 大名の格付けは国主、准国主、城主、城主格、無城です。
よって小身の城主は大身の陣屋大名より上席です。
今日の宮中席次と同様、基準は単一でありませんが。
旗本になってたときの柳生って交代寄合?普通の大身旗本?
313 :
本郷 義昭:2007/05/16(水) 11:59:45
参勤交代制以前、したがって交代寄合制発足以前ですので無理な問です。
314 :
本郷 義昭:2007/05/16(水) 12:04:55
後年再び旗本になった時のことは個別史料に当たる必要が有りますが、既述のDATAは恐らく正しからん。
なほ誰であっても御役に就ているとき−柳生の子孫も大目付など努めています−は参勤せず。
315 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 13:09:30
将軍の剣術指南役も御役と言えますか?
剣術指南役は参勤交代しなくてもよい?
316 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 13:59:54
バカかこいつ
>>307 単に
「スイマセンぼく本当は無知蒙昧の低スキルです」
と公開しただけじゃない。
生きて死んで、何も残らない人生、資源の無駄。
旗本の場合、米で貰おうが何で貰おうが、自分らが食べる分以外はその場で札差に換金させちゃうんだから建前はともかく実
態は貨幣経済にどっぷり浸かってしまっていると考えるのが正解なんだと思うが?
越後屋(三井)へ米俵持って行っても反物に交換してくれないと思うよw
319 :
本郷 義昭:2007/05/16(水) 16:29:56
古い契約文書を読むと、約束を守らぬ者は商人だぞ、と書いてあります。
学者はこれを名誉の担保と呼びますが、とまれ 商人=詐欺師 なのです。
斯くも商を毛嫌し、社会の底辺に位置づけてるんですから、越後屋なんぞへ行かないのが期待される旗本像です。
>>319 スレ違いもいいとこなので、自分の日記スレッドに帰ってください。
せっかくの良スレッドが、あなたのせいで台無しです。
「およびでない」
「嫌われている」
「場違い」
どれかひとつでも理解できる言葉があったら、
どうかそのままPCの電源切って、二度とここには来ないで下さい。
321 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 17:30:13
荒しはスルー。
でもこれ以上荒しが罵り騒いで荒さぬように、スレ題を遠ざからぬよう注意しましょう。
>>320 「およびでない」
「嫌われている」
「場違い」
全部君のこと。
教授の講義は非常に為になる。
下郎どもの戯言などほっておいて是非お話を続けてください。
323 :
本郷 義昭:2007/05/16(水) 18:00:29
封建制が農業現物経済依存で、貨幣経済と相性悪いことぐらい知らないんですか?
洋の東西を問わないでしょうに。西洋史でも同じでしょ。
流通貨幣経済や商工業と折合付かなくて潰れちゃったんですよ、欧州封建制は。
これが解決には絶対主義体制を待たねばならかったでしょ。
それで参勤交代ですが、これは大名が好きで始めたものです。
封建は本来割拠体制ですから、各級武士は領地に割拠してました。
守護大名まではこれで良かったんですが、時代が下ると城下集住制に移行する。
戦国大名はこれを推進め、幕初までには大概の地域で実現します。
そうすると最上級武士たる大小名も、主君の城下に集住しないと不忠なように見える。
しかし半日一日で行着ける狭い私領内の御城下なら兎も角、千キロも千五百キロも先の江戸城まで引越したのでは領分を治められない。
その妥協の産物が参勤交代で、城下集住制の不完全形態とか、移行過程と見る人もあります。
参勤するということは、忠勤を抜きん出るということです。
武士の本質が戦闘員である以上、主君の城下を固め、危急に備えることは平時第一の任務です。
御役になんぞ就かなくても良いが、これだけはしなければ存在意義が無い、ということです。
という次第ですから、寄合衆が参勤したというのは、不自然なことではありません。
武士として当然の発想です。
但し旗本は定府ですから、寧ろ知行所の鎮めが直接的かも知れません。
でも拝領地を良く治め、固めるのも忠節のうちです。
荒しの皆さんも交代寄合衆に倣い、文武忠孝を心掛けましょう。
>>323 室町時代の守護大名は東国、九州を除いて京都に定府であり、
そのために守護大名の国元における統治力を弱め、戦国の下克上に繋がったそうですが、
室町時代には参勤交代のように京都と国元を行ったり来たりすることはなかったのでしょうか?
325 :
本郷 義昭:2007/05/16(水) 20:48:06
江戸時代は停滞の時代で変化に乏しく、身分格式の喧しい時代でした。武家
は合戦も無し本務で手柄を立てる機会無く、精々官位官職家格の上昇を心掛け
ました。そういう中で寄合衆が参勤交代するのは如何にも家格上昇でカッコイ
イですね。矢鱈算盤ずくで説明したがる人が見えますが、元々武士は経済原理、
まして金銭の損得勘定では動かない人たちですから、見当違いな臆測です。大
切なのは文武忠孝、名聞でした。
小職若年の頃も、商人や金銭への賎視は凄かったですよ。近所に大企業(現
存。東証一部上場)がありましたが、その創業社長に対して、近郷近在みんな
「オイコラ」式で話してました。警官も酷い目にあってましたな。敬愛された
のは軍人、官吏(公吏は駄目)、学者、教員、神官・僧侶。文武官では武官が
上。これはやっぱり御侍様ということでしたろう。丸腰はカコワルイ。
まして民間人はどうも‥‥ だいたい民間企業の勤め人は駄目でしたな。人
に使われるのは恥かしいことだったのです。銀行員も金貸しと馬鹿にされ、証
券は株屋、保険は保険屋、鉄鋼は鍛冶屋、造船は船大工、不動産に至っては千
三ツ屋、地主、大家も怒涛の勢いで見下されてました。
326 :
本郷 義昭:2007/05/16(水) 20:49:56
だいたい経済に対する理解薄く、商業に至ってはそれ自体マイナス・イメー
ジで、商業の語そのものが言葉狩に遭い、高等商業も名門彦根高商、既出の横
浜高商以下全て滋賀経済専門学校とか何とか改名されました。うっかり、この
地域の住民の生業は、なんて語り掛けようものなら怒鳴りつけられたものです。
「俗事で俺の耳を汚すな!」と。このような価値観を鼓吹している訳ではあり
ません。ただ、前代の価値観を語っているのです。
以上の次第ですから、封建武士が金銭蔑視でないなどというオダ話はトンデ
モ論。海軍大将内閣総理大臣岡田啓介も鈴木貫太郎も私邸はあばら家で有名で
した。鈴木邸なんてGHQの憲兵隊が呆然としたほどの「小屋」です。東條さ
んの屋敷も、いと畏き 御方が自動車で門前を通過され、余りの小ささに馬小
屋とお間違えになられたそうです。「東條は馬小屋を新築した」と。無論、母
屋だったのですが。
こうしたことはかえって武人の誉れでしたろう。皆さんはきっと重臣諸公よ
り豪邸にお住まいでしょう。大将、総理に勝る清廉と大活躍を望みます。それ
が叶わないならやっぱり、質実剛健の哲学は正しかったのかも?
327 :
本郷 義昭:2007/05/16(水) 21:10:33
>>324 室町時代の守護、守護大名の大半は元々と在地勢力でなく、貴人とはいえ或日突然落下傘降下した余所者でした。
また元、守護の仕事は暇でした。
よって任国へ行く意欲も薄かったと考えられますし、第一任国であって領国ではありませんでした。
前代の遙任国司を想起され度し。
その上戦乱続きで自由に或は頻繁に往来することは困難でした。
軍役は最優先で、観念的には本国防衛より重要です。
参勤交代のように京都と国元を定期的義務的に行ったり来たりする制度は無かったようです。
前提たる城下集住も、交通網も未発達でした。
室町衆以下大小名の出仕は、城下集住の一形態というより、元々任国の人でなかったから、縁の薄い遠国より重恩の君の御殿近くに留まったに過ぎないと言えるでしょう。
だから、平時には兵力動員かけませんでしたでしょう。
参勤は軍役の一種ですから、戦仕立ての筈です。
宿屋まで本陣と呼び、鉄板の上に寝たのもこの故です。
小職は守護には明るくないのですが如何?
小職はシュトルム・ウント・ドランク、疾風怒濤の嫌われ者だそうですから、明日から執筆量を激減させましょう。
みなさん、おやすみなさい。荒しの皆さんも、良い夢を!
328 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 22:57:32
本郷さん
私は、本スレをROMって学ばせて頂いてる者であります。
いささか本スレの傾向がスレタイと逸脱してきておりますことを懸念しております。
お題と異なる記述は、それがどのように価値が高いものであったとしても誰も読みません。
荒し行為とは考えておりませんが、本スレのタイトルは「交代寄合」であることを再認識くださいませ。
宜しくお願いします。
329 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 23:31:53
>>327 > だから、平時には兵力動員かけませんでしたでしょう。
そもそも平時に兵力動員がかかることなんてあるのですか?
戦争が起こっている(あるいは起こりそうである)から、動員するんじゃないんですか?
自分に「殿」ってつける自作自演、はじめてみたwwwwwwwwwwww
それと、ここまで長文垂れ流す「スレ違い」も。
331 :
日本@名無史さん:2007/05/17(木) 07:22:37
>>309 「伏見奉行」「大番頭」は、大名が就任することがあった。 何故でしょう。
譜代重恩の家臣団が大勢居なければ勤まらないと見られる配置だからです。
→大御番は12組から構成されていて、各組には番頭1名、組頭4名、番士50名、
与力10名、同心20名が所属していた。番頭の家中の者が構成員となっていた
のではない。
>>323 封建制が農業現物経済依存で、貨幣経済と相性悪いことぐらい知らないんで
すか?
→誰が何番目で、「…相性が良い」といっているのか?
>>325 元々武士は経済原理、まして金銭の損得勘定では動かない人たちですから、
→田沼意次の時代は賄賂政治であり、付け届け社会が度を越した
>>326 封建武士が金銭蔑視でないなどというオダ話はトンデモ論。
→封建社会が貨幣経済に突入と言っているが、「封建武士が金銭蔑視」は
何番に記載している内容でしょうか。
教授良いことも書いてるんですけどね。
どうしてもサラリーマンに引きつけて見てしまいがちになる近世武士の異なる点を強調す
るのは有益なことでしょう。
ただこの方は世の中には本音と建て前があること、原則には例外が付き物ってこと、制度
も慣習も時代により変化するものだってこと、そう言う認識が欠けていて教条主義的と言
うか頑ななところがあるのが残念です。
下郎史観の連中が必死に食らいつくも、軽々とかわし逆に痛烈な一撃を放つ教授。
優劣は明らか。
334 :
本郷 義昭:2007/05/17(木) 10:16:01
幕府が軍事政権であり、武家が戦闘組織であり、武士が軍人であるという本質上、軍役は全ての根本であり、当然常住坐臥忘れぬ所です。
軍役規定があり度々改定されていますが、前に紹介もされたように、概ね百石に就き(主人とは別に)二人強。
各石高毎に馬幾頭、槍幾筋、鉄砲幾丁、弓幾張、手替り幾人と詳細に決まっています。
これを動員時に欠くと禄盗人となり処分対象となる。
武家の御高、俸禄は全く軍勢養はんが為のものなのですから。
動員は今日の軍、警察、消防から村の消防団同様、しばしばです。
有名なものでは徳川家光の上洛。三十万の大軍が供奉しました。
馬揃えは頻繁で、鷹狩りも軍事演習の含みがあります。
動員時以外でも、軍事勤務の場合は規定通り揃える。
何でもない時、何でもない人も常にこの拘束下にあり、呑気な日々の登城でも供揃は半数揃へる。
千石の旗本なら十人強率い、但し平装にて御城へ上る訳です。
浪人は格別、武士に供を連れぬ者はありません。
微行でも数人は連れる、武士とも言えぬ足軽同心ですら出番には二人ぐらい率いて乗出します。
町与力だって出役には−部下でなく−自身の家来四、五人引連れ騎馬で槍を振う。
その為にこそ日頃槍持に槍を立てさせて出仕しているのです。
二百俵なり八十石なりの御扶持は、これで小部隊養い置けよ、ということですから、一人でのこのこ出て行ったら大変なことになります。
以上は単なる建前でなく、瓦解まで維持、執行された法制です。
335 :
本郷 義昭:2007/05/17(木) 10:59:26
以上で大体答えたと思いますが、331冒頭は余りにも酷いので特に附言し置きます。
板倉内膳正が天草島原を征した際、大将重昌は大坂陣以来英名高き武将、率いる軍勢は数十万の大軍なるに関らず攻城甲斐無く、戦局さっぱり進展せぬまま敢無き討死。
理由は板倉侯が小身代で家来二百人しか率いて往けなかったからだと、三百何十年言われ続けています。
一番強そうだからこそ總大将と仰がれるので、一番弱そうな最小規模大名−当時の用語では小名−を一片の辞令で総司令官ったて誰も聞きやしません。
義円が尾張の戦場で平軍へ突撃した時、居並ぶ源氏の大軍誰一人後に続かず、見殺しにしました。
義円は単騎突入して忽ち討たれました。
皆、頼朝公の家来で、義円の家来でなかったからです。
そうして義円は一人の家来も持たぬ人でした。
譜代重恩の家臣なればこそ主君の一令の下水火を辞せず死地に投ずる。
主人なればこそ身を楯にして鉄砲玉を食止め、君なればこそ死を共にする。
主君討たせて家来はおめおめ帰れません。
家来は家中ですが、与力、部下は家来でありません。他人。
本陣は他人や外様が固めるのではない。旗本が固める。
旗本の語はそもそもこれが語源です。
大御番御頭の本陣は大御番御頭の家来が固める。
外様、他人が固めたら異常事態です。
他人は軍議の時でも無い限りいません。
336 :
本郷 義昭:2007/05/17(木) 11:01:36
織田信長が石山を攻めると言うのは、一人で攻める筈も無く、自前の軍勢−手勢で攻める。
それを、信長が攻める、というのです。
赤穂城受取を命ぜられた脇坂、木下両侯は、大公儀から与力や軍勢付けて貰える訳ではありません。
全部自前の人数でやるのです。
そうして、公命下す方も石高−常備兵力計算した上で所要兵力量を十分に満たすと見て指名しているのです。
これは臨時突発の勤務でしたが、軍務は元々臨戦態勢。
防衛省は有事即応と言ってますから、急なことでと言う言訳は通りません。
どこの世界にのんびりゆっくりの合戦があるか。
戦は急に決まってます。
つまり常備兵力は実際に常備だったのです。
まして大御番御頭は常勤の番方です。
必ず軍役規定を満たす軍勢率いて就任します。
然らざれば家は断絶、身は切腹、明日の命もありますまい。
強制されなくったって精々人数を整えます。
板倉侯は二百何十人率いていてもあの様。それをひとりでのこのこ出掛けては義円になってしまう。
大御番の軍勢の四半分から半数程度は御頭自身の手勢で、これが本陣の備えと成り、主将の側近を固めます。
司令部とその付属部隊、決戦部隊を構成するのです。
この人数、比率は石高、軍役規定によって−定数としては−自動的に算出できます。
実際には定数を上回るよう更に努力します。
荒しが騒ぐので、今日はもう書きますまい。
皆さん、ごきげんよう。
337 :
日本@名無史さん:2007/05/17(木) 11:05:39
>>335 源範頼や義経はろくに領地も家臣も持たぬ部屋住みの身分ながら大軍を率いて逆賊どもを倒滅しましたが。
江戸幕府の制度が役職任用者の家臣の存在を前提に組んであるという指摘は正しい。
その家臣が譜代である方が気心も知れているし信用も出来るというのもわかる。
ただ新規採用でも絶対ダメってことはないよな。それでは抜擢人事が不可能だから。
それと前提がそうであっても、次第に現実に逆らえず崩れていくのは止めようがない流れ。
もちろん幕末に至っても完全には崩れてはいないけれど、
やはり盛時に比べればかなり形骸化していたのも事実。
歴代役職に就いていたような家でなければ、どうしても家臣を削らざる得ないでしょう。
結局原則論と現実を言い合うだけで議論がかみ合ってないような。
339 :
日本@名無史さん:2007/05/17(木) 12:04:06
>>334-336 だからスレ違いのオレ論を、延々と垂れ流すな。
”迷惑”という言葉が理解できるか?
↑
荒らしウザイ
342 :
日本@名無史さん:2007/05/17(木) 16:18:14
全く見るからに異常者だ。
罵声のみを放つ、内容は何も無い、異様にスペースをとる・・・・・・・
迷惑でスレ違いな粘着、大変態w
344 :
日本@名無史さん:2007/05/17(木) 18:42:31
レベルの高い荒れ方だな。みんな中々の論客揃いだ。
松前って交代寄合を経たってことだけど、それだと譜代なの?
なんか幕末頃に寺社奉行とか老中格とかなってるし。
347 :
日本@名無史さん:2007/05/17(木) 21:24:49
幕末には、永井尚志・大久保忠寛・竹中重固など、万石未満の旗本が大名役
の若年寄に就任している。
また、外様の松前崇広も西洋通とのことで寺社奉行から陸海両軍総裁を経て
幕末には、永井尚志・大久保忠寛・竹中重固など、万石未満の旗本が大名役
の若年寄に就任している。
また、外様の松前崇広も西洋通とのことで寺社奉行から陸海両軍総裁を経て
老中にもなっている。
しかし、旗本役は足高により職禄と家禄との差を支給してくれているが、
大名役はほとんどが、役料がない名誉職であり、家計はますます苦しくなっ
た。でも例外もあるもので、大坂加番は役料1万石が、
大坂定番は御役料3000俵が支給されていた。
349 :
日本@名無史さん:2007/05/17(木) 23:16:24
随分な乱文だな。
武士は商売でないとあれだけ言われてもまた算盤ずく損得勘定の話か。
足高と役料は違うぞ。
第一、相当高が決まってないんだから差額を算出できず、足しようも無い。
350 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 05:14:32
せっかく交代寄合の話に流れかけたのに、バカ2人のせいで台無しだ。
351 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 07:25:54
交代寄合から外様大名となった松前藩主は老中を務めるなど、
いろいろ例外もあったのではないでしょうか。
例えば、旗本の出自を整理すると・・
@関ヶ原の戦い以前から徳川家に臣従していた家(三河時代からの譜代の家など)
A関ヶ原の戦い以後に臣従した家(主として外様系)
B綱吉、家宣、吉宗の旧家臣で宗家入り時に召しだしの家
C大奥関係(御台所、側室など)の縁故で召しだしの家
D名族優遇家(高家、交代寄合の衆)
E大名より格下げの家(譜代系、外様系)
F大名より分知された家(譜代系、外様系)
G技能による召しだしの家(武道、能楽、儒家など)
H幕初の外様大名からの召しだしの家(附属与力の逆?)
I大名等改易時にその重臣の召しだしの家
J御家人より役職有能者の家
Kその他
松前は、蝦夷地という地理的な特殊性と当時の藩主が西洋通であったことで
寺社奉行から老中となったものを輩出したのだろう。
352 :
本郷 義昭:2007/05/18(金) 11:51:29
大身にはF大名の分家は非常に多く、影響力も大きかったのですが、忘れられ
がちですね。
さて、此処に八千石の交代寄合本郷氏があったとする。大名並に陣屋を構え、
槍を立て参府して結構なご身分である。この結構なご身分は如何にして獲得した
か? 金を貯めたからか? 商工業に励んだからか? 財政改革借財返済に成功
したからか? 否、主家の興隆と我槍先で稼ぎ出したのである。
八千石の領知を脅かすものは何ぞ。財政赤字か? 貧困か? 断じて否。大は
主家の滅亡と、小は唯文武忠孝に怠りありてぞ亡ぶ(無嗣絶家も忠武の怠りと見
得る)。
先年荒し壊滅の刑罰スレで書いたかも知らねど、或時大和郡山城主柳沢氏と三
河岡崎侯の足軽同士が江戸城大手前で争い、汝の主人は二十万石と雖も畳の上の
出世なり、我等が主君は五万石なりとも戦場槍先の功名なり、と怒鳴られ柳沢士
すごすご引き下がったのを松浦静山侯「愉快」と書留めています。
何でも銭金で見たがるのは現代と言う病める時代の病弊です。西洋騎士が資本
主義者でも人権論者でもない様に、本朝武士も財政家やサラリーマンでありませ
ん。時代の精神というものを理解せねばなりません。
353 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 12:09:43
簡潔にまとめられないのか?
354 :
本郷 義昭:2007/05/18(金) 12:48:13
>>337 三河守範頼や判官義経は朝廷の御権威と清和源氏嫡流の血に助けられ辛うじて
兄の代官を勤めましたが、何れも統率に成功したとは申せません。一々逆らわれ、
二人とも終りを全うしませんでした。相応の身代があり、郎党を率いていればあ
あはならなかったでしょう。九郎殿の挙兵に誰も応じなかったこと、あれ程縁の
濃かった奥州藤原氏が矛をさかしまにしたこと、その中で郎党悉く勇戦奮闘死出
の旅路の供をしたことは寧ろ貴説を否定する証といえましょう。
>>338 これは或程度承認し得ます。
でも武家にとって最大問題は戦の強弱で、武家の強さは詰る所、家之子郎党の
結束なのです。あなた方は武家興亡の原理や戦争の現実を知らず、平時机上の個
人の小才のみを見て抜擢がどうの貨幣何のと論う。徳川氏が天下を取ったのは財
力や黄金によってではない。豊臣氏が亡んだのは小判が不足だからではない。徳
川覇業を助けた戦場往来の士は綺羅星の如く名を揚げ家を興しておれど、裏で貢
献したかも知れぬ勘定方なんて名前も知れない。徳川氏が欲したのは鳥居元忠や
強右衛門であって、算盤男ではありません。
>>352 >>354 うるせーバカ。
バカが俺自慢しながらスレ違いの長文垂れ流すなよ。
お前という嫌われ者一人のせいで、みんなが鼻つまみながら去っていくんだよ。
356 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 14:19:59
>>344 教授は論客ではなく酔客なんだが・・・。
357 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 14:51:12
荒しは弱者の悲鳴 ↑
だとしたら、ずいぶん長文&連投で荒らす弱者だな
359 :
本郷 義昭:2007/05/18(金) 17:54:17
一行荒しの皆さん今日は。
士族の商法という言葉をご存知でしょう?
御一新後になっても、武士は商売なんぞ判らなかったということです。
まして江戸時代に判る筈が無い。
士族の商法の中身を調べると、商いとか利殖とか経済ということと余りにも疎遠な、崇高な精神に驚嘆します。
武士の経済観は「農者國之大本」「常在戦場」これに尽きます。
明治の御代でしたか、学校で勤倹貯蓄を教えたら、
「武士の子に金を貯めることを教えるとは何事だ!」
と怒鳴り込んだ御仁もある。
借金を返そうとしら消滅時効で債務が消滅して居り返せず、
「民法といふものは怪しからぬものぢゃ!」
と怒った陸軍高官もありました。
借金を負けて貰っては武士の一分が立たぬのです。
武家の家中には財政家もいないではありませんでしたが、以下に算盤優れていようと終りを全うしていません。
田沼荻原調所以下の末路をご覧あれ。
この手合を抜擢することは御家騒動の種のみ。
財政赤字なんて所詮大したことではありません。
武家千年の歴史に、赤字で潰れた武家は無し。
北鮮をご覧あれ。金は無くとも大暴れ。
武力>財力
360 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 19:18:09
アホらし(-.-;)
361 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 20:04:36
薩摩では、武士の体面を保てなくなった郷士は山にこもって徹底的な倹約生活を送り、家計がなんとか持ち直すまで
何年でもそれを続けた。
旗本株や御家人株の売買が行われていたことも有名。、勝海舟の家が、数代前に旗本株を買ったとか、坂本竜馬の
数代前が土佐の郷士株を買ったとか、いくらでも話があるだろ。家はつぶれなくても、金のために家系を商家に乗っ
取られた家は少なくあるまい。
畿内近辺の各藩の財政史を見れば、どれだけ大名や家臣たちが金で苦労したかが良くわかる。いくら大名が権威を
振り回そうと、大坂の豪商はおろか、領内の豪農相手でも、完全に不良債権化した大名貸しに参入させるには限度が
あった。畿内では、田沼の政策以降、藩や旗本は完全に貨幣経済に飲み込まれていた。
各藩は経済危機打開のために、倹約を主な手段にしていたが、貨幣確保のために専売制を試みた所は多かった。
御三卿の雄である一橋家が、渋沢栄一を重用して木綿の専売化を図った話は広く知られている。
建前だけで腹は膨れない。江戸期の武士はそれが身にしみていたことだろうよ。
そもそも交代寄合ってなんのために作られたの?
363 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 20:56:10
>>361 もうやめとこう。わかる相手ではないので。
>>362 他サイトの文中転用ですがこれが正解かと思います。
なぜ旗本が参勤交代を行ったのか? それは、幕府が便宜上、大名の家臣を
除く万石以下の侍を、旗本の中に組み入れてしまったために、徳川家譜代の
家臣だけでなく、中世豪族の生き残りや大名になりきれなかった戦国武将、
外様大名の分家、没落した名門の子孫など、本来大名になるべき経歴を持つ
人々まで旗本になってしまったためです。
参勤交代は、大名が行うという法令は出されておらず、細かい規定がないまま
慣習化されてしまったため、彼らは自家が大名待遇であることを誇示すること
ができることから、参勤交代を始めそれが定着したようです。
364 :
361:2007/05/18(金) 21:48:34
365 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 22:31:30
交代寄合は自己申告だったのだろうか?
普通の旗本の中には交代寄合よりもそれらに該当する家もあるのに
366 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 22:58:24
@関ヶ原の戦い以前から徳川家に臣従していた家(三河時代からの譜代の家など)
・阿部、本多、榊原、大久保一族など
A関ヶ原の戦い以後に臣従した家(主として外様系)
・織田、木下、土岐、一色家など(交代寄合と重複)
B綱吉、家宣、吉宗の旧家臣で宗家入り時に召しだしの家
・柳沢吉保、加納久通、間部詮房など
C大奥関係(御台所、側室など)の縁故で召しだしの家
・稲葉正勝(春日局の子でのちに小田原藩主)、鷹司信平(家光正室の鷹司孝子の弟)など
D名族優遇家(高家、交代寄合の衆)
・吉良、品川、大沢、一色など
E大名より格下げの家(譜代系、外様系)
・菅沼、生駒、最上家(交代寄合と重複)など
F大名より分知された家(譜代系、外様系)
・溝口、五島、伊東家(交代寄合と重複)など
G技能による召しだしの家(武道、能楽、儒家など)
・林羅山、狩野探幽など
H幕初の外様大名からの召しだしの家(附属与力の逆?)
・???
I大名等改易時にその重臣の召しだしの家
・???
J御家人より役職有能者の家
・川路聖謨、井上清直など
Kその他
・???
367 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 23:24:25
何の分類?
368 :
本郷 義昭:2007/05/18(金) 23:27:29
建前だけで腹は膨れずともなほ「武士は食はねど高楊枝」
武士の質素倹約はいっそ哲学ですからな。
善美なるかな質実剛健。
今日も名門校の効果に謳われる質実剛健はこの名残です。
貧乏に負けぬもの、これぞ武士の子。
幼き日の勝海舟も大晦日の晩、橋の上で「勝麟太郎は乞食ではないぞ!」
と叫んでいましたが、貧困が何の妨げにもならず堂々の海軍総裁。
貧しい薩摩の芋侍も七百万石の徳川氏を討って回天の大業を遂げました。
越南戦争時、米軍情報部は奪取した陣地を調べベトコンの貧しさに驚いてベトコンの崩壊間近を報告しましたが、結局勝者はベトコン。
生れた時から貧乏なベトコンにとって、それは普通の生活水準で、何ら崩壊過程を意味しなかったのです。
小職は武家に金が余っていたとか、貨幣経済が進展しなかったとか言っているのではありません。
世間で貨幣経済が進展したからこそ、本質的にその圏外に立つ武家は取残された、取残された所で米遣経済に立脚する武家には致命傷とならない。
そもそも経済は最大因子ではない、世の動きをけいざいからのみ見ること自体誤りで、武士も経済に関心が無い、と言っているのです。
これは今日まで残っているでしょう。
如何なる大企業の社長も、官庁へ行けば課長級にしか応対して貰えません。
単なる金持なんか世間から相手にされませんし、真人間は金の話をしません。
学生の就職も民間は格下です。
369 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 23:28:27
370 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 23:32:27
>>368 ごめんなさい。貨幣経済にこだわった私が間違ってました。
誤ります。だから、本論に戻りましょう。
371 :
本郷 義昭:2007/05/19(土) 00:23:54
>>361 郷士は遠い鎌倉の昔の武士の形態を残したもので、そんなものは江戸時代、余程
の僻地以外残って居りません。シーラカンスか古代蓮で、徳川氏には存せず、幕藩
体制からはみ出して居り、正規の武士と呼び難いもの。まず田舎百姓の兄貴分です。
武士の株の売買は幕末、庶民と近い身分の軽輩、すなはち足軽=同心のことです。
これも犯罪で、旗本がやれば極刑、下郎はどうせ在村名主層の出自なれば黙認です
が、それでも必ず養子の体裁をとらねば殺されます。なほ沿革的に見ると、軽輩は
庶民と通婚していた為庶民に血縁者を持ち、これを養子に迎える相当性が存したの
です。勝家もたかが御家人ではありませんか。狭義の武士ではありませんぞ。旗本
みたいに法螺を吹いてはいけません。
御三卿は大名でも旗本でも御家人でもなく、したがって領分も知行所も給地もあ
りません。領民一人も無く、自前の家来も無いといって大過ありません。この事情
をご存知無きや? 本件論争に於て御三卿を引くというのは自滅的です。
小職は専売制が無かったなどと申しておりません。でもそんなものは所詮小さな
副業収入です。大名旗本は初めから商業で成立っていません。副業と申せば、武士
は農、工を副業とすることは黙認されていましたが、如何な軽輩と雖も商には従事
できません。四民の師表たるに相応しからぬ賤業として厳罰に処せられます。近年
も公務員が風俗営業やって逮捕される例がありますな。
372 :
本郷 義昭:2007/05/19(土) 00:34:16
>>362 既述の通り、参勤交代は直臣たちが好きで始めました。忠勤の証として。これは
大小名旗本、皆、同じです。そもそも大名、小名、旗本の区別が初めから截然とあ
った訳ではありませんから、当初、直臣という点で同列だったのです。現実問題と
して給地百石持の御家人なら兎も角、九千九百石の旗本と、一万石の大名の間に有
意の差はありませんでした。
>>363 旗本の定義は、万石未満の直臣で御目見の資格有るもの、です。多少異る定義を
立てる人もありますが、それにしても貴説は整理された理解と申せません。徳川氏
は「大名の家臣を除く万石以下の侍を、旗本の中に組入れてしまった」訳でもあり
ません。徳川家臣団に編入するかどうかの決定権は当然ながら徳川氏にあり、片端
から引取った事実もありません。
旗本とは要するに大名の小さなものであって、貴分類は何ら旗本に特有でなく、
大名に就ても当嵌ります。同じ事情で366もまた大名に対して概ね妥当します。
贅沢は心身を蝕みます。暖衣飽食は人を鈍らせます。東照神君も、装い華美な
武者は必ず弱いと怒っていました。金を卑しみ質素を旨とした父祖の伝統に立ち、
剛健の意気高らかに年収二百万円時代を生抜きましょう。
373 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 00:44:29
本郷 義昭って人さ、出てってくんないかな?
374 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 01:01:57
>>371 勝家は旗本です。御家人ではありません。
375 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 01:04:15
このスレに飽きてどっか他のスレに行ってくれるのを待つしかないよ
376 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 05:29:02
>>374 反応はしないつもりだったけど、決定的な間違いだよね。
勝家が御家人だって・・プッ!
377 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 07:12:50
>御三卿は大名でも旗本でも御家人でもなく、したがって領分も知行所も給地もありません。
旧高旧領取調帳でもめくってみろ。10万石分の村々が幕領から割かれていたことが確認できる。
ちゃんと出張陣屋も構えて、通常は幕臣から御三卿の家に派遣された代官が領内経営を行っていた。
つーか、渋沢栄一の業績を当たる能力も無いようだな。
>本件論争に於て御三卿を引くというのは自滅的です。
お前馬鹿だろ。
378 :
本郷 義昭:2007/05/19(土) 07:54:41
朝からご苦労さん。
それは畏きあたりの御料所と同じです。
そもそも御三卿を大名だと思っているのです可?
三家と言わず敢て三卿とのみ呼ぶのは一橋田安清水が家を為さず、将軍家の家族の一員に過ぎないからです。
一橋の家老も番方も「代官」も、皆将軍家の旗本で、一橋の「家臣」ではありません。
数年経てば転出して行く一橋様附に過ぎません。
379 :
本郷 義昭:2007/05/19(土) 08:09:41
渋沢栄一翁自身は一橋慶喜家臣と言って良いですが、それも武州血洗島の百姓の倅だったからです。
なほ勝家は四十俵の御家人です。
元々粗探しや揚足取の根性が間違っていますが、基礎学力を書くとそれもできません。
「決定的な間違い」を犯さぬよう勉学に励みましょう。
朝から口汚く騒ぐ暇があったら文武忠孝にお励みなさい。
おやおや、日東の快男児・本郷義昭さんですか?
こんなところで油売ってないで、亜細亜の曙のために戦って下さい。
また文盲派が赤っ恥をかいたかw
383 :
本郷 義昭:2007/05/19(土) 08:34:54
>>370 これは笑ひ申した。了解。最後に一言附言します。
戦後の人はマルキシズムの影響などから物事を経済的に見勝ちですが、これは現代歴史学界の弊風と見るべく、学問は予断と偏見を去って中立的に観察せねば売る所乏しい。
世の中を動かす因子として、経済なんぞ大したものではありません。
まして封建の世は貨幣を汚物、それを扱う者をエンガチョと見ますからお忘れ無く。
手を触れると身の穢れなので、扇で受けるなどして直に触らなかったぐらいです。
今でも懐紙に包むのはこの名残ならん。
募集広告に、当社規定により優遇、とあり給料不明ですが、金の話をするのは下品なので触れないのです。
小職も某大学から招かれたとき、俸給額知らずに着任しました。
今日、都会で土地買って家建てたがるのが田舎出の人であるように、往時、金欲しがるのは商人のみ。
職人ですら「宵越しの金は持たない」
学力劣等の荒しが騒がぬよう、四拾俵を四拾石、家臣を臣と註し置きます。
では思う存分交代寄合の話をどうぞ。
また明日。
>>379 >>なほ勝家は四十俵の御家人です。
決定的に間違っていますよw 海舟の生まれる以前から御旗本ですよ
基本書中の基本書たる『寛政重修諸家譜』もご覧になっていないのですか??
385 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 09:52:48
本郷とやらの論点ずらしを晒し上げておこう。馬鹿を相手にするとろくなことがないという自省も込めて。
>>361 各藩は経済危機打開のために、倹約を主な手段にしていたが、貨幣確保のために専売制を試みた所は多かった。
御三卿の雄である一橋家が、渋沢栄一を重用して木綿の専売化を図った話は広く知られている。
>>371 御三卿は大名でも旗本でも御家人でもなく、したがって領分も知行所も給地もあ
りません。領民一人も無く、自前の家来も無いといって大過ありません。この事情
ご存知無きや? 本件論争に於て御三卿を引くというのは自滅的です。
386 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 09:54:00
>>377 >御三卿は大名でも旗本でも御家人でもなく、したがって領分も知行所も給地もありません。
旧高旧領取調帳でもめくってみろ。10万石分の村々が幕領から割かれていたことが確認できる。
ちゃんと出張陣屋も構えて、通常は幕臣から御三卿の家に派遣された代官が領内経営を行っていた。
つーか、渋沢栄一の業績を当たる能力も無いようだな。
>本件論争に於て御三卿を引くというのは自滅的です。
お前馬鹿だろ。
>>378-379 朝からご苦労さん。
それは畏きあたりの御料所と同じです。
そもそも御三卿を大名だと思っているのです可?
三家と言わず敢て三卿とのみ呼ぶのは一橋田安清水が家を為さず、将軍家の家族の一員に過ぎないからです。
一橋の家老も番方も「代官」も、皆将軍家の旗本で、一橋の「家臣」ではありません。
数年経てば転出して行く一橋様附に過ぎません。
渋沢栄一翁自身は一橋慶喜家臣と言って良いですが、それも武州血洗島の百姓の倅だったからです。
387 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 09:57:33
並べるだけじゃわかんないよ。
何も問題無いように見えるぞ。
一人合点してないで解説して。
388 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 10:06:09
>385−386
学力劣等者のたわごとを教授が豊富な学識、優れた弁舌で一蹴しているのがよく分かるね。
390 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 10:35:26
渋沢栄一は、慶喜が一橋卿であった時代は確かに公式の幕臣ではなく、
平岡円四郎(旗本)の陪臣の資格(ただし慶喜にお目見えはしている)で活動していたよ。
まあ、慶喜が将軍になってからは微禄ながら正規の幕臣となってるけど。
あと原市之進らは幕臣ではなく水戸藩から出向してきてるな。
このへんは変則的というか、微妙。
391 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 10:39:33
つまり教授のゆう通り一橋「家」の「家」臣はいないわけね?
392 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 11:59:39
将軍家の部屋住みみたいなもの3卿
393 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 12:09:54
当たり前のことだが、教授の言うことのほうが正しい。
文盲派の主張はデタラメ。
なんだ本郷某ってのは狭儒の変名かw
勝海舟の家が御家人って、いったい何? 正真正銘『旗本』ですがなww
くされ教授も堕ちたな。旗本・御家人の区別もつかんとは・・
またまた都合わるくなりと、だんまり決め込んで、しばらくしたら
こっそり復帰か、いつもの手だな>凶儒先生
その上、コテ外して自作自演・自画自賛
ワンパターン、ワンパターン
399 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 12:50:14
>>378 一橋の家老も番方も「代官」も、皆将軍家の旗本で、一橋の「家臣」ではあ
りません。
御三卿の家臣には、諸太夫(従五位下)の家老と、以下「側用人」「番頭」
「用人」「旗・長柄・物頭・郡・勘定の各奉行」などの重職者がいて、
それらの者は、御附衆と呼ばれる、正真正銘の幕臣席の者達で、役料も幕府
と御三卿家から支給されている立場でした。
しかし、10万石格の家を維持するには、これら重職者のみで構成できず、
御三卿家が独自で家臣を多数採用し構成していました。これら下級の家臣は、
幕籍に名がなく、この意味では『…皆将軍家の旗本で、一橋の「家臣」では
ありません。』は、少し言い過ぎかもしれませんね。
400 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 12:59:31
まあ、こうやって向上していけばいいんだよね。
本郷さん、あんまり気にしないでね。
401 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 13:08:51
それはみんな稟米の軽輩ばかりでしょ。
中位以上の侍がましい身分はみんな幕臣。
御三卿に領分が無い以上、地方知行できず、こうならざるを得ない。
教授も分かってて『無いと思って大過ない』って書いてるぞ。
403 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 13:19:52
幕臣出向組の他に「御抱入の者」も確かにいたようだね。
石高10万石は賄い料。
本郷さん、海舟の家を御家人と立証できない限り、二度と書き込まないでね
本郷さん、おおいに気にしてね
正式な訂正をお待ちしますよ
405 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 13:56:02
交代寄合スレなんだしお目見え以下の下級者を除外するのは当りまえ。
お目見え以上の身分は幕府からの出向、領地も無い、大名じゃないという教授説通りでおk?
406 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 14:02:01
>405 日本語でおk
>交代寄合スレなんだしお目見え以下の下級者を除外するのは当りまえ。
それはひいきの引き倒し
本人は多少頑ななところはあるけどまあそれなりに有用だけど、信者はうざい。
409 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 14:10:26
410 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 14:10:59
411 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 14:33:53
412 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 14:38:01
>>405 交代寄合スレなんだしお目見え以下の下級者を除外するのは当りまえ。
お目見え以上の身分は幕府からの出向、領地も無い、大名じゃないと
いう教授説通りでおk?
↓
交代寄合のスレというなら、明らかに異なる、御三卿の家臣の話を持ち
出すなよ。
413 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 14:40:41
>>404 普通の神経があるなら、もう二度と書き込みができないだろう。
それとも、変名をまた名乗って現れるか〜
414 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 14:48:50
>>366 H幕初の外様大名からの召しだしの家(附属与力の逆?)
・???
I大名等改易時にその重臣の召しだしの家
・???
この?? ってどんな家があったか知ってる人いない?
415 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 14:49:08
また明日書き込んで文盲踏み潰すに決まってるじゃん。
文盲こそたった一人で連呼してるんじゃないんかw
416 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 15:03:50
寛政重修諸家譜(続群書類従完成会本だと第22の325頁)に載ってる勝家を
いまさら御家人だとかノタマワル大教授とその分身に文盲よばわりされても
『屁でもない』ね
417 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 15:12:11
その程度の根拠だといとも簡単に蹴散らされそうw
418 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 15:16:09
>>417 どうぞ、どうぞ蹴散らしてくれよww 待ってるぞ
419 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 15:23:38
教授とやらも存外アホだよな
「すみません、間違ってました。御教示感謝します」
と言えば済むものを、信者のふりして
ごまかす算段か
420 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 15:31:12
教授とかいうやつ、あれほど分かりやすすぎな自作自演も珍しい。
422 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 18:04:30
423 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 19:00:26
424 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 19:13:25
禿同。
刑罰スレの昔から留守を狙って暴れる空き巣根性だった。
文盲派って教授がいなくなると必死になって荒らすんだよね。
で教授が出てくると蜘蛛の子を散らすように退散。
ときどき教授のカキコにあららしき物を見つけると鬼の首を取ったかのように大騒ぎ。
でも教授にあっさり蹴散らされて意気消沈して退散。
これのくり返しwいい加減学習しろよw
>>371 :本郷 義昭 :2007/05/19(土) 00:23:54
>>勝家もたかが御家人ではありませんか。
>>379 :本郷 義昭 :2007/05/19(土) 08:09:41
>>なほ勝家は四十俵の御家人です。
>>425 >>教授がいなくなると必死になって荒らすんだよね。
いないんじゃなくて、糞コテはずして二役・三役www ごくろうなこった
397 :日本@名無史さん :2007/05/19(土) 12:39:21
またまた都合わるくなりと、だんまり決め込んで、しばらくしたら
こっそり復帰か、いつもの手だな>凶儒先生
398 :日本@名無史さん :2007/05/19(土) 12:42:03
その上、コテ外して自作自演・自画自賛
ワンパターン、ワンパターン
429 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 20:15:31
本郷先生、勝海舟の件は不問としますので、以下の件でご教示ください。
H幕初の外様大名からの召しだしの家(附属与力の逆?)
・???
I大名等改易時にその重臣の召しだしの家
・???
430 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 20:33:41
>>401 >御三卿に領分が無い以上、地方知行できず、こうならざるを得ない。
御三卿には、給米ではなく、村を指定する形で領分が天領から明確に分けて与えられていた。例えば一橋家なら、
甲斐・武蔵・下総・下野・和泉・播磨などのうちから十万石。これは上で誰かが書いているように『旧高旧領取調帳』
でも確認できるし、一橋家の在地支配のための陣屋については、検索をかければ色々と引っかかってくる。
↓甲斐国のケース
www.city.kai.yamanashi.jp/bunkazai/086_hitotsubashi_jinyaato.html
↓播磨国のケース
www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/saikusyo.htm
↓常陸国のケース
www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/08_shozou/hitotubasi.htm
これで少しでも混乱が収まればいいけど。
431 :
430:2007/05/19(土) 20:35:35
失礼、常陸じゃなくて下野だった。
おい教授こと本郷よ。コテ外して自作自演するのやめてくんない?てか日本史板にくること自体、やめないか?
433 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 21:12:08
文盲派の方が自演をやめるべき。
ってか、日本史板に来る暇があったら漢字の書き取りでもした方が有益かと。
434 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 21:33:24
435 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 23:12:36
432は430が自演だと?
436 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 23:22:16
そりゃ1対他全員でやってんだから
文 盲
それは、スレ違いの駄文・オレ論を延々と垂れ流すクソを指す言葉。
他人の忠告を理解できない、知的障害でもある。
438 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 23:29:46
文盲の語義は確定している。
辞書を索け。
>>429 俺は
>>416なんだが、あんたの一存で不問と言われても(苦笑)
まあ、不問なら不問でもいいが・・
だが教授大先生、あんたは大人なら大人らしく、一言
>>419みたいな挨拶があってもいいんじゃないか?
洟垂れ小僧じゃあるまいし?
人にケツを拭いてもらって恥ずかしくはないのかい?
>>371 :本郷 義昭 :2007/05/19(土) 00:23:54
>>勝家もたかが御家人ではありませんか。
>>379 :本郷 義昭 :2007/05/19(土) 08:09:41
>>なほ勝家は四十俵の御家人です。
441 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 01:26:38
>>359 > 借金を返そうとしら消滅時効で債務が消滅して居り返せず、
>「民法といふものは怪しからぬものぢゃ!」
>と怒った陸軍高官もありました。
完全に嘘。ソース出してみな。
債権は時効だけでは消滅しない。債務者が自ら援用(主張)して初めて、その債権は消滅する(民法145条)。
つまり消滅時効にかかってる債権でも、債務者が返したければ幾らでも返せる。
この規定は明治29年に現行民法が施行された当初からある。
百歩譲ってアンタの言う「陸軍高官」というのが実在したとしたら、
ソイツは自分で時効による債権消滅を主張したくせに「民法はけしからん」と言ってるんだよ。
とてつもない卑怯者だな。
結論。大学教授=本郷義昭は生半可な知識をひけらかすバカ。しかも都合が悪くなると出てこないチキン。しかも自作自演自画自賛をする卑怯者。
頼むから教授は一切スルーして
せっかくの良スレが煽り合いで潰されるのは我慢できない
444 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 06:22:52
邪魔者が去ったようなので、寄合の話に戻しますね。Hさんは反応しないでね。
寄合といえば、これまでも説明がなされていたように、3000石以上又は
布衣役経験者であった役寄合の無役の旗本がそうであったと思います。
しかし、いろいろ調べてみると、「中川御番」「駿府加番」「江戸城門番」
などは、寄合のうち数名が任命され、その家臣が御番役・加番役として
派遣されていたようです。しかし、これらの役職は、武家の格列を記載し
た大概順にも掲載されていませんので、非公式の役だと思われます。
寄合や小普請は全て無役待命組だと思っていましたが、いろいろあって、
これらの非公式役を勤め上げ、実績を作った暁には、肝煎りの推薦を受け、
三番頭、駿府城代、御側衆などの高級官僚の役が待っていたのではないか
と思います。一握りのラッキーな人だけにですが。
445 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 07:18:19
446 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 07:38:01
447 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 07:39:22
あ、しまった。寄合の議論続けてください。
448 :
本郷 義昭:2007/05/20(日) 07:54:25
江戸城御門番は寄合衆として極く基本的な勤務で、数人どころか大勢就任しています。
軍事政権の首都中枢警備ですから、非公式というより当然の勤務です。
辻番の圧倒的に強化されたもの。
寄合とはその名の通り、寄合って(本来軍事的)勤務するものですから。
中川御番所は今日余り知られていませんが、要するに江戸の入口を固める水上の関所で、当時水運の意義を思えば重要配置です。
後には浦賀と共に東西水上の関門となりますが、時代が下ると共に重要性は愈々増し、深川にあった頃は軽輩の御役でしたが、中川河口(江東区東大島、中川旧道と小名木川の合流点)
に移って寄合席の御役に、更に交代寄合三名で固めるようになりました。
絵画等に拠れば槍を立て、鉄砲を並べ、中々厳しいものでした。
維新後の関所撤廃政策の中でもなほ例外的に暫く維持され、水戸徳川家が就任しています。
通ります通れ葛西のあふむ石
士民に馴染まれたもので、現地に記念館があります。
何れにせよ拝命者は寄合衆本人ですから、現場へ全然顔を出さないと言う訳には行きません。
殊に将軍家御成等、公式の場合には必ず出勤します。
449 :
本郷 義昭:2007/05/20(日) 08:19:43
さて徹夜で罵詈讒謗を繰返す皆さん、お早うございます。
江戸伝来の伊呂波歌留多に「盗人の昼寝」とありますから、早く寝ましょう。
♪夜更けて通るは何者ぞ 加賀爪甲斐か泥棒か
昼も行儀良くして荒さないように。
さて番号が伸びた割には罵り喚くばかりで内実を伴いませんな。
勝家が41石取の御家人であることは一般に知られています。
御家人の語で旗本を、旗本の語で御家人を含むことがあるので、気を付けて読まねばなりません。
また寛政重修諸家譜はその名の通り寛政年間、18世紀の史料ですから、時代が随分違います。
先祖のことを言出すなら喜連川は征夷大将軍、品川は東海百万石の太守。
時の流れ行く中で分家も減封もあるのですから、そういういい加減なことではいけません。
やり直し、再提出!
次に
>>441 債務消滅の話ですが、これは最高裁判所裁判官も勤められた穂積重遠先生の『法学通論』に紹介されています。
字も大きく余白も多く薄い本ですから、しっかり読んで「完全に嘘」「とてつもない卑怯者」にならぬやう心掛けましょう。
荒しの皆さんは学問以前に人間が駄目です。
凶暴な上に下品。
一日中悪口雑言吐いていないで、人格陶冶にお励みあれ。
ではまた明日。
450 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 08:42:53
教授キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
必死で揚げ足とったつもりが文盲派一網打尽w赤っ恥w
>>449 >>勝家が41石取の御家人であることは一般に知られています。
御家人の語で旗本を、旗本の語で御家人を含むことがあるので、気を付けて読まねばなりません。
じつに汚いな。おまいは天性の詐欺漢。うそつき。詐欺師だよ
恥を知れ!
ここまで来ると、本郷某は「荒らし」以外の何者でもないな
453 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 08:52:09
教授、あんたの女の腐ったような根性には、あきれ果てた
454 :
本郷 義昭:2007/05/20(日) 09:20:36
後から気付いたので書足します。
>>429 旗本の分類は間違ってもいませんが、貴殿が掲載した事ゆえ、貴殿が解説さる可し。
たって教へを請ふなら横柄な物言を為す不可。
将軍が大名家を訪問する機会は古い時代ほど多く、そのような時、大名の子や孫が挨拶言上します。
すると将軍が差出せと命じ、旗本になる。
「〇〇殿は子福者と聞く。二、三人わしが下へ出しなされ」
斯かる事例は豊富でしたな。
大名は子供の厄介が減り、幕府に親戚ができるから歓迎。
将軍としても大度を示し、且は懐柔策にもなる。
以上の意義、機能ですから附属与力の逆と言うことはありません。
徳川時代、廃絶大名の重臣を召出した例、どんぴしゃりのものは思い出しませんが、前代にはありましたから封建規範にあるのかも知れませんな。
豊臣時代、大和大納言、関白等絶家の際、藤堂氏以下を直臣で召出した。
宇喜田中納言御家騒動の折、花房志摩守等を最終的に徳川家の寄合席で召出した。但しこの時点で宇喜多氏は未だ亡んでいない。この採決は東照神君直裁らしい。
駿河大納言改易時に、家老(元々徳川宗家の譜代)以下を直参に戻した。
>>444 小普請組が分相応に小普請御手伝するのが当り前であるように、寄合衆が寄合って相応に努めるのも当り前と観念されていたようです。
御三卿の件、大名でない位常識でしょう。
大名でないからこそ、御三家以下の諸大名と扱い一々異り登城は平河門、跡継ぎ絶えても絶家しない。家でないから。
これしきのことも知らぬようではこの板に来る甲斐無く、話になりますまい。
御三卿は家を持たない。「新家」を御超さないというのが創設時からの根本方針。
当然、領国も城も家来も無い。
家来は徳川家の家来。将軍家の部屋住の肉親として一隊を預かるのみ。
大公儀の役職一覧を見ると、御三卿付は二、三千石高の老職から持高づとめ下役まで何百人と並び、人がましい者は皆旗本。
地方代官がどうのといふが、その代官も幕臣、支配地も御料で御料所。
どこまで行っても何も無し。なほ
×天領
〇御料 せめて幕領
456 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 09:27:01
本郷、「御三卿は領地を持たない」などいう珍説の釈明はどうした。
457 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 09:33:23
御三卿が大名でないことなど小学生でも知ってることだね。
そんなことで必死に粘着してる奴らって一体なに?学力低すぎじゃない?
458 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 09:44:58
大名や旗本以外でも領地を持っている立場の人間は色々いることなど小学生でも知ってることだね。
そんなことで必死に反論したつもりになってる奴らって一体なに?学力低すぎじゃない?
教授、学力低すぎじゃない?
460 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 10:08:09
2ちゃんねるで自ら「教授」なんて名乗る恥知らずなほどの厚かましさはなんなのだろう?
461 :
本郷 義昭:2007/05/20(日) 10:18:19
続けて書いてるのにあっという間のレスですな。
論者は別に分類していますが、改易の字義は身分を改め変るなれば、宗家相続も
類似例と見る余地がありましょう。館林宰相、甲府宰相の宗家相続で元の宰相家は
宗家へ吸収されました。よって家来も自動的に幕臣に編入。御目見以上なり何なり
は旗本になりました。
ずっと拝見していると、中々細い事実も記されていて感心しますが、その割に理
論的理解がありません。いったい何のために歴史に親しんでいるのですか?
「オレは歴史が好きだ。人間が後ろ向きだからだ」
これでは仕方がありません。歴史を学ぶのは因果の法則性を導き、現在の決断、
未来の構築に役立てる為ですから、この目的に資するよう努めねばなりますまい。
「俺は細い話が好きだ。粘着だから。
でも細い話に何の意味があるのかは知らん。単なる偏執狂だから」
これも役立たず。きちんと理論を念頭に勉強しましょう。
寄合の御役が役職に列記されないことがあるならそれは何故か、
御三卿だけが無嗣絶家にならない、大手門通らない、家来が重職の御付衆以下番方
役方「御勘定奉行」「郡御奉行」「御代官」果ては御馬方御広敷御庭之者御鷹方御
絵師まで皆宗家の家来なのは如何なる訳か、考えなくてはいけません。そうすれば
寄合衆の寄合は平時の本務らしい、御三卿は部屋住らしいと相当な愚者でも心付き、
妄想も減るでしょう。
荒しの皆さんのように一日中は書いていられません。今度こそさようなら。
462 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 10:29:10
>>461 教授の講義はいつも分かりやすく物事の核心をついているね。
全体像を理論的に把握できていない連中が、枝葉末節にこだわって
碩学に一矢報いようと必死になっているけど、やはり痛烈に返り討ちにあってしまったw
悔しい気持ちはわかるけどこれだけはっきり決着がついてしまっては「相当な愚者」でも
尻尾を巻いて逃げ出さざるを得まいw
463 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 10:47:32
>>449 へえ、ソースあるんだ。じゃ、決定だね。その「陸軍高官」ってのは、自分で時効を主張して
「借金を負けて貰って」「武士の一分」をぶっ潰しておいて、口だけで「民法はけしからん」
とか言い訳してる我利我利亡者決定じゃん。大學教授さんが
>>305で良いこと言ってるよ。
>子供じゃないんだから「だって本にさう書いてあったんだもん」なんて言訳は通りませんぞ。
>引用者の責任と言ふ奴です。
464 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 10:54:24
交代寄合は、自分の領地には陣屋を持ってたんだよね。
そういう「ミニ城下町」で、今でも陣屋が残ってるところってあるのかな?
465 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 11:25:29
高官が我利我利亡者だと教授さんの責任かいなw
463は我利我利亡者決定。
466 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 12:02:37
教授を叩ければなんでもおkの文盲派がまた自爆したね。
文盲派がレスをすれば必ずなにかしらの自爆がある。文盲ってすごいね。
教授は名門武家の出だから汚辱に塗れれば自害することもあるかもしれない。
文盲派は下郎階級出身だから恥を恥とも思わない。乞食になろうがエタヒニンになろうが
ゴキブリの如くしぶとく生き延びるだろう。
469 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 12:38:35
>>465 >高官が我利我利亡者だと教授さんの責任かいなw
誰もそんなこと言ってないんだけど。本郷義昭に言ってるんだよ。
借金踏み倒して民法に責任擦り付けた卑怯な「陸軍高官」のことを「武士」と褒め称えた上に、
それを指摘されると「だって穂積重遠の本にかいてあったんだもん」と責任逃れ。
いみじくも大學教授さんは指摘している。
>子供じゃないんだから「だって本にさう書いてあったんだもん」なんて言訳は通りませんぞ。
>引用者の責任と言ふ奴です。
引用者の責任とってね、本郷義昭さん。貴方の尊敬する大學教授さんが言ってるでしょ。
「『だって本にさう書いてあったんだもん』なんて言訳は通りません」って、ハッキリと。
470 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 12:45:35
>>469 >借金踏み倒して民法に責任擦り付けた卑怯な「陸軍高官」
ソース希望。
>「だって穂積重遠の本にかいてあったんだもん」と責任逃れ。
教授になんの責任があるのかね?
471 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 13:11:30
おい本郷、自作自演はよせ。
472 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 13:14:12
>>470 >>借金踏み倒して民法に責任擦り付けた卑怯な「陸軍高官」
>ソース希望。
ソース。
>借金を返そうとしら消滅時効で債務が消滅して居り返せず(当スレ
>>359)
債権債務というのは、時効の時期が来てもそれだけでは消滅しない。
債務者が「もう時効だから、あの債務を履行する義務は無い」と援用(主張)しなければ、
決して消滅しない(念のため。債権者や裁判官は、時効の援用は出来ない)。援用しない場合は、
債権者は「債務を履行しろ」と請求できるし、裁判になったとしても裁判官は「借金を払え」と判決を下す。
ということは「債務が消滅して返せなくなった」原因はただ一つ。
債務者である「陸軍高官」が自ら「あの債務は時効だ」と主張したから。
つまり、「陸軍高官は自ら時効を援用して債権を消滅させ、その一方で時効制度(を定めた民法)を非難」
ということ以外、法的にありえない。
>>「だって穂積重遠の本にかいてあったんだもん」と責任逃れ。
>教授になんの責任があるのかね?
回答。
大學教授さんには何の責任も無い。
本郷義昭が「穂積重遠の本に書いてある」と言って主張の内容に対して責任逃れをしているから、
「貴方の尊敬する碩学であるところの大學教授氏が指摘する、『引用者の責任』を、貴方も果たしなさい」
と指摘しているまで。
473 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 13:35:48
474 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:03:46
どうせ明日の朝になれば文盲はまたぞろ叩き潰されるw
∵昔の記憶ではHさんは元々法律家。
475 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:06:32
>>472 あんたの思い込みじゃなくて、
>「陸軍高官は自ら時効を援用して債権を消滅させ、その一方で時効制度(を定めた民法)を非難」
これのソースを出しなさい。それはなんという陸軍高官がいつ頃やったことなのか。
>本郷義昭が「穂積重遠の本に書いてある」と言って主張の内容に対して責任逃れをしているから、
重ねて問う。教授のどういう主張に対して「引用者の責任」が発生していると思うのか。
交代寄合と高家の維新後なんだけど、
@朝廷にに帰順、高直しで諸侯と認められる
A朝廷に帰順、中大夫となる。(ちなみにその他旗本千石以上が下大夫、以下が上士)
上の@Aの他に一般旗本にかなりあった静岡藩士ないし帰農した家もあるの?
477 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:20:00
一所懸命交代寄合に戻そうとする人がいるはしから、文盲が怪しげな時効荒らし
(:;)
478 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:26:11
>>475 >>「陸軍高官は自ら時効を援用して債権を消滅させ、その一方で時効制度(を定めた民法)を非難」
>これのソースを出しなさい。それはなんという陸軍高官がいつ頃やったことなのか。
? 私は最初に「それは法的にありえない話だから、嘘だろう」と言ったんだが。
>>359で本郷義昭が嘘を書いて、我々を騙したのかもしれないね。
ただ、もし本当の話だとすると、
>>470に書いたとおり。
その「陸軍高官」というのが、自分で「時効だから借金は返さん」と主張しておいて、一方で同じ口で、
「民法のせいで借金が返せなくなった。民法といふものは怪しからぬ」と言ったとしか考えられない、
ということ。
>重ねて問う。教授のどういう主張に対して「引用者の責任」が発生していると思うのか。
発言者を間違っていませんか。
>>359は本郷義昭の主張。大學教授さんとは関係が無い。
「引用者の責任」が発生しているのは本郷義昭であって、大學教授さんではないよ。
479 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:31:15
>>476 何でせっかく一度は本領安堵して中大夫にしてやったのに、結局は士族にしちゃったんだろうね。
大名は(請西藩主の林家を除いて)最低でも子爵だったんだから、中大夫のことは男爵にしてやれば良かったのに。
実際、子爵家は男爵家より多かったらしい。
480 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:37:12
>>478 だからあんたの思い込みじゃなくて実際にその陸軍高官自ら時効の援用をしたのかと問うている。
それほど自信満々に教授の揚げ足取りをしようと試みるのならば、当然当該事例をきちんと調べているのだろうな?
>発言者を間違っていませんか。
>>359は本郷義昭の主張。大學教授さんとは関係が無い。
あまりにみっともない逃げ口上で呆れ果てた。
481 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:41:40
>>476 確か幕臣は、「@新政府に忠誠を誓う」「A無禄で去る(士族を辞める)」「B静岡藩士になる」
という3つの選択肢を選ばされたはず。但し、Bは希望者全員が選ばれるわけじゃない。
Aを選べば、一文無し。Bを選べば、家禄は大幅削減(しかも選に漏れるかもしれない)。
(中公新書「秩禄処分」より)。
@なら家禄は継続支給だから、自分なら@を選ぶけどね。「新政府には仕えたくない」といって、
Aを選んだ幕臣も多かった一方で、Bを選んだ幕臣は、そんなにいなかった。
特に禄高が高い幕臣は、選ばなかったらしい。「自分が行っては主家に迷惑がかかる。微禄の者も、
禄が減っては困るだろう」と言ってね。
結局、交代寄合は@しか無いんじゃないのかな。「士族じゃなくなる」というのは、沽券に関わったろう。
高禄の旗本としてのプライドってものがあるだろうし。
482 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:49:47
>>480 >だからあんたの思い込みじゃなくて実際にその陸軍高官自ら時効の援用をしたのかと問うている。
何故調べる必要があるのか。私は
>>359の話の真実性を初めから疑っている。
だが、もし仮に
>>359が真実であるならば、法的に
>>470以外の結論は、ありえない。
債務者たる「陸軍高官」が自ら時効を援用しなければ、借金を「返せなく」ならない。
>>359にはハッキリと「消滅時効で債務が消滅して居り返せず」と書いてある以上、
その話が嘘でないならば、陸軍高官が自ら時効を援用したということは、明らか。
余談ながら、少し気になる点が。
>自信満々に教授の揚げ足取りをしようと試みるのならば
>>発言者を間違っていませんか。
>>359は本郷義昭の主張。大學教授さんとは関係が無い。
>あまりにみっともない逃げ口上で呆れ果てた。
私は本郷義昭に反論しているんだが。「大學教授」さんに反論したことは、一度も無い。
それとも「大學教授=本郷義昭」なんだろうか。
>>480と
>>482はどこかよそでやってくれませんかね。
正直本人達以外あなた方の論争に興味ないと思うんですが。
484 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:55:42
>>483 自分は482が「大學教授=本郷義昭」というダブハンを証明してくれて感謝。
485 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:57:17
a?
486 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 16:55:31
面白く無いカキコは全部自作自演と決め付ける文盲
>>449 > 御家人の語で旗本を、旗本の語で御家人を含むことがあるので、気を付けて読まねばなりません。
そういうのを、俗に「証文の出し遅れ」とか「六日の菖蒲、十日の菊」とか「後出し」と言います。
それまでの文脈と違う定義で言葉を使うなら(ネタレスでなければ)事前に書き添えておくのが学問的実証的な態度だと思う
んですけど、違うんですか? 私は自分の指導教授にそう教わりましたけど。
> また寛政重修諸家譜はその名の通り寛政年間、18世紀の史料ですから、時代が随分違います。
寛政譜については「あれは先祖誇りのために美化して書いてあるから」とか言って否定する人はよくいますが、こういう否定の
仕方をした人にお目にかかったのは初めてです。
室町時代や戦国時代の話ではなく江戸幕府成立以後の身分のことを書くのですから、嘘やでたらめを書いたら怒られちゃう
でしょ。
自分が現に在職している会社の職歴簿に嘘書いて出す人がいないのと一緒だと思います。
つーか、もしかして働いたことがない方ですか?
> 先祖のことを言出すなら喜連川は征夷大将軍、品川は東海百万石の太守。
寛政譜にもそう書いてあると思いますよ。別にその時代の当主が嘘やでたらめ書いたんじゃないからいいんじゃないですか?
喜連川は間違いなく室町将軍家の分れですし、品川は間違いなく今川家の分れですから。ただ今は徳川将軍家に仕えて
いるということさえ自覚していれば。
> やり直し、再提出!
熨斗つけてお返しします。やり直し、再提出!
488 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 19:27:49
>>484 307 名前: 本郷 義昭 投稿日: 2007/05/16(水) 08:57:19
落第坊主を刺激するのでハンドルを改名し、文盲の恨みを買うので正字正仮名を控えます。
悪貨は良貨を駆逐する
教授本人が明言してるわけだが。文盲っていうのはほんとにアホだな。
教授もこんな連中にからまれてお気の毒。
489 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 19:43:50
>>482=484だろう。いくら文盲派とはいえこんな愚人が複数いるとは考えづらい。
490 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 19:44:09
結局のところ本郷は、「御三卿は部屋住み」と御題目のように唱えていれば、御三卿が領地を有していた史実も、
その領地が幕府代官所の管轄でなく、旗本などから選出された幕臣により、独自の代官所が運営されていたという
史実も、一橋家の領地で渋沢栄一によって専売制が試みられた史実も消滅すると考えているわけか。
キモい奴だな。
文 盲
それは、スレ違いの駄文・オレ論を延々と垂れ流すクソを指す言葉。
他人の忠告を理解できない、知的障害でもある。
492 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 19:50:26
全くだ。
487って普通の読解力が無いのかい。
見当違いのことばかり延々書いてシミジミと馬鹿。
教授は勝が御家人だと真っ向から言ってるんだよ。
気をつけて読めってのは初学者のおまいが旗本と誤信したことに注意を促してるだけ。
寛政重修諸家譜の信憑性なんか一言も書いてない。
何が否定だ基地外。
喜連川や品川の出自も完全に肯定してるんだよ。
前世紀の史料で時代が違うからここでは使えないといってるんだ。
前世紀の戸籍見たらいおまいだってこの世に存在しないだろ。
戸籍謄本の有効期間は普通三ヶ月だよ。
前世紀のを持ってくるというのは完全なキ印。
どこまで馬鹿なんだ。
493 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 20:01:41
ウィキペディにも語3強は領地が一坪も無いから統治の手間もいらないので、
暇にあかせて政争に熱中して政局をややこしくしたと書いてあったよ。
494 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 20:41:18
>>492 本郷さん又はそのなりすまし又はその支援者の方へ
じゃあ、『教授は勝が御家人だと真っ向から言ってるんだよ。』という限り
あなたの見解を求めます。
495 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 21:00:21
おまいの話は毎回分からんぞ。
どういう理由でなんの見解よ。
ひとり勝手に分かるなよな。
>>489 バレバレの自演だなw
自分に感謝ってw
497 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 21:04:49
というか、教授にからんでる人たちもコテハンつけてくれ。
498 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 21:07:06
>>493 wikiの御三卿の項目でも、「御三卿の場合は、家督相続者を欠いた場合であっても家組織(領地・屋敷地・家臣団)は
幕府に収公されず」とある。
つまり、御三卿に領地や家臣団があったと書いている。幕府から家臣団が派遣されていることから、領地経営を実質
的に幕府に委任しているのと同じことであるため、家の負担が小さかったと書いてあるわけだ。
繰り返すが、御三卿の領地は幕府代官所の支配でなく、独自に支配していた。代官所の具体例は
>>430-431の通り。
499 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 21:13:20
まあ普通の読解力の無い香具師に普通の作文能力を求めるのが無理なんだがw
494は自分の国語の点数思い出して反省し、も一回教授のカキコを熟読汁!
そして自分が書くときは主語述語目的語理由を残らず明記してくれや。
おまいの態度は最低でもないが、議論の水準はダントツペケだと思うよ。
まるっきりとんちんかん。完全に裸の王様だよ。
敵味方を超えて笑われてると思う。
裸の王様っつーか、フルチンの馬鹿殿だな。
501 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 21:25:35
教授=本郷=支援者の自作自演露骨に必死すぎw
502 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 21:34:59
また文盲が嘘を書いてるな。ウィキが権威とはいわないが、その記述は教授説に近い。
> 御三卿の「家」としての性格は、江戸時代の他の「家」とは明らかな相違が認め
られる。まず幕府からは各家に10万石が給せられていたものの、独自の藩は立て
ず、諸国に分散していた領地の実効支配は幕府に委ねられていた。また家老以下
の家臣団も、主に旗本など幕臣の出向によって構成されていた。このように、
御三卿は独立した別個の「家」ではなく、将軍家(徳川宗家)の「家族・身内」
として認識されており、社会的にも経済的にも大きく依存している実態があった
のである。この幕府への領地経営の委任が、御三卿間の対立やそれと連動した
幕府内の政争を必要以上に激化させたとの指摘もある。例えば御三家であれば、
自らの領地を実効支配しているので、領国経営に従事しなければならないが、
御三卿の場合、自らの領地を幕府が実効支配していたため、領国経営に従事す
る必要がなく、将軍の後継争いを始めとする幕府内の政争にのみ汲々とする結
果になったのである。
> 維新後は新政府より、独立した一家として華族に列せられて立藩している
家でも藩でもない家族だ家来も借り物だ国も治めないと断言してるぞ。
503 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 21:51:47
>>482 >何故調べる必要があるのか。私は
>>359の話の真実性を初めから疑っている。
なら自分で穂積の本で確認してみれば?
そもそも教授がその話を引用したのは消滅時効の話をしたかったからじゃないことは理解できてるかな?
あくまで武士の高潔な精神の例として引用しているんだよ。それくらいは文盲派でも分かるよな?
消滅時効がどうとかそんなことは、教授は一切主張していないんだよ。
教授が責任を持つべきだとすれば、その逸話が実在したか否かについてのみであるし、
仮にこの逸話が穂積の捏造だとしても、数多くある高邁な武士の精神についての逸話が
一つ減るだけ。ほんのわずかな引用責任は生じるものの、教授の主張を揺るがせる物では全くない。
引用の本旨とは全くかけ離れた揚げ足取りを試み粘着し続けるなんて、
おまえは最低な奴だ。
おまけに
>それとも「大學教授=本郷義昭」なんだろうか。
ときたもんだ。なんというかもう・・・。
>>484 自演乙w
504 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 22:38:01
>>503 >あくまで武士の高潔な精神の例として引用しているんだよ。
どう見てもその引用は、これ以上無いほど不適切な例だろう。
自分で「時効だから借金返しません」と言っておいて「民法の時効はけしからん」って何だよ、その二枚舌。
変な例を出したせいで「武士の精神ってのは高邁を装いながら卑怯な振る舞いをする金の亡者のことか」って、
あらぬ誤解を招きかねないんだぞ。
505 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 22:42:16
交代寄合の話がグチャグチャに荒れたのは教授が割り込んできたせいだよw
506 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 22:42:33
>>504 >自分で「時効だから借金返しません」と言っておいて
だからこのソースを出せって。あんたの想像じゃなくてソース。
507 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 22:47:18
>>498 >つまり、御三卿に領地や家臣団があったと書いている。幕府から家臣団が派遣されていることから、領地経営を実質
>的に幕府に委任しているのと同じことであるため、家の負担が小さかったと書いてあるわけだ。
ふーん。つまり、御三卿というのは、大藩にあった支藩と似たようなものなのかな。
自分が知ってる水戸藩の例だと、宍戸(笠間市)・府中(石岡市)の支藩は、実際の統治を水戸藩に委任してた
(高松と守山は、委任していなかった)らしい。
やっぱりそういう支藩の領主なんかも、お家の主導権争いに絡んでいたのかな。
>>502 物事の本質を語る教授と枝葉末節にこだわってイチャモンをつける文盲派の違いがはっきり分かるね
本質=幕府に領地経営を委任していた
枝葉末節=領地にそれぞれの家名義の代官所を設置していた
509 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 22:58:55
>>506 >だからこのソースを出せって。あんたの想像じゃなくてソース。
しつこい。「そういう奴がいた」と主張したのは本郷義昭なんだから、そっちに確認しろよ。
>>503が言うように穂積重遠が捏造したのかもしれんし、本郷義昭が捏造したのかもしれん。
ただ
>>359で出てきたシチュエーション(時効で借金が返せなくなった)がもし事実ならば、
それは債務者である「陸軍高官」が自分から「時効だから返さん」と言った場合に限られる
(法的にはそれしかありえない)という話をしただけ。
510 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 23:10:25
>>499 確かに他の方より読解力はないものと自覚しているので再度熟読しました。
その結果、教授(本郷)の書き込みが全くの出鱈目だと確認できました。
ご指摘ありがとうございました。
511 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 23:15:33
やっぱり教授が正しかったか。
文盲また負け。
最初はまたーりした良スレだったのにな…
513 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 23:30:52
510はどう出鱈目なのかちゃんと書いて見。
でないとただの荒らし暴言か、良くってもまたおまいの一人合点で、誰もわかんないぞ。
それにして誰ひとり交代寄合の話をしてないのが凄い。
これも文盲荒らしのせいだ。
他人に責任転嫁を図ったって駄目だよ。
ご本人いないんだからな。
空き巣狙いのように荒らす文盲が悪い。
514 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 23:47:26
>>492 おまえこそキチガイ丸出しなんだがww
勝の家は旗本身分であり、御家人じゃない
豆腐のカドにアタマぶつけて、生まれ変わって来い!
515 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 23:49:15
>>509 どうでもいい話でしつこくからんでるのはあんた。
>ただ
>>359で出てきたシチュエーション(時効で借金が返せなくなった)がもし事実ならば、
>それは債務者である「陸軍高官」が自分から「時効だから返さん」と言った場合に限られる
残念ながら違う。陸軍高官が債務者ではない場合(たとえば恩人の借金を代位弁済したいと思ったが、
すでに恩人が時効の援用をしていたケースなど)、陸軍高官が債務者でも、
お国のために命を賭ける軍人さんからは金を取りたくないと思った債権者が時効について虚偽の説明をし、
法に疎い陸軍高官が騙された場合など。
考えられる状況はいくらでもある。本題では全くない件でしつこくからむくらいなんだから
当然ソースくらい用意してるんだろうね?
516 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 23:52:44
517 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 23:56:13
>>511 文盲はいつも負けるね。唯一健闘した貧民史も逃亡して久しいし。
数年前、ランチを買いに大雨の中コンビニに行った。
自動ドアが開き、店内に入ろうとしたら足が滑り、
カーリングの石を投げる人のような格好で入店。
大慌てで立ち上がろうとするも、靴が滑ってうまく起きられない。
ぐっと力を込めた瞬間バキャッという音とともに180度大開脚。
あまりの痛さに「アァォ!」と大声一発。
パニック状態で上体をひねったら、その格好のままクルーっとターン。
床にひれ伏すようにして足を戻し、ガニマタになりながら退店。
自動ドアが閉まる音と同時に店内にいた十数人の爆笑が聞こえた。
>>371 :本郷 義昭 :2007/05/19(土) 00:23:54
>>勝家もたかが御家人ではありませんか。
>>379 :本郷 義昭 :2007/05/19(土) 08:09:41
>>なほ勝家は四十俵の御家人です。
>>518 ワロタw文盲派の日常生活を垣間見たようだw
これ何? 二枚舌の見本?? 詐欺師???
>>371 >>勝家もたかが御家人ではありませんか。
>>狭義の武士ではありませんぞ。
>>旗本みたいに法螺を吹いてはいけません。
522 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 00:12:18
>>515 >考えられる状況はいくらでもある。
それって詭弁の何番目ですか?
523 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 00:16:32
524 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 00:31:52
500も越えたし、ちゃんと言っとくな。
「文盲派」という単語を使うのは、
このスレでお前だけ。
気がつこうよそのマイブーム。
526 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 00:37:50
527 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 00:59:06
真っ当な意見と見せかけ、実は詭弁で論点をはぐらかす輩が多々おります。
皆様も以下の「詭弁の特徴15条」を覚え、そういう輩を排除しましょう。
なお、新しい詭弁の類型を見つけた方は、このガイドラインに書き加えてください。
基地外がいると聞いておっとり刀でキマスタ
>>507 > ふーん。つまり、御三卿というのは、大藩にあった支藩と似たようなものなのかな。
辞典類で「○○新田藩」と表記されてるのは領地すら明確でない蔵米知行みたいな大名だそうな。
でも家臣団だけはある。ただし領地がないから地方支配関係の役職はないんだろうな。
> やっぱりそういう支藩の領主なんかも、お家の主導権争いに絡んでいたのかな。
秋田騒動の時には佐竹壱岐守家と式部少輔家による本家の家督争いが伏線にあったそうだ。
宍戸の殿様は水戸本家での天狗党の乱を取り静めるのに失敗して切腹になってる。
530 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 03:41:06
>>529 平戸新田藩や細川新田藩には領地も陣屋もありましたよ
531 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 05:27:59
本郷さん、自作自演はお止め下さい!
532 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 05:44:35
「○○新田藩」は、支配期間が短かったために実態が良くわからず、領地が特定できないというケースも多いだろう。
533 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 06:14:32
534 :
本郷 義昭:2007/05/21(月) 07:00:30
お早うございます。
終日の怒鳴り合いご苦労さま。
一日で随分スレが伸びているのは良いのですが、罵声ばかりで内容が乏しいのは
どうも・・・
さて、際限無く時効の話をするスレ違い荒しがいますが、これは全然駄目。
第一に、ここで法律論争することからして怒涛のスレ違い。自分が喚ければ何で
もいいというルール無用の荒し根性です。どうしてもするなら法制史でなければな
らない。現行法の話を振りかざしてどうする。
第二に、議論の本筋でないことで何時果てるともなくゴテるのも総会屋的粘着荒
しです。まさに揚げ足取り、枝葉末節、言掛り。論点失当で斥ければ宜しい。
第三に、出典読まないで愚図愚図言うのが、学問の姿勢、作法として根本的に間
違っています。
第四に、無関係なる天下の高士・穂積重遠先生を捏造呼ばわりするのも、法律上、
名誉毀損、不法行為です。先生の郷里には高徳を慕って穂積橋がある程で、心無い
中傷はなりませんぞ。
第五に、これが皆さん一番興味あることでしょうが、荒しの所説は全然成立ちま
せん。論者は明治31年施行の現行民法を、何の根拠も解説も無きまま当然に前提
して怒号を繰返しますが、先に、それ以前ではありえない旨論証しなければ論理は
全面崩壊します。大審院は明治8年に設置され、それ以前からも民事裁判は途切れ
無く継続しているのですから。そこでは論者の論理、前提する実定法に全く関係無
く裁判を行って来ました。「法的にありえない話」という主張はまるきり「嘘」で、
そのような所説こそ「法的にあり得ない」のです。
第六に、仮に現行法としても、法学徒なら誰でも瞬時に思い付くのが除斥期間で
す。これは援用の問題を、全く生じません。何れにせよ『「陸軍高官」ってのは、自
分で時効を主張して「借金を負けて貰って」「武士の一分」をぶっ潰しておいて、口
だけで「民法はけしからん」 とか言い訳してる』てふ非難は成立ちません。我利我
利亡者は妄想粘着男に決定。
536 :
本郷 義昭:2007/05/21(月) 07:13:39
第七に、時効は期間満了によって直ちに完成し、援用は単にその適用要件に過ぎ
ませんから『債権債務というのは、時効の時期が来てもそれだけでは消滅しない。
債務者が「もう時効だから、あの債務を履行する義務は無い」と援用(主張)しなけれ
ば、決して消滅しない』という論者の説明は基礎から間違っています。歴史畑の皆
さんには判り難いでせうが、これらは法学的には欠くべからざる根本的理解です。
第八、併せて挙証責任の所在も明らかです。主張するものは証明する。
以上により、荒しの言動は心も頭も重々間違っています。
当地は雲一つ無い快晴です。
青空のように清らかな心で学問に臨みましょう。
あさみとり澄み渡りたる大空のきよきを己か心ともかな
御三卿を大名だと言張る怪人を我々は今、生れて初めて見る訳ですが、世にも稀な珍説にて恐れ入ります。
御料地だという指摘に誰一人反応しないのは、御料所という概念を知らないのですか?
第一、百歩譲って領主だとしても 大小名≠領主
領主だけなら社寺でもなれますが、法隆寺は千石領しても武家ではない。
己の手勢を養っていなければなりません。
封建時代、分家しない家族と言うのは普通に存在しましたし、寧ろ分家回避が政策でした。
本家が細るからです。
荒しを振切って交代寄合の話を致しましょう。
中川御番なんて、交代寄合へ最後に割当てられた御役ですし、とっても参考になりますね。
水上関所の軍事的警察的機能を重視した政策です。
個人の小才しか見ようとせぬサラリーマン武士観では説明できません。
旗本本人の個人的能力でなく、家としての武力を重視したればこそです。
交代寄合三人掛りなら、石高合計先づ万石を越しませう。
最大数百人總掛りで江戸の東の固め、東−北日本への水上交通の要衝を防御して呉れよ、という意味です。
他所のような税関検査なら小役人で済むのですから。
じゃあ何故譜代大名に割振らないかって?
江戸に大名はいないからですよ。
537 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 07:27:52
この掲示板をはじめから見てみると、
>>155の大學教授の参戦あたり
から変な内容となってきている。それまでは、良スレだったのに
>>176、
>>232あたりで決定的に〜 そして、
>>249で自作自演開始
>>287では、「なほ米価は長期的には上昇基調なので幾重にも間違ひ。」
など旧かなで掲載し、ダブハンばればれを露呈、そして、
>>371では、
決定的な、「勝家もたかが御家人ではありませんか。」と言いながら、まだ
その過ちを認めず、また、「御三卿は大名でも旗本でも御家人でもなく、
したがって領分も知行所も給地もありません。」と言い切っています。
538 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 07:43:52
>>536 江戸に大名はいないからですよ。
ある意味では、定府大名がいたから、代役できたんじゃないの?
そのように言い切って、また人を蔑む表現が嫌われている。
まだ分からないのか?
539 :
本郷 義昭:2007/05/21(月) 07:50:53
今も言い切りますよ。然らずとせば、反論なり反証をどうぞ。
249は小職の書込でありません。ダブハンとは? 嘘を言張るなら根拠をどうぞ。
そもそも無記名掲示板で固定ハンドル有ろうと無かろうと百持とうと構いません。自作自演とやら−無記名の癖にこれを責めるという図々しさに笑ってしまう−も差支えないはずですから、非難の前に、いけないことだという証明が先に必要です。
学問板で個人攻撃も賤しい。ただ学問のみを語れ。荒しはスレ題を踏みにじり学問を遠ざけ人を誹るあなた自身です。貧民史を模範とし、正しく学んで堂々の論陣をはりましょう。
>>514 492は勝家に付て何の主張もしていませんよ。八つ当たりする前に自説の根拠をお示しなさい。怒鳴るばかりでは栓無きこと。ただの迷惑者です。
それではごきげんよう。また明日
今日も教授の弁舌は絶好調だね。
下郎史観の妄想粘着男を一刀両断!
こういう
>>540みたいな金魚のウンコが一番うっとうしい
文盲派、悔しくて仕方がないらしいw
544 :
本郷 義昭:2007/05/21(月) 08:12:47
>>538 元々御門番等、御府内警備は寄合衆の基本的勤務なのです。
よって中川御番も夙に寄合席の担当でした。
この前提、流れで、警備強化の為に交代寄合に担当変更するのは自然なことです。
小職が明記しませんでしたが、この改正は参勤交代廃止後なのです。
江戸は空っぽ。
よって貴説は成り立ちません。
若し早期に断行すれば大番同様、小大名に割振る可能性はあったと考えますが、御城下に大軍勢を入れることを避ける戦国以前の遺法から、可能性は元々の定府か最小規模の譜代に限定されるでしょう。
ただ、領国事情(遠近疲弊其他)、徳川宗家への忠誠心、警備の規模等勘案すれば、旗本で良かったように思います。
幕末、北日本から勤皇軍が討入る可能性低く、これは警察軍か国境警備隊程度の勤務ですから。
定府の存在は誰でも知っており、ここぞとばかり絡むあなたの態度は学問的でありません。
大名は定府でも、領国が本拠ですが、交代寄合は然らず。
また学問は好きも嫌いもありません。
嫌われるのが悪いことだと言うのも田舎の感覚です。
あなたの言分ではガリレオもコペルニクスもフスもルターもキリストもみんな嫌われ者の悪人になってしまいます。
語に曰く『内に顧て直くんば千万人と雖も我行かむ』
如何にも荒しは感情的に荒れ狂っていますが、学問の世界に感情を持込むのが間違っています。
則天去私
371 :本郷 義昭:2007/05/19(土) 00:23:54
>>361 >勝家もたかが御家人ではありませんか。狭義の武士ではありませんぞ。旗本
>みたいに法螺を吹いてはいけません。
これはどう読んでも、勝は旗本ではなく御家人である断定しているとしか
理解できませんが? 間違いありませんね?本郷先生
御三卿は大名でも旗本でも御家人でもなく、したがって領分も知行所も給地もあ
りません。領民一人も無く、自前の家来も無いといって大過ありません。この事情
をご存知無きや? 本件論争に於て御三卿を引くというのは自滅的です。
小職は専売制が無かったなどと申しておりません。でもそんなものは所詮小さな
副業収入です。大名旗本は初めから商業で成立っていません。副業と申せば、武士
は農、工を副業とすることは黙認されていましたが、如何な軽輩と雖も商には従事
できません。四民の師表たるに相応しからぬ賤業として厳罰に処せられます。近年
も公務員が風俗営業やって逮捕される例がありますな。
371 :本郷 義昭:2007/05/19(土) 00:23:54
>勝家もたかが御家人ではありませんか。狭義の武士ではありませんぞ。旗本
>みたいに法螺を吹いてはいけません。
これはどう読んでも、勝は旗本ではなく御家人である断定しているとしか
理解できませんが? 間違いありませんね?本郷先生
548 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 08:37:17
545、546って異常者??
371 :本郷 義昭:2007/05/19(土) 00:23:54
>勝家もたかが御家人ではありませんか。狭義の武士ではありませんぞ。旗本
>みたいに法螺を吹いてはいけません。
これはどう読んでも、勝は旗本ではなく御家人である断定しているとしか
理解できませんが? 間違いありませんね?本郷先生
書店でちらって見かけたんだけど交代寄合伊那衆異聞ってどんな感じ?
小説だから限界はあるだろうけど、交代寄合の成り立ち、制度、家格、生活、経済状況、
家臣等について有益な情報は得られる?
このスレなんかスカスカだね( ^ω^)
552 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 12:35:40
そーゆー荒らしカキコのせいでスカスカになるんだね( ^ω^)
交代寄合の話しようぜ。
500も越えたし、ちゃんと言っとくな。
「文盲派」という単語を使うのは、
このスレでお前だけ。
お前を擁護するのもお前だけ。
気がつこうよそのマイブーム。
554 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 13:43:50
おまいも己の異常性に気付けよ荒らし野郎
555 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 15:25:47
粘着こぴぺ荒らしのせいか今日はカキコが少ない。
自分対するレスを一回コピペされただけで
「粘着こぴぺ荒らし」(原文ママ)呼ばわり。
そんな人が、この世にいたんだってさ。
557 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 17:41:25
早速粘着粘着こぴぺ荒らし
正直どっちも早急に消えて欲しいです。
「最後のお願いです、あなた達のことを忘れさせてください」
559 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 18:08:22
2ちゃんである限り、それは不可能
閉鎖的な掲示板を作るか、メール交換で我慢すべし
560 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 18:39:45
まあ、あと400ちょっとだし、恥ずかしいのは御本人達以外の全てが認知してるところだから、真理を追求した茶番を楽しむのも一興。
一言追記させてくれ。本スレはおまえ達だけのものだけじゃない。少しは自省しろ。
561 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 19:25:24
本郷さん、露骨なる自作自演はお止め下さい!
562 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 19:33:33
>>536 >御三卿を大名だと言張る怪人を我々は今、生れて初めて見る訳ですが、世にも稀な珍説にて恐れ入ります。
一体どこにそんな奴がいるんだ。お前の脳内にだけ存在しているのか?
キモい奴だな。
563 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 19:54:54
=少しこのスレらしい話題から=
小普請組の世話人である、「小普請組支配」は職禄3000石で老中支配の
布衣役の重職役です。
しかし、同種の「寄合肝煎」は、職禄がないかわりに、小普請金の支払いが
免除という一種名誉職てきなものであった。
もう少し深く、この寄合肝煎について、展開してくれる方はいないでしょうか。
類似の高家肝煎と併せてご教示くだされば幸いです。
564 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 21:29:51
少しも自省しない文盲
教授にコテンパンにたたきのめされた消滅時効男はどうしたの?
逃げた?
566 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 21:54:24
おながいですから煽らないで下さい。
これ以上荒れてはたまりません。
371 :本郷 義昭:2007/05/19(土) 00:23:54
>勝家もたかが御家人ではありませんか。狭義の武士ではありませんぞ。旗本
>みたいに法螺を吹いてはいけません。
これはどう読んでも、勝は旗本ではなく御家人である断定しているとしか
理解できませんが? 間違いありませんね?本郷先生
568 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 23:37:19
大名が就ける役職で、職禄や手当てがあるのは、「大番頭」「大坂定番」
「大坂加番」くらいですか?
交代寄合には直ヒットしないけど・・
569 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 00:39:22
もういいかげんにしろよ
教授もうざいけど煽ってるやつらも同類だよ
571 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 07:16:17
交代寄合について実は既に書き尽してネタ切れなんじゃね?
スレ主さん誘導宜しく。
572 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 07:33:25
573 :
本郷 義昭:2007/05/22(火) 07:46:04
574 :
本郷 義昭:2007/05/22(火) 07:55:10
どこの大名、旗本家にも分家していない、いわゆる「厄介」がいた。御
大家だと専属の家来がいたが、これだってホントは当主の家来。本人素寒
貧で家無し所領無し家来無し。これを部屋住と言い、嫡子も当主になるま
では部屋住。
高名な井伊直弼公の部屋住時代を見よう。彦根城大手前濠端に屋敷を貰い
大久保小膳以下「家来」にかしづかれて暇に暮してるが、屋敷も奉公人も食
ひ扶持も全部井伊侯たる父兄から回して貰ってる借物。大久保小膳は若殿付
でも、殿の命令で着任した井伊家の家臣。直弼は捨扶持五百俵貰ってたが、
自分の領地も家来も無い。
これは部屋住の普通の形だが、この一番大きいのが御三卿。江戸城濠端の
屋敷に住む将軍家の厄介。家来無し。当時の法制用語に言う「重き武家奉公
人」は旗本。旗本にあらざれば御家人。どっちにしても将軍直参が人事異動
で一時的に御役として就任している。上は重臣筆頭から下は侍とも呼べない
ような随分軽い武家奉公人まで、御直参。唯の直参なら若年寄支配だが、御
三卿付は老中支配(軽輩は除くであろう)。若し大名の家臣なら、当然老中
支配になんぞならない。大名に直属する。
反対論者の論う地方代官も旗本で、御三卿の家来ではない。幕閣の命に直
接服する幕府地方官。御三卿の領分ではない。ただの御料地。簡単に言えば
一橋様用収益地。だから領分と言わない。領主は徳川宗家当主。地方官もそ
の直参。よって一橋様の指揮命令は受けない。新家を起さないのが御三卿設
置の根本政策。家でないから取潰しも無く、当主が絶えても空欠のまま老職
以下機構存続する。
>>572 一国一城令以前は日本中城だらけで、今も何万の遺構があります。城は幾
萬ありとても。大坂の陣までは怒涛の戦時体制で築城ラッシュ。熊本城名古
屋城篠山城駿府城伊賀上野城以下の名だたる名城は関ヶ原以後大坂役の間に
築城せるもの多し。築城史上の黄金期なり。
371 :本郷 義昭:2007/05/19(土) 00:23:54
>勝家もたかが御家人ではありませんか。狭義の武士ではありませんぞ。旗本
>みたいに法螺を吹いてはいけません。
これはどう読んでも、勝は旗本ではなく御家人である断定しているとしか
理解できませんが? 間違いありませんね?本郷先生
576 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 08:00:35
狂人こぴぺ荒らしキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
577 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 09:21:24
勝家が旗本だろうが御家人だろうがどうでもいいことでは?
なに必死になってんの?キチガイ?
578 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 09:46:38
禿同。
その上教授は真っ向から言いきってるのに、
こいつ何十回同じコピペしてんだよ。
変質者?
579 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 10:37:47
自演乙
580 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 11:44:12
これじたい↑反復こぴぺねw
581 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 12:48:40
>>577 教授とかいう人が基本のキもわかってない厨房だってこと
そういう人にはスレから出て行ってもらいだいわけよ
582 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 13:03:25
でも反復こぴぺ荒らしはいけないねw
荒らしこそ出て行ってもらいだいわけよ
583 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 13:14:25
基本のキもわかってない厨房とやらにコテンパンに叩きのめされて
ぐうの音も出ず恨んでひがんで嫉みまくり周囲の迷惑考えず朝から
晩まで荒らす文盲派
悪口やこぴぺ荒らし無用。早く基本のキを教えてやれ!
勝が御家人だというならさっさと証明汁!
どうせ朝になれば粉々に叩き潰されるw
それが分かってるから論戦避けてただ荒らす
「文盲派」という単語を使うのはこのスレでお前だけ。
教授=本郷=文盲厨は自作自演を否定できませんね。図星だったか
間違いないのは、教授とやらが来るまでのこのスレはいいスレだったこと。
こいつ一人が乱入してきて、スレは終わった。
実生活でもそういう奴なんだろうね。
>>583 「勝=御家人」と断定しているのは、本郷氏ですよ
>>574 > どこの大名、旗本家にも分家していない、いわゆる「厄介」がいた。
あんたはこのスレの「厄介」だw
589 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 16:26:25
珍妙教授に粘着されて終わったスレ
590 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 18:18:14
貧民史が匿名掲示板の自作自演は自由だといい教授も同意したんだっけ?
この人たちに自作自演攻撃は全然通じないよ。
なぜいけないかと笑われ問い詰められ返事できずに逃回って終りってとこだろ。
591 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 19:09:26
>>574 >幕閣の命に直接服する幕府地方官。御三卿の領分ではない。ただの御料地。簡単に言えば
>一橋様用収益地。だから領分と言わない。
『旧高旧領取調帳』では、武蔵国の領地では「一橋家領分」、下野国では「一橋従二位領分」、
播磨国では「一橋大納言(一橋家)領分」とはっきり明記されている。
思い込みで書き込むな。キモい奴だな。
592 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 19:19:37
同じことを何度も書くな荒らし野郎
幅も取るんじゃないぞ、みんなの迷惑だ
おまいのカキコはスペースばっかw
593 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 19:51:51
↑よほど悔しかったらしいな。しかし、あまり荒らすなよ。
594 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 19:52:16
教授=本郷=文盲厨の露骨な自作自演はたちが悪いですね、しかも反論できないしw
595 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 21:11:26
どうせ朝には粉微塵w
596 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 21:17:03
本郷義昭は!もー完全なる自作自演はお止めください!
597 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 21:56:09
昔のスレ見なかったのか?
自作自演は構わないと断言する人たちに何の根拠も無く粘着しても無理だよ。
まず自作自演が悪いと証明し、次に自作自演してると証明しないと蹴飛ばされる。
598 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 22:08:17
599 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 22:16:34
文盲は明朝叩き潰されないで済むと本気で思ってるんだろうか?
凄い自己肥大意識だね。
旗本偏屈男も喚きながら遁走した。
消滅時効男を見ろよ。消滅しちゃったよ。
600 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 22:20:27
■御三卿の家臣構成
@御付人→家老を始めとする八役の上級者。完璧な幕籍の臣
但し、職禄は公儀と屋形(御三卿家)より支給
A御付切→御三卿家の家臣
但し、職禄は公儀と屋形(御三卿家)より支給
B御抱入→御三卿家の家臣
但し、職禄は屋形(御三卿家)より支給
やはり、家臣団も曖昧な身分の者がいた。
交代寄合とは関係ないけどね。
601 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 22:47:24
「文盲派」という単語を使うのはこのスレでお前だけ。
お前を擁護するのもお前だけ。
602 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 22:50:21
>>599 明朝=明国で、反論した奴は中国人マフィアを使って殺させてるのかと思ったじゃまいかw
翌朝よりも好きな言い回しだけど、歴史家からすると紛らわしいんだよな。
室町時代の高家(高氏)と江戸時代の高家みたいに。
449 :本郷 義昭 :2007/05/20(日) 08:19:43
勝家が41石取の御家人であることは一般に知られています。
御家人の語で旗本を、旗本の語で御家人を含むことがあるので、気を付けて読まねばなりません。
いやはや三百代言とはこのことw 卑怯者という言葉に熨斗をつけて進呈しようww>本郷ウソツキちゃん
604 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 23:34:43
結局のところ簡単に言えば、交代寄合は、大名でもなく旗本とも違う位置付けになるのかな?
しかも中途半端な存在だから、幕閣役職も大名や旗本が本来担う役職のどちらにも就任するのが極めて困難ってこと?
今風に言えば名誉職みたいなものですか?
605 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 01:52:21
>>604 実態としては大名ならぬ「小名」なんだと思うけど
諸侯(大名)以外の知行持ちで陪臣じゃない者は旗本だとすれば
交代寄合も旗本と考えざるを得ないね
本郷義昭は自作自演を止めろ!
607 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 06:00:56
直参(直臣)の定義としては、将軍に直属した1万石未満の武士であって、
お目見え以上の旗本とお目見えできない御家人があったといわれています。
そのように言われていますが、では、外様大名から分知された8000石程度の
外様系旗本が直参であって、西大平藩(1万石,譜代,菊間,陣屋)なんぞは、
ご存知大岡忠相が藩祖となった新設取立て藩ですが、代々の譜代系直参旗本
からの昇進家です。
いざ将軍家に事がおこれば、外様系大身旗本も1万石代の譜代大名も全てはせ
参じることとなり、「直参」の定義に過去から疑問を持っています。
また、交代寄合と大名の違いを誰か整理してほしいものです。
608 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 06:09:58
すみません、
>>607 逆に、交代寄合と大名で同格のものを整理したほうがよさそうです。
≪例示(特異ケースは除外で一般的に)≫
◇参勤交代あり
◇伺候席あり
など
609 :
本郷 義昭:2007/05/23(水) 08:04:57
口汚く罵る皆さん、お早うございます。一日中罵倒合戦ご苦労さん。
さて『旧高旧領取調帳』はその名が示す如く、徳川の世も遠く去った明治時代の
文献で、しかも誤記、混乱の多いことで有名な書物。そもそも一次資料でありませ
んから、典拠に持出すには適しません。知ってる本はこれしか無いぞとばかり無分
別に担ぎ出すのでなく、良く考えて書くべきです。時の流れ、時代の観念を見落し
て歴史学は全く成立ちません。それなのに前世紀の寛政重修諸家譜だの、後朝の旧
高旧領取調帳だの、ようも見当違いな「時代錯誤」を繰返すものです。時代を超越
した荒しの皆さんは time traveler なりや?
だいたい論理の根本からして、俺は荒しだ! と叫ばんばかりの揚足取り根性で
甚だ宜しからず。問題の本質は、御三卿が大名かどうか、です。一般に否定され、
百科事典にまで大名でない家でもない家来も領分も無いと書きまくられてるくらい
ですが、暴走これに挑むなら定説の主要論拠を一々駁し、家来はいた、領分はあっ
た、実行支配していたと論証せねばなりません。言葉尻捉えて吠え立てても、結論
は少しも動きません。論者の理論性の無さを露呈するだけです。その上たださえ虚
しい枝葉末節論のたった一つの典拠が後代の二次史料、且つ有名な誤記本では仕方
が無い。
明治になって御三卿は初めて立藩し大名家になりました。この点からもそれ以前
は大名でも藩でもなかったことが明々白々で、荒し以外誰でも得心するのですが、
いったいこの史実を知っていますか? これ以後の表記は領分になるでしょう、そ
りゃ。その時点ではもう大名の領知なんですから。そうして貴説の担ぎ出した典拠
は、まさに立藩以後に書かれたものではありませんか。全然論拠たり得ず。御三卿
は江戸時代大名でなかったが、明治新政府の下では大名化した。そこでこれより後
の明治文献には大名と書いてるから江戸時代も大名だと怒鳴る・・・・ 無謀の主
張であったと判りますね?
610 :
本郷 義昭:2007/05/23(水) 08:06:40
このようにきちんと史料吟味して立論なさい。立論の方針として、揚足取は止め
ること。もししっかりした史料に誤用を見つけ出すことに成功しても−貴兄は失敗
した訳ですが−、堅牢な定説の理論構築は微動だにしません。「誤用」この一言で
終り。御三卿が大名であったと言張る怪人の、本当の理由は単純明快。学浅うして
御三卿が大名でないという常識的事実を知らなかった。これに尽きます。
荒しの皆さんが毎回粉々に論破されるのは知識や理論の欠如だけが原因ではあり
ません。人間性そのものに起因します。いったい学問は冷静鏡の如き心でせねばな
りませんが、私利私私怨私憤私情のみを専らとし、夜も寝ないで終日憎悪を剥出し
に罵詈雑言繰返すような人は所詮学問に適しません。精々オウムのマッドサイエン
ティストです。すっかり改心して、清く直く澄んだ心で真理に向いましょう。
611 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 08:40:41
>>610 >私利私私怨私憤私情
なんですかこれはw
あせってるんですかww
教授必死すぎwww
612 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 08:41:54
>私利私私怨私憤私情
さらしあげw
613 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 09:00:44
>私利私私怨私憤私情
ワロタ
「私」が一個余分w
教授は数が数えられんらしいw
学力不足しすぎw
615 :
本郷 義昭:2007/05/23(水) 09:12:25
交代寄合を純然たる旗本でないというぐらいは可能ですが、沿革的に旗本から
出発し、その後も旗本の一種として扱われています。旗本の定義に完全に包含さ
れ、大名、旗本以外に交代寄合があった訳ではありません。交代寄合名前からし
て寄合衆の一種を思わせます。
参勤の内容、実態に就いて何方も触れませんが、頻度や格式は大名より軽かった
ようです。参勤の負担は重大ですから、略式でなければ自らも望まぬ所ならん。普
通の寄合席も、一生に一度は正式に知行所まで往復しました。その回数が増えたも
のだという見方もできるのでは?
>>600 ABの幕臣身分の有無が重要です。「職禄」とは食禄なりや訳料なりや?
>>602 我は酔うて眠らんと欲す
君もし志有らば
明朝琴を抱いて来たれ
>>605 小名とは小大名の旧称ですが、大身殊に交代寄合の旗本が小名に近い存在であ
ることには同意します。
>>607 親藩、譜代は徳川家中で、外様は潜在敵国、良く言って野等です。宗家直参は
前者に分類されますが、外様系直参は確かに形式的ですね。本支の親戚関係を重
んずるは平安の昔、武士というものが発生して以来の伝統です。浅野大学処分を
見ても、外様系旗本は本家の付属物のように扱われ、連座してします。但し、譜
代同士なら大名と旗本の間には一体感があります。元々前者は後者から出頭した
もので、扱いも一時期除いて大差ありません。
616 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 09:33:49
今日も朝から文盲壊滅
錯乱の余り13秒感覚、1分11秒感覚で自作自演罵倒荒らし
618 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 10:07:54
一言も反論できないから100%罵倒だけになるんだろうが、
スレ題か、せめて歴史の話だけしろや。
せっかくまともな歴史論争になりかけてたのに、
611が暴れ込んで荒らし四連発(TT)
621 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 12:25:48
622 :
畜生:2007/05/23(水) 12:38:53
RAPE!
623 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 13:31:10
間違いないのは、教授とやらが来るまでのこのスレはいいスレだったこと。
こいつ一人が乱入してきて、スレは終わった。
実生活でもそういう奴なんだろうね。
624 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 13:32:53
>>609 >口汚く罵る皆さん、お早うございます。一日中罵倒合戦ご苦労さん。
自己紹介、乙
俺のやることは正義で、
オレを叩く奴は悪で、
そんな空気読めない五歳児病さん、お医者はここじゃないですよ?
もうかまうなよ。かまうからいつまでも出てくるんだろうが
津軽分家の黒石とかああいう旗本を経ている大名で旗本の時交代寄合だった家はありますか?
那須衆とかって衆として括られているけど系譜的に繋がっているの?それとも本来は同盟
関係?単なる便宜上のくくり?
>>626 津軽黒石支藩(5000→分知で4000石)は、初代から三代目まで交代寄合。
初代は幕府旗本扱い(幕府から俸禄貰ってた)だったけど、
津軽本家が幼少藩主だったので、「特に補佐するように」という命令で本家に付属させられ、
一旦幕府に俸禄返上→本藩から分知という形で交代寄合化。
津軽本藩と黒石領国と江戸(幕府)を往復する、忙しい人生だったらしい。
で、三代目(釣りバカ)が小普請組に編入されて、交代寄合じゃなくなった。
釣りバカだったから、が理由なのかは不明。時は生類憐みの令の時代。
でも三代目は国許にも帰ってたみたい。
その後の代で、津軽本藩に養子を出した縁で、
本藩より残り6000石を融通してもらって大名化。
表御礼衆の表ってなに?
630 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 20:13:41
畳表か江戸表かってところでは。
631 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 20:22:25
>>609-610 本郷が、一次史料に当たるどころか、まともに検索でもかけられるなら、とっくに自分の過ちに気づいているはずだがな。
そんなに一次史料が欲しいなら、ウダウダな遣り取りの元になった「渋沢栄一による一橋領での木綿専売の試み」に
関するものを挙げておく。「木綿預手形通用につき摂津領内へ触書」(『兵庫県史 資料編 近世4』収載)がその一例。
慶應二年十月に村方に出された触書の写しだ。本文中には、何箇所か「御領知」という用例がある。
いつまで悪あがきを続けるんだ。電波に突き動かされているのか?
とりあえず表高家の表とは意味が違うよな。
633 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 21:44:59
表千家の表とも違うよな。
634 :
日本@名無史さん:2007/05/24(木) 01:11:04
635 :
日本@名無史さん:2007/05/24(木) 07:28:06
>>615 >>600 ABの幕臣身分の有無が重要です。「職禄」とは食禄なりや訳料なりや?
人を小ばかにしたような書きぶりとせず、まじめにご教示ください。
意味が理解できません。
636 :
本郷 義昭:2007/05/24(木) 11:12:08
馬鹿にしたのされたのというのはひがんで暮す田舎者の喧嘩口上です。人は皆
愚かにして弱し。切支丹歌ふて曰く、♪我等の弱きを知りて憐れむ。馬鹿にされ
たと思ったら−していませんが−天の声と感謝して傾聴し、愈々励む可し。朝か
ら私怨を妄想して愚図愚図揉めず、学問に徹しましょう。
で、職禄といふことばが意味不明です。職に付くなら御役料、御役金の類では
ないかと。が、論理上は食禄にてもあらんか。武家の収入は基本的に家禄に拠り、
職に依存しません。役料ではそれこそ生計が相立ちません。武士は身分にて職業
に非ず、「職業人」ではありませんから「無職」が原則。禄なり扶持なりがどこ
から出ているかは傍証たり得るにしても決定打になりません。それは商売人の理
屈ですが、それを言うなら言うで、知行は役料はと収入ごとに分類し全体的に論
ぜねばなりますまい。肝心なことは、誰と主従関係を結んでいるか、です。これ
は徳川宗家に士籍が有るか無いかで明らかとなります。
>>604 公儀の役職は本来大名と旗本を区別しませんが、御役毎に役高が決まっていま
す。そうして大名と旗本の区別が石高による為、役高が万石未満の御役なら自動
的に旗本の役職という結論になります。交代寄合が役職就任から排除されている
のではなく、大禄の者が多いので、引下げ勤め以外に無いのです。役高は大御番、
御側衆、西丸御留守居あたりの五千石高が最高ですから、これを超える家禄の者
は就く可き御役が無い。交代寄合に限らず、家禄によって御役に付き易い石高、
付き難い石高があります。武士は職業でありませんから、役高は各クラスに万遍
無くばらまかれては居らず、或石高だと付くべき役職が無い、或は少いというこ
とになるのです。
>>627 那須衆なり美濃衆なりは、単に知行所の所在地による呼称に過ぎません。
638 :
日本@名無史さん:2007/05/24(木) 12:57:59
おお今日も元気で粘着しとるな。
それで、636とどれが自作自演なのよ?
>人は皆愚かにして弱し。
お前ほど愚かで迷惑意識の薄弱なのは他にはいない。
他人を一緒にしないで下さい。
とっとと去れ。
アンカーつけるなよせっかくあぼーんしてるのに
自称教授(憐)が来て以来、クソスレ化したな。
それまではいいスレだったのにな。
643 :
日本@名無史さん:2007/05/24(木) 17:01:04
おまいがそうやって何百回も悪態つくから荒れるんだよ。
露骨に荒らしてるのはおまい一人だ。
それも毎回コピペ。同じことの繰返しばっかり。
交貸寄合の話しろ!できないなら来るな荒らし野郎。
↑なにこの妄想wwwwwwwwwww
「オレを攻撃する奴なんて、この世に一人しかいない!そいつが俺にいつもいつもいつもいつも・・・」
「内容が同じならコピペ扱いだ!俺が決めたルール!この荒らし野郎!文盲派め!私利私私怨私憤私情・・・」
(”何度も何度も同じ糾弾をされるような迷惑行為をしている”という自覚がない。なぜなら俺=正義だから)
人格障害者は大変だな。
わかったからカリカリしないで下さいよ本郷さん。交貨寄合って何ですか本郷さん?
646 :
日本@名無史さん:2007/05/24(木) 17:45:55
愉快犯か。別にスレタイに関心はなさそうだな。
情けない奴としか言えない。
スレタイに関係ない話を延々として、
早々に唾棄されたクソコテハン。
確か教授とか、本郷とか言ったよね。
あいつどう思う?
ねぇどう思う?
ねぇねぇねぇねぇ、どう思う?
>>643
648 :
日本@名無史さん:2007/05/24(木) 18:03:07
愉快パワー炸裂w
649 :
日本@名無史さん:2007/05/24(木) 20:52:20
「オレを攻撃する奴なんて、この世に一人しかいない!そいつが俺にいつもいつもいつもいつも・・・」
とゆう訳で「本郷義昭さん猛烈な自作自演乙です」と決めつけるんだね。和露他w
650 :
日本@名無史さん:2007/05/24(木) 21:32:20
教授 交代寄合
反荒らし 交貸寄合
荒らし 交貨寄合
651 :
日本@名無史さん:2007/05/24(木) 21:45:43
>>636 武家の収入は基本的に家禄に拠り、職に依存しません。
確かに基本的にはそうでしょう。但し、御三卿の家臣は、全て旗本又は御家人
と解されてますね。
御家人は、家禄のある身分の「譜代席」「准譜代席」と家禄がなく、職禄による
一代幕臣の身分の「抱入席」がありました。
家禄がない幕臣も現実に相当数がいたはずです。
652 :
日本@名無史さん:2007/05/24(木) 22:02:29
>>636 肝心なことは、誰と主従関係を結んでいるか、です。
確かにそうだと思います。しかし、現実に、御家人も徳川家の直臣であるけれ
ど、家禄のない者が多数いた。職禄を賜ることにより、主従関係が結ばれて
いたのでしょうね。
なお、既掲載の役料については、元禄5年に廃止され、家禄と職禄という支給
方法に代わったものと思われます。
ではどうぞ・・
653 :
本郷 義昭:2007/05/24(木) 22:33:36
明日は多忙ゆえ、今夜のうちに挙げ置きます。
交代寄合と一般の旗本との異同は、石高ではない。唯参勤交代の有無に懸る。
故にこの参府自体を考察することが緊要だが、ここでは斯る考究をちっとも見な
い。交代寄合衆の参勤交代は大名並の頻度ではないらしく、原則在府で、時に許
しを得て知行所へ赴くに過ぎない。当主一代の在位期間を仮に平均十八年として、
一代の内に参勤する回数は大名なら義務的必要的で、近国の領主は十八回、並の
距離で九回、遠国で六回。旗本は義務的でなく任意的で、交代寄合なら数回、並
で一回と綺麗に並ぶ。義務から任意へ、十八回から九回、六回、数回、一回へ。
つまり交代寄合もこの流れ、系列の中に自然に位置し、何ら特異な存在でないこ
とがわかる。
以上は概ね小職のオリジナル仮説ですが、新たに一稿を起して業績に加える元
気はもう尽きました。学生ならこれを論文に纏めれば課程博士か、拙くても修士
ぐらいはとれるでしょうから、遠慮無く研究課題にされよ。首尾良く学位をとっ
たら小職の所へ御禮言上にお出でなさい。博士になるのは博士論文公刊が事後的
義務です。その時、本郷先生より広大無辺なる学恩を賜ったと明記すれば、盗作
扱いしないのは勿論、学会年報に書評出して褒めますから、どうぞ勇んでお書き
なさい。
役高の話。五千石高西丸御留守居は御留守居の行違ひ。訂正す。
>>653 ファン・ウソツク教授閣下、回答をまだいただいておりませんが?
371 :本郷 義昭:2007/05/19(土) 00:23:54
>勝家もたかが御家人ではありませんか。狭義の武士ではありませんぞ。旗本
>みたいに法螺を吹いてはいけません。
これはどう読んでも、勝は旗本ではなく御家人である断定しているとしか
理解できませんが? 間違いありませんね?本郷先生
>>653 オレ説は「メモ帳に書いてデスクトップに保存→ゴミ箱」でよろしくお願いします。
あなたが来て以来、スレッドが終わってしまいました。
ぶち壊しですよ。
「空気読め」は、あなたのためにある言葉です。
657 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 00:06:25
文盲はこーゆー学術論争になると逃げ散って逼塞するなw
658 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 00:16:32
>>653 大名の参勤交代の頻度は、単に江戸からの距離の問題なんだろ?
普通の旗本は1回、交代寄合は数回だってことなら、やっぱり交代寄合は旗本の中では特殊な存在じゃん。
どこが自然な流れなの?
659 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 00:21:32
学術論争ができないから怒号連呼w
何故どたわけなのか、
なぜ嘘つくのか、
なぜ回答するのか、
なぜオレ説はだめなのか、
なぜ空気を読まねばならないのか、
なぜオノレは低脳粘着文盲荒らしなのか?
きちんと理由を書けなければ学問板にならん。
満身これ荒らしの塊だぞよ。
660 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 00:55:54
基地外のオレトークって、基地外脳では「学術論争」って言うのか。
スゲー
662 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 05:04:58
本郷は「御三卿は大名ではない」などという主張を繰り返しているが、一体誰に対する反論のつもりなのだろうか。
やはり奴の脳内にだけ存在する相手なのだろうが、そんなものを相手にするより現実世界の
>>631に対する反論を
聞きたいものだ。
663 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 07:18:54
■これまでの混乱事項の整理
>>206 ○武士は本質的に財貨を卑しみますから
◇田沼意次の時代は賄賂政治(金銭と品物を欲する)そのものであったのに
>>232 ○よって典型的近世武士は無職で宜しい。
◇家禄のない直参(御家人)が役職なつけなかったらどうするの? 全て直参に家禄
があればこの見解もOKですが
>>371 ○御三卿は大名でも旗本でも御家人でもなく、したがって領分も知行所
も給地もありません。
◇旧高旧領取調帳に掲載されているも、その信憑性を指摘する始末
>>379 ○なほ勝家は四十俵の御家人です。
◇致命的な過ちだが認めない
>>454 ○御三卿の件、大名でない位常識でしょう。
◇広島新田藩なんかは本藩から蔵米3万石が与えられ立藩している。微妙な
家じゃなかったのかな。そもそも当時は大名の定義はあったのか。
>>544 ○定府の存在は誰でも知っており、ここぞとばかり絡むあなたの態度は学問的
でありません。
◇文盲呼ばわりするあなたの態度が非難されています。
>>574 ○御三卿…上は重臣筆頭から下は侍とも呼べないような随分軽い武家奉公人まで、
御直参。
◇御三卿家の重職者は確かに幕籍の臣で今で言う出向職員。しかし、
下級家臣の多数は御三卿家が自ら抱入者として補給していた。
664 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 07:43:25
665 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 08:36:42
666 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 09:55:15
何も混乱なんかしてないw
混乱してるのは言い負かされて気の狂ったように荒らし回る文盲の頭だけ。
わしが見ても
>>663 の頭の悪さでは明日の朝教授に吹飛ばされてしまうことにケテーイ。
>>666 吹飛ばされ ???
○なほ勝家は四十俵の御家人です。
◇致命的な過ちだが認めない
ずーーーと、長らくお待ちしているのに、吹き飛ばしてもらえない件w
669 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 11:45:21
禿同。
みんな教授に叩き潰され、文盲も沈黙して逃出した話ばっかし。
勝家の話は最初から教授たちが御家人が定説なこと、元々どうでもいいスレ違いな話題であることを書いてある。
どうしても蒸し返すんなら自分で根拠上げなきゃな。
文盲が旗本説の根拠を書いたことは一度も無い。
気の狂ったようにわめいても、世の中荒らし中心に動きゃしないよ。
>>669 漏れは、卑怯者・本郷義昭から確認したいだけ
おまいが本郷でない限り、何の用もないw
671 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 11:59:21
初めから明言してるだろ。
それを異常者のおまいが何十回もコピペして荒らしてるだけ。
おまいが粘着基地外。
健常者は誰も基地外にあわせて何十回いちいち同じ返事は繰返さないよ。
>>671は教授派?反教授派?誰に対するレスなのかでどちらともとれるな。
そのどちらともとれてしまうところがこのスレの末期的状況を象徴しているわけだけど。
673 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 14:34:01
「スレ違いの長文」を延々と垂れ流し、
他人の忠告勧告助言を「一切読んで理解することができないリアル文盲」
そして自分に忠告してくれる、親切な人に対して
「文盲派」「荒らし」「コピペ」
呼ばわりする社会性のなさ。
それが本郷ですよ。
本郷とやら、困った人だと思いませんか?
>>669
>>666 あんたが教授とやらに変わって論破してあげなよ。
っつうか教授以外の教授擁護派が何も論ぜられないのは何故?
>>674 > っつうか教授以外の教授擁護派が何も論ぜられないのは何故?
文体で自作自演がわかってしまうからに決まってるじゃないですか。
文盲はそんなこともわからずにコピペで場を荒らすようなデリカシーのない輩だから文盲だと言われるんです。
当時の賄賂って歳暮みたいなもんでしょ
677 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 18:56:52
>>674 文盲派は何を論じてるの?
あげあし取り?
歳暮みたいなのもあるが、当時の人が見ても非常識であきらかに賄賂としかいいようがな
いのもある。
浅野主従は常識を知らずにケチった馬鹿殿と馬鹿家臣。
とは言え付け届けが習慣になってるからやはり現代よりは区分けが難しいだろう。
>>677は
>>674のあげ足さえとれてないね。
尊敬する教授の講義を消化して紹介することも出来ないの?
どっちも応援しないけど今回に関しては
>>677の負けだね。
680 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 20:18:35
↑
イタイ所をつかれた文盲派
682 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 22:19:50
交代寄合に直接関係ないけど教えてください。
広島新田藩浅野家は、芸州浅野本家の分知大名であった。特に封地も定められ
ず、領地もないまま、本家より蔵米3万石が支給されていた大名であった。
定府大名であったので、在地に交代することもなく、領地がない以上、特定の
領民もなかっただろう。このような、特異な大名が存在した。
ついては、「大名」の定義について、整理してもらえませんか。
683 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 22:52:21
本家から蔵米貰えば本家の家来
684 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 06:28:00
>>683 将軍家は、代替わりごとに各大名に「領地判物又は領地朱印状」を与えて
いる。しかし、御三家には、太守に与えられていた前者の発給された形跡は
ないらしい。
その両朱印状には、恐らく領地目録が添えられ、郡村名と石高が示されてい
たはずだが、大藩の内分知の新田藩のような場合は、領地も与えず表高を
届け出て、収納高を本家が支給し、本家の表高は減らさない特異な枝藩で
あったらしい。
この場合は、本藩から蔵米で支給されるが、将軍家より領地朱印状が下され、
お墨付きを貰っているという点で、他の家門一族と異なるのだろう。
そして、領地目録には、○○城下で計1万石とかの表示があったのだろう?
685 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 07:13:23
>>666 何も混乱なんかしてないw
混乱してるのは言い負かされて気の狂ったように荒らし回る文盲の頭だけ。
わしが見ても
>>663 の頭の悪さでは明日の朝教授に吹飛ばされてしまうこと
にケテーイ。
「わしが…」と「…ケテーイ」はどうしても不釣合い
せめて、ボクや私がとかにしないと、バレバレなんですが・・
686 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 07:16:49
687 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 08:34:29
688 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 08:39:40
西日本では学生でも普通にわしというのを知らないとは、やっぱり「頭の悪さ」を露呈しているw
689 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 09:20:30
>>688 西日本では学生でも普通にわしというのを知らないとは、やっぱり
「頭の悪さ」を露呈しているw
西日本では学生でも普通にわしというのを知らない=頭の悪さ
※意味不明
690 :
本郷 義昭:2007/05/26(土) 09:26:13
学問スレで下らぬ雑言無用。喧嘩口論停止の御法度を知らずや。重々不可不悔悟。
>>658 貴指摘は一理有れど、江戸からの距離の問題は大名配置の問題にて、大大名か
ら小大名まで、遠きより近きへ配列したることなれば、距離の遠近は石高の大小
と相関せり。仮に貴説を容れ大名間の区別を一擲すとも
大名 十八乃至六回 交代寄合 数回 並の旗本 一乃至零回
とやはり綺麗に並べり。如何。
>>684 大筋正しけれど、二点誤れり。第一、領地とは申すまじ。お確かめあれ。
第二、将軍家代替りごとに各大名へ発給されるのは十万石以上なら御判物、以
下なら御朱印状。但し前者は花押。当然墨書。書判と申しても予め属僚が概成さ
せて置き、将軍家はちょんと筆を載せるだけ。後者は普通のはんこだが、御一新
以前、印判は黒印だったので、朱印は格式高かった。今では下郎も荒しも朱印を
用いる四民平等の有難き御世である。以上により「両朱印状」は間違い。
>>683 の指摘する封建主従制の本質を解説した本論は諒とす。分知には完全なる
と、ないしょ分とありき。後者は取潰しの場合、本家へ領地が戻る。前者は必ず
しも然らず。よって大名とは呼ぶは疑有り。御目見の陪陪臣か。
371 :本郷 義昭:2007/05/19(土) 00:23:54
>>361 >勝家もたかが御家人ではありませんか。狭義の武士ではありませんぞ。旗本
>みたいに法螺を吹いてはいけません。
これはどう読んでも、勝は旗本ではなく御家人である断定しているとしか
理解できませんが? 間違いありませんね?本郷先生
692 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 09:47:40
来たな基地外。
>>691 大教授先生が、なぜかこの件だけは逃げ回って回答しない件ww
694 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 10:16:30
最初から明言してるだろ。
一度や二度じゃあるまい。
おまいの引用の中ですら明言されてる。
おまいは同じコピペを何十回やってるんだよ変態野郎。
際限ないコピペあらしで見るからに異常者だから相手にされない。
695 :
本郷 義昭:2007/05/26(土) 11:02:12
>>651 了解。貴稿が御家老にまで職禄と書かれたので何事ならんと存じ候ひき。
御三卿に仕える者が最下層まで全員直参とは断定いたし兼ねますが、役職表を見
ればかなり下まで直参のようです。
武家に仕える者を武家奉公人と申し、「重き武家奉公人」と「軽き武家奉公人」
に二分します。これは当時の法制用語で、両者の扱いには大きな隔たりがありまし
た。つまり下男下女の果てまで「御武家様」なのではない。士分とは普通、中小姓
以上を言います。武士とは身分であり、職業でありませんから、一時的に職業とし
て武家に仕える者は、武士に混じって武家奉公する都合上、特に百姓町人への手前、
武士らしい風体をしますが、これは御目溢しの類にて、職を離れれば元の百姓髷に
戻るは勿論、在職中、上級役所へ行くにも両刀を脱し、庶人の姿で這蹲ります。こ
れを直侍などと俗称し、庶人も侍とは見ませんでした。
斯く侍とは永続的身分ですから、家禄を賜るか、家禄無しでも郷士等代々の固定
的立場でなければなりません。時々話に出る株売買も、本来的武士ならぬ者が武家
奉公の職を譲るのであって、武士の身分を売るのではありません。
遠国大名を六回と書きましたが、これは在府期間が判らないゆえ丼勘定にて、三回かも知れず。
696 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 11:02:58
>>690 >第一、領地とは申すまじ。お確かめあれ。
と見解を述べられていますが、少なくとも鳥取県立博物館のHP
http://www.z-tic.or.jp/p/museum/digital/sankei/33/ では、確かに御判物御根帳抜書に「御判物」と記されていたと説明
されているが、普通に領地判物とも記述されている。官庁のHPが
全て完璧とは言い切れないが学芸員の方も監修しているはずです。
まさに、鬼の首を取ったほどの間違いなのか不明です。。
というよりも、そもそも、この話題を持ち出したのは、元々良スレで
あった、この掲示板を何とか話題修正しようと頑張っているつもり
でした。
あなたにこんな教示を請うつもりで書き込んだのではありません。
しかし、「あなたからの注釈は不要」と示さなかった私の失態だと反省
しております。
私が記載した「領地判物」→× 「御判物」→○と指摘する暇があるの
なら、皆が注目している『勝家が御家人』であった説明をきっちりして
からの方が良いのではないですか。
697 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 11:11:27
領地×
領知○
だよね
699 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 12:08:50
信念が大切だ
700 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 12:31:49
>>674 よし!俺に任せろ。
○武士は本質的に
◇田沼意次の時代は賄賂政治(金銭と品物を欲する)そのものであったのに
田沼は唯一道を踏み誤った例外ではあったが、倅の若年寄田沼意知が斬殺
されたのが武士道の不覚として財貨を卑しむ武士世間の総攻撃で失脚、
罪に落ちた。
○よって典型的近世武士は無職で宜しい。
◇家禄のない直参(御家人)が役職なつけなかったらどうするの? 全て直参に家禄
があればこの見解もOKですが
家禄のないものは百姓町人であって直参じゃあない。
家禄も職も無い直参なんて存在しない。
役職につけなかったら死ぬまでそのまま。
701 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 12:40:58
○御三卿は大名でも旗本でも御家人でもなく、したがって領分も知行所
も給地もありません。
◇旧高旧領取調帳に掲載されているも、その信憑性を指摘する始末
信憑性の問題より旧高旧領取調帳が御三卿を大名に取立てた後の史料だ
からそこに大名みたいに書かれてても昔のことはわかんないという話。
○なほ勝家は四十俵の御家人です。
◇致命的な過ちだが認めない
どこがどう過ちだか書きなさいよ。そーゆー態度が致命的に誤ってるぞ。
どっちにしろ交代寄合と関係ないスレ違い話題だから致命的なはず
なんか無い。さぎしみたいな大法螺はいかんよ。
702 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 12:47:40
○御三卿の件、大名でない位常識でしょう。
◇広島新田藩なんかは本藩から蔵米3万石が与えられ立藩している。微妙な
家じゃなかったのかな。そもそも当時は大名の定義はあったのか。
御三卿が大名でないことは普通の本に書かれてる。
大名の定義は万石以上の領主で直臣なんだそうだ。
このスレの流れでも広島新田の大名性は否定的だな。
○定府の存在は誰でも知っており、ここぞとばかり絡むあなたの態度は学問的
でありません。
◇文盲呼ばわりするあなたの態度が非難されています。
一日中荒らしているあなたの態度が非難されています。
文盲騒ぎは何年も前に文盲が自分で起こした。
703 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 12:52:34
○御三卿…上は重臣筆頭から下は侍とも呼べないような随分軽い武家奉公人まで、
御直参。
◇御三卿家の重職者は確かに幕籍の臣で今で言う出向職員。しかし、
下級家臣の多数は御三卿家が自ら抱入者として補給していた。
教授が具体的に多数の下級家臣が幕臣である実例を挙げたのに、文盲
は実例も根拠も何一つあげていない。
とゆうわけで文盲丸負け。混乱もなくあっさり瞬間負け。
704 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 14:33:57
良くまとまりました。
また文盲の負け。
というより負けた話題を何の反論も加えないで
漫然と放心状態で蒸し返すから当然また負ける。
文盲よ、どうせ誰もおまいなんかに期待してないんだから気にしないで帰って来い。
これからは行儀良くするんだぞ。
705 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 14:41:54
「スレ違いの長文」を延々と垂れ流し、
他人の忠告勧告助言を「一切読んで理解することができないリアル文盲」
そして自分に忠告してくれる、親切な人に対して
「文盲派」「荒らし」「コピペ」
呼ばわりする社会性のなさ。
それが本郷ですよ。
本郷とやら、困った人だと思いませんか?
>>704
706 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 14:42:05
>>704 本郷さん、また分かりやすい自作自演ですね
707 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 14:45:08
反論できないので悪口いってみますた。
708 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 14:53:29
文盲、帰ってきたけど行儀は悪いね。
709 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 16:47:14
つーか、
>>631に対する反論はどうなったんだよ。いくら本郷が「御三卿は大名ではないから領地も家臣も持たず、
ゆえに御三卿が専売制を試みることもありえなかった」等と思い込みを根拠に主張しても、議論にならないぞ。
710 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 17:39:45
物凄い思い込みだな。
そこまで肥大した自己中心性はある意味ソンケーに値する。
634でちゃんと引用しろとたしなめられただろ。
史料にあるぞといいながら、その史料は示さない。
おまいのは主張になってないんだよ。
早くもってこい。
教授が一時史料を出せといったかのようなカキコも631の作った嘘。
福本の池田とか柳生とか一万石ぎりぎりやそこそこなのに分知して旗本になっちゃう家っ
てなに考えるんですか?
旗本の方が格式関係の費用を節約できるからですか?
あんまり関係ないけどちょっとした疑問。
高禄とは言うけど普通低禄とは言わない。
小禄とは言うけどあまり大禄とは言わない。
大身・高禄の対義語として小身・小禄が通用される。なんで?
713 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 19:29:07
>>710 つまり、本郷は出典を示されても自分で調べる能力もないボンクラだと言いたいのか?
全く、このスレには電波が飛び交っているようだな。
714 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 19:39:38
電波少年らしく頭が感電しとるな。
自分の主張は時分で証明しろ。
きちんと引用するのが学問作法。
715 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 19:50:57
つまり、文盲は史料がある有ると吼えるばかりで現実にそれを提示する能力もないボンクラだと言いたい。
というより相手が調べると思う時点で発狂しとる。
地球はな、おまいを軸に回ってるんじゃないんだよ。
早く探し出して持って来い馬鹿者。
716 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 19:56:48
レファレンスで引用をを示すやり方も知らんのか。程度が低すぎないか?
レファレンスを当たるのが面倒なら、一応ネット検索で補足しておく。つーか、本郷はこの程度の情報を検索する
能力もないのか?
まだくだらねえ思い込みでウダウダ言うつもりなら「悪あがきしたいならちゃんとこっちが提示した文献を当たれ」と
言っておく。
『加古川市史 第5巻 第2章』の紹介文
http://www.geocities.jp/askawa2/tie/tie4.htm >加古川市域は播磨地方でも綿作が最も早く且つ盛んとなり、18世紀前期には最良賀の播州木綿=長東(ながそく)
>木綿の特産地を形成するまでになった。このことは村明細帳の記載にも現れているが、この特産品たる木綿に対し
>ては、この地域の領主姫路藩・一橋徳川氏(近世後半)がともに専売制をしき、姫路藩のごときは、その加工工程
>(篠巻=しのまき、綛糸=かせいと)についても統制を加えた。
717 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 20:09:53
『加古川市史』の箱の写真だしてどうすんのよw
シミジミと気が狂っとるな。
該当部分引っ張って来い。
言っとくがな、おまいがそれをしなくたって、周りは誰も困らないんだ。
おまい一人が嘘吐きになるだけ。
718 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 20:15:44
今、恐ろしいことに気付いたが箱男よ、
まさかおまいの主張する証拠とは716の引用文じゃあるまいな、
近頃どっかのおっさんが書いたその紹介文とやらではなかろうな。
馬鹿は出て来るな。
学校出るまで大人しくROMってろ。
719 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 20:30:07
>>718 個人のHPとは気づかんかった。ケアレスミスだ。じゃあ、改めて
>>631のレファレンスに当たれ厨房。
720 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 20:32:15
>>717 >言っとくがな、おまいがそれをしなくたって、周りは誰も困らないんだ。
本郷が電波飛ばしまくっても、確かにここは所詮2chだからなあ。
721 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 20:32:57
文盲派が
>この程度の情報を検索する能力もないのか?
とほざいて出してきた資料が「加古川市史」ですかw
教授の講義の方がはるかに信憑性があるw
722 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 20:40:55
つうか教授以外の教授擁護派が何も論ぜられないのは何故?
723 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 20:43:30
厨に難しいことを要求してやるなよ。馬鹿が頭を使うと熱出すぞ。
724 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 21:17:18
箱男さん、箱はもう6箱も見せていただいたので毛沢山。
誰が書いたか判らない本屋の引札広告文もいりません。
どうか自慢の近世史料を見せてください。
おながいしまつオナガイシマツ
725 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 21:20:28
>>700 ○田沼は唯一道を踏み誤った例外ではあったが、倅の若年寄田沼意知が
斬殺されたのが武士道の不覚として財貨を卑しむ武士世間の総攻撃で
失脚罪に落ちた。
◇佐野政言が田沼意知を惨殺した原因と財貨を卑しむことと、どのように
関係しているのか。その情報についてアドレス掲載してください。
○家禄のないものは百姓町人であって直参じゃあない。家禄も職も無い
直参なんて存在しない。役職につけなかったら死ぬまでそのまま。
◇直参とは、旗本と御家人があるのだが、御家人17000名の全てに
家禄があったのか。その情報についてアドレス掲載してください。
>>701 ○信憑性の問題より旧高旧領取調帳が御三卿を大名に取立てた後の史料だ
からそこに大名みたいに書かれてても昔のことはわかんないという話。
◇明治新政府が幕末の状況を取調張として作成したが、そんなに昔では
ないだろう。というより、大名か将軍家の家族か分からない曖昧な家で
たったということ。
○なほ勝家は四十俵の御家人です。どっちにしろ交代寄合と関係ないスレ
違い話題だから致命的なはず
◇前のレスの99%はスレ違いだろ
○御三卿が大名でないことは普通の本に書かれてる。大名の定義は万石以上
の領主で直臣なんだそうだ。このスレの流れでも広島新田の大名性は否定的
だな。
◇曖昧な家は新田藩でもあったということ。領地なしでね。その例え言ってる
だけ。
726 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 21:24:57
725正誤表
正…お前のレスの99%はスレ違いだろ
誤…前のレスの99%はスレ違いだろ
727 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 21:27:20
本郷の敗北のようだな。
728 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 21:38:02
21:20:28 に書いて6分52秒後の 21:27:20 に何故か早々と勝利宣言。
文盲の自作自演と大法螺の空しさが光りますw
729 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 21:40:47
>>726 誤…お前のレスの99%はスレ違いだろ
正…文盲派のレスの99%はスレ違いだろ
730 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 21:53:16
思い込み:確定分
(1)勝家を四十俵の御家人と思い込んでいること
(2)御三卿家の家臣は重職者から軽輩のものまで全て直参と思い込んでいること
(3)直参には旗本と御家人があるが、御家人17000名の全てに家禄があると
思いこんでいること
思い込み:疑惑分
(1)「武士は財貨を卑しむ」としているが、幕府そのものが金品の付け届
け社会であって、田沼時代は財貨を欲した時代
(2)「御三卿は大名ではない」としているが、旧高旧領取調帳にも記載さ
れるなど大名か将軍家の家族か曖昧な家でたった
732 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:09:33
文盲派
・中途半端な知識を披露
↓
・教授の指導を受ける
↓
・必死にあげあし取り
↓
・軽くいなされる
↓
・ブチキレて荒らしにはしる
733 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:13:40
箱男、加古川市史から話をそらそうと必死だなw
でも700は教授じゃないぞ。妄想するな。
それと725は馬鹿丸出し。いったい大学出てるのか?
◇佐野政言が田沼意知を惨殺した原因と財貨を卑しむことと、どのように
関係しているのか。その情報についてアドレス掲載してください。
殺人犯佐野善左衛門が佐野大明神と仰がれ、可哀相な被害者遺族が寄って集って
蹴落とされた理由が尚武賤貨以外にあったら教えてください。
この世にアドレスが出現したのは十数年前。その遥か以前から歴史学はアドレ
スに関係なく研究されて来たのになぜ唐突にアドレスなのか教えてください。
○家禄も職も無い直参なんて存在しない。
◇直参とは、旗本と御家人があるのだが、御家人17000名の全てに
家禄があったのか。その情報についてアドレス掲載してください。
家禄も職も無い直参がいたら教えてください。
734 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:15:02
○旧高旧領取調帳が御三卿を大名に取立てた後の史料だからそこに
大名みたいに書かれてても昔のことはわかんないという話。
◇明治新政府が幕末の状況を取調張として作成したが、そんなに昔では
ないだろう。大名か将軍家の家族か分からない曖昧な家ではなかった
どの程度の昔であろうとも、大名に取立てられた後では仕方が無いだろう。
曖昧でなく明瞭に非大名。曖昧なのは箱男の知識。
◇前のレスの99%はスレ違いだろ
箱を被って暗闇の中でスレ違いを反省しろ。
○大名の定義は万石以上の領主で直臣なんだそうだ。このスレの流れでも広島新田の大名性は否定的
◇曖昧な家は新田藩でもあった。領地なしでね。その例え言ってるだけ。
領地の無い領主があるか!日本語わかるか?判るな?
735 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:19:54
教授って自己顕示欲が強いニート?
736 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:20:47
教授派・えせ教授派
・上から見下すような展開で知識を披露
↓
・常識人からの指摘を受ける
↓
・歴史的仮名遣で意味をはぐらかす
↓
・また、加えてダブハンで必死に防衛する。
↓
・しかし、バレバレで軽くいなされる
↓
・荒らして逃げるもまた舞い戻る
737 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:30:42
マジで疑問なんだけど、
教授って人は、何で2ちゃんねるで“教授”とかわざわざ名乗って変な言葉で書いてるの?
738 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:31:51
739 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:36:38
>>730 >(1)勝家を四十俵の御家人と思い込んでいること
スレ違いの上に粘着何十回こぴぺ荒しでその上一度も自説も根拠も書かない荒しカキコ。
>(2)御三卿家の家臣は重職者から軽輩のものまで全て直参と思い込んでいること
教授は695で
>御三卿に仕える者が最下層まで全員直参とは断定いたし兼ねますが、役職表を見
ればかなり下まで直参のようです。
と書いてる。だから(2)は文盲箱男の嘘。
>(3)直参には旗本と御家人があるが、御家人17000名の全てに家禄があると
思いこんでいること
これも嘘。教授がどこにそんなこと書いたか、箱から出て来て明記しろ。
>(1)「武士は財貨を卑しむ」としているが、幕府そのものが金品の付け届
け社会であって、田沼時代は財貨を欲した時代
屁理屈。教授の言う「武家千年の歴史」のなかで田沼時代は何年よ?
しかも田沼の親父は叩き落とされ、息子は切り殺されてあぼーん。
武士の価値観は田沼時代を許さなかった。
>(2)「御三卿は大名ではない」としているが、旧高旧領取調帳にも記載さ
れるなど大名か将軍家の家族か曖昧な家でたった
御三卿が大名でないというのは定説。箱男が珍説。
旧高旧領取調帳が御三卿の大名取立後の収集記録で根拠たりえないことは何度も指摘済み。
同じ話を何度も執拗に繰返すのは記憶が八時間しか持たない病人かと危惧する。
740 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:39:42
御家人のうち家禄ない者(抱席)が役職中にしくじりがあってお咎め
を受ければ非役の小普請組に入ったのではないのでしょうか。
741 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:44:46
>>736 添削
>・上から見下すような展開で知識を披露
教授が学生に講義するんだから当たり前
>・常識人からの指摘を受ける
正しくは「文盲派のあげあしとり」。文盲派は常識人とは言えない。
>・歴史的仮名遣で意味をはぐらかす
そもそも教授は歴史的仮名遣いがデフォルトである。
日本史スレで歴史仮名遣いではぐらかされる輩は文盲派くらいのものであろう。
>・また、加えてダブハンで必死に防衛する。
まだこんな頓珍漢なこと言っているとは…。
>>1から読み返せ。
>・しかし、バレバレで軽くいなされる
いなすんじゃなくって必死で粘着だろ。
>・荒らして逃げるもまた舞い戻る
これまさに文盲派w
>>739 箱男はひどいなあ
本当に文盲なんだなあ
743 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:49:26
「スレ違いの長文」を延々と垂れ流し、
他人の忠告勧告助言を「一切読んで理解することができないリアル文盲」
そして自分に忠告してくれる、親切な人に対して
「文盲派」「荒らし」「コピペ」
呼ばわりする社会性のなさ。
それが本郷ですよ。
本郷とやら、困った人だと思いませんか?>誰とはなく
744 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:50:51
745 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:54:11
>>739 この板は交代寄合のスレであり、交代寄合と関係ないスレ違い話題だから
致命的なはず
というならば、「武家千年の歴史」と書き込むな。せめて、参勤交代が
始まってからの230年としろ。
教授を擁護するなら、「…あぼーん。」は如何かと。
定説・定説と麻原彰晃も言っていた。
>>745 スレ違いな話題に必死に食らいつくのが文盲派
>>737 リアルでは教授どころか、だれにも相手にされない、ただのディレッタント。
「本郷」なんて名乗るところに、コンプレックスが・・www
しかもコテ外して、擁護・礼讃 あほ丸出し
勝=御家人などという電波を流し、訂正も詫びもせず 洟垂れガキ同様
748 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 23:50:48
勝≠御家人を論証してから言えよ。
おまいは一回も論じてないぞ。
箱男は口汚く喚く前に加古川市史を検索しろ。
749 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 23:51:28
>>741 >・上から見下すような展開で知識を披露
教授が学生に講義するんだから当たり前
失礼極まりない見解ですね。私達が「学生?」
お前らに学んでいるつもりはさらさらない。
ウソツク教授程度の旧カナ・旧漢字程度なら、誰でも出来るわな
そう言えば、以前、別スレで「大隅」と「大隈」の区別もろくにつかなかったし。
たいした大教授先生もあったものだwww
>>748 大バカめが! 勝=御家人と言い出したのは『本郷』だ!
752 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 23:55:30
>>745 「致命的」という言葉を連呼してるのは箱男。
教授や教授派はそれをたしなめこそすれ、自ら一度も言ってない。
武家は十世紀以前から十九世紀までほんとに先年近く存続した。
勝手にちょん切ることはできんぞ。
753 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 00:00:53
>>751 箱男ってほんとに読解力無いな。
まさに文盲。
教授は世間と同様勝御家人説で、それに文句言うなら粘着箱男こそ勝非御家人説を証明せねばならない。
勝非御家人説を証明できない以上、文句を言う根拠が無い。
箱男よ。
おまいはもう歴史のべんきょはしなくていい。
まず国語を学べ。
大バカめが!
754 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 00:02:36
>>371 を再度確認ください。
ぺらぺら喋りだしたのは教授からです。
>>753 おまえみたいな金魚のウンコと話をする気はない!
おれは本郷自称大先生から「直接」、勝=御家人説を伺いたいだけだ
おまえに用は無い!
756 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 00:24:45
>>753 ヒントをあげるからあとは自分の力で調べなさい。
まず、勝家が旗本であったという証拠として、『寛政重修諸家譜』に掲載さ
れていることがあげる。
同譜の対象とされているのは、「旗本以上」であり、御家人は掲載されてい
ない。
勝家は巻第千五百一のうち(第22の325頁)に掲載されている。
同書によれば、勝家は天正三年以来徳川家に仕え、命雅の代の
「宝暦二年九月二十八日班をすゝめられ」として、旗本に列せられたことが
証明される。「班をすゝめられ」です。
757 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 00:46:56
20 大學ヘ授 [sage] 投稿日06/08/08 17:20:25 ID:pWJR67RN IP: 125-13-61-243.rev.home.ne.jp
俺はケツ感じるまで2年かかりました
最初はこんなんありえへんってくらい激痛だったけど
今じゃモロ感じまくってます。なので
痛いのを我慢して
>>1さんも、回数こなしてみて下さい
その日の体調、相手が自分のタイプか
タチのチンポの形、大きさ、テク、ローションの種類
などでも左右されると思いますが頑張って下さい
22 薔薇と百合の名無しさん [sage] 投稿日06/08/08 17:21:35 ID:pWJR67RN IP: 125-13-61-243.rev.home.ne.jp
>>20 間違えた。。。名前とIPは忘れてください
758 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 04:51:18
どうやら厨には、本郷へ反論している人間は箱男とやら一人としか思えないらしい。
昨日は特別電波が強かったようだな。
759 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 05:54:47
「箱男」って言葉は
>>717が発端か。つまり、この言葉を使っている奴は、ブラウザのスクロールすらできないことを
得意げに表明しているわけか?
760 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 07:03:04
>>759 今北。
読み飛ばして
>>716に「紹介文」って書いてあるのに何で
>>717みたいな返しが来るのかと疑問に思いながらも引用先を見な
いでいたが、見てワロタ。
確かに
>>717はスクロールの仕方も知らない人のようだ。とりあえず
>>717にはパソコン教室へ通うことをお勧めするw
>>757 教授はケツ感じすぎて脳みそ溶けちゃってるからピント外れなこと書き込んでるんじゃないの?wwww
762 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 07:16:25
国立市にある某大学の法学研究科の関係者があばれている
スレはここですか
764 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 08:30:15
、『寛政重修諸家譜』が退けられたのは、前世紀の書だから。そこに
書いてないという非難を受けているのではないないから、ほんとにある
んだぞうといって画像取込んだって仕方が無い。
『旧高旧領取調帳』が退けられたのは、大名取立後の書だから。そこに
書いてないという非難を受けているのではないないから、ほんとにある
んだぞうといって画像取込んだって仕方が無い。
文盲ってまるっきりアフォなんだねw
765 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 08:37:23
スクロールして出て来るのは本を売ろうという引き札。
史料じゃない。
商売の宣伝。
766 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 08:50:23
引用者本人がミスでごめんなさいと謝っちゃってるんだから、
今更罵倒作戦で箱男をかばおうったって無理。
371は361を受けたものに過ぎないから754は何時もの嘘。
ぺらぺら喋りだしたのは文盲からです。
767 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 09:13:09
>>700 700さんへ
『家禄のないものは百姓町人であって直参じゃあない。』と言われていますが、将軍家の直参には、旗本と御家人がありましたよね。
そして、その御家人には、大別して、「譜代席」「准譜代席」「抱入席」のものがあって、抱入席の者は、家禄がなく、役職についた場合の職禄を支給されていたはずです。
しかし、家禄のない御家人「抱入席」が、しくじり等で役職を罷免されれば、即ち誰からも蔵米を支給してもらえないこととなりますよね。
まさか、御家人の定義から、「抱入席」の者を除外したと解するのでしょうか。ご教示ください。
768 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 09:14:08
769 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 09:18:39
>>763 最近PCを覚えたばっかりで楽しいでちゅ〜♪
770 :
本郷 義昭:2007/05/27(日) 10:13:41
>>652 > 現実に、御家人も徳川家の直臣であるけれど、家禄のない者が多数いた。
> 職禄を賜ることにより、主従関係が結ばれていたのでしょうね。
商家の奉公人ですら封建的主従関係に擬せられたくらいですから、家禄の無い者
を徳川氏の従者ととらえても良いでしょう。でもその類は厳密には武士でも、御家
人でもありません。
「抱席は無職になると同時に扶持を離れるもので、或はこれを御家人の中に加えな
いこともある」 瀧川政次郎『日本法制史』学術文庫版下巻77頁2行目。
なほ著者は大物学者で該書も名著。
身分統制令、兵農分離より、武士は純粋に身分です。職業ではありません。漁師
の身分は百姓であって、漁師を始めようと農業止めようと、百姓身分に一点の変化
もありません。
> 既掲載の役料に付ては元禄5年に廃止され、家禄と職禄という支給方法に代った
御指摘のような実例があったとしても、慶應3年に場所高を廃し御役金支給を開
始した例が大量にありますから、これを何と解す可きか、注意して心掛置きます。
771 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 10:29:12
抱席も御家人として問題ないよ
772 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 10:37:52
飛び出す文盲w
では早速理由をどうぞ。
773 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 10:50:24
>>760のソースを熟読した。書かれた内容はわかったがスレに関係なく、
いったい引用者が何を言いたいのか全く判らん???
誰が何のために書き、それがどういう意味を持ち、該当部分がどこなのか、
ちゃんと書いてくれ。
書類番号も書かないから全部読まされたじゃないか。
引用の仕方も知らないのか?
774 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 10:52:52
抱入席だからね。その身一代であっても一応は御家人だよ。
775 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 11:02:09
>>716 レファレンスで引用をを示すやり方知らないので教えてくれませんか。
お願い。
776 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 11:22:55
抱入席はその身一代かどうかも疑わしいし、
たとえそうであっても御家人だと言い切る根拠があるまい。
>>756 天正三年というと、関が原以前。勝家の「名跡」は名門だったのだね・・。
778 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 13:00:26
またトンカチなことを。
名門の直系や分家の御家人は無数にいる。
松平姓までいる。
779 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 13:35:16
そもそも旗本・御家人の勝家って何家あったの?
定まった領地がなくて本藩から蔵米貰うだけの支藩は結構あるけど、
米沢新田藩は家臣もいなかったって言うけど本当?
そう言う藩って他にもあるの?
781 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 14:01:54
直参の数は享保7年の調べで旗本5204家、御家人17309家。
このうち多くが分家であったが、勝氏に付いては「時代を超越しない」
同時代の記録で確かめなければならない。
でも、そんなことより直接勝小吉だけ判ればそれで済む。
箱男にはできまいがw
文盲派のニューヒーロー・箱男は貧民史を越えられるか?
ここは本当に話がかみ合ってないな。実に不毛なスレ。
784 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 15:22:19
785 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 15:42:30
>>773 ソースだけじゃなくて、
>>760のカキコ自体を100回ほど熟読すればいくら厨でも分かるんじゃないか?
786 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 15:55:26
二回熟読したが木綿の話しか書いてない。
わかったのは箱男がDQNなことだけ。
787 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 16:14:50
貧民史は大学の歴史の先生で江戸時代貧民階層史の専門家、論証もきちんとしてた。
文盲箱男とは一緒にならない。
箱男のような発狂した科白も吐かない。
着々と史料を提示し、堂々と立論する。
788 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 16:17:06
ここの本郷は史料を提示しない上に、提示された史料が自説に都合が悪いとコメントさえしないけどなw
789 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 16:21:02
もはや学問スレの体裁を成していないな。堕ちるところまで堕ちたか
790 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 16:53:56
また嘘を書いてるな
貧民史は教授を大先生と認めてた。
貧民史も教授も必ず根拠を示す。
発言検索して読んでみろ。
例外なく理由を明記する。
箱以外に理由書かないのは文盲だろw
791 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 17:14:13
18世紀に勝という旗本がいたとしても、19世紀の同じ苗字の家が同
じ家で同じ旗本だという根拠には全然ならないが、言張るなら言張るで、
家禄家格系譜家紋役職などきちんと引用しなきゃあ全然駄目じゃないか。
それから
>>777 18世紀や宝暦くんだりになって「班をすゝめられ」「旗本に列せられた」
ようじゃ名門な筈が無かろう。御目見になるのに百年かかりましたってか?
馬鹿たれ!
文盲はほんとに無学文盲だ。
792 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 17:39:37
>>790は一体どういう頭してるんだ。過去ログを読む能力すらないのか?
本郷に権威を見て、議論内容を全く理解せずに茶々いれしているようにしか見えんが。
793 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 17:52:32
昔を知らないROMにはわけわかだろうから解説する。
数年前、刑罰とか町方とか、江戸時代史関係のスレ幾つかで抗争があった。
教授が史料引用に併せて歴史的国語表記をするのを読めなくて逆恨みし
暴れだした香具師を文盲と呼び、歴史用語を不自由無く読めて肯定する
教授派と大喧嘩になった。
しかし教授は専攻が近いのか刑罰スレに於ける権威は完全試合以上で、
文盲は気絶して時々ぴくぴく痙攣してるぐらいの感じで零敗してた。
ひとり頑張ったのが若手貧乏人研究者の貧民史助教授で、この二人の専
門研究者の論戦は学問板の花、まさに学術論争であった。
やがて二人ともいなくなったが、こないだ久し振りに教授がカムバック
したので教授派は歓呼し、文盲派は瞬間的に屈辱の怨念が蘇り頭に来て
いきなり飛び掛った。
その対立点は歴史的表記を読めるかどうかから出発したが、派生的に国語
力の高下という偏差値や学歴問題、歴史を肯定的に見るか真っ暗史観かと
いうイデオロギー対立も包含する。
根深ーい対立なのだ。
794 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 18:09:36
>>792こそ一体どういう頭してるんだ。過去ログを読む能力すらないのか?
教授の発言一つ一つ見て行けよ。
礼儀正しく、絶対必ず自説の理由書いてるぞ。
理由書いてないのがあったら出せ。
逆に文盲や箱男は罵倒ばかりで根拠が書かれてない。書けないし、書く気も無い。
勝が旗本でもいい。なぜ旗本か理由を書け。
致命的でもいい。なぜ致命的か理由を書け。
箱が論拠でもいい。なぜ箱が証拠か理由を書け。
歴史板で歴史的仮名遣いがいけないと言い張るなら、理由を書け。
文盲の繰返す気持悪い罵倒や個人攻撃は学問じゃないぞ。
学問の妨害でしかない。
795 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 18:23:42
なんだ、天然かよ。
他所のスレにいちいち言及するな。このスレでの本郷の荒らし行為に気づけ厨房。
ざっとこのスレ読んだけど
教授を擁護してる人って...もしかして教授?
もしそうなら、少しネットから距離を置いたほうがいいと思う。
なんか病的なものを感じます。
797 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 18:33:23
>>770で本郷が妙にしおらしいのが気になるが。悪いモンでも食ったのだろうか。
798 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 18:42:49
「スレ違いの長文」を延々と垂れ流し、
他人の忠告勧告助言を「一切読んで理解することができないリアル文盲」
そして自分に忠告してくれる、親切な人に対して
「文盲派」「荒らし」「コピペ」
呼ばわりする社会性のなさ。
それが本郷ですよ。
本郷とやら、困った人だと思いませんか?
>>794 ちゃんと答えてくださいね。
800 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 19:30:38
でた!何十回目かの反覆コピペ荒らし!
変態性むき出しw
同じ事を何度言われても、一向に反省できない困った人がいるからじゃね?
>そして自分に忠告してくれる、親切な人に対して
>「文盲派」「荒らし」「コピペ」
>呼ばわりする社会性のなさ。
100遍音読しなよ。
802 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 19:49:28
学問に社会性は要らん。
ニュートンは腕時計を茹でた。
803 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 19:55:29
>>801 スレ違いのコピペ荒らしを繰り返す文盲派に言ってあげてください。
804 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 20:01:23
>>791 言張るなら言張るで、
家禄家格系譜家紋役職などきちんと引用しなきゃあ全然駄目じゃないか。
元々、この内容を提供されたのは本郷大先生です。
だがら、御家人であったと明記した以上は、きっちりと引用するのは
先生の方かと。
805 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 20:03:48
>>791 お前も大先生を師事するなら、それくらい代行してあげなさい。
>>803 スレ違いの荒らしといえば、いちばん有名なのは本郷だな。
言ってあげてください。
807 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 20:07:20
>>804 勝家が旗本か御家人かなどというのはスレ違いのどうでもいい話。
文盲派はそんな話に必死に粘着してるんだから、せめて根拠くらい示しては?
>>806 スレ違いの荒らしといえば昔から文盲派だよ。
「文盲派」という単語を使うのは昔から本郷さんだけだよ。
>>808 延々とスレ違いのオレ論垂れ流した時点で、
教授とやらがクソ人間だとみんな理解した。
それでもオレ論垂れ流し続けるのだから、
本郷とやらは本物のキチガイか、確信犯の釣り(荒らし行為)のどっちかでしかない。
擁護する理由がこれっぽっちもないが。
あなたが、そうは思わないのはなぜ?
>>808
教授の講義は非常に勉強になる。
文盲派は勉強嫌いだから教授が大嫌い。
だから荒らすんだよ。
812 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 20:45:36
>>810 箱男に代表される文盲派のスレ違い荒らし行為はスルーして
なぜか教授にだけ粘着する不思議な「中立の第三者」。
なあんだ、文盲派の自演かw
813 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 20:45:53
どうでもいいんだが、勝家の話題が最初に出た時、柴田勝家の事だと思って意味わからんかった。
814 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 20:47:04
>>807 俺も今後はしくじりのレスした場合は、『スレ違いのどうでもいい話』として
逃げまくります。その場合はご容赦を・・
815 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 20:49:36
名案があります。
文盲さんは歴史的仮名遣いで忠告してあげたらどうでしょう。
それでこそ行届いた「親切な人」です。
816 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 20:50:35
818 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 21:04:21
我々識字派としては、勝氏の話を幾らでもして貰いたい。
一度も根拠を聞いたことが無いので飢餓感すら覚える。
ああ聞きたい是非聞きたい。
でも根拠の無い怒号は無用。
819 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 21:04:57
確かに本郷さんは、知識人だけあって、相当に勉強になるレスも書き込まれ
ている。それは私も否定しない。しかし、ここの掲示板は不特定多数の者が
入っているところ。他人を見くびるような書き込みを弟子ともども、される
のはどうかと思います。法制史を研究しているのなら、もっと法的な視点で
説明していただいた方が勉強になりますので。よろしく。
820 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 21:10:55
本郷が知識人だというソースなり根拠を知りたいね
821 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 21:10:57
>>819 あなたはゆとりたっぷりの環境で、甘やかされて教育を受けてきた人と見受けられる。
教育者たるものは本来、時には厳しい言葉で不真面目な学力不足の学生を叱責するものだが。
それが「他人を見くびる」ことだとは到底思えない。
822 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 21:18:20
>>821 もしかしたら、この掲示板には、書き込みはしていないけれど、あなた
以上に権威のある学会関係者がおられるかもしれませんぞ。全てが
あなたたち以下と見下げてはなりますまい。
もとから石高の少ない家や、幕府から直接減封されて1万石未満になった家はわかるけど、
減封後も1万石をキープしてたのに分家して1万石未満になる家ってなに?
幕府などから有形無形の圧力があったの?
それとも1万石未満になっても家をわけることにより家名の存続を図るリスク分散?
824 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 21:44:36
幕士将軍ニ謁見スル以上ヲ旗本ト称シ、以下ヲ御家人ト称シタルコトハ当時見聞セシ所ナレトモ、
古記ヲ按スルニ、文化十酉年八月大目付ヘ阿部飛騨守ヨリ問合ノ附札ニ、
御旗本ハ万石以下御番衆迄ノ通称、御家人トハ御目見以上以下ニ而差別之儀ニハ無之、トアリ
此ニ拠レハ幕士ヲ御旗本御家人ト分称セシハ習慣二由レル者ニテ、分称ニハ非ラサリシナリ、
825 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 22:07:06
>教授様
自分は詳しくないんで教えてほしいんですけど、
御徒士って御家人じゃないんですか?
826 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 22:14:50
>>824 おっ!、西丸表坊主竹尾善築の『類例略要集』の記載例をあげてきたな。
要するに、御家人というのは御目見以上以下で差別したものではない。
と解説されるやつだな。しかし、表坊主が、幕府の正式文書としての
附札を確認していたかは大いに疑問。よって、勝家も、御家人であっても
可笑しくないと理論構築したいんだろうが、結論としては、アポーン
でも、いろいろ調べてきたので、努力賞程度は出しても良いだろう。
827 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 22:23:35
>>826 は?勝家の事なんて関係なく書いたんだけど。
抱席が御家人じゃないと聞いたもんで書いたまでです。
828 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 22:30:38
努力賞って、徳川禁令孝読めば馬鹿でもわかるし、こんなものみんな知ってるよw
829 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 22:34:13
830 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 22:40:58
>>828 なら、アルタ前で100人つかまえて、質問してみろ!
何人が回答できると思っているんだ。このスレにも、相当に初心者が入って
いるぞ。御家人とは何ぞやを知らない兵も多数入っていると聞く。
831 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 22:45:23
>>830 ここはアルタ前の路上ではないでしょ?
なにを焦ってんの?
832 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 22:47:09
そりゃアルタ前には不必要に教授だなんて自称して歩いてる奴はいないだろうな。
833 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 22:52:23
834 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 22:55:29
このスレッド面白過ぎ。
余りにも面白い。
喧嘩の当事者も喜劇役者かな。
嫌だ駄目だと言い合ってる割にナンバーも急速に伸びてるじゃん。
835 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:04:08
兵って何って、つわものに決まってるでしょ。
俺は830じゃないけれど、これだから文盲は困る。
それから824は単に旗本と御家人の区別に関する一説(少数説)の紹介。
抱席や勝氏が御家人かどうかとは関係無いだろう。
836 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:04:55
「教授」「本郷」とかの自演要素が入ってきちゃったからね
837 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:09:10
>>835 あなたにとっての「兵」の定義は?
また、その「兵」なる者がこのスレにいると書かれていますが、
例えば何番の書き込みをした人物が、その「兵」に該当しますか?
838 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:15:36
自演する文盲↑
>>804 文盲の嘘は止まるところを知らんな。
初めに勝家の話を持ち出したのは文盲361。
それより前に「本郷大先生」が「この内容を提供された」というなら発言番号を出せや。
これに対し勝は一般に御家人とされてる異説を出すなら根拠を示しなさいというのが教授派のスタンス。
文盲は教授の通説紹介に反対ならはっきり根拠を示して挑戦すべき。
それができないならスレ違いこぴぺ荒らしを謝罪汁!
839 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:17:42
>>835 >区別に関する一説
・・・幕士ヲ御旗本御家人ト分称セシハ習慣二由レル者ニテ、公称ニハ非ラサリシナリ、
然レトモ当時ノ公文、御旗本御家人ト連称シタル者亦之レ有リ
840 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:20:13
「旗本御家人令条之一」の前文?
841 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:23:41
>>838 ムキになるなよ。
君はネットで吠えるくらいしかやることないの?
842 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:28:54
>>837 ほんとの文盲か?
漢字読めないくせに威張るなよ。
おまいが833で自分の文盲を棚に上げて830にからんだんだ。
俺は830じゃないと書いただろ。
「このスレにいると書かれてい」ない。
830も「書き込みをした」と言ってない。
捏造するな。
兵の定義なんかどうでもいい。
先ず読み方覚えろ。
それから粘着して凄んで荒らせ。
843 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:34:41
>>842 このスレにいる“つわもの”って何?
何番の書き込みをした人物が“つわもの”に該当しますか?
844 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:36:43
大田南畝は御家人じゃなかったんだ!?
知らなかった。ありがトン
845 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:47:02
>>843 箱男らしい錯乱狂気だな。
このスレにいるつわものの正体を知りたければ、発言者830に聞け。
判ったか基地外。
つわものが何番かに書き込みをしたと、誰か言ってるか?
誰も言ってない、おまい以外はな。
おまいの作り話だよ。
詐話症と文盲治せ。
国連も文盲撲滅キャンペーンやってるぞ。
371 :本郷 義昭:2007/05/19(土) 00:23:54
>>361 >勝家もたかが御家人ではありませんか。狭義の武士ではありませんぞ。旗本
>みたいに法螺を吹いてはいけません。
これはどう読んでも、勝は旗本ではなく御家人である断定しているとしか
理解できませんが? 間違いありませんね?本郷先生
自分以外は全員”文盲”
馬鹿だろこいつwwwwwwwwwwwwwwwwwww
848 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:56:10
教授・本郷=文盲派?
とりあえず教授がヒステリー起こして荒らしてるんだよね?
良スレをぶっ壊した自称大学教授
実生活でもこんな性格なのですかね
>>848 他人を「文盲派」と罵倒して、でも自分は正義と信じて疑わない。
そんなクソコテハンが教授(ホンタク)です。
確かに本郷と本郷擁護する珍奇な人だけが、
自分たち以外を文盲、文盲派って罵倒するよな。
そ の 二 者 だ け が 。
へぇ プッ
852 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 00:00:57
名無しとコテハンを使い分ける無知=教授サンと本郷君
853 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 00:06:21
他所スレで自作自演のときについコテ入れて大恥かいた脳内教授
脳内のお友達に自作自演で擁護してもらわないと、
みんなが自称教授を叩くから、悲しくなっちゃうんだよね。
自分の珍説が理解できない奴は文盲、
自分を罵倒する奴は文盲、
そんな電波ゆんゆん、それが”自称教授”という哀れなプライド。
俺の電波文を垂れ流すことだけが生甲斐で、
それがスレ違いといわれても、なんのことだか理解できない。
呼んでねーよと言われても現れ、
出てけ、と言われても出て行けない。
それはプライドが邪魔するから。勝った負けたでしか価値判断できないから。
その場の空気読めないから。
それが”自称教授”の惨めなプライド。
教授カワイソス
ちゃんと、ともだちできるといいのにな。な、教授。
学歴がどうとかで人を悪く見たりはしないし、良いなら良いに越した事はないと思うんだが、
文系博士の大学教員志望で採用されなかった人ってこういう人が多いんだろうな。
長いこと趣味に没頭した日々を送ったせいか、やはり現実を見れないのかな。
かわいそうだとは思うけど、二度と来るな>本郷
お前の書き込みはただの迷惑なんだよ
自作自演でオレ擁護する行動も、
みんなに生ぬるい目で暖かく馬鹿にされてるんだよ。
「俺の意見」なら、お前のブログにでも書け、な。
857 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 03:27:14
「教授」が本当はニート厨房だろうというのと同じで
「本郷」も本名じゃないよな、本郷って東大の所在地だし
本名は肥汲田吾作とかそんなような感じじゃね?
>>857 いや、
>>757みたいな方なんで多分「アナルで逝くカ」とかいう名前なんだろうよ。
ここで威張っててもナル突かれて感じまくってるんだからある意味ツンデレなおっさんなのかもしれんw
859 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 06:38:45
100石レベルの寄合なんか何やって生きていたんだろうね?
格式だけは一般旗本よりも高いから出費は多そうw
860 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 07:01:33
幕末には御家人から勘定系の有能者が昇進される例がみられますね。
家禄の増加も見込まれない時代であったため、家禄100俵程度ではあったが、
布衣役を務めた重職者も稀にいたのではないでしょうか。川路・井上兄弟など
そして、彼らが退役した際には小普請組には入らず、寄合(役寄合)に入った
とされています。一代限りか子孫まで権利取得されたかは知りませんが。
あと、御勝手御礼衆に準じた家に、岩松家(上野新田郡120石)と
松平長沢家(三河長沢300石)があって、この両家くらいが、低家禄の寄合
格の家であったろうと想像できます。
付け届け社会であった当時の出費は相当だったろうと思われます。
861 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 07:25:21
小普請組の世話役には、正規の役職者であった、衣布役の小普請組支配が
あったが、寄合の世話役の寄合肝煎は、幕府が深く関与していたが、名誉職的
なものだったらしい。何故だろうと考えたけど、寄合の支配は、若年寄と後に
なったから、その中間に世話役を正規役職として就けることがややこしかった
のだろうか。少しずつ、話題を修正していきましょう。
862 :
本郷 義昭:2007/05/28(月) 07:41:13
>>822 尊意了解、爾後注意す可し。
但し821は小職に非ず。また見下したる覚えも無けれど、学問は見上げたり見下ろ
したりと関係無く冷静に進む可きもの。私情私怨禁物。雑念を去られよ!
>>825 御徒士は普通、御家人といわれます。問題は旗本も御家人も定義が確定せぬこと
です。これに449で一度触れましたが、文盲は気の狂ったように喚くばかりで学問的
に受止めませんでした。旗本と御家人の境界は江戸時代から議論され、一定しませ
んでしたが、それでも必要に応じ、御目見以上、以下という別口の呼方をすれば済
みました。さうして、これが元々の境界線であったと推測します。現在一般に普及
しているのもこの考え方で、小職もこのつもりで用いていますが、国語本来の語義
なら旗本は将軍親衛軍、御家人は将軍直臣を意味する筈で、重複します。混乱の原
因は此処に有らんかと推測します。
百姓と町人の区別が村方人別か町方人別かであるなら、百姓が何年町場で暮そう
と、町人が何代百姓仕事しようと、身分変動を生じません。同様にして武士も身分
ですから、百姓町人が幾ら武家の真似事をしても、武士の身分を獲得しない限り武
士ではありません。御抱席の者は武家奉公する庶人の性格を持っていますから、狭
義には武士と申せません。でも、広義の御家人に含めるぐらいは構わないでしょう。
武士ならねど士籍を得ているものもあるのですから。
863 :
本郷 義昭:2007/05/28(月) 07:45:42
>>823 柳生の場合は武家としての宗家と、新陰流の宗家と、分別する必要が有ったよう
です。なお、幕閣の意向を憚るということはありますな。柳生は次代に分家四千石
を回収する機会があったのですが、敢て放棄しました。しかし根本は、武士は損得
ではない、ということです。或譜代大名は大名仲間の友人に遺児を託され、この信
頼に応える可く、友亡き後、禄を返上して一旦浪人し、友人家に仕官し幼君の家老
となって死ぬまで守り立てました。三代家光公臨終に際し、殉死を許されなかった
老中が悲しみの余り号泣し、殉死を許された朋輩が懸命に慰めるという光景もあり
ました。
この三代公が柳生但馬守宗矩に師事し「我天下のことを丹州に学べり」と終生語
っていたことは有名ですが、或時但馬守に数万石を加増しようとしたところ宗矩固
辞して替りに三河譜代ながら不遇の旗本植村氏を推して自らは山姥の名槍一筋貰う
に留めました。その薫陶をじかに受けた孫が四千石と大名の位置を捨てるぐらいは
朝飯前でしょう。それを損だ奇怪だと思うのは、後代の我等の方が浅ましい算盤根
性です。
武功で鳴った岡左内は家政にも優れていましたが臨終に臨んで生涯節倹して蓄え
た巨万の金銀を惜しみなく主家朋輩に贈って死にました。一代の勤倹は皆、軍用金
であって私利私欲でなかったのです。この左内にして生前は金を貯めるということ
で散々誹られました。詳細忘れたるも或武士が出張を命ぜられた際、朋輩が門出の
酒席で出張手当が目当てであろうと冗談を言ったところ、武士を金銀で動くものと
口にした上は戯言にては済まじとその場で切り殺しました。斯く、武士は義を重ん
じ、名を尊ぶものです。歴史を学ぶ者は時代の精神というものを理解せねばなりま
せん。
畳の上にて死ぬことは
武士の為す可き道ならず
骸を馬蹄にかけられつ
身を野晒しになしてこそ
世に武士の義と言わめ
山田美妙斎
864 :
本郷 義昭:2007/05/28(月) 08:17:14
>>861 小普請組支配なるものは存在しません。小普請支配の誤りでしょう。三千石高
中之間席布衣。小普請組支配組頭なら二百俵高焼火間席。文意から前者ならんも、
先づ小普請と小普請組の異同を弁えられよ。後者は御家人。小普請組、勝麟太郎
と名乗らば文盲以外直ちに御家人と知るなり。小普請支配世話役も別に有り、役
高五十俵、役扶持三人扶持。先づ言葉や定義を正確に理解しましょう。
寄合肝煎が閑職である最大の理由は、単に寄合衆の人数が少いということです。
>>862-864 本郷先生、おはようございます。本日も御出勤ごくろうさまです
371 :本郷 義昭:2007/05/19(土) 00:23:54
>>361 >勝家もたかが御家人ではありませんか。狭義の武士ではありませんぞ。旗本
>みたいに法螺を吹いてはいけません。
これはどう読んでも、勝は旗本ではなく御家人である断定しているとしか
理解できませんが? 間違いありませんね?本郷先生
866 :
本郷 義昭:2007/05/28(月) 08:34:06
>>859 寄合席は家禄三千石以上か、官歴布衣以上です。百石の寄合衆はいません。
>>860 幕末の立身出世は何と言っても洋学官僚です。
幕末でも加増はあります。何れの実例も当スレ人気の勝安房守を見られよ。
重職に進む場合は加増となります。記述の通り足高では済まぬ壁が御座っての。
小普請組は御家人。旗本は小普請支配(役職でなく、支配下の暇人も斯く名乗る)。
役寄合は三代続くと家格になります。
一部ならともかく、貴稿は全文臆測にて学問の名に値せず、随分如何かと思ほゆ。
867 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 09:19:11
兵という物凄く画数の少ない漢字が読めないのはやっぱり文盲と
いわれても仕方ないんじゃネ?
それ指摘されて切れ三十秒間隔で荒らしたり明け方四時まで暴れたり
わけのわからん無意味な悪口垂れ流すんじゃ見下されるだろそりゃ。
868 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 11:28:13
>寄合席は家禄三千石以上か、官歴布衣以上です。
確かに基本はそうでしょうが例外があるんじゃないですか?
三千石未満でも寄合の家筋もあるとか、親が留守居等だと寄合になることもあるとか読ん
だことがありますが。
870 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 15:30:43
>>867 他人を「文盲派」と罵倒して、でも自分は正義と信じて疑わない。
そんなクソコテハンが教授(ホンタク)です。
ひどい人だと思いませんか?
>>871 悪いのは向上心皆無の文盲派だろ。
せっかく碩学の講義が聴けるというのに荒らしてばかり。
情けないね。
碩学ワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
874 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 17:30:14
教授は旧かなづかいを使わないって宣言したよな?
なんでまだ使ってるの?
自分の発言に責任持てないなら帰れ。
ホンタクは、知識と人格が軽薄すぎるんだよな
だから書き込み内容に、自身の人格と知識のクズさがにじみ出る。
876 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 19:31:41
なあ本郷、間違いを認めないからトラブルになるんだぞ。
877 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 20:48:22
彦根藩の部屋住みの直弼君に仕えてる。先月家督相続して仕官先探しに行ったら埋木舎見た瞬間に即決した。
カッコイイ、マジで。そして賢い。刀を持つと強い、マジで。ちょっと
感動。しかも譜代の名門なのに部屋住みだから屋敷も簡素で良い。部屋住みは知行地が無いと言わ
れてるけど個人的には格式は高いと思う。本家と比べればそりゃちょっとは違うかもし
れないけど、そんなに大差はないって家老も言ってたし、それは間違いないと思う。
ただ桜田門外とかで止まるとちょっと怖いね。水戸浪士の襲撃を受けるし。
格式にかんしては多分本家も部屋住みも変わらないでしょ。本家に仕えたことないから
知らないけど知行地があるかないかでそんなに変わったらアホ臭くてだれも直弼君にな
んて仕えないでしょ。個人的には部屋住みでも十分に格式が高い。
嘘かと思われるかも知れないけど江戸城で徳川斉昭にマジで謹慎を
命じた。つまりは御三家ですら彦根藩の部屋住みには敵わないと言うわけで、それだけでも個
人的には大満足です。
878 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 21:46:11
879 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 23:02:03
私が
>>861であえてこの状況から話題を修正しようと、
『小普請組の世話役には、正規の役職者であった、衣布役の小普請組支配が
あったが、寄合の世話役の寄合肝煎は、幕府が深く関与していたが、名誉職的
なものだったらしい。何故だろうと考えたけど、寄合の支配は、若年寄と後に
なったから、その中間に世話役を正規役職として就けることがややこしかった
のだろうか。少しずつ、話題を修正していきましょう。』
と書き込みましたが、小普請組支配×と小普請支配○の書き込み違いがあっ
てやぶ蛇となってしまいました。しかし、普通の良識ある者だったら、あの
ような書きぶりにはしないでしょうね。まっ、識者ぶっても所詮は2CHに出入
りしているくらいだから、学会からは、相手にもされていないのでしょうね。
880 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 23:21:32
今日は文盲が比較的静かだったので、荒れ方もややマシだった。
やればできるじゃないか、文盲。
岩松氏は世間じゃ五百石ということになってるが、ここだけは何故か百二十石という。
>>880 そうか、そうか、そんなにかまって欲しいのか、それじゃ
死ね
882 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 23:54:53
6画やそこらの字も読めない癖にひたすら凶暴な文盲。
文盲に普通の良識はあるまいが、879は逆恨みを止めて勉学に励んで欲しい。
他人を文盲と罵倒する、それがスレ潰しのクソコテ本郷
371 :本郷 義昭:2007/05/19(土) 00:23:54
>>361 >勝家もたかが御家人ではありませんか。狭義の武士ではありませんぞ。旗本
>みたいに法螺を吹いてはいけません。
これはどう読んでも、勝は旗本ではなく御家人である断定しているとしか
理解できませんが? 間違いありませんね?本郷先生
一気にクソスレになったな。
相手するほうもするほうだ。