日本書紀紀年法がついに解明されました[倭の五王編]
680 :
征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :
研究家さんの±120年構想説は、
そう云う構想があった事自体を否定されるべきなんですけど
±120年構想説が否定されるからと言って
研究家さんの多列構造説が否定された訳ではありません
仁徳列や允恭列では上手く説明出来てる訳ですから
整理するとこうですね
允恭列(C列)Y=X-21
仁徳列(D列)Y=X-84
(切片が-21の整数倍になって居ますよね。
もっと細かく-7の整数倍に意味があるかもしれませんが)
研究家さんの多列構造の理論通りなら成務48年あたりから神功13年までをフォローする
切片が応神列の-120より小さい、別の年代列がありそうなんですが
応神列(A列)Y=X-120
この切片-120に、-21の整数倍の-42を加えて
切片が-162として
年代列Y=X-162と云う仮説で決め打ちすれば
仲哀末年(書紀年代200)の実年代は、+162をした362年と云う事になりますよね
コレ、仲哀の古事記崩年干支、壬戌/362年とピッタリです。