はい
皆さん今日は書き込みありがとね
また一月ほど沈めますから
ではまたの機会に
202 :
河童無知:2008/02/08(金) 00:39:26
晒し上げ
夫餘語って、殆どモンゴル語だったという話じゃないか?
つまり、現在の韓国語とは殆ど別系統の言語。
比較言語学では、韓国語は孤立言語だから。
204 :
どくだみ:2008/02/08(金) 01:06:08
>>191 こっちに書き込んでるの?
>(三種78国)與す南も海で倭は隣
これ、変な日本語だよね。「與(くみ)す南」というのが、日本語として意味を成していないんだけど、
どういう意味で書いているのか、説明してください。
「與す」とは、具体的にどういう意味ですか。「南」とは方角のことで良いのですか。
ところで、
韓在帯方之南→(三種78国)域は帯方の南
東西以海爲限→(三種78国)の東西は海限定
ここまでは、まあ良いでしょう。
南與倭接→(三種78国)與す南も海で倭は隣
これは、だめですね。
漢文は、形容詞+名詞の語順ですから、「與す南」とするなら、「與南」にならなければなりません。
だから「與す南」とは読めません。ならば「與倭接」と読むしかありません。
「も海で」とありますが、「も」を表す漢字がありません。
「海」の漢字は「東西は海を以て限りと爲す」で一回使っています。
「も」を表す漢字があれば、もう一度「海」を補って訳すこともできますが、
そういう漢字は無いので、海を二回使ってはいけません。
205 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/08(金) 07:54:38
『漢字の力』
>>204どくだみさん
「與す」とはどういう意味ですか?と、問うて
日本語が変とか、ならないとか、言ってること目茶苦茶ですよ
>與す南
違いますよ
“與す”は(韓、三種78国)で、三種78国が與す事により「韓」という新しい枠組みが生まれますから
(これは與党と同じ構図)
そして
この南は東西と同じ南側という事
つまり“南側も海”(ただし、東西とは違い爲限ではない)
だから『東西以海爲限南…』 南も海だということは『以海』で十分でしょう
東西→“以”海爲限
南 →(以)海
方可→(以)海
これが“以/区切り”による以降 海ステージですよ
『漢字の力』
(組すと與す)
これら共通する和訓は(くみ‐す)
その活用の違いは
枠組み
「組す」は、枠組みが先にありしでその中身は後
「與す」は、組して後に枠組みが生まれる
そして
「組す」は、集まりしモノの対象が個別、単体の集まり
「與す」は、集まりしモノが単体ではなく組したモノが集まり新しい枠組みをつくる
〇年〇組 〇〇組
与党
207 :
どくだみ:2008/02/08(金) 12:15:08
>>206 もしかして、「(三種78国)與す南も海で倭は隣」って、
「(三種78国)が與す。南も海。倭は隣。」という積りで書いたのですか?
私は、「與す南も海で、倭は隣。」と切って読みました。
(こう読むと、意味不明なんですが。)
河童さんも、句読点というものをご存知ですよね。
日本語も現代中国語も、句読点があるから、正確に意味が伝わるのですよ。
漢文は、句読点が無いから、読めないところが出てくるのですよ。
今後、ちゃんと句読点を使って書いてくださいね。
それでは、もう一度確認です。
「(三種78国)が與す。南も海。倭は隣。」
という理解で良いですか。
もし違うなら、句読点を使って、普通の日本人が理解できる訳をお願いします。
208 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/08(金) 12:53:37
>>207どくだみさん
ここは韓域の位置関係を示した文
『韓』は
・帯方の南
・東西は海限定
・南も海(ただし限定ではない)
倭は間接的隣り
韓→三種78国
後は御自由に!!
これが古代漢文な実像です。
何を書いた所で
否定的な人は否定的だし、公定的な人は公定的
だから古代史の論争の種は尽きない。
プラムは相手に伝えようと頑張ってみましたが、河童虫は勝手気ままな自由投稿。
209 :
どくだみ:2008/02/08(金) 13:21:58
>>208 >河童虫は勝手気ままな自由投稿。
結局、もう議論はしないということですね。それでは、仕方ありません。
私も、自由投稿としましょう。
河童さんは、アナグラムというものを知っていますか。
つづりの順番を変えると、全然違う意味になるというものです。
ウィキペディアのアナグラムの項目や、他のHPから例を引っ張りますと、
eros → rose
Tom Marvolo Riddle → I am Lord Voldemort (ハリー・ポッターの登場人物)
one plus twelve → two plus eleven
wing birth → bright win
Lost nature → Ultra stone
聖徳太子 → 衣装得した
(ショウトクタイシ → イショウトクシタ)
それで、何が言いたいかというと、虫説の読み方って、
漢文のアナグラムなんですよね。語順を無視して、勝手に読んでる。
東西と南の間の與を、突然、「(三種78国)が與す」と読む。
南しか書いていないのに、東西以海爲限の以海を引っ張ってきて、
くっつけて、“南側も海”と読む。
以前の「世有王」も、「三十人の王有り」と読めば、「丗王有」と語順が変わっている。
おそらく、ご自分ではアナグラムをしている積りは無いのでしょう。
むしろ、語順を変えてしまっていることに気付かずに読んでるような感じを受けます。
漢文を学び始めた初心者が、良くやる間違いの見本みたいなものです。
210 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 13:23:15
つづき
漢文は、語順によって意味を伝えるから、語順を変えれば意味は変わります。
だから、書いてある通りの語順で読まなければなりません。
それなのに、語順を変えて、本当の意味はこうだと言われてもね。
初歩のときに、しっかり指導してくれる人が周囲にいたら、
このような間違いを推し進めてしまうようなことは無かったでしょう。
兼好法師の「すこしの事にも先達はあらまほしきことなり」は至言ですね。
アナグラムは、ノストラダムスの大予言や聖書の暗号などで、
さんざん使い古された、たま出版系の本に良く出てくる手法だけど、
それが好きで、それを信じたいというのなら別にかまいません。
アナグラムによって、倭人伝に隠された意味が解読できるとかね。
ただ、そうと気付かずに信じているのなら、気の毒にと思います。
もう一つ言えば、倭語で倭人伝の漢文を解釈できるというのは、
「人麻呂の暗号」のように、韓国語で万葉集が解釈できるとしたものの
逆バージョンですね。
残念ですが、これが、貴方が古代漢文の実像と信じているものの実像なのです。
おわり
211 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/08(金) 14:03:16
さあ
それはどうでしょう?
アナグラムかアナゴ丼かは知りませんが(私はアナゴ丼が好き)
ここは“2ちゃん”ですよ何を勘違いなされているかは知りませんが、ここで(ネット上)全てをさらけ出す筈がないでしょう。
虫さんにしてもそうです。ブラフを活用し、掲示板を楽しむのも一つの方法
本当の醍醐味は
直接本人と膝を交える事です。
多分、貴方と膝を交えての話しならこんな曖昧な話しはしないでしょう。
ここは誰が見ているか分からない掲示板、チャチャを入れお茶を濁すのも掲示板です。
ここまで
ありがとうございました。
……プラム……
そして
貴方が私の持ち手をアナグラムと見えるのは、貴方の知識が私の持ち手をアナグラムとしか見えない位置にいるからですよ
つまり
貴方の限界がそこなのです。
だから中断する事が最良なんです。
213 :
どくだみ:2008/02/08(金) 14:41:50
>>211 >ここまで
>ありがとうございました。
>……プラム……
いえいえ。こちらこそ、充分楽しませて頂きました。
それでは、また。
214 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/08(金) 15:00:05
>>213どくだみさん
今まで付き合ってくれた御礼です。
『韓在帯方之南東西以海爲限南與倭接…』
あれは完璧ですよ
騙されたつもりで自分の知を捨て、平で考えてみる事をすすめます。
何故書かれてもいない南も海なのか?
その答が“以海”ですよ
では!
215 :
神奈川県民:2008/02/08(金) 18:11:13
河童さん〜こんばんわ
おお〜それにしても懐かしいスレですね。
まだ存在してたとは驚きです(笑)
それと「謎の女王卑弥呼〜終止符!」また勝手に出されちゃってます(笑)
何故、私が作った終止符!ばかり狙われるのか解りませんが。
(別の名にせい!思うんですがね・・・)
んで終止符は一時、お休みさせるか迷ってるんですが、河童さんどうします?
216 :
せいじ:2008/02/08(金) 18:15:04
河童虫さんと同士の皆さんこんにちは
河童虫さんは邪馬台国行橋説、
卑弥呼の墓を平原遺跡とお考えでしょうか?
>>215県民さん
>それと「謎の女王卑弥呼〜終止符!」また勝手に出されちゃってます(笑)
何故、私が作った終止符!ばかり狙われるのか解りませんが。
(別の名にせい!思うんですがね・・・)
んで終止符は一時、お休みさせるか迷ってるんですが、河童さんどうします?
休ませることはないと思いますよ
どこかに受皿を用意しておかないと、先日のようになりますから
おやおや、居ないと思ったら河童さん居たようです(笑)
ですよね?河童さんはよく話のわかる人です(笑)
んで先日、荒れてたようですね。ここへ来てみてビックリしてるところ。
この前まで半分は残ってたのに・・・。
ドンコイ系の日本@名無史さん〜勘弁してほしんですけどね・・・。
コテハン有りの人は大歓迎なんですが。
それとどくだみさんって終止符の30さん?!
河童さん〜どくだみさんの知識には面食らったのではないでしょうか?
わたしも単なる新人さんかと思ってたところです(笑)
>>216 せいじさん
>河童虫さんは邪馬台国行橋説、
>卑弥呼の墓を平原遺跡とお考えでしょうか?
あなたはどうゆうお考えなのでしょうか?
邪馬台国行橋説
面白いとは思うんですが、わたしは違うところを考えています。
「平原遺跡」ですが、そこが本当に女性の王の墓だったか、
怪しいと考えてるわたしです。
220 :
せいじ:2008/02/08(金) 18:54:47
私ですか、
3年前ぐらいに参加していました。ここでの議論は卒業しましたので
お手数ですが検索していただくか無視していただいて結構です。
>>216せいじさん
今晩は
>行橋
自分の目で確認するまでは特定しません。
だから豊前国周防灘沿岸としています。
>平原
はい。
>>218県民さん
>どくだみさん
でも、常識から逸れない人は、どんな博識の方でも意外と楽なんですよ
一番の強敵は
自分と同じタイプの人です。
>一番の強敵は
>自分と同じタイプの人です。
つまり、論理性0の人ねw
224 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/08(金) 20:55:22
>>223 で、君は今まで何か論理的な事でも言ったか?
あ〜
チャチィ専門だったな
それだけの参加も虚しいな
>で、君は今まで何か論理的な事でも言ったか?
もし、言ってたとして、それをキミが「論理的」と判断できないんじゃないかな?
何せ、論理性0の人なんだから「論理」なる概念自体理解できないことになる。
>>225 そりゃあいいや
論理性0
貴重な存在だな
この世の中に0が存在していたなんて。
227 :
ご参考まで:2008/02/09(土) 09:05:17
プラムさん、おはようございます。さっそくですが
卑弥呼は人名に非ずというスレを拝見しましたので反論させてもらいます。
帝紀には、正始四年の記事に「倭国女王卑弥呼」と記されています。
同じく、大和四年の記事には「大月氏国王波調」と記されています。
同じく、青龍四年の記事には「高句麗王位宮」 と記されています。
卑弥呼も波調も位宮も当然に固有名詞の人名と解するは、当然のことです。
壱与も同じく、固有名詞の人名と解して当然です。
228 :
河童 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/09(土) 09:45:31
>>227さん
では
何故国内に記録が無いんですか?
229 :
ご参考まで:2008/02/09(土) 09:51:04
228氏の「国内」とは日本という意味ですか。
お尋ねの意味が不明です。
出た!
論理性0の反応。
「何故国内に記録が無いんですか?」
倭人が残した記録が無ければ自論の否定材料とは認めないということか。
何で中国の記録じゃだめなんだろう。
あー、そうか都合が悪いからだね。
231 :
ご参考まで:2008/02/09(土) 10:15:37
やっぱり、そういうことですか。230さん、御世話を掛けました。でも
『日本書紀』には、魏志倭人伝が引用されておりますよ。神功皇后紀です。
「明帝景初三年六月、倭の女王、太夫難升米等を遣わし郡に詣り、
天子に詣りて朝献せんことを求む。」 と。
さて、ここでは景初三年となっていますな。
倭人伝は二年です。
ですから、倭人伝において誤写が無いと、断定はできないんですねえ。
書紀註は所詮「中国人の記録」だから。
きっと、個人名として「卑弥呼」を使用していたと言う倭人自身の記録が無ければだめなんですよ。
証拠採用の可否はご本人がするわけだからしょうがないですね。
233 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 10:36:30
中東の笛じゃなくてプラムの笛って訳だ。
それで勝っても世界選手権には進めないけどw
234 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/09(土) 10:39:27
>>231さん
二年と三年の違いは、記載されし視点の違いですね
三年は完了時、二年は経過時
>>230 論理性0のレスにイチイチ脊髄反応するなよ
235 :
せいじ:2008/02/09(土) 12:35:34
河童虫さんこんにちは
>自分の目で確認するまでは特定しません。
だから豊前国周防灘沿岸としています。
確認というのは特定の場所を特定していないので、
この掲示板で今後も時間を掛けながら確認したいということですね。
>豊前国周防灘沿岸
行橋のことだと思っておりました。失礼しました。
豊前国周防灘沿岸だとしても卑弥呼の墓が平原遺跡だと遠いですね。
平原がある伊都国が「女王国」と考えたほうがわかりやすいですね。
という議論を有名な方が有名になる前、
したことがあります。
その方は私と同じ卑弥呼の墓を平原遺跡とお考えでしたが、
残念ながら行橋説でした。
「五尺刀」の出土については理解、納得していただけたと思っていたんですが。
河童虫さん一人で?がんばってこられましたから、皆さん既によく主張をご存知です。
そろそろこの日本史板卒業されてはいかがでしょうか。
236 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/09(土) 12:56:25
はい
せいじさんこんにちは
>日本史板卒業
全て見透かされているようで(怖)
長年愛用したプラムのコテを封じたのもそれが根底にあるからです。
既に掲示板にて学ぶモノもないし(罵声と煽り雑言はまだ)
せいじさんの声をきっかけに、踏ん切りを付け、
出番を徐々に減らし、ここから消滅したいと思います。
>行橋
やはり
自分の目で見てからですね
これからは
自分の一番学びたい言語理論を主にするつもりです。だから
コテも“河童虫”で統一しました。
237 :
唐松山:2008/02/09(土) 14:10:56
日本書紀に卑弥呼は
景行12年 石っころに 化けてでている。
238 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/09(土) 14:57:58
239 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 15:00:57
そうか、居なくなっちゃうのかあ。
いじくるオモチャがひとつ減るのは残念だが、
ご当人の意志じゃしょうがない。
気持ちよく送りだしてあげよう。
卒業おめでとう。
手向けにネタを一つ。
山(やま)、島(しま)、浜(はま)、
天(あま)の「ま」って同源なの知ってたか?
初耳なら、ちょっと考えてご覧。
じゃ、長い付き合いだったが元気でな。
ところで、今度で何度目の引退宣言だっけ?
240 :
河童 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/09(土) 15:27:50
>>239 >引退
誰が?
卒業したらOBだから
>「ま」
言意は(多様に←→方向)
雨、天、尼…(アマ)
島、縞、洲…(シマ)
アマはアマという言意で同じ
シマはシマという言意で同じ
241 :
神奈川県民:2008/02/09(土) 17:29:50
>>236へ横レスします。
>やはり自分の目で見てからですね
そう!ご自分の目で確認することが大切なのです。
以前、わたしは倭迹迹日百襲姫の大市墓を観てきましたが、
想像とは違ってかなり大きかった記憶があります。
というか九州旅行を計画中ですか。
関東からだとけっこうな旅費になりますよね。次のGW?!
河童さん〜お友達が多くていいじゃないですか(笑)
引退ではなく「OB」だそうです(笑)
あなた〜人から「笑われる」センスだけはありますよね(笑)
いつも笑わせて
243 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/21(木) 08:36:29
どうやら
畿内の名無しが、自分達の環境作りに躍起になっているようなので
荒れる前に移動しましょう。
『夷人不知里數但計以日』
これをちょっと弄ってみますか。
あるサイトの和訳を見ると(東夷の人は里数(距離)を知らず、ただ日を以って計る)
このように和訳されていて、他を見るにも大して変わらない和訳になっているようです。
でも、これを見て誰も反論ないことが不思議です。・・・・・馬鹿じゃね
この文は「但」と言う文字が接続詞となり「夷人」(不知里數)「但」(計以日)を繋いでいるということです
すると
・距離を知らないからただ時間で計る ということになり
大変おかしな日本語になってしまいます。
普通、距離(里数)を知らないので(よって)時間にて計るとか、距離(里数)を知らない(ため)時間で計るという文になります。
つまり トンデモな和訳だということです。
「但」という接続詞の後の文の理由説明を前文にても補う文でなければいけないのです。
では
細部を見てみましょう
『計以日』とは
ご存知のように「計」は(結果)であり(〆)です。 算じた後に発生する(計)ということ 和語で(はかーラ行)
「日」は(時間)
ここを和訳すれば 『結果時間にて』『時間にて〆る』となります。
『不知里数』とは
「里数」の(里)は度量衡の単位「里」です
ここは「不知里」ではない。度量衡の「里」を知らないのではなく、「里」は知っているけれども
「里」を(数えていくこと)を知らないということ
つまり、
度量衡「里」を数えていき、そのトータルを「里」に表し認識ことを知らないと言っているのです。
『夷人不知里數但計以日』は
(夷人は距離を数え表す事を知らない、ただし時間で結果を表す) こういう和訳が適切でしょう。
似たような文章が魏略逸文にもありましたね
『其俗不知正歳四節但計春耕秋收爲年紀』
246 :
日本@名無史さん:2008/02/21(木) 10:15:36
【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。
日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!!
金も出さない、努力もしない。一から十迄人まかせ
248 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 08:43:10
まろさん、どくだみさん
こちらに移動しました。
『どくだみさん』
>袁紹が述べた「四百許年」はちょうどかどうかの議論。
どくだみさん何か気付きませんか?倭人伝とこの袁紹伝の違いを
袁紹伝は袁紹語録として「四百許年」を文字にて記録しているのです。
しかし倭人伝は明らかに資料を元に文字にて記録したと判断しても間違いないでしょう。
袁紹語句「四百許年」は袁紹が言葉に発したそのものを忠実に写しているのでしょうか?
だとしたら
袁紹は暦を蔑ろにした行為ですね『おおよそ四百年です。』『395年です』
袁紹が発した言葉はどちらでしょうか?
どくだみさんが言われるように、臣下は暦を重んじ正朔を奉じるなら間違いなく『395年です』と言ったと仮定出来ますね?
しかし、記録では『四百許年』と、395と言う文字は消えて四百になっています。
つまり
文章に記録される事と現実を比較する難しさです。
249 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 10:44:27
『どくだみ』さん
どくだみさんは「四百許年」と言う文に“おおよそ”と言う意味ではないかとの事、詰まり四百と言うモノに幅(或はノリ)を持たせていると言う事ですね?
しかしそれは「許」の字の役割ではなく「程」の字の役割です。
『程/ほど』
・時間の度合い
・おおよその経過
それらを示す時に「程」を用い、おおよそ何年、おおよそ何時間と
「程」は時に度量衡にも用いられ(程、一程爲分)髮と寸の間に位置する
数詞と関係の深い文字です。
つまり
「四百許年」と言う文章に、時間的な“おおよそ”を用いる事は出来ないと言う事です。
今、手元に資料が無い為記憶だけで投稿しているので、一度自らの確認をお勧めします。
250 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 12:30:27
『漢字の面白さ』
では此処で、別な角度から遊び気分で「許」に(おおむね)と言う意味がない事を見ていきます。
『許』を分解すると「言と午」そして旁である午を分解し、「言」に一つずつ付加し「許」になるまで意味の変化に注目してみます。
・「言|/タン」……この文字の意味は不明
・「計」……かぞえ、しめしあわせ、くわだて
・「訐」……あばく、そしる
・「許」……ゆるす
・「言矢」……かきしるす
・「言失」……わすれる
このように並べて見ると何かきづきませんか?そう!
・「計」→犯罪者
↓
・「訐」→警察・検察
↓
・「許」→裁判所
↓
・「言矢」「言失」→報道(記録)、世間(シャバ)
つまり
「許」の文字としての位置付けは、裁判所にあたり
無罪か有罪か?と白黒をつける位置付けにあり(おおよそ)などというAboutなどありません。
『まろ』さん
濁点は、語句の意味が反転するという記号です。(言意が反転)
例えば
クルクル これに濁点が付加すると グルグル
252 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/06(木) 01:12:13
今日はそろそろ寝るかZZZ
253 :
ご参考まで:2008/03/06(木) 16:03:46
河童虫さんがプラムさんとは判りませんでした。最近あまり覗いてりませんでしたから。
なんか、此の頃は皆さんお詳しくて、たまに拝見しても、理解が容易でなくなりました。
倭人伝論争を説得合戦と評した作家か評論家が昔居りましたね。
それでも十分に楽しめますから、陳寿の功績は偉大なものです。ご参考までに一つ。
陳寿の没年はご存知のとおり297年。陳寿の死後まもなく范覠らにより「三国志」公認の
請願が出され、張華のおかげで勅命が下り、陳寿の家に赴き、「三国志」を写させしめた
ことになっておりますが、そもそも、この折に、改筆され加筆され削除された部分は
絶対に無く、誤写も絶無であった、と断定するは不可能と思います。
文部省の教科書検定のようなものが有ったとして、むしろ自然でありましょうな。
>>253ご参考までさん
>陳寿の没年はご存知のとおり297年。陳寿の死後まもなく范覠らにより「三国志」公認の
請願が出され、張華のおかげで勅命が下り、陳寿の家に赴き、「三国志」を写させしめた
ことになっておりますが、そもそも、この折に、改筆され加筆され削除された部分は
絶対に無く、誤写も絶無であった、と断定するは不可能と思います。
そのような見方があってもいいと思いますが、圭角さんは何処をどのように「改筆」「加筆」「削除されたものは何か」を的確に答えることができますか?
255 :
どくだみ:2008/03/06(木) 18:06:00
先ずは、資料を取り扱うときの注意点から。
説文は、許慎が古文学者であることから編纂された書物です。
漢代には既に読めなくなっていた古い文字で書かれた経書が古文経書。
それを研究する中で編纂されたのが説文です。
つまり、説文は、先秦時代の古い時代の意味・用法について書かれているのです。
一方、以前、別の方も指摘されていたように、数詞+許+名詞の用法は後漢時代くらいから
用いられるようになったようです。
つまり、数詞+許+名詞の用法を議論するのに、
「説文にこう書いてある」というのは意味が無いのです。
許が裁判所云々も、白川静みたいに文字学をやるのなら、発想としては面白いですが、
三国・晋の時代の用法を議論するのに持ち出すには、見当はずれな話題です。
甲骨文字の時代から、時間が経ちすぎています。
廣韻に「許、許可也」とあるから、aboutではないと言うのなら、
同じく廣韻に「期也、限也」とある「程」が、何故aboutの意味になるのですか。
そもそも、程は十髪=一程、十程=一分 十分=一寸 という風に、
度量衡の単位として、明確に定められた値を意味していた言葉でしょう。
原義が「限定」というのなら、許より程の方が、よほど「限定」の意味が強いでしょう。
それなのに、程はaboutの意味に転化し、許が転化しないという合理的な理由はなんでしょう。
「程」の辞書的な意味として、「・時間の度合い・おおよその経過」があったとして、
それが、実際の漢文のなかで、どのように使われているかは、検証しましたか?
言葉の押し花では、意味が有りません。
どのような句型で、何時ごろの時代の文章に使われているのでしょうか。
それを調べないで、辞書に書いてあるからでは不十分です。
例えば、三国志の中で、程がおおよその意味で使われている部分は何処ですか。
私は、見つけられませんでした。
国語の辞書には「程」に「おおよそ」の意味がありますが、
大漢和辞典には「程」に「おおよそ」の意味はありませんでしたよ。
256 :
まろ:2008/03/06(木) 18:16:45
>>251 >濁点は、語句の意味が反転するという記号です。
濁点は、つまらない言い方をすると無声音を有声化する記号です。
有声無声とは声門の動きを意識して「か」「が」と交互に発声すれば判ります。
>クルクルこれに濁点が付加するとグルグル
他にも「さらさら」「ざらざら」のように音感によって造語された言葉、
擬態語、擬音語では濁音化で当然ですが意味が変わります。
しかし、これは音感に頼ることの少ない他の言葉にまで
適用できるような普遍的な原則ではありません。
既レスで提示したように「電子ばかり」「電子はかり」、
いずれの言葉でもその意味に違いが無いことを理解してください。
>>255どくだみさん
>許が裁判所云々も、白川静みたいに文字学をやるのなら、発想としては面白いですが、
三国・晋の時代の用法を議論するのに持ち出すには、見当はずれな話題です。
甲骨文字の時代から、時間が経ちすぎています。
ま、これはあくまでも余談としてのネタなんですが
見当はずれとマジに答えてもらえたようですから、質問いたします。
で、甲骨文字の時代から時間が経ちすぎているということと、昨日私の文字組立て解釈との関係は一体なんでしょうか?
それに、時間が経ちすぎているというお言葉ですが、具体的にどの程度の時間であれば許容範囲ということでしょうか?
>廣韻に「許、許可也」とあるから、aboutではないと言うのなら、
同じく廣韻に「期也、限也」とある「程」が、何故aboutの意味になるのですか。
で、この廣韻に「期也、限也」とある「程」は、どのような和訳になっているのでしょうか?(いま手元に資料がないため)
>そもそも、程は十髪=一程、十程=一分 十分=一寸 という風に、
度量衡の単位として、明確に定められた値を意味していた言葉でしょう。
それはどうでしょう?
度量衡「程」は明確な単位ですが、「髪」と「寸」間に幅を持たせた範囲の単位とも捉えることが可能ですが
>例えば、三国志の中で、程がおおよその意味で使われている部分は何処ですか。
私は、見つけられませんでした。
国語の辞書には「程」に「おおよそ」の意味がありますが、
大漢和辞典には「程」に「おおよそ」の意味はありませんでしたよ。
で、三国志の中に「許」を「おおよそ」の意味に使用されたところはありましたか?
>>256 まろさん
>既レスで提示したように「電子ばかり」「電子はかり」、
いずれの言葉でもその意味に違いが無いことを理解してください。
文字の意味を正確に理解し使用していれば、「電子はかり」というような間違った語句にはなりません。正しくは「電子ばかり」です。
「電子」であろうと「天秤」であろうと同じことです。
文字の意味を理解していれば、現代使われている言葉の正確さは判断できます。(ただ現実問題として、例え誤使用でも市民権を既に得ているものに関してはどうしようもありませんが)
河童さん
以前読んだ話では、即レス主義とのことですが、もう少し熟考してレスしていただきたいものです。
ところで、「電子ばかり」が正しくて、「電子はかり」は間違いということですが、本当にそうでしょうか。
「電子秤器」は「でんしはかりき」とは読みますが、「でんしばかりき」とは読みません。
「台はかり」「上皿はかり」というのもあります。
まあ、私は言語学は素人なので、この件は、この程度で。
まろさん
はじめまして。
まろさんは、河童さんが師匠だと言っておられる、言語虫という人のことをご存知ですか。
アマチュア言語学研究家で邪馬台国研究家らしいです。
邪馬台国スレで、以前、その人のホームページのアドレスが貼られたことがあります。
かなり特異な説を展開しておられるので、河童さんと議論されるなら、
そういう心積もりをされていたほうが良いかなと思います。
ヤフーの掲示板にトピックを持っていて、特異な論を展開しておられます。
260 :
まろ:2008/03/06(木) 19:30:04
>>258 何故「電子はかり」が間違いで、「電子ばかり」が正しいと思うのですか?
さらには「バネはかり」と言うことも出来ます。
連濁は話者の発声習によるところが大きいのです。
また、「はかり」とそれが連濁した場合の「ばかり」に意味の違いがあるのでしょうか?
違いは無いですよね。
連濁はその方が発音しやすいから起きる現象であって、
話者が意味の違いを表現するために使いわけているのではありません。
概数を表す助辞「ばかり」と語源である「はかる」の意味の不整合は、
濁音化以外の別の理由に求めるしかないのです。
例えば、どくだみと貴方の間で話題になっている「程」や
和語「くらい(位)」の用法について考えてみたらいかがでしょうか?
その結果、貴方の仮説のひとつが崩壊することになるかもしれませんが。
>>259どくだみさん
>「電子秤器」は「でんしはかりき」とは読みますが、「でんしばかりき」とは読みません。
それは当然のことでは
「電子秤器」は「電子」+「秤」+「器」という漢字を合成させ「電子秤器」としただけにすぎませんから
和語(でんし)+(はかり)+(き)は、文字の合成の他に音の合成と言意も伴いますから
和語は言葉としての音を発した瞬間から意味も伴い、その辺が漢字とは違うところでしょう。
>>260 まろさん
「はかり」というのは名詞だから「はかり」と言うだけで言葉は相手に伝わりますが、濁点が付加した「ばかり」は(○○ばかり)と
何らかの語句と結びつかないとそのままでは言葉にはなりません。
単に「はかり」とする名詞は、それがどんな秤であろうとも単なる「はかり」ではそれを限定することができません。
しかし、その「はかり」に○○という名詞が付くことにより、その「はかり」と言うものが○○という限定された「はかり」になり
範囲の限定されなかった「はかり」が、○○という語句によって限定された語句に反転します。
その意味の反転を知らせる働きの記号が濁点なのです。
「○○ばかり」と(発声)(文字にて表記)することにより、「はかり」の言意が反転しましたと・・・・・
クルクルまわるのは自分自身の「目」や「身体」
グルグルまわるのは自分のまわりをまわる時の表現
>>259 > まろさん
> はじめまして。
はじめまして・・・
私は、どくだみさんも同じかとは思いますが、
基本的には名無しで、話題ごとに捨てハンドルも使います。
多分、文体や話題の嗜好から、どくだみさんにもいくつかのハンドルは
思い当たるものがあるかと思います。
ですので、「はじめまして」ではございませんがよろしくお願いします。
また、プラム氏さんとも、結構長い付き合いですので、
人となりはよく存じ上げておりますw
河童さん〜こんばんわ
「許」
「ゆるす」、「ばかり」で議論されてるようですが決着つきそうですかね?
魏志倭人伝の読みおろし(ぐぐると)を見ると「ばかり」が使用されてるみたいですが・・・。
河童さんはやはり「漢字」に関して強いですね!
丸暗記されてるのでしょうか?
いやはや・・・関心するしかない。
私なんて辞書持ち歩いてないと出てきません(笑)
というか以前に増して、より知識が高くなったようかんじる。
266 :
どくだみ:2008/03/06(木) 21:06:15
>>262 その話は、秤というと何の秤か解らないけれど、天秤やバネといった名詞が付加されることで
限定された具体的な秤になる。
そうすると、抽象的だった「はかり」に濁点がついて、反転して限定されて「ばかり」になるという主張でしょう。
それだと、「ばかり」は「限定されるもの」であって、限定する働きを有するのは付加された名詞の方でしょう。
「ばかり」に他の言葉を限定する働きがあるということには、全然なりませんよ。
「狂う」の名詞化したことば「狂い」に、女をつけると「おんなぐるい」ですね。
「ぐるい」は他の言葉を限定する働きを有するのですか。
ところで、バカという言葉に、例えば野球という言葉を付加して限定すると、濁点はどうなるんでしょうね。
ハゲということばは、十円ハゲや若ハゲのように限定されても濁点は付きません。
水ということばも、若水、逃げ水、死水のように濁点は付きません。
それから、グルグルとクルクルの話、
ヤフーの掲示板で読んだ貴方の師匠の説明は、ちょっと違っていたような気がしますよ。
ついでに言えば、端 箸 橋 は、みな同じ和語「はし」だと言っていましたが、
すべてイントネーションが違います。
例えば、京都弁では、気と木はイントネーションが違います。
中国語では、ピンインが同じでも、声調が違うと全く別の言葉ですが、それに良く似ています。
これらを、全部同じ「はし」だと言ってしまうのは乱暴でしょう。
>>263 そうでしたか。老婆心でしたねw 私も、以前は名無しばかりで、コテハンはどくだみが初めてです。
267 :
まろ:2008/03/06(木) 21:12:51
>>262 > しかし、その「はかり」に○○という名詞が付くことにより、その「はかり」と言うものが○○という限定された「はかり」になり
> 範囲の限定されなかった「はかり」が、○○という語句によって限定された語句に反転します。
それは、「ばかり」の前に付く名詞が修飾することによって生じる現象ですね。
「限定」しているのは、名詞の効果であって、濁点ではありません。
複合語の一部になっても、それが「はかり」の意味しか持たないことに違いはありません。
では、音濁しない複合語の場合はどうしますか?
「やま(山)」は、それ自体では「やま」の意味しか持たないが、
貴方の「理屈」に従えば「大」と言う名詞が付いた「大やま」になると
「やま」の意味が「限定」されたことになりますが、音濁は生じませんね。
> その意味の反転を知らせる働きの記号が濁点なのです。
> 「○○ばかり」と(発声)(文字にて表記)することにより、「はかり」の言意が反転しましたと・・・・・
この場合、貴方の説に立って考えても意味は「反転」していませんよw
はかり ⊃ ○○ばかり であっても はかり ¬○○ばかり にはなりませんから。
>>266どくだみさん
>それだと、「ばかり」は「限定されるもの」であって、限定する働きを有するのは付加された名詞の方でしょう。
「ばかり」に他の言葉を限定する働きがあるということには、全然なりませんよ。
「狂う」の名詞化したことば「狂い」に、女をつけると「おんなぐるい」ですね。
「ぐるい」は他の言葉を限定する働きを有するのですか。
これは濁点の位置に関することでもあるし、「ばかり/はかり」の語句の頭がハ行であることに全ての要因があります。
「は」の言意そのものに(範囲を限定しない言葉の方向性が中心から外向き←→)という意があります。
そこに、範囲が限定された名詞が付加するので「はかり」の「は」も原意を反転させ、(範囲を限定する←→方向)という「ば」になります。
(バネと限定された秤)となるのです。
「くるい」と「ぐるい」は子音Kからの変化で、範囲という説明からは逸れますので、今度機会がありましたら説明いたします。
>ところで、バカという言葉に、例えば野球という言葉を付加して限定すると、濁点はどうなるんでしょうね。
「野球ばか」 は既に濁音が付いていますし「野球はか」からの濁音変化ではないでしょう
「ばか」そのものが既に名詞化され、馬鹿そのもの単独で意味をなす語句 「野球」も名詞「馬鹿」も名詞と言う単に名詞どうしを合成したまでの言葉です。
だから「野球」の「はか」という格助詞(の)が間に入ることはないはずですよ
>ついでに言えば、端 箸 橋 は、みな同じ和語「はし」だと言っていましたが、
すべてイントネーションが違います。
表記に違いがありましたか?イントネーションは音声の違いであって、イントネーションの違いに意の変化はありません。
>>267 まろさん
まろさんへの回答は、たぶん
>>268 にて説明していると思いますので省きます。
それに
一つだけ加えるとするなら「ば、び、ぶ、べ、ぼ」の正確な音声表記は「ま゛、み゛、む゛、め゛、も゛」
だから、本来は「ばかり」は(ま゛かり) 「ばか」は(ま゛か)であって
それぞれ 「はかり」からの検証、「まかり」からの検証
「まか」からの検証「はか」からの検証をし、相互判断しなければならないのですが
それをすると、たぶんチンプンカンになること必死ですので、今回は比較的に分かりやすいほうで説明しました。
因みに
「馬鹿/マ゛カ」の言意は(多様に付類しない性質)で、分かりやすく言うと(記憶しない)
「ばか/バカ」の言意は(限定された範囲で気が破壊する)
270 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/06(木) 23:37:17
>>264県民さんこんばんは
>「許」
「ゆるす」、「ばかり」で議論されてるようですが決着つきそうですかね?
決着というよりも、学生さんは絶対に(どくだみさん)の方を見習うべきです
私のを参考にした日には、全てペケになりますから
それが現実社会、マクドナルドの接客マニュアルなんです。
271 :
まろ:2008/03/07(金) 00:51:53
>>269 貴方は、音声の話をしているのですか?
それとも「かな」という記号の話をしているのですか?
どくだみ氏へのレスにあるこの文章、
>表記に違いがありましたか?
>イントネーションは音声の違いであって、
>イントネーションの違いに意の変化はありません。
この意味が徹底的にわかりません。
同じレスの中のこの論理
>「は」の言意そのものに(範囲を限定しない言葉の方向性が中心から外向き←→)という意があります。
>そこに、範囲が限定された名詞が付加するので「はかり」の「は」も原意を反転させ、
>(範囲を限定する←→方向)という「ば」になります。(バネと限定された秤)となるのです。
「やま」の事例でも貴方流の「限定」事象が生じることが御理解いただけないようなので何ですが・・・
要点は「は」に濁点が付くことで意味が変わる、つまり音素の変化ではなく、文字記号の変化ということで
よろしのでしょうか?
先ずは、その点を顕かにしていただかないと確かにちんぷんかんぷんですね。
272 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/07(金) 08:09:49
おはようございます。
>>271 まろさん
イントネーションですが、
『はし』とするものが世の中にたった一つだったら、このイントネーションによって区別しようとする現象は起きないし、存在すら無です。
(端、橋、箸…)を、音にて区別しようとする意思がイントネーションの違いにより表現しているだけなのです。
(箸、橋、端…)それらを区別する方法として
・“はし”と音を発し、同時に身体の部位にて対象物をしめす。
・“はし”と表記し、対象物を区別出来る文章にする文章表現
・音のイントネーションにより区別する方法
たぶん、これらの方法があると思われます。
しかしこのイントネーションによる区分けが必要となってくる環境とは、かなり特異的なものであり、音だけで区別しなければならないと言う条件下の区分け表現方法です。
実生活では、盲人や暗闇状態が設定できるでしょうか? でも、このイントネーションによる区分け表現方法は、(端、橋、箸…)等が“はし”と名付けられた後に発生する現象なのです。
全て“はし”が確定された後なのです。
273 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/07(金) 08:45:52
>>267 『おおやま/オーイアマ』ですね
たぶん言語の基礎を説明していないからこそ起きてしまう疑問かと思われます。
・「おお/オー」は“大きい”と言う形容詞
・「やま/イアマ」は名詞
既に「山」自体、範囲が限定されている音にて構成された表現ですし、それに付加される形容詞「大きい」も、「山」の範囲内で起こる現象
だから、濁音の付加出来ない音にて構成されているのです。
だから濁音の付加可能な(おほやま)とは言わないでしょう。
母音「あ、い、う、え、お」
この基本的な言意は
(範囲が限定される、各方向性)
この母音が範囲を限定されなくなったのが
子音Hで構成される
「は、ひ、ふ、へ、ほ」
と、言う事です。
274 :
日本@名無史さん:2008/03/07(金) 12:21:30
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
275 :
ご参考まで:2008/03/07(金) 13:14:11
河童虫さんにご返信。
河童虫ご同様にこういう場所ですから、その全部を的確に例示する訳には
まいりませぬが、司馬懿は司馬宣王と常に尊称記述であることはご存知のとおりですが
司馬懿と記述している箇所が二つあります。
276 :
まろ:2008/03/07(金) 21:26:53
>>272 > イントネーションですが、
イントネーションの必要性について問うているのでは無いのです。
貴方が、よく使う「言意」と言うものは、「音」に付随するものなのか。
それとも文字などの記号によって表現されるものなのかと尋ねているわけです。
貴方のイントネーション感について、突っ込みたいところもありますが、
これが解からないと貴方がどちらの説明をしようとしているのか判断しかねるのでね。
ただ、
>>272を読んでも「はし」がイントネーションを除く音価を示すのか、
文字通り記号である「は」「し」を示すのかわかりません。
何となく「イントネーションを除く音価」のような気がしますが、
できましたら、この問いについてはYESかNOかで答えて頂きたいと思います。
さて、昨日の
『どくだみさんからのリクエスト』
【おんなぐるい】 の、連濁による反転効果
「おんなぐるい」という語句は「おんな」という名詞と「くるう」という動詞が連濁を伴い結びつき文を構成しています。
しかし、実際には濁点を伴わない
「おんなくるい」という和文は存在しませんが、連濁ということなので「おんな」「くるい/う」を解析してみます。
「くるう」これは動詞なので、これだけでは 何が(くるう)のか分かりません。
「おんなくるい」は、【おんながくるう】という和文が正しい和文です。
つまり、【おんなくるい】の狂う対象は『女』となります。
一方連濁による【おんなぐるい】は結びつく語句の最初に濁点が付加することにより
「おんな」の意味が反転し、狂う対象が『男』になるのです。
『くるう』とする対象の意味が濁点が付加されることにより、見事に『女』から『男』に反転しています。
この、連濁は文章における濁点反転効果です。
278 :
まろ:2008/03/07(金) 21:44:30
>>273 > ・「おお/オー」は“大きい”と言う形容詞
「大」は正式には「形容名詞(つまり品詞的には名詞)」と言うべきですが、
代わりに普通名詞の「石(石山)」でも「北(北山)」でも同じことです。
> ・「やま/イアマ」は名詞
「はかり(=重さを量る計測器)」も名詞ですね。
> 既に「山」自体、範囲が限定されている音にて構成された表現ですし、
確かに「山」は「丘」でも「原」でもありません。
「地形」と言うジャンルの中では「限定」されています。
それは「はかり」も同じことですね。
「ものさし」でも「ます」でもありませんから、「計測器」と言うジャンルの中では限定されています。
> それに付加される形容詞「大きい」も、「山」の範囲内で起こる現象
「バネ」でも「電子」でも同じですね。
「はかり」の範囲内で起こる現象です。
「バネ」と付いても「はかり」は「はかり」で「ネズミ捕り器」にはなりません。
> だから、濁音の付加出来ない音にて構成されているのです。
> だから濁音の付加可能な(おほやま)とは言わないでしょう。
すいませんが、何が「だから」なのかが解かりません。
> 母音「あ、い、う、え、お」〜
急に、そんな「高度」な話をされてもついてけませんがなw
>>276 まろさん
イントネーションについての私の見解は、今朝しました。
語句のイントネーションや訛は、長い間の生活環境によってさまざまですので
基本的には、貴方に言われる『音価』と捉えたほうが分かりやすいかもしれません。
和語は『一音一意』と考えますので
280 :
まろ:2008/03/07(金) 22:00:00
>>279 >イントネーションについての私の見解は、今朝しました。
ですから、繰返しますが、それとは違うことを尋ねています。
貴方がこだわっているの「言意」というものは次のどちらの要素に結びつくのですか?
1 「イントネーションを除く音価」
2 「文字などの記号」
教えてください。
>>298 まろさん
>> 母音「あ、い、う、え、お」〜
急に、そんな「高度」な話をされてもついてけませんがなw
「あ、い、う、え、お」
これは 一番初歩の取っ掛かりな部分です。(そう、赤ちゃんが発する最初の言語です)
そして
いま行っている連濁による文の構成は、大変高度な言語理論です。
つまり、産まれたばかりの赤ちゃんが、受験勉強するようなものです。
母音「あ、い、う、え、お」から子音「k,s,t,n,h,m,r,w」が産まれるのですから
(正直な話、私も未だにこの構造を完璧に把握できていないのですが)
>>281 まろさん
>1 「イントネーションを除く音価」
2 「文字などの記号」
教えてください。
どちらにもあてはまりませんが、「文字記号」としたほうが分かりやすいでしょうし、大部分の意味はこれで事足ります。
283 :
まろ:2008/03/07(金) 22:38:58
>>282 > >1 「イントネーションを除く音価」
> 2 「文字などの記号」
> 教えてください。
> どちらにもあてはまりませんが、「文字記号」としたほうが分かりやすいでしょうし、大部分の意味はこれで事足ります。
ありがとう、やっと話が進みますねw
でも「文字記号」の方を選択したとなると私の予測と異なりますね。
私は「かな」とか「濁点」とかの意味で「文字記号」を使っています。
それで良いと言う事なら貴方の理論は「かな」が使われる前の日本語には適用できなくなってしまいます。
もしかして「音節」と言う概念が妥当なのではないですかね?
>音節(おんせつ)とは、シラブル(英語 syllable)ともいい、
>1個の母音を音節主音(おんせつしゅおん。英語 syllabic)とし、
>その母音単独で、あるいはその母音の前後に1個
>または複数個の子音を伴って構成する音声(群)で、
>音声の聞こえの一種のまとまりを言う。
By WIKI
日本語のかな一文字は、大雑把に言えば全て一音節といえます。
例えばひらがな「た」「ち」「つ」「て」「と」は
現代標準語では、それぞれ[ta][ti][tsu][te][to]と言う音価を持ち、それぞれが一音節と言うわけです。
>>283 まろさん
>音節(おんせつ)とは、シラブル(英語 syllable)ともいい、
>>1個の母音を音節主音(おんせつしゅおん。英語 syllabic)とし、
>その母音単独で、あるいはその母音の前後に1個
>または複数個の子音を伴って構成する音声(群)で、
>音声の聞こえの一種のまとまりを言う。
いいえ
「一音一意」です。
一つの音に対し一つの言意
一つ一つの言音に意があり、その音が集まり一つの語句を形成します。
例えば
「アオ」という語句は「ア」という言意と、「オ」という言意が存在し
その意の合成が「アオ」という言意になります。
そしてその言意にしたがい、「アオ」に対する適切な意味が生まれます。
285 :
まろ:2008/03/07(金) 23:34:28
>>284 > いいえ
> 「一音一意」です。
> 一つの音に対し一つの言意
> 一つ一つの言音に意があり、その音が集まり一つの語句を形成します。
> 例えば
> 「アオ」という語句は「ア」という言意と、「オ」という言意が存在し
その例えじゃ、解かりにくいなあ。
「ア」も「オ」も一音一音節だからなあ。
じゃ、「は」は一音節だけど音素は二つ。
貴方の言う「言意」の要素も二つ([h]と[a])とないりますか?
これが正解だとしたら
>>280の問いの答えは1番と言うことになります。
>>まろさん
実際には、現在「アオ」と表現しているものを『見』
その対象物を身体を使い指し示し音を発し伝える。
この動作全てを口(形、音、排気)で行う行為が言葉です。その行為が「アオ」という音に意思変換されただけです。
>>285 まろさん
>じゃ、「は」は一音節だけど音素は二つ。
貴方の言う「言意」の要素も二つ([h]と[a])とないりますか?
これが正解だとしたら
>>280の問いの答えは1番と言うことになります。
通常はそれで十分理解できますが、正確にはそうじゃないから今でも勉強継続中なのです。
単純に「ha」と二つの音素なんですが、子音「h」にはいくつかの(母音や子音)によって構成されているのです。
しかし、言意だけの解釈なら「ha」の二音素でOKでしょう。
288 :
まろ:2008/03/07(金) 23:49:58
>>286 >音を発し伝える。
>口(形、音、排気)で行う行為が言葉
それが基本要素なんでしょう。
じゃ、
>>280の1番の理解でよろしいわけですね。
それとも、まだどこか違うから返事をいただけないのですか?
>>288 まろさん
>1 「イントネーションを除く音価」
答えないわけではありません。
この『イントネーションを除く音価』だけで片付けてしまっていいのか迷っているからです。
290 :
まろ:2008/03/08(土) 00:15:09
>>287 > これが正解だとしたら
>>280の問いの答えは1番と言うことになります。
> 通常はそれで十分理解できますが、正確にはそうじゃないから今でも勉強継続中なのです。
> 単純に「ha」と二つの音素なんですが、子音「h」にはいくつかの(母音や子音)によって構成されているのです。
> しかし、言意だけの解釈なら「ha」の二音素でOKでしょう。
失礼、被りましたねw
まあ、文字じゃなくて音価の方に意味があるわけですね。
これで、ようやっと
>>251に戻れます。
>>251 >濁点は、語句の意味が反転するという記号です。(言意が反転)
>例えば クルクル〜
くるくる(自転)ぐるぐる(公転)のような擬態語の例はわかります。
音価の違いそのものが言葉の意味の違いになっているのですから。
では、「はかり」の場合はどうでしょうか?
ただの「はかり」が「バネばかり」になったところで意味は反転していません。
「はかり」と言う重量計測器を表す言葉が、バネと複合することにより、
「はかり」言う大きな集合の中の一要素「バネ式はかり」になっただけです。
重量計測器と言う性質が変わったわけではないので「反転」ではありませんでしょう。
「反転」と言えるには、重量計測器としての性質が失われなければなりません。
これは「山」に「石」が付いて普通の山が石の山になる変化と同質のものです。
つまり、はかりの事例で元の意味を限定化した要素は「バネ」との複合なのであって、音素の濁音化ではないのです。
「は(←→)」が「ば(→←)」になることで( )内の記号の向きが反転すると言う理論と
貴方が今回例示した「ばかり」のケースは結びつくところは無いようですね。
>>290 まろさん
>「はかり」と言う重量計測器を表す言葉が、バネと複合することにより、
「はかり」言う大きな集合の中の一要素「バネ式はかり」になっただけです。
重量計測器と言う性質が変わったわけではないので「反転」ではありませんでしょう。
「反転」と言えるには、重量計測器としての性質が失われなければなりません。
この言葉の主目的は(範囲が限定されるか、限定されないか)
全ては「はかり」の「は」がこの語句の鍵を握っているのです。
>「は(←→)」が「ば(→←)」になることで( )内の記号の向きが反転すると言う理論と
貴方が今回例示した「ばかり」のケースは結びつくところは無いようですね。
「ば」=(→←)ではなく(←→)です。 「ば」に付加した濁点は付加された名詞語句に効果します。
やっぱ無理ですよ
いきなり受験勉強から始めるのは
今、単純に濁点と言ってる記号も、正確には(アハ)という言葉を記号化したにすぎません。(因みに半濁音は アフ)
そして、「アハ」の意味解釈は(合い離れる)
☆意味解釈=分かりやすく表現すると
>>291 まろさん
・言語理論を学ぶ気持ちがあるのなら、先ずは「あ、い、う、え、お」から
・言語理論を否定しようと考えているなら、先ず相手がしていることを十分に把握してからでも遅くはありませんよ
そのほうが的確に沈めることができます。それでもやっぱり「あ、い、う、え、お」から
293 :
まろ:2008/03/08(土) 01:06:01
>>292 > ・言語理論を否定しようと考えているなら、先ず相手がしていることを十分に把握してからでも遅くはありませんよ
ですから、いろいろとお尋ねしてるんですよ。
とりあえず、今は複合語の生成に際して、「は」と「ば」の交換が起きても起きなくても同質の変化(効果)あると言うことを
御理解いただけるよう頑張る次第です。
>>293 では、まろさん
どくだみさんの提示した【女狂い】に挑戦してみてはいかがですか?
頑張る次第と言われても・・・・・・・
そもそもの原点が違いますから・・・・・
今はまろさんでも理解できる「はかり」という語句で説明しているからここまで来ていますが、これを更に分解し
言語本来の「は」「か」「り」から始めたら、これだけで一月は遊べますよ
私は初歩的な基本をマスターするのに二年程要しましたが、たぶんまろさんなら一年で覚えられると思います。
その基本さえ覚えてしまえば、後は結構スムーズに簡単な事は解析できます。
一つの余興として覚えてみるのも、また一考かと
296 :
まろ:2008/03/08(土) 10:37:12
>>294 > そもそもの原点が違いますから・・・・・
「原点」と言うよりも「感性」が違うのかもしれませんねw
> 今はまろさんでも理解できる「はかり」という語句で説明しているから
いえ、ぜんぜん理解できていません。
> 言語本来の「は」「か」「り」から始めたら
今、実際にそれを検証しているわけでしょう。
出発点は「はかり」と「ばかり」の違い、「は」だと「限定」されないで「ば」だと「限定」されると言う理論です。
それを説明するのに貴方が用いたのが「はかり」と複合語「バネばかり」の事例です。
しかし、それは「山」と「石山」の関係との違いを説明することが出来ない事例だったわけです。
「石山」」の事例と「バネばかり」の事例での限定効果の違いを説明するには、
結局のところ、もとに戻って、貴方が「は」に与えている「特別な意味=範囲」の説明をしなければならいからです。
そして、その「範囲」と言う言葉こそ、私が終止符スレで繰り返し説明を求めながらも、
一切スルーされ続けていた定義不明の言葉なのです。
貴方が使う言葉「範囲」「限定」、特に「限定され(でき)ない範囲」などは特に難解な理論です。
普通に考えれば、ある事物が他のものと区分され、「限定されている」から「範囲」と呼べるのであって、
限定されていない、他と区別されないものに「範囲」などと言うものを認知するのは不可能です。
「限定された範囲」もまた然りですね。
つまり、貴方の使う「範囲」か「限定」のどちらか、又は両方は、一般には理解できない用語です。
「あいうえお」の説明をされても、そこで使われる基本的な用語の説明がなければ理解できません。
まずは、「範囲」の上手い説明法から考えてみたらいかがですか?
297 :
どくだみ:2008/03/08(土) 12:49:01
>>268 まろさんとは、随分レスが進んでいるようですね。
その議論を読んで後から追いかけるのは大変なので、
私は私でレスさせていただきます。
「ばかり」は限定される側であり、他の言葉を限定する能力は無いとの私の書き込みに
語頭がハ行であることに全ての要因があるとのことでした。
歯→奥歯・前歯の「ば」 蝿→銀蝿・ショウジョウバエの「ばえ」
生える→ひこばえの「ばえ」 映える→夕映えの「ばえ」
箱→大箱・小箱の「ばこ」 鋏→和鋏・洋鋏・糸切り鋏の「ばさみ」
袴→仙台袴・下袴の「ばかま」
名詞も、動詞から名詞化したのも含めて、語句の頭が「は」であって、
前に名詞が付くと濁音化する言葉はたくさん有りますが、
濁音化によって、限定の能力を得て、
他の言葉を限定するようになった言葉はありません。
ということは、語句の頭がハ行であることで、
「はかり」が濁音化して、他の言葉に限定を加えるようになる
という理論は成り立ちません。
端・箸・橋は、漢字で書き分けられますが、清音と濁音も、万葉仮名では別の漢字で書き分けられていたそうです。
その後、平仮名・片仮名が発達すると、清音と濁音の表記上の区別は消えます。(ex忍ふれと=しのぶれど)
ネット情報ですが、清濁の表記が意識され出したのは、江戸期だそうです。
そして、濁点の表記が確立するのは、明治の学校教育からだそうです。
出発点で、端・箸・橋と清濁が、別の漢字で書き分けられていたのは同じ。
仮名の発達により、端・箸・橋に仮名を振るとき「はし」となり、清音濁音の表記上の区別も消えた。
どちらも、表記上の区別はなく、口に出して読むときにイントネーションの変化や濁音をつける。
そして、明治期に今の漢字仮名混じり文の表記法が確立したとき、「はし」は端・箸・橋と漢字で区別され、
清濁は、濁点の付加で区別されるようになった。
こういう表記上の変化の歴史を無視して、イントネーションの違いは表記の違いを生まないので意の変化はないというのなら、
明治期、少なくとも江戸期まで濁点表記をしていなかったのだから、濁点による意の反転というのは、
濁点表記が生まれる江戸期以降の現象ということになり、「はかり」が濁点で意味が反転するなどという議論そのものが、
無意味となりますよ。
299 :
どくだみ:2008/03/08(土) 13:25:15
ついでに、もうひとつ。
さて、「おんなぐるい」についての河童さんの説ですが、それが正しいと仮定しましょう。
「さけぐるい」なんて言葉もあります。
切手蒐集や鉄道マニアなら「きってぐるい」や「てつどうぐるい」とも言えます。
「おんなくるい」は「おんながくるう」が正しい和文だとするならば、
「さけくるい」は「さけがくるう」が正しい和文になりますね。
他に「切手がくるう」「鉄道がくるう」が正しい和文になりますね。
狂う対象は「酒」「切手」「鉄道」ですか?「酒」「切手」「鉄道」が狂いますか?
間違ってますね。もともと狂うはずのないものですから。
だから、「おんなぐるい」が濁点によって「女」から「男」に反転したなんて事実無根です。
>「おんなくるい」という和文は存在しませんが、
濁音表記がなかった時代を考えれば、そういう和文も存在しえます。
もともと、「狂う」が名詞化した「くるい」という名詞が存在します。
それに、女や酒や切手や鉄道という名詞が付加して、「くるい」の対象を限定します。
その際に、連濁して「おんなぐるい」になります。
>「おんなくるい」は、【おんながくるう】という和文が正しい和文です。
>つまり、【おんなくるい】の狂う対象は『女』となります。
「おんなくるい」は、発音すれば「おんなぐるい」であって、
【おんながくるう】という和文ではありません。
しいて言えば、「おんなにくるう」が「おんなくるい」になり連濁して「おんなぐるい」になります。
狂うのはあくまで「おんな」に狂う「おとこ」(最近は男に限りませんが)
もう一つ重要なこと。私は、濁点で反転するかどうかを聞いているのではなく、
濁点を付加された限定された言葉が、他の言葉を限定するようになるのかを聞いているのです。
300 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/08(土) 19:28:36
>>299どくだみさん
『おんなぐるい』→「おんな」「くるう」→【おんな(に)くるう】【おんな(が)くるう】
『さけぐるい』→「さけ」「くるう」→【さけ(に)くるう】
『バネばかり』→「バネ」「はかり」→【ばね(の)はかり】
おんなぐるい だけが、文が二つに