謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!6

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1神奈川県民
魏志倭人伝によると、日本の昔、「卑弥呼」という女王が国を治めてた。
この謎の女王は古代史最大のミステリーで有り、人々のロマンである。
そのミステリーについて語ろうじゃないか!
また、邪馬台国は何処に有り、天皇家との繋がりは?!

(魏志倭人伝より)
その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。
倭國乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。
名付けて卑弥呼という。
鬼道に事え、能く衆を惑わす。年已に長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて國を治む。
王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。
ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。
宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。 


2神奈川県民:2007/03/23(金) 20:53:18
前スレ
謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!5
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1171548001/
3九州出身:2007/03/23(金) 21:03:37
みなさんお久しぶり いま5のレス読んでいます。

>>366-367
これについてみなさんの意見を聞こう
4九州出身:2007/03/23(金) 21:05:32
おっと失礼!前レスのこれね!

366 :日本@名無史さん :2007/03/11(日) 00:27:30
>>358
それは、卑弥呼を記紀の誰にたとえるかと言う問題になる。
天照大神とすれば、当然、神武東征は卑弥呼の後になる。
畿内説のように、倭迹迹日百襲姫とすれば、卑弥呼の前になる。

どちらが適当かよ〜く考えてみよう。


367 :日本@名無史さん :2007/03/11(日) 00:56:24
>>366
アマテラスという神話の人物よりも
倭迹迹日百襲姫のほうが卑弥呼にふさわしいだろう?
5日本@名無史さん:2007/03/23(金) 22:39:45
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
6日本@名無史さん:2007/03/24(土) 00:47:51
会津にも四隅突出型があるらしい

ttp://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/4sumitatenouti.html
7日本@名無史さん:2007/03/24(土) 01:29:49
前スレに翻訳ソフトで書いた
あほな勧告人が書き込んでいたなw

8日本@名無史さん:2007/03/24(土) 09:32:33
天皇家とは違う民族だろう。
多分南方系で天皇家は後からきた北方系。
9日本@名無史さん:2007/03/24(土) 09:49:04
神奈川県民さんよ

あんたは謎の女王ヒミコさんに入れ込んでるシンからの古代史大好きさんで、
悪い人やないと思うが、愛すべき人やとは思うが、
なんでこう先走って「6」を立てるんや?
まだ「3」が未消化やないですか。

ここでの議論、「3」を使い切ってからにしましょうや。
10日本@名無史さん:2007/03/24(土) 09:52:08
邪馬台国研究したって金にならんよ
11日本@名無史さん:2007/03/25(日) 21:36:31
卑弥呼人気投票!
1、オリジナル卑弥呼
2、神功皇后
3、倭姫
4、天照大神
5、倭トト日百ソ姫
他にもいると思うんでそんときはご自由にエントリーして下さい。
            僕は、4に一票入れとくわー
12日本@名無史さん:2007/03/26(月) 02:08:04
あえて・・・・あげ
13日本@名無史さん:2007/03/26(月) 07:14:57
祝新スレ
荒らしも含めてここまで総て大林さんの自演ですか
改めて鈍感な思考に拍手です
加齢臭が文字にまで踊る独特の言い回し
きっと死ぬまで直らないですね
一人ぼっちの検討を祈ります
14日本@名無史さん:2007/03/26(月) 09:03:40
九州ですが ◆IhXqm1bg5cは
半島の工作員。

15日本@名無史さん:2007/03/27(火) 21:33:55
保守
16日本@名無史さん:2007/03/27(火) 21:43:51
現在の天皇家ならば、卑弥呼(邪馬台国)・・・→・・・大和朝廷成立、
までの、3世紀後半から、4世紀までの、伝承があるはずだよね。

邪馬台国と狗奴国と熊襲と大和朝廷の関係は、正しくは、どんな関係なのか?
ぐらいのことは、天皇家は知っているはず。
そのくらい、オープンにしてくれてもいいじゃないか!
証拠だって、様々あるはず。

隠さなくっても、いいじゃないか!
どうしたら、オープンにさせることができるのか?
17日本@名無史さん:2007/03/27(火) 22:06:55
手紙でも書いてみたら?
18日本@名無史さん:2007/03/27(火) 22:16:46
>>16
日本が超大国だとでも思ってんのかw
19日本@名無史さん:2007/03/28(水) 13:57:43
>>16
旧宮家の人は知らないと言っていたよ。
だいたい1300年前に日本書紀を編纂した人たちだって
過去の暦に関して分からなくなっていたのに。

20日本@名無史さん:2007/03/28(水) 14:43:17
>>19
一子相伝の口伝があるかもよ。北斗の拳の読みすぎ?
でも、秘すれば花っていう風姿花伝の言葉があるじゃないか。
学問的にはオープンにしてくれたら好奇心が満たされるけど、
神道的には、あたら花を散らすことになるよね。
21日本@名無史さん:2007/03/28(水) 22:44:48
>16
天皇家よ、歴史の真実をオープンにしてくれ。無駄な議論は終止符を打ってくれ。
22日本@名無史さん:2007/03/29(木) 03:04:55
つーか、昭和天皇自体
よう分からんと言っていたんだろう。
23日本@名無史さん:2007/03/29(木) 08:30:25
明治維新後に天皇家を飾り立てるためにでっち上げられた物も色々あるだろう。
24日本@名無史さん:2007/03/29(木) 09:41:34
1300年前に日本書紀を編纂したが、その時に600年前の事が正確に
わかるはずがないかも。
25日本@名無史さん:2007/03/29(木) 17:02:21
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
26九州出身:2007/03/29(木) 21:05:59
んだ 天皇家の謎はオープンにしてほしいよねw
27日本史@名無しさん:2007/03/30(金) 07:18:40
陵墓発掘させるだけでもいいんだがね
28日本@名無史さん:2007/03/30(金) 07:48:56
アマテラスとヒミコは同一人物ってなんかの本に書いてた
29日本@名無史さん:2007/03/30(金) 08:50:55
物証がないと想像だけで決めてかかるのは五人逮捕してるとこと同じで
30日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:22:58
以下は「終止符!3」の992でレスしたもののコピペだが、議論を続行してもらいたいので再録させていただく。

安本美典氏の卑弥呼=天照大御神説はおかしい。邪馬台国の会サイトにこんな説明がある。

>卑弥呼には、弟がいたことになっている。天照大御神にも、須佐之男の命、月読の命という弟がいる
>魏志倭人伝の、女王のことばを伝えるために出入りしている一人の男と、高木神とが符合するように思える。
>天照大御神と、須佐之男の命の争いは、卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼との戦争ににている。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/himiko.htm

こじつけと言うか、なんかもう、無茶苦茶の出鱈目と違うか。
みなさんはどう思われるか。
31日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:30:18
>>30

もちろん、こじつけだし、お話にならない。
騙されるのは中学生までにしてほしい。

32日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:30:20
》16 あくまで俺のイメージだが、天皇家も詳しくはわかんないと思うよ。
明確ないわゆる物証みたいなものはないんじゃまいか?
やっぱ、墓を掘り起こして鑑定しないと、してもどこまでわかるかわからんが、今よりはいいよね。
33日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:33:31
此処の有名人よりいいよw
34日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:36:21
古事記を読めば、日向神話→筑紫神話→出雲神話・・・・〜大和朝廷と
構成されている。 6〜7世紀の天皇家がルーツを高千穂に求めている。

古事記の中味は、古くからの口承伝承を忠実に記載されている。解らない所は
「一書に曰く・」と別載

私は、魏志倭人伝の東夷伝、倭国の記述には500〜1000年の包含したズレを感じる
全身刺青をして、海中に・・・と言う所とか、「本」と言う伝聞記述が・・・
倭全体の国を、九州に見立てている、で卑弥呼は当然九州となる。

卑弥呼は、日のミコ と言う冠位と思う。
日向(ひゅうが)は、日向(ひむか)い 宮崎に多い、日高(ひだか)姓は、ヒコゥと言う
西都原古墳郡は730基?かの円墳などがある。
これらから、古事記は発祥してる感じがする。

魏志倭人伝に言う女王は、博多(那の津)の金印が出た所の祈祷師即ち大祭司と思う
だから、古事記・書記と比べても意味が無い。
35日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:38:54
宇佐の比売大神って、どう考えてもトヨでしょ?
そもそも、「ヒメオオカミ」って、女性の神様、って意味でしょ?
誰かの名前というよりは。
その両脇を神功皇后と応神天皇が固めているのは、彼らが、かつて
同じ九州の宇佐からその孫「彦火火出見」を畿内に向けて送り出した事に
思いをはせて(または、2人をお祀りした頃の人が思いを馳せて)偉大なるトヨのそばに
祀らせたんじゃないかと思うのですよ。私は。

それにしても宇佐神宮は見事なお社ですよ〜。
このゴールデンウィーク、勅使道をとおって、お参りしてください。
36九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/03(火) 20:41:05
しかし笑った。今、ものまね紅白歌合戦で滅び行く邪馬台国のマネというのがあって。
37日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:43:21
>>34
高千穂から、東に向かってますよねー。
だから、天つ神の古郷はその西側。
筑後平野から九州山地を越えて日向に至り、
コノハナサクヤ姫を娶る。その子孫が神武天皇
という物語。
38日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:50:34
神武がマキムクに入った頃、畿内の主流は出雲。
だが、その出雲は北部九州と吉備の勢力に滅ぼされてしまったのでしょう。
初代神武の頃:出雲勢力は健在
十代崇神の頃:出雲が祟るとして、出雲大社が造られる
という事は、出雲の勢力が駆逐されたのは、この2〜9代の間、ですよね?
そう、国譲り神話は、欠史8代の事を比喩的に書いたものなんです。
39日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:52:34
>>37
人はみな一方向へしか進めないのか。
静岡から富士山に登ったら、どうしても山梨へ降りないといけないのか!
静岡へ引き返す、或いは御殿場へと方向を変える等の選択肢はなぜ許されないのかッ!
40日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:57:53
神功皇后が、北部九州で女酋長を討ち取ったとあります。
同じような事が、継体天皇の頃にも起こっています。
そう、磐井の乱です。
九州北部にすんでいると、畿内よりも朝鮮半島のほうが
身近に感じたりするもんなんです。(ましてや当時は。)
だから、畿内の勢力が半島に攻め込もうとすると、
半島に味方して、畿内の軍と戦ったりしたんじゃないでしょうか?
41日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:01:16
>>39
もうちょっと面白いのをおながいしますよ。^^

あの当時、高千穂を越えるのはおそらく命懸け。
静岡から富士山に登って、静岡に下山するのは裕福な現代人のみ。
42九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/03(火) 21:07:12
以前、宇佐神宮に電話して宮司さんにお話を伺ったところ、比売大神を「卑弥呼なんでしょ」といってくる人が多いと言ってた。
四拍手で怨霊として祀ってある事については詳しくは解らないという事だった。大神の像は神宮には無く、宇佐あたりの人であったこと以外よく解らない
謎の人物だそうだ。

43日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:12:41
四拍は、私も以前は怨霊に対してのものと思っていました。
しかし、実際に宇佐神宮に参ってみると、とても怨霊を祀った
ものとは思えないのです。いかがでしょうか、九州ですが ◆IhXqm1bg5c さん?
四拍とは、二拍を二回行うもの、すなわちほかの神々よりも偉大なる者、という
解釈はむりでしょうか?^^;
44日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:13:23
肥前国風土記に佐賀、小城の地名伝説がある。
小城は、土蜘蛛が隠れ籠もっていた城があったんだそうな。
ヤマトタケルがこの小城の土蜘蛛を滅ぼす。
http://inu.imagines.jp/yamato/hudoki.html

で後藤氏の代理人みたいな感じの諸氏に訊きたい。(サガミハラハラ、カナカナボウシ、フリージア、・・・)
卑弥呼や壱与と、この小城の土蜘蛛との関係は如何に?
45プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/03(火) 21:17:23
前レス>>991

>もちろん、九州では無いな?

従来からの自領地にアマテラス神を奉った所で意味はない。
当然新地に奉る事に意味が
過去の記録を葬り去り、新たな認識を設け制圧する
100年程経過し世代が一掃されるころには、過去の地神への信仰も新たに重ねられた
神への信仰へ移り行きます。
46日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:17:45
>>44
関係無いんじゃない?
47日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:23:03
なんていうかね〜、邪馬台国畿内説でどうしても引っかかるのは
吉備or出雲が畿内に至るまでに出てこない事なんですよ。
あんなに細々とした国(というよりは集落?)の名前を記しておきながら、
古代史のビッグネーム「吉備」(瀬戸内海経由の場合)「出雲」(日本海経由の場合)
が登場しないのは、いかにも不自然だとおもいませんか?みなさん。
48九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/03(火) 21:38:08
>>43
祀ってある3体のうち像が一番小さく四拍手で、しかし真ん中。謎です。実在の人物であった感がします。
九州には女酋が少なくとも3人はいたようですが。
四拍手についてもただ昔からそうしているとのことでした。
49日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:42:05
>>47
>古代史のビッグネーム「吉備」(瀬戸内海経由の場合)「出雲」(日本海経由の場合)
>が登場しないのは、いかにも不自然だとおもいませんか?みなさん。

これはものすごく良い質問です。まさに敵ながら天晴れ、と言いたいです。
良い質問は良い回答を生み出します。
回答の半分は、卑弥呼=モモソヒメを提唱した笠井新也氏がすでに答えています。
すなわち投馬国が出雲である、と。5万戸の大国ですからね。

あと半分は私が答えましょう。
吉備は、3世紀半ばの時点で邪馬台国と一体化していた、と。
すなわち吉備は、すでに女王国の領域になっているのです。
播磨、丹波、阿波、讃岐もですよ。
近年の考古学が示す多くの事項が、それを立証します。
50太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/03(火) 22:12:34
>>49
畿内に女王国があってそんな処まで分かっているなら、記紀に卑弥呼女王の
ことが題名となって一節もうけられているよ。神功皇后や日本武尊のようにな。
それなのに全く記紀に女王の章が載っていない。

なぜか? かんた〜ん。畿内には卑弥呼の国がなかったからだ。
無けりゃぁ載ってないのが当たり前。つまり女王国は九州にあったからだ。
51日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:14:54

お前は、おんなじ事、何度も何度も書か無くていいよ。
52日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:16:05
世界を見ろ。
53太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/03(火) 22:17:15
>>51
そんじゃぁ、お前は毎回の畿内説の矛盾を理解したのか?
54日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:21:37
>>50

いいから、早く「古神道」とやらの説明をしろよ。

55太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/03(火) 22:34:05
>>54
お前は早く社伝の説明をしろ。
比売大神は三女神のうちいずれなのだ? この中にいなけりゃぁ、どうやら
日神と須神の子じゃぁありませんぜ。w 卑弥呼でもないし・・・。

それに、三女神の一人とすれば、なぜ残り二人は祀られんのだい?
そう考えれば矛盾が出てきて、現実に親子の線は崩れ出すんだぜ。日神らは神武
以前の世界だから、否定されれば、比売大神は余の説明のとおり神武以降の人物
の可能性が強まって来るんだよ。
56日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:38:24
>>55

いいから、早く「古神道」とやらの説明をしろよ。
57日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:46:54
九州王朝説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC#_note-gengou2
問題点
九州王朝説は現在のところ、日本古代史の学界からは「批判・検証を受ける段階に無い」と見られ黙殺されている。それは以下のような理由による。
九州王朝の歴史を記録した一次資料は存在しない[11]。したがって記紀や中国や韓国の歴史書等に散見される間接的な記事、九州年号や大宰府など僅かに残された資料をつなぎ合わせて王朝の歴史を推測するしかない。
この直接的記録が無いことが、九州王朝否定論の論拠となっており、また多くの亜流を生む原因ともなっている。また、資料の扱いが恣意的である[12]点も、九州王朝説の弱点である(九州王朝説からすると通説が資料の扱いが恣意的であるとなる[13] )。
同じ九州王朝説の支持研究者でも、白村江の戦いまでを九州王朝の歴史と見る、壬申の乱までを九州王朝の歴史と見る、大化の改新まで九州王朝の歴史と見る[1] 等考え方は様々であり定まっていない。
九州王朝説の中にも仮定に仮定を積み重ねたトンデモ説としか思えないものもあり、初めて読んだ本がこれらの場合に九州王朝説全体をトンデモ説だと思ってしまう事がある。
58太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/03(火) 22:48:28
>>56
そっちはお前には程度がΛ須弥山Λのように高すぎる。w
いいから早く>>55の説明をしろ。
59日本@名無史さん :2007/04/03(火) 22:53:04
マキムク遺跡のあり方から、邪馬台国は大和ではありえないのでは
無いか思えてくる。
マキムク遺跡は卑弥呼やトヨが活躍した220年頃作られているが、
その遺跡には、中国文化の影響がほとんど見られない。

中国産の青銅器も器物を模した国産品も出土していない。
中国と通商した邪馬台国の都が、マクムクではありえない。


60太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/03(火) 22:54:25
古史古伝のウガヤ朝70数代も九州王朝と考察可能。
61日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:55:55
>>60

いいから、早く「古神道」とやらの説明をしろよ。
62太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/03(火) 22:58:17
>>59
卑弥呼が220年ころ活躍したことは言えるわけで、倍暦計上から

景初元年=237年=崇神天皇即位元年
63日本@名無史さん :2007/04/03(火) 22:59:30
>>59 つづき
卑弥呼が女王になった2世紀待つの銅剣、銅矛を重んじる
北九州の文化と銅鐸をまつる近畿地方の文化とは異質である

卑弥呼の時代にその両方を制圧した政権が存在した見るのは
難しい。それよりも、4世紀初頭の銅鐸の消滅の動きと、近畿
地方から北九州までの統一とをからめて考えるのが妥当でしょう。
64日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:02:53
>>63

いまだに、銅鐸文化圏と銅矛文化圏が対立してると思ってるやつがいるとはな。

ttp://www.bell.jp/pancho/travel/izumo/kojindani%20iseki.htm

出雲は、九州や畿内よりも強大だったかも知れんのだぞ?
65日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:05:40
>>49さんへ
「投馬」と「出雲」、このネーミングは似ても似つきません。
5万戸は現在の出雲以外でもありうる事。少々無理がありませんでしょうか?
また、
吉備がすでに邪馬台国(女王国、この場合畿内女王国)の一部になっていたとするなら、
北部九州から畿内に向かった神武一行が吉備にはすんなり入る事が出来、その後長期間
逗留しているにもかかわらず、畿内に入ろうとするや否や、ナガスネヒコの攻撃を受けた
のは何故でしょうか? 
魏志倭人伝の記載は神武東遷より前の事。であれば、神武東遷より前はさらに畿内と吉備は
別物であったと考えるのが自然ではないでしょうか?

あ〜、もう酔っぱらってしまいました。もうねます。
しかし、太国氏が登場すると、スレの雰囲気がガラっと変わりますね。^^
66太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/03(火) 23:07:42
あたいも寝るわ〜。w
67日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:11:31
>>65
>「投馬」と「出雲」、このネーミングは似ても似つきません。

そんなことはない。
出雲の有名な地名は「玉造」
「タマ」と「投馬」は、とても似ている。

そもそも、「イヅモ」を「出雲」と書いたのは当て字ぽい。
接頭語の「イ」と「タマ」で、「イヅモ」と音韻変化したことはありうる。

68日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:16:07
>>65

>魏志倭人伝の記載は神武東遷より前の事。

どうして、勝手に断言するんだよ?
神武東遷が魏志倭人伝以後だと唱えるやつは、九州説の一部にしかいない。

69日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:22:09
神武東征が、邪馬台国時代より後だと考えるやつにいいたい。

考古学が信じられないならそれでもいい。信じなくて結構。

しかし、記紀神話には、神武東征が紀元前の出来事だと明記してある。
そのことを無視して、3世紀以後に神武東征があったなどと、
いったいどういう論拠で言えるのか?
記紀を無視するなら、神武東征の記載も無視すべきだ。
自分の都合にあわせて、記紀を捏造とか言うのはよせ。

70日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:30:54
>>69
記紀に「3世紀以後」ってかいてある?
卑弥呼のあと、トヨが起つ。
天孫降臨した神々は高千穂から日向へ逝き、コノハナサクヤと結ばれる。
山幸彦はトヨ玉姫と結ばれる。
神武が東遷する。
の順番で書いてあるだけでしょおん??
71日本@名無史さん :2007/04/03(火) 23:31:32
はて???

古事記に神武東征の年代の記述があったか?
72日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:32:34
「タマ」と「投馬」なんて全然似てないぞ。
「タマ」と「キンタマ」のほうが、まだ似てる。
73日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:33:10
九州説では、
神武東征が紀元前だと、
邪馬台国東遷を考えたときに都合が悪くなるんだろ?

これは、ジレンマだよな。

邪馬台国が東遷して大和朝廷になったと思いたいが、
それでは、神武東征が紀元前では都合が悪いわけだ。
74日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:35:44
>>70

>卑弥呼のあと、トヨが起つ。
>天孫降臨した神々は高千穂から日向へ逝き、コノハナサクヤと結ばれる。
>山幸彦はトヨ玉姫と結ばれる。
>神武が東遷する。

ふざけたことを言うな。

魏志倭人伝と、記紀を都合よく合体させるな。

>卑弥呼のあと、トヨが起つ。

これと、

>天孫降臨した神々は高千穂から日向へ逝き、コノハナサクヤと結ばれる。
>山幸彦はトヨ玉姫と結ばれる。
>神武が東遷する。

これは、まったく異なる伝承だろ。
75日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:39:59
邪馬台国も、卑弥呼も、神武も、大和朝廷も、みんな好き好き。

だから、全部が幸せになるストーリーであってほしい。

だから、邪馬台国の卑弥呼の末裔の神武が東遷して、大和朝廷になった。

こんな都合のいい、歴史があってたまるか。

76日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:46:09
>>74
すまんすまん。かなり酔ってるので。
しかし、下の3つはそのとおりだろ?
上の一つは削除してね〜ん。
また明日きます。おやすみ。
77日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:49:40
邪馬台国の卑弥呼が天照大神。

邪馬台国が東遷して、大和朝廷になった。

神武東征は、その投影。

ケチつけるやつは、日本人やめろ。
78日本@名無史さん:2007/04/04(水) 00:28:34
高天原は、畿内の金剛山・高天台でしょう?
ここに高天彦神社があるし
金剛山のことを高天山といっていた。

じゃ、なぜ、そう断言できるかというと
日向の高千穂に降臨したニニギの親族のアメノホカリなどの
他の神様の子孫の殆どが
畿内や出雲の神様をやっているから。
つまり、ニニギは、畿内の高天原から日向の高千穂に派遣されたんだな。
それが、ニニギの曾孫の神武が、東征して、
畿内本家を継承していた大物主の娘婿になった。
また、イザナギの伝承地の多くは
高天台に近い和歌山県に多く存在している。
熊野那智も和歌山県の山中。
79日本@名無史さん:2007/04/04(水) 00:32:11
卑弥呼=百襲媛命・・・3世紀

神武天皇・・・1世紀後半〜2世紀初頭

天照大神・・・紀元前1世紀

邪馬台国=大和

高千穂=日向の高千穂

高天原=畿内の金剛山(旧・高天山)
80日本@名無史さん:2007/04/04(水) 00:44:40
>高天原は、畿内の金剛山・高天台

違うよ 名前をコピーしたんでしょ。

>畿内の高天原から日向の高千穂に派遣

昔の神様にもアデコみたいな派遣会社があったんだね。
地域が飛びまくるのを「派遣」で済まそうというこじつけがおもしろいなw


81日本@名無史さん:2007/04/04(水) 00:50:22
>>80
阿呆か? 九州を統治するために
畿内から高千穂に派遣されたんだろうが?
82日本@名無史さん:2007/04/04(水) 02:22:49
九州どころかお隣の河内さえ統治もできてないのにw劇藁
はい、破綻しまつたw

83日本@名無史さん:2007/04/04(水) 02:24:41
>>82
そんな根拠はありません。
84日本@名無史さん:2007/04/04(水) 02:27:37
↑破綻してるのに必死www
85日本@名無史さん:2007/04/04(水) 02:33:44
西臼杵郡の高千穂かぁ この辺りは天岩戸もあるし

豊後や祖母山とも重なる地域

豊前の中津、そしてアマテラスとスサノオから生まれたとする比売大神を祭る宇佐神宮、
耶馬のつく地名が散乱

これは怪しいでつね
86日本@名無史さん:2007/04/04(水) 02:36:46
ついでに南部九州最大の霧島神宮 ニニギノミコトを祭ってるね
87日本@名無史さん:2007/04/04(水) 02:53:51
>畿内の金剛山・高天台でしょう?
>ここに高天彦神社があるし

あほう・・・
高天原と名前がつく地域は日本中にあるのに。 あとは「日向の高千穂にウチから派遣したんよ!」
と言えばいいんだね。こりゃ凄い
88日本@名無史さん:2007/04/04(水) 03:12:16
 高天原山(群馬県上野村) JAL123便墜落地点
89日本@名無史さん:2007/04/04(水) 06:10:13
金剛山の高天彦神社は
明治天皇が東京へ行かれる前にも
そのことを報告されるために
参拝されいる。
90一応九州王朝説:2007/04/04(水) 06:20:15
>>4拍の由来や意味はともかく、全然系統が違うっぽい出雲大社と
ここだけって言うのが問題ですよね。
道鏡を利用して、ヒメ大神を主神とする宇佐氏が中心に返り咲こうと
して、敗北しますよね。それでもヒメ大神が主神の位置から転落する
ことはなく、宇佐氏も神官の地位を残されます。
しかし、八幡神奉ずる秦氏に敗北したのは事実で、その時に四拍と
された可能性もあります。
畿内天皇家が、神仏混淆の八幡神を奉じた時点で、主神のヒメ大神
を霊的に封じる必要があったのは確かでしょう。当然出雲大社の大国
主神と同じ扱いとなりますよね。四拍という形式自体が、天神への国譲
り時点なのかずっと後世の事なのかは不明ですが。

道鏡は志紀出身ですから、物部の本貫ですよね。実際弓削氏は物部の
一族で、主神はニギハヤヒです。九州とも関係深い物部の生き残りが、
九州勢力の残党と復活を企図する、構図としては面白いと思います。
男女の下世話な話に歪曲されていますが、荘園を禁じて墾田永代私有
法により公地の私物化を推進した藤原氏を押さえ、国家財政の建て直し
を図った二人なのに、明治以後大悪人と堕落した女帝とされました。馬
鹿な話だし、ここにも歴史の捏造を見ることも出来ます。どうも藤原氏は
そういうのがお得意なようで。孝謙天皇が、大仏開眼という大イベントを
きっかけにその霊的根拠である宇佐と結ぶことも必然性は高いでしょう。

現在の志紀県主神社は、今は寂れた所ですが、河内国総社です。当然
物部と関係ない主神で、志紀が国府にされたことからも、物部氏の影響
力を一掃しようとした事情が伺えます。旧物部系は相当鬱積していた事
でしょう。
91日本@名無史さん:2007/04/04(水) 06:52:57
日本の上古代史って、
大物主家に娘しかいなくなっていらい
ニギハヤヒとニニギの子孫同士の暗闘があったんじゃないのか?
92日本@名無史さん:2007/04/04(水) 07:46:27
>>90
そういう臭い妄想説辞めてください。馬鹿?
比売大神は謎の人物なんだよ。

ただし神話からいうと、スサノヲがアマテラスに乱暴したと( 近親相姦レイープ? )
あるので父親無しの不義の子の可能性 大 

しかも逝き先不明。悲劇の人生を送ったのかもしれんし。皇女として扱われたのかもしれん。
アマテラスが巫女なら娘も当然巫女になっただろう。

とりあえず誰もしらねーんだよ。あふぉ!
93一応九州王朝説:2007/04/04(水) 20:45:20
お前の方が充分馬鹿に見えるがな。
お前が妄想するのは勝手だが、秦氏以前に宇佐氏が主神に祀ってたのは
間違いないんだよ。

中味のあるレスしろ馬鹿。
94日本@名無史さん:2007/04/04(水) 21:10:03
馬鹿とかアホとかなくても文章成立してるので、その様な表現は自粛されてはいかがでしょうか?
ご提案申し上げます。
95日本@名無史さん:2007/04/04(水) 21:56:37
>>93逆上しているようにしか見えない 
本当に醜い。。。。
96日本@名無史さん:2007/04/04(水) 22:11:23
>>78
地元ですが、あの山が別名で高天台、高天と呼ばれるのは関西で一番高い山だからです。
学校でそう習いました。
富士山もそのように呼ばれることがあると聞きましたが。

ちなみに朝鮮半島で一番高い山も金剛山と名づけられています。
97日本@名無史さん:2007/04/04(水) 22:13:00
・・・

このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【皇太子夫妻にまつわる怖い話】 第三十一話 [オカルト]
98日本@名無史さん:2007/04/04(水) 23:19:17
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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99九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/05(木) 02:14:19
>>64
そちらの言う対立とは具体的にどのようなことを指すのか解らんが、
銅剣銅矛の分布と、銅鐸の分布が北部九州と畿内にそれぞれ分かれているのは確かなこと。
そして中国地方の一部はその両方が混在してダブっている地域。
それは両方の文化圏の中間に位置しているため必然的にそうなったもので、
大して意味のあることとは思えない。
100一食即発:2007/04/05(木) 07:13:07
みなさん、昨夜のNHK3chの地球ドラマチックのエジプトラムセスU世の都
ピラメセスの発見についてみました?
たった二人の考古学者が古文書や地形等から割り出しに成功していました。
それに引き換え日本の学者連中は数百人かかっても邪馬台国の割り出しに成功していない。
ここは、ヨーロッパ系の学者に邪馬台国を探してもらってはいかがでしょうか?