194 :
日本@名無史さん:
>>189 平安以降も殆ど不明だよ。
文献では「どこそこに陵墓がある」との記載はあっても、井沢大先生が大好きな「穢れ思想」で、天皇の死体も穢れたものとして扱いはさほど丁重でもなく、陵墓も後世の推測に過ぎない。
古代〜中世は肉体ではなく霊魂を供養する方に力を入れたから。
天皇陵ではっきり断定できるのは泉涌寺に葬られた後水尾以降。
何しろあの藤原道長の墓もわからないんだからね。w
現在頼朝の墓とされるのも誰のだかわからない供養塔だし。
泉涌寺に最初に葬られたのは、鎌倉時代の四条天皇のはずだが。
平安時代の天皇陵も、凡その場所は判断でき、
調査すれば、骨壷くらいはでてくるだろう。
もちろん、中身は、残っていたとしても灰だろうが。
196 :
日本@名無史さん:2007/06/14(木) 22:16:15
現在、天皇陵とされているものは、「誰それ天皇はどこそこに葬られた」と記録されているところからそれらしいのを認定したのであって、果たしてそこがその天皇陵なのかは学術的には全く根拠がない。
赤の他人の墓である可能性も高い。
197 :
日本@名無史さん:2007/06/14(木) 23:17:06
>>194 少なくとも白河天皇以降の天皇陵はほぼ確定と見て良いだろう。
これ以降の天皇のほとんどは寺域などに陵があり、その寺が
管理していたから信用性が上げる。(醍醐天皇陵も醍醐寺によって
管理されていたので、天皇陵として確定している)
鎌倉以降になると墓石もあるのでより信用性が増す。