怒羅権
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怒羅権(どらごん)は、中国残留孤児の2、3世を中心に1988年(昭和63年)、帰国者の
一時入所施設「常盤寮」があった東京都江戸川区葛西地区で結成された暴走族。
日本の暴走族史上最も犠牲者を出した最強の暴走族と言われている。
1988年(昭和63年)、校内暴力全盛期においてかつ都内治安最悪と呼ばれた葛西地区。
その葛西で日本語が喋れない為に学校で毎日暴行されていた残留孤児数人が
「自衛の為に」結成。それまでの暴走族のような鉄パイプや金属バット主流の喧嘩スタイル
とは異なり、青竜刀や包丁といった刃物で武装し「とりあえず刺す」というスタイルで
たちまち勢力を伸ばす。あとに怒羅権5代目総長の藤原氏は雑誌のインタビューで
「日本語喋れないのがバレると毎日暴行された。怒羅権に入り包丁を振り回したら収まった。
怒羅権はすぐ刺すって言われてたけどそれは怖いイメージを作るためそうしてた。わき腹を
刺せば死なない。鑑別からすぐ出れる10代のメンバーに刺しにいかせていた。」と語って
いる。しかし、怒羅権に関わり死んだ人間は二桁にのぼっている。
そしてこの頃から警察の家族を脅迫したり、ヤクザを襲撃するなどマフィア的性格を帯び始め、
中国マフィア東北グループとして舞台を裏社会へ移していく。
ドラゴンがアウトロー化した要因の一つとして、残留孤児2世、3世に対する当時の受け入れ
態勢に不備があったと指摘する声は強い。ある警視庁幹部は「中学、高校のときに親の
祖国へ帰っても言葉はなかなか覚えられず、仕事もない。日本語教育や就労支援など、
当時の厚生省の不十分な受け入れ策のつけが治安に影を落としている」と話している。
また、葛西地区は在日朝鮮人居留地でもあり人口の3割ほどが反中思想の強い在日朝鮮人
であり、右派であるヤンキーも多くそのような民族対立が中国残留孤児へのいじめに繋がった
とOBは雑誌で語っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%92%E7%BE%85%E6%A8%A9 中国残留孤児2世の不良少年グループ 「怒羅権」の恐るべき実態
http://www.club-kamikaze.net/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=7&forum=3&post_id=14