日下公人氏が著書『そして日本が勝つ』の中で次のように書いています。
「いま上野や神戸に朝鮮の人がたくさん住んでいるのは、終戦直後に不動産の『即時取得』をしたからである。
日本が空襲で焼け野原になると、街のあちこちに地主の移転先を記した看板が立っていた。その看板が立たない
土地は一家全滅の印で、そこに朝鮮人が家を建て、店を出して住み着いた。
阪神、淡路大震災が起こるかなり前から、神戸市は、『地震や火事の際に危険なので、入り組んだ街路を整備
します。』という都市計画事業の通知を出していたが、調査されると不法占拠した土地だとわかるから、彼ら
は反対した。その結果、消防車も入れないような細い道が放置され、震災にともなう火災で焼死者が多く出た
のである。国は十兆円のお金を神戸市復興に投じたが、そのときもまた反対があって、五十年前と同じ道路に
なっている。こうした場所は国税庁も市役所もわかっているのだから、ただ『地主名を明らかにし、税金を
きちんと納めなさい』と言うだけでいいのである。』
朝鮮人は、甘えた民族です。
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しかし、日本に残留したコリア人は、一人残らず一時的には金持ちになったといえよう。
戦災を受けた駅の近所の土地を不法占拠するのが、その始まりであった。闇の物資を
さばくには、警察の手の出しにくい人たちのほうが便利という面もあったろう。
(中略)
そのようなことは、そのうち治安の恢復、警察力の恢復でなくなる。再び貧しくなった
コリア人も、相当いるであろう。しかし、その頃に蓄えた経済力を元にして、正業を発展させ、
今では立派な経済人になっている人もいる。一時は銀座をはじめとする目抜きの土地が
すべて「第三国人」の手になるのではないか、と心配された時期もあったのである。今でも、
在日コリア人の平均財産は、日本人の平均財産より少ないということはないであろう。