【日露】サハリン在留邦人 終わらぬ苦難[06/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1118069088/ サハリン在留邦人 終わらぬ苦難
終戦時まで日本領土だったロシア・サハリン州(旧樺太)南部には「帰りたくても帰れなかった」約二百二十人の
日本人が今も残っている。朝鮮人と結婚していた日本人女性は戦後の引き揚げ対象から外され、差別を避ける
ために、日本人であることを隠す苦境に身を置いた。戦後六十年、深い傷は癒えていない。 (藤原正樹)
五月十八日、サハリン在留邦人で一時帰国していた木村文子さん(71)=シャフチョルスク(旧塔路)在住=が、
北海道函館市で叔母と五十七年ぶりに再会した。親族が判明したのは今年二月。肉親と生き別れになっていた
木村さんは「会いたかった」と繰り返しながら叔母と抱き合った。
木村さんは一九三四年、函館市で生まれ、祖父と母親らとサハリンに渡った。母親は朝鮮人と再婚し、木村さん
は十八歳で、朝鮮人の電気技師と結婚、三男一女をもうけた。母や義父、夫は他界し、叔母は四八年に日本へ
引き揚げた後、音信不通になっていた。
『置き去り―サハリン残留日本女性たちの六十年』 吉武 輝子(著) 海竜社
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4759308792/250-6225082-6668210 敗戦より60年目の夏を迎え、国家から見棄てられたため集団自決したり残留孤児になったりした<満州開拓移民>
の悲劇を思い出す人も少なくないだろう。しかし、同様の悲劇が、北方のサハリン(樺太)でもおきていたことを知る
人は多くなかった。吉武輝子さんのこの新著は、その北辺の戦争悲劇に、<聞き書>という方法をもって正面から
取り組んだ労作である。
アイヌ民族やギリヤークなど自然民族の民住地だったサハリンは、19世紀にロシアが植民地とし、20世紀初頭、
日露戦争にによって日本が南半分を領有してからは40万の日本人が暮らしていた。その中には、太平洋戦争期
に入って強制連行されたりした朝鮮人4万人あまりも含まれていた。
そして1945年の8月、ソ連の参戦=サハリン侵攻によって、在住の日本人・朝鮮人は地獄を体験、死者はおよそ
1万人にのぼった。15日の日本降伏の後にも、ソ連軍による空爆や潜水艦による引揚船攻撃は続き、多大の死者
が出ているのは、戦争の現場とはこのようなものなのだろうと察しられて、本当に慄然とさせれる。
そしてそういう最初の悲劇の大波が引いたあとも、もっとも弱い立場にある若い日本女性の上には、新たな苦しみ
の波が襲ったのだった。すなわち、日本敗戦により戦勝民族となった朝鮮人の中には、日本国家への反感憎悪を
近くにいる日本女性に向けて噴出させた人もいないわけではなかったからである。
この状況において、若い日本の女性たちはどうしたか。彼女たちの多くは、生きるために朝鮮人男性の妻となり、
子供を生み、その家族愛に惹かされて、サハリンに留まり生きざるを得なかったのだた。そして吉武さんは、今は
70、80代に達した彼女たちに親しく接して、その事実と心情とを克明に記録さtれた。消滅寸前の人間体験と心情
とが、辛うじて歴史化されたことを喜びたい。
(略
05・07・10日経読書欄 評者・山崎朋子(作家)