7 : :02/03/26 08:30 ID:udSz507O
レイプじゃないけど意外と知られていないのが、サハリンの残留婦人。
終戦と同時に朝鮮人の乱暴が始まり、十代から二十代の
日本女性が無理矢理嫁にされて、10人からの子供を
産まされている。
子供がいるために日本へは帰れない。
それを左翼婆は、日本人が朝鮮人を差別していた事で
戦後に鬱憤が爆発してそういった行動に出たと説明してた。
おい!不満があったら何しても許されるのかよ。
事実を知れ
「在日と結婚し北に行った日本人妻」はほとんどが好きこのんで在日と結婚
したのでは無いよ。朝鮮進駐軍と名乗って在日が暴れ回っていた頃に結婚し
てる人がほとんど。なぜか? 在日が日本人女性を当時多く強姦してたから。
妊娠してしまい、親との縁を切られた人も結構いた。そういう人たちを奴ら
が嫁(事実上の奴隷)にしたんだよ。朝鮮人が日本人女性を嫁にする=征服、
という価値観が彼らにあったんだよ。
という書きこがあった。
自分はこの話しを信じる。なぜなら樺太に残留した日本人女性を支援する活動
をしているという女性が、NHKのラジオで同じようなことを話ていたからだ。
樺太に残留した日本人女性を支援する活動をしているという女性が、NHKのラジ
オで話ていた。 樺太に残留した日本女性は、ほとんどが終戦後レイプや脅迫によ
って朝鮮人の妻にさせられた女性です。脅迫というのは、自分と結婚しないと、ソ
連当局に密告して家族全員を収容所送りにしてやる、というような脅しだったらしい。
終戦から2年後ぐらい後に日本の船が日本人を迎えに行ったときは、すでに妊娠
していたため帰るのをあきらめたという。
「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか―帰還運動にかけたある夫婦の四十年」新井 佐和子 (著)
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794207980/ii-22/249-3887511-5097148
サハリンの韓国人問題については、この本に真相が詳しいそうだ。
読んでないけど。
「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」 新井佐和子 (草思社 )
サハリンの日本人女性を支援している女性とは、新井佐和子だろ。
サハリンでは、ソ連支配の下で、日本人と朝鮮人の立場が逆転したそうだ。
それに、戦後、北朝鮮から労働力として提供された人達が多いそうだ。
朝鮮人はなぜ樺太に残ったのか。当時彼らは「戦勝国民」であったので樺太から
追い出されず、それで樺太に残ったにすぎないのに、今になってあたかも日本人
が彼らを置いてけぼりにしたような主張があることだ。
そういう説を広めたのは、「サハリン棄民」とかいう本を書いた、東大の大沼という
教授だ。大沼というやつは、学生のころは過激派だったらしい。それでNHKがこ
の話を取り上げて、当時の夜11からの番組で連続してサハリンの朝鮮人の取材
レポートを放送し、山根一真と道傳アナウンサが、神妙な顔つきで、サハリンに放
置された朝鮮人の方々のことを思うと胸が痛みますってなことを言ったんだ。
その結果、社会党政権のもとで、日本が300億円だったか700億円だったか金
を出して、サハリンから韓国に帰国する朝鮮人のための集合住宅を建ててやっ
たんだ。そしてそれが完成したときそのことをテレビで放送していた。だが確認は
していないが、その建物には、戦後北朝鮮から労働力としてサハリンに送られた
朝鮮人が、ソ連崩壊後北朝鮮でなく韓国に戻り、その建物に入っているというよう
な話も聞いたことある。嘘に騙されてマスコミが煽って自虐して金出してそれがま
た嘘を呼ぶ典型的な例だ。
被害者づらして騙しているけど、朝鮮人ってほんとに悪いことやっている。
☆編集者へ=つくば市の新井佐和子さん(元サハリン再会支援会代表・69歳)
から。(「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」(草思社)の著者)
しかし、日本時代の樺太(サハリン)にいた韓国人(いまの韓国を故郷とする人
)は、前記一部の知識人が言っているような人たちではなく、大部分が、戦前戦
中を通じて好景気の樺太へ、競って出稼ぎに行った労働者とその家族です。な
かには戦争末期に徴用というかたちで強制労働に就かされた人もいますが、
それは百人にも満たない数です。
終戦時の総数は四万三千人でなく推定一万五、六千人ですが、ソ連軍に占領
されてから彼らは日本人と区別され、帰国は一切許されませんでした。と同時
に大陸部からロシア系の朝鮮人や、現北朝鮮からの労働者を移入させたので、
サハリンの朝鮮族の人口は、二年後には四万三千人にふくれあがりました。
ところで、日本政府が全面的に援助しているサハリン韓国人帰国支援事業です
が、その対象となる人は、終戦時樺太にいた韓国人のみでなく、前記のように戦
後移入してきてそのまま居ついた人や、サハリン以外の地にいた人でも一九四
五年以前に生まれた人なら皆含まれているようです。永住帰国とは別に十年前
からこれも日本政府が毎年一億円以上の予算をつけて行われている韓国への
一時帰国(里帰り)事業には、明らかにロシア大陸に一九三〇年代に強制移住
させられた人が含まれていたことを、私は数年前、韓国の新聞記事で確認して
います。
ttp://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2000/reader/05-r1.html
【日露】サハリン在留邦人 終わらぬ苦難[06/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1118069088/ サハリン在留邦人 終わらぬ苦難
終戦時まで日本領土だったロシア・サハリン州(旧樺太)南部には「帰りたくても帰れなかった」約二百二十人の
日本人が今も残っている。朝鮮人と結婚していた日本人女性は戦後の引き揚げ対象から外され、差別を避ける
ために、日本人であることを隠す苦境に身を置いた。戦後六十年、深い傷は癒えていない。 (藤原正樹)
五月十八日、サハリン在留邦人で一時帰国していた木村文子さん(71)=シャフチョルスク(旧塔路)在住=が、
北海道函館市で叔母と五十七年ぶりに再会した。親族が判明したのは今年二月。肉親と生き別れになっていた
木村さんは「会いたかった」と繰り返しながら叔母と抱き合った。
木村さんは一九三四年、函館市で生まれ、祖父と母親らとサハリンに渡った。母親は朝鮮人と再婚し、木村さん
は十八歳で、朝鮮人の電気技師と結婚、三男一女をもうけた。母や義父、夫は他界し、叔母は四八年に日本へ
引き揚げた後、音信不通になっていた。
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38:2007/03/06(火) 04:49:54
■通知外されて… 存命者は約220人
終戦時、南サハリンと千島列島には、日本人が約四十万人、朝鮮人が約四万三千人いたとされる。四六年十
二月、「ソ連地区引揚米ソ協定」が結ばれ、日本人の大半は帰国した。が、朝鮮人の妻や養子になっていて引き
揚げ通知の対象から外され、「残留が確認された日本人は推計四百−五百人」(厚労省中国孤児等対策室)。
うち七割が女性といわれる。残留邦人を支援するNPO法人「日本サハリン同胞交流協会」(東京都渋谷区)は、
現在の在留邦人は「百人以上が亡くなり約二百二十人」という。
木村さんのように、韓国・朝鮮人と結婚した日本人女性は多い。樺太は終戦後の八月二十二日まで、旧ソ連軍
との地上戦にさらされた。ソ連兵の性暴力を恐れ、韓国・朝鮮人との結婚を急いだ例もみられる。
永住帰国している須田百合子さん(69)=北海道江別市=は「終戦後、敗戦民族として自信を失った日本人より、
朝鮮人の方が生活力があった。長女を年長の朝鮮人に嫁がせ、家族を養ってもらう日本人が多かった。生きて
いくためには、選択肢はなかった」と振り返る。終戦後、反日感情が高まり、残留邦人は激しい差別にさらされた。
須田さんは塔路で生まれた。朝鮮人夫妻に里子に出され、「金順愛(キムスウネ)」名で育てられた。十五歳で
写真店を経営する十一歳年上の朝鮮人と結婚。「生粋の朝鮮人と結婚したと思っていた」夫が、須田さんの素性
を知ってから激しい暴力が始まった。「『日本人妻で恥をかく』とむちゃくちゃな乱暴を受けた。翌年生まれた長男
にも日本人の血が入っていると暴力を振るった」
ユジノサハリンスク(豊原)に今も残る加藤波子さん(75)は、七歳年上の朝鮮人に「結婚しなければ兄貴を殺す」
と包丁を突きつけられ、十七歳で結婚したという。永住帰国している近藤孝子さん(73)=東京都三鷹市=は加藤
さんと親交があった。「波子さんの夫は子どもにアイロンを押しつけて大やけどを負わせたあげく、売り飛ばして
しまった」と振り返る。
(略
『置き去り―サハリン残留日本女性たちの六十年』 吉武 輝子(著) 海竜社
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4759308792/250-6225082-6668210 敗戦より60年目の夏を迎え、国家から見棄てられたため集団自決したり残留孤児になったりした<満州開拓移民>
の悲劇を思い出す人も少なくないだろう。しかし、同様の悲劇が、北方のサハリン(樺太)でもおきていたことを知る
人は多くなかった。吉武輝子さんのこの新著は、その北辺の戦争悲劇に、<聞き書>という方法をもって正面から
取り組んだ労作である。
アイヌ民族やギリヤークなど自然民族の民住地だったサハリンは、19世紀にロシアが植民地とし、20世紀初頭、
日露戦争にによって日本が南半分を領有してからは40万の日本人が暮らしていた。その中には、太平洋戦争期
に入って強制連行されたりした朝鮮人4万人あまりも含まれていた。
そして1945年の8月、ソ連の参戦=サハリン侵攻によって、在住の日本人・朝鮮人は地獄を体験、死者はおよそ
1万人にのぼった。15日の日本降伏の後にも、ソ連軍による空爆や潜水艦による引揚船攻撃は続き、多大の死者
が出ているのは、戦争の現場とはこのようなものなのだろうと察しられて、本当に慄然とさせれる。
そしてそういう最初の悲劇の大波が引いたあとも、もっとも弱い立場にある若い日本女性の上には、新たな苦しみ
の波が襲ったのだった。すなわち、日本敗戦により戦勝民族となった朝鮮人の中には、日本国家への反感憎悪を
近くにいる日本女性に向けて噴出させた人もいないわけではなかったからである。
この状況において、若い日本の女性たちはどうしたか。彼女たちの多くは、生きるために朝鮮人男性の妻となり、
子供を生み、その家族愛に惹かされて、サハリンに留まり生きざるを得なかったのだた。そして吉武さんは、今は
70、80代に達した彼女たちに親しく接して、その事実と心情とを克明に記録さtれた。消滅寸前の人間体験と心情
とが、辛うじて歴史化されたことを喜びたい。
(略
05・07・10日経読書欄 評者・山崎朋子(作家)