601 :
日本@名無史さん:
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
あー面白い馬鹿www
602 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/21(水) 18:08:23
プラムさんが消えたら600・601のような連中が喜ぶだけだって。
歌にもあるでしょう。自分が消えて喜ぶ者にオールをまかせるなって。
ここは嫌がらせの為にもレスする場面と思うけど。
603 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 18:10:24
>>602
お前も同じ人だって解ってるってw
大馬鹿らし賢栄君!
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
ちゃんと演技すればwww
605 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 18:19:50
大林君は自分でご飯作るの?
寂しいクリスマス送るだけの事あるねwwwww
虫さんはYahooの掲示板のトピ主にもなっていますから
疑問点はそちらに直接書き込みください
勇気があればですが
608 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 19:27:16
>>566.567 プラム ◆TOfHBAKZgM
事情は知らない。なぜ読み比べられないのか?
君の発言に対して質問しているので答えてくれ
609 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 19:45:08
>>606 本人がここに変名で書いているのだから
筋は間違ってないぞ
610 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 19:47:54
あっちでも
大林賢栄の凄まじい馬鹿ぶりは際立っているw
611 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 20:04:56
ヤフーでも自作自演じゃないと
誰も来ないなんて哀れな大林賢栄w
馬鹿だから自分の足跡すら解らないらしいw
612 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 20:13:29
yahooの大林賢栄とプラムが別人に見える人はいませんよw
あぼーん
あぼーん
615 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 21:22:28
自ら荒らすさすが大林w
>>607
ヤフーの言語虫ってあきらかに馬鹿だけど
いったいどんな勇気がいるんだよw
617 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 22:36:11
最近のヤフーは大林以外も頑張ってるんだね
そっち引っ越したくなるなw
あぼーん
619 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 07:03:34
なんつうお馬鹿な文章W
大林賢栄しか書けない事は確かだ!
あぼーん
621 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 09:27:37
コテハンは荒れる元になるので、コテハン廃止を提案したい
>>619みたいに出勤前の慌ただしい時間帯に書き込める奴って
ここには一人しかいないよな。
>
>>619みたいに出勤前の慌ただしい時間帯に書き込める奴って
ここには一人しかいないよな。
投稿時間 2007/03/22(木) 07:03:34
この時間が出勤前の慌しい時間と決め付けてしまう程の思考の無さ
あぼーん
あぼーん
あぼーん
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
ここも大分荒らされたみたいで
元々は男子を王として70〜80年経たが、倭国全体にわたって長期間にわたる騒乱が起こった(いわゆる「倭国大乱」と考えられている
これって神武天皇のことじゃない?
神武が一時的に平定するも死後は混乱状態
630 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/26(月) 18:36:07
>>629 じゃあ、神武は一体何処から東征してきたというわけ?
632 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/26(月) 20:00:55
>>629 >男子を王として70〜80年経ったが
その意訳変だよ!気付かない?
じゃあ、男子を王とする70〜80年前は『オカマ』が王だったの?
>>630 神武が東征したのは日向から。
南九州だろう?
>>634 >揚げ足取り
どこが揚げ足取りなんだ?説明求む
634じゃないが
>男子を王とする70〜80年前は『オカマ』が王だったの?
男子を王とする70〜80前に王がいるとは書かれてない
男子を王として70〜80年経ったと書かれてる
>>635
お前のレスは総て説明無しで読めんけど
説明求む!w
>>363 >男子を王として70〜80年経ったと書かれてる
ここは(経七八十年)でも(歴七八十年)でもないのに
70〜80年経ったとは読めない
むしろ(亦)と書いてあるので、繰り返されたと解釈すべし(又でも復)でもないのよ
『其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年』
だいたい
この文脈から(住七八十年)を(70〜80年)とは読めないよ
(70〜80)の在任期間を繰り返すなんてありえんし合理的解釈ではない
(通常七、八年、長くて十年)の王位在位 と、めまぐるしく交代劇が繰り返された(亦)(相攻伐)
ちゃんと辻褄が合ってくるの
『其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年』
(其國本)=「其」邪馬台国(三十国体制) 「國本」建国
(亦以男子爲王)=繰り返して男子が王を爲し
(倭國亂)(相攻伐歴年)=倭国は乱れ 身内争いは歴年続き
(住七八十年)=在位しても七、八年 長くて十年
642 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 23:14:17
>>640 それは無い。直前に「其人壽考、或百年、或八九十年。」があるが、
これを「その人の寿命は、或いは百年、或いは八、九、十年」とは読めん。
>(70〜80)の在任期間を繰り返す
そういう意味ではない。男子の王を頂いて70〜80年たった。その男王は一人だったか複数だったかはわからない。
これからでも、貴君の亦の解釈が誤りであることは明白。女王に対して以前に男王があったことを言うから亦である。
>>642 >それは無い。直前に「其人壽考、或百年、或八九十年。」があるが、
これを「その人の寿命は、或いは百年、或いは八、九、十年」とは読めん。
>(70〜80)の在任期間を繰り返す
そういう意味ではない。男子の王を頂いて70〜80年たった。その男王は一人だったか複数だったかはわからない。
これからでも、貴君の亦の解釈が誤りであることは明白。女王に対して以前に男王があったことを言うから亦である。
「其人壽考、或百年、或八九十年。」この文と
「其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年」この文の
構成は同じですか?
それに、「貴君の亦の解釈が誤りであることは明白」
と、言えるなら
「亦」と「又」と「復」の場合の使い分けを説明していただきたい。
この文は
「亦」の文字だけではなく「其國本」からの説明でもありますし
貴方の説明では、相攻伐の理由が解りません。私は相攻伐の理由も説明しています。
>男子の王を頂いて70〜80年たった。その男王は一人だったか複数だったかはわからない。
そんないい加減な説明ないですよ
第一、70〜80年とする理由がありません。70〜80年と記述する以上それなりの説明ができるはずですよ
644 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 00:31:00
>>643 失礼して、ちょっと夜食を認めておりました。
一人の人間が、一ページの中で八九十年、七八十年と書いて、
一方は80〜90年と読ませ、他方は7,8年あるいは10年と読ませる。可笑しくないですか。
それに漢文は、「或百年、或八九十年。」のように先に大きな数字を書きます。
だから、貴君のいう内容なら、「或十年、或七八年」となるのが普通です。
漢文全般に通用する「亦」と「又」と「復」の使い分けは、残念ながら解りません。
しかし、ここでの亦が貴君の解釈とは違うことは明白。
>相攻伐の理由
貴君の解釈が正しいと仮定してみましょう。
「めまぐるしく交代劇が繰り返された」ことを相攻伐の理由と考えているのですか。
それは逆に、相攻伐した結果、めまぐるしく交代劇が繰り返されたとも考えられるでしょう。
結局、理由の説明になっていません。
原文に相攻伐の理由なんて書いてません。相攻伐したという事実しか書いていません。
>男王は一人だったか複数だったか
共立一女子爲王のように一男子と書いてあるなら一人とわかりますが、
以男子爲王としか書いてないので、一人か複数かわかりません。
3世紀の倭人は現在の日本人より寿命が短かろうと思うので、(これは根拠なし)
80年もの長期在位の王は考えにくく、複数かなと推測するに止まります。
>70〜80年と記述する以上それなりの説明ができるはずですよ
例えば、徳川300年の太平を300年と書くのに、どんな理由がいるのでしょうか。
事実を事実のまま書くだけです。男王で治まっていたのが70〜80年。それが事実なので、そう書いたまで。
その後、倭国は乱れて相攻伐しながら年をへて最後に女王を共立したということです。
あるいは、この間に舊百餘國が三十國に減ったのでしょう。
結局、貴君は亦を繰り返しと読みたいが、そうすると「(70〜80)の在任期間を繰り返す」ことになって可笑しいので、
七八十年に7,8年あるいは10年というアクロバティックな読みを強いることになったということです。
普通に読めば良いのです。貴君は想像を逞しくしすぎです。
645 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 00:47:07
話は変わりますが、言語虫さんのホームページ、拝見させて頂きました。
ざっと見た限りの感想ですが、これは、古神道や言霊学や古史古伝の知識で
倭人伝を読み解こうとしているように見受けられました。
そのような理解で良いでしょうか。
>>566.567 プラム ◆TOfHBAKZgM
事情は知らない。なぜ読み比べられないのか?
君の発言に対して質問しているので答えて下さい。お願いします。
647 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/27(火) 07:23:27
>>644さん
大変詳しい反論を戴きありがとうございます。
私も貴方の意見に対し、以降少しずつ意見を述べさせてもらいます。
>>645さん
古神道については、まだ詳しい事を知りません。
私が“虫さん”から指導を受けているのは従来とは全く違う“言語理論”(従来の国語教育が根底から覆る) HPはほんの序曲
近々、HPもリニューアルとの事
>>646さん
一つ質問させて下さい。
貴方は伊作さん(使用されたHPの主)を御存じなのでしょうか?
649 :
646:2007/03/27(火) 08:18:11
>>649 返レスありがとうございます。
個人的なプライバシーの問題が生じる為、詳しくはお話しできませんが
伊作さんの考えの中には多分に言語虫さんの考えも含まれているので、HPだけで単純比較が出来ないと言うことです。
私はたまたまお二人を存じあげているため、口を挟んだまでです。
651 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 09:03:38
原文とはちがい何回も書き写してるうちにどんどん変わっていくのが
普通の現象なのでそれをつかまえて重箱のすみをつつくようなことは
いいことかよくないことか分からん。
>>651さん
>原文とはちがい何回も書き写してるうちにどんどん変わっていくのが普通なので
書き写していくうちにどのように変化したか提示出来ますか?
貴方がおっしゃる事も判りますが、今だかつて変化した経緯を具体的に示されたものを見たことが有りません。
かなり、主観的な内容が先行していないでしょうか?
>>644さん
単純に「七八十年」と書かれていれば(70〜80年)と訳されても何の支障もないと私もかんがえます。
しかし、
この場面は先にも触れた様に、前文にて「或百年或八九十年」と、書かれていますので、(仮に私の考察通り)としても同じ構成で「或十或七八年」と書く事は無いかと考えます。
先の文を提示し、後の文に変化を与える事により
前文の解釈とは異なることを示す(同時に文字数を減らす)
その意味での「亦」や「住」の文字使用かと
【漢字から見た魏志倭人伝】
『接続』
離れているAのものとBのものを結び付けるから(接続)
●結び付く事によって一つになる
その時AとBの関係は「同質」
しかし、
『接続詞』は
必ずしも 前後の文が同じとは限らない でも『接続』と
現代国語のいい加減さを垣間見る一例かと
『亦、又、復』これら全て日本語では(また)
イメージ的にごちゃまぜに扱われているのが現状。
>>644さん
>相攻伐した結果、目まぐるしく交代劇が繰り返された
いえ、それは有り得ないことです。
●その国は、リーダーを短期間で交代する事によって安定を保ち、やがて倭国大乱がひきがねとなり
スムーズに行われたリーダー交代がうまく機能せず『相攻伐』
それを収束させる為の女王共立
これが時系列的にみる流れです。
この事は後の『梁書倭伝』に、(漢霊帝光和中)と限定されて記事が書かれていますので 解りやすいかと
656 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 14:12:41
657 :
646:2007/03/27(火) 14:16:12
>>650 >伊作さんの考えの中には多分に言語虫さんの考えも含まれているので、
両者のHPが読み比べられない、という意味ですか?
>>657さん
はい
表向きと裏向きは違いますから(私はそこまでしか言えない)
ごめんなさい。
>>656 他人と違うことを言いたいだけで、ここまでの書き込みが出来るかどうか確かめてみて。(真似してみるのも一考)
私の考えが全て間違いで通し続ける困難さ
『桓靈間』(後漢書)
『漢靈光和年間』(梁書)『靈帝光和中』(北史、隋書)
これら全て期間限定にて
倭國乱⇒相攻伐(歴年無主)⇒共立
と、後漢末期の短期間にこれらの出来事がこの順番通りに流れてきた
661 :
646:2007/03/27(火) 14:56:40
>>658 学問的理由以外で「読み比べ」を否定するのですね。
それでは言語虫のサイトがいかに電波か、どうか君には判断できないよ。
そういう態度は「信者」と呼ばれても仕方ないのでは?
>>656さん
こういう訳よ
その国は建国(自武帝滅朝鮮)当時から 相攻伐状態になる約300年間
男子をグループのリーダーとして 短期繰り返す事によって(今の自民党総裁みたいなもん) 安定を保ち続けた。
その安定も、倭国乱によって狂い初めその国もリーダーを選べ無い年月が続いた(相攻伐)(歴年無主)
それが女王共立までの概略
スジ通ってるでしょ
だから
あそこを(70〜80年)とする意味は全くありません。
これでもまだトンデモかい?
私にしてみたら他の解釈の方がつじつまが合わない、その場しのぎにしか見えない。
>>661 >学問的理由以外で「読み比べ」を否定するのですね。
それでは言語虫のサイトがいかに電波か、どうか君には判断できないよ。
そういう態度は「信者」と呼ばれても仕方ないのでは?
伊作さんのHPと虫さんのHPが出たので限定して述べたまでのこと
あくまで二人の関係を知る者としての意見ですから
この話題はここまで 以後何もしゃべりません
664 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 17:34:48
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足士器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
665 :
646:2007/03/27(火) 18:17:38
>>663 では君をトンデモ電波サイトの信者とみなします。
同意しますね。
667 :
646:2007/03/27(火) 19:30:21
>>666 では言語虫サイトと私が紹介したサイトを学問的に読み比べすることに同意しなさい。
一緒に検証しよう。
アラ!
ハイエナちゃんたら、こんなところで浮気してるのね(はあと)
>>654 機関車と客車を接続すると、同質になりますか?
接続は、同質でなければならないというルールは何処から来たのでしょう。
現代国語のいい加減さを批判する前に、あなたが提示するルールの来所をはっきりさせるべきでしょう。
『亦、又、復』は訓読では同じく「また」と読みますが、イメージ的にごちゃまぜに扱ってはいません。
それぞれの基本的な意味は以下の通りです。
「亦」が「Aは男だ。Bもまた男だ。」という場合の「また」。
「又」は「Aは男だ。そして、また勇気が有る。」のように付け加える場合の「また」。
「復」は字の通り、反復する場合の「また」。
基本的には、こうなのですが、これらば通用されることもあり、文脈で変化することもあります。
色々な時代に生きた無数の人間たちの言語活動を単純化して、一つのルールで縛ることは出来ないからです。
だから、漢文全体を通じて、いつでも「亦は〜」「又は〜」「復は〜」と単純化できないのです。
文章ごとに、ここではどういう意味で使われているかということを考えなければなりません。
貴君のように意味を単純化して、「亦」をいつでも繰り返しと解釈しようとすると混乱をきたします。
漢文訓読を良く知らない人は、全部「また」と訓じているから同じに読んでると思うかもしれませんが、
それは浅はかな批判です。
この場合は、最初に女王によって統治されているという記述があります。
これに対して、昔は男王によって統治されていたという別の事実を記述します。
つまり、中国をはじめ諸国が男性によって統治されていて、それが一般的であるように、
倭国「もまた=亦」「もともと=本」は男性によって統治されていたということです。
この場合は、上記の基本的な意味に合致しています。
両人のHP検証出来る程知識無い
それに、虫さんは私の師だよ
それでもいいのかい?
671 :
646:2007/03/27(火) 20:49:35
>>670 >それでもいいのかい?
それでいい。師だからといって批判できなければ学問ではない。
ではまず質問。
検証できる知識がないのに、なぜ言語虫のHPがトンデモ電波サイトではないと思いましたか。
>>669さん
>機関車と客車
何と答えればいいのか?
普通は『連結』ですよね、『接続』と一度も考えた事が無いので ゴメンナサイ
673 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 21:12:51
>>672 例え話に過ぎないので、それは構いません。それよりも、
>『桓靈間』(後漢書)
>『漢靈光和年間』(梁書)『靈帝光和中』(北史、隋書)
>
>これら全て期間限定にて
期間が限定されると何故貴君の説の証明になるのかがよく解りません。
それから、普通に読めば「倭国乱れて相い攻伐す」だから、
倭国乱の内容が相攻伐であって、「倭國乱」があってその後「相攻伐」ではありません。
>>671 貴方も一年ほど一対一で学ばれれば解る事 口では言い表せません
私も最初
トンデモと思い、食いついていった一人ですから
貴方の言われる事が理解できます。 直接yahooに出向き罵倒したものです
しかし師はそんな私に対して笑いながら、私の間違った考えを一つずつ丁寧に
指摘してくれました。
それも一切感想文や思い込みなしで
>>673 >倭国乱の内容が相攻伐であって、「倭國乱」があってその後「相攻伐」ではありません。
そう考える理由は?
>>669さん
たぶん貴方が説明しているのは日本語「また」の使用例ではないでしょうか?
私が言っているのは「漢語」(亦、又、復)の「意」です
漢和辞典に記述されているのは 漢語を日本語の読みにしたもの、その読みに対して
パラパラとその使用例が書かれた程度のものかと
「意味」は基本的な「意」に対して文の構成により解釈されたものです。
基本的に「意」は(一字一意) 文字一文字に対して一つしかありませんし、
そこを通過しなければ本来の「漢語」の意は理解できません。
「又」=一度だけ繰り返す
「亦」=繰り返される物事
「復」=物事を重ねる
これが この漢字の持ってる「意」です これを日本語で「また」と読み
「意」を基にしたさまざまな意味に解釈されるのです。
つまり、貴方と私の文字の捉え方が根本的に違うということです。
677 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 22:37:03
一人の人間が、一ページの中で八九十年、七八十年と書いて、
一方が80〜90年であるならば、他方は70〜80年と読むのが普通です。
それは貴君も同意するでしょう。
ところがそれでは意味が通じないから、無理に7,8年あるいは10年と読ませる。
>「又」=一度だけ繰り返す
>「亦」=繰り返される物事
>「復」=物事を重ねる
このルールは、そういう不自然な解釈を強いるので、正しい見解とは思えません。
「亦」=繰り返される物事 という鍵に従って、不自然でも、それに合うように読むことで、
普通の読みとは違った内容が浮かび上がってくる。これは暗号解読のセオリーです。
聖書の暗号にしろ人麻呂の暗号にしろ、これをやります。
結果、こういう解釈が出来たのだから、この鍵は正しかったとなります。
>>662の貴君の発言は、そういう内容です。
646氏がトンデモ電波と批判する理由は、そこにあります。
貴君と私の根本的な違いは、文字の捉え方ではなく、
倭人伝を普通の文章と見るか、暗号として見るかの違いです。
>>677さん
現代国語教育上の解釈でいけばそのように解されるでしょうね
たぶん モノを見る視点が違いますので
私も一度は現代国語教育を学んだ一人ですし、邪馬臺國について皆さんと大差の無い考え方を
しましたので
そういう反論も十分承知です
あと
>>654の補足訂正をしておきます
AとB の「と/接続詞」 の場合、AとBは必ず異質なモノを用い表現されますが、「接続」の場合、“続かせる為に”するAとBの関係は必ずしも異質とは限りません。
つまり、
ここに「接続」と「…と…」の間に矛盾が生じ、決して(=)にならないところです
>>677 >一人の人間が、一ページの中で八九十年、七八十年と書いて、
一方が80〜90年であるならば、他方は70〜80年と読むのが普通です。
『普通』と考えるのは貴殿や、私が受けてきた教育がそう考えさせているだけでは?
現代の常識が文字数を最小限に抑え、細大の表現をするものに通用するかという
疑問点にぶつかりませんか?
文の構成以上に一文字の大事さが引き立つのでは?
>>677さん
『五十音』の順番がなぜ『あ→い→う→え→お』なのか考えた事がありますか?
たぶん学校教育では何も説明されずにそういうものだと、強制的に叩き込まれて
それが常識となってしまった
それと似たような現象が
古代漢文の解釈に結びついてはいないでしょうか?
682 :
646:2007/03/27(火) 23:19:15
>>674 君は言語虫が正しいかどうか検証できるだけの知識はないが、
言語虫との対話の結果、彼が正しいと理解したわけだね。
はたから見ると危うい状態だが、日本には思想、信教の自由があるから、それは咎めないよ。
では再度確認するよ。
これから両者のHPを一緒に検証していこうね。依存はないね。
>>682さん
>これから両者のHPを一緒に検証していこうね。依存はないね。
依存もなにも
伊作さんのHPの解析はスムーズに運ぶと考えますが
はたして虫さんのHPは 基礎的なものが無い貴殿が苦労されますよ
684 :
677:2007/03/27(火) 23:34:04
>>680 トンデモ電波といわれる人たちの特徴は、普通や常識を必要以上に疑ってかかることです。
五十音の順番が「あいうえお」で何か不都合がありますか。
明確な不都合があれば、それを明示して、不都合がなくなる順番にすれば良いのです。
あるいは、より合理的な順番があれば、その合理性を証明して見せればいいのです。
明確な不都合がないにもかかわらず、理由の説明が無いということだけで異を唱え、
自分なりのルールを新たに設定し、かえって合理性を失ってしまう。
これを人は天邪鬼(あまのじゃく)と言います。
貴君は、漢文解釈において、天邪鬼をやってはいませんか。
685 :
677:2007/03/27(火) 23:43:14
倭国の使者が中国を訪れたという記述は、光武帝の建武中元二年(56年)と
安帝の永初元年(107年)があります。
建武中元二年(56年)から70〜80年は127〜137年になります。
これは第7代順帝(在位125〜145年)の治世にあたります。
順帝の次は沖帝・質帝と続きますが、2才と8才で即位し、両方とも即位一年未満で崩御しています。
だから、順帝の治世の次は桓帝・霊帝の治世になります。
つまり、建武中元二年から70〜80年、順帝の治世まで治まっていた倭国が
次の桓帝・霊帝の治世には乱れたということになります。これが後漢書の記述です。
一方で、安帝の永初元年(107年)から70〜80年というと177〜187年です。
これは、霊帝の光和年間(178〜184)にぴったり重なります。
つまり、安帝の永初元年から70〜80年治まっていた倭国が、
霊帝の光和年間にいたって乱れた。これが梁書の記述です。
男王で倭国が治まっていた期間を、後漢書では建武中元二年の朝貢から70〜80年と考え、
梁書では、安帝の永初元年から70〜80年と考えた、このように推測できます。
数字合わせの推測に過ぎませんが、七八十年を七年八年或いは十年と読むよりは、よほど合理的です。
646さんとプラムさんの検証を楽しみにしております。
686 :
646:2007/03/27(火) 23:49:39
では作業に入ろう。事情は知らないが、伊作氏のHPは言語虫のHPのトンデモを正す形になっている。
プラム君は、伊作氏のHPを読んで同意しかねるところはあるか?
あるとすれば、それを順次あげていただきたい。
>>684さん
>貴君は、漢文解釈において、天邪鬼をやってはいませんか。
物事は見る視点によって様々な顔を見せます
この考えもどの視点から見るか?で、環境が変化するでしょう。
688 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 23:55:26
あげ
>>685さん
それはチョット無謀すぎませんか?
倭人伝の記録と後漢書の記録をミックスしたようにとれますよ
倭人伝からどのように後漢書の二つの朝貢記録を読み取るのですか?
後漢書には二つの朝貢記事だけ記録されていますが、朝貢が二度しか行われなかったと
考えているのでしょうか?
漢書地理志に『樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云』の記事が
漢時『歳時來獻』が たった二度に減少?
>>686 >伊作氏のHPを読んで同意しかねるところはあるか?
細かいところをあげたらきりがありません
伊作さんは最終的には細かなところは拘らず大河のような歴史の流れで
物事を判断しようとしています そのへんが既に考え方の相違するところであって
あと
明日葬儀の手伝いがあって朝早いから適当なところで切り上げますよ
>>685さん
それって
70〜80年という数値の起点を探す作業になっていませんか?
女王の都の設定を先に行い、後でそれに至る道程を解釈していくやり方と似ているような?
>>684さん
>トンデモ電波といわれる人たちの特徴は、普通や常識を必要以上に疑ってかかることです。
そういう角度だけで判断しているからそのように見えるのです
学問は普通、常識とする前に普通、常識の検証をすることではないですか?
>>686さん
ヤッパリ伊作さんのHPを検証する事は出来ません。
以前、本人に10年後のガチンコを申し込んでいるし、今それをするわけには……
虫さんのHPの検証なら付き合いますが 伊作のHPは勘弁してください。
気まずくなりメールのやり取り出きなくなっちゃいますよ!
694 :
677:2007/03/28(水) 01:17:14
>>691 >70〜80年という数値の起点を探す作業になっていませんか?
まさに、それをやっているのです。だから、前漢の時代に使者が何回来ているかは関係ありません。
こういう数字合わせと空想は、歴史パズルとしては面白いけど、
そこに本質があるとは考えていません。
まあ、七八十年を70〜80年と読めない貴君には、もともと関係の無い推測かもしれませんが。
『樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云』は、
「普通」に読めば、百餘國が來獻していて、倭国王の存在は書かれていません。
はっきり倭王とあるのは「安帝永初元年,倭國王帥升等獻生口百六十人,願請見.」です。
建武中元二年にしても倭奴國奉貢朝賀で、倭国・倭国王・倭王とは書いていません。
以下、全くの根拠無き空想です。
劉宋の時代、范曄は、後漢書を執筆する際に、倭人伝を参照した。
そこで、「倭国乱」って、中国で言えば何時の時代か考えた。
70〜80年だから、卑弥呼よりも前で、かつ前過ぎない倭王の存在証明は?
建武中元二年に使者が来ているから、この時は男王で治まっていたに違いない。
だったら、倭国乱は桓霊の間だな!
時は流れて、唐時代、姚思廉は考えた。
范曄さん、建武中元二年は倭の奴国ではないですか。
倭国として使者が来たのは永初元年ですよ。倭国が男王で治まったのは安帝の時ですよ。
だったら、倭国が乱れたのは、霊帝の光和年間ですね。
695 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 02:02:04
>>692 >学問は普通、常識とする前に普通、常識の検証をすることではないですか?
トンデモ電波の人たちが必ず言うセリフです。
普通・常識を検証することも学問の一つの方法ですし、
方法論としては一番安直なので、多くの人がそれをやります。
しかし、それでモノになることは少ないです。
実際検証してみたら、普通・常識が正しかったという場合がほとんどです。
普通・常識は、多くの人が長い時間をかけて検証してきた結果、正しいと判断されたことです。
普通・常識を否定するには、それだけの重みを覆すに充分な明確な根拠が必要なのです。
普通・常識を妄信せよと言っているのではありません。
明確な不都合があれば、それを明示して、不都合がなくなるようにすれば良いのです。
あるいは、より合理的な説があれば、その合理性を証明して見せればいいのです。
それが学問です。むやみに否定してかかることが学問ではありません。
さて、貴君は、普通・常識を否定できるだけの客観的根拠を示されましたか。
696 :
646:2007/03/28(水) 06:45:39
>>690.693
>虫さんのHPの検証なら付き合いますが 伊作のHPは勘弁してください。
私は繰り返し確認した。約束を破るのか?
学問的理由以外で「読み比べ」を否定するのか。
それでは言語虫のサイトがいかに電波かどうか君には判断できない。
そういう態度では「信者」と呼ばれても仕方ないが同意するか?
698 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 14:19:08
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
699 :
646:2007/03/28(水) 16:09:53
>>690 >細かいところをあげたらきりがありません
お手数でも順次あげていただこう
確かに、逃げ口上にしか見えんな。