農耕社会に、先進国も後進国も無いだろう?
だいたい、畿内から、後漢の鏡とか
多く出土しているのに。
農耕社会に、先進国も後進国も無いだろう?
だいたい、畿内から、後漢の鏡とか
多く出土しているのに。
170 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:53:34
>>163 周の武王の時代、兄が武王で弟が周公但だったんだけど、
書経に弟の周公の方がシャーマンだったっぽい記述がある。
漢の皇帝も、方士(霊能者)を沢山抱えて、神仙に取り次いでくれと命令していた。
天子は天の子だけど、シャーマンじゃなくて、
王権とシャーマンの権威は、はっきり区別して認識されていた。
だから、お告げを聞くからという理由だけで巫女=王とは考えないだろう。
モモソヒメ=女王と考えたのなら、他に理由があるはず。と思う。
171 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:55:18
>>165>>167の質問では曖昧ですので、改めて
>北九州の強大な勢力が制海権…
制海権を持っていたとする理由は?当時制海権なるものが存在していたのでしょうか?
>畿内の原始部族
当時、畿内を原始部族と位置付ける時、北九州と畿内では生活レベル、支配レベルにどのような格差が見られたと考えているのでしょうか?
172 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:56:46
当時の日本人が朝鮮半島や大陸に往来するためには、壱岐や対馬は
しっかりと抑えておかなくてはならない。邪馬台国は実際に支配している。
仮に、邪馬台国が畿内にあったとすれば、北九州も同じで、完全に
掌握していなくてはならない。そうでなかったら、すぐ近くの
北九州にすぐに奪われてしまって、自由に帯方郡などには行けなくなる。
同じく、瀬戸内海沿岸も抑えておく必要がある。背後の東海・北陸も同じ。
そうなると、5世紀の武の上表文から考えると、少なくとも、100カ国は
支配していなくてはならない。しかし、邪馬台国連合は29カ国。
すでに、3世紀に壱岐や対馬を支配しているところ、また支配する国の数から
邪馬台国連合は九州と考えられる。
173 :
160:2007/02/14(水) 17:57:19
>>164 ありがとうございます。
そこを突かれると返答に窮するのですが…
有力候補はクナ国でしょうか?
個人的には邪馬台国=宮崎、クナ国=熊本とみていますが
根拠のないカンですので…
むしろ、その第三国が特定できていたならば邪馬台国論争は終息してます。
現段階では邪馬台国≠ヤマトとしておいて
第三国はこれから少しじつ絞っていきたいと思います。
174 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 18:07:46
>>173 頑張って下さい。
参考史料として(隋書倭国伝)の一部を提示しておきます。
都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也
この一文を一文字一文字丁寧に辞書で引きながら和訳してみて下さい。
貴方の今後の考えにきっと役にたつと考えます。
頑張って下さい。
175 :
一応九州王朝説:2007/02/14(水) 18:15:59
>>147 >コテハンのほとんどは”荒れる”事をわかっていながら罵倒を繰り返していたように見えます
>議論の応酬ではなく、むしろ罵倒合戦を楽しんでいるかそれを望んでいるかのようでもありましたよね
確かに言い過ぎの所もあったかもしれませんが、別に煽るつもりもましてや罵倒など
した覚えはありません。コテのだれがそんなことしてましたか??
逆に、これだけ2ch歴も長いプラムさんが以外にシャイだったんだな、と。こんなの荒
らしでもなんでもない、2ch的には。
以前から続くプラム氏への酷いコピペは、私も許せないと思いますし、それへのコメン
トも書いてきたつもりです。正直、あそこまで酷いと十分に訴訟の対象になるでしょうね。
まあ相手はひろゆきですがw その時はもし証人として必要ならば私は応じる用意もあ
ります。自分があんな酷い攻撃のターゲットにされたらやっぱりたまりませんよ。
ただ、今回の「イヨ」問題については、一部名無しさんの荒らし以外は、ああいう進行を
取らざるを得ない部分もあった。そんなに無茶なこともなかった。私自身は、用例につ
いての詳しい検証があれば、と言いましたが、教授がどのようなスタンスだったのかは、
さて。
或いは、18の用例について提示してくれた名無しさんが教授だったのかもしれません
が。
176 :
160:2007/02/14(水) 18:18:32
>>174 知ってますよ。手元に佐伯有清氏の著書もありますし。
ただ、その隋書の作者が魏の時代の人間なはずもありません。
同じ音韻の「ヤマト」同じ民族の「倭人」などから連想しただけの可能性もあります。
その一文を金科玉条とするのは早計かと思います。
177 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 18:18:54
>>172 そうだろうか?
これは晋書宣帝紀の一文だが『正始元年春正月東倭重譯納貢』と、
これは三少帝に対する御祝納貢行為、しかも九州勢力とは異なる勢力からと(東倭)の文字から読み取れる。
178 :
一応九州王朝説:2007/02/14(水) 18:26:01
スレ主のプラムさん自身がそう望んでいるならともかく、勝手に
隔離スレだの名無し専用だのいわれてもプラム氏自身も面白く
はないと思いますがね。
まあ
>>62はワロタwですが、実際その通りではありました。その意
味では、別にプラム氏がスレ主というわけでもないんですがね。
ただ、ひとつ付け加えれば、荒れに荒れていた頃、コテをつけて
議論に責任と継続性を持たせようとしたことで、教授や九州大好
き、その他の人たちのコテが始まったわけです。名前で立場を表
明しようということで。
わたしとしては、プラム氏自身もその小さな問題についての瑕疵も
認められていることですし、現状でかまいません。
>>144同様、私も
テンプレの細分化はあまりいい結果にはならないでしょう。まあお題
目みたいなもんですがねw むしろコテ推奨とかつていろんなスレで
行っていたことをすれば荒らしは確実に減ります。名無しさんをNG
アボーンも出来ますしw
>>159 地区予選で敗退したチームじゃなくて、直接対戦したんです。
相手が対中国的に名の通ったチームだと知っていたんですよ。知っていて
その名を頂戴したんです。タケルじゃないよw
ヤマト。
180 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 18:34:54
>>176 それを言い出したらキリが有りません。
時代史はその時代が終了しないと書くことが出来ないと言う特性が有りますし、『金科玉条』とする訳では有りませんが、その史書を最大の史料とし、検証するより手だてが無いのです。細かく検証、校勘をしていく訳にもいきませんし……
少なくとも、魏徴は我々よりも恵まれた才能と環境に有った事だけは確かでしょうし。
>>173 そういえば熊本の松橋・城南は昔からの稲作地ですねぇ
んでこの地区から宮崎の高千穂に至る九州横断ルートが、鎌倉時代にはすでにあったはず
182 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 19:05:18
>>176 『都於邪靡堆』
私は魏徴が何故『都』と改めて書いたか?何故『邪靡堆』の文字を選択したか?その引き合いに、過去記事の無い『邪馬臺者』を登場させたのかという疑問を
以前抱いた為です。
佐伯氏はその辺り、どのようなコメントをしているでしょうか?
183 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 19:23:17
184 :
九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/14(水) 20:20:30
>>175 なになになに?なにがあったの?
忙しかったからあまりは入れなくて事情がよめないんだけど。
185 :
九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/14(水) 20:32:28
邪靡堆と書いた事からも、やはりヤマタイという呼び名が妥当でしょう。
ヤマイーと言う謂いは根拠も無ければ、それに当たる想定地も無いから。
186 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 21:20:22
>>185 >邪靡堆と書いた事からも、やはりヤマタイという呼び名が妥当でしょう。
ヤマイーと言う謂いは根拠も無ければ、それに当たる想定地も無いから。
ほんとにそれだけで判断していいのですか?
後漢書倭伝(註文)
案 : 今名邪摩(惟)[堆],音之訛也 .(今名を案ずるに、邪摩(惟)[堆]の音を之に訛える)
これでも(ヤマタイ)一本で押し通しますか?
187 :
自治 ◆6md9t.4fsY :2007/02/14(水) 22:13:36
テンプレ作成議論への参加ありがとうございます。
今現在、出た案を列記しておきます。
休日のみの参加者もいると思われますので、次の土日を越えたあたりでまとまればと。
第一案
>>129(邪馬台国に関してはなんでもあり)
を骨子に128を添付(133を添付)
賛同意見(132)
第二案
>>142(テンプレは良識を訴える一言のみ)
第三案
>>153(原文を弄らない)
A案
>>134(コテの禁止)
賛同意見あり(135)
反論あり(141,144,155,175,178)
甲案
>>137(議論の心掛け)
賛同意見(144)
今のところ反論なし
乙案
>>147-8(議論の心掛けと運営手法)
188 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:21:18
>>180 >その史書を最大の史料とし、検証するより手だてが無いのです。
文献は重視すべきだと思いますね。
でも、文献もたくさんある。三国志の倭人伝も重要。
189 :
九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/14(水) 22:25:35
史料そのものが検証の対象であることをお忘れなく。
191 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:45:42
>>186 185ではないですが、その読みは違いますよ。
案 : 今名邪摩(惟)[堆],音之訛也 .
案ずるに、今 邪摩堆と名づくるは、音の訛なり。
邪馬臺國が正しくて、今(この注が書かれた当時、多分唐)邪摩堆と言っているのは音がなまったものだ。
ちなみに、(惟)[堆] は、中華書局標点本の底本である紹興本に惟とあるのを、
校勘作業の結果、他の本で堆に改めたということです。
ピンインだと臺はtaiで堆はduiですが、辞書によっては韻もちがうようです。
192 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:49:26
>>190 >史料そのものが検証の対象であることをお忘れなく
当然の事かと。しかし、今ここで校勘する訳にはいきませんのでこのまま弄らず続行すべきかと
193 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:58:48
>>191 >案 : 今名邪摩(惟)[堆],音之訛也 .
案ずるに、今 邪摩堆と名づくるは、音の訛なり。
邪馬臺國が正しくて、今(この注が書かれた当時、多分唐)邪摩堆と言っているのは音がなまったものだ。
ちなみに、(惟)[堆] は、中華書局標点本の底本である紹興本に惟とあるのを、
校勘作業の結果、他の本で堆に改めたということです。
ピンインだと臺はtaiで堆はduiですが、辞書によっては韻もちがうようです。
その事は存じ上げています。
しかし、校勘作業の結果とはいえその校勘自体完全な作業ではなかったということで《(惟)[堆]》と今だ惟の文字は消えることなくのこっているわけです。
だから、あくまでここでは弄らないを基本としたいのです。
書かれているものをその通りに
和訳感謝します。
194 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:05:53
>>186ですが、あくまでも註訳文ですので 用例としては使えないのも事実かと
このような議論もあるという事で 参考までに
195 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:15:40
陳寿は、他の書物には「臺」書かれているのを、だいたい「壹」に換えて?
いるわけだけど、(たとえば、邪馬臺国を邪馬壹国)ひとつだけ「臺」
のままの部分がある。
それは倭人伝の一番最後にある「因詣臺」のところ。
つまり、「中国の都である臺に詣でて」ということで、臺(台)というのは、
都を表している。となると、邪馬台国というのは、都という意味が
もともと含まれているのかもしれない。
196 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:18:06
>>193 > しかし、校勘作業の結果とはいえその校勘自体完全な作業ではなかったということで《(惟)[堆]》と今> だ惟の文字は消えることなくのこっているわけです。
元の字を残しているのは、底本に何と書いてあるかを明示する目的なのに、何故に、
「その校勘自体完全な作業ではなかった」結果であるかのように歪曲しようとするのか?
197 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:21:46
>>195 >邪馬台国というのは、都という意味が
もともと含まれているのかもしれない。
いい読みしていますね
でも、
>陳寿は、他の書物には「臺」書かれているのを、だいたい「壹」に換えて?
ここの解釈は違うのでは? 陳寿が先行史料ですから
「校勘」をされると困るみたいな香具師が一匹混じってるな
199 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:32:42
>>197 陳寿のほうが年代的には先行していて、たとえば范曄のほうはずっと
あとになるわけだけど、三国志と後漢書では明らかに違って部分があるわけ
です。三国志という先行資料があり、それを参考にしているはずなのに、
違っている部分があるし、三国志には書かれていないもので、のちの
後漢書には書かれているものもある。
これは、別の資料があったのではないか。陳寿も范曄も似たような
資料をもとに書いたのではないかと考えられるわけです。
先行資料がありながら、違うものをあえて書いたものの方がかえって
信頼性が高いかもしれない。
200 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:41:18
>>196 >歪曲しようとするのか
歪曲などとはトンでもない
>>198 「校勘」をされると困るみたいな香具師が一匹混じってるな
全然困りませんので気がすむまで「校勘」してください。
私はあくまで(紹興本、紹煕本)を元にするだけですから
>>196 >>193のレスは誤解を招くゆえ取り消します。
>>195 陳寿も范曄も本人が書いたものは存在しない。
たしか最も古い写本で紀元1000年以降のはず。
写本が繰り返されるうちに混入した誤字かどうかの区別は?
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
(中略)
お前は本当に紹興本、紹煕本だけでいいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、『邪馬壹が正しい』って言いたいだけちゃうんかと。
(後略)
>>199 何らかの理由で現在は失われている資料も存在したと考えるのが妥当でしょうね。
現存していても墳墓とかに埋もれていて日の目を見ていない「新資料」もありうるし。
204 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:52:57
>>200 あのー、話が進んでしまったようですが、せっかく書いたので貼っておきます。参考にしてください。
人がすることですから、完全な校勘はないですが、ここの校勘は、そんなに問題ではないでしょう。
魏徴の隋書と李賢のこの注が書かれたのは、ほぼ同じ時期です。
隋書に「都於邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也 .」あるので、唐のこの時代に邪靡堆と書かれ読まれているのは
邪馬臺のことだというのが、魏徴と李賢の共通の見解だったのです。
そのため李賢は後漢書の邪馬臺國に、いま邪靡堆と言っているのは音がなまったのだという注をつけたのです。
だから、ここは邪靡堆でなければおかしいのです。
一応、邪靡堆と邪靡惟の両方が使われていた可能性を考えてみても、
臺と堆は発音が似ている。臺と惟では発音が違う。堆と惟は字形が似ている。
ということからすれば、誤刻の可能性を考えるほうがはるかに自然です。
中華書局が《(惟)[堆]》と残したのは、採取審慎的態度という原則を貫いたためで、
この校勘が危うかったからではないと思います。
205 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:53:33
>>199 范曄の書いた後漢書は何時の時代に書かれ、何を参考にしようとも
その内容は(魏時未満)であり決して魏時や編纂者の生きた時代の様子を書けないのが
鉄則です。但し、陳寿は魏時より過去になる後漢時に触れる事は可能です。
其の辺りが後漢書と魏志のダブル部分ではないでしょうか?
陳寿の時代、当然先行史料となるべき後漢書は存在していなかった
(私見ですが)
范曄は多分、陳寿が「今」と記述した事に ニンまりと
206 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:54:28
>>201 それは何とも言えないし、それを考え始めたら、何が正しいのか
わからなくなってしまう。
ただ、誤字ではないものもある。それは狗奴国についての部分。
後漢書では拘奴国となっているのだが。
後漢書では、「自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王」
となっていて、三国志の倭人伝では
「此女王境界所盡。其南有狗奴國、男子爲王」となっている。
この違いが何を意味するのか。
でも、後漢書の記述が取り上げられることはほとんどなかった。
もっぱら、倭人伝の記述でのみ狗奴国は議論の対象になった。
畿内説にとって都合の悪い記述だったということもあるのかもしれない。
>>201 現存する最古のものは誤刻が多いとされている刊本ですね。
> 写本が繰り返されるうちに混入した誤字かどうかの区別は?
そのために、他の資料と勘合する必要があるわけで、その結果、「壱」は「台」の誤りと
判明したりしているわけですな。
209 :
日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:01:00
>>204 >邪馬臺のことだというのが
正確には邪馬臺者 ここ間違わないでくれとっても大事な部分だから
それに、都於邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也
の部分は時期がきたらじっくり意見を述べたい 今はこの辺で、もっと時間を遡りますか?
>>209 > 正確には邪馬臺者 ここ間違わないでくれとっても大事な部分だから
して、そのココロは?
211 :
日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:07:12
>>209 「所謂〜者」というのは定型句なので、「>邪馬臺のことだというのが」で問題ないと考えます。
212 :
日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:07:40
>>210 つまり、移ったということじゃないのかな?
213 :
日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:10:22
>>210 >して、そのココロは?
(都於邪靡堆) 今日はこの辺でご勘弁 疲れました〜。
>>207 そうその考え!
ある単語の文字にこだわるなら著作とその写本ごとの単語を列記する
のが最初にするべき作業ではないかと思ったわけです。
その上で、次に、どう考えても別系統の文字は何かという視点から
「一、台」、「堆」とを分ける。
別系統となれば別の時代に用いられていた当て字となるから、それを
参考にもう一方の系統の当て字の「発音」を推測できる。
それで「一」はダメだろうという推測が成り立つ。
というような方法論の応用はどうかということです。
215 :
日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:12:46
>>213 わたしも疲れました〜。今日はこの辺にしときましょうね。
216 :
日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:22:50
卑弥呼は、モモソヒメだったんだね。