1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 21:48:38
>>1乙
本身での戦いとなったらどうなるかですかね
暗殺 佐々木只三郎
総合 榊原健吉
3 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 22:25:27
4 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 00:27:54
3:@
また直心影流組だけど奥村左近太も強いと思うが
榊原と互角くらいは行くんじゃね?
まあ榊原は桁違いに強い罠。
高橋泥舟の槍相手に一本勝ちなんて不可能に近い事を平気でやるし。
大石進と対決して欲しかった。
いくら榊原でも相撲取りを投げ飛ばした大石との力勝負は
背丈の分、分が悪そうだな
チビなのに雷電と力勝負した平山は鬼だが
千葉周作とかも大男でプロ力士投げ飛ばしたらしい。
榊原も腕まわりが女性の胴体ぐらい太かったらしいから剣術なら力負けはしないだろ
・・・まあ力技で勝負できる平山はたしかに鬼だなw
奥村左近太は無視ですか
二刀流は卑怯ですかそうですか
でも晩年に二刀流に目覚めた宮本武蔵より、二刀流ではこの人の方が実際は活躍してると思うんだよね
10 :
日本史@名無しさん:2007/01/30(火) 22:12:17
うん。ひさびさに覗けば榊原が一番になってるか。
はじめの頃ずっと押してた漏れにとってはまあ当然だが。
ただ、最近思うのは、接近して当て身や打撃も出来る奴がいれば、そいつが最強
じゃないかと思う。柳生にもあったらしいが、あれは基本は剣だし、そっちはあまり
伝わらなかったと聞く。武田惣角は剣はトップクラスまで行かないし。
武田惣角が榊原に習った中に、後に柔術を伝授される時の下地となるような体術
も習っていたんだろうか。
当時はルールもへったくれもないから
仏ちゃんみたいに蹴りやる奴もいたんだし
みんなそれなりに体当たりとかできたんじゃないの?
平山なんかモロにタックルするスタイルだったみたいだし
山岡鉄舟の無刀流もそういう稽古してたみたいだし
単純に黒船来航から戊辰戦争〜西南戦争までの戦いに参加して、生き延びた剣客
例、藤田 五郎
中根 米七
地方に眠っている無名の剣客
宇野金が仏生寺に負けたのは事実不明らしいな
鬼歓といっしょに仏生寺が宇野金のとこに尋ねてきたのは事実らしいけど
その時は宇野金は病気で試合しなくて、鬼歓が仕返しのように宇野金の弟子をボコっていったという話で
ただ奥村に負けたのは事実みたい
奥村と榊原って明治の撃剣で対戦してないのかな?
14 :
戦後最強:2007/02/23(金) 22:45:48
戦後最強だけど、呼んだ?
>>14 隙あり!
パンパンパーン
∩
(,,`・ω・´)彡☆
⊂彡☆))Д´)
☆
16 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 23:57:45
二刀剣術自体は昔からわりとポピュラーに使われているよ。
古い流派では香取の両刀術や柳生流の二刀打物。江戸の心形刀流に形が残っている。
剣道でも中山博道。馬場欽先生とか戸田氏とかいたな。
当て身や打撃は柔術では必修だから程度の差こそあれ剣客でも当然出来る。
タイ捨流なんか当てるわ蹴るわ手裏剣は投げるわw
幕末では仏生寺の蹴りや平山の一本拳。
昭和だと鹿島流の国井師範がレスラー相手に撃ち込んでいる。
居合とかだと柔術に近いので長い柄を利用した柄当てを多用する。
17 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 17:31:54
沖田さんの三段突き。
18 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 23:05:52
冷静に 考えると やはり 斎藤一 永倉新八 かな 特に斎藤一は新撰組で五年 戊辰戦争 斗南開墾 西南戦争 巡査 と常に 剣を持ち 実戦に有り 生き抜いた これは すごい
19 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 23:31:34
抜・即・斬の中村半次郎センセーですよっ!!
チチチチチチチ チェーストーッ!!
20 :
日本@名無史さん:2007/03/23(金) 14:44:19
福沢諭吉って本当に強かったの?
>>20 島田虎の道場で上位の腕前だった勝海舟の方がまだ強そう
千葉道場で「親指斬り」習得した坂本竜馬。板垣退助と誰かに襲われた時にその誰か(俺は知らんが)の指を切り落としたらしい
23 :
日本@名無史さん:2007/03/23(金) 22:14:46
後の先、先の先さえ使えれば剣はおろか
武術でも最強になれる。
従って山岡鉄舟が最強
でも無刀流開いてから
松崎浪四郎に負けてるんじゃなかったっけ
山岡鉄舟は精神面では凄い人だと思うし
間違いなく大物だとは思うけど最強じゃないと思う
25 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 16:26:30
松崎は加藤田の直弟子、そりゃ強い罠
大石って同じ北九州の柳川だけど加藤田とは試合ってないなだろうか?
前このスレで言われてたけど
片方が江戸でぶいぶい言わせたから
なら俺も!って感じで遠征したとかいう話らしい
加藤田と大石のどっちが先に遠征したか微妙だが
その話から察するに、お互いに意識はしてたのは間違いないっぽいな
28 :
日本史@名無しさん:2007/03/24(土) 22:46:26
面白い話だなw
29 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 23:00:40
坂本竜馬しか思いうかばない。
あと斎藤一とか。
30 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 17:24:25
坂本竜馬はないだろ
「剣なんか古い、拳銃だろ」→「拳銃なんて野蛮、弁論だろ」
……とか抜かしておいて、最期は刺客に襲われて太刀で応戦して鴨居に割り付けたんだろ?
剣士としては三流以下だよ。
31 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 17:30:38
幕末で一番人を斬ったのは誰だ?
直心影流系
平山行蔵 団野源之進
├─────────┤
│ │
勝小吉 男谷信友
│ ├────┐
│ 島田虎之助 │
└─────────┤ 榊原健吉
勝海舟 │
山田次朗吉
中西派一刀流系
中西子啓
│
┌────┼────┬───┬───┐
浅利義信 中西子正 │ │ │
│ │ 寺田有宗 │ 高柳又四郎
│ ├────┴───┤
├────┤ │
浅利義明 千葉周作 白井亨
│ │
├────┘
山岡鉄舟
33 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 19:41:13
殺し合いなら技術より場数と度胸だろ
実戦して人殺してる奴以外は除外だろ
坂本竜馬なんて論外
あらゆる兵器の扱いから実戦まで極めた
平山行蔵が最強で満場一致したいところだが
残念ながら幕末の人じゃないんだよな
35 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 20:12:26
宮本武蔵にきまってるだろ
>>35 ちょっと話知ってる人ならわかるけど
坂口安吾が勝小吉と対比して宮本武蔵を晒しめてるように
宮本武蔵は正々堂々じゃないし
刺客にチマチマ気をつけて弟子に見張らせたりしてて
そういうエピソードから馬鹿にされてたりする
その勝小吉やこのスレ暫定王者の男谷が尊敬したのが平山行蔵
俺は秋月君に一票入れとくわー
38 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 02:10:43
秋月耀次郎
39 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 02:20:20
明治の初めに撃剣興行したとこ見ると
榊原健吉が当代随一の剣豪と思われてたことは間違いない
斎藤一かなぁ
何度も死線をくぐり抜けてるし
41 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 03:16:52
でも男谷って幕末江戸が官軍に荒らされた時
事態をひたすら看過してたんじゃ?
まあ義憤に駆られて打って出たところで
囲まれてあぽーんだろうけど。。
>>41 墓の中から義憤に駆られて打って出ることなく事態を看過したと?
比個清十郎に決まってんだろ
44 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 08:56:09
いやたぶんのび太だと思う
マジレスすると河上彦斎
46 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 16:07:08
桐野利秋も実戦向きのタイプだね
47 :
日本史@名無しさん:2007/03/26(月) 21:51:26
>>47 >1868年4月、江戸城は明治新政府軍に明け渡され、10月に東京城(とうけいじょう)に改名された。
>男谷信友(1798-1864)
とりあえずな、
日本史板なんだから日本の歴史すら調べる気がない奴は来るなと
49 :
え:2007/03/27(火) 10:43:21
望月亀弥太
50 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 11:54:09
いくら議論しても無駄結論なんて到底出ない
>>50 いや男谷ってことで結論は初めから出てますが
男谷は結論というか多数決でな
男谷中心に見れば
その男谷と勝負してて勝率が6割超えた加藤田や
その男谷に再戦して勝った大石
大石を倒したと言われる白井亨
そして男谷を片手でボコった勝の親父
こんな感じになる
結論は出ない。男谷は暫定王者
53 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 13:49:21
伊庭八郎は?
鬼鉄時代の山岡鉄舟と互角かそれより上ってくらい
鬼鉄といえば浅利はどうよ?
竹刀で山岡の防具を割ったとか
中西子正と浅利義信の流れを汲んだエリートとか聞くけど
あまり表に出ない人だからよくわからんよね浅利義明は
当時でも隠れた名人みたいな人だったらしいし
57 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 10:18:12
男谷って苗字、どうしても
アッー!的な、「やらないか」的なものを想像してしまうのは俺だけか?
いや俺だけではないはずだ。
男衾とかもそうだが
伊庭は大道場のボンで幕府奥詰衆もつとめたような身なのに
伏見、箱根、函館と実戦で戦っているな。
山岡鉄舟も一応ボン。元ボンだが
実は塚原卜伝の子孫なんだよな山岡鉄舟
スマソ子孫かどうかは不明だ
同じ一族ではあるみたいだが
61 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 23:11:55
中村半次郎
62 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 00:01:04
半次郎はボンじゃねえな・・・。
63 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 01:03:01
結局、西南戦争まで生き抜いた。
桐野は、道場剣法以上に思える。
山岡鉄舟なんか官軍のど真ん中通って生還しましたが、何か?
65 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 03:49:14
桐野利秋は彰義隊と戦ったときに指を二本落としてしまったの?
66 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 07:01:03
戦った時じゃなくて、その後の湯屋帰りに襲われ
左手中指薬指を失ったんじゃなかったっけ?
芹沢鴨も強かったって話を聞くけど、どうなんだろう?
>>64 斬り抜けたのとは違うんだよね。でも、目的が露見したら兵士に寄ってたかってやられるはずなのに、平然と通り抜けたのだから、やはり大したものではないでしょうか。
>>67 らしいですね。京都に行く時は山岡もついていたけど乱暴狼藉を抑えられなかったそうだし。
酒乱の異常者だから放っておいただけかもしれんけど。
>>68 でも本陣近くではさすがに敵に寄られそうになって
どっか民家に逃げ込んで、そこで次郎長とかと出会ったんじゃなかったっけ
むしろそこで切り抜けようとすれば
恭順の意志が無効になるから、切り抜けようとしなかったみたいな話も聞くし
本当に無敵な者は敵に斬られること無く
だからといって、敵を斬る必要もない
それを体現した人だから山岡鉄舟は凄すぎ
74 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 00:31:36
【鳥羽源三郎 信州某藩剣術指南役 尊王攘夷十八武士を上意討ち】
信州某藩の剣術指南番の家柄に生まれ、若い頃、三年間、江戸に留学して神田お玉ケ池の千葉周作の門に入り、
免許皆伝となった。かなりの腕であったようだ。
鳥羽源一郎といい、のち、浪人して桐山家に入り、桐山姓となった。
この源三郎が、明治維新に際し、勤王佐幕の争いで、二人の家中を斬った。殿様の命による上意討ちであった。
源三郎は二百五十石の上士で、佐幕派であった。 (中略)
何回か出撃して、全部で十八人斬った。そのうち、じっさいに源三郎が手をかけたの
は、二人だったという。 (中略)
しばらくして、藩論が急変して、勤王派が天下をとった。勤王派のクーデターが成
功したわけで、そうなると、殿様などというものは、いいかげんなもので、今度は、
源三郎たちが佐幕派の上意討ちの対象となった。
ところで、宮本武蔵が最高の武芸者・剣客であるかどうかは皆さんにお任せするとして、
彼が書いたとされる五輪書は物凄く深い内容だと思う。
孫子を戦国の日本人が実践して、自身の言葉でまとめたという意味で興味深い。
ただあまりに、いろいろなところで五輪書の実践だの解説だのが氾濫してどれが
良い訳なのか分からん。
そこで日本史板おすすめの五輪書はどれか教えて。
(=゚ω゚) 原文読むべし! ・・・と言うのは気の毒だが、やはり数冊読むしかない。それだけの価値は有るものじゃ。
武道伝書は数あれど、あれだけ手に入りやすく詳細な伝書は他には無い。
心法、技法、勝負の駆け引き、形の解説、他流の良否。本来なら秘伝だったはずだ。
できれば二天一流も学べばさらにイイのだがw
このスレは幕末最強スレだから
幕末というか江戸後期からの剣術思想が尊重されるので
丹羽樗山の「猫の妙術」や「天狗芸術論」なんかの方をオススメしておく
山岡鉄舟の本なんかも深い
78 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 14:07:47
>>31 >幕末で一番人を斬ったのは誰だ?
鳥羽源三郎 信州某藩剣術指南役
>>76 鎌田茂男著の原文と訳付きの一冊は持っています。
原文のみだと岩波ですかね?
やはり古文を現代語訳付きで読む限りにおいては、訳者の思考が入ってくるのはいたし方ないですね
(=゚ω゚) いや、原文と訳付きなら十分だと思いますぜ。
剣術思想に関しては猫の妙術でイイと思うが、技法や駆け引きに関しては不足でしょう。
81 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 22:28:48
斉藤一か土方
82 :
日本@名無史さん:
会津潘士チョ・スンヒ