952 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:44:48
オイ原田、テメェー漢籍のソースもねぇーのに適当な事一点じゃねぇーよ
953 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:53:15
>>949 数百万年という天文学的数字になったら年数の具体性は意味ねえよ。
仏教の救いの弥勒が現れる日だって天文学的数字だ。これはもうすなわち
∞と解釈すべき。
954 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:58:45
神話ってのはどこの国でもそうで潜在意識や寓意、暗喩に彩られているもんだ。
その前提で読まないと、隠された真実を見落とすぞ。
天皇家に関係ないから神代の話にした、なんて言う奴はきっと騙されやすい人だろう。
955 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/09(土) 20:00:40
17924740餘歳であって、17924740餘年じゃあないんだよね
一生わかんねぇだろうな
でも、感のいい人は判る
太国さんは流石だね!
956 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:02:56
歳月
957 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:04:28
今日中にこのスレも終わりそうだな
958 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 20:22:14
>>825 >古事記では東征に17年かかっている。苦難の旅だったと思う。
神武天皇は45歳で東征を始めたという。
17年もかかったら62歳。
もう無理は出来ないし、頭の回転も鈍くなる年頃。
年齢や東征に17年かかったとか言う話は怪しすぎるよ。
おまけに127歳まで生きたなんて、今の世界にいたら世界一だぜ。
少なくとも数字の信頼性はゼロ。
ーーーーー(引用開始)−−−−−
橿原宮で即位したとされている。ちなみに神武天皇は、在位だけでも76年間
で127歳で亡くなっている。と、いうからにわかには信じがたい。
http://www.sakai11.jp/rj001_jinmutennou.htm
959 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:33:37
神話が、天皇家に関係あるか
関係ないかわは分からん。
関係ないとは言い切れないし、関係あるとも言い切れない。
だいたい、中世の徳川家康だって、新田神話という虚構を
作り出したんだから。
960 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:35:45
永遠に確実なことは分からないというのはそうだ。
この時代の書物はないわけだし...
でも、それを研究すること事態に意味がある。
このことは、何も古代史だけじゃなくて、中世史や近代史だって一緒。
961 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:42:56
結局、神武東征という少数の人数で長い時間かけて
日向から瀬戸内海の孤島を通って
畿内に上陸したら、なぜか、あっさりと熊の山奥の裏手に回って
畿内に住んでいた地元の豪族の娘と結婚して
畿内の狭い範囲での生活で終わるという
ありえないという話がすべての混乱の元だ。
しかも、その後、十代目の崇神天皇まで、欠史になっている。
>>959 そういえば、中世のような歴史資料の明確な時代の徳川家康ですら
関東の新田からやってきた新田源氏の僧が先祖という
冒険小説みたいな出自話を作り出したんだよな。
962 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:45:40
神話なんて今もまた作られてるさ。
「明日」だってひとつの神話だ。
963 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:47:26
イラク大量破壊兵器製造神話なんてのもあったな。
964 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:53:44
なんかまとめに入ってるね
965 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:21:50
>>944 神代で記紀が言わんとしてる事は2つだと思います。
1つめは、大国主が高天原を追われたスサノオの子孫である事。(だから、天つ神が国譲りを迫っても悪い事ではない。)
2つめは、神武は高天原の天照大神の子孫である事。(だから、その系統が正当な大国の後継者なのだ。)
それにしても、記紀の神代は出雲の扱いに本当に苦慮してますよね。^^;
966 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 21:29:04
>>834 >その後、日本と中国の国交が100年間断絶したのは、
>どちらかというと、日本側に原因があったのでは?と思う。
マトモナ国交は100年どころじゃないでしょう。
中国自身、台与が送った朝貢を受けた晋は40年もしたら「5胡16国時代」ついで
「南北朝時代」→隋でやっと全土統一(西暦600年頃)し落ち着いた感じ。
台与の朝貢の後、330年くらい経ってんだよ。
中国にも原因はあったというべき!
967 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:41:49
中国とまともな国交なら今だってしてませんが、何か?
968 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:42:24
出雲風土記には、大国主の記載が無いと聞きます。
当たり前ですよね。「大国主」(なんと素敵な名前でしょうか。「大国」の「あるじ」ですよ!)は、
出雲が畿内、否、出雲から弥彦までの日本海及び、その沿岸に河口を持つ河川流域を支配するように
なってからの王に捧げられた名前なのですから。
ちなみに、出雲風土記時代の王に捧げられた名前は「須佐ノ王」だと思います。
969 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:52:08
巻向遺跡は神武を九州から迎え入れた頃の出雲大国主政権時代の遺構ではないでしょうか?
970 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 21:59:49
971 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 22:02:40
神武は大物主(大国主の別名、いや本名かも?)の庇護のもと、
かろうじて畿内に入り、その娘を奥さんにしてもらったにもかかわらず、
神武の子孫達は、遅くとも崇神までの間には、大恩ある出雲系の勢力を一掃してしまったのでしょう。
それが所謂「国譲り神話」として、記紀神代に記載され、恩人を抹殺した後ろめたさからか、
崇神、垂仁の時代大物主は祟り、出雲大社の創設になったと考えます。
972 :
太国:2006/12/09(土) 22:11:10
>>958 2倍暦なら63歳余りでおかしくはない。お前はデタラメの天才。
973 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 22:13:39
つまり、後に大和朝廷として出現する王朝の母体は出雲が出身地である「大国主王朝」
(出雲〜弥彦の日本海沿岸、信濃川流域、畿内を支配下におく)であり、
神武ら九州の勢力を迎え入れたが為に、ある時期(欠史八代)からその王の座を彼らに
乗っ取られてしまったのでしょう。
会社にたとえれば、フジテレビは法人として存続しつずけているが、鹿内家は社長の地位を追われて、
日枝氏が社長になったというところでしょうか?
974 :
九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/09(土) 22:15:11
>>869 「下ろうと遡ろうと」って、そんなあなた、おおざっぱなことでは…
弥生期にまで遡ったときが、問題なんでしょう?
畿内の場合、木槨木棺墓も、四世紀の古墳に見られる竪穴式石室墓も、さらには五世紀
以後の古墳に見られる横穴式石室墓も、一貫して「棺あって槨無し」に合わない。
それらは、時代の下った、「隋書倭国伝」の「死者を納めるに棺槨をもってする」
と言う誇示と合致する。
弥生時代後期、卑弥呼の時代の邪馬台国の葬制は、甕棺墓が最盛期を迎えていた
北部九州で見聞され、記されたのもと判ずるべき。
975 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 22:51:02
神武東征って九州からほとんど寄り道せず大和を目指してるけど、
普通、勢力を広げようとするなら、近いところからだんだん広げていくはず。
だから、九州と大和を強引に結びつけるための作り事としか思えない。
976 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:04:24
>>970 でも、崇神から数代で全国制覇に動き出したのは確かだよな。
今、見つかっている前方後円墳の拡散状況も
これらの天皇の二倍年暦の年代と凄くかち合う。
>>975 そうだよな。普通、九州から東征しようとしたら
近いところから順番に抑えていくはずなのに、
全く抑えてない。という、瀬戸内海の孤島を渡海して
中国地方や四国地方の陸地を上がらず、畿内に入っても
最初、河内で若干、戦闘して、お供が20人くらいなって
熊野の山奥の裏側から、こっそりと入って
こっそりと畿内にいた出雲系の豪族の娘を結婚して
大和三輪山の周辺の狭い領地で過ごして終わっている...
どう考えても、中世の徳川家康の松平親氏伝説のまんまだ。
天皇家は、古代版の徳川家みたいな感じか?
977 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:15:37
>>975 神武天皇が、寄り道をせずにまっすぐ大和を目指したとは書かれていない。
記紀のどちらも、宇佐、岡田宮(岡水門)、安芸、吉備と立ち寄っている。
しかも、かなり長期間にわたって滞在している部分もある。
また、岡田宮は、遠賀郡の芦屋とされるが、これは迂回しなければ立ち寄れない
土地なので、何か理由があったと思われる。
神武東征は、遠征の旅とも言える。
978 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:18:54
>>977 つづき。
もっと詳しく書くと、古事記では、岡田宮に一年。安芸に七年。吉備に八年。
日本書紀では、吉備に三年。
979 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:25:06
なんか神武東征って、大軍で攻め上った話じゃない。
いずれにせよ、仮に神武が実在したとしても
卑弥呼よりは前の時代になる。
980 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/09(土) 23:28:17
>>979 >いずれにせよ、仮に神武が実在したとしても
卑弥呼よりは前の時代になる。
そんな馬鹿な話はなかろうに
981 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:31:31
立ち寄ってるだけで、そこを征してから次に行くってわけじゃないよね。
単に長旅をしているというだけであって、征する目的地がいきなり大和というのは
どういうわけなのか?
982 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:35:51
>>975 つーか、岡山を出て速吸の瀬戸(鳴門海峡)を抜けるまで交戦の様子もまっ
たくない。
つまり大阪湾にはいるまで、神武隊は天毎氏の同胞か同盟氏族の勢力圏内
にあったという事だ。これは鉄器の分布ともほぼ一致する。
河内湖畔で大敗し、兄弟まで失いながら、紀伊半島を迂回した行程をみれ
ば、河内に強力な抵抗勢力が存在した事が見て取れる。これは同地の高地
性集落の存在を裏付けるものだ。大阪湾〜河内湖は当時の最前線だったの
だろう。
問題はそこまでして大和盆地に行こうとした動機だろう。
記紀では日向にいた時に、大和盆地が"山垣に囲まれたよい土地"だからだ
という事だけだ。彼にとって今いる日向を捨ててまで東の見も知らぬ土地
に行く動機には弱いとしかいいようがない。
しかし、それは彼がその必要に迫られていたとしたらどうだろう。
"山垣に囲まれた"=防衛に適した土地だと考えれば、彼は誰かに追われてい
たのではないかと思われる。九州に彼を訴追する動きがあり、その追捕の
手の及ばない大阪湾の東の処女地への「逃避行」が本当の事実ではなかった
のか。「八」の因縁のある"ヤタガラス"の導きとは大和盆地に定着していた
「ヤマタ」「ヤハタ」を奉じる出雲系豪族の手引きの事であったのではない
か。
つまり、九州王朝の勢力圏からのエクソダスが神武東征の本質であったのだ
ろう。そしてその逆襲は"磐井の乱"鎮圧であったのだろう。
983 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:53:22
>>982 近畿地方で神武天皇が戦ったのは、最初から長髄彦。
長髄彦は、饒速日命に仕えていたという。
饒速日命は、天磐船に乗って天下って来た天神の御子となっている。
つまり、神武天皇と饒速日命は高天原からやってきた同族という事になる。
最初に高天原から大和にやってきたのは、饒速日命。
神武天皇は後からやって来て、戦ったことになるわけだが、多分、
戦った長髄彦は、饒速日命の子孫ではないかと思う。
984 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:06:19
>>983 日本書紀には、長髄彦が神武天皇に負けた後、次のような会話がある。
「私が仕えている饒速日命は天神の御子です。いったい天神の御子は
二人おられるのですか。どうして天神の御子を名乗って人の土地を奪おうと
するのですか」
「天神の子は多くいる。お前が仕える人が天神の子であるなら、必ず
しるしがあるだろう。それを示せ。」
長髄彦が饒速日命の弓矢を差し出すと、まさにそれは天神の子のしるしであった。
天神の子と天孫では全く異なることを長髄彦に教えてもわかりそうも
ないので、これを殺された。饒速日命は忠誠を誓ったので寵愛された。
これが物部氏の先祖である。
985 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:06:20
神武天皇の話は新しい価値観があるから、後世の創作の可能性が高いが
仮に本当だったとしても、
政治組織が九州南部(日向)から大和三輪山まで攻めあがることは無理だな。
こういうのは文献史学の分野なんだけど、文献が残ってない時代なんだから
解明しようがない話。よって、実在性を探るのは永遠に無理。
よって、実在性があるのは、三輪山から起こった崇神天皇からで
これに関しては、考古学的にある程度、想像がつく話だろうと思う。
だからこそ、考古学の世界では、崇神天皇から実在性を限界線なわけで。
いずれにせよ、マキムク遺跡の更なる解明を待つ。楽しみだ。
986 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:07:05
>>983 日本書記は似たような話が多いんだよね。神代も天皇の巻も
これはひとつの話をいろいろと変奏してるのだと解する。
987 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:09:42
>>984 >天神の子と天孫では全く異なることを
どう違うの?
988 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:14:03
>>987 日本書紀にはそう書いてあるのだが、多分、神武天皇のほうは天照大神からの
直系で、饒速日命のほうは亜流ということだろうと思う。
989 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:17:50
>>988 サンクス
そこ何かしらの史実、それも日本書記が編まれた最近の史実を照合させてるんじゃないかしら。
なんか妙にリアリティを感じる。
990
991
992
993
994
スレ主でつ・・・立てときました
996
997 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:44:49
998
999 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:59:14
須礼主命
<<<邪馬台国は宇宙人が作った都市だった!!!>>>
_人人人人人人人人人人人人人人人_
> な、なんだってー!! <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
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| ノ u ヽ / u u └| ∩____∩
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