邪馬台国、ドンと来い!! 7

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882恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/11/26(日) 15:37:23
>>879
>だいたい稗田阿礼自体に超人的な能力を付与してること自体が怪しい。

記憶力にいい人間は確かにいる。
お釈迦さんの言われた言葉(お経)も記憶力で残されたものです。
2500年位前には、言葉はあっても文字はなかったんじゃないかね。

それでお釈迦さんが死んでから、お釈迦さんの言葉だとして間違った
お経が氾濫したために、すぐ後でお弟子さんが500人集まって整理して
口伝で覚えたのが「阿含経」だという。

これを第一結集といい、100年後にも再度集まってチェックしてこれを
第二結集という。
文書化されたのは死後300年以上は後だといわれてます。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
仏教経典が書写されたことを伝えている最初の記録は、紀元前1世紀頃の
スリランカ(セイロン) です。
http://panna.zive.net/bukkyo/bukkyo_bk03.html
883日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:10:07
>>881
>神武東征は、ある程度具体的で、ただ単に神話として片付けられない、
>真に迫るものがある。

神武東征のどこがリアルなのか?
出発地が日向。大阪湾に至るまでは、単に航路の地名を列記しているのみ。
兵站とか、リアルな行軍の記述は皆無。

で大阪湾に着いてからの記述がリアルになる。
恐らくは、畿内建国神話が下地にあり、倭国全体の神話に引き伸ばすために、
日向〜大阪湾の部分を追加したのだろう。
もしくは、応神の東征の記憶があったからかもしれない。
884日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:18:01
>>883
神武東遷の物語は野間岬から始まるのではなかったでしたっけ?
私は野間岬より北が神武が出発した頃のヤマトの勢力範囲ではなかったかと
思うのですが。
885日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:21:29
更に言えば、畿内王権の最初がマキムク。
三輪山山麓に最初の大王がいたことは確実。

記紀で言うところ、三輪山山麓に初めて宮を造った崇神が、
最初の大王と考えるべきだろう。ハツクニシラスとも呼称されているし。

初期畿内王権の権威の象徴が三輪山。
三輪山は神南備山として、後世に至っても特別視され続けた。

イワレ彦の名前がついた磐余にしろ、イワレ彦の即位した橿原にしろ、
初期古墳が見当たらない地域。

神武東征伝承自体をそのまま史実と見ることが非現実的だということは
分かったかな。
886日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:24:45
欠史八代とかは無視し、神武は史実であったとする。
こんな都合のいい取捨選択は、九州東遷説(九州説じゃないよ)の輩の
特技なんだな。
887日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:29:05
さしずめ記紀の成立も、こういった憎しみあいの産物なんだろうな
888日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:29:48
>>885
神武は美和の大物主の娘を奥さんにしています。
ようするにマスオさんなわけです。私は神武の古墳が作られた
とすれば三輪ではないかとおもいます。
(何故かこの美和の大物主は10代崇神天皇によって祟り神として
三輪山に祭られるわけですが。)
889日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:39:57
>>888
>私は神武の古墳が作られたとすれば三輪ではないかとおもいます。

記紀にそうは書かれていないよな。

東遷説の連中が言うように、もし欠史八代が架空とした場合、
神武=崇神になるのか。

それにしても、東遷説の反論の根拠が「神武伝承」だけとは
情けない。
890日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:44:45

>私は神武の古墳が作られたとすれば三輪ではないかとおもいます。

記紀にそうは書かれていないよな。

って、そうは書かれてないから「おもいます。」でそ?
891日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:47:54
>三角縁神獣鏡は呉の様式で作られている。

画文帯と三角縁って、殆ど同じで、縁が三角かどうかの違いだけ。
画文帯が呉の様式っていいたいの?

>徐州は魏ではなく、呉の領土。

魏の領土だろ。
892九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/11/26(日) 16:48:48
>>883 応神の東征は聞いたことが無い。それに神武は陸行したという立場をとっている。
ある程度具体的と言っただけで、現実的とは言っていない。それも本文の、
奇想天外な作り話と比べての事。神話の中にも、真実が隠されていたりする。
神話は、親が子へと、子から孫へと面白おかしく実際にあった出来事などをおり混ぜながら、伝承させていくもの。
東征など語らず、畿内に神々が降臨したとすれば済むところを、
わざわざ九州の山の中という辺鄙なところからきたなど、地元出身でないことをなぜ、
天皇家の歴史として遺し、伝承させていく必要があったのかが一番の謎。
893日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:49:08
>>890
だから何が言いたいの?
894太国:2006/11/26(日) 16:54:49
>>860
コテハンが抜けました。それがしの書きこみです。

>>866
当然それは肯定はできない。だいたい明治、大正、昭和を眺め較べたって全然
数字が合っていないのは歴然としている。用明〜桓武の自説に都合のいい箇所
のみ取り揃えたところで、それ以前もそうだったとはまったく言えない。
それが明治以降は人類が長寿で古代は短命だったから、これは例としては当ては
まらないなどとこの前主張していたようだが、武内宿禰の長寿などを考えれば
そんなにに短命だったと結論付けるのは間違いのもとである。

10年という浅はかな単純計算で結論しても、イザナギのあたりへ遡ればその
論理がおかしいことは目に見えていて、大半のスレ人の失笑を買うだけ。w
895日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:55:24
邪馬台国は宇佐ですpupu
896日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:55:30
>>891
知らないで言わないように。魏の領土ではありません。
中国はその頃日本と違い、歴史がはっきりしてる。
897日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:55:34
>>892
畿内王権も地方政権だったころは、「畿内の山に始祖が降臨した」みたいな
シンプルな建国神話だったんだろう。
おそらくはニギハヤヒ神話がそうだったんじゃないか。

全国規模の大王権力になるにつれ、倭国全体を包括した神話が必要とされた。
倭国全体を統治する王権の正当性を主張しなければならないから。
898日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:57:28
ハッタリのオンパレードだな
899恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/11/26(日) 16:59:07
>>879
>記紀は基本、口伝じゃないとオモ。

何らかの書物が少しはあった可能性はあるが、基本は口伝。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
序によれば、稗田阿礼が暗誦していた『帝紀』(天皇の系譜)・『旧辞』(古い伝承)
を太安万侶が書き記し、編纂したものである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98
900日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:00:19
ここで南九州を一生懸命となえている人がいるが
宮崎や鹿児島はありえないと思うね。魏志倭人伝の耶馬台国内の描写のなかでの
方位の記述が滅茶苦茶になるだろ。
宮崎と鹿児島で東に海を隔てて国などない。東北に四国があり
東南に何もない。太平洋ひとりぼっち状態だよ。

自分が宇佐・国東にこだわるのは倭人伝の耶馬台国の描写も合ってるからだ。
東に愛媛があって晴れた日には海の向こうに見える。
東南に下れば太平洋に出て一年すりゃポリネシアの小人や歯の黒い島に着くだろw
(真南には行けない。陸に引っかかる)
この描写が見事なまでにバッチリだ。この部分の合致を考える場合は大分県辺りしかない。

ただ宇佐神宮の場所で断定するつもりはないけどね。比売神は国東の出身だし
もうちょっと広範囲に考えるべきだろうと思うよ。例えば日田なんかも水路の
発達で交易が発達していたぐらいだから、古代から栄えていたと考えられるし
901日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:01:28
>>897
だったんだろう、恐らくは、じゃなく、何か文献は無いんですか?
ニギハヤヒは、大阪平野にいたとTV では聞いたけども。
902日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:04:44
こうして空想を撒き散らしながなシコシコやるバカだけが凝縮されていく
903太国:2006/11/26(日) 17:05:17
>>872
まったく譬えがあさってのほうへ向いていておかしな限りだ。
結局あんたの恣意的論理で、人物は実在だが人物の行動は神話で付加させられた
もので事実でないなどと言い回して自己の論理の必要部分のみを取り出し
のうのうと自己の論を肯定している。こんなんだったらどんな論理でも肯定でき
てしまう。君の論はここのスレでは有コテハン者で最悪の評価だ。w
904日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:07:32
896 名前:日本@名無史さん :2006/11/26(日) 16:55:30
>>891
知らないで言わないように。魏の領土ではありません。
中国はその頃日本と違い、歴史がはっきりしてる。


はいはい。

宇佐神宮神託事件にしろ「徐州が魏の領土でない」にしろ、なぜこういう
不勉強な奴は、こういう書き方をするんだろう。
少し調べてから書き込めば、恥をかかなくて済むのにな。

徐州の件は、九州ですがも、自分が間違ってましたと認めてるだろ。
905日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:08:05
畿内などありえないね。
東にまっすぐ瀬戸内海を南下と勘違いして船で横断かな?w
途中の重要な国々や島を飛ばしまくって畿内へ一直線か・・・

南から太陽が昇って北に沈むのを見てびっくりしたって記述がないぞ、オイ
906日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:09:17
>>901
状況証拠の積み重ねって事も世の中にはあるだろ?
文献はないか?って井沢元彦にけなされそうだな。w
「大阪平野にいたとTVで聞いた」ならそれもりっぱな文献じゃないか。w
そもそも記録文献の類いって、都合が悪いと残らなかったりかきかえられたり
するだろ?欠史八代のように。
907日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:12:31
>>君の論はここのスレでは有コテハン者で最悪の評価だ。w

って、太国がいうなよ。www
あ、受けねらいか。これは正直スマンかった。
908日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:13:13
>>904

 >>659で、九州ですが、が確かに書いてるな。
 九州ですが、は責任持ってフォーローしてやれよw
909日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:15:09
太って奴は頭ガチガチの単細胞だということが文脈から読取れる。
910日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:22:34
>>896
NHK大好きの九州ですがに限らず、このスレで自信満々に書いてる奴は、
かなり適当に、酒飲みながら書いてるから。
基本的な知識も欠如してるしな。
だからまともな議論にならない。

あんまり信用しちゃ駄目だよ。特に「九州東遷」とか言ってる人は。
911九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/11/26(日) 17:22:51
>>904徐州の件は、九州ですがも、自分が間違ってましたと認めてるだろ。

スレのどこにも一口も言ってない。嘘までついて恒例の終わりレスでの蒸し返しで、
自分達が優位に立つとでも思ってるのか?魏の時代の徐州は、魏ではなく呉というのは、
広く知られてる事実。中国の考古学の権威も断定していた。何十年も自分はこの説を曲げてはいない。
以前見たNHK特番でも、その通りの説だった。どうして否定などするものか。
知っててわざと言ってるとしか思えない。 でも無駄だ。真実は変わらない。



912太国:2006/11/26(日) 17:22:55
>>909
ガチガチって言ってるが、なに、恵也の10年計算を単純だと思わないのか?
913日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:28:55
太国がいうなよ
914九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/11/26(日) 17:34:52
>>912
また最低の人種が入り込んだ。出来る限り相手しないでいようね。
どうせ、ひっかき回すだけなんだから。それしか能が無い。
915太国:2006/11/26(日) 17:35:54
>>913
どうだ恵也のいう10年説はおかしいと思わないか?
あいつのは有コテハンでは0点に近い論理だぞ。
916日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:37:17
日本史板のコテハンは自分がバカだということに気づいて欲しい。
917恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/11/26(日) 17:38:09
>>889
>神武の古墳

天照大神の子供、ニニギの命の古墳は宮崎にあります。
天照大神の孫、政権から落ちコボレタ海幸彦の古墳も潮嶽神社として宮崎にある。
神武天皇の父を祀る神社も、鵜戸神宮としてある。

しかし東征したという神武天皇自身の古墳は、宮崎には無いようだ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
潮嶽神社は全国で唯一、海幸彦を祀る神社です。
http://www.pmiyazaki.com/ushiodake_j/
918日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:38:41
徐州が呉の領土というソース出せ。ていうか、普通にグーグれば分かることなのにな。
919日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:39:53
>>916
禿げしくワロタ! 
1週間は笑える!
920日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:48:09
九州ですがへ
徐州が呉の領土だと言い張るなら、もし間違えていた場合、
「九州です、あほですが」にコテハンを変更すること。
いいな?
921九州です、あほですが:2006/11/26(日) 18:12:04
>>920
分かった。その申し出をのもう。
922日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:13:09
なぜそんなに徐州にこだわってるの?
923日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:18:13
>>922
徐州、徐州と人馬は進む〜
徐州居よいか住みよいか〜

って歌を知らんのかーツ
924日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:20:28
>>922
スレを正常運営するためにも、明白な誤りは誤っていると指摘しなければいけない。
一応学問板だしな。
925日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:22:47
九州です、あほですがは逃亡したか。
以後、ちゃんと「九州です、あほですが」を名乗れよw
926日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:28:30
問題なのは、九州ですが、が誤りを指摘されたのにも関わらず、
まともに調べもせずに反論したことだよね。
まあ、本人も反省してるみたいだし、これくらいで許してやろうよ。
927日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:29:15
>>924
>一応学問板だしな。

最近カキ出したんだが、そうだったの!
928日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:58:06
>>926は自演か?
929日本@名無史さん:2006/11/26(日) 19:02:11
ほらみろ、女囚にこだわってるから糞スレになっちまった。
930日本@名無史さん:2006/11/26(日) 19:08:55
>>929
いやさ、君がまともな事を書きなさい。
931九州ですが ◆cdEg7T5ias
>>920
まあー低能児らしい反論だこと。こういうことよん。地図もあったが今は不明。

後漢時代に徐州の南に属する江都・儀征、さらに南の丹陽付近に古代の銅鉱があった。
三国時代にはこの徐州の北部が魏の領域となり徐州と言われたが、銅産地は含まれていなかった。
上記銅鉱のあった江都・儀征・丹陽は呉の領域であり徐州とは言われなかった。

要するに、徐州の北部が、魏の領土ににかかっていた訳よ。そこには銅鉱は昔から無く、
今でいう徐州の、銅を産したところは南部の、当時、呉の領土で、徐州とは言わなかっただけの話。
銅を産するかどうかが、話のの主旨であって、銅鉱が無いところがいくら魏にかかって
いたとしても、何ら意味を成さない。当時、徐州は銅を産してはいなかったで、十分通じる話でしょ。
なになに、重箱の隅でもつつくように、話の揚げ足を取って、鬼の首でもとったように。
まあ、可哀相な脳みそだこと。