【初心者】スレッド立てる前に質問をPart18【歓迎】

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508日本@名無史さん
>>507
頼朝とか、信長とか家康というのは忌み名(諱)といって、日常生活で
はそれを使わないのが通例です。
公式文書とか、目上の人間が呼ぶ場合に使用します。目上の人間は勿論、
「九郎」とか「太郎」とか通称を呼んでも構いません。また、相応の尊
称をつければ忌み名で呼ぶのも構わないようです(信長公とか)。

頼朝は、平治の乱で捕らえられて伊豆に流されるまで「右兵衛佐」でし
たから、流罪中でも身辺にいた人はそう呼んでいたようです。寿永宣旨
により、流罪人を説かれた後、次第に鎌倉で実力をつけてからは「鎌倉
殿」と呼ばれました。上洛して後白河法皇に謁見してからは、権大納言
権右近衛大将に任ぜられました(すぐに辞任)から、「右大将殿」とも
呼ばれています。「御所様」は聞きませんね。室町幕府の将軍は、義満
以降は花の御所にいたので「御所様」と呼ばれているようですが。

当たり障りのない偉い武将の呼称ならば「御館様」とか「お殿様」で良
いのでは。また、第三者に対しては「信玄公」とかで良いと思われます。

明治になって、すべての人に苗字がつくようになった頃くらいから、通
称ではなく、忌み名を正式な名とし、公私共にそうしようという動きが
明治政府筋から出てきました。欧米に合わせ、古い因習から脱却しよう
という方針だったようですが、必ずしも徹底した訳ではないようです。
西郷吉之助は西郷隆盛、大久保一蔵は大久保利通に、といった具合です。
それ以前に死んでしまった坂本龍馬は、忌み名は「直柔(なおなり)」
ですが、結局歴史上の「通り名」も坂本直柔ではなく、坂本龍馬になっ
ていますね。

それ以外には「号」があります。新井白石の白石は「号」で本名は新井
君美(きんみ)です。勝海舟は、通称麟太郎(りんたろう)、忌み名は
義邦→安芳(やすよし)ですね。
509日本@名無史さん:2006/12/15(金) 02:42:19
丁寧に御回答ありがとうございました。参考になりました!

目上の人間が下の者を呼ぶ時にはつまり何を使ってもいいのですね。
私は目下の人間から格上の人間への呼び方も気になるのですが
役職名か、忌み名+尊称か、通称+尊称か、
の三種類だけと考えていいのでしょうか。
それとよくテレビで出てくる尊称の「殿」は「公」と比べると尊敬の度合いは低いですか?
敵対関係でも「殿」は使用されるようなので…。

また、頼朝のような位の高い人間が
当時の風習として敬われるべき年長者である叔父や、
既に亡い偉大なご先祖を呼ぶ時にはどのように呼んでいたのでしょうか?
ご先祖はともかく、叔父が自分より位が下である場合は
優先するのは年の功か身分のけじめかどっちなのかなあと思いました。

「御所様」というのは、源平物の小説や、
ネットでの記事を読んだ時に
頼朝の呼称として使われているのを見たような記憶があったので
例にあげてみました。室町以降だったのですね。
失礼しました。以後気をつけます。
510日本@名無史さん:2006/12/15(金) 06:10:09
ちょっと探してみましたところ、
頼朝が「御所さま」と書かれていたのは
永井路子「闇の通い路」の中の「わが殿」という話でした。
鎌倉御所という場所の呼び方も出ていました。
小説なので創作なのかな?ちなみに呼んでいたのは
語り手と地の文が混ざっててわかりにくかったですが
頼朝より格下の地位の侍でした。