>>507 頼朝とか、信長とか家康というのは忌み名(諱)といって、日常生活で
はそれを使わないのが通例です。
公式文書とか、目上の人間が呼ぶ場合に使用します。目上の人間は勿論、
「九郎」とか「太郎」とか通称を呼んでも構いません。また、相応の尊
称をつければ忌み名で呼ぶのも構わないようです(信長公とか)。
頼朝は、平治の乱で捕らえられて伊豆に流されるまで「右兵衛佐」でし
たから、流罪中でも身辺にいた人はそう呼んでいたようです。寿永宣旨
により、流罪人を説かれた後、次第に鎌倉で実力をつけてからは「鎌倉
殿」と呼ばれました。上洛して後白河法皇に謁見してからは、権大納言
権右近衛大将に任ぜられました(すぐに辞任)から、「右大将殿」とも
呼ばれています。「御所様」は聞きませんね。室町幕府の将軍は、義満
以降は花の御所にいたので「御所様」と呼ばれているようですが。
当たり障りのない偉い武将の呼称ならば「御館様」とか「お殿様」で良
いのでは。また、第三者に対しては「信玄公」とかで良いと思われます。
明治になって、すべての人に苗字がつくようになった頃くらいから、通
称ではなく、忌み名を正式な名とし、公私共にそうしようという動きが
明治政府筋から出てきました。欧米に合わせ、古い因習から脱却しよう
という方針だったようですが、必ずしも徹底した訳ではないようです。
西郷吉之助は西郷隆盛、大久保一蔵は大久保利通に、といった具合です。
それ以前に死んでしまった坂本龍馬は、忌み名は「直柔(なおなり)」
ですが、結局歴史上の「通り名」も坂本直柔ではなく、坂本龍馬になっ
ていますね。
それ以外には「号」があります。新井白石の白石は「号」で本名は新井
君美(きんみ)です。勝海舟は、通称麟太郎(りんたろう)、忌み名は
義邦→安芳(やすよし)ですね。