1 :
日本@名無史さん:
中国やヨーロッパでは古くからあったのに
日本では馬車が本格的に入ったのは明治になってから。
なんで?
2 :
日本@名無史さん:2006/10/13(金) 23:23:55
よく考えてみろよ。
今の日本の国土は沖縄と北海道を含めた非常に広い国土だが、
江戸時代以前は東北を除外した九州・四国・本州と言う極めて狭い国土だったのだ。
対する漢や晋と言った帝国は極めて広い国土を保有している。
大阪から東京まで歩いて行くと、極めて大変なものですよね。特に現代人なら。
世界地図で見ると中国は広く無いように感じます。
しかし大阪と東京を行き来すると凄く大変に感じますよね。
特に中国の場合、隣省に移る場合、とんでもなく大変な距離だと思うのです。
中国は日本より広大な国土ですから、交通に関しては日本人より大変です。
中国に置いて馬車が発達した背景には、広大な国土というものが背景にあるのでは。
3 :
日本@名無史さん:2006/10/13(金) 23:27:55
それと昔なら全国を行き来すると言う概念がなかったと思います。
一生、その地方にしか居ないと言うのもあったと思うのです。
特に中国の場合、隣省に移るだけで東京−大阪間以上の距離を歩かねばならない。
中国の内陸になれば馬車は必須でしょう。
日本は島国ですから、船を用いると言う手段がありますが、中国だとそうは行かない。
日本に置いて馬車が発達しなかった背景には島国で
交通が船に頼る事ができた、対する中国は船に頼れなかったというのもあると思います。
4 :
日本@名無史さん:2006/10/13(金) 23:29:41
日本は島国だから交通には船が頼れた、
中国は特に内陸部なら船に頼れなかった、と言うのがあると思うね。
5 :
日本@名無史さん:2006/10/13(金) 23:35:41
平安時代には牛車があったな。せいぜい京都市内を移動しただけだろうが。
>>3 シナには南船北馬という言葉がある。馬車の本場はモンゴルの遊牧民
だろうな。
6 :
日本@名無史さん:2006/10/13(金) 23:41:45
>>4 シナは秦か漢の時代に黄河と揚子江を結ぶ大運河を作って内陸部での
航行が可能だったと習ったが。
揚子江は重慶まで相当大きい船が遡れる運河の役割を果たしていたはず。
7 :
日本@名無史さん:2006/10/13(金) 23:47:01
日本の国土は7割が山で馬が活用しにくい。
平地は基本的に可能な限り田畑として開拓しているので馬は使いにくい。
田畑でなければ世界最高クラスの人口密集度を誇る都市部なので馬は使いにくい。
大量輸送には馬車とは比べ物にならない効率よさを実現する水上輸送で充分。
8 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 00:22:40
車酔いの人が多かったとか
9 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 00:27:13
日本の馬が貧弱な体型であったから。 これ本当。牛車はあったからね。
10 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 00:37:42
蒙古馬もチビだが
11 :
.:2006/10/14(土) 00:41:29
またに加わる感触が良かったからに決まっているだろう
12 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 00:48:01
ちっちゃい日本馬が引っ張る馬車よりも、昔の人が歩いたほうが早かった。
お年寄りや近距離の移動は籠に載った。
商人は馬に乗れる身分じゃなかった。
13 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 00:55:15
日本馬は中型馬
14 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 01:00:04
>>1 良い着眼点だよ。これを調べて本書いたら?
たぶんん
>>9が正解だと思う
15 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 05:54:07
古代中国では
車=馬車を指す
16 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 08:18:00
日本人は馬の扱いに慣れていなかったので馬より確実な人間が車を引く
人力車の歴史が有る。
17 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 08:28:29
>>14 まるで中国の馬が大型のような言い草だが、中国の馬は多く蒙古系の民族がもたらしたもので小型。日本馬と同じ。
それに、実は哺乳類でもっとも持久力があるのは人間。具体的な数字は忘れたが、馬は人間ほど長時間走れない。
代え馬を用意するか、馬を休ませるしかない。
モンゴル人も長距離を馬で掛ける場合には、複数頭の馬を乗り継ぐ。
馬の数が少なかったのだろうか?
自然馬が残ってるのは戸井岬だけ?
19 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 11:32:00
深林が鬱蒼と生茂っている、山ばかりの日本で馬車が通える道を整備するより、
ウマに直接背負わせる方がコストパフォーマンスが優れていると思う。
第一ウマを養うには大量の牧草地が必要だが、
そんな贅沢は出来なかったんじゃないの。
フェラーリ改造してバスやトラックにしようと思うかどうか、だ。
(日本馬がフェラーリのごとき性能という意味ではない。あくまで貴重さ)
21 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 12:27:17
古代中国やローマであった戦車も日本では使われなかったことを考えると、地形的な影響がでかい気がする。
馬車が快適な平野は、日本では川や峰で細かく分断されているから馬車としての利点がない。
だとしても、長い歴史でほとんど皆無だったというのは解せない。
まだ他に大きな理由が隠れている気がする。
23 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 14:03:12
江戸時代には大八車があったと思うが、それに人を乗せて運ぶというアイ
デアも無かったようだな。四輪にするというアイデアも無かった。
ダンジリを馬に曳かせることもしなかった。四輪のディファレンシャル
の工夫ができなかったからだろう。
江戸時代は、江戸の町の中では人が走る事すら禁止されていた。
走っていいのは産婆と医者と火事の火消しとかだったかな?
馬でさえ乗っての往来は禁止されていた筈。
そういった背景もあるのではないかな?
そんなのは17世紀以降の話じゃん
26 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 16:08:09
合戦などでは馬に乗っていたよな。
でも馬に車をつける発想がなかったというのはどうしてかと。
やはり小型馬では車を引く力がなく、役に立たなかったからだろう。
今は絶滅したが、南部馬という種は体格が大きめで車を曳くに十分な力もあったと思われる。
馬の問題ではない。やはり道路事情に尽きるだろう。
平坦でまっすぐ、十分な道幅と距離があり舗装された道路網がなかったことが最大の要因だ。
山だらけ、車輪の付いた乗り物には本来向かない地形ってことだろう。
むしろ全国に道路網を張り巡らして、強引に自動車社会に適合させた
今の状態が特殊なんじゃないかと。
ありえない前提だが、仮に近代以前に今のような舗装された道路が
張り巡らされていたとしても、これだけ坂が多いとエンジンを積んだ
自動車じゃないとキツいんじゃないかなあ……
そういえば、横光利一の蠅って短編で、山道を馬車で走っていて
最後は谷に落っこちてしまう話があったなあ。
日本で一番その手の乗り物が普及してたのっていつだろ?
29 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 19:39:47
馬車に関する情報は大陸からの文献その他いっぱいあったんだから、
実用にならなくてもマネして作っていきがる大名とかいなかったんかね。
山が多い。
馬飼うの手間掛かる。
海とか川を船で渡るほうが早いや。
31 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 19:47:19
だから実用にならん理由を並べ立てるのはもういいんだよ!
趣味で作って得意がる大名貴族がいなかったんかよって聞いてんだよヴォケ!
馬って下り坂が全く駄目みたいよ
ましてや荷物を積んで下り坂なんて、ブレーキもついてないのにどうやって止まるんだって感じだが。
33 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 20:46:16
34 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 20:57:47
>>31 だから馬に車を引く力がないからしなかったんだっちゅうの!
やんごとなき方々は人力で輿を担がせるか
牛車でゆるゆると進むか
なんにしろ、馬の出る幕なかったんだろ
36 :
日本人:2006/10/16(月) 21:02:39
馬車で思い出した、30年程前に経済評論家が「欧米は馬車の国だが
日本は籠の社会だから車社会はありえない」と声高に言ってた。
籠の社会か。アシモに籠担がせよう。
一頭では馬車を引く力がない。
加えて牡馬を去勢する知識がなかったから、一頭を乗りこなすことすら
気性の問題で難しかったのに、二頭や四頭も並べて繋いで御することは
さらにできなかっただろう。
39 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 22:58:57
>>34 そんな弱い馬はいない。
そんなに馬が力がないのならば農耕に馬を使うわけがない。
それに、何度も指摘されていることだが、蒙古の馬と日本の馬は同じ大きさ。
中国は歴史的に北方騎馬民族の圧力を受けており、中国史に出てくる馬は蒙古の馬と同じとみて差し支えない。
一方が馬車を引く力があり、同じ体格のもう一方の馬には馬車を引く力がないとはおかしい。
たとえば平安時代に朝廷が石の街道整備しまくってたら状況は違ってたんだろうか……
とか考えてみたが、日本だとどう考えても船のほうが圧倒的に便利だな
41 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 00:09:39
↑池沼は来なくていいよ
44 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 00:22:08
ネタだとは思うけどさ、戦車ってタンクじゃなくてチャリオットのことだろ?
46 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 02:04:57
日本の古代車ではハブとボールベアリングを作る技術が無かったのだろう。
48 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 11:06:53
戦車も知らぬバカがいるようだ
49 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 11:12:49
50 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 11:39:53
51 :
44:2006/10/17(火) 11:54:55
52 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 12:22:58
>>44 「必死だな」とか言う前に、まず「戦車」でググッた方がいいと思うぞ?w
漏れの記憶に間違いなければ、紀元前から「戦車」はあったけどな。
53 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 12:56:25
>>51 そりゃ〜必死にもなりますよぉ〜
だって
>>44の様なファンタジスタが現れたんだから♪
もう必死よ、必死♪早く
>>44さんとお話がしたいんだ♪
こういう場合本物の
>>44はとっくに逃亡してて、二度とこのスレを開かないと思うぞ
55 :
44:2006/10/17(火) 12:58:46
56 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 13:02:11
>>55 そりゃ釣られますよ〜♪だって、あんなファンタジーなんだよ!?
もう入れ食い、入れ食い♪
釣られまくってたまらんわい
57 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 13:02:25
>>44 いぁいぁw 後から釣宣言なんて意味無いからw
あるのはお前が無知だという事実だけw
日本の馬が小さいという話だが、当時の世界の馬が小さいの間違い。
現在、馬と言われて連想するサラブレッドが生み出されるのは18世紀頃。
重装備の騎士を乗せて走ってた馬の体格は、日本の馬に毛が生えた程度しかなかった。
おまえら本気で馬車のこと戦車とか言い張ってんの?
マジで頭おかしんじゃね?w
60 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 13:31:53
まだ分かっていないようだな
少しは調べろよ
>>58 そういやとある小説に、「戦国時代の日本の馬はポニーより小さく犬を二周りほど
大きくしたようなもので」ってあったな。犬っても大型の犬だろうけど。
世界中の馬が小さかったんだろうけど、日本の馬はその中でもさらに小さい方だったんじゃない?
小説をソースに語るな
なあに、かえって耐性が付く。
そういえば最近自分のソースや意見を持たない右翼系の若者が
世界的に増えているという事実も気になるところだが。
64 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 13:53:38
今まではソースなき自虐史観が多かったわけだが。
NHKの大河ドラマ見ていれば分かるだろ。時宗が反戦主義者になっているくらいだ
wikiで見てきたが、上古の馬がポニーくらい
平安時代で140cmの馬が「大型の馬」
江戸時代は平均が130cmだった
とあるな。今から見ればかなり小型であるの間違いないみたい。
おい、ネットをソースにするなとか言わないでくれよ?
>>58 ペルシュロン(ばん馬などに使う大型種)は中世からあるぞ。
馬車で使ったり騎士が乗っていたのは体高170cm、体重700kgクラスのこの馬。
当時の日本の馬は馬格が良いとされた関東馬でも体高130cm、体重400kg程度。
西日本では110cm程度だったと言われている(土佐馬の流れを汲むと言われる
愛媛の野間馬がそのサイズ)。
それだと、向こうの二頭曳き馬車と同じようにするには四〜五頭が必要になる。
67 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 14:37:47
大時泉より
【戦車】
火砲および自動火器を積載し、無限軌道による路外機動力と、特殊鋼板による装甲防御力とを具備した車両。第一次世界大戦で初めて登場、第二次世界大戦では地上戦闘の中心兵器となった。タンク。
戦闘用の車。兵士が乗り、馬に引かせた。古代中国や古代オリエント諸国で使用。
68 :
44:2006/10/17(火) 14:52:45
いい加減勘弁してやれよ。な。
69 :
44:2006/10/17(火) 15:00:32
70 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 18:57:48
>>70 全部冗談と言えないのが良いな。
でも糞に限っては、江戸時代とかに人糞すら肥料にしていたことを考えると、
道端の糞を拾って肥料にして売る商売が成立する可能性があっただろうな。
73 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 23:43:42
昭和30年代には神戸市内の国道2号線にも馬車が通っていて馬糞を垂らしながら
荷車を曳いていたが、あの始末はどうしていたのだろう。馬糞を拾うような役目の
人間は居なかったが。
74 :
白馬青牛:2006/10/17(火) 23:59:10
馬車は、西洋人や漢人は利用するが、普通モンゴル人は使用せんよ。
モンゴル人は、馬は騎乗用で、牛は労働力として牽引用に牛を使う。
牛車文化じゃ。高句麗の壁画でも、牛車じゃった。
>>72 人糞どころか土左衛門まで肥料にしてたぞw
ということは、やはり戦国時代は戦があった次の年、その土地の
収穫量が上がったりしたんだろうか……
77 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:01:03
道の起伏が激しいから車輪とかじゃ対応しきれなかったからでは?
明治以前は道が舗装されてなかったからじゃないか
明治の中頃まで、鉄道馬車というのがあった
>>73 いた。ソース、大昔の学研、何年生か忘れたけど
多分6年の学習の別冊。
80 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 20:18:07
明治時代の鉄道馬車には、馬の尻に馬糞受けが取り付けてあって、
糞はそこに溜まるようになっていた、ときいたが
81 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 20:56:32
馬を貨物運搬用に使う場合でも、荷物を直接、馬の背に載せて運び、車を
使うことは無かったのだろうな。
頑丈な車ではそれだけで重量が増えて、荷物を多く運べるメリットも出な
かっただろう。ベアリングも無かったことだし。
なぁ、詳しく知らないんだが、馬車作るのにベアリングが必須なのか?
俺的にジグの方が大切に思えて仕方ない
>>81 起伏の激しい土地だし、道も舗装されてなかったし、と馬車が使いにくかったしな。
しかし街中くらいは馬車があってもいいと思ったが……やっぱ技術力の問題か。
書物だけで蒸気船作れる国がそんな技術で困るわけないだろw
85 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:28:39
>>83 街中も舗装されていない。
舗装されていないから、馬車がないのか、
馬車がないから、舗装されなかったのか。
86 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:30:22
>>83 牛車や人力車があったんだから馬車があっても不思議じゃないよ。
牛車は平安時代の絵巻物にも出てる。
だけど、人を乗せる牛車はあんまり使われなかったみたい。
日本人は家畜に車をつけて乗るのが好きじゃないみたい。
87 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:40:53
馬車のサスペンションになる板バネの工作技術がなかったんだよ
駕篭だって早駕篭は乗ってるる人は相当きつかったらしいし
日本は雨が多いから道はぬかるんだり凹凸だったりするから
そんなところを馬車で走ったら乗ってる人には拷問だ
それに市中の道路も街道も道幅は狭いから馬車がすれ違えない
等等の理由で馬車が普及しなかった
88 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:43:15
人力車や大八車も中国は殷代からあるんだよね。
車輪も伝わってないという事は、
つまり中国から人の渡来なんか無いという事。
89 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:50:45
つーか、カゴ屋みたいに人間が人間を運ぶのって日本だけじゃね?
馬車が定着しなかったのは仕事を奪われることを怖れたカゴ屋の陰謀説を支持する。
90 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:54:54
日本になぜ馬車がなかったのか。
それは馬車ではなく牛車があったからだと思う。
個人的見解ですが・・・
91 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:57:06
日本では家畜を去勢する習慣がついに根付かなかった。
というか取り入れなかった。
馬車として、馬を利用するには去勢しない馬は凶暴すぎたのではないか。
92 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:01:03
93 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:01:46
>>88 ダンジリは古代からあっただろう。
>>87 サスペンションとしては、大八車に蒲団やワラを敷けば多少の振動
でもいけると思う。
>>91 うわー!俺も書こうと思ったのに去勢技術の不保持を先に書かれたー!
取り乱してしまったが、それが一番大きいと思う。
牛車の時代も相当牛が暴れたらしいし。
96 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:17:09
大久保利通は馬車に乗ってるところを襲撃されたわけで
明治の前半には馬車はあった
市電の前身ともいえる鉄道馬車もあった
馬車が使われていたのは主にこの時期だけで
その後、鉄道や自動車の普及で廃れた
なんでこうログを読まんのだろうね。
他の厨房板ならともかく、一応学問板だろ
98 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:20:27
南蛮貿易時代に象を輸入して、労働力として使うという発想はなかったの
だろうか?
99 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:21:24
>>95 去勢する知識がなかったのではなく、明らかに去勢を取り入れなかった。
一個人としてはともかく、歴史的にはそうなる。
だって、科挙だって家畜の去勢だって宦官だって、明らかに中華文化圏には継続している風俗で、
日本が取り入れる機会は何度もあったのに、見向きもしなかったのだから。
101 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:30:25
>>100 南蛮時代なら象人口も今の数十倍は居たのではないか?ボルネオ、
スマトラにも居ただろうし。
象なら戦車の代りにもなる兵器としても考えられる。
>>101 ハァ?戦車なんて古代にあるわけねーだろ
江戸時代の将軍の誰かが象を輸入して輸送に使うことを思いついてたら、
幕末日本に来たペリーの驚き度はもう少しアップしてたかな。
問題は、餌だな。
105 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:42:53
江戸時代には象が日本に来てるよ
何を食わせていたのかは分からない
馬車が普及したら、全国に馬車が走れるための
立派な道路網(片側一車線+歩道の幅約7m程度)が必要になってくる。
今の道路網とさほど変わらないぐらいの規模になる。
馬車なし徒歩だけなら、東海道でもせいぜい幅2mもあればいい。
ちなみに第二次大戦直後、厚木にやってきた米進駐軍が一番驚いた事が
厚木から東京や横浜へトラックで走れるまともな道がなかった事だそうだ。
60年前の日本人の感覚は「鉄道があるのに、どうして立派な道路が必要なの?」
ってとこだろう。昭和に入っても、その感覚なんだから、
明治以前に外国なみを求めるのは無理だわ
大体原因を纏めてみると、
・峻険な地形
・それに伴う道路網の不整備
・技術の不足(これはいくらでも解決できただろうけど)
・馬の数不足
・馬の力不足
・去勢技術の未発達
こんなところ?
馬や技術は輸入すれば何とかなったかもしれないけど、
地形だけはどうにもならんな……。
108 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:51:49
>>106 逆に言うと、日本人は徒歩が好きな民族だよな。
江戸時代の伊勢参りでも、流浪の民でもない普通の人が歩いてゆく。
このバイタリティは何なんだ?
>>108 それは徒歩がすきなんじゃなくて、徒歩しか方法が無かったのでは?
江戸時代は、庶民が馬乗るの禁止されてたし。
せめてこの禁が無ければ、江戸時代には馬車が多少は発達したかな……?
移動で騎乗出来る身分
武士神主住職など
やっぱダメだろ。そもそも馬を大量生産できない。
場所が足りない。飼料も足りない。
112 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:57:42
江戸期以外でも、明治の一時期を除いて馬車が使われた形跡はない。
やはり、騎乗の禁がなくても馬車が発達しなかったに一票。
113 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 01:00:56
馬車が平原を走り始めて1時間後にはもう川だ、峰だ、というのでは
速さというメリットがない。
というか面倒くさい。
おまけに去勢されていない馬となれば、扱うのは職人芸。
せめてインフラ整備がもっと出来ていたら……
強大な権限と強力な経済力を持った中央集権国家が必要不可欠なのよねorz
115 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 01:22:54
古代中央集権→封建体制→近代中央集権
という流れが日欧に共通する歴史で、封建体制があったからこそ、
両者はスムーズに近代に移行できたのだ、という説もある。
いや、問題は江戸幕府の実体が駄目駄目な地方分権だった、ってところにあるような
つくれるような状態でも昔からの文化や思考を変えるのは難しいと思う。
>>118 いや、明治時代の近代化を考えるとそうでもないと思うが・・・・・・
120 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 01:32:12
>>116 ダメダメ?
当時の世界各国と比較すればあれほど、安定した社会はないと思うが。
そういう意味の駄目じゃなくて、インフラ整備の面で、って意味ね。
ああでも、参勤交代のおかげで宿場町とかの整備は進んだのか
122 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 01:57:11
道路網の不整備が挙げられてるが
古代中国の道は整ってたのかな?
たしか春秋時代から馬車あるよね。
参勤交代くらい馬車使えよって思う。馬車が使えるところは。
大名に余計な出費で疲弊させるという目的にかなうし徳川にとって好都合じゃん。
イヤン、馬車ーん
>>107 地形も同じ山岳の南米を例えるとラクダだけどリャマが頑張ってるので
・地形に適応した家畜の有無
辺りでいいんでない
・・・おまえらの大好きな熊がもう少し大人しければ・・くやしい。
>>122 基本的に平野部に都市ができる中国とは比較にならん気が。
日本の場合、関東平野ですら厳密には平野とは言えなかったわけだから。
127 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 07:50:34
何もない平原を延々と進むと突如として出現する壁で仕切られた都市。
それが大陸の原風景・・。
電車に乗っていて窓を眺めて山と平地と海が一緒の枠に収まるなんてことはまずない
128 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 08:00:48
牛車は、古くから朝廷や公家が使用していたが、何で馬車がなかったか?言われてみれば、、、多分武士と公家の違いなのかね?
129 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 08:54:03
牛車はのろすぎ
130 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 09:20:22
簡単百済に教えて貰えなかったから
無職で創造性の無い日本人は劣化コピしか出来ないから
131 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 09:56:52
百済ない釣りはイラン
馬車を操る御法(ぎょほう)は、乗馬法よりも遥かに難しい。
特に2頭立てとか4頭立てで、重い荷物を挽きながらブレーキを掛けるのは
御者にとって命懸けだぞ。2頭や4頭の呼吸がぴったり合わないと、
ブレーキかけると横転する。乗馬ならブレーキは簡単だけど。
乗馬は半年もやればマスター出来るが、御法は5年は修行しないと危なくて
御者はさせられない。今の日本で6頭立ての御者が出来る人っているのかな?
明治から昭和25年頃までは、重量物は6頭で挽いた。
馬車が入ってきても、御法が入ってこないと馬車は実用化されない
現代は、観光地の馬車もすべて1頭で挽いている。2頭立てすら見たことない。
御法は、日本から完全に無くなってしまったかもしれないなあ。
ちなみにTV番組で、若手芸人2人1組で1頭の馬を与えられて、
馬に荷物を乗せて運ぶ競争(若手芸人は馬に荷物を乗せて
手綱を引っ張るだけなんだけど)を見たことあるが、全チームが馬を操れず、
馬の暴走が相次いで、結局全員が自分で重い荷物を背負って運んでいた。
馬を操るのは、本当に大変なんだよ。
133 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 11:27:48
朝廷から見たら馬=武士
あんまり良い乗り物とは思ってなかったのでは・・・
134 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 11:38:07
江戸時代に女がひとり徒歩で東海道を旅行する。
同時期にこんなことができるほど平和だったのは日本だけ。
わざわざ金をかけて道路を整備して馬車に乗る必要はなんかなかったんだよ。
136 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 12:33:48
朝鮮には有名な猫車があったが、馬車などあったのか?
137 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 12:35:46
馬は高すぎ。
現代の日本でも牛を飼ってる人はたくさんいるが、馬を飼っているのは大金持ちだけ。
138 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 12:49:51
奈良時代には馬飼という名前か官職がよく出て来るな。
蘇我の馬子とか厩戸の皇子という名前もある。
>>137 オイラは信州出身だが戦前の信州の農家では、どこでも最低一頭は馬を飼っていた。
2〜3頭飼ってる家も多かった。馬は、肥料製造機(馬糞は最高の肥料)兼トラクター
兼軽トラック兼現金収入源(子馬が馬市で現金で売れる)。農家に馬は絶対に無くては
ならないものだった。特にたい肥作りや代掻きは、馬がないと不可能だ。
戦争中に泣く泣く軍馬として供出したが、なにしろ馬がいないとたい肥さえ作れず
どうにもならないから、山中に馬小屋を作って一頭隠していた家も多かった。
戦後も昭和35年頃までは馬を飼っている家が多かった。
他の地域ではどうだったんだろうね。
じいちゃんは「戦前、馬なしの農業は考えられなかった」とよく言ってた。
140 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 13:02:52
>>138 政治制度は部分的に改変しながら中国から輸入してるから馬飼いが馬の管理者を指すとは限らない。
141 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 13:06:42
>>139 なぜ牛じゃなくて馬だったのか知りたいところ。
あと、今でも北海道に行くとレストランみたいなところに駐馬場(?)があったりするよ。
144 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 13:33:11
馬の乳はアクが強くてそのまま飲めない。
牛の乳はそのまま飲める。
馬って言えば、皇室には馬車があるな。
外交官は皇居まで行くのに車より馬車が良いらしいが……
146 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 14:17:12
防人の妻が隣の夫は馬で出征するのに自分の夫は徒歩で行くと嘆いている
歌があったな。
>>141 牛の糞では、たい肥は出来ない。
牛の糞なんて粘度が高くて使い物にならないよ(燃料になるかも知れないが)
でも『たい肥作り』なんて言っても、知ってる人は少ないよね。
冬の間、馬小屋に藁を少しずつ積んでいく。
馬糞と藁が馬に踏まれて攪拌されて、たい肥が出来る。
最後は藁の高さは2mぐらいになって、その上に馬がいる。
たい肥は発酵するから、冬でも馬小屋は暖かい。
冬の間にたい肥を1年分作ってしまえば、肥料を買う必要が全くないから
農家はものすごく助かるのよ。馬は絶対的な必需品。
このたい肥作りなくしては、信州の農家は成り立たなかった。
他の地域ではどうしていたんだろう。肥料を買っていたのかな?
沿岸部なら船で運ばれた肥料を買えばいいのだろうけど、
信州は海が遠いから、肥料を買うのは無理だった。
>>147 おがくずみたいなヤツを混ぜて水分をとると、牛糞でもたい肥ができる。
内地でたい肥っていえば鶏糞+稲穂がスタンダードだと思われ。
149 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 17:44:29
堆肥も日本人は教えて貰ったから作り方をしった
馬車は教えて貰えなかったから知らなかった
明確な解答から逃避しても歴史は変わらない
150 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 18:42:39
157 :夢見る名無しさん :2006/07/10(月) 22:53:34 O
時々目にする「竹石圭佑」という奴をまとめてみました…
@両親が在日(中国人)。名古屋在中?
A顔が出目金or宇宙人そっくり。
B新成人だが、知能が小学生程度(理由は下記の事項より)。
C「自分より力の弱い」女子生徒や女子教師をイジメの格好の的としていた。
D意中の女子には例外なく「ちょっかい」を出して気を引こうとしていた。
E万引きで数回捕まり、長期停学を検討していた(らしい)校長や他職員に大声で泣きながら謝罪。廊下まで泣き声が響いたらしい。
F自分は一般人とは違うと思っており、異常なほどの目立ちたがり屋で注目される為なら何でもする。
Gあまりにも女子に相手にされないことから気が触れ(?)、後輩や仲の良い男子生徒にも手を出す。噂だが注意が必要。
…ちなみにこれらは竹石圭佑の一部にすぎないらしく、
詳しく知りたいならば本人に直接聞くのが一番手っ取り早いそうです。
151 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 19:53:44
>>147 他の地域では人糞を使っていたのだろう。
152 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 20:01:58
>>1 牛車があったから要らなかった。
馬はすぐ暴走するし。
ざんねん、牛車も暴走したのだ
アイヌの犬ぞりっていつごろからあったんだっけ?
話はそれるけど、熊本と言えば馬刺が有名だけど
いつ頃から馬を食用にするようになったんだろう?
馬は貴重な労働力だよねえ。それを食べるとは。
しかししばらく働いたら使えなくなっちゃうんじゃないのかな?
……生まれてからずっと働かされて、死んだら馬刺しか。
馬カワイソス
現代の競走馬もそうだし
モンゴルなどの遊牧民も腹減った時は羊などの他に馬も殺して喰ってるしな。
159 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 21:41:55
モンゴル人は水がないときは馬の静脈を切って血を吸うらしいな。
熊本の場合
阿蘇山のところに「大草原」という日本では珍しい地形があるから
馬の育成には困らなかったんじゃなかろうか
野生馬も普通にいたようだし
江戸時代で一番馬がいたのは千葉県
162 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 22:22:18
昔はこき使われ、今では見せ物
馬はかわいそす
163 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 22:33:17
シマウマのように野生で生きていて草ばかり食うていてもしようがない
だろう。
馬車はともかく人力車は復活させてもいい。
観光地だとちょいちょい見るけどさ。
あと東南アジアによくある自転車タクシーとか
農耕は、西日本では牛が使われ、東日本では馬が使われた。
馬車は泥濘に極端に弱い。雨の多い地域では舗装道路がないと、
馬車はすぐに動けなくなり役に立たない。
だからポンペイ遺跡からも舗装道路が出てくるんだが、ローマ帝国の時代から、
欧州では莫大な予算を使って舗装道路を作りつづけた。
当然豊かな政権の時代に、舗装道路建設は進むから
ローマ帝国全盛時代に「全ての道はローマに続く」と言われた。
中国でも華北地域は乾燥地帯だから馬車が普及した。
華中華南は多雨だから馬車より水運が発達した。
日本も水運はそれなりに発達したが、日本人に「道路を舗装する」
という概念が根づいたのは、東京五輪の頃から。
江戸時代の絵とか見ても、街中ですら舗装道路は無いからな。
日本に舗装道路って概念が根付かなかったのは何でだろう?
馬車がなかったからw
なぜ馬車がなかったか。
舗装道路がなかったから。
ところで鶏と卵はどっちが先ですか?
いつもそれで悩んじゃって親子丼が冷めちゃう
カツ丼にするんだ。
171 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 18:37:58
>>166 下駄や草鞋をはいて石畳みなどを歩くとクッションが悪く、膝にこたえた
からだろう。
寺や神社の参道には石畳みがあったと思う。これは参拝者の人数が多くて未舗装
では道が潰れたからだろうな。
欧州の靴ってどんなんだっけ?
革靴?オランダの木靴ばっかりが頭に浮かぶんだが……
174 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 21:28:41
>>172 ローマ兵は革のサンダルではなかったか。
175 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 21:51:40
中国で秦の始皇帝のときに馬車の車輪間の幅を統一したのは
隣国に行くごと轍の幅が異なって交通不便だったから統一したわけです。
車輪間隔を他国と変えることにより、他国からの侵入をしづらくしていたのですが
天下が統一されその心配がなくなったから、今度は全国共通にした方が良いわけです。
ちなみに東京都下でも、裏道に行くと昭和50年頃まで、
舗装されてなかった道もあった思い出があります。
176 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 22:41:39
>>166 日本庭園にヒントがあると思われ。
地面を舗装しないのが通。
177 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:01:46
舗装舗装って、馬車もないのになんで道を舗装する必要があんだよ!面倒な。
なんで馬車がないのかって?
そりゃ舗装路がないからに決まってんだろ。頭使えや
179 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:17:05
普通に人間よりも思い荷物を運搬する荷車(もちろん家畜が牽引するヤツ)はあったわけだから、
舗装道路の有無が馬車が無い理由とはいえないよ。
それに、古代ヨーロッパの戦車も舗装道路で使っていたとは考えられないし。
コロッセオも地面丸出しで舗装してなかった感じだと思うが。
180 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:37:13
>>179 >荷車(もちろん家畜が牽引するヤツ)はあったわけだから、
そんなものないな。大八車は人間が引っ張る。
馬は背中に荷物を積む。そうすれば少々悪路でも問題ない。
183 :
日本@名無史さん:2006/10/21(土) 02:02:29
>>182 モノを運ぶ牛車は平安時代からあったよ。
藤原道真の遺体を安楽時まで牛車で運んだとかあるし。
あと、古今和歌集にも牛車が出てくる。
出てきて、道を使ったんだろ?
>>183 それは人が乗る牛車に遺体を載せたんだろ。
186 :
日本@名無史さん:2006/10/21(土) 10:11:22
今、タイとか行くと、牛が木製の荷車を未舗装の道を平気で引っ張ってるけど、あれは荷車の技術がすごいってこと?
187 :
日本@名無史さん:2006/10/21(土) 23:06:59
>>173 (東海道は)「街道の水準がヨーロッパのどこより優れていることに衝撃を受けた」
江戸時代に来日したスウェーデンの植物学者、カール・トウンベリ (R・レイメント著「地球科学の巨人たち」)。
(日本の海道の幅員は)「十一メートル幅」「念入りに管理されていた」
「江戸の街のすべての道はパリの大通りのように砂利で舗装されている。最も狭い道でも幅七メートルはあり、
商業地城の平均的な道幅は十四メートルぐらい。大名たちの屋敷町の道幅は二十から四十メートルもある」。
来日したパインリッヒ・シュリーマン(後にトロイ遺跡を発掘) 「中国と日本の現状」
(一方以前のパリの町は)「建物のほとんどは立ち小便や汚水で根腐れを起こして傾き、泥道はいつもぬかるんで」
(アラン・コルパン「においの歴史)
シュリーマンが語る「砂利で舗装されたパリの道路」のはナポレオン三世の時代に大規模な道路整備を行った結果。
ナポレオンのおかげで、やっと日本の水準に追い付いたと言える。
西欧の道路が日本を追い抜いたのは近世の比較的最近の頃。
>>187 本当かよ?って思ってしまうが、江戸時代の経済発展を考えるとあながち……
鎖国したから発展したのか?鎖国しなけりゃもっと発展してたのか?
189 :
日本@名無史さん:2006/10/21(土) 23:21:01
>>187 ヨーロッパは中世よりも古代の方が道が整備されてたよ。
中世ヨーロッパの街道は糞尿やゴミを捨てる場所だから。
190 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 00:36:17
牛に引かれて善光寺参り・・・とはいうが、馬にひかれては・・・あまり聞かないな
191 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 02:54:08
社会人類学の謎
農耕民族は牛。遊牧民族は馬。
192 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 08:35:33
住吉大社の代掻き祭りでは牛に派手な着物を着せて、代掻きをやっているな。
あそこは、白馬もいっしょに飼っているが、神牛と神馬が共存しているようだ。
つまり俺がタイムスリップして現代の馬とその飼育法・操り方を
1500年くらい前の朝廷に伝えれば、日本に馬車文化が根付く
ということですね
大王さま でかくて足の細い馬は却下じゃ
俺の爺ちゃんは山の中に電力鉄塔を立てる仕事をしていた。
今なら資材をヘリコプターで瞬時に運んでしまうが、
昔は牛馬の背に乗せて、ケモノ道を通って運ぶしかなかった。
ある程度の山坂までは馬で運べるが、馬は過敏な動物で急坂を恐れる。
急坂になると牛で運ぶしかなかったそうだ。
牛は勇敢な動物で、モーモー言いながら急峻な山でも登ってしまう。
日本は地形的・気候的に、馬向きじゃない思う。
ウシはどんくさいようでいてカモシカと同じ仲間だったりするから山岳に適応してるんだよな。
つまり、山岳地帯の多い日本では馬よりも牛向きだったから、馬車が発達しなかった?
それは馬車が発達しなかった理由としては何か違うような気がする……
いや、「発達しなかった」なら、理由としては十分だと思う。
問題なのは「ほとんど皆無」だったことだ。
しかし、調べれば調べるほど不思議だな>日本での馬車の未発達
日本が多くの文化を取り入れた中国(漢から明まで)に馬車が無かったわけじゃない。
日本での馬車の運用が不可能なわけじゃない
日本に馬車を使い得る権力を持った指導者がいなかったわけじゃない。
やはり、馬車を使うことの利益が無かったのかな?
他にも無い国があればそれと比較してみるのもいいでないか。
頼んだぞ。
馬車が無かった国……インカ、アステカ、マヤなんかかな?
202 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 19:30:26
騎馬民族が来なかったからだろう。
ウィキペデアより
>南北アメリカ大陸に残ったウマ科の動物は、氷河期に絶滅した。
「試しに作ってみた」って記録すらない気がする
205 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 20:02:40
平安時代の古代道を発掘調査すると車輪の轍の痕が残ってるから、車両は使ってたはずなんだけど。
206 :
:日本@名無史さん :2006/10/22(日) 20:09:28
ローマのように平坦で整備された街道がないと無理なわけだ。
日本の地形は山、谷が多いからじゃないか?
でも、籠引っ張る馬車見たいのは平安くらいからなかったか?人力?
>>206 また莫迦がうようよしてるよ・・・ニートか?
>>206 参考
> 奈良時代・平安時代前期のわが国には、「まっすぐで幅の広い」計画道路が張り巡らされていた!
> 歴史地理学や考古学の最新研究が迫る驚嘆すべき古代道路の全貌。
レビュー
> 奈良時代から平安初期にかけて大きな道路が存在したことは常識だが、
> 律令制導入に伴う駅制、伝制のインフラとして整備された道路網が、ここま
> で高い計画性をもっていたことにまず驚かされた。
> それは、直線的で十数メートルと想像以上に広かったらしい。
日本の古代道路を探す―律令国家のアウトバーン (新書)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4582850456
209 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 23:09:58
馬=騎馬武者専用でステイタスシンボルだったので、車をつけて
人や物を運ぼうなどという発想はあり得なかったのではないか。
レーシングカーに荷車つけて引っ張ろうとは誰も思わないのと同じだ。
ヨーロッパにも騎士道があったじゃないか、と反論がくるだろうが、
あちらでは近世以降は騎士階級は実質絶滅していた。
一方日本では武士階級が近世以降も幅を利かせていた。
210 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 23:15:30
江戸の道は砂利舗装されていたと言っても、
それがかえって馬車のためには良くなかったのかも
砂利じゃ西洋の平らな石敷と違って、凸凹して馬が辛そうだし、
馬車なんてものを頻繁に走らせたら、
砂利舗装なんてすぐ剥がれるだろうし。
でも、平安時代は武士階級なんて大した力を持ってなくなかったか?
…って、平安時代なら貴族達が「馬車?牛車があるじゃない」とか言いそうだな……
212 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 23:23:43
ただ単純に古墳期まで中国人が来ていないから。
出てないのが不思議だが、答えは『日本に蹄鉄がなかったから』
馬車には舗装道路が必要だか、舗装道路を馬が歩くためには蹄鉄が必要。
戦国時代の戦に使われた馬などは、蹄を保護するために馬靴(藁で作った靴・
人間の雪靴のようなもの)を履かせていた。馬靴を履かせると石畳の上では
滑ってしまう。
馬車に使う馬具って蹄鉄も含めて革製品や金属製品のオンパレードだ。
革製品も金属製品も、明治前の日本では貴重品で、大量使用は無理だろ。
あのな、舗装とか蹄鉄なんて問題は「馬車を作りたい、使いたい」と思ったら
なんとか考えて解決するだろ。舗装や蹄鉄の有無が「馬車の発達を阻んだ」
要因じゃないんだよ。原因と結果すらわかってないんだな。
215 :
213:2006/10/23(月) 01:11:41
ごめんなさい。思いつきだけでレスしました。
216 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 08:15:04
ヨーロッパでは牛馬だけでなくて犬まで牧羊犬、盲導犬、警察犬、災害救助犬に
利用したり、伝書鳩やイルカ魚雷などを考案して動物の利用が進んでいるが、日本
文化にはそれが無かったのだろう。
日本にあったのは鵜飼、鷹匠くらいか。
217 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 08:21:52
牧畜がないのに牧羊犬はない。
>>216 確かに、動物を調教して利用することに関しては、
日本とヨーロッパじゃ比べ物にならないな。
犬なんか、店の前で主人が買い物してる間、置物のように
じっと待ってるし。初めて見たときは感激した。
あれが日本の犬と同じ種類の生き物とは思えなかったな。
首に縄つないで、逃げないようにして、それで満足ってのが
ずっと日本での犬の飼い方だったことを考えると、
動物の扱い、利用に関しての考え方というか文化が、
根本的に違ってるんじゃないかと感じてしまう。
牛に車をまったり引かせるくらいはしても、
わざわざ馬を訓練して、タクシーみたいに使うなんて、
考えもしなかったのかも。
219 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 08:51:40
他民族を家畜のように扱う下地がそこにある。
奴隷を去勢したり
220 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 09:31:49
日本で飼い犬の首に縄を必ずつけるのすら最近です。
散歩時
221 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 09:36:14
日本で飼い犬の首に縄を必ずつけるのすら最近。
散歩時はまだしも夜間は放し飼いは俺の田舎では当たり前だったし。
牧畜という生産様式が不要だった日本では、時に去勢までして家畜を使いこなすという発想も必然性もなかった。
去勢していない馬を馬車に使うのは大変だ。
俺が餓鬼の頃は、舗装道路よりも砂利道の方が多かった。懐かしいなあ。
子供のケンカはまずは砂利の投げ合いから始まる。足元にいくらでもある。
物心ついた時から砂利の投げ合いやってるから、誰でもよけるのが上手くなる。
ピッチャー出身の野球解説者が「最近の選手はデッドボールをよけるのが
下手だ。昔は当てようとしても大概よけられてしまった」と言っているが、
日本の舗装事情と関係あるのかもしれない。
224 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 13:58:41
自分で車運転して日本の国土を走ってみろ。日本は排気量の少ない車だとエンジンひーひー言うような山道だらけだ。現在の土木技術で整備された道を百馬力以上の自動車で走ってもこれだ。馬車なんて無理。馬が死ぬ。馬に荷物担がせるのがやっと
225 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 14:10:29
それが核心だと思うな。
馬車のメリットは平地での移動速度だと思うが、平地が河川で細かく区切られ、しかも隣村にゆくのに山越えしなくてはいけないような国では、馬車のメリットがないばかりかデメリットが多すぎることになる。
東京にいると忘れてしまうけど日本は山のない風景のほうが珍しいのだ
226 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 14:46:09
>>187 昔の欧州では一般の家にトイレがなかったから、
容器に入れて窓から道に投げ捨ててるって話しは聞いてるよ。
長距離移動に車輪を使うのは、日本の地形では全然向いてないとして、
都市でも馬車がつかわれなかった理由としては、
単純に、かごの方が勝手のいい乗り物だったからじゃないかな?
かごって、乗ってる方も疲れるみたいに言われるけど、
地面に触れる馬車とかに比べたらまだ振動少ないはず。
まあ改良していけば違ってくるだろうけど、それは普及してからの話で。
振動対策してない車が、かご以上のスピードを出そうとするとかなり辛そう。
当時の人間にしてみたら、話せば分かる人間がちゃんと運んでくれる
かごってものがあるのに、なんでわざわざ歩きながら糞するような
動物を手間かけて調教して、乗り心地の悪いものに乗らなきゃならんのか、
馬車には魅力を感じなかったんじゃないかな。
つか、平野部も川で遮断されているような地形の場所なら
馬に曳かせるより船で運べば良いんだから使わないだろ。
韓国人に教えて貰えなかったから日本に馬車は存在しません
良心的で真摯で真面目な日本人歴史学教授認めたのに
韓文も読めない馬鹿右翼は認めない
230 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 18:15:25
爺さんの時代まで家で馬を飼ってた。
山の中から大きな材木を引っ張って街まで出してた、めちゃくちゃ力強いぞ日本の農耕馬は。
馬車も使ってた様な、爺さんが街で酔っ払って寝てしまっても馬が爺さんを曳いてちゃんと家まで連れて帰ってたそうだ。
>>229 馬車は1959年の開港後の横浜や長崎へ
英・仏・蘭などからどっと入ってきた。
キムチ臭い馬車はなかったと思う
>>229 韓国もそこそこ平地の高句麗(楽浪郡)くらいしか馬車使ってないだろ。
今のソウル辺りはむしろ水運の方が発達していたはず。
それはそうと、大八車が出回るようになってからも馬には曳かせなかった。
(牛はよくあったらしいが)
馬は荷駄として背負わせるのが一般的だったらしいから、やっぱり
当時の日本馬には牽引力がなかったと考えた方が良いのでは。
233 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 18:47:18
農家では馬に鍬を引かせていたわけだが
>>232 馬車には御者が必要。馬車を操る御法はとても難しい。
荷駄として背負わせて、人が手綱を引いた方が遥かに楽だし
悪路や坂でも進む事が出来る
やっぱり馬車に有利な長距離輸送が日本では地形的に不可能だったから、
が一番の理由のような気がする……。
しかし酔狂人の一人でも作りそうなものなんだが、そういう記録すらないんだよな
実は駕篭かき組合が超強力だったのかもしれんぞ
>それはそうと、大八車が出回るようになってからも馬には曳かせなかった。
幕府が禁止してたんじゃなかった? 馬車。
240 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 21:53:07
結局徳川が悪いんだな。いくら地理的条件が悪くて馬が貧弱でも
いろいろ禁止されてなかったら馬車作ってみる奴は出てきただろうよ。
徳川は帆船の帆も一枚に制限したし。氏ねよ徳川
それだけじゃないぞ。
石橋の禁止やら、幕藩制やら、近代国家として後退するようなことばっかりやってる。
だが信長だと逆に急速な近代化を進めすぎてどうなってたか解らん……
いや、歴史にIFが無いのは承知だけどさ
242 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:21:47
長いスパンで見れば、馬車を禁止しようがしまいが需要があれば隙間を縫って発達するものだ。
歌舞伎しかり浮世絵しかり。
輸送に馬車が有効ならば利潤追求に余念がない商人がほおっておくはずがない
江戸時代は車で人を轢いて怪我させると遠島、死亡させると打ち首だった。
江戸市内の乗馬は武士等でも特別許可が必要だったし、大八車等は前引き一人
車輪の両側に各一人づつ付いて前方確認しつつ押さなければ不許可。
多分人の往来が激しかったんだろう。
馬車は劣悪な道路事情と大量軍事輸送としての利用を警戒しての禁止だろう。
馬がいなかった訳じゃない、地域差はあるだろうが自作農民は必ず飼育しな
ければいけなかった。
街道筋の農民は参勤交代時に役負担として供出するのを嫌ったと歴史書で読
んだことがある。
馬は背に荷物を載せ馬子が曵いて歩いた、馬糞の件は違うだろう、運送のコス
トパフォーマンスは甚だ悪く、米俵は両側に各1俵づつ2俵しか運べず賃金が片道
一日あたり4-500文(8千円から1万円)これで千葉市から東京程度しか行けなかった。
従って米・薪・炭などの物価は非常に現在と比較して高かった。
米は現在なら標準米で10Kgで3千円ぐらいだ、江戸時代の標準小売り価格が一升で
100文と言われている。
10Kgだと7升強だから約1万5千円になる、インフラが貧弱だから戦争してた慶應
4年は100文で買えるのは一合一杓になったそうだ。
10Kgだと14-5万つー恐ろしい価格W
>>240-241 それが250年の空前の平和に繋がったんだけどな。
さらにペリー達も感心した動物愛護とリサイクル社会。
>>242 伊那の中馬(ちゅうま)が有名。
日本の陸運は、宿間を幕府が定めた問屋がリレー式に運ぶのが決まりだったが
信州伊那の商人が今で言う直通便を始めた。
京都の越後屋から江戸の伊勢屋へ、Aさんが馬の背に荷物を積んで、
責任を持ってドアツードアで運ぶ。リレー式だとどうしても荷物が紛失したり、
痛んだりするが、中馬だとそれがなく、荷主は安心できるので大流行。
しかし幕府公認の街道の問屋は当然面白くないので、幕府に訴えを出して
中馬の禁止させたりするが、すると間道を使って中馬をやったりいたちごっこ。
そのうち幕府も世論に押されて、中馬を認めざるをえなくなったとさ。
中馬では馬の背に荷物を積んでいた。馬が豊富な信州らしい商売。
昔からそんなに活躍してくれた馬を、信州の奴らは食うのか!
いや美味しいんだけどね。
違う!
「今まで働いてくれてありがとう、お馬さん。
貴方は死ぬけど、我々の血肉となって生きるんだ。
そう、つまり貴様等も永遠である!」
って思いながら食べるんだよ!
247 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:37:12
戦国時代は、日本にもヨーロッパの馬車があったよ。象に乗ったりもしてた。
かぶきものがいろいろやってた。
街をぶらぶらするだけで実際に使ってたわけじゃないが。
248 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:43:59
徳川幕府は北鮮みたいな監獄体制だったのだな。
そう言えば、北京市内ではバイクは走行禁止とかいう話もあった。
町人が馬車に乗ったりするのは、儒教道徳に反する贅沢行為だったのかも知れん。
徳川幕府と北鮮じゃ全く違うだろw
250 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:51:17
>>245 馬肉じゃない。桜肉。桜だから食べてもいい。
あと、年をとって働き終わった馬はスジスジしててマズいよ。
おいしいのは活躍してない馬。
251 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:52:54
>>249 兆散も普通に許されてたしな。徳川幕府は下々の者にはおおらかすぎる。
歌舞伎の素材なんて北じゃ考えられないw
赤穂浪士とか、あんな大っぴらに幕府批判とかして許されたとか、ちょっと信じられないよな。
254 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 01:05:18
対抗勢力(豊臣)を滅亡させて、反乱分子を地方に左遷させたから、案外自由が大きかった。
虐殺こそ平和への道。
統治のやり方見ても、江戸でも町村でも庶民がその根底に関わってたし。
旗本領主の家計なんかだと、名主層に頼り切ってるケースが多かったし。
256 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 04:13:57
中国からきた使者が博多から京都まで馬車乗っていったりしなかったのかな。
馬が小さかったから。
258 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 09:46:24
>>256 博多〜京都は瀬戸内海という海のハイウェイがあるので当然船だろう。
大阪〜京都も淀川を遡上しただろう。いやシナ人の使者が来たのは奈良時代だけ
だから、ヤマト川か。
宣教師の日記に愚痴があればいいんだが
奴らも乗らなかったら問題外だが
これだけ海に囲まれて川もたくさん流れてるのに
水運のことに目が行く奴はほとんどいないんだな。
そんで256みたいなアホなこと言う。
>>260 幕末、高杉晋作が大坂から江戸に行くのに船で40日掛かって(たまたま
風向きの悪い日が多かったんだろう)、陸路なら13〜14日なのに
船の不便さに呆れたという。瀬戸内海や日本海の海運は盛んでも、
太平洋航路は幼稚なものだった。
日本の川は流れが速いからな
263 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 14:49:39
逆に聞くけど、今、石油がなくなったら、日本は馬車を使うと思う?
>>263 鉄道と木炭車に戻るだろう。
日本にいる馬の95%がサラブレッドだ。
サラブレッドは足が早いだけで
それ以外の事は何も出来ない。
265 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 15:10:10
北朝鮮は牛+荷車。馬は使ってない。
あれだけ立派な道路が整備されていた当時の日本なんだから
馬車があったら流通も相当効率よくなって経済も発展しただろうな〜
267 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 15:48:50
>>266 モノの流通がある程度非効率的だったから、日本に世界最初の為替と株式市場が誕生したんだと思われ。
>>267 >日本に世界最初の為替と株式市場が誕生した
商品先物と勘違いしてないか?w
269 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 16:23:23
>>267 モノの流通がある程度非効率的だったから、世界最初の先物取引と世界最大の為替市場が誕生した。
の間違い。
>>269 大坂堂島の米相場が巨大化するようになったのは、北前航路の発達が大きい。
もちろん米の流通は船で行われスムーズだった。「非効率」の意味が不明。
米相場が巨大化するにつれて、相場に失敗して没落する商人も増え、
リスクヘッジの手段として先物取引が発明された。
>世界最大の為替市場が誕生した。
為替市場の意味は分かってる?
信用のある金貸しによる金券の発行を為替と呼ぶのかな?
金・銀貨と藩札を交換する大規模市場があったのか?
274 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 19:07:53
>>270 金銀米の移動は、役人が賃金ゼロで行うには時間と手間がかかりすぎた。
↓
為替制度を作って裁量取引の利益を認めて商人にやらせた。
あと、江戸時代の日本の為替市場は、為替による資産流通額が当時の世界一。
幕末に来日してたイギリス人ロバート・フォーチュンの記録によると
アメリカ公使のハリスが江戸に赴いた際に幕臣が馬を借用、数日後に
返却した際に理由を打ち明けたそうな。
井伊大老の家臣団の馬に日本で初めて蹄鉄が付けられ、ほどなく幕府
御用の馬に取り付けられたと記載。
ハリスと桜田門外の前後の時間差は不明ながら、これ以前は長距離を
疾走するのは難しかったはず。
太平洋航路って、ホントに幼稚だったの?
六浦って港は、やくたたずだったの?
鹿島灘や、遠州灘っていつぐらいにできた言葉なの?
って煽ってみたりして。
でも、マジに疑問なんだけど(´・ω・`)
先物取引がよく解らん……
要するに、実際に買うより前に、決まった値段で商品を予約しておいて、
実際に商品に値段が付いた時に、予約した時の値段と現在の値段の
差額が損益になる、って言う取引なのか?
>>277 違う。
現物と違い、先物には限月というものがある。
例えば3ヶ月限月なら、3月・6月・9月・12月の第2金曜日の前日の
木曜日の価格をターゲットとして売買する。
今は18年10月だから、当然ながら18年12月モノ(最終売買日12月7日)の売買が
一番多いが、19年3月モノ、19年6月モノ、19年9月モノも既に売買可能。
ただし18年12月モノに比べると売買量は少ないので、売買成立するかどうかは微妙。
18年12月7日の価格が、今より上がると思えば買っておけばいい。
今より下がると思えば売っておけばいい。証拠金は3〜5%。
100万円の資金があれば、2000万ぐらいの勝負が出来る。
現物に比べてレバレッジ(梃子)が大きいから
勝ったら大儲け、負けたら大損だ。頑張れよ。
>>278 いや、俺は取引はしないけどさwww
それが江戸時代の日本で既に発達してたの?
馬車が無かったり馬が使えなかったりすることによる情報伝達の遅さ
をカヴァーできる取引方法ってことかな
ヘタに馬使うより飛脚のほうが早いから
>>279 > それが江戸時代の日本で既に発達してたの?
もちろん。先物考えたのは日本人。
> 馬車が無かったり馬が使えなかったりすることによる情報伝達の遅さ
> をカヴァーできる取引方法ってことかな
関係ないよ。現物だけではリスクが大きすぎて米商人が
米を買えないので、リスクヘッジのために先物が開発された。
しかし、本来リスクヘッジのための先物が、
皮肉にも投機の対象になってしまって、現物相場までも
先物に振り回されているのはご存知の通り。
投機マネーが入ってくるから、大きな売買でも約定成立する
という側面もあるから、必要悪なんだけどね。
「近代的な」先物取引市場と前置きする必要はあるかと
283 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 18:42:46
山が多いのも原因のひとつだろうな。
284 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 19:43:16
馬車より乗馬の方が早いからじゃないの。
飛行機の方が速いのにコンテナ輸送の主力が船舶な理由を知ってるか?
286 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 21:03:09
287 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 21:08:02
トヨタのカローラがあったからさ。
・・・引用場辛子・・・
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。
289 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 22:28:01
イギリスも山や川が多いけど馬車だよね。
スイスとか欧州の山岳地帯でも馬車使ってたよね?
スイスはともかく、イギリスは南の方はほとんど山は無いと言ってもいい。
見渡す限りの平原だぞ。
突っ込みやすい処だけ批判するのは止めよう。
やっぱ馬格の問題が一番?
>>291 地図を開いて、ロンドン付近は大きな平野が拡がっている。
一方、ウェールズ付近は山ばっかり。
山か平野か?といわれれば、イギリスは山。
ひとつの理由だけで説明することなど不可能だろうに、
馬鹿ほどひとつだけ理由を挙げて俺はわかってるんだと
得意がる(嘆息)
観光馬車
297 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 11:27:33
>>294 イギリスには山地もあるが、イングランドは平地だろう。
スコットランド、ウェールズには山地が多い。民族も違う。
298 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 15:40:47
道路が平坦ではなかったから。
馬車は、道が平坦であることが前提。
もし馬車を作ったとしても、スプリング技術が無かったから、
乗り心地最低だったわけで。
299 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 15:42:24
スコットランドやウェールズで馬車が積極的に使われたかどうか・・。
国土の7割が山岳地である日本と比較すればイギリスは平地の国ですよ。
300 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 15:46:22
道路の整備されていない都市外で馬車を使うと言うことは、当然長距離を移動するわけで。
町や隣村にゆくのに山を一つ二つ越えるのが普通の日本で馬車がどれほどの実用性があるかというと、厳しいものがある。
馬車に乗ってコトコト揺られて町まで出てゆく、というシチュエーションが日本ではまずない。
それより、上の方でスイスは欧州でも山だよ、ってレスがあるんだが、
果たしてスイスで馬車が使われてたのか?
周囲が馬車使う国ばかりなら多少使いにくくても使うだろ
馬車もねえのかよ( ',_ゝ`)プッって笑われないためにな
郵便・郵便馬車の制度:
・1500年頃から整備され、順次郵便だけでなく旅行者も運ぶようになる。
・駅が12km(イタリア)、20km(フランス)、40km(フランス)間隔で整備される。
・17世紀後半には鋼鉄のバネ+クッション付きになり、乗り心地も良くなった。
それでも、一日の距離は平地で70km、山岳地で40kmほどだった。
・19世紀半ば以降、鉄道が登場し、順次駅馬車は無くなっていく。
・アルプスの峠道の乗り合い馬車は、途中しばしば馬を取り替えなければならなかった。(モンスニ峠の例)
郵便馬車/乗合馬車と峠
ttp://www.eu-alps.com/i-site/history/post-omnibus.htm
306 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 19:38:38
日本は山国と言っても関東平野や大阪、名古屋という平野部もあり、当時の都市
もあった。馬車があれば利用しただろうが、発明しなかったのは馬の操縦技術や
車の製造法が無かったからだろう。
陸上運送は徒歩、大八車、駕籠、馬に背負わせるくらいだったのだろう。
明治になっても馬でなく人間が引く人力車を発明したのは、馬の扱い方を全く
知らなかったからではないか。
このスレ、同じ人間が繰り返し持論を書いているのか?
数レス前周期でループしている気がする。
おまいらアホか無知か?
操縦技術云々と書き込んでる香具師もいるみたいだが・・・
明治以前の日本原産馬は、気性が荒く暴れ馬のため乗りこなすだけでも相当な技術が必要。
馬自体の数も少なかったし、馬車を引かせるなんて到底無理。
荷を背負わせるのも調教が難しく、長距離や重量物なら古来より馬より牛の方が多用されてた。
(宮崎アニメ"もののけ姫"を思い出してみ、牛で荷物運搬してた)
馬車登場は、明治になってから外来馬や日本原産馬との掛け合わせによる新馬育成後からと一般的に言われてる。
しかし明治以前より馬産地奥州南部では、馬に大八車や馬轌と呼ばれる大型轌を引かせての荷物運搬が行われたみたい。
日本一の馬産地だけあって、操馬技術や調教技術も高かったのかな?
はいはいデカい口叩いてその程度ですか(プッ
311 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 07:55:12
>>309 もののけ姫は、昔の日本と似てるっぽいので、今の南米の人達を参考にしたと言っていたが。
312 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 08:44:21
日本では荷物の運搬には馬車どころか車をあまり使わず、天秤棒か背負子
が主体だった。
馬より人間の方が安かったからだろう。
東国と騎馬文化(坂東武者)
7世紀の後半、朝鮮半島の情勢変化とともに百済のの国運があぶなくなった。この「朝鮮半島の情勢変化」というのが、
武蔵の国にひびくのである。・・・
滅亡した百済人は、当然ながらさかんに倭に流入した。
「百済の男女二千余人を以って、東国に居く」
とある。二千という数字は大きい。生存条件さえよければ100年で20万人に達することもできるであろう。
百済人がその故郷にあったころ、戦闘にあけくれていた。北は高句麗の圧迫をふせぎ、東は新羅と戦いつづけていたから、かれ
らは日本地帯のひとびととはちがい、戦闘に習熟していた。
しかも百済人は、北方の高句麗騎兵になやまされつづけていたから、当然、騎射には習熟していたにちがいない。
このころの大和から西日本一帯は、瀬戸内海があるため船には長じていた(白村江の海戦で敗れたものの)。しかし馬にはきわ
めて不熟練であり、第一馬そのものがあまりいなかった。
そういう日本列島にあって、その東の辺陬に突如馬文化が成立するというのは、百済人二千の入植という事実をはずしては考え
られない。
技術の不足云々は何の説明にもならなく無いか?
無いなら輸入すれば良いだけなんだから。
ただ馬の体格は、馬の輸入の難しさを考えれば問題だな。
あと、上に何度も出てるけど自然環境。
315 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 20:21:39
西部劇を見ると、舗装もしてない砂漠の岩山を馬車で駆け抜けていくシーンが多いのだが、あれを見ると日本の歩道の方が馬車に向いていると思う。
西部劇持ち出して語るのかよw
なんでこうバカばっかなの?
なんていうかその、西部劇の時代と日本で馬車が発達し得た時代じゃ
全然違うだろ、とでもマジレスすればいいのか?
318 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 20:46:16
>>317 西部劇時代のアメリカのあの岩山の道よりも、平安時代の日本の街道の方が馬車に向いていると思う。
>>318 いや、あの、そのな。
技術力、って知ってるか?
>>319 相手にしてもムダだ。
・西部劇の通りに、昔のアメリカ人は馬車で岩山ばかり走っていたと信じている
(単にハリウッドの近くに撮影に便利な砂漠や岩山があっただけなことすら知らない)
・アメリカの歴史は200年とちょっとしかないことすら知らない。
同じ時代、日本ではモロ江戸時代で様々な禁制によって馬車は作りようがなかったことすら知らない。
きっと平安時代や鎌倉時代=アメリカ開拓時代 くらいに考えてるんだろう。
はぁ・・・ゆとり教育って恐ろしい人間を量産していうるなあ・・
もうひとつ、南北戦争後ならば日本は既に明治時代に入り、馬車があった。
そんなことも知らないだろう。ああ、ゆとり教育。
世界史を習いたくても授業さえないらしいから仕方ないか・・・
322 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:03:13
>>319 西部劇の馬車は、バネないよね。
なんか木しか使ってないようなもっさい馬車ばっかだから、日本人なら作れたと思うけど。
日本人は、車輪を丸く作れなかったのかな。
> 日本人は、車輪を丸く作れなかったのかな。
もはやネタレベルだな
324 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:06:09
>>320 そうじゃなくて、アメリカはろくに道路を舗装しなかった開拓時代から馬車を使ってたってこと。
日本が道路舗装の問題で馬車を使わなかったってんなら、アメリカも馬車を使わずに牛車を使っていたはず。
牛は野生のヤツがたくさんいるから。
>>324 もういいよ、ゆとり教育ちゃん。寝なさい。
ここは君みたいなバカが来るところじゃないよ。
マカロニウェスタンを馬鹿にするな!
327 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:17:52
328 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:25:53
アメリカは基本的に砂漠(岩ばっかりのdesertの方)の土地。
そのアメリカが都市や街道ができる前から馬車を使っていたのに、
都市と街道ができて1000年以上経つ日本が馬車を使っていなかったのはおかしい。
おかしいってお前……歴史をクリエイトですか?
330 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:33:13
>>328 都市と街道ができて1000年以上経つ日本が馬車を使っていなかったのに、
都市や街道ができる前から馬車を使っていたアメリカはおかしい。
∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧ ___/ ̄ ̄ ̄\
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< └┘└┘ > 〜 ノ ̄\
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∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨ { Y∫
332 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 23:00:40
西部劇持ち出すなら、こっちだって水戸黄門持ち出すぞ!おら
>>332 水戸黄門を見る限り、法度さえなければ、日本には馬車がないとおかしい。
水戸黄門は置いておいても、法度が無ければ日本の馬利用はもっと進んでたんじゃないかと思う。
問題は馬の大きさだが……中近東から大型の馬を輸入……出来ないだろうなぁ
>>334 南米にはロバの馬車があるから大きさは問題じゃないと思われ。
驢馬は山岳地帯向きの力強い家畜なんじゃなかったっけ?
ナポレオンも山越えする時に驢馬に乗ってたような……
わずかではあるが、海外使節からアラブ馬が献上されたことがあったが
どうやら繁殖させることはできなかったらしい。
徳川幕府が海外交易戦略でも打ち立てて、アラブ馬の大量輸入とか最新技術の導入
とか積極的にやってりゃあ、また日本の馬車の歴史も違ったんだろうけどね……
339 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:15:58
橋を作るのも渋っていたぐらいだから、
施政者が軍事的な観点から、
大量高速輸送網を望んでいなかったんジャマイカ
ヨーロッパは逆にローマが軍事的な目的で作った街道が、
馬車輸送の幹線になっているよね。
日本人はすべてにおいてスケールが小さいんです。
中国人や韓国人とは比較になりません。
遺伝的資質の違いだからどうしようもないです。
341 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:31:35
>>340 朝鮮は人力車文化。
牛車も、荷物を運ばせるくらい。普通は背に乗せて運ぶ。今の北朝鮮も農村部はそんな感じ。
不思議なのが中国。
騎馬はあるのに、馬車よりも牛車を使っている。
それがインドを越えて、中東の方に行くといきなり馬車文化になる。
インドは宗教上の理由で牛にも乗らない。
342 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:32:19
なぜだろう、あまりくやしくない。
343 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:32:28
馬が小さくて馬車を曳く力が無かったんだろ。
江戸期までの日本馬は現在のポニーに毛が生
えた程度の大きさがほとんど。
同じ主張を繰り返すなら、「前に出てるけど」「何度も言われてるけど」って付ける
くらいの配慮ができないのか。
それはともかく、このスレ全体としての意見だと、馬の大きさと地形の峻険さが
一番多く挙がってるな。
多分それらが合わさって理由だと思う。
345 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:37:26
馬車と比較すると、牛車はのろい。
到底、馬車の代用にはならん。
やつらは馬と違って、基本的に走らないからな。
そのもっさり感が平安貴族には受けたようだが、一歩都を出ればそんなマイナー好みは受け入れられねえぜ。
国産馬が大陸馬と比べて気性が荒くて使いこなし辛かった。日本で去勢の技術が定着しなかったのも一要因。
馬車を作らなくても国土の大きさから徒歩で何とか事足りた。
日本は戦国時代、外敵に備えた国作りしていたので車輪と道の相性が悪い。人や馬、牛の背に乗せた方が何かと動き易かった。
幕府の政策で車の発展が阻害された。
347 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:39:24
>>343 同じ人物なのか知らんが、壊れたテープレーダーのごとく同じセリフを言い続ける理由は何なんだ?
とりあえず、こっちも同じセリフを言い続けてやる。
蒙古馬も日本馬と同じ種で小型。
それでユーラシアを席巻した。
>>346 国土が狭かったから、ってのは理由にならないんじゃないかな。
イギリスでは発達したわけだし。
車輪と道との相性が悪かったって言うのと、江戸時代の幕府の政策で車の発展が
阻害されたってのは、上で何度も出てきてるけど、どうも大きな要因みたいだな。
……やっぱ幕府か
>>348 渡来人がたくさんいて、競馬みたいなこともやってて、牛車もあって、都市の大きな道路が整備されてた平安時代にも馬車がなかったから、徳川幕府の政策は大きな要因ではないと思う。
平安時代と江戸時代じゃ物流の量がまるで違うだろ。
まあでも、平安時代にも租庸調みたいな物流があったわけだから、そこで馬車が
使える状態なら使われてただろうけどさ。「貴族のものを平民に使わせるなどとん
でもない」みたいな意識があったろうし、それ以前に馬の力不足が大きかったと思う。
牛車があって馬車が無かったのは何でだろう……そこが一番気になる。
勿論厳密に言えば牛車と馬車じゃ使われる技術がかなり異なるのは解ってるんだけどさ、
「動物に車を曳かせる」って発想はあったわけじゃない。
ウマはチンコがでかいし、しょっちゅう勃起してるから。
>>352 解りやすく言い直すと、去勢技術が無かったからしょっちゅう暴走した、ってこと?
>>353 男が自信をなくすから。
女がウマのチンコでオナニーするから。
>>344 実は>3-5で答えが出てたりする。
あとは持論をループさせている連中がいるだけ。
一つか二つのもっともらしい理由がでてきたら
それで終わりにするのは馬鹿がすること。
>>351 問題は、「わざわざ」馬を使う利点があるかどうかでは。
358 :
355:2006/10/29(日) 03:59:37
>>356 おっしゃる通りですな。こりゃ一本とられました。
今後余計なクチバシは挟まんようにします。
俺の偽者が…勝手にレスしてる…。
>>3 日本国内の移動輸送手段の全てが、船で済むとでも?
ちょっと誤爆・・・
362 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 09:02:36
インドは牛馬は使わないが、象を使っているのは何故なんだ?象は信仰の対象外
なのか。
インド人は、ゾウに去勢させてまで、本来不向きな作業はさせないと思う
象は頭いいって聞くけど、どうなんかね。
インドとかで災害地の瓦礫撤去してる姿見ると、本気で頭良さそうだけど。
でも、戦争の記録とか見ると、前に進むことしか出来なかったって書いてあるな。
十数年前に『さんまのなんでもダービー』という番組があって
色々な動物を使ってレースやっていたが、象は直線は驚くほど早いんだが
コーナー曲がれずに真っ直ぐ突き進んでしまって失格になってたな。
インド人の象使いが象の上で狂ったようにムチをふるってコントロール
しようとするが、一旦暴走してしまうと全くダメで、
あの後、一体どうやって取り押さえたのだろうか。
|ヾ/ /`ー
`"i`ー'" ヾ
! 、 、,,,,,,,,,;;;;;;;;;彡ミ
|,,,,ノi `ーヾ;; '"----、
ヾ::ヽ -┴'~ |
~|:/ ' ' ' `ー ' "'" まったく
/_ お前って奴は…
|/ l '' )
|/ ヽ,,、'~` U
/|/ ゙, __ ,-、_,ノ`
/ 彡 ゙, `'" ,,y
| ゙、`-'"
| i
>>355 >3
人の行き来だけでなく、物資の輸送が必要だと言うことを全然考えて無いし
奈良・平安時代の立派な道路整備の意味も理解できない。
>4 内陸への輸送は?
>5 古代道には車両を使った形跡も有るのに。
>>367 >古代道には車両を使った形跡も
kwsk
370 :
日本@名無史さん :2006/10/30(月) 17:09:02
馬車がなかった国
●江戸時代、人や荷物の運搬に馬が使われることはよくありました。
また米や釣り鐘など重い荷物を運ぶ時は、大八車も利用されました。
でもなぜか、馬車は存在しませんでした。
平安時代以来、牛車はあったのですから、馬に荷車を引かせる発想はできたはずです。
ではなぜ、江戸には馬車がなかったのでしょうか。
●当時のヨーロッパでは、馬車による大量の陸運が発達。
儒学者の中井竹山はそれを知り、幕府に馬車の活用を提言します。
しかし、幕府はそれを却下。
馬車なら一人で大量の荷物を運べる代わり、大勢の馬方、かご屋、飛脚の仕事を奪うことになるからです。
つまり幕府は効率が悪いのを承知の上で、庶民が安定して働ける雇用環境の方を選択したのでした。
●江戸の社会は効率が悪く、経済はほとんどゼロ成長。
でも、庶民にとって平穏な時代が200年以上続きました。
対照的に効率をとことん追求し、結局行き詰まったのが現代日本の経済。
効率化の陰で、失職、老後の不安などが増大しました。
それが買い控え・消費低迷の原因と言えます。
つまり日本の課題は、不安感の解消。庶民の暮らしに安心感を生むこと。
そうすればゼロ成長自体は、本当はそれほど怖くないものなのです。
371 :
日本@名無史さん :2006/10/30(月) 17:15:08
因みに牛車も京・江戸・駿府など、限られた都市でしか許可されてなかった。
>>370 経済はほとんどゼロ成長って……あれだけ新田開発が行われたのにか?
まぁいいや。論点はそこじゃないし。
江戸時代の日本が馬車が発達し得る時代であったのは間違い無さそうだな。
徳川幕府の政策が問題ということで。
しかし、戦国時代以前発達しなかったのは疑問だな。
373 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 18:19:11
>>373 激しくスレ違いだが、YAPって遺伝子の一種?
それ見る限りだと、チベット辺りと関係ありそうに見えるな。
コピペデゴザンス
376 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 20:02:59
>>372 上のほうでも書いたけれど、江戸幕府の禁制があったとしても、もし馬車によるメリットが甚大であったならば
それこそ禁を破ってあの手この手で使うだろう。
禁制のなかった江戸より前の時代にも馬車がなかったことがその証明ではないか?
古代の車輪跡が馬車によるものだったと仮定すると、
その当時の馬車の馬は去勢されていたのだろうか?
>>376 去勢技術は無かったらしいから、多分去勢されてなかったんじゃない。
あと、馬車の利用には結構な社会資本が必要だろ。
その前の時代(って多分戦国時代のことだよな?)に無かったのは、
古代道も荒廃して馬車を使う利点が薄れたからだと思うんだ。
江戸時代は道の整備も進んだから、禁が無かったら使われたと思うぞ。
あの手この手を使うっていっても、限度があるだろう。
去勢と宦官は徹底して入れなかったんだよなあ。
明治に入ってから騎兵隊を海外に派遣して大恥かいた経験してようやく、
去勢を含めた軍馬の育成強化が始まったくらいだ。
道祖神とかある日本文化には去勢というこういは馴染まなかったのかな。
まぁ、中国での宦官の行いを考えると、これを入れなかったのは正解に思えるけど。
380 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 22:25:31
戦国時代もその前もその前も馬車はないようですが・・。
古代に馬車と街道があったと仮定すると封建社会とともに消えたのだろうか?
381 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 23:14:53
中国最古の馬車はいつの?
382 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 01:39:21
去勢去勢って、メス使えばいいじゃん。オスとメスの区別もつかなかったの?
馬車作らなくても船(水運)でほぼ全国賄えた点が大きいのでは。
>>382 牝馬を繁殖にも使わず馬車馬として死ぬまでコキ使えってのか池沼
385 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 09:21:10
去勢されていない馬がどれほど、扱い難いかを知らないのか?
そんな荒馬を乗りこなすのが武家の特技とされた時代もあった。
日本は、大陸流の去勢と宦官と科挙は徹底的に取り入れなかったからな。
386 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 10:21:08
>>383 港から500m先に荷物を動かすだけでも馬車があると凄く便利なんだが。
それとも、防波技術もたいしてない時代に、いろんなモノを海岸線や河岸に隣接する倉庫に全部置いていたのだろうか?
日本では小型の船が河川を行き来してたからね。
港からそのまま小舟に乗せかえて運搬したのかも。
江戸時代などは、籠を使うのは見栄、普通は徒歩、
早さが必要なときは川を通る船だった。
陸運が水運より発展したのは、ずっと後世になってから。
江戸も大阪も、栄えている土地は全て川筋が複雑に入り組んでた。
>>386 視点が現代人になっている。
人間は余計なコストをかけずに済む方向に考えて行動するんだから
「港から500m先に荷物を動かす」状況を最初からつくらない。
元々船で輸送してたのなら、船で運べるエリアに町が発展するだろ。
実際、古代から町自体が河川に沿った形で作られていってるし
中世の経済都市の多くが湊(元々は「水路が集まる所」の意味)なのも
日本の物流が船を基本に動いていたことを示している。
例外的に奈良、京都に造られた人工都市は水路を最小限に減らしているが
だからこそ、それらの都市近郊では道路の整備が進み、牛車が使われたんだろう。
>>385 なに空白あけて大したこともない内容を偉そうに書いてんの?ヴぁか?
390 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 15:44:13
>>389 内容の無い発言ではおまえがこのスレで随一だが・・。
なにしろ発言内容がタイトルと何の関係もない。
>>388 馬借、車借は京都、奈良への陸上輸送のために始まったと言われてるな。
>>388 だが、その説明では奈良・平安時代に全国的に整備された
広く直線的な古代道路の説明が付かないわけだが。
奈良・平安時代はまだ随や唐の政治を模倣するのがよしとされていたから
国家の都市整備もそれに倣ったと考えるのがいいんじゃないかな?
けれど、日本の実情に合わなかったから、遣唐使などがなくなったら
廃れてしまったと……。
394 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 17:11:42
古代道路、というものの信憑性がどうなのか、という疑問があるな。
確かに奈良・平安はまだ武家封建社会に入る前の律令体制(古代中央集権)。
少なくとも建前としてはそうなる。
この時期に大掛かりな街道整備という考えもないではないだろうが・・
道路はあった=馬車もあった、というのは短絡だろ
>>392 奈良・平安では近代的な中央集権国家が成立してたわけだから、
陸上輸送のことも考えてたんじゃないのか?
で、戦国時代になって道路の整備にまで金が回らなくなると、諸大名が
水運に目をつけたと。
そういや、前馬車の本読んだら書いてあったんだが、ローマには
馬車が無かったらしいな。
……あれ?でもチャリオット……
バビロニアか何かだったかもしれない
ローマというのはとても長い期間存続したんだから
どこかで発明されたものは、すべてどこかで取り入れてるだろう。
ローマのどの時代か限定して物を言うようにしないとダメだよ坊や
>>398 少なくとも第三帝国じゃないことは確実なんだが……
401 :
397:2006/10/31(火) 17:41:06
>>398 うっせーな、タコ
ふつうローマつったらシーザーとかネロとかそのへんに決まってんだろ
こっちもうるおぼえで書いたんだからこまけーツッコミすんじゃねえよボケ
……あームカつく
>>396 奈良・平安の交通の要は瀬戸内海、琵琶湖の水運だったような気がしたが。
403 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 17:53:00
>>396 奈良・平安は近代的な中央集権ではないはず・・。
404 :
397:2006/10/31(火) 18:17:05
405 :
397:2006/10/31(火) 18:32:43
不覚にもついつい騙りに反応してしまった
……吊ってきますorz
407 :
396:2006/10/31(火) 22:47:15
え、俺?
>>392 その論文の結論部分には
> そのような大道は,単なる通信連絡のための道路としては広過ぎるので,
> 軍用道路としての意味があったと私は考えている。
> 軍用道路は広ければ広いほど効果的であり,また駅路と伝路とが作る
> 複線的路線も大軍の移動には便宜だからである。
(中略)
> これは,まさしく軍用道路として開かれたもので,その車はおそらく牛車で
> 輜重車として用いられたのであろう。駅路にも牛に因んだ地名が残り,
> 牛と記した墨書土器が各地の駅想定地で出土しているからである(図 5)。
…と書かれている。
これが正しいかどうかはともかく、物流以外の目的で整備されたと主張している
人が居る以上、あなたの言う「説明がつかない」ってことは無いと思うが。
すまん、レス番間違えた。
×その論文
○
>>399の論文
・車と日本の相性が悪かった
・車が無くても水運で大量輸送は大方賄えた
・生産地と消費地が全国に分散
・大量輸送が必要になる大都市は水辺に集中、車より船が発達
・都市の内陸化が進む前に機械動力が流入、機械動力流入後は鉄道・道路・車が発達
>>410 それで結論かな……
あと、馬の体格も追加お願い
412 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 11:48:36
日本馬の体格は蒙古馬と同じ、つまり中国に出回っている馬と同じ、つまり馬車を引くのに体力的な支障なし。
>>408 >これが正しいかどうかはともかく、物流以外の目的で整備されたと主張している
軍隊の移動は多大な物流以外の何物でも無いのだが。
>>413 日本の軍事需要は一過性(数日から数ヶ月程度)で現地調達で賄えるのが基本。
車用の街道の整備をする必要があった長期の戦争って文禄・慶長(万暦)の日明戦争
ぐらいしか無い。
>>414 では古代日本の立派な道路(古代ローマ帝国の街道より道幅は広い)は、何のために整備されたと思う?
416 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 12:49:44
>>415 古代ってのがいつなのかによって答えが違うよ。
少なくとも奈良平安の立派な道路は軍事目的じゃない。
だって、都に城壁がないくらいだもん。戦争目的で都市整備をしていたとは考えられない。
日本中から税を集めてたんだから、それを輸送する為の道路は必要だと思うがね
するとやはり物流のためか
419 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 13:02:11
風水の気の通り道説。
民の幸せを願って大仏を作り、風水の気を通す為道を作った古代国家日本
いだいなくにだなー
>>419 それも馬鹿馬鹿しいけど(w 真面目に論じるならば広大な古代道の道筋は
最近の日本全土に張られている高速道路の道筋と比較的重なる傾向にある。
現代の高速道路が物流のために建設されているのは言うまでもないし、建設される
のは物流に役立つようなところ。古代道と現代の高速道路の道筋が重なるのなら
古代道も効果的な物流のために建設されたのは間違いのない話し。
422 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 13:15:55
>>421 風水で道を作る→これ、物流にも使えるじゃん
道が先か、物流が先か。
大仏を作る→これ兵器として使えね?
>>422 >風水で道を作る→これ、物流にも使えるじゃん
いや風水だと物資の流通効率とか関係なしに作るからダメだよ。計画性有る道路にはならない。
ネタにマジレス(ry
>>424 中国: 風水は物流の効率化も含めた都市計画の秘伝。→日本: 知らずに風水を導入。→これ、物流にも使えるじゃん。
427 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 14:01:06
日本馬の体格は馬車を引かせるのに不足はないって繰り返し説明しても
全然読まないバカがいるのな。
体格のことなんかより去勢技術が普及しなかったことのほうがよっぽど大きいのに。
どうやったら馬鹿に理解してもらえますか。
>>411 お前のことだぞ、馬鹿。
馬鹿は名指ししないと自分のことだと分からないだろうから。
いや、間違った理論を振りかざされてもな……
どうでもいいんだが、馬が小さかったら曳かせる車も小さくすればいんじゃね?
日本の律令時代にはもうすでに官営の牧場や馬場があった。
日本は戦車とかの知識はあっても使用してなかったり、
農耕馬もいたわけだ。
実は記録に残って無いだけで、庶民は馬車を使ってたとか……無いか
434 :
411:2006/11/05(日) 16:42:28
>>428 そうかすまなかった
動物園かどっかで日本在来馬みたことがあって凄く小さかった覚えがあるんで
こんなのが馬車引けるわけないなとか勝手に思っていた。
今後考えを改めるんで許してくれ。
自作自演が好きな人がいるスレはここですか?
436 :
428:2006/11/05(日) 17:04:44
>>434 いや、別に謝ってもらわなくてもいいんだが…。
とにかく、今後気をつけるように。
近ごろの2chには珍しい素直なやりとりだなー(⊃д`)
438 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 22:01:00
もし戦国時代に馬車を使った軍隊を考えた大名がいたら、さぞ弱かっただろうな
あっという間に身動きが取れなくなった馬車を足軽がブスブスと槍を入れ・・。
でも馬車は物資の輸送に最適で、特に大量の物資の要る軍隊にとって物凄く便利な物。
だからこそ徳川幕府は危険と判断して馬車を禁じたわけだし。
440 :
:日本@名無史さん :2006/11/05(日) 22:43:25
「日本には8和種馬がいます。もっとも多いのが北海道和種馬、道産子です。
もともとは(東北の)南部馬ですね」
道産子は馬鹿でかいから日本の馬が小さかったというのも意外と違ってたりしてな。
そもそも馬車ってのは王様専用“戦車”だったんでない。つまり戦場で用いられる。
ローマや中国の戦場はだだっ広い平野で数万単位で行われることも多かったんだろ。
日本の戦とはスケールが違うし、凸凹な土地柄には合わないんじゃまいか?
441 :
:日本@名無史さん :2006/11/05(日) 22:46:36
日本の武将の場合本陣営で大将が座ってたりするよねwそこが違うのかもw。
442 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 22:51:03
何言ってんの?
443 :
:日本@名無史さん :2006/11/05(日) 22:53:33
444 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 22:53:57
もっとも欧州でも中国大陸でも戦車が使用されたのは古代の一時期だけで、あとは騎兵の機動力に圧倒されているわけで。
445 :
:日本@名無史さん :2006/11/05(日) 22:57:11
>>444 >あとは騎兵の機動力に圧倒されているわけで
じゃあ、何故古代では使われたの?
また、その使用された詳細年代とその後使用されなくなった理由を詳しく。
446 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 22:57:59
日本の大将は戦の最中に座りもするし立ちもするし移動もしますが、それが何か?
447 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 23:00:26
詳しく詳しくとうるさい。
携帯から長々と書き込めるか。
戦車は調べやすいから自分で調べろよ。
俺はおまえの保護者じゃない
448 :
:日本@名無史さん :2006/11/05(日) 23:00:28
>>446 じゃあ外国にはいわゆる陣のようなものがあるのか?詳しくw。
449 :
:日本@名無史さん :2006/11/05(日) 23:02:12
>>447 >詳しく詳しくとうるさい。
大して詳細知らないなら突っ込まなくていいよw
450 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 23:02:38
なぜそこで陣の話がでてくる?
詳しく
451 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 23:03:51
大将が座っているだけのはずがないだろと。
452 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 23:05:32
なぜ日本の武将の大将は座っているだけだと思うのか?
詳しく
453 :
:日本@名無史さん :2006/11/05(日) 23:06:25
>>450 なぜなら、戦車は王の護送車でもあるわけで、大将を安全にするためのものかと。
陣もそういう意味で形は違っても目的は近いかと。
454 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 23:07:32
いい加減にバカ合戦やめなはれ
455 :
:日本@名無史さん :2006/11/05(日) 23:11:05
でも444が本当ならいつから、何故戦車使われなくなったんだろうな?攻城戦関係有るかな?
456 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 23:11:14
と言うより、俺は知ってるけど、お前は説明できるか?
と、しか見えないね
457 :
:日本@名無史さん :2006/11/05(日) 23:17:19
459 :
:日本@名無史さん :2006/11/05(日) 23:23:40
中国だとその頃多分 ド が進化したよね。関係あるかな。
つまり、戦争で馬車を使った歴史がなかったから、その後も馬車を使わなかった。
江戸時代は幕府が禁じた、と。
普通に考えて戦車は使い難いだろうよ。
山道とか森林地帯、湿地帯、攻城戦にも使えるわけでもないしさ。
鐙とか鞍とか蹄鉄・馬鎧などの発達によって
馬の生産量やコストが抑えられるようになったからじゃないか。
462 :
:日本@名無史さん :2006/11/05(日) 23:33:17
なるほど。
広大な平原があるならともかく、日本だからな…
自衛隊でも戦車(タンクの方だぞ?)は北海道に精鋭を配備してるわけで
戦国時代に兵器として使う戦車は時代遅れだったのだろうが、輸送に極めて便利なのも確か。
中央政権である朝廷が権力を失い、合わせて道路も衰退して行ったのが原因じゃないかな?
全国的な交通が阻害されるなら車両も要らなくなるはず。
465 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 23:44:43
>>445 途中参加だが、『史記』によると戦国時代の趙の武霊王の記事に「胡服騎射」を導入する記述がある。
中原では戦車が主流であったが、遊牧民の侵入に悩まされてた趙は、遊牧民の服装(ズボン)を取り入れて馬に跨がり弓を射ることを導入する話しです。
つまり、それまでの軍装では戦車に乗れても馬に跨がれない恰好だったわけです。
遊牧民の騎馬戦術がオリエントや古代中国の戦車戦術を駆逐したと言っていいんじゃないですかね。
466 :
さだ:2006/11/05(日) 23:56:34
定ちゃんは、日本は山が多いからだと思う。
日本以外の国で「かご」って乗り物はあまり見かけまてんが、日本は幕末まであったんでそ?
このスレ面白いですね。
定ちゃんも映画ベン・ハーで馬車(=戦車)レースのシーンを観た時に思いました。
最近の日本史板マジメですね。
わたしが書くのも何ですが ..
467 :
さだ:2006/11/05(日) 23:59:20
468 :
:日本@名無史さん :2006/11/06(月) 00:01:41
結局、日本にはなぜ ド がなかったかと近いのかもね。
「ド」って弩のこと?
470 :
:日本@名無史さん :2006/11/06(月) 00:04:55
そそ。鉄砲来ちゃったから過程を端折ってるのかな?
>>470 昨日読んだ雑誌には、日本にも弩があったって書いてあったぞ。
ただ、弓が形式上重んじられるにつれて衰退したんだそうな。
472 :
:日本@名無史さん :2006/11/06(月) 00:17:48
473 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 00:59:25
>>466 俺も前から籠って乗りにくそうだと思っていたが、そうでもないのかな?
大河ドラマで走ってる馬がサラブレッドに見える・・・
>>474 心の目で見るんだ。
…ほら、在来種だろう?
内陸部の都市が発展する前に機械動力が入って来たのが大きいと思う。
幕府が史実より百年ぐらい長く続いて内陸都市が発達したら畜力の車が発展していたかも。
だが幕府が船の石数制限や石造の橋の建設禁止や乗馬規制や鎖国を行わなかったら
もっと早く馬車が発展してたんじゃないだろうか?
479 :
477:2006/11/06(月) 01:34:18
幕府じゃなくて、機械動力の流入が無く安定政権が百年続いた場合だ・・・
幕府体制でも機械動力が入れば畜力じゃなく機械力を使う。
>>478 山沿いの内陸部は未開のままで馬車より海運が発展するのでは。
住み難い所に人が住んでいたのは、住み易い所は先客で埋め尽くされたからだし。
>>478 てか、馬車の発展以前に文化が全然変わってくるなwww
>>445 元々は馬に人を乗せる事は不可能だった
品種改良されてから乗せれるようになった
482 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 06:46:44
江戸より前でも馬車は発達しなかったし、西洋文明導入に躍起だった明治でも馬車は東京などの都市内に限定された乗り物に過ぎなかった事実を考えると、江戸の禁制は馬車にはあまり関係ないかと。
483 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 07:28:35
最近の乗馬マシンダイエットって、H用だよね。
でも、加重上限100kgだから、男女ともやせてないと
難しいかも。
484 :
:日本@名無史さん :2006/11/06(月) 07:39:39
>>465 ファランクス全盛の頃にチャリオッ津で無敵だったアキレウスが敵の弓が得意な王子に
射られてイチコロで、春秋でもヨウヨウキって弓将軍が車上の敵将射るお話あったよね。
2世紀頃の秦で素人に簡単正確かつ貫通力のあるボウガンが普及すると戦車の上が安全
じゃなくなって大将は奥に引っ込み戦車も廃れたんだろうね。戦争道具が意外と文化に
なったりするから460の言うようになりそうだ。
485 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 08:08:18
馬車が他の移動・輸送手段に比べてメリットがあれば発達するだろうけれども、日本の地形でそこにうま味がなければ例え馬車を知っていたとしても、それは普及しないよな。
いしゆみ、すなわち「ド」と同じ運命。ドは素人でも飛距離は凄まじく出るし照準は比較的正確だが、訓練された弓兵よりも速射性と生産コスト、機動力で劣る。使い方が限定される武器。
威力はあるが時と場合によっては不便な「弩」は兎も角、馬車は輸送に明らかに有利。
487 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 10:15:13
モーツァルトの旅よろしく平原続きの箇所を転々とするならばいざ知らず、日本で馬車が長距離輸送に便利な地域となるとなるとどこになるのか?
江戸期では大規模な物資の輸送は海上輸送路が網の目のように張り巡らされている。
また山間部が戦場となる戦時の荷駄隊は馬車は明らかに不向き。
日本では山間部でも機動力を阻害しないものが受け入れられる傾向があるように感じる。大砲よりも鳥銃、石弓よりも長弓、アメ車より軽自動車、これは違うか・・。
>>487 海上輸送は当たり前だし河川も可能な限り利用するだろうが、とにかく人は陸に住む。
陸上輸送で馬車や牛車は非常に便利。人が直接背負って運ぶのと比べれば
効率の点で比較にならない。圧倒的に有利。
もちろん険しい山では車両が使えないとしても、少なくとも麓までは使える。
それに、そんな処に住む人は極少数。大部分の人間は平地に住んでいる。
可能な限り車両を使うのが低コストで人の労力・負担を軽減する最善策。
極端に言えば小さな手押し車でも良い。有れば非常に便利。
490 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 10:50:01
手押し車で山越えるのはめんどい
491 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 10:56:18
日本以外で馬車を知っていても使用しなかった例としては、シルクロードなどのキャラバンがある。
隊商はラクダの背に乗せて荷物を運ぶわけだが、それは砂漠や荒れ地を踏破する必要があるからでもある。馬車は明らかに接地面と環境を選ぶ。
車両の使えない場所があったら、海上輸送などで迂回すれば良い。
また車両で荷を麓まで運び、そこから人力で山越えし、車の使える
場所まで来たら荷物を別の車に乗せて運ぶと言う方法も有る。
493 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 11:04:15
今でもそうだが、日本は山で仕切られた各地に人が密集している。これが都市部。
都市部の間を行き来するには山谷を越えなくてはならない。
馬車による移動速度と積載量がメリットになるのかどうか、そこがポイント。
494 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 11:08:53
期待している通りに、馬車メイン、行けない箇所は馬の背や人力で、というわけにはいかない。
日本では逆になる。都市部内では馬車で行けるがその外は馬の背や人力、という寸法になってしまう。
また移動速度でも積載量でも海上輸送のほうが段違いに大きい。
>>493-494 もちろん船は便利だが遅い。道路を走る車両の方がずっと早い。それに港までは運べるが、そこから先は
結局陸上輸送。港で一旦、陸に移し替える作業が必要。これは人力。
(最近まで大変な作業だったがコンテナ船が現れた。定められた大きさのコンテナをクレーンで船から
大型トレーラーの荷台にストンと載せて、そのまま陸を走れる。これにより大変な労力節約となった)
また都市での輸送にも車両は非常に便利。人力とは比較にならならない高効率。
郊外への輸送だが、まず全く整備されてない荒れ地では車両は通れない。
そこで全国的に整備された道路作りを命じることのできる大きな権力が必要。
この仕事は古代の朝廷が行い、全国的に広大な古代道を建設し車両も活用した。(主に牛車?)
だが各地が群雄割拠していた戦国時代には、全国的に整備された道路建設・整備など当然有り得ない。
これにより古代道は廃れていったと考えられる。
近世に入ってからの道路整備は本来江戸幕府の仕事だったのだが、当の幕府が馬車の使用を禁じた。
これが江戸時代に立派な街道が整備されていても馬車が使われなかった理由。
496 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 11:49:43
陸上輸送が海上輸送よりも速度が増すのは近代以降ではないか?
馬車は馬を休ませるか、あるいは替え馬が必須。同じ馬が走りつづけられるわけではない。
踏破能力ならば牛のほうが上だが遅い・・。
距離にもよるがコストの面からも海上輸送のほうが有利だったな
>>495 無知すぎ。もうちょっと調べてから書き込めよ。
499 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 18:26:06
>>439 戦国時代の時から徳川幕府が規制してたの?
>>499 戦国時代はそもそも馬車を効率運用できるだけの国家や商家が無かったんじゃね?
501 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 19:05:33
そんなに大掛かりなものがないと運用できないならば、馬車はデメリットばかりではないか?
街道整備がないと無理
デメリットを越えるメリットがあったから、大陸では普及したんだと思うが?
503 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 19:13:31
江戸時代以前は馬車だけでなく人力車も無かったのだから、車の性能が
悪かったのだろう。平坦地で大八車を使う程度だったのでは?
504 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 19:25:49
>>502 そりゃそうでしょう。俺もそう思う。
大陸の平地ではメリット大、山の国である日本ではメリット小で割に合わない。
でも「日本でもメリットはあったはずであり、発達しなかったのは江戸幕府の禁制のせいだ」
という論が出ているので、それに対しては異を唱える。
>>504 難しいな……。実際馬車を運用して無いからなんとも言えない。
もしかしたら全然使えなかったかもしれないし、もしかしたら馬車の運用で
陸上物流が格別に良くなったかもしれない。
しかし古代の記録は残ってないし、幕府では使えるかどうかを判断する前に
禁止されちゃったわけで、明治になったらすぐに鉄道が導入されてしまった。
個人的には使えたと思うんだけどな……。
いやまぁ、それを判断する為にここで議論してるわけだが。
506 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 20:08:53
牛馬に直接荷を括り付けていたしね。
大きな川には橋は無いし。
イタリアからヨーロッパ平原に出るにはアルプス越えが必要だと思うが
街道整備はどうしていたんだろ。
地中海から○製油に渡るって行くルートはどう。
妙な当て字すんじゃねえよ。面白いと思ってんのかアホ。
510 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 00:03:47
実用的じゃなくてもいいじゃん。
武士の弓道だって剣道だって実用的じゃないじゃん。
弓道や剣道は「武士の偉さを見せ付ける」みたいな意味があるんじゃない?
後は精神鍛錬。
様式的な大名行列を選んだろう
お金も落とすし。
>>495 平地や河川の感覚が現代のそれなんだろうな…。
大規模な土木工事が行われるまで平地ってのは沖積地とイコールだった。
特に日本では平地と呼べる土地は扇状地や三角州からできていて、
河川と密接に結びついていた。さらに、日本の川は流量が多いので
網状流路を作りやすいから水路が発達していた。
そういや広島城に行った時昔の広島の模型が展示してあったんだが、
ヴェネツィアもかくや(って言ったら言いすぎだが)の水運都市だったよ。
名前の通り元々は島で、土砂が堆積して今みたいになったらしいんだが、
昔は自然の川を利用して堀や水路を作り、船を使って人や物を運んでたらしい。
515 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 02:16:41
蒼天航路みたいな馬車本当にあったのかな。
4匹ぐらい繋いでるし
>>504 いや重要な大河に橋を架けるのを禁じるなどして、明らかに
陸の流通を阻害してるのだが。江戸幕府は。
>>513-514 水運が発達してるから馬車は要らない・・・なんて事は無い。
禁じられなければ両方有って全然問題ない
なら徳川以前は・・
って何度目だよ
道路が整備されて無かったってのも何度目だろう。
>>517 「あっても問題無い」なら「無くても問題ない」だろよw
何が言いたいんだ?お前は。
無いと不便。
むしろ馬車があった方が不便ぽいな
都市部の限定した所なら使えそうな気もするが、
走ったり荷物担いだりしたほうが手軽だったんだろ
523 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 07:48:29
江戸期に馬車があったとしても、せいぜい東海道あたりしか使えないのではないか?
他は江戸市中、京の内部のみ、という限定的なものにしかなりえないのではないか。
九州でも山でさえぎられている薩摩や、東北なんかは馬車がたどり着かねえよw
524 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 07:49:17
馬車が使えたか使えないかではなく、メリットがどれだけあるか、ということだろう。
デメリット満載で馬車使っても、苦痛なだけで意味がない。
日本人は自分たちが馬車馬みたいに勤勉だったから本物の馬は要らなかったんだよ。
上手いだろ?これでFA。反論は認めない
526 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 10:02:01
馬鹿は黙っていろ
527 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 11:15:04
>>522 本当に不便で誰も使いたがらないなら、わざわざ幕府が禁止する必要も無いわけだが。
530 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 14:09:30
運送業者保護のために幕府は規制強化していたのだろうか?運送業者が賄賂を
使っていたのか。
531 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 14:18:59
595 名前:名無しさん名無しさん@腹打て腹。 :2006/09/20(水) 23:42:31
竹石圭佑
「竹石圭佑」、1986年に名古屋の肥溜めにて湧いて出た蛆虫。
小学校高学年から万引きを繰り返し
学校内では好みの女子に嫌と言う程ちょっかいを出しまくる。
当時のクラスメートが「お前って何で女子ばっか苛めるんだ?」という様な
質問をしたところ、竹石は「女を苛めても仕返しとか怖くねぇもん。
だって俺のほうが腕っ節が強いからな。いざとなったらツラァ殴って
やればいいし。」と言ったそうだ。
弱い物に対しては恐ろしいほど高圧的になる竹石、万引きで警察に
補導された事を自慢げに話す竹石、自分が世界の中心だと言って憚らない竹石…
数々の犯罪行為も在日中国人の両親から産まれた自分に後ろめたさがあっての
反発心からの行動だろうか…
ともあれ、竹石はまさに肥溜めから産声を上げた蛆虫である。
532 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 18:39:19
良スレな予感
戦国時代〜江戸初期にあって、軍事輸送手段としての
馬車輸送がある程度以上に活躍したからこそ、禁じる必要が出て来たのでは
534 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 00:37:20
は?戦国や江戸初期に馬車があったの?
533は責任もってソース出せよ
535 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 00:40:40
戦国や江戸初期にショウユはまだ無い。
536 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 00:52:13
つ「ソイソース」
>>529 > 司馬遼太郎 海運の歴史
>
> 室町期から江戸初期の鎖国までのあいだ、対中国貿易や何回貿易に乗り出すにほんの大船には、
> ジャンクの構造をとり入れたものや、西洋帆船の構造の一部をとり入れたものまであったが、その期間はみじかかった。
>
> 徳川家康が、大坂ノ陣がおわると、大船の使用禁止例を出し、諸大名の大船を淡路島にあつめて焼き捨てた。
> このため、船は千石が限界(それを多少越すのもあったが)になった。
>
> (「街道をゆく―中国・江南のみち」全集58)
> 江戸時代の和船
> 朱印船とは、国家の貿易許可証を持って海外に出かけていく船のことで、家光の海外渡航禁止(1635年)まで31年つづいた。
> つかのまながら、日本海事史上の栄光の時代だったといっていい。
> (略)
> 朱印船は、それまでの日本史に出現したどのふねよりも堅牢だった。中国船や南蛮船(ポルトガル)の構造を取り入れ、多帆で、
> 堂々としていた。(略)
>
> 『徳川実記』慶弔4(1609)年9月のくだりによると、幕府はこれらの大船のうち、五百石積み以上のものを
> 淡路島にあつめ、ことごとく没収した。同時に、大名は五百石積み以上の船を持つべからず、とした。
>
> この大船禁止の幕法は、幕末、ペリー来航(1853年)の直後、子の制約が解かれるまで、じつに244年つづくのである。
> 大船建造の禁止は、幕府をささえる強力な基礎工事用の矢板になった。・・・この禁制のため、町船(商船)にまで
> 変化がおこった。それまでの航洋用の構造船が姿を消し、通称ベンザイ船といわれたり、船舶史のほうで"大和船≠ニ
> よばれたりする船で、なによりも重要なことは甲板を用いないことだった。
>
> 甲板なしで、お椀にめしを盛ったように荷を積みあげるのである。このため高波が上から船を襲えばどうしようもなかった。
>
> (略)
>
> さらにつらかったのは、帆を一枚にせざるをえなかったことである。多帆なら風をうまく操作して操船も
> 楽になるのだが、多帆船は幕府の禁じるところだったようで、一本マストの一枚帆であることを墨守せざるをえなかった。
> 一枚帆の場合、いきおい帆の面積が広大ならざるをえない。
>
> (略)
>
> また、江戸期の海難の多くは波によってこの広大な梶が破壊されるところからおこった。梶をうしなえば漂流せざるをえなかった。
> その弱点を造船技術で補うべく、18世紀ごろから船尾構造に遮波性が加えられるのだが、それでも限度があった。
>
> 江戸時代の経済と文化の伝播は、クナシリ、エトロフをふくめた日本列島のまわりを、織機にゆきかう筬のように周航しつづけた
> 北前船や、太平洋航路の菱垣廻船、樽廻船などの活躍に多くを負っていた。
>
> しかしそれらの多くが、難船の悲運にあった。江戸時代の繁栄は、無数の船乗りの死骸の上に成立していたのである。
> (「この国のかたち―船)」全集66)
>
>
ttp://www.kurikomanosato.jp/to-siba-umi.htm
>>537-539 引用だけじゃなく何か書けよ。
どういう意図で引用しているのかわからんだろーが。
引用しかできないアホって、コピペ爆撃する基地外嵐と何ら変わらないな
542 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 10:40:34
馬車の歴史
馬車がいつ何処で発明されたか明らかではないが、インダス文明の遺跡であるハラ
ッパーからは、轍(わだち)がある道路跡が発掘されている。
紀元前2800〜2700年の古代メソポタミアの遺跡から、馬車の粘土模型が発掘されて
いる。この模型は2頭立て2輪の戦車(chariot)であった。戦車(chariot)は古代オリ
エント世界と古代中国の商(殷の墳墓から戦車と馬の骨が多数出土)から周時代な
どで広く用いられた。
543 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 10:42:16
古代ローマでは戦闘用として戦車(chariot)が用いられた他、娯楽として
戦車競争が盛んに行われた。現在のローマ市にあるナボーナ広場は当時の
戦車競技場の跡地であり、広場全体の形が当時の競技場のまま残されている。
映画『ベン・ハー』で描かれた戦車競技が良く知られている。
また、古代ローマの帝政期には、帝国全土にはりめぐらされたローマ街道を
用いた郵便馬車制度が整備された。この郵便馬車は4輪であった。ローマ帝国
が衰退すると、都市間の道路網の整備が行き届かなくなり、馬車の発展を妨
げた。
544 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 10:44:01
14世紀のハンガリーでは、紐や鎖で座席を吊り下げた懸架式の馬車が登場し、
17世紀にはバネによるサスペンションを備えた馬車が登場した。
1625年、ロンドンに辻馬車が登場。ほどなく、パリにも登場している。
辻馬車は、走行時間によって料金が設定されていたが、19世紀にはメーター
が導入されたことにより、走行距離によって料金が示されるようになる。
このシステムはタクシーに引き継がれた。
1662年、ブレーズ・パスカルはパリで乗合馬車を創業する。これは現代の
バスに相当するもので、世界初の公共交通機関とされる。安価で正確な運行
により、好評を博した。
545 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 10:45:55
18世紀に入ると、ヨーロッパの主要都市間を結ぶ駅馬車が整備されてくる。
例えばパリ−リヨン間の駅馬車であるdiligenceは、夏は5日、冬なら6日で、
両都市間を結んだ。
19世紀に馬を動力として鉄道を走る馬車鉄道が発明された。しかし、蒸気
機関車が発明されたことから、馬車鉄道は衰退した。それ以外の馬車は蒸気
機関車発明後もどこでも自由に移動できる馬車もヨーロッパ社会たとえば
イギリス(シャーロック・ホームズ参照)などで盛んに利用された。
また日本においても(中世にウシを用いた牛車が存在したものの、その後
家畜に車を引かせる習慣はなくなっていた)明治時代(1869年)から東京〜
横浜間を乗客輸送用として乗合馬車の営業を開始させたのを機に馬車が普及
し日本各地で広まり、自動車やバスが普及されるまで存続した。
546 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 10:47:02
またアメリカ合衆国では西部開拓が盛んになり、開拓民は幌馬車隊を組んで
西部に向け移住していったが、その後、馬車の車体を改造し蒸気機関を搭載
した蒸気自動車やガソリン等を燃料にしたエンジンを搭載した自動車が発明
されたことにより、馬車は陸上交通機関の主役の座を奪われ、急速に衰退
していった。
547 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 11:18:55
このwikipediaではモンゴルやシナ、インドの事情は出て来ないが、ヨーロ
ッパでも馬車が普及したのは17世紀以後のようだな。
また馬車鉄道という鉄道が蒸気機関車以前に敷設されていたことは需要が
大きかったためだろう。
大陸と海洋国家の違いがあるのではないか?イギリスは島国だという
反論ができるので、そうでもないか。
朝鮮には猫車があったのに日本には何故なかったのだろう?
中世にも勿論馬車はあったけど、欧州においては非常に高価なもので、
一国の国王ですら一台しか持てなかった、って何かに書いてあったな。
その「一国」がどのくらいの規模の国なのか判らないのが問題だが。
↑にあるように、欧州で馬車が発達したのは17世紀より後。
中国でどのくらい発達してたのかはわからないが、少なくともその頃日本は鎖国状態
で徳川幕府は馬車の利用を禁じていた。
しかし海運に関しても鎖国に関しても馬車に関してもそうだが、徳川幕府は商業面では
本当に無能だな…。いや、日本からどんどん銀が流出しちゃったことも、外界と接触を
絶って経済を制限したから250年も平和が続いたことも知ってはいるんだが……。
>>548 江戸幕府は商業面はインフレ対策で始終していた。急激な経済成長は英国を見ての通り島の国土事情から対外戦争に活路を見出すしかならなくなる。
経済抑制政策で急激な物価の上昇を抑えたから対外戦争の無い成長を実現した。
もし島に不釣合いな経済成長をしたら国を収める為に台湾征伐、第二次唐入り(中華征伐)、越南征伐などの対外戦争が必要になる。
>>549 それってつまり、
・生産力はあるのに材料が足りない(天然資源の不足)
・生産力はあるのに買う人がいない(顧客の不足)
・上に伴って失業率が増加
ってことだよな。
これを短絡的に解決しようとしたのが植民地政策か。
別の活路もあると思うんだが……当時の技術レベルじゃ無理だよな。
そもそも大きな道路作っても利用する人がほとんどいなかったんだろ
現代のハコモノ行政と同じように
江戸大阪の人口と東海道の賑わいすら知らない池沼が来たようだな
554 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 17:29:18
東海道五十三次とか読んだら分かるけど、日本人って歩くの好きだよね。
しかもほとんど無防備で。
同時代の欧米じゃ考えられない。
この辺の治安の良さも移動スピードが速い乗り物が発達しなかった原因ではなかろうか。
555 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 18:56:35
馬車と直接関係ないかもしれないが、江戸にやってきたそれほど金のない侍は江戸の名所を徒歩で見物するのが楽しみの一つだった。
金持ちじゃないから仕方ないとは言え、苦もなくよく歩く。
他国の貧乏人はそこまで楽しんであちこち歩かない気がするな。
好奇心が強いのか機動力があるのか・・。
>>547 猫車の代わりに駕籠があったじゃん。
・日本じゃ馬車を利用するには邪魔な坂が多い。
・大陸から孤立してるから遊牧民族から馬に関する知識・技術(去勢や蹄鉄など)が入って来ない。
・そもそも野生馬の絶対数が少ない。
こんなトコでしょ。
>>555 昔の日本人はなんば歩きをしていたと言う。
左手と左足、右手と右足のように、同じ側の手足が前に出る歩き方だが、
これは歩幅が伸びエネルギーの消費も少なく、効率的な歩き方なんだそうな。
この名残りは剣道や空手、相撲なんかにもあって、
空手で言えば前に出した足と同じ側の手で突くのが順突き、逆の手で突くのが逆突きらしいね。
ふたつ反対点あり。
ひとつは日本に去勢技術がなかったのでは、という点。
日本は隔絶した社会ではなく、古代より長く大陸との交流があり、
当然去勢技術に接していたと考えるほうが自然。
接していたが、意図的に採用しなかった。
易姓革命、科挙や宦官、武器ではなど大陸のやり方を意図的に採用しなかった、或いは
主流になりえなかったものは他にも多くある。
二つ目は、なんば歩きに異議あり。
同じ側の手足が同時に出るなんばはやはりあり得ないかと。
>>557 科挙は部分的には採用してたぞ。
ただし受験するのはほとんど下級貴族で、しかも高官にはなれなかったから、
中国みたいなシステムとしては機能してなかったが。
宦官と去勢は何故か採用して無いよね。
個人的には多産を尊ぶ神道的風土に男性器を切除する風習が根付かなかっ
たんだと思ってるが。
なんば歩きは、着物着るとわかるけど、前で合わせる着物で歩くのに最適。
着崩れが非常に少ない。まぁ、手と足を逆にする歩き方でも、姿勢を良くすれば
着崩れしにくいんだが。
去勢が根付かないのは、根本的には日本には牧畜という生産様式が欠落しているからかと。
いわゆる『ナンバ歩き』、同じ側の手足が同時に出る、というのは違う気がする。
『ナンバ歩き』の定義の問題なのだが、表現が難しいが『軸を押し出すように歩く』傾向があるとは思うし、
大陸の人とは歩き方が違うと思うが、同じ側の手足が出るというのは如何なものかと。
>>558 >>559 >姿勢を良くして歩く
>軸を押し出すように歩く
これって同じものだと考えてOK?
以前テレビで正しい歩き方みたいなのを解説してる番組があったんだが、
そこで軸を押し出すように歩く歩き方を解説してたぞ。
着物が着崩れしにくいんだと。
番組見ていないし感覚的なものだから正確には分からんが、俺は同じだと思う・・。
田舎の農家のお爺さん見ていると蟹股で軽やかに歩くのだが、
あの歩きこそ日本人にとっての真のウォーキングだと勝手に思っている。
腰が安定しているのに、軽い。
まあそんなことはどうでもいいか・・。スレ違いだし。
>>561 待て、本当にスレ違いか?
効率的な歩行法が確立されたが故に、馬車を使う必要性が薄れた。
このことが多少なりとも日本で馬車が発達しなかったことに関与してる
とは考えられないか?
確か甲野って人がナンバ歩きの解説をしてた希ガス
564 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 21:26:58
>>557 日本は隔絶した社会ではなく、古代より長く大陸との交流があり、
・・・これはよくそういう言い回しをされるが、百済との交流、遣隋使、遣唐使の
ほかにどういう交流があったのか?交流というのは相互的な関係だが、日本への
一方的な文化流入だけで、日本から大陸へどういう文化が伝わったのか?
日本からは倭寇、朝鮮征伐くらいの働きかけがあっただけではないか。
566 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 21:48:04
>>565 日本は隔絶した社会ではなく、古代より長く大陸との交流があり、
当然去勢技術に接していたと考えるほうが自然。
接していたが、意図的に採用しなかった。
・・・これは本当だろうか?去勢して暴れ馬を自由に操ることが可能なら
導入しようとする方が自然ではないか?
普通に考えて、大陸の宦官(去勢された人間男性)を知っていた日本人が
大陸の家畜への去勢技術を知らないはずがないと思うが。
568 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 22:17:47
>>567 きっと宦官や虚勢のことを見聞きした連中は阿倍仲麻呂みたいに
全員日本に帰ってこれなかったんだよ
570 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 00:08:41
はい?
遣隋使やら遣唐使の存在を全く無視するような発言
俺達に出来ないことを平然とやってのける、そこにしび(ryあこ(ry
>>567 去勢技術は当時の日本人が生理的に受けつけなかった(現代人の自分もやる相手が畜生でも抵抗が有る)だけでは。
なんせチン○ポを神様の寄代として祭る国だからな
574 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 01:03:14
道はある程度整備されていたが、
馬車の車輪が円滑にまわるほど平坦な道では無かった。
>>574 有効性が確認できれば、道の方を車輪に合わせて整備するか凸凹道に強い車を開発するかすると思います。
それがなかったのは
・幕府に背いてまでやる利点が無かったから馬車が発明、発達しなかった。
・道が寸断されるような天災が山盛りでその度に一々整備し直してられなかった。
576 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 02:19:10
あまり整備しすぎると、幕府を攻めやすくなってしまう。
それを嫌って、わざと橋をかけなかったり道の整備を抑えた。
参勤交代でも、わざと楽させないように道の整備は抑えた。
だから、馬車が走れるような道の整備は無理だったんだ。
>>554 >同時代の欧米じゃ考えられない。
「ヨーハン・ディーツ親方自伝」とか読むと武器を持たずに
普通に徒歩で旅してたりするけど。
578 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 05:11:08
日本の馬や中世の道を考えれば移動の手段として馬車が出てこないというのはよいとして
近世の場合、街道を馬車が通行可能かどうかの前にそもそも「車」が禁止だったろ?
579 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 05:57:16
>>574 牛車の車輪は円滑に回っていたようだが。
やっぱ徳川が悪いってことでFAだな
しかも交通の便悪くしてもあっさり滅んじゃったしね
ちょっとここで再確認したいんだが、ここのスレテーマって
・どうして日本では「牛車」じゃなく「馬車」が発達しなかったのか?
ってことだよな?
どうも「動物に車両を曳かせる」という行為そのものがなかったとか
日本には車両そのものがなかったかのようなカキコがあるのが気になる。
そんな極少数のアホ気にすんな。分かってる奴はスルーしてる
584 :
582:2006/11/10(金) 10:19:36
そうれもそうだ。最近どうもトシのせいか細かいことが気になって仕方がない。
ああ、今日も神経痛が痛むわい。胃潰瘍にも穴があきそうだ。
585 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 10:50:05
日本馬の在来種は体が貧弱で、馬車の牽引には向かなかった。これが本当。
>>585 馬の体格の貧弱さなら大陸種も大して変わらない。品種改良で車に合わせた馬を作った。
日本で馬車が発達しなかったのは
・飛脚が最短三日、最長一ヶ月ぐらいで江戸から京都まで行けた。
・街道も所々に関所が有り交通が寸断されていて速度が出せない。
・水運が陸運と大した時間の差も無く大量に運べ主要都市のカバーが出来ていた。
587 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 11:36:47
だから蒙古馬と日本馬は同じ体格だから牽引には支障がないと何度言われたら理解するんだ?
588 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 11:41:44
馬車を引く馬の身にもなってみろ。
上方から江戸に行くまでなんど山を越えるのか!
もうバテバテだよ。上方以外ならもっと大変。信州なんてどこへ出るにも山越えだ。
589 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 11:45:35
馬車で山越えするとなると通りやすいように山の麓に沿いうねって進まざるを得ないわけだ。トンネルのない汽車みたいなもので回りくどい。
>>588 途中で馬を交換して行けば良いじゃないか。同じ馬でずっと行くと勘違いしてないか?
>>305
591 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 13:29:03
でかい車引いて山越え谷越えとはめでてえな。
替え馬何頭必要なんだよ。
一定の間隔の駅で、馬を取り替えるんじゃない?
593 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 13:38:14
車を引いている以上比較的良い道を選んで走らなくてはならない。
迂回に見合うメリットがあるのかどうか。
だから徳川が悪いでFAなんだよヴァカども!!!!!
595 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 14:22:29
徳川以前から馬車はないのだが。
596 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 15:08:41
なんか、大陸種の馬も小さかったことを引き合いに出して日本馬の体格を
過小評価してる奴がいるが、広大な平原・草原が広がる大陸と山ばかりの日本を
同じだと思ってるのか。
自説を披露するのは結構だが、それに粘着し続け他人にまで強制する阿呆うざい。
激しくうざい。出て行け。
水滸伝読んでると山で荷物運ぶときは人が担いでる描写があったな
598 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 15:33:50
まずは自分から出ていこうな
前にも言ったけど、馬が小さいなら車も小さくすればいんじゃね?
600 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 16:21:24
日本馬は小さいというが、東日本では農耕馬は一般的だった。
車を引けないほど体力無かったのか?
馬力ありそうだが
山と谷と森と湿地ばっかりだからじゃないの?
日本に馬車が無かった理由は簡単。
中国にも馬車が無かったから。
603 :
602:2006/11/10(金) 17:45:55
表現がいまいち正確じゃなかった。
正しくは「中国にも四輪の馬車は無かった」だ。
戦車の構造のままでただ車輪だけを四つに増やしたら、カーブを曲がれないからね。
>>603 二輪の馬車があったのなら、それを改良して三輪・四輪もしくは改良型二輪車も有り得るのでは。
日本には馬車が拘れるだけの利点が無かった。
同じ事の繰り返しだから馬車の短所と長所から上げてみよう。
605 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 18:04:01
実用的じゃなくても競馬みたいな感じで馬車術が残っててもいいのに…。
>>587 支障が無いのと採用するってのは別問題だからな。
荷車を曳かせていた牛の方は品種改良で大型化してたんだから
(明治時代にブスケが牛車を曳く牛の大きさに驚いている)
わざわざ貧弱な馬を改良してまで曳かせようって発想が無かったんだろ。
607 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 18:41:15
いやだから馬もバリバリ農耕で使われているのだが
608 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 18:42:21
馬の乳はまずいから?
609 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 19:02:58
まずいから何?
ガキじゃねえんだから分かりやすく書け
610 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 19:07:33
馬はしょっちゅう勃起してるから?
うん、だから去勢技術を取り入れなかったのは理由の一つだろうと推測されてるんだ
612 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 19:25:29
613 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 19:30:09
>>612 カゴ屋の男もしょっちゅう勃起してるよ。
飛脚や船の船頭だって(ry
615 :
:日本@名無史さん :2006/11/10(金) 19:51:25
つまり、足短いから窪みとか穴に引っ掛かかるとはまっちゃうんだよ、アレが。
馬の博物館に行くとわかるけど日本の在来種は決して貧弱ではないよ。
ここには在来種の骨格標本や絶えてしまった在来種の写真があるから
どんな馬がいたのか見てくるといいと思う。
騎馬武者の復元もあるけど、これは鎌倉時代層から出土した馬の骨を元に
木曽馬の肉付けを参考にしてあるもので、貧弱どうのとはまず
思えないよ。サラブに比べれば小さいけどガッチリしている。
ttp://www.bajibunka.jrao.ne.jp/U/U02-22.html ちなみに、富士山の登山口には馬返しと呼ばれる場所はあるけど
牛返しと呼ばれる場所は存在しなくて、男富士とも呼ばれる程
登るのが億劫な富士宮口であっても馬返し。
富士山あたりは牛より馬を使っていたようなんだよね。
古くから地元に住む親戚にも聞いたけど富士山の方に芝や下草刈りに
行く時は牛ではなく馬に荷車引かせて行ったもんらしくて
牛だと登っていかないから使い物にならなかったんと意外な
返事をもらった。
617 :
587:2006/11/10(金) 21:51:53
>>596 俺のことかな、すまんかった。昔動物園でモウコノウマ見て日本の在来種と
変わらないじゃねえかって思った。日本と大陸の地形の違いなどまったく頭になかった。
去勢技術の普及についても無知だった。
>>195-196あたりの、牛の方が険しい山道にも強いなんて事実も全然知らなかった。
これからは自説に執着せず、広く他人の意見に耳を傾けられる人間になるよ。
本当にすまんかった。
素直なのはよいことです。
619 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 22:37:41
謝りの発言まで、過去の再現だな・・。
このスレはデジャブスレなのか・・?
620 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 23:17:24
単純に古来から日本人の感覚では
・牛は牽くもの
・馬は乗るもの
という認識だっただけなんじゃね?
621 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 23:19:42
〜じゃね?という言葉使いをみると、罵りたくなる。
ばーか
単純すぎてつまらねえよ
622 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 23:21:41
馬車は平坦地でないと効率が悪い。平坦な土地とは海岸沿い、河川沿いが多い。
しかしそういう地域なら船が使えるので馬車の必要は無い。
と、自転車で走ってみるとよく分かって来た。
山沿い行くと車が通れ無いような場所が度々ある。
雁坂トンネル開通前の雁坂峠通ってみたが牛車や馬車が通れるような道じゃない。
624 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 00:41:34
>>620 馬に乗っていたのは、貴族か、武家でエリート教育を受けてた人だけ。
しかも、その乗り方はまったく実用的ではなく、競技や礼式みたいなもの。
戦闘中ですら、馬を乗り換えるという発想がなく、動けなくなった馬をかついていく有様。
625 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 00:44:16
>>624 おまえを担いで俺は出てゆくことにする。
一人は皆のために。
626 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 00:45:37
昔の日本にはミニホースがいたのかよw
627 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 02:54:30
馬並(*´Д`)ハァハァ
>>622 スイス始め欧州山岳地帯に存在する馬車を否定するレスですね(w
630 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 03:22:52
現代日本でも金がかかる上、生活にまったく必要のない馬術が残っているのだから、
実用的のなさは馬車がなかった理由にならない。
平安時代にはすでに競馬のようなモノがあったし、牛車があった。
競馬と牛車の車を組み合わせて、馬車術を残さなかった理由は何なのか?
631 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 03:25:37
そう考えると620は言い得て妙な気がしてきた。
そもそも欧州でも馬車が発達したのは17世紀以降の近世だし、道路が
未整備だった中世に馬車が利用されなかったのは当たり前だろう。
馬車の運用まで考えて街道整備までしてた古代ローマは
異常な文明だったんだよ。あれを基準に考えちゃいけない。
そもそも道路整備と車両の普及はセットだから。
635 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 03:35:54
>>633 古代ローマは運用だけでなく、競馬みたいな感じの見世物としての馬車があった。
コロッセオのような競技場で馬車をくるくる回してた。
剣槍弓の時代にまったく役に立たないレスリングが残ってるくらいだから、馬車競技が残っててもいいはず。
>>1 >日本って何で馬単なかったの?
に見えたorz
イギリス人が書いた「さむらいウィリアム」という本を読んだが、江戸初期の
東海道について、同時代のイギリスの道よりも遥かに良く整備されていたと、
褒めていたぞ。
整備された道と馬車が走りやすい道は少し違うと思う
>>187 日本の道路と馬について。
「日本の東海道は十〜十一メートル幅で念入りに管理されており、世界でも屈指の街道と言われている」P118
「日本では馬のことをポニーと呼んでいるが、日本の馬もヨーロッパの乗用馬と同じくらい大きいのだから、この呼び方は全く相応しくない。」P120
「シュリーマン旅行記 清国・日本」講談社学術文庫
そりゃ日本の道路は歩く為の道路であって、車輪を使って使いやすいかどうかは別
しかし東南アジアにゴムの木って自生してたっけ?
自生してたなら江戸時代鎖国されず馬車も禁止されなかったとして、誰か賢い人が
ゴムを車輪の大いに使うことを考えて乗り心地のいい馬車が(以下見るに耐えない妄想
ヨーロッパだって馬車が普及したのは近世以降
同じ頃日本は徳川の禁制によって馬車はNGだった。
よって徳川が悪い、でFA。反論は認めない。
642 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 17:53:20
もう答えがでてると思うんだが、納得いかない点をあげてもらいたい
その点について議論したほうがいいんでは?
643 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 18:01:44
まず、馬車の競馬がなかったことを議論すべきだと思うんだ。
競馬はあったのにな。
いや、賭け事じゃなかったがwww
>>645 日本の武士
馬を戦闘に持って行く → 馬一頭を一人以上で面倒みる
馬が負傷した → 馬を降りて馬の側で応戦
谷で馬が通行できない → 馬を担いで谷を降りる
騎馬民族
馬を戦闘に持って行く → 一人で三頭くらいひきつれていく
馬が負傷した → 負傷した馬を乗り捨てて別の馬に乗り換える
谷で馬が通行できない → むりやり乗り潰す
日本馬は気性が荒ければ荒いほど名馬とされていたからな
10人がかりでも押さえ切れないほどの馬もいたとか
そういう馬を操る武士はもはや猛獣使いの領域だ
648 :
日本@名無史さん:2006/11/12(日) 01:37:16
在来種でも担げるような小さい馬はいないんだが・・・。
649 :
日本@名無史さん:2006/11/12(日) 01:46:19
650 :
日本@名無史さん:2006/11/12(日) 01:46:39
古代戦車というかチェリオットもなかったね
東南アジアや中国にはあったのにね
651 :
日本@名無史さん:2006/11/12(日) 22:17:59
朝鮮にも無いようだから騎馬民族ではないな。
652 :
日本@名無史さん:2006/11/12(日) 22:26:00
そもそも戦車って騎馬よりも強いの?
状況によるだろうな
654 :
日本@名無史さん:2006/11/12(日) 23:02:32
戦車は騎馬より広いところで運用すべきじゃないか
655 :
日本@名無史さん:2006/11/12(日) 23:07:39
つーか、戦車って戦闘に使えたの?
手綱を握っているから、ひき殺すしかできないんじゃないの?
656 :
日本@名無史さん:2006/11/12(日) 23:18:18
乗ってるの一人じゃないし
657 :
:日本@名無史さん :2006/11/12(日) 23:51:19
>>655 おまえイッソスの戦いの有名な画も知らないんだろうな。まずは神話から入れ。
神話と史実を混同するのは問題あるような……
とりあえずチャリオットの描いてある絵を見たほうがいいのは同意するが。
あれはいうなれば高速軽戦車や装甲車のようなものだからな。
659 :
:日本@名無史さん :2006/11/13(月) 00:06:48
神話を軽んじてはならぬよ。
>あれはいうなれば高速軽戦車や装甲車のようなものだからな。
だからそういうモノだったのが徐々に用途に応じて形を変えたのよ。そこが重要。
660 :
:日本@名無史さん :2006/11/13(月) 00:08:15
馬車=輸送車 から入るのがこのスレの誤解の始まり。
やっぱりチャリオットの時代にも、走行中のチャリオットから
射的を行って命中させるような凄腕がいたんだろうか?
日本では、なぜか馬の去勢をしない。
だから、馬格うんぬんというより、貴人が乗る場合は特に、
馬車に仕立てようがなかった。事故るから。
江戸に下ると原則として車の製造と使用を禁止、
スポーク様の構造を持つ車は特に禁じられた。
船と同じように、これは積載量と遠距離輸送への制限を加えたとみていい。
スポークのない重い車輪を小さくすることで軽くし、
禁令により較(車の縁に渡す横棒)もなくなったベカ車は、
積載量も落ち、遠距離輸送にも向かなかったので、
矮小化して結局は人が牽くだけの代物になる。
因みに今の日本でも、船と車の勝手な使用は原則禁じられ、
所定の資格を得た者にだけ、例外的に免許している。
その意味では江戸時代の行政を踏襲している。
>>662 >船と車の勝手な使用は原則禁じられ、所定の資格を得た者にだけ〜
これって運転免許と船舶免許のこと?
印象操作の恐ろしさを実感したぜ……
664 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 00:37:36
馬雇うより人雇う方がコストが低かったんだろ。
665 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 00:44:49
車輪っていつごろ日本に入ったの?
666 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 01:36:13
武士が権力握ってたからじゃねーの
667 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 02:27:20
多分、中世までの日本では馬は荷駄を引かせるものではなかった
武士が馬の生産を囲い込んだのもあるし、馬は乗るもの、引くのは牛、なんじゃないかな
ちなみに日本に戦闘馬車(戦車)は無いが、戦闘牛車はあるぞw幕末だがな
大体海外でも、戦車が戦力として使われたのは戦争の規模が小さい時代だと思うんだが
大規模な戦闘が始まったら、主に兵員輸送用になるし、
鐙が工夫されて騎兵が戦力化したら戦力としては完全に取って代られた
地形を選ぶし構造的に脆いし戦闘機動するにはかなりの熟練が必要だし、
戦力として使うにはコストがかかりすぎると孫子にも書いてある
668 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 09:39:57
騎馬兵もそうだが馬車は速度による貫通力が命。
止まったら歩兵の餌食。
使い方としては敵陣が崩れた箇所に機を見てつっこませる。
戦車と騎馬兵はどちらが優位かというと、歴史的には騎馬兵の機動力に主役を奪われていますな。
特にヨーロッパ含むユーラシアは弓騎兵に席巻されている
669 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 10:37:54
>>665 車輪は紀元前3000年頃までにはユーラシア大陸に広まってるし
紀元前2000年ごろにはスポーク構造もある
初期の戦車もこのくらいに登場してる
中国にも殷とか周の時代には既に存在するし
日本にいつ伝わったかなんて、まったく資料が無いんじゃなかろうか
まぁ遅くとも弥生時代の渡来系の人が伝えただろうとは思うが
いや、待て待て。
騎兵が主役?そんなの歴史上モンゴルだけだぞ。
あくまでメインは武装歩兵。
騎兵は、集団使用によって攻撃力を発揮すると知ったのは確かにモンゴル以降だが。
戦車とモンゴル型騎兵は使い方が全く異なる。
騎兵の使い方は、
歩兵が肉薄して敵を捕捉(動きを止め)し、
その上で騎兵が機動力を駆使して側面や背後に回り込んで突撃する。
一直線に敵に突っ込む騎兵なんてあり得ない。必ず回り込む。
日露戦争では秋山支隊とミシチェンコ兵団がともに戦線最西部に置かれたのも当然の処置。
戦線中央では意味がないし、東部戦線では外が海なので回り込むことができない。
そこへ行くとチャリオットはそういう使い方はちょっと難しい。
理由が分からないなら、将棋の桂馬と香車の駒の性質を比べてみるといい。
>663
法的な意味の「免許」ってそういうことだよ。
日本では公道において自動車を運転する権利は原則として剥奪されているが、
条件を満たし、行政の主務官庁が認めた人にだけは適用を除外する。
特許はある条件を満たした人にだけ権利を与える行為だね。
ドライバーに与えられるのは免許状であって、特許状ではない。
公道以外でも禁ずると人権侵害、違憲になる可能性が高い。
672 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 12:30:42
このスレたてた人は、日本の馬のことを知らない人?
サラブレッドみたいな馬が、日本に昔からいたと思ってるとか?
サラブレッドのような大型馬が入ってきたのは明治以降
日本原産の馬は木曽馬のような小型馬で 人を一人乗せるのがやっと
何人も人が乗った車を引っ張るには何頭もの馬が必要だと思われる
牛のほうが力があるから、貴族が乗るのは牛車
歩いたほうが早そうだがw
673 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 12:33:57
日本の馬は農作業の重労働にガンガン使われていますが
674 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 12:37:21
粗食に耐えて頑丈という意味ではむしろ木曾馬は上等だと思うが。
それに豚でも人一人は乗せられる。
675 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 12:50:14
日本の在来種は、力は強かったとも言われてるぞ
どうも小型で貧弱、遅くて体力なしというイメージを持つ人が多いが
力強く頑丈、粗食に耐え持久力があるという評価も結構あるんだが
ただし気性は荒いのが多いので農耕用に適したかは保障せん
676 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 12:57:33
馬車の前に海運の方が発達していたから。
677 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 13:02:43
木曽馬で外乗を何回か経験しているけど結構早いし力も強いよ。
サラブじゃ無理だろという山道でもガンガンに登るし
体力もあるから20kmぐらい歩いてもヘバらない。
足もガッチリとして頑丈だから多少道が悪くても大丈夫。
678 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 13:19:10
うる覚えだが日本の飼い馬って大本から騎乗用として持ち込まれたような・・・
数が少ないからやたら大切に扱われたし、それ以外の用途にまわす余裕も無い
結局、生産量が増えても消費量を上回った時期もないしなぁ
江戸までは需要もガンガン伸びたし
江戸になったら馬車なんて作れないから運搬は馬子が馬曳いて背中に乗せるだけだし
679 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 13:49:40
>>672 サラブレッドが欧州諸国に広まっていったのは19世紀初頭だよ。
それ以前の日本と大陸の馬格は大差なかった。
680 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 13:51:52
最初、渡来系の人間が馬とか牛とか食ったりしたんだ
で、他の獣と違って使える家畜のそれらを食べることを式かなんかで禁じたんだが、
そのときにつけた保護政策的な条項や理由の項目の副産物的に、
用途が限定される結果になったとかそんな話もあったと思うぞ
馬は乗るから食っちゃダメ、食う習慣を広めないためにも決まった場所以外で育てちゃダメ
みたいな項目で、解釈の関係もあり結果的に飼育と用途まで制限されたような・・・
そのうち本格的に武家が台頭して、馬の産地を囲い込んじゃったってオチだったかな
主な産地が押さえられたから、牛馬耕はあっても運搬なんかには使う余裕が無い
すまん、あいまいかも
サラブレッドが馬車牽引に使えると思ってる池沼の672がいるスレはここですか?
>>680 規則で決まってたってソースある?
もしあるんなら、それが平安時代に馬車が発達しなかった原因の
大部分を占めてる可能性がかなり高いな。
そうすれば、全時代を通しての証明が一応成り立つ。
680みたいないい加減なレスしかできない阿呆が
ソースなんか出せるわけねえじゃんw
684 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 20:53:35
>>682-683 いや正直そのとおり
ソースを覚えてればもう少しはっきり書くんだが・・・
凄い昔の記憶で、一応書く前に探したんだが見つからんかった
食肉禁止令って675年から江戸時代までにかなり出てるが、
それに付随する馬の扱いに関するものまで探しきれんかった
660年代に半島で唐・新羅に負けまくったせいで、馬の生産増加と軍事利用の拡大が
当時の重要な政策課題になってるのは確実なんだが
685 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 22:16:29
四つ足の動物を食べるなという命令なら奈良時代から何度も出てる。
仏教の殺生をするなという思想が根底にあると思われる。
馬もタテマエでは食べてはいけないことになっている。
しかし、桜肉と称して、これはサクラということで食べたり、薬と称して肉ではなく薬ということで食べたりしてた。
日本人が道徳の枷を外して、四つ足の肉を大々的に食べるようになったのは、明治になって天皇が牛肉を食べてから。
近江牛とかは例外だが、
一般人が口にする馬や牛は農業とかで酷使してボロボロになってから食べていたから、あまり上手いモノではなかったはず。
だから、腹を満たすために食べたが、おいしいから食べるという認識はなかったと思う。
686 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 22:27:31
>>680 馬はいなかったはずなので知らないが、牛を食べてたのは渡来系ではなく土着系の人間。
渡来系は稲作中心の食文化で、土着系の肉食文化を異端視していた。
土着系は肉を食べるときに毛を剥ぐので、それが毛=作物を呪う行為として見られて差別された。
この差別によって、土着系は、中央から九州や関東の方へ追いやられた。
この非稲作文化の土着系の人は、動物の体内を熟知し、薬を作ったりしてたので差別される一方で畏怖されていた。
ちなみに、この毛を刈る行為がケガレの語源という説もある。
687 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 22:27:35
そもそも牧畜という生産形態のない日本人が、肉を食べるといってもたかが知れている。
牧畜が盛んな国、例えばモンゴルでさえ羊の肉が食べられるのはご馳走であって
季節によっては発酵した乳だけを呑んで終わりである。
狩りをすれば、という人もいるが狩りは恒常的に獲物があるわけではない。
688 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 22:37:08
689 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 22:48:59
流し見た感じでは古代日本で馬がどういうものかについては無みたいだが
日本に馬が伝わったのは古くても弥生時代の末期以降らしい
しかし、この時代の馬が何のために伝えられたかはいまいちはっきりしてない
馬の飼育と乗馬が伝わるのは古墳時代の中期といわれるが広まるのはもう少し先
飼育頭数は非常に少なくて、豪族が乗るくらい(日本て意外と牛馬耕の普及遅い)
飼育数が少ないのは社会の規模が小さく、余剰生産能力が少ないせいもあるかね
645年の大化の改新後に伝馬制とかが導入されて、馬の生産が本格的に始まり
国営牧場なんかが造られるようになる
そこに来て、半島で騎兵に対応できずボロ負けしたショックから騎兵を増やす
ことに国家戦略として根性入れ始める(ちなみに肉食禁止令は牛馬の保護だけではなく、
このとき渡来した元百済の新勢力に対する旧勢力側の牽制)
最初から騎兵を作る軍事利用目的での生産拡大なので、他の目的にはあまり使わない
老廃のものは運搬に使い潰したり、食ったりもした
(騎兵の規模拡大や武士の登場での需要拡大にあわせた生産が中心)
690 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 22:58:22
>半島で騎兵に
高句麗広開土王碑の話し?
691 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 22:58:30
>>688 貝塚を見ると、土着系の日本人が食べてたのは、木の実や魚介類やウサギやイノシシ。
日本列島で肉食がなくなったとするなら、渡来系が肉食を禁止していたからと考えるのが自然。
ケガレの起源が渡来系の土着民差別に始まるというのは
ケガレ意識と部落差別を考える, 辻本正教, 解放出版社
↑の受け売り。
692 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:00:10
>>689 律令に馬の記述があるから馬を輸入したんだと思われ。
693 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:01:47
土着系の日本人が食べていたのが木の実や魚貝類やウサギやイノシシ。
土着系どころか、江戸時代も食い続けているものばかりだと思うのだが・・。
それにうちの田舎じゃイノシシ鍋は普通だ。
でも、猪を狩るには季節があるし、いつも仕留められるとは限らない。
だからご馳走。
694 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:03:50
>>692 文献ではそうだが、それ以前の時代の馬の骨が見つかっているとかなんとか。
歴史学者の文献至上主義と考古学的な発掘主義で、見解が違うとか何とか。
俺にはどっちが正しいのか分からん。
695 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:04:21
>>690 実際に騎兵のせいで負けたかは異論あるが、日本人にとって騎兵のインパクトはでかかったらしい
696 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:05:55
ただ、地形の問題なんじゃ・・
697 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:06:47
>>693 つまり、日本人は2000年前から同じモノを食べてるってこと。
逆に言うと、日本列島は世界で最も食べ物が裕福な土地の一つだったと言える。だから農業や暦が発達しなかった。
698 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:07:01
>>685 >四つ足の動物を食べるなという命令なら奈良時代から何度も出てる。
>馬もタテマエでは食べてはいけないことになっている。
>しかし、桜肉と称して、これはサクラということで食べたり、薬と称して肉ではなく薬ということで食べたりしてた。
おおい、奈良時代と江戸時代中期以降の隠語を使った薬喰いじゃ時代が違いすぎる
千年ずれてるし
699 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:07:55
>>695 日本側に資料は残ってないのに、なぜ詳しく語れるのか理解不能なんだが。
700 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:09:16
>>693 イノシシは山鯨と書く。つまり、肉ではなく魚だから食べていい。
ウサギは1羽2羽と数える。つまり、鳥だから食べていい。
701 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:11:55
>>698 奈良時代は僧侶に対する命令だった。庶民は知らない。(史料がない)
しかし、江戸時代はなぜか、僧侶の肉食が解禁されて、庶民の肉食がタブーになっている。
702 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:13:26
明治になってから、毛糖の真似して牛肉を食うようになったけど
馬肉食いは、あまり広まらなかったね
桜鍋とか馬刺しとかで、一部では食われているようだが、旨くないんだろうな
703 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:17:10
>>696 そう、多分地形と文化の問題があったからこそ荷車用や労働力としての
馬の生産があまり普及してなかった
もともと弥生時代以降の農耕社会では、パワーとスタミナは必要だがスピードはそれほど求められないし
そこに伝馬や軍事利用などの特殊な目的での生産が始まっても、他の目的にはあまり使われない
704 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:18:57
>>699 実際その後に軍馬の生産が活発になって国内の戦争で騎馬がでてくるからだろう
705 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:19:03
>>703 >スピードはそれほど求められないし
あの〜馬車って元々歩くくらいのスピードなんだけど。
706 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:20:32
うろ覚えだが、大正、昭和初期には馬車が結構使われていたのではないか?
主に荷物運搬用だが、大型の外来種を使えたのと、道路が整備されてきたから
馬車が使えるようになったのではないだろうか
707 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:21:04
>>705 すまん牛車と比較しただけ
牛車はパワーはあるらしいが歩くより遅いからな
708 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:22:00
>>704 高句麗広開土王碑の時代に、日本の軍馬の生産状況の資料なんて有った?
それに
>>689 ってどう見ても電波・妄想語ってるだけ・・・
709 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:22:04
日本はもともと律令のマネごとや競馬のために馬を導入した。
だから、実用性とかは後付の理由だと思うんだ。
だから、見世物としての馬車がなかった理由を考えるのが先だと思うんだ。
710 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:22:39
肉を常食するためには牧畜がないと無理。
で、日本では牧畜はついに一般的にならなかった。
確かに明治で牛鍋はおおっぴらに食うようにはなったが、
それも書生さんやらハイカラな都市部の人だけであって
大部分の人間は食生活に肉食に関する限りそれほどの変化はない。
だって牧畜やっていないのだから、食用の牛がそこいらじゅうにあるわけではないから。
711 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:25:12
>>706 明治以降の馬車の普及は、日本人の大部分に通勤が必要になったのが一番の理由だと思われ。
712 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:26:25
>>711 それはない。
明治どころか昭和初期まで国民のほとんどが農民。
牧畜がほとんどなされなかった日本においては
「なぜ馬車がなかったか」ではなく「なぜ牛車はあったのか」と
問う方が正しい。
714 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:29:31
>>710 牧畜以前に、家畜を手際よく肉にする手順がないと無理。
日本には一部の人間にしかそれが無く、しかも差別されていた。
一方、遊牧系の民族は、例えば聖書にすら登場するくらいポピュラーなものだった。
そして、ト殺業は、殺す家畜を祝福するため、祭司の神聖なる仕事だった。
この、家畜を殺す職業が差別されていたというのが、馬が普及しなかった一番の理由ではなかろうか。
715 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:30:50
牛車といっても、京の都で貴族が乗っていただけで、とても全国的なものとは
言えないと思うのだが。
まさに典型的な貴族趣味かと。
716 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:31:44
>>714 >牧畜以前に、家畜を手際よく肉にする手順がないと無理。
どう考えても、肉をさばくよりも、家畜を飼うほうが先だろw
717 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:33:51
食料の生産様式が宗教を生むと思うのだ。
718 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:36:28
>>708 どっかの国の風土記や、古事記だか日本書紀だかに
新羅との戦争のくだりから軍馬生産開始までの流れが書いてあると聞いたことはあるが
どんな内容かは見たことはないなぁ
719 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:37:57
>>712 明治になって土地の私的所有が明確になって土地の売買が行われ、小作人が大量に誕生して通勤が必要になった。
(土地を売った小作人は、家とは別の地域に農業に出かけるようになった。)
720 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:39:58
>>715 下級の貴族は牛車に乗れないし、単なるステータスだろう
飾りや車の形で身分を示したらしい
そして平安末期の田舎武者の言を信じるなら牛道などの舗装があっても乗り心地最悪
721 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:40:24
唐というのは、元々北方系の民族だし、また隋や唐を何度か退けてきた高句麗も騎馬民族。
白村江の戦いで破れた当時の日本にとっては(まだ国号は日本ではないが)、
騎馬こそ最新式の兵科と見ていたのではないか。
大陸や半島情勢とガチガチぶつかってきた当時の日本には、情報が入っていたことだろうし。
722 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:41:13
>>719 明治の小作人が馬車にのって出勤するなどとは聞いたことがない。
本当かよ
723 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:42:23
>>716 牧畜は実は飼っているようで飼ってない。
遊牧系民族の牧畜はヒドイのになると2〜3ヶ月は家畜を山に放して見もしない。
724 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:43:56
それがどうしたというのだ!
725 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:44:46
>>715 たしか古代に作られた全国的な道路網で利用されていたらしいけど。
726 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:50:08
727 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:55:10
>>726 公的なモノとしてはそうだろうけど、一般民衆の利用状況は不明。
728 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:55:28
確か律令下での税の一種に、「蘇?」とかって乳製品があったと思うんだが
近代まで牧畜は無いってのは本当なの?
729 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:57:53
>>727 まぁそうだろうね
歴史と神話がほぼ同値の時代に、一般人の普通の生活なんてわざわざ記録とる人少ないし
一般人が使った痕跡も見つからないなら、少なくとも日常的には使ってないだろうとは思えるが
730 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:03:52
>>729 あれだけ大規模なに整備された道路を、一般人が全然使わないなんてのも不自然な話だが。
一応車輪の跡は見つかっているけど。
731 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:08:39
>>708 高句麗広開土王碑って414年建立じゃなかったか?
そりゃ
>>689の言ってる大化の改新後、663年の白村江前後からの軍馬生産の状況なんて
書いてるわけ無いと思うんだが。違うのか?
732 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:15:14
明治時代の小作人は通勤が必要になって馬車が広まった(?)とか、
真面目な顔してしゃあしゃあとぬかしよる。
本当にここは酷いインターネッツですね
733 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:19:12
だれも
>>697にはつっこまないんだな。
>だから農業や暦が発達しなかった。
農業は発達してるだろ。
暦の発達?意味が分からんw
734 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:21:39
>>733 日本は農業発達しまくりだな。
もっともらしく言いながら、根拠もなく妄想垂れ流す人がいるなんて、
まったく酷いインターネッツですね。
735 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:23:08
>>733 きっと彼はどんな社会であれ欧米に矯正されずとも
グレゴリオ暦を用いることが至上と思っているのです
736 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:26:18
>>731 高句麗広開土王碑については数人が
>>689の
>半島の騎兵
の部分を勘違いしてレスをつけていたようだ
737 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:33:03
>>730 古代日本を一つで考えちゃダメ。
轍の跡じゃ、一般でもある程度自由に牛の荷車を使える地方が有ったかもしれない
というくらいしか分からない。
これは程度の違いはあれ、明治大正くらいまでの日本に言えたりするが。地域格差でかすぎ。
ちなみに、地方に派遣された貴族は地方で牛車使ったりせんかったの?
738 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:40:29
>>736 ミスを知ったまま、何気に新羅に訂正してレスつけて晒してるヤシがおるw
>>733 しかし
>>697以外にもドサクサ紛れにファビョったレスがあるな
>>700 先生、いつから鯨は魚になったんですかい
>>739 鯨(くじら)
現代 身体の構造と生態から哺乳類と分類
江戸 海で捕れて魚に近い形をしているから魚
741 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:50:48
それはね、えらい坊さんが鯨を食べたくなったときからだよ
海豚は海の豚だから食べられないねw
743 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:58:14
>>737 いや古代でも全国的規模の道路が有るなら住民は利用するでしょ?
744 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 01:04:37
>>743 いや、そりゃ使えれば使うだろうけどさ。
何かにつけ、近代に至るまでの日本は地域間の違いがとんでもないから
「轍がある」ってだけじゃ日本中はどうかなって言ってみたんだが。
自由に使える牛が十分にいるところなら一般人も利用したんじゃないか?
745 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 01:07:17
>>744訂正
×「轍がある」ってだけじゃ日本中はどうかなって言ってみたんだが。
○「ある地域で轍の痕が見つかった」ってだけじゃ日本中はどうかなって言ってみたんだが。
746 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 01:08:49
>>744 地域差が大きくなるのは中世に入ってからじゃない?
関所が作られて自由な交通が阻害されて・・・それが幕末まで続いて。
747 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 01:19:50
>>745 中世以降に地域差が拡大してるのは同意。
でも古代の農業や家畜の生産力による地域格差にそんなに関係有るかな?
古代は大した農業技術の情報もないし、その土地の気候風土が格差に直結しそうな気がするが
そもそも自給自足が基本の時代に
大きな道路を使うことが少なかったんじゃあないのかな
749 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 04:00:43
すくなくとも大きな道路も牛が引いてる荷車も
日常的に使うような用事はないと思うね
せいぜい月に一二度の市に向かうとき、物々交換の物運ぶために使うとかかな?
しかしわざわざ牛の荷車を持ち出すレベルとなるとどんだけ売る気だろうか
自分で曳くリアカーサイズくらいで十分だと思うが
750 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 04:10:44
>>697 >つまり、日本人は2000年前から同じモノを食べてるってこと。
>逆に言うと、日本列島は世界で最も食べ物が裕福な土地の一つだったと言える。
古墳時代以降の日本人の平均身長がどれだけ縮んだと
江戸の人間がどれだけ粗食だと
751 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 07:22:45
歴史を語るとき、百年単位のズレを全く無視して同時代のごとく語る人は正直どうかと思う
下手をすると数百年単位で十把一絡げ
現代ほど急速な変化は比較的珍しいにしても、完全に無視できるほどのもんじゃないよ
牧畜ってのは米食してると必ずしも必須ではないんですよ。
米を食えば必須アミノ酸が足りるから元気に働ける。
もちろん雑穀や野菜が不必要と言っている訳じゃないですけどね。
特に日本みたいに国土が狭いと、広い土地を使って肉やミルクを得るよりは、
たとえ一町歩でも広い田が欲しい。
田が広ければ多くの人が養える。勢力が大きくなる。
律令の頃は中国の真似して乳製品なども作ったけど、
あまり浸透も定着もしなかったらしいね。
753 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 08:45:14
むしろ過酷な環境での食料難が牧畜を生むわけで。
>753
過酷な環境ってどんな環境を指すんでしょう?
755 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 09:59:08
ヨーロッパや中央アジア、中東。
年間を通じて農作物の収穫量が少ないか、冬期に農作物が期待できない環境。
チーズやソーセージは冬場の保存食。
756 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 10:00:35
日本は災害は多いが四季の恵みは豊富。
757 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 10:04:30
降雨量が少ない地域は採集型の生活や農作業に敵さず、家畜を飼い乳を搾り肉を食うことで足りない分を補わざるを得ない
758 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 10:50:07
ってか、遊牧民にとって足りない物は農耕民から奪ったり、家畜で交易して得たりしてたんじゃないの。
759 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 11:13:07
それがどうしたというのだ!
古代道を使うことがあったとすれば、租庸調の輸送とかだろうな……。
「庸」の輸送?はぁ?とか言わないでね。任地に赴くのも輸送の一種だと思うから。
そこで牛車が使われてたかどうかは知らんが。資料が少なすぎるよ。
それはともかく、「豊かだから馬車が発達しなかった」ってのはどうなんだろう?
アステカとかだと家畜の背に乗せる発想すらなかったそうだが。
761 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 18:43:10
>>750 2000年前とは人口が違う。
日本の土着系は、現代でもっともヘルシーとされるメニューを、現代の5千分の1以下の人口で分け合っていた。
その食料を作る人口も5千分の1だがな
763 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 18:45:34
>>753 本当に過酷な土地では、牛の肉を食べるくらいなら、牛を農耕に使う。
今の北朝鮮がそれ。
764 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 18:47:01
>>757 降雨量じゃなくて、森林の種類が重要。
降雨量が多くてもナラ林だと食べ物がちょっとしか採れない。
だからナラ林を破壊して、農業を行うが、ナラ林は破壊すると再生しない。
こうやって、農業一辺倒の地域が誕生することになる。
これが朝鮮。
>>764 欧州で、森を切り開いて畑を作ったけど、それも同じ理由なん?
766 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 18:55:27
>>762 日本人が2000年前に食料を作ってたとは考古学会もびっくりだ
>>766 訂正
食料を作る→食料を集める
まぁ、多少の加工は加えてた……よな?
768 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 19:18:08
>>766 弥生時代は紀元前5世紀頃から始まる
陸稲なら3500年前の土器からプラント・オパールが見つかってる
6000年前の地層からもイネプラントオパールも見つかってるからもっと古い可能性すらある
5500年前から4000年前の集落跡である三内丸山遺跡から出土した栗はDNA鑑定の結果、栽培されたものと判明してる
さらにはヒョウタン、ゴボウ、マメなどといった栽培植物も出土している
2000年前に食料を作っていたと言ってもびっくりするヤツなどおらん
縄文時代と弥生時代の違いが、農作してたかどうかだよな。
でも、弥生時代って5000年くらい前から始まってなかったか?
770 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 19:19:20
772 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 19:25:36
>>769 弥生時代の基準は農作じゃなくて、水稲栽培
水稲農耕が安定的行われるようになった段階以降を呼ぶ
773 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 19:28:41
三内丸山遺跡なら果実酒すら造ってるぜ
774 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 19:31:23
>>761 つまり
>つまり、日本人は2000年前から同じモノを食べてるってこと。
>逆に言うと、日本列島は世界で最も食べ物が裕福な土地の一つだったと言える。
は日本人にとって必ずしも言えないってことだろ?
775 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 19:44:17
>>761 >>750は江戸時代までのことを言ってると思うんだが
現代の人口はここ百年くらいで飛躍的に増えた結果だ
明治以降は食料(特に米とか)の輸入も始まるし、語っても意味が無い
776 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 20:01:12
777 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 20:23:00
778 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 20:54:12
>>775 日本の人口の伸びが加速し始めたのは江戸時代
とはいっても江戸初期は1200万人くらいで幕末で3000万人くらいだな
明治以降は飛躍的に伸び初めて第二次大戦時までの約80年で7000万以上に増えてる
最近は少子化とかで頭打ちだがね
とにかく、
>>761の数字は適当すぎ
>>776 このサイト、アホだな
人口と食料、農業の関係に思い込みが強すぎる
779 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 21:03:36
縄文時代末期の人口が5万から10万。
780 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 21:19:35
>>775 現代が1億2000万人として、5000分の一っていうと2万4000人?・・・おいw
古代から幕末までの人口の変遷を研究した人がおったが、
2000年前って完全に弥生時代だぞ、60万人くらいはいたらしいぞ
縄文時代ですら26万の人がいたと言われている
781 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 21:24:09
782 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 21:24:35
>>779 縄文時代末期は、気候変動や乱獲、疫病の大流行などの影響で人口が一時的に3分の1以下になったそうな
水稲が行われない環境下での、環境の人口支持力の限界がどーたらと言われるらしいが
783 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 21:26:17
だからこそ、渡来した水稲を行う弥生人が入り込みやすい環境だったらしいぞ
784 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 21:31:39
>>783 弥生人も限界だったから渡来してきたんじゃね?
785 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 21:37:48
>>782 >疫病の大流行
最初期の弥生人が持ち込んだため、縄文人には免疫がなかったという話もある
そのあたりは江戸時代のコレラや、新大陸発見後の南米と同じだな
786 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 21:40:42
>>784 ???
限界だったから渡来した先で、縄文人がバタバタ死んで入り込みやすかったんじゃないのか?
>778
江戸といっても長いのだが、
後期、1720年以後は全く増えてないぞ。
つまり、120年で倍以上になったことになる。
ちなみに3000万と言えばナポレオンが活躍した18世紀末のフランス、
ビスマルクによって統一された19世紀ドイツくらいの人口になる。
また、1720年以降は東日本(特に東北)ではむしろ人口が減少。
この原因として、
「気象的に寒冷期に当たったために東北では生産が厳しかった」
などと言われるが、それでは1868年以降、急激にV字回復する理由がうまく説明できない。
薩摩・長州などの西国ではむしろ人口は増えている。
788 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 21:49:03
各々方、まさか弥生人が縄文人を駆逐したと信じているわけではあるまいな?
縄文人と弥生人は決定的な対立もなく、各地で融合していったのだ。
日本は山地で区切られているため、民族の出自でまとまるよりも、
各地域でまとまるほうが自然。
それが中国大陸とは異なる封建社会誕生の下地になっている。
>778
>787だが、連投すまん。
1945年の数字には、少なくとも10%程度の相当数の帰化移民が入っているのをお忘れなく。
一言で言うと、あなたの数字もデタラメ。
790 :
:日本@名無史さん :2006/11/14(火) 21:56:38
>>788 思ってないよ。でも蝦夷ってことばが出てくるあたりから決定的な対立が
あったと思ってるよ。
791 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 21:57:04
縄文時代の人口の変化については
>>781のwikiの「縄文時代の主なできごと」に書いてある
26万人ってのは縄文時代中期(5000〜4000年前)で、最も人口が多かったときだな
その頃から気温の低下が始まり、食料が減って人口も減り始めてる
人口減少は止まらず、3000〜2300年前の晩期には7万5000人程度まで減っていた
ちなみに、人口が2万人台だったのは6000年以上前の縄文時代早期以前
が、このスレにはあまり関係ないと思う
>788
深い考えに裏打ちされての文章だと思うのだが、
コメントが短いせいかえらく非論理的に読める。
話を飛躍させないで、詳しく語ってくれまいか。
793 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:05:14
>>789 端数切捨てで7000万人と少なめに書いてある上、200万人以上の戦死者もある
10%程度の帰化移民はおりこみ済み
そして
>>787が俺に言っているなら、すまんが何を主張したいのか分からない
江戸になって人口増加が加速したと言っているんだから、120年で人口が倍になった
というのは特に対立しないと思うんだが
その後、頭打ちになるのは日本式の農業の限界だろ?
だから明治時代には食料輸入が始まる
そりゃ縄文人と弥生人(現地人と渡来人)だって、皆が皆争ったわけでも、
皆が皆同化したわけでも無いでしょう。
話が飛躍するが、古事記や日本書紀の国譲りの話とかはどうも渡来人が
現地人の一部を駆逐し、一部を同化して国を築いた、って書いてあるように見えるんだ。
江戸時代の人口増加は、戦国の終焉が大きいんじゃない?
じゃあ何で平和な平安時代は人口がのびなかったんだよ、って言うかもしれないけど、
平安時代とは鎌倉から安土桃山までの長い時間を挟んでるわけで、その間に当然
農地も拡大され、農具も改善されてるはず。
要するに食料の安定生産が出来たと(勿論東北とか一部を除いてね)。
796 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:12:38
>>783>>786の入り込みやすかったというのは、攻め込みやすかったではない
溶け込みやすかったといういみじゃないかな?
797 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:15:42
>>794 日本史板に鎌倉武士はアイヌ(と同系)というスレがあったな。
その真偽はともかく、少なくとも弥生系と縄文系で大戦争をした形跡はないと思うのだが。
(食料を生み、人を増やす)水稲技術を持つ集団と、それを崇め奉る現地人との間の物語ではないかと。
798 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:27:04
>>787 東北は江戸時代にも、南部藩辺りに当時の水稲北限があるから飢饉があるのはどうしようもない
その上重税かけまくって領民殺してるから、人口が減るのも無理は無い
なんでか米にこだわって、水稲北限以北で水稲しようとするし
藩の財政が破綻してるせいで米が足りなく、飢饉のときにもそれ以外にも、人が死にまくった
明治に入って統一政府が出来てその辺りが是正され、西洋の農業技術で環境に適した農業を行えば、
人口が回復するのは当たり前じゃなかろうか
799 :
:日本@名無史さん :2006/11/14(火) 22:28:03
山本キッドの父親はもろアイヌ顔。
気付いてないだけで意外と身近に沢山いるもんだ。
800 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:30:37
つまり、このスレには>弥生人が縄文人を駆逐したと信じているようなヤシは居ないって事でFA?
>793
確かにそうですね。あなたの主張にとってはナンセンスだったかも知れません。
120年で倍と260年で倍では、微分すると大きな隔たりがあります。
また、あなたの言う「伸び」や「加速」にも、
微分を使った世界にはかなり厳密な意味があるんですな。
僕は江戸時代から人口の「伸び」が「加速」したとは考えていませんので、
つい不当な発言をしてしまいました。お許し下さい。
802 :
:日本@名無史さん :2006/11/14(火) 22:32:31
平安鎌倉期のまださほど混血してない頃の関東武士&鎌倉武士はまじ強い。
803 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:34:21
貴様ら、馬車が遠くに行ってしまったぞ!
804 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:34:29
>>789 終戦の時点で7000万人居てその10%なら700万人だが、帰化移民とは何の
ことだ?朝鮮人なら最大200万人程度で人口の3%程度だっただろう。その他を
含めても10%とは過大な数字だな。
805 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:34:34
>>801 おお、そうなんですかい
あまりその辺りの言葉は意識してなかったよ
人口変化のグラフを見ながら何気なく言ってしまった
混乱を招いたようで、スマンかった
馬車の話を誰もしてない・・・
どこから迷い込んできたんだろ・・・
808 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:42:37
この話題になるまでは馬車とか牛車とか馬とか牛についてどこまで話してたっけ?
809 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:46:59
>>776のサイトを鵜呑みにしたレスが書き込まれたあたりから騒動が始まってるが
最初は、古代日本での馬と牛の扱いについての話だったようだ
大化の改新以後の伝馬制とか675年の食肉禁止令とか、
白村江の戦い以後の日本の軍馬生産とか
>809
そこから牧畜の話になり、農業生産と人口の話題に飛び火した、と
811 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:51:15
馬車を追いかけろ!
急げば間に合う。
812 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:53:02
740前後から750前後は古代の整備された道と牛車を、一般人が使えたのか使ったのか
813 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:55:39
814 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:59:18
他にも、明治時代は小作人が増えて通勤が増えた。そして馬車が役立った・・・・。
というストーリーも見所が合ってよかった。
よくねえか
815 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:59:40
話題提供しますね。
日本にも「車」はあった訳だが、「舗装道路」はあったのか?ってこと。
ローマのように土に小石やレンガを敷き詰めて、轍ができないようにした道路か、
中国のように車幅を政策的に決めて轍をレールのように扱った道路はあったんでしょうかね。
どうもなかったような気がします。少なくとも、大規模なものは。
現代のアネクドートに、
「日本車は悪路でもサスペンションが壊れにくく、燃費がいい。
ドイツやイタリアなら、車をいじるより、道路をなおす」
っていうのがあります。
どうも日本人は道路には無頓着ですね。
古代、沓を履いた時期もあったのに、ワラジや下駄になるのも分かる気がします。
雨の日に日本の昔の道を歩いたら、沓では悲惨なことになりそうです。
816 :
:日本@名無史さん :2006/11/14(火) 23:04:56
これだけは言える。ヨーロッパに比べて遥かに原始的だった、全てが。
817 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:12:15
>>815 720あたりにちらと書込あるが、京都には牛車用の牛道という舗装車道がある
中国タイプだったような?
しかし、あんまり劇的な効果があるわけでもないようだ
牛車は綿を入れたクッションで振動で痛くないようにしていたらしいが
818 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:15:01
>>817 他の地方でも牛道って名称の道はあったと思うけど、単に牛が通る道で牛車が通るためのもんじゃないぞ
819 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:16:18
820 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:23:27
>>817 牛道の全部が車石などで舗装されてるわけでじゃないと思うけど
というか、舗装されたのっていつだ?
821 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:25:22
>>819 幕末の人間が、欧米人の風呂嫌いに辟易としたっての聞いたことあるが、ホントなのかね
まぁ江戸の人は風呂好きだからなぁ
そもそも文化を高い低いで表そうとするのが間違ってるよ
>817
京近郊にしかなかったということは、
車を軍事利用するという頭は毛頭なかったということですね。
それは大和政権の、戦争のことなどはあまり考えない、
非戦闘的で平和的な性格を現しているのですか?
実際、軍事のことを考えなかったのは本当だな。
というか、軍事のことに関わるなんて下衆な人間だ、見たいな認識があったらしい。
そのせいで軍団を解散させて、地方の治安を大いに乱したりもした。
はっきり言って、平安時代の朝廷は今以上に平和主義だ。
後醍醐天皇が天下とってたら戦車のひとつも作らせたんじゃないかな
後醍醐天皇は政治家としては……
それより俺は織田信長に期待
827 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:36:15
役に立たないものを作っても仕方がない。
>>824 そんなんだから平将門等などに反乱起こされたりするわけだ
829 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:37:38
>>824 平和主義っていうか、人の死を連想するものを、貴族の視界から遠ざけたがる
たしか、平安の京都では制度としては存在する死刑判決が下ることは無かったとか
830 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:38:18
古代ローマは別として、ヨーロッパで馬車が貴族に用いられるのは16世紀からですね。
その前は乗馬です。舗装道路なんてほとんど無し。
一般人は18世紀の後半から。
植民地獲得で豊かになったとかあるんじゃないですか?
軍事用には数頭立てで大砲をひくとかは16世紀から。オスマンの真似ですね。去勢とかも。
831 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:39:31
そう。武家の台頭を許し、領地を持っていかれた。
大陸式の大宝律令も軍隊も結局は崩壊した。
日本には中央集権体制とその軍隊は合わなかったのかもしれない。
ローマ人が作った立派な街道を、ただの石材供給地としか見てなかった北部欧州人だからな…
>>831 というより、朝廷に中央集権体制の何たるかが解ってなかったんだと思うぞ。
そもそも役職もほとんど形骸化して、ただの出世コースになってたし。
科挙もほとんど意味を成さなかったし、大学や国学も恩位のせいで無駄になったし。
褒められるのは宦官を取り入れなかったことくらいか…。
しかし過剰な平和主義に極端な官僚化か…。
834 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:41:55
>>820 車石の舗装は割と近代に近いんじゃないかな?
平安時代の基本は地面を突き固める簡易舗装だと思うよ
高貴な人間がよく参拝する寺社の前とかは、きれいな砂利を敷き詰めたらしいが
平安末期に武者が牛車に乗って文句たれたってのは、そんな道だったと思う
そもそも日本に道路を舗装するって概念が根付かなかったことが問題のような
とはいえ、取り入れるチャンスは幾らでもあったわけなのにな……
836 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:45:53
>>832 寺社の石仏を徴発して、砕いて城の堀を埋める為に使った戦国大名がいた気がする
837 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:52:07
ところで、日本の馬が割合小型だったのは知ってるが、牛はどうなんだ?
どこぞの宣教師が日本の牛は大きいって書き記してたような気もするんだが
未舗装の道は力が強いほうが速いし、牛がでかくて馬が小さければ
車を馬に曳かせず牛に曳かせるのは自然な気がするが
838 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 00:02:23
>>837 手元に資料が無いから確認できないが、
ブスケが、1872年の日本見聞記に京都の牛は大きいって書いてたと思う。
大牛って種類だったかな?
839 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 00:19:46
馬は飼葉沢山食うからな。農作業には牛より馬の方が適してる。
材木の川までの運搬とかに使ったんじゃねソリタイプで。
山ばっかで農地が江戸時代は少なかったし桑・カヤとかの畑が今以上に多い
水運と人力ほうがコストが低かったから・・・
馬の食い物確保が手軽じゃねえからってのもあんじゃね?
841 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 05:17:32
ゆとり教育世代は日本語の文章も満足に書けないのか?
843 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 10:03:12
ちょっと解読頑張ってみたんだが
矛盾があってすっきりとした文章にできない
844 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 12:06:29
あまりいじるな
またファビョるヤシが出てきたら面倒だから
馬は飼葉沢山食うから(あまり使わなかったんだろう)な。
農作業には牛より馬の方が適してる(のに)。
(でも)材木の川までの運搬とか(程度)に使ったんじゃね
(車両じゃなく)ソリタイプで。
山ばっかで農地が江戸時代は少なかったし桑・カヤとかの畑が
今以上に多い(から馬車は使いにくかったんじゃないのか)
(しかも)水運と人力ほうがコストが低かったから・・・
馬の食い物確保が手軽じゃねえからってのもあんじゃね?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一応、好意的にこう読んでみた。
846 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 12:25:57
馬は麦とかの穀物類も食べるわけだが・・・。糠でも普通に食うし
放牧させとくとそこらに生えている雑草も食ってるぞ。
今の時期だと落ちている銀杏の葉も拾って食う馬もいるし。
847 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 12:44:40
>>845には盛大にGJを贈りたい
原文とは文毎の意味合いが全く変わってる気がするが、原文を素直に見てしまうと矛盾してそうなので
多分そう読まないと意味が通じないだろう
848 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 12:52:15
昨日の農作騒動があるから農業ネタにはあまり触れたくないが、
>農作業には牛より馬の方が適してる
なんて一概に言えたもんじゃないぞとだけ言っておく
ところで馬の飼い葉って具体的になんだ?現代のものじゃなく昔の
ちょっと調べてみたがよくわからんかった
849 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 13:06:52
山の下草とかかな。爺様は山に芝刈りにで御馴染みだけど山の手入れ管理で
下草刈りは基本の基本かつ重要な仕事で昔は当たり前のようにやっていて
その時に刈った下草は堆肥にしたり馬や牛などの飼料にしたりしていた。
山まで行けない時はそこらにある馬に害の無い草を刈って与えていた模様。
850 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 13:49:01
桑って飼葉がなまって出来た言葉だと聴いたことがある
たぶん馬の飼葉って意味ではないと思うが・・・どうだろ?
851 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 15:03:21
馬の飼葉ではなく蚕の飼葉では?
852 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 15:04:36
>>752 亀だが、稲作では牛乳摂取のためなどの牧畜は必須では無いが、
米食文化はどうしても白米食に行き着くためビタミンB1が欠乏する。
だから、本来なら米食には豚の飼育と豚肉食が必須になるはずなのだ。
だが、沖縄を除く日本の伝統的食文化は豚肉食に欠く。
これは稲作文化圏では世界中で日本と後世イスラム教が広まった地域だけの話で、
日本が本来なら稲作米食圏の辺境にあたる地域だということがよくわかる。
「ニッポンジンならコメだろ?」という
日本食文化の真髄=コメというのは単なる神話。
>>764 朝鮮半島は周辺農耕文化のエアポケットになるちょっと悲惨な地域なんだよ。
西南日本や華南のような照葉樹林式稲作を行うには低温かつ雨量が足りない。
華北式畑作農耕を行うには黄土が足りない。
満州などの北アジア式農耕を行うには平野の広さと土壌の肥沃度(黒土)が足りない。
基本的には何をやってもだめなところ。スサノオだって逃げ出したw
854 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 03:01:10
>>752 日本がビタミンB1が深刻に不足するほどの精米をしたのは江戸時代の江戸からだーね。
脚気が江戸患いといわれて、風土病と思われてたくらいだしな。
江戸以外ではビタミンB1の不足は深刻じゃなかった。
江戸は米あまりで米が安いから精米した白米を中心にした食事だった。
でも精米するほど嵩が減るから、胚芽を取った精白米は江戸以外ではあんまり広まってない。
それに他の地方では江戸ほど米を偏食してないしな。
でも、日本人が豚肉食ってないってのも言い切れないよ。
九州では中世から生産してたところもあるし、猪なら牡丹とか呼んで薬食いの対象。
江戸にも、ももんじ屋とかあるし。
脚気予防に効果があるっていって肉食わせるようになったのは明治の軍隊からだけどね。
ビタミンB1なんて水にすぐ溶けるんだし、別に米糠使った料理すれば良いだけなのにw
>854
陸軍では後々まで栄養障害説をとってないぞ。
日露戦争では3万人くらい死亡してて、
死亡にまで至らないにせよ、罹患率もべらぼう。
戦時編成の1個師団強が脚気で消えたことになる。
白米とビタミンB1の関連については同意。
米食と養豚を結びつけるのには少し無理がある。
またしても、馬車とは関係ないが。
856 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 08:08:20
ビタミンの発見も大正か昭和だし、脚気との関係が実証されるのは先のことだが
肉食と脚気の罹患数の関係は一応一部で指摘されてたみたい
軍でも体位向上のために食事に肉を取り入れたんだが、脚気の罹患数が減ったらしい
事実として減ったから、肉を食うことが脚気に効果あるんじゃないかって議論は
当時の軍隊で実際にされている
だが
>>855指摘のとおり、結局はビタミンの発見まで陸軍では他説が優勢になったりした
海軍は一応脚気への効果を期待して当時の食事としてはかなり多くの肉を食べている
857 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 08:15:45
馬車・・・
858 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 08:35:43
味噌が最強の栄養持っていたしな
859 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 08:41:02
江戸では糠漬けの糠をお湯で溶かして飲んだりしているし、貧乏人は余すところなく食するから江戸といえども脚気はどちらかというとやや富裕層の病。
860 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 09:50:05
いや、脚気のなにがまずいかって、江戸時代には死亡率がやたら高いんだ
これは脚気患者が常人の数十倍のビタミンB1を必要とするせいでもある
一度かかると衰弱して治らず死んでしまうことも多く、特に暑い夏場にはバタバタ死んだらしい
しかも、15〜30歳くらいの男性患者が多い
低所得層が罹ると働き手も居なくなって金がなくなるのでホントに治らないようだ
米価安の諸色高って言葉が有名だったりするが江戸時代は米価が下がって他の物価が上がった
せいで、江戸では庶民も精白米を多量に食う偏食の食習慣が出来た
江戸に行けば職は無くとも白い飯だけは食えるって言われた時代だからな
精白米のビタミンB1は玄米の3分の1しかないうえ、米の糖質の分解にビタミンB1が必要なため
江戸時代の後半には富裕層以外にも結構脚気患者は増えてる
・・・馬車とかなんの関係も無いこと書いてしまい、正直すまない
お前ら、日本史板なら「オリザニン」と呼べよw
862 :
36歳 男:2006/11/16(木) 10:21:47
陸軍の栄養や病気対策にカルピスを持っていったのではなかったですか?
ところでよく大正生まれのおばあちゃん家にいったとき、カルピスに
似た白い液体が酒ビンに入れられて置いてあったが、あれはカルピスではないと
聞かされた。飲ませてもらったらカルピスそっくりな味だった。
名前はなんと言うのでしょうか?
名前は知らないがカルピスもどきの作り方は聞いたことがある。
しかしスレ違いなのでここには書かない。862は反省し自分で調べろ。
もしくはふさわしい板で聞け。
>856
陸軍は軍医監の主流が帝大医学部ドイツ派グループだった為、体制的にはあくまで脚気伝染病説を堅持。
海軍は高木兼寛らの尽力でパン食に切り替えている。
高木は肉なのかパンなのかはともかく「洋食」であれば罹患率が下がると考えていたようだ。
かの軍医総監森鴎外も伝染病説で、栄養失調説を一笑に付していたそうだ
軍陣食について医学的見地から独自の見解も持っていた鴎外にしてからが、
「脚気が食事のせいだなどと非科学的なことを言うな」とまで言っていた。
博学の者がトップにいても科学が進歩するとは限らない。
あまりにスレ違いなので無理やり結び付けるが、鴎外に「なぜ日本には馬車が
なかったんですか」と尋ねてみたかった。脚気じゃなくて馬車の話ならば
傾聴に値する説が聞けたと思う。
867 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 11:13:56
玄米や麦飯など雑穀と味噌汁の組み合わせは最強だな
あえて牧畜をする必然性がない。
868 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 11:20:56
お前らまた馬車が遠くに行ってしまったぞ
既に思いつく限りの論点は出尽くしたからな。
あとは個人の好みでそれらに軽重をつけるくらいしかない。
870 :
36歳 男:2006/11/16(木) 11:24:34
863さん。別にカルピスの話をしたかったのではなく、陸軍の脚気の話が
出ていたので書きました。
当時海軍ではまったく脚気が流行っていないのに、陸軍ではばったばったと
倒れていく。酷いときには兵力の半数近くが行動不能に陥るため、どうにかしたいという
対策で、お米を(記憶によると白米ではなく玄米だった気がしますが)やめて、
カルピスも呑んだのではなかったかなと。
ちょうどそのときカルピス社が大きくなった記憶があります。
また白い液体ですが、そのころからの知恵で昔の人は、カルピスのようなものを
薬として家に置いていたのではないかと、書きました。
すみませんでした。
今後馬車の話に戻るとすれば、ロクにログも読んでない馬鹿が
「お前らこんなことも知らないのかw」的池沼レスをしてきた時に
限られるであろう。
872 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 11:28:47
>>869 鈴木梅太郎か
彼が農学者じゃくせめて医者であれば・・・
1911年に米糠から発見抽出成功してるのに、普及したの何年後だよ
日本の栄養学は大正時代くらいからだからねぇ
それ以前にあったのは滋養という概念くらいじゃないか?
まぁなんにせよ江戸時代ですら田舎じゃそんなに精白米食えたわけじゃないし
栄養的には肉食も必須ではなかったんだろうね
>>866 聞いてみたい
「だから日本的なものはダメなんだ」で締めくくりそうな気はするが
>866
森(と石黒)は伝染病説の中心で、栄養失調説迫害の中心人物だよ。
日露戦争での戦死者5万弱に対して、脚気病死3万弱と伝えられる。
既に麦飯効果を伝えるレポートが発表されており、
日清戦争の脚気病死の経験から陸軍軍医部の重要なイシューとなっていたにも関わらず
森が「医学的根拠がない」とあくまで白米供給にこだわった結果だ。
ま、馬車には関係ないけど。
874 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 11:31:01
ここのスレで脱線した議論が結構好きな俺がいる・・・
>872
鈴木が医学部ではなく農学部であった為に、
医学部グループから白眼視されていた節がある。
彼が帝大医学部だったら…
もちろん、ありもしない「脚気菌」を探す羽目になっただろう。
鈴木とオリザニン冷遇にも森・石黒ラインの手が伸びていたらしい。
帝大医学部の派閥の長だから、派閥が何をやっても黒幕になっちゃうんだけどね。
876 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 11:39:59
>>873 従軍中は脚気の罹患率跳ね上がるからな
日露で3万人もあながち・・・
ちなみに一般の脚気死者は大正時代の年間2万人超が最大かな
マジで馬車の話題ねーな
じゃぁ話題が明治以降になったところで、しばらく前に出て一蹴され放置したままの
「明治時代は小作人が増えて通勤が増えた。そして馬車が役立った・・・・。」
というストーリーを検討しなおしてみるかい?www
877 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 11:44:30
鈴木に関しては
「医学者じゃない」「西洋人が研究してない」「米糠ってお前www」という批判が多かったからな。
一つ目もたいがいだが、二つ目。
どれだけ卑屈なんだと。
三つ目はまぁ栄養学発達以前の日本なら分からんでもないかな。
根本的に常識が違うんだから。
西洋人というか、厳密にはドイツ人ね。
その頃にはエイクマンがコッコちゃんを米ぬかで育ててた訳だから。
>>877 3つとも全部、今の学会でも普通にみかけますが
880 :
36歳 男:2006/11/16(木) 11:51:38
すみませんでした。馬車の話だったんですね...
日本の国産馬では馬車たり得なかったからでは。日露の騎兵を組織するのに
わざわざ外国から良質な馬を買ったくらいですから。
それに日本にはまだまだ馬は少なかったと聞いています。
つまりやっと種馬から馬を生産し、需要に追いつくころが明治になってから
ということではないのですか?
>>876 どうしてwwwとか池沼丸出しの記号つけるの?
882 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 11:55:04
この時代に脚気でこれだけ盛り上がれるおまいらがすきだ
>880
江戸時代は馬はよくても「車」が禁制でした。
日本の在来種が本当に馬車に適さなかったのか、
江戸以前に馬車がなかったのが馬格によるものなのか、
これははっきりさせときたいですねぇ
そして馬車の話題に戻ると伸びなくなる(笑)
>>884 どうして(笑)とか低脳まるだしの記号つけるの?
>>883 時代的な理由と地勢的な理由があると思う。
・記録や鞍などのサイズから、関東馬が130cm前後、関西では110cm前後だったとされる。
・平安末期に京都を中心に馬借、車借が発達したが、馬には荷を背負わせて牛には車を
曳かせていた(大津〜京都間を運ぶ車借は明治期まで続いている)。
・江戸期になり、物流の中心が関東に移った時期には馬車禁止令が出ていた。
これらから、平安期くらいまでは牛>(関西)馬だったから「馬車」のメリットが少なく、その後
馬に曳かせるメリットが生じた(関東馬が普及する、移動距離が広がる)頃には徳川の禁令で
発達できなかった…ってことなんじゃないのかな。
887 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 12:24:59
明治以降の洋式種馬の交配には明治の欧米賛美の風潮もあると思う。
軍隊はドイツなどを中心として真似した訳で、馬格の小さい日本馬は改良すべき存在として見なされた。
他分野のように当初の欧米偏重を軌道修正する前に、結局、陸軍で騎兵が活躍する時代はすぐに過ぎ去ってしまったと。
888 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 13:09:44
ちなみに、近代の牛馬耕でも関東は馬耕が多く関西は牛耕が多かった
おそらく関東と関西でお馬や牛の大きさの違いも関係しているだろう
馬に関しては現代でも関西方面の在来種は小さめのものが多い
明治以降農耕馬などとして輸入された馬が目立って大型とは限らない
道産子の元になったアラブからの輸入馬もそれほど大型ではない
サイズよりもむしろ日本の在来種の気性の荒さのほうが問題だった可能性はある
889 :
36歳 男:2006/11/16(木) 13:21:50
んー886さんでほぼ正しい気がしてきました。
そういえば平安時代から午ですよね。。
ここで憶測で言ってしまいますが、
昔から牛に引かれて。。。善光寺というくらいですから、
ゆっくり歩み、塩をあげることで体力もある牛が使われてることが多かった。
きっと街道もでこぼこでしたでしょうから、積荷のことを考え牛が適していたと。
明治にはいると道が整ってきているから、馬で早く走ることも望まれてきた?
しかし馬は基本的に高かった。少ないから?
(山内一豊ではないですが、馬って基本的に高いですよね)
最近武田信玄の騎馬隊も無かったらしですよね。信濃では思ってたよりも馬の生産地
ではなかったらしいですし。
また欧米賛美というならば、馬車もそういう観点から明治時代増えてきた?
890 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 13:47:54
日本の牛車って鉄輪ついてないんだよね
近世以前の日本の車両技術などを知る参考として
馬車を知る西洋人が見た日本の牛車について描写を抜粋
(安永4年(1775年)ツンベルグの江戸参府の往復での記録)
この車は小さい。そして一つの木片を削って造った車輪を3個より多く持たない。
それに摩滅を防ぐために縄が巻いてある。この車輪の中には欧州流の作りのものがあり、
線棒と車穀がついているが、然し鉄輪もなく又非常に華奢。
二輪の車で只一頭の牛に曵かれているものは一層祖雑。
御者は往来の低いところ(牛道)以外は通らないよう命ぜられている。
また車の数が非常に多いので、混雑を避けるために、
朝に家を出て午後でなければ帰ってきてはならない。
江戸時代、京の牛車は例外的に許された車両
でも欧米人の目から見ると随分ちゃちなものに見えたようだ
鉄輪をつかってないのは実用を考えれば致命的かもしれん 大型化が出来ん
>890
待て待て。
牛が牽く時点で大型化はありえないのかも知れないが、
江戸時代の牛車と平安時代の牛車が作りが全く同じとは限らん。
892 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 13:53:37
ちなみに、例外として牛車が許された地域は京のほかにもいくつかある
>>890 > それに摩滅を防ぐために縄が巻いてある。
記録にケチ付けてもしょうがないが、これ不正確だな。
縄を巻いているのは摩滅防止だけじゃなく滑り止めの役目も持っていた。
(同様に、牛や馬に草鞋を履かせていた。)
蹄鉄&鉄輪と単純に比較してもしょうがないと思うぞ。
894 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 13:57:42
いや、あくまで近世以前の車両の参考というだけで、平安と同じとは言っていないぞ
もしかして鉄輪なんかの技術については江戸時代に規制がかかった可能性もあるしな
あくまで参考として考えてくれ
895 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 14:01:34
先に言うべきだったが、
江戸時代に関しては、大船の造船が禁じられて幾つかの造船技術が廃れたりとかもある
同様に江戸時代の車両だけでは日本の古来の車両技術について断定は出来ないことは
言っておく
896 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 14:53:32
飼料生産に割く土地の余裕がなかっただろ
だから肥料だって下草なんかが主だったわけで
897 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 15:06:38
このタイミングでそれを言う意図が分からん
>896
ヨーロッパでは土地が余ってた訳じゃないでしょ。
肥料。肥料ねぇ。
そういや下肥はいつからあるんだ?
江戸時代には大分リサイクルシステムが進んでいて、
それこそ馬で都市の屎尿を農村に運ぶ業者がいたらしいが。
同時期のパリは、糞尿まみれだった。
だから下水道が早くから発達したとも。
899 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 17:15:43
たまにテレビとか見ると、東南アジアのカンボジアみたいな最貧国でも、普通の農家が二頭立ての牛の荷車を
使ってるけどな。
あれなら、別に日本の農家でも普通に使えたと思うが。
900 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 17:19:23
日本の江戸時代以前て牛の荷車も使わなかったのか。
だったら、やはり、幕府の禁制が原因では。
戦国以前は牛の荷車とか使ってたんだろうか。
あんまり関係あるような無いような話しなんだが、
馬車が主要な交通機関として使われてた期間(つまり自動車に取って代わられるまで)
ってどのくらいの長さなんだ?
いや、一部の国ではいまだに観光以外の用途に使われてるのは知ってるんだが、
イギリスみたいな国で主要道路を走ってたのは何時までなんだろう、って話。
日本は、日米戦争で馬車から車に変わったような印象があるんだが……。
そんな日本はありません
903 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 20:36:45
結局、日本では明治以後も馬車なんて定着してなかったんだよね。
あっても儀礼用か公務用という色彩が強い。
儀礼用なら今でも使ってるな。
車より馬車を希望する外交官が多いとか。
道狭くしてるからだろ?
>905
広い道路は全く無かったとでも?
907 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 21:12:23
明治以降の馬車なんて
乗ってた人間が何人か暗殺されたことしか印象に無い
あとは曾爺さんが田舎で馬車馬の世話をしていたらしいくらいか
物流にはある程度馬車を使ったみたいだよ?
第二次のときはその馬を戦争にもってかれてかなりキレてたらしいが
(騎兵用に使われたわけではない)
【馬格】
中世までは、関西の馬は特に小さく、牛の方がむしろ有用だった。
【去勢】
日本では去勢をしないので馬車では制御できない。
【道路】
悪路が多く、舗装道路または車道に値するものは京都近郊にしかなかった。
【車】
江戸時代になると禁制に。
【牧畜】
生産活動としての牧畜は殆ど発展しなかった為、
馬の用途はかなり限定されていた。
909 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 21:47:29
>>908 悪路なら馬は小さいほうが車に向いてると思う。
一番最初から繰り返されている一番大事な理由が抜けている。
日本の国土の7割は起伏に富む山林。その環境で馬車は必ずしも便利な乗り物とはいえない。
少なくとも私はこれがもっとも大きな理由だと思う。
>909
詳しく
>910
それはチャリオットがなかった理由、
長距離馬車がなかった理由にはなるが、
平野部近郊や都市の市中での移動手段にならなかった理由にはなりにくいのでは。
>>901 ほとんど無し。鉄道馬車の時代が僅かにあったが、
陸上交通は飛脚・早馬からいきなり鉄道(蒸気機関車)に変わっていく。
第二次大戦までは陸上の長距離交通と言えば当然鉄道。道路整備は後回し。
戦後占領したGHQが悪路ぶりに愕然とするほどだった。
極端な話、まともな道路網が整備されたのは平成になってからだよw
>912
また田中角栄を正当化するようなことを(笑)
914 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 22:05:01
>>912 戦後すぐは、馬車使った行商が流行っていたのだが。
915 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 22:06:56
てゆうか、馬車じゃやなくて馬や牛に引かせる荷運びようの荷車は日本では多用されなかったの?
それが気になる。
馬車の前に。
駄獣に背負わせるのばっかだったのか。
916 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 22:07:43
馬は背が低いほうが日本の農耕にはあったらしいよ。
>>908 改めてみると、ツッコミどころ満載だなあw
古代・中世の主要街道は十分な道幅を持つ突き固められた直線道路だし
(曲がりくねった細道の街道というのは江戸時代固有のもの)
牧畜の有無に至っては何の関連も無いな。だからこのネタは直ちに話を脱線させるw
大体、日本の武士は騎兵が基本中の基本だろうに。
俺は、どうも馬で車を牽くための、ある基本技術が
ついぞ発達しなかったからなのでは無いかと思っている。
それは、車を牽く際に馬体とどのように連結させるかというところだ。
牛のような頑強な動物なら、平安時代の牛車のように木の棒で十分なのだが、
比較的繊細な骨格を持つ馬では同じことはできないはず。
しなやかな綱と衝撃を吸収分散させる幅広いバンドで馬体を繋ぐということを
明治まで日本人は知らなかった可能性がある。
この辺は、古拙文明で馬車戦を行っていたユーラシア大陸部との違いだろう。
俺も詳しいことは知らないけど。
>916
すまんが、詳しく
戦前
鉄道有るのだから大量輸送の為の立派な道路はそんなに必要ない。
それに朝鮮、台湾、満州、南洋諸島の近代化で道路に割く予算が無い。
920 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 22:20:44
>>918 いや、農耕で耕すのに馬使うときは背が低いほうが操りやすいとかそういうレベルの話です。
馬車戦といっても、陣形の乱れに付け込み、歩兵に突っ込ませるのが主目的で切り札的存在。
その速度が貫通力をもたらす。速度が落ちれば歩兵の餌食となるのは、古代東西(中国大陸とローマetc.)で同じ。
そして、どちらも中世のはるか手前で戦場から姿を消す。
もしも日本でこの戦車を使用したとすると、どうなるか?
日本の戦の大半は山城をめぐる攻防戦であり、馬車は様々な障害で速度が鈍るか、
あるいはそもそも走ることができずに、歩兵(足軽そのほか)に取り込まれて討ち取られるのが関の山かと。
日本では騎馬軍団(騎馬兵のみの集団)がなかった(といわれている)のは、
馬車に比べて悪路の走破性に優れる騎馬兵ですら、日本では速度が鈍り危険だからではいかと推測する。
だから、日本では騎馬武者一人の周りに徒歩の郎党など数人がセットで進み、騎馬兵の欠点を補う格好に
なったのではないかと。
推測だらけですまんが、そういうことで。
>>913 角栄は本来は天下無敵の『鉄道族』ですよw
道路族が跋扈するのはもっと後の話。本当に最近の話なのだ。
>>914 終戦直後の行商や運送の基本アイテムは「牛車」だよ。馬車じゃない。
これは、当時、荷車関係を修繕した職人のじいさんに聞いてみれば分かる。
牛車の修繕こそが最大の仕事で、牛車が道に溢れていたと言う。
それが高度成長時代にぱたりと無くなったとね。
>922
だから、それはなぜなんだw
昭和でさえ牛車でなければならなかった理由が分かれば、
はるかな過去の推測に役立つやろが
924 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 22:31:04
>>922 東海地方にAパンクラブってあるけど、あの人はもともとは馬でパンの行商してたよ。
>>923 終戦直後に牛車ばかりだった理由は簡単だろう。
そもそもこの時期、日本には馬の頭数が絶対的に足りなかった。
戦争で軍馬としてことごとく徴発されていたからね。
軍馬の飼育をしくじった兵士が
「兵隊は赤紙一枚で来るが、馬はそうはいかない」と
上官に殴り倒されたというおぞましい逸話が残るほど、
当時軍馬は貴重なものだった。
>924
なるほど。
それじゃあ過去の推測はできないね
日本にロバが入ってたらまた随分と状況は変わってただろうな
928 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 23:16:57
男は牛と獣姦したがり、女は馬と獣姦したがる。この辺に理由がある。
929 :
928:2006/11/16(木) 23:36:04
くだらないこと書いてごめんなさい。
930 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 23:52:35
>>922 牛さんは、皆食われたんでしょうか。
もう、牛さんは益獣として人間に使われることはないんですかね。
ただ食われるだけのために存在していくんでしょうか。
インドが発展したら、あそこの牛はどうなるんだろう。
931 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 23:53:33
武烈天皇
933 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 00:53:58
クソ発言でスレが終わるのか!
この誇り高いスレが!
大分本題を外れるんだが、イギリスで馬車が移動手段として使われてたのって何時まで?
1950年代にもなれば流石にロンドンでは見かけなくなってたはずだよな?
935 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 01:04:19
馬車がなくても困らなかったからだよ。
そんな簡単なことも分からない大馬鹿たちが今日もくだらないことを
てんこ盛りで書き込むこの糞スレは地味に成長するのであった。
このスレに書く奴、馬鹿ばっかり。死ね
936 :
935:2006/11/17(金) 01:29:27
ムシャクシャしてくだらないこと書いてごめんなさい。
僕が死にます。止めないでください。さようなら
937 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 02:06:10
牛の方が車両との接続が簡単なのは確か
肩の辺りに出っ張った骨があるから木を引っ掛けていける
その点、馬は面倒ではあるが技術としては古代中国に既に戦車の技術があるのだから
日本に馬が伝わってから千年以上技術が伝わる機会が全くなかったとも考えにくいな
むしろ伝わったが何らかの要因で廃れたと考えるべきではないか
938 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 02:07:13
ということで、車両との接続技術がなかったからってのは疑問
>>935 今の主題は「どうして馬車が無くても困らなかったか」だけどなw
940 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 05:12:34
>>921 >馬車戦といっても、陣形の乱れに付け込み、歩兵に突っ込ませるのが主目的で切り札的存在。
>その速度が貫通力をもたらす。速度が落ちれば歩兵の餌食となるのは、古代東西(中国大陸とローマetc.)で同じ。
>そして、どちらも中世のはるか手前で戦場から姿を消す。
あぶみとくつわが普及した時点で騎兵に勝てなくなったからだよ
日本は乗馬、あぶみ、くつわが同時に入ってきた。
だからチャリオットが歴史に出てこない。
941 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 08:47:39
942 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 09:06:09
>>908 牧畜に関しては「発展できなかった」ならともかく「発展しなかった」じゃ
馬車について語るには意味が無いな
943 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 18:53:46
牧畜ってのは、放牧とセットになっている。
馬の放牧は牛よりも広い面積が必要。
江戸の馬や牛は現代の耕耘機にあたる(耕耘機以外の用途でももちろん使われた)。
放牧を許さない国土条件から量産が出来ず一頭当りの単価が凄く高い。
>>944 馬鹿かこいつはw
メス一頭から毎年一匹の仔しか生まれないんだよ。
どうやったら「量産」出来るんだ?(嘲笑
946 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 22:11:26
>>945 座って酒でも飲みながらボーっと眺めてる。これが遊牧民の標準的な生産活動。
ふつう、馬の量産=大量飼育だろ。
>>945藻前は雌馬一頭に年間何頭産ませる気だ。
948 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 23:07:26
輸入すればいいじゃん。
949 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 23:08:30
馬車が走れるような平坦な道ではなかったから。
950 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 23:09:49
歩かせばいいじゃん。
米作がどうとか、
人口とか脚気とか語ってた頃が何気に楽しかったナ…
>>943>>944>>947 前近代の日本にはかなり広い放牧場が確保されていましたが何か。
日本に無かったのは、乳牛のための牧場(古代には一応あったが)と、
羊のための牧場(これは有史以来ほとんど全く無い)だけ。
羊毛も牛乳も要らないから、その分の放牧地が村の近くに無い。
運搬用の牛馬の為の放牧場はあちこちにあった。
特に東日本各地の火山の山麓は馬を放つ広大な放牧場に最適だった。
西日本では中国山地の山頂の準平原地形が牛の格好の放牧場になっていた。
牧畜不在説は全く説得力が無い。素直に諦めろw
>>945 >馬の量産=大量飼育だろ。
大量飼育したら、メス馬がたくさんの子馬の生むのか? バーカめw
戦前の信州なんて、各農家で必ず1〜3頭の馬を飼ってたよ。
美ヶ原とか菅平とか広大な馬の放牧地も各地にあった。
子馬は大切な現金収入源だから、毎年必ず生ませる。
甲信は戦国時代以前から良い馬の生産地として名高かったし
国の収入源の一つが馬の売却だったぐらいの土地柄だから
少し差っぴいて考えた方がいいように思う。
>御牧貢馬数
信濃国16牧=80匹
甲斐国3牧=60匹
武蔵国6牧=110匹
上野国9牧=50匹
>放牧に必要な面積=1頭あたりおよそ1、2町歩。
>飼養牧馬数は貢馬数×約25。
信濃望月牧(貢馬数20)なら500頭放牧の計算。
武蔵小野牧(貢馬数40)なら1000頭放牧の計算。
>信濃御牧の牧馬数、827年1000余匹⇒876年2274匹
956 :
945:2006/11/18(土) 01:10:55
大量飼育って点にぜんぜん頭回らないまま調子こいて煽ってごめんなさい。
煽り続けるのつらいからもう誤ります。もう来ません許してください。
957 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 04:01:06
日本の在来種って別に平野じゃなくても放牧できそうな気がするが
もともと山に住んでる種類じゃないのか?あまり詳しくないけど
戦前の甲信を差っぴくなら北海道も差っぴくべきか?
北海道産和種(道産子)って日本の在来種で一番数多かった気がする
輸入馬と混血する前からね
馬より牛のほうが粗食に耐えるし丈夫だから牛を使ってたんだろ
959 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 06:38:44
日本の馬は粗食に耐える種類と聞くんだが・・・
牛と馬でそんなに飼料の負担が違うの?
てか戦前の東日本は馬耕が広まったっていう話はどうなるの
ペース結構早いみたいだけど、次スレは950?980?
961 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 07:47:12
つーか餌が理由なら馬使う国もっと少ないじゃまいか
962 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 08:28:05
大体家畜の単価はこんな感じ
山羊0.9
羊 1
牛 5
馬 6
駱駝 7
朝鮮牛の移入
964 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 11:21:55
>>957 戦前に馬を持ってたなんて地主だけでしょ。
地主の馬なのに小作人が自分の馬のように振舞ってただけじゃないの?
965 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 11:28:33
>>963 神戸牛として売られている牛肉は本当は日本の黒牛と朝鮮の赤牛との
雑種らしいな。和牛は肉が少ないらしい。
966 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 11:33:48
>>952 放牧地っていうのは、地平線が見えるくらいの広さが必要。小さくても3km四方。普通は5km〜10km。
牛ですら放牧されていたとは考えにくい。せいぜい牛舎と畑の往復くらい。
968 :
952:2006/11/18(土) 11:54:45
>>966 なるほど、スケールが違うんですな。
認識不足でした、誤ります。ごめんあさい。
969 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 12:07:17
>>964 それに何の問題が???
使える馬がいることに変わりは無いだろう
>>966 その程度の牧場なら東日本には普通にあったわけだが。
狭い牛舎に缶詰め状態で飼料を食べさせられている今の日本の牛馬飼育というのは
醗酵牧草飼料という特殊な餌が発明された戦後日本特有の話なんだけどね。
東日本の火山の山麓なんて、穀物栽培には全く適さない(燐が足りない)ので
前近代には比較的平坦な遊休地が広大な広さで存在したんだよ。
西国では花崗岩質の山頂部分がやはり同じように使われた。頂上は準平原で平らだからな。
このような放牧が行えなかったのは、沖積平野と切り立った断層山地の連続で、
平野・盆地は肥沃だったため徹底的な高度利用(集約農耕)が行われていた
畿内(および瀬戸内海沿岸平野部)だけの話。
971 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 21:45:11
あーなんだ、つまり、
東日本では農耕に適さず、牧畜になら耐えうる広い土地があり、
西日本にはほとんどなかった。
なぜなら西日本の土地は山頂付近以外の平野部は肥沃な耕地であったのに対して
東日本は山麓に至るまでリンが不足した土地が多かった為、
ということか?
972 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 22:35:20
荷馬車はあったんじゃないか?
歌にもあるからね。
♪ドナドナド〜ナ〜ド〜ナ〜 子牛を乗せて〜
ドナドナド〜ナ〜ド〜ナ〜 荷馬車は揺れる〜
974 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 23:36:50
>>973 ドナドナはもともとは日本の歌ではない。
975 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 23:44:13
あの有名なゼロ戦も開発段階では工場から飛行場まで運ぶのに、牛車に乗せて運んだ。
日本の道は坂が多いし、道も悪かったらしい・・・
馬は、少しの刺激で暴れたりするから当時の最新精密兵器を陸送するには、遅くて、大人しくて、力のある
牛車が最適とか・・・
狭くて起伏の多い日本は徒歩で十分、せいぜい牛だったってことでFA
977 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 23:58:00
>>976 実用的じゃなくても馬車があっていいじゃん。
戦場ではほとんど使う場面のない日本刀が発達した日本なんだし。
馬車がなかったことより駕籠なんてもんがあったことを驚くべきだ。
>>977 日本刀はバリバリ使われていますが・・。
もっと短い短刀も戦場では使われています。
現物はもとより、絵画資料も軍記物も読んだことがないのかと。
実用的ではないものを残すのは裕福な人間でないと無理です。
金かかるし。
でも、武家でも貴族でもそんなものは残していません。
980 :
977:2006/11/19(日) 10:40:00
いい加減なこと書いてごめんなさい。
あまりに恥ずかしいんで、これから樹海に逝ってきます。
止めないでくださいさようなら。
さっさといけ
982 :
981:2006/11/19(日) 12:57:03
ごめ……言い過ぎた
謝る必要はない。
さっさと樹海へGO!GO!GO!
>>639 関連資料
「この国の道路は一年中良好な状態であり、広く、かつ排水の溝をそなえている。」
「日本では道を台無しにする車輪の乗り物がないので、道路は大変に良好な状態で、より長期間保たれる。
さらに道路をもっと快適にするために、道の両側に灌木がよく植えられている。」
江戸参府随行記(オロモルフ) 東洋文庫
車両が使われなかったこともあって日本の道路は相当に良好な状態だったらしい。
しかし、日本では普通の道路を舗装することはしなかったんだよな。
神社とか寺とかの境内は舗装されてる場所もあるんだから、舗装と
いう概念が無かったわけじゃないだろうに……
舗装? 砂利道とか踏み固めただけの土の道でも馬車は走るよ。
いや、馬車云々の話じゃなくてね。
街中を舗装して無いと、煙がたって困るだろうな、と。
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