>>861 馬鹿か?質問されてるんじゃない。
突っ込み入れられてんだよ!
892 :
辻小姐:2006/10/28(土) 04:42:40
>>863 音読みの名前は中国風で、訓読みの名前は日本風なら、佐藤榮作は中国風の
名前なのですか。中国には二字姓の人物も一字名の人物もたくさんいます。
最も代表的なのは諸葛亮と司馬懿です。
893 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 04:58:16
>>892 わかった!オマエ日本人にしいない日本漢字の
日本人苗のハンドルネーム使うわけが!
894 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 05:58:41
佐藤栄作は確かに全て音読みだな。
支那でも姓名の合計が4文字という例はイラン系や旧高句麗領からの移民が頭角を表した唐の時代になると沢山記録に出てくる。
たいていは漢族ではない例だから支那の伝統的な命名とは言えないが。
支那古来の2字姓である司馬や諸葛などの場合では下の名前を1文字にして合計3文字に留めた例しか見当たらない。
4文字にすると流石に支那風ではなくなり過ぎて忌避した可能性があるな。
895 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 06:01:50
896 :
辻小姐:2006/10/28(土) 06:49:41
>>894 司馬相如、司馬穰苴、長孫無忌、令狐コ棻、闘穀於菟など、漢民族に
は四字姓名のものはたくさんいます。まあ、楚人の闘穀於菟が、漢民
族といえるかは微妙ですが。
897 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 06:55:39
898 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 07:35:58
>>844 2000年前に文字と暦がないのは特殊。
899 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 07:39:38
その辺は漢族の文化には完全に染まっていないという事だな。
司馬は古代の官職名だから支那オリジナルだが諸葛となると外国からの移民という説もある。
900 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 07:40:08
>>896 ちょっとまて。
長孫無忌、令狐コ以外は知らんけど、他の3人は中華の人間だが漢民族じゃないぞ。
901 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 08:01:33
前漢末期には6000万弱の人口を数えた漢族も三国時代には戦乱と貧困で激減して事実上の絶滅状態に陥っている。
司馬氏が皇帝に成り上がった晋代には北方から独自の文化を携えた移民が大量に流入しているので4文字の人名も出てくるようになった。
異民族によって従来の例から逸脱した例外が増えた事を持ち出しても支那式の命名法が姓1文字、名1〜2文字という原則を持つ事実に対する反論にはならない。
特に前漢と後漢を隔てて成立した新の時代には名を1文字にする事を皇帝自らが命じた位だ。
前漢に流行し始めた2文字の名は古い伝統に反するという理由だ。
その影響で後漢や三国時代には殆ど1字名しかいなくなった。
姓名それぞれ1文字ずつというのが支那本来の伝統である事を支那人自身が認識している証拠だといえる。
902 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 08:22:46
唐になると長孫だの上官だのという姓が出て来るが、あくまで原則は姓名各1文字
名は2文字も可というのが基本。
姓が少ない支那や朝鮮で下まで1文字だと流石に同姓同名が増え過ぎてバリエーションが足りなかったのだろう。
歴史上では同じ王匡という名前の人間同士が交戦して一方が相手を殺した例が見える。
流石にこれじゃマズイだろって感じだわな
903 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 08:23:31
>>900 おっしゃる趣旨がわからんが・・・。
>長孫無忌、令狐コ以外は知らんけど、
=司馬相如、司馬穰苴、闘穀於菟のことを知らない。
>他の3人は中華の人間だが漢民族じゃないぞ。
=他の3人(知らないはずの司馬相如、司馬穰苴、闘穀於菟)は漢民族ではない。
え?知らないはずなのに漢民族じゃないって?
どういう事だろう??
>>900は漢民族の名前すべてを記憶しているすごい人なのか?
そうなのか?
904 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 09:04:33
生粋の漢人だかどうだかは知らんてな話でわ?
905 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 09:32:12
佐藤栄作は支那における例外的な命名例と表面上は共通するが、別に支那式の創氏改名を施した訳ではない。
佐藤の本姓はあくまでもフジワラだからな。
佐藤とは日常的に使われた便宜上の表記が戸籍名と化したのであって、
支那の習慣を真似して日本古来の言葉による名前を捨てたとは到底言い難い。
ただし栄作をエイサクと読むのは支那風の名前の真似と言える。
そもそも姓も氏も日本にはなかったわけだが。
藤原氏、中臣氏の始祖の名前知ってるかね?
それに、佐藤栄作の本姓が
本当に藤原だったかどうか知らんけど、
佐藤栄作やその子孫がいまだに藤原を称してると?
907 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 11:06:32
佐藤の先祖は藤原氏だよ。
養子や詐称の可能性もあるから血統上では赤の他人が紛れ込む可能性はあるが、
日本の伝統としては佐藤と名乗る時点でフジワラを本姓とする一族の一員であると自称する事を意味するんだよ。
単に音読みだからと佐藤を名乗る事を支那を真似たとは言い難い。
中臣とは藤原氏の先祖の姓だな。
中臣鎌足が藤原姓を下賜されて以来、中臣姓だった者の本姓は藤原に変更された。
現実問題として藤原姓のグループは平安時代に支配層を寡占してしまい、
いたる所に蔓延したので便宜上の区別をつける為に領地や職掌に因んで佐藤、伊藤、加藤、工藤などのバリエーションで呼ばれ、名乗るようになった。
加えて鎌足直系の本家が絶滅したので奥州藤原氏の末裔などといった例外を除いて藤原姓をダイレクトに用いる者が居なくなった。
明治以降藤原と名乗り始めた人間が増えたのは、適当に創氏した平民や在日朝鮮人が主。
だから血統上は鎌足の子孫でも何でもない。
だが事実真偽とは関係なく藤原を自称する以上は鎌足の子孫を自称する事にはなるのだ。
伊藤博文も養子だからか本姓は菅原となっているが、理屈の上では伊藤家を継ぐ以上は藤原でなければおかしい。
908 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 11:18:06
>>907 お前が頭悪いということはよくわかった。
知ったかぶりはいい加減やめて半年ロムってろ。
909 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 11:20:18
粘着して負け惜しみばかり言ってるお前が馬鹿なだけだ。
反論があるなら理詰めで具体的に書けばよかろう。
理詰めで意見できるくらいなら、さっさと創始改名して朝鮮の先祖とはとっくの昔に絶縁してまつ。
911 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 11:50:57
唐を建国した李世民は漢族ではなかったと指摘されているが、李を名乗る以上は老子の末裔を自称した事になる。
事実関係は別として李氏は老子の子孫だという伝説に立脚したグループだからだ。
老子が実在したかどうかはむろん関係ないw
初代朝鮮王となった李成桂が女真族である事も関係ない。
912
913
914
915
916
917
918
919
920 あと誰かたのむ。
921 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 16:03:20
>>911 出鱈目。唐宗室は老子の子孫を称したし、老子は李氏だが、
別に李氏が老子の子孫であるわけではない。
ただ単に、老子が李氏グループの一員であっただけだ。
物を知らないのか、論理的な思考ができない人なのか。
朝鮮
スレ
もう
あきた
ほどほどに仕手ホシイナ
>>904 漢民族ではないと言い切ってますが・・・。
928 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 20:25:32
>>903 まちがえた。
×長孫無忌、令狐コ以外は知らんけど、他の3人は中華の人間だが漢民族じゃないぞ。
○長孫無忌、令狐コは知らんけど、他の3人は中華の人間だが漢民族じゃないぞ。
司馬相如、司馬穰苴、闘穀於菟 は漢民族じゃない。
長孫無忌、令狐コは知らない。この2人が漢民族っていうソースある?
欧陽菲菲
930 :
辻小姐:2006/10/28(土) 21:25:03
>>928 司馬相如、司馬穰苴、闘穀於菟はそれぞれ何民族なんですか。
931 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:31:09
>>930 日本人じゃないな。韓国人かもしれない。
上官庭芝、上官婉児
934 :
辻小姐:2006/10/28(土) 21:37:40
>>928 長孫無忌と令狐コ棻は鮮卑族でした。お詫びして訂正いたします。
935 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:39:37
>>934 訂正するのは分かるが、なぜお詫びするのかが分からん。
>>934 アホにわびる必要なんかないよ。
っていうか、そんなことしたら余計つけあがるから止めてください。
937 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 00:22:03
源氏は源の姓を持つ氏族であるが、その起源は中国の王朝、
北魏の禿髪破羌が太武帝から与えられた姓による。
禿髪破羌は源賀と称した。北魏の皇室と禿髪破羌の家系は祖を同じくしており、
北魏の皇室が「元」に姓を改める前の「拓跋」と「禿髪」は同じ音に
別の漢字を与えたものであった。そのことの由来して、
太武帝は「元」に音も意味も似ている「源」の字を選び与えた。
そのことを支那の歴史に詳しかった嵯峨天皇が生まれた子らにその姓を与え、
皇室と祖を同じくするという名誉の意味をこめて与えた。
そのため、嵯峨天皇の子で源姓を与えられた子らは、名も支那風の一字にしている。
939 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 00:47:36
>>938 もともとは、「みなもとの」じゃなくて、「げん」って読んでたってこと?
940 :
日本@名無史さん:
嵯峨天皇がどんな情報にインスパイアされたかに関係ない。
あくまでも正式にはミナモトと読ませる以上、
日本古来の言葉を組み合わせて名付ける日本古来の命名を捨てて支那式の命名に変更した創氏改名だとは到底言えないな。
アイルトン・セナ・ダ・シルヴァという名前のブラジル人F1レーサーが活躍していた頃には日本でも子供に瀬那だの瀬奈だのと名付ける馬鹿親が大量発生したもんだが、
それは別にブラジル式の命名に変更する創氏改名を意味する訳ではない。