【破戒】一休さんについて語ろう【御落胤】

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1日本@名無史さん
頓智の小坊主一休さんとして知られる一休宗純和尚
その実像は、女犯破戒、御落胤説もある(廟所は宮内庁管轄)
日本史上に例を見ない破天荒な僧侶だった
その人生、逸話、人となりについて大いに語ろうではないか
2日本@名無史さん:2006/09/20(水) 16:01:14
以降、100までは

「しんえもんさんについて語ろう!」


になります。

100〜500は
「さよちゃんハァハァ」

500〜800までは
「和尚さんハァハァ」

一休ネタはそのあとで。ルールに従い、よろしくお願いします。
3日本@名無史さん:2006/09/20(水) 16:01:17
二休
4日本@名無史さん:2006/09/20(水) 17:03:14
三休
5日本@名無史さん:2006/09/20(水) 20:34:16
そもさん
6日本@名無史さん:2006/09/21(木) 00:12:50
森女のまむこは水仙のかほり
7日本@名無史さん:2006/09/21(木) 00:18:10
蜷川新右衛門の子孫は居るらしいね
8日本@名無史さん:2006/09/21(木) 00:27:45
名物京都府知事に成りました。
9日本@名無史さん:2006/09/21(木) 00:29:14
蜷川家当主は代々新右衛門です
親当殿は出家して一休さんの門にはいりました
10日本@名無史さん:2006/09/21(木) 00:41:24
後小松天皇の御落胤
11日本@名無史さん:2006/09/21(木) 01:30:56
クンニ大好きだったみたいね
12日本@名無史さん:2006/09/21(木) 01:41:26
クンニが嫌いな奴は居ないからな
13日本@名無史さん:2006/09/21(木) 11:34:31
一休の禅境について大いに語れ!
14日本@名無史さん:2006/09/21(木) 12:31:28
森女の淫水は水仙のごとし
15日本@名無史さん:2006/09/22(金) 01:58:53
>>7
K-1の武蔵か
16日本@名無史さん:2006/09/22(金) 23:44:48
有露地(煩悩のある世界)から無露地(煩悩の無い世界)に向かう一休み
雨降らば降れ!風吹かば吹け!
17日本@名無史さん:2006/09/22(金) 23:50:26
中学生時代に京都の一休寺に行って来た。
「宗純王」ということで宮内庁のお墓があったよ。
18日本@名無史さん:2006/09/22(金) 23:52:14
なんか後小松上皇から、お手紙もらったそうだよ→一休
19日本@名無史さん:2006/09/23(土) 15:09:39
>破天荒な僧侶だった

宮内庁がよく皇室の子供と認めたもんだね
20日本@名無史さん:2006/10/01(日) 12:57:23
21日本@名無史さん:2006/10/14(土) 06:37:28
一休さん御落胤じゃなくて、庶子じゃなかったっけ・・・で寺に小僧に出された。 
22日本@名無史さん:2006/10/14(土) 10:32:57
南朝方の女に生ませた子だから出家させられた
23日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:01:52
つーか皇太子以外は出家させられるだろ。
24日本@名無史さん:2006/10/22(日) 07:56:20
後小松帝の落胤説の他に、足利義満落胤説もあるらしいね。
詳しいことはわからんが。
25日本@名無史さん:2006/10/23(月) 01:37:56
>>18>>21 たしか一級さんが35歳の時、後小松帝に拝謁してるよ。
称光帝が死んだくらいの時期だね。
称光帝には皇女しかいないし、弟は称光帝より、2、3年前に死んだから後小松の皇子は一級しかいなかったのに。
何で皇位を継げなかったんだ?
26日本@名無史さん:2006/10/23(月) 02:05:25
本人が辞退したからでそ。
他にも候補はたくさんいたし。
27日本@名無史さん:2006/10/23(月) 05:52:09
>24
後小松天皇が義満の落胤ってのは聞いたことあるが。
とすれば一休は義満の孫。

アニメ一休さんで義満がしょちゅう一休を呼んで
トンチでヘコまされてたのも孫と遊んでただけ。

他の者が同じことしたら即刻手打ちになる。
28日本@名無史さん:2006/10/23(月) 07:39:45
一休は賢すぎて天皇になれなかったという説があるね。
当時の天皇は、みなボンクラで、幕府の傀儡だった。
一休とんち話が伝わっているのも、一休の賢さ(特に機転の効かせ方)を
物語っている。そういう才知の人物が天皇になられては、幕府としても
困るわけで。
29日本@名無史さん:2006/10/23(月) 12:32:36
その一休さん、アニメでは微妙に仲間達の「ちご」にされてるように見えたな。
30日本@名無史さん:2006/11/26(日) 08:12:56
アッー!
31日本@名無史さん:2006/11/26(日) 12:28:57
>>28
だから出家させた
32日本@名無史さん:2006/11/26(日) 13:31:36
一休さんと足利義教は同時代の人物でどちらも出家したことあり
二重三重に血縁でもある、面識あったのかな?
大河ドラマのネタにしたら良いな
33日本@名無史さん :2006/11/26(日) 13:34:24
年齢は近いんだったか?
34日本@名無史さん:2007/01/10(水) 23:43:03
あっかんべェ一休を原作としてドラマ化して保守ぃ。
35日本@名無史さん:2007/02/08(木) 03:18:32
>>24
それって後小松帝に足利義満の子って説があるから
足利義満の孫説があるって事では?
後小松帝の母親と義満が怪しかったとか何とか。
36日本@名無史さん:2007/02/08(木) 11:22:35
一休さんじゃないけど
俺の近所に以前、サヨちゃんみたいな髪型した
サヨちゃんみたいに可愛らしいロリっ娘がいたんだけど

悪戯したら嫌われちゃった・・・
ムカついたから入れちゃたけど
37日本@名無史さん:2007/02/08(木) 22:36:20
38日本@名無史さん:2007/03/02(金) 08:51:58
つか、一級の天皇落胤説は、一級の死後に始まったもの。
五個待つ天皇による引見などは、後世史料による与太話。
39日本@名無史さん:2007/03/12(月) 01:03:26
ファッQさ〜ん
40日本@名無史さん:2007/04/07(土) 02:25:37
41日本@名無史さん:2007/04/07(土) 17:36:50
ォパ〜イ!
42日本@名無史さん:2007/05/02(水) 17:32:41
一休宗純が後小松天皇の落胤であったところで、一度出家した者は天皇にはなれないよ。
称光天皇のあと即位した後花園天皇も、伏見宮家の末弟だったけれども、
伏見宮家を継いだ長兄を除き唯一出家を免れた皇子だったから、即位した。
同様に、鎌倉時代、四条天皇の崩により皇統がたえた時も、
土御門天皇の庶皇子の中で唯一出家を免れていた第七王子だか第六王子だかの(史料によってまちまち)
後嵯峨天皇が即位している。
後小松上皇による引見は、なかっただろうね。
出家後、俗世に戻って即位した天皇はいないよ。
43日本@名無史さん:2007/05/03(木) 02:09:47
>>42
そうでもないよ。
天武天皇は還俗して即位してるし、確か時代の近い後光厳天皇もそうだったな。
44日本@名無史さん:2007/05/04(金) 00:34:24
あっかんべェ一休、最高だねー。
あそこで出てる宗純のセリフや、謙翁の「善を生むから、悪が生まれる」とかっていうの、
どこまで史実なのだろう。詳しい人教えて。
もし史実になかったら、作者がすごい!
45日本@名無史さん:2007/05/04(金) 08:12:50
母上さまぁ〜♪
お元気でぇ〜すぅ〜かぁ〜♪
46日本@名無史さん:2007/05/05(土) 11:59:51
>>43
天武天皇は身を隠しただけだから何とも・・・
実際は出家してなかったとかなんとか、
出家してんのに妻や女官たちを引き連れて吉野入りもおかしな話。

後光厳天皇は出家していない。
兄が即位していたから、出家する予定ではあったろうが、
出家前に祖母広義門院によって擁立された。
47日本@名無史さん:2007/05/05(土) 13:01:14
>>46
そうですね、天武の時代は、鑑真が来る前だから、
受戒の体系も確立されてなく、後の出家の定義と違かっただろう。
そもそも近江朝を攪乱するための手段であったのだろう。
48日本@名無史さん:2007/05/05(土) 18:32:01
実際のところは分からないにしても、現在は宮内庁管理の廟所があるわけだから、
公式的には皇族と見做されてるわけでしょう。
49日本@名無史さん :2007/05/10(木) 20:52:46
50日本@名無史さん:2007/05/10(木) 23:15:01
一休さんは後小松上皇には晩年に出会っていたっけ。
宸翰を賜って、これだけが宝だとかどこかの本で書いていました。
51日本@名無史さん:2007/05/11(金) 18:10:37
天皇の落としだねだから好き勝手やっても許されたわけ?
52日本@名無史さん:2007/05/11(金) 18:27:49
むしろ逆じゃね?
一休の当時の文化人達への影響力が大きかったから天皇の落とし胤説が流れたんじゃあ
53日本@名無史さん:2007/05/11(金) 19:53:18
一休がホントに帝の子供かどうかはわからないが(俺はそうだと思ってるが)、
やはりそういう噂があったからこそ、人気が出たり、堺の商人の協力をえたりしたのだろう。
いくら一休宗純自身が禅の神髄を語ったとしても、それでついていくほど民衆は賢くないだろう。
一休自身がそれを利用したか、むしろ邪魔な権威だったかわからないが、
民衆はそういう権威に弱いのだろうよ。
54日本@名無史さん:2007/05/11(金) 20:59:13
当時そういう噂があったと言う記録はどこにも無いけどね
55日本@名無史さん:2007/05/11(金) 22:26:43
一休は皇族というのは周知の事実だから
大徳寺住職の地位に就けたんだろ。
下賎から身を起こした高級僧侶なんて
日蓮くらいしか思いつかん。
56日本@名無史さん:2007/05/11(金) 22:48:43
仏教界もコネ社会だもんな
足利将軍家の将軍になれなかった息子が天台座主になってたりするもんな
そんなんでいいの?とか思うけどさ
57日本@名無史さん:2007/05/12(土) 00:03:17
♯北九州市関係のスレに面白いコテハン君がいたよ
●בCULTERとか言ったかな、誰彼構わず「院卒修士無職!」
って決め付けて騒ぐんだ。自分は中卒バイトで宇宙一偉い、「ヲヲーレ様」
なんだってw 「北九州市都市開発スレッド」ってスレが隔離スレらしい。
他には「PENTAX K100Dで最高精度の画像をうpするスレ 」(デジカメ版)
があった♪  旧HNは「*北九州市民ケーン」検索するとアホの記録が分る
未明アルバイターらしいが、間違っても「ゲリケーン」と言わないように
あっと言う間に基地外モードになります。ご注意♪

あと多分同一人物別コテで「●愛郷無罪」と言う無職吉外も発生する
北九州(市)で検索すると転職関連スレで偏向した工作投稿やってます
キーワードは「*つぶつぶ人間」これ言うと一気にテンプラ油に火がついた
ような怒り方を始め無意味認定などをします。マジで面白いゾ(笑)
58日本@名無史さん:2007/05/12(土) 09:36:18
>55
一休が皇族であることを否定しているからといっても
庶民の出であると言っているわけではない。

高級公家(例えば摂家)、高級武家(例えば将軍家)出身なら
門跡にだってなれる。

もちろん一休が皇族出身という説はあっても公家・武家出身説は無い
ことは承知してるが。
59日本@名無史さん:2007/05/12(土) 10:03:45
一休落胤説は、極端なことをいえばニセ有栖川のようなもの。
それどころか、一休の生前に、落胤説がささやかれた記録もない。
まあ、おれも一休が後胤であることを完全に否定するものではないがね。
60日本@名無史さん:2007/05/12(土) 10:12:35
しかし、皇室が監修した「本朝皇胤運紹録」では、
一休宗純を後小松天皇の子として載せているね。
本朝皇胤運紹録自体、当初、後小松天皇の命で編纂されて、
のちの世まで書き継がれたものだが。
一休が落胤でなければ、誰の子だったのだろう?
大徳寺の住職になるくらいだから
しかるべき家柄の子息であったことは間違いないし、
しかるべき家ならば当然、家系図に残るはずなのだが。
61日本@名無史さん:2007/05/12(土) 10:43:24
本朝皇胤運紹録に一休の記載があるのは、後人の付会です。
記載のない写本もあります。
残念!
62日本@名無史さん:2007/05/12(土) 10:52:47
>61
君は一休は誰の子だと思っているの?
公家や武家の家系図に一切残らない一休、
庶民の子だと思っているの?
63日本@名無史さん:2007/05/12(土) 11:20:11
一休は皇族なの?それとも足利義満の子孫
義教とは交流あったのかな、同年代で出家者だよな
64日本@名無史さん:2007/05/12(土) 11:26:53
一休がいた大徳寺は、室町幕府が定めた五山十刹の制度で
下位に位置付けられた為、自ら制度を脱。、
一休も幕府を頼らず、堺の商人の手で復興させたんだよね。
それを考えると、一休が足利義満の落胤というのは考えにくい。
五山十刹の制に反対、脱退した寺が、将軍落胤を受け入れるとも思えないしね。
系図も残ってない。
将軍関係者筋ではなかったと思うよ。
65日本@名無史さん:2007/05/12(土) 12:53:30
>>62
落胤なら系図に載らないのが普通。何を不思議がっているんだ?
66日本@名無史さん:2007/05/12(土) 13:05:20
>>65
系図に残らない落胤が、大徳寺住職にまで上り詰める?
系図にさえ残らない人物なら、無理だと思うよ。
吾妻鏡によれば、鎌倉幕府が後鳥羽上皇の落胤の噂のある娘を捕まえ、
上皇に確認したところ知らないといわれ、顔に傷でもつけて追放せよ、としたことがあるし、
系図にすら残らない落胤は、庶民と同じ。
まともな寺にすら預けてもらえない。
だから、君は、一休は誰の子だと思ってるの?
67日本@名無史さん:2007/05/12(土) 13:07:33
>>66
じゃあさあ、一休の同時代史料で、一休を後小松天皇の子だと書いてある資料あげてみろよ。
68日本@名無史さん:2007/05/12(土) 13:09:08
>>66
あとさ、後白河院には、白拍子との間にたくさん落胤がいたという話もあるね。
これは全部系図には載ってないw
69日本@名無史さん:2007/05/12(土) 13:17:57
>>68
後白河の系図にのっていない落胤で、
大寺院の住職にまで上り詰めた人がいる?
残念ながら、親王宣下を受けず、
認知すら受けなかった子供は、
庶民と同じ扱いだよ。
まず、大寺院の住職の出自から調べたら?
70日本@名無史さん:2007/05/12(土) 13:31:50
>>69
大徳寺の住職がのここらず皇族だというキマリはないね。
あとあんたは大寺院の住職は全員系図が明らかとおもってるんかいな?
あと「とはずがたり」の作者二条は何人か不義の子を生んでるけど、
この中には女院になったといわれる人もいる(もちろん落胤だから正確なところはわからない)
71日本@名無史さん:2007/05/12(土) 13:34:14
>>69
で、当時の日記古文書に一休が後小松天皇の皇子であるという記述はあるの?
歴史学的にはこれがないと、事実として承認するわけには行かないんだが。
72日本@名無史さん:2007/05/12(土) 14:12:37
>>70
大徳寺ほどの住職ならば、皇族、公家、武家などの
有力な子息でなければなれないってことだよ。
室町時代、庶民の息子が大寺院の住職になれたという史料まだ?

「とはずがたり」を持ち出してくるあたり、とんちんかんだねえw
一説に、二条の子の説がある昭訓門院は、
系図上は西園寺実氏とその正室顕子の娘として亀山法皇妃になったから、女院になれたの。
どのみち、昭訓門院の父が西園寺実氏である事実は変わらない。
父親不祥の、系図に残らない女性が女院になった例なんて、ありません。
調べてね〜
73日本@名無史さん:2007/05/12(土) 14:13:51
>72一部訂正。
西園寺実氏→西園寺実兼
74日本@名無史さん:2007/05/12(土) 14:21:33
でもなんで今は皇族扱いになってるの?
宮内庁(省)は何を根拠に?
75日本@名無史さん:2007/05/12(土) 14:22:35
>>72
いつ一休は庶民の子だと主張した?
箇所を提示してあげてみなw
できなければ謝罪しろよなwww
でも、歴史学的に一休を後小松天皇の子であると主張するなら、
それを支える同時代史料が必要です。
そんな資料はどこにもありません。
76日本@名無史さん:2007/05/12(土) 14:26:06
>>69
残念ながら、親王宣下を受けず、
認知すら受けなかった子供は、
庶民と同じ扱いだよ。

一休さんは親王宣下受けてないし、落胤で認知も受けていませんから、
アンタの説では一休は庶民扱いということになりますねw
一休を庶民同等といってるのは、アンタじゃんプ
77日本@名無史さん:2007/05/12(土) 14:30:25
>父親不祥の、系図に残らない女性が女院になった例なんて、ありません。

これも厳密に言えば正しくないね。
系図どころか名前すら伝わっていない中宮がいるもん。
こういうことを不用意に書くあたり(略)、
78日本@名無史さん:2007/05/12(土) 14:35:03
>42
>称光天皇のあと即位した後花園天皇も、伏見宮家の末弟だったけれども、
 末弟?貞成王(後崇光院)の第一王子で、宮家を継いだ貞常親王は第二王子だった
はずですが。
79日本@名無史さん:2007/05/12(土) 14:42:40
>>76
一休は認知を受けていたと思うよ。
でなきゃ、大徳寺の住職になんかなれません。

>>77
系図の伝わらない中宮、女院て誰?
皇統を外され、明治時代に復活した南朝はやめてね。
80日本@名無史さん:2007/05/12(土) 14:44:39
>一休は認知を受けていたと思うよ。

それだったら落胤とは言いませんねえ。
認知を受けた証拠は?

あとその前に謝罪まだあ?www
81日本@名無史さん:2007/05/12(土) 14:46:00
>78
逆、逆。
伏見宮貞常親王が兄で、後花園天皇は弟。
称光天皇が没した時、貞常親王はすでに伏見宮家を継いでいたので、
宮家を継がず、まだ出家もしていなかった弟の後花園が、
後小松天皇の養子となって即位した。
82日本@名無史さん:2007/05/12(土) 14:47:53
実休
83日本@名無史さん:2007/05/12(土) 14:50:07
>>80
認知を受けていれば、落胤とはいわないって、誰の説?
認知を受けていたからこそ、系図にも書かれたし、
大徳寺の住職にもなれたんだと思うよ。
それで?君は一休が誰の子だと思ってンの?

庶民が大寺院住職になれた実例と、
父親のわからない中宮、女院をだしてね(南朝以外)

謝罪って、君がすんの?
自分の都合のいいほうにだけ解釈しないように。
84日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:00:44
>認知を受けていれば、落胤とはいわないって、誰の説?

普通の日本語感覚です。「おとし胤」とは、正式には子供と認められない子供を指します。お
もし一休が認知を受けたというのなら、たしかな証拠を示してみろや。

>認知を受けていたからこそ、系図にも書かれたし、

本朝皇胤紹運録の後世の加筆がない写本には、一休は書かれていません。
これはむしろ認知していない証拠ですw

>謝罪って、君がすんの?

お前がするんだよw
おれは一休が庶民の子だとは、一言も言ってないじゃんかよwww
85日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:05:44
一休さんの卒論、すなわち得度を認められた際の禅問答を知りたいです。
このスレで、どなたかご存じないですか?
86日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:06:07
>84
君も、こっちが望んでる史料、出してね〜

認知も受けずに、一休が大徳寺の住職になれたとでも思ってんの?
一休が皇族だろうが、公家だろうが、
しかるべき人の息子だったからこそ住職になれたんだよ?
父親に認知すらされずに、庶民同様の子が住職になれんの?

だから、史料だしなよ。
大徳寺は、父親不祥の庶民同様の子供を代々住職にしてました、っていうさw
87日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:09:27
>81
手元にある「室町時代の一皇族の生涯」では
・後花園(彦仁):1419(応永26)年
・貞常:1425(応永32)年
となっています。後、貞常親王がいつ宮家を継いだかという線引きは難しいでしょう
けど、所領を譲られた1446年と考えるのが妥当じゃないんですか?
 いずれにせよ、後花園践祚のときの宮家の当主は父の貞成親王ですし、普通の本
では貞常親王を弟としていると思います。兄弟の順が混乱しているのは、むしろ貞成
親王とその兄の治仁王だと思いますが。
88日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:11:15
>大徳寺は、父親不祥の庶民同様の子供を代々住職にしてました、っていうさ

いつおれがこんなこと言った?wwww
指摘してみろや。

一休に出自についての有効な証拠は、
一休の出自について書かれた同時代史料です。
これを出さない限り、歴史学的な証拠にはなりません。
お前は結局一切証拠が出せませんねwww
89日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:16:28
 時代は下るが、山名家の家臣で浪人していた人物の子である沢庵さんが、37歳で住持
になっているのに対し、一休さんが住持になったのは80のとき。
 「皇胤」という理由で住持になったとするには遅すぎると思います。(これ自体は、
どちらの根拠になる、という話でもありませんが。)
90日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:22:27
87だが…
>81
 長兄が宮家を継承し、他の兄たちは出家していて…というのは、伏見宮家−後花園
じゃなくて、閑院宮家−光格の例じゃないですかね。こちらは、あなたの書いたよう
な状況ですね。
91日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:34:41
>88
父親不詳にしてんのはお前じゃんw
92日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:42:57
>>91
そんなに不安なのか?www
しかし>>89はいい点ついてるな。
80歳でやっとこさ大徳寺住職って、普通死んでるわな(笑)
ほとんどの出家皇族はこれよりずっと若くして高い地位についてるもんなww

当時の日記類に、「一休は皇胤である」という記述が一切見られない理由もわかるわ。
だって実際そんな扱いしてないもん。
93日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:56:59
>80歳でやっとこさ大徳寺住職
 まあ、これはなりたくてなったというより、応仁の乱等で荒廃した大徳寺再建のため
に、いわば「大徳寺再建委員会の委員長」として、既に禅僧としての名声を確立してい
た一休さんを引っ張りだしてきた、ということみたいですね。
 だから、大徳寺住持の件については一休さんの力量によるもので、皇胤であったにせ
よなかったにせよ、それとは直接の関わりは薄いんじゃないでしょうか。
94日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:59:52
大徳寺再建のために庶民に人気のある一休を祭り上げただけだしね
しかも本人再建がなったらすぐに遁走するし
95日本@名無史さん:2007/05/12(土) 16:02:14
おっしゃるとおりです。
しかし皇胤ならば、本人が望む望まないにかかわらず、周囲がそのことについてうわさし、
それなりの地位が与えられてしまうものです。
しかし、一休の場合は、かなり名声が上がっても、彼の出自については一切語られていない。
同時代史料による限り、彼の生涯には、彼の出自の影響と見られるものはほとんどないのです。
96日本@名無史さん:2007/05/13(日) 03:03:18
和長卿記に後小松の落胤て明記されてるよ。
97日本@名無史さん:2007/05/13(日) 03:39:06
それって一休禅師が亡くなった後に書かれたものだろ
98日本@名無史さん:2007/05/13(日) 15:20:05
>>97
それで?
99日本@名無史さん:2007/05/13(日) 15:25:07
>>85
無視されてるなw
可哀想だが、このスレはヲタばかりなんで、そんな事は誰も知らないのさ。


100日本@名無史さん:2007/05/13(日) 16:56:51
一休の生前、一休の父親に関して書かれた史料はない。
よって、一休は後小松天皇の落胤であることを否定できる文書もない。
ってことでおk?
後花園天皇が後小松上皇の養子に入った手前、
後小松の落胤のことは史料に書かせなかったかもね。
自らの帝位の正統性が薄れるから。
101日本@名無史さん:2007/05/13(日) 18:05:46
個人で書く日記の内容まで後花園が介入できるわけがないw
102日本@名無史さん:2007/05/13(日) 18:56:01
↑この時代の日記の多くは公家のものだけど、
出家している一休と接点のある公家は少数だったと思う。
逆に、一休の出自に言及している日記がない分、
一休が公家や武家の出であった可能性は低い。
後小松、後花園自身の日記は残ってないし(後花園の父のはあるが)、
結局、真実のところは分からない。
103ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :2007/05/13(日) 21:18:57
一休と蓮如は親交があって、飲み友達だったみたい。
同じ杯で酒を飲みかわしてたそうな。

この蓮如、下賎の者にも親しく声をかけ、飲食を共にしたんだけど、
自分は貴族との意識も強く、下賎の者と決して同じ食器を使わなかった。
いや、下賎どころか蓮如に帰順してきた真宗仏光寺派の門主・蓮教が間違って
蓮如の食器を使用して、蓮如は「汚らわしい」と怒りをあらわに
食器を叩き割った。

蓮如が食器まで共にできるのは、一族や高級公家、高級武家
(とそれら出身の僧侶)に限られていたことを考えれば
一休はそれなりの出自だったとも考えられる。
104日本@名無史さん:2007/05/13(日) 21:36:24
素直に元のコテを名乗ったら?
105日本@名無史さん:2007/05/13(日) 21:39:20
スマン↑誤爆
106日本@名無史さん:2007/05/13(日) 21:47:33
>>97
13年後だからな、同時代史料と言っていい。信憑性はかなり高い。
107日本@名無史さん:2007/05/14(月) 01:42:59
>106
一休さんは確か87だか88で亡くなってますよね。その13年後では、生誕時の事情を
知っている人はいないのではないでしょうか。
108日本@名無史さん:2007/05/14(月) 09:29:21
>107
一休が亡くなってから13年後だったら、生前の一休を知る人々はまだ生きていて、
一休和尚やその周囲の人々から聞いた伝聞が記載される可能性は十分にあるという意味だと思う。
それを考えると、一休の出自に関する伝聞が公家の日記に残されたのは貴重。
109日本@名無史さん:2007/05/14(月) 16:48:53
いつの間にか、人が増えました。
もう一度>>44の質問します。
あの漫画のセリフは史実に近い?作者のフィクション?
110日本@名無史さん:2007/05/14(月) 19:35:30
>>107
確かに一休がなぜ「落胤」になったのかについては、
いかにもクサイ話が伝わっており、信憑性を下げているのは事実。
一休に死後になってそういう話が出だしたところを見ると、
この話の火元は一休の実子(彼には実子がいる)から出たんじゃないだろうか。
そう称すれば実子は皇孫ということになるからな。
111日本@名無史さん:2007/05/14(月) 23:08:46
ある馬の画に蓮如と一休が讃して曰く
蓮如「馬じゃげな」
一休「そうじゃげな」
112日本@名無史さん:2007/05/15(火) 06:57:41
しかし、一休が庶民の出だとも思えないわけで。
相応の公家や武家の出であれば、当然、史料に残るわけで、
それすらないのが怪しい。
一休の子が自称したからって、周囲がそれを否定すれば、
あやしげな伝聞を公家が日記に残すとも思えない。
それを言い出したら、こんにち一級史料とされているすべての史料が、
根拠のない嘘であるということになる。
113日本@名無史さん:2007/05/15(火) 19:19:12
庶民の出とは漏れも思わんが、言うほど高い家柄の出とも限らん。
少し前の時代に地方小土豪出身の法然が活躍してる。
土豪出身でも摂家出身の自演と対等以上の立場で付き合ってるし、日野家出身の親鸞も心酔している。
そりゃ門跡なんかにはなれんだろうが。
実際一休も門跡にはなってない。
114日本@名無史さん:2007/05/15(火) 20:32:19
「襟巻きの 温かそうな黒坊主 こやつが法は 天下一なり」

親鸞の像を見た時に一休宗純が詠んだ歌。一休宗純は親鸞の思想を
よく理解していた。
115日本@名無史さん:2007/05/16(水) 10:33:39
ドラマにするならば
一休さんは義満にレイプされた宮女の子供
若き日には出家していた義教と親交があった
義教の首を供養したのは一休
天皇に擁立されそうになったが断って逃げた
義政・富子・山名・細川とも交流あり
晩年に伊勢新九朗とも知り合う

このくらいでないとおもしろくない
116日本@名無史さん:2007/05/16(水) 10:48:37
一休は大徳寺再興に当たって、室町幕府の援助を得なかったから、
幕府絡みは厳しいって。
義教や義政、富子ら幕府関係者をはじめ、守護大名と仲よかったら、
そいつらが援助惜しまなかっただろ。
漫画の見過ぎだよ。
117日本@名無史さん:2007/05/16(水) 14:22:03
>113
大寺院になるにつれて、寺の格式はどんどんあがるから、なんとも・・・
鎌倉時代に法然が開いた知恩院は、のちに代々法親王が住職を務めるようになり、門跡寺院となったし、
日野家出身の親鸞が開いた本願寺も、摂関家の子弟が出家して入寺したり、
摂家出身の姫君が門主の妻になったりしている(准門跡)。
沢庵も出石藩重臣の子息で、大徳寺住職就任には出石藩主の力添えがあったようだし
(沢庵はすぐ住職を辞めたようだが)、一休もそれなりの血筋の子息だったように思う。
大徳寺が門跡とならなかったことについては、大徳寺が室町幕府の五山の制の外にあったこと、
一休没後、大徳寺は堺の商人や戦国大名の帰依を受け、公家や皇族の庇護から離れたこと、
一休は後土御門天皇から住職の勅を受けたものの、住職就任後も京はずれの庵に住み、
大徳寺に住まなかったことがあるかもしれない。
118日本@名無史さん:2007/05/16(水) 22:21:54
>117
>沢庵も出石藩重臣の子息で、大徳寺住職就任には出石藩主の力添えがあったようだし
 沢庵さんの父親は、秀吉に滅ぼされた山名氏の重臣で、幼少の頃にはすでに
浪人だったと思うんだけど。

>108
一休死後13年後では、誕生の事情を知る親世代はおろか、本人や子どもの世代
ですら、生きているかどうかがあやしいと思いますが。
あくまでも、「一休皇胤説が比較的早い時期から存在していた」という根拠と
してとらえるべき話で、「皇胤説」そのものは別の検証が必要でしょう。
119日本@名無史さん:2007/05/17(木) 01:23:04
和長の性格からして、根も葉もないことを、ああいう書き方はせんと思うよ。
まあ、少数の限られた公家の間では公然の秘密だったんだろう。
120日本@名無史さん:2007/05/17(木) 09:35:17
>118
88歳(87歳説あり)で亡くなった一休宗純には多くの弟子がいたのだから、
一休の子供のデマと決めつけるのは無謀。
弟子から伝聞を聞くことはできるよ。
記述が全くのデマであるという根拠が希薄。

沢庵は、出石藩主前野家の菩提寺に入って出家、
出石藩主前野長泰の招きでやってきた薫甫宗忠が大徳寺の高僧春屋宗園の弟子であったため
のちに大徳寺に迎えられることになるった。
戦国大名山名氏が滅びた後も、その家臣や息子たちは、新しい藩主前野氏の
庇護を受けたようだよ。

↓沢庵和尚のソースはこちら。
http://www.tanshin.co.jp/zaidan/1hito/01takuan/index1.html
121日本@名無史さん:2007/05/17(木) 21:35:42
>120
 118だが、私は「一休の子供のデマ」なんて書いたことはありませんよ。
ただ、あくまでも時代の降った時期の伝聞ですから、「そういう話があった」という
証拠にはなっても、「そうであった」という証拠とするには弱いと思います。無論、
「デマであった」という根拠にもなりませんが。

 後、沢庵さんについて、そちらのサイトでは29歳で住持となっていますが、あらた
めて検索してみても、前に書いた、1609年(慶長14)に37歳でとしているところの方
が多いですね。ただ、どちらにせよ、前野但馬守が秀次に連座して切腹した後で、関
ヶ原と大坂の陣の間の緊張した時期であり、前野家の力添えということは有り得ませ
ん。
122日本@名無史さん:2007/05/20(日) 12:26:29
僧侶としてスタートするときに出自別に大きく3つに分類される。
@学僧。名門公家・武家出身者。高度な教育が施され、ガンガン昇進していく。
    最上級者は門跡候補。
A堂僧。中下級公家・武家、一部豪農豪商出身者。儀式の時に大勢でお経をあげる要員。
    中級寺院の住職になれる道がある。
B下役僧。最下級公家・武家、一部中級農商出身者。寺務・武力(僧兵)要員。
     僧兵として手柄をあげたりすれば、僧兵を構成員とする寺の住職になれることも。

有名どころの各宗派の始祖を例に出せば、道元、親鸞は@、法然はA、日蓮はBで
僧としてのキャリアを開始している。(各人とも途中でレールを降りて新興宗教の祖となるわけだが)
山城国分寺で僧歴をスタートした一休の経歴を見るに@に分類されるかと。
とすればやはり一休はそれなりの出自ではないかと。

123日本@名無史さん:2007/05/20(日) 12:30:14
あ、山城国分寺じゃないな。
山城安国寺な。
124日本@名無史さん:2007/05/20(日) 17:24:37
>122
しかし@ABの垣根は意外に低い。
A出身の法然が尊敬を集める存在になったり、
能力が優れていてそれが有力者の目につくという幸運に恵まれれば
B出身の日蓮が比叡山で学べるということもあった。

一休がAB出身で幸運に恵まれ、最後は大徳寺住持になった、
という可能性も否定できないのでは?
安国寺にいたのも最初は単なる下役僧だったのかもしれん。
125日本@名無史さん:2007/05/20(日) 17:50:47
一級さんて槇原敬之に似てへん?
126日本@名無史さん:2007/05/20(日) 21:20:29
>122
親鸞って、「上級公家」の出でしたっけ?中級ないし下級貴族に区分されるような気が
しますが。
127日本@名無史さん:2007/05/21(月) 00:11:48
日野家だから下級ってことはないだろ。
後には将軍御台所も出す家だし。
128日本@名無史さん:2007/05/21(月) 01:01:32
日野家自体は中級でもいいだろうが、日野有範は被官職の大進どまりと伝えられているようだが
だいたい本当に日野家からでたのか疑問だか。日野家側の一次史料てあるのかしらん
129日本@名無史さん:2007/05/21(月) 04:34:01
100%有範長男
130日本@名無史さん:2007/05/21(月) 05:10:57
>122の分類は間違いではないが、かなり大雑把。
例えば@でも細分類できる。
門跡を狙える皇族・摂家出身者から都周辺中小寺院住職止まりの
中級に限りなく近い「上級公家・武家」出身者までいろいろ。
親鸞はギリギリ@に滑り込んだ感じ。
出世を望めなくともギリギリ@に滑り込めて、
幼いころから計画的な教育プログラムを
受けられたのは幸運であったといえる。
(法然やまして日蓮など、そもそも教育を受けるにふさわしい、
と認められるまでに大変な苦労と時間を要している)

例えは悪いかもしれんが国家公務員採用T種試験合格者でも
東大法学部新卒と無名大学既卒者では扱いが違う。
前者は次官を狙え、後者は各省本省課長止まり(それでも高級官僚だが)。
しかし出世は望めないにしても高級官僚養成教育を受けることはできるのと同じかと。
131日本@名無史さん:2007/05/23(水) 01:56:14
親鸞は母方が源義家の孫とか為義の兄弟だっけ?
132日本@名無史さん:2007/05/25(金) 20:24:30
子供の頃に読んだ『一休禅師』には、一休は皇族で新右衛門さんは監視役とあったんだが
これが定説じゃなかったのか(´・ω・`)
ずっと信じてますた。
133ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :2007/05/25(金) 21:23:14
>131
親鸞の母は源義家の孫と伝えられていますが
もうひとつはっきりしません。
東西本願寺も祖師の母について積極的な見解は出してないようです。

新右衛門さんは実在の人物だけど一休さんの在家の弟子になったのは
一休さんがだいぶ年とってからだからねぇ。
134日本@名無史さん:2007/06/02(土) 18:04:00
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135日本@名無史さん:2007/06/25(月) 06:26:09
日野家は中級というかあんまパッとしない公家
足利将軍家に嫁を出すようになって結果的に権力を得ていった
一条兼良(摂関家の出)が日野富子におべんちゃら使ったりする様を見て
日野家に摂関家がおべんちゃら使うとは情けないと嘆かれたとか
136日本@名無史さん:2007/07/12(木) 05:23:10
道元さんはガチで公卿(最上級公家)の子息だけどね
137日本@名無史さん:2007/07/13(金) 00:09:29
>>127
日野家は明らかに下級貴族だろう
138日本@名無史さん:2007/07/13(金) 14:13:16
>>137
親鸞の父とされる日野有範は皇太后宮大進だから、
まあ、中流貴族だろう。
親鸞は、門跡寺院でもある天台宗青蓮院に入り、
のちの天台座主慈円によって得度しているから、
まあまあのスタート。
139日本@名無史さん:2007/07/13(金) 18:52:35
禅宗系は位が高い人物の子息が多い
140日本@名無史さん:2007/07/13(金) 20:30:04
アダルト一休さん
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=515036
141武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/27(金) 23:16:47
この掲示板に書き込みしている人達はみなネットだけで勉強しているようだ。
史学の世界じゃ一休皇胤説は有力。
説の出所は一休の死まもなくして弟子たちによって作られた年譜だ(今、私の手元にある)。
ところで、ここでの議論を見るとまったく一休に関する基本書が参照されてない。
グーグル及びネットに頼った人文科学がいかにお粗末か、この掲示板を参看しただけで得心がいく。
ああくだらねぇや、ネット…。
142日本@名無史さん:2007/07/27(金) 23:21:20
このコテのおかげで一気に信憑性が下がったね
143日本@名無史さん:2007/07/27(金) 23:38:03

東洋文庫版一休和尚年譜やろ。

確か今の一休寺の初代住職であり、一休の肖像画を
描いた弟子の墨斎が書いたもの。

まぁ一休の子供のおイタがイタタタタ。
一休派の結束が強かっただけに残念。
144日本@名無史さん:2007/08/10(金) 00:49:19
なんかの都合(派閥争いだろうな)で出て行ってもらうかわりに、
芸人として売り出してやったんだろう。
145日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:49:03
質問ですが、一休の師匠の謙翁が死んだとき、一休は清水観音に参ったとあるのですが、
これは京都市にある清水寺のことでしょうか?
146武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/03(月) 00:01:25
>>143
春秋社の全集の方。
ただ東洋文庫は注が素晴らしく力作だがね。
墨斎が書いたなんて誰が言ってるの?初耳なんだけどね。
東洋文庫の奴の校注者もそんな推論はしてないよ。
ま、ウィかなんかから切り取りしてきた知識なんだろうけど。
いいかげんネット上の知識を開陳するのは止めて頂きたい、
っていいたいけどどうでもいいや。


147日本@名無史さん:2007/09/03(月) 08:42:13
まあ、言ってる事が間違ってるワケじゃないけどね。

だったら自分もネットじゃなく「紙」の上で発表したら?
148日本@名無史さん:2007/09/10(月) 22:37:59
149日本@名無史さん:2007/09/10(月) 22:41:48
一休さんと蓮如さんが親友だったのが面白い。
150日本@名無史さん:2007/09/11(火) 08:14:11
「牛じゃげな」
「ほうじゃげな」
だっけw
151日本@名無史さん:2007/09/11(火) 15:15:50
一休「馬じゃげな」
蓮如「そうじゃげな」

だよ
152日本@名無史さん:2007/09/17(月) 15:00:04
一休には足利義満の落とし胤説もあり。
153日本@名無史さん:2007/09/19(水) 01:44:20
そういや一休の頂相って比較的多く長く描かれてるよね。
なんで??
154日本@名無史さん:2007/09/19(水) 04:06:46
室町幕僚長は最強だぜ
155日本@名無史さん:2007/09/19(水) 04:16:29
一回見たら忘れられない風貌だから、絵の題材として好まれたんじゃないの?
156武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/22(土) 16:21:05
>>153
それも初耳なんだけど。
誰がいってるの?
例によってネットの切り貼り?
だとしたらマジであんたを殴りたいね。
夢窓疎石なんかのほうが頂相多い。
ついでにいうと頂相は一種の祖師像だ。
描きやすいから描くとかいうもんじゃない。
157武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/22(土) 17:23:58
ちなみに夢窓も一休も祖師ではない。念のため
158武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/22(土) 17:37:35
>>147
バカじゃない?
ネットでてきとーな知識を開陳してるから叩いてるだけ。
一休について私は本を読んで知ってるだけだよ。
私は一休については素人。
君たちはネットから切り貼りした知識を得々と語ってるけど、専門外の私でもアラが見えるレベルだよ。
しかし君は救えないな。
馬鹿なのかな(笑い)
ま、専門でもなんでもない素人でも突っ込みできるレベルがネット上にはけっこー多いんだな。
ところでぶっちゃけ私は、インターネットが世界から無くなって欲しいと思ってる。
私の書き込みは人文科学なんかをすぐググるパーを一人でも減らす草の根活動なんだよ(笑い)
159武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/22(土) 17:42:14
>>147
君はバカだよ。
研究には人生かけなくちゃならない。
君レベルは便所の落書きだよ。
研究者の受け売りですらない。
まあトンデモという奴ね。
せいぜいがんばってくれ。
ただ、しようもねーデタラメを書き込みすっと潰すぜ。
160武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/22(土) 19:27:39
一休の年譜のこと、私が書き込みするまで誰も触れてない。
一休に関する基本史料なのに。
ウィには載ってなかったのかな(笑い)
まあこれからも、おバカな書き込みはコマメに叩くんでよろしく(大笑い)。
161日本@名無史さん:2007/09/24(月) 19:28:15
バカは君だ。>>147は初カキコだ(爆笑)。
自分は一休に関してレス出来るような知識は持ってないから、ロムだけだったのだ。
どーぞどーぞ、これからも「無い」カキコに対して思いっきり潰してチョーダイ!

他のスレでも「自分にはかまうなよ」と言っておきながら、他人には思いっきりかまってたよなキミ。
162武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/06(土) 00:30:01
>>161
そうかねえ。
まあ頭きたのは分かるけど、小学生レベルの書き込みじゃあね。
ちなみに私のは中学高校レベル。
私の書き込みなんて概説書レベルだよ。
こんなんで反駁されちゃう君がダメ人間なんだよ。
だいたい一休なんて私、専門じゃないし。
専門じゃない私が見てもこのスレも君もバカなんだからしょうがないよ。
君はバカだから怒るのかな?図星ってことでW
まあ、また来て叩くよ。このスレだけじゃなく他でも。
仕事のストレスも発散できるしさ。
だいたいネットなんかないほうがいいって日頃から思ってる人間なんで、
クラ〜いネットオタクの2ちゃんねらーのちんけな自尊心なんか知るかよって感じ。
ググるとかウィとか2ちゃんねるして一生を小学生レベルで過ごすことさ。
時々来て潰してやっからありがたく思えよ、おまえw
さて、寝るか…。
163日本@名無史さん:2007/10/06(土) 09:20:34
日本語は小学生レベルだがな(プッ
164日本@名無史さん:2007/10/06(土) 23:20:39
そういえば石原都知事は正月になると一休さんの歌を思い出すとか言ってたな
=「門松は 死出の旅への 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 御用心 御用心」
165日本@名無史さん:2007/10/07(日) 01:00:05
一休は禅門でありながら親鸞を高く評価していた。こういうことについては
武陽陰士のような歴史趣味中年にはわからないだろうな。
166日本@名無史さん:2007/10/07(日) 02:33:57
ほかのスレのブヨーの狼藉ぶりはともかく、ここじゃ一応ブヨーのいうことに一理あるんじゃね?
ブヨーならずとも一級史料知らないで書き込みしたのは、やっぱ軽率のそしりを免れないと思うが
167日本@名無史さん:2007/10/08(月) 11:50:59
>>162
オーまた長々と、自分の「計6行」のカキコに「計32行」もレス付けてもらって、マジで得した気分だぞ。
僕にかまって欲しいようだが、もう一回繰り返す。自分には一休についてはほとんど知らんから(通り一遍程度)
スレタイに関しては書くことなんか無い。今までもこれからもロムオンリー。期待に添えられんでスマンな。

この件でこれ以上お付き合いすると、アラシになるからもう書かんが、
「ネットなんか無い方がいい」と思いながら、「ネットでストレス発散」ね・・・説得力ZERO。
168武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/15(月) 23:50:28
>>167
ふーんw
要するに君はネットだけイジってる能なしで、
一休に関する基本的な概説書のたぐいにも載ってる『…年譜』の存在も
知らずに延々得々と一休について論じて(ネットの切り貼りをねw)、
それを私に指摘されて頭に来ている訳だ。
笑った。くくお笑いだよ。
このスレ自体が傑作。なんか読むと大笑いする。
一休について興味があれば誰だって知ってる書物を、このスレの連中は誰一人取り上げない(知らないw)
ネットだけしか「読まない」ってのがバレバレ。 バカだよおまえら。
恥しくねえのかな?
ああそうそう私は君たちよりか若いよ多分。
ところで君らはウィとかグーグルの経営者とかを崇拝してんのかな?
んなわけないかw
でもおまえら(人称変わったな)みたいなバカは連中のいいお得意様だよなあWww
169日本@名無史さん:2007/10/16(火) 00:47:28
そういえば石原都知事は正月になると一休さんの歌を思い出すとか言ってたな
=「♪スキスキスキスキスキスキ アイシテル ♪スキスキスキスキスキスキ 一休さん」
170武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/16(火) 00:52:25
おおw ネット切り貼り君か!
171日本@名無史さん:2007/11/26(月) 17:09:03
 
172日本@名無史さん:2007/11/26(月) 19:05:43
匿名の掲示板で人違いは珍しい事じゃ無いから、素直に「そうか」って言えば恥ずかしい事じゃないのに・・・
173武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/26(月) 22:34:00
はっきりいって私には一休のどこが偉いか、面白いのか、
一向にピンとこない。
詩ならもっと面白い奴、感動させてくれる奴はいるし、
禅僧としても退屈だ。
落胤という話を仮に抜きにしたら、生前及び死後も扱いはかなり軽かったんじゃないかな?と私は思っている。
174日本@名無史さん:2007/11/27(火) 01:38:07
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1196094989/l50
お前こんなスレが立っていたぞ
175日本@名無史さん:2007/11/27(火) 12:19:27
>>173
好きか嫌いかなんて個人しだいだしな。
やはりあの小僧姿というのが先行してるんじゃないの?
176百姓禅僧:2007/12/09(日) 13:53:38
>>175
そう”あの小僧姿”も然ることながら77才にして
30才?盲目森女と出会い相思相愛の両者10年も愛し
続けたことはこんな黄昏れた浮世の人間模様ゆえ
心が疼き泣けてくる。「一休論」はそれで充分!
177日本@名無史さん:2008/01/06(日) 18:36:57
恐怖読みきり 一休さん(安永航一郎 先生)
http://www.jakushou.com/ture/manga/mei/ikkyuu.htm
178日本@名無史さん:2008/01/06(日) 20:35:23
人間皆、オナゴの股ぐらから産まれるのは間違いないのだよ。
と、言いそうだな。
179日本@名無史さん:2008/01/06(日) 21:57:47
小夜ちゃんの割れ目を弄ぶ一休であった
180日本@名無史さん:2008/01/07(月) 15:55:15
>>176
既出だが、森侍者は一休の著書「狂雲集」のみに登場する女性。
一休の弟子の著書には登場せず
また一休の子の中にも森侍者を母とするものは居ない。
70過ぎた一休が40近く年下の森侍者と愛欲生活を送っていたと考えるより、
森侍者は一休の著書の中だけに登場する架空の人物と考えられている。
181日本@名無史さん:2008/01/22(火) 19:05:58
最初ほうに書き子あったけど、一休と足利義教を対比させて描いたら
面白い大河になりそうだ。
182日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:40:29
母上様が南朝側の貴族の
出だったのは間違いないんでしょ?で、後小松天皇に入内して一休さんを産んだんなら、やっぱりご落胤、てことだよね。アニメでは父帝から送られた菊の御紋入りのお守りを宝物として持ってたよね。あーなんか一休さん見たくなってきた。再放送ないかなぁ
183日本@名無史さん:2008/02/02(土) 20:31:42
一休と云えば、本朝衆道「中興の祖」だよナッ!
したが、その男色相手としては誰と誰とが有名であったかの?
184日本@名無史さん:2008/02/03(日) 09:56:17
>>182
「本朝皇胤運紹録」によれば一休は後小松の落胤、
母は南朝遺臣花山院某氏で後小松に出仕したが、
後小松を討って南帝の遺恨を晴らさんと懐に刀を忍ばせていたため、
一休を孕んだまま御所を追放となった
ということになっているが、同年代史料ではなく、
いつ一休が運紹録に書き加えられたかも不明。
185日本@名無史さん:2008/02/03(日) 16:34:25
一休宗純が晩年を送った一休寺、
なかなかいい寺、お勧めですw
もっとも、現在有る建物のほとんどは
一休没後、加賀前田家からの寄進です。
186日本@名無史さん:2008/02/04(月) 14:35:29
>>184 dです。あの優しそうな母上様が刀を忍ばせてたなんて…一休さんのお墓は宮内庁が管理してるんですよね。
187日本@名無史さん:2008/02/04(月) 20:03:40

「“はし”を渡るな、
この“はし”を」

やはり、天才だな!
188日本@名無史さん:2008/02/04(月) 22:54:17
後小松天皇 息子であるから 位の


高い坊主になれたらしい。
189日本@名無史さん:2008/02/05(火) 08:10:36
大徳寺ってそこまで位の高いお寺じゃない、って誰か言ってなかった?
190日本@名無史さん:2008/02/05(火) 09:34:51
大徳寺は花園天皇、後醍醐天皇に庇護され、特に後醍醐天皇からは
鎌倉幕府の定めた五山の上に位置づけられ、位は非常に高かった。
しかし、足利氏による室町幕府が成立すると、
敵対する後醍醐天皇に庇護された大徳寺は冷遇され、
室町幕府の定めた五山十刹の制では十刹の9番目に落とされてしまった。
そのため、大徳寺は自ら五山十刹の制を離脱、
一休宗純らが堺の豪商らの力を得て再興した。
191武陽隠士:2008/02/28(木) 00:12:12
>>187
『とんち番長』を知ってるかW
192日本@名無史さん:2008/02/28(木) 02:31:51
>>186
そうだよ。宮内庁は「宗純王」と皇族と正式に認定しているし、その墓は
皇族の墓として宮内庁が管理している。


>>http://www.eonet.ne.jp/~ryobo-youran/kyoto/fuka/008.htm
193日本@名無史さん:2008/02/29(金) 20:47:35
194日本@名無史さん:2008/03/01(土) 23:02:02
サヨちゃんは?
195日本@名無史さん:2008/03/04(火) 07:49:39
一休と云えば、本朝衆道「中興の祖」だよナッ!
したが、その男色相手としては誰と誰とが有名であったかの?

誰一人として返答出来ぬと申すのかゑ?
196日本@名無史さん:2008/03/04(火) 14:33:25
一休衆道ぐるいの事

一休は衆道好きにておわしけるとや。
〜駿河の府中に小玉弁之助とて、所一番の美童ありけるに
内々御くどきありけるも、「御なぶりなさるる」など言うて
答えも申さざるところに、やがて狂歌一首あそばして遣わされける〜
しみじみと御返事申し上げて、即ちその夜まいり、御望みをかなえけるとかや。
197日本@名無史さん:2008/03/19(水) 11:36:02
爺さんになってから、盲目の絶世の美女深を愛人にして、歌までよんでる
深公が深恩をもし忘れなばって
198日本@名無史さん:2008/03/19(水) 12:50:42
前レスの書は記憶が正しければ、回春録とか回春記とか、何しか回春という字が入っていたと思う
一休、すごいな
199日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:56:06
>>192
それを言っちゃーおしまいよ。
政治的な判断がすべてだと思う人にとっては、
お上が決めることはがありがたいということだろうからね。

有力な説として、後小松天皇皇胤説があるというぐらいでいいんじゃないかな。

皇胤かどうかだけに話を集中するのもどうかとは思うんだよな。
皇位が問題になっているわけでもないし、一般皇族と違って、
皇胤だから尊くて、皇胤じゃないから尊くないという人物でもないしな。

ただ、皇胤であったとしても皇族ではなかったはずだから、
「王」という称号は不適切な気もするが。
200日本@名無史さん:2008/03/29(土) 23:01:29
あなたと秋風に吹かれている このひと時が

百年にも千年にも相当するぐらい すばらしい時間だ・・・

この爺さんはピュアだ
201武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/30(日) 02:08:31
若かりし頃の一休さんが、将軍足利義持の愛する美少年赤松持貞の手をドサクサに紛れて握っちゃって熱〜いアイコンタクトでもって誘惑すると、義持が慌てて赤松持貞を一休から引き離しちゃった
……てな記述が『一休和尚年譜』にあります。
まったくしょーもない坊主ですねこのひとは(#^-^#)
202日本@名無史さん:2008/03/30(日) 10:59:25
男だけで生活してる僧侶は
伝統的に美童を愛する
女には手を触れてはいけないが
(女への性欲を断ち切るため寺では
女は汚らわしく成仏できないと
子供のころから叩き込まれた)
美少年とはやりたい放題だったのだから
仕方がない
203日本@名無史さん:2008/03/30(日) 11:03:35
>>201
なぜ、男なんだ

・・・・・・女性ともしました
204武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/30(日) 11:23:57
>>202
私のレスは将軍の寵愛する美童に手を出すのが主眼なんだろうが。
205日本@名無史さん:2008/03/30(日) 13:21:36
なんかこの人が来ると急に空気悪くなるんだよな
何とかしてくれないかね
206武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/30(日) 13:55:30
>>205
空気は敢えて無視してる。
はっきりいって一休なんかまったく評価しないし、世間での評価は過大というもんだと常々感じてる。
一休の価値下げがやりたいのも私のレスの主眼かな。
まあ別段一休が嫌いな訳じゃないが、そんなに言挙げするような宗教者じゃないんだよ。
とりあえず今からモディリアニ観に行くんで、じゃあね。
207日本@名無史さん:2008/03/30(日) 16:08:26
>>206
一休は宗教者として評価されてるんじゃないよ。
歌人として評価されてるの。
「狂雲集」などに代表される狂歌の歌人としてね。
高校の教科書でも文化史として登場してるでしょ。
この人はこの程度のことも知らないの?
208武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/30(日) 21:12:47
>>207
知ってるから宗教者として大してことないと言ってるんだけど。
それと君は教科書しか読んだことない人だから分からないんだろーけど文学としても低いよ。
五山文学のメンツは君みたいなパンピーは知らないんだろうね。
あと一休なんてつまんない識者けっこーおおいよ。
しかしやっぱ2ちゃんだな。
バカが得意がってるや。
ちなみに私のレスは釣りなんだよ。反論ぶつけてくる奴を想定して書き込みしてる。
不安感みたいなものを釣られたバカ(君みたいな)を叩いて晴らすためにね。
209日本@名無史さん:2008/03/31(月) 03:03:23
>>208
そうかね?なかなか面白い人物だとは思うけどね。
お前さんの言ってることは結局好き嫌いの問題だろう。
210日本@名無史さん:2008/03/31(月) 19:00:21
>>208
君に文学の素養がないことを暴露してどうすんのw
やっぱり馬鹿だな。
211日本@名無史さん:2008/03/31(月) 19:07:17
現在のように破戒無慚の葬式坊主ばかりの世の中では
一休ならではの禅味のようなものは実感できないかもね。
まあ一休の当時もとっくに坊主の頽廃はおきていたわけで
それゆえの一休なのだが。
212日本@名無史さん:2008/03/31(月) 19:21:46
現在の坊さんは結婚もできるし
肉も食べられるからね
無理に昔のように戻せば
人権侵害なのだろうが
213越前なまりはの〜:2008/03/31(月) 22:39:58
キャバクラで働いてたとき、「ソウセイカイ」っていう団体の

貸切予約が入って怖かった。ほんとは

「曹洞宗青年部会」だった。店はねた後、総揚げで焼き肉屋いった。

ぎおんとかも詳しい人ばっかりでタン塩口移しゲームをして

お小遣いをたくさんもらった。僧侶はみな良い人ばかりだと思いますっ
214武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/31(月) 23:25:10
よく知らないけど一休宗純が、ある種の年代(中年)に格別興味愛着を覚えられているのはアニメのせいもあるだろう。
笹川良一が(提供の日本船舶振興会は笹川の牙城だ)スポンサーだったらしいが、
笹川の児童教化は半ば成功したようだな。
このスレの一休礼賛を見ると。
一休なんかくだらないというのが私一人とは…。
同じように平賀源内もくだらないんたが、それはまた別の話。
どうでもいいが、ネット上のデータだけを引っ張って知った気になるのは止めてくれ。
聞いてるこちらが恥ずかしくなる。
『一休和尚年譜』という一休研究で欠かせない史料を誰も私が挙げるまで、
触れない(知らない)とは。
バカ以前の段階だ。
215日本@名無史さん:2008/04/01(火) 00:26:32
まあなんのかんの言ってもあの頂相を見れば
只者じゃないのは一目瞭然だろ
216日本@名無史さん:2008/04/01(火) 00:30:46
>>214
源内にせよ一休にせよ、好き嫌いの問題じゃないか。
まあ源内に関しては判らなくもないけど
217日本@名無史さん:2008/04/01(火) 00:48:14
戸締まり用心 火の用心
218日本@名無史さん:2008/04/01(火) 01:18:18
スリランカや東南アジア諸国の上座部仏教国でも
中国、朝鮮、台湾、ベトナム、チベット、モンゴルの大乗仏教国でも
僧侶は肉食妻帯しないのが普通。別にそういう法律があるわけでもなく
宗教的戒律を正しく守っているだけ。
かの国々の人にとっては日本の坊主が肉食妻帯していることに非常な奇異感を持つようだ。
219日本@名無史さん:2008/04/01(火) 03:50:35
えりまきの あったかさうな 黒坊主 こいつの法は天下一なり
220日本@名無史さん:2008/04/01(火) 08:23:18
坊主の堕落って奈良末期くらいから既に始まってんじゃね?
権力持ってない分だけキャバクラで遊ぶ現代のアホ坊主のほうがまだましかなあ
221日本@名無史さん:2008/04/01(火) 09:27:24
先週のタモリ倶楽部のごとしw
222日本@名無史さん:2008/04/01(火) 14:14:53
>>214
文学スレでやれよ。
一休の文化人としての価値を認めないのは
無知な武陽一人だろうからね。
223日本@名無史さん:2008/04/01(火) 14:42:14
日本人のメンタリティとして、気高い清僧のような人はそれはそれでいいが
また清濁併せ呑むような人物がよしとされることもある。
一休についてもそういう捉え方でしょう。
224日本@名無史さん:2008/04/01(火) 23:27:07
今の3,40代の人間が一休さんに親しみ感じるのは
完全にテレビアニメの影響だろうな
大半の人にとって一休はかわいいとんち小僧であって
大人になってからの破壊坊主の一休なんてあんまり知らないから


225日本@名無史さん:2008/04/02(水) 00:37:08
>>224
そうかもしれないが、そういう人はこのスレなんか
興味ないだろ
226先祖代々ニート(家計図あり):2008/04/02(水) 04:40:46
奈良時代は僧侶が肉食妻帯朝から酒飲んで荒れに荒れてたとか。
朝廷からの勅命で高僧を唐からお招きする様使わされたのよね。
鑑真和上が来なかったら儒教の色濃い日本になってたかも。
鑑真さんみたいなストイックな人より
一休さんは「んも〜しょうがないわね〜」的に馴染みやすい。
そして凡人ではないとこが素敵。
227日本@名無史さん:2008/04/02(水) 09:46:24
>>226
鑑真は日本ではじめて戒を取り入れるために呼ばれた僧。
ちなみに奈良時代の僧侶は乱れていませんでした。
そのために女帝と噂になった道鏡が突出して見えたのです。
平安時代なども専ら少年愛によって欲求不満を解消し、
僧侶は乱れていませんでした。
僧侶が女を囲って乱れ出したのは、
頂点に立つ法皇が愛妾こしらえてた平安末期です。
それ以降も、基本的には浄土真宗以外の宗派では
僧侶は表向き女犯を禁じられ妻を持てませんでした
228日本@名無史さん:2008/04/02(水) 10:24:11
>>227
表向きはね。
229先祖代々ニート(家計図あり):2008/04/02(水) 13:41:33
>>227
では遣唐使団に僧侶が多かったのは何故かしら?
『天平の甍」とかちゃんと読みなさい。
平安時代に始まった肉食が僧侶の間にも伝播し
鎌倉時代には肉食禁止令が出るのは、食文化を勉強すれば解る事。
美少年愛は戒律を犯してないっていうのもふざけた話。
正直に肉を食べ妻帯しキャバクラ行くほうがかわいいじゃん。
なに言ってんだろ、こいつ。
230武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/02(水) 23:29:51
私が一休つまんないのは、破戒僧なんたらだからじゃなく、
単純につまらない業績しかないからだ。
一休つまらないと言う人はみんなそれが本音。
同様に源内が好きじゃないのも人を殺したからじゃなく単純に業績面白くないからだけだ。
231日本@名無史さん:2008/04/03(木) 01:27:08
坊さんって何なんだろうね
難しいわ
酒飲んで肉食ってセックスする坊さんに戒名代何十万も払うのなんか微妙
税制も優遇されてんだよなあ
232日本@名無史さん:2008/04/03(木) 17:28:38
>>229
少年愛は戒律を乱していませんが?
現代人の頭で歴史学を語るのならば、
日本史板に来ないこと。
なにいってるんだろ、こいつ。
233日本@名無史さん:2008/04/03(木) 17:45:33
相手が女あれ男であれ自分の手であれ性欲の発散は僧侶のなすことではない。
234日本@名無史さん:2008/04/03(木) 18:03:40
こんなとき一休さんがいたらなんと答えるだろう?
少年愛は戒律を犯しているか、否か。
そんならその時代は僧侶は獣姦も?なんてね。
235日本@名無史さん:2008/04/03(木) 18:37:45
16世紀に日本に来たヨーロッパ人宣教師は僧侶を含むあらゆる階層の日本人が
平然と男色を行っている様を見て嘆いている。
己が男色でもてることを堂々と誇りにしている者もいて嘆かわしい。
そういう悪風さえなければ日本人は優れた民族だろうにと。
236日本@名無史さん:2008/04/03(木) 19:00:01
チャイコフスキーも美少年のバレリーナ(男子もリーナ?)のために曲を書いてますが、
人の趣味は勝手なので。家光もそうですし。
ただ男色は女犯ではないから戒律に反してないっていうのが・・・
では少年を強姦しても性犯罪ではないのか?どなたか本当に僧侶な方お願いします。
237日本@名無史さん:2008/04/03(木) 19:05:01
「性犯罪」だが「女性が被害者の性犯罪」ではない

子供でもわかること
238日本@名無史さん:2008/04/03(木) 19:09:41
そうですね、そういう逃げ道が無ければ
日本の僧侶はやってられないのでしょうね。
239日本@名無史さん:2008/04/03(木) 19:23:13
美童を犯して逮捕された人はいなかったからな
美少年を犯すことは公認されていた
240日本@名無史さん:2008/04/03(木) 19:23:23
じゃあ男女問わず交わってはいけないって新興宗教でも始めたらいいよ
241日本@名無史さん:2008/04/03(木) 19:41:15
とんちでなくて屁理屈ですね。
242日本@名無史さん:2008/04/03(木) 20:01:53
仏教では人間の煩悩を追及、女犯を禁じた
子供がいれば欲が湧き
わが子さえよければいいという気持ちになる
他人を等しく救済できないためだという

この教えを定めたとき
男が男を犯すことは考慮されてなかったのだろう
男が男を犯しても子供はできないから
そういう意味では煩悩は起きない
243日本@名無史さん:2008/04/03(木) 20:12:20
崇高な一休さんでなくていいです。歳をとるほど欲が湧いてくるものと
聞いたことがありますので、老いらくの恋だろうが可愛いなと思っただけです。
美少年愛だろうが肉大好きだろうが隠すことはないのに。
生きているうちは仏には成れませんから煩悩だらけでいい。
244日本@名無史さん:2008/04/06(日) 15:49:49
一休さん 新たなる戦乱の序章 母伊予の局とともに安国寺へやってきた千菊丸(のちの一休)。
伊予の局「千菊丸のことよろしくお願いします」
和尚「お任せ下さい、立派な僧にお育てしてみせます」
外観和尚に息子を託した伊予の局は後ろ髪引かれる想いを振り切って寺を後にした。
和尚「さて、早速ですがこの寺の仕来りについてお教えしましょう」
そういうやいなや和尚は千菊丸の衣服を脱がし始める。
千菊丸「なっ、何をするのですか!?」
和尚「この寺は女人禁制、したがって性欲は男だけで処理せねばならぬ、これを覚えねば長い修行の日々に耐えるのは無理じゃからな、今すぐ覚えるのじゃ!」
千菊丸「えっ!えっ!?」まだ知識のない千菊丸は何が起こったのかもわからぬまま裸にひん剥かれ、その場で四つんばいの体制をとらされた。
和尚「これが俗世と御仏の道を隔てる楔じゃぞ!食らえっ!!」
千菊丸「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
和尚「ふんっ!ふんふんっ!!」
千菊丸「痛いっ!痛いーっ!!うっ動かないで・・・っ!!」
和尚「だまらっしゃい!こんなに股の竿を硬くしおって!!いやらしい、本当にいやらしい子供じゃわい!!」
千菊丸「あひぃ!扱かないでぇっー!?」 この日を千菊丸は受け小坊主一休となった。
翌日。
和尚「よし修行を始めるぞ!全員本堂に集まれ!!」
本堂に集められた小坊主達は修行着こそ着ていたものの下穿きはつけずノーパン状態。全員が一列に並ぶと和尚に向け尻を突き出す。
和尚「むふぅ、皆いい尻じゃ!」
和尚は小坊主達の尻を撫で回し菊門を指でつつく。
哲斉「ひぃ!?」
和尚「なんじゃ哲斉、たかが尻を撫でただけでもう股の竿が硬くシコっておるではないか?」
哲斉「こっこれは・・・・」
和尚「あいもかわらずいやらしいのぅ、本当にいやらしいわい」
哲斉「うあっ!さっ、竿をにぎらないでぇっー!?」
和尚「よしっ!今日の一番穴はお前に決めたぞ!食らえっ!?」
哲斉「ぬあああっ!挿ってくるうっ!?」こうして一休は安国寺での辛く苦しい修行の日々に身を投じることとなった。
母が望んだ立派な僧侶になるために・・・・・。
245日本@名無史さん:2008/04/06(日) 16:00:40
最近の腐女子はこんなもんでオナってるのか
246日本@名無史さん:2008/04/06(日) 16:57:01
小僧を掘るより、ゴツイ僧兵同士が掘りあう方が萌えるよ。
247日本@名無史さん:2008/04/06(日) 18:47:57
>>246
オフ会しね?マジで
248日本@名無史さん:2008/04/07(月) 14:52:47
一休和尚が寵愛した稚児で名前の分かっている美少人は誰と誰とが
有名ですか?
また一休さんの漢詩で男色に関する名作を幾つか教えて下さい。
よろしく
249日本@名無史さん:2008/04/07(月) 16:04:40
腐女子のおばはんに影響されて
男色ネタばっかり持ち出さんでもいいんでね?
250日本@名無史さん:2008/04/07(月) 22:50:56
諸悪莫作 衆善奉行
251武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/08(火) 00:02:19
>>248
足利義嗣。相思相愛じゃない?
今谷説じゃ天皇になるかもしれない男子。
252日本@名無史さん:2008/04/08(火) 04:46:40
足利義嗣と相思相愛なりしといふ其の根拠は何でせうか?
253武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/11(金) 00:09:55
>>252
やけに丁寧だね
あんまり強く突っ込みしないのは何故なのかな?
楽しくない。
254日本@名無史さん:2008/04/11(金) 01:04:31
楽しくないと人の質問に答えないのか。無責任な奴だ
255武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/11(金) 01:38:16
>>254
わざと突っ込みされやすい書き込みするのが私の楽しみなんだよね
256日本@名無史さん:2008/04/11(金) 01:40:17
新井説じゃ天皇になるかもしれない男子一休。
257日本@名無史さん:2008/04/11(金) 08:12:03
一休和尚が寵愛した稚児で名前の分かっている美少人は誰と誰とが
有名ですか?
また一休さんの漢詩で男色に関する名作を幾つか教えて下さい。
よろしく
258武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/12(土) 22:06:41
>>257
あなたは心身の病気か何か?
それとも僻地の人?
春秋社の一休全集読めばそんな疑問の答えは瞭然なんだけど。
お金あるんなら買えばいいし。
ていうかこのスレの人たちみんな病気か田舎の貧乏な人たちなのかな?
ちなみに引きこもりも病気に含めて私はいっている。
みんな年譜も読む気ないし。
へんな人たちだY(>_<、)Y
259日本@名無史さん:2008/04/13(日) 01:46:17
一休禅師のお正月

新春の京、町の庶民も新しい年を寿ぎ「明けましてお目出度う」とお互いに挨拶し合っていた。
しかし突如その人々の声が「ぎゃあああああああっ!?」
という絶叫に変わった。
「ご用心、ご用心!」
「ぎゃあああああああっ!し、尻がぁあ!?」
「ご用心、ご用心!!」
「し、尻が裂けるぅ!?や、止めて止めてーー!」
「ご用心、ご用心、そこもと達各々のお尻にご用心!!」
幼き日掘られてばかりだった一休さんは真夜中の烏声の大悟で掘る事に目覚め
以来、普く全ての衆生の尻に悟りを叩き込むべく己の股竿、頭蓋骨型の突起を持つ三尺の禅杖
そして男根を型どる二尺の木刀に磨きを掛け天下の老若男女獣を問わず掘り捲っていた。
一休さんは正月に浮かれ煩悩に塗れた人々を憂い、真の悟りの初日の出を見せようと
振り振りと挨拶の度に揺れる尻を股竿・禅杖・木刀の三刀流で掘りにきたのだ!
「そこの尻、ご用心!」
「い、痛いーっ!う、動かないで…っ」
「ご用心、ご用心、そこもとの股竿が堅くなっておりますぞ!」 
「アッー!」
「ご用心、ご用心…」
新春の京の都に、賑やかな叫び声と栗の花の香りがどこまでも広がっていった。
260日本@名無史さん:2008/04/13(日) 01:46:48
一休さんと蓮如さん

ある日一休さんは友達の蓮如さんの家に遊びに行った。
「おーい、居るかぁ?居なくても入るぞ。」
仏間に上がり込む一休さん。だけど誰も居ないので退屈した一休さんは
ついつい手近にあるお祀りしてた阿弥陀仏を掴んでコケシ代わりに使ってみようとした。
丁度その時蓮如さんが帰ってきて
「おいおい一休さん、そいつは俺の愛用してる阿弥陀型コケシだぞ。勝手に使われちゃ困る。」
「え!?」
261日本@名無史さん:2008/04/13(日) 01:47:37
一休遷化す 

天下第一の高僧として、アニキとして雄野郎達の憧れだった絶倫坊主一休宗純も遂に最期の刻を迎えた。
床の周りには一休の弟子らが、最後の説法「遺偈」を聴こうと集っていた。
一休も天下に知られた傾奇者、最後はイかした遺偈を出そうと狙って作っていた。
だが死に際が近づくにつれ、走馬灯の様に思い出すのは
あの応仁の乱の折の細川・山名両軍勢の尻を戦没者供養と称して強姦し捲った事やムカつく生臭五山の高僧を掘り倒したり
自分を乞食坊主と馬鹿にした豪商に顔面ぶっかけした事などの痛快譚なんかでなくて
幼少時の外鑑和尚や足利義満、桔梗屋利兵衛、やんちゃ姫・さよちゃんや尻頭の兄弟子周念
後には肉奴隷(弟子)にしてやった蜷川新エ衛門こと蜷川親元、果ては五歳児のどちて坊やにまで掘られた苦い思い出ばかり。
思わず一休は遺偈を言うのを忘れこう叫んでしまった。
「ほ、掘られとうない!(ガク)」
「あ、アニキー!(一休の弟子達は師の一休をそう呼んでいた)」
一休が昔は掘られてばかりだったのを知らなかった弟子達は、師の知られざる一面を知り
世の無常をしみじみと感じたのであった。
大徳寺四十七世一休宗純は酬恩庵にて 
文明十三年十一月二十一日、世寿八十八で入寂した。
「ほ、掘られとうない!」という最期の言葉は徹底した人間の生々しい心の叫びとして今も尚燦然と輝いている。
262武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/13(日) 20:58:21
みんなバカばっか
終わったな
ていうか恥ずかしいなみんな
年譜くらいチェックしろよ
図書館にいけや多分あるからさ
引きこもりならしょうがないがW
263日本@名無史さん:2008/04/14(月) 10:18:33
258番の超ド白痴が最悪の存在だぞ!!!!
264武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/19(土) 00:53:49
>>263
♪(*'-^)-☆
265日本@名無史さん:2008/04/20(日) 09:45:46
一休さん 色情和尚と受け商人
和尚「さぁ!今日も心身を鍛える為まぐあいじゃ!食らえっ!!」
一休「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
和尚「ふんっ!ふんふんっ!!」
一休「痛いっ!痛いーっ!!うっ動かないで・・・っ!!」
和尚「こんなに股の竿を固くしておいて、まだ痛いなどと嘘を言うか!?ええい!いやらしい、本当にいやらしい小坊主じゃわい!!」
一休「あひぃ!扱かないでぇっー!?」
今日も和尚の激しい責めでフラフラの一休は鐘突き堂の影で疲れた体と腫れた尻を癒していたのだが、
そこへ京の都でも名高い商人である桔梗屋利平がやってきた。
利平「和尚様はいるかい?」
一休「和尚さんなら部屋にいますよ」
利平「そうかい」
そっけない素振りの利平はそのまま和尚さんの部屋に入っていった。すると・・・・
利平「ぬああああっ!挿ってくるうっ!?」
和尚「ふんっ!ふんふんっ!!」
利平「きつい!太すぎてきついーっ!!うっ動かないで・・・っ!!」
和尚「だまらっしゃい!こんなに股の竿を硬くしおって!!いやらしい、本当にいやらしい商人じゃわい!!」
利平「うほっ!なんかくるーっ!?」
陳念「また桔梗屋さんか、ああやって時々御仏に尻を捧げれば極楽に逝けると思ってるんだから気楽なもんだよ」
しばらくして、
事が終わった和尚と利平だったが、いまだ情熱覚めやらぬ様子で床の中で抱き合い唇を重ねていた。
利平「そうそう、実は南蛮渡来の珍しい品が手に入りまして、是非和尚様にと」
和尚「ほう、なんですかな?」
利平が持参した風呂敷を開けると中には巨大なオナホールが入っていた。
利平「唐天竺からやってきた雁陀亜羅(がんだあら)壱号です」
和尚「おおっ、これはすばらしい!」
利平「お気に入りいただけたようですな、よかったよかった」
この雁陀亜羅壱号が後日安国寺に騒動を巻き起こすことになるのだが、それは次回のお楽しみ。
                            続く
266日本@名無史さん:2008/04/25(金) 02:11:31
唐天竺のさらに向こう、遠く南蛮から来たという女王の衣装ボンテージに身を包んだ桔梗屋の一人娘弥生は薔薇の茎を模した棘付きの鞭を振るい一休との遊戯にいそんしんでいた。
弥生「このガキがっ!食らえっ!!」
ビシッ!バシッ!!
一休「ぎゃああああっ!皮膚が裂けるっ!!」
弥生「ふんっ!ふんふんっ!」
一休「痛いーっ!!痛いーっ!ぶたないでぇっ!!」
弥生「嘘おっしゃい!こんなに股の竿を硬くして!!いやらしいっ!本当にいやらしい子供ねっ!!」
一休「あひぃ!扱かないでぇっ!?」
ただ弥生さんはツンデレなので責めが終わると後は至福の時が待っている。
弥生「さっきは乱暴にしてごめんね、今度はやさしくしてあげる・・・、あらっ!?一休さんたら、さっきしたばかりなのに、もうこんなになってる・・・ポッ!(赤面」
一休「うひぃ!しゃぶらないでぇ!?」
267日本@名無史さん:2008/04/25(金) 02:11:59
秀念「畜生っ!一休ばかりいい思いしやがって」
二人のプレイを覗き見していた秀念は嫉妬の炎を燃やし一休に対する仕返しを考えていた。
秀念「よしっ!こうなったら一休が惚れているさよちゃんを手篭めにしてやる」
寺の裏にあるさよの家へやってきた秀念はいきなり彼女に襲い掛かった。
さよ「いゃあああっ!何をするの!?」
秀念「うひひひ、逝くぞ!!」
五作「さよ!危ない」
だがそこへさよのお爺さん五作割り込んできた。
孫娘を守るよう覆いかぶさった彼の尻に秀念の股竿が当たる。
メリメリ
五作「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
秀念「うぎゃ!俺の竿がこんな汚い爺の尻に挿っちまった!?」
五作「さよ、今のうちに逃げるんじゃ!!」
さよ「はっ、はい!!」
秀念「くそっ!逃げられたか!ふんふんっ!!」
五作「痛いっ!痛いーっ!!うっ動かないで・・・っ!!」
秀念「嘘を言うな!こんなに股の竿を硬くしおって!!いやらしい!本当にいやらしい爺だぜ!!」
五作「あひぃ!扱かないでぇっ!?」
こうして秀念の一休に対する復讐は未遂に終わった。
しかし彼の意地悪は始まったばかり。
若き小坊主一休の試練はまだ続くのであった。
268日本@名無史さん:2008/04/25(金) 02:12:58
今日も安国寺の小坊主たちの日々の日課、托鉢が始まる。
町人壱「やったぁ!小坊主達が来たぞ!」
町人弐「ひゃっほおおおっ!!!」
この時代に花開いた北山文化は能や猿楽など様々な娯楽を生み出したが
それは公家や武士、商人など支配階級や富める者だけの独占物でしかない。
故に屑米や小銭と引き換えに小坊主達の体を自由に出来る托鉢は
一般人が気軽に楽しめる数少ない庶民の娯楽でもあった。
町へやってきた小坊主達はたちまち町人達の家に連れ込まれ衣服を脱がされ押し倒されていく。
町人壱「なけなしの米をやるんだ、三発は抜かして貰うぞ!食らえっ!!」
陳念「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
町人壱「ふんっ!ふんふんっ!!」
陳念「痛いっ!痛いーっ!!うっ動かないで・・・っ!!」
町人壱「嘘を言うな!こんなに股の竿を硬くしおって!!」
陳念「あひぃっ!?しごかないでぇーっ!!」
哲斉「ぬああっ!?挿ってくるうっ!!」
哲梅「うああっ!?ズンズンくるうっ!!」
秀念「あひぃっ!?しごかないでぇーっ!!」
黙念「なんかくるうっ!?アーッ!!」
次々と町人に手篭めにされる安国寺の小坊主達であった。

一休「母上様、このままでは帝の御落胤であるはずの私が下賎の者達に手篭めにされてしまいます。
育ちの良い新右衛門さんや弥生さんならまだ我慢できますが、
あんなノミや虱がわいてそうな小汚い貧乏人どもに犯されまくるなんて耐えられません。
しかし米や小銭を持って帰らないと和尚様のきつい折檻が・・・・」
母の代わりと渡されたテルテル坊主を抱きしめながら一休はついに伝家の宝刀竿とんちを抜くことにした!!
シコシコ シコシコ シコシコ シコシコ・・・・・
座禅を組んだ一休はまだ幼い竿を右手で激しくしごきだす、こうすることで精神集中をはかるのだ。
シコシコ シコシコ シコシコ シコシコ・・・・・
一休「うっ!?」
ドピュッ!!
絶頂に達すると同時に彼の脳裏にこの危機を乗り切る計画が事細かに思い浮んだのであった。
269日本@名無史さん:2008/04/25(金) 02:14:15
一休は随分前から無人になっている小屋の前に町人達を集めはじめた。
一休「まぐあうのはけっこうですが、私は恥ずかしがりやなので皆さんに裸を見られるのは嫌なのです。
そこで私の小屋の中に入って穴の前で四つんばいになりますので
あそこに見える壁の穴から竿を突き入れてください、壁越しでも尻を掘ることが出来ます」
町人壱「なんかまどろっこしいのう・・・」
町人弐「おら聞いたことがある、きっとまにあぷれいとかいうやつなんじゃろ」
町人参「そう言われると、なんか興奮してきたぞい」
町人達は一休に米や銭を渡すと袴を下ろし穴の前に一列に並びだした。
一休「では私は小屋の中に入りますが絶対に中は覗かないで下さいね、のぞいたらそこで中止ですよ」
町人弐「わかっただ、絶対覗かないだよ」
一休が小屋に中に入ると、そこには近所から誘拐してきたどちて坊や、寺男の吾作、
そして一休をかどわかして南朝方の再起を企てていた千早六蔵などが猿轡をされ縛り上げられている。
みな一休に言葉巧みに誘い出され不意をつかれ捉えられたのだった。
一休はまず吾作の下穿きを脱がせ穴の前で四つんばいにさせる。
270日本@名無史さん:2008/04/25(金) 02:16:05
吾作「・・・・・・(なっ何を!?)」
一休「さぁ、準備出来ました!来て下さーい!!」
町人壱「では逝くだ、食らえ!!」
吾作「・・・・・・(ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?)」
一休「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?(演技)」
吾作が掘られた瞬間一休はそれに合わせ演技で悲鳴を上げる。
一休「痛いっ!痛いーっ!!うっ動かないで・・・っ!!」
町人壱「おら今、天皇様の御落胤を掘ってるんだな!ああっ夢見てえだ、ふんふん!!」
偽尻とも知らず皇室ブランドという言葉だけで満足してしまう町人達。
一休『くふふふ、馬鹿なやつらですねー』
町人弐「次はおらだ!食らえ!!」
どちて坊や「・・・・・・(ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるですうっ!?)」
一休「ぬああっ!?挿ってくるうっ!!(演技)」
町人参「やっとおらの番だな!食らえ!!」
千早六蔵「・・・・・・(ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?)」
一休「ああっ!?太いのがくるうっ!!(演技)」
こうして一休は拉致した三人の尻と、した振り演技を巧みに使い
自分の尻は守りつつおよそ500人の町人から米や銭をせしめる事に成功したのだった。

その晩、
和尚「一休よくやった!まさか一回の托鉢で銭10貫に米俵を30俵も持ち帰るとは」
一休「いやぁ、たまたまですよ!」
和尚「今回は特別に褒美をつかわす」
一休「何かもらえるんですか?」
和尚「わしの竿をたんと使わす、ありがたく受けよ!!」
一休「えっ!?そ、それはいらな・・・・ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
結局どう転んでも和尚に掘られる一休であった。
立派な僧侶になるための道はまだ遠い。
271日本@名無史さん:2008/04/25(金) 12:32:38
これってゲイのエロ小説か?

ヤオイとかいうのは、アニメの一休さんそのままのストーリーとかじゃないのか。
大の大人が、美童の気を引くために相手と同じ子供目線でやりとりしたり、言い掛かりをつけて
モノにしようと権力者や豪商が無理難題を吹っかけたり。
普通は小坊主相手にむきになるような立場の人間のはずがないからな。
272日本@名無史さん:2008/04/29(火) 20:25:10
後深草と後嵯峨は美童をめぐって火花を散らしましたが
高貴な方は両刀で貪欲なんですよね
273日本@名無史さん:2008/05/02(金) 00:24:52
676 :人間七七四年:2008/05/02(金) 00:15:38 ID:G4tAsl/y
一休さん 倒壊しそうな建物から子供を救えの巻
古い廃墟の五重の塔の天辺に登った少年が下りれなくなるという事件が発生!
登る際に使った階段は木が腐っていたため板が抜けてしまい引き返せず、
少年の重みで建物自体も傾きいままさに倒壊の危機に瀕していた。
少年「助けてーっ!!」
母親「だっ、誰かあの子を助けてください!?」
町人壱「よし、おらが外壁をよじ登って助けにいくだ」
町人弐「馬鹿こくでね!子供一人の重さで傾くくらいだ、大人が登ったらたちまち崩れちまうぞ!!」
母親「ああっ!坊や・・・・・」
そこへ騒ぎを聞きつけた一休さんがやってきた。
一休「いけない!?このままでは子供の命が危ないぞ!」
五階建ての塔の天辺から落ちたら少年はほぼ間違いなく即死。
この緊急事態に一休さんはついに伝家の宝刀竿とんちを抜くことにした!!
シコシコ シコシコ シコシコ シコシコ・・・・・
座禅を組んだ一休さんはまだ幼い竿を右手で激しくしごきだす、
こうすることで精神集中をはかるのだ。
シコシコ シコシコ シコシコ シコシコ・・・・・
一休「うっ!?」
ドピュッ!!
絶頂に達すると同時に彼の脳裏にこの危機を乗り切る計画が事細かに思い浮んだのであった。


274日本@名無史さん:2008/05/02(金) 00:26:38
677 名前:人間七七四年 :2008/05/02(金) 00:16:04 ID:G4tAsl/y
一休「皆さん、いますぐ人手を集めてください!塔の周りに土嚢を積むのです!!」
町人壱「なんだかわからねえが、とんちで名高い一休さんの言うことだ、したがうべよ」
町人弐「おう、おらも一休さんを信じるだ!!」
一休さんの呼びかけに応じた町人たちは塔の周りに土嚢を並べ始め
数時間後には高さ二メートル直径五十メートル程で円の形をした人工の土手が完成した。
一休「さぁ、みなさん!次は土手の上に登り、内側の掘りに向かって手淫でコキまくって下さい!!
塔の周りに白液の池を作れば子供が落ちても大丈夫です!!」
町人達「なっ!?なんだってぇーっ!!」
突拍子のないこの案に、その場にいた一同は一瞬唖然としたが、
今にも倒れそうな塔の前でもはや悩んでいる時間はなさそうになかった。
町人壱「ふんっ!ふんふんっ!!」
町人弐「ふんっ!ふんふんっ!!」
桔梗屋利平「ふんっ!ふんふんっ!!」
新右衛門さん「ふんっ!ふんふんっ!!」
伍作「ふんっ!ふんふんっ!!」
ガンちゃん「ふんっ!ふんふんっ!!」
豆腐屋のこや太「ふんっ!ふんふんっ!!」
黒の百兵衛「ふんっ!ふんふんっ!!」
海賊五郎丸「ふんっ!ふんふんっ!!」
その他大勢 「ふんっ!ふんふんっ!!」
全員が少年を助けたい一身で己が竿を扱き白液を搾り出す。
その甲斐あって掘りは瞬く間に白液で満たされ乳白色で激しい異臭のする池が出来上がった。
一休「さぁ坊や、白液の中に飛び降りるんだーっ!!」
少年「いっ、嫌だーっ!!そんな臭い池の中に飛び込むのは死んでも嫌だっ!!」
しかしこのまま塔が横倒しになると天辺にいる少年は池の外に投げ出され地面に叩きつけられる可能性が高い。
もはや少年の命は風前の灯!どうするんだよ一休さん!?
275日本@名無史さん:2008/05/02(金) 00:27:31
一休「しょうがない、みんなであの坊やに石をぶつけて下に落としましょう!」
みんな「ワー!ワー!!」
皆が心を鬼にして石を投げ始め、多数の石が少年命中、体中はあざだらけ顔面はボコボコ状態。
それでも片手で手すりにしがみつき白い池に飛び込むのを頑なに拒否する少年。
ついにしびれを切らした新右衛門さんが狙撃用の長弓を持ち出してきた。
新右衛門「こうなったら弓で手を狙い射落としましょう」
一休「お願いします!!」
バスゥッ!!
新右衛門の放った矢は手すりを掴んでいた少年の腕に深々と突き刺さり貫通。
少年はついに力尽き白液の池に転落した。
少年「ぎゃああああっ!顔にかかる!?口の中に入ってくるぅっ!?」
しかし白液の中で溺れもがき苦しむ少年を助けに行こうとする男は誰もいなかった。
町人壱「うーん、あの中に入るのはちょっと勇気がいるなぁ・・・」
町人弐「おらも嫌だ!!」
桔梗屋利平「私は泳げないんですよ、すいませんね」
新右衛門さん「拙者も普段着なら飛び込むんですが、今仕事着なので・・・・、これ幕府からの借り物なので汚せないんですよ〜」
母親「坊やーっ!!」
しり込みする男達を尻目に結局は少年の母親が池に飛び込み我が子を助けあげた。
一休「あんな汚い池に飛び込むなんて、お母さんってすごいんだな・・・・」
まさに子を思う母は強しといったところ、自分の母である伊予の局のことを思い出し少し切なくなる一休である。
かくして少年の命を救った一休のとんち小坊主としての名声はいやが上にも高まりその名は諸国に轟くこととなる。

しかし、この話には人々には知られぬ後日談があった。
276日本@名無史さん:2008/05/02(金) 00:28:56
白液の中に飛び込んだ少年の母親は誰の種ともわからぬ子供を妊娠。
それに腹を立てた父親は日々酒びたりとなり家族に暴力を振るうように。
結果、母は身重の状態で家から蒸発、父も外に女を作り少年を残して家を出てしまい家庭は崩壊。
両親を失い孤児となった少年は逸物寺の珍峰和尚に預けられることとなった。
この時代、武家や公家からの寄付を目当てのにわか寺社が乱立し御仏の教えを説くとは名ばかりのいい加減な寺が多い。
開寺半年の逸物寺も例外ではなく、住職の珍峰和尚の正体は比叡山を破門された破戒僧であった。
少年「うっああああっ!?股に食い込むうっ!!」
入門早々、衣服を剥ぎ取られ三角木馬にまたがらさせられる少年。
珍峰和尚「わしは安国寺の和尚のように甘くないぞ!このまま合体じゃ!食らえっ!!」
少年「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
珍峰和尚「ふんっ!ふんふんっ!!」
少年「痛いっ!痛いーっ!!うっ動かないで・・・っ!!」
珍峰和尚「嘘を言うな!こんなに股の竿を硬くしおって!!」
少年「あひぃ!?しごかないでぇーっ!!」
一休のとんちにより室町の世にまた一つ可憐な菊門の花が開花した瞬間でもあった。
                                    〜続く〜
277日本@名無史さん:2008/05/02(金) 01:12:44
続かんでいい
278武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/04(日) 23:37:18
東京国立博物館で一休の一行書が展示されてる。
早く行かないと展示替えになっちゃうよ!
279日本@名無史さん:2008/05/05(月) 17:02:03
280日本@名無史さん:2008/05/05(月) 19:27:59
281日本@名無史さん:2008/05/22(木) 00:03:23
庶民や知識人から高僧と崇められたらしいね。
282日本@名無史さん:2008/05/22(木) 09:41:58
>>280
ww
283日本@名無史さん:2008/05/22(木) 12:41:42
>>281

印可を受けてるし、大徳寺住持でしたからね。上は天皇から下はこじきにまで愛されたとか
284日本@名無史さん:2008/05/22(木) 19:36:03
「死にたくない、、、」が一休さん、最期の言葉。
弟子や愛人に見守られ布団の中で八十八歳の大往生・・・
さぞ幸せな人生だったんだろう。

それに比べ
きょう日の年寄りは「死にたい、死にたい」と言いながら死んで逝く。

哀れだな。
285日本@名無史さん:2008/05/22(木) 19:59:24
天皇の落胤というのもデタラメだろう。
同時代資料では一休に触れてもそんなことも、一休自らそんなことを語っていた
なんてことも存在していないらしい。
286日本@名無史さん:2008/05/23(金) 05:13:48
宮内庁の管轄で非公開の文献(一般には公開されていない)は
まだまだ沢山ある。

きっと有るんだよ裏(○秘)皇統系譜が、、、
287日本@名無史さん:2008/05/23(金) 11:43:59
>>284
一休さんの「死にたくない・・・」にはどんな意味があるんだろうな。
288日本@名無史さん:2008/05/23(金) 14:00:29
言葉通りの意味だろう。老人だからって、皆が皆死にたいと思っているわけではない。
289武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/23(金) 21:50:53
>>288
老人だからみなみなが…
っておまえバカなのか?
おまえは老人は皆死にたがってると思ってる訳だ
290日本@名無史さん:2008/05/23(金) 21:58:04
>>287

まだまだ世間の坊主を皮肉りたいからでないの?
291日本@名無史さん:2008/05/24(土) 05:18:36
またブヨウがバカなこと書いてるな
292武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/24(土) 07:44:03
>>291
バカはおまえだ
悔しかったら論破してみろ
できまいw
293日本@名無史さん:2008/05/24(土) 20:50:33
一休はアホである。
鑑真も馬鹿である。
弘法にいたっては、アホ丸出し。
最澄も愚鈍な、馬鹿である。
294日本@名無史さん:2008/05/24(土) 22:32:09
>>293
メインキャラみんなアホじゃないかw
295日本@名無史さん:2008/05/25(日) 02:00:43
周防監督の「ファンシーダンス」を見て下さい。
296日本@名無史さん:2008/05/25(日) 05:20:17
>>291
もう一度>>288を読み返してみろ。>>288>>284>>287を踏まえたうえで書かれている。

気付いたかねボンクラ。
297日本@名無史さん:2008/05/25(日) 05:22:20
アンカー間違えた。>>292のバカなブヨウへのレスだ。
↓正しくはこうだ。

>>292
もう一度>>288を読み返してみろ。>>288>>284>>287を踏まえたうえで書かれている。

気付いたかねボンクラ。
298日本@名無史さん:2008/05/25(日) 20:50:50
空也もアホである。
一遍も頭が悪い。

あっ、法然も馬鹿である。
親鸞も頭が悪い、アホである。

栄西もアホである。

和讃とは悪趣味である。くさい、くさい、聞きたくない。
舎利とは、いらないもの、捨てたらよい。不潔である。

299日本@名無史さん:2008/05/25(日) 20:58:56
>>298
日蓮ファンの方ですか?
300日本@名無史さん:2008/05/25(日) 21:02:59
真言立川流にでも憧れてんじゃねーの
301日本@名無史さん:2008/05/25(日) 21:23:11
チベット仏教かなw
302日本@名無史さん:2008/05/25(日) 23:30:08
ナーガールジュナでそ
303日本@名無史さん:2008/05/26(月) 06:05:46
実はムスリムとか
304日本@名無史さん:2008/05/26(月) 21:19:46
仏教の悪口を言いたいです。
ただ、それだけです。

日蓮もアホです。
釈迦も悪い、こんな男はなっとらん。

ムスリムは悪い。
がらの悪い未亡人集めて、ハーレムなどと
マホメットは趣味のわるい男である。

キリスト、マリアは、母子そろってのアホ。
「私は、処女で、この子を産みました」と、
マリアのおばはん、アホもアホも、頭も、口も大丈夫かといいたい。
ありえない、こんなことは、信じない。マリアのうそである。

声明「しょうみょう」はきらいである。悪いものは聞きたくない。
バッハ、あの作曲家、悪いね。
キリストの音楽は悪い。アホくさくって、聞いていられない。

曼荼羅とは、不良が見るものである。
曼荼羅は悪い。

真言宗は悪い。
阿弥陀のアホ、如来の馬鹿。
305日本@名無史さん:2008/05/28(水) 10:38:49
白隠をアホという
306武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/29(木) 01:04:14
>>297
ちゃんと読んで批判した。
バカか?
てめえの書いたレス、もう一度自分で読み返せ。
前レスがどうだろうと
てめえは年寄りを死にたがってると一般化してんじゃねえか
ボンクラ野郎
307日本@名無史さん:2008/05/29(木) 01:19:03
>>306
何か辛いことでもあったか?

手当たり次第、いろんなスレで絡んでるなw

酔っ払ってレス付けるんじゃないぞ。
308武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/29(木) 01:25:07
>>307
あった
身売りレスに書いたのと
武陽隠士『世事見聞録』の遊女についての記述読み直したら
気持ちが鬱になった
309日本@名無史さん:2008/05/29(木) 01:32:54
>>308
生きてる限り

煩悩はつきまとう
310武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/29(木) 01:36:08
>>309
まあそうだな。
早く棺桶に入りたいな
どうせ天国行きなら早い方がいいや。


↑茶々入りそう
おやすみ(^_-)☆
311日本@名無史さん:2008/05/29(木) 10:03:14
手間の掛かる子供だな。性的放埓が大人になることと勘違いしてやがる。
ブヨウ♀などは典型だ。
312日本@名無史さん:2008/05/29(木) 14:29:33
>>261
読んでて、激しくワロタ(w
313武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/31(土) 00:57:28
>>311
真っ昼間からキモいこと書いてんじゃねーよ!
ちゃんと金稼げ、バカ野郎!
314日本@名無史さん:2008/05/31(土) 01:26:38
>>311
人の稼ぎ聞く前に示してもらいたいんだけど、あんたはいくら稼いでんの?
315日本@名無史さん:2008/05/31(土) 01:29:16
>>313
人の稼ぎ聞く前に示してもらいたいんだけど、あんたはいくら稼いでんの?

316日本@名無史さん:2008/05/31(土) 01:29:45
314は取り消しでな
317武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/31(土) 01:52:06
>>315
バカ野郎!
オマエは日本語が読めないのか?
てめぇがいくら稼いでるかを訊いてるんじゃねえ!
平日の午前中にチンタラ書き込みしてるヒマがあんなら
働け(金稼げ)って言ってるんだ!
平日休みとか夜勤とか言い訳よせよニートのヒマ人バカ野郎
くだらねえ茶々入れてバカか
318日本@名無史さん:2008/05/31(土) 02:33:27
>>317
あんたは金を稼いでいるの?
319日本@名無史さん:2008/05/31(土) 07:32:38
ブヨウはよほど痛いところを突かれたらしい。だからガキなわけだ。
320武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/31(土) 10:13:59
平日の真っ昼間からキモい書き込みしてくんなってことだ。
ホント何やってんのw
痛いのはオマエだろうがw
意味わかんないのか?
しかしテメェみたいなキモいヒマ人見てると頭くんな。
私につきまとうヒマあるんなら
は・た・ら・け
バーカ
321日本@名無史さん:2008/05/31(土) 10:32:26
お互い様だと気づかんほど近視眼的だからガキ呼ばわりされるわけだ。

困った子供だな。
322武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/31(土) 10:47:25
>>321
テメェがうらやましいよ。
お子さまでいいから、
テメェみたいに平日の真っ昼間から悠長に2ちゃん出来るご身分に
なりてぇもんだぜ。
「働く者食うべからず」
どこぞの禅僧の口癖だったな…(ここは一休について掲示板だ)

おまえ平日の真っ昼間から遊んでられるヒマ人で都会モンなら
駒沢大学の資料館で道元の展覧会をやるから
行ってこい。
一休は臨済で道元とはちょっち外れるが
ぶっちゃけどっちも禅だ(つまんない突っ込みよせよ)。
禅に多少とも興味あんなら行けヒマ人野郎。

さて起きるか
朝食何食べよっかな(^ε^)♪
323武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/31(土) 10:48:29
>>321
テメェがうらやましいよ。
お子さまでいいから、
テメェみたいに平日の真っ昼間から悠長に2ちゃん出来るご身分に
なりてぇもんだぜ。
「働く者食うべからず」
どこぞの禅僧の口癖だったな…(ここは一休について掲示板だ)

おまえ平日の真っ昼間から遊んでられるヒマ人で都会モンなら
駒沢大学の資料館で道元の展覧会をやるから
行ってこい。
一休は臨済で道元とはちょっち外れるが
ぶっちゃけどっちも禅だ(つまんない突っ込みよせよ)。
禅に多少とも興味あんなら行けヒマ人野郎。

さて起きるか
朝食何食べよっかな(^ε^)♪
324武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/31(土) 10:49:39
不具合で連投になってしまいました。
申し訳ありませんm(_ _)m
325日本@名無史さん:2008/05/31(土) 11:15:21
禅の本質は黄檗宗にあり。
326日本@名無史さん:2008/05/31(土) 13:01:33
>>323
あんた働いて金稼いでるの?
327日本@名無史さん:2008/05/31(土) 16:27:52
>おまえ平日の真っ昼間から遊んでられるヒマ人で都会モンなら
>駒沢大学の資料館で道元の展覧会をやるから
>行ってこい。


関東などに住むと、展覧会で見られる小物に接したら文化が判る気になってしまうらしい。
嘆かわしいことだ。まるで文化的成金とでも形容するしかないような状況じゃないか。
328武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/31(土) 23:49:46
>>327
おまえ勘違いしてるぞ
おまえがバカだから禅入門として見に行け
って言ってるんだぜ。
出陳物、それほどめぼしいのはないしさ、私は行く気ないよ。
近場だと神奈川に本山(大昔分裂したあれね)があって何回か私は行って逸品観たよ。
おまえはパーだから分からないが、博物館とか資料館は教育施設なの。
見せ物小屋でも骨董屋でもないの。
おまえみたいな初学者に噛み砕いて優〜しく教えてやるのも
機能の一つなんだよな。
おまえ博物館学、やったことないだろw
ま、やらないからこうして私がレクチャーしてやってる訳だがw
329日本@名無史さん:2008/05/31(土) 23:56:56
あなたみたいなレベルの高い方はどっか余所行って下さい。
話が合いません。インテリさんはインテリらしく、庶民の
ことは放っておいて下さい。
330日本@名無史さん:2008/06/01(日) 01:51:06
レベルの高いかたってwwww
331日本@名無史さん:2008/06/01(日) 04:42:40
結局、ブヨウの文化に対する認識は、禅宗の本山1箇所で宝物を見、
博物館学をかじったらなんとかなるという程度のものか。

面白すぎる奴だな。小学生が「こんちゅうはかせ」とか「れきしはかせ」とか
名乗っているようなものか?
332日本@名無史さん:2008/06/01(日) 04:58:11
ブヨウに素敵なニックネームをつけてやろう。「大人の階段登るシンデレラ」ってのはどうだ。
聞いたことがあるフレーズかも知れないが当然で、昔の歌からのパクリだw

つーかお前の見事すぎるほどのツンデレは自覚的か?
333日本@名無史さん:2008/06/01(日) 05:01:44
ブヨウってなに?
ニックネームとか不必要だし意味ない
334日本@名無史さん:2008/06/01(日) 05:17:15
ブヨウに公案を出してやろう。「瓢箪でネット上のツンデレ娘を捕まえるにはどうしたらいいのか」。










答えは「瓢箪を野壺で熟成させ、臭いで惹き付ける」といったあたりだが、実際にはブヨウが禅寺に
行った元々の目的であるイケメン禅僧にまず抱擁させてからなら瓢箪そのままでも確実だ。瓢箪
どころか、乾屎厥で押さえられても気付かないだろうが、それでは禅僧が可哀想だから、カレー
掬ったおたま程度がコミカルさではちょうどいいか。
335日本@名無史さん:2008/06/01(日) 05:25:09
>>334を少し修正。また子供っぽくヒス起こしたら困るからな。

誤:瓢箪を野壺で熟成させ、臭いで
正:瓢箪に砂糖水を塗り、匂いで
336日本@名無史さん:2008/06/01(日) 05:32:22
>>333
>ブヨウってなに?

武陽隠士とか名乗っているコテハン。つがいで書き込んでるらしい。
337日本@名無史さん:2008/06/01(日) 06:15:28
自分に自分であだなつけて他人にも呼ばせて楽しそうだね?

338日本@名無史さん:2008/06/01(日) 06:18:13
ていうか匿名掲示板とはいえ随分と恥じ知らずな人なんだね
339日本@名無史さん:2008/06/01(日) 10:59:54
道元も一休も「禅」だから相通ずるなんていうのはとんでもない勘違いで
もし同時代に両人居合わせたら思想的殺し合いが起こったほど両者異なる。
340日本@名無史さん:2008/06/01(日) 11:18:25
殺し合いが起これば当事者は半可通として馬鹿にされるだけ。
当時はそういう馬鹿も今と同様に多かったろうが。
341日本@名無史さん:2008/06/01(日) 18:43:32
思想的殺し合いといっても何も暴力で戦うわけじゃない。
論争だよ。相手が思想的(精神的)に死ぬか、肉体まで斃れるまで続くかそれは分からぬが。
342武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/02(月) 00:46:38
>>339
細かいバカだな。
くだらねえつっこみだ。
東洋思想を大ざっばにぶっちゃけすれば
禅てのは達磨の教えを中国化したもの(慧可がね)。
世界的な視野で見れば似たようなもんだ。
仏教オタクの山野あたりから要らざる突っ込みがありそうだが、
もとよりネットで切り貼り学習が関の山のアホ初学者風情に一休だか臨済禅だかと
道元との差異など言上げするだけ馬の耳に念仏(!)。
ははは
343日本@名無史さん:2008/06/02(月) 03:15:55
達磨なんていうのはそもそも実在性が疑われる人物で
そうすると慧可が実質的に禅宗の祖となるが慧可断臂などという
グロテスクなエピソード(肉体をもって信を表すのは法華思想だ)からして
これも実在性は怪しい。禅も一子相伝というよりもやはりさみだれ的に伝わったのだろう。
六祖慧能が真の祖ともいえるがこれも実像は不確か。まあ慧能―神秀と言った流れで
中国禅が完成して、ここから枝分からした。
そして、宋代の頃には臨済禅は堕落しきっていると道元の目には映ったのだよ。
344日本@名無史さん:2008/06/02(月) 05:54:41
日本の仏教界の公式見解は、悟りに到達し、あるいは仏のご加護を得るには手段は
一つではなく、どの教義に従っても構わないということらしい。なぜそこに日蓮宗
みたいな排他的なのが入っているのかよく分からんが。
345343:2008/06/02(月) 07:31:02
書き飛ばしてから間違えた。
慧能―神秀

慧能―神会
の間違いだった。
346日本@名無史さん:2008/06/02(月) 23:41:25
人格・識見が高校生レベルの下品なコテが出入りしているスレでマジレスもどうかと思うが


悟りとは自己鍛練の過程で得られるものであって、それ以上でもそれ以下でも無い
悟りに到達することは日本の仏教界の公式見解ではなく一般人むけの単なる方便だと思うが…
347訂正:2008/06/02(月) 23:44:10
悟りに到達することは日本の仏教界の公式見解ではなく一般人むけの単なる方便だと思うが…

悟りに到達することが目的であるかのような言は、日本の仏教界の公式見解ではなく一般人むけの単なる方便だと思うが…
348武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/04(水) 00:09:49
>>346
その「見識が高校生のコテハン」に
一休の年譜を教えてもらうまで
誰も知らなかったこのスレの住人の見識は
中学生以下なのかなw
おまえさ
ググって切り貼りしたウンチクを得々書いてんなよ。
バッカじゃない?
一休の年譜は一休の基本史料。
それを私が提示するまで誰も触れない。
ネットで検索するしか出来ないバカが偉そうにw
ロムってるギャラリーのみなさま
このスレを
>>1から順繰りにお読み下さい。
私が乱入するまで、
どうでもいいネットの切り貼りをして知ったか無知どもが
延々と議論しています。
私の登場までバカな議論百出です
否、今もです
バカな議論など何百回やったて仕方ありませんねw
349日本@名無史さん:2008/06/04(水) 04:05:25
ブヨウは今日も元気だな。
350日本@名無史さん:2008/06/04(水) 04:15:14
第100代天皇


後小松天皇

息子さんだから出家しても優遇されたのが


一休さんです。
351日本@名無史さん:2008/06/08(日) 19:53:06
                l三`ー 、_;:;:;:;:;:;:j;:;:;:;:;:;:_;:;:;_;:-三三三三三l
               l三  r=ミ''‐--‐';二,_ ̄    ,三三三彡彡l_
              lミ′   ̄    ー-'"    '=ミニ彡彡/‐、ヽ
                  l;l  ,_-‐ 、    __,,.. - 、       彡彡彳、.//
_______∧,、_‖ `之ヽ、, i l´ _,ィ辷ァ-、、   彡彡'r ノ/_ ______
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄'`'` ̄ 1     ̄フ/l l::. ヽこ~ ̄     彡彳~´/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                 ヽ   ´ :l .l:::.         彡ィ-‐'′
                ゝ、  / :.  :r-、        彡′
              / ィ:ヘ  `ヽ:__,ィ='´        彡;ヽ、
          _,,..-‐'7 /:::::::ヽ   _: :_    ヽ      ィ´.}::ヽ ヽ、
      _,-‐'´    {  ヽ:::::::::ヘ `'ー===ー-- '   /ノ /::::::ヘ, ヽー、


息子だから・・・と言うより孫だから優遇したのです。
352日本@名無史さん:2008/06/24(火) 02:14:53
営業マンとして一流
ホモ男優として一流
ちんちんだけは三流
それが一休さんという男
353日本@名無史さん:2008/09/04(木) 11:07:01
あの頂相をみてもなるほど語り継がれてるような人物だったろうなと思う
日蓮や道元や親鸞の顔もある種凄いけど
354日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:04:16
そうなん
355日本@名無史さん:2008/11/22(土) 09:31:08
法華経がそもそも一神教的なんだよな
キリスト教の影響があったのかな?
356日本@名無史さん:2008/11/23(日) 12:59:06
明治以降に影響を受けたのは確実。
357日本@名無史さん:2009/02/01(日) 00:39:25
なるほどね。
好き好き好き好き好きっ好き、あ〜いしてる

ただのエロ坊主じゃねぇの?天皇の御落胤説も怪しいもんだしな。
359日本@名無史さん:2009/02/01(日) 13:29:54
他の坊主たちは隠語などを使ってごまかしていた
一方一休は堂々と囲っていた
360日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:45:27
襟巻きの あったかさうな 黒坊主
こいつが法は 天下一なり
361日本@名無史さん:2009/05/01(金) 12:15:32


一休さん THE MOVIE -劇場版予告編-
http://www.youtube.com/watch?v=DlpFpizcHkc



映画版ってあったんだね。
しかも、監督が市川崑………。
362日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:39:26




もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/










363日本@名無史さん:2009/06/09(火) 13:34:45

はしをわたるな!

このはしを。

364日本@名無史さん:2009/06/12(金) 16:45:49
 一休は思わずたじろいで後ずさった。その川には、呆れるほど長く細い角材が二本、
渡されているだけだったからだ。恐らくこれが立て札に記された「はし」すなわち箸だと
いうのだろう。その「はし」は、細さのゆえ自重にすら耐えかねるように、川の中ほどで
たわんでいる。一休がいくら子供であろうとも、足を掛けた途端にへし折れて川の中に
真っ逆さまに落ちることは、誰の目にも明らかだった。

 しかも拙いことには、一休の噂を知る近隣の貴賎が、どのような頓知でこの難境を
乗り越えるのかと次々に集まってきていた。何しろそこは三条大橋、かつて将軍義満が
幕府の威信を懸けて頑丈な橋に付け替えていた場所だった。
 しかし昨日より降り続く豪雨は鴨川の水嵩を増やし、その流れを豪流に変えて、
ついに橋を押し流してしまった。立ち往生する旅人は、振って湧いた災難に呆然と立ち尽くし、
無為な時間を浪費するばかりだったのだ。
 実は、かつて一休が、同様の立て札が掲げられた橋の中央を堂々と通って行ったのも、
この橋だった。だからこそ、集まる群衆は、暗闇の中に一縷の光を見出したごとく、
縋るような目で一休の頓知を期待していた。

 将軍義満もまた、この災害による混乱に頭を悩ませる1人だった。そこは鴨川に掛けられた
数多くの橋でも最も重要な橋である。幕府の威信を懸けて普請したものである以上は、
早急な対策が講じられなければ、口さがない京雀どもは足利家を軽んじ、所詮は坂東の田舎者の
末裔と嘲弄して、京における幕府の評価を地に落としかねない。そうなれば、不満を抱えた
諸国の守護大名たちがどのような動きをはじめるかも知れたものではない。

 将軍義満が緊急で一休を召し出したのも、この難局を乗り越えるには一休の頓知に頼るしかないと
思い詰めてのことだった。だからこそ、たわみに強い柳の材を使い、一本一本ではさほど
長くもない箸を数百本数千本と無理に繋ぎ合わせ、向こう岸にまで届く長さのものを作らせて、
誰が見ても絶好の頓知の題材と思えるような状況を作り出したのだ。
365日本@名無史さん:2009/06/12(金) 22:05:49
つい先日、さよちゃんみたい髪型な女の子に挿入し中だし抜かずの四発してきたけど

なんとなく一応はご報告までに
妊娠の心配が無いっていいよね
366日本@名無史さん:2009/06/25(木) 02:23:41
816 :人間七七四年:2009/06/19(金) 04:26:46 ID:KtXqjliS
一休さん
新衛門「一休さーん!!」
安国寺に寺社奉行の蜷川新衛門がやってきた。
そしていきなり
新衛門「見つけましたぞ!食らえっ!!」
一休「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
新衛門「ふんっ!ふんふんっ!!」
一休「痛いっ!痛いーっ!!うっ動かないで・・・っ!!」
新衛門「嘘を言ってはだめでござるよ!こんなに股の竿を硬くしてからに!!」
一休「あひぃっ!?しごかないでぇー!!」
将軍から一休に不穏な動きがないか監視役を申し付かった新衛門は
それを口実に毎日のように彼を手篭めにしていたのである。

しばらくして新衛門が帰ると、今度は商人の桔梗屋利平が寺へやってきた。
利平「さぁ一休さん!私の尻に竿を挿れてくださいよ!」
この男は守銭奴で汚い商いばかりしているのだが、極楽浄土に逝きたいがため
寺への寄付だけでなく仏門に入った者に尻を捧げ自らの徳を高めようとしていた。
四つんばいになって尻をふりふりさせながら一休を誘惑する利平。
しかし一休にとって初老の商人の尻など気持ち悪いだけ、何時までたっても竿は勃たなかった。
利平「ええいっ!こっちから喰ろおてやる!!」
一休「ぎゃあああっ!さっ竿が吸い込まれるうっ!?」
利平「むんっ!むんむんっ!!」
一休「ああっ!気持ち悪い!!うっ動かないで・・・っ!!」
利平「嘘を言ってはいけませんよ!こんなに私の中で竿を硬くしおって!!」
一休「あひぃ!搾らないでぇっー!?」

かくして一休さんの僧になるための修行は続く。
子供から大人への階段を急速に駆け上る彼の行き着く先とはいったい・・・・?
                         〜続く〜
367日本@名無史さん:2009/06/25(木) 02:27:19
一休さん
托鉢中の一休に腰の部分が大胆に切り取られ袴を履き尻丸出し状態の男が近づいてきて、
その場で四つんばいになると丸くて綺麗なプリ尻をフリフリと振り一休を誘惑する。
一休「おおっ!締りのよさそうな尻ですね、ごくり・・・」
しかし男の尻には『この尻、掘るべからず』という張り紙が貼られている。
一休「そっ、そんな・・・・・」
その様子を物陰から見てニヤニヤする二つの影。将軍さまと桔梗屋利平である。
将軍さま「のほほほ、掘れば張り紙に書かれた注意を破ることになる
しかし掘らねば熱くなった股間は収まらず欲求不満で苦しい思いが続く、これではさしもの一休も手も足も出まい」
利平「これはどうなるか見物ですな、ぐふふふっ」
そう、これはこの二人が仕組んだ意地悪だったのだ。

368日本@名無史さん:2009/06/25(木) 02:28:10
一休「よし、こうなったら・・・」
燃え上がる煩悩の炎に真正面から立ち向かうように、一休は下穿きから自らの幼い竿を取り出すと手でしごき始める。
これぞ、一休自慢の竿とんち、
シコシコシコシコ・・・・・・
シコシコシコシコ・・・・・・
一休「うっ!?」
白液が迸ると同時に、彼の脳裏には事態を打開するナイスなアイデアが閃くのである。
一休「あー、すっきりした」
一休は晴れ晴れした表情を浮かべると尻丸出し男には手も触れずその場を後にした。
皆さんわかりましたか?
一発抜いてスッキリすれば張り紙の注意を破って目の前の尻を掘らなくても欲求不満が解消される。
掘らずに性欲を処理するとは、さすがはとんち名人一休さんですね!(ナレーション増山○威子)
将軍「おのれ!その手があったか!!」
利平「またしてもしてやられるとは、悔しい〜!!」
意地悪をかわされ怒り心頭の二人の憤懣のはけ口は誘惑役の男に向けられた。
将軍「お前がもっと上手く誘惑しないからこんなことになるのじゃ!食らえ!!」
男「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
利平「私は口に挿れさせてもらいますよ!!」
男「ふぐぅ!むーっ!!」
利平「もっと舌を使ってしっかり舐めてくださいよー!!」
二人の責めは夜が暮れるまで続いたという。

かくして一休さんは将軍様たちの意地悪にも負けることなく今日も修行に励み続けるのだった。
望みは高く果てしなく、母が望んだ立派な僧になるために・・・・・・。
369 ◆Dy/XEQo.8M :2009/06/26(金) 00:14:00
370日本@名無史さん:2009/06/29(月) 17:29:44
371日本@名無史さん:2009/07/05(日) 14:24:05
母上さまの伊予の局が、
反足利の南朝方の公家の姫で、後小松帝の後宮の人
だったのは間違いないんでしょ?で、皇子を産んだから足利一族から危険視されて、身の安全のために、
皇子は出家させる約束で
後宮を去ったんだよね。だったら一休さんは間違いなく後小松帝の皇子じゃん。
372日本@名無史さん:2009/10/28(水) 22:29:44
そうか
373日本@名無史さん:2009/10/28(水) 23:11:44
がっかい
374日本@名無史さん:2009/11/13(金) 05:57:15
釈迦と言う悪戯小僧が出たせいでみんなおかしくなった、なんて
言う一休さんだから、落胤説だの愛人を囲っていただの後世で
言われてさぞかしあの世ではご満悦だろうよ。
375日本@名無史さん:2009/12/26(土) 23:23:29
ひとやすみひとやすみ
376日本@名無史さん:2010/02/07(日) 10:55:52
慌てない慌てない
377日本@名無史さん:2010/02/07(日) 12:52:08
一休さんがそうこうしている間にも、夜な夜な屏風から抜け出した虎は御所の者たちを餌食にしているというのに。
378日本@名無史さん:2010/02/15(月) 11:23:27
一休の風狂も自分は皇胤だという自信があったから好き放題できたんだろう。
本当に皇胤だったのかは分からないとしても一休自身はそう信じていた。
379日本@名無史さん:2010/02/15(月) 18:57:01
一休さんが警告を無視して橋を渡る前例を作ってしまったばかりに、多くの民が橋から落ちて激流に飲み込まれてしまったのだ。
380日本@名無史さん:2010/02/16(火) 11:03:51
>>379
気にしない、気にしない!
381日本@名無史さん:2010/03/01(月) 02:30:51
一休み 一休み
382日本@名無史さん
ほー