人格者西郷隆盛先生は"反$ェ韓論者である

このエントリーをはてなブックマークに追加
429日本@名無史さん
西郷隆盛の遣韓論と日本を取り巻く国際情勢

『 通説における西郷隆盛の征韓論は間違いである。』
--------------------------------------------------------------
明治三年(1870) 7月 西郷隆盛 太政官より大参事に任命
明治四年(1871) 6月25日 西郷隆盛、参議就任
明治五年(1872) 7月19日 西郷隆盛 陸軍元帥、近衛都督を兼務
明治六年(1873) 5月10日 西郷隆盛 陸軍大将兼参議となる

西郷隆盛の遣韓に至る経緯
--------------------------------------------------------------
明治元年(1868年)日本は朝鮮に使節を送り新政府の樹立を告げ
     新たな国交と通商を求る。当初その使節となったのは、
     従来から朝鮮との折衝にあたってきた対馬の宗氏である。
     しかし朝鮮政府はこれを拒否し続ける。
--------------------------------------------------------------
これに対し明治政府内部から朝鮮に対する武力制圧を主張する
政策意見が出始める。
当然ながら、陸軍大将兼参議である西郷隆盛に対して
政策要求が起こるのは当然である。
また西郷隆盛は当時日本を取り巻く国際情勢における安全政策と
職務上、それに関わる上で中心的立場にあったことは当然である。
即ち、西郷隆盛は個人的に征韓を唱えたわけではなく、
職務上、またその過程において基本的対策と戦略を示したに過ぎない。
もし西郷隆盛が強行的な征韓論者であれば遣韓提案などせず、
直ちに出兵準備の為の政策動議を掛かった事だろう。
それどころか西郷隆盛個人としては、全く逆の立場に立ち、
強行に征韓を唱える政府内部の抑制に努めた結果である。
よって通説における西郷隆盛の征韓論は間違いである。